【紙面右端 上段】 元治元年甲子七月 火の用心 平 安 大 火 末 代 噺 【紙面右端 下段】 今迄出板せし早摺画図と此画図旁見合可被成候■■此図は悉く細見せしを図す されば遠近の縁者知音へ火難の安危をしらする便りともならんかと後編をだす 【紙面本文】 元治元甲子七月十九日暁かわら町二条下る辺より出火同四つ時 堺町御門辺よりも出火孟火はげしくして所々へ飛火又同日に 伏見出火山崎辺出火嵯峨天龍寺へ飛火暫時の間に洛中 一面の火と成候様見ゆる市中の混雑筆紙つくしがたし老若男女 共火勢に恐れ逃げさまよひけが人等も有之由誠に希代の大火ゆへ 近在は勿論大坂などへも若哉飛火もあらんかと逃支度の 外他事なく安き心もなき程の大火也同廿一日七ッ半頃火鎮り申候 【上部】       家数 洛 伏 見  弐百卅九軒   山崎村  焼   失   天王山  焼   失 外 円明寺  焼   失   さが   天龍寺  焼   失 之 二尊院  焼   失   逃る 近郷 近在其外 部 人  江州 摂州 丹波      丹後 和泉 河内 【下部】 洛中町数  五百六十七町 同 家数  七千五百五十軒 同かまど  五万八千三百廿軒 同 土蔵  五百七十八戸前 《割書:洛中|洛外》寺院《割書:堂|大小共》百廿ヶ所 同 神社《割書:宮|大小共》百ヶ所 洛外《割書:家数|かまと》 五百軒余 けが人   数多あるよし 【墨消し部分】七百余人有よし