ころは嘉永七とらどし六月十四日のようしのこくやつどきごろ おわりいせあふみみの四かこくおゝじしんのしだいとうかいどう すじなるみじゆくみやじゆくなごやかいどうはいはつか ばんばかもりさやじゆくつしま五づてんわうもつとも此日 御さいれいにておゝこんざつどうしよはじいんそのほかまちや はもうすにおよばすあいたおれ候またきたのかたはいぬやま 小まきへんみなみのかたはのまうつみもろさきへんまで さや川のにしいせのくにはながしまくわな四かいちおゐわけ へんのこらずあいくつれ候そのうへ出火にあいなりしにん けがにんあまたなりおなじくいしやくしせうのかめやま せきさかの下じゆくへんのこらずあふみのくにはつち山みな くちいしべじゆくへんにしきたはみのゝくに大がきなんぐうくか すかしはばらさめがいたかみやゑち川むさへんまで そのほかにしきたのやま〳〵もうすにおよばすたい はんおゝしんとうにてくづれ候もつとも十五日あけ六つ はんごろにやう〳〵しづまり候それより日々しやう〳〵 づゝのぢしんこれあり候ここんまれなるおゝぢしん ゆえにあらましをかきしるししよにんあん どのためかきしるししらしむるものなり 【以降は別資料ですが入力済み分は消さずにおきます】 [右上] 時ハ嘉永寅の冬みるもさハぎまし□そうどう ありけるあらましの 飛出(とびだ)しさハぐわれらよりたれもおど ろき皆目をさましあはてけるハ誠に手ひどふさアハぎ けるけふのゆさ〳〵ハ安産でどふも御家にゐられぬ皆も