三河之物語 【『三河之物語』の原典(Aとする)は、寛永末年(1645)頃に「大久保氏の人」が著したもの(現存か不明)】 【Aを(=推定)、朝倉景衡(1716~1735)が書写(Bとする)し、諸書集成『遺老物語』(1733、現存)に含めた】 【さらにBを1803年、土井利往(1754~?)が書写した結果が本書。朱書きは本書元所有者によるものと考えられる(コマ3参照での土井利往への言及を見るに、直接本人を知っていた人物かもしれないが不詳)】 三河之物語 三河之物語 《割書:利往云世ニ大久保彦左衛門カ記スト云三河物語ト云フ物三巻アリ|其書ハ 神祖三州ニ御座ノ時ヨリ元和迄ノ事迹ヲ色々集メ|書タル書ナリ此書トハ別ナリ読昆雑スヘカラズ【朱書】》 《割書: |物前ノ馬》【上段に朱書】 一 大久保治右衛門物語ニ物前にて乗へき馬ハ古来ゟ四寸三寸に   むちかゝりと云第一大なる馬ハ武具して乗り下り不自由也   鞭かゝりハけたてあふりたて尻をもみて先へ行たかるハ見事也   かんよき馬ひかへ〳〵乗レハ一段と見苦しく見ゆる也と語り候き 一 同人物語ニ大高の兵粮入の時ニ山々添て備へなるを見て内藤   甚五左四郎左其外皆々定て軍有んと云時杉浦八郎五軍持ぬ   敵也心安く通り候へと被申候へと被申候何とて軍持ぬ敵也と見   たると後ニ各尋ね候へハ軍せんと思ハ丶旗の際ニ物し下立て居   へし山の敵も下へおり候ハぬニ結句人数そろ〳〵山へ上ル程に軍   持ぬ敵也と申されき案のことく軍無りき 一 同人物語に石川新九数度の手柄刀尋常也平生ハ一段と   ほれもの也矢矧の退口の時鵜殿十郎三郎新九と一度ニのき候   敵つよく追懸候時十郎三郎是又かくれなき功者なれハ新九   がんしやうにて先立ニのき候時言葉をかけハかへすへし新九せり   合打るゝ間ににげのびんと思ひてことはをかけかへせと被申   ける時新九立帰り持たる鑓を横たへてたれもかへす我も   かへせといはれけれハやれたわけにけよとて二人なから又に   け候平生の利根と違候とて誉被申候由 一 いらふのき口の時敵強く追かけ候を次右衛門さい〳〵かへし合せ   〳〵ふせきてのき候其時はそりかさとて編笠のはのそり   たるをきて退けり敵よばハりかけてはそりかささりとてハ   見事也名乗候へ〳〵と言かけけるを名ハ無そとて名のらず   大井川を渡り向ひにて持たる鉄炮を黒野五郎大夫ニこれうて   我より上手也必打あてよとて渡し我を台ニして打てと   て川端にうつふしにねてうたせ候敵川半分へ五騎のり込一の   先の敵を川中へ打倒す夫ゟ敵つかすして敵はなれして内藤   四郎左筧助太なと次右先ハ何とて名のらせぬそ名乗たらハ   敵まての手柄にて有へきと被申候時ケ様の時ハ名のらぬも   の也敵名聞てよバりかけてさりとてハ見事也さ候へよと云   れたる時味方つゞかすしんがりの者一人うたれハ惣負   になるもの也と各同年年兄の衆に被申候を各聞て   尤と被申候由其時家康様ゟ黒野五郎大夫ニ御鉄炮御   持被成候を被下候後迄持申候つる 《割書: |鉄炮打息合》【上段に朱書】 一 見付のき口の時大久保勘七坂の上石にけあがり先へ来ル   敵を三間計にて鉄炮にて打ハづし候を家康様御覧候   て勘七郎か逃て息もおさまらぬに常のことくにためて   打たる程にはづれ候息のおさまらぬ時ハ台尻を両手   一束に取て放つもの也と御おしへ被成候よし 一 味方原負軍の夜此侭置ならハ敵夜打又ハ明日も勝に   乗んとて大久保七郎右衛門思案して惣御家中の鉄炮を集   め候へハ負軍のあけ〳〵漸鉄炮廿四丁ありつるをめしつれ庠   か崖へ廻り信玄の本陣の方へ三ツツ丶打せ候敵ことの外騒き   明日早天ニ味方原を引取て家康の家中能者多しと   見へ候聊尓ニハしほされましきと信玄被仰候と此事三河   へ聞へて一類中七郎右衛門手柄なる才覚と申候へハ則常源   七郎右衛門出来したり一類中のうちニ火ハかけぬか風上ニ火を   かけて被申候を各聞て尤功者即座の分別と誉候由 《割書:手負ヲ |弓ヤウ》【上段に朱書】 一 同時退口ニ渡辺半助といふもの打死したり小阪新助引すりのく   とて手を取てひけは首さがりて引かねけるを七郎右衛門馬上ニ   て是を見て手を取て引けは引かれぬものぞ足を取て引けと   申され候間足を取て早く引のけて敵に首を取られず   と新助語り被申候 一 同時相模馬ニテ退き候を名は忘れ候誰やらん新十郎殿草   臥討死仕候/後(シリ)馬にのせて給はれといふ程にのせ候ひつれはむず   としがみ付二人馬にて退候事外馬草臥候つるあふなき事   に逢候を古き衆是を見てか様の時は何と申す共必二人馬   にのせぬ也と次右衛門をしへ候由 《割書:前立物大 |ナルハ悪シ》【上段に朱書】 一 前立物大きなるは悪く候堀川ニて馬上ニて相模のりつけ歩者  うち候とて振上候刀前立物につかへてそのものにげ過てうちはづ  す由同し時語被申候 《割書: |升形》【上段に朱書】 一門のわき升形といふ事は人数をはかり出す故也去程に何間何程  人数居候といふ事を覚て升形はするもの也と同時に語り  被申候 一城には虎口の多きかよきと山本勘助語候由同時に相模被申候  虎口多けれは寄手城中より切て出んとの為を思て虎口には人をかさ  みて置也まゝ時も猶同前敵の人数つからかすため也 一同人申候て語り被申候虎口并町口なとは直なれは押込て敵奥迄  見込む故に人数の方便もりかへす事成かたし曲れは押込敵もま  かりめ心えなく思ひ又は横矢こはく思ひて左程押込ぬもの也  何時もまかりめにてもりかへす又まかりめ餘り多けれはかへ  す時味方に鑓をふみおとさるゝもの也 《割書:高名ノ|心カケ》【上段に朱書】 一猪の越中物語にまつ何者にてもあたり次第早く高名し  たるかよく候又よきもの打候時取替候もやすく候よきもの  初から討候と思ひ候へは自然討はづるゝ事ある由語被申候 一同人語申候人並にかゝると思へは事外跡になるものに候人に勝れ  たると思へは漸々人並になるものにて候まゝ陣屋出るからぬけつ  くけつ先へ人を越候先にて物前にて先へ行んと思へは中々能  成らず候由物語申候 《割書:鰹フシヲ|モツコト》【上段に朱書】 一鰹節を上皮けつり捨中を帯にはさみは物前にても又ひたる  き時もかみ候へは事外力になる由水飲は竹にて腰にもつへし 《割書:隻飯ヲ|ツヽム物》【上段に朱書】 一握美源五物語に隻飯を包て持には薄(スヽキ)の葉よしめしすへず  してよしつとにすへし 《割書:鑓持テ|馬ニノル|故実》【上段に朱書】 一鎧候て馬にて鑓持のる時はまつ鑓をつき立て馬に乗後に鑓を  取る也鑓なから乗んとすれは馬つけ廻りてのれぬものの由中山  勘ケ由物語也 一備つくり物前にてはもう〳〵【惘惘ヵ】として何のわけも無きもの也そこにて  油断をすれは悪しくなる也其時思出し魂を入る様に心をおもへと米  津藤蔵物語の由次右衛門語被申候其時何にても喰候もよく候常の  心懸を思ひ出せは夜の明たるやうになるもの也 《割書:陣取テ|場ヲ見》【上段に朱書】 一陣取てはあたりを見先の馬の足場なとを油断無く見るも  のゝ由同人かたり被申候 一所々の案内者を求め引つけたるは第一也 《割書:中リ|拳ノ|伝》【上段に朱書】 一阿部四郎兵衛各あたりこぶし教え玉へと申候へは何のわけは無  きそ一はい引ふくらめ/ゆひ(結)わら(藁)射ると常の心のやうに思ひ  て三間斗へ引付て射れははつれぬもの也とおしへ申候 一真田にて両方足軽出打合候に度々味方押立られ候権右被  参うたせ候時しはしもりかへし又おし立られ候其時七郎右衛門  四郎兵衛に下知して打せ玉へと申候四郎兵衛被参指物をぬき  田の畦につき立てどうと跪き居候へは味方各そのことく致ル  るを敵見付て其後はよらず候由物語被申候 《割書:覚ノ者|ノコト》【上段に朱書】 一五郎右衛門殿次右衛門四郎兵足立右馬など小田原にて寄合咄【雑談】被  申候時米津真《割書:藤蔵|事》は矢田作十郎波切主税大原左近右衛門八右  衛門なとにまつとおとらぬ度数にて有へしとて右の衆語被申候  若き者は心懸の通尋候へは惣別覚は跡を手柄と思えは早よき比也  死たるよりはいきたるか増しと思ひ身構をして見合分別出来るも  の也幼き子と立並候とも幾度も先かけして人に見せんと常に   思ふとかたり被申候由 一 浄真三郎様の御前にて色ゝ武者物語致され候時名は忘れ候   浄真手柄なる場は何程か有つると御尋之時別に覚は無御座候   鑓と存候場は十二度御座候其内八度はぬし壱人の鑓又はさし   引にて大勢の人たすけ候由とこ〳〵にてと場を引き語り被申   候時杉浦八郎五其座にて高橋縄手ニて馬上ニ而敵三騎合つ   きをとし玉ふは今の物語ニ是無く夫も十二度の内かと尋候へは   いや〳〵左様の少の事は幾度も有へし程に申上候はぬと被申候由 一 城際の軍はせぬもの也と昔から云伝へたる誠にて候安城にて   城際の軍してつけ入にとりぬと語り被申候也 《割書:カリ|キヽカマリ 》【上段に朱書】 一 陣を取候ては其家中のよき功者なるもの三人も所ニより五人は   かりきゝかまり【忍び】ニ出し候也 《割書:キヽカマリ|ノ時枕 》【上段に朱書】 一 きゝかまりニ出候ては名にても何にても枕をしていねて候へは一町計   遠く寄来る敵枕ニ響き足音必響候由源五被申候也 《割書:シノビノ時|サシ物色》【上段に朱書】 一 忍びの時は具足にても差物にても白と黒き夜も遠くより見へ候也   空色とて朝(アサギ)が見へず候 一 姉川の時左衛門尉一番榊原式部二番備也しか姉川の向のきし高く馬   の乗上場悪しく候故左衛門尉殿少廻りてかヽり候時二番手の式部殿   道をかへす置ニかヽり先手二の手両手よりかヽり候故朝倉勢早   く崩候由各物語也 一 同時信長ゟ御使ニ福富平左衛門福島平八衛門被参家康はいづくニと尋玉へは   鳥居四郎左出向ひ何の御用に候と被申候は軍仕様御諚之通り可申   渡候由被申候時四郎左先手仕候家康勢御旗本ゟ下知を受て   は不能成候仕そこなひ候とても一身の負惣負ニは到ましく候   被仰候ニ及はず候とあら〳〵といはれ候へは平左其方名は何と   いふと尋被申候時鳥居四郎左衛門と申候家康内にて八人の数   にも入候はぬ小身者に候由被申候其侭平左帰候て信長ニ右   之通被申上候へは事外御感し候て聞及しより家康は人持ニ   て候と被仰候由 一 佐久間右衛門尉三州へ加勢被参候時味方原の前の時軍の様   各相談の時鳥居四郎被申候は城下間近く通る敵を其侭   通し候事有ましく候たとひ負に究る共能者と討死して後   迄名を残し候へは能候城際の軍はつけ入を大事とする事覚   悟の前也其用心さへ候はゝ一合戦と被申候を右衛門尉聞て家康   の鳥居は見事の武士大口者と被申由案の如く味方ケ原ニ而   も先手一手にて勝て候其後鳥居四郎左討死候て大崩の   よし 《割書: |陣拂煙》【上段に朱書】 一 戦陣の時陣拂の烟を敵あけ候を各見て扨は敵のき候つき候はん   かなと各申候へは杉浦八郎五郎身候て陣屋烟にあらす其まね   をしておびき出すと存候其故は敵も五六十日余居候小屋にて   ある程に陣拂の烟ならは黒く烟の立みゆへきに烟白き程に刈   置たる木草に火を懸たると存候由被申候間即物見を出し   候へは案の如く陣拂にては無く候由語り被申候也 《割書:大将ノ|心得 》【上段に朱書】 一 成瀬吉右日下部兵右物語ニ籠城候時大将の心持肝要也何方   も見へ候高き所に常ニ居て武者の動きを後ゟ見ると諸人ニ思   はせたるかよき也高き所なくは家の上になり共居るへし大将見   へねは諸人無心評思ふ也古き衆被申候由語り被申候 一 同訴ニ大将も又は物頭なとも耳談合さゝやき事せぬもの也諸   軍衆弱み付くもの也と昔人被申候由 《割書:  |多門作り》【上段に朱書】 一 城に多門作り散々あしく候籠城の時は甲のまひさしあるもうち   おほひてうつとうしきもの由本多中書物語ニ候   志賀の城の時多門作の内にて鉄炮三ツ四ツ打つれは烟にて暗くなり   なにとも居られ候はぬ由小堀新助物かたり候 《割書:  |腰兵糧》【上段に朱書】 一 うちかひには干飯よく候木綿うちかいの中に口あるをこしらへ置候て   用候時干飯入腰に付候へはさい〳〵かみ候によく候又はうちかひなから水ニ   入て少おけはほとひて飯のやうニなるもの也と吉右かたり被申候 一 梅干の肉をすりて絹ニ包て糸を付て持へし砂糖もよく候よし   同人かたり候 一 いらう退口の時おし前の時は大次右衛門御旗本行内藤四郎左御鑓   奉行にて候つる敵つよくつき候て三通に御退候時左衛門尉人数連一   筋七郎右衛門御旗に付て人数連て一筋殿様一筋御退候時旗本取   を内藤四郎左ニ御申付御鑓奉行を大次衛門ニ御申付定て御心持   候つるやとおの〳〵とり〳〵被申候也 一 小田原の城御縄強の時唯城は逃入やすき様に付入ならぬやうに城は   臆病に取るものかよし 一 横矢を専ニまかりをあらせて御縄張被成候 《割書:城際ノ |備》【上段に朱書】 一 小田原陣の時さ川【酒匂】の方井伊兵部殿【直政】人数被遣候森を後にあてて   人数立よと被仰候兵部殿河原ニ備被申候へは事外御腹立候て   惣別城際にて備候ニは森かしけりを後にして備へ敵ニ人数の   程らひ見せぬやうにこそするものなれ敵森ゟ備の内人の足   数迄見すかす処ニ備へ候事合点不参候由御腹立候へは兵部殿   御諚にて候間右の所ニ備へ候由被申候時御馬の上ニて御小刀を御抜   き御腰物ニてかねを御打此かねの罰を蒙り候法も候へあそことは   不被仰候由御意ニて候ふ小刀を押折御すて候其御小刀の柄をふかう   清十郎拾ひ候とて悪しく申候 一 其時惣別城際の備は森かしけりを後ニ当てか山か高き所ニ取る   ものゝ由被仰候由 一 其時物見ニ御座候てさ川の川に付て御下り海はた波打際にて腰ゟ   城の内を御さげすみ御帰り候跡ゟ被参候御供の衆城際を乗通り   候を御しかり被成候惣別城際を通るもの程若城ゟつきて出候はゝ 一 其侭討死致へし逃たる見苦しく有へく候討取らるれは城の競【きほい=勢い】   になるを知り候はてほれもの共にて候と御しかり候城を見る   には際ゟ乗廻して横ゟこそ見る作法なれと御意被成候つる   よし 《割書:城中ヨリ|夜討ノ仕カタ》【上段に朱書】 一 其時諏訪の原御本陣也物見に御出候間各は是ニ居て陣取可   仕とて内藤四郎左馬主水渡忠右筧助太服部半蔵おの〳〵   御残し五六騎若き衆被召連候御帰候て御陣屋を御覧被成候   各御呼数々御しかり候て不勘者なる陣の取様かな皆々は   合点可参と思召候つるに初心にて候とて御叱り各陣取り   直し始とうらおもてニなり始は城の方へ向ひ陣取候御意ニは   か様ニはやまかれ候城中々切て出ぬもの也其心あらは山ゟ何   方へ寄る時いたすへしはやか様ニ取まかれて城中の方便は夜討   計り也陣取定らぬ内ニ夜討うつもの也城ゟ出候ては討ず候   何方は案内者なれは何方ニなり共隠れ居て陣の後ゟ懸破り   て城へは入様ニ夜討うつものにてはまゝ其心得をしてうらを   本に城際の陣はからるもの也と御意にて御しかり候由 一 城中ゟ橋を焼候事あらは焼せたるか能候と被仰候由是も夜討   の為也城へ乗る時は橋も堀も同し事也 一 城取巻候時巻の前に橋あらは心を付へしと各物語候由若夜討   城ゟうつ事有るへし 一 権現様城御せめ被成候ニハ何方にても一方は御明け候て御取巻候せ   め被成候なり 一 関原御合戦の時三州藤川ゟ村越茂助御使に上方衆へ御遣候   上方大名細川越中加藤肥後山内対馬田中兵部浅野紀伊   守堀尾信濃黒田筑前加藤左馬其他大勢清冽迄被参御   馬遅しとて毎日待かね被罷在候其時大形福嶋太夫殿羽   柴三左衛門殿両人は上方衆の二頭にて居被申候本多中書井伊   兵部両人是又一日代ニ先をして被登候折節各清冽の城に   て堀廻りの処へ村茂助被参中出兵部被申候は何とて被参候由   申候へは茂助被申候は上方大名衆藤川迄御座候先の様子知れ候   はず候間是ニ御逗留被成候由御使ニ参り候と被申候へは右両人まつ   相待候へ上方大名衆御馬何とて遅きと無心計被存あやぶみ被   申候処へ左様の御使被申候はゝ猶以各不審ニ可被存候まつ飯を給   られよとて台所にて飯を御振舞候茂助飯を喰上ふと心に出   申候分別に御使に参よかれあかれ御意の通り不申候へはあやま   りに成候と存中出兵部殿座敷へ出酒のあいさつめされ候内に   ふと座敷へ茂助出被申候へは各大名衆茂助殿何とて御越御由尋   被申候中出も兵部殿も卒忽ニ出被申候とあきれて御入候茂助は   かまい無く各へ御使ニ参候とて右の通り有様ニ被申候へは諸大名   衆尤に候先手御馬を相待取かけ候はぬ故に敵味方定めか   たきと思召候はんさらは早々先へ働き候はんとて其座にて   手分して川越の合戦候茂助罷帰り右の通り被申上候へは左   様ニ遠慮なく申さん為に汝を遣したりはや敵味方定り   たり合戦は被成よきと御意候つる由語り被申候中書も兵部   も茂助卒忽にして致しあてけると後に被申候由 一 其時かち山へ御取よせ候時駿河衆一合戦し御目にかけんとて   軍始数々打れ候大阪の城ゟ出候て喰付引兼候時権現様御   覧被成中出兵部あれあけ候へと御意候と両人其侭馬ニ乗り   かけ出し足軽かけ打立させ其侭引上ケ被申候由 一 大坂御陣の時二条にて藤堂和泉守被参候へは権現様和泉先手   を被仰付候か心得は何と存候と御意被成候藤堂其侭御返事に   別の心得も無御座候何卒して敵をおひき出し引せぬ様ニあひし   らひ付入に仕候ゟ別の方便無御座候由被申候へは一段御意ニ入候て   夫よく〳〵其合点にてこそ先はしたきものよと上位候てご機嫌に候   つる由泉州物語ニ候 《割書:退口ノ|コト》【上段に朱書】 一 信府のき口【退き口】の時敵つき候て合戦あるへきかなんど被申候時敵飯けふり   を小屋々々に上候時其侭引き払退申候故敵遅くつき候也其時巧者   衆めしたく烟を見て飯を喰あけてならてはつくましきと思ひて   引のき候へは如案ニ候つる由 《割書: |大将ノ礼》【上段に朱書】 一 大坂御陣の時城焼立前ニ御合戦過井伊掃部殿権現様の御前へ    被参候へは甲を脱き服に置て御前へ被参候へは御床几ゟ御立候て    御手を出され大将礼に御あひしらい卿は骨折の由被仰其    後御床几ニ御腰懸られこれへ寄候へと御意にて近々と召今    夜の陣は何と御意候時掃部はや城焼立申候うへ何事も   御座有ましく候と被申候へは御手招き被成いや夫がわるき   ぞ勝軍の時は今日はあると思へと御意被成候案の如く常   曲輪に秀頼居被申候よし明日しれ候よし 《割書:物具軽|キ好》【上段に朱書】 一 諸事物具に軽きを本とせよと次右衛門語り候 一 おしつめて備候時は少も高き処能きもの也と被申候 一 千の人数ならは二手ニも三手にも作りたるか能もの也其間   場により二町三町大人数ならは五丁も六丁も間を置て備た   るかよき由也先の手合戦の間二の目働かてまもり居たる也   朝倉能登守被申候由 《割書:景勝ノ|備ノコト》【上段に朱書】 一 藤田弥七語被申候景勝の常ニ定め置れ候一番杉原常陸ニの   目直江山城三ノ手旗本又一手跡備以上四手又は五手ニ作り其   場により五丁七丁物し馬ゟ下り馬は皆々備の後脇による皆々   下り立て跪く大将と軍奉行斗馬に乗廻る先の合戦始る時ニの   目立合先負て味方ニの備へ逃かゝらは誰にても切へし兼て定置候   上は味方打にあらす候先負候者脇より跡へ逃備作り候はゝ本の   にげに非すと定おかれ候由物語被申候也 《割書:足軽|スハダ》【上段に朱書】 一 川こし又は敵をおひき出し候はんと思ふ時の足軽は大方かろ〳〵と   すはだニ出立せるかよきと被申候也 一 敵の備しどろニ成時かゝらん為なる程に何とそおひき出す   様に足軽かけよと謙信ゟの定め也と語り被申候也 一 御用心の時権現様山中なと御通候時御乗物の肩をかへ候時   御供の歩行衆つくはい候へは御しかり被成立て居よと御意被成候 《割書:ツルベノ|縄》【上段に朱書】 一 籠城の時前かたにつるへ縄又はわらふぢなどつくりおかせよと   吉右物かたり被申候也 一 敵陣へ入屋陣取たらは屋敷中を棒にてつき廻れは必埋めたる   ものあるへしと成瀬吉右物かたり也 一 味方原御退口の時誰彼御馬の側に付たると争ひ申候字権現様   其者共の刀を取寄御覧候て誰は右ニ付誰は左につくと其   証拠には刀にしるしありか様に争有へしと思召道々ひたも   の【ひたすら】御つばきばき被成候其如く刀に御つばの跡ありとて御見   せ被成候由丸山ものかたり被申候也 《割書:鍋ナクテ|飯ヲタク》【上段に朱書】 一 鍋無く食する様米を手拭に包み水にて能々ぬらしてほり埋み   其上ニ火をたけは飯になる也 一 城中へ乗廻時先へ入たる証拠に火をかけたるかよく候先町にても焼   は高名になる也 一 服部半蔵に打物両人を被仰付候時可討人を跡先ニあゆませ中   に立て跡なから振かへり跡のものを先打ち其後先のものを   切たる由語り被申候也 一 見付にて俄ニ敵出きつくつき候時大沢右衛門都木藤市一度ニ   馬ゟ下り次右衛門は弓懸を取て鑓を取り藤市は弓のす引   を駿〳〵として矢を(本ノマヽ)後に両人互ニ感候由 《割書:馬上刀ノ|抜ヤウ》【上段に朱書】 一 馬上にて俄ニ刀をぬけは手縄を切るもの也心得あるへし 《割書:馬手ノ|物ノコト》【上段に朱書】 一 めての物切ず突す弓手になる様に乗廻すへし 一 或人羽折の紋ニ御陣(本ノマヽ)のうしろニ白鴎を繍にし頭を馬手の方ニ   縫候を権現様御覧候て逃鴎也武具は弓手かゝりに万の紋   は付るもの也 《割書:馬太刀|持ヤウ》【上段に朱書】 一 馬上にて刀を抜持てかくをはすれは馬けしとぶ時必馬の   首をきるもの也心すへし 《割書: |切火縄》【上段に朱書】 一 夜山にかゝり退時敵つかは切火縄とて一寸計ニ火縄切て火を付て   まかりめ又は小高き処の木の枝か何ぞニ挟み置けは敵こたへたる   と見て必近付兼るもの也先々心安くのく也 一 敵地へ打入候て陣取候時は大道筋又は爰かしこぬけ道を能見て   柵なと付け又は堀切るもの也夜討の用心也 一 馬上武者と勝負する時は馬を切るか射る也馬はね落馬する   時を打へしと語り被申候也 一 味方崩れの時は道筋におらぬもの也際へ引上げ高き処ニお   れは人見るもの也 一 大豆を干飯の様ニして打かひへ入て持へし人も馬にも喰せて   能候由吉右被申候也 《割書:陣前|灸治》【上段に朱書】 一 御陣触有る時前かどに【前もって】肩ニ灸したるか能く長際ニも肩ひ   けずして能候由次右衛門被申候也 一 城中ニ指物又は人の多く集る処は必城の弱口と知るへし鴟烏   なと居る所は人無きと知るへしと也 一 大将の用心する所は居城ゟ出て一日一夜又三よめ也敵地へ入ても   前かた敵地さり行也ねらふもの人数出しよき故也惣別城廻り   又はくけ道【抜け道】多所用人場也 一 軍持たる敵は旗をたて足軽を出し物し下り立て旗の際ニ居馬   をは脇ニ一所ニ置也厚く備へ静りかへりて居るは大事と心得へし備   なり旗の手動人数むら〳〵ニそゝろ騒しきはやすきと心得へし 一 藤田助兵衛物語ニ杉原常と申候足軽遣様【やりよう】ニよりて五十か百ニ向   ひ候たとへは足軽五十あらは廿五ツヽニツニ分けて廿五人打上ケ候時   夫を能見て引付てあだ矢無き様ニ下知して打せ又始打候   もの念を入れ静ニ能薬込して打すれは大略敵崩候也常ニ足   軽共に打習はせ候よし 一 服部半蔵は常ニ用心いたし候いつもねるとては寝御座をしきそ   こには寝候はて隅々余の処へ立いねけり 一 座敷へはいり候に左の広き処をはきると心得右の広き入口にて   つくと心得候由かたりき切れは刀の柄にてうけん用心つかば取ら   むと思ふと物語被申候 一 常ニ羽折を着て紐むすばす是又用心抱かれ候時のはつれニなる   と語りき 一 人を打にも打るゝにも足にて蹴候か一能と被申候也 一 権現様二条の御城御取立候時加藤肥後浅野紀伊守なと被   申上候は余り堀浅く狭く候て物あさニ候我々共ニ被仰付御普   請可仕候由被申上候へは御帰足ニ思召候何れか被仰付候由上意にて   其後肥後守なとは太閤の取立其道の合点も可参候者にて候か心へ   不切ニ候ケ様の処はわざと浅く取立て置候へはたとひ敵ニ取れて   も亦のりかへし能き様ニわざと被成候由御意候よし 一 同所御座候間城内ニて相撲謡鼓なと各長屋にて仕候か結句御   機嫌能候故ニ常ニ集り申候是も人を多く御置候はん御工夫にて   可有是候よし 一 御番の時其身差合煩なとにて用の事候へは従父兄弟迄は苦しから   す代ニ御当致候への由御定め少々は他人も罷在候御番頭衆代番多   く候由被申上候へは其代りニ出候ものも御内の者也何れも御用ニ立   候事は同じ事にて候間人数のつばめを本にして代りにかま   ふなと被仰候由 一 同時権現様御意ニは法度は火の様に立たるか能きもの也水の   様にたて候故人を傷る也火はきつくあらけなく燃たつ故ニ   人兼て用心して焼死なす水は上静ニ底深き故ニかねて人油   断して到る当座ニ死ぬその如く始きつくつまく云付て後を   柔ニすれは惜きものを損せす始ぬるく底ねばりなれはし出   し候へは惜きものもかばはれと御意候由 一 御先手へ御使ニ参候てうかと致し候へは先手家中者なふりたかり   御鉄炮なとしよりきつと旗本に知らせんとてこなたゟ打か   け候故又城中ゟ打也竹たばの脇なとへ同道したりなどする由   に候其時は案内者をつれて行たるかよしと申候申候如く鉄炮打   せ候へはあなたゟも打きひしく候其時爰はきひしくいつれもケ様   に候御指物は御とり御はい候への由教へ候へは其人さ候と心得て指物   かくしはひ候故後迄笑申候安藤次右其処へ其後参候へはいつもの如く   申候て御はひ候へと申候を次右あらけ無く【荒々しく】叱りはいていつもお身たち   はかゝむかさきへはへ見んと被申候へは結句なぶりだて候て笑われ候由 一 物見ニ御使ニ参候時道筋又脇へ廻りていかにも懇ニ見又は堀馬の足   よせも見るへき由かたり被申候由也 一 関ヶ原にて米津清右小栗又市両人御使ニ被遣候時かへりさまに   清右高名被致候又市見て御身は高名したるか両人御使ニ来て   一人高名して一人せぬはあしき也少々待給へ我も高名せんと   て乗かへし被申仕合よく頓【やが】て人を打首持て一度に帰り御   前にさし上候由 一 米津清右堺の政所の時被仰付清右処にてとりもの御座候   権現様はや取たるか見て参り候へと落合小平太御使に被   遣候いまた取候はぬ程に帰り候て其段可申上と存し帰る時御   城の道にて親左平次ニ逢候左平次何方へ参候由尋申候へは小平   太右の通り申候左平次おしくて其身せかれニ而候共左様の御使   に参りたらはとり仕廻迄居て手伝して取て返事を申上候もの   也と申候へは尤と思ひ則かへり清右所ニて右のものとり候時助とり   して其後帰り御返事申上候へは権現様親の子にて候と御笑言被成候 《割書:物前ノ|言》【上段に朱書】 一 物前にては如何様のものにも言義に合せたるかよきもの也常ニおかし   きあちやらなる事と思ふ事も後々覚ニなる第一口をきけはふりよき   とて誉候由也 《割書:刀ノ腰|当ノコト》【上段に朱書】 一 物具して腰当にて刀さしたらば必〳〵陣屋に抜て試て出へき   也とかたり被申候 一 七郎右衛門稲垣平右へんを越し御出候へと申遣候夜の事にて候平右   御越候へは物も云ずに涙を流し何事にてかあると無心件候   つれは後新十郎高名いたし手柄いたし候由各ゟ申来候ニ   付候ては参候宮地源蔵呼出し其段かたらせなどして七郎   右衛門申様ニ新十郎は大形能生れ付たり形気も分別も我等   に増たり去程にもし此心いかゝ候はんと夜昼無心計候ひつる   に最早家をつゝけ候とて悦ひ語り被申候由平右衛門殿後ニ   物語被申候堀川にて十六の年の高名也と語り被申候 一 山本道斗物語ニすわの原にて城へおし込て候時門をたて申候   まゝ馬上ニて下知ニ門の扉にあて腰ためにして扉うてと   申候へは各鉄炮にて扉を打候へは押へ候もの共のきて心安く門へ   はいり候由語被申候也 一 権現様被仰候とて阿【「部」脱】備中殿物語ニ候人ことに譜代たのみして   奉公はせて居る也外ゟ来るものは能々奉公して用をたす殿に   つかひ候へは弥【いよ】譜代今〳〵のものにまけ候とて不足して不奉公し   てあけくにはしる也其後余処へ行て我家にてあまへ候様ニなら   ぬ故又立かへりて其時奉公すれ共はや遅くて君臣和合せぬ   もの也譜代のものは心安くくり入奉公せは何とて外ゟ来るものニ   かへんや能々心得て奉公せよと各へ被仰候由 一 御主人の奉公も一むすひと思へと被申候祖父は祖父殿様へ其時の身の   為に御奉公親は親殿様へ子は子殿様へ一むすひ〳〵也親祖父の   御奉公を鼻にかけ我代にせぬ御奉公又は我せぬ武篇につが   んと思ふ心持つなとおしへ被申候 《割書: |士ノ三戒》【上段に朱書】 一 御奉公人は三の戒あり御主の仰られ候事他へ洩シ候事たとへば   親を御成敗可被成と被仰候事を聞たり共我に告候はゝ草の   影迄恨む也又一ツは侍輩のかけこと中かく事侍の心中に   ては無きぞ又一ツは何様ニ召仕さる共身の果報無きと思て   御恨に存候なと教被申候 一 或時駿河へ御供ニ参候時江戸を出候から宿ニいね候はゝ御用ニ   は立ましきぞ御殿ニ居ても紙障子ひとへにて御用ニ立ぬ事   古へより有之程に御側はなれぬやうに一入旅ニては思へと被申候き 一 謙信常ニ被申候我は義経ニ武辺を習ふ也人ことに舞平家を昔   物語と聞候故身の用に立す候吾は義経の武へん候処を身ニ   あてゝ聞候身にくらふる也と御申候由或人語候へは其座にて誠に   我道ゑもの〳〵ニ引かけて万つ聞候もの也分別にすくものは其   所を聞て歌にすくものは詞つゝきをきくか様のものも後の   異見誡に作り置くを人ことにうかときくとかたりき 《割書:盗人ヲ|御助ケ》【上段に朱書】 一 台徳院様【秀忠】の御代の時高坂甚内とて盗人の張本有し勝れたる故   にたすけ御置き世上の盗人を御改めさせ候ひつる甚内語り   申候忍の時竹やぶなとへは入らぬもの也寝鳥さわけは亭主用心   するもの也 《割書:盗人ヲ|追心得》【上段に朱書】 一 盗人を追て行ニ跡に立て追へは先のもの立かへり刀にて払へは必首   に当る也逃るものゝ左の方ニ添ふて追ふものとかたりき 一 ある所に盗人つきて候を甚内に見せ候へは折節雪ふり候つる足   跡をみて是は物を取たる盗人ニて候由申候を何とて左様に   申そと尋候へは足跡深き浅き跡雪の上ニ見へ候へは土蔵の上を   切りはいり候それを見て又とかく引入て御入候由申候土蔵は上ゟ   切り候習なれ共ケ様ニ其外の物を取るやうには知られてはなら   ぬ事也と申候き 《割書:盗人ノ|用心》【上段に朱書】 一 同人申候盗人用心は薬師の前地蔵の後と申候薬師は八日地蔵講は   廿四日也廿五日ゟ七日迄は月も暗く闇に候故也惣別夜詰久しき   四ツ過迄居る処は取にくゝ宵ゟ忍ひ鳥前ニ仕廻候はねは先々にて   顕るゝもの也と語りき 一 鈴縄とて鷹の鈴を十斗【ばかり】細き縄に付て旅なとにてははいり口   に引はり候へは入にくき由申候 一 盗人を人ことにこはきものと思ふ臆病者のしはさにて候女に   追れ候ても逃んと斗【ばかり】思ふものにて候あやかしも二度三度迄こはく   あふなく思ひ候忍ひつけ候へは取んと思ふはかりにて候おそろし   き事忘れ申候其証拠ニハ盗人ニ追れて立かへり勝負仕候   志あるましき由かたり申候 一 刀脇指寝所に置様柄を跡へして側ニ置也起上り其まゝ抜よし   もし人鞘をおさへ候共柄跡に有故ぬき易き由申候き 一 将軍様御目付衆へ御教候惣して物いひ事は早く異見すれは   無きもの也異見するもの敵になりて見て両方くらへてよき   かんに異見すれはすむかたおちて異見する故に相手きゝ   かぬるもの也と御おしへ候由 一 人の善恵を見るに我か身の好方へよきものをよきと見るも   の也人は得みちあるものなれは夫々のよき処を見立よと御お   しへ候也 一 人ことに主は知恵あり十人つかへは十人の知恵百人つかへは百人   の知恵ありと云わき目也人にさせてあらき所をいふ故によ   き也碁将棋我ゟ上手なれ共脇目にて見れは悪き処見出   す何事も人にさせて見て直すはやすく知恵ある様也と語申候 一 池田内左衛門甲州へとらはれて縄をかけ各番致し候みな若きものニ   てある侭宵の間色々の事をかたり各わめかせ夜中過まて高声   にてかたり候うちに御ふく御物をきせ玉はれとて上はをりしてかた   り候内そろ〳〵縄をくつろて【緩めて】置き暁皆〳〵宵の長物語にて   寝入たる時其侭縄をとき逃申候年寄候人居らはかたら   れましきニ若きうちにも功者あらは用心せんほとになる   まじきとかたり申候 一 四郎兵次右衛門語被申候ある人廿斗【ばかり】迄よき事もあしき事も   無く候時各物語にあの人は臆病そうには無れともはやしどき   過たり㝡早【最早】手柄はなるましきと被申候つる案の如く一代見   合せて過たりとかく十五六にて致し候はねは名は取れぬもの   なり唯今なとはいかに思ふても浮世静ならはならす候年いく   つなり共十五六の時分と心得て無理なる事をせよと被申候時   若き衆十五六と心得可申事いかゝ心持候はんと申候へは別の事   なし何時にても【※】見合なしに人のならぬ事ならはせんと思ひ   人のいかぬ処ならはいかむと思ひ只一筋に見合なしにあふなく   おもはてかゝりていきたらは手柄死ざらはしそこなひても手   柄になる我いきてしそこなひを人そしるをきかず名を残   すとおもへは心安くしよき也惣大将にあらすして味方   の負をおもふは皆見合から出来る分別也しすませはよし仕そ   こなへは其分とおもふ心にて只一筋にせよしそこなひて死ぬ   事人かまねならぬゆへそしる人は無物也とおしへ候き 《割書: |刀ノトギ》【上段に朱書】 一 刀は中と(砥)にしたるかよきと権現様被仰候由也まつよくきるゝも   の也又夜などひからてよき由各被申候 《割書:シノビノ|コト》【上段に朱書】 一 しのひの時は高き処へよらぬもの也夜も黒く能々見ゆる也   窪処よく候由 一 かまりきゝかまり【忍び(参考:コマ8)】の時猶以高所あしく候道か窪き【「窪し」連体形】所に居候へ   はよく聞ゆるもの也窪処を物なれぬものはいやかりて高き処   へ上りたかるもの也 一 信長城助【信長・信忠】殿父子一所ニ御座候故一度ニ御滅候惣別城と   程近く一所には取らぬもの也親子城とて嫌ふよし山本   勘助申候由 一 江戸にて西丸ニ権現様御座候処台徳院様【秀忠】御見廻ニ御座被   成候折節地震いたし候佐渡守相模守御前ニて御父子か様   の時一所ニ無御座候ものゝ由頻りニ申候台徳院様還御な 【※原本確認済(コマ37参考)】   し申候 一 権現様御代之御合戦之覚【※最終行】   大高兵糧入 御年十七【1上】   石瀬 御先酒井将監【1下】   かりや十八丁縄手【2上】   梅か壺 将監【2下】   うきかい 酒井将監【3上】   ころもの広瀬 《割書:三度|将監》【3下】   一ノ宮後詰 御先石川伯耆【4上】   一揆 御年二十【4下】   吉良 両度御先石川日向【5上】   吉田  《割書:伯耆|二度》 下地御油【5下】   たかの城攻【6上】   かけ川 日向【6下】   下地の御油【7上】   姉川 《割書:酒井左衛門尉|御旗筧勘右衛門》【7下】   ほり川【8上】   味方ヶ原 御先御旗勘右衛門【8下】   野田福嶋 《割書:并有岡|并志賀》【9上】   森【木+成】山なし合戦【9下】   かねか崎【10上】   いぬい 七郎右衛門【10下】 【左頁】   長しの城攻 御年廿四【1上】   かくみやう 御先大須賀五郎左衛門【1下】   すわの原【2上】   小山のき口 《割書:御旗大久保次右衛門|御甲門藤田郎左衛門》【2下】   いぬい奥山 七郎右衛門【3上】   とうめ退口【3下】   新府 《割書:左衛門尉|七郎右衛門》【4上】   高天神 《割書:御先大須賀五郎左衛門|二度》【4下】   長久手 《割書:御先榊原式部|御旗筧勘右衛門渡辺半蔵》【5上】   かにゑ【5下】   関ヶ原 《割書:本多中書|井伊兵部》 御旗 《割書:酒井佑右|村越与惣左》【6上】   大阪 《割書:井伊兵部|藤堂和泉》 御旗 《割書:保坂金右|庄田三太》【6下】   右三十二度御年十七ゟ七十四迄の内也    此外小田原 御先榊原式部 《割書:村越与惣左|渡辺半十》 御鑓 《割書:長嶋新助|永井善左衛門》  奥州九戸   小山まきほくして御のき候時敵に向ひいらゝへかゝり候のき被成候夫   迄は三郎様御先へ御のき候田中ゟ敵を跡にして御のき候時三郎様御馬   をひかへ権現様御先へ御のき候へと御父子良久御辞退候て御のき不被 【※下段だけ別途まとめると、時系列が損なわれるので、上段に組み入れました (なお、見た目通り二段にすると段が整わずとても見にくくなるので、これも避けました)】  成候各は敵は間近く早く退たく思へ共御退不被成候終に親殿様御  先へ御のき被成候しつはらひを三郎様被成候御年御十七の御とし也  各感し申候 一台徳院様嶋田弾正町奉行の時御をしへ被成候公事【裁き】に負極りて  きり候はて不叶ものも暫く待て助けてよき理を分別してき  れと被仰候由 一中村式部少輔居申候後駿河の御城に堀向に桜の並木候つるを  権現様御覧候て式部少輔物馴候はす候堀向駒寄にてもあれは  敵仕よりの便になるもの也竹たばなと付よきもの也まして並  木は敵のみかくし竹たばの便になるよし被仰候つる也 一大坂の御定番阿部備中高木主水稲垣摂津守被仰付候時  台徳院様御意に大手御門は阿部備中京橋口は主水玉造口は摂津  守可相守候惣して権現様被仰置候城代なとは心得可有し事也  古今城は乗取に少の城も力責無理には取らぬもの也殊に大坂なと  は丈夫に御普請被仰付候右の三口さへよく堅め候て大橋の御門に鉄  炮百二百置候はゝ中々攻取事有ましく候御本丸は面裏二口なれは  両番頭御番衆五十人つゝ其外内の者共可有之候へはたとひ外曲輪破れ  候ても御本丸はかりにても百日も二百日も防くへし惣別初心なるもの  とも矢狹間を一人あて二人あてと人賦不足なるなと申候詰句【「結句」の誤写ヵ】城に  は大勢籠候へは誰人疑出来あしきもの也御門さへ能堅め候はゝ乗取  事ならぬ也一大事は籠城に三つ【※】ありちやうりやくと尤(な歟)いかんと付入  也まつちやうりやくは城中のものに縁者親類又は近付に付て金  銀をつかい褒美を何程遣はし候はん手引せよなと云て引入候事  又ないかんと云は城中の者共誰彼は中よく中あしきなと云て 【原典ではこの三者を、調略・内肝・付入と記載】  うちわるて云始御互に心置して万々気遣して破るゝ事あり  又付入は敵なにかたはかり城中を引出したかりてよは〳〵とあいしらひ  計略をなすを打取候はんとて一人出候へは我おとらしと出候処  はや其人数引とりかね付入に城へ入るもの也此三つを能々可心得候  よし常に権現様御意にて候まゝ各能々心得候へ城主は城を取  られぬやう大手柄出ての働は一向誉ぬ事也と被仰候此上は各覚  悟次第能々可相守の由上意也と物語也 一其序に物語に信玄駿河蒲原城の前浜手を甲州衆の小荷  駄通候を蒲原城より出追落し取候を信玄重て土俵又は  草なとを荷物のやうに拵へ右の浜はたを通し城の前又は後  の山にかくし勢を置て右の荷物通り候時城中より各出追  落し取んとせしを小荷駄に付候者共少々防き候に付て猶城  をあけ皆々出候時前後より時の戸(声歟)をあけ攻入候故即時に城を取候  よし米倉丹後物かたり也 一権現様駿河もち舟の城【持船城】御取被成候時先手松平周防守也城主  各せり合候をわざとよわ〳〵と引寄人数一人もかゝり候事無用  と御下知候てそら負してある程に城衆出る時御かへし即付  入御取被成候由新見彦右衛門物かたり也 《割書: |矢文ミ》【上段に朱書】 一籠城の時矢文入候へは城中家人疑ひ申誰か持口へ矢集候  なと云て城内心許無ものに候間計略にせめてより矢文な  と射入候由物かたり也 《割書:セツインノ|作ヤウ》【上段に朱書】 一城中雪隠作り様の事うつほ【靫】付ても刀さしても其儘居候  やうにひろく五尺斗つゝに作り候由也 一同不浄流しの事捨曲輪に堀ほり候又は川なと丸の内へ取こみ   候て度々雪隠を捨候はねは後は何共捨所無く迷惑候よし被   申候 《割書:剣術|者》【上段に朱書】 一 小太刀半七とて兵法修行のもの候つる鉄の扇をさし夫にて仕   合論兵法数度手柄顕候其弟子ニ台徳院様御尋被成候   何の別なる義なく面白なくとしと存かゝり候てしあい仕候極意   也と申上候へは事外御感被成候仕相も又物前にてもおもしろ   なと心を取むけ候へは恐しき事なく謀も出来動転無しと古   人申也同意也と御意被成喧嘩【𠵅】少の俄事ニも動転する故に   手廻おそく手前ぬるきもの也と各被申候也 《割書:平常|心カケ》【上段に朱書】 一 惣別心かけは何方にても所を見合尤座敷にても何事あらは   としてかくしてと不断心懸候へは物早き由古き衆物語候 《割書:生地|死地》【上段に朱書】 一 人間は死地に入る事第一也惣別生地死地とて二ツあり生地はいきん   とおもふ死地は死にきる事也腹なときるもの又は大形のもの   最【㝡】後ニなれはあしき事無く是死地に入る故也思切る故也昔より   十死一生の合戦は仕よく必勝もの也十死一生の合戦は人数立武略   無れは必負る由也窮鼠却て猫をかむといふに同し名大将は   我身斗りニあらす軍兵をすゝめいましめて死地に引入ル故   に最【㝡】期の働き手柄を顕はす常にもある事なりならぬ   奉公をすゝめ見届さするも同意也 《割書:不意ヲ|討ノじ死地》【上段に朱書】 一 はからさるニ城なと乗んと思ひ又は俄ニ合戦を致さんと思はゝ敵   の食する時分を考えへ朝かけ夕かけ也此方は能々したゝめし   て敵食せさる以前に懸るへし卯の上刻申の上刻夜は子ト丑の   時分也 《割書:物前|ヤリ|持ヤウ》【上段に朱書】 一 物前にて鑓の持様竪にかつきて其侭打入よきやうに持へきなり   横たへて持候へは第一下知するもの馬にて乗込れぬ也又敵ニ逢て   其侭打かけ候へは先うわやりになる惣して鑓はたゝきあふ由被申   候なり 一 味方原にて後負被成浜松の御城へ御入候時佐久間右衛門尉申候はか様   の時は御持の城々へ早々御自筆にて何事なく御城へ御入候由被仰   遣可然の由達て申候則遠州三州の城々へ御状被遣候へは城持衆   心安存近辺心かわりの衆無之由各物かたり也 用心ノコト【上段に朱書】 一 用心は外へ顕るゝ様に致したるか能きもの也用心すると沙汰あれは   忍の者卒爾ニ入ぬもの也用心は外の聞へを本とすといふ也 一 古人の用心は人の心を知るを以て本とす又は人数の集るへきを知るへし   何たるものも身を捨命を捨せぬもの也うつてのくへき位なけれは   古今せぬもの也 一 伏見にて誰やらんはりふみ致申候を或人見出し年寄衆へ申候   則被申上急度御穿鑿金可申付由被申上候へは権現様御意には   か様のはりふみなと御改被成候程結句致すもの也侍の心ある者はか様   の事はせぬもの也直ニにはたす事ならすして女なとのやうに   影事又ははりふみいたすもの也左様の事いたし候へは侍にては無之候   夫を見出し候て誰彼と申候物又同意也其侭さき捨候はて   それを見聞候て申候ものゝ結句しわさにて可有之由御意成   候てゟ其後無之候由 城塀【上段に朱書】 一 籠城の拵へ二重堀ニ中こみに石ましりの土塀土台の下ニ穴を   堀り石の一人持程なるを身かくしとすもし用の時は此石を打   候はんため也穴の中にて走り廻るへし塀ゟ少のけて竹束を横   に厚く置て上を武者走にしてせめ候時それへよりて石にて   もすな灰にてまくへし表塀破候ても内の竹束塀にてかゝゆるや   うにすへし 一 塀の上に幕を張矢切とするもあり此時は塀ニ床をかき其上を武   者走とする也 サルマツ【上段に朱書】 一 去松明の事兼て堀底へ塀ゟ縄を張て置へし其縄ニ又別の縄に   車もよく唯松明を結付てあけおろしをして夜の内ニさい〳〵堀   底を見る也 一 夜廻り聞かまりと同前の事 一 城攻候には夜々仕寄竹束を付寄る也仕寄穴を堀ても行所に   寄へし穴堀様横矢無き様ニ有るへし 《割書:竹束付|ヤウ》【上段に朱書】 一 竹束付候事杭をふりそれにもたせかけ入違をして人数出   入する様ニ口をする也竹束如鳥羽ニ二重程立かけて矢挟   間切るへし 一 竹束初と又後仕出し竹束の間人数の多少によりて五間も   十間ニもする也 《割書:竹束ノ|拵ヤウ》【上段に朱書】 一 竹束のたばねかる〳〵と持候様ニ七所結申候又五所能候常の   たば程にして軽々と持ち又伐木にても仕寄候也 一 うは鉄炮をかけ挟間一ツニ何丁と鉄炮の多少に依るへし堀の   上同前上へ人あがる所うつため也 《割書:堀ノホリ|ヤウ》【上段に朱書】 一 堀のほり様横矢を本とする見込なき様ニ虎口取かくし曲り多   きを本とする但し左勝手は敵を後にする故城中の射手後   を無覚束おもひて存分にならぬもの也右勝手の虎口なれ   は敵を前々見て打つ射つする故ニ心安く働くものなり 一 くゞりの事敵とたゝき合取込時後広けれは城ゟ出たる人後   に土居あてゝ取込様ニ取るへし 《割書:石弓ノ|コト》【上段に朱書】 一 石弓の事山城に用る也土居の腹に大木を横たへてつり縄木の   大小によりて三所も五所も塀の下へ釣て右の木の上によきころ   の石を多くのせ置て敵堀へ付て乗んとする時つり縄を   一度に切落す木と石と一度に落す故に人多く死る也 焼殺【上段に朱書】 一 人多く焼殺す事城攻て人数つかへ定らんと思ふ所にする事也城中   より程遠くすへし三十間或廿間計ニ拵へしまつ多く集て先つかへ   乗かねんと思ふ所ニ二所ニも三所にも一二間深サ四尺計小穴をほり鉄   炮の薬多く入れ散して上ニ小材木竹なとにて簀の様にして其上   を小石を置て土をかけて落し穴の様ニ拵へ其穴へ城中ゟ竹を節を   抜て土の下一二尺にふせて火縄に鉄炮の薬を塗て右の穴へ通し候様ニ   拵て城より火を付候へは其火右の穴の薬にもへ付て焼上ケ土石飛ふ   なり人多くたまりたる足の下ゟ焼あくる故ニ多く死する也 一 城中の小屋薬屋とて塗屋ニするもの也 一 塀の際竹束つけ塀と竹束の間腰たけに堀をほり其中ニ居て塀の   土台の下をほりて夫ゟ鉄炮打つもの也わざと狭間ふたを開き外ゟ   狭間を閉てむた鉄炮打候様ニ致し候もの也竹束の後に土俵をつき上ケ   て武者走とする塀を乗て息きれたる所を土俵の武者走へ上り打ん   為也此時石つぶてよき也 塀ノ幕【上段に朱書】 一 塀の上に幕を張り候幕は矢鉄炮通り不申候其時は塀の内ニ土居   又は土俵又は塀のひかへニ床をかき武者走として防く也夜々忍   ひの為ニさる続松【ついまつ】又は投松明肝要也塀は一丈塀よき也覆は   巻おほひにする也 一 城攻時も又軍かけ合の時も是程の事は誰もする事也と思ひて   万事強過て名をとらぬ事多き也けいはく也と思ふ事後に高名   になる也何時も内の者ニも首数取らせ少の事も後ニに高名に   なるもの也城攻の時も昼夜心かけ一番に乗へしと思ふへし何様   なる首も取れ候程とれは帳面もよし子孫の代ニいんけんになる   もの也と語被申候 一 侍は常の心懸肝要ニ候用心すれは物に動転せすうかとすれは地   震雷ニも動転するもの也是を以て知れ常に心かけ候へは必出逢ふ   事多き也 早著【上段に朱書】 一 具足早く着る様小手をは着候様に筒のこはせにかけて其侭具足   着て小手さして片手ニてさしかた〳〵の小手頭の上へあけて手を   さし入候也上帯して刀さし其後小手はめたるもよき也 《割書:合印ノ|コト》【上段に朱書】 一 味方打無き様の事刀の鞘に帋を広サ二寸か三寸に切て二ツ巻にな   り共三ツ巻になり共巻くへし又してを両方の肩わだかみに付る   もよき也一あひことば一鑓しるし何にても目立候様ニ一差物一   甲前立物一鉄炮弓も二ツ巻か三ツ巻鑓同前第一跡ゟ鉄炮打   事禁制すへし味方打はおくれはせのものゝするわさ也 《割書:備ヲ|カタムル》【上段に朱書】 一 備を堅むると云ふ事は一手〳〵丸くも備へまはらになきやうニ夫々   の道具〳〵一所に居て物し馬より下りてのぼりの際に居て   馬をは遥わきへ且又一所に置てまばらかけの無様を能き備   といふと被申候也 一 太閤の奉行衆と権現様と伏見に於て色々出入の時奉行方   大勢故各権現様御屋敷へ群集して此御屋敷所も悪しく殊   ニ無勢也とかく六条の一向門跡御頼ミ六条へ御ひらき候歟左無く   は大津の宰相殿御味方也大津の城へ被成御座可然之由被申候へは   先一向門跡は長袖也夫を頼み勝て嬉しくは無之負て末代の   弓矢の名折也覚悟ニ及ず又大津の城へ入候てか様の時其所   を去り退き候へははや落人となるもの也両様に御合点かやうの   事は各は知るましきとて御動転無く御座候へは奉行方も御威勢   を見て手出し致さす候と被申候也   兵法者【上段に朱書】 一 或時権現様疋田豊後と申候天下一の兵法人を召て兵法御尋被成   候豊後随分御指南申上候へは名人にては候へ共兵法の人々によりて   入る所と入らぬ所とを知らぬと御諚被成候其謂は我程のものは人   きる様を色々申上候天下持又は大名なとは相手かけて人切る   事はなき/め(も)【左に「ヒ」】の也人ニねらはれ又は切らるゝ時其場をはすせは   供の大勢寄合其者を切る故に大人の兵法は相手かけの事ハ   入らす候と大つもりを以て兵法とすると御意候由被申候也 一 台徳院様常の御形儀結構に天性倹約を守と御意被成候   御若年ゟ少も無作法不形儀なる事を御嫌御行跡下々迄恥   申候或時御煩の内も御行儀如常御坐候故家老衆医師衆御   咄の衆何とぞ少し御気色をくつろけ御養生の為と各さゝ   やき候へ共申上る人無之候御煩大事ニ被為成候時御咄之衆何   となく申上候へのよし各相談して山口修理安栖其外誰彼   ついてよき御物語に被申候様ハ古名将賢主も内外あり殊に   御煩の時は万事の御政をやめられ奥にて御心安く御養生も   被成候様にと各存候段申上候へは少も人数持候者は其仕置を   つかへさせ人の煩悲を知らすして遊興にかゝりて忘れ候事   さへ無勿体候まして一国共始【「治」誤写】め候者身を楽み候ては何として   人間たるへきやまして天下を知るもの長生を好めはとて下々   を苦しめ其役をかきて身を楽にせん大名は犬畜生に劣りた   りと御意なされ候故後各感涙を流し申候つると語り被申候 一 或時御用人共御撰候時台徳院様御意ニは御目近き者共御役被   仰付候ニ其者あしきは御目の遠也遠くニ御奉公の外様の者御   役被仰付候ニは其身のあしきは其頭年寄共の越度也是も   当代は其旨人存すれ末代には御身の御難になり候間専に   人を見知るへき由常々上意也乍去跡にあしきとて其   者捨へからす去年悪事候て当年能事候は跡の悪事を   すて能者の方へ入へし人間の分別は能になり悪くなる内   に先非を改むへからす候尚是を専にせよと被仰候て昨日迄   あしき事思ひ立候者も今日善を行へは御褒美の御言葉   被成候つる也と語被申候也 一 面目の衆御前相済被召出候て其蓄御切米にても可被下候哉と   被申上候へは切米に不及知行前々の如く取せ候へ召籠被られ候に而   科之分は消候由召上候上何とて前の知行おさへ候はんやと上意   にて何も拝領仕候由被語候き 《割書:嶋原|陣》【上段に朱書】 一 嶋原一揆蜂起して色々取沙汰候砌彦左衛門被申は兼て申候如く   三千の敵はたとひ何者にても卒爾ニは打果しかたきもの也かけ   合の合戦にさへかくの如くまして籠城の大勢たやすく打果し   候事大事也功者のものゝ城の様体巡見して攻易きをは攻め刀攻   になりかたきをは付城又は柵をふり取出をして又夫に構へ還候   へは城中よはり果手間取ずに攻入数損し候はて落城する也   大将御急キ候て段々に軍使を被遣候へは必先のものは打死仕候はて   不叶候由被申つる果して/板(イタ)倉内膳打死致され候き 一 其砌同人物かたりのついてに或人今度島原にて寄衆油断故   城中より認【「忍」誤写】出て竹束柵の木など取られ候よし被申候へは昔僉議   には寄衆竹束柵の木なと取れ候へは一段手柄の様に申候つる其   謂は城中ゟ出候ニ城際近き所の竹束ならでは取らぬもの也近キを   のり越して跡なるは取らぬもの也仕寄の近き処にとられ候とて   一段誉候由申候へは満座【「尤」落】の由申候とつる也 一 同時城中ゟ夜打出て黒田右衛門佐先手の者多く打れ其上柵の   木二重迄破り強く働き候右衛門佐先手のもの共取合働き敵多ク   打候由或人語り候へは又或人被申候は城攻仕寄の衆城中より夜打   に出候へとねかふは少此道心得たるものは誰も知る事也それは先   手のもの共油断して味方大勢打せ柵二重破られ先勢敗軍   して一手二手破られて其後敵を打取たり共何の手柄かあら   んと被申候へ掃部殿夫ゟも不審は夜打の人数時刻あしく寅の   刻ニ夜打に出て夜明方に城中へ引取候ニ付入ニせぬ事はよきもの無キ   と思ふと宣ふ各尤と被申つる也 《割書:夜討ノ|コト》【上段に朱書】 一 同時に夜打の者共引取際に鍋嶋手へかゝり夜打帰りさまに働き仕   寄の井楼矢倉ニ火を懸て城中へ引取候と申候へは功者敵も事   外不鍛錬也味方も同事也まつ夜打は暗きを本とする事   敵ニ多少を見せぬやうニ大勢の様ニはからん為也又付入に城   をのられぬ為なり【る」誤写】に読ず書ずの寄合也味方も敵に井   楼焼れ油断のみならずあかりを力に付入にせぬ事武辺知   ぬ故と各笑き 一 同時夜打の者共の語候とて立花細川手寄へ夜打討候はん   か相手かましきとて石打とかたりき其時右両人のみ贔屓と   見へて或人立花細川殿ゟ被申越候夜打出  鉄炮をかけ   毎夜用心致し候故ニ夜打出候はぬと物かたり候へは井伊掃部殿   それは武道の心懸違ふ様に覚へ候古今城攻致すもの何とそ   して城中のものをおひき出す様ニ内用心を致し静りかへり   て夜打出ては好む処と付入に致さん為に心懸何卒夜打にも   昼打にも出候様致すこそ本意なるに夜打うたれぬやうに   するは手前計の用心かと被申候へは各尤と被申つる 一 同時夜打死人共腹をわけて食事を致候哉と穿鑿候へは胡麻   大角豆なと食ひ候と見へて飯は喰候体無之候定て城中兵糧つ   まり候はんと各被申越候へは武道不僉儀用かましきとて各笑也 一 上使衆大多有程一所ニ集り先を見つくろい候はて跡ニ而下知致され   候事天下の取沙汰也上意御諚はたとひ打死と思ひ候ても必々聊爾【いい加減なこと】   無用と先懸無用と御押へ有る事也此道は君命をうけす父子の   礼を忘れ親しきをだしぬきたる道なるに常の上意と心得ら   れ候哉と人々取沙汰申候諸侍日頃律儀ニ首尾相応言葉の末   も偽無きやうニ嗜み候へは此武道の時抜懸せん為也武略と言   は是也謀計共云也君命を受けすと云は聊爾のならぬ大事の   道なれは必君命をうけたかり控【扣】へたかるによりて古今戒めを   く也卒忽聊爾にしてしすませは手柄しそこなへは死候故ニ   謗を聞ず候也宣命を給はる日三ツの心得大将にあると云   は宣命を給はる日身を忘れ家を出る妻子を忘れ戦に向て   命を忘るといふ事定りたる法也今度の大将衆出来大名故   其道知らさる由批判事外也 一 嶋田弾正町奉行の時公事さばきの為に公事の品々の趣【裁判の様々な事情】を集   め書置きさはきの通り書付候各末代迄調室ニ候是にてさはき候はゝ   参べく候と申候台徳院様へ御咄ニ被申上候へは則御意ニ其書物を以テ   公事御ばき候はゝ書物に合せたがり候て聞候処の公事脇へなりて肝要   の聞落し有へく候公事のさばきは兼て思案に及はす理非は自   然に公事に顕るゝもの也と上意也各心得に及也 《割書:使番|物見ノ仕ヤウ》【上段に朱書】 一 大阪御陣の時先手へ御使番衆被遣候時権現様被仰付候様ニは   先手へ参して三ツの見様候間能々心付候て見可申候一ツ先手   いさみ申候歟二ツ扶持方尽申候歟三ツ城中と心合せ申もの有   歟此三ツ能心得候て可申上候由   御先祖様御三代目信光様【松平信光】の御代ニ御奉公当御代   家光様迄九代   ●八郎右衛門【※1】――次郎右衛門【※2】――七郎右衛門【宇津忠茂(子より比定)】――【A】   【Aから分岐1】    五郎右衛門(若名新八)【※3】【大久保忠俊】――        五郎右衛門【忠勝】――五郎右衛門――《割書:新八郎|新八郎》        五郎兵衛        甚三郎   【Aから分岐2】    平右衛門(若名甚四郎)【大久保忠員】――       七郎右衛門【忠世】――《割書:相模守【※4】【B】|玄蕃|半右衛門》       次右衛門【忠佐】       権右衛門       甚右衛門       彦左衛門―――《割書:新蔵|大八郎【※5】》【次頁分】       平助【※6】【忠教=『三河物語』(本書とは別)の著者】       勘七   【Aから分岐3】    安部四郎五相流(左衛門四郎)   【Bから分岐】    加賀守【忠常】――加賀守【忠職】   【空】    石川主殿【忠総】―――同弾正【廉勝】    大久保右京【教隆】――同宗三郎    大久保主膳――同宗四郎    大久保主計    大久保清左衛門 早世 【※1の後に】信光様江御奉公 【※2の後に】《割書:此時長親様の御代紀伊国ゟ武者修行ニ甲大久保と申者 |罷下候長親様名字御所望ニテ七郎右衛門ニ名乗可申由 |御意にて為大久保也》 【※3の後に】法名浄源 【※4の後に】昌隣【忠隣(比定)】 【※5の後に】《割書:大河内の家ヲ継|善兵衛ニナル》 【※6の後に】彦左衛門トナル比定 【右頁】【右二行は前頁に繰入れました】      堀尾帯刀吉日【晴】立身次第【時系列に一列に並べました】 一 近江国長浜ニ而 三百石【1上】 一 播磨姫路(天正五年) 千五百石(秀吉播磨国御拝領霜月廿八日御入国)【1下】 一 丹波黒江 三千五百石【2上】 一 若狭高浜 一万七千石【2下】 一 若州坂本 二万石【3上】 一 近江佐和山(天正十三年打入) 四万石 入出六年【3下】 一 遠江浜松(天正十九年打入) 十二万石 入十二年【4上】 一 越前府中(慶長四年打入) 五万石《割書:家康公ゟ|被下》【4下】 一 出雲国隠岐国(慶長五年打入) 《割書:忠氏へ渡ル子息出雲守殿也| 家康公ゟ拜領す》【5上】 【左頁】   右一帖は日下部景衡の随筆いろう【遺老】物語の内を   抄出【※】せし由也或人の蔵本を請て写畢此書は   天正より慶長元和におよふ迄百戦の中に人となりし   人々の世にいふ物師共といふ武士場数功者の人々の物   語又は父祖古老の口つから語りし事共を其子孫の   覚へ語りしを寛永末年の頃に大久保氏の人記せし   書なり実に武篇の好書珍【珎】重すへきの重宝なり   後代今世に行はるゝ軍学者流に用る処の浮説妄   作の武篇の書とは同日の談にあらず其ゆへいかんと   いふに此書の中に在る処の武事戦場の事又武士平   日の心懸等に到るまて治世の侍の夢にも知らぬ事   多し是身みつから百戦の功を経し者にあらされは 【※ここでいう抄出とは、『遺老物語』から「三河之物語」の部分を写したという意味です。】 【https://websv.aichi-pref-library.jp/wahon/detail/190.html】 【以下で『遺老物語』内の「三河之物語」が閲覧できます。判別困難な字がある場合、参考になりそうです】 【https://websv.aichi-pref-library.jp/wahon/pdf/1103267027-01.pdf】   心得かたき事のみ多し此書并ニ甲州の士の記せし   武具要説【高坂昌信著】此二書を合せ能々熟見せは古代戦場の有   様も略察し得る事あるへきなり我子孫よく〳〵   心してみるへきのみ    享和三年【1803年】癸亥十一月十七日写畢        西城書院軍騎土井主税源利往【=徃】 【本書写筆者の土井利往は幕臣・武家故実家。通称定次郎・主税】 【父は幕臣の土井利意(西尾藩主とは同名別人)】 【宝暦4年(1754)生。安永7年(1778)西城御書院番士(将軍直属の親衛隊の一員)】 【寛政2年(1790)本城仕。同年家督を相続。知行200石廩米200俵】 【伊勢貞丈門の武家故実家で日置流の弓術を能くした。没年未詳】】  【土井利往が関わった書物の例】  【「矢之図」(著)】  【「矢拵図書」(著)】  【「麻々伎考」(著)】  【「古實名義」(著)】  【「弓制書弓袋之式」(編)】  【「鎧威毛袖形」(編)】  【「諸州採薬記」(写)】  【「故実秘抄」(写)】  【「伊勢系図略」(写)】  【「検見故実」(写)】  【「弓術或問」(写)】  【「三河之物語」(写)】  【※ 著か編か写か充分チェックできていません】   【参考・引用】  【国会図書館サーチ】  【西尾市岩瀬文庫DB https://bit.ly/3krsEro】  【新日本古典籍DB https://bit.ly/32IpGJ8】  【ケンブリッジ大学の資料 https://bit.ly/33IrlOa】