慶応四歳辰正月 【右上の右上の文章】 正月七日の夜 八ッ時大坂なん     ばゟ   家数凡二百五十     出火       焼火 【右上の左上の文章】 さかい大火 此度は堺はじ      まつて        の      大火也 正月七日夜八ッ時       より にしきの町ゟ  【「丁」は「町」の略字】 出火あやの町大道 西は中はままで 東はのうにん町迄     やける 【右上の右下の文章】 此度出火にて大いに おどろく人々又は遠近 の親類ゑん者の人々 の心をしづめ安心為 此画図を出し民 の人々安心致すたよ りにもならんかと     見覧に備る 【右上の左下の文章】 正月三日  夜七ッ時 大坂   土佐堀 薩  摩様  御蔵   やしき      辺      出火 十日  夜五ッ時 天満  町     出火 【右下の文章】  伏見大火の次第 辰正月三日夜四ッ時いたはしより出火 薩摩様御やしき辺夫ゟ京橋北詰 浜通り西壱丁ばかりみどう 前又東新町迄夫より 御奉行所夫より  ぶんごばしまで     焼る   ▲家数凡   四千五百八拾     二軒余と       言ふ   土蔵    百八ヶ所   寺院十ヶ寺   神社三ヶ所   同四日より   鳥羽辺より   ふた口堀横       大路   淀城下     焼る   同六日   八幡辺     焼る   橋本     焼る   淀大はし    小はし     落る   又    楠葉   ひらかた   出火の由   七日    火鎮る 【左上の文章】 大坂 正月九日卯ノ刻 御城筋がね御門       ノ内 火の手上る次に京はし        御門の内 夫ゟ玉造御門外小家  夫ゟ火の手三【注】ッになる 追手御門の内火の手二ッになる  十日辰ノこくゑんしよくらやける 【左下の文章】 極本しらべ 正月  六日 枚方  出火 家数  凡八十軒    余と     言ふ 【注 他の資料(「大阪・伏見出火の図」)による。】