【表紙】 【両丁 白紙】 【右丁 白紙】 【左丁】 琉球解語《割書:全|》 【右丁】 富岡手暠挍 一立斎広重寫 《題:琉 球 解 語》       東都芝神明前 嘉永三庚戌歳        若林堂梓 【左丁】  行列始 薩州《割書:御留守居|御物頭》 儀衛正  高嶺親雲上  鞭  張籏  銅鑼  両班  銅角 【張籏の文字】 金鼓 金鼓 【右丁】   喇叭  嗩吶  鼓  虎籏  牌 掌翰使  伊野波   親雲上 【牌の文字】 中山王府 恩謝正使 【左丁】 涼傘 轎 《割書: | 正使》  玉川王子 龍刀  鎗 【右丁】  牽馬  沓籠  合羽籠 副使《割書:乗物|》  野村親方 【左丁】 牽馬  沓籠  合羽籠 賛議官  我謝親雲上 楽正  伊舎堂   親雲上 【右丁】 楽童子  新城里之子 同  小録里之子【注】 同  与那原里之子 同  宇地原里之子 【左丁】 同  安谷尾里之子 同  松堂里之子 正使従者  渡久地   親雲上 【注 「小録」は「小禄」ヵ。10コマ目は「小禄」。現在の地名は「小禄」】 【右丁】 楽師   譜久山親雲上 同   国吉親雲上 同  幸地親雲上 同  名幸親雲上 同  楚南親雲上 正使之使賛  外間親雲上 薩州  惣押《割書:御家老|御用人》 備鎗 二十本 【左丁】 琉球解語         手暠挍正    目録  ○恩謝使略  ○官位《割書:並|》官服図説  ○年中行事  ○板舞之図  ○元 服   ○剃 髪  ○器財之説  ○女市之図説 ○嚏を好む  ○哥舞    ○飾馬之図説  ○琉球之狂言 ○書 法  ○宗 派   ○耕 作  ○屏 風《割書:附伊呂波|》 【右丁】   ○恩謝使略 皷川浸筆に曰慶長十四年己酉薩州之大守島津 家久台命を蒙りて軍を与し其無礼の罪を討其老 臣樺山権左エ門久高平田太郎左エ門益宗に三千の兵 を与へ手勢と共に三千五百人三月ともつなを解き大洋(おほうみ) を押渡り直に琉球運天の湊につき一挙にして攻上る 国人防禦の術を尽すといへども其鋭鋒に当りがたく 殊に鉄炮に駭きおそれ終に軍敗れて国王尚寧軍 門に降る爰において琉球三山諸島を平定し六月 尚寧王を携て凱陣す此時琉球国永々家久に賜 はる印章を下し授け玉ふ翌十五年庚戌八月家久尚 寧を率て駿府江戸に来り方物を献し怠貢の罪 を請ふ是東遷以後琉球来聘の始にして已後使を 献じ慶を賀し恩を謝する事連綿として絶えす朝 貢再び旧に復すといふべし寛永七年庚午十一月尚豊 王賀慶正使佐敷王子恩謝正使金武王子をして方物を 献ず此時 御上洛ありし故京都二条にて拝礼す江戸 【左丁】 に来らず寛永廿一年甲申六月尚賢賀慶正使金 武王子恩謝正使国頭王子をして方物を献す 慶安二年己丑九月尚質王恩謝正使具志川 王子をして方物を献す又日光山を拝礼す承応 二年癸巳九月尚質王賀慶正使国頭王子をし て方物を献ず寛文十一辛亥七月尚貞王恩謝正 使金武王子をして方物を献ず又日光山を拝礼す 天和二年壬戌十一月尚貞王賀慶正使名護王子 をして方物を献す宝永七年庚寅十一月尚益王賀 慶正使美里王子恩謝正使豊見城王子をして方物 を献正徳四年甲午十二月尚敬王賀慶正使与那城王子 恩謝正使金武王子をして方物を献す享保三年戊戌 年十一月尚敬王賀慶正使越来王子をして方物を献 寛延元年戊辰十一月尚敬王賀慶正使具志川王子をして 方物を献す宝暦二年壬申十二月尚穆王恩謝正使今帰仁 王子をして方物を献す明和元年甲申十一月尚穆王賀慶 正使読谷山王子をして方物を献す寛政二年庚戌十二 尚穆王賀慶正使宜湾王子をして方物を献ず同八年丙戌【丙辰の誤】 【右丁】 十二月尚成王恩謝正使大宜見王子副使安村親方を して方物を献す文化三年丙寅十一月尚顥王恩謝正使 読谷山王子副使小禄親方をして方物を献す天保三 年壬辰十一月尚育王恩謝正使豊見城王子前尚顥 王之使沢岻親方をして方物を献ず天保十三年壬寅十 一月尚育王賀慶正使浦添王子をして方物を献ず 今茲嘉永三庚戌十一月尚泰王恩謝正使玉川王子 をして方物を献ず慶長より今年に至る迄来聘 十九度に及ふ      官位《割書:並》冠服図説 位は一品より九品まであり勿論正従の別あり王の 子弟を王子(わんず)と称す《割書:正一品》領主を按司(あんず)と称ず《割書:従一品|○古は》 《割書:按司領地に住居して其地を治めしが各種威を振ふにより第十七|代の国王尚真制を改首里の城下に居住せしめ察事紀官といふ》 《割書:官人を一人宛遣はして其領内の事を支配せしめ|歳の終に物成を按司のかたへおさめしむ》天曹司地曹司 人曹司とて国家の政事を司る大臣三司官親方と 称す《割書:正一品》夫より以下の大臣を親方と称す《割書:従二品》 親雲上と称するものは武官なり《割書:三品より七|品まてあり》里之子と称 するは扈従(こせう)の少童なり《割書:八品》筑登之と称するは九品なり 【左丁上段】 ◦ 王(わう) 帽(ほう) 黒き紗にて作る 国王是を載く ◦短簪  長サ三四寸  元服   したる       者  これを    用ゆ ◦長簪  長サ尺余  婦人少年の  男子元服  前にて髻の  大なるもの    是を用ゆ 金銀に貴賤を分つ  女子は玳瑁にて   製したるを用ゆ 【左丁下段】 ◦官民帽(くわんみんほう)   一品より九品       前     までの製      皆同し    【帽の図】    いため紙を     骨にして       後      つくる    ◦笠(かさ)    菱わら      にて    作り    また   葦にて     も   作る  外を   黒く  内を   朱にて    塗る ◦片帽(へんほう)  黒き■【絹】にて  つくる  六の角あり   医官楽人    茶道の外     剃髪したる      ものこれを         用ゆ 【右丁上段】 衣 袖大サ二三尺       ばかり 長サ手に過ず着する 物は平服なり官服は丈長し 平日 着する  物は  大抵 芭蕉  布の 縞織  を 用ゆる   也 【右丁下段】 帯 長サ壱丈四五尺   寛サ六七寸腰をまとふ事   三重四重にす   此帯地の地紋に   差別ある事上に   載たる如し   此帯の裁を    薩摩がんとう   とて好事の人   甚珍翫す 此外足袋  草履等   日本に   同じ   かるが     ゆゑに    図せず 【左丁】 ○国王は烏紗帽(くろきしやのかぶりもの)に朱き纓(ひも)龍頭(たつがしら)の簪(かんざし)雲龍の紋ある 袍(きぬ)を着し犀角白玉の帯を用ゆ何れも明朝の 製なり今清朝の冊封を受ながら冠服は古へを改 めず一品以下 帽(かふりもの)八等(やしな)簪四等帯四等あり其荒増は 一品は金の簪 彩織縀(もやうををりたるきれ)の帽錦の帯。錦の帯。緑色(もへぎ)の袍を着す 《割書:江戸へ来聘する使臣は一品なれども|国王の名代故王の衣冠を着用す》二品は金の簪《割書:従二品は。頭を|金にて作り》 《割書:棒は銀|なり》紫綾の帽。龍(くわん)蟠の紋ある美なる帯。《割書:功ある者は錦|帯を結ふ》 深青色の袍を着す。三品は銀の簪。黄なる綾の帽。帯袍 ともに二品に同し。四品は。龍蟠(くわんりやう)の紋を織たる。紅の帯。 簪帽袍三品に同じ五品は。絲色花帯(いろいとにてもやうあるおひ)。其外は三品に 同じ六品七品は黄なる絹(きぬ)の帽簪と袍とは三品に同しく。 帯は五品と同じ八品九品は。火紅絹(ひちりめん)紗の帽。其 他(ほか)は七品に 同じ。雑職(かるきやくにん)は。紅絹の帽。其他は七品に同し銅の簪 紅布(あかもめん) の帽。或は緑布の帽を蒙(かぶ)るは里長(なぬし)保長(しやうや)などなり。青 布の帽を蒙(かぶ)るは。百姓 頭目(かしら)なり。凡て官服は平服より 丈長く上より帯にてしむるなり。いかにも寛やかに着為(きな)し 紙夾(かみいれ)。烟袋(たばこいれ)など懐に入る事。日本の如し。童子の衣 服は。三四寸ばかりの脇明あり元服の時縫詰る元服 【右頁】 の事は下に載たり。女人の服もさして替る事なし。外(うは) 衣(き)を襠(うちかけ)にし。左右の手にて襟を曳て行となり。寐衣(よぎ) の制(しかた)。日本と同し。衾(ふすま)といふ。衣服に両面を反覆(うらがへ)して 着する様に制したるも有り。惣して帽帯の織物は。 唐土閩といふ地にて織。此国へ売渡す琉球国にては唯 芭蕉布のみを作る。家〳〵の女子。皆手織にす。首里(すり)にて 制(せい)する物を上品とす    ○年中行事 正月元旦。国王冠服を改て。先年徳を拝し。夫より諸 臣の礼を受。同十五日の式。元日に同じ《割書:毎月十五日諸|臣の登城あり》王ゟ 茶と酒とを賜ふ。扨民家の女子は毬(まり)をつきて遊び。 また板舞といふ戯(たはむれ)を為す。図の如く真中へ木の台 を居其上へ板を渡し。二人の女子両端に対(むか)ひて立。一人 躍(おど)り上れば一人は下にあり。躍り上りたる女子。本の 所へ落下る勢ひにて。こなたに立たる女子は五六尺も刎 上るなり。其体。転倒させるを妙とす。其地北極地を 出る事二十五六度なる故。暖気も格別にて桃花も綻ひ。 長春は四季ともに花咲ども。わけて此月を盛とす。 【左丁】 板舞之図(いたまひのづ) 【右丁】 羊躑躅(つつじ)は殊更見事なり。元日王宮の花瓶に挿る。恒 例なるよし。蛇はじめて穴を出。始て電し。雷則ち声を 発す枇杷の実熟す。元朝これを食ふ。正三五九の四ヶ 月を国人吉月と名つけて。婦女海辺に出。水神を拝 して福を祈ると。伝信録に載たり。 ○二月十二日。家〳〵にて浚井し。女子は井の水を汲て。 額を洗ふ。如此すれば。疾病を免るゝとなり此月や【也ヵ】。土 筆(し)萌出。海棠。春菊。百合の花。満開し。蟋蟀(こほろき)鳴(なく) ○三月上己の節句とて往来し。艾糕を作て■【餉ヵ】る。石 竹。薔薇(ろうさはらの)罌粟。俱に花咲く。紫蘇生じ。麦 秋(みの)り。虹始 て見ゆ ○四月させる事無し。鉄 線(せん)開き。笋出。蜩鳴き蚯蚓 出。蝼蟈(けら)鳴き。芭蕉実を結ふ。国人是を甘露と名つく。 ○五月端午。角黍を作り蒲酒を飲事日本の如し。 此月稲登る。吉日を選んて。稲の神を祭り。然うして 後。苅収むるとなり。明の夏子陽使録に云。国中に。女 王といふ神あり。国王の姉妹。世〳〵神の告に依て。 是に替る。五穀成時に及て。此神女所々を廻り 【左丁】 行穂を採てこれを嚼(かむ)。いまだ其女王の嘗ざる前に。 獲(かり)入たる稲を食ふ時は立所に命を失ふゆゑ。稲盗 人絶て無し。此月蓮の花咲。桃。石榴熟す。 ○六月の節句あり。《割書:六月の節句中に|当る日なるべし》強飯を蒸て送る。この 月也。沙魚(わにざめ)。岸に登りて鹿となり。鹿また暑を畏るゝ 故。海辺に出て水を咂(ふく)み。亦化して沙魚となる。桔梗。扶 桑花開く。 ○七月十三日。門外に迎火の炬火を照らして先祖を迎 へ十五日の盆供など。日本と替りたる事なし此月。竜眼 肉実を結ぶ。 ○八月十五夜。月を拝す。白露を八月の節句とし 赤飯を作て相 餉(をく)る其前後三日ヶ間。男女戸を閉て 業を休む。是を守天孫と号す。此間に角口(いさかひ)などすれば かならす蛇に囓るゝとなり木芙蓉花さく。 ○九月梅花開き。霜始て降り。雷声を収め蛇はなはだ 害を為す。此月の蛇に傷(きず)つけらるれば。立どころに死す 故に。八月の守天孫に。三日が間つゝしむなり。田は尽く 墾(あらき)ばりし。麦の種を下す《割書:麦は三月|実のる也》 【右丁】 ○十月蛇穴に墊【蟄ヵ】し。虹蔵(にしかくれ)て見えす。小児は紙鳶をあぐ ○十一月水仙。寒菊開き。枸杷(くこ) 紅(くれない)に色づき蚯蚓音を出す。 其外にさせる事なし ○十二月。庚子庚午に当る日に逢ば。糯米の粉を椶(しゆろ)の 葉にて。三重四重に包み蒸籠にてむしたるを鬼餅 と名付て餉るなり。土人の説に。昔此国に鬼出たりし 時此物を作て祭りしとなり。是其遺れる法なるよし。 驅儺(おにやらひ)。禳疫(や[く]ひやうよけ)の意なるべし。二十四竃を送り。翌年正 月始て竃を迎ふ。《割書:竃の神を送り|迎ふ事なり》    ○元服(げんふく) 此国人。元服以前は。髻を蛇のわだかまりたる如くにし長き 簪を下より上へ逆しまに串きて其先きは額にいたる なり。既に成長(ひとゝなり)て冠(かむり)する時は。《割書:二十にして冠する|は通例なり》頂(いたゝき)の髪を剃 て髻を小さくし。短き簪にて留置なり唐土明の世には 髪を剃事なかりしが。清の冊封を受る世となりてより の事なるよしなり。案るに芥子坊主なるかはりに。中剃 と遁れたるなるべし    ○剃髪(ていはつ) 【左丁】 医官を五宦正といひ。茶道坊主を。宗叟といひ。また 御茶湯といふ。片帽を被(かふる)。黒き十徳のこときものを 着するとなり    ○器財(きさい)之説 食膳の為方。膳椀にいたるまで。惣て日本の制に效(なら)ふ 王宮の給(きう)仕は。里之子なり。二人宛揃への服を着し。 進退。小笠原流をもちゆ。はなはだ行儀よき事なるよし なり    ○女市 此国中辻山といふ所の海 沿(ばた)に。早晩(あさばん)両度市あり商人は 残らず女なり。商ふ所のものは魚蝦(きよるい)。蕃薯(さつまいも)。豆腐。木器。 礠(さら)碟(さはち)陶器(せともの)。木梳(きぐし)草(さうり)靸(わらじ)等の。麤物なり其貨物。何に よらず首に戴き。坡に登り嶺を下るに偏(かたよら)ず。売買は 日本の銭を用ゆ。古へは洪武通宝。永楽通宝唐土 より此地へ渡りて通用せしが。今ははなはたまれにし て。只寛永通宝のみ多しとなり    ○嚏(くさめ)を好む 琉球人は寿命の薬なりとて嚏する事を好む客 【右丁】 女市之図 【左丁 挿絵のみ】 【右丁】 に対する間も。紙条を鼻孔(はなのあな)へ入てくつさめを為すといへり    ○哥舞(うたまひ) 王宮にて哥舞を興行する時は。五六丈四面の舞台を 造り。四方に幕を張り。楽人は紅衣(くれないのきぬ)緑(みとりの)衣を着し夫〳〵 の巾を戴き蛇の皮にて張たる三弦。提琴。笛。小鑼(こどら)。鼓(つゞみ) なとを持て二行にならび。ゆるやかに楽譜を歌へば 暫く有て。階(はし)懸りの幔(まく)を褰げ。舞人出るなり ○小童四人朱き襪(したうづ)を履(はき)。五色の長き衣を襠にし。 頭に黒皮にて作りたる笠に。朱纓の付たるを戴き。廻(まひ) 旋(なから)場(ぶたい)に登り。楽人の方へ向ひて座す。楽工其笠を取。 朱纓(あかひも)を笠の上へ捲つけてあたふれば。童子うけ取て 立上り。足拍子を曲節に合せて舞ふ。此を笠舞 と名付く ○小童四人金扇子に花を餝りたるを戴き朱帕 を為し。五色の衣をいかにも花やかに着なし。 五色の花をつけたる索(なは)の輪に為たるを頂(くびすぢ)に 懸て。場(ぶたい)に登り。其索を手にかけ手拍子を 踏て舞事。笠舞の如し。是を号て花索舞といふ 【左丁】 ○小童三人頭に作り花を餝り。錦の半臂を着し。 小き花籃(はなかご)を肩に懸て場(ぶたい)に登り前のことく舞ふ。 籃舞と名つく ○小童四人。五色の衣を着して場に登り楽工の前に 座すれば。楽工銘々へ小竹拍(よつだけ)四片を授(さづ)く。童子取て立上り 拍て場に舞これを拍舞といふ ○武士六人白黒の綦紋の袖を大に仕立たる短き衣を 着し。金箍(きんのはちまき)を額に結び白き杖を突て場に登り。撃(うち) 合音を節に合せて舞ふ武舞と号す ○小童二人五色の服を穿(き)。金の毬(まり)の四面に鈴をつけ。朱 き紐の長く付たるを持左右に立て舞ながら。二疋の獅子 を引て場に登り獅子を狂はせなから舞ふ。獅子は種〳〵 の狂ひをなし。其興ある曲なるはし是を球舞といふ ○小童三人さはやかに粧(よそほ)ひ場に登り楽人より一尺ばかり なる。金様(きんだみ)の桿(ぼう)を請取り。交撃て舞ふ此曲を桿舞といふ ○小童四人手に三尺ばかりの竿に花の付たるを。各一本 宛たづさへて舞ふを竿舞といふ    ○牽馬 【右丁】 馬は日本と替る事なし。山坂または石原を行に蹶(つまづか) ず。山に上り。水を渉(わた)れば馳(はす)。是自然に其土地に馴た れはなり此地四季ともに暖気にして。冬も草の枯る事 なきによりて終歳春草を食ふかるかゆへに豆を食はす るに及ばす民家にて馬の入用なる時は。野より牽入用事 過れば野へ放すとなり鞍鐙其外とも日本の馬具に かはる事なし。唯小紐の下と。むなかひに紅の糸にて 作りたる。丸き房を付るなり 飾馬之図 【左丁】 此外舞には。扇曲(あふきのきよく)《割書:童子六人|にて舞ふ》掌節曲(てびやうしのきよく)《割書:小童三人|にて舞ふ》などゝいふ 舞あり     楽には 太平調(たいへいちやう) 長生苑(ちやうせいゑん) 芷蘭香(しらんかう) 天孫太平歌(てんそんたいへいのうた) 桃花源(とうくはげん) 楊(やう) 香(かう) 寿尊翁(じゆそんおう) 是等の外。数曲あり此内桃花源。楊香は明楽(みんかく)なり寿 尊翁は。清朝の楽なり。又神哥といふ物あり日本の式三 番の如く国楽を奏する始に一老人の形に打扮(いでたち)。場に 登りて此曲を哥ふ。此国混沌のはじめ。世を御したる 神垩天孫氏。世〳〵の国王位に登る毎に形を現じ て霊祐を示す。すなはち迎神の歌を製して。もつて これを歓楽(くわんらく)す後世にいたりて神しば〳〵形を現ぜず。 故に神代より送りたる唱哥を伝へて。国王即位の 時か。格別の儀式ある時此曲を行ふ。神哥を唱ふる 間は管弦ともに声を出さずとなん    ○俳優 舞楽に続て俳優(わざおぎ)あり。其狂言に。鶴亀といへる兄 弟の童。父の仇を復したる古事あり。日本の曽我 【右丁】 兄弟の敵討に髣髴(さもに)たり昔琉球国中城といへる 所の按司(あんず)。毛国鼎(もうこくてい)といへる人。忠勇にして国を治む。其 ころ勝(かつ)連の按司。阿公といふ者。若うして郡馬(くんば)といふ 職になり国王の覚へ目出度かりしまゝ。其奢侈を 極めしが。内心毛国鼎を忌(いみ)けるにより弁舌を。功にし て国王に讒(ざん)をかまへ。毛国鼎 叛逆(ほんぎゃく)の企(くはだて)有と奏聞し ければ。国王 且(かつ)驚(おどろ)き且 怒(いか)り。一《割書:チ》応の吟味にも及はず。則(すなはち) 阿公に軍兵を授け。毛国鼎を攻討しむ。毛公無矢の 罪を歎くといへども阿公一円に取あへねば今は是までと 思ひ明らめ。遂に自殺をそなしにける。毛公に二人の 子あり兄を鶴といふ十三歳。弟を亀といふ十二歳。二 子至て伶俐(れいり)なり。父毛公。平日(つね〳〵)宝剣二振を以て是 に撃剣(けんじゆつ)を教(おし)へ。小腕ながらも其業においては。大人にも おとらぬ程に仕立ける。此折柄は母に従ひて。山南の査 国吉といへる。親属(しんるい)の方に在けるが。父毛公。阿公か讒(ざん) 言(げん)に依て。討手を引受無念の死を遂たると聞。天に 仰き。地に伏て涕泣せしが。涙を払ひて母に請(こひ)け るは父上の最期は。今更歎きて返らぬ儀なれは。われ〳〵 【左丁】 兄弟面体を見知られぬを幸に。忍ひよりて阿公を討 取。父の仇を復せんと存するなり願くは父上の秘蔵ありし 二振の宝剣を賜はらんと思ひ込て願ふにぞ。母は憂(うれい)も 打忘れ。けなげにもまうしつる兄弟かな。いて〳〵望の如く 二振の剣をあたふべしとて取出して分ち与ふ。兄弟 勇んで暇(いとま)を乞。父の記念(かたみ)の宝剣を帯しつゝ。身をやつ して勝連に至り。父の仇をぞねらひける。扨も阿公は 日比心憎かりし。毛公を失ひければ。今は誰にも憚らず春 の野つらを詠めんと従者(しうしや)を引連出けるを。兄弟早く も聞出し。宝剣を懐にし。透間(すきま)もあらばと伺ひける阿 公は二人の小童を毛公が子とは夢にも知ず扨しほら しき小冠者かな是へ参つて酌(しやく)いたせと。膝元へ招きよせ 兄弟が容貌(やうほう)の麗(うる)はしきに心乱れ。数献(すこん)の酒を傾(かたむ)けし が酔興のあまり着せし所の衣を脱兄弟に分ち与へ。 猶も足(たら)すや思ひけん。佩(はい)たる所の剣を鶴にあたふ。鶴 今は能図なりと。弟に目くばせし。其剣を抜手も見 せずと寄て阿公に組付。われ〳〵を誰とか思ふ。汝が讒 言に依て自殺なしたる毛国鼎が二人の子なり。父の 【右丁】 の恨おもひ知れと。柄も通れ。拳も通れと刺通され。 あつといふと立上るを。返す刀に首打落せば。酔潰(ゑひつぶ) れたる従者ども。此体を見て肝を消し。上を下へと 狼狽す。二人の童子は透間もなく四方八面を切て廻り 悉く切殺し。本望を遂たるを一局(ひとくだり)とす ○又鐘魔といふ狂言あり是は謡曲(うたひ)の道成寺に似 さ【たヵ】り。中城(なかくすく)の姑場村(こしやうけん)といふ所の農家(ひやくせう)に。陶姓なる 者あり。一子を松寿と名付く。齢まさに十五歳。 誠に端麗の美少年なり此国の都。首里に師あ りて。常に往通ひて業(きやう)を受けり。一日 浦添(うらそえ)の山径(やまみち) に懸りける時。日暮に及ひて路を失ひ。とさまかうさ まに踏迷ふ程に。次第に昏黒(くらやみ)になりてあいろも 分ず。小竹を折て杖となし。其所に此所よとたどり しがほのかに火影の見えければ松寿そゞろ嬉し くて火影を便りに路をとり。辛うして其家に至り。 一《割書:チ》夜の宿りを求めける。此家の主は猟人にて。一人の 娘を持てり。山家には生立(おいたて)とも。天姓の嬌態あやしき まてにてあてやかなり。年わつかに十六歳此夜父は猟 【左丁】 に出只一人留主居してありけるが。門に人のおとなひして 知ぬ山路にさまよひたる者にて侍らふ情に御宿たまは りたしと。いふ跡声もかきくれたり。娘いたはしくは思ひけれ とも。折ふし父の留主といひ。心一ッに定めかねしがまだ いはけなき人といひ殊さら倶したる人もなけれは。さまで に父のとかめもあらじと門の戸を開きて庵にともなひ彼是 いたはりもてなせしが。松寿が姿のいつくしきに心ときめき 事に触て挑(いどみ)けれとも松寿もとより物賢き生れにて いさゝかもうけひかず睡りもやらず座し居たり。娘思ひ にせまりてやひし〳〵と抱き付ば。松寿驚き。衣を振ふて 起上る。娘今は恨のあまり。難面(つれなき)人を生しは置じ。同じ 冥途へともなはんと。道具を取て飛懸る。松寿は魂(たましい)九天に 飛夢路をたどる心地して。足を空に逃出すを何国まで もと追来る。其早き事飛鳥の如し松寿やう〳〵逃 延て此山の曲にある万寿寺といふ寺に駈入しか〳〵の由 を物語れは住持普徳といふ僧は。行徳いみしく。才覚 ある僧なりければ。すなはち松寿を鐘楼へともなひ。大鐘 の内に伏しめ三人の従弟をして。其傍辺を看守し 【右丁】 む。とばかり有て彼娘。姿あらわにしたひ来り。三人の 僧に問。何れも知ざる体にもてなし。戯(たはむれ)なぶりて帰らし めんとす。娘は松寿を求得ず。狂気の如く泣叫(なきさけ)び。猶も 行衛を尋んと門外へ駈出れは。僧共今は心易しと。件 の鐘を退んとす其物音。山彦に響さ【きヵ】ければ女早くもかけ 戻り。髪振乱し形相変り。恋しき人は此鐘の内にこそ 有たんなれと鐘の内へぞ入にける住僧驚き諸僧と倶に 鐘を繞りてこれを祈る。行法の験にや。かねはおのれと 鐘楼へ上り。女は鬼女の相を現はし■(しゆも[く])【注】を以て打かける。 僧共少しもひるまばこそ動かず去らず祈りければ一ッ天 俄にかき曇り震動雷電すさましく。女は其儘悪魔 となり松寿を掴んで走り出る。これまた一 局(くさり)の狂言なり 此二事は皆百年以前。琉球国中にて有し古事也 となり。此外は皆唐土の哥舞妓狂言を興行すると なり。又日本の猿楽をも伝へ舞囃子なとをも興 行す義太夫節を甚好み芦刈などの節事を能覚へ て語るとなり    ○書法 【左丁】 書法は。日本の大橋流玉置流をもちゆ片仮名平仮名 は国中の貴賤おしなべて通用す。薩州藩中へ往来の 書翰何れも竪状捻状にて一筆啓上の文体を用ゆ 書する時桌に倚ず左手に紙を持 懸腕(ちうだめ)にして書 事日本と同し    ○宗派 此国の僧。入唐して法を伝ゆる事をゆるさず薩州へ 来りて法を学ぶ。衣は朱黄(かば)色を着す。袈裟の外に 一衣を服す。其制背心の如し。断俗と名つく。帽子 は。清人の笠帽の如し氈を以て作るとなり。宗旨は 臨済宗(りんさいしう)と真言のみなりと中山伝信録に見へたり    ○耕作 田地は。九月十月の間に耕し種蒔十月十一月のころ 緑秧(さなえ)水を出れば。日和を見合せ本田に移し植 此節大雨時に行はれ雷声発し。蚯蚓鳴て。気候 あたかも春の如し。夫より翌年に至り。春(はる)耘(くさぎり)夏五月 穫収(かりおさ)む。《割書:其跡へすぐさま麦を蒔つけ|年の内に苅納るとなり 》六月に至れは大颶(おゝかぜ)しば〳〵 作り海雨(ゆうだち)□【横】飛し。果実(くだもの)皆落るにより。穫納□【を】早く 【「しゆもく(撞木)」は鬼の持ち物。■は「叉」ヵ】 【□は、筑波大学附属図書館蔵本による】 【右丁】 せされば。風損多しかるがゆへに此国中秋耕し冬種 蒔春耘夏収む六月より九月迄は農業を事とせず となり農具は大抵日本製を用ゆ殊に鋤鍬(すきくは)などは。 琉球にて作る物は鉄 鈍(にぶ)くして用に堪ずとなり。高田は天水 を湛(たゝ)へ下田(くぼた)は次第 低(びく)にして。泉を引て下し漑(そゝ)ぐ。入江小河 などいづれも鹵入(しほいり)なる故田地の用水になり難しとぞ    ○屏風《割書:附》伊呂波 此国にて用ゆる屏風は四枚折なり。上に文行忠信。 春夏秋冬などの四字を大字に一字宛書。其下に 上の大字とは懸はなれたる詩を。二くだりに書となん。 附ていふ国中の貴賤通用するいろは仮名は為朝の子。 舜天王の時より始るといふ此国人漢文を読には。 日本の如く。訓点をほどこすとなり。此二条。上に言 落したる故爰に紀す  東都   冨岡手暠挍正  同    一立齋広重図 【左丁】    跋 大樹の陰高く繁茂して常磐に さかえ日の光普く万国を照らし 四海の浪平につゝみを調へ風木末を鳴 して太平を唱哥うたふ実にも尊き 皇国の治る御代を仰かんとて今歳 嘉永三戌のとし中山国王より恩謝 の使臣東都に来聘す古より我朝へ 貢を奉献する事ほゝ少からすされは 其国の□【風】俗状態等をあらかしめ著述 せし書数品ありと雖詞花言葉ある 【□は、筑波大学附属図書館蔵本による】 【右丁】 か故に童蒙に解しかた□【く】こたひ 増補し□【て】世に発行あらんにはと諸君 子のすゝめ賜ふにより先哲の遺稿あれ かれを求得て立亭の主人に挍正を 乞ひ公に希ふてすみやかに一篇の 小冊とは成りぬ《割書:予》手の舞足の踏処を 知らす歓喜にたへずたゝちに梓にのほ せて掌中の玉と愛て世に広く 光りを映さんことを願ふになん  嘉永三    庚戌年  梓元          若林堂謹誌      【蔵書印】宝玲文庫 【左丁】 御願済目録  琉球解語     横本一冊  中山国使略    折本一冊          《割書: |奉書》  琉球恩謝使略   一枚摺  琉球人行列附   三枚継   東都芝神明前     若狭屋与市版 【□は、筑波大学附属図書館蔵本による】 【見返し 文字無し】 【裏表紙】