【上段右 表紙相当】 五大葊 吉泉子選 《割書:震火|水雷》身要慎 安政二卯年十月二日改  泰平堂版 【地図二葉】 江戸地震大花眞図  以下 省略 【上段文二枚目】 夫(それ)天地(てんち)に不時(ふじ)の異変(いへん)あり且(まづ)雷(かみなり)大風 強雨(つよきあめ)地震(ぢしん)洪水(おゝみづ)突波(つなみ)其外天 変(へん)地夭(ちえう)いろ〳〵あり失火(しつくは)の事は其身(そのみ)の麁漏(やりつけ)おこたり油断(ゆだん)等より おこる所なれば天命(てんめい)にあらずされば此度(こんど)の如(ごと)きは前代未聞(ぜんだいみもん)の珍(ちん) 事(じ)にして大地しんの中にて江府(ごふ)内(ない)四方に失火(しつくは)して一時(いちじ)の騒乱(さうらん)いふ べくもあらず斯(かく)のごとき折からいかなる大勇(たいゆう)智者(ちへしや)にても些(わづか)の失念(しつねん) なしといゝがたし況(いはん)や凡夫(ぼんふ)におひておや是皆(これみな)平常(つね〴〵)より其(その)心得(こゝろへ) なきゆへにして過(あやまち)有(あり)は後(のち)悔(くやみ)てかへらず此書(このしよ)は志(こゝろざ)しあらん人 よみ得(え)て妻子(さいし)下人(けらい)又は他(た)にも其(その)たしなみに諭(さとし)置(おき)て若(もし)已来(このゝち) 変動(へんどう)もあらん時(とき)急(にはか)の周障(あはて)騒動(まごつき)なく怪我(けが)等(とう)の憂(うれい)もなき やうの為に粗(あらまし)を記(しるし)はべり猶(なほ)もれたるは後篇(かうへん)に出(いだ)す       地震(ちしん)の節(とき)心得(こゝろへ) ▲今安政二卯年十月二日夜四時江戸表大地震在之其中に 火災(くはじ)起(おこり)て凡(およそ)三十余所より燃(もへ)立 類焼(るいせう)の町々 数(かづ)もしれず常は火災 を凌(しの)ぐ土蔵 悉壁(みなかべ)を揺落(ゆりおと)し骨(ほね)を顕(あらは)したる所ゆへ火のうつる事 最(もつとも)速(はや)く子 刻(こく)に到(いたり)ては四方の火勢(くはせい)盛(さかん)になり虚(そら)に映(うつり)白昼(まひる)のごとし 偖(さて)又家蔵の潰(つぶれ)たる下に敷(しき)込(こま)れたる人あれ共自身に出ること成がた く是を救(たすけ)んと思へ共 初(はじめ)の地しんに肝(きも)を潰(つぶ)し十分 臆(おく)したるうへ 所々の火勢に気を呑(のま)れ人心地更になきものから老(としより)たる人妻子の 差別(さべつ)なく救(すく)ふ心もつかず稍(やう〳〵)其身一つを脱(のがれ)出たるのみ也右のごとく 限(かきり)なき騒乱(そうらん)なる故(ゆへ)死亡(しぼう)怪我(けが)人家蔵の破損等(はそんとう)は算尽(かそへつくし)がたし       身    二    【折り返しカ】 此(かく)のごとき異変(いへん)は鎌倉時代 已来(このかた)是なき不祥(ちんし)なれば当代の人に 心得たるものなきは全太平に年を経(おくり)て乱(らん)を思ずといふがごとし 遠き昔はさしおき文政十二年七月二日京都大地震其後に 七十余日の間ふるふ弘化四年三月信州嘉永八年相州小田原 伊豆下田其外にも有べし右等の変動(へんどう)はいつといふ告(しらせ)も無ゆへ かねて心得有べし夫(それ)大地震有とも半時も揺(ふるう)ものにあらず少(わづか) たばこ一チ二ふくの間(うち)也是は地気の発(はつ)して止(やむ)所也 ▲俄(にはか)に地しん有時は人皆 駭(おどろき)うろたへ騒(さはぐ)こと常也夫人間は事に臨(のぞみ)て 覚悟を定るべし一代の間此心なくて叶(かな)はず扨 我家(わかや)他所にゐる とても方 位(がく)と地の利 土地(とち)の容体(ありさま)を考(かんがへ)を専一とすべし 【黒枠の表】 省略   【下段左へ】 【下段文三枚目】 ▲地しんの時立 騒(さわ)ぐこと最(はなはだ)わるし但し其家のの形容(ありさま)に因(よる)へし板やね 平家等ならば弥(いよ〳〵)迯出ること凶し物の落ざる所に座しいるべし たとひ其家 倒(たふれ)たり共ふとん一枚をはね除(のけ)る程なれば必(かならず)騒(さはぐ)べからず ▲迯(にげ)出るに深く心得あり物急なるゆへあはてうろたへ足をふみくじき 打 転(ころび)其上に瓦 落(おち)て大 疵(きつ)を受又は梁(はりの)落て一命の危きにいたること此度 所々に多く有を以 察(さつす)べし依之(これにより)駈(かけ)出ることは宜々(よく〳〵)考(かんがへ)有べし信州の 地しんの時堂内又はたごやに落着(おちつき)居たるものは無事(ぶじ)也うろたへ駈(かけ)出(だ)す もの大地のさけたる所へ落(おち)入又は土蔵 或(あるひ)は屋敷 建(たて)家の崩(くづ)るゝこと一どき なるゆへ屋上の軽(かる)き所に潜(ひそみ)いるをよしとす猶又其時宜を量(はかる)べき也 ▲立 退(のく)には四方に高き建物(たちもの)なく平安に空(あき)地へ安座(かりの)すべし海川近き       身          三 所へ行べからす老人(としより)女子小児は湿(しつ)気を受ざるやう寒(かん)気を凌(しのぐ)を第一とす 四方を囲(かこひ)上を覆(おゝ)ひ下には疊を竪横に厚(あつ)く重(かさね)て敷べし大地 裂(さける)とも 落入(おちいる)事なく下より地気を受ず猶此時におひて風 邪(ひき)持病(ぢびやう)をおこし 苦(くるし)み悩(なやみ)たり共薬等も思ふやうに取寄がたく医師を招(よび)ても急(きう)の間(ま)に 合ざるを以知べし諸人地震に恐(おそ)れたる所ゆへ気力もなく日 比(ころ)の強勢(ごうせい)も 頼(たのみ)にならず唯々(たゝ〳〵)其身を慎(つゝしみ)用心専一とするより外あるべからず ▲立 退(のき)たる後(のち)は我家(わがや)の戸じまりも凶(あし)く自然(おのつから)紛失(ふんじつ)物の無にあらずまた 火の用心等を思ひ下人有身にても主人 時々(よう〳〵)見廻るべし且又住居の 四方を宜々(よく〳〵)観察(くはんさつ)すべし若(もし)近辺(きんべん)に危(あやう)きこと怪きこと等見受なば其 心得有べし騒乱(そうらん)の時なれば万事にゆだんすべからず 【下段文四枚目】 ▲地しんの時にかいにいる人は急(にはか)に下(おり)ること凶(わる)し此度(こんど)吉原にて脱(のがれ)たるもの 多は二かいにいたる也 揺潰(ゆりつぶし)たれ共 其荷(そのに)もかるく取除(とりのけ)るにも早く救(たすけり) に仕安(しやす)し夫(それ)大地の裂(さけ)る事も有共上より物の落ることを能(よく)考(かんがふ)べし ▲凡(およそ)大地しんは余(のこりの)動(ひゞき)急(きう)にしづまることなし京都の地しんは七十余日信 州は三十余日相州は半月 斗(ばかり)の間少しの震(ふるひ)ありされば此度とても 十月二日より十日に及て其気(そのき)去(さら)ず一日に二三度づゝ揺(ゆる)ことあり初(はしめ)の大 震(ふるひ)に気勢(きせい)抜(ぬけ)たれは其後は強(つよく)揺(ゆる)事なし此 趣(おもむき)を婦人(おんな)小児(ことも)下人(けらひ) に至(いたる)迄 能々(よく〳〵)申 聞(きか)し置(おく)べし些(わつか)に揺(ゆり)出(だ)してもスワト騒(さはき)立(たつ)ゆへ怯弱(よはき) 人 小児(こども)婦人等は 病(やまひ)を起(おこ)し看病(かんびやう)も届(とゝき)がたし其(その)難義(なんぎ)いはん方なし 是皆(これみな)弁(わきまへ)なきものゝ業(わざ)なるゆへ咭(きつと)戒(いましめ)置(おか)されば後(のち)に大成 災(わざはい)あり            身             四 ▲魚(うを)は水中(すいちう)に居(い)て水(みつの)有ことをしらず人は気中(きちう)に住(すみ)て其気(そのき)をしらす眼前(がんぜん) 其 證拠(せうこ)あり且(まづ)鳥類(てうるい)の物の上に留(とま)りいる時に地しんありたるを見るに 人間(にんげん)のごとく等(ひとし)く揺(ゆう)れてひよろ〳〵なす此時 空中(くうちう)へ飛上(とひのぼ)らは宜(よか)るべきに 其こと叶(かなは)ざる證(しるし)あり空中(くうちう)を飛(とび)いる鳥の羽(はね)づかひ乱(みだ)れ忽(たちまち)下へ落(おちる)なり 天地の間(あいだ)は陰陽(いんやう)の気(き)充満(じうまん)して人畜(にんちく)艸木(そうもく)を養(やしなふ)也 然(しかる)に寒暖(かんだん)の気の順(じゆん) なる時は天下(てんか)無異(ぶい)之 不順(ふじゆん)より地下(ちのした)の気順(きじゆんなり)がたく其(その)凝(こり)たる所の国は大に 揺(ゆる)也 其間(そのうち)に大地さけて地気(ちき)発(はつし)散(さん)ずる時は地しん止(やむ)也 然(しかれ)共(とも)信州の如(ごとく) 山々 多(おふ)き土地(とち)は裂(さけ)破(やぶれ)る事 遅(おそき)ゆへ破(やぶれ)るゝ迄 揺(ゆり)通(とふ)すゆへ其間(そのま)も長し 江戸の地は山もなく林(はやし)森(もり)浅(あさ)く海川(うみかは)の形(かたち)も備(そなは)り水道(すいどう)筋(すじ)竪横(たてよこ)に渉(わた)り 有ゆへ地気(ちきの)平生(へいせい)に立巡(たちめぐり)り凝(こる)程(ほど)に到(いたら)ざれば大地しんは最(はなはだ)少(すくな)し 【下段文五枚目】 此度のごとき変動(へんどう)は気候(きかう)の不順(ふしゆん)はなはだしきのみには非(あらざ)るべし猶(なを)是等 の利論(りろん)現證(げんせう)を以 後篇(かうへん)に出すべし且(まづ)右のごとく地脉(ちみやく)の薄(うす)き国ゆへ 大揺(おふゆり)長動(なかふるひ)は有べからず江戸つ子の大丈夫(だいぜうぶ)に落着(おちつき)て騒(さはぐ)べからす          失火(しつくは)の心得 ▲武家(ぶけ)大家(たいか)には非常(ひぜう)道具(とうぐ)を備(そなへ)有ゆへ防方(ふせきかた)消方(けしかた)も速(すみやか)なるべしもし 中方(ちうはう)已下(した)にては消(けし)道具(とうぐ)もなく人数 小勢(こせい)なれば水の手廻りかねて 終(つひ)に大火となり類焼(るいせう)多く他家(たけ)の迷惑(めいはく)となること多し扨又小火 の時は古着(ふるぎ)かふとんの類を水に浸(ひた)し打消(うちけす)べし隣家(りんか)外方へ遠慮(えんりよ)して 我(わが)一家(いつか)にて消(きゆ)る程ならばよし若(もし)コハ叶はずとしらば声を上て近辺(きんへん)おば 呼寄(よびよせ)るべし此心得 専一(せんいち)也 多勢(おふぜい)となれば水の手もよく廻り諸方へ手     身                五 くばりもよく届(とゞき)て自(おのつから)消(けし)安(やす)し唯々(たゞ〳〵)常より火の用心するより外なし ▲近火の節は風筋(かせすじ)と火勢(くはせい)を観察(くはんさつ)すること第一とすべし下人有ものは夫々 下知(さしづ)して物を取(とり)納(おさめ)類焼(るいせう)を逃(のが)る術(てだて)を専(もつはら)すべし小家(せうか)にては老少(ろうせう)女人 等に相応(そうおう)の品を持(もた)せ前(さき)へ迯(にが)すべし弥(いよ〳〵)火急(くはきう)とならば物(もの)悋(おしみ)欲心(よくしん)とう 有べからず飛(とん)で火に入 夏(なつ)の虫(むし)といへる譬(たとへ)あり些(わづか)の物に執着(しうぢやく)し危(あやうき)に 臨(のぞみ)て過(あやまち)せしこと常に能(よく)いふ所也 此度(こんど)右等の怪我人(けがにん)多を以しるべし然共 主(しう)師(し)親(しん)等の上に拘(かゝは)る節(とき)は等閑(なをさり)成がたし其 時宜(しぎ)を量(はかる)べし ▲火中に包(つゝま)れ脱(のがれ)がたきときは我(わか)着物(きもの)を水に能(よく)ひたし頭(あたま)よりかぶり目斗(めばかり) 出し火の少(すくな)き中を駈(かけ)出る也 此事心付たるにや吉原にて右の如して 脱(のがれ)たる上女三人を同様して救(たすけ)たる人あり如此節(かやうのとき)はうろたへるのみにて 【下段文六枚目】 よき分別(ふんべつ)は出ず九死(きうし)の場(ば)にて一生(いつせう)を得(え)るは覚悟(かくご)による所としるべし           突波(つなみ)洪水(かうずい)の心得 ▲突波(つなみ)に二つあり地しんにて海底(うみのそこ)迄 揺動(ゆりうごか)すゆへ海水(うしほ)騒立(さはきたち)近村(きんそん)へ瀑(あばれ) 上る事 一時(いちどき)なるゆへ此(この)急変(きうへん)は最(はなはだ)危(あやう)し既に下田の騒動(そうどう)にて知(しる)べし 如斯(かくのごとき)節(せつ)にも地勢(とちのさま)と方位(ほうがく)の観察(くはんさつ)すべし此事に疎(うとき)きものは脱(のがら)るゝこと 成がたし偖(さて)右の異変(いへん)と見る時は欲(よく)を棄(すて)父子上下を引つれ高き土 地の安体(あんたい)なる所をえらみ立退(たちのく)べし其節(そのとき)は家内の人数(にんず)散乱(さんらん)なき やう心懸(こゝろかけ)べし一人ふそく成ても安心成がたし常々 宜(よく〳〵)申聞置べし ▲下総国中川御番所の手前なる浮田(うきた)舟堀(ふなぼり)の辺(へん)は暴雨(おふあめ)の節(とき)洪水(かうずい)の上 陰風(しけ)風(かぜ)強(つよ)くして海(うみ)川(かは)の水を吹上(ふきあげ)民家(みんか)の床(ゆか)の上へのり諸品(しよしな)を流(なが)し          身             六 難義(なんぎ)すること度々(たび〳〵)也 此時におひて里(ところの)人(ひと)は弁利(べんり)安体(あんたい)の地をえらみ此(この)災(わざはひ) を脱(のが)るゝ也二かいへ上り又は屋根(やね)或(あるひ)は木へのぼるなど有共 何(なん)ぞ安心なる べき下田のごときは家土蔵共に打倒(うちたを)し海中(かいちう)へ引入ることなれば少(ちつと)も頼(たのみ) に成がたしされば時宜(しぎ)により観察(くはんさつ)の速(すみやか)を以 専要(せんやう)とすべし ▲地震(ちしん)大雷(おふがみなり)失火(しつくは)洪水(あしみづ)等(など)に限(かぎ)らず異変(いへん)ある時は酒を吞(のむ)事 慎(つゝしむ)べし酔人(なまよひ)と成ては万事 麁漏(づろう)になり下人(けらひ)有人にても諸事(しよし) 差図(さしづ)の届(とゝき)がたき上 過(あやまち)せしもの此度(こんど)多く見へたり尤(もつとも)動乱(とうらん)の中(なか) なれば体(からだ)の疲(つかれ)も有ゆへ物鎮(ことしづまり)まりて後(のち)に呑(のむ)べし唯々(たゞ〳〵)空腹(すきはら)に ならざるやう飯(めし)の用意(やうゐ)をいたしいかなる異変(いへん)有共こまらざる やうの心懸 専要(せんやう)也 猶(なを)是にもれたるは後へん出し候間可被下御覧候