【表紙】 【題簽】 《題:江戸名所図會  八》 【見返しに「東京學藝大學圖書」蔵書朱角印】 【左丁】 【界上に長角印「尾﨑藏書」、丸印「しみづさい」、学芸大図書印】 明顯山祐天寺(みやうけんさんいうてんし) 同所/西(にし)の方(かた)五丁/斗(はかり)を隔(へた)つ善久院(せんきうゐん)と号(かう)す享保年間(きやうほねんかん)  二世/祐海和尚(いうかいおしやう)祐天大僧正(いうてんたいそうしやう)の遺跡(ゆゐせき)の地(ち)を奉(ほう)して當寺(たうし)を草創(さう〳〵)し  則(すなはち)祐天大僧正(いうてんたいそうしやう)を開祖(かいそ)とす常行念佛(しやうきやうねんふつ)の道塲(たうちやう)にして鉦鼓(しやうこ)の  聲(こゑ)は山林(さんりん)に谽谺(かんか)せり《割書:此(この)称名(しようみやう)は開山(かいさん)祐天大僧正(いうてんたいそうしやう)臨終(りんしう)の期(こ)開闢(かいひやく)|ありしより連綿(れんめん)として絶(た)えすとなり》毎年(まいねん)七月  十六日より同廿五日に至(いた)る迠(まて)の間(あひた)阿弥陀経千部(あみたきやうせんふ)読誦修行(とくしゆしゆきやう)道俗(たうそく)  群参(くんさん)す  本堂(ほんたう)本尊(ほんそん)阿弥陀如来(あみたによらい)《割書:御長(みたけ)一尺|五寸/斗(はかり)》恵心僧都(ゑしんそうつ)の作(さく)にして開山(かいさん)生涯(しやうかい)  持念(ちねん)の尊像(そんさう)なり 開山(かいさん)祐天大僧正真像(いうてんたいそうしやうのしんさう)《割書:本尊(ほんそん)の龕前(かんせん)に安置(あんち)す|等身佛(とうしんふつ)にして八十二/歳(さい)の》  《割書:影像(えいさう)三輪利鑑(みわりかん)|の作(さく)なり》  鯨鐘(けいしよう)《割書:堂前(たうせん)右の方/庫裡(こり)の前(まへ)にあり|一位大夫人(いちゐたいふしん)桂昌院殿(けいしやうゐんてん)御寄附(こきふ)》圓光大師堂(ゑむくわうたいしたう)《割書:同し並(なら)ひにあり法然(ほふねん)上人|御在世(こさいせ)の時(とき)河内國(かはちのくに)に天野(あまの)》  《割書:四郎と云(いふ)强盗(かうとう)ありしか終(つい)に上人の化導(くわたう)に帰入(きにふ)し出家(しゆつけ)して教阿弥陀佛(けうあみたふつ)と号(なつ)く《割書:御傳二十巻|にくはし》|常(つね)に上人の御もとに随従(すゐしう)して教化(けうか)に預(あつか)りしか後(のち)上人 相模國(さかみのくに)川村(かはむら)と云所(いふところ)へ下向(けかう)の》  《割書:頃(ころ)生涯(しやうかい)の御記念(おんかたみ)にとて自(みつから)彫造(てうさう)して送(おく)り給はりし霊像(れいさう)なりとそ故(ゆゑ)ありて|當寺(たうし)にうつしまゐらするといふ》  經藏(きやうさう)《割書:堂前(たうせん)左の方にあり額(かく)経蔵(きやうさう)|の二字は祐海和尚(いうかいおしやう)の筆(ふて)也》阿弥陀堂(あみたたう)《割書:同し左に並(なら)ふ開山傳授佛如来(かいさんてんしゆふつによらい)と|称(しよう)して惠心僧都(ゑしんそうつ)の手本佛(てほんふつ)と号(なつ)》 【見開き、境内全図】 【右丁】   祐天寺(いうてんし)    円光大師堂    惣門    鐘    二王門    庫裡 【左丁】    手水ヤ    地蔵    方丈    玄関    阿弥陀堂    いなり    本堂    経堂    牌坣    勤行鐘    祐天大僧正墓 【右丁】  《割書:くるもの是(これ)なり則(すなはち)僧都(そうつ)一代(いちたい)彫刻(てうこく)の如来(によらい)は此(この)尊像(そんさう)を拜(はい)して彫(ほり)給ふか故(ゆゑ)に此号(このかう)ありと云|開山(かいさん)大僧正(たいそうしやう)常(つね)に有信(うしん)の軰(ともから)に浄業(しやうこう)傳法(てんはふ)の時(とき)の傳授佛(てんしゆふつ)なりと縁起(えむき)にあり寺僧(しそう)に問(とふ)へし》  《割書:額(かく)阿弥陀堂(あみたたう)の四字は|祐海和尚(いうかいおしやう)の筆(ふて)なり》稲荷(いなり)祠《割書:同し並(なら)ひにあり當寺(とうし)|の護法神(こはふしん)とす》地蔵堂(ちさうたう)《割書:同し並(なら)ひ二王門(にわうもん)の外(そと)の|左にあり祐天大僧正(いうてんたいそうしやう)の》  《割書:本地佛(ほんちふつ)と称(しよう)しまゐらす恵心僧都(ゑしんそうつ)の作(さく)にして御長(みたけ)二尺五寸 斗(はかり)あり元(もと)信州(しんしう)松本(まつもと)の光明院(くわうみやうゐん)|に安置(あんち)せしに寛永(くわんえい)十四年丁丑四月四日 開山(かいさん)大僧正(たいそうしやう)誕生(たんしやう)の日(ひ)より失(うせ)給ひ享保(きやうほ)三年戊戌》  《割書:七月十五日 開山(かいさん)遷化(せんけ)の日(ひ)に至(いた)り此(この)靈像(れいさう)再(ふたゝ)ひ光明院(くわうみやうゐん)へ帰(かへ)り顕(あらは)れ給ふ松本(まつもと)の城主(しやうしゆ)出羽守(てはのかみ)|水野忠周矦(みつのたゝちかこう)の夢中(むちゆう)開山(かいさん)の本地(ほんち)は地蔵尊(ちさうそん)なるよし灵尓(れいし)あり依(よつて)自(みつか)ら其事(そのこと)を筆(ひつ)して當寺(たうし)》  《割書:第二世 祐海(いうかい)上人へ申 送(おく)らせられたり其(その)書簡(しよかん)今(いま)當寺(たうし)に傳(つた)へて秘蔵(ひさう)す然(しかる)に寛政(くわんせい)九年丁巳の夏(なつ)|松本(まつもと)の城下(しやうか)倉品(くらしな)七郎右衛門といふ人 従来(じうらい)の因縁(いんえむ)あるを以(もつ)て後(のち)の城主(しやうしゆ)丹波守(たんはのかみ)松平光行矦(まつたひらみつゆきこう)へ》  《割書:乞(こ)ひ同年十二月廿三日 當寺(たうし)へうつし奉(たてまつ)りぬ|》  二王門(にわうもん)表(おもて)の左右(さいう)には那羅延密迹(ならえんみつしやく)の二像(にさう)裏(うら)は持國(ちこく)廣目(くわうもく)の二天(にてん)を  置(おく)額(かく)《割書:明顕山|》祐海和尚筆(いうかいおしやうのふて)  開山祐天大僧正廟(かいさんいうてんたいそうしやうのひやう)《割書:経蔵(きやうさう)と阿弥陀堂(あみたたう)の間(あひた)より裏門(うらもん)へ行(ゆく)左(ひたり)の方(かた)|叢林(さうりん)の中(うち)にあり入口(いりくち)に石地蔵堂(いしちさうたう)あり》  開山(かいさん)八十歳 影像(えいさう)《割書:麻布一本松(あさふいつほんまつ)の禪室(せんしつ)にして|了月和尚(れうけつおしやう)親写(みつからうつ)し画(ゑか)くと云》同(おなしく)臨終真影(りんしうのしんえい)《割書:開山(かいさん)八十二 歳(さい)の|時(とき)享保(きやうほ)三年》  《割書:戊戌六月 中旬(ちゆうしゆん)より不食(ふしよく)して身躰(しんたい)日々(ひゝ)に衰(おとろ)へ七月十五日に至(いた)りて称念(しようねん)臨終(りんしう)し給ふ同|十六日 遺骸(ゆゐかい)を倚子(いし)に移(うつ)して諸人(しよにん)に拜(はい)せしむ此期(このこ)に写(うつ)せし影(えい)にして了月和尚(れうけつおしやう)の画(くわ)なり》  開山遺骨舎利(かいさんゆゐこつのしやり)《割書:開山(かいさん)命終(めいしう)の後(のち)荼毗(たひ)せしに全身(せんしん)悉(こと〳〵)く舎利(しやり)となる多(おほ)くは廟穴(ひやうけつ)に|埋蔵(まいさう)す今(いま)わつかに宝塔(はうたふ)へ収(をさ)むるもの則(すなはち)諸人(しよにん)に拜(はい)せしむ》  同 舌根(せつこん)《割書:是(これ)も荼毗(たひ)の中(うち)に宛然(ゑんせん)として残(のこ)れりといふ縁起(えむき)に云 舌根(せつこん)は元(もと)火(ひ)にして|荼毗(たひ)の中(うち)に壊(くわい)せすと云事(いふこと)なし然(しかる)にかく止(とゝま)るものは纍年(るゐねん)称名(しようみやう)の功德(くとく)と》 【左丁】  《割書:その化導(けたう)に妄語(もうこ)なき|いはれなりといへり》開山大僧正書写六字名号(かいさんたいそうしやうしよしやろくしみやうかう)《割書:奇特(きとく)尤(もつとも)多(おほ)し就中(なかんつく)劍難七太刀(けんなんなゝたち)|身代名号(みかはりみやうかう)狼牙落名号(おほかみのきはおちのみやうかう)火(くわ)》  《割書:中出現不焼名号(ちゆうしゆつけんやけすのみやうかう)疱瘡守名号(ほうさうのまもりみやうかう)等(とう)の現益(けんやく)は普(あまね)く世(よ)にしる所(ところ)也 故(ゆゑ)にしけきをいとひて|寺記(しき)にゆつりてこゝにのせす猶(なほ)其余(そのよ)の名号(みやうかう)奇特(きとく)尤(もつとも)多(おほ)し》  開山大僧正長悦像(かいさんたいそうしやうちやうえつのさう)《割書:開山(かいさん)小石川(こいしかは)の傳通院(てんつうゐん)在住(さいちゆう)の頃(ころ)元禄(けんろく)年中|大将軍家(たいしやうくんけ) 御前(こせん)において法問(はふもん)説法(せつはふ)ありしを》  《割書:瑞春院殿(すゐしゆんゐんてん) 御感賞(こかんしやう)のあまり御 親(みつから)刻(きさ)ませ給ひしを 上覧(しやうらん)まし〳〵長悦(ちやうえつ)と呼(よふ)へしと|上意(しやうい)ありて 鶴姫君様(つるひめきみさま)へ進(しん)せられ御 雛祭(ひなまつり)の首席(しゆせき)につらねさせ給ひしを其後(そのゝち)祐海(いうかい)》  《割書:上人へ給はりて當寺(たうし)に収(をさ)む此故(このゆゑ)に毎年(まいねん)|三月 當寺(たうし)にて雛祭(ひなまつり)の儀式(きしき)执行(しゆきやう)事あり》蜀江錦九條袈裟(しよくこうのにしきくてうのけさ)《割書:増上寺(そうしやうし)在住(さいちゆう)の頃(ころ)開山(かいさん)上人|女院(によゐん)御町(こしよ)へ御血脈(おんけちみやく)》  《割書:御 法号(はふかう)等を奉(たてまつ)りし時(とき)|御 親(みつから)是(これ)を造(つく)り給ふとそ》累済度如法衣(るいさいとのによはふえ)《割書:二十五 條(てう)なり累(るい)は下總國(しもつふさのくに)岡田郡(をかたこほり)羽生村(はにふむら)|与(よ)右衛門といひしものゝ妻(つま)なり顔形(かほかたち)類少(たくひすくな)き》  《割書:悪女(あくちよ)にて心(こゝろ)さへにかたましかりしかは与右衛門 是(これ)を悪(にく)み情(なさけ)なくも正保(しやうほ)四年丁亥八月十一日|《振り仮名:𥿻川|きぬかは》といへる川(かは)へ突落(つきおと)し殺(ころ)して後(のち)死骸(しかい)をは同村(おなしむら)なりし浄家(しやうけ)法蔵寺(はふさうし)といへるに葬(ほふむ)り》  《割書:しか其後(そのゝち)妻(つま)五人 迠(まて)累(るい)か怨念(おんねん)によりて狂死(きやうし)し猶(なほ)六人目の妻(つま)の娘(むすめ)菊(きく)といへるをなやませしか|開山(かいさん)大僧正(たいそうしやう)の化益(けやく)により寛文(くわんふん)十二年壬子三月十日の夜(よ)に至(いた)り累(るい)か廿六年の怨執(おんしう)悉(こと〳〵)く散(さん)》  《割書:して生死(しやうし)解脱(けたつ)の本懐(ほんくわい)を達(たつ)せし事 普(あまね)く世(よ)に知(し)る所(ところ)なり猶(なほ)委(くは)しくは解脱物語(けたつものかたり)といへる|艸紙(さうし)に見えたり》  開山明蓮社顯誉(かいさんみやうれんしやけんよ)上人《割書:愚心(くしん)と|号(かう)す》祐天大僧正(いうてんたいそうしやう)は奥州(あうしう)岩城郡(いはきこほり)新妻邑(にひつまむら)の  産(さん)なり《割書:西村善内(にしむらせんない)といふ者(もの)の子(こ)にして寛永(くわんえい)|十九年壬午正月元日 生(うま)る幼名(ようみやう)三之助と云》檀通和尚(たんつうおしやう)に従(したか)ひ縁山(えむさん)に修学(しゆかく)  す世(よ)に知(し)る所の累(るい)か怨靈(おんりやう)解脱(けたつ)の誉(ほまれ)は尤(もつとも)著(いちしる)し《割書:此事(このこと)は師(し)の歳(とし)三十六 其頃(そのころ)|檀通師(たんつうし)に従(したか)ひ北総(ほくさう)飯沼(いひぬま)に》  《割書:在住(さいちゆう)し給へる時(とき)の現益(けんやく)なり怨灵(おんりやう)|解脱物語(けたつものかたり)といへる艸紙(さうし)に詳(つまひらか)なり》後(のち)故(ゆゑ)ありて武州(ふしう)牛島(うししま)に潛居(せんきよ)す道俗(たうそく) 【右丁】 碑文谷(ひもんや)   法華寺(ほつけし)           裏門    方丈    榎      本堂  かね      二王門 【左丁】     観音           表門    八まん 【右丁】  化(け)を蒙(かうむ)る者(もの)夥(おひたゝ)し元禄(けんろく)十二年己卯 台命(たいめい)に依(よつ)て下總(しもつふさ)生實(おひみ)の大(たい)  巖寺(けんし)に住持(ちゆうし)し《割書:牛島(うししま)の庵室(あんしつ)より直(すく)に大巖寺(たいけんし)に|入院(しゆゐん)あり世(よ)以(もつ)て希有(けう)とす》同十三年戊辰 飯沼(いひぬま)の  弘経寺(くきやうし)に轉(てん)し紫袍(しはう)を賜(たま)ふ又辛未 江戸(えと)小石川(こいしかは)の傳通院(てんつういん)に  移(うつ)り正徳(しやうとく)元年 増上寺(そうしやうし)に住(ちゆう)せらる《割書:大僧正(たいそうしやう)に任(にん)せらる|縁山(えむさん)㐧(たい)三十六世なり》後(のち)目黒(めくろ)の地(ち)へ隱栖(ゐんせい)  せられ竟(つひ)に享保(きやうほ)三年戊戌七月十五日 化寂(けしやく)あり《割書:當寺(たうし)は則(すなはち)祐天大(いうてんたい)|僧正(そうしやう)終焉(しうえん)の地(ち)なり》一世(いつせ)の  行状(きやうしやう)幷書冩(しよしや)し給ふ所(ところ)の名號(みやうかう)の奇特(きとく)は世人(せしん)普(あまね)く知所(しるところ)なり《割書:開山(かいさん)臨終(りんしう)|の頃(ころ)まて》  《割書:名号(みやうかう)書写(しよしや)怠(おこた)りなし人(ひと)ありて是(これ)をとゝむ開山(かいさん)云(いは)く惠心僧都(ゑしんそうつ)は一期(いちこ)の間(あひた)如来(によらい)を彫造(てうさう)し|其中(そのうち)にして往生(わうしやう)を遂(とけ)られたり我(われ)も又 弥陀(みた)の名号(みやうかう)を書写(しよしや)して其中(そのうち)に往生(わうしやう)すへしとて》  《割書:命終(めいしう)の日(ひ)に至(いた)る迠(まて)一日も怠(おこた)る事なかりしとなり|》 妙法山法華寺(めうほふさんほつけし) 碑文谷(ひもんや)にあり祐天寺(いうてんし)の南(みなみ)半道斗(はんみちはかり)にあり吉祥院(きちしやうゐん)と号(かう)  す天台宗(てんたいしう)にして東叡山(とうえいさん)に属(そく)す本堂(ほんたう)本尊(ほんそん)は釋迦如来(しやかによらい)𦚰士(けうし)は文殊(もんしゆ)  普賢(ふけん)なり《割書:里諺(りけん)に今(いま)存(そん)する所(ところ)の堂宇(たうう)は飛騨(ひたの)|匠某(たくみそれかし)か作(つく)る所(ところ)なりといへり)》  観音堂(くわんおんたう)《割書:堂前(たうのまへ)左の方にあり本尊(ほんそん)は十一 面観音(めんくわんおん)の|立像(りふさう)にして參篭(さんらう)の人(ひと)此堂(このたう)に通夜(つや)す》榎木(えのき)《割書:釋迦堂(しやかたう)の後(うしろ)左(ひたり)の垣添(かきそひ)にあり|至(いたつ)ての古株(こちゆう)なり當寺(たうし)開創(かいさう)》  《割書:已来(いらい)のものなりとて|その本(もと)に垣(かき)を繞(めくら)す》二王門(にわうもん)金剛(こんかう)密迹(みつしやく)の二像(にさう)は佛工(ふつこう)安阿弥(あんあみ)の作(さく)なりと 【左丁】  いへり《割書:靈威(れいゐ)尤(もつとも)著(いちしるき)か故(ゆゑ)に世人(せしん)尊信(そんしん)すいかなる故(ゆゑ)にや寛政(くわんせい)紀元(きけん)の年(とし)己酉の頃(ころ)より後(のち)十二|年 斗(はかり)の間(あひた)靈驗(れいけん)著(いちしるし)とて頻(しきり)に都下(とか)の人 群參(くんさん)して道(みち)もさりあへさりしかいつしか其こと止(やみ)たり》  當寺(たうし)其先(そのせん)は慈覚大師(しかくたいし)の開創(かいさう)にして天台宗(てんたいしう)の古刹(こせつ)なりしか後(のち)  日蓮(にちれん)の宗化(しうけ)に歸(き)し日源(にちけん)上人 中興開基(ちうこうかいき)たり竟(つひ)に元禄(けんろく)に至(いた)り𦾔(きう)  貫(くわん)に復(ふく)し元(もと)の天台宗(てんたいしう)を唱(とな)ふ《割書:今(いま)堀内(ほりのうち)妙法寺(めうほふし)に安置(あんち)せし日蓮(にちれん)|大士(たいし)の像(さう)は當寺(たうし)よりうつすといへり》境内(けいたい)櫻(さくら)  楓(かへて)の二樹(にしゆ)多(おほ)く春秋(はるあき)共(とも)に頗(すこふ)る壮観(さうくわん)たり 碑文谷八幡宮(ひもんやはちまんくう) 同所 耕田(かうてん)を隔(へた)てゝ南(みなみ)の方一町 斗(はかり)にあり相傳(あひつた)ふ畠山(はたけやま)  重忠(しけたゝ)の崇信(そうしん)せし御神(おんかみ)なりといふ《割書:神躰(しんたい)は秘物(ひふつ)なりと云 或(あるひ)は云|束帯(そくたい)の銅像(とうさう)なりといへり》  別當(へつたう)は天台宗(てんたいしう)にして法華寺末(ほつけしまつ)神宮院(しんくうゐん)奉祀(ほうし)たり《割書:昔(むかし)は此地(このち)の農(のう)|民(みん)の内(うち)宮氏(みやうち)なる》  《割書:人 社司(しやし)たりしとなり此(この)宮氏(みやうち)は重忠(しけたゝ)の家臣(かしん)の遠裔(ゑんえい)なりといふ或人(あるひと)云 八幡宮(はちまんくう)の西(にし)にあたる地(ち)は|往古(むかし)の鎌倉街道(かまくらかいたう)にして路傍(みちのかたはら)に古碑(こひ)ありしとなりされともいかなる故(ゆゑ)にや此地(このち)の土民(とみん)》  《割書:鎮守(ちんしゆ)八幡宮(はちまんくう)の社地(しやち)へ埋蔵(まいさう)したりと或(あるひ)は日源(にちけん)上人 大卒塔婆(おほそとは)に碑文(ひもん)を書(しよ)して埋(うつ)めし|故(ゆゑ)の名(な)なりともいへり又 江戸鹿子(えとかのこ)といへる草帋(さうし)には忠玄(ちうけん)といへる沙門(しやもん)卒塔婆(そとは)一基(いつき)を建(たて)》  《割書:たるによりてかく唱(とな)ふるとも|ありて共(とも)に詳(つまひらか)なる事を得(え)す》 九品山淨真寺(くほんさんしやうしんし) 碑文谷(ひもんや)より一里(いちり)あまりを隔(へた)てゝ西南(にしみなみ)の方(かた)奥澤村(おくさはむら)にあり  浄土宗(しやうとしう)にして唯在念佛院(ゆゐさいねんふつゐん)と号(かう)す《割書:京師(けいし)知恩院(ちおんゐん)|に属(そく)せり》延宝(えんはう)六年戊午 珂碩(かせき) 【見開き、絵図】 【右丁】 奥澤村(おくざはむら)   淨真寺(じやうしんじ)   九品佛(くほんぶつ)         方丈         客殿   曼陀羅堂       ゑんま       本堂 二王門 【左丁】             中品坣       惣門                 せつたいぢや   星の井 開山塔     上品坣           鐘 開山坣     下品坣 【右丁】  和尚(おしやう)開基(かいき)する所(ところ)の淨刹(しやうせつ)にして九品九會(くほんくゑ)の靈塲(れいしやう)たり  本堂(ほんたう) 本尊(ほんそん)阿弥陀如来(あみたによらい)《割書:丈六の|木像(もくさう)也》額(かく)《割書:龍護殿|》當寺(たうし)珂慶(かけい)上人 筆(ふて)  内佛本尊(ないふつほんそん)阿弥陀如来像(あみたによらいのさう)《割書:聖德太子(しやうとくたいし)四十二歳の御時(おんとき)一切衆生(いつさいしゆしやう)の災難(さいなん)を除(のそ)かん|為(ため)彫造(てうさう)ありしとなり珂碩(かせき)上人御 年(とし)十八のとき深川(ふかかは)》  《割書:靈岸寺(れいかんし)の傍(かたはら)に庵室(あんしつ)をむすひ念佛修行(ねんふつしゆきやう)なし給ふ頃(ころ)ある暁(あかつき)一人の高僧(かうそう)此(この)本尊(ほんそん)を背(せ)|負(おひ)来(きたつ)て其(その)来由(らいゆ)を尓(しめ)して珂碩(かせき)上人に附属(ふそく)あり夫(それ)よりして上人の智德(ちとく)盛(さかん)にして貴(き)》  《割書:賤(せん)の道俗(たうそく)利益(りやく)をかうむる者(もの)少(すくな)からす故(ゆゑ)に九品佛(くほんふつ)彫造(てうさう)の資材(しさい)乏(とも)しからす此(この)靈像(れいさう)の助(たすけ)に|より諸佛天(しよふつてん)三万六千 躰(たい)悉(こと〳〵)く成就(しやうしゆ)したりといふ》  地蔵尊(ちさうそん)《割書:本堂(ほんたう)の向(むかふ)小堂(しやうたう)の中(うち)に安置(あんち)す開山(かいさん)珂碩(かせき)上人の本地佛(ほんちふつ)と称(せう)す惠心僧都(ゑしんそうつ)の作(さく)なり|此(この)本尊(ほんそん)昔(むかし)丹波國(たんはのくに)箕濃山(みのやま)に立(たゝ)せ給ふその麓(ふもと)に住(すむ)大江繁時(おほえのしけとき)といへる悪逆無道(あくきやくふたう)の》  《割書:狩人(かりうと)一時(いちし)山(やま)に至(いた)り急雨(きうう)に逢(あひ)件(くたん)の地蔵堂(ちさうたう)に休(やす)らひし時(とき)堂宇(たうう)破壊(はえ)し佛躰(ふつたい)雨露(うろ)の為(ため)|に浸(ひた)され給ふを憐(あはれ)み奉(たてまつ)り自(みつから)冠(かふ)る所(ところ)の笠(かさ)を本尊(ほんそん)に覆(おほ)ひまゐらせたりし因縁(いんえむ)により》  《割書:一度(ひとたひ)死(し)して冥府(めいふ)に至(いた)るといへとも此(この)㚑像(れいさう)繁時(しけとき)の苦(く)に代(かは)り給ひ再(ふたゝ)ひ娑婆(しやは)へ帰(かへ)らしむ|となり其後(そのゝち)故(ゆゑ)ありて高野山(かうやさん)に移(うつ)り給ひしを了山法印(れうさんほふいん)當寺(たうし)開山(かいさん)上人の道光(たうくわう)を慕(した)ひ》  《割書:是(これ)を附属(ふそく)あり|しとなり》  開山珂碩(かいさんかせき)上人 像(さう)《割書:客殿(きやくてん)に安置(あんち)す上人 生前(しやうせん)如来(によらい)の霊尓(れいし)再三(さいさん)なるに依(よつ)て是(これ)を彫造(てうさう)|ありしとなり此(この)肖像(せうさう)に添置(そへおか)れし開山(かいさん)自筆(しひつ)の書(しよ)あり其文(そのふん)に曰(いはく)》   《割書:此像(このさう)は如来(によらい)の御告(おんつけ)三度(みたひ)に依(よつ)て彫刻(てうこく)する所(ところ)なり末代(まつたい)の軰(ともから)此像(このさう)に結縁(けちえん)せは|現生(けんしやう)の諸災難(しよさいなん)を除(のそ)き未来(みらい)は必(かならす)浄土(しやうと)に導(みちひく)へし| 万治元年戌七月廿四日               珂碩 四十二歳印》  《割書:此故(このゆゑ)に世人(せしん)除厄(やくよけ)の影像(えいさう)と称(しよう)せり》  曼陀羅堂(まんたらたう)《割書:本堂(ほ[ん]たう)の左(ひたり)にあり中尊(ちうそん)は弘法大師(こうはふたいし)の作(さく)の三尊(さんそん)の弥陀像(みたさう)を安置(あんち)す|往古(そのかみ)深川(ふかかは)大島村(おほしまむら)の念佛堂(ねんふつたう)にありしを堂守(たうもり)浄性(しやうしやう)といへる沙門(しやもん)當寺(たうし)へ》 【左丁】  《割書:移(うつ)し奉(たてまつ)る其餘(そのよ)五智如来(こちによらい)およひ超載永劫佛(てうさいえうこうふつ)五劫思惟佛(ここうしゆいふつ)等を安(あん)す此(この)尊像(そんさう)は面(おもて)ふく|らかにして他(た)の像(さう)に異(こと)なり》  中品堂(ちゆうほんたう)《割書:同し右に並(なら)ふ中品中生(ちゆうひんちゆうしやう)中品上生(ちゆうほんしやうしやう)中品下生(ちゆうほんけしやう)以上|三品(さんほん)の阿弥陀如来(あみたによらい)の像(さう)を安置(あんち)す》  上品堂(しやうほんたう)《割書:本堂(ほんたう)の向(むか)ふ上品中生(しやうほんちやうしやう)上品上生(しやうほんしやうしやう)上品下生(しやうほんけしやう)以上|三品(さんほん)の阿弥陀如来(あみたによらい)を安(あん)す》  下品堂(けほんたう)《割書:同左に並(なら)ふ下品中生(けほんちゆうしやう)下品上生(けほんしやうしやう)下品下生(けほんけしやう)以上|三品(さんほん)の阿弥陀如来(あみたによらい)を安(あん)す》  《割書:以上 九品(くほん)の阿弥陀如来(あみたによらい)九體(くたい)を安置(あんち)す各(おの〳〵)座像(ささう)にして一丈六尺あり佛像(ふつさう)一躰毎(いつたいこと)に圓(ゑん)|光(くわう)ありて附(ふ)する所(ところ)の小佛一千十一 軀(たい)つゝ九躰(くたい)共(とも)にしかり何(いつ)れも開山(かいさん)珂碩(かせき)上人の彫造(てうさう)》  《割書:にして開山(かいさん)常(つね)に一日三 銭(せん)を貯(たくは)へ造佛(さうふつ)の費(つひえ)に充(あつ)寛文(くわんふん)四年より同七年に至(いた)り其間(そのあひた)わつ|かに四年 竟(つひ)に九品(くほん)の弥陀像(みたさう)全(まつた)く成就(しやうしゆ)する事を得(え)たりとなり此(この)本尊(ほんそん)初(はしめ)は靈岸寺(れいかんし)の地(ち)に》  《割書:ありしか洪波(こうは)の為(ため)に破(やふ)らる後(のち)延宝(えむはう)六年戊午こと〳〵く此地(このち)に移(うつ)さるゝとなり或云(あるひといふ)珂碩(かせき)|上人 諸堂(しよたう)不成(ならす)して迁化(せんけ)せらる従㐧(しうてい)珂憶(かおく)上人 河州(かしう)玉手山安福寺(きよくしゆさんあんふくし)より来(きた)りて建立(こんりふ)す》  《割書:といふ九品堂(くほんたう)の額(かく)は何(いつ)れも珂憶(かおく)上人の筆(ふて)なり|》  開山堂(かいさんたう)《割書:上品堂(しやうほんたう)の後(うしろ)古城跡(こしやうのあと)堤(つゝみ)の上(うへ)にあり|開山(かいさん)珂碩(かせき)上人七十二歳の影像(えいさう)なり》    《割書:奥澤九品佛縁起(おくさはくほんふつえむき)には椅子(いす)にかゝり杖(つゑ)を脇(わき)に置(おく)とあれとも立像(りふさう)にして合掌(かつしやう)の|躰相(ていさう)なり猶(なほ)可糺(たゝすへし)》  開山珂碩(かいさんかせき)上人 廟(ひやう)《割書:開山堂(かいさんたう)の右のつゝきにあり奥(おく)の院(ゐん)と|唱(とな)ふ近頃(ちかころ)石(いし)の籬(まかき)を造(つく)り儲(まう)く》星(ほし)の井(ゐ)《割書:開山廟(かいさんひやう)の前(まへ)|小坂(こさか)の上(うへ)にあり》  《割書:有信(うしん)の人 偏(ひとへ)に称名(しやうみやう)すれは白日(はくしつ)といへとも|水底(すゐてい)に衆星(しうせい)の光(ひか)り顕(あら)はるゝといへり》鐘樓(しゆろう)《割書:本堂(ほんたう)の右にあり九品(くほん)の阿弥陀如来(あみたによらい)の|像(さう)を鑄上(いあけ)たり寛永(くわんえい)五年に造(つく)る所の》  《割書:鯨鐘(けいしやう)|なり》樓門(ろうもん)《割書:同し所(ところ)にあり樓上(ろうしやう)には二十五 菩薩(ほさつ)の像(さう)を安置(あんち)す|樓下(ろうか)には金剛(こんかう)密迹(みつしやく)の二王(にわう)の木像(もくさう)を置(おけ)り》 【見開き、絵図】 【右丁】 万願寺(まんくわんし)         目黒屋      くまの 【左丁】 万願寺    二子街道          等々力村  本堂      かね     地蔵 【右丁】  額(かく)《割書:般舟塲|》當寺(たうし)珂慶(かけい)和尚(おしやう)筆(ふて)  芝枯(しはかれ)大名号(おほみやうかう)一幅《割書:長(なかさ)十三間 巾(はゝ)九尺 白布(しろぬの)十 反(たん)を合(あは)せ用(もち)ゆ珂憶(かおく)上人の筆(ふて)なり|草木(さうもく)國土(こくと)悉皆(しつかい)成佛(しやうふつ)の意地(いち)に住(ちゆう)して書(かゝ)れし故(ゆゑ)に草木(さうもく)に掛(かゝ)》  《割書:れは六字(ろくし)の通(とほ)り芝(しは)|枯(かる)る故(ゆゑ)に名(な)とす》阿弥陀如来(あみたによらい)画像(くわさう)《割書:珂憶(かおく)上人の筆(ふて)にして細字(さいし)の六字名号(ろくしみやうかう)を以(もつ)て|如来(によらい)の御 姿(すかた)を書(かき)つめられし像(さう)なり》  十念(しふねん)名号(みやうかう)《割書:珂碩(かせき)上人 臨終(りんしう)の頃(ころ)筆(ひつ)せられたりといふ徒弟(とてい)の輩(ともから)師(し)の別(わか)れを惜(をし)みて請所(うくるところ)|と云 故(ゆゑ)に名残(なこり)名号(みやうかう)とも号(なつ)く其余(そのよ)高德(かうとく)の筆(ふて)の名号(みやうかう)多(おほ)し》  亡者(まうしや)の帷子(かたひら)《割書:昔(むかし)芝(しは)西應寺町(さいおうしまち)鳥羽屋(とはや)三郎左衛門なりける人の妻(つま)難産(なんさん)にて死(しゝ)たりし|後(のち)珂碩(かせき)上人の十念(しふねん)脉符(みやくふ)を授(さつか)り冥府(めいふ)の苦(くるし)みを遁(のか)れ成佛(しやうふつ)したる事を》  《割書:よろこひ其(その)證(しよう)にとて亡霊(ほうれい)の残(のこ)し|置(おき)たる帷子(かたひら)なりとしへり》亡者(まうしや)の文(ふみ)《割書:堤氏(つゝみうち)何某(なにかし)の先妻女(せんさいちよ)の死霊(しれう)珂碩(かせき)上人の|德化(とくけ)によりて成佛(しやうふつ)したるよろこひの》  《割書:あまりかの先妻(せんさい)の亡霊(ほうれい)後妻(こうさい)の一文(いちもん)|不通(ふつう)なりしものゝ手(て)をかり用(もち)ひて書(かき)たる文(ふみ)なりと云》攝待(せつたい)大茶釜(おほちやかま)《割書:當寺(たうし)に収(をさ)む毎年(まいねん)四月 千部(せんふ)の時(とき)|出(いた)し此茶釜(このちやかま)にて茶(ちや)を煎(せん)して》  《割書:衆人(しやうしん)に施(ほとこ)す寛文(くわんふん)年中 山城(やましろ)宇治(うち)の茶師(ちやし)宮本(みやもと)仁左衛門といへる人 継母(けいほ)の怨念(おんねん)によつて|病(やまひ)を受(うけ)たりしか當寺(たうし)開山(かいさん)珂碩(かせき)上人の利益(りやく)により継母(けいほ)の死霊(しれう)佛顆(ふつくわ)を得(え)て仁左衛門か》  《割書:病(やまひ)頓(とみ)に平癒(へいゆ)す其頃(そのころ)珂碩(かせき)上人の再興(さいこう)ありし深川(ふかかは)大島村(おほしまむら)常念佛堂(しやうるんふつたう)の堂守(たうもり)浄正(しやうしやう)のすゝめに|より報恩(ほうおん)の為(ため)宮本(みやもと)仁左衛門ゟ寄附(きふ)なしたりとなり来由(らいゆ)は寺記(しき)に詳(つまひらか)なり其(その)銘(めい)に曰(いは)く》    《割書:南無阿弥陀仏 奉寄附鑵子一口|于時寛文八年霜月廿五日當九百日武州豊島郡》    《割書:葛西荘大島村念佛堂住物沙弥淨性施主山城|國宇治里宮本仁左衛門鑄物師釜屋八右衛門》  開山(かいさん)大蓮社(たいれんしや)超誉(てうよ)上人 珂碩(かせき)和尚(おしやう)は松露(しようろ)と号(かう)す俗姓(そくせい)は野村氏(のむらうち)武(ふ)  州(しう)の人(ひと)なり元和(けんわ)四年戊午正月元日に生(うま)る江戸(えと)覚真寺(かくしんし)の圓岩(ゑんかん)に 【左丁】  投(とう)して薙染(ちせん)し十八歳にて業(みち)を珂山和尚(かさんおしやう)に受(うく)《割書:珂山和尚(かさんおしやう)は下總(しもつふさ)|生実(おひみ)大巖寺(たいかんし)に住(ちやう)す》  和尚(おしやう)後年(こうねん)武陵(ふりやう)の霊巖寺(れいかんし)に住持(ちやうち)する頃(ころ)師(し)も亦(また)従(したか)つてかしこに  移(うつ)る初(はしめ)越後國(ゑちこのくに)泰叟寺(たいそうし)に住(ちやう)し後(のち)此地(このち)の郷民(かうみん)の招(まねき)に應(おう)し歳(とし)  七十七の時(とき)武州(ふしう)に歸(かへ)り 世田(せた)ケ(か)谷(や)奥澤(おくさは)に幽棲(いうせい)す《割書:當寺(たうし)|是(これ)也》遂(つひ)に元禄(けんろく)  七年甲戌十月 化寂(けしやく)す《割書:本朝(ほんちやう)浄土(しやうと)髙僧傳(かうそうてん)に元禄(けんろく)八年 報壽(ほうしゆ)|八十 許(はかり)にして入寂(にふしやく)すとあるは誤(あやまり)なり》師(し)の姿貌(しはう)  温雅(おんか)にして慈恩(しおん)尤(もつとも)凌(ふか)く奇驗(きけん)孔(はなはた)多(おほ)し凡(およそ)在世(さいせ)の感應(かんおう)は勝数(しようすう)す  へからす其事(そのこと)最(もつとも)煥灼(くわんやく)として人々 是(これ)を傳(つた)ふ 《割書:以上(いしやう)浄土(しやうと)傳燈(てんとう)系図(けいつ)上人|傳(てん)本朝(ほんちやう)浄土(しやうと)髙僧傳(かうそうてん)の》  《割書:意(ゐ)を|採(と)る》  當寺(たうし)は不断念佛(ふたんねんふつ)の道塲(たうちやう)にして閑寂玄隠(かんしやくけんゐん)の浄舎(しやうしや)なり毎年(まいねん)  四月三日より同十二日に至(いた)る迄(まて)十日の間(あひた)阿弥陀経(あみたきやう)千部(せんふ)讀誦(とくしゆ)修(しゆ)  行(きやう)七月十六日より同十八日 迄(まて)虫拂(むしはらひ)にて當寺(たうし)什宝(しうはう)を出(いた)し諸人(しよしん)に拜(はい)せしむ  此寺(このてら)境内(けいたい)は昔(むかし)小田原(をたはら)北条家(はふてうけ)の属將(そくしやう)吉良家(きらけ)の老臣(らうしん)大平左馬(おほひらさま)《割書:或(あるひは)出羽(てはの)|守(かみ)とも》  といひし人の構(かま)へたりし塁隍(るいくわう)の旧跡(きうせき)なりとて今(いま)も北(きた)より西南(にしみなみ)の方(かた)へ 【右丁】 今井谷(いまゐたに)  【冬の暮らしの様子】 【左丁】  繞(めく)りて堤(つゝみ)の形(かたち)空堀(からほり)の跡(あと)を存(そん)す後門(こうもん)の方(かた)は大沼(おほぬま)にてありし  となり今(いま)は耕田(かうてん)となれり 大平山(おほひらやま) 奥澤(おくさは)新田村(してんむら)にあり大平出羽守(おほひらてはのかみ)の砦(とりて)の跡(あと)なりといへり    《割書:按(あんする)に等々力村(とゝろきむら)万願寺(まんかんし)所蔵(しよたう)の天文(てんふん)弘治(こうち)の古文書(こもんしよ)に大平清九郎(おほひらせいくらう)といへる名(な)往々(わう〳〵)見え|たり大平左馬(おほひらさま)と云も此人(このひと)の事(こと)ならんか》 致𦨻山(ちかうさん)万願寺(まんくわんし) 二子街道(ふたこかいたう)等々力村(とゝろきむら)より右(みき)にあり新義(しんき)の真言(しんこん)  宗(しう)にして山城(やましろ)醍醐(たいこ)報恩院(ほうおんゐん)に属(そく)す開創(かいさう)の時世(しせい)詳(つまひらか)ならす中興(ちやうこう)  開基(かいき)を定栄法印(ちやうえうはふゐん)と号(かう)す慶安年間(けいあんねんかん)寺領(しりやう)御寄附(こきふ)の朱章(しゆしやう)を給ふ  本尊(ほんそん)は大日如来(たいにつによらい)なり當寺(たうし)は世田谷(せたかや)の吉良左兵衛佐(きらさひやうゑのすけ)源頼康(みなもとのよりやす)の祈(き)  願所(くわんしよ)にして其頃(そのころ)は頗(すこふ)る盛大(せいたい)の寺院(しゐん)なりしとなり《割書:世田谷私記追加(せたかやしきつゐか)に云|當時(たうし)往古(そのかみ)政忠(まさたゝ)の男(なん)》  《割書:経舜(けいしゆん)住職(ちやうしよく)す豪德寺(かうとくし)所蔵(しよさう)の吉良系図(きらけいつ)にも政忠(まさたゝ)の子(こ)経舜(けいしゆん)満願寺(まんくわんし)匃とあり當寺(たうし)に|天文(てんふん)弘治(こうち)天正(てんしょう)等(とう)の年号(ねんかう)ある吉良頼康(きらよりやす)北條氏康(ほうてううちやす)氏政(うちまさ)等(たう)の證状(しやうしやう)或(あるひ)は書簡(しよかん)等(とう)すへて十八 通(つう)》  《割書:斗(はかり)あり其(其)文中(ふんちゆう)に世田谷(せたかや)深澤村(ふかさはむら)の満願寺(まんくわんし)とあるは其故(そのゆゑ)をしらす昔(むかし)等々力(とゝろき)は深澤(ふかさは)に属(そく)し|たる小名(こな)にてありしか又は深澤(ふかさは)より等々力(とゝろき)ヘ引移(ひきうつ)したるか今(いま)しるへからす又 同(おなし)古文書(こもんしよ)の》  《割書:中(うち)一 通(つう)には医王山(いわうさん)満願寺(まんくわんし)ともあれは後世(こうせい)|致𦨻山(ちかうさん)に更(あらた)めしならん歟(か)猶(なほ)可考(かんかふへし)のみ》緫門(さうもん)の額(かく)致𦨻山(ちかうさん)の三大字(さんたいし)は小篆(しやうてん)  にして廣澤先生(くわうたくせんせい)の筆(ふて)又 本堂(ほんたう)の向拜(かうはい)に掲(かけ)て満願寺(まんくわんし)と書(しよ)せしは 【右丁】  息男(そくなん)九皐(きうかう)の書(しよ)なり    大蔵村年貢四十貫皆納石井戸新開弐貫滿頼寺へ一貫分    夫銭ニ七百五十   夫ニ二百五十慥済者也    芝村十一貫皆納   高田分二十貫皆納    坂戸河原十二貫皆納 熊澤分五貫 皆納      弘治二年丙辰十二月十八日     「吉良      家朱      印 」    世田谷之内滿頼寺之事山屋敷手作分之田任為参御連之彼寺家    再興有者之祈禱以下勤行可被修之者也委細松原佐渡守可申分候     天文二十三年甲寅卯月大吉日  前左兵衛佐頼康判                      滿 頼 寺    就醫王山滿頼寺再興可為永代諸役不入者也當家主子々孫々    不可背此旨仍而為後日證状如件     甲寅二年吉日         前左兵衛佐頼康判                      滿 頼 寺 【左丁】  此(この)古文書(こもんしよ)万願寺(まんくわんし)およひ農家(のうか)に散在(さんさい)して全(まつた)からすといへり  廣澤先生(くわうたくせんせい)之(の)墓(はか)同 境内堂(けいたいたう)より後(うしろ)の方(かた)岳(をか)の上(うへ)にあり  《割書:廣澤先生(くわうたくせんせい)は細井氏(ほそゐうち)通称(つうしよう)を次郎太夫と喚(よ)へり或(あるひ)は思胎菴(しいあん)蕉林庵(せうりんあん)等(とう)の号(かう)あり|江戸(えと)に遊(あそ)んて書法(しよはう)を雪山(せつさん)にまなひ若冠(しやくくわん)にして柳澤侯(やなきさはこう)に仕(つか)ふ後(のち)致仕(ちし)して城西(しやうさい)》  《割書:青山(あをやま)に隠(かく)る紫微字様(しひしやう)観鵞百譚(くわんかひやくたん)撥鐙眞詮(はつしやうしんせん)篆體異同(てんたいゐとう)歌奇文不載酒(きふんふさいしゆ)字林長歌(しりんちやうか)|等(とう)の著述(ちよしゆつ)あり碑面(ひめん)左(さ)の如(こと)し》  正面 廣澤先生細井君之墓  左面 豪德院不孤有斴大居士  背面 諱知愼字公謹號廣澤姓藤原氏     細井父知治母山本氏     萬治元年戊戌十月乙亥八月壬申     生遠州懸川     享保二十年乙卯十二月己丑廿三  右面 日戊子卒于江戸城西于寝享年七     十八  《割書:其余(そのよ)先生(せんせい)の父母(ふほ)|及(およ)ひ息男(そくなん)九皐(きうかう)等(とう)すへて細井一家(ほそゐいつけ)の塋域(えいいき)とおほしく垣(かき)をめくらし|たる中(なか)にこと〳〵く同姓(とうせい)の人の墓碑(ほひ)あり孝(かう)子 知文(ともふみ)とは則(すなはち)九皐(きうかう)の事をしかいへり》 赤坂御門(あかさかこもん) 糀町(かふしまち)の方(かた)より青山(あをやま)へ行道(ゆくみち)赤坂(あかさか)への出口(てくち)なり此(この)御門(こもん)は  北斗形(ほくとかた)とて江戸(えと)御城(おんしろ)の御 構(かま)へ多(おほ)きか中(なか)にも殊更(ことさら)勝(すくれ)たる繩張(なははり) 【見開き、絵図】 【右丁】             鹿島             春日       本社    神明 弁天    拝殿    八まん 役行者             惣門 【左丁】           中門 赤(あか)   裏門 坂(さか)   諏訪 氷(ひ)    いなり 川(かはの)  庚申 社(やしろ)    護摩堂           弁天 【右丁】  なりといふ《割書:或人(あるひと)の説(せつ)に赤坂(あかさか)は茜山(あかねやま)の辺(あたり)の坂(さか)なれはかく云(いふ)と按(あんする)に赤坂(あかさか)の地名(ちめい)は永禄(えいろく)|二年 小田原(おたはら)北条家(ほうてうけ)の所領(しよりやう)役帳(やくちやう)にて江戸(えと)赤坂(あかさか)六ケ村 千葉殿(ちはとの)所領(しよりやう)す》  《割書:とあり武蔵國(むさしのくに)風土記(ふとき)に荏原郡(えはらこほり)赤坂庄(あかさかのしやう)とあり今(いま)は豊島郡(としまこほり)に属(そく)す|》 氷川明神(ひかはみやうしん)社 赤坂(あかさか)今井(いまゐ)にあり《割書:此所(このところ)を世(よ)に三河臺(みかはたい)といふ天和(てんわ)の頃(ころ)松平(まつたひら)|参河守様(みかはのかみさま)御 屋(や)しきなりし故(ゆゑ)に名(な)とす》別當(へつたう)は  聖護院派(しやうこゐんは)の觸頭(ふれかしら)にして大乗院(たいしやうゐん)と云 祭神(まつるかみ)當國(たうこく)一宮(いちのみや)に相同(あひおな)し  赤坂(あかさか)の緫鎮守(さうちんしゆ)にして祭礼(さいれい)は隔年(かくねん)六月十五日永田(なかた)馬場(はゝ)山王権現(さんわうこんけん)  と隔年(かくねん)に修行(しゆきやう)す