【見出し】 東都珎事実録咄 【第一段】 【絵】 御 立退 の 図 十月二日亥の刻ゟ大地震差をこり 人家崩れ夫ゟ出火となり市中八方へ 火の手上り大火となり市中の人々是に おどろき其混雑めもあてられぬ しだい也又御屋敷様方御殿様 御奥様方御立退或鑓長刀 【を携切捨市中の騒動上を下と】 申方なし大坂表と市中の事替り 或は押にうたれ或は火にまかれ死 すも有○亥の刻ゟ地震止事なし 故に老若男女たすけくれの大声上り 助くる事不能見ごろしなる事数 しれず又江戸表は諸国ゟ入込たる 人多く土地不案内にて何れへ逃 ては門にむかひすわやといふ内大火 山の如くむらがり来り其横死の声 今にやまずあわれなる事たとゑ がたし寺院社宮は申におよはす 土蔵崩れあるはいろ〳〵われ たる数筆紙につくしがたし大震 の場所人形町辺人家七部通 潰れ尤橋々は格別の事無之 市中所によりてはこけ家山の如く かさなり山の如し前代未聞の次 第なり 此度番附外々にも数多く有之 候へ共外方の分は別してくわしくは 江戸表ゟ所々細ぎんみいたし書面参り候 中にも絵図にて出火所わけいたし 其図上にてうつしとんと間違なし 猶死人数は相わからずしれ しだい小付にて差出し申候 【第二段】 麹町五丁目岩城 升や大崩れにて 家内死人多し 崩れ出火五ヶ所崩れ 四ッ谷伝馬丁通り 廿四五軒くづれ 市ヶ谷町家 十五六軒たをれ 御屋敷は数 多くねつ谷 中くづれ家 少々土蔵并 蔵造りの家 不残くづれ 本郷湯嶋外 神田籠駕丁 又さくま丁くつれ 家弐百七八十けん くつれ但し出火なし    地震大ふるいの部 日本橋宝町小田原丁此近辺 十軒店本町するか丁越後屋近辺 大伝馬丁大丸辺油丁横山丁人形 丁田所丁堀江丁此辺又富沢町 長谷丁新乗物丁高砂丁川岸どふり 両国広小路浅草御門外福井丁 かや丁御蔵通り又日本はし通り白木屋 すはら屋但し蔵造土蔵とも人家八部 どふりだをれ又日本橋ゟ芝大木戸 までくづれ家数しれず高なは大半 くづれ品川土宿少々下宿六部通りくづれ 中にもあわれなるは旅人又はめしもり女は とう方にくれやゝもいふ内ぢごくのさまを 見るが如く其時のこへ蚊のなく如く あわれなる事此上なし 【絵】  水汲の図 此度大じしんに付水道とゆ【とい】 われ水の手とまり水きれ にて町々人々大にこまり ほりぬき井戸迠 くみにゆく事二丁 三丁五丁七丁 とゑんほうへ くみにゆくこん さつ一通りならず 井戸はたは たがひに こうろう のようだい なるへし 【第三段】 【絵】 新よし 原 崩れ の図 【絵図  省略】 大地震にて七部くづれ其上出火と 相成不残焼失五十軒新茶や町 田町引手茶やのこらず馬道通 不残東は聖天町瓦町猿若町 三芝居役者町楽屋新みち 其外諸商人のこらず焼失役者 衆即死も有又は片岡我童丈は疵 多く山の宿花川戸北馬道川岸 通材木町並木町駒形すわ町 黒ふね町御馬屋川岸迠不残 又は三間町のこらす焼失別して 新吉原女郎客衆其ほか 歳より若き者横死する人数 千人におよぶ浅草辺は観世音を 見かけ境内へにけ込幾万とも数 しれす時の声上ヶ観世音を ねんじ其御利益か壱人も怪 我人なし霊験あらた也恐るへし 但し下谷金杉三丁やけ 【第四段】 本所は石原町番く【悉くカ】南わり下水吉田町 吉岡町清水町長崎町入江町 縁り町花町あいをい町立川通り 津軽中屋敷又は御大名御旗本 御組屋敷御与力衆又はあまた 御屋敷焼失凡廿二丁四方 焼失崩れ家少々深川永代ばし 向少々残し富よし町はまぐり町 黒へ【江】町熊井町大和町大嶋丁矢倉 下すそつぎ仲町通一ノ鳥居まて 佃しま八まん宮残り森下町より 六けんぼり神明町ときわ町 高ばし通りいせ崎冬木町凡 十弐丁四方焼失くづれの部 其数しれず北しんぼり二の 橋よりれいがんじま此辺は少々 焼失大川端鉄砲づ舟松町 十けん町焼失焼残りの家は 地震にてつぶれ 佃しまくづれ丸やけに相成 北は下谷池の端仲丁茅丁広小路三枚はしゟ 南へ焼失長者町おかち町辺 御なり道其外代地御大名御中 屋敷御下屋敷御組屋しき 御かち組御先手組御はた本焼 但し池のはた池の水津波の如くおかへ 打上ヶ 龍(たつ)の登るがごとくさも おそろしきふぜいなり 【絵図 省略】