【表紙】 《題:琉球沿革志 下》 【右丁 白紙】 【左丁】 《題:琉球沿革志》 【右丁 白紙】 【左丁】 琉球沿革志巻之下     【蔵書印】宝珍文庫   国王冠服 琉球国王の冠服は明朝に賜ふ所の製を用て今に改めず 倍臣も又明に賜はる冠服ありといへども今清朝に至り 服すことを許されず惟国王のみ明製の冠服を許さると云   冠服  烏紗帽双趐側衝て上に向ふ 盤金朱纓結て頷下に垂  ること三四寸許り 龍頭の金簪 雲龍の袍 犀角白玉  の帯 皆明朝に賜ふ所の旧製なり 【右丁】  妃は鳳頭の金簪なり官人又五等を分て命婦の簪皆夫  の品級に因ると云  轎は肩輿なり轎上の亭蓋帷幔悉く唐山の式の如し惟  国王轎に乗る国相法司以下は皆両人の肩輿式皆矮小  にして扛木を轎頭に着け二人前後に之を舁くと云其  製則本邦の乗物に彷れり 其王子以下の官人奴隷に至るまて人物衣服は来朝の時 是を見て知る此に伝信録の図に摸写して国王の冠服を 着せし像を見はす  琉球国王之図 【左丁 挿絵のみ】 【右丁】 中山世鑑云《割書:伝-信-録 云(。)此-書 ̄ハ乃 ̄チ尚-質 ̄ノ従-弟尚-象賢字 ̄ハ文-英 ̄ナル者|為_レ之(。) ̄ヲ汪-使封 ̄スルノ_二尚-貞-王 ̄ヲ_一時此-書尚 ̄ヲ未 ̄タ_レ成 也(。)中-山開-》 《割書:闢以-来(。)至 ̄テ_二舜-天 ̄ニ_一始 ̄テ有 ̄リ_二国-字(。)_一至 ̄テ_二尚-|象-賢 ̄ニ_一始 ̄テ窮-捜博-采 ̄ヲ集 ̄テ成 ̄ス_二此-書(。) ̄ヲ_一》琉-球 ̄ノ始-祖 ̄ヲ為_二 天-孫-氏(。) ̄ト_一其-初 ̄ノ有-_二 一-男一-女(。)_一生 ̄ル_二於大荒 ̄ニ_一自 ̄ラ成_二夫-婦 ̄ト_一曰 ̄フ_二阿-摩美-久(。) ̄ト_一生_二 三-男二 女(。) ̄ヲ_一長- 男 ̄ヲ為_二 天-孫-氏(。) ̄ト_一国-主 ̄ノ始 ̄メナリ也(。)二-男 ̄ハ為_二諸-矦始(。) ̄ト_二 三-男 ̄ハ為 ̄ル_二百姓 ̄ノ始長-女 ̄ヲ 曰_二君-君(。) ̄ト_二 二-女 ̄ヲ曰 ̄フ_二祝-祝(。) ̄ト_一為_二国 ̄ノ守-護-神(。)_一 一 ̄ハ為_二 天-神(。) ̄ト_一 一 ̄ハ為_二海-神 ̄ト_一也(。)天- 孫-氏二-十五-代(。)姓-氏今不_レ可_レ考(。) ̄フ故 ̄ニ略 ̄シテ_レ之 ̄ヲ起 ̄テ_二己-丑 ̄ニ_一終 ̄フ_二 丙-午(。) ̄ニ_一凡 ̄ソ一- 萬七-千八-百二-年。今-断 ̄シテ自_二舜-天_一始(。) ̄マル 中山世系図 【左丁】  〇舜天━舜馬順熙━義本━━━━━━━━━━┓   ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛   ┗〇英祖━大成━英慈━玉城━西威━━━━┓   ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛   ┗〇察度━武寧━━━━━━━━━━━━━┓   ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛   ┗〇恩紹━━尚巴志━尚忠━尚思達━尚金福┓   ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛   ┗〇尚泰久━尚德━━━━━━━━━━━━┓ト 【右丁】   ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛   ┗〇尚円━尚真━尚清━尚元━尚永━尚寧━┓      宣威   ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛       ┏尚賢    ┏尚純┓   ┗尚豊━   ┏━尚貞┛  ┗尚益━尚敬┓       ┗尚質┛   ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛   ┗ 【左丁】 琉球国の開闢其国に伝へ云には天地開けし始め一男一 女を化生して三男二女を生す其一男は君主の始にて天 孫氏といふ二男を按司の始とし三男を庶民の始とし一 女を女君の始とし二女を内侍の始とす民俗淳撲にして 神因りて現はるこれを君(キン) 真(マ) 物(モン)といふ  定西法師伝《割書:定西は石州の人俗の時薩州より琉球の佐|志貴王子に従て琉球へ渡る天正の頃は我》  《割書:国の人多く彼国に在り定西故ありて琉球の服を着て|名をヤマトカナツ【ソヵ】メと改めて西土へ渡り商して甚だ》  《割書:富て琉球へ帰る其後本邦に帰て大久保石見守に従ふ|慶長十四年陶金の事を謀て駿府に来りしに佐志貴王》  《割書:子薩州候の為に俘獲せられて駿府にあり定西はから|す佐志貴に逢ひ王子は駿府にて卒せられ其後定西も》  《割書:出家して東都の深|川に居住して死す》を按するに此国の初め一男一女化 【右丁】  生す其男をシネリキユといい云其女をアマミキユといふ  此時其島奈緒猶小にして波に漂へりタシカといふ木の生  出しを植て山の体としてシキユといふ草を植へ又ア  タンといふ木を植て漸くに国の体となし終に三子を  生す一子は所々の主の始なり二子は祝の始なり三子  は土民の始也其国に火なかりしに龍宮より求め得て  其国成就し人物生して其護の神現はるこれをキンマ  モンと称す其神に陰陽あり天より降るをキライカナ  イノキンマモンといひ海より上るをオナツカリラク  ノキンマモンといふ毎月に出現して託女に託して所 【左丁】  々の拝林に遊ふ其託女卅三人皆王家也王妃も又其一  人なり国中の託女は其数を知らず其神もし怒る時は  国人腕折爪折して是を拝み慰む其俗にて岳々浦々の  大石大樹を悉く皆神に崇め祭る又七年に一回の荒神  十二年に一回のあら神ありて遠国諸島一時に出現す  亦荒神の出現をキミテスリといふ其出べき前に其年  の八九月の間にアヲリといふもの見はる其山をアヲ  リ岳といふ五色鮮にして種々の荘厳ありて三ツの岳に  三本現はる其大さ一山を覆ひ尽す其十月に至りて神  必す出づ託女王臣各々鼓うち歌うたひて神を迎ふ王 【右丁】  宮の庭を以て神の至る所とし傘三十余を立其傘の大  きなる■高さ七八尺其輪十尋余小なるものは一尺ば  かり又山神時ありて現はる其数多く現は■■あり  又少なく見■■■■■其面は■■な■■袖の長き  物を着す其衣裳たちまち■して或は錦■の■■或は  麻衣の如し二人の童子を従ふ二郎■郎といふ其衣裳  は日本の製の如くにして小袖に上袴なり神怒る事あ  りと見へ■童を鞭■■あり其童の啼■犬の如し又ヲ  ウチキウといふ海神見■■事あり其長は一■ばか  りにして陰■殊に大き■■ば■を結■て■にかく是 【左丁】  等の神の現はれし■正しく見■り■を記■り是■  談なれとも白石先生琉球事■に又是を引て曰慶長年  中本朝の僧彼国にありて其風土の■を記■■を按■  ■■■■則定西法師伝を云へり 天孫氏より■■代■数一万七千八百二十年の間は洪荒 の世にして記載なく元来文字なく又晦朔を知らず月の ■■を見■時を知■■の栄■を見て歳を知■■い■り ■■世乙丑に起て丙午に■ふ其王徳衰へて政す■■諸 按司多くは之に叛き逆臣利勇といふ者其君を酖殺して 自立す時に大里の按司朝公の男浦添の按司尊敦其賊を