【巻物 題箋あるもは判読不能】 【資料整理番号のラベル】 JAPONAIS 5332 【巻物の両端のどちらかから撮った写真】 【巻物の両端のどちらかから撮った写真】 【巻物の八双近くの外題 判読不能】 【資料整理番号のラベル】 JAPONAIS 5332 【見返し 文字無し】 往古于今唐之我朝に 人のもてはやし潤はしき事 に方り伝に絵に書顕し 歌に読讃に造りて風流 を慕ひ侍へり悟道の人 布袋和尚と申たてまつる 有如何なる者の子成と いふ事聞えす何たる氏の 末も知る事なし唐之五 代の初つくる明州の奉化 県といふところに止まり住 て又更に定りたる家もなし 自から長汀子と名をつきて 物にかゝはる事もなく世 を謟ふ思ひもなし本来空 理の悟りに叶ひて迷ひ の雲を払らひ心にかゝる 妄念もなく胸のうち明 かに涼しき事縦へは秋 の半さはやか成月影の 波もなき水に移【ママ】りて光 を増か如くなり世の人 更に長汀子の風流を しる事なし初のほとは 只あかの法師也とのみ思 ひ侮り奉り候て敬ふ 事もなし風顛の長汀 子といひ訇りひてんに半狂の 者に思ひくるしけり足をも 更に心に懸ことわか思ひの伝 に随いまたうらみいかる事なし もしは言葉をかけてをとしめ 笑らひ偏る時は長汀子も 又諸共に打笑たゝ常にいふ 言葉とては人百世常の中 に生まれて露の命を世路の 草葉に置なから後の世の もとめを忘れて邪心まゝに 罪咎に沈み本来常住の 空理を弁へすかゝりともから を風顛のはんきやうと我を 見るなりとて還而笑給ふ 程に人皆断に覚えてえ不 笑也にけり幼き子共何となく 【絵画の右側】 見るなりとて還而笑給ふ 程に人皆行に覚えてえ不 笑也にけり幼き子共何となく いと可笑かりて長汀子に慕み 懐きて彼方此方いさなひ行て遊 ひけれは長汀子も是に慰て 月日を過し給ふ 【絵画の左側】 抑此長汀子うき世の外の 道に遊ひてしまより定る家 もなく跡をとゝむる寺もなし こくら衣のすそ短しかく破れ たろ袈裟を肩かけまとひ一本 の杖に布袋を懸是を の杖に布袋を懸是を 荷ふて爰彼に行遊ひ給へは 世の人名付て布袋和尚と申 せり或は寺の廊下の傍或 人家の軒下または橋の上 成共往来る所に止りて 夜を明し日を送り給ふほと にあまねく人も見知り奉つる 其風流を貴とみて敬ひ 仰く事に也ぬ逢心に叶ふ 所に至りて頓て座禅の床 の上に空理三昧に入給ひ五日 七日も動き立事もなしさな から木石のことくにして目ましろ かしと息をつかと定めより立てはも との如く風顛さすらひありさま也 あるときは山ふかくわけいりて岩 のうへに端座して【?】入給ふにもろ〳〵 のあやしき鳥共木のえたに あつまりめつらしき色音にさえ つり鹿猿のたくひうたき【怒ってうなり】たぬ きのやからはその四方にむらかり をりまたおそろしき虎狼も 猛き心をうしなひつゝかうへを うなたれ座禅のゆかを守り奉る 然るに往昔より申つたへ侍へる 両虎たゝかへは相共に死すと かやもしふたつの虎の出逢て たゝかふ時は両方なから死せされ は止らすといふにあるとき布袋 和尚山中に分入給へは忽に二つの 虎にあひてたかひに牙を■【嚆ヵ】詰 顕し吼忿声木たまに響き 谷に■■【盈+□ヵ】に聞て夥しといふも 愚なりききしをとる山人 共は是を聞ておとれまひて山 を分いつるかゝる所に布袋 和尚行懸り給ふを山人共 袖をひかへて【袖を控えて=袖をとらえて引き止める】是より里に立かへり 給へ恐ろしき虎の戦ふ声の聞 へ侍へるにと申和尚は聞しめし ていや〳〵少もも【ママ】くるしからす我行 て彼か怒を止めすは定めて戦 死すへしこれをなためてあたへ むとて虎の辺に立寄互に向ひ 居たる中間に杖を入れて両方 に押分給へは二の虎恐れて両 方に立退けり布袋の言く如何 に汝等生て愚痴の因縁より■【蓋ヵ】 生の身を受たり定て汝等はしる ましこの生にむなしく忿を起 し憐みを知らす朝に腹立 て我か子を食い夕へに怒て 我妻を縣すから我心さしにて はいつか生死の迷ひを放れむ 暗より闇に沈み苦るしみより くるしみに迷れむ闇より暗に 【絵の右側】 くるしみに迷れむ闇より暗に 沈みくるしみよりくるしみに迷 れん斗うたかひなしはやく いかりをとゝめて本来ならの 住理をよとめよなんと様々 説法為給へは二つの虎は 頭を傾け耳をたれなみ たの   なかるゝ事      雨のことく         はゐに  尾を    たれて     山のおく   に    そ   いり    に     ける 【絵の左側】 去程に山人共布袋和尚を 頻に止め申せしに不用山 頻に止め申せしに不用山 深く入給へは今は定ため て虎の為に喰らはれ 虚敷成給ひけむ痛 はしさよといふ所へ袋を 荷ふて立出ふ人々驚 きあやしみて更【?】ゆへを 尋ぬるに尓〳〵の事々語 給ふ山人共気とくに思 ひ奉り我家に呼入 奉り説法を聴聞する に貴き事いふ斗なし 各〳〵歓喜の涙を流所 に村中俄に震動して 余多遊ひ居たりける 子共声をはかりに呼喚 て逃迷ふ指も【「さしも」と読ませるのか】今まて外 念なく並居て説法を 聞ける者共子共泣声 に驚出て見れは怖しき 虎とも五斗出て来れり 是は如何成事そ此人々 幼けなき子共年老た る親女童部は逃る共 逃のふへからすと止りて 防へき様もなし如何せんと 周章ふためく布袋は立 出て如何汝等人を取らん 為に来れるか何の故には 来たりけるそと宣ふ所に 虎共各〳〵口に草物有 ひし〳〵と取依り布袋の前に 積置たり珍敷花の枝 有よき草物沈香のえた 水精の珠 其外色〳〵の物 くはへて積上一面にうつくま りぬ布袋御覧して扨 は前に示しける法問を貴く 覚て置て聞為成や更 は汝等に見性悟道の事を 教むとてあら〳〵説て示し合 に五五六七群かりし虎の 両眼より各〳〵一等に涙 【絵画より右側】 に五五六七群かりし虎の 両眼より各〳〵一等に涙 を流し尾をふりて山路を さして帰ぬ更に人をも 害せす傍をも見やらす 耳を垂れ尾を伏つゝ其 勢ひを忘れたりける有 様畜生とは申なからも説 法を心にしめして     貴くお■へるゆへ      ならすや 【絵画より左側】 又布袋和尚と申は是 弥勒菩薩の化身なり彼 菩薩と申は往昔は三僧 祇百大劫【三阿僧百大劫】の修行を勤て 等覚の位に至常に都 卒天の内院に御座し法 を説て諸の天人を導引 給ふ也此位に至りぬれはの 位とは生絹一重起隔てたる かことくにして高悟の位也今 よりも五十六憶七千万年 の後天竺の鶏頭城といふ 国に天降り給りて龍花 樹といふ木の本にして正覚を 取構■里耶仏【仏の名よく分からない】と申す仏 の後天竺の鶏頭城といふ 国に天降り給りて龍花 樹といふ木の本にして正覚を 取構唄里耶仏と申す仏 と成三会の説法以て普 衆生を助給ふ龍華三 会の暁とは此事をいふ也 夫より以前かの都卒の 内院御座ます間には其身 を百手に分身して十方 世界に顕はれそれ〳〵の縁 をむすひ余多の御法を説 広めて諸の衆生導引 給ふに難有爰を以て 思ふに往古霊鷲山にて 忝なくも釈尊浄土の無 量衆経を説て弥□【「陀」ヵ】の 誓願を広め給ふ時かの 弥勒菩薩に念佛法問を 授給ふ末法万年の後の 百年に諸の経論法句 皆ほろひかせて世に色〳〵 のわたいゝひおこり人悉く 邪見ならんときの念仏 はかりは弥勒頼り給て其 時も■【「絶」ヵ】転なく世に弘め 給ひて衆生を極楽に 送り給はむとまのあたり 釈尊の仰含め給ひし も此菩薩の御事也文珠 法華の御法を弘め弥勒 の念仏の教へを伝たへ取 〳〵にこそたうけれと又形 を人間に顕らはし明州の奉 化県にして禅法のみのりを 伝へて自身風顛のかたち をこへし世をすくひ人を導 引給ふ事末の世の輩に 私【相では】なしほとけの御教へ何 の法かをはりまさりよしあし はなき物すと法花念仏 禅法そのなか八宗の教は 皆諸共に我等の心を戒め 邪をひるかへし直なる道に 入らしめむ御方便成けりと 知らせ給はむ為そかし 是より山人共弥貴とき事 に思ひ此上には何国へ行給 ふへき同しく此所に止り 給て我等を導引給へ かしと申けれ共布袋更に 止り給はす又奉化縣に立 出難しこえを嘯き行歩 き給ふ或暗(?)道にて一人の 沙門に行逢給ひ其物語り さなから昔の友達て久 敷隔りて逢奉る事も なしいかにして此世中におは するそやさこそ天上の事 思召出し侍へるやらんとの給へ は布袋打笑ひ給ひて去 はよ此世の中かへりかはる 有様諸の衆生の苦しみ に沉む不便さに天上の事 も打忘れ衆生利益に障 こそ無れ定めて和君も 済度利生はし給ふらん今 我常に流の水にかけを 写せは梵天帝釈八幡天 莫を捧て我前に覆 参り送くるゝゆへに四 天王是に随常に供養 【前頁続き五行目から】 をとくるなりこのゆへに懸る 業世に住とてもすこしも苦 しき事なし縁なき者に 縁を結ひ縁有ものには 仏法をしめす更何の 愁へ苦しむ思ひ有らむ 答給へは沙門はうちうなつき 大に笑ひて曰く我も又其 如く是より天竺に形を分 て顕はし衆生を導引 侍んそ往昔霊鷲山に 釈尊顕れ給ひて御説法 の有し時和君と某と一所 に有て是を聴聞せし其時 往別てより一千五百余年 以来逢不奉久しさよ 宣ひて頓てまたこそ対 面すへけれとて沙門と布袋 と手をとりつくしけり 物語りしたまひ或は笑ひを 含みなとし給ふ何事にて か有けん言葉は天竺の言 葉なれはあたりに有け る人も其分ちをはしらす かくて暇乞し念比に別を とり沙門は雲に乗て虚 空をさして上給ふ布袋 はしはらく見をくりつゝ 其日は    そこに      とゝまり         給ふ 去は此沙門と申奉るは是大 聖文殊にて御座す然るに 文殊師利菩薩は昔釈尊 説法のときは正敷顕れて 【次行次ページ】 【四行目から】 仏法の断を諸共に教へ又 龍宮世界に往ては妙法蓮華 経を説て龍神を導引 在けり何よりもさるときは往 古過去の世に文殊菩薩 池の辺起り給ひしに一人の 若き女池の端に立て身 を投げんとしけるを文殊 あやしみ給ひて其女の袖 を扣へ汝如何なる故に寄て 此池には身を投るそとたつね 給へは女答ていふやうわか夫 心定らす別の女を語らひ 自からを余所に見て日比 の情薄らき侍へり此うら めしきいふはかりなし責めて 此池に身を投て大蛇と也 さし悪き男女を心の侭に 殺さむ為に身を投る也 と申す文殊聞しめし様 々になためて押止給へ 共此腹立胸のほむらは 更不止て止むに非らす 引放て池に入たりしを 文殊あはれみ給ひて手 に持たまへる法花経を投 打給ふ此経を女の身に触 たりける功徳に引れて 竜宮世界に生て娑竭 羅龍王の娘と成過去 の功徳深によりて更に三 熟の苦みもなく知恵 勝れて慈悲深く既に 八歳に成たり此折節釈尊 世に出給て法花経を時 給ふ時文殊其座より 龍宮に行給ひ昔の縁 熟しけれは彼八歳の龍 女か為に法花経を説教 給ふに龍女は知恵勝れ忽 に法花経の妙の道理を 悟て文殊と共に霊鷲 山に参りつゝ爰成男子 の利益に豫り南方無垢世 界に生なから往生し正覚 【最後の二行まで前コマ参照】 をとりたりけにも是文 殊の利益なり 水野志摩守様御筆 布袋草□【紐で見えず】 水野志摩守様御筆 布袋草司 【右側 巻物桐箱蓋内側貼紙】 布袋の草子 水野重孟筆 元録頃写 彩色5図入 桐箱入 一巻 【貼紙に印刷の文字】 東京・神田 玉英堂書店 【電話マーク】 03(294)8045 【左側 紐付き桐箱内、布の上に置いた巻物】 【ラベル】JAPONAIS 5332 【右側、巻物桐箱蓋内側、前コマ翻刻の貼紙上に別の貼紙】 【上印刷文字右から】商標 木簡 登録【下印刷文字】禁複製 表具用 防虫香 【左側、紐付き桐箱空の状態】 【上から見た蓋を閉じた桐箱】 【紐を結び横から見た桐箱】 【前コマと反対側横から見た桐箱】 【桐箱ラベル】布袋草子 【前コマ反対側ラベル】JAPONAIS 5332