【表紙】 【見返し 資料整理ラベル】 JAPONAIS  375 【見返し】 【白紙】 【白紙】 【白紙】 【題箋】 尾張名所図会《割書:前編》 一 【題箋に手書き文字】 owari 尾張名所 図会前編  尾張名所図会序  尾張之為_レ邦也此極出_レ 地三  十有六度則得_二緯度之中_一 ̄ヲ  者也勾芒之送_二柔風_一 ̄ヲ而滋_二芳草_一 ̄ヲ  織_二臙脂錦綉_一 ̄ヲ而呈_二富貴繁  華之態_一 ̄ヲ南陡之日煽_二 ̄ヒテ炎熱_一 ̄ヲ而  蒸_二嵂崒崣𡻣之雲峯_一 ̄ヲ張_二  蔚密濃翳之林帷_一 ̄ヲ清商之色_二 ̄ニシ  惨憺_一 ̄ヲ気_二 ̄ニス慄烈_一 ̄ヲ木蘭之露芳菊  之英山骨之稜々 ̄トシテ而出 ̄ル渓毛之  瑟々 ̄トシテ而寒 ̄キ介者蟄 ̄シ鱗者濳 ̄ム其  候之於_二順序_一 ̄ニ不_レ有_二 一 ̄モ差紊_一是  其験也又其為_レ邦也東西不  _レ異_二 ̄ニセ其里程_一 ̄ヲ是得_二 ̄ル 皇国経度之中_一 ̄ヲ者 ̄ニシテ也其応也土  壌之膏腴田野之衍沃  神廟之憑_二隆 ̄スル乎鬱林_一 ̄ニ城楼之  翼_二然 ̄タル乎雲表_一 ̄ニ伽藍之宏麗 ̄ニシテ而 清浄 ̄ナル衆庶之殿富闤闠之交 易爾乃山之奇則奚 ̄ンソ翅一凹 一凸 ̄ノミナラン哉矚_二 ̄メ目 ̄ヲ乎此_一 ̄ニ以愛_二其翠 黛画屏_一 ̄ヲ採_二 ̄ツテ觚 ̄ヲ於彼_一 ̄ニ而写_二其 錦繍之心腸_一 ̄ヲ者昉_二 ̄ツテ于古人_一 ̄ニ而全_二 ̄タシ 乎今人_一 ̄ニ焉水之美 ̄モ亦豈啻円折 方流而已 ̄ナラン詩_二歌 ̄ニシテ其風景_一 ̄ヲ以酬_二 名区_一 ̄ニ画_二図 ̄ニシテ其勝概_一 ̄ヲ追_二旧蹤_一 ̄ヲ者 自_レ古不_レ絶_二其人_一 ̄ヲ而於_レ今観_二其盡_一 ̄ヲ矣 或人曰如_三 ̄ハ子之所_レ謂天之験 ̄ト与_二 ̄ノ 地之応_一則他邦 ̄ニモ亦不_レ可_レ謂_レ無_二 ̄ト其 比_一焉曰然 ̄リ而 ̄トモ我挙_レ 一以証_レ ̄セン之 ̄ヲ古 今之人物守_二渾噩_一 ̄ヲ而悠閑 ̄ナル謝_二 ̄シテ 紛華_一 ̄ヲ而鎮定 ̄ナルノ之徒恭倹推譲安 _レ節 ̄ニ死_レ ̄スル義 ̄ニ之士及 ̄ヒ其姿之鸞鳳 ̄ナル 其寸之文章 ̄ナルハ則姑 ̄ラク舎 ̄ヒテ而不_レ論焉 若夫 ̄レ掌_二握 ̄シテ兵権_一 ̄ヲ威武以一_二変 ̄シ 天下_一 ̄ヲ辟_二易 ̄シ萬人 ̄ヲ於喑噁叱咤_一 ̄ニ 殱_二殪 ̄スル勍敲 ̄ヲ乎一戦之下_一 ̄ニ策之奇 ̄ニシテ 而神速 ̄ナル瞬息 ̄ニシテ而成_二大勲_一 ̄ヲ者 六百有余年之際 ̄ニシテ而出_二其三_一 ̄ヲ曰 源右幕曰平右府曰豊太閤也 是豈非_下 天之中 ̄ト与_二 地之霊_一之所 ̄ニシテ _レ産 ̄スル而其人 ̄モ亦傑_上 ̄ナルニ乎哉或人唯々 ̄シテ而 退 ̄ク録_レ ̄シテ之 ̄ヲ以為_レ序 ̄ト 天保十二年歳次辛丑長至  尾張世臣 六十九翁香実深田正韶識     【落款 二つ】正韶  字             之印  子縄          七十有三 柳沢維賢書       【落款 二つ】維賢  景               之印  甫 引 諸悪莫作衆善奉行吾業唯在_二 此八字_一 ̄ニ耳而 ̄シテ兪々自得以楽_二居諸_一 ̄ヲ【注】 覆載中之一閑人也閑人 ̄ニシテ而与_二 ̄カル 間事_一 ̄ニ不_二亦因縁_一 ̄ナラ乎此書也余得_二 四 癖_一 ̄ヲ以成 ̄ル焉文園性躭_二読 ̄シ国書_一 ̄ヲ 【注 㞐は居の古字。居諸(キョショ)は、月日、年月のこと。】  以_二有_レ涯眼_一 ̄ヲ窮_二無_レ涯書_一 ̄ヲ而 ̄シテ蔵書積 ̄ンテ  有_二 一万巻_一専精誦読年考不  _レ倦或 ̄ハ至_二持竿漂麦_一 ̄ニ人目 ̄シテ為_二蠹魚 ̄ノ  後身_一 ̄ト是一癖也梅居稽_二査 ̄シテ 皇和古今 ̄ノ人物_一 ̄ヲ自_二搢紳武林_一至_二 ̄マテノ僧  儒隠畸_一 ̄ニ之生卒出処無_三 一 ̄モ不_二 明了_一 ̄ナラ又襯_二想 ̄シテ宗祇法師 ̄ノ為_一レ ̄ヲ人常 ̄ニ 往_二来 ̄シ于雲霞泉石_一 ̄ニ風流 ̄ヲ為_レ衣 ̄ト 好事 ̄ヲ為_レ裳 ̄ト余曩 ̄キニ以_二 地仙_一 ̄ヲ与_レ ̄ルス焉 ̄ヲ是 二癖也貯書亦与_二文園_一等 ̄シ故 ̄ニ世 称_二 ̄ス両家 ̄ノ二万巻_一 ̄ト矣春江自_レ幼善_二 摹写縮図_一 ̄ヲ而 ̄シテ目所_レ覩之万物足 所_レ到之百景無_二収 ̄メテ不_レ ̄ルハ蓄 ̄ヘ焉然 ̄トモ未_二嘗 有_一レ師天資 ̄ノ至玅写_二其微_一 ̄ヲ則足_下 ̄ル以 代_二衛人_一 ̄ニ而悦_中 ̄ルニ燕王_上 ̄ヲ可_レ謂刻_二彫 ̄スル衆 形_一 ̄ヲ者 ̄ト又頗 ̄ル鉄脚 ̄ニシテ我尾山水 ̄ノ名霊 神祠仏刹縦横幾 ̄ント将_レ ̄ニ無_下 ̄ント不_レ容_レ□ ̄ヲ【「𨅯」注】 之地_上是三癖也瑞斉特 ̄トニ名_二 ̄アリ臨池_一 ̄ニ 【注 字面は「𨅯」ですが『大漢和辞典』に不記載。漢語サイトで「輦、輓車」と見えるので人が牽く車らしい。】 最工_二于細字 ̄ニ_一筆鋒 ̄ノ遒勁寸鉄打 _レ 人 ̄ヲ其抽毫之際不_レ知_二酸寒苛熱 ̄ヲ_一 旁 ̄ラ嗜_二 八雲之道 ̄ヲ_一是四癖也余 ̄カ有_二 此四癖_一猶_三医 ̄ノ有 ̄ルカ_二玉丹赤青_一且春 江瑞斉之為 ̄リヤ_レ 人 ̄ト也霊退温雅実 ̄ニ 瑩々 ̄タル無玷之双璧 ̄ニシテ而時々照_二耀 ̄ス 吾暗宝 ̄ヲ_一也曩 ̄キニ四癖来 ̄ツテ謀 ̄ル_二諸 ̄ヲ余 ̄ニ_一々 固 ̄リ不立文字之儒也何以当 ̄ン_レ之 ̄ニ 囅然不_レ応 ̄セ四癖頊々然於_レ是 ̄ニ乃 曰卿等 ̄ニシテ而為_レ之 ̄ヲ易 ̄シ_二於以_レ斉 ̄ヲ王 ̄ンヨリ_一今 鎡基 ̄ト与_レ時相待 ̄ツテ而来 ̄ル吾将 ̄タ乗 ̄ン _レ勢 ̄ニ歟四癖欣々余遂 ̄ニ為 ̄ニ_レ之 ̄カ鼓 吹 ̄シテ以舞 ̄ハス_二 四癖 ̄ヲ_一歳去歳来爰竣 ̄フ_二前 編苟完之功 ̄ヲ_一此編雖_三固 ̄リ属 ̄スト_二稗史 ̄ニ_一 此挙也不 ̄シテ_レ出_二 三歳 ̄ヲ_一而其撰之精 詳綿密殊 ̄ニ覚_レ有 ̄ヲ_レ力果 ̄シテ知 ̄ル玉丹 赤青 ̄ノ能奏 ̄スルコトヲ_二引年之效 ̄ヲ_一矣嗚呼 夫 ̄レ太平之人 ̄ニシテ而写 ̄シ_二太平之象 ̄ヲ_一 以観 ̄メス_二太平之人 ̄ニ_一豈不 ̄ヤ_二太平之一 楽事 ̄ナラ_一哉抑《割書:々》四癖舞踏之力 ̄カ 耶将 ̄タ余 ̄カ鼓吹之功 ̄カ耶観 ̄ル者俟 ̄テ_二他 日後編之苟美 ̄ヲ_一辛丑冬十一月  精一居士深田精一併書【印】《割書:深田精弌|字号並精一》 尾張名所図会序 いにしへ国々に風土記とふ書ありて千種の たなつもの【注①】はさらにもいはす其国々に ありとありつるふること【注②】ゝも海山に なりいつる金銀ものあらものもの 和物はたのひろものはたのさもの【注③】より 木草鳥むしにいたるまてあさち原【注④】 つはら〳〵【注⑤】にしるされたるを応仁の 【注① 稲の種。又は穀物の総称。】 【注② 古言=言い伝え。】 【注③ 鰭(はた)の広物、鰭の狭物。=ひれ(鰭)の広い魚、ひれの狭い魚。すなわち大きい魚、小さい魚。】 【注④ 「つばらつばら」にかかる枕詞。】 【注⑤ くまなく。まんべんなく。】 ころよりこなたうちつゝきたる都の乱に 皆うせはてゝ出雲一国の外はまたく 残れるはなくわか尾張風土記も中嶋 郡の纔にのこりて其余の闕失たるは あかす【飽かず】口をしきわさなるをこたひ【此度】 精一ぬしの四人の癖人らのくせ〳〵をとり あつめてえらはれたる此書と千早振 神代にありつることよりいまのうつゝの 年ふりまてやそのくま〳〵【注①】くまも おちす【注②】すかのね【注③】のねもころ〳〵に【注④】書しる されたるかの風土記やうのあかれる 世のさまにはあらていとけちかき【注⑤】物から ふることゝもの世とゝもに朽せすなりに たるこそ又なき功なりけれさるはわか 君のふとしき【注⑥】いませるおほ御城に和田 海の宮【注⑦】よりはろ〳〵にまい来てつかう 【注① 八十の隈々=あちらこちらの隅々。】 【注② 曲も落ちず=曲がり角ごとに。】 【注③ 菅の根の=枕詞】 【注④ 入念に。】 【注⑤ 気近き=身近な】 【注⑥ 天下を統治して】 【注⑦ わたつみのみや=海神の住む宮殿。龍宮。】 まつれるさちとふ魚の天の下にいてり かゝやける金の鱗にもをさ〳〵おとる ましくこの書もいみしき御国の光とも なりぬらんといとおむかしく【注】たふとく てなむかくいふは上田仲敏 【注 おむがしく=よろこばしく。】 ちかきとしころ名所図会といふもの 世におこなはれて五畿内はさらなりその ほかの国々のもつき〳〵本にて世にもてはやすめり さるはまたゆきみぬあたりの所のさまをも ゆえよしをも居なからにしてくはしくしる たのしさはさる物にてひとたひ物せし あたりも年をへてさたかにおほえぬ所〳〵 あるはあないよくしりたる所のさまをも こゝはとありかしこはかゝりなとまたさらに 行みるこゝちしてなほあかすかた〳〵たのしき わさなれはなりけりこゝにこの尾張の国の をも物せはやとおもひ立ぬるは今の いうそくときこゆる岡田啓野口道直ら也 国のうちいたらぬ隈なく野山里〳〵行めくり みありき所のよしをもとひ尋ねきゝたゝして しるしあつめたるらうはみん人わきまへ つへしふみあきひと【注】ともゝいかてはやく世に ひろめはやといそきこふまゝになほこれ 【注 文商人=書物や書画などを売買する人。】 かれとくはへ【加へ】もはふき【省き】もすへきことを おほらかにしなして板にゑらせたるなり かくいふは植松茂岳  天保十二年丑十一月  磯村千春書    凡例 ○此書の序次(じよじ)前編は府城(ふじやう)に筆を起(おこ)し 熱田宮(あつたのみや)に中(なか)し  津島 ̄ノ社に終(をは)る則当国八 郡(ぐん)の中(うち)愛智(あいち)知多(ちた)海東(かいとう)海西(かいさい)の  下(しも)四郡をもて前編七巻とし後編は中島(なかしま)春日井(かすがゐ)丹羽(には)葉栗(はぐり)  の上(かみ)四郡を五巻となし 一の宮瀬戸犬山を始衷終(しちうじう)に序(つい)づ前  後十二巻にしてその完(まつた)きをいたす ○当国は地勢 坦夷(たんゐ)にして山壑(さんかく)少(すくな)く土壌(どじやう)膏腴(かうゆ)にして五穀(ごこく)菜蔬(さいそ)  はさら也 魚介(ぎよかい)に至(いた)るまで名産(めいさん)多く郷里(きやうり)戸口(こかう)も四隅(しぐう)に達(たつ)し古  今の沿革(ゑんかく)少(すくな)からずといへども当初(そのかみ)の開肇(かいちやう)古(ふる)くして勝地(しやうち)名区(めいく)も  亦 多(おほ)ければ中(なか)に就(つい)て尤(もつとも)著明(ちよめい)なるを出(いだ)し怪(くわい)【恠は俗字】譚(だん)俚語(りご)に属(ぞく)せるはすべて  省(はぶ)くといへども其 説(せつ)の古きことのは稀(まれ)にのせ載(のす)るもあり   ○神詞(しんし)梵刹(ぼんせつ)の興営(かうゑい)勧請(くわんじやう)等 新(あら)たにして旧説(きうせつ)古伝(こでん)なきものは  悉(こと〴〵)く措(おい)て挙(あげ)ずといへども森然(しんぜん)として巨礩(きよしつ)高棟(かうたう)なるはまゝ是を載(の)せ  小祠 支院(しゐん)の伝説(でんせつ)なきものはすべて登俎(たうそ)せず猶旧伝ある古社古寺  の類の脱漏(だつろ)せるも少からねば後編 落成(らくせい)の後(のち)拾遺(しうい)を撰(ゑらみ)てこれを補(おぎ)  なふ ○霊場(れいじやう)古蹟(こせき)の類 新古(しんこ)の諸説(しよせつ)紛擾(ふんじやう)にして一 定(じやう)しがたきものは多く  正籍(せいせき)野乗(やじやう)をも参伍(さんご)錯綜(さくさう)して考拠(かうきよ)に便(たよ)りす ○熱田 真清田(ますみだ)の神宝(しんほう)大須(おほす)真福寺の古書籍(こしよじやく)妙興(めうかう)寺の古書 画(くわ)  其余(そのよ)の神社 仏閣(ぶつかく)に什(じう)伝(でん)する所の古 証(しやう)【證】状(じやう)碑銘(ひめい)鐘(しやう)銘 及(およ)びあらゆる  古 器物(きぶつ)の類 希世(きせい)の名品(めいひん)なる又当国は出凡(しゆつぼん)の人物を産(さん)せる事甚多く  徳美(とくび)名馨(めいけい)の伝由(でんゆ)までいづれも汗牛充棟(かんぎうじうたう)にして悉(こと〴〵)く収録(しうろく)しがた  ければ他日尾張 集古(しうこ)一 覧(らん)《割書:毎図(まいづ)|縮模(しゆくも)【摹】》同(おなじく)人物(じんぶつ)一覧等の二書を綴(つゞ)り其  埋没(まいぼつ)を彰(あらは)し此編の羽翼(うよく)にそなへ好事家(かうすか)に問(とは)んとす ○道場法師(だうじやうはふし)が南都(なんと)元興(ぐわんかう)寺にて霊鬼(れいき)を挫(とりひし)ぎ尾張 ̄ノ浜主(はまぬし)が清涼(せいりやう)  殿(でん)前(ぜん)に和風(くわふう)長寿楽(ちやうじゆらく)を舞奏(ぶさう)し加藤 清正(きよまさ)が朝鮮(ちやうせん)に勇威(ゆうゐ)を  振(ふる)ひし如(ごと)きの類を図画(とぐわ)に写(うつ)せば童稚(どうち)【穉】の眼(め)を悦(よろこ)ばしむるに足(た)ると  いへどもかゝる他境(たきやう)に事蹟(じせき)を留(とむ)るは絶(たえ)て描(ゑが)かず ○秀吉公(ひでよしかう)微賎(びせん)の称(しやう)に小竹(こちく)或(あるひ)は藤吉郎と題(だい)し義朝(よしとも)に贈(ざう)内大(ないだい)  臣(じん)あれば供養(くやう)の図(づ)上に公字(かうじ)を加(くは)ふる類すべてこれに倣(なら)【傚は俗字】ふ 編中に採摘(さいたく)し図上に配題(はいだい)する所の詩歌(しか)連誹(れんはい)当国はもとより  古人は他邦(たはう)の百家をも取(と)るといへども浪(みだ)りに似類(じるい)せるものをもて  附会(ふくわい)せず必(かならず)其地に実践(じつせん)允当(いんたう)せるをのみ騰録(とうろく)す今人の如  きは他境の諸(しよ)家を雑(まじ)へず ○図画は春江の筆に成(な)るといへども或は同轍(どうてつ)一 軌(き)の展観(てんぐわん)に倦(うま)ん事  を恐(おそ)れて諸家をして什(じう)が一二を補(おぎな)はしむ故(ゆゑ)に毎図に落款(らくくわん)し  てこれを頒(わか)つしかれども他邦の人を借(かる)にあらず ○二十余年前熱田の深川忠豊(ふかがはたゞとよ)熱田名所図会を撰(ゑら)ばんとて其  功(かう)半(なかば)に過(すぎ)しがいまだ業(ぎやう)を卒(お)へずして止(や)みしにこたび此編の木に鐫(ゑら)  むことを聞て其 稿本(かうほん)をも見せけるまゝ中(なか)に就(つい)て真虎(まとら)が画(ゑが)き  し一図を載(の)せて共(とも)に同志(どうし)を遂(とげ)さしむ故に此図のみ古人の筆  なり其説(そのせつ)のごときを断取(だんしゆ)して三四の巻(まき)に収(おさ)めぬ ○編中 引用(いんよう)の群籍(ぐんせき)古事記(こじき)旧事紀(くじき)六国史(りくこくし)をはじめ殆(ほとん)ど千 部(ぶ)  に至(いた)るも多くは全文(ぜんぶん)を抄出(しやうしゆつ)すしかれども文の長きは要領(ようりやう)を撮(とり)て  裁截(さいせつ)するもありこは簡冊(かんさく)の多寡(たくわ)に限(かぎ)りあるを斟酌(しんしやく)するに  よれり 尾張名所図会巻之一    目録《割書:愛智郡》  広井の官倉(くわんさう)に貢米(みつぎ)を納(おさむ)る図         地理(ちり)彊界(きやうかい)  国号(こくがうの)濫觴(らんしやう)   神武天皇 東征(とうせいの)図       愛智郡解(あいちこほりのかい)  赤染衛門(あかぞめゑもん)馬津(うまづの)駅舎(えきしや)に宿(やどる)図   名古屋 府(ふ)   府城  那古野(なごやの)古城  信秀(のぶひで)城中に矢狭間(やざま)を切開(きりひらく)図  御宮《割書:別当尊寿院|神主吉見氏》  御宮 舞楽(ぶがくの)図  魚棚(うをのたなの)賑合(にぎあひ)   御祭礼全図   将軍家 御霊屋(ごれいや)  亀尾(かめを)天王社《割書:別当|安養寺》天王祭 片端(かたは)試楽(しがく) 名古屋山三 宅址(やしきあと) 伊藤呉服店  芭蕉翁の古事  花井 臼(うす)古事   桜天満宮《割書:道麿碑》 植木(うゑぎ)市《割書:三臓円店|大丸屋店》  清正 普請場(ふしんばの)址(あと) 駅馬(えきば)会所《割書:十一屋店》 福生院     覚正寺  烏犀円(うさいえん)店   広小路(ひろこうぢ)     柳(やなぎの)薬師    朝日(あさひ)神明宮  紫(むらさき)川     御旅所(おたびしよ)     若宮八幡宮  若宮祭の図  阿弥陀寺   木仏 涅槃会(ねはんゑ)の図   性高院    朝鮮人 応答(おうとう)の図  極楽寺      大光院       烏瑟沙摩(うすさま)明王 縁(えん)日参の図  総見(そうけん)寺     閩山(みんざん)和尚の古事   清寿院    那古野(なごや)山  大須(おほす)真福寺    馬の塔(とう)の図    七ツ寺     同境内茶屋の図  善篤寺      浄久寺       光真寺     西本願寺 掛所(かけしよ)  二子山(ふたごやま)の古跡   妙善寺      日置(ひおき)八幡宮   千本松  延広寺      東輪寺       犬御堂(いぬみどう)    古渡(ふるわたり)  稲荷社      大泉寺       洞仙寺     南方鑷(なんばうけぬき)  闇森(くらがりのもり)八幡宮  古渡橋       川口屋 飴店(あめみせ)  榊(さかきの)森  元興寺      道場(だうじやう)法師の伝   為朝(ためとも)塚 【本文右肩 遊印】  有図無解以図無此  解詳而有此図展玩  初知一帙裡宛然八  郡旧名区    魯庵 石川嘉貞題【陽刻印】加貞       迂庵 丹羽輔之書【陰刻印】丹羽 【陽刻印】輔之 【右丁】  広井(ひろゐの)官倉(くわんさう)に     貢米(みつぎ)を納(おさむ)る図 太閤秀吉公小田原の北条 退治(たいぢ)の時尾張 の国主織田信雄公加勢ありしが兵糧【粮】の 貯(たくは)へなくして用途(ようと)欠(かけ)たりとぞ福島 正則国守の時其先 蹤(しやう)にこりて数百 間の大なる蔵三 棟(むね)を清須の城内に 作りて多くの兵糧【粮】を納め置し 慶長十五年御 遷府(せんふ)の時其清 須の三ツ蔵を此広井 にうつし多くの蔵を 作りそへ給へりと いへども猶其 旧名(きうみやう) によりて今に至る まで三ツ蔵と呼べり 【左丁】   尾張米(をはりこめ) 《割書:拾遺集》  池をはり   こめたる     水の  おほかれは いひの   くちより  あまる   なる     へし     輔相 【左下落款陽刻印】春江 抑当国は東海道に属(そく)して南海に依(よ)り大日本のうち東西の  半《割書:東は松前(まつまへ)蝦夷(ゑぞ)に至りて三百余里|西は大隅(おほすみ)薩摩(さつま)に至りて三百余里》にあり和名類聚抄に尾張国《割書:国府|在_二 中》  《割書:島郡_一行程上|七日下四日》管八《割書:田六千八百二十町七反三百十歩正公各二十|万束本稲四十七万七千束雑稲七万二千束》海部(あま)《割書:阿|末》中島  《割書:奈加|之万【萬】》葉栗(はぐり)《割書:波久|利》丹羽《割書:迩|波》春部(かすがへ)《割書:加須|我倍》山田《割書:夜万【萬】|太》愛智(あいち)《割書:阿伊|知》知多と見え  延喜主税式(えんぎしゆぜいしき)に尾張国 正税(しやうぜい)公 廨(くわい)各廿万【萬】束 国分寺料(こくぶしれう)二万【萬】  束 文殊会(もんじゆゑ)料二千束と記せり又 丹峰(たんはう)和尚が類聚往来  慶長二年の板本易林が節用集日本国正 統(とう)図記(づき)等  に尾張国《割書:云| 云》地厚土 肥(こえ)種(たね)生(しやうずること)千 倍(ばい)里多 勝(すぐれたる)_二日本国_一大  上国也と見え後々の書にも日本第一上国也と記せり  《割書:類聚三代 格(かく)の仁寿(にんじゆ)三年六月八日の格に尾張居_二 上国_一 といひ官職秘抄職原|抄拾芥抄等の古書にも尾張を上国なるよし記せるは職員令に諸国の広(くわう)》  《割書:狭(けう)をはかりて大国上国中国下国と四等に|分てる尾張は其上国に居れるが故なり》かく日本国の内にて勝れ  たる上国也など褒賞(ほうしやう)せし事は此国地 肥(こえ)て五 穀(こく)菜蔬(さいそ)は  いふもさら也 禽獣(きんじう)魚 鼈(べつ)材木 器皿(きべい)錦繍(きんしう)絹布(けんふ)其 余(よ)の万【萬】物  に至るまで民用一も欠(かく)るものなく豊饒(ぶにやう)他国に勝(すぐ)れ殊(こと)に四方  八達中 央(わう)の地なるが故なるべし 国号の起りは尾張風土記の残欠(ざんけつ)に尾張国者 経世(ふるよ)穂曽績(ほそつみ)  古(こ)之所_二領行_一也 神日本(かんやまと)磐余彦(いはれひこの)天皇《割書:神武|天皇》東征之時討_二  伏 湯貴首人(ゆぎのおふと)_一帰化之場 海部佩室臣(あまのはぎむろのおみ)奉_レ射_二 天皇_一 天種子(あまのたねこの)  命以_三 三角石弓(みすみのいしゆみと)及_二玉太羽矢(たまふとはやとを)_一射_二-殺佩室臣_一討_二-終於 海部(あまの)氏  姓 ̄を_一因_レ此号_二其国_一謂_二於波里乃(おはりの)国_一謂_二尾張(をはりと)_一者(ハ)音之 訛(よこなまれる)也とこ  れ尾張国号の濫觴(らんしやう)也又 惺窩(せいぐわ)先生のかける職原抄の頭書  に 日本武(やまとたけ[る])征_二東夷_一而還_二於尾張_一所(はか)_レ帯(せる)之 剣(つるぎ)在_二熱田_一熱  田明神是此剣本自_二大蛇之尾_一張出(はりいづる)剣也此剣留_二此国_一  故曰_二尾張国_一と見え又凡そ新治(にいばり)今(いま)治 小(を)治《割書:字書に墾 ̄ハ治|也といへり》  などいへるは田畑を墾開(はりひら)きしより起りたる地名にて今の春  日井郡 小針(をはり)村は国の中央にありて延喜式に載(のせ)し山田 【右丁】 【右から横書き】 尾張 国号(こくがう)の濫觴(らんしやう)神武天皇 東征(とうせい) 【右下 落款】法眼梅山筆【印】某山 【左丁】 あからさまに京近き 所に下りけるをとく のほらんと思ひけれと いさゝかにさはる事あり てえのほらぬに正月さへ 二ツありけるとしにて いと春なかきこゝちして なくさめかてらにこの よにある国〳〵の名を よみける をはり 柿本人麿 《割書:歌集》 春たては    うめの花かさ       鶯の  なにをはりにて    ぬひとゝむ        らむ 【右丁】 赤染衛門(あかそめゑもん)馬津(うまづ)の  駅舎(えきしや)に宿(やど)る図 【左丁 落款】高雅【印 陽刻角印】高雅【全体を四角で囲む】  あり又同集に京いでゝ九日にこそなりにけれといひてかみ《割書:尾張守|大江匡》  《割書:衡朝|臣》 みやこいてゝけふこゝぬかになりにけり とありしかば とう  かの国にいたりにしかな としるし又 現存(げんぞん)和歌六 帖(でう)にのせし前(さきの)  摂政(せつせう)太政大臣の鷺(さぎ)の哥に さきたてる沼田のわせをかり  はてゝあゆちの水はあらはれにけり とあるにてよき水のわ  き出る事をしるべし《割書:この万葉集の長哥 小治田(をはりだ)と有べきを印刻(いんこく)本に|小沼田(をぬまた)と書しごとく治田を沼田にあやまりし事》  《割書:の古ければ此おとゞも|かくよまれしなるべし》 名古屋府 名古屋 真福(しんふく)寺《割書:大須観音(おほすくわんおん)|と称す》所蔵の弘法大師御入  定 勘決(かんけつ)記の奥書に于_レ時貞治第三暦 黄鐘(わうしやう)中 ̄ノ九日於_二尾  張国 那古野(なごや) ̄ノ庄安養寺 壇所(だんしよに)_一忍_二寒気_一書写 了(をはる)と見えしごとく  昔は那古野とかきてわづかなる村里の庄園(しやうゑん)なりしが  国君御居城の後は名古屋と書て広大 繁華(はんくわ)の一 都会(とくわい)  となり東海道より美濃路へ通る本道其うちをつらぬきて  熱田の突出(つきだし)町より下小田井の松原町まで三里が程 街衢(かいく)立(たて)  つらね工商(こうしやう)軒(のき)をならべ西国北国の諸侯方参府帰国の  往還(わうくわん)また京江戸上下の旅客(たびびと)常にたゆる時なくさながら  三都にも劣(おと)らぬ名府なり《割書:府内の街衢多く愛智郡に属せり其|うち大曽根(おほぞね)志水(しみづ)及び下小田井の三所は》  《割書:春日井郡に属したれども町つゞ|きなるゆゑ名古屋の部に出せり》 府城 足利家(あしかゞけ)の連枝(れんし)尾張守 高経(たかつね)の子孫 斯波(しば)氏当国の守(しゆ)  護(ご)たりしより春日井郡 清須(きよす)にありしを二百余年の後慶  長十五年清須の旧城(きうじやう)を廃(はい)して此名古屋に新城を御 営(えい)  築(ちく)有りしかば 東照宮の仰を奉じて西国北国の諸  侯二十人加賀侯《割書:松平筑前|守 利光(としみつ)》筑前侯《割書:黒田筑前|守 長政(ながまさ)》豊前侯《割書:羽柴|越中》  《割書:守 忠(たゞ)|興(おき)》筑後侯《割書:田中筑後|守 忠政(たゞまさ)》肥前侯《割書:鍋島信濃|守 勝茂(かつしげ)》肥前 唐津(からつ)侯《割書:寺沢|志摩》  《割書:守 広(ひろ)|高(たか)》豊後 佐伯(さえき)侯《割書:毛利伊勢|守 高政(たかまさ)》豊後高田侯《割書:竹中伊豆|守 重門(しげかど)》豊後 臼(うす)  杵(き)侯《割書:稲葉彦|六 典通(すけみち)》飛騨高山侯《割書:金森出雲|守 可重(よししげ)》豊後 日出(ひので)侯《割書:木下右衛|門大夫 延(のぶ)》 【右丁】 巾下(はゞした)新馬場(しんばゝ)より 御城を望(のぞ)む     図    宣阿 《割書:水雲集》  見るにその   国の    ひかりか   夕つくひ【夕づく日=夕方さす太陽。夕日。】  かゝやく    城の   高き    うて      【同右下 落款印】春江 【左丁】 《割書:防丘詩選》 烟花檻外低 百尺上_二 天梯_一 眺_レ遠衆山小 憑_レ高万木斎 呼_レ雲封_二谷口_一 送_レ影匿_二林臍_一 毎切_レ廻_二光照 超然思不_レ迷   帰化明人     陳元贇   【挿絵 右丁 文字なし】 【同 左丁 上部】  雲間城楼    松平君山 《割書:弊帚集》 璚楼高架彩雲 開佳気中天黄 鵠廻為道登臨 好_レ裁_レ賦乾坤吾 党仲宣 ̄ノ才  其二 【同 下部】 《割書:鈴屋集》  菰枕(こもまくら)ふと高しらす  高殿(たかどの)をふりさけ見れは  雲井にそ高く見え  ける大海(おほうみ)のいかれか魚の  かしこきや鱐(さち)ちふ魚も   わたつみの空にあらねと   此殿につかへまつると海原(うなばら)   ゆ天翔(あまかけり)来(き)て鱗(いろこ)なす   瓦(かはら)のうへの頂(いたゞき)の左り右りに  海(うな)ねつき風の吹日もたの夜もいゆき  さしすて常鎮(とこしへ)に侍(さふら)ふみれは真菅(ますげ)よし  これの尾張の国しらす  君の御威稜(みゐづ)【注】は玉鉾(たまぼこ)の道行人も  あはと見て驚くまてにいちしろく       目もかゝやきて          あやにかしこし           本居宣長 【注 正しくは「御稜威」。「威」の音読み「イ」から誤記したものと推測される。御威光の意。】 【右丁 挿絵 文字なし】 【左丁】 【左上】其三 【左下】 張城壮麗壓_二 三都_一 金鴟層楼入_二画図_一 地接_二蓬莱山島_一近 仙郎済々五雲衢      金龍道人  《割書:俊》讃岐侯《割書:生駒左近|大夫 正俊(まさとし)》土佐侯《割書:山内土佐|守 忠義(たゞよし)》長門侯《割書:松平長門|守 秀就(ひてなり)》阿波  侯《割書:蜂須賀阿|波守 至鎮(よししげ)》伊予侯《割書:加藤左馬|助 嘉明(よしあきら)》肥後侯《割書:加藤肥後|守 清正(きよまさ)》播磨侯《割書:池田|三左》  《割書:衛門|輝政(てるまさ)》安芸侯《割書:福島左衛門|大夫 正則(まさのり)》紀伊侯《割書:浅野紀伊|守 幸長(ゆきなが)》知行高 総計(あはせて)六  百三十八万七千四百五十八石三斗の衆大力(しゆだいりき)を以て普(ふ)  請(しん)せらる五重の天守閣(てんしゆかく)は肥後侯《割書:清|正》所望(しよもう)にて一手に造  営ありし也高数十丈 碧銅(へきとう)の瓦(かはら)を以て葺(ふ)きかさね黄金(こかね)  にて造れる丈余の鯱(しやち)を上層(じやうそう)の両 端(たん)に置(お)きけるが今に至  るまで空(くう)に聳(そび)え日に映(えい)じて衆人の目を驚(おどろ)かす実(じつ)に無(む)  双(さう)の壮観(さうくわん)にして海内第一の名城なり 那古野古城(なごやのこじやう) 《割書:今の御 築城(ちくじやう)以前にありて弘治の頃(ころ)より城主もなく|終に廃(はい)城となりし其旧地は今の御城二の丸のあ》  《割書:たり也その古城の始末は  後柏原(ごかしははらの)天皇の御宇(ぎよう)に参河国 臥蝶(ふせんてう)の|地頭大河内備中守 貞綱(さだつな)といふ人ありもとは吉良家(きらけ)の被官(ひくわん)なりしが》  《割書:近年 自立(じりう)して威を振(ふる)ひ駿河の今川修理大夫 氏親(うぢちか)と合戦す 大|河内は尾張の斯波(しば)治部太輔義達に援(すく)ひを乞(こ)ひて遠江の引馬(ひくま)》  《割書:《割書:今の浜|松なり》の城に楯籠(たてこも)る氏親一万余の軍兵を卒(そつ)し永正十年三月遠|江へ発向あり又義達は大河内を援(たす)けて深嶽(みたけ)に出張ありしが今川の家》  《割書:臣朝比奈十郎 泰以(やすもち)が為に敗軍す同十一年三月大河内 重(かさ)ねて引馬を取|かへし又尾張へ出馬を請(こ)ひしかば義達 再(ふたゝ)び進発して大河内と共に》  《割書:引馬に籠城(らうじやう)なり氏親又三万の兵にて同年六月城を取まき攻(せめ)撃(うち)け|れば八月十九日 終(つゐ)に落城して大河内貞綱其弟 巨海(こぬみ)新左衛門尉道》  《割書:綱以下千余人討死し義達は降人(かうにん)【注①】となり普済(ふさい)寺に入て剃髪(ていはつ)し《割書:法名|安心》|向後駿河に対して弓引まじきむね起請(きしやう)文を留めてぞ尾張へ帰国あ》  《割書:りけるかくて義達は隠居し其子治部太輔 義統(よしむね)家督ありしが大永の|はじめ氏親尾張の那古野に城を築(きづ)きて末子左馬助氏豊《割書:義元|の弟》を入》  《割書:れ置(おき)清須《割書:斯波義統|の居城也》の押(おさ)へとし義統の妹(いもうと)氏豊に嫁(か)して東西 隔(へだて)なくし|づまりぬ其ころ海東郡 勝幡(しよばた)の城主織田弾正忠信秀《割書:清須三奉行|の一人なり》今川》  《割書:氏豊と共に連歌を好みて互(たがひ)に贈答(ぞうとう)せしが或時小田井川の洪水(くわうずい)に使者 過(あやま)|ちて連歌の懐紙(くわいし)を入れし文箱(ふはこ)を流失させたり両家 本意(ほゐ)なき事に》  《割書:おもひ其後は互に会合(くわいがう)し信秀那古野の城中に至り一間の居所を乞(こひ)|得て五三日或は十日程つゝ逗留(とうりう)し連歌茶湯などして遊ひける享禄五》  《割書:年の春例の如く信秀 滞留(たいりう)ありしに本丸に向ひて窓(まど)を切開(きりひら)きしかば|今川の家臣是を怪(あや)しみ客人として有りながら御館(みたち)に矢狭間(やさま)を切る》  《割書:こそ心得ねと申せしかども氏豊聞入れず此人に限(かぎ)りて別心はあらじ|大樹 覆(おほ)ひたる柳の丸のくらければ風流の窓にこそあらめとて更にとゞめ》  《割書:さりける程に三月十一日信秀 俄(にはか)に大病と偽(いつは)り清須勝幡の家人を呼(よ)び集(あつ)|めてひしめきけるを夜に入りて今市場(いまいちば)の方に火事ありとて城中さわぎ》  《割書:立程に若宮社天王天永寺安養寺に火かゝりて火の子を城へ吹つけたり|城の東南の方より勝幡の兵士 日置(ひおき)の城主織田丹波守と調(ちやう)じ合せ鯨波(とき)【注②】》  《割書:を造(つく)りて攻寄(せめよ)せけるに柳の丸にも鬨(とき)の声(こゑ)を合せて火を放(はな)ち内外よりせ|めければ今川の家士 不意(ふゐ)の夜討に戦ひ負(まけ)て皆討死す氏豊は薬師寺刑》  《割書:部丞を以て助命(しよめい)を乞ひ母方の縁(えん)を便(たよ)りに上京しぬ信秀は計略(けいりやく)を以|てたやすくのりとりやがて此城に移りけるが天文三年吉法師丸《割書:信長の|幼名》誕(たん)生》   【注① 降参した者。】 【注② 合戦で、開戦に際し、士気を鼓舞し敵に対して、戦闘の開始を告げるために発する叫び声。鬨。】 【挿絵 右丁】 信秀(のぶひで)那古野(なごや)の城中に 矢狭間(やざま)を切開(きりひらく)図 【同 右下落款】華渓【陽刻印】華渓 【同左丁 文字なし】  《割書:の翌年南の方 古渡(ふるわたり)に新城を築(きつ)きて信秀引移り那古野は信長の居城|なりし同廿三年七月十二日清須の家臣織田彦五郎信友 斯波義統(しはよしむね)を》  《割書:弑して猶清須にありしを翌弘治元年四月廿日信長兵を卒(そつ)して彦五|郎を討取り其城にうつり那古野は信長の叔父(おぢ)孫三郎信光の居城と》  《割書:なりしが其年の十一月廿六日信光もまた其家臣坂井孫八郎に弑せられて|明(あ)き城となりしを林佐渡守信勝《割書:信長|の臣》城代たりし同三年正月信勝もまた》  《割書:叛(はん)心ありて信長に追はれし後終に廃(はい)城となりしよし那古野合戦記宗|長 手(しゆ)記同 宇津山(うつのやまの)記遠山信春が総【惣】見記木村高 敦(あつ)が続武家閑談尾陽雑》  《割書:記塩尻等に見えたるを参(さん)|考略抄(かうりやくしやう)して是をしるす》 東照宮御宮《割書:御郭内(おくるわうち)の三の|丸に御鎮座(ごちんざ)》 国祖源敬公大僧正天海《割書:号_二南|光坊_一》を請(しやう)  待(だい)し給ひ元和五年己未九月十七日此御宮を創建(さうけん)し給ひて  中 央(わう)に 贈太政大臣正一位源朝臣家康公の御神像(ごしんざう)を  安置(あんち)し奉り左に山王権現右に日光権現を配享(はいきやう)し給  へり○御本社《割書:南|向》祭文殿 渡殿(わたりどの) 中(ちう)門 瑞籬(みづがき) 御供所(ごぐうしよ) 鐘楼(しゆろう) 神輿(しんよ)  殿(でん) 御宝蔵(ごほうざう) 御井(おんゐ) 鳥居(とりゐ) 楼(ろう)門 何れも善美(ぜんび)を尽(つく)し或は朱粉(しゆふん)  丹青(たんせい)を施(ほどこ)し又は金銀 銅(とう)鉄(てつ)【銭は誤記ヵ】を鏤(ちりば)め荘厳(しやうごん)の美麗(びれい)いふばかり  なし○御本地堂《割書:薬師及び脇士(きやうし)三 菩薩(ぼさつ)十二|神将四天王の像を安置す》護摩(ごま)堂《割書:不動及び四天|の木像十二天》  《割書:の画像を|安置す》御神宝《割書:御太刀三口国行正恒宗近又歌仙の色紙(しきし)三十六枚は青蓮(しやうれん)|院(いん)法親王の御筆なり又 牛玉(うしのたま)一 顆(くわ)あり其外 数多(あまた)あれ》  《割書:ども枚挙(まいきよ)に遑(いとま)あら|ねばこゝに略す》御祭礼は毎年四月十五日三 基(き)の 神輿を祭  文殿へ渡(わた)し神供(じんぐ)を奉り十六日神 饌(せん)を調進(てうしん)し早朝に舞(ぶ)  楽(がく)を奏(そう)す同夜 御神前にて社僧(しやそう)論議(ろんぎ)あり十七日暁に御(ご)  供(くう)を奉り罪人(ざいにん)行赦(ぎやうしや)の義(ぎ)ありて後 車楽(しやがく)及び町々の警固(けいご)  を引渡しかくして 神輿三基 末広(すゑひろ)町の 頓宮(とんぐう)《割書:御旅所(おたびしよ)|と称す》へ  神 幸(かう)まします 神主(かんぬし)《割書:騎|馬》社僧《割書:手(て)|輿(ごし)》末寺の僧十人《割書:騎|馬》御城下十  社の神主まて供奉(ぐぶ)し警蹕(けいひつ)の官士前に二騎後に二騎其  余 徒行(とかう)の諸官人に至るまで総【惣】て四千余人ありて善美華  麗を尽(つく)すのみならず厳重(げんぢう)端正(たんせい)かくのごときは又他に比類(ひるい)稀(まれ)  なる行粧(きやうさう)なり 神輿の前には楽人(がくにん)歩行(かち)ながら音楽(おんがく)を合奏(かつそう)  し 神輿 通御(つうぎよ)の御道すがらは両 側(がは)に竹 矢来(やらい)を結(ゆ)ひて往  来を禁(きん)じ家ごとに灑掃(さいさう)してもとより砥(と)のことく矢(や)の如き 【右丁】 三の丸 御宮の図 《割書:巵園集》 不_レ数_二桓文業_一 能収_二種蠡賢_一 鼓行持_二節鉞_一【注】 蚕食尽_二腥羶_一【𦎬は誤記ヵ】 覇定尊_レ周日 功成責_レ楚年 宗臣陳_二尽策_一 勇士荷_二戈鋋_一盗 賊皆消_レ胆蒼生得 _レ息_レ肩七奔鋒鏑乱 三捷檄書伝海内 風塵静台階日月懸 帳中修_二典礼_一閫外握_二兵 【左丁】 権_一寝廟丹青麗祠官祭祀 虔小人欽_二盛徳_一胆仰石壇 前         恩田蕙楼 【注 節鉞(セツエツ)=節と鉞。節は旄牛(ボウギュウ 長い毛のある牛。やく。からうし。)の尾の毛などで編んで作った旗飾りや旗印。大将・使者などに賜る符信(しるし、証拠)。鉞(まさかり・おおおの)は古、天子が将軍に征討を命ずるときに、その符信として与えた大斧。】  曠野集   貞享つちのへ辰のとし弥生   一日   東照宮の別当僧   正の御坊に慈恵大師   遷座執事法華   八講の侍るよし   尊き事なれは   聴聞にまかりて   序品の心を  散る花の   あいたは    むかし     はなし      を    越人 【右丁】  四月十六日  御宮 舞楽(ふがく) 塩尻  今日神前に舞台(ぶたい)を張 て伶人(れいじん)是をつとむ警(けい) 固(ご)の諸列(しよれつ)階上(かいじやう)広庭(ひろには)に 候(かう)して威儀(ゐぎ)を厳(おごそか)に す《割書:云云》貴賎の参詣 をゆるし給ふ 実に其 式(しき)あり て参詣する 事に侍れ ども今は 諸社の例 に准(じゆん)し其 制なきこそ 誠に尊くお ぼへ侍れと 《割書:云云》 【同右下落款】春江 【左丁文字無し】 【右丁】 【右から横書き】 四月十六日夜魚(うを)の棚(たな)賑合(にぎあひ) 【同右下落款陽刻印】華渓 【左丁】 此辺数町の間両側の 家ごとに御祭礼付【附】町々 の弁当重詰を製する よそほひ灯(とう)【燈】を張り燭(しよく) を耀(かゝやか)して見物の群 集は老若男女僧俗 ともに引もきらず徹夜(てつや) の賑合これに勝(まさ)るは なし  夏めくも    余所よりはやし       魚のたな         黄山  大道もさながら磨(みが)ける鏡(かゞみ)の面(おもて)に似たり両側の桟敷(さじき)には幕(まく)を  張(は)り屏風(びやうぶ)を引立 毛氈(もうせん)などしきて拝見の男女貴賎少長  となくおもひ〳〵に華美(くわび)を競(きそ)へるも太平のさまにて 神徳のか  たじけなさ弥増(いやま)しぬ 神輿還幸ありて後は家ごとに我 後(おく)  れじと矢来(やらい)を取 払(はら)ひ店々(みせ〳〵)のかざりを本へ復(ふく)するありさま又拝見  の諸人老弱男女 打群(うちむれ)つゝ往来 狭(せば)しと押合(おしあ)ふ賑合(にぎあひ)までみな  神恩の余沢(よたく)にして昇(しやう)平の瑞象(ずいしやう)上下万歳を謳(うた)ふ慶(よろこ)びいと  尊くぞ覚ゆる猶御祭礼の首尾(しゆび)次序(じじよ)等 委(くわ)しき事は画図  に譲(ゆづ)りてこゝに略す画者筆力の精詳(せいしやう)細密(さいみつ)至れり尽(つく)せり  見る人思ひを潜(ひそ)め心を留(とめ)よかし 天長山尊寿院神宮寺《割書:御宮の別|当なり》天海僧正の開基(くわいき)にして天  台宗なり寛永四年神宮寺と号(なづ)け叡山(ゑいざん)の珍祐(ちんゆう)権  僧正を以て別当とし山門の日蔵(にちざう)院及び当国春日  井郡野田村の医王(いわう)山 密蔵(みつざう)院を兼帯(けんたい)し上乗院と名  のれり其後世々僧正に任(にん)じ尊寿院を通称とす 神主 吉見(よしみ)氏 はじめ京都の人にして岡崎左近菅原 直勝(なほかつ)  といひしが 勅(ちよく)によりて 東照宮の祠官(しくわん)となり姓名を  改めて吉見宮内太輔 幸(ゆき)勝と号(ごう)し正五位下に叙し代々  神主 職(しよく)たり 将軍家御代々御 霊屋(れいや)《割書:御宮の西|に隣れり》 亀尾天王社《割書:御宮の東|隣に鎮座》 醍醐(だいご)天皇の延喜十一年三月十六日  勅によりて此地に鎮座ありしよし当社 縁起(えんぎ)に見えたり天  文元年三月十一日 那古野(なごや)合戦の兵火に焼亡せしかば同八年  再び造立(ざうりう)す慶長十五年御城御 営築(えいちく)の時 御郭(おくるわ)内に  なりし故他に遷(うつ)されむとの議定(ぎぢやう)ありしかど神 慮(りよ)はかり  がたかりければ 神君の思召にて神前にて御鬮(みくじ)をとりしに 【右丁】  四月十七日  御祭礼全図      其一  四月十七日観_二  神祖祭儀_一    深田厚斎 厚斎遺稿  児女紛々早出_レ城  掌如街上雨初晴  誰知往昔千戈  事渾浴_二恩波_一観_二  太平_一 【同右下 陽刻落款印】春江 【左丁】      千秋 八十浦の玉 天皇(すめろき)のしきます国の 安国(やすくに)をいよゝます〳〵 安国とことむけまし て神なからかみさひ います 東照(あつまてる)神の命(みこと) の御影はや月日と共 にとこしへにかゝやきまし て天(あめ)の下(した)四方(よも)の玉はし おたひしく【注①】たぬし【注②】くあり けり此神のめくみあま ねく食国(をすくに)にみちたら はし【注③】て長き世にけふの 日ことにその御たまいつ きまつると人みなの御かけ たふとみうたけつゝわさを き【注④】しつゝ神ほきまつる すめろきの大食国東てる 神のみことそしつめまし           けり 【注① おだひしく(穏ひしく)=穏やかな感じである。】 【注② 「たのし(楽し)の「の」に当たる万葉仮名「努」などを「ぬ」とよみ誤って作られた語。江戸時代の国学者が多くこれを用いた。】 【注③ 足らはす=「足らふ」の尊敬語。欠けたところなく整っておられる。】 【注④ わざをき=神意をうかがい寄せるために、神前で種々の芸をする事。】 【右丁】   十七日名古やにて   東照大神の御祭を見   奉りて      稲掛大平 結捨たり枕の草葉 苅菰(かりごも)のみたれりし世 にかきかそふ三河の 国ゆ尊くもあれ 出まして 天皇の御 言のまにま【注①】天の下四 方の国内(くぬち)をはきき よめ治めたまひて 下毛野(しもつけぬ)二荒(ふたら)の宮に 万代にしつまりいます 東照神のみことは かしこきや同し御(み) 祖(おや)としら玉の尾 張の君のむしふ すま【注②】なこやの 里の城(き)のちにも 【注① 従って。】 【注② むしぶすま(苧衾)=カラムシ(苧)の繊維で作った寝具。柔らかくて寝心地がよかった。】 【左丁】 いつきまつらしか しこみてつかへた まふと年ことの四月 のけふのたり日【注③】には 神のみゆきとゆき とほる大路もとほ  目かゝやく神輿(みこし) つかへて諸人のい ませまつろふけふのた ふとさ 【注③ 「たるひ(足る日)=充足した、良い日。】   また 東照神の命の神 みゆきいませまつる と里人のこゝた【注④】出たち 御まつりのいたしの ものと引出る車を 見れはとりよろふたか き屋形にわさをきの 人かたたてゝ人かたの立 舞ことに銭綾のきぬ屋 のうちゆつゝみうち笛ふき ならし行とほる大路とよ 【注④ ここだ=こんなにも多く。】 【右丁】 みてすき〳〵にひきゆくまにまうるはしく里の わらはゝならひたちよそひつらねて御かりなす 鷹を手にすゑさつを【猟師】なす弓矢とりもち御(み) 鉾(ほこ)ともさゝけならはひはふりへ【祝部】も法師かともゝ たち出て馬たきわたりつき〳〵に御 ともつかふる見るかたふとさ   また むしふすまなこやの里のゆき とほる大路はろ〳〵【「はるばる」に同じ】かしこき や神の御幸(みゆき)とうるはしく ねりゆく見ると里人もこと里 人もをちこちゆ袖引つらね 玉ほこの道のちまたにさす き【注①】ゆひさはに【注②】つとひて大路 のや ひたり みきりに家こと にうつくまりをり物見るとなみゐる見れはやす御代 の事なきみよとゆたけ くもにきはへるかもかしこ きや此大神のいそしきや たけきみいつ【御稜威】に天の下く 【注① さずき=材木を綱で結んで仮に作った床または棚。】 【注② たくさん。】 【左丁】 ぬちこと〳〵神代よりた くひなきまてをさまれる 御世のさかえを見らくし         よしも         昭豊 さもこそ【注④】は    神のこゝろに       かなふらめ  打やつゝみの      音のゆたけさ        沙鴎  御祭も   春も日和や    土ほこり 【注③ クニウチの約。国の中。国内。】 【注④ そのようにこそ】  其三 【右丁 上段】 其四  伏見町  淀町  下御園町 《割書:天下泰平》  御園片町 《割書:天下泰平|天下泰平》  上材木町  下材木町  元材木町  納屋町  塩町  堀江町  堀詰町  戸田町  已上  七十五人   ㊈【大きく】 神主  吉見氏 【同 中段】 玉屋町 幟指具足者《割書:七十五人》 両替町  子供鎧武者《割書:九人》 瀬戸物町  頼政《割書:三人》 大津町  弓鉄炮持《割書:十二人》 益屋町  山伏大峰入《割書:九人》 【同 下段】  ㊀【大きく】 伝馬町 駿河町  突袖子供《割書:五人》 外ニ  羽織着子供    五人略之 【左丁 上段】 御神馬三疋 御弓三張 御長刀三振 御鉾三振 素袍着 【同 中段】 関鍛冶町  唐子《割書:十一人》 五条町  順礼花荷《割書:十人》 和泉町  同   《割書:十人》 上七間町  寿老人  鹿  唐子遊《割書:十二人》 練屋町  比丘尼《割書:十人》 ㊇【大きく】 【同 下段】 伝馬町  林和靖車 【右丁 上段】 其五 御太刀一振 御鷹匠二人 御矛十人 ㊉【大きく】 楽師十人 御旗 御神輿 【同 中段】 島田町  関羽十二人 小市場町  羽織着子供六人 吉田町  刀指子供八人 【同 下段】 上畠町  雷車 【左丁 上段】 御旗 御太刀  二ノ神輿   山王権現 【同 中段】 石町  鉄炮持五人  鹿狩子供十五人 小牧町  追狩子供廿二人 西鍛冶町  茸狩   三人 ㊆【大きく】 【同 下段】 長者町  二福神車 【右丁 上段】 其六  御太刀    御旗  十一【大きく○で囲む】 三ノ神輿  日光権現 【同 中段】 桶屋町  唐子遊八人 諸町   鷹師十七人 【同 下段】 ㊂【大きく】 桑名町  湯取神子車 【左丁 上段】 別当  尊寿院 末寺僧  十人  騎馬 【同 中段】 常盤町  頼朝八幡詣     十人 呉服町  普化僧   十四人 伊勢町  泰官子供十三人 茶ヤ町  唐人十八人 ㊅【大きく】 【同 下段】 宮町  唐子遊車 京町  小鍛冶車 【右丁 上段】 其七  十二【丸で囲む】 【同 中段】 大和町  唐人二十一人 淀町  指南車七人 伏見町  中巻六人 上御園町  刀指子供十三人 【同 下段】 ㊃【大きく】 中市場町  石橋車 【左丁 上段】 御行列畢 【同 中段】 下ミソノ町  同   十二人 長島町  武者大江山入    十三人 福井町 富田町  小母衣十一人 小桜町  業平東下リ    十五人 ㊄【大きく】 【同 下段】 本町  猩々車 大母衣二ツ  他に遷り給はじとの御鬮再三下りしうへ往昔(そのかみ) 神君御  若年の時此天王坊に三年ばかりがほどおはしませし其御  したしみにより終(つゐ)に外へは遷地なくしてやみぬかくて御  城 擁護(おうご)の鎮守(ちんじゆ)府下の氏神といはひ祭れり《割書:小児の髪置(かみおき)袴(はかま)|着(ぎ)をはじめ詣(けい)人》  《割書:常に絶る|事なし》本社《割書:南向祭神|素盞烏(すさのおの)尊》拝殿《割書:縉紳家三十六筆の歌仙の扁(へん)|額(がく)を掲(かゝ)ぐ画は宮脇有慶也》中門  瑞籬(みづがき) 御供(ごくう)所 宝蔵 御井 鳥井 摂社《割書:八王子社は本社の右 兵主(ひやうすの)社|は本社の左にあり 寛永六》  《割書:年巳己十一月十六日 源敬公 新(あら)たに御造営なり 瑞籬の外の末社は|稲荷社 日神社 月神社 弥五郎社 白山社等 みな本社の右にあり》神木 公(い)  孫樹(てう)《割書:拝殿の西にありむかし嫉妬(しつと)の婦人 咒詛(じゆそ)せんためしば〳〵この樹に釘(くぎ)を打|し事の有しかば 国君の御はからひにて 寛文十二年樹の巡(めぐ)りに柵(さく)ゆ》  《割書:ひまはせしより後木の本へ|人の寄(よ)ることあたはず》神宝《割書:雪舟十六 羅漢(らかん)の屏風(べうぶ)周文花鳥の屏風等多|くあり又織田弾正忠以下諸将の古証文(こしやうもん)寄(き)》  《割書:進状(しんしやう)等数通其外神仏の画像多し拝殿の鰐口(わにぐち)は元亀元年八月廿四日の文字|見え本地堂の鰐口には大永八年戊子正月日鋳_レ之と彫(ゑり)たり又塩尻に天王》  《割書:祠正体 ̄ハ鏡形面中画_二牛頭天王 ̄ヲ_一 上 ̄ニ画_二婆利女(はりじよ) ̄ヲ_一左右 ̄ニ画_二 八王子 ̄ヲ_一裏 ̄ニ曰奉_二施入_一牛頭|天王御正体勧進 ̄ノ沙門勝尊《割書:并》縁阿弥陀仏正安《割書:二|二》年壬寅四月十一日とある》  《割書:よし見|えたり》例祭六月十五日の夜 片端御園(かたはみその)御門より東の方に車(だん)  楽(じり)を置(お)き数多(あまた)の挑灯(ちやうちん)をかゝく又此祭にかゝはりたる町〳〵  より小(ちい)さき山車を曳(ひき)来る是を見舞(みまい)車といふ其外府下の  子供等(こどもら)が笹(さゝ)に小挑灯をつけて捧(さゝぐ)るありさま皎々(かう〳〵)たる月に  映(えい)ぜる数千の紅灯白日を欺(あざふ)き貴賎(きせん)の群集 潮(うしほ)の湧(わく)が如  し実に夜景の壮観(さうくわん)也又十六日朝前夜の車楽に能人形(のうにんぎやう)  をかざりて引渡す児(ちご)の舞(まい)などありて古雅なる祭式也 亀尾山安養寺 天王の別当にして天王坊と号し真言宗  にて京都仁和寺明王院を兼帯(けんたい)す伊勢国 多気(たけ)郡長  松山安養寺同 派(は)にして開山 恵日(ゑにち)国師は禅(ぜん)密(みつ)兼学(けんがく)の  知識(ちしき)なり《割書:後園(こうえん)の仮山(かさん)樹木(じゆもく)の位置(いち)自ら幽致(ゆうち)あり是古田織部の好にして|唐土(とうと)廬山(ろさん)の風景をうつせり又 茶室(ちやしつ)も同人の好なるか今猶》  《割書:存せり亀尾山の額(がく)は明人(みんひと)陳元贇(ちんけんひん)の筆安養寺の額は|朝鮮人 雪峰(せつはう)の筆也 塔頭(たつちう)常林坊南坊西坊の三 宇(う)あり》     《割書:登_二亀尾山_一呈_二如実上人_一《割書:暢園詩草》  岡田新川|》    《割書:瑜伽境在_二大城間_一緩歩乗_レ春試一攀浴_レ水文会含_二荇|帯_一満_レ園芳樹結_二華鬘_一香雲徧覆三摩地彩石嵌空九》   《割書:扨山幸有_三闍黎憐_二翰墨_一優遊共得_レ楽_二余閑_一》 名古屋 山三宅址(さんざのやしきあと)《割書:名古屋蔵人高信の屋敷跡三の丸の内西南の方|の武士屋敷の内にありて湟(みぞ)土居(どゐ)などのあと今》 【右丁】 亀尾(かめを)天王社  冷泉為村卿此社にて  星祭りを修行ありし  時奉納の懐紙(くわいし)に   年星のまもりを   いたゝきて     入道前大納言澄覚 つきせしな  今年の星の   まもれなほ  亀の尾なかき   山を    ためしに 【左丁左下 陽刻落款】春江 【右丁】 天王祭 片端(かたは)試楽(しがく)   南宮大湫 高天月一点 平地灯千張 此夜都如_レ画 【左丁】 人々来納_レ涼        春江 挑灯の山も   順よくあけに       けり  もかさをまもる    神の祭       は 【同左下 陽刻落款】春江 【右丁】  京町通茶屋町  伊藤呉服店 此家はもと尾張 本貫(ほんくわん) の武士にして先祖 源左衛門 幼名 蘭丸(らんまる) 《割書:森蘭丸とは|別人なり》贈太政大臣 信長公に官仕し天正十年 公 薨逝(かうせい)の後 浪人(らうにん)して 清須にありしが慶長 十五年の御 遷府(せんふ)より 名古屋の移住(いじう)し 万治二年より呉服 屋となる 江戸上野 広小路をはじめ諸国 に出店もありて家 富数代 繁栄(はんえい)す清 須山王の社の拝殿に かゝりし古き猿画(さるゑ)の 【左丁】 扁 額(がく)《割書:俗に絵馬(えま)|といふ》に奉_レ懸 御神前慶長八《割書:癸卯》 歳伊藤蘭丸と見えたるは 則其 牢人(らうにん)たりし時の 寄付(きふ)なり 【同左下 陽刻落款】春江  《割書:に残れり又 那古野(なごや)古図に名古屋三屋敷とあるも同じ所なり蔵|人高信はふるき地侍(ぢさふらひ)にて今川氏豊の城主たりし時より以前の人なり》  《割書:あるひは今川 麾下(きか)の士なりしともいへり山三はその一 族(ぞく)にて塩尻に名|古屋因幡守敦順か子山三郎後九右衛門といふ母は織田刑部太》  《割書:輔の女山三郎浪人の後出雲の巫子(みこ)くにといふ女を具し京都三条|にて女 歌舞妓(かぶき)をなす其後大坂にて淀殿(よどどの)とも悪名の沙汰ありと《割書:云々》》  《割書:と見えたり山三郎はじめ蒲生(がまふ)家に仕へ後森作州侯の家臣となり|しなり森家の系図に森侍従忠広朝臣の母は名古屋山三が妹なるよしに》  《割書:見えたる其縁によりて奉公せしなるべし山三後に井戸某が為に害(がい)せられしとも|いふ又お国が哥舞世に名高く信長公豊太閤の御前にも出其余高貴の門に》  《割書:入て態(わざ)をなせり其体天冠をいたゞき白衣を着(ちやく)し水晶(すいしやう)の珠数(じゆず)を首に掛(かけ)|て舞ふ或時は男子の体に刀を帯(たい)し名古屋 帯(おび)に組糸(くみいと)を下(さ)げ或は》  《割書:髪(かみ)を垂(た)れ仏号を唱(とな)へ鉦(かね)をならして歌舞せしとぞ凡そ山三お国が|事雍州府志をはじめ近代の書ども諸説さま〳〵にして一 様(よう)ならざれども此》  《割書:二人歌舞妓のわざをきを仕出し始しことは諸人のあまねくしるところなり》 芭蕉翁雪見の一 軸(ぢく)《割書:本町一町目書林風月堂が家に珍蔵す風月堂二代目|の主孫助は蕉翁の門人にして夕道と号す貞享四年》  《割書:十二月芭蕉翁此店に立よりしか折(をり)ふし雪の降(ふり)出ければ即吟の句を夕道に与(あたへ)しとぞ》       《割書:書林風月ときゝし其名もやさしく覚えてしはし立寄てやすらふ程に雪の|降出けれは》    いさ出む雪見にころふところまて  はせを      丁卯臘月初  夕道何かしに贈る  と見えたり其後 也有(やゆう)翁此一軸を見られし時       手の跡(あと)や雪の足あと見ぬ世まて 花井臼(はなゐうす)の古事  《割書:本町一丁目の唐本屋《割書:氏は|花井》といへる家に年久しく持伝へし臼のありしが 明和九|年 春の頃 打わりて薪(たきゞ)とせしに異香(いきやう)四方(よも)に薫(くん)じければ近隣 皆 驚(おどろ)き はせ》  《割書:来りて これを見るに赤栴檀(しやくせんだん)の上品なるものなり則 焚(たき)さしてこれを秘蔵(ひさう)し少し|づゝ知音(ちいん)の方へも配分(はいぶん)せしを 森川某 故ありて 冷泉為村卿へ奉りければ其香を》  《割書:夏衣(なつころも)と名づけ給ひ》   《割書:おほろ夜の   かけは霞(かすみ)の   うすものに  こほれて匂ふ  梅か香(か)の|日数にうつる  春くれて     夏立けふの》   《割書:うすころも   うす紫(むらさき)の    あふちかけ|すゝしき風に  秋のたち     うす霧なひく》   《割書:初尾はな    ほのかにうすく  暮そめて|まくこす高き  山か是([ぜ])に    月すむ秋の》   《割書:琴のこゑ    夜寒のかりも   音(ね)をそへて|そともの木々の うすもみち    いそく時雨の》   《割書:朝戸出に    庭のうす雪    めつらしな|なけのなさけの 筆のあと     墨うすからぬ》   《割書:玉章の     契(ちぎり)はいつか   うすからむ|うすきへたての 賤(しづ)か家(や)に   稲(いね)つく臼の  槌(つち) の 歌  うたふ声〳〵》   《割書:おもしろや    と御自筆にかきて給りぬ此うたに藤尾勾当 曲節(ふし)をつけて琴に》  《割書:合せてうたひけるをきかせ給ひて又冷泉家より歌をよみて彼勾当に 給りける》     《割書:香木のうすといふ名によせてかきつけ見せしことはに藤尾勾当ふしをさへにたくみて|琴にかきあはせしかは》   《割書:うたふ哥のふしにこゝろをつくし琴いとめつらしきしらへをそきく》     《割書:此勾当は尾張の国の人なりはる〳〵都にのぼりて此しらべをきかするも因縁(いんえん)の|うすからぬ故ならし   澄覚》  芭蕉翁の古事 風月か  門てころ    はむ   雪    の     暮    白図 【右下落款】玉渓【陰刻印と陽刻印】玉 渓 桜(さくら)天満宮《割書:小桜(こざくら)町本町西へ|入南側にあり》織田備後守信秀つねに天満宮を  信仰(しんかう)し或時京都北野へ参詣ありけるが一夜(あるよ)の夢(ゆめ)に菅神  枕上(まくらがみ)に立給ひ我此梅松院にある事年久し今 汝(なんぢ)が住(じう)  国(こく)にむかへよ諸民の安全を守らんと告給ひしかばいそぎ梅  松院に至り其旨を語(かた)りしに梅松院も前夜に見し夢  の霊告(れいこく)に苻合(ふがう)せしかば彼院の霊宝(れいほう)なる御自作の神像  を信秀に付与(ふよ)しけるを天文九年こゝにうつし社を創建(さうこん)  して安置(あんち)し万松寺の鎮守(ちんじゆ)とせしが慶長御遷府の時  万松寺を今の所へうつされしかども御鬮(みくじ)の神慮(しんりよ)にまかせ此  社は残(のこ)りてこゝにいませり《割書:入道前菅大納言のかゝれし縁|起ありこの文と大同小異なり》神木に桜  の大樹ありし故桜天満宮と称す別当桜花山霊岳院は  曹洞宗にて則万松寺の末刹(まつせつ)開山は清庵宗仙首座也《割書:彼|桜》  《割書:樹は万治三年正月の大火に焼|失して今は其名のみ残れり》本社《割書:菅神御自|作の神像》薬師堂《割書:本尊 智證(ちしやう)|大師の作》 【右丁】     霊岳院天満宮遷【迁は俗字】宮の節 酔中雅興集   御利生はあらたに造る御社へ    うつすかはらや          栄ふ神垣            可吟 【同 中央部】 白太夫 大こく ゑびす 庚申 【右丁】 【右から横書き】桜天満宮 【左中央】    春日登_二霊岳院鐘楼_一         松永国華 麦浪詩集  春満城南十万家登_レ楼極  _レ目尽_二烟霞_一請看千里芙蓉  雪乍入_二鐘声_一作_二落花_一 【左下 陽刻落款印】春江 【右丁】 本町三丁目 医学館(いがくくわん)直伝(ぢきでん) 三臓円(さんざうえん)店 二月桜天満 宮 植木市(うゑきいち) の賑合 此辺数 町の間 殊に 多し 【左丁】    伯馬 鳩杖集付録  植木屋が   もてきさら      きの    御縁日  一夜に    こゝも   松の    千本    梅間  十町も  一かすみ   なり  植木    店 【左下 陽刻落款印】華渓 【右丁】 本町四丁目  大丸屋店   植木市其二 【右下 陽刻落款印】華渓 【左丁】 子日野の  小松はおろか  くるまもて   大まつを引    天神の市      双蝶園  末社《割書:数祠|あり》拝殿  絵馬(えま)堂 《割書:本社の南にあり二月例祭のとき府下の寺子や|より奉納せし数多(あまた)の絵馬を此堂内にかゝぐ》  《割書:又天保七年に至りて諸国凶作打つゞき米価高直にして飢渇(きかつ)に及べる|ものすくなからず其比府下の志ある町人此所に施行(せぎやう)堂といへる扁額(へんかく)を》  《割書:かゝげて日々 若干(そくばく)の金銭米穀或は衣類等まで思ひ〳〵に貧賎を恵(めぐ)みし|も 国君の御仁政より憤発(ふんはつ)せるならんか同九年の春までに施行の総【惣】計》  《割書:凡二万両余に及べりとぞかゝる連年の凶作にかく 御仁恵の|下ざま【注】に及べることいともかしこくかたしけなくぞ覚ゆる》鐘楼(しゆろう)《割書:万治|四年》  《割書:三月より官命を奉じて昼夜(ちうや)十二時に此 鐘(かね)をつきて町中に告知ら|しむ故に時の鐘と称す古鐘の銘は小出永庵の作なりしが宝暦十三年》  《割書:に焼失し今の鐘の銘は須賀安貞の作なり》 【注 したざま=下層階級の人々。】      《割書:尾 陽 城 下 鐘 銘 并 叙》   《割書:於 乎 撃 鼓 以 警_二晨 昬_一鳴 鐘 以 紀_二 子 午_一 乃 古 今 之 通 典|也 辛 丑 之 春   邦 君 出_レ 命 新 制_二 一 鼓_一 掲_二 諸 譙 門_一 而 準_二》   《割書:挈 壺 之 職_一 毎 時 鼕 々 靡_レ 有_二 差 謬_一 然 尚 恐 不_レ 達_二 遐 方_一 重|命_二 有 司_一 鎔_二 鋳 洪 鐘_一 懸_二 諸 市 街 之 正 中_一 而 主_二 時 候 之 数_一》   《割書:於_レ 是 鐘 鼓 俱 鳴 而 后 昼 夜 之 道 如_レ 示_二 於 掌_一 群 僚 得_レ 是|成_二 官 私 之 務_一 黎 民 得_レ 是 修_二 利 養 之 業_一 所 謂 声 音 之 道》   《割書:与_レ 政 通 者 其 斯 之 謂 歟 敷_二 于 一 時_一 以 垂_二 于 万 世_一 鴻 勲|之 盛 不_レ 可_二 勝 記_一 焉 因 奉_二   公 命_一 謹 勒_二 事 状 乎 銑 間_一 且》   《割書:作_二 之 銘_一 銘 曰|筍 虚 瀏 渟   授_二 時 四 民_一   洪 音 徧 播   城 市 郷 隣》   《割書:錫_レ 文 思_レ 武   和_レ 人 感_レ 神   邦 君 偉 績   千 歳 無_レ 湮》  《割書:万 治 四 稔 辛 丑 春 三月 穀 旦   詞 臣 永 庵 小 出《割書: 立 庭 》稽 首 謹 撰》                   《割書:府下鋳匠|   水 野 太 郎 左 衛 門 藤 原 則 重》      《割書:題_下 重 鋳 分 時 鐘 刻_二 古 銘_一 後_上》   《割書:自_下在昔我 先君剏置_二景鐘于菅神叢祠之南_一報_上_レ時|牗民奮庸煕載以来仰_二其賢_一享_二其利_一者既百有余歳》   《割書:皐々之政百姓日用而不_二自知_一也宝暦癸未十月六|日叢祠罹_二濫炎之殃_一県鐘俱焚頓為_二烏有_一 人咸始知_三》   《割書:最為_二欠事_一於_レ是 邦君允重_二民事_一乃命_二鳧氏_一改鋳以|脱_レ鑪翼然【二点脱】鉤之県_一陰陽相燮無_レ滞無_レ散侈弇克諧不》   《割書:_レ窕不_レ摦鏗号横_二武昭_一嗣_二徽音_一以暢_二達于四境_一矣其声|嘽以緩安以楽闔国聴者訴々然相慶曰禹声文声》   《割書:孰先孰後終日竟夕民之収_レ曁也 邦君悦_レ焉蓋徴|角之律相得者此謂_下先_二民之憂_一而憂後_二民之楽_一而楽》   《割書:也【上点脱】臣安貞奉_レ命欽紀_下所_三以紹_二復丕績_一之由_上而鳴_二休祐|於億齢_一踵_二旧文之武_一以不_レ贅_二銘辞于此_一者然》  《割書:明和改元甲申冬十二月    須賀安貞拝稽首識》            《割書:鳧氏則重四世孫|  水野太郎左衛門藤原孝政》 神宝《割書:方丈仏間に安置せし十一面観音は唐仏の銅像也又菅公十一歳の御時|かき給へる梵網経(ぼんもうきやう)南化和尚自画讃の渡唐天神の像康安元年に》 《割書:書し天神縁起一巻その外|古書画古仏像等多し》例祭《割書:二月二十五日神前に大般若を転読(てんどく)し絵馬|堂に神輿をかざる此日府下の寺子供(てらこども)等(ら)我》 《割書:おとらじと大文字をかきて境内に張(は)る事すき間もなく中にも甚しきに至ては|さしもに高き鐘楼より地に及ぶほど紙をつぎて或は三字或は五字などかきて》 《割書:詣人の目を驚(おどろか)しむ又祭日前後三日の間府内及び遠近の村々より出て本町通|数町の内両側に植木(うゑき)を商(あきな)ふ賑合(にぎあひ)盆鉢(ぼんはち)に植たる造(つく)り木 接(つぎ)木はさら也大樹喬木》 《割書:をも厭(いと)はず車にて曳(ひき)来りたて並べたる|ありさまさながら山林に入るが如し》田中 道麿(みちまろ)居処碑(きよしよのひ)《割書:当寺の庭|中にあり》 《割書:道麿俗称田中庄兵衛のち道全(どうぜん)と号し和学に長じて万葉集等の古書に通達|す美濃国 多芸(たぎの)郡 榛木(はりのき)村の人なるがこゝに移住(いじう)して天明四年十月四日死去す》 【右丁】 古人猿猴庵遺図高雅写意【陽刻落款印】高雅【この行全体を四角で囲む】 【左丁】 加藤清正  石引(いしひき)の図 【右丁】 伝馬会所  札ノ辻 此辻の  おきての    札は  なまよみ      の 【左丁】 かひの  黒駒 つなく  馬士   かな  琵琶彦 【左下 陽刻落款】春江  《割書:著述撰集万葉抄万葉名所歌抄万葉東語栞万葉問答書手向草等あり又万葉|以下の古書どものうち解(げ)しがたき語言を発明(はつめい)自得(じとく)し或は疑(うたが)はしきを本居宣(もとをりのり)》  《割書:長(なが)へたづねつかはし問答せしものを疑問(ぎもん)と題(だい)して数巻あり此翁 宇津保(うつぼ)物語|の古写本を所持せしが延宝の印行(いんかう)本とは甚 異(こと)にして世に重宝なり此碑面》  《割書:には本居宣長の歌を彫(ゑり)付たり鈴屋集に たなかの道まろみまかりて尾張のな|ごやの霊岳院といふ寺のうちに年ごろ住ける跡に石ぶみたてんとするにゑりつくべ》  《割書:き哥かのをしへ子どものこひけるによみてつかはしける 聞て来て見む人しぬへはり|の木の田中のをちか家ところこれ はしけやしみぬの国人はりのきのをちかかたみ》  《割書:の榛の木あせを 此老翁は美濃国多芸郡の榛木村の人にてやがてはりの木の|をちとなむなのりけるさてなむ此あとのしるしにもはりの木をうゑたりけると》  《割書:見えたり》   《割書:  桜花菅神廟《割書:撫塵集》      神野子容|澹沱春半日満市売_レ花声共歛_二牲銭_一去酔遊唱_二太平_一》     《割書:   二月廿五日奉納に|曠野集》      しん〳〵と梅散かゝる庭火かな   荷兮     《割書:同》      鶯も水あひて来よ神の梅      亀洞     《割書:同》      何とやらおかめは寒し梅の花    越人     《割書:同》      上下のさはらぬやうに神の梅    昌碧 加藤清正 普請場(ふしんはの)旧地《割書:慶長十五年御城御造営の時加藤肥後侯万|松寺を旅宿とせられしは今の桜天神の境地》  《割書:なり此侯五 重(しう)の天守閣(てんしゆかく)を立られし時熱田の方より大石を運(はこ)ばれしに|角石などの大なるを毛氈数十枚にて包(つゝ)み青き大 綱(つな)にてまとひ地車に》   《割書:のせ五六千の人夫にて引せられけり児(ちご)小姓(こしやう)【性は誤記】の美少年に錦繍(きんしう)を粧(よそほ)はせ|数十人を石の上に立並べ自身も片鎌(かたかま)の鑓(やり)を持其中央に立て木やり》  《割書:哥をうたはるさて那古野(なごや)清須の商人(あきうど)どもの酒肴くだ物など売(う)れる|をあたひの高下を論ぜず皆 買(かひ)とり見物の諸人にこれをあたへ菓子(くわし)をなげ》  《割書:ちらして手に〳〵ひろはせければ数万の見物人まで一度に綱(つな)の本末に取つき|木やりの音頭(おんど)につれ思い〳〵声を出し暫時(さんじ)に普請場まで曳(ひき)付たり此小姓【性は誤記】》  《割書:どもの美(うつく)しき粧を賎(いやし)き児女どもの見て心をうごかさゞるはなかりしとぞ其|頃の童謡(うた)に およびなけれど万松寺の花が折て一枝ほしござると花に》  《割書:よそへてうたひけるよし続撰(ぞくせん)清正記尾陽雑記等にくはしく|しるせしをこゝには其 要(よう)を摘(つ)みて略抄せり》 駅馬(えきば)会所《割書:本町通伝馬町の角にありて官道の馬継(うまつぎ)所なり京の方清須宿へ|二里江戸の方 熱田(あつた)宿へ一里半慶長十八年より宿駅となる》  《割書:旅篭(はたご)屋も玉屋町にありて東西南北の岐(ちまた)なれば京大坂より吾妻(あづま)へ下(くだ)る官|人も伊勢路より信濃のかたへ通る旅客(たびびと)も公私を論ぜずみな此所を往来》  《割書:せずといふ事なく又町の中央なれば御制札をもこゝに立られ半町|ばかり東の方には観火台(ひのみやぐら)を置て不断見はりの番人をさしおかる》 如意山福生院《割書:袋町通本町西へ入北側にあり真言宗海東郡 蜂須賀(はちすか)村蓮|華寺末至徳年中蓮華寺の住僧 順誉(じゆんよ)建立して愛知郡》  《割書:中村にありしを元和|三年こゝにうつす》本尊《割書:薬師如来大聖歓喜天の木像を相殿に|安置す霊験(れいげん)ありて常に参詣の人多し》天満  宮祠《割書:元和三年中村よりこゝに遷座(せんざ)す|秀吉公の守護神(しゆごじん)なりと言伝ふ》 覚正(かくしやう)寺《割書:本町通 蒲焼(かばやき)町上ル東側にあり浄土真宗西 派(は)もと天台宗の僧 了(りやう)|円(えん)建立して海東郡富永村にありしを元和年中こゝにうつし》  《割書:其後今の|宗に改む》本尊《割書:阿弥陀|如来》 【右丁】  本町六町目  小見山(こみやま)宗法(そうほう)店 此家は代々 国君に拝謁(はいえつ) し苗字帯 刀を許され  御領分 売薬(ばいやく) の首魁(しゆくわい)たり 家に売(うる)所の 烏犀円(うさいえん)紫雪(しせつ) 等みな御方の 秘薬(ひやく)なり屋上に 掲(かゝ)げ店前(みせさき)に 立る烏犀円三大 字の看版(かんばん)は明人 陳元贇(ちんげんひん)の筆也 【右下 陽刻落款印】春江 【左丁 文字無し】 【右丁 別に刻字】 【左丁】 馬琴が 羈旅漫(きりよまん) 遊録(ゆうろく)に 夏の日 納涼の地 は広小路 柳薬師前之数十軒 出茶屋見せ物芝居 等ありて甚 賑(にぎは)へり 柳の薬師より広 小路の景色(けしき)江戸 両国 薬研堀(やげんぼり)に 髣髴(はうふつ)たり云々  広小路   夜見世(よみせ) 【同 左下 陽刻落款印】春江 広小路 むかしは那古野の町はづれにして是より南の方は  田野なりし故今も開帳札(くわいちやうふだ)など多くこゝに建(たつ)るは其 余(な)  波(ごり)なり東に庚申堂西に柳(やなぎの)薬師などありてはなし物  まね諸見せ物 居合抜(ゐあひぬき)の歯(は)みがき売(うり)など常にむれ居  て往来人の足をとゞむ礼わき夏月 納涼(すゞみ)の頃は貴賎(きせん)袖(そで)を  つらねて群集(くんじゆ)し辻売(つじうり)の夜店(よみせ)茶(ちや)店の灯火(ともしび)赫奕(くわくやく)として  遊興(ゆうきやう)に夜の更(ふく)るを知らず実に夜陰(やいん)の壮観(さうくわん)なり 古松山新福院《割書:広小路本町通の西にありて臨済宗(りんざいしう)世に柳(やなぎの)薬師と称す|門内に一柳樹あり且本尊薬師如来は柳を以て彫刻(ちやうこく)》  《割書:せり毎年五月より七月に至る|まで夜開帳ありて誠に賑はし》 朝日神明宮《割書:同七間町の|東にあり》本社天照太神 天児屋根命(あまのこやねのみこと)二座を相  殿に祭る此社もと春日井郡朝日村に鎮座(ちんざ)ありしが慶  長十六年御遷府の後此所へ遷(うつ)せり○例祭《割書:九月十五日 神楽(かぐら)|十六日 湯立(ゆだて)あり》  《割書:氏子の献灯には羅紗(らしや)呉呂服(ごろふく)などの水引(みつひき)をかけ門外の笠鉾(かさぼこ)|すこぶる華美(くわび)をつくす遠近詣人の群集言語にたえたり》 広小路  朝日(あさひ)神明宮    【陽刻落款印】春江      道直 朝日子【注①】の   豊さかのほる【注②】    影たかく 天照し    ます  神の   みやしろ 【注① あさひこ=「こ」は親しみの意を表す。朝日。】 【注② 「豊栄(とよさか)昇る」=朝日などが美しく輝きながらのぼる。】 紫(むらさき)川 《割書:大久保見町に石橋を|渡(わた)せる小 溝(みぞ)をいふ》横(よこ)三ツ蔵(ぐら)伝光院の境内に古き五輪(ごりん)の  石塔(せきとう)ありて紫式部の墓(はか)なりといひ伝へ其 許(もと)を此 溝(みぞ)川  の流るゝ故名付そめしとぞ《割書:紫式部の墓のこゝにある事古書に見え|ず慥(たしか)なる伝説もなければ 定(さだ)か ならず》  《割書:女童(おんなわらべ)の手鞠哥(てまりうた)に むらさき川へ身をなげて身は身で沈(しづ)む小袖(こそで)は小袖で浮(うい)て|行く云々とうたふは古きならはしなればむかしは大河にて身を沈むはかりの深淵(しんゑん)》  《割書:なりけらし今はわ|づかの溝川なり》 御旅所(おたびしよ) 《割書:若宮横町にあり元和六年四月御 造営(ざうえい)毎年四月十七日御神祭に|神輿是まで 渡御 御宿院に入御ありて神供 調進(てうしん)音楽(おんがく)を奏(そう)し》  《割書:しかしてのち還幸あらせらる|別当は天台宗 東漸(とうぜん)寺》御輿舎 拝殿 御供所 御井 若宮八幡宮 《割書:末広町の東側にあり もと 三の丸天王の社の南にありし|を慶長十五年御城築の時 東照神君 御鬮(みくじ)を とらせ》  《割書:られ神慮にまかせ此所に遷座(せんざ)なさしめ|たまひて御城下の鎮寺と定め給へり》抑当社の祭神は八幡  宮《割書:応神|天皇》の若宮 大鷦鷯(おほさゝき)尊《割書:仁徳|天皇》にまし〳〵て八幡宮も相殿  にましますとぞ 天武天皇の御宇に始て御鎮座にて延  喜年中再営を加へ給ひその後安養寺といふ宮寺をたてゝ  僧坊十二宇をおかれたる天王坊もその内の一宇なるよし  しかるに天文元年の兵火にかゝりて神宮僧坊もみな焼亡  しけるを同八年再営ありしよし社記に見えたり又延喜  神名式に愛知郡 孫若御子(ひごわかみこの)神社《割書:名神|大》とあるは此御社の事  ならんかといへるは若宮といふによしありげに聞え又 牛頭(ごづ)天  王の若宮ならんといふ説もあれど共にたしかなる拠(よりどころ)も  なく且若宮八幡宮の称年久しくして普(あまね)く人のしる所  なれば社伝に随(したがつ)て強(しゐ)て私意を贅(ぜい)せず○本社《割書:仁徳|天皇》相殿  《割書:左応神天皇|右武内宿祢》拝殿 神輿殿 末社《割書:熊野社 稲荷社 山王社|天満宮社 連理稲荷社》例祭《割書:六月十五日|試楽ありて》  《割書:翌十六日神輿三の丸天王社まで神幸神主 束帯(そくたい)騎馬にて供奉す母衣(ほろ)負(おひ)二人 鉾(ほこ)八|本 鎗(やり)旗(はた)獅子頭(しゝがしら)及び山車七輌あり中にも黒船の車は更に品かはりたれば図して以て》  《割書:想像(さうぞう)に便りす其余の六輌は四月の山車に等(ひと)しく人形からくりの奇巧は大同小|異にして都(すべ)て四月に劣(おと)らぬ大祭なり美麗の行粧また尋常(よのつね)の神事にはあらねど事》  《割書:繁(しげ)ければこゝに略しぬ又 仁徳天皇 降誕(かうたん)より百年に当る年ごとの九月に御霊祭の式》  《割書:あり近くは元禄二年又寛政元年に行はれ|たる事諸人のあまねくしるところなり》祠官《割書:氷室|氏》芝居小家《割書:境内に|あり》    《割書:仁 徳 天 皇 降 誕 至_二 寛 政 元 年 己 酉_一 凡 一 千 五 百|年 城 南 若 宮 設_二 祭 奠_一 陳_二 雅 楽_一 賦_レ 此 紀_レ 之》                         《割書:挺  之》 【右丁】 若宮(わかみや)八幡宮             【陽刻落款印】春江 《割書:曠野集| 若宮奉納》  きゝしらぬ   哥も    妙也   神    かくら     利重 【左丁】  我竟 日くらしや  苔の  めく   れる  梐の   幹ゝ 【右丁】 【右下 陽刻落款印】春江  門前町  松前屋  店前  若宮祭  黒船車  引渡す    図 当社の祭礼は寛 文延宝の頃(ころ)より 始りし由若宮 祭 巨細(こさい)記に見え たり此黒船も 始は車長持 もうへに船形(ふなかた) 【左丁】 を作りて 笛(ふえ)太鼓(たいこ)の囃(はや) し計りなりし がいつしか飾(かざ)り も花麗になり て今は子供(こども)に申(さる) 楽(がく)の舞(まひ)をなさ しめ又所々にて 船唄(ふなうた)をうたふ 此車帰りには 数多の挑灯 をともして三弦 すり鉦なとまじへ はやしつれて 引来るさま涼み の船遊ひのさまにて 実に夏月の一壮観也  《割書:帝業曽承_レ統神霊乃在_レ 天緬思淳化世猶記誕生年|本自垂_レ衣聖非_二唯譲_レ国賢_一多時停_二土貢_一高処望_二 人烟_一》  《割書:雁子歌相和梅花頌始伝 宸襟崇_二倹約_一黎首荷_二陶|甄_一堀_レ 地営_二氷室_一開_レ溝漑_二稲田_一 三韓声教曁四海渥恩》  《割書:宣古廟深松裡周墻列栢辺采椽標_二質樸_一金鏡象_二明|蠲_一享祀殊顒若威儀更粛然新嘗嘉栗備祕祝送迎》  《割書:虔初日浮_二簾幕_一流風逓_二管弦_一女巫鳴_レ鐸出命士下_レ輿|前殿角祥雲合階庭福草鮮太平多_二楽事_一援_レ筆且成》  《割書:_レ萹》       若宮にて    としを経て御威(みいつ)たりせぬ宮ゐゆゑ若宮としも世に称(たゝ)ふらん  上田仲敏 正覚(しやうがく)山阿弥陀寺往生院《割書:門前町西側にあり浄土|宗京都知恩院末》もと海東郡  新家(にゐへ)村より移りて清須にありしを慶長年中 御  遷府の時こゝにうつせり伊勢国 多気(たけ)郡 斎宮(さいぐう)村観音  寺の僧信阿 志願(しぐわん)を興(おこ)し寛文五年より信濃善光寺  の四拾八願順礼所をはじめ此所をもつて第三拾七  番とす○本尊《割書:三尊の阿弥陀は仏工春日の作脇士二像は其体|異形にして仏像とも見えずあるひは古き八幡の神》  《割書:像なりと|もいへり》方丈内仏本尊《割書:阿弥陀の座像恵|心僧都の真作》涅槃(ねはん)堂《割書:元禄年中|住僧 桟誉(さんよ)》 阿弥陀寺  木仏(もくぶつの)涅槃会(ねはんゑ) 【左下 陽刻落款印】華渓  《割書:の建立にて長一丈余の木像 阿羅漢(あらかん)以下の人畜(にんちく)も|みな木像にて安置す世に珍らしきねはん像なり》守夜(しゆや)神堂《割書:宝|暦》  《割書:年中の|開基也》十王堂《割書:近年の|建立》塔頭源受院《割書:天文二十三年織田彦|五郎信友その主君斯》  《割書:波(ば)治部太輔 義統(よしむね)を弑(しゐ)し清須の城にありしを信長公軍兵を催(もよほ)し|信友を誅罸し義統の婿子義銀を取立清須の城に居らしめ尾》  《割書:張屋形と称すさて阿弥陀寺の境内に此一宇を建立し|義統の菩提所とす源受院は則義統朝臣の法号なり》 大雄山性高院《割書:同町東側にあり浄土|鎮西派知恩院直末》天正十七年 三位中将忠  吉君その御母《割書:公》宝台(ほうたい)院殿の菩提の御為に武蔵国 埼玉(さいたまの)郡  忍(おしの)庄 持田(もちた)村に御建立ありて正覚寺といひしを 忠吉君当  国を拝領し給ひ清須御在城と成しかば此寺をも清須に  うつし寺領御寄付ありしが慶長十二年三月五日 忠吉  君江戸にてかくれさせ給ひしかば増上寺に葬(ほうふり)奉り其御  法号性高院殿と申奉りしによりて今の寺号に改め慶  長十六年御遷府の時こゝにうつせり中興開山は満誉(まんよ)玄  道和尚なり○本尊《割書:阿弥陀の立像|左右観音勢至》寺宝 忠吉君御影像《割書:一|幅》  称讃(しやうさん)浄土経一巻《割書:中将|姫筆》金屏風一双【雙】《割書:古法眼|元信筆》繍(ぬひの)涅槃(ねはん)像一幅  《割書:比類(ひるい)稀(まれ)なる大幅にして例年涅槃会|には本堂に掛置(かけおき)て諸人の結縁(けちえん)とす》塔頭称名院《割書:慶長十六年清須|よりうつす境内》  《割書:桜の大|樹あり》一行院《割書:是も同年清須よりうつす不動|堂の本尊は兆殿司の真跡なり》      《割書:春 日 遊_二 性 高 院_一            滄 洲》   《割書:花 台 一 雨 灑_二 平 蕪_一 隔_レ 郭 人 烟 忽 有 無 清 賞 漫 憐 康 楽|句 臥 遊 何 仮 少 文 図 簷 前 芳 樹 春 相 映 檻 外 帰 鴻 暮》   《割書:自 呼 間 坐 更 聞 談_二 浄 理_一 飜 知 長 日 在_二 須 臾_一》  寛永十三年朝鮮人 来聘(らいへい)の時性高院を三使の旅館(りよくわん)とせ  しを権輿(けんよ)として来聘(らいへい)使通行毎に必此寺を休泊とす 府  下の学士松平秀雲井出鼎臣等の数輩 韓客(かんかく)と贈答せ  し詩文 塤篪(けんち)【注】集三世 唱和(しやうわ)蓬左(ほうさ)詩帰 昆玉(こんぎよく)集後編等にの  せたる名古屋客館の作は皆此性高院にての唱酬(しやうしう)なり    《割書:甲申二月三日朝鮮国信使宿_二府下_一与_二諸子_一会| 通 刺                     松 平 君 山》    《割書:自_レ 聞_二 使 星 指_一_レ 東 翹_レ 首 以 侯 若_レ 歴_二 三 秋_一今 也 皇 華 無|_レ恙 獲_レ 臻_二 弊 邑_一 奉_二- 接 清 標_一 何 喜 如_レ 之 僕 姓 源 名 秀 雲》    《割書:字 士 龍 号_二 君 山_一 別 称_二 盍 簪 窩 主 人_一 族 曰_二 松 平 氏_一 乃|張 藩 書 監 也 茲 日 奉_レ 命 小_二 相 賓 館_一 獲_レ 承_二 清 誨【一点脱】 幸 甚》 【注 「塤」は音「ケン」で義は「土ぶえ」。「篪」は「ちの笛」とも言い、竹製の横笛。「いんち」は誤記。「箎」は俗字。】 【右丁】 性高(しやうかう)院 極楽(ごくらく)寺  円光(ゑんくわう)大師 安居(あんごの)遺跡(ゆゐせき)      さゝを さくら見や  色好   まぬは さう〳〵  し 【左丁 左下 陽刻落款印】春江 【右丁】 《割書:三世唱和に引》 甲申春朝鮮国 信使宿_二府下性 高院_一僕奉 レ命 小_二-相賓館_一与_二製 述官南秋月及三 書記_一唱和男武孫 彦同侍_二席右_一秋月 把_レ筆写曰三世一 席各贈_二瓊篇_一希代之 珍也烏-呼此-言可_三以 為_二不朽之栄_一也遂裒_二 其詩_一為_二 一冊_一題曰_二 三 世唱和_一命_二剞厥氏_一行_二 于世_一故叙_二其語_一以弁_二 其端_一云         君山題 【左丁】 諸学士(しよがくし)  性高院の   書院に朝鮮(ちやうせん)人と     詩文 贈答(ぞうたう)      の図 【同左下 陽刻落款印】華渓   《割書:幸甚》  《割書:    呈_二 製 述 官 南 秋 月_一            君 山|路 入_二 扶 桑_一 東 又 東 海 天 万 里 使 星 通 画 熊 夜 宿 三 山》  《割書:月 彩 鷁 朝 飛 五 両 風 野 館 花 開 停_二 匹 馬_一舟 梁 雲 起 度_二|飛 虹_一 行 吟 此 去 応_レ 回_レ 首 八 葉 芙 蓉 積 雪 中》  《割書:    奉_レ 酬_二 源 君 山                秋 月|性 院 深 々 稲 葉 東 万 松 村 逕 遠 相 通 山 川 秀 媚 天 新》  《割書:雨 楼 観 高 低 夜 有_レ 風 春 早 江 城 聞_二 去 鷹_一 日 暄 橋 渡 過_二|垂 虹_一 蓬 莱 仙 老 厖 眉 皓 三 世 論 交 一 席 中》     《割書:向 韓 客 館_二 性 高 院_一 余 同_二 諸 子_一 在_二 賓 筵_一 筆 語 唱 和|徹_レ 曉 而 罷 矣 再 過_二 此 地_一 有_レ 感_二 往 事_一 因 作_レ 諸 以 寓|_レ懐云                        千 村 鼎 臣》  《割書:隣 市 城 南 一 梵 台 知 曽 韓 客 此 徘 徊 主 賓 坐 定 交 通|_レ刺 筆 硯 携 来 各 闘_レ 才 宴 散 五 更 群 動 息 手 分 千 里 別|愁 催 斯 筵 変 作_二 清 間 地_一 当 日 繁 華 安 在 哉》  《割書:    贈_二 朝 鮮 国 製 述 官 南 秋 月_一      蕙 楼|城 中 春 色 尽 楊 柳 独 依 々 万 里 雲 山 合 三 韓 使 者 帰》  《割書:月 随_二 征 蓋_一 去 雲 傍_二 掛 帆_一 飛 借 問 還_レ 郷 日 何 人 更 錦 衣》 教報(けうほう)山極楽寺一心院 《割書:同町西側にあり浄土西山派京都東山禅|林寺また粟生(あはふ)光明寺の両末寺なり》  はじめ葉栗郡 若栗(わぐり)の郷(がう)《割書:後世極楽寺|村といふ》にありて法然上人 安居(あんご)  の地なりしが天文年中木曽川の洪水(かうずい)に流廃(りうはい)せしを慶長九  年九月僧 空朔(くうさく)清須に再興して極楽寺といひしを同十五  年こゝにうつせり民部省(みんぶせう)図幉(づてう)の残編に葉栗(はぐり)郡極楽寺  号_二若栗字寺_一寺領四十八束有余以_二浦領_一為_二貢代_一法然上人  三夏不出之 縄室(じやうしつ)也元享二年十月下吏日《割書:史生源忠勝|史生秦行宗》と  見えたりかく上人の旧跡(きうせき)なる事 顯然(けんぜん)たれば近き文政二卯  年 円光(ゑんくわう)大師 安居(あんごの)遺跡(ゆゐせき)と大石に彫(ゑ)りて門前に建世に  いちじるき【ママ】梵閣(ぼんかく)なり○本尊《割書:阿弥陀の|立像なり》霊宝六時名号《割書:法然|上人》  《割書:の真筆名号の下に弥陀如来雲中にたゝせ給ふ新像を|画きて為_二父時国母妙海菩提_一源空と誌(しる)し給へり》立像阿弥陀  仏《割書:若栗の郷に安|置せし本尊》元祖大師供養念仏宝珠石《割書:若栗の郷より伝|来の古物なり》  地蔵堂 塔頭松林院《割書:慶長元年の|建立なり》 興国山大光院《割書:同町西側にあり曹洞宗|武州忍の清善寺末》慶長のはじめ 従三位中  将忠吉君清須御在城の時雲門寺といへる廃寺の跡(あと)に此  寺を建立し旧名雲門を以て寺号とし明嶺(めいれい)和尚を請(しやう)し  て開山となし給へり和尚は武蔵国の人にて清善寺の住持 【右丁】  大光院 好悪万般因_二 所思 ̄ニ月花禅 室両相宜月 花興尽人帰 去花月領_レ閑 落後時 【一点脱と思われるが、どこに入れるか不詳】   大津常辰 【左丁】 暮るゝ  日の   花見る 一木〳〵  かな  岱青 【同左下】 老木よと  人の   なてたる    桜かな     松兄 【陽刻落款印】春江 、  たりしが道徳 堅固(けんご)にして眠(ねむ)る事を好まず昼夜(ちうや)をわかたず  端坐(たんざ)して道を修(しゆ)しければ道徳 顯(あら)はれ兼て死期(しご)をしり  種〳〵の霊異(れいゐ)【注】を示(しめ)して慶長十四年二月廿八日 遷(せん)化すこれ  よりさき 東照神君明嶺を帰依(きえ)し給ひ 忠吉君も同じ  く帰依し給ふ事 厚(あつ)くまします故に清須に招請(しやうしやう)し給ひ  しとぞ 忠吉君御 逝去(せいきよ)の後大光院殿と申せしは此明  嶺和尚が奉りし御法号なりさて慶長十五年の御遷府  の時名古屋 日置(ひおき)の地にうつして日置山大光院と改号し  のち又今の山号に改む寺領は 忠吉君の御寄付【附】なり  ○本尊《割書:釈迦の|木像》霊宝 天竺(てんぢく)貝多羅葉(ばいたらよう)《割書:一|枚》 出山釈迦像一幅《割書:兆|殿》  《割書:司の|筆》 観音像《割書:牧渓|筆》 達磨(だるま)像《割書:周徳筆何れも|忠吉君の御寄付【附】》 二天門《割書:寛政三年|の建立二》  《割書:天の像は春日井郡鹿田村仁昌|寺の観音堂に在し古像なり》 光石(ひかりいし)地藏堂 牌堂 烏瑟沙摩(うすさま)明  王堂《割書:境内にあり此明王はむかし釈尊にちかひてもろ〳〵の不浄を清浄|に改めなし給ふ神通 備(そなは)りましますよし穢跡(ゑせき)金剛経に見えたり》 【注 すぐれて不思議なこと。】 【右から】 大光院烏瑟沙摩明王 【右下 陽刻落款印】春江  《割書:毎月廿八日を縁日として参詣の諸人 群集(くんじゆ)をなす又一切 下部(げぶ)の諸病まで|をも守らせ給ふ大悲願ある仏なれば婦女子の参詣ことに多し堂の傍(かたはら)に松の》  《割書:大樹桜の|古木あり》 塔頭陽秀院《割書:大光院二世大庵の弟|子嶺奕の建立なり》 石地蔵尊《割書:陽秀院境|内にあり》  《割書:腫物(しゆもつ)其外一切の諸病を祈願(きぐわん)する時尊体に紙を張(は)り病 愈(いゆ)る時は其紙をとる|事なり立願の諸人絶る事なくて尊容見ゆる時なし故に紙張地蔵と称す》      《割書:大 光 院 山 門 連 【聯】語           僧 霊 端》   《割書:東 海 禹 門 登 者 悉 是 魚 龍 頭 角 南 方 仏 刹 到 者 那 労|鳥 窠 布 毛》      《割書:大 光 院 観_レ 花                   乾 堂》   《割書:老 拙 生 涯 作_二 腐 儒_一 世 間 名 利 両 虚 無 僧 房 日 暮 看_レ 花|去 嘯 咏 胸 中 与_レ 俗 殊》       《割書: |大光院の桜は盛過たり》   《割書:狂哥鳩杖集付録》    花に名は大くわうゐんの糸桜さかり過ても人そ絶せぬ  米都       《割書: |大光院の桜を見て》   《割書:酔中雅興集》    咲かけし花の姿の母衣武者は一ツ木同前の糸桜かな   可吟 景陽(けいよう)山 総見(そうけん)寺《割書:同町東側にあり臨済宗|京都妙心寺直末也》当寺はもと伊勢の国大  島村に安国寺《割書:開山 虎関(こくわん)禅師は元享釈|書済北集等の撰者なり》といへる廃寺のあり  しを内大臣信雄公父信長公の菩提の為に当国清須に  うつして建立し忠嶽和尚をもつて住職(ぢうしよく)たらしめ《割書:旧貫(きうくわん)【旧慣に同じ】によ|りて乕関》  《割書:禅師を開山とし忠嶽を|第二世の住持とす》公の法号に拠(よ)りて景陽山総見寺と  名づけられしを慶長の御遷府にこゝにうつせり《割書:信長公近|江の安土(あづち)》  《割書:山に在城せられし時山上に一堂を建て国中の郡郷を総見するの意|をとりて彼堂を総見寺と名づけられしが公薨逝の後其寺号をもつて》  《割書:御法号とは|なせしなり》第三世の住持 閩山(みんざん)和尚は道徳才学 抜群(ばつぐん)にして  源敬公御 寵遇(ちやうぐう)殊に厚(あつ)かりし或夜方丈焼失せしゆゑ貨財  を賜はり正保元年十月廿四日再建造作 竟(をは)りければ 源  敬公来臨し給ひ長臣に命し宗門の耆老(きらう)をあつめ詩を作  らしめて賀し給ひける境内に古杉樹多く陰(いん)々欝(うつ)々日を  さゝへ空に参して禅堂の雲版(うんはん)僧寮の石磬(せきけい)も自ら幽凄(ゆうせい)閑(かん)  寂(じやく)なる市中に珍らしき古浄域なり○本尊《割書:薬師の|木像》禅堂  方丈鐘楼《割書:信雄公大鐘を鋳んとせられしかども騒乱の世なれば財用 乏(とも)|しくとゝのはざりしにや 熱田の神宮寺の鐘をとり用られし》  《割書:と見えて今にその|古鐘をかけ置けり》塔頭光勝院《割書:信長公の嫡男信忠の法|号にて則その菩提所也》陽岩院東  林院○什宝《割書:信雄公寄付の信長公画像信雄公画像一幅古法眼元|信筆花鳥山水四幅信長公書状二通秀吉公書状一通唐》 【右丁】 【右から】総見(そうけん)寺 【右下 陽刻落款印】春江 【左丁】         曉台      天明丑の六月二日は      平相国信長公の二百      年にめくりあたら      せたまふとて尾張      国総見禅寺に     懺法供養ことの    外におこなはるゝを   はるかに聴聞つかふ  まつりて けふの御法  鳴いかつちも   草の      露 【右丁】 【右下落款】法眼梅山筆 【陽刻印】某山  総見寺 閩山(みんざん)  和尚の古事 或夜和尚の方丈より 火もえ上りしに弟子共 走(はせ)来り和尚を尋るに 火焔(くわえん)の中に座禅(ざぜん)し 高声に詩を賦して曰  天示_二火災_一 三四更  忽然行脚可憐生  尋常惨似_二把茅漏_一 と作りて結句いまたなら ざるに大雨し きりに降(ふり)出し 猛火(みやうくわ)忽(たちまち)消(きえ) ければ  烈焔堆中  夜雨声 【左丁】 とつらね ける此時 庫裏(くり)に 安置せし 韋駄(いだ)天尊大 の法師と現(げん)じ て火をふせぎ給ふ に杉戸の画龍 もぬけ出て雲雨 を施し(ほどこ)せしよし実(げ) にも道徳の加被力(かひりき) 冥助(みやうじよ)を得ること 希代(きたい)の霊応(れいおう) なりし  此詩は火伏(ひぶ)せ  となるよし又当寺  の韋駄天尊は霊  像なり  《割書:画十六善神同十三仏画像乕関禅師自画賛信長公所持の硯同龍の香炉同|沈香の枕秀吉公作安土竹の花生延文元年の雲版古 銅鐸(とうちやく)信長公影堂》  《割書:の額此額は世にいふ絵馬にて則信長公自筆のはんじものなりしを当寺|第六世白翁和尚の模(も)【摹】擬(ぎ)にして今も猶世に名高し此外什宝 夥(おひたゝし)けれど》  《割書:枚挙に遑(いとま)あら|ねば略しぬ》 富士山観音寺清寿院《割書:同町西側にあり山城国 醍醐(だいご)の三宝院の派|尾張美濃二ヶ国の修験の先達なり》本  尊富士権現は 土御門天皇の勅によりて駿河の浅間(せんげん)大  神の神職此地に勧請(くわんじやう)して造営ありしなり中世前津小  林の城主牧与三左衛門尉源長清富士権現を崇信(さうしん)して  七度参詣の志願を発(おこ)し三度駿河に下りて登山あ  りしが晩年に及びて遠路に堪(たへ)がたく残る四度を此  社に詣(まう)でゝ其願をはたせし故其 砌(みぎり)当社再営ありし  とぞまた信長公の家臣村瀬左馬助の末孫 修験(しゆげん)とな  りて大円坊といひしか大乗院及び此院を兼帯(けんたい)住持  せし其子宝寿院 国君より当社の地を拝領し清寿  院の号を賜はる○祈祷所《割書:本尊不動明王蔵王権現 役(えん)|行者(きやうしや)理源大師を合せ祭る》行者堂  《割書:本尊正観音は聖徳太子の作|夾侍(けうし)弘法大師役行者なり》飯綱(いづな)権現社《割書:神像六尺有余にしておそ|ろしき尊容也もとより》  《割書:霊験(れいげん)あらたなる像なり|例年六月十一日神楽あり》末社《割書:稲荷 金毘羅 菅神|秋葉 福天》境内に植木(うゑき)屋あり  て盆鉢(ぼんはち)にうゑたる珍(ちん)木 奇(き)草を架上(かしやう)に排列(はいれつ)し四時の春を  留むる清観又は芝居見せ物の小屋ありて遊人の輻湊(ふくそう)常  に絶ることなし 那古野山(なこややま)《割書:清寿院の後園にありて古木 老幹(らうかん)生茂(おひしげ)り苔逕(たいけい)怪石(くわいせき)攀廻(よぢめぐ)る|古色 隠(いん)々たる雅地なれば当年(そのかみ)の面影(おもかげ)其侭見るに足る小山也》 北野山真福寺宝生院《割書:同町西側にあり真|言宗無本寺なり》伊勢大神宮の神  主従三位 渡会(わたらひ)行家の子能信上人の開基にて中島郡  大須(おほすの)庄北野村《割書:今は美濃の|国に属す》にありしを慶長十七年 東照  神君の命によりて住僧 尭遍(ぎやうへん)をして今の地にうつさしめ給ふ  南朝の正平五年十二月十三日 後村上天皇御祈願の綸旨(りんし)  を給ひまた東南院二品法親王の令旨(れいし)をも給へり同じ御 【右丁】 清寿(せいじゆ)院 善篤(ぜんとく)寺 大須(おほす)大門前 【左丁】 清寿院 大蔵か家 に両やとり   して   岱青 夕立や  すゝめ   打こむ  竹の   中 【左下 陽刻落款印】春江 【右丁】 其二 大須 真福(しんふく)寺 【左丁】     無所得 江天春色接_二煙霞_一梅 柳風香簷外斜池上 携_レ瓶先汲_レ水檀中潅 _レ器好供_レ花太平時節 随_二寛法_一安楽心身属_二 梵家_一瞻仰観音大悲 力無辺思沢幾年加 真福寺に  遊ひて   池辺の    納涼    也有 灯の影や  水とり    たかる   夏の     むし  宇文和元年 勅によりて摂津国四天王寺の正観音の像  をうつして当寺の本尊とす同じ 天皇の皇子土御門二  品 任瑜(にんゆ)法親王第三世の住職としておぼろげならぬ勅願  寺なりしが中世の騒乱(そうらん)に衰廃(すいはい)せしを信長公 灯(とう)【燈】明(みやう)田(でん)とし  て北野の地を寄付(きふ)ありしかども累年(るいねん)の火災に湮没(いんぼつ)せし  ゆゑ今の所へ遷(うつ)せしなり《割書:当寺の法脈(はうみやく)三派あり其一は伊勢国 多気(たけ)|郡安養寺寂雲和尚より相承し禅密》  《割書:二宗を兼たり其二は奈良の東大寺の別当法務 聖珍(しやうちん)法親王の法脈其|三は紀伊国 根来(ねごろ)の中性院の法脈なり其うち安養寺を正統とす聖一国》  《割書:師の弟子仏通禅師安養寺の住持たりし時日ごとに 大神宮にまうで|神告ありて触穢(しよくえ)をさけず故に 大神宮へ参詣の諸人まづ此寺に来りて》  《割書:茶をのみ火を改めてしかして 大神宮に詣(まう)づ|今 明星(みやうじやう)の茶屋と呼べるは其余風の残れるなり》仏通禅師遷化の時密  教及び禅学の書籍残らす彼能信上人へ付与(ふよ)せし故今  に大須に古写本の書籍多しさて此能信奇人にて続現(ぞくけん)  葉(よう)集春の部に落花を きえかてに猶そふりしく春の  日の光りにあたる花のしら雪と見えたり○本尊《割書:正観音は|摂津国》  大須奉納馬の頭(とう) 五月十八日馬の頭は信長 公 桶狭間(おけはさま)の合戦に勝利(しやうり) ときゝて一国の在町(ざいまち) これを悦(よろこ)び即日(そくしつ)清 須の城へ馬を馳せて しるもしらぬも祝し 奉りし余風(よふう)の押 移れるより今も 府下尤 盛(さかん)にして熱 田其外在〳〵にも甚 多し又馬の搭(とう)馬 の党(とう)など書きて 党文字殊に戦国 の余韻(よいん)あるに似(に)たり 【右下 陽刻落款印】華渓   其二 十八日馬の搭すみ て翌十九日礼馬とて 町ごとに種々の工夫を 凝(こ)らし互(たがひ)に輸(まけ)じと 新奇の趣向(しゆかう)を出し 町々を終日 徘徊(はいくわい)す五十 人百人二百人と町の大小 によりて多少あり其お かしさ茶番(ちやばん)狂言の大 仕懸(しかけ) なるもの也今其一を図して 大意を示す   【陽刻落款印】春江  《割書:四天王寺の本尊をうつ|したる木像なり》二王門 五層搭(ごぞうとう)《割書:文政年中の造立にして本尊に|安置せる愛染明王は弘法大師》  《割書:の作むかし長岡庄大須に有し古像|五智如来は新作の木像なり》三十三所観音堂 大日堂  聖天堂 不動堂《割書:霊仏にて世に北|野不動と称す》  鎮守天満宮 此神像は延喜二年 筑紫(つくし)大宰府(だざいふ)にて御自  筆に画(ゑがゝ)せ給ひ北の御方及び姫君(ひめきみ)へ送らせ給ひし画像に  て天暦年中北野御鎮座の節神殿に御円座ありしを  後醍醐天皇御 崇敬(さうけい)のあまり長岡庄大須の地にむかへ奉  り御建立ありし旧社也《割書:今も北野山と号し大須と|通称するは此 因(ちなみ)によれり》例祭は  二月廿五日寺子供大文字を奉献し拝殿及び書院の壁(かべ)  に展観(てんぐわん)し諸人の目を驚かしむ此日桜天満宮よりこゝに至  りて数十町の間往来 群聚(くんじゆ)せり《割書:八幡伊勢春日の三神|を あはせまつれる小社》  《割書:また 稲荷秋葉天王の小社側にならひて鎮座なり|また鰐口の銘に永享十年の文字見えたり》境内に  芝居及び見世物小屋等 数椽(すえん)【「すてん」とあるところ】ありて年中の興行  絶ゆる事なく府下第一の勝地なるが就中(なかんづく)五月十八日は  町々より馬の搭(とう)を奉納して新粧(しんそう)の奇観見物の群集(くんしゆ)  又四万六千日の参詣など実に境内に溢(あふ)るゝ計(ばか)りの賑(にぎは)ひ  なり又堂内に絵馬を多く掲(かゝげ)て年々歳々の雅致(がち)奇功を  争へるも自から慈眼視衆生(じげんじしゆしやう)諸人 結縁(けちえん)の方便ならし○霊  宝 牛玉《割書:天竺霊山の牛のひた|ひより出し玉なり》牛王経《割書:一|巻》牛王儀軌《割書:世に稀なる経|文にて当寺第》  《割書:一の宝物也此経ある故|宝生院の名ありとぞ》心経《割書:二巻弘法大|師の真筆》琱玉集《割書:天平十九年に書写せ|し唐土高名なる人》  《割書:の伝を集|たる書也》七大寺年表《割書:永万【萬】元年の書写続|群書類従に入たり》空也誄(くうやるい)《割書:天治二年の|書写源為憲》  《割書:の作続群書類|従に入たり》新修往生伝《割書:仁平元年の書|写藤原宗友作》高野大師伝《割書:寛|平》  《割書:七年|写》東大寺衆徒参詣伊勢大神宮記《割書:文治二|年写》秘蔵宝鑰  《割書:応安五|年写》弘法大師行化記《割書:貞和二|年写》聖徳太子伝暦《割書:観応元|年写》倭名  類聚抄《割書:弘安六年東寺知足院にて円朝うつす此書の裏打紙にいろ〳〵|の古書あり其うち白拍子玉王が注進状あり此和名抄欠【闕】巻な》 《割書:れども近世模写して印刻す大|須本和名抄と称するもの是なり》後七日御修法記《割書:正応四年|宗可写》権律師  寛信授灌頂於両人記《割書:元応二年以_二吉祥円寺上人|御本_一求法弟子大照写す》擲金抄《割書:弘安|元年》  《割書:写後世の節用集|の如き書なり》覚洞院僧正入壇資記《割書:応長元|年写》徳治元年東  寺結縁汀雑記《割書:永和二年の写汀は灌頂の二字|を一字につゞめたる略字なり》栂尾上人像《割書:文和|三年》  《割書:写》三宝院印可略日記《割書:元享三|年写》高野山順礼記《割書:貞治六|年写》神道  集《割書:永享五|年写》孔雀経法《割書:正中二|年写》遊仙窟《割書:文和二|年写》章律通致章  第二《割書:文保元年東大寺|大法師頼心筆》結縁灌頂私記《割書:貞治六|年写》如法尊勝記《割書:保|延》  《割書:六年法眼|寛信筆》正応記《割書:元応二年求法|弟子大照筆》灌頂応徳記《割書:応仁三年宝生|院住持宥覚筆》西  院伝法灌頂記《割書:文明十年権|僧都広誉写》応長元年具支日記《割書:応長元年|栄海筆》応  長元年於西阿弥陀院汀記《割書:文和二|年写》請雨経支度并巻数案《割書:永|久》  《割書:五年勝|覚筆》新楽府略意《割書:寛喜二|年写》仁王経法《割書:建徳二年|妙然写》本朝文粋《割書:十四|の巻》  《割書:の欠【闕】本建|保五年写》同書《割書:同巻の欠【闕】本正応|元年藤原清範写》同書《割書:十二の巻の欠【闕】本奥書なし鉄錐の|銘ありて流布の印行本と異な》  《割書:り》表白集《割書:延文元|年写》文鳳抄《割書:弘安元|年写》麗気制作抄《割書:康応元年|寂俊写》醍醐  寺結縁灌頂受者記録《割書:嘉元二年|快円写》本朝詩合《割書:文治二|年写》明文抄  《割書:正安元|年写》御産御祈目録《割書:嘉暦元年大|法師頼心写》弘法大師伝《割書:応安八|年写》尾張国  解文《割書:正中二年|八月写》将門記《割書:承徳三年正月廿九日写近世稲葉|通邦模写印刻して世に流布す》口遊《割書:源為|憲作》  《割書:弘長三年二月五日写近年|模写印刻して世に流布す》阿弥陀経疏《割書:嘉保二|年写》新撰朗詠集《割書:建治|元年》  《割書:の奥書|あり》聚分韻略《割書:享禄庚寅の|印刻本なり》類聚神祇本源《割書:応安五年の|奥書あり》古  事記《割書:奥書に借請親忠朝臣一本吉田大納言定房卿被所望之間依家君|御命書写進畢又一本書写之止之とあり本居宣長が古事記伝及》  《割書:び平田篤胤が古史徴開題等に引用せし|世に名高き真福寺本古事記是なり》扶桑略記《割書:古写|巻物》神祇秘記《割書:三|種》  《割書:神宝|の伝》群家諍論撮要《割書:表紙に本朝無双|元珍書とあり》大日本国現報善悪霊  異記《割書:巻物欠【闕】本中下二巻あり群書|類従に真福寺本とある是なり》東大寺古文書《割書:数部|あり》本朝神  社記《割書:神社の本縁|をしるす》類聚既験抄《割書:神社の事実|をしるす》天照皇大神遷幸  時代抄《割書:巻物元元集の|原本なるべし》熱田秘釈見聞《割書:巻物続群書類|従に入たり》熱田講  式《割書:巻物続群書類|従に入たり》神皇正統録《割書:続群書類従|に入たり》古証【證】文寄進  状《割書:寛元三年同四年尾張俊村が田地を寄進せし証【證】状を|はじめ五百年已来二百年已往の証【證】文数十通あり》凡当寺の  蔵書天平年中の写本をはじめ数千部の古書籍又弘法  大師 興正菩薩の真蹟南朝 帝王の勅書親王家の令  旨将軍家の制札等のごとき奇代の珍宝(ちんほう)甚多くして  しるすにいとまあらず 稲園(とうえん)山正覚院長福寺《割書:同町西側にあり真言宗京都|智積院直末七ッ寺と通称す》当寺はも  と正覚院といひて中島郡七ッ寺村にありて天平七年  行基菩薩の開基なり 光仁天皇の天応元年河内権  守紀 是広(これひろ)《割書:河内国 誉(ほん)|田(だ)の人也》秋田 城(じやうの)介(すけ)になりて任国(にんこく)にありしが  旧里にのこせし幼児(ようじ)光麿(みつまろ)七歳に成し時父是広を慕(した)ひ  任国出羽に下らむとてひとり旅立当国 萱津(かやづ)の里に至  り重く煩(わづら)ひて身まかりぬその時父是広彼任終りて帰  国せしが萱津に宿りて我児のうせけるに遭(あ)ひ悲歎(ひたん)のあま  り正覚院に来り住僧智光に逢ひて幼児が片時(へんし)の蘇生(そせい)  を祈(いの)り給はれと乞(こ)ひしかば智光 憐(あはれ)みて寺の東なる林中 【右丁】   七《割書:ツ》寺  過_二長福寺_一賞_二垂  糸海棠_一    山邨良由 《割書:清音楼詩鈔》  名花安在五雲端  似_レ柳枝々倒払_レ欄  香傍_二金炉_一飄_二淨域_一  色侵_二玉塵_一助_二清歓_一  空中涛起衣疑_レ湿  春半雪飛風不_レ寒  更礼_二竺王_一深洞裏  徘徊都作_二白毫看_一 【同 右下部 陽刻落款印】春江 【左丁】    馬場守信 ふかみとり  くろみかゝ     ける                  木因    老松の  木の間の                 時鳥   もみち                  ひと声    色のこき                 は     かな                 なけ                         七寺      米都                        士朗 《割書:鳩杖集付録》               《割書:枇杷園句集》  よ所よりは             朝の間や  明るも              花見かてらの    はやし              寺せゝり   あけ七ツ   てらす                  宇朝     桜の           初花に    花の             をり目高なる     さかり             むしろかな        に  に壇(だん)を封(ほう)じ地を清(きよ)め薬師如来を壇上に安して却死(きやくし)  返魂香(はんごんかう)といへる名香をたき医王密法(いわうみつほう)を修(しゆ)せしかば香煙(かうえん)  児が面に掩(おほ)ひ忽 蘇生(そせい)し父子名乗る事を得たりさて  かたみに愛慕(あいぼ)の情を語(かた)らひしばらくありて全く死せし  かばなく〳〵正覚院に葬(ほうふ)り追福の為に延暦六年十二月  七 区(く)の仏閣十二の僧坊を建そへたり《割書:七歳の亡児か為に七|区の仏閣を営みし故》  《割書:七《割書:ツ》寺と|称す》かくて仁和三年七月の水難(すいなん)天慶四年の兵火等  にあひて堂宇衰廃せしを 六条天皇の御宇尾張  権守 大中臣(おほなかとみ)朝臣安長 寵愛(ちやうあい)の女子仁安二年六月十五日  身まかりしかばむすめが夫豊後守 親実(ちかざね)とゝもにはかり  てそれが菩提(ぼだい)の為に彼七区の伽藍(がらん)及び十二僧坊を再  建し稲園山長福寺と改号し紀伊国高野山の支院(しいん)  となせりさて十五所権現を勧請して当寺 護(ご)法の鎮(ちん)  祠となし又安元元年正月より治承二年八月までに安長  一切経を謄写(たうしや)し輪蔵(りんざう)を建て納め置しが建武年中の  兵火に寺塔過 半(はん)焼失せしを清須の住人鬼頭孫左衛門吉  久《割書:法名|宗敬》天正十九年豊臣家の命によりて寺を清須にうつ  し大塚村性海寺の住僧 良円(りようえん)を中興開山とせしを慶長  十六年今の所へうつせしなり○本尊《割書:阿弥陀仏脇立|観音勢至なり》観音  堂《割書:正保二年の建立正観音|及び二王の像を安置す》聖天堂《割書:霊験(れいげん)著(いちじる)[し]き故住僧によりて浴(よく)|油(ゆ)の法を修せしむる人多し》  十王堂《割書:延宝元年の建立地蔵及び|十王の像は小野 篁(たかむら)の作》影堂《割書:慶長年中の建立にて鬼|頭宗敬の像を安置す》  輪蔵《割書:旧蔵は廃して今のは貞享二年の再興なり彼大中臣安長|寄付の一切経は全部伝はらずといへども残欠(ざんけつ)【闕】数巻皆其時の》  《割書:古写にして甚奇品なり就_レ 中経 唐櫃(からびつ)一合今に存して蓋(ふた)に十六善 神の絵を蒔(まき)たるが尤古雅なり又其経寄付につき五箇条の請状を》  《割書:其蓋に書しるせし左のことし字画の誤(あやま)り文章の顛倒(てんたう)尤多くして甚読|がたけれど其古意を損(そん)せん事を恐れて其まゝに影写す》   勧 請   鎮 守 十 五 所 権 現 大 明 神 御 宝 前     謹 請   一 切 経 安 置 間 五 箇 条 起 請 状   一 㣪 々 将 来 寺 家 不 集 来 者 独 窃【竊】 不 可 開 唐 櫃【樻(誤用)】 事   一 㣪 将 来 雖 族 縁 昵【目偏は誤記ヵ】 人 不 可 奉 借 出 他 国 他 境 事 【右丁 挿絵 文字無し】 【右側の落款】 高雅【印】高雅 【左丁】 七寺  境内の   茶屋  池面の    夏景  一 㣪 々 将 来 於 国 中 雖 為 書 写 奉 読 一 度 一 合 之 外  一 㣪 々 将 来 寺 中 居 住 僧 炎 天 此 一 年 一 度 可 奉 于  施 事  一 㣪 々 将 来 寺 中 僧 他 人 語 窃【竊】 不 可 借 出 事  右 事 為 体 雖 似 邪 見 夫 以 世 間 作 法 或 為 火 難 或 為  鼠 敵 或 為 盗 失 其 恐 尤 以 切 也 若 国 中 郡 内 為 書 写  奉 読 有 奉 請 之 聖 人 者 奉 請 一 合 令 返 送 其 一 合 之  㣪 又 可 奉 請 一 合 連 々 如 此 用 之 一 度 臣 多 奉 請 之  事 永 以 停 止 何 況 於 他 国 奉 請 哉 若 背 此 状 之 人 者  可 奉 任 大 行 事   熱 田 大 明 神   八 釼 大 明 神 也 神  威 厳 重 者 人 誰 違 之 作 願 経 中 所 載 三 世 十 方 諸 如   来 護 法 聖 衆 伏 乞 諸 天 善 神 住 却 垂 跡 諸 冥 衆 龍 神  鬼 神 同 心 令 知 見 証 明 給 謹 起 請 如 件    治承二年【秊】《割書:戊|戌》八月 日願主総大判官代散位大中臣安長女弟子民氏                       勧進  僧栄芸                        大法師 栄俊 三層搭《割書:元禄年中住僧良快の造立 国君よりも資材(しさい)を助力し給ひ京都の|仏師運長に命じ五智如来と八大菩薩の像を彫(ゑ)らしめ搭中に》 《割書:安置す因(ちなみ)に云享保中此搭の九輪かたふく事ありしに折ふし長崎より麒麟(きりん)大|夫といへる軽業師(かるわざし)当地に来りしが此事を聞我是を直さんとて其まゝ檐端(のきば)に一本》 《割書:の竹をよせそれをつたひて忽ち頂上(ちやうじやう)に登り好みのまゝに直したるよし》 鎮守十五所権現社《割書:天満宮を合せ祭る社前の石灯篭|に弘文院林春常の銘文を彫刻す》弁財天社 《割書:天和二年吉沢検校弘 都(いち)か建立毎年十月十五日客殿にて府下の検校勾当|都名の盲人まで平曲を奉納す鳥居の額は朝鮮人雪月堂が筆なり》  其外稲荷八幡宮等の小社又護摩堂太子堂大日堂等の小  堂多し境内に白 桜(わう)紅 楓(ふう)の古樹多くありて緇流(しりう)韻士(いんし)婦女(ふじよ)僧(そう)  俗(ぞく)の隔(へだて)なく春を探(さぐ)り秋を訪(とふ)らふ名区(めいく)にして又東南の池上に  は茶店 檐(のき)を並(なら)べて水面に枕(のぞ)み過客(くわかく)の余興(よきやう)に珍羞(ちんしう)を供(きやう)する  実に府下第一の佳境といふべし○霊宝薬師如来立像《割書:唐|仏》  不動明王立像《割書:智証大|師の作》如意輪観音画像《割書:弘法大|師の筆》獅子頭《割書:仏|工》  《割書:春日|の作》地蔵画像《割書:唐|画》塔頭一乗院《割書:当寺中興二世良祐建立|して隠居所となせり》 霊松山善篤寺《割書:同町東側にあり曹洞宗|春日井郡三淵村正眼寺末》当寺は応永年中の開  基にて菩提(ぼだい)寺と号し葉栗郡 竹(たけ)ヶ(が)鼻(はな)村《割書:今は美濃国|に属せり》に在  りしが玄翁(げんおう)和尚の派下(はか)なりし故 那須野(なすの)の殺生(せつしやう)石の妄誕(もうたん)  によりて曹洞一派に擯出(ひんしゆつ)せられ終に廃絶せしを文亀二  年越前の国永平寺の大倫和尚と正眼(しやうげん)寺の宣叟(せんさう)和尚  と議(ぎ)して再興し天鷹(てんよう)和尚の派に改め霊松山善篤寺と  改号し大倫和尚を開山とす其後天文年中清須にうつし  慶長十五年再ひ今の所へうつせり《割書:むかし菩提寺といひし時室|町将軍家より寺領寄付》  《割書:ありしかども累(るい)年の|騒乱(そうらん)に廃絶せしとぞ》今は末寺も十二宇此辺に立つらなりて大  寺となれり○本尊《割書:釈迦の|木像》禅堂 宗源山浄久寺《割書:善篤寺の南隣にて即其末寺也 山寂(さんじやく)首座(しゆざ)の開基に|て清須にありしを慶長年中こゝにうつせり》  本尊《割書:釈迦仏恵心|僧都の作》霊宝 景清(かげきよ)守(まもり)本尊千手観音《割書:悪七兵衛|景清自ら》  《割書:矢(や)の根(ね)に彫(ほり)し小仏なり景清の末葉古渡に住せしが家に持伝へしを此|寺に寄付せしとぞ其位牌もありて水月景清大居士建保二甲戌年八》  《割書:月十五日と見えたり》 持永山光真寺《割書:浄久寺の南に隣りて善篤寺末也僧元與の開基|にて松寿院といひしを宝永二年十月今の寺号に改む》  本尊《割書:正観音行|基の作》薬師堂《割書:本尊は霊仏にて延宝の頃開帳ありしに|凶悪の士ありて薬師信仰の人の此士に行》  《割書:当りしを不礼也とて一刀に討はたし足早に立退(たちの)きしがきられし人は地に|倒(たを)れながらいさゝか恙(つゝが)なかりしかばひとへに薬師仏の身がはりに立せ給ひし》  《割書:といよ〳〵信心せしとぞ是より俗にきらず薬師と称しもてはやしけり》 西本願寺掛所《割書:同町西側|にあり》伊勢国桑名郡長島の門徒等 信(しん)  証(しやう)院蓮如上人に乞ひて長島の杉江村に一寺を建立し  上人の末子 実恵(しづゑ)を招待(しやうだい)して住持とし願証寺と名づけ  伊勢尾張美濃三箇国の小本山たりしか天正二年甲戌  九月二十九日門徒の一揆によりて亡(ほろぼ)され廃寺となりしを顕  如上人内大臣信雄公に申て願証廃寺を当国清須に再  興あり其のち又桑名郡本願寺村に願証寺を再興して  清須の寺を通所となせしを慶長御遷府の後通所を今  の所へうつし旧号によりて願証寺と名づく其後享保  年中本坊懸所とす境内に桜の大樹数株ありて春日遊  人絶えず○本尊《割書:阿弥陀|如来》 二子(ふたご)山の古跡《割書:西掛所の地むかしは二子山とてすこしき山野なりし清須|より御遷府の時地をならして今の如く平地となり》  《割書:寺院商家立|つゞきたり》 七面山妙善寺《割書:橘町西側にあり日蓮|宗京都妙顕寺直末》天和三年僧日春建立して  愛智郡 岩作(やざこ)村に妙禅寺といへる廃寺のありしが其寺 【右丁】  西本願寺  掛所(かけしよ)      乾堂 仲秋残暑昼薫_レ 人 晩景風涼踏_二軟塵_一 福土荘厳群作_レ会 法門農暇課_二村民_一      羅城 花に行    人みな  兄と    弟よ 【左丁】 しつかさ     を  花にあつ    めて  桂五   日暮     けり    あかる      みの   さして  くれるや 花の雨  鴨居 【陽刻落款】春江  号をうつし妙善寺《割書:音便によりて|字をあらたむ》と名づく延宝のころより  国君御 信仰(しんかう)ありて今に繁昌す○本堂《割書:七面の像は茶屋長以が|彫刻にて天和三年安置す》 日置(ひおき)八幡宮《割書:妙善寺の西隣也日置村の地なる故かく呼へり延喜神名|式に愛智郡日置神社本国神名帳に従三位日置天神と》  《割書:記せるは此社也新撰姓氏録に日置朝臣 ̄ハ 応神天皇 大山守王(おほやまもりのわうぎみ)之後也|とあるを見れは日置朝臣等が祖神に 応神天皇を祭り奉れるならん》 千本松《割書:日置八幡宮の辺をいふ信長公 桶挟間(おけはさま)合戦の時日置八幡宮に祷(いの)ら|れしに瑞応ありて勝利を得たまひし故 報賽(ほうさい)のため松樹千株を》  《割書:植(うゑ)られし故千本松といひしが寛文年中町屋と|なれりされど今も此辺に古松 数多(あまた)のこれり》 無量山 延広(えんくわう)寺《割書:橘町の西側にあり西本願寺直末常川掃部 延広(のぶひろ)の開基よつて|寺号とす伊勢国長島にありしを元禄六酉年こゝにうつせり》 護国(ごこく)山 東輪(とうりん)寺《割書:同町大木戸際の西側にあり黄(わう)|檗(ばく)宗山城国宇治の万福寺末》寛文十一年唐僧 千呆(せんがい)《割書:号_二|安》  《割書:立_一》の草創にて即非(そくひ)禅師を開山とし法嗣なる故大休を以住持とす  大休故ありて退去し廃寺となりしを万松寺の末刹(まつせつ)とし高顕(かうけん)寺  と改む《割書:今日置にあ|る是なり》千呆和尚又 愁訴(しうそ)して元禄五年再び黄檗寺を  こゝに建立して東輪寺と名づけ江外和尚を長崎より請(しやう)して住持  とす○本尊《割書:明人作の釈迦文珠普賢|の像を内殿に安置す》観音堂 鐘楼芭蕉堂  大施餓鬼(おほせがき)  《割書:七月十五日是を執行す殊に名高|くして盆中府下無双の群余なり》 犬御堂(いぬみどう)法浄寺華光院《割書:大木戸の南西側にあり|真言宗大須真福寺末》開山僧 無関(むくわん)《割書:俗姓|平氏》  《割書:紀伊国高野山|にて出家す》修行のため諸国 行脚(あんぎや)し寿永年中此地に  来り身 疲(つか)れ煩悶(はんもん)して息絶むとせしに黒白の二犬いで  草の葉に水を浸(ひた)したるをくはへ来りて僧の口にそゝきしかば  忽 蘇生(そせい)し心身 快(くわい)然たり此僧おもひけるは犬は高野大明神  の使者なれば偏(ひとへ)に明神の加護(かご)なりと知り且阿弥陀如来  霊夢の告ありしかばこゝに草【艸】庵を結(むす)び弥陀仏の尊像及  び黒白両犬の姿(すがた)をうつして安置し犬御堂と名づけしとぞ  《割書:真言古義に護摩壇側 ̄ニ置_二黒白二犬_一是弘法大師始入_二高野山_一有_二 二犬_一導|引 ̄ス故 ̄ニ置_二犬像壇側_一と見え塩尻に高野四所明神の図に階下黒白二》  《割書:犬を画(ゑが)く是は空海弘仁中高野山を攀登(よぢのほ)る際(あいだ)二犬有りて導(みちび)きまた|弓箭(ゆみや)を帯(たい)せし化人山をさし示(しめ)す精舎建立の後 狩場(かりば)明神と号して》  《割書:祭れり其はじめの形を図せるなりと密家の僧いへり此犬御堂も真言|宗なれば鎮守の為に本尊の脇に二犬を置しと見ゆとしるせり其外むか》  《割書:しある人犬を飼(か)ひて愛せしが山につれ行大樹の下に眠(ねむ)りしに此犬急に|主人に吠(ほえ)かゝり衣をくはへて引しかは主人あやしみ我をくらはんかと疑(うたが)ひて刀》  東輪(とうりん)寺   東輪寺坐_レ月         南源 《割書: |東游草》  一撃蟾宮開鉄【銕は古字】鎚無_二  孔竅_一東海転_二霜輪_一 十  方均普照 ̄ス露柱策_レ眉  観虚空開_レ口笑 ̄フ賓主  会同堂松琴弾_二逸調_一       冬央 《割書: |俳諧古渡集》  唐音や   なくらん    蝉の     夕付日 【右下 陽刻落款印】春江 【左丁】  東輪寺   芭蕉堂新成     士朗 蝶鳥も  みなやすけ    なり   花の影    黄山 人去て  跡なき   盆の ともし哉  《割書:を抜(ぬき)て犬の首を討落せしに其首樹上に飛上り大蛇の主人を呑(のま)んと覗へる|に囓付(かみつき)たり主人此忠精をしらずあやまつて犬を殺害せし事を悔(く)ゐそれが為》  《割書:に寺を建立せしなどさま〳〵付(ふ)|会(くわい)の説あれとも信用しがたし》 古渡(ふるわたり)《割書:当府南のはてにて市部(いちべの)庄古渡又 旧渡(ふるわたり)ともかけり明月記云尾張国|旧渡者往昔海潮没_レ岸之跡趾也《割書:予》赴_二東方_一之時自_二鳴身_一到_二於此_一《割書:云々》》  と見えたり       東へくたるとて《割書:中略》古渡   《割書:明日香井和歌集》    むかしよりその名かはらぬ古わたりさても朽せぬ橋柱かな 参議雅経  《割書:日本霊異記に愛知郡 片蕝(かたわの)里また旧本今昔物語に愛智郡 片輪(かたわの)郷と|あるは此古渡の古名なり又一女子村ともいひし事ありむかし富饒(ぶにやう)の》  《割書:人七人のむすめありけるが成長のゝち七所へ嫁(か)せしめ姉(あね)の住し所を一女子|村といひしを後世古渡村と改号す二女子以下が住し所も地名となりて》  《割書:二女子村四女子村五女子村は是より西南の方に今にあり又三女子は露(つゆ)|橋(はし)村及 小塚(こづか)村地内の字(あさな)六女子は丸米野村の字に残り七女子今は小村》  《割書:にて戸口なく小塚村より支配しすべて七人の娘が在住せし地名は今に|のこれりあるひは此七人のむすめは道場法師が孫女にて姉とあるは則尾張》  《割書:宿祢 久玖利(くゝり)が妻|なりともいへり》 稲荷社《割書:古渡のうち犬見【御】堂の南の西側にあり祭神伊弉冊尊 倉稲魂(うがのみたまの)命|天津 彦彦火瓊瓊杵(ひこ〳〵ほにゝぎの)尊猿田彦命及び住吉四大神の五座也》  国君円覚院殿元禄二年九月十七日江戸四 ̄ツ谷 御館(おんたち)にて  御誕生まし〳〵稲荷を生土神とし給ひし故御 崇敬(そうけい)あらせ  られ吉見刑部少輔幸和に命し給ひて丹羽郡 石枕(いしまくら)村の  稲荷の社をこゝにうつし正徳三年四月廿五日遷座なさし  め給へり○末社 山王社《割書:本社の北の方にあり本社と|同時に清須よりうつす》五条天神  社《割書:本社の南にあり本社と同時|に丹羽郡二宮よりうつす》その外の末社 殿宇(てんう)等は図上に  就(つい)て見るべし例祭《割書:本社は二月初午日三月中午日四月上卯日十一月|八日また山王社は四月中申日五条天神社は九月》  《割書:十日十二月|節分 ̄ノ日なり》神主《割書:安井|氏》境内に楓樹多くありて秋霜(しうそう)是を染(そむ)る  時は紅(くれな)ひ二月の花を欺(あざむ)き観賞なのめならず雅俗遊人の  履歴(りれき)日に絶(たゆ)る事なく占秋(せんしう)の奇観実に府下の第一なり 龍洞山大泉寺《割書:稲荷社の南にあり曹洞宗当所|洞仙寺末貞享三年の建立》本尊《割書:宝冠の釈迦|牟尼仏は弘》  《割書:法大師|の作》観音堂《割書:正観音もと洞仙寺の本尊|にて愛智一郡の鎮守仏也》愛染明王《割書:享保|年中》  《割書:の寄付にてたけ四|尺余の木像なり》 瑞雲山洞仙寺《割書:古渡のうち中市場筋東側にあり曹洞宗熱田の|法持寺末もと玉泉寺といひしを寛文七年改号す》  本尊《割書:千手観音恵心僧都の作にて源頼信より右大将頼朝公まで数|代崇敬ありし木像なり又 桃巌(とうがん)梅あり紅白ましりて見事成》 【右丁 文言無し】 【陽刻落款印】春江 【左丁】     河村時秀 うつしうゑて   見るもうれしき       薄もみち      いなりの山を        おもかけに          して 古渡稲荷社 小栗街道 犬見堂 古渡橋 闇森(くらがりのもり)八幡宮  《割書:花なるが当所の城主織田備後守信秀《割書:法名|桃巌》手づから接(つぎ)し木なる故しか名|付しとぞ此寺の境内は御城御造営の時加賀家の普請場(ふしんば)にて有し故》  《割書:其時に彼国老横山山城守等より往|返せし書翰(しよかん)多く此寺に伝へたり》 南方鑷(なんぼうけぬき)《割書:名古屋けぬき|とて名物なり》足利義教(あしかゞよしのり)公富士御覧の時熱田の円  福寺に止宿在しに古渡の鍛冶 鑷(けぬき)を奉りしかばなんぼうよき  けぬきなりと仰られしより家号とせしよし白華随筆に  しるせり《割書:岡田挺之が暢園詠物詩の古渡の句に人 ̄ハ|姓_二南方_一能淬_レ剣村名_二古渡_一自横_レ舟と作れり》   《割書:狂歌真寸鏡》    うつろへる人の心のはなけぬき南方くいても今はかへらぬ 木端 闇森(くらがりのもり)八幡宮《割書:古渡橋筋の北側にあり祭神 応神天皇神功皇|后 也また鎮西八郎為朝の霊を合祭るともいふ》永正  十八年鶴見道親以下六人の僧俗力をあはせて重修す元  禄の比石黒某か母 そのむかし植にしきゝの年を経て月さへ  もらぬくらかりの森 とよみしごとく今も古木 森々(しん〳〵)として白昼(はくちう)  もをぐらき神祠なり○末社《割書:春日社 稲荷社|神明社 弁天社》例祭《割書:二月初午烏祭|十一月初辰》 古渡橋《割書:闇森の西堀川に渡せる橋也古哥によみし古渡の旧橋は是にはあら|て近き頃まで犬御堂と稲荷の間の溝に古き橋 杭(くゐ)の横(よこた)はりてあり》  《割書:しかまさしく旧橋のなごりにて則此所より西の方露橋村上中村などをへて|萱津(かやづ)のかたへ通ふ道を今も小栗(をぐり)街道(かいどう)と呼べり諸国ともに小栗街道といへる》  《割書:は必古道の通称なれば飛鳥井雅経卿の通|られしもこのあたり遠からざりし成べし》 榊(さかきの)森《割書:古渡新町の東側にあり本社白山媛命左右二社は伊弉諾尊大己貴|命仁和三年の鎮座也むかしは熱田の祭事に此森の榊を奉る旧例なり》  《割書:し故名つけしとぞ此外古渡に鴬の森盗人の森|直会森などありしよしなれど今は其所しれがたし》 国豊山元 興(かう)寺《割書:尾頭橋筋の北側にあり浄土宗京都知恩院末往昔|道場法師が開基にて南都元興寺の末寺なりしが》  《割書:中世衰廃せし故寺を牛立村へうつし東門徒尾頭山願興寺と呼|び跡には薬師堂のみ残りしを享保三年再興して旧号に渡す》本  尊《割書:薬師仏身体 破壊(はえ)して御首のみ残れるが甚古仏なり又境内|に古瓦を掘出せる事あり是むかしの元興寺の名残也》 道場法師《割書:古渡の出生にて南都元興寺の僧となる其伝日本霊異記|本朝文粋水鏡にのせたるが三書ともに其文甚長くしてよ》  《割書:むにものうく且霊異記古雅にして文義甚 解(げ)しがたければ今其要を|とり約(つゞ)めてこれをしるす 敏達天皇の御宇尾張国愛智郡 片蕝(かたわの)里の》  《割書:農夫田に水そゝぎけるに雷なりて前に落けるが其形 小(ち)さき子のごとし|農夫すきにてうたんとせしかば雷わびて我を殺す事なかれ楠(くす)の舟に水》  《割書:を入れ竹の葉を浮(うか)へてあたへよ其報によき男子をあたへむといひしかば|それがいへるまゝにあたへけるに雷は其水を得て空へ登りぬ其のち其妻はら》  《割書:みて男子をうみけるに蛇其子の頸(くび)を二巻まとひて尾首(をかしら)後(うしろ)の方にたれ|たりき此子 強力(がうりき)にて十歳の時方八尺の石を投(なげ)て其足跡地に入ること三》  《割書:寸許なりかくて奈良(なら)の元興寺の僧に仕へしが其頃其寺の鐘楼に鬼|ありて夜毎にかねつく人をくひ殺しければ此童子其 怪(くわい)をとゞめむといふ僧ども》 【右丁】 古渡  川口屋   飴店(あめみせ) 【同右下 陽刻落款】春江 【左丁 文言無し】  《割書:悦びてゆるしければ其夜鐘楼にして童子鬼と闘(たゝか)ひ其髪をつかみてはな|たず鬼しまけて髪をぬかれなからにげ去ぬ夜明けて血をとめて【注①】ありかを尋》  《割書:ねけるに悪奴(あくど)が墓(はか)にて血とまりければ其奴か魂鬼のわざなる事をしりぬ其|後其怪ある事なく其髪は元興寺の宝物に収む童子成長して寺にあ》  《割書:りけるが寺田に水そゝがんとせしに他の農夫さまたげて水入させさりければ十|余人して持つべき程のすきから【注②】をつくりて水口に立しかど猶人〳〵ぬき捨た》  《割書:りけりさらばとて五百人してひくほとの大石をとりて他人の田の水口に置|て水を寺田に引ければ人〳〵おち恐れて其のちはさまたけす成にけり》  《割書:かくて彼寺にて剃髪(ていはつ)し道|場法師とぞ名乗りける》 鎮西八郎為朝塚《割書:尾頭橋の東にあり為朝こゝに住せしよしいひ伝へ|たれど古書に所見(しよけん)なけれは定かならず為朝の》  《割書:嫡子 義実(よしさね)尾張国知多郡に隠(かく)れ住み其孫 市部(いちべ)太郎義季こゝの市部|庄に居住すされは其祖の墓を築きし物か又牛立村願興寺の伝文に》  《割書:為朝の子尾頭次郎義次こゝに住せしよし見えたれど亦定かならず為朝|に四男一女あれども義次と名のる人なしされども為朝のゆかりあれば其》  《割書:塚なしともいふまじけれは人口に膾炙(くわいしや)せし|伝説にまかせて強(しゐ)て是非を論せず》 【注① とめる=尋ねる。探し求める。】 【注② すきがら(鋤柄)=鋤の柄(え)。】 尾張名所図会巻之一《割書:終》 【白紙なれど左下にメモ 書付の裏にて不詳】 【印】 《割書:仕|入》【山笠にサ】 【裏表紙】 【表紙題箋】 尾張名所図会《割書:前編》  二 【題箋にメモ】 owari 【白紙】 尾張名所図会巻之二    目録 愛智郡  枇杷島(びはじま)    枇杷島橋   琵琶(びは)島の古事   枇杷島川  青物問屋   牛頭天王社   清音寺      八幡社  白山権現社  海福寺     林貞院      宝周寺  法蔵寺    西願寺     正覚寺      花の木  浅間社     覚鳳(かくはう)寺    興西寺      山神社  武島(たけしま)天満宮 稲生(いなふ)街道(かいどう)   円頓(えんどん)寺      慶栄(けうえい)寺  高田本坊   堀川 惣河戸(さうかうど)  延米(のべまい)会所     明倫堂  五条橋    金剛(こんがう)寺    天王祭 造(つく)り物の図 材木店  白山社    清水寺     浅間社      梵天(ぼんでん)《割書:并》切紙(きりこ)燈籠(とうらう)の図  興善寺    浄教寺     円通寺      笹島焼(さゝしまやき)  広井八幡宮  同 傘鉾(かさぼこ)祭   延命院      陳元贇(ちんげんひん)寓居(ぐうきよの)跡(あと)  伊藤 玄沢(げんたく)施薬(せやく)   福泉寺    薬品(やくひん)会     永林寺  広井 女王(によわうの)古墳(こふん)   東光寺    大林寺     光明寺  南寺町の全図    養林寺     誓願寺     西光院  徳林寺       大乗院     天道社     牛頭天王社  長円寺       八角堂     聖運寺     日置(ひおき)  堀川の桜      鴬谷(うぐひすだに)    織田丹波守の伝 無三殿閫(むさんとのいり)  八幡宮       弘法井    了義(りやうぎ)院     東界寺  五百 羅漢(らかん)      相応寺    神明社     蔵王(ざわう)権現社  長久寺       八王子社   亀尾(かめをの)清水    七尾(なゝを)天満宮  鶏薬師(とりやくし)      松山天道宮   山吹(やまぶき)谷     養念寺  烏(からす)が池の図    平田院     建中寺     情妙寺  観音院       円明寺     教順寺     養蓮寺  善光寺       高岳院     東充寺     含笑(かんしよう)寺  永安寺      長栄寺     本立寺       照遠(しやうをん)寺  法華寺      常徳寺     妙蓮寺       《割書:法華寺町|禅寺町》全図  白山社      大円寺     片岡源五右衛門墓  西蓮寺  富士権現社    瑠璃光(るりくわう)寺    誓願寺       浄念寺  小袖塚(こそでづか)     光円寺      円輪寺       繁昌院  産前(さんぜん)産後(さんご)二母散(じぼさん) 聖徳寺     守綱(しゆかう)寺      白林寺  政秀寺      平手政秀(ひらでまさひで)信長公へ諌書(かんしよ)を上(たてまつ)る図 勝鬘(しやうまん)寺  清浄(せうじやう)寺     柳生(やぎふ)兵庫居住地 三輪(みわ)明神社    東泉院  橋の寮(りやう)     富士見原(ふじみばら)     大池       酔雪楼(すいせつろう)  万松寺      白雪(はくせつ)稲荷(いなり)の図  隠里(かくれざと)      春日(かすがの)社  長栄寺     九老(きうらう)尚歯会(しやうしくわい)の図 梅香院      栄国寺  崇覚(さうがく)寺     東本願寺掛所   古渡古城 枇杷島(びはじま)《割書:琵琶島とも書けり川の東を東枇杷島といひ川の|西問屋町より二ツ杁までをすべて西枇杷島といふ》往昔(むかし)師長(もろなが)公 井戸田(ゐどた)  の里に謫居(たくきよ)し給ひし時里の長(おさ)横江(よこえ)何某(なにがし)の娘(むすめ)に馴初(なれそめ)させ玉ふに《割書:公|井》  《割書:戸田の里に謫居し玉ひし事(じ)|実(じつ)は井戸田の条下に譲りぬ》公 帰洛(きらく)の期(ご)に及で御別れを深く惜(をし)み奉り  当所の西なる土器(かはらけ)野里まで慕(した)ひ参らせしかば公も哀(あは)れに思しめし  守本尊の薬師如来と年頃(としころ)手馴(てなれ)させ玉へる白菊(しらぎく)の琵琶(びは)とを御  形見(かたみ)にあたへ玉ふしかるに生別(せいべつ)却(かへつ)て死別(しべつ)にまさるの理にして彼女 悲(ひ)  歎(たん)に堪(たへ)ず世を憂(う)き事に思ひ頓(やが)て吾身を恨(うら)みつゝ一首の和歌を  書残し側(かたはら)なる池に身を沈(しづ)め終に空(むな)しく成にけり《割書:此池のあと今は畠|となりて枇杷島川》  《割書:の堤(つゝみ)ぞひに其 旧姿(きうし)を存し琵琶池と称す又同所西の方 小場塚(をばつか)村に琵琶塚とて森林|の内に古塚あり是彼女が死骸(しがい)を埋(うづ)みし塚なりとぞ按ずるに枇杷島の称はいにしへ此地に》  《割書:枇杷など多かりしに起るならんかしかるに彼女白菊の琵琶を抱(いだ)き猶も離情(りぜう)に堪かねこゝ|なる池に身を沈めしより其池を琵琶池といひ初しに枇杷琵琶の音便(おんびん)も通(かよ)へば好事(かうず)の者》  《割書:多く琵琶文字を用|ひしものなるべし》 枇杷島橋《割書:大橋は枇杷島村と下小田井村の堺|にあり小橋は下小田井村にあり》元和八壬戌年 国祖源敬公  有司に命じて造(つく)らしめ玉ふ国中第一の大橋にして東西に二橋を  架(わた)せり大橋長さ七十二間小橋二十七間 杭(くゐ)桁(けた)梁(はり)高欄(かうらん)其外に至る  まで更に他(た)の雑木(ざうぼく)を交(まじ)へずみな檜材(ひのきざい)を用ひて結構の善美人の  目を驚せり又両橋の間に中島とて南北六町ばかり川中へ墾(はり)出づ此  南北方三町程の間は萩叢(はぎむら)にして毎年秋の頃は尺地も残さず咲乱(さきみた)【亂】  れて紅紫(かうし)の清流に映(えい)ぜる尤奇観也此所に二軒の茶屋ありて  往来諸人の飲食に供給(きやうきう)す凡美濃路廻り中山道及び東西諸国  への往還にして旅客はもとより西国の諸侯方通行の官道故往  来常に縦横(じうわう)し殊に当府の西なる咽喉(のんど)なれば市に出入の商人を  はじめ四方の諸人もみな此橋に輻湊(ふくさう)して実に肩摩(けんま)の賑なり又橋  上より遠く四方を望めば信州の御嶽(おんたけ)駒(こま)ヶ嶽加州の白山江州の伊  吹山勢州の多度(たど)山濃州の養老(ようらう)山 金華山(きんくわさん)恵那(ゑな)山三州の猿投(さなぎ)  山及び飛越(ひえつ)二州の山々まですべて八ヶ国の峻秀(しゆんしう)四望の内に尽(つ)き  近く東南を望めば金城高く雲表に聳(そび)え府下の万家も一 瞬(しゆん) 【右丁】 【陽刻落款印】高雅 【右から横書き】 枇杷島橋    君山 《割書: |日本詩選》 訪_レ古城西 路琵琶空 有_レ名潺湲 橋下水猶 【左丁】 写四絃声     含阽 《割書:昿野集》 雪残る  鬼嶽   さむき  弥生    かな     鳳台 人脚に  追はるゝ   米の  師走   かな  に入り西北は本宮山小牧山其余の群巒までみな鮮(あざや)かに見え渡り春  の麗(うらゝか)夏の涼み秋の月冬の雪まで四季の眺(なが)め乏しからす古今の  騒人詞客も此境に到らぬはなくして又 類(たぐ)ひなき勝景なり  《割書: |新川集》 琵 琶 橋 歩_レ月             岡 田 新 川   琵 琶 橋 畔 夜 如 何 岸_レ 幘 披_レ 襟 好 並 過 蘋 末 軽 風 生_二 曲   浦_一雲 端 素 月 上_二 層 柯_一紅 闌 影 落 長 流 水 白 荢 声 飄 数   畳 歌 不_レ 道 人 間 仙 路 隔 乗_レ 槎 直 欲_レ 到_二銀 河  《割書: |𥃨游園詩集》 経_二 琵 琶 橋_一            延 寿 道 人   城 外 逢_レ 人 識 面 稀 十 年 空 屓 旧 庭 闈 官 橋 影 射_二 滄 波_一   動 旅 雁 声 凌_二 碧 落_一 飛 松 下 長 堤 通_二 大 道_一 天 涯 斜 日 照_二   寒 衣_一 蓬 莱 一 路 行 将_レ 近 五 色 祥 雲 迎_レ 錫 帰  《割書: |社盟詩載》                      良 察   琵 琶 橋 上 対_二 斜 曛_一 極_レ 目 徘 徊 思 出_レ 群 玉 府 千 重 高 嶺   雪 金 城 十 里 暮 雲 天 翠 松 蓊 欝 双【雙】 行 列 緑 水 潺 湲 両   派 分 好 景 新 詩 成 未_レ 去 疎 鐘 点 々 隔_レ 林 聞                           秦 滄 浪   怨 復 怨 兮 江 水 頭 琵 琶 白 菊 幾 回 秋 幽 衷 不_レ 得_二 絃 中   訴_一 山 雨 河 風 向_レ 客 愁                           松 田 常 春   繊 月 如_レ 眉 照_二 浅 汀_一 相 公 曽 此 別_二 娉 婷_一 琤 々 驟 雨 橋 頭   過 似_下 向_二 琵 琶 絃 上_一 聴_上      琵 琶 橋 晩 望            村 井 泰 翁   官 道 二 三 里 外 蒼 茫 暮 色 如_レ 描 淡 烟 東 岸 西 岸 斜 日  琵琶島の古事 横江氏の女師長公に別れ 奉りしあとにて御 形見(かたみ) の琵琶に離恨(りこん)をこめ  よつの緒のしらへに    かけて三ッ瀬川   沈み果しと    君に伝へよ と一首の和歌を 残して溺死(できし)せり 故に琵琶池琵 琶島の称こゝに 起る委(くは)しき事は 枇杷島の条に譲(ゆづ) りぬ       日潤 身をしつむふかき   おもひはしら菊の  つゆのなさけや     淵となりけむ 【右下 陽刻落款印】春江   長 橋 短 橋 楊 柳 垂 辺 鷺 宿 漣 漪 動 処 魚 跳 満 眸 皆 是   詩 料 不_レ似 徘_二 徊 市 朝_一       月 夜 琵 琶 橋 酔 帰          奥 田 桐 園   橋 分_二 両 郡_一 双 龍 影 水 孕_二  中 洲_一 白 練 光 酔 歩 帰 来 涼 可    _レ 掬 螻 姑 声 裏 月 微 花        琵琶島を過て    よつの緒の長き恨に沈みしも河瀬の水の世々になかれて   岩倉具選卿        妙音殿の故事を思ひいてゝ    往方をあふくこゝろの泉もて汲知よつの緒はたえめやも   季鷹    しらきくの露と消にしあとまても四のをの名をこゝに残して 検校花の一    朝霞ゆふへの涼み月雪のなかめに富る橋の上かな      道直      琵琶島のいはれとひ〳〵夕すゝみ           五笊坊      雁並ふ声に日の出る河原かな             士朗      春深き色や真蘇木の尾張富士             秋麿      波形に干あかる砂や初月夜              沙鴎 枇杷島川《割書:枇杷島橋の下を流るゝ川にて一名小田井川といふ尾張風土記にのせし|大井田川は則是ならんかなとの説もありて大河なり》水源三ツありて  一ツは濃州 恵那(ゑな)郡竹折より出て同 土岐(とき)郡 釜戸(かまど)を経(へ)玉野(たまの)勝川(かちがは)味(あじ)  鋺(ま)に至一ツは内津《割書:是を内津|川といふ》より出松本出川を経上条村にて玉野川  の下流と落合一ツは三州加茂郡より出て瀬戸(せと)赤津(あかづ)山田安井《割書:こゝ|にて》  《割書:矢田川|といふ》を経 稲生(いなふ)にて二道合流し此大河となりこゝより下流は万場  一色を経て海に入る《割書:此河水は篠木(しのぎ)柏井(かしわゐ)の両庄を流るゝ|ゆゑ惣名を庄内川といへり》此川平生は清冷の長  流にして茶人など殊に此水を賞美せり《割書:積霖(せきりん)大雨の時は洪水漫々として岸|を拍(うち)堤(つゝみ)を浸(ひた)して水勢盛になる》  《割書:時は橋上に多くの大石を置き夜は堤に篝(かゞり)を焚(たき)て番をなさしむもとより堤の下に石杭(いしぐゐ)を建(たて)|て水の増減(ざうげん)を知るに便りとす按ずるに元和已前は船渡しなりしが洪水の時は水勢強くし》  《割書:て船も通(かよ)はざりし事は那古野合戦記及び|信長記等の文意にてもしるにたれり》 青物市問屋《割書:橋の西問屋町数町の間両側に三十八軒あり慶長十九年に市兵衛九左衛門|の二人是を創業せしより二百二十余年の今に至りて連綿繁昌す伝》  《割書:由の委しき事は菜蔬朝|市記に譲(ゆづ)りて是を略す》凡一年中の朝ごとに市をなし四時の菜蔬(さいそ)干(かん)  物(ぶつ)まで新を争(あらそ)ひ奇(き)を競(きそ)ひ当国の名産はいふもさら也《割書:宮重(みやしげ)方領(はうれう)の大|根を初め名産》  《割書:の品類甚多くして枚挙(まいきよ)に遑(いとま)あらねばすべて是を略し其物〳〵|の所産の地名の条下の就て形状風味までを詳に示す》美濃三河伊勢駿  河京大坂の産物までこゝに湊(つど)ひてあらゆる万物朝ごとに山をなせる  も《割書:かく万物を取捌(とりさば)けば世に万物|問屋といひて由緒ある株(かぶ)なり》買出しの商人 蟻(あり)のことく集(あつま)り暫時に 【右丁】 【右から横書き】 青物市 【陽刻落款印】高雅 【左丁】 荷ひ  出す 大根  しろ   き 夜明  かな   而后  荷(にな)ひ出し又馬車にも積(つ)みて府下を初め隣国近国三都までに運  送する実に府下繁昌の余沢(よたく)にして一 大(たい)盛事(せいじ)といふべし      菜 蔬 朝 市 記   繋 辞 伝 ̄ニ 曰 神 農 氏 日 中 ̄ニ 為_レ 市 致_二  天 下 之 民_一 聚_二  天 下 之   貨_一 交 易 而 退 各 得_二 其 所_一 其 他 九 市 三 市 則 姑 舎 而 不   _レ載 焉   皇 国 令 式 之 外 市 之 散-_二 見 于 古 記 及 古 歌_一 者   不_レ 遑_二 歴 々 挙_一_レ 之 我 尾 張 国 琵 琶 橋 西 下 小 田 井 邨 数   街 之 間 有_二 菜 蔬 之 市_一 慶 長 年 間 開_レ 場 云   神 祖 嘗 曰   将 来 応_レ 為_二 繁 昌 之 地_一 果 如_二 其 言_一 其 為_レ 市 也 起_二 于 卯_一 終_二   于 巳_一  一 歳 之 中 無_二  一 日 之 虚_一 交 易 之 喧 豗 声 不_レ 能_レ 震   往 来 之 填 盈 人 不_レ 得_レ 顧 至_二 我 尾 及 遠 近 之 品 物 京 摂   之 名 産_一 莫_レ 不_レ 輻-_二 湊 於 此_一 実 可_レ 謂_二 市 之 盛 者_一 矣 市 之 行   頭 凡 三 十 八 家 而 市 兵 衛 九 左 衛 門 二 人 是 其 魁 也   蓋 琵 琶 橋 者 元 和 八 年 壬 戌   敬 公 命_二 有 司_一 創-_二 造 之_一   同 年 十 一 月    公 奉_二   神 祖 之 遺 意_一 命_二  下 小 田 井 村   民 市 兵 衛 及 九 左 衛 門 者_一 護_二 此 橋_一 因 賜_二 永 世 復 田 若   干_一 九  左  衛  門  者  有_レ  故 辞_レ 職 唯 市 兵 衛 連 綿 勤_レ 職 二_二 百   十_三  三 年 於 茲_一 矣【注】 今 茲 之 春 余 遊_二 于 此 地_一 観_二 其 市_一 聴_二 其   由_一 之 次 聊 述_二  二 韻 四 句_一 云     菜 兮 蔬 兮   如_レ 山 如_レ 阜    無_二 龍 断 ̄ノ 私_一   有_二 恩 沢 ̄ノ 普_一       天 保 五 年 甲 午 春 三 月      香 実 老 人   あかれちる市の林に鳥啼て夕影さむく風吹すさふ    上田秋成 【注 この文、「二・三点」のつけ方に疑問】    《割書: |泊船集》      市人よこの笠うらそ雪の傘     はせを 牛頭天王社神明社《割書:問屋町の北側にあり天王社の祭神は素盞烏尊|神明社の祭神は 天照皇大神宮なり》末社《割書:金毘羅社|秋葉社》  例祭《割書:正月廿日神楽を奏す古例ある祭事也委しき事は猿猴庵のあらはせし尾陽年中|行事に譲(ゆづ)りて略す六月十日 試楽(しがく)ありて翌十一日車楽四輌を引渡す人形の機工》  《割書:尤 奇絶(きぜつ)也又八月十日|神楽 湯立(ゆたて)等あり》神木《割書:松 榎(ゑのき)の大樹あり松は近年|枯槁(こかう)して榎は今繁茂せり》祠官《割書:青木|氏》 松峰【峯】山清音寺《割書:東枇杷島にあり曹洞宗三淵村|正眼寺末創建の年記詳ならす》本尊《割書:阿弥陀如来恵|心僧都の作》薬師  堂《割書:師長公守本尊にして|蚊祭の薬師と称す》縁起 ̄ニ云 蚊祭(かまつり)薬師如来は弘法大師一刀一礼  の御作師長公守本尊《割書:云々》公の愛妃(あいひ)が亡霊菩提のために営(いとな)み  玉ひ亡女の法号《割書:清音院松月|麗照大姉》によりて清音寺と号す《割書:云々》はじめは  天台宗七堂伽藍の霊場なりしが応永年中の洪水に堂宇流  亡し享禄年中に又焼失せしが両度の水火難に如来のみ依然とし  てましませし霊像也其頃正眼寺八世の宣叟曇周(せんさうどんしう)和尚当寺を  中興し今の宗に改む《割書:云々》《割書:文長けれ|ば略抄す》師長公位牌《割書:当山草創開基妙|音院殿大相国師長》  《割書:公建久三年子二|月九日とあり》霊宝師長公画像一幅《割書:建久の頃の古画なりしが年を経て|五彩(ごさい)も見分がたくなりければ近来》  《割書:しま屋某田中 訥言(とつけん)をして模写(もしや)せしめ当寺に寄付す賛(さん)に よつの緒の|しらへは今もきこえあけて 世に御名高き 大まへつ君 秋輔とあり》白菊の  琵琶の図一幅《割書:是も古画なりしを近年岩井正翁模写し図上に自ら伝由を記す|文長けれは略しぬ此琵琶 希代(きたい)の名物にして古は熱田の神庫に》  《割書:納まりありしが其後故有て|今は御物となり現存せり》 八幡社《割書:清音寺の東にあり永|享二己丑年の創建也》本社《割書:祭神 応神天皇左は 神|功皇后右は武内宿祢也》末社《割書:神明社 天王|社 稲荷社》  《割書:金毘羅社|弁天社》例祭《割書:八月十|五日》抑当社は鷹(たか)八幡と通称して鷹の諸病或は  鷹のそれたるにも祈願すれば必 霊験(れいげん)著(いちじる)しければた鷹を飼(か)ふ人殊に  信仰せり○祠官《割書:神戸|氏》 白山権現社《割書:押切町の北側にありて俗に榎の権現と称す別当は榎本山福満寺と称して|紀伊国高野山金剛三昧院の末寺文禄年中の建立也縁起略に曰当社は》  《割書:文明九年当国の太守 斯波(しは)治郎太輔 義廉(よしかど)清須に在城の時加州白山権現を信仰あり|しに或夜夢中に老尼 顕(あら)はれ我は白山の霊也当国 鴛鴦喜里(おしきり)の沼(ぬまの)辺に勧請すへし武門》  《割書:を守護(じゆご)せんと見て夢 覚(さめ)ぬ夫より此社を勧請し左右に神明秋葉を祭れり又社内に榎木一株あ|り是則白山の神木なれは榎権現の称こゝに起る近年榎枯槁すといへども猶其通称は残》  《割書:れり○当社鰐口に正長二年九月九日の文字見えたり○西国の諸侯方 琉球(りうきう)人|なとまでみな当社に休息す書院より西北の眺望打開きて風景頗るよし》 玉峰【峯】山海福寺《割書:巾下新道町の北なる西側にあり臨済宗京都妙心寺|末寛永十四年の建立直伝和尚を以開山とす》本尊《割書:釈迦|の木》 《割書:像定慶|の作》鎮守天満宮祠《割書:当寺大檀那元祖天満屋九兵衛の寄付にして今も猶天|満屋より修理を加るよし此家慶長の頃より豪富(がうふ)の商》 榎権現(ゑのきのごんげん) 【左下 陽刻落款印】春江 【右丁】    田中法蔵寺       にて 《割書: |泊船集》  刈跡や   早稲かた〳〵         の    鴫の声      はせを 【左丁】 海福寺 林貞院 宝周寺 法蔵寺 西願寺 正覚寺 【同左下 陽刻落款印】春江  《割書:家にして其四代目曲全斎と云ふ者気象不群なりしか千 原叟(げんさう)の門に入りて茶の奥儀を|究(きは)め終(つゐ)に真(しん)の台子(だいす)を皆伝(かいでん)し曲全流を肇創(てうさう)し当時同門の太郎庵と共に其名高く天》  《割書:下の名器をも多く蔵貯(さうちよ)せり又詩哥書画を善(よく)し或は謝青(しやせい)庵と号す宝暦十一年高齢|八十三才にして其身を終ふ其孫玉春斎亦曲全流を道統し専ら風流を事とし橋町の》  《割書:別荘に隠居して佐市と称す或時に茶室の展畳(のべたゝみ)に自在(じざい)なるものを造り持運びにも便り|なればこれを蝸牛(くわぎう)庵と号(なづ)けて我意(わがい)の適(てき)する所に随て点茶(てんちや)をなし又自らも蝸牛庵と》  《割書:称せり千村伯就翁此蝸牛庵の記あり文長ければ略しぬ佐市の没後当寺に寄付して今|も寺伝す天満屋の子孫今八代目なるが猶連綿として家名相続せり凡茶に鳴(な)るもの》  《割書:瀧新右衛門を初として其人 乏(とも)しから|ずといへども因(ちなみ)なきは是を略(はぶ)きぬ》 馬頭山林貞院《割書:海福寺の南隣にありて則其末寺也|寛永年中直伝和尚を以開山とす》本尊《割書:馬頭観音は誰人の作なる|事をしらねど木造(こつくり)左衛門》  《割書:佐長勝の守り本尊なりしが其子孫流浪の後 鞍打(くらうち)となりて猶尊像を守護し奉りしを|寛永年中当寺に寄付せし也かゝる霊仏なるにより年中の群参絶ることなし又木造》  《割書:の子孫も今 国君の御鞍|打となりて伊勢氏を称せり》 高木山宝周寺《割書:林貞院の南にありて浄土宗京都智恩院末寛永八辛未年陽州上|人を以中興開山とす本願人宝周院心誉妙安大姉は高木修理吉任》  《割書:の室にて石川遠江守|信光の女なり》本尊《割書:阿弥陀の座像|恵心僧都の作》 田中山法蔵寺《割書:宝周寺の南にあり本願寺宗東派三州針崎勝鬘寺末当寺は|長治二乙酉年鎌倉権五郎景政の二男三河守 教盛(のりもり)江州 醒井(さめがゐ)にて》  《割書:剃髪(ていはつ)の時の建立也嘉承元丙戌年当国春日井郡小田井村へ移転(いてん)す其後故ありて|破壊(はえ)せしを明応七戊午年蓮如上人の弟子覚元これを中興し寛永三寅年名》  《割書:古屋村の内田中へ易地す其比芭蕉当国に遊歴(ゆうれき)の次当寺に逗留(とうりう)せしが其時の発|句石に彫(ゑ)りて今も境内に建てり句を図上にあげてこゝに是を省(はぶ)きぬ》  本尊《割書:阿弥陀如来|行基の作》 宝亀山西願寺《割書:法蔵寺の南隣にあり東本願寺の直末なりもと天台宗なりしが|甲州の住人馬場七郎 惟房(これふさ)の弟 惟英(これひて)出家し西英(さいえい)と号す則馬》  《割書:場美濃守信房の伯父なり文明年中蓮如上人に帰して当寺を再興し今の宗に改む|慶長年中御城築の時巾下浅間町へ遷【迁】り元禄年中再び今の地にうつる当寺本》  《割書:堂は御城御造営の余材(よざい)を 国君|より賜はりて建立せしよし》本尊《割書:阿弥陀の立|像春日の作》霊宝 身替(みかは)りの阿弥  陀如来画像《割書:蓮如上|人の筆》阿弥陀の画像《割書:実如上|人の筆》薬師如来の画像《割書:開基よりの伝来|にて兆殿司の》  《割書:筆|也》阿弥陀如来《割書:聖徳太子の御作馬場|美濃守守り本尊》武田信玄 陣太鼓(ちんだいこ)《割書:胴(とう)に天文二年二|月日 比叡(ひえ)甚兵衛》  《割書:と銘|あり》美濃守所持の薙刀(なぎなた) 富士の画《割書:国君瑞龍院|君の御筆》已下是を略す  《割書:当寺は正親町家の猶子地なれば紫幕|翠簾等いづれも正親町家よりの寄付》塔頭《割書:唯信|寺》 霊鳳山正覚寺《割書:西願時の南にあり東本願寺直末もと仏光寺派にて霊風山大|音院正覚寺と称し院家地なりしが元禄四年今の宗に改む寛》  《割書:永五年僧良清の中興にして巾下六句町にありしを正徳六申年今の地に|うつる元禄寛永両度の類焼に什宝及び寺伝をも焼失せり》本尊《割書:阿弥陀|の立像》 花の木《割書:江川の西御台所町北の武家屋敷の辺をいふ御遷府以前は天王山の下なる谷合|にて桜樹数株ありしあとゆゑ 国祖君思召により花の木と名づけ給ひしとぞ》 浅間(せんげんの)社《割書:巾下江川町の南にあり慶長年中富士塚町よりうつす|例祭九月四日境内に天満宮の社あり社人三谷氏》 玉壺山覚鳳時《割書:巾下 蛯(ゑび)屋町の北にあり|真言宗長野村万徳寺末》本尊《割書:薬師仏行基の作に|て虎薬師と称す》宝篋印(ほうきやういん)  搭《割書:石面に謹奉_二造立_一宝篋印搭応永十一甲申年二月|十五日願主得阿弥陀仏敬白と彫付たり》 興西(こうさい)寺《割書:上宿五平蔵町にあり本願寺宗東派三河国針崎勝鬘寺末永禄元年の開基な|り此寺故ありて 国君御代々の御霊牌を安置し奉る是古き御免許にして》  《割書:他に比類なき|規模(きぼ)なりとぞ》本尊《割書:阿弥陀|の立像》 山神社《割書:興西時の東の方にあり旧地は御城御深井の内なりしが慶長|御遷【迁】府の時こゝにうつる例祭十一月六日七日両日也社人三谷氏》 武島(たけしま)天満宮《割書:山神の社の南にあり神前の古鏡に武島天満宮の文字あり武島は|もと地名にして今川氏豊の家臣等たけしまに居住ありしよし》  《割書:那古野(なごや)合戦記に見えたり例祭正五九月|廿五日社人は山神の三谷氏 兼帯(けんたい)なり》 稲生街道(いなふかいだう)《割書:上宿の西江川の岸を北へ出る道なり春は稲生 堤(つゝみ)に野遊する貴賎往|来し淨心(じやうしん)観音堂のあたりより北の方をのぞめば加賀の白山》  《割書:をはじめ信濃の御嶽飛騨の乗鞍(のりくら)美濃の恵那(ゑな)近江の伊吹(いぶき)伊勢の多(た)|度(ど)山等四時雪をいたゞきたるも一見せられて前つ田面の眺望にも》  《割書:おとらぬ|風景なり》 長久山 円頓(えんどん)寺《割書:五条橋通の西北側にあり 日蓮宗京都北野の立本寺末|境内に鬼子母神堂ありて毎月廿九日参詣群集す》  本尊《割書:法華|三宝》 阿原山慶榮寺《割書:円頓寺の東隣にあり本願寺宗東派京都法光寺末永正八年辛未|三月廿八日釈善正の開基にして春日井郡哀原村にありしを慶安年中》  《割書:正万寺町へ移し享保|九年今の地にうつせり》本尊《割書:阿弥陀仏|春日の作》 円頓(えんどん)寺 慶榮(けうえい)寺 《割書:太子堂は往昔南都|元興寺に太子御 基(き)》 《割書:立(りう)ありし宝塔(ほうたう)の古|材を以造営せし所》 《割書:にして則堂内に太子|御自作の尊像を安》 《割書:し奉れり》 【陽刻落款印】春江 【右丁】 高田本坊  《割書:信行院に詣て|ける折しも文月》  《割書:半なるに霊樹の|柳の散たるを》  《割書:見て》        芳山 風のなき   日にも  柳の   ひとは     かな 【左丁】 【陽刻落款印】春江 高田本坊《割書:上畠裏にあり高田一身|田専修寺の懸所なり》もと臨江(りんかう)山信行院といひしを  元文年中 歓喜心院宮(くわんきしんいんのみや)の御 志願(しぐわん)にて本坊となし僧 巍(ぎ)  堂を以開基とせり下野国高田山 専修(せんしゆ)寺の本尊 天拝  一光三尊仏当地へ出開帳(でがいてう)の時は必当院にて弘通(ぐづう)す貴(き)  賎(せん)の参詣 夥(おびたゝ)しければあらゆる見せものなど持来りて大に  繁昌す実(げ)にも末世 応機(おうき)の仏徳(ぶつとく)ならし○本尊《割書:阿弥陀|の立像》  寺宝 本堂正面高田山の額《割書:無(む)【无】上々(じやう〳〵)院宮(ゐんのみや)|の御筆なり》本堂前庭上二樹  《割書:北に柳南に菩提樹(ぼだいじゆ)を植(うゑ)たり此樹は野州柳島専修寺の二樹を分木(ぶんぼく)せる霊樹(れいじゆ)|なりもと虚空蔵(こくうざう)菩薩天童に化して親鸞聖人に伽藍造建の地を示(しめ)し》  《割書:たまひし樹なりとぞ委しくは専修寺の|縁起にあり事長ければこゝに省(はぶ)きぬ》経蔵 鐘楼 鼓楼 堀川 総(さう)【惣】河戸(かうど)《割書:片端筋の|西にあり》凡諸国の商船諸物を運漕(うんそう)するもの爰(こゝ)まで  積(つみ)来りて出入の舟絶る事なし上は御城 ̄ノ西にて大幸(だいかう)川 落合(おちあひ)  下は熱田の海に入慶長十六年六月朔日より美濃伊勢両  国の先方衆参着して名古屋舟入を掘る白鳥の辺に別に堀   川を構へ福島左衛門大夫正則これを役すよつて今大夫堀と  いへるよし尾州旧話略に見えたり 延(のべ)米会所《割書:堀江町の西側にあり元和年中船入町の大橋助九郎といふ者の家に弟分に|て同居せし長左衛門といふもの諸国米穀の豊凶を量りて米を買取り大橋》  《割書:の土蔵を借(か)り受(うけ)いさゝかなる米の出し入れをなせしに思ひの外の利潤(りじゆん)を得或は買ひ或は|売りなどするにいつとても利(り)倍(ばい)増長せしかば諸人も是を習ひて後には纔のさし金など》  《割書:して莫大の米をも売買せしより終に 公に願ひ|て会所を取建今のごとく日増しに繁昌せり》 学館(がくくわん)明倫堂《割書:片端筋長島町より長者町に至る東は 聖堂御門|北は 国君通御の御門西は学館の総【惣】門なり》源敬公初て学  問所を営(いとな)み給ひし大津町の南なりしを後巾下御門の西へ移し  寛永年中に明倫堂と改め 国君御筆の額を掛(かけ)給ふ又天明年  中今の地に移し 聖堂《割書:先聖殿の御額は|源敬公の御筆》講堂及び学館 庫倉(こさう)に至る  まで新に造立し給ひ二仲の御祭事厳重なり 五条橋《割書:京町通の西堀川の橋なり清須の城門の橋ゆゑ御城橋ともいひしを慶長十五年|うつして渡せし也 擬宝珠(ぎぼうしゆ)の銘に五条橋慶長七年壬寅六月吉日と見えたり》 法雲山 金剛(こんがう)寺《割書:杉の町御園町の東なる南側にあり臨済宗京都妙心寺末僧山|堂建立にて中島郡日下部村に在しを慶長年中今の所にうつ》  《割書:す此寺足利家本願の草【艸】創にて信長公の時寺領寄付ありしかば山堂公の五十年|忌を弔(とふら)はんといひて存命せしがはたして寛永八年六月二日遠忌修行し其のち》 【右丁】  上畠裏(うはばたうら)   天王祭 造(つく)り物 此辺町〳〵六月一日より 牛頭天王を祭るに俄の造 り物大仕懸にして他に類 なき夜祭りなりおもひ付 の珍らしき事は大なる酒 桶の中にはだかなる男 のこんの犢鼻褌(ふどし)し たるか数十人 入て逆(さか) さまに うつぶし て尻(しり)を 擡(もちあ)げ並(なら)べ居て 其 看板(かんばん)に新そら豆 ありと記せるなどの類 【左丁】 なり曲亭馬琴が漫游録に此 そら豆の画をかきて江戸の夜 宮の造り物も是には及ば ざるよしをかけり こゝに図せるは三十三所の 観音を写し常香の 替りに鋸屑(おがくず)を焚(た)きて 蚊遣(かや)りとせしも亦一笑 するにたへたり 【陽刻落款印】華渓  《割書:行脚(あんきや)に出て行方しれずなりぬ美濃中村 愚渓(ぐけい)寺の岩屋に籠(こも)りしといひ|伝へたり山堂明応四年八月の誕生にて寛永八年は百三十六歳の時なり》本尊  《割書:正観音は慈|覚大師の作》 材木店(さいもくみせ)《割書:堀川東岸に材木屋竹屋薪屋軒をならべたり其内余国とちがひ木曽山名産|の檜木(ひのき)の良材多し昔正万寺町に坪井([つ]ぼゐ)庄兵衛といふものはからざる罪科(ざいくわ)を》  《割書:犯して死刑に定められけるに 国君此事を聞し召庄兵衛は俳諧はせざるやと御尋|ありしかばしか候芭蕉の門弟にて杜国又万菊九など申よしを啓(もう)せしかばされば先年》  《割書:の歳旦に 蓬莱や御国のかさりひの木山といふ句をなして国を祝(しゆく)せし者也ゆる|せと仰られしかば死罪を宥(なだ)らる此ひの木山といへるはこゝの材木店を山によそへ》  《割書:ていへり|しとぞ》 白山社《割書:上材木町堀川の東の南側にありむかし此地に楠(くす)の古木ありしを豊臣秀吉|公朝鮮征伐の時其木にて船をつくらむとし給ひしに樹をきり倒す者》  《割書:多く疵(きず)を蒙(かうふ)りし故船を造る事をやめて社司に寄付ありしといひ伝へ|たり張州志略に当社旧地は愛智郡中島村にありしとしるせり》本社《割書:祭|神》  《割書:菊理(クヽリ)|媛命》例祭《割書:八月十七|日十八日》古金燈篭《割書:銘に白山権現奉掛御神前天正三寅年|八月十八日当村氏子中と見えたり》 護学(ごかく)山 清水(せいすい)寺《割書:小桜町伏見町の東の北側にあり浄土宗極楽寺末にして尼僧地(にそうち)|なり 信長公の長臣林佐渡守 通勝(みちかつ) 禁裏御造営の役を承》  《割書:り其功を終む事を清水(きよみづ)寺の観音に祈願せしが其功 竟(をはつ)てのち報賽(ほうさい)のために清須|府に一寺を建立し僧 竟伯(きやうはく)を開山として清水寺と名づけしを慶長年中こゝにうつ》  《割書:し極楽寺末とす文政二年六月熱田誓願寺の弟子|鉄(てつ)仙比丘尼住持となりしより尼僧地となる》本尊《割書:千手観音及ひ飛薬師|の像を安置す飛薬師》  《割書:は此寺清須に在し時西隣なる薬師堂火災ありけるが火急にして本尊を取出し得す|堂宇焼失せしに不思議なるかな薬師の木像清水寺のうしろ堂に飛うつりて焼爛(せうらん)を》 【解読不能の文字は別本にて確認】  中橋裏浅間社 此辺南北十余町 の間商家の裏 にして土蔵 夥(おびたゝ) しくたてつらね 其数千に及へり これ府下 豊饒(ふによう) の余溢(よいつ)ならんか 【左下 陽刻落款印】高雅 【右丁 挿絵 文字無し】 【左丁】 当府の繁昌盆 中町々のおどりは さら也中にも小 車をうつくしく 粧ひ中央に剣形(けんがた) 箱祓(はこはらひ)などを立て 引ありく是を梵(ぼん) 天(でん)といふ梵天とは 幣帛の類ひに して修験の水行 などに用ゆる具なれば中 央の剣形箱祓をさして いへる号ならんか防奠考 には牛頭天王を祭ると 誌(しる)し年中行事抄には 梵天王のまつりなるよし いへり又上材木町の切(きり) 紙(こ)燈篭(とうらう)は家毎に出し て是亦一しほの観(み)も のなり 【左下 陽刻落款印】春江  《割書:まぬかれし故此寺の本尊を別壇へうつし飛薬師|を本尊に安置せしよしいひ伝へたる霊仏なり》鰐口(わにぐち)《割書:三河国比志賀郡若宮社|鰐口一面宝徳四年壬申》  《割書:六月願主貞|円とあり》 荷上山興善寺《割書:清水寺の向ひにあり西|本願寺直末の院家なり》もと海西郡荷上村にありて  天台宗 桓武天皇の勅願所(ちよくぐわんしよ)なりしを天文廿三年甲寅 円(えん)  正(しやう)律師(りつし)今の宗に改めしよしいひ伝へあるひは中興開山を蓮如上  人とし又尾陽雑記には蓮如上人の子 実恵(じつゑ)其子正経本山のゆ  るしを得て住持たりしよし見えたり中世寺を清須にうつし  慶長年中再び名古屋へうつし寛文年中東派より西派に  改む○本尊《割書:阿弥陀|の立像》 浄教寺《割書:同町桑名町の東の南側にあり西本願寺直末也大永四年|僧祐願建立して清須にありしを慶長年中こゝにうつす》本尊《割書:阿弥陀如|来の腹内》  《割書:に女の髪(かみ)を絹(きぬ)に包(つゝ)みて納置又一紙の添状もあれど年歴久しと見えて何れも破壊(はえ)し文|字も消てよみがたし此寺もと京都今出川に在しをこゝにうつせしよしなればもしくは》  《割書:今出川家の姫君或は簾中などの遺髪(ゆいはつ)にてもあらんかと|寺僧はいへと定かならず此仏像春日の作といひ伝へたり》       《割書:尾州淨教寺にて》      慈も御寺の鞁かへりうて 四宝山 珉光(みんくわう)院円通寺《割書:同町長島町の東の北側にあり|東本願寺直末の院家なり》もと伊勢国桑  名郡長島にありし天台宗の円通大乗寺《割書:僧照慶|の建立》を  貞永元辰年海東郡上 萱津(かやづ)村へうつし嘉禎元未年今の  宗に改めしが兵乱によりて衰廃せしを延徳元酉年僧西善  再興元和七酉年今の所に遷せり○本尊《割書:阿弥陀の木像恵|心僧都の作なり》  《割書:親鸞聖人木像蓮如上人作また法然上人親鸞聖人連座の|影また覚如上人筆の化仏 名号其外数品あり》 笹島焼(さゝしまやき)磁器(じき)《割書:広井なる笹島にて製す近来の新製にして|楽薬(らくぐすり)の模様(もよう)さま〳〵に色どりうつくしき陶器なり》 広井八幡宮《割書:袋町御園町の|西の北側にあり》本国帳に従三位 泥江県(ひろえあがた)天神とある是也  ○本社《割書:祭神 応神天皇神|功皇后玉依姫命》末社 神明社 熊野社 熱田社 洲原(すはらの)社 三(さ)  狐神(ごじの)社 浅間社 児御前社 恵比須(ゑびすの)社 其外小祠多しまた観音堂も  一宇あり○例祭《割書:八月十四日試楽同十五日祭礼神輿材木町白山社まで渡御延|宝四年より車楽を出せしが享保九年閏四月十三日の火災に》  《割書:山車焼失せしより断絶して今は近辺|の町々より傘鉾(かさぼこ)あまた渡すのみ》祠官《割書:安井|氏》 摩尼(まに)山延命院《割書:同町伏見町の東の北側にあり真言宗長野村万徳寺末もと清須の|北市場にありしを慶長年中こゝにうつせり寺伝に福島左衛門 大夫 祈》 【右丁】 広井  八幡宮   白尼 明月や 【左丁】 こゝも  かつら    の  おとこ    山 【陽刻落款印】春江 蜻蛉   の  先へ   立けり    傘祭     桃鳥 広井八幡   傘鉾(かさぼこ)祭 【陽刻落款印】華渓  《割書:願の為に建立せしよしにて文禄四年十二月四日延命寺寺屋敷の年貢米を用捨せし|よしの正則の古証文を此寺に所持す其頃は延命寺といひしが今は院号を用ゆ》本尊  《割書:薬師の木|像なり》寺宝 両界曼陀羅(りやうかいまんだら)《割書:兆殿司の筆にて|正則の寄付》文珠菩薩の画像《割書:鎌倉啓|書記筆》 陳元贇(ちんげんひん)寓居(ぐうきよの)跡《割書:桑名町通袋町の北なる良学院の辺に|住居しまた九十軒町にも寓居せり》元贇は明(みん)の虎林県(こりんけん)の  人なるが明季の乱(らん)をさけて 日本に来り 国祖君の寵遇(てうぐう)に預(あづか)り  当府に住せしが寛文十一年六月九日年八十五にして死す深草の  元政と方外の交を結(むす)び詩文の贈答元々唱和集あり墓は建中  寺にありて碑面に大明国武林 既白(きはく)山 広学(くわうがく)陳元贇寛文十一  辛亥年六月九日没と見え其 傍(かたはら)に白翁道元の碑あり是則  元贇の子俗称源太郎の墓にて宝永二年九月二日没としるせ  り防丘詩選の詩人 爵里(しやくり)の条に陳元贇字 義都(ぎと)別号既白山  人又称_二芝山升庵(しさんしやうあん)等_一明虎林 ̄ノ人 崇禎(さうてい)中 下第 ̄シテ流_二落江湖_一遂越_レ海  帰-_二化 日本_一後仕_一【「二」点の誤記】張藩_一 敬廟寵尤厚寛文十一年六月卒年  七十有余有_レ集未_レ刻と見えたり《割書:卒年七十有余|とあるは誤なり》又 拳法(けんはう)秘書(ひしよ)に云 【右丁 挿絵 文字無し】 【左丁】 陳元贇(ちんげんひん)  寓居(ぐうきよ)の図 【陽刻落款印】高雅  元贇江戸 麻布(あざぶ)の国正寺に寓する時福野七郎右衛門 磯貝次郎左衛門  三浦与次右衛門といふ三人の浪人(らうにん)ありて同じく彼寺に寄寓(きぐう)せしが  元贇これに語れるは明朝に人を捕(と)る術(しゆつ)あり我其 技(ぎ)を見るにしか〴〵  といふ三人終に工夫を凝(こら)して其術を得たり是即 起倒流(きたうりう)の柔(やはら)  術なり 伊藤玄沢 施薬(せやく)《割書:代々御園町六丁目に住居して年ごろ山野医なきの遠境 僻(へき)地|までに丸散等を製して広く施(ほどこ)し来りしが 国君これを聞召し》  《割書:宝暦五乙亥十二月より年々薬種料を賜はり尚子孫までもいよ〳〵広く施薬せよとの|仰を蒙り今に至るまで絶ず施せり近ごろは雲衲(うんとつ)順礼(じゆんれい)或は六部(ろくぶ)非人などに聞伝へ》  《割書:近国はさら也遠国辺土まで伝手を求て施薬を乞ふ実に奇特(きとく)なることぞかし猶屋|上に看版(かんばん)を掲(かゝ)ぐ其文を左に記して以て窮民(きうみん)に便(たよ)りす》      《割書:施薬》   《割書:右はその身至てひんにしてびやうきのせつよるべもなくくすりを用ひ候事も心にまか|せざる人に近来薬をほどこし来り候然処此度 上よりも薬種料御めぐみくだ》   《割書:され候条いよ〳〵遠慮なく施薬のぞみのびやう人まいるべく候そのうち大びやう|あるひは歩行かなはざるびやう人ちかきところへは見まひ可申候遠方にて見せ候事》   《割書:なりがたきものもくわしくやうだいをきゝやうすしだひくすりをあたへ可申候| 但右のとをりのひんじやせやくをたのみ来り候においては小児のわづらい目のわづ》   《割書: らいはれものゝるいにてもりやうぢいたしつかはし候事》   《割書:雲水の出家衆并くわい国じゆんれいしゆぎやうじやのたぐひこれまたせやくいたし|候間りやうぢのぞみの方は御こしあるべく候》   《割書:宝暦乙亥十二月          《割書:再生堂| 伊藤玄沢》》 慈雲山福泉寺《割書:桑名町六丁目西側にあり天|台宗野田村密蔵院末》本尊《割書:千手観音慈覚|大師の作》戸隠  明神社《割書:安永六年四月の勧請|例祭九月十四日》妙見堂《割書:近年の|建立》 医学館(いがくくわん)薬品(やくひん)会 毎年六月十日にして山海の禽獣虫魚鱗介草  木玉石銅鉄等のあらゆる奇品をはじめとして竺支西洋東夷の  物産までを一万余種 集(あつ)め広く諸人にも見る事をゆるし当日見  物の貴賎老弱隣国近在よりも湊(つど)ひて群をなす《割書:此家は代々官医|より町医までの》  《割書:都督(ととく)にして医学の書生遠近となく帰向して塾(じゆく)生常に絶る事なし又中世 図南(となん)先生|平安に在し時墨竹に名を得て其頃平安の四竹と称せし其一に居れり夫より已降(このかた)今》  《割書:に至るまで世々墨竹に名あり此家姓は和気(わけ)氏は|浅井賜宅は蒲焼町筋長者町の西の南側にあり》 広白(くわうはく)山永林寺《割書:堀切筋中之町の西の北側にあり曹洞宗熱田の|全隆寺末寛永年中小笠原某の本願にて建立す》本尊《割書:正観音|の木像》  薬師堂《割書:地高き故山の薬師といふ|仏工春日の作なり》不動堂《割書:兆殿司筆|の画像》白山権現社《割書:境|内》  《割書:西の方山|上にあり》 広井女王 古墳(こふん)《割書:広井の武家屋敷の裏にあり古塚の形のこりて広井女王の|墓の跡といひ伝へたれど定かならす女王は三代実録に貞観元》 【右丁】 医学館(いかくくわん) 薬品会(やくひんくわい) 【左丁 陽刻落款印】華渓  《割書:年十月廿三日乙巳尚侍従三位広井女王薨広井者二品長親王後也《割書:云云》父従五|位上雄河王《割書:云云》仁寿四年授_二従三位_一 天安三年転_二尚侍_一《割書:前官権|典侍》薨時八十有余広井少 ̄シテ  《割書:修_二徳操_一挙動有_レ礼以_二能歌_一見_レ称善_二催馬楽_一《割書:云云》好事者多就而習_レ之焉至_二于殂没_一時人|悼_レ之と見えたれどこゝに墓ある事古書にしるしたる物なし伝説の失(う)せたる成べし》 医王山東光寺《割書:広井横三ツ蔵御園町の西の南側にありて真言宗天王坊末天平|元年 泰澄(たいちやう)法師の建立せし古刹(こせつ)なりしを元和二年熱田の地蔵院》  《割書:の僧良澄中興して移住す故に此寺の宝|物は良澄が熱田より持来りし物多し》本尊《割書:薬師の銅像 茅針野(ちはなの)薬師と称せし|を世俗いつしか乳花(ちはな)のやくしと心得》  《割書:呼ならはせしより産婦(さんふ)乳(ち)の出かぬるに此薬師如来に絵馬(ゑま)などかゝげていのればしるし|ありて霊応 著(いち)じるきもみな悲願の大なるにや諸人の尊信 弥増(いやま)しに繁昌せり》  鎮守八幡社○寺宝 不動画像《割書:熱田は剣宮の本地仏|を兆殿司模写せしよし》熱田宮 勧(くわん)  化(けの)書一巻《割書:文明十一年三月 徹書記(てつしよき)のかける巻物なるよしいひ伝へ|朝倉茂入が極め書には蜷川 親当(ちかまさ)が筆跡也といへり》蛇玉一顆《割書:良|澄》  《割書:が熱田より持来れるよしなれ|ども伝説 怪談(くわいだん)に渡る故略す》 曹渓(そうけい)山大林寺《割書:伏見町通花屋町の南の東側にあり臨済宗京妙心寺末寛永五年|十一月瀧川豊前守忠征法号大林寺宗機居士の建立にて僧央》  《割書:龍を開山とし瀧川|氏の菩提寺とす》本尊《割書:釈迦の|木像》塔頭《割書:逢春院享保九年三月美濃の可児(かに)郡中|村 愚渓(ぐけい)寺の塔頭を引移して造立す》 終南山 悟真(ごしん)院光明寺《割書:石切町北の端(はし)西側にあり浄土宗京都知恩院末応永|廿五年僧 笈井(きうせい)の建立にて愛智郡中村に在しを後》  《割書:清須にうつし慶長年中再びこゝにうつせり秀吉公幼年の時光明寺にて手習せられしは|此寺の旧里に在し時の事也ともいへどさにはあらで萱津の光明寺なる事世に知る所なり》  本尊《割書:阿弥陀|の座像》十王堂 塔頭《割書:吟窓院延宝八年|十二月十一日再建す》 大林寺 隆正(りうしやう)寺 光明寺  十王堂 養林(やうりん)寺 南寺町  其一 【陽刻落款印】春江 【右丁】 其二 寿経(じゆけう)寺 誓願寺 西光院 法応(はうおう)寺 大運(たいうん)寺 尋盛(じんせい)寺 瑞宝(ずいほう)寺 法蔵寺 徳林寺 【右から横書き】 天道宮 【左丁】 【右から横書き】 清安寺 【左側】 大乗(たいじやう)院 重宝山 養林(やうりん)寺《割書:光明寺の南隣にあり浄土宗京都百万遍智恩寺末開山は智恩寺|の僧 笈長(きうちやう)本願人は信長公の長臣林佐渡守 信勝(のふかつ)《割書:はしめ|通勝》法名養林》  《割書:寺 泰雄玄規(たいゆうげんき)の建立にて美濃国岐阜に在しをのち|清須にうつし慶長年中再びこゝにうつせり》本尊《割書:阿弥陀如来左馬頭源義|朝の護持(ごぢ)仏にて義朝 内(うつ)》  《割書:海(み)にて不幸(ふかう)の後熱田大宮司 季範(すゑのり)の家に在しを義経平家 追討(ついたう)【付は誤記】上京の時 乞(こひ)得(え)て携(たづさ)へ|たりしが法然上人へ伝はりその後笈長に伝来して此寺の本尊となりしなり》  寺宝 阿弥陀画像《割書:平敦盛の母衣(ほろ)きぬに法然上人自筆に画きて熊谷 直実(なほさね)|入道蓮生へ授(さづけ)られしを天正年中信長公黒谷より取よせ》  《割書:此寺の宝物と|せられしなり》塔頭 摂取(せつしゆ)院《割書:正保二年|の建立也》 法喜山 誓願(せいくわん)寺《割書:養林寺の南にあり浄土西山派京都禅林寺光明寺両末元亀三|年 僧 空範(くうはん)建立して清須にありしを慶長年中こゝにうつす空》  《割書:範が叡山より携(たづさ)へ来りしといひ伝へたる桜の大樹ありし故桜誓願寺と|通称せり其樹は寛文の頃 枯(かれ)はてゝ今はうゑ継(つぎ) ̄ノ若木(わかき)残れり》本尊《割書:阿弥陀仏|恵心の作》 永照山西光院 護念(ごねん)寺《割書:誓願寺の南隣にあり宗派本山とも誓願寺に同じ大永年中|僧 久悦(きうえつ)建立して清須にありしを御遷【迁】府の後こゝにうつせり》  本尊《割書:阿弥陀の像は京都真如堂の|像と同木にて慈覚大師の作》地蔵菩薩《割書:小野 篁(たかむら)|の作也》塔頭《割書:宝珠院清峰院|仙松院の三宇あり》 亀松山徳林寺《割書:天道町北側にあり浄土宗熱田の正|覚寺末永禄十一年僧 空舜(くうしゆん)建立なり》本尊《割書:阿弥陀|の木像》地蔵尊《割書:秀|吉》  《割書:公朝鮮へ渡海の軍船を造(つく)らんとて広井村白山の社の樟(くす)の大樹を伐(き)らせられしに斧(をの)の|下より血(ち)流れ出しかば杣(そま)ども恐れて其由を申す其夜太閤の夢に童子一人来り樟木を》  《割書:伐て血の出るを怪(あや)しむ事なかれ但其樟を以地蔵菩薩一 躯(く)を刻(くざ)みなは其報応によりて|願成就すべし其証には枕(まくら)を返(かへ)し置べしと告ると見て御夢さめけるにはたして御枕 翻(ほん)【飜】転(てん)し》  《割書:て在ければ速に樟木を伐り地蔵の像を彫刻し極楽院に収(おさ)め置給ひしが其寺|頽廃(たいはい)してのち此寺に伝来し今に反枕(まくらかへし)地蔵尊とて当寺の霊仏とす》 愛宕(あたご)山 大乗(だいじやう)院《割書:徳林寺の向にあり当山派の修験紀伊国の根來同行にて今は高|野山の預り也慶長五年 三位中将忠吉君の御建立にて清須》  《割書:の朝日村に在し大円坊を同十六年こゝにうつして今の号に改む凡名古屋にて相撲(すまう)を|勧進する時多くは此境内にて興行する事は江戸両国の廻向院にて興行する例に同し》  愛太子社《割書:飯縄(いづな)権現を合せ祭るまた|弁才天社太郎坊社あり》 天道社《割書:松原町にあり今は此社あるにより天道町と呼べりもと清須の野田町|にありて朝日天道といひしを慶長御遷府の時こゝにうつせるなり》本社  《割書:天照大神月読|命の二座なり》末社《割書:八幡社 天王社 稲荷社|弁才天社等の小社多し》例祭《割書:九月十四日|神楽あり》祠官《割書:加藤|氏》 牛頭(ごづ)天王社《割書:広井堀川の東岸にあり其辺を天王崎と称すこの地東北は甚高く西|南はひきくしてむかしは入海の岬(みさき)なりし故 洲崎(すさき)天王と称せしとぞ境内も》  《割書:広く川向ひの八角堂門前の清泉はもと当社の御手洗(みたらし)|にて其辺 椋(むく)榎(ゑのき)樫(かし)松等の林なりし故椋の森とも呼べり》本社《割書:素盞烏尊稲田姫|八王子を合せ祭る》摂  社 泰産(たいさんの)社《割書:伊弉諾([い]ざなぎ)伊弉冉(いさなみ)【冊は誤記】の両尊 豊玉姫(とよたまひめ)を配祀(はいし)す伊弉諾伊弉冉【冊は誤記】の両神は|造化(さうくわ)の父母豊玉姫は産屋(うぶや)に縁ある神なれば泰産の神とする事》  《割書:ことわ|りなり》船玉(ふなたまの)社《割書:摂津国住吉郡船玉神社と同神にて祭神異説多しといへども実は|続日本紀天平宝字七年壬午の条に高麗国へ遣はされし使船 暴(はう)風に》  《割書:あひ船霊を頼みて難をまぬかれし故 能登(のと)といふ船に従五位下を授け|られしよし見えたる如く船舶(せんはく)精霊(せいれい)を船玉と祭りたるものなるべし》例祭《割書:六月十四日|十五日近年》  《割書:氏子より堀川に車楽船を|流す津島の雪祭の如し》社家二人《割書:永田氏|吉川氏》 龍江山長円寺《割書:西 水主(かこ)町にあり本願寺宗|東派津島の成信坊末》本尊《割書:阿弥陀|の立像》  《割書:     春 日 遊_二 長 円 寺_一 得_二 偕 字_一         柳 沢 維 賢| 高 堂 非_二 俗 地_一 満 目 百 花 隹 萬 点 開_二 風 外_一 千 株 列_一【「二」点の誤記】水 涯_一》 【右丁】 天王崎天王社 同みたらし 八角堂  従一位公通卿 祭り初る  八雲の   神に 八束  穂の 永田  の 稲  を たえ  す 備へ  よ 【陽刻落款印】春江 【左丁】 ことし天王崎 の御祭に御 輿あらひの始 まることは忝 くも 天聴に及て 正親町風水 軒白玉翁の うけ給りと なり且 一軸にありかたき 神秘をゆるし 伝へ狂哥をかゝ れたるを見て    貞析 狂歌由縁墨  何事の神秘も   われは     しら玉の   御狂哥の風    すいて      面白  《割書:疑 看 曳 曳 々 還 聴 鳥 喈 々 永 昼 何 知_レ 永 優 遊 与_レ 客 偕》 久住山法蔵寺八角堂《割書:長円寺の北にあり天台宗|江戸東叡山の末寺也》本尊《割書:薬師如来伝|教大師の作》清水  《割書:門前にありふるくして|たぐひなき名泉なり》 日秀山 聖運(せううん)寺《割書:東水主町にあり日蓮宗安房国小湊村誕生寺末車の町に多門|坊といへる真言宗の廃寺のありし跡に寛永五年十一月僧日真此》  《割書:寺を建立し同十一年今の山号寺号に|改めしを天和三年こゝにうつせり》本尊《割書:法華|三宝》 日置(ひおき)《割書:延喜式東鑑等をはじめ古書に出たる地名なり宇治左大臣頼長公もこゝに庄|園ありて台記(たいき)【注】の久安六年七月廿三日の条に尾張 ̄ノ成重を召て尾張国日置 ̄ノ庄 ̄ノ》  《割書:を検注(けんちう)なさしめんとせら|れしよししるされたり》 堀川の桜 両岸日置橋より北の方西水主町まで数町の間数  百本の桜樹ありて弥生(やよひ)の頃は貴賎(きせん)袖(そて)をつらね両岸に往(ゆき)かふ群  集水には舟を泛(うか)へて上下に花を賞(しやう)するさまさながら嵐(あらし)山 隅(すみ)  田川の春興にも劣(おと)らぬ勝地(しやうち)なり文化年中府の世臣堀氏数  百根の小樹を栽並(うゑなめ)しが今は繁茂してかくのごとし                      《割書:村井泰翁》  《割書:第 五 橋 辺 両 岸 頭 香 雲 暖 雪 擁_レ 川 浮 花 神 引_レ 客 春 如|_レ海 不_レ 択 雅 流 兼_二 俗 流_一》 【注 宇治左大臣藤原頼長の日記。】                      《割書:桜 井 宗 哲》  《割書:官 桜 両 岸 屈 川 湾 謾 卉 芳 菲 幾 往 還 春 思 在_レ  人 猶_レ 在|_レ我 相 逢 不_レ 語 歩_二 花 間_一》                      《割書:僧 一 遂》  《割書:門 外 漕 江 春 未_レ 闌 岸 桜 撩 乱 映_二 波 瀾_一 橋 頭 一 望 花 千|畝 麗 日 渾 為_二 雪 後 看_一》                      《割書:水 野 柳 斎》  《割書:第 五 橋 西 春 色 加 清 明 節 後 訪_二 桜 花_一青 帘 乍 被_二 香 雲|鎖_一 不_レ 得_三 遊 人 到_二 酒 家_一》                      《割書:中 川 西 岸》  《割書:月 照_二 花 林_一 雪 糢 糊 江 㴠_二 花 影_一 月 輪 孤 慇 懃 多 謝 東 皇 ̄ノ|手 画 作_二 春 江 花 月 図_一》      きさらき末つかた堀川を過て    くれなゐの桃にさくらの花の雪かさなるきぬのよそひとやみん  成瀬正忠      堀川の花を見て   咲つゝくみきはの花はいく千尋はるにさらせる錦なるらむ     深田正韶      堀川に住みけるころ   露はかり花のあはれをしるにこそ暁おきのかひは有けれ     木村千斎      花の比堀川にて   けふはまた見る人かはる花の陰さは我のみや家路わすれし    間島正盈      ゆく水の夜明は花の余慶かな              快 台 【右丁】 堀川日置橋 より両岸の 桜花を望 む図 【陽刻落款印】高雅   松田常春 津陽美酒 斗十千瀲 灔随_レ波下_二 堀川_一両岸 桜花白如 _レ雪扁舟伴 _レ月酔陶然   日潤 そこふかみ  にほひ   わたりて 【左丁】 ゆく  河の きしね   に  かゝる  花の   しら浪 鴬谷(うぐひすだに)《割書:日置小川町の東白山のあたりをいふ今も人家まばらなる陋巷(らうかう)なれば鴬の啼(なく)音(ね)も|一しほ静(しづか)に聞なさるゝ所なりむかしより当国の鴬を賞せしにや赤染衛門が家集》  《割書:の中ノ森の哥にも鴬の声するほとはいそかれすとよみ丹羽郡二宮山の山 姥(うば)の故事にも|其所の鴬を賞せしよし見えたり万葉集の鴬のかひこの中のほとゝきすといふ哥は郭公(ほとゝきす)は》  《割書:鴬のやしなひ子といふ事のあるをよみしよしなれば続日本紀及び扶桑略記に養老五年正|月戊申朔尾張国言小鳥生_一【「二」点の誤記ヵ】大鳥_一とあるも此辺の鴬の巣(す)より余鳥(よてう)のすだち出たるを見て申》  《割書:せしなるべし延喜治部省式の中瑞のうちにも小鳥生_二大鳥_一と見えたり》 織田丹波守《割書:日置の人にて掃部忠寛(かもんたゞひろ)の父也斯波家の世臣にて下四郡の政務(せいむ)を掌(つかさ)|どり那古野合戦の時も信秀の方人(かたうど)して今川家を亡せり天文十三年の》  《割書:宗牧か東国紀行に那古野に下着して連歌を興行せしに瀧坊織田丹波守喜多野右京|亮など来りて一座せしよし見え宗長が手記にも織田丹波守興行連哥に》  《割書:はるはたゝあかすは千代もこよひ哉 と記して連歌を好みし人なり》 無三殿閫(むさんどのいり)《割書:堀川の西日置古渡の境にあり松平図書康久入道無三は当時 国君の宗室|にして威権(ゐけん)俸禄(はうろく)ともに盛なりしか延宝七年養子図書が時に至り故ありて》  《割書:家名断絶せしかば無三へ月俸三百口を賜はり日置の別荘に在りし|其例にある故其名の此 扖(いり)にのこりて今も無三殿扖と呼べり》 八幡宮《割書:大曽根町にありて大曽根八幡と称す|鎮座の年月定かならず》国君瑞龍院殿元禄八年八月本社  瑞籬(みづがき)等を造替給ひ御(み)正体【體】は江戸高田穴八幡を模(うつ)し給ふ又山田 即(そく)  斎(さい)といへるを江戸に下し穴八幡の神楽(かぐら)拍子(ひやうし)を習(な)らひとらしめこゝの神主慶  徳源之丞直矩に教へさせ給ひしとぞ○末社《割書:弁財天社 須原社 牛頭天王社|松尾社 恵毘須社 稲荷社 賀茂》  《割書:社 愛宕社|等あり》神宝 神楽太鼓《割書:甚古くして胴内(どうない)に文字ありて修補之檀那大里左京庵【盧は誤】|貞禅尼文亀元年辛酉十月廿八日観福寺奉_二施入_一太鼓《割書:云々》》 大曽根(おほぞね)八幡宮  山鳩の   ひよりを  なくや   夏木立    汲巴 【陽刻落款印】春江  了義(りやうぎ)院   三日月塚  大曽根の成就院       にて     はせを 《割書:泊船集》  有とある   たとへにも      似す    三日の月 【陽刻落款印】春江  《割書:と見えたりもとは知多郡木田村観|福寺の太鼓にてありしなるべし》例祭《割書:正月十五日五月十五日|九月十四日同十五日》祠官《割書:今は織|田氏》 弘法井《割書:同所坂下にあり弘法大師熱田宮より龍泉寺へ参詣せし時此地にて|護摩を修せしが其時 阿伽(あか)の水を汲(く)みし井也といひ伝へたり》 妙見堂了義院《割書:同所にありもと真言宗成就院といひしが荒廃せしかば安永年中僧|日峰摂津国 能勢(のせ)の妙見を勧請して日蓮宗とす寛保亥の年の秋》  《割書:五条坊木児芭蕉翁の発句によりて三日月塚|を境内に建てりその句は図上に出す》     《割書:句集》      有とたに形はかりなる三日の月    暁台 長尾山東界寺《割書:出来町の東にあり真言宗大和国 泊瀬(はつせ)の小池坊の末寺享保十四年|の建立にて開山 卓運(たくうん)法師は俗姓林氏 国君晃禅院殿の御実母》  《割書:泉光院殿の|舎弟なり》本尊《割書:薬師如来は 晃禅院殿の|御寄付にて御信仰仏なり》寺宝 草書の般若心経《割書:弘法|大師》  《割書:の真跡にて本山|長谷寺(はせてら)より伝来》古鰐口《割書:鎮守金毘羅の社にかけて長尾山鎮守鐘一口願主藤原行影|謹為_二【「一」点は誤記】祈祷_一奉_レ鋳応永十年癸未六月大吉日敬白大工助宗と》  《割書:彫た|り》 福寿山大龍寺五百羅漢《割書:新出来町北側にあり黄檗宗山城宇治|の万福寺末享保十年の建立なり》本尊  《割書:地蔵菩薩もと春日井郡 阿原(あはら)村に|ありし米舂(こめつき)地蔵といへる霊仏なり》羅漢堂《割書:本尊丈六 拈華(ねんげ)の釈迦牟尼仏文殊晋|賢両菩薩両袖の高堂に五百阿羅漢》  《割書:の木像を安置して|府下の一霊場なり》 宝亀山相応寺《割書:長塀筋の東のはてにあり|浄土宗京都智恩院末》源敬公の御母公相応院殿の 【右丁】 【陽刻落款印】春江 五百 羅漢(らかん)   僧行遵 生死(いきしに)の  海に   うかへる  蜑(あま)小舟 五百(いほ)の  聖(ひじり)の  手に 【左丁】 任(まか)  すらん 【右丁】 相応寺    瑞阿 いはしみつ  きよき   なかれの  たから寺 亀の  名に    おふ 【左丁】 よろつ  世や   経む 【陽刻落款印】春江  御追福のために寛永二十年七月御建立あらせられ本蓮社眼  誉上人を開山とし給へり○本尊《割書:阿弥陀|の木像》鐘楼《割書:鐘の銘羅山先生の作|文 源敬公の御筆也》  《割書:銘は羅山文集にゆ|づりてこゝに略(はぶ)く》霊宝 相応院殿御絵像讃《割書:源敬公|御真筆》   《割書:菅 家 苗 裔   穂 日 后 孫   有_レ 慈 有_レ 孝   慎_レ 行 慎_レ 言|貞 潔 而 直   柔 順 且 温   崇_二 寂 滅 教_一   帰_二 釈 氏 門_一》      《割書:   信 心 堅 確   了_二 生 死 源_一   爰 写_二 遺 像_一   招_二 他 幽 魂【「一」点脱】|   定 省 如_レ 在   于_レ 晨 于_レ 昏   以 敬 不_レ 怠   何 忘_二【「一」点は誤記】 洪 恩_一》  宝亀山の額及び仏殿相応寺の額《割書:ともに 源敬公御真跡にて裏書に寛|永二十年九月十六日 従二位源朝臣義直》  《割書:書_レ焉とかゝ|せ給へり》その外 岩佐(いはさ)又兵衛《割書:俗に浮(うき)|世(よ)又平》が画(ゑが)きし人物花見の屏風等御寄  付の品甚多し○塔頭《割書:玉相院|東月院》 神明社《割書:赤塚町の東にあり寛永五年の創建末社に山王|権現社あり例祭九月十六日○社人近藤氏》 蔵王権現社《割書:長久寺筋の北にあり延喜式に山田郡片山神社本国帳に従三位片山|天神とある是なり末社に富士権現白山権現等ありまた境内に汐見(しほみ)》  《割書:桜あり芳野(よしの)よりうつせし樹なるよし又社辺に御手洗池 榧(かや)清水 銀杏(いてう)|清水かねつけ清水ぼうが坂あまが坂等あり○社人森氏》 東岳山長久寺一乗院《割書:長塀筋の北に|あり真言宗》三位中将忠吉君清須御在城  の時武蔵国 埼玉(さいたま)郡 忍(をし)の長久寺の僧 重敒(ちうさん)をめして此寺を城の東北 蔵王(さわう)権現社    白尼 よし野から  わけて   片山  さくらかな    竹兮 此神の  はなに   やとるや  夕からす 【陽刻落款印】春江 【右丁 挿絵】 【陽刻落款印】春江 【左丁】 《割書:阿波手集》  国の春   守るや    武運     長久寺      勝重  長久寺  の方に営建(えいこん)しまた鎮守八幡宮を祀りて鬼門の鎮護(ちんご)とし玉ひしを  慶長年中こゝにうつせり○本尊《割書:不動明王智証【證】大師の|作脇立昆迦羅勢多伽》八幡社《割書:長久寺二|世の僧宝》  《割書:弁 公命を奉|して勧請す》稲荷社 弁財天社 神明社《割書:ともに境|内にあり》塔頭 牛王山善福  院《割書:門前の西側にあり|境内に白山社あり》 八王子社《割書:志水町の北行当にあり五男三女を祭る事 諸国八王|子の社の例に同じ神前に御手洗池あり又末社も多し》 亀尾(かめをの)清水《割書:此清水あるによりこゝなる地名を清水と呼初しが|同じ唱へなればいつしか志水町といひならはしぬ》 七尾(なゝを)天満宮亀尾山永正寺《割書:志水の西成瀬家の中屋敷の内にあり真言宗長|久寺末永正年中の建立にして天満宮の社僧》  《割書:なり菅神の霊像は文亀年中七尾ある亀に乗給ひて此側なる山林の石上に出現あり|しかば永正改元の頃社を建て安置せしよし当寺縁起に見えたり本地十一面観音は行基》  《割書:の作其外|霊宝多し》 鶏薬師(とりやくし)桂昌山久法寺《割書:長塀筋善光寺筋の西角にあり水野定光寺の通所なり|此所もと武士屋敷なりしが世にいふ皿(さら)屋敷の物語に似たる》  《割書:妖怪(ようくわい)の俗説ありて住人もなかりしかば元禄二年草堂をいとなみ中島郡妙興寺の塔頭|泰陽庵の僧を請(しやうじ)て住持とす其のち定光寺の竺堂(ちくだう)和尚通所とし宝暦年中今》  《割書:の如く造営す薬師堂の屋上に鶏の形を上たる故とりやくし|とも又彼皿屋敷の話(はなし)によりて皿薬師とも呼べり》 松山天道宮寿命院《割書:九十軒町の北なる東側にあり当山派の修験清寿院同所【行は誤記ヵ】なり|大永年中出羽国羽黒山の山伏隆海の建立なりしが累年》  山吹谷 片端の東坂下なる鳥屋筋の辺は 昔の那古野山の谷合にて暮 春の比は遊蕩の諸人酒 さかなを携へ来り山吹 の花を愛つゝ歌ひ舞 ひなとせし地なるが いつしか武家の宅地 となりて今 も猶山吹の ところ〳〵に残 れるは昔のおもかげ ぞかし   正韶 口なしの  いろに   さきしも    すゑの      世の 名に流れたる   山吹の谷 【陽刻落款印】華渓 【右丁】 七尾(なゝをの)天神  忠孚 華表相 輝斜日 天銅龍 蟠_レ石吐_二 清泉_一 一 庭紅葉 渾如_レ錦 神詠風 光満_二目 前_一 【陽刻落款印】春江 【左丁】 天満る  香や  あり〳〵    と   梅の    はな   士朗 文亀年中此山林に貴き 隠逸(いんいつ)の僧小庵を結(むす)び十一面 観音の秘法を修行しけるが 或時山林を巡(めぐ)る折しも尾 七ツ有る霊亀菅神の木 像を甲(かう)に負(おび)て樹下に来 れるを彼僧 感得(かんとく)し其後 小庵を亀尾山永正寺と号 し一宇を創建して本社 をも営(いとな)み此霊像を安置 す故に七尾天神と懸称 するよし古老の口碑に伝 ふるまゝを図せり  七尾天神   出現の図 【落款】 法眼梅山筆【印】  《割書:衰廃に及ひしを元和年中に寿命院美濃の久々利より来りて再興す|本社天道宮左右は八幡と弁財天なりその外境内に末社多し》 富永山養念寺《割書:飯田町南側にあり東|本願寺直末の院家》慶長二年僧 賢誓(けんせい)の建立賢誓は  伊勢国 員弁(いなべ)郡 長深(ながふけ)の城主富永筑後守五代の孫富永六左衛門 の嫡男久太郎なり故に富永山と称す《割書:筑後守より道統(たうとう)の|系譜(けいふ)今も猶存す》本尊《割書:阿弥|陀仏》  《割書:安阿弥|の作》寺宝 親鸞聖人影像《割書:蓮如上人の真筆にして裏書に弟子空善へ与(あた)ふとある|は蓮如上人一代記聞書山科連署記にも見ゆ又円》  《割書:光大師親鸞聖人蓮如上人実如上人等真筆の軸物数多あり又教如上人より伝ふる|所の水晶珠数等其外数品あれども事繁ければこゝに略すまた近衛殿下御由緒ある》  《割書:により殿下より御紋付の紫幕等御寄付ありしは一派の内当寺に|限るよし又 国君御直筆の書画及び葵御紋付の什器尤多し》 烏(からす)が池《割書:後園に|あり林》  《割書:泉も亦自ら愛賞すべし此池往古は大池にして今の平岩某貞祖院等の庭中にある烏|の清水と同水脈なるがいつしか往来 隔(へだゝ)りて知る人さへ少くなりき池面に紅蓮多くあり》  《割書:て六七月の間は毎朝花咲出て清浄の奇観いふ斗りなし林泉の間に鎮守 飯綱(いづな)明神の祠|あり○当寺前住威広院霊曜は博学 碩徳(せきとく)にして本山の学寮(かくりやう)擬講師(ぎかうし)たりしにより遷化(せんげ)の後》  《割書:諸国の子弟師恩を追慕(ついぼ)し当寺境内に石碑を建つ文は清岡長材卿書は五辻豊仲卿なり》      《割書:養 念 寺 後 園 烏 池 観_レ 蓮 賦_二 古 調 一 章_一   精 一》   《割書:池 以_レ 烏 為_レ 号 豈 謂_二 水 色 玄_一 而 六 七 月 際 清 漣 出_二 紅 蓮_一|涼 晨 花 召_レ 我 来 棹 瓜 皮 船》 高浜山平田院《割書:飯田町の東にあり浄土宗建中寺末もと平岩氏の菩提寺にて参|河国に在しを主計頭親吉甲斐国を領せし時其国の府中にうつ》  《割書:せしが慶長十二年親吉本山の城主となりし故寺も亦当府にうつし片端の鍛冶屋町辺に|ありしが同十八年再び今の所へうつせり親吉法名平田院殿越翁休岳大居士及び殉死本》 【右丁】 【陽刻落款印】春江  養念寺  松山天道宮  遊_二養念寺_一    挺之 数里城東路不 _レ迷水如_二 人字_一映_二 林棲_一高楼把_レ酒 神仙侶丈室煎 _レ茶法喜妻細 向_二屏中_一看_二孔 雀_一静臨_二池上_一 対_二鳬鷖_一欲_下将_二詩 句_一酬_中【酧は俗字】佳景_上坐到_二 闌干北斗 ̄ノ低_一 【左丁】  同前     雲華道人 看_二蓮 ̄ヲ古寺_一正清晨 池上青苔緑作_レ茵 大乗蔵_レ花々不_レ見 水中紅影浴_二佳人_一   烏池にて  曙彳 散蓮の浮葉に    並ふ夕かな         成元 鯉飛て袖の    ぬれるや夕すゝみ         月斎 すゝしさやとふ     居ても船の月 【右から横書き】 烏が池 【落款と印】月斎  《割書:多勘介親信の石塔ありまた親吉束帯の|画像もありて例年正月晦日に法会あり》本尊《割書:阿弥陀如来|恵心の作》 徳興山建中寺《割書:京町通の東にあり浄土宗無本寺|国君御代々の御菩提所なり》慶安四年 瑞龍院殿  御父 源敬公の御菩提寺として御建立あらせられ下総国結城  の弘経寺の廓呑(くわくどん)和尚を招請して開山となし給へり同五年二月 経(けい)  営(えい)成就の後廓呑上京し六月廿二日参内して住僧代々賜紫  勅許の 綸旨(りんし)を拝受(はいじゆ)して帰れり境内広大にして 国君御代々  及び 御簾中方御連枝方の御廟御霊屋をはじめ堂宇甚多く  善美を尽(つく)させ給ひ又御寄付の宝物すくなからずといへどいへども忌諱(きゝ)を  犯(おか)し奉らん事を畏(おそれ)てこれを略す○本尊《割書:阿弥陀仏は鳥仏師の作廓|呑所持の霊仏也鳥仏師は》  《割書:聖徳太子同|時の人なり》経蔵にかゝ【くヵ】る転法輪蔵の額《割書:智恩院 尊超(そんてう)法|親王の筆なり》鐘楼の洪  鐘《割書:慶安四年五月七日林道春の銘にして羅山文集にのせたり惜哉(をしいかな)天明五年|正月廿三日に焼失せり今の鐘の銘は細井徳民の作なり文こゝに略す》塔頭七  宇《割書:惣門と桟門の間の|両側に並びてあり》正信院《割書:竹腰山城守|正信建立》宗心院《割書:成瀬隼人正|正乕建立》全順院  《割書:寺尾土佐守|直龍建立》甲龍院《割書:志水甲斐守|忠政建立》養寿院《割書:阿部河内守|正興建立》光寿院《割書:間宮大|隈守正》 【右丁】 【陽刻落款印】春江  建中寺    沙鴎 大寺は  あふきの    風も   ちかひ     けり 【右丁 挿絵】 【左丁】  其二 禅余偶詠  白社迎_レ春世表分豈  惟禁_レ酒不_レ茹_レ葷梵鐘  振_レ 地醒_二昏夢_一仏日曻  _レ 天払_二瞑氛_一竹裏流鴬  雖_レ喚_レ友雲端舞鶴廻  離_レ群献香壇上題_二新  偈_一忽見青烟作_二篆文_一       瑞華  《割書:照建|立》誓安院《割書:渡辺右馬允|守綱建立》余は図上にて知るべし《割書:境内に明人陳|元贇の墓あり》  《割書:    展_二 陳 元 贇 墓_一              乾 堂|虎 林 殊 域 客 流 寓 百 余 年 絮 酒 酬_二 今 日_一 吟_レ 詩 感_二 断 編_一》 源頂山情妙寺《割書:建中寺の東にあり日蓮宗甲斐国身延山久遠寺末茶屋長以が本|願にて承応二年の建立なり霊宝 滝見(たきみ)観音の画像は長以か弟新》  《割書:六郎といふもの元和年中故ありて交趾(かうち)国へたびし渡りけるが安南(あんなん)国王に見(まみ)え彼王より|授(さづか)り得て帰国し家に秘蔵せしを此寺へ寄付せし也書院の庭に古松樹あり高さ纔に》  《割書:八尺斗りにして東西十八間余南北五間余 幹(みき)の|圜(めぐ)り五尺余なり実に希代(きたい)の名木なり》 谷汲山観音院《割書:室寺(むろでら)と称す萱屋町の西側にあり浄土宗京都智恩院末服蓮社覚|誉呑翁和尚中興開基なり延宝三年正月十八日貞松院尼公御母堂》  《割書:崇福院殿の御菩提のため|に御再興ありしなり》本尊《割書:十一面観音文珠菩薩の作にて 桓武帝の御宇に|大口大領十一面の尊像を仏工に彫刻(ちやうこく)なさしむ其仏》  《割書:工文珠菩薩の加被(かび)【注】をねがふ文珠大士 獅子(しゝ)の座より立て仏工とゝもに一刀三礼して赤栴檀(しやくせんだん)を|もつて一尺五寸に観世音を彫刻し給ひ一夜に功なりければ仏工此尊像を遠境に置奉らん》  《割書:事ををしみ又文珠大士に彫刻を願ふに此度は七尺五寸の霊像を彫刻し給ふ今みのゝ国 谷(たに)|汲(ぐみ)の本尊是也又一尺五寸の尊像は自身 護持(ごぢ)して洛西御室仁和寺の辺柳原といふ所に》  《割書:草庵をいとなみ安置し奉りしが永正の頃当寺建立せし|に本山智恩院より伝を求めて当寺の本尊とす》 松島山円明寺《割書:九十軒町の北側にあり東本願寺直末文明年中北畠大納言具起卿|の末子伊藤右兵衛尉具俊入道道恵の開基にて伊勢国長島の松》  《割書:が島にありしを元和七年こゝにうつせり当府東懸所修造に有功の|由緒あれば東門主当国通行せらるゝ時は必当寺に立寄給ふ》本尊《割書:阿弥陀|の木像》 妙瑞山大光寺《割書:新町の北側にあり日蓮宗甲斐国身延山久遠寺末天文年中|の建立にて上野国名和村に在しを慶長年中より所々へ移転して》 【注 「かひ」とも。神仏などが、慈悲の力を加えて、衆生を助け守ること。加護。】  《割書:のち当府|にうつる》本尊《割書:法華|三宝》 鈴木山教順寺《割書:同町南側にあり西本願寺直末天正十年六月滝川左近将監 一益(かずます)の建立|にて上野の厩橋にありしを其後鈴木重幸の嫡男重吉父 重幸(しげゆき)菩提》  《割書:のために再建し慶長六年甲斐国小松度に移し同十一年又丹羽郡外|坪村に移し寛永年中今の地に遷(うつ)る伝由の詳悉は鐘の銘に載たり》本尊《割書:阿弥陀|如来は》  《割書:聖徳太子 守屋(もりや)の邪見(じやけん)を降伏なさしめ玉ひて喜悦の余り仏法 弘通(くづう)のために自ら彫刻し|たまひし身の丈一尺二寸の霊像也抑此尊像は摂州石山にて本願寺と信長公と合戦の時顕》  《割書:如上人の頼により鈴木重幸味方せしに上人より此霊像を授(さづ)かり凱陣(かいぢん)の後信州木曽の奥に隠(いん)|遁(とん)せしが重幸生涯信心ありし尊像なれば没後(もつご)に家臣今井源吾重吉方へ霊仏及び其余の》  《割書:遺物まで贈りぬ其後重吉より当寺へ寄付ありし故重幸の戎器及び遺物等の什宝数多あり|又親鸞聖人真筆の六字名号は豊人(とよわか?)身かはりの名号と称して殊に尊し其余 枚挙(まいきよ)に遑(いとま)あらず》 宏綱(こうかう)山 養蓮(ようれん)寺《割書:鍋屋町裏にあり浄土宗京都百万遍智恩寺末天文二十四年信|長公の長臣林佐渡守信勝其亡父宏綱の菩提の為に建立せり》  本尊《割書:阿弥陀|の木像》観音堂《割書:三十三観音の像を安置す此寺に茶人平尾数也が先祖の|墓あり大きなる自然石(じねんせき)を居(す)え霊碑及び香炉花筒等》  《割書:の法具を一石に彫付たる珍らしき石塔なり明末の乱を避け帰化して当府に|来り 国君より平尾氏を賜ふ実は曹(さう)氏なり夫より代々奉仕して今も猶連綿たり》 定覚山善光寺《割書:養蓮寺の西にあり浄土宗高岳院末もと羽栗郡黒田村に在しか|明徳の黒田合戦のゝち那古野の地にうつせり塵添壒嚢抄に》  《割書:信濃国伊那郡小泉庄妹井郷に本田 善光(よしみつ)といふ者ありて摂津国難波堀江に捨在|し阿弥陀如来の像を負て本国へ帰りけるが尾張国黒田の宿につきて荒薦(あらごも)を敷 立(たち)》  《割書:臼(うす)を置き其上に如来を居(す)へ奉りて伏(ふ)しけるが其夜の夢に告ありて善光が辛苦(しんく)|をいたわりそれより如来善光を負て信濃へ至り給ひしよしにしるせりさて善光が》  《割書:宿りし黒田村の地に|建立せし古刹なり》本尊《割書:一光三尊|の阿弥陀》 【右丁】 高岳院 【陽刻落款印】春江 【左丁 挿絵】 持名(ぢみやう)山高岳院教安寺《割書:鍋屋町の南にあり淨|土宗京都智恩院末》教安寺もと甲斐国巨摩  郡新府にありしが慶長五年三月七日仙千代君《割書:神君の御子御|母は相応院殿》かくれさ  せ給ひ御法号高岳院殿華窓林陽大童子と申奉るを此寺に葬(おさ)  め奉り同十三年平岩主計頭親吉清須にうつせしを 相応院殿の  本願にてこゝにうつせり○本尊《割書:阿弥陀|の三尊》書院《割書:相応院殿の寝殿(しんでん)を|うつして方丈とす》惣門  《割書:国祖君清須の城門をうつし|て寛永十九年にたて給へり》鎮守熊野社《割書:三社権現の木|像を安置す》鐘楼 塔頭《割書:淨峰院|賀月院》  《割書:二宇は元和三年 相応院殿の父志水加賀守宗清法号淨峰院|及び其母賀月院の為に建立助正院は慶長十八年の造立なり》 仏法山 東充(とうじう)寺《割書:禅寺町駿河町の北なる西側|にあり浄土宗南寺町西光院末》本尊《割書:阿弥陀|の座像》薬師堂《割書:本尊もと|小牧山に》  《割書:ありし時寺堂焼失せしに此像のみ火災をさけ藪の中の篠葉(さゝば)の上に安座しありしかば|寺僧あやしみ尊みて篠葉薬師と名づく参河鳳来寺の本尊と同木にて丹羽郡》  《割書:稲木庄杉御堂に在し古仏也今は糸瓜(へちま)薬師と称し疝痛(せんつう)の病苦を救(すく)はせ|給ふ誓願ありとて諸人立願するに其応ある時は糸瓜を堂前に捧(さゝぐ)る事也》 鷲嶺(じゆりやう)山 含笑(がんしやう)寺《割書:東充寺の南なる東側にあり曹洞宗万松時末享禄元年織田備|後守信秀の建立にて其母含笑院茂嶽涼繁禅尼の菩提寺也》  《割書:後園の林泉尤愛賞すべし又当寺隠|居所大栄軒は同町北の方にあり》本尊《割書:釈迦の|座像》 泰崇山永安寺《割書:同町駿河町の南なる東側にあり曹洞宗三淵村正眼寺末木下肥後守|豊臣利直法号永安寺貞庵道松の建立にてもと海東郡木田村に》  《割書:ありし|寺なり》本尊《割書:聖観音|の木像》 本光山長栄寺《割書:永安寺の南なる西側にあり日蓮宗京都妙満寺末寛文八年国|老成瀬隼人正【注】正親の母栄寿院の菩提の為に建立する所なり》  本尊《割書:法華|三宝》 仏力山本立寺《割書:法華寺町の北の方東側にあり日蓮宗同町本正寺末文禄元年の|建立にて清須にありし寺也 常唱(じやうしやう)堂の不断(ふだん)題目(だいもく)は常題目と号し》  《割書:元禄九年十月六|日より興起す》本尊《割書:法華|三宝》 妙長山 照遠(しやうをん)寺《割書:本立寺の南なる西側にあり日蓮宗京都本国寺末もと中|島郡 下津(おりづ)村にありて尼(あま)妙長が開基也ある時旅僧日蓮上》  《割書:人の木像を携(たづさ)へ来り妙長に授(さづ)けて去りぬ其像背に文永十癸酉年の文字見え|たりよつて上人自ら彫刻の像なる事を知れり享禄四年僧日 珍(ちん)影堂をたて安》  《割書:置せしをのちに移転(ゐてん)してこゝにうつし御堂と呼べりまた此像は文永十年上人佐渡|の国にして彫刻ありし日本三 体(たい)【體】の内の一 躯(く)也三体【躰】とは京都本国寺江戸谷中の感》  《割書:応寺此照遠寺三ヶ寺に安置せし木|像なるよし佳境遊覧に見えたり》本尊《割書:法華|三宝》 啓運山法華寺《割書:御堂の南隣にあり同宗同末延徳年中織田帯刀左衛門尉常勝の建立|にて僧日授を開山とす第五世の僧日陽は信長公に崇敬せられ岐阜に招(まね)か》  《割書:れて彼地にも法華寺を取立しが公近江の安土へうつられし後此寺に帰り住|めり由緒正しき古刹なる故織田家の人々の古証【證】状甚多く持伝へたり》本尊《割書:法華|三宝》 宝珠(ほうしゆ)山常徳寺《割書:法華寺町駿河町通の南の西側にあり日蓮宗京都|妙満寺末慶長六年の建立にて同十六年清須よりうつす》本尊《割書:法華|三宝》 妙日山妙蓮寺《割書:常徳寺の南の東側にあり日蓮宗安房国小湊誕生寺末|慶安二年の建立山号寺号は祖師日蓮上人の父母の法号によれり》本尊《割書:法華|三宝》 【注 はやひとのかみ=律令制で隼人を管轄する官司である隼人司(はやひとのつかさ)の長官。】 【右丁】 【陽刻落款印】春江 《割書:法華寺町|禅寺町》全図   威音院   千葉寺   妙蓮寺    びるさはの池跡   宋吉寺    俗に十王堂と云   正福寺   松徳寺   賢隆寺   常徳寺   宝泉寺   泰増寺   長栄持   広徳寺   曹流寺   宗円寺   乾徳寺   証誠寺   円教寺   白山宮 【左丁 挿絵】 【右丁】   其二  本住寺  真柳寺  法華寺  本要寺  照遠寺   世に御堂と云  浄蓮寺  法輪寺  本成寺  大法寺  蓮勝寺  照運寺  善昌寺  永安寺  《割書:七間町》   聖徳寺除地  西蓮寺  含笑寺  梅屋寺  玄周寺  安斎院  林松寺 【左丁 挿絵】 【右丁】   其三  妙泉寺  妙本寺  寿元院  蓮華寺  本正寺  本立寺   世に常題目と云  光照院  就梅院  東充寺   世にへちま薬師と云  慈眼院  聚福院 【左丁 挿絵】 白山権現社《割書:駿河町通の東小山の上にあり此辺の生土神なるゆゑ本社物殿美を尽せり例祭は六月|九日神楽ありて町々の献灯山上まですき間もなく昼をあざむき殊 ̄ニ群集せり》 法栄山大円寺《割書:奥田町の北側にあり本願寺宗東派濃州岐阜浄土寺末|もと浄円寺といひしが享保年中今の寺号に改む》本尊《割書:阿弥陀如来|恵心の作》 片岡源五右衛門 高房墓(たかふさのはか)《割書:東田町乾徳寺にあり 法名 刃勘要剣(じんかんようけん)信士武家熊井氏|今井氏より立 赤穂(あかほ)の義臣四十七士の内の一人也実は当》  《割書:府武家の子にして赤穂の片岡氏の養子となる主家 廃滅(はいめつ)の後 徒党(とたう)何れも身をやつし|けるが高房も熊胆丸をうりて当府に来り実父母にまみえけるに其父 仇(あだ)を復する所存なきか》  《割書:と疑ひ憤りのゝしるに腰ぬけをもつて論ずれども高房本心を明(あ)かさず黙して去りぬ日ならず|して復讐(ふくしう)事終り其次第を一紙にすりて読(よ)み売(うり)するもの門外を通りしかば実父 走(はし)り出其人》  《割書:数のうちに我子はなきかといひさま其 紙(かみ)を引きとりよみとるとひしと地にまろび声をあげて喜び|けるとぞ印刻本の義臣伝の高房の像の賛に尾州之産赤城之臣断袖何譲》  《割書:兮桃休_レ論謀讐無_レ私抽_レ衆委_レ身誰莫_レ感_レ恩鮮哉若人と見えたり》 逞龍(ていりう)山西蓮寺《割書:東門前町の北側にあり浄土宗智恩院末信長公の息女西蓮院貞壑淳|松大姉の為に永禄年中開基す開山僧祖的は武田信玄の族なる故此》  《割書:寺の什宝は彼|將の遺物多し》本尊《割書:阿弥陀|の立像》寺宝 食籠(じきろう)一箇《割書:信玄軍陣に用ら|れし食器なり》信玄守本  尊一幅《割書:宅磨|筆》信玄の旗《割書:紺地四半 幟(のぼり)に金泥にて其疾如_レ風其徐如_レ林侵掠如_レ火不_レ動|如_レ山とありしが半は破(やぶ)れ失て今数字のこれり又信玄の甲冑》  《割書:も在しが今|は退転(たいてん)せり》塔頭《割書:貞養|院》 富士権現社《割書:富士塚町の西側にありもと山口の前山と呼び社地広大にして応永の頃は|前山源左衛門神職たりしが御城御造営の時社を巾下 蝦(ゑび)屋町の南に》  《割書:うつし其跡浅野紀伊守の普請場(ふしんば)となる其後武家屋敷となりても冡【冢の誤記ヵ】山及び此社のみ残り|て富士塚と呼び町の名》  《割書:に及へり例祭正五九月の十一日》 医王(いわう)山 瑠璃光(るりくわう)寺《割書:久屋町一丁目西側にあり曹洞宗僧桂安の建立にて清須に|在しを元和年中こゝにうつす本堂の本尊薬師如来は常安といふ》  《割書:者の守護たりし霊仏なり又境内に近年金毘羅を勧(くわん)|請(じやう)して繁昌す又秋葉の社其余観音地蔵等を安置す》 玉林山誓願寺《割書:同町袋町下 ̄ル西側にあり浄土宗熱田正覚寺末享禄年中の開基|なり元禄二年十一月十五日より興起せし不断(ふだん)念仏世に久屋誓願寺》  《割書:常念仏とて名高かり|しが今は中絶(ちうぜつ)す》本尊《割書:阿弥陀の像|安阿弥作》地蔵菩薩《割書:弘法大|師の作》寺宝平重盛  公の旌旗(せいき)《割書:絳帛(かうはく)に六字名号をかきて其下に|重盛《割書:正二位左大将号小松内大臣|法名為浄蓮菩提也源空》とあり》 朝日山 土方浄念寺(ひぢかたじやうねん)寺《割書:小桜町大津町東へ入北側にあり|東本願寺直末の院家なり》もと清須の朝日村にありて天台宗  の古刹なり中興の祖 慶恵(けうゑ)は清和源氏 経基王(つねもとわうぎみ)の孫 大和守 頼親(よりちか)の裔(えい)  孫(そん)土方(ひぢかた)出羽守治氏の子左近丞 時直(ときなほ)といひしが寛正年中出家し当寺の  住職となり蓮如上人関東よりき帰洛の時当寺に止宿(ししゆく)せられしかば直弟となり  本宗を改め明応三年一山の諸宇を再興せしを慶長十五年今の所にうつ  せり○本尊《割書:神君御守護の御帰敬仏(こききやうぶつ)にて現住常真へ葵御紋付の数品をそへて御寄付ありし|安阿弥作の阿弥陀如来の立像也こは一派の内当寺に限るよし又 神君当寺へ折々成ら》  《割書:せ玉ひて御直書御肌着等をも拝領す又 源敬公も|御直筆の六字名号を賜ひて今も寺伝す》蓮如上人直筆の六字名号《割書:はじめの本尊に|て師弟約諾の》  《割書:節 染筆(ぜんひつ)ありて慶恵にあたへられし名号なりしが|神君より今の本尊拝領の後当寺の宝物とす》告命(ごうみやう)聖徳太子黄金の尊像 日次宝剱   小袖塚(こそでつか)《割書:鍛冶屋町通鶴重町の北の|東側の商家の裏にあり》 横江氏の女師長公に わかれををしみ奉り入 水して空しくなりしが 公より給はりし小袖を 女が母の故郷なれは此 所の松が枝(え)に懸置しとぞ やがて塚とし小袖塚と 呼(よ)び小袖かけたる松も ありしがいつしか枯木(こほく)し 絶たるを今は三四十年 まへに植(うゑ)つぎたる松一木 のこりてあはれなる 古塚なり 【陽刻落款印】華渓  《割書:大和国宇知郡の住人土方太郎季治より伝来其外 親鸞聖人覚如上人をはじめ|代々の真筆及び 将軍家縉紳がたの御自筆物等数多あれどもこれを略す》塔頭《割書:光雲|寺》 恵日(ゑにち)山 光円(くわうえん)寺《割書:大津町通小桜町西南角にあり東本願寺直末延徳元年太田甚左衛門尉|頼信(よりのぶ)後従五位下武蔵守に任ず薙髪(ちはつ)し蓮如上人の弟子となり善西(ぜんさい)と》  《割書:改め当寺を創建して海西郡中田村に在しを慶長九年清須に遷【迁】し又御遷【迁】府の後こゝにう|つせり本尊の裏に唐櫃(からうど)村の文字見えたるは此寺もと伊勢国桑名郡 香取(かとり)庄 鹿浪渡(からうど)にあ》  《割書:りし故也とぞ或は永正年中からうど|より海西郡茨江の中田にうつりしともいへり》本尊《割書:阿弥陀|の立像》霊宝 阿弥陀仏《割書:行基菩薩の作先祖|頼信の守り本尊》太刀  一振《割書:頼信所|持の品》六字名号《割書:蓮如上人善西へ記念(かたみ)|に与へられし真筆》阿弥陀仏尊影《割書:実如上人開眼にしてうらに延徳|元己酉年月日又永正二乙丑年》  《割書:と自筆にて両|度まで記せり》教如上人寿像《割書:自筆の賛及び名字等あり其外希代の什器すべて略しぬ○当寺は|石井家猶子 地なれば翠簾紫幕等みな石井家よりの寄付也》      《割書:名古屋光円寺に残月亭といへるを新たに造りけるときゝて》   清けなる窓に残れる月影は西と教ふる法の為かも   石井行宣卿 究竟(くきやう)山 円輪(えんりん)寺《割書:袋町筋大津町西へ入 ̄ル北側にあり浄土宗京都浄華院末もと正覚|院とて真言宗の廃寺の跡に延享二年六月 関通(くわんつう)上人中興改宗》  《割書:して今の寺号とす関通字は無礙(むけ)海西郡 大成の人俗姓横井氏幼年より奇代の名|僧にて江戸鎌倉京都など遊歴(ゆうれき)し十七才にて祐天和尚に五重の相伝を授(さづ)かり念仏》  《割書:一派を開修し此寺に住せしよし事は関通和尚行業記に見えたり今も|猶常念仏にて称名の声 鳧鐘(ふしやう)の音 昼夜(ちうや)絶(たえ)せぬは実に関通上人の余光(よくわう)なり》本尊《割書:阿弥陀|の座像》 修験繁昌(しゆげんはんじやう)院《割書:伊勢町通袋町下 ̄ル西側にあり当山派三宝院の直同行なり伊勢 内宮の大(お)|子良子(こらご)【注】十七夜といへる女寛永年中故有て 内宮を退去し当国鳴海に》  《割書:来り八幡宮の神子(みこ)となりて在しが 国君柳原の御祈念所において神楽御修行あらせら|れし時節目よき巫女(ふじよ)を御尋ありて此十七夜を鳴海よりめされける元禄二年修験繁昌院十》  《割書:七夜が婿【聟は俗字】となりてこゝに住(すみ)しのちも御神楽を奏し給へるには必めしける|国君の思召によりて名を花守(はなもり)と改めしより今に巫女を花守と称す》本尊《割書:聖観音弘法|大師の作》 【注 御子良子(おこらご)=伊勢神宮の神饌・神楽に奉仕する少女。】 【右丁】 【陽刻落款印】春江 淨念寺 光円寺 【左丁 挿絵】 産前(さんぜん)産後(さんご)二母散(じぼさん)《割書:呉服町一丁目西側にあり婦人科 奈倉(なぐら)氏家伝の妙薬なり|清須にありし時信長公 医術(ゐじゆつ)の切を賞して太刀一振りを賜はり》  《割書:しか丸に二ツ引の紋を彫(ゑ)り付たり是を以て奈倉氏の家紋とす今十一代|にして猶連綿たり奈倉を称するもの三四家あれどもすべて此家を宗とす》 七宝山小笠原聖徳寺《割書:七間町通袋町下 ̄ル西側にあり|東本願寺直末の院家なり》寛喜年中親鸞聖  人此寺を羽栗郡大浦《割書:もと尾張の地なりしが天|正十二年より美濃に属す》に建立し直弟 閑善(かんぜん)《割書:俗|姓》  《割書:清和源氏甲斐国 巨摩(こま)郡の住人小笠原|左衛門 長顕(ながあき)薙髪(ちはつ)し聖人の弟子となる》を住持として七 種(しゆ)の霊宝を付与(ふよ)あり し古刹なるを永正年中中島郡富田にうつし《割書:是より先に同郡 苅安(かりやす)|賀(か)へうつし又大浦へ戻(もど)》  《割書:りしとぞ天文十八年信長公斎藤道三と富|田の聖徳寺にて参会ありしは此寺なり》慶長八年清須にうつり同十五年  再び当府にうつる○本尊《割書:阿弥陀の木|像安阿弥作》七宝《割書:鵜丸(うのまる)剣【剱は古字】 松風 茶臼(ちやうす) 龍樹菩薩|眼晴(がんせい) 天親菩薩舎利 曇鸞》  《割書:大師 遺骨(ゆいこつ) 開山十字名号 開山鏡影像 是を|七宝とす此外宝物古証文制札等甚多し》経蔵《割書:黄檗板の一|切経を納む》鐘楼《割書:鐘は寛文二年の|鋳造にて明人(みんひと)》  《割書:陳元贇(ちんげんひん)の銘文を彫付たり左のごとし○境内に信正院君の御墓あり》      《割書:尾 州 聖 徳 寺 鐘 銘 叙》   《割書:尾 陽 聖 徳 寺 者 親 鸞 聖 人 之 高 弟 閑 善 師 始 肇_二 基 於|濃 州_一 継 遷_二 尾 州_一 旋 復 帰_二 卓 錫 於 濃 州_一 最 後 改_二 卓 於 今》   《割書:護 屋_一 蓋 十_二  七 伝 於 茲_一 矣 頃 丁_二 灰 却 之 変_一 頼_二 衆 檀 力_一 不|_レ 日 化 宇 重 新 鐘 簴 再 整 鏗 然 闤 闠 之 中 四 境 特 以_二 昏》   《割書:暁_一 焉 其 十 七 伝 之 法 孫 諱 顕 応 者 與_レ 余 為_二 方 外 友_一 乞_二|余 俗 諦 一 言_一 而 銘_レ 之 為_二 鯨 音 和_一 願 凡 鄙 曷 克_二 此 命_一 雖》   《割書:_レ然 方 外 良 交 不_下 敢 以_二 凡 鄙_一 辞_上 謹 布_二 数 言_一 以 答_二 其 意_一 而》   《割書:永 揚_二 善 師 之 声 教_一 《割書:云》   銘曰》   《割書:聖 徳 肇 興   善 師 開 宗   立 法 闡 化   権 輿 美 濃|法 無 常 住   護 屋 是 営   運_二  丁 灰 (は却_一   再 新 琳 宮》   《割書:琳 宮 司 漏   多 乳 鳴 銅   警 醒 旦 暮   震 覚 昏 蒙|百 千 万 劫   聖 徳 善 功》      《割書:時【旹は古字】》     《割書:寛 文 弐 年 壬 寅 季 春 上 浣 三 日|  大 明 虎 林 戴 髪 俗 子 陳 元 贇   竦 息 撰》                 《割書:鳧 工     水 野 藤 原 政 長》 渡辺山 守綱(しゆかう)寺《割書:住吉町南の行当にあり東|本願寺直末の院家なり》慶安二年国老渡辺飛騨守  守綱(もりつな)菩提のためにその嫡孫 治(はる)綱の建立にて僧 恵頓(ゑどん)を開山とす  参河国加茂郡 寺辺(てらべ)は渡辺氏の領邑なる故そこにも守綱寺 ありてこゝより兼帯す○本尊《割書:阿弥陀|の立像》鐘楼 鼓楼《割書:何れも慶安二|年の造立也》 東海山白林司《割書:守綱寺の南東にあり|臨済宗京都妙心寺末》国老成瀬正成法名白林寺の菩  提の為に 国祖源敬公寛永二年に草創し給ひ蘭叟(らんさう)和尚を開山  とし給へり明暦三年の火災に焼失せしのち正成の嗣子隼人正【注】正  虎【乕は俗字】の再建なり○本尊《割書:釈迦の|木像》鐘楼《割書:寛文元年|の造立》経蔵《割書:隼人正正親其父正|虎法名一岳追福の》 【注 はやひとのかみ=律令制で隼人を管轄する官司である隼人司(はやひとのつかさ)の長官。】 【右丁】 【陽刻落款印】春江  聖徳寺    《割書:百 非 道 人》 《割書:珠 綱 玲 瓏 七 宝 林 半|空 法 鏡 映 来 深 最 憐》 《割書:暫 尓 曇 華 両 使_三 客 長|証_二 不 染 ̄ノ 心_一》   名古屋聖徳寺の   御宝物を拝して          貞柳 たしなむとすれと     こゝろはみたれ髪   とかく鏡の      御影たのまん 【左丁 挿絵】   守綱(しゅかう)寺  《割書:看_二 守 綱 寺 棣 棠 花_一|           乾 堂》 《割書:棣 棠 千 畝 着_レ 花 濃 葉 上|黄 葩 万 玉 叢 繁 蕊【蕋は俗字】 遍 開》 《割書:前 日 ̄ノ 両 嫩 枝 軽 動 暁 天|風》   守綱寺にて山吹を         みて        茂岳 ものいひのさかにくき    よに山ふきの  花の色こそ   あらまほし       けれ 【陽刻落款印】春江   《割書:為に輪蔵を造立し清朝(しんちやう)の一切|経を納め一岳の肖像をも安置す》塔頭《割書:恵照|軒》 瑞雲山政秀寺《割書:白林寺の南隣に|あり同宗同末》天文年中 平手(ひらで)中務太輔政秀菩提の為  信長公の建立僧 沢彦(たくげん)を以て開山とす《割書:沢彦備後守信秀の求めによりて其|子吉法師丸の諱(いみな)を信長とつけける》  《割書:を信秀 難(なん)じて信長の反(かへし)は桑也桑は蚕(かひこ)の為にくらはるいかゞあらんといはれけるに沢彦答て然らず|桑の字を折は四十八となる故仏徒 佳兆(かちやう)とす其上我国の本名扶桑也終に天下を得らるべし》  《割書:といひけるがはたして天下は掌握(しやうあく)ありしかども信秀の難問(なんもん)また空(むな)しからず四十八歳をすごし|て程なく飼子(かひこ)にひとしき明智(あけち)が為に事ありしは誠に奇代の先兆なり又永禄四年信長公の》  《割書:命により稲葉山の城地井野口を改めて岐阜とし|又公に布_二武天下_一の印章を捧(さゝ)げしも皆此沢彦なり》○本尊《割書:十一面|観音》経蔵《割書:輪蔵和板の|一切経を納む》  鐘楼 平手政秀墓《割書:法名功庵宗|忠大居士》貞松院大夫人墓《割書:織左衛門尉信益の女|国祖君の御継室なり》  普峰(ふほう)院殿御墓《割書:広幡大納言忠|幸卿の御簾中》 寂光(じやくくわう)山 勝鬘(しやうまん)寺《割書:大津町の南にあり東本願寺直末の院家三河国 額田(ぬかた)郡|針崎勝鬘寺の兼帯所にして天正年中の創建なり》本尊《割書:阿弥陀|の立像》 徳寿山 清浄(しやうじやう)寺無量院《割書:前津小林の矢場町にあり|浄土宗京都智恩院末》元禄十二年六月此寺を海  東郡津島よりうつして郭龍(くわくりやう)和尚に賜はる○本尊《割書:阿弥陀仏定朝の|作脇士観音勢至》  《割書:ともにもと山城宇治の平等院鉤殿の本尊|なりしが故ありて元禄八年此寺に安置す》地蔵堂《割書:霊仏にして世に矢|場の地蔵と称す》牧氏の墓《割書:石塔|二基》  《割書:あり碑面文字 滅(めつ)してよみがたし熱田の円福寺過去帳に牧氏の法名ありて長清院梵阿弥陀|仏《割書:元亀元年庚午|二月十五日》信徳院善行慧長大姉《割書:天正五年丁丑|八月十五日》と見えたり長清院は牧与三左衛門尉源》 【右丁】 【陽刻落款印】春江 政秀(せいしう)寺  平手政秀の    かたに     仲敏 よろつよに  くちせぬ   名こそ  ものゝふの こゝろをみかく  かゝみ   なりけれ 【左丁】   龍屋 雪ふかみ  からすの    宮は   埋れて  白き林の   寺の入相 【右から横書きで】 白林寺 織田信長公幼年の時 放逸(はういつ) にして行跡正しからざりしかば 老臣平手中務太輔 政秀(まさひで) 諫書(かんしよ)を以いさめしかども許容(きよよう) なかりし故天文二十二年春 日井郡 志賀(しが)村にて政秀 自殺すこゝにおいて公先 非を悔(く)い行跡を改め僧 沢彦(たくげん)に命して政秀寺 を建立しその菩提を 弔(とふ)【吊は俗字】らはれしよし織田 真紀信長記総見記 等の諸書に見えたり  《割書:長清信徳院は同人室信長公の妹にて信雄公の従士分限帳に小林|殿とあるは此婦人なり長清が小林の古城といふも此境内其旧地なり》 柳生(やぎふ)兵庫 居住(きよじうの)地《割書:清浄寺の境内なり此人剣術の達人にてこゝの庭池の蓮(はす)を見て|兵法の奥儀をさとれりよつて薙髪(ちはつ)の後 浦蓮也(うられんや)と号す其 技(ぎ)》  《割書:芸(げい)の高名なる事は異国の書にのせたるにて知べし此人の好みてつくらせし鍔(つば)甚きた|ひよく武用にたれり世に柳生つばと名づけてこれを賞す又茶道に長じ茶七茶椀茶入》  《割書:など手製す甚稀にして|世人殊に珍重せり》 三輪(みわ)明神社《割書:清浄寺の南にあり牧氏の建立也|例祭八月十九日夜神楽を奏す》 医王(ゐわう)山東泉院《割書:前津三輪町の西側にあり|曹洞宗古井村光正院末》本尊《割書:薬師如来行基の作にて此寺若宮の|辺に在りし時熱田の方より信濃》  《割書:国へ帰る塩付馬(しほつけうま)俄(にはか)雨に逢ひ此薬師堂を葺(ふ)ける葭(よし)かやをぬき荷(に)覆(おひ)にしけるが家に帰りて其|葭光を放(はな)ちければ打驚き葭を返して堂を修しけりそれよりして芦御堂の薬師と称す》 橋(はし)の寮(りやう)《割書:清浄寺裏門の南にあり仮山園地みな幽諏ありて亭上の眺望も亦|甚よしすべて此辺より南 豊饒(ぶによう)の人の別荘多く春の頃遊人多し》 富士見原(ふしみばら)《割書:前津中の切の東の家つゞき東懸所の東北の方やゝ高き所にしてこゝより東の方を見渡|せば猿投(さなげ)山大草山の間に富士山かすかに見ゆる故むかしよりこゝを富士見原と呼(よび)ならは》  《割書:せり又此辺にそのかみ横井暮水翁別荘を構(かま)へて自ら知両亭と命じ七勝の風光をも題目|せられて当時高名の諸家廿八人に七勝の吟詠を求められしが今わづかに其内の七人を左に》  《割書:挙て其余は洩(もら)しつ幽栖(ゆうせい)の旨趣(ししゆ)は君山峨眉両翁の撰(えら)べる|知両亭記及び暮水翁俳文の七勝記等に見えたり》   《割書:    東 嶺 孤 月                    千 村 伯 済|𤠔 狖 嶺 頭 暮 色 収 月 華 初 吐 大_二於 鉤_一 須 臾 布_レ  地 金 波》   《割書:遍 映 出 前 津 種 々 秋|    路 傍 古 松                    堀 田 方 旧》 【右丁】 【陽刻落款印】春江  清浄(せうじやう)寺 当寺地蔵尊は 霊仏にして世に 矢場の地蔵と称 す例年七月廿 四日には未明 より城をかたふけ て群集せしが 此日はとり分き 葡萄(ぶだう)をうる事 おひたゝしくこは 江戸の芝の神 明にて生姜(しやうが)を ひさけるにひと し 【左丁 挿絵】 【右丁】 【陽刻落款印】仙里  富士見原     浜居 春風や  ふまれた 【左丁】   畠は  ふまれ   そん     其峯 分別の  ほかや はるのゝ   廻り     道   《割書:百 尺 古 松 三 四 株 龍 鱗 含_レ 雨 接_二  天 衢_一 歳 寒 猶 惹 吟 哦|興 何 混_二 風 塵_一 伴_二 鄙 夫_一》   《割書:    蓬 丘 烟 樹                     千 村 鼎 臣|五 彩 雲 生 洞 裏 天 欝 葱 烟 樹 栖_二 神 仙_一 因 思 蓬 島 隣_二 南|浦_一 徐 福 当 時 来 繋_レ 船》   《割書:    海 天 新 雁                     橘 隠|粧_二- 点 海 天 空 闊【𤄃は俗字】 秋_一 数 行 新 歴 下_二 芦 洲_一 水 雲 万 頃 無 窮|景 載 去 載 来 多 少 ̄ノ 舟》   《割書:    龍 興 寺 鐘                     全 嵒|雲 擁_二  上 方_一  一 路 通 華 鯨 吼 破 野 村 中 使_三  人 幾 度 発_二 深|省_一 応_三 是 神 龍 護_二 梵 宮_一》   《割書:    市 門 暁 雞                     須 賀 精 斉|市 門 霜 白 暁 星 沈 紅 日 欲_レ 升 影 万 尋 屋 上 群 鶏 時 已|報 炊 烟 処 々 裊 蕭 森》   《割書:    隣 舎 舂【𣇃は異体字】 歌                半 掃 庵|知 雨 亭 唯 北 有_レ 隣 疎 墻 結_レ 竹 共 孤 貧 枕 頭 夢 断 舂 歌|近 猶 識 夜 闌 未_レ 寝 人》   《割書:    前 津 別 業                     山 村 良 由》  《割書:清音楼詩抄| 憶 昔 春 風 十 二 楼 園 林 今 日 草 堂 幽 誰 知 白 玉 屛 前| 月 還 照 青 蘿 帳 外 秋》    三河路の峰のまつはら霧はれて雲井にひくきふしの遠山  豊長       ふし遠く凧のたもとに見ゆるかな         羅城 大池《割書:前津の東田面にあり春のころは遊人多く児童こゝにて凧子(たこ)をあげてあそぶ紙鳶(たこ)を放(はな)|てる事は漢(かん)の韓信(かんしん)が工夫よりおこれりとかや本邦に是を弄(らう)する事多く其製作の巧(たく)み》  《割書:なる事他国にまされり凧は名古屋の名産といふべし》 酔雪楼《割書:富士見の辺にあり東郊にのぞめる亭にして風景たぐひなき借(か) ̄シ座敷|なり書画会等の雅筵(がえん)を張(は)るによろしく遊人常にたゆる事なし》   《割書:    酔 雪 楼 酔 歌                   秦 滄 浪|花 鳥 風 月 無_レ 不_レ 酔 今 入_二 此 郷_一 倍 能 酔 一 杯 々 々 酔 引》   《割書:_レ酔 三 斗 亦 酔 五 斗 酔 温 克 之 身 宜_二 純 酔_一 吾 輩 其 人 何|不_レ酔 曽 読 陸 老 ̄ノ 十 二 酔 無_レ 如_二 八 仙 青 蓮 酔_一 任- 它 平 泉》   《割書:不_レ 解_レ 酔 憐 此 右 手 螯 勧_レ 酔 狂 草 書 発 狂 僧 酔 於_レ 是 晋|提 亦 称_レ 酔 誰 向_二 周 郎 醇 酒_一 酔 竹 得_二 五 月 ̄ノ 梅 雨_一 酔 如 君|欲_レ 問_二 我 善 酔_一 一 月 二 十 九 日 酔》   《割書:    甲 申 仲 冬 同_二 諸 君_一 飲_二 酔 雪 楼_一    大 窪 詩 仏|城 外 酒 楼 号_二 酔 雪_一 故 人 相 招 衝_二 来 雪_一 我 在_二 越 山_一 日 阻 ̄ル》   《割書:_レ雪 何 図 今 日 此 賞_レ 雪 乍 歇 乍 来 如_二 春 雪_一 遠 看 如_レ 煙 近|是 雪 茶 熟_二 石 鼎_一 香 湧_レ 雪 膾 盛_二 銀 盤_一 絲 堆_レ 雪 坐 中 吟 咏》   《割書:皆 白 雪 客 愁 都 似_二 湯 沃_一_レ 雪 六 十 老 翁 両 鬢 雪 酔 雪 楼|頭 来 酔_レ 雪》      《割書:己 亥 仲 春 同_二 諸 子_一 遊_二 于 酔 雪 楼_一 々ノ 主 人 出_二滄 浪|詩 仏 両 翁 之 酔 歌 雪 咏 之 二 大 幅_一 示_レ 余 々 亦 併_二》      《割書:両 翁 之 二 篇_一 賦_二 酔 雪 歌 一 章_一 以 与_二 主 人【一点脱】》                            《割書:精 一》   《割書:酔 雪 楼 頭 往 年 ̄ノ 雪 滄 浪 詩 仏 来 酔_レ 雪 両 翁 酔_レ 雪 坐 走|_レ毫 浪 賦_二 酔 字_一 仏 賦_レ 雪 酔 雪 二 篇 今 猶 存 吾 輩 今 日 非》   《割書:_レ酔_レ 雪 春 暄 無_レ 雪 人 亦 酔 ̄フ 々 顔 快 受 飛 花 ̄ノ 雪 遠 山 雪 消|天 如_レ 酔 々 客 指- 呼 ̄ス 富 峰 ̄ノ 雪 一 酔 百 憂 春 雪 融 酔 中 詩》   《割書:思 冷_二 於 雪_一 忽 然 初 成 酔 雪 吟 酔 墨 灑 来 楮 皮 ̄ノ 雪 鴬 花|雪 月 皆 可_レ 酔 此 楼 怎【乍は誤記ヵ】- 麼 ̄ンソ 独 酔_レ 雪》 【右丁 挿絵】 【陽刻落款印】高雅 【左丁】 酔雪楼  遊宴   の図 【右丁】 【陽刻落款印】春江  萬松寺 うくひすの  夏をなく    なり   万松寺    黄山 【左丁 挿絵】  白雪稲荷(はくせついなり) 万松寺の境内に あり文政年中 の勧請にして 数百年外 の老白狐 なる故白雪 稲荷と標(ひやう) せり当時(そのかみ)少 女の姿(すがた)に化し て餅菓子 など買(かひ) ありきし 事あれ ば今も猶 お小女郎と 通称して毎も 初午の賑ひ 城南を傾(かたふ)けり 【陽刻落款印】春江 亀岳(きがく)山萬松寺《割書:裏門前町にあり曹洞|宗能登国総【惣】持寺末》天文九年 古渡城主織田備後守信秀  建立し大雲和尚を開山とす同二十年三月三日信秀 末森(すゑもり)の城にて  卒去(そつきよ)ありしかば此寺に葬(はうふ)り其法号萬松院 桃巌道見(とうがんどうけん)といへるを  とりて寺号とす慶長十五年御城御造営の後寺をこゝにうつし  其跡町家となる《割書:今の小”桜町|これなり》本尊《割書:観音脇士善財|童子八歳龍女》禅堂 鐘楼《割書:美濃国各務|郡弓削田庄》  《割書:佐良木郷長塚宮椎鐘 檀那 薄田源左衛門 藤原祐貞 慈能入道 祢宜藤原兼光 大工兵衛太|郎 藤原友次結衆五十四人 文明七年乙未十一月十八日 ○尾州春日井郡高田寺鐘 比良佐々下》  《割書:野守藤原貞則 久地野伊泉入道 赤地新右衛門吉久 大永五年乙酉十二月廿日筆者明真|○尾州那古野庄亀岳山萬松寺第四世住持比丘大宗播老拙寄付焉 天正歳念丙戌仲春殊》  《割書:如意日 と|彫付たり》高原院君御墓《割書:国祖君の御簾中浅野紀伊守幸長の御|女当宗御信仰により此寺に葬め奉る》寺宝 小  野の琴《割書:高原院君のもてあそび給ひし御遺物|なり其外什宝あまたあれと是を略す》鎮守《割書:白雪稲|荷祠》塔頭《割書:福寿院 万年寺|永昌院 盛岩院》 隠里(かくれざと)《割書:万松寺の裏門の南をいふ近きころ豊八といふ陶工此里にて酒茶に用る楽焼の器物を作|り初しが其名高く世にもてはやせり今はその子豊助といふもの業をつぎ亦大に》  《割書:上工の名|を得たり》 春日社《割書:前津長道にあり祭神第一殿武雷命第二殿斎主命第三殿天津児屋根命第四殿姫|太神当社は牧氏の修造也其池此西の方に大池を堀て猿沢(さるさは)の池に象りしとぞ其地》  《割書:今に池の内といふ字(あざな)のこれり|例祭八月十八日神楽あり》 【右丁】 長栄精舎 九老 尚歯(しやうし) 会(くわい)之図 【左丁】 古人東甫翁所筆九老肖像之遺図高雅縮摹 【印】高雅 金剛(こんがう)山長栄寺《割書:灰取(はいとり)町の東側にあり曹洞宗|春日井郡三淵【渕は俗字】村正眼寺末》信長公の伯母長栄寺 槃室栄(はんしつえい)公  禅尼《割書:春日井郡河村城主牧大和守長義|の室にて備後守信秀の妹なり》永禄年中清須に建立ありしを  慶長年中当府にうつせり当寺の誕生仏(たんじやうぶつ)は黄金(こがね)にて銅作(どうさく)の両  瀧口より水を吐(は)きそゝぐ世に珍(めづ)らしき潅仏(くわんぶつ)也○本尊《割書:釈迦の|座像》  安永十年丑春三月九日内藤 閑水(かんすい)の催(もよほ)しにて府下 高齢(かうれい)の九老  此寺に集会して尚歯(しやうし)会をなし各詩歌連俳を詠出(えいしゆつ)す其人々は都  筑高《割書:字 ̄ハ柔克号_二千秋斎 ̄ト_一俗称|道喜一百四歳 詩賦》清水成利《割書:号_二集木軒_一俗称将作|九十三歳 和歌》松平秀雲《割書:字|士》  《割書:龍号_二君山_一俗称太郎右|衛門八十五歳 詩賦》僧杲照《割書:東界寺前住字達仙|号_二幸山_一 八十四歳 和歌》僧恵胤《割書:当寺 ̄ノ隠居字定保|号_二明星庵_一 八十三歳》  《割書:詩|賦》小鹿存《割書:字良興号_二無孔笛_一 八十|二歳 詩賦 狂歌》横井並明《割書:字伯懐号_二半掃庵_一称_二暮水|又也有 ̄ト_一 八十歳 和歌》永田  忠良《割書:号_二鳥集軒_一俗称古|仙八十歳 俳句》僧覚融《割書:天王坊前住字宏道号_二|白雲居_一 八十歳 和歌》その外風雅人の書  画詩歌をのせ尚歯会記一巻 印行(いんかう)して流布(るふ)すまた明和六年  十二月也有翁生前此寺に碑を立て  何にかも人は忍はむ  なきあとの心にはかなき名はとゝむとも《割書:俳諧夢の縦|に見えたり》 性海山梅香院《割書:梅川町にあり浄土宗京都智恩院末中島郡奥田村にありしを貞享|元年こゝにうつし 瑞龍院殿の御愛女梅香院殿の御菩提所と》  《割書:なし給|へり》本尊《割書:阿弥陀|の座像》 清涼山栄国寺《割書:橘町裏の東側にあり浄土宗京都禅林寺光明寺両末此所はもと|戮殺(りくさつ)の”地《割書:俗にいふ|御仕置場》にして耶蘇(やそ)宗門の凶徒一千余人 誅戮(ちうりく)ありし》  《割書:地なるが寛文五年刑地を春日井郡 土器野(かはらけの)へ移されしかば同六年其跡に一堂を建立|し丹羽郡塔地村薬師寺の丈六の阿弥陀の像をうつし西光院の僧 可信(かしん)か隠居所》  《割書:として清涼■【庵ヵ】となづけしが貞享三年より藤田寺と称し京都禅林寺の貞準(ていじゆん)和|尚を開山とせり同年の秋よりまた改号して今の山号寺号をよべり》  本尊《割書:丈六の阿弥陀の|木像霊仏なり》千人塚《割書:切支丹の族を誅|殺ありしあと也》 長島山 崇覚(そうがく)寺《割書:同町東側にあり東本願寺直末なり 開山は讃州(さんしう)丸亀(まるがめ)の城主|水谷左衛門大夫 可高(よしたか)後出家して安養坊と称す天正年中摂州石》  《割書:山にて織田家合戦の時召に応し雑賀(さいか)の門徒を引率(いんそつ)して数度戦場に赴(おもむ)き終に戦死せ|しよし寺譜(じふ)に見えたり影像今に至るまで本堂に安置す安養坊の実子衛門重成教》  《割書:如上人の弟子となり法名を敬円と授(さづ)かり又親鸞聖人真筆の名号 三狭間(みつさま)の影像其|余種々の重器等を授かりて今に寺伝すもと勢州桑名郡長島の中川村にありしか》  《割書:寛永年中当国巾下堀詰町に移り|正徳年中又今の地にうつる》本尊《割書:阿弥陀|の木像》 東本願寺掛所《割書:橘町の東二|町にあり》天正九年八月僧 祐賢(ゆうけん)海東郡 蟹江(かにえ)村に  一寺を建立して泉龍(せんりう)寺といひしを慶長十一年那古野の地《割書:御遷【迁は俗字】|府の》  《割書:後袋|町》へ遷せり其後東本願寺十六世の門主一如大僧正名古屋に 【右丁】 東本願寺 掛所   其一 報恩講   に  沙鴎 【左丁】 法他力 俳自然  なり 霜  七夜 【陽刻落款印】春江 【右丁】 其二 【同 下部】 つみ  とかを  弥陀    に    あつ   けて    花見     哉    庭雅     岳輅 《割書: |春秋楽》  散際と  なれは   風なき 【左丁】  さくら哉    桃鳥 つはくらも  覗かぬ   堂の  高さ   かな 【右丁】 其三 【左丁】                両側                宿や                多し            芝居地           寛文のはしめ千本松          を伐ひらき町家を立         つゞけ播町と名つけ給ひ        し時裏町に地を給はり       芝居操場御免許あ      りしかば同五年秋山城     喜内といふ者浄瑠理    あやつり興行しはし   めしより今に至るまて  三都の名ある役者とも を招き哥舞妓浄るり      たゆる事なし 栄国寺 崇覚寺  掛所営建の志願ありて 御国の御免許を得元禄三年七月よ  り袋町泉龍寺を懸所となせり同年十二月古渡村の内にて  境地御寄付ありて懸所を今の所へ引うつし同五年の夏頃より 坊  舎を営みはじむ同十三年四月十二日一如上人京都本山にて遷化せられ  其子真如大僧正の代同十五年十月廿八日経営成就し本堂をはじめ  諸堂こと〳〵く修造畢りしかども真如上人の開基とせすして本願  一如上人を以開山とせり○本尊《割書:阿弥陀|如来》    千代まても猶たちなれ【注】と花の陰としのつもらんこともわすれて  石原正明 古渡古城《割書:東掛所境内則其あと也織田備後守信秀那古野の城にありしが天文三年嫡男信|長誕生のゝち那古野の城は信長に譲り自身は古渡に城を築きて移住せり卒》  《割書:去の後廃城して田畠となりしがそのゝち掛所の境内となりぬ信長記には信長公こゝにて元服せら|れしよしにしるし宗牧が東国紀行には 禁裡御修理の義を宗牧が東国へ下る序なればとて》  《割書:則宗牧に 仰せ添られてこゝなる城主信秀に 勅宣を伝へしよしに記せり|こは戦国の有さま思ひやられぬ詳なる事は紀行に譲りてこゝに略しつ》 【注 立ち馴れる=馴れ親しむ。】 尾張名所図会巻之二《割書:終》 【白紙】 【裏表紙ヵ】 【表紙 題箋】 尾張名所図会《割書:前編》   三 【題箋の「前編」と「三」の間に】owari 【白紙】 尾張名所図会巻之三    目録《割書:愛智郡》  熱田       熱田大神宮    日本武尊(やまとたけのみこと)宮簀媛命(みやすひめのみこと)に別を告給ふ図  御神詠和歌    師長(もろなが)公 琵琶(びわ)の秘曲(ひきよく)奉納の図       信長公出陣の図  御本社正殿    土用殿(どようでん)      神位         摂社(せつしや)  四 疆(きやう)の神門   八疆の鳥居     不実(ならずの)梅       一の鳥居の図  蓬莱(ほうらい)      雲見(くもみ)山      楊貴妃(やうきひ)石塔(せきとう)の址(あと)   例祭  踏歌(たうか)の神事の図 御的射(おまとゐ)の図    印地打(いんぢうち)【注】の古図 祈年祭(きねんさい)の図  舞楽(ぶかく)の図    端午(たんご)馬(うま)の塔(とう)の図  神宝         享禄の古図  御神馬 飾皆具(かざりかいぐ)の図 神領      大宮司及び社家 歴代(れきだい)の略伝(りやくでん)  神宮寺      下馬橋      中森(なかのもり)        泪(なみだ)川  秋月院      円通寺      南新宮       大山 車楽(だんしり)の図  大福田社     日割御子(ひさきみこの)社 【注 大勢が二手に分かれ川を挟んだりして、石を投げ合う一種の合戦。中世には幕府の制止もきかず、死傷も構わない程に関心が持たれたが、近世には行事化し、端午の節句に子供が二手に分かれて行う石合戦、太刀打ちの遊びをいう。】 熱田(あつた)《割書:愛智郡のうち南のはてなる郷名にして和名抄に厚田とかき其余の古記には皆熱田|の文字を用ゆ寛平縁起に社を占(し)め神剣【剱】を遷(うつ)し奉んと衆議(しうぎ)し其社の地を定め》  《割書:しに其地楓樹一株ありしが自然に炎焼(えんしやう)し水田の中に倒(たお)れ入 光焔(くわうえん)|消(きえ)ずして其田猶あつかりければ熱田と名づけしよしにしるせり》 正一位 勲(くん)一等熱田皇太神宮 景行天皇四十年七月 東夷(とうい) 皇命  に叛(そむ)きしかば 皇子 日本武尊(やまとだけのみこと)《割書:はじめ小碓(をうすの)尊又の御名 日本童名(やまとおくな)おさなく|おはせしより雄略気(をゝしく)まして容貌 魁偉(くわいい)御》  《割書:身の長(たけ)一丈力 能(よ)く鼎(かなへ)をあげたまひしかば是より先に熊襲(くまそ)を討しめ給ひし事あり|尊奇謀を以て川上の梟帥(たける)と云者を殺し給ふたけるほめ奉りて 日本武と名づけ申》  《割書:け|り》勅命(ちよくめい)を奉りこれをたいらげ給はんとて十月御 首途(かどで)ありてまづ  伊勢大神宮にまうで斎宮(さいぐう)におはしける御姨(おんをば)倭姫命(やまとひめのみこと)より天(あまの)  叢雲(むらくも)の神剣と燧嚢(ひうちぶくろ)とを授(さづか)り得(え)て尾張に渡り給ひ氷上(ひかみ)  の里《割書:今知多郡大|高村なり》にして建稲種(たけいなだの)命の御 妹(いもうと)宮簀媛(みやすひめの)命を寵幸(てうかう)し  暫(しばらく)御 逗留(とうりう)ありしが後会(こうくわい)を期(ご)して東行し駿河国に到り給  ひしに凶徒(きやうと)狩猟(かり)に事よせ野火(のび)にて焼殺(やきころ)し奉らんと謀(はか)りてす  でに危ふかりしが彼神剣自然とぬけ出(いで)曠野(くわうや)の草【艸】を薙払(なぎはら)ひ  又燧嚢の口ひらけ其火 還(かへつ)て賊徒(ぞくと)を焼き亡(ほろ)ぼし 尊は急難(きうなん)  を免(まぬ)かれ給ひぬそれよりして天叢雲(あまのむらくの)名を改め草薙(くさなぎ)の神剣【剱】と  ぞ申けるかくて常陸(ひたち)陸奥(むつ)等の夷賊(いぞく)征伐(せいばつ)畢(をは)つて信濃坂を  越(こ)え再び宮簀媛(みやすびめ)命の家に淹留(えんりう)し給ひしが別れに臨み神  剣【剱】を媛(ひめ)の許にとゞめ我帰京せば必 汝(なんぢ)が身を迎(むか)へん此剣【剱】を我 床(とこ)  の守(まもり)とせよとのたまひ置て徒行(かち)より出まし近江の胆吹(いぶき)山の  悪神を退治(たいぢ)し給ひけるに其神化して小蛇となり御道に横(よこた)はれ  り 尊又心して過(すぎ)させ給ひしかども山神 毒気(どくき)を吐(は)きければ  御心 乱(みだ)れにけり夫より伊勢に移り給ひ能褒野(のほの)にて御病甚  くなりにければ武彦(たけひこの)命をして 天皇に事のよしを奏して竟(つゐ)に  かくれ給ひぬ御年三十也 天皇聞し召して哀(かなし)み給ふ事 限(かぎり)なし  群卿(ぐんきやう)百 寮(りやう)に仰せて伊勢国能褒野に納(おさ)め奉らしめ給ひ  しに白鳥と成て大倭(やまとの)国をさして飛行 琴弾原(ことひきはら)に留(とゞま)る其所に  また陵(みさゝき)を作らしめられければ又飛て河内の古市(ふるいち)に留る其所に 【右丁】 【陽刻落款】高雅 日本武尊(やまとだけのみこと)宮簀(みやす) 媛命(ひめのみこと)と一別の時 形見(かたみ)に宝剣 を授(さづけ)たまふ     図 《割書: |文集》 東征東服 西伐西来 桓々威武 四方維宜 帝子孝兮 是庸不_レ疑 蝦夷奔駾 熊戎芟夷 丕顕厥烈 帝勲詢熙【熈】 【左丁】  山県周南  陵を定められしかど白鳥又飛て天に上(のぼ)りぬ仍(よつ)て三《割書:ツ》の陵あ  り宮簀媛命御 約(やく)に違(たが)はず独御床を守りて翌四十一年  建稲種命と共に議(はか)り御社を此地に草(さう)【艸】創(〳〵)し御剣を鎮座(ちんざ)な  さしめ給ひぬしかして建稲種命の裔孫(えいそん)尾張氏の人〳〵斎(いつ)き  祀(まつ)りて熱田大神宮と称し奉れり《割書:日本書紀古事記旧事紀古|語拾遺神皇正統記元々集》  《割書:寛平縁起等を参考(さんかう)して略抄す神徳の威霊おはしましゝ事は古今の書籍に|のする所千百を以てかぞふべしその一二をいはゞ興福寺の一和僧都 維摩会(ゆいまゑ)の講》  《割書:師を年頃のぞみてありけるにはからず性延といふ僧にこされて心うくおもひ歎(なげ)き 【この空白は「し」の脱字ヵ】に|たへかね寺門を退去し東国に修行し熱田の御社にまふでけるにあやしげなる祢宜》  《割書:の出来りていふやう汝 怨(うらむ)る事ありて本寺をしりぞく事然るべからず彼講師の次第は|帝釈の札にしるして則性延一和 義操観理(ぎそうくわんり)とあるなれば憂念(ゆうねん)をやめて寺に帰るべし》  《割書:我は春日山の老翁也とてうせ給ひけるよし撰集抄及び春日 験(げん)記等に見え元享釈|書には壱和彼講師を祥延に越(こ)され憤(いきどほり)を発して熱田の神祠に隠れしが其社に禍福》  《割書:吉凶をよくいふ巫ありて天帝の玉簡に維摩講師を記せる祥延先にありて壱和|これに次(つ)げるよし示(しめ)しける故 悔(くい)恥(はぢ)て南京に帰りけるがはたして四年にして維摩の》  《割書:詔(みことのり)を承りしよしに記せり○同書に釈性蓮至孝にして母の遺骨(ゆいこつ)を抱(いだ)き高野山に収(おさ)め|むとて熱田に至りけるが神祠のけがれん事を忌(いみ)憚(はゞか)り南門の側に寓(よ)りてふしけるに其夜》  《割書:大祝(はふり)の夢に大神告給はく今我に高賓あり珍饗(ちんきやう)を致せと仰せられける故 祠中(しちう)を|尋ねけるに更に人なく只門外に性蓮一人ありければ祝此僧也と知りて盛饌(せいぜん)を進めける》  《割書:よし見え沙石集にものせてまさしく此事を神官がかたりしよしに記せり○伏見修|理大夫橘 俊綱(としつな)十五歳にて尾張守に任し当国に下り当社神拝しけるが大宮司 老耄(らうもう)》  《割書:しけるにや遅く出迎ひけるを国司無礼也と怒(いか)りて強く勘当していましめければ大宮司御|社に参りて奏しけるは此事我 恥(はぢ)にあらず大明神の御恥也国司を罪(つみ)せさせ給へと念じ》  《割書:けるに明神 示現(じげん)し給はくむかし此国に俊綱(しゆんかう)といふ僧ありて法華経よみて我に法楽(はうらく)せんと|せしを汝むつかしがりて彼僧に水あぶせ追払らひてしかば怒りにたへず今国司に生れかはりて》  《割書:其 報(ほう)を致すなれば我力に及ばず俊綱の後身なればとしつなと名のれりと告給ひけるよし|続世継物語の藤波の巻康頼の宝物集及び宇治拾遺物語に見えたり○承久兵乱の時当国》  《割書:の住人乱をさけて資財(しさい)雑具(ざうぐ)等を携(たづさ)へ社頭に集り居ける其中に親の服忌或は産穢(さんえ)に触れ|たる者もありしを神官制しかね大神を下し奉り御神楽を奏して 神慮を窺(うかゞ)ひける》  《割書:に我此国に天下(あまくだ)る事は万民をはぐゝみたすけん為也いましむべからずと御託【詑は誤記】宣ありければ|人〳〵随喜(ずいき)渇仰(かつがう)せしよし沙石集に見えたり○十訓抄に妙音院の大臣殿尾張国にお》  《割書:はしましける時夜々熱田宮に参給ひけるが七日 満(みち)ける夜月の隈(くま)なかりけるに琵琶をひきすま|して願 ̄ハ今生世俗 ̄ノ文字 ̄ノ業といふ朗詠(らうえい)をし給たりければ宝殿 夥(おびたゝ)しくゆるぎけり世の末なれども》  《割書:道を極めぬればいとめでたき事也と見え源平盛衰記平家物語等に此事をのせて 大神|示現(じげん)まし〳〵て御託【詑は誤記】宣などありしよしにしるせり○近世信長公 桶狭間(おけはさま)へ出陣の時当社へ》  《割書:参詣ありて祈念せられければ感応(かんおう)まし〳〵白鷺二羽神殿より出て東の方へ飛行しが|神助によりて勝軍となりしよし安土創業録信長記惣見記等にしるせりその余 霊験(れいげん)あ》  《割書:りし事甚多しといへ|どもこれを略す》 御神詠(ごじんえい)《割書:日本武尊御在世の時の御哥日本書紀古事記寛平縁起等にのせたる甚|多かるを末の条下にしるすこゝにのせたるは御託【詑は誤記】宣の御神詠のみなり》  《割書:玉葉集》   桜花ちりなん後のかたみには松にかゝれる藤を頼まむ    《割書:これは熱田大明神の御哥となん昔彼社の大宮司尾張氏代々なり来れりけ|るに尾張 員職(かずのり)か女の名を松と申けるか藤原季兼にしたしく成て季範をうめ》    《割書:りける後明神 かく託【詑は誤記】宣せさせ給ひけるによりて彼季範はしめて大宮司に|なりて其末今にたえすとなん》 【右丁】 師長公 大宮へ 琵琶(びわ)の 秘曲(ひきよく)奉 納の図 【左丁 挿絵 陽刻落款】周渓 【右丁】   信長公出陣の図 桶狭間合戦記及び白華随筆尾陽雑記等に 信長公参宮せられけるに柿色の帷羽織着たる 男一人鎮皇門の側に蹲踞す公彼は何国の者 ぞと問せられけれは某は落合村の者にて候 所願ありて日参いたし候が今日御合戦ある べしと承て罷出候と申す合戦は如何と問 れければ無_レ疑御勝也と答ける顔色尋 常ならず思はれけれは近く召寄素性 を尋らるゝに某は甲斐の武田の家人 原加賀守が末子幼年にて 駿河の大乗寺の弟子となりて ありしが男色の事につのり 今川家の近習七人と争 論し其内五人を討留 駿河を去て知多郡 落合村に隠れ名を 桑原甚内と改候よし を申す信長公さあらば 義元及び其家人 を能知りつらん 汝手引きして勝 利を得させよ と密談あり しかは甚内 【左丁】 領掌し今 度命を公に 奉らん若幸 にして存命せば 恩賜せられよ といひけるにぞ 公着料の鎧及び 来国光の刀 を賜はり公に 先つて大高村へ 至り今川の 家士と昔語りをし 義元の在られし田楽狭間の本陣 のやうを窺ひ知りて風雨の油断を 幸に忍ひ入義元に近づきよりて難なく 組合差殺しければ近習の武士驚き集 り甚内を討留ける信長公の勝利はひとへに 彼か手引によれり後年信長公桶狭間役 の談を申者あれば必甚内が事を言出され 其勇を賞し落涙せられしとぞ 【陽刻落款】春江  《割書:新拾遺集》   荒果るわか宿とはぬ恨をはかくれてこそは人にしられめ     《割書:これは熱田の社あれて侍ける頃託【詑は誤記】宣の御哥となん》 御本社正殿 延喜神名式に熱田神社《割書:名神|大》と記せり祭神五座に  して中殿に 日本武尊西殿二間に 天照大神 素盞嗚(そさのおの)尊東  殿二間に宮簀媛(みやすひめの)命 建稲種(たけいなだの)命を祀(まつ)れり《割書:神名帳頭注に大宮は 日本武|尊東 ̄ハ 素盞嗚尊南 ̄ハ宮簀》  《割書:媛命西 ̄ハ 伊弉諾(いさなぎの)尊北 ̄ハ倉稲魂(うがのみたま)中央 ̄ハ 天照大神也とあるは正殿の祭神をいふにはあらて 本》  《割書:宮及び摂社の地方を|いへるなり混(こん)ずへからず》 土用殿《割書:正殿の東に並びて草|薙の宝剣を安置す》日本書紀の景行紀に 日本武尊 所佩(はかせる)草  薙 横刀(つるぎ) ̄ハ今在_二尾張国 年魚市(あゆち)郡熱田社_一と記し古語拾遺に草  薙 ̄ノ神-剣 ̄ハ者尤-是 天(あまつ)-璽(しるし)自_二 日本武 ̄ノ尊愷旋之年_一留 ̄テ在_二尾張 ̄ノ国  熱田 ̄ノ社 ̄ニ_一外賊 偸逃(ぬすみにげしかども)不_レ能_レ出 ̄ルコト_レ境 ̄ヲ神物霊験以_レ此 ̄ヲ可_レ観 ̄ル然 ̄レハ則奉 ̄ル_レ幣 ̄ヲ之  日可_二同 ̄ク致 ̄ス_一_レ敬 ̄ヲ而 ̄ニ久代(むかしより)闕如(もらして)不 ̄ルハ脩_二其礼 ̄ヲ_一所 ̄ノ_レ遺 ̄レル之一也と見えたり  其外賊偸逃とあるは日本書紀 天智天皇七年の巻に是歳沙  門道行盗_二草薙剣_一逃(にげ)-_二向(ゆく)新羅_一而中路風雨 ̄ニ芒迷(まどひて)帰と見え同  書天武紀に朱鳥元年六月戊寅卜_二 天皇病_一祟_二草薙剣_一即日  送-_二置于尾張国熱田社_一と記せり凡此神剣は日本三種の神器  の一にして神代より 帝王の御 許(もと)にありしが 崇神(しゆじん)天皇の  御宇伊勢神宮に蔵(おさ)め給ひしを 景行天皇の御宇 日本  武尊に伝へ給ひしより今に至るまで此宮に御鎮座ありて永く  皇国の守護(しゆご)とならせ給へり○渡殿 釣殿 祭文殿 廻廊 拝殿  勅使殿《割書:拝殿の南にあり直会(なほらひ)殿と号すむかしは毎年二月祈年祭十一月|新嘗会には 勅使参向ありし事熱田旧記に見えたり》神楽殿  《割書:海蔵門の内にあり平日も巫女|此所に出居て神楽を奏す》神輿 舎(やどり)《割書:鎮皇門の|内にあり》宝蔵《割書:本社の西|にあり》舞台《割書:勅使殿|と拝殿》  《割書:の間に礎(いしずへ)ありて舞楽を|奏する時に台を設く》楽所二宇《割書:舞台の東|西にあり》神厩(じんきう)《割書:海蔵門の|外にあり》御饌(ごせん)殿《割書:同|上》橋(はし)  部屋(べや)《割書:鎮皇門の|内にあり》神庫(じんこ)《割書:春敲門の|内にあり》透垣(すいがき)《割書:勅使殿の|南にあり》政所《割書:鎮皇門の|外にあり》抑当社は  仲哀天皇の 考廟(かうびやう)にまし〳〵て古(ふる)くより殿造(とのづく)りの広大なる境地  も亦幽遠にして千年外の老樹 蒼然(さうぜん)天に覆(おほ)ひ碧縫(へきはう)深く合し  けるが此森に来去する衆鳥は絶(たえ)て糞汁(ふんしう)の汚穢(けがれ)を残さずとかや 【右丁】 【陽刻落款印】春江 《場所:熱田大宮》全図     其一  末社の小祠中世 廃絶(はいぜつ)  せしもの多し今其跡  に石をすえて印とす  所謂(いはゆる)石神と称する是  なりしかるを此図には  廃社といへども悉(こと)く神  名をしるし参詣の  たよりとなせり  則小祠の図なく  して神名のみあら  はせしはいづれも  石神の標名と  しるべし 【左丁】 《割書:東国紀行》  当宮は日本武尊にて  おはしける《割書:云々》東夷も  ほとなくしつめおはし  まして御帰路の御時  甲斐国酒折宮に  て   にゐはりつくはを過て      いく夜かねぬる  火ともすわらは   かゝなへて夜にはこゝのよ      日には十日を  とつけ侍となん是を  連哥のはしめとは  申伝へり《割書:云々》はる〳〵  いりたる海つら宮中  の木末神代おほえ  たる気色霜かれ  をもしらぬみとり  常住不滅の表相  うたかふへきにあらす  云々 【右丁 挿絵】  其二 【左丁 挿絵】 【右丁 挿絵】 【左丁 挿絵】 其三  又大地震にも御門内は更に動(うご)かざりしとぞ又数十ヶ度の御神  事に豪雨(ごうう)といへども執行の中斗り暫時(ざんじ)雨の止(や)みし事は普(あまね)く  人の知る所也かく清潔(せいけつ)にして奇異(きい)あるもみな 神威のしらしむる  所なれば尊(と)ふとさ仰ぐに余りあり又御境内及び御門外に古(ふるく)  より千有 余基(よき)の献灯 並(なら)び立てり中にも海蔵門の内に長 ̄ケ  二丈四尺の石の大燈籠一基《割書:銘に寛永七年庚午五月佐久|間大膳亮平 勝之(かつゆき)寄進とあり》あり是京  都南禅寺に建(た)つる所と一 対(つい)なり又近き文政十三庚寅年 有信(うしん)  の諸人かたらひて千有余基の灯篭を一時に奉献し尚古く傾(けい)  欹(き)せしも一同に修理を加へ善美を尽し大小次序の位地(いち)まで  実に諸人の目を驚(おどろか)して一大壮観とはなりぬ 神位《割書:日本紀略 ̄ニ曰弘仁十三年六月庚辰尾張国熱田神 ̄ニ奉_レ授_二従四位下_一続日本後紀目 ̄ニ曰天|長十年六月壬午 詔奉_レ授_下坐_二尾張国_一従三位熱田大神 ̄ニ正三位_上并納_二封十五戸_一文徳》  《割書:実録 ̄ニ曰嘉祥三年十月辛亥授_二尾張国熱田神 ̄ニ正三位_一《割書:按ずるに天長十年正三位を授給ひし時|いまだ位記を奉らず故に後此位を授給ふ》|《割書:なら|んか》三代実録 ̄ニ曰貞観元年正月廿七日甲申授_二尾張国正三位熱田神 ̄ニ従二位_一同書 ̄ニ曰同年》  《割書:二月十七日癸卯授_二尾張国従二位熱田神 ̄ニ正二位_一同月十九日向_二尾張国熱田大県等神|社_一奉_二神位記財宝_一日本紀略及び正応四年の託【詑は誤記】宣記に正一位熱田大神宮と記せり》  《割書:凡古記にしるせし神階かくのごとし又貞治三年に書写せし熱田座主如法院蔵本の尾張国内神名帳《割書:群|書》|《割書:類従に|出せり》に正一位勲一等熱田皇太神宮と見えたり尊崇の称は永正六年八月の熱田講式に日本大棟梁熱田大》  《割書:神百王 鎮護(ちんご) ̄ノ宗廟と称するよし見え平家物語源平盛衰記等に当社を当国第三の宮なるよししるせしは|真清田(ますみだ)大県(おほあがた)より次第していへるなれど彼二社の次には立がたき論の古来よりありしと見えて永享》  《割書:五年に写せる安居院(あごゐ)快叡(くわいえい)が神道集に或人云熱田大明神 ̄ハ|我朝尾張国 ̄ニテモ第三宮総【惣】閻浮提(えんぶだい) ̄ノ内 ̄ニテモ第三宮 ̄ナリ とかきほどけり》 摂社  一御前祠《割書:御本社の北にあり祭神 大伴武日(おほともたけひの)命は 日本武尊東|征の御供せし副将日本書記の景行紀に見えたり》龍神祠《割書:御|本》  《割書:社の北にあり祭神 吉備武彦(きびたけひこの)命に|して大 伴武日(ともたけひの)命と同じき副将也》左王祠《割書:御本社の東にあり東国三十三ヶ国の|諸神を祭り左神祇社とも称す》  右王祠《割書:御本社の西にあり西国三十三ヶ国の|諸神を祭り右神祇社とも称す》御田(みた)祠《割書:鎮皇門の内にあり祭神 保食(うけもち)|神延喜式に御田神社本国》  《割書:帳に従三位御田天神とある|是なり今宝田社とも称す》楠(くすの)御前祠《割書:右王祠の西にあり祭神 伊弉諾(いざなぎ)伊弉冉(いざなみの)尊|神名帳頭注に西伊弉諾尊とあるは此神を》  《割書:いへるなるべし今も神社なく古楠(こなん)一株あるゆゑに号す大和本紀に熱田神剣 ̄ハ入_二楠筥(くすのはこに)_一|奉_レ納 ̄メ とありて楠は当社に由緒ある樹木也俗に子安神と称して婦女の参詣殊に多し》清水  祠《割書:龍神祠のうしろにあり祭神 罔象女(みつはめの)神 傍(かたはら)に清泉 涌(わき)出る故|社号とす俗に御手洗(みたらし)と称し又弘法の清水ともいふ》内天神祠《割書:海蔵門のう|ちにあり》  《割書:祭神 少彦名(すくなひこなの)命にして|京都五条天神に同し》孫若御子(ひこわかみこの)祠《割書:御田祠の西にあり祭神は続日本後紀に孫若|御子神は熱田大神御児神也とありて》  《割書:日本武尊の第七の皇子 稚武彦(わかたけひこの)王なり瓊々杵(にゝきの)尊 応神天皇をも合せ祭|れり延喜式に孫若御子社《割書:名神|大》本国帳に従三位孫若御子天神と録せり》乙子(をとごの)祠《割書:御|田》  《割書:祠の西にあり祭神 弟彦連(おとひこのむらじ)は天火明(あまのほあかりの)命十四世|の孫本国帳に正二位乙子天神とある社なり》今宮《割書:孫若御子祠の西にあり祭神藤原 季(すゑ)|範(のり)朝臣は右大将頼朝公の外祖父にし》  《割書:て藤原公定が十四巻系図に藤原季兼康和三年十月七日尾張国目代之間卒年五十|八其子季範熱田大宮司従四位下依_二霊夢之告_一外祖父 閣(さしおき)_二 一流 ̄ノ子孫_一《振り仮名:譲-_二与|ゆづりあたふ》社官_一久寿二》  《割書:年十二月二日卒年六十六と記せる是也大宮司系図|及び玉葉集にのする所も大むねこれに同じ》土神祠《割書:一御前祠の東にあり|伊勢大神宮 儀式帳(ぎしきてう)に》  《割書:度会(わたらひ)郡山田の土宮祭神 大年(おほとしの)神 土御祖(つちのみおやの)神 宇賀(うがの)|御魂(みたまの)神とあるに拠(よ)るべきをこゝのは埴山媛命を祭る》愛宕祠《割書:右王祠の|北にあり》王若宮《割書:神|庫》  《割書:の北にあり祭|神 仁徳天皇》浅間祠《割書:王若宮の|北にあり》山祇(やまのかみの)祠《割書:土神祠の|東にあり》宇賀(うがの)祠《割書:浅間祠の|北にあり》金神  祠《割書:龍神社の西にあり山田郡金神社を勧請せし社|なるべし今 金山彦(かなやまひこの)命を祭るといふ》立田祠《割書:御本社の|東にあり》二名新宮  《割書:立田祠の|南にあり》賀茂祠《割書:立田祠の北にあり安居院の神道集の熱田大明神の条に大宮御|宝殿の傍(かたはら)に賀茂大明神の社ありて或女 無実(むじつ)の難(なん)にあひて身》  《割書:の徒(いたづら)に成べき事を歎(なげ)き其社に祈念しければ夢(ゆめ)幻(まぼろし)ともなく加茂の御神の 我頼む人いた|つらになしはては又雲わけてのほるはかりそ と御 示現(じげん)ありしが其後事ゆゑなく終に大宮》  《割書:司の妻となりて栄(さかえ)けるよししるせり此哥は新古今及び袋草子等其外の歌書どもに只|かもの御哥とのみしるしたれば山城の賀茂の御哥とみな人おもへど此神道集にたしかに其》  《割書:女が大宮司の妻になりたるよしまでを誌(しる)したれば当社の|摂社なる賀茂の御示現なりしなと疑(うたが)ふべからず》月宮《割書:金神祠の|西にあり》赭(にぬりの)祠《割書:王若宮|の北に》  《割書:あ|り》稲荷祠《割書:宝蔵の北|にあり》三輪祠 籠守(こもりの)祠 風祠 国霊(くにたまの)祠 八王子祠 須原(すはらの)祠  雨祠 角宮 神明祠 油部屋(あふらべやの)祠 児祠《割書:以上十一社今廃す其余の二十四社を|合て三十五社は総(すべ)て御門内の摂社》  《割書:にして是より末は皆御|門外の末社なり》外天神祠《割書:鎮皇門の外にあり|祭神内天神に同じ》姉子(あねごの)祠《割書:海蔵門の外東西に|二祠あり祭神宮簀》  《割書:媛命貞治三年及び元亀二年の本国帳に従三位氷上姉子名神|とあるは此社にて彼大高村火上姉子神社と混(こん)ずべからず》今彦祠《割書:同所東|西に二》  《割書:祠あり建稲種命を祭る本国帳に|正三位今孫名神とある是なり》水向祠《割書:同所東西に二祠あり 日本武尊の妾 穂(ほ)|積(つみ)忍山(おしやま)宿祢の女 弟橘媛(をとたちはなひめの)命を祭る 本》  《割書:国帳に正三位水向|名神とある是なり》日長神祠《割書:同所東西に二祠あり 天照大神御魂神を祭る|天照御魂は度会(わたらひ)延隹(のぶよし)が説によれば則天火明命にし》  《割書:て尾張氏|の祖神也》素戔烏祠《割書:同所東西に二祠あり本国帳に 従|一位素戔烏名神とある是なり》青衾(あをぶすまの)祠《割書:同所東西|に二祠あ》  《割書:り西を白衾とかけり本国帳に正二位青衾名神としるせり姉子祠|已下を海蔵門外東西十二社と称す白衾社は田中町にあり》山王祠《割書:海蔵|門外》  《割書:神廏【厩は俗字】の南|にあり》 四 疆(きやう)の神門 海蔵(かいざう)門《割書:南の正面門をいふもと海上門といひしを 桓武天皇の勅|によりて改む額(がく)は空海の筆とうひ伝へたれど今門上》  《割書:にはかゝげず中央に懸れる鉄【銕は古字】燈篭は|三条小鍛冶宗近が作といひ伝へたり》春敲(しゆんかう)門《割書:東門をいふ額は小野道風の筆也|長恨歌(ちやうこんか)の伝等に唐の方士が蓬》  《割書:莱宮にして楊貴妃(ようきひ)の霊魂(れいこん)に尋ねあひしよしいへるはこゝの事にて則此門を叩(たゝい)て入し|よしいひ伝へ楊貴妃の謡曲(ようきよく)及び文安の田楽能記に熱田のしゆんかう門の能とあるはみな》  《割書:方士が貴妃に尋ねあひし時|の事をつくりたる物なり》鎮皇(ちんくわう)門《割書:西門をいふ厚覧(あつみ)草に此門の東の方より|王城を遥拝し宝祚(ほうそ)の長久を祈(いの)り奉る故》  《割書:に鎮皇門と名づけしよし誌(しる)し又額は 桓武天皇の宸筆みな焼失せしよし見え|たり続撰清正記に清正肥後在国の頃銀子二十貫目を馬場左京に渡し西の門の破壊(はえ)》  《割書:を改造ありしよし記せるは則此門にて|今に肥後殿建立の門なりといへり》清雪(せいせつ)門《割書:北門をいふもと大宮の北にありしが中世廃|して今八剣宮の北にあるを清雪門とよべり》 八疆の鳥居 下馬鳥居《割書:海蔵門の|南にあり》中鳥居《割書:海蔵門外の西|神幸道にあり》東鳥居《割書:春|敲》  《割書:門の東|にあり》西鳥居《割書:鎮皇門の西|白鳥にあり》浜鳥居《割書:南の海辺|にあり》築出鳥居《割書:南の方つき出し|町にあり》  二鳥井《割書:北の方 幡綾(はたや)|町にあり》一鳥居《割書:二鳥井の北尾頭町にあり高サ三丈五尺柱囲一丈|檜造(ひづく)り丹塗(にぬり)なり無住(むぢう)国師の雑談集に相知り》 【右丁】 一の鳥居  寒中大宮  夜参りの図 【落款】高雅 【陽刻印】高               雅  《割書:たる者の妻物狂なりければ山寺僧の陀羅尼を誦して加持するに物を吐出したりけるが|うはなりが咒咀(じゆそ)したる人形又熱田の宮の鳥居に打たりける釘(くぎ)はき出して様々の事云》  《割書:ける《割書:云々》と見えしは何れのとりゐ|の事にや今定かならず》 不実(ならずの)梅《割書:内天神の側のあり古樹は枯槁(こかう)して今のは蘖(ひこばへ)なり俗に此木の梅実を見当れ|ば神感の瑞福ありとてあさり求むるもの多し又此辺を蓬(よもぎ)が島といひて此》  《割書:梅の堰垣(ゐがき)の辺にて蓬草を見当れば祥瑞なるよし厚覧(あつみ)草に記せり今も参詣の|諸人たま〳〵一 ̄ト茎(くき)の蓬草【艸】を得る時は祈願の感応 著(いち)じるく開運ありとて心を留めて》  《割書:索(もとむ)る習ひとはなりぬ猶蓬莱が島の来由は下にしるす》     《割書:熱 田 宮 祈_二- 請 男 挙 周 明 春 侍 中 ̄ノ 所 望_一 状|                             大 江 匡 衡》  《割書:朝野群載| 右 匡 衡 賜_二 鶴 版 於 顔 巷_一 促_二 熊 軾 於 尾 州_一 昔 泥_二 雪 窓 之》   《割書:幽 明_一 今 仰_二 熱 田 之 冥 助_一 去 年 神 拝 之 次 依_二 代 々 之 例_一|已 奉_二 臨 時 祭_一 近 日 京 上 以 前 致_二 懇 々 之 誠_一 又 奉_二 臨 時》   《割書:祭_一 是 則 中 心 有_レ 所_レ 願 秀 才 蔵 人 之 濫 觴 起_レ 自_二 江 家_一 始|_レ自_二 延 喜_一 々 々 則 曾 祖 父 伊 予 権 守 千 古 朝 臣 為_二 侍 読_一》   《割書:之 間 男 秀 才 維 時 為_二 蔵 人_一 天 暦 即 祖 父 中 納 言 維 時|為_二 侍 読_一 之 間 男 秀 才 斉 光 為_二 蔵 人_一   円 融 御 時 叔 父》   《割書:左 大 弁 斉 光 為_二 侍 読_一 之 間 男 秀 才 定 基 為_二 蔵 人_一 今 当|時 匡 衡 為_二 侍 読_一 之 間 男 挙 周 為_二 秀 才_一 四 代 相 伝 家 風》   《割書:不_レ 衰 天 之 福_二 江 家_一 不_レ 悦 乎 又 維 時 卿 辞_二 式 部 太 輔_一 以_二|男 秀 才 斉 光_一 任_二 式 部 丞_一 斉 光 預_二 栄 爵_一 之 日 維 時 還_二 任》   《割書:式 部 権 大 輔_一 爰 挙 周 明 春 可_レ 任_二 式 部 丞_一 之 運 依_レ 有_二 父|子 同 官 ̄ノ 忌_一 明 春 可_レ 辞_二 所 ̄ノ_レ 帯 式 部 権 大 輔_一 為_レ 維_二 祖 父 之》   《割書:風 跡_一 欲_レ 挙_二 愛 子 於 天 官_一 幸 蒙_二   神 恩_一 事 適 成 就 者 明|年 之 内 令_三 挙 周 奉_二 臨 時 祭_一 《割書:中略》 匡 衡 始 祖 左 衛 門 督 音》   《割書:人 卿 在 昔 淪_二- 落 当 州_一 勤_二- 奉 神 宮_一 今 匡 衡 不 慮 為_二 刺 吏_一|亦 挙 周 相 従 到_レ 此 可_レ 謂 江 家 之 儒 者 有_レ 縁_二 於 尾 張 国_一》   《割書:有 ̄ト_レ契_二於熱田宮_一 《割書:中略》 匡衡自讃_二祭文_一俯_レ 地恐々拝白|  長 保 四 年 十 二 月 九 日》      《割書:於_二 尾 張 国 熱 田 神 社_一 供_二- 養 大 般 若_一 願 文》  《割書:本朝文粋| 国 宰 正 四 位 下 行 式 部 権 太 輔 兼 東 宮 学 士 大 介 大》   《割書:江 朝 臣 匡 衡 稽 首 礼 足 ̄シ 白 ̄シテ_二 仏 法 僧_一 言 ̄ク 当 国 守 代 々 為_二|鎮 守 熱 田 宮_一 奉_レ 書_二 大 般 若 経 一 部 六 百 巻_一 已 為_二 恒 例》   《割書:之 事_一 其 中 若 有 ̄レハ_二 神 明 不_レ 享 之吏_一 不_レ 能_レ 供_二- 養 此 経_一 亦 不|_レ能_レ 遂_二 任 秩_一 当 国 之 事 莫_レ 先_二 於 大 般 若 会_一 匡 衡 幸 出_二 顔》   《割書:巷 之 雪 窓_一 謬 蒞_二 尾 州 之 風 俗_一 若 不_レ 奉_レ 侍_二- 読 於 我 后_一 何|必 質 朴 之 愚 者 得_レ 為_二 州 刺 吏_一 若 不_レ 殖_二 善 根 於 此 地_一 何》   《割書:必 閑 素 之 儒 者 得_レ 書_二 大 般 若_一 今 年 遭_二 洪 水_一 遭_二 大 旱_一 国|雖_レ 衰 於_二 治 術_一 少_二 貪 欲_一 身 雖_レ 貪 事 不_レ 獲_レ 已 率_二- 由 旧 儀_一 荘_二》   《割書:厳 熱 田 之 霊 社_一 流_二- 布 般 若 之 教 文_一 請 僧 六 十 口 伎 楽|両 三 声 財 幣 玉 帛 戔 々《送り仮名:トシテ》 羅 列 法 器 道 具 各 々 弁 張 ̄ス 《割書:中略》》   《割書:従_二 日 本 長 保 三 年 八 月_一 至_二 寛 弘 元 年 十 月_一 首 尾 四 年|書_レ 之 所 生 ̄ノ 功 徳 以 荘_二- 厳 三 宝 大 海 三 所 権 扉_一 以 廻_二- 向 ̄ス》   《割書:天 衆 地 祇 三 界 四 恩_一 《割書:中略》 我 願 已 満 ̄シ 任 限 亦 満 ̄ス 欲_レ 帰_二 故|郷_一 之 期 今 不_レ 幾 神 明 願 賜 ̄ヘ_二 霊 貺 ̄ヲ_一 匡 衡 敬 白》     《割書:寛 弘 元 年 十 月 十 四 日|  敬 白 祈 願 ̄ノ 事》  《割書:信長記》   《割書:夫 以 ̄レハ 当 社 大 明 神 者 累 代 聖 主 ̄ノ 曩 祖 朝 廷 鎮 護 ̄ノ 霊 神|也 為_レ 守_二 家 国 之 永 久_一 殊 為_レ 定_二 夷 狄 之 凶 逆_一 垂《送り仮名:玉ヘリ》_二 迹 ̄ヲ 於 東》   《割書:海 之 辺 域_一 《割書:中略》 信 長 苟 為_二 平 相 国 綿 々《送り仮名:ノ》 瓜 瓞_一【艸冠は蛇足】 受_二 生 於 弓|馬 之 家_一 僅 ̄カニ 継_二 箕 裘 之 業_一 以 来 遠 悔_二 先 祖 之 無 道_一 近 憂_二》   《割書:叔 世 之 極 乱_一 再 欲_下 興_二 帝 都 衰 微_一 治_二 国 家 之 擾 乱_一 致_二 君 ̄ヲ|於 尭 舜_一 救_中 民 ̄ヲ 於 塗 炭_上 之 外 素 懐 非_レ 他 矣 《割書:中略》 于_レ 茲 源 義》   《割書:元 起_二 駿 豆 之 間_一 振_二 威 ̄ヲ 遠 三 両 国_一 犯_二 近 里 遠 境_一 破_二 却 神|社_一 焼_二- 散 民 屋_一 任_二 我 意_一 而 不_レ 敬_二    叡 慮_一 不_レ 用_二 武 命_一 妖 孽》   《割書:月 盛 也 日 茂 也 葛 藟 相 連 無_二 奈_レ 之 何_一 者 也 両 棄 不_レ 去|却 用_二 斧 柯_一 今 既 如_レ 此 而 猶 至_二 於 強 大_一 乎 彼 多 勢 及_二  四》   《割書:万 有 余_一 此 無 勢 僅 三 千 不_レ 足 矣 以_レ 寡 対_レ 衆 恰 似_三 蟷 螂|当_二 車 徹_一 同_三蚊 子 咬_二 鉄 牛_一 敢 非_レ 頼_二 当 社 神 力_一 争 得_レ 勝_レ 之》   《割書:乎 伝 聞   尊 日 本 武 之 古 亡_二 東 夷 於 蒲 原_一 也 嘉 兆 如|_レ合_二 符 契_一 速 誅_二- 戮 凶 徒 ̄ヲ 於 目 撃 之 間_一 必 矣 仰- 冀 ̄ノ 水 火 之》   《割書:両 石 随_レ 宜 施_二 霊 験_一 八 剣 之 鋭 刃 斬_二 衆 賦 之 首_一 立 満_二 所|願_一 伏 捧_二 一 矢 鏑_一 以 準_二 西 林 之 禴 祭 蘋 蘩 之 奠_一 者 也 今》   《割書:此 挙_二 義 兵_一 全 非_二 私 用 私 欲_一 而 為_下 起_二 王 道 之 衰_一 救_中 民 間|之 危_上 也 玄 鑑 莫_レ 誤 仍 願 書 如_レ 件》     《割書:永 禄 三 年 五 月 十 九 日            平 信 長 謹 白|  熱 田 宮 《割書:掲牓題_二海蔵門三字_一蓋遍|照金剛大師之真跡也》           藤 原 惺 窩》  《割書:惺窩文集| 五 色 雲 随_二 望 眼_一 過 蓬 莱 闕 下 鎖_二 仙 娥_一 踏_二- 破 唐 朝_一 早 帰》   《割書:去 海 蔵 門 前 双 襪 ̄ノ 波》  《割書:      熱 田                           林 羅 山|丙辰紀行》   《割書:東 征 功 就 凱 旋 時 宿 所 曽 徴 宮 簀 姫 誰 道 馬 嵬 坡 下|鬼 一 朝 来_レ 此 立_二 霊 祠_一》  《割書:      熱 田 宮                         林 春 斉|癸未紀行》   《割書:逆 旅 経 過 拝_二 熱 田_一 森 々 松 樹 瑞 籬 ̄ノ 前 閟 宮 ̄ノ 霊 跡 尾 張|国 大 社 ̄ノ 帳 名 延 喜 ̄ノ 年 桑 域 将 軍 建_二 勲 業_一 李 唐 天 子 覓_二》   《割書:神 仙_一 威 厳 永 作_二 邦 家 鎮_一 八 剣 霜 寒 東 海 ̄ノ 天|     同                            山 崎 闇 斉》  《割書:再游紀行| 我 国 治 平自_二   進 雄_一   武 尊 再 起 致_二 成 功_一 八 岐  蛇 断|四 夷 謐 万 世 秋 清 神 剣 ̄ノ 風》  《割書:      熱 田                         平 岩 仙 桂|江東吟稿》   《割書:蓬 莱 旧 社 幾 春 秋 草 薙 霊 光 射_二 斗 牛_一 若 索_二 長 生 方 士|薬_一 須_下 抛_二 世 務_一 日 ̄ニ 来 遊_上》  《割書:      送_三 宮 子 雲 還_二 張 海_一            服 部 南 郭|文集》   《割書:君 看 千 載 古 神 宮 巍 然 独 存 張 海 ̄ノ 東 中 蔵_二   帝 子 斬|蛇 ̄ノ 剣_一 威 霊 赫 々 至_レ 今 雄》  《割書:      熱田浦                         木 下 蘭 皐|玉壺詩稿》   《割書:空 閑 常 独 往 何 処 是 滄 洲 落 日 漁 蝦 市 新 霜 橘 柚 秋|晩 風 吹_二 短 褐_一 瞑 霧 隠_二 行 舟_一 沽_二 得 新 醪_一 去 一 登_二 海 畔 楼_一》  《割書:      謁_二 蓬 莱 宮_一                   松 平 君 山|弊帚集》   《割書:貝 闕 跨_二 三 島_一 朱 楼 俯_二 十 洲_一 偶 因_レ 問_二 神 迹_一 聊 復 想_二 仙 游_一|雲 冷 青 萍 ̄ノ 気 露 深 琪 樹 ̄ノ 秋 題_レ 詩 苦_二 多 景_一 倚_レ 枝 思 悠 々》  《割書:      入_二 張 陽_一 題_二 蓬 莱 宮_一           石 島 仲 緑|芰荷園文集》   《割書:近 指 蓬 莱 張 海 西 瑶 宮 貝 闕 瑞 煙 低 太 真 廟 畔 紅 泉|灑 徐 福 祠 前 緑 草 斉 珠 樹 花 香 来_二 翡 翠_一 琅 函 ̄ノ 剣 気 貫_二|虹 霓_一 斯 身 還 怪 無_二 僊 骨_一 五 色 雲 中 路 不_レ 迷》  《割書:      熱 田 宮                       長 窪 赤 水|長崎紀行》   《割書:当 時 夷 狄 入_二 中 原_一 征 伐 功 高   倭 武 尊 清 廟 巍 然 東|海 道 長 無_三 胡 馬 渡_二 関 門_一》   《割書:     熱 田                        江 星 渚|五 雲 揺 曳 熱 田 隈 徐 福 当 年 泛_レ 海 来 況 復 宮 中 多_二 薬|草_一 応_レ 知 此 地 是 蓬 莱》   《割書:     題_二 蓬 莱 宮_一                  林 竹 厓|南 溟 繚 繞 古 蓬 瀛 雲 擁_二 祠 壇_一 五 色 明 威 徳 千 年 儼 如》   《割書:在 高 門 長 鎮   帝 王 城》      《割書:熱田の宮といふ所にまうでゝ《割書:中略》神さびおもしろき所のさまなり遊ひして奉る|に風にたぐひて物の音もいとゞおかし》  《割書:家集》   笛の音に神の心やたよるらん森の木風も吹まさるなり   赤染衛門  《割書:      あつまの道にてよみける哥の中に熱田にて|明日香井和哥集》   駒とめて涼みてゆかんちはやふる夕日あつたの杜の下風  参議雅経  《割書:      屏風に六月神の杜の木蔭に人たてり|文布》   夏の日のあつたの杜といふなれと木かくれて行風はありけり 倭 文子     《割書:東関紀行》      《割書:尾張国あつたの宮にいたりぬ《割書:云々》 一条院の御時大江匡衡といふ博士ありけり|長保の末にあたりて当国の守にて下りけるに大般若をかきて此宮にて供養》      《割書:をとげける願文に我願ひ既にみちぬ住限又満たり故郷へ帰らんとする期今い|くはくならずと書たるこそ哀に心ほそく聞ゆれ》   思ひ出もなくてや人の帰らまし法のかたみを残しおかすは     《割書:いさよひ日記》      《割書:廿日をはりの国をりどゝいふむまやをゆくよぎぬみちなればあつたのみやへまいりて|硯とりいてゝかきつけてたてまつる哥《割書:五首あり其|一首をのす》》   祈るそよ我おもふこと鳴海かたさしひく汐も神のまに〳〵  阿仏  《割書:夫木集》   やまとにもまかりの玉【勾玉】と草【艸】薙の剣【劔】は国のたからなりけり 《割書:中原| 師光朝臣》     《割書:覧富士記| 永享四のとし長月《割書:云々》熱田の宮の神前にまうでゝ御道すがらの御祈りなど申侍き》   猶守れ恵あつたの宮柱立ことやすき旅の往来を    尭孝法印  《割書:      熱田法楽|家集》   新はりのつくはを分し跡とめて治る国は神にまかせん  《割書:西三条| 実枝公》  《割書:神道百首抄》   久かたのあめにのほりし村雲の剣【劔】は今も代々につたへき 卜部兼邦      《割書:慶長九甲辰年三月十五日陪熱田社宝前同詠社頭松和歌》   咲花は横雲ならし松たてる影もほの〳〵朱の玉垣   《割書:左近衛権中将| 藤原為満》   頼むにはかひもあらなん陰高き松にしらるゝ神の御社 《割書:右近衛権少将| 藤原言緒》   あとたれし其神松の風よりや豊芦原はなひきそめけん 《割書:蔵人式部大丞| 清原秀賢》   打かすむ海つら遠き松原のかけもふりせぬ宮居たのしも 《割書:美濃守| 源康綱》   いく年も変らさりけり御社の松は木高く生昇るなり  《割書:右京亮尾張| 宿祢是仲》      《割書:  已下これを略す|あつたに着夏をおもひ出して》  《割書:東関記》   夏とてもいかてあつたの宮人は涼みとるらん月の入うみ  沢庵和尚   我君か御世いく千世と守らんめくみ熱田の神の宮居は  《割書:西園寺前| 内大臣》   我もまた藤の末葉の同し名に熱田の神の恵みもらすな  《割書:権大納言|実種卿》  《割書:      熱田のやしろにもうて里神楽を奏し侍りて|阿薫和歌集》   千早振神のめくみをいのるかなをとめのたもとかへす〳〵も  花子  《割書:      熱田の社に詣てゝ|継塵集》   天下この八剣【剱】の神風になひき初てや末やすらけき  吉川惟足      《割書:熱田法楽社頭祝言》   万代と仰く熱田の宮柱太敷まつるしたつ岩根に      冷泉為村卿   帰るさのしはしの旅路まもりませ恵み熱田の神の御社    冷泉為則卿       《割書:熱田の宮に初めて参り侍りて》   たくひなく猶あふく也日の本の光りをそふるみつるきの宮  広橋胤定  《割書:玉鉾百首》   ひむかしの国ことむけてみつるきは熱田の宮にしつまりいます 本居宣長       《割書:夏日侍熱田宝前詠寄神祝言和歌》   旅衣きつゝ仰くも跡たれてめくみ熱田の神のみやしろ    《割書:参議左京太夫| 行宣卿》   仰くより恵熱田の神ならは旅のかへさの道守らなん     《割書:外山宰相| 光実卿》       《割書:社頭花》   神のます熱田の宮のさくら花をらはかしこみあかすこそ見れ  稲掛大平       《割書:寄神祇祝》   をはり田のをはりあらめや君か代はめくみ熱田の神の守りに  鈴木朗       《割書:甲子紀行  熱田に詣つ| 社頭大に破れ築地はたふれて草むらにかくるかしこに縄をはりて小社の| 跡をしるしに石をすへて其神となのるよもきしのふ心のまゝに生たるそ中〳〵| にめてたきよりも心とまりける》      しのふさへかれて餅かふやとり哉           芭蕉       《割書:随縁紀行 熱田奉幣| 芭蕉翁甲子の紀行には《割書:中略》目出度よりも心とまりてとかゝれたり興| 廃時あり甲戌の今は造営あらたに又めてたし》      かふ〳〵と祢宜の鼾や松の月             晋子      鳥の音や熱田にいさむ今朝の月            亀翁      宮守か前帯おかし後夜の月              岩翁    《割書:    熱田社御造営有し年|阿波手集》      調て首尾陽たつや宮の春             毎延    《割書:    熱田に詣てゝ|熱田三歌仙》      さはへなす虻やうたれん神の注蓮         専吟 蓬莱(ほうらい)《割書:内天神社の地を蓬(よもぎ)が島(しま)といふ宗祇の秘中抄に蓬か島とは近江の竹生(ちくぶ)島尾|張のあつた筑紫(つくし)のしかの島をさしていふさりながら誠は龍宮(りうぐう)也としるせり》  《割書:本朝神社考に本朝 ̄ニ指為_二蓬莱_一者三富士熊野熱田是也とあり又東海瓊|華集に秦の徐福(ぢよふく)が海に入て三神山に不死の薬を求め海島を得て終に還》  《割書:らざりしは此あつたなる|よしにしるせり》      《割書:貞応海道記| 熱田宮の御前を過れば示現利生の垂跡にひざまづきて一心再拝の謹啓に頭を| かたふく《割書:云々》蓬莱の島は見ずとも不死の薬はとらずとも波の上の遊興は一生の| 歓会也是延年の術にあらずや》    老せしと心を常にやる人そ名をきく島の薬をもうれ      《割書:富士紀行| 熱田の宮を過侍る程に彼社頭の鳥居の前にて》    神かきも光りそふらしうこきなき蓬莱か島に君を待えて 《割書:贈大納言| 雅世卿》      《割書: 宝永三年関東下向の時》    とふからに神代経ぬへくおもふかなこゝそよもきか島とあふきて 《割書:前関白|基煕公》    見る人のいて薬ともなりやせんよもきかしまの春の花園  岩山道堅   《割書:      蓬莱の島を見て|覧富士記》    君か為老せぬ薬ありといへはけふやよもきか島めくりせん 尭孝法印 雲見(くもみ)山《割書:大宮のうしろの森の内|小高き処をいふ》   楊貴妃の古事  日東曲   《割書:明人》    宋景濂 玉環妖血汚_二 寰中_一豈有_三霊 祠祀_二鬼雄_一 莫_二是仙山 真縹緲_一雪 膚花貌主_二 珠宮_一《割書:国有_二楊|貴妃祠_一》 【落款】墨山    神さひていや影高き松杉よ雲見る山はいくよ経ぬらん  《割書:刑部少輔|平 雅連》 楊貴妃(ようきひ)石塔の址(あと)《割書:もと清水社の辺にありしが貞享三年御宮御修理の時廃絶して今|は其旧地のみ残れり唐の玄宗帝 日本を侵(おか)さんの心ざしあり》  《割書:ければ熱田の御神かりに楊貴妃と生れ彼につかへて其心を放蕩(はうとう)なさしめ其事をふせぎ|給ひしが貴妃 馬塊(ばくわい)にて失はれしかば忽ち本国此宮へ帰り給ひしよしいへるは五百年来の古書》  《割書:どもにしるして甚ふるき俗説也古板の長恨歌抄に彼方士が蓬莱にして貴妃に尋ねあひ|しは則此熱田なるよししるし大永三年の樋河上天淵記に李唐 ̄ノ玄宗募_二権威_一欲_レ取_二日本_一于》  《割書:_レ時日本大小神祇評議 ̄シ給 ̄ヒ以_二熱田神_一請 ̄ヒ給 ̄テ生_二-代揚家_一而為_二揚妃_一乱_二玄宗之心_一醒 ̄シ_二日本奪取之志_一|給誠 ̄ハ貴妃如_レ失_二馬塊坡_一乗_レ舟着_二尾州智多郡宇津美浦_一帰_二熱田宮_一給《割書:云々》と見え暁風集に尾張》  《割書:之熱田大明神 ̄ハ則楊貴妃也略在_二仙伝拾遺_一など又本朝神社考にくはしくいへるみな天淵記の|説に同じ又楊貴妃が珠簾(たますだれ)当所にありしを 亀山帝の勅によりて鎌倉の称名寺に納めしよし》  《割書:回国雑記及び新編鎌倉志に見えたり》  《割書:     九 日 謁_二 熱 田 揚 妃 ̄ノ 廟_一           万 里 和 尚|翰林五鳳集》   《割書:謹 白_二 真 妃_一 若 有_レ 霊 開_二 遺 廟 戸_一 試 応_レ 聴 生 々 合 ̄ニ_レ 託 鴛 鴦|菊 天 宝 海 棠 何 故 零》    《割書:此詩の題言梅華無尽蔵には重陽謁_二熱田揚|妃廟_一宮背 ̄ニ有_二石浮図_一名_二揚妃廟_一としるせり》 熱田例祭《割書:当社の神祭往昔は年内七十余度に及びしが中世廃絶せしもあれど猶年内に大小の|神事殊に多し今其大旨を左にあらはし摂社別宮の神事も爰に記して諸人の便とす》  《割書:正月元日》  ○大宮八剣宮内院外院供御調進《割書:除夜丑刻御鏡餅御 歯固(はがため)調進今朝寅の|刻大宮司奉幣辰の刻進膳音楽を奏す》                 《割書:同日》    《割書:また座主の承仕大宮の|廻廊を廻る式あり》      ○五社の行ひ《割書:今日源大夫の社より始り二日八剣宮三日松姤|社四日日割社五日南新宮にて行ふいづれも》    《割書:其社付の神人これをつとむ男女の雛形(ひながた)を作り鍬鎌等の農具を持て酒飯を備(そな)へ|祝詞(のりと)をよむ此式終りて備へ物を庭上へ投(なげ)子供らに与ふ是を千罪(せんざい)六罪の祓(はらひ)といふ》 【右丁】 【陽刻落款印】春江  踏歌(たうか)の神事 正月十一日午の刻神 人各 政所(まんどころ)に揃(そろ)ひて 舞人十人冠に桜(さくらの) 作り花を挿頭(かざ)し倍従(べいじう) 十人山吹の作り花を かざす是は笛(ふえ)をふき 笏(しやく)拍子(びやうし)を採(と)る 役也はじめちんこうも鎮 皇門の前にて 催馬楽(さいばら)をうたひ 畢て海蔵門 よりねり入大宮 にて卯仗舞(うづえのまひ) あり此舞済 て倍従一人 高(かう) 巾子(こじ)の冠を 【左丁】 着し鼗(ふりつづみ)を持 出づ其時 祝詞(はふ) 師(り)踏歌の頌(しやう) をよむ《割書:是を世に|べろ〳〵祭》 《割書:とい|ふ》此式畢て宮 福大夫 翁(おきな)の舞 あり又大福田へは 大宮司出仕音 楽もあり     荻野重道 舞人のたち  つらなれる   小忌(をみ)の袖 ふるき手ふりは  此宮にこそ  《割書:同二月三日           同五日》  ○大宮八剣宮外院供御 ○大福田社 踏歌調(たうかしらべ)《割書:拝殿へ倍従(べいしう)十人出て十一日|の踏歌の調をなす》  《割書:同七日              同日》  ○大宮八剣宮供御 《割書:七種|御粥》 ○午王(ごわう)水様(すいのためし) 《割書:夕方大福田の社にて馬場氏是をなす|前年正月十二日 甕(かめ)に水を入かたく封じて》    《割書:大宮正殿の下にこめ置此日当社の拝殿へ持出して封を切 分木(ぶんぎ)をあてゝ|其 減水(げんすい)の多少により今年の豊凶をはかる俗に世試(よだめし)の神事といふ》  《割書:同十一日》  ○踏歌神事 《割書:大宮より始り八剣宮大福田社にて終る当月三日の朝舞人 誰(たれ)々とさし|定め簿にしるして大宮司家に納む委しくは図上に就て見るべし》  《割書:同十二日》  ○名残(なごり)の翁 《割書:辰の刻大福田の拝殿にて宮福大夫翁を舞ふむかし|神祭の後宴(こうえん)として神事能ありし遺風なりといふ》  《割書:同日》  ○政所 封水(はうすい) 《割書:社輩政所に出て蓬莱のかたちを作りし島台(しまだい)を飾(かざり)酒もりの式あり畢(をはつ)て|世試(よだめし)し【語尾の重複】の水をあらたに汲(く)み甕(かめ)に入封し大宮正殿の下に篭(こめ)置也》  《割書:同十四日                        同十五日》  ○御 的射(まとゐ)の試(ためし) 《割書:海蔵門外にて行ふ神官中臈祝部|ともに素襖(すはう)を着しこれを勤む》 ○大宮八剣宮 小豆(あづき)御 粥(かゆ)調進  《割書:同日》  ○御的射神事 《割書:海蔵門外に六尺余の大的を出し射人は神官二人中臈二人祝部二人|すべて六人なり此日大宮司を始め已下の社人出仕しまづ魔津星(まつほし)の祝》    《割書:義及び開闔(かいかふ)大夫荒木の弓に紙にて矧(はぎ)たる白羽の矢をつがひて天に一筋地に一筋的に|一筋《割書:天地人|を表す》射 発(はな)つの式あり其後御的射を始む厳重にして故実多し委くは図上に挙ぐ》  《割書:同十九日》  ○鈴宮的射 《割書:東脇中道|にて勤む》 ○大福田社的射 《割書:中瀬町にて|執行す》  《割書:同廿二日》  ○御的射 人別定(にんべつさだめ) 《割書:午の刻社家勅使殿に出て来年御的射の射人を神鬮(みくじ)によりて|定むる事也次に酒を汲(くみ)て鯉(こい)の庖丁(はうちやう)あり尤故実多し》  《割書:同廿八日》  ○大々神楽 《割書:拝殿と勅使殿の間に舞台をまうけ是を執行す中臈十人祝部二人双方|にならび神官一人祝詞をよむ神楽は神子座(みこざ)の輩是をつとむ神子は八人也扨》    《割書:此日の飾りは祭文殿に榊(さかき)を立御鏡をかけ前には小鳥居をたつ庭上に御 鉾(ほこ)を|かざり拝殿には二重の高棚(たかだな)五神の幣帛(へいはく)を置其外さま〳〵の捧(さゝ)げ物あり》  《割書:二月初巳ノ日》  ○祈年祭(きねんさい)大宮大供御 《割書:祭日以前の寅の日四方の鳥居に榊をさし卯の日神供米を政|所より御供所へ釣運(つりはこ)ぶ也此祭に阿波手(あはでの)森より藪(やぶ)の香物(かうのもの)》    《割書:を献ず巳の日の夜子の刻神供七十御膳を備(そな)ふ又神前の左右に仮(かり)の小祠を|たつ東西六十六ケ国大小の神々を祭るなり爰(こゝ)にも供御調進祝詞あり》  《割書:同初午ノ日         同日》  ○八剣宮大供御調進 ○勅使 饗応(きやうおうの)規式(ぎしき) 《割書:高蔵宮 日割社 大福田社 氷上社 源大夫|社 其外末社供御調進往古は此日》    《割書:勅使ありし其遺風にして前夜献上せし神供を下る時 勅使殿へ|田島氏出仕あり楽人三 管(くわん)の音楽(おんかく)を奏(さう)し廻廊(くわいらう)の外をめぐる》  《割書:同初未ノ日》  ○御田(みた)社 田植(たうゑ)祭 《割書:はじめ政所にして祝詞(のつと)をよみ午の刻此社へ神供を備ふ社前にて三 管(くわん)の音|楽を奏し神官二人 大和舞(やまとまひ)をなす又 祝部(はふり)数多(あまた)太鼓(たいおこ)にてはやし田植(たうゑ)》    《割書:唄(うた)をうたひ田うゑの真似(まね)をなす此祭畢て祝部長大宮の広前(ひろまへ)なる白洲(しらす)に|立て神供の御下を軒(のき)に投(なげ)てからすに食(くは)しむ故に此祭をからす祭といふ》  《割書:三月二日                同日》  ○八剣宮内院供御 《割書:草(くさ)の餅(もち)|桃花酒(もゝのさけ)》 ○大宮内院供御 《割書:同|上》  《割書:同十五日》  ○舞楽(ぶがく) 《割書:当宮において舞楽の起(おこ)りは上古よりの事にして其始詳ならず中世廃絶せし|を文政元年戊寅九月正遷宮の時より再興ありて例年此日を定日とす東》    《割書:西楽所の間に舞台を設(まう)け社輩出仕神宮及び社人|拝殿に列座し大宮司家は 勅使殿に着座せり》  《割書:四月八日》  ○花の頭(とう) 《割書:拝殿と 勅使殿とに飾物(かざりもの)のやたいを作り小 人形(にんぎやう)を置下には島台(しまだい)土器(かはらけ)をすへ卿代補代の|両頭人拝殿及び 勅使殿にて酒宴の式あり巳の刻に始りて申の刻に終る此日下馬》                《割書:同日》    《割書:橋の南にて篭市(かごいち)あり吉例の如く|参詣の諸人かならずこれを求(もと)む》 ○白鳥社 浮島社供御  《割書:同晦日                             五月一日》  ○卿代補代両頭人 祓(はらひ) 《割書:年番の頭人鈴の宮に参詣し|浜辺へ下りて絜斎(けつさい)に入なり》 ○大宮八剣宮供御  《割書:同四日》  ○軍祭(ぐさい)出仕《割書:八剣宮内院供御卿補の両頭人大宮 八剣宮 高蔵宮 日割社 源大夫社|氷上社 大福田社 すべて七社へ奉幣 当日 粽餅(ちまき)を備ふ夫より騎馬の》 【右丁】  御(お)的射(まとゐ)の神事 塩尻に熱田神宮は 仲哀天 皇の考廟にして他に異なる の 御神なれば 朝廷の礼を 以て祭り奉る故に踏歌(たうか)射礼 等の式古よりたえずと《割書:云々》 又或説に昔は 内裏の御的 の中(あた)りと当宮の中りとを 合せし事のよし都より 告来る官使(くわんし)と当宮より 奏問(そうもん)の使と江州にて行 逢ふ例あり双方より矢の 中りを申合すとて其地を 矢走(やばせ)と呼(よび)初(そめ)しとかや《割書:矢の中り|申 とて》 《割書:使の走る|故ならん》この神事は七十余度 の内にて殊に大祭なる故 【左丁】 中臈(ちうらう)は一代に一度にして 若 神慮に応ぜず射 はづす時は社輩を除(のぞ)か れ即座に出奔する事 なり古は腹(はら)をもきりし よしいひ伝ふ今も射はづ せる家の赤飯など大 地へ捨(すつ)るに犬(いぬ)烏(からす)など さへ喰(く)はぬよし恐る べし〳〵又 障(さは)り なく此神事済む 時は見物の諸人 かの的を奪(うば)ひ引 破(やぶ)り持帰りて 家の守りとす 【陽刻落款印】春江 【右丁】 【陽刻落款印】華渓    其二 御的射(おまとゐ) の式 畢(をは) りてのち 射手(ゐて)六人の うち四人を 各青竹にて 造れる輦台(れんだい) の如きものに 乗せ氏子の 若き男数十人 にて舁(か)き挙(あ)げいづ れもあたつたりやあたつたり 【左丁】 と囃(はや)して熱田中を走(はし)り 巡(めぐ)る勇(いさ)ましさ実に奇 観なり昔は此祭式 高蔵宮にて行ひ しよし今も中(ちう) 臈(らう)の射手弐人 早暁に彼宮へ 参宮す最秘事 なりとぞ 此日に限り て射手の 神職 烏帽(ゑぼ) 子(し)狩衣(かりぎぬ)の下に 白衣を用ひず 熨斗目(のしめ)を着 せるは中古より のならひなる よし 【右丁】 【陽刻落款印】高雅 印地打(いんぢうち)  の古図 【左丁】 的射畢つ て見物の諸人 其的を奪取り 守りにせんとて あらそひ果には礫(つぶて)を打 合ひ名古屋及び在郷の 者は北の方勢田の者は 南につどひ下馬橋を中 にしてたゝかふ程に怪我(けが)人 手負人などありていにしへ石戦印地打   などいへるは是なるよし塩尻及び        熱田風土記等に見えまた         鸚鵡篭中記元禄八年          同十年の記に正月           十五日熱田神事に             名古屋商家の              童男殺害に              あひし事を記              せるは此 闘諍(あらそひ)の              事也しが今は              絶たり    《割書:行粧(ぎやうさう)すこぶる壮観なりいはゆる 日本武尊東征の勢揃(せいぞろ)へ|をうつせし祭式なるよし大宮神事記に見えたり》  《割書:同夜》  ○会影(ゑえう)堂神事《割書:政所において楽人これを勤む酒宴の式畢て各神面を持 笑(わら)ふ事|三度次に大宮八剣宮清雪門の前にて執行あり俗におほゝ祭といふ》  《割書:同五日》  ○大宮神輿行幸《割書:辰の刻内院供御巳の刻鎮皇門の閣上(かくしやう)へ神供を献し社人祝詞あり|未の刻 神輿を出し奉り海蔵門を出て御幸路を経(へ)夫より鎮》    《割書:皇門の閣上へ 神幸あり其 行粧(きやうさう)社人御 鉾(ほこ)を持て真先(まつさき)にすゝみ次に神馬を牽(ひ)く|楽人は道すから音楽を奏し中臈の社輩は神宝を持て供奉す祝部座は 神輿》    《割書:を釣(つり)奉りきぬ笠(がさ)を左右にさしかけたり両頭人大内人等の神官は緋(ひ)の御 綱(つな)につらなりて|供奉し大宮司家は御 跡(あと)押(おさ)へをなせり扨閣上にては両頭人永宣旨頂戴の式あり夫》    《割書:より頭人は勅使殿に帰り鬢付(びんつけ)の事法 櫛(くし)をゆづるの故実ありまた両頭人 政所(まんどころ)に至り|爰より騎馬にて鎮皇門の前を行列す是を頭人の馬場渡りといふ次に馬を下りて》    《割書:神輿の還幸(くわんかう)に供奉し其後七社へ参詣す此時は又騎馬にて行列美々しき壮観なり|抑此神祭の権輿(けんよ)を尋るに人皇四十代 天武天悩 御悩(ごのふ)ありしを占(うらなは)せらるゝに宝剣【劔】尾張》    《割書:に還座なき故の御たゝり也と奏問す則 勅して朱鳥元年本宮を始め殿門諸末社|までも御 経営(けいえい)ありてむかしに倍(ばい)せし大宮となれり 大神是を善(よ)みし給ひ今より西門》                        《割書:同日》    《割書:において王城を守護(しゆご)し給はんとの御神約ありしより始りし|神幸なれば当社において第一の神事ともいふべし》 ○馬の頭(とう)《割書:図上に|委(くは)し》  《割書:同六日》  ○両頭人 氷上(ひかみ)詣(まうで)《割書:卯の刻より大船に乗(の)り海路を経(へ)て知多郡の氷上社へ参詣す彼社に|て神供調進さま〳〵の式あり上古は陸(くが)地を行列して路すがら放鷹(はうよう)をなし》                   《割書:六月五日》    《割書:獲 獲(え)ものを献ぜし事也今 鷹(たか)を画(ゑがき)たる|絵馬(ゑま)をさゝぐるは其遺風なりとぞ》 ○南新宮大山祭《割書:図上に|委し》  《割書:同六日》  ○同宮 御葭(みよし)流(ながし)《割書:此夜より七十五日の間当所町々より長き竹の先につけたる大小の挑灯を|数多献ずる事毎夜たえず中にも伝馬町宿今道などは其数殊に多く》         《割書:同十五日》    《割書:して大なる|壮観なり》 ○大福田社御田祭 《割書:実盛(さねもり)と鳳凰(ほうわう)の作り物を拝殿に出し祝詞|ありて後神領 田畑(たはた)の虫を追払(おひはら)ふなり》  《割書:同晦日                     七月三日》  ○夏越(なごし)の祓 《割書:鈴の宮にて 大宮司以下の神|官多く出て行ふ壮観とす》 ○大宮大 掃除(さうぢ)《割書:此日は町々より出て|宮中を悉(こと〴〵)く掃除す》  《割書:同四日        同六日          同七日》  ○八剣宮大掃除 ○八剣宮内院供御 ○大宮内院供御神宝 虫払(むしはらひ)《割書:早朝|供御》                 《割書:調進畢て御神宝虫払の式あり|剣(つるぎ)【釼は疑字】鏡(かゞみ)経(きやう)巻及び鵄(とびの)尾(をの)琴(こと)等を出せり》  《割書:八月朔日》  ○大宮八剣宮外院供御  《割書:同八日》  ○大宮神輿行幸 《割書:当日早朝内院供御調進夫より 神輿大福田へ行幸あり承平年中|平 将門(まさかど)誅伐(ちうばつ)の遺風をうつしたる神祭にして行粧(ぎやうさう)の次第は五月の》    《割書:神幸に同じ又里俗此祭をさして放生会(はうじやうえ)といへるは将門誅伐のとき数多の軍兵を討取人民の|命を亡(うしな)ふ故に石清水(いわしみつ)にして放(はう)生会行はる同時に当社にても此祭式始り又昔は放生会も行はれしよし也》  《割書:八月下旬》  ○神宝 虫干(むしぼし) 《割書:毎年 拝見人群をなす神宝の数甚多|ければ一日に拝見する事かたし》  《割書:九月八日         同九日        十一月初寅卯辰ノ日》  ○八剣宮内院供御 ○大宮内院供御 ○新嘗祭《割書:其式二月の祈年祭に|大同小異なれば爰(こゝ)》       《割書:十二月二十五日》    《割書:に文を|略す》 ○御 煤払(すゝはらひ) 《割書:大宮別宮末社御煤払供御調進|前日 阿波手(あはでの)森(もり)より藪(やぶ)の香物(かうのもの)を献ず》  《割書:十二月晦日》  ○土居(どゐ)の浜(はま)より御塩(みしほ)を献す ○儺豆(なおひまめ) 《割書:節分の夜に行ふ又例年寒中三十日の間|熱田地名古屋はさら也在々までも参詣す》    《割書:る者多く殊に寒の入寒がはり寒のあき此三夜にはゆかた参り裸(はだか)参り夥(おびたゝ)しく或は|新形のゆかた挑灯を拵へなとして五人十人打群又はだか参りは鉦太鼓 銅鑼(どら)などおもひ〳〵》    《割書:に打ならし走るさまもいと勇(いさ)ましく|また他(た)に比類(ひるい)稀(まれ)なる事になん》 神宝 古太政官符《割書:承和十四年丁卯三月七日 同年閏三月十四日 嘉祥三年庚午|二月九日 同年三月十一日 同月廿二日 昌泰三年庚申四月廿一日》  《割書:等の六通今猶存在す又朱鳥元年丙戌六月八日以下 数十幉(すじうでう)ありといへども|中世散亡して今其写のみあり其内昌泰三年の符は菅丞相御手なり》 古縁起(こえんぎ)一巻 【右丁】  大宮 祈年祭(きねんさい)    夕供御(ゆふぐご) 俗に巳午の御神 事といふ此夜神 供を入たる唐櫃 を御供所より 大宮へ釣運び 西廻廊の 清門を入て 渡殿より 内陣へ 転供す 此とき 楽所 にては音 楽を奏し 田島氏 祝詞をよむ 座に 豊の明り とて大 かゞりを 【左丁】 たき海 蔵門の内外 には数多 のともし火 を張る 馬場氏は 塩水を ふりて路を 清め大森氏 は柳をとり て路よりすゝ む神供櫃 の左右には 各松明を 採りて 道を照らし 社輩総【惣】 出仕にて 拝殿に列 座す此神 祭は年内 二度にして 二季の大祭とも 称すいはゆる祈 年祭新嘗会是 なり 【陽刻落款印】春江 【右丁】   大宮舞楽 【左丁 挿絵だけ】 【陽刻落款印】高雅 【右丁】   端午(たんご)馬の搭 町々及び在辺よりも是を 献ずる事多し其内 在郷の馬は朝町々の馬は 昼後也此馬の頭に本馬 俄(にはか) 馬の二品あり本馬といへ るは行列(きやうれつ)厳重(げんじう)にして其 所々の印持(しるしもち)を先に立次 に子供数多 棒(ほう)を持次に 若き者大勢長刀をかつ ぎ其路より馬を牽(ひく)也馬 には皆具(かいぐ)の餝(かざ)りをなし 鞍(くら)のうへに種々の作り物 を置是を標具(だし)と号(なづ)く すべて此 競子(けいご)の出立 善美をつくして諸人 の目を驚かせり俄 【左丁】 馬といへるは裸(はだか)馬にあら 薦(こも)を巻(まき)剣祓(けんばらひ)をつ けて其 跡(あと)綱(つな)を ひかへ行者(ゆくもの)其年の 流行(はやり)さま〳〵風流 を尽して頗(すこぶる)興あ り是皆桶挟間の 遺風なるべけれど さながら競馬(けいば)の余 韵(いん)も見えて府下 大須の馬の搭とは 略(ほゞ)其趣をことにせり     田鶴丸 染ゆかた雲と  むらかり    花のこと 群聚の   山を  なす    馬の搭 【落款と印】玉渓 玉 渓  《割書:貞観十六年守部宿祢清稲が撰にして|寛平二年藤原 村椙(むらすぎ)重修の古写本なり》 古写日本書記一部 《割書:世に熱田本日本紀|と称す巻裏に》  《割書:懐紙和哥を書す正三位為重沙弥 元可厳(げんかごん)阿弥陀仏等数十人みな高名の歌人なり|近年此和歌を写し取印刻して熱田本日本紀巻背和歌とて世に流布(るふ)す奉納の》  《割書:副文(そへぶみ)ありて 奉納熱田太神宮内院日本紀用巻《割書:十五巻第一巻|上下共十六巻》依_二権宮司祭主尾張仲|宗所望_一 四条金蓮寺四代上人御_二-奉-加之_一円福寺三代厳阿所_レ申_二沙汰_一也永和三年丁巳霜》  《割書:月四日と|見えたり》 奉納古連歌巻物 《割書:応永三十年十一月十三日百韻延徳四年卯月十九|日百韻天文十六年十二月廿三日百韻正保二年八月》  《割書:十一日百|韻等なり》 和歌懐紙一巻 《割書:慶長九甲辰年三月十五日詠せし和哥にして春日陪_二熱田社|宝前_一同詠_二社頭松_一倭歌読人は左中将藤原為満以下十九人》  《割書:なり其内の哥|前にしるせり》 法華経一部 《割書:弘法大師|の真筆》同一部 《割書:日蓮上|人の筆》経一巻 《割書:小野道風の筆|何の経といふ事》  《割書:を知らずその外和漢の古写古印刻の書籍|仏経等甚多く百を以 員(かぞ)ふべし故にこれを略す》 春敲門額 《割書:小野道|風筆》 蜘切丸(くもきりまる)太刀 《割書:銘吉|光剣》  《割書:巻等に源 頼光(らいくわう)吉光の太刀を以 蜘蛛(くも)の妖(よう)|怪(くわい)を斬(きり)給ひしよし記せるは此太刀なり》 黶丸(あざまる)太刀 《割書:備前助平の作助平は 一条天皇の御|時の鍛冶なりもと景清が帯(はき)たりしが》  《割書:彼大宮司の聟なりし由緒によりて大宮司家に伝はりしを天文七年九月織田家美濃の|斎藤と合戦の時千秋紀伊守此太刀を佩(はき)て稲葉山にて討死せしかば敵方 蔭(かげ)山 掃部(かもんの)助が手》  《割書:に渡りそのゝち丹羽五郎左衛門長秀の差料(さしれう)となりしが景清をはじめ蔭山も片目 盲損(もうそん)してあれ|も一目となり長秀もまた片目 潰(つぶ)れしかば不思議の霊応に畏(おそ)れもと此御社の太刀なればとて》  《割書:再び長秀の手より寄付ありしよし|信長記等の古書に見えたり》 熱田 国信(くにのぶ)太刀 《割書:国信は 後光厳天皇の御時の鍛|冶にて大和の長谷部(はせべ)の住人なるが》  《割書:熱田に来りて刀剣を打し|ゆゑ熱田国信と称す》三条 宗近(むねちか)太刀 《割書:宗近は 一条院の御時の人な|り○又三条吉家の太刀あり》 天国(あまくに)太刀《割書:銘|あ》  《割書:り》光忠(みつたゞ)太刀 《割書:銘あ|り》 来国光(らいくにみつ)太刀 《割書:銘あ|り》 宗吉(むねよし)太刀 《割書:銘及び応永廿六年六月|十七日の奉納銘あり》 吉(よし)  光(みつ)太刀 《割書:銘あ|り》 正助(まさすけ)太刀 《割書:銘及び天正十四年七|月七日の奉納銘あり》 友成(ともなり)太刀 《割書:備前国の|鍛冶なり》 来(らい)国俊(くにとし)太刀  《割書:銘あ|り》 則国(のりくに)太刀 《割書:銘あ|り》 実阿(じつあ)太刀 《割書:元弘三年十月一日|実阿と銘あり》 広光(ひろみつ)太刀 《割書:天正八年七月七日|の奉納銘あり》  景光(かげみつ)太刀 《割書:銘あ|り》 神足(じんそく)太刀 《割書:宇佐神|足と号》 包永(かねなが)太刀 《割書:銘あ|り》 安次(やすつぐ)太刀 《割書:波 ̄ノ平|と号》 重道(しげみち)  太刀 《割書:備前長船|の鍛冶也》 国林(こくりん)太刀 《割書:銘あ|り》 豊後 行平(ゆきひら)太刀二振 《割書:銘あ|り》 来 国久(くにひさ)太刀  《割書:銘あ|り》 信国(のぶくに)太刀 《割書:銘及び応永十四年|六月日の文字あり》 備州 吉次(よしつぐ)太刀二振 《割書:銘あ|り》 国友(くにとも)太刀 《割書:銘|及》  《割書:び嘉吉元年十二月日大宮司千秋民部|少輔藤原朝臣 季貞(すゑさだ)奉納の銘あり》 備前 介成(すけなり)太刀 《割書:銘あり其外無銘の名剣ども|四十七振は世に類(たぐ)ひなき宝》  《割書:剣その外八百三十余 口(こう)の御太刀何れも古刀にして世に勝(すぐ)れたる霊宝なり|その内 真柄(まから)が太刀と称するは越前国住人真柄十郎左衛門が帯せし野太刀(のだち)なり》鵄尾(とびのを)琴一張  《割書:国君源敬公御寄付延喜太神宮式|及び長暦官符に鵄尾琴の名見えたり》 三笠(みかさ)琵琶(びは) 《割書:一面|あり》 古面 《割書:数多(あまた)あり今|其目を略す》 鮀太鼓(だだいこ)  《割書:治承年中|の修復》 瑠璃(るりの)壺(つぼ) 《割書:一|箇》 古鏡 《割書:三十|八面》 灯籠(とうらう) 鉄(かな)【銕】轆轤(ろくろ) 《割書:小鍛冶|宗近作》 駒(こまの)角(つの) 《割書:一箇その外|日本武尊神像》  《割書:をはじめ集(しう)古十 種(しゆ)に出せる弓(ゆみ)蟇目(ひきめ)箙(ゑびら)又古書古画の懸物 色紙(しきし)経策(きやうさく)紫石(しせき)の硯(すゞり)等の文具|古 器(き)古 銭(せん)等種々の楽器(がくき)に至るまで宝庫(ほうこ)に充満(じうまん)する所 莫太(ばくたい)にしてかぞへ尽(つく)しがたし》 神領 《割書:天武天皇の朱鳥元年六月八日一万八千町御寄付ありて正応年中まで尾張参|河美濃の三国のうちに神領の地ありしが断絶せしよしいひ伝へたり今猶二月十一月》  《割書:の神祭に読(よむ)ところの祝詞(のりと)の文に神領一万八千町と見えたり是古伝の残れる証【證】なり続|日本後記に天長十年六月壬午 詔 ̄シテ奉_レ授_下坐_二尾張_一従三位熱田大神正三位_上并納_二封十五戸_一》  《割書:と記せしは神領の国史(こくし)に見えし始なり神 戸(こ)神 税(ぜい)の事古記に誌せることの多し延喜臨時|祭式にも凡 鴨(かもの)御祖(みおや)別雷(わけいかづち)熱田の三社の神税(しんぜい)穀(こく)は社用之外用ゆる事を得ざるのよし記せり》 【右丁  宝物の図示】 春敲門(しゆんかうもん)古額(こがく)      《割書:小野道風筆》 【額の文字】   春敲門 【額の上と右横】 一尺四寸    二尺八寸五分 舞楽(ぶがく)古面  陵王(りやうわう) 【琴の絵 上側】 鵄尾(とびのをの)琴(こと)  十三 絃(げん)  総【惣】朱ぬり 五尺八寸 【同右側】 錦 一尺一寸 【左丁】 【琴の絵の左上と左側】 二尺七寸    一尺七寸七分 【舞楽古面上段】 納曽利(なそり) 還城楽(げんじやうらく) 崑崙八仙(ころはぜ) 【同中段】 二の舞 同裏   【面裏記載の文字】 治承三年青陽天 社神十之外 【左丁下段】 裏書いづれも朱うるしにてしる せるになかばゝ文字 消(きえ)てよみがたきもの 多けれども年号は悉く治承の文字見 ゆれば天保の今日に至りて凡六百六十 余年なる古物なり其内陵王の面は 弘安元年 修復(しゆふく)とあれば是又今年に 至て五百六十余年なりもし余の面も 治承年の修復ならば其製作の 時をはかるに恐らくは千年を歴るもあらんか        高雅縮図【角印 右から横に】高雅 【右丁】 熱田社享禄年中之古図      高雅縮摹 【陽刻落款 右から横に】高雅 【左丁】 右の図奥書に云 享禄二年己酉二月吉日生国越州蒲原郡住  大勧進順海筆者 加野和泉祐筆資信【花押】   《割書:按るに加野和泉は武衛の時清須に住せし画者なるべし》 【右丁】 御神馬 飾(かざり)皆具(かいぐ)の図 【図の上段から下段へと翻刻】 鞍(くら)    メクリ五尺九寸        三寸五分    鞍橋一尺    鐙(あぶみ) 高五寸     【右から横書き】三寸九分                二寸三分 鞖(しほで)   径二寸  韉(したぐら) 竪一尺    横一尺七寸 銜鑣(くつばみ)一寸八分   四寸五分              径五分  【右から横書き】五寸  雲珠(うず) 五寸   鈴(すず) 長一寸五分許         メクリ四寸許 鞍褥(くらしき) 竪長二尺九寸   金鍐(きんさう)  一尺八寸 三寸五分 障泥(あをり) 竪一尺八寸                縁覆輪共                 三寸五分         横二尺二寸 杏葉(ぎよやう) 巾一寸一分 長三寸五分          横二寸三分 鞍橋裏の刻銘に太宮司千秋駿河守従五位下藤原朝臣 持季修_二復焉_一宝徳三辛未卯月二十六日とありて集古十種にも出せり 【陽刻落款印】春江  《割書:文和三年四月廿三日権宮司尾張仲勝同実仲等五人署の神領注進状に熱田大神宮一|円御神領目録当知行愛智郡南高田 ̄ノ郷云々 作良(さくら) ̄ノ郷云々上中村 ̄ノ郷云々 岩墓(いはつか) ̄ノ郷云々 榎墓(ゑのきつ[か]) ̄ノ》  《割書:郷云々大 脇(わき) ̄ノ郷云々 宇連(うれ)一色云々一切経田云々 高戸(がうど) ̄ノ郷云々北高田 ̄ノ郷云々 薦野(こもの) ̄ノ郷云々知多|郡 御幣田(おんべた) ̄ノ郷云々大 郷(ざと) ̄ノ郷云々 乙河(をつかは)御園云々 英比(あぐひ) ̄ノ郷云々 生道(いくぢ) ̄ノ郷云々木田 ̄ノ郷云々中島郡 鈴(すゞ)》  《割書:置(き) ̄ノ郷云々田宮御園云々 玉江(ともえ) ̄ノ庄云々葉栗郡般若野郷云々丹羽郡 上(かみの)沼 ̄ノ御園云々八島御|園云々 公賀(くが)三刀(みとの)墓(つか)御園云々 柴墓(しばつか)郷云々都合総【惣】田畠五百六十二町八反百拾歩云々》  《割書:と見えたり是中古の神領なるが猶 違転(いてん)して今の神領とは甚 齟齬(そご)せり今の御神領|四千九百石余また敷地の高七百五十六石余及び愛智郡 則武(のりたけ)庄内 小塚(こつか)村八屋村七女子村》  《割書:合て五百八十石の御供田その外大宮司の所領及び社家社僧の領する所まで合て|総【惣】神領万石に近しといへども故ありてこれを略し其石数をこゝにのせず》 大宮司一員《割書:寛平縁起に朱鳥元年以来始置_二社守七員_一《割書:一人為_レ長|六人為_レ列》並免_二傜役_一とあるが祠官|社職のはじめなり其一人為_レ長とある是大宮司の権輿(けんよ)なりもと尾張氏にして》  《割書:天火明(あまのほあかりの)命の裔孫(えいそん)のち藤原姓に改め千秋を氏とすその系次は旧事紀及び尾張氏系譜等|にしるせしごとく建稲(たけいな)種命の子尾張宿祢忠命大宮司兼大祢宜に補せしより 神孫 連綿(れんめん)》  《割書:として百十九代の今に至れり忠命二十二世の孫大宮司従三位伊勢守尾張宿祢 員信(かずのぶ)|その子大宮司伊勢権守尾張宿祢員 職(のり) 鳥羽天皇の御宇神託の霊夢によりて大宮》  《割書:司職を外孫 額田(ぬかたの)冠者藤原 季範(すゑのり)に譲(ゆづ)りし事公定の分脈系図及び玉【王は誤記】葉集に見えたり|南家 武智麿(むちまろ)卿の裔孫藤原季兼尾張国目代にて在国せし間員職が女松子を娶(めと)り》  《割書:て季範をうめり季範大宮司となり其女左馬頭源義朝に遇(ぐう)して 右大将頼朝公をう|み家富繁昌し子孫世々武勇のほまれを顕(あら)はせし事は誠に季範 神慮にかなひて》  《割書:さくら花の 神詠むなしからざりしなり以下代々文武の誉(ほまれ)ありし事は|保元平治物語東鑑太平記続草庵集信長記等に見えたり》 権宮司一員《割書:尾張氏の祝詞師にて田島を仮名(けみやう)とす天火明命の裔孫にして今に至るまで|尾張宿祢を称す凡尾張氏の事は新撰姓氏録旧事紀古事記日本紀等の古》  《割書:書にのせたる甚多く記すにいとまなくかぞふるに|尽る事なし只高名にして奇人のみをこゝにあく》  瀛津世襲(おきつよその)命《割書:天火明命四世にして御妹の世襲足媛命 孝昭天皇の御|后(きさき)に立たまへるよし日本書紀旧事紀等に見えたり》  建田背(たけだせの)命《割書:其女大海媛は 崇神天皇の|御后に立給へる事同書に見ゆ》  乎止與(をとよの)命《割書:尾張の国造のはしめにて建稲種命宮簀媛命|の父なり同書古事記等諸書に見えたり》  尾治尻調根(をはりしりつきねの)命《割書:建稲種命の子にて 応神天皇御宇に大臣となりて供奉す|と旧事紀に見えたりその印行本に尻綱根命とかき此命の妹 尻(しり)》  《割書:調真若刀俾(つきまわかとべの)命を尾綱真若刀俾命と記して調の字を綱に誤(あやま)りしより世に尾綱根(をつなねの)命と|して犬山の針綱(はりつなの)神社の祭神とすその尾綱にはあらで尻調なる証【證】は新撰姓氏録の河内神》  《割書:別の条に火明命十六世孫尻調根命と見え古事記に尾張連之祖伊那陀宿祢之女|志理都紀斗売とあるにて知るべし○此条は友人中尾義稲が説なり》  尾張連 草香(くさか)の女 目子(まこ)郎女(いらつめ)《割書:継体天皇の后に立給へるよし|日本書紀古事記に見ゆ》  尾治連 若子麿(わかこまろ)同 牛(うし)麿《割書:続日本紀大宝二年 太上天皇参河国に|御幸の条に尾治宿祢の姓を賜ひしよし見ゆ》  尾張宿祢 大隅(おほすみ)《割書:日本紀 持統天皇十年五月壬寅朔己酉 直広肆(なほひろし)の位を授(さつ)け水田四|十町を賜と見え続日本紀の天平宝字元年十二月壬子太政官功田》  《割書:の事を奏(そう)する条に従五位上尾治宿祢-大隅壬申年功田三十町 淡海(あふみ)朝廷 諒陰(りやうあん)之 際(あいだ)義 ̄ヲ《割書:以》興_二|警蹕_一潜 ̄ニ出_二関東_一于_レ時大隅参迎 ̄テ奉_レ導掃_二-清私第_一遂作_二行宮_一供_二-助軍資_一其功実重云々と》  《割書:記せりまた同紀霊亀二年四月癸丑の条に尾張宿祢大隅 ̄カ息 稲置(いなぎ)等 ̄ニ賜_レ田よし記せる稲置|は大宮司家譜尾張氏系図等に稲置見(いなぎみ)とかき或は稲公稲君など古記に記せる人なり》  尾張宿祢 乎己志(をこし)《割書:続日本紀に和銅二年五月庚申尾張国愛智郡|太領にて外従五位下を授(さづか)りしよししるせり》  尾張宿祢 小倉(をぐら)《割書:続日本紀天平九年二月戊午の条同十七年正月乙丑の条に位階を授|りしよし見え同十九年三月戊寅 命婦(みやうぶ)従五位下尾張宿祢小倉授_二》  《割書:従四位下_一為_二尾張国国造_一 天平勝宝元年八月乙亥従四位下尾張宿祢小倉卒と見え|たり当国の女なるが都(みやこ)に召れて官仕し命婦などの勤労(きんらう)によりて国造を賜りし也》  《割書:続日本紀に記せし所皆女叙位のうちに列してまさしき婦人なるを後世の書どもに|尾張宿祢 興員(おきかず)の一名小倉 元正天皇御世尾張守に任じ国造を兼たる男なり》  《割書:しよし見えたるは|甚あやまりなり》  尾張宿祢 宮守(みやもり)《割書:日本後記及び類聚国史に延暦十八年五月己巳尾張国海部|郡主政従八位上刑部粳虫言 ̄ス権掾阿保朝臣広成不_レ憚_二朝制_一》  《割書:檀 ̄ヲ養_二鷹鶏_一遂令_三当郡少領尾張宿祢宮守 ̄ヲシテ六斎之日猟_二於寺林_一因奪_レ鷹奏進 ̄スト 勅 ̄スラク須_下|有 ̄ラハ_二違犯_一先言_中其状_上而 ̄ルニ凌_二-慢国吏_一輒奪_二其鷹_一宜_三特 ̄ニ決 ̄メテ_レ杖解_二-却其任_一と見えたり当宮所蔵》  《割書:の承和十四年嘉祥三年等の官符に国司郡司が神事を慎まずして神社及び神宮|寺の修理 怠(おこた)り闕(かけ)し事を歎(なげき)て祝部(はふり)宮麿(みやまろ)解状を奉りしよし見えし宮麿は此宮守》  《割書:とは別人なり|混(こん)ずべからず》  尾張 連(むらじ)浜主(はまぬし)《割書:続日本後記及び類聚国史に承和十二年正月乙卯外従五位下尾張連|浜主於_二龍尾道上_一舞_二和風長寿楽_一観者以_レ千数初謂鮐背之老不_レ能_二》  《割書:起居_一及_二于垂_レ紳【注】赴_一_レ曲宛如_二少年_一 四座僉曰近代未_レ有_二如_レ此者_一浜主本是伶人也時年一|百十三自作_二此舞_一 上_レ表請_レ舞_二長寿楽_一表中載_二和歌_一其詞曰那那都義乃美与尓万和俉》  《割書:留毛毛知万利止遠乃於支奈能万飛多天万川流丁巳 天皇召_二尾張連浜主於清|涼殿前_一令_レ舞_二長寿楽_一舞畢浜主即奏_二和歌_一曰於岐那度天和飛夜波遠良無久左母支》  《割書:毛散可由留登岐尓伊天弖万毗天牟 天皇賞嘆左右垂_レ涙賜_二御衣一襲_一令_二罷退_一同|十三年正月戊辰召_二外従五位下尾張連浜主 ̄ヲ於清涼殿前_一令_レ奏_レ舞于_レ時年百十四》  《割書:帝矜_二其高年_一授_二従五位下_一と見え豊原統秋が体源抄に浜主承和三年四月遣唐使に|付て唐朝に渡て本舞の紕繆(ひひう)を直(なほ)し龍笛の底(そこ)を極(きはめ)て同六年八月帰朝の後両道 殊(こと)に盛(さか)》  《割書:り也としるし河海抄の御法(みのり)の巻の注に 高野天皇れうわうの舞曲を好み給ひ浜主|御前にて奏せしよししるし塩尻に浜主は熱田の伶人なりしと今に舞楽を伝ふる家数》 【注 国立国会図書館デジタルコレクションの『続日本後記』版本は「袖」とある。】  《割書:十残れり凡熱田の祠官いにしへ|より長寿の者多しと見えたり》  尾張 成重(なりしげ)《割書:台記に文安六年七月廿三日召_二尾張成重_一仰云汝年老家貧勤労無_レ懈|吾深憐_レ之欲_レ令_レ撿_二-注尾張国日置 ̄ノ庄_一如何対云臣昔為_二熱田神主_一是》  《割書:以彼国有_レ勢者敬礼尤深今貧賎向_二彼国_一昔従者必有_二蔑如_一何況去_二神主職_一之日誓|言不_レ還_二-補此職_一不_三復向_二此国_一矣何貧_二小利_一変_二先誓_一乎敢辞 ̄ト_レ之余深感_二此言_一故書_レ之と》  《割書:見えたり其のち太郎大夫 仲衡(なかひら)尾|張守仲稲等みな田島を氏とす》 総(さう)【惣】撿挍(けんぎやう)一員《割書:尾張氏の権宮司にして世々馬場氏を称す大宮司 員信(かずのふ)の二男 信頼(のぶより)馬場家|の祖にて其弟は大宮司員職なり信頼の裔孫尾張宿祢 奉忠(たかたゞ)子進士坊》  《割書:廉忠(れんちう) 土御門天皇の御宇正治二年庚申前将軍源頼家下文を賜り其孫 奉継(たかつぐ)大学|頭に任ずこれより世々当職権宮司を相伝(さうでん)す 後柏原天皇の御時に至り信頼の嗣系(しけい)絶(たえ)た》  《割書:りしかば祝師(はふり)肥後守仲安の二男利仲の子利近|総【惣】撿挍となりその子孫今に連綿(れんめん)たり》 大内人一員《割書:守部(もりべ)宿祢尾張氏同祖にて今 大喜(だいぎ)氏を称す此家甚古く朱鳥元年海部郡|司守部 彦谷(ひこたに)を以て宮守十二人の長大内人職とすと熱田本紀に見えたり》  《割書:此書は甚あやしく請がたき書なれどももとより古き偽(ぎ)書にして其内にはまさしき古伝と覚し|き説も見ゆればこと〳〵くは捨(すて)がたきにや守部は尾張美濃本 貫(くわん)の姓氏にて三代実録及び》  《割書:類聚国史の貞観十年七月十二日の記に美濃国池田郡の貞婦守部 秀刀自(ひでとじ)が事をしるし|寛平二年の熱田縁起に去 ̄ル貞観十六年 ̄ノ春神官別当正六位上尾張連清稲古縁起を脩(しゆ)》  《割書:せしよし見えしは熱田大神宮鎮座次第本紀に大内人|守部宿祢清稲とある同人にて当家の曩祖なり》 神職《割書:其数甚多く四百余家あり中臈(ちうらう)神楽座(かぐらざ)等甲乙前後|の次第はありといへども何れも由緒(ゆいしよ)正しき旧家なり》  粟田氏《割書:新撰姓氏録に 孝昭天皇の皇子 天足(あまたる)|彦国押人(ひこくにおしひとの)命の後なるよししるせり》  大原氏《割書:敏達天皇の皇孫百済王の|後なるよし同書にしるせり》  長岡氏《割書:同書及皇胤紹運録に 桓武天皇の皇子長|岡 ̄ノ岡成(おかなり)延暦六年賜_二長岡朝臣姓_一よし見えたり》  磯部(いそへ)氏《割書:新撰姓氏録に磯部 ̄ノ臣 ̄ハ 仲哀天皇皇子|誉屋別(ほんやわけの)命之後也と見えし裔孫なり》  林氏《割書:同書に林朝臣は武内宿祢|の後也とある末孫なり》  松岡氏《割書:日本武尊東征の時随従せし士帥也国史に其姓名を闕|せりといへども其裔孫祠官となりて松岡真人と称せり》  三国(みくに)氏 若(わか)山氏 鏡味(かゝみ)氏 菊田氏 峰(みね)松氏《割書:みなそれ〳〵に神役をつとむ其品目は|甚繁多にして爰には誌(しる)しがたし》 木津(きづ)山神宮寺大薬師《割書:海蔵門の外二十五 挺(てう)橋|の西なる片町にあり》当寺は 仁明天皇の  勅建にして伝教(でんげう)弘法両大師の開基也社僧如法院の寺務(じむ)たり  しよし承和十四年三月七日の太政官符に見えておぼろげならぬ  霊区(れいく)なりしが累(るい)年の兵乱に衰微(すいび)頽廃(たいはい)せしかば右大臣豊臣秀頼公  再興し慶長年中十間 梁(はり)十三間半の瓦葺(かはらぶき)の仏殿を建立せら  れしかど是また衰廃して年久く無住となり修理をも加(くは)へざり  しに元禄九年長久寺の住僧 隆慶(りうけい)江戸 護持(ごぢ)院僧正 隆光(りうくわう)に 【右丁】 【陽刻落款印】春江 神宮寺  俗に大薬師といふ 高閣左辺双 小堂一医王 仏二明王茲 中自有_二春風【一点脱】 別不_レ送_二花香_一 【左丁】 送_二異香_一   深田慎斎 大薬師 正月五日夜 鬼祭の図 【陽刻落款印】春江  法縁(はうえん)あるにより隆光 吹挙(すいきよ)して 将軍家に達し神宮寺再建の  御免許を得しかば 国君も許容(きよよう)し給ひ同十五年堂宇を修造し  不動(ふだう)院 愛染(あいぜん)院を外より境内へ移し医王(ゐわう)院を再建して住持を  立られ旧観(きうくわん)に復(ふく)せしめ給へり《割書:山号もとは亀頭(きづ)山なりしを近比今|の文字にあらたむ亀頭木津 同音(おなじこゑ)》  《割書:なるうへ承和十四年三月七日の官符に置_二神宮寺別当_一|蔭孫正八位下 御船(みふね)宿祢木津山とあるに拠(よ)れり》本尊《割書:薬師如来の座像|台座(だいざ)より後光(ごくわう)まで》  《割書:高 ̄サ二丈一尺八寸の大像なり腹内(ふくない)に弘法大師真作の薬師仏を収(おさ)むといへり又十二|神將四天王等の像を安置す沙石集に文永の頃熱田の社辺にありける若(わか)き下手(げす)男》  《割書:十一月十五日 俄(にはか)に両目 盲(めしひ)ければ心うく覚えて神宮寺の薬師仏に祈念(きねん)せしかば次|の年三月十五日の夜に僧一人来りて目を明(あ)けよといひし故目を明きけるに忽(たちまち)盲目(もうもく)》  《割書:開(ひらき)たりしよし|しるせり》不動堂《割書:本堂の側にあり此堂もと八剣宮の境内にあり不動明王|の像は弘法大師の作にて八剣宮の本地仏と称せしを》  《割書:元禄年中再興の時こゝに|うつし不動院これを守る》愛染堂《割書:不動院の北にあり愛染明王は弘法大師の作|此堂もと本社の境内にありて 大神宮の奥》  《割書:の院と称せしを不動堂と同時に|うつして愛染院これを守る》鐘楼《割書:延徳元年に鋳(ゐ)たりし古鐘は今名古屋の|総【惣】見寺にかゝれり寛明日記に正保元年六》  《割書:月十六日 保科(ほしな)侯の領分 陸奥(むつ)会津(あひづ)の山中の樵夫(せうふ)人倫絶たる深山にて年齢七八十斗|りと見ゆる老(らう)異(い)人に逢(あ)ひて其由領主へ告しかば人を遣(つか)はし彼異人をとらへ子細を問(と)》  《割書:はしめられけるに名を福仏坊(ふくぶつばう)といひて生国 伊予(いよ)のものなるが彼国にて悪事をなし|在国なりがたく廿五歳の時関東に下り此山に住せしよしいへりさあらばいつの比より爰(こゝ)》  《割書:に住みて年は何十才になるやと尋けるに年 歴(れき)久しとはおぼゆれども世事も打わす|れ年数も覚えず只其関東へ下向せし時尾張の熱田の宮人多く群集(くんじゆ)せし故何事》  《割書:ぞと問ひしに彼宮の鐘鋳(かねゐ)なりといひしのみ覚えたりといひしが彼宮の鐘の銘を|見ざれば何百年以前の事にやしれざるよしを記せり此延徳の鐘を鋳し時の事》  《割書:ならば異人は正保元年百八十歳ばかりなり今の鐘は元亀三年十一月鋳しよし銘に|見え熱田神宮寺本願慶林慶春檀那尾州春日井郡山田庄上田住人吉田与左衛門》  《割書:云々と彫|付たり》 鰐口(わにぐち)《割書:銘に大日本国尾州愛智郡熱田神宮寺本宮田秦傾倒之期辱右|大臣豊臣朝臣秀頼公再_二-興旃_一慶長十一丙午九月吉祥日片桐東》  《割書:市正且元奉_レ之の|文字を彫付たり》鎮守弁才天社《割書:本堂の乾(いぬゐ)の|方にあり》多宝塔(たほうとうの)跡(あと)《割書:今の不動堂其古迹|なり享禄の宮図》  《割書:に見えたり此塔の鰐口今亀井山円福寺にありて銘は本堂の鰐口と同じく慶長十一|年再興神宮寺宝塔の文字見え裏に正徳元年以_二代金_一求_レ之よし彫付たりその外五》  《割書:重塔跡常行堂跡輪蔵跡等|古跡甚多くして尽(つく)しがたし》修正会(しゆしやうゑ)《割書:正月五日の夜これを行ふ俗に大薬師の鬼祭(をにまつり)|といひてすこぶる奇観とす其式は未の下刻》  《割書:より夕方に至り本堂において一山の僧衆あつまり護摩(ごま)修法さま〳〵の行ひあり終りてたい|まつを持し鬼形(きぎやう)の者を後堂より追出し堂下のへりを追廻る事三度夫よりたいまつ》  《割書:を後園の池に投(なげ)入るを畢(をは)りとす此うち鉦 太鼓(たいこ)を打ならしてかしましく余国の神宮寺|にても修正会には鬼形のものを追ふの式ある事古格にや東鑑に承元三年正月十二日 神》  《割書:宮寺始行_二修正_一 十四日修正経|今日結願鬼走 ̄ルと見えたり》 下馬(げば)橋《割書:御手洗川に渡せる石橋なり俗に廿五 挺(てう)橋といふ是より南社家町を御所の前|御所の内といふ凡 帝王の皇居或は親王方大臣家将軍家などの地なら》  《割書:では御所とは称しがたし此所古き地名なれば大宮司の所縁(しよえん)にて頼朝将軍 寓居(ぐうきよ)あ|りし地なればしか呼ぶか又続日本紀の大宝二年 太上天皇三河国へ 御幸の条に尾》  《割書:張国に行宮を造(つく)りしよし記せし 皇居の跡か今定かならず又熱田のうちに大瀬古(おほぜこ)と|いへる地名のあるも此 御幸の時役夫をよせたる地名にてもあらんか猶考ふべし》 中森(なかのもり)《割書:清雪門の辺或は古渡 榊(さかき)の森などゝもいひて赤染衛門が家集に くにゝてはるあつたの宮と|いふ所にまうでゝみちにうくひすのいたうなくものをとはすればなかのもりとなんまうすといふに》  円通寺   羽休(はやすめ)秋葉宮 当寺開山 義本(ぎほん) 禅師は遠州浜松 普済(ふさい)寺の開祖 寒(かん) 岩義尹(がんぎいん)禅師《割書:道元禅|師の師》 《割書:兄 後鳥羽院|第二の皇子》の孫弟子 にして当寺は尾州禅 刹の創肇(はじめ)なり とぞ 【陽刻落款印】春江  《割書:うくひすのこゑするほとはいそかれすまたみちなかのもりとおもへと と見えし中の森なるよし習俗|いひ伝ふれど清雪門は大宮へ程近くして哥の意にかなはず又海東郡にはまさしく上の森中の森下の森の》  《割書:名あれど是亦路の程遠くして哥の意にたがへり榊の森は遠近の程哥の意にかなひたるに似|たれど清雪門の辺なるよしの旧説多ければしばらくこゝに附して以て後考を待のみ》 泪(なみだ)川《割書:清雪門の前なるよし厚覧草に見えたり古哥に涙川其水上をたつぬれは阿波手の森のしつく|なりけりと阿波手をよみ合せたるによりて此の辺を涙川の跡なりといひ伝へたり》 弓頭(きうとう)山秋月院《割書:田島小路廿五挺橋の東にあり曹洞宗下野国富田大中寺末名古屋の城|主今川左馬助氏豊の息女は中野又兵衛尉 重吉(しげよし)の室にて法名を》  《割書:秋月院 桂秀(けいしう)大姉と号す重吉は織田信秀の幕下にて三州 小豆坂(あづきざか)の七本 鑓(やり)の一人中|野 槌(つち)といひしより武勇のほまれ高く信長公及び豊臣秀次公にも仕へしに彼公高》  《割書:野山にて生害の後こゝに引籠り夫婦とも主君の菩提を弔(とふ)らひ潜居(せんきよ)せしが慶長三|年十二月廿九日重吉死去せしかば其室秋月院夫の遺言(ゆいごん)に任(まか)せ同四年其屋敷地に此寺》  《割書:を建立し下野国富田の大中寺の住僧建室和尚は氏豊の舎兄にて秋月院|の伯父なれば招請して開山とす同六年七月六日彼室も死去ありしなり》本尊  《割書:薬師如来弘法大師の作又|千手観音の像を安置す》 補陀(ふだ)山 円通(えんつう)寺《割書:田島小路の南の端(はづれ)にあり曹洞宗遠江の巻済寺末明徳二年|権宮司家建立して浜松普済寺の誓海義本和尚を以開山とす》禅堂  《割書:本尊薬師|仏なり》鎮守弁財天社 秋葉社《割書:尤大社にして羽休(はやすめ)秋葉と称す例祭十一月十|六日十七日参詣人群をなしこもり堂もあ》  《割書:りて十六日夜 籠(こもり)なすものも甚多し又当社にて鉄火打を請てこれを|用ゆれば火 災(さい)の恐(おそ)れなしとぞ羽休の文字を其火うちにしるせり》 南 新宮(しんぐう)天王社《割書:御所の前町清雪門のむかへにあり 天照大神素盞烏尊を祭る毎|年六月五日の大山車は此社の神祭なり末社居守社八王子社境内》  《割書:にあり○御芦(みよしの)御池(みいけ)はやしろの裏にあり○新宮坂は|南の道筋にありみな此社によりたる名なり》例祭《割書:山鉾(やまぼこ)祭礼熱田の内八ヶ所より|山一輌車二輌を年番にて》  《割書:出す大 瀬子(ぜこ)山出る年に宿(しゆく)今道(いまみち)中瀬(なかぜ)より車楽を出し田中山出る年には市場神戸より車楽|を出す大山 休(やす)みのとしは東 脇須賀(わきすか)より車楽のみ出すなり寛弘年中男女 悉(こと〳〵)く疫癘(えきれい)を悩(なや)》  《割書:む所の者 旗鉾(はたほこ)を以て天王の社にて疫神を祭りしが其のち文明年中佐橋兵部といふ|もの祭式を定むといへり大宮司家より太刀を贈(おく)り又市場町の橋本氏よりも太刀を贈る》  《割書:の故実あり市場車楽の伎童(ぎどう)葵(あふひの)御紋の衣裳を着す 東照神君より賜ふ所也|又東脇車楽の幕(まく)は慶長九年四月 台徳院殿の御台所崇源院君の御寄付須》  《割書:賀車楽の幕は 東照神君の|御伯母常滑君の御寄付なり》 大福田(だいふくでんの)社《割書:南新宮の南に隣れりもと神宮寺の境内にありしを元禄十六年こゝに|うつせり熱田摂社七所の其一社にして本国帳に大福田大菩薩とある》  《割書:これ|なり》朱雀院の御宇 相馬(さうま)将門(まさかと)叛逆(ほんぎやく)せしかば追討使(ついたうし)を下され  勅して熱田社に御祈願あり 神輿を星崎(ほしざき)にふり出奉りて祈  祭す故なくして忽(たちまち) 神輿 血(ち)に染(そみ)しが将門其時刻に秀郷(ひでさと)貞盛(さだもり)  が為に誅(ちう)せらる是 大神の示(しめ)し給へる先兆(せんてう)なり然るに其輿血に  汚(けが)れて本宮に還座(くわんざ)なしがたく新に一祠を建て是を収(おさ)め大福田  社と号す祭神は正哉吾勝(まさやあかつの)命也 日割御子(ひさきみこの)神社《割書:大福田社の南隣にあり熱|田摂社七所の其一社なり》延喜式に愛智郡日割御子神  社本国帳に正二位日割御子天神と記し続日本後記に承和二 【陽刻落款印】春江 南新宮 大福田社 日割(ひさき)社 【右丁 上部】 南新宮祭  大山車楽 大山は上段に小社の形ありて うしろに高五間の大松を 立次の段にはさま〳〵の 人形を出しからくりを なす総【惣】して此山は 七段に 組上(くみあげ)小社 の段より下段まで 総【惣】高サ十二間余 車の輪(わ)さし口四尺五寸 厚サ一尺一寸也人形各七尺程又 四段目の横に大 鯛(だい)の造(つく)り物を かけ二段目より大 蛇(しや)の造り物を いだす下段の前には軸(よこがみ)といへる 若き者共立つらなりて引様の 遅速(ちそく)を相図し同く左右と うしろには長本(をさもと)といふ力者ありて 手木(てこ)などを以車の進退をなす 【左丁 上部】 また此山を引 綱(つな)の太サ二尺 長五十尋なり又車楽は上段 に幕(まく)をもつて山形を作り其上に 屋体(やたい)ありて申楽(さるがく)の人形を置 上には松を建(たて)下には桃(もゝ)のつくり 花をさす屋形(やかた)の正面に冑(かぶと) 太刀をかざりたり中段 四隅(よすみ)の 柱はどんすをもつてつゝみ其前 のはしらには両方とも 靭(うつぼ)をかざれり則此 所にて児(ち)の舞(まひ)をなす 且大山の 真先へ 太刀取とて児一人 飾輿(かざりこし)にのりて大宮司家へ参向 すこれ古代の祭式にして 当世にかはらざる古雅の風韵 実に見るべし 【右丁 中部】 《割書:尾張名所記》 時すなほに  人も   あつた     の まつり    かな 【左丁 中部】    虎【乕は俗字】竹 【陽刻落款印】春江  年十二月壬午尾張国日割御子神 孫若(ひこわか)御子神 高座結(たかくらむすび)御子神  総 ̄テ【惣】三前奉_レ預_二名神_一並熱田大神 ̄ノ御児神也と見え神名帳頭注に  尾張国 年魚市(あゆち)郡日割御子 ̄ハ 日本武五男 武鼓(たかつゞみの)【左ルビ:ムコ】王(わうぎみ)也としるせ  り《割書:境内南の方に氷上(ひかみ)神社遥拝所の鳥|居あり本社は知多郡大高村にあり》 尾張名所図会巻之三《割書:終              熱田之部》                     深川忠豊同【仝は同の古字】撰 【白紙】 【裏表紙】 【表紙 題箋】 尾張名所図会《割書:前編》  六 【題箋上に筆記】□[o]wari 【白紙】 尾張名所図会巻之六    目録《割書:知多郡》  知多郡解(ちたこほりのかい)   祇園寺     文章嶺(ふみのみね)    有松絞(ありまつしぼり)  六月米     仙寿散      境川橋    曹源寺  延命寺     大府の三本松   石ヶ瀬川   緒川(をがはの)里  善導寺     入海(いりみ)天神社   八幡社     緒川城址  干海老     沢瀉(おもだかの)井     乾坤院    伊久智(いくぢ)天神社  生路(いくぢの)井    生路 塩竈(しほがまの)古覧(こらん)  生路塩    三盆(さんぼん)砂糖(さとう)  塩竈石(しほがまいし)    坂部(さかべの)城址    洞雲院     北原天神社  廻(まは)り地頭(ぢとう)の図 阿久比(あぐひ)神社   箭比(やひ)天神社   平泉寺  唐松(からまつの)井    亀崎      神崎(かみさき)天神社   業葉(なりは)天神社  入水(いりみ)天神社   常楽寺     成石(なりは)天神社【注①】   無量寿寺  武雄(たけを)天神社   豊石(とよし)天神社【注②】  壬生(みぶ)天神社   富貴(ふきの)城址 【注① 「成石」の振り仮名は「なりいし」の誤ヵ】 【注② 「豊石」の振り仮名は「とよいし」or「あつしいし」ヵ】  阿奈志(あなじ)天神社   海鼠腸(このわた)    章魚(たこ)      医王寺  但馬       幡頭(はづ)崎     羽豆(はづの)神社    同神幸の図  真珠(しんしゆ)       棘鬣(たい)魚     羽豆崎城址   篠島(しのじま)  妙見斎       後村上帝篠島に漂着(ひやうちやく)し給ふ図 日間賀(ひまか)島  比摩賀(ひまか)天神社   安楽寺     同本尊に魚を供養する図  野島        松島      平島      鴎(かもめ)島  木島        津久美島    鼠島      大磯島  小磯島       鷲渡島     鳶崎島     内地島  恵比寿(ゑびす)島     奈加天(なかて)島    屏風(びやうぶ)島    円蔵寺  須佐(すさ)の入江    鯵魚(あぢ)      須男(すな)天神社   正衆寺  岩屋(いはや)寺      久須(くす)天神社   伊勢山     内海  貝(かい)品の図     蜃気楼(しんきろう)     乃野天神社   西岸寺  宝樹院      鰯網(いわしあみ)の図    持宝院     同花見の図  秋葉山      金王丸 足跡(あしあと)石(いし)    入見神社     姥(うば)はり石の古事  性海寺      富具(ふぐ)崎       富具天神社     大御堂寺  義朝(よしとも)最後(さいご)の図  頼朝公大御堂寺に供養し給ふ図      長田宅址  法山寺      浴室(よくしつの)古蹟(こせき)      乱橋       報恩寺  金王丸 轡(くつわ)洗(あらひ)池  長田蟹(おさだがに)       野間天神社    広石(ひろし)天神社  大谷 洞(ほら)      高讃寺       床(とこ)島       常滑(とこなべ)焼(やき)  総心寺      天沢院        常滑城址     正住院  常石(とこし)天神社    八幡社       鬼(おに)ヶ(が)崎      龍雲寺  美御(みゝ)天神社    鍬山(くはやま)天神社     鋳物司(いもじ)     櫟屋(いちや)天神社  小倉(をくら)海苔(のり)    小倉天神社      蓮台寺      海音寺  斉年(さいねん)寺      東龍寺       光明寺      内宮社  牟山戸権現社   牡蛎(かき)        保命酒(ほうめいしゆ)      一口香  塩湯治(しほとうぢ)      日永(ひなが)崎       日永神社     慈雲寺  古見(こみ)の一本松    皇后井      法海寺      万歳  正法院       景清宅址      八幡社      安楽院  惣五郎塚      虫(むし)供養(くよう)      横須賀      衣の浦  琴弾(ことひき)松      長益(ちやうえき)塚      細井平洲の伝   如来山  加家(かけ)観音寺     天尾(あまを)天神社    観福寺      業平(なりひら)塚  良忍(りやうにん)上人の伝   荒太(あらお)天神社    船津社      名和(なわの)干温飩(ほしうどん)  大高村       大高 菜(な)      大高城址     鷲津(わしづの)砦(とりて)址(あと)  丸根(まるねの)砦址      豊臣秀次公の伝  火上(ひかみ)姉子(あねごの)神社  長寿寺      知多郡 当郡は当国の南海中に出て大なる島のことし和名抄延喜式等に智  多とかき日本後紀にも延暦廿四年七月丙子尾張国智多郡 ̄ノ地十三  町賜_二 中納言従三位藤原朝臣内麿【一点脱】と見え万葉集以下の古書に知多  とかける例もまゝ見えて今も智多知多と交へ用ひて一定しがたし当郡尾  のごとく張出たるより尾張と名付初しといへる説は既に初巻国号濫觴  の条下にいへり西南は伊勢志摩東は三河の海に接す郡中凡そ一百  四十余村東を東浦西を西浦といふ産物尤多く山海秀美にして風景他  郡に勝れり就_レ 中南の方大井師崎より小野浦 柿並(かきなみ)までの際(あひだ)は断巌(だんがん)畳々(じやう〳〵)  として驚浪 駭涛(がいとう)常に雪を飜へし又 篠島(しのしま)日間賀(ひまか)島其余の小  島 淼茫(びやうばう)の上に浮べる皆眼前に並びて比類なき眺望なりすべて  文人墨客の此浦に遊歴するもの四時絶る事なし  《割書:万葉》   年魚市(アユチ)方(カタ)塩干(シホヒニ)家良志(ケラシ)知多乃浦(チタノウラ)尓(ニ)朝(アサ)搒(コク)舟毛(フネモ)奥(オキ)尓(ニ)依(ヨル)所見(ミユ) 【右丁】 【陽刻落款印】春江 【右丁 下部】 ふみの道を  守る   宮ゐの  峰とてや  ひま行    駒の   かけも    いそ     かす     正忠 【右丁 左上部】  文章嶺(ふみのみね) 【左丁】     卍瑞 一代文章主千 年威徳神廟成 聊致_レ祭梅点故 家春      成利  にほはすは   しらてや     過ん    夕霞  たな引     山の   梅の     初花  《割書:夫木》   あゆちかた朝こく舟のほの〳〵とちたの浦へに浪よする見ゆ  中務卿親王  《割書:同》   あゆちかたかち音すなり知多の江の朝けの霧に片帆かくれて  紫金台寺入道二品親王  《割書:家集》   知多の浦に舟かけすゑて見渡せは青海原ゆ月さし出ぬ     山田左幾久   あつさ弓春さりくらしちたの浦の沖つ島山霞棚ひく      磯足   ちたのうらの夕波高み釣するやいせをの海士もこきかへる也  朗   天きらふ霞の間よりちたの浦の海士乙女とも玉藻かる見ゆ   勗 大雄山 祇園(ぎおん)寺《割書:有松村にあり曹洞宗鳴海瑞泉寺末元禄年中の創建にして則瑞泉|寺十一世の仁甫和尚を以開山とすもと円道寺といひて鳴海村にありしが》  《割書:宝永三年猿堂寺と改号し又宝暦五年に今の寺号に改め当所に遷れり其頃苔巌|和尚此所に草庵を結びて仮住し疱瘡(はうさう)の咒(まじなひ)をせしに験(しるし)ありしとぞ其後祇園寺を建立》  《割書:し年を経て駿河に移転せしが今も当寺より疱瘡のまもりを出す|又彼庵室の跡の苔(こけ)をとりて疱瘡の守りとするに応験(おうげん)ありといふ》本尊《割書:釈迦の|木像》  《割書:○近年境内に南都薬師寺の仏足石を|うつし其哥をも碑に彫りて傍に建てり》 文章嶺(ふみのみね)《割書:祇園寺の後の山をいふ天満宮を安置す神廟もと祇園寺境内にありしが寛政|の初寺僧 卍瑞(まんずい)の開基にして数千人より捧(さゝ)げし詩哥文章等を此山頂に埋め》  《割書:置き文政七年その上に今の神廟を基立しあらたに八ッ棟造りの高廟を構へ以前に|百倍の荘厳とはなりぬこは当所 有信(うしん)の輩 莫大(はくたい)の資財(しさい)を寄付せしとぞ夫よりして》  《割書:文章嶺と称す山の中腹に瀧ありいろはの瀧といふ是 御手洗(みたらし)なり又 瑞垣(みづがき)の内に|冷泉為泰卿御自筆の御詠を其まゝ石に彫りて建つ今左記して以て世に公にす》  例祭《割書:二月廿五日又八月十|六日ねり物数多あり》   天満る神の守護のふみの峰あふくに高き宮居なるらし   等覚      《割書:いろはの滝》   ふみのみねおなしふもとの岩つたひおつるいろはの瀧のしら玉  権中納言実勲 有松 絞(しぼり)《割書:有松村にて製する所にして数町の間高棟の軒をならべ店前に絹布のしほり|を飾(かざ)る事華美いふ計りなしされば東行話説にも田舎(いなか)に京はありまつの》  《割書:うつくしき木綿屋としるし給ひ此外諸家の文章にも賞賛(しやうさん)のことばあぐるにいとまあら|ず実に東海道五十三次第一の名産といふべし就_レ 中此絞り染を製し始し家を竹田庄》  《割書:九郎といひて今も猶 巨擘(きよはく)たり慶長年中に同郡 英比(あくひ)庄よりこゝに来りて店を張(は)り|しが夫より今のごとく数十軒になれり殊に此家は上下大小の諸侯方をはじめ蘭人琉球》  《割書:人までも立寄是を求めて賞翫す凡そ世に絞り染といへるは古のくゝり染にして大和国龍|田法隆寺に伝はりし 孝謙天皇の御 褥(しとね)を氈(せん)【氊は俗字】代(たい)纐纈(ゆはた)染(ぞめ)といへり又加茂真淵が初学に》  《割書:云業平朝臣のからくれなゐに水くゝるとはの注に紅葉のむら〳〵流るゝかたにて白波もひま〴〵|立まじりつゝ見ゆらんを紅のゆはたと見なしていと珍らしければ行水を纐纈にすることよ》  《割書:神代よりかゝる事はまた聞ざりけるといふ也是は或家の古き説に此くゝるは泳(くゞる)にはあらで|絞(くゝる)也とあるによれり凡そ纐纈は令式などにも見へて絹を糸もて所々くゝりて紅紫緑》  《割書:などに染る也今いふしぼり染に同じと云々|猶委しき事は纐纈(かうけつ)記にゆづれり》   《割書:   有 松 纐 纈 記|纐 纈 之 起 也 其 来 久 矣 奈 良 朝 既 染_二 服 御 之 物_一 和 州》   《割書:龍 田 法 隆 寺 中 今 猶 蔵_二   孝 謙 帝 之 褥_一 云 又 記_二 于 令|式 散_二- 見 于 六 帖_一 古 今 諸 歌 選 載 録 不_レ  一 我 尾 張 国 有》   《割書:松 里 以_レ 是 得_レ 名 者 自_二 慶 長 年 間_一 始 蓋 竹 田 庄 九 郎 之|祖 自_二 英 比 郷_一 移_二- 居 有 松_一 以_レ 此 為_レ 業   敬 公 受_二 茅 社_一 入》 【右丁】 有松 絞(しぼり)店  見_二纐纈染_一有_レ感      琉球        章鉅 纐纈 ̄ノ奇文伝_二万 古_一後孫継_レ統 術愈【逾】《割書:〱》隆幾 人来感 風流妙 千歳有松 深翠中   賀茂季鷹 上代(むかし)より  千世の   契や  有松に  千しほ八千しほ   くゝり 【左丁】  そめ   けん 【陽刻落款印】春江  《割書:_レ国 出 迎 献_二 采 轡_一   公 喜 復_二 其 宅 地_一 自_レ 是   嗣 公 始 入|_レ国 迎 拝 献_レ 轡 以 為_レ 常 子 孫 相 承 已 二 百 年 其 法 逾 精》  《割書:其 徒 逾 多 街 衢 相 連 屋 舎 相 接 戸 々 懸_二 縐 絹 綿 布_一 粲|爛 鮮 麗 恰 如_二 花 柳 競_レ 媚 楓 菊 駢 列_一 行 旅 止_レ 歩 買 者 不》  《割書:_レ絶 蘭 賈 蕃 客 過 者 問_二 庄 九 郎 家_一 覧 賞 駭 嘆 或 有_下 買_二 数|十 百 匹_一 去 者_上 今 庄 九 郎 頗 好_二 風 雅_一 乞_二 諸 名 士 詩 詞_一 以》  《割書:貴_二  其  業_一  頃  需_二  余 一 言_一 因 記 以 與》    《割書:己 未 乃 夏            本 国 司 農    神 野 世 猷 文 徽 甫》        《割書:明ほのに立出るほとゝきす声珍らしくちかき年比は都にはうとく|ていまた聞しらぬ人も多きにをりしも珍らしく所の名をとへは|有松といふ》  《割書:打出の浜の記》   時鳥こゝに契りやありまつの梢も高く声しけく啼    烏丸光栄卿   立つゝく常磐のかけを契りにて千歳もすまん有松の里  冷泉為章卿      《割書:有松之里街巷相対比屋売_二纐纈綿布_一過者説得駭|観以_レ遊_二花林_一紅白青緑璀璨如_レ錦有_二竹田某者_一独愛_二風|雅_一毎_レ見_二騒客乞_一其詞藻予為作_二 一詠_一書以贈_レ之》   多知奈羅夫(タチナラフ)波那能二志幾登(ハナノニシキト)以敝吾登迩(イヘコトニ)加計和多之太留(カケワタシタル)玖々里曽米蚊迦奈(クヽリソメカナ)    《割書:癸巳仲夏                                離屋鈴木朗》     《割書:名所小鏡》       有松や 家の中なる ふちのはな       淡々     《割書:鴬きかう》       うくひすや まつ葉しほりのうすみとり    西月 六月米《割書:阿野(あの)村 稲(いね)の熟(じゆく)する事甚早く昔は六月朔日の糄米(やきごめ)を貢せしよし今も六月中に新|米を 国君に献ず明暦板の道中記にもあなふ村六月一日に新米いつるとしるし阿》  《割書:野の六月米とて世に名高く早米の第一|たり又此村 西瓜(すいか)を名産として其味尤美也》 三田(さんだ)無忍(むにんの)家伝仙寿散《割書:此家代々東阿野村に住す名方仙寿散は黄胖(ぶつ)病の奇薬|にして遠近のもとめ虚日なきに至れり若窮民これを》  《割書:乞求むる時は剤資(ざいし)を厭(いと)はず一銭をも受ず施すよし慶長の頃より此所に宅地を占|め世々無忍と称して大廈(か)【厦は俗字】高屋を構(かま)ふ西国の諸侯上下の時多くは此家に憩(いこ)ひ給ふ》  《割書:国君も元より立寄らせ給ひて拝謁(はいえつ)をもゆるさる延享宝暦の朝鮮人来聘の往来|にも此家に入りて休息せしとぞ又延享五年三使【注】の帰路此家に休みし時は六月》  《割書:廿三日にして暑気甚しく各水を乞ひけるまゝ主人 葛水(くづみづ)を与へしかばいづれも大に|悦び頓に炎熱を忘れしとて主人の厚意を謝せんがため人々席上に詩書画等を》  《割書:贈りける中にも居甘商の詩文西巌の墨画等尤多くして今も猶家伝す事し|げく詩文なども多ければこゝに略す好 事(ず)の人は家に就て展観(てんぐわん)を覓(もと)【覔は俗字】むべし》 境川橋《割書:尾三の二州よりかくる橋也愛智郡に出せる境川の下流にして則今の東|海道なり古哥多くは川の上流をよめりこゝに出せるは今の橋かゝりし》  《割書:より後の哥なり東行話説に此川は尾張三河の堺川東の方は土橋西の方半は板橋也|両国中あしきにも有ましきにむかしよりかゝる習はしにや云々》   《割書:      尾張のさかひはしにて|古今夷曲集》    打渡す尾張の国のさかひ橋是やにかはの継目なるらん     烏丸光広卿   《割書:      ゆき〳〵て川ありけるをとへは三河国と尾張の国の堺川と|      いふはや尾張の国にも入ぬるよといふけふは九月卅日なれは|東海道紀行》    東方みちをはゆきもつくさねとけふはけふこそをはり也けれ  小堀政一   《割書:      境川とてほそきなかれのあるに土橋ひとつかけたりこれまておくり|      にとて来し人のかへるに尾張にその人のもとにとてふみかきてつく|庚子道の記》    うかりしも今そ恋しきしかすかに住にし里をいてぬとおもへは 武女 清涼山 曹源(さうげん)寺《割書:大脇村にあり曹洞宗三河八幡村西明寺末以耘和尚を以開山とす|しかれども創建の年月詳ならず文和三年四月廿三日熱田神領》  《割書:注進に大脇郷と見え|て古き地名なり》本尊《割書:釈迦の|木像》今川義元の位牌《割書:表に天沢寺殿四品|前礼部侍郎秀峰》 【注 三人の使者=特に朝鮮通信使の時の正使・副使・従事官をさしていう。】 【陽刻落款印】春江 【右丁】 延命寺 大府の三本松 石ヶ瀬川 【左丁 挿絵】  《割書:哲公大居士神儀 永禄三庚申歳五月十九日戦死四拾三歳うらに永禄三年庚申五月十|九日駿州府中城主今川治郎大輔源義元與_二尾州清須之城主織田上総介平信長_一合》  《割書:戦義元不_レ利而終於_二桶挟間_一戦死当山第二祖立喜引_二-導焼-香於此_一畢とあり又松井|次郎八宗信の位牌及び鞍(くら)泥障(あをり)等を寺伝す当寺の西八町計りに今川義元の塚あり》  《割書:石塚と通称す門前に松露海といふ大なる池あり老松数十株水面に臨(のぞ)みて頗(すこぶ)る幽景を|存せりこはむかし此門前まで湖水打寄せし故今も猶松露海の名のこれるよし》  塔頭《割書:東光庵》 宝龍山延命寺《割書:大 府(ぶ)村にあり天台宗野田密蔵院末盛祐行照の|創建にして享禄四年慶済法師の中興なり》本尊《割書:延命地|蔵尊》  客殿本尊《割書:釈迦の|木像》鎮守《割書:白山|社》山門《割書:近年の再営にして画棟彫梁の善美 譬(たと)ふる|にものなく実に諸人の目を驚かせり》  本堂竪額《割書:後奈良(ごなら)帝の宸筆(しんひつ)にして宝龍山とあり裏に天文|八年己亥三月吉日《振り仮名:瀧𡧘坊|らうじやくばう》 円運作と記せり》本堂鰐口《割書:文禄十|四年八》  《割書:月吉祥日と銘ありまた天正十一年癸未九月七日延命寺領梶川五左衛門|より寄進の証【證】文あり此外にも古証【證】文数多あれどもこれを略す》抑当寺  境内は地高く石磴の上にあがりて眼下に境川の下流を望み又  遠樹深緑の中には三河 苅谷(かりや)の城 粉壁(ふんへき)を漏(も)らせるまで一 瞬(しゆん)の  中に百景を尽(つく)して風光尤よし 石瀬(いしがせ)川《割書:村木村と大府村の境にして英比(あぐひ)庄より流れ出る川也永禄元年 神祖水野下|野守信元とこゝに御合戦ありしがその時渡辺半蔵守綱十七歳にして殊に功》  《割書:ありしよし同三年又こゝにて御合戦ありしに鳥居四郎左衛門 大原左近右衛門 矢田作|十郎 蜂屋(はちや)半之丞 大久保七郎右衛門 同次右衛門 高木九助等 鎗(やり)を合せまた同四年こゝに》  《割書:御合戦あり石川伯耆守本多肥後守 植(うゑ)村庄右衛門等皆武功|ありしよし又こゝの南の方に村木砦(むらきとりて)首塚の松等あり》 緒川(をがはの)里《割書:緒川村をいふ小河とも書けり散木奇【弃は誤字】歌集にたまつをがはのとこなめにとよまれしは|この里の事か定かならねどとこなべといへる地も遠からず彼雅康卿の玉の緒川と》  《割書:つゞけられしも玉つをがはとあるに同じ意旨なれば|しばらくこゝの哥なりとすへきにや猶後考をまつ》   《割書:夫木》    しらなみのかゝる汀と見えつるは緒川の里に咲る卯の花  後徳大寺左大臣   《割書:      十八日智多の郡緒川水野右衛門大夫為則か在所に着侍りまつ|      此所にしばらく休息すべきよし息【懇ヵ】切に申けれは《割書:云々》|富士歴覧記》    松のうへにくるてふいとのいく結ひ玉のを川の末かけて見ん 入道中納言雅康 海鐘山善導寺《割書:同村にあり浄土宗京都知恩院末開山は信誉上人也創建の年記詳|ならず天文十九年僧宝誉の中興也伝通院大夫人此村にて生れ》  《割書:給ひし故当寺へ若干(そくばく)の寺領を寄付し給ふ大夫人は水野忠政の息女にして 神君の御|母也此寺大夫人の御旧里なるにより慶長年中水野備後守海辺より今の処に移す》  《割書:其後宝暦年中聞誉上人の時当所の塚本源左衛門大府村の鷹羽平兵衛両人の寄進》  《割書:にて本堂を再営す実に篤志の双旦那|にして両家の子孫今も猶連綿たり》本尊《割書:阿弥陀の立像は聖徳太子の御作|なりもとの本尊は三尊仏にして》  《割書:定朝の作也しが是則大夫人の寄付し給ふ所|なり又大夫人及び水野備後守信元の位牌あり》霊宝 善道大師自画像一幅  《割書:此霊像あるに依|て寺号起れり》聖徳太子像《割書:国君瑞龍|公の御筆》法然上人月形影像《割書:宮本武三|四の筆》  柄香炉(えかうろ)《割書:善導大師所持せられし所にして|唐製の上品希代の雅器なり》十三仏画像一幅《割書:天文年中塚本氏|の寄付する所也》 入海(いりみ)天神社《割書:同村にあり或は入江神社に作る祭神 弟橘媛(おとたちはなひめの)命本国帳に従三位|入海天神とあり弟橘媛命海に入てうせ給ひしより起れる社号》 【右丁 上段】   春日上_二海鐘山_一   贈_二【「一」は誤記ヵ】隆上人_一      僧瑞華 禅余偶咏 龍宮鷲嶺接_二春烟_一雲物 乾坤望裡連祇樹花深 含_二海日_一浙江潮起冷_二山 巓_一登楼足_レ擬賓王興卓 錫当_レ知宝誌 ̄カ賢坐見南 溟千万里不_レ労鴨翼撃 【左丁 上段】 蒼天    現住     徳阿 繰(くり)かへし  おもひの     玉の   緒川     よと  たゝ一すち       の   法はわすれ       し 善導寺 入海天神 【右丁 下段】 句集  松風や   夜に入て     きく    秋の     声    巴静 【左丁 下段】 浦人の   大声聞ゆ     露の朝      竹兮 【陽刻落款印】春江  《割書:なれば入江とする|はあしかるべし》摂社《割書:山神|社》神宝《割書:正宗の太刀一柄銘に元和三年丁巳尾州|智多郡緒川住人都筑忠兵衛とあり》祠官《割書:久米|氏》 八幡社《割書:同所にあり永禄十一年戊辰水野藤四郎|修造し又天正九年辛巳重修を加ふと云々》摂社《割書:山神|社》神宝《割書:産衣の鎧一領|は天和三亥年》  《割書:正月五日水野貞|信の寄進なり》祠官《割書:久米|氏》 緒川(をがは)城址《割書:同村にあり水野蔵人貞守これに居る其孫蔵人賢勝其子|右衛門大夫忠政より下野守信元に至るまで在城す》 名産 干海老(ほしゑび)《割書:同村にて製する小さきゑびなり遠国へも運送せり|風味尤美なれば世に是を小川海老と称す》 沢瀉(おもだかの)井(ゐ)《割書:同村地藏堂の前にあり此地蔵尊は昔海中より出現し身に牡蛎殻(かきがら)の粘着(ねんちやく)|せしかばかきがら地蔵と称す其後水野左近の母年頃子なきを愁ひ此地蔵尊》  《割書:に祈願を起し百日詣をせしに満ずる日例のごとく井水を汲(く)み盥漱(くわんさう)せんとせしに井中 数(す)|茎(かう)の沢瀉を生じ其葉上に永楽銭の一文のりたるを見るしばし不審の晴れざりしがもし》  《割書:くは我誓願満足せる瑞応にてもあらんかと其沢瀉と銭とを持帰りけるに果(はた)して此時|より懐妊(くわいにん)せり故に此井を沢瀉の井と称し今も猶土人此水を汲みて産湯に用る》  《割書:よし又水野の家紋に沢瀉と永楽銭を付る|事は此伝由に依れりと里老のかたりし》 宇宙(うちう)山 乾坤(けんこん)院《割書:同村にあり曹洞宗大源派|にして遠州大洞院末》文明七年乙未水野蔵人貞  守創建にして川僧和尚を開山とす明応元年庚申八月より  以来故ありて輪番持となれり抑当寺は遠く人家の塵寰(ぢんくわん)を  離れ老松茂林のうちに巨堂(きよだう)高廈(かうか)を結構し屋上はすべて茅(ちがや)  を以て葺(ふ)く古色隠然境堺清浄朝には老衲(らうとつ)【注】香を焚き磬(けい)  を鳴らして大乗般若を誦し夕べには雛(すう)僧地を掃(はら)ひ水を灑(そゝ)ぎて  供花(ぐくわ)献灯(けんとう)を換(か)へ凡俗の到る者 稀(まれ)にして白雲常に廻廊(かいらう)を鎖(とざ)  せる実に塵外の一乾坤にして寺号山号まで空しからざる清  涯(がい)なり○本尊《割書:釈迦の|木像》末寺《割書:尾三の二州に四十余ヶ寺ありて其内より毎年|八月住持交代せり水野氏累世の位牌あり》  《割書:又水野右衛門大夫忠政|及び三子の墓あり》寺宝 喚鐘《割書:永正十年癸酉小川下野守後室|禅尼賢貞寄進と銘あり》鼠(ねすみ)灯台(とうだい)  《割書:二世逆翁禅師の作にして|その製尤奇絶なり》水野蔵人貞守絵像及び木像《割書:此外唐画尤|多し中にも》  《割書:弁才天の画像はことに名人の筆にして壁上に懸け香花を供じおきて夜も深更に|至る頃は微妙の音曲かすかに聞ゆといふ水野家代々の古証【證】文多くありしが中世紛》  《割書:失して僧牛菫模写せし|証【證】文のみ今にのこれり》舎利数千粒《割書:文明十九年五月十八日貞守行年五|十一才にて病死す闍雉の後三日めに》  《割書:得る所|といふ》放生池《割書:山門の内にあり池中に卓杖碑を建つ|毎年八月十五日放生会を修行す》 伊久智(いくぢ)天神社《割書:生路(いくぢ)村にあり俗に八剣明神と称す祭神木花咲耶姫本国帳に従|三位伊久智天神とある是なり享徳三甲戌年三月長坂近江守同》  《割書:伊豆守同将監等|これを修造せり》摂社《割書:神明祠 天王祠 八幡祠 天神祠等あり例祭|八月二日獅子神楽馬の塔也又安産の守を出す》 生路(いくぢの)井《割書:同村常照庵の下にあり俗に弘法大師ほる所といふは非也万里和尚が常照庵|薬樹 ̄ノ詩 ̄ノ序 ̄ノ略曰知多郡有_レ邑曰_二生路_一昔熱田霊祠東征先入_二是境_一射猟渇甚》 【注 「らうのう」とあるところ】 【右丁】 乾(けん) 坤(こん) 院(ゐん) 【左丁 挿絵】 【陽刻落款印】春江 【右丁】   生路塩竈の古覧  延喜大膳式 ̄ニ云 東寺中台五仏左方 ̄ノ 五菩薩右方 ̄ノ五忿怒 ̄ノ 料生道塩日別五合 七勺海藻六両滑海 藻十二両未醤四合 五勺醤一合五勺  右毎年十二月以前 ̄ニ計_二  来年 ̄ノ日数 ̄ヲ_一申 ̄テ_レ官 ̄ニ行_レ之 【左丁 挿絵】 【落款】 梅逸写 【印】楳         逸  《割書:取_二弓弰_一刺_レ岩則泉忽湧此泉至_レ今存号曰_二生道井_一若汚穢者汲_レ之則水色俄濁云々今は|名のみ残りて其泉は廃せり昔は生道とかき文和三年熱田神領注進に生道郷と見え》  《割書:しが中ごろ生路に|改まりしなり》 生路塩《割書:同村の産なり延喜主計式に尾張国生道塩一斛六斗と見えた|りされば其産の久しき事知るべし今は東浦の諸村多は塩焼を業とす》 三盆(さんぼん)砂糖(さとう)《割書:享保の末同村の原田某造り始し由物類品騭に砂糖昔は和産なし享保中に|台命ありて琉球より種を伝へ当郡に植て製し出すと見えたり今も原田喜左衛門》  《割書:といへるもの連綿としてこれを製し毎年|国君に貢ぐよし》 塩竈(しほがま)石《割書:同村及び有脇村塩を焼の地にすべて此石ありもと三州の産にて其色黒し村民|船にて採(と)り来り塩をやく時竈の底に敷き久しくして塩凝り石に粘着(ねんちやく)す》  《割書:是をあぶりて腹に熨すれば疝(せん)積(しやく)腹痛(ふくつう)などの諸病を|治する神砭にして実に尋常の温石(おんしやく)に勝る事遠し》 坂部城址《割書:坂部村にあり従五位下久松肥前守菅原定益当城を築きしより其子|佐渡守俊勝をはじめ代々こゝに居城せり久松氏は則英比丸の裔孫にして》  《割書:英比の郷を領し世に英比殿と称す正しく管神の庶流也又伝通院大夫人俊勝の|長子弥九郎信俊に再嫁し給ひしよしは世に知る所なればこゝにしるしもらせり》 龍渓山洞雲院《割書:同村にあり曹洞宗同郡加木屋村普済寺末明応二癸丑の年当|邑の城主定益の創建なり定益は永正七庚午年十一月十九日卒》  《割書:す法号馨林宗瑞禅定門其子孫代々|の位牌及び家譜一巻を寺伝せり》 北原天神社《割書:白沢村に|あり》伝に曰人皇六十代 醍醐天皇の御宇菅公  筑紫へ左遷(させん)の砌公達も所々へ流され給ひしにそが中に英比(あくひ)丸は  知多の浦に左遷【迁は俗字】ありしが菅公を天満宮とまいらせ給ひし後公達方  も都へ召返され給ひしを英比丸は猶当国に住みたきよし奏聞し  玉ふに則 勅許ありて知多郡の領主となし英比五郷を開き  給ふ其比此社も創営し給ひし也今英比五郷の白袴(しろばかま)といへるは  当時里民正月白袴を着し菅氏を拝せしよりいひならはせり  英比殿卒し給ひて後当所の郷民崇敬の余り彼像を作り今に  至るまで民家一日づゝ順番に彼像を宿(やど)し立臼(たちうす)の上に新薦(あらこも)を  しきて安置し是を祭る号して廻り地頭といふ《割書:然るに彼像の僧形|なるにより今あや》  《割書:まりて廻り|地蔵ともいへり》その像尤古雅にして信ずるに足れり菅公の公達  のそれ〳〵謫(たく)せられ玉ひしよしは菅家後集等に詳なれど英比  丸と称せしは見えずあぐひといへる地名は延喜式以下の古書に  見えていとふるければ左遷以前に英比丸と称せしよしはあやまり  にてこゝに住玉ひし故後に英比殿と称せしなるべし《割書:無住国師の|雑談集には》 廻地頭(まはりぢとう)の図 【陽刻落款印】春江  《割書:阿戈(あぐひ)と書きて則|此英比をいへり》 阿久比(あぐひの)神社《割書:稗宮村にあり俗に八幡と|称す又一の宮ともいへり》延喜式に阿久比神社本国帳  に従二位阿久比天神とある是也又一の宮と称する事は神名式  に当郡三座の内当社を以て第一に置けり此故に一の宮の号  おこるならん村名を案ずるに稗(ひえ)の和訓比英なるゆゑいつの頃  にか英比をあやまりて稗の字を用ふるならんか 箭比(やひ)天神社《割書:矢口村にあり今熊野と称す本国帳に従三位箭比|天神とある是也今の社は中世 国君御修理ありしなり》 鳳凰山平泉寺《割書:角岡村にあり円月坊と号|す天台宗野田密蔵院末》当寺創建の年月詳ならず  開基は法印守慶也むかしは大乗坊といひしよし又古き棟札に  平楽とも見えたり平泉の泉の或は楽の字に誤れるならんか  相伝ふ文治六年八月十五日右大将源頼朝公当寺に投宿(とうしゆく)し阿  弥陀堂にて月を賞し給ひし時坊の名を問はれしに守慶則大  乗坊と申せしかば右大将月の明らかなるに礙(さゝは)るべきものもなくさえ 【右丁】 【陽刻落款印】春江  亀崎 当所は船着(ふなつき)に して一千余家の 漁村なり尤繁昌 富饒(ぶによう)の地なれば 豪家も少なか らずまた眺望も殊に 打開きて山々島々 の百景千態前頭 に列なり遠く 南を望めば三州 の佐久島当国の日間 賀島などまで 見え渡りて またたぐひなき 【左丁】 勝景なり 《割書:富士見道記》 亀崎といふ所へ網おろ させみるめかつかすへし とあれは行けるにめつ らしけなる盃さし出し たる女にいひかけける  やとりせは   万代もへん    亀崎や  見るめかひある   浦の苫や       に     紹巴 神崎天神  渡れば円月坊(えんけつばう)と称すべきよし命じ給ひしとぞ《割書:東鑑に文治六年十月|廿五日頼朝公大御堂》  《割書:寺に詣で給ふ事見えたれば其時爰に立寄給ひしか|八月十五日といへるは伝へあやまりしなるべし》本尊《割書:不動|明王》客殿《割書:阿弥陀の|木像を》  《割書:安置す慈覚大師の作にして|御長三尺余の座像なり》什宝《割書:今英比の虫供養に用ふる所の阿弥陀の一軸|はもと当寺の什宝なりしがいつの頃よりか》  《割書:村々の廻り持となれり霊宝|此外 許多(そくばく)あれどもこれを略す》 唐松(からまつの)井《割書:同村にあり里民朝夕是を汲むその水甚清しこれ慈覚大師加持し給ひ|し名水なりとぞいつも元旦には井中に松影見ゆるとなんされども近きあ》  《割書:たりに松の木なし人皆是をあやしむ故 虚松(からまつ)の井なる|を後終に唐松の井とはよひならはせるなるべし》 亀崎《割書:乙川村半田村辺より一里余東の方海へ張出(はりいづ)る地にして正面は三州高浜鶴ヶ崎|に相対し北は境川の下流こゝに入りて初て海となれり又当所の山下に一ッの》  《割書:名井あり寒暑にも増減なく水至つて清けれは村中是を|汲む其他の井水はみな鹹(しほ)【醎は俗字】気(け)ありて用ひがたしといへり》 神崎天神社《割書:亀崎村にあり今神明と称す祭神 神日本(かんやまと)磐余彦(いはれひこの)尊 天照太|神を祭れり本国帳に従三位神崎天神とあるこれなり》  例祭《割書:二月廿五日|三月十六日》摂社《割書:天神社山神社|鍬神社蛭子社》当社は頗大社にして数百磴も上  にあり眼下に海面を見おろし島嶼(とうしよ)をかぞへ遠山を指点(してん)するま  で分明清朗の一 勝概(しやうがい)なることは図を見て知るべし○祠官《割書:山本|氏》 業葉(なりは)天神社《割書:下半田村にあり本国帳に従三位業葉天神と見えたり然るに中|世八幡と称し来りしが当社の神宝古仮面の裏書に業葉天神之》   《割書:物也とあるにより再びもと|の神号に改めしよし》例祭《割書:八月十六日山車を出すことに当地は人家千軒に及び|富商多く酒造の家も少からねば祭日の繁昌尤夥し》 入水(いりみ)天神社《割書:上半田村にあり住吉五社を祭る故今住吉と称す本国帳に従三位入水天|神とある是也やしろは広き森林の中にあり拝殿石の鳥居及ひ末社》  《割書:多し前には大なる池ありて藍水(らんすい)岸に湛へ実に|神さひてものすこき清潔の地なり》 天龍山常楽寺《割書:成岩(ならは)村にあり浄土|宗部田祐福寺末》当寺は文明十六年甲辰空観栄  覚上人の開基にして当郡西山派の本寺也寺伝に永禄三年庚申桶  挟間合戦の時 神君大高村に御出陣ありしが織田勢のため  に御 危難(きなん)あるべきよしを緒川の城主水野四郎左衛門申上しかば  一旦 常滑(とこなべ)まで退かせ給ひ爰にて里人を召し成岩の天竜山へ  案内すべき旨命じ玉ふこれに依て山越に当寺へ成らせらる  その時の住持顕所上人 御前に出て申しけるは此度の御帰  陣御少勢なる故愚僧弟子の内 聰本(さうほん)といふ者大力の勇者な  れば彼に一山の大衆を引率させ山内の裸馬(はだかうま)に打乗らせ三州へ  の御案内いたすへしと申上しかば 神君の御喜悦斜ならず 【右丁】    月初 あら  涼し 神の  植たる   松なれ     は 【左丁】 御手植 の松を 見奉  りて  道直 年〳〵に  枝葉しけり     て   こたかく       も いく万代を  ふる寺の      松 常楽寺 無量寿寺 【陽刻落款印】春江  さらは鞍を得さすべしとて鞍 鐙(あふみ)及び板挟箱等をも賜ひしが  今も猶寺宝とす其後天正十七年堂前に日本の松を御手づか  ら植給ひしを今も御手植の松と称して枝葉殊に繁茂せり往  昔は寺領ありしが秀吉公の時是を没収す又 国祖君知多浦  に御遊猟の砌当寺に数日滞留し給ひ寺領もとの如く賜はりし  より今に歴然たり近き頃半田村の小栗某をはしめ惣旦那打  寄り数千の資材(しさい)を寄付し堂内の荘厳を修理せしか七宝を  鏤め朱粉を施してその華美さながら九品の浄土に至れる想  ひをなせり○本尊《割書:三尊|仏》塔頭《割書:超世院 遣浄院 真如院|来迎院の四宇あり》 成石(ならは)天神社《割書:同村にあり今八幡と称す本国帳に|従二位成石天神とある是なり》摂社《割書:若宮 熊野 春日|稲荷等の数詞【祠ヵ】あり》例祭  《割書:六月十五日|八月《割書:朔日|十五日》》 羽塚山無量寿寺《割書:同村にあり東本願寺|直末の院家なり》当寺もと天台宗なりしが釈  了善の時今の宗旨に改め中興の開基となる了善初めは大河内  藤原国連といひて久く 禁中に奉仕せしが出家の後当寺に来り  親鸞聖人を帰依して改宗す《割書:三州にも同号の寺あり共に|祖師上人の名付られしよし》本尊《割書:阿弥陀|の立像》  塔頭《割書:信光院 浄土寺 教|光坊の三宇あり》寺宝《割書:聖徳太子御作の阿弥陀の木|像此外奇品許多あれど略す》 武雄(たけお)天神社《割書:長尾村にあり俗に天王と称す祭神 素盞烏尊にして大己貴命|少彦名命を相殿に祭れり本国帳に従三位武雄天神とある是也》  《割書:尤大社にして境地の幽源|神威の傲然たるいと尊とし》例祭《割書:六月十四日|同十五日》摂社《割書:居守社 弥五郎社 神功皇后社 八幡社|若宮社 山神社 白山社 天満宮社 祠ヶ》  《割書:峰社 大日孁尊社等境内|及び境外に甚多し》祠官《割書:岩田氏先祖は岩田果貞とて当村の城主なりしよし然|れどもいつ頃の人にや年暦詳ならず此辺山上にその》  《割書:城址残れり又岩田塚といへるものありこれ果貞が|墳墓なりといふかたはらに狗骨樹(ひらき)一株あり》 豊石(とよし)天神社《割書:大足村の海浜松林の中にあり本国帳に従三位豊石天神とある是也|境地神さびたり夏月には此辺海上にて花火をあぐるが見物群集大》  《割書:方ならず放火の水天に映ぜる|風景実にいはんかたなし》 壬生(みぶ)天神社《割書:古布村にあり本国帳に従|三位壬生天神とある是也》 富貴(ふきの)城址《割書:富貴村にあり戸田孫八郎これに居る其余沢下に溢れて農高のこゝに|依る者多くは富貴せりとて其頃よりかく村名を呼ならはせりとぞ》 阿奈志(あなし)天神社《割書:矢梨村にあり俗に八剣宮と称す本国|帳に従三位阿奈志天神とある是也》 海鼠腸(このわた)《割書:大井村の名産にして毎年 国君より 朝廷及び 将軍家へ御献上あり|其製のはじめは此辺に持戒厳密の霊僧ありしが腸醤(しほから)を調和する事を鍛錬(たんれん)》  《割書:し出せしに浦人腸を取り洗(あら)ひ浄(きよ)め盤に入るれば彼僧これを窺(うかゞ)ひ腸の多少に随ひ白塩を|擦投(さつとう)すれば浦人 木箆(きへら)を以て攪匀(かきなら)し是を収る事二三日にして嘗(なむ)るに美味最妙なり》  《割書:ければ終に本州の名産となりしよし隹境遊覧に見えたり当郡すべてこれを製す|るといへども此村及び師崎にて製するを最上品とす淡味の塩梅いはんかたなく既醉(きすい)の》  《割書:酒客一点を啜(すゝ)るときは又更に数盞を|傾けしむ実に此類なき名産也》 章魚(たこ)壺(つぼ)《割書:同村の海浜にて章魚を捕る業は同郡常滑より焼出せる口の狭く胴の張りたる壺を|水底に沈め置けるに章魚は壺の中を己(おの)が穴窟(けつくつ)とおもひて這入(はい)り後には》  《割書:口の狭くて出かぬるを引止て手づから捕る也西浦にては更に事替り餅(もち)を餌(えば)にして釣るなり|これまた尋常とは異にしてめづらし扨此壺の古きを或は水指花生などに用る人ありて都(すべ)て》  《割書:これを章魚壺|といふ》 宝珠山医王寺《割書:同村 ̄ニ あり真言宗長野万徳寺末神亀二年乙丑行基菩薩の創|建にしてもと十二坊あり寺産百八十貫文ありしが破壊(はえ)頽敗(たいはい)して》  《割書:今わづかに宝常院北宝院利生院|円蔵坊等の四宇のみ残れり》本尊《割書:薬師如来日光月光の像を|左右に安置す共に行基の作也》明星水  《割書:弘法大師此の井を掘て|護摩(ごま)を修せられしとぞ》寺宝鰐口《割書:北宝院の観音堂にあり銘に宝徳|三年山田郷極楽寺の文字あり》 但馬《割書:和名抄に智多郡但馬とありて古き地名な|り今田島の庄と称する地是なり》 幡頭崎(はづさき)《割書:師崎村にあり又羽|豆ともかけり》伝へいふ知多郡は長く南海に亘(わた)り其形 箭(や)の  ごとく此崎は東南のはてにありて箭の筈(はづ)に似たれば羽豆の称  こゝに起ると云々此崎は一ッの山にして断岸(だんがん)千 仭(じん)巉岩(ざんがん)百尺地軸  も絶るばかりに高く峙(そばた)ち古木森然として僅(わづか)に歩を通ず絶  頂の風景は三面ほがらかにして蒼海の無辺無涯を眺(のぞ)み西は  伊勢の朝熊嶽神島志摩の日和(ひより)山まで見え渡り東南は  三河の佐久島かち島 伊良古(いらこ)崎遠く海中に出て翠帯(すいたい)  を引がごとくまた朗晴の時は此方に当りて富士の雪碧海の末  に浮び近くは篠(しの)島 日間賀(ひまか)島野島松島大磯島鷲渡島 鳶(とび)  崎島平島かもめ島木島つくみ島鼠島内地島ゑびす島等を  はじめ其余の小島は数をしらず枰面に棋子(きし)を布(し)けるが如きも  只一瞬息にして双眸に入る山水の勝概実に此地にまさるはなし  此 麓(ふもと)に小高き石山あり土人 日和(ひより)山と称し近き頃其山上に  支干(ゑと)を彫たる石を居(す)え方位を定て風雲晴雨を候(うかゞ)ひ船路  の便とす是又海天を望む無碍(むげ)の佳境なり又此辺にて鯨(くじら)  を捕ることあり漁船数十艘おの〳〵■(もり)【叉ヵ】をもつて突留(つきと)めこれを捕 【右丁】 【陽刻落款印】春江 幡頭崎(はづざき)  日和(ひより)山より    平臨(へいりん)する図     精一 有_レ山臨_レ海峙 巑岏屹崢嶸 上有_二霊祠_一号_二 羽豆_一山亦以_二 羽豆_一為_レ名石 磴扶_レ筇上巉 巌摂_レ衣行躕【蹰は俗字】 躇 踞_二虎【乕は俗字】豹_一 下 瞰観_二蛟鯨_一先 起小魯 ̄ノ歎豁 【左丁】 然朝徹 ̄ノ情堪 輿至_レ此開群 象乍分明海 濶水深潮有 _レ力風緊船小 布帆軽南溟 無辺 ̄ノ水汪洋 与_レ 天平青山 無_二古今態_一潮 汐消長僅視_二 虚盈_一山高知 勢極虹銷雨 初晴怒涛兮 駭浪鎮日拍 巌鳴鳥嶼峰 巒海面浮布 置参差似_二棋 【右丁】 枰_一俯仰者_二見 ̄シテ 無窮 ̄ノ物_一悟了 吾一粟生山 水今日全吾 有何須人間 問_二簪纓_一       和雄 うみ山の  あかぬけし      きの   あるかうへに ふしのねを    さへ  けふ   見つるかな 【左丁】     典寿 またたくひ  なみの見る     めは  いつく    にか はつのみさき       の   春の    あけほの     羅城 荒海の  上にも   秋の夕     かな  る大さ四五尋或は七八尋なるが其時必千賀氏にもふしてその指(し)  揮(き)を受る事なり今も鯨の白骨大木の朽(くち)たるが如きもの此磯  辺に数多あり見 馴(なれ)ぬ人は朽木とのみ思ひ過ぬべし   神のます羽豆のみさきの磯辺には浪のしらゆふかけぬ日そなき 成昌   わたの原沖つ千重波打よせて磯もとゆする羽豆か崎是     道直   山鳥の尾張てふ国のこれやこの姿なしたる師崎の浦      相房 羽豆(はづの)神社《割書:幡頭崎の頂上にあり祭神 建稲(たけいな)|種(だの)命俗に幡頭崎八幡と称す》神名式に羽豆神社本国帳  に従一位羽豆名神とある是なり伝へいふ尾張氏師介といふ  もの此地に住り故に祖神 建稲種(たけいなだの)命を祭りて此祠を建しと  又古事記に天押帯日子(あめのおしおびひこの)命者 知多臣(ちたのおみ)之 祖(みおや)也と姓氏録に  羽束首(はつかのおぶと)天足彦(あめのたらしひこ)彦国押入命(ひこくにおしいりのみことの)男 彦姥津(ひこうばつの)命之後也 とあり  此神を祭るならんかと本国帳集説にいへり当社は海中に張り  出し数十仞の巌上にありて数百の石磴を攀登(よぢのぼ)り絶頂の径(わたり)は  僅(わづか)に一間余の巾にして其左右には滄海の漫々たるを直下に  視おろし四方の眺望絶景なる事は幡頭崎の条を見て知るべし  又此山はいまめ樫(がし)のみ生しげりて更に他樹を交へずすべて当郡  の山はいまめ樫(がし)ことに多し○摂社《割書:神明祠住吉祠春日祠|三狐神祠龍神祠等あり》例祭《割書:八月十四日|神輿を》  《割書:行宮(あんきう)に遷(うつ)して祭る十五日本社に還御ありむかしは奉幣使藤原橘の両家 隔(かく)年に|下向ありて片名村の旅館につき《割書:今片名神明|社地是也》羽束の神人長浜に出迎ひ大麻を奉り行宮(あんくう)》  《割書:に至り奉幣ありて後相撲の式などありしとぞ今は悉く断絶せりたゞ片名村神明の|祠官幣使になぞらへて其遣意をなせり又祭日大野の宮山の僧と岩屋寺の僧来り》  《割書:て管絃をなせしが今はたゞ岩屋寺の僧笛を吹て神輿に供奉するのみ又伊勢の神|官も来りて散楽などありしが是も今は廃せりされど祭の行装猶古雅なる事は》  《割書:図を見て|知るべし》神宝 紺紙(こんし)金泥法華経《割書:一|部》阿弥陀経一巻《割書:応永十五年|一色修理大夫》  《割書:源朝臣入道道|範の奉納也》太刀一腰《割書:田原弾正忠|憲光の奉納》横笛一管《割書:源義経の所持|銘薄墨といふ》祠官《割書:間|瀬》  《割書:氏》社僧《割書:白翁山神護寺天台宗|野田密蔵院末なり》 真珠(しんじゆ)《割書:師崎辺の海中にて捕る鮑(あはび)蛤(はまぐり)貽貝(いかい)等のうちより出る頗上品なり松岡玄達が用薬須知に|真珠は伊勢尾張の産をよしとすと又山海名産図会等にも当郡の産を尾張真珠とて賞美せり》 棘鬣(たひ)魚《割書:師崎日間賀辺にて捕る所を絶品とす其味他に勝れり又塩におして諸方へ運送す是|塩鯛の最上にして若挟鯛又は摂津の西の宮等にて釣り得るものにも大にまされり》 羽豆崎城址《割書:同所にあり幡頭崎の条下に日和(ひより)山といひし是也中古熱田大宮司|築てこれに居れり其後脇屋刑部義助暫く此城に住す正平年中》 【右丁 挿絵】 【左丁】 羽豆(はづの)神社   神幸 【陽刻落款印】 春江  《割書:一品将軍宗良親王また此城に住居し給ふ太平記に暦応三年九月十八日脇屋刑|部卿義助美濃の国根尾の城に楯篭し時土岐弾正少弼同刑部大輔頼康等に》  《割書:責落されて郎等七十三人をめしぐし微服潜行して熱田大宮司の城尾張の国|波津(はづ)が崎へ落させ給ひ十余日滞留して敗軍の兵をあつめ夫より伊勢伊賀を経》  《割書:て吉野殿へぞ参られたると見え信濃宮の伝に一品宮宗良親王は十余年の春|秋を上野信濃の間に送りむかへさせ給ひ正平二十四年の夏光資を信濃に留め》  《割書:置き給ひて尾張の国犬山へ出させまし〳〵同国羽豆崎より御船にめされ伊勢路を|経て芳野へ御上りありとしるし細川勝元の霊蘭集といへる医(ゐ)書にも尾張国》  《割書:番頭(はづ)崎の城代が士卒の手負人等風邪に感冒せられしを|黄龍湯を用ひて救療せしよしにしるして古き城址也》 篠島(しのじま)《割書:師崎の南海上一里許にあり|めぐり三里民家頗豊饒なり》伝へいふ篠島日間賀島佐久島此  三島を所の者は三国と称すと此島もと勢州 度会(わたらひ)郡に属し山  田庄 継橋(つぎはしの)郷といへりとされば伊勢 神供(じんぐ)年中の干鯛(ひたひ)三百六十頭  を貢す又伊勢の末社十六ありまた神明宮 頗(すこぶる)大社にして  あらみたまの神社といふ故に二見が浦に此遥拝所あり又八王子  社あり是も大社にして伊勢遷宮の年その古殿の御金具  を以此両社造営ありしとぞ中世志摩国にも属せしにや神鳳  抄に志摩国 答志(たふし)郡篠島と見えたりその答志郡へは甚  近し寺院も亦十一宇あり文禄年中豊太閤尾張海西郡  の長島をもて伊勢に属し篠島を尾張に定られしといふ此島  より四望すれば勢志三の諸山一 回顧(かいこ)に尽たり微風といへども  洪涛山岳を動かし舟行甚難し南は海上渺々として眼を  さへぎるものなく無辺の大洋に通ず実に一小天地にして民  屋二百余家に及べり又当国の罪人を此島に配流せらるといへ  ども土人とは混ぜず島の中にても区別せり 《割書:      篠 島 書 懐                   松 平 君 山| 弊帚集》  《割書:翠 篠 囲_二 孤 嶼_一 神 区 天 一 涯 寺 留   帝 子 迹 人 想 地 仙|家 五 瀬 連_レ 山 近 三 河 隔_レ 岸 賖 回 巌 涛 湧_レ 雪 寒 渚 石 生》  《割書:_レ花 魚 眼 輝_二 朝 日_一 蜃 楼 擁_二 暮 霞_一 若 无_二 左 遷 罪_一 見_レ 月 送_二 年|華_一》 古城山妙見斉《割書:篠島にあり曹洞宗|同所正法寺末なり》南朝の延元三年官軍東国へ  下らせ給ふ時伊勢の大湊にて船をそろへ風を待けるに九月十二日の  宵より風止み雲収りて海上しづまりければ舟人 纜(ともつな)をときて海天 【右丁】 後村上帝 篠島(しのじま)   に 漂着(ひやうちやく)   し 給ふ 図 【左丁 挿絵だけ】 【陽刻落款印】 高 雅  に帆をとばせり兵船五百余艘 義良(よしなか)親王及び北畠顕信卿の御船  を中にたてゝ遠江の天龍 灘(なだ)を通りける時海風暴に吹あれて逆  浪天を蔽(おほ)ひ或は帆柱(ほばしら)を折られ或は梶を失ひ多くの兵船伊豆  の大島めらの泊に吹よせられぬはなかりけり親王の御船も既に  くつがへらんとしける所に光明 赫耀(かくやく)たる日輪御船のへさきに現  せしほとに頓(やが)て暴風もしづまりて伊勢の国神風の浜《割書:新葉集|に篠島》  《割書:とある|是也》にぞ漂着(ひやうちやく)し玉へりかくて吉野より日野僧正を 勅使と  して此僧に下し玉ふさて親王吉野に帰らせ玉ひ 御醍醐帝  の譲(ゆづり)をうけ即位し玉ふ 後村上院是也猶委しき事は太  平記に見えたりこゝを 帝のましませし跡といひ伝て古  城山と号けしよし今も帝井といへるありてみな其時の余波(なごり)也      《割書:延元三年秋 後村上院かさねて陸奥の国へくたらせ|まし〳〵けるにいくほともなく御舟伊勢の国篠島と》      《割書:いふ所へつきたるよし聞へしかは 勅使としてまいり|たりけるにこのたひ大風なのめならすして御供なりける|舟ともおほくそんしけるをおなし風のまきれに御舟》      《割書:はかりはことゆゑなくこの国へもつかせ給ふ事しかしなから|太神宮の御はからひたるよし神つかさともよろこひ申|けれは頓てこのよし奏し伝りける次に》  《割書:新葉集》   神風や御舟よすらし沖つ浪たのみをかけし伊勢の浜辺に 前大僧正頼意 日間賀(ひまか)島《割書:師崎の東南一里にありて則篠島の北に当れり匝(めぐり)一里余漁家甚多|しさて篠島はもといせの地にして真石多く此島は自ら地勢異に》  《割書:して土色石質もまた師崎にひとし且此島にて捕(と)るところの蛤仔(あさり)は其形大に其|味尤美なり故に世人日間賀あさりと称す其 殻(から)殊に大なるものは径(わた)り三寸四寸に》  《割書:及べり又他に比類なき名|産なること推て知るべし》 比摩賀(ひまか)天神社《割書:同所にあり今八王子と称す本国帳に|正四位下比摩賀天神とある是なり》 永峰山安楽寺《割書:同所にあり曹洞宗|遠州金剛寺末》当寺は文亀二年壬戌僧月伝  の創建にして本尊阿弥陀仏の木像は其作甚古くして殊に  霊像也《割書:此外に三ヶ寺あれども是を略す梅居が蔵する元亀二年に書写せし字|引の奥書に于_レ時元亀二年戊午二月五日ニ是ヲ書畢殊ニ日間賀釣深》  《割書:庵公用ニ二代メ宗珠蔵主五十六歳ニテ書置也としるせる釣深庵は今廃せしにや|定かならねど四ヶ寺の内何れか其釣深庵の改号して今の寺号となりしものなるべし》 野島《割書:篠島の南にあり小島にして人家|なし只草木生しげるのみなり》 松島《割書:篠島の西南にあり小島にして頗高し|其上に一松樹あるのみ故に号るか》 平島《割書:同所にあり甚ひきく平坦(へいたん)なる|ゆゑ名とす是亦人家更になし》  安楽寺本尊に魚を  供養する図 本国帳集説に毎年 正月三日村民当 寺の阿弥陀仏 に魚肉を捧(さゝ)げ て是を祭り しかして後 餔(ほ) 飲(いん)をなす事は 日間賀(ひまかの)神社中世 荒廃し本地仏の 蔵を当寺に遷(うつ)せし よりの俗習ならんか すべて此島の婦 人子を産(う)み て百十日に あたる日必此 本尊に参詣 する事なり 【落款】豊雪 【陽刻印】豊雪 鴎(かもめ)島 《割書:松島と平島の間にあり一巨石 屹立(きつりつ)して水上に突出(とつしゆつ)す|海鴎常に其うへに集る故に号く又 怒亀(とがめ)島ともいへり》 木島 《割書:篠島の北にあり民家なく|草【艸】木暢茂せるのみ》 つくみ島 《割書:篠島の東にあり松樹多し以上の諸島はみな断岸 嶒崚(そうりやう)として|舟をよすること尤難し故に登るもの稀なるよし》 鼠島 《割書:日間賀島の北にあり|て松樹ことに多し》 大磯島 《割書:日間賀島の東にあり巌石のみにして|海潮満る時は僅(わづか)に其 頂(いたゞき)をのこせり》 小磯島 《割書:篠島の北にあり|草木甚繁茂す》 鷲渡島 鳶崎島 内地島 《割書:以上三島は共に日間賀島の北にありて|潮満ればかくれ汐落れば露出す》 恵比寿島 《割書:師崎の海浜にありて一ッ|の岩なり上に孤松樹あり》 奈加天島 《割書:つくみ島小磯島の間にあり|人家なくして草木のみ也》 屏風島 《割書:幡頭崎の西にあり|是また民居なし》  夫木抄に尾張国もとめ島あり松葉集秋寝覚等にももとめ  島を尾張の名所とすされど今さる島なし按ずるにこゝにいへ  る島〳〵のうち何れかもとめ島なりしを後世改号して其名 【右丁】  須佐(すさの)入江(いりえ)   権大納言顕朝 《割書:続古今》 冬くれは  すさの入江の   こもりぬも  かぜさむ    からし   つらゝ 【左丁】    ゐにけり   常盤井入道    前太政大臣 《割書:続拾遺》 風あらき  すさの    入江に  波こえて あちきなき    まて  ぬるゝ袖かな 【陽刻落款印】芙山  をうしなひし物なるべし 白雲山円蔵寺《割書:須佐村にあり天台宗野田村密蔵院末天長|五年の創建にして頗古梵刹なり》本尊《割書:十一面|観音》 須佐の入江《割書:須佐村の海辺にして東は小佐(をさ)の山西は|須佐の地長く南へ張出て入海となれり》一名かるもが浦ともいひ或はあら  井ともいへり又類字名所和歌集に摂津の名所ともすれど契  沖法師の勝地吐懐編に須佐の入江は東国の地名なるよしの論  ありて 冬くれはすさの入江《割書:云々》これは万葉第十四東哥に あち  のすむすさの入江のこもりぬの《割書:云々》是をとり用らる国末勘なれども  東うたなれば摂津にはあらず同十一にも あちの住すさの入江のあ  りそ松《割書:云々》とよめりとあり  《割書:万葉》   味乃住(アヂノスム)渚沙乃入江之(スサノイリエノ)荒磯松(アリソマツ)我乎待児等波(アヲマツコラハ)但一耳(タヾヒトリノミ)    よみ人しらす  《割書:同》   阿知乃須牟(アヂノスム)須沙能伊利江乃(スサノイリエノ)許母理沼乃(コモリヌノ)安奈伊伎豆加思(アナイキヅカシ)美受比佐爾指天(ミズヒサニシテ)  《割書:続拾遺》   夜をさむみ須佐の入江に立ちとり空さへ氷る月に鳴也     権律師公献  《割書:続後拾遺》   みさこゐるすさの入江にみつ汐のからしや人にわすらるゝ身は  登蓮法師  《割書:夫木》   あやめ刈すさの入江のこもりぬにおりたつ田子の袖もぬるらし 後鳥羽院御製  《割書:為家千首》   あちのすむすさの入江のあしの葉も緑ましらぬ冬は来にけり  為家卿 鯵魚(あぢ)《割書:当郡東西の諸村にてとる形大きく味も亦他にすぐれたれば当郡の名産とすとり|わき須佐のあぢは夫木抄の恋哥の中に家隆卿 恋をのみすさの入江にすむ魚の》  《割書:うきぬしつみぬあちきなの世や とよまれたれば其名高しもと此哥は万葉の古哥に|よられたれどもあぢ鳥を魚にとりなしよまれたるがおもしろければにや八雲御抄にも》  《割書:あぢは魚の名なる|よししるしたまへり》 須男(すな)天神社《割書:須佐村にあり今八剣社と|称す創建の年月詳ならず》本国帳に従三位須男天神と  ある是なり天孫本紀に宇摩志摩治命十一世物部 真掠(マクラノ)【椋】連  公 ̄ハ須佐 ̄ノ連 ̄ノ祖と《割書:云々》されば須佐連の祖神のこゝにまします故地名  となりしか又ある説に須佐男社なるか本国帳に佐文字 脱(だつ)したるなる  べしといへるも捨(すて)がたかるべし○神宝《割書:古 鉾(ほこ)の柄(つか)あり銘に徳治二年九月|十三日荒木田剣若丸の字見ゆ》 池水山正衆寺《割書:同村にあり曹洞宗常滑天沢|院末創建の年記詳ならず》往昔長面寺と号す建  久二年 頼朝公菩提寺とせられし時寺領 若干(そくばく)を寄付ありし  証【證】状今も寺伝す其末文に云兵衛佐寺也斎藤越中守可_レ知_二 【右丁】 【陽刻落款印】春江 【右から横書き】 岩屋寺 【左丁】 地清寺亦古 嵌巌抱_レ山【竒+欠】 巌頭 ̄ノ石羅漢 坐立各参差 含_レ花和鳴 ̄ノ鳥 来説陀羅 尼_一  精一  行 ̄ス之_一と《割書:云々》末に花押ありしかれども建久二年には頼朝公既に  右大将に任ずしかるを兵衛佐とあるは頗る付会に近く且斎藤  越中守は室町将軍家に仕へし人にて時代もたがひたれば暫(しばら)  く後考を俟(まつ)のみ○本尊《割書:釈迦の木像脇士|聖観音地蔵菩薩》鉄拳梅(てつけんばい)《割書:境内にあり当年(そのかみ)|九鬼大隅守の侵》  《割書:掠せし時此梅独兵火の延焼に及ばされば|かく名付しにや今も猶枝幹共に栄えり》 大慈山岩屋寺《割書:岩屋寺村にあり天台宗野田密蔵院末もと巌窟寺と書けり一山|に巨巌多くあるに依て寺号とす尾陽雑記に 勅使押小路中納言》  《割書:尚実卿下り給ひて千眼光寺と|勅号を下したまふと云々》霊亀元年の創建 聖武帝の勅願行 基菩薩を以て開山とす《割書:本国名勝志に岩屋千眼光寺|須佐掃部助長治草創といへり》永享九年《割書:丁| 巳》  火災に記録等焼亡すといへども伝へいふ弘法大師曽て此地に  来り清浄の密場なるによつて百日の護摩を修し正観音の霊  像を巌穴に崇(あが)めらるこれ則当寺の奥の院にして女人結界の橋  を架(わた)し此所を女人の拝所とす実に一区の霊場也慶長五年の  秋九鬼大隅守寺宝を奪はんとて堂宇に火をかけしが燃(もえ)ずして  止たり其 焼痕(しやうこん)今も柱に残れり往昔は十二坊ありて当寺を掌(つかさど)  りしが其後 頽廃(たいはい)し今 纔(わづか)に五坊のみ存せりいはゆる中坊橋坊  谷坊南坊杉坊是なり○本尊《割書:千手観音は文殊菩薩の鋳(ゐ)給ふ閻浮(えんぶ)|檀金(だごん)の尊像にして唐の楊貴妃か守》  《割書:本尊なりしが衆生済度のため大海の潮に漂(たゞよ)ひ此地に来り玉ふ其頃須佐村の土|民に藤六といへる正直一偏の者ありかの霊像藤六へ夢中に告させ玉ふは是より北に》  《割書:当つて巌窟(かんくつ)の霊場あり諸神影向の清浄界也いそぎ其地へ我を遷すべしとの|霊夢にまかせしこれその浄域なり近世当郡八十八ヶ所の札所を定めし其第一》  《割書:番にして有信(うしん)の参詣|常にたゆることなし》寺宝 宋板の一切経《割書:右衛門尉盛光宝|徳三年の寄付》阿弥陀  土像《割書:弘法大|師の作》涅槃像《割書:兆殿司|の筆》紺紙金泥法華経《割書:伝教大師|の筆也》同阿弥  陀経同心経《割書:中将姫|の筆》役行者(えんのぎやうじやの)錫杖(しやくぢやう)《割書:一|枝》此外三十余種の奇品あれ  どもこれを略す《割書:文化年中寛海律師《割書:名は|豪潮》当寺に住せしか其頃数多の|資財を出し本堂の前後 巨巌(きよがん)の凹処(くぼみ)或は山腰の小高き所へ》  《割書:石にて彫刻せる仏 菩薩(ぼさつ)及び五百羅漢の像まで夥(おびたゝ)敷安置し衆生結縁の方便と|せしが今はさながら苔むして尊ふとさいやましぬ実に当国第一の清浄境にして律》  《割書:師の功徳も広大といふべし又律師は近世の名僧にして持戒の堅固はさら也仏乗|及び儒学に長じかたはら書画を善せり著述の書またすくなからず》 久須(くす)天神社《割書:楠村にあり俗に八幡と称す本国帳に|従三位久須天神とあるこれなり》摂社《割書:権太宮社 鍬神社|山神社等あり》 伊勢山《割書:東端村にあり此山海岸に臨みて尤絶景なり麓(ふもと)の海浜に巨石多ししか|れども石質此地に産する所と同じからすこは 天照大神 戯(たわむれ)に擲(なげ)させ》 【右丁】 【陽刻落款印】春江 名産  貝品           千種貝 tchitanekahi                           水くらげ一種     あこや貝 akoya.kahi  錦貝 nichiki.kahi                    塩尻貝                   《割書:しほ貝とも|  いふ》 chiofuki.kahi       みの貝       都貝        やうじ貝       mino.kahi     miyako.kahi     うづら貝     housoura.kahi        鷲【ママ】貝    実なし貝     雲隠れの竜貝  巴貝     tombi.kahi  jitsunasi.kahi          tomoyo'.kahi                  mioho▢ji.kahi                      したみ貝 chitami.kahi                          す貝《割書:したみ貝|のふた也》 sou.kahi 沓貝 ko.kahi  玉貝 tama.kahi  羽根貝 hane.kahi  裏紫 ▢▢▢.kahi 【左丁】 蓮葉貝     桔梗貝         からす貝  やどり貝 De'gne'.kahi  《割書:蓮葉貝の|うら也》    輪宝貝   karas.kahi  yadori.kahi         kikio.kahi                             時雨貝                             chighoure.kahi あられ貝    きせる貝             忘貝 harare'.kahi  《割書:但し山にあり》  紅葉貝     wasoure'.kahi        kise'rou.kahi 《割書:ひし貝| ともいふ》     雀貝               momiji.kahi  soujoume'.kahi         子安貝               石蛇   板屋貝  koyasou.kahi  葵貝   竹の子貝    《割書:まがり| ともいふ》   sakaya.kahi           take'noko.kahi  maggaari.kahi 帆立貝    角貝             千鳥貝    hotate'.kahi  tsuno.kahi  minato.kahi  chidori.kahi                     かうばし貝     兜貝                  kobachi.kahi   kabuto.kahi                 《割書:赤がせ黒かせの角落て|兜貝となる角はかうばし貝|なり》  《割書:玉ふ石こゝに至ると云々故に土俗 礫(つぶて)石と呼よし又久村も伊勢山|ありすべて当郡のうちに彼 神宮の神戸御厨等の古跡所々にあり》 内海(うつみ) もと庄名にして此辺すべて内海の庄也東鑑及び宗祇の方  角抄に内海と見え松葉集には打見とかきて尾張の名所とす  当郡の海浜殊に浪のあらきはこの内海の浦也されば種々の石及び  貝殻(かいがら)など多く打上て児女の玩弄(もてあそび)となれるもの少からず猶其  百分の一を図して以て世に博(ひろ)くす又海藻も多し殊に神馬(じんめ)  藻(さう)《割書:一名な|のりそ》といへるは 神功皇后三韓征伐の時馬に此藻草を  飼(か)ひ玉ひしより神馬藻といひ伝へて下学集にも見えたり  其味亦甚雅趣あり  《割書:名寄》   海近きうらには松の音たてゝ浪そうつみの沖つ夕風  鴨長明 蜃気楼《割書:同所の浦々にて春夏の交(あはひ)朗晴の時海面に浮べる気象にして濛朧たる|烟霧の如き中に山郭旌旗城楼竹樹人畜動静の姿まで形を現じ》  《割書:須叟に又消滅す是則海市也周防にて浜遊(はまゆう)と称し越中にて狐の森といふ皆同|気なり又 蜃蛤(しんかう)の吐(は)ける気ともいへり前漢書天文志 ̄ニ云海旁 ̄ノ気象_二楼台_一広野 ̄ノ気》  《割書:成_二宮闕_一と是則海市山市にして仏書に|いはゆる乾闥婆城もまた同一気なり》   《割書:    詠 乾 闥 婆 城 喩                空 海|海 中 巌 麗 見_二 城 櫓_一 走 馬 行 人 南 北 東 愚 者 乍 観 為_二 有》   《割書:実_一 智 人 能 識 仮 而 空 天 堂 仏 閣 人 間 殿 ▢_レ 有 還 無 嶼|_レ此 同 可_レ 笑 嬰 児 莫_二 愛 取_一 能 観 早 住_二 真 如 宮_一》  《割書:此詩の形容全く蜃気楼の趣を尽せり又常陸の影沼と称するものは地上に人物の|往来する影のうつれるものにして上の蜃気楼海市浜遊狐の森などゝは更に事かはりて》  《割書:そも地鏡例影|の類ならん》 乃野(なの)天神社《割書:久村にあり明神と称す本国帳に従三位乃野天神|とある是なり里民此地をさして天神山とよぶ》 月光山西岸寺《割書:西端村にあり浄土宗|成岩村常楽寺末》本尊《割書:三尊の|阿弥陀》寺宝 芦屋釜(あしやがま)《割書:一|口》  茶入《割書:藤四|郎焼》鞍《割書:一|口》以上の三品は内海の城主佐治備中守所持の品に  して自ら寄付する所也《割書:当寺は海に臨みて波涛常に大門の下迄打寄つゝ凡俗の塵(ぢん)|垢(く)を一 洗(せん)する清浄の梵宮にして風光もまた大によし》     《割書: 後園のうめを                 現住》     冬の梅人のゆたんをさきにけり    専阿 仏光山宝樹院《割書:吹越村にあり浄土宗大野東龍寺末元亀三年|の草創にして賀了自慶和尚を開山とす》本尊《割書:阿弥|陀の》  《割書:座像慈覚|大師の作》寺宝 円光大師舎利一枚起証【證】《割書:関通上|人の筆》牡丹(ぼたん)睡猫(すいびやう)の  図《割書:宅磨法|眼の筆》出山釈迦《割書:山楽|筆》随(ずいの)煬帝(やうだい)遊宴の図《割書:李嵩|の筆》西湖 ̄ノ図の屏  風一双《割書:啓書記|の筆》古面《割書:春日|の作》此外許多あれどもこれを略す 【右丁】  内海浦 鰯網(いわしあみ) 鰯網は五月より 十月迄日毎に出る 一網に人数百人 船数十九艘也但し 大船二艘網舟二艘 手船三艘サイトリ舟 十二艘を合せて大網 一艘といふ網の大サ 長三百六十二間中 六十五間ほとあり はじめ漁夫(むらぎみ)の相図 にて魚の多少を 知り然してあみを おろせり扨魚網へ 入て後左右より網舟へ 是をたぐり入れトツタ といふ物にて魚を 大船へかき込夫より 五斗入の籠にて サイトリ船へはかる 大概一網に千三百 【左丁】 籠ほどありまた いわし沢山に入ル時は しびも多く入也 《割書:島めくり》  鰯網   ひくや    くれゆく   根なし      雲    楚山 【陽刻落款印】春江 井際山持宝院《割書:馬場村にあり真言宗|長野村万徳寺末》当寺もと伽藍ありて観福寺と  号す中世 頽廃(たいはい)して只観音堂一宇のみ存せしが寛正元年庚辰  全尊といへる僧再建して今の寺号とすしかれども今も猶観音  堂には古名を呼て観福寺と云むかし弘法大師加持し給ひて湧(わき)  出(いで)し轟(とゞろき)の井今も山下にありさて数百の石磴を登れば観音堂  あり爰より南を望めば蒼海の末に朝熊山を見渡してその風  景いふ計りなし又境内及び近き山々に桜楓数千株ありて  春花秋葉雲にまがひ霞を欺(あざむ)く風景はさながら変態(へんたい)動揺(だうよう)  する画図にして実に絶倫 無儔(むちう)の勝地也中にも観音 平(だいら)  いなり山などいへるは殊に十倍せり○鰐口《割書:応永二十二|年の銘あり》救世尊額《割書:晁文渕|の筆》    香ににほふ高ねの雲は吹はれてふもとにつもる花の白雪 粟田知周    山高み見すてやみなん桜花うれしく風のこゝにちらせる 鈴木真実    春霞たつよりやかて花の紐とくさきいてん色をこそまて 大橋直亮  持宝院 春はたゝ  花にこゝろそ   うつりける  身はすみそめと   おもひすてゝも    徳端 峰の雲  担ふて   花見    もとり      かな       六林 【陽刻落款印】春江  其二 後の世    も  かくて   ありたし  花の   友  帯梅 【陽刻落款印】春江   あかす見てかへる家路にちる花をあとよりおくる春の山風 堀田梅衛 秋葉山《割書:同村にあり当郡西浦第一の高山にして眺望の風景尤他にまされり|中古山上に秋葉の社を勧請せしよりかくは呼びならはせるなり》      《割書:馬場村の山上秋葉山をうつしたる山あり高き事霧|を潜(くゞ)りて雲門に入るかことし東西の海浜眼下にありて》    《割書:   南北の村里草鞋にさはる計也|島めくり》     八朔や 八重の潮路にまつの声   竹有 金王丸足跡石《割書:同村の山中にあり其傍に《振り仮名:姥撻谷|うばうちだに》といふ所ありしかれども今彼石を姥|はり石といひならはせり里人の説に義朝 長田忠致(おさだたゞむね)がために弑せられ》  《割書:給ふ時 忠致(たゝむね)思ふやう金王丸近侍せば大望の妨ならんと魚猟(ぎよりやう)に事よせ海辺にいざな|はしむれば金王丸何心なく浜辺にありしが程なく長田が宅の騒動を聞つけとつて》  《割書:返す其途中老婆に行合ひ事実を問ひしかば既にうたれ給ひしよし答ふ其時金王|丸忿怒に堪へず拳(こぶし)をもつて彼老婆を打しに老婆忽化して石となる其時金王》  《割書:丸の踏つけし石を足跡石といふよし其石少しくぼみたれど足の形にあらず此|説大御堂寺の絵伝にも古記にも見えねど土俗の口碑を其まゝにしるすのみ是上野の》  《割書:松井田の辺にあるゆり若大臣の足跡石の説のごとく|俚語に似たれども来由の久しきまゝこゝにしるす》 入見神社《割書:中 ̄ノ郷村にありて五男三女|を祭る故に八王子と称す》内海十六村の本土(うぶすな)神にして延喜  式にいはゆる入見神社本国帳に従二位入見天神とある是なり  《割書:社前に古樹一株あり唐木なる|よしにして其名詳ならず》摂社《割書:白山祠 熊野祠 洲原祠|鍬神祠 大将軍祠 金毘羅祠》例祭《割書:八月十七日|にして船》  《割書:試楽棒の手|行列等あり》祠官《割書:市川|氏》 【右から横書き】 姥(うば)はりの石の古事 【陽刻落款印】春江 龍海山性海寺《割書:同村にあり曹洞宗三州萩村龍源寺末永正五年戊辰佐治遠江|寺の草創にしてもと岡部村にありしを文禄元年壬辰佐治》  《割書:備中守為縄今の地にうつし嫡子九郎兵衛吉重法名勢雲總威の為に修造を加|へて勢雲寺と改号せしがふたゝび旧号に復しぬ佐治代々の牌子あり》  本尊《割書:釈迦の|木像》寺宝 鞍(くら)鐙(あぶみ) 《割書:佐治備中守所持の品に|して其後当寺へ寄付す》 富具崎(ふぐざき)《割書:細目村にあり石磴(せきとう)回旋(かいせん)懸崖(けんがく)突兀(とつこつ)として|漫々たる波浪に臨み流眸 無碍(むげ)の好風景也》尾張風土記 ̄ノ残編 ̄ニ云此  山諸木欝々 ̄トシテ四時為_レ緑西 ̄ハ崎嶇 ̄トシテ臨_レ海東 ̄ハ岩壁洗_レ潮天晴気朗 ̄トキハ  則勢州 ̄ノ山岳在_二 一瞬 ̄ノ中【一点脱】云々最よくその風光を形容せり 富具天神社《割書:同村にあり俗に風宮と称す祭神級長津彦神本国帳に|従三位富具天神とある是なり鎮座の年記詳ならず》永  正六年己巳当村の城主緒川氏これを再営す抑当社は海岸  絶壁の上にありていにしへ往還の舶舟(はくしう)此社前に至ればみな必  帆を卸(おろ)して過ぎしとぞ是此神を崇敬する故なるよし和名  抄にも富具とあれば其地名の古き事しるべし○摂社《割書:神明祠|多賀祠》  《割書:天王祠 楠祠 八幡祠 恵比須祠 船玉明神祠|魂神祠 山神祠 富士神祠 等甚多し》例祭《割書:正月上午の日水戸祭とて村|民 榊(さかき)を取り祭事をなす後》  《割書:に其榊をおの〳〵私田にさしはさむ|事也また六月十六日祇園会あり》 大御堂寺《割書:柿並村にあり真言|宗長野万徳寺末》当寺所蔵の天文三年甲午三月の  勧進帳に 白河院の御建立承暦年中草創と見え東鑑  に文治二年閏七月廿二日前廷尉平康頼法師浴 ̄シ_二恩沢 ̄ニ_一可_レ為_二  阿波国 麻殖(ヲエ)保々司(ホノホシ)_一《割書:元平氏家|人散位》之旨所_レ被_レ仰也故左典厩 ̄ノ《割書:義|朝》墳  墓在_二尾張国野間庄_一無_レ 人_下于奉 ̄ルニ_上訪 ̄ヒ_二没後 ̄ヲ_一只荊棘之所_レ掩也而 ̄ルニ此 ̄ノ  康頼任中赴 ̄ク_二其国 ̄ニ_一時寄-_二付 ̄シ水田三十町 ̄ヲ_一建_二小堂 ̄ヲ_一令_三 六口僧修 ̄セ_二  不断念仏 ̄ヲ_一云々仍 ̄テ為_レ被_レ酬_二件 ̄ノ功_一如_レ此云々と見えたり或は  白河院の御宇阮に此寺ありと云々しかるを康頼別に  一堂を建るといへり享禄四年十月十三日の兵火に焼失し只  大御堂及び楼門のみ存せり天文三年甲午三月伽藍を再  修せしを慶長五年の秋九鬼大隅守当郡を侵掠(しんりやう)せし時坊舎  を焼払ひてより頽廃(たいはい)せり近年重修して又旧のごとく堂宇  儼然(げんぜん)たり抑平治元年己卯十二月左馬頭源義朝京軍の為に 入見神社 蜘の囲    に  秋の小雨の   かゝりけり      馬六 【陽刻落款印】春江 【右丁】  内海(うつみ)  富具崎(ふぐざき)    晁文淵 暫厭_一【二点の誤記ヵ】塵囂累_一言尋_二 物外遊_一携_レ琴倚_二怪 石_一載_レ酒望_二行舟_一万 嶽既舗_レ雪千林早 謝_レ【注】秋幽賞等_二云徧_一 唯見夕陽収 【注 𧬄は謝の本字】    戸田寿平 望入_二南荒_一不_レ見_レ山 蒼波渺々遠連_レ 天 風帆幾片飛如_レ鷺 知是東行万斛 ̄ノ船 【左丁】    森真斎 鵬雲飛尽大溟開 潮送_二千鯨_一響若_レ雷 参勢相欹恰似_レ闥 銀涛百畳直排来 【陽刻落款印】春江  敗北して濃州青墓の長者 大炊(おほゐ)が許(もと)に落着(おちつき)夫より東国へ下  らんとし玉ひしに大炊は懇(ねんごろ)にもてなしこゝにて年を送りしづかに  御下向あるべしと申けるがこゝは海道ゆゑあしかりなん早く尾張の  野間に至り長田(おさだ)を頼むべしとていそがせけるにはや宿(しゆく)の者共聞  つけて二三百人押寄たり是を見るより佐渡式部大輔重成討  死して通し参らせんとて馬にのり寄手の者を散々(さん〴〵)に蹴(け)ちらし  子安の森に入り左馬頭義朝自害するぞと名のりつゝ面の皮を  はぎ腹(はら)搔切(かききつ)て空しく成りにけり此ひまに義朝は大炊が弟 鷲(わしの)  栖(す)玄光を頼み夜にまぎれ小舟に乗りて株瀬(くひぜ)川を下り十二月  廿九日《割書:絵伝に|廿八日》当所長田庄司忠宗《割書:或は忠致|に作る》が亭に至り給ふ御供  には鎌田兵衛政清《割書:或は正清政家|等に作る》平賀四郎義宣 渋谷(しぶや)金王丸  及び玄光ともに四人也忠宗は普代(ふだい)の御家人にしてしかも政清が  舅(しうと)なれば君臣ともに心解て暫くこゝに滞留あるべき由也忠宗  外には崇敬の礼を厚し義朝を書院に請(しやう)じ置 随陪(ずいばい)の壮士を  遠く別間に憩(いこ)はせ厨(くりや)には山海の珍味を集めて饗応(きやうおう)善美を  尽すといへども内には窃(ひそか)に逆意(ぎやくい)を挟(さしはさ)み其嫡子 景致(かけむね)《割書:或は景宗|に作る》を  一ト間へ招(まね)きいふやうかねて六波羅殿よりの御教書に義朝を討  て進(まい)らせなば勧賞望みのまゝなるべきよししか〴〵と語れば景致  速にどう同意しかゝる折しもあれたとひ我君是より東国へ下り給ふ  とも平家の権勢盛なれば必定人手にかゝり給はんしかじ吾等御  首を討奉りて平家の恩賞を得永く子孫の栄華を全ふ  せんにはと素懐(そくわい)を密談しさて君は武勇(ぶゆう)猛威(もうゐ)の名将にまし  ませば小勢にわたらせ給ふとも討(うち)奉らんこと大事也十全の策(はかりこと)には  湯殿へすかし入奉りてその時聟の政清をば別間へ招き酒肴  に饗(もてな)すべし君討れ給ひぬと聞て走(はせ)出なば景致 妻戸(つまど)の陰(かげ)に  待合せ彼を斬伏(きりふ)せん又橋七郎は無双の大力なれは組手(くみて)と定め  弥七兵衛及び浜田三郎は達錬(たつれん)の武者なるによりさし殺しまいら  せよと密にてうじ合せ三人を床下に忍はせ置き明る正月三日忠  致義朝の御前に出此頃道すがらの御労れを休め給はんため  御湯召さるべしと懇に申ければ頓(やが)て湯殿に入り玉ひぬかくて  金王丸は御刀を持て伺候(しかう)せしが程ふれども御 浴衣(ゆかた)参らせず  諸事ふつゝかなれば金王丸大に怒り自ら取に行ける其 隙(ひま)に  床下より橋七郎飛で出組付しを義朝さはがず心得たりと  捕(とつ)て押(おさ)へ膝(ひざ)の下に踏敷(ふみしき)給ふ続(つゞい)て弥七兵衛浜田三郎も左右  より打てかゝり無二無三に脇(わき)の下を刺し通しぬ此時政清は  なきか金王丸はといひもあへず終に空しくなり給ふ《割書:行年三|十八》しかして  御首を打取り相図の者に渡して出る所を金王丸帰り合せ此  体を見るより早く三人ともに湯殿の口にて斬伏せたり政清は  夫ともしらず忠宗がもとにて酒飲み居けるが此由を聞つけ立出る  所にかねて妻戸(つまど)の陰(かげ)に待設(まちもふ)けたる景致 遯(のが)さじと一刀に諸膝(もろひざ)斬(きつ)  て討伏けり《割書:行年三十八義朝と同年也最|期の始末に諸説あれど略す》玄光も頭殿(かうのとの)の討(うた)れ玉ひしと  聞てこは政清が所為(しはざ)ならんと長刀かひこみ走(は)せ廻るに政清もはや  討れぬと聞てさらは長田をこそ討んとて金王丸と二人もろともに  乱橋にて数多の敵を斬て廻り《割書:乱橋は田上と長田|が宅の間にあり》長田を尋れども  父子更に見えざればさては御首を持て上洛しつらん追駆(おつかけ)【駈は俗字】んもの  をと廏(うまや)に入て馬二疋を引出し打乗てみごと礙(さゝ)へばさゝへて見よ  と呼(よは)はりしかども遠矢少し射かけたるのみにて敢(あへ)て近(ちかづ)くもの  もなかりけり玄光猶も大音に我今六十三才軍に会ふこと十  度いまだ一度も敵に後(うしろ)見せじと逆(さか)馬に乗て馳行き終に  わしのすに留(とゞ)まりぬ金王丸は都へぞ上りけるさて政清が妻  かゝる夫の横死を聞より走(はせ)来り屍(しかばね)を抱きて大に悲歎し父の不  道を恨みつゝ終に夫の刀を取りて自害せり《割書:諸説異同あ|れども略す》かくて 【右丁】 【陽刻落款印】 高 雅 《割書: |大日本史》 鎌田政家 ̄ノ妻平氏 ̄ハ長田 荘司忠致 ̄ノ女也平治元 年源 ̄ノ義朝兵-敗将 ̄ニ_レ走 ̄ント_二 関東 ̄ニ_一路抵 ̄リ_二尾張野間 ̄ニ_一 投 ̄ス_二忠致 ̄カ家 ̄ニ_一忠致戕_二義 朝 ̄ヲ_一併 ̄ニ殺 ̄ス_二政家 ̄ヲ_一妻聞_レ変 ̄ヲ 至 ̄リ_二其死処 ̄ニ_一哀慕悲慟 ̄シ 遂 ̄ニ伏_二政家 ̄カ刃 ̄ニ_一而死 ̄ス 【左丁】 義朝最後の図 【両丁挿絵】 其二  長田父子は池に臨て御首を洗(あら)はしめ《割書:今当寺の門前に血池といふあり|此池天下に兵乱ある時は池水》  《割書:血に変ずといふ又傍に下馬橋といふあり|義朝の廟所を恐れて下馬したる橋なるべし》是を持て上洛し六波羅の勧  賞を望む所に清盛の喜悦 斜(なゝめ)ならずといへども重盛其不義を  悪んで重賞を加へずたゞ壱岐守の号を与(あた)へらる長田案に相  違し猶 誅戮(ちうりく)せられんもはかりがたければ早々尾張にぞ下りける  かゝる非道の父子なれど天理に違へる先非を悔(く)い或は身のなり  行を案じつゝ兎角して年月を送りけるがそのゝち頼朝公の  武威日を追い烈(はげ)しく成ければ身を置に所なく父子十騎計り  羽をたれて【注】鎌倉へ参り己(おの)が罪科を訴(うつた)へ出ければいみじくも まいり  たり猶身命を惜(をし)まず抜群(ばつぐん)の軍功あらば罪を許(ゆる)すのみならず  美濃尾張を宛(あて)行ふべしとの厳命にて土肥次郎にあづてら  れけるが長田父子誠に蘇生(そせい)の心地して顴(くわん)喜 骨髄(こつずい)に徹(てつ)し摂  州一の谷の軍をはじめ数ヶ度戦功を奏しけり然るに頼朝公 【注 頭をさげて】  天下平 均(きん)の後上洛の序当地に御駕を枉られ先考及び鎌田  が石牌を建御菩提のため大御堂寺七堂伽藍を再興し  紀州高野一山の僧侶を請じ供養ありかくして長田父子を  かうの殿の御墓近く引来り兼約のごとく今 《振り仮名:身の|美濃》《振り仮名:終り|尾張》を給ふぞ  とて磔(はりつけ)にしてなぶりごろしにぞせられける《割書:はりつけ松とて|今も山上にあり》何しか  したりけん   《振り仮名:なからへ|イニきらへとも》て命はかりはいきのかみ身のをはりをは今そ給はる  右の哥を書て《割書:此哥一説には長田が|辞世也といへり》高札をたてにくまぬ物はなかりけり  《割書:已上平治物語参考平治物語東鑑及び絵伝等を|参伍考訂して什が一を略抄するのみ》 《振り仮名:尓|しかり》しより此かた当寺の法  灯断絶なく両将追福の供養(くやう)怠慢(たいまん)なし○本尊《割書:三尊の阿|弥陀如来》鎮  《割書:神明|宮》鐘《割書:銘に建長二年十一月十九日大工|藤原光延勧進沙弥正周とあり》源義朝墓《割書:大御堂の東にあり|長田忠宗義朝の》  《割書:首を京師に伝へ其 骸(から)をこゝにうづむ伝いふ義朝 最後(さいご)の時せめて木太刀にてもあらば|と悔み給ひしより今も土民 瘧(おこり)を煩らふもの木太刀を備ふれば愈ると故に墓所に》  《割書:捧(さゝ)げし木太刀|堆をなせり》鎌田政清墓《割書:義朝の墓の|北にあり》織田三七信孝墓《割書:義朝の墓の|南にありその》 【右丁】  義朝公 尊霊(そんれい)供養(くよう)の図 文治(東鑑)六年十月廿五日丙午 以_二尾張国御家人須細 ̄ノ治 部 ̄ノ大夫為基 ̄ヲ_一為_二案内者 ̄ト_一到 ̄テ_二 于当国野間 ̄ノ庄 ̄ニ_一拝 ̄シ_二故左 典厩 ̄ノ廟堂 ̄ヲ_一《割書:平治有_レ事奉|_レ葬_二于此所_一云々》 給 ̄フ此 ̄ノ墳墓被_レ掩_二荊棘 ̄ニ_一不 ̄ル _レ払 ̄ハレ_二薜蘿 ̄ヲ_一歟之由日来 ̄ハ者 於_二関東 ̄ニ_一遙 ̄ニ令 ̄メ_レ遣 ̄ラ_レ懐 ̄ヲ給之 処仏閣俳 ̄キ_レ扉 ̄ヲ荘厳 ̄ノ之 粧 ̄ヒ遮 ̄ツテ眼 ̄ニ僧衆構 ̄ニ_レ座 ̄ヲ転 経 ̄ノ之声満 ̄ツ_レ耳 ̄ニ也二品 怪 ̄ミ_レ之 ̄ヲ為 ̄ニ_レ解 ̄ン_二凝氷 ̄ヲ_一被 ̄ルノ_レ尋_二濫觴 ̄ヲ_一 之処 ̄ニ前 ̄ノ廷尉康頼入道守 ̄タルノ_二 于国 ̄ニ_一之時令 ̄シヨリ_レ寄_二付於水田三 十町 ̄ヲ_一以-降建_二立 ̄シ一 ̄ノ伽藍 ̄ヲ_一奉 ̄ツルト _レ祈_二 三菩提 ̄ヲ_一《割書:云| 云》 【左丁 挿絵】 【陽刻落款印】 高 雅  《割書:事実は既に熱田の条に|しるしたればこゝに略す》平判官康頼墓《割書:山門の西にあり治承元年俊寛法師|丹波少将成経等と平氏を討ん事》  《割書:をはかり事あらはれて鬼界ヶ島へ流されしが其途中にて髪をきり名を性照と改め彼|島に居る事三年にして赦免に逢ひ帰洛の後東山の双林寺に閑居して宝物集を著せり又》  《割書:阿波国の保司に任ぜられしが任中当寺へ水田三十町を寄付し一堂をも建立|し義朝の追福をせられしゆゑ其のち寺僧此石碑を建しとぞ》池 ̄ノ禅  尼墓《割書:義朝墓の東にあり平治の乱に頼朝公平家のために既に失はるべき所平清盛|の継母池禅尼慈愛深く殊に頼朝公の容貌【皃】尼公 鐘愛(しやうあい)の亡息左馬頭家盛》  《割書:に彷彿(はうほつ)たりとて平相国に歎き一向に命乞して終に遠流の身となりき頼朝公彼|鴻忍(かうにん)を謝(しや)せんがため境内に一堆(いつたい)の墳墓を築き自ら八軸の妙典を書写して塚中に》  《割書:収め尼公追福の営ありしとぞ又頼朝公はじめ遠流の時禅尼の守り本尊の地蔵 菩薩(ぼさつ)|を頼朝公に付属して尼公示して曰く早く出家入道して父祖の菩提を訪ひ此尊像》  《割書:に帰依し奉れとありしを頼朝公当寺に|寄付せられしとぞ今も其尊像当寺にあり》  大坊《割書:大御堂寺一山中六院の巨擘(きよはく)たり内殿の本尊阿弥陀如来は親鸞聖人|の彫刻する所にしてもと水野家代々の守り本尊たりしが此尊像に祈願し》  《割書:大坂夏冬の御陣に勝利ありし事当山縁起に見えたり中興長衛法師は|神君の御ゆかりもあれば慶長年中此寺に遊び給ふ砌何事にても望みあらば申べき》  《割書:よし仰ありしかば長円戦国の風に習ひしにや心のまゝに鹿持りすべき地并鷹御免|あれよかしと申せしかば 神君不法の事におぼしめすといへども鷹 簡(ふだ)鹿簡及び》  《割書:小鳥の証【證】章なんど命じて有司より下し玉ふ実に不律乱行の事也次の住僧秀|円法師あさましとて彼簡を深くかくし置しが又其次の住僧快円法師の時或人より》  《割書:彼鷹鹿の簡を乞けるまゝ其人に与へしとぞ然れども小鳥の証【證】章は今も猶寺伝す|長円は水野氏の人なりしに 神君の御由緒もあれば其後代々水野家より住職に今》  《割書:も猶|しかり》霊宝 故(こ)左典廏(さてんきう)【厩は俗字】太刀《割書:一|柄》頼朝公像《割書:一|幅》長田忠宗弑 ̄スル_二義朝 ̄ヲ_一 【陽刻落款印】春江 乱(みだれ)橋 法山寺 浴室跡 長田宅址 磔(はりつけ)松 血池 《割書: |知多の栞》 紅は  木々に   ゆつりて     秋の水      白梵 【右丁】 大御堂寺   其一 義朝墓 信孝墓 正清墓 池禅尼墓 康頼墓 みなもとも  にこらさら      まし   すへらへに       いむ        かふあた          と         ならす          あり         せ          は          伯淹 【左丁 挿絵】  其二      新川 《割書: |日本名勝詩選》 来游独作_二昔時 ̄ノ 看_一碧血池頭尚 未_レ乾何料伏_レ兵 終迫_レ浴唯聞売 _レ主横求_レ官江門 日落潮痕遠野 寺秋深木葉寒 父老相逢説_二遺 事_一空教_三客子起_二 悲酸_一      常春 猛将余謀尚在_レ東 迍邅当日奈_二英雄_一 保平之際無_二倫 理_一勝敗何須問_二  異同_一張海潮  声来_二怒勢_一御  堂秋樹撼_二悲 風_一即今遺淂千 年醜化作_二無腹 鬼面 ̄ノ虫_一  図及大御堂供養 ̄ノ式図二幅《割書:国祖君狩野守信に命じて画(ゑが)かしめ給ひ|神君御譲の織物を以て表具し且》  《割書:国祖君自ら書玉ひし|義朝最期の絵伝あり》血池(ちいけ)の染紙(そめがみ)《割書:往昔池水血に染|りし時染取りし紙也》安養院《割書:織田三七信|孝の位牌あ》  《割書:り右大将平朝臣浄岸大禅定門神儀と見えたり天正十一年癸未五月七日秀吉|公の為に此所にて生害あり末期に一首を詠じ玉ふ むかしより主をうつみの野間なれは》  《割書:報ひをまてや羽柴筑前 其時床にかゝりし古画の墨梅に投付られしとて血の|付し一軸あり其賛に日夜窓和_レ夢到_二西湖_一月下見_レ花思_二老逋_一忽有_二鐘声 ̄ノ来呼醒_一》  《割書:挙_レ頭半幅墨梅 ̄ノ図|樵嵓墅衲永瑾題《割書:云々》》円明院《割書:鎌田政清が|位牌あり》密蔵院 龍松院 慈雲院《割書:已上六|坊なり》  《割書:文集                              惺 窩|大 御 堂 中 持 善 寺 曽 聞 信 孝 避_レ 讎 来 写_レ 懐 歌 詠 思 猶》  《割書:雅 辞_レ 別 封 書 情 欲_レ 摧 自 割_二 肝 腸_一  三 尺 刃 独 留_二 骸 骨_一  一|堆 灰 行 人 今 日 問_二 遺 迹_一 竹 両 松 風 声 帯_レ 哀》  《割書:                                阿 部 松 園|狂 涛 拍_レ 岸 画 冥 々 知 是 将 軍 怒 未_レ 停 洗_レ 元 池 水 依 然|在 潜 血 時 飛 陰 火 青》 長田庄司(おさたのしやうじが)宅址《割書:大御堂寺と法山寺の間なる田中に|畑ありて其宅の旧姿を存せり》 曇華山法山寺《割書:同村の支(えだ)村田上村にあり臨済五山派京都天竜寺末しかれども今|大御堂寺に属せり行基菩薩の草創にして其後夢想国師》  《割書:重修|せり》本尊《割書:薬師如来大御堂寺に蔵する建久二年三月十一日頼朝公の寄進|状に尾州知多郡田上薬師領之事《割書:云々》其文中に鉤【鈎は俗字】り峠相模》  《割書:うとふけ郭公ヶ脇しる谷つる島等の地名あり》 浴室(よくしつ)の古蹟《割書:法山寺薬師堂の後にあり長田こゝにて義朝を弑せし事は大御堂|寺の条下に詳也今古松樹ありて傍に湯殿あとなるよし高札を》  《割書:建て好事家の|探索(たんさく)に便りす》    《割書:   御湯殿の跡にて|島めくり》     松風もむかしを泣か秋の声          茂東 乳宝山報恩寺《割書:南奥田村にあり曹洞宗常滑天沢院末当寺は乳宝貞哺|禅尼の創建なるよしいへり貞哺は鎌田政清の乳母にして》  《割書:石碑今も当寺に存せり東鑑に野間報恩寺と見えたれども今寺伝を失ひて伝は|らずもと真言宗なりしが永正十二年雲開といへる僧今の宗に改めしとぞ》 金王丸 轡洗(くつわあらい)池《割書:北奥田村の往来の傍にありしかれども今大かたは畑となして僅(わづか)に|壱間四面程其面影を残せりかゝる小池なるが【濁点の位置ずれ】当今若これをみだ》  《割書:りに侵す者あれば忽 瘧(おこり)を病(や)むとて里民大に恐れをなせりこは金王丸京師に帰らんと|する時此池にて轡を洗ひし故号くといへり又旗を捨し所とて其南に平地少し残》  《割書:れり是又鍬を|入るものなしとぞ》 長田蟹(おさだがに)《割書:野間の海浜に生ず甲に人面の如き紋ありこれ長田忠致頼朝公に誅せられし|時の怨魂(えんこん)化して蟹となれりと里人専らいひ伝ふしかれども蟹譜にいはゆる虎》  《割書:蟹にして摂州にて島村蟹といひ西海にて武文蟹といふものみな此長田蟹と一種にして|もとよりある物なれど天長田が非道を疾(にく)み人口をかりて後世に其悪名を伝へしむるもの》  《割書:ならん恐るべし|つゝしむべし》    《割書: |名所小鏡》     萍もたのみかたさよ長田蟹         大睡 野間(のま)天神社《割書:上野間村にあり本国帳に従三位野間天神とある是也天孫本紀|に宇摩志麻治命十三世物部金連公野間連祖也と見えたり当社は》  《割書:森林欝陶として|頗る大社なり》 広石天神社《割書:広目村にあり俗に熊野権現と称す本国帳に従三位広石天神とある|是也又此辺に毘沙門堂あり是古は伽藍にして一乗山広目寺といひ》  《割書:当社の神宮寺なりしよししかるに|慶長年中に其伽藍廃せしとぞ》 大谷洞《割書:大谷村にあり海岸崩れて洞となるされば其下には巌石の砕(くだ)け落て湖水の|琢磨(たくま)に稜角(りやうかく)のとれ碁石に似たるもの布(し)くが如し土人これを大谷のがけと》  《割書:いふすべて此辺は汐時を見合せて海浜を往来す瀬水満る時は|上の山へかゝりて打越す也山路 嶮岨(けんそ)にしてしかも迂遠なり》 御嶽山高讃寺《割書:西阿野村にあり天台|宗野田密蔵院末》相伝ふ白鳳十二年の草創  天武帝の勅願にして七堂伽藍の大地なれば古へ三百坊ありし  よし文禄の兵火にかゝりて悉く灰燼し本尊のみ残りしを法印  長祐といへるが再興して堂及び大門を建て其頃八院ありしが  又其後焼失して南の坊一院のみ残れり今の寺是也古の伽藍  の跡は今も大きく旧姿を残せり○本尊《割書:聖観|音》 床島(とこしま)《割書:宗碩の藻塩草には当国に入れ又宗祇の方角抄には内海などいふ所に近しとしる|せり是今の常滑をいふよしされども床島といはずして常滑とかきし物古く永正》  《割書:四年の宗長が宇津山記に伊勢多気に一日連哥云々七月十七日に大湊まで出て尾|張国智多郡常滑といふ津に渡る云々と見え宗牧が東国紀行にも常滑まで急ぎ》  《割書:侍る云々と記したれば床島は別所にてもある|べけれどいまだ拠なければ後考を待のみ》 【右丁】 常滑(とこなべ)  陶(すえもの)造(つくり) 【左丁 挿絵だけ】 【落款】玉渓  【印二ッ】玉 渓 【右丁 挿絵だけ】 【陽刻落款印】春江 【左丁】 天沢院 総心寺 常石天神  宿_二 天沢院_一      木蘭皋 投_レ宿祇林香火深 秋風蕭颯払_二塵襟_一 上方高処遙臨 _レ海料得住僧捨 筏心 常滑焼(とこなべやき)《割書:常滑村にて製する所にして殊に大 甕(がめ)酒壺花瓶及び茶器|の類など尤雅品にして世人是を常滑焼とて賞美す》古へ当国より  陶器(とうき)を多く出せる事延喜式朝野群載等にも見えて古くより  朝廷に貢献し当村は即陶器濫觴の地也今の世俗陶器を呼  て瀬戸物といふこは当国春日井郡瀬戸村にて作る所の陶  器上品にしてしかも天下に普(あまね)く流通(るつう)し焼出せる数も亦多けれ  ばなべてかく通称するなるべし《割書:或説に瀬戸とは海辺の称にて此常滑焼|ことに古く当所は海も近ければ瀬戸焼瀬》  《割書:戸物など号け初て其称の天下に弥綸(みりん)せし|よしされど何れか是(ぜ)なるといふことをしらず》今も此辺の山中を堀【ママ】れば古陶  器を得ること多し是昔焼しものゝ地中に埋(うも)れて全きもの  尤稀也たま〳〵全きを得れば世俗珠玉のごとくに珍重す古へ  当所にて造る物は大小共にみな甕の類なりしが百年已前より  は手作りの急焼(きびしやう)茶器酒器などをも焼出して好事家の求  めに応ず中にも近き頃長三郎及び白鴎(はくおう)《割書:俗に八兵|衛と云》などいへる  名工かはる〳〵出て其人 乏(とも)しからず曽て白鴎亀の香合を作  りて綾小路大納言有長卿へ献せしかば   老の浪よする衣の浦人はつくれる亀の年もふるらし  と詠みて賜ひぬ実に此白鴎は近世の名工なりし 万年山総心寺《割書:常滑村にあり曹洞宗濃州|方懸郡洞村園成寺末》元和元年花影総心禅尼  《割書:禅尼は水野下野守の女|則 水野監物の後室也》の創建にして開山は天外和尚なり《割書:天外は則総|心禅尼の子也》  寺領は 国祖君御寄付なり又後園の山に西国三十三の霊  場を移して観音を安置せり○本尊《割書:釈迦の|木像》霊宝《割書:神君御直筆の|御書簡 大猷》  《割書:院公の御詠 信長公の書簡|弘法大師作の地蔵尊等あり》 宝壺山天沢院《割書:同村にあり曹洞宗|緒川村乾坤院末》当寺開山は周鼎(しうてい)和尚にして創建  の年月詳ならす○本尊《割書:十一面|観音》 常滑城址《割書:同村にあり水野監物直盛の居城にして俗に常滑殿と称す今は田圃|となる宋牧か東国紀行に常滑までと急き侍るにやかて水野監物》  《割書:丞より使ありて《割書:云々》としるし宗長手記に常滑水野|喜三郎宿所《割書:云々》と見えたり其喜三郎は直盛の幼名なり》 竜松山正住院《割書:北条村にあり浄土宗|成岩村常楽寺末》延徳年中空観栄覚上人の開 【右丁】  正住院  過_二正住院_一題_二  龍灯松_一   深田明峰 聞説有_二高僧_一 龍神夜献_レ灯 門前松尚在 懸得月初昇 【陽刻落款印】春江 【左丁】 嶺のあらし  ふもとの   いそに  打よする なみも  念仏の   声かとそ    きく  《割書:前住》   宣阿  基にして則常楽寺より当寺へ隠居退住ありし也此上人は道徳  高く龍神も是をしたひて其頃夜な〳〵門前の松に龍灯を献ぜ  しとぞ故に今も其松を龍灯松と号し龍松の山号も爰に起る  といふ又天正十年 神君都より御下向の節成岩村常楽寺へ  成らせらるべきとてまづ当村へ御着岸あらせられしに当寺より御  案内申上しよし○本尊《割書:阿弥陀の座像|慈覚大師の作》霊宝 糸引名号《割書:空蓮上人|の筆にし》  《割書:て四十八幅|名号の内也》一切経蔵《割書:文政年中|の建立也》当寺書院より海面を眺む風景  実に絶倫也 常石(とこし)天神社《割書:奥条村にあり俗に|蔵王の社と称す》本国帳に従三位常石天神とある是也  伝へ云昔社地千代ヶ峰《割書:今の社|の北》にありしが明応年中今の地に移り  高宮山と号す又常滑の郷に神祠三基あり中宮は同村大  善寺の鎮守也西宮は北条村にあり高宮は則当社也又鎮座  の旧地重修の年記等に来歴(らいれき)伝由(てんゆ)多けれども今是を略す 八幡社《割書:多屋村にあり社地三楠山と称す保安四年癸卯これを建つむかし此山の東に|清泉ありて粟井清水と称し正月十八日の神饌調進に其水を用ひ》  《割書:しよしなれど今は|田圃となれり》 鬼(おに)ヶ(が)崎《割書:榎戸(ゑのきど)村にありて西南の海中へ張り出したれば眺望打開きて風景尤|よし又洲崎に小松多くして松の緑りに蒼海の白波打よする奇観》  《割書:実に言語|に絶たり》  祥光山龍雲寺《割書:同村にあり臨済宗美濃芥見清水寺末延宝四年竹腰山|城守春日井郡外原村の廃寺をうつして建立せり》  本尊《割書:釈迦の|座像》寺宝 金屏風《割書:竹腰家所持の|七十二侯の画》竜の額《割書:同家の寄付なるが|画龍時々抜出て》  《割書:庭の池に臨みしといひ伝ふ○竜雲寺殿大安三信|居士の位牌ありゆゑに寺号とせり》境内に八景あり《割書:呑海|門》  《割書:卯月江 荷葉池 彩虹橋 一覧峰 神護松|金剛泉 遠帰帆 已上の八ッをいふ》 美御(みゝ)天神社《割書:宮山村にあり今天満宮と称す本国帳に|従三位三御天神とあるこれなり》 鍬(くわ)山天神社《割書:前山村にあり本国帳に従三位|鍬山天神とあるこれなり》 鋳物司(いもじ)《割書:久米村にあり代々鋳物を業とす天福元年十一月賜ふ所の 宣旨を所|持す 近衛院御宇源三位頼政 鵺(ぬえ)を射留し時彼鋳工に命じて金灯》  《割書:籠を造らしめ御庭の木に懸けて鵺(ぬえ)の落る所を見ることを得たればよつて褒美|に預りしとぞ其伝記詳に筆して彼家に蔵すしかれども其たしかなることをしらず》 檪屋(いちや)天神社《割書:北 糟(かす)屋村にあり 伊勢 熱田 八剣 熊野 多度 八幡 天王 源大夫|を祭る故に八所権現と称す本国帳に正四位櫟屋天神とある》  《割書:是也寛正三年壬午大草城主|一色兵部少輔某重修せり》神宝 大般若経一部《割書:承久年中よりの所蔵にし|て年久しければ蠧蝕(としよく)せし》  《割書:を正和年中僧慶篙及び夢原|景光これを補修せり》 小倉海苔(をぐらのり)《割書:小倉村にて製す是此海中の青海苔にしてよく曝(さら)し乾(かは)ける後も其青色|を減(げん)ぜず味も亦他邑にて製するものに勝れば当村に製する所を小倉》  《割書:海苔とて最上|の名品とす》 小倉天神社《割書:同村にあり俗に三狐神と称す本国帳に従三位小倉天神とある是なり|但し大野村に牟山神社と称するは大野小倉両村の本居(うぶすな)神たりしかれば》  《割書:牟山の神社を小倉天神|と称するか定かならず》 小倉山蓮台寺《割書:同村にあり時宗洛陽四条道場金蓮寺末開山は覚阿上人にして|正和三年甲寅一色道秀の創建なり紹巴が富士見道記に小倉》  《割書:道場にて 身に入るや夕汐風の朝涼み とあるは此寺にての発句なり古へは寺領多くして|塔頭十七坊あり其頃佐治駿河守当郡を領せしかば寺領をも寄付ありしが佐治氏衰へて》  《割書:後はこれを没収す又織田有楽此郡を領せし時も寺領を寄付せしかども秀吉公又是を没収|せり夫より寺院大に荒廃してわづかに一坊を存す慶長五年九鬼氏当郡を侵掠せし》  《割書:時其火にかゝりて記録什物|等まで悉く焼失せり》寿山塚《割書:当寺門前にあり佐治駿河守の墓也法名斉年|寿山といひしゆゑ号くといふ凡そ佐治氏はふるく》  《割書:より当郡に住せしが同氏の人丹波及び近江の甲賀郡にありしを招きて広く領知し繁昌せし|なり遠江守は近江にて六万石ほどの地を領せしといふその子駿河守勇威ありしが当郡に来り》  《割書:大野及び宮山に住す則斉年寿山也その子上野介為貞その子八郎信方は信長公の妹聟にて|天正の長島合戦に討死す信方の妹は当国内海の城主佐治備中守為縄の室なり天文十三》  《割書:年宗牧が東国紀行に知多郡大野に登城し翌日浜つたひして常滑に至れる条に 大野|衆今は是までなどいひて出て来し都に似たる名残かなむかしの友の今の別れは と見えし》  《割書:大野衆は此佐治|氏の人々なり》本尊《割書:阿弥陀の立像|左右観音勢至》 福聚山海音寺《割書:大野村にあり臨済宗|京都妙心寺末》本尊《割書:釈迦の|座像》境内に薬師堂あり堂  前に来迎石と称して天然の立石あり伝へいふ薬師如来此石上に  立せ玉ひて海中より出現し玉ふと《割書:云々》又当寺より瘡毒(さうどく)の霊薬(れいやく)を  出す是則薬師如来御 夢想(むさう)の名方なり世に此如来を称して  浜薬師といふ凡そ霊験の著(いちじる)き事挙て数(かぞ)へがたし委しくは板行  の縁起にゆづりて是を略す○塔頭《割書:広修庵 鎮海庵|台雲院の三宇あり》書院の庭前に  蘇鉄(そてつ)【銕は鉄の古字】夥(おびたゝ)しく殊に巨大の絶品なれば其名最高しすべて当郡は  蘇鉄松いまめ樫(かし)【注】等いづれも他所に勝りて甚よし 万松山 斉年(さいねん)寺《割書:同村にあり曹洞宗横須賀村長源寺末寺僧伝ふ城主佐治駿河守|天文元年の創建華雲和尚を以開山とす駿河守及び上野介為》  《割書:貞等の位|牌あり》本尊《割書:釈迦の|座像》寺宝 二祖立雪の図一幅《割書:佐治上野介天文元年の|寄付にして雪舟七十三才》  《割書:の筆也尤 罕世(かんせい)の奇品|実に大幅の名画なり》塔頭《割書:覚翁軒 少林斎 一陽軒|直芳軒の四坊あり》 巌松山東龍寺来迎院《割書:同村にあり浄土宗|三州崇福寺末》往昔(そのかみ)は天台宗の道場にして 【注 「うばめがし」の異名。】 【右丁】 東龍寺 斉年(さいねん)寺 海音寺 潮湯治場(しほたうぢば)  遊_二斉年寺_一呈_二  黙底上人_一    松平巴山 趙州茶味直通 _レ関古鼎松風夏 日閑一院無_レ塵 非_二払拭_一老僧胸 裸有_二青山_一 【左丁 挿絵のみ】 【陽刻落款印】春江  伝へいふ慈覚大師 行脚(あんぎや)の日こゝに草庵を結(むす)びしがいつしか荒廃せし  を応永三十一甲辰年僧東岩恵全再興し今の宗に改む永禄年  中信長公四十貫文の田地を寄付ありて又制札をも賜ふ扨光秀  此公を弑せし時 神祖泉州堺にまし〳〵しが微行(びかう)して勢州を  経当村に至り給ひ当寺に三日まで御 淹留(えんりう)あらせられしに彼信  長公の制札を御覧あそばされ御 涙(なみだ)数行(すかう)に及ばせられし由慶長  七年壬寅六月 神祖駿府におはしましゝ時当寺の住僧洞山に  旧事を問(と)はせ玉ふに洞山御答に信長公寄付の田地は秀吉公 没収(もつしゆ)  せられしよし申上る是によつて 神祖寺領 若干(そくばく)の朱章を賜  ひて今も歴然たり○本尊《割書:阿弥陀仏は春日の作縁起に云本尊阿弥|陀仏は叡山横川の楞厳院にましませしが》  《割書:明応四年の秋の末或夜院主に告て宜く我此地にありて台徒を利すること年久しと|いへども猶万機の本誓にたらず今より後は専ら鄙俗(ひぞく)の衆生を化益せん我を東の方》  《割書:に送るべしと院主夢さめて後 示現(しげん)とはいへども何国とも宣(のたま)はねば半信半疑に打捨置し|がかゝる霊告連夜に及び剰(あまつさ)へ一首の詠哥を示(しめ)し玉ふ 山よりも来りむかふる東路やみの》  《割書:をはりをば我ぞたすけん と又の御告に我を迎ふる者あらんとく〳〵東に送るべしとあれ|ば院主も今はぜひなくて当はなけれど東路さして如来を送り奉るに不思議なる哉当寺》 【右丁】  《割書:第三世伝空上人も連夜の霊夢を蒙り是もさせる方とてはなけれども都をさして上りける|が江州馬場の宿にてはからずも出合東西た互ひにしか〴〵と語るに符節(ふせつ)を合するごとくな》  《割書:れば二僧 奇異(きい)の思ひをなし終に当寺に|末座なし奉る霊応著きよし《割書:云々》》寺宝 法然上人像《割書:兆殿|司筆》耆婆(きば)像  《割書:宋徽宗|帝の筆》山水二幅《割書:牧渓|の筆》此外数多あれども略す○塔頭《割書:林斉軒 福用軒|感迎院 甘露院》  《割書:宝池院 実相院|徳用軒等の七宇あり》 小林山光明寺《割書:同村にあり東本願|寺直末の院家也》もと同郡小林村にありて天台宗の  道場聖徳太子の草【艸】創 御醍醐帝の勅願所なりしが中世仏性  上人嘉禎元未年親鸞聖人を帰依して終に今の宗に改む伝へいふ  在原業平朝臣故あつて当郡荒尾 ̄ノ里に来住せしに其子孫代々  此地に居る仏性上人は則業平十三世の孫荒尾公平の子なりしよし  其後当寺住僧浄念水野藤四郎の女を娶(めと)る故に水野下野守 十  町の寺産を寄付す又佐治上野介当所を領せし時も亦十町を増(まし)  与ふしかるに其後織田有楽其半を減(げん)じ豊太閤又其余地を悉(こと〴〵)く没(もつ)  収(しゆ)せらる慶長五年の兵火に古証【證】状及び什宝等を焼亡すしかれども 【右丁】 【陽刻落款印】春江  光明寺     深田正室 小林山上光明寺相_二 遇閑僧_一問_二往年_一仏性 上人垂跡後至_レ今堂 宇正魏然        謀  こかねもて   つくる仏に     寺の名も 【左丁】   普く代にそ    かゝやきに       ける    売茶園  縁起にも    朽ぬいはれを     かきつはた   さく在原の      なかれ       めて        たし  其後再営して堂宇は今も猶儼然たり○本尊《割書:阿弥陀|の立像》塔頭《割書:も|と》  《割書:六坊ありしが今は光蓮寺 聞行寺|法通寺 田中寺の四宇を存す》 内宮社《割書:同村の海浜にあり祭神 天照皇太神 宮此辺蒼松繁茂して|清陰万頃波浪千里風景尤よく又夏月納涼の勝地といふべし》 牟山戸権現社《割書:同村高須賀町|の東にあり》本社《割書:祭神 高皇産霊尊|伊弉冉尊》東社《割書:祭神 新宮|速玉男 春日》  《割書:大明|神》西社《割書:那智事解男 稲荷保食神 大香山戸臣命|近世 勅許を受て正一位の神階を奉進す》牟山の社号は伊勢の  末社 相鹿(あふか)牟山の社を勧請せしより称するとぞ○祠官《割書:後藤|氏》 牡蛎(かき)《割書:同村の海中にて捕る所他産に比すれば形状|風味共に甚美にして当所名産の第一品なり》 保命酒《割書:同村にて製する所にして其美味他の名酒と呼ぶものゝ類ひにあらず実に一飲し|て長命を保(たも)つべし凡そ当郡に酒をかもす家甚多く諸国に運漕する事》  《割書:摂津の池田 伊丹(いたみ)に等(ひと)し延喜式に 伊勢太神 宮月次祭等に神酒を|尾張より奉るよし見えたれば当国造酒の古きもまたしるべし》 一口香《割書:同村高須賀町亀屋久兵衛の家はじめて是を製す其名元は芥子(けし)香といひしが|或時 国君へ奉りしに殊にめでさせ給ひ一口香と命じ玉ひしよし夫より其名遠近に》  《割書:高く三都をはじめ諸国へも夥(おびたゝ)しく運送し製造日も亦足らざるに至れり又湊屋といへる|方にも等しく是を製して品格風味は勝劣を分たねども亀屋を本家とするよし其余》  《割書:比屋習■【得ヵ】してこれを製するといへども二家の外は其製頗 劣(おと)れり当所は一郡中の繁華|にして街衢(がいく)の善美商家の巨豪なる実に富饒第一の地なれば名産も亦挙て尽し》  《割書:かたし又世に大野 鐙(あぶみ)といへるも当所に名工のありしにや鐙に大野懸と|いへるも恐らくは当所よりの名ならんか今こゝにしるして以て後考に備ふ》 【右丁】 塩湯治 同村海音寺西北の方に当る海浜は巌石多くありて暑気  の比は遠近の諸人此海浜に出て潮水に浴ししかしては又巌上に  憩(いこ)ひなど終日に幾度も出没する事五日七日する時はあらゆる諸病  を治す是を世に大野の塩湯治といふかく暑月には浴湯する群集  夥(おびたゝ)しくて数多の旅亭家ごとに二百人三百人を宿(やど)し他の温泉も  かくまで諸人の輻湊(ふくさう)するを聞ず又中人以上は旅館に此海潮を汲(くみ)  とらせ再び湧(わか)して浴するもありしかれども其 効(しるし)海中に身を涵(ひた)せ  るには少し劣(おと)れりとぞ又浴湯の暇(いとま)には此海中にて捕(と)る所の鮮魚  を飽(あく)までに食しつゝ枯腸(こちやう)を潤(うるほ)し虚弱(きよじやく)を補(おぎな)ふも又治療の一助なる  よし猶此浜に溢(あふ)れたるは東浦其外所々に浴するあれば其繁昌  推(おし)て知るべし是則海音寺薬師如来の夢想にはじまりしとぞ  《割書:        潮湯をあみて戯れによめる| 木綿苑家集》    みな月の井さへ乾きてあつき日の夕かたまけて智多の浦のうしほ   汲来てさす鍋にうつして湧し浴斛にもり常滑山に生立る毛桃【注】の 【注 毛桃(ケモモ)=モモの在来種。実が小さく固く毛深い。】 【右丁】 潮湯治(しほたうぢ) 【落款】玉渓  【陽刻落款印二つ】玉 渓 【左丁】     桂洲 漕舟の  行とも見えぬ     暑さかな     汲古 夜は夜の  あそひつかれや    汐湯治   葉をいとりて来てもみてしほりて水鳥の鴨の羽色の青汁を   うしほ湯にあへてかきませてあやに香くはしきうまし湯をひた   あみにあみてあかりてをれはあやにすゝしも         千秋   あかこまのあかはたかにてあら磯の石にはらはふ汐湯治かな  琵琶彦 日永崎《割書:森村にあり西の方遠く海中に出て松樹蓊攀たり熱田の浜より知多郡を|望めは此崎尤海の南へ張出たりすべて遠近より此崎を舟路の目当とせり》  《割書:又川あり日永川といふ岡田の山中より出こゝにて海に入る其所を|日永 ̄ノ潭(ふち)といふ江文明神の鐘こゝに沈(しづ)みしといひ伝へたり》 日永神社《割書:同村にあり祭神 日本武尊 倉稲魂(うかのみたまの)命 社伝に 日本武尊を以日高神と|し倉稲魂命を以江文神とすと云々本国帳に従三位日長天神とある》  《割書:これ|なり》伝へいふ 日本武尊此地に来り玉ひ所の名及び日の蚤暮(さうぼ)を  問ひ玉ひしに里民畏みて日はまた高きよし対へ奉りしかば  尊聞しめしさあらば所の名を日永ともいふべきと仰せられしより  日永の郷といひならはせしとぞ〇摂社《割書:神明祠 風宮祠 八幡祠|八剣祠 天神祠等あり》例祭《割書:五|月》  《割書:五日馬の|搭を出す》祠官《割書:伊藤氏此家尾|張を姓とす》 白花山慈雲寺《割書:岡田村にあり臨済宗京都妙心寺末観応二辛卯年夢窓国|師の創建なり檀主一色修理大夫範光嘉慶二年正月二十五日》  《割書:卒す法号を慈雲寺と|いふ故に寺号とせり》本尊《割書:千手|観音》寺宝《割書:一色禅門の悼文は二条太閤の|作にして徹書記の筆なり》 古見(こみ)の一本松《割書:古見村の山上にあり古見の一本松|と称して舟路の標的(ひやうてき)となせり》 皇后井《割書:平井村にあり此井楠を以て底とす水常に湧出て殊に清浄なり|中に大なる鮒魚(ふな)多し此山上に 神功皇后の社あり故にかく》  《割書:名づく|といふ》 薬王山法海寺花王院《割書:同村にあり天台宗|野田密蔵院末》人皇三十九代 天智天  皇御 悩(なふ)ましましゝ時 勅詔によつて新羅の沙門 道行(どうぎやう)春日  明神へ祈聖せしに明神童男と現(げん)じ自ら法海童子と  称し霊木を以て薬師の尊像を彫刻し給ひ則道行に授与  し頓て仏像と共に光明を放ちうせ給ひぬ此時御悩速に平愈まし〳〵  ければ是によつて天智七年戊辰当寺を草創し玉ひ彼薬師  の霊像を本尊とし則 勅使を以山号寺号の 勅額を下し  玉ひ勤尊(ごんそん)和尚を開山とす又山 階(しな)清水岡といひしを改めて  寺本の庄と号し数多の田園をも下し賜はり夫より 天武持 【右丁】 日永神社 《割書:熱田三哥仙》  水   うらゝ   活て    流るゝ     春の貝     亜満 【陽刻落款印】春江 【挿絵中の囲み文字、上部右から】  八幡     八剣  内宮 本社  外宮  天神    蛭子   山神    御供所           神主 【左丁 挿絵中の囲み文字】 長浦      日永崎 【右丁】 【陽刻落款印】春江 【挿絵中の囲み文字 上から】 薮むら 大日堂    大乗院        二王門       吉祥院 【左丁】 此山かしこくも 天智天皇の勅願所にして大伽藍 なりしを中古兵乱の災にかゝりて 荒廃に及ふ僅に存せる坊舎千 歳のむかしをしのひて日夜の梵音 耳にとゝまり一入閑寂たり        帯梅 夜すからや  瑠璃の光りに    なく千鳥 法海寺 大日堂 【挿絵中の囲み文字 上段から】 庚申 地蔵 ぢざう     鐘楼 本堂     十王 鎮守       常光院   白山  統の両帝を初其後十三代の 帝王まで 国家鎮護の 勅願  所なる事歴然たり当寺二世を勤操(ごんさう)和尚三世を弘法大師  とす当年伽藍堂塔の盛なる事は悉(こと〴〵)く大師の撰れし儀  軌に見えたり今事禁ければこゝに洩しつ○寺宝 大日如来  《割書:弘法大|師の筆》山越の阿弥陀《割書:恵心僧|都の筆》当山儀軌《割書:弘法大|師の筆》法海寺謡本《割書:信長|公の》  《割書:筆》涅槃像《割書:土佐将監|光信筆》不動明王《割書:巨勢金|岡の筆》薬師如来《割書:兆殿|司筆》三千仏  《割書:宅磨法眼|栄賀筆》両界 曼陀羅(まんだら)《割書:粟田口法|印光円筆》十六善神《割書:張思|恭筆》三仏十菩薩  《割書:顔輝|筆》此外希代の什宝数十種あれどもこゝに省(はぶ)きぬ○常光  院《割書:文禄二年栄源|法印の中興》大乗院《割書:文禄三年證永|法印の中興》吉祥院《割書:慶長元年龍運|法印の中興》三  院皆薬王山を通称す○牛若弁慶の絵馬二枚《割書:慶長十八年癸丑|卯月三日知多郡》  《割書:寺本中島村願主佐渡|源左衛門とあり》河津(かはづ)股野(またの)角力の絵馬一枚《割書:元和三年丁巳二月|吉祥日とあり》 万歳《割書:薮村に森福大夫松福大夫米福大夫加木屋村に上羽大夫等の数人ありて三河院|内万歳の同流なり抑 人皇八十九代 亀山院の御宇同国山田郡木ケ崎長母寺》  《割書:の開山無住国師のおはせし時其寺領たりし味鋺(あじま)村に有助といへる者其身 貧(まづ)しけれ|ば年の初には家々に来り福が来るの宝が涌のとうたひ舞などして物を乞(こ)ひあるき》  《割書:ぬ国師これをあはれみ本願に仏法の弘まりし事なんどをまじへて寿(ことぶ)き諷(うた)ふべしとて|自ら頌哥(しやうか)を作りあたへらる然るに知多郡寺本村も当山の領地たれば相百姓ゆゑ是》  《割書:を伝習しけるが後世公事起りて味鋺万歳は府下へ来らず只其地頭計りへ今も来り|て舞ふとなん知多の万歳は今府下一般を舞ひあるけば知多郡万歳とのみ通称す》  《割書:すべて五万歳とて唱哥(しやうか)五通りあれ|ども辞長ければこゝに洩(もら)しつ》 正法院《割書:佐布里村にあり創建の年記詳ならず伝へいふ往昔 後鳥羽院の勅願所にし|て旧号を雨宝山如意寺といひしが応永年中憲誉法印是を再興して今は》  《割書:天台宗長野村万徳寺末となれり其後諸堂大かた頽壊(たいえ)してわづかに地蔵堂のみ残れ|り又古き鰐口あり銘に明応七年戊午五月十日檀那平朝臣宗宣と見えたり宗》  《割書:宣は何人にや詳ならず或は|佐布里村の城主也ともいへり》本尊《割書:地蔵菩薩は|運慶の作》密巌院 浄蓮坊 実相坊  等の三宇ありてこれを正法院の一山とす 景清宅址《割書:半月村にあり今田圃となりて小き森の辺也むかし悪七兵衛景清こゝに|居住せしよし土人いひ伝ふ又東南の山上に古松あり俗に物見の松と》  《割書:いふ景清此地にありし頃彼山に登りて月を見しに清光彼に浮(うか)びて風景殊に勝れた|れば則波月と村の名をつけしとぞいつしか呼訛(よびなま)りて半月村とはなりぬ又当村に観》  《割書:音堂あり此本尊は景清の屋敷跡にて堀出したるよししかれども景清此地に居住|せし事は古記見えねど里民の口碑をそのまゝうつして後の考をまつのみ》 八幡社《割書:中島村にあり此所大なる松林にして往来|砂地なれば尤絶景の地といふべし》 安楽院《割書:薮村にあり仙養山菩提院と号し天台宗野田密蔵院末俗に大日堂といふ|往古伽藍の道場なりしが天文年中火災にかゝりて悉く焼亡しわづかに》  《割書:本尊のみ存せしが元亀元年庚午法印円秀再建|して今一山三院あり妙乗院常覚院玉泉院と号す》本尊《割書:大日|如来》 【右丁】 慈雲寺 正法院  過_二正法院_一   佐分清雄 宝苑春深草 樹香満庭点 石自成_レ行藕 経長誦東風 裏一任檐鈴 語_二夕陽_一 【挿絵中の囲み文字】 実相坊   十王   本堂  弁天      熊野  泉蔵坊   密巌坊             鐘楼 正法院          庫裡       渡香橋  浄蓮坊        衆寮 【左丁】  過_二慈雲寺_一     竺 垣道 渓山長繞旧禅 扉金磬秋清木 葉飛雲意応_レ憐 定僧冷床頭護 作_二 一重衣_一 【陽刻落款印】春江 【挿絵中の囲み文字】       玄関   客殿          凌雲松 秋葉     庚申      本堂  白山  行者  万歳 禁中正月五日御 釿(てうな) 始の後清涼殿の南 庭にて舞ふ千寿 万歳楽は職人尽 哥合 に画(ゑが)けるを見 れば法師にて素袍(すほう) 烏帽子(ゑぼし)を着たり又 室町将軍家の頃の 万歳は大夫扇を持 才(さい) 三(ざう)鼓をもちて両人とも 掛素袍(かけすほう)にて頭巾の上 にゑぼしをかふり壺(つぼ) 袴(ばかま)をつけしとぞ今 こゝに図せる当郡の万 歳も略(ほゞ)これに類せり 【落款】玉渓 【陽刻印二つ】玉 渓 惣五郎塚《割書:同村にあり昔花井惣五郎といへる者或人のために殺さる其首をこゝに|うづみて俗に弓 捉(とり)塚といふ瘧を煩らふ人小さき弓矢を作りて墓前》  《割書:に掛是を祈るにかならず|しるしありといふ》 虫 供養(くよう)《割書:当郡西浦十四ヶ村東浦十六ヶ村一年に一ヶ村ッヽ|廻りてこれを勤む法会の式は東西皆同じ》抑此供養の淵源  を尋るに 醍醐天皇の御宇英比丸此地を領し玉ひしに 彼  公没し給ひて後村民是を祭りて供養せしにはじまるとぞ又虫  供養《割書:定家卿の明月記にいへる|御霊辻祭の類ならんか》と称する事は農民常に田畠の虫を  殺す故諸虫の為に仏事をなし此善様を公達の追福になせ  し也さて年番に当る村は正月七日供養の本尊なるさ三尊の  阿弥陀仏《割書:恵心僧|都の筆》を開扉(かいひ)ありて八月の彼岸《割書:西浦は入りの日|東浦は中日也》に供  養場を設(まふ)け念仏 和讃(わさん)《割書:鉦太鼓にて|拍子をとる》を執行す扨此法会《割書:良忍|上人》  《割書:は当郡の産にして後 融通(ゆづう)念仏を勧誘ありし|其遺風のこゝにのこれるならんかともいへり》は俗徒計り出て更に僧  を用ひず《割書:浜にて執行するを浜供養といひ|山にて勤むるを山供養といふ》中央に大なる仮屋(かりや)を構(かま)へ  て念仏の供養場とさだめ小さき仮屋《割書:三ッあり道|場と号す》をおきて 【右丁】 【陽刻落款印】春江 【挿絵中の囲み文字】     熊胆【膽】丸   供養相撲場  名代            呉服太物類                          大塔婆                   あふらとり▢             呉服太物類    名物きねりもち               万 小間物品々   おらんたわた▢ 【左丁】 【右から横書き】虫供養 【挿絵中の囲み文字】           早すし           上諸白           としやう汁  供養道場  農具しな             三十三所▢  うど[ん]                大念仏供養場     八コ        《割書:名|物》大高藁種▢   供養道場 【412コマから文が続かず。コマ落ちか】 本尊《割書:甲州家の士法楽大夫政盛といふ者後 御当家に仕へしが大坂落城の砌太閤|常に御帰依ありし三尊仏を取り来りしが後薮村に身しりぞき則此影像》  《割書:を寄付し供養の諸礼に入る此本尊は|則是なり又政盛の塚も薮村にあり》を安置し大 塔婆(とうば)三四丈の丸木を  たて銘文を記して《割書:此塔婆を後に村々|の橋となせり》則虫の塚と定めし也実に 此供養は尾南第一の壮観にして群余の夥しき事図を見てしるべし 横須賀《割書:古名 馬走瀬(まはせ)といひて紹巴が富士見道記にまはしといふ所までは馬にて行|けるとある是也元禄の頃 国君馬走瀬に汐湯あひさせ玉ひし行殿今も》  《割書:猶存せり商家も数町の間軒|をならべていと繁昌の街なり》 衣の浦《割書:横須賀村の磯辺をいふ宗祇法師の方角抄に鳴海より五六里辰巳なり《割書:云々》|又曰衣が浦の称名寄にも見えたり《割書:云々》堀尾秋実が著はせし衣浦千鳥集》  《割書:といふ刻本ありて此浦の事実を委しく記し詩哥連俳をも多く載せたれど事|繁ければこゝに省きつ都(すべ)て此村より西南に当れる海浜を衣か浦と称せり》     《割書:衣 浦 寒 砧                   蘿 隠》   《割書:海 天 秋 色 絶_二 塵 暄_一 幽 趣 猶 添 月 一 痕 斯 地 称_レ 衣 如_レ 有|_レ意 寒 砧 処 々 起_二 漁 村_一》     《割書:同 前                       滕 長 幹》   《割書:風 波 淼 冽 海 邑 開 砧 杵 遙 聞 衣 浦 隈 晴 見 天 辺 □ 襄|色 粲 々 斜 照 傍_レ 雲 来》     《割書:衣 浦 晩 望                   張 驥》   《割書:海 門 渺 々 接_二  天 涯_一 日 暮 帰 禽 隔_レ 渚 鳴 此 際 風 烟 無_レ 限|好 偏 令_三 騒 客 動_二 詩 情_一》     《割書:衣 浦 即 事                   宇 野 久 恒》   《割書:青 鳥 翩 々衣 浦 辺 波 涛 一 望 与_レ 雲 連 可_レ 憐 依_レ 旧 風 光|美 猶 以_二 昔 時 巡 狩 年_一》   《割書:      五百弟子品の心を|新千載》    波かへる衣の浦を来て見れは藻にあらはれて玉そよりくる  法印盛運   《割書:      題しらす|同》    あらはれぬ衣の浦の玉かしはいかなるえにかしつみ初けん  寂真法師   《割書:      後宇多院に十首哥奉りける時浦千鳥を|新続古今》    しほたるゝあまの衣の浦千鳥なく音にさへや袖ぬらすらん  よみ人しらす   《割書:      うへのをのことも題をさくりて哥つかうまつりし時浦夏月を|同》    ぬれてほす海士の衣のうら波に見るめすくなきみしかよの月 権中納言雅世   《割書:月清集》    吹かへす衣の浦の秋風にけふしも玉をかくる白露      後京極摂政   《割書:夫木》    波あらふ衣の浦の袖貝を汀に風のたゝみおくかな      西行   《割書:同》    立渡る雲の衣の浦よりや玉とは見えてあられふる也     九条内大臣    浜千鳥あとあらはれぬ世にふりし衣の浦の名をしとゝめて  氷室亮長    松か枝に天津乙女のかけてほす衣の浦の花のふち浪     粟田知周    いくよゝかなれて衣の浦千鳥たちもはなれす友さそふらん  専阿    沖津浪よるのしほ風身にしみて衣の浦に千鳥なくなり    一阿    きてみよとよふや衣の浦千鳥月のなみたつ海のおもてを   秋実 【右丁】  横須賀 《割書:衣の浦千鳥集》  尾張国横須賀の  浜はいにしへ天の尾崎  といふ中頃は衣の浦と  て名高き哥枕ま  りしに保元の頃より  や馬走瀬の里と呼  来りしを天和年中  に  邦君臨江亭を立  遊覧し給ひ上の村  の名によりて爰をも  浜の横須賀とよはせ  給ふ文字のめてたき  故なりとそ 【陽刻落款印】春江 【挿絵中の囲み文字】                 玉林斎  天尾天神            女体明神 か 観福寺       スワ社  琴弾松 【左丁】        暁台   蠣【蛎は略字】からや    下駄の歯音        に      飛ちとり 【挿絵中の囲み文字】   長源寺          アタゴ社               扇島       行殿跡             桝形 弥勒寺              猿尾   《割書:六帖詠藻》    ありときく衣の浦の玉やこの浪のしら玉手にもとられす  蘆菴    八重波の立居も見えすはる〳〵とかすむ衣の浦の朝なき  磯足    立なれぬ衣の浦の朝霞猶袖さゆる春風そふく       美濃    おりたちてひろふ乙女の袖貝は衣の浦にかゝるなりけり  日潤    ゆふせんの染入とみゆる色貝は名にし衣のうらもやうかも 可童    秋 沙魚(はぜ)を釣るや衣の浦に来てもすそは波にぬれてかはかぬ 嘯山    千鳥かけするかと見れはむら千鳥衣の浦のほころひるほと 烏川    風さむきやふれ衣の浦なれは千鳥かけにやぬふて行らん  一本亭       墨 そめの闇や 衣のうら千鳥          東甫 琴弾(ことひき)松《割書:同村の修験大教院の境内にあり数百年外の老幹にして枝葉大に繁茂し境|内これがために日晷(ひかげ)を漏(もら)さず青苔の厚き掃(はら)はざるに塵を見ず風なきにも》  《割書:声を絶せねば琴弾の称も自ら空しからずかゝる大樹は実にまた希世の古松なれば|こゝに挙て以て松のよはひと共に永く千載の末迄も其名を伝ふるのみ》    かはらぬはみとりのみかは庭の松風もときはに音そ聞ゆる 堀田梅衛 長益塚《割書:平島村にあり長益和尚は当村宝国寺の開山にして天正文禄中の人也もと|より道徳堅固の智識たりしが或時里民和尚の元に来り酒などすゝめ醉後に》  《割書:及んで公訴の目安を書しむ其後公難起りて近郷の此事に預かる者悉く刑じ行はれんと|せし時彼目安を書きしは則長益にして公事の張本なるよし姦計(かんけい)の者ども申ければ》  《割書:和尚無実の冤罪(えんざい)なる事を啓(もう)せしかども多勢の姦者を相手に永く申 訳(わけ)も詮のなき|事と生者必滅の理に安心し終に死刑に就しが不思議なる哉首を刎(はね)し時白気の》  《割書:蓮花 彷彿(ばうほつ)と現(あら)はれしとぞかゝる高僧を冤罪に殺せしを諸天善神の怒(いか)り玉ひしにや|其後近郷の農民疫病にかゝりて死するもの数多なれば彼霊の祟(たゝ)りならんと首を埋みし》  《割書:所に塚を築きしるしに松を植(うゑ)て若宮松と号(なづ)けたりしが近年 枯(か)れて塚のみ存せり其|外血のこぼれし所にも夫々に塚を築き又からを埋みし所には慶安三年里民石碑を》  《割書:建又当所宝国寺に彼像を安置せり十一月十七日命日なれば例年此日の群参大方|ならずすべて此塚に諸病諸願を祈誓するに霊応空しからねば世人是を崇敬して参》  《割書:詣の男女常に絶ることなし》 細井平洲《割書:同村の人なり先生姓は紀名は徳民字は世馨如来山人と号し甚三郎と称す|もと当村農家の産なるが若年より学に志ありて府下に遊び中西 淡(たん)》  《割書:淵(えん)の門に入る後諸国を経歴し長崎に足を止めて学業大に成る後江戸に出て遂|に一家を起し平洲先生と号す諸侯の礼聘(れいへい)頻(しき)りなりといへどもこれに応ぜず安永》  《割書:の末我 公に召されて遂に禄位を賜はり国校の督学に終る著書も亦頗 多し|先生のごときは実に画錦の栄を擅(ほしいまゝ)にすと云ふべし又近き頃大昕叢書中の十駕》  《割書:斎が養新余録に先生の事を載せたれば彼土までも其名の聞えし事しるべし先生|の碑を当村天神山に建しは先生の地なるによれり碑文長けれはこゝにもらしつ》 如来山《割書:加家(かけ)村にあり事実形容みな平洲先生の記に|譲り左に其文を載せて別に贅(ぜい)せず》     《割書:如 来 山 記                    細井平洲》  《割書:我 尾 無_レ 山 以_レ 山 名 者 培 塿 之 雄 耳 那 姑 射 之 南 十 余|里 為_二 熱 田 駅_一 々 臨_レ 海 々 之 東 南 辺 邐 迤 六 十 余 里 望》  《割書:_レ之 如_二 鵬 之 觜_一 烏 知 多 郡 也 其 如_レ 瘤 而 青 間 見_二 赤 崕 者|曰_二 如 来 山_一 距_レ 此 十 二 里 泛_レ 葦 即 至_二 斥 鹵 所_一 里 曰_二 懸 村》  《割書:多_二 懸 崕_一 故 名 焉 村 南 有_レ 径 東 向 登_レ 之 可_二  三 四 十 仭_一 即|山 頂 也 古 昔 有_二 神 女 來 遊_一故 名_二 女 來_一 云 後 改 為_二 如 来_一》  《割書:蓋 浮 屠 氏 之 為 也 坦 平 方 百 余 歩 有_二 山 神 祠_一 々 前 所|_レ望 北 有_二 信 越 飛 濃 之 山_一加 賀 白 山 亦 見 遠 者 五 六 百》  《割書:里 近 者 二 三 百 里 而 信 與_レ 濃 與_レ 尾 接_レ 疆 西 則 江 勢 々|之 地 東 北 浜 海 南 流 殆 二 百 里 而 加 賀 之 山 層_二 乎 其》  《割書:背_一 焉 胆 吹 多 度 積 翠 染_レ 睫 江 之 山 也 冠 峰 如_レ 冠 錫 杖|如_レ 杖 朝 間 特 秀 勢 之 山 也 皆 仰 而 南 西 北 一 盻 層 楼》  《割書:百 尺 金 魚 鎮_レ 甍 距_レ 此 三 十 里 瑩 々 射_レ 目 那 姑 射 城 也|蒼 松 蓊 欝 粉 壁 墜_レ 波 曰_二 熱 田 別 館_一 其 南 檣 之 如_レ 林 篷》  《割書:之 如_レ 屋 賈 舶 所_レ 泊 曰_二 茫 汰_一 碧 波 之 中 粉 堞 如_レ 帯 晴 開|陰 闔 勢 之 桑 名 也 城 以 南 邑 里 草 木 明 滅 無_レ 時 亦 皆》  《割書:俯 而 北 西 南 一 盻 共 所_二 隔_レ 海 而 眺_一 也 而 左 去_二 山 足_一  六|里 曰_二 大 里_一 海 中 築_レ 堤 方 数 百 歩 茂 松 森 列   先 君 亜》  《割書:相 公 所_二 営 以 老_一 之 処 今 也 則 墟 矣 次 曰_二 横 琪_一 次 薮 次|尾 根 次 平 井 次 朝 倉 次 古 見 次 岡 田 次 森 次 大 野 自_二》  《割書:岡 田_一 至_二 大 野_一 砂 行 最 可_レ 厭 謂 為_二 日 永 浦_一 次 曰_二 西 口_一 次|多 屋 次 牀 鍋 次 野 間 次 内 海 平 治 中 長 田 忠 致 弑_二 源》  《割書:典 廏_一 処 次 曰_二 尾 浦_一 次 諸 崎 諸 崎 郡 之 南 陲 是 謂_二 島 尖_一|以 上 諸 村 皆 沿_レ 海 南 走 々 六 十 余 里 一 瞬 而 尽 尾 之》  《割書:島 尖 志 之 島 羽 浦 南 北 相 対 其 際 十 七 八 里 通_二 潮 南|溟_一 是 為_二 海 門_一 々 以 内 古 謡 所 謂 勢 之 海 兮 張 之 海 兮》  《割書:者 南 北 百 三 四 十 里 東 西 五 六 十 里 周 囲 如_レ 盤 舟 之|為_レ芥 帆 之 為_レ 鳥 乍 大 乍 小 来 往 如_レ 織 東 北 維 参 遠 連》  《割書:山 如_レ 黛 時 見_二  一 点 白 於 其 間_一 芙 蓉 峰 也 嗚 呼 此 山 也|僅 高 三 十 仭 而 能 望_二  十 二 州_一 者 我 尾 無_レ 山 於_レ 是 為_レ 妙》  《割書:矣 右 転 而 下 上 懸 村 也 北 上 得_レ 寺 曰_二 観 音 寺_一 是 余 幼|時 読_レ 書 之 処 清 浄 幽 寂 塵 垢 不_レ 至 春 夏 之 月 都 人 士》  《割書:多 遊_レ 焉 出_レ 門 左 行 里 余 曰_二 平 島 村_一 余 所_レ 生 也 右 転 而|下 右_レ 崕 左_レ 谷 曰_二 胴 阪_一  下_レ 坂 則 海 也 沿_レ 汀 北 里 余 得_二 赤》  《割書:崕_一 曰_二  一 之 懸_一 潮 至 不_レ 可_レ 行 右 自_二 巌 上_一 而 行 崕 前 百 余|歩 如_二 馬 脊_一 者 曰_二 高 座 石_一 潮 至 則 没 典 廏【注】 之 死 也 其 士》  《割書:金 王 跳_レ 馬 而 亡 至 此 馬 化 成_レ 石 此 其 石 也》 【注 厩は俗字】 大悲山観音寺《割書:同村にあり真言宗|府下大須真福寺末》本尊《割書:正観|音》当寺境内は海浜の断岸  数十仭の上にして絶頂に堂宇を構ふ堂上より下瞰(かかん)すれば松杉の  古樹俯して梢(こずゑ)を見流雲飛鳥も常に脚下に過ぎ遠くせ西南を眺(のぞ)  めば数十百里の名山蒼海も一 瞬(しゆん)に尽きて風景いと勝れたれど  当山は如来山と双峰両立程ちかければ如来山の記及び画図に  ゆづりて略しぬ府下の文人藻客此地に至らぬはなし故に当  寺詩哥連俳の新古題辞を蔵する事甚多し    《割書:登_二 懸 崖 大 悲 閣_一        樋 口 好 古》  《割書:蒼 波 千 万 里 遠 嶽 影 浮 沈 勝 地 高 呑_レ 海 虚 堂 聳 架_レ 岑|将_レ 舒_二 黄 鶴 翼_一 徐 抱_二 白 雲 心_一 倐 忽 縁_二 方 外_一 総 無_二 煩 悩 侵_一》  《割書:   同                    山 村 良 祺|大 悲 楼 閣 画 図 中 薝 蔔 花 飄 彼 岸 風 隠 々 華 鯨 滄 海》 【右丁】 【陽刻落款印】春江 加家(かけ)  観音寺 《割書:熱田三哥仙》  春の海   人に   ましり      て   啼    かもめ    圃暁 【挿絵中の囲み文字】    金城     木曽川         熱田  胆吹山   養老                高座石   たど山    桑名 【左丁】 【挿絵中の囲み文字】   冠峰    菰野    錫杖山   笙岳    朝熊山        二見浦   熊野山                 如来山  《割書:響 人 天 捨 筏 仰_二 円 通_一》     《割書:再 遊_二 観 音 寺_一                 奥 田 叔建 》  《割書:復 訪 観 音 寺 後 山 懸 崖 眺 望 倚_二 松 間_一 桑 田 碧 海 須 臾|事 万 頃 新 畬 接_二 水 湾_一》     《割書:題_二観音寺_一                      林 梅 山》  《割書:世 外 探_二 禅 境_一 清 幽 夏 日 寒 繊 蘿 纏_二 院 壁_一 霊 籟 動_二 波 瀾_一|送_レ 客 三 山 雨 当_レ 窓 七 里 灘 懸_レ 帆 舟 急 去 出 没 海 雲 端》     《割書:同                           高 麗 一 匡》  《割書:曳_レ 杖 斜 陽 裏 醉 吟 最 是 濃 漁 舟 争 入_レ 浦 晩 鳥 尽 帰_レ 松|日 落 桑 名 海 雲 暗 多 度 峰 蟹 荘 火 已 上 時 聴 梵 宮 鐘》 天尾天神社《割書:木田村にあり今八幡と称す本国帳に従二位天尾天神とある是也後人改|て雨尾とす同村の観福寺雨尾山と号するも亦此縁あるによるとぞ》 雨尾山観福寺《割書:同村にあり天台宗野田密蔵院末大宝二年壬寅行基 菩薩(ぼさつ)の開基也|そのゝち宝徳二年庚午法印慶山再興せり》  本尊《割書:十一面観音は行基の作にして又同作の|不動明王毘沙門天等を安置す》寺宝《割書:国君御寄付の什|宝及び額等あり》 業平(なりひら)塚《割書:富田村にあり俗に車返(くるまがへ)し御所屋敷といふ里老相伝ふ業平朝臣此地に住せり|と或は荒尾氏当郡に住せしに其姓在原なりしが其子孫祖考の墓を築きし》  《割書:を後人誤りて業平朝臣の塚とせしならんかなどもいへり又東北の方に貴船社ありこれ|則業平朝臣の本居(うふすな)神なりなどもいひ伝へり又同郡加木屋村に業平の烏帽子塚と》  《割書:称するものありすべて其説一定しがたけれ|どしばらく里老の口碑をうつすのみ》 良忍上人 同村秦道武といふ人の子にして母は熱田の神職 の女なり  後三条院の延久四壬子年正月元日に誕生し十二歳の春叡山 兜(と)  卒谷(しつだに)の恵心院の良賀法印の許にて台教を学び薙髪(ちはつ)して本  覚坊良忍と名のらる其頃東塔の西谷無動寺へ千日 詣(まうで)をなし  隠遁(いんとん)の心行(しんぎやう)をいのり廿三歳の秋 素懐(そかい)のごとく大原の奥にかくれ  て のかれてもえこそゆるさね世のうさをいとひ来てすむ大原のおく  と詠ぜらる斯(かく)て此地に来迎院を草創し結界法を修せんとせら  れけるに鬼魅(きみ)共に語つていふやう上人の法力いかでか当るべき我等  いそぎ退散すべしとありけるを上人親しく聞れしとぞ又式内八字  文殊法を修せられしかば庭上の大名変じて獅子(しゝ)となり吼(ほえ)しと  なん又一日鞍馬寺の毘沙門天異人と化し上人に来謁し玉ひて  いはく師何ぞ融通念仏(ゆづうねんぶつ)を唱(とな)へざるやとこゝにおいて上人 遂(つい)に融  通念仏を僧俗男女に勧誘(くわんゆう)せられ上は空也上人を追ひ下は源空  上人に及びて六字称名弘通の功徳来世に盛なるも皆上人の法力  なりと《割書:云々》長承元年二月朔日行年六十一にして入寂(にうじやく)し玉ふ  近き安永二年十月十六日 勅して聖応大師と謚号を贈り玉ひぬ  猶委しくは元享釈書及び大念仏寺両祖絵詞伝等にゆづりぬ 荒太(あらお)天神社《割書:清水村にあり今明神と称す祭神 誉田天皇 玉依姫命 息長足姫尊|本国帳に従三位荒太天神とある是也○摂社神明祠山神祠》 船津社《割書:名和村にあり舟玉十二所を祭る|応永二十五年戊戌造営せり》神宝《割書:達摩正宗刀一腰長二尺一寸にして|渋谷金王丸所持せしところ也といへり》  例祭《割書:三月|十日》 名和 干温飩(ほしうどん)《割書:同村の名産也凡当郡の小麦粉精密にして最上(さいじやう)の極品なれば大野岩屋横|須賀佐布里等の諸邑みな索麺(さうめん)を製して名産とす近年こゝにて干》  《割書:温飩を精製し諸国へ夥(おびたゝ)しく運送す其製甚清浄潔白にして形状風味共に勝(すぐ)れ|たり彼東坡が詩に一盂湯餅銀糸乱と作れるはこれ等のたぐひを形容せし句にて》  《割書:銀糸の二字さながら是に|的当の題銘ともいふべし》 大高村《割書:旧名火上の里氷上ともかけり後今の郷名となりて蜷川親元が日記に尾張国大|鷹郷大梅院被_レ申_二安堵_一事《割書:云々》と見えたり又旧説に初メは火高といひしか荐(しきり)》  《割書:に火災ありければ永徳二年|終に大高と改めしと云》 大高 菜(な)《割書:大高村にて|作る所なり》蕓薹(な)の丈(たけ)二三尺より四尺余に及ぶものありしかるに葉(は)茎(くき)  根(ね)みなやはらかにして或は煮(に)或は塩漬(しほづけ)にするに其風味甚美にして魚鼈(きよべつ)の右に出たり  凡形状風味ともに他境尋常の産とは大に異なり  大高菜(おほだかな) 大高や  こゝ   菜の花の    よしの       山      士朗 【落款】玉渓 【陽刻印】玉 渓 大高城址《割書:大高村の辰巳の方にあり東西五十九間|南北十八間今志水家の宅地その址なり》もと信長公築き玉ふ所なるが  公の家臣山口左馬助子細あつて公に叛き調略を以当城を侵掠し  剰へ今川家に付属せりしかるに桶狭間の役に織田勢鷲津丸根二  ヶ所の砦(とりて)を構へ今川勢の糧道(りやうだう)を遮(さへき)り絶(たゝ)んとせられしが  神君十九歳の御初陣に奇策(きさく)を以て当城へ兵糧をやす〳〵と  運送(うんさう)し玉ひし事は普(あまね)く世の知る所なれば委しくは記さず都て  こゝにもらしつ 鷲津砦址(わしづのとりてあと)《割書:同村の丑寅の方八町計りにあり東西十四間南北十五間四方かきあげの砦|にして今川義元合戦の時尾張勢飯尾近江守弟同隠岐守織田玄蕃亮》  《割書:五百二十騎の勢にて|楯籠(たてこも)りし砦の址也》 丸根(まるねの)砦址《割書:大高より四町程北の方にあり鷲津の砦よりは東西五間程広くして其余は|みな同じ是も義元合戦の時尾張佐久間大学こゝに居けるを 神君御進伐》  《割書:あらせ玉ひしに大学敗(はい)|績(せき)して討死せしとぞ》 前関白正二位内大臣豊臣秀次公《割書:将軍家譜に関白内大臣初為_二 三好山城守 ̄ノ|養子_一故号_二 三好孫七郎 ̄ト_一実 ̄ハ三位法印 ̄ノ子 ̄ニシテ秀》  《割書:吉養子 ̄ト《割書:云々》尾張人物志略 ̄ニ智多郡|大高村 ̄ノ産父 ̄ハ長尾武蔵守吉房《割書:云々》》忠義士抜書《割書:堀田上野介正信入道忠三配所信|濃において寛文三年癸卯二月》  《割書:撰_レ之天和三癸亥|年の刻本也》に関白秀吉公の嫡男秀次公は武蔵守三位法印一駱の男 たりしを猶子として天正十九年に関白職を譲り給ひて尾張国に居(す)へ 置き其身は聚楽にいますしかるに秀次公官職に怠り朝夕逸遊を 事とし其行跡荒々敷我意のみありければ諸民 悪様(あしさま)に諷し後には逆 謀と云沙汰もありしかば秀吉公の家臣増田右衛門尉長盛石田治部少輔 三成等日来不和なりければ幸に讒を構へ時々 呫囁(でう〳〵)せしに秀吉公是 を頷(うなづき)給ひて謀叛(むほん)人に極りたり秀次公 誤(あやまり)なき旨神文を以 歎(なげ)き玉ひしかども姦 者猶止ずして終に文禄四年七月十五日高野山青巌寺にて自害《割書:云々》と見えたり 火上姉子(ひかみあねごの)神社《割書:同村にあり今氷上神社と称す熱田七社の一なり祭神 宮簀媛(みやすひめの)命延喜式に|火上姉子神社本国帳に正二位氷上明神とある是也神皇正統記及び熱田縁》  《割書:起等には皆稲種の妹也とあれど姉子神社の称号は稲種の姉妹の論にはあらですべて夫のなき少女|をさして姉子と称せしに起るなるべし 日本武尊東征し玉ふ時此地にて此媛命を幸し玉ひ御別れ》  《割書:に臨んで神剣を留めさせ玉ふに 尊崩御の後此媛命社地をゑらみ神剣を|安置し奉りし伝由は熱田の条下に詳なればゆづりてこゝに略しぬ》抑当社は 仲哀  天皇の御宇社を沓脱(くつぬぎ)島に遷【迁は俗字】し《割書:是を元宮|と称す》同帝の四年に又今の地に遷し  玉ふ《割書:今も沓脱島に朝苧(あさを)社といふあり|て当社の神輿神幸の所なり》社地広大にして千載の古木枝をたれ 【右丁】 【陽刻落款印】春江  氷上(ひかみの)神社    《割書:当社神主| 来目吉員》 鳴海かた  潮干にかよふ   しるへには  氷上のみやの   よるの    ともし      火 【挿絵中の囲み文字】   霊根祠                     鍬神     本社                    浅草祠       祭文殿    御手洗       御供所 【右丁】 【挿絵中の囲み文字】      神明祠            手水                     井                        拝殿 白鳥祠 白鳥山 元宮     大氏祠           物部祠     白山祠                            氷上の池 【右丁】 【右から横書き】 長寿寺 【挿絵中の囲み文字】                        天神        周月院              鐘楼          竜神 【左丁】 【挿絵中の囲み文字】          庫裡      山門 鷲津   弁天 砦跡         玄関  観音          仏殿   元惺寺         方丈                禅堂             衆寮 【陽刻落款印】春江  深碧を畳(たゝ)みて日晷(ひかげ)を漏(もら)さず青蘚(せいぜん)厚く地を封じものさびたるさま  さながら 神徳のほども推(お)しはかられていと尊くぞ覚ゆる○神宝  太刀一振《割書:平治年中義朝当国知多郡に下り当社|に後栄を祷りし時の奉納なりとぞ》例祭《割書:八月朔日花車ねり物を出|しまた馬の頭多く出る》  摂社《割書:八剣社 源大夫社 紀大夫社 広田社 稲荷社 山神社 天王社|白山社 白鳥社 已上九社今は廃して社地のみ存せり》元宮《割書:上古氷上鎮|座の地をいふ》常世(とこよの)  社《割書:宮簀媛命の荒魂(あらみたま)にして|則墓地之故に陵(みさゝき)と通称す》朝苧社《割書:火高大老婆の霊を祭る大老婆|は火高の里の地主なりしとぞ》姓社《割書:火明(ほあかり)命と|天 香語山(かごやまの)命》  《割書:と二座を配せ祭れり二神ともに|尾張姓の神なれば大姓社とも称す》浜社《割書:塩土翁|を祭る》雨請(あまごいの)社 星社《割書:左右二|社あり》祠官《割書:久米|氏》 鷲頭山長寿寺《割書:同村にあり臨済宗江州永源寺末もと長祐寺といひて無本寺也|しが延宝四丙辰年志水甲斐守忠継の祖母長寿院再営し》  《割書:其法名によつて今の寺号に改め黄檗宗の僧越伝を以中興|の開山とせしが元禄二己巳年再び今の宗に復せり》本尊《割書:阿弥陀仏は|熱田太神宮の》  《割書:御神作にして剣敷(けんしき)の阿弥陀と称すもと府下天王坊|安養寺の本尊なりしを故ありてこゝにうつせり》観音堂《割書:境内に|あり》塔頭《割書:元惺寺|周月院》 尾張名所図会巻之六《割書:終》 【白紙】 【裏表紙】 【表紙 題箋】 《題:尾張名所図会《割書:前編》  七》 【題箋に記載のアルファベット】   owari 【白紙】 尾張名所図会巻之七    目録《割書:東郡|西郡》 海東郡 ̄ノ解    法界門(はふかいもん)橋    萱津(かやづの)里     萱津古駅 阿波手(あはでの)森    薮香物(やぶのかうのもの)     阿波手社     阿波手浦 反魂香塚(はんごんかうのつか)   反魂香を焼(たく)図   権薬師(かりやくし)     正法寺 妙勝寺      光明寺      大 銀杏(いてう)      実成寺 萱津古戦場    甚目寺      同 初観音参(はつくわんおんまうで)  上条瓜(じやう〳〵うり) 土田八幡宮    大吉寺      東勝寺      延命寺 義教(よしのり)公富士御覧の図        方領(はうれう)大根    石作村 石作神社     中杜(なかのもり)天神    中森      新屋(になや)村 新屋天神     法性寺      小町塚     新居屋(にゐや)川 高宮社      福島正則宅址   菊仙院     花正(はなまさ)村 法蔵寺      藤木田(はぎた)     木田重長宅址   貴船社 三位法印宅址    蓮華寺    蜂須賀正利(はちすかまさとし)宅址  勝幡(しやうばた)城址 根高(ねたかの)地蔵     根高松図    万場渡(まんばのわたし)     万場駅 八ッ屋孝女の碑   砂子(すなご)川    自性院      馬島明眼(まじまめうげん)院 同後園林泉の図   円長寺     藤島神社     広済(くわうさい)寺 伊福部(いふくべ)天神     河葉天神   面足(おもたるの)尊社     義経 弓掛(ゆみかけ)松 神守(かもり)駅      憶感(おかん)神社    日光川      諸鍬(もろくわの)神社 諸桑(もろくわ)村 古船堀(こせんほりの)図 日置(へき)村    若宮八幡      光明院 甘楽(かむらい)名神     由乃伎(ゆのぎの)神社   佐屋駅     相江(さえ)天神 水鶏(くひな)塚       佐屋川     戸田米      佐久間城址 西光寺       蟹江(かにえ)川    須成(すなり)天王     龍照院 源氏島       善太(ぜんた)川    円成寺      大井神社 津島里       津島渡    佐屋津島 追分(おひわけ)の図 牛頭天王社     末社      例祭       春県(はるあがたの)神事の図 流鏑馬(やぶさめ)    六月船祭の図    神領      神主 氷室(ひむろ)氏 社僧四ヶ寺   天王橋跡     奴野(ぬのゝ)城址   木下藤吉天王参詣図 社家町     四家七党     瑞泉寺     西福寺 妙延寺     土御前社     貞寿寺     教信坊 興善寺     八剣社      蓮台寺     常楽寺 本蓮寺     成信(じやうしん)坊     名産 白雪粔(はくせつこ)  名産 麩(ふ) 市神社     名産あかだ店   大龍寺     十二城址 姥(うば)が森    馬津(うまづの)古駅 海西郡 ̄ノ解    円通寺     宇太志(うたしの)神社   石塚 西音寺     給父(きうぶの)渡     百合根(ゆりね)     横井時永の伝 光耀(くわうよう)寺    一心寺      早尾(はやをの)渡    葛城(かつらきの)古渡 関通上人伝   石田里      小杜天神    連理菊 蓮根(れんこん)     古川城址     子消(こきえの)里     市腋(いちゑ)島 赤星(あかぼし)明神   大楠(おほくす)        筏(いかだ)川      弥勒(みろく)寺 宮筠圃(きういんほ)の伝   筏川岸桃林の図   孝女そよの伝   忠女はるの伝 森(もりづの)藤架(ふぢだな)   孝女わきの伝     海東郡 当郡は愛智郡の西に隣(とな)り北は中島郡を境(さかひ)とし西は海  西郡に接(せつ)し南はすべて海浜(かいひん)也もと海部(あまの)郡といひしが頼(より)  朝(とも)公天下を治(おさ)め給ひしころより二郡にわかれ東の方は則  海東郡西の方は今の海西郡也六国史をはじめ古書  どもには皆海部郡と記(しる)せり 法界門橋(はふかいもんのはし)《割書:上萱津村の北なる五条|川に架(わた)せる長橋なり》むかし甚目寺大 伽藍(がらん)たりし  時東の総【惣】門こゝにありて法界門と呼びしが頽廃(たいはい)して後  其名のみ此橋に残りたる也 萱津(かやづの)里《割書:今上中下の三郷となり|て其地頗るひろし》東鑑に建久六年六月廿九日壬  午著_二尾張国萱津宿 ̄ニ_一給 ̄フ当国 ̄ノ守護人野三刑部烝成  綱進 ̄ム_二雑事 ̄ヲ_一嘉禎四年二月十日丙戌晴萱津 ̄ニ御 宿(トマリ)亥 ̄ノ剋 ̄ニ  将軍家俄 ̄ニ御不例御寉乱歟諸人驚-騒医師時長施 ̄ス_二医 【右丁】 萱津(かやづの)古駅(こえき) 【陽刻落款】高雅 【左丁】   寄傀儡恋      有家卿 《割書:六百番哥合》  東路やかや津の     原の朝露に   おきわかるらん       袖は物かは  術 ̄ヲ_一之間 小選(シバラク)令 ̄ム_二御本復 ̄セ_一仍 ̄チ賜 ̄フ_二御剣 ̄ヲ_一京兆令_レ引_二御馬 ̄ヲ_一給 ̄ト《割書:云々》  十一日丁亥晴今日御_二-逗-留于萱津宿 ̄ニ_一依_二去 ̄ル夜 ̄ノ御不例 ̄ノ余  気 ̄ニ_一也其後修_二-理両河 ̄ノ浮橋 ̄ヲ_一《割書:云々》貞応海道記に幽月景  あらはれて旅店に人しづまりぬれば草の枕をしめて萱津  の宿にとまりぬと見え名所方角抄に萱津原 下(おり)津より  一里計り南也俗にかいづの宿といふ也と見えて古駅なり  むかし京より東路に下る海道は墨俣(すのまた)川および玉 ̄ノ井黒  田一ノ宮下津萱津を経て古渡熱田鳴海夫より二(ふた)  村山の麓(ふもと)を過て三河の八橋へ出し也                     《割書:大徳寺》  《割書:   萱 津 里 夜 雨                 天 倫 和 尚|尾張八景》   《割書:蕭 条 村 雨 滴_二 新 愁_一 連 屋 不_レ 眠 夜 正 脩 世 上 繍 衾 香 帳|客 終 無_三 桂 玉 掛_二 心 頭_一》     《割書:名寄》    冬かれの野への萱津は焼にけり行かふ人のつまやこもれる  長明      《割書:尾張の国に京より下れりける男のかたらひつき侍けるかあすのほりなんとしける|時しぬはかり覚ゆれはいくへき心ちせぬよしいひけるに》   《割書:新続古今集》    しぬはかり誠になけく道ならは命とゝもにのひよとそおもふ 傀儡あこ     《割書:藻塩草に萱津の原てくゞつの是も在所也とあれば此あこはかや津の宿のくゞつなるべし》         《割書:      萱津夜雨|尾張八景》   雨の夜の軒の雫のおとつれて萱津の里はいとゝさひしき    紹益  《割書:名所今歌集》   ふるさとをおもふ心のつかねをもなみたみたるゝかやつのゝ原 猛彦  《割書:同》   東路や萱津の原をわくるにも先みちのくのはい野の面かけ   春蔭    《割書:枇杷園句集》     五月雨かやめは屋根堀るからすかな           士朗     洞はやし萱津の里のむら尾花              騏六     白鷺やいつれ千年の松のかけ              徐英 阿波手(あはでの)森《割書:上萱津村|にあり》古人の秀詠多く蒼欝(さううつ)たる古林日の影を  見ず木の下露は雨にも勝(ま)さり人蹟(じんせき)稀(まれ)にして鳥声 寂莫(じやくまく)たる  勝地なり藻塩草に尾張とあり又名所方角抄に阿波手  の森浦里有_レ之 下(おり)津といふ里の南にあり建保名所にも入なり  としるし阿波堤(あはで)粟手(あはで)粟殿(あはで)などゝも書けり  《割書:尾張八景  粟 手 杜 晴 嵐                        大 徳 寺 覚 印| 楓 樹 飜_レ 紅 如_二 錦 繍_一 海 潮 湛_レ 碧 似 _二 瑠 璃_一 翠 嵐 一 帯 添_二 奇》 【右丁】 萱津(かやづ)の  総【惣】図  尾張八景   萱津夜雨 旅まくら  ね覚に  きけは  軒にふく 萱津の  里の 雨しつか  なり  水野貞信 【同 挿絵中の囲み文字】                       ほうかい門はし                                堰 大吉寺  土田八まん                    はんごんづか            かりやくし                 あはでのもり                 やぶの香物             上萱津村                    あはでの池                        正法寺              いろつけ川                                五条川 【陽刻落款印】春江 【左丁】 《割書:名所小鏡》 かるかやゝ  古き駅    の  名の   残り   荷兮 《割書:同》 鳴虫を  駅路の   鈴か 萱津原  蘭声 【同 挿絵中の囲み文字】 甚目寺       あはでの浦旧址      江上のぢざう         妙見                         おかみ長者跡      江上の入江                     古戦場                        八まん            妙勝寺    観音池                           みしま                光明寺                     天神                            南宿      萱津原旧址 其二 銀杏  より 引つゝい  ての もみち  かな  月釣 【挿絵中の囲み文字】            香物畑     やぶの香物                              新川出口      中萱津村 妙見          実成寺   香物庵   松葉宿     小栗井戸       天神    八まん             山伏つか     月宮       まな長者跡              下萱津村                     三社宮                大いてう   《割書:景_一 粟 手 林 巒 楽 者 誰》   《割書:     題しらす|新千載》    かきたえて人も梢のなけきこそはてはあはての森となりけれ  紫式部   《割書:建保三年内裡名所百首》    我恋はあはての森の夏の ̄イ【注】草の人こそしらね茂るころかな 順徳院御製   《割書:同》    さりともと色に出ぬることの葉もあはての杜の名にそおとろく 僧正行意   《割書:同》    かた糸のあたの玉の緒よりかけてあはての杜の露きえぬとや  参議定家   《割書:同》    日数ふるあはての杜の下紅葉もりくる露の色に出にけり    従三位家衡   《割書:同》    名にしおはゝ阿波手の杜の呼子鳥うきはためしの夜半の一声  俊成卿女   《割書:同》    いつとてもあはての杜の夕露のなと秋風にたえすちるらん   兵衛内侍   《割書:同》    たゝ染よ時雨も露も置霜もあはての森の秋のくれかた     宮内卿家隆   《割書:同》    身にとまるおもひはこれもしられけりあはての杜の夜半の木からし 左近衛中将忠定   《割書:同》    白露も置たにあへす枯にけりまたも阿波手のもりの下くさ  前丹波守知家   《割書:同》    そのまゝにあはての杜の秋の暮袖よりほかに色かはりけり  前丹後守範宗   《割書:同》    聞したゝあはての杜の名もつらしうきためしある昔也けり   散位行能 【注 書物を校合して異本の字句を傍注する時に用いる符号。普通片仮名で「イ」と表す。書誌学で「異本」「一本」の略。】   《割書:|同》    侘はつる身をうつせみのおのれのみ阿波手の杜に音をや鳴らん 《割書:蔵人左衛門少尉| 藤原康光》   《割書:色葉集》    なけきのみしけく成行我身かな君にあはての杜にやあるらん  相模       《割書:康平三年三月十九日高倉の一宮にて国所の名をあはせ給ひけるに相模か|よめる哥也あはての杜は尾張の国にあり昔妻夫を見むとて尋行けるに》       《割書:彼森に行つきてあひ見すして死にけり是によりてあはての森とは名(なづ)|けけり扨其国ををはりといふは終と書てけるを尾張とは注すなり》   《割書:夫木》    つゐになほあはてのもりのほとゝきすしのひかねたる声たてつ也 琳賢法師   《割書:同》    我ために阿波手の杜の雫かはつまとふ鹿の立ぬれて啼   土御門院小宰相   《割書:雪玉》    人心はけしく見つるけしきよりさてや阿波手の森の木からし 内大臣実隆   《割書:自哥合》    今そしるあはてのもりの秋風よ木の葉ふりしくちきり也とは  豊原統秋   《割書:延享二年公宴》    いつまてかかはかぬ袖の露ならんあはてのもりのあはぬなけきに  通枝    我なけき人のつらさにしけりあひてはては阿波手の森となりなん  契沖   《割書:富士見道記》    《割書:十三日に阿波手の森門前の妙勝寺興行森の東に反魂香焼跡又森下に社あり|薮の香の物入し瓶あり》       野分にやあはての森の初栬                紹巴      《割書:曠野集》       藁一杷かりて花見る阿波手哉               湍水 薮香物(やぶのかうのもの)《割書:同村正法寺|にて製す》むかし萱津の里に市ありし時近里の農  夫 瓜(うり)茄子(なすび)蘿蔔(だいこん)の類の初なりを熱田宮へ奉らんとせしかども  道遠ければ阿波手の森の竹林の中に甕(かめ)を置き《割書:今も猶其旧|姿を存せり》  あらゆる菜蔬(さいそ)を諸人 投(なげ)入れ塩をも思ひ〳〵に撮(つか)み入れなど  せしが自 ̄ラ混和(こんくわ)して程よき塩漬(しほづけ)となりしを二月十一月十二月彼  社へ奉献せし也是を薮の香の物と名づけ名産とす後世  路傍(ろばう)の行人など神供の物をも憚(はばか)らずとり喰(く)ひ或は穢物(えもつ)  をもほどこしければ終(つゐ)に正法寺の境内にうつして今に至  る迄 熱田宮へ奉納するを例事とす薮に香の物とはふかき  言葉にて十訓抄に菅三品(くわんさんぼん)の家にて人々月をもてあそ  びしに或人月はのぼる百尺楼と誦しければ老たる尼(あま)のあ  やしげなるがこれをきゝて僻事(ひがこと)を詠じおはしますかな月は  なじかは楼に登(のぼ)るべき月には登るとぞ故三位殿は詠じ給ひし  といひければ人々恥【耻は俗字】て薮に香の物といへる児女子(じじよし)がたとへ 【右丁】 阿波手(あはでの)森 反魂(はんこん)塚 薮香物(やぶにかうのもの) 【陽刻落款印】春江 《割書:名所小鏡》  鴬も   箸とれ    薮の   香の    もの    白尼 【同 挿絵中の囲み文字】   反魂塚 法界門堰 【左丁 挿絵中の囲み文字】 薮香物         銭神     連理柳 金山社    白髭    八剣  本社                あはでの池  たがはざりけりとて感心せられしよしにしるし源平盛衰記  にもやぶにかうのものといふ事見えたり《割書:尾陽雑記に云むかしは正|法寺大地にして住持は》  《割書:東巌(とうがん)禅師といへり其比 瓜(うり)茄子(なす)大根 小角豆(さゝげ)蓼(たで)やうのもの商(あきな)へる人此森の前を通|りけるが必一ッ二ッ此神にさゝげて通りけるを禅師只捨置べきにあらずとて甕に入れ》  《割書:塩を交(まじへ)てつけ置しより初るとかや大 方(かた)日本香の物のはじめ成べしといへり扨|吉例として此所の香のものを二月初午の日に 熱田に其品三十二をさゝげて神》  《割書:供とし又十二月廿四日にも是を備ふと也近き頃迄は阿波手の杜の薮の中に有りける|があふれものゝ来りてとりくらひ果には穢(けが)らはしきものなど取込などしける故》  《割書:制しかねて今は寺内に取来り薮の中に漬(つけ)置なり《割書:云々》》     《割書:塩尻》      《割書:宰相中将公澄卿日光例幣使に下らせ給ひ卯月廿六日熱田に宿らせ玉ひ|しほどにまいりてまみへまいらす箱物干物奉りし序二見の浦なる》      《割書:浜荻藻塩草忘貝なと硯蓋にしてまいらせけれはことに興しまし〳〵て去|年まいらせし阿波手の森の籠物 院に献しまし〳〵けれは御慰と》      《割書:なりし 叡慮なとかたらせたまひこの海つ物もまたかくと啓せさせたま|はんとうけたまはりしこそ数ならぬ身の奉りもの雲の上まて及ひ侍らん》      《割書:とはかけてもおもひ奉らさりし》   君か手になひくもうれし神風や伊勢の浜荻波に朽せて  信景    《割書:尾張名所記》      森のうちに匂ひ鳥もや香のもの         虎【乕は俗字】竹      なつかしき秋や粟手の塩の味          雄淵 阿波手(あはでの)社《割書:阿波手の森の中にあり 祭神 日本武尊 本国神名帳集説に按 ̄スルニ|阿波手 ̄ノ森 ̄ニ有_二神祠_一称_二熱田神_一疑 ̄ハ是萱津天神 ̄ノ社 ̄ニシテ而以 ̄シテ_二香物 ̄ヲ_一故 ̄ニ光明寺 ̄ノ》  《割書:境内 ̄ニモ亦祭 ̄ル|_レ之歟 ̄ト《割書:云々》》末社《割書:八剣大明神 白髭大明神|金山彦尊 銭神等の数祠あり》連理榊《割書:社前に|あり》     《割書:詠阿波手神社倭謌》   みしめなはかけてあふかは森の名の粟手はてめや神のめくみよ 賀茂季鷹 阿波手の里《割書:むかし此辺にありし里にて萱津近きわたりなりしが今|廃して其地定かならねど古哥によりてこゝに挙るのみ》  《割書:     阿波手のさと尾張題しらす|夫木》   日くるれはあはての里のわらはへの夕とゝろきか物も聞こえす よみ人しらす 阿波手裏《割書:藻塩草に尾張とあり此浦むかしは入海にて阿波手の森のあたりまで|汐さし入海士の住家もありしが中世 堤(つゝみ)をつき新田を墾(は)り海遠く隔》  《割書:たりて遥也古哥によめる俤(おもかげ)は絶てなし誠に蒼田(さうでん)|碧海(へきかい)変易(へんゑき)のためしまのあたり見る心地(こゝち)す》  《割書:金葉》   名にたてる阿波手のうらの蜑たにもみるめはかつく物とこそきけ 源雅光  《割書:千載》   しほたるゝ袖のひるまはありやともあはての浦の海士にとはゝや 法印静賢  《割書:新勅撰》   我恋はあはての浦のうつせ貝むなしくのみもぬるゝ袖哉   《割書:後法性寺入道| 前関白太政大臣》  《割書:続古今》   夜とゝもにくゆるもくるし名にたてるあはての浦の海士のともし火 後鳥羽院御哥  《割書:同》   是や此あはての浦にやくしほのけふり絶せぬ思ひなるらん   平親清女  《割書:続千載》   恋わひてもえむ煙の末もうしさのみあはての浦のもしほ火   為道朝臣女  《割書:同》   いかにせん阿波手のうらによる波のよるたに人を見る夢もかな 荒木田秀宗   《割書:続後拾遺》   いかなれはあはてのうらにやく塩のけふりたえせぬおもひなるらん 達智門院  《割書:新千載》   いたつらにあはてのうらによるへなき我身そ今は海士の捨ふね  前大納言為世  《割書:新続古今》   いたつらにけふりはかりそなひきけるあはての浦の蜑のいさり火 寂縁法師  《割書:夫木》   みせはやなあはての浦のうつせ貝うつふし〳〵てなけくけしきを 琳仁法師  《割書:同》   なのりそを蜑のみるめにかりなして阿波手のうらにこよひわすれぬ 基行  《割書:同》   波風に友よひかはす小夜千鳥さてもあはてのうらみてそなく  前大納言基良  《割書:家集》   今更にあはてのうらのわすれ貝ふみ見ることも絶はてぬとや  藤原隆信朝臣  《割書:李花集》   とへかしなあはてのうらにしほたれて年ふるあまの袖はいかにと 宗良親王  《割書:天授元年五百番哥合》   いつまてそあはての浦のあた波を袖にうけても過る月日は   権中納言実興  《割書:千首和哥》   いつまてかあはてのうらにうきみるのみるめはかりに袖ぬらさまし 為尹卿  《割書:嘉元仙洞御百首》   いくたひもあはてのうらによる波やおなしつらさに立かへるらん 藤原基忠朝臣  《割書:閑田詠草》   いつまてかあはての浦の海士ころもかひなき波に袖ぬらすへき  伴蒿蹊   いかにせんあはてのうらのうつせ貝空しき恋にしつみなん身を  磯足   恋わたるかひやなからんいつまてか阿波手の浦の海士となる身は 僧日潤 反魂香(はんごんかう)塚《割書:阿波手の森の東|なる堤の下にあり》光仁天皇の天応元年河内権守紀 是(これ)  広(ひろ)が子七歳にて父を尋(たづ)ね東国に下らんとて此所まで来り煩(わづら)ひ  失(うせ)けるを父是広出羽より登るとてこゝに来合せ我子の死せしを  きゝ智光上人を頼(たの)みて反魂香をたきしばしの冥会(めいくわい)を遂(とげ)し跡  塚となり今も猶残れり委(くは)しくは名古屋七ッ寺の条にしるした  ればこゝに略す又正法寺縁起にしるせるは当寺開祖東  岩和尚此浦に草庵を結(むす)びて有しが 光仁天皇の宝亀  十一年奥妙 信夫(しのぶ)の里より若き夫婦《割書:夫を恩雄(ヤスタカ)妻を|藤姫といふ》上京  せんとこゝまで来りしに藤姫病にかゝりて遂に身まかりぬ  病中に一首の和哥をよみて恩雄に残せり 忘るなよ  我身きえなば後の世のくらきしるべに誰をたのまん と恩雄  これを見て悲歎(ひたん)のあまり東岩(とうがん)和尚を請(しやう)じて営(いとな)みを 【右丁】 反魂香(はんごんかう)の図 【陽刻落款印】高雅 【左丁】     反魂香の心を          よめる        従三位行能 《割書:新続古今》  みても猶身をこそこかせ   時の間の煙のうちに     きゆる面かけ  なし其身は剃髪(ていはつ)して弟子となり藤姫の塚の辺に庵を結び  菩提をぞ弔(とふら)【吊は俗字】ひける《割書:此時恩雄はの廿一才藤姫は十六才也|法名を大空了覚信女といふ》其後天応元  年橋本中将関東に下向の折から粟手の森の古蹟など  こゝかしこ遊覧し玉ふに彼恩雄法師が庵を窺(うかゞ)ひ本尊の  薬師仏いと尊く菴主も若き身にして殊勝(しゆしやう)に念仏せしを  感じ法師が身のなるはてをも問ひ給ふに法師もしか〴〵と語  れば彼卿 頓(とみ)に色を失ひ泣々(なく〳〵)語り玉ふは其藤姫こそ我奥州  に左遷(させん)【迁は遷の俗字】ありし時 賎(しづ)の女の腹(はら)にやどせしわが一子也我帰洛の  後 音信(おとづれ)もせざりしが母は死して其子汝に嫁(か)し共に我を慕(した)ひ  上京せんとせしにこゝにて身まかりし事のはかなさよとて遂(つゐ)に  其師の東岩和尚を請じ反魂香を焚(た)き秘法をも修せしかば  香烟の中に二八の女性(によしやう)忽然(こつせん)と顕(あら)はれけるを近づきて言葉を  かはさんとせしかど烟と共に失(うせ)にけり彼卿は悲喜の泪(なみだ)をしぼり  つゝ 魂を反す匂ひのありなから袖にとまらぬむかし悲しき  と詠じ給ひければ法師も おもひきや花のすかたの香を留て  烟の中にみなすべしとは とぞ詠じける夫より此塚を反魂塚と  呼びそめし也委しくは縁起に出たれど事長ければこゝに略しぬ  さてかゝる伝説あれど七ッ寺の縁起とは大小異同ありて一定  しがたければ今二説ともに其略を挙(あげ)て以て後考に備(そな)ふるのみ  《割書:按るに反魂香の事蹟我邦にては当所にかぎり彼土にては白氏文集東坡詩集|等の注にのみ見えて其余の史籍(しじやく)にはかつて載(の)せず又其法を知る人とても絶てな》  《割書:ければ其名のこゝに朽(くち)ざるはいとも珍らし》   《割書:                                千 村 鼎 臣|金 釵 埋 没 幾 星 霜 独 有_三 荒 墳 倚_二 路 傍_一 千 里 追 尋 曽 此》   《割書:到 一 身 難 苦 備 能 嘗 反 魂 香 古 音 容 絶 堕 涙 碑 残 感|慨 長 時 憶 聊 焚_二 紙 銭_一 去 不 逢 林 下 弔_二 藤 姫_一》  《割書:暢園詠物詩                             岡 田 新 川》   《割書:馬 鬣 封 猶 在 荒 涼 古 道 辺 偶 逢_二 遊 月 日_一 遙 想_二 反 魂 年_一|影 冷 三 篙 水 香 銷 一 炷 烟 豈 無_二 桑 海 感_一 悵 望 対_二 枯 蓮_一》   《割書:                                青 生 元 宣|粟 手 無_二  人 訪_一 郊 原 草 色 平 反 魂 香 火 地 懐 古 不_レ 勝_レ 情》   《割書:                                柴 山 東 巒|正 是 春 光 欲_レ 尽 時 落 花 芳 草 弔_二 藤 姫_一 追_二 思 往 事_一 豈 無》  《割書:_レ 涙 祠 畔 猶 余 連 理 枝》    《割書:堅並集》     粟の穂にわれからと鳴虫もかな   琴宇     薄煙る草や粟手の夜のつゆ     松兄     秋もはや暮るやうなり鳥の声    天老 権(かり)薬師《割書:上萱津村にありて|正法寺の隠居所也》本尊《割書:薬師如来聖徳太子の御作|にして藤姫の守本尊なり》藤姫位  牌一基《割書:大空了覚信女位うらに宝亀十一年八月十四日|とあり上の方に三ッ巴の紋見えたり》       《割書:仮薬師にて》     竹の葉のほろつく昼のきぬた哉   白図     秋の雨むしろ四五枚たゝみけり   少汝     柴の戸の紅葉になれし夕かな    岱青 日東山正法寺《割書:同村にあり曹洞宗|熱田法持寺末》本尊《割書:正観音|の木像》寺宝《割書:藤姫|の面》鉦《割書:藤姫|の所》  《割書:持》阿波手森謡本《割書:古写本|一冊》縁起に云当寺は天平勝宝年中  唐僧 東岩(とうがん)和尚を以 肇創(てうそう)の師とし元和元卯年今の宗  旨に改め法持寺の八世月峰 慶呑(けいどん)和尚を以中興の開山と  す《割書:云々》《割書:古蹟相続のためとて 国君より香のもの田|若干(そくばく)の除地を賜り 今も猶寺伝す》毎年当寺より  熱田宮へ香物御供米等を奉献す《割書:二月初午 一黒米三斗弐升五合|一香物籠三十二但籠一ッに瓜二ッ茄子二ッ》  《割書:一藁苞 一但詰様篭に同じ一柳箸 十二本 但寸法三尺 一竹棒 三本 但寸法 三尺(黄之一本) 極月廿三日|午刻 一黒米 七升五合 一香物篭十二 一藁苞一 一榊 一本 右詰様初午と同断》 長生山妙勝寺《割書:同村にあり日蓮宗|京都本国寺末》開基は日蓮上人の弟子日妙に  して尾張四ヶ寺の一也福島左衛門大夫正則寺領及び境地を  寄付ありし坂東の総(そう)【惣】本寺(ほんじ)なり○本尊《割書:法華|三宝》寺宝日蓮上  人木像《割書:日法|の作》其外数多あれど略しぬ 横笛山光明寺《割書:中萱津村にあり時宗相模|藤沢の清浄光寺末》弘安年中 一遍(いつへん)上人の開基  にして上人 巡国行脚(しゆんこくあんぎや)の時当国へ来られ必当寺に逗留ありて  諸人 結縁(けちえん)のため六十万人決定往生の六字名号を授(さづ)けらるゝ  旧例也その時 国君より厚くもてなし給ふ三国伝記に永  和年中尾張国萱津の道場の衆徒洛陽七条辺に用の事  ありて上洛すとしるし梅華無尽蔵【藏は旧字】にも尾陽 茅津(かやづ)の道場  と見えしともに当寺の事にて昔は七十二の僧寮(そうりやう)及び尊氏将  軍の寄付ありし寺領も多く繁栄の古梵刹(こぼんせつ)なりしが秀吉  公の時 没取(もつしゆ)せられ且寛永十二年焼失の後 廃頽(はいたい)に及べり小  瀬甫菴が太閤記に云 後陽成院の御宇に当つて太政大臣  豊臣の秀吉公といふ人あり微少(びしやう)より起り古今に秀(ひゐで)てまこ  とに離倫絶類(りりんぜつるい)の大 器(き)たり《割書:中略》八歳の比同国光明寺の門弟  となしけるに沙門の作法(さはう)に疎(うと)く世間のとり沙汰には才智世に  勝(すぐ)れとりわき勇道の物語をばすき給ひつゝ出家は乞丐(こつがい)の徒(と)を  はなれざるものをとおぼし召 万(よろづ)我意(がゐ)に振(ふる)まひ僧どもにいとはれ  ばやの心なりしかば案のごとくいや〳〵此児の気分は中々沙門には  ならずして却て仏法のさはりをなすべしと衆義一決し父の  方へぞ送りける《割書:云々》塩尻に云萱津の里の光明寺は昔密宗の僧  住せり其比一遍上人回国の次手(ついで)甚目寺にて六時礼讃を修(しゆ)  せられしに光明寺の地主いと殊勝(しゆしやう)におもひ念仏の法問なん  ど尋ねける終に上人に帰して時宗(じしう)となり梵(ぼん)阿弥陀仏と  号す即一遍上人を中興の祖と仰(あふ)ぎける今に至りて三十四  世なり門外三島明神の祠の傍(かたはら)にそのかみ古き榎木(ゑのき)あり豊臣  秀吉公おさなかりし時当寺に入て手習し給ひけるがいとまある時  はかの榎木の下に村童と遊戯(ゆうげ)し給ひけり壮年に至りて猶  昔の楽(たのし)みをわすれず自ら木下と名のられけるよし寺僧の  口碑に伝へ侍りし又天文の初光明寺 派下(はか)に福阿弥(ふくあみ)といへる  僧あり眼疾(がんしつ)を療(りやう)しける事を得たり 後奈良院召て御 疾(やまひ)を  医(ゐ)せしめ玉ひけるが御 快(こゝろよ)くならせ玉ひしかば時々召されけるに後  故ありて官女(くわんぢよ)を玉ひしかば携(たづさへ)て国に帰り還俗(げんぞく)して愛知郡中  村に居を移し弥助と称せししかるに彼官女の生(うめ)る子(こ)即秀吉  公也故に光明寺へ遣し手習をなさしめしと《割書:云々》○本尊《割書:阿弥陀|如来》 下萱津  大 銀杏(いてう) 俗に御 杖(つえ)銀杏と云ふこは そのかみ一遍上人当国 行脚(あんぎや)の時 携(たづさふ)る所の 杖を此地にさゝれたるに いつしか芽(め)をふき根(ね)を 生じて今はかゝる大木と なれりとぞ土人の口 碑を其まゝこゝにうつ       しぬ  かしこくも   聖か杖は    世の人の   ねかふみのりの    ちからなるらん         玉好 【陽刻落款印】春江  寺宝 青磁(せいじ)大 花瓶(くわひん)一 対(つゐ)《割書:世に天龍寺|手と称す》鎮守天満宮社《割書:縁起に云|当社画像》  《割書:の飛(とび)梅天神は往古春日井郡飯田村松林の内にましませしが飯田萱津両村の|民人霊夢を蒙(かうふ)り正和二年当寺境内へ遷(うつ)【迁は俗字】し奉る其後寛永十二年九月当寺》  《割書:焼失せし時当社も焼亡せしが不思議なるかな神影は庭前の松樹にかゝりて|御 恙(つゝが)なかりければ其松を今に天神松とぞ申伝ふ貞享元年 国君の御再》  《割書:営あ|り》五輪(ごりん)二 基(き)《割書:一基は永享八年十二月十三日千阿弥陀仏とあり|一基は同九年五月十二日久阿弥陀仏とあり》  《割書:熱田太神宮へ毎年十一月寅卯の祭事に当寺よりの献供左のごとし 一香物三十二|籠 一黒豆三斗 一白米二升 一柳 箸(ばし)八膳長一尺五寸 一棒四本《割書:大和竹にて製す|長六尺》》  《割書:一大根一杷 一御酒料百文 右籠に榊をつけ朝七ッ時に出夜明に参着す 右当寺|より貢献(こうけん)の香のものは正法寺よりの貢献とは別にして則当寺の末寺林光院是を掌(つかさど)りて毎》  《割書:年製造す故に林光院を香物庵と呼べり又図上に香のもの畑(ばた)とあるは則当寺の除地|にして今もかく当寺より貢献すれば後世いづれか本末なりしにや更に考訂しがたし》 久長山 実成(じつじやう)寺《割書:同村にあり日蓮宗|京都本国寺末》日蓮上人の弟子日妙の開基にして  当国四ヶ寺の一也明応年中織田大和守 敏定(としさだ)再興其後福島  正則寺産を寄付ありしより今に領知す○寺宝 日蓮上人真  筆の大 曼陀羅(まんだら)《割書:一|幅》日親上人の大曼陀羅《割書:一|幅》唐画十六 羅漢(らかん)《割書:十六|幅》  塔頭《割書:円行房 龍泉院|正善坊》 萱津 古戦場(こせんじやう)《割書:同村にあり岩倉の城主織田彦五郎信友主君 武衛義統(ぶゑいよしむね)を弑(しゐ)し|清須の城を奪(うば)ひ取り移住(ゐぢう)せしかば信長公彦五郎を誅伐(ちうばつ)せんと軍》  《割書:兵を催し先 ̄ツ清須の民屋に放火(はうくわ)せばやとて天文廿年八月十六日 那古野(なごや)を進発(しんはつ)せられ|稲葉地川の辺まで打て出玉ひしかば清須よりも萱津村迄打て出辰刻より申刻》  《割書:まで双方 互(たが)ひに入り乱れ火花(ひばな)をちらして戦ひしが織田孫三郎信光の小性【姓とあるところ】赤瀬|清六 真先(まつさき)かけて討死せしにつゞひて下方左近中条小一郎 柴田権六一陣に打て出清》  《割書:須方の坂井甚助を討取けり其外坂井彦左衛門黒部源助野村与一右衛門赤林孫七郎|土倉弥助等 歴々(れき〳〵)の勇士五十余騎或は討れ或は射留(ゐと)められ清須勢大に敗北(はいぼく)せし》  《割書:かば信長公悦び給ひかちどきをあげて帰陣|ありかしよし信長記に見えたる古戦場也》 鳳凰(はうわう)山 甚目(じんもく)寺《割書:甚目寺村にあり真言宗|府下大須真福寺末》寺伝に云当寺は甚目龍麿(はだめたつまろ)  の創建(さうこん)にして龍麿常に漁猟(ぎよりやう)を業(わざ)とせしが一日 網(あみ)を携(たづさ)へ海浜  に出んとし傍(かたはら)なる入江に網(あみ)を下(おろ)しけるにたちまち網の裏(うち)に物あ  ると覚ければ力を出し網を引しに紫金仏(しこんぶつ)の一体を得たりつら〳〵  見奉るに聖観音の霊(れい)像なれば且 驚(おどろ)き且 悦(よろこ)び合掌(がつしやう)礼拝(らいはい)し  立所に己が罪劫(ざいごう)を後悔(かうくわい)し所業(しよぎやう)を捨(すて)て道心を発(おこ)し江の側(かたはら)に  一宇を造立し彼尊像を安置(あんち)し吉貴(きゝ)四年丁巳《割書:推古天皇|の六年也》其  姓氏(せいし)を以寺号とすこは往昔(むかし)釈尊(しやくそん)出世の時 南天竺(なんてんぢく)毘舎離(びしやり)  国(こく)の月蓋(ぐわつかい)【盖は俗字】長者の息女 如是女(によぜによ)五種の悪病をうれへける時釈尊  より弥陀(みだ)観音(くわんおん)勢至(せいし)の三尊仏を授与(じゆよ)し玉ひて彼 劫病(ごうびやう)を救(すく)はせ  給ひし霊像(れいざう)なりしが其後我 日本に伝来し弥陀の尊像は信濃  国善光寺に安置し観音の像は即当寺の本尊とならせ給ふ或  時 天智天皇御 不予(ふよ)にまし〳〵けるが 帝当寺の観音 霊験(れいげん)  あらたなる事を聞し召 御祈願(こきぐわん)ありけるに御悩(ごなう)忽(たちま)ち御 平愈(へいゆ)  あらせられしかば 勅使(ちよくし)左小弁(さしやうべん)兼盛(かねもり)を以 八葉(はちよう)の宝鏡(ほうきやう)《割書:今に寺|伝す》を  仏殿に懸(かけ)給ひ 勅願寺となし給ひぬ白鳳八年己卯又  勅宣(ちよくせん)ありて堂舎(たうしや)を建立し鳳凰山の 勅額(ちよくがく)を下し賜ふ 仁  寿三年癸酉更に一宇を造営して龍麿の像を安置《割書:後回録|せり》【注】  す康和五年癸未 散位(さんみ)藤原 連長(つらなが)僧 智能(ちのう)共に私力(しりよく)を尽(つく)し  再営す寺僧及び下司大江 重房(しげふさ)等も亦 合力(かふりよく)して堂舎 終(つゐ)  に復古(ふくこ)せり天治元年甲辰二月朔日の地震(ぢしん)に又堂宇 破毀(はき)  す大治元年丙午春当座下司散位大江 為通(ためみち)及び長谷部(はせべ)氏 【注 「回禄」(火災にあうこと)とあるところか。】 【右丁】 【陽刻落款印】春江 甚目寺 【挿絵中の囲み文字】                        細之坊                             成就院     あみだ     比丘尼所                    山王社    神明  こんひら      かんろ松 光明坊    天神        白山 【左丁 下部】 雨乞や  感応   すきて    一しほ      り    沙鴎 【挿絵中の囲み文字】                 釈迦堂  井    鳳凰山                       不動坊                       東門                        建武鐘          本堂         茶ヤ 古木楠      八大明神          薬師                  ぢざう                       鐘楼 【右丁】 其 二 【挿絵中の囲み文字】                      開山堂                                観音池道                        十王堂                 井          准堤観音   一乗院          三重搭          二王門   東林坊                    茶所        晋門院   丹羽毅斎 【左丁】 名藍高出鳳 凰山香火人 来境不_レ間霊 像自知_二沈海 ̄ノ 苦_一更将_二慈網_一 向_二塵寰_一      士朗 《割書:枇杷園句集後編》 雨あしや  月もあれ      行   鷺の宿 【挿絵中の囲み文字】       ごま堂                      竜泉院             弁天                       福寿坊     法華院      弘法             性徳院                        南大門  の女又力を合せて営建す建久七年丙辰聖観上人 檀(だん)  越(おつ)に勧(すゝ)め施入(せにう)を請(こ)ひ経始(けいし)す《割書:二月十日山に入り木を伐る是を釿始(てうなはじめ)とす|同八年四月四日石台を居(す)え五月八日 柱(はしら)を》  《割書:立七月十一日上棟す正治二年庚申堂宇を葺(ふ)き建仁元年辛酉十一月|三日 落成(らくせい)し同十八日午時堂供養 勅使大膳大夫安倍 資元(すけもと)也》さて  上人一力にて大宇を修造し供養を遂(とげ)ければ即上人を以中  興の開祖とし木像を堂内に安置せり上人 曽(かつ)て観音池を  巡礼(じゆんれい)して後其 行方(ゆきがた)をしらず又来日をも知る人なければ恐らくは  観音の権化(ごんげ)ならんかと諸人 奇異(きゐ)の思ひをなせりとぞ夫より  して法灯(はふとう)絶(たゆ)る事なく堂塔も厳然(げんぜん)たる無垢(むく)清浄(しやう)の古名  刹なり○本尊聖観音《割書:三国伝来 閻浮檀金(えんぶだごん)の秘仏(ひぶつ)なり左右に|毘沙門持国二天の尊像を安置す往昔一》  《割書:遍上人当寺へ参籠ありて躍(おどり)念仏執行ありし時此毘沙門天僧俗と共におどり給ふ|故に躍り毘沙門と称す上人迴国の序当国に来られし時は必堂前にて今猶念仏行》  《割書:導あり是 当年(そのかみ)の余波(なごり)なるよし又持国天は俗に田植(たうゑ)毘沙門と称してむかし萱津の|里に千木下(ちきした)長者といふものあり此尊像を深く信仰しけるが或時一夜の中に十余町の》  《割書:田を植(うゑ)給ひしかば夫よりして田植毘沙門と号すおどり毘沙門と共に霊像也|又堂内に一木巨像(いちぼくきよざう)の四天王を安置す即行基菩薩の作にしていづれも霊像なり》寺宝  阿弥陀の木像《割書:曽我十郎祐成が妾虎女 尼(あま)となりし後六十六躯の阿弥陀仏を|つくり六十六ヶ国の寺院に納めし其一体なりといひ伝ふ》  八葉宝鏡一面《割書:天智天皇|御寄付》宝剣一振《割書:同》紺紙(こんし)金泥(こんでい)法華経一部《割書:同》  弘法大師真影一幅《割書:真如法|親王筆》涅槃像一幅《割書:兆殿司(てうでんす)筆にして萱津の|千木下長者が母尼と成り》  《割書:当寺に寄付せんとて己が姿(すがた)を書入たる図にて|五十二類の中に此老尼を添ふるはいと珍らし》甚目寺縁起一巻《割書:文永元年|の写本》  当寺古図一幅《割書:比丘尼所|に蔵す》寺産証【證】状《割書:織田信雄公豊臣秀吉公の朱章|及び 国祖君御寄付の証【證】状其外》  《割書:数通|あり》鰐口(わにぐち)《割書:本堂東の方に掲(かゝ)ぐ銘に尾州甚目寺御宝前■■雅則追善也聖泉|円大檀那 飯野左近蔵人定道明応八乙未年八月吉日大工藤原宗》  《割書:次とあり又同本堂の西の方に掲ぐ銘に奉_二寄進_一尾張国甚目寺観音大工西金屋|刑部大夫文明十一年七月十八日願主妙椿道栄とあり又本堂絵天井に下津正》  《割書:眼寺三世天先和尚の筆にて天神の|二字を大書す是火伏也と云伝ふ》堀川夜討の絵馬(ゑま)《割書:本堂に掲ぐ 奉掛絵|馬長尾三位法印吉》  《割書:房公御願所施主湯本甚左衛門藤次敬白文禄弐年【秊】癸巳正月吉祥日右筆田辺【邉】|図書宗次とあり塩尻に云海部の中の庄にしる人ありて長月廿日頃行侍る道なれば甚》  《割書:目寺に遊ひし古より掛おける古絵馬を見しに慶長元和の頃なる多し長尾法印吉房|御願とあるは前関白秀次公の先考一位法印也 いかにしてきえやらぬ名は残りけん》  《割書:わすれすしのふ人も|なき世にと見えたり》角力(すまふ)の図《割書:慶長四年同十一|年と二枚あり》橋弁慶(はしべんけい)の図《割書:同十|年》鬼の首  引の図《割書:同十|一年》馬の図《割書:元和六年已上いづれも古画の大絵馬にして頗(すこぶ)る|古色なり此外にも数多あれどこれを略す》釈迦(しやか)堂  《割書:堂内に聖僧(しやうそう)の木像を安置す白き帽子(ぼうし)冠(かふ)りけるゆゑ諸人 女体(によたい)と心得 白粉(おしろい)をほどこ|すによろしとて尼僧に乞(こ)へば白粉を与う俗におそうざうといふ此外 準堤(じゆんでい)堂薬師堂》  《割書:十王堂 地蔵堂 阿弥陀堂 開山堂 護摩堂|等の数宇いづれも皆境内にあり》三重搭《割書:本尊愛染明王弘法大師の作|擬宝珠(ぎぼうしゆ)銘に尾州甚目寺三重》  《割書:搭寛永四年丁卯九月吉辰施主名護|野両替町吉田半十郎政次とあり》鐘楼(しゆろう)《割書:鐘銘に云江州西念寺鐘晨鐘響遠|振十方界夕梵声広度三有際三宝》  《割書:久住四海俱利天下泰平海内安全建武二年三月廿日 大工藤原国安大檀那|道誉住持比丘澄俊濃州大野郡揖斐庄南方保今坂之御社御宝前鐘天下》  《割書:泰平故也文明三年辛卯潤八月日願主《割書:善通|徳宝》御代官左衛門尉橘永久とあり按|るに此鐘佐々木佐渡判官入道 道誉(どうよ)鋳(ゐ)る所にして西念寺に懸置しを文明三年美》  《割書:濃にうつして今坂の社の鐘とせしが後又信長公岐阜にうつり玉ふ時甚目寺の大鐘を以|て城下 報時(ほうじ)の用としその代りに此鐘を賜ふとなり当寺の鐘も古鐘なりしが今は濃》  《割書:洲井野口本誓寺|にありとぞ》鐘楼《割書:同所にあり宝暦年中より仮(かり)の鐘を懸てありしが|近年大鐘を新らたに鋳(ゐ)て懸かへしとなり》仁王門  《割書:本堂の南にあり建久七年再建のまゝにて今も猶存す棟札に梶原景時奉行とありと》  《割書:いひ伝へ|たり》東門《割書:門前両側に立場|茶屋数多あり》鎮守《割書:八大明神 山王権現の二社其外 白山社 天満|宮社 金毘羅社等数祠あり大沙堂 弁財》  《割書:天社等二王門|の外にあり》観音池《割書:寺の東南の畑中に江上(えがみ)と云所ありこゝなる池即 古(いにし)へ観音の上|り玉ふ所也故に今に至る迄正月三日には未明より一山の衆僧》  《割書:集りて本堂の後なる鳳凰山を巡(めぐ)り行列して|其後此池辺に至り大般若を転読(てんどく)す》塔頭《割書:法華院 東林坊 竜泉院 成就院 性徳院 光明坊|晋門院 宝蔵坊 不動坊 福寿坊 一乗院《割書:此一寺|のみ》》  《割書:天台|宗也》網之衆(あみのしう)三家《割書:甚目龍麿(はだめたつまろ)の末裔(ばつゑい)にして妻帯(さいたい)の僧徒(そうと)也按に甚目 連(むらし)は尾張|海部(あまの)郡 本貫(ほんくわん)の氏姓にて三代実録に貞観六年八月八日壬戌》  《割書:尾張国海部郡 ̄ノ人治部 ̄ノ少録従六位上甚目連公宗氏尾張 ̄ノ医師(くすし)従六位甚目 ̄ノ連公(むらじぎみ)|冬雄等同族十六人 ̄ニ賜 ̄フ_二姓 ̄ヲ高尾張ノ宿祢 ̄ト_一 天 ̄ノ火明 ̄ノ命 ̄ノ之後也としるせり今の印行(ゐんかう)本に》  《割書:甚目 ̄ノ連を其日 ̄ノ連|とあるは誤なり》比丘尼所《割書:釈迦堂を守る智慶といへる尼僧の開基也創建の|年 記詳ならず塩尻に云福島正則清須より国》  《割書:替の時生駒沢井等当国の先方の士にわかれを告げ且(かつ)曰我 微賎(びせん)少年の時 工匠(くしやう)の為に|《振り仮名:餉𩞯|かて》【注】をはこびし其 際(あいだ)毎度甚目寺の釈迦堂の老尼が所に休らひしに老尼 厚(あつ)く待(たい)し》  《割書:て食を与(あた)へ茶を飲しむ我今これをわすれず食糧(しよくりやう)を施(ほどこ)して其恩を付す我他州に移(うつ)》 【注 𩞯は辞書に見当たらず。糧の誤記ヵ】  《割書:らば老尼 便(たよ)りなくおもひなん卿(きやう)等(ら)宜しく老尼をかへり見ば我も足(た)りなんとあるに諸家も諾(だく)|せりこれより毎年彼地に米を贈れりと沢井楓軒老人直に語り侍し正則あらけなき》  《割書:武者なりしが身の昔をわすれず人の恩を報じ微賎(びせん)の時を恥(はぢ)|ずして諸家に語り驕れる意なかりしは実に奇特といふべし》                          《割書:松 平 君 山》  《割書:蕭 寺 倚_二 墟 落_一 蔓 草 遍_二 空 庭_一 不_レ 見 来 儀 端 修 竹 繞_二 牕 櫺_一|山 門 苔 痕 紫 碧 殿 燈 火 青 接 輿 有_二 余 歎_一 吾 道 付_二 林 垌_一》  《割書:                                   屈 方 致|搖 落 高 楼 返 照 斜 双 林 寂 寞 接_二 煙 霞_一 寺 前 画 馬 嘶_二 秋》  《割書:草_一 綱 裏 白 毫 歴_二 年 華_一 流 水 門 空 伝_二 法 界_一 長 虹 橋 掛 望_二|琵 琶_一 登 臨 賦 得 塵 途 外 極_レ 目 諸 天 有_レ 雨_レ 花》  《割書:                                   賀 利 重|中 原 紫 気 繞_二 香 台_一 万 里 蒼 茫 法 象 開 憑_レ 檻 長 江 秋 色》  《割書:動 捲_レ 簾 遙 嶺 白 雲 来 華 鯨 声 響 老 僧 下 鳴 鳳 影 飛 羽|客 廻 猶 自 豪 遊 心 地 浄 風 流 多_レ 暇 興 悠 哉》  《割書:                                   谷 直 矩|金 城 西 去 向_二 紺 園_一 露 浄 風 香 桂 樹 繁 北 岳 秋 高 連_二 積》  《割書:雪_一 南 天 雲 尽 接_二 平 原_一 千 年 古 仏 掩_レ 扉 寂 幾 処 遊 人 繞|_レ寺 喧 出 入 路 塵 曽 不_レ 隔 馬 蹄 鳥 迹 大 悲 門》  《割書:                                   田 孝 治|大 悲 高 閣 鬱 崔 嵬 遙 望_二 東 門_一 大 路 開 躡_レ 屐 鳳 山 翠 微》  《割書:近 挙_レ 梯 雁 墖 白 雲 廻 中 天 風 雨 過_レ 欄 去 下 界 水 煙 入|_レ座 来 方 丈 梵 歌 心 地 浄 登 臨 詞 客 幾 銜_レ 杯》                          《割書:八 美 韶》  《割書:煙 霞 深 鎖 鳳 凰 山 碧 樹 陰 森 僧 院 閑 晩 磬 秋 風 天 外|響 曼 花 搖 落 五 雲 間》 【右丁】 甚 目 寺 初 観 音 詣(まうで) 【挿絵中提灯の文字】 大悲観世音菩薩 【陽刻落款】春江 【左丁】 【挿絵中提灯の文字 右から】 音 納 菩薩 鳳凰山  月十八日         小島氏 上条瓜(じやう〴〵うり)《割書:上条村に産す当国の名産にして今も猶 国君より 幕府(ばくふ)に奉り|玉ひてその風味(ふうみ)甚うるはしく他邦(たはう)の産とは更に別(べつ)也 自遣(じけん)性来に上条瓜》  《割書:を以 真桑(まくわ)瓜 河越(かはこえ)瓜 舳(とも)瓜等の上に列|せしにても其上品なる事をしるべし》 八幡宮《割書:土田(つちだ)村にあり祭神 応神天皇左右に玉依(たまより)姫|神功皇后を配し祭る世に土田の八幡と称す》社伝に云当社八  幡宮は 後鳥羽院の御宇建久元庚戌年九月頼朝公上  洛の時当所を過(すぎ)給ふに白 鷹(たか)の樹間(このま)にあるを見給ひて是  全く八幡宮 擁護(おうご)の祥瑞(しやうずい)なりとてのち其地に就て山城国  久世(くぜの)郡 石清水(いはしみづ)八幡宮及び三所の別宮末社等をも勧請し給ひ  て当社を草創し巌麗(げんれい)の大社となりしが年を経て荒廃(くわうはい)  せしを慶長四己亥年五月三日当社の別当法印 聖盛(しやうせい)再  営を加へ同十一丙午年 国君よりも重修(ちやうしう)し玉ひ制札(せいさつ)等を  も下し賜(たま)ひて巍然(ぎぜん)たる神祠也○別当 放生(はうじやう)山 宝幢(ほうどう)院《割書:真|言》  《割書:宗長野村|万徳寺末》祠官《割書:広瀬|氏》 富士見山大吉寺《割書:同村にあり曹洞宗三淵【渕は俗字】村正眼寺末久寿二年の創建にし|て巨刹(きよせつ)なりしが其後廃絶せしを天正十年僧賢悦これを》  《割書:再興する故に賢悦を以中興の開山とす寺伝に云永享四年九月足利将軍義教|公富士御覧の時当寺に詣(まふ)で給ひはしめて此所より彼(かの)山を遠望(ゑんばう)ありしにより》  《割書:則当寺の山号を今のごとく号(なづ)け寺領をも寄付し給ひしよしゆゑに霊宝及び|証【證】状等も多くありしが天文十五年三月焼失の時みな灰燼(くわいぢん)せり其後 国君より》  《割書:寺産を賜はりて|今に連綿たり》本尊《割書:大日如来|春日の作》 剣留(けんりう)山 東勝(とうしやう)寺《割書:廻間(はさま)村にあり曹洞宗三淵村正眼寺末往昔の堂宇 衰廃(すゐはい)せし|を天正十八年 直(ぢき)首座(すざ)中興して旧観(きうくわん)に復すむかし新羅国》  《割書:の妖僧(ようそう)道行(どうぎやう)熱田の神宮にしのび入り草薙(くさなぎ)のみつるぎを盗(ぬす)み去り此所まで来りしに当寺|の本尊薬師如来是をとゞめ給ひしにより神剣は事故なく御 還座(げんざ)なりければ山号もかく》  《割書:名づけしとぞ按るに兼邦が神道和哥百首抄に《割書:上|略》道行此剣をほしがり彼宮に参籠日|久ししかるべき便宜(びんぎ)をもつて御殿を破(やぶ)り既に盗みとりにげ行とおもへは宮中を一夜の》  《割書:ほどめぐるばかり也夜のあけたればかなはずして剣を返し捧(さゝげ)て|にげぬ其道をけんかいはさまといふ又は剣返しともいふと云々》本尊《割書:薬師如来聖徳|太子の御作》 青林山延命寺《割書:坂牧(さかまき)村にあり曹洞宗熱田法持寺末もと真言宗にして創建の年|記 詳(つまびらか)ならずといへども往昔清林寺といひて十二坊ありし大伽藍也》  《割書:類聚国史に貞観十四年三月廿八日戊戌尾張国海部郡清林寺列_二之 ̄ヲ定額 ̄ニ_一と見えし|古刹なりしが物 換(かは)り星移りて十一坊は廃絶し僅(はづか)【ママ】に此延命寺のみ存せるを天正乙巳の》  《割書:年法持寺の第四世仙芛和尚中興し清林の寺号を青林の字に改め終(つゐ)に当院|の山号とし今の宗に改めしよし寺伝に見えたり当年(そのかみ)久寿年中源三位頼政東下》  《割書:の日当国にて病に罹(かゝ)り医療(いりよう)験(しるし)なかりしに清林寺の本尊薬師仏に祈聖(きせい)し一昼|夜に廻復を遂(とげ)ければ報謝(はうしや)のため長牧本郷の二邑を寄付ありしがその本堂は破壊(はえ)》  《割書:して薬師仏のみ僅(わづか)に残りしを当院北の方の小堂に安置しけるが霊応猶 著(いちじる)く諸人|の尊崇(そんそう)大かたならず俗に寿命仏と称して今当院よりこれを供養(くよう)す又東の方に天満宮》  《割書:山王権現等の二社ありて同じく|当院よりこれを守る》本尊《割書:延命地蔵尊木仏の座像にして|惟康(これやす)親王の御作日本三体の一なり》 【右丁】 義教(よしのり)公  土田(つちだ)村に   富士御覧      の図 【左丁 挿絵 文字なし】 【陽刻落款】 高雅 方領大根(はうれうだいこん)《割書:方領村に産す宮重(みやしげ)大根に比すれば品格(ひんかく)やゝ劣(おと)るといへども其大なるものは|一本の目方三貫目ほどに至る他国に運送(うんそう)する事 夥(おびたゝ)ししかるに世人この》  《割書:大なるものをもつて宮重の産とおもへるはみなあやまり也寛永に刻する尤草子のふとき|ものゝ条に大黒柱門柱尾張大根八幡 午房(ごばう)などいへる尾張大根は則此方領の産にして》  《割書:世に名高き事しられたり又松平君山翁の種_二蘿蔔(だいこんを)_一説にも尾張蘿蔔冠_二 天下_一其大者|数斤色如_二珂雪_一味甘如_レ飴四方之人争而買_レ之以充_二方物_一焉などあるも全く此方領の産》  《割書:をいへる也宮重の産には必宮重の文字の黒印を押せり形少し細きものなり黒印のなき|大なるものは当村の産とおもふべし今 弁別(べんべつ)してもつて他境の人にしめす》 石作(いしつくり)村《割書:和名抄に中島郡石作《割書:以之豆|久利》とある地名なりしが今は其村中島郡になくて却て|当郡に其村名の残れるは全く中島郡に近き村なれば後世其地の当郡に属》  《割書:せしをいつしか其伝の|うせたるなるべし》 石作神社《割書:石作村にあり延喜神名式に石作神社本国帳に従三位石作天神同集説に|中島郡 ̄ニ今無_二石作村_一按海東郡松葉庄石作村天神社疑 ̄ハ此祠乎 ̄ト姓氏》  《割書:録 ̄ニ石作連 ̄ハ火明命六世 ̄ノ孫建真利根命之|後也 ̄ト《割書:云々》是尾張氏同祖神也とあり》 中杜(なかのもりの)天神社《割書:森村にあり本国帳に従三位|中杜天神とある是なり》 中森《割書:同村にあり上の森は中島郡にありて今は森上村と呼べり中の森はこゝにて下の森は当|郡の南の方なる伊麦(いむぎ)村のほとりにある森則是也むかし国衙(こくが)より熱田の社へ参詣》  《割書:するには此わたり|を経(へ)しと見えたり》       《割書:国にて春熱田の宮といふ所にまうて道に鴬のいたうなくものをとは|すれは中の森となんまうすといふに》    《割書:家集》     鴬の声する程はいそかれすまた道中の森といへとも 赤染衛門  《割書:この中森の説紛々として定かならねば既に熱田の条下にも是を論|せしかとも一定しがたければしばらくこゝに挙て以て後考に便りす》 新屋(にゐや)村《割書:今 新居家(にゐや)と書す日本書紀宣化紀に蘇我大臣稲目宿祢 ̄ハ宜_下遣_二尾張連_一運_中|尾張国屯倉之穀_上物部大連 麁鹿火(あらかひ)宜_下遣_二新家連_一運_中新家 ̄ノ屯倉之穀 ̄ヲ_上と見え》  《割書:たる新家みやけはこゝにありし也又和名抄に海部郡新屋とかき民部省図帳の残欠に|海部郡新屋 ̄ノ郷公穀一千伍佰八十三束仮粟六百二十五丸貢海料駅馬以_二半税_一充_二国庸_一》  《割書:としるせし皆|こゝの事なり》 新屋天神社《割書:同村にあり本国帳に従三位新屋天神とあり同集説に按 ̄ニ旧事紀物部|印葉(イナバノ)連公 ̄ノ五男物部 竺志(つくし) ̄ノ連公新屋 ̄ノ連等 ̄ノ祖 ̄ト云々祭神天穂日命》 薬王山法性寺《割書:同村にあり真言宗長野村万徳寺末 孝徳天皇の大化年中此里に一人|の信士あり薬師如来の衆病 悉除(しつじよ)のちかひの偈(げ)を篤信し平生しばらく》  《割書:も懈(おこた)る事なく薬師の宝号を誦持(じゆぢ)し常に衆生の為に如来の尊像を彫刻せんと願ひき|或時ひとりの老翁来りて宿を乞ふ信士これをとゞめぬしかるに彼翁たえず薬師の尊号を》  《割書:唱ふ信士其心の我にひとしき事を感じつぶさに年比の願意を語るに翁のいふやう幸なる哉|我は是仏工なりいまだ妙を得すといへども主人もし望みたまはゞ宿託(しゆくたく)の報恩にきざみ参らせん》  《割書:とありければ主人大に悦びさあらば夙志(しゆくし)を遂(とげ)させてよとあるに翁のいふやう我に一宝をかしたま|はゞ一七日に刻みて参らせん功なる迄は来り見る事なかれとかくして第八の暁主人に新造》  《割書:の霊像をあたへ我は是薬王菩薩也汝が浄信を感じてこれをあたふる也とて頓(やが)て見失ひぬ主|人且驚き且悦び是よります〳〵信心を凝(こ)らし遂(つゐ)に一宇の精舎(しやうしや)を営して尊像を安置し》  《割書:有信の人にも結縁をなさしめ諸人も祈願をかくるに其霊応みな著(いちじる)ければ 天智天皇の御|宇に至りて 勅願所とし玉ひ伽藍(がらん)甍(いらか)をならべ僧坊軒をつらねたりしかるに年を経て》  《割書:後鳥羽院の御宇当寺の住僧運慶をして再び日光月光及び十二神将二天の像をも彫刻|せしめいよ〳〵巨刹(きよせつ)となりしが物かはり星移りて藍苑(らんゑん)寺跡も大方は廃絶せしが其尊像及》  《割書:び神将二天の霊像は|今も猶儼然たり》本尊《割書:薬師|如来》寺宝 如意輪(によゐりん)観音《割書:小野小町|持念仏》薬師如  来画像《割書:宅磨|筆》豊国大明神の神号《割書:秀頼公八歳の筆其外種々|あれどもこれを略す》 小町塚《割書:同村に|あり》寛永八年二月 齢(よは)ひ八旬あまりの異僧此里に来り九郎  右衛門といへるものゝ家に入り小町の遺跡いづくなりやと問(と)ひければ  其所を教(をしへ)さとしけるに邑(むら)の地頭赤林高住これをきゝ彼僧  を請(しやう)じ小町の由来を尋ねければ彼僧のこたへ甚つまびらかに  して三巻の書を取出し一生の事実(じじつ)を語りきかせ且当年は  小町が八百八十年忌に当れり小町が終身(しうしん)持し如意輪観  音の像塚の中に有べし出現あらば衆生の結縁(けちゑん)小町が菩提(ぼだい)  ともならんと語りければ高住及び法性寺の住僧 性範(しやうはん)ともに  九郎右衛門に案内せさせ彼塚を堀(ほり)けるにはたして銅像の  観音を得たり則法性寺に納めて今に什伝す異僧は其場  にて消(き)ゆるがごとくうせけるとぞ《割書:同村に安倍晴明(あべのせいめい)塚ありこは晴明此地に|来りし時農民田中に雑草(ざつさう)の生する事》  《割書:を患(うれ)へければ則 幻術(げんしゆつ)を以 莠害(はくさのがい)を除(のぞ)きける故それが為に塚を築(きつ)きて祭りしよし|いひつたへたり按るに小町塚晴明塚共にきはめてさだかならねど里人の口碑を其まゝ》  《割書:こゝにうつ|すのみ》 新居家(にゐや)川《割書:同村にあり水源は中島郡桃源寺川にして魚鼈(ぎよべつ)甚多く秋の頃は府下より|遊猟(ゆふりやう)の諸人尤 夥(おびたゝ)し新居家橋は此川に架(わた)せる津島道の橋なり又此川に》  《割書:深淵(しんゑん)ありていつの頃にや兵乱の時 賊徒(ぞくと)銅鐘を盗(ぬすみ)み【語尾の衍】とりこゝに来りしが甚 重(おも)くして持去|がたく鐘を此川に沈(しづ)めしに漸々に川 埋(うも)れて其かねみえずなりしよし土人の口碑に残れ》  《割書:り甲斐名勝志に都留群新屋村に鐘ヶ 淵(ふち)ありて天正の頃武田北条合戦の時陣 鐘を|此淵に沈めしよししるせるを見るにこゝはにゐや村 彼(かしこ)はあらや村と呼べど文字も同じ新屋》  《割書:にして又同じ鐘ヶ淵のあるもいと珍らし彼唐土の松江(ずんがう)は鱸(すゞき)魚の名所なるに我出雲|の国の松江(まつえ)も彼魚を産して甚佳味の名物とする類ひみな奇遇といふべし》 高宮社《割書:二ツ寺村にあり慶長十五年庚戌九月福島正則の重葺なり祭神 大日孁貴(おほひるめむちの)|尊例祭八月十八日当社に古き棟札あり其文に云右為当郷神社《割書:并》拝殿等》  《割書:奉作造立供養意趣者現世安全武運長久悪敵退散国家豊楽之善願如件|尾州海東郡二寺高宮於御遷宮被成候者也山田助作御護持大施主安芸国之》  《割書:羽柴少将藤原正則慶長十五年庚戌九月五日大工清須勝左エ門修復|仁右エ門とありまた同村に風 ̄ノ宮社月宮社あり共に正則の修復なり》祠官《割書:横橋|氏》 福島 参議正則(さんぎまさのり)宅址《割書:同村にあり正則幼名市松もと当村の大工与左衛門が長男に|して幼少の時人を殺し甚目寺に隠れてありしが新居家(にゐや)》  《割書:村の赤林氏を頼して小田原へ落行き北条左衛門大夫の許(もと)にありしが秀吉公に縁あるを以|て彼公 勃興(ぼつかう)のはじめ正則を召帰し給ひしが公に随従(ずいじう)し天正十一年四月江州志津ヶ》  《割書:嶽(だけ)の先登(せんとう)に功名を顕(あらは)してより武名日に盛(さかん)なり其功あげて数へがたし同十一月左衛門大夫|に叙爵(ぢよしやく)し其後当国清須の城に居住せり元和三年六月参議従三位に叙任(ぢよにん)し安芸》  《割書:備後両国にて四十九万八千石の太守となられしが其終り全からずして元和五年六月|二日所領を没収(もつしゆ)せられ越後信濃の内にて猶四万五千石を賜りしがほどなく寛永元年》  《割書:七月十三日六十四才にて卒す実に希世(きせい)の猛将(もうしやう)にして勇烈比すべきものなしといへども慶|長五年の乱に関東へ御味方申せしその功に誇(ほこ)りよからぬふるまひありしにやその家名の》 【右丁】 【陽刻落款印】春江 小町塚 九月はつかの日新 屋といふ里を過しに 何のゆゑありてか里 人のむかしより小野 小町かして田の中 にさゝやかなる塚の あなるか其塚の木 の下の紅葉しそめ て薄なとのうら かれたるかいとあはれ に見えけれは    高門 いにしへの   みやひ    をとめ       の 【左丁】  塚さひて ふけゆく秋の  風そ   身にしむ   鶴叟【寉は俗字】 かれたれと  すゝきの   意地は  持にけり 【右丁挿絵中の囲み文字】   新屋天神          小町塚 法性寺 【左丁挿絵中の囲み文字】       晴明塚 石作天神  《割書:断絶(だんぜつ)せしはいといたむべきに似たれど年比 不仁(ふじん)の暴逆(ぼうぎやく)を天の罸(ばつ)し玉ふなるべし|正則の弟掃部介正頼及び正則の臣下福島丹波守等の勇士も皆此村の産なり》 瑞祥(ずいしやう)山菊仙院《割書:同村にあり曹洞宗三ッ淵村正眼寺末文禄元|壬辰年の創建にして明叟(めうさう)禅師の開基也》本尊《割書:阿弥陀|の木像》寺  宝《割書:不動明王は福島|正則守本尊也》正則位牌《割書:海福寺殿前三品相公月翁正印大居士とあり|当寺は正則清須在城の時菩提所なりしゆゑ》  《割書:正則の没後(もつご)に其家臣大野平内といふものこれを納む又正則画像一幅は新居家村の|地士赤林氏の寄付裏書に正則の小伝を記す其文前に挙る所と大同小異なれば》  《割書:これを略す》 花正(はなまさ)村《割書:神鳳抄に尾張国花正 御厨(みくり)御封戸(みふべ)三十七町と見えて頗る広く 伊勢大|神宮の御封戸なりし旧村なり当郡の内花正花常花長などいへる郷名の》  《割書:残れるはすへて彼 神宮へ供花(こうげ)を捧げし|よりおこれる名なるへし》 瑞応山法蔵寺《割書:中橋村にあり浄土宗西山派京都 粟生(あはふ)光明寺|永観堂禅林寺の両末也開基年月詳ならず》本尊《割書:地蔵菩薩|は鉄作》  《割書:にして昔弘法大師蜂須賀蓮花寺創建の折から地蔵菩薩女人泰産の願をこめ鋳た|まふ所の霊像也世に子安地蔵と称すもと蜂須賀村の東の方にありしを後世今の所に》  《割書:うつせり其跡に松樹一株残りて札懸松とよべり》 藤木田(はぎた)《割書:今の木田村也 塵添壒嚢(ぢんてんあゐのう)抄に引用せし菅 ̄ノ清公の尾州記に春日部郡に川瀬 ̄ノ|連といふ人ありそれが田の中に一夜に藤を生ぜしが奇として敢て伐らざりしに》  《割書:やゝ長じて大樹のごとしその地を藤木田と名づけしよしにしるせるは|こゝの事にて古き地名也後世藤文字を省きて今の村名となるなり》   早苗とるきたの田つらにたつ田鶴は幾代たり穂の秋をしるらん  粟田土満 木田三郎源重長宅址《割書:同村にあり重長は則当所の人にして盛衰記平家物語等|の治承四年卯月九日源三位頼政の高倉宮に申せし》  《割書:諸国の源氏揃のうちに美濃尾張に木田三郎重長としるし公定の|分脈系図等に一族の人々の名をのせたりみなこゝの本貫の武士なり》 貴船社《割書:乙子村にあり祭神 罔象女(みつわめ)ノ神也天正年中長尾三位法印造立の棟札ありて|社地頗る広大なり古棟札に云奉造立貴船大明神 社頭者依為当関白》  《割書:様秀次公御氏神御父三位法印為御願御神体《割書:并|仁》咒同金殿玉楼之社頭悉皆御造|営成就畢仍撰嘉辰賁開眼供養法儀給誠如依信力甚深神徳厳重而守護御武運長》  《割書:久当其運遷宮之導師者長沼万徳寺良秀法印于時三位法印之代|参飯沼半三郎殿盛勝于時天正廿年壬辰九月廿八日と見えたり》 三位法印宅址《割書:同村に|あり》法印は長尾武蔵守 吉房(よしふさ)にて秀吉公の姉(あね)  聟(むこ)秀次公の実父也はじめ当村の人にて弥助といひしが登庸(とうよう)  して武蔵守に任じ繁栄す祖父物語に信長公美濃の堂(だう)  洞(ぼら)を責(せめ)玉ひし時藤吉郎はじめて騎馬にて随従(ずいじう)せしが乗  馬なかりければ乙子村に来りて此弥助が飼置し雑役馬(ざうやくうま)  をかりて鐙(あぶみ)片(かた)しわら沓(ぐつ)片(かた)しにて乗出し則弥助を口  取にして行しよし見えたるは此人なり《割書:尾張人物志略に大高の|産なるよししるしたれど》  《割書:当村に今も猶 士(さむらい)屋敷と称する地のありて当村に因(ちなみ)|深ければしばらくこゝに挙ていて後考に備ふ》 池鈴(ちれい)山 蓮華(れんげ)寺《割書:蜂須賀(はちすか)|村にあり》縁起に云弘仁九年 弘法大師の 【右丁】 【陽刻落款印】春江  蓮華寺    十時梅厓 大道遺霊是大師 竺蘭万劫此開_レ基 自為_二塑像_一趨_二 庭闕_一別伏_二蜂王_一伝_二 口碑_一宝樹璨々憑_二 怪【恠は俗字】石_一芙蓉的々出_二 清池_一難_下因_二羈絆_一尋_中 名勝_上聊写_二所聞_一寄_二 小詩【一点脱】 【挿絵中囲み文字】 こつ堂 正勝碑 あきは                          大搭のあと      無明橋                  阿迦井                     愛染                  ぢざう 【左丁】    阿部松園 塚上玄蜂腹若_レ壺 村人不_三敢渉_二郊墟_一 当時如少_二大師咒_一 何術駆_二斯毒螫_一除  密清浄の蘭若に  のほり午時一睡清  閑に入        暁台 声しみ〳〵  浮世に    遠し   秋の蝉 【挿絵中の囲み文字】  本堂             鐘楼 大師堂       手水ヤ     聖天   客殿      太子   玄関  庫裡            表門      三十三所  其二 足おとに   居すまひ  かえる   蛙かな    其峯 【挿絵中の囲み文字】 塔頭       津島道  開基にして文永元年 良敏(りやうびん)上人中興せし真言宗 無本寺(むほんじ)  の巨刹(きよせつ)也《割書:上人は山城国 岩倉(いはくら)の良 因(ゐん)上人の弟子なれば当寺を岩倉流とす|其後岩倉 法脈(はふみやく)断絶(だんぜつ)せしゆゑ夫よりして無本寺とはなりぬ》はじ  め大師 熱田大神宮へ参籠(さんらう)して千日の護摩(ごま)を修せんと誓(せい)  願(ぐわん)ありしに折ふし洛中 疫癘(ゑきれい)流行し衆庶(しうしよ)これを苦(くるし)みけるが  忝(かたじけ)なくも 嵯峨天皇聞しめし玉ひ 叡慮(ゑいりよ)安からす大 智識(ちしき)  をして除疫(ぢよゑき)の祈祷(きとう)なさしめんとて 勅使右中弁藤原長  忠朝臣を当国に下し 宣旨(せんじ)しか〴〵と大師に告給へば 勅命  黙止(もだし)がたく又千日の誓願も懈怠(けだい)すべからずとて一夜の内に田の  土をもつて自像(じざう)を造(つく)りこれを 大神宮にとゞめて其身は都  に上り参内ありて又護摩を修行ありしが頓て洛中洛外  までも邪気(じやき)消散(しやうさん)しければ 御感(きよかん)斜(ななめ)ならず大師の威徳(ゐとく)上  下に輝(かゝや)き法力(はふりき)四方に著(いちじ)るく仰(あほ)がぬものもなかりけりかくて  再ひ熱田に来り千日の祈願を結(むす)はれけるが当寺の中はかの  土像の大師代りて修法ありければ身替(みがは)りの大師と称しき  其霊像を 熱田の奥の院に安置しけるに 大神大師に告  玉ふは是より西北に霊場(れいじやう)あり彼地へ此像を移さは衆生の結(けち)  縁(えん)広大ならんと大師則西北を望(のぞ)むに五色の光明あり其光  りに就(つき)て尋(たづぬ)るに高須賀(たかすか)の森也此森昔より数多(あまた)の毒蜂(どくばち)出  て諸人を悩(なやま)しければ大師 加持力(かぢりき)を以て彼毒蜂を符縛(ふばく)し  一 隊(たゐ)の塚とせられしかば其後蜂の人を螫(さす)事も絶(たえ)たりける  夫よりして此地を蜂塚(はちづか)とよびしがいつしか訛(なま)りて蜂須賀(はちすか)  とはいひならはしぬしかるに当年(そのかみ)道場(どうじやう)開基の時 閼伽(あか)の  井を穿(うが)ちけるに井中より光を放(はな)ちて五 鈷鈴(これい)を堀り出  せり又井中より湧(わき)出る清水 溢(あふ)れて池となり一夜の  内に白蓮花 咲乱(さきみだれ)て異香(いきやう)四方に薫(くん)ずゆゑに池鈴山  蓮華寺の称こゝに起る委しき事は印行の縁起にゆづ  りてこゝに省く毎年三月廿一日より廿四日までは開扉(かいひ)  ありて音楽(おんがく)法会(はふえ)を修行す此四日の間遠近の群参(ぐんさん)  尤繁昌なるもみな大師の威徳(ゐとく)千 歳(ざい)の下に輝(かゝや)けるい  と尊くぞ覚ゆる○本尊《割書:大日如来|の座像》寺宝 不動明王像《割書:大師|の筆》光  明曼荼羅《割書:同》十一面観音《割書:同作|木仏》剃髪(そりがみ)の名号《割書:同作にして則 母堂(ぼだう)の遺|髪を以追善のために六》  《割書:字を繍(ぬひ)|給へり》五鈷鈴《割書:井中湧出|するところ也》松虫鈴《割書:大師の|所持》五筆心経《割書:同|筆》菩提念(ぼだいねん)  珠(じゆ)《割書:同所|持》泥搭(でいとう)《割書:同|作》両会曼荼羅《割書:同|筆》黄金舎利塔《割書:一|基》嵯峨天  皇宸筆《割書:一|葉》陣太鼓(ぢんだいこ)《割書:銘に元享元年《割書:辛|酉》九月十八日藤原経住勧進寺僧|等沙弥乗蓮とあり此外あまたあれど略す》  寺産《割書:むかしは千石なりしが兵乱の後亡失すと|いへども今も猶若干を領す》   《割書:                                磯 貝 滄 州|海 師 遺 迹 徧_二  天 涯_一 此 地 殊 看 瑞 気 加 金 杵 有_レ 霊 曽 出》  《割書:_レ水 丹 蜂 無_レ 毒 尚 衝_レ 花 三 春 集 会 傾_二 緇 素_一  五 夜 薫 修 護_二|国 家_一  一 自_レ 従_レ 官 少_二 余 暇_一 登 臨 何 日 命_二  中 車_一》  《割書:                               無 所 得|蓮 花 精 舎 勝_二 祇 園_一 樹 色 蒼 々 雨 露 繁 霊 地 千 年 余_二 土》  《割書:像_一 来 風 累 世 事_二 真 言_一 林 間 蜂 塚 無_二  人 識_一 堂 外 鈴 池 尚|自 存 我 昔 山 房 寓 居 久 登 臨 偏 想 祖 師 恩》 蜂須賀(はちすか)蔵人(くらんど)正利(まさとし)宅址《割書:同村に|あり》高名記に云中比尾張国蜂須賀の  里に蜂須賀蔵人源正利といふ人あり元来(もとより)斯波武衛(しばふゑい)の末  葉也しかども武衛家 衰微(すいび)に及んで此里に蟄居(ちつきよ)し所の名を  以 苗字(めうじ)とし僅(わづか)に百 貫(くわん)の地を領して年月を送り民家に  軒(のき)を並(なら)べ其名かくれて知る人更になかりける大永六年一子を  もふく其名を蜂須賀小六郎と名づく長ずるに随て智(ち)仁(じん)  勇(ゆう)の三徳を備(そな)へ智謀(ちぼう)勇猛(ゆみやう)の良士(りやうし)たり初犬山の城主織田十郎  左衛門信清が旗下(はたした)に属(ぞく)せり一日信清他に出行ぬるの間 敵(てき)  窺(うかゞ)ひ来りて犬山の城を囲(かこ)む小六郎 防(ふせ)ぎ戦ひ敵を追払ひ  棟梁(とうりやう)の敵を鎗(やり)下に討取る其武功世こぞつて感儀(かんぎ)せりそ其後  岩倉の城主織田兵衛尉が旗下にある時に家臣 謀叛(むほん)して城  を囲(かこ)む則小六郎 突(つゐ)て出敵を追払ひ鎗を合せ首をとつて  高名す夫より信長公に仕へ濃州 斎藤龍興(さいとうたつおき)と合戦の時功名  比類(ひるい)なく信長公の感喜(かんぎ)斜(なゝめ)ならず領地五百貫を賜はりて  蜂須賀彦右衛門尉正勝と改名す則信長公の命によつて木  下藤吉郎秀吉の後見にせらる其後 数度(すど)の高名あげて計(かぞ)ふべからず《割書:云々》 勝幡(しやうばたの)城址《割書:勝幡村と城西村の間にありて南北百二十間東西百十四間也信長記に織田弾正 ̄ノ忠は勝|幡と云所に在城す後に備後守とぞ申しけるこれ信長公の父也《割書:云々》按るに永正》  《割書:年中弾正忠信定初てこゝに城を築きて居住せりよつて信秀も此城にて誕生あり|しが古渡の城へ移りて後は廃城となれり猶委しくは首巻那古屋合戦の条と照し》  《割書:見るべし又按るに往古国司の館第もこゝに有しにや尾張国司歴任略に 二条院の応|保年中尾張守大中臣安長朝臣勝幡に在住とありしも此辺の事なるべし》 根高(ねたか)地蔵堂《割書:根高村にあり当国六地蔵の一所にして殊に霊仏なり|又此南の方道の側に古松樹一株ありて頗(すこぶる)奇観(きくわん)なり》 万場(まんばの)渡《割書:万場村にあり佐屋街道の船渡しにして両岸の白砂 練(ねり)を布(し)けるがごとく清流其中|を流るこれ枇杷島川の下流にしてこゝより一色村を経て遂(つゐ)に海に入る頗大河也》  《割書:此渡場より五六町川にそひて南の方に横井山とて数百歳の古松生茂りたるが白砂に映(えい)ぜる|風景播州舞子が浜に似通ひて|眺望類ひなき一 勝区(しやうく)なり》                      《割書:森 有 斎》  《割書:駅 楼 西 接 万 場 津 両 岸 春 風 棹 唱 頻 落 日 舟 中 薹 笠|白無 _レ非 _二 関 左 賽 神 人》  《割書:                             服 部 牧 山|津 頭 樹 如_レ 薺 落 日 遠 沙 明 水 浅 舟 膠 着 行 人 為 助 撐【撑は俗字】》   明ぬとや舟守長におとつれて雁なき渡る冬の川つら  《割書:十三童》                              吉田冬朗    根高     古松 根も高く  陰いや高く栄へ        来て  むらの名しるき      松の一もと 【陽刻落款印】春江 万場駅《割書:同村の川の西なる客舎旅店則当駅也これ佐屋街道の|駅にしてこゝより神守(かもり)駅を経て佐屋駅に至る》 孝女 姉妹碑(しまいのひ)《割書:八ッ屋村にあり当年(そのかみ)当村に修験(しゆげん)善立(せんりう)といへるあり家貧(まず)しくして常に|三時の食だに心のまゝならざりしが二人の娘あり姉(あね)を久米(くめ)といひ妹(いもうと)を》  《割書:曽与(そよ)と呼びて二人とも性質(うまれつき)孝行にして父善立へ奉養(はうやう)怠(おこた)らざりしが或時善立病の|床(とこ)に臥(ふ)しければ二人力を尽して孝養するといへども医薬(いやく)の資(たすけ)乏(とぼ)しく心に任(まか)せねば二人》  《割書:かたらひつゝ富家に身を委(ゆだ)ねて奴婢(しもべ)となり其身の代(しろ)にて供給(きやうきう)せしかど侍養(じやう)にかくれ|ば又主人に暇(いとま)を乞(こ)ひ終に二人は乞食(こつじき)のごとく村中を巡(めぐ)りて食を乞ひ或は府下に出て》  《割書:銭を貰(もら)ひなどして病父につかへしが或時府下巾下の覚鳳寺前にて妹そよ俄に大焦熱(だいしやうねつ)|を発しいたく渇(かつ)しけるが頃は七月五日の事にて其辺に西瓜(すいくわ)のありければ姉はこれを求》  《割書:めてあたへんと嚢中(のうちう)を索(さぐ)りしに纔(わづか)二文の銭あれば如何せんと思惟(しゆゐ)せしを病婦は|その二文をも惜(を)しと思ひたゞ我等は水にて足りぬれば銭は父に参らせてよといひもあべす【濁点の位置のズレ】》  《割書:空(むな)しくなりにける此時姉は十九妹は十六なりしとぞかゝる二人が孝養の美事(びじ)後には邑主(むらぬし)へ|も聞えて遂(つゐ)に邑主よりその善行を碑に刻(きざ)みて村中にこれを建(た)つこは天明年中の》  《割書:事にして碑文は須賀安貞が撰(ゑら)べる所也委しくは|碑文に譲(ゆづ)りてこゝにはその余香(よかう)をとゞむるのみ》 砂子(すなご)川《割書:砂子村にありて総名を新川といふ水源は庄内川にして下流は榎津(えのきづ)福田を経て海に入|天明年中水野某 治水(ちすい)のために 官命を蒙(かふむ)り初て地を決(さく)り新たに分流せし頗る》  《割書:大川なれば魚鼈(ぎよべつ)多く商船も往来し此川数里の間左右の千 村(そん)万 落(らく)水 難(なん)をのがれ五穀 登(とう)|熟(じゆく)の安養を得る利民(りみん)第一の新川なり猶委しき事は春日井郡 比良(ひら)村の堤上(つゝみのうへ)に建し治》  《割書:水碑にゆづりてこゝに略す又此川に架せる|長橋を砂子橋と称して則佐屋街道の往来也》 北野山 自性(じしやう)院《割書:同村にあり真言宗|府下大須真福寺末》当寺は大宝二《割書:壬| 寅》年 行基菩薩(ぎやうぎぼさつ)の創建(さうこん)に  して 文武天皇の御宇 勅願所となし給ふ永祚元《割書:己| 丑》年八月八日 【右丁】 【陽刻落款印】高雅 【挿絵中の文字】万場 【左丁】 万場(まんば)川船渡  の大風に堂塔 傾頽(けいたい)すしかるに建久五《割書:甲| 寅》年四月上旬北条四郎  時政関東より上洛の刻(きざみ)に当寺の本尊へ種々の祈願をかけ翌(よく)  年下向の時 暫(しばら)く当寺に逗留(とうりう)ありて一ッには右幕下(うばくか)頼朝公  の御願二ッには我 宿願成就(しゆくぐわんしやうしゆ)の謝恩(しやおん)のため堂塔を再営し寺  領をも寄進ありし其証【證】状等今も猶数通存せり○本尊《割書:薬|師》  《割書:如来及び十二神将|とも行基菩薩の作》寺宝 縁起二巻《割書:延慶二年に|書写する所也》鰐(わに)口《割書:銘に尾州海東郡|富田庄成願寺鰐》  《割書:口也 大檀那川崎右京亮通貞妻|文明十八年丙午十一月十三日とあり》      春風やむし乾する寺構    雨白 五大山 安養(あんやう)寺 明眼(みやうげん)院《割書:馬島(まじま)村にあり天台|宗野田密蔵院末》当寺 草創(さう〳〵)は 桓武(くわんむ)天皇の  御宇 延暦(ゑんりやく)廿一年 聖円(しやうえん)上人開基の霊場(れいじやう)也はじめ上人 瑞夢(ずいむ)を感(かん)  得(とく)して此地に堂塔を基立(きりう)し先行基 菩薩(ぼさつ)の刻(きざ)める薬師如来の  尊像を安置す上人もとより学徳兼備(がくとくけんび)の智識(ちしき)なれば化益(けやく)日  に盛(さかん)に有信(うしん)の男女山のごとく資財(しざい)を捧(さゝ)げけるにぞ殿宇(でんう)楼閣(ろうかく)も  日ならずして功を竣(を)へ終に十八の坊舎をも左右に列し大 伽藍(がらん)の  巨刹(きよせつ)とはなりぬ《割書:今枝院一坊のみ残り|て其余は廃絶(はいぜつ)せり》夫よりして法灯(はふとう)【燈】絶る事なく儼(げん)  然(ぜん)たる巨刹(きよせつ)なりしが元弘(げんこう)建武(けんむ)の乱に兵火にかゝりて悉(こと〴〵)く灰燼(くわいじん)  せりしかるに本尊薬師如来及び慈恵(じゑ)大師の木像等のみ僅(わづ)かに  此 災(わざはひ)を脱(だつ)せり茲(こゝ)に清眼(せいがん)僧都深く此事を悲(かなし)み当寺再建の  志願をおこされしに仏力の加被(かひ)も空(むな)しからず延文二年に至つ  て又堂宇の結構(けつかう)頗(すこぶ)る古に復(ふく)して壮麗(さうれい)を尽(つく)せり故に清眼僧  都を以中興の開山とすさて当寺 眼科(がんか)の一流天下に冠(くわん)たるもの  は僧都常に薬師仏を信仰(しんかう)する事大方ならざりしに或夜 夢中(むちう)  に如来告玉はく汝我を奉ずる事こゝに年有り今汝が為に希(き)  世(せい)の術(じゆつ)をあたへん是を以 普(あまね)く衆生を渡(ど)し長く末世を利すべし  と夢 覚(さめ)て一巻の書を壇(だん)上に得たり感歎(かんたん)肝(きも)に銘(めい)じ急(いそ)ぎ  是を見るに眼科の奇術(きじゆつ)をのせたり則此術を試(こゝろみ)るに其 応験(おうげん)神  の如く一人として愈(いへ)ざるはなしこれ冥助(めうじよ)の奇方(きはう)にして代々当  寺に伝ふる所の妙術也抑当寺もとは蔵南坊といひしを  明眼院と更(あらた)めしはかん寛永九年《割書:明正院|の御宇》上皇《割書:後水尾|院》の女三 ̄ノ宮  御眼御 不予(ふよ)なりしに京師の医官(ゐくわん)術(じゆつ)を尽し奇剤(きざい)を進(たてまつ)  るといへども更に其 験(しるし)なししかるにたま〳〵当院眼科の名  天 聴(ちやう)に達せしかば 詔(みことのり)を下して召のぼさる住僧円慶 恭(うや〳〵)し  く 勅を奉じ 玉座に近づき則御眼に針(はり)をさし霊薬を  献(たてまつ)りしに日ならずして平愈(へいゆ)まし〳〵ければ 叡感(ゑいかん)の余り明眼  院の美名を賜はり且御会の短冊及び茶器品々黄金数十  枚をも賜ふ是みな医王善誓洪慈(ゐわうぜんせいこうじ)のなす所にして実に  人力の及ぶべきにあらず又廿一世円海法印明和三年戌十月  廿二日 桃園院第二 ̄ノ宮御眼病を治し奉る効験(かうげん)円慶法印  の時の如くなれば是亦 叡感の余り権僧正に推任(すゐにん)し玉ふ是 【陽刻落款印】春江 馬島(ましま)          冷泉為則卿  明眼(みやうげん)院         みな人を                すくふめくみに                  法の水                ふかきちかひも                 うくる                    たふ                     とさ 【挿絵中の囲み文字】                            宿屋                             総門                 藤部屋      小杉部屋 桐部屋           男眼疾寮       杉部屋             榎部屋                     竹部屋     茶店  梅部屋     桃部屋                柳部屋 【右丁】 其二 【挿絵中の囲み文字】                          茶店      桜部屋   新桃部屋                   塔頭                    松部屋 女人眼疾寮       供部屋           二王門       椿部屋               眼疾寮制札             井                        手水ヤ                本門               昭光門      庫裡                   多宝塔 【左丁】 【挿絵中の囲み文字】          療治場                              鐘楼           玄関     対面所          本堂            車寄 針台                     地蔵           客殿     方丈                       馬島天神      書院                            拝殿 其三 【左上部の歌】 南無薬師  をしへ伝へて   世の人の やまひを   すくふ    寺は此寺    岩倉具選卿 【同下部の句】 《割書:尾張名所記》    虎竹   春雨は    このめを     あらひ        薬かな 【挿絵中の囲み文字】       信長公灯篭(燈籠) 文庫                       五社宮                白山  よりして終に 勅願所とはなりぬ○本尊《割書:薬師如来行|基菩薩の御作》宝塔  《割書:源信僧都の刻める大日如来を安|置す今の搭は慶安二年の再建也》楼門《割書:仏工運慶自ら寄付する所の二王を安置す|今の楼門は寛文三年 国君の御再建也》  白山権現社《割書:聖円(しやうゑん)上人曽て壇(だん)を築き 祠を建て当 邑(むら)及び十二隣村《割書:松葉|の庄》の産(うぶ)|神(すな)とす今に毎年三月廿一日村民 不易(ふゑき)の祭礼を営みて此日参詣》  《割書:の男女遠近を傾(かたふ)けて|大に群集せり》弁財天祠《割書:境内の池|上にあり》馬島(まじま)天神祠《割書:境内にあり本国|帳に従三位馬島》  《割書:天神とある|是なり》寺宝 御会短冊《割書:五十|枚》勅賜(ちよくし)茶器(ちやき)《割書:七|種》茶 杓(しやく)《割書:小堀遠州|侯の作》同  《割書:同作筒に明|眼院と銘す》茶 碗(わん)《割書:同筆にて箱に|明眼院と銘す》同《割書:同蔵南|坊とあり》竹 花入(はないれ)《割書:同明眼院|と銘す》瀬戸文林  茶入《割書:箱書同筆袋|安楽庵切》呂宋(るすん)茶 壺(つぼ)《割書:同筆にて箱に|明眼院と銘す》景清(かげきよ)甲冑(かつちう)并 唐櫃(からひつ)《割書:此甲|冑唐》  《割書:櫃の図 集古(しうこ)十 種(しゆ)に|載せて世に名高し》花鳥二幅 対(つゐ)《割書:呂|紀》同一 幅(ふく)《割書:周之|冕》同一幅《割書:林|良》王達(わうたつ)王世(わうせい)  貞(てい)両筆の詩《割書:一|幅》夢想(むさう)国師書《割書:一|幅》十六善神一幅《割書:張思|恭》薬師如  来一幅《割書:探|幽》川渡(かはわたり)布袋(ほてい)一幅《割書:同画賛|遠州侯》菊慈童(きくじどう)二幅対《割書:山|楽》瀧見(たきみ)観  音一幅《割書:雪|舟》維摩(ゆいま)一幅《割書:元|信》神農(しんのう)一幅《割書:国君御賛|同御画》山水一幅《割書:周|文》枯木(こぼく)  寒鴉(かんあ)一幅《割書:雪|村》後水尾帝 宸翰(しんかん)の御 懐紙(くわいし)《割書:一|幅》陽光院同《割書:一|幅》妙  法院 尭然(ぎやうねん)法親王和歌三首《割書:一|幅》山水屏風一双《割書:雪|舟》古画屏風《割書:岩|佐》  《割書:又兵衛と|いひ伝ふ》書院 壁(かべ)張付(はりつけ)《割書:并》襖(ふすま)類《割書:已上のこらず丸山 応挙(おうきよ)の墨画此外 希代(きたい)の名|器(き)書画 夥(おびたゝ)しけれど事繁ければこゝには十が一二》  《割書:を挙る|のみ》後園(こうゑん)の仮山(かさん)《割書:当年(そのかみ)遠州侯 眼病(がんびやう)療養(りやうやう)のため当寺に逗留ありしが程なく快(くわい)|復(ふく)しければ恩を付せんがため此仮山を築かれしが今もそのまゝ》  《割書:を伝へて木石 星霜(せいさう)を経たれば風致(ふうち)当時(そのかみ)に十 倍(ばい)して樹木の茂り石の苔(こけ)蒸(む)せる池水の藍(あい)|を湛(たゝ)へ遊漁(ゆうぎよ)の天 然(ねん)を楽しめる上には春秋の幽禽(ゆうきん)好鳥(かうちやう)和鳴(くわめい)来去(らいきよ)するまでさながら深山(しんざん)》  《割書:幽谷(ゆうこく)の趣をなして雅韵(がゐん)真妙(しんみやう)いふ計りなし又当寺に遠州侯の手蹟(しゆせき)多きもみな逗|留中の遺跡なり又当寺へ諸国より眼病療養に来り逗留するもの常に数百人に》  《割書:及べりいづれも宿坊を借り受治療を乞ふ又府下にも通所ありて|三八の日並に療治しその繁昌いはん方なし猶図を見て想像すべし》寺産《割書:国君の御寄付に|して若干を領す》    《割書:明 眼 院 八 景》   《割書:    医 王 殿                      勝 守 礼|烟 霞 今 古 癖 泉 石 入_二 膏 肓_一 身 在_二 杏 林 裏_一 青 嚢 世 々 香》      《割書:多 宝 塔                      石 作 貞》   《割書:祇 園 宝 塔 旧_二 天 工_一 畳 々 珠 輪 払_二 碧 空_一 不_レ 怪 半 天 人 語|響 法 門 元 自 有_二 神 通_一》   《割書:    白 山 祠                      僧 月 僊|松 杉 擁_二 翠 壁_一  中 有_レ 托_二 神 霊_一 蕭 々 数 千 歳 庶 民 祈_二 泰 寧_一》   《割書:    天 女 祠                      南 宮 岳|行 到_二 妙 音 宮_一 々 前 凜_二 華 表_一 自 似_レ 弾_二 琵 琶_一 春 風 生_二 樹 標_一》   《割書:    犍 雅 楼                      東 亀 年|高 閣 撞_二 華 鐘_一 暁 風 遠 相 送 豈 唯 為_レ 報_レ 時 応_レ 覚_二  人 間 夢_一》   《割書:    翠 霞 峰                      峩 眉|茲 山 何 屹 立 莫_レ道 代_二  天 工_一 相 似 赤 城 外 更 過 神 闕 中|春 霞 凝_レ 巘 紫 夕 日 映_レ 花 紅 借 問 栖 身 者 仙 来 不 老 翁》   《割書:    嘯 月 亭                      龍 草 廬》   《割書:寂 莫 禅 関 外 有_レ 亭 百 尺 程 何 人 明 月 夜 長 嘯 作_二 鸞 声_一》   《割書:    観 魚 橋                      僧 六 如|投_レ 餌 敲_レ 欄 慣 不_レ 驚 袈 裟 影 裡 駢 頭 迎 悠 然 心 楽 思_二 荘|叟_一 々 々 争 如_二 宝 勝 名_一》 一森(いつしん)山 円長(ゑんちやう)寺《割書:西条村にあり本願寺宗東派直末もと天台宗の古 刹(せつ)にして一心|山月照院と号し塔頭(たつちう)十六坊ありし大地なりしが応仁(おうにん)の兵火に》  《割書:堂宇(どうう)殿廡(でんぶ)も悉く灰燼(くわいぢん)せりしかるに文明年中僧 慶栄(きやうゑい)今の宗に帰して則一森山円|長寺と改め殿堂をも再営せしより今に至りて十四世なるが近き頃又新たに修造を加(くは)へて》  《割書:頗る壮麗(さうれい)の梵区(ぼんく)とはなりぬ当寺は殊に眺望に富みて|江濃(こうじやう)加越(かゑつ)の山々一 回顧(くわいこ)の中に尽きて風景尤よし》本尊《割書:阿弥陀如来木像|慈覚大師の作》 藤島(ふぢしまの)神社《割書:秋竹村にあり今藤島明神と称す延喜神名式に藤島神社|本国帳に従三位藤島天神とあるこれなり》 天 桂(けい)山 広済(くわうさい)寺《割書:桂(かつら)村にあり曹洞宗津島興禅寺末 嘉吉(かきつ)九年八月の建立にて|開山は天真和尚なり織田大和守 敏定(としさだ)自筆の額を掲(かゝ)げ又》  《割書:寺領をも寄付ありしが其後|代々の証文等も今に寺伝す》本尊《割書:釈迦の|座像》塔頭《割書:東陽軒 境|内にあり》 伊福部(いふくべ)天神社《割書:伊麦(いむぎ)村にあり今七社明神と称す本国帳に正四位下伊福部天神|と見え同集説に伊福部の神号をあげて戸田庄伊麦村七社》  《割書:明神歟としるし同書に諸本 ̄ニ不_レ載_二此一社_一但熱田如法院 ̄ノ蔵本 ̄ニ録_レ之とあり又国府宮|本には従四位上伊福部天神と見えたり今社のさまを見るに境地も広く古木も森(しん)》  《割書:然(ぜん)として古社なる事疑ひなければ集説により|てしばらく当社を伊福部となせるなり》 河葉(かはばの)天神社《割書:川辺村にあり今春日大明神と称す本国帳に正四位下河葉|天神元亀二年に書写国府宮本に従四位上 河気(かはけ)天神とある》  《割書:是なり天正二甲戌|年の再修なり》例祭《割書:正月十七日|奉射》 【右丁】 【陽刻落款印】春江 明眼院 後園の 林泉 【挿絵中の囲み文字】 翠霞峰                 嘯月亭                       弁天社 【左丁】 【挿絵中の囲み文字】   金甲山           観魚橋 【右丁】  円長寺 西条霊地梵 王城繍棟雲 楣修理成常 楽開_レ門容_二善 士_一易行伝_レ法 度_二群生_一雪封_二 北嶽_一窓欞敞 月出_二東山_一楼 閣明最是春 風楊柳道啼 鴬声和_二将誦経 声_一    六橋 【挿絵中の囲み文字】                            柳海道                鼓楼                   茶所            庫裡           書院                     鐘楼            玄関                  手水ヤ 【左丁】 【挿絵中の囲み文字】            本堂    秋竹村          佐屋海道 藤島(ふぢしまの)神社 【陽刻落款印】春江 面足尊(おもたるのみことの)社《割書:高台寺(かうたいじ)村にあり俗に高台寺の御面と称す真言の尼僧是を守事相|伝ふ元亀二年勢州 多度(たど)神社兵火にかゝらんとせし時祠官 小串(をぐし)左》  《割書:次内 信光(のぶみつ)神宝の古面及び太刀一振を持て立退しに忽然(こつぜん)と老翁(らうおう)あらはれ信光を導き|て当所に至り此所に安置すべきよしをしへていづくともなく消うせぬ其後終に社》  《割書:を建てこれを祭るに日々に霊験(れいげん)著(いちじる)く|今に至るまて遠近の参詣たゆる事なし》 義経弓掛(よしつねゆみかけ)松《割書:下田村にあり九郎判官こゝより強弓(つよゆみ)を放(はなち)て試(こゝろ)みられけるに百町を|通りて其矢落たりしかば其所を百町(ひやくてう)村と名づけそこに矢落(やおち)の社》  《割書:をも建しといひ伝へし古跡にして今も猶古松一株あり是|其時に弓をかけられし松とて里人かくいひ伝へしなり》 神守駅(かもりのゑき)《割書:佐屋 街道(かいだう)の馬次也 駅舎(ゑきしや)旅館(りよくわん)も|頗る壮麗にしていと賑はへり》 憶(お)【左ルビ:おくか】感(かんの)神社《割書:同所にあり延喜神名式に海部郡(あまのこほり)憶感(おかんの)神社本国帳に正一位憶感名|神とある是也文徳実録に仁寿三年六月丁卯以_二尾張 ̄ノ国大国霊 ̄ノ神大御》  《割書:霊 ̄ノ神憶感 ̄ノ神等_一列_二於官社_一と又三代実録 ̄ニ貞観七年十一月十七日甲午授_二尾|張国従五位下憶感 ̄ノ神 ̄ニ従五位上 ̄ヲ_一と見えたり○別当憶感山吉祥寺》 日光(につくわう)川《割書:諸桑(もろくは)村と宇治村の間にあり頗る大河にして佐屋街道には大橋を架(わた)す|下流に百町 鹿伏免(かぶと) 観音寺 大海用(おほみよ)等の船渡しあり》   川の名の日のひかりさへさしそひてゆふへはえある岸のもみち葉  高橋広道 諸鍬(もろくは)神社《割書:諸桑村千手院境内にあり延喜神名式に海部 ̄ノ郡諸鍬 ̄ノ神社本|国帳に従三位諸鍬天神とある是なり同集説に按 ̄ニ対馬国天 ̄ノ諸(もろ)》  《割書:羽(は)命神社同神倭歌所_レ詠 葉守(はもりの)神也弘仁式河海抄袖中抄等守_二万木_一神《割書:云々》|諸者守之音便而蚕桑之神也と見えたり》 日置(へき)村《割書:和名抄に海部郡日置とあり又民部省 ̄ノ国帳に富岡明神有_二日|置之村 ̄ニ_一去_レ村二百歩也長保三年初奉_二宮殿_一神霊豊岡 比咩(ひめ)也と》  《割書:見えて古|き地名也》 若宮八幡社《割書:同村にあり祭神 仁徳天皇別当光明院これを掌▢又社殿に十一面|観音を鋳たる古鏡を掲ぐこれいにしへの本地仏ならんか》  当社往昔は大社なるよし今も大門鳥居先より本社まで三町  余もありて社辺には古松 矯々(きやう〳〵)として雲を払ひ数百歳の相を  標(ひやう)し祢宜屋敷神子屋敷などいへる字(あざな)も残り神殿いと古(こ)  雅(が)なる造りにてすべて古のさま想像せらる社伝に 頼朝公建  立なりといへり俗に日置(へき)の八幡と称して名高き古社なり  ○例祭《割書:正月十五日 管粥(くだがゆ)とて五穀を入たる管(くだ)を小豆(あづき)粥の中へ入て其 煮加減(にかげん)|にて年の豊凶をはかる是を日置の管粥といふ又八月十五日当所の十》  《割書:人組といへる者馬の搭をおす此人々はむかし社輩の家筋なりといへり同十六日神宝|虫払ひありて古き弓矢獅子頭及び経巻等を諸人に見せしむ又社辺に貴船社》  《割書:あり九月九日|湯立をなす》 八幡山光明院常楽寺《割書:同所にあり則八幡の宮寺にて真言宗大須真福寺|末 右大将源頼朝公の創建なりと寺伝にいへり》  本尊《割書:薬師如来行|基菩薩の作》寺宝 大 般若(はんにや)経《割書:百余巻あり其紙つかれて全から|ず軸ごとに古き年号をしるせり》  《割書:其三百九十巻の奥書に建武五年戊寅七月十一日於_二尾州海西郡日置庄一色|常福寺草庵_一右筆安養仏子覚忍としるし其余の巻〳〵にも皆年号をのせ》 【右丁】  諸桑(もろくは)村にて古船(こせん)を    堀出(ほりいだ)す図 天保九年閏四月当村にて 川 浚(ざら)へをせしに満成(まんじやう)寺と いへる寺の裏辺(うらべ)にて古木(こぼく)の 如(こと)き物(もの)に堀当りしかばみな 〳〵いぶかしく思ひ猶ふかく 堀わりしにいと大きなる船(ふね) を堀出せり此船 往古(むかし)の製(せい) にて樟(くす)の丸木(まるき)船なるが 三ヶ所つぎてかんぬき をもつて是をさすまた 船中(せんちう)より大網(おほあみ)のいわ 古瓦(こが)古銭(こせん)其余 異(ゐ) 形(ぎやう)の珍器(ちんき)多く出たり 夫より又其ほとり をほりかへし見れ ば木仏像(もくぶつざう)の半(はん) 躯(く)を堀出せり さて当村は式(しき) 内(ない)諸鍬(もろくは)の神社 【左丁】 もありて千年 に及ぶ旧地(きうち)なれど 其已前いまだ此 辺の海にてありし 時よりしづみし 船ならんか又は隣(りん) 村古川村はもと川 筋(すじ)なりしを埋(うづ)め て今の村とせし よしなれば此辺 までも彼(かの)川筋 にてそこにあり し川船のいつ しか埋(うも)れありし にもやあらん 【陽刻落款印】  《割書:たれど今こ|れを略す》舎利講式(しやりこうしき)残編(ざんへん)一巻《割書:栂尾(とがのを)明恵(みやうゑ)上人自筆にて文書ともに|甚古雅なり奥書に建保二年正月》  《割書:廿七日沙門高弁草_レ之としるせる|原本にて希代(きたい)の珍書(ちんしよ)なり》 甘楽(かむらい)名神社《割書:甘村井(かむらゐ)村にあり本国帳に正一位甘楽名神とある是なり|国府宮本に正一位上甘楽名神とあり今八幡と称す》 由乃伎(ゆのぎの)神社《割書:柚木(ゆぎ)村に|あり》延喜神名式に由乃伎神社本国帳に従  三位由乃伎天神《割書:一 ̄ニ作_二|夜簷(よのぎ)_一》とあり同集説に私 ̄ニ曰天孫本紀 ̄ニ所  _レ謂 湯支(ゆのきの)命者 三見(みゝの)宿祢《割書:塗部(ぬりべ)氏|之祖也》出自之人也蓋此命歟と見  えて風土記残編にのせる湯貴(ゆぎの)首人(おぶと)等が祖神なるべし今  俗に神明と称す 佐屋駅 東海道五十三駅の外にしてこゝより伊勢の桑名駅  に渡るこれを佐屋廻りといふ当駅は頗る繁昌の地にして旅亭(りよてい)  客舎(かくしや)軒を並(なら)べ行人つねに絶る事なし 相江(さえ)天神社《割書:内佐屋村にあり本国帳に海部郡正四位下相江天神とあり同|集説に戸田庄佐屋村三社明神歟と見えて今三社明神と称す》 水鶏(くいな)塚《割書:同所駅中の南にあり入口に標(ひやう)石を建つ碑面(ひめん)に|芭蕉の句及び門人露川が文を彫たり》     水鶏鳴と人のいへはや佐屋泊   芭蕉      《割書:芭蕉翁は伊賀の国の産にして氏は松尾を継て風雅を季吟老人|に伝はり一生不住の狂客也東南西北の風に移り逍遥する事三十余》      《割書:年元禄八の年皐月の初《割書:予》師の行脚を此佐屋の宿に送り山田|何某の亭に五日をとゝめて水鶏の一巻を残す其縁にひかれて此里》      《割書:の俳師竹の茂り麻の育に似たり夫か中に寄潮宇林麾をとれは等|亀志宜助力を加へ吟山施主となつて墳を築き碑を建て銘を乞》      《割書:銘曰|  師や誦尽すたはれ哥を    情に転し姿にうつす》      《割書:  師やあまさかる枕ことはを  今玉味噌の木曽路に変す|  師や憍慢邪智にまよへるを  教へて正風自在となす》      《割書:  師や実に居て虚に遊へるを  歎して世に風雅の聖とす|      享保二十乙卯年五月十二日建焉     月空居士露川》  《割書:佐野某が蔵せる翁の真蹟(しんせき)の此句の前書に元禄仲夏佐屋に一宿し侍りてあるじの需に|よるもの也と見え泊船集には露川が等佐屋まで道送りしてともにかり寐すとしるせり》    《割書:草枕》     月もるや 水鶏なく夜の膳の上   素檗 佐屋川《割書:同所の西なる|大河なり》是木曽川の下流にして水源は信州の筑摩  郡 奈良井(ならゐ)駅の鳥居 嶺(とうげ)の奥より出飛騨美濃両国の  川々のこりなく落合或は分流(ぶんりう)し伊勢の桑名の城下に至  て海に入る凡そ六十里の長流にて川巾甚広く水のおびたゝ 【右丁】  佐屋駅(さやゑき)   渡口(とこう) くはなより 船にのりて さや川をの ほるほと多 度山のい たくかすみ て見えけれは 《割書:鈴屋集》 朝風の  寒き   たと山 しかすかに 【左丁】 かすみ  きらへ   り 春  ふかみ  かも  宣長 【挿絵中の暖簾の文字】 近江屋 【陽刻落款印】春江  しき事 測(はか)りがたく川中に梶島油島等の島々ありこゝより桑  名への船路三里余常に大小の船往来絶る事なく縉紳(しん〳〵)の高  貴及び西国の諸侯方も皆此川を通行し給ひてあつた瀉の  七里の渡しにつゞける船渡し也  《割書:        佐 屋 船 中           伯 就|自適園遺稿》   《割書:水 波 縹 渺 夕 陽 紅 多 少 帰 帆 掛_二 碧 空_一 河 上 長 雲 飛 欲|_レ尽 繊 々 初 月 有 無 中》   《割書:紀行》    くもる日の海をいとひて今朝漕は波静なる佐屋の川船    為村卿    時しらてさらせる布と見ゆるかな佐屋の河辺の雪のむらきえ 隆真大尼 戸田米《割書:戸田村より出る所にして尤上品也九月上旬これを 国君へ奉献す故に|当国の内此村の産を以 稉米(うるしね)の第一品とす又此村より産する所の菜(な)風味》  《割書:殊に勝れたれば世に戸田菜と称して名産とす是も十一月上旬当村の山田氏|より 国君へ|たてまつれり》 佐久間駿河守城址《割書:蟹江(かにえ)本町の丑寅の方にありて東西五十四間南北五十間|大手の南に三重堀のあとあり今田畝となれり土俗》  《割書:字(あざな)して城の内といふ又南大手|のあとを海門寺口と称す》佐久間駿河守は《割書:初め甚九郎|と称す》尾張本貫の  武士にして当城に居住せしが菅生(すがふ)へ在番に出ける時前田   与十郎《割書:駿河守母方|の伯父なり》をして当城を守らしむしかるに与十郎  逆意(ぎやくゐ)を起し秀吉公へ内通せしより終にかゝる合戦には及  びぬそは小瀬甫庵が太閤記に瀧川左近将監 一益(かづます)は去  年まで北伊勢五郡を領し長島の城主として有しが  柴田 滅亡(めつぼう)の後は遊客の身となりて江州南郡において堪  忍分五千石を領し有し也これによつて長島の城をば信雄卿  領し給ふてまし〳〵けりかゝる処に信雄卿と秀吉卿既に 鉾(む)  楯(じゆん)におよびしかば勢州 木造(こつくり)の城に瀧川と富田平右衛門《割書:後|左》  《割書:近丞と|号す》両人在番として入置給ひぬ瀧川おもふやう蟹江  の城を調略(てうりやく)し尾州に至りて中入をし家康卿など  おびやかし見むと謀りて前田与十郎方へ此節秀吉卿へ  忠義をいたされ候へ一廉(ひとかど)恩賜(おんし)の地有べしとひそかに諫(いさ)  めければ即(すなは)ち同じけりさらば来 ̄ル六月十六日の夜渡海し   城に入候へと約しけり然る間 九鬼(くき)右馬允に此旨告知せ両  人の勢 都合(つがう)三千大船に乗連出けるが瀧川勢半分蟹  江の城へ難(なん)なく入にけり即一益も入城して柵(さく)等の事  はや〳〵申付んとせし処にいかなる者のしわざにか有けん  酒家(さかや)に入て放火(はうくわ)せしかば思はずも三十間ばかり焼出たり  其折節 家康卿は清洲の城におはしけるが此旨 注進(ちうしん)有  とひとしく勢を出し捨鞭(すてむち)を打て急つゝ蟹江の城に  押(おし)よせ先海の方を固(かた)め城中へ瀧川勢を入ざりければ半(なかば)は又  大船に取乗て鉄炮軍有かくて城を二重三重取まき其夜  に柵(さく)を付廻し十九日には棲楼(せいらう)を上げ城中を見おろし弓  鉄炮を打入射すくめ夜に入ぬれば火矢を四方より射入れ  鯨波(とき)の声をあげ鉄炮を子の方よりつるべ初め亥の方にて  うち納めければ城よりも又つるべ返し〳〵終夜(よもすがら)のすさまじさに  城の兵共は蝉(せみ)の脱(ぬけ)がらのやうに成り其上矢だねも玉薬も尽(つき)  しかば瀧川扱に致し退なんと家臣に謀りけるに尤しかる  べくおはしまし候とて即城を相渡し同廿七日勢州 木造(こつくり)  の城へ退行けるが其前は富田左近丞と両人此城に在し  かども富田云やうは蟹江の城を退しに付ていかやうの堅約も  有らん此城へはえこそ入ましけれと申けり瀧川天にも付ず  地にもあられぬ境界(きやうがい)となりて後は越前の五分一と云所に  て終(をはり)にけり云々豊臣秀吉譜に瀧川左近将監一益 ̄ハ者柴  田滅亡 ̄ノ之後潜 ̄レ_二居 ̄ル于越前 ̄ニ_一秀吉惜 ̄ミ_二其武名 ̄ヲ_一使 ̄ム_レ居 ̄ラ_二伊勢 ̄ノ神戸 ̄ニ_一 一  益聞 ̄テ_二秀吉信雄締 ̄ブト_一_レ兵 ̄ヲ乃遣 ̄ハシメ_二使 ̄ヲ于尾州蟹江 ̄ノ城主前田与  十郎 ̄ニ_一曰汝可_レ尽_二忠 ̄ヲ于秀吉 ̄ニ_一若-然 ̄ラハ則恩禄不 ̄ジ_レ少 ̄カラ矣前田聴  _レ之 ̄ヲ於_レ是 ̄ニ一益與_二 九鬼右馬 ̄ノ允嘉隆_一乗_レ舟入_二蟹江 ̄ノ城 ̄ニ_一 大  権現信雄共 ̄ニ聞_レ之 ̄ヲ即率 ̄ヒテ_レ兵 ̄ヲ往 ̄テ攻_レ之 ̄ヲ酒井忠次榊原康政 【右丁】 【陽刻落款印】春江  蟹江(かにえ)川 川の左右則蟹江村 にして農商(のうしやう)千戸(せんこ)の 小都会也橋上の往来 も絡繹(らくゑき)として常に 絶る事なく漁商(ぎよしやう)の 船こゝに湊(つど)ひ米穀(べいこく)野(や) 菜(さい)も朝夕に交易し て豪農(がうのう)富商(ふしやう)も甚 多し中にも鈴木某 が家は其先 重宗(しげむね)当 所の城主駿河守信 □【正ヵ】の徒弟なるにより 其子重安城南に 宅地を占(しめ)て在りしが 【左丁】 天正の合戦に闘死(とうし)し 弟宅も灰燼(くわいぢん)せり 其後佐久間信盛 神祖に 随て当所に来りし時重安 の弟重治へ材木若干 を贈りて復古し終 に二百余年の今に 至りて猶連綿たる 素封(そはう)の巨豪(きよがう)也 芦間ゆく  蟹江過来て   見渡せは  こゝをせにとや   あさる      水鳥     黄中 【挿絵中の囲み文字】         庫裡 安楽寺              井            鼓楼           手水ヤ こんひら   西光寺   あきは   ぢざう   励 ̄マス_二軍功 ̄ヲ_一 一益力-尽 ̄テ斬 ̄テ_二前田与十郎 ̄ヲ_一以-降 ̄ル一益帰_二伊勢 ̄ニ_一而  恥_レ之 ̄ヲ上京 ̄シ又逃 ̄ル_二於丹波 ̄ニ_一焉秀吉聞_二蟹江之戦 ̄ヲ_一而欲_レ援 ̄ント_二瀧  川 ̄ヲ_一発 ̄シ_レ自 ̄リ_二大垣_一赴 ̄ク_二蟹江 ̄ニ_一 一益既 ̄ニ去 ̄ル_レ城 ̄ヲ故 ̄ニ秀吉直 ̄ニ帰_レ京 ̄ニ《割書:云々》 城南山西光寺《割書:蟹江村にあり本願寺宗|東派京都本山直末なり》本尊《割書:阿弥陀の木像|慈覚大師作》寺宝  《割書:聖徳太子十六歳木像慈覚大師の作 紺地(こんぢ)金泥(こんでい)|十字名号親鸞聖人筆 六字名号 蓮如上人筆》 蟹江(かにえ)川《割書:蟹江村本町新町の間を流るゝ大河なり水源は新居家(にゐや)川にして所々の溝|江も落合ひこゝにて大河となるすべて魚鼈(ぎよべつ)貝鱗(まいりん)【ママ】の類多く産するゆゑ》  《割書:当村に漁人数百家ありて常に是を捕り産業とす殊に鰻鱺(うなぎ)蛤(はまぐり)及び青海苔(あをのり)を|名産として府下はもとより諸国へも日ごとに夥しく運送(うんさう)す中にもうなぎを京》  《割書:師に送る事其数挙てかぞへがたし又|此川に架せる長橋を蟹江橋と称す》 牛頭天王社《割書:須成(すなり)村にあり 祭神 素盞嗚尊(そさのをのみこと)傍に八剣宮社あり 祭神 草薙剣|相殿に五神を配祀(はいし)する事熱田の本社にひとし毎年六月十七日夜試》  《割書:楽(がく)船祭翌日朝祭等 粗(ほゞ)津島|の祭事をうつせり》 蟹江(かいこう)山 龍(りやう)照院《割書:同村にあり真言宗府下大須真福寺末行基菩薩を以開山とす|草創の年記詳ならず昔は七堂 伽藍(がらん)十八の僧坊もありて巨》  《割書:刹(せつ)也しが天正十二年六月の兵火に焼|失して今は只本堂と当院のみ存せり》本尊《割書:十一面観音|行基菩薩の作》鰐(わに)口《割書:銘に尾州海東郡|富吉庄蟹江山》  《割書:常楽寺常什也明応九年庚申六月|十八日施主一阿弥敬白とあり》 源氏島《割書:西森村にあり里老伝へいふ平治の乱に左馬頭義朝美濃の青墓(あふはか)より知多郡|野間の内海(うつみ)へ船にて潜行(せんかう)ありし時こゝに船をとゞめて休息ありしのち地を》  《割書:築きて田畠とす故に|かく名付しとぞ》 善太(ぜんた)川《割書:一に草野川といふ水源は同郡津島 諸桑(もろくは)村よりいで犬井村善太村の西を流るゝ|大川にして海東海西の界川也此川 魚鼈(ぎよべつ)多きが中に鯉(こい)鮒(ふな)をはじめ白魚》  《割書:大 蜆(しゞみ)鱣(うなぎ)など殊に多くして年中魚猟たゆる事なし元来当国に産する白魚は他邦|に勝れて形(かたち)大く美味なり事跡合考に云両国の川筋に産する所の白魚は尾州名》  《割書:古屋の浦よりとりよせ給ふ云々と見え波丸がかはころも紀行にも 浦山しかへる浪より|伊勢尾張あはひの海にみつる白魚などしるして其名産なる事しるべし扨此川》  《割書:下善太 ̄ノ大海用(おほみよ)といへる所に八ッ扖とて大なる扖を八ッならべて此川水を鍋蓋(なべぶた)新田へ|落すたよりとせり又善太新田のうちに服部某といへるあり此家は新田開発の頃》  《割書:より当所に住て今猶連綿たり此宅地は四至樹木繁茂して常に|烏鷺(うろ)の塒(ねぐら)とし遠近よりも見渡されて大なる森なり》   夕こり【注】の雲に入日のかけ消てさはくからすの声そ暮ゆく  僧黄泉 慈興(じこう)山 円成律(ゑんじやうりつ)寺《割書:中一色村にあり浄土宗|関通派(くはんつうは)京都知恩院末》当寺はもと西台(さいたい)山西方寺  とて浄土鎮西派の甲刹(かうせつ)なり開基の年記詳ならずとい  へども応安永和等の古碑あれば其古き事しられたり  慶安年中に品誉(ほんよ)上人再び法灯(はふとう)を挑(かゝ)げて殿宇(でんう)資具(しぐ) に至るまで頗(すこぶる)る【衍】完(まつた)かりしに其 法嗣(はふし)照誉(しやうよ)上人ます〳〵精力を 【注 「夕凝り」=霜・雪・雲などが夕方凝りかたまること。】 【右丁】  尽して先典(せんてん)を修(おさめ)らる又其 高足(かうそく)に関通(くわんつう)上人とて浄業専(じやうかうせん)  修(じゆ)持戒(ぢかい)堅固(けんご)化他(けた)度衆(どしゆ)の碩徳(せきとく)なりしが末法(まつはう)の濁世(じよくせ)道(だう)  俗(そく)ともに名利(みやうり)に走(はし)りて仏願(ぶつぐわん)祖意(そゐ)に背(そむ)かん事を深く  患ひ終に寺政を革(あらた)めて律(りつ)院となせしより四衆(ししゆ)の信仰 懈(おこた)  りなく持律(ぢりつ)の浄行(じやうぎやう)今に儼然(げんぜん)たり関通和尚の行業記  に云師一日衆に告て曰予西方寺を改めて如法(によはふ)の律場と  なし有識(うしき)の大僧を請じて主席(しゆせき)とせんと欲す汝等(なんぢら)自ら  機分(きぶん)をはかりてよく堪んと思はん者は奉律(ほうりつ)随侍(ずいじ)し如法  修行すべしとありければ一僧師に問て曰此寺今 規則(きそく)巌(げん)  にして浄業栄祖(じやうがうゑいそ)道を輝すに足れりしかるを改めて律  院としたまはん事いかなる御意といふ事をしらず又我  門意は自身を出離無縁(しゆつりむゑん)とおもひくだして仰(あふひ)で仏願  をたのむを要とするにあらずやさるを持律とてこと〳〵しく 【左丁】  侍りなば意楽(ゐがう)もまた随て宗意にたがひやし侍らん此事いかゞに  候やと師答て曰それ毘尼(ひに)住する所には法住し毘尼 廃(はい)する所  には法廃すといへりこゝに照誉上人 臨末(りんまつ)に当寺を予に付属(ふぞく)  し浄法をして永く絶ざらしめ益を無窮のほどこせとねんごろ  に遺属し給ひし言の重ければ予毘尼を当寺に起して仏  法の寿命をこゝに長久ならしめんと欲する也又明律の比(び)  丘(く)僧を請じて住持せしめばこれに親近しその風を見聞  せんもの自ら沙門の止作(しさ)の事をしり慚愧(ざんぎ)を生じて正(しやう)  見(けん)実行(じつこう)の門に入の因縁となるべきかもししからば弊風(へいふう)こゝ  に一 転(てん)し宗化(しうけ)さらに輝をますべし又持律とてさまをかへば  意楽(ゐがう)も随て宗意に背かんといふ事それは各の意に依る  べきなりその戒律に従事せん人おもひ給ふべきやうは善  導大師のごとき護戒(ごかい)至て謹密(きんみつ)にして南山 讃(さん)して律 【右丁】  円成律寺(ゑんじやうりつじ)  関通上人三十    三回の     御忌に  前権中納言持豊 吉水の清き   なかれを     玉くしけ 【左丁】  ふたゝひ     すます   法の師そ      これ        其峯     斎留守の      寮から     出たり      みそさゝ         ゐ 【陽刻落款印】春江 【右丁挿絵中の囲み文字】      尼女寮 曼陀羅堂  牌堂  総(惣)門      桟門 【左丁挿絵中の囲み文字】             熊野         経堂   衆会所        本堂     鐘楼  制の越たりとすしかれとも猶自身を罪悪(ざいあく)生死の凡夫(ぼんぶ)と下し  て偏に仏願を仰信(かうしん)し給ふ我等いかにぞわづかに称名(しやうみやう)正 業(がう)を懈(おこた)  るべけんやとかく意を用ひてしかも戒律(かいりつ)を堅持したまはゞたゞその  自己(じこ)の意楽よく宗意に相応して称名勇進に便(たより)あるのみに  あらずそ僧宝 軌範(きはん)ありて法久しく住し正化(しやうけ)長く絶(たゆ)る事なか  らむ《割書:予が》微志(びし)こゝにありと答られけりかくて師いよ〳〵律院  開創のことを国庁(こくちやう)に達し且本山に力請せられぬ凡そ国庁  に以聞せらるゝ事七十二ヶ度本山に往返せらるゝ事三十六 廻(くわい)享  保十八年におこり元文元年に至るまて諸(もろ〳〵)の労苦(ろうく)を経てやう  やく宿望をとげ西方寺を転(てん)じて円成律寺と名づけ慈興  山と改めらる師 事(こと)を武府の敬首(けいしゆ)和上(くわしやう)に啓(けい)しその肖像を迎  へて律院開祖の標準(ひやうじゆん)となす《割書:云々》○本尊《割書:阿弥陀の|座像》曼陀羅堂  《割書:此大曼陀羅は往昔 華洛(くわらく)の無塵(むぢん)居士霊爰によりて岩倉山において九色の彩土(さいど)を|感得(かんどく)ありしに洛北報恩寺の古澗(こかん)和尚其彩具をもて四輻の大曼陀羅をゑがゝれしが》  《割書:今此座図は則其随一なりしかるに深き因縁ありて勢州山田の清雲院より譲り|をうけられて当寺に安置す猶委しき事は行業記及び義山人の述奨記等にゆづ》  《割書:りてこゝに省きぬ猶上人の事跡は|海西郡大成村出生の地に委しく出せり》 大井神社《割書:犬井(いぬゐ)村にあり本国帳に正四位下大井天神とあり同集説に|穂保(ホヾ) ̄ノ庄 ̄ニ有_二犬井村明神 ̄ノ祠_一蓋大与_レ犬文字誤者歟とあり》 津島里《割書:古名を藤浪 ̄ノ里といふよし諸書に見えたり今は津島村といふ尾西第一の大邑に|して縦横(じうおう)の町並五十余街商家農工 軒(のき)を並べ万物一として足(たら)ざる事》  《割書:なくしかのみならず美濃路伊勢路への舟行日毎に絶る事なければ諸国の旅客爰|につどひて繫昌大かたならず実に一都会ともいふべし東鑑文治四年二月二日の条に》  《割書:修理大夫家尾張国津島 ̄ノ社板垣 ̄ノ冠者不 ̄ノ_レ弁_二所当 ̄ヲ_一之由 ̄ノ事と見え其外|こゝの地名をのせたるもの頗る多けれど事繁ければ爰に洩せり》 津島渡《割書:いにしへ伊勢より当国に渡る船路也藻塩草に尾張とあり名所方角抄に|伊勢より尾張へ行は桑名より北に津島の渡りといふ所あり名所也《割書:中|略》津島》  《割書:より下津(をりづ)の宿へ上りて熱田へ行也東海道なり津島と下津の間四里也下津より 熱|田へ五里也 ̄ト《割書:云々》真野時綱が津島祭記に萱津の南を経て長太(ながほ)村に上り伊勢の鈴鹿(すゞか)郡》  《割書:甲斐河泉野を経し趣也長太村は桑名と四日市の間に長生といふ所也 馬津(うまつ)の湊より|此長太に至る迄の船路を津島のわたりとはいふなり京より東へ下るには長太村より出船し今の》  《割書:市腋(いちゑ)島にかゝり萱津に着し趣是をも津島の渡りといへり伊勢名所拾遺集に泉野とは尾張|の津島より京へのぼるもの舟にのり長太(ながほ)村へあがりそれより甲斐川をこし弓削(ゆげ)泉村をへて》  《割書:往還の本道へ出|ると見えたり》   《割書:夫木抄》    けふの日はいかりそへよと舟人の津島の渡り風もこそふけ  中務卿親王   《割書:同》    こゝそ此津島の渡り浪あらしいかにかちとり心ゆるすな   従三位行家卿 《割書:佐屋|津島》追分 《割書:駅程北指雪山高 |刮_レ面酸風尖似_レ刀 |衰脚如何還得_レ力 |蒼松林下売_二村醪_一 | 市河寛斎【 齋の下部が「而」の字形は齋の異体字】》 《割書:    龍屋 |角文字の| いま市場へと|  別れけり| 牛の頭の|  神垣の道》 【陽刻落款印】春江  《割書:同》   漕出る津島の渡りほと遠みあとこそかすめ雪の島松   藤原基俊  《割書:名寄》   伊勢人はひかことしけりつしまより甲斐川行は泉野の原 鴨長明  《割書:和歌部類》   つしまより棹さしくれは長江なる甲斐川過て泉野の原  西行法師     《割書:貞応海道記|  七日市腋を立て津島の渡りといふ所を舟にて下れはあしの若葉青み|  わたりてつなかぬ駒も立はなれす菅のうき葉に浪はかくれどもつれ|  なき蛙はさはく気はなしとり越す棹の雫袖にかゝりたれは》   さして物をおもふとなしにみなれ棹みなれぬ浪に袖はぬらしつ      《割書:わたりはつれは尾張の国にうつりぬ云云》 正一位津島牛頭天王社《割書:同村/向(むかへ)島に鎮座本国帳に正一位津島牛頭天王と|見え元亀二年書写の国府宮本に正一位上と載たり》  当社は人皇七台 孝霊(かうれい)天王四十五年 素戔嗚尊(そさのをのみこと)の和魂(にぎみたま)  韓郷(からくに)の島《割書:書紀集解に韓郷の|島は新羅国を云と見えたり》より帰朝まし〳〵先/西海(さいかい)対馬(つしま)に  留り此所に年を経給ひ其後 欽明(きんめい)天皇元《割書:己》未年此神島  に光臨(くわうりん)し給ふ《割書:塩尻に社記を引て 嵯峨帝の御宇社を建とあり しかれば弘仁年|中の造営なるべしとしるせりされどこは修造をいへる なるべし》  故に旧名の藤波の里を改て津島と号せり《割書:対馬と津島と古(いにしへ)通ひ|て用ふればしか名付し》  《割書:な|り》始は居守(ゐもり)の地に鎮座ありしが《割書:浪合記に 欽明天皇の御宇/海部(あまの)郡|中島に光りを現ず是を見れば柳竹に》  《割書:白幣あり神託に我は 素盞烏尊なり此処に坐して日本の惣鎮守となるべしと|これによつて社を建て 崇(あがめ)奉る始て柳竹に現じて鎮座し給ひし所を居守と号》  《割書:するな|るべし》村上天皇の天暦二《割書:戊| 申》年 勅使ありて柏森の地に社  を建給ひ 後村上院の建徳元《割書:庚| 戌》年正月正一位の神(しん)  階(かい)を授られ日本総社《割書:素尊(そそん)は則/皇国(くわうこく)の本主なり故に|日本総社と崇給ひしなり》と称し給ふ  又 亀山院の弘和元《割書:辛| 酉》年の冬 勅を奉じて大橋三河  守/定省(さだみ)社を造進せり《割書:社伝諸説多し今参考|略抄して爰に挙ぐ》然(しか)ありしより以(この)  来(かた)弥増の神威日々に著(いちじる)く永禄天正の頃織田信長公殊に  当社を尊信ありて神領/若干(そこばく)を附し宮殿(くうでん)を造営し給ひし  より本社末社及び神門/銅瓦(あかゝねがはら)に至(いた)るまで丹塗(にぬり)にして善美(せんひ)を  つくし荘麗(さうれい)なる事目を驚せり《割書:今天王社の神器に瓜(くわ)の紋を付るは此|時当社よりはじまりけるとぞ》  元来(もとより)尊神は文武/兼備(けんび)の始祖(しそ)神にまし〳〵て霊験多かる  中に疫癘(ゑきれい)を除き痘疹(とうしん)を守り給ふ事普く世に知る所なれ  ば其神徳を仰ぎ遠近の国々より寒暑をいとはず貴壮賤(きそうせん)  老(ろう)群参し詣人常に絶る事なし○本社《割書:素戔烏尊を祭るしかれ共|神主家の説には今内陣》  《割書:に十七座/在(ま)す則素盞烏尊をはじめ大己貴(おほなむちの)命 左に八王子 右に七名の神いませりこゝ|をもつて古(いにしへ)を考ふればおそらくは式の神名帳に見えたる國玉(くにたまの)神社ならんか祭神を一座|と唱へ初しは古き事にあらざるよしいへりしかればむかしの神名は失て中世已後今の如く|となへ初しにや 国玉神社ならんといへる説も暗推(あんすい)の論なれは慥(たしか)なる証とはしがたし》  瑞籬(みづがき) 祭供殿 拝殿 御供所 楼門 南門 神廏(みうまや)【厩は俗字】 文庫(ぶんこ)  絵馬所 神庫 笧台(かゞりだい)【篝台ヵ】《割書:仁寿の年|号見ゆ》 鳥居 御井館 手水館  等あり 末社 居守(ゐもり)社《割書:本社の南一丁にあり 祭神三座素盞烏尊の幸魂(さきみたま)左は疹(はしかの)神右は大(おほ)|日孁貴(ひるめむちの)命の幸魂(さきみたま)なり 天王始て来臨(らいりん)し給ふとき神船を馬津の》 《割書: 湊の森に寄せ奉りけるに蘇民(そみん)が裔孫(ゑいそん)なりといへる老女/霊鳩(れいきう)の託(たく)によりて森の中に居(すへ)奉りけれは| 里民参拝して森に居給へりといひける故今 社号となりたるよし 社伝に見えたり》  柏(かしはの)宮《割書:本社の南にあり 祭神 素盞烏尊の奇魂(くしみたま)なり天暦二年神託によつて|居守の地より爰にうつす 社のうしりに古柏樹(こはくじゆ)一株あり故に 社号とせり》一王  子社《割書:本社の東にありて奇(くし)稲田媛(いなだひめの)命を|祀る俗にうつくしの 御前と称す》八王子社《割書:本社の西にあり五男|三女の神 をまつる》大國(おほくにの)社  《割書:本社の東にあり|大國霊(おほくにたまの)神を祀る》若宮御前(わかみやごぜんの)社《割書:同所にあり事代(ことしろぬしの)命|をまつれり》蛇毒神(じやとくじんの)社《割書:同所にあ|り八岐大》  《割書:蛇の霊|を祭る》當下(たうげ)御前社《割書:同所にあり 五十(いそ)|猛(たけるの)神 を祀る》滝(たきの)御前社《割書:同所にあり 弥豆(みつ)|麻岐(まきの)神を祭る》王(わうの)御  前社《割書:同所にあり 秋(あき)|比咩(ひめ)神 を祀る》熱田社《割書:本社の東南にあり|日本武(やまとだけの)尊を祭る》米(こめの)御前社《割書:同所にあり 倉(う)|稲魂(かのみたま)を祀る》 津島牛頭天王社 朱殿高臨旧海 津祥雲千載瑞 光新万里方知 神化 ̄ノ及階前不 《割書: |レ》断各州 ̄ノ人     丹羽弘 【陽刻落款印】春江 【挿絵】 其二 【挿絵右頁】 其三   宗牧 《割書: |東国紀行》 神松の  木の間  霜ふる   御階    哉 かしこき仰こと ありて大みかくら 奏し侍りける時       に     豊長 君は神かみは  きみをは     すゝしめて  けふのかくらや   世に響く     らむ 【挿絵左頁】    道直 分そめし  八雲の    道の  いく千代     も  立さかえ   ゆく  神の   みつ垣  矢(やの)御前社《割書:同所にあり|大歳(おほとしの)神を祀る》蘇民(そみんの)社《割書:同所にあり蘇民将来(そみんしやうらい)を祀る公事根元に|素盞烏尊の童部(わらべ)にて牛頭天王とも武塔(ぶたう)》 《割書:  天神共申也むかし武塔天神/南海(なんかい)の女子をよばひにし出ます時に日くれて道の側に宿を|  かり給ふに彼所に蘇民将来/巨旦(こたん)将来といふ二人の者あり兄弟にてありしが兄は貧(まづ)し|  く弟は富り爰に天神宿を弟の将来にかり給ふにゆるし奉らず兄の蘇民にかり給ふに|  則かし奉る粟(あは)がらを座として粟の飯を奉る其後八年を経て武塔天神八はしらの|  御子を引具してかの兄の蘇民が家に至り給ひて一夜の宿をかしける事を悦(よろこ)ばせ給ひ恩を報(はう)ぜん|  とて蘇民に茅(ち)の輪(わ)をつくべしとの給ふ其夜より疫癘(えきれい)天下におこりて人民死する事数を|  しらず其時只蘇民はかり残りけり後武塔天神我は速須佐雄(はやすさのほの)神なりとの給ふ今より|  後疫癘天下におこらん時は蘇民将来の子孫なりといひて茅(ち)の輪をかけば此/災難(さいなん)をのが》  《割書:れんとのたまひ|けりと見えたり》児(ちごの)御前社《割書:同所にあり|若王(わかわう)神を祀る》大社(おほやしろ)御前社《割書:同所にあり 大|山/咋(ぐゐ)神を祀る》船附(ふなつき)御  前社《割書:同所にあり庭高(にはたか)|津日(つひの)神を祀る》内宮外宮遥拝《割書:南門の内東|西にあり》多度社《割書:南門の内|西に方に》  《割書:あり天目一(あまのまひと)|箇(つ)神を祀る》弥五郎殿社《割書:本社の南西の方にあり竹内宿祢を祀る浪合記に左太(さた)|彦(ひこの)宮は今の弥五郎殿是也竹内大臣と平定経と二座》  《割書:也《割書:定経は|地主神也》後村上院正平元年七月十三日夢想ありて堀田弥五郎正泰これを|祀る時の人願主の名によりて 世に 弥五郎 殿といふよし 見えたり》星宮《割書:本社の西|南にあり》  《割書:天忍穂耳(あまのおしほにの)|命を祀る》屋根御前社《割書:同所にあり 庭(には)|津日(つひの)命を祀る》塵(ちりの)宮《割書:本社の西にあり聖(ひじり)神を|祀る俗に山神といふ》弁財  天社《割書:同所に|あり》稲荷社《割書:同所に|あり》経塚社《割書:同所に|あり》千手社《割書:同所に|あり》一切経社  《割書:同所に|あり》毘沙門社《割書:弥五郎殿の|北にあり》橋守社《割書:石橋の南|にあり》愛宕社《割書:同所に|あり》神宮寺  《割書:弥五郎殿の北にあり慈覚大師|作の薬師及ひ十二神将を安す》鐘楼《割書:本社の北東にあり銘に曰尾張國海東郡津|嶋牛頭天王鐘應永十年癸未十月廿七日願》  《割書:主沙弥道叟大工沙弥|道忍と見えたり》 例祭 小朝拝神饌《割書:正月元三に|執行あり》蘇民(そみん)祭《割書:同四日社家いづれも姥が森といふ所|にて柿の枝をとり蘇民将来の立》  《割書:符の串を作る俗に|焼餅祭と称す》七草(なゝくさ)御/粥(かゆ)調進《割書:同七|日朝》奉射(ぶしや)《割書:同十六日午刻神主神官社|人拝殿に出座して酒宴の》  《割書:式あり終りて南門前にて的(まと)を射(ゐ)る尤射礼厳重なり此式終りて|また拝殿にて酒宴の式あり此時社家一人鯉の包丁(はうてう)をつとむ》御贄(みにへの)祭《割書:同廿六|日中嶋》  《割書:郡三宅村天王の神主神供をとゝのへ当社へ献ずるに彼神主/里童(りどう)二人を美々敷粧ひ児と|称し神主も乗物にて供人をもりつはにこしらへ児も駕篭にて行列す神前にて神楽を》  《割書:奏し神拝さま〴〵の式あり是を俗に|一時(いつとき)上臈(じやうらう)のかり小袖といへり》御戸開(みとびらき)神事《割書:同晦日《割書:小の月は|廿九日也》の夜/深更(しんかう)に開扉(かいひ)あ|り但し神正体(みしやうたい)を拝するにはあらず》  《割書:世にかくれなき神祭にして内陣にこめ置る幣帛(へいはく)を改め替納る祭なり社壇には献灯あ|また掛つらね社輩出仕の道をてらせる大/松明(たいまつ)の大造なる事は一束を大勢にて釣運ぶ程の》  《割書:事にして実|に壮観なり》春縣(はるあがたの)神事《割書:同中の午の日也祈年祭にして拝殿の前にて此式あり神|主は拝殿へ出座/勾当(かうとう)大夫はさゝらを採りてたつ神楽長(かぐらおさ)但》  《割書:馬大夫は五穀の種をまき散しながらマアコヨ〳〵福の種をまこよとうたふ神官は各/木造(きつく)りの鍬|を持て田をかへす真似(まね)をなす事三度此式終りて右馬大夫先に立牛と名付し素襖(すほう)着》  《割書:たる者《割書:牛 大夫|より出す》の脊に牛ひつといへる大なる曲物(まけもの)をのせて跡より乙若大夫是を持廻り其次に|右馬大夫先に立て跡よりすかめといへる古き瓶(かめ)を釣行又わらにて作りしすぶたといへる物を行》  《割書:司大夫持て|廻る式あり》大般若転読《割書:二月十五日社僧実相院これを|つとむ則/涅槃会(ねはんゑの)名残なり》闘雞(とうけいの)神事《割書:三月三日|早朝蓬》  《割書:餅供御調進午刻神主神官/神子(みこ)社僧神前においてさま〳〵の式あり終りて広前の|白洲にて鶏合(とりあはせ)をなすこは良王(よしたか)君当所へ入らせ給ひし頃より始るよしいへり》  神幸《割書:五月五日/粽(ちまき)の御餅等あり午刻に惣社輩 出仕社僧神輿の前において伽陀(かだ)|文を誦読(しゆどく)すそれより東御門へ神輿を出し奉り天王川の堤なる《割書:川 原|町と云》 【挿絵】 【横書き】春(はる)縣(あがたの)神事 【挿絵】 五月五日   流鏑馬(やぶさめ)  廣瀬堅充 あやめ草  ひきおとら    しと   弓とりの  手なれの    駒に   こゝろ    まかせつ 《割書: 御旅所に神幸あり行粧(きやうさう)厳重にして奇観なり其後御旅所の前にて流鏑馬(やふさめ)あり| 按るにむかしは児(ちご)の流鏑馬にてありしにや千鳥といへる能狂言の詞に津島の祭は一丁に| 三所つゝ的を立てうつくしひ児達がひし〳〵と射て廻る手前のきれいさ辺りの美々しさといふ| 言あり狂言は元より取に足らぬものなれども其時代の事を作りしものなれば足利時代迄は| 児をのせしにや叉伴蒿蹊が津島祭の記に彼狂言の言葉を引て近年は祭のさまかはり 古| きつたへを失ひし物なるべしといひしは此五月の祭を知らすして六月の祭と思ひしは大なる》  《割書:あやま|りなり》船祭/手斧(ておの)始《割書:六月朔日より是をなす山車 車楽(だんじり)ともに常は台壇(たいだん)組木(くみき)な|どみな江口の川島《割書:俗に車河|戸と云》に置て 雨さらし故に朽る事は》  《割書:やしされは毎年 此日|より修補をなせり》船祭/綱打(つなうち)《割書:同十日船祭のからき立を仕組からげなどする網を打|事也笛太鼓の囃子物をなして賑はへり》  神葭苅(みよしかり)神事《割書:同十一日社輩 船に乗りて前(まへ)ケ(が)須(す)及び松名(まつな)辺に至り|葭(よし)を苅 祭式あり神秘なれば爰に略せり》神葭揃(みよしそろひ)神  事《割書:同十|二日》車楽船割(だんじりふなわり)《割書:同夜名古屋 鳴海 南野 熱田 今村 蟹江 戸田 佐屋等より来|る船を祭にあつかる 町の人々漕取りて車楽を早く乗るを》  《割書:もつて勝とす其あらそひいと興ある奇観なり川中には立臼を|浮べ大/笧(かゞり)【篝ヵ】を焼て水面を照せるさまさながら昼のごとし》神輿飾(みこしかざり)并山揚  《割書:同十三日船祭を出せる町々の児此日各天王へ参詣して|当日の安全をいのる又山車を仕組なとするなり》船祭/試楽(しかく)《割書:同十四日神前に|ての祭式はなく》 《割書: 前夜に神供調進あるのみなりさて天王川の北の堤に仮屋をかまへ官吏(くわんり)の警固(けいご)あり 暮(くれ)| 六ツ頃に至ればまつ小船を浮へて挑灯をつけたる葉竹を持来たり是を水面にさして祭船の| 道しるべとす夫より数多の屋形船に幕(まく)内廻し小/幟(のほり)を立鎗長刀/長柄(ながえ)の傘(からかさ)をかざりて順列せり| こは祭附の人々の乗込にして児船とよへり此船各西堤に添てひかへたり それより祭の船は車| 河戸(かうど)の江口よりねり渡り北堤の波渡場(はとば)の前に船をとゝめて津島笛の楽(がく)を奏(そう)し畢つて| 東の方へ船を廻し順々に車河戸へ帰る也さて其船の体は大船を一艘づゝ結(ゆひ)合せて其上に| 車楽をのする也車楽の上段には巻藁(まきわら)に白張の大挑灯を長き竿(さほ)の先にゆひつけ馬連(ばれん)| の如くさしつらね其下は菱屏風(ひしびやうぶ)といへるものをもつて包(つゝ)みまた馬連(ばれん)挑灯の中に真柱(しんはしら) 《割書: を立つ是を如意(によゐ)といふ中段には児の楽あり《割書:笛太鼓のみに|て舞はなし》下段の前には車屋二人を裃を着し床(しやう)| 机(ぎ)にかゝれり此車楽を出すところは米(こめ)の座(ざ) 塘下(とうげ) 筏場(いかだば) 今市場 下構(しもがまへ) 等なり 抑此神祭は| 尊神西海より此地に来格(きたり)給へる折から草刈の童等が小船に籠やうの物をつみ上て竿の先に| 手拭をかけ笛を吹たる幼年の遊び無我(むが)なるさまを喜び給ひしよりその形(かた)を作りて 神慮| を慰め奉りしよし真野時綱が津しま祭記にしるし一説には  後醍醐(ごさいご)天王の皇孫(くわうそん)尹(ゆき)| 良(よし)親王の御子/良王(よしたか)君津しまに忍びておはせしを佐屋の住人/大尻(だいじり)大隅守といふ者彼御| 子を討奉(うちたてまつ)らんとはかる宮方の輩これをさつして今宵の船祭に事よせたばかりて大隅守を| 亡(ほろぼ)したり其時/大尻(だいじり)討つたはやしたりといひしより初りしよし浪合記に見えたり世に船祭多| しといへども当所の如き故実正しきは稀なるべし先挑灯の数/真柱(しんばしら)の十二張は一年の月の| 数を表し馬連の三百六十張は日の数に象(かたど)り屋体の四方につらなれる三十/箇(か)の絹灯籠(きぬどうろう)は| 一月の日の数とす年中行事故実考に凡祭礼の車を船にて渡す事は諸国になき事| にて津島にかぎれる故天下第一の壮観とすとしるし諸国年中行事寛永十八年の印》 《割書: 本徳元が俳諧初学抄にまで載(の)せて| 他国にもかくれなき大祭なり》同朝祭《割書:翌十五日卯上刻祭の船各車河戸の江口|に揃ひて市江の車楽の来るを待つさて》 《割書: 此市江は前にしるせる草刈の童が故事ありし所なるがゆゑに市江の車楽を第一に渡す 古| 例なり車の飾は大/概(がい)津島の車楽と同じけれどさま〴〵の故実ありて飾物又は幕などに希| 代の古物あり《割書:委しくは海西郡西保村|赤星名神の祭にいへり》又此車には帛絹(きぬ)の附たる矛(ほこ)を持たる者十人立並びて船の波渡場(はとば)に| 至る頃我先と水中へ飛込岸に上りて天王へ参詣し其後社家《割書:川村牛|大夫》へ至る古例あり すてに市| 江の車楽波渡場に着たる頃津島の車楽山車ともに漕出す車楽の飾りは試楽とは更に事替| りて上段には宮殿やうの屋体のうちに能(のう)人形を居へ中段の屋形のうへにはさま〳〵の小袖をかざれる| が唐織大和錦もあり皆/倒(さかさま)に懸たりこは小袖/幕(まく)とて古風のさま也屋体のうへには梅の作り花| をかざり後の方には若松をたつ軒の水引下段の大幕などいづれも美麗をつくして壮観いふ計| なし又児の出立囃子物などは宵祭にかはる事なし車楽おの〳〵波渡場に着ていづれも楽を奏| し畢れば車屋及び児迄も残らず天王へ参詣して拝殿まて楽あり其式すみて後祭供| 殿にて神主と児と酒宴の式あり夫より各下向してもとの如く順列し並び車河戸へ漕戻| す也さて大山車は高さ十三間にして上段には人形を飾るおの〳〵七尺余あり其人形は鉄【銕】炮》 【挿絵】 《割書:六月十四日夜》   津島/試楽(しがく)   紫井 たて横に  江の舟影    や   夏祭 【挿絵】 《割書:六月十五日》  朝 祭   時綱 《割書: |津島祭記》 朝霧の  内よりもるゝ    笛の音に  雲を臺の   遊ひとそ      しる 《割書: 打 御湯花 神子舞 音羽 戸隠 稲荷 猩々等也山の数は五/輛(りやう)なれとも人形の数は甚| 多しこれ年〳〵くりかへて出すゆゑなりすべて笛太鼓/鉦(かね)のはやしに合せてからくりをなす| 又山ごとに魚鳥蛇形(ぎよちやうじやぎやう)の作り物をかざる二段目の前の方には男女の人形あり是は手摩乳(てなづち)足(あし)| 摩乳(なづち)なり蛇形は八岐(やまた)の大虵(おろち)なり山車車楽の十二輛《割書:むかしは市江よりも山車を出せしが中興蜂か尻|といふ所にて作りし蛇に精神入て山車しづみしより》| 《割書:ふたゝび作らじとぞ|車楽はかり出す》は是一年の月の数または十二の末社に象(かた)どるとも或は薬師の十二神将を表すともいへるよし| 祭記に見えたり伝へいふ此祭りの節は常陸の鹿島(かしま)の神当社へ汐をまいらせ給ふよし故にこの祭》 《割書: の日は川水常よりは大に増れり是を| 車汐或はもらひ汐なといへり》神葭流(みよしながし)神事《割書:同十五日夜これを修行す前にしる|せる神葭を今宵天王川へ流し》 《割書: 其着岸せし所にて是を祭る事也此式至て神秘なれば諸人の拝する事をゆるさず社輩と| ても其家ならぬは絶てしる事なしされば此夜津島中家ごとに門戸を閉(とぢ)て宵より静り| 居る事なり猶も町々を吟味に廻る者ありてもし門戸を開たる家あれば| 白瓜(しろうり)を投入るゝに必ず其家凶事ありとて人々深く慎みて是を恐るゝとそ》供御調進  《割書:九月|九日》秋/縣(あがたの)祭《割書:十一月中の丑日これを執行す新嘗会(しんじやうゑ)にして|春縣祭と大同小異なれば爰に略せり》煤払(すゝはらひ)《割書:十二月廿五日祠官神前|にて是を行ふ終り》  《割書:て神主家へ至り幣を作りて神主の門前にこれを|建《割書:親王串|と唱ふ》其後/竈(かまど)払の神楽を奏して退出す》 《割書: | 暢園詩草                新川|  両岸人家結_二彩棚_一 ̄ヲ長川映帯晩涼清 ̄シ楼台忽向_二水中_一 ̄ニ|  出 ̄テ羅殻看従_二水面_一生 ̄ス袖幕飄_レ ̄テ風 ̄ニ何 ̄ソ粲爛灯毬得_レ ̄テ月 ̄ヲ自|  分明往還多 ̄ハ是関東 ̄ノ客短笛吹来 ̄テ暢_二旅情_一 ̄ヲ|   一とせの月日のかすのともし火にかけまてそへて見る今宵哉《割書:神主| 氷室豊長》》 神領《割書:千二百九十三石余其外神主祠官等の領知甚多し天文九年十二月織田弾正忠信秀の証|文をはじめ歴代武家の証状多く又仁治年中本社遷宮帳の残編等の古書少からず今繁》  《割書:きをいとひてすべ|てこれを略す》 神主/氷室(ひむろ)氏《割書:後醍醐天皇の皇孫(みまご)尹良(ゆきよし)親王の御子正二位大納言良王乱をさけて津島に|来り居住し給ふ其/令子(れいし)良新(よしわか)《割書:或は尹良親王の|二男ともいふ》始て神職(しんしよく)となり給ふ然れども》 《割書: 嗣子(しし)なき故に小田井大学助定常《割書:大橋貞元|が子也》神主となり其頃中島郡氷室村を領せしかば | 氏を氷室と称し今に至て連綿たり浪合記に永享七年十二月廿九日良王津島天王の神 | 主が家に渡御七名字の者共神楽を奏す此吉例末代まで用ふべしとなり 同八年 正月元旦 | 雑煮(ざうに)を良王に奉る魚なし伊勢/蛤(はまぐり)を羹(あつもの)とす御飯は半白米なり汁物は尾張大根の輪切(わぎり)鱠(なます)は》  《割書:小/鰯(いわし)の干たるに大根の削たるを入て|奉る此年より御/流浪(るらう)なしと見えたり》神官《割書:堀田氏河村氏真|野氏服部氏なり》神楽方《割書:服部氏林氏 平|野氏 大矢部氏》  《割書:氷室氏の|数家なり》神子方《割書:堀田氏 宇都宮氏 開田氏 服部氏 其余の数家あるひは南朝|の遺蘖(ゆゐげつ)又は本貫の地士等にて皆由緒正しき 旧家なり》 社僧 実相院《割書:本社の北東にあり開基の年紀詳ならず開山は定円法印《割書:承和元甲寅|の位牌あり》なり|永禄年中僧覚政中興す○本尊 薬師如来 春日作○霊宝 愛染明王 湛慶(たんけい)》  《割書:作 毘沙門天 運慶作 種子曼陀羅 奥教大師筆 九会(くゑ)曼陀羅 弘法大師筆|其外数品これを略す 又 信長公 信忠 信雄 其余諸家の証状 数通あり》明星院《割書:同所|にあ》  《割書:り開基の年暦詳ならずといへども開山 放政(はうせい)は天長七年 寂すと位牌|に見ゆれば其已前の創建なるべし○本尊 薬師 座像 安阿弥作》宝寿院《割書:同所|にあ》  《割書:り開基の年紀詳ならず文和二年僧実到|中興す○本尊 不動明王 智証大師作》観音坊《割書:小沼(をづま)にあり開基の年紀詳ならず|永正十二年 快視法印の中興也》  《割書:もとは同郡三輿村にありて三輿山廻向院観音坊といひしが慶長十三年 祝蔵法印 此地へ移し |社僧の列に加りしよし寺伝にいへり○本尊不動明王 木仏 此/台座(だいざ)に銘あり長文なれば略す末 |に応永六年己卯正月日金剛 仏師 良斎と見えたり○鎮守 白山社境内にあり慶長年中 |祝蔵法印勧請せり○霊宝 薬師 木仏 恵心僧都作 阿字  弘法大師筆また 信秀 信 |長公 信忠 其外 証状 数通あり |社僧は四坊とも牛王(ごわう)山神宮寺と号し真言宗にして今府下大須真福寺末なり往古は 十 |坊ありしが中世已後廃 |して今の如くなれり》  《割書:昨木続集             昨木齊 | 門真 ̄ノ神殿発_二修営_一次第琢磨功既成白象列_レ ̄シテ檐 ̄ニ装_二気| 色_一翠簾扁_レ鏡仰_二鮮明_一及_レ宵灯 ̄ハ烜 ̄ク玉牆 ̄ノ畔追_レ旦 ̄ヲ龍 ̄ハ歕 ̄ク井| 水 ̄ノ声清潔洗_レ ̄テ心 ̄ヲ前_二 ̄ミ稽拝_一安全祈_レ世致_二精誠_一道昌 ̄ニシテ畏感 ̄ス| 八雲 ̄ノ詠笛伝 ̄テ普 ̄ク知一曲 ̄ノ名遥 ̄ニ見 ̄ル境中林木 ̄ノ聳 ̄コトヲ遠来 ̄ノ詣| 客不_レ迷_レ程 ̄ニ》  《割書:西遊紀行別録           熊阪台洲 | 張陽十里大江 ̄ノ南遥 ̄ニ見 ̄ル朱楼照_二 ̄スヲ碧潭_一百丈 ̄ノ長橋従_レ北| 度 ̄リ千秋 ̄ノ霊跡向_レ ̄テ西 ̄ニ探 ̄ル牛頭 ̄ノ廟貌知 ̄ンヌ何 ̄レノ守 ̄ソ鶴背 ̄ノ仙人未| 《割書: |レ》易_レ ̄ラ談 ̄シ但道 ̄フ神威駆_二 ̄ルト厲鬼_一 ̄ヲ先王 ̄ノ祝典有_レ ̄テカ誰諳 ̄セン》  《割書:禅余偶詠             僧瑞華 | 大古神陵水上浮要津誰復繋_二龍舟_一南朝帝子移_レ軍| 日北地公孫躍_レ馬秋万里風雲遁_二虎口_一千年社稷祭_二| 牛頭_一于_レ今河畔張_レ灯処猶想英魂月下遊》   分まとふ八雲の道のしるへせよいのるも久しすさのをの神   小沢蘆菴    つまこめしその神よりそことの葉の世々に絶せぬ出雲八重垣 萩原宗固   八重垣の神代人のよへたてなくいやさかえゆくことの葉の道  本居大平   おさまれる御代のためしに言のはのかすもていのる出雲八重垣 度會重養   新宮の春のはしめそ目かゝやくあけのわたとの朱の玉垣    徤男  《割書: |津島八景  居森夜雨》   雨くらき居森のかけの深き夜にもるおとさひし木々の下露   僧止水     彩色の軒やかすみてめんとり羽 露川    《割書:随縁紀行》     縁の稲弥五郎殿をまもりかな  亀翁 天王橋跡《割書:天王川のありし頃橋詰丁の西に架(わた)せる板橋にして長六十八間巾三間の|大橋なりしが宝暦九年卯の冬天王川を潰(つぶ)して新田となせし後橋の》  《割書:跡に堤を築て町|家立ならべたり》     《割書: |宗長手記| 同し国津島へ立侍る旅宿は此所の正覚院領主織田霜台息の三郎| 礼とて来臨折紙なと有興行》     堤行家路はしける芦間かな     《割書: 此所おの〳〵堤を家路とす橋あり三町あまり勢田の長橋よりは猶| 遠かるへしおよひすのまた河落合近江の海ともいふへし橋の本より| 舟十余艘かざりて若衆法師誘引此川添の里〳〵数をしらす桑| 名まては川水三里計 舞うたひ笛鼓太鼓舟はたをたゝきさゝず| して流渡りし也云々》     《割書: |富士見道記| 名月には津しま一見に行けるを《割書:中略》宗牧を尋ね入に息孝行の人にて| 社頭へ引して夜更行は橋の上にて月にうそふきて酔| 中に狂句》     月をこそみやこさそなの今宵哉    紹巴 奴野(ぬのゝ)城址《割書:米の座にあり今西方寺|の境内となれり》大橋三河守定高正慶元年始て  築く所也定高は九州の守護大橋肥後守/貞能(さたよし)が子大橋太郎 【挿絵】 《割書:木下藤吉/冤罪(むじつのつみ)をのがれし報(はう)|謝(しや)のため牛頭(ごづ)天王へ参詣の図》 《割書:永禄六年の秋の末信長公|西美濃に至らんとて道す|がら墨俣(すのまた)に陣を取り給ふ|に其夜福冨平左衛門尉が|金龍(きんりやう)の面差(おもざし)紛失せしかば|誰彼(たれかれ)此あたりへ近付しなど|評議の内藤吉殿をさゝぬ|計りに見えければ秀吉公|大に怒(いか)り給ひ其盗人を|捕へて冤誣(ゑんぶ)をはらさん|にはしかじとていそぎ津島|へ馳行堀田孫右衛門尉と|云/豪家(がうか)へ立寄しか〳〵と|かたり給ふに果してくだんの|面指を質(しち)に置んとて此|家に来るを難なく捕へ|喜悦(きえつ)の余り是偏に|牛頭天王の加護な|らんと夫より直に|天王の御宝前に詣|て拝礼し頓(やが)て盗人|をば津島の雑職(ざつしき)に|引せ西美濃御本陣へ|参り給ひけるとぞ|猶委しくは小瀬|甫庵が太閤記に|ゆづりぬ》 【挿絵】 社家町    団扇(うちは)出店 《割書:当社季夏両日|の大祭は世に隠れ|なき壮観にして|当国はいふもさら也|他邦よりの詣(けい)|人(しん)多き中に|関東の崇敬(さうけい)|殊(こと)に厚(あつ)く必|此日をかけて|群参すよつて|当所の商家|過半は旅籠屋(はたごや)と|なりて旅客を|とゞむ社家にも|諸国の旦家大々|講中などつどひ》 《割書:来りて錐(きり)を|立べき地もなく|止宿せりしか|のみならす勢|三遠の国々より|も海路を経(へ)て|爰に至る故天|王川は数千/艘(そう)|の見物舟にて|埋(うづま)る計也又/堤上(つゝみのうへ)|には諸家の桟敷(さじき)|所せきまで懸渡|して水陸の群参|稲麻(とうま)の如しされば|社家の門前を初数|町の間に名産の団|扇阿伽陀などの仮(かり)|屋(や)を設ふけ参詣|帰路の土産(みやげ)にとて|是を鬻(ひさ)ける実に|此日は当境第一の賑合(にぎあい)にして|言葉も筆もおよばねど|其万分の一を図して観想(くわんさう)の|便りに供するのみ》  貞経(さだつね)の後裔(こうゑい)にて代々尾張三河に潜居(せんきよ)すもと此城地は右  大将頼朝公より貞能が隠退(ゐんたい)の領として下し給ふ所にして足利  家天下を知り給ふといへども大橋氏の領知は頼朝公/下(くだ)し文の如く  なり定高が孫定/省(み)時此城に良王君を隠し申せども何の  子細もなかりしとぞ《割書:浪合記に云良王君の御父は兵部卿/尹良(ゆきよし)親王母は世良田(せらた)右馬|助政義の女なり上野国(かうづけのくに)寺尾の城にて誕生あり正慶元年四月》 《割書: 寺尾より下野国三河村落合の城に入らせ給ふ永享五年上野国を出て信濃に趣き給ふ笛吹(うすひ)| 峠(たうげ)にて上杉が兵/馳(はせ)くはゝり良王君は木戸河内守が城に入給ふ同五月十二日木戸が城を去て木| 曽が所領/金子(かねこ)の館に居す千久(ちく)五郎金子より我館へ迎(むか)へ奉る同年の冬世良田政義桃井| 伊豆守貞綱等良王を尾張国/海部(あまの)郡津島へ入奉んと議して四家七名字其外の兵士| とゝもに同七年十二月朔日三河国を打越んとて並合に至り給ふしかるに先年一の宮伊| 予守に討れし飯田太郎が一類/宗綱(むねつな)に討れし駒場小次郎が弟其外/彼等(かれら)が親属(しんぞく)共| 宮方は親兄弟の敵なれば此所をは通し申まじ打取て孝養にせよやと大勢/馳聚(はせあつま)り良| 王君を取巻けり桃井貞綱世良田政親児玉貞廣以下並合の森の蔭より討てかゝり賊徒(ぞくと)百三| 十余人を打取る同二日酉の刻より亥の刻まで防(ふせ)ぎ戦(たゝか)ふ其間に良王君をば十一/党(とう)の者共及び| 宇都宮宇佐美天野上田久世佐浪等合ヒの山まで退け奉る貞綱貞廣を始め野田彦次郎| 加治監物以下二十一騎討死せり同三日桃井/満昌(みつまさ)合の山にて稚子(おさなご)に向て問(とひ)けるは汝等は何れの| 里の者ぞ朔日並合の合戦の終りは聞ずやと稚子七八人のうち一人答て申けるは某は並合| 近き村の者にて候昨日並合の町口の家に武士大勢込入り腹切て候大将も御腹召れ候よし承| り候といふ満昌其腹切たる者共の死骸(しがい)はいかゞと問稚子曰武士共/切腹(せつふく)の後家に火を掛候ひ| しが風(かぜ)烈(はげ)しく吹て並合の町中皆焼失し候なり今暁何者とはしらず一文字の笠印(かさしるし)一番| の笠印/竪木瓜(たてもつこ)の紋付たる兵共の焼跡(やけあと)をさかし鎧太刀の焼金を拾ひ申すを見て通り候ひし》 《割書: 哀(あはれ)なる事共なりとかたる満昌是を聞て良王君に告申せばやがて大橋修理大夫定光を召| て満昌に添られ平谷(ひらだに)より並合に遣(つかは)し討死の者共を吊(とふら)はしむ一文字の笠印は世良田| 殿一番の笠印は山川木瓜は堀田也いづれも満昌定元に会(くわい)して共に涙(なみだ)を流しける政親(まさちか)辞(じ)| 世(せい)の和歌を武家の蔀(しとみ)に書おかれし定元討死の死骸を取集め並合の西に寺ありければ此| 僧を頼て葬(ほうふり)ける同日暮に定元は平谷の陣所に帰る満昌は野武士等が首を梟(けう)す良王君| 政義の残しおかれし歌を聞召て御袖を濡(ぬら)し給ふ其歌に おもひきや 幾世の淀をし| のき来て此浪合にしつむへしとは 扨御供の士卒こゝに跼(ぬきあし)しせぐゝまりて天地も広から| ず同五日三河国鳴瀬村に至る里人此人々を疑て入ざりしかば満昌祖父の所領坂井郷に | 行て正行寺を頼む正行寺は満昌が親戚(しんせき)下妻(しもつま)が知人なり良王此所に四五日| 御逗留ありて尾張津しま大橋定/省(み)が奴野(ぬのゝ)城へ入給ふ云々と見えたり》 四/家(け)七/党(とう) 妙法院/宗良(むねよし)親王の御子/兵部卿尹良(ひやうぶきやうゆきよし)親王を上野国  に迎へ奉る此君は遠州飯谷が館にての誕生にして御母は飯谷井  伊介道政の女也延元元年尹良の御父宗良親王を道政主  君と崇め奉り遠江国に迎へ旗(はた)を揚て京都の将軍と挑(いど)み  戦ふ尹良は大和国吉野におはしまして御元服の後正二位中納言  一/品(ほん)征夷(せいゐ)大将軍右大将兵部卿親王にならせ給ふ元中三年八  月八日源の姓を受させ給ふ然るを新田小田世良田桃井等其外  遠江三河の宮方与力の者相/議(ぎ)して桃井和泉守源/貞識(さださと)をもつ  て吉野より上野国へ迎へ移(うつ)し奉る吉野より供奉の人々は  大橋/修理(しゆり)大夫/定元(さだもと) 岡本左近/将監(しやうげん)高家 山川民部少輔/重祐(しげすけ)  恒川左京大夫/信矩(のぶのり)《割書:此四人を新田家|の四家といふ》堀田尾張守正重 平野主水正  業忠(なりたゞ) 服部伊賀守/宗純(むねずみ) 鈴木/右京亮重政(うきやうのすけしげまさ) 真野式部少輔/道(みち)  資(すけ) 光賀大膳亮/為長(ためなが) 河村相模守秀信《割書:此七人を七|名字と号す》此十一家を  吉野十一党と宮方の武士申也《割書:云| 々》 《割書:已上浪合記に見えたり按るに四家|七党は宗良親王より御子尹良親》 《割書: 王に仕へ奉りて忠義を尽し良王君に扈従(こじう)して津島に来住(らいぢう)す其支族| 甚多くして或は武門又は祠官農家ともなりて子孫今猶連綿たり》 鏡池(きやうち)山/瑞泉(ずいせん)寺《割書:船戸(ふなど)にあり浄土宗西山派|京都光明寺禅林寺両末》開基の年紀詳ならずもと  天王島《割書:今/字(あざな)を瑠璃(るり)|小路といふ》にありしが永正十四年中興日仙和尚今の  地に移せりそのかみ正二位大納言/良王(よしたか)君当所/奴野(ぬのゝ)城に入給  ひしが明応元年三月五日/薨(かう)じ給ひ《割書:御年|七十八》しを此寺に葬れり  彼君の諡号(おくりがう)瑞泉寺殿といへるによりて寺号とせり《割書:浪合記に|明応三年》  《割書:三月五日天王の境内に社を建て御前大|明神と称し奉り初て祭るよし見えたり》本尊《割書:丈六阿弥陀座像|仏工春日作》鎮守《割書:八幡宮|秋葉》  霊宝《割書:良王君影像古画一幅并此君の位牌 瑞泉寺殿|正二位亜相良王大居士明応元三月五日とあり》 紫雲(しうん)山/菩提(ぼだい)院西福寺《割書:同所にあり時宗(じしう)近江国/番場(ばんば)宿/蓮華(れんげ)寺末そのかみ|堀田尾張守正重の六男僧となりて一向上人の弟子》  《割書:となり弥阿と号す貞和四年当寺を建立せし故に|堀田家の菩提寺となし代々の位牌を納む》本尊《割書:阿弥陀|の立像》鎮守《割書:神明|社》  塔頭《割書:十王堂先年焼|失已後廃せり》 津島(しんとう)山/妙延(みやうゑん)寺《割書:今市場にあり日蓮宗甲州身延山久遠寺末もと真言宗にして|津島山高乗坊といひしが永正年中身延山十二世日意上人に》  《割書:帰依し今の宗に改め|寺号も今の如くせり》本尊《割書:法華三宝また堂内に清正の像を安置し近年参詣|多く繁昌す因(ちなみ)に云清正八歳より同村/上河原(かみがわら)の鍛冶》 《割書: 五郎助といへる者の家にて読書(とくしよ)手習などせられし頃或年六月中旬の事なりしが盗(とう)| 賊(ぞく)四五人押入しを清正早く是をさとり赤髪(せきはつ)の鬼面(きめん)をかぶり衣服の入たる葛篭(つゞら)の中に| 忍び居けるを彼/賊(ぞく)是を知らずしてかづき行しが一里程持行て賊立寄つゞらを開たるに| 中より大音あげて飛出ければ賊等/驚(おどろ)きたる所を清正一刀に切/殺(ころ)したるよし寺伝に》  《割書:いへり此時の鬼面(きめん)今は他に伝へ|て上河原の鬼祭にこれを用ゆ》霊宝(れいはう)《割書:清正真筆詩短冊| 《割書:慶長十五己酉| 偶君山家賦_レ懐》》《割書:一去_二故園【国ヵ】_一茲有_レ年 功振_二 海内_一尽_二 三辺_一|昔羨金玉今如_レ堛 抴念君恩深以_レ淵》【花押】 圡御前社《割書:同所にあり天王末社の其一|なり天王/御祖(みおやの)神を祭る》 宝池(はうち)山/休蓮(きうれん)院/貞寿(ていじゆ)寺《割書:同所にあり尼僧(にそう)地故俗に尼(あま)寺といふ浄土律(じやうどりつ)中一色|村円成寺末延享元年甲子秋の創建(さうこん)にして開山は》 《割書: 関通和尚也師の行業記に云尾張国津島郷/伴(ばん)氏父子ともに師に帰依する事浅から| ず師に投(とう)じて剃染(ていせん)せる尼衆(にしう)を一処安住せしめ往生極楽(わうじやうごくらく)の願行(くわんぎやう)堅固(けんご)なる事を得せ| しめんとて同所に一寺を開創(かいさう)すこゝにおいて師の母/妙教(みやうきやう)及び侍尼(じに)等を移住(ゐぢう)させしめらる》 【挿絵】 瑞(ずい) 泉(せん) 寺(じ) 津島八景  江口夕照 しけり    あふ  あしの   ひま〳〵    露見え     て   江口の    夕日   影そ    にほへる     僧止水 《割書: 後貞寿寺といへる是なり貞寿寺建立の始終(しじう)は随聞往生記にゆづりて筆をはぶきぬ | 云々と見えたる如くもと百体堂といひしを伴猪兵衛施主として今の如くなれり》  本尊《割書:阿弥陀の座像恵心僧都作施主は宥邨(ゆうそん)院殿円鑑亨盈|大居士なり又近き頃前立に阿弥陀の立像出来せり》鎮守《割書:熊野山/証(しやう)|誠殿(じやうでん)を勧》 《割書: 請し奉る当山の開山関通和尚手づから土をよせ石壇をつき神体にもとて杉一株を植らる| また石壇を同じくつき松一株をうゑ一得(いつとく)松と名づけらる委しくは重豊卿(しげとよきやう)の紀文に| ゆづりて爰に略す》   玉鉾の道なほかれと植る杉の一木にうつり神や守らん 芝山重豊卿   植置し松をしるしに阿弥陀仏の御名ひろまれと思ふ計に 同  琴静(きんじやう)女の筆塚《割書:境内にあり碑面の|詞書こゝに略す》   名のみ世にとゝめておのかよはひをは筆の命になとならひけん  黄中 藤浪(とうろう)山/教津(けうしん)坊《割書:同所にあり高田本願寺直末/開基(かいき)は越後国高田の産にて山田左衛|門尉/道顕(みちあき)といふ人/遁世(とんせい)して比叡(ひゑい)山に入/道昭阿闍梨(どうせうあじやり)の弟子となり》 《割書: しが承元のはじめ当所に来り舟戸(ふなど)に庵を結び住す其頃は天台宗なりしが建暦二年| 親鸞(しんらん)聖人東国下向の砌(みぎり)此寺にて一宿ありしに聖人の教化(きやうけ)に帰依(きゑ)し今の宗になり| 道顕(だうけん)を改めて慶信(けうしん)坊と号く其時聖徳太子作の南無仏の像阿弥陀の画像/菩提樹(ぼだいじゆ)| の珠数等を附属ありて東国へ趣き其帰るさ又当寺へ立寄聖人自ら水/鏡(かゞみ)の像を彫| 刻し是も慶信坊に与へ給ふ其後明徳三年/回録(くわいろく)にかゝりて今の地に易地せり又天》  《割書:正三年正月故あり|て今の文字に改む》本尊《割書:阿弥陀|の立像》 宝珠(はうじゆ)山/興善(こうぜん)寺《割書:同所にあり曹洞宗能登国惣持寺末永徳元年万山/寿一(じゆいち)和尚の|創建(さうこん)せし大地なりしが天正十三年の地震(ぢしん)に諸堂/破壊(はえ)して後今》  《割書:の如くなれりされど今も当郡のうちに末寺十ケ寺ありて|山門の嶽(かく)に海東古禅林としるし頗る殊勝の梵刹(ぼんせつ)なり》本尊《割書:薬師|座像》鎮守《割書:天満|宮》 八剱社《割書:橋越下構(はしごえしもがまへ)にあり勧|請の年記詳ならず》 九品(くほん)山/蓮台(れんだい)寺《割書:外小沼にあり津島東の御堂といふ時宗江州番場蓮華寺末貞|和年中弥阿上人の建立にして大檀那は堀田尾張守なり浪合》  《割書:記に相模国藤沢遊行の弟子良王の御供にて尾州津島に|居住せり依_レ之蓮台寺を建立すと見えたり》本尊《割書:阿弥陀の立像|春日作其外》  《割書:不動毘沙門の二|像あり同作なり》霊宝《割書:開山弥阿上人の木像また|信長公信忠等の証状数通有》 補陀山常楽寺《割書:小沼にあり曹洞宗能登国総持寺末応永年中継覚和|尚の開基にして神主氷室氏の菩提所なり》  本尊《割書:如意輪|観音》塔頭《割書:瑞雲山高正寺本尊千手観音は運慶|の作にして当国三十三所の札所なり》 妙栄山本蓮寺《割書:麩屋町にあり日蓮宗越後国蒲原軍本成寺末寺伝にいふ大橋太郎|左衛門尉通貞文治二年頼朝公のために囚人(めしうど)となりて松葉ヶ谷の》 《割書: 土の牢に入られ建久八年まで十二年の間日夜法華経読誦おこたる事なし妻は| 肥後国鍋谷の庄司が女なりしかば通貞鎌倉に趣く時旧里にかへり庄司がもとにて男子| を出生す則貞経是なり十二歳の時潜に肥後国を出て鎌倉に趣き八幡宮に詣し二六| 時中父のために法華経を読誦す此事頼朝公に聞えて御感のあまり通貞の罪を| 免し本領尾張国中島海部の二郡を賜ふ其後建保七年七月兵庫頭頼茂違 勅の| 罪ありしに貞経は頼茂が族類なりしかば其縁により京都三条河原において斬らるべかりし| を忽大流星出て雷の如く響(ひゞ)き雲中に鬼あらはれなどふしぎの事共多かりしかば是をもゆる| されて旧里にかへる事を得たり爰において愛知郡中根村に一宇を建法華寺と名| づく正嘉元年六月十一日貞経七十二才にして卒し法名本蓮寺と号すそのゝち明| 徳三年貞経が末孫此寺を当地にうつし法号によつて今の寺号とす》 【右丁】 貞寿(ていじゆ)寺  《割書:俗に尼(あま)寺といふ》    《割書:僧宜啓》 世をよその  野寺に    たてる   をみなへし  つひにそ咲む   西の御国に 【左丁 挿絵】 【陽刻落款】春江  本尊《割書:法華|三宝》鎮守《割書:三十|番神》 成信坊(じやうしんばう)《割書:苧座(をのざ)にあり東本願寺直末にして近年本山の懸所と称し大に繁昌(はんじやう)すむ|かしは天台宗にて其草創の年暦詳ならず七世/慶専(きやうせん)親鸞(しんらん)聖人の第五》  《割書:世/綽如(たくによ)上人の時/帰依(きえ)して今の宗に改め直参(ぢきさん)となる其/砌(みぎり)本山より弥陀の|画像(ぐわざう)を給はる其/裏(うら)に明徳二年未四月願主慶専と門主/染筆(せんひつ)ありし也》本尊《割書:阿弥|陀の》  《割書:画|像》霊宝《割書:綿帽子(わたぼうし)中世此綿帽子に弥陀の木像一体をつゝみ老女持来りて時(とき)の主僧/賢晴(けんせい)|に与へ当寺の本尊とすべきよしを告(つげ)彼(かの)老女(らうちよ)は消失(きえうせ)ぬ故に本山へも此よし申て》  《割書:霊宝|とす》塔頭《割書:金光|寺》 名産/白雪粔(はくせつこ)《割書:上切(かみぎり)町河内屋喜平治の製する所にして興(おこし)米の一種尤上品なり是を|津島/興米(おこし)といふまた府下押切町の美濃屋三右衛門が家にて製するを》 《割書: 三右衛門おこしと称して名産とす又熱田にて製するものを宮/粔(おこし)と称す古渡の川口屋に| て製する所など皆宮おこし也藤原/明衡(あきひら)が新猿楽記に諸国土産をいへる條に尾張粔| と記して当国の産物その古き事しるべし塩尻に粔 ̄ヲ倭俗呼_二起米(オコシ)_一 ̄ト也清人所_レ謂歓喜| 団也其製宜_レ考_二帝京景物略_一 ̄ニ熱田之市 ̄ニ売_レ之 ̄ヲ謂_二之 ̄ヲ宮/起米(オコシ)_一 ̄トと見え又契沖が和| 字正濫抄にも粔籹(オコシゴメ)令起米(オコシゴメ)などいふ名目あれば| すべておこしは当国名産の一品といふべし》 名産/麩(ふ)《割書:此辺の町々にて製するを津島/麩(ぶ)と称して名産|とす他の製に増(まさ)りて尤/雅味(がみ)上/品(ひん)なり》   津島麩に似たる布袋のふくろとてのそいて見れはからこ見えけり 鳥三 市神(いちがみの)社《割書:橋越(はしこへ)米の座にありて天王末社の其一にして三社あり中央大市姫左は大歳(おほとしの)神|右は宇賀魂(うかのみたまの)神を祭る正月十日早朝に初市とて此所にてさま〴〵のもて》 《割書: 遊びを売(うる)その形(かたち)風流(ふうりう)にして古雅(こが)なるもの多しまた例祭は八月十五日にして車楽| 数多あり其間々にねり物をわたす六月船祭を出さぬ町々より此車楽を出せり 【挿絵】 あかだ店 《割書:当所の名物也/米団子(こめだんご)を木楼子(むくろじ)|の大サに作(つく)り油(あぶら)にてあげたる菓子(くわし)|なり其/色(いろ)赤(あか)ければ赤|団子なるを今/略(りやく)して|あかだといふ或説(あるせつ)に阿加(あか)|陀(だ)は丸薬(ぐわんやく)の梵語(ぼんご)なるを|こゝの売薬(ばいやく)の家にうりし|丸薬の其形似たるをもて|後世菓子の名に転(てん)ぜし|などいへるは全く附会(ふくわゐ)なる|べし》 亀伯(きはく)山/大龍(だいりう)寺《割書:米の座にあり浄土宗西山派|京都光明寺禅林寺両末》征夷大将軍(せいゐたいしやうぐん)正二位中  納言/尹良(ゆきよし)親王のために永享年中/御子(みこ)良王(よしたか)君の創建し給ふ  所にして則/彼(かの)君の御/法号(はふがう)大龍寺殿と申すを寺号とせり《割書:永|享》  《割書:八年六月十五日十一/党(たう)の者社を建(たて)て祭る天王の|境内若宮社是なるよし浪合記に見えたり》其後天文年中大/巌(がん)  和尚中興せり《割書:信濃宮伝に云応永三十一年八月宮は三河国/足助(あすけ)へ移らせ給|ふべしとて諏訪(すは)より伊奈路(いなぢ)へかゝり出させ給ひしに飯(いゝ)田太郎/駒場(こまば)》 《割書: 小次郎伊奈四郎左衛門等二百/余騎(よき)にて待受(まちうけ)参らせ並合(なみあひ)の北(きた)の山の麓(ふもと)の大/河原(かはら)にて散々(さん〳〵)| に支(さゝ)へとめ奉りける御方(みかた)にも八十余騎命ををしまずふせぎ戦(たゝか)ひ飯田伊奈を始十二三人/打取(うちとり)| けるされども敵(てき)大勢(おほぜい)とりまきて世良田(せらだ)大炊介義秋(おほゐのすけよしあき)をはじめ羽河/安藝(あき)守/景庸(かげつね)熊谷| 弥三郎/直近(なをちか)等以下廿五人/討(うた)れければ宮はとてもかくてものがれさせ給はぬ御運(こうん)をしろしめし| 御子良王主を二心なき武士共に託(たく)して三河国へつゝがなく送り入れまいらせよと御はからひあり | て大河原の在家(ざいけ)へ入せたまひて火(ひ)を放(はなち)て御/自害(じがい)ありし爰(こゝ)にて義(ぎ)に徇(したが)ひ奉りし者又》  《割書: 多かりし明(あけ)の日(ひ)聖光寺の僧御死骸を尋出(たづねだ)し葬(おさ)め奉り |けるとかや御法号を大竜寺殿と称すと見えたり》 本尊《割書:阿弥陀座像|慈覚大師作》  霊宝《割書:尹良親王画像一幅并位牌 大龍寺殿征夷大将軍正二位中納言尹良親|王神主応永三十一甲辰八月十五日とあり浪合記古写一巻信濃宮伝古》  《割書:写一巻織田信忠|信雄の制札等あり》塔頭《割書:宝樹院》 十二城址《割書:米の座大竜寺の西にあり誰人の城なるにや今詳ならず此辺の字(あざな)に御殿(ごてん)|或は城(しろ)の腰(こし)などいふ所あり又/御座(ござ)つなぎ柳とて一/株(ちゆ)あり是も此城に》  《割書:つきての称なる|よしいへり》 姥(うば)ケ(が)森(もり)《割書:大宮の北にあり自然石(しねんせき)を祭(まつり)て姥の社と称すむかし此所に岩窟(がんくつ)あり蘇(そ)|民(みん)の神/裔(えい)其中に住す今は岩窟なしといへども里俗(りぞく)爰(こゝ)をさして姥が》  《割書:懐(ふところ)といふ伝へいふ 素盞烏尊/来臨(らいりん)の時此所にて|老嫗(らうあう)神託(しんたく)を蒙(かふゝり)しゆゑ今の社を建といへり》 馬津古駅(うまづのこゑき) 延喜兵部式に尾張国駅馬馬津新溝両村各  十疋伝馬海部愛知郡各五疋とあり此古駅今廃して其所定か  ならず真野時綱が門真私記に馬津の湊に森ありむかしの居森は是也  馬津の号も今は松川と里諺にいへりと云々日本後記に弘仁三年五月  乙丑伊勢国言 ̄ス伝馬之設唯送_二新任之司_一 ̄ヲ自外無_レ所_二乗用_一今自_二桑名郡  榎撫 ̄ノ駅_一達_二 ̄ス尾張 ̄ノ国_一 ̄ニ既 ̄ニ是水路 ̄ニシテ而徒 ̄ニ置_二 ̄キ伝馬_一久 ̄ク成_二 ̄ス民労_一 ̄ヲ伏 ̄テ請一 ̄ビ従_二 ̄テ停止_一 ̄ニ永 ̄ク  息_二煩労_一 ̄ヲ許_レ之と見え赤染衛門集に尾張へ下りしに云々うまづといふ所にとまる夜  かりやにおりてすゝむに小船におのこふたりはかりのりこきわたるを何するそととへは  ひやゝかなるをもゐくみに沖へまかると云としるし又永祚元年の尾張の解文に依_レ無_二 ̄ニ  馬津 ̄ノ渡船_一以_二所部 ̄ノ小船并津辺 ̄ノ人_一 ̄ヲ令_二渡煩_一事云々只津辺 ̄ニ可_レ置_二渡船等_一 ̄ヲ也海  道第一之難処官使上下留連 ̄スル処也云々としるせる皆川辺近き駅なるよし也  按るに津島の西北なる此松川は佐屋川の端(はた)にて本より船 着(つき)の湊(みなと)なれば其地を古駅の  跡(あと)と定てあやまちなからんかしばらく時綱が説によりて松川に配し後考を俟(ま)つ   小船漕高津の渡り心せよたと山おろし今吹来めり  中尾義稲    海西郡 当郡は南北長く東西 狭(せば)くして東は海東郡に隣(とな)り北は中島郡  に接(せつ)し西は木曽(きそ)川を隔(へだ)てゝ濃州の海西郡に対(たい)し南は海面  伊勢(いせ)に連(つらな)れり天正年中秀吉公一郡を二つに分(わか)ちて川の西  なるを美濃(みの)の海西郡とし東を当郡と定(さだめ)られしが其後 新田(しんでん)  追々(おひ〳〵)開発(かいほつ)して今は大小 凡(およそ)百村に及(およ)べり当郡多くは新築(しんちく)の  地にして豪富(がうふ)の農民(のうみん)甚(はなはだ)多(おほ)く殊(こと)に富饒(ぶにやう)の地なりされど神(じん)  社(しや)仏閣(ぶつかく)名所(めいしよ)古蹟(こせき)の挙(あげ)てしるすべきものいと稀(まれ)なり 普陀(ふだ)山 円通(ゑんつう)寺《割書:上東川村にあり曹洞宗落伏村一心寺末|寛永十一年僧 玄昌(げんしやう)の創建なり》本尊《割書:十一面観音|にして霊験(れいげん)》  《割書:甚多し伝へいふ此尊像もと赤見村より出現し玉ふ所と当時(そのかみ)村の西北に当りて|毎夜土中に読経(どくきやう)の如き声(こへ)あり村民(そんみん)これをあやしみ日を期(ご)して其所をほれば数十 斤(きん)》  《割書:の土のかたまりあり鋤(すき)にて破(わ)りければ果(はた)して内より此尊像を得たりしかるにもとより|凡工(ぼんこう)の作る所とも見えざれば如何(いかゞ)はせんと衆議(しうぎ)せしに当寺開山の玄昌和尚これを》  《割書:乞(こ)ひ受(うけ)て則本尊|に安置(あんち)せしなり》 宇太志(うたしの)神社《割書:鵜多須(うたす)村にあり今 白鬚(しろひげ)大明神と称す延喜神名式に宇多志|神社本国帳に従三位宇太志天神又元亀二年に書写の国府宮(こふのみや)》  《割書:本に正四位上宇多須天神とあり民部省国帳に国津宇多志明神神田三十八束|有余 天武天皇元年 壬申十二月始建_二宮殿_一爾来及_二寛治二年戊辰_一加_二再復_一給と》  《割書:見え|たり》例祭《割書:八月十五日|湯立(ゆたて)馬の頭》祠官《割書:杉原氏》 石塚(いしづか)《割書:同村にあり田畠(たはた)の中に巨石(きよせき)数多(あまた)あり按るに上古 巌窟(がんくつ)に穴居(けつきよ)せし|あとにてもあらんか石塚と呼べども墳塋(ふんえい)冢墓(ちやうぼ)【塚は俗字】の面影(おもかげ)は見えず》 霊松(れいしやう)山 西音(さいおん)寺《割書:《振り仮名:藤ケ瀬|ふぢかせ》村にあり浄土宗京都 粟生(あはふ)光明寺末永禄四年横井|時朝(ときとも)の建立也時朝法名西音寺義兵宗忠と号すゆゑに寺》  《割書:号と|せり》本尊《割書:阿弥陀|如来》鎮守《割書:富士権現社神木の霊松は其丈(そのたけ)殊(こと)に高く四方遠近より見|ゆ昔 斧(おの)をもて枝(えだ)を払(はら)ひければ伐口(きりくち)より血(ち)流出(ながれいで)杣人(そまびと)悶絶(もんぜつ)》  《割書:せしとぞ霊松山の号は|此松よりおこれり》 給父渡(きうぶのわたし)《割書:給父村にありこは木曽川の下流(かりう)にして川巾(かははゞ)三町余也|西は則濃州 秋江(あきえ)村なれば俗に秋江の渡ともいへり》      椿ふんて家尻過れは渡しかな    月底 百合根(ゆりね)《割書:藤ケ瀬村より出る所の名産也都て当国の産上品也といへども取(と)り分(わ)き|当村を以第一品とす其 形(かたち)甚大きく其 色(いろ)雪白(せつはく)にして其 甘(あま)き事 蜜(みつ)の》  《割書:ごとし多く京師(けいし)に運送(うんさう)して搢紳家(しん〳〵け)にてもこれを深く賞翫(しやうくわん)し玉ふよし|世に玉食(ぎよくしよく)といへるは実(じつ)にこれ等(ら)のものをいふなるべし》 【右丁】   《割書:水鶏啼佐屋の渡りの|水上にさまよへは嵐堂》   《割書:小船をさし下してのれ|といふのれは竿とりなを》   《割書:して藤ヶ瀬を横きり|出て木曽の大河に》   《割書:さかのほる》 《割書:青嵐》  砂よけを一重〳〵も      穂麦かな        岱青  夕月の水の中まて      若葉かな       騏六 【陽刻落款印】春江 【左丁】 【右から横書き】 宇(う)太(た)志(しの)神社     《割書:一とせをはりの国藤かせのさとにつくりたるなりとて八重に咲出たる花|かとたとるまていとも大いなるゆり根を下に田井の里人道直より恵順尼(ゑじゆんに)》     《割書:君もておくりけるみやこにはめつらしさに  御所に献し奉りけり|そのよしを伝へきゝ侍りていとうかしこみ奉り又のとしいと〳〵うるはしき》     《割書:を二たひおこせたりけりしか〳〵のよしを申してさる御局(おんつぼね)まてもたせ|献し侍りぬさてその事を哥によみてよとあつらへこされたれとかゝる》     《割書:事等いとつたなくて心まとひはへりされといとあつきこゝろさしを|もたしかたうおもふまに〳〵》   いにしへのさくらならねと九重に八重のゆり根をさゝけつる哉  隆真大尼 横井 掃部助(かもんのすけ)時永(ときなが)《割書:赤目(あかめ)村|の人也》其先(そのせん)北条(ほうじやう)相模(さがみの)次郎 時行(ときゆき)は相模守  高時(たかとき)の二男(じなん)也元弘年中 御醍醐(ごだいご)天皇高時を誅罸(ちうばつ)し  玉ふより時行 流浪(るらう)してありしが其後 赦免(しやめん)せられて官軍(くわんぐん)  に属(ぞく)せり其子平太郎時 満(みつ)尾州 蟹江(かにえ)村に蟄居(ちつきよ)し其子  平太郎 時任(ときたう)愛知郡横井村に移住(ゐぢう)し始(はじめ)て横井氏を称せり  其子 時永(ときなが)海西郡を領(りやう)して赤目に城(しろ)を築(きつ)きて居住(きよぢう)す夫(それ)より  して子孫(しそん)各(おの〳〵)海東海西両郡の諸邑(しよゆう)を分(わか)ちて領知(りやうち)せり今  も猶(なを)本藩(ほんはん)の横井氏 連綿(れんめん)として赤目を領す 光耀寺《割書:落伏村にあり本願寺宗東派知多郡大野光明寺末明応三年僧光|正坊の創建なり光正坊もと鈴木甚左衛門と称して邑士(ゆうし)たりしが教如(きやうによ)上》  《割書:人 清須(きよす)を通られし時其 化度(けど)に遭(あ)ひて深くその法を信(しん)じ遂(つゐ)に上人に帰(き)し薙髪(ちはつ)|して光正坊と号す其時上人より証如上人の画像及び朱傘(しゆがさ)長刀(なぎなた)鞍置馬(くらおきうま)等》  《割書:を授(さづ)かる因(よつ)て今に至るまで門主東行の時は|騎馬(きば)帯刀(たいたう)にて送迎(さうげい)をなせり》本尊《割書:阿弥陀|如来》 国音(こくおん)山一心寺《割書:同村にあり曹洞宗 三淵(みつぶち)正眼寺末明応九年横井時永海西|海東の二郡を領せし時創建して万福寺といひしが其後 荒(かう)》  《割書:廃(はゐ)せしを寛永十七年横井時安再興す時安 薙髪(ちはつ)の後|自ら一心 飛華(ひくわ)居士と号す故に今の寺号に改む》 早尾(はやを) ̄ノ渡《割書:早尾村にあり木曽川の下流にして佐屋の渡しの北なり津島新田よりこゝに|渡る便船(びんせん)三 艘(ざう)に棹郎(せんどう)の給米(きうまい)若干(そこばく)を付属(ふぞく)すこは徳永 法印(はふゐん)の免許(めんきよ)する》  《割書:所にして其証状猶存せり徳永法印は|当年(そのかみ)津島を領知せし人なり》 葛城(かづらきの)古渡《割書:葛木(かづらき)村|にあり》伝へいふ古(いにしへ)佐屋(さや)の渡りなき頃勢州の桑名(くはな)より  此葛城にわたり夫(それ)よりして清須(きよす)に至(いた)るとぞ今は面影(おもかげ)さへ  なくてわづかに名のみ残(のこ)れり 関通(くわんつう)上人 ̄ノ伝《割書:大成(おほなり)村の産(さん)にして父は|横井氏母は小鹿(おじか)氏也》元禄九年の仏誕日(ぶつたんにち)を以て出生(しゆつしやう)す  初(はじめ)の名(な)は元教(げんきやう)後(のち)自(みづか)ら関通と改(あらた)む字(あざな)は無礙(むげ)一蓮社 向誉(きやうよ)と号  し又別に雲介子(うんかいし)と号す上人十三才にして出家(しゆつけ)し明和七年  二月二日 寿(ことぶき)七十五才にして寂(じやく)すその生前 自行(じぎやう)の堅固(けんご)化他(けた)  の広大(くわうだい)なる凡(およ)そ上人に帰して日課(につくわ)念仏(ねんぶつ)の行(ぎやう)を受(うく)るもの十百万人  に満(み)てりとぞ遂(つゐ)に浄土(じやうど)の正宗関通 派(は)を開肇(かいちやう)し永(なが)く末世(まつせ)  を化益(けやく)し又 数基(すうき)の寺院(じゐん)をも創建せり碩徳(せきとく)の余光(よくわう)枚挙(まいきよ)に  遑(いとま)あらねば都(すべ)て上人の行業記に譲(ゆづ)りてこゝに略(りやく)しぬ 石田里(いはたのさと)《割書:尾張の名所にして何れの所といふ事詳ならず或は愛知郡又は知多郡など|いへど当郡石田村は其名甚古く今濃州に属せる八神(やがみ)の郷(がう)石田村と地つ》  《割書:らなりて古は津島の渡より葛木へ懸(かゝ)りすのまたへ出ければ海道に近き里なるにより|哥に詠ぜしものなるべくかゝる因(ちな)みもあれば今当郡に属(ぞく)してこゝに出しぬ》   《割書:夫木》    いまよりやいは田の里の秋風も夜寒に吹は衣うつらん  民部卿為家卿 小杜(こもり)天神 ̄ノ社《割書:小茂井(こもゐ)村にあり本国帳に従三位小杜天神同|集説に富安 ̄ノ庄小茂井村称_二 天神社_一とあり》 連理菊(れんりきく)《割書:同村の農家(のうか)岩田氏の老夫(らうふ)菊(きく)を好(この)みて年久しく培栽(ばいさい)せしにある時 同根(だうこん)異茎(ゐきやう)|に菊と艾(よもぎ)とを双生(さうせい)せしかば衆人これを怪(あや)【注①】しみ全(まつた)く老夫が長寿の瑞祥(づいしやう)ならん》  《割書:ともてはやしけるが或は其 真形(しんけい)を図(づ)して高貴(かうき)に献じ又は遠境(ゑんきやう)にも贈(おく)れる中に林(りん)|学士(がくし)の聞伝へられて七言の小 詩(し)を投贈(たうざう)ありしを今も猶岩田の家に珍蔵(ちんざう)せりされば》  《割書:其詩を図(づ)上に出して以て世に博(ひろ)くす又此事塩尻【注②】にも載(の)せて昔 陽成院 即位(そくゐ)の元|慶元年丁酉二月尾張国連理生ず又 光孝天皇 受禅(じゆぜん)の元慶八年甲辰四月尾》  《割書:張国連理生せし事共に三代実録に見えしが又 今茲(ことし)も|新帝受禅の年にして連理生じける事のいとめづらしと云々》 【注① 恠は怪の俗字】 【注② 江戸中期の随筆。天野信景の著。】  連理菊(れんりぎく)の真図(しんづ) 前園為_レ菊託_二【一点は誤記】吟魂_一異種生々 雨露恩花制_二頽齢_一開_二寿域_一蓬 莱仙薬偶同根    林学士藤信篤 【陽刻落款印】春江 【右丁】 立田(たつた)  荷沼(はすいけ)の   夏景(かけい)    僧南景 かきりなく  さけるや     いつこ   紅の  はちすの    花の   四方に    かをり      て 【陰刻落款二つ】【上】▢ 【下】溪 【左丁】    沙鴎 間〳〵に  水も  見え   けり 蓮の  中 蓮根(れんこん)《割書:立田(たつた)輪中(わぢう)の名産とす此辺 都(すべ)て沼池(ぬまいけ)広大(くわうだい)にしてやゝ湖水(こすゐ)にひとしこゝに産する蓮|根風味 形状(かたち)ともに絶品(ぜつひん)也《振り仮名: 就_レ 中|なかんづく》戸倉(とくら)村のを最上(さゐじやう)とす一年に此村々よりひさく所》  《割書:其 価(あた)ひ千両余といへりゆゑに夏月(かげつ)の際(あいだ)荷花(かくわ)さき出し涼晨(りやうしん)の風 景(けい)さながら八切徳水(はつくどくすゐ)|の金蓮(きんれん)もかくやとおもふ計りなれば遠境の人は蓮根(れんこん)の価(あたひ)にて其花のさかんなる事を》  《割書:|想像(さう〴〵)すべし又岡田挺之の秉穂録に尾州にて水郷の村落(そんらく)を輪中(わぢう)といふ広東新語|に番禺 ̄ノ諸村皆在_二海島之中_一大村曰_二大箍囲_一小村曰_二小箍囲_一言 ̄ハ四環皆江水也と似たる事》  《割書:なりと見|えたり》 古川(ふるかはの)城址《割書:上古川村|にあり》土人伝へ云 当年(そのかみ)小野田彦七(おのだひこしち)居城(きよじやう)の址(あと)也と  信長記を按るに織田彦七は則信長公の舎弟(しやてい)にして古木(こき)  江(え)の城にありしが元亀元年十一月 長島(ながしま)の本願寺 門徒(もんと)兵(へい)  を起(おこ)して彦七の居城を囲(かこ)みしかは彦七 土民(どみん)の手(て)に死(し)なん  事を慙(はぢ)て同月廿一日 櫓(やぐら)に登(のぼ)りて自殺(じさつ)せしとぞ古木江は  今大森村の支邑(えだむら)にして子消(こぎえ)と書(か)けり則古川村の隣村(りんそん)  なりされば此古川の城は彦七が住(ちう)せし城にして土人の小  野田彦七といひ伝ふるは織田を小野田と誤(あやま)れるなるべし 子消(こきえの)里《割書:大森村の|属邑なり》弘仁年中弘法大師当国 蜂須賀(はちすか)の蓮華寺  を開基ありし時此里を過ぎある家(いえ)に宿(やど)られしが其後家女  懐妊(くわゐにん)しけるを家のあるじ旅僧(りよさう)密通(みつつう)の子(こ)なるかと疑(うたか)ひ重(かさ)ねて  こゝをよぎられし時其よしを告(つげ)て子を見せければもとより  さるあやまちなきをかく格(うたが)はれぬる事のうれはしく且(かつ)よく  いひほどくとも彼がうたがひはれじとや思(おも)はれけん手に持(もち)たる茶(ちや)  を口に含(ふく)み彼児(かのこ)に吹(ふき)かけられしかば忽(たちま)ち其子 消(きへ)【「きえ」とあるところ】うせしとぞ  さて村の名をかく呼びそめしよしいひ伝へたり 市腋(いちえ)島《割書:荷上(にのうへ) 鯏浦(うぐゐら) 西保(にしほ) 東保 西条 東条 本部田(ほんぶだ) 五ノ三 已上八村を市腋と称し|て当郡の旧地なり浪合記に一会(いちえ)と見えたり今は市江(いちえ)と書けり貞応海》  《割書:道記に夜陰(やゐん)に市腋といふにとまる前を見おろせは海さし入て河伯の民うしろにやしなはれ|見あくれは峰峙ちて山祇の髪風に梳る磐をうつ夜の浪は千光の火を出し木々になく》  《割書:暁鼯は孤枕の夢を破る此所にとゝまりて心は独りすめとも明行は友にひかれ出ぬ 松かねの|いはしく磯のなみ枕ふしなれてもや袖にかくらんと云々是にて市腋の名の古きを知べし》 赤星(あかほし)名神 ̄ノ社《割書:西保村にあり星の宮と称して当所の本土神|とす本国帳に従二位赤星明神とあり》例祭《割書:八月十八日 湯立(ゆたて)|神楽(かくら)馬(うま)の頭(たう)》  社僧《割書:竹王(ちくわう)山 松隣(しやうりん)寺曹洞宗にして津島興源【禅の誤記ヵ】寺末|祖門和尚をもつて開山とせり》当社は市腋七郷  のうちにして例年当所より津島へ出す車楽の下調(したしらべ)を当社 【右丁】 赤星(あかぼし)名神社 【陽刻落款印】春江 【左丁】   長野祐順 たゝこゝに  月のひかりも   あか星の  神の遊ひの   おもしろの        よや 此間鳥居迄 長三町程  の拝殿(はいでん)にてなすを旧例(きうれい)とせりそは六月朔日市腋輪中の  うち祭(まつ)りに出る者 参詣し同七日に人形(にんぎやう)を作(つく)り《割書:能人形(のうにんぎやう)にして|内外(うちと)の二百番》  《割書:より鬮(くじ)にて|是を作れり》車楽に乗(の)る児(ちご)笛(ふえ)太鼓(たいこ)及(およ)び囃子(はやし)の稽古(けいこ)をなす同十  四日 午刻(うまのこく)当社へ打寄(うちより)試楽(しがく)あり此日 児(ちご)どもへ柏(かしは)の葉(は)に肴(さかな)  を盛(も)りて飯(めし)を出す古例(これい)あり市江祭記に当車は天王御  祭礼の始(はじめ)なるが天正元年織田信長公長島合戦の砌 中(ちう)  絶(ぜつ)せしを服部(はつとり)氏 宇佐美(うさみ)氏 等(ら)の浪人(らうにん)これを再興(さいかう)す《割書:云々》  《割書:此服部氏の子孫市江島の内荷上村に居住す其家は天正年中に建しまゝ|なりとて今もその古質(こしつ)を存せりされは故(ゆへ)ある旧家(きうか)にして毎年六月の祭》  《割書:事をつかさどれり家系(かけい)はいと|憚(はゞか)る事多ければ爰(こゝ)にもらしつ》かく由緒(ゆゐしよ)ある車楽なれば 神君より  金襴(きんらん)唐織(からおり)の御 小袖(こそで)金襴 楽(がく)の胴掛(だうかけ)金襴 大口(おほくち)等(とう)御寄付(ごきふ)あ  り《割書:今も例年車に飾(かざ)りて|大なる規模(きぼ)とせり》又 国君より試楽田(しがくでん)若干(そこばく)を寄付(きふ)し玉へり 大楠(おほくす)《割書:鯏浦(うぐゐら)村にあり世に稀(まれ)なる大樹(たいじゆ)にして里民(りみん)此木のやに或は葉(は)を取(とり)きたりて病者(びやうしや)に|用(もち)ふれば忽(たちまち)平癒(へいゆ)するの奇特(きどく)ありといへり樹下に聖徳(せうとく)太子作の薬師如来の小》  《割書:堂又神明の社もありて|常に参詣の人 絶(た)えず》 筏(いかだ)川《割書:佐屋川の下流 五明(ごめう)にて二流となる西を境(さかひ)川といひ東を筏川といふこゝは木曽の|山中より伐出(きりいだ)したる材木(ざいもく)を筏として木曽川を乗下(のりくだ)り佐屋川を越(こ)えてこゝ》  《割書:に至り飛島(とびしま)新田 熱田(あつた)新田に沿(そ)ひて乗廻(のりまは)し府下の堀川に入なり此川南は松山|といひて多くの松樹 緑(みどり)をあらそふ中に春の末(すへ)桃花(とうかの)盛(さか)りには遊人の来賞(らいしやう)大方ならず》  《割書:実に小 武陵(ぶりやう)とも|いふべし》 龍華(りうげ)山 弥勒(みろく)寺《割書:《振り仮名:鳥ヶ地|とりがぢ》新田にあり曹洞宗 桂(かつら)村広済寺末もと海東郡 川辺(かはべ)|村にありて開基の年月詳ならず天正十二年 蟹江兵乱(かにえひやうらん)の時》  《割書:破壊(はえ)せしを其後元禄四年辛未春此地に|うつし卜外(ぼくぐわゐ)和尚を以中興とせり》本尊《割書:弥勒菩薩(みろくぼさつ)木像背銘 ̄ニ云尾州|海東郡芝山郷宗次願主》  《割書:高野山一心院実阿弥明応|九年八月廿九日と見えたり》 宮筠圃《割書:同村の産にして父母と共に京師に遷り東涯蘭嵎の二先生に従遊せし|布衣の学士也名は奇字は子常氏は宮崎通称常之進筠圃は其号也》  《割書:門人私謚して行恭といふ性至孝にして躬行実践をつとめ君子儒の聖学を標|準とせり旁(かたは)ら書及び墨竹に妙を得て其名都鄙に溢(あふ)れ請求(せいきう)日に門に盈る》  《割書:といへども一日慈母の警発に感じ終身又此小伎をなさゞるの類枚挙に遑(いとま)あらず徳輝|の余光は洛東禅林寺に建る所の碑を見てしるべしかゝる無位無官の儒生にして高》  《割書:貴縉紳のために寵遇礼待せらるゝ事みな天の賚へる栄耀にして全く孝感実徳|の招く所ならんか先生の轟名(かうめい)普(あまね)く世の知る所にして諸家人物志近世畸人伝近世》  《割書:樷話等の諸書にも載せたれはすべてこれを略し只禅林寺の碑銘を左記してもて好事の|人に贈る当邑弥勒寺に建る河村乾堂翁の碑銘は其文やゝ簡なるをもて併せ録せず》   《割書:    行 恭 宮 先 生 碑 銘|維 安 永 三 年 甲 午 十 二 月 十 日 筠 圃 宮 先 生 終 焉 越_二》   《割書:五 日_一 葬_二 于 東 山 禅 林 寺 先 塋 側_一 既 而 其 義 子 ■【弸ヵ】 奉_二 行|状_一 来 請_レ 誌_二 銘 于 其 墓_一 余 曽 有_二 師 資 之 親_一 不_レ 忍_二 固 辞_一 因》 【右丁】 筏(いかだ)川の  南涯桃林   春興の図 春もやゝ  日かす   なかれて いかた川  きし根の   もゝの    色ふかき     そと    史雄 【左丁】 桃は桃の  見ところ   ありて   日の    斜   梅居 弥勒(みろく)寺 事_レ主養_レ親共 尽_レ歓深林誰 種並頭蘭芬 芳応_下待_二多年_一 発_上莫_レ作_二尋常 花卉看_一   松園 【陽刻落款印】春江 【挿絵中の囲み文字】 孝女碑 忠女碑   《割書:記_二 其 概_一 先 生 姓 宮 諱 奇 字 子 常 称_二 常 進_一 父 曰_二 舜 弼_一 母|長 尾 氏 以_二 享 保 二 年 丁 酉 八 月 廿 一 日_一 生_二 先 生 于 尾》   《割書:張 国 海 西 郡 鳥 地 邑_一 幼 而 聡 慧 強 記 超_レ 群 稍 長 好_レ 学|十 歳 善_レ 詩 父 謂_レ 之 曰 勉_レ 旃 不_レ 継_二 吾 業_一 則 非_二 我 子_一 也 享》   《割書:保 十 九 年 従_二 父 母_一 遷_二 于 京 師_一 以_三 其 父 嘗 受_二 学 于 東 涯|元 蔵 氏_一 先 生 亦 事_レ 之 東 涯 没 卒_二 業 于 蘭 嵎 才 蔵 氏_一 元》   《割書:文 四 年 丁_二 外 艱_一 思 慕 哀 戚 服 喪 三 年 菜 粥 僅 給 而 貧|窶 亦 甚 母 戒_レ 之 曰 窮 当_二 益 堅_一 遺 命 莫_レ 忘 焉 先 生 奉_二 其》   《割書:誨_一 夙 夜 不_レ 懈 焦 心 覃 思 遂 究_二 古 学 之 奥_一 也 明 和 紀 元|買_二 宅 於 近 衛 巷_一 将_二 入 居_一 俄 遭_二 内 艱_一 居_レ 喪 尽_レ 礼 服 闋 而》   《割書:徙 方_二 此 時_一 也 先 生 声 誉 藉 甚 徳 望 隆 重 四 方 来 学 者|晨 昏 盈_レ 門 其 誘_レ  人 也 務_二 本 実_一 去_二 浮 華_一 各 因_二 其 才_一 訓_二 導》   《割書:之_一 其 為_レ  人 恭 謹 退 譲 而 志 純 守 固 威 武 富 貴 亦 不_レ 能|_レ 奪_レ 之 事 雖_二 至 小_一 非_レ 義 不_レ 為 焉 偶 聞_二  一 善 言_一 見_二  一 善 行_一》   《割書:必 録 蔵_レ 之 其 接_レ  人 也 無_二 少 長 賢 愚_一 皆 礼_レ 之 天 性 至 孝|傷_二 蚤 喪_一_レ 父 毎_二 展 祭_一 如_レ 事_レ 生 先 生 作_レ 文 温 雅 詩 亦 真 率》   《割書:不_二 敢 遂_一_レ 時 好_レ 書 学_二 趙 文 敏_一 深 得_二 規 範_一  人 得_二 隻 字 半 行_一|以 為_二 至 宝_一 兼 善_二 墨 竹_一 請 者 尋_レ 踵 母 曰 恐 人 以_レ 汝 為_二 画》   《割書:工_一 先 生 感_レ 之 誓 不_二 復 作_一 矣 園 有_レ 竹 因 号_二 筠 圃_一 扁_レ 堂 曰_二|尚 友 所_レ 著 詩 文 集 若 干 巻 又 有_二 備 考 録 経 説_一 皆 未_レ 脱》   《割書:_レ稿 而 易_レ 簀 門 人 親 友 私 謚 曰_二 行 恭_一 初 娶_二 入 谷 氏_一 挙_二  一|男_一 不_レ 育 継 室 飛 森 氏 産_二  一 女_一 而 無_二 嗣 子_一 親 眷 従_二 治 命_一》   《割書:養_二 門 人 名 弸 者_一 奉_レ 祀 継_レ 業 先 生 享_レ 年 五 十 有 八 仁 而|無_レ 寿 孝 而 無_レ 嗣 嗚 呼 天 哉 嗚 呼 命 哉 銘 曰  克 光_二 先》   《割書:業_一 儀 表_二 儒 門_一 好_レ 善 如_レ 饑 嗜_レ 学 如_レ 喰 開_二 朗 群 蒙_一 折_二 衷 微|言_一 居_二 仁 之 宅_一 爵_二  天 之 尊_一 回 耶 牛 耶 倏 忽 帰_レ 根 徳 音 不》 【右丁】 そよ女  孝養(かうやう)の図 【左丁】 子をおもふ道にまよへるおやは あれと恩を報ふる子はまれ なり爰に賎しきものなから 親に孝を行ふものゝある よしをきゝておもひつゝけ           侍りける かしこしな身はいやしくて  たらちねにあつくつかふる    こゝろたかさは     冷泉為村卿 【陽刻落款印】高雅   《割書:_レ朽 令 名 永 存|  安 永 四 年 乙 未 孟 冬  正 二 位 権 大 納 言 源 朝 臣 信 通 撰 并 書》                              《割書:有 栄 篆 題|    男 弸 建》 孝女そよの伝《割書:同村弥勒寺の門前に碑あり百姓善六といへるもの家貧にして|己が持てる田地とては一畝もなく耕作の営(いとな)みもならねばたゞ漁(すなどり)を》  《割書:業として世を渡れり妻は姑の心に叶はざる事ありて善六が三十二才の時そよといへる二才の|娘を此家に残して去りけるがそれより後の妻も求めず母と娘と三人のみ暮らしかねて日を》  《割書:送りしが母は善六が五十三才の時身まかりぬ然るに娘そよは成長に随ひ孝心深く身はな|きものにして髪ゆひ粧ふ事もなくもとよりかたらふ男もなければ親に事(つか)ふるをのみ》  《割書:楽しみにて朝早くより夜の更るまで苧をうみ機を織などして公の貢をはじめ衣|食住の三ッ迄も皆女のわざにて親子二人りをやう〳〵と送りける折には飢寒に我身を》  《割書:苦しむ事あれど親には夫ともさとらせず又或時は善六がわりなき事をいひ出してもあら|がはずたゞ善六がきげんのよきを我楽しみとせりさて善六若き頃より酒を好みけるが》  《割書:日ごとに午の刻ばかりに銭十文の酒を飲み又申の刻にも十文の醉を楽みしが是も|皆そよが手業よりかせぎ出せる代にして一日も欠る事はなかりし也ある時余所へ行かん》  《割書:とて例のごとく十銭を善六にあたへければけふは何とて半(なかば)を省(はぶ)けるぞと問ひしにそよがいふ|やう一度に廿銭の酒飲給はゝ悪かりなんと思ひて十銭を参らする也申の刻にもなりなば》  《割書:爰かしこ尋ね玉へさあらば後の十銭も出来なんさてこそ楽しみならめと親子打笑ひつゝ|そよは出行きぬ跡にて十銭の酒を傾け又後の十銭を願はしく時刻にもなれは爰かし》  《割書:こと尋ぬれ共見えざればはてには索(さぐ)りわびて飯なりともたべんとて櫃(ひつ)の蓋(ふた)をとりて見れ|ば内に十銭をさぐり得ていつよりも興ある事におもひいそぎ酒にして醉ひまろびし》  《割書:とぞ素より善六も性質すなほにて無欲なる者なれば折ふしは外にて飲過し道|に其侭 醉倒(ゑひたをれ)し事もまゝあればそよは是をいたましく思ひ雨の夜などは簑笠(みのかさ)を被(き)》  《割書:てさがし歩(あり)き或は蚊帳を持行き其侭に介抱し又は衣類を負ひ行きて上を覆(おほ)ひ|など晴雨暑寒に随ひてまめやかにつかへけり扨そよ廿五六才より仏道に立入り精進》  《割書:堅固にありけるが善六には生(いけ)る魚をも焼つ煮つしてすゝめながら露ばかりもいとふけし|きなく親の悦びをのみおのがたのしみとしさのみ勤て孝養をなすとも思はず年月》  《割書:念頃につかへければ善六もそよが孝心に感じ老後には涙を流して人にも語りよろこび|ける此よしいつとなく地頭志水家に聞へければ安永三年の春より居所の年貢を》  《割書:赦され又 国君も聞し召て多くの金銭をも賜りける此時善六は七十五才そよは|四十五才なり猶委しき事は西河菊荘が著せし刻本の孝女そよ伝にゆづり》  《割書:てこゝに|省きぬ》 忠女はるの伝《割書:同村の孝女そよの碑と共に並びて弥勒寺の門前に碑あり同郡鯏|浦村農家の産也年廿六の時同郡鳥ヶ地新田西河甚助が家につかへ》  《割書:て乳母となる性淳朴忠貞にして哺撫尤至れり数十年の後といへども忠節一の如し|有志の人往々に褒詞を投じてこれを賛美す享和年中に至りて芳名終に官府》  《割書:に達し賜ふに緡銭五貫文を以す天保二年正月十六日寿八十四にして西河が家に病死|す同年の夏石に勒して以其美を不朽に伝ふ委しくは碑文にゆつりてこゝに略す》 紫藤架(ふぢだな)《割書:森津新田村の長武田|沢右衛門が家の庭園にあり》此藤一根にして僅に百年前後のものなるが  培養(ばいやう)に力を尽して架棚(たな)の広さ縦横廿五間四面猶その蕃延(はんゑん)の  余蔓(よまん)別に六間余の瘤架(こぶだな)あり凡そ棚の高さ弐間計りにして花  の長さ四五尺より壱間程にも及べり暮春の頃開花架にみつる  時は白日にも寸天を見ずこれを仰げばさながら紫雲の蔽(おほ)へるが  如く又織女の天機もこれには及ばじと思はる実にかゝる広大なる 【右丁】 【右から横書き】 森津の藤架(ふぢだな) 【左丁 挿絵 文字無し】 【陽刻落款印】春江  藤架は 皇国は素より海外にも又古今にも絶て聞ざる壮観  なり故に遠近より日ごとに来賞する人幾百千といふ事を  知らずことに此家水に近く泛舟に便りよければ勢州より船にて  来遊する人尤多し猶図に就て万分の一を想像すべし                   《割書:精 一》  《割書:縋 紫 蔓 藤 翳 日 架 縦 横 百 歩 一 根 ̄ノ 花 有_二 此 奇 観_一 春 夏|際 無_二  人 不_一_レ 訪_二 武 田 家_一》  《割書:                         服 部 赤 城|藤 架 万 条 垂 春 風 繰_二 紫 糸_一 此 是 天 機 錦 応_下 従_二 銀 漢_一 移_上》   堀川や日置の舟出つとふ也森津の里の藤の花見に  昭豊   年ふりし藤の下陰色深く若紫の浪そ立ける     道直     見つくせぬうちに夕日や藤の花        梅間     藤さくや花のところの一曇り         沙鴎 孝女 和喜(わき)の伝《割書:大宝村の農民甚三が娘なり主人に仕へて精忠(せいちう)父母をやしなふに|至孝なれば其芳名四方に爰穢遠近に藉きて終に 公聴に》  《割書:達し多くの黄金を 賜ひ褒賞(ほうしやう)し給ひし事世のよく知るところなりかつて人見璣邑|先生内藤東甫翁をして此わきが像をゑがゝしめ自ら其 讃詞(さんし)を造(つく)りて夏目重元に命じ》  《割書:其図上に筆せしめ多く人に贈られしは其美名を遠境に知ら|しめんがためなりとぞ事繁ければ其賛詞はこゝにもらしつ》むかし天長六年六月  尾張国の孝女 吉弥侯部(きみこべ)長子に位階を進(すゝめ)玉ひし事類聚国史に  のせたるをはじめ近世海東郡八ッ屋村当郡《振り仮名:鳥ヶ地|とりがぢ》村 鯏浦(うぐゐら)村の忠女  孝女及び愛智郡 菱野(ひしの)村の孝婦りつ知多郡 古見(こみ)村の忠女なつ  に至るまで忠孝をもて称せられしもの挙(あげ)てかぞへがたし当国の人  物婦人に忠孝多く男子に勇義を備(そな)へたる事はひとへに 素盞嗚尊  日本武尊の二尊武勇の魁首(くわいしゆ)其妃 稲田(いなだ)姫 宮酢(みやす)姫の両姫 貞操(ていさう)の  本源にまし〳〵けるがともに当国津島熱田にしづまり給へればかくす  ぐれたる婦人どもの出けるにていと〳〵尊ふとくぞ覚ゆる 尾張名所図会巻之七《割書:終》              春江小田切忠近 図画  【大きな角印】    文園岡 田 啓    尾張                同撰    官許        梅居野 口 道直              瑞斎加 藤 昭 豊傭書   天保十二年辛丑十一月     脱稿   同 十五年甲辰二月      発兌 【縦に線引き】        《割書:名古屋本町九丁目》            菱屋久兵衛【印】恵房  尾張書肆  《割書:同  伝馬町五丁目》   合梓            菱屋久八郎 【上部右より横書きにて】 発行書肆 【下部】 《割書:名古屋本町壱丁目》       風月堂孫 助 《割書:同  本町三丁目》       菱 屋藤兵衛 《割書:同  本町七丁目》       永楽屋東四郎 《割書:同  本町十丁目》       松 屋善兵衛 《割書:同  小牧町》       美濃屋伊 六 《割書:京都御幸町御池上 ̄ル》       菱 屋孫兵衛 《割書:同 寺 町松原上 ̄ル》       菱 屋治兵衛 《割書:大坂心斎橋北久太郎町》       河内屋喜兵衛 《割書:同 順慶町》       柏原屋清右衛門 《割書:江戸芝神名町》       岡田屋嘉 七 《割書:同 日本橋通壱丁目》       須原屋茂兵衛 【文字無し】 【白紙】 【白紙なれど右肩に外語】 GARDIEN 1870 【白紙】 【見返し】 【見返し】 【裏表紙】 【背表紙】 WEL-TCHANG- MING-SO-THOU-HOEL 【背表紙の区切り、1、3、4、5段目に王冠マークとN】 【資料整理ラベル】 JAPONAIS  375 【冊子の天或は地】 【小口】 【冊子の天或は地】