【表紙】            【ラベル】 琉球状      屋代弘賢 【闕畫とあるべきを闕盡とするなど、誤記があっても、あるがまま翻刻する。】 【表紙 コマ1と同じ画像】            【ラベル】 琉球状      屋代弘賢 【表紙裏 琉球大学附属図書館蔵書印】 【扉】 仲原善忠文庫 琉球大学志喜屋記念図書館 琉球人御見物被成候由扨々御羨敷奉存候私儀 は繁務繰合仕かたくとう〳〵一見も不仕候き遺憾 此事御座候就夫彼島の事覚悟いたし候事も 候はゝ御聞被成度由白石先生著述を始中山伝 信録等の諸書明白に記有之候上は可申事も無之 候得共一二見当候儀を任仰書付申候先琉球の字伝 信録には流虬流求瑠求と記し明の洪武中今 の字に改候よしみえ候得共皇朝の書に見え候 所は此外に留求流梂などゝも記申候《割書:別書下に|みえ申候》西土に て洪武中今の字に改候由申候へとも宇治大納言 の今昔物語にはゝや琉球と記して候也《割書:明の洪武|に先立事》             《割書:凡四百七|八十年也》扨神代記海宮遊行章に火々出見尊至_二 海神之宮_一給ふよし記され候を通証には鑑真和 尚の伝に或漂_二日南_一或赴_二竜宮_一とみえしと琉球 神道記に琉球王門牓記竜宮城と有を引て今の 琉球の事といへりさるへき事にやとも初は思ひ 候へ共能々考見候得は上古のこと如何とも沙汰す へき限にあらす候殊に或人の説には海神の宮 は日向の海門にて今海童宮ある所とも申平篤 胤は西土にいはゆる三神山の事と申すくはし き考御座候由殊に琉球神道記を捜索いたし候 へとも門牓に竜宮城と題し候事はみえ不申候得 はかた〳〵無覚束候《割書:此書は慶長中に僧袋中琉球国に|至り其請によりて筆記せし物に》 《割書:て榜に守礼之邦と記せしことは有之仏説の竜|宮はこの琉球なるへしと云考はみえ申候》鑑真和尚 東征伝《割書:此伝は宝亀十年に真人|元開の撰ひし書なり》を見候へは唐僧にて 天宝三年に一度出帆して難風にあひ渡海なりか たく其後も又同しことくにて同十二年に出帆せ し時皇朝にては天平勝宝六年甲午正月十一日丁 未《割書:続紀には|六日壬子》に大宰府着岸のよし也其十二年 よりは前に出帆せしに天宝七載十月十六日云に 三日過_二蛇海_一其蛇長は一丈余小は三尺余色皆斑 斑満_二泛海上_一 三日過_二飛魚海_一白色飛魚翳_二満空中_一長 一尺許一日経_二飛鳥海_一鳥大如_レ 人飛集_二舟上_一舟重欲 _レ没人以_レ手推_レ鳥即銜手とみえ宋高僧伝には俄漂 入_二蛇海_一其蛇長三丈余色若_二錦文_一後入_二魚海_一魚長尺 余飛満_二空中_一次一洋純見_二飛鳥_一集_二於舟背_一圧之幾没 とみえ申候それを元亨訳書には日南に漂ひ竜 宮に赴と記し候これは何によりて記せしにや 日南の事竜宮の事上の二書には不見候神道 記にも母蛇を恐るゝよし記して候へはこの蛇海 といふもの琉球にてもや候らん弘法大師の性霊 集には入唐□□賀能与_二福州観察使_一書に凱風朝 □摧_二□耽羅之狠心_一北気夕発失胆留求之虎性_一《割書:延|暦》 《割書:廿三|年也》とみえ今昔物語智証大師の伝には仁寿三 年八月ノ九日宋ノ商人良暉カ年来鎮西ニ有テ 宋ニ返ルニ伍テ其船ニ乗テ行ク東風忽ニ迅シ テ船飛カ如クナリ而ル間十三日ノ申時ニ北風 出来テ流レ行クニ次ノ日辰ノ時計ニ琉球国ニ 漂着ク其国海中ニ有テ人ヲ食フ国也其時ニ風 止テ趣カム方ヲ不知遥ニ陸ノ上ヲ見レハ数十 人鉾ヲ持テ徘徊欽良暉是ヲ見テ泣悲フ和尚其 故ヲ問ヒ給フニ答テ云ク此国人ヲ食フ所也悲 哉此ニシテ命ヲ失テムトスト和尚是ヲ聞テ忽 ニ心ヲ至シテ不動尊ヲ念シ給フ《割書:此書は流布の印|本には無之古本》                《割書:伝写ゆへ送り仮名も古法にて脱字と覚しき所も|候へとも其儘写申候唐を宋と記候も此書の例にて候》と あり是を三善清行か著述の伝には十三日申時 望_二見高山_一縁_二北風敏_一 十四日辰頭漂到_二彼山脚_一所謂 流梂□喫_レ 人之地四方無_レ風莫_レ知_レ所_レ趣忽遇_二巽風_一指_二 乾維_一行と記し□□は留求も流梂も共に今の      琉球にて有へく候也是にて思ひ合せ候へは大 系図秀郷の伝に依_二龍神請_一行_二竜宮_一討_二龍神之敵_一得_二 宝俵_一世人号_二俵□太_一とみえたるも琉球にてや候 らん又為朝の鬼島へ渡りしよしいひけるを白 石先生の琉球の事と記されしをは証拠を出さ れすとて琉球談にはうたかひて悪鬼納島(ヲキノシマ)とい ふ名よりやといひけれとも人を噉ふ国といひ 伝へけんには鬼か島とも可申哉《割書:鬼か島と言事|保元物語に□候》                日本紀通証巻廿七《割書:推古天皇|廿四年》やく貝の考の条に 琉球の事も少し記申候其中に今按琉球既見_二於 隋而我六国史無其名足容疑焉所謂天孫之称以 _レ出_二於我_一而未_レ詳_二其世系_一蓋上世与_二掖玖_一混_二同其名_一所 謂小琉球《割書:三才図会有_二大琉球小|琉球_一各出_二名玉異宝_一》は或指_二掖玖_一而言 世法録所謂海貝亦可_二以証_一也此上ににやく貝掖玖 島よりは出すして琉球に産すれとも始琉球に 出る事を弁へすして掖玖より渡せしを以名 つけたるかと云考御座候也此一叚南島志の説 をたすけ申候其余はことなることもなく候扶桑 国は琉球の事にやと申説はあやまりにて御座候 南島志今按流□古南倭也南倭北倭并見_二山海経_一 と記され候は句読の誤にて候蓋国在鉅燕南倭 北倭属燕と申文にて候を鉅燕の南倭の北と読 候へは南倭北倭と申名目は聞え不申候是は彰 考館総裁立原伯時話にて御座候き推量いたし 候へは此句読まさしく異称日本伝にて誤られ 候歟見林白石共に麁漏なる事にて候き今 本書を見候へは第十二《割書:海内北経|》にて御座候此次 に朝鮮 ̄ハ在_二列陽 ̄ノ東海北山南 ̄ニ_一列陽 ̄ハ属_レ燕と有之此両 条を併考候て句読の誤は不_レ可_レ有事と被存候 琉球談□事異を引て後花園院宝徳三年七月琉球 人来りて義政将軍に銭千貫と方物を献すと記 し候て是を皇国往来□初の様に載たり引書 いまた考す然るに康冨記宝徳三年八月十三日の 下に或語云琉球島船商人去月未着_二兵庫津_一之処 守護細川京兆早遣_レ 人彼商物撰取未_レ渡_二料足_一之間 先 ̄ニ年 ̄ニ料足等進物及_二 四五千貫_一無_二返弁_一又売物 抑留為島人難堪之由申之間自_二公方_一被_レ 下_二遣奉行 三人_一《割書:布施下野守飯尾与|三左衛門同六郎》被_二糺明_一之所被_二押取_一之(ノ)物 有京兆未_レ被_レ返依_レ之奉行未_二 上落_一云 ̄ニ京兆は前管領 也希代之所業□如何云 ̄ニこゝに先々年々と記し たれは是年はしめにて有間敷存候殊に南島志 に古代往来の説くはしく御座候也 又皇朝にて古□は宇留麻廼久爾(ウルマノクニ)といふと記し候 はあやまりにて候公任郷集にしらきのうるまの 島人きてこゝの人のいふこともきゝしらすとしか され候へは新羅に属せし所なるへく候 かの島にて行はれ候いろは伝信録にみえ候その中 とちりかよねのこはゆゑも十二字誤り伝へ申候 片仮名はよく伝へ申候ワの字たかひ候のみにて アの字なと別してよく伝はり申候未に京の字な くて珍重に候《割書:京の字□無の弁は和字正濫の批考に|【一行綴じ目で見えず】》         《割書:くはしく|記直申候》 或人申候は此度献上の硯屏に題せし詩に御諱の 字を犯し候是は如何の事にて御咎にも及はす 候やと申候何とも子細は不存候へ共朝鮮なとゝは訳(ワケ) も違候て書翰等も一向に此方の式を用ひ候上は 日本きりの制にて御沙汰にも及はれす候歟か様の 筋は都て恐多き事にてとやかくと申へきことに あらすと申て候へは又日本限の制とは如何のことゝ 問申候答に抑□朝にては文字を忌候事はなく候 古代は御名の唱をのみさけ候ことにて文字のさ た無御座候き今とても御名の字を犯すましき制 は於江戸は有之候然るを近き頃京都にては御 名の文字闕盡に認候事に成申候いつの御時より にやと藤叔蔵へ聞合せ候へともしかと返事も 不申越候推量いたし候所是は予楽院殿なと仰出さ れし事にも候歟かの准后は六典好ませ給ひし故 為字不成の制始りしにやと思ひやられ候古き唐の 制にならはせ給ひ律令の制有之候へ共かゝることに なつませ給はすして皇国は皇国の風に字訓の かたにて避られ候【以下綴じ目で読めず】 奉存候也是は無益の長言なからことの序に申述候 猶期拝顔心緒万縷可申承候頓首再拝   三月十一日           弘賢   桑山左衛門様        侍史   輪池先生寛政九年贈桑山氏琉球状天保三   年冬上木示同好        源直温 処理済 琉球大学附属図書館 49.9.30 No. P 【裏表紙 文字なし】