【表紙】 【題箋】 《割書:絵|本》つきぬ泉□ 【右丁・白紙】 【左丁】 絵本(ゑほん)不尽泉(つきぬいづみ)序(じよ) 味酒(あぢさけ)の三輪(みわ)とよびて神(かみ)に奉(たてまつ)り 元三(ぐはんさん)に屠蘇(とそ)を浸(ひた)し曲水(きよくすい)に 杯(さかづき)をうかめ菖蒲酒(しやうぶざけ)に病(やまふ)を除(のぞ)き 菊(きく)の水(みづ)に齢(よはひ)を重(かさぬ)るは誠(まこと)に 百薬(ひやくやく)の長(てう)たりあるは花(はな)のもと 月(つき)のゆふべ雪(ゆき)のあした友(とも)を 【右丁】 まちて雅情(がじやう)の言(こと)の葉(は)数々(かず〳〵)を 吟(ぎん)ずれば李白(りはく)が斗百返(とひやつへん)にも いかでおとらざめや是(これ)のみならず 婚姻(こんゐん)の式(しき)年賀(ねんが)の寿(ことぶ)きいづれ 酒(さけ)ならぬはなし酔(ゑひ)に乗(ぜう)じて 媚(こび)をうしなひ本心(ほんしん)にもどり思(おも)ふ まゝに行(おこな)ふときは聖賢(せいけん)の名(な)あるも 【左丁】 むべなるやかく四時(しいし)隙(ひま)なく楽(たの)しみて 裳(も)ひき裾(すそ)ひく酒(さか)どのゝ賑(にきは)ひ めでたき御代(みよ)の慰(なぐさめ)に書肆(しよし)某(なにがし) 其酒(そのさけ)をもてあそぶ中(なか)に品(しな)ある をわかち是(これ)を画図(ぐはづ)にして 不尽泉(つきぬいづみ)と題(だい)しすき人(びと)の 目(め)をよろこばしめんとて予(やつかれ)に此(この) 【右丁】 ことわりを述(のべ)よとあなるをいなむ にかたくみだりに筆(ふで)をとるのみ 時に   ゆるやかなるまつりごと八つ   たつてふとし 菊見月          蝙蝠軒魚麿呂              【印】 【左丁】 絵本(ゑほん)不尽(つきぬ)泉(いづみ)上之 巻(まき)    目録(もくろく) 一 務(つとめ)上戸(じやうこ)  一 呑殺(のみころし)上戸 一 居(ゐ)浸(びたれ)上戸 一 理屈(りくつ)上戸 一 管巻(くだまき)上戸 一 笑(わらひ)上戸 一 泣(なき)上戸  一 呼出(よびだし)上戸 一 大気(たいき)上戸 一 犬悦(けんゑつ)上戸 【右丁】    勤上戸(つとめじやうご)【勒は誤記ヵ】 勤(つと)めさけといふ上戸(じやうご)は常(つね)におのれより 高(たか)き人(ひと)にまじわり酒席(しゆせき)につくなり 興(きやう)によりては大呑(おゝのみ)をもすれど悪口(あつかう) 失礼(しつれい)不行儀(ふきやうき)などの尾籠(ひらう)なる振舞(ふるまひ) なく元来(もとより)飲食(ゐんしよく)の欲(よく)をはなれて呑(のむ) さけなれば厚味(かうみ)のものといへども猥(みだり) にとり喰(くら)ふことなく呑心(のみこゝろ)よきとても しひて酒をむさぼらず気をはり つめて呑(のむ)ゆへに終(つい)に 形(かたち)をみだし酔(よひ)つぶ るるといふことなし席(せき)により 興(きやう)に乗(じやう)してはあるひは舞(まひ) またはおどり浄(ぢやう)るり物真似(ものまね) 小歌(こうた)三弦(さんけん)おの〳〵其(その)修(しゆ)し 得(へ)たるかくし芸(げい)ありて 【左丁】 実(しつ)に一 座(ざ)の興(きやう)をそへしかも 幇間(ほうかん)の座を持(もつ)とことかわり 首尾(しゆび)礼義(れいき)正(たゞ)しくて いか成(な)る強飲(ごうゐん)に出会(であい)ても 上手を以(もつ)てやり 付(つけ)る手段(しゆだん)中(なか)〳〵 一朝一夕(いってう  せき)の修行(しゆぎやう)にては なりがたし是(これ)つとめ 酒の名(な)はあれども作(つくり) 拵(こしらへ)てはなり難(がた)しいつと なく癖となりて 我(わか)同輩(とうはい)朋達(ともだち)と 呑(のみ)合てもこの心得(こゝろへ) をはなるゝことなし 是(これ)一種(いつしゆ)の妙上戸(めうじやうこ)       といふべし 【右丁】   呑殺(のみころし)上戸(じやうこ) 呑(のむ)ことは長鯨(ちやうげい)の百川(ひやくせん)を吸(す)ふが ごとく喰(くふ)ことは在所(さいしよ)の一家(いつけ)の 下作(したさく)の万七(まんしち)といふ男が 爰(こゝ)の祭(まつ)りに水瓜(すいくわ)壱ツもつて 来(き)て時刻(じこく)は八ツ少(すこ)し下(さが)り朝(あさ)の麦飯(むきめし) ばらへはもの皮(かわ)の出るまにあじのやき物 米(こめ)の御飯(おめし)を手もりにして喰(くらふ)にひとしき 大強傑(たいかうけつ)なんぼのんでも酔(よひ)めも見えす 口渋(くちしぶ)りて物かずいわずおかしき事も あつて笑(わ)らわす身ふり 惣真似(ものまね)勿論(もちろん)出来(でき)ず まれにいふ    おとし     噺(ばな)し       も 【左丁】    かんじんの   はねを忘(わす)れ 何(なん)の事(こと)やら わけのしれぬさけ 呑(のみ)あり是(これ)を呑 ころしと号(なつけ)余(よ)の さけのみ 怒(いかつ)て南無(なむ) 地蔵(ぢぞう)と呼(よ)ぶ 生(いき)ながら 酒と肴(さかな)を 渕(ふち)へ  捨(すて)しと   いふ    心(こゝろ)なるべし   居(い)びたれ上戸(じやうご) 盃(はい)ばんらうぜき として肴核(かうがい)既(すで)につき 網塩(あみしほ)から備前(ひぜん)くらけまで 残(のこ)るかたなきもてなしいざ 盃(さかづき)も御納(おさ)めと主客(しうかく)一同(いつとう)にとり したくの段(たんに)なりこれからが さけじやぞやと酌人(しやくにん)の寝(ね) むりこけるも気(き)がつかずべら り〳〵とくだを巻(まく)は 扨(さて)〳〵勝手(かつて)かたの大(おゝ)こまり いつとてもはきものに 生灸(なまきう)のたえる間(ま)はなし 是(これ)を居(ゐ)びたれざけといふて下戸(けこ) 達(たち)のきつふにくむものなれど 実(じつ)は酒(さけ)を好(この)むの一 事(じ)なり 呑(のむ)たけのんで仕舞(しまふ)たら 其席(そのせき)にゐるもめんどひといふ         酒呑(さけのみ)はあまり              あひなし   理窟(りくつ)上戸(じやうご) りくつじやうご世(よ)におゝきものなり 理窟(りくつ)に数品(すひん)ありおのれ其(その)こぼし た水(みづ)が油(あぶら)で今(いま)が師走(しわす)なら なんとするぞといふようような こぢつけた理窟(りくつ)も ありまたは 酔(よひ)に乗(しやう)して孝(かう)を 説(とき)忠(ちう)をすゝめ それより已下(いげ)は其人(そのひと)の 行(おこな)ひに順(したが)ひりんきまぜり にむかひの娘(むすめ)をふづくつたが すまぬのあのじんさいめは たまがかへつてあるぞ□ なんどゝとかく人(ひと)のこゝろに むつとする理(り)くつをいふ故(ゆへ)尤(もつとも)なる こともあれど酒(さけ)の 酔(よひ)のくだ巻(まく) のじやとて さらに きゝいれる   人(ひと)なし   管巻(くだまき)上戸(じやうご) 管(くだ)とは物(もの)をくだ〳〵敷(しく)いふ故(ゆへ)に名号(なつけ) たるやまたは婦人(ふじん)の糸(いと)を 管(くだ)に巻(まく)はいくたびもおなし ことをこゝろながくまく ゆへに名(な)とせしや いづれ酒呑(さけのみ)に 管巻(くたまか)ぬ ものは なし 酔(よふ)ては居(い)ぬぞと いふはかならず 酔(よふ)たるなり管(くだ)はまかぬといふが くたなりさる人のはなしに 我(われ)酒(さけ)に酔(よへ)ばいふことも する事(こと)もくどふなる夕辺(ゆふべ)も 久(ひさ)しぶりでさけに よふて娼(おやま)こふ たが夜(よ)か よつひと したことは 仕(し)ひ  〳〵   笑(わら)ひ    上戸(しやうこ) わらひ上戸は世(よ)に希(まれ) なるものにて予(よ) 数年(すねん)酒中(しゆちう)の仙人(せんにん)と なりて諸方(しよはう)に遊宴(ゆうゑん)す れどもいまだ然(しか)るべき笑(わ)らひ 上戸(しやうこ)を見(み)ず人(ひと)々酒(さけ)を呑(のん)で笑(わらひ) 談(たん)ずる是 常(つね)のことにて酒の癖(へき) といふべからず実(じつ)のわらひ上戸は おかしくもあらぬことを腹(はら)を よらして笑(わら)ひ入(いり)ほとんど わらひ中風(ちうふう)といふ病(やまひ)の如(こと)く 自(みづから)留所(とまるところ)なきをいふなりたま〳〵 わらひ上戸ともいふべきさけ 呑(のみ)と同席(どうせき)にて呑しに熊(くま)の皮(かわ) のふとんを手(て)にて撫(なて)まわしけし からす笑(わら)ふ傍(かたはら)の人(ひと)はやくさとりて 妻(さい)もよろしく申 上(あけ)ますといふ古(ふるき) 噺(はなし)しにやといへはかの人 頭(かしら)をふり いやさにはあらす拙者(せつしや)が せかれ七ッ蔵(ぞう)めががつ そうあたまによく似(に)たる かおかしきとて腹(はら)を かゝへて笑ひぬかゝる おかしからぬことを  わらふ人も     あり      がた       し   泣上戸(なきじやうご) 泣上戸とて酒(さけ)さへのめば其侭(そのまゝ) 直(すぐ)になくものにあらず抑(そも〳〵)酒は 人(ひと)の本性(ほんしやう)を顕(あら)わす物(もの)なれば つね〳〵こゝろに不平を 懐(いだく)かまたは人を恨(うらむ)るか 内心(ないしん)にくや〳〵と おもふ折節(おりふし)おもしろ おかしふこゝろの合(あふ)た 友達(ともたち)に口々(くち〳〵)あふた 呑(のめ)る肴(さかな)吸(すい)ものの 加減(かけん)もよくくつと 呑るといふ段(だん)に なつて常(つね)よりは ひとしほよひも 廻(まは)りうき世(よ)の 雑談(さうたん)人(ひと)のとり ざたかうふつ と我(わが)おもふ恨(うら)みのつぼゑ おつるやいなや心(こゝろ)に おもふありたけを たくりかけ〳〵玉(たま)を あさむくあらなみだ 人(ひと)の見る目(め)も 外聞(ぐわいぶん)も わすれはてゝ 泣事(なくこと)なり  是(これ)全体(せんたい)正直(せうじき)    なる生(うま)れ附(つき)きに 肝積(かんしやく)とへんくつを調合(てうかう)し しかも大酒(おうさけ)する人ならでは         泣場処(なくはしよ)には至(いた)らぬ也   呼出(よひだ)し上戸(じやうご) 扨(さて)ゆふべはけしからぬ酩酊(めいてい)貴公様(きこうさま)に途中(とちう)て 御別(おわかれ)申てかの一杯(いつはい)きげんでさる人(ひと)の妾宅(しやうたく)へ 立寄(たちより)むりにこひ出(た)して初(しよ)夜 過(すき)るまで吞(のみ) 扨ぶら〳〵と鍋島(なべしま)の浜(はま)のすゞみへ参(まい)り どしやう汁(じる)のけふりくさひやつて ひとり吞(の)んでゐるをうしろの机(しやう)ぎから 拙者(せつしや)を呼(よふ)故(ゆへ)ふりかへり見たれば となりのむすこが京(きやう)の客(きやく)つれて すゞみに来(き)て居(ゐ)るをむりに引(ひつ)ぱつて 北(きた)の新地(しんち)へ出(て)かけ花善(はなせん)でゑら吞 二人(ふたり)ながら妓(おやま)かふて寝(ね)てしまふ 扨いのふといふたれば竹輿(かご)に のれとさわぐを酒(さけ)に酔(よふ)たはお もしろいが竹輿によふては うけにくいとあるひてひよろ〳〵 もどりかゝつた所(ところ)か虎久(とらきう)の舟(ふね)が 仕舞(しまひ)かけてゐるをむりやりににじり こみうなき一種(いつしゆ)て呑(のみ)しめ鉢(はち)に残(のこつ)た うなぎを包(つゝ)ませ懐中(くわいちう)して内(うち)へ帰(かへ)り 嚊(かゝ)へのついせうにかのうなきを見 【かかあへの追従ヵ】 しらせなすびのあさづけはじかみのす づけといふ所(ところ)て小(ちい)サイちよくで十五六 やつたれば嚊めが盃(さかづき)ひつたくつて またよび出し酒(さけ)かおゐてもらをと にらみつけたおそろしさに酒の酔(ゑひ)はさ らつとさめとこそで一盃(いつはい)やり直(なを)したひ とおもふて何時(なんとき)じやと問(とう)たれは 今(いま)明(あけ)六ッ打(うつ)てゐますといふたには 我(われ)ながら肝(きも)かつぶれたとの噺(はなし)       強(こう)ゐんは         たれも此体(このてい)多(おゝ)し 【鍋島の浜・鍋島藩蔵屋敷前の堂島川沿いを鍋島浜と呼び、夕涼みや月の名所として有名だったらしい。現在の大阪北区の高等裁判所辺り。】   大気(たいき)上戸(じやうこ) 予(よ)が智人(しるひと)にさる強飲(かうゐん)あり 此人(このひと)はなはだまつしくて 月〳〵の晦日(つもごり)をこゝろ よく越(こ)したる事(こと)なし ある月の廿九日その妻(つま)親里(おやさと)に ゆきて衣類(いるい)調度(てうど)など 十品(としな)ばかりかり出(いだ)し 夫(おつと)にあたへて 質物(しちもつ)となし 金子(きんす)を調(とゝの)へ しむ夫 諾(たく)して質家(しちや)にゆき 金子 二片(にへん)を得(ゑ)て帰(かへ)る道(みち)にて さけ吞(のみ)の朋友(ともたち)にあひて青楼(ちやや)に 酒(さけ)を酌(く)むこの人(ひと)乱酔(らんすい)してかの二片(にへん)の 金(かね)を出(いだ)し歌妓(けいこ)幇間(たいこ)に 分(わか)ちあたへわづかに南鐐(なんりやう) 壱片(いつへん)を残(のこ)してそこに 酔臥(よひふ)す翌朝(よくてう)千悔(せんくわい) すれどもかひなし 此(この)二朱一片 何(なん)の用(よう)をか なさんとて 錦出(にしきで)の《振り仮名:茶■|ちやづけ》【漬ヵ】 茶碗(ちやわん)弐人前 調(とゝのへ)家(いへ)に帰(かへ)り《振り仮名:一ッ|ひとつ》を 妻(つま)の用(やう)とし一ッを 我器(わかき)とす是(これ)を  大気(たいき)上戸(しやうご)と      いふべし 【南鐐 : 江戸時代の通貨のひとつで、額面が固定されている銀貨。 南鐐二朱銀】   犬悦(けんゑつ)上戸(しやうご) つゐんしのもとにてゑもいえぬ事 ともしちらしとつれ〳〵草(くさ)に かけるは今(いま)の謂所(いわゆる) 犬悦(けんへつ)なり夫(それ)嘔吐(へど)は 酒徒(しゆと)のいきおひきはまる ところにして武夫(ぶし)の 討死(うちし)にをなしまた 一種(いつしゆ)多(おゝ)く呑(のま)ん ために指(ゆび)にて 咽喉(のど)を弄(ろう)し 強(しき)りに嘔吐(へど)を なし扨(さて) 飲(のみ)に着(つく)ものあり 是(これ)は剛飲(かうゐん)とは いふべからず 腹中(ふくちう)をしばらく 酒食(しゆしよく)の宿(やと)となし やがて追出(おいだ)すに同(おな)し かるへし全体(ぜんたい)嘔(ゑづきを)なすも 酒客(しゆかく)の一 興(きやう)といへども 尾籠(ひらう)のふるまひ強飲(かうゐん)の あるましき    仕業(しわざ)なり 【つれ〳〵草に書ける : 徒然草175段。酒飲みってひどすぎると書き連ねているうちのひとつ。「築地・門の下などに向きて、えもいはぬ事どもしちらし」】 絵本(ゑほん)不尽(つきぬ)泉(いづみ)下之 巻(まき)    目録(もくろく) 一 為強(つよがり)上戸(じやうご) 一 慇懃(ゐんぎん)上戸 一 雲介(くもすけ)上戸 一 慎怒(おこり)上戸【慎は憤の誤記ヵ】 一 爽晴(ざつぱつ)上戸 一 睡眠(ねむり)上戸 一 多言(たごん)上戸 一 自惚(うぬぼれ)上戸 一 淫乱(ゐんらん)上戸 一 宿酒(ふつかゑひ)   強(つよ)がり上戸(じやうご) つよがりの上戸(しやうこ)世(よ)に おゝきものなり 五月雨(さみたれ)の打続(うちつゞき)たる しめりがち なる折節(おりふし)合方(あいかた)の 女郎(じよろう)がならぬ返事(へんじ) にくつとふさいで げい子(こ)たいこが座(ざ)を もちかぬるを 発才(はつさい)中居(なかい)が 彼(かの)強(つよ)がりを のみこんで ちよつとさわつては ころりとこけゆきあ たつてはとつとたをれ 手(て)かいたいからだが しびれる何(な)んとしてその よふに力(ちから)つよふむまれなました 透(すか)さぬ手(て)だれにたいこもちが 合点(がてん)して旦那(たんな)一番(いちはん)枕(まくら)引(ひき)居(ゐ) すまふいつそ身(み)うちが砕(くだける) げゐこどもも間(ま)に合(あわ)せかぎ ひきでゆびがいたひと よつてかゝつてのせかくるに 宝岩(ほうぐわん)大(おゝき)に気色(きしよく)をなをし扨(さて) 夫(それ)からの強(つよ)がり自慢(しまん)和藤内(わとうない)か タイハンをせめしよりもつと    すざましき鉄炮(てつほう)の      あたり処(ところ)はやみの夜(よ)に        はなし次第(したい)云次第(いゝしだい)          さて勤(つとめ)よき客人(きやくじん)なり   慇勤(ゐんぎん)上戸(じやうご) ゐんぎん上戸(じやうご)といふは酒癖(さけのくせ)の一(ひと)ツ(つ)なり かの過(すぎ)たるは及(およは)ざるにしかじと やらん喧嘩(けんくわ)上戸(じやうご)おこり上戸(じやうご)よりは 少(すこ)しましなれども酒(さけ)に酔(よひ)てのゐん ぎんはこと〴〵く馬鹿(ばか)ゐんぎんにて人(ひと)を こまらする事(こと)甚(はなはだ)し少(すこ)し酔(よひ)が まわるにしたがひ割(わり)ひざの膝(ひざ) かしらをあらわしまわらぬ 舌(した)にて慇勤(いんぎん)を演(のべ)ることべん べんとしてあたかも薬(くすり)地黄(ちおう) せんをひつはるにひとしく我前に 呑(のみ)さしてある盃(さかづき)を打(うち)わすれ一座(いちざ) の酒客(しゆかく)に退窟(たいくつ)をおこさせ肴(さかな) はさむ度事(たびこと)に箸(はと)をいた だき人(ひと)の咄(はな)しはひとつも耳(みゝ)へ 入らず合客(あ きやく)も大躰(だいてい)は 付合(つきあ)ふて見れと 後(のち)にはおもひ〳〵の 上気(うわき)はなしかの慇(ゐん) 勤(ぎん)を合手(あひて)にせねどゐん勤(ぎん) さけの得(とく)には気(き)にもさわらず酌(しやく)に 出(て)て居(い)るにめろでつちを合手(あいて)に 何(なに)やらゐんぎんに聞(きこ)■【へヵ】ぬ噺(はな)ししら るるは扨(さて)も〳〵 きのどくなと思(おもへ) ども品(しな)■【こそヵ】かわれ 酒(さけ)の癖(くせ)はわれ人(ひと) のがれがたきもの なれば下戸(げこ)の馬鹿(ばか)   ゐんぎんしたるよりは   かわいらし也   雲助(くもすけ)上戸(じやうこ) 九夏三伏(きうかさんふく)の暑(あつ)き日(ひ)厳冬素雪(けんとうそうせつ)の寒(さむ)き夜(よ)も破(やふ)れ地(ち)はんたつた一枚(いちまい)の 竹(たけ)の負木(おふこ)にになひもち長町(なかまち)を宿(やと)とさため気(き)さんじなる暮(くら)し是(これ)を 雲助(くもすけ)と号(なつ)く上戸(じやうご)に雲助(くもすけ)上戸(しやうこ)と異名(いみやう)せるは 酒(さけ)の座席(ざせき)野鄙(やひ)にしてゐんぎんの 座(ざ)に居(ゐ)る事(こと)かな わず先(まつ)呑(のみ)かけるに 今(いま)流行の利休形(りきうかた)の小き 盃(さかづき)をまどろし かりはじめ より石(いし)にて やりかけ取肴(とりさかな) のあわびかまほこ あるひは鉄炮(てつほう)あへ やつことふふの 醤油(しやうゆ)に青(あを)とふ がらしのまぜり たるもひとつ器(うつは) 打(うち)こみかたはしより まわし喰(くら)ひなど とかく貴人(きにん)のせぬ 事(こと)ばかりしかも 酒(さけ)にははやく酔(よひ) 料理場(りやうりば)から鯛(たい)めん の出(て)る時分(しぶん)にはゆすつ てもおこしても一向(いつかう)に たわひなくたま〳〵むりに 引(ひき)おこされては酒(さけ)は見るのもいやになり 一座(いちざ)の女中(じよちう)あるひはげい子(こ)中居(なかい)をとらへ ひんだかへたりこかしたり三味(さみ)せんをふみ おり鉢水(はちみづ)をこぼすやら興(きやう)も酔(よひ)も醒(さめ)はてゝ仕舞(しまひ)は いつも言分(いゝぶん)出来(てき)さん〴〵の事(こと)にて終(おわ)るなり是等(これら)を酒徒(しゆと)の下品(けひん)と              さだむべき■【也ヵ】   怒(おこ)り上戸(じやうこ) おこり上戸(じやうご)は酒(さけ)の癖(へき)なりさけこのむ人 つとめてつゝしみ  このへ            きを 愈(なを)すべし先(まづ)其(その)初(はじめ)は 酔(よふ)たにかこつけさも なき事(こと)を仰山(ぎやうさん)に 罵(のゝし)り手廻(てまは)りにある 皿(さら)鉢(はち)を取(とり)てなげ落花(らくくは) みぢんにくだく事(こと)なり それも少(すこ)し胸(むな)さん用(よう)ありて 肴鉢(さかなはち)も赤絵(あかへ)の古渡(こわた)り宗哲(そうてつ) 好(このみ)の吸物椀(すいものわん)五人 前(まへ)揃(そろ)ひたる是 いかな〳〵かた脇(わき)へよせておき はぎやきの茶(ちや)のみ茶(ちや)わんを 打砕(うちくだ)きて腹(はら)をゐることなり次第(しだい)〳〵にこの癖(へき) つのり後(のち)には酒(さけ)さへ吞(のめ)ばいかることく自得(しとく)して 珍客(きんきやく)をまねくたひまたしても吸物(すいもの)の ふ加減(かけん)を云立(いゝたて)女房(にやうほう)をしかりつけ下女(けしよ)の 小女郎(こめろ)があくびかみ〳〵酌(しやく)したが気(き)に いらぬと横(よこ)づらをはりまわし客(きやく)への 不敬(ふけい)家内(かない)のぶ首尾(しゆひ)この上(うへ)もなきふ興(きやう)なり されども此癖(このへき)は人(ひと)に対(たい)して喧嘩(けんくわ)し釼(けん)げきを 振(ふる)ふほどの大事(だいじ)にはおよばす たとひ人(ひと)にむかつて 悪口(あつかう)失言(しつげん)をはくといへども さきよりつよく きめつくれば 忽(たちまち)底頭(ていとう) 平身(へいしん)して謝(しや)する事(こと) 根本(こんほん)こゝろに損得(そんとく)のさん用(よう)     あるによれり下戸(げこ)是(これ)を号(なづけ)て          わるひ酒(さけ)じや             といふ 【赤絵の古渡 : 中国明時代頃作られた彩色の磁器】 【宗哲好み : 京の塗師の中村宗哲風】   殺罰(さつはつ)上戸(じやうご) 殺罰(さつばつ)は侠者(きやうしや)の業(わざ)にて おそるべきの甚(はなはだ)しき 物(もの)なり酔(よひ)に乗(じやう)しては 釼刀(けんとう)を振(ふつ)て人(ひと)と 閙(あらそ)ひこぶしを揚(あけ)て互(たがい)に 打合(うちあ)ひ或(ある)は傷(きず)を かふふり命(いのち)を うしなふかゝる上戸(じやうご) あるをもつていたづらに 酒(さけ)の名(な)をけがす凡(およそ)酒(さけ)は 百薬(ひやくやく)の長(ちやう)にて愁(うれ)ひを わすれ思慮(しりよ)を少(すく)なから しめ不 老長寿(らうちやうじゆ)のものなれば 聖人(せいじん)も量(はかり)なけれども乱(らん)に 及(およは)ずとの玉(たま)ひて和漢(わかん)ともに 尊(たつと)び用(もち)ひ来(きた)る事(こと)年久(としひさ)し さるたふとき徳(とく)ある酒(さけ)を おのれが侠(きやう)にまかせ悪名(あくみやう)を 冠(かうむら)じむるは実(しつ)にさけの 罪人(ざいにん)なり酒好人(さけこのむひと) 風流(ふうりう)を   心(こゝろ)にたしなみ     慎(つゝ)しみて       酔(よひ)狂(くるひ)の      行(おこな)ひ        あるべからず   垂眠(ねむり)上戸(じやうご) 春(はる)の日のどやかなるに 弁当(べんとう)小竹筒(さゝゑ)とりもたせ 野辺(のべ)の若草(わかくさ)ふみしだき ひばりの高(たか)く啼渡(なきわた)るに 毛氈(もうせん)打(うち)しき呑(のみ)かけた るは下戸(けこ)の人(ひと)さえうら やみぬべし扨(さて)は夏(なつ)の夕(ゆふ) つかた川舟(かわふね)に棹(さほ)さし 流水(ながるゝみつ)にさかづきを浮(うか)め 花火(はなひ)の空(そら)にひらめき たるいわんかたなし秋(あき)は北山(きたやま)の 茸狩(たけかり)萩(はき)紅葉(もみぢ)なんどに呑暮(のみくら)し 冬(ふゆ)のいと寒(さむ)き頃(ころ)は炉(ろ)の元(もと)に まどゐして心(こゝろ)ある友(とも)どち打寄(うちより) 酒(さけ)をあたゝめ出(いだ)したるぞまた よのたのしひを究(きわむ)といふ べしその外(ほか)青桜(せいらう)【楼ヵ】戯場(げきじやう) 雪月花(せつけつくは)祝儀(しうぎ)不 祝義(しうぎ)或(あるひ)は 喧嘩(けんくは)の中直(なかなを)り何事(なにごと)も唯(たゝ) 酒(さけ)のみてこそおもしろ けれ扨(さて)すこし酔心地(よひこゝち)に なり互(たがい)に打解(うちとけ)常(つね)いわぬ こときかぬことおもしろ おかしき最中(さいちう)にいびきの 声(こへ)いと高(たか)く打(うち)たをれて 寝(ね)る上戸(じやうご)あり是(これ)ものに 害(かい)なしといへども酒(さけ)の興(きやう) 至(いたつ)て薄(うす)し   上戸(じやうご)中間(なかま)是(これ)を号(なつけ)て      正躰(しやうたい)もなき        御有様(おんありさま)と称(しやう)す   多言(たごん)上戸(じやうご) 酒気(さかけ)のなひ生(す)めの ときは人(ひと)もこゝろを 奥(おく)の間(ま)に打(うち)しめり て渋(しぶ)吸(す)ふた顔付(かほつき) も《割書:サア》五六 杯(はい)きこし めせば何(なに)となく口(くち)か ろく次第(したい〳〵)にさけの 過(すき)るほど問(とわ)ずがたりの 身(み)のうへばなし人(ひと)のかげ 言(こと)世(よ)の雑談(ざうたん)つゞきつんぼに 聞(きか)すよふな大声(おゝこへ)さりとは酒(さけ) 気(き)のあるときと常(つね)の くすみよふ天地(てんち)雲泥(うんでい) 下駄(けた)と焼味噌(やきみそ)の大ちがひと 山(やま)の神(かみ)の内儀(ないぎ)か方から 酒(さけ)のかんつけてもつて 来(く)る事なりかゝる多(た) 言(げん)の上戸(じやうこ)にもかならす きんもつのはなしありて あるひは学問(がくもん)咄(はな)し になれは何(なに)となく しめりか来(き)てそれ からはつや〳〵物(もの)も の玉(たま)はずそこに手枕(てまくら)して ねてしまふもあり其外(そのほか) 茶(ちや)の湯(ゆ)はなし書画(しよぐわ)の うわさ何(なに)にもあれ我(わが) しらぬ道(みち)の少(すこ)し高(ほう) 上(じやう)なる事(こと)の咄(はな)しに なれはさしもの多(た) 言(げん)もくつとふさく はお定(さたま)りなり 【下駄と焼味噌 : 板につけて焼いた味噌の形は下駄に似ているが、実際は違うところから、形は似ていても内容はまったく違っていることのたとえ。 デジタル大辞泉より】   自惚(うぬほれ)上戸(じやうご) うぬぼれとは東都(あつま)の 方言(はうげん)にて浪華(らうくわ)のいわゆる味噌(みそ)を あげると同日(とうじつ)の談(だん)なり世(よ)の中(なか)に 自惚(うぬほれ)れのなき人(ひと)こそすくなけれ或(あるい)は才智(さいち)を 慢(まん)じ芸能(げいのう)をほこり色情(いろごと)に通(つう)じたる容色(よふしよく)のすぐれたる おのれ〳〵がほどにつけて我(われ)と我身(わがみ)にほれたれどさすがに 不酔(すめ)のときは慎(つゝ)しみて言外(ことは )に出(いた)さねども酔(よひ)に乗(せう)じては本性(ほんしやう) あらわれ彼(かの)情妓(いろ)めをまわし自慢(しまん) 其(その)花街(さと)にて倡(おやま)にきけばなんの事(こと)なき    つねの客(きやく)にてさりとはきつい自惚(うぬぼれ)じやと      そしる人(ひと)もうぬ惚(ほれ)なり来(く)る者(もの)もうぬ往者(ゆくもの)も   我(うぬ)うぬ沢山(たくさん)の世界(せかひ)なれば           この作者(さくしや)のうぬもまた智(し)るべし 【味噌を上げる : 自慢する。手前味噌を並べる。 デジタル大辞泉より】   淫乱(ゐんらん)上戸(じやうご) 九月の出(て)かわりは御停止(ごてうじ)にて 三月ばかりとおもへば 一入(ひとしほ)奉公人(ほうこうにん)におもひ入(いれ)深(ふか)く 此季(このき)奉公(ほうこう)はしめの うしろ帯(おび)十七か八は まだ破(われ)まいとしり 付(つき)のむつちりに おもひつきしが親元(おやもと)は 下原(したばら)にて二(ふた)ッ名(な)はつけど一(ひと)すじ 縄(なは)てはゆかぬつらかまへにおそれて ほんに〳〵手(て)さえにぎつたこともなく とく実(じつ)堅固(けんご)に親方(おやかた)を勤(つと)めしが西照庵(さいせうあん) にてたのもしの貌(かほ)よせ講元(かうもと)がもて なしにたわひもなく 酔(よひ)つぶれ戻(もど)りは坂町(さかまち)か 道頓(とうとん)堀へ落着(おちつく)はづを 同席(とうせき)の下戸達(げこたち)に引(ひ)き づられなんなく我内(わがうち) 戻(もと)りしが家内(かない)は 寝入(ねいり)て件(くだん)の下女(けじよ) 紙燭(しそく)かた手(て)に門(かど)の戸(と) あくるを酔眼(すいがん)にちらと 見て前後(ぜんこ)跡(あと)さきのとん着(ぢやく)も なくおしつけて たつた一度(いちど)が附入(つけいり)りに なりて青梅(あをむめ)が喰(くい)ひ たひのからゑづき が出(て)るのとこんりん ざいゆすりぬかれ母(はゝ) 親(おや)の手前(てまへ)女房(にやうぼう)の おもはくさりとは酒は心(こゝろ)の        外(ほか)じやなァ 【右丁】   宿酒(しゆくしゆ) 宿酒(ふつかよひ)の腹心地(はらこゝち)ほど世(よ)に おかしきものはなし食(しよく)を 欲(ほつ)すれども喰(くろ)ふことあた わず強(つよ)く食(しよく)すればかならず 嘔(へど)をなす先(まづ)おさだまりの 朝風呂(あさふろ)扨(さて)午時前(ひるまへ)に湯(ゆ) やつこの熱酒(あつかん)すこし 呑(のみ)たる尤よしあつきの 煮(に)しる呑たるも よし又(また)最上柿(さいしやうかき)をせんじ 用(もち)ひてよしまたすつ ぽんを喰(くろ)ふもよし又 三里(さんり)に灸(きう)したるもよし また上手(しやうす)の導引(とうゐん)に 按腹(あんふく)させたるも心(こゝろ)よし 【左丁】 宿酒(ふつかよひ)のときあしき 事(こと)は飯(めし)を喰(くろ)ふこと 物(もの)をかく事(こと)寝(ね)る事(こと) 男女(なんによ)の   ましわ梨(り)     塩茶(しほちや)飲事(のむこと)    こたつに       あたる         事(こと)     これらの        事      すべて        みな       わろし 【右丁】 画工   法橋玉山 【印 玉山】【印 尚友】 寛政九《割書:丁| 巳》初陽吉辰          心斎橋通     浪花書林  大塚屋惣兵衛 【左丁・白紙】 【蔵書印・国文学研究資料館/150805/平成18年3月9日】 【裏表紙】