《題:豊橋商工案内》 昭和十五年度 豊橋商工會議所 【右頁】 【社章】 東邦電力《割書:株式|會社》豐橋支店      豐橋市松葉町      電話(代表)三一一五番 【左頁】 山安海苔株式會社  東京店  東京市日本橋區室町一丁目一四ノ四        電話(日本橋)六五三番  大阪店  大阪市北區今井町四〇番地        電話(堀川)二五二二番  名古屋店 名古屋市西區小鳥町一        電話(西)四九六五番  豐橋店  豐橋市魚町五十八番地        電話二一五三番          四一五三番 《割書:合資|會社》山安食料品店  本店    豐橋市魚町五十八番地         電話二一五三番           四一五三番  豐川支店  愛知懸寶飯郡豐川町         電話二六〇番  山安マート 豐橋市神明町交叉点【「山安」は商標】    【右頁】 營業種目  淸酒・ビール・燒酎・味淋  雜酒・醬油・淸凉飮料水  其ノ他一般種類 酒類問屋 株式會社川淸商店   豐橋市驛前   電話二〇五三     二〇六一 【左頁】 一、本會議所は商工會議所事務權限に準據して經營するものであるから、商工業に關する各種   の御意見等は何事に依らず申出でられたい。 一、商品の產額・集散額・運輸交通及び金融狀態等時々御報道を煩したい。 一、商工業の狀況・調査材料蒐集等の爲め、本所員訪問の際又は書面で照會した節は特に御便   宜を與へられたい。 一、諸會社・組合等で業務報告書御作製の節は其の都度御寄贈ありたい。 一、商工業家各位で本會議所の照會・紹介又は證明書を要せらるゝ場合は御遠慮なく御申出で   られたい。 一、商工業に關して紛議を生じた場合は御申出でにより仲裁判斷或は調停和解の勞を採ります 一、本會議所には各方面から寄贈に係る商工業に關する有益なる圖書の備付があるから、執務   時間中は何時でも閲覧に供します。           豐橋商工會議所 【右頁】      商工會議所の機能  一、商工業に關する通報をする事  二、商工業に關する仲介又は斡旋をする事  三、商工業に關する調停又は仲裁をする事  四、商工業に關する證明又は鑑定をする事  五、商工業に關する統計の調査及び編纂をする事  六、商工業に關する營造物の設置及び管理をする事  七、其の他商工業の改善を圖るに必要なる施設をする事  八、商工會議所は商工業に關する事項に付行政廳に建議する事  九、商工會議所は行政廳の諮問に對し答申する事  十、行政廳は商工會議所に對し商工業に關する事項の調査を命ずる事を得 十一、商工會議所は商工業者に關する統計其の他の調査を爲すため必要なる資料の    提出を求むる事を得 【左頁】    豐橋商工案内目次 總說…………………………………………………………………………………………………… 一  沿革・地勢・富力・隣接町村 財政…………………………………………………………………………………………………… 四 商工業………………………………………………………………………………………………… 六 豐橋商工會議所沿革………………………………………………………………………………… 九 調査統計………………………………………………………………………………………………一三  主要物產(一三)・玉絲產額(一三)・生絲產額(一四)・麻眞田產額(一四)・豐橋生繭取  引市場取引高(一四)・豐橋倉庫出入貨物(一五)・物價と勞銀(一六)・豐橋市内組合  銀行營業槪況(二六)・瓦斯(二八)・豐橋乾繭取引所銘柄別淸算取引賣買數量(二八)  市内投宿人員(二八) 交通と通信……………………………………………………………………………………………二九  交通施設・市民經濟・都市の膨脹・通信狀況。產業生活の充實・其の他統計 宗敎敎育………………………………………………………………………………………………三三 【右頁】 社會事業………………………………………………………………………………………………三五 土木衞生………………………………………………………………………………………………三六 名所舊蹟………………………………………………………………………………………………三八  今橋城・戸田今川の爭鬪・家康と織田氏・城主の交代・最後の藩主・吉田城  趾・仁連木城・其の來歷と宗光・重貞の戰死・天正の戰・康長の戰功・豐川  の淸流・古名の色々・橋梁移轉・地子御免・貨物の運上・舊幕時代の湊 豐橋名代行事…………………………………………………………………………………………四二  笹踊・煙火・鬼祭 附近町村を探ねて……………………………………………………………………………四四  豐川・鳳來寺・田口鐵道沿線・豐橋以西・豐橋以東・名鐵渥美線沿線・八名  方面・ハイキングコース ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 商工業者人名 附錄 【左頁】   豐橋商工案内    總說     沿革-地勢-富力-隣接町村-其の他統計  豐橋市はもと吉田の宿と呼ばれ、東海道五十三次の一として名高かつた。種々異說はあるが、「吉田通 れば二階から招く、しかも鹿の子の振袖が」といふ俗謡は此の地から發生したものと言はれてゐる。明治 二年六月豐橋と改稱、明治二十二年初めて自治制を實施され、明治三十九年八月市制施行地となつた。  思ふに、吉田と呼んだ頃の戸口は一體どの位有つたであらうかと言ふに、昔から吉田の二十四ヶ町と言 つて德川三百年の間に變りの無かつた如く、戸數にも左程の增減を見なかつた。貞享五年に一千戸のもの が、寛永七年に一千十一戸、寶政十年に一千二戸と言ふ狀況である。尤も此の以前卽ち寛永四年に大地震 があつて、總戸數一千十一戸の内、全潰戸數二百十戸、半潰戸數二百六十六戸で、外に死者十一人も出し た事であるからだとしても、極めて其の增加率の少なかつたのは事實である。隨つて人口も亦弘化元年に 男女合せて五千五百四十五人、其の翌年には十人を減じ、嘉永元年に至つて五千五百十九人と言ふ數字を 示して居る。然るに明治二十二年初めて自治制を實施された當時には、今の豐橋の區域は豐橋町・豐橋村                     一 【右頁】                     二 ・花田村・豐岡村の一町三ヶ村であつた。其の内豐橋町に屬する戸數は三千五百九十七戸、人口一萬二千 三百三十九人を算し、次いで明治二十八年一月に豐橋町と豐橋村の合併が行はれ、明治三十九年七月更に 花田・豐岡の二村も之れに合併し、續いて同年八月市制施行地となつたのであるが、當時の戸數は九千九 百戸、人口三萬七千六百三十五人であつたが、明治四十一年十一月第十五師團の設置により著しく膨脹し 翌四十二年には戸數一萬一千七百五十九戸、人口四萬四千六百八十七人となり、大正九年の國勢調査では 人口六萬五千百六十三人であつたのが、五年後の大正十四年に於ける中間國勢調査では八萬二千三百七十 一人、昭和五年十月の第二回國勢調査には九萬八千五百五十五人を數ふるの狀態に至つた。其の後師團廢 止も大なる影響なく、蠶絲業の著しい發達に依り益々發展の趨勢を示した。  更に昭和七年九月一日より、隣接町村寶飯郡下地町・渥美郡高師村・牟呂吉田村・八名郡下川村・石卷 村大字多米を合併し、玆に人口十四萬を擁する大豐橋市が實現するに至つた。  斯くて我が豐橋市は三河の東南に位し、今や北は寶飯郡豐川町・牛久保町・小坂井町、東は八名郡石卷 村・靜岡懸知波多村・渥美郡二川町、南は渥美郡高豐村・老津村に境を接し、西は渥美灣に面してゐる。 位置は東徑百三十七度二十三分三十秒、北緯三十四度四十五分四十秒である。地勢は槪ね平坦であるが、 一般的に言へば、東部より西部へ傾斜し、東西及び南北の距離は共に夫々三里二十餘町、總面積六・八一 一方里を有し、東三平野樞要の地點を占めてゐる。地質は豐川に沿ふた市の低地は槪して沖積層であるが 市街の大部分は高地で多くは古生層である。氣象は其の年によつて多少の差はあるが、夏は大して暑くな 【左頁】 く、又冬も降雪・結氷を見るは極めて稀であつて、年内を通ずると天氣晴朗・寒暑中和の天惠に富み、全 國有數の健康地である。  而して本年三月末現在總戸數は二萬七千五百二十九戸、人口十四萬八千七百五人に達してゐるが、戸口 とも益々增加せんとする趨勢を示してゐる。  由來東三河と稱するのは、豐橋市を中心として渥美・八名・寶飯・南設樂・北設樂の一市語郡を言ふの で、豐橋の接續町村は渥美郡二川町・高豐町・老津町・寶飯郡豐川町・牛久保町・小坂井町・前芝村・八 名郡石卷村である。                     三 【右頁】                     四    財政  豐橋市の市有財產は土地・建物・渡船・有價證券及び現金に分類せられてゐるが、現金有價證券及び渡 船の額は極めて少い。  當市に於ける昭和十四年度歲入出豫算は金百七十七萬八千三百十八圓で、之れを前年度に比較すると總 豫算高に於て同十四萬四千四百七十七圓の減少である。歲入の主なるものは言ふまでもなく、四割餘を占 むる市稅である。試みに最近の市稅を調べて見ると、昭和十一年度金八十四萬四千五百八十七圓、同十二 年度金八十四萬二千九百六十六圓、同十三年度金八十二萬三千三百五十四圓、同十四年度金八十三萬三千 十三圓、而して十五年度豫算高は金七十九萬二千三百七十九圓であるが、之れを細別すると   地租附加稅     金七萬一千四百三十八圓   特別地稅附加稅   金六千九百八十一圓   營業収益稅附加稅  金十二萬百五十二圓   所得稅附加稅    金三万九百二十八圓   家屋稅附加稅    金三十九萬八千七百九十圓   營業稅附加稅    金一萬六千五百圓   雜種稅附加稅    金十四萬七千五百九十圓 【左頁】 の割合になつて居る。而して昭和十四年末に調査した豐橋市の戸數は二萬七千四百九十九戸、人口十四萬 七千八百三十一人であるから十四年度の負擔額は一戸二十八圓八十一錢、一人平均五圓三十六錢に當る。  次に歲出方面で主なるものは、經常部の小學校費金四十一萬四千三百三十圓、役所費金十七萬三千三百 四十九圓が多く、臨時部では公債費金四十四萬九千三百八圓、小學校營繕費金八萬三百七十三圓、事變關 係諸費金三萬三百六十三圓等である。                     五 【右頁】                     六    商工業  我が豐橋市内に於ける各種の營業は、生產者・問屋・小賣業を通じて大體百數十種に區別するを得べく 其の内最も主たるものを擧ぐれば    玉絲製造業、生絲製造業、麻眞田製造業、繭絲問屋業、繭絲屑物問屋業、再製絹絲業、罐詰製造業、材木商    米穀商、肥料商、呉服商、酒類商、味噌醬油商、履物商、菓子商、洋物雜貨商、足袋商、荒物雜貨商、乾物    商、薪炭商、運送業、家具商、魚類商、海產物商、鶏卵商、文房具商、糸類商、漁網商、靑乾物商 等である。  豐橋市を中心とする附近農村の繭の生產高は素晴しく、昨年十四年の生繭の市場出廻高は二十一萬四千 五百貫餘、價格金二百十六萬二千七百餘圓、東三乾繭組合への寄託分は七十八萬九千八百貫餘である。製 絲業の發展は實に驚くべきもので、就中、玉絲に至つては彼の本場の上州を凌駕し、所謂三州玉絲の特產 地として生產高は我が國玉絲總產額の約五割を占め、恰も長野懸諏訪湖畔に於ける生絲業と相並び本邦製 絲工業会の二大中心地として内外に知悉せらるゝ處である。東海道豐橋驛の西南に林立せる煙筒は何れも 其の工場であつて、地方の俗謠に『吉田鹿の子と昔は言へど今は玉絲日本一』とさへ謠はるゝのである。 然し乍ら當市が蠶絲業に於てかゝる發展を見た反面、他の工業にこれと並ぶものがないのは當市の最大缺 陷であるが、近時郊外南北兩重要施設と相待つて軍需工業も躍進途上にあり、更に他の大工業を移植して 多角工業都市を打ち立てることは誠に緊要事である。 【左頁】  豐橋市に於ける最も重要な工業物產としては第一に玉絲・生絲及繭絲屑物を擧げなければならぬが、之 れに次ぐは味噌・醬油・麻眞田・漁網・毛筆・再製絹絲等であつて、其の内麻眞田は我が國產中でも特殊 の地位を占め重要輸出品の一つであつて、外國婦人の夏帽専用の材料で製品の優良なるは本邦八個の組合 中群を抜いてゐる。亦毛筆の製造も遠く吉田時代より始まつたもので日露戰役後急激に發展し、其の產額 も今や廣島を凌駕せんとする勢ひを示し、製品の多くは東京方面へ賣捌かれてゐる。  次いで時局により相當影響を受けてゐるものもあるが、    菓子、酒類、蒲鉾、竹輪、海苔製品、木竹製品、履物、綿布製品、製綿、眞綿、吉田紬、淸凉飲料、乾物    甘藷、野菜 等も決して見遁すことの出來ない物產である。尚右各種の營業に就き工業方面から見れば、繊維工業・機 械器具工業・化學工業・飲食品工業・特殊工業・製作工業・土木建築工業其の他工業數及び職工數も却々 多數に上つてゐる。更に近來當市に於ても國策代用品の製造行はれ、其の主なるものを擧げて見ると    再製ゴム履物裏、皮革代用絹革、ブリキ罐代用利久凾、蓄音器針代用硝子針、綿紐代用ダイヤテープ、綿    代用羊毛「羽毛」、松脂油、パルプ綿代用皮革建築資材、合成樹脂製品、鐵筋コンクリート代用竹繊維等  昭和七年の隣接町村合併のために當市の主要物產の數量は何れも激增したが、就中、農業方面に顯著で ある。合併前の農家數は八百三十九戸に過ぎなかつたが、最近の調査によると四千八百三十七戸、米の生 產高の如きは昭和十四年六萬七千六百十一石、金額二百八十九萬圓餘であつた。更に農產の主なるものと しては米・繭・大麥・小麥・甘藷・大根・瓜類など數へなければなるまい。耕地も激增して、合併前には                     七 【右頁】                     八 田-四百三十二町歩、畑-四百十一町歩なりしものが、合併直後は田-三千八十三町歩、畑-二千六百九 十互町歩となつてゐる。之れが機關としては市農會を最高なるものとして、養蠶組合・家禽購買販賣組合 農業に關する產業組合がある。  然らば現今商工業方面に於ける機關はどうであるかと言ふと、商工會議所・魚市場・靑物市場・繭市場 乾繭取引所・全國乾繭倉庫聯合會豐橋出張所・日本米穀株式會社豐橋米穀市場・小賣市場・公設市場が設 立され、何れも目覺しい活動を續けてゐる。  市内に本店を有する諸會社の數は、本年六月末の調査によると、株式會社-百二十六、有限會社-一、 合名會社-五十三、合資會社-二百四十四、合計四百二十四であつて、市内に本店を有する會社の活動を 事業別にすると、鑛業三-資本金三百六萬圓、工業百二十六-資本金八百五十三萬八千七百七十圓、商業 二百六十-資本金九百六十五萬四百五十圓、運輸及倉庫業二十七-資本金一千五百十八萬六千五百圓、其 の他七-資本金六十二萬二千五百五十圓、總資本金額三千八百九十一萬四千七百五十圓(拂込二千七百七 十六萬八千五百七十圓)である。是れ等の會社は我が豐橋の產業界のために直接間接多大の利益を齎らし てゐることは言ふ迄もないけれど、前述の狀況から觀察するときは、未だ豐橋に於ける資本の活動は甚だ 微弱なるを感ずると共に、吾人は將來我が事業界・產業界のために研究を費さなければなるまいと思ふ。 尚之れに直接重要な關係を有する金融界の狀況は大野銀行・愛知銀行・名古屋銀行・第一銀行・日本貯蓄 銀行・不動貯金銀行・岡崎貯蓄銀行・愛知懸農工銀行の各支店銀行により支配されてゐる。此の外信用組 合・金錢貸付業・質屋業・無盡業等數種の機關があつて商工業者及び勞働者のために便益を與へてゐる。 【左頁】    當會議所沿革  當會議所は明治二十六年三月二十五日の創立で、其の區域は當時の渥美郡豐橋町を主心に同郡田原町・ 同郡豐橋村・寶飯郡下地町・同郡豐秋村・同郡牛久保町・同郡豐川村・同郡前芝村の八ヶ町村で、創立當 時は同町大字札木六十三番戸に事務所を置き、次いで大字關屋百五十番戸に移り、其の後明治三十五年五 月に同町大字上傳馬丙百十九番戸に移り、從來の區域を變更して更に花田村をも編入したのである。更に 明治四十一年十月一日の豐橋市大字西八町百三十七番戸に、大正四年二月十五日同市大字中柴乙百二十番 戸、同十年五月六日に同市大字本町二十九番地に、同十五年十月二日花田町石塚四十五番地の五に移轉し たのであるが、市の發展に伴つて事務は益々繁劇を加ふると共に、多年の懸案であつた新築の機運熟し、 昭和三年一月二十八日の總會に於て同字四十二番地の一に、二ヶ年度に渉る繼續事業として工費六萬圓を 以て新築するに決し、四月六日地鎮祭を行ひ、同三十日起工、十月九日落成を告げ、同十六日移轉した。 此の間數次の變遷を重ね、隨つて役員の更迭も屡々行はれて居る。  而して最近五ヶ年間の經費豫算は、昭和十一年度金一萬六千三百圓、同十二年度金一萬六千五百圓、同 十三年度金一萬七千三百圓、同十四年度金一萬九千二百圓、同十五年度金二萬七千八百圓である。  尚、會頭・副會頭の異動は左の如くである。                     九 【右頁】                    一〇  就職年月日         會頭      福會頭 明治二十六年        加藤六藏    三浦碧水 同 二八年四月       三浦碧水 同 三十年九月       加藤六藏 同 三十三年七月      三浦碧水 同 三十三年九月      瀧崎安之助 同 三十四年六月      中尾十郎 同 三十四年九月      原田万九 同 三十四年九月      佐藤市十郎   遠藤安太郎 同 三十五年三月      遠藤安太郎   杉田久吉 同 三十八年五月十九日   遠藤安太郎   中西廣三郎 同 三十八年五月十九日           鈴木淸十 同 三十九年六月廿五日           大山復次郎 同 四十年十月一日     高橋小十郎   遠藤安太郎                       原田万九 同 四十一年八月三十日   服部彌八 【左頁】 明治四十二年五月三日    服部彌八    原田万九                       中西廣三郎 同 四十四年五月五日    田中田新    中西廣三郎                       服部平之助 大正二年五月一日      田中田新    神戸小三郎                       中西廣三郎 同 六年五月一日      白井直次    中西廣三郎                       高橋小三郎 同 七年十月七日      高橋小十郎   服部彌八                       中西廣三郎 同 十年四月十六日     高橋小十郎   服部彌八                       山本安太郎 同 十二年九月廿八日    山本安太郎   服部彌八                       河合岩次郎 同 十四年四月十六日    福谷元次    山本安太郎                       神野三郎                     一一 【右頁】                     一二 昭和四年四月十五日     福谷元次    神野三郎                       山本安太郎 同 五年三月七日      神野三郎    山本安太郎 同 五年三月十八日             河合孜郎 同 八年四月十日      神野三郎    河合孜郎                       福谷藤七 同 十年四月二十日             山田芳藏 同 十一年九月四日     河合孜郎    内藤齋平 同 十二年四月八日     河合孜郎    山田芳藏                       内藤齋平 同 十三年七月廿七日            加藤發太郎 同 十五年二月廿五日    河合藤四郎   白井淺治郎 【左頁】    主要産物 (昭和十四年市產業課調査)   生産總額  種別      昭和十四年度        昭和十三年度        昭和十二年度 工產物             -円   四九、六二六、三六六円   五一、六一一、五六二円 農產物     七、八二二、四五〇     五、四〇三、七五六     五、〇七四、九九二 畜產物     二、七九四、七一五     二、三一二、六〇一     一、五二七、九三六 水產物     二、五四三、七九五     二、二三一、五九七     一、九二七、六二二 鑛產物       一一三、三〇九        九五、七五九        九七、三八六 林產物        二八、〇〇〇        二七、〇一七        二四、〇五〇 計               -    五九、六九七、〇九六    六〇、二六三、五四八   玉絲産額 (三遠玉絲製造同業組合) 四月一日-三月三十一日  種目      昭和十四年度        昭和十三年度        昭和十二年度 組合員數           四〇人           四〇            四二 釜數          三、五七〇釜        六、五五七         六、八三五 生產數量       二九、六二七梱       二五、四八三        二九、四八一 生產價格   一九、一六九、〇〇〇円    九、四四〇、九七三     七、一六〇、二一四                     一三 【右頁】                     一四 海外輸出數           -梱          六三〇         四、七二四 内地販賣數      二九、六二七梱       二四、八五三        二四、七五七   生絲産額 (愛知懸製絲業組合東三支部)  種目      昭和十四年度        昭和十三年度        昭和十二年度 組合員數          一六七人          一六〇           一六〇 釜數          八、三二一釜        八、三〇四         八、四〇六 生產數量      五五一、六六七貫       五五、四二〇梱       五四、七〇一 生產價格   四七、一四〇、八二四円   二一、九七二、六五九    二〇、四〇七、八三三 海外輸出數     一五四、四六七貫       一六、六二六梱       一八、一二四 内地販賣數     四九七、二〇〇貫       三八、七九四梱       三六、五七七   麻眞田産額 (豐橋輸出麻眞田工業組合)  種目      昭和十四年度        昭和十三年度        昭和十二年度 組合員數           四六人           四六            四六 生產高     二、三三六、五二六反    四、一六一、五〇〇     五、六四一、三七三 生產價格    一、一〇八、三六九円    一、一五二、四三九     一、六六二、一五七   豐橋生繭取引市場取引高 【左頁】                       春 繭                              夏秋繭                        合 計 年次      ┏━━━━━━━━━━━━━━┻━━━━━━━━━━━━━━┓ ┏━━━━━━━━━━━━━━━┻━━━━━━━━━━━━━━━━┓ ┏━━━━━━━┻━━━━━━━┓          最高   最低   買馴     數量      金額     最高   最低   買馴      數量        金額      數量        金額           円    円    円         貫       円   円    円    円          貫         円       貫         円 昭和十四年 白 一二・〇〇 六・二〇 九・七一四 六七、五一一 六七四、九六九 一六・二〇 五・〇〇 九・七七七 一四七・〇三二 一、四八七、七五五 二一四、五四三 二、一六二、七二四 昭和十三年 白  五・四三 二・二〇 四・一〇四 六九、六二一 二九八、五一一  六・六五 二・三一 四・〇五一 一一四、一三六   五〇八、一八六 一八八、五三一   八二六、二二一       黄  五・〇〇 二・六〇 三・九四二  四、七七四  一九、五二四 昭和十二年 白  六・七三 四・〇〇 五・八八〇 九五、五九五 五六二、二六五  五・二九 一・五六 三・九七〇 一六八、一四一   六六八、〇一五 二八二、五九八 一、三三六、七四八       黄  六・三〇 二・八二 五・六五〇 一八、八五三 一〇六、四六八      豐橋倉庫出入貨物                入庫高                  出庫高                  殘 高 年次     ┏━━━━━━━━┻━━━━━━━━┓  ┏━━━━━━━━┻━━━━━━━━┓  ┏━━━━━━━━┻━━━━━━━━┓          數量         評價格       數量         評價格       數量         評價格              個           円        個           円        個           円 昭和十四年  八三九、一七六  五四、三三四、六一六  七六七、二八四  四五、三四四、七〇四  二一七、八一七  一二、六一九、五七五 昭和十三年  五九三、六七二  二二、二九四、四三九  五四九、五二一  二一、九三二、七三七  一四五、九二五   三、七二九、六六四 昭和十二年  五六一、六〇八  二二、二八七、八九七  五四七、二九四  二二、三一九、一二七  一〇一、七七四   三、三六七、九六二                     一五 【右頁】                     一六    物價と勞銀   一、豐橋市内諸物價卸値段                          昭和十四年        昭和十三年 銘柄            單位      ┏━━━━┻━━━━┓  ┏━━━━┻━━━━┓                       上半年平均 下半年平均  上半年平均 下半年平均                         円     円      円     円 玄米 三河米  二等品   一石      三五・四二 四一・五四  三三・九八 三五・〇五 同  同    三等品   同       三五・〇二 三九・四一  三三・五二 三四・六〇 同  臺灣米        同       三一・六四 三七・二五  二七・〇六 二九・二三 同  朝鮮米        同       三六・二七 三八・四八  三四・〇二 三五・三〇 白米 三河米  二等品   同       三六・〇二 四〇・六二  三四・八八 三五・六六 同  同    三等品   同       三五・五二 四〇・四七  三四・三七 三五・一六 同  田糯三河產中等品   同       四二・七六 五〇・〇三  三七・八二 四〇・〇四 大麥 三河產  同     正味十二貫    七・〇五  七・一九   六・二六  六・二九 小麦 同    同     同 十六貫   一二・三七 一二・八三   九・七七 一〇・六三 裸麥 讃岐產  同     一石      二九・七〇 二八・一〇  二一・五三 二三・九七 搗麥 同    同     同       二七・四九 二八・七三  二四・四五 二五・一六 壓搾麥同    同     同       二五・一三 二五・八〇  二二・〇三 二二・三八 小豆 北海道  三等品   百斤入一俵   一四・九三 一九・七一   九・七八 一一・七四 大豆 大連         同        九・八四 一三・三三   八・一一  八・五九 【左頁】 食鹽 三等鹽        百瓩       五・七〇  五・七六   五・七〇  五・七〇 味噌 豐橋產  中     百貫匁     二六・三〇 三三・一五  二六・三〇 二六・三〇 溜  同    中引    一石      三七・〇〇 三七・〇〇  三七・〇〇 三七・〇〇 澤庵 同    中     一樽約十五貫   四・七八  六・七五   六・五五  六・八二 牛肉罐詰    上     四打入一箱       -     -  二七・一七 二七・五〇 椎茸            一升(百匁)    一・六九  二・一二   一・四六  一・四八 高野豆腐    上     百個       一・四七  一・九一   一・五三  一・五七 海苔      中     百枚       二・一七  二・四三   一・七〇  一・九三 糸干瓢           十貫匁     七三・五六 五八・八三  二二・七二 五四・三三 靑板昆布          同       一二・五〇 二一・二五   九・五〇 一一・二二 寒天 信州   中     千本      三八・〇〇 六六・四〇  三〇・七八 三二・五〇 砂糖 上白糖  NO.2    百斤      二四・五九 二五・〇二  二三・三四 二四・三〇 同  分蜜   六マーク  同       二一・二四 二一・四二  二〇・〇二 二〇・八六 同  一等   琉球    同       一四・四一 一五・六三  一四・五五 一五・三五 氷砂糖上一等  旭印    同       三三・八〇 三三・八六  三一・二二 三三・〇二 鰹節 靜岡產  本節中   一貫匁      八・九六 一一・九二   六・九五  八・五四 中才煮干          十貫匁     一五・〇〇 二七・八三  一四・五八 一五・三三 鹽鮭            十貫匁一箱   一五・二八 二三・九五  一二・七一 一三・七五 鹽鱒            同       一二・五六 一八・七二   八・九五 一〇・五〇 竹輪      上     百本       五・三二  五・五八   四・七九  四・七九                     一七 【右頁】                     一八 蒲鉾             百個      二一・〇〇  二一・七五   一九・五〇  二〇・三三 鰻  大           十貫匁     五八・一七  五五・〇八   三一・六七  四一・〇〇 牛肉 牝           同       六四・〇三  六八・六一   四七・三〇  五六・八三 豚肉 骨付          同       三三・〇七  三二・八二   二六・三二  三〇・六六 鷄肉 中           同       四〇・五〇  四〇・三三   三一・四二  三五・三三 鷄卵 地廻リ         同       二七・四七  三一・七五   二二・三二  三〇・〇三 牛乳 同           一石      三五・〇〇  三五・〇〇   三〇・〇〇  三五・〇〇 サツポロビール        四打入一箱   一七・二一  一七・五七   一六・一八  一六・八二 月姫サイダー         同        九・〇四   八・三一    八・八〇   八・八〇 淸酒 白鶴          一駄     一五三・〇〇 一五五・〇〇  一四九・〇〇 一五一・〇〇 同  地廻リ         一石      九三・八三 一一五・〇〇   八五・〇〇  八七・〇〇 酢  名古屋產 丸勘印    同       二二・〇〇  二二・〇〇   二一・五八  二二・〇〇 茶  川柳          百斤      四五・〇〇  五五・〇〇   四五・〇〇  四五・〇〇 同  喜撰          同       六五・〇〇  七五・〇〇   六五・〇〇  六五・〇〇 小麥粉日本製粉 日ノ出印   二十二瓩一袋   五・四四   五・六八    四・七八   四・九四 同  日淸製粉 フラワー印  同        五・六七   六・一二    五・一八   五・四三 寒生麩            一貫匁      三・五〇   三・七四    三・四〇   三・四〇 食パン            百個       六・三七   六・三〇    六・四五   六・三八 晒飴             十貫匁     一二・六六  一七・一五    八・六六   九・二七 澱粉  北海道 一等品    十二貫匁    一一・三六  一四・六六    六・七三   八・二五 【左頁】 素麺  手延         十一瓩一箱    三・六五   四・二四    三・一一   三・四〇 綿   寧波         百斤       -         -   七九・八〇  六〇・〇〇 眞綿  並爐角        十貫匁    四七八・三二 五四六・七二  三三八・八三 三九七・三三 綿糸  鐘紡  十六手    四十丸    一九九・七一 二〇四・三三  二一六・〇八 二〇二・〇二 同   赤三  二十手    同      二〇九・八八 二一四・三三  二二八・八二 二二九・六八 同   東洋紡 十六手    同      一九九・七一 二〇四・三三  二一六・〇八 二〇二・〇二 生木綿 三河產 百七十匁付  一反       二・〇四   二・〇四    一・三四   一・五五 晒木綿 中等品        同         ・九二    ・九二     ・七七    ・八三 モスリン生地  一號 上等  一碼          -      -     ・七九    ・九六 タオル 並   縞      一打       一・五〇   一・五〇    一・三〇   一・五〇 同   尺   一      同        一・六三   一・六五    一・三九   一・六〇 同   尺   二      同        一・七〇   一・七〇    一・四五   一・六八 同   尺   三      同        一・八五   一・八五    一・六五   一・八五 同   二尺  中上     同        四・九〇   四・九〇    四・四九   四・九三 メリヤス上下  中等     同       一四・七一  一六・七五   一一・三三  一六・三二 足袋  木綿  紺並     十足          -      -    三・〇四   三・三七 同   同   白上     同           -      -    三・〇〇   三・五七 同   キヤラコ白並     同           -      -    二・七四   三・二五 同   朱子  黑並     同           -      -    三・八三   四・八二 同   別珍  色物     同           -      -    三・一七   三・九五                     一九 【右頁】                     二〇 足袋    地下足袋    十足       一一・二〇  一一・二〇   一〇・一八  一一・三〇 木炭    白   雜込  十五瓩       一・七五   一・九一    一・五八   一・七四 同     黑樫  丸割  同         一・八〇   一・九二    一・七一   一・七五 薪     樫類  上木  十貫匁        ・六七    ・八〇     ・六六    ・六七 石炭    二等  塊炭  一萬斤     一七〇・六六 一七〇・〇〇  二〇二・五〇 一九八・三三 同     同   粉炭  同       一四八・〇〇 一四八・〇〇  一五九・〇〇 一六一・一七 石油    錨印      裸二罐       七・三三   六・八〇    六・五〇   六・六三 鑛油    マシン油    同         六・八四   六・六〇    六・〇八   六・二二 胡麻油           古罐入一個    一七・八五  一八・六五   一四・二七  一六・二二 鰊粕    中       十貫匁       八・八二   九・八一    八・一四   八・一四 大豆粕           一枚        二・九八   三・七四    二・四四   二・五五 硫酸安母尼亞        十貫匁       三・九一   三・九三    三・八九   三・八四 過燐酸石灰         同         二・三八   二・一九    二・二六   二・二六 麬             五十斤一袋     三・三五   三・四三    二・五三   二・五四 藁     並       百貫匁       七・四〇   九・八六    八・七五   八・一七 干草    同       同        一五・〇〇  一四・九七   一五・八〇  一五・〇五 コールタール        四十磅       一・六四   二・一八    一・三一   一・四三 苛性曹達          百磅       一三・一六  一三・五〇   一五・三三  一三・〇八 洗曹達           八十磅       二・七〇   二・九八    二・三八   二・六〇 半紙    大付  石州  二千枚       九・六二  一〇・三〇    八・〇二   九・三〇 【左頁】 美濃紙   中       四百八十枚     四・九八   五・二〇    四・五二   四・八〇 印刷紙   上       一磅         ・二四    ・二五     ・二一    ・二一 大屑紙   中       百二十帖      六・四八   六・五三    六・六二   六・七三 毛筆    小書      百對        六・〇〇   六・三三    五・八七   六・〇〇 同     太書      同         九・〇八  一〇・三三    七・六三   八・五七                            匁      匁       匁      匁 和蠟燭           一圓ニ付       一五二    一四四     一七〇    一八三 洋蠟燭   錨印      百斤       四九・〇五  五一・五五   四四・〇四  四八・〇〇 燐寸    細軸      二百四十個    二五・二〇  二五・二五   二二・〇八  二八・二二 石鹼    花王      一打        一・〇二   一・〇五    一・〇三   一・〇〇 香油    九重香油    一升入       三・六五   三・八〇    三・五五   三・五〇 蛇ノ目傘  三寸  上物  十本        八・七〇   八・八〇    七・五〇   八・一三 同     新上番傘    百本       五四・八二  七三・〇〇   四四・〇〇  四八・五〇 疊表    内山      十枚       一一・五八  一四・八三    八・三八   九・五〇 本同判   四寸皿     百個        二・八六   三・〇〇    二・六〇   二・六〇 摺鉢    瀬戸燒 中   十個        三・二三   三・六六    三・〇八   三・〇八 茶碗    同       百個        三・九六   四・五〇    三・三九   三・三九 和鐵釜           百枚       九一・六六 一一〇・〇〇   七〇・〇〇  八六・六七 和鐵鍋           同        九一・六六 一一〇・〇〇   七〇・〇〇  八六・六七 石材    幡豆石 乙號  百石       三四・六七  三九・一七   二八・〇〇  二八・〇〇 同     紀州延石    一才        一・二九   一・三七    一・一八   一・二一 セメント  小野田     百七十瓩一樽    四・一五   四・七六    三・八〇   三・九一                     二一 【右頁】                     二二 セメント 三河        百七十瓩一樽     四・一五  四・七六   三・八〇  三・九一 煉瓦   大形  一二等品  千本        二六・〇〇 二九・三三  一八・六七 二一・三三 同    小形        同         二四・〇〇 二七・三三  一六・六七 一九・三三 瓦    六四判 上目板並  百枚         七・〇〇  七・五〇   五・二五  五・〇〇 叩石灰      並     一叺          ・三八   ・四八    ・三〇   ・三二 角又糊      上     十貫匁       二六・五〇 二九・三三  二三・〇〇 二三・〇〇 苆    本晒  南京    同         一二・八三 一七・〇〇   七・五〇  八・五八 竹    四寸廻り      十本          ・六五   ・九二    ・五六   ・六五 檜丸太  三河產 二間尺〆  一本末口六寸以下  一二・五〇 一三・六六   九・〇八 一〇・〇八 松丸太  同   同     同          七・〇〇  七・三三   五・二五  五・五八 杉丸太  同   同     同         一一・五〇 一三・〇八   九・〇〇  九・五八 杉板   同   四分尺巾  一坪         一・五七  一・六三   一・二五  一・二九 檜柱   四寸角 二間中   百才        一二・五〇 一四・五〇  一〇・〇〇 一一・〇八 杉柱   同   同     同         一二・〇〇 一三・五八   九・〇八  九・七五 杉皮   並物        十束         三・二〇  三・一三   二・〇〇  二・五五 亞鉛引平板月星印 三十一番  十枚        一五・二一 一五・九五  一二・四九 一四・九八 同    浪板         同        一二・六八 一三・二六  一〇・五五 一二・四一 同    ブリキ板      一箱        三九・二七 三九・〇七  四〇・二二 三九・四三 丸釘   安田製 二寸    百斤一樽      一九・二一 一九・一三  一六・四三 一九・四一 亞鉛引針金    八番    八十四斤      一五・五〇 一五・五〇  一三・二三 一五・七九 硝子板  内地製       百平方尺       八・七六  九・四五   八・六五  八・七〇 【左頁】   二、豐橋市内日用品小價値段                          昭和十四年        昭和十三年 品名   銘柄       單位      ┏━━━━┻━━━━┓  ┏━━━━┻━━━━┓                       上半年   下半年    上半年   下半年                        円     円      円     円 白米   一等米      十四瓩     三・七五五 四・二三二  三・八二〇 三・七二九 大麥   丸麥 一等品   一瓩       ・二五八  ・三〇一   ・二二八  ・二三二 改良麥  平麥 同     同        ・二五八  ・二七三   ・二二七  ・二三二 大豆   朝鮮       一升       ・三六五     -   ・二九三  ・三〇七 味噌   別上       一貫匁      ・七一〇  ・七八〇   ・六五〇  ・六六〇 同    赤中       同        ・四一三  ・四七三   ・三一〇  ・三五五 醬油  ┳龜甲萬      二立       ・七五〇  ・七五〇   ・七四五  ・七五〇     ┗地產(溜)八分引  一升       ・七五〇  ・七五〇   ・六五〇  ・七〇〇 茶    川柳       百六十匁一斤   ・六〇〇  ・六六七   ・六〇〇  ・六〇〇 酒   ┳白鶴       一升      二・三二一 二・三五〇  二・二六七 二・三〇〇     ┗鶴正宗      同       二・一七二 二・二〇〇  二・〇八一 二・一五〇 麥酒   カブトビール   一本       ・三九六  ・四〇〇   ・三七三  ・三九〇 砂糖   特製 三盆白   百六十匁一斤   ・二七〇  ・二七〇   ・二五五  ・二六七 鰹節   本節 中等品   百匁      一・〇五〇 一・二七五   ・八七八  ・九六七 鷄卵   地玉       同        ・二九八  ・三四五   ・二六六  ・三三六 鷄肉   若雄       同        ・九七五  ・九三八   ・六九七  ・七六一 牛肉   内ロース     同       一・一〇〇 一・三四五  一・二〇〇 一・二五六 豚肉   ロース      同        ・七五〇  ・七五〇   ・七五〇  ・七五〇 牛乳            一合       ・〇七〇  ・〇七〇   ・〇六〇  ・〇七〇                     二三 【右頁】                     二四 澤庵    地產      百匁      ・〇三七  ・〇四三   ・〇四一  ・〇五〇 玉葱            同       ・〇四六  ・〇五六   ・〇五九  ・〇二九 甘藷            一貫匁     ・一七〇  ・三五八   ・一四五  ・一五六 馬鈴薯           百匁      ・〇四四  ・〇三三   ・〇二五  ・〇三一 鹽鮭            同       ・二七七  ・三一一   ・二一〇  ・一八六 鹽     三等鹽     一瓩      ・〇七五  ・〇七五   ・〇七五  ・〇七五 豆腐            一丁      ・〇四三  ・〇四五   ・〇四〇  ・〇四〇 高野豆腐  上物      十個      ・一六五     -   ・一四〇  ・一四〇 椎茸    東海 上物   百匁     一・九〇〇 二・三三三  一・八四五 一・八四五 晒木綿   百五匁付    一反         -     -  一・二〇八 一・三五八 綿縫糸   白四合     百匁      ・六〇〇  ・六二八   ・五九三  ・六〇〇 白モスリン 三千番     大巾一尺       -     -   ・四二七  ・四二〇 白縮緬           小巾一尺    ・四八八  ・四九〇   ・三五〇  ・三五〇 綿     打綿 上等   一貫匁    七・五〇〇 七・五〇〇  六・六一七 七・四八九 木炭   ┳白炭      十五瓩    二・〇〇〇 二・〇三二  一・六九七 一・八七五      ┗黑炭      同      一・九四〇 一・九五七  一・八三一 一・九七四 薪     上木      同       ・八二〇  ・八五〇   ・八一一  ・八二〇 コークス          八貫匁一叺  一・八二一 一・九〇〇  一・八二二 二・〇五〇 中央半紙          四十枚一帖   ・〇五〇     -   ・〇五〇  ・〇五〇 石鹼    花王      一個      ・〇九九  ・一〇〇   ・一〇〇  ・一〇〇 饂飩    白玉      同       ・〇四〇  ・〇四〇   ・〇四〇  ・〇四〇 足袋    キヤラコ丸文  一足      ・三八〇  ・四六二   ・二〇一  ・三五六 燐寸    細軸 十個入  一包      ・一二〇  ・一二〇   ・一〇六  ・一二〇 【左頁】   三、豐橋市内勞働賃金表               昭和十四年      昭和十三年   │                昭和十四年      昭和十三年 業名     別収   ┏━━━┻━━━┓  ┏━━━┻━━━┓ │ 業名      別収   ┏━━━┻━━━┓  ┏━━━┻━━━┓             最高   最低    最高   最低   │              最高   最低    最高   最低              円    円     円    円   │               円    円     円    円 製絲工女   賄付   一・五〇  ・三〇  一・〇五  ・三〇 │ 活版┳植字        二・〇〇 一・二〇  一・八〇 一・二〇 製綿┳男工       二・五〇  ・七〇  一・〇〇  ・七〇 │   ┗文選        一・八〇  ・七〇  一・四〇  ・七〇   ┗女工        ・九五  ・五〇   ・八五  ・五〇 │ 石版┳製板        二・三〇 一・三〇  二・三〇 一・三〇 旋盤工         七・〇〇 一・二〇  三・五〇 一・二〇 │   ┗機械方       二・二〇 一・二〇  二・〇〇 一・二〇 仕上工         七・〇〇 一・二〇  五・〇〇 一・二〇 │ 製本           二・五〇  ・五〇  一・一〇  ・五〇 鑄造工         五・〇〇 一・二〇  五・〇〇 一・二〇 │ 洋服仕立         二・六〇  ・八〇  一・七〇  ・八〇 鍛冶工         三・〇〇 一・二〇  五・〇〇 一・二〇 │ 製靴           二・〇〇 一・〇〇  一・五〇 一・〇〇 陶器┳男工       四・四一  ・六〇  二・五〇  ・六〇 │ 下駄           二・五〇 一・一〇  一・六五 三・一〇   ┗女工       二・六三  ・四〇  一・一五  ・四〇 │ 製材           二・七〇  ・六〇  一・三〇  ・六〇 醸造┳淸酒  賄付      -    -  一・二四  ・七六 │ 製凾           二・三〇  ・三〇  一・二〇  ・三〇   ┗醬油  同       -    -  一・四四  ・五〇 │ 指物           三・〇〇 一・五〇     -    - 氷砂糖┳男       二・五〇  ・四五  二・一二  ・四五 │ 疊刺           二・二〇 一・八〇     -    -    ┗女        ・九五    -     -    - │ 製網女工         一・一〇  ・三八   ・八八  ・三八 製粉小麥        二・〇〇 一・〇〇     -    - │ 毛筆製造         三・〇〇 一・五〇  二・八〇 一・五〇 和菓子製造  賄付  三五・〇〇(月)     一・九五  ・五〇 │ 大工           二・八〇    -  二・三〇 二・〇〇 雜菓子製造  同   二五・〇〇(月)      ・七〇  ・五〇 │ 左官           三・〇〇    -  三・二〇 二・〇〇                     二五 【右頁】                     二六  石工          三・五〇    -  二・〇〇 二・五〇 │ 庭師           三・五〇    -  二・〇〇    -    ペンキ塗        三・五〇    -  二・〇〇    - │ 中仕(陸)         四・〇〇    -  三・五〇    - 瓦葺          三・七〇    -  二・〇〇    - │ 日雇┳男         二・二〇    -  一・〇〇    - 煉瓦積         三・〇〇    -  二・〇〇    - │   ┗女         一・五〇    -   ・八〇    - 鳶人夫         二・七〇    -  二・二〇 一・九〇 │ 土工           二・二〇    -  一・五〇    -        豐橋市内組合銀行營業槪況    1、諸預金 年次      定期          當座         特別當座        各種預金         合計                  円          円           円           円            円 昭和十四年末  二五、七八七、七六五  九、六六七、一五五  一〇、九一七、四六九  一六、一三八、〇一〇   六二、五一〇、三九九 昭和十三年末  二〇、四二三、一四三  五、四八三、六一〇   七、一〇九、三四八   九、六九九、五一五   四二、七一五、六一六 昭和十二年末  一七、二六二、一九一  四、四一二、五九六   六、三九二、九〇〇   八、二五一、一三六   三六、三一八、七九六    2、諸貸出及金銀在高                              貸出金 年次      ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓   金銀在高         貸付金         割引手形       當座預金貸越     合計                  円          円          円           円           円 昭和十四年末  十九、二三四、〇〇七  四、五一一、二三一  二、二五〇、二〇〇  二五、九九五、四三八   二、九五三、五〇六 昭和十三年末  一二、六三〇、九三六  一、八八四、四三六  一、九八五、八一六  一六、五〇一、一八八   一、〇七七、四二八 昭和十二年末  一一、八七八、三一九  一、五二三、五五七  一、五〇五、五〇三  一四、九〇六、九〇八   一、〇六四、九〇四 【左頁】    3、爲替手形 年次     送金取組高        送金支拂高       荷爲替取組高      荷爲替取立高      他所代金取立手形    當所代金取立手形                  円           円           円           円           円           円 昭和十四年  一一三、六七〇、五七一  八六、一〇一、六二八  六四、四六五、一八〇  三六、二六六、三七三  五一、八八〇、五一二  五二、二三四、七六一 昭和十三年   六四、三一六、八一七  五三、六七七、〇一五  三二、三〇二、九一九  一八、七〇四、九五三  三四、八〇四、六一二  三八、七八九、〇一八 昭和十二年   五四、四四三、四一六  四七、三三四、一八三  三二、四三二、三六三  二〇、三六八、二四四  三三、四二二、八九八  三五、五九五、二六九    4、利子            定期預金(年利)        當座預金(日歩)       特別當座預金(日歩) 年次      ┏━━━━━┻━━━━━┓  ┏━━━━━┻━━━━━┓  ┏━━━━━┻━━━━━┓          最高   最低   普通   最高   最低   普通   最高   最低   普通           厘    厘    厘    厘    厘    厘    厘    厘    厘 昭和十四年     -    - 三三・〇    -    -  二・〇    -    -  五・〇 昭和十三年     -    - 三三・〇    -    -  二・〇    -    -  五・〇 昭和十二年     -    - 三三・〇    -    -  二・〇    -    -  五・〇    5、手形交換高及不渡手形                手形交換高                            不渡手形        ┏━━━━━━━━━┻━━━━━━━━┓  ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ 年次                             爲替手形        約束手形       小切手        合計        枚數       金額           ┏━━━┻━━━┓  ┏━━━━┻━━━┓  ┏━━┻━━┓  ┏━━━━┻━━━┓                              枚數   金額    枚數  金額      枚數  金額   枚數  金額              枚            円   枚      円   枚       円   枚    円   枚       円 昭和十四年  一四一、〇二四  一三六、八二八、〇〇七   九  一、五〇八  三五  三〇、二〇一   -    -  四四  三一、七〇九 昭和十三年  一二九、七六五   七四、九六四、三一三  一一  二、一六五  四四   七、三五五   一  三〇〇  五六   九、八二〇 昭和十二年  一二二、五一〇   五九、七九〇、三〇七  一〇  二、六六七  四五  一五、八五二   二  一五八  五七  一八、六七七                     二七 【右頁】                     二八   瓦斯(豐橋瓦斯株式會社)                  延呎數                       孔口數        ┏━━━━━━━━━━┻━━━━━━━━━┓  引用戸數   ┏━━━━━┻━━━━━┓  賣上瓦斯量        本支管     供給管     屋内             燈火用    熱用             米       米       米      戸                   立方米 昭和十四年  四一、五三六  五二、二九五  八六、八六六  三、四八五  一、七三六  一〇、一三四      - 昭和十三年  四一、一九一  五一、七八八  八六、二一四  三、三五一  四、〇九九   九、八四九      - 昭和十二年  三九、三〇九  五〇、四六六  八五、六七一  三、二六四  四、一九一   九、三四九      -   豐橋乾繭取引所銘柄別淸算取引賣買數量                 當限            先限 年度         ┏━━━━━┻━━━━┓  ┏━━━━━┻━━━━┓  売買高         売渡高            最高     最低     最高     最低               円      円      円      円            貫       貫   昭和十五年 上半期  四二一・〇  三〇一・五  四〇八・五  二八八・九  一一、二二三、二〇〇  六九、六〇〇 昭和十七年┳上半期  二四五・〇  一四九・三  二五四・〇  一五三・七  一三、九七〇、六〇〇  六二、四〇〇      ┗下半期  三五四・九  二一八・〇  三七五・〇  二一六・七   九、〇〇四、四〇〇  四一、七〇〇 昭和十三年┳上半期  一三四・七  一一二・二  一三三・八  一一七・〇   三、五二七、〇〇〇  一八、六〇〇      ┗下半期  一五四・九  一一七・〇  一六四・六  一二一・一   六、〇二七、六〇〇  四五、七〇〇 昭和十二年 下半期  一六〇・五  一〇五・九  一六〇・四  一一六・二   三、五八三、六〇〇  一四、九〇〇   豐橋市内投宿人員            普通           木賃 年次     ┏━━━━┻━━━━┓  ┏━━━━┻━━━━┓        一ヶ年合計  一日平均  一ヶ年合計  一日平均             人    人      人     人 昭和十四年  七七、七九五  二一三  四、九一〇    一四 昭和十三年  六四、〇九六  一七六  五、三一二    一五 昭和十二年  六五、〇四七  一七八  五、六三九    一五 【左頁】    交通と通信  產業界現下の狀勢は大體以上の如くで、之れを大局から觀察すれば未だ幼稚であるが、我が豐橋の歷史 よりすれば實に此の二十數年間に於て驚くべき長足の進歩發達を遂げ、今や全く隔世の感を催すのである 之れは要するに、主として交通施設の影響に依るもので、事實上豐橋は東三河に於ける經濟及び文化の中 樞となつた。  表玄關たる豐橋驛を初め其の他各驛最近の發着貨物及び乘客の狀況は、大體逐年增加の趨勢を示し、市 内に於ける自動車の發達著しく、バスは當市を中心とし縱横に疾驅して居る。我が產業界は益々發展し、 市民經濟の向上亦顯著である。豐川鐵道の姉妹線とも言ふべき鳳來寺鐵道は、豐川線の終點長篠驛から北 設樂郡三輪村・川合間を運轉し、同鐵道鳳來寺口驛より鳳來寺村・海老町を經て北設樂郡田口町へ至る田 口鐵道、渥美半島を縱貫する渥美電鐵は、豐橋驛前から田原町を經て黑河原まで運轉してゐる。名古屋を 起點とする名古屋鐵道の市内乘入線は全通し、市内電車は豐橋驛から南は柳生橋、東は東田まで運轉し、 大いに便宜を與へてゐる。三十有餘年來の懸案であつた三信鐵道は昭和十二年八月全線の開通を見、海の 日本と山の日本とを横斷し、信州飯田市へは僅か三時間餘を以て達し、伊那電氣鐵道に依り中央線辰野驛 に連絡、裏日本と表日本とを結び付ける幹線で、豐川稻荷・鳳來寺・善光寺等を參拜する善男善女は勿論 一般旅客の往來は頻繁となり、更に豐橋と濱名湖北を結ぶ國鐵二俣線は、昭和十五年六月一日豐橋・二俣                     二九 【右頁】                     三〇 間の全通式を擧行し、東海道本線の一翼として時局下軍事產業運輸の重大使命の下に東海道線掛川驛との 連結完成し、豐橋驛は貨客の輸送に狭隘を告ぐるに至り、今や驛舍並に構内の擴張工事中である。  斯くて豐橋は忽ち四通八達の要地として急激なる都市的膨脹を來し、市民の產業生活・文化生活の發展 充實に相應じて通信の繁激を加ふると共に、又其の機關の整備と之れが利用及び取扱ひの敏速を要するは 當然のことである。  尚、水運方面に於ては柳生川運河の完成に引續き、豐川改修並に豐橋港修築は愈々其の緒に就き、完成 の曉に於ける當市の發展誠に多幸なるものがある。    豐橋市内各郵便局郵便物 ┏━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━┓ ┃年次   ┃書留             ┃小包             ┃價格表記           ┃ ┃     ┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳━━━━━━━┫ ┃     ┃引受數    ┃配達數    ┃引受數    ┃配達數    ┃引受數    ┃配達數    ┃ ┣━━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━┫ ┃昭和一四年┃一七四、二六〇┃二〇〇、七八〇┃一九八、二四五┃一七七、〇〇三┃  六、六二三┃      -┃ ┃昭和一三年┃一六二、二〇八┃一八一、一三八┃一八二、〇三一┃一六五、五六四┃  六、五〇五┃      -┃  ┃昭和一二年┃一五〇、九五四┃一六〇、三一〇┃一四六、七〇一┃一三四、四八七┃  六、〇七四┃      -┃ ┗━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┛    豐橋市内各郵便局郵便爲替 【左頁】 ┏━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ ┃年次   ┃内國爲替                              ┃外國爲替                    ┃計                                 ┃ ┃     ┣━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ ┃     ┃振出高             ┃拂渡高              ┃振出高       ┃拂渡高          ┃振出高             ┃拂渡高              ┃ ┃     ┣━━━━━━┳━━━━━━━━━╋━━━━━━━┳━━━━━━━━━╋━━━┳━━━━━━╋━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━┳━━━━━━━━━╋━━━━━━━┳━━━━━━━━━┫ ┃     ┃口數    ┃金額       ┃口數     ┃金額       ┃口數 ┃金額    ┃口數   ┃金額     ┃口數    ┃金額       ┃口數     ┃金額       ┃ ┣━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━━━┫ ┃     ┃     口┃        円┃      口┃        円┃  口┃     円┃    口┃      円┃     口┃        円┃      口┃        円┃ ┃昭和一四年┃七七、二八四┃二、二六〇、八一一┃一〇〇、九〇〇┃二、八八三、〇〇三┃ 六七┃ 六、〇六二┃二、二一三┃一〇六、九三九┃七七、三五一┃二、二六六、九七三┃一〇三、一一三┃二、九八九、九四二┃ ┃昭和一三年┃七二、〇三九┃一、七三二、五八九┃ 九三、三八五┃二、三一一、四九九┃一〇三┃一〇、〇九五┃一、五四二┃ 五六、九五四┃七二、一四一┃一、七四二、六八四┃ 九四、九二七┃二、三六八、四五三┃ ┃昭和一二年┃六八、七九二┃一、七〇三、二六七┃ 七九、七九八┃一、七七〇、〇五二┃ 一六┃   五一〇┃  六四五┃ 二一、六八七┃六八、八〇八┃一、七〇三、七七七┃ 八〇、四四三┃一、七九一、七三九┃ ┗━━━━━┻━━━━━━┻━━━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━━━┻━━━┻━━━━━━┻━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━┻━━━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━━━┛    豐橋市内各郵便局郵便貯金及振替貯金 ┏━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ ┃年次   ┃郵便貯金                                  ┃振替貯金                             ┃ ┃     ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━┫ ┃     ┃預入高                 ┃拂戻高              ┃振出高             ┃拂渡高             ┃ ┃     ┣━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━╋━━━━━━━┳━━━━━━━━━╋━━━━━━┳━━━━━━━━━╋━━━━━━┳━━━━━━━━━┫ ┃     ┃口數       ┃金額        ┃口數     ┃金額       ┃口數    ┃金額       ┃口數    ┃金額       ┃ ┣━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━━━━┫ ┃     ┃        口┃         円┃      口┃        円┃     口┃        円┃     口┃        円┃ ┃昭和一四年┃一、二九三、七四一┃一一、三〇七、三七四┃一五七、一二七┃八、六四一、三一七┃五九、五四〇┃四、一〇二、三一三┃一九、五一二┃二、二三四、九一六┃ ┃昭和一三年┃  七七八、二三四┃ 八、〇八二、二八九┃一四二、八七〇┃六、七三九、八四四┃五一、二二七┃三、七一九、六一三┃一六、五六六┃一、六九四、八六八┃ ┃昭和一二年┃  四三七、二七三┃ 六、五七五、四六四┃一三六、六六〇┃六、三九二、六〇三┃四七、〇九一┃二、〇七〇、九二八┃一三、七〇四┃一、一五七、〇一七┃ ┗━━━━━┻━━━━━━━━━┻━━━━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━━━┻━━━━━━┻━━━━━━━━━┻━━━━━━┻━━━━━━━━━┛    豐橋郵便局郵便切手・葉書・収入印紙賣捌高 ┏━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ ┃年次   ┃郵便切手              ┃郵便葉書             ┃収入印紙             ┃ ┃     ┣━━━━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━━━┳━━━━━━━┫ ┃     ┃枚數        ┃金額     ┃枚數       ┃金額     ┃枚數       ┃金額     ┃ ┗━━━━━┻━━━━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━━━┻━━━━━━━┛                     三一 【右頁】                     三二 ┏━━━━━┳━━━━━━━━━━┳━━━━━━━┳━━━━━━━━━┳━━━━━━━┳━━━━━━━━━┳━━━━━━━┓ ┃     ┃         枚┃      円┃        枚┃      円┃        枚┃      円┃  ┃昭和一四年┃一〇、六八八、六四一┃五七七、三七一┃八、五五〇、三九七┃一九八、三四三┃一、二〇一、五七九┃三五七、三八八┃  ┃昭和一三年┃一〇、三二六、四〇二┃五一二、六四三┃六、八五三、〇七九┃一三四、二三二┃一、〇四六、四六二┃二七一、一三二┃ ┃昭和一二年┃一一、二六四、一四五┃五〇二、六八〇┃七、四八一、二一三┃一七三、二一五┃一、〇五八、八六三┃二五三、五五九┃ ┗━━━━━┻━━━━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━━━┻━━━━━━━┛    豐橋郵便局電話通話數 ┏━━━━━┳━━━━━━┳━━━━━━━━━━┳━━━━━━━┳━━━━━━━┓ ┃年次   ┃單獨加入者數┃市内通話數     ┃市外へ通話數 ┃市外より通話數┃ ┣━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━┫ ┃昭和十四年┃ 三、一五七┃二二、五八八、八六八┃七三一、〇四七┃七六八、九四五┃ ┃昭和十三年┃ 三、一四二┃二一、七七九、九九五┃六三七、七二一┃六七三、二五六┃ ┃昭和十二年┃ 三、〇四六┃二一、〇九四、一八三┃五八三、二六五┃六〇五、八九〇┃ ┗━━━━━┻━━━━━━┻━━━━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┛    豐橋郵便局電報發着數 ┏━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ ┃年次   ┃内國電報                          ┃外国電報             ┃ ┃     ┣━━━━━━━┳━━━━━━━┳━━━━━━━┳━━━━━━╋━━━┳━━━┳━━━┳━━━━━┫ ┃     ┃發信     ┃着信     ┃中繼信    ┃料金    ┃發信 ┃着信 ┃中繼信┃料金   ┃ ┣━━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━╋━━━╋━━━╋━━━╋━━━━━┫ ┃     ┃       ┃       ┃       ┃     円┃   ┃   ┃   ┃    円┃ ┃昭和一四年┃一一四、五二〇┃一九二、八一六┃一六七、六七〇┃四三、三五三┃二六六┃二二三┃  -┃二、六四〇┃ ┃昭和一三年┃一〇四、七四一┃一七二、一五〇┃一五四、四一二┃三八、九九九┃二二二┃二八三┃一〇五┃一、三八五┃ ┃昭和一二年┃一六五、四五二┃一九三、七六三┃一三四、三八一┃六〇、五〇六┃四四七┃四〇八┃ 一五┃三、二一三┃ ┗━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━┻━━━┻━━━┻━━━┻━━━━━┛ 【左頁】     宗敎敎育  我が豐橋市の敎育は輓近著しく進歩發展の域に達したけれども、一般の狀況に就き、殊に施設上のこと に關しては未だ到底滿足することが出來ないのである。本年四月末現在によれば、市内には縣立豐橋中學 校・縣立豐橋第二中學校・市立商業學校・市立高等女學校・市立女子商業學校を始め、二十四の小學校と 補習教育のため設けられた商業専修學校と靑年學校がある。此の外豐橋高等家政女學校・豐橋松操女學校 ・豐橋高等實踐女學校・愛知高等和洋女學校・豐橋盲啞學校・豐橋速算學校・看護婦產婆學校等の私立學 校、豐橋幼稚園・花園幼稚園・小百合幼稚園等があり、此の外に市立圖書舘・動物園、更に敎育關係の事 業を企畫實行し、又は直接敎育の研究を目的とする市敎育會並に敎育協會がある。  次に財團法人豐橋育英會は昭和二年十月設立せられ、將來有爲の人材を養成する爲め廣く育英資金を募 り、學資の關係上廢學にならんとする者に貸費補給を爲し、更に進んで右補給生及び豐橋出身の學生の爲 めに全國六大都市に寄宿舍を設立し、各自の負擔を減じ向學の便を圖つて居る。其の他生活の改善を高唱 し、社會に貢獻する所極めて大なるものがある。其の外幾多の敎育及び學術研究が行はれ、何れも相當効 果を収めてゐる。  次には宗敎方面であるが、豐橋市民の宗敎心は果して如何に陶冶されてゐるであらうか、玆に之れを具 體的に述ぶることは劫々困難であるけれども、比較的正しい批判力の下に、自由信仰の態度を取つてゐる                     三三 【右頁】                     三四 様に見受けられるのは、何んとなく嬉しい感じを起させる。而して本年四月現在市内に於ける神社の數は 百十七社で、其の内縣社が二社、鄕社が四社、村社が七十一社、無格社が四十社。尚寺院は總て百二十六 ヶ寺、之れを宗派別にすると、曹洞宗-五十一ヶ寺、淨土宗-二十九ヶ寺、法華宗-三ヵ寺、眞言宗-六 ヶ寺、天臺宗-一ヶ寺、臨濟宗-二十一ヶ寺と、外に眞宗大谷派本願寺別院の一ヶ寺で、其の他神道敎會 -四十三ヶ所、佛道敎會・同說敎所-九ヶ所、基督敎會-六ヶ所と言ふ狀態である。然し飽海時代卽ち鎌 倉期以前に於ける神戸(今の豐橋地方を言ふ)のものとしては、中八町縣社神明社、羽田御厨のものとし ては湊町の鄕社神明社並に薑御園のものとしては、東田町の鄕社神明社などが顯著なもので、尚飽海時代 に創立された神社には關屋町縣社吉田神社・東八町八幡神社・花田町鄕社八幡社・岩崎町村社神明社、次 いで岩田町村社神明社・魚町安海熊野神社・新錢町村社白山比咩神社・岩崎町村社鞍掛神社の八社あり。 寺院には西竺寺・妙德寺・正琳寺等があつたけれども多くは旣に廢滅に歸し、今日遺跡の殘つてゐるもの は獨り正琳寺のみである。又建築の最も古いものを謂へば、寛文二年の建設に係る龍拈寺の鐘樓、次に延 寶二年の建築で新錢町天神社の拜殿、それから貞亨二年で神宮寺の本堂、元祿二年で龍拈寺の觀音堂、同 六年で龍拈寺の樓門、同七年悟眞寺の本堂、同十年神宮寺の樓門、同年末淨圓寺の庫裡などである。淨圓 寺の本堂も元祿以前の様に傳へらるゝが如何せん明確でない。外に神宮寺の護摩堂は寛永二十年、別院の 鐘樓は同二十一年の建築であるが、何れも後世の修善が著しく、原形を殘してゐる部分は少ない様に考へ られると同時に、之れを純の藝術として誇るに足るものは殆んどない。 【左頁】     社會事業  歐州戰亂以來世界思潮は急激なる變化を來し、社會政策の氣運頓に勃興し、諸般の行政一つとして此の 問題を度外に置くことが出來なくなり、社會事業調査員會も組織され、各種の社會施設に關し其の研究實 行に着手したのである。されど所謂其の社會事業なるものゝ範圍は實に廣範多岐であつて、今俄かに凡ゆ る方面に亘り之れが研究施設を爲すを得ないから、逐次其の充實を期せんとする模様である。市は行路病 者・窮民及び軍事の救護や罹災救助は之れ迄よりも一層完全にすると共に、人事相談・失業者の救濟及び 細民調査の隣保同化事業、尚進んでは無料診療所なども實施しつゝ、更に此れ等關係方面の研究の歩を進 めてゐる。社會事業は總て事實に立脚しなければならない。現狀を曝露して識者の考慮を促すのは今日の 最も急務とする處である。社會狀態の調査研究は從來餘り重きを置かなかったのであるから、將來大いに 此の方面に努力を拂つて貰はなければならない。社會組織の缺陷から來る落伍者の數が、物質文明の進歩 に伴ひ、年と共に激增の勢ひを示し且つ其の多くは集團を成して、所謂細民地區なるものさへ形成するに 至るのである。社會的疾患は之れから生ずるので、之れを治療することは一面には各個人生存權の人道上 の要求に合致し、他面には社會自衞又は社會向上に缺くべからざる處で、又都市改良の根本義であらねば ならぬ。此の意味からして各種事業の施設計畫中、豐橋市役所内に設けられた方面委員事務所は其の成績 大いに見るべきものがある。豐橋市新川公設市場・松葉公設市場及び公益質屋は旣に開設せられ、めざま しき活躍を爲してゐる。尚、小住宅の建設・簡易食堂の社會的施設に着手せられんことは望ましく思ふ。                     三五 【右頁】                     三六 殊に最も注意すべきは市内に於ける救濟施設の助成監督であつて、今其の旣設事業を分類すれば、育兒感 化及び託兒人事相談等を兼ねて居る東田の有隣財團と、豐橋盲啞學挍等其の主なるものであるが、尚本市 施設の無料宿泊所も好成績を擧げて居る。之れ等は周到なる社會現象並に其の原因の調査に基き、統制的 有機組織に依つて一齊に其の歩を進め、共同責任の觀念に依つて根本的に之れが改善向上を企圖しなけれ ばならぬと思ふ。此の外豐橋方面事業助成會の經營する保育園三ヶ所、其の他の經營する保育園も數ヶ所 設立されてゐる。  次に、社會事業の範圍に入らないかも知れないが、愛知國防義會豐橋支部・帝國軍人後援會豐橋支部・ 海軍協會豐橋市分會・豐橋市銃後奉公會・大日本國防婦人會豐橋市支部・愛知懸商工團體銃後後援聯盟豐 橋支部等によつて、我が國家の爲めに生命を賭して働く將士並に家族の慰問・後援を行つてゐる。     土木衞生  輓近豐橋市及び接續町村の急激なる人口增加の趨勢並に商業の殷賑・工業の隆昌、其の市及び町村部落 を通じ、蔚然勃興の氣運を釀成せる產業の發展に伴ひ、人車の交通・貨物の集散愈々繁劇の度を加へ、隨 つて交通機關の整備改善は蓋し急務中の急務に屬するので、市當局は之れ等交通の狀態に鑑み、豐橋市を 中心として各道路の改善、其の幹線の連絡並に主要鐵道停車場を連絡する主要道路の改善に關しては銳意 之れを企圖すると共に、地方開發に必要なる道路の改修を計畫し、時運に伴ふ施設を完ふせんことを頻り 【左頁】 に研究調査を重ね、極力目的達成に努力した結果、昭和七年度より三ヶ年繼續第一期事業として、東部商 業地帶と西部工業地帶とを聯絡する跨線道路橋並に地下道の施設は完成し、更に第二期事業として前記連 絡道を基本として築港地帶と聯絡し、以て郊外重工業地帶と市の外廓重要路線を聯絡して物資の集散に便 ずるもの等の數線を選定し、之れを都心地帶より放射すると共に、一面本市の玄關たる驛前廣場の擴築を 行ひ、其の他須要路線の新設或は改築を行ひ以て市區の改正をなし、同時に交通系統の圓滑なる運用を期 し、更に市を中心とする南北郊外に於ける重要施設は着々進捗しつゝあるが、之れに伴つて將來この方面 が商工業地帶として飛躍的發展をなすであらうことを豫想され、且つ國防的見地からも一大都市計畫の實 施を見んとしてゐる。  上水道は大正十五年六月三十日市會を經て諸般の準備を整ひ、昭和二年七月十八日起工式擧行以來月を 閱する三十三にして、工費二百六十有餘萬圓を以て完成を告げ、同五年三月二十九日通水式を行つたが、 工事の槪要は本市を環流する豐川の伏流水を水源とするものであつて、市内下條字西町三ノ下地先、同川 本流の河底に集水埋渠を構築し、同河畔の送水場喞筒井に導流し、同所より新設送水管路及び縣・市道を 經て東南三十三町を距る多米町字小鷹野の瀘過池に送り淨水となし、同所内の高揚喞筒で淨水場を距る東 八十間の高地給水場内配水池に送り、是れより計量室を經て自然下法により市街地の給水區域に送り、將 來人口增殖十六萬に達するも、送水及び配水管の增設並に相當附加工事を施すに於ては、給水に應ずべき 設備である。  本市の地勢は東方より西方に向つて傾斜するも、市街地は槪ね低地部に屬すると、市内街地では河川・                     三七 【右頁】                     三八 溝渠の配置が尠いので排水不便であつて衞生上極めて不良で、傳染病患者數等も亦相當多いので、本市衞 生改善の見地より下水道の計畫は焦眉の急を感ずる所となつてゐたが、昭和七年一月より着手せられ昭和 十一年三月竣工した。總經費三百七十四萬四千八百八十九圓といふ、當市にとつては未曾有の尨大な土木 事業で、彼の上水道よりも五十數萬圓多い。下水の排水は牟呂用水路を境として一は柳生川へ、他は豐川 へ放流せられる。其の中、豐川に入る汚水は一旦處分場に於て淨化を行ふことになつてゐる。此の事業は 本市衞生の改善の見地より喜ぶべきことであることは言ふ迄もないが、又失業救濟の効果も極めて顯著で ある。  尚、總費十七萬圓を要した市公會堂は、昭和六年八月其の竣工を見た。總建坪三百五十餘坪、其の近世 式文化的設備と、其の壯麗なる様式とは永く豐橋市の誇りである。     名所舊蹟       今橋城-戸田・今川の爭鬪-家康と織田氏-       城主の交代-最後の藩主-吉田城趾  今の豐橋を吉田と稱へたのは天文年間から明治二年迄で、其の以前は今橋と謂つた。當時三河の國の守 護は吉良氏であつたが、文明の頃に至つて牧野古白が此の今橋に築城したのである。然るに永正三年八月 駿河の今川氏自ら軍を率ひて今橋城を攻めた。古白は城に據つて死守すること六十餘日、惡戰苦鬪を續け たけれど力遂に及ばずして自殺するに至つた。是に於て城は一時田原城主戸田彈正憲光の一族、戸田金七 【左頁】 郞の有となり、其の後大永の始め頃に至つて、古白の遺兒傳左衞門成之と傳藏信成の爲めに再び取り返さ れた。程なく成之は隱居して信成其の後を襲つたが、亨保二年岡崎の松平淸康大擧して此の城に襲來し、 信成は一族郞黨と共に下地に於て戰つたが武運拙くして遂に戰死し、城は一時松平氏の有に歸した。然る に天文四年吉田時代に至り、淸康の守山崩れ以後は復び戸田金七郞の有となり、爾來十有餘年間舟形山一 帶の山脈を境界として、戸田・今川兩氏の爭鬪が絕へなかつたが、天文十五年遂に今川義元の範圍に入つ たのである。處が永祿三年五月桶狹間の戰に於て義元戰死した。其の時德川家康はまだ松平元康と言つて 今川方の味方であつたが、其の翌四年に至つて義元の故氏眞との間に不和を生じ隣交は斷絕となつた。其 の頃吉田城には今川氏の將小原肥前守鎭實が居つて、東三河に於ける諸將の人質を此の城に預つて居たが 家康に屬したものは悉く龍拈寺口と言ふ處で殺して仕舞つた。家康が岡崎から大擧して此の城を攻めたの は永祿七年の初めであるが、其の頃今の豐橋市の東部に當る仁連木にも城があつて戸田主殿介重貞が居つ た。此の重里も早くから家康に心を寄せて居たが、何分にも其の母が人質として此の城に容れてあつた爲 め反旗を飜す前に先づ母を奪ひ戻さなければならないと考へ、種々工夫をした末に首尾よく目的を達した。 家康は翌八年鎭實を亡ぼし、此の城を酒井左衞門尉忠次に與へた。斯くて程なく今川氏は衰へ三河は勿論 遠江全國までも德川氏の有に歸するに至つたが、其の代り今度は追々甲州から武田氏の侵入が始まつた。 卽元龜三年十二月信玄軍を率ひて遠江の三方ヶ原に於て戰つたが、此の合戰は德川氏の大敗となつた。 信玄は勢ひに乘じ更に三河に進入し、天正元年正月南設樂郡の野田城を陷れたけれど、此の戰の爲めに逝 去するに至つたのである。然るに天正三年四月其の子勝賴大兵を擧げて仁連木城を襲ひ、續いて吉田城に                     三九 【右頁】                     四〇 迫つた。夫れから長篠の合戰となつたが、今度は武田方の大敗となり、之れが原因で天正十年三月織田信 長と家康との爲めに根據を侵略されて、武田氏全く滅亡するに至つたのである。其の年六月織田信長は本 能寺に於て明智光秀に殺され、之れより秀吉の舞臺となつた。秀吉と家康は小牧山で一度戰ひを交へたけ れど程なく相和し、天正十八年秀吉が小田原に北條氏を征伐したときにも、家康も國を明けて秀吉に捧げ 自分も之れに從軍した。其の役の終つた處で家康は秀吉の爲めに關東へ移封せられたのである。此のとき に忠次は旣に隱居し其の子家次が相續して居たが、之れも家康に從つて上州碓井の城へ移つた。家次の後 へ來たのは池田三左衞門輝政で、牛久保・新城・田原の三城も其の配下に屬し、知行十五萬二千石を領す ることゝなつた。仁連木城は此のとき廢止されたのである。然るに慶長五年關ヶ原の合戰後、輝政は功を 以て播州姫路五十二萬石に封ぜられ吉田城を去り、其の後を繼いだのが松平玄蕃頭家淸であつた。封祿三 萬石。其の後慶長十七年に松平主殿介利忠、寛永九年に水野隼人正忠淸、同十九年に水野監物忠善と屢々 城主の更迭があつたが、祿高は矢張り多い處で四萬五千石位のものであつた。正保二年小笠原壹岐守忠知 城主となつたが、夫れより長矩・長祐・長重と四代の間繼續した。小笠原氏に次いで元祿十年久世出雲守 重之が來たが、之れも在城十年にして寛永二年牧野備前守成春と交代した。成春の次は其の子大學成英で 牧野氏に代つて此の地の城主になつたのは大河内氏である。大河内氏は正德二年信親の時代に初めて古川 から移封されて來たのであるが、享保十四年一度濱松へ轉封になり、之れに代つたのが松平豐後守資訓で 之れも寛永二年になつて再び大河内氏と交代になつた。封祿七萬石。當時大河内氏は信親の代であつたが 夫れから信禮・信明・信順・信寶・信璋を經て信古に至つた。之れが最後の城主で、吉田城趾は今の中部 【左頁】 第六十二部隊の營舍のある處である。       仁連木城-其の來歷と宗光-重貞の戰死-       天正の戰-康長の戰功  東田の北に朝倉川と言ふ小川が流れて居る。之れは蟬川の下流であるが、此の川に臨める高地に仁連木 城の舊址がある。此の城の來歷に就いて種々な說があるけれども、明慶年中戸田彈正左衞門尉宗光の築い たものであると言ふのが事實らしい。宗光が初め碧海郡上野の城に居たが、寛正六年五月德川家康から七 代目の祖に當る松平和泉守信光と共に室町幕府の命を受けて、三河國内の一揆を平定したことは蜷川親元 の日記などにもあつて有名な話である。宗光は其の後居を渥美郡の老津に移し、更に一色氏の後を襲いで 永正十三年の頃田原に根據を構へたが、其の後更に時を得て此の仁連木にも城を築き、田原をば其の子憲 光に委ねて自分は此處へ移つた。それは多分明慶初年の頃であると思ふ。宗光卒去の後は憲光及び其の次 男吉光も此處に居城した事實がある。其の後は此の城も暫らく放棄されてあつた様に考へられるが、天文 十年に至つて憲光の曾孫に當る丹波守宜光が牛窪の加治村から之れを再興したのである。永祿七年吉田城 から其の母を奪ひ返した主殿介重貞は卽ち其の子であつた。重貞は其の年の十一月吉田城攻めに於て戰死 したので其の後を弟の甚平忠重が襲いだ。然るに之れも又永祿十年五月病歿した。當時其の子の康長はま だ六歲の子供であつたから、一族の戸田傳十郞吉國と言ふ人が之れを扶けて陣代となつた。卽ち元龜三年 武田信玄の襲來に方つても天正三年五月武田勝賴の來攻に際しても共に吉國後見の時代であつたが、其の 家臣等の奮鬪によつて天正の戰ひには敵首十八級を得、以て家康の臺覽に供したと傳へられて居る。之れ                     四一 【右頁】                     四二 より先康長は松平の姓を賜はり、家康の同母妹久松氏に配したのであるが、後屢々德川氏の爲めに戰功を 立て、天正十八年家康の關東移封と同時に武藏國東方一萬石に封ぜられたのである。爾來仁連木城は遂に 廢城となつて今日に至つたのであるが、今は大口喜六氏の所有地であつて一部農園となつてゐる。       豐川の淸流-古名の色々-橋梁移轉-地子御免       -貨物の運上-舊幕時代の湊  豐橋の架つて居る川が卽ち豐川である。其の源は北設樂郡段戸山に發し、南流して段嶺村を過ぎ作手川 を容れて寒狹川となり、南設樂郡長篠村に至りて三輪川を合し、更に西南に流れて寶飯・八名・豐橋二郡 一市の界を爲し、前芝村に至つて渥美灣に入るのであるが、延長凡そ十七里である。この河の古名を飽海 河と謂ひ、後吉田川とも言つたが、近世一名姉川の稱があつたが併し此の名は餘り世に知られて居らぬ。 昔、飽海鄕と渡會鄕との間に志香須賀と言ふ豐川の渡しがあつたが、地形の變遷が甚しいので今其の位置 が明かでない。元は此の名を然菅と書いたが、中世から白菅の字を訛用したるものと思はれるが、其の後 又更に鹿菅などとも書かれて居る。豐橋を渡れば市内下地町である。橋の此方が船町で、この町は池田輝 政の橋梁移轉に依つて漸次發展を來したものであるが、船乘又は運送渡世の者が多かつたので、慶長五年 關ヶ原の役には城主輝政の命を受けて伊勢の津又は松坂等へ往來したのである。夫れが緣故となつて爾來 引續き藩主から船役を命ぜられ、地子御免の上此の河に輸入する貨物の運上を取ることをも認められて居 たのである。而も舊幕時代には此處以外豐川沿岸の地に湊を許されなかつたから、伊勢又は尾張地方に交 通する船舶は常に川下に輻輳して、船町の繁昌は著しかつたものであつた。 【左頁】     豐橋名代行事       笹踊-煙火-鬼祭  元祿時代と言へば誰も知らぬものはない江戸全盛の時であるが、其の驕奢な風は地方にまでも流れて來 たので、彼の吉田の煙火なども此の頃から盛大になつた。勿論此の煙火は關屋町縣社吉田神社の祭禮に於 て行はれたのであるが、元同社の神官であつた石田家の記錄に依つて見ると、初めて建物(花火の一種) の大きなものが出來たのは元祿十三年のことで、長さ十三間、幅三間半で其の費用は二十四兩かゝつたと してある。舊幕時代には祭禮中本町の通行を禁じ市街に於て打揚げたものであるが、今は社前と豐川の水 上に於て行つて居る。又同祭禮に要する本町の山車に幕の出來たのも元祿十六年のことであるとしてある が、萱町から出る笹踊の裝束も元は木綿の浴衣であつたのを元祿に入つて絹更紗染に改め、其の十七年に 至つて緞子のものが出來た様子である。それのみならず、右の記錄の中には其の笹踊を囃す爲めに大太鼓 や小太鼓の打手の中に頗る名人が出來たと言ふことが詳しく記してある。吉田神社の祭禮は每年七月十三 日より三日間であつて吉田神社の風流を偲ぶ。十三日神前で行はれる大筒・手筒、十四日豐川の淸流で打 揚する打揚花火、十五日の笹踊は古への田樂の遺風で、十騎の武者行列・賴朝の姥・饅頭喰ひ等は今なほ 此の祭に行はれる天下名代のものとなつてゐる。此の外豐橋市に於ける年中行事として主なるものは中八 町縣社神明社の鬼祭である。此の社の例祭は每年二月十四日・十五日兩日を以て行はれ、俗に之れを鬼祭 と稱へて居るが、其の式は天狗の面をつけ烏帽子小具足を着けた武者が赤鬼を追ひ拂ふのである。此の外                     四三 【右頁】                     四四 田樂の遺風である四天師のチンバ踊・笹良子のポンテンザラの神事を始め、黑鬼や榎玉爭ひの神事、お頭 様の渡御になる順序で、此の神事は極めて奇なる祭で全國に其の例を見ること稀である。     附近町村を探ねて       豐川・鳳來寺鐵道沿線-豐橋以西-豐橋以東-       渥美電鐵沿線-八名方面-ハイキングコース  我が東三河は古い歷史を有つて居るだけに、今尚王朝以來の遺跡を始め室町期卽ち群雄割據時代の城壘 並に古戰城其の他武將の墳墓が到る處に見受けられる。先づ豐川鐵道の沿線では、小坂井町の東端に在る 風祭で名高い𫟏足神社、次には德川氏の葵の紋所が起つたと言ふ由緒ある伊奈城址、牛久保では今川義元 並に舊一色城主一色刑部少輔の墓がある大聖寺、山本勘助の墓所で知られて居る長谷寺等あり、尚それか ら程遠からぬ處に牧野民部丞成定のために建立した光輝庵がある。牛久保驛より僅かに進むと豐川に達す るのである。此處には吒枳尼眞天によつて天下に有名な妙嚴寺も稻荷と、外に三明寺の名蹟、縣立蠶業試 驗場豐川支場及び全陸上競技聯盟公認の大グランドがある。豐川稻荷の新本殿は三十有餘年前より計畫せ られ、昭和五年四月漸く竣工したといふ甚だ豪壯なものである。國幣小社砥鹿神社は三河一宮驛を去る三 丁ばかり東方で祭神は大己貴命である。次は長山驛で、砥鹿神社奥宮に鎭座する三河第一の高山本宮山は 此處から頂上まで五十餘町である。尚この驛には會社直營の遊園地があつて四季遊客を喜ばしてゐる。東 【左頁】 上驛附近に牛の瀧あり、直下六十尺、行路極めて平坦で驛から八丁、夏季は避暑客が多い。次は野田城驛 で笛の名人村松芳休の嚠喨たる妙音に誘はれて武田信玄が狙擊せられた野田城址へは僅かに五丁。更に新 城驛に入ると菅沼定盈の墓がある。此の地は豐橋以北の小都會で、新城區裁判所・帝室林野局名古屋支局 新城出張所・縣立農蠶學校を始め高等女學校等があつて商工業亦盛んである。此の驛より約十丁、東新町 より五丁で櫻の名所櫻淵に至ることが出來る。豐川鐵道の終點は長篠驛で豐川・鳳來寺兩線の接續する所 である。此の驛を距る十四町餘寒狹川・三輪川二流交叉の處に長篠古戰場址があつて、附近一帶は武田・ 德川・織田三氏の古戰場である。長篠役は天正三年五月甲斐の武田勝賴が、家康の臣奥平信昌を此の地に 圍みたるに起因す。此の時鳥居强右衞門の最後は人口に膾炙せる處であつて、その墳墓は今も鳥居驛より 一町餘の寒狹川畔に存在してゐる。其の他この合戰に戰死せる甲將馬場美濃守信房・内藤修理亮昌豔・山 縣三郞兵衞昌景・其の他の墳墓は今尚この地を中心として附近に散在し、行人をして低徊顧眄の情に堪え ざらしむるものがある。  鳳來寺の舊時を偲ばむとするものは、鳳來寺口で田口鐵道に乘り換へれば僅かに三哩で鳳來寺驛に至る 山麓から本堂藥師如來迄は九町を登る。同寺は推古天皇の勅願により僧利修の開創せる處。天臺・眞言の 二宗を兼ねて居たが、今は合して眞言一宗となり、極めて古い由緒を有つて居る。全山の風物總て壯觀を 極めたものであつたが、數度の火災に逢つて今日舊態を存せず、僅かに樓門並に東照宮祠などが尚昔時の 面影を留めてゐる。東照宮は慶安四年の創立で、後度々修繕を加へられてゐるが、尚明かに德川初期の様 式を見るべきものがある。殊に此の山は阿蘇火山脈の終點に位し悉く火山岩で構成され、極めて斷壁千仭 の奇勝に富み、夏季は夕方から曉へかけて靈鳥佛法僧鳴き、遠方の地から杖を引くものが多い、尚この田                     四五 【右頁】                     四六 口鐵道沿線は山寺の瀧・田峰の溪谷・東海一の長隧道・田峰の觀音・鹽津溫泉・添澤溫泉等勝景の地、遊 覽の地に富んでゐる。  三河大野驛から行者越えに道を取れば鳳來寺へ最も近徑で、大野橋を渡ると八名郡大野町である。町は づれの天神山公園に不動瀧がある。此處から山吉田村阿寺迄は二里餘りで自動車の便がある。飛泉豐かな 七折の瀧あり、高さ百二十五尺、阿寺の七瀧と稱し夏猶寒きを覺ゆる避暑地である。湯谷驛は所謂鳳來峡 の中間で三輪川(板敷川)を隔てた對岸は縣道別所街道が坦々として北へのび、恰かも耶馬溪を見るが如 き風趣をたゝへて居る。この流れに沿ひ小盆地から湧出づる溫泉がある。これを鳳來泉と謂ひ萬病に效驗 ありとて、驛は此處にホテルを經營し旅客をして心行くまで享樂せしむる。三河槇原驛は佳景に富み幾多 の鳳來峡名所がある。この地山深きに平地多ければ都人の別莊地として有望である。三河川合驛は本鄕・ 御殿・振草を經て信州新野及び飯田に至ると、浦川中部を過ぎ久根銅山水窪に至る分岐樞要地點である。 この驛から凡そ三十丁餘りで有名なる乳岩の巖洞我を吞むが如く眼前に迫る。更に登れば天空に聳ゆる雄 大奇蹟たる天然石門に達す。其の美に打たれ茫然たらざる者はない。幾多巖層よりなる連峯の雅趣を一眸 に収め、川合の村落は浮繪の如く眼界に入る。春の山を飾る石楠花・深山躑躅の咲き亂るゝ麗はしさ、夏 の納凉・秋の紅葉に衣を染むべき地。この附近は多くの詩人墨客の杖を引くべき所である。更に開通を見 たる三信鐵道を鳳來寺鐵道三河川合驛より接續して中部天龍を經て天下の絕勝天龍峽に沿ひて北伸し、天 龍峽驛に於て伊那電鐵に連絡してゐる。されば豐川・鳳來寺・三信・伊那電の四社一體となつて中部日本 を縱斷して飯田市を經て中央線辰野驛に達するに至つた。  尚、東海道鐵道沿線豐川鐵橋の以西では、御油驛の縣社御津神社・大恩寺・御油海岸等で、蒲郡は元西 【左頁】 郡と蒲形とを合せたもので、今は海水浴場の設けがあり、ホテル・料理店等完備し、風光頗る明媚にして 夏季に各地から避暑に遊ぶ者が却々多い。名電で豐川を越え伊奈驛へ入る。この附近は伊奈城のあつた處 で其の名を知られ、名電豐川線の分岐點であつて將來を囑目されて居る。國府は舊東海道で往時三河の國 府があつた處で、同町の白鳥に總社があり、八幡村に國分寺と八幡社があつて、國府に關係淺からざるも のである。西明寺入口の鷺坂等もよく知られて居る。八幡社の社殿は特別保護建造物で有名なものである 八幡村より東北二里餘りの山中にある財賀寺は、聖武天皇の勅願により行基の開創した名刹である。赤坂 驛は古來から紅葉の名所で知られてゐる宮路山に近い。宮路山は持統天皇の舊蹟であつて山頂の遠望天下 に絕し、春の蕨狩・秋の茸狩に佳く・長澤・山中・本宿は東海道古驛路で古くから知れてゐる。  次に東海道鐵道沿線を豐橋から東へ向へば、二川町の岩屋觀音・高師山・雲谷の普門寺・小松原の東觀 音寺・鷲津の本興寺が歷史的に世上著聞の場所であるが、殊に岩屋觀音が其の最なるものであらう。それ から八名郡方面では石卷山・石卷神社・本坂峠・嵩山正宗寺・月谷大洞窟等最も名ある處となつて居る。  更に渥美半島方面に於ては、渥美電鐵の沿線小池町には潮音寺がある。曹洞宗に屬し行基の開創せるも のと傳へられて居る。この寺の觀音は潮道の觀音と稱し舊來有名なものである。師團口驛は、陸軍敎導學 校その他軍衙の所在地であつて、明治四十一年十一月第十五師團司令部が今の地に置かれて以來著しく發 展したものであるが、大正十三年五月軍備縮少により第十五師團司令部を廢止せられ、今は第三師團の管 下となつてゐる。串淺蜊の製造に於て有名なる大崎へは師團口より約一里である。芦原驛より十丁程で野 依毘沙門天へ行くことが出來る。大淸水驛附近には富士瓦斯紡績豐橋工場があり、老津谷熊・豐島の各驛 より多賀壽命殿長仙寺の名刹へ何れも十三丁である。この寺は天平十七年行基の開創で現在の本堂は延寶                     四七 【右頁】                     四八 九年頃の建築である。天白・神戸の各驛を經て田原に入ると、此處は明應年間戸田宗光の築いた田原城址 がある。田原藩の老臣にして書畫を能くし詩文に長じ、更に海外の事情に通じたる渡邊華山の墓は同町城 寶寺境内にあつて、三宅氏の祖兒島高德を祀る縣社巴神社は舊城址の一隅に鎭座するのである。又田原藩 の執政で火技を研究し造船の法に長じ、後擧げられて藩政を掌つた村上藩政の墓も同町にあつて、片濱海 水浴場へは同町より十八丁である。その他神明社・阿志神社・長興寺・泉村鸚鵡石・福江泉福寺・伊良湖 岬石門・村松、豐川河口では神野新田・前芝など何れも三河の名所舊蹟として廣く紹介する價値がある。       🔳觀光地とハイキングコース  [鳳來寺と鳳來峽]    豐橋《割書:電車1時間10分|  72錢》鳳來寺驛《割書:2K|40分》鳳來寺《割書:3K|1時間》湯谷温泉《割書:2K|40分》三河槇原《割書:電車1時間15分|  81錢》豐橋     ▲沿線附近名勝……豐川稻荷・長山遊園地・野田城址・長篠城址  [渥美半島・伊良湖岬]    豐橋《割書:電車40分| 46錢》三河田原《割書:バス45分| 70錢》堀切《割書: 5K|1時間半》伊良湖岬《割書: 10K|2時間半》福江《割書:バス1時間| 100錢》豐橋     ▲沿線附近名勝……渡邊華山の墓・田原城址・歌人磯丸ノ遺跡・日出石門・陸軍試砲場  [新箱根・蒲郡]    豐橋《割書:電車20分| 45錢》本宿《割書:バス(35分)30錢| 12K 3時間》蒲郡《割書:汽車20分| 30錢》豐橋     ▲沿線附近名勝……宮路山・法藏寺・蒲郡海岸・竹島・大島・觀光ホテル 【左頁】 《題:商工業者人名》 【右頁】 豊橋商工会議所内 商工業の御相談ナラ 《割書:商工業経営・店舗設計・ウイン|ド陳列装飾・広告図案・文案・|商取引斡旋・金融一般》 商工相談所ヘ!《割書:相談日 毎月八日・十八日|午前九時ヨリ午後四時マデ》 転業ト金融ノ御相談ナラ《割書:軍需品・輸出品・代用品|金融一般》斡旋 転業相談所ヘ!《割書:相談日 毎週火曜日|午後一時ヨリ午後五時マデ》 秘密ヲ守リ無料ニテ御相談ニ応ジマス 精々御利用下サイ 【左頁】 商工業者人名目次 【上段】 第一類 穀類・飼料・肥料・飲食料品・料理 1 米・雑穀 一 2 飼料 八 3 肥料 一〇 4 糀 一一 5 粉類・製粉 一二 6 砂糖・米砂糖 一二 7 菓子・煎粉・餅・餡・飴 一四  8 塩 一九 9 清冷飲料水 一九 10 氷 一九 11 酒・味噌・溜・醤油 二〇 12 酒・味噌・溜・醤油・酢醸造業 二六 13 茶・茶道具 二八 14 牛豚肉・鶏肉・生鳥・鶏卵 二八 【中段】 15 鮮魚・川魚 三〇 16 海産物製造 三三 17 漬物・佃煮・缶詰・青物・果物・乾物 三五 18 豆腐・油揚・蒟蒻・麸 四〇 19 料理・席貸 四一 20 飲食・仕出し 四八 21 鰻料理 五〇 22 西洋料理 五一 23 洋食料品・洋食器 五二 24 饂飩・蕎麦 五三 25 酒場・喫茶 五四 26 牛乳・同搾取 五六 第二類 繊維商工業・被服・同材料及付属品・装身具・染色 1 繭問屋 五九 【下段】 2 生糸・玉糸問屋 六二 3 乾繭取引員 六四 4 製糸業 六五 5 屑繭・生皮苧 七四 6 再整絹糸製造 七五 7 麻真田製造・麻糸連続 七七 8 糸類・撚糸 八〇 9 紡績業 八二 10 綿・蒲団・蚊帳・真綿 八二 11 絹 綿 八四 12 呉服・太物・モスリン 八四 13 織物・漁網・セロファン加工・紐 八八 14 和服・ミシン裁縫 八九 15 洋服・洋裁生地 九〇 16 防水マント・日覆 九二 17 洋物・洋品・雑貨類 九二 【裏表紙】