【頭部】 安政二《割書:乙》卯年初冬発市 【縦の仕切り線有り】 《題:地しんの弁》 【縦の仕切り線有り】  東都  天文書屋鐫 【本文】  《題:ぢしんの弁(べん)》 【題字の下部の色分け索引】 「黄色い○」此色は嘉永七《割書:甲》寅年十一月四日       大 地震(ぢしん)ありし国〳〵なり 「青い○」 此色は同月同日地震の後(ご)沖合(おきあひ)鳴出(なりだ)し       夜(よ)五半時 頃(ころ)大津波(おほつなみ)となりし場所(ばしよ)なり 「赤い○」 此色は安政二年十月二日夜四ッ時 関(くわん)       東(とう)諸国(しよこく)大地震(おほぢしん)の分(ぶん) 但 此節(このとき)津波(つなみ)は       なし およそ天地(てんち)の間(あひだ)は陰陽(いんやう)の二気(にき)を以(もつ)て元(もと)とすこの二気(にき)和順(くわじゆん)なる時(とき)は穏(おだやか)なりそれ地(ち)の厚(あつ)き事九万 里(り)にして四囲(しゐ)に竅(あな)あること 或(ある)ひは蜂(はち)の巣(す)の如(ごと)くまた菌(くさびら)の弁(すぢ)【瓣】に似(に)たり水火(すゐくわ)これを潜(くゞ)りて出入(しゆつにふ)す然(しか)るに陰気(いんき) 上(かみ)に閉(と)ぢ陽気 下(しも)に伏(ふく)するとき升(のぼ)らんとするに升ることを得(え)ず因(よつ)て 地 漸々(だん〳〵)【ママ】に脹(ふく)れ時をまち陰気を突破(つきやぶ)つて騰(のぼ)るこのとき 大地(たいち)大(おほい)に震(ふる)ふたとへば餅(もち)を焼(やき)て火気(くわき)その心(しん)に透(とほ)れば 漸々(だん〳〵)【ママ】に脹れあがるが如し故(ゆゑ)に強(つよ)き地 震(しん)は始(はじ)め発(はつ)する時 地 下(か)より泥(どろ)沙(すな)を吹(ふき)出し大地 陥(おちいる)が如く覚(おぼ)ゆるは陽気 発(はつ)してかの脹れたる地中の空穴(くうけつ)縮(しゞ)まる也されども一時(いちじ)に 縮み尽(つく)さず因(よつ)て一昼夜(いつちうや)に三五十 度(ど)或(ある)ひは 二三十 度(ど)少(すこ)しく震(ふる)ひて漸々(ぜん〴〵)に元に復す かゝれば大地震の後(のち)度々震ふとも始の ごとき大震はあらざるの理(り)と しるべし昔(むかし)より今(いま)に至(いた)り和漢(わかん)の 大 地震(ぢしん)度々(たび〳〵)にて既(すで)に史(ふみ)にも 記(しる)し人(ひと)の譚(ものがたり)をきくにみな斯(かく)の如(ごと)し 然(しか)るをまたもや大に震(ふる)はんかと日(ひ)を重(かさ)ねて 大 道(だう)に仮家(かりや)をしつらへ寒風(かんふう)にあひ夜気(やき)をうけて 竟(つひ)に疾(やま)ひを発(はつ)するを思はず少しもこの理(ことわり)を 知れらん人は婦(をんな)児(こども)によく諭(さと)して久(ひさ)しく路傍(みちはた)に 宿(しゆく)することなかれ ○俗説(ぞくせつ)にいふ地下(ちか)に鯰(なまづ)ありその尾鰭(をひれ)を動(うご) かす時(とき)地(ち)これが為(ため)に震(ふる)ふといふその拠(よりところ)を 詳(つばら)にせざれど建久(けんきう)九年の暦(こよみ)の表紙(へうし)に地震(ぢしん)の 虫(むし)とてその形(かたち)を画(ゑが)き日本(にほん)六十六 州(しう)の名(な)を記(しる)したり 六七百年以前よりかゝる説(せつ)は行(おこな)はれき仏経(ぶつきやう)には竜(りう)【龍】の 所為(わざ)といふ古代の説(せつ)はかくの如(ごと)しと地震考(ぢしんかう)といふ書(しよ)に 記(しる)せり思(おも)ふに当時(たうじ)雑書(ざつしよ)には必(かならず)この図を載(のせ)ざる事 なくその形(かたち)もまた鯰(なまづ)にあらず竜(りゆう)【龍】に類(るい)せる異形(いぎやう)のものなり 今またその図(づ)をこゝに仮(かり)て寅卯(とらう)二ヶ 年(ねん)地震(ぢしん)津波(つなみ)の 災異(さいい)ありし国々を一眼(ひとめ)に見(み)する目的(めあて)となすのみ