琉球奇譚 序 琉球国(りうきうこく)は吾(わが) 日域(ひのもと)薩州(さつしう)より南(みなみ)にあたり。清朝(もろこし) 福建(ふくけん)泉州(せんしう)の東(ひがし)に在(あり)。其国(そのくに)名玉(めいぎよく) 異宝(いはう)を出(いだ)す。男女(なんによ)の風俗(ふうぞく)又(また)異(ことなり)や。 去歳(きよさい)秋(あき)八月。渡海(とかい)の商人(あきびと)に 臨貞二(りんていじ)といへるもの。何(なに)くれと彼国(かしこ) の手(て)ぶりなど。親(した)しく語(かた)りたるを。 米山子(べいざんし)と等(とも)に兵庫(ひやうご)に遊歴(ゆうれき)せし 折(をり)から。聞(きゝ)たるまゝにかいしるして 置(おき)たりしを。此(こ)たび梓(あづさ)に ちりばめて。同志(どうし)のひとたちに 【柱題】りうきう序の一 見(み)を【せヵ】まゐらせ前【むヵ】とするものは 黒川(くろかは)の里人(さとびと) 浅■【嶺ヵ】庵作良 時は天保みつのとし 冬時雨月 壷輪楼高木書     【右ページ】 寿 琉球国越来三明堂楽水一百十一歳書 【柱題】りうきう序の二 【左ページ】 琉球(りうきう)譚(ものがたり)伝真記(でんしんき) 薩州白岩 抑(そもそも)琉球国(りうきうこく)は薩州(さつまのくに)の南方(みなみ)にあたりて・舟路(ふなぢ)およそ八百四十 里《割書:海上(かいしやう)六丁をもつて一 里(り)とす地方(ぢかた)の三十六丁を一里とするときは。|百四十里なり。和漢三才図会(わかんさんさいづゑ)に海(かい)上三百八十里と記(しる)せしは誤(あやまり)也》其国(そのくに)南北(なんぼく) 長(なが)さ五十九 里(り)余(よ)東西(とうざい)は僅(わづか)十里に足(た)らず《割書:地方(ぢかた)三十六丁を|もつて一 里(り)とす》 その地(ち)北極(ほくきよく)の地(ち)を出(いづ)ること二十六 度(ど)二 分(ぶ)三 厘(りん)。されば 暖気(だんき)なる事(こと)他国(たこく)に勝(まさ)れり。《割書:正月に桃(もゝ)のはなひらき冬(ふゆ)になりても|衣(い)るいにわたをいれるといふ事なく蚊(か)なをうせ》 《割書:ずうちはを|手にはなさず》○始(はじ)め隋(ずひ)の時(とき)流虬(りうきう)と号(なづ)く。其は地(くに)の形(かた)ち虬(きう) 竜(りよう)の水中(しひちう)に浮(うか)ぶか如(ごと)くなるを以(も)てなり。又(また)宋史(さうし)及(およ)び隋書(ずいしよ)に 流求(りうきう)と書(か)く。元史(げんし)には瑠求(りうきう)と書(か)く。その後(のち)今(いま)の琉球(りうきう)の 字(もじ)には改(あらため)たり《割書:中山伝信録(ちうざんでんしんろく)には明(みん)の洪武(こうぶ)年中今の字(じ)に|改(あらたむ)ると記(しる)せしは誤(あやまり)にて夫より前の事なり》○往昔(いにしへ)我国(わがくに) より琉球(りうきう)を呼(よ)びて宇留麻廼久尓(うるまのくに)といへり。大弐(だいに)の三位(さんゐ)の 狭衣(さごろも)に。右流間(うるま)の島(しま)とありて。下紐(したひも)に。うるまの島(しま)は琉(りう) 球(きう)なりと有(ある)にて明(あき)らけし。また千載集(せんざいしふ)の歌(うた)に「おぼつかな うるまの島(しま)の人なれや我(わが)言(こと)の葉(は)をしらず顔(がほ)なる。公任。 又(また)古(ふる)くは於幾廼志摩(おきのしま)とも呼(よ)びたり。彼(かの)国人(くにうど)。自(みづか)らその 国(くに)を屋其惹(おきの)ともいふ也「さつまがたおきの小島(こじま)に我(われ)あり と親(おや)には告(つげ)よ八重(やえ)のしほ風(かぜ)」この歌(うた)は平判官(へいはんぐわん)康頼入道(やすよりにふどう)。 鬼界(きかい)ヶ島(しま)に謫(なが)されて彼所(かしこ)にて詠(よめ)るにて。すなはち源平 盛衰記(せいすいき)巻の七に載(のす)るところなり○世俗(せぞく)に竜宮(りうぐう)といふ ものは海竜神(わだつみのかみ)の都(みやこ)する処(ところ)にて。洋中(ようちう)波底(はてい)。別(べち)に都あり と思【み?】へるは誤(あやまり)也《割書:此事すでに謝在杭(しやざいこう)が|五雑俎(ござつそ)にも論破(ろんは)せり》即(すなは)ち琉球(りうきう)と 竜宮(りうぐう)と同音(どうおん) なるが故(ゆへ)にかくは成(なり)もて来(きた)るもの也。又(また)琉球 国(こく)の王宮(わうぐう)に。 竜宮城(りうぐうぜう)といへる額(がく)をかけたり。又(また)都(みやこ)には天竜(てんりう)地竜(ちりう)の社(やしろ) あり。是(これ)を天妃(てんはい)といふ。今(いま)異国人(いこくびと)の菩薩(ぼさ)と唱(となふ)るものは是(これ)也 《割書:此方に舟玉(ふなたま)明神とて舟の|守護神(しゆごじん)とするも此神なり》されば神代(かみよ)にいへる海宮(わだつみのみや)も。浦島(うらしま)が子(こ)の 竜宮城(りうぐうぜう)も。俵秀郷(たはらひでさと)の行(ゆき)たりといふ竜宮(りうぐう)も今(いま)俗(ぞく)にいふ 【囲われている部分は「」でくくりました】 竜宮もみな琉球(りうきう)といへるものなり○琉球 国(こく)に三 省(せう)あり。 中山(ちうざん)は中頭省(なかがみせう)。山南(さんなん)は島崫省(しましりせう)。山北(さんほく)は国頭省(くにがみせう)。此三 省(せう)の属府(ぞくふ)都(すべ)て三十六。これを間切(まぎり)といふ○都(みやこ)を首里(すり)と 号(なづ)く。他(ほか)はみな間切(まきり)といふ《割書:間ぎりは此方の城下(じやうか)のごとく|郡県(あがた)をさしていふ》其(その)間切(まきり)の 領主(りやうしゆ)を各(おの〳〵)按司(あんじ)といふ○三十六の属島(ゑだしま)あり。奇界(きかい)《割書:また鬼(き)|界(かい)が島(しま)》 《割書:と|いふ》は十二の島(しま)なり則ち五島七島といふ其(その)三十六の小 島といふは「東(ひがし)の方(かた)に四箇(よつ)の島(しま)あり」△久高(くだか)又姑達佳(こだか)共(とも) 中山の東(ひがし)十四里半《割書:かの国の道法(みちのり)六十丁をもつて一里とす此方の三|十六丁をもつて一里とするときは二十四里余》  産物(さんぶつ)数品(すひん)あり。赤(あか)祝米(こゞめ)。黄(き)小米(こゞめ)。五色(ごしき)魚(うを)。佳蘇魚。なほ 多(おほ)し△津堅(つけん)《割書:中山の東三里半此方の|道法(みちのり)にしては五里半十二丁也》△浜島(はましま)《割書:南北二島あり中山ゟ|道のりまへにおなじ》 △伊計島(いけしま)「西(にし)の方(かた)に三箇(みつ)の島あり」△東馬歯山(ひがしばしざん)《割書:大小五ツの|島(しま)あり産(さん)》 《割書:物(もつ)牛(うし)。馬(むま)。粟(あは)。|布(ぬの)。螺(にし)。怪石(かせき)》△西馬歯山(にしばしざん)《割書:大小四ツの島(しま)あり此島の人|極(きは)めていろ黒(くろ)しよく漁(すなどり)す》○此 島(しま)には 「座間(ざま)」「美渡(みと)」「嘉敷(かふ)」等(とう)の間切(まぎり)あり○漁猟(すなどり)をよくして 水中(すゐちう)に 五六日 居(ゐ)て魚(うを)を得(え)るまた山下(さんか)の海底(かいてい)に海松(みる)あり 是をとりて生計(なりはい)とする人(もの)多(おほ)し△姑米山(くめやま)《割書:中山より西の方四|十八里但し六十丁を》 《割書:もて一里とす此方の三十六|丁をもて一里とするときは八十里也》○此 島(しま)には「安河(やすがは)」「具志川(ぐしがは)」とて二ツ の間切(まきり)あり○高山(かうざん)あり五穀(ごこく)はさら也。土綿(わた)。繭紬(つむぎいと)。紙(かみ)。蝋燭(ろうそく)。螺(ら) 魚(ぎょ)。雞(にはとり)。豚(いのこ)。牛(うし)。馬(うま)。墨魚(すみうを)。なほ産物(さんぶつ)多(おほ)し。 首里(スリ)王城(ワウゼウ)之(ノ)図(ヅ) 造作日本潢土両国ノ風 アリ王城廻二里半 ナリ 【舜天宮】 舜天宮ハ 八郎為朝ヲ マツル ナリ 【瑞泉池】 池ニ大魚 アリ其色 赤シ 月夜ニ カナラズ 浮ブ 【奉神殿】 しねりきゆ あまみきゆ の宮 【中山牌坊】 長サ 一丈 アマリ 名ヲ ハリ ラン バア ト云 【このほかは図の中にしるす】 「乾(いぬい)の方(かた)に五箇(いつつ)の島(しま)あり」△度那奇山(となきやま)《割書:山に牛馬(ぎうば)多(おほ)し寺(あり)五宝(ごほう)|庵(あん)といふ盆(ぼん)おどりといふ事あり》 △粟国島(あぐにじま)《割書:山に牛(うし)|豕(ぶた)多し》○名産(めいさん)。鉄樹(たがやさん)。仏礼木(へくりげ)。供花樹(こたらめ)。△伊江島(いゑしま) 《割書:石山なり四方|こと〴〵く黄砂(きすな)也》○粟国島(あわぐにしま)に並(なら)ぶ。潮(しほ)の漲(みつ)るときは三四丁を隔(へだ)ち。 水(みつ)の退(しりぞ)くときは徒渉(かちわたり)して行(ゆく)べし○山に田あり。黍(きび)。稗(ひえ) 豆(まめ)。麦(むぎ)多(おほ)し△葉壁山(ゑへやま)。又 伊平屋島(いへやしま)とも○中山の戌亥(いぬゐ) の方三十里にあり此 方(ほう)の道法(みちのり)にて五十里なり○此 島(しま)の米(こめ) 尤(もっとも)よし産物(さんもつ)は五穀(ごこく)。海胆(うに)。毛魚(もうぎよ)。蕉糸(ばせをふのいと)。島(しま)の中(なか)に一座(ひとつ)の 高山(かうざん)あり。宛転(えんてん)として竜(たつ)の如(ごと)し。その山中(さんちう)に「こくんろ」といふ 鬼神(かみ)あり。常(つね)に美女(びぢよ)の形容(すがた)を現(げん)ず。女人(をんな)をして祷祈(いのり)祭(まつ)ら すれは幸福(さいはい)あり△硫黄山(いわうさん)又 黒島(くろしま)とも○山に鳥(とり)多(おほ)し。因(より)て鳥(とり)島ともいふ○中山の戌亥(いぬゐ)の 方三十五里にあり。但し前に いふごとく六十丁を一里とす。此方の道法(みちのり)三十六丁を一里と するときは五十八里なり○採硫戸(いわうとり)の家(いへ)百二十 軒(けん)ばかり 有○人の眼子(まなこ)羊(ひつじ)の如(ごと)くにして 明(あきら)かならずこれ硫黄(いわう)の気(き) に蒸(むさ)るゝ故(ゆゑ)なりとぞ○島に山あり灰推山(くわいすいさん)といふ 「艮(うしとら)の方(かた)に八箇(やつ)の島(しま)あり」△由論(よろ)《割書:中山の丑寅の方五十里此方の|道のりにして八十三里余なり》 ○芭蕉(ばせを)の樫木(やまゝき)多(おほ)し△永良部(ゑらふ)《割書:あるひはよこなまりて|伊闌埠《割書:いら|ふ》といふ》△徳(とく) 島《割書:中山の艮の方六十里|此方の道のり百里》△由呂(ゆろ)《割書:度姑島(とくしま)の艮の方|四里にあり》△烏奇(うけん)奴《割書中山:|より》 【囲われている部分は「」でくくりました】 《割書:艮七十七里|六丁にあり》△佳奇呂麻(かけろま)《割書:中山の艮七十|七里にあり》△大(おほ)島《割書:一名| 》小琉球(せうりうきう)○度(と) 姑(く)島の艮にあり中山を去(さ)ること八十里 但(たゞ)し前(まへ)にいふごとく 六十丁を一里とすこれも此方の道法三十六丁を一里とする ときは百三十余○琉球より此島まで舟行(ふなぢ)三日にして 至(いた)るべし○島(しま)長(なが)さ十三里七 箇所(かしよ)の間切(まきり)あり「西間切(にしまきり)」「東間切(ひがしまきり)」「笠利(かさり)」「名瀬(なんせ)」「屋喜(やんき)」「住用(すむよ)」「古見(こいみ)」○島中(しまのうち)都(すべ)て二百 三十一 村(そん)あり○産物(さんぶつ)は蕃薯(さつまいも)おほし。また米(こめ)。粟(あは)。豆(まめ)。木綿(もめん)。 竹(たけ)。牛(うし)馬(むま)。兎(うさぎ)。猪(ぶた)。山猪(ゐのしゝ)。海瓜(うみうり)。焼酎(しやうちう)。紅棕(あかじゆろ)。黒棕櫨(くろしゆろ)《割書:あぶら| 木なり》 ○島(しま)のうち三箇(みつ)の高山(かうざん)あり「しみづやま」《割書:清水|山》「きくやま」《割書:菊花|山》 【囲われている部分は「」でくくりました】 琉球国三十六嶋図(りうきうこくさんじうろくたうのづ) 【他は地図内に記す】 「南(みなみ)の方(かた)に七箇(なゝつ)の島(しま)あり」△太平山(たいへいざん)《割書:又迷姑(めこ)ともいふ今は| 訛(よこなま)りてまこ山といふ》○中山の 南二百里にあり《割書:六十丁|一里也》此方の道法(みちのり)《割書:三十六|丁一里》にして三百里なり ○産物(さんぶつ)草薦(たゝみおもて)《割書:りうきう|おもて也》○筑山(ちくざん)といふ大山あり△伊奇麻(いけま)《割書:太平|山の》 《割書:南に|あり》△伊良保(いらぶ)《割書:太平山の|坤にあり》△達喇麻(とらま)《割書:太平山の正西(まにし)にありあやしきけ|もの多し犬のかたちにて人面なる》 《割書:もの|なり》△面那(みつな)《割書:太平山の坤にあり大蛇(だいじや)|ありて常(つね)に人の家(いへ)にあそぶ》△烏噶弥(うかみ)《割書:太平山の乾にあり|大きなるへび多し常に》 《割書:人の家に|あそぶ》△姑李麻(くれま)《割書:太平山の|西にあり》○右の七 島(しま)を土人(くにびと)はなべて太平山と 称(とな)ふ「西南(ひつじさる)に九箇(こゝのつ)の島(しま)あり」△八重山(やえやま)《割書:一名 北木山(いしかきやま)太平山の|未申の方四里にあり》○中 山を去る事(こと)琉球道(りうきうみち)二百四十里《割書:六十丁|一里也》此方の道法(みちのり)《割書:三十六|丁一里》四百 里なり○産物(さんぶつ)。海芝(かいし)。玳瑁(たいまい)。海参(なまこ)。螺石(といし)。草薦(たゝみおもて)なほ多し 【左ページ】 鬼界(きかい) 此けもの きかいが しまの うみに おほし とぞ へいろつぱあ 頭(かしら)人(ひと)の如(ごと)く 体(かたち)は虎(とら)の ごとし 水上(みづのうへ)を 走(はし)る事 はやし つねに地魚をとりて食ふ 人を見て大いに笑ふ更に害をせず 【囲われている部分は「」でくくりました】 △烏巴麻(うはま)《割書:八重山の|未申に有》△波渡間(はどま)《割書:うはまに|ならぶ》△由名姑呢(よなくに)《割書:はどまに|ならぶ》 △姑弥(くみ)《割書:やえ山の|西に有》△多計富(たけとみ)《割書:くみの東にならべり此しまにびたん|といふ魚ありかたち図のごとし》r 土人(どじん)伝へいふ。天孫氏の仕女。 びんたらといふもの。海に入て 魚となる。これなりと。又いふ 頭痛(づつう)をわづらふもの。此 魚のかたちをゑがき。家の うちにはりおけば。忽ちにいえて 後うれひなしとぞ。およそ此島にすむ人。頭痛(づつう)の やまひといふことなし。  ○山海経(せんがいきやう)巻の一曰。柢山(ていざんに)有(うを)_レ魚(あり)其状(そのかたち)如(うしの)_レ牛(ごとし)又(また)有(つばさ)_レ翼(あり)。 其名曰鯥(そのなをりくといふ)冬死而夏生(ふゆししてなつうまる)食之(これをくらへば)無(しゆしつ)_二腫疾(なし)_一。とあるものと似(に) たれども。是(これ)は冬(ふゆ)も死(し)するものにあらず。 △久里嶋(くろしま)《割書:八重山の|いぬいに在り》△波照間(はてるま)《割書:たけとみに|ならべり》△新城(あらくすく)《割書:ゆなくにと|くみの間に》 《割書:ありて|二島也》○以上(いじやう)八箇(やつ)の島(しま)を土人(くにびと)はなべて八重山(やえやま)といふ △姑巴汛麻(こはじま)《割書:是は前の三十六嶋の外|なり中山の正西にあたる》○高山(かうざん)多(おほ)し。名産(めいさん)数品(すひん) あり。 本朝(ほんてう)第一(だいいち)の現留石(げんりうせき)といふ硯石(すゞりいし)は此島(このしま)にありとぞ。  ○右(みぎ)琉球国(りうきうこく)属島(えだじま)を加(くは)へて。およそ高(たか)十二万七千石   余ありと云。   ○琉球国(りうきうこく)王代(わうだい)略譜(りやくふ) 天地開闢(てんちかいびやく)のとき一男一女(いちなんいちによ)化生(けせう)す。《割書:化生とは父母|なく生るゝ也》その男神(をとこ) 姓(せい)は「はあんすう」《割書:歓斯|氏》名(な)は「かうらとつ」《割書:渇剌|兜》土人(くにうど) 可老年君(からうねんくん)と称(せう)ず。その陰神(をんな)を「とばと」《割書:多抜|荼》といふ。 《割書:又一書にその夫を「しねりきゆ」といひ|その婦を「あまみきゆ」といふ》その渇剌兜(かうらとつ)。と多抜(とば) 荼(と)と夫婦(ふうふ)となる。然(しか)るに其島(そのしま)さゝやかにして。波(なみ)に 漂(たゞよ)へり。よりて「たしか」といふ木(き)の生(お)ひ出(いで)しを植(う)えて やうやくに山の形とし。「しきゆ」といふ草(くさ)をうえ。 また「あたん」といふ樹(き)を植(うえ)て国の形(かた)ちとしたり こゝに火(ひ)といふものなかりければ。海底(かいてい)なる竜王(りうわう) の火(ひ)を乞(こ)ひ得(え)て。五行(ごぎやう)すでに成就(ぜうじゆ)したり。這(この) 陰陽神(ふたはしらのかみ)を土人(くにびと)は後(のち)に「あまみく」と称(とな)ふ。遂(つひ)に 二神(ふたがみ)交合(まじはり)て。三男二女(さんなんにぢよ)を生(う)めり。  第一男「天孫氏」《割書:てんそん|し》即ち国王(こくわう)の始なり   第二「うるかん」《割書:雲流|咸》男也○按司(あんず)の始(はじめ)となる   第三「めるかん」《割書:面流|咸》男也○庶民(しよみん)の始(はじめ)となる 【囲われている部分は「」でくくりました】   第四「くん〳〵」君君女也○天津神(あまつかみ)となる   第五「しゆく〳〵」祝祝女也○滄海神(わだつみのかみ)となる 「舜天王」《割書:父は日本国鎮西八郎為朝也母は大里の按司が妹也|逆臣利勇を討て王位につく是迄二十五世天孫氏の》 《割書:時より神の代人の代を|合せて一万七千八百年余》「舜馬順熙」《割書:在位|十一年》「義本王」《割書:在位|十一年》 ○以上三代七十三年 「英祖王」《割書:天孫氏の裔にして恵祝の嫡孫也姑伊曽の按司たりしが|義本王の譲りを受て王位につく在位四十年》 「大成王」《割書:在位|九年》「英慈王」《割書:在位|五年》「玉城王」《割書:在位|三年》  ○此時(このとき)国(くに)大(おほい)に乱(みだ)れ「山南王」《割書:とよみ|くすく》「山北王」《割書:いまきた|のくすく》此(この)両王(ふたり) おこりて鼎足(ていそく)のあらそひと成(な)る「西威王」《割書:玉城王の長子|在位十四年》 ○以上五代九十九年 「察度王」《割書:浦そひ間切 謝那村(ヤンナンムラ)の奥間大親(オクマオホオヤ)といふものゝ子にして|賢者なり世人しひて王位につかしむ在位四十六年》 「武寧王」《割書:在位|十年》察度王の子なり ○以上二代五十六年 「思詔王」《割書:山南王の佐敷按司たりしが子の尚巴志といふもの悪王を|討て位につかしむ在位十六年世大いにおさまる》 「尚巴志王」《割書:在位|十八年》「尚忠王」《割書:在位|五年》「尚思達王」《割書:在位|五年》「尚金福王」《割書:在位|四年》 「尚泰久王」《割書:在位|七年》「尚徳王」《割書:在位|九年》○此時(このとき)王(わう)悪政(あくせい)苛法(かほふ)なる故(ゆゑ)に鬼界(きかい) 【囲われている部分は「」でくくりました】 叛(そむ)きて軍おこる。世子(せいし)幼少(いとけな)かりしを国人(こくじん)弑(しい)して。浦副(うらぞひ)の 間切(まぎり)のうち間里の主。尚円(せうゑん)といふ人(もの)をあげて王位(わうゐ)に つかしむ ○以上七代六十四年 「尚円王」《割書:字は思徳金伊平の人先祖は舜天王の孫義本王なりむかし|義本王位を英祖にゆつりて北山にかくれたるその後裔也》 《割書:父は尚稷といふ|在位七年》「尚宣威王」《割書:尚円王の弟也世子いまた弱冠|なれば位をつく在位二年》「尚真王」《割書:尚円王の子|在位五十年》「尚清王」《割書:在位|二十九年》「尚元王」《割書:在位|十七年》「尚永王」《割書:在位|十六年》 「尚寧王」《割書:尚真王の孫にて尚懿の子也|在位三十二年》三司官(さんしくわん)邪那(やな)といふもの。 【左ページ欄外】 大明万暦 三十七年 日本慶 長十四年 【左ページ本文】 明朝(みんてう)にこびて日本(につほん)へ貢(みつぎ)せざるより。薩州侯(さつしうこう)誅伐(ちうばつ)を乞(こ)ひ。 数千(すせん)の人馬(じんば)をむけられ。つひに尚寧王(せうねいわう)を虜(とりこ)にして薩州(さつしう) につなぎ。人 質(じち)とする事三年。先非(あやまち)を悔(く)ひて。以来(いらい)永世(ゑいせい) 属臣(ぞくしん)たらんことを誓(ちか)ふ。然(さ)るによりて許(ゆる)し帰(かへ)せり。時(とき) に後水尾院(ごみをのゐん)慶長(けいちやう)十七年。大明(たいみん)の万暦(ばんれき)四十年なり 「尚豊王」《割書:在位|二十年》「尚賢王」《割書:在位|七年》「尚質王」《割書:在位|二十一年》「尚貞王」《割書:在位|四十一年》 「尚益王」《割書:在位|三年》「尚敬王」《割書:在位|三十九年》「尚穆王」 【囲われている部分は「」でくくりました】   ○風俗 ○すべて此国(このくに)は夷狄(えびす)にて。礼義(れいぎ)も道(みち)も調(とゝの)はざる国なりしが 二條院(にでうのいん)永満(えいまん)元年。鎮西(ちんぜい)八郎源 為朝(ためとも)。豆州(づしう)の島に 流(なが)され。大島より琉球に渡り。乱賊(らんぞく)を討(うつ)て民(たみ)を安(やす)んじ。 五常(ごぜう)の道(みち)を教(をし)へ。文武(ぶんぶ)の法(ほふ)を諭(さと)せしより 日本(につほん)の風俗(ふうぞく)と成(な)る。又(また)一時(いちじ)明朝(みんてう)に媚(こび)て。冠裳(くわんせう)。被服(ひふく)。屋宅(をくたく)。器物(きぶつ)。悉(こと〴〵)く中華(もろこし)の風俗をうつす。元来(ぐわんらい)其国(そのくに) 遍小(へんせう)なるれば。自立(じりつ)する事 能(あた)はず。中国(もろこし)の冊封(さくふう)を受(うけ)て。 また    日域(につほん)に臣服(しんふく)す。然(さ)れば今は夷風(いふう)を変(へん) じて両国(りやうこく)の《割書:日本|唐土》風俗(ふうぞく)相半(あひなかば)す。故(ゆへ)に物(もの)に号(なづく)るにも 常(つね)の言語(げんぎよ)にも音(おん)【左ルビ:コエ】と訓(くん)【左ルビ:ヨミ】と混雑(こんざつ)し。其中(そのうち)に唐音(たういん)を 用(もち)ゆるものあり。また琉球(りうきう)古代(こだい)の詞(ことば)あり。然(さ)れ共 多(おほ)くは。衣冠(いくわん)は清朝(もろこし)にならひ。言語(げんぎよ)は 日本に真似(まねぶ)としるべし。○女人(をんな)は墨(すみ)をもて。 首(くび)に竜蛇(りうじや)の形(かた)ちを刺点(いれずみ)せしが。今は形(かた)ばかり僅(はつか)に 遺(のこ)りて。筋(すぢ)一つ彫入(ほりいれ)るとぞ○生平(つね)に国王(こくわう)より庶人(くにたみ) に至るまで。君万物等(きんまんもんとう)の鬼神(かみ)を信(しん)ずるがゆゑに。 無病(みびやう)にして且(かつ)長寿(いのちなが)しとぞ。○すべて風俗等(ふうぞくとう)の 事(こと)は。琉球談(りうきうだん)。琉球事略(りうきうじりやく)。中山伝信録(ちうざんでんしんろく)。などに悉(くは)しくせり ○寺院(てら)は臨済(りんざい)。真言(しんごん)《割書:古|儀》の二 宗(しう)のみにして。都計(すべて) 三十七ヶ寺なりしが。久米(くめ)の普門寺(ふもんじ)。西福寺(さいふくじ)。廃(はい)して 今は三十五ヶ寺となる○首里(すり)の三大寺といへるは。 天王寺。天界寺。円覚寺をいふ。王廟(わうびやう)は真味志(まわし) 安里村(あんざとむら)にあり。今は新(あらた)に堂社(だうしや)を建(たつ)るを禁(きん)ず。 ○国中(こくちう)たはれたる風位【風俗?】にて。女人(をんな)の嫁(か)せざる前(まへ)は 生平(つね)に男子(をとこ)と交(まじは)り遊(あそ)び。市町(いちまち)など手をとりて 遊(たはれ)行(ある)く。更(さら)にこれを恥(はづか)しとせず。両親(ふたおや)もまた咎(とが)めず。 これ一奇(ひとつ)の国俗(ならはし)也。然(さ)れども嫁(よめ)りて後(のち)は節(せつ)を守(まも) りて。他(た)の男(をとこ)と同座(どうざ)だにせず。其(その)禁(いまし)めもその貞(てい)も。 あだし国(くに)の及(およ)ぶべきならず。《割書:もし国法を犯すものはきんまん|もんのたゝりにてたちまちに》 《割書:神ばつをうくるはやくさんげ|してつみを訴へ出ればたゝりを消るとぞ》○国中(こくちう)に娼妓(あそびめ)はなはだ おほし。歌女(うたひめ)もあり《割書:此方にいふ|げいしや也》蛇皮線(じやびせん)をひきて国(くに)の歌(うた) を唄(うた)ふ。拍子(はうし)はなはだ面白(おもしろ)しとぞ。    ○娼家(しやうか)の流行(はやり)うた 〽ちごのもんにたつたれば。ばびうのやうなつの虫が。  どたまのぢよけんをちよいとはねた。ホンダヱ〳〵   ○ばびうは牛(ウシ)の子(コ)也○つのむしは蜂(ハチ)也○どたまはあたま也   ○ぢよけんはまげゆひ也○ちごのもんはわが思ふ男の門をいふ。 〽ふづくのべくにものとへば。びうがのそとにふん  でんた。さりもよいぎやアめつたにおさごまく。    ○ふづくのべくとは神のやしろのあたり也○びうがのそととは    人にしのんでといふ也○ふんでんたとはしのびあふこと    ○おさごは前米にて神前に米をまく也 〽しろばりがさわぐのに。あかきんぼうにへろ  まつた。ういがねばこでひろまれやホンダヱ〳〵    ○しろばりは雪(ゆき)の事○さわぐはふる也○あかきんぼうは紅酒にて    あかき酒の事太平山にてつくるさけ也○へろまるはゑふた【酔った】といふこと    ○ういがねばことはわしがねどころといふこと也とぞ 右(みぎ)はいづれも彼国(かのくに)の俗語(ぞくご)にて。正(たゞ)しき詞(ことば)にはあらざる也 又(また)流行唄(はやりうた)の文句(もんく)はたび〳〵かはれども節(ふし)はおほくは 似(に)よりたるもの也。しかれどもその土地(とち)によりてかはる こと《割書:すこしつゝ合の手|又はひやうしのちがふ也》ありといふ。いづれもほんだへ〳〵と はやすこと也○又(また)此方の謡曲(うたひ)のやうなるものあり これはなほさら節のもやうもかはりたるもの也。 ○女郎(うかれめ)の上品(じやうひん)なるを「うにらん」といふ《割書:此方のおいらんと|いふは是によるか》 女の風俗はひろき袖にてすそながくおびといふものなし こはぜにてあちこちとめたるもの也もやうは うつくしきそめ色あり又うすものに 五しきのいときんじなどにて さま〴〵のくさばななどぬひたるも あり女はこしへたまのかざりを ながくさげること有又冬といへども 此方のなつのごとくさむさをしらぬ くにゆゑきぬにわたを入れると いふことなし男の いふくはおほよそ もろこしにひとし こゝにかけるはあんず などいふくらゐの人也れいき たゞしきくにぶりにして うかれめになじみてあそびに ゆくにもいくわんをたゞして おもむくこと也あげやをば ふるべやといふ也 おどりすることをば めんことぐりといふ  〽糸柳こゝろ   くにあら    しやばのよて     はろものしるかんな       風にてりよか  ○此うたはむかしよりうたふところ   柳風の曲といふとぞ      徂来翁が聘使記にも載たり 【囲いは「」で代用】 その次(つぎ)を「びくらばう」その次(つぎ)を「ばるさめ」又(また)下品(げひん)なる ものを「ぶくべる」といふ《割書:此方によたか|などといふもの也》 ○酒(さけ)は「きんぶ」《割書:俗語|なり》といふ。琉球国(りうきうこく)の属嶋(えだしま)太平山(だひんざん)より 出(いづ)るを「だひんしう」《割書:太平|酒》といふ。紅酒(こうしゆ)あり《割書:いろ朱のごとくあか|くして清く神に》 《割書:たてまつる|に用う?》八重山(やえやま)より出(いづ)るものを「みりんしう」《割書:密林|酒》といふ。 上噶剌(かんむら)より出(いづ)るを「あわきぼ」《割書:粟|酒》といふ。薩州(さつしう)にて 砂糖(さとう)あわもりといふもの是(これ)なり。右(みぎ)いつれも焼酎(せうちう) にして。此方のごとき酒はかつてなし。 ○金銀(きん〴〵)のたぐひ少(すくな)し。通用(つうよう)は此方より渡(わた)る豆銀(まめぎん) を専(もは)ら用ゆ。銭(ぜに)は寛永通宝(くわんえいつうはう)なり。豆銭(まめぜに)といふ ものは。彼国(かのくに)にて鋳(ゐ)るところにて。文字(もじ)も模様(もやう)も なし。輪(わ)もなし。又(また)花(はな)の形(かた)ある物(もの)も有(あり)。 ○彼国(かのくに)の「ぎんとくり」といふ器(うつわ)あり。銭(ぜに)を入(い)る物(もの) なり形(かた)ち豆(づ)のごとし。 予が友 壷輪樓高木所蔵 長一尺五寸 かわにて作りたるもの也 もやうは上のはきん万もん也 中のはもちのそなへ也 下のは浪のかたち也とぞ 金色にてうつくしし【く〜志の間が長いため「しし」と判断。衍字か。】 琉球国全図 ○西南福建泉州の 梅花所より船路順風 七日にして至る ○西北薩州より 船路百四十里 但三十六丁 為一里 ○此他四方 三十六の 属島 あり 【ほかは地図内に記載】    ○琉球国語(りうきうのことば) およそは此方の詞にかはる事なし。又ものによりて 琉球のことばかはりたる物あれども。てにをはは すべて此地のごとし。 ○日を おでた ○月を おつきかなし ○水を へい ○木を しぶり ○土を なぐり ○人を ふばるん ○火を おまつ ○神を かめかなし ○仏を ほつとかなし ○男を おけが ○女を おいなご ○親を おいやも ○父を せうまい ○母を あんまあ ○兄を すいぎ ○弟を おんとう ○伯父を てんちい ○伯母を てんまあ ○叔父を おぢい ○叔母を おばあ ○姪を みい ○甥を ういちい ○夫を こんとう ○妻を はんべち【はんべら?】 ○男の子 べいず ○女の子 べする ○人といふを びん ○衣を いぶく ○刀剣を ほうてう ○帯を うびい ○宝を とうがら ○字(もじ)を おじり ○琴を こんぐ ○天を うてい ○地を つんぢ ○雨を をみ ○雷を おどろ ○風を ふきご ○吹くを はる ○僧を まるどさま ○美女を とろこぼう ○美男を とろこせい ○手紙を つんみり ○重宝を うびなや ○雷盆(スリバチ)を づるばん ○雷木(スリコギ)を ずりんぎ ○巫女(みこ)を たへぢよ ○祈(いの)るといふを きめてすり ○頼(たの)むを どんだく ○よいことを うい ○悪(あし)き事を ごぶり ○大を でい ○小を ちんつ ○嬉(うれ)しきを うい〳〵  ○なほ多(おほ)く。琉球(りうきう)にて ふつとろちいといふ   俗語あり。此方にて恐(おそろ)しいといふやうに聞(きこ)ゆ   るゆゑ然(さ)る事(こと)と思ひたるに。甚(はなはだ)よろこぶ 事なりとぞ。かくの如くの違(たが)ひ多(おほ)かるべし   こゝに載(のす)るものは。聞(きゝ)たるまゝにかいつけて   好事(こうず)の覧(らん)に備(そな)ふるのみ。 ○彼(かの)国人(くにうど)酒宴(さかもり)の席(せき)などにて。拳(けん)をうつ  といふ事あり。手を出すさまは此方の風に  おなしけれども詞はいたく違(たが)へり   一《割書:うんぺい|》二《割書:すんぺい|》三《割書:しんこ|》四《割書:よろう|【よつう?】》五《割書:うんこ|》   六《割書:りんこ|》七《割書:しんべい|》八《割書:だんき|》九《割書:きんこ|》十《割書:とう| らい》  ○琉球国(りうきうこく)に祭(まつ)るところの神(かみ) 【囲いは「」で代用】 「おうちきう」水伯《割書:ふうなきうともいふ|水の神なり》   其(その)神形(かたち)身長(みのたけ)一丈ばかり白髪(はくはつ)にして毛(け)をみだせり眼(め)   大きく光り電光(いなづま)のごとし身に黄色(きいろ)なる衣(きぬ)を着(き)   足(あし)に沓(くつ)を穿(うが)つ睾丸(きんたま)至つて大きやか也 犢鼻褌(ふんどし) をもてつゝみ見(み)る人(もの)幸福(さいはひ)を得(う)るとぞ神影(しんゑい)は国中(こくちう)の 寺院(てら)などに或(あるひ)は刻(きざ)みあるひは画像(ゑがき)て尊敬(そんけう)せり。    ○水難(すいなん)をまねかるゝの秘符あり 是はふうなきうの説(と)きおしゆる ところなりとぞとよくすくの 万明法師夢想にて授く 霊験いちじるし則ち神影也と 「やんがみこ」山鬼《割書:山の神也童子を使ふ|二郎子五郎子といふ》 「きんまんもん」君万物《割書:開闢(かいひやく)以来(いらい)国の守護神(しゆごじん)也|》  ○君万物(キンマンモン)に陰陽(インヤウ)あり天(テン)より降(クダ)れるを   「きらいかないのきんまんもん」といひまた   海(ウミ)より上(アガ)れるを   「おほつかけらくのきんまんもん」といふ也   ○此(コノ)神(カミ)仕(ツカ)ふる巫女(フヂヨ)三十三人ありいづれも王の家すぢ也    中婦君(キサキ)も又その一人なり此方にても内親王を斎宮(イツキ)    に奉らしたまふと同(オナ)じ。 「舜天大神宮」首里(シュリ)にあり。鎮西八郎 為朝(タメトモ)をまつる  ○此他(コノホカ)玉城(タマクスク)の拝林(オガミバヤシ)○豊見城(トヨミクスク)の拝林(オガミバヤシ)○北谷(キタダニ)の拝林   高峯(タカミネ)の拝林等あり。をがみばやしといふは神の森(モリ)   の事にて村々にある鎮守も同しく呼ぶ。又天満宮   の社(ヤシロ)おほし。天神(テンジン)といふゆゑに。多くは孫天氏と   おもひたがへて。菅神(カンジン)なるよしを弁へぬ人おほし。   是は為朝ならびに舜天王の信じたる故に社多き   なりとぞ ○君万物(キンマンモン)も怒(イカ)ることあるときは。国人(タニタミ)【クニタミ】精進(セウジン)して。うでをり。  つまをり。といふ事をして拝(オガ)みなぐさむる也。 「きみてすり」七年に一回出現の神也 「よみかめり」十二年に一回出現の神也 此二神出現のときは諸人おそれうやまひ家々にまつり又 玉城より五色の傘(カサ)を持たる官人百人ばかり出て神を 城内にむかひ入れ種々の美酒珍菓をそなへ立花灯明 をさゝげて国王みづからまつり民の安おんをいのる七日の 間傘をさしかけおくそのかささま〴〵に色どりうつく しくかざりたるにて長さ四五丈丸二十ひろにもあまりぬ べしみぢかき物にても二丈ぐらゐ数百本ばかりおの〳〵 ひろにわに立おく諸人門前まで行遥拝す    ○位階(ゐかい)の次第(しだい) 『中山王(ちうさんわう)』国王をいふ「中城(なかくすく)」春宮(とうぐう)をいふ《割書:中くすくは城(シロ)の名也|世子殿といふありて》 《割書:中に居ると|いふ義也》「王子(わんず)」王子(わうじ)也「王女(わんによ)」王の女(ヒメ)也  △官位(くわんゐ)の品級(しな)は正従(セウシユウ)すべて九等(クトウ)あり 「国相(こくさう)」○親方(おやかた)《割書:国の大臣也すべて|政治をつかさどる》《割書:「元侯(げんこう)は正一品(セウイチヰ)」|「法司(ほうず)は正二品」|「紫巾官(しきんくわん)従二位」》 是(コレ)を三司官(サンシクハン)と称(セウ)じ また例々(ソレ〳〵)の地の親方(オヤカタ) とよぶものは即ち この重官(ちようくわん)なり 【一重の囲いは「」で、二重の囲いは『』でくくりました】 「耳目令(じもくれい)」《割書:又 御鎖側(ギヨサリク)と|いふ正三品也》「謁者(ゑつしや)」《割書:又 申口者(まうしつぎ)|従三品也》「賛議官(さんぎくわん)」《割書:正四品也|》 「那覇官(なばくわん)」《割書:なばは地名也|従四位なり》「察侍紀官(さじきくわん)」《割書:さじきは地名|従四位也》「当坐官(あたりくわん)」《割書:正五位| 》 「勢頭官(せかみくわん)」《割書:正六品| 》「親雲上(はいきん)」《割書:正七位|》「掟牌金(ていはいきん)」《割書:従七位| 》 「里之子(さとのし)」《割書:正八品| 》「里之子佐(さとのしのすけ)」《割書:従八位| 》「筑登之(ちくとうし)」《割書:正九品| 》 「筑登子佐(ちくとうしのすけ)」《割書:従九品| 》「輪九之(りんくし)」「万平之(まんへいし)」「仁屋(にや)」 「紫金大夫(しきんたいふ)」「正議大夫(せいきたいふ)」「長吏(ちやうり)」「都通事(とつうじ)」「度支官(としより)」 「王法宮(わうほふきう)」「九引官(きういんくわん)」「大宮(だいくう)」「近習(きんじう)」「内厨(ぜんぶ)」「国書院(こくしよいん)」 「良医寮(くすしどころ)」「茶道(さどう)」「祝長(はふり)」「無瀬人(むせし)」「武卒(ふんぞう)」  ○里(さと)の子(し)は此方にいふ小姓(こせう)也美少年(びせうねん)をゑらぶ事(こと)也。年(とし)   をとりて髭(ひげ)生(お)ふれば親雲上(はいきん)と成(な)る。国風(こくふう)にて剌刀(かみそり)   を用(もち)ひずひげは生(お)ふるまゝにのばし置(お)く也。又いつたい   色(いろ)黒(くろ)ければ年(とし)方よりは古気(ふけ)て見(み)ゆる也。親雲上(はいきん)は   官名(くわんめい)なれども彼国(かしこ)の俗風(はらはし)にて。武士(ぶし)をばすべて 「おはいきん」などいふ也    ○来聘年暦 応永十未年 宝徳三未年  天正十一未年 同十八寅年 慶長十五戌年 宝永十一戌年 正保元申年 同二酉年   慶安二丑年 同三寅年  承応元辰年  同二巳年 同三午年  寛文十戌年  同十二子年 天和元酉年 同二戌年   宝永七寅年 天徳四午年 明和元申年  寛政二戌年 同八辰年  文化三寅年  天保三辰年 琉球伝真記尾