【欄外手書き横書きで】 登録 【表形式の部分】 海東郡  二百八十八人  三百〇五人   七千七百九五  二千五百九十八 津島蟹江等最モ甚シ 海西郡    三十三人   三十三人    千九百〇九   四百 十四 知多郡       〇    十六人      三十六     九十七 【以下判読できず】 碧海郡      三人    十 人     五百〇〇   三百八十〇 幡豆郡      四人   三十三人     百五十八     三十二 額田郡       〇      〇        五       〇 西加茂郡      〇      〇      二十四     二十七 宝飯郡      一人     二人        九     二十七 渥美郡      一人      〇       十五      十六 合計 二千三百五十一人二千九百卅一人四万壱千四百九十九 壱万三千三百四十一 備考本表ノ□ハ未ダ詳細ヲ得ズ概況ヲ掲ケタルモノニ付尚精査ノ上ハ増減有ベシ 人畜死傷家屋倒潰ノ惨状加フルニ名古屋市及西春日井郡枇杷島並清洲丹羽郡岩 倉並犬山葉栗郡北方海東郡津島等出火□所ニアリ又地盤ノ壊裂堤塘ノ渝崩橋梁 ノ破損等枚挙スヘカラス要スルニ今週ノ地震ハ尾張地方ニ最モ強クシテ三河地 方ハ弱ナリ 【絵図表題上から】 大垣町地震大火之図 名古屋市民避震之図 枇杷島破□之図 【地図記号の凡例右から】 震災強 震災弱 □□□□□□□□ 国界 河川 池湖 道路 鉄道 山脈 崩壊 被害無 【地図内の文字は図中に記入】 【欄外手書き部分】 明治廿四年□月 日印行 【ちぎれ有り】版 愛知県名古屋市鶴重町六十八番戸 著者兼発行人 近藤寿太郎 同県同市中市場町五番戸 印刷人 大月勤二 名古屋市鶴重町六十八番戸 発行所   秀文【以下ちぎれ】 【欄外手書きの赤字】 甲 明治二十五年三月七日読売新聞に 震災予防調査方法取調委員(しんさいよぼうててうさほうゝとりしらべいゐん)の設置(せつち) 右(みぎ)の如(ごと)く題(だい)せる論説中(ろんせつちう)に 上略  此震災(このしんさい)を前知(ぜんち)せんと欲(ほつ)することハ実(じつ)に困難(こんなん)なることに拘(かゝは)らず東西(とうざい)の学者(がくしや)が苦心(くしん)して 取調(とりしらべ)する所(ところ)なるが 下略  云々(うんゝ) とあり其学理(そのがくり)に拠(よ)り之(これ)を発見(はつけん)することハ学者(がくしや)に譲(ゆづ)り小生が弱年(じやくねん)のころより試(こゝ)ろみ来(きた)り たる一法(いつほふ)を記(しる)して世(よ)に問(と)ハんとす若(も)し萬一(まんいち)此理(このり)ありとせバ震災(しんさい)及(およ)び身体保全(しんたいほぜん)の一奇術(いつきじゆつ)を得(う)るものと云ふべし○江戸(えど) 芝土橋丸屋町(しばどばしまるやちやう)に質商(しちしやう)山田屋清助(やまだやせいすけ)と云(い)ふ人(ひと)あり小生 年(とし)十四 其家(そのいへ)の丁稚(でつち)となる安政(あんせい)二 年(ねん)乙卯十月二日夜(よ)江戸大 地震(ぢしん)あり 此時(このとき)小生 瘭疽(へうそ)を患(うれ)ひ主家(しゆか)の二 階(かい)に病臥(やみふ)せしに俄(にはか)に震動(しんどう)劇(はげ)しく棚上(たなうえ)にある三四の衣櫃臥床(きものいれどこ)のうえ(うへ)に落(お)ちて身(み)を圧(お)す因(より)て 大に驚(おど)ろき声(こえ)を発(はつ)し救(すく)ひを求(もと)む時(とき)に主人(あるじ)清助(せいすけ)五十 余歳手(よさいて)に雪洞(ぼんぼり)を提(さ)げ二 階(かい)に来(きた)り扶(たす)け起(おこ)す時(とき)に主人(あるじ)の容貌(かたち)を見(み)るに 土蔵(くら)の壁間(かべま)を過来(すぎき)たり頭部(あたま)より全身土灰(ぜんしんつちはい)に埋(うづま)るが如(ごと)きも挙止泰然言語平日(きょしたいぜんげんごへいじつ)に異(こと)なることなし小生ひそかに剛胆(がうたん)なるに 敬服(けいふく)す震後(しんご)人 猶(なお)再震(ふたゝびゆれる)を懼(おそ)れ地上(ちうへ)に小屋(こや)を設(まふ)け仮居(かりずまゐ)す主人家々人(しゆじんけのひと)も亦(ま)た戸外(そと)に居(を)れり主人(しゆじん)大いに叱咤(しかり)して曰(い)ハく何(なん)ぞ 其臆病(そのおくびやう)なる我誓(ちか)つて再震(ふたゝびゆれる)なきを知(し)れり速(すみや)かに小屋(こや)を毀(こは)して本宅(ほんたく)に帰(かへ)るべし主人(しゆじん)の意(い)決(けつ)するを見(み)て家人恐懼未(いへびとおそれいま)だ 止(やま)ざるも強(しひ)て内(うち)に入(い)る後果(のちはた)して強(つよ)き再震(さいしん)なし玄(こゝ)に於(おい)てみな皆主人(みなしゆじん)の英断(えいだん)に感服(かんぷく)せり後(の)ち日(ひ)を歴(へ)て主人一夜家人(しゆじんあるよいいへびと)を集(あつ)めて 曰(いは)く我(わ)れ弱冠(としわか)の時或(ときあ)る陰医(いんい)の為(ため)に横傷(わうしやう)の難(なん)を前知(ぜんち)するの術(じゆつ)を受(うけ)たり此術(このじゆつ)たる其(そ)の身(み)横死(わうし)せんとする凡(およ)そ一 昼夜(ちうや)前(まへ)に 於(おい)て必(かなら)ず兆候(きざし)を顕(あらは)すも のなりこれを試(こゝ)ろむる に先(ま)づ左(ひだ)りの手(て)を以(もつ)て 奥歯(おくば)の下(した)にある動脈(どうみやく)を 診(しん)し次(つぎ)に右(みぎ)の手(て)を以(もつ)て 左手(ひだりのて)の動脈(どうみやく)を診(しん)するな り抑々(そもゝ)人体(ひとのからだ)の脈一身(みやくいつしん) 悉(ことゞ)く同(おな)じく動(うご)くを以(もつ)て 常(つね)とすこれ平日無事(へいじつぶじ)の 脈度(みやくど)なり若(も)し此(こ)の頬(ほふ)と 手(て)との脈度(みやくど)を乱(みだ)るとき ハ必(かな)らず一昼夜(いつちうや)の内(うち)に 身命(しんめい)を失(うし)なふべき大 難(なん) あるの兆(きざし)なりとす陰医(いんい) 常(つね)に言(いへ)ることあり我(わ)れ 壮年(さうねん)より日夜(にちや)此(こ)の術(じゆつ)を 試(こゝろ)む数年(すうねん)の後(の)ち相模(さがみ)の 海浜(かいひん)に一泊(いつぱく)し将(まさ)に臥所(ねどこ) に就(つ)かんとするに先(さきだ)ち此術(このじゅつ)を施(ほど)こすに既(すで)に脈動(みやくどう)の乱(みだ)れたるあり大(おほ)ひに驚(おどろ)き従僕(じゅうぼく)の脈(みやく)を診(しん)す是又同体(これまたどうたい)なりいよヽ 驚(おどろ)き旅店(りよてん)の主人(しゆじん)及(およ)び其(そ)の家族(かぞく)を試(こゝろ)みるに皆共(みなとも)に変動(へんどう)を呈(てい)せり時正(ときまさ)に天晴(てんは)れ月光昼(げつくわうひる)の如(ごと)し海状常(かいじやうつね)に異(こと)ならず然(しか)れども 何(なに)か変(へん)あらんことを察(さつ)し速やかに荷物(にもつ)を負(おふ)て出(い)で店後(みせのうしろ)の山(やま)に登(のぼる)こと凡(およ)そ三五 町(ちやう)脈初(みやくはじ)めて平日(へいじつ)に復(ふく)す因(より)て此処(このところ)に休息(きうそく)す 旅店主人(はたごやのあるじ)も亦共(またとも)に来(きた)る暁(あけ)に及(およ)び風無(かぜな)きに海中忽(かいちうたちま)ち大濤(おほなみ)を起(おこ)し山(やま)の如(ごと)く来(きた)りて海浜(はまべ)を浸(ひた)し人家(じんか)三五を漂流(なが)し去(さ)る既(すで)に 之(これ)を目撃(もくげき)せし以来(いらい)いよヽその恐(おそ)るべきをるべきを信(しん)じ日夜(にちや)三四 回(ど)此(こ)の試験(しけん)を怠(おこた)ることなし我れ此(こ)の陰医(いんい)の言(こと)を信(しん)じ今日迄(けふまで) 之(これ)を行(おこな)へり故(ゆへ)に十月二日の震災(しんさい)に遭(あ)へるも決(けつ)して変死(へんし)の患(うれい)なきを確知(かくち)し敢(あへ)て怖懼(おそれ)の念(ねん)を生(しやう)ぜざりしなり小生 此事(このこと)を 聞(き)き直(たゝ)ちに之(こ)れを筆記(ひつき)し爾来(じらい)三十七八 年(ねん)一日も此(こ)の試験(しけん)を行(おこ)なハざる日なし幸(さいは)ひに心志泰然(しんしたいぜん)常(つね)に怖懼(おそれ)を覚(おぼ)へず既(すで)に客歳(きよねん)濃尾震災(のうびしんさい)の同刻当地(どうこくとうち)も亦(また)強震(つよきゆれ)あり小生 忽(たちま)ち脈度(みやくど)を験(けん)して異変(いへん)なきを知(し)り静(しづ)かに他人(たにん)の狼狽(うろたへる)するを見て気(き)の毒(どく)に 思(おも)ひたる程(ほど)なり夫(そ)れ真(しん)に此(こ)の理(り)の有無(あるなし)ハ愚考(ぐこう)の及(お)よぶべき所(ところ)にあらざれども嘗(かつ)て我(わ)が主人(しゆじん)の平素剛胆(ふだんがうたん)にして百事(ひやくじ)に 驚懼(おどろきおそれ)せざりしハ必(かな)らず中心信(こゝろにしん)ずる所(ところ)あるに因(よ)りしならん蓋(けだ)し濃尾(のふび)の一震(ぢしん)ハ実(じつ)に天下人心(てんかじんしん)を鳴動(うごか)したり此時(このとき)に当(あた)り 我(わ)が主人(しゆじん)の如(ごと)く又陰医(またいんい)の術(じゆつ)ありて之(こ)れを前知せし人(ひと)ありや小生 好(このん)で奇言(きげん)を吐(はい)て世(よ)を弄(もてあそ)ぶものにあらず毫釐(がうりん)も人(ひと)に 益(ゑき)せんとするハ平生(へいぜい)の願(ねがい)なり区々(くゝ)の微哀謹(びちうつゝしん)て識者(しきしや)の教(おしへ)を請(こは)んと欲(ほつ)し聊(いさゝ)か見聞(けんぶん)せしものを記(き)せり博雅(はくが)の君子(くんし)是非(ぜひ)の 報知(ほふち)を賜(たま)ハらハ幸甚(かうじん)  明治二十五年壬辰三月 日                     十世 守田治兵衛父    東京市下谷区池之端     宝丹本舗   守田長禄翁敬白                 前文に対し親友野口勝一君の意見書 震災(しんさい)前知(ぜんち)奇術御銘作(きじゆつごめいさく)拝承御説(はいしようおせつ)の如(ごと)く学理(がくり)の如何(いかん)ハ何人(なにびと)も未(いま)だ発見(はつけん)致(いた)さゞるべく候へ共 洪水(おほみづ)ある年(とし)にハ鳥(とり)ハ巣(す)を高樹(たかきゝの) 頂(いたゞき)に作(つく)り火災(くわじ)あるに先(さき)だちてハ鼠(ねづみ)先(ま)づ逃(のが)れ強風(つよきかぜ)ある秋(あき)にハ鳳仙花等(ほうせんくわなど)ハ根多(ねをゝ)く生(しやう)ずと申す類(るい)ハ総(すべ)て動植物(どうしよくぶつ)にも自然(しぜん) 感通力(かんつうりよく)あるものゝ如し然(さ)れバ人ハ萬物(まんもつ)の霊物(れいもの)を前知(ぜんち)する事(こと)あるべきに然(しか)らざるハ理(り)また盡(つく)さゞる所(とこ)ろあるに因(よ)れる ならん私(わたくし)会(かつ)て或人(あるひと)に聞(きゝ)しことあり人 瞑目(めをふさき)し手(て)を以(もつ)て静(しづか)に目(め)を推(おす)ときハ電光(でんくわう)の如(ごと)きもの見(み)ゆ然(しか)るに将(まさ)に死(し)すべきの 禍変(わざわひ)あるの人ハ此 採光(さいくわう)を見ず或(ある)人 会(かつ)て獄中(ごくちう)に在(あ)り将(まさ)に死刑(しけい)に処(しよ)せられんとする罪人(ざいにん) の上(うえ)に試(こゝろみ)んと欲(ほつ)せしに真逆(まさか)に 気(き)の毒(どく)に思(おも)ひ止(やみ)たりと此等(これら)の事(こと)も蓋(けだ)し何(なに)か拠(よ)る所(ところ)ありしならん其(こ)れも略(ほゞ)脈度説(みやくどせつ)と似(に)たる所(ところ)あり世(よ)に試(こころみ)し人ありや なしや兎(と)に角(かく)におせつ御説(おせつ)御広(おんひろ)め被遊(あそばされ)候ハゞ種々(しゆヾ)の説(せつ)も自然(しぜん)の実験(じつけん)より発見(はつけん)し学理(がくり)未到之説(いまだいたらざるのせつ)もあるべき事(こと)と思(おも)ハれ候 【欄外手書きの赤字】 乙 本年三月中(ほんねんさんぐわつちう)東京池之端(とうきやういけのはた)宝丹本舗(ほうたんほんぽ)守田治兵衛氏(もりたじへゑし)の父(ちゝ)宝丹翁(ほうたんおう)の施印(せいん)に係(か)かる震災前知(しんさいぜんち)身体(しんたい) 保全法(ほぜんハふ)の一紙(いつし)を見(み)るに頬部(ほうぶ)の動脈(どうみやく)と左手(さしゆ)の動脈(どうみやく)とを合(あわ)せ其(その)異状(いじやう)なきを知(し)り若(もし)其脈度(そのみやくど)乱(みだ) るゝときは一昼夜(いつちうや)の内(うち)に変死(へんし)すべきの兆(てう)なることを記(しる)せり爾来(じらい)日夜之(にちやこれ)を試(こゝろ)みしに去月(きよげつ) 二日 当国(たうごく)御原郡追分村(みはらごほりおいわけむら)井上(ゐのうへ)マツ宅(たく)に講会(こうくわい) ありて十余名(じうよめい)出席(しゆつせき)の折(をり)偶々(たまヽ)此脈度(このみやくど)の 談(だん)に及(およ)びたれバ各々(おのヽ)試(こゝろ)むるに異状(いじやう) なし内一人(うちいちにん)同郡櫛原村(どうぐんくしはらむら)松田吉太郎 といふもの動脈乱(どうみやくみだ)れ居(を)るとの事(こと)より 小生(せうせい)直(たゞち)に之(これ)を診(しん)すれバ全(まつた)く其言(そのこと)の如(ごと)し 然(しかれ)ども同人(どうにん)ハ三十五歳の壮夫身体強健(さうふしんたいききやうけん) 毫(すこ)しも病状(びやうしやう)なし 人皆(ひとみな)不審(ふしん)を懐(い)だき けるが実(じつ)に争(あらそハ)れぬ ものにて其夜(そのよ)十二 時を過(すぐ)る頃(ころ)俄(には)かに 赤痢病(せきりびやう)を発(はつ)し翌日(よくじつ) 十二時 過(すぎ)死亡(しバう)せり 因(よつ)ては始(はじ)めて宝丹翁(ほうたんおう)の保全法(ほぜんハふ)の誠(まこと)に玄妙(げんめう)なるに感服(かんぷく)せり但(たゞ)し翁(おう)は変死(へんし)に就(つい)て前知(ぜんち)の事(こと)を 説(とか)れたれども病死(びやうし)も亦(また)同(おな)じ兆候(てうこう)を顕(あら)ハすものたるを知(し)る爰(ここ)に聊(いさゝ)か翁(おう)の厚意(こうい)を謝(しや)し 並(あわ)せて大医諸家(たいいしよか)の教示(きやうし)を仰(あほ)がんとす                  福岡県筑後国久留米市米屋町茶商    明治二十五年壬辰九月二日                        吉川安吉 按(あん)するに此試験法(このしけんほふ)の如(ごと)きハ大(おほ)ひに医術(いいじゆつ)診断上(しんだんじやう)簡便(かんべん)の新法(しんほふ)にして参考(さんかう)に供(きやう)すべきものと 思考(しかう)せり幸(さいは)ひに有志(いうし)の君子(くんし)新聞上(しんぶんじやう)に登録(とうろく)あらば生(せい)が最(もつと)も満足(まんぞく)するところなり