【表紙 整理番号のラベル】 JAPONAIS 4322 2 【右丁 表紙の裏にて文字無し】 【左丁】 さて六ゐのしんは大将のもとへ参りさま〳〵のもて なしにあひ御返事給てかへり参ることのよし出申 せは人々さゝめきよろこひあへりとかくするほとに その日もなりぬれは中将殿を大将殿よりしきり によひたてまつるされともふししつみて出しやり 給はすおもひのあまりににしのたいのいもうとの 女御のかたにおはして申給ひけるやうこれに候人 は九月十七日よりかたらひをきて候いまた夜かれ し侍つらぬにこよひはしめてわかれなはこのひ のなしみさこそはおもひ候はんすらんめなにかくる しく候へき御けんさん候て御物かたり候へさも御 【右丁】 はゝなくさむ心もやはんへらんとのたまへはまこと にいたはしきことかなとて入参らせ給へはひめ きみはなみたにかきくれて人に見え参らせ給 ふへきやうもなけれとも中将殿の御ことはをたか へしとてなく〳〵いらせ給ひぬ中将殿はをくり いれ参らせてかへらせ給へはたき物しめたる御なを し【「なほし」とあるところ】きせ参らせけれともたゝめいとへおもむく心ち してなみたはれやるかたもなしをとい【意味不明】をめして かへらんまてはなくさめ参らせよあか月とくかへる へししゝうにもいとまこひ御くるまにめしけれは さつしき【雑色=下男】うしかひすいしん【随身】われも〳〵といろめき 【左丁】 御ともに参られけるはこれやこのゑんまのつかひ のこつめつもかくやとおもふになみたもせきあへ給 はすなく〳〵なかめ給ふ   あられふりしもさゆる夜におきわかれ【注①】   身にたましゐもなく〳〵そゆく かやうにうちなかめみちすからなをし【なほし】のそてをそ しほられけるさるほとに大将のもとへおはしけれ はさすかに人のめをつけてみるおもひゆくかた はらいたくおほしてとかくまきらかしてきちや うまぢかくたち入らせ給へはひめおろしますら む御らんするに何となくそらたきもの【注②】うちか 【注①  「起別」=共寝した男女が朝別れる】 【注②  来客のときなどに、どこからともなく匂ってくるようにたく香】 【右丁】 おりみなしろかさねの十二ひとへくれないのみえの御 はかま【三枚重ねた袴】からあや【唐綾=中国渡来の綾】の二きぬ【「ふたつぎぬ」=袿(うちき)を二枚重ねたもの】めしてうちそはむ〳〵けしき 何となくあをやきのかせになひけるかことくありて あてやかなる御けしきなりけれは中将殿おもひ 給ふやうこれもなれ人をみすはたやすくたくひ はあらしとおほしめしけれともいにしへ人にあ はすれはかたちふぜいにつけてもけすしさかき りなし御かいしやくの人御めのとをはしめとし てはしたものにいたるまてきよけにもてなした てまつるをみるにつけてもあはれひめきみをか やうにおもふ事なくいつき【敬って大切にする】かしつかはやとおほ 【左丁】 しめすになみたもれ出てありしかたのみこひ しかりけるかくて八こゑのとり【鶏のこと】もなきけれはゆふ さりはまたそ参らんとて出給ひぬいまたあけさ るに出給へはひめきみも御めのとも心えかたくあさま しくそおほしめしける御くるまよせけれはいまへ んしもとくとそいそかれけるさるほとにひめき みも中将殿やう〳〵いらせ給ひぬとてにしのたい よりもかへり給ひぬ中将殿はくるまよせておりさ せ給へは御めのとはしり出いかにや御けしからす いまた夜もあけさるに御かへりさふらふそと申 けれは中将殿の給ふやうゆうへこれを出しより 【右丁】 心はこなたにのみありてあけよといそくこよひし もなかゝりつるにとりかなくねをきりにてかへり つるなりとていつもの御しんしよに入給ひてかたら ひふし給ふまくらならへしそのあたりたかひのなみ たはうくはかりにそありけるまたさ大しん殿より いらせ給へと御つかひありけれは心ならすおきわか れまいり給ふはゝこぜんすゝりかみをとり給ひいか にやこうてう【後朝】のをそなはれる【遅なわれる=遅くなる】との給へは中将との心 ならすふてにまかせてかきなかし給ふ   あははやとそゝろにものをおもはせし   むくゐにいまはとはし【問はじ】とそおもふ 【左丁】 とかきてうちおかれけれはめのととりて引むすひ 六ゐのしんにとらせけれは大将のもとへもちて参 る中将殿はやかてわか御かたへかへりふししつみ 給ふさるほとに六ゐのしんは大将殿にてさま〳〵 にもてなされいろ〳〵のひきて物を給はりてかへ り参り御せじ参せけれは中将殿御手にたに とり給はすはゝ御せん御らんしけれはふてのあと もなへてならす【並べてならず=普通ではない】   とはしともいふことのははことはりや   夜ふかにかへるこゝろならひに さて中将殿はあくるまておきもあかり給はすふ 【右丁】 ししつみておはしけるにまた御つかひしきり なりけれはちからおよはすおきわかれて御なを し【「なほし」とあるところ】たてまつるくるまよせまてしゝうおといをめし てやかてかへるへしかへらんまて二人なから御そは にそいなくさめ参らせにいかにおやのおほせらるゝ とも三夜まてはゆくへしその後はかなふまし なを〳〵とかくおほせられはいかなるふかきやまに こもりさまかへしゆつけはするともさら〳〵ゆく ことあるましこよひあすの夜はかりは心なかく まつへしとおほせられてなく〳〵        御くるまにのりて出給ふ 【左丁 絵画 文字無し】 【右丁】 みちすからつく〳〵おほしめしけるあはれこの人 とくしてゆくこちとおもはゝいかにうれしかり なんあはれひめきみをこの人とおもはゝおもふ事 あらしかゝるうき世にかく物おもふ事のかなしさ よとおほしめす心のうちそあはれなるさる【「か」に見える】ほとに かの所へおはしけれはひめきみおほせらるゝやう夜 をこめ御かへりありてまたふくるまてにいらせ給はぬ も御ことはりなり御さとにおもひ人のましますと はこそのかくれさふらはすといつしかねたみ給へは それにつきても心つきなさ【気に入らないこと】かきりなしたゝわか 御かたのみこひしくてつゝむなみたもれいつるを 【左丁】 さらぬやうにもてなしわれにはとかもさふらは ぬものをにくませ給へは身のほとこそおもひしら れて御はつかしく候へとてちかつき給ふこともなし つち【?】によりふし給ひてこまやかなることもなくゆ めもむすはてとりのねをそまたせ給ひける八こゑ のとり【鶏のこと】もつらけれはにくませ給ふともゆふさり【夕方】 はとく参らむとおほせられていそき出させ給 へはひめきみゆふへよりふし給へる御すかたのいま たねなをり給はてなきふし給へるをみ給ひて いとゝ【いとど=ますます】かなしくそなほしけるにとかくかたらひ ふしてなくよりほかの事そなき中将殿のたまひ 【右丁】 けるはゆふさりゆきてかへりなはおやのおほせらる るともゆくましきなりゆふさりはかりおもひねん してまち給へきひしくちゝのおほせられはやまの おくにもとちこもりいほりむすびてうき世の中 はすこすともその御かたをははるるまししゝうを といもゆふさりはかりそあすよりはへちの事あ るまし心やすくおもひ給へとそおほせられけ りさるほとにちゝはゝの給ふやう中将のありさ まをみるにゆふさりよりほかはよもゆかしなか 〳〵かよひそめすはよかりなん大将のためもは ちかましく侍つるへしいさやだしぬき大将のか 【左丁】 たにおかんとおほせありてともの人にもの給ふ やう中将をはおくりつけてこしくるまとものも のともはみなかへれこのふみうちへ参らせよとてい たされたりそのふみにはけふよりして中将をは それに御とゝめ候てとしをもそなたにてこさせ られ候へとそかゝれたる中将それをはゆめにもし らすおはしけり大将のもとにはきたのかたひめ きみめのとよりあひておほせありけるは中将殿 のありさまをみるにこよひよりほかよもおはせし はちかましくおほしけれはいかゝせんとありし かは御めのと申けるはむかしもある事なれはこ 【右丁】 そまつりことゝゆふ事をはしさふらへあはれまつ りて見候はやと申けれはきたの御かたにきやう にはからへとそおほせありけるその時やかて物しり をめしておもふ事ともしつかにかたりきかせけれは 物しりやすき御事なりとてまつり事をそした りけるさるほとにとりもなきけれは中将殿ゆふ さりはとく参らんとて大ゆか【広廂】に出て人やあるく るまよせよとの給へは六ゐのしん参りて申やう これに御とゝまり候て御としをもこし給へと の仰にて候ほとにこしくるまざうしきみなかへり 候てたれも候はすと申せは中将殿なみたをは 【左丁】 ら〳〵となかし給ひたしぬかれぬとおもへはむね のうちくるしく心うくてよのあくるまて大ゆかに たちあかし給へりさるほとに物しりにまつられて 心ほれ〳〵として身にたましひもそはぬやうに なり給ふさてもさとのかたこひしくてさすかに なきつくしおはしけるふみをかゝんとしたまふ にも何となきとのみかゝれてひきやふりすてな むとしてふみたにもやり給はすもう〳〵【濛々=ぼんやりとしているさま】として 心わひしく人の物いふもみゝにも入すなかめ うちにてありけるかひめきみたにもちかつき給へは 身もかゝるすゝしくいさむ心そし給ひけるさるほ 【右丁】 とに御さとにはその夜もすきぬまたけふもおと つれもなくておもひなくさむかたもなしいまた をさなきおといか人にもひめきみを見たてまつ りあはれたのみなき中将の心かなといふもはつか しくしゝうかおもはん所も心うしつゆしもとも きえうせたくは侍れとも心にまかせぬうき世 のならひならひなれはさらぬやうにもてなしみやつか ひけりまたひめきみしゝうおといかみる時はおも はぬやうにたはふれかれかみぬ時はふしまろひ【身を投げ出してあちこちにころぶ】 もたへこかれかなしみていかなる人なれはいつはり のみちきりおき給ひけんいかなるわれなれはへた 【左丁】 つる心なるらんとにかくに【あれこれさまざまに】おもひつゝけてもつき せぬものはなみたなりかなしみのあまりにおもひ つゝけ給ふ   いつはりをきみかちきりしことの葉に   かゝるなみたのつゆそかなしき とうちなかめけふもむなしくくれぬれともな くさむかたもなくまくらもとこもさひしくて きぬひきかつきうちふし給ひてかくなむ   いさゝかもたちはなれしとちきりしに   いくよになりぬそてのかたしき かやうにうちなかめちからおよはぬ事なれは思ひ 【右丁】 しのひてすこし給ひぬさ大しんときたの御かた 仰らるゝやう中将かこれにをきたる物はみめよく 心はへもなへてならす【普通ではない】とき〳〵にゆきかたもなく してあはれこの人をすかしてわかひめきみの女御 まうての時はわかき女はうたちのあまた入にと の給へはきたのかたそのきしかるへし【立派だ】さらはおとい をつかひにたつへしとておといをめしよせて申 侍はこれへはきたるましきものなり御つれ〳〵に おはしまさは中将かめのとのかすかゞもとへわた らせ給へと申へきよしを申せはひめきみしさい あるましきよし御世事し給ふおといかきかぬ 【左丁】 まにしゝうに仰られけるはさても中将殿はさば かり【それほど】御ちきりな■■【「りか」に見えるが「かり」カ】しにあはれたのみなき人の心 かなふみのひとつも給はらすことつてたにもなし あまつさへおそく出るとおほしてなさけなく仰 らるゝそはつかしけれいましはらくこれにあら ははちかましき事も有なんはちをみぬさき にいつくへもいなんとおもふなりかなしきかなや ゆきかたもなき身なりとて心のやみにまよふ かなしさよとてなきむせひ給へはしゝうなみた にくれて御世事もせさりけりひめきみは思ふ もくるしわれをくしてとく出よいかなるふち河 【右丁】 のそこのみくつ【水屑】となりなんともたへこかれたまへは しゝうつく〳〵とおもふにあんし出したる事あり ちゝかたのおはにたんごのないしとてたいりへ参る 人あり申さはやとてしのひてふみをかきてつか はすおもはぬほかにさ大しん殿御うちに候か申あ はせたき事あり参らんとそかゝれたるやかて御 世事ありみ給へはゆふさりしのひやかに御くるま 参らせんとそかゝれたりしゝうひめきみよろこひ 給ひてみすかうしあけてちりはきのこひ【掃きのごひ(掃くき拭ひ)=掃いたり拭いたりする。】御 ふすまをたゝみてさをにかけまくらのひとつになる さへなけき給ひしにまくらもいまはとりひそ 【左丁】 め【取りまとめて見えないところに隠す】ひとつもなく 中将殿つねにみたまひしさう しはこ【草子箱】を御らんするに                そのおもかけ                     見え                   たまはねは                 なく〳〵                     かくそ                      おもひ                       つゝけ                        給ふ 【右丁 絵画 文字無し】 【左丁】   ますかゝみなれにしかけはしのふとも   またもこのよにいつか見るへき さてはよりそふまきばしら【真木柱】そむつましきゆか りをもけふよりほかにいつかみんとおもふこゝろも きえまとひとりひそめたるとこのこゑにふしま ろひけふをなこりのなみたなれはたきとも河の なかれつくしさるほとに中将の手なれ給ひし ことをおもひ出て御ひは【琵琶】ひきよせあそはし給へは しゝうもことをかきならしひめきみはえ【「ゑ」とあるところ】をか き給へはしゝうはほうきやう【方磬】をひめきみにあそ ひたはふれ給へはきく人身のけよたちておもし 【右丁】 ろく御つれ〳〵さにあそはすよとさらぬよそのた もとまてもつゆをくはかりにおほしける日もすて にくれぬれは夜ふけ人しつまりて御むかひのく るま参りけれはひめきみいまをかきりとおほし めしおといをめされて仰ありけるはいのちをか きりにいつまても中将殿入せ給はんほとはこれ にさふらはんとおもひしにおそくいつるとおほ すやらん御つかいの有しほとにやかてそのときも 出たく侍りしをさすかにおもひすてかたくてい まゝては出やらすされともかくて有へきならね はいとま申ていつくへ侍るへしなこりをしさこ 【左丁】 そなか〳〵ことはにもいひつくしかたけれとて御なみ たをなかし給ひて御くるまにめしけれはおとい御 たもとにとりつきてこはいかなる御事そや火のなか みつのそこ野のすへ山のおくまてもはなれ参らせ ましくしてわたらせ給へこれにのこりても御こひ しさにいのちもなからふへしともおほえすとな きかなしみけれはひめきみの給ふやうわれはあし にまかせて出るほとにゆきかたもおほえすいつく なりともをちつかん所よりかならすをとつれす へしと仰られてやかて出給ひけりおといはの こりてにはにふしまろひなきかなしみけれとも 【右丁】 御くるまはとをさかるさるほとにないしかもとへ御く るまよせてまつしゝうはおりてうちへ入ないしに むかひて申やう三てうとののひめきみのこれへ わたらせ給ひて候かしのはんと仰らるゝはいかゝせん と申けれはそのときないしはしり出くるまよ せにさしよりみちのほとの御心くるしさよはやいら せ給へとてくるまのうちより御手をとり入参らせ いそきにしのたいをしつらひおきたてまつるよるも ひるもはなれす卅日はかりそいたてまつりてなく さめ参らせけりひめきみうれしくおほしめし けるさてそのゝちないしたいりへ参りけれはみか 【左丁】 と御らんしてなとや此ほと見えぬそいかなる人に にいまくら【新枕=男女が初めていっしょに寝ること】し侍るそわか〳〵しくそおほゆれとた はふれさせ給へはないしうちゑみ見めよき人に そひてはなれかたくさふらひてこのほとはまいり ゑすと申けれはたれそやみめよき人とはとは せ給へはとかく申まきらはして人しれぬまに申 やう三でうのきんざねのちうなこんのひめきみ御わ すれ候やらん七の御としみめうつくしく候とて女御 のせんしかうふらせ給ひておはせしか十のとし ふたりのおやたかいてのちめのとのはこくみ【はごくみ=育み】にて三 条にすませ給ひ候つるかあまりの御つれ〳〵さに 【右丁】 このほと卅日あまりわらはかかたにおき参らせて 此ほと【この期間】は参りさふらはすと申せはそのとき我 にみせぬほとならはこれへないしはかなふましと 仰けれはいかゝして何のつゐてをもつてかみせ 申へきはしちか【端近…上品でないこと】のわさにはかなふましとそ申け るそのときみかとしはらく御しあん有てさらは しはすのぶつみやう【仏名】のちやうもん【聴聞】すらめよと仰られ けれはないしさとにかへりしゝうにかくとかたれ はしゝう申やういかなる女御きさきもわかひめ君 にはいかてかまし給ふへしみかと御らんしたらん にめてさせ給はさるへきいかゝはしてたいりへす 【左丁】 すめ参らせんとしたくしけるしゝうひめきみの御 まへに参りて申けるはふつみやうの御ちやうもん に参らせ給へかしちやうもんしつれははゝにあふ と申とゆゝしけに申けれはひめきみはいと心 なくてのちやうもんはなか〳〵つみのふかきなる われは参らすともしゝうは参れかしとの給へは しゝう申けるはふつみやうと申は三世のしよふつの 三しやうおうこをまつり給へは一とちやうもんし つれはらいせにてはかならすおやにあふと申きみ も御ちやうもん候はゝ二しんにあひ参らせ給ふへ しわらはも御とも申さはともにふつたうをも 【右丁】 なさんとこそおもひ候へまつ御心え候へかしこんし やうにもこしやうにもおやにあふ事はすくれた るくとくにて候にいかなれはわらはかいきなかる はゝにわかれて御身にそひ参らせてたちまち にこんしやうのやみにまよひ候そかしふつみやう を御ちやうもん候はゝきみもちゝはゝにあひ参ら せ給ふへしわらはもこしやうのおやにそはんこと ねかはしく候へはこそ申せ御心かたくわたらせ給ふ 物かなと申けれはひめきみ心のうちにおほすやう けにことはりかなしにたるおやにもあはゝやとね かふにいきたるおやにわかれてわれにそふほと 【左丁】 の心さしいかてかしらさらんことはりをしらぬ物をは ちくしやうとこそいふなれしゝうか心さしをはいかて かたかふへきさらはちやうもんも人ため【ひとだめ(人為)=他人の利益】ならすわれ も参らんとそ仰られけるそのときおりをへてた んごのないし申やうしゝうとわらはとたちかへし【折り返し】 参らせてわらはかつほねへ入参らせ御ちやうもんの 後はやかて御くるまにめし御かへりあらんにさら にくるしかるまし御参り候はゝめてたかるへしと てしゝうもないしもよろこひけりその日にもなり けれはたいりへ参り給ひぬ御くるまよせてしゝ うないしあひそいてつほねへ入参らせけるさてな 【右丁】 いしせいりやうてん【清涼殿】へ参り御かとへかくと申あくれ はいつくにそととはせ給へはわらはかつほねに わたらせ給ふと申けれはみかとうちゑませ給ひて こよい【「ひ」とあるところ】ゆきてみんとそおほせありけるないし申 けるはとうざいもわきまへさせ給はぬをいかゝこ よひはいとお【「ほ」とあるところ】しやと申せは          みかとけにもと               おほしめして           その夜は               いらせ給は                 さりけり 【左丁 絵画 文字無し】 【右丁】 さてもふつみやうはしつまりけれは大しん【大臣】くきや う【公卿】てん上人【殿上人】参りあひ給ひけり中にも中将との はとうにてわたらせ給へはことおこなひをそせら れけるくきやうかんたちめ【上達部】ことわさにつきてま はりけれはひめきみこれをみ給ひておもひいて たるけしきもなくほこりたはふれ給へはうらめし さかきりなしいとゝつゝましくてしのひのなみ たせきあへすわするゝ事はなけれともかくまの あたりにきえ入心ちそし給ひけるさてふつみや うはてぬれはくきやうてん上人をそゑふしと てつほね〳〵のはんにとまらせ給ふとうの中将は 【左丁】 おりふしないしかつほねのはんにてそのつほねにと まり給ふしゝうひめきみすをへたてまくらを あはせにね給ふありあけの月かけ山のはにかた ふくを夜もすからふるしらゆきふけゆくまゝに さへまさり心すみておもしろけれは中将こしよ りやうてう【注①】ぬきだしはんしき【注②】にねとり【注③】らうゑ【「え」とあるところ】 い【注④】をそせられけるあか月りやうわう【注⑤】のその【苑】に入 はゆき【雪】くんさん【群山】にみつ【滿】よるゆふこうかろう【意味不明】にのほ れは月せんりにあきらかなりと三へんはかり ふき給ひてやさしくうらみこゑなるせう【笙か】を所 〳〵あそはされけるくものうへまてすみのほり 【注① ようじょう…横笛のこと。字音の「おうてき」が「王敵」に通じるのを忌んで読みかえたものという。】 【注② 盤渉…雅楽の十二律の一つ。】 【注③ 音取り…雅楽で試みに楽器を奏じて音程を決める】 【注④ 朗詠す】 【注⑤ 陵王…舞楽曲の名】 【右丁】 おもしろくそおほしけるみかと夜もすからきこし めされてことにふれおりにしたかへはおもしろく おほしめされて夜もほの〳〵の時せいりやうてん【清涼殿】 のくみれ【注①】のこひさし【注②】のもとにみかとたゝせ給ひて さねあきらとめさるれはみすのきはをおきわ かれてせいりやうてんに参るひめきみの心のうち のかなしさたとへんかたそなかりけるさらぬたに ふゆの夜のあけほのゝそらはわりなき【どうにもならない】に夜も すからゆきふりつみてみなしろたへにみゆるに とうの中将ねあかみ給へるかほはせもみちのよ そほひうつくしうしろくきよけなるはたへのゆき 【左丁】 にまかへて【見間違えて】うつくしく見えけれはみかと御らんし ておほすやういかにないしかつほねの人うつくしく ともさねあきらかにほひほとはよもあらしそれ につけてもせう殿のひめきみゆかしさよとおほえ てきこゑ【「え」とあるところ】し事はいつやらんととはせ給へは中将 そてかきあはせてあさて【あさって】廿七日に参るとこそう け給はり候へと申されけれはおさなきくらん と【蔵人】めしよせてゆき山つかせ【築かせ】よとそ仰けるくらん と十四五人めしよせてゆき山つき【築く】侍へりさて そのゝち御けん【剣】めしよせてさねあきらにもたせ てないしかつほねへ入給ひひゆふ【意味不明】のうへより御 【注①  「くみいれ(組入)」の約。細かい格子に組んで作った天井】 【注②  「こびさし」=小さい庇】 【右丁】 らんしけれはこうばいのにほひ七にくれないの はかまめしなからよりふし給へり中将殿とみす をへたてゝまくらあはせにね給ひたりけれはみ すのうちに人ありとしられしとよもすからつ つみ給ひてしのひのなみたにまくらはいつみ となきぬれて中将殿たちのき給はる夜の中 にくるまにのりてかへらんとこそないしかちぎり しにはやよのあけゝるとしゝうとくときたまふ ところに御いのひやうふにそよとさはりたりけれ は夜のあけぬるはいかにないしかとおほせられ けれはみかとうちゑませ給ひてないし参ると 【左丁】 て御そはへより給ふ         みすの            うちより           そとの              大ゆかには             とうの                中将              御けん                もちて                ゐ給へり 【右丁 絵画 文字無し】 【左丁】 ひめきみ心うくおほしめしてひきかつきてなく よりほかの事はなしみかとよりそはせ給ひて なにをなけき給ふそもゝしき【枕詞から転じて「内裏、宮中」のこと】のうちへ入ぬる人 をはさうなくいたす事はなしいまはこれに わたらせ給ふへき人そとやう〳〵になくさめ 給へともひとことはのせしもし給はすたゝなく よりほかの事そなしひるほとまてやう〳〵に したひ給へともとかくの世事もし給はすひるの かれいの時にもなりぬれはせいりやうてんへいら せ給ひてないしをめしてわか身まてもよにい とをしないしをめされてよく〳〵いたはり参 【右丁】 らせて御物参らせよと心ぐるしくおほゆれゆ たけのかせにしなはぬふせいしてまつにしたかは せ給ひぬうたてさ【嘆かわしいこと】よいつとなくむつけ【不満に思う】させ給ふい たはしさよかくのみや有へきとて御なみたくみ 給へはないし見参らせてかたしけなくそおほゆる みかとはせいりやうてんへいらせ給ひてこのひめき みをあすしよきやうてんへわたし参らせんとおもふ に御身まちかき女はうはなきかめしてたてまつ れとおほせあれはないしかへりてしゝうにかくと かたれはしゝうよろこひてたいりへ参りたるくるま のたより【ついで】にのりて三てう殿へそゆきける さてみか 【左丁】 とさいしやうをめして仰せられけるはまる【男子の自称。ここでは帝のこと】がはから ひとしてあすのほとに女御をしよきやうてん【しょうきょうでん(承香殿)…女御などが居住】へわ たしたてまつらんによき女はう廿人御しやうそく したて参らせよとおほせくたされけるさてしゝう はまたよをこめてあかつき三てう殿へくるまやり 入けれは三条殿にひめきみしゝうはうしなひぬ あさゆふなきふして有けるかあか月めをさまし てゆめ物かたりをしけるににはかにくさふかき 所へくるまくおほゆれとうの中将のいもうとのいか にうつくしくきこゆるとも此人にはまさらしと おほつかなくそおほゆるとおほせられけるさてな 【右丁】 いしつほねに参りて申やう此卅よ日参り候はね はあたりてしゝやうともとりあてられていとなみ たひまなさにいまゝておそく参りて候たゝいまは 日のうちにいかゞし侍らんゆふさり夜に入てこ そ御くるまもよせ候はめそも〳〵たれか申てこれ へうちの御入候やらんあさまし【嘆かわしい】の人のくちのさがな さ【意地悪さ】よと申せはひめきみけにもふしきの事かなた れ申てかわれ参らせつらんかくむつからむには中 將にきかれなんいかゝせんかくはしちか【はしぢか(端近)…おくゆかしくないこと】の有さまさ きの世にいかなるつみをつくりてかゝる身になるや らんとせきもやらすなき給ふさてみかとはかれ 【左丁】 い【嘉例】の事もすきぬれはやかていらせ給ひて御そ【おんぞ=お召物】ひき きてなれかほ【なれがお=馴れた様子】にれいのちからつよの【力強の】ひめきみとち からくらへせんとてすをきにたき給へはこはなに 事そやおもはぬほかの事なれはいなせ【不承知と承知】のいらへ【返答】も し給はすたゝうちくれなき給へはみかと御そは へひき参らせて何とてさえたてまつるみかとれい けいてん【麗景殿…皇后、中宮、女御などが居住】へ御入あつて女御の御そはによりふして つく〳〵と御まほり【守】ありて三人のきさき四人の女 御たちは御まさりなりけれこれこそ一にて御わ たりある人けれともないしかつほねの人を御らん しこれも御心つきにあらさりけれはこまやかな 【右丁】 る御事もなくしてまたやかてないしかつほねへ御 入ありこれもやかてしよき【「さ」に見えるが「き」であるところ】やうでん【承香殿】へいれ参らせん とておの〳〵ひしめきあへりさるほとにやう〳〵 にないしかつほねのひめきみの女御まうての事を そおほせつけられけるれいけいてん【麗景殿】におはしま しけれともいつしかなひ【「い」とあるところ】しかつほねのこひしくて いまこれにとゝまらすともなかきちきりこそめて たけれとてついたゝせ【しっかりと立たせ】給ひてさねあきらを御と もにないしかつほねへいらせ給ふひめきみれいのなく よりほかのことそなきこよひはこれにとゝまらせ給 ひてなくさめちかつかせ給ふあま【海士】のたくも【藻】ゆふけ 【左丁】 ふり【夕煙り=夕方食事の支度などで立ちのぼる煙】にうらかぜのなひかぬふせいにておはしませ はみかとよに心くるしくそおほしけるやう〳〵と なくさめ参らせておはしませともたゝなくより ほかの事そましなをものみむつかるそいま〳〵 しく候とて御い【御衣】のそてにてひたひのかみのたえま よりなみたのつゆのこほれるをおしのこはせ【押し拭は(わ)せ】給 へはしゝうないしあらかたしけなの御事やとそお もひけるみかとやう〳〵になくさめかねてあな心 くるしやさのみなむつかりそかし八のはかまのつい てにきんさねもわれにゑさせんとちきりしか おやたかひしたれはいまゝてちゝし侍へりちき 【右丁】 きりはくちせぬ事なれはめくりあひぬるうれ しさよ何しにかくはむつかるそ有ましきこと のやうにとさま〳〵になくさめ給ひてせいりやう てんへ御かへりありてないしをめして此人よく〳〵 なくさめ参らせよとよに【本当に】心くるしけにおほせく たされけりさるほとに廿七日にもなり侍るけふは 女御まうてとてさゝめきてくきやうてん上人まい りつとい給ひけり此女御きこゆるひしんにてま しませはしよきやうてんにすませ奉るへきに ておはしませともないしかつほねの人おはするほ とにてん【殿】もちかけれはこれをしよきやうてんに 【左丁】 のほせたてまつるへきにさたまりぬ中将のいもう とをはれいけいてんへそすをやり入けれはいかに たれ人そとおもふにしゝうくるまより出申やう ひめきみこそおもはぬほかのたよりにて女御に 参らせ給へ      みかとより           御めのとゝ               おほせ候               いさらせ給へと                 申けれは 【右丁 絵画 文字無し】 【左丁】 はゝはうれしきか中にもおつるなみたをおし とゝめてひめきみこそ御心つよくわたらせ給ふ共 それにはなといましておとつれし給はぬそお やのおもふほとなかりけりとてなきけれはしゝう 申やうなに事もみなかゝるめてたき御事とも にならせ給ふはしめにて候にうちおかせ給へとて さま〳〵のしやうそくともとりいたしてはゝせ うなこんにもうちきせしたしき人々めしあつめ て女はう十よ人ひきくし【引き具し】大り【内裏】へそ参りける御 めのとひめきみの御まへに参りけれはめつらし くそおほしけりきよみつのことそなきさるほとに 【右丁】 やかてその日しよきやうてんへわたし参らする くきやうてん上人こゝかしこにたゝすみていかな る人のひめきみときゝ給ふととうの中将もろと もにさゝやきあひけれともしりたる人もなしさ てみかと御としこすよはおやのおもふ所あり とてれいけいてんへ入せ給ひけれともしよきやう てんにて御とのこもり【殿籠り…寝る意の尊敬語】有けるさてあか月せいりや うてんへいらせ給ふとてないしをめしてあまり に此ひめきみのむつけさせ給ひてしほりもあへ 給はす人のためにあらす申なくさめま参らせて けふあすはかりなく事を申なため参らせよと 【左丁】 おほせかうふりしゝうにかくと申せはしゝうも せうなこんもないしにけうくん【教訓】せられていかに かくいま〳〵しくむつからせ給ひさふらふそによう はうの身には女御きさきのくわほう【果報】こそねかふ 事にて候へおやのたちそいてもてなしかしつ きたてまつる女御きさきもみかといらせ給はねは さひしくてのみおはします御身はみなしこに てわたらせ給へともかくかたしけなくおほしいら せ給ひ侍るなり御身ひとりのめてたき御事に ならせ給ふのみならすかすにもあらぬわれ〳〵 まてももゝしきのうちにあをかれてかたをなら 【右丁】 ふる人もなしきみも天しのきみとならせ給ひ てはんみん【万民】のまつりことをきはめさせ給ひ何事に つけてもとほしき事もわたらせ給はぬに何 の御ふそくありてかむつからせ給ふそと申けれは ひめきみなくをよきことゝはおもはねともなに とやらんむねのうちかくるしくてつゝむにたえ ぬなみたのおそふるそてにあまるをいかゝせんと そおほせられけるしゝうまた申やう御心のうち もみなしり参らせてさふらふ中将殿の御ことも さのみおほしめすへからすなに事もせんせ【前世】の 御ちきりなりきよみつにてとかふの御事さふ 【左丁】 らひしにもかゝるめてたき御さいはいになら せ給ふへき御事そかしわれおもふ人をこそおほ しめすへけれいかにもきみの御こゝろにたかひ参 らせ給はん御ことはおそれある御事にてこそ候 へとかきくとき申けれはそのときひめきみさら はいまはなかでこそあらめとおほせけれはいよ 〳〵よろこひあへりさて御けしやうはなやかに めされはれやかにそおはしけるとうの中将は こうはいのよほひ十二に大もんのさしぬきに御な を【「ほ」とあるところ】しきら〳〵しくぜんくう【前駆】のさふらひみずい じん【御随身】さつしき【雑色】うしかひ【牛飼い】に いたるまてきら〳〵しく 【右丁】 そおほえ侍る大しんにひとり子さ大しやうにはは なむこれいけいてんには世のきこゑにもかたを ならふる人そなきわか身となれはことおこ なひもきら〳〵しく【容姿が整って美しい】さか〳〵しく【いかにもしっかりしている】おはすれは みな人なを【「ほ」とあるところ】しのそてをかきあはせおそれぬ人 そなかりけるしよきやうてんのみすのまへをとを り給へはしゝうさすかにゆかしくてたきもの【練香(ねりこう)】かき くんし【薫じ】て中将のとをりたまふたひことにけふたき ほとに何をきかせられけるちうしやうのかく とはしらすしてときの女御             女はうたち 【左丁 文字無し】 【裏表紙 文字無し】