百一年目の日蝕 来(きた)る八月十九日の日(につ)蝕(  く)は今を去る 百一年前天明六年五月朔日 以来(いらい)の皆既(かいき)にて実(じつ)に珍(めつら)しき ものなり米国ゟは「ド井ー」 「ビートツド」【D.P.Todd】氏 来朝(らいてう)あり又 理科(りくは)大 学(かく)教授(けうしゆ) 寺尾(てらお)氏 其他(そのた)の諸氏(しよし)等(とう)日 光(こう)新潟(にいかた) 白河(しらかは)等(とう)の地方へ実測(じつそく)のために 出張(しつてう)されたり又今回の日蝕は頗(すこふ)る 奇(きい)異にして蒼(そう)天五色に變(へん)し暗黒(あんこく)色 となり 全(まつ)く(たく)蝕するに及(をよ)べは人 面(めん)は 皆(みな)青白色を帯(を)び草花(そうか)は萎(しぼ)み 飛鳥(ひてう)は地に降(くた)り獸類(じうるい)は地に伏(ふ)し実(しつ)に 一代に一 度(ど)の觀物(みもの)と云ふへし又東京は 九分九リン余蝕し午後二時三十六 分七秒右ゟ欠初め同三時四十八分一秒 甚(はな〳〵)しく 四時五十二分五秒上左の間に復圓(ふくゑん)する也 年清画 大森【印】【芳年門人に年清という絵師あり】 【明治二十年七月廿六日御届編輯兼出版人神田区末廣町十番地 岡田常三郎】 【左端枠外 切り取られた部分に右記の出版人情報あり】 【左下】 0011841954 東京大學圖書之印