南島紀事 上 南島紀事 上 後藤敬針臣編 南島紀事 榕陰書屋蔵版   凡例 一本編ハ專ら中山世鑑中山世譜球陽南高志沖  繩志等に據り傍ら中山傳信録喜安の日記白  石の事略等を參取し間〻挿注して以て異同  を辯す其明治維新以後に係る事蹟ハ往年《割書:敬》  《割書:臣》か琉球于役中筆する所の手記を用ゐ以て  編修す 一琉球上古の說其荒唐に屬するものハ省略し  唯天孫氏創國の大綱のみ取て之を擧く 一本編ハ天孫氏に始り尚泰王に終る蓋し慶安  以前は史傳なし天孫氏二十五世紀一万七千  八百二年と稱すといへとも其間の治亂興廢  に至りては今得て考ふへかとに舜天王以還  凡三十六世とす《割書:舜天ノ王タリシヨリ今年|ニ至リ凡六百九十八年》 一本編は系統に由り之を分ち天孫紀舜天紀英  祖紀察度紀尚思紹紀尚圓紀の六世紀と為し  毎紀繼承の由て來る所を詳かにす 一冊封を支那に請ひ册使の國に臨み進貢接貢  兩使舩の往還慶弔使者派遣の始末并に獻呈  方物の名目下賜贈答の品種等其恒例に係り  時事に與からさるものは必しも之を載せす 一攝政三司官の任黜其國事に關せするとしは  載せす 一職制服制の創定改革等は前人已に詳著あり  今此に載せす 一間切を割き別稱を立て海を填めて地を築き  新に橋梁を架し門坊殿宇を創建する如き其  小京るむしは載せす 一往復文書の支那文に係るもの多し今譯して  之を載す條例誓文の如き亦概して其大意を  擧く 一琉球の官職姓名其本邦に對する支那に對  すると各其稱謂を異にす所謂攝政三司官及  御鎻之側官は彼に向て國相、法司及耳目官と  謂ひ或は三司官の支那に使する時は王舅と  稱し又伊江王子の尚健《割書:唐名(カラナ)ト|稱ス》に於る宜野灣  親方の尚有恒に於いる如き其稱謂を記する  は概ね取ると所の原文に依る故に間《割書:〻》一人兩稱  に亘るもの無きを免れす   明治十七年四月     編 者 識 南島紀事目録  上巻   天孫紀  《割書:天孫氏》   舜天紀  《割書:舜天王 舜馬順熙王|義本王》   英祖紀上 《割書:英祖王 大成王|英慈王》   英祖紀下 《割書:玉城王|西威王》   察度紀  《割書:察度王|武寧王》   尚思紹紀上《割書:思紹王 巴志王 忠王|思達王 金福王》   尚思紹紀下《割書:泰久王|德王》  中巻  尚圎前紀上《割書:圎王 宣威王 真王|清王 元王  永王》  尚圎前紀中 下巻  尚圎前紀下《割書:豐王 賢王 質王|貞王 益王》  尚圎後紀上《割書:敬王 穆王 溫王|成王 灝王 育王》  尚圎後紀下《割書:泰王》 南島紀事目錄畢 南島紀事上巻         周防 後藤敬臣編  天孫紀   天孫氏 琉球《割書:本邦往昔邪久國ト曰ヒ|俚俗古來沖繩ト呼フ》の初め天孫氏とい へる神あり是れ古史に所謂阿摩久《割書:神|名》か天帝 に請ひ申して三男二女を此國に降しゐひける 中なる第一の男神にして即ち國君の始とそ申 し傳へける天孫氏繼治の間山川を相して國頭(タンチヤン) 《割書:後北|山》中頭(ナカガミ)《割書:後中|山》島尻(シマジリ)《割書:後山|南》の三ツチシ野ヲ晝して 間切《割書:内地ノ郡ニ似|テ小ナルモノ》を分かち王城を中頭の首里 に築き諸間切に按司《割書:諸侯ノ|如シ》を置きて民を治め 麥栗禾ハ久(ク)髙(ダカ)島に生し稲苗を知(チ)念(ネン)玉城(タマグスク)に産し 農業の道始て開けたり斯くて天孫氏二十五 代《割書:乙丑ニ起リ丙午ニ終リ凡|一万七千八百二年ト稱ス》推古天皇十三年《割書:隋|大》 《割書:業元|年》の時に當り何蠻と云もの隋の陽帝に奏し て曰春秋の二季天氣清く風静かなる日、東の方 を望めは依稀として煙霧の氣あるに似たり亦 其㡬千万里なるを知らすと隋主楊廣ハ羽騎尉 朱寛と云も新に命して此國に至り風俗を訪れ の苦を除き三山を一統す尚德に至り七王継承 し經歴六十四年にして思紹の統斷絕せし 南島紀事上巻 畢