《題:豐橋の年中行事》           豐橋市敎育會 昭和十年十二月 《題:豐橋の年中行事》           豐橋市敎育會編 【右頁 白紙】 【左頁】      目次 【上段】    一月 一   四方拜………………………… 一 二   世の中を見る………………… 二 三   年禮…………………………… 二 四   元日詣………………………… 二 五   門松…………………………… 三 六   惠方詣………………………… 三 七   若水…………………………… 四 八   雜煮…………………………… 四 九   屠蘇…………………………… 五 一〇  年玉…………………………… 五 一一  初夢…………………………… 五 一二  発荷…………………………… 六 一三  仕事始………………………… 六 一四  書初…………………………… 六 一五  元始祭………………………… 六 一六  政治始………………………… 七 【下段】 一七  山の神祭……………………… 七 一八  新年宴會……………………… 八 一九  消防出初式…………………… 八 二〇  七種………………………………八 二一  御田植祭……………………… 九 二二  大般若………………………… 九 二三  陸軍始め觀兵式……………… 九 二四  鏡開…………………………… 九 二五  破魔弓…………………………一〇 二六  モチヒ粥小豆粥………………一〇 二七  オメイギ………………………一一 二八  左義長又ドンド………………一二 二九  御湯立…………………………一三 三〇  年越祭…………………………一三 三一  藪入……………………………一三 三二  念佛百萬遍……………………一四 三三  お一七夜………………………一四                     一 【右頁】                     二 【上段】 三四  二十日正月……………………一四 三五  初惠比須………………………一五 三六  愛宕詣…………………………一五 三七  初天神…………………………一五 三八  海神祭…………………………一六 三九  日待……………………………一六 四〇  萬歲……………………………一六 四一  惡魔拂…………………………一六 四二  寒詣……………………………一六    二月 四三  津島祭…………………………一七 四四  二日灸…………………………一七 四五  節分……………………………一七 四六  厄落……………………………一九 四七  厄拂……………………………二〇 四八  事始と事納……………………二〇 四九  針供養…………………………二〇 五〇  送神……………………………二一 【下段】 五一  八日餅…………………………二一 五二  初午……………………………二二 五三  紀元節…………………………二二 五四  鬼祭……………………………二三 五五  涅槃會…………………………二三 五六  祈念祭…………………………二四 五七  太子講…………………………二四 五八  初天神…………………………二四    三月 五九  雛祭……………………………二五 六〇  地久節…………………………二五 六一  陸軍記念日……………………二六 六二  金比羅詣………………………二六 六三  彼岸……………………………二六 六四  春季皇靈祭……………………二六 六五  社日詣…………………………二七 六六  御影供…………………………二七 【右頁】 【上段】 六七  學校卒業式……………………二七 六八  水口祭…………………………二七 六九  道燒……………………………二八    四月 七〇  始業式…………………………二九 七一  神武天皇祭……………………二九 七二  灌佛會…………………………二九 七三  卯月八日………………………三〇 七四  小坂井祭(風祭)………………三〇 七五  神御衣祭………………………三一 七六  天長節…………………………三一 七七  疱瘡祭…………………………三二 七八  道役……………………………三二    五月 七九  八十八夜………………………三四 八〇  端午……………………………三四 八一  六日香煎………………………三五 【下段】 八二  海軍記念日……………………三五 八三  お寅御前(虎が雨)……………三五 八四  田打餅…………………………三六    六月 八五  衣更……………………………三七 八六  惡病除…………………………三七 八七  山開……………………………三七 八八  時の記念日……………………三七 八九  祇園……………………………三八 九〇  輪くぐり(夏越祭)……………三八 九一  大祓……………………………三八 九二  さびらき………………………三九 九三  ゴンゲラボー…………………三九 九四  農休……………………………四〇 九五  萬燈おこし……………………四〇    七月 九六  專願寺詣………………………四二                     三 【右頁】                     四 【上段】 九七  淺間詣…………………………四二 九八  ハゲン…………………………四二 九九  七夕祭…………………………四二 一〇〇 額祭……………………………四三 一〇一 能祭……………………………四三 一〇二 四萬六千日……………………四三 一〇三 祇園祭…………………………四四 一〇四 盆(盂蘭盆會)…………………四四 一〇五 夜念佛…………………………四六 一〇六 中元……………………………四六 一〇七 十王詣…………………………四六 一〇八 藪入……………………………四七 一〇九 花祭……………………………四七 一一〇 ウラ盆…………………………四七 一一一 土用餅…………………………四八 一一二 土用鰻…………………………四八 一一三 蟲干……………………………四八 一一四 疫病除…………………………四八    八月 一一五 八朔……………………………四九 【下段】 一一六 月見……………………………四九 一一七 うんか送(蟲送)………………四九    九月 一一八 二百十日………………………五一 一一九 オカヅラ節句(菊節句)………五一 一二〇 月見……………………………五一 一二一 お十七夜………………………五二 一二二 彼岸……………………………五二 一二三 秋季皇靈祭……………………五二 一二四 羽田祭…………………………五二    十月 一二五 神送り…………………………五三 一二六 お十夜…………………………五三 一二七 金比羅詣………………………五三 一二八 御命講(御會式)………………五四 一二九 神嘗祭…………………………五四 【左頁】 【上段】 一三〇 惠比須講………………………五四 一三一 お取越…………………………五五 一三二 招魂祭…………………………五五 一三三 亥の子…………………………五五 一三四 蒔上……………………………五六 一三五 ばい祝…………………………五六 一三六 掛穗……………………………五六 一三七 道役……………………………五六    十一月 一三八 神迎……………………………五七 一三九 明治節…………………………五七 一四〇 荒神祭…………………………五七 一四一 七五三の祝……………………五八 一四二 秋葉祭…………………………五八 一四三 御親閲記念日…………………五九 一四四 新嘗祭…………………………五九 一四五 大師講…………………………五九 一四六 酉の市…………………………五九 【下段】 一四七 報恩講…………………………六〇 一四八 つぼか…………………………六〇 一四九 刈あげ…………………………六一 一五〇 秋しまひ………………………六一 一五一 お犬様のお迎…………………六一    十二月 一五二 事始と事納……………………六二 一五三 冬至……………………………六二 一五四 大正天皇祭……………………六二 一五五 クリスマス……………………六二 一五六 御用納…………………………六三 一五七 煤拂……………………………六三 一五八 年の市…………………………六三 一五九 餅搗……………………………六三 一六〇 大祓……………………………六四 一六一 晦日蕎麦………………………六四 一六二 除夜の鐘………………………六四 附錄   豐橋市内神社一覧表………………六五                     五 【右頁】           凡 例 一、年中行事の由來を說いて、その古の姿を知らしめんとし現在豐橋市を中心として行はれてゐる年中   行事の集成を試みんとした。 一、各小學校を單位として各校一名づつの調査員に地方的なる行事の調査を依頼した。從つて報告の精   粗により、調査が一方に偏した如き嫌ひはあるが仕方がなかつた。故に具体的例に(植田)(野依)   等とあるはその校區よりの報告によつたもので、他校區にも必ず同様の行事があるに違ひない。 一、記述は主として現行の年中行事に重を置き、始めに由來と一般的に行はれてゐる様式を述べ、次に   各小学校校區の報告を記した。 一、日の下に舊とあるは、舊曆にのみ行ふか又は舊曆に主として行ふ行事である。 一、日の不定なるものは大体その月の終に記した。 一、載せるべきを逸したるもの、記載を誤りしもの多からん。識者の補正を俟つ。    (編者) 【左頁】      豐橋の年中行事              豐橋市敎育會編   一月           一 四方拜 (一日)  この起原は、崇神天皇の御宇からとも、或は垂仁天皇の御宇からとも、又は孝謙天皇の御宇からともい はれてゐるが、宇多天皇の寛平元年元日に行はせられたのが一番確かであるらしく、醍醐天皇の御宇には 旣に決定的御儀となつたのであるが、足利時代になつて一度中絕し、後土御門天皇の文明七年に再興され た。  これは宮中で行はせられる御儀式で、前夜から御潔齋遊ばされた陛下には、寅の刻(午前四時)神嘉殿 南庭の式場に設けられた御屏風の中の玉座につかせられ、御親ら玉串を奉り、先づ内宮外宮を御遙拜、次 に天神地祇、熱田神宮氷川神社以下の神社、神武天皇と先帝の山陵とを拜して、國家の爲に年災を穰ひ、 寶祚の長久と民草の幸福を祈り給ひ、次いで皇后陛下と御同列で賢所、皇靈殿、神殿を御拜遊ばされるの である  この日官衙公署學校では拜賀式が擧行される。                     一 【右頁】                     二           二 世の中を見る (一日) 舊   「世の中を見る」といふて早朝戸外に出て四方の雲どりを見てその年の作柄を判斷する、一年を方角   に配して子(北)を一月丑を二月としてその方角に立雲が帯(横雲)をひいてゐると風、雨雲があると   雨がその月に多いといふ。(牟呂)           三 年禮 (一日-三日乃至十五日)  日本紀によるとこの年始を祝ふ行事は、古く孝德天皇の大化年中に、それも宮中の賀正の禮に始まつて 居り、これが大切な行事となつたのは徳川時代で、親戚友人知己の間を訪問する回禮はこの時代の遺風で あるといはれるが、それも今では賀狀を出したり、年賀會へ出るだけで、この回禮を省くものが多くなつ てゆくやうである。  イ、分家の家長が揃つて本家に年禮に行く。(大崎)  ロ、明治維新前後までは村の若い者は羽織着用で小字仲間にて他の小字各戸を「祝儀」と唱へて廻禮し    たといふ。尚明治の中頃までは(家長又は代理人が)禮服で親戚五人組或は寺へ必ず廻禮した。特    に親戚又は嫁の里へ行つた場合は先づ佛様に詣り後挨拶した。(野依)           四 元旦詣 (一日)  元日に氏神や各自が崇めてゐる神社に參拜するのであるが、この地方では豐川稲荷、砥鹿神社、石卷神 【左頁】 社等に參拜する者が多い。  イ、氏神と寺に詣る。(植田)           五 門松 (一日-三日乃至七日)  門松の起原は餘程古いらしく文献によると堀河天皇の御代には、もう民間一般に行はれてゐたやうであ る。又竹を添へて立てるやうになつたのは應永の頃からだといはれてゐる。この門松も今では松の内七日 たゝないうち四日の朝に殆ど取去られるが、以前は十五日頃までも立てゝあつたやうである。なほ門松を 取去つた跡へは、どこの家でもその秀枝を折つて挿しておく風習がある。眞宗の寺院ではもとから門松を 建てない。なほこの門松に藁盒子とて正月藁にて盒子の如く編んだものを門松に結びつけ、日々供物を入 れて供へた。これをツボキともいふ。  イ、昔門松から火が出て大火事になつて以來門松を建てることを廢したが明治三十九年から再び建てる    やうになつた。(下地)  ロ、昔はツボキといふ藁で造つたものを門口の兩方に松と共に立てた。(福岡)  ハ、門松を立てない所もある。(磯邊)           六 惠方詣 (一日) 元旦、その年の明きの方の方位にある神社や寺院に詣ると萬事吉であるといはれ、信心家にはこれがか                     三 【右頁】                     四 なり行はれてゐるやうである。その起原は詳かでないがこれは陰陽家のいふ歲德神から來たものである。           七 若水 (一日)  元旦に始めて汲む水、これを飮めば其年の邪氣を除くといふ。  イ、元日家長が早朝に起き井戸水を釣瓶に三杯くみ之を神に捧げ御洗米をあげて拜んだ。(福岡・大崎)  ロ、明き方に向ひ元日早朝家長若水を汲む。(磯邊)  ハ、元日早朝家長は米と𪉩を十二つかみ桝に入れ、井戸の周圍にまき井戸を淨め、後茶碗に水を汲みオ    デー表座敷より各室每に笹の葉にて水を撒いたものだが今は水を撒くことをしない家が多い。又家    によつては若水を茶碗にとり「日輪様へあげる」と稱し外へ供へる家もあつた。尚法華宗の信者は     水は女が一年中使用するとの意味で女が最初に汲んだ。(野依)  ニ、早朝家長若水を汲み家内一同揃つて日の出を拜す。(植田)           八 雜煮 (一日-三日)  雜煮を祝ふといふことは、何時頃から初まつたものか明確でないが、門松と同じく上古以來のものであ らうといはれてゐる。これは家族だけで祝ふものではなく、年賀の客には何時でも饗すべきでこれを雜煮 祝ふといふ。其仕立方は地方に依つて差異あり、東京風では淸汁仕方が多く、關東風では白味噌仕立が多 いが、この地方では切餅と一緒に菜、里芋、油揚其他種々なものを入れて煑込みにして花鰹をかけ喰べる。 【左頁】           九 屠蘇 (一日)  この祝事は支那から渡來したもので、我國では嵯峨天皇の弘仁年中から用ひ始められたやうである。屠 蘇を藥種屋で求め、紅絽の鱗形の袋に入れ、一夜味淋に浸し(今は瓶詰にした屠蘇酒が賣出されて居る) 正月之を飮めば、一年の邪氣を祓ふといはれ、家族又は年賀の客に出す。屠蘇の盃は先づ幼者から始めて 順次年長者に及ぶ例となつて居る。之に重詰を添へ、屠蘇の肴とする。          一〇 年玉  年玉は新年の賀として親戚友人知己の間に贈答する物品をいふ。古く農村部では、廻禮の際二、三錢乃 至十錢位を紙に包み、持參したもので、今でも寺方では「オタル」「年玉」と稱して納豆、半紙など檀家 に持つてゆく。          一一 初夢 (二日)  正月二日の夜、吉夢を見んが爲に寶船を枕の下に敷いて寐るといふ風習は、もう足利時代から行はれて ゐたとのことである。これも當初は節分の夜に用ひられたものらしい。  その寶船に「なかきよのとおのねふりのみなめさめなみのりふねのおとのよきかな」の廻文の歌を書添 へる。近頃飽海の靑龍寺から版摺の寶船を頒つてゐる。  イ、寶船の繪をかいて枕の下に入れる。(牟呂)                     五 【右頁】                     六          一二 初荷 (二日)  大正年間頃までは、商家では賑やかに商品の送出しをしたものであるが、今はそれほど盛ではないやう になつた。          一三 仕事始 (二日)  一般農家ではこの日仕事始といつて晝前位仕事をする。町屋では賣出しをするし、他の職業でも仕事始 とて一寸仕事をする。          一四 書初 (二日)  書初は試筆とも言ひ、筆硯墨紙を改め、汲立ての水を用ひて書初を行ひ、壁間に揭げる。  イ、大晦日に書き壁間などに貼り供餅をして七日まで揭げた。(大崎)  ロ、元日寺子屋へ通ふ子供のある家では筆硯を洗ひ四枚繼の紙へ適宜の文字を書き一枚は寺の欄間に飾    り一枚は自家の床の間に飾り三日まで鏡餅を供へた。(野依)          一五 元始祭  これは明治大帝の始めて御制定遊ばされたもので、明治三年から行はれてゐる。この日宮中に於かせら れては賢所、皇靈殿、神殿の三前で、逐次御親祭を行はせられ、皇位の元始を祝ひまつるのである。 【左頁】          一六 政治(まつりごと)始 (四日)  これは、明治二年一月四日始めて行はせられたもので、陛下が年の始にあたつて萬機の政治を聞し召さ れ、御親裁あらせられる御儀式である。この御儀式は、宮内大臣より、伊勢大神宮の御祭典其他の諸御儀 が滯りなく濟みまつる事を奏上し、後政務に關して總理大臣以下各大臣より奏上する。この日一般の官公 署では御用始めが行はれる。          一七 山の神祭 (四日)  イ、農家では女竹に御幣をつけ明きの方に立て一升桝に盛つた御饌米を供へて祭る。木挽など木材を扱    ふ家ではナマスをうち、里芋昆布等を煑て金山様に供へる。(津田)  ロ、屋敷内の一部に御幣を靑竹につけ饌米と御酒を供へてまつる。今は少い。(吉田方)  ハ、七日又は八日に屋敷の近所の山の木に白紙を長く切つてつるし饌米と餅をそなへる。その供物をい    ただくと山ではその年中傷をしないといふ。又この祭をしない中は山の薪は採らなかつた、(福岡)  ニ、山林中へ靑竹に御幣をつけ餅と饌米を供へてまつる。(磯邊)  ホ、山林を有つ家ではこの日山林中央の松の枝に注連を輪にして飾り饌米御酒を供へまつる。(高師)  ヘ、この日、日待をなし子供に菓子をくれる。(大崎)  ト、男竹に注連をさげ、庚申様のある所にまつる。(牟呂)  チ、村内各最寄の個所に葉竹に白紙をつけ餅を切つたアラレと稱するものを供へて山の神を祠る。祠る    場所は神戸坂、鷺田、諏訪、神明山、牛の山、栗虫、等にて現今は多く八幡社境内にまつる。(野依)                     七 【右頁】                     八  り、四日以後随意に山に行く時、山の入口に神を祭る。(植田)【前頁からの繋がり無し】          一八 新年宴會 (五日)  この日天皇陛下は皇后陛下と御同列で豐明殿に出御遊ばされて皇族を始め、群臣百官並に外國の使臣 に酺宴を賜はる。昔は元日の節會といつて元日に擧げられたが、明治天皇の御宇となつてこの日に定めら れたのである。          一九 消防出初式 (六日)  これは所によつて日がちがふが、市街地では古くからこの日に行はれた。早朝一齊に警鐘が鳴らされる と各町の消防組は勢揃ひして、歩兵第十八聯隊練兵場へ繰込み、こゝで式が擧げられる。先づ警察署長の 巡視檢閱があり、各種操法、分列が濟むと、放水試驗の提灯落しや摸擬火災などが行はれる。今では少年 消防隊も之に參加してゐる。          二〇 七種 (七日)  七種粥は又若菜の粥ともいつてこの起原は、公事根源によると宇多天皇の寛平年中て、徳川時代に最も 盛になつたが、明治維新後五節供の制が廢せられてからは、世上一般には餘り行はれないやうになつた。 この七種を祝ふとよく年中の邪氣を除くと傳へられてゐる。七種とは、芹、薺、御行、蘩蔞、佛の座、すず な、すずしろで、前夜これらの若菜を俎の上に載せ、「七種なづな唐土の鳥が日本のはしを渡らぬ先にホ 【左頁】 ートホトホト」などと唄ひながら七種の勝手道具で叩き刻んでおき、それを七日の朝白粥に入れて食べた ものであるが、今では薺など一種二種を入れた粥だけで濟してゐる。  イ、七日の朝七種を入れ餅粥をつくる。(植田)  ト、今では粥の中に餅を入れて食べる。(磯邊)          二一 御田植祭 (七日) 舊  小坂井町𫟏足神社にてこの日田植の様を摸した御田植祭が行はれる。順序は田打、籾まき、苗代の鳥追、 苗代の草取、馬の代かき、代ならし、苗をうつ、晝食持、田草取、稻の鳥追、取入、稻村で、祭後神前に 飾られた「牛の舌」と稱する小判型の餅を拜殿にてちぎつて投る。參集の人々夏病をしないと爭つて拾 ふ。(下地)          二二 大般若 (七日) 舊  高師の圓通寺にて臨濟宗の僧侶集り般若經六百卷の讀經がある。後聖壽萬歲を祈り、村民の無事幸福を 祈る。この日各字の惣代が出る。(高師)          二三 陸軍始め觀兵式 (八日)  當地在住部隊によつて、歩兵第十八聯隊練兵場で行はれる。          二四 鏡開 (十一日)                     九 【右頁】                    一〇  この行事は、ずつと以前は二十日になされたものであつたが、承應三年正月二十日に徳川四代將軍家綱 が薨じたので、その年以後この忌日を避けて十一日にくり上げられて今日に至つたものである。この鏡餅 は神前だけでなく、武家では具足に、婦人は鏡臺に、供へ置かれたもので、この日になるとそれをおろし 切ることを忌んで手で缺き破り食べるのであるが、この地方では主に汁粉にして食べる。商家では藏に供 へるので藏開きといふ。  イ、供割(おそなへわり)とて正月に子を祝ふため親戚知己より矢台祝餅を贈られ、その返禮として汁粉をつくり親戚    知己を招き祝ふ、(植田)  ロ、この日をお汁粉といふ。(津田)  ハ、この日をお供割といふ。(下條・牛川)  ニ、親族を集め家内の者と揃つて汁粉を喰べる。(高師)          二五 破魔弓(矢台)  破魔弓は、裝飾せる玩具の弓二張に、矢を添えたる者で、當地方にては「矢臺」と云ふ。初めて正月を 迎へる男兒ある家に親類緣者より贈り、正月室内に飾つて男兒の武運長久を祈る。此地方では女兒には羽 子板(胡鬼板)羽根(胡鬼子)鞠を添へて贈る。  イ、十一日、矢台を祝つてくれた人を招いて汁粉の饗應をする。(高師)          二六 モチヒ餅粥又小豆粥 (十五日) 附、粥の木(粥杖) 【左頁】  これは支那から來たもので、我が國での濫觴は七種粥と同じく、宇多天皇の寛平年中であらうといはれ てゐる。これは十五日に祝ふ粥なので望粥ともいはれ、この日をモチヒ即望の日といふ。餅を入れて喰べ るので餅粥と信ぜられるやうになつた。又小豆を入れるので小豆粥ともいふ。この小豆粥を喰べると年中 の邪氣を攘ふといふ。この粥を炊きたる木を削り杖としたるものにて、子無き妻の尻を打てば男子を設く ると云ひ傅へ、古は宮中の女房達も之を行つたこと古い物語に見える。この木を「粥の木」又「粥杖」と いふ。  イ、十六日朝小豆粥を神佛に供ふ。(吉田方)  ロ、小豆と餅を入れた粥をつくる。(大崎)  ハ、昔は稗粥をつくつたが今は米粥に餅を入れる。これは五月の田植時田圃が軟かくあるやうに粥も軟    かくしたものといふ。(野依)  ニ、十六日稗粥をつくり(今は小豆粥多し)餅と共に神佛に供へ、十四日立てたオメイドを集め粥を供    へ今年の豊年をいのる。建てたるオメイギ自然に倒れると五月の田植時に病人生ずといふ。(植田)          二七 オメイギ  イ、オメイギとて門松を割木にして消炭にて月の數を書き門松の跡へ立てる。(下地)  ロ、十五日の夕方十二本(閏年は十三本)の竹を二分し人形を二本作り俵バシ(棧俵)を被せ粥を供へた。                                         (津田)  ハ、オニンギとて木を一年の月の數だけ組みその上に笠をかぶせておまつりをした。(吉田方)                    一一 【右頁】                    一二  ニ、一本の薪を二つに割りその面に墨で十二本(閏年は十三本)の線を引きこれを門に立てる。又    きれ草履(又は草履)を門につるす。(高師)  ホ、割木へ月數を線にて書き門口神前に立て、集めて二束とし一方には菅笠一方には棧俵をかぶせる。    (大崎)  ヘ、ニン木といひ割木にその年の數の筋を墨で引き門口に二本宛たて又かのし(------)とて割木を一束にし之に    笠を被せた。これは五月の田植が無事にすむやうにとて田植の姿に擬したものといふ。十八日の朝    之に粥をかけて納め五月の田植時の薪とした。(野依)  ト、二三尺の棒を一束として屋敷の一隅や門口に立てそれに笠をかぶせ小豆粥をあげる。なほ一本を二    つ割にし平年なら十二月閏年なら十三月と書き添へて祀る。(多米)  チ、十四日夜より割木に其年の月數を記し、井戸、かまど等に立て、別に割木を束となし、一束には俵    バシをかぶせ、他の一束には笠をかぶせ男女にかたどり表に立てる。(植田)          二八 左義長又ドンド  この起原は詳かでないが、徒然草に「うちたるきちやうを眞言院より神泉苑へ出して燒くなり。」と、又 辨内侍日記に、建長三年正月十六日に「さぎちやうやかれしにたれもまゐりしかども云々」とあるから、 もう鎌倉時代には行はれてゐたのである。この地方では、昔は中八町と湊町の神明社で行はれたが、今も 湊町の神明社には形ばかりの行事が存してゐる。この日社前の鳥居先に大きな左義長を立て、各戸から正 月の注連飾りや舊年の古いお札、吉書揚とて緣起のよい字句を書いたものなどを持ちよつて燒いて了ふ。 【左頁】 この火で体を溫めると一年中風邪を引かぬとか、又この火で燒いた餅を食べると惡病にかゝらぬとかいつ て、今でもこの火を分けて來て餅を燒き汁粉にしてたべるのである。子供たちはこの火を取卷いてトンド ヤホホ トンドヤホホと囃したものださうである。   火災の心配のない場所で注連飾や御札を燒く。百姓惣代(字惣代)の家にて餅をつき各戸より燒きに   きたものに少しづつ與へるとこの餅に注連飾や御札を燒いた灰をつけて喰べる。(高師)          二九 御湯立 (十五日) 舊  イ、ミコサ(巫女)が來て氏神にて湯を沸かし笹葉にてこれを撒き厄拂を祈り、又其年の吉凶も占つ   た。(福岡)  ロ、みこだちとて巫女が來て御湯立を行ふ。氏神で湯をわかし笹で參拜者にかける。惡魔除といふ。    (植田)          三〇 年越祭 (十五日) 舊  イ、馳走をして神前、佛前、地の神様に供へる。(大崎)  ロ、神様にナマスを打つて供へる。正月六日にも行ふ。(福岡)          三一 藪入 (十六日)  盆の十六日と合せて、奉公人には年に二度しかない安息日である。                    一三 【右頁】                    一四  イ、仕事をやめて休む。(津田)  ロ、妻は里へ其他は親戚へ行き行く處のないものは藪へ入れなどと云ふ程よく遊ぶ日であつた。(野依)          三二 念佛百萬遍 (十六日) 舊  嵩山寺にてこの日と盆の十六日に念佛百萬遍を執行する。新佛のある家では必ず參詣し、又この日は遊 び日故老若の參詣が多かつた。(野依)          三三 お十七夜  (十七日)  イ、餅を搗いて五膳を一枚の神の敷の上にならべ御神酒燈明又は線香を献じ十七日夜は月を拜み、十八 日朝は日を拜む。これは五穀豊熟を祈るもので同様に五月九日に行ふ。(津田)  ロ、其年の月の數だけお供餅を神前に供へ又庭に供へて月をまつる。(吉田方)  ハ、供餅を供へて月を拜むが月の見えぬ時は二十三日か二十六日に拜む。五月九日にも行ふ。(福岡)  ニ、餅搗。(大崎)  ホ、御神酒を月にあげる。(牟呂)          三四 二十日正月 (二十日)  この日は正月のお終ひであるとして、終りの雜煮を祝ひ、又二十日團子といつて小豆團子を食べたもの である。この行事は骨正月ともいつて關西方面ではまだ盛であるやうである。  婦女子がこの日に鏡台の鏡餅を開いて祝ふのは、廿日と初顏とが訓が近いことから、かうしたことも行 【左頁】 はれるのであらう。  イ、庄屋が惣代を集めて其年の行政について話した。(高師)【項目符号が不順】          三五 初惠比須 (二十日)  (十月惠比須講參照)  イ、二十日惠比須といひ寺子など遊んだ。(津田)  ロ、豐年と家内の繁榮を祈るため神酒すあへ物を供へ夷子神を祀る。(磯邊)  ハ、夷子神に膳二つをつくり蜜柑をそへて供へる。(大崎)  ニ、朝農家では夷子様に神酒なます五目飯などを献じ家中にて祝ふ。(野依)          三六 愛宕詣 (二十四日) 舊  赤岩山赤岩寺の山腹にある愛宕大權現の祭禮で近年まで福引が行はれてゐた。福引の中の「火伏(ひぶせ)」のお 札が當ると、其人は生涯火災をまぬがれると近親をよんで祝つた。          三七 初天神 (二十五日)  寺子屋時代には随分盛だつたもので、新錢町にある天神社へ書初めを供へたりして參拜するものも多か つたやうであるが、明治十年頃から衰へ出して今日に及んでゐる。  イ、天神様といふ。(津田)  ロ、二十五日より三月三日まで妻の里より天神をおくり子の幸を祈る。(磯邊)                    一五 【右頁】                    一六          三八 海神祭 (二十五日) 舊  海神を祠るため日待を行ひ子供には饅頭を頒ける。(大崎)          三九 日待  「一五九」とて正月五月九月の二の日に米をもちより、日待をする          四〇 萬歲  この萬歲はこの地方が發祥地だといはれてゐるだけに、東都方面でも三河萬歲として定評がある。この 起原は所說區々であるが、初めは禁裡や幕府で行はれ、それが後に民間でも行はれるやうになつたもので ある。初めて幕府に出たのが小坂井の者であるといはれてゐるから、この者がこの地方での濫觴であらう。 現に小坂井町の院内に少數の萬歲師が殘つてゐる。          四一 惡魔拂  獅子舞の門付が春の來るのを知らせに來る。この附近では寶飯郡小坂井と渥美郡雲谷等から來る。          四_二 寒詣 (寒の入りより寒の明けまで)  寒に入ると、其の晩から寒詣が始まる。白衣一枚白鉢卷で腰につけた鈴を鳴らしながら神社佛閣を巡拜 する者もあれば、日蓮宗の者はお題目を唱へ、大師講の者は御詠歌をあげて町々を寒行に歩く老若男女の 群もある。又一夜もかゝさず和讃など唱して信者の家を巡行する僧侶も、以前は相當あつた。 【左頁】   二月          四三 津島祭 (二日) 舊  イ、代參の者は正月晦日に津島神社のオミトウに會ひ御札を受けてかへる。杉葉にて屋根を葺き太き竹 四本にて祠をつくり、御札と三合程のアダカ(アカダ)といふ津島名產の菓子を供へ神官の祈禱あり、祈 禱後參拜者にアダカを投げ與へる。(津田)  ロ、一月十六日(舊)津島神社へ字で代參二人をたてる。代參者は日待の夜までにかへる。(高師)  ハ、代參をたて津島様をまつり日待をする。(吉田方)  ニ、字の代參と稱し二人島津神社に代參をたてる。神酒をさゝげて家内安全を祈る。(磯邊)  ホ、代參を立てる。(植田)          四四 二日灸 (二日)  この日は灸が生れた日といはれ灸を据ゑると百倍の効力があるといはれてゐる。八月二日に行ふを後の 二日灸といふ。          四五 節分 (三日ヵ四日)  文献に現はれた最初は貫之の「土佐日記」であるといはれてゐるから、この豆撒きの行事は約一千年も                    一七 【右頁】                    一八 前から行はれてゐたものである。大晦日の晩禁裏で行はれた追儺の御儺が、何時か民間のものとなりて節 分の夜に熬つた大豆を撒くやうになつた。この日は家の表口裏口といはず出入口のある所には惡魔除とし て鰯の頭、柊、とつぺらを挿す。晩には豆撒が行はれる。熬つた大豆を桝に入れ先づ神棚佛檀に供へてか ら年男となつた者は「福は内鬼は外」と呼ばりながら先づ門口へ次で各間每に撒いてゆく。家族の者はそ の豆を自分の齢の數だけ拾つて喰べる。子供たちは袋をもち「鬼の豆をおまきんかん、いんにやまんだ撒 かんぞ」などと誦ひながら打つれて夜の町をゆく。かうした子供たちには大豆の外に蜜柑、源氏豆、金平 糖などが撒れる。この豆撒は瓦町の不動院、花田町の英靈殿、中世古町の淸寶院などでも行はれる。  イ、豆の木に煑干の頭を挿し髪の毛を卷付け鼻汁をかけ鬼の豆の炒れる間に家の所々に挿し、籠に古草    履と柊を入れて門先につり下げ豆を撒く。(津田)  ロ、鬼が來ぬやうにとてめかごを木(又竹)の先につけて立てる。豆を炒る時にはゆづり葉を一二枚く    べる。門口に柊などを挿す時「やあかがしや、そーろつたかや、いんやまんだそーろはぬ、となり    のばあさんしやあらくさい、かーぷといつて唾をかける。(高師)  ハ、目を多くし鬼を見はるため家の外へは籠をつるし、旅人が多く立止つて福が來るやうにと門先へは 古い草履や草鞋を吊し、鬼の齒がたたぬやうにと豆を出來るだけ黑焦にする。(野依)  ニ、夕方ぐみ柊ゆづり葉とつぺら椎大豆殼等七種の枝と煑干の頭をさしたものを門先につるし、魔除と    て「エーカガシヨ、ソーダーガ、インニヤマンダソーコンヨ、オテラノババサコオウンダガ、シヤ    ラクサイ、フーン」といふ。他に竹の先に籠と草履切草鞋を多く吊す。籠は目多く、草履草鞋は人    多きを示して鬼を恐れしめんとす。大豆を煎る時も七種の枝木となるべく音のする焚物を用ひ鬼を 【左頁】    恐れさせ、二度ホイロを煎つて一つ眞黑に煎り鬼の豆として戸主明の方に向ひて「鬼は外」と三聲    呼び「福は内」とて上に向つて三聲呼びながら豆を撒く。一ホイロは上手に煎り神に供へ家内揃つ    て喰べ、殘りは初雷の時喰べれば惡病に罹らないとしまつておく。豆を煎つた後の火で其年の月數    だけ豆を燒いて一月二月と呼びながら火中より取り出しその燒方にて其年の晴雨を占ふ。(植田)  ホ、豆を煎り乍ら兩手で掻き廻し「サヽクレデキンナ」と唱へればサヽクレが出來ぬと云ふ。竿の先に    目籠を逆に冠せ庭に立て、門先に古草鞋を吊す。(牟呂)          四六 厄落 (三日ヵ四日)  節分の夜に厄鬼を拂ふによせて自分の厄落をする。古式によると、鬼の豆を自分の年の數に一を加へた だけ紙につつみ、その包で頭から足の先まで叩き、それを古い火吹竹と一緒に持出して道の四つ辻に落し 後を振返らぬやうに戻つてくる。この地方でも明治二十年頃までは/なた(●●)餅といつて、厄年の者が箕の中へ 年の數だけ餅をとつて入れ黄粉をつけて子供にやつたり近所の者に喰べてもらつたりする。これをなた餅 を貸せる、借りるといふ。  イ、厄年の者は自分の年の数だけ錢を紙に包み村の辻に捨てて來ると厄をのがれるといはれた。(福岡)  ロ、各小字每に寄つて各戸にて百萬遍の珠數を繰つた。尚女の十九、三十三、男の二十五、四十二の厄    年には豆と文久錢を持つて辻に至り「今年は××才」とて一つ加へた僞りの年を稱へ豆と文久錢を    投げて後を向かず家にかへつた。(野依)                    一九 【右頁】                    二〇          四七 厄拂  大晦日と節分の夜「厄拂ひましよ厄落し」と呼んで歩く厄拂は今では殆どみられなくかつたが、以前は 盛であつて、京阪では節分の夜、江戸では文化元年以來大晦日と正月六日十四日の年越の夜廻つて來た。 この地方では大晦日と年越の夜と節分の夜に來る。          四八 事始と事納  二月八日を事始、十二月八日を事納ともいひ、逆に二月八日を事納、十二月八日を事始ともいふ。十二 月八日は正月の事をこの日から始むるとも正月の事をこの日に納めるとも、又農事の始終を現はすともい ひ、古より諸説あり、歲時記によれば竹竿の先に目笊をつけて、家々の軒に出し、又牛蒡、芋、大根、赤 小豆等の六種を烹て汁とし、これを六質汁(むしつじる)と名づけるといふ。          四九 針供養 (八日)  婦人針の折れたるを集めて、淡島の社へ納め、一日糸針の業を停む。之を針供養と云ふとあり。近年女 學校にて行ふ針供養は種々の新趣向をなせるものあり、此地方のお針屋にては皆業を休み、裁縫具の手入 をなし、のつぺい汁を作り膳部を裁縫具に供へ、針子を饗應す。  イ、生豆腐を膳か三寶にのせ折れた針や針孔(みぞ)のかけた針を挿して芋小豆菎蒻などを煑ておつぼに入れて    供へ祠る。後針は蘇鐵などにおさめる。(大村) 【左頁】  ロ、お針子をおく家ではあやまちのないやうお針子と共に佛様にまゐつた。(吉田方)          五〇 送神 (八日) 舊  送神は疫病神を拂ふので、疫病がはやれば夏臨時に行つた。  イ、杉の葉で舟を造り二人でかつぎ鉦太鼓をうちながら歩いた。(大崎)  ロ、檜葉で舟形の御神輿の如きものを造りその中へ藁で作つた人形を載せ二人してかつぎ僧の讀經後鉦    や笛で村境まで送り賽の神へ納めた。囃子はチヤンチヤンチヤコチヤンヒーヤラヒーヤラヒーヤラ    フーとて賑やかだつたさうだ。明治十二三年まで行はれた。(野依)  ハ、オカタナガシとてひるま村の子供が村中廻つて紙一枚、藁筋(一二本)錢を集め、晩村人は春日神    社前に集り、紙藁を資として非常に大きいリンガとヨーニを造り小舟にのせて僧侶の讀經後、鉦を    たたきながら神社を左まはりに一廻りしてオカタ場へ持つて行つて流した。これは厄拂として今か    ら三十五六年前まで行はれた。(多米)  ニ、杉檜などの葉で三角の舟をつくり其隅へ人形をつけ笹にしで(幣)をつけ各家の軒を拂ふ。終つて    河か池に流した。(植田)          五一 八日餅 (八日) 舊  イ、餅をつき一枚の神の敷(折敷)に十二(閏年は十三)餅を供へ燈明線香を上げてお祓いをする。(津田)  ロ、餅をついて神に供へる。(福岡・植田)                    二一 【右頁】                    二二  ハ、餅をつき神佛に供へる。(磯邊)  ニ、餅を搗き其年の月數だけ神佛に供る。事始とてこの日村の總集會を開いて役割などを定めた。(野依)          五二 初午 (初の午の日) 舊  二月初の午の日に稻荷神に祀るのは、京都伏見の官幣大社稻荷神社がその地に鎭座せられたのが、女帝 元明天皇の和銅四年の二月九日で、その日が恰も二月最初の午の日であつたからだといはれてゐる。 この日稻荷社のあるところでは、お祭が行はれるが、昔は中々盛であつた、當日は赤飯を蒸してつも形 (紡錘(つむ)形)に握り、子供に與へたり稻荷様に供へたりした。子供たちは字が上手になるやうに五色の紙又 赤い木綿へ「正一位稻荷大明神」と書いて供へる。  この日旭町の櫻下稻荷では沿道の地に行燈をかけ神樂や人形芝居などがあつて賑やかだつたといふ。牛 馬を飼つてある家ではこの月の午の日小松原觀音寺へ參詣して繪馬と笹を求め、馬屋の入口にかけ、魔除 とする。もとは二の午のみだつた。又この日豐川稻荷へ參詣する人も多い。  イ、白强飯を供へて以前は盛だつたといふ稻荷社の祭典も今は行事年番が形式的に行ふだけになつた。  (野依)  ロ、城趾の幸稻荷では餘興に芝居がある。(大崎)  ハ、五色の旗をたててお祭をする(吉田方)  ニ、稻荷社にて餅投を行ふ。(植田)          五三 紀元節 (十一日) 附、建國祭 【左頁】  神武天皇が大和國橿原宮で御即位の式を擧げさせ給うた日を紀念する爲の節日で、この始は明治五年一 月二十九日であるが、同七年太陽曆に換算して今日のやうに決定された。この日宮中では御親祭があり、 内外の使臣を召されて■【「酺」の偏と旁が交換】宴を賜はるとのことである。  尚近年「建國祭」といつて、この日を祝ふことが盛になりつゝあり、現に當地でも拜賀式後市主催の下 に歩兵第十八聯隊練兵場にある神武天皇御銅像の前に於いて擧式、終つて種々の催しものが行はる。          五四 鬼祭 (十四、十五)  もとは正月十三日十四日に行はれた中八町縣社神明社の神事で、天狗の面をつけ侍烏帽子を被り具足に 身をかためた鼻高が薙刀をふるつて、鬼面を被り橦木をもつた赤鬼とたたかふ。赤鬼は負けて社地より逃 げ出し氏子全町を驅けめぐりながら、鬼面の紋のついた裃をつけ赤足袋をはいた若者等が「アーカーイ、ア ーカーイ」と從ひ、途中タンキリ飴を撒く。夏病をしないと人々爭つて拾ふ。この外日の出神樂、射的、 鼻高の薙刀舞、ポンテンザラ、チンバ踊、鼻高四天師、神樂兒、笹良兒の神樂、榎王爭、御/主様(かしらさま)の渡御な ど古雅な行事が行はれる。尚當日沿道の露店でこの神事にちなんで、天狗面、鬼面、薙刀、橦木等を鬻い でゐる。          五五 涅槃會 (十五日) 舊  我が國では平安朝時代の初め、京都の山階寺で初めて行はれ、永く仝寺の恒例となつてゐたが、後宮中 で行はれるやうになり、諸國の寺院がこれに傚つて涅槃會を營むやうになつたものである。この日各寺々 では涅槃像をかけ、參詣に來た子供たちにお鼻糞を吳れる。                    二三 【右頁】                    二四  イ、この日を御釋迦様といつて團子とオテカケをつくり祭る。(津田)  ロ、米の粉でオテカケおハナクソと稱する團子をつくつて色をつけ供へる。(大崎)  ハ、寺でオテカケとて團子をつくり參詣人に與へる。(植田)  ニ、寺でオテカケをつくり子供に與へる。(野依・牛川)          五六 祈年祭  これはとしごひの祭ともいはれ、年穀の豐穰を祈禱する大切な祭儀で、宮中におかせられては二月四日 天皇御親祭遊ばされるが、各神社では吉日を撰んで幣帛神饌の料が供進される。この御儀は天武天皇の御 宇四年二月に始まつたと傳へられ、次いで文武天皇の大寶令で略々定まり、醍醐天皇の延喜式で完備され たが、應仁の亂後全く廢絕に皈し、それが明治二年になつて漸く再興されたものである。  イ、横須賀ではこの日厄年の男女が集つて芝居等をやり厄落をする。(津川)          五七 太子講 (二十二日) 舊  この日聖德太子の御忌日である。  イ、大工左官など太子様を祭つて日待をする。(福岡)  ロ、大工左官など聖德太子の像をかゝげて祭る。(高師・大崎)          五八 初天神 (二十五日) 舊  この日は菅原道眞公の正忌日なので男子のある家では天神様の畵像を出して祭つた。今年初めての會だ ので初天神といふ。 【左頁】   三月          五九 雛祭 (三日) 舊  古くから行はれてゐた雛遊びが、三月三日の雛祭となつたのは後土御門天皇の頃からだといはれてゐ る。それが最も盛となつたのは德川時代で、五節句の一として重要な祝日とまでなつた。  この節句は元々女兒のものであるが、この地方では男兒のためにもその誕生を祝つて雛壇に天神を飾 る。その飾り方は先づ雛壇を作り上に親王、妃一對の雛をおき、其下の段に隨身、官女、五人囃子、仕丁 の人形を並べ、其前に雛に附屬してる調度を並べる。之を内裏雛といひ、器具一切は内裏のに似せて小さ く作つたもので、膳部一式、簞笥、屛風、樂器、茶道具、貝桶、唐櫃、文庫、乘物其他の食器類など、生 活に必要なものを一式並べるのである。之に供へる食物は凡て小さく作り。客を招き其小さき道具で御馳 走をして遊ぶのである。  此時是非供へるものは蓬餅と桃の酒で親族や知己に贈るのが古例であるが、此地方では女兒の初命日に は初雛とて親戚知己より雛人形を贈り、其返しとして紅白靑の色餅を配り、男兒にも天神の像を飾る。尚 以前は雛壇の上に江戸繪(錦繪)を美しく張廻した。          六〇 地久節 (六日)  皇后陛下の御誕生日である。公式の祝日ではないが、女樂校では休業になる。                    二五 【右頁】                    二六          六一 陸軍紀念日 (十日)  明治三十七八年戰役に際し、同三十八年三月十日、我が日本軍が奉天の大會戰に於いて露軍をして再び 起つ能はざらしむるまでに粉碎して大勝利を博し、講和を早めた國民の等しく忘却できぬ國家的紀念日で ある。          六二 金刀比羅詣 (十日) 舊  この日は岩田町田尻の琴平神社の祭禮で近鄕よりの賽客多く、植木市が立つ。          六三 彼岸 (春分前後七日)  春分の日を中日と云ひ前三日に入り、後三日で明ける。この一週間を彼岸といふ。一般に墓參をし、彼 岸團子を拵へて親戚緣者に配る。       六四 春季皇靈祭 (二十一日ヵ二十二日)  春分と秋分の日には、宮中に於かせられては、皇靈殿で曆代の天皇、皇后、皇妃、皇親の神靈をお祭り する御親祭が行はせられる。尚この日宮中の神殿では、八神並に天神地祇を御親祭遊ばされる神殿祭があ る。  この皇靈祭の始原は、明治四年の春で、それが春秋二季になつたのは明治十一年からである。 【左頁】          六五 社日詣 (社日の日)  社日とは春分、または秋分の日に最も近い戊(つちのえ)の日のことで、この日石の鳥居のある神社を七ヶ所巡拜す ると長病しないといふので、今も尚行はれてゐる。この日はいろ〳〵の種を蒔いて、田の神と土の神を祭 るべき日だといふ。燕はこの春の社日に來るといふ。  イ、參詣者にはツマメ(つまんでつくる)といふ菓子を頒つ。(牛川)  ロ、有志の人石の鳥居のあるお宮を十社詣る。(植田)          六六 御影供 (二十一日) 舊  弘法大師入定の正忌日で、眞言宗の寺では大師の御影を安置して供養する。近頃他宗の寺でも行ふ。參 詣人夥しく、殊に八十八ヶ所のある所では、これを巡つて歩く善男善女でひきもきらず、雜沓を來す。こ の日信心家で餅、菓子、甘酒、旗等を接待する九月二十一日も同様に賑ふ。          六七 學校卒業式 (二十四日前後)          六八 水口祭 (下旬)  水口は苗代へ水を引き入れる口で、ここから水が入らないと稻苗が枯死するので、籾を蒔上げた時之を 祭る。                    二七 【右頁】                    二八  イ、種籾を燒米としこれを田の水口へ播いて水ききのいい様におがむ。(高師)  ロ、燒米を米がよくとれるやう、田のこはれぬ様とおがみながら水口へ播く。(大村)  ハ、燒米を田の水口に播き豐作と、水口のこはれぬやうに祀る。(下地)  ニ、籾種を蒔いて苗が靑々するやうに菜飯を焚き、燒米と共に水口へ供へる。(牟呂)          六九 道燒 (中旬-下旬)  この頃の農家では春芽の出ない前枯草を燒いて害蟲の卵を殺す。 【左頁】   四月          七〇 始業式 (一日)  學校入學式と始業式が行はれる。          七一 神武天皇祭 (三日)  この日は神武天皇崩御の日で、宮中では皇靈殿に於いて御親祭遊ばされ、又大和國畝傍山/東北(うしとら)陵に勅使 を派遣して御陵祭を行はしめ給ふ。この祭事は孝明天皇の萬延年中に始めて行はせられ、爾來恒例となつ たが、明治六年新曆採用後は、舊曆による崩御の日である三月十一日が四月三日に換算されて今日の如く なつた。  尚當日は歩兵第十八聯隊練兵場の北隅にある神武天皇御銅像に參拜する者が多い。この御銅像は元東八 町に征淸記念として奉祀されたもので、岡崎雪聲翁の鑄造になり、明治三十二年三月九日除幕式を行ひ、 全國的に著名のものである。          七二 灌佛會 (八日)  我が國では、推古天皇の十四年四月、奈良の元興寺で行つたのが、この起原であるといはれてゐる。以 前は舊四月八日に行はれたものであるが、今では殆ど新曆で行はれるやうになつた。この日各寺院では、                    二九 【右頁】                    三〇 花御堂といつて色々な花で屋根を葺いた小さい御堂の中央に、小さいお釋迦様の像を安置して灌佛會を行 ひ、參詣人は甘茶を汲んで像の頭から灌ぎかける。當日子供たちはてんでに壺や瓶などの入れものを持つ てその甘茶を貰ひに行つた。最近この日には、佛敎會によつて賑やかに花祭が催される。  イ、紫雲英にて御堂をつくり灌佛甘茶の接待がある。(津田)  ロ、寺で小御堂をつくり雜草の花にてかざり灌佛と甘茶の接待がある。(植田)  ハ、家每に卯の花を飾り糠を家の周圍に三度撒く。(大崎)  ニ、門口に卯の花を挿す。(野依)          七三 卯月八日 (八日) 舊  「千早振る卯月八日は吉日よ神さげ蟲をせいばいぞする」と書いて家の入口の柱の下部に倒にはる。蛇 の入らないまじなひである。此日節分の柊やトツペラを卯の花に挿しかへる。          七四 小坂井祭(風祭) (十月十一日)  この日は小坂井町𫟏足神社の例祭で、下地町、下五井町、瓜鄕町が氏子に入つてゐる。笹踊のあの山車 も出るし、煙火も放揚され、とりわけ建物(煙火)は雄大なものである。  境内の露店で鍾馗の面と風車がひさがれてゐるが、鍾馗の面を家の中に吊しておくと災厄を除かれ、風 車を愛玩すると夏惡疫に罹らぬといふ。 【左頁】          七五 神御衣祭 (十四日) 舊  これは神のお召物を大神宮へ供進する神事で、この祭は太古天上で起つたといはれてゐる。垂仁天皇の 御代、奉献の御衣を織らしめられてから續いて行はれたが、應仁の亂後久しく廢絕してゐたのを元祿十二 年再興されたものである。  湊町の神明社では明治七八年頃まで行はれ、當時は吉田全市の祭としてなか〳〵盛なものであつたらし く、もう十一日頃から一般に機織や裁縫を休み、各町から選ばれた女兒は思ひ〳〵に着飾り互に手に手を 連ね、  〽御衣ヨイナアヨイヨイ ふれふれ六尺袖をナア袖を振らねば踊られぬ。  〽御衣ヨイナアヨイヨイ 御衣踊子が橋から落ちてナア橋の下では踊られぬ。  などゝ唄ひながら袖をふり〳〵ねり歩いたものであるといふ。          七六 天長節 (二十九日)  畏くも今上天皇の御降誕日である。この日陛下には賢所、皇靈殿、神殿の御祭典後觀兵式に臨御、御皈 還後拜賀を受けさせられ、豐明殿に於いて内外使臣に酺宴を賜はるのである。  この天長節は光仁天皇の寶龜六年から行はせられ、その後久しく中絕してゐたのを明治元年御再興にな り、爾後恒例となつて御代々行はせられてゐる。  當地では、この日陸軍在住部隊によつて歩兵第十八聯隊練兵場で觀兵式が擧行される。                    三一 【右頁】                    三二          七七 疱瘡祭  疱瘡祭は疱瘡を免れんために疱瘡神を祠る。  イ、種痘検査を受けた日から一週間女竹にて小さい棚を造り赤い御幣にささげ赤紙を敷き每日竹壺へ御    神酒を入れ赤飯と共に献じ祠り、後門先へ納める。(牟呂)  ロ、種痘後竹にて棚を造り赤飯をあげ赤紙にてしめをはり祀る。(吉田方)  ハ、もとは疱瘡を病んだ時行つたものだが今は最初の種痘を終へた時行ふ。先づ竹で一尺五寸四方位の    簀をあみ四方に赤紙をつるし中央に赤飯と神酒を供へ氏神か家の門口につるす。(福岡)  ニ、もとは疱瘡にかからぬやうに祭つたものだが、今は輕くすむやうに祭る。竹で一尺に六寸位の棚を    あみ四隅は二本の注連繩にて結び棚の一邊に赤紙をはる。棚には神酒を供へ門先に祭る。(高師)  ホ、御棚を造り神酒赤飯を供へる。(大崎)  ヘ、もとは疱瘡を病んだものが全快後顏の醜くならぬやうに祭つたもので、先づ女竹を二つに割つたも    の五本で棚を作り四隅に繩紐をつけ吊し赤紙で飾り赤飯を供へて數日祭り後氏神の境内へ納めた。    棚の竹は粗き程いいと言ふ。尚赤飯は之を近所へ贈つた。今でも子供の始の種痘後この行事を行ふ    ものが多い。尚昔は疱瘡を病むことが輕く濟むやうにと棚を納める時棧俵を尻に一つ敷き頭に一つ    載せて顏に酒粕を塗つたさうで、今でも納める時に棚の上と底に棧俵を吊したものがある。(野依)  ト、俵バシ(棧俵)をつけ竹にくくりつけ神社の木へ納める。(植田)          七八 道役(春季) 【左頁】 この頃から農家がせわしくなるので、田の道、村の道の修理をする。  イ、この頃字で部分けして道普請をする。靑年團員が行ふ字もあり、仕事後日待をなす字もある。    (津田)  ロ、字總出で字内の道の修理をし役日待を行ふ。(福岡)  ハ、各戸一人づつ出て村道作道の普請をし終つて日待をする。(野依)  ニ、各戸一人出て道普請をし晩は白米三合づつ集めて日待をする。(牛川)                    三三 【右頁】                    三四   五月          七九 (八十八夜) (二日ヵ三日)  籾おろしの標準になる日で立春より八十八日目で、春霜の置くのは此の夜を限としてゐるといふ。  毒を持つ鶴が井戸へ舞ひ降るというて昔は井戸へ蓋をした。又今日は籾を苗代に播種する日と定めて播  種を終ると餘つた籾を炒て燒米をつくり之を神佛に供へ、苗代の溝口へ蒔いて苗の生長を祈る。(野依・     牟呂)          八〇 端午 (五日)  支那に始まつたこの行事が、いつか我が國へ傳つて、天平時代の聖武天皇の御代には旣に行はれて居 り、平安朝時代、德川時代には、極めて重要な式日とまでなつてゐたやうである。明治となつて五節句の 制は廢されたが、民間では三月三日の雛祭と共に未だ盛に行はれてゐる。  この節句が近づくと、男兒のある家では屋外に武者繪の幟や鯉の吹流しを立てゝ屋敷には座敷幟、五月 人形などを出して飾る。この日には、どの家でも軒端に菖蒲と蓬を挿し、柏餅を拵へたり、菖蒲湯を沸し たりする。復頭痛が癒るなどといつて菖蒲で鉢卷をする者がある。神社では、今でもお參りに來たものに 粽(ちまき)を吳れる所もある。  尚この節句に、けろり(●●●)、やつはな(●●●●)、からませ(●●●●)などの凧を揚げて樂しむのはこの地方特有である。又男兒 【左頁】 の初節句には、親類知己に大きな柏餅を配り、大凧、幟、鯉の吹流し、武者人形などを贈られる。その正 しき儀式は先づ家族一同衣服を正して着座し、祝の親(上輩の人を賴みてする)と、初節句の小兒を上座 にすゑ(常の節句には親等順)一同祝の挨拶をなし、兒の武運を祈り、菖蒲酒を出す。この菖蒲酒は酒に 菖蒲の根の赤い所を刻んで入れたものだ。一同すむと粽の膳を出す。之が今は柏餅となつたのだ。之が濟 んで二汁五菜の本膳を出して祝ひ、式は終る。          八一 六日香煎 (六日)  イ、香煎と切つたト草(トト草)を家の周圍に撒く。(大崎)  ロ、香煎のサナゴ(皮の粉)とトト草をきりまぜ家の周圍にこれを撒きながら「蛇もまむしも出んなよ」    と呼ばる。(福岡)  ハ、新麥にて香煎をつくりトト草の實とまぜ桝に入れ「長虫はいんな」と稱へながら屋敷の周圍に撒    く。(牟呂)          八二 海軍記念日 (二十七日)  この日は、明治三十七八年戰役の際、同三十八年五月二十七日日本海々戰に於いて我が聯合艦隊が、露 國のバルチツク艦隊を邀撃、一擧にして潰滅せしめ空前の大勝利を獲得した國家的記念日である。          八三 お寅御前(虎が雨) (二十八日)                    三五 【右頁】                    三六  この日降る雨をお寅御前の涙雨といふ。古、此日大磯の虎御前曾我祐成に別る。其涙雨となると、由に 曾我の雨ともいふ。          八四 田打餅 (下旬-六月上旬)  一般に農家では田打の終つた時餅をついて祝ふ。 【左頁】   六月          八五 衣更 (一日)  昔は五月一日から節句までに冬物から袷になつたのだが、新曆を用うるので今この日は袷から單衣にな る。          八六 惡病除 (一日)  この日紫陽花を軒につるして惡病除とする。          八七 山開 (六日)  この日大峯山をまつる。法印(眞言宗の僧)が御幣をつくり護摩をたき、日待をする。(津田)          八八 時の記念日 (十日)  天智天皇が皇太子で在らせられた時、始めて漏刻(水時計)といふものを御造りになつて新天文台に置 き、鼓や鐘を打つて時を國民に御知らせになつたのが我が國に於ける濫觴で、それが六月十日に當るの で、この日を「時の記念日」として、時間觀念の普及に力を注いでゐる。                    三七 【右頁】                    三八          八九 祇園 (十五日) 舊  この日一般に祇園鮫が出るといふ。  イ、燒餅を神に供へる。(福岡)  ロ、うどん燒餅をつくる。(大崎)  ハ、津島天王社へ各小字の津島講より代參をする。祇園へ供へんがため燒餅をつくる。尚この日に菜種    等の種子を取つた不用のものを川へもつて行つて納める。(野依)  ニ、この日祇園鮫が居ると田廻りを禁じ、盥の水の中にも祇園鮫が居ると洗濯をしなかつた。この日より    前の水死人は祇園鮫に取られたといふ。當日はうどん粉で燒餅をつくり、又うどんを食べる。(牟呂)  ホ、燒餅をつくる。この日川、池に行けば川小憎が出て來ると、子供らの水あそびをとめる。(植田)          九〇 輪くぐり様(夏越祭) (三十日)  夏越祭ともいひ、本町の素盞嗚社で行はれ、拜殿前の「ちの輪」ちがやでつくつた輪をくぐると夏病を しないといふ。「おみよし様のお立ちやれ出ておがめ」と誦はれるおみよし天王は夜の十二時に當社を立 ち、大橋の上から豐川へ投げられる。このお札を川下の吉田方では拾つておみよし様を祭つた。今はただ お祭をするのみである。          九一 大祓 (三十日)  大祓は全國民の罪と穢とを祓ひ除かんために執行される極めて大切な神事で、每年六月と十二月の晦日 【左頁】 に行はれるが、國家的災變や疫病流行の時などには、臨時に行はれることもある。  起原は遠く神代に伊弉諾命が服を脫して黄泉の穢れを水で洗はれ給ふたことに始まり、これが六月と十 二月に行ふやう定められたのは文武天皇の大寶令以後であると云ふ。これも應仁の亂によつて一時廢絕 し、元祿四年六月再興せられたが盛大とならず、明治四年六月この舊儀を御復興、天下一般にも修行させ るやう布告せられて現今に至つたものである。          九二 さびらき (梅雨頃)  イ、田植の前夜御馳走をつくる。(大崎)  ロ、夏至より七日間を七日/下(さかり)、八日目を八日下と稱し田植を初め數日間に終へたものだが、この頃は約    十日前後おくれる。(野依)  ハ、初めて田植を行ふ日神前に神酒を供へる。(磯邊)  ニ、よき日を選んで苗の植初をなし御馳走する。(福岡)  ホ、七月一日頃から七日頃までに植る。樂校では田植休を行ふ。(牛川)  ヘ、サビラキといひ、よい日を選んで植初む。(植田)          九三 ゴンゲラボー  イ、田植がすむとゴンゲラボーといつて鋤を新筵の上にならべ御膳を上げる。同事に惠比壽様や荒神様 に早苗の小束と御膳を供へ豐作を祈る。(牛川・下條)                    三九 【右頁】                    四〇  ロ、田植がすむと苗二把と神酒を惠比須様へ供へる。(下地)  ハ、ハゲンを中にして田植を行ひ植終ると後花穗(ゴンゲノボウ)とて御馳走する。(植田)          九四 農休  一般に田植がすむと農休とてうどんを喰べて遊ぶ。  イ、田植の終つた時農休とてもとはどこでもうどんを打つて馳走したが今はきまつては居ない。(福岡)  ロ、樂校で母姉會を開く。(磯邊)  ハ、この日仕事をやめて終日遊ぶ。又小字にて日待をし、各伊勢講より伊勢神宮へ代參をたてる。    (野依・大崎・磯邊)  ニ、麥刈と田植が終り入梅が明けた時農休を二日行ふ。この日うどんを喰べる。七月十日頃になる。    (牛川・下條)          九五 萬燈おこし (三十日) 舊  單に「燈籠」又は「盆燈籠」ともいひ、七月朔日より晦日まで新佛供養のため、家々にて燈籠をかゝぐ る。  イ、初盆の家では盆月燈す萬燈を近所の人々の手によつて建てる。(福岡・磯邊)  ロ、新佛のある家では親類、組中の人集り高萬燈を建てる。(野依)  ハ、葬組(とむらひぐみ)の者初盆の家に集り高萬燈をつくる。燈籠は板作で每晩燈明をつけ高く竿に釣り上げる。下 【左頁】    のお棚には戒名へ水や線香が上げられるやうにする。施主は赤飯を出して勞を慰ふ。(牛川)  ニ、七月一日に新佛のある家で靑竹で位牌をすゑる台を作り燈火をつり供養して月の終に流す。    (吉田方)  ホ、新佛の家のみ七月一日より一ケ月間表へ台をつくり萬燈をつり御燈明をあげる。(植田)  ヘ、新佛の家へ親類隣人集つて朝建る。七月中夜每灯を献ず。(牟呂)                    四一 【右頁】                    四二   七月          九六 專願寺詣 (一日) 舊  馬見塚の專願寺へ行くと新佛に會はれるといふので、初盆の家では親類緣者までが夜から朝へかけて詣 りに出かける。          九七 淺間詣 (一日) 舊  嵩山の淺間神社へやはり夜から朝へかけて出かける。專願寺詣をかねて行く者も多い。足淺間、腹淺 間、頭淺間と詣る。          九八 ハゲン (半夏正) (二日ヵ三日)  農家はこの日までに植付を終る。夏至より十一日目。          九九 七夕祭 (七日) 舊  支那から古く輸入された行事で、我が國では公事根源などによると、天平勝寶七年から始まつたやうに 見えてゐる。この祭式は、時代によつて異動はあつたが、幾變遷の後德川時代になると、五節句の一と定 められて、上下一般に祝ふやうになり、殊に元祿前後が最も盛に行はれたといはれてゐる。それも明治に 【左頁】 なつて五節句が廢せられてからは、次第に衰へて今日に至つたが、まだ相當に名殘をとゞめてゐるやうで ある。この地方でも寺子屋時代にかなり盛だつたらしく、夜になると軒に額を揚げて灯を入れる家が多か つたが、これは今では殆ど見られない。まだ笹に七夕の歌を書いて短冊を結び初物の農作物を供へて祭 る。以前は芋の葉の露をとつて來て、それで短冊に歌を書いた。七夕竹は市街部では主に夜に入つてから 橋上から豐川へ流す。  イ。昔は寺子屋や御師匠様の家に集つてお祝をした。(福岡)  ロ、八日朝川へ流す、(植田)         一〇〇 額祭 (八日) 舊  下地町の藥師様のお祭の日藥師瀬古に切繪押繪の額をかかげる。昔は七夕に飾つた額を翌日藥師堂にお さめて祭つた、(下地)         一〇一 能祭 (七日八日)  魚町の權現様安海熊野神社の祭禮で、この日境内の能樂殿にて氏子の能樂及狂言が奉納される。それに 用ひる裝束は舊藩主の舊藏にかゝり、能面中には室町中期の秀作があるといふ。         一〇二 四萬六千日 (十日) 舊  觀音の功德日にあたり、此日早朝參詣すれば百餘年の參詣にあたる功德があるといふ。                   四三 【右頁】                    四四         一〇三 祇園祭 (十三日十四日十五日)  關屋町に鎭座する縣社吉田神社の例祭で、もとは六月に行はれた。この煙火祭は全國的に著名で舊幕時 代には祭禮中本町の通行止をして、藩主御覧のうちに道で煙火をあげたといふ。今では十三日は神社境内 で大筒手筒亂玉等が、十四日には豐川の船の上で打揚、仕掛煙火、金魚等の煙火が出される。十五日は神 輿の渡御で笹踊、十騎、賴朝と乳母、饅頭喰ひ等、古雅な行列があるく、饅頭喰が携へてゐる袋から投る 小饅頭を拾つて喰べると夏病をしないといはれる。この祇園祭には氏子にかぎらず一般的にうどん、金つ ば等小麥のものを喰はねばならぬとされてゐた。         一〇四 盆 (盂蘭盆會) (十三-十六日)  これが印度から支那に傳り、支那から我が國に齎されたのは、齋明天皇の三年であるといはれ、爾來禁 中恒例の佛事となり、每年七月十四日に行はれたが、民間にも傳はつて正月と年内を兩分する程の大きな 行事となつたものである。  先づ精靈棚を佛間の一隅にしつらへ、その上へ眞菰の蓙を敷き、先祖代々の位牌を正面に並べる。前に 笹竹を立て施餓鬼旗を吊し、櫁とみそはぎの花をあげる。尚茄子でつくつた牛を飾り、十三日の夕方迎へ 火を門口に焚きお精靈様を招く。十四十五の兩日はこのお精靈様を饗應し、十六日には送り火を焚いて送 る。淨土宗による献立は  十三日夜 おつきというて團子を供へる。  十四日朝 御飯といとこ煑(豆汁) 【左頁】     晝 牡丹餅と茄子の山椒あへ     夜 御飯と南瓜里芋牛蒡の煑もの  十五日朝 御飯とおがしあへ(里芋のずゐきと茄子のあへもの)     晝 麵類(うどん、索麵など)     夜 御飯と南瓜里芋などの煑もの  十六日朝 お立(たち)といつて御飯ともみ菜の味噌汁  お精靈送は今では多く十五日の夜中に行ふ。お立の御飯を夜中にすまし、蓮の葉、土器など供へものは 一切蓙に入れて近くの川へ流しに行く。この時送團子といつて團子を六つ添へる。新佛のある家では夜に なると親類緣者から贈られた提灯や燈籠に打を入れる。十五日には親類緣者を招いて百人体の松焚をす る。この四日間僧侶は檀家を棚經に廻り寺では施餓鬼が營まれる。この間墓參に行き、墓を美しくした り、花立をかへ櫁みそはぎを立て、盆中每夜家人が松焚に行く。  イ、十二日晩藥師堂の施餓鬼會があり、露店商人多し。十四日東雲院施餓鬼會あり、新佛のある家では    白布にて三角の袋を作り之に米を入れ扇子と草履をつけ寺へ供へる。十五日には嵩山寺施餓鬼會が    あり十六日には嵩山寺境内の十王堂の施餓鬼があり、新佛のある家では隣村植田よりも參詣人が來    る。(野依)  ロ、梅田川堤に施餓鬼場を設け附近の寺の住寺にて供養する。(高師)  ハ、二十四日海岸へ棚を作り、燈籠を吊し讀經あり、後燒く。(大崎)  ニ、二十四日豐川岸でも川施餓鬼が行はれる。(下地)                    四五 【右頁】                    四六         一〇五 夜念佛(四遍) (十三日) 舊  盆の新佛の供養に村の若者等が鉦太鼓で念佛を唱へながら廻るのを夜念佛といふ  イ、夜念佛といひ、村の若者が鉦や太鼓で村中を五色の紙で張りつめた切子燈籠をもつてねり歩き、新    佛の家に來ると佛が子なれば子和讃、親なら親和讃をとなへた。(福岡)  ロ、夜念佛といひ「タームレ〳〵シヅメテタームレ」と誦しつつ村中を廻つた。(大崎)  ハ、十三日より十五日まで夜念佛をとなへながら三人大きな鐘をたたき、二人鉦をたたき、新佛のある    家へ行つてまるく廻り乍ら念佛を唱へた。これを四遍踊といふた。(野依)  ニ、明治中頃までは村の若者が念佛を唱へながら新佛の家を廻つて歩いた。(多米)  ホ、念佛とてもとは新佛の家へは靑年等で鉦太鼓にて念佛をとなへ見舞に行き杓子にて各家の稗をもら    ひあるいたといふ。(植田)         一〇六 中元 (十五日) 舊  三元とて、上元は一月十五日、中元は七月十五日、下元は十月十五日と三つの節日がある。古來支那で はその夜は徹夜で歡を盡した。我國に入つては盆と同日になり蓮の飯を炊いて客をもてなした。現在七月 に入り十五日までに親類緣者と贈答して歡を交ふ。今は新、舊、月送り三通り行はる。         一〇七 十王詣 (十六日) 舊 【左頁】  東田町太蓮寺にある十王堂はもと東新町から瓦町へのぼる十王坂にあつたもので、盆の十六日には閻魔 様に詣るもので賑つた。今でも大蓮寺で行はれる。この日閻魔様を始、冥土の十王に對して施餓鬼の說敎 が行はれる。         一〇八 藪入 (十六日)  もとは一月十六日の藪入だけだつたが、七月にも行はれるやうになつた。この日出稼人や奉公人が家へ 歸つて休む。  イ、早朝に精靈様を送り出した日だので女や年寄まで手足を伸して休養する。俗に「餓鬼の首もゆるむ    日」といふ。(牛川・下條)         一〇九 花祭 (十七日十八日)  新錢町の白山比咩神社の例祭を花祭といふ。昔から鬼祭祇園祭と共に吉田の三大祭として名高く花祭と てにぎやかな祭禮で神樂と渡御行列がある。         一一〇 ウラ盆 (二十三日二十四日)  この地方では後まつりをウラ盆といふ。盂蘭盆を裏盆と誤つたのだらう。  イ、二十三日精靈のまつりもするが遊日とする。(野依)  ロ、墓地で三昧施餓鬼を讀んで無緣仏の供養をする。施餓鬼の前に供へた飯をいただくと夏病をしない                    四七 【右頁】                    四八    といつていただく人もある。(牛川・下條)  ハ、寺參を行ふ。(植田)         一一一 土用餅 (土用の入)  夏の土用の入の日に餅を搗いて喰べると暑氣中りをしないといふて古來小豆餅を食ふ。これを土用餅と いふ。         一一二 土用鰻 (土用の丑の日)  夏の土用の丑の日に鰻を喰べると夏病をしないといふ。         一一三 蟲干 (土用干)  蟲干は土用干とも云はれ、土用に入つてから家中の着物や家寶、書籍などを日に干し、風を通したもの である。神社や佛寺ではこの蟲干の時に寶物を拜觀させてゐる。         一一四 疫病除   夏期など惡疫が流行した時は津島の御札を受けて村境の道路の兩側に竹を立て注連を張り其の御札を   祀り防いだ。(野依) 【左頁】   八月         一一五 八朔 (一日) 舊  この一日は、昔たのむの祝といつて鎌倉時代以後恒例の武家年中行事となつたが、それが田の實の祝に 轉じて、農村に於ける重要な行事となつたものである。德川時代になつては、家康江戸入城がこの日に當 つたので、正月元旦についで嚴かな式日と定められてゐたやうである。  イ、粟餅を搗き小豆飯をたき仕事を休む。(津田・磯邊)  ロ、粟のこは飯をつくる。(高師・野依)  ハ、たのもの朔日といひ、粟のこは飯をつくる。(牟呂)  これ等の風漸く行はれず。  ニ、粟のこは飯をたき神に供ふ。(植田)         一一六 月見 (十五日) 舊  これが中秋の名月で、本式の月見はこの夜であるとされてゐるが、舊藩時代は城中でこの夜お月見が催 された爲に、民間では後の九月十三夜に行ふやうになつた。         一一七 うんか送 (蟲途)                    四九 【右頁】                    五〇  日は定めないが八月に入り若い穗の育ち盛りに農家では蟲おくりをする。これは害蟲を田から他へ送り 出すのである。  イ、麥藁で先づ人形をつくり板にのせこれを二人してかつぎ僧侶の讀經をすまし他の村人たちと手に手    にたい松を持ち鉦をたたきながら畦を「送り神を送れやい」と唱へてゆく。(高師)  ロ、秋葉様よりたい松の火をうけ村人畦に列をつくつてうんかを送り村はづれに到つて之を燒き殺す。    (福岡)  ハ、うんかの發生した時に行ふので明治二十三四年まで行はれてゐた。先づ古竹を集め束とし其先に松    火をくくり火をつけ行列を作つて笛太鼓鉦で囃子を入れ畦をねり歩いた。竹の竿の長い程自慢して    ゐた。(野依) 【左頁】   九月         一一八 二百十日 (一日ヵ二日)  立春から二百十日目、この日前後には暴風雨がよくくるので、農家は丁度稻の一穗走りといつて、穗の 出初だので、早朝宮詣をし厄害を除く様祈願する。又二百二十日も同様の厄日とされてゐる。         一一九 オカヅラ節句(菊節句) (九日) 舊  これも支那で始まつたもので、我が國にはいつ渡來したか明らかでないが、日本紀に、淳和天皇天長元 年九月九日に行はれたとあるのが、文献に現はれた最初のものであらう。この行事も時代によつて一盛一 衰はあつたが、最も重要な行事とされたのは江戸時代であつた。この地方では、おかづら(●●●●)節句とも、後の 雛ともいひ、おかづらといふ小草で雛人形を拵て桝の内に飾り、これにお膳を供へたが、現在では殆ど行 はれてゐない。         一二〇 月見 (十三日) 舊  これは後の月見である。八月十五夜の芋名月に對しこの夜を栗名月ともいふ。十五夜の月見をしたら、 必ずこの後の月見をせねばならず、これをしないと片月見とて忌まれた。現在民間一般に行はれてゐるお 月見はこの夜の月見で、どこの家でも里芋衣被栗、枝豆等をゆで、穗芒と共に供へて月を祭る。                    五一 【右頁】                    五二  イ、月に大豆の莢豆と里芋の煑つけを供ふ。(植田)         一二一 お十七夜 (十七日) 舊   十七日の月をお十七夜様とて餅を供へてお月見をする。歲德大明神を祭り家内安全五穀豐穰を祈つ   た。この夜お月見の出來ない時は二十三日様とてその日行ふ。(野依)         一二二 彼岸 (秋分前後七日)  春の彼岸と同じ。         一二三 秋季皇靈祭 (二十三日ヵ二十四日)  秋の彼岸の中日にあたる。(春季皇靈祭の項參照)         一二四 羽田祭 (二十四日二十五日)  花田町鄕社八幡社の例祭で現在では鬼祭、祇園祭と共に豐橋の大祭の一つで、以前は額祭とて軒に額を 飾つたものだが、今は煙火祭になつてしまつた。 【左頁】   十月         一二五 神送り (一日) 舊  この月は神々が皆出雲の大社へお出かけになるので、この日民家では赤飯を蒸し、これを月の數だけ十 二握り、新藁の/つと(●●)に包んで神棚にあげる。これを御包(土產)餅と云ふ。  イ、赤飯の代りに餅をあげる家もある。(福岡)  ロ、神の土產に餅と御(●)つと(●●)餅(●)(つと入の餅)を供へる。(磯邊)  ハ、餅を其年の數だけわらづとに包んで神に供へる。又强飯又はサハタキを藁づとに入れ神に供へ宮參    を行ふ。此夜一家一人づつ宮籠を行ふ。(植田)         一二六 お十夜 (五日ヨリ十日間) 舊  十夜とは十夜念佛法會のことで、後花園天皇の御宇に始まつたものであるといふ。これは淨土宗の寺で 行はれるので、この地方では悟眞寺で、この月の五日から向ふ十日間、別念佛を唱へる法會が修行され、 この間宗徒の參詣で賑ふ。         一二七 金刀比羅詣 (十日) 舊  三月の金刀比羅詣と同じく賑ふ。                    五三 【右頁】                    五四         一二八 御命講(御會式) (十三日)  お祖師様日蓮上人が池上で入寂されたのが、弘安五年の十月十三日。この日がその正忌日に當るので、 淸水町の妙圓時を始め、法華宗の寺では御會式が營まれる。         一二九 神嘗祭 (十七日)  この年の御初穗を陛下が伊勢大廟に奉らせられる御儀で、宮中と神宮とで行はせられる。  この祭は文武天皇の御宇、大寶令の制定と同時になされた秋季の神嘗祭に始り、由來伊勢例祭と稱して 每年九月十七日に行はせられたが、明治以後現今のやうに定められた。又神宮に勅使を御差遣遊ばされる が、これは元正天皇の養老五年九月十一日使を遣して幣帛をたてまつらしめ給ふたことから恒例となつた ものである。         一三〇 惠比須講 (二十日) 舊  これは夷子神を祭る祭事で、往時は正月十日(江戸では二十日)と十月二十日に行つた。一月は年中の 商賣繁昌を祝ひ、十月はこの報賽として行ふといふ。  この夜商家では福神の惠比須様の像に神僎神酒の外に必ず鯛を供へ得意客や緣者を招き酒宴を張る。子 供たちは商家へ蜜柑や菓子を貰ひに歩いた。商家にかぎらず膾をうち神棚へ神酒や鯛を供へて祝ふ。  この地方では惠比須様に供へた膳部は未婚のものが喰べると婚期がおくれるとて喰べない。 【左頁】         一三一 お取越 (二十二日)  眞宗の開祖親鸞上人の忌日は十一月であるが、その月に入ると門徒の人々がさし合ふので一ヶ月繰上げ 法會を營む。         一三二 招魂祭 (二十三日二十四日)  この地方の招魂祭は、靖國神社秋季大祭の日を以て歩兵第十八聯隊練兵場に設けられた祭場で盛大に擧 行される。これは第三師團と愛知懸表忠會との聯合主催にかゝり、數次の戰役に於いて君國の爲に捧げら れたこの地方戰病死者の忠魂を祭祀弔慰する。この日それらの遺族は悉く招待せられ、軍隊側の參拜が終 ると一般の自由參拜が許され、競馬、自轉車競爭其他いろ〳〵な餘興があるので、市中は勿論、近在から の人出も多く全市的の賑やかな祭りである。この祭典は大正十四年の第十五師團廢止と共に一日だけにな つたが、昭和六年からは再び二日間に亘つて行はれるやうになつた。         一三三 亥の子 (二の亥の日) 舊  この行事は、宇多天皇の寛平年中に始まつたものだといはれてゐる。十月は亥の月であるから、この月 の亥の日、亥の刻に餅を喰べると萬病にかゝらぬといはれる。この月の最初の亥の日を一番亥の子、次ぎ を二番亥の子、三つあれば三番亥の子といひ、民家では二番亥の子の日に、牡丹餅を拵へて食べる。民間 では二番亥の子にするのは、城主が一番亥の子に祝つたから、次のに遠慮したものだといはれる。                    五五 【右頁】                   五六  イ、亥の日二回ある時は前の亥の日、三回ある時は中の亥の日に虫けらの供養のため牡丹餅をつくり神    に供ふ。(植田)  ロ、亥、子、丑、三日にかけて牡丹餅を食す。(牟呂)         一三四 蒔上 (中旬)  冬至より十日間前、麥の蒔上をした時を祝ふ。  イ、牡丹餅をつくる。(津田)  ロ、農具に牡丹餅を供へる。(牟呂)         一三五 ばい祝  豆をたたき終つた時、たたいたばいに豆を炒つてあげ御馳走して祝ふ。(福岡・牟呂)         一三六 掛穗  イ、稻刈の最初に刈つた穗を月の數だけ竹に結へ之を大神宮にそなへる意味で田にさしておく(吉田方)  ロ、一番刈の時大神宮へ初穗を献上する意味で田圃の畦などへ芒等の莖を二本立て其先をつなぎ月の形    とし、これに稻穗を其年の月數だけ掛け豐熟を祝つた。(野依)         一三七 道役(秋季)  春季に同じ。 【左頁】   十一月         一三八 神迎 (一日) 舊  出雲からかへられる神を迎へる日で、餅など供へて祭る。  イ、其年の月數だけイナ餅を作り神棚に供へ神様をお迎へ申し又燒餅を供へる。(福岡)  ロ、神棚に神酒饌米を供へ迎へる。(磯邊)  ハ、圓い燒餅を月數だけ作り神棚に供へお迎へする。(高師)  ニ、燒餅をつくり祝ふ。(大崎)  ホ、小麥粉で燒餅をつくり供へて神様を御迎へする。(牛川・下條)  へ、燒餅を神に供ふ。(植田・牟呂)         一三九 明治節 (三日)  明治大帝の御偉德を永遠に敬慕するために、御在世の折天長節であつた十一月三日を明治節とすべく、 第五十二議會に於ける貴衆兩院一致の請願を容れさせられ、昭和二年三月三日詔書を以て公布せられた佳 日である。  この日東京代々木の明治神宮では大祭が執行される。         一四〇 荒神祭 (十五日) 舊                    五七 【右頁】                    五八  竈の神三寶荒神を祭る。  イ、かまどの煤を取り桝に入れ米と共に地の神に納める。(大崎)  ロ、小豆飯を炊き麻の苧を添て地の神に供へる。(野依)  ハ、藁と靑竹で一尺四方位の祠をつくり、新しい海砂を敷き、藁の器物にて赤飯を供へる。(牟呂)  ニ、屋敷の乾の方に祀る。(植田)         一四一 七五三の祝 (十五日)  最初貴族の間に始まつたこの祝が、民間廣く行はれるやうになつたのは、恐らく江戸時代以後であらう といはれてゐる。これは袴着、髪置、帶解きなどゝいひ、三才、五才、七才の子供に祝ひの晴着をきせて 氏神様に參らせた。昔町屋では宮詣りがすむとその儘連れて親戚や知己の家を廻つた。  イ、この月の吉日を選み親類緣者を招き祝宴をはる。招かれたものは祝儀をもつて招きに應ず。(福岡)         一四二 秋葉祭 (十六日) 舊  遠江秋葉山、秋葉神社を祭る。  イ、日待がある。(磯邊・大崎)  ロ、字で二人秋葉山へ代參あり、日待をして投餅がある。(高師)  ハ、各組より秋葉山へ代參あり。(植田) 【左頁】         一四三 御親閱記念日 (二十一日)  昭和二年尾三の野で陸軍大演習の行はれし際 聖上陛下歩兵第十八聯隊練兵場で東三河地方民に親閱を賜つた日で、その日を記念するため、每年同場所 にて記念式が行はれる。         一四四 新嘗祭 (二十三日)  この祭は、宮中の神嘉殿に於いてその年の新穀の御初穗を天神地祇に供し奉り、又御親らも聞召し給 ひ、群臣にも賜はる御儀である。この起原は古く神代に發し、大寶令によつて制定されたが、應仁の亂後 久しく中絕してゐたのを明治元年十一月十五日御再興の布告を發せられ、明治六年の改曆後は十一月二十 三日と定められた。  尚天皇御即位後最初の新嘗祭を大嘗會といつて、即位の體と共に京都で行はせられるやう、明治二十二 年御發布の皇室典範で定められた。         一四五 大師講 (二十四日) 舊  この日は天台智者大師の正忌日なので、紺屋町の神宮寺を始め天台宗の寺院ではその法會が勤仕され る。民家ではお大師粥といつてこの朝小豆粥を喰べる。         一四六 酉の市 (酉の日) 舊                    五九 【右頁】                    六〇  この月初めの酉の日を一の酉、次ぎを二の酉、三つあれば三の酉といつて、この地方では手間町の西光 寺で明治の末頃からこの市が立つ。所謂「おとりさま」である。これは東京の鷲(おほとり)神社で行はれるものが、 本格であるといはれてゐる。この日參詣人は熊手や惠比須大黑の像を買つて來るのが緣起とされ、緣起を 祝ひ、外見を飾り商人たちは、殊更大きなものを買ふやうである。これは酉と取との國音が相通じるの で、商人等のかうした信仰を得たのだらう。         一四七 報恩講 (二十二日-二十八日)  お講ともいひ、本願寺別院を始め眞宗の寺々では、宗祖親鸞への報恩謝德のため、二十二日から上人の 正忌日である二十八日まで盛大に法會が營まれ、參詣人が多い。         一四八 つぼか (三十日) 舊  イ、鍬鎌等農具に牡丹餅を供へる。(津田)  ロ、牡丹餅をつくり神に供へる。(福岡)  ハ、くず米を集めこれを粉にして餅をこしらへて食べる。つぼかがすむと「シリガカタツイタ」とい    ふ。(高師)  ニ、月末に行ふ。牡丹餅をつくる。(大崎)  ホ、新米のくずで牡丹餅を作り神に供へる。もとはその牡丹餅の中へ籾穀を入れて神に供へたといふ。    今は新米のよいのを用ふ。(野依) 【左頁】  ヘ、こぼれ米を拾ひ集め、粉にして餅をつくる。(植田)         一四九 刈あげ  稻を刈り上げると其晩鎌を箕の中に並べてお膳を供へる。(牛川・下條)         一五〇 秋しまひ (舊)  イ、牡丹餅を作り神佛農具に供へる。(吉田方)  ロ、秋の収穫の終つた時牡丹餅をつくり神佛に供へる。(福岡)  ハ、秋の取入が終つた時勞をねぎらうため新嫁を實家へ客にやる。(高師)  ニ、取入がすむと筵をたたいて秋終になる。この日牡丹餅をつくり桝に入れて稻扱唐臼唐箕筵などに供    へ、又神佛にも供へる。近隣親戚にも牡丹餅を配つて秋終を知らせる。(牛川・下條)  ホ、牡丹餅をつくつて食べる。(植田)         一五一 お犬様のお迎  野荒や窃盜等の多い年には遠江春野山へ代參をたてお犬様を迎へ檜の葉で一尺立法位の小祠をつくり氏 神の境内に祀つた。これを不景氣退治の守、惡病除の守ともした。(野依)                    六一 【右頁】                    六二   十二月         一五二 事始と事納  二月に準ず。  イ、八日餅にはお萩をつくり、この日人形をつくり鉦太鼓で「送り神オクリヨー」と唱ひあるいて後海    に流した。(大崎)  ロ、餅を搗き神佛に供ふ。(野依)  ハ、餅をつき食べる。この日より正月の近きことを念頭において心構をする。(植田)         一五三 冬至 (二十二日ヵ二十三日)  この日太陽が冬至點に達する時にて、古來この日より春氣にかへるとて、一陽來福と稱し節日として祝    ふ。南瓜を食べる。         一五四 大正天皇祭 (二十五日)  先帝崩御の日、宮中では皇靈殿に於いて御親祭を行はせられ、勅使を多摩の山陵に派遣して幣帛を奉ら しめ給ふ。         一五五 クリスマス (二十五日) 【左頁】  耶蘇基督の降誕日である。この日が近づくと商店やカツフエバアなどでは美しく店飾りしたり、賑かに 新聞廣告をだしたりして盛に宣傳するので、今では基督敎信者たちのお祝ひだけでなく、一般の人々の樂 しい行事とまでならうとしてゐる。         一五六 御用納 (二十八日)  官廳ではこの日から松の内三日まで休業となる。         一五七 煤拂  この行事は後土御門天皇の文明年中頃から禁中でも恒例となり、德川時代では、初め十二月二十日に行 つたが、家綱の時この日が前將軍家光の忌日にあたるので、この日を避けてこの月の十三日に改め、爾來 民間でもこの日となつたが今では一般に行はれず晦日の晩に一年中の煤を拂ふとて掃除をする。         一五八 年の市  この月の中旬から月末にかけて商家で行ふ歲暮大賣出がこれである。門松、注連その他正月の飾物など が鬻がれる。         一五九 餅搗  昔は二十八日に行はれたが今は決つてゐない。市街地では餅屋に搗かせる家が逐年多くなつてゆく。                  六三 【右頁】                    六四  イ、二十五日より始まる。(大崎)         一六〇 大祓 (三十一日)  六月三十日大祓參照         一六一 晦日蕎麥 (三十一日)  「運蕎麥」というて晦日の夜に蕎麥を食べる。由來は明かでないが、これを食べるにはかき込むやうに するので、運をかきこむやうにとてその名があるともいふ。  イ、年のつなぎとてうどんそば等を食べる。(植田)         一六二 除夜の鐘 (三十一日)  夜中の十二時がくると各寺院では百八つの鐘を撞く。  イ、初盆だつた家では夜を徹して寺の鐘をつく。親の死に對しては子が之をつく。(牛川・下條) 【左頁】 附録   豐橋市内神社一覽表 ┏━━━━━┳━━━┳━━━━━━━┳━━━━━━┳━━━━┳━━━━━━━┳━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━┓ ┃例祭日  ┃社格 ┃神社名    ┃祭神    ┃所在地 ┃神事と宮飾  ┃餘興と接待物 ┃由緒             ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━┫ ┃ 二、一五┃縣社 ┃神明社    ┃天照皇大神 ┃中八町 ┃神樂、田樂、騎┃兒鬼ノ跳梁、各┃鎭座年曆不詳、飽海新神    ┃ ┃     ┃   ┃       ┃      ┃    ┃射、神幸   ┃町ノ催物   ┃戸ニ祀ラレシ社トイフ。    ┃ ┃     ┃   ┃       ┃      ┃    ┃       ┃       ┃明應六年ノ棟札アリ。     ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━┫  ┃ 二、一五┃村社 ┃談合神社   ┃天照皇大神 ┃談合町 ┃       ┃       ┃享保十八年九月二十三日    ┃ ┃     ┃   ┃       ┃   外四神┃    ┃       ┃       ┃創立。            ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━┫ ┃ 二、一七┃仝  ┃神明社    ┃天照皇大神 ┃牛川町 ┃       ┃       ┃創立不詳。          ┃ ┃     ┃   ┃       ┃      ┃(田中) ┃       ┃       ┃               ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━┫ ┃ 二、二五┃無格社┃天神社    ┃菅原道眞公 ┃新錢町 ┃       ┃投餅     ┃寛永八年三月創立。      ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━┫ ┃舊    ┃村社 ┃八所神社   ┃田心姫命  ┃大村町 ┃神樂、掛行燈、┃芝居、浪花節、┃天文二十年辛亥卯月十二    ┃ ┃ 二、 四┃   ┃       ┃  外七神 ┃(横走) ┃屋臺額    ┃競馬     ┃日創立。           ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━┫ ┃舊    ┃無格社┃稻荷神社   ┃豐受姫命  ┃東田町 ┃       ┃       ┃創立不詳、二連木城創築    ┃ ┃ 二、初午┃   ┃       ┃      ┃(鄕浦) ┃       ┃       ┃ニ際シ創立トモ稱ス。     ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━┫ ┃舊    ┃仝  ┃道知邊稻荷神社┃倉稻魂神  ┃東田町 ┃       ┃福引     ┃明應元年創立ト稱ス。     ┃ ┃二、二ノ午┃   ┃       ┃  外五神 ┃    ┃       ┃       ┃               ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━┫ ┃舊    ┃仝  ┃櫻下稻荷神社 ┃宇迦之魂命 ┃旭町  ┃掛行燈    ┃福引     ┃明治三年六月勸請、永正二年牧野┃ ┃二、二ノ午┃   ┃       ┃   外一神┃    ┃       ┃       ┃古白築城ニ當リ此處ニ移座   ┃ ┃     ┃   ┃       ┃      ┃    ┃       ┃       ┃セシモノヲ合祀スト傳フ。   ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━┫ ┃舊    ┃仝  ┃光道神社   ┃來名戸之塞神┃大村町 ┃       ┃浪花節、萬歲 ┃慶安五年三月創立。      ┃ ┃ 二、一八┃   ┃       ┃      ┃(松浦) ┃       ┃萬歲芝居   ┃               ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━┫ ┃ 三、一一┃仝  ┃日吉神社   ┃大山咋命  ┃下五井町┃神樂(昔)   ┃芝居、浪花節、┃創立不詳、江州日吉神社    ┃ ┃     ┃   ┃       ┃      ┃ (宮後)┃       ┃煙火     ┃ノ御分神ヲ奏祀ス。      ┃ ┗━━━━━┻━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━┻━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━━━━━━━━━┛                    六五 【右頁】                    六六 ┏━━━━━━┳━━━┳━━━━━━┳━━━━━━┳━━━━━━┳━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━┓ ┃  三、一三┃村社 ┃春日神社  ┃天兒屋根命 ┃多米町   ┃掛行燈、額臺   ┃芝居、萬歲    ┃崇峻天皇ノ御宇創立シ後春 ┃ ┃      ┃   ┃      ┃   外七神┃      ┃         ┃投餅、甘酒    ┃日以外ノ七社ヲ合祀ス。  ┃ ┣━━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃  三、一三┃無格社┃若宮八幡宮 ┃大鷦鷯尊  ┃瓜鄕町   ┃神樂、掛行燈   ┃芝居、浪花節、  ┃天文年間牧野玄蕃ノ勸   ┃ ┃      ┃   ┃      ┃      ┃(一新替)  ┃         ┃投餅、甘酒    ┃請。           ┃ ┣━━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃  三、一六┃仝  ┃豐城神社  ┃源三位頼政 ┃東田町   ┃         ┃大弓       ┃創立不詳、元吉田城二ノ丸 ┃ ┃  五、二六┃   ┃      ┃源信綱卿  ┃(北蓮田)  ┃         ┃         ┃ニ建設サレ後現在地ニ移轉ス┃ ┣━━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃  三、一七┃仝  ┃白山神社  ┃白山姫命  ┃高船町   ┃掛行燈      ┃浪花節 甘酒、菓子┃明德三年六月創立。    ┃ ┃      ┃   ┃      ┃      ┃      ┃         ┃投餅、淸酒、膳部 ┃             ┃ ┣━━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃  三、一七┃仝  ┃進雄神社  ┃新雄命   ┃二本松町  ┃仝        ┃浪花節、甘酒、菓子┃享保七年六月創立。    ┃ ┃      ┃   ┃      ┃      ┃      ┃         ┃投餅、淸酒、膳部 ┃             ┃ ┣━━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃  三、二一┃村社 ┃神野神社  ┃神野命   ┃藤並町   ┃仝        ┃浪花節、甘酒、菓子┃寛文九年六月創立。    ┃ ┃      ┃   ┃      ┃      ┃      ┃         ┃投餅、淸酒、膳部 ┃             ┃ ┣━━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃  三、二六┃仝  ┃鞍掛神社  ┃宇迦御魂神 ┃岩崎町   ┃神樂       ┃芝居、浪花節、  ┃創立不詳、元鞍馬大明神ト ┃ ┃      ┃   ┃      ┃   外四神┃      ┃         ┃甘酒、投餅    ┃呼ビ建久元年社號ヲ改ム。 ┃ ┣━━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃舊 三、一〇┃無格社┃琴平神社  ┃大物主命  ┃岩田町   ┃掛行燈      ┃芝居、投餅。甘酒 ┃創立不詳。        ┃ ┃舊一〇、一〇┃   ┃      ┃      ┃(田尻)   ┃         ┃         ┃             ┃ ┣━━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃舊 三、一〇┃仝  ┃金刀比羅神社┃大物主命  ┃吉屋町   ┃         ┃         ┃文政元戊寅年三月創立   ┃ ┃舊一〇、一〇┃   ┃      ┃      ┃      ┃         ┃         ┃             ┃ ┣━━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃舊     ┃仝  ┃幸稻荷社  ┃大名牟遅命 ┃船渡町   ┃         ┃芝居       ┃創立不詳         ┃ ┃  三、一一┃   ┃      ┃  外二神 ┃      ┃         ┃         ┃             ┃ ┣━━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃  四、 一┃村社 ┃本宮神社  ┃伊佐那美命 ┃駒形町   ┃掛行燈      ┃芝居、浪花節、  ┃創立不詳、寛永十三年四  ┃ ┃      ┃   ┃      ┃   外二神┃      ┃         ┃甘酒、淸酒、餅  ┃月十八日ノ棟札アリ。   ┃ ┣━━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃  四、 一┃仝  ┃日吉神社  ┃大山咋命  ┃岩崎町   ┃仝        ┃芝居、甘酒、投餅 ┃神龜四年二月創立ト傳フ  ┃ ┃      ┃   ┃      ┃      ┃(手洗)   ┃         ┃         ┃             ┃ ┣━━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃  四、 一┃仝  ┃八幡社   ┃應神天皇  ┃下條東町  ┃         ┃芝居、甘酒、餅  ┃創立不詳。        ┃ ┃      ┃   ┃      ┃      ┃(竹ノ内)  ┃         ┃         ┃             ┃ ┣━━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃  四、 一┃仝  ┃素盞嗚神社 ┃素盞嗚尊  ┃牛川町   ┃         ┃甘酒、餅     ┃創立不詳。        ┃ ┃      ┃   ┃      ┃      ┃(暮川)   ┃         ┃         ┃             ┃ ┣━━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃  四、 一┃仝  ┃八幡社   ┃應神天皇  ┃下條東町  ┃         ┃仝        ┃寛文五已己年九月吉日創立 ┃ ┃      ┃   ┃      ┃      ┃ (白石)  ┃         ┃         ┃             ┃ ┗━━━━━━┻━━━┻━━━━━━┻━━━━━━┻━━━━━━┻━━━━━━━━━┻━━━━━━━━━┻━━━━━━━━━━━━━┛ 【左頁】 ┏━━━━━━┳━━━┳━━━━━━┳━━━━━━┳━━━━━━┳━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━┓ ┃  四、 一┃仝  ┃素盞嗚神社 ┃素盞嗚尊  ┃下條東町  ┃神樂       ┃甘酒、投餅    ┃創立不詳         ┃ ┃      ┃   ┃      ┃      ┃(藤ヶ池)  ┃         ┃         ┃             ┃ ┣━━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃  四、 一┃仝  ┃素盞嗚神社 ┃伊謝波富命 ┃下條西町  ┃         ┃浪花節、甘酒、餅 ┃仝            ┃ ┃      ┃   ┃      ┃   外一神┃天■■■ヶ谷┃         ┃         ┃             ┃ ┣━━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃  四、 一┃仝  ┃比賣天神社 ┃鈿女命   ┃下條東町  ┃         ┃芝居、浪花節、  ┃仝            ┃ ┃      ┃   ┃      ┃      ┃(堀ノ内)  ┃         ┃甘酒、餅     ┃             ┃ ┣━━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃  四、 一┃仝  ┃素盞嗚神社 ┃素盞嗚尊  ┃下條西町  ┃         ┃仝        ┃仝            ┃ ┃      ┃   ┃      ┃      ┃ (五井)  ┃         ┃         ┃             ┃ ┣━━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃  四、 一┃無格社┃市杵島姫社 ┃市杵島姫命 ┃下條西町  ┃         ┃甘酒、餅     ┃仝            ┃ ┃      ┃   ┃      ┃      ┃ (池端)  ┃         ┃         ┃             ┃ ┣━━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃  四、 三┃村社 ┃水神社   ┃水波能賣命 ┃三ツ相町  ┃掛行燈      ┃芝居       ┃寶永七年庚寅二月勸請。  ┃ ┃      ┃   ┃      ┃      ┃      ┃         ┃         ┃             ┃ ┣━━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃  四、 四┃無格社┃作神社   ┃宇賀御魂命 ┃牟呂町   ┃         ┃浪花節、投餅   ┃創立不詳、寛文十年十二  ┃ ┃      ┃   ┃      ┃      ┃(中村)   ┃         ┃         ┃月ノ棟札アリ。      ┃ ┣━━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃  四、 七┃村社 ┃素盞神社  ┃素盞嗚尊  ┃野田町   ┃神樂、掛行燈   ┃芝居       ┃天正七年勸請。      ┃ ┃      ┃   ┃      ┃      ┃(野田)   ┃         ┃         ┃             ┃ ┣━━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃  四、一〇┃仝  ┃八劍神社  ┃日本武尊  ┃花田町   ┃御車、神樂(昔)  ┃芝居、活動寫眞  ┃永祿元年丁卯六月遷座。  ┃ ┃      ┃   ┃      ┃      ┃(西鄕)   ┃飾行燈      ┃煙火、投餅 菓子 ┃             ┃ ┣━━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃  四、一〇┃無格社┃羽田上神社 ┃素盞嗚命  ┃花田町   ┃         ┃芝居、銃劍道、  ┃寛政十年正月三十日燒亡  ┃ ┃      ┃   ┃      ┃      ┃(稻葉)   ┃         ┃煙火、相撲)投餅  ┃再建。          ┃ ┣━━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃  四、一一┃縣社 ┃菟足神社  ┃菟上足尼命 ┃寶飯郡   ┃濱下神事、雀射始式┃煙火       ┃白鳳十五年創立ト傳フ。  ┃ ┃      ┃   ┃      ┃      ┃小坂井町  ┃射収式、試樂、御田┃         ┃             ┃ ┃      ┃   ┃      ┃      ┃      ┃植祭、雀十二羽奉齋┃         ┃             ┃ ┃      ┃   ┃      ┃      ┃      ┃式、山車 神輿渡御┃         ┃             ┃ ┣━━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃  四、一四┃村社 ┃神明社   ┃天照大神  ┃松井町   ┃掛行燈      ┃         ┃創立不詳、永祿三年庚午九 ┃ ┃      ┃   ┃      ┃      ┃      ┃         ┃         ┃月吉日再營ノ棟札アリ。  ┃ ┣━━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃  四、一四┃無格社┃日吉神社  ┃大己貴命  ┃上野町   ┃仝        ┃萬歲芝居、甘酒、投┃正安三年三月創立。    ┃ ┃      ┃   ┃      ┃      ┃      ┃         ┃餅、菓子、酒、膳部┃             ┃ ┣━━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃  四、一五┃鄕社 ┃牟呂八幡社 ┃應神天皇  ┃牟呂町   ┃御輿渡御     ┃芝居、弓術、劍術 ┃創立不詳、天文十一年三  ┃ ┃      ┃   ┃      ┃  外一神 ┃(東脇)   ┃         ┃         ┃月十日ノ棟札アリ。    ┃ ┗━━━━━━┻━━━┻━━━━━━┻━━━━━━┻━━━━━━┻━━━━━━━━━┻━━━━━━━━━┻━━━━━━━━━━━━━┛                    六七 【右頁】                    六八 ┏━━━━━┳━━━┳━━━━━━┳━━━━━━┳━━━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━┓ ┃ 四、一五┃村社 ┃松山神社  ┃素盞嗚命  ┃花田町 ┃屋臺額     ┃芝居、投餅    ┃仝 明曆三年六月再建。  ┃ ┃     ┃   ┃      ┃      ┃(松山) ┃        ┃         ┃             ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃ 四、一六┃仝  ┃素盞嗚神社 ┃素盞嗚命  ┃花田町 ┃御車      ┃芝居、活動寫眞、 ┃仝 寛文三年正月ノ棟札  ┃ ┃     ┃   ┃      ┃      ┃(中鄕) ┃        ┃萬歲芝居、煙火、 ┃アリ。          ┃ ┃     ┃   ┃      ┃      ┃    ┃        ┃投餅、パン    ┃             ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃舊    ┃仝  ┃素盞嗚神社 ┃素盞嗚命  ┃大村町 ┃掛行燈」、屋臺額┃芝居、浪花節   ┃寛文二年壬寅三月二十三日 ┃ ┃ 四、一五┃   ┃      ┃      ┃(高之城)┃        ┃         ┃創立。明治五年牛頭天王ト ┃ ┃     ┃   ┃      ┃      ┃    ┃        ┃         ┃稱セシガ素盞嗚神社ト改稱 ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃ 五、一五┃無格社┃大己貴神社 ┃大己貴命  ┃新川町 ┃        ┃芝居       ┃創立不詳、永正年中土手  ┃ ┃     ┃   ┃      ┃      ┃ (市南)┃        ┃         ┃町へ遷座。        ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃ 六、三〇┃仝  ┃素盞嗚神社 ┃素盞嗚命  ┃本町  ┃輪くぐり    ┃         ┃創立不詳。        ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃舊    ┃仝  ┃素盞嗚神社 ┃素素盞嗚命 ┃大村町 ┃        ┃浪花節、萬歲   ┃慶安三年四月二十一日創立 ┃ ┃ 六、一五┃   ┃      ┃      ┃(地之神)┃        ┃         ┃、明治五年牛頭天王ト稱セ ┃ ┃     ┃   ┃      ┃      ┃    ┃        ┃         ┃シヲ素盞嗚神社ト改稱ス。 ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃ 七、 八┃仝  ┃安海熊野神社┃伊弉諾命  ┃魚町  ┃能樂、狂言   ┃         ┃保延丙辰二年三月創立。  ┃ ┃     ┃   ┃      ┃  外八神 ┃    ┃        ┃         ┃             ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃ 七、一五┃縣社 ┃吉田神社  ┃素盞嗚命  ┃關屋町 ┃神幸      ┃煙火       ┃天治元年創立ト傳フ、永  ┃ ┃     ┃   ┃      ┃      ┃    ┃        ┃         ┃正二年牧野古白今橋城築  ┃ ┃     ┃   ┃      ┃      ┃    ┃        ┃         ┃造ノ際城ノ鎮守トセリ。  ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃ 七、一五┃無格社┃素盞嗚神社 ┃素盞嗚命  ┃飽海町 ┃掛行燈     ┃芝居       ┃元祿二己己年正月吉日創  ┃ ┃     ┃   ┃      ┃      ┃    ┃        ┃         ┃立ト傳フ。        ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃ 七、一八┃村社 ┃白山比咩神社┃伊弉冉尊  ┃新錢町 ┃御輿渡御、神樂 ┃         ┃保延二年六月創立。    ┃ ┃     ┃   ┃      ┃  外一神 ┃    ┃        ┃         ┃             ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃舊    ┃無格社┃素盞嗚社  ┃素盞嗚命  ┃大山町 ┃        ┃酒        ┃創立不詳。        ┃ ┃ 八、 九┃   ┃      ┃      ┃(松荒) ┃        ┃         ┃             ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃舊    ┃村社 ┃素盞嗚神社 ┃素盞嗚命  ┃長瀬町 ┃御輿渡御    ┃         ┃慶長十四年己酉九月創立、尾┃ ┃ 八、一五┃   ┃      ┃      ┃(東浦) ┃        ┃         ┃張國津島村牛頭天王ト稱ス ┃ ┃     ┃   ┃      ┃      ┃    ┃        ┃         ┃明治六年素盞嗚神社ト改稱ス┃ ┗━━━━━┻━━━┻━━━━━━┻━━━━━━┻━━━━┻━━━━━━━━┻━━━━━━━━━┻━━━━━━━━━━━━━┛ 【右頁】 ┏━━━━━┳━━━┳━━━━━━┳━━━━━━┳━━━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━┓ ┃舊    ┃無格社┃高良社   ┃稻倉魂命  ┃牟呂町 ┃        ┃投餅       ┃創立不詳 國内神名帳ノ從 ┃ ┃ 八、一五┃   ┃      ┃  外一神 ┃(東脇) ┃        ┃         ┃五位上楠本天神ガ本社ト稱 ┃ ┃     ┃   ┃      ┃      ┃    ┃        ┃         ┃ス、慶長六年ノ棟札アリ。 ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃ 九、 八┃仝  ┃秋葉神社  ┃軻具槌命  ┃船町  ┃        ┃         ┃安永二癸巳年七月八日創立 ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃ 九、一六┃村社 ┃神明社   ┃天照皇大神 ┃神名町 ┃山車      ┃芝居       ┃天正十一年九月創立    ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃ 九、一六┃無格社┃豐麻神社  ┃火產靈神  ┃下地町 ┃掛行燈、屋臺額 ┃芝居、投餅    ┃創立不詳。        ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃ 九、一六┃仝  ┃天白社   ┃宇迦之御魂命┃神名町 ┃        ┃         ┃創立不詳、天文中現地ヘ  ┃ ┃     ┃   ┃      ┃      ┃    ┃        ┃         ┃遷座。          ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃ 九、二五┃鄕社 ┃八幡社   ┃譽田天皇  ┃花田町 ┃山車、掛行燈  ┃煙火、手踊、投餅 ┃白鳳元年鎭座ト傳フ。   ┃ ┃     ┃   ┃      ┃      ┃(齋藤) ┃        ┃         ┃             ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃ 九、二七┃村社 ┃諏訪神社  ┃建御名方命 ┃山田町 ┃掛行燈     ┃芝居、投餅    ┃創立不詳、正應二年ノ棟札 ┃ ┃     ┃   ┃      ┃      ┃    ┃        ┃         ┃アリ。          ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃ 九、二七┃仝  ┃諏訪神社  ┃建御名方命 ┃中柴町 ┃屋臺額     ┃芝居       ┃永仁癸巳年創立。     ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃ 九、二八┃仝  ┃大山津美神社┃大山津美命 ┃岩屋町 ┃掛行燈     ┃投餅       ┃創立不詳。        ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃舊    ┃仝  ┃八幡神社  ┃應神天皇  ┃岩田町 ┃掛行燈、額臺  ┃芝居、浪花節、  ┃正保四年八月創立ト傳フ  ┃ ┃ 九、一五┃   ┃      ┃      ┃(西鄕中)┃        ┃甘酒、投餅    ┃             ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃舊    ┃仝  ┃神明社   ┃天照大神  ┃吉川町 ┃掛行燈     ┃芝居       ┃寛永六年ノ勸請。     ┃ ┃ 九、一六┃   ┃      ┃      ┃(吉川) ┃        ┃         ┃             ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃舊    ┃仝  ┃神明社   ┃豐受比賣命 ┃新榮町 ┃仝       ┃仝        ┃應仁元年丁亥九月勸請   ┃ ┃ 九、一六┃   ┃      ┃      ┃(大溝) ┃        ┃         ┃             ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、一〇┃仝  ┃進雄神社  ┃進雄命   ┃南榮町 ┃        ┃芝居、甘酒、投餅、┃元祿十一年六月創立    ┃ ┃     ┃   ┃      ┃      ┃    ┃        ┃淸酒、菓子、膳部 ┃             ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、一〇┃仝  ┃八幡神社  ┃仲哀天皇  ┃東八町 ┃山車      ┃芝居、大弓    ┃天智天皇十年八月勸請ト  ┃ ┃     ┃   ┃      ┃  外八神 ┃    ┃        ┃         ┃傳フ。          ┃ ┗━━━━━┻━━━┻━━━━━━┻━━━━━━┻━━━━┻━━━━━━━━┻━━━━━━━━━┻━━━━━━━━━━━━━┛                    六九 【右頁】                    七〇 ┏━━━━━┳━━━┳━━━━━┳━━━━━━┳━━━━┳━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━┓ ┃一〇、一一┃仝  ┃進雄神社 ┃素盞鳴命  ┃横須賀町┃神樂、掛行燈   ┃芝居、大弓、   ┃創立不詳、天文九年大潮ニ┃ ┃     ┃   ┃     ┃      ┃ (宮元)┃         ┃投餅       ┃テ流失シ天文十三年再建。┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、一二┃仝  ┃小池神社 ┃須佐之男命 ┃小池町 ┃神樂、山車    ┃芝居、活動寫眞、 ┃創立不詳、元和九年ノ棟 ┃ ┃     ┃   ┃     ┃   外三神┃    ┃         ┃大弓、投餅    ┃札アリ。        ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、一五┃仝  ┃神明社  ┃大日靈命  ┃高師本 ┃掛行燈      ┃競馬、大弓昔、浪 ┃白鳳元年創立ト傳フ。  ┃ ┃     ┃   ┃     ┃      ┃ 鄕町 ┃         ┃花節甘酒、投餅、 ┃            ┃ ┃     ┃   ┃     ┃      ┃    ┃         ┃淸酒、菓子、膳部 ┃            ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、一五┃仝  ┃神明社  ┃天照皇大神 ┃瓦町  ┃         ┃芝居、大弓、   ┃創立不詳        ┃ ┃     ┃   ┃     ┃      ┃(通)  ┃         ┃投餅、甘酒    ┃            ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、一五┃仝  ┃八幡社  ┃伊雜皇大神 ┃牛川町 ┃         ┃甘酒、餅     ┃仝           ┃ ┃     ┃   ┃     ┃      ┃(忠興) ┃         ┃         ┃            ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、一五┃仝  ┃八幡社  ┃八幡大神  ┃大崎町 ┃掛行燈      ┃芝居、投餅、酒  ┃天文十年辛丑年十一月十 ┃ ┃     ┃   ┃     ┃  外二神 ┃    ┃         ┃         ┃五日戸田三郎兵尉宣成建 ┃ ┃     ┃   ┃     ┃      ┃    ┃         ┃         ┃立ト傳フ。       ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、一五┃仝  ┃素盞鳴神社┃素盞鳴尊  ┃野依町 ┃         ┃投餅       ┃創立不詳        ┃ ┃     ┃   ┃     ┃      ┃(西屋敷)┃         ┃         ┃            ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、一五┃仝  ┃神富神明社┃天照大神  ┃神野  ┃掛行燈      ┃相撲、籤引、投  ┃明治二十八年創立。   ┃ ┃     ┃   ┃     ┃      ┃新田町 ┃         ┃餅        ┃            ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、一五┃無格社┃白山神社 ┃戒成親王  ┃三ノ輪町┃         ┃芝居、投餅    ┃弘仁八年創立ト傳フ。  ┃ ┃     ┃   ┃     ┃  外四神 ┃ (白山)┃         ┃         ┃            ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、一五┃仝  ┃天伯神社 ┃宇賀魂神  ┃畑ヶ田町┃掛行燈      ┃投餅、甘酒、菓  ┃正和元年九月創立。   ┃ ┃     ┃   ┃     ┃      ┃    ┃         ┃子、淸酒、膳部  ┃            ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、一五┃仝  ┃若宮社  ┃仁德天皇  ┃牟呂町 ┃         ┃投餅       ┃創立不詳、元祿十四年ノ ┃ ┃     ┃   ┃     ┃      ┃(坂津) ┃         ┃         ┃棟札アリ。       ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、一五┃仝  ┃八所社  ┃天忍穗耳命 ┃牟呂町 ┃         ┃芝居、浪花節   ┃仝 寛文十年ノ棟札ア  ┃ ┃     ┃   ┃     ┃   外七神┃(外神) ┃         ┃         ┃リ。          ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、一六┃鄕社 ┃神明社  ┃天照皇大神 ┃東田町 ┃神樂、額臺    ┃芝居、煙火、   ┃薑御園ノ地ニ因ミテ創立 ┃ ┃     ┃   ┃     ┃      ┃(姜鄕) ┃         ┃投餅       ┃ト傳フ。        ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、一六┃村社 ┃神明社  ┃天照大神  ┃岩田町 ┃掛行燈、額臺   ┃投餅、甘酒    ┃創立不詳。       ┃ ┃     ┃   ┃     ┃      ┃(平川) ┃         ┃         ┃            ┃ ┗━━━━━┻━━━┻━━━━━┻━━━━━━┻━━━━┻━━━━━━━━━┻━━━━━━━━━┻━━━━━━━━━━━━┛ 【左頁】 ┏━━━━━┳━━━┳━━━━━┳━━━━━━┳━━━━┳━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━┓ ┃一〇、一六┃仝  ┃神明社  ┃天照大神  ┃川崎町 ┃掛行燈、屋臺額  ┃浪花節      ┃應仁元年九月十六日創  ┃ ┃     ┃   ┃     ┃      ┃(札之辻)┃         ┃         ┃立。          ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、一六┃仝  ┃神明社  ┃豐受比賣命 ┃川崎町 ┃仝        ┃浪花節、甘酒   ┃創立不詳。       ┃ ┃     ┃   ┃     ┃   外二神┃(中ノ森)┃         ┃         ┃            ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、一六┃仝  ┃神明社  ┃天照大神  ┃淸須町 ┃御湯立昔、掛行  ┃芝居、浪花節、  ┃境内中ノ一社ハ寛文年間 ┃ ┃     ┃   ┃     ┃      ┃ 宮坪) ┃燈、屋臺額    ┃大弓、投餅    ┃勸請ト傳フ、其他不明。 ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、一六┃仝  ┃神明社  ┃天照大神  ┃馬見塚町┃掛行燈      ┃芝居       ┃神龜三年丙寅二月勸請ト ┃ ┃     ┃   ┃     ┃  外二神 ┃(藪新切)┃         ┃         ┃傳フ。         ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、一六┃仝  ┃神明社  ┃天照皇大神 ┃牛川町 ┃         ┃甘酒、餅     ┃元祿三午年創立。    ┃ ┃     ┃   ┃     ┃      ┃(小鷹野)┃         ┃         ┃            ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、一六┃仝  ┃神明社  ┃天照皇大神 ┃牛川町 ┃         ┃         ┃元祿十六年未二月創立。 ┃ ┃     ┃   ┃     ┃      ┃(野川) ┃         ┃         ┃            ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、一六┃仝  ┃逆戈神社 ┃國常立尊  ┃濱道町 ┃競馬(昔)掛行燈  ┃芝居、甘酒、投餅、┃文治四年九月創立。   ┃ ┃     ┃   ┃     ┃      ┃    ┃         ┃菓子、酒、膳部  ┃            ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、一六┃仝  ┃逆鉾神社 ┃國常立尊  ┃芦原町 ┃掛行燈      ┃甘酒、投餅、菓  ┃明曆三年九月創立。   ┃ ┃     ┃   ┃     ┃      ┃    ┃         ┃子、酒、膳部   ┃            ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、一七┃鄕社 ┃神明社  ┃天照皇大神 ┃湊町  ┃神樂、山車    ┃大弓       ┃白鳳元年鎭座ト傳フ。  ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、一七┃村社 ┃神明社  ┃天照大神  ┃小松町 ┃掛行燈      ┃浪花節、投餅、  ┃創立不詳。       ┃ ┃     ┃   ┃     ┃      ┃    ┃         ┃甘酒、淸酒    ┃            ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、一七┃仝  ┃神明社  ┃天照大神  ┃小濱町 ┃仝        ┃浪花節、投餅、  ┃仝           ┃ ┃     ┃   ┃     ┃  外三神 ┃    ┃         ┃神酒       ┃            ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、一七┃仝  ┃神明社  ┃天照大神  ┃菰口町 ┃仝        ┃芝居       ┃天文元年壬辰四月勸請。 ┃ ┃     ┃   ┃     ┃      ┃(菰口) ┃         ┃         ┃            ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、一七┃仝  ┃熊野社  ┃事解男神  ┃牛川町 ┃神樂、掛行燈   ┃浪花節、萬歲芝  ┃創立不詳。       ┃ ┃     ┃   ┃     ┃  外二神 ┃(浪ノ上)┃         ┃居、甘酒、餅   ┃            ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、一七┃仝  ┃熊野社  ┃事解男神  ┃牛川町 ┃仝        ┃芝居、餅     ┃仝           ┃ ┃     ┃   ┃     ┃  外四神 ┃(中鄕) ┃         ┃         ┃            ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━╋━━━━━━╋━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、一八┃仝  ┃八幡社  ┃譽田別尊  ┃野依町 ┃的射、競馬、獅子舞┃芝居、投餅、   ┃慶雲甲辰元年正月宇佐八 ┃ ┃     ┃   ┃     ┃ 外十一神 ┃(八幡) ┃大般若讀經、掛行燈┃濁酒       ┃幡宮ヨリ勸請。     ┃ ┗━━━━━┻━━━┻━━━━━┻━━━━━━┻━━━━┻━━━━━━━━━┻━━━━━━━━━┻━━━━━━━━━━━━┛                    七一 【右頁】                    七二 ┏━━━━━┳━━━┳━━━━━━┳━━━━━━┳━━━━━┳━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━┓ ┃一〇、一八┃仝  ┃神明社   ┃天照皇大神 ┃花田町  ┃掛行燈      ┃芝居       ┃至德二年甲子三月十六日  ┃ ┃     ┃   ┃      ┃      ┃(石田)  ┃         ┃         ┃創立。          ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、一九┃仝  ┃熊野神社  ┃伊邪那美神 ┃飯村町  ┃掛行燈、額臺   ┃芝居、浪花節、  ┃創立不詳。        ┃ ┃     ┃   ┃      ┃   外二神┃(本鄕)  ┃         ┃甘酒、投餅    ┃             ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、二〇┃仝  ┃橋良神社  ┃須佐之男命 ┃橋良町  ┃掛行燈、     ┃芝居、投餅    ┃創立不詳、貞治三年ノ棟  ┃ ┃     ┃   ┃      ┃   外七神┃     ┃         ┃         ┃札ノ寫アリ。       ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、二一┃無格社┃市杵島神社 ┃市杵島命  ┃牟呂町  ┃         ┃活動寫眞、投餅  ┃仝 亭保七年六月ノ棟札  ┃ ┃     ┃   ┃      ┃      ┃(市場)  ┃         ┃         ┃アリ。          ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、二二┃村社 ┃𪉩釜神社  ┃國常立命  ┃大山町  ┃掛行燈      ┃芝居、浪花節、  ┃仝 寛文七丁未正月吉日  ┃ ┃     ┃   ┃      ┃  外五神 ┃(東入山) ┃         ┃甘酒、餅、淸酒  ┃ノ棟札アリ。       ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、二三┃仝  ┃烏塚神社  ┃天照大神  ┃高洲町  ┃仝        ┃芝居       ┃寛文五年乙巳年七月勸   ┃ ┃     ┃   ┃      ┃  外九神 ┃(烏塚)  ┃         ┃         ┃請。           ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、二四┃仝  ┃八幡社   ┃大鷦鷯命  ┃一色町  ┃仝        ┃芝居、浪花節、  ┃創立不詳、正寶三乙卯霜  ┃ ┃     ┃   ┃      ┃      ┃     ┃         ┃甘酒、餅、酒   ┃月吉祥日ノ棟札アリ。   ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、二四┃仝  ┃若宮八幡社 ┃仁德天皇  ┃船渡町  ┃仝        ┃芝居、煙火、投  ┃寛永七年船渡鄕ノ開拓成  ┃ ┃     ┃   ┃      ┃  外二神 ┃     ┃         ┃餅、酒      ┃リ、仝八年三月產土若宮  ┃ ┃     ┃   ┃      ┃      ┃     ┃         ┃         ┃八幡宮ヲ勸請ス。     ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、二五┃仝  ┃八幡社   ┃應神天皇  ┃佐藤町  ┃仝        ┃浪花節、甘酒、  ┃創立不詳         ┃ ┃     ┃   ┃      ┃      ┃     ┃         ┃投節、神酒    ┃             ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、二五┃仝  ┃春日神社  ┃天兒屋根命 ┃草間町  ┃仝        ┃芝居、浪花節、  ┃創立不詳。元祿七年戊午  ┃ ┃     ┃   ┃      ┃      ┃(寺東)  ┃         ┃甘酒、投餅、酒  ┃六月吉日ノ棟札アリ。   ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、二五┃仝  ┃靑木神社  ┃天照大御神 ┃北島町  ┃         ┃芝居       ┃天文十九年勸請。     ┃ ┃     ┃   ┃      ┃      ┃(高田)  ┃         ┃         ┃             ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、二五┃無格社┃素盞鳴社  ┃素盞鳴尊  ┃牟呂町  ┃         ┃芝居、劍道、大弓 ┃創立不詳、慶長九年ノ棟  ┃ ┃     ┃   ┃      ┃      ┃(大西)  ┃         ┃         ┃札アリ。         ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、二六┃村社 ┃素盞鳴社  ┃素盞鳴命  ┃王ヶ崎町 ┃掛行燈      ┃芝居、浪花節、  ┃仝 寛永子年十二月十一  ┃ ┃     ┃   ┃      ┃      ┃     ┃         ┃甘酒、酒、餅   ┃日ノ棟札アリ。      ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、二六┃仝  ┃素盞鳴神社 ┃素盞鳴命  ┃植田町  ┃獅子神樂     ┃芝居、活動寫眞、 ┃寶龜元年創立ト傳フ。   ┃ ┃     ┃   ┃      ┃      ┃(西ノ山) ┃         ┃浪花節、甘酒、  ┃             ┃ ┃     ┃   ┃      ┃      ┃     ┃         ┃投餅、淸酒    ┃             ┃ ┗━━━━━┻━━━┻━━━━━━┻━━━━━━┻━━━━━┻━━━━━━━━━┻━━━━━━━━━┻━━━━━━━━━━━━━┛ 【左頁】 ┏━━━━━┳━━━┳━━━━━━┳━━━━━━┳━━━━━┳━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━┓ ┃一〇、二八┃仝  ┃素盞鳴社  ┃素盞鳴社  ┃向草間町 ┃掛行燈      ┃芝居、浪花節、  ┃仝 寛文二年九月吉日ノ  ┃ ┃     ┃   ┃      ┃  外一神 ┃ (向西) ┃         ┃甘酒、投餅、淸酒 ┃棟札アリ。        ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、二八┃無格社┃松島社   ┃罔象女神  ┃牟呂町  ┃         ┃投餅       ┃寛文二年勸請       ┃ ┃     ┃   ┃      ┃  外一神 ┃(松島)  ┃         ┃         ┃             ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃一〇、二九┃村社 ┃車神社   ┃武甕槌命  ┃植田町  ┃掛行燈      ┃芝居、浪花節、  ┃神龜二年創立ト傳フ。   ┃ ┃     ┃   ┃      ┃  外五神 ┃(八尻)  ┃         ┃活動寫眞 甘酒、 ┃             ┃ ┃     ┃   ┃      ┃      ┃     ┃         ┃投餅、淸酒    ┃             ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃舊    ┃無格社┃金山社   ┃金山彦命  ┃大村町  ┃         ┃浪花節、萬歲   ┃貞享二年十二月十六日舊  ┃ ┃一一、一八┃   ┃      ┃      ┃(金山)  ┃         ┃         ┃大磯村民創立。      ┃ ┣━━━━━╋━━━╋━━━━━━╋━━━━━━╋━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫ ┃一二、一六┃仝  ┃秋葉神社  ┃火產靈神  ┃東田町  ┃         ┃         ┃創立不詳         ┃ ┃     ┃   ┃      ┃      ┃(西脇)  ┃         ┃         ┃             ┃ ┗━━━━━┻━━━┻━━━━━━┻━━━━━━┻━━━━━┻━━━━━━━━━┻━━━━━━━━━┻━━━━━━━━━━━━━┛                    七三 【右頁】                    七四    豐橋の年中行事調査關係人名    (順不同) (史友會)   伊藤卯一   伊藤要藏   丸地幸之助  舟橋水哉   高橋高馬   藤村一舟   白井梅里   豐田珍彦 (學校關係者)   伊藤力平   高橋正次郎  川合一郎   早川茂次   白井一二   中神準一   宮道壽雄   林一雄    佐藤憲一   鳥居鶴夫   鈴木利雄   横山忠義   小澤正一   大橋正雄   横田狷介   加藤藤次   稻垣留吉   高藤信夫   芳賀麗雄   植田重右衞門   廣中孫三   村田末吉   星野彌助   後藤忠男 (編輯)   佐藤憲一   伊藤力平   白井一二 【左頁】 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ ┃昭和十年十一月三十日印刷納本        ┃ ┃昭和十年十二月三日發行           ┃ ┃    著作兼發行    豐橋市敎育會   ┃ ┃    右代表者  會長  福谷元次    ┃ ┃           豐橋市西八町九十二番地┃ ┃    印刷人       田中周平    ┃ ┃           豐橋市西八町九十二番地┃ ┃    印刷所       三陽堂印刷所  ┃ ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 【裏表紙】