熊本県下飽田郡高橋町市街震災被害真図 【図画右下】 生巧館刻 【図画左下】 K.GAUDA 【右側下枠内】 此に掲ぐる両面の図画は明治廿二 年七月二十八日夜熊本県下に起れ る大地震の紀念として留むべき為 め同県飽田郡高橋町(字川端)市街 被害の実況及び同地第六師団所轄 熊本城内(旧平左衛門櫓床)号砲台 近傍の土地割裂の写真に拠て図画 を作り之を欧風写真画様に模刻し たるものなり幾多の写真中特に茲 に此の両面を撰みて模刻したるも のは該地被害の箇処中殊に此の両 処を以て最も悲惨の箇処となせば なり 【写真の上】 熊本城内号砲台地盤割裂真図 【左側下枠内】 明治廿二年七月廿八日夜に於ける 熊本県下の震災は実に近代稀に聞 くの大震災なり被害の地一市九郡 に亘り裂地八百九十余箇処人畜の 死傷亦少しとせず史家の説に拠る に同震災は往古白凰七年十二月及 ひ天平十六年五月、貞観九年五月、 仁和三年七月、寛文二年十一月、享 保八年十一月、同十年九月、安永八 年九月、寛政四年二月等に於て九 州に起れる前後九回の震災と共に 永く史上に記して不忘に備ふべき の大震災なりと云ふ 【写真の下】 明治廿二年九月一日東京朝日新聞第千四百廿五号附録