《標題:蠻館圖》 【本書についての私見】 本書巻末 23ページ画像「灌園愛花圖」に由緒書あり。  暦数千七百九十七年十一月十一日於出嶋書之   附測日盤  ゲイスベルトへムミイ と書かれている。 西暦を和暦に換えると寛政九年(1797)九月二十三日で、作者をネット検索するとケイスベルト・ヘンミーGijsbert Hemmij(1747-1798)がHit。死没直前の遺作のようだ。また各ページには「筆者」と書かれた短冊があり、この人物が恐らく作者であろう。 この人物情報は以下、掛川宿に今も遺る天然寺墓所の説明板に概要が記されている。  「ゲイスベルト・ヘンミィの墓   鎖国がおこなわれた江戸時代、長崎の出  島はオランダ、中国との貿易のための窓口  であつた。出島のオランダ商館では、寛永  十年一六三三より毎年一回、寛政二年  一七九〇からは四年に一回、江戸城で  将軍に拝謁して献上品を贈り貿易通商の御  礼言上をした。ゲイスベルト・ヘンミィも  このような使節団の一員である。  ヘンミィの一行七十余人は、寛政十年一  七九八のはじめに長崎を出発し、四月に  十一代将軍家斉に謁見した。そして、五月  に江戸を発って長崎に帰る途中、六月五日  掛川連雀の本陣林喜多左衛門方に投宿。こ  の地でかねてからの病気が悪化し、六月八  日に死亡、天然寺に葬られた。享年五十一歳。   この墓は、蒲鉾型の石碑を伏せた型で、  表面にオランダ語でその由来が書かれてい  る。すでに表面が風化して、判読できなく  なっている。墓誌は記念碑に移刻されており、  訳文も添えられている。               掛川市   」 またヘンミィの職位は長崎出島の阿蘭陀商館のトップ商館長(カピタン)で日本への赴任は寛政五年1793、掛川宿で病死まで六年間在任している。 蛮舶卸貨図 【中央の南蛮船廻りの短冊】 本船、砂糖卸体、荷守ヲランダ人、荷守町使町人、白砂糖、荷コギ船、荷守阿蘭陀人 船頭ベヤ、カビタンヘヤ、石ヒヤ打ヘヤ、バツテイラ 【船尾海上に御番船の旗】繋番船、 【岸の雁木には繋留中の木造船3隻】番船 【陸上の出嶋家並み】 御制札、波止場、石火矢玉 江戸町、水門、検使場、通詞部屋、カビタンヘヤ、藏掛役阿蘭陀人部屋、脇荷物藏、端物藏 【南蛮船名か?船尾文字】USIGESCHILDERT 【外部資料より注記】 『長崎出島の遊女』白石広子著より引用 「画家は/石崎融思(イシザキユウシ)に間違いはない。船尾の船名のように記された文字は「USI」は「ユウシ」「GESCHILDERT」は蘭語でゲシルデルト「描いた」の意味で、「融思画」と判読できる。なを、石崎 融思(明和5年~弘化3年[1768-1846])は長崎の絵師。唐絵目利として漢画・洋風画を折衷させた写実的洋風画を確立させた。 【左縦書き】 アフテーケニング・ハン・ヘット・スエコムプス・アーンゲブラリデ グーデレン       蘭舶卸貨図 【右横転文書】 絵にかける馬よな〳〵出て草餅を喰ひ 絵にかける鹿よな〳〵出ておはぎをくひしと いふは実に馬鹿〳〵しきためしなれど其 妙を得るに至ては素人了簡の及ばさる所 にしてそこかかの餅はもちやの場なるべし こゝに載斗翁の画における気韻生動 骨法を得て其真を寫に及ては飴で餅 くふうまみありて一切万物写形の細密には 【右文書註私見】 右は葛飾北斎著『北斎漫画第六編』 文化一四年1817年に書肆江戸角丸屋から出版された版の序文の一部抜書で、著者は食山人文宝堂。 本書『蠻館図』はゲイスベルト・ヘムミイが病死直前の寛政九年1797に長崎の絵師石崎融思に描かせたとされるゆへ、この序文とは廿年のタイムラグがある。以下の絵図説明のページにも『北斎漫画』の序文の一部が掲載されている。 ゲイスベルト・ヘムミイと北斎との接点は寛政十年長崎出島より江戸上府の折、江戸長崎屋にて北斎に面会し二巻の絵を注文したという。この時北斎は三九才、ヘムミイが生前北斎愛好家ゆへに後日誰かが『蠻館図』に差込んだと考えられるが本書絵図と序文との関係はよく解らず。 検使鑒貨図 砂糖掛改ル体、小役、日雇頭、日雇、船頭、内通詞、船番、筆者 検使、ザラサ、嶌天鵞絨、羅紗、手廻道具 組頭、出島乙名、乙名筆者、通詞、目利、 菓子、鏡、酒、鉄炮、船番、油薬ノ類、マタロス 水門、紅音呼、砂糖、硝子器、役人、町使 【左縦書き】 アフテーケニングハンヘットソルテーレンハンスエコムプスグーデレンドール ケンニスリイデン・エン・ヘット・テン・トーン・ステルレン・ダール・ハン        検使鑒貨図 【右横転文書】 戴斗翁初より画癖あり唯食唯画而已遂 にもて葛飾一風を興し画名世に高し 於茲其門に入て伎を学ぶ者多し翁これに 教て曰画に師なし唯真を寫事をせは 自ら得へし門人これを愁ふ或人翁が言を聞て 翁を諫て曰翁は葛飾一家の画祖なり翁か 風を慕ふ徒はこれか風たらん事を欲す然れは 何そ他に師を索むへけん離婁の明公輸子の 巧も規矩を以てせされは方員を成事能はす 蛮酋飲宴図 【食卓の周り人物】 カビタン、船頭、外科、筆者、筆者、為楽体、遊女、狎犬 【食卓上品々】 豚ノ頭、小鳥、塩入、カラシ入、酢醤油、胡椒粉、痰ハキ、ボヲトル、鶏、汁入、パン、油アケ鯛、豚ラカン、野菜、塩牛 【調度品】 四季人形、虫漬、燭台 【左縦書き】 アフテーケニング・ハン・エーネ・ホルランツエ・マール・テイト・エン・ヘット・スペーレン・ ヲップ・ミユシーキ・イン・ステユリユ・メンテン           蘭酋飲宴図              附楽器 【右横転文書】 妙手の筆端ならすしていかてか天地間の 万物を陶冶する事こゝに至らむや今又   此編を梓に彫るとて予に序を乞ふまゝ 戯に児童のために手引することしかり            百信翁漫題 【百信=深田精一】 射玉為賭図 【中央人物から右廻り】 カビタン、筆者、筆者、船頭、射玉台、筆写 名酒、コップ、火入、タバコ入、キセル 【左縦書き】 アフテーケニング・ハン・ヘット・ビリアルト・スペーレン          射玉為賭図 【右横転文書】 北斎漫画十三編刻成矣 嗚呼富哉戴斗翁の筆 十竹斎芥子園の理窟を 脱して人情世態乃洒落一 編ことに其妙を画く愈 出て愈奇なり曩に蜀 量官銅図 【人物右より】 会所役人、筆者阿蘭陀人、通詞、按針役阿蘭陀人 銅掛役、銅改ル体 【人足が担ぐ木箱の文字】 長崎別子立川 御用棹銅 【左縦書き文書】 アフテーケニング・ハン・ヘット・ウエーゲン・ハン・スターフ・コープル    量官銅図 【右横転文書】 北斎漫画は/顧愷之(こがいし)甘蔗を 食ふが如く漸佳境に入れり 十二編に/臻(いたり)て狂態百出筆力 老てます〳〵壮也僧正が俵と 軽重を論じ一蝶が鞠と 蠻厨調味図 【右上より】 豕股、料理人、子豚丸焼、油受鉢、料理人 【左縦書き文書】 アフテーケニング・ハン・デ・コムボイス・エン・ヘッド・ベレイデン・ハン   蘭厨調味図 【右横転文書】 山人六樹園式亭の諸先 みな序あり余また何をか 言む嗚呼富哉戴斗翁 の筆  己酉秋窓雨夜秉燭書    山禽外史小笠 畜豚殺牛図 【中央人物】 台所役阿蘭陀人 【左縦書き文書】 アフテーケニング・ハン・ヘット・スラクテン・ハン・クーベーステン・ エン・ハルケンス     畜豕殺牛図 【右横転文書】 文は道を貫くの器画は形を伝ふるの具 しかれとも文の拙き豈道を貫に無耶画 のつたなきもとより形を伝ふへからず乕を 画きて狗に類することき是なり北斎か万 物を画かける皆其形を伝ふるものにして 三歳の童子もこれを見て其物をしるこは 瘍醫図 【右より】 油薬、膏薬、外科道具、金線花、ザボン、寒熱升降、硝子花生、時計   【左縦文書】 アフテーケニング・ハン・シユリユゼインス・イン・ステユリユ・メンテン    和蘭瘍醫図  【右横転文書】 摩詰李思訓も天窓をかきもちなるへしされば 此漫画世に行はれしより書肆のためには 大福もち猶あたゝかなる炉ひらきのそれはゐの子 ねの子の餅みつがひとつのそれならでみツを ふたつの六編に至りて予が序を乞ふこはれて 是を餅につきしが口から出るまゝ筆に まかせて餅好の酒きらひ下戸の食山人 文宝堂にしるす 【右文注】 出典は『北斎漫画』第六編序、文化十四年1817刊 鍛冶場之図 【右上より】 マタロス、鍛冶師、砥、鍛冶師 【左縦書文書】 アフテーケニング・ハン・デ・スミッツ・ゥインケル    鍛冶場図 【右横転文書 ページ19と同文再掲】 文は道を貫くの器画は形を伝ふるの具 しかれとも文の拙き豈道を貫かむ耶画 のつたなきもとより形を伝ふへからず乕を 画きて狗に類することき是なり北斎か万 物を画かける皆其形を伝ふるものにして 三歳の童子もこれを見て其物をしるこは 【右文注】 出典は『北斎漫画』第十四編、出版は嘉永二年以降 灌園愛花図 【右上より】 撫子、ガンピ、檀獨花、蘆薈、石竹、葡萄棚、凉亭 測日盤、水突 【左縦書文字】 アフテーケニング・ハン・デ・ゾンネ・ゥエイズル・エン・ヘット・ベギーテン・デル・ ブルーメン・ペルケン・イン・デ・トイン  デジーマ・デン・エルフデ・ノヘンブル・セーヘン・テイーン・ホンドルト・セーヘン・ネーゲン    灌園愛花圖     暦数一千七百九十七年十一月十一日於出嶋書之      附測日盤  ゲイスベルトへムミイ 【右横転文書 ページ9と同文再掲】 妙手の筆端ならすしていかてか天地間の 万物を陶冶する事こゝに至らむや今又   此編を梓に彫るとて予に序を乞ふまゝ 戯に児童のために手引することしかり        百侶翁漫題 【右文注】 出典は『北斎漫画』第十四編序文