根南志具佐 5巻 【参照資料:国会図書館デジタルコレクション>帝国文庫>第22編・風来山人傑作集>根南志具佐 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1882565/78】 ●模範解答付きコレクションは、国会図書館が公開する翻刻本を参照資料として、自分で答え合わせをしながら翻刻を進めることができるコレクションです。 ●参照する翻刻本では、かなを漢字にしたり、濁点や句読点を付加するなど、読みやすさのために原書と異なる表記をしている場合があります。入力にあたっては、「みんなで翻刻」ガイドラインの規則に従い、原書の表記を優先し、見たままに翻刻して下さい。 ●参照する翻刻本と原書の間で、版の違いなどにより文章や構成が相違する場合があります。この場合も原書の状況を優先して翻刻して下さい。 根南志具佐 上 根南志具佐序 余読_二 ̄ムヤ斯 ̄ノ篇_一 ̄ヲ也不_レ覚撃_レ ̄テ節 ̄ヲ驚-呼 ̄シテ曰 ̄ク 咄人 ̄カ邪鬼 ̄カ邪無_二能 ̄ク名_一 ̄クルヿ焉蓋 ̄シ可_レ ̄クシテ測 ̄ル 而測 ̄リ可_レ ̄クシテ言 ̄フ而言 ̄フ旦_二暮 ̄ニシ万-古_一 ̄ヲ咫_二-尺 ̄スルモ 六-合_一 ̄ヲ世有_二 ̄テ若 ̄ノコトキ人_一而 ̄シテ為_二 ̄ス若 ̄コトキ事_一 ̄ヲ亦曷 ̄ソ 異_レ ̄ン之 ̄ヲ若 ̄シ乃 ̄チ冥-途潜-府 ̄ハ幽-昩浩-渺 ̄タリ 瞿-曇-氏 ̄ハ者姑 ̄ク-舎 ̄ク其 ̄ノ他雖有_二 ̄ト眀-者_一 不_レ能_二窺測_一 ̄ルヿ也而 ̄シテ斯 ̄ノ篇能 ̄ク測_二 ̄リ其 ̄ノ不_一 ̄ルヲ _レ可_レ測 ̄リ也能 ̄ク言_二 ̄フ其 ̄ノ不_一レ ̄ルヲ可_レ言也紀-事 詳-悉属-辞壮-快波-瀾変-幻不_レ可_二 端倪_一 ̄ス嗚呼人 ̄カ邪鬼 ̄カ邪果 ̄シテ無_二能 ̄ク名_一 ̄クルヿ 焉童-子秉_レ ̄ル燭 ̄ヲ曰 ̄ク儻 ̄クハ有_レ類_二黄-帝華- 胥 ̄ノ之遊_一 ̄ニ者非 ̄カ邪 宝暦癸未秋九月黒塚処士題 自序 唐人の陳紛看(ちんぷんかん)天竺(てんぢく)の□□□□□(おんべらぼう) 紅毛(をらんだ)のSutupelpomu(すつぺらぽん)朝鮮(てうせん)のㅁ챠리ㅋ챠리(むちやりくちやり)京の男の髭喰(ひげくひ)そらしてあの おしやんすことわいな江戸の女の口紅(くちへに) からいま〳〵しいはつつけ野郎(やらう)なんど 其詞は違へども喰(くふ)て糞(はこ)して寝(ね)て 起(おき)て死て仕舞ふ命(いのち)とは知(しり)ながらめつた に金(かね)を慾(ほし)がる人情は唐も大倭(やまと) も昔も今も易(かはる)ことなし聖(せい)人も学(まなへ)は 禄(ろく)其中にありと旨(うまく)云て喰(くい)付せ仏は 黄金の膚(はだへ)となりて慾(ほし)からせ初穂(はつほ)なし には神道加持力も頼れず皆是金が 敵(かたき)の世の中なり一日 貸(かし)本屋何某来 て予に乞ことあり其源を尋れはこい つまた慾がる病の膏肓(かう〳〵)に入たる親父なり 是を治せんとするに鍼灸(しんきう)薬(やく)の及へき にあらず是を戒(いましむる)に儒((じゆ)を以てすれば彼曰 聖人物を食(しよく)せざりしは神道(しんとう)を以て すれはまたいわく貧して正直なりかたし 仏法を以てすれは又曰 未来(みらい)より現在(げんざい) なり冀(ねがはく)はまづ鈎(かき)と縄(なわ)とを賜(たま)へ家内の 口を天井(てんじやう)へつるして而 ̄シテ後 教(をしへ)を受(うく)へし 予答に詞(ことば)なく即 ̄チ筆を執て此篇をなし 名て根南志具佐といふ釈迦(しやか)の鳩(はと)の卵(かい) 老荘(らうそう)の譫言(たわこと)紫式部が空言(うそ)八百に比(ひ) すべきにはあらざれども只人情を論ず るにおいては彼も一時なり是も一時なり 安本元年霜月三十一日       天竺浪人誌 根南志具佐一之巻 公無_レ渡_レ河公竟渡_レ河堕_レ河而死当_二奈_レ公何(こうかをわたることなかれこうついにかをわたるかにおちてしすまさにこうをいかんすへき)_一と 詩(からうた)に作しは見ぬ唐土(もろこし)の古(いにしへ)夫(おつと)の水に溺(おほれ)て死たるを なんかなしみに堪(たへ)ざる妹子(わぎもこ)の歎(なけき)とかやされば宝 暦十あまり三の年水無月の頃荻野八重桐 となんいへる俳優人(わざをきひと)の水に入て死たる事世の取 沙汰のまち〳〵にしてそれと定たる事を知人 なし其由て来る処を尋に皓々(かう〳〵)の白を以て 世俗の塵埃(ぢんあい)を蒙んやと憤(いきとほり)て泪羅(べきら)に沈(しつみ)し屈(くつ) 原(げん)が流(たぐい)にもあらず竜宮の玉を取んと海底(かいてい)に飛 入て命を捨たる蜑人(あまひと)にも異(こと)なり此世にも あらぬ世界の極楽(ごくらく)と地獄(ちごく)の真中(まんなか)に閻魔(えんま)大王 となんいへるやんごとなき方ぞまし〳〵ける此大 王三千世界を順(まわり)し給ふてなれば十王を始として 朝廷(てうてい)の臣下数もかぎらずそれ〳〵の役を司者(つかさどるもの) 多しされば人間の世渡 士農工商(しのうこうしやう)の各 隙(ひま)なき も断(ことはり)ぞかし閻魔王宮も昔はさのみ閙敷(いそかわしく)もあら ざりしが近年は人の心もかたましくなりたるゆゑ 様々の悪作る者多く日にまして罪人(ざいにん)の数(かず)かぎ りもあらざれば前々より有来の地獄にては中々 地面不足なりとて閻魔王こまり給ふ折を窺(うかい) 山師共は我一と内証より付込役人にてれん 追従(ついしやう)賄賂(まいない)などしてさま〳〵の願を出し極楽 海道(かいどう)十万億土の内にてあれ地を見たて地蔵(ぢぞう) 菩(ほさつ)の領分 茄子畠(なすびばたけ)の辺までを切ひらき数 百里の池を堀 蘇枋(すほう)を煎(せん)じて血(ち)の池をこし らへ山を築(つき)ては剣(つるぎ)の苗(なへ)を植(うゑ)させ罪人をはた く臼(うす)も獄卒(ごくそつ)どもの手が届かざれはとて水車を 仕懸(しかけ)させ焦熱(せうねつ)地獄には人排(たゝら)を仕かけ其外 叫喚(きやうくわん)大叫喚(だいきやうくわん)等活(とうくわつ)黒縄(こくじやう)無間(むげん)地獄等の外に さま〳〵の新 地獄(ちごく)をこしらへて岡場所(おかはしよ)地獄と 称し三途川(さうづかわ)の姥(ばゝ)も一人にてはなか〳〵手かまはり 得ぬとて久敷地獄に堕(おち)居たりし浅草(あさくさ)の一つ家 の姥 安達(あだち)が原の黒塚姥(くろづかはゝ)堺町の筍(たけのこ)姥其外 娑婆(しやば) にてよく婦(よめ)をいぢり継子(まゝこ)を憎(にくみ)たる悪姥どもの 罪(つみ)を御 赦免(しやめん)あり三途川の姥の加 勢(せい)に入て段々地 獄も広(ひろ)まりければ彼山師共また〳〵願を出し何 とそ新地獄町の大屋に成度との願しかし餓鬼(かき) 道(どう)の分は掃除(そうじ)代が上らざれ節句銭(せつくせん)を二百文 づゝに御定下され度と願は或は舌(した)を抜(ぬく)鋏(はさみ)の入口 鉄の棒(ほう)火の車の請おひ釜も新敷仰付られ候 よりは古(ふる)地獄にて底(そこ)のぬけたるを取 集(あつめ)て鋳 懸(かけ)させ竹の根を堀 灯心(とうしん)も蠟燭屋の切屑(きりくず)を御 買上になさるゝが至極 下直(けしき)に付候少々の事にても 地獄の年数は仮初(かりそめ)にも百万 劫(こう)などゝ久々の事 なれば塵(ちり)積(つもつ)て山師共の謀(はかり)又は三途川の古着(ふるぎ) を一人にて座に仰付られば其かはりには獄卒(ごくそつ)衆 中 樗蒲一(ちよぼいち)に御まけなされ虎(とら)の皮のふんどし を質(しち)に御置なさるゝとも随分 利安(りやす)に仕らんさあ る時は惣地獄の御うるほひにも相成申べしと 【挿絵】 己が勝手は押かくしお為ごかしに数通の願事 地獄の沙汰も銭次第 油断(ゆだん)せぬ世の中とぞ知 られける閻王もさま〳〵の政(まつりこと)を聞せられければ少 の暇(いとま)もなきをりふし獄卒ども地獄の地の字の 付たる高提灯(たかてうちん)を先に立一人の罪人を引立来 れり閻王はるかに御覧あれば年の頃廿斗の 僧の色白く痩(やせ)たるに手かせ首かせを入腰のま はりに何やらんふくさに包(つゝみ)たるものをくゝり付 てぞ有ける此者いかなる罪(つみ)にてか有と尋給へは かたはらより俱生神(くしやうじん)罷出て申けるは此 坊主(ぼうす)は 南瞻部州(なんせんぶしゆう)大日本国江戸の所化(しよけ)なるが堺町の 若女形瀬川菊之丞といへる若衆の色に染ら れて師匠(ししやう)の身代からくれない錦(にしき)の戸張は道具(たうぐ) 市にひるがへり行基(きやうぎ)の作の弥陀如来(みだによらい)は質(しち)屋の 蔵へ御 来迎(らいかう)若衆の恋のしすごしに尻(しり)のつまら ぬ尻がわれて座敷 牢(らう)に押込られしたふかいな く己(おの)が身を宇津の山部(やまべ)の現(うつゝ)にも逢(あは)れぬ事を苦(く) に病てむなしくあの世を去けるがだんまつまの 苦(くるしみ)にも忘(わすれ)得ぬは路考が俤(おもかげ)なりとて此処まで も身をはなさずアノ腰(こし)に付たるは鳥居清信が 画(ゑがき)たる菊之丞が絵姿(ゑすかた)なり若気とは云ながら師 匠親の目をかすめたる科(とが)一々 鉄札(てつさつ)に記置(しるしをき)たり しかしながら今時の坊主表むきは抹香(まつかう)くさい 貌(かほ)しながら遊女狂ひにうき身をやつし亀を 明神 葱(ねぎ)を神主などゝ名付取喰ふから見れば 坊主の優童(やろう)狂ひは其 罪(つみ)軽(かるき)に似たれば剣(つるぎ)の山 の責(せめ)一等を許(ゆるし)彼(かれ)が好(このむ)処の釜(かま)いりに仕らん と窺(うかゞへ)ば閻王以の外 怒(いから)せ給ひいや〳〵彼が罪(つみ)軽 に似て軽からず都(すべ)て娑婆(しやば)にて男色といへる事 有よし我甚 合点(がてん)ゆかず夫婦(ふうふ)の道は陰陽(いんやう)自(し) 然(せん)なれば其はづの事なれども同じ男ををか すは決(けつし)て有べからざる事なり唐土(もろこし)にては 久しき世より有て書経(しよきやう)には頑童(くわんどう)を近る事 なかれといましめ周(しゆうの)穆王(ぼくわう)は慈童(じとう)を愛(あい)してより 菊座(きくざ)の名始り弥子瑕(びしか)董賢(とうけん)孟東野(もうとうや)が類(たくひ) また日本にては弘法(こうほう)大師 渡天(とてん)の砌(みきり)流沙川(りうさかわ)の川 上にて文殊(もんじゆ)と契(ちきり)をこめしより文殊は支 利(り) 菩(ぼさつ)の号を取弘法は若衆の祖師(そし)と汚名(おめい)を残(のこ)し 熊谷の直実(なをさね)は無官の太夫 敦盛(あつもり)を須摩(すま)の浦(うら) にて引こかしハリハドツコイなされけるとうたはれ 牛若は天狗にしめられ増賀聖(そうかひじり)の業平(なりひら)後醍(こたい) 醐帝(ごてい)の阿新(くまわか)信長(のぶなが)の蘭丸(らんまる)其名も高尾(たかを)の文(もん) 覚(がく)は六代御前にうつゝをぬかしいらざる謀反(むほん) をすゝめこみ頼朝(よりとも)のとがめを受(うけ)しより娑婆(しやば) にて尻(しり)の来るといふ詞(ことば)始れり但馬(たじま)の城(き)の崎(さき) 箱根(はこね)の底倉(そこくら)へ湯治するもの多きは皆此男 色の有ゆゑなり昔は坊主計がもて遊し 故にや痔といふ字は疒(やまい)冠(か)に寺といふ字なり しかるに近年は僧俗(そうそく)押なへて好こと甚以 不(ふ) 埒(らち)の至りなり今より娑婆世界にて男色 相 止(やめ)候様に急度申渡べしとの勅命(ちよくめい)皆々はつ とお請を申けるが十王の中より転輪王(てんりんおう)進出(すすみいて) て申けるは勅(ちよく)定を返し奉るは恐(おそれ)多(おゝ)きに似たれ ども思ふ事いはでやみなんも腹(はら)ふくるゝわざ也 仰の通り男色も亦 害(かい)なきにはあらずしかは あれども其 害(かい)女色に比(ひ)すれば至て軽くし て 中〱同日の談(だん)にあらず譬(たとへ)は女色はその甘(あまき)こと 蜜(みつ)のごとく男色は淡(あはき)こと水のごとし無味(むみ)の 味は佳境(かきやう)に入ずんば知がたし是は畢竟(ひつきやう)大王の 若衆御 嫌(きらい)なるがゆゑ上戸の餅(もち)屋をやめさせ 度と申がごとし其上 娑婆(しやば)の評判(ひやうばん)を余所(よそ)なが ら菊之丞が絶色(せつしよく)なる事兼てよりかくれなけれ はせめて此世の思ひ出に絵姿(ゑすがた)なりとも見まほし《割書:シ|》 此義は何とぞ御免を蒙たしと願へば閻王は不 機嫌にて蓼(たで)喰ふ虫も好(すき)〳〵とは其方が事なり 然れどもたつての願もだしがたし絵図を 見る事は勝手次第たるべししかしおれは若 衆を見るは嫌(きらい)なれば絵の有内は目を閉(とち)て見ま じき程に早とく〳〵と御目を閉させ給へば彼 罪人が持たりし姿絵を柱に掛けるに清(きよき)如(ことは)_三 春柳含(しゆんりうの)_二初月艶似(しよけつをふくむがことくゑんなることは)_三桃花帯(とうくわの)_二曉煙(きゆうゑんをおぶるににたり)その姿(すかた)の あてやかなる事ゑもいはれざれは人々は目もは なさずはつと感(かん)じて暫(しはらく)は鳴(なり)もやまず誠(まこと)や 婆婆にてうつくしきものは天人の天降(あまくたり)たるといへ どもそれは畢竟(ひつきやう)遠が花の香(か)なり此国の極楽 にては几巾(たこ)を登す同然(どうぜん)に常(つね)に見る天人なれ ば美(うつく)しいとも思はす路考とくらべて見る時は 閻魔王の冠と餓鬼(がき)のふんどし程の違ひあり 聞しにまさる路考が姿(すがた)古今 無双(ぶそう)の器量(きりやう) かなと十王を始として見る目は目玉(めたま)を光らし 【挿絵】 かぐ鼻(はな)は鼻をいからし其外一座に有あふたる 牛頭馬頭(ごづめづ)阿防羅刹(あほうらせつ)まで額(ひたい)の角(つの)を振(ふり)立て 感(かん)ずる声止ざりければ閻王覚へず目をひらき 御覧しけるに越(こよ)なふあてやかなるに心 動(うこき)初 笑しことはどこへやら只 茫然(ほうぜん)と空蝉(うつせみ)のもぬけ のごとくになりて覚ず玉座(きよくさ)よりころび落 給へば皆々 驚(おどろき)いたき起(おこ)し奉れば漸正気付せ 給ひため息(いき)をほつとつき扨〳〵かた〳〵が見る 前 面目(めんぼく)もなき事ながら我思はずも此絵姿 のみやびやかなるに迷(まよい)たる心を何と遍照(へんぜう)が歌 のさまなる我ふるまひ扨つく〳〵と按(あん)ずるに古 より美人の聞え数もかぎらぬ其中にもまた ならぶべき人もなし西施(せいし)がまなじり小町が 眉(まゆ)楊貴妃(やうきひ)か唇(くちびる)赫奕姫(かくやてひめ)が鼻筋(はなすじ)飛燕(ひえん)が腰(こし) つき衣通姫(そとほりひめ)の衣裳(いしやう)の着(き)こなしひつくるめたる 此 姿(すがた)桐(きり)は御 守殿(しゆでん)山丹(ひめゆり)は娘盛(むすめざかり)と瞿麦(なてしこ)のなどゝ は並(なみ)〳〵の事花にも月にも菩薩(ぼさつ)にも又ある べきともおもほえずまして唐日本の地にかゝる もの二度生ずべきにあらざれば我も是より 冥府(めいふ)の王位を捨(すて)娑婆に出て此者と枕(まくら)をかわ さば王位の貴(たつとき)も何かはせんと御目の内もしど ろにてうかれ出んとし給ふ処に宗帝(そうてい)王かけ 出御 袖(そで)をひかへにがり切て申けるはこはけし からぬ大王の御 振舞(ふるまい)わづか一人の色におぼれ 此冥府の王位を捨(すて)娑婆(しやば)に出て人間にまじ わり給はゞ地獄極楽の政(まつりごと)は執行者(とりおこのふもの)もなく善 悪を正ずべき所なければ三千世界の衆生は 何を以て教(おしへ)とせんやかゝる貴き御身をば優童(やらう) 買(かい)と成果(なりはて)給はゞ極楽に満(みち)々たる金の砂は忽 に堺町の有(ゆう)となりいくら有とも使(つかい)足らず は金のなる木がわしやほしいと悔(くやむ)段に成ては 極楽の先生 釈迦如来(しやかによらい)の黄金(わうごん)のはだへまで潰(つぶし) に掛(かけ)て下金(したがね)屋へ売てやり地蔵菩(ぢぞうほさつ)は長太郎坊 主同然に子共のなぶりものと落(おち)ぶれびんが鳥 は両国橋の見せものとなり天人も女衒(ぜげん)の手に 渡り三途川の姥はのり売姥と変(へん)じ仁王は 辻竹輿(つじかご)かくやうに成行かば地獄極楽 破滅(はめつ)せん は目(ま)のあたりなるに其気の付ざる御年ばいにも あらずまた譬当世を見習て蝙蝠(かうもり)羽織に 長 脇指(わきざし)髪(かみ)は本田に銀ぎせる男娼買(やらうかい)と 見せ掛ても色のとれる御 顔(かほ)にてもましまさ ず昔 海老蔵(ゑびぞう)が景清(かけきよ)の狂言(きやうげん)にて御姿を似せ しさへ娑婆の者共はおぢおそるゝに其御姿 にてぶらつき給はゞうさんな者と召捕(めしとら)れ大屋を 詮議(せんぎ)せらるゝ時大屋は釈尊(しやくそん)名主は大日と 云たりとも証拠(しやうこ)に立者もなければ無縁法(むえゑんほう) 界(かい)の無宿(むしゆく)仲ケ間へ入られて憂目(うきめ)を見給はん は案(あん)の内それとも御 得心(とくしん)なくは此 宗帝(そうてい)王御 前にて腹(はら)かつさばき申べし御 返答(へんとう)承らん と席(せき)を打て諌(いさめ)ける処に平等(びやうとう)王しづ〳〵と 立出申されけるは宗帝王の諌言(かんげん)は比干(ひかん)か胸(むね) をさかれ呉子胥(ごししよ)が眼(まなこ)をぬかれ木曽の忠太が 義仲(よしなか)を諌(いさめ)て腹(はら)切たるにもをさ〳〵おとるべか はあらねども日頃御 偏意地(かたいぢ)の大王 一旦(いつたん)仰出さ れたる事は変(へん)じ給はぬ御 気質(きしつ)一杯の水を以 車薪(しやしん)の火は救(すくい)がたしいか程に諌(いさめ)給ふとも馬 の耳の風牛の角の蜂(はち)とやらでさして御為に もなら山のこの手柏(てかしわ)の二面(ふたおも)に男とも見え女と もみめよき路考が姿(すかた)故に此 冥府(めいふ)を捨給はん とは世上の息子の了簡(りやうけん)にして地獄極楽の主 たる大王の智と云ふべきにあらす是非〳〵 御 望(のぞみ)とある事ならば使をつかはし召捕(めしとり)て 参んに何条事の有べきや何れもいかにと 申されければ一座の人々口を揃(そろへ)平等(ひやうどう)王の評(ひやう) 議(ぎ)甚道理に当(あたつ)て砕(くだ)る大王も尤と聞れければ いさや路考を召捕に遣すべき使を詮儀(せんぎ)せら れけるに泰山(たいさん)王申されけるはそれ人生れては定(ぢやう) 業(ごう)にあらざれば此土へは来らざる習なりいざ〳〵 定業帳を詮義あるべしとて取出させつく〳〵 とくり返して申されけるは午の霜月佐野川市 松未の七月中村助五郎 腫物(しゆもつ)にて死すべし とは有とも菊之丞か命はいまだ尽べき時節 にあらず御使を遣されたりとも彼国には伊 勢八幡を始として彼か氏神王子の稲荷(いなり)なん ぞとて四も五も喰はぬ手あひにて此界をも 直下(ちよつか)に見下すおへない親父が沢山(たくさん)に守り居 れば中〱表立ての御使にては存もよらず此義 いかにと申されければ初江(しよこう)王進出て申けるは それこそ安事なんめり愛岩(あたご)山の太郎坊 比良(ひら) 山の次郎坊などに申付なば忽(たちまち)抓(つかむ)て参んこと いとやすし誰(たれ)かある天狗ともを召寄よと呼 はり給へば五官王しばしと押とめいや〳〵此評 議宜かるまし情を知らぬ天狗ども力にまか せ引抓(ひつつかむ)でもし疵(きず)付ては悔(くやん)で返らずそれより 疫神(やくじん)を遣さるゝが近道ならんと申さるれば変(へん) 生(ぜう)王かぶり打ふりイヤ〳〵疫病神(やくびやうがみ)といへどものふ さんころり山椒味噌(さんしよみそ)と手 短(みしか)に殺(ころす)事はなりがた し大陽経(たいやうけい)から段々伝経(でんけい)をしている内には大 王御待遠なるべければ疫病神は御無用たるべし一向 それより近道は今世上に沢山なる医者(いしや)ども に申付れば一ふくにてもやり付る事疫神 などのおよぶべき所にあらず此使は医者共 に申付んと申さるれば皆尤とうなづき先よく殺 医者は誰々ならんと評定ありけるに一向文盲 なる医者はこはがつてめつたなる薬はもらず 何見せても六君子湯(りつくんしとう)益気湯の類一腹の 掛目わづか五分か七分の薬にて白湯(さゆ)に香煎(かうせん) も同前つまる所は一ふくで何分ツヽのわりを以 謝礼(しやれい)をせしめる計にて毒(どく)にもならず薬にも ならざれはそろ〳〵干(ほし)べりのするは格別(かくべつ)急に 殺(ころす)ことは成がたし小文才のある医者は人を 殺が商売なれば一ふくにても験(しるし)あるべしと申上 れば閻王 暫(しはらく)御 思案(しあん)ありイヤ〳〵近年の医者ども は切つぎ普請(ぶしん)の詩文章ても書おぼへ所まだ らに傷寒論(しやうかんろん)の会(くわい)が一へん通り済(すむ)やすますに 自(みつから)古方家或は儒医(しゆい)などゝは名乗れども病 は見えず薬は覚えずに漫(みだり)に石膏(せきかう)芒消(ぼうせう)の類 を用て殺(ころす)ゆゑ死て此土へ来るもの格別(かくへつ)に色 も悪(わる)く痩(やせ)おとろへて正真の地獄から火を貰(もらい) に来たと云ふやうな形(なり)になる事是皆当世 の医者共己が盲(めくら)はかへりみず仲景(ちうけい)孫子邈(そんしはく) 張子和(ちやうしわ)など同じやうに心得て鸕鷀(う)の真似(まね)を する烏(からす)なればかあいや路考も薬毒(やくどく)に中(あたり)て死 たらば花の姿も引かへて火箸(ひばし)に目鼻(めはな)と痩(やせ)お とろへば呼寄てから詮(せん)もなし何とぞ無事に 取寄て互(たがひ)ちん〳〵ちがひの手枕(たまくら)に娑婆(しやば)と冥途(めいど) の寐物語(ねものかたり)縁(ゑん)につるれば日の本の若衆の肌(はだ)を富(ふ) 楼那(るな)の弁(べん)舎利弗(しやりほつ)が智恵(ちゑ)目蓮が神通(じんづう)をか りてなりとも片時(へんし)もはやく呼寄(よびよせ)て朕(ちん)が思ひ をはらさせよとしほ〳〵として宣(のたま)へばさしもの 十王 方便(てたて)に尽もはや我々が智恵(ちゑ)も中橋(なかばし) なれは此上は修羅道(しゆらどう)へ使を立 太公望(たいこうぼう)孔明(こうめい) 韓信(かんしん)張良(ちやうりやう)孫子(そんし)呉子(ごし)武則(たけのり)義経(よしつね)正成(まさしげ)道鬼(とうき) が類の軍師(ぐんし)どもを召れ御 評議(ひやうぎ)然べしと申上 れば末(ばつ)座より色至て赤(あかく)眼(まなこ)の光 鏡(かゞみ)のごとく口 耳のきわまで切て首(くび)有て形なきもの出る を見れば人の一生の事を見届て帳に記す横(よこ) 目役見る目と云る者なり閻王の前にすゝみ出 かた〳〵の御評議御尤には候得ども是式の事に 修羅道(しゆらどう)へ人を遣し軍師どもを召れんことは 此界の恥辱(ちぢよく)といふべし其上彼等が智謀(ちほう)計略(けいりやく) にて此方の智恵(ちゑ)を見すかされなばいかなる謀 をなして小夜嵐(さよあらし)の騒動(そうとう)以後太平の地獄 界 再(ふたたび)乱世となるならば上閻王より下 獄卒(ごくそつ) に至までの難義なれば軍者を御 招(まねき)は御無用 たるべし私は人のかたに居て善悪を規(たゞす)か役 目なれば人々心に思ふ事をも明白に是を知 れり菊之丞を初として其外の役者ども船遊(ふなあそび) に出べききざし有事兼てより存たり此 虚(きよ)に乗て謀(はかり)給はゝやわか御手に入ざらん哉と 聞より大王悦び給ひそれくつきやうの事な めり水辺の事なればいそぎ水府(すいふ)へ使を立 竜王を呼寄よ畏(かしこまり)候とて数多(あまた)の鬼の中より 足疾鬼(そくしつき)とてまたゝく内に千里行て千里 戻(もどる)地獄の三度仲ケ間へ仰付られければ兎角(とかく) する間もなく八大(はちだい)竜王の惣頭(そうかしら)難陀竜王(なんだりうわう) 参内(さんだい)と披露(ひろう)させ衣冠(いかん)正しき其よそおひ頭(かしら) に金色(こんじき)の竜をいたゞき瑪瑙(めのう)の冠 瑠璃(るり)の纓(ゑい) 珊瑚(さんご)虎珀(こはく)の石の帯(おび)玻璃(はり)の笏(しやく)瑇瑁(たいまい)の履(くつ)異(い) 形(きやう)異類(いるい)の鱗(うろくづ)ども前後をかこみ参内あり 御 階(はし)の本にひれ伏ば大王はるかに御覧あり 珍しや竜王只今召こと余の義にあらず此 大王うそ恥しくも心をくだく恋人は南瞻部(なんせんぶ) 州(しゆう)日本の地に瀬川菊之丞と云ふ美少年あり 是を我手に入れんためさま〳〵と評議せしに 彼菊之丞近日船遊に出るとの事ゆゑ水中は 汝(なんぢ)が領分(りやうぶん)なれば急ぎ召捕来るべしとありけれ ば竜王は恐入(おそれいり)勅(ちよく)定の趣いさい畏り奉る私 支配(しはい) の者どもには鰐(わに)鯊魚(ふか)を初として水虎(かはたらう)水(かは) 獺(をそ)海坊子(うみほうず)なんど人を取こと妙を得て候へば此者共に 申付急に召捕差上て宸襟(しんきん)をやすめ奉んと事も なげに勅答(ちよくとう)あれは大王 怡悦(いゑつ)まし〳〵て然は菊之丞が来迄 は奥の殿に引篭(ひきこもり)天人どもに三弦(さみせん)弾(ひか)せてなぐ さまん此砌に罪人(ざいにん)どもが見へたりとも大抵(たいてい)軽 は追返し重きやつは先六道の辻の溜(ため)へ打 込で置べしまた最前(さいぜん)の坊主め菊之丞に身 を打し事初は憎(にく)しと思ひしが朕(ちん)が心にく らぶれば若い者の有そふな事なれば再(ふたゝび)娑(しや) 婆(ば)へ返(かへす)べししかし此後菊之丞買ことは法度 たるべし弁蔵松助菊次なんどを初として 其外湯島神明に至るまで外の者は免許 なるぞと勅定ありて御 簾(れん)さつとおりければ 竜玉は水府に帰り皆々退土したりけり 根南志草一之巻終 根南之久佐二之巻 抑狂言の濫觴(らんしやう)を尋に地神五代の始 天照太(あまてらすおほん) 神此日の本を治(おさめ)給ふに御弟 素戔(そさの)嗚尊御 性質(うまれつき) 甚きやんにてましませば何事も麻布(あざぶ)にて様々 どうらくをなし給ふ太神(おはんかみ)是を愁(うれひ)給ひてあの通 の安本丹にては行末心もとなしとて色々御□ 見ありけれども久しいもんしやソリヤないぴいなと とて請付給はず後にはいろ〳〵の悪あがき長じ けれは大神(おほんかみ)慍(いかり)まして天石窟(あまのいはば)に入まして磐戸を 閉て篭(こもり)給ふ故に六合(くに)の内 常闇(とこやみ)にして昼夜の相代(わいため) をも知らず初の程は行灯挑灯にても用を 弁しけるが何が家々にて昼夜不断とほす事 なれば俄(にわか)に蝋燭油の切もの次第に直段(ねたん)は 高間が原神の力にも自由にならぬは金銀な れば中以下にては挑灯とほすことなどもならさ れば馬士の神 車(くるま)引の神などはあられぬ所へ引 かけて神ンたゝきに扣(たゝき)合 神(かん)抓(つかみ)に抓(つかみ)合町々小路〳〵 にて喧嘩(けんくわ)のたゆる隙(ひま)もなしされども闇(やみ)夜の 盲(めくら)打 誰(たれ)相手と云ふ事も知れず公(おほやけ)へ持出して もくらかりに牛つないだ様にて是非のわかちも 付かたければ先世の中の明るく成まては名主の神 大屋の神へ御預との事なり扨また世間のつき あひ等は麁 服(ふく)にても目に立ねば始未(しまつ)にはよけれ ども或はいつ何日に御出合申へしといふ事も 正真の闇夜(やみよ)の鉄炮(てつほう)にてあてどもなく物を洗(あらふ) ても火であふるより外は干(ほす)べき手たてもあらされ は士農工商(しのうこうしやう)の神々 業(わさ)を勧る事もならす中に も色里にてはいつを夜みせと時も知れねば物 日なとゝいふ事もなく花の時やら灯篭(とうろう)やらわけ もなくなりゆき客も初の程はしつほりとして 結句能なとゝて来るものも多かりしが次第に 世間かまびすしくなりけれは後には遊者も なく太夫格子さんちやより河岸女郎に至 までさしも多かりし馴染(なじみ)の客も科戸(しなど)の風の 天(あま)の八重雲を吹はなつことのことく繁(しけ)木が本 を焼鎌(やいかま)の敏鎌(とかま)を以て打 掃(はら)ふ事のごとくこと とふ者もあらざれば忘八(くつわ)夫 婦(ふ)は頭 痛(つう)八百や りて若い者なとを呼寄(よびよせ)コリヤマアとふしたらよ かろふと四人 額(ひたい)に皺(しは)をよせ八の耳をふり立 て色々 評(ひやう)議の詮(せん)もなく口に諸々の噂はすれ とも目に諸(もろ〳〵)の客を見す借(さかり)の有茶屋船宿は 払給へ清(きよ)め給へとせかむへき相手もなく牽頭 が貰ふた紙花も坎艮震巽(かんごんしんそん)の卦(け)に当たとの 悔言(くやみごと)其外上下 押(おし)なへて勝手によいといふものは 只 鼠(ねつみ)と朝寝好(あさねすき)の男より外にはなし是ては 世間さゝほうさになりてたまるまいと八 百万(をよろつ)の神 天(あま)ノ安(やす)ノ河辺(かはべ)に会(たちつどひ)て色々評義ありけれども さして尤らしき事もきこえす或は石匠(いしや)に入 札させ天窟屋(あまのいはや)を切開んといへはイヤ〳〵若 太神(おほんかみ) 怒(いかり)給ひて飛去給はゝ甚 難渋(なんしう)なるへしと評義 さらに一 決(けつ)せさりし処に近松氏の祖(とをつをや)思兼神(おもひかねのかみ) 進出て宣ひけるは中々外の事にて御機嫌は直 給ふまじ太神常に狂言を好給へば岩戸の前 にて狂言を初なは極て岩戸を開かせ給ふへし と申けれは皆々至極尤なり是は慥(たしか)に当(あたり)そふな 趣向(しゆこう)なりとて扨(さて)役者をそ撰(ゑらま)れける先立役 荒(あら) 事角かつらにての一枚看板(ちまいかんはん)手力(たちから)雄神(をのかみ)丹前(たんせん) 所作事やつし色(いろ)事師には天児屋命(あまつこやねのみこと)敵(かたき) 役には太玉命(ふとたまのみこと)わけて其頃名も高き黒極上々 吉女房方娘方おやま所作事引くるめて若女 形のてつぺん天鈿女命(あまのうすめのみこと)其外居なり新下り 惣座中残ず罷出第四番目まて仕御目にか けまするとのはり紙明日 顔(かほ)見せと聞つたへ 諸見物山のごとく詰懸(つめかく)れば芝居の内より茶 屋の門々それ〳〵のひいきの定紋付たる挑灯 は星(ほし)のごとく天香(あまのかく)山の五百筒(いをつ)真坂樹(まさかき)を植(うへ)て気(け) 色(しき)をかざり常(とこ)世の長 嗚鳥(なきとり)を吸ものにして呑(のみ) 掛(かく)れは常闇(とこやみ)の世も明(あけ)たる心地神々はいさみをなし 思ひ〳〵の積(つみ)物 天神組(てんじんくみ)地神組と左右にわかち 花をかざりきらを尽(つくし)けるかいつあくるともなく 約束の刻限(こくけん)に成ければ木戸口はどや〳〵もや〳〵 錐(きり)を立るの地もなく誠に天地 開闢(かいひやく)以来かゝる 大仕組はあるまいと知るも知らぬも老たるも 若きも我一との人 群集(くんしゆ)式三番も終りお定 の口上も相済けれは是より天浮橋瓊矛日記(あまのうきはしさかほこにつき) 一番目より段々狂言に実(み)かいり程なく第 三番目に至て天児屋命(あまのこやねのみこと)は磤馭盧(おのころ)丸本名 伊弉諸尊(いさなきのみこと)の役 天鈿女命(あまのうすめのみこと)は傾城浮橋(けいせいうきはし)本名 伊 弉冊尊(さなみのみこと)つもり〳〵し揚代(あけたい)三白両の金の代 に天瓊矛を揚屋か方へとられしを太王命 は大戸之道尊(おほとのぢのみこと)の役にて両人の瓊矛(さかほこ)を詮議し 給ふ検使(けんし)の役此処にて検使のつよさ両人の愁(うれひ) の所諸見物は感(かん)に堪兼(たへかね)イヨおらが鈿女(うすめ)のよ イヨ児屋(こやね)様 太玉(ふとたま)様など桟敷(さじき)も下も声々に 暫(しばらく)鳴(なり)もしづまらす此時 天照太神(あまてらすおほんがみ)聞し召 て下地は好なりたまられず御手を以て磐戸(いはと) を細目(ほそめ)に開て是を窺(みそなは)す折よしと三人(みたり)の尊(みこと) 立寄て岩戸を明んと手をかけ給へば太神(おほんがみ)は たてんとし給ふ互(たがい)にえいやと引力 勝負(しやうぶ)は更(さら) に付ざりけり時に向の切幕(きりまく)より暫(しばらく)々と掛声(かけごへ) あり太神(おほんがみ)御声うるはしく今 朕(ちん)が岩戸(いわと)をた てんいやたてさせじと争(あらそふ)ところに暫(しばらく)と留て 出たは何者なるぞと宣ふ内 拍子木(ひやうしぎ)俄(にわか)にくわた〳〵 〳〵大 薩摩尊(ざつまのみこと)浄瑠璃(しやうるり)をかたり給へは切幕(きりまく) をさつと明(あけ)柿(かき)のすはうに大太刀はき市川流の 貌(かほ)のくまどり鬼かイヽンニヤ神かムヽヱイ手力雄尊(たちからをのみこと) だモサアとせりふに味噌を八百万(やをよろづ)程上てつか〳〵 と立寄何の苦(く)もなく岩戸を取てつまみ砕(くだき) 天照太神(あまてらすおほんがみ)を引出し奉る中臣神(なかとみのかみ)忌部神(いむべのかみ)端(しり) 出之縄(くめなわ)を引渡す日の神出させ給ひければ 昔のごとく明るくなり人の面しろ〳〵と見え しより芝居を見て面白(おもしろ)やといふ事は此時よりぞ 始りける扨また同じ神代に彦火々出見尊(ひこほゝでみのみこと)の 太先元(たゆふもと)にて火酢芹命(ほのすそりのみこと)など狂言興行あり けれども金元(かねもと)なかりし故に赭(そぼに)とて赤き土 を手にぬり貌(かほ)に塗(ぬり)て勤られしかども一向に 入もなくて太夫元の名代もつぶれける又 翰林(かんりん) 葫蘆集(ころしう)なとを考れば古は神楽(かぐら)とも云しを 聖徳(しやうとく)太子神楽の神の字の真中(まんなか)に墨打を して秦河勝(はだのかはかつ)に鋸(のこきり)にて引割(ひきわら)せ是を名付て 申楽(さるがく)といふ其後の人 申(さる)の字の首(くび)と尻尾(しつぽ)とを 打切て田楽(でんがく)と号して専(もつはら)行れけり其後は田の 字の囗(かこみ)をとりて十楽などゝも名付べきを永 禄の頃 出雲(いづも)のお国といへる品者(しなもの)江州の名古屋 三左衛門となんいへるまめ男と夫婦となり歌舞(かぶ) 妓(き)と名をかへ今様の新狂言を出す夫より千 変万化(へんばんくわ)に移(うつり)かはり江戸は江戸風京は京風 と分れ物の名も所によりてかはるなり浪華(なには) の芦屋道満(あしやどうまん)か伊勢座から名古屋の繁昌(はんじやう)安芸(あき) の宮島 備中(びつちう)の宮内 讃(さぬ)岐の金昆羅(こんひら)下総の 銚子(てうし)まで行渡らぬ所もなく三歳の小児も 団十郎といへばにらむことゝ心得犬打童も ぐにやつく事は富十郎なりと覚ゆされは太 平の世の翫(もてあそひ)人を和するの道にして孟子にいわ ゆる世俗の楽(がく)たりともまた捨(すつ)べきにはあらず しかはあれども高貴の人 自(みつから)其わざを学び 烏帽子(ゑほし)の緒(を)も掛(かく)る顔(かほ)を紅(べに)白粉(おしろい)にて塗(ぬり)よ ごし政(まつりごと)をも談(だん)ずべき口にてせりふなど吐(はき) 出してみづから楽とおほゆるは片はらいたき 事なり或 愚(おろかなる)人我死て先の生は松魚(かつを)になり 度といへるを傍(かたはら)の人聞て何故 松魚(かつを)になり度 やといへば松魚はうまきものなればなりといへる に同じ松魚も喰ふてこそ味あるべけれ我 松(かつ) 魚(を)になりて人に喰れては我はうまくはあるまじ 狂言も役者にさせて見るはよし自(みつから)是をする とも面白はあるまじきことなれとも楽はまた 其中に有馬筆人形まわしや狂言にて日を 暮す貴人の心の楽とする処のひれつなる事 は我心に問て知べし曽子(そうし)は飴(あめ)を見て老を 養んことを思ひ盗跖(とうせき)は是を見て錠(ぢやう)をあけん ことを思ふ下戸は萩(はき)を見てぼた餅を思ひ 歯なしは浅漬(あさつけ)を見て蔊菜卸(わさひおろし)を思ふも 皆人々の好処へ情の移(うつる)が故なり好(すき)こそ物 の上手なりとて親好(おやすき)は孝行の名を上主好は 忠臣の名を残す是等の好は積(つむ)ことをいと はす其余の事は好なりとて心をゆるす時は害(かい) をなすこと少からず食は体(たい)を養ふ物にして 過(すくる)時は命をそこない酒は愁(うれひ)をはらふといへ ども内損(ないそん)の愁(うれひ)そのまぬ先の愁にまされり 火事がこわひとて一日も火を焚(たか)ずしては逗留(とうりう) 【挿絵】 のならぬ浮世(うきよ)なれば兎角(とかく)得失(とくしつ)はみな 其用る 処にありと知るべし芝居も勧善懲悪(くわんぜんちやうあく)の 心にて見る時は教(おしへ)ともなり戒(いましめ)ともなれども 是に溺(おぼる)る時は其 害(かい)少からず或はまた人の妻 女の櫛筓(くしかうがい)に役者の紋を付て頭(かしら)にいたゞくを涎(よたれ) たらして見て居る亭主(ていしゆ)の鼻毛(はなけ)三千丈たはけ によつてかくのごとく長(ながし)と李白(りはく)に見せたら詩に も作そふな親玉(おやたま)も世に多し扨また役者も昔 は名人多かりしが寄(よる)年の引 道具(どうく)には拍子木(ひやうしぎ) の相図もいらずそろ〳〵あの世へせり出し道具 蓮(はす)の台(うてな)へ早替(はやがわり)してより堺町ふきや町木挽 町三方の芝居に飾海老(かざりゑひ)なく狂言の骨(ほね)もぬ けたか屋の高助を始として名人の名をむ なしく印(しるし)の石にとゞめしより又名人と呼るゝ 人の希なるは何ごとぞやされば諸芸(しよげい)押なべ て昔の人よりおとれるは近世人の心 懦弱(だじやく)にして 小利口(こりこう)にして大 馬鹿(ばか)なる故なり昔の役者は 師に随て随分其 業(わざ)を伝へ昼夜(ちうや)心を用たる ゆゑ名を揚(あげ)しもの多し近年の役者は師 匠と云ふも名字を貰ふ計にて山上(さんじやう)参りの 権大僧(こんだいそう)都(つ)の官(くわん)にのぼる様に心得て気と給金(きうきん) 計が高く成て修行(しゆぎゆう)すべき芸(けい)は学(まなぶ)す兎角 女に思ひ付るゝを第一とし我より目上なるを も非(ひ)に見なし味噌を上ればよいことゝ心得て 作者の詞(ことば)をも用ず仮(たとへ)一花(いつくわ)の思ひ付にて評判(ひやうばん) を取といへとも其おとろへの早きこと鉄炮(てつほう)の 玉に帆(ほ)を掛(かけ)たるがごとし是皆心を用る事 疎(うとき) が故なり今は昔沢村小伝次といへる若女形 河(かわ) 内(ち)の藤井寺の開帳へ参りて小山といふ処に 宿しけるが小伝次曰一日 竹輿(かご)にゆられて血暈(ちのみち) がおこりしといへるを連(つれ)にて有ける竹中半 三郎小松才三郎尾上源太郎など笑ていわく いかに女形なればとて男に血暈(ちのみち)とはと腹(はら)をかゝへ けるを其座に西鶴(さいくわく)も居合けるか大に感(かん)して 曰 稚(おさなき)より形(なり)も詞(ことば)も女のごとくならんと日頃に たしなみしより仮初(かりそめ)の頭痛(づつう)を血暈(ちのみち)と覚え しは扨々しほらしき事なりといへるとなり実(け)に 其 業(わさ)を専一に勤るものは皆々かくのごとくあり たきものなり然ば敵(かたき)役は常(つね)に人をいじめ或は 芝居でするごとき悪工(わるたくみ)をして日に二三度も 本に殺(ころさ)れても見るやと理屈(りくつ)いふへけども是又 左にあらず悪き事は似せる事 易(やす)し譬(たとへ)芝 居でなくとも悪人になるは何のぞうさもな き事なり只善に移(うつ)る事は勤ずんばなりが たし殊に男にて女と見せる事は至て心を用 ずんば上手には成がたし小伝次がたしなみ誠 に感(かん)ずべき事なんめり近年は若女形に て舞台(ぶたい)へ出たる処はやさしくも見ゆれども 常の身持はけふもあさつても鮫鞘(さめさや)の大脇 指をぼつこみうでまくりして茶碗(ちやわん)で清左(せいざ)を もぢりちらし無上にたれをかきさがしまわ した跡でのはりこみ悪たい舞台(ぶたい)て 見た時の仕打(しうち)とはお月様とひし餅下駄と 人魂(ひとたま)程違ふたるよし仮(たとへ)一応評別よくとも 名人の名を得る事には至りかたかるべしかゝる 中にも蓮葉(はらすば)の濁(にごり)にしまぬ玉の姿(すかた)瀬川菊 之丞となんいへる若女形あり此人先菊之丞が 実生(みせう)にはあらかねの土の中より堀(ほり)出したる 分根(わけね)なるが二葉の時よりも生立(おひたち)野菊の類に あらずと評判は高作(たかつくり)器量(きりやう)は外に並(ならび)夏菊と もてはやされ今三ケ津に此歳にして此 芸(けい)なし との是沙汰末頼もしき若者にてぞ有ける 頃しも水無月の十日あまりわけて今年は 去し頃 霖雨(りんう)の降(ふり)つゞきて俄(にわか)に照(てり)あがり たる跡なれば暑(しよ)はいつよりも強(つよく)風見は作付 たるがごとく草は画(ゑかけ)るに似たり道行人は汗と なりて消なんかと苦(くるしみ)犬の舌(した)は解(とけ)て落んかと 疑(うたか)ふ人々暑をさけん事をのみはかりけり 菊之丞も我家にありて暑(あつさ)をなん苦(くるしみ)居ける 処に同し若女形荻野八重桐来りけるが 同座の勤といひ共に戴(いたゝく)紫(むらさき)ぼうしのゆかりの 色も有中なれば心置べきにしもあらずそ こらを三保の松ならで羽衣(はころも)をぬひて掛(かけ)ざほ の掛かまいなく打解(うちとく)れば菊之丞が妻は馳走(ちそう) ぶりと後(うしろ)から扇(あふぎ)の風も既(すで)にそよ〳〵深川にて人 なれし者なれば葛水もつめたい所へ心を付て のもてなし一つ二つの物語も半(なかば)は暑(あつさ)の噂なるが八 重桐が云けるはわけて今年は暑もつよき故 涼(すゞみ) 船の多き事是までになき賑(にぎは)ひなり幸此 砌(みぎり)は 芝居も休(やすみ)の事なれば一日出なんはいかにと云ふ菊 之丞曰我も兼て其 望(のぞみ)ありながら事繁(しげき)に まぎれて打過ぬればいざや一日出て遊んとの催(もよほし) 然らば連をも誘ふべししかしあまり大勢 もそう〴〵しければとて夫より来 ̄ル十五日と日を 定て鎌倉平九郎中村与三八なんどへ使して いひものしけるに何れもしかるべしとの返事 なればいよ〳〵十五日 早朝(そうてう)よりときはめ船中 の事などつど〳〵に約(やく)して八重桐は我家に ぞ帰りける 根南志草二之巻終 【裏表紙】 根奈志具佐 下 根奈志具佐三之巻 去程に竜宮城には先達て閻魔(ゑんま)大王の勅命 を蒙りければ急ぎ菊之丞を召捕べき評定 あるべしと諸の鱗(うろくず)ども列を正して相詰ければ 竜王仰出さるゝは我閻魔王の幕下(ばくか)に属(しよく)し此 水中界の主となり多の鱗(うろくず)を養ふ事皆大 王の御恩なればかゝる時節に忠義を尽さずんは いつの世にかは御恩を報じ奉んやしかはあれど も世界をへだてゝの事なれば容易(たやす)く取り 得る事かたかるべし若此度の御用を仕損じ なば其 祟(たゝり)は三途川の川ざらへか極楽の御 修(しゆ) 覆(ふく)など仰付られては近年は押なべて金魚 銀魚の手はまはらずほう〴〵より緋(ひ)鯉にせつ かれ世間のしびも白魚のひしことつまり し時節なれば甚難義たるべし若 逆鱗(げきりん)つ よき時は我々此水中を離(はなれ)ていかなる所へか 追立られんもし三十三天の内などへ左遷(させん)など とある時は道中にて皆々 枯魚(ひもの)となるべければ 仮初(かりそめ)ならぬ一大事急き菊々丞を召捕(めしとる)へ□思 案あるべしとの仰一の上座に坐し居たる鯨(くじら)ゆう 〳〵と立出申けるは仰の通り御上の御大事此時 なり私義は身不 肖(せう)ながら家がらたるを以て代々 大老職相勤是に並居る鰐(わに)鯊魚(ふか)なんども家老 の座に連りしびまぐろなどは用人を勤むれば 彼等とも内々評議致せし処 所詮(しよせん)人界の様子 委く聞届たる上ならでは謀(はかりこと)は出まじく存付手下 の者共の内にて才覚(さいかく)ある者どもを忍びに遣し 置たれば定て様子相知れなんと申詞も終らぬ 処へ御注進と呼はり〳〵真黒(まつくろ)になりてころ〳〵と こけ出るは本庄辺に住居する業平蜆(なりひらしじみ)にてぞ ありける竜王は御声高く彼等ごとき下郎たりと も甚急ぎの事なれば直に聞べきとの御諚 蜆(しゞみ) 恐れ入て口を明(あけ)私儀人界へ忍びの役目を承り 籠(ざる)の中へはかり込れ人の肩(かた)にかつがれ方々と 歴(へ)廻り大抵(たいてい)人界の様子承りて参たり先私罷 通りし所は処々の新道 裏店(うらdな)が第一なれば大名小 路は勿論(もちろん)通り筋などの様子は存ぜず先始参り し所にて何かは知らず私をかつぎし男一升十五 文と申せば歳(とし)の頃三十計の女房立出五文にまけ ろと云ふかつきし男腹を立とつぴよふずも ない盗物ては有まいし半分 殻(から)てもそふは売 らないと悪たいついて立出れば跡(あと)にて女房さし も小美(こうつくし)い貌(かほ)しながらえいかと思ふていけすかない こてれつめそんな悪たいはうぬがかゝにつけろと はり込声のほの聞(きこへ)てもかつぎし男は聞ぬ貌し て蜆や〳〵と売て通ればとある格子作(かうしつくり)の内に かなきつた声ではなたれ娘が三 弦(せん)をぞ弾(ひき)居た る此竜宮界にては琴(こと)三弦(さみせん)などは能衆ばかりの 翫(もてあそひ)かと思ひしにかゝる少き暮(くらし)にて娘に三弦 弾(ひか)す とは扨々人間と云ふものはおごりしものかなと 思ふ内にきひらの帷子(かたひら)着(き)て小紋羽織を手に 提た男来りてお娘(むす)はいよ〳〵やらしやるつもりに 相談はきまりましたか一昨日もいふ通り向は国家 の御大名お妾の器量(きりやう)えらみ中ぜいで鼻筋(はなすし)の 通た豊後(ふんご)ふしを語(かたる)のがあらばとの事爰なお娘(むす) をすりみかきしたらいけそふなものかと思ふ殊 に先様御好の豊(ふん)後節はなるなり□やらしやる なら文 字(し)に頼で弟子分にして貰ひ済せる様 にしませふ支(し)度金は八拾両世話ちんを二わり引 ても八々六拾四五両の手取もし若殿ても産(うん)て 見やしやれこなた衆は国取の祖父さ祖母さま なれは十人 扶持(ふち)や二十人ふちは棚(たな)に置た物取より はやすい事いよ〳〵やらしやる合点(がてん)かといへば夫婦(ふうふ)は よろこひイヤモ御 深切(しんせつ)なおせわの段々どれかゝ小半(こなから) 買ふて来ふと仏壇(ふつたん)の下戸 棚(だな)からはした銭とり 出しかんなべさげて足も空(そら)どぶ板をふみぬきながら 裾(すそ)をまくつて走り行かつきし男は付込で御祝に 蜆(しゞみ)買しやれと云を聞よりもし我等も売れては なるまいと大勢を押退(おしのけ)て籠(さる)の底(そこ)へかゞんてちい そふなつて聞居けれは女房は杯を洗(あらい)ながらけふ の祝は蜆では済されぬかはやきても買ふとの事故 かつぎし男ふせう〳〵にふりかたけ又二三丁程行て 四 辻(つぢ)を左へまかれば今度はそこら大さわき大とろ ほうめと抓合(つかみあい)組んずこけつの人くんしゆ格(かう)子は めり〳〵皿鉢はぐわら〳〵手 桶(おけ)の輪(わ)がきれて水が飛 は畳からは黒 煙(けふり)腕(うて)に彫物(ほりもの)した男ども大はだぬきに 成てのさわぎ聞た処が姦夫(まおとこ)出入初は今も切か揬(つく)か と見る内にイヤ親分(おやふん)しやの割(わり)を入るのと兎や角(かく)と 云ふ内に酒五升とけんどん十人前と下らぬ文言な 誤(あやまり)証文一通で討果(うちはたす)ほどの出入がついくにや〳〵とむつ 折して我等をかつぎし男めも近付(ちかづき)かして仲ケ間 へ入 茶碗(ちやわん)てしたゝか引掛(ひつかけ)て千鳥足(ちどりあし)にて帰がけ馴染(なしみ) の内へ立寄れば死だ息子の七 回忌(くわいき)とて天 窓(たま)に輪(わ) の入た道心がきやり声をはりあげて鉦(かね)たゝいて 百万 遍(べん)世帯仏法(せたいふつほう)腹念仏(はらねぶつ)豆腐(とうふ)のくつ煮に干(ほし)大 根のはり〳〵て済せば蜆(しじみ)はいらぬとはねられてかつき し男腹を立あたけたいないま〳〵しいと帰りに川へ さらへ込みしを幸と干汐につれて息を切て帰り しと語もはてぬ処へ背に角をおふて一文字に成 て来るものは拳螺(さゝえ)にてそありける是も忍びの役 人なれば竜王見給ひ人 間界(けんかい)の様子いかに〳〵とせめ 給ふ其時さゞえにじり出て申けるは私は小田原町から 通り筋を一へん廻り候が先 珍(めつら)しきは石町の角に朝(てう) 鮮(せん)人 行列(きやうれつ)附の看板(かんはん)をおひたゝしくかさりたて売子 大勢にて売あるき又 珍説(ちんせつ)は旦那(たんな)のねつた膏薬(かうやく) 売(うり)が奥州の相馬にて主の敵(かたき)を討しとの取沙汰よ り外さして替りたる事も承らずと申上れば竜王 大にいかりをなし汝等 評議(ひやうぎ)は何としてケ様の役に 立ず共を忍びには遣せしそ此方の入用は菊之丞が 船遊(ふなあそび)の日限(にちげん)なるに其事は聞すして役にも立ぬ事 どもを見て帰りしとていかめしそふに申段言語 同断につくいやつ是と云ふも家老用人共か面々の 身勝手計を考へて下々の難儀はかへりみず鰮(いわし)や すばしりの類を沢山(たくさん)してやろふと計心がけて役 儀をおろそかにするゆへかゝる大事に魚らしきもの もやらすさゞえや蜆をやりし段以の外の不届と 鱗(うろこ)をさか立 怒(いか)り給へは其時 鯨(くじら)鰭(ひれ)をうごかし仰 御尤には候得共遣べきもの詮議(せんぎ)致せど他の者は 水を離(はな)れては働(はたらく)こと相ならねは水を出て息(いき)の長 ものを撰(ゑら)出せし処に御用に立ざりし段不届千万 急度申渡べし今一人忍ひに入しは兼て上にも 御存の竜蝦(かまくらゑび)なり年罷寄たれども酒はそこぬけ ぴんしやんとはねる所が当世のひんぬきなりとて 留守(るす)居役相勤れば元日より人間にまじはり諸寄 合 無尽会(むじんくわい)吉原(よしわら)堺(さかい)町 岡場所(おかばしよ)を初兎角向ふへ廻 りたがり年の暮の浅草市まで年中人にすれ るが役目なれは定て聞届参んと申上る折から 竜蝦(かまくらゑひ)只今罷帰候と案内させ例(れい)のことく真赤(まつか)にな り腰(こし)をかゝめて立出れは竜王御覧じ様子いかにと 尋給へばさん候私儀は堺町からふき屋町 楽(かく)屋新 道よし町辺へ入込能々様子承り候処来れ十五日 菊之丞を始として荻野八重桐なんど船遊びに 出るよし微塵(みぢん)毛頭(もうとう)相違なしと詞少に申上れば竜王 甚悦び給い流石(さすが)留守居役を勤る程あつて世間 の穴を能知つて堺町とは気が付たり神妙の働(はたらき) と御 褒美(ほうひ)に預て髭(ひげ)喰そらしてうづくまる竜王 鰐(わに)鯊魚(ふか)を近く召れ此度の役目汝等罷向ふべし と有ければ両人ハツトひれ伏申けるは凡(およそ)人を取事私 どもにつゞくものなし海中の儀にて候はゞいなみ申 べきにあらねども船遊と承れば両国永代の 辺なるべければ私共力におよびかたし虎の勢強 といへども鼠を捕(とる)事 猫(ねこ)におとるの道理 譬(たとへ)ば最上 の智者たりともつかひ処悪き時は却て其智の 出ざるかごとし是は余人に仰付られしかるへしと 申上れば竜王 暫(しばらく)御思案あり然ば海坊主(うみぼうす)に申付 べしとて召出されけれは油揚(あふらあげ)にて真黒(まつくろ)にふとり たるが白帷子(しろかたびら)に紋呂(もんろ)の衣(ころも)五条の袈裟(けさ)をかけ 珊瑚(さんご)の珠数(じゆず)をいと殊勝(しゆしやう)げにつまぐり罷出て申 けるは私儀仏第子となり身には三衣を着し口に 仏名を唱へて厭離穢土(ゑんりゑど)懇求浄土(ごんぐじやうど)此界の衆生 ともは火宅にあらぬ水宅をのかれて南無 網(あみ) の目にすくいとられ往生の素懐(そくわい)をとげる様にと 導(みちびく)こそ出家の役目なれかゝる事など勤べき身 にしもあらねども近年は私にかぎらす諸宗と も皆々風俗悪くなり出家の身持に有まじき 栄耀栄花に暮す故中々定りの布施(ふせ)もつ にては遊女狂ひお花の元手重箱で取寄る肴代 に不足なれば葬礼(とむらい)をかき入石塔を質(しち)に置ても 思ふ様にまはらざればもの云ぬ仏をだしに遣ふて 愚痴(ぐち)無智(むち)の姥(うば)かゝをたらしこみこらすれば仏に 【挿絵】 なると経文にもなきうそ八百をつきちらし堂(どう)の 寄進(きしん)釣鐘(つりかね)のほうがなどいひ立衆生をたふらか すゆへにやいつとなく化物(ばけもの)仲ケ間へ入られ姫路に おさかべ赤手ぬぐいと一口に謡るゝ事仏の教に 有べき事にもあらざれども御上にも能御存の上 からは隠べきにもあらずしかし他所の御用ならば 人間をたぶらかすは坊主共の得手ものなれば早速 御請申上べけれど此度の御用には心苦き事の侍る也 其故は涼船(すゞみぶね)の往来する両国永代の辺には見せもの 師共甚多く唐鳥(からとり)熊(くま)女 碁盤(ごばんむすめ)娘なども古(ふるく)孔雀(くじやく) にも入がなければ犬にかるわざをさせ甘藷(さつまいも)に笛 まで吹せる程(ほど)の者共何がな珍しき物見出さんと 鵜(う)の目 鷹(たか)の目にてさがし求れば私などのやう なる異形(いぎやう)の者あの辺へ貌(かほ)出しせば忽(たちまち)にからめと られ憂目(うきめ)を見んは案の内なりもとより出家の 事なれば死る命はいとはねども大切の御用間違 ん事本意なく覚ゆれば余人に仰付らるべし 縁(ゑん)なき衆生は度(ど)しがたし仮(たとへ)寺を開とも此儀 は御 辞退(したい)申上んと魚溜りへぞ引退く当時諸人に 敬(うやまは)れ智識(ちしき)と呼るゝ海坊主さへ御 辞退(したい)申上からは 我参んといふもの一人もなき処に奥の方に鈴(すゞ) の音していとなまめける姿(すかた)にて立出るを見れば 頰(ほう)高く鼻(はな)小〱背はひきゝ腹(はら)ふくれたるはまが ふ方なき乙姫(おとひめ)に召使(めしつかはる)るおはしたのお河豚(ふぐ)なり 諸歴々(しよれき〳〵)の並居る真中(まんなか)おめる色なく立出竜王の 前に畏(かしこま)り最前(さいぜん)からの御 評議(ひやうぎ)を一々あれにて聞やん すれば大切のお使に皆様こまりなさんすよし竜王 様の 御 案(あん)もじが御笑止さに姫(ひめ)ごぜの身で大胆(だいたん)な がらわつちが思案を申上ます世の人 毎(こと)にわつち をば植木屋の娘か何ぞのやうに毒じや〳〵と云ふ らされ腹か立て頰(ほう)をふくらせばおふく〳〵と笑 れしが災(わさはい)も三年と今度の御用を承り君が情に 妾が百年の命を捨菊之丞が腹へ飛入て連(つれ)来 んはほんに〳〵心に覚へがありやすと白歯(しろいは)をむき 出し口をすぼめて申上れば竜王は思案の体 傍(かたはら)に ひかえたる棘(た)鬣魚 鰭(ひれ)を正してしつ〳〵と立出 かやうに申せば物知り貌に似たれども僕(ほく)儀は何に よらず祝儀の席をはづさず仁義礼智のはしくれ も覚へしとて儒者の数に加へらるればかゝる折から 差扣んも尸位素饗(しいそざん)にて候へば覆蔵(ふくぞう)なく申上ん 惣してむかしは人間も質朴(しつほく)にありし故 毒(どく)と いふものは喰ぬ事と心得河豚を思るゝ事 蛇蝎(じやかつ)の ごとくなりしが次第に人の心 放蕩(ほうとう)になりゆき毒と 知て是を食す人に君たる方是を憂ひ給いて 河豚(ふぐ)を喰ふて死たる者は其家 断絶(たんせつ)とまで律(りつ)を たてヽ上仁を好ども下義を好まずふくや〳〵と 大道を売歩行煮売店にも公(おほやけ)に出置事上を かろんずるの甚しきといひ父母より受得たる身(しん) 体(たい)髪膚(はつふ)を口腹(こうふく)の為に亡さん事五 刑(けい)の類三千にし て罪不孝より大なるはなしと云ふ聖人の教に そむくこと天命のかるゝ所なし剰(あまさへ)河豚なき時は 外の魚をふぐもどきと名付て喰ふ事歎かは しき事なり古人の詞にも牢(ろう)を画て其内に坐せ ずとて仮(かり)にもけがれたる名は嫌ふことなり非礼見 ることなかれ非礼聞ことなかれと申ことを知ら ざる世上の文盲(もんもう)なるものは是非もなし小文才有 男或は人に毒(どく)だちなどを教る医者(いしや)なんどに好ん で食ふものあり是等は一向食をむさぼる犬猫の ごとしかく乱たる風俗なれば菊之丞も河豚(ふぐ)は好 なるべけれども天の時を以て申さば今水無月 の半にて河豚(ふく)を喰ふ時ならざれば此御評議御無 用ならんと申上れば竜王もせんかたなく無用の長 詮議(せんぎ)に時うつるとも所詮(しよせん)埒(らち)は明まじければ此上は 此竜王一人自身立向ひ雲を起し雨を降(ふら)し菊 之丞を引抓(ひつつかん)で閻魔王へ奉んと波を蹴立(けたて)て立給ふ 一座の鱗(うろくす)前後をかこい鶏(にはとり)をさくに何ぞ牛の刀を 用給ん今一御 評議(ひやうぎ)と留ても留らず前後左右を踏(ふみ) 飛し黒雲を起し出給ふ処に御門に扣へたるもの つゝと出御腰をむづとだくふりほどかんとし給へ とも中々 容易(たやすく)動(うこき)得す御所の五郎丸にては よもあらじ何者なるそ爰(こゝ)をはなせとふり むき給へば天窓(あたま)に皿(さら)を戴(いたゞき)たる水虎(かつは)にてぞ有ける 竜王は御声高く己(おのれ)下郎の分として推参(すいさん)至極 と御手をふり上ケ打んとし給ふ処を大勢の鱗(うろくす) ども左右の御手にすがり付御とゞめ申せしは水虎(かつは) が君への忠義なれば悪くばし聞し召れそ先々 御座に御直りと無理に引立もとのごとく御座に なをせば竜王猶も怒り給ふを水虎(かつは)御前ににじ り寄 天窓(あたま)の水もこぼるゝばかり涙(なみだ)をはら〳〵と ながし下郎の身をかへり見ず無礼せしも寸志の 忠義事にのぞんで命を捨るは臣たる者の職分 なり是に並居る海坊主(うみほうず)など日頃過分の知行を 給わり身には錦繍(きんしゆう)をまとひ網代(あじろ)の輿(こし)に打乗(うちのり) 御 菩提所(ほだいしよ)の上人のとあほがれてもスハ君の御大事 にのぞんでは弁説(べんせつ)を以て我身をかこふ不忠者私 は漸御門番を相勤 塵(ちり)より軽(かるき)足軽なれども 忠義においては高知の方にもおとるへからず 寺坂が昔を思召あてられて此度の御大事拙者に 仰付られかしと思ひ込で願ふにぞ竜王面を和げ 給い彼が申分といひ力量といひ用に立べき奴(やつ) なれば此度の役目申付んと我も頓(とゝ)より気の付 さるにはあらねども彼は若衆好の沙汰あれは 猫にかつをの番とやらて心にくゝ思ひしかども只 今の忠義にめて大事の役目申付る天窓に水の つゞかんたけ随分ぬかるな早急げと仰をうけし 水虎(かつは)が面目(めんほく)飛がごとくに走行 根奈志具佐三之巻 終 根奈志具佐四之巻 行川の流(なかれ)はたへすしてしかももとの水にあらず と鴨(かも)の長明か筆のすさみ硯の海のふかきに残(のこる) すみだ川の流清らにして武蔵と下総(しもつふさ)のさかい なればとて両国橋の名も高くいざこと問むと 詠じたる都鳥に引かへすれ違ふ舟の行 方(へ)は秋 の木の葉の散浮(ちりうかふ)がごとく長橋(ちやうきやう)の浪に伏(ふす)は竜の 昼寝(ひるね)をするに似たりかたへには軽業(かるわざ)の太鞁(たいこ)雲 に響(ひゞけ)ば雷(かみなり)も臍(へそ)をかゝへて逃(にげ)去 素麺(そうめん)の高盛(たかもり)は 降(ふり)つゝの手爾葉を移(うつし)て小人島の不二山(ふじさん)かと思 ほゆ長命丸の看板(かんばん)に親子 連(つれ)は袖を掩(おほ)ひ編(あみ) 笠(がさ)提(さけ)た男には田舎侍(いなかさむらい)懐(ふところ)をおさへてかた寄 利(り) 口(こう)のほうかしは豆と徳利を覆(くつがへ)し西瓜(すいくわ)のたち 売は行灯の朱(あけ)を奪(うば)ふ事を憎(にくむ)虫の声々は一荷 の秋を荷ひひやつこい〳〵は清水 流(ながれ)ぬ柳陰(やなぎかげ)に立 寄 稽古(けいこ)じやうるりの乙(おつ)はさんげ〳〵に打消(うちけさ)れ五十(いがゝ) 嵐(らし)のふん〳〵たるはかば焼の匂ひにおさる浮絵(うきゑ)を 見るものは壷中(こちう)の仙を思ひ硝子細工(ひいどろさいく)にたかる群(くん) 集(しゆ)は夏(なつ)の氷柱(つらゝ)かと疑(うたが)ふ鉢植(はちうへ)の木は水に蘇(よみがへり)はり ぬきの亀(かめ)は風を以て魂(たましい)とす沫雪(あはゆき)の塩からく幾 世餅の甘たるくかんばやしが赤前だれはつめられ た跡所 斑(まだら)に若盛(わかもり)が二階座敷は好次第の馳走(ちそう) ぶり灯篭(とうろう)売は世帯(せたい)の闇(やみ)を照(てら)しこはだの鮓(すし)は 諸人の酔(ゑい)を催す髪結床(かみゆいとこ)には紋を彩(いろどり)茶店には 薬缶(やくわん)をかゝやかす講釈師(かうしやくし)の黄色なる声玉子〳〵 の白声あめ売が口の旨(うまき)榧(かや)の痰切(たんきり)が横なまり灯(ほゝ) 篭草(づき)店は珊瑚樹(さんごじゆ)をならべ玉蜀黍(とうもろこし)は鮫(さめ)をかざる 無縁寺の鐘(かね)はたそかれの耳に響(ひびき)浄観坊(じやうくわんぼう)か筆 力はどふらく者の肝先(きもさき)にこたゆ水馬(すいば)は浪に嘶(いなゝき) 山猫は二階にひそむ一文の後生心は甲に万年の 恩を戴(いたヽき)浅草の代参りは足(あし)と名付し銭のはた らき釣竿(つりさほ)を買ふ親仁は大公望(たいこうばう)が顔色(かんしよく)を移《割書:シ|》 一枚絵を見る娘は王昭君(わうせうくん)がおもむきに似たり 天を飛 蝙蝠(かうもり)は蚊(か)を取ん事を思ひ地にたゝずむ よたかは客をとめんことをはかる水に船か〳〵の自 由あれば陸(くが)に輿(かご)やろふの手まはしあり僧あれ ば俗あり男あれば女あり屋敷侍の田舎(いなか)めける 町ものヽ当世 姿(すがた)長櫛(ながきくし)短羽識(みしかきはおり)若殿(わかとの)の供はびいど ろの金魚をたづさへ奥方の附々は今 織(をり)のきせ る筒(づヽ)をさげもゝのすれる妼(こしもと)は己(おのれ)が尻(しり)を引ずり 渡る歩行(かち)のいかつがましきは大小の長に指れた るがごとし流行医者(はやりいしや)の人物らしき俳諧師(はいかいし)の 風雅(ふうが)くさきしたゝる〳〵てぴんとするものは色有 の女妓(おどりこ)と見へぴんとしてしたゝるきものは長局(ながつほね)の 女中と知らる剣術者(けんしゆつしや)の身のひねり六尺の腰の すはり座頭の鼻(はな)歌御用達のつぎ上下浪人の 破袴(やぶれはかま)隠居の十徳姿役者ののらつき職(しよく)人の 小いそかしき仕事師のはけの長き百姓の鬢(びん)の そゝけし芻蕘(すうきやう)の者も行 薙菟(ちと)の者も来るさま〳〵 の風俗色々の貌つき押わけられぬ人 群集(くんじゆ)は 諸国の人家を虚(むなしく)して来るかと思はれごみほこり の空に満るは世界の雲も此処より生ずる心地ぞ せらる世の諺(ことわざ)にも朝より夕まで両国橋の上に 鎗(やり)の三筋たゆる事なしといへるは常の事なんめり 夏の半より秋の初まで涼(すゞみ)の盛(さかり)なる時は鎗(やり)は 五筋も十筋も絶(たへ)やらぬ程の人通りなり名にし おふ四条河原の涼(すゝみ)なんどは糸鬢(いとびん)にして僕(でつち)にも 連べき程の賑(にぎ)はひにてぞ有ける又かゝるそう〳〵 しき中にも恋といへるものゝあればこそ女太夫に 聞とれて屋敷 中間(ちうけん)門の限(かきり)を忘れ或はしほ らしき後姿(うしろすがた)に人を押わけ向へ立まれば思ひの 外なる貌(かほ)つきにあきれ先へ行たる器量を誉(ほむ) れば跡から来る女連(をんなつれ)己が事かと心得てにつと笑 もおかし筒の中から飛出る玉屋が手ぎは闇夜(やみよ) の錠(ぢやう)を明る鍵(かぎ)屋が趣向ソリヤ花火といふ程こそ あれ流星(りうせい)其処に居て見物是に向ふの河岸(かし) から橋の上まで人なだれを打てどよめき川中 にも煮売の声々 田楽(てんがく)酒諸白酒 汝陽(ぢよやう)が涎(よだれ) 李白(りはく)が吐(へど)劉伯倫(りうはくりん)は巾着(きんちやく)の底(そこ)をたゝき猩々は 焼石を吐出す茶舟ひらだ猪牙(ちよき)屋根舟屋 形舟の数々花を飾る吉野が風流(ふうりう)高尾には 踊子(おどりこ)の紅葉の袖(そで)をひるがへしえびすの笑声 は商人の仲ケ間舟坊主のかこひものは大黒にて の出合酒の海に肴の築島(つきしま)せしは兵庫(ひやうご)とこそ は知られたり琴(こと)あれば三弦(さみせん)あり楽(がく)あれば雌子(はやし) あり拳(けん)あれば獅子(しゝ)あり身ぶりあれば声色(こわいろ)あ りめりやす舟のゆう〳〵たるさわぎ舟の拍子(ひやうし) に乗て船頭もさつさおせ〳〵と艪をはやめ 祇園(ぎおん)ばやしの鉦大皷どらにやう鉢のいたづら さわぎ葛西(かさい)舟の悪(わる)くさきまで入乱たる舟いがた 誠にかゝる繁栄(はんゑい)は江戸の外に又有べき□もあ らず去程に菊之丞が仕出し舟荻野八重桐鎌 倉平九郎中村与三八なんどは芸(げい)はもとより珍し からずさわぎも又うるさし役者の舟遊に三弦(さみせん) 浄(じやう)るりを翫(もてあそぶ)は学者の書を講じ出家の経を 読(よみ)米つきの杵(きね)をかつぎ大工の手斧(ておの)を腰に さして花見遊興に出るがごとくなればとていと 静(しづか)に酒 酌(くみ)かはし人のさわきを見て歩行は月 夜に挑灯(てうちん)のいらぬと同し道理にて見らるゝ 者も恩に着せず見る者は心遣もなくさりと は又能 慰(なくさみ)なり一日あそこ爰と漕(こぎ)廻りけるが いざやさわがしき所を離(はなれ)て遊んとて船を 三股(みつまた)てふ処へこぎ寄て四方の気色を見渡 せば南は蒼海(そうかい)漫々(まん〳〵)として雲と海との色も さやかには見へわかず行かふ帆(ほ)は蝶(てう)の飛かふが ごとく安房(あは)相模の海にそふて出たるは只一筆にて 画(ゑがき)たるに似たり西は箱根大山なんぞも幽(かすか)に見へわたり けふは水無月其日なればかの望(もち)に消(け)ぬれば其夜ふり けりと詠したる富士(ふじ)の高根(たかね)もいとしるく近きあた りは人の家居のみ多くして民の竈(かまど)の夕煙(ゆふけふり)たなび き渡りさしもに広(ひろき)武蔵野も人の住わたらぬ 処もなく草より出て草に入昔の月に引かへて 軒(のき)より出て軒に入ともいふべき風情道行人は 只 蟻(あり)なんどの行かふがごとく見へ渡ればさながら仙 境に入たる心地なんして覚へずも舷(ふなばた)をたゝきいと しめやかに諷たるに舟屋かたの塵(ちり)もちり空行(そらゆく)雲 もたゞよひぬともいふなる人々は興に乗じて香包 取出して一炷くゆらせいとしづかにたのしみける がいざや中洲の辺へ行て蜆とらんと皆々小舟に乗 移菊之丞日我は案じ掛し発句あれば跡より 【挿絵】 行んとて一人舟にぞ残居たりける頃しも水無月 の中の五日日は西山にかたむき月代(つきしろ)東にさし 出て水の面 漣漪(さゝなみ)立ていと涼しく頃日の暑も 忘るはかり別世界に出たる思ひをなしければ 菊之丞硯取寄てかく   浪の日を染直したり夏の月 となん書しるして黄昏(たそがれ)の気色能も云かなへ たりと独(ひとり)笑(ゑみ)をふくみ吟し返しける折から何ち ともなく   雲の峰から鐘も入相 とほの聞へければ菊之丞は不思 議(き)の思ひを なし何人かわかゝるしほらしきわきをなんせし とあたりを見廻せば一葉(いちよう)の舟に梶取(かんどり)もなく若 き侍の只一人笠ふか〳〵と打かつぎ釣竿をさし のべて余念(よねん)もなき体なり扨は只今の脇は 此人にこそ有けんと思へば心ばへ奥床(おくゆか)しく船ばた より打ながむれば彼男もふりあをのきしを能 見れば年の頃二十四五計にして色白く清らなる が路考を見てにつと笑し面ざしに包(つゝむ)にあまる恋 衣(ころも)胸(むね)に思ひの十寸鏡(ますかゞみ)正目(まさめ)には見もやらず水 に移れる俤(おもかげ)をやゝ見とれたる其風情さすが 岩木にあらされば我 ̄レ思ふ人の捨がたくやゝ打 ながめ居たりしが互に云出る詞もなく打しも 風のそよと吹ければ彼男ふりあをむきて   身は風とならはや君か夏衣 と吟しければ菊之丞取あへず  しばし扇の骨を垣間見 是より少しほころびて彼男舟さし寄(よせ)菊之丞 が舟につなぎ捨て打のりつゝ日の暮てより 越(こよ)のふ涼しくなりたりなんどゝよそ事にいひ ものすれば菊之丞は手づから銚子杯なんどたづ さへ来り先程ふつゝかなる口ずさみにやんごと なき御脇給はりしより只人ならず見参らせ たり一 樹(しゆ)の陰(かけ)一 河(が)の流(なかれ)も一かたならぬゑにし となん聞侍りたり何国の人にてましますそや御名 ゆかしと尋れば我は浜(はま)町辺に住るものなり夏 の間は暑をさけんため人なんどもつれず我 一人小舟に棹さし比風景を楽(たのしみ)とせりしかるに けふ思はずも君が姿(すがた)を垣間(かいま)見しより思ひは はれぬ天雲(あまくも)のゆくら〳〵と釣舟の浪にたゞよふ 梶枕(かぢまくら)一夜の情 有磯海(ありそうみ)の深心を明し合はゞ此 世の願足なんとて路考が手を取よりそへはさす が上なき粋(すい)ながら向ふよりは思ふ事のいとふか く我もまた此人ならではと思ふ心のおもはゆく 詞はなくて銚子取つゝ杯をさし寄れば彼男丁 と請てつゝと干て路考にさす呑ではさしさし てはのみ合もおさへも二人なれば数々めぐり 逢ふことも結(むすぶ)の神の引合せ夜もはや五つむつ ごとの雲となり竜とならんと月夜 烏(からす)を心の せいし互のちぎり浅からずこけるともなく 寝るともなく互の帯の打とけし二つ枕のさゞ め言いかなる夢を見しかいざしらず 根奈志具佐四之巻終 根奈志草五之巻 定(さだめ)なき世と人ごとにいへども世の定なきよりは 只定なきは人の心にてぞ有ける古人 春宵(しゅんしやう) 一刻値千金(いつこくあたいせんきん)とめつたに高ばれば又 浮世(うきよ)を三 分五厘と捨売(すてうり)にする男もあり然ども春宵 一刻に千金出して買たわけもなく三分五厘 に売て仕舞ふ出来合の浮世もなしいかに 口から地代の出ぬものなればとて出る侭のいひたい 事つまる処は能も悪もいひなし次第の浮世 にて浮世の定なきは人の心の定なきなり聖(せい) 人も父母の国を尻(しり)引(ひつ)からげて去給ふは魯国(ろこく) 広といへとも馬の合た相手なきゆゑと見へたり また程子(ていし)に逢て蓋(きぬがさ)をかたむけ途(と)中にてしび りの切る程長咄しは初対面(しよたいめん)から心の合たるが故 なり心合ざれば親子兄第も仇敵(あたかたき)のごとく心が合 へば四海みな兄分ともなり若衆ともなるとは 酸(すい)も甘(あまい)も喰て見たる詞なりされば今 評判(ひやうばん) 随(ずい)一の路考なれば誰(たれ)か一人 望(のそま)ざるものなからんや 皆 能(よい)器量(きりやう)とゆひ綿(わた)の紋を見てさへ心 動者(うごくもの) 多しされども独(ひとり)も手に入 ̄レる者なきにいかなれ ば彼男 俄(にわか)の出会にてかゝるさまに手に入れし は誠に此道の氏神ともいふべし程なく二人は 起(おき)あがりて何かは知らず手水などせしさまい と心にくしまたもとの座に直りて酒 酌(くみ)かはせ し体何となう始のほどよりは一入(ひとしほ)打とけてぞ 見えける月も漸さしのぼり船中は昼(ひる)のごとく 川風そよと吹渡て夏去秋の来たる心地いと 興あるさまなりけるに彼男路考が顔(かほ)をつれ〳〵 と打守り初は物かなしき体なりしが猶たえ かねし思ひの色外にあらはれ涙(なみだ)をはら〳〵と流(ながし) ければ菊之丞すり寄て何とてかく物思はせ 給ふ体のましますやといと念頃(ねもころ)に尋れども 彼男は猶さらにさしうつむきとかうの詞も 涙(なみだ)より外いらへなし路考も心済ざれば扨はわ らはが心いき御気に染(そま)ぬ事もや有けんかく打 とけし中に何とてものを包(つゝみ)給ふやと打うら みたる体なりければ彼男涙をおしぬぐひか ほどに深(ふかき)御身の志を仇(あだ)になしていはぬもつらし 武蔵鐙(むさしあぶみ)かゝる情の其上にわらはが心の気に染 ぬかとの一言 胸(むね)にこたへて覚ゆれば子細をあかし 侍るなり必々 驚(おとろき)給ふべからず我実は人間 にてはあら波(なみ)くゞり水底(みなそこ)を家と定て住(すみ)なれ し水虎(かつは)といふものなりと聞より路考はあきれ けるがいかなる子細にてあるらんと心をしづめ聞 居たれど思はずぞつと寒けだちすみ〳〵も 見らるゝ心地なりけれども漸に胸(むね)押(おし)しづめ 心の内にとなへごとなどして猶も様子をそ聞 居たりける彼男は貌(かほ)押拭ひ我かく人間の姿と成 て来りしわけを語るべし故有て閻魔王御身 を深く恋したひ何とぞ冥途(めいど)へつれ来れ 【挿絵】 と我々が地頭(ぢとう)難陀(なんだ)竜王へ勅定(ちよくぢやう)下り竜宮 にて色々評義有ける処を某命に懸て申 上漸と此役目を承り何とぞ御身を連(つれ)行ん と忠義一図の謀(はかりこと)乗捨(のりすて)し船を盗(ぬずみ)かく侍の姿(すがた) と変(へん)じ神変(じんべん)を以 俳諧(はいかい)の句などを吟(ぎん)じ近寄 て御身を引立水中へ飛入んと兼てよりはか りしが思はずも御身の器量(きりやう)に心まよひわりなき 恋をいひ懸しに君が情の深縁(ふかみどり)松に千年(ちとせ)と 藤浪(ふぢなみ)の思ひまとひし恋衣 互(たがい)の帯(おび)の打とけし 其むつごとのわすられず又の逢瀬(あふせ)と兼言(かねごと)の 兼て工(たくみ)し我心もきのふに替(かはる)飛鳥川(あすかかわ)淵(ふち)と 瀬川の君ゆゑに我身を捨(すつ)る覚悟(くご)なれば是 より我は竜宮へ帰とも菊之丞を取得事 中々力およばすと申上なば竜神より罪(つみ)せられん は案の内昔も乙姫(おとひめ)病気の時 猿(さる)の生胆(いききも)の御用 に付 水母(くらげ)に仰付られしをいはれぬ口をしやべ りし故竜神のいかりをを請 筋骨(すしほね)ぬかれ てかたわとなり恥(はぢ)を残せしためもあり我 は其上大勢の鱗(うろくず)ともの並居る中にて広言 吐(はき) しことなれば何面目にながらへん山林(さんりん)へも身を なげて死る覚悟(かくご)と極たり君を助(たすけ)てそれ故 に死る我身は本望ながら死れば忽(たちまち)生をか へあさましき姿とならはさぞやあいそも尽(つき)給ん 其上また世の人は死して未来(みらい)と契れとも 君は閻王の寵(てう)を請(うけ)我は又はかなくも畜生(ちくせう) 道に落行(おちゆけ)ば相見る事もなりがたし薄(うすき)えに しと思ふほど胸(むね)の水のとけやらず必々死だ 跡にて一へんの御ゑかうも君が口より語るなら 未来(みらい)の苦(く)げんものかるべし去ながら我死す とも竜宮城にはさま〳〵の手だれあればかま へて水辺へ出給ふへからすと事さま〳〵と物 がたり又なみだにぞむせび入路考も袂(たもと)をし をりしが御身の上の物語始て聞て驚入(おどろきいり)たり 生(せう)をかゆるとは云ながらためしなき事にもあら ず唐土(もろこし)にては非情(ひじやう)の梅さへ其 精霊(せいれい)美人と成 契(ちぎり)をこめしと聞伝ふ日のもとにては安部の 保名(やすな)狐(きつね)と夫婦の契(ちきり)をなせば何かはくるしか りそめながら枕かはせし其人を我身のかは りに死なせてはわらは情の道立ず其上我は 閻王のしたひ給ふと聞からにとてものがれぬ 命なれば是非々我を連行(つれゆき)て御命全ふし 給ふべしといひつゝ立て舟ばたより飛入んと する処を彼男いたきとめお志は嬉しけれど も今御身を殺しては流石(さすが)いやしき畜生(ちくしよう)ゆゑ 情(なさけ)を仇(あた)にて報(ほう)ぜしと世の取沙汰をせらては 我身ばかりの恥(はぢ)ならす国に残せし親兄第 一門までの恥辱(ちぢよく)といひ其上玉の顔(かんばせ)を底(そこ)の藻(も) 屑(くす)となさん事見るに忍(しのひ)ぬことなれば必はやま り給ふまじ我さへ死ばことおさまるいや主(ぬし) を殺(ころし)てはわらは情の道立ずと互(たがい)に命 捨(すて)小(を) 舟死を争(あらそふ)折からにやれ待給へと声をかけ 立出るは荻野八重桐なり二人は驚(おどろき)飛のかん とするを両手にて押しづめ必さわぎ給ふべ からず最前(さいぜん)蜆(しゞみ)取んとて中洲(なかず)まで行けるが 酔(ゑひ)つよくして堪(たへ)がたく小舟に乗(のり)て立帰お二 人の閨(ねや)の内いぶかしくは思ひしが邪魔(じやま)せんもい かゞなりまたは様子も聞んものと舟のあなた に身をひそめ始終の様子は聞たるぞやかげ ろふの夕を待夏の蝉(せみ)の春秋を知らざるさへ 命を惜(おしむ)習(ならひ)なるにお二人の死を争ふとは扨々 やさしき事ながら路考どの御事は閻魔王恋 したひ給ふと聞ばとてものがれぬ命なり去なが ら見ぬ恋とある事なれば某を身かはりに立 路考どのを助(たすけ)てたべ何故の身替と御 不審(ふしん)は 有べきか路考どのには能御存我荻野の 系図(けいづ)といふは元祖荻野梅三郎より親八 重桐に至まで代々名代の女形にて三ケ津に て人に知られ上方にては座元迄を勤しゆゑ 隠(かくれ)なき家筋なり然るに我父八重桐 浮世(うきよ)を はや〱去ける時某はまだ三歳母の懐(ふところ)にいた かれて知るべの方へ身を忍(しのひ)しに五の歳母に別(わかれ) たよる方なき孤(みなしご)にて乞食(こつじき)非人(ひにん)とゝもなるべき を路考どのの親菊之丞どの我親とのした しみありとて不 便(びん)を加へ我を養ひ産(うみ)の子 も同前にお乳(ち)やめのとゝかしづきて漸人と成 し頃より小歌 三弦(さみせん)扇(あふき)の手身ぶり声色(こわいろ)さま〳〵 に教(おしへ)給ひて人となし幸我に子もなければ家を も継(つが)すべけれども其方我家を継(つぐ)ならば 荻野の名字たえはてば先祖の跡(あと)とふ人なし とて我を親の八重桐が名に改(あらため)こなたをむかへて 養子とし兄弟と思へとある呉(くれ)々の御詞今我 不肖(ふせう)の身ながらも三ケ津の舞台を踏(ふむ)こと 親にもまさる大恩は養(やしない)親とも師匠(ししやう)とも 一かたならぬ情ぞや今はのきはにも枕元(まくらもと)に招(まねき) 寄せ我身はかりか菊次郎まで名人の名を残 せば死る命は惜からねど心にかゝるは吉二が事 何とそ其方我にかはり吉二を守り立二代目 の菊之丞といはせてくれよと涙(なみだ)を流せし末期(まつご) の詞心こんにしみ渡り命にかへても後見し 名を上させ申べし御 気遣(きつかひ)あられなと聞てにつ こと打笑ひ此世を去せ給ひしを思ひ出すも 涙ぞやまだ幼(よう)少の路考殿せわにせしは恩返し 父御(ちゝご)に習し芸(げい)の秘伝(ひでん)も五年以前に又 伝授(てんじゆ) 次第に名高く見物も路考〳〵と評判(ひやうばん)は我身 の名を上るより悦しさは百そうばい評判を 取度ことに位牌(いはい)に向ひくり言の自慢(じまん)も師匠 の末期の詞忘れ置ぬ我 寸志(すんし)しかるに今日の 入わけにて路考どのを死なせては師匠への言 わけなく二つには又瀬川の名字 断絶(だんぜつ)させては 本意ならず我は死すとも子もあれば荻野 の名字は絶(たへ)まじければ五ツの歳より守立られ 親にもまさる師の大恩 報(ほう)ずるは今比時必々 妻子の事見捨ずせわを頼入心にかゝるは是ば かり閻魔王へ行たりともこなたの器量(きりやう)にく らぶれば雪(ゆき)と墨絵(すみゑ)の鷺(さぎ)をからす云くろむる は舞台の功返す〳〵も路考との身持大事に酒 過さず世上の評判 落(おとす)まいとひたすら芸(げい)を修(しゆ) 行(ぎやう)して親にも伯父(おぢ)にもまさりしといはるゝ程に なり給ふが草葉の陰(かけ)は思ひ出といと念頃に語 にぞ二人もなみだにくれながら菊之丞はとり すがり親に別れて其後はさま〳〵の御 教訓(きやうくん)浅(あさ) からず思ひしに身にかはらんとの御詞生々世々 忘れはおかじ去ながら御恩ある御身をころし 何とて我身をながらへん是非此身を ̄イヤ我 を ̄イヤ某と三人か死を争ふてはてしなき折 から平九郎与三八船頭など蜆(しゞみ)なんどをとり もたせどや〳〵と立帰れば三人あはてる其中に彼 男は影(がけ)のごとくきえて行衛は見へざりけり菊 之丞はいましばしといふもいはれぬ他人の中 水面を見やる折から八重桐は覚悟(かくご)をきは めやぐらの上よりざんぶりと水中に飛入れば ばつと立たる水けふりかたみに残るうたかた の泡(あは)と消行(きえゆく)玉の緒(を)の絶(たへ)てはかなくなりゆけば 船中 俄(にはか)にさわぎたち八重桐 入水(しゆすい)と声々にい へどこたへもあらし吹なみの間に〳〵そこ爰と さかせどさらに詮(せん)もなし菊之丞は涙(なみだ)ながら明(あけ) ていはれぬ身の上の生(いき)ては義理も立がたしと ともに入水と覚悟(かくご)の体(てい)何の様子も知らねども 此体に驚て平九郎 押留(おしとゝめ)尤そこの催(もよを)せし船 遊とは云ながら八重桐が入水せしは畢竟(ひつきやう)怪俄(けが) の事といひ我々とても此船中一所にありし 事なればこなた一人のとがにあらす公へ申上兎 なりとも角なりとも皆々一所なるへしと与 三八船頭 諸(もろ)共に詞を尽て留れば明ていはれぬ 胸の内いたはしなみだしきなみのそこよ爰よ と大舟の思ひ頼て求れど姿も水のつれなく もいづこに流(なかれ)夜(よる)の雨のふりかゝりにし憂事(うきこと) を神に祈(いのれ)どせんすべの渚(なきさ)におりて玉鉾(たまぼこ)の道 をたどりて若草の妻(つま)にかくぞと告(つげ)ければ 消(きゆる)ばかりの露の身は置所さへしら波の跡な き人を恋しとふされば古歌にも汭潭(いりぶち)に偃(ふし) たる公(きみ)をけふ〳〵と来んと待らん妻がかなしも と詠ぜしも我身の上とかきくどく歎(なげき)は浜(はま)の 真砂(まさご)にてかきつくされぬ筆の海聞人袖を ぞしをりけり 根南志具佐五之巻 大尾 爰に爪(つめ)とらす髪(かみ)ゆはず朽葉衣(くちばころも) に世をのがれたる人あり自 天竺(てんじく)浪 人と称す此人 横(よこ)ぐわへに草をかんで 其毒気一角となる其長さ三 寸ばかり其角 額(ひたい)にあらず頭(かしら)に あらず常(つね)は 唇(くちひる)に隠(かくれ)て見へず といへども今此根南志草を味ふ におよんで其角長きこと三 丈(たけ) あまり彼を破(やぶり)是をつんざく 抑々薬や毒にあらずしてまた 何ぞ   房持さず山に住人跋 【裏表紙】