かわりけん 〽さてはけんのん信州(しんしう)じゝん開帳(かいてう) 人(ひと)ゆり身(み)ゆり〳〵 内(うち)はぶら〳〵 ゆるいでまゑりやしよじやん〳〵じ やけんの善光寺(ぜんくわうじ)ばさまにじさ まがつぶされたかはゝくわ ゑて 土手(どて)つくてんさあきが かゑたまゑりまひやう 爰(こヽ)に弘化四年三月廿四日夜四ツ時 此より信州(しんしう)大 地震(じしん)にて善光寺(せうくわうじ)をはじめ 川 中島(なかじま) 辺(へん)より丹波島(たんばじま) 渡(わた)し同く小市の 川むかふなる山々川中へゆりくづれ川水をせき とめ人家へ溢(あふ)れ出し田 畑(ばた)の損(そん)じ少からずたゞ善光寺御堂 のみ破却(はきやく)に及ず扨 越後路(ゑちごじ)の方は柏原関(かしははらせき)川越後高田 辺又上州口之方は追(おひ)分 沓掛(くつかけ)軽(かる)井 沢(ざは) 小諸(こもろ) 飯(いヽ)山辺殊に はげしく南は会(あい)田辺より松下松 代(しろ)上田近辺は筑摩(ちくま) 川を押埋(おしうめ) 洪(かう)水一時にをし出し人馬の泣(なき)さけぶ声目も当てら れぬばかりなり扨 翌(あす)六ツ時 漸(やうや)く 治(をさま)り人々 安堵(あんど)しけることなり 【画中】 貞重改 国輝画