【表紙:貼紙あり字は読めず】 【前コマに同じ】 【右頁】 仲原善忠文庫 【印】  琉球大学 志喜屋記念図書館 【左頁】 【琉球大学附属図書館蔵書印の紙のため先頭三行及び蔵書印の翻刻不能】 薩然在其上世源鎮西宏 垂国統即其為属于我也 亦巳承尚今萬象主人甞着 琉球談序 琉球在薩之南鄙海中蓋 一小島也慶長中臣附于 薩然在其上世源鎮西宏 垂国流即其為属于我也 亦已尚今大萬象主人嘗着 萬国新話亜細亜一部業已 梓行琉球湊亦収其中而も以韓 琉蝦久属 本朝世亦粗諳其國事故 臨梓除之日者書賈重請 其初稿以梓之需予◻之然 国業大体民事細硝詳悉 書中予更何言即書此言 以序寛政庚戌秋九月   蘭渓前野達 琉球談 目録 ◯琉球国の略説       ◯開闢の始《割書:附》鎮西八即 □か山鳥へ渡る説     ◯日本へ往来の始 ◯官位《割書:并》官服図説      ◯琉球国王の図 ◯年中行叓         ◯元服の叓 ◯剃髪           ◯家作国式 ◯米蔵の図         ◯器財図説 ◯駕篭の図         ◯馬之図説 【左ページ】 琉球談 東都「森嶋中良 著  〇琉球国の畧説 琉球国。古名は流虬(りうきう)といふ。中山世鑑録に云。地(くに)の 形(かたち)。虬龍(つのなきりゅう)の。水中に浮かぶか如くなる故に名付たりと なん。隋書には流求(りうきう)と出す。宋書是に従ふ。元史 には、瑠求(りうきう)とあり。明の洪武年に中。改て琉球の文字 とす。 吾邦にて。古くは宇留麻廼久尓(うるまのくに)といふ。又 【右丁】 【右丁】 琉球談【次行の前に縦線=各コマにあり以後省く】 神代起(かみよのまき)に•海宮(わだつみのかみのみや)といへるは此国なるべき事•予か撰する万象雑組の中•地之部の條にくはしく載(のせ)たり• 此国の下郷(かたゐなか)に居る•土人(くにびと)どもは•琉球とは云ず•屋其惹(おきの) といふ•蓋その国の旧名なりと•中山伝信録に見え たり•其地は•薩州の南百四十里にあり•南北長六十 里•東西十四五里程ありとなり•昔は国を三つに分つ• 所謂•中山•山南•山北なり•然るに•大琉球•中山 一統(いつとう)には成ぬ•此国に属する島三十六有り•地図は 三国通覧図説•其他諸書に載たれは略(はぶ)きぬ• 【左丁】  〇開闢の始《割書:附|》鎮西八郎鬼か島へ渡る節 中山世鑑に云•琉球の始祖を天孫氏といふ•其はしめ• 一ち男一ち女•自然に生(なり)出て夫婦となる•是を阿摩美(あまみ) 久(く)といふ•《割書:中良案るに天皇(あまみこ)なるべし|琉球には日本の古言多く残れり》三男二女を生めり長男は 天孫氏といふ•国王のはじめなり•二男は諸侯(だいめやう)の始と なり•三男は百姓の始となる•長女を君々(くん〴〵)•二女を祝々(しゆく〳〵) といふ•国の守護(まもり)神(かみ)となる•一人は天神(あまつかみ)となり•一人は 海神(わたづみ)となる•天孫氏の末裔(ばつえい)二十五代•世を保(たも)つ事• およそ一万七千八百二年にして断絶(だんぜつ)すと•云々夫より 鎮西八郎為朝の子•舜天といふ者•国王となる•《割書:舜天の|子舜馬》 【右丁】 《割書:其子義本にいたりて天孫氏の末裔に住を譲る|世俗今の琉球王は為朝の血縁なりと云は誤なり》中良案るに•中山伝信録に• 舜天は日本人皇の後裔•大里按司(おほざとのあんす)•朝公の男子なりと 記せり•大里は地名•按司は官名•《割書:大里按司は為朝の舅なり•|もしくは•聟に官を譲りたる》 《割書:ならんか•按司は位従一品•|領主諸侯の如きものなり•》朝公は•為朝の為を省きて称したる なるべし•白石先生の琉球事略に•二條院永万年 中•為朝海に浮び•流に従ひて国を求(もと)め•琉球国に至り• 《割書:流に求るの義によりて•琉求と改称せしと|いふ•此説然るべからす是より先此名あり•》国人其武勇に畏れ服す• 其国の名を琉求と名付•遂に大里按司の妹に相具し て舜天王を産•為朝此国に止る事日久しく•故土(ふるさと)を 思ふ事禁し難くして•遂に日本に帰れりと•云々和漢 【左丁】 三才図会に•為朝逝して後•祠を立て•神号を舜天 太神宮といふと記せるは誤なり•因(ちなみ)に記す•為朝十六歳 の時•父六條判官為義と同しく•新院の御味方と なり•軍破て伊豆国に流さる•二十九歳にして鬼か島 へ渡り•帰国の後•国人が訴に依て官兵をさし向 られ•三十三歳にして自殺(じさつ)ありし事•保元平治物語に 見えたり•白石先生•本朝にて鬼か島といふものは•則 今の琉球これなりと云れたるは•何にもとづかれたるや• 所見(しよけん)なし•愚案るに•此地の古名を•屋其惹(おきの)島(しま)と いふ•或は文字を替(かへ)て•悪鬼納(おきの)島(しま)とも書に依て•附(ふ)会(くわい) 【右丁】 したる説ならんか•  〇日本へ往来の始 琉球事略に云•後花園院•宝徳三年•七月•琉球人 来りて•義政将軍に銭千貫と•方物(そのくにのもの)を献ず•是より して其国人•兵庫の浦に来りて交易すと•云々案る に•十五代•尚金福といへる国王•位に在し時なり•夫より 代(よ)は四代•《割書:後花園•後土御門•|後柏原•五李良》年(とし)は百二十三年《割書:ん|》を歴て• 正親町院(おほきまちのいん)•元亀十一年•琉球人来りて産物を献る• 薩摩国とは隣国なれば•深く好(よしみ)を通じ•綾船と名 付て•年毎に音物を贈りしが•慶長年中•彼国の三司官• 【左丁】 邪那といふ者。大明と議(はかり)て国王をすゝめ。日本への往 来をとゞめける故。薩州の大守。島津陸奥守家久。使 を遣はして故を糺(たゞ)すに。邪那。使に対して。種々の無 礼を振廻(ふるまひ)ければ。義久大に憤(いきどう)り。同十三年。駿府に趣き。 神君に見え奉て。兵を遣はして誅罰(ちうはつ)すべき旨を請ふ 神君義久が所存にまかすべき由 鈎命(きんめい)ありければ。翌年 二月。兵船数百艘遣はして攻討(せめうた)しむ。諸士功を抽(ぬきんで)て 攻入〳〵。同年四月。首里(すり)に乱入(らんにう)し。国王 尚寧(しやうねい)を擒(とりこ)にし て凱陣(かいちん)す。尚寧王。日本に居事三年。過(あやまち)を悔(くい)。罪(つみ)を謝(しや)し。 漸(やうや)く本国に帰る事を得たり《割書:時に慶長十六年|なり》此時 神君 【右丁】 義久に琉球国を属し給ひけるより。永代 附傭(ふやう)の国 となり。臣とし仕ふる事甚 敬(つゝし)めり夫よりして。 将軍家御代替りには。中山王より慶賀の使臣を来聘(らいへい) せしめ。彼国の代替りには 将軍家の鈎命を薩州 候より伝達せられて。しかうして後位を嗣((つき)。他日恩謝 の使を奉るなり。其国 唐(から)と日本の間に有故 嗣封(しほう) の時は。清 よりも冊封(さつほう)を受るなり。去ども。唐へは遠く。 日本へは近き故。日本の扶助(たすけ)にあらされは。常住(しやうちう)の日用 をも弁ずる事あたはす。去によりて。国人 耶摩刀(をまと)と 称して。甚日本を尊とむとなん。 【左丁】   〇官位幷冠服図説 位は一品より九品まであり•勿論正従の別あり•王の子弟 を王子(わんず)と称す•《割書:正一品|》領主を按司(あんず)と称す《割書:従一品〇古は按司|領地に住居して•其》 《割書:地を治めしか•各権威を振ふに依り•第十七代の国王尚真•制を改•首里の城|下に住居せしめ•察事(さつじ)記官(きくはん)といふ官人を•一人づつ遣して•其領内の事を》 《割書:支配せしめ•歳の終に物成を•|按司の方へ納めしむ•》天曹司•地曹司•人曹司とて•国家の 政事(まつりごと)を司(つかさど)る大臣を•三司官(さんしくわん)親方(おやかた)と称す•《割書:正一品|》夫より以下 の大臣を•親方と称す•《割書:従二品|》親雲上(ばいきん)と称するものは武官 なり•《割書:三品より七品|まてあり》里之子(さとのし)と称するは扈従(こせう)の小童(せうとう)なり•《割書:八品|》 筑登之(つくとし)と称するは九品なり• 〇国王は図の如く•烏紗帽(くろきしやのかふりもの)に朱き纓(ひも)•龍頭(たつかしら)の簪(かんざし)雲龍の紋 【右丁】 ある袍(きぬ)を着し•犀角(さいかく)白玉の帯を用ゆ•何れも明朝の 制なり•今清朝の冊封を受ながら•冠服は古へを改 めず•一品以下帽八等(かぶりものやしな)•簪(かんさし)四等•帯四等あり•荒増(あらまし)は• 一品は金の簪•彩織緞(もやうをおきたるきれ)の帽•錦の帯•緑色(もえぎ)の袍着す 《割書:江戸へ来聘する使臣は一品なれども•|国王の名代故•王の衣冠を着用す•》二品は金の簪•《割書:従二品は•彩を金にて|作り•棒は銀なり•》 紫綾(むらさきあや)の帽•龍蟠(くわんりやう)の紋ある黄•なる帯•《割書:功ある者は|錦帯を給ふ》深青色(こいもえぎ)の 袍を着す•三品は•銀の簪•黄なる綾の帽•帯袍ともに• 二品に同じ•四品は•龍蟠(くわんりやう)の紋を織たる•紅の帯•簪 帽袍•三品に同じ五品は•雑色花帯(いろいとにてもやうあるおび)•其外は三品に同じ• 六品七品は•黄なる絹(きぬ)の帽•簪と袍とは三品に同じく•帯 【左丁】 は五品と同じ•八品九品は•大(ひ)紅縐(ぢりめん)の帽•其他(そのほか)は七品 に同じ•雑職(かるきやくにん)は•紅絹の帽•其他は七品に同じ•同の簪• 紅布(あかもめん)の帽•或は緑布(もえき)の帽を蒙るは里長(なぬし)保長(しやうや)など なり•青布(あゐもめん)の帽を蒙るは•百姓(ひやくせう)頭目(かししら)なり•凡(すべ)て官服は• 平服より丈長く•上より帯にてしむるなり•いかにも 寛(ゆる)やかに着為(きな)し•紙夾(かみいれ)•烟袋(たはこいれ)など懐(ふところ)に入る事•日本 の如し•童子の衣服は•三四寸ばかりの脇明(わきあけ)あり元服 の時縫詰る•元服の事は下に載たり•女人服もさ して替る事なし•外衣(うはぎ)を襠(うちかけ)にし•左右の手にて襟を曳 て行となり•寝衣(よぎ)の制(しかた)•日本と同し•衾(ふすま)といふ•衣服に 【右丁絵の解説】 里之子(さとのし)  扈従の体 【左丁絵の解説】 琉球国王 【右丁上段二コマ絵付き】 王帽(わうほう)  黒き紗  にて作る  国王   これを   載(お)く 【仕切り縦線】 官民帽(くはんみんほう)  一品より九品まての  制皆同しいため紙  を骨にして作る  前に七ひだ後に  十二のひだあり色を  以て高下を分つ事  上に記せるか如し 【帽の絵の両側に】前 後 【下段二コマ絵付き】 片帽(へんほう)  黒き絹にて作る  六の角あり医官  楽人茶道の外  剃髪したるもの  これを用ゆ 【仕切り縦線】 笠(かさ)  麦藁にて作り  また革にても  つくる外を黒く  内を朱く  漆にて   塗なり 【左丁】 【上段二コマ絵付】 短簪(みちかきかんさし)  長さ三四寸元服したる  者これを用ゆ金銀  同にて作る上に  くはし 【仕切り縦線】 長簪(なかきかんさし)  長さ尺余婦人少年  の男子元服前にて  髻の大なるもの是を  用ゆ金銀にて貴賎を  分つ民家の女子は附帽  にて制したるを用ゆ 【下段絵付】 帯(おび)  長さ一丈四五尺  寛さ六七寸  腰をまとふ事  三重四重にす  此帯地の地いろ  地紋に差別  あるもの上に  載たるめし  此帯の戴を  薩摩がんとう  とて好事の人  みなはだ【非常に】珍翫す 【右丁】 衣【絵あり】  袖大さ二三尺ばかり  長さ手に過す図  する物は平服なり  官服は丈長し平日  着する物は大抵  芭蕉布の縞  織を用ゆると  なり  此外足袋草履  日本と同じかるが  ゆゑに図せず 【左丁】 両面を•反覆(うらがへ)して着する様に制したるも有り•惣し て•帽帯の織物は•唐度閩といふ地にて織•此国へ売 渡す•琉球国にては唯芭蕉布のみを作る•家〳〵 の女子•皆手織にす•首里(すり)にて制する物を上品 とす•  〇年中行事 正月元旦•国王冠服を改て•先つ年徳を拝し•夫より 諸臣の礼を受(うく)•同十五日の式•元旦に同じ•《割書:毎月十五日•諸臣|の登城あり•》 王より茶と酒とを賜ふ•扨民家の女子は毬(まり)をつきて 遊び•また板舞(はんぶ)といる戯(たはむれ)を為す•図の如く真中へ木 【右丁】 板舞の図 【左丁】 の台を居(すえ)。其上へ板を渡し。二人の女子。両端(りやうはし)に対(むか)ひ て立。一人 躍(おど)り上れば。一人は下にあり。躍上りたる女子。 本の所へ落下る勢ひにて。こなたに立ちたる女子は。五六尺 も刎(はね)上るなり。其体。転倒せさるを妙とす。其地北極地 を出る事二十五六度なる故。暖気も格別にて桃桜の 花も綻(ほころ)【示す扁に見える】び。長春は四季ともに花開ども。わけて此月を 盛とす。羊躑躅(つつし)は殊更見事なり。元日王宮の花瓶(はなかめ) に挿(さす)事。恒例(かうれい)なり。薩州の人の直話なり。蛇は。し めて穴を出。始て雷(いなひかり)し。雷すなはち声を発す。枇杷 の実熟(じゆく)す。元朝これを食ふ。正三四五九の四ケ月を 【右丁】 国人吉月と名づけて。婦女(おんなわらべ) 海辺(うみべ)に出。水神(わたづみ)を拝 して福を祈ると。伝信録に載たり。 〇二月十二日。家〳〵にて浚井(いとがへ)し。女子は井の水を汲 て。額(ひたひ)を洗ふ。如此すれば。疾病を免るゝとなり此月。 や。土筆(つくし)萌出(もえいて)。海裳。春菊。百合の花満開し蟋蟀(こほろぎ)鳴(なく)。 〇三月上巳の節句とて往来し。艾糕(くさもち)を作て餉(おく)る。石竹。 薔薇(ふうさはら)。罌粟(けし)。倶に花咲く。麦(むぎ) 秋(みの)り。虹(にし)始 て見ゆ。 〇四月させる事無し。鉄線(てつせん)開き。笋((たけのこ)出。蜩(ひくらし)鳴き蚯蚓(みゝつ) 出。螻蟈(けら)鳴き。芭蕉実を結ふ。国人是を露と名つく。 【左丁】 〇五月端午。角黍(ちまき)を作り。蒲酒(せうぶさけ)を飲事日本の如し。 此月稲 登(みの)る。吉日を選んて(。)。稲の神を祭り。然うし て後。苅収(かりおさ)むるとなり。明の夏子陽(かしやうが) 使録(しろく)に云。国中に 女王といふ神有り。国王の姉妹世〳〵神の告に依て。 是に替る。五穀 成時(みのるとき)に及て此神女所〳〵を廻り。稲穂 を採(とり)てこれを嚼(かむ)。いまだ其女王の嘗(なめ)ざる前に。穫(かり) 入たる稲食ふ時は立所に命を失ふゆゑ。稲盗人(いねぬすひと) 絶えて無し。此月蓮の花咲き。桃。石榴(さくろ)熟す。 〇六月の節句あり。《割書:六月の勤る中に|当る日なるべし》強飯(こはいゐ)を蒸(むし)て送る。 此月や。沙魚(わにさめ)。岸に登りて鹿となり。鹿また暑を畏(おそ) 【右丁】 るゝ故。海辺に出て氷を咂(ふく)み。亦化して沙魚(わにさめ)と なる。桔梗扶桑花開く。 〇七月十三日。門外に迎火の炬火(たいまつ)を照して先祖を 迎へ。十五日の盆供など。日本と替りたる事なし 此月竜眼肉実を結ぶ。 〇八月十五夜。月を拝す。白露を八月の節句とし 赤飯を作て相餉(あひおく)る。其前後三日が間。男女戸を閉(とぢ) て業(わざ)を休む。是を守天孫(しゆてんそん)と号す。此間に角口(いさかひ)な とすれば。かならず蛇に囓(かま)るゝ となり。木芙蓉(もくふやう)花 花さく。 【左丁】 〇九月梅花開き。霜始て降り。雷声を収め蛇 はなはだ害を為す。此月の蛇に傷(きず)つけらるれば。立 どころに死す故に。八月の守天孫に。三日か間つゝし むなり。田は尽く墾(あらき)ばりし。麦(むぎ)の種(たね)を下す。《割書:麦は三月実|のるなり》 〇十月蛇穴に蟄(ぢつ)し。虹蔵(にじかくれ)て見えす。子児は紙鳶(いかのぼり) をあぐ。 〇十一月。水仙。寒菊開き。枸杞(くこ) 紅(くれない)に色づき蚯蚓音 を出す。其外にさせる事なし。 〇十二月 庚子(かのえね)庚午(かのえうま)に当る日に逢ば。糯米(もちこめ)の粉を 椶(しゆろ)の葉にて。三重四重に包み。蒸駕篭(せいらう)にてむし 【右丁】 たるを鬼餅と名付て餉(おく)るなり。土人の祝に。昔 此国に鬼出たりし時。此物を作て祭りしとなり。 是其 遺(のこ)れる法なるよし。駆儺(おにやらひ)。禳疫(やくびやうよけ)の意なるべ し二十四日竈(かまど)を送り。翌年正月始て 竈を 迎ふ。《割書:竈の神を送り|迎ふるなり》  〇元服 此国人。元服以前は髻(もとゝり)を蛇(へび)のわたかまりたる如くにし 長き簪(かんざし)を。《割書:図上に出|せり》下より上へ逆(さか)しまに串(つらぬ)きて其先きは 額(いたゝき)の髪を剃(そり)て髻を小さくし。短き簪にて留置なり 【左丁】 唐土明(もろこしみん)の世にはには•髪を剃事なかりしが•清の冊封(さくほう)を 受る世となりてよりの事なるよしなり•中々に案るに• 芥子坊主になるかはりに•中剃(なかそり)と遁(のが)れたるなるべし•  〇剃髪 医官を五官生(こくわんせい)といひ•茶道(さだう)坊主(ぼうす)を•宗叟(そうさう)といひ•また 御茶湯(おさどう)といふ•上に図したる•片帽(へんぼう)を被(かふり)•黒き十徳の 如きものを着することなり•  〇家作 王宮の図は•唐画(からゑ)に画(えかき)たる宮殿にかはる事なければ 略けり•平人の家は•日本の作りにさまで替りたる事なく• 【右丁】 屋宇之図 【左丁絵のみ文字無し】 【右丁】 床の高さ三四尺•棟は甚高からず•海風を避(よく)るを 以てなり•屋根は瓦をもちゆ•疊•戸•障子•日本に 同し•柱は大蔦•鬼界か嶋に産する羅漢杉(らかんさん)を 用ゆ《割書:羅漢松はまきなり|羅漢杉もまきの類か》価いたつて貴し•木目至極 麗(うる) はしく•数先年 蠧(むしばま)ず•年を歴(ふる)に従ひて•その光潤(つや) 鑑(かゝみ)の如し•壁は板羽目にし•粉箋(からかみ)を以て是を張る• 竹簾(すだれ)は極めて麁(あら)く•細(ほそ)き丸竹にて編(あみ)• 簷(のき)に桂(かく)•庭 の構へ•築山(つきやま)に黄揚(つげ)•松の類•あるひは円(まるく)•或は方(かく)に 苅込(かりこみ)たるを植•小池を掘て魚を畜(かひ)•水中に小石を 立•其上に鉄蕉(そてつ)•其外小き木なとを植て玩となす• 【左丁】 大抵 外圍(そとかこひ)は•蠣石を塁(たゝみ)て作る•《割書:蠣石は蠣石にて|磯石の類か》大家に ては殊さらに磨(みがき)て削合(けつりあは)する故•一ち枚石にて切立たる が如く•芭【?】立派なる事なり•寺院は多く黄揚(つげ)の生(いけ) 墻(がき)を苅込たるなり•また此国にのみ産する• 【仕切り縦線あり】 【図の説明】 米廩之図 【右丁】 十里香といふ木をも籬(かき)とす•此木の事は•産 物の部に載せたり•民家は竹の穂牆(ほがき)なり•米廩(こめぐら) は•床の高さ四五尺•床下に十六本の柱を施し• 其間を人の行抜るやうに作る•官倉(かうぎのくら)皆かく の如し•村落(むらかた)にては•寄合て一亭を作り•米を 其中に蔵め•日を分て守望(ばん)をするとなん•  〇器財図説 食膳の為方(しかた)•膳椀にいたるまで•惣て日本の 制に效(なら)ふ•王宮の給仕(きうじ)は•里之子(さとのし)なり•二人宛揃 への服を着し•進退•小笠原流をもちゆ•はなはだ 【左丁】 行儀よき事なるよしなり•定西(ぢやうさい)法師(ほうし)伝に•《割書:此書は•|天正年中•》 《割書:琉球へ渡り•一度は栄へ•一度は衰えて•|道心となりたるものゝの伝なり•》琉球の習ひ•朝毎(あさこと)に然る べき臣下より•銘〳〵后へ食籠をたてまつると 記せり•今もしかあるや•  〇女市 此国中 辻山(つぢやま)といふ所の海沿(うみばた)に•朝晩(あさばん)両度市あり• 商人は残らず女なり•商(あきな)ふ所のものは魚蝦(ぎよるい)•蕃薯(さつまいも)• 豆腐(とうふ)•木器(きぐ)•礠碟(さらさはち)•陶器(せともの)•木梳(きぐし)•草靸(さうりわらぢ)•等の•麁物(あらもの)なり• 其 貨物(しうもの)•何によらず首(かうべ)に戴(いたゞ)き•坂(さか)に登り嶺(みね)を下 るに偏(かたよら)ず•売買は日本の銭を用ゆ•古へは洪武   跋 今歳寛政二年の冬琉球國王より慶賀乃 使臣 東の都に来り聘すると聞て四方の 君子《割書:余|》り居舗に顧をたまひ中山傳信録 琉球車略三國通覧なとの書を讀む□毎に □等の書乃他に琉球国農□實を □□の耳にも入易からむやうに記たる書乃 あらまほしさを宣うより利に□る足の逸く 萬象亭にいゝにて先生に請ふ先生莞爾と しく笑て曰吾子の□拳アラムことをあらかじめ 推知して萬国新語の遺稿より琉球の部を 抄出し一編の小冊となくおのりを取出して 授け賜ひぬ《割書き:余|》手の舞足の踏を知らず頓に 梓に鏤く世におほやけに希は□書の為に 都下□紙あたひの貴から□ことを実に 先生著述の書は《割書き:余|》の家の揺銭樹なり