【右上タイトル】上毛四万鉱泉関邸内之図 【上部巻物図の文章】 四方之賦 夜毎にも下に焚火(たきび)は なけれども四方根(よもね)の真(ま) 湯の たゆるともなしと 堀川百首によみゐひし 当温泉は窈窕(ようてう)として 川の左右にあり東に 水晶山。阿野山を望み西は澤渡草津温泉迄 峯つゞきなり 此は日向山。小倉山を麓(ふもと)にして 峨(が)々 たる大山をへだて 越後の国に境迄南は原町 中の条駅迄 谷につらなりて折【節?】曝布(ばくふ)ところ〳〵 に引はへて眼下(がんか)に吾妻川の長流をひかへ さすがに 捨がたき山の姿なりけり 柳ノ沸湯(わきゆ)の源はそのかみ ふるきころ 沼田の城基 真田伊賀守公 此地の領主(りやうしゆ) たりしに湯本 某に分ち與へ浴室(よくしつ)を作らせし よりひらけそめ後 寛文(くわんぶん)の度 公の御聞に達し 温泉の高札を改め 猶(なほ) 維新(いしん)の際(さい)全国鉱泉の 湯質経験(とうしつけいけん)あかしより都鄙(とひ)遠近の老若四時 のわかちなく袖をつらねて来る往々年月 の移り行まゝに 家栄軒睦(いへさかへのきむつ)みて歴然(れきせん)たり もとより蒸湯の大切 滝湯の妙利〔功能 概略(がいりやく) 慢性皮膚(まんせいひふ)ノ病 《割書:疥癬|ノルヰ》 頑固僂麻質私(ぐわんこるましつし) ○脱舊挫傷(だつきうさしやう)ニヨリテ生スル手足医|痿痺(いひ)○神 経痛(けいつう)○胸(むね)ハリ胸イタミ 消食不良(せうしよくふりやう)○血ノ不足 ○肝臓(かんざう)病○便秘(べんひ)ノ癖(へき)アル者 神至痛(しんしつう)]其外 もろ〳〵の病ひを救ふ子細に すまたのほか こと十丁余りにして 瑠璃殿(るりでん)に薬師仏を 安置し宮|柱(はしら)ふとしき立て 温泉神社|鎮(ちん) 座し給ふ かたはらに 牛をかへすほどの古 木あり 凡そ千年も経たるならん枝葉 生茂りて森(しん)々とならし 産物には蕨(わらひ)独 活|椎茸(しゐたけ)舞たけ 岩茸治菌 湯晒艾など 土産に買はせ其外 北越より魚鼈(ぎよべつ)来り 渓(たに)を隔て米穀を運(はこ)びて 更に幽崖窮谷(いうがゐきうこく)に はあらじ その群集(ぐわんしゆう)の旅客の湯労れをなぐ さめんには芸妓といふものありていとたけの 曲をあげ また其|粧(よそほ)ひ 美なり 艶(ゑん)なり 声は 鴬の吟より細く 髪に梅花の薫(かほ)りを含みて 雪の肌(はだ)へに紅(くれない)の袖をひらめかす風情みるに たへがたくなんありける 殊更の繁花霊泉(はんくわれいせん)の 功多少(くわうたせう)の病客根治(びやうかくこんぢ)せんといふことなし 湯壺(ゆつほ) きよらかにして 塩気(しをけ)をもち よく茶に あふといへり 日の本のと呼(よば)れし但馬木の崎 の温泉も上に立んことかたしと 歌川何がし の書 残されしもむべなるかな 病ひの癒(いゆ) る所以(ゆゑん)を自ら感(かん)じて十ヶ所のあらましを 書しるし硯りの墨つきて筆とめぬ 薬王山桜  桜狩 病ひありげな 人もなし 稲裏残雪  いらがへに 減るや尾上に 残る雪 髙野蜀魂  上にうへ あるやたかやの ほとゝぎす 山口曝布  しらたきや 青葉の奥の 夕煙り 水晶山秋月 月すむや 青空にさす 地の光り 安良湯残照 温泉の 立山懐の 残暑かな 小倉紅葉  にしきにも 綾にもみへて 夕紅葉 日向古堂  鴬も むかし忍ふか 冬篭り  干時明治十四春良辰 久森烏曉稿 【絵図枠外 左上】明治十四年五月御届 【絵図枠外 左下囲み文字】湯元関善平蔵版