新版 間似合嘘言曽我 蓬莱山人帰橋著 全 天明五乙巳年印行   清長画 年(ねん)〻歳(さい)〻華(はな)相(あい)似(にたり)歳〻年〻曽我(そか)同からす 元禄(げんろく)延宝(ゑんほう)の春(はる)狂言(きやうげん)より此種(たね)を植(うへ)て栢莚(はくゑん)納子(とつし)【正しくは訥子で澤村訥子のこと。屋号紀伊国屋】 に至て花咲(はなさき)実結(ミ のり)少長(せうてう)定花(ぢやうくわ)に枝葉茂て 当時(とうじ)紀(き)の国(くに)屋|瀧(たき)野屋の世界(せかい)とはなりぬる此 絵草子(ゑそうし)のをもむきは芝居(しばい)の趣向(しゆかう)と一盃か以て おかしみ半ふん浮世(うきよ)が粒(づふ)安目(やすめ)を売(うる)気(き)の 版元のねがひ巳(ミ )の初春(はつはる)の商始(あきないはじめ)と 歌|舞(ふ)伎(き)の作者(さくしや)にあやまつて申す ねん〳〵さい〳〵筆を とりてかくも久しひ ものゝけん久四年の あけたつ春の君か 代はのりだくさんの 麻上下もめでたく た〻んてすそふく 小松とかわれとも かはらぬものはそが のうち父のかたき は工藤左衛門尉と しつてはゐれ ども天下に たれならぶ ものなくゐ こう【威光】つよけ れはうつ事 はさてをき かをみしる 事もなら すしてしな らぐならと 月日をおく るもほんい ならすと ふたいのけ らい鬼王 新左衛門は なしのやう に兄弟へ きやう けんを おしへる 【鬼王の台詞】 これ若たん なたち今の 世に四角文 字ばかりよ んで父のあ た【仇】にはとも に天のいたゝ かずと申由【不倶戴天の意ヵ】 はしれた事夫 よりは草そうし てもみたりとかく てみしかに【手短に】祐つね さまへ取いるほうか よふこさりませう 第一には敵の面て いを見覚るため 明十日は箱根山 こんげんへ頼朝公 御さんけいな れば諸大名は いふに及はす 敵祐つねさま もお出はひつ ぜう【必定】頼朝公 くはんきよ跡【還御跡?】 で祐つねさまのかへり 【すぐ下へ】 を待てゑ【絵】をおゝ ほへなさりませ【お覚えなさりませ】 【左ページ下段、曽我兄弟のせりふ】 でかした鬼王日ごろおれも そう思ふあしたのさんけい こそよきさい わいなり 祐経殿 へはさたな しに行ふ ほどにたいき ながらそな たもいつて くりやれ 「是からはやぼらし く敵討【仇討ち】のさたを やめてやわたの三郎へ 頼み祐つねへ取入り気 をゆるさせてしつかり とうごきの ないやうに 本望を とげる かかん じんさ 【祐常の敬称は鬼王の台詞の途中に「祐つねさま」と平仮名で書かれており、その続きで漢字もつかわれている。漢字は殿のくずし時にも似ているが、話者が同じなのに途中で敬称が変わるのもおかしいので、「さ満」を合字的にくっつけて書いているものと解釈し「さま」とした。】 上を下へ ゑいとう さん花見 かなのほつ 句はとこと やらの事 にしてこゝは 相州はこね ごんげんへ れい年吉 れいとし て源頼朝 公御さんけ いありて くはんぎよ も相すん だれば跡 がためは新 かいのあら 四郎とし てせうぶ かはの足 がる大ぜ いれつ をたゞ して 【右頁下】 守りし 中を大 名おい〳〵 下山其内に 敵工藤左衛門 尉は当時 かまくら の□□ なれはおの かいこうを【己が威光を。続く「立」=「威光を(押し)たてて」に続く】 立ゑぼ し ゆう ぜんと して出 くるを兄方 初鬼王も はがみを なして むねん かる 【右頁上の続き】 アノ いほり にもつこう【庵(屋根型)に木香=袖の家紋】 をつけしが 祐つね様御 ふたり様よく 御らんなさり ませ是から はあさひな 様を御たの み申て八わた様へ いゝこんてもらひはやく かつてどをりにさへなれは 敵討はぢきになります 「こんな事ははやいがいゝのさ 「さつき とん〳〵あん ではなした とほり小は やし殿の内へ かへりに ゆかふ 小林かとり もちにて八わたに 初てあふに はわつさりと 大いそかよか ろうといふゆへ けふは中の丁 あふみやにて 昼より三人し て八はたかくる をまちしにほど なく来りければ みな〳〵ましめに なつてうそを まけだす 朝 「おはやういらつ しやりました かの御はなし申 た人はこれにおり ますびんぼうか みの兄弟はなは だのふこつものゆへ すへながく御目を かけられておつて は大守さまへもお めみへをいたし たいしんぐわん そうにござり ます 【右頁下】 ながふ此せきで申上ます もやぼなき只今朝いな 先生の申上ました通り しんのいもほりでござり ますればなんぶんよろ しう願ひ奉ります 【右頁上の続き】 八 「これは〳〵御三 人さまの御て いねいな御 あいさつま ことにおそ れ入ます 此やうな せきて一 度おてあ い申せば百度にも ますお心やすさ 何もかもおつくるめ てせうちの事なれ はいさゐくつとのみ こみさ 女 「すけさんは いつもとちが い四かくだね もしあささん まいつるさんと はな□【川ヵ】さんは おしまい申て 置ましたとら さんはしれた事 もうお出なん しな 朝 「なるほと三ツ ゆびてつめひらき もへんちきだはた さんもういきや せうあん内の女ぼう 先へ立ねへおれには又しん ぞうをあてがうのか 夫より大いそや のまいつるが三 間の大ざしきへ あがれは介なりか なじみのとら計 はじきにくれ共 跡のけいせいはつ ゆへしばらくして 来りまきゑの たばこほんをに らんですはれ共 いつもの初会 とはちがいすけ なりとみな〳〵 心やすきゆへ くだけもはやく 八はたにまい つる時むねに花 川と盃もすん て酒事にうつ りにきやかにな るうちに時むね は色男の大通 ゆへ二丁めのせう 〳〵か事はしつ てしらぬかほ にてどうぞわ がきやくにし てあしをつ けんと花川 あじにいろ目 をつかう 朝 「是(これ)おいらんたち そうきうくつに してはいふき【煙草盆の灰落とし】へ酒 をこぼすももつてへ ねへちとさしきを やわらげてくんねへ な どふかおいらを こうのいけ のやうにとり あつかうの そして おれがこんやのかみさま へとふするつもりた てうしもかへし なにほども あるもんだ やけ【?】るすし たはねへ 介 「朝さんのひげは 仲人のかんばん さ時においらん へおさかづき 「わたくしかへちつと あげ申いせうか な□みさんついで あげ申な 【左頁下】 あん まり しやれ なさんな朝いな さん おわりやへくる き□うさんをみる やうにみんなわるく いゝす□そして まあ ぬしの やうに ふか めへな五丁まちへ くるもの か其 ひけも すら ずに さ 花川は時宗に しぬほとほれ たれ共二丁めの せう〳〵とな じみのわけも しつてゐれば かいはなしに あわんとさつし やわたをせう人【世話人の誤りヵ】 にくるやうにし てもらはんとた のみけれはやわた も五丁まちてし られたかほなれは いさゐをうけこん て時宗をまい つるがさしきへ よんでたのむ 「是 時さんかんしんの時のおしやま を入るのは外の事でもねへがあ の花川さんか大のぼせてせひ 此すへによこしてくれろとのたつ てのたのみは□二丁めのせ印【?】 か事はわたしがせうちたからどふぞ かいはなしにしてくんなさんないやでは あろうがわたしか顔を立てくんねへな とたのまれけれは今けんもんのは八わたいやとも いわれすていよくするあいさつする 「これは八わたさんのお仲人おそれ入ましたはな川さまの顔もつぶ□□□ □□【おまへヵ】のことばもほく【反故ヵ】にやアしやすめへいづれせうちきと□□ 【右頁下】 のみや せうげい しやをみん なおけは よかつた 【左頁】 花川は時宗 かねてゐる ひやうぶのそ とにてうがいを つかいそれより夜 ぎへよりかゝりせう 〳〵が事をしつた やうにしらぬやうに わたくしは今夜計の おなぐさみ 其うちへは はいつても おじやまた ろうのと いふゆへ時宗 もてのあるものにてしつ かりとこつよく【?】かいてみる コレはな川さんかわつた事 をいゝなさるの おめへの むねにやア二丁めの 事かあるゆへかへせう〳〵か事 をかくしやアしんせんなるほと 久しくゆきやすか人といふも のはそふしたものでもねへのさ 事と品によつたらあつちをきれ てどこそのうちへきめへもんでも ねへそりやアおめへの心に有 そふな事さ 今もはたさんに申いした 通り私かやうなもので も虎さんの所へ祐成 さんか外ならす きなんすし 主かきてさへ くんなんすな らとふとも しい す【?】 せう〳〵さんに きやくしんでも 有時はつきあいた と思つてきて おくんなん し さてもそか兄弟は おさきての 朝ひなかせ わにて八わ たの三郎へ 取入り吉 原大いそ 品川も度〻 ふるまい八 わたが女 房へはしばい もきやうげん のかはりめ〳〵 にみせければ しきに心やす くなりだん 〳〵としよせ て祐つねへ目 みへの願ひも よふ〳〵とすんて いついつかにあわんと おしきせの太刀馬代 にて祐つねがかまくらの 御所への出仕かけぐはい きやくの間にて あふなり 其元ふたりか 十郎殿五郎殿 よな初てあい ました此間う ち八わたかはな してくはしく御 やうすもうけた まはつたがしちく すへたのもしい御 心ざしとかくおつめ なさるはわかいうち の事及ぶたけはせつ しやもおせわ いたし申そふ 扨又きのふは思 召より何より の品き□□かけ られはなはだ いたみ入ますじ こんは御ゑんりよなく かへつてお通りなされい そう〳〵ながらたゞ今は出仕 かけ此間にゆるりつとゝいつて くわん〳〵とうらつけ上下の音 さはやかに出て行 兄弟のものもむかしのたいめんの やうにさんぼうをこはすのにらみ つけるのといふしうちはなくきにん とあがめてへん じも口のうち はむきしつかり ごうはら半分 といふつけめであ たまをさげる 兄弟のもの は朝ひなか 初よりの大 せわにて祐 つねへの目みへ もしゆびよく すみ此うへ にも八わた をとりは つさぬやう にしてお しつけ ふじのす そのの御 かりは野 奉行は 工藤とさた あるゆへはむ きにはむき つけて下奉行 になりとなつて しゆひよくちゝの あた十八年の本 望をとげんとも くろみ人がどふい をふがなんと思はふ がちつともか まはす□□しん はまたさ□くゞ つた【韓信の股くぐりへの言及ヵ】なぞとひ とりで心にいけん をくわへ祐つねに あいしかへりかけに 八わたがやしきへゆ きげんくわへあんない をこいて一礼をのべる コレ御家来だん なおかへりの をり申上やう にはいよ〳〵御 ゆうけんに御 つとめなされ めで度ぞんじ 奉ります先(まず) もつて今朝は 大守さまへ御目 みへもしゆひよ く相すみ御かげ ゆへとてう〳〵 有かたくぞんじ 奉ります右御 礼として十郎五郎 御しきたいまで 参上いたしまし た此をもむき御 きたくのをり申 上てくりやれ  せつしやもそのをも  むき【趣】よろしう 【右頁下】 主人八ツ時過 はきたくいたし ますればその せつ申きかせ ませう 大いそやの とらは祐成 に大ほれにて しまいのきや く人か有て もざしきを あけたりによなか きやくがきても もらつて出る 事はおろかつらも 出さぬゆへだん〳〵 と客もなく なりとんたく るしい身の上 になつたにもかま わずまいばん祐 なりをよびかんさ しが一本なくな れはなべやきと へんじわかひ ものやりてのしう ぎははくむくをな わめにあわせる やうなれとも祐成 は大名のふ ところご ゆへかはひ そふとも 思はすけふ も又ゐつゞ 【右頁下】 はな 川さん よくき なすつ たこゝへ ちよつ とす わん なへ 【右頁上の続き】 けの小なべ だてなり  川さん客人は  忠太さんかそん  ならはやく  いきなんし  せんどのやも  あるからやか  ましいよ モシ祐成さん おたのみ申事 かありんすせん ど時さんのき なんした時小田 原やからくる忠 太さんかきてゐ なんして時さん の事をなんのか のとやかましく いゝしたを いゝくるめて よう〳〵とゑびすこうの きものをこしらへてもらう はづにしいしたからどうぞはつか には時さんをよこし申てくんなし二丁めの せう〳〵さんのほうのわけも有しないしよのてまへも 有からきつと時さんをよこし申てくんなんし其事を文にも かきいしてつかはしいす今にこどもがふうじてきいしたらかならずとゞけておくんなんし 祐成は祐のぶ が長やすまい にてありけれは 時宗はじめわ かいものより合 所でいきまを はなしてゐる 所へ祐なりは 帰りはな川ゟ たのまれし文 を時宗へとゞけ れはひらいてみ て大きにこまり しわけは二丁め のせう〳〵をき れたといふはお もてむきにて しぬほどほれ ていれども八わ たへのけんもん 計でてづよく いゝし事なれば 花川かゑびす こうをしまつ て中の丁でも はらせたなら ば箱根山に あらぬよし 原てかみそり さわぎをき 【右頁下】 おれがそんな 事ができよう と思つたよいか にけんもんだと つてせう〳〵 をきれるといふ □はつよすぎるそ そして手めへは どふするつもりだ 団三にみすがみを かいにやつてなにゝ する小うりはしめへ せ 【右頁上の続き】 かん事をお それていやといへは 八わたがたのみし 事もつぶれるゆへ 文をみながら とつおいつしあ んをしきやう げんをがんがへ だし団三郎 にみす紙を 一じやうかい にやる 此文を見 ねへ小田原 やのへら ほうにき ものをこしらへてもらう から仕廻計できてくれろと かいてありやすそこで此文を ふうじて小田原やにて忠さま大 いそや御そんじよりとかいてばん に団三に小田原やへほうりこま せやすいかさまとはしらず きやく人へ とゞけるはしれた事ぐつ とかんしやくをおこさせて かくきやうげんがあるのさ又みすがみ でふうじるは跡ゟふうじがみののこらぬ ようにと いふあんじさ とらは祐成との色事 五丁まちにしれて客人 といふ物祐成ゟ外には なく内しやうややりて もたび〳〵いけんすれ 共きかぬゆへ大いそや ていしゆ伝左もこまり はてぜげんの惣太を よんでそうだんする 惣太てめへをよびにやつ たも外の事じやアねへ せんどもはなしたとら めはとかくへぼくた大名 の祐成めにほれて此 比はあのざましよせん いけんでもひやうたん でもきかぬよふすゆへ こうしようと思ふだ ましてにかしてやれは 祐成がやしきへゆくは ひつしやうそこへ大 ぜいつけこんでかゝへの 遊女をぬすんだと代 官所にして金をゆすり とるほととつて跡はやる ともどふどもしよう此句 はどふだろう 大のみやうけいさしかししきに つけこんではわりい二三日もたづ ねて代官所へもうつたへた跡でつけこむかよし それより伝左は二かい よりとらをよびおろ しかこいて茶などを のませきやうくんに かゝる 今さらあ らためいゝ きかずで はないかてまへも□□ から内しようて見所あ あれはこそそだてしに思ひ の通り大鳥やれうれしやと 思ひしに此比のやうすはが てんがゆかず何かくらうに なる事ても有りて色つ やもわるしひよつと女のせ まいきでひよんな事なと しておれにくろうをかけてくれ るなよ命さへあれはどふでも して一生そわれぬといふ事は ないもし先 か大名でも 有ならは にけて行さへすれは御一 家かたも有ものゆへどふか わけかついてじきにおくさまと あがめられるはしれた事し かしをれがおしへる事ではな いが心ざしかふびんゆへうき世 のはなしをしてきかせるかな らずたんき をだして今までの心ざし をむにしてくれるなよと いゝけれはとらはおやかたの じひ なる心 ざしを うれしく 思ひなみ だをなが して其 ばをた ちか ねる 扨も時宗か はかり事の 文あんのこ とく小田原 やよりじきに とゞけければ忠 太はいつもの文 と思ひひらいて みれは何かぐれ ちがつたやう故 だん〳〵よむう ちにおだはらやの へらほうにきもの をこしらへてもらう といふもんごん 時さまへきさゟ といふおさな名 のふみ忠太は大 かんしやくにて 取ものも取 あへず花川か 所へきたりど きつくむねを おししづめさあ らぬていにてたゞやく そくのきものもやめに するといふゆへ花川は おどろく なんだへばからしい忠さん 思ひ付所じやアありい せんまあとふしたわけたへ 又だれぞにしやくられなんし ろうそりやアおめへでもありい せんどうりで中の丁でもてう しかおかしいとおもひした わけか有なら いゝなんしな 「てうしもかんなべも しつた事じやアねへ てめへの心に有こ つた此文をみやと だすゆへひらいてみ れば時宗か所へやり しこんたんの文ゆへ はつとおどろきどう して行し物と思ひ しがかふろにふうじ させしゆへ取ちがへ しならんとかんがへ これをみらるゝから はやぶれかぶれ忠太 をつきたさんとお もひしがそれでは まのないゑびす こうにきものゝあ てもなければひとまづ時宗をきれ ようといつてきものをとりしあとにては とうかしかたもあらんと思ひ時宗をきれると いつてそのはをまるめしなり とらは伝左かよそ なからのおしへを 実と思ひやう〳〵 くるはをかけをちし て祐成がすきや がしのやしきへ来り ていしゆが心ざし にてかみゆひをた のみにけて来りし とつぶさにはなし ければ祐成も伝 左か大通の心い きをかんじとら を内に置しが せけんのさたに てわけをして たづぬるよし をとらはきゝた とへたづぬる くらいならは じきこゝへくべきはづを山の手の方を せんぎするはがてんゆかずとかんがへしかさ すがは大いそに名高きとらほど有て きつと心つきたしかにこうして置ておし つけつかまへ祐成になんぎをかけ代官所に て金にせんといふはかりことゝさつし祐成 にそうたんする せけんのうはさをきいてかんがへやしたがおしつけ 私をつかまへておまへになんぎかけ金をとる きやうげんとみへましたから其うらをかひ て今から私に人をつけて大いそやへおかへし 【右頁上の続き】 なんし大いそを かけおちしてき たりし遊女は此 方に置かたく といつておかへしなんすれ ばいやともいわれず又私を ば親かたのおしへた事ゆへ せつかんにあわせる事も できす其うへにげたひやう ばんも有しゆへ中の丁へは なをたされず もてあました 時かまくらまへの 衆でもたのんで もらいなんすれ はおまへになんぎ もかヽらずといゝ ける 時宗か所へ花川よりきう 用事のふみ来りしゆへひ らいてみれば主さまへ 上参らせ候文をおだはらやの 客の方へ取ちがへ遣はし 参らせ候所客人大かん しやくにて主さまをきれろと申 参らせ候ゆへきものを取迄と そんじ其あいさつをいたし参らせ候間ゑび すこうの仕廻は御へんがへねかい参らせ候この やうにかつてづくを申参らせ候も御きのどく などゝかいてあやまつてあつちより 仕廻のへんがへは時宗もての有もの也 かうきやうげん もゆく物なら いゝ 【右頁下】 なるほどそうだろう ちつともはやく団三郎 をつけてやるから いつた が いゝ それより団三郎 はとらをかこにの せ来り大いそや へかへしろう〳〵と 今の通りせりふ をいゝければさす がの傳左もあき れはて受とら ぬといふ事もな らずにげろかし とおしへたれは いつものやうに せつかんもし にくゝ大かき ぞくないの きやうげんと なつて大事 のしろもの にきづをつけ たればかつは のへのやうに きやうを さます かゝへの遊女 とら事 大いそを かけおち いたし まして おやしきへ かけ こみました だんじう〳〵 ふとゝきなる けいせいめき つとしをき を申付ませう 武家やしき ともわきまへ すけいせいの 身としてま いるだんごん ごどうたん のぎでご ざる これとらどの なく事はない おめへの人がらだ これからへやもち にでもほたもち にでもさがつて もうちつと みよしの はんきりを ついやし たかいゝ とらがかけおち  をして客人より かへされし事大いそ 五丁町はいふにおよ ばずかまくらうちも さた有ければ又よ びだしにして中の丁をはらせる事 もならずしかれども大金の代物を ねかして置も大ぞんなりいかゞはせ んと傳左はくふうするうちかまく ら中のとりさたは傳左かしかたが わるいのきやうけんのかきぞくない たのとかべにみゝありの世の中はつ とひやうばんしけれはおかはしよへ もやられすしよせんと思ひきり ちつとても金をとり祐成方へや つてしまはんと大通の惣六を    たのみつかいによこす 「祐さんおめへの所へけふきたのも 人にたのまれての事先おめへさん は御大名の御子ほど有てすへ たのもしいりつ はな御心ざし せんととらさまか かけをちをし てきなすつた時 一通りのものなら跡 の事にはきがつかす □ん〳〵ととめておく 所をかけをちした 【左頁】 女郎はとめておかれ んとほれてゐる女 をおけへしなすつ たはさすが御武家 のかたい御心さし 大いそやの傳左 もあまり有かたい 思召だからとら をさし上たいと 申やすおかけに なりとなんに なりとあの 子か一生 せわを やいて おやん なさり やしし かしお めへさま の事だ からたゞ はもらはれ やすめへさかな 代として五十も おやりなすつた らよふごせへ      しよう 【左ページ下段】 人にも しられた惣太とんが たのまれての事な ればまんざらかほも つぶされめへとふとも こう ともいゝやう にしてくんねへ 半つゝみぐらい はどう とも なり  やす 当時 大通 の 大磯や 惣六か 仲人にて とらと祐成は れいねんの とほり夫婦に なりければも 弟の時むねと せう〳〵はいまだ しうげんもすまぬ ゆへ兄弟そろつ てねまへしのび入 てのかたきうちは できぬゆへそれは こうへんに御らん にいれ申へく間 こん礼ぎりにて 此はるは おしまい 〳〵 ヤマトヤ キノ国や サマ          清長画