コレクション4の翻刻テキスト

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神州復古養生訓

好色不老門

{

"ja":

"生涯用心集

]

}

【帙□表】
【題簽】
生涯用心集

【帙□背】
生涯用心集 一冊
【帙□表紙】
【題簽】
生涯用心集

【表紙】
【資料整理ラベル】
富士川本
□シ
□651

景山八隅先生著  草稿
 生涯用心集 全七冊 □□【附ヵ】凡
            □□亭【百三拾二丁ヵ】

【右丁】


【左丁】
生涯用心集巻之一序     【蔵書印】富士川家蔵本
             景山八隅中立述

  養生談
夫人の生を養ふは天地の万物を養ふ道にして私の
ことに非す然るを私意を以て古人の立置給ふ所の
養生の道を狂し蔑にするはおろかなりといふべし
如何となれば山川草木鳥獣魚鼈に至迄こと〳〵く
天地の理に随て己か性を養なはさるはなし独人間
而已万物の霊たるによつて天地の道を弁へ知るを
以て殊に慎み行ふへき筈なれと却而麤【麁】末なるも
の多し然とも上人(よきひと)は其伝師侍湜【従ヵ】あつて天地の

【右丁】
高恩をも知り仁義礼智の徳を失ふましきと候を
心かけ給ふ也中人は上人の如く至らすといへとも稍答に
進んて悪きに至るましと思ふ也下愚の人は至つては
更に天地の恩といふことも知らす私意を専らにして
道理に暗しこゝを以草木禽獣の生を養に及
さること遠し悲しまさるへけんや抑天地の間に生る
もの人間の尊霊(たつとき)はなし如何んとなれは《見せ消ち:◦|△》【△は朱】《見せ消ち:身体は神仏と同しうして》【線は朱】〇【朱書き】眼は物を見訳耳は物を聞分
鼻は香臭を利(きゝ)分口は味ひを知り手は物をな
し足は千里を行形骸天地と斉ふして備わら
さることなし爰を以人体を小天地といふ天地間
に人体程奇妙不審なるはなし依之貴賎

【右丁:枠上】
〇爰を以人間の体を以て
小天地といふ

△夫一人の身は一国の象也胸
腹の位は猶宮室の如くし
四肢の列は猶郊境の
如く神は猶君のことく
血は猶臣のことく気は
猶民のことし又喜怒
哀楽好悪あるは猶夫
に陰陽晦明有かことく
にて

【左丁】
身を慎み聖賢の教を学ひ上を敬ひ下を恵み禽
獣魚鼈に至迄慈悲の心を加へ天地万物造化の自
然に生育するに感得して私意を専らにせず正直
を第一として一生百年の齢ひを保つことはいと安き
ことにあらずや夫養生の道は天地の草木鳥獣魚鼈を
養ひ給ふに少しもかはることなき故に人生れてより
老に至る迄春秋の養生の過不及なく暖ならす寒
ならず不奪不咎人を敬ひ己を謙り善に進み悪に
遠さかんと思ひ身を慎めは即天地同心にして天神地袛
仏菩薩も感応なきことあたはず其証拠枚挙するに
暇非す治国平天下の道其 原(もとは)身を守性を養ふにあら
されは孝道忠義を行ふことあたはす此道 ̄ヲ専一に

【左丁:枠上】
抱朴子云一人之身
一国之象也、胸腹之
位、猶宮室也、四肢之
列、猶郊境也、神猶
君也、血猶臣也、気猶
民也、知治身則能治
国也、夫愛其民、所以
安其国也、惜其気、
所以全其身、民散則
国、亡気竭則身死、是
以至人消_レ未_レ起_二之患_一、
治未病之疾、
隋書曰、天有陰陽風
雨晦明、人有喜怒哀
楽好悪、節而行之、則
和平調理、云々

【右丁】
せすんはすへからす偞【僕ヵ】幼にして多病なるよつて
常に身□調摂を専らし稍其功験を得て中
年より養性の道を信し身養ふ□【随】て次第
身の壮健を覚へ今年己に歳六十吾【有】餘にして
眼力の衰へたるを不_レ覚乗_レ燭書_二小揩_一是調摂
養生徳たるをしる依之多年所_レ嗜養生の
書中に必用なるものを抜萃して役【仮】名文
となし夭亡痛苦の患苦免れ知己親《見せ消ち:蔟|族》の
一助にもなれかしとて生涯用心集と名付ること
しかり
 文政六癸未春日書于曽【葛ヵ】飾苞【蘆】庵

【左丁:枠外】
安楽

【左丁】
生涯用心集目録
   巻之一
 保護 居所 起居制用 福寿 養寿
 鶴亀齢 断毒 能毒 治病 勧善
   巻之二
 居家制用 恬逸自足 色慾知戒
 身心知損 飲食知忌 解禅六偈
 三根六如
   巻之三

【右丁】
 養生則天地 尊敬長者 尚歯会
 年賀 調護 眼目 鍼灸 歯牙
 痘瘡 麻疹 厄年 大古
   巻之四
 無病 猿歌 情志 導引 急救


   巻之五
 飲食能毒 薬煎法 獣肉

【左丁】


   巻之六
 和漢長寿 山家長寿 咒由


   巻之七
 養性大意 守庚申法 絶三尸符
 解百毒方 四時宜巳

【右丁】

【左丁】
生涯用心集巻之一
        景山八隅中立述

   養生保護
夫身の養生するは世政の法度を守り仏家の五戒を
保ち病家の毒断すると同うしていかなる妙方治術は有と
いへとも身を養護せすして病を発するに及んては其妙方
治術は結構なる法なれ共其益有ことなし万事物の成
就するには外に差障少しもなきにあらされは出来ぬと
知へし先仏家の成仏をなさんには其本根を固て第一に
戒といふものを保つことを元として夫より漸々修行する故に
身清浄堅固なるか故に邪気故障入ことあたはす仏道の修

【右丁】
行成就す其戒を侮り破り保たさる僧は博学多才といへとも
成仏することあたはず長寿□生の術も其本を固め不養生
の科(しな)を覚悟して其上に心かくるにしたはなし況や病ひ
発して良医良薬を□とも毒を禁せず不養生するに
おゐては其毒は薬よりするとくして病□□□るなり
爰を以見れは病家は勿論半生の人も不養生の名同
を当ら覚をりて養生の工夫あるべし
  養生五難
嵇中散曰。養生有五難。名利不去為一難。喜怒不除為二難。
 聲色不去為三難。滋味不薄為四難。神蕩精散為五難。五
       寿
 者。不去心雖希。口誦至言。咀嚼英華。呼吸太陽不能挽其
 夭且病也。五者能絶。則信順日濟。道徳日全。不祈而有神。

【左丁】
 不求寿而延年矣。
一字一句にても慎み守るにおゐて万事に付て大に□
あること多し養生延年の術も多き中に□一つにて
も己か胸に的中したることを親切に養護すべし
□の康仲俊といふ人年八十六にして壮年の如くなり
□人少年の時千字文を読て悟ことあり心動神疲の四字
之半生是をこゝろかけて心を動□す老年に□□□さる
□なり

大食寿之為

滑稽五穀太平記

【表紙裏】
    □□□
角田河な鈴
 さくらもちひ
  □る家に
     いこひ〳〵

桜ちる□の
    小田に
  まく籾や
 はなの香
   ふかき
    餅となるらん

【左丁】
自序
桃太郎(ももたらう)に従(したが)ひし猿助(さるすけ)は団子(だんご)の黍(きび)のき
ちくらきに名(な)を揚(あげ)蟹(かに)を騙(だま)しし猿蔵(さるざう)は
一口(ひとくち)ものに頬(ほゝ)を焼(やき)めしに身(み)を失(うしな)へり
おなし心(こころ)に奥山(おくやま)の猿丸太夫(さるまるだいふ)もその
行(おこな)ひによりて善(ぜん)となり悪(あく)となる事(こと)
豈(あに)つゝしまざるべけんやされば昔(むかし)〳〵のくさ
隻□(そうし)猿(さる)の尻(おいど)の赤本(あかほん)も□寝(ねん〳〵)にて転寝比(ころゝねんごろ)

【右丁】
に/善(ぜん)を/勧(すすめ)/悪(あく)を/懲(はら)すの/度(をしへ)を/以(もつて)/児童(こども)を
/導(みちび)くかけはしとせり/実(げ)に七/角(つの)ある/心(こころ)の
/鬼(おに)を/捉■(とりひ■ぎ)て/忠孝(ちゅうかう)めでたき■から/物(もの)を
えんと/御陪従(おとも)にたてし/雉子(きじす)の
小江
/声(こゑ)にけんを/賢(けん)としゝ事/色(いろ)に/易(かへ)よと
/喰(く)ひきよりくいつかせたる/餅酒合戦(もちさけかつせん)
/婆(ばゝあ)らが/川原(かはら)に/洗濯(せんたく)のふるい/趣向(しゆかう)を
ちりかへした/爺(ぢゞい)/山田(やまだ)の/■■(しんぱん)と

【左丁】
つゞりなほし/枯木(かれき)に/花(はな)のさくら/木(ぎ)にのぼ
せ/侍(はべ)るをもし/稚殿(わかとの)さまの/御目(ふしめ)にたゝすに
/沢山(たくさん)おもとめ/下(くだ)さらい/時(とき)を/兎(うさぎ)の/作者(さくしや)
/手柄書肆(てがらほんや)も/一期(いちご)さかえんと/慾(よくばう)■■まうす

甲店の主 戯作者鬼戯述
■■園主人出

栄増眼鏡徳

【表紙】
【題簽】
《題:《割書:大福長者|三穴堂》栄増眼鏡徳  上下》

【見返し】

【扉】
《題:《割書:戌|春》栄増眼鏡徳(さかゑますめかねのとく) 上《割書:西|㊉|宮》》

【右丁】
【印】大正 13.12.17 購求

【左丁】
【挿絵】
  李庭亭主人     不許翻刻
   恋川ゆき町作   千里必究
《題:《割書:新|改正》《割書:大福長者|三穴堂》栄増眼鏡徳(さかへますめがねのとく)》
此書は眼鏡にことよせていろ〳〵むだを書
しるしたる書なり。長閑き春のさくら木
にちりばめ。目さましの種とはなしぬ
  戌孟春

【右丁】
【左下】
なんでもあんじがねへ
あんじとはあんじるより
うむがやすいととりあげ
ばゞがいふけれどあんじるとは
気ぼねのおれたもんだ

【左丁】
【上部】
中むかしのころ□【幸】右衛門と
いふて抑からいへばいせの
山田のものなりしにちと
その身のりやうけん
ちかいよりゆかた
一まいの身となり
江戸に出てなんそ
一ッやつてみよふと
芝の西の久保辺に
うら店のいつけん
間口をかり昼夜き
こんをくだいて案し
けれどもなるほど四文の
ぜにを三文にうるより
外の工夫もなくなんぞ
有りそなもんだとひざ共
だんかうしまくらや其外
すりばちすりこ木
ともそうだん
しけれども
すりばちと
すりこ木は
只がら〳〵と
いふあいさつ
よりほかは
一切無御座
候だ
【左下】
あんまりあんじ
こんだからねむけ
がさしてきた
ちとねころぼふか

【右丁 挿絵】
【上部】
幸右衛門
ある日
けふは
きのへ
ねなれば
大こく天へ
まいらんと
小石川の大黒
さまへ参る道
にて小便を
たれなからふと
ぜに三文
おちて有を
めつけければ
これ天道さま
のあたへ給ふ
ところか
たゞし
大黒
天のあたへ
給ふ所か
うまれて
此かたついぞ
ぜに一文ひろつた事の
【左下】
かゞみとぎとちがつて
ほねはおれませぬ
【左丁 挿絵】
【上部】
ねへに今三文ひろいしは
ありがた山のとんび
とびたつばかりの
うれしさも
三文ぜにを
みつけ
てとろゝと
内へかへり
これをえて
となしきつい
あんじの三文が
とうしんをかひ
眼がねの■みがきと
いふをはじめける
めがねとぎといふは
おもしろいあんじ也
【右下】
イや
わた
しは
いせ
の国
の住
人サ
【左下】
こな
さんは
■はり
しなの
かへ
【左中央】
こなこはいゝあん
じとのそれでは
はやろふス

百世養草

【書名】
百世養草
【撮影用ターゲットのため以下略】

【帙表紙 題箋】
《題:百世養草  《割書:帙内第》一冊》

【資料整理ラベル】
サ800

 17

【帙を開けて伏せた状態】
【帙の背】
百世養草   一 帙内第     一冊  【左から横に】筑大図

【帙の表紙 題箋】
《題:百世養草  《割書:帙内第》一冊》

【同 資料整理ラベル】
サ800

 17

【冊子の表紙 題箋】
《題:百世やしない草》

【資料整理ラベル 1/3】
た百六十弐
【注】全壱冊

【資料整理ラベル 2/3】
第五二三一号
    一冊

【資料整理ラベル 3/3】
サ800

 17

【冊子の表紙 前コマに同じ】
【冊子下部のメモ】
百世
ヤシナ
イ草

なるこそ家内繁栄の基(もとい)也扨夫より父母への孝行
の心得/子共(こども)の養ひよう幷に人之養生の始末(しまつ)を
書(か)き集(あつ)めはべるのみ
   養老
○父母に孝につかふるは子孫繁昌(しそんはんじやう)の基なり
人の子(こ)として親を大切に敬(うやま)ふ事第一也先父母の
心に叶(かのふ)よふに万端(ばんたん)に心を尽すべし朝夕/寝起(ねおき)の節
父母の床(とこ)までも下人の手にかけず夫婦にて
上ケおろしまいらせたきものなり又食事の時も
膳(ぜん)は夫婦にてすへまいらせたきもの也/別(べつ)して


耳順(六十)にも成りたる父母ならば毎夜/臥(ふ)す前に
よき程の湯にて足洗(あしあら)ひまいらすべしあたゝまり
てよし寒気の節は別してかくありたきもの也
暑の節は随分 涼(すゞ)しき様にして朝夕の居所(いどころ)も
心づけまいらすべし食事もやわらかに味(あぢ)よふ
して三椀食し給ふ分量ならは二椀半二椀まいら
ば一椀半と兔(と)角(かく)半椀ほどづゝ少くまいらすべし
尤これ倹約(けんやく)にあらず養生也と能(よく)得道(とくどう)させ参ら
すべし経に曰節-_二戒 ̄スル飲食 ̄ヲ_一者 ̄ハ却 ̄クル_レ病 ̄ヲ能良方也また魚鳥
なども朝昼は少しづゝまいらせてよし夜の

しよくじには魚鳥不_レ宜さいはかろき品ひしほ
胡麻味噌(ごまみそ)の類(るい)を参らすべし酒も食後少々づゝ
参らすへし食の気めぐりてよし餅(もち)はつ
きたてはよろしからず老人小児ハ咽(のど)につまり
て死(し)する者まゝありよく煮(に)てまいらすべし
堅(かた)き餅/炙(あぶ)りたるも不_レ宜あぶりて湯につけや
わらかにして参らすべし堅き餅のあぶり
たるにては喉痞(こうひ)を煩(わずら)ふことまゝあり
○入湯老人には熱湯(あつきゆ)不_レ宜少しぬるき方よろし
別して銭湯(せんとう)などへは子たる人付/添(そ)ひ参りたき


ものなり又老たる人遠方へ行(ゆく)事よろし
からず形体を労(らう)する故也/若(もし)無_レ拠ゆく時は
是も子なき人は身よりの者付添参りたきもの
なり心労をうすくするため也何ほど達者(たつしや)成
老人にても十里をゆかんとおもはゞ六七里も
ゆき六七里を行んと思はゞ四五里にてとゞ
まるべしむりに遠行すれば身の痛(いたみ)となり
てよろしからず万事うちばてすべし惣して
老人は腸胃弱し驚くこと悲しむ事聞しむ
へからず驚悲めは病生す驚悲しみつねに

憂なきやうに介保すべし又/怒(いか)りたまはざる様に
すべし怒り多ければ命みじかし若老たる人
いかりの心おこらば数珠(じゆず)をつまみ我/宗旨(しうし)の
文を一心になりて唱ふべしこれ怒(いか)りをおさ
ゑるの良方老人の嗜(たしな)み養生の第一なりまた
老ては欲念甚/深(ふか)くなるもの也何にても心に
叶ひたるものを身上に応(おう)しとゝのへ参らせ
たき者也老たる人は欲念を慎(つゝ)しみこらゆ
へし欲(よく)に心を労する時は短命なり万事不
足(そく)なるを十分とおもひ朝夕を養ふべし聖人


も常に足事を知るとのたまふ扨此外養老
の道多しといへども是を略(りやく)す
   臨産小児生育
○小児出生の事は母の胎内(たいない)より大切に心掛ケ臨
産の刻猶心を用ゆべし着帯の月より功者成
とりあけ婆々(ばゞ)を頼み置婆々の手方に任べし
虚弱なる婦人ならば毉もたのみ置臨月ならざる
まへより臨産の手あてをすへし臨月に
入たらば平産湯を用ゆへし朔日より三日迄
一/貼(ふく)づゝもちひ置方也尤婆々と医師(いし)へも

かねて沙汰し置催生湯を貰ひおくべし出産
の催しありて虫気づき水しも下らば塩時を
能かんがへ早め薬をもちゆべし尤用方医師に
聞置へし二貼や三貼にては効(こう)おそきものなり
少しひかへめならば五七貼もたてつけて用ゆべし
かならず効有り難産のうれひなし催生湯の
方意は急に新血をやしなひ十月の間の滞
血を順経するの方也此方意を能考へ多く
もちゆべし扨また産婦にもかねてよく
聞せべし妊娠は病にあらず天/然(ねん)自然之


理(り)にて十月にみつればおのづから生る已(すで)に
草木みのり時来れバ落るがごとし霜月/栗(くり)
柿(かき)の梢に残りたるためしなし此理をよく
心得安心させてやしなふべし着帯の月より
交合(こうがう)を禁(きん)じ心をやすく持へし百病皆気より
生すといふ婦人常に心得へきは臨産の催し
あつて虫気づき水じも下り腹痛なにほと
しきりなりとも必むりにいけみ出すべからず時
来ればおのづから内よりいけまねばならぬ
やうになるもの也いけみ出すにあらす内

よりいけみ出るなり初産の婦人は此/意(こゝろ)を
能得道すべし尤其せつは婆々の差図(さしづ)に任す
へし猶又臨産の時は夫(おつと)とも同室に居り世話
をいたし又は同室に不居とも外出なとはせす
して万事慈に致遣すへし産婦甚だ心づよく
安産の基也孕中より食養生つゝしみ身軽
くいそがわしくはたらき又昼寝朝寝を
せす大食不_レ宜心を不_レ労万事よくつゝしみ
前方より心がけよき時は難産のうれひなし
難産になりてからさわぎたつるは甚/愚(ぐ)なり


たとへ産はかろくとも前かたよりの手あて心
かけあしき時は手をかへす間(ま)もなく隣家(りんか)の
医も間にあわざるほどの急変(きうへん)あるものなり
慎むへし恐るべし小児生 下したらは又小児
の生育もすべし出産後養生の事冷物辛物
油け類こわきものかたき物生物しよくすべからず
房事(ぼうじ)百日の間禁べし慎しみあしき時は辱労
となり又は眼病となり或は血の道とて頭痛寒気
なぞして色々病生る者也産後かたくつゝ
しむへきの第一なり

   小児生育
○臍帯(ほそのを)を納る事第一也婆克手なれて居れ共
兔角みじかきを好むべし根をよくくゝり一二寸
程がよし能血毒をこきいだすやうに頼むへし
産湯は足も婆能手なれてはあれども湯/加減(かげん)
時候(じかう)に依て考へあること也湯手拭は婦人の髪毛
をよく油を煑抜たくわへ置用ゆべし又は古き
絹(きぬ)ぎれやわらかなるを洗(あらい)出し可_レ用血/垢(あか)能洗ひ
おとすやうに頼べしあらひよう悪しき時は
肌きめあらく小瘡を生ずる物也産湯一名を血


洗と云かんがふべし
○五番湯俗まくりと名づくまくりは生下し
て一時ほど過て用ゆへし余りおそき時は
胎毒(たいどく)残りて悪疾小瘡を生ず
○乳(ちゝ)を付る事十二三時過て付へし早ときは
虫を生しおそき時は脾胃いたみてやせ小
瘡を生し諸病の根となる也他家に二十四時
過て付るあり亦三七日過てつける方ありいづれ
予か家に経験する所は大小便通して三時程
過て乳を付べし二便/通(つう)する時は胎毒も下り

胃の気も和すべし胃和する時は乳を尋る
おもむきあり此時かならず用ゆへし胃和して
呑せさるときは胃虚の患をおそれてなり
又乳を付るに小指を口中に入て窺ひ見るによく
からみちゝを吸をもむきあらば此時必す乳を
呑すべしいつれこのことは懇意の小児医に
問置其流に随ふべし
○三ツ目より毎朝四ツ時まへ焼塩少しづゝ薬/指(ゆび)の
先につけて百日が間/吞(のま)すべし小児無病にして
諸(もろ〱)の毒に不_レ 中


  《割書:塩の分量みゝかきに一ツほどツヽなり|呑湯の分量小のはまぐり貝に一ツほどづゝ也》
○七ツめより毎朝百日が間さゆを少しづゝのます
べし第一風を不_レ引虫不_レ生五疳生せず大小べん
順通して人相をよくす必用ゆへしすべて百日
が間母の肌(はだ)をはなさずゆるやかにいたきおどろか
ざるやうにすること肝要(かんよう)也抱寝の仕形(しかた)は田舎流甚
真実の育方也寒月は母の脊肌に付ておぶい
夜は肌に付て抱寝す田舎の人堅固長寿成は
小児発生の成育真実なるがゆへなるべし貴賤
皆如此有りたきもの也此通り成育する時は

十人が八九人迄は無病にして成長すべし
○灸治の事小児生れ付色あしくつやなく
なき声/力(ちから)なく多病に見へば灸治いたすべし
むまれつき色つやよくなきこゑ高く力
あるは無病也かならず灸治不_レ宣其ゆへは一体
小児は陽気発盛の気を以/成長(せいちやう)するもの也
灸艾は陽気不足なるを養たすくる
者なり此故に無病の小児灸よろしからず
老人は陽気不足なる故に都て灸治宣物なり
無病の小児故なく灸をすゆる時は偏勝偏屓


といふことありて多くは必頭瘡を生する物也
経に曰諸痛痒瘡は属心火といふ事あり【注①】依
之考べし又曰有故無毒と云ふ事有り此語を
かへしてみれば無故は針灸薬共に皆/毒(どく)なり
世語に薬人を不殺医師人を殺すといふ是等の
ことかんかへ悟るべし臨産小児生育の二条
是まては円田家数代経験する所の要方なり
信する輩はこれによるべし
   養生抜書
○養生の道は思_三治 ̄シ_二未 ̄タ【注②】_レ病 ̄ニ_一消 ̄センコトヲ_二未_レ萌 ̄サヽサル_一のみ先三欲と

【注① 「季」は「李」の誤ゕ。】
【注② 「未」の左に「サ」の字。】

いふことあり飲食色欲睡りの欲也凡飲食は
身を養ふもの也身をやしなふものゝために
身をそこのふへからす世語に禍(わざはひ)は口より出病は
口より入と云ふ病とならさるやうに心かくへし
食は飢を養ふはかり飲は渇を止るはかり
味よしとて多く食すへからす渇するとて
多くのむへからす食は自己の分量に応し
て八分と思ふを最上の養とす飲は少しく渇
を止むるをよしとす飲食共に温にして気塞
からさるものを食すべし益あり生冷のもの


瀉下の物辛き物熱あるもの皆多く食すべからす
少く食すべし諸病の根(ね)と成也又食する時六
恩あり君恩か父母の恩かと云ふ事をおもふべし
自かせきて食するとも国の恩を思ふべし
又我にさしたる才徳行儀なくして此美味を
しよくしやしなふことをおもふべし又世の
中にわれより貧(まづ)しき人多く糟糠の食さへ
たらす飢餓の患にて死する人多し其中に
飢さることの難有さを思ふへしまた古しへ五穀
なき時草木の実(み)を食せしに今の世に生れて

五穀にたり酒食魚鳥に至まて飽迄食することを
おもふべし殊更乱世の時と今の世の難_レ有安堵
に食する事を思ふべし
○食傷の後一日も食を絶(たへ)てよし食するとも
やわらかなるものを少ししよくして養生すべし
薬治より此/仕方(しかた)よきもの也消毒の薬ハ脾胃を
やぶり気をへらす物なり猶老人虚弱の人は
不_レ宣老人急病にて死するひと多くは食傷なり
慎むべし此時は生姜汁に塩を等分(とうぶん)にくわへ用ゆ
べし快気するもの也


○李笠翁か説に常に好めるものは薬補に当る
といふ少しつゝ食すべし益(ゑき)あり多く食すれば
又傷る我不好物しよくすへからす害となる
○衰病虚弱の人常に魚鳥の肉を灸りて食す
べし参茋の補にまされりといふ
○何れの食にてもつかゆる気味に覚ゆるは脾
胃虚の症也何にても薄(うす)く切て食すべし厚(あつ)き
はつかへて養生によろしからす
○古語に穀は肉に勝べし肉は穀にかたしむべ
からす老人虚弱の人は此語を常に心得へし

○遠行或は骨折わざして飢渇の後俄多食
すへからず腹満してやまひとなることありつゝ
しむべし身を労動して後汗ひかざるときは
必食すべからす汗引て食すべし
○古今医統に曰百病の横夭多くは飲食による飲食
の愁は色欲に過たりと云へり色欲は絶べし
飲食は半日も絶へからず
○千金方に曰山中の人魚肉に乏し故に無病
長寿也海辺の人は魚肉多く食す多病に
して短命なり


○飯は元気を養ふ多くしよくする時は元
気を破り気をふさぐ能熟したるよし
こわくねはきをいむ煮(に)かへし飯湯取めしは
積聚気滞之人脾胃虚弱の人老人小児によろし
病後の人猶食すへし粘(ねば)りて糊(のり)のごとくなるは
膈噎気滞の人によろしからず新穀は性つよく
して気を傷る諸病にいむ晩穀古穀は性かろし
諸病によろし粥(かゆ)は毎朝温にして食すべし
膓胃を養ひ身をあたゝかにして諸病によろし
○諸魚肉は少く食すへし滞やすし

○諸獣肉は壮若の人は食すべからす老人は
少しつゝ食すへし血を潤し身を温む
○五味は何にても一味を多くしよくすべからず
偏勝といふてよろしからず
○甘き物おほくしよくすれば腹(はら)はり痛少し
食すれば脾胃を養ふ
○辛きもの多く食すれば気昇りて気へり
小瘡又は眼病を発す少し食すれば食毒を消
ししつをはらひてよし
○鹹(しわはやき)物多く食すれば血かわき咽(のど)かわき湯水多


くのむゆへに湿を生し脾胃を傷る少し食
すれば腎を益し五臓を潤す
○苦き物多く食すれば脾胃の生気を損し少
ければ否(つかへ)を開き胸をすかしてよし
○酢きものおほくしよくすれば気/蹙(しゝ)まる少け
れば味なきものをもうまくし食をすゝめ気
を引たて胃をやしなふ都て五味をしよくするに
程よきを考べし
○五辛(ごしん)の類もろ〳〵の食毒を解(け)し少し加へ
食すべし胡椒(こせう)山椒(さんせう)蓼生大根生葱/蕃椒(とふがらし)鱠に

生姜/山葵(わさび)などを加ゆるの類也
○酒は気厚して上昇す陽なりといふ又酒ハ
百薬の長とも云ふ少く飲は益ありて損(そん)なし
古語にも酒は微酔をよしとす花は半開きをよし
とすと云へり程よく飲は人と交りを厚ふし
気血を養ひ薬力をたすけ吉凶として不用事
なし多く飲時は内損吐血酒痔諸の病と成り
或は乱心となり人と交りをたつ慎むべし
恐るべし
○五湖慢聞に曰酒を多く飲人は短命(たんめい)也長寿の


人皆酒を不飲と云ふ酒を呑人長命成はなしといへり
○食後保養の仕方食後しばらく過て胸(むね)より
腹をなでおろし又京門の辺もなでめぐらし
腰も此ごとくして少したゝくへし是養ひ也
○華佗か語に食後程よく労動すべし労動
すれば穀気消化して血脈流通す消化あし
き時は諸病の根となるといへり
○呂氏春秋に曰流水は不腐戸枢は不嘍(むしはます)とい
えり足形気常に動く故也
○古へ唐にも食医の官あり食養を以百病を

治すと古書にも見へたり
○灸治はつねに陽気/薄(うす)き人は四季または隔(かく)月
にも灸すべし又病あるときは医をたのみ灸
数までもよく問ひすゆべし常の養生には日々
に足の三里に五七荘又は十五荘ツゝもすゆる
人は必長寿なりといふ六十以上の人はおり〳〵
気海の穴に灸すべし保養によし
○交接千金方に曰二十の者は四日一度三十の
者は八日に一度四十の者は十六日に一度五十の者は
廿日に一度六十のものは精を閉て不泄もし精


力盛なる人は一月に壱度泄すべしといふ万事
是に準ずへし
○達生録に曰男子いまた二十ならさるもの精気
未満して慾念うごきやすしたしかに交接
をつゝしむべし此時不慎は発生の気をくじきて
一生の根本をそこなふといふ又四十以前の人深く
房室を閉れば孤陽(こよう)と云病を煩ふ又腫物となり
または便毒となる兔角程よくすくなきをよしとす
○房室に入時慎の事大風大雨/地震(じしん)日月の蝕/雷(らい)
電(でん)都て天変(てんへん)の時凡日月星の前聖賢の像仏

神の前父母の神主のまへ皆恐れ慎むべし
亦病中病後全快せざる時腫物不愈時気を
労し身を労し大酔大飽すべて忿り憂ひ
悲しみ驚きつかれたる後つゝしむべし
礼記に曰男子三十而 娶(めとり)女子二十而嫁(か)すといふ聖賢(せいけん)の
おしへは皆(みな)天の命する所也/敬守(うやまいまも)るべし不守時は寿を短し
智を薄(うす)ふする誤あらん歟/克(よく)考(かんがへ)養べし
○古語に暫の間慾をこらゑされば大なる禍を生
す犯す時は微にして秋毫のごとし病となる時は
泰山の重きのごとしといへり又無病の時やまひ


ある日のくるしみを常におもひ出して風寒
暑湿の外邪をふせぎ酒食好色の内欲を節にし
身体の起臥動静をつゝしめば病生せず古詩に
安楽常思病苦時又小欲をつゝしまざれば大病と
なる小欲は慎みやすし大病は苦しみ多し
兼て心得べし
○千金方に曰冬温を不極夏涼を不極一時の快は
必後の災(わざはい)となる
○又病ある人養生の道を堅(かた)く慎み守りて
病苦をば憂ひ不_レ可_レ苦気ふさがりて病加わる必病

重しといへとも養ひよく久しければ思ひの外
快気を得ること有り弥/自身(じしん)にても快気無覚束
おもはゞ覚悟を極め遺言などすべし覚悟(かくご)きわ
むる時は誠に安心/決定(けつぢやう)す是にて大病も思ひの外
全快を得る人まゝありかねておもふべしかならず
秘死の症は天命の定る所也憂ても甲斐なし
心をくるしむるはおろかの至り也
○睡りの欲といふは夜いぬるは三更に限(かぎ)るべし
三更はハ四ツ半より九ツ時迄の間也三更にふして平旦に
起るを最上とす常に昼寝を好み食後寝る


事を好む人は病生して短命なり食物消化
せさるが故也夜ふすとても暫間を置て臥す
べし夜臥時は横に成り足をかゞめ腰もかゞめ
気海に気を納め鼻より息(いき)を引口より鼻を吹
出すやうにして臥べし眼の覚る度毎に寝返り
すべし平旦の頃目覚るならば眠しとも二度寝
すべからず是睡りの欲をこらえてつゝしみ養ふ
なり眠を恣まゝにせさるなり夜書を読み人と
語るに三更にかぎるべし深更(しんかう)までふさざれは
精神しつまらすしてよろしからす殊に主客下人

等もつかれずして宜し
○病源候論に曰夜臥の時面を覆べからす気上昇
す又曰/閨(ねや)に燈火を遠く置べし近付へからす魂魄定
まらす老人は夜臥の時消痰の薬多くのむへからす
気をへらして不宣夜臥の時行ふの術先ツ仰
両足を伸(のべ)気を安和にして呼吸をしづめ手をも
つて胸より腹をなでおろし臍下に気を納め
それより横に成り臥すべし
○気元気を養ふの道は元気をおしみてへら
さず静にして元気を保(たも)ち動て気をめぐらすを


養生の第一とす
○難経に曰臍下腎間の動気は人の生命なり
十二経の根本なり是人の命根のある所也これを
やしのふの術は常に腰を正しく坐し真気を
丹田に納め集めて呼吸をしつめ息(いき)づかいあらく
なきよふにすへし是気を養ふの術也丹田の
穴は臍下三寸なり
○経に曰怒れば気昇る喜へは気緩まる悲めば気
消す恐るれば気めぐらす寒ければ気閉ツ暑ければ
気泄る驚けば気乱る労すれば気へるおもへば

気結ばるといへり又曰百病皆気より生すといへり
気を養ふこと常に心懸べし
○寿親養老に曰七養有り言語(ことば)をすくなふして
内気をやしなふ色欲を戒しめて精気を養ふ
濃味を薄ふして血気をやしなふ津液(しんゑき)を飲て
臓気を養ふ怒りをおさへて肝気を養ふ飲食を
節して胃気をやしなふ思慮をすくなふして
心気を養ふ是寿を保(たもつ)の道也万事殊すくなに
して養生をすべし
○孫真人曰修養の道五宣あり髪は多く櫛


つるによろし手は常に面にあるによろし
歯(は)はしば〳〵たゝくによろし津は常にのむに
よろし気は常に練るに宣し練るによろしと
はしづかにする事也手は面にあるによろし
とはつねに顔なでさすること也其なてる仕方
あり手のひらをよく力(ちから)をいれてすり合せ手(て)の
内あつくなり【季は李の誤】たる時まづ眼にあて度々あたゝめ
すぐに顔をなでさする也かくのことく毎日二三度
づゝも養ふ時は老眼にてかすむといへども日数
を経てはあきらかになる事/奇々(きゝ)妙々(めう〱)也

○寿養叢【最は誤】書に曰凡人一日に壱度ツゝ我か首百言
の穴より頭の四方眉毛/鼻(はな)ばしらのわき耳(みゝ)の
内外を手にてさすりおし次に頸の左右をも
み背(せ)をたゝきおし又手足の節々(ふし〴〵)をよくもみ
なでさするべし自身如此行ふべしおわりに
足の指をかた〳〵の手にて握(にぎ)りかゞめてかた手に
て足のうら湧泉の穴をかきなですれば気▢  【張り紙 「湧泉」の裏字】
下し脚の病を治する事妙也
○沐浴千金方に曰十日に一度浴す五日に一度沐すと
有れとも日本にては信用し難し時の意に


任すべし
○温泉相応するの病症金瘡打身落馬疥癬
もろ〳〵の腫物久しく難愈によし不応の症
内症虚労腎虚汗症気虚熱症皆不応又気
鬱食滞不食気血不順にて虚寒(きよかん)の症はあたゝま
りてよきこともあり併外症の即効(そくかう)あるほとには
なし久しく入てよし湯治中禁物の事
第一房事大酒大食熱性の物不可食湯治の後も
右之通/慎(つゝ)しむべし又灸治も忌むべし後十日計
補薬服用すべし性よき魚鳥を少しつゝ食して

二十七ページの文章と同じ

脾胃を補べし
○二便ともに通気あらばこらへずして通すべ
しこらゆれば気痔となる大便秘結せば
つねに身を潤し膓胃をめくらす薬を服すへ
し麻仁を黒焼にして粘丸として可用 ̄ユ平和
にして克通する方なり小便飢ては坐して
通し飽ては立て通すべしこらゑて通し
おそき時は腫病となりまたは淋病となるも
のなり
○古語に得病不治毎得中医といへり養生の


道はつねに嗜むへし
         円田得述

  御書房   出雲寺和泉椽

 寛政七乙卯歳五月

【見返し 両丁白紙】

【裏表紙】

無病延命記/飲食効毒

立給故次第随(たてたまふうるがゆへしだいにじやう)_二 上代( だいなるに)_一吟(したがひ)_二諸事(しよじをぎんず)_一。 時(とき)に随(したが)ふと云(いふ)ハ是成(これなる)べし。昨日(きのふ)ハあとへ
戻(もど)らず。今日(けふ)ハ明日(あす)をしらず。右(みぎ)に付貴位高録(つききゐかうろく)にして。学手芸有(がくてげいある)ト(と)
雖(いへ)ども。愚心(ぐしん)ハ諸事(しよじ)を損(そんず)ル(る)。貧敷(まづしき)下賤(げせん)にして。無学無芸(むがくむげい)ト(と)雖(いへ)ども。
智人(ちじん)ハ人(ひと)を助(たすけ)ル(る)。先祖(せんぞ)より譲(ゆづり)にして。家業安楽(かぎやうあんらく)ト雖(いへ)ども。主勤(あるじつとめ)
薄(うすき)ハ。其家(そのいゑ)ヲ破(やぶ)ル(る)。難義困窮(なんぎこんきう)にして。財宝貯無(ざいほうたくはへなき)ト(と)雖(いへ)ども。陰徳(ゐんとく)
有(あれ)ハ。陽(やう)を求(もとむ)ル(る)。我宗旨専(わがしうしもつぱら)にして。信心成(しん〴〵)成(なす)ト(と)雖(いへ)ども。他宗(たしう)を
誹(そしら)ハ病難(びやうなん)を司(つかさど)ル(る)。面表服美(おもてひうふくび)にして。諸芸有(しよげいあり)ト(と)雖(いへ)ども。心持(こゝろもち)
凶敷(あしき)ハ。後(のち)の笑(わら)ひヲ(を)受(うけ)ル(る)。家業無精(かぎやうふせい)にして。神仏頼(しんぶつたのむ)ト(と)雖(いへ)ども。
行末早髪(ゆくすへはやくかみ)ヲ(を)剃(そ)ル(る)。我作(わがつく)る悪逆(あくぎやく)にして。無智(むち)に負(おいせらる)ト(と)雖(いへ)ども。
天罪(てんばつ)ハ己(おのれ)▢悪(あく)ヲ(を)語(かた)ル(る)物智自慢(ものしりじまん)にして。?(しやべり)歩行(あるき)ト(と)雖(いへ)ども。
追日(おひじつ)ハ独▢□ト(と)成(な)ル(る)。己(おの)が智薄(ちうす)き身(み)▢て尊(たつとき)を恨(うら)み。悪様(あしさま)に


云(いふ)ト(と)雖(いへ)ども後日(ごにち)ハ高名(かうめい)ヲ(を)挙(あげら)ル(る)。真実無我(しんじつむが)にして。人為(ひとだめ)に成(なる)ト(と)
雖(いへ)ども。不思儀(ふしぎ)ハ宝(たから)ヲ(を)得(ゑ)ル(る)。前(ぜん)之/通故(とをりゆへ)。何人(なにびと)にても。未(いま)だ善事(よきこと)
致(いtいた)したる覚無(おぼへなき)に。立身致(りつしんいた)さんとハ心得(こゝろへ)違(ちがひ)なり。猶又少(なをまたすこ)し善事(よきこと)
いたし。過分(くはぶん)の幸(さいわ)ひ得(ゑ)んと思(おも)ふハ横道(わうどう)なり。尤貧者(もつともひんじや)の一燈(いつとう)と云事(いふこと)
有(あれ)ども。是(これ)ハ真実(しんじつ)を以(もつ)て分限一盃(ぶんげんいつぱい)の供養致(くやういた)す事也。黏餅(とりもち)で
雀(すゞめ)鳩(はと)ハ取(とれ)ども。鷲(わし)鵞(くま)鷹(たか)ハ取(とれ)ず。是自然(これしぜん)の道理(どうり)なり。既(すで)に天下(てんが)の
政道(せいとう)も。千人力(せんにんりき)ハ万人(まんにん)の多勢(たせい)を以(もつ)て討取(うちとる)。何(なに)ほど広大成悪智(かうだいなるあくち)と
雖(いへ)ども。智者集(ちしやあつま)り是(これ)を赦(ゆる)さず。刑罪(けいばつ)に合(あ)ふ。又借金返済無者(またしやくきんへんさいなきもの)ハ。
身上被召上(しんじやうめしあげられ)。貸方(かしかた)へ下(くだ)さる。都(すべ)て定法背(じやうほうそむ)く族(やから)ハ。其軽重(そのけいぢう)に応(おう)じ
咎(とがめ)有(あ)り。扨又忠孝(さてまたちうかう)の者(もの)ハ。御褒美(ごほうび)被為下置(くだしおかせらる)。皆夫々御沙汰(みなそれ〳〵ごさた)
被為有事(あらせらるゝこと)。有難(ありがた)き次第(しだい)なり。其結構(そのけつかう)なる国恩(こくおん)を。

不知者(しらざるもの)。人非人(にんぴにん)と云(いふ)て。折々(おり〳〵)公難(かうなん)。病難(びやうなん)。災難(さいなん)。有(あり)。予(よ)ハ臆病者故(おくびやうものゆへ)。
六十二/歳(さい)の今日(こんにち)まで。三難受(さんなんうけ)たる事(こと)/無御座(ござなく)候。又膽太(またきもふと)き人沢山(ひとたくさん)
成(なる)か。近年(きんねん)ハ 五番所(ごばんしよ)へ行人多(ゆくひとおほ)し。是抔(これなど)ハ恐多(おそれおゝ)き事不成哉(ことならずや)。

堪忍(かんにん)も時(とき)によりてハ宝(たから)なり。其場(そのば)と成(なら)ぬ先(さき)が勘弁(かんべん)
此儀心得有(このぎこゝろへあら)バ。御公儀様(ごかうぎさま)へ出(いで)ず。一代無難(いちだいぶなん)に暮(くら)し。心配気苦労(しんぱいきぐらう)も
無御座(ござなく)候。不然(しからず)バ。何程(なにほど)長命(てうめい)の相有(さうあり)とも。定法破(じやうほうやぶ)る時(とき)ハ一命(いちめい)を失(うしな)ふ。
譬(たと)へ晩年(ばんねん)に発達(はつたつ)の相有(さうあり)とも。若(わか)き内(うち)に心得違有(こゝろへちがひあれ)バ。首(くび)を失(うしな)ふ。
貧相(ひんさう)といふとも。出情陰徳有(しゆつせいいんとくあれ)バ。悪相(あくさう)を失(うしな)ふ。是百相(これひやくさう)より一心(いつしん)といふ
場(ば)にあらずや。都(すべ)て本(もと)を不忘(わすれざる)やう被致(いたされ)候ハゞ。何事(なにごと)も明白(めいはく)に行者(ゆくもの)也。
此儀(このぎ)よく〳〵勘弁(かんべん)し。心得違(こゝろへちがひ)なき様相守(やうあひまも)るべし。



本(もと)知(し)らバ木竹草花(きたけさうくハ)の枝葉迄(ゑだハまで)。見(み)ずして諸(しよ)事の分(わか)る尊(たうと)さ
兎角本(とかくもと)を忘(わす)れぬが吉(よし)。去人来(さるひときたり)て曰(のたまハ)く。私本(わたくしもと)ハ清和(せいわ)天皇(てんわう)九/代(だい)の後胤(こういん)。
近江源氏(おふみげんじ)の嫡流(ちやくりう)。佐々木(さゝき)四/郎(らう)高綱(たかつな)へ出入(でいり)の者(もの)に有(あり)たるが。度々(たび〳〵)密夫(まおとこ)
戦(たゝか)ひの砌(みぎり)。雪(ゆき)の朝(あさ)に足形有(あしがたある)より。浪人致(らうにんいた)し。当時紙屑拾(とうじかみくずひら)ひと相成(あひなる)
本(もと)ハ忘(わす)れねども。難儀致(なんぎいた)すハいかゞの事(こと)に候ぞや。答(こたへ)て密夫好故紙多(まおとこずきゆへかみおゝく)
入用有(いりやうあり)。依之今紙屑拾(これによつていまかみくずひらひ)と見(み)へたり。併浪人(しかしかしらうにん)ハ切取(きりどり)など致人有(いたすひとあ)れ共(ども)。
其意(そのい)なく。世(よ)に捨(すた)れる物(もの)を拾(ひろ)ひ集(あつ)め。渡世致(とせいいた)さるゝ事甚神妙(ことはなはだしんめう)也。
程(ほど)なく紙々(かみ〴〵)寄集(よりあつま)り。銭(ぜに)と替(かハ)りゐふべし。捨(すた)れる物拾(ものひろ)ひての渡世(とせい)と。
いやがる物無理(ものむり)に貰(もらハ)んとする渡世(とせい)と。出精致(しゆつせいいた)しての渡世(とせい)と。身楽(みらく)に
遊(あそ)びての渡世(とせい)と。泣々(なく〳〵)暮(くら)す渡世(とせい)と。笑(わら)ひ〳〵暮(くら)す渡世(とせい)と。修羅(しゆら)で

暮(くら)す渡世(とせい)と。表裏(へうり)で暮(くら)す渡世(とせい)と。実心(じつしん)にての渡世(とせい)と。悪心(あくしん)
にての渡世(とせい)と。陰徳有(いんとくあつ)ての渡世(とせい)と。賊心有(ぞくしんあつ)ての渡世(とせい)と。右(みぎ)十二/段(だん)
之内(のうち)。其好所(そのこのむところ)を以(もつ)て渡世(とせい)するもの也。紙屑拾(かみくずひろひ)の曰(のたまはく)。私(わたくし)ハ不好(このまざる)に
ケ(か)様(やう)の道(みち)に入(いり)申候。答(こたへ)て正直成計(しやうじきなるばかり)にて身持悪敷(みもちあしき)と見(み)へたり。
已後(いご)ハ朝(あさ)六ツゟ(より)半時(はんとき)の間(あいだ)。地見(ぢみ)と云(いふ)て。前夜諸人落(ぜんやしよにんおと)し置(おく)
物(もの)を拾(ひろ)ひ廻(まハ)り。而(しかし)テ(て)例(れい)の紙屑拾(かみくずひろ)ひ致(いた)し。又暮(またくれ)六ツゟ(より)四ツ時(とき)
迄雨降(まであめふり)とに。米賃(こめちん)づき。飛脚(ひきやく)。町小使致(まちこづかひいたし)。双方為善(そうほうためよき)やう孰(いづれ)も正直(しやうじき)が
吉(よし)。右(みぎ)三人/前(まへ)之/働成共(はたらきなれども)。家賃諸掛(やちんしよかゝ)り物(もの)ハ矢張替(やはりかハ)らず。左(さ)
候ハゞ。十ケ年(ねん)にハ。五/貫目(くハんめ)や。拾/貫目(くハんめ)ハ。出来(でき)るもの也。其銀(そのかね)を
以て商売致(しやうばいいた)し。古(いにし)への紙屑拾(かみくずひら)ひを忘(わす)れず。堅固(けんご)に致(いた)し候ハゝ。
天(てん)の道理(どうり)に叶(かな)ひ。三ケ処(しよ)や。五ケ処(しよ)の家(いゑ)を求(もとむ)る事(こと)。何(なん)の手間入(てまいる)


物(もの)にあらず。皆我勝手計致(みなわがかつてばかりいた)さるゝ故(ゆへ)。身上(しんしやう)も持崩(もちくず)す。左(さ)候ハゞ
諸人(しよにん)に義理抔(ぎりなど)受(うけ)。心気(しんき)を遣(つか)ふが故(ゆへ)。病身(びやうしん)と成(なる)。死物(しぶつ)ハ
格別(かくべつ)。天地(てんち)の間(あいだ)に動(うご)かずと云物(いふもの)一ツもなし。尚人(なをひと)ハ働(はたらく)が
薬(くすり)也。気血(きけつ)の廻(めぐ)りも能(よく)。節季(せつき)に心遣(こゝろづか)ひもなし。諸事面白(しよじおもしろ)く
暮(くら)すに付(つき)。自無病延命(おのづからむびやうゑんめい)と成(な)れり。我心得(わがこゝろへ)悪敷(あしき)ハ云(い)ハず。
余人(よじん)の知(し)りたる事(こと)の様(やう)に。或(あるひ)ハ目上(めうへ)を誹抔(そしりなど)する事(こと)。近眼(ちかめ)が
遠目鏡(とをめかね)の。尻(しり)から見(み)るに等(ひと)し。我(われ)より下(した)の芸(げい)ハ分(わか)れ共(ども)。目上(めうへ)の
芸(げい)ハ悉分(ことごとくわか)り難(がた)し。是(これ)を目(め)の届(とゞか)ざると云(いへ)り。其批判(そのひはん)を云(いふ)ハ。聾(つんぼ)
が立聞(たちぎゝ)するに等(ひと)し。諸人(しよにん)の誤(あやまり)を云(いハ)んより。先我穴(まづわがあな)を慎(つゝしむ)が吉(よし)。是(これ)を明白(めいはく)といふ。

日月(じつげつ)にかくれる雲(くも)を思(おも)ふ身(み)ハ。己(おのれ)を磨(みが)け上(うゑ)ハ明(あきらか)

扨又世上(さてまたせじやう)に。稲荷(いなり)。又(また)ハ明神(みやうじん)。或(あるひ)ハ妙見(めうけん)。金毘羅(こんぴら)。大師(だいし)。大神宮(だいじんぐう)。
抔御下(などおさが)りと唱(とな)へ。諸人(しよにん)を惑(まどハ)す。狼藉者(らうぜきもの)あり。右様(みぎやう)の儀(ぎ)ハ。天下(てんか)
一統(いつとう)の御法度(ごはつと)にて。毎度御触流(まいどおんふれなが)し有事(あること)也。御定法(ごじやうほう)を不(もちひ)
用(ざる)ハ安房(あほう)也。凡愚成婦人(およそおろかなるふじん)歟(か)。智恵(ちゑ)の足(た)らぬ男子歟(おとこか)又是(またこれ)を
頼(たのみ)に行人(ゆくひと)も賢(かしこ)からず。其子細(そのしさい)。大切(たいせつ)の病(やまひ)と病苦(びやうく)に。狐狸(きつねたぬき)の
下知(げじ)を受(うけ)。其差図(そのさしづ)の薬(くすり)を用(もち)ひ。悪敷行時(あしくゆくとき)ハ如何(いかゞ)せん又(また)
存立抔有時(ぞんじたちなどあるとき)。東(ひがし)へ行(ゆき)て宜敷(よろしき)に西(にし)へ行(ゆく)べしと有(あつ)て。利(り)を失(うしな)ハゞ
如何(いか)ならん。何(なん)ぞ尊(とうと)き神仏(しんぶつ)の。人界(にんがい)へ詑(さがり)ゐふ所謂(いはれ)なし。乍去(さりながら)
口移(くちうつ)したり共(とも)。折(おり)にハ当(あた)る事有(ことあれ)ど。是(これ)十《割書:ヲ》に九ツ違(ちがふ)ハ利(り)の当前(とうぜん)
なり。ケ(か)様成類(やうなるるい)にて。命仕廻(いのちしま)ふを非業(ひがう)と云(いふ)又利(またり)を失(うしな)ふを
災難(さいなん)と云(いふ)。祭主(さいしゆ)も。此罪天赦(このつみてんゆるさ)ざるが故(ゆへ)。一旦人挙栄(いつたんひとこぞりさかゆる)といへ共(とも)。


一ケ月/歟(か)。二ケ月。一ケ年ハ続難(つゞきがた)きもの也。仮令(たとへ)五年拾年
相続有(そうぞくあり)とも。孰(いづれ)も其家貧敷(そのいゑまづしく)。先人(まづひと)之/事(こと)ゟ(より)。我身(わがみ)の事尋(ことたづぬ)る
が吉(よし)。俗(ぞく)の譬(たとへ)にも餅(もち)ハ餅屋(もちや)と云(いへ)り。然(しかれ)ども此餅屋(このもちや)にも又上(またじやう)
手下手(づへた)あり。妙徳有人(めうとくあるひと)ハ外方(ほかかた)ゟ(より)。我身(わがみ)が宜敷(よろしく)成行者(なりゆくもの)也。
是天地自然(これてんちしぜん)の道(みち)ならずや。其証拠一切元祖(そのしやうこいつさいぐハんそ)の妙徳(めうとく)。末(まつ)
世(せ)まで慕(した)ふハ是成(これなる)べし。惣(そう)じて悪(あく)ハ栄(さか)へても。早(はや)く衰(おとろ)ふ。善(ぜん)ハ
追々(おひ〳〵)永(なが)く栄(さか)へる。是(これ)にて明(あき)らむべし。惣体(そうたい)。師(し)と成歟(なるか)。先生(せんせい)
と云(いハ)るゝ歟(か)。目上(めうへ)と成人歟(なるひとか)。三ツ/諸共(もろとも)。貧敷暮(まづしくくら)す歟(か)。又家(またか)
内(ない)に難儀(なんぎ)の類抔有(るいなどあれ)バ。諸人(しよにん)にハ教(おしゆ)ると雖(いへ)ども。其身(そのみ)の行(おこな)ひ
悪敷所有(あしきところある)が故(ゆへ)也。右(みぎ)に付人(つきひと)之/上(うへ)と成(なれ)バ。扨々(さて〳〵)/身持(みもち)六(むつ)ケ(か)敷者(しきもの)也。
殊更吉凶(ことさらきつきやう)考(かんがへ)る。業挺(ぎやうてい)ハ。猶以(なをもつ)て観誤(みあやまり)ハ。考者(かんじや)の罪(つみ)と成眼前(なるがんぜん)

ハ勿論(もちろん)。後世(ごせ)も遁(のがれ)がたし。現世(げんぜ)を見(み)て後世(ごせ)を知(し)れとハ是(これ)なり。
故(ゆへ)に。予(よ)が考方(かんがへかた)ハ左(さ)之/通(とをり)。
人相(にんさう)ハ。晴天朝(せいてんあさ)五ツ時(とき)まで。尤(もつとも)一/日(にち)一/人(にん)に限(かぎ)る。神相(しんさう)。仏相(ぶつさう)。釼相(けんさう)。
印相(いんさう)。鏡相(きやうさう)。考(かんがへ)ハ晴天午刻(せいてんむまのこく)まで。易(ゑき)ハ昼夜(ちうや)に不(かゝ)_レ抱(ハらず)。本人(ほんにん)に三度(ど)
立(たて)させ。考遣(かんがへつかハ)す事(こと)に御座(ござ)候。墨色(すみいろ)ハ。今日持参(こんにちじさん)ハ明朝出來(みやうてうしゆつたい)す。尤(もつとも)
書様(かきやう)。一〇▢/何(なん)十/何才(なんさい)。幼名何(ようめいなに)。次(つぎ)に何(なに)。今何(いまなに)と。記(しる)し或(あるひ)ハ。願(ねがひ)
望其外新規(のぞみそのほかしんき)の存付(ぞんじつき)。且(かつ)ハ夫婦相性(ふうふあいしやう)。縁組(ゑんぐみ)。方角(ほうがく)。子縁有無(こゑんあるなし)。
都(すべ)て。普請(ふしん)。宿替(やどがへ)。修覆(しゆふく)。売買(うりかい)。質物取渡(しちもつとりわたし)。田宅共(でんたくとも)に同断(どうだん)。
惣(そう)じて。奉公人抱(ほうかうにんかゝへ)之(の)方角(ほうがく)。虚実(きよじつ)。有無(うむ)並(ならび)に相性(あひしやう)。其外入組(そのほかいりくみ)
事(こと)。縺(もつれ)之(の)類(るい)。一切(いつさい)運気(うんき)。心底(しんてい)の究(きハめ)。七/難(なん)八/苦(く)。諸事(しよじ)吉凶何事(きつきやうなにごと)に
不限(かぎらず)。其義(そのぎ)を明白(めいはく)に致(いた)さんと。思(おも)ふ品々(しな〴〵)を委(くハし)く記(しる)し。御越(おこし)被成候ハゞ。


逸々(いち〳〵)利方(りかた)を考(かんがへ)/可伝(つたふべく)候。別而病気(べつしてびやうき)ハ人命(にんめい)に抱事故(かゝハることゆへ)。元来(ぐハんらい)ゟ(より)
当時(どうじ)之(の)容体(やうだい)。不残記(のこらずしる)し来(きた)られ候ハゞ。当人(とうにん)の運気(うんき)と。病根(びやうこん)と。
容体(やうだい)と。三ツ考合(かんがへあハせ)。其上薬法(そのうへやくほう)。灸法(きうほう)。養生法(やうじやうほう)。委(くハ)しく記(しる)し。
封(ふう)じ遣(つかハ)す事(こと)に御座(ござ)候。尚又(なおをまた)。飲食効毒無病延命記(いんしよくかうどくむびやうゑんめいき)と申
施本(せほん)。見安(みやす)き様(やう)。いろは分(わけ)にいたし有之(これあり)候。一人(いちにん)に一冊(いつさつ)ヅゝ施(ほどこ)し
申候。扨又地相(さてまたちそう)ハ。東西何間(とうざいなんげん)。南北何間(なんぼくなんげん)。都(すべ)て一寸(いつすん)壱/間(けん)の
積(つもり)を以(もつ)て。地面(ぢめん)の絵図(ゑづ)を引(ひき)。凡真中(およそまんなか)にて。磁石(ぢしやく)の針(はり)に随(したが)ひ。
方角(ほうがく)を記(しる)す。而(しかうし)て地(ち)の高低(たかひく)。水(みづ)の流(ながれ)。其外(そのほか)新地開(しんちひらか)んと
有歟(あるか)。又屋敷地(またやしきち)の望有(のぞみあら)バ。盛衰(せいすい)。不浄(ふじやう)。地中(ちちう)の籠物(こもりもの)。細割致(さいわりいた)し
候ハゞ。何程下(なにほどした)に何有(なにあり)と断(ことハる)。地面(ぢめん)の有様(ありさま)。委(くハし)く記(しる)され候ハゞ。悉(こと〴〵く)
相分(あひわかり)申候。其節地面(そのせつぢめん)の真中(まんなか)を取(とり)。是(これ)を中央(ちうわう)と成(な)し。諸事(しよじ)

是(これ)ゟ(より)考(かんが)ふ。尚又建相(なをまたけんさう)ハ。家建(やだて)の間口(まぐち)何間(なんげん)。奥行何間(おくゆきなんげん)。此真中(このまんまんか)を
取(とる)。建家(たちけ)の中央(ちうわう)と定(さだむ)。土蔵(どざう)。倉(くら)。納家(なや)。物置(ものおき)。離座敷(はなれざしき)。隠宅(いんたく)。
門前(もんぜん)。一切明口並(いつさいあけぐちならび)に寸法(すんぽう)。或(あるひ)ハ牛馬(ぎうば)の居処(きよしよ)。又(また)ハ折廻(おりまハ)りの様子(やうす)。
多少(たせう)の出入(でいり)。塀(へい)。垣(かき)。惣体(そうたい)。家根(やね)の高低(たかひく)。本宅(ほんたく)より土蔵(どざう)
まで何間(なんけん)。門(もん)まで何程(なにほど)ト(と)。間数悉(けんすうこと〴〵)く記(しる)し。庭前(にハさき)。門(かど)ト先(さき)。
雨水(あまみづ)の流(なが)れ。其模様(そのもやう)記(しる)す事(こと)なり。扨又家相(さてまたかさう)ハ。坐敷(ざしき)
何間(なんげん)に何間(なんげん)。次(つぎ)の間(ま)。納戸(なんど)。台所(だいどころ)。孰(いづれ)も畳(たゝみ)の敷(しき)やう
板間(いたま)。掾(ゑん)の工合(ぐあひ)。戸袋(とぶくろ)。襖(ふすま)。障子(しやうじ)。上(あが)り口(くち)。床(とこ)の間(ま)。違棚(ちがひだな)。
袋棚(ふくろだな)。押入(おしいれ)。神前(しんぜん)。仏前(ぶつぜん)。置物(おきもの)。内庭不残(うちにハのこらず)。惣(そう)じて畳(たゝみ)
敷所(しくところ)の中央(ちうわう)を取(とり)。是家相(これかそう)の中央(ちうわう)。主座(しゆざ)とす。是(これ)を地(ち)
相(さう)。建相(けんさう)。家相(かさう)の三相(さんそう)と云(いへ)り。大抵(たいてい)ハ家相(かさう)の中央(ちうわう)ゟ(より)考(かんがへ)る。


吟味有(ぎんみあれ)バ。建相(けんそう)の中央(ちうわう)。兼考合(かねかんがへあハせ)。極吟味(ごくぎんみ)ハ。地相(ちさう)の
中央兼(ちうわうかね)。三ツ合(あハ)せる事(こと)也。左様(さやう)なる時(とき)ハ。起絵図(おこしゑづ)と云(いふ)て。
大工(だいく)に命(めい)じられ候ハゞ。調(とゝの)ふもの也。小家(こいゑ)ハ其儀(そのぎ)に不及(およバず)。右(みぎ)
絵図参(ゑづまい)りて三日/目(め)に出來(しゆつたい)す。尚又委敷(なをまたくハしく)ハ。施本後遍(せほんこうへん)に
出(いだ)す。右(みぎ)之/通何事(とをりなにごと)も考(かんがへ)之/上(うへ)。又其考(またそのかんがへ)を三ツ合(あハせ)。/而(しかし)テ(て)成(なら)でハ
断不申(ことハりもうさず)候。只(たゞ)一ツ之/法(ほう)を以(もつ)てハ。麁略(そりやく)に当(あた)る事有(ことあり)。予(よ)が方(かた)ハ。
一切諸考(いつさいしよかんがへ)之品々(しな〴〵)。其道行利(そのみちゆきり)に当(あた)る様(やう)。書附(かきつけ)。封印致事(ふういんいたすこと)
故(ゆへ)。麁末(そまつ)ハ無御座(ござなく)候。外方(ほかかた)の様(やうあ)に。云流(いひなが)し候ハゞ。本人(ほんにん)
聞違(きゝちが)へ。又(また)ハ失念或(しつねんあるひ)ハ唱違(となへちが)ひ有(あつ)ても悪敷(あしき)。殊更後(ことさらご)
詰(づめ)に。左様成儀(さやうなるぎ)ハ。不申(もうさず)と云(いふ)も不本意(ふほんい)なり。依之(これによつて)。初(はじめ)
其次第逸々(そのしだいいち〳〵)記(しる)させ。先其儀(まづそのぎ)を第一(だいいち)に考(かんがへ)る事(こと)に

御座候。不然(しから)バ。肝心(かんじん)の事(こと)ハ外(ほか)に成(なり)。当時入用無事兼(とうじいりやうなきことかね)候ハゞ。
便利不宜(べんりよろしからず)。向(むかひ)の大川(だいが)ゟ。眼前小川(がんぜんこがわ)の渡(わた)りに勘弁有度事(かんべんありたきこと)也。
若又一大事(もしまたいちだいじ)の儀抔(ぎなど)ハ。封書(ふうしよ)にいたし。予(よ)が名前記(なまえしる)され候ハゞ
取次開封不致(とりつぎかいふういたさず)。決(けつし)て。他見無御座(たけんござなく)候。扨又後世者(さてまたごせいしや)の考方(かんがへかた)ハ
諸人(しよにん)を誉(ほむ)る。是(これ)に泥(なづみ)み寄依(きゑ)す。其通行(そのとをりゆけ)バ宜敷(よろしき)が。不行(ゆかざる)ときハ。
下女(げぢよ)に夫(おつと)を取(とら)るゝに等(ひと)し。相性抔悪敷迚(あひしやうなどあしきとて)。縁(ゑん)を切(き)らし。家(いへ)
悪敷迚(あしきとて)。変宅抔致(へんたくなどいた)させ。或(あるひ)ハ田宅売払(でんたくうりはら)ひ。土蔵抔取去(どぞうなどとりさり)。
其外家内大(そのほかかないおゝき)に騒(さハが)す族(やから)もあり。全智(まつたくち)の薄(うす)き故(ゆへ)也。左様(さやう)に
不致(いたさず)とも。神仏祟(しんぶつのたゝ)りハ祈(いの)り詫(わび)。障(さハり)ハ追払事(おひはらふこと)を念(ねん)ず。微運(びうん)
ハ是(これ)を補(おぎな)ひ。七/難(なん)。八/苦(く)。其外何事に不限(かぎらず)。夫々(それ〳〵)の軽重(けいぢう)と身(しん)
上(しやう)に応(をう)じ。御祈禱致(ごきとういたし)候ハゞ。奇妙(きめう)に利生有(りしやうある)もの也。若又(もしまた)


利益無(りゆくなき)ハ。祭主不妙徳故外方(さいしゆふめうとくゆへほうかた)にて頼(たのま)るゝ事吉(ことよし)。併綱目(しかしこうもく)に曰(いわく)ク。
命(めい)ハ食(しよく)に有(あり)ト云(いへ)り。然(しかれ)は祭主(さいしゆ)の妙徳(めうとく)と。本人(ほんにん)の信心(しんじん)と。食物(しよくもつ)と。三ツ
合ざれバ極難(ごくなん)ハ遁難(のがれがた)きと見(み)へたりに延命(ゑんめい)も食(しよく)。健弱(けんじやく)も食(しよく)。
発病(はつびやう)も食(しよく)。重病(じうびやう)も食(しよく)。諸薬効有無(しよやくこうあるなし)も食(しよく)。絶命(ぜつめい)も食(しよく)。又
貧冨(ひんぷく)も食(しよく)。左(さ)候ハゝ食物(しよくもつ)の善悪掛引(よしあしかけひき)が第一(だいいち)也。時(とき)に其食物(そのしよくもつ)の
諸書貯(しよしよたくハ)へ有人(あるひと)ハ集(あつ)め読(よむ)といへ共貧人(ともまづしきひと)ハ如何(いかゞ)せん。甚(はなは)だ歎敷(なげかはハしき)事(こと)也。
爰(こゝ)を以(もつ)て見安(みやす)き様(よう)。いろは分(わけ)にいたし施本(せほん)とす。諸人病家抔(しよにんびやうかなど)へ
借(かし)候ハゝ。是(これ)に過(すぎ)たる陰徳(いんとく)ハ無御座(ござなく)候。扨又食物其品々多(さてまたしよくもつそのしな〴〵おゝ)しと
いへども一方(いつぽう)に宜(よろ)しきと一方(いつほう)に悪敷(あしき)。又諸薬(またしよやく)に差支有(さしつかへあり)。其外覚違(そのほかおぼへちがひ)
唱違(となへちがひ)にて誤有(あやまりあり)。却(かへつ)て混雑(こんざつ)に及(およ)ぶ。故(かるがゆへ)に常人(つねびと)ハ申(もふす)に不及病人(およバずびやうにん)に而も妨(さまたげ)
障(さハり)と不成(ならず)。只人(たゞひと)の介(たすけ)と成而巳(なるのみ)を出(いだ)す。乍去浪花(さりながらなにハ)の芦(あし)も伊勢(いせ)

の濱荻一貫(はまをぎいつくわん)ヲ一/〆(かん)と云(いふ)も其土地(そのとち)の唱(となへ)と五/音(いん)の工合有(ぐあいあり)。宜敷勘(よろしくかん)。
弁有(べんあり)て御撰(おんゑら)み可被成候/然共左(しかれどもさ)に記(しる)す品(しな)。其病症(そのびやうしやう)に応(おゝ)じ壱度(いちど)や
弐/度食致(どしよくいた)し平愈(へいゆ)するものにてハ無御座(ござなく)候/只其介有事(たゞそのたすけあること)をしるす
い 伊保世(いぼぜ)。甘温(あまくうん)七/才(さい)までの亀背(せむし)に吉(よし)
石首魚(いしもち)。甘(あまく)平(へい)胃(い)を開(ひら)き宿食(しゆくしよく)を消(せう)ずるがゆへ腹(はら)の腸(てう)を除(のぞ)き
食(しよく)を益卒痢病(ますにはかりびやう)に吉(よし)
桑鳥(いるか)。甘温肌肉(あまくうんきにく)皮膚(ひふ)を強(つよ)くす
金絲魚(いとより)。甘(あまく)平(へい)一夜塩(ひとよしほ)にて焼肉斗(やきにくばかり)かうす味噌汁(みそしる)にて
病人(びやうにん)に用(もち)ひ苦(くる)しからず
伊須駕(いすか)。味(あじは)ひ甚(はなは)だ悪敷/癭瘤(ゑいりう)に吉(よし)
虎枝(いたどり)。甘(あまく)平(へい)経水(けいすい)を通(つう)ず産後(さんご)の瘀血(をけつ)を下(くだ)す湯火傷(やけど)に吉/懐妊(くわいにん)には無用(むよう)


ろ 露水(ろすい)。甘(あまく)和花(わはな)に有露(あるつゆ)を取舌乾(とりしたかは)くに点(てん)ず顔(かほ)に点(てん)じて艶(つや)を善(よく)す
蘆葉(ろよう)。至(いたつ)て古米斗粉(こうまいばかりこ)にして練(ねり)。色(いろ)よき葉(は)に包(つゝみ)粽(ちまき)とす丸薬(ぐわんやく)
是(これ)にて丸(ぐはん)ず又食(またしよく)して髪(かみ)を長(なが)くす
蘆根(ろこん)。黒焼(くろやき)にして十匁/朝鮮人参(てうせんにんじん)壱匁/粉(こ)にして合(あは)せ胡麻(ごま)の油(あぶら)
にて練毎日付(ねりまいにちつけ)候ハゝ毛(け)を生(しやう)ず
は 海鰻肉糯(かいまんにくもち)。病人(びやうにん)に用(もち)ひ苦(くる)しからず気(き)を得(ゑ)る併(しかし)海鰻(はも)ハ無用(むよう)
棒(はしばみ)。酸温気(すくうんき)を益腸胃(ましてうい)を実(じつ)にす
に 胡蘿蔔(にんじん)。甘(あまく)平(へい)時珍(じちん)の書(しよ)に気(き)を下(くだ)す故(かるがゆへ)に胸膈腸胃(むねてうい)ヲ利(り)
し食(しよく)を進(すゝ)む然共(しかれども)便和(べんやは)らかきにハ無用(むよう)
辛螺(ふし)。甘(あまく)平(へい)眼(め)の痛胃脘胸痛疝気(いたみしもはらのいたみむねのいたみせんき)に吉併大病人(よししかしたいびやうにん)にハ無用(むよう)
ほ 木瓜(ぼけ)。酸温湿気(すくうんしつけ)の痺(しびれ)脚気(かつけ)霍乱(くはくらん)の吐瀉転筋(としやてんきん)に吉(よし)
【左ページ二行目左ルビー 蘆葉 あしやは】
【左ページ十一行目左ルビー 木瓜 もくるは  転筋 こぶらかつり】

併(しかし)大病人(たいびやうにん)にハ無用(むよう)
防風(ぼうふう)。辛(からく)甘温(あまうん)一切風湿筋骨(いっさいふうしつすぢほね)の痛(いたみ)脾胃(ひい)を通(つう)じ眼(め)を明(あき)らかにす
地膚(ほうきじ)。苦(にがく)時珍(じちん)の書(しよ)に小便(せうべん)を通(つう)じ淋病悪瘡(りんびやうあくさう)に吉(よし)
海藻(ほだわら)。鹹寒腹中鳴(しほはやくかんふくちうなり)癭瘤(こぶ)あるひハ腫物(しゆもつ)に吉(よし)小便通(せうべんつう)ず
甄權(けん〳〵)の書(しよ)に疝気(せんき)に吉(よし)
杜鵑(ほとゝぎす)。甘冷痘瘡(あまくれいとうそう)の熱毒(ねつどく)或(あるひ)ハ虚邪(きよじや)を除(のぞ)き虫(むし)を殺(ころ)す
海扇(ほたてがい)。鹹寒諸毒(しほはやくかんしよどく)ヲ解(げ)し虫(むし)を殺(ころ)す然共(しかれども)腹瀉(はらくだり)又ハ無用(むよう)
へ 糸瓜(へちま)。甘平熱(あまくへいねつ)を除(のぞ)き疝気(せんき)に吉乍去多(よしさりながらをゝ)くハ無用脚気(くようかつけ)を呼(よぶ)
水(みづ)ハ湯火傷(やけど)に吉顔(よしかほ)に点(てん)じて光(ひかり)を出(いだ)す
と  蜀麥(とうきび)。甘少渋併内(あまくすこししぶくうち)を温(あたゝ)め腸胃(てうい)を渋(しぶ)らし霍乱(くわくらん)を止(や)む
橡(とち)。苦微温(にがくすこしうん)腸胃(てうい)ヲ厚(あつく)し下利(げり)を止(と)め人(ひと)を肥(こや)す併(しかし)/体働(たいはたらか)ざる人(ひと)にハ無用(むよう)


泥鰌(どじやう)。甘平(あまくへい)胃(い)を調(とゝの)へ消渇(しやうかつ)を止(や)め酒(さけ)の酔(ゑひ)を醒(さま)す
集簡方(しうかんほう)の書(しよ)に陽(やう)を補(おきな)ひ陽事(やうじ)を発(おこ)す
文鰩魚(とびうを)。干物(ひもの)にして甘鹹痔病(あまくしほはやくぢのやまひ)に吉婦人臨月(よしふじんりんげつ)に
食(くらへ)バ産安(さんやす)し然(しかれ)ども脾胃(ひゐ)弱(よは)き人(ひと)にハ無用(むやう)
紅鶴(とき)。甘微温(あまくすこしうん)婦人一切血病(ふじんいつさいちのやまひ)に吉(よし)
鵄(とび)。鹹平(しほはやくへい)頭風(づふう)の眩暈癇(めまいかん)の病(やまひ)に吉尤大病人(よしもつともたいびやうにん)ハ汁斗食(しるばかりしよく)す
ち 萵苣若葉(ちさわかば)。微苦経脈(すこしにがくけいみやく)を通(つう)ず胸膈(むね)を開小便(ひらきせうべん)を利(り)す併眼病(しかしがんびやう)にハ不好(よろしからず)
り 龍眼肉(りうがんにく)。甘酸温時珍(あまくすくうんじちん)の書(しよ)に脾胃(ひゐ)を益虚分(ましきよぶん)を補(おぎな)ふ
ぬ 糠味噌湯(ぬかみそゆ)。温(あたゝ)め洗(あら)ふ時(とき)ハ都(すべ)て陰門陰嚢痒(いんもんいんのうかゆき)を治(ぢ)す
る 涙竹(るいちく)。甘微寒水道(あまくびかんすいだう)を通(つう)じ消渇膈(しやうかつむね)を利(り)す熱(ねつ)を和(くは)し痰(たん)を消(け)す
併脾胃太陽(しかしひゐたいやう)の病(やまひ)と小児(せうに)にハ不好(よろしからず)本竹筍(ほんたけのこ)と孟宗にハ毒(どく)あり

【右ページ二行目左ルビー 防風 びやうぶぐた】
【右ページ四行目左ルビー 海藻 うみのも】
【左ページ七行目左ルビー 萵苣若葉 うりちさ】
【左ページ十一行目左ルビー 本竹筍 またけ】

を 膃肭臍(をつとせい)。甘(あまく)大温精冷(だいうんせいひへ)て腰(こし)の痛(いたむ)と弱(よはき)と小便頻(せうべんしげき)と陰不起(ゐんなへ)に吉(よし)
わ 山葵(わさび)。辛(からく)温欝気(うんうつき)を開(ひら)き汗(あせ)を発(はつ)し風(かぜ)を追(お)ひ冷(ひへ)
気(け)を払(はら)ふ疝気(せんき)に吉(よし)魚鳥(うをとり)の毒(どく)を去(さる)
裙帯菜(わかめ)。甘鹹(あまくしほはやく)婦人帯下(ふじんこしけ)夢遺(ゆめにせいをもらす)と泄瀉吉(はらくだるによし)
か 黄獨(かしう)。色白(いろしろき)ハ女(め)にして甘(あま)し黄(き)ハ男(を)にして苦(にが)く諸薬(しよやく)の
毒(どく)を消(け)す熱(ねつ)よりの咳(せき)を去(さ)り腸胃(てうい)を厚(あつく)す
獺(かはうそ)。甘鹹(あまくしほはやく)寒風水(かんふうすい)の毒(どく)をさる又(また)膽(きも)ハ労症(らうしやう)によし
牡蛎(かき)。甘温灸食(あまくうんあぶりしよく)して肌(はだへ)を細(こまか)にす煑(に)て喰(くへ)バ虚損(きよそん)を
補(おぎな)ふ又/痰獨酒後(たんどくしゆご)の熱(ねつ)を解(げ)す
鰹節(かつをぶし)。甘(あまく)微温気(びうんき)を廻(めぐ)らし腸胃(てうい)を補(おぎな)ふ筋骨(すじほね)を盛(さかん)にす
鳰(かいつぶり)。甘(あまく)平酒(へいさけ)を醒(さま)し痔(ぢ)によし


鳧(かも)。甘涼(あまくすゞしく)胃(い)を平(たいら)にして食(しよく)を消(け)す日華(につくは)に曰(いはく)臓虫(ざうちう)を殺(ころ)し
水腫年久敷瘡(すいしゆとしひさしきかさ)に吉(よし)然(しかれ)ども木耳(きくらげ)入(いれ)て喰(くらふ)べからず
烏鴉(からす)。酸渋平虫(すくしぶくへいむし)を殺(ころ)し痢疾(りしつ)によし嘉祐本草(かゆうほんざう)に有(あり)
五/労(らう)。七/傷吐血咳嗽(しやうとけつがいそう)によし
よ 薏苡仁(よくいんにん)。甘(あまく)微寒風湿(びかんふうしつ)にて痺(しびれ)或(あるひ)ハ筋骨引張伸(すじほねひつはりのび)ざるに
よし梅師方(ばいしほう)が曰(いはく)肺塞(はいふさ)ぎ咳嗽(がいそう)膿血(うみち)又上気(じやうき)に吉(よし)
鶏腸菜(よめな)。甘苦平(あまくにがくへい)小便(せうべん)を利(り)し五淋痢病(ごりんりびやう)によし
一切(いつさい)の腫物痰毒痒(しゆもつたんどくかゆ)く痛(いたむ)に吉(よし)
た 秈米(たいとうこめ)。少甘(すこしあまく)温気(うんき)を益内(ましうち)を温(あたゝ)め脾胃(ひゐ)を和(くは)し養(やしな)ふ
湿(しつ)を去故湿(さるゆへしつ)よりの泄瀉(くだり)を止(と)む
蘿蔔(だいこん)。葉(は)ハ温(うん)にして内(うち)を和平(くはへい)を根(ね)ハ痰癖(たんへき)を去人(さりひと)を

【右ページ五行目左ルビー 黄独 いしのるい】

肥(こや)す麺毒(めんどく)を解(げ)し風熱(ふうねつ)の邪気(じやき)を去(さる)併病人多(しかしびやうにんおゝ)く喰(くへ)バ
少(すこ)し腹張平人(はらはるへいにん)ハ中気(ちうき)の不足(ふそく)を補(おぎな)ひ食(しよく)を消(け)し魚腥(なまぐさき)を
去(さる)然(しかれ)共/都(すべ)て蘿蔔(だいこん)処々(しよ〱)より七/品出(しないづ)る右冬蘿蔔(みぎふゆだいこん)の事(こと)
なり乍去(さりながら)地黄(ぢわう)と蜜(みつ)を食(しよく)して前後(ぜんご)半時(はんとき)用捨(やうしや)有(あつ)て吉(よし)
扨(さて)又/生(しやう)にて口(くち)に含(ふく)む時(とき)ハ煙(けふり)にむせる難(なん)を遁(のが)る依(よつ)て出火(しゆつくは)の
砌(みぎり)ハ干蘿蔔(ほしだいこん)にても貯(たくは)へ置事吉(おくことよし)猶又生絞汁(なをまたしぼりしる)ハ物付(ものつい)たる血(ち)を落(おと)す
橙(だい〱)。酸寒士良(すくかんしりやう)に曰(いはく)風気悪心(ふうきおしん)を去(さる)瘰癧(るいれき)に吉(よし)魚蟹(うをかに)の毒(どく)を消(け)す
蒲公英(たんぽ〱)。甘少(あまくすこし)苦食毒(にがくしよくどく)を解(げ)すが故(ゆへ)滞気(たいけ)を散(さん)じ熱毒(ねつどく)を化(くは)す胃中(いちう)の
邪気(じやき)を除(のぞ)き痰膈(たんかく)を利(り)す水腫(すいしゆ)に吉然共(よししかれども)多(おゝ)く喰(しよく)する事(こと)ハ好(この)まず
黄瓜菜(たびらこ)。甘(あまく)微苦(びにがく)寒結気(かんけつき)を通(つう)じ腸胃(てうい)を利(り)す
鷹(たか)。未(いまだ)予(よ)が味不知野(あぢしらずや)狐邪魁(こじやかい)に吉(よし)


鱮魚(たなご)。甘(あまく)平脾胃(へいひゐ)に益(ゑき)あり
章魚(たこ)。甘(あまく)酸醤油(すくしやうゆ)と酒(さけ)を入(いれ)煑(に)て脾胃(ひゐ)に障(さは)らず痔疾吉(ぢのやまひよし)又/気血(きけつ)を得(ゑ)る
れ 蓮根(れんこん)。甘(あまく)平皮(へいかは)ハ少(すこ)し渋(しぶ)き心有熱(こゝろありねつ)し渇血(かはきち)の滞(とゞこふり)を散(さんじ)酒毒(しゆどく)に吉(よし)
そ 蠺豆(そらまめ)。甘(あまく)微寒皮(びかんかは)ハ脾胃(ひゐ)を荒(あら)す又/小児(せうに)にハ猶不好肉(なをこのまずにく)ハ痰(たん)に吉(よし)
つ 白柿(つるしがき)。甘(あまく)平孟説(へいもうせつ)の書(しよ)に虚労(きよらう)の不足(ふそく)を補(おぎな)ひ脾胃(ひゐ)の気(き)に吉(よし)
落葵(つるむらさき)酸寒熱(すくかんねつ)を散(さん)じ大小腸(だいせうてう)を利(り)す
ね 鼠甘(めづみあまく)。熱皷脹水腫(ねつこてうすいしゆ)雀目(とりめ)小児疳(せうにかん)の病(やまひ)によし
な 刀豆(なたまめ)。干(ほし)たるハ甘(あまく)平腸胃(へいてうゐ)を利(り)す故(ゆへ)吃逆(しやくり)を止(とゞ)む
腎(じん)を益(まし)元気(げんき)を補(おぎな)ふに付(つけ)痰(たん)に吉(よし)尤生(もつともなま)ハ不好(このまづ)
薺菜(なづな)。少苦淡(すこしにがくあは)し肝(かん)を利(り)し内(うち)を和(くは)する故(ゆへ)眼(め)を明(あき)らかにす
鯰(なまづ)。甘(あまく)温蘇恭(うんそきやう)の書(しよ)に小便(せうべん)を通(つう)じ水腫(すいしよ)に吉(よし)瘧(おこり)を治(ぢ)す

【右ページ十行目左ルビー 黄瓜菜 ほとけのざ】

然(しかれ)ども此魚目(このうをめ)と髭(ひげ)と背(せな)赤(あか)きと頤(おとがい)な起ハ大毒(だいどく)あり能(よく)ゑらみて吉(よし)
鱏(なよし)。胃(い)を開(ひら)き五臓(ござう)を利(り)し肉(にく)を肥(かや)す
ら 落花生(らくくはせい)。甘香少辛(あまくかうばしすこしからし)肺(はい)を潤(うるほ)し脾(ひ)を伸(のぶ)る炒(いり)て食(しよく)す
臘雪水(らうせつすい)。甘寒雪(あまくかんのゆき)其侭(そのまゝ)に壷(つぼ)に入貯(いれたくは)へ置(おけ)バ数月(すげつ)有傷寒時(ありしやうかんは)
行病熱(やりやまひねつ)にて喝(かは)くの薬水(くすりみづ)にして吉(よし)又/化粧水(けしやうみづ)にして紛毒(ふんどく)を除(のぞ)く
む 無不愈(むふゆ)。苦平(にがくへい)砂糖漬(さとうづけ)にして痰(たん)を消渇(けしかはき)を止肺(とめはい)の臓(ざう)の病(やまひ)に吉(よし)
う 粳米(うるのこめ)。甘平精気(あまくへいせいき)を益(まし)胃(い)を和(くは)す肌肉筋骨(きにくすじほね)を強(つよ)くす
時珍(じちん)の書(しよ)に気血(きけつ)の脈(みやく)を通(つう)じ五臓(ござう)を和(くは)すと有然(ありしかれ)ども
考(かんがふ)るに新米(しんまい)と焼米抔(やきごめなど)ハ病人(びやうにん)と小児(せうに)と脾胃(ひい)弱(よは)き人(ひと)
と都(すべ)て身(み)の働(はたら)きなき人(ひと)にハ大(おゝき)に悪敷身(あしくみ)の働(はたら)きなき
人(ひと)と病人(びやうにん)とにハ越加賀米(こしかゞまい)能▢食致(しよくいた)し候ハゞ前(ぜん)の効(こう)有(あり)


毎日(まいにち)三/度(ど)の事(こと)にして人命相続(にんめいそうぞく)の第(だい)一/成(なる)もの故(ゆへ)能々(よく〱)
吟(ぎん)じ大切(たいせつ)に致事吉(いたすことよし)中国米(ちうごくまい)ハ甚(はなは)だ味吉然(あじよししかれ)ども過食(くはしよく)
有時(あるとき)ハ脾胃(ひい)に滞食(とゞこふりしよく)癪(しやく)となる無病(むびやう)にして大(おゝき)に働人(はたらくひと)ハ
不苦(くるしからず)殊更(ことさら)米(こめ)ハ三国(ごく)無双(ぶさう)の貴物(きぶつ)故/唐土天竺(からてんじく)蛮国(ばんこく)に
至(いた)るまで日本(につぽん)の米(こめ)を大(おゝき)に称美(しやうび)す猶又辺鄙抔(なをまたかたほとりなど)にハ末(まつ)
期(ご)に是(これ)を煎(せん)じ用(もち)ひ病(やまひ)平愈(へいゆ)する事あり右様(みぎやう)の意味(いみ)
を知(し)らず食(しよく)に向(むか)ひ不足(ふそく)を云(いふ)冥加(みやうが)しらず有必其身(ありかならずそのみ)
繁昌(はんじょやう)にハ至(いた)らず先祖(せんぞ)より受得(うけゑ)たる身上傾(しんしやうかたふけ)る者多(ものおゝ)し
有難(ありがたく)も天照皇太神宮(てんしやうくはうだいじんぐう)の御教置(おんおしへおき)ゐふ所(ところ)の食物(しよくもつ)なり
其恩義(そのおんぎ)を受(うけ)一/命(めい)相続(そうぞく)乍有(ありながら)我勝手(わがかつて)に引付外(ひきつけほか)の
道斗(みちばかり)を願(ねが)ふ事利(ことり)に当(あた)らず筋違故(すじちがひゆへ)何程祈(なにほどいの)る共利益(ともりやく)

【右ページ三行目左ルビー 落花生 とうじんまめ】
【右ページ四行目左ルビー 臘雪水 かんのゆきのみづ】
【右ページ六行目左ルビー 無不愈 てんもんどう】

あらん神国(しんこく)の土地(とち)に住内(すむうち)ハ元(もと)を知(しつ)て枝葉(ゑだは)をつたふ事/吉(よし)
五加(うこぎ)。苦温(にがくうん)肌肉(きにく)の風湿(ふうしつ)を去(さる)
鰻(うなぎ)?魚。甘平(あまくへい)五/痔瘡瘰(ぢかさのるい)に吉諸虫(よしもろ〱のむし)を殺(ころ)す併黒斑(しかしまだら)の
魚(うを)ハ大毒有腹白(だいどくありはらしろ)く小(ちいさ)き魚(うを)ハ効(かう)なし中成青(ちうなるあを)きすゞやか
成魚(なるうを)が味(あじ)も吉効(よしかう)も有孰(ありいづれ)も銀杏(ぎんなん)と同食(どうしよく)ハ無用猶又(むやうなをまた)
八ツ目鰻(めうなぎ)?魚/小児疳(せうにかん)の病(やまひ)と雀目(とりめ)に吉又疳(よしまたかん)の虫(むし)を殺(ころ)す
鶯(うぐひす)。甘温下焦(あまくうんげしやう)を温(あたゝ)め陽道(やうどう)を盛(さか)んにす
ゐ 陰陽水(いんやうすい)。和平沸湯(わへいにへゆ)と井華水(せいくはすい)と半分(はんぶん)ヅゝ合(あい)す霍乱(くはくらん)
吐瀉(としや)に吉(よし)尤(もつとも)塩(しを)を入多(いれおゝ)く用(もちゆ)る時(とき)ハ食(しよく)の滞(とゞこふり)を吐(と)す
の 鶎(のがん)。甘平虚人(あまくへいきよじん)を補(おぎな)ひ風痺(ふうひ)の気(き)を去(さる)
お 温泉(おんせん)。日本(につほん)に涌出(わきいづ)る所(ところ)七十余ケ所有(しよあり)併有馬(しかしありま)がよし


其外色々名湯有(そのほかいろ〱めいたうあれ)ども病人(びやうにん)に応(おゝ)じ撰(ゑらむ)が吉(よし)
嗢青(おうせい)。微温(びうん)。歯(は)を堅(かた)む生(なま)にてもみ其汁虫(そのしるむし)のさしたる所(ところ)へ塗(ぬれ)バ毒(どく)を去(さる)
く 栗(くり)。甘少鹹温(あまくすこししほはやくうん)。煑(に)るか灸(やき)て食(しよく)する時(とき)はハ気(き)を塞(ふさぐ)又小児(またせうに)
に悪敷干(あしくほし)て食(しよく)すれば気(き)を下(くだ)し補益有(ほゑきあり)甲州(かうしう)より打栗(うちぐり)
出(いづ)る気(き)を塞事少(ふさぐことすくなし)又/生(なま)にて摺(すり)太白砂糖(たいはくさとう)を未(こ)にして合(あは)せ
寒晒(かんざらし)の団子(だんご)の衣(ころも)にして食(しよく)する時(とき)ハ気(き)を廻(めぐ)らし腸胃(てうゐ)を厚(あつく)
す思邈(しはく)の書(しよ)に生(なま)にて喰(くら)へバ腰足叶(こしあしかな)ひ難(がた)きに益有(ゑきあり)
枸杞(くこ)。甘微(あまくび)苦涼(にがくすゞし)。五/労(らう)七/傷(しやう)を補(おぎな)ひ大明(たいめい)に曰(いはく)皮膚骨節風熱(ひふほねふしふうねつ)を消(けす)
烏芋(くろぐわい)。甘冷滑(あまくれいくはつ)。汪機(わうき)の書(しよ)に宿食(しゆくしよく)を消(け)し癪(しやく)を削(けづり)血淋(けつりん)下血消渇(げけつしやうかつ)に吉(よし)
葛(くず)。甘平(あまくへい)。熱(ねつ)を除胃(のぞきい)を開(ひら)き渇(かはき)を止(と)め二/便(べん)の不正(たゞしかざる)を止(と)む酒(しゆ)
毒(どく)を消(け)す然共(しかれども)生麩葛(しやうふくず)ハ其(その)効(かう)なく却(かへつ)て脾(ひ)を燥(かはか)す

【右ページ八行目左ルビー 井華 くみたてのみつ】
【左ページ二行目左ルビー 嗢青 はこべ】

水母(くらげ)。鹹(しほはやく)温(うん)。西国(さいこく)の産吉(さんよし)婦人労損(ふじんらうそん)血癪(けつしやく)帯下(たいげ)小児(せうに)の風湿痰毒(ふうしつたんどく)に吉(よし)。
萓草(くわんざう)。甘冷(あまくれい)。小便赤(せうべんあか)く渋(しぶ)るを治(ぢ)す身(み)の熱(ねつ)を除(のぞ)き食(しよく)を消(け)す
や 野薤(やがい)。少辛苦臭(すこしからくにがくくさし)天行物(はやりもの)する時少(ときすこ)しヅヽ日々(にち〱)食(しよく)して其日(そのひ)ハ受(うけ)ず
羊肉(やうにく)。甘熱(あまくねつ)。血気(けつき)を益(ま)し陽(やう)を盛(さか)んにし胃(い)を開(ひら)く
ま 松蕈(まつたけ)。甘平(あまくへい)小便赤(せうべんあか)く渋(しぶ)り産後児枕痛(さんごあとはらいたみ)に吉(よし)併古(しかしふるき)
茸(たけ)ハ大(おゝき)に酔(ゑふ)もの也/其毒(そのどく)を消(けす)にハ豆腐(とうふ)が吉扨又(よしさてまた)早松(さまつ)
時不成(ときならざる)ハ無用善(むやうよ)き茸迚(たけとて)も病人(びやうにん)にハ汁斗(しるばかり)用(もち)ゆ
け 蕎麦粉大便結(けうばくふんだいべんけつ)するに吉併通(よししかしつうじ)候ハヾ無用其外(むやうそのほか)痘瘡湯火傷(ほうさうやけど)に点(てん)じて吉(よし)
ふ 覆盆子(ふくぼんし)。甘平(あまくへい)。虚(きよ)を補(おぎな)ひ陰(いん)を強(つよ)くし肌(はだへ)を潤(うるほ)す
葡萄(ぶどう)。甘平(あまくへい)。湿(しつ)にて筋骨痺(すじほねしび)るゝに益有(ゑきあり)又甲州(またかうしう)より干(ほし)
葡萄(ぶどう)とて出(いづ)る数月貯(すげつたくは)へ置(おけ)り至(いたつ)て甘(あま)く化粧(けしやう)の水(みづ)に致(いた)し


能延(よくの)び光沢(つや)を出(いだ)す猶又(なをまた)甄權(けん〱)の書(しよ)に腸胃(てうい)の水(みづ)を除(のぞ)き麻痺(しびれ)に吉(よし)
蕗(ふき)。苦少辛温(にがくすこしからくうん)。咳(せき)の逆上痰喘喉痺驚癇(のぼせたんぜんこうひきやうかん)の類(るい)に益(ゑき)あり
梟(ふくろ)。甘温(あまくうん)。甚(はなは)だ味(あじは)ひ微(び)にして障(さはり)なし又/効(かう)もなし
麩(ふ)。甘涼内(あまくすゞしくうち)を緩(ゆる)くし気(き)を益熱(ましねつ)を解労瘵(けしらうさい)にも益(ゑき)あり併色々(しかしいろ〱)
名麩(めいふ)より平麩(ひらふ)を土佐鰹節(とさかつをぶし)薄(うす)く掻(かき)薄醤油(うすしやうゆ)を以(もつ)て煑(に)るが吉(よし)
こ 牛房(ごほう)。甘冷(あまくれい)。皮目赤(かはめあか)く膚能赤土(はだへよくあかつち)より生(しやう)ずるものを吉(よし)とす
不然(しからず)バ腹(はら)の脹事(はること)あり傷寒(しやうかん)時気(じき)風腫(ふうしゆ)の水(みづ)を追(お)ひ腫(はれ)を消(けし)
尤(もつとも)種斗(たねばかり)を呑(のん)で乳穴(ちあな)を明(あけ)る効(かう)あり
氷(こほり)。寒中(かんちう)に生(しやう)ずるが吉甘寒(よしあまくかん)。傷寒(しやうかん)陽毒厳敷(やうどくきびしき)に一/塊(かたまり)を乳(ちゝ)
と乳(ちゝ)との真中(まんなか)を檀中(だんちう)と云(いへ)り其穴(そのけつ)に置(おく)が吉吞(よしのん)でハ酒毒(しゆどく)を解(げ)す
昆布(こんぶ)。鹹平水腫(しほはやくへいすいしゆ)癭瘤(ゑいりう)都(すべ)て血気癪(けつきしやく)を破(やぶ)る又(また)根気胸(こんきむね)の

【右ページ一行目左ルビー 帯下 こしけ】
【右ページ三行目左ルビー 野薤 にら】
【右ページ四行目左ルビー 羊肉 ひつじ】
【右ページ八行目左ルビー 蕎麦粉 そばこ 】

焦燥(やけ)に吉然(よししかれ)ども腹中(ふくちう)へ入(いり)て大(おゝき)に倍(ふへる)ものにて脾(ひ)に溜(たま)り
悪敷(あしき)が故(ゆへ)病人(びやうにん)小児(せうに)にハ無用(むやう)
五位鷺(ごゐさぎ) 甘鹹(あまくしほはやし)灸食(きしよく)せバ魚蟹(うをかに)の毒(どく)を解(げ)す
胡麻(ごま)。甘平(あまくへい)。大白(たいはく)か極黒(ごくくろ)く大(おゝき)なるが吉黄色交(よしきいろまじは)り有(あれ)バ
悪敷生(あしきなま)にて食(しよく)するも不好焙(よろしからずほう)ずるが吉気力(よしきりよく)を益肌(ましはだへ)肉を
長(てう)ず耳(みゝ)と眼(め)に益有多(ゑきありおゝ)く食(しよく)する時(とき)ハ却(かへつ)て髪(かみ)を薄(うすく)し便(べん)を結(けつ)す
江 塩梅(ゑんばい)。酸鹹塩(すくしおはやくしほ)を出(いだ)し土佐鰹節(とさかつほぶし)を入(いれ)煑(に)て病人(びやうにん)に
吉時行物(よしはやりもの)の時早朝茶(ときさうてうちや)に入茶(いれちや)を服(ふく)したる日(ひ)はハ諸(しよ)
邪(じや)を受(うけ)す不浄(ふしやう)をはらふ
て 田螺(でんら)。甘少苦(あまくすこしにがく)。能湯出去(よくゆでさり)土佐鰹節(とさかつほぶし)を入醤油(いれしやうゆ)にて
煑(に)て湿(しつ)と熱(ねつ)を除(のぞ)く消渇(しやうかつ)を止酒(とめさけ)の酔(ゑひ)を醒(さま)す大小便(だいせうべん)


を利(り)し脚気黄疸眼(かつけわうだんめ)の痛(いたみ)に吉生(よしなま)にて?(すり)腋臭(わきが)痔(ぢ)
瘡(さう)に点(てん)ず干末(ほしまつ)して水(みづ)の替(かは)りを助(たす)く
あ 赤小豆(あづき)。甘鹹平(あまくしほはやくへい)。水腫(すいしゆ)を解(げ)し小便(せうべん)を利(り)し吐逆(とぎやく)を止(と)む消渇(しやうかつ)に吉(よし)
紫苔(あまのり)。甘寒(あまくかん)。孟説(もうぜつ)の書(しよ)に熱気(ねつき)咽塞(のんどふさが)ると。癭瘤(こぶ)に吉(よし)
蚫(あはび)。鹹平(しほはやくへい)。外障内障(うはひそこひ)の翳(かすみ)に吉精(よしせい)を益五淋(ましごりん)を通(つう)ず
尤(もつとも)よき醤油(しやうゆ)をもつて煑(に)るがよし
?(あかがい)。甘平(あまくへい)。五臓(ござう)を利(り)し胃(い)を強(つよ)くし内(うち)を温(あたゝ)め食(しよく)を消(け)
す又陽(またやう)を起(おこ)す然(しかれ)ども薄味噌汁(うすみそしる)が吉(よし)
飴餹(あめ)。甘熱虚(あまくねつきよ)を補(おぎな)ひ渇(かはき)を止(と)め気力(きりよく)を補(おぎな)ひ咽(のんど)の
痛痰咳(いたみたんせき)に益(ゑき)あり併(しかし)過食(くはしよく)ハ却(かへつ)て脾(ひ)を燥(かはか)す
甘酒(あまざけ)。甘温(あまくうん)。脾胃(ひゐ)を養(やしな)ひ内(うち)を温(あたゝ)め然(しかれ)ども多(おゝ)くハ不好病人(よろしからずびやうにん)ハ

半碗(はんわん)ヅゝ常人(つねひと)ハニ/碗(わん)を越(こへ)ず食(しよく)して直(じき)に臥事(ふすこと)ハ無用(むよう)生姜絞汁(しやがしぼりしる)入(いれ)て服(ふく)するがよし
蒼鷺(あをさぎ)。甘平(あまくへい)。汗(あせ)を止(と)むもの故(ゆへ)発散(はつさん)の薬腹(くすりふく)する人(ひと)ハ無用小水(むやうせうすい)を
通(つう)ず依之(これによつて)盜汗(とうかん)又(また)ハ汗多(あせおゝ)く出(いづ)るによし
方頭魚(あまだい)。甘鹹淡(あまくしほはやくあはし)。一/夜薄塩致(やうすしをいた)し焼(や)き肉所(にくどころ)がよし
或(あるひ)ハ薄味噌汁(うすみそしる)も病人(びやうにん)に苦敷(くるし)からず
赤魚(あこ)。甘平(あまくへい)。脾胃(ひい)を調(とゝの)へ気血(きけつ)を益食(まししよく)を進(すゝ)め瀉(くだ)りを止(と)む
海糠(あみ)魚。甘温(あまくうん)婦人産門(ふじんさんもん)破(やぶ)れ或(あるひ)ハ腫(は)れ愈(いへ)ざるを治(ぢ)す余病(よびやう)にハ不好(よろしからず)
さ 砂糖(さとう)。黒(くろ)きハ脾(ひ)を燥(かはか)す氷(おほり)ハ諸薬(しよやく)に禁事(いむこと)有至(ありいたり)て太白(たいはく)がよし
甘寒(あまくかん)。心腹熱(しんふくねつ)し脹(はり)。口渇(くちかは)き酒毒(しゆどく)に吉(よし)湯(ゆ)に入(いれ)てハ下焦(げしやう)を温(あたゝ)め淋(りん)
病(びやう)に吉(よし)併多(しかしおゝ)くハ却(かへつ)て脾(ひ)を燥(かはか)す少(すこ)しハ脾(ひ)を養(やしな)ひ潤(うるほひ)を生(しやう)ず
酒(さけ)。苦甘辛(にがくあまくからく)。少寒(すこしかん)にして大熱薬勢(だいねつやくせい)能廻(よくめぐ)る気血(きけつ)を廻(めぐ)らし


百邪寒気(ひやくじやかんき)風気穢愁(ふうきけがれうれひ)を防(ふせ)ぎ追(お)ふ水道(すいだう)を温(あたゝ)む五体(ごたい)に
陽気(やうき)を廻(めぐ)らし肌肉(はだへ)を順(じゆん)ず神(じん)と膽(きも)を盛(さか)んにす少(すこ)しヅゝ
用(もち)ゆれバ延命(ゑんめい)の気有多(きありおゝ)く呑(のめ)バ心神(しん〲)気血(きけつ)皮膚(ひふ)を損(そん)ず
癇立(かんたつ)て怒(いか)る故諸病(ゆへしよびやう)を生(しやう)ず又命(またいのち)を縮(ちゞ)む是至(これいたつ)て効毒(かうどく)
早(はや)きもの故(ゆへ)猶更撰事吉(なをさらゑらむことよし)上品(じやうひん)と云(いふ)ハ至(いたつ)て古(ふる)く色濃(いろこ)
からずして木香灰(きがはい)の気(き)なく中品(ちうひん)ハ年(とし)を越色濃(こへいろこ)からず
効薄(かううす)し下品(げひん)ハ新酒或(しんしゆあるひ)ハ色至(いろいたつ)て薄(うす)く然(しか)も潤(うるほ)ひ少(すくな)しまた
温(あたゝめ)て淡気出(あはのきいづ)る直様頭(すぐさまかしら)へ行下(ゆきしも)へ廻(めぐ)らざる故(ゆへ)小便(せうべん)近(ちか)く毒(どく)
多(おゝ)し扨又味(さてまたあぢは)ひ辛(から)きハ気(き)を下(くだ)す甘(あま)きハ緩(ゆる)くす厚(あつ)く意(い)
地(ぢ)あるハ熱毒有和(ねつどくありやは)らかきハ小便(せうべん)を利(り)す熱酒(あつかん)ハ肺(はい)を破(やぶ)
温酒(あたゝめさけ)ハ内(うち)を和(くは)す冷酒(ひやざけ)ハ脾胃(ひい)を冷(ひや)す

酒糟(さけのかす)。甘辛(あまくからく)。冷気(れいき)を除(のぞ)き内(うち)を大(おゝき)に温食(あたゝめしよく)を消(け)し草菜(さうさい)の毒(どく)を觧(けす)
獼猴(さる)。酸平(すくへい)。然(しかれ)ども人肉(にんにく)の様(やう)に口(くち)の内(うち)にて増(ふへ)ず久瘧(きうぎやく)
瘴瘧(しやうぎやく)に吉(よし)時珍(じちん)の書(しよ)に瘴疫(しやうゑき)に吉(よし)
鷺(さぎ)。甘平(あまくへい)鹹汪潁(しほはやくゑやうゑい)の書(しよ)に虚痩脾(きよそうひ)を補(おぎな)ひ自汗盜汗(あせおこりねあせ)を止(と)む
鱵魚(さんしやううを)。甘平(あまくへい)。腸胃(てうい)の癪熱(しやくねつ)肝腎(かんじん)を補(おぎな)ひ筋骨強(すじほねつよく)し疫病(やくびやう)に吉(よし)
紅豆(さゝげ)。甘鹹平(あまくしほはやくへい)。時珍(じちん)の書(しよ)に内(うち)を利(り)し気(き)を益腎(ましじん)と
胃(い)とを調(とゝの)へ消渇(しやうかつ)吐逆(とぎやく)泄痢(くだりびやう)によし
き 急流水(きうりうすい)。順汲便通(ながれにそひくむべんつう)ぜざる諸薬(しよやく)に用(もち)ひ又/嘔吐薬(しよくかへすくすり)に用(もち)ゆ
逆汲瀉(ながれさかにくむくだ)りを止(とむ)る薬(くすり)をせんじ用(もち)ゆ
金橘(きんかん)。肉(にく)ハ余(あま)り不好(よろしからず)皮(かは)が吉(よし)甘平(あまくへい)。気(き)を下(くだ)し膈(むね)を
快(こゝろよく)す渇(かは)きを止(と)め酒(さけ)の酔(ゑひ)を醒(さま)す


菊花(きくくは)。甘苦(あまくにがく)。少辛(すこしからく)。湯(ゆ)を通(とう)せバ甘(あま)く淡(あは)し。黄色(きいろ)が吉(よし)外(ほかの)
色(いろ)ハ悪敷諸風邪(あしくしよふうじや)の頭痛眼目(づづうがんもく)の痛(いた)み都(すべ)て上部(じやうぶ)の熱(ねつ)に吉(よし)
ゆ 柚(ゆ)。酸寒(すくかん)。食(しよく)を消(けす)酒毒(しゆどく)を觧(げ)す懐妊(くはいにん)の不食(ふしよく)に吉(よし)
め 蘘苛(めうが)。甘微温(あまくびうん)。欝(うつ)を開(ひら)き食(しよく)を進(すゝ)め邪気(じやき)の病(やまひ)を除(のぞ)く
み 海松(みる)。甘鹹寒(あまくしほはやくかん)。蔵器(ざうき)の書(しよ)に水腫(すいしゆ)に吉(よし)併考(しかしかんがふ)るに脾胃(ひゐ)弱人(よはきひと)にハ不好(よろしからず)
味噌(みそ)。甘鹹(あまくしほはやく)。諸魚(しよぎよ)の毒(どく)を觧(げ)し腸胃(てうい)を和(くは)し不足(ふそく)を補(おぎな)ふ
然共至(しかれどもいたつ)て濃(こ)きハ却(かへつ)て脾胃咽(ひゐのんど)を渇(かはか)す病人(びやうにん)ハ薄味噌汁(うすみそしる)か吉(よし)
生味噌(なまみ)ハ痞(つかへ)を司(つかさど)る後藤薄味噌汁(ごとううすみそしる)ハ脾(ひ)を養(やしな)ふ
鷦鷯(みそさざい)。甘温(あまくうん)。痰膈(たんかく)に吉(よし)又陽事(またやうじ)を起(おこ)す併病人(しかしびやうにん)にハ不好(よろしからず)
し 白小豆(しろあづき)。甘平(あまくへい)。内(うち)を調(とゝの)へ十二/経(けい)の脈(みやく)を介腸胃(たすけてうい)を温(あたゝ)む
紫蘇(しそ)。少辛温(すこしからくうん)。内(うち)を補(おぎな)ひ心腹脹満(しんぷくてうまん)霍乱転筋(くはくらんこぶらがへり)に吉(よし)魚毒(ぎよどく)を觧(げ)す

新汲水(しんきうすい)。繁花(はんくは)ハ早朝(そうてう)に汲(くむ)を唱(とな)ふ本来(ほんらい)ハ山(やま)の井吉(ゐよし)諸薬(しよやく)に用(もちひ)て益有(ゑきあり)
鷸(しぎ)。種類多(しゆるいおゝ)し大抵(たいてい)ハ同様(どうやう)にて甘温(あまくうん)。虚(きよ)を補(おぎな)ひ大(おゝき)に温(あたゝ)む
食塩(しほ)。辛大鹹本経(からしおゝきにしほはやくほんけい)に曰(いわく)毒(どく)を解(け)す血(ち)を涼(すゞし)く致(いた)し燥(かはき)を潤(うるほ)し又痛(またいたみ)を止(とむ)るに益有(ゑきあり)
ゑ 海鶏(ゑび)。甘鹹(あまくしほはやく)。尾先(おさき)より三/寸(ずん)の内(うち)ハ毒(どく)あり腹持(はらもち)の間(あいだ)
白濁(はくだく)膏淋(かうりん)陰茎(いんきやう)渋痛(しぶりいたむ)に益有(ゑきあり)重病人(ぢうびやうにん)にハ不好(このまず)
ひ 菱実(ひし)。甘平生(あまくへいなま)にて食(しよく)すれバ陰痿(ゐんなへ)の毒有(どくあり)煑(にれ)バ
内(うち)を安(やす)くし消渇酒毒(しやうかつしゆどく)を觧(げ)す又/食(しよく)の介(たすけ)として飢事(うへること)
少(すくな)し久敷(ひさしく)食(しよく)の介(たすけ)と成(なる)が故(ゆへ)也/尤冷症(もつともひへしやう)にハ不好(このまず)
醤(ひしを)。甘温内(あまくうんうち)を利(り)し気(き)を下(くだ)し食(しよく)を進(すゝ)む
告天子(ひでり)。微甘(びかん)虚(きよ)を補(おぎな)ふ
も 海薀(もぞく)。甘鹹寒(あまくしほはやくかん)癭瘤(ゑいりう)血気痰(けつきたん)を觧(ほど)く併大(しかしたい)


病人(びやうにん)に用捨(やうしや)ありてよし
餅(もち)。糯米入(もちごめいる)にハあらず古(ふる)き粳米斗(こうべいばかり)を蒸上(むしあげ)其所(そのところ)へ
湯(ゆ)をかけ候ハゞ粳米(うるこめ)の餻(もち)となる甘温(あまくうん)。脾胃(ひゐ)を補(おぎな)ふに
益(ゑき)あり内(うち)を和(くは)す病人(びやうにん)に構(かまは)ず
百舌鳥(もず)。少苦平(すこしにがくへい)。小児魃病(せうにおくみじけ)に吉(よし)又舌廻(またしたまは)り兼発云(かねものいは)せざるに益有(ゑきあり)
藻魚(もうを)。甘平(あまくへい)。効(かうあ)なく毒(どく)なく病人(びやうにん)に苦(くる)しからず
せ 鶺鴒(せきれい)。甘冷陽(あまくれいやう)を介精(たすけせい)を益(ます)故(ゆへ)陰事(いんじ)を起(おこ)す
す 酢(す)。数品(すひん)を以(もつ)て是(これ)を造(つく)る下品(げひん)ハ悪物寄(あしきものよせ)て造(つくる)が故(ゆへ)
効(かう)なくして毒有(どくある)中品(ちうひん)ハ柚酢(ゆず)と云(いふ)て色々(いろ〱)酸(す)き実(み)を以(もつ)て
造(つく)る法(ほう)あり至(いたつ)て酸(す)く味(あぢは)ひ宜敷(よろしく)然(しかれ)ども癇気(かんき)を呼出(よびだ)す
が故(ゆへ)病人(びやうにん)にハ無用上品(むやうじやうひん)ハ善(よ)き米(こめ)を以(もつ)て造(つく)り上(あげ)る其(その)

古(ふる)きを吉(よし)とす病人(びやうにん)に構(かま)ハず又諸毒(またしよどく)を消(け)し諸痛(しよつう)を治(ぢ)す。
右之通証(みぎのとをりしる)すと雖(いへども)。症分(しやうぶん)に応(おう)じ十人に壱人/違(ちが)ふ事(こと)あり。其(その)
時(とき)ハ医師(いし)に問(と)ふて吉(よし)。併(しかし)智之浅(ちのあさ)き医(い)ハ。飲食(いんしよく)に不構(かまはず)。依之(これによつて)
急難来(きうなんきた)る事有(ことあり)。又臆病(またおくびやう)なる医(い)ハ。諸物(しよぶつ)を留(とめ)る故(ゆへ)。返(かへ)ツて
元気(げんき)を失(うしな)ひ。薬力廻(やくりきまは)らず。物忘多(ものわすれおゝ)き医(い)ハ。跡(あと)にて思(おも)ひ出(だ)し
後悔仕(こうくはいす)る事(こと)あり。扨々(さて〱)身業(みわざ)にあらねど。能勘弁致(よくかんべんいた)せバ。余(あま)り
可好渡世(このむべきとせい)にあらず。乍去(さりながら)智恵(ちゑ)あらバ。人(ひと)の苦(くるしみ)を介(たすけ)る故官(ゆへくわん)にも
早(はや)く昇(のぼ)り。何程(なにほど)貴人(きにん)にても間近(まぢか)く寄(よ)り。結構成家業(けつこうなるかぎやう)なり。
故(かるがゆへ)に猶(なを)六(むつ)ヶ敷(しく)智(ち)の薄(うす)き人(ひと)ハ慎(つゝしむ)べし。人(ひと)を損(そん)するか重病(ちうびやう)と
致(いた)す事(こと)あり。扨又(さてまた)外(ほか)にも善飲食(よきいんしよく)あれ共。一方(いつほう)に悪敷事(あしきこと)
有(あり)。且又諸薬(かつまたしよやく)の妨(さまたげ)と成事有(なることあり)。惣(そう)じて食物(しよくもつ)ハ百/余品有故(よしなあるゆへ)


惣(そう)じて施本紙数五百(せほんかみごひやく)五十/枚(まいの)文句(もんく)無学無筆(むがくむひつ)の拙者(せつしや)なれ共
一字一点相談人(いちじいつてんそうだんにん)又ハ他作抔頼(たさくなどたのむ)やふ成不妙徳(なるふめうとく)にあらず只(たゞ)
愚案(ぐあん)而巳故(のみゆへ)行届(ゆきとゞき)がたし此段(このだん)御用捨(ごようしや)扨又(さてまた)施(ほどこ)す処(ところ)
一(いつ)ヶ/年(ねん)に凡五拾貫(およそごぢうくわん)目の積(つもり)なるが陰徳(ゐんとく)ハ出來(でき)がたし兎角(とかく)
陽徳(ようとく)に当(あた)る併(しか)し今日迄(こんにちまで)主家(しゆか)へ助力(ぢよりき)を不頼(たのまづ)親(おや)之/家督(かとく)
元手(もとで)銀(ぎん)を不頼(たのまづ)親類(しんるい)へ取立(とりたて)を不頼(たのまづ)他人(たにん)へ銀主(ぎんしゆ)を不頼(たのまづ)
諸人(しよにん)へ志(こゝろざし)の品(しな)を不頼(たのまづ)其外旦家(そのほかだんけ)講中(こうぢう)世話人(せわにん)一切不頼(いつさいたのまづ)
たゞ一心(いつしん)自力(じりき)を以(もつて)百万人(ひやくまんにん)へ施(ほどこ)す願心(ぐわんしん)也(なり)
 西三十三ヶ国陰陽道取締御用附
 大坂本町橋詰町久菱垣元達方旅宿
   一法師法眼菱垣元道橘義陳

 予(よ)が事を
   いろ〳〵云(い)ふは
  まけおしみ
    百分一(ひやくぶんいち)?
   まねをしてみ也

右必自慢(みぎかならずじまん)にてハ無御座(ござなく)候/我心(わがこゝろ)の乱(みだ)れざるやう張(はり)を付(つけ)おゐて
▢▢気▢▢▢候ハゞ御/互(たがい)に宜敷(よろしき)かと愚案(ぐあん)の浅(あさ)き所より証(しる)す而巳(のみ)

人間一心覗替繰

{

"none":

"居家養生記"

]

}

《割書:増|補》居家養生記

【右頁】
【蔵書ラベル 医学部 和 備 042112001736142 九州大学蔵書】

【左頁】
【蔵書印 九州帝国大学医学部 附属医院 図書之印】
【蔵書印 泌尿器科 和書 2394 号】
居家保養記序
それ聖人は未病を治すると
いへる事は人おほく是を
知れとも其未病を治する
の旨を知る人すくなし
誠に□【聖ヵ】人に□□□るより
以下は其旨に達せさるは
むへなれと其旨をしらま
ほしきとたに志さゝるは尤
怠れりとすべししかある
より天□【命ヵ】を保たさる人

【右頁】

世に多し三宅氏これをふ
かく嘆きて保養記一巻
をあらはす其書既に成て
梓【梓は版木のこと】にちりはむるころほひ書林
の某これに序せよと強に
すゝめ侍るよりいなみかたくて
其趣を短き筆にしるし
侍りぬ

【左頁】
日本居家秘用巻九目録

 ◯養生
此部には人の/常(つね)に養生(ようじやう)する
心得(こころゑ)を惣論(そうろん)よりはじめて気
を養(やしな)ひ情欲(じやうよく)をつゝしみ飲食(いんしよく)
を節(ほど)よくするの心得までを
《振り仮名:ヶ条|かでう》をわけてくはしく記(しる)す

【養生の振り仮名が「やうじやう」でなく「ようじやう」なのは原文ママ】

 ◯防病
此部も則(すなはち)養生(ようじやう)の事なり
もつはら平生(へいぜい)の養生によ
りて病(やまひ)をふせぐ心得又病
のおこらんとする時養生の
しやう養生の為に薬を

【右頁】
用(もち)ゆると用ひざるとの心得ま
でをくはしくしるす

【左頁】
  ◯養生
総論【「総論」は四角形で囲われている】それ人の生(せい)あるや天(てん)よ
り授(さづ)け給へる命分(めいぶん)ありよ
くその生(せい)を養(やしな)ふ道(みち)にかなへ
ば命分(めいぶん)を尽(つく)して長命(ちやうめい)なり
養生(ようじやう)の道にたがへは命分を
尽(つく)さずして短命(たんめい)なりおよそ
人養生の道にたがへるは情(じやう)
欲(よく)にひかれ飲食(いんしよく)の味(あじはひ)におぼ
れ動作(どうさ)よろしきを失(うしな)ふが

【右頁】
/故(ゆへ)なりよく/養生(ようじやう)を/尽(つく)して
/短命(たんめい)ならざらん事を/思(おも)はゞ
/欲(よく)を/寡(すくなふ)して/閑思雑慮(かんしざつりよ)なく
/胸中洒洛(けうちうさらく)といさぎよくし
/男女(なんによ)の欲をうすくし/飲食(いんしよく)
を/節(せつ)にし/動作(どうさ)よろしきに
かなふべし人の此/身(み)あるは
天の/賜(たまもの)父母の/遺体(ゆいたい)にして/子(し)
/孫(そん)にその/蹟(あと)を/残(のこ)すもの也
/自(みつから)みだりにしてそこなふべき
ものにはあらす人/畧(ほゞ)これを

【左頁】
しれるも一時の/欲(よく)にひかれ
て天/年(ねん)を/失(うしな)ふはおろかなら
ずや/誰(たれ)かは/寿命(じゆめう)をねがは
ざらん/長生(ちゃうせい)をねがへるの心
にしてその道に/戻(もと)れるは
/迷(まど)へるの甚なり思ふへきに
こそ
▲すべて人は/天命(てんめい)ある事を
/知(しる)へし/夭寿貧福(ようじゆひんふく)みな天
命の/定(さだま)れる分あり/貧賤(ひんせん)
/富貴(ふうき)ともにその/命分(めいぶん)に/安(やすん)

【右頁】
ずへし天命 一定(いつてい)ならずと
いへども天は万物(はんぶつ)を生々(せい〳〵)する
を心とし給へば大かたは寿(いのちなが)かる
べきものなり人の夭死(▢▢し)【左ルビ:わかしに】す
るは天命(てんめい)にそむく故なり
しかれば富貴(ふうき)を得(ゑ)たる人は
わが富貴なるは人をあはれ
み助(たす)けしめん為(ため)に天より授(さづ)
け給へるを思ひて己(おのれ)を約(つゞまやか)にし
て驕(おご)らす分限(ふんげん)にしたがひて
人をめぐむを楽しむときは

【左頁】
心こころよくしておのづから養生
の道にかなひ天の助(たすけ)ありて
寿(いのちなが)かるべし又貧賤(ひんせん)にある人
もわが命分(めいぶん)に安(やすん)じ外をう
らやみて得(ゑ)がたき富貴(ふうき)をねが
ふ心なき時は心 常(つね)にゆたか
にして楽(たの)しみおほくおのづから
長命なるべし富貴なり
とも一己(いつこ)の欲(よく)にふけり天命(てんめい)
を知(しら)ずして恣(ほしいまゝ)なる時は得たる
富貴を失(うしな)ふのみにあらず養

【右頁】
生の道にもそむきて/夭(いのちみじか)かる
べし/貧賤(ひんせん)なりともわか/業(ぎやう)【かすれていて難読。「げふ」が正しい仮名遣いだが、一文字目が「ぎ」のように見える】
をよくつとむる時は天より/飢(うへ)
しめ給ふものにはあらず/富(ふう)
/貴(き)貧賤ともに天命の/限(かぎり)
此世に/住(すみ)はつるまでの事に
して富貴もうらやむべき
ものにはあらす貧賤なり
とていとふべきものにはあら
ず富貴貧賤にかゝはらす天命
を/楽(たの)しむときは/楽(たのしみ)おほく/寿(いのちなが)か

【左頁】
るべし富貴貧賤にかゝはるは
/智者(ちしや)の心にあらずといへり古歌に
〽数ならぬ/身(み)を/何(なに)ゆへになげきけん
とてもかくても/過(すご)しける世を
【新古今和歌集巻十八の1834番かと思われるが、そこでは「うらみけん」である】
〽心ある人のみ秋の月を見ば
うき身は何を思ひ出にせん
【新古今和歌集巻十六の1541番かと思われるが、そこでは「何をうき身の」の語順になっている】

養気【「養気」は四角で囲まれている】人すでに/肉親(にくしん)あれば
/飲食(ゐんしよく)【他のページでは正しく「いんしよく」の振り仮名がついているが、ここでは「ゐんしよく」となっている】を以この/身(み)を/養(やしな)ふ/然(しか)
れども養生の道は/気(き)を
/養(やしな)ふの第一とすべしよく
/飲食(ゐんしよく)を/節(せつ)にするといへども

{

"ja":

"(長命)養生教草"

]

}

 
 
《題:養生教草》










養生教草    全






  《題:養生教草》











《題:《割書:長|命》養生教草(やうしやうおしえくさ)  全》

【右丁 白紙】 

【左丁】
     江戸          平時倚撰
明君良相(めいくんりやうしやう)上(かみ)にましませば天運順環(てんうんじゆんくわん)して其徳四海にあふれ
万民(ばんみん)子の如くになづき五日の風十日の雨ときをたがへす豊作
五十一年うちつゞきしに今年天保四年癸巳の八月上旬より
たま〳〵米価 謄踊(とうよう)して都下の困民(こんみん)おほいにまどひさわぎ
たれば忽 宦より御 恵(めぐみ)を給はり御救ひをくだしおかれ諸民
の難渋を助け給ふありがたさは尭舜(げうしゆん)延喜(えむぎ)の御代といへども争(いかで)
かこれに益(ます)ことやあらん然るに身分を弁まへざる族(やから)は豊凶の隔(へだて)も

なく美食を好み奢(おごり)に長し酒楼に酔ひ遊里に耽(ふけ)り舟や駕
にて其日をおくるなどは冥理を知らざるの徒(と)にして天の道にた
がへば行末いかなることやあらん慎(つゝし)むべきことなり五穀は万民の命
国の宝なれども年に豊凶あることは聖(せい)人の御代といへどもいかん
ともすべなし其凶なるにあたりて物こと減(けん)少の考ひもなくうか
〳〵と月日をおくり何ひとつ貯(たくは)へものゝ工夫もめぐらさゞるは古の
大 飢饉(きゝん)のはなしを知らざるがゆゑなるべし其事は余が著【着は誤用】す処
の日毎の心得に農喩の説を引て委(くわ)しく記(しる)したれば心ある人
は見給ふべし大きゝんとなりては人の死(し)生は只米のあるとなきと
によることなれば一粒たり共麤【麁】末にはならぬやうに心がくべきは米


穀なり殊に日本の米は万国にまさりて最上なり其 訳(わけ)は日
本の土地は赤(せき)道を北へ去ること三十度より四十度までにて気
候よく調(とゝの)ひて熱(あつ)からず寒(さむ)からず常に天地の気 正(たゝ)しく最上の上
地なりければ此国の人は正直にして忠孝を重ずる風儀なるゆゑ
其土地をたがやして其人の作出るものは五穀とも皆上品にし
て四海万国に秀(ひいで)たりかゝるめでたき国に生れながらたま〳〵天
地の災に出合凶年にあたり飢饉(きゝん)の為に餓死(がし)せんは口をし
きことにあらずやされば今よりよく〳〵心を用ひて物毎に倹
約をくはへ栄耀(ええう)がましきことを深くもつゝしみ其価にては
貯(たくは)へものを心がくること万代不易の仕法なり又三度の食の

朝は粥を炊(かし)ぎ昼夜は割麦を食すべし事を解(けさ)ざる族(やから)は
麦飯はぶつ〳〵して腹内に入りてこなれわろしなどいへる人あ
り笑ふべきの甚しきなり阿蘭陀(おらんだ)人などは常に米をき
らひて麦のみを食するも是米よりは却て麦のかた人身
をやしなふによければなり米は粘稠(ねんてう)して滞(もた)るゝ気味あれ共
麦は疎通(そつう)にして粘稠の気薄しされば米は糊に煮て用
ふれ共麦は糊にはならず是にて粘(ねばる)と粘らざるとを知るべし
粘る物は人身に害あること枚挙するにいとまあらず其論短
紙の尽処にあらざれは爰に略す今大病人にひね米を粥と
なしてくはするも粘稠の気うすきによりてのことなり然るに


今年たま〳〵米穀払底なればやむことをえず甘藷粥(さつまいもかゆ)を食する
も畢竟は宜きことにあらず芋類は惣【総】てねばりつよき物ゆゑ
渾身(からだ)に害あり何ほど飢(うゑ)をしのげばとて毒になるものを食し
ては益なきことなりさはあれ大 飢饉(きゝん)にもいたらば是非なきことな
れば止ことを得ず食して可なり今のうちは甘藷を食せずとも
外に種々の食物あれば何にても見たて粮(かて)となすべし割麦
をたへず食すれば体の薬にして少も害にならず又折々
は豆腐の糠(から)を交(ま)ぜて食すべしこれも甚薬になりて腗胃(ひい)
を健(すこやか)にして宿酲(しゆくてい)【醒は誤】をさるものなり雪花菜飯(きらずめし)の炊(た)きやう末に
いだす各用ふべきことなり麦を食し糠(から)を製して命をつなぎ

ても其日〳〵の奢(おごり)をはぶかざれは一向に無益のことなり 公より
は莫太(ばくたい)の御慈恵(ごじけい)を蒙(かうふ)り妻子 眷属(けんぞく)を養ひながらおのれ
を初め家内の者にも美食をあたへ物見遊山などに其日を
おくるは以の外の心得ちがひなれはよく〳〵慎むべきことなりお
のれ〳〵か家業を精出し質素倹約(しつそけんやく)を専とするときは
遂に天道のあはれみを蒙り忽米価下落して豊年の春
をむかふること理において疑(うたが)ひなし申さは僅(わづか)のうちの辛抱
なればたとへ麤【麁】食をくらふも天道への御奉公なりとおも
はゞ麤(まづき)【麁】ものも/美(うまく)くへる道理なりきゝんは天災なりといへ共
天地の病ひなれば天より人を苦しませる為にとて凶年


をくだすにあらず天も地も大病は其御身の働(はたら)きもなりがたき
ことゆゑ其 隙(ひま)をうかゞひてあしき気候の邪魔(しやま)をなして耕
作にさまたげすることなれば天地の病御全快に及ぶときは直(ぢき)に
豊年(ほうねん)となりて五穀のたぐひはいふもさらなり何にても食物
自由に出来(でき)ることなれば今の内は天地の御病を御看病申上る
とこゝろえおのれ〳〵が身をつゝしみて麤【麁】食をくらひ奢(おご)りを
はぶき少も早(はや)く御全快を急(いそ)ぐやうにこゝろがくべきことなり
然るに其肝心の主人の大病を見ながら其病気を愈([い]や)さうとは
せず朝飯より食好をしていろ〳〵さま〴〵なる遊びにのみ心
を用ふるなどは人外至極(にんぐわいしごく)の振舞(ふるまひ)なりとおもふべきことなりさ

ういふ族(やから)は凶年の苦(くる)しみを遁(のがれ)豊年にむかふころは世中(よのなか)はゆた
かなれ共巳は却て苦しみかさなりて人 交(まじは)りもできずあげく
のはてには食毒(しよくとく)滞(とゞこふ)りて種々の病を発(はつ)しかゝらぬ【注】体になる
者我たび〳〵見 受(うけ)たり総【惣】じて年の豊凶にかぎらず中人以
下の人平日美食にふけるときは身(しん)上 破滅(はめつ)の基(もと)いたること
疑ひなしましていはんや凶年にも其こゝろえなくいつも正
月の積りにてうか〳〵と暮(くら)すときは災(わさはひ)たちまち足元よりお
こりて跡へも先へもゆかぬことゆゑよく〳〵此処に心を用ひて質(しつ)
素(そ)第一に暮すべきことなり然るを口 功者(こうしや)の人のいへるをきく
に飢饉(きゝん)は世間(せけん)一 統(とう)のことなればうゑて死ぬときは我ひとりに


あらず億万(おくまん)人と共に命をすつることなれば格別(かくべつ)麤(そ)【麁】食(じき)をす
るにはおよばす矢張くひつけたる物にて其日おくりとなすべ
しなどゝいへる人あり誠に/冥理(めうり)をしらぬ心えなればかゝる人
とはともに論(ろん)ずべからず己(おのれ)がこゝろにあてゝ不見識(ふけんしき)なる了簡(れうけん)
抱腹絶倒(はうふくぜつたう)笑(わら)ふにたへたり僅(わづか)の間の食物(くひもの)の辛抱(しんばう)さへできぬく
らひにては何ごとにかゝりても切磋(せつさ)の功をつむことなりがたけれ
ばこと成就すること決してなし嗚呼(あゝ)なげかはしきことにあら
ずや田舎にて農業をする作人(さくにん)は朝から晩まで土まぶれ
になりて働(はたら)けども三度の食事は麦飯(むぎめし)に玉味噌より外の
物を食することなくたま〳〵魚類をくへばとて干物(ひもの)か塩物(しほもの)

【注 「かゝらぬ体」の意が通ぜず。「かこはぬ(害から守ってやれない)体」か。】





にて其外は下魚にかぎるべし中々おほ江戸の食物とは同
日の論にあらずさればとて百姓の専門(せんもん)なれば其たび〳〵
に麤【麁】食ともおもふまじ彼(かれ)を思ひ是(これ)を考(かんが)ふると我は今
僅のうち麦(むぎ)を食し芋(いも)を喰(く)へばとて何程(なにほど)の難儀(なんぎ)のこと
あらんや倹約(けんやく)を守り麤【麁】食をするは命をつなぐ手あ
てなりと思はら【ママ】少しもえゝうがましきことは出来(でき)ぬ筈(はず)
なり年の豊凶(ほうきやう)によりては米穀(べいこく)の上(あが)り下(さが)りはこれ迄も
度々ありしことなれ共五十年来 今年(ことし)ほどのことは
初めてなれば今までの豊年の恩(おん)を謝(しや)する《割書:と》おもひ
成丈(なりたけ)粮(かて)めしを食し米をくひのばすやうに心がくること


上への御奉公なりと各こゝろがくべきことなりさてまた
大昔より米穀上り下りの相場を記して諸人に志
しむるも何かのこゝろえになることもあらんかと思へばおのれ
が見あたりたることを摘(つま)みて爰にいだす顯ー宗天皇二
年冬十月戊午 ̄ノ朔癸亥宴 ̄ス_二群臣 ̄ヲ_一是 ̄ノ時天下平 ̄ニ民無_一
傜役_一歳 比(しきりに)登稔(みのりて)百姓 殷富(さかんにとみ)稲-一-斛 ̄ニ銀銭一文とあ[り]
又続日本紀に 元明天皇和-銅四年銭一文に米数
六升とあり又三代実録に 清和天皇貞-観八年二
月大政官処分 ̄シ定 ̄ム左右京白米一升 ̄ノ/直(あたひ)銭四十文前
廿六文今加 ̄フ_二 十四文 ̄ヲ_一黒米三十文前 ̄ハ十八文今加 ̄フ_二 十

二文 ̄ヲ_一是 ̄ノ歳穀価謄踊 ̄ス東西 ̄ノ津頭白米一斛七貫二百[文]
黒米四貫百文由 ̄テ_レ是 ̄ニ増 ̄ス定 ̄ス_二京邑 ̄ノ沽価 ̄ヲ_一とあり又百練抄
後堀河天皇寛喜二年六月二十四日甲申定 ̄ム_二米価 ̄ヲ_一斛
銭一貫文とあり又大平記に元享元年夏大 ̄ニ/旱(ひでりす)此 ̄ノ年
銭三百文を以 ̄テ粟一斗を買とあり又重編応仁記に弘治
三年五月廿三日より八月九日まで天下大 ̄ニ/旱魃(かんばつ)今年
金一両を以 ̄テ米五斗を交易□【「す」ヵ】前代未聞のことと記せり
又秋斎間語に室町殿日記を引□文あり曰御 房衆(つぼねしう)
半下衆(はしたしう)切米拾二石売払可_レ申由被 ̄レ_二仰越_一候此頃兵
庫の売買壱石に六匁三分五分の由須-伊田屋新左


衛門申候御心得可_レ有_レ之候との文にて是は天文九年の
ことなり又続草-廬雜-談を見れば古田兵部の米を売(うり)
て請取を書しに十文目 ̄ニ付一石/替(がへ)なりとの文にて是は慶
長四年卯 ̄ノ月十五日兵部判とあり又大平記の評を見
れば楠の米を買(かひ)山門に寄附(きふ)し軍餉(ぐんきやう)にも備(そな)ふ米一千二百
余石を黄金百両にて買得られたることを記せり又唐書に
玄-宗の開-元二十八年の冬米一斛に直(あたひ)三銭とあり又貞-
観政要を見れば太宗の貞-観三年の文に逐(おつて)_レ年 ̄ヲ弥豊 ̄ニ以_二【一点は誤】
三四銭 ̄ヲ_一買 ̄フ_二米一斗 ̄ヲ_一と見えたり又三代実録に官米を出して
民の貧苦を救給ふことを載(のせ)たり貞-観九-年-四-月辛-卯

東-西始 ̄テ置 ̄テ_二常生所 ̄ノ_レ出 ̄ス官米 ̄ヲ_一而/糶(うらしむ)_レ之 ̄ヲ米一升の直(あたひ)新-銭
八-文京-邑-之-人来 ̄リ買 ̄フ者如 ̄シ_レ雲 ̄ノ是 ̄ノ時穀-価謄-躍 ̄ノ内-外飢-饉
す米一斛の直(あたひ)新-銭一-千四-百由 ̄テ_レ是 ̄ニ官 糶(うらしめ)て以救 ̄フ_二俗弊 ̄ヲ_一焉
とあり〇米相場あがりさがり昔もかくの如く是もたび〳〵
あることなれば珍らしくもなきことゆゑ昔より記してはおか
ず年の豊凶によりてはいつもかくあることなりこたびの米
相場も四五十年このかたのことなるべければ少の間の辛(しん)
抱(ばう)をこゝろがけ物ごと質素(しつそ)に倹約(けんやく)第一にして家業出
情するときは遂には天地の病も平愈して豊年の長つ
づくこと疑ひなしと知り給ふべし


保寿散《割書:和方》此薬方はいづれの書にいづるや又何人の
 製なるかはしらねど年久しく余(よ)が家に伝へ来りて
 大に効を奉する名方なり脾胃(ひゐ)虚弱(きよじやく)の人又は老人
 不寐(ふび)の病 深夜(しんや)に及びて小便しげくたび〳〵眼さむる
 など大に効あり元これくすりとはいへども常に製(せい)
 おきて三度の食毎に服用するときは年中の悪癘(あくれい)
 をさり食毒を解(げ)し面(かほ)に光沢(つや)を生じて長寿を保(たも)つこと
 奇中 ̄ノ奇なり
 黒胡麻《割書:二合》  橙皮【左ルビ:ダイ〳〵ノカハ】  麻仁【左ルビ:アサノミ】《割書:各四匁》  胡椒《割書き:ニ匁》
 右五味黒胡麻.麻仁.の二味を炒りてすりばちにて

 よく〳〵すり塩をよきほど入れてすりあげたる中へ陳
 皮.橙皮.胡椒.の細末を交ぜてふた物に貯へおき三度
 の食事のたび毎に湯茶をのむとき二箸づヽ用ふべし
 胃(ゐ)中の酸敗液(さんはいゑき)【左ルビ:クサレミツ】をかり気血をめぐらし眼目を明にし
 大小便を順利し飢渇(きかつ)をたすけ寿(ことぶき)を長くするの霊(れい)
 薬(やく)也
銀鶏云此方の効能(かうのう)伝書(でんしよ)のまゝを記せり中にも寿命(じゆめう)を
長くするといへるはいとたはれたるやうなれ共方中の黒
胡麻実に寿を保つの奇薬なること我たび〳〵/見聞(けんもん)する
処なり文化年中にやありけん朔山とかいへる老翁書を


以て世に行なはれしが百八歳になれるよし其年 認(したゝ)め
し扇子我今に所持(しよじ)せり其翁のいへるに幼(よう)年のころより
父の教(をしへ)なりとて黒胡麻を一日もたやさず用ふるよし其
ゆゑにやかく寿命を保(たも)てりと噺(はな)しゝが其一類四五人も
みなこと〴〵く長寿のよしなり又 己(おのれ)先年日光へ遊歴(いうれき)せ
しとき宇津の宮にて一人の老人と道づれになりしが白
髪(はつ)雪をいたゞきながら面色(かほ)の光沢(つや)若(じやく)年の人に同じく
歩行(ほかう)の早きこと飛脚のやうにおもはれければおのれ其 壮(すこ)
健(やか)なるを賛(ほめ)つヽ跡になり先になり歩(あゆ)みしに老人のいへるに
見れは御身は弱人(わろき)なり我法を用ひ給はヾ年たけてもか

く丈夫になるべし我は今年九十八になれるが今にても
八九里の道はさしたる苦労(くらう)にもおぼえずまた暑寒に
をかさるゝこともかつてなし妻子 眷属(けんぞく)も我に同じく大丈
夫にありしが此夏弟なるものを脚気にて先だてし也
とはなしけるが其言語相対いと約(つゞまやか)にして中々老人の
物語とはおもはれず扨其 健(すこやか)になる法はいかなる術にやと
問ひしに老人 苦笑(にがわら)ひしていへるは我このことを問はるゝ人に
はなせ共聞たるのみにて用ふる人 稀(まれ)なり別のことにては
なしいたつて手軽きことなれば人にも教へおん身も用ひて
試み給ふべし黒胡麻を一日に六㦮目づゝ炒(い)りて土瓶(とびん)にて


煎(せん)じ茶にかへて用ふるまでなり其煎じ糟(かす)は夜にいたら
ば飯にまぶりて食すべし此外に術なしとさも手短(てみじか)に
かたられしが其頃はおのれも弱(じやく)年のころなれば只きゝ
たるまゝにて人にもはなさず忘れし同やうにてうち
過(すぎ)しが夫より年月を歴(へ)て黒胡麻の人身に益(えき)ある
ことをしば〳〵経験(けいけん)せりさればこたび米穀 払底(ふつてい)にてい
ろ〳〵なる麤(そ)【麁】食(じき)を粮(かて)とするをりなれば今此方を製し
て日(ひゞ)に少しづヽ用ひなば胃中の粘液(ねんえき)をさり膓を寛(ゆる)ふ
し血脈(けつみやく)を和(くわ)し飢渇(きかつ)を助くるの手当ともなるべし先
寿命の論はしばらくおいて一向(いつかう)に無造作(むぞうさ)の方なれば

各製しおきて試み給ふべし常に心下 痞鞭【左ルビ:つかへる】する人
又は眼目かすむ人などは別して効ありこれ年来試み
る処なれば爰に記す製法は胡麻塩同前のことなれ
ば何にてもむずかしきことなし兔にも角にも黒胡麻
の人身に益あることを深くおもふべし余年来の経験(けいけん)を
記したる胡麻考あり刻近(こくちか)きにあれば発兌の時を待(ま)
ちて見給ふべし
因(ちなみ)にいふ後漢(ごかん)の明帝永平のころ揚州の剡県(せんけん)といふと
ころに劉晨(りうしん)阮肇(げんてう)とて二人の者ありけり常に山に入り
て薬をとり市に鬻(ひさき)て産業(なりはひ)とす或日両人相 伴(とも)なひ


台州府(たいしうふ)天台山(てんたいさん)に登(のぼり)て薬を採(とり)り【衍】しに忽(たちまち)道をうしなひ
て山 深(ふか)く迷(まよ)ひいりけるゆゑ稍(やゝ)携(たづさ)へし粮(かて)もつき飢渇(うゑ)に
たへかね路(みち)のほとりに有(あり)し桃実(もゝのみ)をとりて食したるに
しばらくは飢(うゑ)をも忘れ身も健(すこやか)になりしまゝ㵎(たに)に下(くだ)り流(ながれ)
にのぞみて水を掬(きく)し渇(かつ)をうるほし手 洗(あら)ひ口そゝぎな
どしてたゝずみける処に水上(みなかみ)より一ツの椀(わん)流(なが)れ来(きた)りし
かば二人あやしみつゝ取上(とりあげ)見(み)れば椀(わん)のうちに黒 胡麻飯(ごまめし)の
ひつきたるありさては此みなかみにこそ人家もあれとよ
ろこびて水(みづ)に傍(そ)ひて尋(たつね)けるほどに幽(かすか)なる渓谷(たにあひ)にいで
たりかゝる処に其(その)さまいとあてやかなる女(おんな)に二人 忽然(こつせん)と

あらはれやをら立(たち)おりて二人を招(まね)き旧(もと)より知(し)れる人
の如く其 姓名(せいめい)を通じおん身(み)たち此(こゝ)に来(き)たること何ゆゑ
おそかりしといひつゝいざわが住家(すみか)へとて伴(とも)なひゆく
ほどにふたりは不思儀(ふしぎ)に思ひながらあとべにしたがひゆき
見(み)るにこがねに玉にちりばめたる高館あり侍女(じじよ)あまた
出(い)でむかへ七宝(しつぱう)の床(ゆか)を設(まう)けて両人を安坐(あぐら)につかしめ
内外(うちど)都(すべ)て女子のみにてをのこさらに一人もなし須臾(しばし)
有(あり)て胡麻飯(ごまめし)をいだして饗(もてな)しけるに其味ひ甚 美(び)に
して世のつねの物にあらず先(さき)の両女 衣服(いふく)を新(あらた)に粧(よそ)ひ
てたちいで瑪瑙(めなう)のさかづきを巡(めぐら)し流霞(りうか)の酒を酌(くみ)み【衍】


かはして遂(つひ)に阮肇(げんてう)劉晨(りうしん)と夫婦(めうと)の契(ちぎり)をぞなしにける
二人の者も奇異(きい)の思ひをなして留(とゞま)ること十五日二人
しきりに家路(いへぢ)にかへらんことを臨(のぞ)みけるゆゑ仙女もせんす
へなく音楽(おんがく)歌吹(かすゐ)をなして送(おく)りかへし且 帰路(きろ)を委(くは)
しく教(をし)へて洞口(ほらくち)をいだしぬれは遠からずして本道(ほんどう)
を求(もと)めえて行程(ゆくほど)もなく已(すで)に故郷(こきやう)にかへりぬれども
相識(あいしれ)るものたへてなし其家門をたづぬるに郷里(むら)の人
大にあやしみていへるは劉晨(りうしん)阮肇(げんてう)といへる人は昔山に入
りて薬をとるとて其まゝ行方(ゆきかた)しれずときけりそは
我らが先祖(とほつおや)にして七代先(なゝよさき)のこととかやいへるに二人はいま

さら驚(おとろ)きてまた仙窟(せんくつ)にかへらんとすれども遂(つひに)その
道(みち)を得(え)ずして其あたりを尋ねめぐりしが両人ともに
行かた知れずなりしとなん
銀鶏云此物語はいとたはれたることにて証(あかし)とするにはたら
ねど我朝 浦島(うらしま)の古事(こじ)にも能(よく)似(に)たり又胡麻を食し
て長寿するといへることは唐土(から)にてもあることを見えた
りかゝるはなしも書籍(しよぢやく)に載(のせ)たれば絶(たえ)て其 理(り)なしと
はいはれまじ論より証拠(しようこ)といふ諺(ことわざ)もいやといはれぬ
ことにして胡麻を常に食して長寿を保ち安健(あんけん)無(ぶ)
事(じ)に世を送(おく)りし人我近く実見(しつけん)する処にして其 数(かず)


挙(あげ)てかぞへがたし一日或医に此説を解(と)きしに鼻先(はなさき)にて
あひしらひきゝだにせぬ風情(ふぜい)なれば其 侭(まゝ)口を閉(とぢ)ていはず
胡麻の効のうは年来 試(こゝろみ)たるうへにてかく記せることなれば
聊(いさゝか)も浮(うき)たることにはあらず近来 西洋学(らんがく)ひらけておのれが
如き庸医(ようい)も眠(ねふり)をさまし其徳を仰(あふ)げど実地(じつち)を踏(ふま)ざる
ことは我 是(これ)をとらずたとへば唐流(からりう)の医者其論は鈍(にぶ)しと
いへども薬が的中(てきちゆう)して病が愈(いゆ)ればそれにてよし論は
いかにもおもしろけれ共病が治(ぢ)せざれば医者(いしや)の医者
たる所以(ゆゑん)にあらず今 君父(くんふ)の仇(あだ)【注】を報(はう)ぜんとするに立派(りつぱ)
に名乗(なのり)あひて勝負(せうぶ)するには及ばす譬(たとひ)寐首(ねくび)をかきて

【注 濁点の付記の誤】

も仇(かたき)をうてばそれにてよし彼是(かれこれ)いふうちかたきに逃(にげ)ら
れては何にもならず所謂(いはゆる)百日の説法(せつほう)屁(へ)一ツとはこれ
らのたぐひをいふなるべし昔より我朝に鏡(かゞみ)とする処の
曽我兄弟(そがきやうだい)も工藤(くどう)の居間(いま)へふみこみ見るに前後もしら
ずの髙いびき兄弟かほ見合てにつことわらひ今これを
うつは寝鳥(ねとり)をとるにひとしとてたがひに姓名(せいめい)を名のり
祐経(すけつね)の枕(まくら)を足をもてはたと蹴上(けあげ)ければ左衛門祐経
おどろきむつくとおき枕刀(まくらかたな)をとらんとするところを兄弟
すかさず切(き)りこみ遂に父の仇(あだ)をうちとりしかども是 祐(すけ)
経(つね)と名のりあひて立派(りつぱ)にたゝかひたるにはあらず又元


禄年中 主君(しゆくん)の仇(あだ)を報(はう)ぜし何某も実は我ひとりにて
仇をさし殺し其上にて一味の者どもを引入れしと
きけりこれみな君父(くんぷ)の仇をうちたる英勇(ゑいゆう)忠臣(ちうしん)かくの
如しされば医(い)を業(ぎやう)とするもの何程 医論(いろん)にたけたり
とも薬がきかず病が愈(なほ)らざれば一向に其 詮(せん)なし君
父の仇はかたきをうてばそれにてよし医者も病が愈(なほ)
ればそれにてよしされば余がいふ処の胡麻の論も其理
にあたるかあたらぬかはしらねど今日まで人毎に喩(ため)し
試むるに其益甚大なれば深く論ずるにおよばず是
則 実地(じつち)の論なり心ある人 等(ら)は製しおきて日毎(ひごと)に

用ひおのれが言(ことば)の偽(いつはり)なきを試(ため)し見給はゞこよなき幸(さいは)
ひにしていとよろこばしきことなりさて又保寿散方
中に用ふる処の橙皮【左ルビ:ダイ〳〵ノカワ】唐流(からりう)にては疝気の薬に用ふるの外
格別の沙汰(さた)もなけれど西洋(おらんだ)にては此くすりの効能おび
たゝしきことなりされば短紙のつくす処にあらざるゆゑ
爰(こゝ)に略す
護命丸 此方は友人岡田 何某(なにがし)の伝方にして飢渇(きかつ)
 を救(すく)ふの奇薬(きやく)ときけるゆゑ爰にいだして諸人に諭
 すさはあれ余いまだ試みざればしばらく後の経験
 を俟(まつ)のみ


 道明寺《割書:一斤|》 黄精《割書:一斤》 氷砂糖《割書:二十|五匁》 人参《割書:三両》
 楮実  茯苓  麦門冬  枸杞  禹餘量《割書:各五|両目》
 右九味細末として雞子大(たまごのおほきさ)に丸し一日に三粒ヅヽ白
 湯にて用ふるときは飢渇(うゑ)をしのぐこと奇也と聞(きけ)り
    雪花菜飯(うのはなめし)の炊(たき)やう
雪花菜(きらず)をとりて水気(みづけ)をしぼり飯(めし)の水のひきゞはの処
へばら〳〵にして散(ちら)し塩(しほ)を少いれてしかとふたを
して蒸(むす)べしうつすとき杓子(しやくし)にてかきまぜて飯(お)
桶(はち)へとるべし分量は米一升に糠(から)五合五勺にて程(ほど)よく食
するとき大根おろしにてくふべし思ひの外 雅(が)なるも

のにて風味宜く粮(かて)となして余程之益なり各心かけ
用ふべきことなり
    蕪飯(かぶめし)の炊(たき)やう
蕪(かぶ)を細(こま)かにきざみて塩(しほ)水にて洗(あら)ひ米一升の中へ五合
計もいれ又外に味噌豆二合いれて米と交(まぜ)合して炊
くべし水加減は常の通りにてよし蕪より水いづれば程(ほど)
よく豆も煮(にえ)るものなり此法は上州 伊香保(いかほ)の人の伝に
して至極(しごく)風味もよくくひよき飯也なるべくは豆は宵(よひ)よ
り水に浸(ひた)しておくかたよし
    沙羅沙飯(さらさめし)の炊(たき)やう


大根の葉を細かにきざみ塩にて能(よく)々 揉飯(もみめし)の水の
ひきゞはへちらすべし米一升 割麦(わりむぎ)五合大根葉四合
の分量なり干葉飯.大根飯.芋飯.なども粮(かて)とする
には此分量にて炊べし釜よりうつすときよく〳〵交(まぜ)
ざれば食(くひ)にくし
    粟飯(あはめし)の炊(たき)やう
粟をよく〳〵とぎて二日程も水に漬(つけ)おき米一升 割麦(わりむぎ)一
升粟一升三色同分量にて能々まぜあはせてたくべ
し殊(こと)の外ふえるものなり水加減常の如くにてよし
    啇陸(やまごばう)を植(うへ)べき事

田舎(ゐなか)へたのみて山 牛房(ごぼう)の根をとりよせ庭(には)へうゑおくべ
し二月ごろより芽(め)をふきてだん〳〵に成長(せいちやう)し夏にいた
れば葉しげりておひかさなる其 時(とき)下葉からつみきり
て汁(しる)の実(み)にすべし用ふるには爪(つめ)にてひきさき塩(しほ)にて
能(よく)々 揉(もみ)水にてさらし用ふべし庖丁(はうちやう)にて切ときはえご
みいでゝ食しがたし葉をとるにもつまみきるべし跡(あと)よ
り忽(たちまち)芽(め)いづるものなり二本もうゑおくときは至つて
重宝(ちやうほう)にて汁(しる)の実(み)にことかくことなし其上水を利す
るの効あれば常に食して至てよし
    空地(あきち)へ植(うへ)おくべき野菜(やさい)の事


裏屋(うらや)にて手ぜまの者は是非(ぜひ)なけれど少しにても空地(あきち)
を持(もち)たる者(もの)は野菜(やさい)をうゝべきことなり款冬(ふき).三葉(みつば).地膚(はゝき).
蘘苛(めうが).独活(うど).蓼(たで).苦菜(ちさ).生姜(せうが)。蕃椒(たうがらし)の類ひはいづかたへま
きても成長するものなれば心を用ひてうゑおくべし
又 蕃椒(とうからし)の葉をひたし物にしたるは甚 美味(びみ)なるものなり
江戸の人は余(あまり)しらねど近在(きんざい)にては折々いだすことあり
    雪花菜(きらす)の貯へやう
豆腐(とうふ)のからは平日 下直(げじき)なるものにていつにてもある物
のやうにこゝろえるは大なるまちがひなり大 飢饉(きゝん)となり
ては豆腐などのくへる訳にはいかぬことゆゑ其こゝろがま

ひにて少しづゝにても貯ふべきことなり日にほして
袋(ふくろ)に入おくべし又寒中に氷らせてたくはふるも
よく上毛の在(ざい)などにては四月ごろより七月ごろ迄
は蚕(かひこ)にて農家殊の外 世話敷(せわしき)時節(じせつ)ゆゑ豆腐をこし
らへるものなどなければ各 雪花菜(から)を日にほして袋
に入れおく所ありおのれ先年草津へ湯治せし時
神山(かみやま)といへる村へ止宿(とまり)けるに六月の頃なりしが味噌の
溜(たまり)を煮(に)えたて水を割(わ)り其中へほしたる雪花菜(から)を
いれ巻藁(まきわら)にさしたか河鹿(かじか)をぬき焼直(やきなほ)してから汁の
内へいれ煑て出しゝが其味はひ中々よき物なりから


をほすには手にて能々しぼり水気(みつけ)をとりてほすべし
左なければ急に干(ひ)あがらぬものなり風のある日は忽に
ひることあり
○巻藁(まきわら)  《割書:江戸にていふ弁慶(べんけい)のことなり田舎にて魚の焼たる|を指おくわらをたばねたるものなりこれをべん》
      《割書:けいといへるは七ツ道具をさすといふよりいひはじめ|たる俗語と見えたり江戸にてはしらぬ人もまたあ|れば図をいだす》

○河鹿(かじか)  《割書:此魚も江戸にては知(し)る人稀なれば図をいだす山川|の流れや石川に住む魚なり上州辺の川には所々住め》
      《割書:り形は魦魚(はぜ)ににて味ひははぜにまされり取立(とりたて)を魚田(ぎよでん)|にするときは鰻(うなぎ)にひとしく至て美味なりさて河鹿|は水中にこゑあることを前々より論ぜりいとおもしろき|ことにてなくとなかぬの論/紛(ふん)々として今にわからず|余前に議論あれ共短紙につくしがたくまた此書に》

     《割書:あづからぬことなれば略す西行 更紗(さら▢▢)【「しな)】に住けるときよめる|哥とて「山川に汐のみちひはしられけり秋かぜさむく》
     《割書:河鹿(かじか)なくなり」又 建礼(けんれい)門院の御詠とて「山川に小石|流るゝころ〳〵と河鹿なくなる谷の落合」などよめる哥》
     《割書:もあり又連歌の季寄温古日録には杜父魚(とふきよ)カジカと|記し貝原翁大和本草にも杜父魚の条に河鹿として》
     《割書:古歌にもよめりと記せり 上州甘楽郡なる一ノ宮の手前|           に鎬川といへる石川あり河鹿夥しく》
            《割書:住めり土人これをとりて市にひさ|きなりはひとせり大さ五寸ぐらひを》
  主 番       《割書:頭(かしら)として其余はみな二三寸耳に過きず|あたまに石ありて食するとき口中》
  女 史       《割書:にさゝゆこは瀬のはやき流れに住ゆゑ|其おし流されんをいとひて各石をく》
   立香       《割書:はへ居るといへり》

【裏表紙 書き込み】
本編養生論説所解釈而
如予寓

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"ja":

"竹斎療治之評判

]

}














竹斎療治之評判(ちくさいりやうぢのひようばん)上
それ/理(里)に二川なけれは人の心唐(こゝろから)も大和(やまと)も同(おな)
じ事爰(ことこゝ)に/藪(やぶ)ぐすし竹斎本(ちくさい不ん)とて草紙有(さうしあり)
是(これ)越とりてみれば京(きやう)より東(あつま)へ下(くだ)る紀行(きかう)なり
或(あるひ)は道(みち)すからの名所(めい志よ)〳〵或(あるひ)は堂寺社(だうてらやしろ)などにて
發句(ほつく)をしまたは狂歌(きやうか)をよみて誠(まこと)にはな
しの/種(たね)ともなるへき草子(さうし)也さても尾張(おはり)の国(く尓)
に/逗留(とうりう)して医術(いじゆ川)をおこなはれし療治(りやうぢ)の品(しな)々
を見るに堂く尋常(よのつね)の人とは見へずされは竹斎(ちくさい)と
いふ名(な)のありての事(こと)か又(また)は実名(じつみやう)越かくしての事(こと)
かと有増(あらまし)しれる人にたづ年/問(とひ)ぬれはいかにも能(よき)
医者(いしや)にて何(なに)のなにがしと申たる人といふ

かたあり又(また)は学文(かくもん)をもよくととめたる医師(いしや)尓て
療治(りやうぢ)はしかも上手なりしがすこし思ひより
の下心ありて此草子書(このさうしかく)れしと語(かた)る人も有(あり)
それはとまれかくまれもろこしの事を思ひ合
する事あり三山の菁京(しやうけい)といひし人/軒岐救(けんききう)
正論(せいろん)の書(しよ)をあらはしていしやの鏡(かゞみ)又は病人方(びよう尓んかた)
の鏡(かゞみ)を書て唐(もろこし)の医者(いしや)の心ざまのよしあし
或(ある日)は世(よ)わたりのてたてに/見分(みぶん)を控川
とて大/名高家(みやうかうけ)へ出入(いでいり)をなす心底(しんてい)/色(いろ)々の有様(ありさま)
何角(なにか)につゐて十二三いろの/鏡(かゞみ)を書て医者(いしや)
に/段々(だん〳〵)の様子(やうす)ある事をしるしてあしき事
をしかりけり人のあしき事をおほひかくし人


のよき事をはあけて不むるならひなる尓い
かなる事にかくはしかるそといへは昔(むかし)/黄帝(くはうてい)
岐伯(きはく)の道(みち)ある事をしりて其道にそむくとも
がらの事は何(なに)ともおもはぬゆへにしかるといへり
彼(かの)心ざまあしきいしや此鏡によりてみれは我
なりふり善悪黒白(ぜんあくこくびやく)あきらかに見ゆるなれば
そこにて其(その)あしき所をなをす様(やう)にして医(い)
道(だう)の能道(よきみち)へは是々(これ〳〵)此方かよきぞと大/声(こゑ)によば
はりてあしき道へゆく人をよひかへして首(かうべ)
をふりむかするなり先/菁京(しやうけい)はいしやのわづらひ
をなをすといへりそれはなぜになれは医者(いしや)
一人して一代に千万人の病人(びよう尓ん)をなをすにすれ

はいしやのあしきをひとりなをせは病人を千万
人なをしたると同し事也又いしやのあしき
を千万人なをして能(よき)医者にすれば万々人
恒河砂(かうがしや)の病人をなをすと同し事なるゆへ
にいしやの心をなをさんために医者のあ
し起事をさんみやう佐がしてかの鏡(かゞみ)にかき
ちらし多りさて菁京(しやうけい)盤/陽(あらハ)にその人の悪(あく)を
取出(とりいだ)してしかりこの/竹斎(ちくさい)はうらはらにて陰(ひそか)
尓しかる心を内(うち)にふくみてかき外(ほか)は佐々里と
浮世(うきよ)のはなしにかくなり能(よく)も心得(こゝろへ)たる人と見へ
たり右(みぎ)のしやうけいの鏡(かゞみ)又は見聞(みきゝ)たるところ
をもつて竹斎療治(ちくさいりやうぢ)を評(ひよう)する物也とる人は

是(これ)をとれ
尾張名護屋(おはりなごや)にて宿(やと)をとりかんばんをこ
そいだしけれ天下一やぶくすし竹斎(ちくさい)と書(かい)
てそばに一/首(しゆ)能/歌(うた)をかく
  扁鵲(へんじやく)やぎばにもまさる竹斎(ちくさい)を
  しらぬ人こそあはれなりけれ
と書(かき)たりさても〳〵天下一とかくさへ上(うへ)もなき
自慢(じまん)なる事哉(ことかな)と思へばあまさへ扁鵲(へんじやく)や
ぎばにも満さるとは我朝(わりてう)にては天下一/唐土(もろこし)に
ては扁鵲天竺(へんじやてんじく)尓てはきば是等(これら)の人にまさ
るとはおびたゞしき/事(こと)かな/唐土天竺我朝(とうどてんじくわりてう)
にすぐれたる此竹斎(このちくさい)とは申多り〳〵驚入(おとろきいり)


たるなんどくはおろかなる事也/此(この)かんはんの様子(やうす)
を考(かんかふ)るに/能(よく)もかゝれたりとおもほゆるいかに
となればまつ/医者(いしや)をば司命(しめい)といふて人の
二川ともなき一/命(めい)を司(つかさ)どる大事の/役目(やくめ)なれは
いしやのならひみがくべきほどの事をつとめあきら
めもはや是(これ)にては医(い)の/道(みち)にくらき事(こと)もな
く誰(たれ)人にもをとるましきと手前(てまへ)をよく〳〵
つとめかためて罷出(まかりいで)/医師(いし)をは行(おこなふ)はずぞとお
しへいましめたるかんはんのかゝみなるべし扨(さて)
いづれのいしやも誰殿(たれとの)にもをとる/事(こと)にてはな
ひと心には人々/思(おも)ふべけれとも徒とむへき事(こと)を
つとめもせいではいかゞあらんぞさてつとむべき

事(こと)は何(なに)々ぞといふ時(とき)に/孫真人(そんしんじん)といふ人の言(ことば)
に医(い)たる人はかならす甲乙経(かうを川きやう)/素問霊枢明堂(そもんれいすうみやうたう)
流注(るちう)十二/経絡(けいらく)三/部九候(ぶきうこう)五/蔵(ざう)六/府(ふ)/表裏孔穴(ひやうりこうけつ)
本草薬對仲景叔和(ほんざうやくついちうけいしゆくわ)/之(の)/諸部(しよぶ)をそらんし
妙(めう)に五/行陰陽(ぎやうゐんやう)を解(かい)し周易(志うゑき)を/精熟(せいじゆく)し
て医(い)となるべしさなくは無目(むもく)の夜遊(やゆふ)とて目(め)
くらはひるさへ見へぬに/夜(よ)あそびするやう耳
て動(やゝ)もすればたをれ/損(そん)するかごとく物(もの)ことに
ゆきあたりつまる事ばかりなるべしとかゝれ
たりしかるゆへに加類〳〵しくいしやをはならふ
へからすとなり医者(いしや)にならんと思ひ立(たち)ても商(しやう)
量(里やう)とはかり〳〵てそこつに/医(い)を/習(なら)ふるといへ


り/又医者(またいしや)にならん人は質実(しつじつ)にいつはりなくと
いふて生(むま)れつきもうそをつかぬ実躰(じつてい)なる人
尓て陰功(ゐんこう)とて人目(ひとめ)にも見へぬ所(ところ)の慈悲(じひ)の心
ある人にてなくはかならす習(ならふ)べからすとなりよの
つねの事(こと)佐也うそは事に/害(がい)ありてあしき耳
まして命勝負(いのちしやうぶ)の事(こと)にうそなどつきなばいかゞ
よかるべきやたゞし其医者(そのいしや)の心は一はいにて
少(すこし)もうそとは思はねとも本理(不んり)を達(たつ)せぬは是非(ぜひ)もな
しされは我等(われら)の心に/少(すこし)もわだかまりはなきと
いふ人も有へししかしなからそれしやほとにとて
理(り)にちがひなは天道鬼神(てんたうきしん)の大/目(め)にはうそと御覧(ごらん)
有(ある)へし去(さる)によりて通一斎(つういつさい)といふ人の文(ふみ)にも

人を暗々(あん〳〵)の中(うち)に/殺(ころ)すといふて我(われ)もしらず人
も知(志ら)ぬ中に/殺(ころ)す事(こと)なれはつゝしむへき事也
又は一/方(はう)一/論(ろん)を聞(きゝ)て医(い)を/能(よく)すといふ人は欺(あざむ)く
といふ物(もの)也と云(いゝ)たる人も有(あり)とかくつとむべきとの
をしへ也/扁鵲(へんじやく)が垣(かき)の一/方(はう)の人をみるといふて
かべのあなたの人を見/蔵府(さうふ)の内(うち)まで見ぬく
と云(いふ)も目(め)をもちて見るものかは眼(まなこ)を理(り)に
よせて見る也/去(さる)によつて医(い)と云(いふ)は理(り)なり
ともいへりとかく三/國(ごく)への某(それがし)とじまんするほと
に/医道(いだう)をつとめて加ら人の命(いのち)を司(つかさ)ざるい
しやをは行(おこなふ)べしとの事(こと)なるへし是(これ)/医師(いし)
へのをしへのかゞ見なり


右(みぎ)のかんばんをみて道行人(みちゆきひと)そへ筆(ふて)をかく
  扁鵲(へんじやく)やぎば尓もまさる竹斎(ちくさい)を
   釈迦(しやか)耳あはせぐ残(のこ)りお不さよ
とかくのごとく添筆(そへふて)をしたりけり
さそ〳〵此添筆(このそへふて)も奇妙(きめう)也/釈迦(しやか)は天竺(てんぢく)の事(こと)
なれば此竹斎(このちくさい)にあはすへき事(こと)いかゝ時代(じだい)も違(ちが)
ひ所(ところ)も違(ちが)ひておよひもなき事(こと)なれとも願(ねがは)くは
其時分(そのじぶん)に此/竹斎(ちくさい)の居(い)ら連多くは釈迦(しやか)は御(ご)
入滅(にうめつ)もあるましき事と申せはかくいはれまし
き事にもあらす尤(もつとも)の/事(こと)也/倩(つら〳〵)下心(したごゝろ)を案(あんす)る尓
是(これ)は病人方(びようにんがた)へのをしへの鏡(かゞみ)也/煩(わづらふ)人あらば死(し)せ
ぬさきに/能々(よく〳〵)よき医者(いしや)を尋(たつね)まはりてかけ

よ跡(あと)にて悔(くや)まぬ様(やう)尓すへしとの鏡(かゞみ)なるへし菁(しやう)
京(けい)の詞(ことば)にも病家(びようか)には先(まつ)/医(い)をえあらふか専(せん)一也
といへり下手(へた)/医者(いしや)にか気て仕(し)そこなひては
療治(りやうぢ)のならぬやうにむつかしくなる有又一/代(だい)
の持病(ぢびよう)となるも有また直(すぐ)に/死(し)るも有あげ
くのはてに/死(し)してのゝち一/門(もん)一/家(か)あつまり悔事(くやしこと)
多(お不)しそこ〳〵の/何(なに)といふ医者(いしや)にかけ申さん物(もの)
を残多(のこりおほ)やさればの事はやく誰殿(たれどの)に見せたら
ばよからん物(もの)をなどいひて歎(なげく)事ばかり也/是(これ)を申
さん為(ため)のそへ筆(ふで)と聞(きこ)へたり亦世間(またせけん)を見聞(みきく)に
最早我々(もはやわれ〳〵)はこのいしやとのをぎば扁鵲(へんじやく)と存(ぞん)ず
れは此薬(このくすり)にては死(し)するとてももはやくゆる/所(ところ)


なしと思ひきはむる人もおほしそれとても爰(こゝ)
に/珍敷能(めつらしきよき)いしやかありたるものをといはゞ残(のこり)
多(おほく)思ひてくやむにて有(ある)扨々又は病(やまひ)おもく
なりて何(なに)ともすべきやうもなく爰(こゝ)のいしやも
はなしかしこの医者(いしや)もかゝらず何(なに)とかせんと
親類共(しんるいとも)/又(また)ははなす中(なか)/寄合談合(よりあいだんかう)まち〳〵に
してあげくのはてにはおはらひくしをあ気や
れこ禮〳〵の医者/殿(どの)こそおはらひくじ尓上里
たるぞ是非(ぜひ)とも此仁(このじん)を頼(たの)めと思ひ極(きはむ)事
もありされは病(やまひ)をもり究(きはま)る時(とき)なれはこの御
はらひくじに上りたるいしやの薬(くすり)もきかぬ事
おほし同(おな)しくは煩出(わつらひいだ)して薬(くすり)をのまんと思ひ




   屋ぶく春し
      竹斎
    扁ん志やくやぎバ
    にもまさるなし
     さいを志らぬ人
      こそあわれなり    
           ける


はじむる時(とき)におはらひくじを取たきもの也/談合(だんかう)
かあとさきと思ひ侍る誠(まこと)にもろこしの/書(しよ)にも
なをるへき煩(わつらひ)なれどもよき/医者(いしや)にめくりあは
ひて死(し)するもの有又/死(し)にそふなる煩(わつらひ)なれども
不思議(ふしぎ)によき医者(いしや)に/出合(いであひ)てなをるものあり
是等(これら)などは多々能事にてなし宿縁(しゆくゑん)と云物(いふもの)
なりその宿縁(しゆくゑん)と云はむかし能(よき)た年を蒔(まき)て置(をき)
たるにふしぎとめぐり合(あい)たるをいふなり兎(と)
角(かく)煩(わつらひ)あらばはやく能(よき)いしやをえらび後悔病(かうくはひやまひ)の
なきやうにとのおしへのそへ筆(ふで)なるべしよくも
申たり
おこりをふるひける人有其人と知音(ちゐん)の/方(かた)申され

気るは爰(こゝ)にやふぐすし竹斎(ちくさい)とて此程/都(みやこ)より
下里けりやぶに加うのものといふ事あり見せ
給へといひければ病人爰(びよう尓んこゝ)に/歌有(うたあり)とて
  くすしには下手(へた)も上手(じやうず)もなかりけり
   ひいき〳〵にと起の仕合(しやはせ)
とあるといふて此/竹斎(ちくさい)にかゝる
此/歌病人(うたびようにん)の申とは書(かき)たりけれとも下心を案(あんず)る
に竹斎より不学(ふかく)なる人/世間(せけん)へ用(もちい)られて
竹斎(ちくさい)はさもなきを申されけるにや唐(もろこし)にても
なるほとよき/医者(いしや)の世間(せけん)へ聞(きこ)へぬ人有また
さもなき人/大名高家(だいみやうかうけ)へ出入(いでいり)して物(もの)の見事に
なる人あり其よきいしやにて人のしらぬ人に


そばから申やうは扨々(さて〳〵)そなたはそ禮ほとに能々(よく〳〵)
事(こと)越きは免よきいしやにてさ様(やう)の身躰(しんたい)むきは
無調法(ぶてうほう)なる事也ちとどなたへも出入(いでいり)してよく
もなるやうにはせられいでといへはかの仁(じん)せし
されけるやうは工不工(こうふこう)は我(われ)尓ありとて医道(いだう)を
つとめたると津とめぬといふは我身(わかみ)にある事
なりうるうられざるは人にありとて人の用(もちひ)て
はやるそ用(もち)ひずしてはやらぬといふ事は人に
ありと云て手(て)まへ計(ばかり)を能(よく)つとめて外にか
まはぬ人ありけり
扨竹斎(さてちくさい)/病人(びようにん)をみて脈(みやく)の様子(やうす)を考(かんが)へ熱気(ねつき)
頭痛(づつう)むしなとのやうすを相尋(あひたつね)そ候へは病人(びようにん)申は

たつねられし事/皆(みな)々これあると答(こたへ)けれはさぞ〳〵
と自慢(じまん)がほにて薬(くすり)をあたへけるまことに仕合(しやはせ)
と薬(くすり)きゝておこりおちけるそこにて奇妙(きめう)なる
事(こと)とて薬(くすり)のはいざいを問(とへ)は竹斎(ちくさい)こたゆるは
先(まつ)ふる畳(たゝみ)の黒焼(くろやき)に十四五年の古(ふる)がみこの黒(くろ)
やきにて候と申をは是(これ)は珍敷薬種(めつらしきやくしゆ)かなとて子(し)
細(さい)を問(とへ)は我等(われら)が此病(このやまひ)を煩(わつらは)し時(とき)ふるきかみこ四
五でうきせ古畳(ふるたゝみ)を上(うへ)にをきけれは其侭(そのまゝ)なを
里たりと云(いふ)
さて此(この)こゝろを案(あんす)るに紙子(かみこ)にては寒(さむ)さをふせ
ぎあたゝめん所其内(ところそのうち)にあり又畳(またたゝみ)はおもくして
ふるひになゝく所(ところ)をおししつむる心/内(うち)にあり


けり是(これ)は又(また)いしやの/薬(くすり)に/不吟味(ふぎんみ)なる事を書(かく)也
薬(くすり)といふものは其薬(そのくすり)のなりふりそれ〳〵の形(かたち)に
よりて様子(やうす)あり先天(まつてん)を飛(とび)かけるもの地(ち)をはし
るもの水(みづ)にすむもの有情(あるじやう)と非情(ひじやう)とそ連〳〵
のかはりありて天地陰陽(てんちゐんやう)の道理(だうり)をそなへ陽(やう)
中(ちう)の陽又陰中(やうまたいんぢう)の陰或(ゐんあるひ)は陰中(ゐんぢう)の陽(やう)又は陽中(やうぢう)
の/陰(ゐん)なとゝ云事(いふこと)ありて五/蔵(ざう)六/府(ふ)/皮膚(ひふ)/骨髄(こつずい)
へわたるそれ〳〵の/考(かんがへ)あり又はそれ〳〵の道具(だうぐ)に
よりて性(しやう)のかはる事有とかく薬(くすり)は此ものは
木(き)ぞ竹(たけ)ぞ金(か年)ぞ土(つち)ぞけたものそと其者(そのもの)のた
しかなるにて其理(そのり)をつくし又は何(なに)とも志れ
すともすいぞあまいそ志はゝゆいそ苦(尓が)いそ辛(から)ひ

そとの味(あちは)ひにより又は味(あちはい)の厚(あつさ)とうすきとのか
はり又はにほひの加うばしひぞからくさいぞな
とゝ云(いふ)にても考(かんがへ)ありて此(この)ものは是々(これ〳〵)の物(もの)にて
此病(このやまひ)にはきくなりと能々(よく〳〵)/吟味(ぎんみ)あるへき事を
書(かき)し也/何(なに)やらんゑしれぬ薬(くすり)どものはやりまは
里て其物(そのもの)は何(なに)ぞと問(とへ)は何哉覧(なにやらん)しれずそれ
ゆへに/此道理(このたうり)ありてきくといふ事も埒(らち)あかず
たゝむほうに/是(これ)は唐南蛮(からなんばん)よりわたりて
万病(まんびよう)に/能薬(よきくすり)と計(ばかり)にて其吟味(そのぎんみ)たしかならさる
をそしる心なるへし古紙子畳(ふるかみこたゝみ)のさむさを屋
めしは其物(そのもの)も其理(そのり)も慥(たしか)なる所(ところ)をのへし也
たとへは秤(はかり)のをもりは物(もの)をかけぬる時(とき)に下へ

さがる計(ばかり)のせい有物(あるもの)なれは薬(くすり)に/用(もちゆ)る時(とき)さ
がる事に用ゆ難産(なんさん)又は胞衣(ゑな)のをりぬとき
此おもりを赤(あか)く焼(やき)て酒(さけ)の中(なか)へじぶと入その
酒(さけ)を呑(のま)すれは産(さん)を催(もよほ)し或(あるひ)はのちさんをお
ろすとあり又/同(おな)し鉄(てつ)なれとも斧鉞(ふゑつ)のをの
まさかりに/仕(し)たるは是(これ)へは又/男(おとこ)の/持(もつ)ものな禮は
男(おとこ)の/役(やく)をしてへ変女男子(へんしよなんし)の法(ほう)に/懐妊(くはいにん)三月の
中に/其女(そのおんな)のへやの床(ゆか)の下へ人にしらせす入て
をけば男子(なんし)をうむ也と云(いへ)りこゝろみんと思はゞ
雉(きぢ)の玉子(たまご)をあたゝむる下へ入てをけは皆(みな)をん
どり計(はかり)になるとあ連は其物(そのもの)〳〵によりて
能(のふ)が替(かはる)也/然(しかれ)はふるかみこもあたゝむる性(しやう)は慥(たしか)也


されは其物(そのもの)もしれて此理(このり)有ゆへに/此病(このやまひ)にきく
は川そと吟味(ぎんみ)せよとの鏡(かゞみ)なるへし
〇又/有(ある)かたに/鍛冶(かぢ)が一人有けるがせんくづか目(め)に
入て以外(もつてのほか)に目を煩(わつらふ)そこにて目の煩(わつらひ)なるゆへに
目医者(めいしや)の堂かだまじ満などの歴(れき)々にかゝ連/共(とも)
少(すこし)も験(げん)なし竹斎是(ちくさいこれ)をみて何哉覧(なにやらん)くすりを
そくいゐに/押(をし)まぜて眼(まなこ)にはる三日/過(すき)てとり
給へ眼(まなこ)尓/子細(しさい)はあらしとこ満やうに語(かた)る三日/過(すき)
て取(とり)けれは眼(まなこ)佐々里とあ起にけりさても〳〵め
いよなる事とて薬種(やくしゆ)を問(とへ)はじしやくにて有
とて其(その)志しやくの鉄(てつ)をすふ子細(しさい)を詳(つまびらか)尓かたる也
〇/扨此心(さてこのこゝろ)を案(あんず)る尓/是(これ)はいしや方(かた)へのをしへの鏡(かゞみ)也

先以(まつもつて)/素問(そもん)に/病(やまひ)を治(ぢ)するは必其本(かならすそのもと)をもとむと
云(いふ)て第(だい)一の本(もと)と云(いふ)は陰陽(ゐんやう)のさた又は何たる子(し)
細(さい)ありて煩(わつらひ)ぞと其煩(そのわつらひ)/出(いだ)しの本(もと)を相尋(あひたづね)るが療(りやう)
治(ぢ)の本(もと)をもとむると云(いふ)もの也/其本(そのもと)はたつねもせ
いて目(め)を煩(わつらはふ)ほとにとて目(め)の療治(りやうぢ)耳かゝるは
ひかことなり是(これ)はせんくずが目(め)に入て目(め)の病(やまひ)
とはなるなれは病(やまひ)の/本(もと)はせんくずなりその
せんくずを取(とり)出をは末(すへ)の枝葉(ゑだは)の病(やまひ)はなをさね
ともなをる也堂とへは庭(にわ)に/草(くさ)かはへてわるい
とて葉(は)をむしれ共又はゆる此はゆるは根(ね)か有(ある)
ゆへに又ははへ〳〵するほとに根(ね)をとりてすて
ぬれははゆへき根(ね)なし是目(これめ)の煩(わつらひ)になるせん


くつを取出すがことしかくのこときを病(やまひ)を治(ぢ)する
は必(かならす)/其本(そのもと)をもとむといふ也/煩(わつらひ)の子細(しさい)は尋(たつね)も見(み)
付もせいてたとへは腹(はら)かいたけれは我も〳〵と
虫薬計(むしくすりばかり)を用(もちゆう)やうにするは右の通(とをり)目の煩(わつらひ)なる
ほとにとてせんくつのせんさくもなしに目いしや
にかゝるがことし其/腹(はら)の痛(いたみ)は虫(むし)か食傷(志よくしやう)か或(あるひ)は
ひへたるか或(あるひ)は/疝気(せんき)かなとゝ病(やまひ)の本(もと)をよく〳〵
吟味(ぎんみ)し定(さため)て薬(くすり)を用ゆれは其まくなをると
いへり病も因(よつ)てをこる所あり乱も因(よつ)て於
こる所有とてそれ〳〵の子細(しさい)ありたとへは喧嘩(けんくわ)
口論(こうろん)するに是は何たる事からをこりたるけん
くはそと其/子細(しさい)を相尋(あいたつね)してそれ〳〵に/扱(あつか)ひ

を入れは双方(さうはふ)共にやはらくべし唯(たゞ)かんにんせ
よ〳〵と云/計(はかり)にては遂(かゑつて)而腹をたて切(きつ)てのは
川てのとて噯(あつかひ)人まて打まはすかことし病(やまひ)を
見さためぬ薬か遂(かゑつて)而かはに成て余病(よびよう)がをこる
ぞとかく病(やまひ)をなをすには病の出ぬる本(もと)を見付
て薬(くすり)を用るが諸病(しよびよう)共に/肝要(かんよう)也と此所にてお
しゆる也/李仲梓(里ちうし)と云(いふ)人の文(ふみ)に人の煩(わつらひ)をするは
たとへは木を虫(むし)がくひてかれそふなると同し事也
其虫(そのむし)のくふ所をよくしりたる人は多く一所ほり
て虫をとれは其木かさりゆる也其虫の有所を
志らぬ人は爰に虫かありそふなと云(いふ)て不りて見
れともなし又かしこに/虫(むし)が有そふなと思ひてほり


てみれともなしあ気くのはてには爰(こゝ)かしこ木
の皮(かは)をむくゆえに木がかれぬるといへりへ下手(へた)
いしやの病(やまひ)を見付もせいてせんきかと思ひて
くすせともそれてもなし又ひへたるかと思ひて
くすせ共それてもきかすあの加減この加減(かげん)する
内に/病(やまひ)が重(おもり)て死(し)するに譬(たとへ)たり面白喩(おもしろきたとへ)なり
又さる人/落馬(らくば)をして煩(わつらふ)/竹斎尋(ちくさいたつぬ)るに/落(らく)
馬(ば)は幾度(いくたひ)ほとめされけるそと相尋(あひたつね)ぬれは五六
度(ど)もしたるといふ竹細(ちくさい)心得たりとてふすまぬの
こをとりきせてまゝ寝(ね)よ〳〵とてねさせける
彼病人(かのびようにん)いたさはいたしねら年ばかくのこときの
療治(りやうち)も御座候哉と尋(たつね)けれはされはの事むかしも

此様成(このやうなる)/煩(わつらひ)ありとてふところより宇治頼政(うちよりまさ)のう
たひ本をとり出し是見給へ人々/宮(みや)は五六
度迄/御落馬(ごらくば)にて煩(わつら)はせ給けるそれはさきの夜(ヨ)
御寝(ぎよしん)ならざるゆえなりとありさるによりてねさ
するなりとて則(すなはち)宮軍(みやいくさ)のかうしやくしていしよに
はつれたる療治(りやうぢ)はいたさぬと申せは扨も〳〵物(もの)しり
たる竹斎哉(ちくさいかな)とあたりの人/横手(よこて)を打て誉(ほめ)にけり
と〇此心を案(あんす)るに是又/唐(もろこし)の医者(いしや)も有病人に
のぞんて是はこれ〳〵の医書(いしよ)にもみへたりこれ
これの煩(わつらひ)なりとて書物(しよもつ)たてをいふてしらぬ俗人(ぞくにん)
に語(かた)る事ありそれが実(まこと)のほしへもあたらは
尤なるへけれ共/丸(まろ)き入ものに四角(しかく)なる蓋(ふた)をする


様(やう)にてされはいすかに嘴(はし)ほとくひちがひたる事
を声高(こゑだか)にかたる人おほし一/座(ざ)に能(よく)しりたり
人ありとてもそれは違(ちが)ひたるとてとがむる人も
なく心にては笑(わら)ふへけれ共/其(その)まゝにてをけは
しらぬ俗(ぞく)人は誰(たれ)々のより/合(あひ)尓てこれ〳〵の
仁(じん)は扨(さて)々/物(もの)しりと見へたりか様(やう)の書物(しよもつ)なと
引(ひき)て申さ礼しかあたりの衆(しゆ)/何(なに)とも答(こたへ)もなかり
きと誉(ほむ)る事/多(おほ)し是等(これら)の人をひそかに/笑(わらふ)
なるへし
去(さる)人かさけを煩(わつらひ)けり竹斎/薬(くすり)を/用(もちひ)けるか先々(まづ〳〵)
是(これ)々を食(しよく)し給へと飼(く)ふてよき好物(こうふつ)の/分(ぶん)を
書付てやる
 











一/鷹(たか)のすいり  一/鴟(とび)の焼物(やきもの)   一/雀(すゞめ)のすし
一/烏(からす)のみそ漬(つけ) 一こばうの/円焼(まるやき)  一/梟(ふくろふ)のさしみ
一/鯨(くじら)のやき物  一/獺(かハうそ)の円焼(まるやき)  一なまこの/焼物(やきもの)  
一/夜鷹(よたか)の/油(あふら)あけ一/鯲(どぢやう)の蒲(かま)ぼこ 一かみなりのまなこ
一/仙人(せん尓ん)の志らみ 一/天狗(てんぐ)のなし物(もの)
  此分/用(もちひ)候へと申つかはす
右(みぎ)の/好物(かうふつ)いかなる事に/瘡気(かさけ)の煩(わつらひ)によき事か考(かんがへ)
難(かた)し然(しかし)なから下心を考(かんがふる)に/其物(そのもの)の寒熱温(かんねつうん)
涼(りやう)の性(しやう)たしかに本草(不んさう)にてしれたる物なれとも
病(びやう)人によりて料理(れうり)の仕(し)やうに/心得(こゝろへ)ある事也
さるによりて料理(れうり)の仕様(しやう)を書(かき)てやるなるへし医(くす)
師(し)の方(かた)より点(てん)をかけてやれはいかやうにしても

くるしからぬと病(びよう)人/方(かた)に心得(こころへ)てなますにもさ
しみにも何様(なにやう)にも料(りやう)られける/事(こと)/有(あり)べしさ
るによりて念(ねん)を入/料理(りやうり)を書付(かきつき)られたりたとへ
は脾胃(ひゐ)よはき病人(びようにん)にて腹(はら)なとくだり食物(しよくもつ)も消(せう)
しかたき方(かた)へは煑(に)て用(もちひ)候へ又は焼(やき)て用(もちひ)候へと念(ねん)
を入(いれ)よと能事なるへし是(これ)は寒熱温涼(かんねつうんりやう)の性(しやう)の/知(しれ)
たるをいふなり又かみなりてまなこ天狗(てんぐ)のなしもの
仙人(せんにん)のしらみなとは中々/其性本草(そのしやうほんさう)にても慥(たしか)
なるへからす然(しかり)をかくいひけるはいかにて考(かんがふる)に世間(せけん)の
好物(かうぶつ)の点(てん)をかけめさるゝを彼竹斎(かのちくさい)見て和名(わみやう)は
しれて本草(不んさう)に/考(かんがへ)かたく又/本草(ほんさう)に目のあたり
見るやうに書てあれとも和名(わみやう)しれぬ物/多(おほ)し


さやうの物(もの)もをめずはゞからす点(てん)をかけめさるゝを
笑(わらふ)下心に/書(かき)たるか去程(さるほと)に好物(かうぶつ)の点(てん)は大事の物也
と教(おしゆ)る也/某去方(それがしさるかた)の/咄(はなし)を承(うけたまは)り侍(はんべ)る昔(むかし)どなたやらん
の煩(わつらひ)に/赤貝(あかゝい)をゆるし有けれは其(その)あかゞいかたゝ
りるか又/別(べち)の物(もの)がたゝりけるか考(かんが)へからさる所
へ別(べち)のいしやまいられていかにも赤貝(あかゝい)かたゝりたる
よし申されける其(その)よしを前(まへ)かたのいしや聞く(きゝ)て本(ほん)
草(さう)を持参(ぢさん)ありてあかゞいの条下(でうか)をよみて是々(これ〳〵)
あるか是(これ)がたゝるへきやたゝるたると申され
ける方(かた)は別(へち)に/本草(ほんさう)ばしあらんと申されたる
と承(うけたまは)り侍る医師(くすし)たる人は心得(こゝろふ)べき事也又/或人(あるひと)
某(しれがし)に御尋(をんたつね)有けるは皆(みな)いしや衆(しゆ)の好物(かうふつ)のてんを

かけぬるを見るにおしなへてきすさよりもと不
かなかしら牛房(ごばう)大こんなどゝいかなる病人(びようにん)にもい
つれの医者(いしや)も点(てん)かけくるゝが何(なに)とぞ病人(びようにん)により
て心もちあるへき事也そなたは何(なに)とてんをかけ
られけるやと御尋(をんたつね)あり答(こたへ)て申やうは某(それがし)は少(すこし)
心得御座(こゝろへござ)候それはいかにと申に/熱(ねつ)の煩(わつらひ)には黄連(わうれん)
の黄(わう)ごんのとてひへくすりを用(もちひ)候それらの/煩(わつら)ひ
にはひへもの計(はかり)に/点(てん)をかけて遣(つかは)し候又冷たる
煩(わつらひ)には肉桂(につけい)の乾姜(かんきやう)のとて熱薬(ねつやく)を用(もちひ)候それら
の煩(わつらひ)には又/熱(ねつ)の物はかりにてんをかけ候と云(い)へは
これかまことの好物(かうぶつ)のてんなるへしと御申ありけり
此好物のめつらしき品々(しな〴〵)はいしや方(かた)への鏡(かゞみ)成(なる)へし

又/料理(れうり)のめつらしき躰は病人方(びようにんかた)にて点(てん)さへかゝれ
は何やうにしても毒(どく)にはならぬと思ふ人をおしゆ
る成(なる)へし〇/扨竹斎薬(さてちくさいくすり)は何(なに)をか用(もちひ)けんかさけの
病人(びよう尓ん)はなもをちす年もくさりてさん〳〵のものに
なりて竹斎(ちくさい)をしりる也/竹斎(ちくさい)そこにて西行桜(さいぎやうさくら)
の謡本(うたひほん)を取出(とりいだ)してはなをちゑたくつる所(ところ)の/證(しやう)
拠(こ)に/引(ひき)けり是(これ)も前(まへ)かたの通(とをり)/医書(いしよ)たてを云(いふ)人
をそしるなり此煩(このわつらひ)は此やうになりゆくものなり
唐よりも加様(かやう)に申/来(きたり)候とて我難(わがなん)を遁(のが連)たがりて
云(いふ)人おほしそ礼を下心に/笑(わらふ)なり

「20」の文章と同様











醫者鏡
病人鑑  《題:竹斎療治評判 下 ゑ入》











竹斎療治之評判(ちくさいりやうぢのひようばん)下
或人(あるひと)大/熱気(ねつき)を煩(わつらひ)けり歴々(れき〳〵)のくすし集(あつまり)て
はいざいする竹斎(ちくさい)も談合(だんかう)にくはゝりて申ける
やうは熱気(ねつき)/覚(さめ)がたくは茄子(なすび)の香(かう)の/物(もの)を一きれ
加(くはへ)たきと申けれは扨(さて)々/珍敷(めつらしき)/加減(かげん)かな其(その)/子細(しさい)
はいかにと問(とひ)けれは食(めし)の/湯(ゆ)のあつきに/茄子(なすび)の香(かう)の
物(もの)を入てかきまはせはさむる程(ほど)にといひけれは
皆人(みなひと)と川と笑(わらひ)けるとぞ
此道理(このだうり)は佐々里と聞(きこ)へけれ共/茄子(なすび)の/香(かう)の物(もの)に
てなく共/有(ある)へきを茄子(なすび)のかうの物(もの)にて食(めし)の
湯(ゆ)のさむる事はおしなへて人の知(しり)たるゆへにかく
なるへし下心はいかにと考(かんがふる)に/皆(みな)/人手(ひとで)ぢかく常々(つね〳〵)

相馴(あいなれ)て用(もちひ)つけたる些細(ささい)なる物をは貴(たつと)はす/唐(から)
南蛮(なんばん)より渡(わたり)たるといへは何(なに)たる分(わけ)の/物(もの)とも子細(しさい)を
知分(しりわけ)年とも馳走(ちさう)めされて疾(とく)と其物(そのもの)もよくしれし
かも其功能(そのこうのふ)も慥(たしか)なれ共/常(つね)に見はたりしかも下直成(げじきなる)
物をはそれか共なきゆへに/角(かく)は書(かく)なるへし牛(うし)のゆはり
つゝみの破皮(やぶれかは)/迄(まて)も残(のこ)さぬが本草(ほんさう)の/学問(かくもん)也/遠(とをき)を求(もとめ)
ず共/近(ちかく)に/能薬(よきくすり)有ことしらするなるべし薬種(やくしゆ)の内(うち)に
所々の名物(めいぶつ)は各別(かくべつ)の事/又(また)/日本(にほん)になき物は異国(いこく)
の物を用(もちひ)ねはならぬこと也/日本(にほん)にも有(ある)/唐(から)にも有(ある)
薬(くすり)は日本(にほん)の者(もの)の為(ため)に日本(にほん)に/天(てん)より生(しやう)して下され
けるゆへに/日本(にほん)の薬(くすり)を用(もちひる)事/其道理有(そのたうりあり)
茄子(なすび)の/香(かう)の物(もの)の加減(かげん)を笑(わら)はれて竹斎(ちくさい)/腹(はら)をたて


薬(くすり)の加減(かげん)は兎(と)もあ連/角(かく)もあれさあらは其方立(そのはうたち)
とくび引(びき)一ばん仕覧(つかまつらん)とぞ申ける
此首引(このくびびき)はいかなる事ぞや常(つ年)々人の申事す年
をしにも負(まけ)まひといふことはなるへし譬(たとへ)はせい高(たか)
く肥(こへ)ふとりていか様力(さまちから)の有そふなる人と外(ほか)よりは
みゆれ共/少(すこし)も力(ちから)なき人有又せいひきくやせて
何(なに)の見ばもなくよは〳〵と相(あい)見へても中(なか)々/見(けん)
分(ぶん)と違(ちがひ)て力(ちから)のある人有/其(その)心にて竹斎破紙子(ちくさいやぶれかみこ)の
躰(てい)にて何(なに)の見はもなく医学(いがく)なとは中(なか)々あり
そむなく外(ほか)より見ゆるゆへに申/所(ところ)の加減(かげん)も用(もちひ)られ
ね共/相手(あひて)を求(もとめ)て学力(がくりき)を/出(いだ)すたらはしれなん程(ほど)に
さあらは医道(いだう)のく首引(くびびき)/仕覧(つかまつらん)と申すにて有(ある)へし〇/兎角(とかく)











する内に門よりてんやく衆(しゆ)の御/見廻(みまわり)と有(あり)けれは
竹斎(ちくさい)此よし聞(きく)よりも破紙子(やぶ連かみこ)の躰(てい)なれは急(いそ)き
あはてゝのきにける其時(そのとき)/病者(びょうしや)申やうふかく也
竹斎殿(ちくさいとの)/約束(やくそく)の薬(くすり)はといへはそなたの薬(くすり)には
しゆすの小袖(こそて)に繻珍(しゆちん)の羽織(はをり)をせんして呑(のみ)給へ
と云(いゝ)すてゝ大あせ多らしてにけにける
此段(このだん)の志ゆすの小袖(こそて)しゆちんのはをりを唐(もろこし)の事
に考(かんかふる)に/外(不か)をかさりて内(うち)に/学力(がくりき)のなき人を申
とて羊(ひつし)の質虎(すたとら)の皮(かは)と書(かき)たり羊(ひつじ)に虎(とら)のかは
をきせたるやうにて外は見事(みごと)に虎(とら)のやうなれ
共(ども)内はひつしのど志よか年にて何(なに)のたけ▢事
もなきといふ此心を下心に/持(もち)て書(かく)なるへし▢▢

外をかさる事に付てむかし里うはく温公(をんこう)と云(いふ)也
世をいかり邪をねたむの格言(かくげん)に/榥(こう)と云ふ所に/菓(このみ)
を賣ものありよく柑(みかん)の持(もち)やうをたんれんして
寒時(さむきとき)より暑時分(あつきじぶん)まてくさらぬやうにもちなし
取出(とりいだ)せはも能々見事にてひかりかゝやき色なと
も金色(こんじき)のことなり是(これ)を市に出し置(をき)に/其価(そのあたひ)
常(つね)よりも十/倍(ばい)不となれとも見る人々あらそむ
我がち尓/買(かふ)なり温公(をんこう)も一つかふてわ里てみられ
たれはけふりの有やうにて其香もうまそふに
有けり去(さり)なから其中をみれはかれかはひてふる
綿(わた)のことくにて何のうまみ計しやうもなしそこ
にて温公(をんこう)よれはさて外は見事にて中には何も


なきをあやしんて問(とは)れけるは汝(なんぢ)か賣所(うるところ)のみかん人か
いと川て辺豆尓見て祭祝に奉し賓客(ひんかく)に/供(ぐ)
するとても里物なとにして祭(まつり)に/奉(たてまつ)り/賓客(ひんかく)の
まれ人に/馳走(りそう)すへきに此やうなる外/計(はかり)なるもの
をたまして売愚人(うるぐにん)の目くらのやうなるものを
まとはする事は扨(さて)々人をあさむく事の/甚(はなは)たひ
と云物(いふもの)也といはれたれは売(うり)もの笑(わらひ)て申には吾(われ)
是(これ)を志はさとする事/年久(としひさ)し此業(このわさ)にて吾身(わかみ)
を養(やしなふ)也/吾是(われこれ)を人尓/売(うる)に何ともいふ人もなき
にそなた計(はかり)/是(これ)を不足(ふそく)せらるゝか世上に/欺事(あさむくこと)
をなすものは多(おほ)き事しかも我計(われはかり)にてはなしと
いふしやうけい是(これ)を思ふに今いしやは  外をてろふて

みかんを売(うり)ものゝことし病者(ひようしや)は愚人(ぐにん)の目も見へぬ
ものにして医者(いしや)の戮(りく)を受(う)けんかといへり
又/去人(さるひと)の御/内儀(ないぎ)身もちになりさはりやみのくせ
として青梅(あをうめ)をすかれけるか何とかしたり気ん
梅(うめ)かのとにつまりて呑とも入らすはけ共出さりけり
あたりの女房(にようはう)とも是(これ)を見て背中(せなか)のあたりを
七八百一くはん計(はかり)とづけ共出さりけりかくては
かなはしと竹斎(ちくさい)に見せけれは心得(こゝろへ)たりといふ
まゝに/火打袋(ひうちふくろ)よりかのじしやくを取(とり)出し口(くち)のは
多へ押当(をしあて)てひた廻(まは)しにまはしけれ共出されは心得
たりといふまゝにすいかうやくを取いたし口(くち)へひたとはり
にけり不となく梅(うめ)は出にけりしんへんかうやくの奇(き)


特(とく)には目(め)と鼻(はな)と一所へすひよせて眼玉(まなこたま)二三寸春
いあげたりこはいかなる事/哉(や)らんとおちやめのと
か驚(おとろき)けり竹斎(ちくさい)申けるやうは梅(うめ)のれうしは心
得たり目鼻(めはな)の事はしらぬといへはあたり邊(不とり)の者(もの)
是(これ)を聞腹(きゝはら)を立(たて)うてやたゝけといひけれは竹斎(ちくさい)
宿(やど)へにけにはかるとそ
扨も〳〵書(かき)たりけり竹斎(ちくさい)/前方(まへかた)かぢの弟子(でし)をじ
しやくにて手柄(てがら)をせしゆへに又とり出されける
此心/考(かんがふる)に皆医者(みないしや)の心にある事也いつそや誰(だれ)故
の煩(わつらひ)に此/丸薬(くすり)にて手柄(てがら)をしたるとて又/別(べつ)の
人にあたゆる事/多(おほ)し鉄(てつ)の目(め)に入りたると梅(うめ)の
咽(のど)につまりたるほと違(ちがひ)たる了簡(連うけん)はせいてつかひ

徒気たるなとゝいふていつも同じ薬(くすり)をつかはるゝ
事あるを云なるへしそ礼にてきりぬゆへにすい
がうやくをはりければ梅(うめ)は出たれ共/目鼻(めはな)を一所
へすいよせける是又よくもかゝれたり前(まへ)に/云通(いふとをり)
唐(から)の書(しよ)にも病(やまひ)を見て病(やまひ)を治(ぢ)するとかく
是(これ)はあしき事なり唐(から)も大和(やまと)も同(おなじ)事たとへは
腹(はら)か痛(いた)めはまづ腹(はら)のいたみをやめんとて木香丸(もつかうくはん)
に/奇應丸(きをふくはん)/奇効丸(きかうくはん)や熊(くま)の膽(い)にたうやくるざり
しなとゝて俗人(ぞくにん)まじりに用(もちひ)らる腹(はら)の痛(いたみ)は止(やむ)事
あれ共/其薬力(そのやくりき)のあらきにて脾胃(ひゐ)のそこ年の考(かんがへ)
なくあげくのはてに/不食(ふしよく)などして腫気腸満(しゆきちやうまん)の
煩(わつらひ)なとに変(へんづる)事/多(おほ)しかの虫(むし)の/痛(いたみ)に/計(はかり)目かつき

て脇(わき)のそこ年の/考(かんがへ)なき人の心年を笑(わらふ)なり諸(もろ〳〵)の
れうしに心得ぬへき事なり勿論(もちろん)こゝはなをる
べけれ共かしこにいかゝかしこはよからんなれ共/爰(こゝ)には
いかゝ五蔵(ござう)六/府(ふ)一/身(志ん)を見わたして洛くになるやう
こそは療治(れうじ)なれ/大過(たいくは)をおさへ不及(ふきう)をたすけ平(たいら)か
なるを能(よき)所とするなれは洛く尓するこそほどよ
けれ俗人(ぞくにん)たちは先虫(まつむし)の/痛(いたみ)は止(やみ)たれとも又/病(やまひ)か出
たると計(はかり)御/覚(おほへ)有ゆへに/薬(くすり)の誤(あやまり)尓て別(べつ)の病の
出るぞとたしかに/病人方(びようにんかた)へしらする教(おしへ)なれ筑紫(つくし)に
ての事なりしに/腸満(ちやうまん)とて腹(はら)の大きに/張(はり)たる
煩(わつらひ)をしたりけり病人方(びようにんかた)のものとも医師(くすし)の方への
そむには殊外の腹の張(はり)なれは大/用(やう)を下して給は


れとのそみけりくすし心得(こゝろへ)たりとて何薬(な尓くすり)をか与(あた)へ
けん忽(たちまち)/腹(はら)下るほとに昼夜数(ちうやかす)もしらぬ不と下し
たれは腹(はら)はすか里とへりけりされとも腹(はら)の
とま年は又/病人方(びようにんかた)よりも腹(はら)の下りをとめてたへ
との望(のそみ)けるいしや心得たりとて何薬(なにくすり)をか与(あた)へけん
下る腹(はら)すきととまりてかよはさりけり又五日
も十日も通(つう)ぜねはそろ〳〵腹(はら)か張(はり)て前(まへ)のとをり
になりけれは又下してと望(のそ)む医者心得(いしやこゝろへ)たり
とて又下すはらを下をは腹(はら)かへれ共下りがと満
らす下りをとむれは腹(はら)がはる兎角(とかく)する間(あいた)に病(びよう)
人草臥(尓んくたびれ)て果(はて)にけり是(これ)を一門寄合(いちもんよりあひ)て申やう
扨(さて)も〳〵薬(くすり)はきいたり下してといへは下りとめてと

いへはとまる是(これ)ほと薬はきくぬれとも死(し)する命(いのち)
は定業(ぢやうごう)なるへし是非(せひ)もなきと申けり是を考(かんがふる)
に/腹(はら)ははらふとまゝよ命の/続(つゞく)/考(かんかへ)あるこそれう
ぢなるへけれと皆(みな)人いへりけり病人方(ぎようにんかた)は心得(こゝろへ)
有へき事(こと)なり
又/去人(さるひと)のおさなきもの井のもとへ落(をち)にけりとや
せん角(かく)やせんとひしめきけり折節(おりせつ)/竹斎(ちくさい)は門(かと)
を通(とを)るとて事(こと)の/子細(しさい)を尋(たつぬる)にかくのことくと申/竹(ちく)
斎(さい)申けるは上(あげ)く参らせんといふまゝに/彼(かの)すいがう
やくを戸板(といた)にひたと張付(はりつけ)ゐどの/蓋(ふた)にてしたり
ける唯今(たゞいま)すひ上申へし待給へといふ内になとかは
あかるへきとかくの時刻(じこく)/移(うつ)るまにおさなきものは


死(し)にけり〇/扨(さて)も〳〵書(かい)たり〳〵こ礼はさて井のもとへ
落(をち)たるものか何としてすいかうやくにてあがるへきや前(まへ)
の目鼻(めはな)を一所へすいよせたるにあぢはふて蓋(ふた)にはせ
られたるや倩(つら〳〵)此下心を案(あんす)るに/是(これ)は医師(くすし)への教(をしへ)又は
病人方(びようにんかた)への教(をしへ)なりなせにとなれはいしやたる人々/煩(わつらひ)
をなをしてやりたし難儀(なんぎ)を助(たすけ)てやりたしと思は
ぬ人ハ千人万人か中尓一人もあるへからす今日/頭(かしら)をそ
り医者(いしや)になりていまたさじの/取(とり)やうもしらぬもの
にてもころさんと思ふ心は夢(ゆめ)いさゝか有へからす此/竹斎(ちくさい)
も井のもとへ落(をち)たるものをは上てたすけ▢とこゝろに
はい思ふゆへに/秘蔵(ひさう)のかうやくを少計(すこしばかり)尓てハなるまし
きときてんをはたらかして大なる戸板(といた)にはぬら

れたりしかれ共/薬力(やくりき)をよはすれうしのほしへあたら
ぬ故(ゆへ)尓/兎角(とかく)する内(うち)に水を呑(のみ)て死(し)にけり井の
もとへ落(をち)たるれうしのほしはいかなる事▢ほしなる
へきそなれは先(まづ)はしごををろして取(とり)つかせほそ引(びき)
尓て能々(よく〳〵)くゝり/数人寄(すにんより)てはやく引(ひき)上るをれう
ぢの不しとは申つき歟(か)/扨皆(さてみな)いしや衆(しゆ)へのをしへとは
如何(いかゝ)/前(まへ)の通(とをり)いしやたる人は煩(わつらひ)をなをし苦悩難義(くのふなんぎ)
をたすけいやさんとねても覚(さめ)ても思へ共/諸(もろ〳〵)の病(やま)ひ
れうちの薬力(やくりき)ほしへあたらねはかくのことく於さあひ
の水(みづ)をのみて死(し)するがことくぞといましめ教(をしゆ)る心也
救(すくひ)たすけんと思ふ心有とても不しをはつしてころし
なは天地鬼神(てんちき志ん)の大/目(め)には明(あきら)かに見てきやつは


殺(ころし)たるそと覚(お不)しめして御悪(をんにくみ)有へし謹(つゝしむ)べし〳〵
誠(まこと)に/唐(もろこし)の書(しよ)にも人の命(いのち)を草芥(さうかい)のちりあく
たのやうに/麁相(そそう)にするものには天より才災(わざはひ)を
あたへ給うふと云(いふ)てあり扨又(さてまた)/熟(じゆく)せさる下手(へた)いしや
の救(すくは)んと思ふ心はありて不しへとゞかぬ所を唐(もろこし)
の/李仲梓(里ちうし)といふ人はそこぬけ舩(ふね)の舩頭(せんどう)と申
されきいかにとな礼は爰(こゝ)に深河(ふかきかは)ありて加ち
にてはわたられす何とか仕(つかまつ)らんと難儀(なんぎ)に/及(および)けるを
彼舩頭(かのせんどう)ふねこき/寄皆々(よせみな〳〵)/此舟(このふ年)に/乗(のり)給へ此深川(このふかきかは)
を安(やす)々と向(むか)ひの岸(きし)へ着(つき)てまはらせ▢と云(いふ)/時我(ときわれ)
も〳〵と乗(のり)たるに/舩頭(せんとう)ふねこきだして心やすく
むかひへわたさんとはげむ折(をり)から中/流(りう)と中ほと

まで行時分(ゆくじぶん)に/彼舩(かのふね)そこぬけたる所より水か
入て乗(のり)たるものものせたるものも跡(あと)へもならす
先(さき)へもゆかれす難儀(なんぎ)すると同(おな)し事▢れは未熟(みじゆく)
なるくすしをはそこぬけ舩(ふね)の/舩頭(せんとう)とこそいはれたり
扨又(さてまた)/病人方(びようにんかた)への教(をしへ)の鏡(かゞみ)とははいかなる事そと申せは
下手(へた)いしやにかれは竹斎(ちくさい)か井戸(いど)へ落(おち)たるおさあ
ひをれうぢするやうにて上(あが)るか〳〵と思ふ間(あいだ)に
死(しす)ることくなをるか〳〵と思ふ内に/死(し)する事のみ
なるほとにまつ/始(はじめ)にいしやをえらびてよきいしやに
かゝれしのおしへなり蕭京(しやうけい)の病者鏡(びようじやかゞみ)にも病(びよう)人ハ
先(まづ)いしやをえらふゟ肝要(かんよう)也とかゝ礼たり心を付へし
ある人の御/内儀懐妊(ないぎくわいにん)とこそ聞(きこ)へけれをりふし


腹中(ふくちう)を煩(わつらひ)うみちを下しけれは竹斎(ちくさい)此よしをみる
よりもすいがうをまるめて呑(のま)せけれは腹中(ふくちう)の
子胸(こむね)さきへすひ上にけりあたりの女房取上(にうばうとりあけ)ばく
是(これ)は大事の事かなとて皆(みな)人あきれけれは竹斎(ちくさい)
申けるやうは少(すこし)も苦(くる)しからずいで〳〵此煩(このわつらひ)のおこり
をかたりて聞(きか)せ申べし腹中(ふくちう)の子(こ)唐瘡(たうかさ)を煩(わつらひ)
候ゆへにその瘡(かさ)のしるか下るなれば扨(さて)かうやくを
呑(のま)せたるそと申ける取上(とりあげ)はゝの申けるはそれは
兎(と)もあれ角(かく)もあれ/生月(うまれづき)の事なればいかゝはせん
と申ける竹斎(ちくさい)申けるやうはさあらは唯今(たゞいま)うませ
て見せ申べしとて彼(かの)じしやくを粉(こ)にしてへそ
に付にけれはしきりにけこそ付にけり扨(さて)こそ例











申さぬことかとて今(いま)やおそしと待(まち)ける所に/何(なに)かは
有へき取上(とりあけ)はくが加たを打(うち)こしむかひ三げん計(はかり)
とひ出けり竹斎(ちくさい)/手柄(てがら)をしたりとてどつとほめ
てぞ誉(不め)にける
右之品々(みきのしな〳〵)を按(あんず)るに/先懐妊(まつくわいにん)の腹中気(ふくちうけ)あるまし
き事に/非(あら)ずうみちの下る躰(てい)はしぶり腹(はら)の躰(てい)に
見へけるを竹斎(ちくさい)は腹中(ふくちう)の子(こ)たうがさを煩(わつらふ)と見
たて候事こそ奇妙(きめう)なれ/腹(はら)の内の事なれは誰(たれ)
ありてさは有(ある)ましき/共(とも)申がたし是(これ)を案(あんず)るに
目にも見へぬ所なれは口にまかせて腹(はら)のうち
の事をも路〳〵の/煩(わつらひ)に付/皆(みな)人たちのす白(はく)のせん
きの徒かへのかたまりのと我(われ)がちに/評判(ひやうばん)有に

たとへて書(かく)なるへし申ても〳〵腹(はら)の内(うち)の/子(こ)がたう
瘡(がさ)を煩(わつらふ)事いかゝ有へき事にはあらねとももろ〳〵
の煩(わつらひ)にかくのことく違(ちがひ)たる事のみなるべけれ共(とも)/目(ま)
のあたり見るやうに/恥(はつかし)ケ(げ)もなく申けるを俗人(ぞくしん)
達(たち)のまことゝおもはれ候はん事を笑止(せうし)に思ひてかく
れたるなるべしかうやくを丸(ぐはん)してのまする事は
医書(いしよ)に/多(おほ)しなき事には非(あらす)/扨又(さてまた)うみ月なる
とのそまれて又じしゃくをはられし事/是(これ)にて
志きりたちけの徒くへき事にはよもあらじ世(せ)
間(けん)にてでもなき事越してもしきりのたつべ
き時分(じぶん)に仕(し)あはせぬれば此道(このみち)をしらぬ人は薬(くすり)
のきゝたるとおもふ人の事を/書(かく)なるへしもろ〳〵の


煩(わつらひ)に/此類多(このるいおほ)かるへし例(れい)のじしやくにて又/手柄(てがら)をし
たるそと誉(不め)られしそれよりも又/武州(ふしう)へ下りに
けり扨全部(さてぜんぶ)ともに/評(ひよう)すへき事なれとも予(よ)がわ
ざならねは唯療治(たゞれうち)の所ばかりを評(ひよう)し畢(をはんぬ)

右之評判雖如發揮竹斎之隠
旨未知可合干竹斎之微意否
也雖然今日之評不如無矣願
醫病之两家因此評而托心於
人命之重則幸甚云尓

     摂州灘波住
       圓瓢子書之
旹貞享元甲年冬十一月吉日
    子



   追加
さる人のはなされしは爰(こゝ)かしこにて不審成(ふしんなる)事とて
皆(みな)人/達(たち)の御/尋(たつね)有けるは世間(せけん)の/医師(くすし)を見/聞(きく)
にいしやの学文(かくもん)をよくして其上(そのうへ)/儒学(じゆがく)もありよ
ほど物(もの)しりにてある人と聞(きこ)へたる人の病人(びようにん)に
のぞみて薬(くすり)つかひの学力程(がくりきほど)にはたらかぬかあり
病(やまひ)をなをさん為(ため)の/学問(がくもん)なるへきに聞(きか)ぬは不審(ふしん)
なり又/医者(いしや)の学問(がくもん)なとは少(すこし)もなき人にて昔(むかし)を
きけは商(あきなひ)したる人もあり又は職人(しよくにん)なりし人も有
又は少身(せうしん)なる奉公(はうこう)もいやなりとていしやになりた
るもあるが能妙薬(よきめうやく)の方(はう)なと知(しり)たるかさて〳〵こゝ
かしこかけ廻(まハり)て薬(くすり)がはたらき皆(みな)人もてはやす

是は年(とし)の功(こふ)と云(いふ)ものか又は病功(びようこう)といふものか学(がく)
力(りき)ならして薬のきくといふも覚束(おほつか)なき事是も
不審(ふしん)也此二つの不審(ふしん)をあれこれの人に/問(とひ)ぬれ
と佐々里と埒(らち)の/明(あく)やうにとく人は希(まれ)なるがそ
なたは何(なに)と心得たるそと尋(たつね)られしそれかし若(じやく)
年(ねん)の/時分(じぶん)此ふしんを聞(き)く也是は尤(もつとも)の事/能不審(よきふしん)
にて候いかさま道理(たうり)あるへき事にて御座候さ
れ共さゝ里と埒(らち)の明(あく)やうには申かたし学問(かくもん)
ありても薬(くすり)のきかぬはいかさまきてんのはたらか
ぬゆへなるへし学力(かくりき)なくて薬のきくは年(とし)の
功か又は病功(びようこう)といふものなるへしと云(いゝ)て年を経(へ)
ぬれ共いか様道理(さまたうり)のつまりたる事こそあるらめ


とかた心にかけて年をおくり書物(しよもつ)をみるたび事
に気(き)を付(つけ)ぬる時に/有増(あらまし)ひらくる事なりとて
かたられしを書付(かきつけ)ぬる
先(まづ)いしやたる人は医書(いしよ)をよまひて叶(かな)はぬ事を
霊枢(れいすう)と云/書(しよ)の史崧(しすう)と云人の題(だい)に申されしは
それいしやは医書(いしよ)をよむにあるのみいしよをよ
みても医(い)をなす事のならぬ人はあるへしいまた
あうしいしよをよまずして医(い)をなすものはあ
るまひと書(かく)れし也是を見れは彼書物(かのしよもつ)を沢(たく)
山(さん)によみても薬(くすり)のはたらきのなきは医(い)を得(とく)
道(たう)せぬ人なり又/医書(いしよ)をよまひては何(なに)にもと
つひて医(い)をなすへきやほつてもならぬ道理(たうり)也

又/有(ある)御/方(かた)の仰られしは歌学詩学(かかくしかく)は日々(ひゞ)に/文字(もんじ)
言句(ごんく)をみがく所々そのまゝなり医学(いかく)と云(いふ)ものは
う川とゝ学(かく)してはならぬ事/其文字言句(そのもんじごんく)を学(かく)
して後/病人(びようにん)に/臨(のそみ)て発用(はつよう)の術(じゆつ)とてそ礼〳〵の
病人(びようにん)を見分(みわけ)てなをす様(やう)にするが肝要(かんやう)なり
是(これ)を発用の/術(じゆつ)に/達(たつす)るといふてたとへは刀脇(かたなわき)
指(さし)の目利(めきゝ)を習(ならふ)ものがはしめは書物(しよもつ)にて其き
つかけをならひ後に/直(じき)に/刀脇指(かたなわきさし)にむかひて
少(すこし)もはつさぬかことしかくのことくなれはその
習(ならひ)得たる素問(そもん)も本草(ほんさう)も皆(みな)まことゝなるなり
又発用の術(じゆつ)に/達(たつ)せねは彼(かの)刀脇指の目(め)きゝを
はづすかことく薬(くすり)つかひかすつかりかはりとはつ


れて病(やまひ)かなをらねは素問(そもん)も本草(不んさう)も皆(みな)うその様(やう)
尓なる也そ礼はあの方にはうそはなけれとも此方(このはう)
の下手(へた)ゆへにうその様(やう)になすなりたとへは
占(うらなひ)の/下手(へた)が卜筮(ほくぜい)とてうらなひするには是(これ)より
上はなきものなれとも下手(へた)ゆへにあはする事か
ならひていらぬも能々ないものにすると同事(おなしこと)也
と御申ありき然(しかれ)は医書(いしよ)をよみてさへならぬもの
のあるによまひては何(なに)とて薬師(くすし)のなるべきや
是(これ)にて二人のあらましは聞(きこ)へたり然共(しかれとも)/不学(ふかく)
の仁(じん)の薬(くすり)のはたらく事のあるは如何(いかに)といへは東(とう)
破(ば)と云人の言(ことば)にも若(もし)わかまゝなる新意(しんい)を出(いだ)
して内経難経(だいきやうなんきやう)の旧学(きうかく)をすてゝ何(なに)の用(やう)もな

いとせば愚痴(ぐち)にして知恵(ちへ)もなきものでなく
は狂人(きやうじん)ならんといへり又堂とへは俚俗のいたらぬ
いしやの経論(きやうろん)によくす薬方計(やくはうばかり)を損て病(やま)ひを
療(れう)するかことく或(あるひ)はなをらぬてもなし隅中の
まぐれあたりとて不慮(ふりよ)にはゆるも有(ある)かそれ
しやほとにとて病人(びようにん)の生死(いきしに)をあるか前(まへ)より
定(さたむる)ときは中々/内経難経(たいきやうなんきやう)/古(い尓しへ)能事を学(かく)したる
衆(しゆ)とは一口の事は申に/及(およ)はす同し日能/内(うち)にも
語(かた)られぬ程(ほど)の違有(ちがひある)とそ又一/至(し)の功(こう)とて歴々(れき〳〵)
にもまされるやうな/風与(ふと)したる療治(れうぢ)の自然(しぜん)に
有をみて難経(なんきやう)なとは六(むつ)ケ敷(しき)にならはぬもよいと
云ものありそれは誤(あやまり)にて有といはれたり然は


不学(ふかく)のものゝ薬(くすり)のきくといふはまぐれあたりといふ
もの也是々の/道理(たうり)にて此煩(このわつらひ)を此薬にて治(ぢ)し
たると慥(たしか)なる所はなき也此まぐれ当(あたり)といふにて
粗(不ゞ)/聞(きこ)へたり扨又/医学(いかく)を能(よく)して薬(くすり)のきかぬ
人はいかゞといへば爰(こゝ)に/李中梓(りちうし)と云人の書(かゝ)れし
事あり諸病(しよびよう)を治(ぢ)する法は医書(いしよ)の上に/少(すこし)も
秘書(ひしよ)もなく能(よく)なをせがしの様(やう)にかきのせたり
それを園通(ゑんつう)の用(よう)とて自由自在(じゆふじざい)に/用(もちひ)なす
所は何がなすそといへば妙我か心(しん)にありとて療(れう)
治(ぢ)の仕様(しやう)/書物(しよもつ)にあるを我(わ)がものにして用(もちゆる)所は
我(わ)か心の妙(めう)のはたらきにて我(われ)とする所といへり
然は/書物(しよもつ)にあるれうぢの仕様(しやう)を其通(そのとをり)にきく

様(やう)に用(もち)ひなす事のならぬは我心(わかこゝろ)の妙(めう)のはたらき
のなき人と思ふへき也/如此(かく能ことく)云ても前(まへ)に/云(いふ)/不才(ぶさい)
覚(かく)といふも妙(めう)の働(はたらき)なきと云(いふ)も似(尓)たものなり
いかやうの/物(もの)か妙(めう)のはたらきのなきといふへきや
何(なに)とぞ此/理(り)を通(つう)する事や有つきと思案(しあん)し
侍(はんべ)る所に/不斗(ふと)/存出(そんじいて)たる事あり粟田口(あはたくち)と云/狂言(きやうげん)
を見るに/大名(だいみやう)ありて太郎くはじやをよひ出し
都(みやこ)へのほりて粟田口(あはたくち)をもとめて来(きた)れと申付
らるれは太郎(たろう)くはしや畏(かしこまつ)たりとて都へ上り粟田(あはた)
口を買(かい)候はんとよばはりありけは大すつはものが
出合て田舎(いなか)ものと見たて立(たち)よりて粟田口(あはたくち)を
うらん買(かひ)候へと申太郎くはしやいでかはん見せ候


へと申せは則(すなはち)それがしにて候と申/太郎(たろう)くはしや
扨(さて)はあはた口と云は人にて有かといへは中(なか)々
の事人て有と云(いふ)/太郎(たろう)くはしやそれは又
いかなる事にてたからものにはなるそと云へ
はそのこと某(それかし)は粟田口(あはたくち)の惣領筋(そうりやうすち)にて唯(たゞ)一人
千ぎ万ぎのさきへ向(むか)へは雪霜(ゆきしも)に/湯(ゆ)をかくる
ことく歒(てき)かめつきやくするによりてたから物(もの)に
成(なる)といふ扨(さて)々それはいかさま宝物(たからもの)らしき物(もの)にて
候さあらは買(かい)可申とて求(もとめ)て帰(かへ)る大名待兼(たいみやうまちかね)て
太郎(たろう)くはしや粟田口(あはたくち)かふてきたか〳〵と御申
有太郎くはしやもとめてまいりましたと申
さらは見せよと御申あれは太郎くはしや御

門外(もんくはい)に/居(い)申と申せは大名(たいみやう)それは人かと御申
有/中(なか)々人にて御座(こざ)候と申大名其人が宝物(たからもの)
とは何(なに)の用(やう)に/立(たつ)そと御申有/時(とき)/太郎(たろう)くはしや
されは粟田口(あわたくち)の惣領筋(そうりうすぢ)にて唯(たゞ)一人千き万き
の前(まへ)へむかへは皆々(みな〳〵)/歒(てき)がめつきやく仕(つかまつる)と申大
名それは成不と宝物(たからもの)らしき事也然は粟田(あはた)
口(くち)の正銘(しやうめい)の書付(かきつけ)が有不とに合(あはせ)て見へし答(こたへ)
候はんか問(と)へと御申ある太郎くはじや其通(そのとをり)をとへは
中(なか)々/答(こた)へ申さんと申太郎くはしや其通(そのとをり)を申
上る其時大名/粟田口(あはたくち)の正銘(しやうめい)の書付(かきつけ)を取出(とりいだ)し
て何(なに)々あはた口(くち)の正銘(しやうめい)の事ま川一/番(ばん)に/身(み)
はふるかるへしと身(み)かふるひか尋(たつね)てまいれと有


太郎くはしや身はふるひかと尋(たつね)ぬれはこぶ湯(ゆ)の侭(まゝ)
にて終(つゐ)に湯風呂(ゆふろ)を仕らぬゆへに/随分(ずいぶん)身はふる
ひと申太郎くはしや其通(そのとをり)を申上る大名/其由(そのよし)を
聞(きく)それはふるけれともむさい事しやなと云て又二
はんには歯(は)か加たかるへし扨ははづかたいか尋(たつね)て来(きた)
れと有太郎くはしや其通を/尋(たつね)ぬれは随分/歯(は)
はかたく候/御前(こせん)にて岩(いは)がんせきにてもかみわり申
へきと申太郎くはしや其通を申上る大名かた
い〳〵と云て又三はんにはゞきもとくつかるへし
はゝ起もとがくろひか尋(たつね)て来れと有太郎くはしや
其通を尋ぬれは中々の事い年ても覚(さめ)てもしゆ
すのきやはんをいたし候是もはゝきもと黒(くろい)と申

さるへきやと申太郎くはしや其通(そのとをり)を申上れは
大名あふくろい〳〵四/番(ばん)に/但両銘(たゞしりやうめい)なるへし両銘(りやうめい)
か尋(たつね)て来(きた)れと有太郎くはしや其通(そのとをり)を尋(たつね)ぬれ
は少あぐみ顔(がほ)なりしか申やうは上(うへ)の京(きやう)に/姉(あね)の娘(むすめ)
あり下京に/妹(いもうと)の娘(むすめ)が御座(ござ)候/是(これ)も両(りやう)めいと申
さるへきやと申太郎くはしや其通を申上る大名
あふ中々/両(りやう)めい〳〵なり扨は粟田口(あはたくち)の正身(しやうじん)上る也
と云此/狂言(きやうげん)の躰(てい)を案(あんす)るに/書付(かきつけ)はすこしもたが
はす能々(よく〳〵)あひぬれ共/打物(うちもの)と人と不との大なる
替(かはり)あり然は前(まへ)の書物を沢山(たくさん)によみても薬(くすり)の
きかぬ人の躰(てい)を引合て申さは病(びよう)人に/対(たい)し
て頭(かしら)がいたひかと問(とへ)はいたひと答(こたへ)さむけあるかと

問(とへ)は中(なか)々/寒(さむ)け有といひ其後熱が来るかと問はいか
にも其通(そのとをり)と云そこにて脈(みやく)をとれはしかも浮(うき)てすゝ
む是(これ)こそ風(かせ)を引(ひき)たるなり書物(しよもつ)の上(うへ)に/少(すこし)もはづ
れなきと思ひて薬(くすり)を用(もちゆる)にすつかりとはつれ
て薬がきかぬはいかゝなれは右(みぎ)の病症(びようしやう)に/風症(ふうしやう)も
有べし又は食傷(しよくしやう)も有へし又はおこりなと煩(わつら)ひ
出しも有へし暑気もあるへし其/外(ほか)/何煩(なにわつらひ)にも
能々(よく〳〵)/似(に)たるもの有へき事なればよく書付(かきつけ)にあふ
てはつるゝ/似(に)た所を見分(みわけ)ぬるを心の妙(めう)の働(はたらき)
と申へし誠(まこと)に/同(おな)しく見てひとりしりいろ
なきを見/味(あぢは)ひなきをなむと有所なるへし
書物(しよもつ)を沢山(たくさん)によみ学問(かくもん)を能(よく)しても似(に)せ正(しやう)

身(じん)の見分(みわけ)ぬは粟田口(あはたくち)の狂言(きやうけん)のことくなるゆへに
某(それかし)の見/立(たて)には学力(かくりき)ある人の薬のはたらかぬは
粟田口と申さること云けれは扨(さて)も〳〵/尤(もつとも)聞(きこ)へ
たりおもしろき取合(とりあはせ)かなと感(かんじ)入けり一/笑々々(せう〳〵)
同座(だうさ)に一/芸(げい)に▢したる人有/扨(さて)々/是(これ)を申
さば諸芸(しよげい)のいんか所尓てあるとかんしたる
人もあり去(さり)によりて此こなしを粟田口/咄(はなし)
と申さんとはなされし面白き事(こと)也

貞享二乙丑歳 夘月吉日
   
北御堂前安土町本屋 書林庄太郎開板

裏表紙

{

"ja":

"(秘法日用)養生訓"

]

}

【帙 表】
【題簽】
《割書:秘法|日用》養生訓

【帙 背】
《割書:秘法|日用》養生訓 全
【帙 表紙】
【題簽】
《割書:秘法|日用》養生訓

【表紙】
【題簽】
《割書:秘法|日用》養生訓 全

序曰
 抑(ソモ々)上古(ジヤウコ)者(ハ)鍼灸(シンクワ)ヲ官(ツカサ)トリ
 療事(リヤウスルコト)専(モツハラ)永続(ヱイゾクシ)尚又(ナホマタ)其後(ソノノチ)
 中天竺(チウテンジク)ニ名医(メイヰ)有(アリ)テ死活(シクハツ)之(ノ)
 陽灸(ヨウクハ)ヲ考出(カンガヘイダシ)万人(バンニン)ノ病苦(ビヤウク)
 救事(スクウコト)夥鋪(オビタヾシク)而(シテ)其後(ソノノチ)口伝(クデン)ニ

 曰(イハク)打捨(ウチステシ)トヤ云(イハン)併(シカシ)療(リヤウ)スル官(ツカサ)
 成(ナレ)バ今(イマ)之(ノ)世(ヨ)ニ至迠(イタルマデ)言伝(イヒツタヘ)有(アリ)
 ナン尤(モツトモ)無病(ムビヤウ)者(ハ)正直(シヤウジキ)信心(シンシン)ノ
 官(ツカサ)ニテ孝道(コウトウ)ヲ世(ヨ)之(ノ)越路(コシジ)ニモ
 成(ナレ)カシト本書(ホンシヨ)ニ曰(イウ)亦(マタ)諸書(モロ々ノシヨ)
 ニモ見(ミヘ)タリ即(スナハチ)忠孝共 各(オノ々)其(ソノ)

 職(シヨク)ヲ励(ハケマン)ニハ常(ツネ)ニ陽灸(ヨウクハ)ヲ用(モチヒ)
 ズンバ《振り仮名:不_レ可_レ叶|カナヲベカラズ》体中(カラダ)ニ不足(フソク)発(ヲコリ)テ
 ヨリ俄(ニワカ)ニ灸(キウ)ヨ鍼(ハリ)薬(クスリ)ヨト騒立(サワギタチ)
 テハ其(ソノ)療功(コウ)薄遅(ウスシ)去(サレ)ド多(オホク)ハ
 衆人(シウジン)陽灸(キウ)ヨリハ飲食(ノミクヒ)ニ而已(ノミ)
 曲(クセ)ノ附安(ツキヤスキ)者(モノ)成(ナレ)ド先(マツ)ハ忠孝(チウコウ)共(トモ)ニ

 我(ヲノレ)ノ体(ニ)ガ本手(モトデ)成(ナレ)バ平日(フダン)ニ点(テンジ)
 置(オキ)タキ者(モノ)也(ナリ)何モ四海(シカイ)皆(ミナ)無病(ムビヤウ)
 長寿(テウジユ)シテ愛度(メデタク)子々孫々(シ々ソン々)迠(マデ)
 泰平(タイヘヒ)天念(テンネン)之(ノ)齢(ヨハヒ)ヲ唯々(タ々々)願(ネガ)フニ
 ナン

養生訓
○夫(それ)人(ひと)は天地(てんち)の全(まつたく)気(きを)禀(うけ)て生(せう)ずる
 を以 則(すなはち)小天地にたとをる依(よつ)て陰女(いん)
 陽男(よう)理(り)物とも悉皆(しつかい)具足(ぐそく)する
 より万物(ばんもつ)の長(てう)たりと云(いふ)是(これ)みな人
 のしる処(ところ)にして然(しか)れども天
 地に雲霧(うんむ)風雨(ふうう)変(へん)あり況(いはん)や人倫(にんげん)に

 おひては一ツの凝体物(きやうたいぶつ)なれは病煩(びやうけん)の
 障(さはり)尤有べし併(しかし)天地は尽(つき)る期(ご)なし
 人は命終(めいじう) 定(さだま)りありて尽(つき)る期(ご)あり
 故(ゆへ)に病症(びやうせう)を消除(けじよ)する事は平生(へいぜい) 養(やう)
 生(せう)に有事にして寿齢(じゆめう)もまた延(のび)る
 期(ご)もあるべし譬(たとへ)は深山(しんざん)に住者(すむもの)は山
 に入 木(き)を樵(こり) 柴薪(しばたきぎ)を刈取(かりとり)遠鄙(とおき) 田舎(いなか)

 に住(すめ)は朝暮(あけくれ) 田畑(たはた)を耕(たかやか)し其(その) 業(わざ) 不怠(おこたらず)
 身を勤(つとめ) 麁食(そじき)を給(たべ)る故(ゆへ)に自然(しぜん)の養(やう)
 生(せう)と成て定命(じやうめい)の外(ほか)に寿(じゆ)を保(たも)つ
 者(もの)もあり
〇 市中(しちう)繁花(はんくは)に住居(すまい)する者(もの)は日々(にち〳〵)肉(にく)
 食(じき)をし山海(さんかい)の美食(びしよく)ほしひ儘(まゝ)に
 して其(その) 自由(ぢゆう) 過当(くはとう)にて身分(みぶん) 不(ふ)

 相応(そうおう)の栄曜(えいやう)【燿とあるところ】に持崩(もちくづ)し或(あるひ)は家業(かぎやう)
 其(その) 職(しよく) 其 商(あきなひ) 例(むき) 利潤(りじゆん)の理外(りくはい)に利欲(りよく)
 を得(ゑ)んと各(おの〳〵) 心気(しんき)を苦(くるし)め朝夕(あけくれ) 商(せう)
 謀(ぼう)の意(こゝろ) 《振り仮名:無_二止時_一|やむときなく》 需(もとめ)て己(おのれ)と心意(しんい)を
 痛(いた)め其為(そのため)に存外(そんぐはい)の病苦(びやうく)を発(はつ)
 し定命(じようめい)をも又 縮(ちゞ)め果(はて)る人も有
 べし又 父母(ふぼ)に字(あざな) 疾毒(しつどく) 多(おほ)けれは

 其子父母に准(じゆん)ずる又 譬(たとへ) 胎内(たいない)に
 止(とゝま)る時々(じ〳〵)不時季(ふじこう)によりて千変(せんべん)
 万化(ばんくは)の病(やまひ)となる是 父母(ふぼ)の同寝(とうしん)
 不時季(ふじこう)を禁(いむ) 事子々 孫々(そん〳〵)まで
 清(きよ)き万物の長たりとなり
〇 当時(とうじ) 一生(いつしやう) 無(む)病 賢固(けんご)にして命終(めいじゆう)
 する人 稀(まれ)なり病は各(おの〳〵) 平日(へいぢつ) 養(やう)

 生(じよう)の不行届(とゝかざる)より煩(わづら)ひを需(もとめ)るに
 等(ひと)し
〇 病気(やまひ)に同症(どうせう)の者あれど其人(そのひと) 各(おの〳〵)
 平日(へいじつ)の気順(きじゆん)有ものにて一同に
 なきなり又同病たりとも風土(とちのしだい)
 並 時候(じこう)により て少(すこ)しの違(ちが)ひも有
 べし病(やまひ)の盛(さか)んなる時(とき)は薬力(やくりき)を

 以 一時(いちじ)たちまちに治(ぢす)といふ事 難(かた)
 く故(ゆへ)に病者(ひやうにん) 心気(しんき)を尽(つく)して医(い)
 術(りやう)の誹謗(ひほう)す《振り仮名:歎ヶ鋪|なけかはしき》 事也 然(しか)る処(ところ)
 予 幼年(よふねん)にして多病なりしが二
 十歳の頃(ころ) 病(やまひ)の床(とこ)に臥(ふ)す父母(ふたをや)
 種々(しゆ〳〵) 医療(いりやう)を尽(つく)し呉(くれ)るといへ
 ども更(さら)に薬功(やくこう)なく煩(わつら)ひ臥事(ふすこと)

 凡(およそ)六ヶ年におよび既(すで)に命(いのち) 終(おは)るを
 相 待(まつ)のみなりしに幸(さいわひ)六ヶ年の春(はる)
 の末(すへ)に至(いた)り尤 従弟(いとこ) 医書(いしよ) 古(こ)
 実(じつ)の本(ほん)を求呉来(もとめくれきた)り併(しかしなから) 予病
 苦難渋(くなんじう)に余(あま)り自療(じりやう)も種々(しゆ〳〵)
 致(いた)し居(をり) 是幸(これさいわひ)と此(この) 書(しよ)に心を尽(つく)し
 死活(しくはつ) 官門(くわんもん)の灸穴(きうけつ) 功能(こうのう) 有明(うめい)

 成こと始(はじめ)て知れり予 灸(きう)せん事
 を一 心(しん)に思(おもひ)父母(ふぼ)に□【乞ヵ】長病(こふてうひやう)の労(つか)れ
 不承引(ふせうち)なれど天命(めいをてん)にまかせ
 伝書(でんしよ)の通(とふ)り其(その)日より無絶間(たへまなく)
 灸療(きうりやう)するに両(りやう)三日 苦(くるし)む事
 烈(はげし)く故(ゆへ)に父母(ふぼ) 深(ふか)く止(とゝむ)るといへ
 ども押(をし)て灸療(きうりやう)する事(こと)七日

 余りなり然(しか)るに気分(きぶん)ひらき
 始(はじめ)て快(こころよき)をおぼゆる猶(なを)不怠(おこたらず)療(りやう)
 するに三十 余(よ)日にして気力(きりょく)
 調(ととの)ひ病気(ひやうき)追々(おひ〳〵)全快(こゝろよく)して一命
 を保(たもつ)こと全(まつた)く死活(しくは)官門(くはんもん)の余(よ)
 光(こう)と深(ふか)く信用(しんよう)して日々時々
 灸養(きうやう)せしに其年(そのとし)の中秋(あき)に

 至(いたつ)て大丈夫(だいじやうぶ)となる依(よつ)ていよ〳〵
 灸道(きうどう)に心を尽(つく)し猶(なほ)修行(しゆきやう)丹精(たんせい)
 せし所(ところ)本(ほん)死活(しくは)の有功(いちしる)き事
 相(あい)覚(おぼへ)其 全(ぜん)愈(ゆ)を相(あい)歓(よろこび)諸国(しよこく)巡(じゆん)
 崎(き)し諸人(しよにん)へ 点灸(てんきう)を施(ほどこ)し病(ひゆう)
 苦(ぐ)を助(たすけ)る事(こと)数多(あまた)なり依(よつ)て
 先年(せんねん)より当

 御府内(こふない)へ罷出(いでゝ) 猶々(なほ〳〵) 灸点(きうてん)を進(しん)
 ずるに
 諸(しよ)御方《割書:幷》 市中(しちう) 病煩(びやうけん)の家々(いへ〳〵)
 より懇望(こんもう)に任(まか)せ灸療(きうりやう) 進(しん)し候
 処 平癒(へいゆ)の人 是(これ) 又(また) 数多(あまた)なり全(まつたく)
 灸療(きうりやう) 信(しん)ずるの《割書:予》が幸福(さいわい)なる
 べし

 若年(しやくねん)の男子(なんし) 女子(によし) 法外(はうぐはい)の不行(ふぎやう)
 跡(せき)といへども皆(みな) 気(き)の滞(とゞこふ)りにして
 病(やまひ)なり譬(たとへ)は老若(らうにやく)とも病(やまひ)の為(ため)に
 是(これ)に准(じゆん)ずる又譬 字(あさな) 癩病(らいびやう) 癲癇(てんかん)
 眼病(がんびやう) 瘡毒(そうどく) 肝症(かんせう) 中風(ちうふう) 痔漏(ぢろ) 脱肛(だつこう)
 熱病(ねつびやう) 痢病(りびやう) 痛風(つうふう) 乱心(らんしん) 大人(たいにん) 小児(しやうに) 産(むまれ)
 付(つき) 離支(かたは)といへども皆(みな) 万病一毒(まんびやういちどく)に

 て気(き)の滞(とどこふ)り是(これ)を以 病(やまひ)とす且父
 母(ぼ)に胎毒(たいどく)ありて精液(じんすい)卵巣(たいなひ)に
 止(とゝま)りて子胤(こと)なる其(その)子(こ)出産(しゆつしやう)し
 て或(ある)ひは胎毒(たいどく)にて瘡(かさ)を発(はつ)し
 脳(なやむ)また虫気(むしけ)などの煩(わづら)ひあるは
 その基(もと)皆(みな)父母(ふぼ)のあしき濁精(ぢよくせい)を
 受(うけ)し故(ゆへ)に此(この)性(しやう)をなす故(うるがゆへ)に常々(つね〳〵)

 無怠(おこたりなく)灸治(きうじ)いたし置(をき)候へば出生(しゆつせう)も
 安体(あんたい)なり譬(たとへ)は玉(たま)不磨(みがかざれは)無光(ひかりなし)身(み)も
 濁精(しよくせい)を不磨(みがかざれば)無光(ひかりなし)猶(なほ)孝道(こうどう)は清(せい)
 体(たい)なり不孝(ふこう)は病体(ひやうたい)にして身(み)
 を守(まも)り家(いへ)を守(まも)り国(くに)を守り得(ゑ)
 る事をしらず清体(せいたい)は身(み)を守
 り家(いえ)を守り国(くに)を穏(おさ)め孝道(こうどう)を

 官(つかさ)どり凝滞(きやうたい)なく穏(をたやか)を主(しう)とし
 自然(しぜん)と正直(しようじき)にして長寿(ちゆうじゆ)する
 こと疑(うたが)ひなし
  哥に
   不孝なる道は糸よりほそからん
    世にひろかりし孝の道かな
○平日(へいじつ)老若(らうにやく)男女(なんによ)小児(しように)に至(いた)るまで
 死活(しくは)陽灸(きう)怠(おこたら)ざる時(とき)は是(これ)迄(まで)の
 体中(たいちう)に有之 濁気(あしき)を散(さん)じ陽(やう)
 灸(くは)を以 一体(いつたい)清涼(せいりう)ならしむ故(ゆへ)に
 気(き)血(けつ)水(すい)の経絡(けいらく)順還(じゆんくはん)して悉(こと〴〵)く
 清(きよ)く心気(しんき)少しも凝滞(きやうたい)する事
 なし又 胎内(たいない)の子(こ)其(その)清気(せいき)を受(うけ)
 得(え)て出生(しゆつせう)するゆへ聊(いささか)煩(わつらひ)の質(しつ)

 なく是(これ)則(すなはち)万病(まんびやう)一灸の功あり
○一胎(いつたい)同腹(どうふく)より出生(しゆつせう)の子(こ)たとへは
 兄(あに)弟(おとゝ)姉(あね)妹(いもと)と分身(ぶんしん)してその
 子 等(ら)成長(せいちやう)の後(ご)強弱(ごうじやく)智患(ちぐ)正(せう)
 不実(ぶじつ)孝(こう)不孝(ふこう)となる者(もの)あり
 是(これ)全(まつた)く其(その)子(こ)等(ら)の性質(せいしつ)不冝(あしき)
 とのみ思(おもふ)べからす父母(をや)嘆息(たんそく)

 すといへども一切(いつさい)其(その)基(もと)は皆(みな)父母(をや)
 清濁(せいたく)の体(たひ)より受(うけ)て常(つね)の行(をこ)
 なひ正不正(よろしからざる)よりその子(こ)同気(をなじき)を
 需(うけ)て出生(しゆつせう)し譬(たとへ)は不実(ふじつ)不孝(ふこう)
 は皆(みな)病体(ひやうたい)なり又たとへは親子(しんし)
 夫婦(ふうふ)また親類(しんるい)他人(たにん)に至(いたる)まで
 自身(みづから)より廉々(かど〳〵)たて不中(ふなか)を

 主(つかさ)とし其(その)外(ほか)口伝(くでん)もの皆(みな)病(やまい)
 なり
  哥に
   まるき世にかどをたつるは
    病身そ無病な人に方角(ほうがく)はなし
 且(かつ)死活(しくはつ)の陽(よう)灸(くは)万病(まんひやう)を磨(みがく)事(こと)
 疑(うたが)ひなしといへどもその病(やまい)に

 より手後(ておくれ)は療治(りやうじ)不届(とどかず)極(ごく)老衰(らうすい)
 療(りやう)するに不及(およはず)譬(たとへ)は木(き)の朽(くち)た
 るに似(に)たり又諸木といへども
 病(やまい)の気(き)を持(もち)自然(しぜん)と枯(かれ)気(き)を持(もつ)
 ときは陽灸(ようくわ)の療(りやう)するに於(おゐ)ては
 猶(なほ)又 清木(せいき)となり亦(また)小犬(ちん)猫(ねこ)の病(やまい)
 も陽灸(ようくは)にて治(じ)す皆(みな)陰陽(いんよう)の性(せい)

 にてたとへは小天地(しやうてんち)の如なり又
 譬(たとへ) 晴天(せいてん)の日中(にちちう)に水(みづ) 空気(くうき)に
 有(ある)といへども眼(め)に見(み)へずその道(どう)
 具(ぐ)にては空(くう)水(すい)を取(と)るといへりたとへ
 精液(じんすい)も目にみえず然(しか)れ共(とも)取(とる)道(みち)に
 して取(とる)事(こと)とれり皆(みな)万物(ばんもつ)水(すい)火(くわ)の
 為(ため)に生(せう)ずる者(もの)なり

○大家(たいけ)或(あるひ)は市中(しちう)の富家(ふつか)のものに
 かならず子胤(こたね)なきも数多(あまた)あり又
 適(たま〳〵)有と雖(いへども)早生(そうせ)若年(ぢやくねん)にして空(むな)
 しく成(なる)者(もの)あり実(じつ)男子(なんし)有(あり)とい
 へと他(た)へ出(いだ)し他の子を相続(そうぞく)に
 致(いた)し不順(ふじゆん)なる事 常々(つね〳〵)の身持
 不仕堕落(ふしだら)にて酒色(しゆしき)をすごし

魚鳥(ぎよてう)の肉(にく)を強喰(ごうしよく)し死活(しくわつ)の陽(よう)
灸(くは)も致(いた)さず不養生(ふようせう)して一子(いつし)な
きを愁(うれ)ふ豈(あに)濁毒(ゐんどく)の気(き)を含(ふく)むこ
とを知(し)らず精液(じんすい)を補(をぎな)わんと種々(しゆ〴〵)
の好食(このみぐひ)精薬(しんやく)腹用(ふくよう)【ママ】するといへど体(たい)
中(ちう)の其(その)基(もと)を能(よく)磨(とぎ)明(あきらか)にせずしては
悲哉(かなしいかな)所詮(しよせん)有べからず

酒食(しゆしよく)魚鳥(きよてう)獣肉(ぢうにく)其外の物々 一能(いちのう)
一 毒(どく)あるといへり然(しか)れども一さい
人の食(しよく)ならざるはなく依(よつ)てその
程々(ほど〳〵)に能(よく)食する時は一体(いつたい)の養(やしなひ)
となる然(しか)るに過当(くはとう)の強食(ごうしよく)する
故に還(かへつ)て其身(そのみ)の害毒(がいどく)となる
べしたとへは数万(すまん)の財宝(ざいほう)を積(つむ)

 といへども一 命(めい)の外(ほか)重宝(たつとき)たる
 もの有べからず依(よつ)て大切(たいせつ)の一
 命(めい) 常(つね)に厭(いとふ)こと養(やしな)ふべし
◯体中(たいちう) 気血水(きけつすい)の三 道(どう)は流(なが)るヽ
 水の如(ごと)し若(もし) 淀(よど)むときは塵芥(ちりあくた) 自(し)
 然(ぜん)に経道(けいどう)に止(とヽま)り其(その)為(ため)に順道(じゆんとう)を
 妨(さまた)げ凝体(けたい)と成て気(き)の滞(とゞこふ)り

 より疾毒(しつどく)と成て発(はつ)すまた
 譬(たとへ)て曰(いはく) 古(ふる)き障子(しようじ)と雖(いへども) 日々(にち〳〵)時(とき)
 々(〳〵) 刻々(こく〳〵)にして明立(あけたて)繁(しげ)き故(ゆへ)
 に滞(とゞこふ)り障(さは)りなく順なるに
 よつて虫(むし)のはむ愁(うれ)ひなし
 腹内(ふくなひ)も又 穏和(おだやか)なる時は無病(むびやう)
 にして凝気(こつき)のうれひなし爰(こゝ)に

 おひて父母(ふぼ)清健(せいけん)養生(ようせう)灸治(きうじ)
 不怠(おこたらざる)ときは精気(じんせい)もきよく
 調補(ちやうぼ)するなり又 閨交(けいこう)して子(こ)
 胤(と)なり臨月(りんげつ)におよびて出生(しゆつせう)する
 其(その)子(こ) 亦(また) 清凉(せいりう)なり生長の後(のち) 其(その)
 性(しやう) 正(たゞ)しうけれは必(かならず)其 親(をや)の教諭(きようゆ)
 を守(まも)りて孝行(こう〳〵)にあるべし

 また主君(しゆくん)に仕(つか)ゆる時(とき)はかならず
 忠烈(ちうれつ)も有へき事なり先(まづ) 子(こ)な
 きは先祖(せんぞ)へ対(たひ)し不孝(ふこう)となり
 或(あるひ)は又 主(しう) 有(ある)ものは其 君(きみ)の恩(おん)を
 報(ほう)ずるの世継(よつぎ)なきは自然(しぜん)の不(ふ)
 忠(ちう)なるべし併(しかし) 養(やしな)ひ子(こ)をもつて
 継続(けいぞく)する事有といへど血統(けつとう)に

 しかず
◯ 前条(せんじやう) 病発(ひやうはつ)するを治(じ)するの薬功(やくこう)
 も有(あり)なん併 万病(まんひやう)起らざるは死(し)
 活(くは)の陽灸(ようくは)にしかずと覚(おぼ)ゆ
◯ 序(ついで)に曰(いう) 三州(さんしう) 吉田(よしだ) 侯(こう)の御領知(ごりょうち) 百性(のふにん)
 万平(まんへい) 親子(しんし) 孫(まご) 曽孫(ひこ) の一統(いつとう) 無病(むひやう)に
 して長寿(ちやうじゆ)なり薬用(やくよう)の分(ぶん)は

 壱(いち)人たりとも一生(いつせう)おほへず常に
 神方(しんほう) 艾灸(がいきう)の外(ほか) 他事(たじ)なく不(おこた)
 怠(らず) 点(きう)して清健(すこやか)なりといふ是(これ)は
 世上(せじやう)の人 能(よく)しれる事(こと)なれど灸
 能(のう) 大功徳(たいくとく)なるを信用(しんよう)して爰(こゝ)に
 あらはす者也
◯《割書: 予》 死活(しくわつ)の陽灸(ようくわ)する所は男女(なんによ)


 小児(しように)にかぎらず其人しんさつ
 のうへ陽灸(ようくは)進(しん)じ体内(たいない)のその
 根元(こんげん)を強補し不通(ふつう)不 足(そく)の気(き)
 血(けつ)水を順(じゆん)ならしめ心気(しんき)を養(やしな)ひ
 精(じん)気を清(きよ)くするの功(こう)あれば
 自然(しせん)と無病(むびやう)にして心にわづ
 らふ事なく一 体(たい)全(まつた)くしてなに

 ほどの大勤行(たいきんぎやう)するとも労(ろう)せざ
 れば心気(しんき)凝念(こりねん)なくおもふこと
 自由(じゆう)なり是(これ)性分(せうぶん)たゞしく強(つよく)
 なる故(ゆへ)なり亦(また)今日(こんにち)天道(てんとう)の冥(めう)
 利(り)にもかなふべき事と思ふ
◯右書(みぎしよ)に曰(いはく)童蒙(どうもう)女子の為(ため)わかり
 得(ゑ)やすく死活(しくはつ)陽名(ようめい)灸(きう)の功験(こうけん)

 あることを猶(なほ)諸人(しよにん)にしらしめ
 病苦(びやうく)に煩(なや)める人を補助(ほじよ)せん事
 を専要(もつはら)とすしかれはとて己(おのれ)が
 名(な)をうるにあらず又 職業(しよくぎやう)に
 慢(まん)ずるにもあらず唯人(たゞひと)おの〳〵
 一体(いつたい)の為(ため)にもなれかしと一冊(いつさつ)
 に記採(かきと)りぬかならず人の嘲(あざけ)り

 もあらんなれども病(やまひ)を見(み)て衆(しう)
 人(じん)の笑(わら)ひをいとはず俗々(ぞく〳〵)卑(ひ)
 文(ぶん)ながら神方(しんほう)陽灸の能莫
 太(たい)なるを信用(しんよう)己(おのれ)がこゝろの
 拙(つたな)きをもつて述(のぶ)るもの也
  歌に
   福(ふく)は礼(れい) 禄(ろく)は義(ぎ)にあり寿(じゆ)は

【注:L15「禄」は「録」と誤記されている】

   仁にありてこそなを
        灸養(きうよう)か基(もと)
  濁水(たくすい)の身(み)も灸(ひ)で磨(みがき)
   おくならはしぜんと
    清(きよ)き月そすみけり 

        江戸日本橋檜物町
          町医師
 安政四《割書:巳》 年仲冬   上兼養明
             蔵板【印:養儔】

【見返し 右丁 白紙】
【見返し 左丁 文字無し】

【裏表紙】

黄金山福蔵実記

{

"ja":

"長生養生伝"

]

}

長生養生伝

【帙を開いて臥せた状態】
【帙の背】
長生養生伝  一冊   【資料整理ラベル】富士川本
                       チ
                       100

【帙表紙 題箋】
《題:長生養生伝》

【表紙 題箋】
□□□生伝

【資料整理ラベル】
富士川本
 チ
 100

【見返し 白紙】

此書のはじめには産婦(さんふ)の胎教(たいけう)出産(しゆつさん)の要用(えうよう)世(よ)に
土公(つち)誕生(たんじやう)の小児(こども)は病身(びやうしん)短命(たんめい)なりという説(せつ)あるを都而(すべて)
無病(むびやう)延命(えんめい)の福(さいはい)を得(う)べき伝(でん)又は壮年(さうねん)の人(ひと)の身持(みもち)

《題:《割書:人間|一生》長生養生伝(ちやうせいやうじやうでん)》
老人(らうじん)の心得(こゝろえ)長寿(ちやうじゆ)は五福(ごふく)の第一なれば仙家(せんか)の秘術(ひじゆつ)を
和(やは)らげて長生(ちやうせい)不老(ふらう)の伝法(でんほう)をあらはせり
        浪華書林     文会堂梓


             【朱印】富士川遊寄贈


長生養生伝(ちやうせいようぜうでん)目録(もくろく)
 ㊀ 長生(ちやうせい)の術(じゆつ)を学(まな)ぶ人は寿(なかいき)すへき義(き)
   幷に千歳(ちとせ)の松(まつ)の譬(たとへ)
 ㊁ 産婦(さんふ)の要心(ようじん)      【黒丸印 ¬吉 織部 尼崎】
 ㊂ 出誕(しゅつたん)の小 児(に)に用る霊方(れいはう)
 ㊃ 胎毒(たいどく)を吐(はか)す良薬(りやうやく)

【蔵書印】
京都
帝国大学
図書之印

【資料整理番号】
186142
大正7.3.31




㊄   小児に乳(ち)を飲(のま)す心得(こゝろへ)
    幷に振袖(ふりそで)を着(き)せるの訳(わけ)
㊅   三欲(さんよく)を慎(つゝし)む教(をしへ)
㊆   起臥(きぐは)を定(さだむ)へき心得
    幷に悪夢(あくむ)を見る時 唱(とな)ふる呪文(じゆもん)
㊇   夫婦(ふうふ)常(つね)に嗜(たしな)むへき掟(をきて)
㊈   男子(なんし)女子(にょし)を胎(やど)す日の事

㊉   誕生(たんじやう)日つち入(いる)吉凶(きつけう)の訳(わけ)
○十一 土(つち)に入日を知(し)る事
○十二 大土(おほつちと)小土の見様(みやう)
○十三 あげつちさげつち祟(たゝり)の事
○十四 大 槌(つち)小 槌(つち)と書(かき)かへる訳(わけ)

○十五 槌(つち)奉納(ほうのう)の仕様(しやう)
    幷に祇園(きをん)美(うつくし)の御前(こぜん)の伝(でん)
○十六 大土小土の誕生(たんじやう)を忌(いむ)の謂(ゐはれ)
○一七 つち産(むま)れ一 説(せつ)
○十八 胞衣(ゑな)を蔵(をさむ)る方角(はうがく)
○一九   土(つち)産(むま)れの咒(まじなひ)

○廿  土(つち)に入 前(まへ)水を汲置(くみをく)咒(まじなひ)
○廿一 鍋(なへ)の底(そこ)を/潜(くゞら)す時 唱(とな)ふる咒文(じゆもん)
○廿二 土 誕生(たんじやう)の小児 名(な)を付様(つけよう)
○廿三 六十 図(づ)早引(はやひき)
○廿四 土 産(むま)れの人 長生(ちやうせい)の術(じゆつ)を行(をこな)ふの義理(きり)

○廿五 長生(ちやうせい)無病(むひやう)の妙術(めうじゆつ)
○廿六 沐浴(ゆあみ)をすへき心得
○廿七 今(いま)の世(よ)の人 積聚(しゃくじゅ)の病(やまひ)ある訳(わけ)
○廿八 煙草(たばこ)の能毒(のうどく)
○廿九 灸(やいと)をすべき心得

○三十 老人(らうじん)の要心(ようじん)
○卅一 長生(ちやうせい)伝授(でんじゆ)の心法(しんぽう)
○卅二 臥(ぐは)する時 唱(とな)ふる咒文(じゆもん)
○卅三 遺精(ゐせい)不禁(よばり)を止(とむ)るの伝(でん)
○卅四 寿(ことふき)を保(たもつ)に平生(へいぜい)服(ふく)すへき仙方(せんかた)

○卅五  不老(ふらう)の妙剤(めうさい)
○卅六  遠行(ゑんこう)の時 懐中(くわいちう)すへき妙方(めいはう)
○卅七  水(みづ)の替(かは)りを治(ち)する妙方
○卅八  痰飲(たんゐん)を治するの妙方
○卅九  煙(けむり)に咽(むせ)ばさる妙方

○四十  旅行(りよかう)に持(もつ)べき妙方
○四十一 打身(うちみ)を即時(そくじ)に愈(いや)す妙方
○四十二 犬(いぬ)に噛(かま)れたるを治(なを)す妙方
○四十三 針(はり)の肉に入たるをぬく霊方(れいはう)
○四十四 鼻血(はなぢ)を止(とむ)る妙方

○四十五 山野(さんや)にて狼(をゝかみ)其外 毒蛇(どくしや)猛獣(もうじう)を避(さく)る霊方
○四十六 髪(かみ)のぬけざる妙方
○四十七 白髪(しらが)をぬく日の事
○四十八 長生(ちやうせい)不老(ふらう)の術(じゆつ)を学(まな)ぶ人は春夏秋冬(しゆんかしうとう)
     其(その)月々(つき〳〵)により万事(ばんし)に心得(こゝろえ)あるの教(をしへ)
       目録終

長生養生伝(ちやうせいようぜうでん)
夫(それ)いにしへの人は皆(みな)百 歳(さい)の寿命(じゆみやう)を尽(つく)して死(し)する事。
なんの苦悩(くのふ)もなく。たゞ枯木(こぼく)の倒(たを)るゝが如し。然(しか)るに今時(いま)の人
五十に余(あま)りぬれは早(はや)血気(けつき)衰(をとろ)へて死(し)する事 鬼邪(きじや)にをかさるゝ
がことし。足を考(かんが)ふるに。皆(みな)養生(ようしよう)長生(ちやうせい)の術(じゆつ)を学(まな)ばさるに

よりて天命(てんめい)を尽(つく)さず夭死(わかじに)する事のみなり。此(この)篇(しよ)【萹】にしるす。
以所(ゆゑん)は寔(まこと)に長生(ちやうせい)伝授(てんじゆ)の心法(しんほう)にして万代(ばんたい)不 易(ゑき)の確論(よきろん)也。
能(よく)此 術(じゆつ)を行(をこ)なはん人は。皆(みな)百 歳(さい)の寿(じゅ)を得(え)て一 生(しやう)無病(むびやう)
なるへし。或(ある)人の曰(いはく)寿(じゆ)は天命なり。那(なんそ)人力(じんりき)の術を以て。よく
延(のべ)ちゞむるの謂(いひ)あらんや。《割書:予(よ)》答(こたへ)えて曰。松(まつ)は千歳(ちとせ)の天命を得(ゑ)て

生(しやう)ずれども。これをあしき土に植(うゆ)れば一年(ひととせ)をまたずして
枯(か)るゝなり。雪(ゆき)は一時の天命を得て来るものなれ共。これを
𡿝(やまかげ)におけば久しき齢(よはい)あり。是みな其 道(みち)にそむくと道に
随(したが)ふとの違(ちがひ)なり。今 著(あらは)す所はその道に順(したか)ふて無病(むびやう)ならん
ことを録(しる)し。諸人(しよにん)長生(ちやうせい)を得んことを希(こいねが)ふのみ

抑(そも〳〵)養生(ようじやう)の道(みち)は産前(さんぜん)より体(たい)を養(やしな)ふにあり。それより
小児を養ふの法(はふ)を行(をこな)ひ。別(へつ)して壮年(さうねん)なる人は養生の
戒(いましめ)を堅(かた)く守(まも)り。長生の術(じゆつ)を行ふて。老(らう)年の養(やしな)ひを守(まも)り
寿(ことぶき)を楽(たの)しみ命終(めうじう)する事 人間(にんけん)第一の専要(せんよう)なり
㊁凡(およそ)婦人(ふじん)子を胎(やど)してより。胎教(たいきやう)を守(まも)る事 肝要(かんよう)なり

其(その)胎教(たいきやう)といふは聖人(せいじん)の教(をしへ)たまひし言(こと)の葉(は)にして口(くち)には
禁物(きんもつ)を喰(く)はす。耳(みゝ)には悪(あし)き声(こへ)淫乱(いんらん)なる歌(うた)を聞(き)かす。坐(ざ)
するにゆかまず。立(たつ)ときに片足(かたあし)立せず。又ふつと立す。たゞ
物しずかに事をすへし。寐(ね)るに側(ゆがま)ず。心を静(しづか)に養(やしな)ふべし
禁物(きんもつ)には都(すべ)て厚味(こうみ)なるもの。味(あじはひ)の変(へん)なるもの。別(べつ)して

房事(ほうじ)などはかたく忌(いむ)べし。兔(うさぎ)を喰(くら)へは其子 欠唇(いくち)を
なす。鶏(にはとり)の卵(たまご)を喰へば。其子 瘡(くさ)多し。鴨(かも)の卵を喰へば
其子 倒子(さかご)なり。雀(すゝめ)の肉(にく)を喰(くら)ふて酒(さけ)を飲(のめ)はその子の心
淫乱(いんらん)にして情(じやう)乱(みた)るゝなり。鼈(すつほん)を喰へば其子 頂(あたま)短(みじかく)なる。
其外 非常(ひじやう)なる物を喰ふ事なかれ。少しにても病あらば

早速(さつそく)薬(くすり)を服(ふく)すべし。これ産婦(さんふ)の養生(ようじやう)なり。
㊂出誕(しゅつたん)の小児(せうに)を養(やしな)ふには。いまだ初声(はつこへ)を揚(あげ)ざるさきに。
甘草(かんさう)の汁(しる)を以って。其子の口中(こうちう)を濯(すゝい)て胎毒(たいどく)を去(さる)へし。これは
小児いまた生れざる前(さき)に。まづ甘草(かんざう)をきざみ。五分ほど布(ぬの)の
袋(ふくろ)に入て貯(たくは)へ置(をき)。児子(あかこ)生るゝと其儘(そのまゝ)此 薬(くすり)袋を熱湯(あつゆ)に

浸(ひた)し口中を拭(のご)ふべし。如斯(かくのことく)すれば胎毒(たいどく)の病ある事なし
㊃児子(あかご)生(むま)れ落(をつ)ると其儘(そのまゝ)蜜薬(みつくすり)といふ法(ほう)を用るなり。
俗にあまものといふ。其法(そのほふ)蕗(ふき)の根(ね)少(すこし)ばかり打 砕(くだ)き。甘草(かんさう)少
しばかりを入れ。或は蜂蜜(はちみつ)少しばかりをくはへて絹(きぬ)に
包み児子の口中に濯(そゝ)ぎ入るゝなり。尤(もつとも)甘草は生(なま)を用ゆ

べし。如此(かくのことく)すれば胎毒(たいとく)を吐出(はきいだ)すなり
㊄小児(せうに)に乳(ち)を呑(のま)す人。母(はゝ)にもせよ乳母(うば)にもせよ。身持(みもち)を
慎(つゝ)しむ事第一なり。乳をのます人は物に怒(いか)るべからす。
心を静(しづか)にすべし。怒(いか)れば其子に癲癇(てんかん)の病(やまひ)あり
酒(さけ)に酔(ゑひ)て乳をのませば。其子 腹満(はら はりいたむ)の病あり。麪類(めんるい)を

食(しよく)して乳(ち)を呑(のま)しむれば。其子 廔(せむし)の病となる。若(もし)
其子に瀉痢(はらくたり)腹痛(はらいたむ)の病。又は夜啼(よなき)の病あらばその
乳をのます人 寒冷物(つべたきもの)を食(く)ふ事なかれ。其子 疥癬(かさ)
瘡疾(くさのるい)の病あれば魚鳥(うをとり)の肉(にく)を食(く)ふべからす。其子に
五疳(ごかん)の病あれば茄(なすび)黄瓜(きうり)の類(るい)を喰(くら)ふべからず。小児(せうに)は

背(せ)と腹(はら)とを煖(あたゝか)になすべし。其余(そのよ)は少し冷(ひや)してよし。
頭(かしら)は随分(すいぶん)涼(すゞ)しくしてよし。又 怪異(あやしき)もの。鏡(かゝみ)など見する
事を忌(いむ)べし。沐浴(ゆあみ)を度々(たび〳〵)する事なかれ。小児は陽(よう)
気(き)盛(さか)んにして熱症(ねつしやう)多し。故(かるがゆへ)にあたゝかなる事過
れば筋(すじ)骨(ほね)弱(よは)くなりて悪(あし)し。天気(てんき)よき時分(じぶん)は

随分(すいふん)外(ほか)に出(いだ)して風日にあたらしむへし。小児の衣(い)
服(ふく)は女(をんな)男(おとこ)ともに十四 才(さい)ばかり迄は脇(わき)の下(した)を縫(ぬい)さして
着(き)せべし。これを脇(わき)あげといふ。又 振袖(ふりそで)ともいふなり。
かくのごとくして着(き)せるをよしとす。小児は脾胃(ひゐ)も
ろく。肝(かん)の気(き)盛(さか)んなるゆへに食物(しよくもつ)をゑらひ多く喰(くら)ゝ【ハ(は)ヵ】

しむべからず。右のごとくして小児を養(やしな)はば一 生(しやう)無病(むひやう)
にして寔(まこと)に長生(ちやうせい)を得(ゑ)ん事ゆめ〳〵疑(うたが)ふべからす
㊅凡(をよそ)壮年(さうねん)なる人の戒(いましめ)には三欲(さんよく)を慎(つゝし)むべき事 肝要(かんよう)也。
三(さん)欲とは好色(こうしよく)の欲(よく)。飲食(いんしよく)の欲。睡眠(すいめん)【注】の欲となり。まづ飲(いん)
食(しよく)を節(せつ)にすとは常(つね)に甚(はなはた)飢(うゆ)る事なかれ。甚 飽(あく)こと

【注 「メン」は「眠」の呉音】

なかれ。飽食(ぼうしよく)すれば脾胃(ひゐ)を傷(やぶ)り。元気(けんき)を損(そん)ず。譬(たとへ)ば
水は船(ふね)を浮(うかむ)れども。又船を覆(くつがへ)すことあるの道理(どうり)に
して食(しよく)は命(めい)の元(もと)なれども又食 過(すぐ)れば人を傷(やぶ)る。
食は腹(はら)に八ぶんめにすへし。食 後(ご)には常(つね)に三百 遍(へん)ほど
ありきて気(き)を順(めくら)すべし。大に走(はし)るべからす。又 常(つね)に平(へい)

人(にん)は白粥(しらかゆ)を喰(く)ふべし。能(よく)気(き)を順(めくら)し潤(うるほ)ひ生す。常(つね)に
喰(くら)ふべきなり
㊆夏(なつ)は長日(ちやうじつ)なりといへども昼(ひる)の中(うち)は眠(ねむ)るべからす。食後(しよくご)
にも必(かならす)睡(ねむ)るへからず元気(けんき)を傷(やぶ)るなり。凡(をよそ)人は春(はる)夏(なつ)秋(あき)
の三時(さんじ)は。夜(よ)早(はや)く寝(ね)て。朝(あさ)早(はや)く起(をき)。陽気(ようき)を発(はつ)すべし。

冬(ふゆ)は万物(はんもつ)閉蔵(へいさう)の時(とき)とて草(くさ)も木(き)も冬枯(ふゆかれ)して万物(よろつのもの)
閉蔵(とぢおさまる)の時なれば。人も早(はや)く寐(ね)て朝(あさ)も少し遅(をそ)く起(をき)て
陽気(ようき)を養(やしな)ふべしと。内経(だいきゃう)と云(いふ)医書(ゐしよ)に見(み)へたり。
寐(ね)るときは燈(ともしび)を置(をく)べからず。しかしなから燈なければ
用心あしゝ瓦燈(くはとう)といふものにて灯(ありあけ)を伏(ふ)せをくべし

是(これ)寿命(じゆみやう)のくすりなり。夜(よ)に入りて悪(あしき)夢(ゆめ)を見るとも必(かならす)
人に語(かた)る事なかれ。早朝(さうてう)に沐浴(ゆあみ)して東方(ひがしのかた)に向ふて。
《振り仮名:悪夢著_二草木_一好夢成_二寶玉_一|あくむはそうもくにつけこうむはほうきよくとなれ》と唱(とな)へてをけばいかやう
なる悪夢(あくむ)といへども害(がい)なし。是(これ)孫真人(そんしんじん)の秘法(ひはう)なり
㊇男女(なんによ)交合(かうごう)を行(をこな)ふに飲食(のみくい)過(すご)して行(をこな)へば。痔(ぢ)の病(やまひ)と

なる。酒(さけ)に酔(よ)ふて行へば。肝気(かんき)を傷(やぶ)りて悪瘡(あしきくさ)を生ず。婦(ふ)
人(じん)月事(けいすい)いまだ止(やま)ざるに行へば。身(み)面(かほ)黄色(きいろ)になりて。産(さん)
育(いく)をなさず。若(もし)此あいだ子(こ)を胎(やと)せばあしき子を生(う)む。
かたく忌べき事なり。金瘡(きんさう)いまだ愈(いへ)ざるに行へは血気(けつき)を
動(うこ)かす。蒜(にんにく)を食て行へは肝気(かんき)を傷(やぶ)り面(かほ)光(ひか)りなくなる

疫病(やくひゃう)愈(いへ)ざるに行へば舌(した)長(なが)く出(いづ)る事あり。此 外(ほか)の禁忌(いましめ)には
朔日(ついたち)晦日(つごもり)大 風(かせ)大 雨(あめ)大 寒(かん)大 暑(しよ)雷電(かみなり)日食(につしよく)月(ぐはつ)食 地震(ちしん)の
時 皆(みな)忌(いむ)べし。又 子(ね)の時の前(まへ)を忌なり
㊈凡(およそ)房事(かうごう)を行(をこ)【「な」脱】ふに法(ほう)あり。年(とし)二十の者(もの)は四日に一度。
三十の者は八日に一度。四十の者は十六日に一度。五十の者は廿日

に一度。六十の者は漏(もら)す事なかれ。若(もし)精気(せいき)つよければ一 月(げつ)
一 度(ど)なるべし。婦人(ふじん)経水(けいすい)ありて後(のち)一日三日五日にして
交接(こうがう)すれば男子(なんし)を生(しやう)ず二日四日六日 胎(たい)を受(うく)るものは
女子を生す。六日の後(のち)は子を胎(やど)さすといふ
 ㊉小 児(に)誕生日(たんじやうにち)つちに入(いり)吉凶(きつけう)の事(こと)

夫(それ)小児の誕生(たんじやう)日つちに入ぬれは短命(たんめい)なり又 病身(ひやうしん)などゝ
て大に忌嫌(いむきら)ふ事。我朝(わかちょう)におゐて昔(むかし)より伝(つた)へ来りて是を
慎(つゝし)み懼(をそ)れずといふことなし。若(もし)つちに入りし日に
誕生すれば。種々(しゆ〳〵)ましなひ。はらひをなし。又はその
子を名(な)つくるに。鉄(てつ)二郎。鍋松(なべまつ)。女子なればお金(かね)。お銀(きん)など

の金(かね)によりし名を付る事あり。尤(もつとも)因縁(いわれ)ある事にて。
古今(ここん)是をおそれ慎しむなり。若(もし)これを疎(をろそか)にすれば。
かならす病身(ひやうしん)短命(たんめい)なり。故(かるがゆへ)に今 左(さ)に種々(じゆ〳〵)まじなひを
あらはし諸人(しよにん)に知(し)らしむ
   ○十一 土(つち)に入日(いるひ)の事

土(つち)に入る日といふは。月により此 干支(ゑと)のなきこと有。月
を隔(へたて)て巡(めぐ)るなり。大土小土にて十五日なれば月を超(こゆ)る
事もあり。まづ土に入る日は庚申(かうしん)より十一日目。甲子(きのへね)よりは
七日目(なぬかめ)としるべし
   ○十二 大土(おほつち)小土(こつち)といふ日の事

庚午(かのへむま)より丙子の日まで七日(なぬか)を大土といふ。八日目の丁丑(ひのとうし)
を間日(まび)とし戊寅日(つちのへとらのひ)より甲申(きのへさる)日まで七日を小土といふ
都合(つがう)十五日の間(あいだ)に於て丁丑(ひのとうし)の日一日を間日(まび)とするなり。
此 間日(まび)に生れたるものは運(うん)つよく寿命(じゆみやう)長(なが)し。土に入
日のくりやうは暦(こよみ)にて知(し)るゝなり。いづれの月にても庚午(かのへむま)と

ある日より土に入。たとえば月の十四日 庚午(かのへむま)ならばその日
よりくり初る
十四日《割書:かのへ|むま》十五日《割書:かのと|ひつし》十六日《割書:みつのと|さる》十七日《割書:みつのと|とり》十八日《割書:きのへ|いぬ》十九日《割書:きのと|い》は廿日《割書:ひのへ|ね》廿一日《割書:ひのと|うし》
《割書:このうしのひ|間日なり》廿二日《割書:つちのへ|とら》廿三日《割書:つちのと|う》廿四日《割書:かのへ|たつ》廿五日《割書:かのと|み》廿六日《割書:みつのへ|むま》廿七日《割書:みつのと|ひつし》廿八日《割書:きのへ|さる》
かくのことくいづれの月にても。この十五日のあいだを大土小土と

いふなり
   ○十三 あげつちさげつちの事
あけつちとは大土の一名にして右にいふ庚午(かのへむま)の日より
丙子(ひのへね)の日まて七日のあいだをいふ。八日めの丁丑(ひのとうし)の日は間日(まび)
なり。間日よりまへをあげつちといふ。必(かならす)小児(しやうに)に祟(たゝ)るなり

慎(つゝし)むべきはあけづちなり。扨(さて)又さげづちといふは小土の一名
にして間日(まび)の翌日(よくじつ)戊寅(つちのへとら)の日より甲申(きのへさる)の日までをいふ。
あけつちよりは平(たいら)かなれどもいづれ小児に祟(たゝ)るなり
つつし
慎(つゝし)むべし懼(をそ)るへし
   ○十四 大 土(つち)小 土(つち)を大 槌(つち)小 槌(つち)とかへて呼(よぶ)事

今大土小土を大 槌(つち)小槌と呼(よ)び。又はあけ槌さげ槌と
土(つち)を槌(つち)といわひかへて氏神(うぢかみ)へ槌(つち)を絵馬(ゑま)とし奉納(ほうのう)す。
それ槌といふものは福神(ふくしん)これを携(たつさ)へて此槌より諸(もろ〳〵)の
宝(たから)を出し給ふ。其縁(そのゑん)をとりて土(つち)を槌(つち)と祝(いわ)ひなをして
いふ義(ぎ)なり

   ○十五 あげ槌(つち)さげ槌(つち)奉納(ほうのう)の仕様(しやう)の事
抑(そも〳〵)山城国(やましろのくに)愛宕郡(をたぎのこほり)八坂郷(やさかのがう)真葛原(まくずがはら)に鎮座(ちんざ)まします。
祇園(ぎをん)午頭天王(ごづてんわう)と申は。素盞烏尊(そさのおのみこと)を崇(あがめ)奉る神殿(しんでん)
なり。摂社(せつしや)に美御前(うつくしのごせん)といふあり。神伝(しんでん)に素盞烏尊(そさのおのみこと)
の御子(をんこ)なりといふ。此 美御前(うつくしのごせん)へつちに入りし日生れし

子(こ)の為(ため)にあけつちさけつちの様(やう)を議(ぎ)して。絵馬(ゑま)を奉(ほう)
納(なう)する事は。前(まへ)にいふごとく土(つち)を槌(つち)といわひかへたる
義にてあけつちは其奉納の槌(つち)の柄(ゑ)を下(しも)になし。
さけつちは柄(ゑ)をうへになして是を小角(へぎ)に載(の)せ水引(みづひき)
を以て真中(まんなか)を結(むす)ぶなり。図(づ)のごとし

上槌(あげつち) 《割書:奉納|  願主》   下槌(さげつち) 《割書:奉納|  願主》 

此ごとくなして奉納(ほうなう)するなり。あけつちの子は上槌を
奉納し。さけつちの子はさけ槌を奉納すへし。京にては

右の祇園(きをん)美御前(うつくしのごぜん)へ奉納(ほうなう)するなり。他国(たこく)にては美御前
の社(やしろ)はまれなり。然(しか)れば其 土地(とち)の氏神(うぢかみ)へ槌(つち)を奉納
すべし。信(しん)なれば徳(とく)あり。随分(すいぶん)其子(そのこ)の為(ため)に善(ぜん)を施(ほどこ)し
神(かみ)を祭(まつ)るべし。寿命(しゆめう)を増(まし)たまふなり
   ○十六 大土小土の誕生(たんじやう)日を忌(いむ)謂の事

されば大土小土の誕生(たんじやう)は短命(たんめい)病身(びやうしん)なりと忌嫌(いみきら)ふ義
を考(かんが)ふるに始終(しじう)このつちといふは土徳(どとく)のさかんなる時節(じせつ)
と取(と)り。又 土公神(どくうじん)の主宰(つかさとり)給ふ土(つち)の時節(じせつ)なり。如斯(かくのことき)の
時節(じせつ)に誕生するは其(その)土徳(どとく)を穢(けか)すの理(り)なればかならす
土公神の忿怒(いかり)に触(ふれ)すんばあるべからす。しかれば其 出(しゆつ)

生(しやう)の子に病身(ひやうしん)か短命(たんめい)のむくひあらずといふ事なし。
こゝを以てをそるゝ事なり。実(まこと)に天地(てんち)に木火土金水(もくくはどこんすい)
の五行(ごきやう)の中(うち)。土徳(どとく)のさかんなる時節(じせつ)なり。人間(にんけん)は五行 合(かつ)
体(たい)して生ずる身(み)なれば恐(をそ)れ慎(つゝし)むべし○或(ある)人
問(と)ふて曰。土地(とち)を汚(けが)さは神(かみ)の怒(いかり)もあるべきに。なんぞ女(をんな)の体(たい)

より出るに土地(とち)を汚(けが)すの義(き)あらんや。《割書:予(よ)》答(こたへ)て曰く。されば其(その)
人の体(たい)を出るは土地(とち)を汚して出ると同じ理(り)あること
神道(しんたう)の伝なり此ことは別(へち)に一 説(せつ)口伝(くでん)あり
   ○十七 つちむまれ一 説(せつ)の事
こゝに一 説(せつ)あり。出産(しゆつさん)の後(のち)その土地を穿(うが)ち胞衣(ゑな)を

おさむれば土徳(ととく)を汚(けが)す事 甚(はなはた)しきなり。此 説(せつ)あれは
つちあきて後(のち)胞衣(ゑな)をおさむべきなり
   ○十八 胞衣(ゑな)をおさむる方角(ほうがく)の事
いづれの月にても。たとへば辰(たつ)の日ならば辰の方(かた)を忌(いむ)。
卯(う)の日ならは卯の方を忌なり。只(たゞ)おさむる日の支干(ゑと)の

方(かた)を除(よけ)ておさむるなり
   ○十九 土産(つちむま)れ咒(ましなひ)の事
つちの時節(じせつ)に子(こ)を産(むま)ば早速(さつそく)竃(かまと)を祭(まつ)るべし。
竃(かまど)は木火土金水(もくくはどこんすい)のあつまる所(ところ)なれば。きよめまつる
べし。竃は常(つね)にも祭(まつ)るべき所なり

   ○廿 土(つち)に入 前日(まへび)水(みつ)を汲置(くみをく)咒(まじなひ)の事
つちに入 ̄ル前日(まへび)に水を汲置(くみをく)事は昔(むかし)より云伝(いひつた)へ来りし
事なり。自然(しぜん)出産(しゆつさん)の日(ひ)つちにあたらんと思はゝ土に入
前日(せんじつ)産湯(うぶゆ)になすべき水を汲置(くみをき)て其(その)水をわかし
産湯となすべし。極暑(ごくしよ)の時分(しぶん)は汲置(くみをき)し水 腐(くさ)る

ことあり。さやうの時は間日(まび)の丑(うし)の日に汲(くみ)かへて置(をく)べし。
扨(さて)又その産湯(うぶゆ)を土のあく日まで待(まち)て後(のち)すつるが故(こ)
実(じつ)なり
   ○廿一 鍋(なへ)の底(そこ)をぬき潜(くゞ)らす咒(まじなひ)の事
つちに入て誕生(たんじやう)せし小児を咒(まじなふ)には。土あきて後(のち)に鍋(なへ)の

底(そこ)をぬきつち産(むま)れの子をくゝらす。其時 唱(との)ふる咒文(じゆもん)あり
 所臨善神福慶臨産急々如律令(しよりんせんじんふくけいりんざんきう〳〵にょりつれい)
此(この)咒文を唱(とな)へ安泰(やす〳〵)とむまれたりと口々(くち〳〵)にいふて只今
誕生(たんじやう)せし真似(まねび)をなし。身分(みぶん)相應(さうをう)に誕生の時のごとく
祝(いわ)ふる故実(こじつ)なり。勿論(もちろん)右の日を一代 誕生(たんじやう)日と定(さため)て

祝(いは)ふへし
   ○廿二 土(つち)誕生(たんじやう)の子(こ)名(な)を付様(つけやう)の事
土に入て生れし小児は兔(と)角(かく)金(かね)によりし名をつくること
なり。是則(これすなはち)土性金(どしやうきん)と相性(あいしやう)してよし。六十 図(づ)にて其(その)性(しやう)を
考(かんが)へて相性の名(な)を付(つけ)べし

   ○廿三 六十 図(づ)くりやうの事
 誕生(たんしやう)の子の性(しやう)を見るには其としのゑとを上(かみ)に見て扨(さて)
 下(しも)の十かんと合せ考(かんがふ)るなり。たとへばきのとのひづし【注】のとし
 なれば上の未(ひつじ)を見て下のきのとを合せ金性としるのたくひ
 なり。何れの年(とし)にても右の見やうにて性(しやう)をしる也。又 成人(せいじん)の
 後(のち)に性(しやう)をしるには其としのゑとより跡(あと)へくるなり。たとへは十五
 才(さい)になる人の性をしるには其としきのとの未より横(よこ)に跡(あと)の
 かたへかぞへ見れば十五才はかのとの巳のとしにあたりて金性(かねしやう)と
 しるのたぐひなり。余(よ)は是に准(じゆん)して知(し)るべし

 《割書:子|丑》《割書:つちのへ|つちのと》 火《割書:かのえ|かのと》 土《割書:みつのへ|みつのと》 木《割書:きのへ|きのと》 金《割書:ひのへ|ひのと》 水
  《割書:寅|卯》《割書:かのへ|かのと  》 木 《割書:みつのへ|みつのと》金《割書:きのへ|きのと》 水《割書:ひのへ|ひのと》 火《割書:つちのへ|つちのと》土
 《割書:辰|巳》《割書:みつのへ|みつのと》水《割書:きのへ|きのと》 火《割書:ひのへ|ひのと》 土《割書:つちのへ|つちのと》木《割書:かのへ|かのと》 金
 《割書:午|未》《割書:きのへ|きのと》 金《割書:ひのへ|ひのと》 水《割書:つちのへ|つちのと》火《割書:かのへ|かのと》 土《割書:みつのへ|みつのと》木
 《割書:申|酉》《割書:ひのへ|ひのと》 火《割書:つちのへ|つちのと》土《割書:かのへ|かのと》 木《割書:みつのへ|みつのと》金《割書:きのへ|きのと》 水
 《割書:戌|亥》《割書:つちのへ|つちのと》 木《割書:かのへ|かのと》金《割書:みつのへ|みつのと》水《割書:きのへ|きのと》 火《割書:ひのへ|ひのと》 土

【注 濁点も打ち間違い】

如斯(かくのことく)くり見て男女(なんによ)ともに金性(かねしやう)にあたらは亀(かめ)午(むま)虎(とら)
辰(たつ)鹿(しか)熊(くま)などの字(じ)をつくべし。金性の人には直(たゝち)に金
の字をつくるは悪(あし)し。その外の性(しやう)はみな金(かね)によりし
名をつくへし。金(きん)銀(ぎん)鉄(てつ)鍋(なべ)の字(じ)などを用ゆべきなり
○廿四 つち産れの人たりとも養生長生(ようしやうちやうせい)の術(じゆつ)を行う

ときはなどか長生(ちやうせい)の齢(よはひ)を保(たも)たんや。又吉日に誕生(たんじやう)せし
人たりとも長生の術を行(をこな)はされば夭死(わかじに)すへし。なを
長生 不老(ふらう)の術(じゆつ)を著(あらは)して世人(せじん)の扶助(ふじよ)となすものなり
   ○廿五 長生(ちやうせい)無病(むひやう)の妙術(めうじゆつ)
意(こゝろ)は主人(しゆじん)なり。静(しづか)にして安(やす)からしむへし。体(からだ)は意の

家来(けらい)なれば動(うこか)して労(ろう)せしむべし。主人(しゆじん)静(しづか)なら
されば家(いへ)とゝなはず。こゝろ静ならざれは病(やまひ)起(をこ)るの
もとなり。今の世の人を見るに心を利欲(りよく)の為(ため)に
労(ろう)して家来(けらい)奴僕(ぬぼく)【左ルビ:しもべ】の如とし。身(み)を驕逸(きやういつ)【左ルビ:をごり】の為に安(やす)う
して主人の如くするは病の本(もと)となるなり

○廿六 沐浴(ゆあみ)は三日に一度五日に一度してよろしかるへし。
是(これ)九条殿 遺戒(ゐかい)にも見へ侍る。沐浴してかならず
風にあたるへからず。又 酒(さけ)を飲(のむ)事なかれ。
○廿七 今(いま)の世(よ)の人に積聚(しゆくじゆ)【「しやくじゆ」とあるところ。】痰飲(たんゐん)の病人(ひやうにん)多くあり。これ
皆(みな)飲食(いんしよく)節(せつ)ならずして脾胃(ひゐ)に停滞(ていたい)し年(とし)月

久しければ終(つい)に積聚(しやくじゆ)とな□。又 大酒(たいしゆ)して後(のち)多く
茶(ちや)を飲(のめ)ば気(き)順(めくら)ずして痰飲(たんいん)となる慎(つゝし)むべし
○廿八 煙草(たばこ)はもと日本の東方アヒリカといふ国(くに)より出て
今は万国(ばんこく)に流布(るふ)して諸人これを翫(もてあそ)ぶ。然れども
煙草に能毒(のうどく)あり○能 煙(けふり)を吸(すふ)て鬱気(うつき)を開(ひら)き。気力(きりよく)

を益(ま)し山嵐(さんらん)嶂気(しやうき)を避(さけ)て冷湿(れいしつ)を散(さん)す。脂(やに)は
蛇毒(じやどく)【虵は俗字】を解(げ)し虫歯(むしば)を堅(かた)くす金瘡(きんそう)に葉(は)をつけて
血を止(とゞ)む内障(そこひ)の眼(め)。又は青盲(あきめくら)に好(よし)とす。また煙を吸(すふ)て
食(しよく)を消(け)す○毒 多く吸(すひ)ぬれば口中を損(そん)ず。又 上気(じやうき)
耳(みゝ)鳴(なる)に忌(いむ)べし。眼病(がんびやう)にも忌べし。但(たゝし)虚眼(きよかん)には忌(いま)ず

といへども多く吸(すふ)ては相火(しやうくは)を助(たす)くるゆへに仇(あた)となるべし。
常(つね)に多く吸ときは姑息(こそく)【左ルビ:いき】をあらくして血脈(けつみやく)進数(しんさく)【ママ】
なり。故(かるがゆへ)に寿命(じゆめう)を減(げん)ずるの恐(をそれ)あり。況(いはんや)壮年(さうねん)血気(けつき)壮(さかん)
なる人をや。痰喘(たんいん)の人これを忌べし。労痎(ろうがい)の病に
大に禁(きん)すべし。胃(ゐ)火(くは)を生(しやう)し心(しん)熱(ねつ)を壮(さかん)にす

○廿九 灸(きう)は平生(へいぜい)の養生(ようしやう)にすへをくべき事なり。痰飲(たんいん)
積聚(しやくじゆ)は灸にあらざれは去(さら)ず。此病ある人は風(ふう)門 膏(こう)
肓(もう)期(き)【注】門 章(しやう)門などの灸治(きうぢ)を毎日五十 壮(さう)づゝすれは
其(その)根(ね)を断(たつ)なり。平生(へいせい)上気する人には三里を灸
すべし。或法に人三十才以上には毎朝(まいちやう)早(さう)天に

【注 「こうこう」の誤読が慣用化ししたもの。】

起(をき)て小 便(べん)せざる先に三里に灸する事三 壮(さう)なれば
能(よく)気(き)をくだし宿物(しゆくもつ)【左ルビ:とゞこほり】を去り。眼(まなこ)を明(あきらか)にし元気(げんき)を
補(をぎな)ふ。久しくすれば寿を長す。此法を伝来し
てより其 験(しるし)あることあげて数(かぞ)ふべからす
○三十 老(らう)年の人は精(せい)血(けつ)ともに耗(へ)り元気(げんき)漸(やうやく)衰(をとろ)ふ

ゆへに多く物事に倦労(けんろう)する事ありたゞ心を静に
養(やしな)ふべし食物には厚味(こうみ)なるを喰(くは)ず。大酒を好(このま)ず。
あるひは油 気(け)麪類(めんるい)灸(いり)物 味(あちはい)辛(から)き性(しやう)粘(ねば)き物などを
忌て喰(くら)ふべからす。天(そら)晴(は)れ風しづかにして日(ひ)麗(うららか)
なる時は野に遊(あそ)び飄然(ひやうぜん)として心を安し。必(かならす)しも

物事に性急(せいきう)ならしむべからす。是(これ)不老(ふらう)長寿の妙法
なり〇常に気息(きそく)を穏(をたやか)にして言語(げんきよ)寛(ゆるやか)に
少くすへし。起臥(きぐは)行 歩(ぶ)をしずかに忿(いか)る事なく
患(うれ)ひ恐(をそ)る□【「ゝ」ヵ】ことなく物に驚(をとろ)かず。過(あやまち)ある人の過
を咎(とが)むべからず我過を頻(しきり)に悔(くゆ)べからす。是(これ)皆(みな)

老人(らうじん)徳行(とくかう)のつゝしみなり
    ○卅一 長生(ちやうせい)伝授(でんしゆ)の心法(しんほう)
朝(あさ)は早(はや)く起(をき)て玉泉(きよくせん)を服(ふく)し陽気(ようき)を向ふべし。
其(その)玉泉を服(ふく)すといふは毎朝(まいちやう)起(をき)てよりしずかに
口中の唾(つは)を吐(はく)事なくして飲(のみ)こむべし。それより

水をもつて手洗(てうづ)をつかい南に向ふて両手(りやうて)を膝(ひざ)の
上におきて正(たゝ)しく安座(あんざ)して天の気(き)を吸(す)ふべし。
是をは玉泉(きよくせん)を服(ふく)し陽気(ようき)を向ふといふ。又それ
より両の足(あし)をすり合せてあつくなるまてすれば足(あし)
強(つよ)くして 日に数(す)十里を歩行(ほかう)するなり。此法は揚(やう)

州(しう)欧公(おうこう)の秘伝なり
○卅二 夜(よる)臥(ふす)には常(つね)に歯(は)を叩(たゝ)く事九 遍(へん)。唾(つば)を飲(のむ)こと九度
鼻(はな)の左右をおす事 数(す)十 遍(へん)して暮臥(ぼぐは)の咒文(じゆもん)を唱(となへ)て
口を閉(とぢ)て臥(ふす)べし。口を開いて臥(ふ)せば邪気(じやき)口より入なり
暮臥(ほくは)の咒文(じゆもん)とは

 《振り仮名:天霊節栄願得_二長生_一|てんれいせつゑいねがはくはちやうせいをゑん》 《振り仮名:五蔵君候願其安寧|こざうくんこうねがはくはそれあんねいなれ》
此 咒文(じゆもん)を胸(むね)のうへを撫(なで)て男は七 遍(へん)。女は十四 遍(へん)唱(とな)ふ
べし。是 唐土(もろこし)道林真人(どうりんしんじん)の伝にして能(よく)此法を行(をこな)ふ
人は無病(むひやう)長生なる事 必定(ひつぢやう)なり
○卅三 遺精(いせい)不禁(よばり)の病を治するには臥(ふ)す時は身を屈(ちゞ)め

弓を彎(ひく)がことくになし。両(りやう)の膝(ひざ)の所に身を縮(ちゞ)め。或は
左あるひは右に臥(ふし)て一の手を以て陰嚢(ゐんのう)を引。一の手にて
臍(へそ)の下二寸五歩の所を覆(をほ)ひて心を寧(やす)んじてしづかに
臥(ふす)べし。是 精(せい)を固(かたく)して漏(もら)さず身を保(たも)ち精(せい)を調(とゝの)ふ
の妙(めう)術なり。此外に天竺国(てんぢくこく)按摩(あんま)の法。老子(らうし)按摩(あんま)

の法。華陀(くはた)の五 禽(きん)の術(じゆつ)なといふて種々(しゆ〴〵)あれども又 後撰(こうせん)の
按摩便覧(あんまべんらん)に是(これ)を述(のべ)ん。よつてこゝに略(りやく)す
○卅四 養生(ようじやう)の薬を用ゆる法あり。これは中年四十以上の
人はかならず常(つね)に服用(ふくよう)すべきなり。天門 冬(とう)を粉にして
蜜(みつ)にて練(ねり)薬(やく)となして平生(へいせい)に服(ふく)すれば能(よく)中気(ちうき)を

補(をきな)ひ精気(せいき)を益(まし)百病を愈(いや)す。寔(まこと)に長生を得(ゑ)て気(き)
力(りよく)百 倍(ばい)するなり〇又 唐黒胡麻(たうくろごま)の真(まこと)なる物をとりて
皮(かは)を去(さり)水にひたし九度 蒸(むし)九度 搗(つき)て食前に酒(さけ)にて
二三匁ツヽ一日に三度 服(ふく)する事百日なれば古疾(こしつ)を
去(さり)二百日用ゆる時は諸病(しよびやう)を治(ぢ)し一年用ゆる時は

目(め)を明(あきらか)にし歯(は)を生(しやう)ず。数年(すねん)用ゆる時は縦令(たとひ)老人(らうじん)
なりとも壮年(さうねん)の人のごとくになる事 甚妙(じんめう)也此 二方(にほう)は
仙家(せんか)の秘法(ひほう)にして誠(まこと)に不老不死(ふらうふし)の良剤(りやうざい)なり
○卅五 枹朴子(ほうくはし)【ママ】といふ書(しよ)に。七歳になる男子(なんし)の歯(は)と。七
歳の女子の髪(かみ)と自身(じしん)の頭(かしら)の垢(あか)とを一所に黒焼(くろやき)

にしてこれを服(ふく)する事 一歳(ひととせ)なれば気力(きりよく)を益(まし)
顔(かほ)に艶(つや)を出す。常(つね)にこれを服すれば。是 不老(ふらう)の良(りやう)
薬(やく)となる
○卅六 常(つね)に遠(とを)く行ときは。艾(もくさ)。水銀(みつかね)。大黄(だいわう)芒硝(ぼうせう)。生姜(しやうが)。山(さん)
椒(しゆく)の類(るい)懐中(くわいちう)すべし。毒蛇(どくじや)の㝵(さはり)なし又 世(よ)にある蛍(けい)

火丸(くはぐはん)【漢方桂皮のことヵ】を懐中(くはいちう)するもよし
○卅七 他国(たこく)へ行ば水(みつ)の替(かは)りにより病(やまひ)起(をこ)る其時は
薬を用ひずして豆腐(とうふ)を食(しよく)すへし平愈(へいゆ)す
○卅八 常(つね)に臥(ふす)に臨(のぞ)んて痰(たん)あつまるやうならば少々 生姜(しやうか)
湯(ゆ)をのんで痰(たん)をひらくべし。夜(よ)に入て痰 起(をこ)れば頓(とん)

死(し)する事あり心得(こゝろゑ)置(をく)へし
○卅九 煙(けふり)の中(なか)にて死(し)せんとするには口中(こうちう)に大根(たいこん)を一片(ひとへき)含(ふくん)て
恙(つゝが)なし
○四十 旅行(りよかう)には葛(くず)の粉(こ)を懐中(くわいちう)すべし。これ消渇(かはき)を
止(とゞ)むるなり

○四十一 高きより堕(をち)て身(み)をうちたるに童便(どうべん)と酒とを
飲(のむ)むへし。又高きより堕(をち)て身(み)をそんじたるに麪(うとん)の粉(こ)を
醋(す)にてねりぬりてよし
○四十二 犬(いぬ)に噛(かま)れたるに生姜(しやうが)の汁(しる)を飲(のみ)てよし
○四十三 針(はり)の肉(にく)に入て出さるに象牙(ざうけ)を枌(こ)にし水にてときぬりてよし

○四十四 衄血(はなち)出て止(やま)ざるに艾(もくさ)をやき灰(はい)にし鼻(はな)の中(なか)へふき
入へし。又 冷水(ひやみつ)にて足(あし)をひたしてよし
○四十五 山野(さんや)にて狼(おほかみ)蛇(へび)其外もろ〳〵の獣(けもの)を避(さく)る
には水牛(すいきう)の角(つの)。又は羊(ひつじ)の角を焼(やけ)は逃去(にげさ)る
なり

○四十六 髪(かみ)落(おち)て止(やま)ざる時は桑白皮(そうはくひ)を灸(いり)て水五合入
三合にせんじ毎(まい)日 洗(あら)へば髪(かみ)落(おち)る事なし
○四十七 白髪(しらが)と黒髪(くろかみ)と接(まし)る時はぬいて去(さる)へし。その
ぬくに良日(よきひ)あり。正月四日。二月八日。三月十二日。四月十六日。
五月廿日。六月廿四日。七月廿八日。八月十九日。九月廿五日。

十月十日。十一月十日。十二月十日。右の日(ひ)午(むま)の時に南に
向ひてぬくなり。此日 酒(さけ)を飲(のむ)べからす。五辛(こしん)を喰(くふ)
べからす。又十二月 晦日(つこもり)にぬいて鼈(すつぽん)の油をぬれば又
黒(くろ)き髪(かみ)生ずるなり
○四十八 長生(ちやうせい)の術(じゆつ)を学ぶ人は起居(ききよ)動揺(どうよう)に心を付へし

四季(しき)にをひて可(か)不可(ふか)あり。此(こゝ)に其大 概(かい)をしるす。
○春(はる)三月は冬の中に閉蔵(へいざう)したる陽気(ようき)外に
発(はつ)する時なり。故(かるがゆへ)に早(はや)く臥(ふし)早く起(をき)て陽気(ようき)を養(やしな)ふ
べし。然而(しかうして)東(ひかし)の方(かた)へ出たる桃(もゝ)の枝葉(しよう)をとりてせんじ用
早朝にこれを服(ふく)すれば則(すなはち)心膈(しんかく)痰飲(たんゐん)を去(さつ)て宿熱(しゆくねつ)を

除(のぞ)くなり
○夏(なつ)三月は陽気(ようき)外にありて陰気(いんき)は腹中(ふくちう)にあり。
故(かるがゆへ)に夜は早(はや)く臥(ふし)て朝(あさ)は疾(とく)起(をき)【ママ】べし。夏(なつ)三月の
間は心(しん)の蔵(ざう)【臓とあるところ】旺(おう)して腎(じん)の蔵(さう)【臓とあるところ】衰(をとろ)ふるゆえ陰気(いんき)を
固(かた)くすへし。房事(ほうじ)なと慎(つゝ)しむべし。常(つね)に煖(あたゝか)なる

物を食して腹中(ふくちう)を温(あたゝか)にすべし。菓(くたもの)めんるい多(おゝ)
く食(しよく)する事なかれ。秋(あき)痢病(りびやう)の症となる。冷水(れいすい)
にて沐浴(ゆあみ)する事を忌(いむ)。虚熱(きよねつ)眼暗(めくらむ)の病となる
昼(ひる)の間は寝(ね)事なかれ。病(やまひ)起(をこ)る。夏(なつ)の間は桑枝(くはのゑた)
槐枝(ゑんじゆのゑた)柳枝(やなきのゑた)を煎(に)して沐浴(ゆあみ)してよし。其後

 文政六癸未年正月

       《割書:心斎橋通博労町》
大阪書林     京屋浅治郎板

【見返し 右丁 黒丸蔵書印が二つ 外落書様の文字有り】
Γ吉 尼崎 織部
Γ吉 尼崎 織部

【見返し 左丁 文字無し】

 【裏表紙】
       尼辰巳町
        織部 吉平

日本國中妙藥競

{

"ja":

"木斎咄医者評判

]

}

つ六百四拾壱


板   《題:木斎はなし 全》

 医者談義     五冊
 医者気質     五冊
 医者 風流解(フリゲ)   前後六冊
 竹斎療治之評判  二冊







木斎咄医者評判目録(ほくさいはなしいしやひやうはんもくろく)

第一 竹斎(ちくさい)四十二の二つ子(ご)持(もつ)事
   末(すへ)ははび古る子の竹三郎(ちくさぶろう)

第二 さじをいたゞくも心有(こゝろある)事
   貧乏神(ひんほうかみ)はをちこちに不居(すゐ)

第三 竹(ちく)三郎/成人志学(せいじんしがく)之(の)事
   名(な)に不審(ふしん)して機嫌(きけん)そこなへ

第四 竹三郎/法躰(ほつたい)之(の)事
   数(かず)の三の字(じ)へぎの誤(あやまり)

第五 木斎(ほくさい)目黒参詣(めくろさんけい)之事
   偽状(いつわりしやう)之(の)耆婆(ぎば)が末孫(はつそん)

第六 病人(びやうにん)男女(なんによ)の見違(みちかへ)麤相(そさう)之(の)事
   ときのしあわせわらの煎薬



第七 和泉(いづみ)屋/薬代(やくだい)持参(じさん)之事
   さかづきひかへて自慢(じまん)はなし

第八 山伏(やまぶし)と医者(いしや)証拠(しやうこ)比(くらべ)之(の)事
   跡(あと)より乞(こい)にせめくるはかけ

第九 御日待(おひまち)執行(しゆぎやう)之(の)事
   秋(あき)の夜(よ)の永(なか)物(もの)がたり

第十 寸白(すんはく)之むし下(くだ)す事
   舟人(ふなびと)のすゑづなの養生(やうじやう)

第十一 病(やまひ)は気(き)より生(しやう)する事
    療治(りやうじ)きてんの糸(いと)も賢(かしこ)し

第十二 二 番(ばん)つゞき鸚鵡(あふむ)小町(こまち)之事
    よき仕合(しあわせ)■【にヵ】妻(つま)もこもれり



木斎咄医者評判(ぼくさいはなしいしやひやうはん) 一
 第一 竹斎(ちくさい)四十二の二つ子(こ)持(もつ)事
    栄(さかへ)はびこる子の竹三郎
呉竹(くれたけ)のすぐなる御代に逢(あい)ぬれば。藪医師(やぶぐすし)まで頼母(たのも)しきかなと。
読(よみ)ける哥の主(ぬし)は誰(た)そ。忝(かたじけなく)もへんじやくや。耆婆(ぎば)にもまさか【るヵ】竹斎を。
しらぬ人こそ哀(あわれ)成けりと。思ふ心を先(さき)立て。寛(ゆたか)に永(なか)き年の比。
武陽(ぶやう)に下(くだ)り芝辺の。海士(あま)のとまやにともねして。芝人に
のみそなれ衣。かたしく袖の夜をかさね。竹の園生(そのを)の末
葉(ば)までも。人間のたね取あげて見てあれば。しかも男子
を儲(もふけ)たり。かならずしも〳〵兼好(けんかう)には御沙汰なし。四十(よそじ)にあまる
一つ文字。初て持し子となれは。手の内の玉。一/枝(し)の花と寵(てう)

愛(あい)せり。母は枕の内よりも。いたはり付侍りぬ。竹斎は爰ぞ
大事とひそうせし。青/表紙(びやうし)を取出して見てあれば
ちんひを加へぶしをのぞくべしと有程に。まかせておけと
云まゝに。口にはしつかとちんひくはへ。ぶしの入たる紙袋(かみぶくろ)を。まな
こを見出して志ばらくのぞく其内に。無常(むじやう)の嵐(あらし)はけし
くて。其子をたのむすて給ふなと。云/声(こへ)ばかり耳にとまり。
朝(あした)の露とぞきへにける。竹斎はあきれはて。思ひの火(ひ)を
胸(むね)にたき。枕にのこる薬をうらみ。足(あし)ずりをしてふし
まろび。なげくにかいもあらいその。水のあはれはさておきぬ。
野辺の薪(たきゞ)の代(しろ)もなく。経(きやう)かたびらの才/覚(かく)も。なき身を
見るぞかなしき。爰(こゝ)に年比の郎等(らうどう)に薮(やぶ)ぐすしの。薮の


一字をゆるされたる。藪にらみの助と云もの有。かね〳〵主
の竹斎の。さじさきばかりたのみては。朝夕のけふりたえ〳〵
なれば。幸(さいわい)此所の名物の。芝さかなをあきなひて。いと
なみをつゞけしが。商(あきな)ふさきへ友達共。かくぞとつげしらす
れは。いそぎ宿に立かへり。此有さまを見まいらせ。御なげ
きはことはりさりながら。さのみ取見ださせ給ひては。さらに
事行侍らじ。爰をばわれらに御まかせ候へ。宝(たから)は身のさし袷(あわせ)
壱つ爰に候とて。小びつの中より。もめんのあわせを取出し。
あたりちかき質(しち)屋にあづけておあしをかり。其用意を
しすまし。近所なれは。かうじゆさんびんらうしの。につ
けい上人をたのみつゝ。むしやうのけふりとなしにけり。扨

絵図

有べきにあらざれは。わすれがたみの見とり子をば。竹三郎と
名付て母なし子なれば釈(しやく)尊にあやかれとて。あたりの
かゝたちの乳(ち)をもらひ。又はすりこなどして。そたてける
こそあはれなれ。にらみの助はさいかく不 双(そう)の思の者。町内の
おうばたちに近付。色々さま〳〵の。はなしをしかけちな
みて。ある時はうゐらうをつませ。又有時はてうじゑんを
なめさせ。心やすくしなして後。その御子様をばわれらの
いだき侍らん。すこしの内此子に乳(ち)をもらかしてたまはれ。
此御礼にはやみいたみの其時は。御薬をば何程も参り
しだいと。油口をすべらせてたのみ。あなたのおうばたちの
おかげにて。無(なく)_レ恙(つゝが)そたて行程に。月日に関(せき)のすはらねは。


其年も程なく暮。あくる春の元日にぞなりにける
 第二 さじをいたゝくも心有事
   貧乏(ひんほう)神はおちこちに不_レ居
去程に竹斎は。去年の無仕合は。去々年(おとゝし)の節分(せつぶん)に。悪事
さいなんは。西の海へざらりとすて。寿命(じゆめう)は。五百八十年。七
まがりとはいわひけれ共。妻(つま)は旦那(たんな)寺へさらりと送(おく)り。
二たびあわで過しかなしさ。万事は夢の内の。あだしみ
なりと打さめて。うつゝながらもうき年月をこへしぞかし。
今年よりは仕合よかれ。有がたやとて後方にむかひ。
さじを三/度(ど)いたゞき給へば。にらみのすけ申やう。こはいか
にいしやにて後世(ごせい)をするからは。さじにかぎり侍らんや。

薬種(やくしゆ)も医(い)書も。薬箱も。皆たうとみ給へかし。但(たゞし)それ
まても候まじ。薬師如来と神農(しんのふ)の。御かげを拝(はい)し
給へば。それにてすみ侍るべし。心得ぬさじの。いたゞきやう
かなとぞ申ける。竹斎きかれて。いかにも汝(なんぢ)がふしん尤也
さりながら。是には心有事ぞ。汝(なんぢ)はわれらが親。竹庵(ちくあん)代(だい)より
の伝(つたは)りもの我八さいの時かとよ。汝生れて此年月。片(へん)時
そばをはなれぬは。汝と貧乏(ひんぼう)神と也。かゝるなじみの
主従なれば。いかでか心をへだつべき。さらば語りて
きかすべし。今の御代の御/政(せい)法。たゞしきにつけて思ふに。
人壱人を害(かい)しても。其/罪(つみ)のかるし事あらじましてや
況(いわん)あまたの人を。殺害(さつがい)せしにおいてをや。穴賢(あなかしこ)さたばし


すな。我(われ)ら程人をほく。ころしたるもの又もあらじ。されども
さじのあやまりなれば。御せんさくにもあはさる也。刀か
わきざしにてころして見よ。何とて只今まで我(わか)命(いのち)
有べきや。爰をもつてあんずるに。さじの御かげほど。有
がたき物はあらじとぞおもふと。眉(まゆ)をひそめてかたらる
れば。にらみのすけ承(うけたまは)り。左程の利句儀(りくぎ)あきらか
にて。せめてぬか米二三/俵(ひやう)年の暮(くれ)に。薬代とらせ給はぬ
こそ。かへす〳〵も口惜(くちほし)やとて。ちつともしほれぬまなこ
より泪(なみだ)をはつらはらとぞながしける。竹斎是を見
給ひわかれた今のなき事や。こぞなきしさへくやし
きに。いざや元 朝(てう)いわゝんとて。餅(もち)なきぞうにの汁を吸(すい)

伊丹(いたみ)屋殿の方よりの。薬代酒(やくだいさけ)を。とそ酒となして。さいつ
さゝれつ主従(しう〳〵)のみ。はさむさかなの数(かず)の子を。ぶつき〳〵と
かみしめて。くはつみの台(だい)引/寄(よせ)て竹斎 蓬莱(ほうらい)の。山居なを
せる朝哉(あしたかな) と申さるればにらみの介 不死(ふし)の薬(やく)代/暮(くる)る
永(なが)き日とと主従二人ことぶきいわひ。ゑみをふくみて有
し所に。竹斎がぼんのくぼぞつとして。肩(かた)の上にすこし
おもみかゝると覚て。何かはしらずまろび落(おち)しを。手に
取て見れば猫(ねこ)子の生だち程(ほと)成(なる)男(をのこ)の。年はよのつねの
四十ばかりに見へて。やせこけて色青々としたるが。草
の軸(しく)程なり。竹つえにすがりて。よろぼひたるあり
さまは。只ひなのうざいがきかゆうれいか。乞食かとも意


かはる竹斎はみゝくぢりに手(て)をかけ。にらみのすけは火吹(ひふき)
竹をおつとりのべて立(たち)かゝる。竹斎も申されけるやうは。何(なに)
ものなればかゝるふぜひにて。何方より/来(き)たれるそ。
ありのまゝにとつて申せ。少も異/儀(き)に及なば。忽命を
とるへきとのたまへば。そのとき彼(かの)まめおとこまづ〳〵
しづまりおはしませ。我(われ)は三代/相伝(そうでん)の。貧乏神(びんほうかみ)にて
候が。御子/息(そく)の代まで。つきそひ申/筈(はづ)なれ共。不慮(ふりよ)に
取はつしてころび落(おち)。御目にかゝり申事。かへす〳〵も
残念(さんねん)也。是(これ)までなりやさらばとて。そこを立さり。門(もん)の方(かた)へ
行程(ゆくほど)に。竹斎もにらみのすけも大によろこび。
われ〳〵旅行(りよかう)の時。爰に清(きよ)見が関(せき)にとゞまれと。にらみ

のすけがよみけるに。じやうのこはくも今までつきて
きても〳〵おのれめは。此年月なやましとほしきめに
あわせたよな。早々出て行べし。うろたへて永居(なかい)せ
ば。目(め)に/物(もの)見せてくれぬべし。今(いま)より/後(のち)は福(ふく)の神(かみ)さま
御来臨(ごらいりん)有べしと。勇(いさみ)にいさんで申時。貧乏神(びんぼうかみ)立(たち)とまり。
ふりかへりて申やう。さのみよろこび給ふなよ。世上の貧(ひん)
者(しや)には。われらごときのものどもが一人二人つきそへども。
御/身(み)の肩(かた)は住(すみ)よくて。何人(なんにん)と云/限(かぎ)りなく。乗移(のりうつ)り住
故(ゆへ)に。我居/所(ところ)をせきおとされ。かくのごとくに落(ほと)【「をと」の誤ヵ】し
也。跡(あと)にゆだんは成(なる)まじきと。云かと思へばうせにけり。竹
斎/是(これ)をきくよりも。さてもにくき云(いゝ)事かな。さり


ながらまづ一つ宛(づゝ)も貧(ひん)乏 神(かみ)の。立退こそは心地(こゝち)よけ
れ。次第に失(うせ)なん其後は。福の御/神(かみ)ならで。外に誰(たれ)か侍ら
んと申さるれば。にらみのすけ承(うけたまは)り。御尤/至極(しごく)さりながら
竹三郎さまを。男(おとこ)やもめにて御そだて給はん事成がた
かるべし。其(その)上四十二の二つ子は世(よ)上ともに忌事なれは重
て奥様御むかへ給ふまでは御/舅(しうと)の御方へ。預(あつけ)おかれは可(へく)然(しかる)
候はんと申ければ。ともかくも汝(なんぢ)はからい候へと申さるゝ。
にらみのすけ承(うけたまは)り。それがしよきやうに仕侍らんとて。
竹三郎をいたきて。舅(しうと)の宅(たく)へ参りける
 第三 竹三郎/成人(せいじん)志/学(がく)之事
    名にふしんして機嫌(きげん)そこなふ

さればにや竹斎の舅殿(しうととの)は。そのかみかけごきにはしをも
かけたるらうにんにて。ぐわんにんぼう九代の/後胤(こうゐん)。朝起(あさおき)
日用のかみには三代の孫(まご)。左官(さくはん)の太夫すさはらのあつそん。
こてへらの嫡男(ちやくなん)。ぼていふりうり太郎かねみすと云
人也。にらみのすけ対面(たいめん)して。右之(みぎの)旨趣(ししゆ)をのべければ。
ふりうり太郎。かねみづ夫婦の人々はよくこそはからひ
給ふ物かな。氷は水(みづ)より生すれども。水より氷はひや
やか也。孫(まご)は我(わか)子の子なれ共子よりも孫(まご)はふひん也
然(しか)るにおさなきものを。まゝ母(はゝ)にかけんもほいなければ
いかやうにもわれ〳〵そだて侍らんとてうけ取置けり
然間竹斎は。異妻(ことつま)もとめて。年月ふるにしたがひて


竹三郎が母(はゝ)の事をも打わすれ。竹三郎方へも音信(いんしん)。不(ふ)
通(つう)に打過けり。竹三郎は祖父(おふぢ)や祖母(うば)がかいほうにて。全【金ヵ)意味不明】
ははや十五歳になりにける竹三郎おとなしくも。心に
思ひけるやうは。我二さいの時よりも。此年月まで
御かいほうにて。成(せい)長せし御恩(ごおん)いつのよにかはわする
遍き。此上はいかにもして此御/恩(おん)報(ほう)すべし然れば。奉
公(かう)に出ばやとおもへ共今/武家方(ふけかた)の奉公は。一に児(こ)
小姓二にはひき。三に/芸能(げいのふ)四に/武辺(ふへん)。此四つはづれて
かなはぬ也。わが身を思ひ合(あわす)るに先かしづらの赤頭。腹の
内(うち)よりねんじや下/地(ち)若衆(わかしう)の所はみぢんなし。ひきは
かくじん六方/者(もの)。いかな〳〵ひとりもろくなる知人なし

芸能(けいなふ)は穴打(あなうち)や。むさしほうびきさては又。かるた源(げん)べいけん
にんじ。此外さらに芸(げい)はなし。武辺(ぶへん)と云はちくさいめに
あふ事也ときく程(不ど)に。今こそあれそのいにしへ二さい
の春まて父のひさをはなれねば。竹斎めには毎日逢是(まいにちあふこれ)
ゆいたてになるならは。かならすたのむと云ければどよみ
になりて取あはず。つく〳〵物をあんするに。我親(わがおや)いしや
にて有ければ。祖父(おふじ)の方へ医書(いしよ)をそへて送られ
たりときゝけれとも。物をかゝねば其かひなし。はづ
かしながら今よりして。手習せばやと心つき近所(きんしよ)
なりし。牢/人衆(にんしゆ)にちかつきて。手本を求(もとめ)/夏(げ)百日が
其間。無二無三ならひし故。習ふに/神変(じんへん)あらはれ


て釘を算木(さんき)によこたへし。字形(じかた)なれどもよめに
ける。しすましたりとよろこびて。今年(ことし)/志学(しかくの)年な
れはとてもの事(こと)に物よみせばやと思ひそめちかき
あたりに住(すみ)たまふ坡谷(はこく)と申/博学(はくかく)の牢人衆(らうにんしゆ)にたよらん
とて。或時(あるとき)に/竹(ちく)三郎。彼学者(かのがくしや)に/初会(しよくはい)して大学(たいかく)を
読習(よみならふ)が。先(まづ)さし置(をき)て四方(よも)のはなしに成(なり)て後(のち)/竹(ちく)三郎
申やう。御/師匠様(ししやうさま)の御/名(な)は。いかさま故(ゆへ)の侍らん。承り度(たき)
と尋(たづ)ねければ坡谷(はこく)聞(きゝ)て申さるゝは。されば我(われ)文才(もんさい)に
くらからで。何におろかはなけれども。取(とり)わけ詩作(しさく)
を得(ゑ)てければ。おそらくは東坡山谷(とうばさんこく)にも。おとらじ
とそんせしゆへ。下の一/字(じ)を取合(とりあはせ)。坡谷(はこく)と号(かう)し候と

こじゆん【ママ】らしくかたらるゝ。竹(ちく)三郎/承(うけたまは)り。いわれをきけは
面白(をもしろ)や。去ながら下(した)に庵(あん)をつけ候へば。はこくわんと
きこへ侍る也。又(また)斎をつけ候へば。はこくさいときこゆ
る也。老(らう)をつけ候へば。はこくらうとのとなへなり。然(しか)れ
ばいかゞ候へば。御/改(あらため)やなさるべき。憚(はゞかり)なからも。不図(ふと)存じ
より候/故(ゆへ)に。申上候也と謹而(つゝしんで)申ける。坡谷(はこく)きかれて
はらをたて初会(はつくはい)にこしやくのことばかな。貴殿(きでん)学力(かくりき)
なき故(ゆへ)に書籍(しよじやく)を曾而(かつて)見られねばかやうの例(れい)をし
り給はず。儒書(じゆしよ)に不(す)_レ限(かぎら)歌書(かしよ)にもあり。かながきなれば
見たまへや。古今集(こきんしう)十九。俳諧歌(はいかいうた)の部(ぶ)に。くそといふ
女の名侍るぞ。源(みなもと)のつく類がむすめと有(ある)_レ之(これ)也/文学(ぶんがく)も


則(すなわち)/死尸(しかはね)に。米(こめ)と云/文字(もじ)書(かき)て有(あり)。その哥(うた)にはよそながら
我身(わかみ)に糸(いと)のよるといへば只(たゞ)偽(いつわり)に。すくばかりなり
かやうに歴々(れき〳〵)の御息女(こそくぢよ)なれども。古人(こしん)は名(な)のとなへに
かまひなし。それのみならず公家(くげ)に大弁(だいべん)小弁(せうへん)の司(つかさ)有
神(かみ)にも雪隠(せつゐん)神(かみ)まします。仏(ほとけ)にも文珠(もんじゆ)しりと。おか
まれさせ給ふも有。武家(ぶけ)には。肥後国(ひこのくに)の住人(じうにん)。牛糞(うしぐそ)
左衛門忠澄(さへもんたゞすみ)と云(いふ)人も侍れば。われらていの名(な)のとなへ
あしきにかまふべき事ならず。其上/庵斎老(あんさいらう)の。三/字(し)
さへ付侍らねは悪敷(あしき)はきこへ申さぬ也。たとへあしく
きこゆる共。すきに赤(あか)ゑぼしなれば。此方(このはう)には少し
心にかゝる事はなし。そなたに気(き)がつきて遠慮(ゑんりよ)なく

坡谷軒(はこくけん)共/殿(との)とも呼(よび)給へかしとて。以之/外(ほか)の不機嫌(ぶきけん)
なれば。竹(ちく)三郎/手持(てもち)あしくして。こそ〳〵と私宅(したく)
さして逃帰(にげかへ)りけり
 第四 竹(ちく)三郎/法体(ほつたい)之事
    数(かづ)の三の字(じ)へぎの誤(あやまり)
され共/竹(ちく)三郎。思ひ入たる文学(ぶんがく)なれば。此師(このし)をとり
はなさじと。一/心(しん)に思ひこめ。二三日も過(すぎ)ければ。又/坡谷(はこく)の
宅(たく)へ参(まい)り。先日(せんじつ)は始而(はじめて)御/目(め)にかゝり。そこつ成(なる)事を申上。御(こ)
きげんにはさはり候へども。それがはやよき学問(がくもん)に罷成(まかりなり)候
とのべければ。坡谷(はこく)きかれて。其志(そのこゝろざし)こそまことなれ。き
どくにも早々(はや〳〵)来られける物かなとて。心よきあいさつ


なれば。竹(ちく)三郎も案堵(あんと)して昼夜(ちうや)に不(す)_レ限(かぎら)師(し)に
つかふる事。長良(ちやうりやう)【張良】が黄石公(くわうせきこう)にくつをさゝげしよりも
猶(なを)へりくだりて仕へける竹三郎。もとより医学(いかく)の心
がけなれは。程(ほど)なく大成論(たいせいろん)に移(うつ)りて。いまだそよみも
はてざるに。早法躰(はやほつたい)して。十徳を着(ちやく)し。木斎(ほくさい)と名(な)を改(あらため)
師匠(ししやう)に対面有(たいめんあり)し時。坡谷(はこく)申されけるやうはぼくさいとは
不心得(すこゝろへ)/乏(とほし)_レ財(たから)ともきこへ。又/才智(さいち)とほしきともきこゆる
なり。貴坊(きほう)には何と心得(こゝろへ)給ふぞやなどきさいとはとなへ
給はぬそ。木斎/承(うけたまは)り。さん候/我父(わかちゝ)は竹斎(ちくさい)と申て医(い)の
道(みち)下手(へた)にてすりきりなれは。われはそれにひきちがへ
木(き)に竹(たけ)つぎたることく大にかはりて上/手(す)になり。福医(ふくい)

【両丁挿絵 文字無し】

とよはれ侍らんとの心(こゝろ)にて候なり。父かよみにてたけさい
ならば。われもきさいと申へきか。父(ちゝ)をこへにてちくさい
と申候へは。我(われ)も又ぼくさいと呼(よば)せ申也/是(これ)と申も御/影(かけ)
故にかゝるわけをもそんじ候へば有。かたき御/恩(おん)
にて侍るとていよ〳〵学問(がくもん)おこたらねど。生(むま)れつきたる
不器用(ぶきよう)にて。物覚(ものおぼへ)のあらされば。只(たゞ)籠(かご)ぬけにことならす
まづは身過(みすぎ)の為(ため)なればいしやの/白人(しらふと)に問(とわ)れてのかけ
はづしをせんとならひしも。ぬからぬ思案(しあん)ときこへける
されども俄(にわか)のいしやなれは。誰(たれ)壱ふくの薬(くすり)を望(のそ)む
ものはなし。只(たゞ)明暮(あけくれ)製方(せいはう)薬種(やくしゆ)取(とり)よせて。守(まも)り
居(い)たるばかり也。ふりうり太郎工夫(たらうくふう)して。商(あきない)中間(なかま)の

者(もの)共に何(なに)となく語(かた)るやう。我等(われら)孫(まご)は。父(ちゝ)竹斎(ちくさい)よりも
器用(きよう)にて一/字(じ)を十字とさとりつゝ薬(くすり)の配剤(はいざい)功者(こうしや)
に成たとへは他人(たにん)の余(あま)したる大/病(ひやう)の。今(いま)目(め)をすへ
歯(は)をくいしむるもの成共我孫がかゝりて。薬の口へ
入程(いるほと)なれは忽(たちまち)に活(よみがへ)る。其(その)手/柄(がら)おほきゆへ方々より
呼(よび)に来(き)て。のり物(もの)かきにことかけは日用(ひよう)壱人たのみ
つゝ身/過(すぎ)なれは是非(ぜひ)もなや孫の乗(のり)しのり物を。我
等(ら)相手(あいて)にかく故に商(あきない)のしやまとなる。後(のち)は薬代/取(とる)
とても。孫の冥加(めうが)のためといひ当座(とうざ)はそんと見へ
けれは。ふつ〳〵いやと云ふらせは商(あきない)中間(なかま)の者(もの)共は
是をまことゝ思ひつゝ。あなたこなたと云ふれて。折(おり)


ふしかいきするものには妙薬(めうやく)ほんの薬/組(くみ)の通(とをり)に調(てう)
合(かう)して憚(はゝかり)なくつかはせは。薬/方(はう)正直(しやうしき)なるまゝに。ときの
がいきはなをりけりある時の事(こと)なるに三/田(た)の百性(ひやくしやう)
風(かぜ)をひき木斎(ぼくさい)をたのみけり。ぼくさいかしこに打(うち)こへて
病人(びやうにん)の脈(みやく)をかんがへ。頭痛(つつう)するかと問(とい)けれは。中々(なか〳〵)と
びんかいたむと云いかにもそうこそ有べけれ。人を
こされ候へ薬(くすり)をさしこし侍らんとていそき我(わが)屋に
立(たち)かへり。はいとくさんを合(あわせ)つゝ銘(めい)をかく折(おり)ふしに
あたりの牢人(らうにん)来(き)かゝりて是をつく〳〵見る所(ところ)に
かなにてはいとく三と。一二三の三の字(じ)かく。牢人申
けるやうは病人もんもうなれはとて。かなにてかゝせ


たまふさへ。しんかう薄(うす)く見へけるになんぞや数の三の
字(じ)は。そこにはかゝれ申まじ。たしなみ給へとあざわらへは
木斎申けるやうは。いや心やすき病人なれは。少も
くるしからぬ也。もそといんぎんなる方(はう)へは。山といふ
さんの字(じ)を書(かき)つかはすとのあいさつなり。牢(らう)人いよ〳〵
おかしくて腹筋(はらすじ)いためば。腹(はら)をかゝへて帰(かへ)りける。さて
又つゝみ紙(かみ)に。せんじやうつねのごとくせうが一へき入てと
書(かき)つかはす。其後(そののち)人の来(き)[た]らねば。木斎(ほくさい)無(なく)_二心元(こころもと)_一て病(びやう)
人の方(かた)へ見廻(みまは)て。様子(やうす)は何(なに)と候そ。立(たて)つけ薬(くすり)を呑(の)み
給へと。さも取しづめ申/時(とき)。病(びやう)人の親仁(おやち)罷出(まかりいて)。誠(まことに)以/我等(われら)
体(てい)の。せがれがわつらひにはる〳〵との御出。忝(かたじけなく)存候さり

ながら。御 薬(くすり)のあまりにからく候故。先さしやすめ
候と。野(の)がへりさすりて申ける。木斎(ほくさい)聞(きい)てあらふしきや
さのみにからき剤(ざい)にてなし。おほつかなしと申ける。親仁(おやぢ)
かさねて申やう。御薬こそはからく侍らずともしやう
がゝ多く入候/故(ゆへ)かと謹而(つゝしんて)申木斎きかれて。一へぎの
しやうがゝ何とて左程(さやう)にからからん。何程(なにほど)のへぎぞや見(み)
せ給へと有し時([と]き)。七寸四方のとちへぎに。しやうがを
一へんに置(おき)ならべ。此へぎに如_レ此一へぎ入て候也。さて
又せんじやうつねのごとくと御/書付(かきつけ)候へはいかにもつ
ねの鋳五徳(いことく)の。なべ屋のごとくを用(もちひ)て。かぢやの打五徳(うちごとく)て
禁(きん)じ申也。せんじ鍋(なべ)の事をば。何共御/書付(かきつけ)なく候へとも


是/程(ほど)のしやうかなれは。大かた是かよからんとかんがへ弐
升入のやくわんにて。せんじのませんと仕れど。一/口(くち)もたべ
られねば。先(まつ)指置(さしをき)て煎茶(せんじちや)に。みかんの皮(かわ)とくろまめと
さんせう四五/粒(りう)くわへつゝ。せんじてのませ候へばすきと
本腹(ほんぶく)せし故(ゆへ)に。使(つかい)はしんじ申さぬ也。先/是(これ)までの御
いで。御/大義(たいぎ)【太】千万(せんばん)祝着(しうちやく)申て候也。俄(にわか)事なりやほた餅(もち)は
ならぬ。なすび付くふて御/茶(ちや)参(まい)れとそ申ける。木斎
心に思ふ様(やう)物には吉凶(きつきやう)有/物哉(ものかな)薬(くすり)の銘(めい)にひをうた
れ。心にかゝりさふらひしが。あんにたがはず病家にて
間違(まちがい)出来(いてき)侍る也。爰(こゝ)は釘(くぎ)の打所と立とゞまりて申
やう。せいもんそおやくしぞ。一ふく三分くすりそや。なすび
づけでは絵(ゑ)がとけぬと。ことはりてこそ帰(かへ)りけり

【右丁 白紙】

【左丁】
木斎咄医者評判(ほくさいはなしいしやひやうはん) 二
 第五 木斎目黒参詣(ほくさいめくろさんけい)之(の)事
    偽状(いつわりしやう)之(の)耆婆(ぎば)が末孫(ばつそん)
去間(さるあいた)木斎(ほくさい)は。是まて来(きた)る。序(ついで)に目/黒不動(くろふとう)へ参詣(さんけい)せ
ばやと思ひ立。其比にらみのすけが弟に。目玉之助
と云しは。昔のよしみをしたひきて。召仕有しを
其日の供に召つれしが。跡(あと)ふりかへりて。銭もてき
たかとたつねければ。十四五文は。こさめれとこたへける
それにては主従。あべ川もち壱つ宛はくた物よ。甘(あま)
茶のむとも事かゝじ。そう里のはなをはきれまいか
たばこはわれら懷(くわい)中す。はつをは不動(ふどう)もかけになさる

べし。いさ参らんとて参りしが。程なく御山のふもと
につく。あゆみをはこぶもろ人の。いしやうはこふく餅(もち)
うり共。そでやこづまに取つきて。是めさらんせと口
口に。いふやしめなはひきまはす。瀧のひゞきはたか
すへ松。まつもろともに旦那(たんな)の。ぼくさいはんじやう目
玉そくさい。延命散(ゑんめいさん)も二王門。爰ぞ本道の医師(いし)の
きざはし打あかり。御宝前にも成しかば。我身に
しやうがみたかりし故。いろめく人にわに口をあうん
と云程うちならし心しづかにきねんして下向道(けこうだう)に
もおもむけは。爰に人あまた立こぞれり。何事や
らんと木斎も。あゆみをとめて見てあれば大和哥


に同年程の男のかしら惣結(そうゆい)にしたるが。しぶかみを
ひろげ敷て。うしろには古屏風(ふるびやうぶ)に。新酒一石/価(あたい)銭金
と。代待の大文字書たるを立。太平記の評判を読(よむ)
にてぞ侍りける。其口/拍子(びやうし)。古(ふる)むぢなの/弁舌(べんぜつ)。穴(あな)のち
ゑを。あらはしたるともいつつべし。折ふし天王寺にて
上宮太子の未来記(みらいき)を楠正成(くすのきまさしげ)披見(ひけん)して。世の治乱(ちらん)を
考(かんが)へける。其巻の評判(ひやうばん)也。是を木斎つく〳〵ときゝ
正成(まさしげ)の知略(ちりやく)にて。偽(ぎ)書を作(つくり)納置(おさめほき)。諸人に信(しん)をとらし
め給ふと。云所に心を付。誠に是こそ今とても。有べ
きはかりことぞと打うなづきひとへに明王の御おし
へと。跡ふりかへり礼拝(らいはい)して。急(いそき)我屋に立かへり。或筆(あるひつ)

耕(かう)をたのみて。早々/偽書(きしよ)を作(つく)りける其文に云く
 先日(せんじつ)者(は)入来(じゆらい)之(の)處(ところ)に愚佛(ぐぶつ)月界方(ぐわつかいかた)《割書:江》罷/越(こし)/不(ず)_レ【二点脱ヵ】/能(あたは)
 面謁(めんゑつ) ̄ニ_一/残念存(さんねんにそんじ)候/且(かつ)又(また)貴医(きい)/之(の)御薬給候而も
 摩耶夫人(まやぶにん)腹痛(ふくつう)令(せしめ)_二/快気(くわいき)_一候誠以/祝着(しうちやく)/不(ず)_レ過_レ之候
 依(よつて)_レ之(これに)白銀(はくぎん)十枚/時服(じふく)一重。干鯛(ひたい)一箱。南都諸白(なんともろはく)
 両/樽(そん)令_レ進-入(にう)_レ/之(これを)候/猶(なを)阿/難(なん)可_レ申也恐々謹言
   七月十六日         唯我氏独尊(ゆいかうぢしやくそん)。釈迦判(しやかはん)
    典薬頭耆婆老(てんやくのかみぎはらう)
 猶々/世忰(せがれ)羅候羅(らごら)肥前(ひせん)之薬(のくすり)今少可_レ給候以上
今瀧本流にて。大/奉書(ほうしよ)にかゝせ。けぶりにふすべてにし
きの守(まほ)り袋に入て。近所(きんしよ)の後生(ごしやう)ねがひのうばかゝ


をよびあつめ。終(つい)におの〳〵へ語りたる事もおじやら
ぬが。われらは代々いしやの筋にて。遠祖(とをおや)は仏/在(ざい)世の
ぎば大臣也。然間代々もちつたへたる釈迦(しやか)の御/自(じ)
筆有。例年土用干仕るが。当年はめん〳〵へおがま
せ申さんとぞんじ。呼(よび)あつめ申也とて。こと〴〵く精進(しやうじん)物
忌(いみ)させて。件の偽(き)書をおかませければ文盲(もんもう)之者の
あつまりにて。さて〳〵有がたき御事かな。おほとけ
さまの御/手跡(しゆせき)を。いか成けちゑん有てかけふおがむ事
のあらたさよとて。泪をなかし。らいはいす。その中に
いろはを。ひろいがきの者有ておしやかさまの御
時代には。とんびと。かきて先日とよみ。五言とかきて

【両丁挿絵】

きんげんとよみけると。見ゑたりとて。瀧本流の筆
法と。しらさりけるとそおろかなれ。しばらくおがま
せ。まきおさめけるとき五銭十銭宛つゝみて。床(とこ)の
上に置ければ。木斎申やう。いや〳〵それはめいわく
なり。出家(しゆつけ)山伏にても侍らずいしやの事にて
候へば。それには及不_レ申と。ほゝゑみなから寐(ね)酒は
しめたと心の内にて悦ける。爰にあつまりたる者の
中に。すこびたるもの有りて申やう。内々折も侍ら
ば。うけたまはらんと存ぜしが。終(つい)についでも御座
なくて。其通にて打過候。けふはよき折からにて
候へば。尋(たつね)申度事の候惣而道々に。其本立て


御座候。先(まづ)仏道は釈尊(しやくそん)儒(じゆ)道は孔子(こうし)と承り及候也。医(い)
道のもとは倭漢(わかん)ともに。何と申候やと。しつほりと
問(とい)かくれば列/座(ざ)の者(もの)共。是はよき事御/尋(たつね)候。貴所(きしよ)の
御申出しなくはわれ〳〵の気(き)のつく事にて侍ら
ず。幸成(さいわいなり)座(ざ)につらなり申候とて。なりをしづめてきゝ
居(ゐ)たり。其時(そのとき)木斎(ほくさい)日/比(ころ)はとくに。ならひ置(おき)しは爰(こゝ)
なり。もしわすれもやすると。心をしづめかんがへて。先
でほうだいに云て見んと。心を大こく柱(はしら)にして打し
はぶき。扇取なをしさて〳〵御きどくの御/尋(たづね)かな。
いかにも其/始(はじめ)御座候。先(まつ)伏義(ふつき)造(つくり)_二 甲歴(かうれきを)_一たまひ神農
嘗(なめて)_二百草(ひやくさうを)_一本草(ほんざう)起(おこ)り。黄帝(くわうてい)六臣(りくしん)と問答(もんだふ)して。霊枢(れいすう)

素問成(そもんなる)。是(これ)を内経(ないきやう)と云。此/故(ゆへ)に/医(い)は三/皇(くはう)を元(くゑん)祖と
春。周礼(しうれい)には列(れつし)_二文官(ぶんくはん)_一范文公(はんぶんこう)は郎相(りうしやう)と並(ならび)云孫氏(いふそんし)は
諸芸(しよげい)の中の甲(かう)こす。徐春甫(じよしゆんほ)は儒(じゆ)之一/事(し)と須。日
本(ほん)にては昔時(そのかみ)。大巳貴命(おふあなむかの)。少彦名命(すくなひなのみこと)を本と須と。日本
記(き)に見へたり。世に云伝ふ。大巳貴命は。三輪(わ)の明(みやう)神共
又は稲荷明(いなりみやう)神とも申也。少彦名命は。平安城(へいあんじやう)五/條(でう)の
天(てん)神/是(これ)なり。かるがゆへに今の世に/至(いた)るまで。毎年(まいねん)
節分(せつぶん)には。人々此/社(やしろ)に詣(まふ)で。白朮餅(おげらもち)を服(ぶく)して疾(やまひ)を
除(のそく)と云事有と。日/比(ころ)/師匠(ししやう)に。かなに書てもらひ
置。ひたよみによみ覚へたる事なれば立板(たていた)へ
水をながすにことなら須。言葉(ことば)すゞしく申さる


れば群集(ぐんしゆ)の人々承り。一/度(ど)にあつらぞかんじける
其とき又/彼(かの)すこび者御物かたりを承り候へば。いしや
の/元祖卑(くわんそいやし)からねば士のなすべき業(わざ)成べし然れば
俗(ぞく)にて勤(つとめ)来らん事なるに。いしや衆(しゆ)の/法躰(不つたい)は。いか成
故(ゆへ)にて侍るぞ。木斎/答(こたへ)て申さるゝは。おほせのことく
古へより。日本にても文/官(かん)/武(ぶ)官/医官(いくわん)と三つに
わかれ。中古までは。有髪(うはつ)尓て和気丹波(わけたんば)の両氏(里やうじ)。
典薬頭(てんやくのかみ)となり。其外(そのほか)/医(い)道を以て世に名を得し
旁々(かた〴〵)。或(あるい)は正(しやう)三/位(ゐ)正四位に叙(じよ)せられ昇殿(しやうでん)をいたして
其/品卑(しないやし)からざる也。中比和気能/猶成(なをなり)が子。明重(あきしけ)と云
者(もの)。叙(じよし)_二正四/位(ゐに)_一/為(なり)_二/典薬頭(てんやくかみと)又/為(なつて)_二/施薬院使(せやくゐんしと)_一/被(され)_レ/聴(ゆる)_二/院内昇(いんのないしやう)

殿任(てんを尓んじ)_一/宮内少輔(くないのしやうゆふに)/且轉(かつてんす)_二/甲斐守(かいのかみに)_一/称美(しやうび)の余(あま)里に法躰
となして。同官(どうかん)の/上座(しやうざ)に/居(お)らしむ。名(な)を號(かうす)_二/宗鑑(そうかんと)
丹波(たんば)の重長(しげなが)が養子(やうし)たるにより。丹波家(たんばけ)の/医学(いがく)/迄(まで)
きはめて。人を活(いかす)事少からず不(す)_レ歴(へ)_二僧綱(そうかうを)して被(さり)_レ聴(ゆる)
直綴白袴(ぢきとつしろはかまを)是即(これすなはち)法躰(不つたい)之/始(はじめ)也と語(かた)り/終(おは)る所へ。下の
町の。人/宿(やと)にて御/目(め)にかゝりました鹿蔵(しかぞう)にて御
座(ざ)候。只今(たゞいま)は名(な)を敷井溝右衛門(しきいみぞへもん)と改(あらため)まして。杢下
石州内(せきしううち)。猫間太兵衛(ねこまたひやうへ)と申/仁(にん)の方(かた)へ。若党(わかとう)奉公(ほうこう)に
相済(あいすみ)罷有候。然(しか)るに/此比旦那(このころたんな)の秘蔵(ひそう)が煩(わつらひ)まする
につき。おまへ様(さま)之事/物(もの)かたりいたしましたれば。御
無心(むしん)申上/度(たく)候/程(不と)に。御/供(とも)申て参(まい)れと申さるゝ


によつて伺公(しかう)仕ました。御太義(こたいぎ)/千万(せんばん)には御座候へ共。御
越(こし)被(され)_レ 下(くだ)候はゞ。われらの外聞(ぐはいぶん)と申/忝存(かたじけなくぞんじ)侍らんと。いん
ぎんにのべければ木斎きかれてやすき事にて候
さて〳〵皆々(みな〳〵)へは。残心(ざんしん)〳〵。又/重而(かさねて)御出あれとて。彼者(かのもの)
と打(うち)つれだちて出られけり
 第六 病人男女(びやうにんなんによ)/之(の)/見違麁相(みちがへそさう)/之(の)事
    ときのしあわせはらのせんやく
さて行程(ゆくほど)に。日暮(ひくれ)になりて屋敷(やしき)につく。こなたへ
とてこくらき/部屋(へや)へつれゆき。病人(びやうにん)にあはせ侍る
程(ほど)に。見れば。いろ白(しろ)くやさかたなるが。髪(かみ)うち
見だし。どんすの夜(よる)の/物(もの)に。もたれてうつくし

き手(て)を出し脈(みやく)を見するに。とくと取(とり)て後。側(そば)
から何(なに)わづらひにて候やらんと。病症を尋ければ。
是(これ)はかたがひもなく。御/身持(みもち)にて侍らんと云(いふ)。側
の人きゝていやそれは児小姓(こごしやう)にて御座候といへは
うろたへぬふりして。それならば。大べんがけつす
べしと云(いふ)。いやくだりますといへば。男半山産(不とこはんざん)とて。有(ある)
病症(びやうしやう)に候と云(いゝ)て。手持(てもち)なふして立(たち)かへる所(ところ)へ。肩(かた)で
息(いきいき)をつぎてかけ来るもの有。見ればとなり町
の。いづみやうでつち。才助(さいすけ)なり。漸々(やう〳〵)といきを志づめて申
やう御/宿(やど)へ参(まい)りましたれば。さくらだ筋(すじ)の御/屋敷(やしき)
へ御/出(いで)なされ候と。申さるゝによつて。是(これ)へかけ来り候


だんなも川ての外(ほか)に/相煩(あいわつら)ひ候/故(ゆへ)。もくあんさまに
御めにかけ候へば。ごきけんにのらぬとて。御薬くださ
れず。ちやはんさまは。われはしらぬと仰らるゝ。はやし
きりに取徒め申候。御出くだされ候やうにと。内方(ないはう)
申こされましたとなきごへかりなりて申/程(ほと)に心得
たりとて。彼宅(かのたく)へ行ければ。ていしゆ頭痛(づつう)しはら
はりて。横(よこ)に伏(ふす)事ならず。女房にうしろよりいたれ
て居(ゐ)たり。木斎麁相(不くさいそそう)なれば。左の/脈(みやく)は病人(びやうにん)の手(て)。
右(みぎ)のみやくは。抱(かゝへ)て居(い)り女ぼうのみやく取(とり)て。左右(さゆう)の脈
大尓/相違(そうい)せりくすりつかはす事。成まじきと云/側(そば)
なるもの申/様先程(やうさきほと)より。是(これ)から見(み)申候に。一/方(はう)は病(びやう)人

の手(て)。一/方(はう)はかゝへて居(ゐ)る。女ほうの/脈(みやく)を取(とり)ゐふゆへ。
左右相違(さゆうそうい)御座候はんといへば。木斎心中(ほくさいしんぢう)には。あつと
思ひけれども。へらず口にて。それは少も麁相(そさう)な
らず経文(きやうもん)にも。一/躰分身(ていふんじん)とて。夫婦(ふうふ)は一/躰(たい)とと起
ゐへはかた手づゝみやく取(とり)候。先薬(まつくすり)を用(もちい)て見たまへ
才助(さいすけ)めを取(とり)に。指越(さしこし)ゐへとて。帰宅(きたく)し。竹斎(ちくさい)よりも
つたへし。ひそうの/医書(いしよ)を。とり出(いた)し見てあれは
かやうなる頭痛(づつう)には。わらの/本(もと)一/味(み)を用へしと有(ある)
程(不と)に。医書(いしよ)に。まかせて。わらをきざみ包(つゝみ)て。使(つかい)に
わたしければ。才助(さいすけ)かけ取(とり)。汗水(あせみづ)になりてかけ来(きたる)
脈(みやく)の取(とり)やう。そさうなれば。おぼつかなくは思(おも)へとも


余(よ)のいしや衆(しゆ)は。皆(みな)はなしたるものなれば。死(しぬ)るとても
くやみなしとて。則(すなはち)せんじて用たりければ。張(はり)たるはら
に。やはらぎ出来(いでき)。大/便(べん)小/便(べん)。心(こゝろ)よく通(つう)じ二ふくの
薬にて。すきとなんぶくしたりけり。病人あ
まりのふしぎさに。薬のかすをよく見るに。わらを
きざみたる一/味(み)にて侍りける。病人さても上/手(ず)とて
手を打てかんじける。女房や一留ひとも。その故(ゆへ)いか
にと問(とひ)ければ。わが。煩(わつらひ)の其本を。今こそあんじ
付て有。一昨日(おとゝひ)のふるまひに。なまこを手ぎわ
よく。こだゝみにしてすはりしを。膳(ぜん)上をたべあげて
ひた物/乞(こい)てくはしより。煩(わつらひ)つきて侍るを。よく脈(みやく)と

覚(おほ)へたまへばこそ。わらをせんじてのませらる。作意(さくい)
の程の/上手(じやうず)さよ。にんじん百/斤(ぎん)千/斤(ぎん)より此御業ぞ大/事(じ)
なれ。命(いのち)たすかる事なれば。薬代(やくだい)おしむ事あら
じと。よろこふとはかきりなし。かゝる所(ところ)に。隣(となり)のかゝ
口(くち)ばやにさし出(い)て。惣(そうじて)るあの木斎さまは。つねにも
わらを薬につかはせゐふぞや。それをいかにと申に。この
正月の年玉に。わらのしべを一寸/程(不と)に/切(きつ)て。三/筋包(すじつゝみ)
て上書(うわかき)に。しびりの薬。つばきにてひたいに付べしと
かきつけして。おれらが方(かた)へもくだされたり。物不_レ入(いら)の
御年玉。なよりの/重宝(てう不う)なりとぞしやべりける。かのわら
を用る事。全(まつたく)木斎が作意(さくい)なら須。稾本(わらほん)と云薬は


頭痛(づつう)によき薬にて。いしや衆常(しゆつ年)に用らる。竹(ちく)斎/蚊(もん)
虻(もう)なる故(ゆへ)に。白人(しらふと)に/医書(いしよ)之かなづけたのみしとき。かう
不んと云もじは。わらの本(もと)と書(かき)ければ。くすりの
名をばしらずしてよみにて則かきし故(ゆへ)。その書(しよ)
物(もつ)。いま今木斎が手にわたり。ふしぎの手/柄(がら)をしたり
けり
 第八 和泉屋薬代/持参(じさん)之(の)事
    盃(さかづき)ひかへて自慢(じまん)はなし
和泉屋の造酒(みき)之介は。木斎の御/影(かげ)にてあやうき
命をたすかりて。よろこびのあまりに。白銀(はくぎん)十/枚(まい)の
付/台(だい)其外(そのほか)二/種(しゆ)一/荷(か)を送(をく)り。其身も上下を着(ちやく)し

て。御/礼(れい)に参(まい)れば。よしがこいの座/敷(しき)へしやうじ。木斎
出(いて)あはれければ。いづみや謹而(つゝしんて)手をつき。誠以(まことにもつて)此度(このたび)は御
影故(かけゆへ)に命ながらへ。二度御目にかゝり申事。珍重(ちんてう)千(せん)
万(ばん)忝存(かたじけなくぞんじ)候と。のべければ。木斎もゑみをふくみ。先以(まづもつて)
貴殿(きでん)の御気/色(しよく)。早速(そうそく)御本ぶく。目/出(て)たうこそ候へ。是は
あまり御/隔心(きやくしん)がましき御/礼(れい)。殊(こと)に御/持参(じさん)。却而(かへつて)痛(いたみ)入
て候。たれぞこいよと云て。手をうてば。目玉之助罷出る
たばこもてこよ。御ちやしんぜよと云とき。いやはやそ
れに及ませぬ。たばこは家名(いへな)のいつみしんでんを懐(くはい)中
しました。ひきちやはくだされませぬと。云所にとなり
のこまんと云。十二三なる娘(むすめ)あそびに来るを頼(たの)みてせんじ


ちやを出す。其内に目玉之すけは。いかの吸物(すいもの)はさみ
さかなの。しらすぼしなど。こしらへ。御/持参(じさん)の御樽(おんたる)之(の)
口をひらきましたとて。大屋よりかりよせたせい
しつのあいづわん。しゆんけいぬりの日光/折敷(おしき)にてはや
すいものを出し。にせまきゑのさかづき。朱(しゆ)ぶたのかん
なべを目玉のすけ持参(じさん)して。いつみやがまへにおけは
先(まづ)木斎さまよりと云。いや御/持参(じさん)じや程に。造酒殿(みきとの)
へと云。とかく御ていしゆさまよりと式台(しきだい)すれは。その
ぎならばとて。上さかづきは。あまりにうすければとて
わきへのけ。下さかづきの。三盃(さんばい)入を取上て。たぶ〳〵と
うけてさらりと不し。われをわすれて。かしらをたゝき

又一はいのみて。客(きやく)にさす。いづみやもとより/大(だい)上/戸(こ)にて
三献つゞけてのみ。御家/久敷(ひさしく)御人ときく。いざたしまとん
とて。目玉之助にさす。目玉もそこぬけのまんはちにて
かたじけなしとて。三/盃吞(ばいのむ)。それよりあなたへかへせば
いづみや三/盃(ばい)つゞけてのまんとするが。すへの三ばいめに
つまり。ほしかねて見ゆるとき木斎中をいたさんとて。
是を取てのまれけるが。盃(さかづき)をひかへて。から〳〵わらひ
して申さるは。酒は百薬の長(ちやう)たり。すくるをもつて
毒(どく)とすと云(いふ)事は。何と心得(こゝろへ)ゐふぞ。酒は百薬に
すぐれたる薬なれども。すいさけはとくじやと云事也
すぐるゝがどくしやねに。からくあまきをくれよとの


儀(ぎ)也。しれはくの字(じ)をにとらすによむか口伝(くでん)也長
の字はなかきとよむ故(ゆへ)に/酒(さけ)はなかく。ひさしくのむか
本意(ほんい)ぞや又/酒(さけ)ははかりなし。らんにおよはすと云(いふ)事も
候へば。かきりはなきもの也。ゆる〳〵とのみたまへ
さて又申につけては。おこがましけれども。親祖父(おやおうじ)の
代(だい)より。医者(いしや)の家(いへ)にして。昼(ちう)夜/医術(いじゆつ)の/工夫(くふう)をは
けまし時(とき)の運気(うんき)をかんがへ。かゝる程(ほど)の/病人(びやうにん)ひとり
として平愈(へいゆ)すと云事なし。しかれともまんが
わるふていつも囲炉裏(ゐろり)に/屈(かゞ)む。灰毛猫(はいけねこ)のことく悴(うつけ)
果(はて)たる野夫医師(やふくすし)にて。一/生(しやう)をくらさん事(こと)こそ/口(くち)れし
けれ。皆白人衆(みなしらうとしゆ)ははやるいしやをば。なへて上手(じやうす)とおほしれ

めされんかさにはあらず。たといはやるとても上手と
云(いひ)がたしはやらぬとても。下手と云(いひ)かたしされとも
上手(しやうす)なれはこそはやれ。下手(へた)かなとかはやらんや。さらは
時花(はやり)て見よと云はゝわれらこときのはやらぬいしやは
口(くち)をとち大豆(まめ)にして。おこし米(こめ)見せらるゝより外(ほか)は
なし。然(しかれ)ともはやるにも品(しな)三つ有(あり)。尤(もつとも)上手(しやうす)にてはやる
も有へし是は評(ひやう)に/不(す)_レ及(およは)/上手(しやうす)ならねど運(うん)のよき
人と調練(てうれん)にてはやるも有(ある)也。其運(そのうん)のよきと云(いふ)は繋(かゝ)
類/程(不ど)の病(びやう)人が。人/目(め)には大病(たいびやう)と見へ。当分甚敷(とうぶんはなはだしく)て
愈易(いへやす)きにおほくかゝり。又は人の薬(くすり)にて。十が七つ
八つ内(うち)はなをれとも。外へ験(けん)とも不(す)_レ見(みへ)。能時分(よきじぶん)にかゝりて


人の手柄か我手/柄(から)になるも有(あり)。又/死(しぬ)べきをうか〳〵
と療治(りやうぢ)する内に。先(さき)より/薬(くすり)をかへ。後(のち)のいしやに
わたし死(しぬる)も有。其(その)なんをのかるゝ上に。却而不免
らるゝ也。又人のさのみ不(さる)_レ知(しら)/病(びやう)人は不出来(ふてき)にても。人
の知る/病人(びやうにん)には。いつもしああわせよく。不図人にはや
し立(たて)られて名(な)を取(とり)て其以後(そのいご)は少々の不/調法(てうはう)有
ても人はそしら須。是等(これら)は運(うん)のよきにあらすや。人斗(はかり)
にもかぎら須/仏神(ふつじん)にも不図(ふと)はやらせゐふ時(とき)有/近年(きんねん)
吹上(ふきあけ)のくわんおんの。はやりゐふ事。江戸/中貴賤群集(ちうきせんくんしゆ)
して。参詣(さんけい)する事/夥(おびたゞ)し。いつそのほとにかさたも
なし。是(これ)にても心得(こゝろへ)たまへ。吹上(ふきあけ)のはやりゐふとき

其外之/観音(くはんおん)の徳(とく)。劣(おと)りたまはんや後(のち)に/吹上(ふきあげ)さめゐふ
とて。仏徳(ふづとく)きへゐふへきかはやるときは。御/利生(りしやう)も有(あり)と
云(いふ)。いしやも仕合(しやわせ)よくてはやれは人々/手柄(てから)はかりを
かそへて云。然(しか)れは運(うん)のよきと云ものにこそあれ上
手(しゆ)とは云がたし扨又調練(さてまたてうれん)にはさま〳〵有/先威(まづい)の/有(あり)
てたりにも成(なる)べきかたへは取入(とりいり)下から誉(不め)られ。其威(そのい)
有人の見てにも入やうなる方(かた)へは下(しも)つかたのものとても
情(せい)を出(いた)しちひ有(ある)やうにもてなし。大に/虚言(うそ)をつき
正直(しやう仕き)なるやうに志なし人和(にんくわ)をつくろい或は衣服(いふく)駕(のりもの)
にて物躰(もつたい)を飾(かざる)も有(あり)。我知(わがしる)人の内(うち)にも。かやうの/方便(はうべん)
する人いくらも有。名(な)は不(す)_レ申候/或(ある)いしやの物語(ものかたり)に或御/方(かた)


の/家老(からう)の内儀(ないき)大病(たいびやう)にて。誰々(たれ〳〵)と歴々(れき〳〵)の名(な)有大
医(い)をかそへ立(たて)。其衆の薬にてゆかぬ所を不図(ふと)たの
まれそれかしの薬にて快気(くはいき)すまことに犬の/歯(は)
に蚤(のみ)とやらんとかたしるゝ。初(はじめ)はさぞとおもひしに
其/家(いへ)之/衆(しゆ)に出(いであい)たる時かく有ときく登
かたれて。家老の内義の煩。かたもなき/偽(いつはり)。其
家の下女(げちよ)か煩(わつらい)に。薬をやりしか。剰花(あますさへし)に
けりと云。惣而(そうじて)うそ咄(はなし)も。人か正直にて実(まこと)と
思ふ。先(さき)の名をたしかに云ても作りさき〳〵
まて行(ゆき)てうそかまことかと。たゝすべきや。うそ
つきそふなる人の。うそは誰(たれ)もうたがへとも年(とし)こ

はいなる物躰(もつたい)らしき者(もの)のうそは。あれかうそか有
べきかと。思ふもの物なれハ十人か八九人は。誑(ばか)さるゝ物じや
あらふ事のと申さるればいづみやきゝてふかくかん
じ。御物かたりの内(うち)に。酒もはやさめて候。御/咄(はな)しを
さかなにて。今(いま)一つくたされん。御さかつきこなたへと
乞(こい)うけて。四五はいつけて。ひつかけさらは御おさめ
なされ候へとて。木斎(不くさい)へかへせは。木斎もたぶ〳〵と
ひきうけ〳〵。三/盃(はい)のめば。いづみやは御いとま申さら
はとて。我屋をさして帰りけり




木斎咄醫者評判(不くさいはなしいしやひやうばん) 三
 第九 山伏(やまぶし)と醫者證據(いしや志やうこ)くらべの事
    跡(あと)よ里/乞(こい)にせめくるはかけ
かくて木斎。此/年(とし)月いしやを勤(つとめ)て。此度(このたひ)初て。かゝる
大分の/薬代(やくだい)取事。薬師如来(やくしによらい)の御加/護(ご)成べし。これ
よりしだひはりにつのらば。福貴(不くき)と成。後には家(いへ)
屋敷(やしき)をも求(もと)め。七珍万に(しつちんはんぼう)にあきみちなん。しからば
目玉(めたま)之助をもよろしく取たてとらせんと。心よげ
に申さるれば。目玉之介申やう。大旦那(おふだんな)さまより此かた。
かやうなる御/仕合(しやわせ)は終(つゐ)に見申たる事なし。銭(ぜに)百
文の薬代(やくだい)さへ世にも▢れなる事にて。或時(あるとき)は

ものあぢのひもの。又或ときは。上の仕合にて。志越
かつをのたぐひばかり成におやさまにはむまれま
させゐふ事のめでたさよ。是と申も貧乏神(びんぼうがみ)の
きしゆへ成べし。此上はいよ〳〵御ゆだんなく。御/工夫(くふう)
なされ候へと申ければ。木斎まかせよ合点(がつてん)なりさり
ながら。少もとでを入べきとて。ある日しまひものゝ
たるへ行。儒書仏書(じゆしよぶつしよ)の端本(はぼん)。歌書(かしよ)又はうたひまい。くさ
ぞうしまでとりあつめ。きれそんじたるにもかまはず
ふる反古(不んご)よりも下直(げじき)に。夥敷(おびたゞしく)もとめ。四壁(しへき)に
棚(たな)を津りて上置(あげおく)時。知(しる)人の来りて是は沢山(たくさん)なる御
書物や前々(まへ〳〵)終(つい)に見てる事侍らぬがと申ければ。木


斎われ若年(しやくねん)の時より/書籍(しよしやく)等をすき。連ん〳〵にもと
免しも有。又/親(おや)のゆづりたるも侍るが。近年(きんねん)火事
志げきゆへ。去方の土蔵(どぞう)に願入おきしが。先にて
蔵(くら)の。ふしん有とのことはりにて。かへさるにより。取
よせしが。所せきてきのどくなりと申さるゝ。彼客(かのきやく)
きゝて座(ざ)を立(たち)。書物(しよもつ)共を見てあれば。さま〳〵の
そうしまで。打(うち)まじりて見へし程に。是はいかなる
故に。くさそうしまで。とりませたまふと云ければ
わがおや歌学(かがく)をもすきうたひまひもこのみし
故。さま〳〵のほんも候也。われ又/家業(かげう)の外。儒仏(じゆぶつい)
歌書(かしよ)もすきし故。何やらかやら候べしと申さるれは

彼客(かのきやく)申けるやうは。おほせのごとくなぐさみには。うたひ
まひ。じやう留里に/歌(うた)なり共口ずさみ。御気をほう
じ。御学文(こがくもん)有てよかるべしさのみ御きをつめて罷
かくもんはいらさる物かと存侍る也。それをいかにと申に
世上にて学の有/医者(いしや)は。くすりが働(はたらか)ぬと云(いひ)ならはし
候。誠(まこと)にさも有とそんし候は。医書(いしよ)のかうしやく
大才(たいさい)になさるゝ方(かた)の御薬は。十人かハ九人迄は。薬が
きゝ不_レ申候程におまへの御/学文(がくもん)も。御無用にな
され候へかしと申ける木斎きかれて。扨は此もの。書物
のおほきを見て。われを文才(もんさい)有と思ふよる。爰
はまぎらわし所(ところ)と思ひ。十面(しうめん)つくりくいねぶりて打志は


ぶき。いかにも此まよひ世上一/統(とう)なれば。心を静(しづ)めて
そのわけをとくと聞ゐへ。是にはその品五つ有也
一つには博学(はくがく)多才(たさい)にて詩(し)を作り。文を書。四/書(しよ)
五/経(きやう)などの講釈(こうしやく)をし何を問ともつまつかねば。さて
も学者(がくしや)かな。家の事なれば。医学(いがく)はさぞと。人は
思へとも。医(い)の道におゐては白地(志らじ)の/凡夫(ほんぶ)おほし
かやうの人の薬がきくへきか。博学(はくがく)にて薬がきく
べくは。林道春(はやしだうしゆん)。沢庵和尚(たくあんおしやう)などは。上(うへ)つ方(かた)の御/煩(わつらい)は。救(すくい)
ゐふべけれども。終に不_レ及_レ承。いか成/高僧(かうそう)貴(き)僧も
皆いしやをたのみたもふ。かく申せはとて博学(はくがく)が医道(いだう)に
嫌(きら)ふと云にはあらず。古しへより名有いしや。今の

世にも。一家(け)の師(し)ともなる人は大方/博学(はくがく)ときこへし
是は博学にて。医(い)の道をもよく究(きわめ)たまへば。上々の
医(い)也。尋常(よのつね)の人の。及べきにあらず。それにはあらで
我云(わがいふ)所は。学文(がくもん)すきの人の癖(くせ)にて医学(いかく)はせぬがおほし
しさいは医書(い志よ)は。上すべりがして。埒(らち)があきやすき様(やう)
にて。勤(つとめ)兼る也。二つには前々(まへ〳〵)/云(いふ)運の阿しき人。かゝる
病人毎に/難病(なんびやう)。さては人目に/軽(かろ)く見へる/死病(しびやう)
依(よつて)_レ之/手柄(てから)すくなく働(はたらか)ぬ有。三つには医道(いたう)に/骨(ほね)を折
故に其心にも。慢(まん)が有て口をきゝ。人にも諂(へつら)はず
人/和(くわ)あしく。人もほ(す)_レ頼(たのま)。いしやなりまにては随分(ずいぶん)口
をきくにより。出合(いであい)には口があかれねば。底意(そこい)いやにおもひ


て。美(び)女は悪女の/敵(かたき)のごとくなれは。此人の手柄(てがら)は大
方不めす。針程の誤(あやま)りをば。棒程に云なしを
の連が不(ふ)学の云わけにもなるにより。学は有
とも。薬がきかぬと云出す。白人(しらふと)はいよ〳〵一犬(いつけん)
虚(きよ)を吠(ほゆ)れば。十犬実(じつけんぢつ)と伝(つた)へて。はやらぬも有べし
四つには医学尓も骨(不年)を折ども。生徳の才智
不_レ働(はたらか)。飩(どん)にて臨機応変(りんきをふへん)の意(こゝろ)。不/調(てう)法にて働(はたら)か
ぬも有へし。五つには幼少(ようしやう)より医学/勤(つとめ)ても。年
若くして。人が療治(りやうち)は不_レ頼(たのま)。当然(とうぜん)之/渡世(とせい)がなら
ねは弟子(でし)を集(あつめ)。医書之/講釈(こうしやく)にて日を送(おく)り。京(きやう)
田/舎(なか)まて名(な)は高(たか)けれとも。医書読(いしよよみ)と名(な)を付(つけ)

られ/更(さら)にはやらぬも有。さてこそ学はあれども。薬
が利(きか)ぬと云。志かれども一/概(かい)尓云は無理(むり)ならずや医書
にも評(ひやう)して有。遍鵲(へん志やく)程の医学(いかく)にてもくすりの働(はたらか)ぬ
は有とも。不学にてはやる医に/遍鵲(へんしやく)こときは有
まじと。尤にこそ。不学にて才智(さいち)がはたらき。薬が
きくと云人に。医学させたらば猶以よからん弓射(ゆみい)
る人の。手前あしくて。的(まと)よく中(あた)るに。手まへを
なをしたらば。いよ〳〵鬼に/鉄棒(かなぼう)たるべしと申さ
るれは客(きやく)はさても見くぢかき。御物がたりかなとかん
じける所に。おもてにてものもうと云をきゝて
客はいとま申てかへりける。目玉之助出て。どれからと


きけば。本町/筋(すじ)より。御無心にまいりましたと云。此
よし木斎に申ければ。木斎聞是は所からのよけれは
何とぞ見せかけの仕様有べきぞと。目玉之助に
さゝやけば。心得申候とて。客(きやく)を座敷へしやうし。木斎
出合(いてあい)て。あいさつのなかばに目玉が。友(とも)だちをたのみ。使(つかい)
に志たて。物もふこわせて前(まへ)かどいづみやより来る銀
之内。三/枚封(まいふう)も。とかで有を。かのにせつかひもち来る
を。目玉之介/請取(うけとり)。座敷(ざしき)へ罷出。是は加藤肥後守(かとうひこのかみ)様
御内。犬塚牛馬(いぬづかきうば)左衛門殿ゟ御内儀様御/病気(びやうき)。御ほんぶく
の御志たぎとして。御使にて御座候とて披露(ひろう)す
どれとて銀(ぎん)は床(とこ)の上へなげ阿げ。状(じやう)は心之内にて

よむていにもてなし。是/返事(へんじ)してやれとて。目玉
之すけになげわたし。客(きやく)とあいさつさらるゝ内に
右之通(みぎのとをり)のつかひ。或銀一枚。或金弐分など包(つゝみ)ての
使(つかい)。三四人参りければ。客はにせ事とは夢(ゆめ)にも
志らず。さてもはやりいしやかなと心に於もひ。かなら
ず御出くたされ候へと。約束(やくそく)してかへるける。それより
木斎は。むかひ駕(かご)に/打乗(うちのり)て彼(かの)病家へおもむけば。
人はしをかけて侍るぬる。木斎を見かけ。遠方(ゑんはう)
の御出御大儀千万。忝そんじ候とて病人を見せ
ければ。もつての外の/大厄病(だいやくびやう)にて中々みやく
を見る事も。ならさるほどにあがきくるいける


然る所に。物の気つきたりとて。山伏近付て。いら
たかのしゆずをしもんでかんまんぼろおん。あびら
うんけんそわかと汗水になりていのり居たるが。木斎
来たるを見てなまなりなる薬は御無用。き祢ん
ばかりに。めされよと云。木斎はき年んが邪魔尓成
き年んをやめて。薬ばかりに。めされよと云て。た
がひに水かけ路んにおよべり。いづれも其證據
のあらされば。木斎申様客僧は子をもたれたり
中々もちたと云。さてはよき志やうこの。みやうこそ
あれ。我も子をもちたれば。我子は汝にわたさん
などに。ずいぶん調伏してころして見よ。汝が子は

こちへわたせ。只(たゞ)一ふくにてころして見せん。是にまし
たる証拠(しやうこ)はあらじと云ければ。山伏(やまぶし)は一/言(ごん)にも不(す)_レ及(およば)
家(いへ)のものとて。貝吹(かいふい)て迯(にげ)けれは。是ぞまことの。はぢ
をかくぞういん。さもそうづ〳〵とかつらからと打わらひ
則(すなはち)薬をもりけるに。病人(びやうにん)の仕合に木斎が志あわせ
出合て。程なく本復(不んぶく)したりけりかくごとく打つゞき
堂る手柄(てから)尓。薬代を取かさ年侍れ共まことの
療治(りやうぢ)。しおふせたるはまれれはすへ徒々くべき
屋うはなし。然れば志なしに志くはあらじと。衣(い)
類ひをかざり。辻(つじ)六尺をやとひ。余(よ)せいさま〳〵せし
程に。問しやうは朝(あさ)にめしをくふて。夕部(ゆふへ)に志るをも


すわで。からりちやんとして。居るのみなりされともお
もてむきの志るしにて。あなたこなたの買(かい)がゝり
かさなり。五節句(ごせつく)まへには。宿(やど)に居(い)る事なし或年(あるとし)
の暮(くれ)に。衣紋(ゑもん)ひきつくろい。ちりめんの/黒羽織(くろはをり)を着(ちやく)
し。宿をいてんとせし所へ。薬種(やくしゆ)屋の左次兵衛来りて
通(かよい)の/御算用(ごさんやう)なされ被_レ 下候へ。もはや永々(なが〳〵)の事
にて御座候いつそやも長次(てうじ)を遣し候。そのゝち勘(かん)
蔵(ぞう)をさしこし。其以後けい志んを進(しんじ)候へ共。終(つゐ)に
御算用なされくたされす候故。私(わたくし)も問屋ばらい
にめいわく仕候といへば。いやてうじも。かんそうも
けい志んもこぬといわるゝ。左次(さじ)も志んちう色(いろ)になりの

いやこしましたと云て。たがいに高声(たかごへ)になりてあら
そはるゝ目玉之助さし出て。まづ〳〵東西(とうざい)志づまり
ゐへ。爰(こゝ)に一つのさはきがござる。旦那(たんな)は薬種(やくしゆ)の事
かとおもわれて。云(いひ)かける。つけかけかとて。せかるゝ也。
さりとはさじのちがひじや。只(たゞ)つかひに。手代(てだい)の長次郎
と。てつちの勘蔵を。さしとし候と。申さる連ばよひ
耳。何のわけなしに。てうじかんそうと。いわれし
故(ゆへ)にまちがふたり。されどおけい志んと云。人の
名は有まいが。是がひしんじやといへば。目玉ゐへの御
ふしん尤々。めつた町(てう)のまるたのけいしんは。旦那
とハ百壱本の。ちいんを志つたに依(よつ)ておもてを通(とを)るを


たのふでおこしましたといへば。それでこそ/絵(ゑ)がとけ
たれ。たがひにせいた時には。かけはこわぬ物じや
先(まづ)おちや参れとて。せんしちやをさし遣しければ
左次云是をのみて。しばらく木斎の機嫌(きけん)を見合(みやわす)
るとて。さて〳〵けつかう成御/羽織(はをり)を免しましたと
不めければ。木斎もきげんなをりて。されは〳〵此
中/或(ある)御はたもと志ゆの。秘蔵(ひそう)の児小姓(こごせう)が大傷寒(だいしやうかん)を
わづらひ。十/死(し)一/生(しやう)なりしに。歴々(れき〳〵)の上手の/跡(あと)へ。われら
薬をつかはし本復(ほんぶく)する。御主(しゆ)人より。褒美(ほうび)にくだ
されたりと云所へ。ますやの斗(と)右衛門にて御座候御
見廻(みまい)申上まするとて来(きた)るを。内客有(ないきやくあり)といわせ

ければ。御/内客(ないきやく)も。供(とも)の者(もの)にて。すいしました
きぐすりやの。左次(さじ)でこざらう。知(志る)人の事なれば。少
もくるしからずといへば。左次云きゝて。斗右(とゑ)か。はい
里やと云に付て内へ入て。左次是にかとてにつと
笑(わらい)て。座になをるやいなやに申様。たがひに町人どし
は心やすい程に申まする。其めした羽織(はをり)の代銀が
すみませぬ。くたされませいといへば。是は去方(さるかた)より
もらひたはをりしや。其方から取たでは。ないとい
わるゝいやそれがわたくしの方より。あげ満したで
ござるごふくやをしてくらすゆへに。闇(やみ)の夜(よ)に。手
でさぐりてもしりますると。あいそうなげいへは


木斎志れわらふて。いかにも道々とてそうもあらふ
おれは羽/織(おり)のぬしなれ共。覚(おぼへ)ちがへた。よそからも
らふたは。別(べち)に有ものを。病(びやう)人ならば。見ちがへまい
に。先(まつ)たばこてものみや。さておみやると残り。病人
の方へ行(ゆく)とて出る所(ところ)へ。をの〳〵来かゝりめされた
病家(びやうか)ては。いしやのおそいをまちかぬるものじや
跡でゆるりと。ちやでもおみ志やれとて。せきだ
加た〳〵。そうり加た〳〵足にかけて。目玉之(めたまの)助
薬箱はやうもてこい〳〵とていそがしそうに。かけ
出したれば。二人の/町(まち)人は。舌(した)うちして帰(かへ)りぬ
                   吉? 紋平に











木斎咄医者評判(不くさいはなしいしやひやうはん) 四
 第九 御日待執行之(おひまちしゆぎやうの)事
    秋(あき)の夜(よ)の永物語(ながものかたり)
去程(さるほど)に祖父(おうぢ)の。ふりうり太郎。金みづ夫婦の人々も
今ははやあきなひをやめて。ひたすらしよたいの
せわをやかれしが。木斎に申さるゝは。我朝(わがてう)は神(しん)
国(こく)なれば。仏神(ぶつしん)を。おふぎ奉りてこそ。仕合もよく
薬もはたらくべきぞ。月待日待を。せられよとの
すゝめにまかせ。正五九月に執行(しゆぎやう)おこたる事なし。或
年九月の御日待に。近所(きんしよ)の者ども伽(とぎ)に来りて
さま〳〵のなくさみにて。夜をあかし侍るに。去人申さ

れしは。御いしやさまの。御日待之候/伽(とき)申こそ/幸(さいわい)なれ
白人(しろふと)のとくしん仕度事共を。今夜(こんや)のなぐさみに
尋申侍らん。先いしやの上手とはいかやうなるを申
べきや。木斎こたへていわく。上古のやうなる神医(しんい)
徳医明医(とくいめいい)など。今は有べしともおもわれず
今の世の上手と云は。一には生徳(しやうとく)の才(さい)の/働(はたらき)。二には
いがく三には病人に/精(せい)を出す人。問には薬に念
を入る人。五には多欲(たよく)ならぬ人。六には慈悲(じひ)有人。
右六の徳有人を上手と云べし。先/生徳(しやうとく)の才(さい)
なくては。何と学(がく)あり精(せい)を出し念を入。慈悲有
ても。療治(りやうぢ)が働(はたら)くまじ医(い)学なくは本がくぢけて


何と利発(りはつ)にても。精(せい)を出しても。療治(りやうぢ)が無理(むり)にて
心ならず病人の害(がい)が多からん。第二と云べし。第一
とも申べし。病人に精を不_レ出は。才がはたらき。学(がく)
が有とも。病が癒(いへ)まじ。薬に念を入とは。製法(せいはう)を
内(うち)の者(もの)まかせにしては。鉄(てつ)を忌(いむ)ものも忌まじ。
上の薬もつかふまじ。多欲(たよく)にては病人の為に
成まじ。薬代取ばかりに眼が付ば。人によりて
精が出べし。尤薬にも。人参(にんじん)もつかふまじ慈悲(じひ)
の心なくては。何とよくても。病人の為によからし
わが手柄(てから)せんとて。見へぬ事をも人めも不(す)_レ渡(わたさ)無(む)
理(り)の療治が多かるべし。右六の徳(とく)有人を。よく

合点して上手と思ひ頼みたまへ。但かやうにそろふたる
人はすくなからん。せめて汗牛充棟(かんぎうじうどう)の医(い)書は不(す)_レ見(み)共
書物を枕(まくら)にして。外の事はそさうにても。薬に念を
入病人に高下なく勤るを。其次の上手共云へし。加様
のいしやも。すくなきもの也。医(い)の道を心がけては少
の隙(ひま)もなきものを。外の事に隙を費(ついや)さば。不心/掛(かけ)
と知べしと申さるれば。きく人々上手のわけは得
心仕たり。下手はいかやうに心得仕らん。木斎云く下手
は問たまふにも不_レ及病を。ゑなをさぬ医者也/直(じき)に
みたては。われらこときの人と。すぐばけにいわるゝ
扨又/福医(ふくい)名(めい)医。時(じ)医。奸(かん)医と医書にも四つ挙(あげ)


たり。ふくいとは。前に云/運(うん)の能(よく)仕合のを云。時医と
名医(めいい)は其時にはやり。名は高くもてはやされても
医の道に疎(うとき)を。時医とも。名医共云と見へたり。
奸医(かんい)と云が一のくせもの也。人を誑(たぶら)かし自慢(じまん)を云
師(し)の名を売(うり)。薬方(やくはう)の自讃(じさん)をするを。医書(いしよ)にも
禁(いましめ)たり此/奸医(かんい)を狐医(こい)といわれし人有。誠に狐(きつね)が
人を誑(ばか)すを狐(こ)なりとしりたらば。誰(たれ)か誑(ば)かされん
狐(きつね)もさだめて。色々/意(こゝろ)を配(くば)り。縁(えん)をもとめて誑かす
べし彼(かの)狐いしやの人を誑すは。人和(にんくわ)をよく諂(へつら)ひ。人に
信(しん)じらるゝやうにして。ぢひ正ぢきを面(おもて)に見せ。そろり
〳〵とねらひありく内に。いかに下手(へた)にても。いしやな

ればとき〴〵はかろき病(やまひ)は癒(いや)すべし。其病家にては。
生(いき)やつしと信(しん)ず。是を誑すべき縁(えん)として。色々のう
そをつき。足(た)りにもなるべき方と見ては。病かろく
ても日々に見まひ。又さのみ足(たり)に成まじきと知
てはたとへば口ふさぎに。薬はつかはせども。希(まれ)にし
見まふ事なく。人参(にんじん)の入薬も。小人参にてあいし
らふ狐の人を誑(ばかす)には。ころすまての事は有まじ。
いしやの人を誑には。ころす事多かるべし。おそれても
猶あまり有と。余所(よそ)がましくは申さるれど。皆我身
の上にある事なれば。弁舌(べんぜつ)あきらかにきこへける
皆人なりをしづめてきゝけるが。又問(と)ふ爰にふしんなる


事(ここと)御座候。上手の跡へ下手かかゝりて。癒るあり
下手の跡へ上手のかゝりて不_レ癒(いへ)も有(あり)。此儀(ぎ)いか
成故候や。木斎答て云。それこそ多(おほき)き事也
是にて上手と下手が紛(まぎる)ること也。それに品(しな)有。い
かに上手にても。急に不_レ癒/病(やまひ)有。上手故に
そろ〳〵と下地(したぢ)をよくすれど。外(ほか)へ験(しるし)とも不_レ見
内にはや下手の手へわたり本復(ふく)すれは。後(のち)の下手
の大手/柄(がら)に成。根(こん)本は前の上手の薬(やく)力也。又下手
の跡は。いろ〳〵にこぢらかしたる事なれは。上手と
ても。癒(いへ)しがたし。惣(そうし)而上手の跡に。下手のかゝりて
手柄おほきもの也。いかにと云に。上手は無(む)理/成(なる)事

せぬ故当/分(ぶん)薬はきかぬやうにても。日/数(かず)にて病が
うすくなる道理も有。只下手の跡に。上手がかゝり
ても。手柄すくなきしさいは。せゝりちらす故也。先
上手にかけて兪ぬとき。下手にてもかけ。妙薬(めうやく)に
ても用て見/度(たき)事也。然るに白人/評判(ひやうばん)にて。下手の
天/然(ねん)礫(つぶて)のまくれあたりにて。仕合(しやわせ)よくはやるを実(まこと)に
思ひ。或は人にもすゝめられ。はやるといへば。ひたもの
に頼む程(ほど)に死まじき病人も死と見へたり。我
身に取ても覚へ有。病人にたのまれ。五日や十▢
にて此煩は験(げん)も有まじ。次第(しだい)につよく成へし峠(とうげ)
をこさずはげんるまじ。其内には定而(さためて)薬かはり


なん。人に手柄(てがら)を。とらるゝまでよと。思ふにたかわず病
人めんだうがりて。ことわりをいひ。余人(よじん)にかへ。他(た)の
手柄となす事有。又/他医(たい)の療治(りやうぢ)する病人有
大方やがて此方へころびかゝり。犬/骨(ほね)折て。鷹(たか)に
とらるゝごとく。此方の手柄とならんと思ふに。其
ごとく成事も。常(つね)に多しされば我をやの竹斎
がうたに。くすしには上手も下手もなかりけり。ひい
き〳〵に時の仕合(しやわせ)とよみしは金言ならずや。惣而
上手は。速功(そくかう)とて。速(すみやか)に効(かう)の有事をば。このまさる也
と。古人もいへり。但/病症(びやうしやう)にもよるべしと。いわ
るゝとき。大豆都(まめつち)と云座/頭(たう)。耳(みゝ)をすましてきゝ

居(い)たるが。さて〳〵木斎さまの御物がたりは実(み)の入たる
事どもにて侍る也。さだめて師伝(してん)も有事に也
但/自見計(じけんはかり)にて御座候やと云。其時木斎申さ
るゝ。薬にも不_レ限。製(せい)法又は灸(きう)や脈(みやく)には。伝も有
ぬべし。能(よく)々心かけずは。けいこはならぬ事ぞ。長老(ちやうらう)
のまねをせば。一生しらで過ぬべし。大医の弟子(でし)
と名乗(なのり)ても。朔日十五日礼に行て。ま見へたる
ばかりにて師(し)の名を売(うる)ものいくらも有也。大豆(まめ)
部(はち)の身にも覚へ有べし。柳川撿挍は。天下の三味
線(せん)の上手とは申せども。其下の初(しよ)心うちかけ
いかで一/組(くみ)にても直(じき)にならはんや。まづそのごとく


医道(いだう)けいこも。たとへ幼(よう)少より側(そば)に居(い)ても中々
習はるゝ物にてなし。師匠(ししやう)の奉公は。主/君(くん)へつかふま
つるに少もかはる事なし。上手とよばるゝ程の大
医に。隙(ひま)の有はなし。調合の間には草臥(くたびれ)も有
なれば。一ケ月に一/度(ど)も問(とは)はるべきにあらず。是に
御/牢(らう)人。楠(くすのき)政右衛門御座候が積(つも)りても御/覧(らん)候へ
主/君(くん)と師匠は同事なれば主君へ向奉り。我
か用が自由に問れ申べきや。われらも大/医(い)
の弟子に成て。随分(ずいぶん)心がけ侍れ共。しか〴〵なら
はぬ故に。一生かくのごとくの下手にてすぐる
程に。数年/側(そば)に居たると云人の無下(むげ)にあさまし

きもかなきぞうし。師匠(ししやう)も数(す)年の奉公の勤(つとめ)と
なじみにて。不便にて思ひゐけん。我/弟子(でし)とて有
付てやりたまへども。役(やく)にたゝぬも多き事也と
亦すぐばけに。一生下手にて。過るといわれたり
楠氏政右(くすのきうぢまさゑ)。ほうひげくいそらして。身がたう福島(ふくしま)左
衛門太夫所に有し時。旦那家中(だんなかちう)の為にしていしや
の吟味(ぎんみ)して。上手と沙汰有よしき聞ては。或二百石
三百石。或四五百石の知行にて。十四五人も段々
かゝへられ侍しに。初は薬もきゝて。扨も上手の
医者御かゝへなされ。家中(かちう)の調/宝(ほ)なりと云廻(いひまわ)る
内に。いつぞの程にか。療治(りやうぢ)もきかで朝の御/膳(ぜん)


の御/相伴(せうはん)ばかりにて。役(やく)に立はまれ也。是は如何した
る事に侍るやと。たづねければ。竹斎/答(こたへ)て云。され
ば何と利根/発明(はつめい)にても。我道は御家なれは
御存知之まへ。御考はつるゝ事候まじ。医道は
曽(かつ)而御存知なくては。評義(ひやうぎ)十分には有まじく候
百人二百人御/抱(かゝヘ)候とも。われこそ下手にて候と
名乗もの侍らんや御取持之衆も下手に候へ共
御抱あれとは御申有まじ。皆上手のやうにばかり
御取なし有べし。禄の大/身(しん)小/身(しん)にもよるべか
らず。高知望むとて。上手とばかり申かたし禄
二百石取ものが。百石のいしやに一/倍(ばい)ままさるべきにも

あらず。百石の者が。三百石のいしやの。半分(はんぶん)にをと
らんとも云がたし。侍(さふらい)衆の身/体(だい)は代々取つたへの格(かく)
にもより候へば。論(ろん)ずるに不_レ及候つともまづ目/前(せん)
にて申さば。百五十石取の働(はたらき)は。三百石/取(とり)の半分
とも申べし。其故は人数三百石にては一/倍(はい)有故
也。いしやは千石取てもさじ一本。百石取ても
さじ一本のはたらき也。さて又いしやも渡(と)世の
営(いとな)み弐百石の余慶(よけい)あらば。なんぞ六ケ敷。弐百石
をのぞまんや当/分(ふん)の渡世か。やつかひなどほぼ〳〵
てなりかね。すへの事をおもはれぬものは。小身にて
も有付べし。それは御主/仁(じん)の御/仕合(しや)によるべし


召抱らるゝ時は。上手のやうなれ共。後はさもなきと
云には。品(しな)三つ有べし一には初は取付なれは。上下
によく思れん為。りやうじにも精(せい)を出し。薬料(やくりやう)の
そんとくにもかまはず。年も若(わか)くて勤(つとめ)もよし。扨
尻(しり)があたゝまれば。日和(ひより)を見/合(やわせ)て射威(い)の有人には。御
ひげのちりを取。其外はそこ〳〵にし医(い)の道を
も心に。かけず。片手(かたて)わざのやうにして。人参(にんじん)つかふ
病人(びやうにん)にも。曽而つかはず。金たむるのみに。心入有もお
ほき事也。二には随分(ずいぶん)と勤(つとめ)し人も。病気づくか年
が寄(よる)かすれば。昔(むかし)のやうに。ゑつとめねば。をのづから
おもきやうになり。療治(りやうじ)に不精(ぶせい)に見ゆるも有

べし。三には初(はしめ)は人か珍敷(めづらしき)。療治(りやうぢ)もおほく頼めは。はや
るやうに見へても。したいに見ざめがして。療治(りやうぢ)
すくなさも。あらんと申さるれば。又政右衛門がいわく
妙薬(めうやく)と云も有事にや候。木斎/答(こたへ)て中々古人の
方。皆妙方也。今時の妙薬も。きかぬにはあらず成
程きく事也。先政右殿の。御/合点(かつてん)の道(みち)にて申べし
たとへば弓(ゆみ)の師匠(ししやう)が。八分の強弓(つよゆみ)にてよくあたる
とて。弟子(でし)に其弓をゆづらんに。弟子が力強(ちからつよ)き男な
らば。その弓にて自由(じゆう)に射(い)らるべしや。上手のまね
を下手がすれば。却而(かへつて)/害(がい)に成故に。丹渓先生(たんけいせんせい)は
和剤局(わざいきよく)方の妙薬を削(けづ)りたまふ。それも上手にて


つかへばつかはるゝと見へて。丹渓(たんけい)の高/弟(し)。載元禮(さいげんれい)は。削(けづり)
ゐふ局方(きよくはう)の妙方(みやうはう)をつかひ。丹渓の正義(しやうぎ)に叶(かな)ひゐふ
とぞ妙薬ばかりにてよくは。古人の大慈(たいじ)大/悲(ひ)の心
にて。妙方はかり教(おしへ)たまはゞ。手廻(てまはし)よからんに。機根(きこん)へ
らしの医学(いがく)せよとはのたまふまじ。古人も読(よみ)_二仲景(ちうけい)
之書_一執_二其法_一不_レ執_二其方_一といへり。又以_二古法_一治_二金病_一は
旧屋(きうをく)を挫(くぢき)て。新屋(しんをく)を作(つく)るがごとし共しめす。此座に
大工作右/居(い)らるゝが。古/家(いへ)を破(やぶ)り。作(つく)りなをすには
そのまゝ何とて作らるべきや。短(みじか)き木は継(つき)/足(たし)
長きは引切などして立ずは。家には成申まい
爰(こゝ)に近きたとへば。火は水にて消(け)すか正(しやう)

理(り)なれとも。たばこの火/落(おち)て。畳(たゝみ)なとやくるには
時に有あふ湯(ゆ)にても酢醤油(すしやう)をかけてもきへな
ん。されば火なりと見付るが大事。それが医学(いがく)
と云物しや。それを又かさねて。火事のとき用ひ
て役に立べきか分別(ふんべつ)しゐへ。世帯(せたい)道(たう)具にて
申さば。妙薬(めうやく)は七つ体なり。七つ体と云ものは。心
やすき方へは。重箱(ちうはこ)にも用ひ。めしつぎにも
なる。料理(りやうり)の切(きり)きざみの時には体につかふ。されと
もおしきてゝの用に不(す)_レ立(たゝ)。又いしやの病を見て
それに応(おふ)じて調合(てうがう)する薬は。たとへば遊山見物
の。はれがましき所へ出す。まきゑなしぢの重箱


のごとし。此とき七つ体は用られぬものなり妙薬に
なづむは。守(まもる)_レ株(くはせを)と云がごとし。是(これ)は兎(うさぎ)ひとつ何としてか
株(くい)の上に死(しに)て有を。ひろひて。その株が兎をと
りたると覚へて。おろかなるものが。守居(まもりい)たが終(つい)に
其後(そののち)はうさきを得ざると。妙薬の験有(けんある)とは同じ
事也と。こじゆんらしくかたられば。人々大きに
退屈(たいくつ)し。きゝ秋(あき)の夜(よ)の長物(ながもの)がたりに。夜はほの〳〵
とぞ明(あけ)にける











木斎咄医者評判(ほくさいはなしいしやひやうばん) 五
   寸白(すんばく)の虫(むし)下す事
   舟人(ふなひと)のすゑ。つなの養性(やうじやう)
或(ある)あした。門(もん)の辺(ほとり)に。鈴(すゞ)の音(をと)するを見れば。ふとく
たくましき。小荷駄(こにだ)壱/疋(ひき)ひきたつる。是はいかにと
見る所にさもありげなる百姓(ひやくしやう)。もみでになりて
爰(こゝ)は木斎さまの。御宿所(ごしゆくしよ)にて御座(ござ)候かと云程(いふほど)
に中々(なか〳〵)是也。いづかたよりの御尋(たづ)ねぞといへば。拙(せつ)
者(しや)は八王寺/辺(へん)より参り候。私(わたし)の旦那(たんな)。木斎さま
の御事/承(うけたまは)り及候。御無心申上度とて。御/迎(むかい)の駄(だ)
馬(むま)をさしこし候。御/来駕(らいか)におゐては。旦那(たんな)/本意(ほんい)

をとげ忝がり申べしとのべければ。木斎きかれで。わ
れ遠路(ゑんろ)へ行ば。当地(とうち)の病人に。疎(うとく)成候へとも。きゝ
およびて。はる〳〵迎(むかい)をたまはる上は。最上川(もかみかわ)にはあら
ねども。いなにはあらじ此月計は。何(なに)かくるしかるべ
き。来に人こすにもあるまじとて。駄馬にうち
のり。目玉之助一人めしつれ。使(つかい)の者(もの)の案内(あんない)にまかせ
行ければ。程なく彼宅(かのたく)につく。居体(いてい)を見れば。お
びたゝしくて。長者殿(ちやうしやとの)とも云つべし其名を水(みつ)
沢鴨(さわかも)左衛門と云もの也。木斎へ対面(たいめん)して。はる〳〵御
来臨(らいりん)忝奉存候。扨/貴老様(きらうさま)を招(まね)き申事。別(べつ)の儀(き)
に御座なく候。わたくし持病(ぢびやう)に寸白(すんばく)御座候を数(す)


年養性(ねんやうじやう)ゆたんなくいたし候へとも治(ぢ)する事なく。めい
わく仕候。此上は偏(ひとへ)に御療治(ごりやうじ)をたのみ入奉ると申せば
木斎きかれてさても〳〵御/仕合(しやわせ)かな。それこそ
我家(わかいへ)の療治(りやうぢ)にて侍る心やすかれ。早速治(そうそくぢ)して
まいらせんとて。からしを取よせ。すりばちにてすら
せ。まづ〳〵是を。ひたものしよくしゐへ。よき時分を見
合。加減(かげん)の薬(くすり)をまいらせんとあれば。好物(かうぶつ)ならねど
おしへにまかせて。昼夜(ちうや)をかきらずつゝけて半月(はんげつ)
ほどもたへければ。けつ〳〵常(つね)よりも。つよく
寸白虫(すんはくむし)さわぎ立(たて)て。絶(たへ)入なんとする事。度々(たび〳〵)
有しが。こと〳〵くきんへさがりて。しむるによりて

たへがたかりければ。此よしを木斎に告(つぐ)るとき木
斎今こそよき時分也。貴所(きしよ)のきこん有/程(ほど)。御/内(ない)
義(ぎ)へ会合(くはいがう)あられ。候へよと申さるれば鴨左(かもざ)申は
中々此/節(せつ)。さやうの思ひ立。罷成べきやうにも侍
らずといへば。左のたまいそ。さはればおこるもの
ぞと。すゝめにまかせ。昼夜(ちうや)共に会合(くはいがう)するしたがひ
て。鴨左が寸白(すんばく)すきと治し。女ほうにうつりなやみ
けるを。又れいのからしをひたもの女房(にようばう)にたべさせ
ければ。寸白虫。得(ゑ)たりかしこしと。いつものくせに
なれて。きん玉ゑこもらんと。さがりし程に
たもつ袋(ふくろ)なければ。みな〳〵こと〳〵ぐ外(ほか)へくだり


さりて女房がなやみも。すきと治(ぢ)して。夫(ふう)婦ともに
無病(むびやう)そく才の身となり。よろこぶ事かぎりなし
さて木斎を。さま〳〵ちそうして返(かへ)し。追付返礼(ほつつけへんれい)
として八/王寺紬(わうじつむぎ)五たん。樽代(たるだい)五百疋。所て/炭(すみ)十/俵(ひやう)送
り礼状のおくに。一しゆの狂奇(きやうき)をよみたしける
 年月(としつき)乃/寸白(すばく)の縄(なわ)をとかれつゝ。又/煩(わつらい)を。せんきてもなし
と有し程(ほど)に。木斎も返礼状(へんれいじやう)の折々に返歌
 寸白故(すばくゆへ)。薬代(やくだい)金をしめられて。辛(から)き目(め)にあひ。やまい
治(ぢ)すらんと。かやうによみつかはしける。然る所に中(なか)
橋筋(ばしすじ)より人来る。何事やらんと問(とへ)ば川舟(かわふね)やの梶(かぢ)ゑ
もんと云福者(ふくしや)。近年(きんねん)ふら〳〵と煩(わつらい)付て歴々(れき〳〵)の

いしや衆にかゝり。四五ケ年此のかた療治(りやうぢ)すれ共。さら
に撿(けん)なし。然間木斎さまの御事。承(うけたまわ)り及び参り
候とてのり物をかきすへ。御出被_レ 下候はゞ忝(かたじけなく)可_レ奉_レ存候
と申ければ。木斎/武家方(ぶけがた)へは参るが。町方へは何方
へもまいらねとも。きゝおよびて遠方迎(ゑんはうむかい)にさし
こされ候上は。先参りて見侍らんとて。乗物(のりもの)につられて
行けるが。病体(びやうてい)を見て。先衣(まつい)類いけつかうにて厚(あつ)
着(ぎ)也。ぬきてきかへゐへとて。もめんあはせ壱つにし
て三尺手ぬぐひを帯(おび)にさせ。細引(ほそひき)を大こく柱(はしら)に
引かけそのさきをわなにして肩(かた)にかけさせ。昼(ちう)
夜(や)共にひき居ゐへとて。ひかせける程(ほど)に。廿日ばかり


にもなれは。したひに気分(きぶん)かろくなる其時食物を
黒米(くろごめ)の飯ぬか見そ汁赤(しるあか)いわしより外はきんもつ
とてくはせすしてとき〳〵何にもさはらぬ薬を
用侍れは。半年ばかりの内に。すき〳〵と治(ち)
して。成程すくやか者(もの)と成たり。此しかけはいか成故
ぞとたつねけるに彼/福者(ふくしや)其古しへ貧(まつし)き時(とき)うなき
沢の舩頭(せんとう)にて。きやうとくへゆきかよふ舟を。引
たりし者成る今/福貴(ふつき)と成て美服(ひふく)珍味に身
を。うまし侍る故。病者と成たりかるか故にかく
のごとく。しかけ侍りけるとぞ。夫よりりやうじ旦那
と成て。数年出入ける所に。又身を□まして大酒と

婬乱(いんらん)にてわつらひければ。いろ〳〵補(おきない)て漸(やう〳〵)治(ぢ)しける
とき。木斎狂歌をよみて送る
 養性(やうじやう)は美服(ひふく)の厚着(あつき)大/酒(さけ)や先第一に夜事つゝしめ
梶右(かじゑ)衛門は深川(ふかかわ)にて舟歌(ふなうた)数年/聞(きゝ)しより外は
なけれ共
 養性の内(うち)ならばこそあしからめ。そは何(なに)かわくるしかるへき
と口にまかせて返歌(へんか)せしは遊/山(さん)舟のうたひのそ
とわ小町きゝ覚へし故成べし。かくのことくたがひに
よみて無二の知音(ちいん)となりし程に。或/時(とき)梶右衛門。咄(はなし)のつ
いてに申せしは。木斎様の御/作(さく)意数/年(ねん)見申候に
奇妙千万(きみやうせんばん)成事ばかりにて侍る。是を病功(びやうこう)とや申さん


といへは木斎いかにも病功と云事も有儀也た
とへは馬をのりならふに鞍掛(くらかけ)にていひこして
本の馬にのるに木馬とは文字にては一/点(てん)の有無
の違計(ちがいはかり)にてのり心は各別の所有かことしされ
共心入によるべし。一年の功が。十年にもむかふも
有十年か一年にむかはさるも有へし。病功は
覚へすして。意(こゝろ)の働(はたらき)とはなるべし先輩(せんはい)の云く
病功は米を精(しゝぐ)るがことし一粒〳〵に杵(きね)はあた
らねと白/米(まい)と成かことしといへり。我も十五歳ゟ
医(い)に心さし侍るか貧(ひん)成まゝ。はやく食のたねにも
と思ひ。二十三四歳まで二/蔵(そう)三蔵/棒(ぼ)手ふり等に

薬をあたへ。いかほとの人をか殺(ころ)しけん其(その)因果(いんくは)や
らは。終に上手とならす。むく犬の年老(としをい)たるやうに
次(し)第に闇のやうになりて。病人を見るたひことに
ふかひけが付て。初て知人になるがことくにて
いつもこまるばかりそ。それゆへきのふけふのいしや
にも。数度/仕負(しまく)る事有也。左あれは自慢の覚へ
露(つゆ)程もなし。且前(かつまへ)のりやうちか。すぐにならぬ
病に新久(しんきう)有。年に老若(らうにやく)有。病者(びやうしや)に虚実(きよしつ)有時に
寒暑有。土地(とち)にも東西(とうさい)のかわり有。持病を兼
ると兼さると有。一やう思ふ事を膠(にかわして)_レ柱(はしらに)皷(くすり)_レ瑟(しつを)と云
り。一度調子にあいたかとて。柱(はしら)を膠(にかわ)にて付て何/歌(うた)


にてもあはせんと云かことし。只昼夜(たゞちうや)病人の工夫(くふう)有
度(たき)事也と。申さる時。又問ふ病人は薬を。はやくかへ
たるかよく候や。一人のいしやに。いつまても懸(かけ)たるか
よく候也。答云それは病症により候也古しへの
明(めい)医の療治(りやうぢ)にも。二十剤三十剤にて愈るとある
医按(いあん)おほし。一/剤(ざい)を十ふくにしても二三百服に
もあたらんかやうの病人はやくかへてはよからんや
又一ふく二ふくの内に験(けん)がなくてかなはぬ症(しやう)有。そ
れをうか〳〵としてよからんや。薬をかへて利を
得しひと人は。ひたとかへ。人にもかへよと異見云又薬
かへす利を得れは。何としてもかへす。かゆると

かえぬかえぬは。大/事(じ)の事。医師の評判▢ても。見だりに
云かたし況(いわん)や白人の。むさと云は大切(たいせつ)の事也/害(かい)に成
事おほし。然る故に。大/名高家(みやうかうけ)の御煩には。いしや
がおほくあつまりて。口々に利口(りこう)を云にまよふて
歴々の大医の薬なれ共。船頭(せんたう)がおほき舟の
上へのほると云かことしと。いわれければ。梶右(かじへ)/聞(きく)
て。船頭の御たとへ。ちと耳にかゝり申也。さて又
よく〳〵思ひめくらし候に。いしや衆は。人をたすけた
まふわざなれば。後生(ごしやう)はよかるべしとそんし候と
いへは。木斎申さるゝは。いやとよさあるまし。われ
らこときの下手は人をおほくころすゆへに無間地(むけんち)


こくへとんふりと落(おつ)へし後生(ごしやう)はかくのことく有へけれ
とも。此世にては切々(せつ〳〵)仏(ほとけ)二/体(たい)に成事有。いかんとな
れは。かろき風気にてもよくすれは。病家にて
は生薬師(いきやくし)と云さて程過(ほとすき)ては。いしやの恩(おん)をわすれ
て。尻(しり)くらゑ。くわんおんになる也。惣(そうし)而/病家(びやうか)に。誤(あやまる)
事/多(おほ)し。わつらひていしやをたのまは。食事其外(しよくしそのほか)
何にても。いしやのさしつしたひにすべし薬と養
性(しやう)とは。車(くるま)の両輪(りやうわ)のことくし。いかに薬を用ても養
性かあしくは。病か愈べきか。薬の批判(ひはん)はする物なれ
とも養性のあしきは。かくすがおほし。養性がなら
すは。薬を用ても無益(むやく)也。第一▢のため第二いしや

への不/礼(れい)也。六の不治(ふち)の中に驕恣(けうい)にして。不(す)_レ論(ろんせ)_レ理(りを)一
の不治(ふち)と古人も。是を禁(いま)じたまふ。たとへ其病に
毒(どく)ならずとも。用る薬にさしあふ食物(しよくもつ)も有。人々
禁好物(きんかうもつ)の。点(てん)の違(ちが)ひは其わけ也。又いしやのぢひには
相(あい)たりれとも。いしやへのちひなきも有。医者(いしや)
の病人をたのまれては。我近(わがちか)き一るいよりは。大せつ
におもひ。療治に心をくるしみ。寒暑昼夜(かんしよちうや)の弁(わきまへ)
なく。あゆみをはこぶ骨折(ほねおり)も有。医(い)の恩(おん)にあら
ずや薬も野山(のやま)より。ひらい来(く)る物にもなし其
身に応して。礼(れい)もなくてかなはさる事なりたとへ
礼かならすは医の恩(おん)をしらは。手足(てあし)のはたらき成


とも。心入は有べきに。いしやを追(おい)はぎにするも有也
たま〳〵薬代をつかはせば。買(かい)がゝり。はらふやうに
思ひ。われらには定る。うりばのくすりをや。くれ
つらんなど云は。無下(むげ)にさもしき心ならずや。薬代と
云にも品有べし。をのれは十分と思ふても煩(わつらひ)に
より。いしやは不足とおもふもあらん。薬数(くすりかず)がおほく
共/下直(げじき)の薬も有。薬数すくなくとも。本の高き
薬も有第一に一命をたのみなから。恩(おん)をしらぬは了(りやう)
簡もなき事也。爰ではまた。病人(びやうにん)が。仏(ほとけ)二/体(たい)と成也
そのしさいは。たのむときの地/蔵(ぞう)がほ。薬代出す時
のゑんま顔(かほ)もおほく有事也。いしやも皆凡夫(みなぼんふ)な

れは。恩をしらざる方(かた)をば。そんとくよりは。ふくりうな
くてかなはねば。一度や二度は。仁道を出せども。度か重
なればすゝむまじ。其時をのれが無理(むり)をばた
なへ上て。いしやのとがと。わろくいふいしやの尻(しり)に。石(いし)
臼(うす)を結(ゆひ)付てくるやら。遅(おそし)といふ医/者(しや)もよろこぶ心
あれば呼(よば)ずとも見廻ふべし。薬(やく)代の倹約(けんやく)は。自(じ)
己(こ)の命(いのち)をちゞむる也古人も重/財軽身(ざいきやうしん)するは。一つ
の不治(ふじ)とのたまふいしやがこりては。手/並(なみ)を覚へ
て。かさねて病用にすゝまぬか。薬に品(しな)があらば
其▢ばかりにてもなく。其/家(いへ)之/妻子(さいし)共までの
為に成べし誰か捨身(しやしん)の業(げう)を。なすいしやはある



まじ。此わけいしやの口から云は。はづかしき事なれ共
何方(いつかた)の医者(いしや)之心も。能しりたるにより。是も病
家の為かたり申ぞとあれば。梶(かぢ)右きゝて。扨も〳〵
うちまけたる御はなし。御尤〳〵とぞんじける
 第十一 病は気(き)より生(しやう)る事
     療治(りやうじ)きてんの糸(いと)も賢(かしこし)
川舟(かわふね)屋の療治のしかけをきゝて。扨も作意(さくい)働(はたら)きた
るいしや殿かな。御目にかけ度病人候と。次田町水/果(くわ)
子(し)問屋の。福(ふく)右衛門方より。梶右衛門かたへ申こしけれ
ば。木斎にかくと云つたへて。則梶右同道にて参
り。病体(びやうたい)を見せければ。何共見わけがたく。只(たゞ)ぶら

りとしたる煩(わつらひ)也。先わづらひ付をたづねければ。つゝ▢
喉(のんど)のかはきける故。水をのみ侍るに。のみ残したる
水を見れば。糸の細きなる。長き六七分程の色赤
き虫。四筋五筋有を。見れば皆いきてうごく▢そ
れをのみし故にや。ふくちうに虫のありくやうに
むす〳〵として気味(きみ)悪(あし)きゆへ。おのづから。気おもく
罷成。薬を服(ふう)用(やう)仕候へば。なを気分あしく候と申
木斎きかれて。それこそわれらの。得(ゑ)手の療治(りやうじ)
御心やすかれ早速(そうそく)治してまいらせん。その虫さへ
くだし候へは。すきと本ぶく有べしとて。薬を調(てう)
合(かう)してのまする。其剤(そのざい)すこし。下りめにしかけて


明日(あくるひ)見廻てうら心をたづねければ。夜中二三度。側(かわ)
屋へ行侍ると云さらばそれを見申さんとて。木斎
ゆきて見るていにもてなし。袖の内よりしんくの
糸の。六七分はかりのきりくずを取出して側屋の
内へまきちらし。そしらぬふりに立かへり。もはや本
ぶく有べし。虫(むし)はみなくたり侍る。側屋へ行て見たま
へとて。見せければ。まことに赤き虫有と見て
心をてんじける故にや。そのまゝ快(くはい)気を得。程(ほど)なく
本復したりければ。今の世のおやくしさま也とて
大によろこび。宜薬代を送り。其上に木斎を招
待(だい)す。則(すなはち)梶(かちへ)右衛門/相伴(そうばん)に参(まいり)ける。木具にて本二三

向詰迄(こふつめまで)の婦るまひ。さま〳〵の珍肴にて美酒を
すゝめ。初むかしの宇/治茶過(ぢちやすぎ)て。又夜に入て。後段の
めんるひ吸(すい)物出て。又/数盃(すはい)をすゝめける故に木斎
いつより機嫌能(きけんよく)。長座せられ四方(よも)山の咄(はなし)有し程
に。亭主(ていしゆ)の福右(ふくへ)申さるゝは。近/年程(ねんほと)医(い)師衆おほき
事は。上代にも候まじ。然れ共上手はまれに。下手
はおほしと見へたり。又おやは上手にて子はさなき
も有。父がよき事ばかりをかんがへて子に伝ふべ
きに。子の下手(へた)成こそ。ふしんに候といへば木斎申
さるゝは。当(とう)代/医師(いし)のおほき事は。御代(みよ)静謐(せいひつ)に治(おさま)り
人おほくなりたるまゝ。奉公(ほうこう)人も町人も百姓(ひやくしやう)までも


二男三男の払方(はらいかた)にこまり。医(い)をならはするもおほし
又是は片輪(かたわ)。是はどんそこ成とて。医(い)者になすも
有。いしやの跡は。医の器量(きりやう)に生(むま)れつかねとも。大方
医道を継(つく)。又浪人も。渡(と)世なりかね。いしやにも成也
然間世上にいしや多(おほき)こそことはりなれ。先いしやは
はやり物成とて。誰人の狂歌(きやうか)にや日出いしや。四つ猿(さる)
楽(がく)に。ひる坊主。八つ町人に入相の武士とよみけるゆへ
人々心がけけるとぞ。爰に忰侍(かせさふらい)有しが。右之狂歌
尤とかんじて。つね〳〵医道を心かけ侍るに。不/図(と)牢(らう)人
せし程に。幸(さいわい)といしやになり候へ共。しか〳〵とたのむ
者なければ。右之本歌にてかく

 入相の。武士(ぶし)せし時(とき)も暮(くら)しかね。日の出のいしやも夜
はあけぬなり とよめり。さても入相に暮しかね
日の出に夜のあけぬは。よくも取あはせたりとて
きく人わらひけると也。孟子(もうじ)に有ごとく。無(なきは)_二恒産(つねのさん)_一/無(なし)_レ恒(つねの)
心とて。口過かなければ。余程志(よほどこゝろさし)有人も。世間なみに
ならん。然れば志有人の。冨ぬこそ笑止(しやうし)なれ。とま
ねば何としても。能(よき)薬もつかわるまじ。されとも慾(よく)
心ふかき人が。金をたむるを第一とせば。千金/万(まん)金
畜(たくは)へても。持程薬のよきはつかふまじ。医師(いし)を医/士(し)
共/書(かく)なれば。俗性(ぞくしやう)は何にもせよ。医士とならば皆
みな士たるべし。士の本/意(い)は勇(ゆう)也。中/庸(よう)に。知(しるは)_レ恥(はぢを)。/近(ちかし)_レ勇(ゆう)


とあれば。人々我か心にかへり見て。恥をしらば。上々
のいしやと云つべし。又医者不_二 三世_一は不_レ服(ふくせ)_二其薬_一と云
なれば。代々医家がよからん事なれ共。子の器/量(りやう)が
おろかにて。役(やく)に足々ぬも有べし。又親が愛(あい)に溺(おぼ)
れて教訓せぬか。或は教訓するといへ共親が隙(ひま)がな
くて。そこ〳〵にそだてば。勤は希(まれ)にて。遊ぶはおほく。親
の畜(たくはへ)たる財(ざい)宝は。悪事につかひすておやの名をかりて
いしやとはなれ共。父に劣(おとる)も有事也と。申さるれは
福右衛門/重而(かさねて)問ふ。上手は如何やうにして出来申さん
や。木斎/答(こたへ)て。それは我等ごときが。不(さる)_レ知(しら)事なりもし
ねがはんならば先一家の師とも。なりたまふ人は

弟子(でし)は初から吟味し。小/僧(ぞう)から中年迄は。諸宗の出(しゆつ)家
衆(しう)のごとく医道(いどう)の法問(ほうもん)にて。高下を吟味し。もはや
療治させても。くるしかるまじきと。思ふ程を見付
てゆるしを出て療治させばよかるべし。然に大/成(せい)
論(ろん)の文字よみも。するかせぬかにて。はやりやうぢ
してまぐれあたりを鼻(はな)にあて。上手ぶりをして
は。いかで上手が出来候はんや。又/福(ふく)右衛門問ふ。医道
に正(しやう)法と邪/法(ほう)と候や。木斎/答(こたへ)て正邪なくて不_レ叶
事也その正法と云は。すへの見へぬ。あやうきひたる
事をせず。薬にも上薬をつかひ我心に省(かへり)見て
も精/力(りき)一つはいに。療治するを云べし。邪法といふは


病人の。すへはともかくもあれ。腹(はら)一はいに。薬のつよ
き療治して。剰(あまつさへ)薬に念をも不_レ入。病人をも
みくしやにして。人にわたすなどを云べし。されば
病人にまなこを付て療治すると。我利/慾(よく)と
名/聞(もん)にばかり。眼(まなこ)を付て。りやうぢするとのわけ也
いづれもよくいたしたしとなれ共眼の付様にて
人の害(がい)に成が有べし。病人は的(まと)のごとし。大的も小
的も有べし。的の大小は。誰(だれ)も見わけべけれ共病
人は見にくし。人目に軽(かろ)く見へて。おもきか有。当
分はおもく見へ甚(はなはだ)しけれ共。なをるとなれは。愈
案(やす)きも有。いしやは射(い)手のごとし。弓と矢とは

薬と同三寸の為(かり)金は。上手とても矢毎(やごと)があたらんや
五尺八寸の村は。下手とてもおほくあたるべし。風気
のかろきに。敗毒散参蘇飲(はいどくさんぢんそいん)用て兪(いゆ)るは。上/手(す)も
下手もかわりなし。くすりが正/直(しき)なればなり幾(いく)人
なをすとても。さのみ手/柄(から)と云がたし。一人二人にて
も手柄なるも有べし。大方あたり矢計かそへて
はつれ矢の合点(かつてん)なし。上手の射(い)る矢は。中ぬやう
にても。的はさのみ遠(とを)くまじ。下手の矢は。あたる
やうにても。はづるゝ程(ほと)にては。大あづちもこへべし
下手の無理成りやうぢは。家の柱根(はしらね)を。引切ることし
ゑん板より下なれば。切もきらぬも。更(さら)に不(ず)_レ見(みへ)


後日に大風が。地/震(しん)の時はしれなん。其ごとくに
かさねての煩之時に至て。右の害の出るも有べし
それは中々。少々の知恵(ちゑ)にては。見へかたからん薬(やく)
毒なくてかなふまじ。范氏(はんし)が説(せつ)に。下手のくすりを
のまぬは。中の医者に。かゝりたるかごとし薬か害(がい)に
ならねは也と。類経(るいきやう)の註(ちう)にも見ゑたりと。辻談(つじだん)
義のことくとかれければ。福右衛門も梶(かじ)右衛門も。頭(づ)を
さげちやうもんして。日本/無双(むさう)之いしや殿かな。典(てん)薬
の頭(かみ)に。なられぬ過去(くわこ)のしゆくゑんの。つたなさよとぞかんしける
 第十二 二番つゞき鸚鵡小町(おふむこまち)之事
     よきしあはせに。妻(つま)もこもれり

爰(こゝ)に京橋辺(きやうばしへん)の事にや。とうがねやの茂兵衛と云町人
の子。十さいばかりなるが。何共しれず煩(わつらひ)付て後は人の
口まねをし。犬鷄(いぬにわとり)のなくまね。其外(そのほか)の鳥獣(とりけもの)のまね。牛
馬の吠いなゝくをも。のこさずまねけるが。初(はじめ)の程は
それとも気のつかされは。只其まゝにて月日を
送りしが日数かさぬる内に。父母気かつきて此段
いしやにかたりていろ〳〵薬を用ひ。さま〳〵養性(やうじやう)し
けれとも。おもりこそすれ験(けん)はなし。その比/名誉(めいよ)のは
かせ安陪(あべ)の晴卜(せいぼく)を請(せう)して占(うら)をきくに。せいほく勘文(かんもん)
をもつて申けるは是はいかさま鸚鵡(おふむ)の鳥の恨(うら)むる
事もや侍るらん。但覚へは御座なく候やといへば茂兵衛


手を打。われ六さいの比にや。我父鸚鵡(わがちゝおふむ)を。長(なが)崎にて
もとめ秘蔵して飼(かい)けるが。或時いかゝ取まきるゝや。
預(あつか)りし下人/餌(ゑ)を飼(かふ)はで。うへ死(し)しけるをかぎりなく
おしみけれともすべきやうなくて。人をほうむる
ことくに跡(あと)をもとふらひし事を。我かすかに覚(おぼ)へ
たり。扨はそれ故にて候かと申所へ。尾張(おはり)町太次兵衛
来かゝりて。是にはきねんきたうも可_レ然候。又煩
の事なれば。薬をもたやしゐひては。いかゝなり爰
に薮の木斎とて名/誉(よ)なる医者(いしや)候也。是へ見せら
れまじきやと云けれは。それこそ望(のぞむ)所なれとて
太次兵衛を頼(たのみ)て呼(よび)迎。病人に逢(あわ)せければ。木斎

みやくをかんかへ。しばらく工(く)夫の体(てい)に見へけるが。いか
にも一/療治(りやうじ)は有べき也。然共元来。ものゝけより
出/生(しやう)したる煩なれば。祈念(きねん)加持をも。せられ
候へと云ば。中々/安陪(あべ)のせいほく殿と申仁を。頼み
昼夜きねんも仕候といへり。さらはその安陪氏(あべし)
へ御目にかゝらんとて晴卜(せいぼく)に対面(たいめん)して初会(しよくはい)の辞
義。五法指(ごほうさし)合/済(すみ)ての後。木斎申されけるは。せいほく
殿の御先祖の晴/明公(めいこう)と。われらの先(せん)祖大/医(い)重
雅と。僧(そう)の勧修(くはんしゆ)と三人。或時/藤(とう)の道(みち)長の宅にて
参り会ゐふに。晴明申されしは。只今/怪(あやしき)事侍らんに
門を閉(とぢ)て。客を入させゐふなと。云へる程に。門をか


ためておはす所に。はや叩(たゝく)者有。是をとへは和州(わしう)の瓜(うり)
のつかひなり。門をひらきて内にいれ。其瓜を鉢(はち)
につみて座敷(ざしき)へ出し侍る時/相国晴明(しやうこくせいめい)に向て。家之
内の怪異(くはい)有事外に不_レ知。此瓜を食すべきや。否や
と問せゐへば晴明占て云く。瓜(うり)に毒有べし。食し
ゐふべからすと云/相国(しやうこく)のゐふは。瓜毒に毒は有へからず
定て此内に。有もなきも侍らん。勧修(くはんじゆ)いかんとあれ
ば。勧修則/呪(じゆ)を誦(しゆ)し加持しゐふに。一つの瓜鉢より
おどりいでゝ座中(ざちう)を廻る。その時/我先祖重雅(わがせんそしげまさ)。袖(そで)の内
より針(はり)を取出して此瓜に針せし時。則/躍(おどり)やみて
鎮(しづま)りぬ。是をわりて見れば毒蛇(どくじや)有て。まなこに針

立て死たり。術家(しゆつけ)の名誉(めいよ)是也とて。三人共に。都鄙(とひ)に
かんし侍りけると也。然れば占方(うらかた)と。加持(かじ)と医(い)とは。は
なれざる物なれば。貴客(きかく)は加持しゐへ。われは療治(りやうじ)
すべし。いさ其心/一致(いつち)して加持(かじ)も療治もすべし
こなたへとてひとま成所へよびてせいぼくと云あはせ
木斎は木薬(きくすり)の名を書立て薬種経(やくしゆきやう)と名づけ。是
をよみていのらせゐへ。われ又是につきて了簡(りやうけん)すべし
といへば。ともかくも御はからひに。まかせ候べしとて
本尊(ほんぞん)には七仏/薬師(やくし)の絵像(ゑざう)をかけ奉り。病人を
壇(だん)上に置て。先薬師経をよみ真言(しんごん)を。おんころ〳〵
せんだりやまとうぎ。そわかと唱(とな)へければ。病人いつも


のごとく口まねせり。そのつぎに彼作意(かのさくい)の。薬種/経(きやう)を
打(うち)上て。ちんひかうぶしにつけいけいしん。にんぢんせんきう
くわつかうもつかうかんぞうさんしゝ。白だん白じゆつ
とうにんあんにん。びんらうじなどゝ。段々(たん〳〵)によみけるを。病
人口まねこと〳〵くしけれども。其内におのれがいや
なる薬をば。さらにまねざりけり。木斎そばにて
是を書とめ。その薬種(やくしゆ)どもを調合(てうがう)してのませけ
れば。病人もつての外にいやがり。逃(にげ)かくれけるを。のが
さずとらへて。無理(むり)にのませければ。次第(しだい)に快気(くはいき)し
て。半年計(はんねんばかり)に。すきとなんぶくしてんげりかるかゆへに
晴卜(せいぼく)も。宜礼式(よろしくれいしき)をうけて。ひとへにぼくさいの御かげとて

よろこぶ。勿論(もちろん)木斎は。一/廉(かど)の礼/式(しき)をうけ侍りける
然所に霊厳島(れいがんしま)に。最上牢人(もがみらうにん)/照井(てるい)太郎右衛門と云
人。金銀/沢山(たくさん)もちて。家(いへ)や敷を求(もとめ)。借(かし)屋/借蔵(かしぐら)。おほく
立(た)て諸商人にかし。又は質物を取。金銀米銭をかし
て。その利足にて妻子一族。其外大勢の家人眷
属を扶持してくらす人有。おてると云てひとり息女
をもたれけるが。みめかたち諸人にすぐれ心さか〳〵し
く。あいきやうありて。父母のてうあひはなはたし
しかれども。いかなるいんぐわにや。女根なくしてわづか
に。尿の通る小穴錐もみの跡のやうなるが。只壱つ
有ければ。いか成方へも送るべきやうなくて。年


月をかさねける程に歌(うた)の文字(もじ)数とひとしくなれば
世人異名(せじんいみやう)を付て今小町といへり。父母かなしき事に
おもはれけれどもぜひなく打過(うちすぎ)たまひぬ。いか成つてにや
とうがね屋の一子。木斎の療治(りやうぢ)にて本ぶくのよしを
きゝおよばれ茂兵衛方へ。いまた御/意(い)は得ざれども貴殿(きでん)
の御一子は木斎さの御療治にて。ほんぶく有と承(うけたまは)りお
よびたりねかわくは。木斎さへ御申つたへて。此/散人(さんじん)方へ
御引付たまはり候へと頼ゐへば。やすき程の御事とて
則(すなはち)木斎方へ。かくと申つたへければ。木斎/使(つかい)とつれて
照井殿(てるいどの)へ参らるれば。夫婦の人出向。遠路(ゑんろ)御/越(こし)忝奉
_レ存候。先(まつ)こなたへとて。上座(じやうざ)にしやうじ。さま〴〵もてなし

て。其後/娘(むすめ)のあらましをかたりければ。木斎つく〴〵と
きゝ。様子を見侍らば。何とぞ思案(しあん)も侍りなんと申
せば。恥(はづ)べきにもあらずとて。是を見せけるに。其な
りかたちは有て。うすやうの紙のことくにて。上/皮(かわ)ばかり
はりふさげて有。木斎とくと見て先その身の。容(よう)
顔美麗(がんびれい)なるに。ぬれこみければ何とぞすべき
やう有べきと。工夫(くふう)を費(つい)やして申やう。いかにも療(りやう)
治(じ)なるべき事に候。是/平愈(へいゆ)いたさせ侍らは。御/息女(そくじよ)
を我妻(わがつま)に給るべきやといへば。給にもおよはず
参らすべし。其上/外(ほか)に子も侍らねば。我一せき
をゆづり申さんとて。手形(てかた)を認(したゝめ)わたさるゝ。木斎御


侍(さふらい)の事なれば。なにしに御ことばのりがい申べきや
御/手形(てがた)にも及侍らぬと云ながらも以後の為(ため)と思ひ
手形を取て。ふところに押入(おしいれ)さておてるにむかひ
て申さるゝは。たとへばりやうじにて。つよくいたみ候とも
くやみたまふまじやとありし時。おてるどのいわさん
すは。かくあさましき因果(いんぐわ)にては。命ながらへても。ゑきな
くおもひ侍れば立所(たちところ)にうせはて候とも。少もうらみ
侍らず。いかやうになりとも。御心のまゝに。御りやうじなされ
くだされ候へとまことに余儀(よぎ)なく申さるれば。木斎き
かれて御尤の御事也。さりながら昔(むかし)もさるためし有/壒嚢(あいるふ)
鈔云医師采女正盛親(せういわくいしたねめのかみもりちか)が許(もと)へ。十七八ばかりなる女

来りて。前の穴(あな)なし。如何(いか)がすべきと云ければ是を見
て。力(ちから)不(ず)_レ及(およば)と云ければ。泣々(なく〳〵)帰りにけり。後(のち)に秀成(ひでなり)是
を聞(きゝ)て。其(その)女/呼(よべ)とて。針(はり)の刀(かたな)にて皮(かわ)をさし切(きり)たりけ
れば。尋常(よのつね)の女のやうに成てげり希有(けう)の事也と起
て有。今以同事ならずや。御心やすくおぼしめせ。さらば
療治(りやうじ)仕侍らんとて。かみそりをとぎすまして彼上皮(かのかみかわ)を
切さきければ。殊(こと)の外(ほか)血(ち)ばしりけるをやがて血とめを
つけて。其後きんそうの療治にしかけ。かうやくなどは
りて。食物等にて念(ねん)を入。養性(やうじやう)せし程に。やがてす
きと平愈(へいゆ)す。父母よろこび。約束をたがへず。おてる
を木斎の妻女(さいじよ)にたまはる。其上/家(いへ)屋敷/財宝雜具(ざいほうざうく)


家人/眷属(けんぞく)まて不(す)_レ残(のこら)譲(ゆづ)りわたさるれば。誠(まこと)に親
父(ぢ)竹斎には。木にたけをつきしごとく大にかはり。福
貴盤栄(きはんゑい)成けれは目玉之助も取立(とりたて)られ。今ははや
名をあらためて目の字(じ)をのけ。名字(みやうじ)をは家(いへ)名に
用ひて。薮(やぶ)屋の玉之助と申。大酒屋にぞ成にける。木斎
が祖父(おうち)祖母(うば)も。舅(しうと)の照井(てるい)夫(ふう)婦も。皆長命(みなちやうめい)にて楽仁(らくちん)
となり。寺参(てらまいり)のみにてくらされける。木斎はいしやを
やめて。仕廻(しもふ)ふた屋の徳(とく)左衛門とよばれ男/女(によ)の子共
おほくもちて。徳(とく)左百迄。おてる九十九迄のねがひも
叶(かな)ひ。寿命長久万歳楽(じゆみやうちやうきうまんさいらく)。目(め)出度かりける物かたりなり
  元禄八年極月吉丑

【見返し 両丁文字無し】

【裏表紙】

救荒鄙諭

【表題】救荒鄙諭

【表紙】救荒鄙諭


【右丁】
蕪菁並乾菜の代りに用る類
粉末に拵る類
大麦挽割の足しに用る類
解毒の方
毒草の類
合食禁あらまし
養生の事

【左丁】
   蕪(な)菁並 乾菜(ひば)の代(かはり)に用る類
  草の葉木の芽或は爛(うで)【注1】出 淘浄(さわ)し種々(いろ〳〵)の
  製法(こしらへかた)あり苦汁(あく)の取様あしけれは直に毒に
  あたるも有又後日(のち)浮腫(はれやまい)を生(せう)し悪瘡(できもの)を発
  する事あり食物は命を保つ大切のもの
  なり手間をおしまず製方(こしらへ)念を入べし
〇萱草(くわんさう) 嫩葉(わかば)を採り爛(うて)熟し水にひたし
  苦汁を取り能絞り細(こまか)に刻み塩を少し

【注1】煠ヵ 爓‐訓読 ゆでるの誤字ヵ
    ここではくずし辞典より爛熟の爛を採用す

【右丁】
  加へ飯のにえあかり水のいまた乾かさる処へ
  入べし
〇蘩縷(はこべ)  製方(こしらへ)同断(おなし)
〇藜(あかざ)   同断 藜藿(あかあかざ)灰條(あをあかざ)ともに用ゆ
〇薺(なづな)   同断
〇鴨跖草(つゆくさ)同断
〇皂莢樹(さいかちの)嫩葉 爛熟し水を換ニ三日浸し
  置塩を加へ菜乾葉(なひば)の代りに用ゆ

【左丁】
〇五加葉(うこぎのは) さいかちの通りに製(こしらへ)苦味を能さりてよう用ゆ
〇忍冬葉(にんどうのは)製方(こしらへかた)前に同じ又 灰湯(あく)にて煮て
  さわし用るもよし塩は必用ゆべし
〇紫藤(ふじの)嫩葉 灰湯にて煮水を換三日程浸し
  淘浄し用ゆ血を破るものゆへ孕婦(はらみをんな)には忌(いい)
  灰汁はかた木の灰を用ゆべし松杉の灰は
  きかず
〇茗苡(おほばこ)《割書:おんばこ|かいるば》嫩葉を採り爛熟し流水(なかれかは)に

【右丁】
  一夜ひたし滑汁(ぬめり)を淘洗い用ゆ蕨の粉と
  一所に用ゆべからず
〇旋花(ひるがほ)葉《割書:あめふり花|》爛熟し水にひたし悪汁(あく)を
  取て用ゆ長(なか)く食すれは頭暈(めまい)し又腹に
  あたる事もあり続て食すべからず
〇問荊(すぎな) 爛熟しさわし用ゆ花を筆頭菜(つくづくし)
  といふ食すべし瘡病(ふきでもの)ある人は忌
〇虎杖(いたどり)製方同断 妊婦(はらみをんな)には忌

【左丁】
〇蕨 平年飯の葱味(さい)【注1】に用るには灰湯(あく)にてうで
  水にて淘浄し用れ共 饉(かて)のたしにするには
  灰湯にて煮 流河(なかれかは)にひたす事一二日その後能
  しぼり細に刻(きざミ)塩を入 飯の上にのせたくべし
〇紫茸(ゼんまい) 嫩芽を採り爛熟し淘浄し用ゆ
〇水芹(セり) 同断
〇稀薟(めなもみ)【注2】葉 爛熟し流水に一夜ひたし置
  苦味をさりて用ゆ

【注1】菜の誤字ヵ
【注2】豨薟 キク科

【右丁】
〇佝杞葉(くこのは) 爛熟し淘浄し用ゆ
〇蒲公英(たんほゝ) 爛熟し水にひたし苦味をとりて用ゆ
〇商陸葉(とうごほう)《割書:やまごほう|》灰湯にて煮よ能淘浄し用ゆ
〇大薊(おゝあさみ)《割書:山あざみ|》小薊 何れも灰湯にて煮水に
   二三日ひたし置湯用ゆ
〇地膚(ははきぐ) 爛熟し淘浄し用ゆ
〇葛の嫩葉      同断
〇蜀葵(あをひ)   同断

【左丁】
〇桑の葉       同断
〇槐樹芽(ゑんじゆめ)同断
〇榎の葉 灰湯にて煮流水に一二日ひたし置
  毒気をさり用ゆ
〇だつま 爛熟し水を換ひたす事四五日
  ばかりにて絞り用ゆ又爛熟し流水に一二夜
  浸し苦味を取るもよし
  惣而草の葉等を用る事は是非塩を加へ

【右丁】
  用ゆべし 塩は毒気をとるものなり
 右の外飢を助くる品多しといへとも
 このほとりにて得やすく目なれたるのみ
 を記し 海沼なきによりて海草(うみくさ)水
 くさはしるさず

【左丁】
  粉に製(こしらへ)用る類
〇葛の根 土の中に入事五六寸はかりの処を
  葛脰(かつとう)と名(なつ)け 毒あり右五六寸斗を切
  捨 夫より下を用ゆべし 乾(ほし)たくはへ置
  たるは上皮(うはかは)をこそぎ去 臼にいれ杵にて
  搗(つき)砕(くだき)水を入れ手にてもみ その水を桶に
  いれ澄し置て上澄を捨 沈みたる粉へ
  又水を入 かきまぜ又澄し 上澄を傾希(かたむけ)

【右丁】
 捨かくのことく水飛(すいひ)する事十遍はかり
 その後右の粉を日にて乾(ほ)し用ゆ臼の中の
 査(かす)は粉のとれる程水を入 粉をとるへし
 山より掘出したるはすぐに搗てよし
 右の粉を捏(こね)だんご餅等に拵へ蒸し食す
 うでゝもよし又麺類にも拵る蕨の粉と
 一所にまぜ食すべからず

【左丁】
〇蕨の根 紫色の上皮をこそげ去 臼
 にて搗爛(つきくず)す事 水飛する事葛の粉を
 取と同様(おなしこと)なり その根の筋は蕨縄になる
 なり 米の粉麦の粉を雑(まぜ)餅だんご麺類に
 拵る米の粉麦粉に交(まじ)ゆべし外の粉には
 交ゆべからす
〇紫茸(ぜんまいの)根 粉を取事 同断

【右丁】
〇■■(からすう里の)【注1】根 皮を削り白き所を細に刻み
  水をかへ浸(ひたす)事 五日程取出し搗煠(つきくず)し
  水を入 かきまぜ布の袋にてこし葛の
  粉のことく水飛すること十べんはかり
  日にて乾し用ゆ焼餅 団子 麺類に
  拵る事前に同じ

〇檞(くぬぎ)の実 楢の実 何れもどんぐりといふ

【左丁】
  皮をむきさり湯にて煮こぼす事三度
  その後水にひたし置事 三日程取あげ日
  にて能ほし碾(うす)にてひき細に篩(ふるひ)又水に
  ひたし水飛する事 四五度日にて乾し
  用ゆ米の粉等にまぜ餅だんご焼餅等に
  拵る

〇とちの実 檞(くぬき)の実と製方同断

【注1】かつろう ウリ科 草冠に括と娄

【右丁】
〇萆蒻(ところの)根 髭麁(ひげあら)皮をこそげ去横に剉(きさ巳)
  よく煮て 流水に浸置事 二三夜苦
  味を去 日にて乾(ほ)し 磨(うす)にて挽篩(ひきふるひ)
  その粉を三四扁ん水飛し 餅 だんご
  焼餅等に拵る

〇鼓子花(ひるかほの)根 皮を去剉み爛熟し淘浄し
  日にて乾し粉に拵る

【左丁】
  又煮熟しさわし すぐに味噌 醤油
  にて煮食するもよし

〇萱草根 爛熟し淘浄し 日に乾し
  粉に拵る
  又爛熟しさわしすぐに煮食するも
  よし 

【右丁】
〇米糀(こぬか) 篩(ふるひ)にてふるひ荒 粉を去り米の
  粉に小麦の粉 蕎麦の黒粉抔を等分に
  雑(ませ)餅だんご 焼餅等に拵る

   餓たる人の養ひ様
〇人 数日(すちつ)食せず餓困(  くるし)んて死(しな)んとするは
 先(まつ)飯を與喫(くは)すべからず 若 喫すれは立処に
 死す 且 妄(みたり)に服薬(くすり)を用(もちゆ)べからす

【左丁】
〇手拭(てのこひ)様の物を熱き湯に浸し臍腹(ほその)あたりを
 熨(の)せは自然と囘生(よをかへ)るべし その時白湯の中へ
 味噌汁又は米飲(おもゆ)少しを冲(さし)て撹(かき)まぜ嚥(のま)しめ
 腸(はら)を滋潤(うるほ)し その後能 熟(に)たる稀粥(うすかゆ)を喫
 せて両三日の間に段々その粥を濃して
 食せ数日の後に軟(やはらか)なる飯を與喫せてよし
 凡 飢(うえし)人 白菓(ぎんなん)を食しむれは死す 慎む
 べし 

【右丁】
   大麦挽割(ひきわり)の足しに用る類
〇栗 皮を剥(むき)水に浸し縄にて揉洗ひ
  萩(しぶ)皮を去り日にてほし あらく擣(つき)
  砕(くだき)麦割(わり)のごとく米に交たくべし

〇檞 楢の実 皮を去り沸湯((にえゆ)にて能(よく)煮
  黒く渋き汁をとりさり流水に一二
  夜浸し置日にて乾(ほし)臼にて擣あらく

【左丁】
  ふるい割麦(わり)のごとく拵 猶又 流河に一二
  夜浸(ひたし)苦渋(にがしぶ)の味を能とり割麦のたし
  に用ゆ

〇とちの実 製方 同断

〇萆蒻根  細にきざみ能煮て流水に
  一二夜ひたし 猶又 灰汁にて煮熟し

【右丁】
  水を換ニ三日程ひたし苦味をとり
  乾し用ゆ

〇菖蒲根 細にきざみ灰湯(あく)にてよく
  煮熟し流水に一二夜ひたし悪味(わくあぢ)を
  去り用ゆ

〇白朮(ひやくじゆつ)《割書:おけら|》製方 同断

【左丁】
   解毒の仕方
〇諸(もろ〳〵)の草の毒にあたりたるは
  粥清(おもゆ)に焼塩を少し加へ三四杯啜(すゝ)るべし
〇又方
  生姜の絞汁を飲むべし
〇又方
  鶏子黄(たまこのきみ)を多く飲むべし
〇又方

【右丁】
  葛の生根(なまね)を絞り汁を取用ゆ乾たるは
  煎し用ゆ
〇又方
  黒豆《割書:二匁|》甘草《割書:一匁|》煎じ用ゆ
〇又方
  藍葉汁(あいのしぼりしる)を数椀飲むべし 生藍葉(なまあいのは)なき
  ときは染(こん)屋の藍汁 又 画家(ゑかき)の用る青黛(あいろう)を
  とき用ゆべし

【左丁】
〇大麦麦飯 大麦麺に中(あた)り腹張煩(はらはりなやむ)には
  煖(あたゝめ)酒に生姜汁を和(くは)へニ三杯飲むべし
〇小麦の毒にあたりたるは
  菜菔(だいこん)の絞汁多く飲むべし
〇又方
  山椒を煎じ飲むべし
〇又方
  杏仁(からもゝのみ)を搗くだき湯にて飲べし
 (     あんずのみ)

【右丁】
〇蕎麦の毒に中りたるは
  大根の絞汁を飲べし
〇又方
  杏仁 前々通に用ゆ
〇又方
  九年母(くねんぼ)の絞汁を飲べし 乾たるは煎し用ゆ
〇又方
  海帯(あらめ)をせんじ用ゆ

【左丁】
〇木の実瓜の類に中りたるは
  唐肉桂(とうにくけい) 濃くせんじ用ゆ
〇菌蕈(きのこ)の毒にあたりたるは
  香油(ごまのあふら)を多く飲べし
〇又方
  生荷葉(なまはすのは)を搗煠(つきくず)し水にて飲へし乾し
  たるは煎し用ゆ
〇松蕈(まつだけ)に酔たるは

【右丁】
  豆腐を食すべし
〇竹筍の毒に中りたるは
  蕎麦殻の煎じ汁を飲べし
〇又方
  生姜の絞汁を飲べし
〇又方
  生胡麻をかむべし
〇苦匏( にがふくべ)の毒に中里吐瀉(    はきくだし)止さるには

【左丁】
  黍■焼灰(きびのからをやきはい)となし水にひたし上澄を
  取て多く飲べし
〇野葛(  の くず)の毒にあたりあたりたるは
 (  つたうるし)
  鶏子(たまご)三ッ程能かきたて飲べし
〇又方
  葱涕(ねきのしる)を飲べし
〇又方
  甘草を煎じ用ゆ

【右丁】
〇青物を多く食し面色(かほのいろ)青白色になり
 うそばれたるには
  五加(うこぎ)の根を煎じ用ゆべし
〇面(かほ)部手足むくみ出たるには
  商陸根(とうごぼうのね)をせんじ用ゆべし
〇惣(すべ)て毒にあたり胸甚(むねはなはた)くるしく嘔気(はきけ)ある
 には吐薬(はくくすり)を用ゆ
  塩湯(しほゆ)茶碗に一二杯のみ鶏(とり)の羽を口中(くちのうち)へ

【左丁】
  いれ咽をさぐるべし 必(かならす)吐なり
〇腹甚疼痛(はらはなはたいたみ)下(くだ)りたき様子ならば
  野薔薇実五六十粒煎じ用ゆべし
  腹下るなり

     毒草
〇草鳥頭《割書:かぶとばな|》  天南星《割書:てんなんしやう|やまこんにやく》
 半夏《割書:はんげ|からすびしやく》 蛇苺《割書:へびいちご|》

【右丁】
 射干 ひあふぎ  鳶尾 いちはつ
 玉簪 きぼうし  鳳仙 ほうせんくわ
 鈎吻 おにぜり  蓖麻 とうご満
 野葛《割書:のくず|つたうるし》   鈴ふ里花

  合食禁(くひあはせ)あらまし
〇田螺に蕎麦 荏(ゑごま)  緑豆(やへなり)に榧子(かやのみ)
 萆蘚(ところ)に泥鰌    柿に蟹

【左丁】
 青梅(あをむめ)に胡椒   粟(あは)に李(すもゝ) 雀
 昆布(こんぶ)に萆蘚   金柑に甘藷(さつまいも)
 款冬花(ふきのとう)に皂莢(さいかち) 文蛤(はまぐり)に菌(きのこ)類
 葱(ねぎ)に蜂蜜    蒜(にんにく)に生魚(なまうを)
 艾子(からし)に兎   木耳 山胡桃(くるみ) 豆■(なつとう)【注1】
 香蕈(志ゐたけ)に海鰮(いわし) 雉子(こじ) 山鶏(やまとり)
 生姜(志やうか)に焼酒(しやうちう) 大蒜(にら) 兎
 紫蘇(しそ)に鯉魚(こい)

【注1】 黄大豆の黄ヵ

【右丁】
     養生の事
〇歉歳(けうねん)には素食(そじき)を食するゆへ腹の空(すく)ことも
 早し 二月彼岸より耕作も漸ゝ(だん〳〵)世話敷(せはしく)
 なるゆへ■腹(すきはら)にて強く働くと記は脾胃(ひゐ)を
 傷(いたむ)る事あるべし 蠶豆(そらまめ)粥 踠豆粥(ゑんどどうかゆ)等を拵
 置三度の食餌(しよくじ)の外(ほか)朝四ッ時頃 親椀(おやわん)一杯宛
 啜るべし 又八ッ半時より夕七ッ時前後の内
 右の粥を又親椀一杯づゝ啜るべし 右のごとく

【左丁】
 すれは脾胃をいたむる事有まじ
 蠶豆粥は蚕豆を二三日水に浸し置和(やはら)かにし
 鍋に入 水を能程入塩をも入能々(よく〳〵)煮るべし
 踠豆も右同様に拵る奈里右粥の内へ■豆(やへなり)【注1】
 赤小豆(あつき)白豆(しろあつき)黄大豆(志ろまめ)大角豆(さゝげ)裙常豆(十六さげ)稗
 粟等は好(このみ)に満かせ雑(まじ)ゆべし 割(わり)麦を交れは
 程よし どんく里 とこ路 飛るがほの根 菜(な)
 大根の類 雑(まじへ)用るは心に任(まか)すべし

【注1】八重生 緑豆(リョクトウ)

【右丁】
米麦等なく 麁食(そしき)のみにて凌き堂る者
米に有徒き多る時一度に米の飯沢山食須(めしたくさんしよくす)
べからず脾 胃をいたむるなり先(まつ)粥を拵へ
二三日粥を食し 其後飯にたき食春べし
大麦干葉(ひば)等を必少宛交(かなら須春こしつゝまじ)ゆべし
薯蕷(やまのいも)の本したると黒胡麻を等分にし
磨(うす)にて飛き粉に拵置腹の空(春き)たる時白湯に
かき堂て一杯徒ゝ飲べし 飢を志のき且

【左丁】
補薬(おきなひくすり)にな流な季

【本文なし】

【裏表紙】

{

"ja":

"当世医者風流解

]

}

《題:当世医者風流解 三冊》











  序
十返舎の膝栗毛(ひざくりげ)千里(せんり)にはせて今に留(とゞま)らす
日々に盛(さかん)也/其衆(そのしう)馬(むま)に乗(の)らんとすれと短才(たんさい)しばし
鞍(くら)にたまらず落馬(らくば)せん。其落(おち)た所之火打石(ひうちいし)と
思ひつゐたる医者(いしや)ぶりげ当世(たうせい)の穴(あな)をさぐるに
ものみなふり省て所謂古今万葉のいにしへぶり。
かん〳〵踊(をとり)の長崎(なかさき)ぶり江戸子(ゑどつこ)紛(まがへ)のきいた風流(ふり)。都(みやこ)の
手ぶり。天(あま)さがる鄙(ひな)ぶり。廓(さと)ぶり。丹後(たんご)鰤(ふり)。木(き)ふり

枝(えだ)ふり頬(ほふ)かふり有情(うしやう)非情(ひじやう)のもの皆しかり今この
書也よし当代(いま)の人情(ひとぎ)に通(つう)し野夫(やぶ)とみへし
もたちまちに三/枚肩(まいがた)のはしわづき。若党(わかたう)
一足(ひとはし)先(さき)へ往(い)く稗史(ほん)の門口頼(かとくちたの)みませう
太田了竹(おゝたりやうちく)御見舞(みまひ)と云尓
  干時文政三のとし冬口から出方台に
  於て書す



当丗医者風流解 惣目録
  上の巻
 気転頓作先生(きてんとんさくせんせい)へ厚釜敷安(あつかましきあん)入門の事
 療治(りやうぢ)の引ことに小児のことを云聞(いひきか)す事
 金銀(きん〴〵)かしかり古人相違(こじんさうゐ)の事
 手代衆中情合(てだいしゆぢうじやうあい)の事
 女子衆出(おなごしゆで)かはり目見(めみ)への事
 娘(むすめ)の子に教訓(きやうくん)の事

当世(当世)女の情(しやう)幷/女夫喧嘩(めうとけんくわ)の事
当世こと葉(ば)つかひの事
浄留理(しやうるり)文句の事
娘の子嫁入(よめいり)口の事
  中の巻
老若容義(らうにやくようき)六哥仙の事
丁稚(てつち)下女(おろた)使(つかい)の事
手代/使者(つかひ)の事


乗物(のりもの)にて見舞(みまひ)やるとの事
病人/脈(みやく)の見やうの事
腕にて容体(ようだい)を証(かた)る事
諸々(もろ〱)の難病(なんひやう)治療の事
肝癪(かんしやく)持(もち)又/気欝(きうつ)の症(しやう)を治す事
婦人(ふじん)の療治の事
嫰者(ふしやうもの)金持(かねもち)の臨居(りんきよ)療治の事
病家に軍書(うんしよ)の引ことを云う聞(いひきか)す事

長く薬を呑(のま)す秘密(ひみつ)の事
悋気(りんき)深(ふか)き姓分(しやうぶん)治す事
薬不利(くすりきかざる)を云抜(いひぬけ)やうの事
病家先(びやうくわさき)にて長咄(ながはなし)の事
病家先より断(ことはり)いはさぬ事
大医(たいゐ)薮医(やぶゐ)問答(もんだう)の事
療治(りやうぢ)し???いひぬけの事
容鉢(ようす)ことばづかひの事


 下の巻
病症によつて油の製法伝授の事 数ヶ條
女房同士(にようはうどうし)小児あいさつする事
同/真実(しんじつ)にて挨拶(あいさつ)する事
厚釜敷安信(あつかましきあんしん)のやおはん療治の事
加賀の手代/敷安(しきあん)の?中に顕(あらはる)す事
婦人(ふじん)秘密(ひみつ)妙案の事











当世医者風流觧 上
○夫醫道(それいだう)の奥義(おうぎ)は古人/医(い)ハ意(い)なりと云。意(い)ハ心(こゝろ)也。
心の術(じやつ)なくんバ数千(すせん)の医書(いしよ)を読(よむ)たりとも拝(こわげ)に膠(まがわ)すが
ことく。用に立ぬもの也。又/医(い)は仁術(じんじゆつ)とも云へり既(すて)に
聖人(せいじん)も宣(のたまは)く親在時(をやいまわとき)は医(い)の道(みち)を知(し)らずんバ
有(ある)べからずとあるも孝行を尽(つく)さんとする金言(きんげん)なり
又/天下国家(てんがこくか)を治(おさ)むるを医(い)するといふ国(くに)の乱(みだ)れ家(いへ)
の倒(たを)れんとするを愈(いや)すといへハ医(い)ハ第一の大立(おほたて)もの也

爰(こゝ)に去(さ)る田舎(いなか)の片辺(かたほとり)に厚釜敷連(あつかましきつう)といふ医者(いしや)の
一子(いつし)に厚釜敷安(あつかましきあん)といふものあり。倩(つら)々/思(をも)ふには
かゝる辺鄙(へんぴ)に逼々(ぐつ〲)と一生(いつしやう)をおくり手柄(てがら)した所が
麦(むぎ)一斗されバとて又其手柄(そのてがら)もなしがたし。宜(むべ)なるかな
国学十年(くにがくととせ)の修行(しゆぎやう)より京学(きやうがく)一/年(ねん)の修行(しゆぎやう)には
しらずと聞(き)けれバ。いざや都(みやこ)に登(のほ)りよき師(し)をもとめ
典薬(てんやく)大/医(い)にならばやと思ひ行李(たびよそほひ)をして遥々(はる〲)と都(みやこ)に
のぼり知(し)るべの方(かた)に落着(をちつき)て先諸(まづしよ)名医(めいい)を聞合(ききわ)するに


古方(こはう)あり後世(こうせい)あり。各々(おの〱)門をひらき表(おもて)を飾(かさり)て
口を叩(たゝ)く中(なか)にも傷寒論(しやうかんろん)をひらひて唐土(もろこし)の張仲(ちやうちう)
景(けい)にも及(およ)びし名医(めいい)なれバ急(いそ)ぎ門(もん)に入(いつ)て日々(にち々)講席(かうせき)
にいで聴聞(ちやうもん)すといへども。いかんと解(げ)せず。有時(あるとき)余(よ)の医(しよ)
生(せい)に漸々(やう〱)唆(そゝな)かされて祇園清水(きをんきよみづ)に詣(もふで)て都(みやこ)の繁花(はんくわ)
なるに?を消(け)し朝日野(あさひの)か六分やにて少(すこ)しの酒頭上(さけづじやう)
に登(のぼ)り。慢々(とろ〱)眼(め)にて其辺(そのほと)りを見渡(みわた)せハ東(ひらり)行/西(しやう)
往(わ)の美人(うつくしもの)を見(み)て現(うつゝ)をぬかしてながめ入/偖(さて)はふしぎ也


祇園から
 ぬけ道ゆけバ
  御まへに
 心まよはす
   ?の
    名と
   
   必穂園

天人のあまくだりて爰(こゝ)に俳諧(はいかい)するかと思ひ。中々/医学(いがく)所
ても医者所(いしやところ)てもなく。青表紙(あをひやうし)を打捨(うちすて)赤裾(あかいもし)に眼(まなこ)をさらし
西石(さいせき)から内町(うちまち)へこそ〳〵と這入寄宿料(はいりきしゆくれう)に遣(つかひ)等まても此(この)
赤(あか)いもしの穴(あな)にのこらず押込度々(をしこみたび〲)入用(いりやう)金(きん)の頼状(たのみじやう)
遣(つかは)せども度重(たびかさな)れバ取敢(とりあへ)ず心(こゝろ)をいためる折柄(をりがら)右の次第(しだい)を
傍輩(かたはらばい)の医生(しよせい)に語(かた)りけれバ。初生(しよせい)のいはく。此頃去薬屋(このころさるくすりや)
の親仁(をやぢ)か物語(ものかたり)に今時(いまとき)見識はつたる医者(いしや)ハとんと流(は)
行(や)らす。孟子(もうし)の曰/智恵(ちゑ)あるといへども勢(いきほひ)に乗(のる)に如(しか)ずと


いへるがごとし。今京地(いまきやうち)の流行(はやり)医者(いしや)は皆々(みな〱)当世風(たうせいふう)の一(いち)
見識(けんしき)を立られし也。先気転(まつきてん)頓作(とんさく)先生(せんせい)を始(はじめ)として
権勢(ゆすり)弁口(へんこう)。高慢(たかいき)不斎(ふさい)。太皷(たいこ)弁慶(べんけひ)茶釜(ちやかま)順廻(じゆんくはい)
欲面一芳(よくつらいつはう)。茶羅月文盲(ちやらつきもんもう)。沼田蓴斎(ぬまたしゆんさい)今(いま)京地に
大家(たいか)の売家(うりいへ)は皆医者(みないしや)の居宅(きよたく)となりたしび
やう〳〵たる粧(よそほ)ひにぞ朝(あさ)から門前(もんぜん)に群集(くんじゆ)して市(いち)を
なす。昼(ひる)からハ三枚肩(さんまいかた)にて飛(とぶ)がたくかたいからかし誠(まこと)に
日本国(につほんごく)はおれしだいといふやうな顔付(かほつき)にて取(とり)わけ気(き)

転頓作先生(てんとんさくせんせい)ハ実(まこと)に多才(たさい)絶倫(せつりん)にして病人(びやうにん)一/度(たび)此人
を頼(たの)めバ譬(たと)へなんぼう悪(わる)ふなるとても。しんでもだんない〳〵
大じなひ。此/御医者(おいしや)さんより外(ほか)の御/医者(いしや)はわしやいや〳〵と
一筋(ひとすじ)に思ひつめさわく程(ほど)の大の名人医者(めいじんいしや)と聞(きく)より
早(はや)く気転頓作先生方(きてんとんさくせんせいかた)へと馳至(はせいた)る。何(なに)が家(いへ)の間口(まぐち)ハ
拾間斗(じつけんばかり)に向ふの見付(みつけ)にハ。たゝき土(つち)にて築上(つきあげ)たる水溜(みつため)
に大なる紋所苗氏(もんところめうじ)などを顕(あらわ)し高貴方(かうきがた)の菊(きく)の御/紋(もん)
付たる灯燈(てうちん)を昼(ひる)のやうに建乗物(たてのりもの)を釣(つり)ならべ玄関長(けんくはんなが)


屋(や)侍部屋(さむらいべや)いかなる難病難治(なんびやうなんぢ)の者(もの)もなをらさるとハ見(み)へ
さるけり。かくて厚釜敷安(あつかましきあん)は此/体(てい)を見てぎよつとしな
がら案内(あんない)を乞(こ)ふて先(まづ)己(をの)が姓名(せいめい)を通(つう)し。兼(かね)て先生(せんせい)の
御/高名(かうめい)を承(うけたまは)り及(ぉよ)び医道(いだう)の極秘伝(こくひでん)を教(をし)へゐはんことを
願(ねが)ふ取次(とりつぎ)の初生(しよせい)を以(もつ)て通(つう)しけれバ。此方(このはう)へ御/通(とを)りあれ
との案内(あない)に連(つれ)て座敷(ざしき)に通(とを)り気転頓作(きてんとんさく)に目見(めみ)へし
て何卒(なにとぞ)医道奥義(いだうおうぎ)を伝(つた)へ給(たま)はれるし御/恩(をん)の程(ほど)は忘(わすれ)
奉らじと願(ねがひ)けれハ。先生/完通曰汝医(くはんしとしてなんぢい)の道(みち)に志(こゝろさし)深(ふか)きに

感(かん)じ医者(いしや)の奥義(おうぎ)を伝授(でんじゆ)すべし。しかしながらむかしの療治(りやうぢ)
ハ今の病人(びやうにん)にハとんと間(ま)にあわず。されバとてむかしの火(ひ)が
今はつめたし。昔(むかし)の水(みづ)か今(いま)ハあついといふこともなけれども
その風義(ふうぎ)の替(かわ)ることハ雲泥(うんでい)の違(ちが)ひなり爰(こゝ)に譬(たと)へ
をもつて云(いひ)聞(きか)すべし
○抑(そも〱)昔(むかし)の小児(せうに)をおどすにハ元興寺(がごぜ)などいひ或ハうそつけ
ハ地獄(ぢごく)の釜(かま)へはまるなどゝいひてしかつたにこわかつたもの
なれとも。今ハそんなこといひて子供(ことも)をしかれバ。些(ちと)はまつて


行水(ぎやうずい)かしてみたいなどゝ云(いひ)て嘲哢(てうろう)をする又/地獄(じごく)の絵(ゑ)
などを見せて威(おど)したものなれとも。今時(いまとき)ハそんなとろひ
ことでこわかるやうな子供(ことも)ハ壱人(ひとり)もなし。又/昔(むかし)ハ寺子屋(てらこや)へ
手習(てなら)ひにやらんと思(おも)へハ先師匠(まつしせう)の筆法手跡(ひつはふしゆせき)を撰(ゑらみ)て
弟子(てし)入さしたもの也。師匠(しせう)も手習(てなら)ひ子(こ)がおうちやくなれバ
他家竹(たけ)の根むちを以て打擲(ちやうちやく)し。或ハ机文庫(つくへぶんこ)を背(せな)に負(おわ)せ
追(おひ)出せしものなれど。今(いま)ハ師匠(しせう)の方(かた)から機嫌(きげん)とつて折々(をり〱)ハ
まんぢうでも又/銭安(ぜにやす)て数(かず)の有菓子(あるくはし)でもやつてたらし込(こみ)

なんぼおふちやくもので手習(てなら)ひせいでもちつともしかること
ハなく若師匠(もししせう)がやかましうぬかすがさいご直(ぢき)に寺(てら)あがつて
たますと。寺子同士(てらこどうし)の咄(はな)してゐるを影(かけ)より聞及(きゝおよ)ひ師匠(しせう)
是(これ)をこわがつてびく〳〵してゐる也。親(おや)もまた子供(ことも)をよふ
たらす師匠(しせう)ハゑらひ上手(でうづ)ものじやなどゝ云(いひ)て誉(ほむ)る也
子供盛人(こともせいしん)して一生身(いつしやうみ)の徳(とく)に成(なる)手習(てなら)ひを教(をし)へて貰(もら)ひ
し恩(をん)ハとんと思(おも)ハす寺(てら)あかるがさいご五節句(ごせつく)二季(にき)の礼(れい)
に行(ゆく)のもとろくさいやうに思(おも)ひ師匠(しせう)の方(かた)へ再(ふたゝ)び見(み)むき


もせぬやうなるは薄情(はくじやう)なること是(これ)むかしと今ハ大ひなる違(ちが)
ひなり
○むかしハ金(かね)の貸借(かしかり)の証文(しやうもん)の留(とめ)には。若返済(もしへんさい)いたさねバ。
我等(我ら)人にてハ無御座候為後日仍て如件などゝ書(かき)し也。又/私(わたくし)に物(もの)
不被仰(をゝせられず)候とも一言(いちごん)の申分無御座候後日仍て如件とも書(かき)し
もの也むかしの人気是(しんきこれ)にて押量(をしはか)り知るべし。今の証文(しやうもん)にハ
誠(まこと)に芝居(しはゐ)の番附(ばんづけ)見るやうなる無流様々(むりうさま〲)の文句(もんく)を書(かき)な
らべても返(かへ)しかぬる也。かねをかへさねバ。人間の交(ましは)りもならず大(おほひ)なる

恥(はじ)なりと思ひしものなれども今ハ貸方(かしかた)より借方(かりかた)若機(もしき)
嫌(げん)が損(そん)しハせぬかとこは〳〵すに私方(わかくしかた)も此節(このせつ)ハ不時(ふじ)の物(もの)
入(いり)が続(つゝ)きまして大きに差支(さしつかへ)すして難義(なんき)いたし居(ゐ)ますゆへ
いふづゝなりませふなら何卒(なにとぞ)御憐愍(ごれんみん)御/慈悲(じひ)を以(もつ)て此(この)
節(せつ)御/返(かへ)し下されましたら御/恩(をん)の程(ほど)は忘(わす)れおきませぬ
何程か有難(ありがた)に存舛(ぞんじます)と畳(たゝみ)に天意(あたま)をすり付なみだを流(なが)
して頼(たの)みけれはかつた方ハ大きな場(ば)て夫(それ)ハ気(き)の毒(どく)なもの
なれども。前(まへ)の方(かた)にふ時(じ)の物入(ものいり)があつたとてこつちの知(し)つた


ことじやない。世間一統(せけんいつとう)しれたことじやソリヤどつこでも有(ある)ことじやそれ
じやまつて常(つね)に何角随分(なにかずいぶん)気をつけて倹約(けんやく)をして置(おか)
ねばならぬ勝(かつ)手づゝなことばかり云人(いふひと)ひや。こつちじやといふて
方々/口数借(くちかすかり)の多(おゝ)いことなれバ。世間体(せけんてい)も有(ある)ものて御/前(まへ)の
所ばつかりゑこひいきハならぬ。何分損(なになにふんそん)ハかけぬ来月晦日(らいげつつこもり)
時分(じぶん)にハ工面(くめん)てもよけれバ少々成(せう〱なり)とも遣(つかは)しませに。夫(それ)も聢(しか)と
ハしれぬられも其時(そのとき)のあんばい次第(しだい)ジヤとねつからとんと
如才(ぢよさい)のない気(き)シヤテイとつかまへ所(ところ)のなひやうに云(いひ)廻(まは)せハ
如才(ぢよさい)のない気(き)シヤテイとつかまへ所(ところ)のなひやうに云廻(いひまは)せハ?(うかた)夫(それ)

てもわしす物(もの)かた人ハ大/舩(ふね)にのつたやうなものじやと。おつ
しやつたでハござりませんか「(うり方)ハテ扨合点(さてかてん)の悪(わる)ひ何時(なんとき)どの
やうな大風(おゝかせ)が吹(ふい)て舟(ふね)しまうもしれぬ。そこで浮世(うきよ)といふ
たものじやワイノト「(うり方)利屈(りくつ)に詰(つめ)られもち〳〵としてどふぞ
左様(さやう)におつしやらずと爰(こゝ)がほんの御助(おたすけ)といふものでご
ざりますとかく御/情(なさけ)でなけれバ立行(たちゆき)ませぬどうぞマア
此節(このせつ)御/返(かへ)しなされて下されませと頼(たのみ)けれハ「(うり方)ハテサテ吞込(のみこみ)
かよさぞふで合点(がてん)のわるひ人ジヤやらぬといふのじやない。此


せつ廻りハわるふて御/留主(るす)でとんとできんと云(いふ)のにゐひもの
を取ふといふハ近頃無利(ちかごろむり)といふものであるまひかなどゝ云。
むかしハ極(きわ)の日に喧嘩(けんくわ)したり鍋釜(なべかま)を引(ひき)ぬいたり大晦日
夜通(よとう)らしにて戻(もど)つたり。又借方(かりかた)も払(はらひ)をせねハ大きわが
越(こさ)れぬなど思ふたものに。今は春早々抔(はるさう〱なと)と云延(いひのば)して
心(こゝろ)よく正月をする。当世借方(たうせいかりかた)ハ強(つよ)くかし方ハ弱(よわ)く極(きわ)の
日もわづかな売(うり)かけもよき所(ところ)でハこわ〳〵あなたへさん〴〵
ますのもほんの御門(おかど)を通(とを)ります御/序(ついで)ながらで御ざりますなどゝ

只(たゞ)も貰(もら)ふか合力(かうりよく)ても受(うけ)るやうにいはねバならぬ時節(じせつ)なれ
ハ是むかしと今ハ大なる違(ちがひ)なり
○丁稚鼻(でつちはな)たれハ小便(せうべん)たれる時分(じぶん)より。天窓(あたま)のてつぺん
から足の爪先(つまさき)まで主人(しゆじん)の世話(せわ)になりながら其/厚恩(かうおん)
もおもはず独(ひと)り盛人(せいじん)したやうに思ひ。元服(げんぶく)する時分(じぶん)
より最早茶(もはやちや)やへ行(ゆか)ねバならぬやうにおもひ友達(ともだち)
を拵(こしらへ)同輩(とうばい)の手代(てだひ)若(わか)ひもの同士(どうし)寄会(よりあひ)ての挨拶(あいさつ)に
はドウジヤ何(なん)ぞおもしろいことハはなひかイヤ?黒犬(くろいぬ)の尾(を)でとんと


おもしろふるひホンニ此頃(このころ)は荒神松(くはうしんまつ)の川流(かわなが)れでとんと真(しん)
がうかぬヱライしやみかたで居(ゐ)る其(その)くせに此節(このせつ)約束(やくそく)を
くゝり付(つけ)られ其上(そのうへ)に無心(むしん)を云(いひ)かけられてゐるのもわし
が男(をとこ)がよひ斗(はかり)しやなひ。ゑらひ粋(すい)じやと思ひ向(むか)ふから
よつほどのおきせんからどうも義理詰(きりつめ)になつてあほう
らしう跡(あと)へも引(ひか)れず。きわ前にハいつでもしよく気(き)が悪(わる)い
はつといた所は極楽(こくらく)のやうなものなれど極前(きわまへ)にハ地(ち)
獄(ごく)じや。外(そと)から早(はや)ふ戻(もど)ると親仁(おやぢ)の顔(かほ)が地蔵菩薩(ぢぞうほさつ)のやう

に見へるが遅(おそ)ふ戻(もど)ると焔魔(ゑんま)大王(だいわう)のやうな顔(つら)に見へる。
嚊(かゝ)の顔(かほ)は青鬼(あをおに)赤鬼(あかおに)。ばゞの顔(つら)はしやうづ川のばゞ
おれが心一ツから色々(いろ〱)に見(み)える。戻(もど)つた時(とき)のぐはいのわる
さそこで戻(もど)り〴〵から丁稚(でつち)てもしかり付(つけ)ねハ手にはが
わるひどうでおれがやうな切手(きれて)ハ少々(せう〱)の事(こと)ハあり内(うち)じや
が若宿這入(もしやどばいりまへ)にハ嚊(かゝ)から先(さき)へ拵(こしらへ)ておかねバ工面(くめん)かわるひ
と只(たゞ)手前(てまへ)の勝手(かつて)のよきことばかりを思ふてとんと主人(しゆじん)
へ忠義(ちうぎ)のことハ思はず丁稚(でっち)の時に始(はじめ)て主人(しゆじん)へ目見(めみ)への


時の心(こゝろ)が替(かわ)りさへせねバよひものなれと尻(しり)があたゝまるに
順(したが)ふて。材木違(ざいもくちが)ひなる了簡(りやうけん)ができ。纔(わつか)なことで手形(てがた)
をやけば世間体(せけんてい)がわるひしゝ?るわらハ是(これ)ハといふ程(ほど)の
ことてなけれバ外聞(がいぶん)がわるひなとゝいふやうな時節(じせつ)/一向(いつかう)何(なん)
のことやら分(わけ)がしれぬと云(いふ)もの也
○女子衆(おなこしゆ)の出替(てかわ)り目見へにハ御/使(つかひ)がござりましてハどふ
し?りませぬ。御供(おとも)が度々(たび〲)ござりましてはいふもなりま
せぬ。御子達様(おこたちさま)はいつちいやなもので御ざりますがどふ

でござり舛「三人あるわひの「ヘイ御/壱人(ひとり)でさへゝやなもの
に沢山(たくさん)そうに御三人もござりましてハ。つまりませぬ定(さだ)
めて御/乳母(うば)とのがござりませふ是(これ)が又とんと馬の合ぬ
ものでござり舛シテ御ばゞさんが御さり舛カナ「アイよけ
ハなひがひとりあつかへ「ヘイこれハとことも六(むつ)かしいてやか
ましいものにきわまつてござりますれどもならふなら
とふぞ。ほり出(だ)してハしまハれまさぬるソシテ御/宗旨(しうし)は
マアなんで御さり舛フウなせ宗旨(しうし)を尋(たづ)ねてじやヘイ


門徒宗(もんとしう)でござりませねバ何角(なにか)に世話(せわ)が多(おほ)ふてなり
ませぬシテ又/店(みせ)の若衆(わかしゆ)は格別(かくべつ)無細工(ふさいく)な男(おとこ)ハござ
りませぬかな。中戸(なかど)のしまりハきびしいことハこざりま
せぬかな。養父入(やぶいり)十日になさつて下(くだ)さりませ。からだ
か少(すこ)しよハふござり舛(ます)ゆへ。月に十/夜(よ)さばかり灸(きう)すへに
まいらねバなりませぬ。つとめとおつしやれバつとめませふ
が御/子達(こたち)と。ばゞさまハ出(た)して御/仕舞(しまひ)なされませならと
いふむかしの女子衆(おなごしゆ)は。目見(めみ)へしてどふぞ奥(おく)さんの御/気(き)

に入れハよひが若(もし)御/気(き)にいらねハ外聞(くわいぶん)かわるひやうに
思ふたものなれと。今(いま)ハ主人の方(かた)から早(はや)ふ置付(をきつけ)ねハ
世間(せけん)から。さま〴〵の取(とり)かたすれバ置(をき)つけるのが遅(おそ)ひ
と外聞(くわいぶん)かわるひやうに思(おも)ふ時節(じせつ)なれば。是(これ)むかしと
今とよつほとの違(ちが)ひ也
○むかしハ娘(むすめ)の子を嫁入(よめいり)さすまへに。娘(むすめ)に親(おや)が云聞(いひきか)す
ハアゝゆらの介/夫婦(ふうふ)の衆(しゆ)へ孝行(かう〱)尽(つく)して。夫婦(ふうふ)中むつ
ましいとて。あぢやうにも。りんき?ししてさらるゝな。たとへ


夫(おつと)にあかれても又の殿子(とのご)をもふけなよと云聞(いひきか)せとかく
夫(おつと)に貞心(ていしん)ハ勿論(もちろん)。第一にハ舅姑(しうとししうとめ)に孝行(かう〱)を尽(つく)すべ
しとくれ〴〵娘(むすめ)に云/聞(きか)せて。嫁入(よめいり)さしたものなれど
今(いま)ハ親(おや)からしてのつけにぢゞばゞかこまり入たもの
じやが。よつほどばゞがむつかしもので。やかましいげな。つい
いきそうならよけれども。ゑらう達者(たつしや)なといふことじや
とうもほりだされもせず。めいはく千万(せんはん)なことじやイヤ〱
しかし辛抱(しんぼう)じや格別長(かくへつなが)ひこともあるまひ。又/随分(ずいぶん)聟(むこ)を

たらして頭(あたま)の道具(だうぐ)などを拵(こしらへ)さす分/肝心(かんしん)じや又/外(ほか)におき
せんても有(ある)か東辺(とうへん)へしたつて借金(しやくきん)でも出来(でき)そうならちや
つと早(はや)ふ目先(めさき)きかして埒明(らちあけ)て戻(もど)るのか勝(かち)じやぞや又
外(ほか)へやらねバならぬ。難義(なんぎ)してからねだる所がなひぞや。
ソシテ嫁(よめ)の方(はう)からしうとめをいぢりつきておひたがよい
ぞやヘイ〱といふて居(い)るとつきあがりがするぞやなどゝ親(おや)
が云聞(いひきか)すやうな時節(じせつ)也。むかし譬(たと)へにさへしうとめ祖母(ばゞ)
が嫁(よめ)いぢるやうなといへど今ハ嫁(よめ)がしうとめ祖母(ばゞ)をいぢる


といはねバ気(き)がきかぬなどゝて笑(わら)ふ也。中々/今時(いまどき)のしうとめ
ハ嫁(よめ)なしかやうな祖母(ばゞ)はとんとなし。しうとめハ年(とし)の功(こう)で
物毎(ものごと)にやう気(き)がつく替(かわ)りにハ少々(せう〱)口(くち)やかましいもの也。
嫁(よめ)は色(いろ)けが有(ある)ゆへ和(やわ)らかでよけれども若(わか)いかげんで
物毎(ものこと)にとんと気(き)がつかぬものなれバ。先是(もづこれ)ハどちらが
どうでも喰(く)ふて見ねハ。とつくりとしたことハしれぬもの
なれバ。何分(なにぶん)むかしハ。加古川本蔵(かこかわほんぞう)にもちつと念(ねん)を入
て舅姑(しうとしうとめ)に孝行(かう〱)尽(つく)すべしと云聞(いひきか)せたものなれど

今ハのつけに祖父祖母(ぢいばゞ)がこまつたものじやしかし格別(かくべつ)
長いことハないなどゝ娘(むすめ)に親(おや)がいひ聞(きか)すやうな時節(じせつ)な
れバ是(これ)むかしと今とハ大なる違(ちが)ひなるべし
○むかしハ男ハ男らしく女は女子(をなこ)らしう。したものなれど
今ハ男の若(わか)ひ形(なり)て天窓(あたま)を綿(わた)で巻(まき)女子(をなご)か羽織(はをり)
を着(き)るやう娘(むすめ)の子(こ)に三味線(さみせん)ひかぬのもなし。女のかみ
ゆひに結(ゆわ)さぬのもなし最早(もはや)そろ〳〵と女(をんな)の髪結床(かみゆひとこ)が
出來(でき)そうなやうす也。近頃(ちかごろ)は女の懸取(かけとり)か流行(はやり)もはや


追(おゐ)つけ男がいもじをかき女がふんどしをかくやうにならふ
もしれぬ。むかしハ女の髪(かみ)を稾(わら)にてたばね。竹のかうがい
かんざしに木地(もくぢ)の櫛(くし)さしたるもの也。かづらにて髪(かみ)ゆひし
もの也と聞(きく)。油(あふら)にて結(ゆ)ふがよつほどの奢(おこり)になりしとも
聞及(きゝおよ)ふに近世(きんせい)ハ匂(にほ)ひ油元(あふらもと)ゆひ。のり引の丈永(たけなが)などハも
はや古(ふる)くなり。今はハ無流(むりう)さま〳〵のとんぼう緋鹿子(ひがのこ)の根(ね)
くゞり浅黄紫(あさぎむらさき)又/染分(そめわけ)。金糸銀糸(きんしぎんし)の根(ね)くり金銀(きん〴〵)の
丈長(たけなが)或(あるひ)は櫛(くし)かうがいかんざし。衣類(いるい)でんつぎ〴〵当世風(たうせいふう)

の新(しん)もの数限(かずかぎ)りなきことあげてかぞへかたし誠(まこと)に天窓(あたま)
をなぶりものにする也。化粧(けわひ)ハ。うつすらと紅白粉(へにおしろい)に極(きはま)りし
ものを。化粧(けわひ)下して玉子(たまご)やう。婦のやきやう。又しやうゑん
しやう。和尚(おしやう)やう。首筋(くひすじ)ハふじの山或ハ二/本足(ほんあし)三本足
四本あし毛(け)だものやうに思ひ。耳(みゝ)のうしろをすかや
ら。けづるやう。天窓(あたま)の真中(まんなか)に金(かな)ものを打(うつ)やら実(まこと)に
顔(かほ)から天窓(あたま)をちやうさいぼうにするといふもおろかなり。
最早此上(もはやこのうへ)ハ。しやうもやうもないゆへに。胸(むね)から腹(はら)へかけ

テ高蒔絵(たかまきえゑ)をかき。背(せ)なかから太股尻(ふともゝしり)のわれめへか
けて極彩色(ごくざいしき)にするやうになり誠(まこと)に〳〵女のはゞする
時節(じせつ)なり。節季前(せつきまへ)に通書出(かよひかきだ)しの〆高の多(おほ)いの
ハ呉服屋(ごふくや)小間物(こまもの)やなれバ主(あるじ)是(これ)をみて何(なに)ゆへ此様(このやう)に
小間物(こまもの)や呉(ご)ふくやの買物(かいもの)か多(おほ)ひといへバ。女房(によほう)むつ
とせきあげ。いかりの眼(まなこ)に声(こへ)あらゝけヤア〱費(ついへ)らし
きもの一ツもなし通書出(かよひかきだ)し一々に。ごり押(をし)にして吟味(ぎんみ)せ
よ付落(つけをち)ハあるとも付掛(つけかけ)ハなひゾヨ世帯(せたい)廻(まわ)りの無益(むゑき)

なるはしたなき入用(いりよう)にあらず忝(かたじけ)なくも女房娘(によぼうむすめ)の身(み)
の廻(まわ)り。おなご一/巻(まき)の大切(たいせつ)なる所の御/入用(いりよう)ならに夫(それ)に
なんぞや軽々敷/呉服屋(ごふくや)小間物(こまもの)やの買物(かいもの)が多(おゝ)ひ
などゝハ。きよくがないヤアどのつらさげてそのやうなのび
過(すぎ)たるおとがひ叩(たゝ)くサア今一言(いまいちごん)いふて見(み)よ眼(め)にもの
見せんときめつくれバ。夫主(おつとあるし)は顔(かほ)うちあかめこれは
ホンノ商売向(しやうはいむき)の入用かと心得(こゝろへ)まして。女子一/巻(まき)の入用
のことを存(そんし)たれバ。何(なに)に〆高(しめたか)が多(おほ)ひなとゝハ申ません


以来(いらい)ハ急度(きつと)嗜(たしな)んでさやうなことハ。申ませぬと誤(あやま)り入
てぞ居(ゐ)たりけるヤア日頃(ひごろ)馴染(なじみ)の我夫(わかおつと)ゆへ此度(このたび)のことハ
さしゆるすが。重ねて左様(さやう)な心得違(こゝろへちが)ひの過言(くわごん)をぬか
すがさいご呉服(こふく)や小間物屋(こまものや)の是迄(これまで)の買物高(かいものたか)を。
三増倍(さんぞうばい)五そうばいにして。問屋(といや)の払(はらひ)も出来(でき)ぬやう
にするぞと女房(によばう)にしかられて只(たゞ)ヘイ〱と漸々(やう〱)につら
ふくらくボイ〱とぼやく斗(ばかり)がせいさいなり。されハ今時(いまどき)
の女夫(めうと)げんくわするとも迚(とて)も夫(おつと)が女房(によばう)に勝(かつ)ことならす


ふ行儀も
 直?床?に
 腰かけて
   かたから
  おろす涼風の
      手に
     必植園


むかしハ夫(おつと)にしかられて。女房/顔(かほ)をあからめ只(たゞ)うつむいて。
誤(あやま)り入(いつ)て居たりしものなれども今時(いまとき)はハ中々さやう
な事ハ夢(ゆめ)々なし。女房(によばう)にしやべりつゞけにいひこめ
られ。是(これ)を長(なが)に相手(あいて)になつてもはじまらず日間(ひま)の
費(ついへ)るばかりににて埒(らち)の明(あく)事なきゆへに世間一統女夫(せけんいつとうめうと)
喧嘩(けんくわ)の尻(しり)のはては。どうなつとかつ勝手(かつて)にせいといふか
はね也/実(げふ)も世上(せじやう)の女房を山の神(かみ)といひ伝(つた)へし
も此時(このとき)よりぞしられたり

○むかしハ我家来(われけらい)我子(わがこ)に物(もの)を云(いふ)に。どふしや。こふしや
と云(いふ)たものが今(いま)ハ我子や。我家来に。どふしなされ
こふしなされ。どふしておくれ。こうしておくれといふが当世(たうせい)
のことばゆへ我子(わがこ)や家来も。返事(へんし)するのにモウそろ〱
とヲゝ〱といふ返事(へんじ)をするやうになつてゐる也これむ
かしも今ハ大ひなる違(ちが)ひなり
○むかしの浄(じやう)瑠璃(るり)の文句(もんく)にハ夫(おつと)を思(おも)ふ念力(ねんりき)に石(いし)
となつたるためしもありと云(いふ)是(これ)を今の浄(じやう)るりの文句(もんく)


ていはふならバ夫(おつと)を思(おも)ふ念力(ねんりき)に蛸(たこ)になつたるためしも
ありといはねバならず三千/世界(せかい)をたづねても。夫(おつと)といふ
ハたつたひとりと云(いひ)しも今ハ。近所隣(きんじよとなり)をたづねて
も夫(おつと)といふハたつた三人といはねバうつりがわるし。
又/女心(おんなごゝろ)の一すぢに思ひつめたるといふ文句も今(いま)ハそん
律儀(りちぎ)な女は中(なか)々なし。是を当世(たうせい)の文句ていわふなら。
女ごゝろの七筋(なゝすじ)の中(なか)で直打(ねうち)が有(あり)そふな男にしやう
とまよふのも。みんなわたしがかぎゆへじやかんにんしても

下(くだ)さんせと。ぶんやなみだにむせびけると浄瑠璃(しやうるり)をか
たらねバ今時(いまとき)の風(ふう)にハあかぬなり
○むかしハ女の胸(むね)を人に見せぬやうに半(はん)ゑりをかき
あわせたものなれども今ハ緋(ひ)ちりめんの半ゑりをわざ
とうらかへしむねから腹(はら)へおしろいし其白(そのしろ)ひ所(ところ)を見(み)
せて気(き)づかすやうにしかけまたいもじも二布(ふたの)に極(きま)つ
たものにて。元(もと)よりむさきふ不浄(ふじやう)なるものゆへ。すこし
でも人(ひと)に見(み)するハ失礼(しつれい)なりと少(すこし)も人に見せぬやうに


したものなれど今ハ人の眼(め)にたつやうに緋紋縮緬(ひもんちりめん)の
裾(いもし)を出(だ)しかけ足(あし)の白(しろ)ひ所とはいあひのよひ所を人
に見(み)せて。思ひつかすやうの分別(ふんべつ)ばかり。扨(さて)も〳〵今ハ
女の気(き)がみぢかくなつてきて。当世(たうせい)じやといひて
最早(もはや)かんじんの所(ところ)を少(すこ)し出しかけて。歩行(あるく)やうに成(なり)
しなり。物ごと世話(せわ)しなふなんでも急(きふ)な間(ま)に合(あふ)やう
に只(たゞ)はやいことをしやうくハんする時節(じせつ)なり
○むかしの娘(むすめ)の子ハ。嫁入(よめいり)するハ親(おや)しだいのものなれど

おなじくなれバ。よい男(おとこ)が持(もち)たいと思ふは無利(むり)ならね
ども。今の娘(むすめ)はちつと男(おとこ)ハわるふても銀(かね)のある所へ行(ゆき)
たひと思ふなり。男がよふても。男がくハれるものでも
なく。朝(あさ)から晩(はん)まで。男の顔(かほ)ばつかりながめて居(ゐ)ても
ひだるひ時に腹(はら)がふくれるものてもなし。少々(せう〱)男がわる
ふても着(き)るものをたんと拵(こしら)へてくれる男の所へ嫁入(よめいり)
かしたひと思ふ也。其上(そのうへ)にも男(おとこ)がよけれバ。男のよひだ
けハ別物(へつもの)の口銭(くうせん)で。これがほんのふじのもふけものと


思ふ也。爰(こゝ)に去(さ)る方(かた)の娘(むすめ)の子(こ)。嫁入前(よめいりまへ)に母親(はゝおや)がとふ
ていはく。先達(さきだつて)から嫁入口(よめいりぐち)もよつほどいふて。きたけれ
と。あるハいやなり。おもふハならずと。扨(さて)も思ふやうな
ことハとんとなし。最早彼是(もはやかれこれ)といふ内(うち)につい年(とし)がたけ
ると嫁入(よめいり)ごろが過(すぎ)て白歯(しらは)のばゞさまじやのと人がおだ
てる〳〵。又/後妻(ござい)にもやりとむなしモハヤ〳〵娘(むすめ)の子(こ)を持(もて)バ
親(おや)のきつい心遣(こゝろつか)ひなものしたが。此頃(このごろ)いふてきた小間(こま)
物屋(ものや)ハよつほとよい男(おとこ)なれども。ちと薄(うす)ひといふことじや

中人(なかうと)口で薄(うす)ひといふ位(くらい)なれバ。よつほど。やつと薄(うす)からふ
がまた最壱軒(もいつけん)いふてきた所ハ十人/並(なみ)より。ちと悪(わる)ひ
男(おとこ)なれども。かねがらで歴々(れき〱)の筋目家柄(すぢめいへから)じやといふこと
中人口で十人なみよりちと悪(わる)ひといふ位(くらゐ)なれバよつ
ほどわるひ男と思はるゝが縁(えん)のことハ親(おや)のまゝにもならぬ
もの無利(むり)に押付(おしつけ)られぬ程(ほと)にの。そなたの了簡(りやうけん)次第(しだい)
にしやといへバ娘(むすめ)ハ一生(いつしやう)の片付(かたつき)のことなれバ。さしうつむい
て思案顔(しあんがほ)。母親(はゝおや)見て取(とり)。とつくりとしあんしやゝ。せい


てせかんことじやぞやと云(いふ)てたらして尋(たつぬ)れバ。娘(むすめ)も漸々(やう〱)
に顔(かほ)をあげ。了簡(りやうけん)が極(きわま)りましたわひなと聞(きひ)て母親(はゝおや)
ホンニこれしやわしでさへツイ思案(しあん)が極(きわま)りにくゐのに早(はや)
ふよふ了簡(りやうけん)をきわめやつたのふハイわたしや両方(りやうはう)へ
行(ゆき)たふこさり舛ヤアナント嫁入(よめいり)するのに両方(りやうはう)へ行(ゆき)たひ
といふハニアどふいしたことじやぞいのふアノかゝさんの合点(がてん)
の御わるひことわひなア昼(ひる)ハかねがしの所へいて。夜(よ)さ
りハ小間物屋(こまものや)の方(はう)へいかふといふことでござります

わいなアといひし也/扨(さて)も今(いま)の娘(むすめ)の子(こ)ハ油断(ゆたん)のなら
ぬ。むかしと違(ちが)ふて。よつほとかしこひこと也と思ふべし
○右申/聞(きか)すがことく。むかしと今の風義(ふうき)のかハりたる
ことハ雲泥(うんでい)の違(ちか)ひなり。されバむかしの病は律(りち)
義(ぎ)にあつて只(たゞ)一/筋(すじ)なものて有(あり)しに今時(いまとき)の病(やまひ)
はいろ〳〵似(に)せもの多けれハ当世(たうせい)気転(きてん)の療治(りやうぢ)
ならてハ愈(いへ)かたし此理(このことはり)を能弁(よくわきま)ふべしよつて左(さ)に
伝授(でんじゆ)すべし。爰(こゝ)に亦老若(またらうにやく)の容儀(かたき)あれバ療治(りやうぢ)


もまた其容儀(そのようぎ)に応(おう)じておこのふべし。書法(しよほう)に
尽(つく)し伝(つた)へんと欲(ほつ)すれども説解(こうしやく)にいとまあらねハ
爰(こゝ)に老若(らうにやく)の容儀(かたき)を六歌仙(ろくかせん)につらねて顕(あら)
はし述(はんべ)る


当世医者風流解 上終








《題:当世医者風流解 中》











   老人六歌仙
皺(しは)かよるほくろができる腰(こし)かゝむ
 あたまかはげる毛は白ふなる
手ハふるふ足はよろつく
 歯(は)はぬける耳(みゝ)ハ
   きこえず目ハうたふなる
くとふなる気短(きみぢか)ふなる
 愚痴(ぐち)るになる心は
 ひかむ身ハふるふなり

身に何ふハ頭巾ゑりまき
 杖めがね数珠(ずゞ)と温石(おんきやく)
   しゆびん孫(まご)の手
聞たかる死にとむなかるさみしかる
 出しやばりたかる
   世話やきたかる
又してもおなしはなしに子(こ)をほむる
 達者(たつしや)じまん人はいやかる


   美人六歌仙
年よりの傍(そば)ハいやかるけむたがる
 よきことゆへと聞?むなかる
呑(のみ)たかるゆすりきたくる
 喰たかる惚(ほれ)られたかる
   兎角(とかく)したかる
遊(あそ)びたし見へつくりたし
楽したしのらかわき
 たしかねつかひたし

よき事ハとろふて邪魔(じやま)て
 めんどうで小むつかしくていやてならひて
飛あかるほめそやさるゝ
 のりたかるむまひことにハ
  ついおまさりて
いきすきハおやし
   めかすことげいじまん
 あなおしけるか粋(すい)とき人


当世医者風流解 中
  是から気転(きてん)の伝授(でんじゆ)
○先病家(まづびやうち)より丁稚使(でつちつかい)に来(きた)らバ。微笑(にこ)〳〵として
大義(たいぎ)を何遍(なんべん)もいふてかき餅(もち)の二三/枚(まい)もやりたら
しこみ。又/何(なに)なりとも夫相応(それさうをう)の常断(じやうだん)もさすべし。
丁稚(でつち)ハ口の悪(わる)きものなれバ。彼(かの)かき餅(もち)に食付先(くひつきまづ)
此方(このはう)を誉己(ほめをの)が常断(じやうだん)をかくさんため。あの御医者(おいしや)
さんハゑらふ流行(はやり)て大勢(おゝぜい)人がつかへてござりまして。

よつほど待(まつ)て居(ゐ)ましたなどゝ帰(かへ)つていへバ。さほどはや
る医者(いしや)なれバ上手(じやうづ)であらふと思ひ。信仰(しんかう)するもの
なり。扨彼丁稚(さてかのでつち)をたらしこみ。病人(びやうにん)の体(てい)を問家(といか)
内(ない)にて病(やまひ)をなんといふて居(ゐ)るぞと聞置(きゝおき)其後(そのゝち)病(びやう)
家(か)にて以前丁稚(いぜんでつち)の云(いひ)しごとくを。あんばいやう品(しな)を
つけて。見立(みたて)をいへバ病家(びやうか)ハ己(をの)が思ふごとくに星(ほし)を
さゝれ扨(さて)もあの御医者(おいしや)ハよつほど上手じやそうな。
此方(このはう)から容体(ようだい)をいはぬさきに。脉(みやく)ばかりみてくハしう


病症(びやうしやう)を一々/口諚(おつしやる)は恐れ入たることく大に感(かん)する
ものなり
○/又女衆(またおなごしゆ)の使(つかい)なれバ。十/分(ぶん)の愛(あい)をもち。にこつらしく
おまへハ美人(うつくしもの)じやといふ気(き)どりをすれバ。女の心の
裡(うち)にくふハなひものにて。悦(よろこ)ぶもの也。扨(さて)そふ悦(よろこは)して
置(おい)てホンニ御/内(うち)に御病人(ごびやうにん)があれバ。台所(だいどころ)て御まへがた
大体(たいてい)いそがしいことでハあるまひなどゝ口弁(あぶら)をながして。
そろ〳〵と容体(ようだい)といかくれバ。とのやうにこさり舛(ます)。この

やうにこさりま舛などゝ女(おんな)によつてハよふ喋(しやべ)るものなれバ
ついうか〳〵といわして置(おい)て。とくと容体(ようす)を聞置(きゝおく)べし
○又/手代(てだい)など下袴(しもばかま)をつけ来(きた)らバ。茶(ちや)たはこ盆(ぼん)を出(いだ)し。
少(すこ)し間(ひま)を入出向(いれいてむか)ひ。少(すこ)し笑顔(ゑがほ)して。至極(しごく)ていねいにあし
らい。御病人(ごびやうにん)ハどなたで御/座(ざ)り舛シテ何(なに)となされました
と云そろ〳〵問(とい)かけ容体(ようだい)をいふ度毎(たびごと)に微(すこ)しツゝ顔(かほ)を
嚬(しかめ)て夫(それ)ハ御/気(き)の毒(どく)といふ為旨(しうち)をなし。此程(このほど)ハ病家(びやうか)
多(おほ)くて廻(まわ)り繁(しげ)けれども外(ほか)ならぬことゆへ操合(くりあはせ)随分(ずいぶん)


早々御/見舞(みまひ)申べしなど云(いふ)べし
○/夫(それ)から廻(まわ)りの一/段(だん)先(まづ)乗物(のりもの)よりの出端(では)は岡島(おかじま)
屋(や)のごとくに心得(こゝろへ)。容体(ようす)気取(きどり)は芝翫(しくはん)を写(うつ)すべし
しかし取違(とりちがひ)て。芝居(しばゐ)てするやうなあほらしい医者(いしや)の
風(ふう)ハすべからず。兎角(とかく)しかつめらしく。見識(けんしき)ハ高(たか)けれども。
ひしめにして居(ゐ)るといふやうな様子(やうす)に▢てなし面(おもて)柔和(にうわ)
にして至極(しごく)深切(しんせつ)なる体(てい)にて仕打(しうち)をすべし。大病(たいびやう)なり
とも少(すこ)しもおとろかず。薬(くすり)はきかずともくるしからず不調法(ぶちようはふ)

にならざるやうに取廻(とりまわ)りが肝要(かんよう)なり
○扨(さて)病人に対(むかひ)て脉(みやく)を見るにざつと見ず。脉(みやく)の見へん
ことハくるしからず。念(ねん)を入(いれ)て病症(びやうしやう)を考(かんがへ)る体(てい)にて
小首(こくび)を傾(かたむ)け只(たゞ)フン〳〵とばかり口(くち)の裡(うち)で何(なに)やらわけ
の分(わか)らぬ独(ひと)り云(こと)をいふていかにも叮嚀(ていねい)に見れハ。左(さ)も
尤(もつとも)らしくおもハれて病家の思ひ入かよひもの也
○/脉(みやく)を見る時/腕(かいな)の出(だ)しあんばいにて早(はや)見てとるべし。
腕(かいな)上曲(うへそり)なれバ病軽(やまひかる)し。中曲(ちうぞり)なれバ中/位(くらい)。下曲(したそり)なれバ


病重(やまひおも)し。又手の目引(めひき)して病(やまひ)の軽重(けいちう)をもおつとりが
よくしれるもの也
○小児(せうに)なれバ脉(みやく)を見(み)しなに。扨(さて)も〳〵かしこひ子(こ)と
其子をたらし。又/親(おや)の顔(かほ)を見てハ可愛(かあひ)らしい御子(おこ)
でござり舛とのつけに云(いふ)べし。扨(さて)病(やまひ)ハ何(なに)にかぎら
ず元皆(もとみな)胎毒(たいどく)と虫(むし)のわざよりおこりしと云べし
又とんと胎毒とも虫(むし)ともいわれぬ外の病症(びやうしやう)なれ
バ何(なに)なりとも外(ほか)のことをいひ夫(それ)から虫(むし)がさしで舛と

いへばどちらでも間(ま)に合(あ)ふもの也。脉(みやく)をとくと見て
病家(びやうか)にむかひ。御小児(おしやうに)さまハ。おつしやることがわかりま
せぬゆへいたしにくひものなれどそこが療治(りやうぢ)の手際(てぎわ)
と申もの。しかし親御(おやご)さまかたハ。きつい御心遣(おこゝろづか)ひなも
ので御さり舛/随分(ずいぶん)御/気(き)をつけられませバ。御小児の
ことゆへ。ちつと薬(くすり)が廻(まわ)つて御快(おこゝろよい)とぐつと御よろしい
ものでござり舛。しかし余丈(よたけ)のなひものゆへ少(すこ)しの
たべものても。時気(じき)にても。やう当(あた)りますとかく御介抱(ごかいはう)


が第一(だいいち)でござり舛と随分/抜道(ぬけみち)を広(ひろ)ふ明置(あけをく)べし
○婦人(ふじん)なれバ。とれとも血(ち)の道(みち)のことで御ざり舛と云(いふ)
があたりまへなり。兎角(とかく)巡(めぐ)りがよふなけれバ何(なに)になり
ともなつて申/分(ふん)がおこりまず何(なに)ぶんにも御/気(き)をは
らすやうになされませ気(き)がわつさりといたしますと
おのづから御快(おこゝろ)よふなりますもので御さり舛イヤつい
治(なを)して上(あげ)ませふと始終(しじう)精(せい)をつけてハ薬を▢▢
只(たゞ)機嫌(きげん)をとり〳〵療治(りやうぢ)をすれバ。女ハたれに力を

得(え)て薬(くすり)はきかいでも時(とき)によつてハ少しよひことも
あるものなれバ其時(そのとき)には薬がきいたと思ひすこし
胸(むね)がさばけるとぐつと快(こゝろ)よくなるものなり。そこで
あの御医者(おいしや)さんにかゝつてから。ずつと胸(むね)かすいて。いき
たわしみが治(おさま)りしと思ひ。信仰(しんかう)し益し。是薬(これくすり)より
弁口(べんこう)にて半分(はんぶん)の余(よ)も治(おさま)るもの也/産前(さんせん)の療治(りやうぢ)ハ
大体(たいてい)しれたものなれバ。毒(どく)もならず薬もならず
そめいさんだちの薬にて。あへくつてをけバ不調法(ふちうはふ)に


ハならぬものなり。産後(さんご)なれハ血(ち)か荒(あら)ふこさります
ゆえ食物(しよくもつ)の御/毒忌(どくいみ)が大事(だいじ)でござります。又
最(も)一つ御/毒忌(どくいみ)がごさりますと親仁(おやじ)が七十五日を
待(また)ぬを制(せい)する耳(みゝ)こすりを云聞(いひきか)すべし
○/扨額(さてひたい)に青筋(あをすじ)がたち。かん積持(しやくもち)と見ゆれバ。兎(と)
角物毎(かくものごと)忍耐(こたゆる)が第一の御/養生(やうじやう)でござりますと云
て。只何(たゞなに)ごとも気(き)をしづめ辛抱(しんぼう)が大事(だいじ)で御ざると
いへハ家内(かない)の者(もの)が。あの御/医者(いしや)さんハゑらひ上手(じやうづ)じや

名人(めいじん)じやと己(をのれ)が?(しか)しるしを助(たすか)るゆへ悦(よろこ)んで誉(ほむ)るもの也
○/心細(こゝろほそ)く気(き)のつまる性(しやう)なれバ。欝症(うつしやう)が見へ舛。ちと
心安(こゝろやす)ひ方(かた)か東辺(とうへん)へぶら〳〵と御歩行(おあるき)なされて気(き)を
大やりに御/持(もち)なさるがよろしいと云へし
○/大便不通(だいべんふつう)じなれバ。腹(はら)の肉がいれまして。秘結(ひけつ)
いたしますと腹(はら)を押(をし)てコレ此筋(このすじ)が拘(ひき)つりますゆへと
どこなりとも筋(すじ)らしいものをつよく押(をし)て病人(びやうにん)の腹(はら)
をいためると成程(なるほど)そこの所がわるひと思ふもの也


○ごくどうらしき男(をとこ)なれバ積気(しやくき)ハすくのふござれ
ども。兎角湿気(とかくしつけ)か多(おゝ)ふ見へ舛といへバ大方ハ違(ちが)ハ
ぬものなれバ。今の内(うち)にとくと治(なを)しておかねハ。後(のち)にハ大
ことになります。そうならぬ内(うち)に御/養生(やうじやう)なされませ。此(この)
侭(まゝに)して置(をけ)バ後(のち)にハいづれ鼻(はな)か。ちんぼかゞ落(をち)ます落(をち)
てから焼継(やきつぎ)もてきず。とんと取帰(とりかへ)しのならぬもの
ゆへ日々(にち〱)の不自由(ふじゆう)用向(ようむき)の欠(かけ)ることが大体(たいてい)めいわくな
ことでハこさりませんぞへ。御/頼(たのも)なれバ治(なを)して上(あけ)ませふが

どふもこんなことハ此方(このはう)から薬(くすり)をすゝめ舛(ます)ることハいたし
にくひものでござり舛。只(たゞ)御/為(ため)になることのみを存舛(そんします)
ので御ざり舛などゝいひこなすべし
○/嫁(よめ)をとり半年(はんねん)か一年ばかり立(たち)ての病気(びやうき)なれハ
少々(しやう〱)御/不養生(ふやうしやう)にてゆへ動(へり)のきみが見へます。鰻鱺(うなぎ)
鶏卵(たまご)のるいは。よろしいが。慈姑(しこめ)なとハ決(けつし)て御/無用(むよう)ちと
精薬(せいやく)を拵(こしら)へて上(あげ)ませふか。急度(きつと)ましますぜ。しかし
御本人(ごほんにん)の思召(おほしめし)しだいと格別(かくべつ)すゝめずして。病人の


方(はう)からましたれバよひがたく思ハすやうに持(もち)こむべし
○病家(びやうか)は配剤(はいざい)のことを委敷(くわしく)知(し)りたるハ少(すく)なけれ
バ。病性(びやうしやう)に応(おう)じたる療治(りやうぢ)のしやう法組(はふくみ)などハ軍(くん)
書(しよ)で引ことを云聞(いひきか)すが病人(びやうにん)の耳(みゝ)近(ちか)ふてよきも
の也。源平盛衰記(げんぺいせいすいき)か太平記(たいへいき)か太閤記(たいこうき)なりとも
只(たゞ)手前(てまへ)の勝(かつ)手のよき所(ところ)へはめて云聞(いひきか)せバ。なる
程(ほど)至極(しごく)尤(もつとも)なる法組(はふぐみ)見立(みたて)の医案(いあん)上手(じやうづ)らしふ
見ゆるもの也

○/腰(こし)が痛(いたむ)といへバ何(いづ)れこれハ疝(せん)の気味(きみ)あつて後(のち)に
ハうごかぬやうになり舛。いつでも此節(このせつ)が養生(やうしやう)所也
と云(いふ)へし。若(もし)本真(ほんま)の疝気(せんき)なれバ長引(ながびく)ものなれバ
病人(びやうにん)の精(せい)のつきんやう断(ことはり)をいはぬやう云廻(いゝまわ)すべし
○/腕(うで)かいたむといへバ筋(すじ)の拘牽(ひつはり)があり。是(これ)を治(なを)すれ
バいたみは直(ぢき)に止(とま)るなれハ。ちつとも御/気遣(きつかひ)なされな
と受合(うけあ)ふて気(き)を慥(たしか)に思ハすべし
○/長(なが)ふ薬をのまさんと思はゞ普請(ふしん)の引(ひき)ことにて云


聞(きか)せハ分(わか)り安(やす)し。外の医者(いしや)のやうに渡(わた)しぶしんの
やうにて療治(りやうぢ)いたせバ。即功(そくこう)も見へますものなれど
とかくしゆふくが早(はや)ふ廻(まわ)り舛。拙者(せつしや)ハ其様(そのやう)な不実(ふじつ)
意(い)なる療治(りやうぢ)はいたさず入/普請(ぶしん)のやうなる療治(りやうぢ)
の仕方(しかた)ゆへ跡(あと)から手(て)の入(い)る事もなく故(こ)ごとのとんと
出(で)ますことハござりませぬ廻(まわ)り〳〵てハ其方(そのはう)が御/身(み)の
御/為(ため)でござり舛とと兎角(とかく)御為(おため)ごかしにて得心(とくしん)さすべし
○/外(そと)におきせんが出来(でき)て内義(ないぎ)悋気(りんき)深(ふか)ふ見ゆれバ

腹(はら)をとつて見(み)て成(なる)ほど御/腹(はら)に拘急(ひつはり)がござり舛
是(これ)を治(なを)さねバなりませぬ。何(なに)ぶんにも男(をとこ)といふもの
は気(き)の多(おほ)ひものと思ひ。兎角(とかく)御/気(き)を広(ひろ)ふ
御/持(もち)なされませ。おのづから薬の廻(まわ)りもよふござり
舛/折角(せつかく)薬かよふきひても。御/気(き)がせき狭(せま)ひと
やつはり腹(はら)がひつはりてもとへもどり舛と云置(いひを)けバ
治(なを)つてもなをらひても云(いふ)事が違(ちが)ハぬもの也
○/何病(なにやまひ)にても毒忌(どくいみ)の多(おほ)きハ病人のいやがるくせに


医者(いしや)を下手(へた)にするものなれバ。元来治(くはんらいなを)そと思ふ
きがなけれバ大体(たいてい)の毒(どく)ハかまハず。ゆるくて。随分(ずいぶん)
くるしうハなけねどしかしなから用心して。あまり
毒(どく)らしいものハ喰(くわ)ぬにしくハなひと云置(いひをけ)ハ。たとひ
毒(どく)を食(くふ)て当(あた)つても。麁相(そさう)にハならず。治(なを)つた時(とき)にハ
ゑらひ上手(じやうづ)のやうに見ゆる也。そこで為(ため)の善悪(よしあし)をか
まハず兎角(とかく)病人(びやうにん)の気(き)に入るやうに持込(もちこん)でさへ置(をけ)
バ。日(ひ)にちさへ立(たて)ハ薬のまひても治(なを)る病(やまひ)も多(おほ)きもの

なれバ治(なをつ)て時分(じぶん)にハ。あの医者(いしや)はぐつ〳〵と関狭(せきせまふ)
いはず大場(おほば)な療治(りやうぢ)の仕様(しやう)じや流石(さすが)大医(たいい)の学者(がくしや)
じやのとひとり治(なを)つても上手のやうに云(いふ)もの也
○/療治中(りやうぢちう)薬はとんときかず其上/俄(にわか)にわるふ
なること有(あつ)て病家(びやうか)より此頃(このころ)は病人(びやうにん)心持(こゝろもち)すぐれ
ませず何(なに)となふわるふござり舛といふ時(とき)即座(そくざ)に
空(そら)をながめ。何分(なにぶん)此頃(このころ)不順(ふじゆん)でハ。何方(いつかた)でも兎角(とか)
御病人にハやう当(あた)るものでござり舛イヤハヤ此頃(このころ)の時(じ)


候(こう)でハあんばいのよい人てさへ心持(こゝろもち)がわるふござり舛ゆへ。
御/病人(びやうにん)にハ些(ちつと)ヅゝの御/故事(こごと)ハありうちのことでござり
ますと云(いひ)抜(ぬけ)をすべし惣(そうじ)てわるふなる時は時候(じこう)にわ
かすが多(おほ)く入用(いりよう)なり又/熱病(ねつびやう)なれバ熱(ねつ)のさし引と
云抜(いひぬけ)すべし又は痰(たん)のさし引(ひき)其外/積気(しやくき)を呼出(よひだ)し
ましたなとし云もよし。或ハ急(きふ)に悪(わる)ふなる時は急変(きふへん)の
発(おこ)りしと云是(いふこれ)ハ別(べつ)ことなどゝいふて得心(とくしん)さすべし
 附り 病ハとつくりと治(なを)すれとも命の程ハ知らぬと

    古方(こはう)家の云ぬけハ古めかしうて当世の風義に
    あはず近此は前(まへ)かきをいひ廻(まわ)せバとんなしくじ
    りでもぶてうほう下手にはならぬものとしるへし
○/嬾人(ふしやうもの)と見ゆれハ脉体(みやくてい)を見て御間(ひま)を入/得与(とくと)
考(かんが)へ小首(こくび)を度々(たび〲)傾(かたむ)けて。小便(せうべん)か一時に余程(よほと)たんと
通(つう)じませうなと云べし
○かね持(もち)の隠居(いんきよ)なれバ脉体腹(みやくていはら)を見て何(なん)でも虚(きよ)
損(そん)が見へます。此侭(このまゝ)に捨置(すてをか)れますれバ中気(ちうき)になり
舛ヘイ「(先) 夫はいやなことでござり舛アノ浄(しやう)ちる村(むら)の中(ちう)


風(ふ)の灸(きう)はどふでござり舛「(イ)イヤモあれもあれでござり舛
「(先)ヘイアノ烏犀円(うさいゑん)ハどふで御ざり舛ナ「(イ)それハほん中風
に成(なる)てからのことでござりますと。こぼたづにいふべし。
しかし此方の兼用(けんよう)に用(もち)ひられませといへバ。薬がきかず
とも手前(てまへ)のしくじりにならず。若(もし)しくじつた時(とき)ハ。余所(よそ)
の薬(くすり)をそしつて。我/下手(へた)をかくすべし。又/其薬(そのくすり)で
愈(なを)るも此方(このはう)の手柄(てがら)になる也。只今(たゞいま)の内(うち)か御/養生(やうじやう)所
でござり舛といふて長(な)ふ薬(くすり)を用(のむ)るやうに云(いふ)べし

○/気(き)の長(なが)ひゆつたりとした性分(そやうぶん)なれバ。腹脉(はらみやく)とくと
考(かんが)へて。此御/脉体(みやくてい)にてハ物(もの)に御/気(き)のせくことハ御ざり舛
まひ。何(なん)でも余程(よほと)根(ね)の御/丈夫(じやうぶ)な所がござり舛れば
御性分(おしやうぶん)に応じやりた薬を用ひますれバ。御/快気(くはいき)に
疑(うたが)ひハござりませぬといひ。死(し)のと生(いきやう)と夫(それ)にハとんと
貪着(とんぢやく)なく只気(たゞき)を安(やす)ふ丈夫(じやうぶ)に思(おも)ハして。ながふ薬を
のますやうに心得(こゝろへ)べし
○/頭痛(づつう)がすると云(いへ)バ是(これ)ハ元(もと)のぼせより発(おこ)りしことゝ云


べし。又/逆上(のほり)強(つよ)きといへバ?しつき有(あつ)て。足(あし)の踏立(ふみたて)?
とハいたすまじと云(いふ)べし
○/熱(ねつ)の有(ある)なし。問(とは)れし時(とき)。有無分(うむわか)りがたけれバ。熱(ねつ)も
少(すこ)しハあれども。各別(かくへつ)の構(かまい)になる程(ほと)のこともこざりま
すまいとどちらへもつかぬやうに云て返答(へんとう)すべし
○/至(いたつ)てたばこ好(すき)なれバ。折(をり)々目(め)がぐら〳〵といたし
ませふがな。底(そこ)に痰(たん)の有性(あるしやう)にて。是(こあれ)ハ表向(おもてむき)ハよふ見へ
ても内證(ないしやう)の腹(ふく)ぶんがよろしからず。病(やまひ)のおわらぬ内。痰(たん)のむ

すぼれぬ内(うち)に御/養生(やうじやう)をなさつておかれねバ。末々(すへ〲)の御/為(ため)
がよふござりますまい。しかしかやうに申せバ。とふゆう薬(くすり)を
すゝめ舛やうにござれども。今より末(すへ)ハ長(なが)ひことゆへにけん
さきの杖(つえ)と申ことも。兎(と)につけ角(かく)につけ。御/身程(みほど)大/切(せつ)な
ものハござりませぬ。譬(たとへ)材宝(さいほう)数多(あまた)積置(つみをく)とも。五体(からだ)
を失(うしな)ふてハ。何(なん)の益(やく)にも立(たゝ)ぬものでござります古人(こじん)
も愚/人(にん)ハ身命(しんめい)を捨(すて)て金銀(きん〲)を貪(むさぼ)るとのたまふ
也。かやうに申も。前々(まへ〱)より御/馴染(なじみ)深(ふか)ひゆへ真実(しんしつ)に存(そん)じ


ますゆへのことでござり舛。真実(しんじつ)を人に教(をしへ)て足(た)らざ
ることなしと聖人(せいしん)ものたまハく。聖賢(せいけん)の跡(あと)をしたひ
て申/事(こと)でござるなどゝ云聞(いひきか)せバ。律義(りちぎ)な病人(びやうにん)ハ
実(まこと)に請(うけ)て。もし重(おも)つてからハ大ひにこまりますどふ
ぞおわらんやうにして。早(はや)ふ治(なを)る御薬を御/頼(たのみ)申舛と
いふてなんでもなひ纔(わづか)たばこ好(ずき)ぐらゐなことでも。持込(もちこみ)
やう云様(いひやう)によつて大病(たいびやう)になる下地(したぢ)のやうに思(おも)はし薬
をのますべし

○/至(いたつ)てむつかしき九死一生(きうしいつしやう)の大病(たいひやう)人/始(はしめ)て見るにハ。脉(みやく)
体(てい)腹(はら)手(て)足(あし)爪(つめ)惣身(そうしん)の肉(にく)まで得与(とくと)念(ねん)を入(いれ)至極(しごく)叮(てい)
嚀(ねい)に容体(やうたい)を窺(うかゝ)ふべし。眉(まゆ)を嚬(ひそめ)て只(たゝ)フウ〳〵と
いひ口(くち)の内にて独云(ひとりこと)をいふて薬箱(くすりはこ)へ手(て)をかけず
顔(かほ)をしかめ小首(こくひ)をかたむけじつとして見合(みあわせ)居(ゐる)へし。其(その)
時病家ハかたすを呑(のん)で心配(しんはい)をして。下地(したぢ)の医者(いしや)の薬(くすり)
を持(もち)出(いで)是(これ)御/覧(らん)なされて下されませと差(さし)いだす。これを
見(み)て少(sすこ)し首傾(くひかたむ)け。思案(しあん)も有体(ありてい)にて。下地(したぢ)の薬(くすり)を見て


こほたず随分(ずいぶん)如才(ぢよさい)のない尤(もつとも)なる薬でござる。やはり先(まづ)
此薬を用(もちひ)て御らふじませといふべし。下地(したぢ)の薬(くすり)でやう
なひゆへ頼(たのみ)し医者(いしや)なれば。左様(さやふ)なら下地の薬用ひま
せふといはぬことハしれた事なれば。大きな場(ば)で。下地の
薬も随分(ずいぶん)無利(むり)ならぬ配剤(はいざい)なといふてばかり居(ゐ)れバ。
「下地の薬てもおもハしう御座りませず何卒(なにとぞ)あなた
様の思召(おぼしめし)にて御/調合(ちやうがふ)下されませと相願(あいねが)ふ。そふ願(ねが)ハし
てからでなけれバ。若(もし)受取(うけとつ)てしくじりにならぬ為(ため)なり。

左様(さやう)に拙者(せつしや)に御/頼(たのみ)のことなれバ。よぎなく調合(ちやうがふ)いたしま
せふが甚(はなはだ)以(もつ)てむつかしいじやテイ何分(なにぶん)此暑(このしよ)でハ先土用(まづどよう)
を御こしなされたら御/取続(とりつゞき)もできませふが。然(しか)れども俄(にわか)に
此痰(このたん)といふものがいふもむつかしいもので。何時(なんとき)すつと差(さし)
発(おこつ)てことやらしれぬ。なれども少(すこ)しでも御/食事(しよくじ)かまし
たらまんざら案(あん)じられたものても御さり舛まい。平生好(へいせいすき)
なものでも此節(このせつ)ハいけぬものじやが。先常々(まづつね〲)このまれま
す物でも又はとつけもなひものがよふ納(おさま)ることもあるもの


なれバ色々(いろ〱)と手(て)をかへ品(しな)をかへて御/食事(しよくじ)を上(あげ)られませ。
何分(なにぶん)薬よりハ食事(しよくじ)がかんじんで御ざり舛/寿命(じゆみやう)さへあれバ
命(いのち)に別条(べつじやう)もござりますまい病(やまひ)と寿命(じゆみやう)とハ別(べつ)なもの
てござる先(まづ)調合(ちやうがふ)の薬あげて御らふしませ。扨々(さて〱)御/大病(たいびやう)
て甚(はなはだ)むつかしい。とかく御/介抱(かいはう)が第(だい)一で御ざりますなどゝ
同し言葉(ことば)を品(しな)を替(かへ)。至極(しごく)深切(しんせつ)らしく遣(つか)ふべし。病家(びやうか)
ハ大事(だいじ)の病人(びやうにん)に気(き)をとられ心遣(こゝろづか)ひの中(なか)なれバ。医者(いしや)が
尤(もつとも)らしい顔付(かほつき)て同しやうなしれたことを。あちらへぬらり

こちらへぬらりとした前置(まへをき)をいふてもとんと気(き)のつ
かぬもの也。扨(さて)一両日二三日も見舞(みまひ)ても。御/影(かげ)てと云声(いふこゑ)
がかゝらねハ。やがて病家(びやうか)より断(ことはり)を云(いふ)へし。其断(そのことはり)をいはぬ
先(さき)に。此方(このはう)から。又/余人(よじん)にても見(み)せて御らふじませといへバ。
却(かへつ)て信仰(しんかう)もましてやはりあなた様(さま)の御/苦労様(くろうさま)に預(あづか)り
たふござりますれども。余人(よじん)にてもと仰(おほせ)られますからハ
とふもいけんとの思召(おぼしめし)で御さりますかなイヤ〳〵さやうでハなけ
れどもホンニそこが用心と申もので。かやうに申もものを


大事(だいじ)に存(そんし)ますからのことで御さり舛といふもとかく引導(いんたう)
を次(つぎ)の医者(いしや)に譲(ゆづ)る工面(くめん)にて。そろ〳〵と逃尻(にけじり)をいふハ。
病家(びやうか)もせんど評義(へうぎ)の上替(うへかへ)たる医者(いしや)のことなれバ。せん
かたなく。さやうなれバ。あなた様(さま)の思召(おほしめし)の御/医者様(いしやさま)でも
御/差図(さしづ)下せれませといふ。其時兼(そのときかね)て大医(たいい)の組下(くみした)と
なり置(をき)。フウ差図(さしづ)と申せバ先当寺(まづたうじ)流行(りうこう)の大医(たいい)。
勇摺(ゆすり)弁口(べんこう)へ見せて御らふじませ。拙者(せつしや)が申たといふて。
使(つかひ)をやられませねバ。此節(このせつ)病家(びやうか)数(かず)おほくゆへ参(まい)ら

ぬやうもしれませぬ。必々(かならす〲)御/忘(わす)れなく拙者(せつしや)が差図(さしづ)と申
て呼(よび)に御やりなされませ何時(なんどき)なりとも立会(たちあい)まして評義(へうぎ)
に及(およ)んであげませふと深切(しんせつ)らしくいふて。跡(あと)をとる工面(くめん)
か第(だい)一なり。扨(さて)勇摺(ゆすり)弁口(へんこう)見舞(みまひ)の節(せつ)気転(きてん)頓作(とんさく)の
薬を見て。扨も〳〵頓作(とんさく)の配剤(はいさい)何(なに)も角(か)も能(よく)行届(ゆきとゞ)
ひたる尤(もつとも)至極(しこく)の療治(りやうぢ)なりと誉(ほむる)も。兼(かね)て云合(いひあわせ)ある仲(なか)
間(ま)なり。同類(どうるい)なれバ相互(あいたかひ)に医者(いしや)の楽屋(がくや)ハ人の知(し)ら
ぬか秘事(ひじ)なりと知るべし


○/娘(むすめ)の子(こ)の病人(びやうにん)なれバ。微笑(にこ)〳〵と笑顔(ゑかほ)して容体(ようだい)を
聞(きゝ)脉体(みやくてい)を見(み)て。扨(さて)もいじの悪(わる)ひもので御生質(おうまれつき)の
よひうつくしい御/子(こ)ハ。兎角(とかく)およハふて。なりませぬなどゝ
みす〳〵しれたあぶらてもまんざら腹(はら)の立やうにしなけ
れハ娘(むすめ)の子も母親(はゝおや)もアリマアおつしやることハひなア此方(このはう)
の娘(むすめ)はよつほどふきりやうなくせによわふござりまし
てこまつて居(ゐ)ますと云(いふ)て。やつはり娘も母親も心の
裡(うち)でハうれしい気味(きみ)なり。そこで御/気(き)つかひなされ

ますなツイ治(なを)して御あけ申ましよ。しかしちと岡島(おかしま)
屋ても見に御いでなされませ。御/気(き)ばらしに宜(よろ)しう
御ざり舛。芝居(しばゐ)もよろしいが。また野(の)かけもよいもの
でござり舛。実(じつ)は薬(くすり)よりハそんなことがよふきゝ
ますものジヤホンニ琴三弦(ことさみせん)ハ御/嫌(きらひ)でハこざりませぬか
ナ人にひかせて御/聞(きゝ)なされてもよろしうござります。
御/食事(しよくし)にとんと御/毒忌(どくいみ)にハ及(および)ませぬ。何(なに)なりとも
御/好(すき)なものをあかりませと。きけんとり〴〵容体(ようたい)を聞(きゝ)


其口(そのくち)について手(て)をかへ品(しな)を替(かへ)上手をいふてとて
病人(びやうにん)の為(ため)にわるふても。気(き)に入(い)るやうに持(もち)こめバ。扨(さて)
もマアあの御/医者(いしや)さんハ。何(なに)もならぬ角(か)ハならぬのと
おつしやらず高(たか)ぶらずして。やハらかで其(その)くせいや
みのないすつぱりとした薬もとんとうらぬホンニ能(よい)
御/医者(いしや)さんジヤなひかいナなどゝ評判(ひやうばん)して。ひいきが
つき馴染(なじみ)も重(かさな)り。其内にハつい義利(ぎり)か加々り
ツイうか〳〵ときゝもせぬ薬を長(なが)ふ呑(のむ)もの也。

○腫物(しやもつ)が多(おほ)き性分(しやうぶん)と見ゆれバ。是則(これすなはち)小児(せうに)の時(とき)
の胎毒(たいどく)也。大人(おとな)となりて湿気(しつけ)を催(もよへ)す也。酒(さけ)を過(すご)し
肉食(にくしよく)を好(この)み。身持不養生(みもちふやうじやう)する時ハ。何連/鼻(はな)か
陰茎(ちんほ)か落(をち)ずにハおかん程(ほと)にとんと今の内/実々(じつ〲)
養生(ようじやう)所ジヤなんどゝたらしたり又/威(をと)したりして長(なが)ふ
薬を呑(のま)し。纔(わづか)の腫物(しやもつ)気位(けくらゐ)なることを重(おも)く云(いふ)て
本真(ほんま)の湿病(しつやみ)と仕立(したて)上(あく)るが上手(じやうづ)なりと知(し)るべし
○/日々(にち〱)病人(びやうにん)を見る内/一寸(つよと)でも御/蔭(かけ)でどこかようなり


ましたとか。爰(こゝ)がよいとか御/蔭(かけ)と声(こゑ)がかゝりし時ハ先
してやつたりと思ひ安堵(あんど)すべし。夫(それ)ハよい筈(はづ)ジヤト云
会釈(ゑしやく)にて。其時(そのとき)はちと世間咄(せけんはな)し。芝居(しばゐ)ばなしなど
あしらふてもよし。まだ御/蔭(かげ)と声(こゑ)なきうちハ決(けつ)して
長尻(なかじり)長咄(なかはなし)など致(いたす)べからず。とんと御/蔭(かげ)の声(こゑ)もなく
只(たゞ)同(とう)へん〳〵とばかりの声(こゑ)多(おほ)けれハ。是/則(すなはち)断(ことはり)まへ
と悟(さと)るべし。其時(そのとき)何角(なにか)に気(き)を付(つけ)最暫(もしはら)くすれバ
全快(ぜんくわい)するといふ気取(きどり)をして逃道(にげみち)も考(かんか)へ明置(あけをく)べし

○/夫々(それ〱)病家(びやうか)先断(さきことはり)をいわさず。弁口(へんこう)にて持直(もちなを)し。
長(なが)ふ引(ひつ)はる秘法(ひはう)あり後日(ごにち)伝授(でんじゆ)すべし後編(こうへん)を待(まち)ゐへ
○風治(かせなを)り口(くち)最早(もはや)月代(さかやき)そつてもくるしうござりません
かなと問(とわれ)し時(とき)熱(ねつ)の有(ある)なしも分(わか)りかたけれバ。定(さた)めて
もはや御頭(おつむり)かかゆふむしや〳〵といたしませふがなといへバ
ハイもはや月代(さかやき)がそりとふてなりませぬヘイさやうなれバ
御てりなされても苦(くる)しうござり舛まいと病人の気(き)の
つかざるやうに言葉(ことば)をにごして。しかし最(も)一両日御/見合(みあわせ)


なさるにしくハないヘイもう風呂(ふろ)は大/事(し)御/座(ざ)りませ
ぬかと問(とふ)さやうに何(なに)も角(か)も一時にハよろしう御/座(ざ)り
ますまひ。一ツ宛(ヅゝ)になされませ。御/当(あた)りなされて今度(こんと)
の引(ひき)かへしハ。むつかしう御ざり舛/跡(あと)て取(とり)かへしがなり
ませぬ風呂(ふろ)も最一両日御見合なさるにしくハ御座
りませぬと云(いふ)べし。何分(なにぶん)しくハない〳〵の言葉は医者
の秘密(ひみつ)の言葉(ことば)遣(つか)ひなりと知(し)るべし
 附り 都て髪月代(かみさかやき)などを問(とふ)時分(じぶん)にハ最早(もはや)よい時分(じぶん)也

    されとも夫(それ)からいつでも最一両日と云置(いひぽけ)ハたとへかま
    わす月代ふろにあたつても。あたらいでも不調法(ふちうほう)下(へ)
    手(た)にもならす。其間ハ薬も売るなれバもはや髪(かみ)
    月代して風呂へ入て気分(きぶん)かよふなると。うまふも
    なひ薬をかね出(だ)して呑(のむ)ものもなけれバ。とかく髪(かみ)
    月代ほろなどハ一日でも引はるかよき也
○/我(われ)薮医(やぶい)なるとも。病家(びやうか)先(さき)にて大医(たいい)に出会(いであふ)
ことあり其時/微(すこし)もおめ憚(はばか)ることなく我座(わがざ)を動(うご)かず
拙者(せつしや)先達(せんたつ)てよりの配剤(はいざい)ハかやう〳〵と少しも臆(おく)せ
ず述(のべ)るなり。大医(たいい)これを聞(きゝ)病性(びやうしやう)にあたらざる無(む)


茶(ちや)法組(はふくみ)なれバ。是(この)法組(はふぐみ)ハ古方(こはう)後世(こうせい)にてもなし何(いづ)れ
の法(はふ)に出(いで)し方組(はふぐみ)なる哉(や)と問(とい)。其時/答(こたへ)て云(いふ)ハ。拙者(せつしや)ハ
古法(こはふ)後世(こうせい)にあらず一味(いちみ)配剤(はいざい)にして与(よ)が家(いへ)一子(いつし)
相伝(さうでん)の法(はふ)也と云抜(いひぬけ)すべし。されども理(り)にも法(はふ)にも
とんとあたらさる配剤(はいさい)ゆへ。大医(たいい)と争論(そうろん)に及(および)し時ハ
何(なに)なりとも出たれめに云(いふ)べし。非学者論(ひがくしやろん)にまけずと
利(り)を飛(ひ)に曲(まげ)非(ひ)を理(り)にまげて云勝(いひかつ)べし。必(かなら)ず云負(いひまく)
べからず。大医(たいい)に薮医(やぶい)か出会(てあへ)バ実(まこと)に一文(いちもん)の黒砂糖(くろさとう)を

十に割(わつ)たごとく。猫(ねこ)に追(おわ)れし鼠(ねつみ)のごとく左(さ)も見すぼら
しきものにて一向(いつこう)直打(ねうち)がなひと云(いふ)ばかりにて。おとな
しいの人柄(ひとがら)じやのとハいはじ。只(たゞ)笑(わら)われる而己(ばかり)のみにて
誉(ほめ)る人ハ一人(ひとり)もなひものなれバ。とんと掾(えん)の下(した)の舞(まひ)と
いふものなれバ。何(なん)の無益(むゑき)の費(ついへ)のかいなり。譬(たと)へ無利(むり)
ともせよ勝(かつ)たり勝(かち)じやと思ひ。我(われ)ハ薮医(やぶい)なれハ負(まけ)
ても恥(はぢ)にならず。大医(たいい)ハ勝て勝(かつ)はづ手柄(てがら)にならず負(まけ)
てハ恥(はぢ)なれバ。七分のよわみあり。されハ薮医(やぶい)少(すこ)しもひ


げするに及ばす病家ハ医者(いしや)のことハしらざれば云(いひ)
勝(かつ)た医者(いしや)の方(はう)がどふやう学力(がくりき)か有(あ)やうに思ふもの
なり。とのやうに薮医(やぶい)が大医(たいい)を云(いひ)こめても医者(いしや)が
滅多(めつた)に病家(びやうか)先(さき)にて胸(むな)ぐらとり天窓(あたま)を張(はり)あふ
ほどの喧嘩(けんくわ)ハせぬものなれバ少しも気遣(きつか)ひに思ふべ
からず。よしつかみあふことありとも病家がじつと
して取(とり)さへずにハおかぬもの也と知(し)るべし
○/療治中(りやうぢちう)にしくぢりし時(とき)の云抜(いひぬけ)やうハ何事(なにこと)によら

ず時候(しこう)にこかして仕舞(しまふ)べし。又/熱(ねつ)のさし引(ひき)発(おこり)さめ
熱(ねつ)の往来(わうらい)又ハ痰(たん)のさし引(ひき)にて積気(しやくき)を呼出(よひた)す。或(あるいは)
不時(ふじ)の急変(きふへん)などゝいふ其余(そのよ)は是(これ)に順(じゆん)じて手
を替(かへ)品(しな)をかへ臨気(りんき)応変(おうへん)時(とき)々の見斗(みはから)ひにて
云ぬけすべし
○/容体(ようだい)言葉(ことば)つかひのことハ。何を云(いふ)てもヱヽ成程(なるほど)
〳〵と云。又/何病(なにやまひ)何性(なにしやう)にても或ハりうゐんの気(け)
が見へる。積気(しやくき)の気(け)が見へる。痰(たん)の気(け)がありと


何(なん)でもけがあることさへ云置(いひをけ)ハ手にはりよきものなり。
此けの字(じ)を忘(わす)るべからず。又/何(なに)をいふてもさやうじや
〳〵もぬめた言葉(ことば)にてよきものなり。前(まへ)にもいふ
ごとく。しくハなひ。しかれども。されとも。さりながら。又
何(なに)をいふても。そのはづのこと〳〵右/大様(たいやう)是らのるいハ
いづれの所(ところ)へ遣(つか)ふてもよし。又御ざり舛といふことハ
極(きわま)りし時(とき)つかふこと葉(は)なれバもし違(ちが)ひたる時いひ
ぬけしがたし。よつて。御座(ござ)りましよ。といひ置(をけ)バ極(きわ)

まらざることばゆへどちらへうけても云抜(いひぬけ)がし安(やす)し。
どふで御/座(ざ)りまシヨウこうで御ざりまシヨウ此シヨウ〳〵
ハいづれの所(ところ)へ遣(つか)ふても。ことり〳〵と能(よく)はまること
葉(ば)つかひと知(し)るべし



当世医者風流解 中 終

裏表紙








当世医者風流解 下











当世医者風流解 下
○/病人(びやうにん)ハ基(もと)より病家(びやうか)の介抱人(かひほうにん)召遣(めしつか)ひの子(こ)もの
に至まで。よく気(き)ふくをさゝねバ何(なに)ほど名医(めいい)なり
とも信仰(しんかう)して呼(よび)にこねバ病(やまひ)を治(なを)すも不能(あたわす)。先(まづ)
病人(びやうにん)ハもとより傍廻(はたまわ)りハ大事(だいじ)なり。既(すて)に聖人(せいじん)の曰(いはく)
乳母(うば)せしめんとほつすれバ。先(まづ)其子(そのこ)を能(よく)愛(あい)するべし
しかして後(のち)交合(こうかう)にも及(をよ)ふといへりされバ。病(やまひ)を愈(なを)
すには病家(びやうが)の傍廻(はたまわ)り病人/介抱(かいほう)までまでの気(き)に

いらねバ療治(りやうぢ)はしがたし其気(そのき)に入(いり)やうハ大体(たいたい)左(さ)に顕(あらは)
すなり。但(たゞ)し薬(くすり)にあぶらハ忌(いみ)ものなれども病家(びやうか)に
は少(すこ)しヅゝにても。油(あぶら)を用ひねバならぬものと知(し)るべし
しかし其油(そのあふら)の製法(せいはう)配剤(はいざい)調合(ちやうがふ)の用ひやう法組(はうくみ)ハ。
至て密事(みつし)口伝(くてん)の法(はう)なれども汝(なんし)に伝(つた)へ申べし謹(つゝしん)
で相伝(さうでん)を受(うく)べし
   気転頓作先生(きてんとんさくせんせい)秘伝油(ひてんあぶら)の製方(せいはう)
○かんしやく持(もち)なれバ。御/気(き)の真直(まつすぐ)な少(すこ)しでもいかんだ


ことの御嫌(おきら)ひな御/性分(しやうぶん)。扨(さて)も〳〵けつかうな御ことで御(ご)
さり舛。我々(われ〱)ハ兎角(とかく)に物(もの)ことを。やりなぐり舛(ます)。とかく
あなたを見習(みなら)ひませねバなりませぬなとゝほめそや
すべし
○/取締(とりしまり)のなひ大風(おゝかぜ)に灰(はい)といふ人なれバ。扨々(さて〱)御気の
さつはりとした。とんと気(き)のをけぬ物(もの)ごとにしら着(ぢやく)
せぬ。胸(むね)の広(ひろ)ひ。我々(われ〱)のやうな愚(ぐ)まいものハ。些(ちと)にや
かりもので御ざり舛。扨(さて)もまい御/気性(きしやう)ジヤト云べし

○しわんぼうなれバ御きまりのよひ御/篤実(とくじつ)な御/生質(むまれつき)シヤ
とてに今(いま)ハけんやくをせねバなりませぬ。あなたハ醤油(しやうゆ)
ハ何(なん)ぼて御/取(とり)なさります。油はとこで御/買(かい)なされます此(この)
間(あいた)此方(このほう)は。割木(わりき)をなんぼで買(かい)ましたが。よつほど安(やすふ)
御/座(ざ)り舛。大きに徳用(とくよう)なものでござり舛。ちいと
何角(なにか)に気(き)をつけて倹約(けんやく)いたし舛と。大きな違(ちが)ひ
なもので御さり舛などゝ云(いひ)。とかくあなた様(さま)のやうに
きまりますと身上(しんしやう)のためにハ宜(よろ)しうござり舛などゝ


しわひことばかりをいはねバ馬(むま)が早ハぬものと思ひ始末(しまつ)
けんやくするを誉(ほめ)そやすべし
○/銭遣(ぜにづか)ひのあらひ性分(しやうぶん)なれバ。御/気(き)が広(ひら)ふてゑらひ
切(きれ)れ手(て)ジヤゑらひきれものじや。ゑらひすつはりものじや。
なんでもしやん〳〵と早(はや)ふ埒(らち)を明(あけ)る御方(おかた)ひや。何(なに)ことでも
よふものに御/気(き)のつくよい御/方(かた)じや。扨(さて)も〳〵気(き)の大(おゝ)
きなゑらひものとほむるべし
○ごくどうなれバ扨(さて)もよふ人なれてやハらかな何(なに)をいふ

いふてもとんと腹(はら)も立(たて)ず。よふなれたものじや。なんでも
よつほど元手(もとで)の入つてある御方(おかた)。そふしてゑらひ粋(すひ)じや。
真(ま)ことに真綿(まわた)か羽二重肌(はふたへはた)じやなとゝ誉(ほめ)そやすべし
   但しごくどうのくせにゑらひかんしやくもちで。其くせ
   にゑらひ。へんくつものもあるものなり。是ハ格別(かくべつ)の
   沙汰(さた)一向/論(ろん)なしといふもの也
○/女子(によし)は生(うま)れつきのよきもあり。あしきもありさま〴〵
なれども顔(かほ)の内(うち)に眼元(めもと)が可愛(かあひ)らしか。鼻(はな)すぢが
よふ通(とを)りしとか。色(いろ)が白(しろ)ひとか何(なに)なるともとり所(ところ)が


あるものなれバ其中(そのなか)にていつちのよき所をさして
アノおまへさんのやうな。目(め)もとの可愛(かあい)らしいおかたは。
めづらしい。めつたにあるものでハないなどゝいふて誉(ほむ)るべし
既(すで)に聖人(せいじん)も悪(あく)をこらさず。善(ぜん)をあげよと。のた
まふ也。されども又/一向取(いつかうとり)どころもなひ。実(まこと)の本直打(ほんねうち)
なしと云(いふ)女子(おなご)なれバどこやらに。思ひ入(いれ)が有(あつ)ていふに
いわれん所(ところ)がうまさうで。好味(こうみ)のありそふな御/方(かた)
じやと云(いふ)てほむるべし

○/本土気(ほんつちけ)といふわろつなれバ。へつらひなしに正直(しやうじき)そう
でとんとつくらひけのなひ。本(ほん)うぶといふむつちり
うまそうなよひ御方(おかた)ジヤと云(いふ)て誉(ほむ)るべし
○/中品(ちうひん)の人の自慢咄(じまんはな)しの好(すき)なる人なれバ其大(そのだい)を
いふを得(とく)と聞(きゝ)。ヘイ〱とばかりの返事(へんじ)でハ興(けう)かなし。
是ハけしからぬ御事で御さり舛コレハきよふとひおこと
で御さります。扨(さて)も〳〵あきれ入ました事(こと)で御ざり舛
などゝいふべし


○/上品(じやうひん)の人の自慢咄(じまんはな)しの返事(へんし)にハコレハ ハヤあきれ
入ましたコレハ ハヤ中々(なか〱)もつて恐(おそ)れ入ましたおことでござ
りますイヤハヤ〱さやうな義(ぎ)を承(うけたまは)りますと感心(かんしん)いた
します。中々/以(もつ)て万人(まんにん)に勝(すぐ)れた御事でござり舛
といふて誉(ほむ)るべし
○/下品(げひん)の人の自慢咄(じまんはな)しの返事(へんし)にハ貴様(きさま)ハなんで
もよふ埒明(らちあけ)る一向玉(いつかうたま)しや面屋(めんや)の火事(くはじ)とやらで顔(かほ)
役(やく)じや扨(さて)もマアゑらひ顔(かほ)なものじやナアといふて誉(ほむる)

べし
○/男自慢(おとこしまん)の人なれバ。おまへハとふおもふてかしらね
ども。娘(むすめ)にもせよ。女子衆(おなごしゆ)にもせよ。女房(によぼう)後家(ごけ)尼(あま)にも
せよ。一体(いつたひ)おなごのすく風(ふう)じや。何(なん)でも女子(おなご)の風上(かさかみ)
にハとんと置(をけ)ぬ御/人(ひと)じや。何分(なにぶん)女子(おなこ)すかるゝといふは
一ぶんの御/徳(とく)じや。どふぞ。わたしらもあやかりたひもの
でござり舛といふてほむるべし
 附り 余(あま)りほめ過(すく)れバへつらひのやうにもあれど。どんな


    遍屈(へんくつ)ものでもほめられてゑらふおこる人もなひもの
    也/当世(たうせひ)は真(ま)ことなこと云(いふ)てハ人の気(き)にいらず
    みす〳〵しれたあぶらでもながせバうけのよひ時節(じせつ)
    なり其(その)いはれをたとへをもつて左(さ)に述知(のへし)らすべし
○/爰(こゝ)に去(さ)る方(かた)の女房(によほう)当年(たうねん)五/才(さい)になる児(こ)をつれ。
知(し)るべの方(かた)へ些用事(ちとようじ)ありて行(ゆき)しに。先方(さきかた)の女房(によほう)
出(で)むかひ。コレハ〳〵よふまあ御出(おいで)なされました。まづ〴〵是(これ)へ
御/通(とを)りなされませと。其言葉(そのことば)につれて一間(ひとま)へとをり。
先此間(まづこのあいだ)は打絶(うちたへ)まして御/目(め)にかゝりませぬ。時分柄殊(じぶんがらこと)

の外(ほか)寒(さむ)さにむかひまして御ざり舛。いよ〳〵どなた様にも
御揃(おそろ)ひ遊(あそ)バしめでたふ存(そんし)ますわたくしも兼々(かね〲)ちと〳〵。
御見舞(おみまひ)も申上舛(もうしあげます)はつながら。何角(なにか)と用事(ようし)に取紛(とりまきれ)
まして。其上(そのうへ)子供(こども)ハ大勢(おゝぜい)になりまし。手(て)が引(ひけ)まして。
何(なに)となふ。世話(せわ)しう。暮(くら)しまして。存(そん)じながら御不沙汰(ごぶさた)
いたします。其段(そのたん)御ゆるし下(くだ)されませと。物(もの)こしのしとやか
にあいさつを述(のべ)けれハ。先(さき)の女房(によぼう)これハ〳〵御心(ごしん)もしに
思召(おほしめし)よふこそマア御出下(おいでくだ)されましたわたくし方(かた)より


御たづね申ますはづで御座(ござ)りますれど。此方(このほう)の人も
此(この)ごろ有(あり)やうハ商用(ばいよう)を云立(いひたて)にして。東辺(とうへん)へしこうれ
まして。夜(よ)どまり日留りとんと内(うち)でハ寝(ね)られませぬ
ゆへ。どつちも得出(えで)ませず御ぶさたがちに御座(ござ)り舛。
其(その)だん御ゆるし下されませ。又/夫(それ)ばかりのことなれバ。
かまひませねども外(そと)にまたおきせん口が出来(でき)まして
こまり入ており舛。ソレハ〳〵マアしかしどうでとの達(たち)の
ことゆへ。些(ちつと)ヅゝのことハあり内(うち)で御座り舛ソウ口淀(おつしやる)ゆへ

御/咄(はな)し申ますが必外(かならすほか)へ御/咄(はな)しハ御/無用(むよう)で御座り舛か
此方(このはう)の人は東辺(とうへん)へハ参(まい)られませぬが。とかく内(うち)の女衆(おなこしゆ)
をやうつまみ食(ぐひ)をいたされます。是(これ)ハ東辺(とうへん)へこつたり
外(そと)のおきせんよりもいつちわるひことて御座り舛モウ〳〵
大ていごうのわいたものじやござりませぬ。内(うち)が乱(みだり)になり
まして店(みせ)のものゝ制(せい)等が出来(でき)ませぬ。此節(このせつ)せんだく
ものかつかへてござり舛(ます)やら。漬(つけ)もの時分(じぶん)で。こうこのお
だい。くもじのかぶらも松か崎(さき)からも。吉田(よしだ)からも来(き)て


ござり舛れども。腹(はら)が立(たち)ますゆへ小屋につんで其侭(そのまゝ)に
してほつたらかして御さり舛(ます)。わたしもごうがわきましてナ
捨(すて)ぶち打(うち)ます気(き)になりまして廻(まわ)り〳〵てハやつはり内(うち)の
損(そん)でこさり舛。此方(このほう)の人もそんなことにねつから気(き)が付(つき)
ませぬ。此方(このほう)の人と一ツになる様(やう)な女子衆(おなこしゆ)は出替(でかわ)り前(まへ)
なら最暫(もしば)らくのことじやと思ふて辛抱(しんぼう)して。出替(でかわ)り
には出(だ)して仕舞(しまひ)ますけれど出替(でかわり)までよつほど間(あいだ)が
御ざりますれバ。中途(ちうと)でもかまハず。とつとゝ出し舛(ます)けれど




ついしやうを
ながす
  あぶらの
 ぬる〳〵と
  口にまかせて


うわ
 すべり
  する

  くだ巻

世間(せけん)からハそんなことゝハしらず。あこの御/内義(ないぎ)ハ人/遣(つか)ひがわ
るふて女子衆(おなこしゆ)が半季(はんき)またずに中途(ちうと)から隙(ひま)とつていぬ
げると近所(きんしよ)から評判(ひやうばん)をうけましていとふもなひ腹(はら)さぐ
られて。きつい迷惑(めいわく)なハわたしで御ざり舛。女子衆がよそで
出替(てかわ)り養夫入(やぶいり)いたしますといつでも此方へ参(まい)りますもの
で御ざり舛。けれどわけのわるひことの有(あつ)た女子衆(おなごしゆ)ハ ヨウ
したものでござり舛あしの裏(うら)の生疵(なまきづ)て覚(おぼ)へがあるのハ
こなとハ申ませねどヤウ此方(このはう)へハ参りませぬ。やういたした


ものてご座(さ)り舛又そんな事のなひのハ。出替(てかわ)り薮入(やぶいり)
ごとには。きつし〳〵参(まい)ります。あなたのハ外(そと)でのことで
よろしう御ざり舛/外(そと)での事(こと)ハ目(め)て見(み)ませぬことゆへ
そのやうには御座(ござ)りませぬイヱ〳〵見ませぬことしやと猶(なを)
気(き)が廻(まわ)りましてよけ腹(はら)が立(たち)ますイヱ〳〵夫(それ)でもげんざい
眼(め)にかゝり舛とごうがわいて〳〵なりますことじや御/座(ざ)り
ませぬイヤモ是(これ)ハとの達(たち)のきつと嗜(たしなみ)ごとて御/座(ざ)り舛(ます)
ソレデモあなたさんにハよふ御子達(おこたち)がたんと出来(てき)まし遊(あそば)す

じや御/座(ざ)りませぬかナンノまあ是(これ)ハ中(なか)がよひばかりて子(こ)
どもをたんと生(うむ)と申ますものでも御/座(ざ)りませぬ。ほんの
時(とき)の拍子(ひやうし)でござり舛ホンニそれハそふと其(その)御子(おこ)さまハ
すくやかな。可愛(かあひ)らしいよい御子(おこ)さんで御ざり舛ナアそし
てマア色白(いろしろ)でかつきりとした御かしこそうなアラマア笑(ゑ)
顔(がほ)よしさんとしたことかハ ナアシテ御幾(おいくつ)さんにおなりなさり
ますへハイ師走(しはす)生(うま)れで年(とし)よわの五ツになります。きつ
い損(そん)な子(こ)で漸(やう〱)半月(はんげつ)はかりが一/年(ねん)になりまして年(とし)ゟ


ハよつほどちいそう御ざり舛ナンノマア親御(おやご)さまのよくめで
其やうに思召(おほしめす)ので御座り舛。わたしの眼(め)でハ御/五(いつ)ツさん
でハよつほど大がらさんに存舛(ぞんじます)アノマア口淀(おつしやる)ことハひナアイヱ〳〵
してまあ御/虫気(むしけ)もなさそうにアラマア可愛(かあひ)らしい御顔(おかほ)
わひナアシテマアおとなしさんで宜(よろ)しう御/座(ざ)り舛。イヱ〳〵
もうはや〳〵おうちやくもので。どうもこうもなりませぬ。
ねつから云(いふ)ことハ聞(きゝ)ませず困(こま)り入てをり舛シテ近所(きんじよ)は
所(ところ)がわるふござり舛ゆへもの云(いひ)が悪(わる)ふてなりませぬ。なん

申ましても聞(きゝ)ませぬイヱモウおうちやくさんなが御/丈夫(じやうぶ)
さんでよろしうござり舛(ます)ホンニそんな御子(おこ)さんの親御(おやご)さまハ
嘸(さぞ)よひ御たのしみて御座りませふアラマアおつしやることいひ
わひナアもう〳〵子供(こども)にとんとこりて〳〵こりまいらせまし
た。夫(それ)でも追付(おつゝけ)おあとができ遊(あそ)ハしますとお姉(あね)さんに
おなりなとおのづからをとなしさんに御なりなさり舛(ます)もの
で御/座(ざ)り舛アラマア其跡(そのあと)て口淀(おつしやる)とびく〳〵いたしますわい
なあナンノまあおいたゝりさんなりと出来遊(できあそ)バすかよろし


うござり舛わひなアまた今年(ことし)閏(うるふ)が御ざります。御たの
しみになされませなどゝ女房同士(によはうどうし)の口弁(あぶら)ながした
挨拶(あいさつ)でもつたもの也
○/是(これ)を先(さき)の女房(によはう)あぶらけなしに。実(まこと)のためになる
やうにいふ時ハ。其(その)御子(おこ)も年(とし)よわのしわす生(うま)れの
五ツとおつしやれども。年(とし)よわにもせよ夫(それ)でもよつ
ほどちいそう見(み)へ舛。そしてマア女子のくせに色(いろ)の
黒(くろ)ひにく〳〵しい黒いうちにも底色(そこいろ)かわるふて何(なん)で

もよつほと胎毒(たいどく)が深(ふか)ふて虫(むし)か強(つよ)ふ見へ舛。今の
内に医者(いしや)にかけて御/養生(やうじやう)なさらずバついころりと
した事が有(あつ)てから跡(あと)で取(とり)かへしがなりませぬシテ
よつほどのおうちやくものゝやうに見(み)へ舛ほとに殊(こと)に
女(ちよ)しの御/子(こ)をなりわひ。そだてになさると。段々(たん〲)と行(ぎやう)
義(ぎ)がわるふなり盛人(せいじん)なさつてから親御達(おやごたち)の手(て)にも
あわぬやうになりつゐに釜(てゝ)なし子孕(ごはらむ)ものでござり
舛。女郎(ちよらう)の子の其やうに見とむない子(こ)ハたんと御かた


づけなさる時(とき)別(べつ)に荷物(にもつ)が余慶(よけい)に入ませふきつい御心つ
かひなもので御ざりませふ。そしてマア近所(きんじよ)の所(ところ)かわるふ
て物(もの)いひがわるひとおつしやるけれど。其(その)御子(おこ)の物(もの)いひが
わるふて近所(きんじよ)の子供衆(こどもしゆ)の物云(ものいひ)が。わるふなりそふなお
子(こ)で御ざり舛なんぼちいさい御/子(こ)でも女の子の物いひ
のわるひのハ聞(きゝ)にくひもので御さり舛。随分(ずいぶん)厳(きび)しく
しかつておうちやくを。なをして置(わき)なされませ殊(こと)によつ
ほど黒(くろ)い御/子(こ)なれハ米(こめ)かした白水(しろみつ)に三日/程(ほど)つけてとつ

くりとあらふて御/上(あげ)なされませねバ。黒(くろ)みがとれ舛
まひなどゝ挨拶(あいさつ)するハ真実(しんじつ)為(ため)になることなれども
母親(はゝおや)これを聞(きけ)バどのやうに腹(はら)を立ふもしれず。されバ
どのやうにこづらにくひ。めんどい子(こ)でもアラマア可愛(かあひ)らし
い笑顔(えがほ)よしさんな御子(おこ)わひな抔(など)としれたあぶらでも
ながしてほめねバならぬもの也/爰(こゝ)の道理(どうり)を能(よく)弁(わきま)へ
て療治(りやうぢ)のしやうも此(この)理(り)にしかすと思(おも)ふべし
○/薬(くすり)のことを数(かす)へいよと限(かぎ)りなし。予(よ)か家(いへ)の伝(でん)あら〳〵


かくのごとしと演(のべ)けれバ。厚釜敷(あつかましく)安九拝(あんきうはい)して頓作(とんさく)先(せん)
生(せい)を拝(はい)し。我誤(われあやまち)てチンフンカンの医学(いがく)を学(まな)んで誤(あやま)ら
んとする所。大先生(だいせんせい)の御/秘術(ひじゆつ)によつて朝日(あさひ)の雲霧(くもきり)
を払(はら)ふがごとく。初(はじめ)て医家(いか)の眼(まなこ)をひらき斜(なゝめ)ならず
して一/枚敷(まいじき)の借家(しやくや)をかり表札(ひやうさつ)を打(うち)日々/病人(びやうにん)
の来(きた)ることを待居(まちゐ)たる折ふし。表(おもて)に案内(あんない)の声(こゑ)に
うれしく思ひ。飛(と)んで出(いづ)れバ 十四五才の丁稚(でつち)手をつかへ
私(わたくし)ハ甘口屋(あまくちや)遅(おそ)??から。教(を)しへられまして参(まい)りまして


此体か
  とふ余人にも
 見せられふ
  にとふるひつく
   医者の直病

     南帰館

御/座(ざ)ります。柳(やなぎ)の場信(ばゞしな)のやからで御/座(ざ)り舛。どうぞ
御苦労(ごくらう)さんながら御/見舞(みまひ)なされて下されませといふを
聞(きゝ)。柳の場しなのやとハ。どうやら聞(きひ)たやうな名(な)じや
ノフシテ御病人(ごびやうにん)ハどなたじやのハイおはんさんで御/座(ざ)り舛
といふフウ敷安(しきあん)は頓作先生(とんさくせんせい)の教(をしへ)の所ハこゝじやと
思ひ折(をり)ふし貰(もら)ひ合せしぼた餅(もち)一ツやりけれバ。丁稚(てつち)大
きによろこび扨(さて)御/病人(びやうにん)の御めしハどれほどくわしやる
のと問(と)へハ ハイ女子衆(おなごしゆ)がいふてゞ御ざり舛にハ。山盛(やまもり)にして


三ばいづゝあがり舛。扨々(さて〱)夫(それ)はよつほどよひ食事(しよくじ)じや
のフウシテ裏(うら)むきハのヘイつるべ縄(なわ)のやうなが一尋半(ひとひろはん)
ばかりマア夫(それ)ハまあけしからぬことなれど食事(しよくじ)相応(そうおう)の
ことなれバ気(き)づかひなことハなひが腹(はら)あんばいハ何(なに)といふ
てじやハイあいまに痛(いた)むそうにござり舛シテすきな物(もの)
ハ何(なん)じやのハイすいものを好(この)んでちよこ〳〵いつしく。かく
して梅干(むめほし)をあがつてゞ御ざり舛フウソシテ外(ほか)にハ ハイ
頭痛(づつう)がするといふてゞ御ざり舛フウ扨(さて)も〳〵貴様(きさま)ハ

よつほどかしこひ智恵(ちゑ)のある子供衆(こどもしゆ)じや。何もかも
よう知(し)つてゐるわひのといひ。たらしたり。ほめそやし
てくり出(だ)してハ問(とい)だん〳〵と夫(それ)からそれへたづねるうち
にホンニ全体(ぜんたい)いつからのことジヤのハイせんど伊勢(いせ)参(まい)りから
もどられましてからのことで御/座(ざ)り舛フウその伊勢参り
からのことも。うす〳〵聞(きか)んでもないてへフウよし〳〵いしやい
承知(せうち)しました是(これ)から所(しよ)らへ参(まい)り所なれども。そこ元(もと)の
方(はう)から先(さき)へ御/見舞(みまひ)申ますと云(いふ)て下(くだ)されと使(つかひ)をかへし


初(はじめ)て娘(むすめ)の病人(びやうにん)いふて来(きた)りしハこれ婦人(ふじん)に金(かね)のもふ
かるといふ瑞相(ずいさう)と勝手(かつて)づゝなる口合(くちあひ)の吉祥(きつしやう)を祝(いは)ひ
大に悦(よろこ)ひ兼(かね)て金毘羅(こんびら)さま神道(しんたう)にてハ鎮宅(ちんたく)
霊符神(れいふしん)。仏道(ぶつだう)にて妙見大菩(みやうけんだいぼさつ)近年(きんねん)の流行(りうかう)もの
なれバ何卒(なにとぞ)病人(びやうにん)多(おほ)くきたり薬違(くすりちが)ひいたしても
よくきゝゐへ南無(なむ)きんじやうさいはい〳〵といのりし
きどく有(あり)しやと思ひまた彼秘術(かのひじゆつ)を行(おこな)ふへし
とて薬箱(くすりばこ)片手(かたて)に引さげいさみ進(すゝ)んでしなのや

さしてぞ急(いそ)ぎけるかくて敷安(しきあん)ハしなのやにきたり。
先刻(せんこく)御/使(つかひ)に預(あづか)りました。厚釜敷(あつかましき)でこさり舛と
いへバ。ふしぎそうにイヤ〳〵此方(このほう)から御/頼(たのみ)にハ上(あげ)ませぬ。
名(な)は何と御/聞(きゝ)なされました。此方ハ帯屋(おびや)でござ
り舛がコレハ〳〵信(しな)のやで御ざり舛ソレハ隣(となり)で御ざり舛ヘイ
あまり気急(きぜき)で取違(とりちが)へました大(おゝき)に不調法(ふちうはいう)といひ
こそ〳〵と出てしなのやの内(うち)に入/敷安(しきあん)でござります
と通(つう)しけれハ。これへ御/通(とを)りなされませとの案内(あんない)に


つれて罷通(まかりとを)れバ。主立出(あるしたちいで)コレハ〳〵御/苦労(くらう)千万(せんばん)まづ
病人(びやうにん)ハ此方(このはう)の娘(むすめ)おはんでござります。御覧(ごらん)なされ
て下さりませとありけれバ。敷安(しきあん)おはんか前(まへ)へちかく
より腹脉(はらみやく)の見(み)やう。薬(くすり)の配剤(はいざい)ハ知(し)らねとも。脉(みやく)を
とり小首(こかび)をかたふけ思案(しあん)の体(てい)をなし又フウ〳〵といゝ
口の内(うち)にて独(ひと)り云(ごと)をぼい〳〵いひ。兼(かね)て秘術(ひじゆつ)の手(て)
の出しあんばい脉体(みやくてい)を見てとり。使(つかひ)の丁稚(でつち)に得与(とくと)
聞(きゝ)置(おく)ことなれバ。すました顔(かほ)して。定(さため)て御/食事(しよくじ)ハよつ

程(ほと)よふあかりませふがなソシテ御くらしむきのおつらじい
かたいのがさつふりと通(つう)しますはづじやシテ少々(せう〱)合点(がてん)
のまいらぬこともござり舛。ヘイ夫(それ)ハなんでござり舛/其儀(そのぎ)
ハまづあとで申ませふ。少し旅(たび)草臥(くたびれ)も見へますし。
腹(はら)も少々(せう〱)痛(いたむ)脉体(みやくてい)也。またづつうのきみもあり
そふなる容体(ようだい)なり。外(ほか)にハ別(べつ)の子細(しさい)ハござります
まいりなと。聞(きい)て母親(はゝおや)びつくりし。なる程(ほど)さやうて御ざ
り舛。何(なに)もかも。口淀(おつしやる)とをりて少(すこ)しもちがひハござり
   如何いたしけん此處番附違い有り次の
   ○しるしへよむへし


ませぬか。誠(まこと)に燈台(たうだい)元(もと)くらしとハよふいふたもので
ござり舛。扨(さて)打(うち)あかして申さねバ医者(いしや)の本意(ほんゐ)が済(すみ)
ませぬ。実(じつ)は御/娘子(むすめご)ハ後妊身(ごにんしん)でござり舛と聞(きい)て
母親(はゝおや)びつくりし。娘(むすめ)おはんハ胸(むね)に覚(おぼへ)の顔(かほ)たちあかめ
ヲ、イヤなんのまあそんなことがござりませふとはづかし
そふなやうすぶり。敷安(しきあん)まゆにしわをよせ。夫(それ)にハちが
ひハござりませぬと。おしつけて慥(たしか)にいふ。先(まづ)脉体(みやくてい)ハ右(みぎ)
の趣(おもむき)なれども。先々(まづ〲)おなかを見て上(あげ)ませふといへば

おはんもまたおなかを見られてどのやうなこといわりやう
もしれんとハ思(おも)へども是非(ぜひ)なくふところを少(すこ)しくつ
ろげければ。敷安胸(しきあんむね)より腹(はら)のあんばいを見(み)て雪(ゆき)
よりも白(しろ)く肌(はだ)ざハりハ実(まこと)に綸子(りんず)か。羽二重(はふたへ)のごとく
きめの細(こまか)きことハ。玉子(たまご)の煮抜(にぬき)が。運上(うんじやう)とりそふな
むつちりもの。敷安(しきあん)これを見(み)て大に驚(おどろ)き気(き)をとり
のぼせ手(て)を震(ふる)わせけるが。爰(こゝ)が一/大事(だいじ)誠(まこと)にしん
ほう所じや歯(は)を喰(くい)しばりてて胸(むね)をしづめハツア思ひ
                        △


ませぬ。扨(さて)も〳〵あなたさまにハ此ほうから容体(ようだい)を申さぬ
先(さき)にみなおつしやり舛と。感心(かんしん)の体(てい)を見(み)て。してやつ
たりと敷安頭(しきあんづ)にのつてハテそりやどふで外(ほか)の医(ゐ)
者(しや)らハ違(ちが)ひ舛(ます)母親(はゝおや)近(ちか)くより。只今(たゞいま)ちと合点(がてん)の
いかぬとおつしやるハ何(なん)で御ざり舛(ます)気(き)がゝりにござり舛
との案(あん)じ顔(がほ)。敷安(しきあん)子細(しさい)らしくマア旅草臥(たびくたびれ)か少々
見へ舛と申ますハ此頃(このころ)伊勢(いせ)参りか大和廻(やまとめぐ)りでも
なされませなんだかな。母親(はゝおや)ハイ娘(むすめ)のことゆへ嫁入(よめいり)して

からハ参りしにくふこさり舛(ます)ゆへ。只今(たゞいま)の内(うち)がよひと存(そんし)
まして御隣(おとなり)の長右衛門さんが慥(たしか)な御/方(かた)でござり舛ゆへ
御/頼(たのみ)申てつれて参(まい)つて貰(もら)ひました。サアなんでも石部(いしべ)
か草津(くさつ)あたりからの病気(びやうき)のそもとゝ見へ舛。ヘイその
石部(いしべ)か草津(くさつ)からとハ何(なん)のことで御さり舛。ハテサテ御合(ごが)
点(てん)のわるひアノ長右衛門/殿(どの)ハ。あかいとやらくらいとやら
とかく娘(むすめ)の子(こ)を病人(びやうにん)にするくせが有(ある)といふ評判(ひやうばん)を
せんとうの風呂(ふろ)やて聞(きゝ)ましたが御/隣(となり)でも御/存(そんし)御ざり
                         ▢


いたせしこともあり誠(まこと)やいにしへ聖人(せいじん)の掟(おきて)も色(いろ)と酒とハ
敵(かたき)と知(し)るへしと宣(のたま)ひし又ならぬ堪忍(かんにん)するかかんにん
ともいふ手島(てしま)の教(をしへ)もありと心(こゝろ)に心(こゝろ)を静(しづ)むれども
いよ〳〵震(ふる)ひ止(やま)さりけれバ実誠(げにまこと)秩父(ちゝぶ)の重忠(しげたゞ)も
景清(かけきよ)程(ほど)の勇士(ゆうし)なれとも色(いろ)は思案(しあん)の外(ほか)なりと
了簡(りやうけん)つけられしこともあり又(また)吉田兼好(よしだけんかう)法師(はふし)も
色好(いろこのま)ざる男(おとこ)は玉(たま)の盃(さかつき)底(そこ)のなきがごとしと古人(こじん)
の詞(ことは)何(なに)か苦(くる)しかるべきこと思(おも)ひ切(きつ)たる形勢(ありさま)にむすめ

おはんハ大きに驚(おどろ)きヲヽイヤといひけれバ敷安(しきあん)心(こゝろ)どき
〳〵いかゞハせんと思ひしが心をふたゝび取直(とりなを)しホンニそれ〳〵
誠(まこと)哉(や)加賀(かゞ)の千代(ちよ)女か句(く)に。思ふ人にいやと女(をんな)のつみ
ふかくとよみしこともありされバ。女のいやハやはり得心(とくしん)
したる枕(まくら)ことば也と思ひ又々/再(ふたゝ)び思ひ切(きつ)たる其振(そのふる)
舞(まひ)今度(こんど)ハおはんも大きにびつくり仰天(ぎやうてん)し大声(おゝごへ)
あげてヲヽいや〳〵〳〵とむつくと起(おき)てあきれ果(はて)て
逃(にげ)て入足音(いるあしおと)敷安(しきあん)が耳(みゝ)にハ雷(かみなり)の落(をち)たるごとく


面目(めんぼく)を灰(はい)にまぶし。きせる田葉(たば)こ入も打忘(うちわす)れ、ろく〳〵
に暇乞(いとまこひ)をもせずして足(あし)を宙(ちう)にして己(をの)が家(いへ)にで
逃帰(にげかへ)り倩(つら〱)思ひけるハ。古人(こじん)の金言(きんけん)をも忘(わす)れ加賀(かゞ)
の千代(ちよ)女のいひしこともとんとあてにならずと。偏(ひとへ)に
千代を恨(うら)みけるが発句(ほつく)を実(まこと)とし外聞(ぐはいぶん)を灰(はい)に
まふせしことも。これみな千代がうそのかわより出(いで)たり
と己(をの)が臭(くさ)みを棚(たな)にをきひとへに千代(ちよ)女を恨み(うらみ)ける

○厚釜(あつかま)敷安(しきあん)ひとへに千代女(ちよじよ)を恨(うら)みし心(こゝろ)徴(つく)しけん
千代(ちよ)女/夢中(むちう)に顕(あらわ)れ出(いで)。敷安(しきあん)に示(しめ)して曰/汝(なんじ)気転(きてん)
頓作老(とんさくらう)に医道(いだう)奥儀(あうぎ)の伝(でん)を受(うけ)たりとも未(いま)だ
婦人(ふじん)の療治(りやうぢ)のしやう。女の情(じやう)もしらさるかゆへかゝる
恥(はじ)をかきたるべしよつて婦人(ふじん)の療治(りやうぢ)秘密(ひみつ)の妙薬(みやうやく)
あるがゆへ汝(なんぢ)に伝(つた)ふべきの間/此法書(このはふがき)奥(おく)にしたゝめ置(をく)
ものなれバ此法(このはう)を用ひて療治する時ハ婦人(ふしん)一切の
諸病(しよびやう)治(ぢ)せずといふことなし


   婦人(ふじん)秘密(ひみつ)の妙薬
一第一/土気(つちけ)はなれぬ女にハ。みやうばんをせんじて
 用ひ置(おき)其後(そのゝち)おくろもちの黒焼(くろやき)を用ゆべし
 土気(つちけ)を大便(だいべん)にくだす事妙也
一背(せ)の凹(ひくき)女にハ江戸の生鰹(なまかつほ)のはしりに京の
 初茄子(はつなすび)と胡瓜(きうり)とを大坂の川水にてせんじ
 用ゆ忽(たちま)ち背高(せたか)ふなる事妙也又法/火(ひ)の見(み)
 やぐらをけづり用ひてもよし

一/背(せ)高過(たかすぎ)たる女にハ。大黒(だいこく)の屎(くそ)をゑびすの御/茶(ちや)
 同(たう)にてねり丸薬にして用ゆべし
一/男(おとこ)を見てつき〳〵しく。百姓(ひやくしやう)めきたる女にてかた
 いぢいふにハ瓢箪(ひやうたん)と鯰魚(なまず)とを生ふて用(もち)ゆ
 立所にぬらくら者(もの)となる事妙也
一/色気(いろけ)なき女にハ七夕/誕生(たんじやう)のおしどりの血と
 風呂屋の後家(ごげ)の爪を合せ用ゆへし
一/色黒(いろくろ)き女にハ晒(さらし)屋のうすと杵(きね)とをよく


 せんし日毎(ひこと)に入てハ日にさらし晒(さらし)てハ入湯する時は
 雪(ゆき)のごとく白ふなる事妙也
一△(はな)の凹(ひくき)を高ふするにハ。天狗(てんく)の面(めん)に麻黄(まわう)を加
 味(み)して用ゆべし又/象(ぞう)を用ゆれハ△長すぎて
 見ぐるし心得違(こゝろへちがひ)すべからず
一/尻(しり)の大(おゝき)なを少(ちいさ)くするにハ福介(ふくすけ)の人形(にんぎやう)に柳(やなぎ)の
 木を黒焼(くろやき)にして用ゆへし
一肥(こへ)たる女を痩(やせ)じらにしてしなやかにするにハ干(ひ)

 が??と幽霊(ゆうれい)の影干(かけほし)を合/酢(す)にて用ゆへし
一/痩(やせ)たる女をむつちりと肥(こへ)たすにハ。つきたての
 餅(もち)に伏見人形(ふしみにんぎやう)のおたふくを入/雑煮(さうに)にして夜毎(まいよ)
 用ゆへし
一口の大きなるを少(ちいさ)く見するにハ手づまの徳利(とくり)
 を黒やきにして用ゆへし
一ひんしやんとすけなき女にハ。庚申(かうしん)前(まへ)の赤犬(あかいぬ)
 のよたれを用ゆへし


一/日南(ひなた)くさき女にハ防風(ほうふう)を蛸(たこ)の洗汁(あらひしる)にて
 せんし其/湯(ゆ)にてあらふべし
一/慎(つゝし)みふかき女にハ蝉(せみ)の笛(ふへ)を生(なま)にてのます
 べし立所(たちところ)にて泣(なく)こと妙也又あひるを加味(かみ)す
 れバ忽(たちま)ち尻(しり)をふり泣事奇妙也
一から〳〵したる女は薯蕷汁(とろゝしる)と雨乞(あまこひ)の松明(たいまつ)
 をつはにてねり用ゆへし
一ものがたき女にハ蜂(はち)の尻(しり)に百足(むかて)を加味(かみ)して

 用ゆべし一寸(ちよと)さわつても。ついおいでる事妙也
 其余(そのよ)妙薬(めうやく)奇方(きはう)あまたにして中々
 筆紙(ひつし)に尽(つく)しかたけれハ猶(なを)春(はる)ながに
 めもしにも入まいらせ候めでたくかしく


当世医者風流解 下 終



文政六年癸未正月休求版


     浪華岡田羣玉堂
       心齋橋通博労町南入
          河内屋茂兵衛

{

"ja":

"救民薬方録"

]

}

【帙】
【表紙】
【題簽】
救民薬方録 一冊

【帙】
【背】
救民薬方録  一冊
【表紙】
救民薬方録  一冊

【表紙】
【付箋】
【一段目】富士川本
【二段目】キ
【三段目】131
【題簽】
《割書:施|本》救民薬方録  全

【見返し】
184350
大正7.3.31

【左ページ】

《割書:予》謹(つゝしん)で。賜民(しみん)薬方(やくはう)を刻(こく)す是則
政府(せいふ)濟世(よをすくふ)の賜方(しはう)也。人の世(よ)に居(を)る蓋(けだし)病傷(へいしやう)少からす。然(しか)れども躬(み)
自(みつか)ら其/良方(りやうはう)を知る人/鮮(すくな)く。街巷(かうかう)の人と雖(いへ)とも前(まへ)を跋(ふみ)。後(しりへ)に疐(つまづ)く。
而(しかる)を况(いはん)や邉鄙(へんひ)の人をや。是(これ)をもつて急備(きうび)の切なく。苗(なへ)の秀(ひいで)ざる
が如く。或(ある)は秀(ひいで)て實(みのら)ざるがごとし。爰に
政府の仁政日に新(あらた)にして。膏澤(がうだく)赤子(せきし)におよぼし給ふ事/廣太(くわうたい)なり
抑此良方は大都(おほむね)田野(でんや)の薄品(はくひん)にて。至賎(しいせん)児女(じちよ)も製(せい)し易(やす)く。其/治術(ぢじゆつ)も
亦/尋常(よのつね)の半(なかば)にして。其切かならず倍(ばい)し。誠に非常(ひじやう)の靈方(れいはう)なり嗚呼(あゝ)
宜哉(むべなるかな)是方。名家(めいか)の奥義(あうぎ)良醫(りやうい)の秘㫖(ひし)也。予/鄕黨(きやうたう)此/患(うれひ)に逢時(あふとき)は
恃(たく)に是方を施(ほどこ)し。忽然(こつぜん)として全活(ぜんくわつ)す。最(もつとも)希世(きせい)の神方なり。今/幸(さいはひ)に

【右ページ】
堯天(げうてん)を戴(いたゞ)き。國恩(こくおん)を被服(ひふく)すといへども。素(もと)より固陋(ころう)の見(けん)如何(いかん)ぞ
萬分(まんぶ)を奉答(ほうたう)せん哉(や)。謹(つゝしん)で是方を三/復(ふく)するに。所謂(いはゆる)良藥(りやうやく)秘術(ひじゆつ)
と號称(がうせう)して。その方/敢(あえ)て他(た)に《振り仮名:不_レ免|ゆるさゞる》も豈(あに)此方にしかん哉。夫/四海(しかい)の大。
九州の廣(くわう)。如何ぞ人々/不知(しらず)して普(あまね)く急に備(そな)へんや。仍て是を梓(し)に付(ふ)し。
家々に傳へ。戸々に曉(さと)さんとす。敢(あへて)以て國恩(こくおん)を奉答すと云ん哉。庻㡬(こいねがはく)は
《振り仮名:與_レ衆|しゆうと》共に是に由(よる)も亦《振り仮名:弗_レ畔|そむかざる》べき欤(か)。且《割書:予》歷代(れきだい)《振り仮名:所_レ傳|つたゆるところ》の短方(たんはう)も。亦
卷末(くわんまつ)に記(しる)して世に示(しめ)さんとす。《割書:予》を以て方を廃(はひ)すべからずと云爾(しかいふ)。
            奥州須加川
 文化辛未年正月       阿部正右衞門正興
             【印】阿部【印】正興之印

【左ページ】
  ○大人小児/急病(きうひやう)或は急難(きうなん)を救(すく)ひ治(ち)する秘方(ひはう)を左に記(しる)し候者也
         ○
一/病犬(やまひいぬ)に喰(くは)れたる口。早速/杏仁(きやうにん)を赤(あか)くなる程/炒(いり)て能(よく)摺(すり)つぶし。疵(きず)口の大小
 口に随(したが)ひ。銭(ぜに)ほどにも碁石(ごいし)ほどにもして。味噌(みそ)を炙(や)くごとく灸(きう)すれば。杏仁の
 中(なか)へ血(ち)を吸込(すいこむ)なり。此(かく)のごとく幾度(いくたひ)も取(とり)かへ血出(ちで)止(や)み疵(きす)口いたみ候時/止(やめ)てよし。
 若(もし)疵/浅(あさ)く血出ずとも毒(とく)は杏仁の中へ吸こみ後(のち)の患(うれひ)なし。疵口△是ほど
 ならば◯《割書:杏仁の大さ|是ほとにすべし》但し廻りを厚(あつ)く。中を少し薄(うす)くして艾(もぐさ)を沢山に置くべし。
 疵くちに湯(ゆ)水のつく事を忌(い)むなり。又杏仁のこしらへやうは。湯(ゆ)に浸(ひた)し
 皮(かわ)を去(さ)り。うちの肉(にく)を刻(きざみ)て炒(いる)べし。 一疵口に風のあたるを大いに忌(いむ)べし。
一/韮(にら)を搗(つき)。しぼり汁(しる)を一ぱいづゝ。七日め〳〵に飲(の)み。七々四十九日までに七/杯(はい)を
 呑(のむ)ときは毒(どく)うちへ入事なし。 一又/升麻葛根湯(せうまかつこんとう)を呑(のめ)ばなほよし。
一/犬(いぬ)に咬(かま)れしあと禁忌(つゝしみいむ)
 一/胡麻(ごま) 一/麻仁(まにん)  一あづき 一あぶらけ類 一里いも 一そうめん
 一ねぎ 一のびる  一わけぎ 一あさつき  一ちもと 一かりひる
 一生魚 一川魚 ◯此外/都(すべ)てくさき匂(にほ)ひあるもの

【右ページ】
 右は百日の間/急度(きつと)くふべからず○酒これは至(いた)つて大/毒(どく)也一年/忌(いむ)べし
 犬肉(けんにく)これは一代くふべからず
         ○
一/指(ゆひ)のいたみ。ひやうそ。つまはらみ。其外何にても蛍(ほたる)をすりつぶし付てよし
  但し夏(なつ)の中とりて干(ほ)したくはひ置(おき)。粉(こ)にして付べし
         ○
一ねづくゝりには蛇(へび)のむけ皮を黒焼(くろやき)にして胡麻(ごま)の油にてとき付べし
         ○
一/鼠(ねずみ)に咬(かま)れたるに。猫(ねこ)のよだれ又/糞(ふん)をぬり付てよし
一又かまきり虫の影干(かげぼし)を飯(めし)つぶにてねり付てよし
一又/鮒(ふな)の生(なま)なる肉(にく)をすり付てよし 一又/梅(むめ)のたねを酢(す)にてすり付てよし
         ○
一ねずみの小便(しやうべん)目に入たるに猫のよだれをさし入てよし
一猫に咬(かま)れたるに薄苛(はくか)の汁(しる)を塗(ぬる)べし 一犬の毛(け)を焼(やき)付るもよし
【左ページ】
一又犬の糞(ふん)をぬるもよし
         ○
一/銭(せに)咽(のんど)につまりたるにふのりを呑(のみ)てよし
一又あぶらと酢(す)を呑(のむ)もよし。是は胸(むね)わるきゆゑにつきかへすなり
         ○
一/乳(ちゝ)のはれたるには岩百合(いはゆり)の根(ね)をよく摺(すり)酢(す)にてとき付べし
         ○
一/突(つき)目には。蝿(はい)のあたまを飯粒(めしつぶ)にて能(よく)おし交ぜ。乳汁(ちゝ)にてとろりとねり合せ
 目にさしてよし 一又あけびの蔓(つる)の新芽(しんめ)をとりせんじ洗(あら)ふべし
         ○
一/鳥眼(とりめ)には。へびいちごの焼灰(くろはい)を乳(ちゝ)にて解(とき)さしてよし
         ○
一目のよわき人。毎朝(まいあさ)塩(しほ)にて口中を磨(みが)き。その含塩(ふくみしほ)を手のひらへ吐出(はきいだ)し
 目へ付べし。斯(かく)のごとくすれは一生(いつしやう)目のかすむことなし
         ○

【右ページ】
一/諸(もろ〳〵)の魚(うを)にあたりたるには。瓢(ふくべ)のたねを干(ほし)粉(こ)にして呑(のむ)べし
一又くちなしの実(み)をせんじのむべし 一又/煎豆(いりまめ)を喰(くう)てもよし
一又/生鰹(なまかつほ)にゑひたるには。鰹節(かつおぶし)をせんじ呑べし
         ○
一/酒(さけ)にあたりたるには葛(くづ)の花(はな)か。茄子(なすび)の花か夕貌(ゆうがほ)の花か。何れにても干(ほし)粉(こ)に
 してもちゆ 一又/葛(くづ)の根(ね)もよし
         ○
一/茸(きのこ)の類(るい)にあたりたるには桜木(さくらき)の皮か。実(み)をせんじ用ゆ
一/松茸(まつたけ)にあたりたるには鯣(するめ)をせんじもちゆ
         ○
一/蕎麦(そば)にあたりたるに。あらめをせんじ用ゆ 一又かりやすを/煎(せんじ)用(もちゆ)るもよし
         ○
一/食滞(しょくたい)には豆(まめ)の木(き)の根(ね)に丸きもの有(あり)。これを取さゆにて吞(のま)すべし。吐(はき)くだり
 して治(ぢ)すこと妙なり
         ○

【左ページ】
一/餅(もち)の咽(のど)につまりたるに一/番酢(ばんず)を吞べし 一又/大根(たいこん)のしぼり汁(しる)を用てよし
         ○
一/湯火傷(やけど)には。胡瓜(きうり)の絞(しぼ)り汁(しる)を付べし  一/馬(むま)のあぶらを付てよし
一にはとりのたまごを付てよし 一さとうを。水にときて付てよし
         ○
一/簽(とげ)刺(さし)たるにかまきり虫のはらわたをすり付てよし
一又きうりの皮を付てよし 一又/蝿(はい)を搗(つき)たゞらかし付てよし
         ○
一/漆(うるし)まけには杉菜(すぎな)の絞(しぼ)り汁(しる)を付へし 一又はすの葉(は)をせんじ洗(あら)ふ
一又/大麦(おほむぎ)を粉(こ)にして水にてぬりてよし 一又/鰹節(かつをぶし)をせんじ用ゆ
         ○
一/咽(のど)に骨(ほね)たちたるに人の爪(つめ)を煎(せんじ)用ゆ 一又/南天(なんてん)の葉(は)をせんじもちゆ
一又/烏(からす)の黒焼(くろやき)を水にて呑(のむ) 一ゑの木の実(み)を粉(こ)にして用ゆ
一又ひで松(まつ)の灰(はい)をのみてよし
         ○

【右ページ】
一/蜂(はち)のさしたるに蓼(たで)のしぼり汁を付けてよし 一又/塩(しほ)をぬるもよし
一又いもんのくきの。やにを取付てよし
         ○
一いろ〳〵の虫/耳(みゝ)に入たるは胡麻(ごま)の油(あぶら)をさすべし 一又/蓼(たで)の絞汁(しぼりしる)を入るもよし
         ○
一/百足(むかで)のさしたるには。そのむかでを直(すぐ)にころしつけて妙なり
一又にわとりのふんを水にて付けてよし
         ○
一/蛇(へび)類に咬(かま)れたるには山中(さんちう)などならば急(きう)に地(ち)を堀(ほり)。かまれたる手足(てあし)を其中(そのなか)へ
 入れ。上(うえ)より土(つち)をかけ堅(かた)く押(おし)付。その上よりあつき小便(せうへん)をしそゝぎ疵(きず)口より毒気(どくき)を
 もらして土(つち)を去(さ)り。疵(きす)口へ小/便(べん)しかけ後(のち)糞(くそ)を厚(あつ)くぬり布(ぬの)か木綿(もめん)にてくゝり
 宿(やど)帰(かへ)り冷酒(ひやさけ)にて糞(くそ)を洗ひ去(さ)り。雄黄(をわう)。乾姜(かんしやう)を等分(とうぶん)にし。馬歯莧(すめりひゆ)の汁に
 調(とゝの)へ疵にばかりあげ廻(まは)りへ敷(しき)。其上を布(ぬの)るいにてくゝり置べし。吞薬(のみぐすり)には
 紫莧(むらさきびゆ)の汁を取り一二/盃(はい)吞(の)むべし。升麻(しやうま)葛根湯(かんこんたう)を吞(のめ)ば猶(なほ)よし
 一又/貝母(ばいも)を粉(こ)にし酒にてゑふまで吞時(のむとき)はしばらくして酒(さけ)疵(きず)より水(みづ)となり
【左ページ】
 出(いづ)る。水/出止(でや)みて後(のち)貝母(はいも)の粉(こ)を付けてよし 一又たばこの葉(は)付てよし
一又/蚯蚓(みゝづ)の首(くび)に白節(しろきぶし)ある所。五六/分(ぶ)切り摺(すり)たゞらかし。さし口に付てよし
一又きせるのやにを付てよし 一又/黒豆(くろまめ)の葉(は)。塩(しほ)少し加へて付てよし
一又/胡椒(こしやう)の粉(こ)を酢(す)にて解(とき)つけてよし
  右見合て用ゆ蛇(へび)に咬(かま)れたる人。川(かわ)を渡(わた)るべからず。水にて手足(てあし)洗(あら)ふべからず
         ○
一水に溺(おぼ)れたる者は。早(はや)く口を開(ひら)き箸(はし)をくはへさせ水を出すべし。其(その)衣裳(いしやう)を
 脱(ぬが)せ臍(へそ)の中へ灸(きう)をすべし。両人にて竹の管(くだ)をもつて両方の耳(みゝ)を吹(ふく)べし。
 夫(それ)より桶(おけ)を横(よこ)にしてそれへ腹(はら)をあてさせそろ〳〵舁(かき)あるけば水出て活(いき)る
 或は又/戸(と)びらの上へ蒲団(ふとん)なりとも高(たか)く置(お)き。夫(それ)へ腹(はら)を当(あて)うつむけて
 横(よこ)に臥(ふ)させ戸びらを舁(かき)てゆくべし。息出(いきいで)ば生姜(せうが)の汁(しる)を口中へ入べし
一又水を出(だ)さすには。気丈(きしやう)なる人をあをのけに臥(ふさ)し其上(そのうへ)へ溺(おぼ)れし人をうつ伏(ぶせ)
 に乗(の)せて。気丈の人を押(おし)て。そろ〳〵うごかすれば水出る
一又/皂莢(さいかち)を粉(こ)にして綿(わた)に包(つゝ)み肛門(こうもん)の中に 入るゝ。女は前陰(ぜんいん)と肛門(こうもん)とに入る
 しばらくして水出/蘇生(よみがへ)る

【右ページ】
  右/溺(おぼ)れし人/気(き)の付て後(のち)。冬(ふゆ)は少々/酒(さけ)を温(あたゝ)め吞(のま)し。夏(なつ)は飯(めし)の湯(ゆ)を吞(のま)すべし
         ○
一/大木(たいぼく)或は屋上(いへのうへ)より落(をち)。又は落馬(らくば)にて気絶(きぜつ)したる者には。急(きう)に落(おち)たる者の
 口を開(ひら)き小便(しやうべん)をしかけ飲(のま)すべし。惣して高(たか)きより落(おち)。或ひは強(つよ)く身(み)をうち
 たる者にも。急(きう)にあたゝかなる小便を用ひ其後(そのゝち)薬を求(もと)め用ゆべし
一又/鯣(するめ)を黒焼(くろやき)にして里芋(さといも)を摺(すり)おろし煉交(ねりまぜ)て怪我(けが)せし所へ塗(ぬり)付べし。即功(そくこう)如神(しんのごとし)
         ○
一/踏(ふみ)くじきには河骨(かうほね)の根(ね)を黒焼(くろやき)にし。蕃椒(とうがらし)の黒焼と当分(とうぶん)に合せ。甘草(かんざう)の
 粉(こ)を少しくはへ。速飯(そくいひ)へをし交(まぜ)付べし
         ○
一/疫疾(じえき)の熱(ねつ)発散(はつさん)しかねるには芭蕉(ばせを)の根(ね)をすりおろし絞(しぼ)りて此しぼり汁(しる)を
 茶碗(ちやわん)に二三ばい吞(のめ)ば奇妙(きみやう)にねつ発(はつ)し全快(ぜんくわい)に趣(おもむ)く事/疑(うたが)ひなし
一又/茗荷(めうが)の根(ね)をすり絞(しぼ)り汁を用てよし 一又/牛房(ごぼう)を摺(すり)汁を用ひてよし
         ○
一/丹毒療治(はやくさりやうぢ)。それ丹毒の病症(ひやうせう)は。その相(さう)顔(かほ)にあらはる也。最初(さいしよ)に左右の耳(みゝ)
【左ページ】
 および頬(ほう)に色/赤(あか)く。又/赤黒(あかくろ)く成(なる)もあり。夫(それ)より咽喉(のど)へむけ其/相(さう)顕(あらは)るゝ
 なり或は腹痛(ふくつう)するもあり或は正気(しやうき)を失(うしな)ひたるやうに成も有。腹痛するは
 腹(はら)かたく。たとへは石(いし)のごとく又腹やはらかにして腹(はら)に熱(ねつ)あるもあり是は病(やまひ)の軽(けい)
 重(ぢう)による也。此病は俄(にはか)に発症(はつせう)し甚(はなはだ)急(きう)なり。尤/余(よ)病に異(こと)にして耳(みゝ)および
 頬(ほう)の色を見るを丹毒(はやくさ)第一の見立(みたて)とする也。能(よく)〳〵心を付べし右の相(さう)顕(あらは)れ
 丹毒にて是(これ)あらば。左右の腕(うで)のうち臂(ひち)の折(をり)かゞみと。肩(かた)との真中(まんなか)子供(こども)など
 の力瘤(ちからこぶ)といふ所へ。とくと口をつけ強(つよ)く吸(すふ)也。是/療治(りゃうぢ)の法(ほう)也。軽(かろ)きは血(ち)出る。
 重(おも)きは黒血(くろち)出る二口三口ほどづゝ血出るなり。血の出て止(や)むを期(ご)とす。尤外の病
 はしらず。丹毒に右の療治(りやうぢ)をなせば何ほど重き丹毒にても治(ぢ)すること神(しん)
 妙(みやう)なり。十四/経(けい)手の大陰肺経(たいゐんはいけい)の図(づ)にていふ時は。雲門(うんもん)尺沢(しやくたく)の間(あひだ)。侠白(きやうはく)といふ
 図(づ)の少し内に当(あた)る也。嗚呼(あゝ)宜哉(むべなるかな)。此術(このじゆつ)の妙なること用ひて知るべし
  但しはやくさの時/早速(さつそく)右の療治(りやうじ)をなせば治(ぢ)する事/疑(うたが)ひなし。しかし療治(りやうじ)
  手おくれに成りては。吸ても血(ち)出ず。その時はひつぱり剃刀(かみそり)にて右のところを
  少しはね切(きり)すふてみるべし
         ○

【右ページ】
一/五疳(ごかん)には芣(おほばこ)の根(ね)葉(は)実(み)ともに黒焼にして味噌(みそ)へ入れまぜ。鰻(うなぎ)のかばやき
 に付もちゆべし
         ○
一/舌胎(せつたい)には昆布(こんぶ)を黒焼にし。紅粉(べに)にてとき付ぬりてよし
         ○
一/寸白(すばこ)には五八霜(まむし)の黒やきを酒にて呑(のむ)。痛(いたみ)所へも付べし奇妙(きみやう)なり
         ○
一/疱瘡(ほうそう)には小豆(あづき)。黒豆(くろまめ)。ゑんどうと。甘草(かんさう)少し加へ水にて煎(せんじ)て。毎日(まいにち)此汁を呑(のみ)。
 豆をくふ時は妙に疱瘡かるし。ほうそう流行(はやる)とき呑/置(おく)べし。至(いたつ)て軽(かる)し
一ほう瘡の出(で)かねたるには蕗(ふき)のとふの影干(かげぼし)をせんじ呑(のま)すべし。一夜(いちや)のうちに山
 あげる事妙なり 一疱瘡はしかの後(のち)。目にさわりある時は。川ゑびを潰(つぶ)し
 つゆを取り梨子(なし)のしぼり汁(しる)と等分(とうぶん)にして目にさしてよし
         ○疱瘡の呪薬(しゆやく)
一/辰砂(しんしや) 《割書:スイヒ》壱匁 一/麝香(じやこう) 五/厘(りん) 一トウゴマ 三十六/粒(つぶ)《割書:カハヲサリテ|ミバカリ》
 右の三味五月五日の朝六ッ時三/味(み)の薬を清浄(しやう〴〵)なる板(いた)にて糊(のり)を押(おす)やうに
【左ページ】
 トウゴマを竹箆(たけへら)にておして三/味(み)の薬をひとつに交(ま)ぜ。清浄(しやう〴〵)なる器物(いれもの)に入れ
 置(おき)。下(した)に記(しる)す絵図(ゑづ)の通り。小児の十三ヶ所(しよ)に筆(ふで)を以て端午(たんご)の午の刻(こく)に
 右薬を塗(ぬり)
     大サ ◯此(かく)のごとし尤
         薬/落(おち)次第也
点(てん)所
一/頭(かしら)上の中(なか)
一/後(うしろ)チリケ    【人体図前面・点所に◦】
一左右手の折目(をりめ)
一/胸(むね)の真中(まんなか)
一左右/脇(わき)の下(した)
一左右/足(あし)の折目《割書:俗にいふ|ひつかゞみ》
一左右/掌(てのひら)の中(なか)  【人体図後面・点所に◦】
一左右/足(あし)の平(ひら)《割書:俗にいう|つちふまず》
  右之通り絵図(ゑづ)に合せ塗べし。
一小児壱人に此法を用る時は。薬/拵(こしらへ)候者
 つけ候人も壱人也/別人(べつじん)をもちひべからず

【右ページ】
一くすり付(つけ)残(のこり)ありとも外人(ほかのひと)へ用ひず清浄(しやう〴〵)なる所へ捨(すて)る
一たとへ一ッ家(いへ)の内二三人此法を用ゆる時は。小児壱人に薬(くすり)拵(こしら)へつける人も
 壱人づゝ。何人にても壱人の小児に薬(くすり)こしらへ付る人も一人也。斯(かく)のごとく三年/呪(まじなひ)
 候得ば疱瘡せず此法を用ひて十五代疱瘡/致(いたさ)ざる家(いへ)有之/由(よし)申/伝(つた)へ候
一壱ヶ年此法を用る時は疱瘡/死災(しさい)なし
一弐ヶ年用たる人は惣身(そうしん)少しにて算(かぞへ)るほど也 一三ヶ年用たる人は疱瘡/致(いた)さず
  右之通奇妙の法也かならず疑(うたが)ひあやしむべからず
         ○
一/夜啼(よなき)するに燈心草(とうしんくさ)。艾(もぐさ)を焼(やき)て灰(はい)を取(とり)乳(ち)の先(さき)に付て呑(のま)しむ
         ○
一/虫歯(むしば)には昆布(こんぶ)と。こんぶの塩(しほ)。烏賊(いか)の甲(こう)と。此三品を等分(とうぶん)に黒焼にして
 つけべし 一又/焼酎(しやうちう)にて口すゝぎふくむもよし
一又/芹(せり)のしぼり汁を少し耳(みゝ)へ入れてよし
         ○
一/聤耳(みゝだれ)には大根(だいこん)のしぼり汁(しる)をこよりの先(さき)に付て入れてよし
【左ページ】
一又/蝉(せみ)のぬけからを粉(こ)にして胡麻(ごま)の油にてときて入れてよし
         ○
一しつひぜんには湯花(ゆのはな)と。黒豆の粉を当分(とうぶん)にして胡麻(ごま)の油にて解(とぎ)付べし
         ○
一/便毒(べんどく)はれ候には。むき胡桃(くるみ)を黒焼にして酒にて吞(のむ)べし妙なり
         ○
一/痳病(りんびやう)には蚯蚓(みゝづ)の中(なか)の土(つち)をこき出し。皮ばかり能たゞらかし白/砂糖(さとう)を入れ吞べし。
 大妙薬なり
         ○
一/鼻血(はなぢ)には山梔子(くちなし)の実(み)を黒焼にして。鼻の中へ吹(ふき)入べし
一又/胡枡(こしやう)の粉を紙に包(つゝ)みて鼻の穴へつめるもよし
一又/蕗(ふき)のとふの影干(かげぼし)を含(ふく)みても止(とま)るなり
         ○
一/睡遺尿(ねせうべん)には燕(つばめ)の巣(す)の中(なか)の竹を焼て。粉にして吞すべし
一又/小豆(あづき)の葉(は)のしぼり汁をあたゝめ吞むべし

【右ページ】
         ○
一/小便(せうべん)《振り仮名:不_レ通|つうぜざる》には。うしこ虫(むし)をそく飯(いゝ)におし交(まぜ)臍(へそ)へ張(はる)べし早速(さつそく)通(つうづ)るもの也
         ○
一/白禿(しらくも)には。にはとりのたまごを胡麻(ごま)の油にて付てもよし
一又/蕪(かぶ)の黒焼きを胡麻の油にてつけてもよし
         ○
一/狐臭(わきが)には墨(すみ)をすりて脇(わき)の下へ塗(ぬり)て見るべし。穴(あな)ある所はかはかぬなり。其所へ
 灸(きう)すべし 一/田螺(たにし)の殻(から)を粉にして付るもよし
         ○
一/喉痺(かうひ)【のどけ:左ルビ】には酒に塩(しほ)を入くゝむ妙也 一又/赤蓼(あかたで)を影干(かげぼし)にし。粉にして吹入(ふきいれ)てよし
一又/密柑(みかん)の黒焼きを粉にして吹入てよし 一又/梅干(むめぼし)の黒焼を吹入てよし
         ○
一ひゞあかぎれには苦練(くれん)《割書:せんだんの|みなり》を酒にてせんじ付てよし
         ○
一しもやけには牡蛎(ぼれい)を粉にし髪(かみ)の油に解(とき)てつけべし
【左ページ】
一又/里(さと)いもを土(つち)をあらはず焼て粉にし。かみのあぶらにて付てよし
一又/茄子(なす)の木(き)をせんじ付てもよし
         ○
一/欬逆(しやくり)には柿(かき)のへたをせんじもちゆ
一又とうがらしの粉をうどんの粉にてつゝみ丸(くわん)じ吞てよし
         ○
一/中暑(ちうしよ)霍乱(くわくらん)の療治。小児の夏(なつ)に至りて俄(にわか)に目をみつめ。気を絶(ぜつ)し。又は
 腹痛(ふくつう)しもだへ苦(くる)しみ。又は大ひに啼(なき)さけび。腹(はら)石(いし)のごとくにこわり腫(はる)の類(たぐ)ひ
 あり。これ大方/中暑(ちうしよ)霍乱(くわくらん)。そりや御医師(おいし)よ薬(くすり)。針(はり)よといふ間(ま)にはや息(いき)を
 ひきとり死(し)する小児/多(おほ)し。是を治(ぢ)するの妙は。常(つね)に小麦(こむぎ)の藁(わら)をたくはへ
 置て。右の病と見候はゝ直(じき)に小麦の藁(わら)を一寸ほどづゝに刻(きざ)み《割書:藁青い|がよし》水
 を入て釜(かま)にてせんじ。其/煎(せんじ)候/湯(ゆ)を手拭(てぬぐひ)やうのものをひたし病人の腹(はら)臍(へそ)の
 あたりを温(あたゝ)めつかわし。せん操(ぐり)〳〵に取かへてはあたゝめ。仕替(しかへ)〳〵しては温(あたゝ)める
 時は。たとへ気絶(きぜつ)したる病人にても息(いき)をかへし助(たすか)ること奇妙(きみやう)なり。此/病難(びやうなん)を
 遁(のが)るゝこと神のごとし。此病/丹毒(はやくさ)に間違(まちが)ふことあり。丹毒ならば前(まへ)に記(しる)し

【右ページ】
 たる別方(べつほう)をもちゆ。中暑(ちうしよ)霍乱(くわくらん)ならば此方妙なり。餘(あま)り軽(かろ)き事とあなどる
 べからず。ためし多(おほ)し。小児/常(つね)に小麦藁(こむぎわら)のせんじ汁(しる)にて行水(ぎやうすい)をいたさせ臍(へそ)
 を温(あたゝ)め遣し候へば。中暑霍乱入不申候。行水いたさせべきこと妙なり
一又/夏月(かげつ)暑気(しよき)にあたりたほれたる者は。水を吞(のま)すべからず熱湯(あつきゆ)に手拭(てぬぐひ)を
 ひたし。臍(へそ)の下(した)をあたゝめ熱湯(あつきゆ)を取かへ〳〵暖気(あたゝまりけ)の腹(ふく)中に通るやうにすべし
一又/人家(ひといえ)なき所にて薬も持合(もちあは)さゞる時。途中(とちう)にて暑(あつさ)に中(あたり)て息絶(いきたへ)たる者
 には。急(きう)に道上(みちのほとり)の熱(あつ)き土(つち)をとりて。病者の臍(へそ)の廻(まは)りを土手(とて)のやうにして
 其中(そのなか)へ小便をすべし如此(かくのごとく)して内/温(あたゝま)り息出(いきいで)ば生姜(しやうが)蒜(にんにく)を求(もと)め。そのうち一色(ひといろ)
 あらば噛(かみ)くだき。こまかにして。熱(あつ)き湯(ゆ)にて飲(のま)すべし
         ○
一/寒月(かんげつ)こゞへ死(しに)たる者は。早(はや)く灰(はい)を鍋(なべ)にて熱(あつ)く炒(いり)。きれに包(つゝ)み胸(むね)をあたゝむ
 べし。灰(はい)冷(ひへ)たらば又あつき灰(はい)を取(とり)かへだんきの通るやうに温(あたゝ)むべし。息気(いきけ)
 出(い)では粥(かゆ)のうはずみ。或はあたゝめ酒(ざけ)を飲(のま)すべし
         ○
一/麻疹(ましん)【左ルビ:はしか】には。はしかせぬ前(まへ)に身をひやさぬやうにいたし。酒(さけ)肉(にく)と房事(ぼうじ)をふかく
【左ページ】
 つゝしむべし。又はらをたて短気(たんき)あらぬやうにつゝしめば。麻疹(はしか)と成(なつ)て
 奇(き)妙にかろし
一又/小豆(あづき)。黒豆(くろまめ)。縁豆(えんだう)。此三品当分にいたし。少(すこ)し甘草(かんざう)を加(くは)へ。常(つね)のくすり加減(かげん)に
 水を入せんじ吞(のみ)おきて。奇妙にかろし
一又/芭蕉(ばせを)の葉(は)をせんじ出し。其/湯(ゆ)にて度々(たび〳〵)湯(ゆ)あみし置(おき)て大ひに軽(かろ)し
  右両様ともに麻疹(はしか)の前(まへ)になしおくべし。はしかは毒忌(どくいみ)第一の事なれば
  はなはだとく断(だち)すべし。略(りやく)す。
一又/妊娠(にんしん)の婦人(ふじん)。はしか熱(ねつ)とおもはゞ。鍬(くわ)の刃(は)の古(ふる)きを。じかに腹(はら)へ当(あて)て帯(おび)を
 いたし置(おき)。取替(とりかへ)〳〵熱(ねつ)をうつし取(とり)候得ば躰(たい)たもち出生(しゆつせう)の子(こ)恙(つゝが)なし
         ○
一/自(みづから)縊(くびれ)て懸(かゝ)つてある者は。そろ〳〵と抱(だき)をろし。和(やはら)かなる所へ仰(あをの)き臥(ふ)さす
 べし。急に縄(なわ)を切て荒(あら)く落(おと)すべからずまづ胸(むね)をおさへ咽(のど)の縊(くびり)たる所
 をひねり直し。手をもつて和(やはら)かに口と鼻(はな)をふさぎ。両人にて竹(たけ)の管(くだ)を
 もつて両方の耳(みゝ)の中を吹(ふく)べし。壱人は其/髪(かみ)の毛(け)を手に持(もち)て引くべし。
 又/別人(べつじん)を以て手と足を不絶(たへず)撫(なで)さすり。延(のべ)かゞめすべし。又/腹(はら)をおすべし。

【右ページ】
 此(かく)のごとくにして息(いき)出候はゞ。粥(かゆ)の湯(ゆ)を吞(のま)すべし
 ▲ 薬(くすり)鶏(にはとり)のとさかの血(ち)を取りて口中に入べし
    但 男(をとこ)には雌(めとり)の血をもちひ。女には雄(をどり)の血をもちゆ。 
   《振り仮名:如_レ此|かくのごとく》すればよみがえるなり
         ○
一/出火(しゆつくわ)の節(せつ)煙(けむ)にむせ倒(たふ)れたるには。大根(だいこん)のしぼり汁(しる)を吞すべし
         ○
一/惣(そう)じて途中(とちう)にて気付(きつけ)持合せざる時。気絶(きぜつ)したる者あらば口を割(わり)て息(いき)を
 吹入(ふきい)れべし。
【これより明朝体活字 】
其方(コノハウ)已 ̄ニ行 ̄ルヽコト_二于/封内(ハウダイ) ̄ニ_一。七_二-年於/茲(コヽ) ̄ニ_一。此 ̄レ
政府(セイフ)所_三-以加 ̄ノ_二惻隠(ソクイン) ̄ヲ於 庶民(シヲミン) ̄ニ_一矣。経験(ケイケン)最(モツトモ)有 ̄リ_レ余 ̄リ_レ徴(テウスル) ̄ニ也。
猗嗟(アア)是 ̄ノ方者。疾病(シツヘイ)患難(クワンダン)之 急務(キウム)。未 ̄タ_レ能_レ或 ̄ニ_二之 ̄ヨリ先 ̄ルコト_一也。
【左ページ】
宜(ムベナリ)且(カツ)以 ̄テ_二国字_一行_レ之者。欲_レ及《振り仮名:寒-郷|カンケイ》開(ヒラキ)_レ口 ̄ヲ望 ̄ム_レ哺(ホ) ̄ヲ者也。
於_レ是乃《割書:吾儕(ハナミ)》拝_レ之曰 ̄フ_一【二点】賜-民薬-方 ̄ト【一点脱】。謹而 口授(クジユ)筆受(ヒツジユ)
焉。仍 ̄リ_二旧貫(キウクワン) ̄ニ_一其 ̄レ可 ̄ヤ_レ忽(ユルカセ) ̄ニ哉。《振り仮名:今-茲|コ[ン]シ》辛未春 遂(ツイ) ̄ニ上 梓(シ) ̄ス。《割書:予》雖_二
不-肖(セウ) ̄ト_一乎所 ̄ノ_レ蔵(ソウ) ̄スル方者。亦欲 ̄ス_レ附(フ)_二驥尾(キビ) ̄ニ_一。当_レ仁 苟(イヤシクモ)所_レ不_レ辞(ジ) ̄セ
也。阿部正興再拝併跋

       《割書:|奥州須加川》       施本
         阿部氏蔵板【印】不許
                  売買
          《割書:|江戸馬喰町二丁目角》
  製本所書肆       西村屋與八

【裏表紙】

洗湯手引草

【表紙 題箋】
《題:洗湯手引草》

【資料整理ラベル】
858

54

六ノ七

【右丁】
       目録
 一 洗湯之由来   一 湯屋鋪金証文之事
 一 湯 語 教   一 同売渡証文之事
 一 湯屋番組大意  一 薪買出 ̄シ早割付
 一 同十組割付   一 奉公人請状之事
 一 大行事順番付  一 同引取一札之事
 一 湯屋万年暦   一 諸薪古木之坪割
 一 中昔湯屋諸興記 一 同車 ̄にて積込之員数
 一 見世法度書之事 一 松才【材のことヵ】坪割直段付
 一 湯屋預 ̄り証文之事 一 三宝日を知る事

【左丁】
夫(それ)湯屋 家業(かきやう)ほど人をさとすに
捷径(ちかみち)の教(おしへ)なるはなし其(その)故(ゆへ)如何(いかに)と
なれは高貴(たかき)もいやしきも湯(ゆ)を浴(あび)ん
とて裸(はだか)になるは天地(てんち)自然(しぜん)の道理(どふり)
にて二 本(ほん)さしたる御武家(おぶけ)がたも
十 徳(とく)着(き)たる医者(いしや)さんも権助(ごんすけ)どの

【蔵書印】
帝国図書館

【購入印】
昭和二一・五・二二・購入

もおさんどのも御坊(おぼう)さんも吾儘子(だゞつこ)も
産(うまれ)たまゝの客(すがた)にて憎(おし)ひ欲(ほ)しいも西(にし)
の海(うみ)へさらり無欲(むよく)のかたち也 欲(よく)垢(あか)
と梵脳(ぼんのう)とあらい清(きよ)めて浄湯(おかゆ)を
浴(あび)れば旦那様(たんなさま)も権助(ごんすけ)も孰(どれ)がどれやら
同(おな)じ裸身(はだかみ)仏(ほとけ)きらいの老人(としより)茂(も)風呂(ふろ)へ

這(はい)れば吾(われ)しらず念仏(ねんぶつ)題目(だいもく)申もあり
向(むかふ)不見(みず)の侠客(いさみきゃく)も裸(はたか)になれば前(まへ)を
おさへて己(おのれ)から恥(はぢ)をしり猛(たけ)き武士(ものゝふ)の
あたまから湯(ゆ)を掛(かけ)られても人 込(ごみ)じゃ
と堪忍(かんにん)を守(まも)り柘榴口(ざくろくち)をくゝる時(とき)
は御免(ごめん)なさひと屈(くゞ)るのは是(これ)洗湯(せんとう)

の徳(とく)ならずや無筆(むしつ)むざんではじめ
てもやす〳〵暮(くら)して過ぎぬるは則(すなはち)洗湯(せんとふ)
人ころさずさればにや銭湯(せんと)に五常(ごぜう)
の道(みち)あり湯(ゆ)をもって身(み)をあたゝめ垢(あか)を
落(おと)し病(やまひ)を治(じ)し草臥(くたびれ)を休(やす)め疾(しつ)ひぜん
にはかゆみをとめ心(こゝろ)よく其夜(そのよ)とつくり臥(ふさ)し

めるのは是(これ)則(すなはち)仁(じん)ならずや小桶(こおけ)のお明(あき)は
御坐(ござ)りませんかと他人(たにん)の桶(おけ)に手(て)をかけず
留桶(とめおけ)を我儘(わがまゝ)に遣(つか)はず又 急(いそい)で明て貸(かす)
たぐひ懇意(こんい)の仁(ひと)には汲(くん)で置(おく)抔(なぞ)是(これ)全(まつた)く
義(ぎ)也 田舎者(いなかもの)で御ざい冷物(ひへもの)で御ざひ御 免(めん)
なさい或(あるい)はおゆより又は御先(おさき)へと演(の)べ或(あるい)は

お静(しづ)か於(お)寛(ゆる)り抔(など)番頭(ばんとう)どのは叮嚀(ていねい)に挨拶(あいさつ)
するは則(すなはち)礼(れい)也 糠(ぬか)あらいこ軽石(かるいし)或(あるい)は糸瓜(へちま)の
皮(かは)で垢(あか)を落(おと)し石子路(いしころ)で毛(け)を切(き)りなで
付 櫛(くし)で髪形(かみかたち)を直(なお)すたぐい則(すなはち)智(ち)也
湯(ゆ)が焦(あつ)いといへば水(みづ)をうめぬるひといへば湯(ゆ)
をうめ互(たかい)に脊中(せなか)をながしあひ老(おい)たる

仁(ひと)には湯を汲(くん)でやるたぐひ則(すなはち)信(しん)也かゝる
芽出度(めでたき)渡世(とせい)なれは水舟(みづぶね)の升(ます)陸湯(おかゆ)
の桶(おけ)水(みづ)迺(の)方円(ほうゑん)に随(したが)ふ道理(どふり)を能(よく)々 悟(さと)り
て流(なが)しの板(いた)農(の)如(ごと)く己(おの)が心(こゝろ)を常(つね)に
磨(みがき)諸(もろ)〳〵の垢(あか)をたける事(こと)なかれこの
道理(どふり)を不弁(わきまへず)心(こゝろ)に驕奢(おごり)の風(かぜ)立(たて)ば身家(しんだい)

は何時(なんどき)にても早仕舞(はやじまい)也 五倫(ごりん)五体(ごたい)は
天地(てんち)よ李(り)の預(あづか)りもの大切(たいせつ)之 品(しな)御 持参(じさん)
之 節(せつ)は見世先(みせさき)万事(ばんじ)に心(こゝろ)を付(つ) ̄ケ喧嘩(けんくは)
口論(こうろん)喜怒哀楽(きどあいらく)の高声(たかごい)御無用(ごむよふ)この
文言(もんごん)を得(とく)と守(まも)り可申候 呼鳴(アヽ)序文(じよぶん)〳〵と
湯を汲(くむ)よふに日々の催促(さいそく)いなみがたく

【左丁】
且(かつは)学者(ものしり)の見(み)る者(もの)もあらざればおこがま
しくも筆(ふで)を採(と)りてくだらぬ事を如此(かくのごとし)
右之通御承知之上御 入湯(にうとう)家業(かきやう)可被成候
以上        《割書:当時風来山人》
  嘉永四辛亥年五月  向晦亭等琳
                しるす

【右丁 挿絵】
                 等琳筆


まき高直に付
子とも衆迄も
ゆせん御ふそくなく
御持参可被下候

【左丁】
    洗湯之由来
人皇(にんのう)四十五代 聖武皇帝(しやうむこうてい)は仁徳(じんとく)の
君(きみ)にまし〳〵ければ皇后(こう〴〵)【左ルビ:きさき】も専(もつぱ)ら仏(ぶつ)
法(ぽう)を信(しん)じさ勢(せ)たまひ多(おふ)くの仏(ぶつ)【左ルビ:て】
舎(しや)【左ルビ:ら】を建(たて)僧(そう)を供養(くやう)し給(たま)ひ大乗(だいぜう)
根機(こんぎ)浅(あさ)からず憐(あはれ)みを垂(た)れた

【両丁挿絵】
         雪山等琳

【右丁】
満(ま)ひし故(ゆへ)已(すで)に仏神(ぶつしん)擁護(おうこ)の奇(き)
特(どく)あらは礼(れ)御身(おんみ)よ李(り)光明(こうめう)
燿(かゞや)きければ時(とき)の人 光明皇后(こうめうこうごう)とあが
免(め)奉(たてまつ)りし東(と)かやしかるに即身(そくしん)即(そく)
仏(ぶつ)南(な)りと怠慢(たいまん)農(の)障礙(しやうげ)に帝(て)
光明(こうめう)堂(た)ち満(ま)ち消失(しやうしつ)【左ルビ:きうせ】せ里(り)こゝに

【左丁】
おいて后(きさき)大に驚歎(きやうたん)【左ルビ:おとろき】し大 慈(じ)の
悲願(ひぐわん)を発起(ほつき)し給(たま)ひ破風造(はふづくり)の
浴室(よくしつ)【左ルビ:ゆや】を営(いとな)【左ルビ:たてる】み千人能(の)垢(あか)をあらひ
清(きよ)め給(たま)はんと誓(ちか)ひて自(みづか)ら往来(おうらい)
凡下(ぼんか)の旅人(りよじん)貴賤(きせん)【左ルビ:たつとき いやしき】をわかたす流(なが)し
さりたまふぞかし古(こ)く母(も)閑(か)たじけ

【右丁】
なきさ麗(れ)ば九百九十九人の数(かづ)も
満(みち)て今壱人にて大 願成就(ぐはんじやうじゆ)に
至(いた)類(る)とき忽然(こつぜん)として壱人の
乞丐人(かたいにん)出来(いでき)た梨(り)総身(そうしん)たゞれ
脳血(のうけつ)ほどばしり臭気(しうき)【左ルビ:くさき】堪(たへ)がたく
多(おふ)くの宮女(きうじよ)鼻(はな)を掩(おほ)ひてかたはら

【左丁】
によるものさらになし后(きさき)是(これ)をも
いとひ給(たま)はずいか伝(で)悲願(ひぐはん)を空(むなし)う
せんと帝(て)自(みづから)汚穢(けかれ)の旧垢(ふるあか)を流(あらい)
浄(きよ)めたまひけるに乞丐(かたい)怡然(いぜん)と
して我(わか)瘡脳(そうのう)痒(かゆく)して堪(たへ)がたし
口にて吸(すい)出したまはらんやと

【右丁】
いゝけるを后(きさき)のぞみにまか勢(せ)
こと〴〵く悪脳(あくのう)を吸(す)ひたまはら
んとしたもふ時に乞丐(かたい)の身(み)
より金色(こんじき)のひかりをはなち
善哉(よきかな)我(われ)は東方(とうほう)阿閦仏(あしゆくぶつ)なりと
のたまひて紫雲(しうん)のうちに入り

【左丁】
たまへば后(きさき)もふたゝび光明(こうめう)赫々(かく〳〵)
とあらはれけるこそ難有(ありがた)けれ今(いま)
に其(その)事蹟(じせき)奈良(なら)の里(さと)に残(のこ)り
け類(る)是(これ)洗湯(せんとう)の濫觴(らんしやう)【左ルビ:おこり】にて風呂(ふろ)
の上に破風(はふ)を付(つけ)し由来(ゆらい)なりける

【右丁 挿絵あり】
右之 道具(とふぐ)るいは
雨(あめ)ふり休日等には損(そん)じ
候処を直(なお)し造(つくろ)ひを致べし

井戸 綱(つな)之 縄(なは)は平日たやさぬ
よふにたくはへ置(おき)折々(おり〳〵)
朝飯(あさめし)まへに一 本(ほん)ッヽ打(うた)せ置(おき)可申
若(もし)是(これ)をおこたれは家業(かきやう)に
手(て)支(つかゆ)る事(こと)有(ある)べし

【左丁】
此(この)湯語教(ゆごけう)は湯女意観(ゆによいくわん)世 音洗湯(おんせんとふ)農(の)
規則(きぞく)堂(た)る釈氏(しやくし)の釜火(かまひ)ばしを
定規(じやうぎ)に比喩(ひゆひ)方便(ほうべん)を湯沢山(ゆたくさん)清水院(せいすいいん)
洗湯寺(せんとふじ)沐浴上人(もくよくしやうにん) ̄え つげて湯屋(ゆや)の
衆生(しゆじやう)だんに如是我聞(によぜがもん)と授(さづか)り給(たま)ふ
誓(ちかひ)の御哥(おんうた)に

【右丁】
 火(ひ)と水(みづ)の恵(めぐみ)も深(ふか)き湯屋(ゆや)とせひ
  薪(たきゞ)のおかげ頼(たのも)しきか那(な)
 平生(へいぜい)の身(み)もちにほしや風呂(ふろ)上(あが)り
斯(かく)湯屋(ゆや)のことを能(よく)近(ちか)く俗(そく)に和(やはら)げて
湯語教(ゆごけう)なれり此書(このしよ)を暗記(そらん)ずれは
自(おのづから)商売(せうばい)の意(こゝろ)に叶(かな)ひ誠(まこと)の道(みち)に

【左丁】
至(いた)るべし故(かるがゆへ)に薪(まき)を割(わ)り脊中(せなか)を
ながす片手間(かたてま)にも湯屋(ゆや)たるもの
奴婢(ぬび)【左ルビ:めしつかひ】を使(つか)ふ主人(あるじ)に此書(このしよ)を読(よま)しむ
べしと賢人(けんじん)めかして■(つゝれ)【糸+写】しを
覗(のぞき)きが穴(あな)を見(み)すかして褌盥(ふんどしだらい)の
底(そこ)あさき戯書(たはむれがき)をあてがきに

【右丁】
書(かき)し白痴(たわけ)なやつと人の譏(そし)らむ
事を爪(つめ)とる鋏(はさみ)できらりと思ひを
かる石(いし)で踉(かゝと)の厚皮(あつかは)をこする
心地(こゝち)してかくばかり嗚呼(あゝ)
湯あがりに満尾(まんひ)の紅(くれない)奈(な)るを
夫(それ)如何(いかん)ぞせむ

【左丁】
湯(ゆ) 語(ご) 教(けう)
《振り仮名:薪高故不_レ焚_二多分_一|まきたかきがゆへにたんとたかず》   《振り仮名:以_レ有_二古木_一薪為_レ貴|ふるきあるをもつてまきたつとしとす》
《振り仮名:株肥故預人不_二引合_一|かぶこひたるがゆへにあづかりにんひきあはづ》 《振り仮名:以有_二【三点は誤】客数多_一為_レ貴|きやくたんとあるをもつてたつとしとす》
湯屋者是一生財(ゆやはこれいつしやうのたから)    身滅則子株主成(みめつしてもすなはちこはかぶぬしとなる)
湯株是万代之財(ゆかぶこればんだいのたから)    《振り仮名:命終而必勿_二【一点は誤】滅事_一|いのちおはつてもかならずめつすることなかれ》

【右丁】
《振り仮名:湯屋不_レ磨無_二光沢_一|ゆやみがゝざればひかりなし》  《振り仮名:無_レ光常客人不_レ入|ひかりなきはつねにきやくじんいらず》
《振り仮名:石垣不_レ磨糠汁穢|いしがきみがゝざればぬかしるでよごれ》  奇麗湯屋常繁昌(きれいなゆやはつねにはんじやうす)
《振り仮名:風呂内湯有_二減事_一|ふろのうちのゆはへることあり》   《振り仮名:井之内水者無_レ減|いのうちのみづはへることなし》
《振り仮名:雖_レ積_二【五点は誤】一日之現金_一|いちにちのげんきんをつむといへども》 《振り仮名:不_レ如_二 【五点は誤】一日之薪前_一|いちにちのたきゝまへにはしかづ》
《振り仮名:冬商売常不_二引合_一|ふゆはしやうばいつねにひきあはづ》   夏之内心掛而(なつのうちにこゝろがけて)《振り仮名:可_レ残|のこすべし》

【左丁】
《振り仮名:釜厚永不_レ損涌遅|かまあつければながくそんぜづわくことおそし》 《振り仮名:釜薄是為_二【三点は誤】財物釜_一|かまうすければこれざいもつのかまとす》
一日薪一本除焚(いちにちにまきいつぽんよけたけば)   三百六拾本虚焚(さんびやくろくじつぽんむだにたく)
《振り仮名:一本不_レ疎助_二数日_一|いつぽんおろそかにせさればすじつをたすく》 況一生数年損乎(いわんやいつしやうすねんのそんをや)
《振り仮名:故客計不_レ余不_レ足|かるがゆへにきやくばかりあまらづたらづ》  《振り仮名:心付而可_レ焚_二釜前_一|こゝろづけてかままへをたくべし》
《振り仮名:召仕譬如_二【三点は誤】手足之_一|めしつかひたとひばてあしのごとし》 《振り仮名:朝夕御客尽_二愛想_一|てうせきおきやくにあいそうをつくせ》

【右丁】
《振り仮名:四大日々逢_二【二点脱】盗賊_一|しだいひゞにとふそくにあへば》 《振り仮名:心神夜々為_二苦労_一|しんじんや〳〵にくろうする》
《振り仮名:透時無_レ怠不_二能番_一|すいたときおこたりなくよくばんをせされば》 《振り仮名:盗而後雖_二【三点は誤】恨悔等_一|ぬすまれてのちうらみくやむといへども》
《振り仮名:猶言訳無_レ在_二所益_一|なをいへわけしよゑきあることなし》  故夏眠催勿番怠(かるがゆへになつはねむりをもやうしてばんをおこたることなし)
《振り仮名:添番台居増_レ眠|そいばんだいにすわればねむりをます》   《振り仮名:込逢中立番勿_レ怠|こみおふなかたちばんおこたることなかれ》
《振り仮名:隣湯屋常不_レ合_レ気|となりのゆやとつねにきがあはづ》   《振り仮名:面向能而心如_二用針_一|おもてむきよくしてこゝろにはりをもちゆるがごとし》

【左丁】
《振り仮名:我他人之取_二徳意_一|われたにんのとくいをとれば》   《振り仮名:他人亦我取_二徳意_一|たにんまたわがとくいをとる》
《振り仮名:是論互不_レ成_二商売_一|これをあらそへばたがひにせうばいにならづ》 《振り仮名:飛_二【三点は誤】夏虫之_一如_レ入_レ火|なつのむしのとんでひにいるがごとし》
《振り仮名:泰平国恩如_二 天地_一|たいへいのこくおんてんちのごとし》   《振り仮名:徳沢恵渡世為_二安堵_一|とくたくのめぐみとせひあんどする》
《振り仮名:株主御影如_二日月_一|かぶぬしのおかげじつげつのごとし》   《振り仮名:手薄如_レ映_二【三点は誤】手厚影_一|てうすにしててあつきかげのうつろふがごとし》
《振り仮名:水之恩者深_レ従_レ海|みづのおんはうみよりふかし》   《振り仮名:上水夏温冬如_レ氷|じやうすいなつはなまぬるくしてふゆはこふりのごとし》

【右丁】
堀井戸夏冷冬温(ほりいどなつはひやゝかにしてふゆはあたゝか) 《振り仮名:深井戸綱早可_二取替_一|ふかきいどのつなははやくとりかいべし》
《振り仮名:薪之徳者高_レ従_レ山|まきのとくはやまよりたかし》   《振り仮名:従_二【三点は誤】本所【一点衍】薪_一徳_二海薪_一|ほんじやうまきよりうみまきとくなり》
《振り仮名:伝放一両人不_レ押|でんぼういちりやうにんおさいべし》   《振り仮名:大勢押終成_二喧嘩_一|おゝぜいおさふればつへにけんくわとなる》
《振り仮名:三宝御捻除_二落銭_一|さんぼうのおひねりおちせんをよける》   《振り仮名:是無銭之為_二埋草_一|これむせんのうめくさにする》
弱哉(よはへかな)弱哉(よはへかな)此(この)商売(しやうばい)  御前之御無理御尤(おまへのごむりはごもつとも)

【左丁】
少湯銭子供引連(わづかなゆせんでこどもひきつれ)    《振り仮名:擬八文湯溢如_レ滝|あてがひのはちもんでゆをあぶることたきのごとし》
《振り仮名:有_二【三点は誤】熱言者_一有_二【三点は誤】温言人_一|あついといふものありぬるいといふひとあり》 《振り仮名:真似_二木魚_一唱_二【レ点は誤】念仏_一|もくぎよのまねをしてねんぶつをとなひ》
《振り仮名:喘涸声呻_二【三点は誤】浄瑠璃_一|しやがれたこへでじやうるりをうなる》【注】  《振り仮名:拌返而成_レ炎腹立|まぜかへされてあつくなつてはらをたつ》
《振り仮名:終■【扌+放】_二小桶_一湯為_二仕舞_一|はてはこおけをほふりゆをしまはせ》  《振り仮名:或風呂中放_二灰墨_一|あるひはふろのなかへはいずみをはなち》
無尽呪軽石盗隠(むじんのまじないにかるいしをぬすみかくす)  《振り仮名:借_二着物_一更以不_レ返|きものをかりてさらにもつてかへさづ》

【注 淪瑠理は誤ヵ】

{

"ja":

"養生女の子算"

]

}








  《題:養生女の子算 全》








養生女の子算       全







《題:養生女の子算  全》








《題:養生女の子算  全》

【右丁 白紙】

【左丁】
養生女(やうじやうめ)の子算(こざん)序
孝経(かうきやう)に曰く身体髪膚(しんたいはつぷ)これを父母(ふぼ)に受て敢(あへ)て毀(そこな)ひ傷(やぶ)ら
ざるは孝(かう)の始(はしめ)とかや万物(ばんぶつ)の霊(れい)たる人として孝行(かう〳〵)の心(こゝろ)なきは
禽獣(きんじう)にも劣(おと)るべし人として人たらん事(こと)をおもはヾ親(おや)の
こゝろざしを養(やしな)ふを始とす親の志(こゝろざし)を養はん事を思はヾ
子たるものゝ我身(わかみ)/全(まつ)たからん事をおもふべし我身
全(まつ)たからん事を思(おも)はヾまづ我/心(こゝろ)を正(たゝし)ふしよく〳〵身を
脩(おさめ)て風寒暑濕(ふうかんしよしつ)等に/侵(おか)されず高(たか)きに/登(のぼ)らず深(ふか)きに/臨(のぞ)
まず過食大酒(くはしよくたいしゆ)などのために/命(いのち)を縮(ちゞ)めず天然(てんねん)の寿(じゆ)を
保(たも)つべし是親(これをや)の志(こゝろざし)をやし【合字ヵ】なふ根元(こんげん)なり人の稟得(うけえ)たる

天然(てんねん)の福禄寿(ふくろくじゆ)は天命(てんめい)の定(さだま)りありて人力(じんりき)にて延縮(のひちゞみ)の
ならぬものとおもふ人/多(おほ)し是を然(しか)らずといふはあらざれ
ども人力(じんりき)にて出来(でき)ることも又多し勉(つとめ)て其身を全(まつた)ふし
親(をや)の志(こゝろざし)を養(やしな)ひ万善(ばんせん)の長(ちやう)たる孝(かう)の道をつとむれは親
もよろこび其身も慊(こゝろよ)く長生(ちやうせい)する事/白昼(はくちう)に/掌(たなこゝろ)を
見るがごとくなる故/題(だい)して女(め)の子算(こざん)としかいふ

                    辻 慶 儀




養生(やうじやう)めの子ざん
中庸(ちうよう)に/曰(いは)く。天(てん)の命(めい)これを性(せい)といふ性に/率(したが)ふこれを
道(みち)といふ道(みち)を脩(をさむ)るこれを教(おしへ)といふと天は万物(ばんぶつ)を生(うみ)
出(いだ)し万物を養(やしな)ひたまふ事/聖人(せいじん)の子を育(そだて)たまふに
異(ことなる)ことなし天に陰陽(いんよう)五行の徳ありて目にも見えず手
にもとるれね【ママ】どもその徳天地に/充満(じうまん)して万物に
その徳(とく)をほどこしあたへ給ふところを命(めい)といふ万物に
稟(うけ)たるところを性といふされども稟(うく)る万物の方(かた)に
大小/厚薄(こうはく)清濁(せいだく)ありて己(おの)が分際(ぶんげん)ほどにうくるなり
古歌(こか)に〽はるさめのわきてそれとはふらねどもうくる

くさ木のおのがさま〴〵といふがごとく天より命(めい)ぜらるゝ
ところの性(せい)は平等(びようどう)一/枚(まい)なれどもうくる方の分限(ぶんげん)
ほどに請(うく)るなればその分限に過不及(くはふぎう)のなきやう
に守(まも)り行(おこな)ふを性にしたがふこれを道(みち)といふその
過不及(あまりたらず)のなきやうにとは聖賢(せいけん)のをしへによるに
しくはなし是(かく)の如(ごと)きの道理(だうり)をよく〳〵しり弁(わきま)へ
て守(まも)り行(おこな)へば銘々(めい〳〵)分限の天寿(てんじゆ)を保(たも)つべし
天寿といへば寿命(じゆめう)の長短(ちやうたん)は定(さだま)りたるものにて
延(のび)も縮(ちゞみ)もならぬものと思(おも)ふ人多しそれは道理(だうり)
にくらきなり然(しかり)といへども三十歳天寿/請(うけ)しもの


何(なに)ほど養生(やうじやう)すとも八十歳までも長寿(ちやうじゆ)するものに
あらず三十歳の天寿(てんじゆ)を四十才か五十才までは養
生の仕やうにて延(のぶ)るなり先(まづ)第一の養生には天の命と
いふ事をよく〳〵合点(がてん)すべきなり天の命(めい)をいふは
上(うへ)より下(しも)へ下知(げぢ)あるを命といふたとへば爰(こゝ)に君あつて
臣(しん)に何事(なにごと)によらず命ぜらるゝに大役(たいやく)には大禄(たいろく)を
あたへ小役には小禄をあたへ給ふがごとく性(せい)の厚薄(かうはく)に
天禄(てんろく)にも厚薄あり性の厚(あつ)きは有(ゆう)徳の明智を
うけて根気力量(こんきりきりやう)もつよく寿命(じゆめう)もながく食(しよく)禄も
多(おほ)し性のうすきは其裏(そのうら)にて智も浅く根気力

量(れう)もよはく短命(たんめい)にて食禄(しよくろく)もすくなし此ゆゑに幼(よう)
少(しやう)にてそだゝぬものあり長生(ながいき)するものあり人々/天然(てんねん)の
寿命(じゆめう)は人力のおよぶところにあらずされども養生の
仕やうをしらざれば長生(ちやうせい)すべきものも短命(たんめい)なるもの
多(おほ)し短命(たんめい)なるべきものも長生(ながいき)するものあり養生を
せず天寿を殤(そこな)ひ短命(たんめい)なるほど父母(ふぼ)へ不孝(ふかう)なるは
なし養生の仕様(しやう)に三つの品ありその一ツはこゝろの
養生また一ツは身の養生又一ツは食事(しよくじ)の養生也
   心(こころ)の養生
心の養生は意(こゝろざし)を誠(まこと)にし心を正(たゝし)ふせよといふ事(こと)を


暫(しはらく)もわすれず能々(よく〳〵)守るべしこれ長生の術(じゆつ)なり心は
一身の主(あるじ)なる故/体(からだ)は家来(けらい)のごとく心は心の徳を失
たれは耳目口鼻(じもくこうひ)に私(わたくし)なし心の徳を失(うしなは)ざるやうは心
を公(おほやけ)にすべし心を公にすとは自己(じこ)一分の身勝手(みがつて)を
せず天理(てんり)の当然(とうぜん)に随(したが)ふをいふ天理の当然に随ふ
とは何事(なにこと)によらず一念心(いちねんしん)の発(はつ)する所の己(おのれ)が心をお
さへて先祖(せんぞ)と親(おや)の心をこゝろとすれば心/広(ひろ)く体(てい)ゆ
たかにて天寿をよく保(たもつ)べしかくのごとくせず心の
徳をうしなへは耳目口鼻(じもくこうび)に我(わが)まゝありて日々夜々(にち〳〵やゝ)に
寿命をちゞめ短命(たんめい)となるさて又心づかひほど寿

命(めう)のどくはなし心(こゝろ)づかひせぬがよしといふ人/多(おほ)し至極(しごく)
尤(もつとも)なりしかしなから心づかひする性分(しやうぶん)は心づかひせまじ
とおもへば猶(なほ)心づかひなり尤心づかひに弐ツの品あり
何程(なにほと)心づかひしても天理(てんり)の当然(とうぜん)を守(まも)れば寿命(じゆめう)を
縮(ちゞむ)るものにあらず天理の当然を守らず己(おのれ)が身勝
手の心づかひをすれば天の憎(にく)み給ふ所にて寿命を
ちゞめ短命(たんめい)なる事/氷(こうり)を火にあぶるがごとし恐(おそ)るべし
つゝしむべし
   身(み)の養生(やうじやう)
身の養生には根気(こんき)八分といふ事をよく守るべし根


気八分(きはちぶ)といふは銘々(めい〳〵)うまれ付の根気力量(こんきりきりやう)の八部を
用(もち)ひて十分の根気力量を用ひざるなりたとへば重(おも)さ拾
貫目を持(もつ)ほどの力あらば八貫目を持て十五貫目もつ
程(ほど)の力あらば拾弐貫目を持ち弐拾貫目持ものは
拾六貫目もちて道(みち)を歩行(あゆむ)も一日に十里/歩行者(あるくもの)
は八里にて泊(とま)り十五里/行(ゆく)ものは十二里弐十里の
ものは十六里にし此外(このほか)万年根気力量を十分に遣(つか)
はずに無理につかふは血気(けつき)を傷(そこな)ふて寿命(じゆめう)の毒(どく)なりさり
ながら体(からだ)をつかふのみ毒のやうに思ふは心得(こゝろえ)ちがひなり逸(いつ)
居(きよ)して身体(志んたい)を倦(うま)すは甚(はなは)だ寿命の毒なり譬(たとへ)は

家屋敷(いへやしき)にても人も住(ぢう)せずに/空家(あきや)にておき火も焼(た)
かず掃除(さうぢ)もせず建具などのたて明(あけ)もせざれば風も
通(とふ)らず湿(しけ)まはりて早く腐(くさ)りあるひは虫(むし)ばみなどして
のちには修復(しゆふく)にも掛(かゝ)りがたきが如(ごと)し只(たゝ)長生(ちやうせい)の為(ため)には
毎朝(まいあさ)早く起(おき)て衣類(いるい)着(き)かへて程(ほど)よきくらゐ労動(ろうどう)す
るが薬なりかくのごとき考(かんがへ)もなく只(たゝ)欲(よく)のために身(み)に
不相応(ふさうわう)の重荷(おもに)を持ち角力(すまふ)を取あるひは慰(なぐさめ)の為(ため)に
格別(かくべつ)の重(おも)き物を力(ちから)持などをするものゝ長命(ちやうめい)なるは
少(すくな)きを見るべし殊(こと)に耳目(じもく)口鼻(こうび)形(げう)の慎(つゝし)みなく女色(ぢよしよく)に
淫(ふけ)りなどして天然の寿命を保(たもた)ざるは親(おや)先祖(せんそ)へ甚(はなはた)


以て不 孝(かう)なり能々(よく〳〵)慎(つゝしみ)て天寿を傷ふ事なかれ
   食養生(しよくようしやう)
食物は腹八分(はらはちぶ)といふ事/尤(もつとも)なりされども腹八分をよく
守り天然の寿を保(たも)つ人すくなし人々/生(うま)れ付に/強(つよ)きあり
弱(よは)きあるは天然にて人力(じんりよく)の及(およ)ばぬ所なれども其人(そのひと)相(さう)
応の食養生せば其人の天寿を保つべし食物は
命(いのち)をつなぐ第一なれば用(もち)ひやう大(おほ)きに心得(こゝろえ)あるべき也
命をつなぐは五穀(ごこく)なれども過(すぐ)れは却(かへつ)て毒となるたとへは
田畑(でんはた)にもこやし過(すぐ)ればかるゝがごとしいはんや慰(なぐさめ)のために
美(び)食をこのみ大食大酒などして命を損(そん)ずるは勿体(もつたい)

なき事なり若(もし)振舞(ふるまひ)等(など)の節(せつ)にても過食(くはしよく)過酒などは
すまじき事なりふかく心得/慎(つゝしむ)べし食物の養生にて
天然の寿命を延(のば)し長寿の仕やうあり天然の寿命
に強弱(きやうじやく)長短(ちやうたん)ありて天より相応(さうわう)の御当飼(おあてがい)ありたとへば
御上(おかみ)より臣下(しんか)へ遣(つか)はさるゝも役(やく)の髙下(かうげ)により知行(ちぎやう)に
大小あるかごとく幼稚(やうち)にて育(そた)たぬものあり百/歳(さい)より長(なか)
生(いき)の人もあり是を平均(へいきん)して凡人(およそひと)一代を五十歳と見て
食物も通例(つうれい)のはたらきの人/平均(へいきん)して凡日に四合ヅヽ
くらゐなり是を天禄として一年に壱石四斗四合となる
なり五十年には七十弐石也是を日々に大食すれば


天禄を喰縮(くひしゞ)めるゆゑ天寿を闕(かい)て短命(たんめい)となる
亦(また)小食(しやうしよく)【注】して喰 延(の)ばせば天寿を延し長寿となる
これ女(め)の子(こ)算(ざん)にてすこしも疑(うたが)ふ処にあらずしかれども
日に三/度(と)の定食の外(ほか)に間(あひ)の食を過(すご)し大酒など
を慎(つゝし)まず心の養生身の養生あしければ女の子算
用大きに間違(まちが)ふべし能々(よく〳〵)守りつゝしむべし天
禄を喰(くひ)延し長寿の女の子算左のごとし
  壱人分一日の飯米(はんまい)四合ヅヽにしては
   五十年の天禄高七十弐石也
  三/合半(かうはん)ヅヽにすれば  五十七才余を保(たもつ)

【注 「しょうしょく」の表記は「小食」・「少食」が有ります。筆勢から「少」の最終画と「食」の第一画の合字かとも思われますが、「小」かもしれず悩ましい。】




  三合 ヅヽにすれば   六十六才余を保
  弐合半ヅヽにすれば   八十才 を 保
  弐合 ヅヽにすれば   百 歳 を 保
飯(はん)は身を養ふ結構(けつこう)なる物なれ共/食過(くひすご)せば腗胃(ひゐ)を
破(やぶ)り元気(げんき)を損(そん)す他(ほか)の食(くひもの)過(すごし)たるより害(がい)もまた強(つよ)し
常に宜(よき)ほどの分量(ぶんれう)をさだめ置むら喰(ぐひ)する事
なかれ食をひかへ過(すご)せは養ひたらずして痩衰(やせおとろ)ふといふは
養生をしらぬ人のいふ事なり腹はずい分すかせば
気(き)よく順(めぐ)りて達者(たつしや)なり廻(めぐ)り悪(あし)ければやまひを
発(はつ)すよく〳〵思ふべし野菜(やさい)魚肉(ぎよにく)ともに飯の割合(わりあひに)すく


なきがよし飯のわり合より過(すぐ)るは多く害(がい)あり
何にても好(すき)なものは毒にならぬといひ伝(つた)へし事あり
是も一理(いちり)ある事なれども五味編勝(ごみへんしやう)といふこと有て
一味を多(おほ)く喰(くひ)すごせは害あり甘(あま)きもの多ければ腹(はら)
はりいたむ辛(から)きもの過れば気上(きのぼ)り気へり瘡(くさ)を生(しやう)じ
眼(め)にあしく鹹(しほはゆ)きものをほければ血(ち)をかはかし咽(のど)かはく
湯水を多(おほ)く呑(のめ)は湿(しつ)を生じ腗胃(ひゐ)をやぶる苦(にが)きもの
多(おほ)ければ腗胃の生気(しやうき)を損(そん)ず酸(す)き物多ければ
気/縮(ちゞま)る五味を備(そな)へ少々(すこし)ヅヽ喰(くら)へば病(やまひ)も生せず諸菜(しよさい)
諸肉(しよにく)も同じ物をつゞけて食すれば滞(とゞこふり)て害有酒は

酒宴(しゆゑん)などの節(せつ)壱升も飲(の)むほどの人ならば七八/合(かう)計(ばかり)
り【衍】に飲(の)みて其余(そのよ)をのまず是等(これら)の人/毎日(まいにち)養生のために
飲(のむ)ならば分量(ぶんれう)の五(いつゝ)が一(ひとつ)を用れは気血(きけつ)循環(じゆんくはん)して薬と
なるべし百薬(ひやくやく)の長(ちやう)たる酒なれども分量を過(すご)すときは
害(がい)をなす事 甚(はなはだ)し故に大酒を呑人(のむひと)多くは多病(たびやう)短(たん)
命なり分量を守らざる故なり又/一向(いつかう)に酒を呑(のま)ざる
人/保(ほ)養のために酒を用(もち)ゆるときは美酒(びしゆ)をゑらみ一
勺(しやく)か弐勺ほど用(もちひ)て鬱散(うつさん)すれば薬となる事/疑(うたが)ひなし
飲(のみ)がたきを無理に飲は酒毒となりて其害(そのがい)甚(はなはだ)多(おほ)し
天然の寿命をちゞむ恐(おそ)るべしつゝしむべし


惣(さう)じて病人不食なれば命(めい)は食にありといへど何にても
病人(びやうにん)のこのむ物を薬なりと思ひて喰(く)ふべしといふ人
多し是にて勘弁(かんべん)のあるべき事なり病気(びやうき)にもよるべし
大体(たいてい)の病人/薬(くすり)より食事(しよくじ)にて治る事多し殊(こと)に脾(ひ)
胃(ゐ)より出たる病症(びやうせう)または不順(ふじゆん)より発(おこり)たる症などは別(べつ)
して食養生(しよくやうじやう)にて治る事/多(おほ)し右様(みぎやう)の病症にはその
人/常(つね)に飯(はん)三/椀(わん)ヅヽ喰(く)ふ人不 食(しよく)にて二/椀(わん)ならでくはぬ
には白粥(しらかゆ)にして壱/度(ど)に一/椀(わん)づゝにすべし常(つ年)に飯(はん)三
椀(わん)ヅヽ喰(く)ふ人ふしよくにて一/椀(わん)ならでくはぬ人は白粥(しらかゆ)
にして半/椀(わん)づゝにすべしかくのごときの割合(わりあひ)をもつて凡

十日はかり守(まも)れは/小食(しやうしよく)の白(しら)かゆ甚(はなは)だ風味(ふうみ)うまくなりて
元気(けんき)衰(おとろ)ふものにあらず腹中(ふくちう)の工合(くあひ)よくなるゆゑ食(しよく)
すゝむやうになるものなり其時(そのとき)が養生(やうじやう)の大事(たいじ)なり全快(せんくはい)して
何(なに)ほど食すゝむとも急(きう)に食物を増(ま)さず弥(いよ〳〵)病人の快(こゝろよき)を
考(かんが)へて七日めほどつゝぐらゐに白粥(しらかゆ)一椀の四ツ割(わり)一ツ分程
づゝ増(まし)て常体(しやうてい)の体(からだ)となり常(つね)の働(はたら)き出来(でき)るやうになり
ても少(すこ)しひかへて定食(ぢやうしよく)をきはめてむら喰をせぬがよし
右此/養生(やうしやう)女(め)の子算(こざん)をよく読(よみ)まもれば長寿(てうしゆ)のみに
あらず五倫(ごりん)の道(みち)もたち家業繁昌(かぎやうはんじやう)子孫長久(しそんちやうきう)の
基(もと)ひを開(ひ)らく道に近(ちか)からん乎(か)と爾云【云爾とあるところ】


附録
凡/道(みち)に志(こゝろざ)す人も家(いへ)貧(まづ)しけれは妻子(さいし)眷属(けんぞく)の礼も
自から斉(とゝの)はず世間(せけん)の人にも思はす不義理(ふぎり)多くなり
易(やす)し又/冨(とむ)といへども道(みち)を弁(わきま)へざれば内外(うちと)の事に付て
無理(むり)多く人の恨(うら)みを請(うく)る事/少(すく)なからず只人(たゝひと)は常に
家業(かぎやう)に怠(おこた)りなく倹約(けんやく)をよく守(まも)り入(いり)を計(はかり)て出るを
節(せつ)にすれば世帯(せたい)の大小に拘(かゝ)はらず親族(しんぞく)和合(わがう)して
家(いへ)よく斉(とゝの)ふべしよく道(みち)に叶(かなふ)て金銀(きん〴〵)に手支(てづかへ)ざる
仕様(しやう)左(さ)のごとし
 譬(たとへ)ば年に拾/貫目(くはんめ)徳分(とくぶん)あるものならば八/貫目(くはんめ)にて

 くらせば/弐貫目延(にかんめのび)る是を五/朱(しゆ)の利足(りそく)に廻す
二年目 /延銀(のびぎん)弐貫目前年の利足(りそく)百弐拾目 
    合て 四貫百弐拾匁と成
三年目 延銀弐貫目 利足弐百四拾七匁弐分
    合  六貫三百六拾七匁弐分
四年目 延銀弐貫目 利足三百八拾弐匁
    合  八貫七百四拾九匁弐分
五年目 延銀弐貫目 利足五百弐拾四匁九分
    合  拾壱貫弐百七拾四匁壱分
六年目 延銀弐貫目 利足六百七拾六匁四分


    合  拾三貫九百五拾匁五分
七年目 延銀弐貫目 利足八百三拾七匁
    合  拾六貫七百八拾七匁五分
八年目 延銀弐貫目 利足壱貫七匁弐分
    合  拾九貫七百九拾四匁七分
九年目 延銀弐貫目 利足壱貫百八拾七匁六分
    合  弐拾弐貫九百八拾弐匁三分
十年目 延銀弐貫目 利足壱貫三百七拾八匁九分
    合  弐拾六貫三百六拾壱匁弐分
十一年目延銀弐貫目 利足壱貫五百八拾壱匁六分

    合  弐拾九貫九百四拾弐匁八分
十二年目 延銀弐貫目 利足壱貫七百九拾六匁五分
    合  三拾三貫七百三拾九匁三分
十三年目 延銀弐貫目 利足弐貫弐拾四匁三分
    合  三拾七貫七百六拾三匁六分
十四年目 延銀弐貫目 利足弐貫弐百六拾五匁八分
    合  四拾弐貫弐拾九匁四分
十五年目 延銀弐貫目 利足弐貫五百廿壱匁七分
    合  四拾六貫五百五拾壱匁壱分
十六年目 延銀弐貫目 利足弐貫七百九拾三匁


    合  五拾壱貫三百四拾四匁壱分
十七年目 延銀弐貫目 利足三貫八十匁六分
    合  五拾六貫四百弐拾四匁七分
十八年目 延銀弐貫目 利足三貫三百八拾五匁四分
    合  六拾壱貫八百拾匁壱分
十九年目 延銀弐貫目 利足三貫七百八匁六分
    合  六拾七貫五百拾八匁七分
二十年目 延銀弐貫目 利足四貫五拾壱匁壱分
    合  七拾三貫五百六拾九匁八分
二十一年目 延銀弐貫目 利足四貫四百拾四匁壱分

    合  七拾九貫九百八拾三匁九分
二十二年目 延銀弐貫目 利足四貫七百九拾九匁
    合  八拾六貫七百八拾弐匁九分
二十三年目 延銀弐貫目 利足五貫弐百六匁九分
    合  九拾三貫九百八拾九匁八分
二十四年目 延銀弐貫目 利足五貫六百三拾九匁三分
    合  百壱貫六百弐拾九匁壱分
二十五年目 延銀弐貫目 利足六貫九拾七匁七分
    合  百九貫七百弐拾六匁八分
二十六年目 延銀弐貫目 利足六貫五百八十三匁六分


    合  百拾八貫三百拾匁四分
二十七年目 延銀弐貫目 利足七貫九拾八匁六分
    合  百弐拾七貫四百九匁
二十八年目 延銀弐貫目 利足七〆【貫】六百四十四匁五分
    合  百三拾七貫五拾三匁五分
二十九年目 延銀弐貫目 利足八貫弐百弐拾三匁弐分
    合  百四拾七貫弐百七拾六匁七分
三十 年目  延銀弐貫目 利足八貫八百三拾六匁六分
    合  百五拾八〆【貫】百拾三匁三分
三十一年目 延銀弐貫目 利足九貫四百八拾六匁七分

    合  百六拾九貫六百匁
三十二年目 延銀弐貫目 利足拾貫百七拾六匁
    合  百八拾壱貫七百七拾六匁
三十三年目 延銀弐貫目 利足拾貫九百六匁五分
    合  百九拾四貫六百八拾弐匁五分
三十四年目 延銀弐貫目 利足拾壱貫六百八拾匁九分
    合  弐百八貫三百六拾三匁四分
三十五年目 延銀弐貫目 利足拾弐貫五百壱匁八分
    合  弐百弐拾弐貫八百六拾五匁弐分
三十六年目 延銀弐貫目 利足拾三貫三百七拾壱匁九分


    合  弐百三拾八貫弐百三拾七匁壱分
三十七年目 延銀弐貫目 利足拾四貫弐百九拾四匁弐分
    合  弐百五拾四貫五百三拾壱匁三分
三十八年目 延銀弐貫目 利足拾五貫弐百七拾壱匁八分
    合  弐百七拾壱貫八百三匁壱分
三十九年目 延銀弐貫目 利足拾六貫三百八匁壱分
    合  弐百九拾貫百拾壱匁弐分
四十 年目 延銀弐貫目 利足拾七貫四百六匁六分
    合  三百九貫五百拾七匁八分
四十一年目 延銀弐貫目 利足拾八貫五百七拾壱匁

    合  三百三拾貫八拾八匁八分
四十二年目 延銀弐貫目 利足拾九貫八百五匁三分
    合  三百五拾壱貫八百九拾四匁壱分
四十三年目 延銀弐貫目 利足弐拾壱貫百拾三匁六分
    合  三百七拾五貫七匁七分
四十四年目 延銀弐貫目 利足弐拾弐貫五百目四分
    合  三百九拾九貫五百八匁壱分
四十五年目 延銀弐貫目 利足弐拾三貫九百七拾匁四分
    合  四百弐拾五貫四百七拾八匁五分
四十六年目 延銀弐貫目 利足弐拾五貫五百弐拾八匁七分


    合  四百五拾三貫七匁弐分
四十七年目 延銀弐貫目 利足弐拾七〆【貫】百八拾目四分
    合  四百八拾弐貫百八拾七匁六分
四十八年目 延銀弐貫目 利足弐拾八貫九百三拾壱匁弐分
    合  五百拾三貫百拾八匁八分
四十九年目 延銀弐貫目 利足三拾貫七百八拾七匁壱分
    合  五百四拾五貫九百五匁九分
五十 年目 延銀弐貫目 利足三拾弐貫七百五拾四匁三分
    合  五百八拾貫六百六拾匁弐分

    分宅宛株増之積
元株(もとかぶ)より五年目に一(ひと)株/宛(づゝ)四株/増(まし)二十五年に都合(つがう)
五株になる積(つも)り元(もと)株を松印とし次(つき)を竹印梅印
鶴印亀印として五年目〳〵に略(りやく)して勘定左に記す
 元株 松《割書:十年目|》 弐拾六貫三百六拾壱匁弐分
    竹《割書:五年目|》 拾壱貫弐百七拾四匁壱分
      合 三拾七貫六百三拾五匁三分
    松《割書:十五年目|》 四拾六貫五百五拾壱匁壱分
    竹《割書:十年目|》 弐拾六貫三百六拾壱匁弐分
    梅《割書:五年目|》 拾壱貫弐百七拾四匁壱分


      合 八拾四貫百八拾六匁四分
    松《割書:二十年目|》 七拾三貫五百六拾九匁八分
    竹《割書:十五年目|》 四拾六貫五百五拾壱匁壱分
    梅《割書:十年目|》 弐拾六貫三百六拾壱匁弐分
    鶴《割書:五年目|》 拾壱貫弐百七拾四匁壱分
      合 百五拾七貫七百五拾六匁弐分
    松《割書:二十五年目|》百九貫七百弐拾六匁八分
    竹《割書:二十年目|》 七拾三貫五百六拾九匁八分
    梅《割書:十五年目|》 四拾六貫五百五拾壱匁壱分
    鶴《割書:十年目|》 弐拾六貫三百六拾壱匁弐分

    亀《割書:五年目|》拾壱貫弐百七拾四匁壱分
      合 弐百六拾七貫四百八拾三匁
是より略(りやく)して五味一/緒(しよ)に五年目に記す
 但/年限(ねんげん)は元株(もとかぶ)松印の年限也四株の年限は推て
  しるへし
   合 《割書:三十年目|》 四百拾四貫三百弐拾弐匁弐分
   合 《割書:三十五年目|》六百拾貫八百弐拾六匁弐分
   合 《割書:四十年目|》 八百七拾三貫七百九拾弐匁九分
   合 《割書:四十五年目|》千弐百弐拾五貫七百壱匁六分
   合 《割書:五十年目|》 千六百九拾六貫六百三拾五匁


凡人として平常(つね〴〵)の行ひ敬(つゝし)みなく女(め)の子算用(こさんやう)の桁(けた)に
はつれ虚(むなし)くくらすときは安楽(あんらく)に天/寿(じゆ)を終(おえ)る事
かたかるべし中庸(ちうよう)に人(ひと)皆(みな)予(われ)知(ち)ありといふ駆(はせ)て罟擭(こくは)
陥阱(がんせい)の中に納(い)れどもこれを碎(たくる)ことゝしることなし人(ひと)皆(みな)
予(われ)知(ち)ありといふ中庸を択(ゑらん)【擇】で期月(きげつ)も守(まも)る事/能(あた)はず
と養生(やうじやう)も亦(また)しかり誰(たれ)か長生(ちやうせい)を悪(にく)み貧窮(ひんきう)を
好まんや長生を好(この)み貧窮を悪(にく)まば不養生(ふやうしやう)の罟(こ)
擭陥阱(くはがんせい)の中をさけて奢(おこり)をつゝしみ倹約(けんやく)を期月も
守る事/能(あた)はざるは何(なん)ぞや勉(つとめ)て心身口(しん〳〵こう)三つの

養生(やうしやう)をして吝嗇(りんしよく)をいましめ倹約(けんやく)を守り脩身斉家(しうしんせいか)
の道(みち)にいたり天然(てんねん)の寿命(じゆめう)をまつたからしめんと
思ふのみ《割書:予ハ|》元来(もとより)文字(もんじ)を知(し)らず頗(すこぶ)る頑愚(くはんぐ)なり
といへども童蒙(とうまう)をみちひく便(たより)ならんかと云爾

  旹天保四年癸巳六月       辻慶儀 述

【右丁 21コマに同じ。】

【左丁 見返し 紙裏】

 ■■■

【裏表紙】

春風消息

【右頁】

【左頁】
春風消息
                杏隠居士

一 近来小児/吐乳(とにう)の病居多に候により/得効(とくかう)の/方(はう)も
有之哉と御尋に預り赤面の至に候誠に此/症(しやう)は
小児の大/患(くわん)にて/治療(ちれう)の/一大難事(いちだいなんし)に候/僥倖(げうかう)を/得(え)
たる小児も有之候へども先は/不治(ふぢ)の/症(しやう)と思はれ候
乍去/吾術(わがじゆつ)の/拙(つたな)き故ならむと/種々(しゆ〲)に思ひを苦しめ
候へどもいまだ/発見(はつけん)も得不致候/仍而(よりて)/熟(つら)/考(かむが)へ候に
是は小児/初生(しよせい)の時より其父母に能々/諭(さと)し候て/吐乳(とにう)
にならぬやうに/治養(ぢやう)いたさせ候を上/策(さく)と/存知(ぞんぢ)候

【右頁】
/夫故(それゆゑ)近来は人々に其/治養(ぢやう)の/法(はふ)を/懇(ねむごろ)に/諭(さと)し申候
先は大/概(がい)と又/此(この)小児/治養(ちやう)の/法(はふ)を/諭(さと)し候/医道(いだう)の
大/意(い)を/試(こゝろみ)に申進じ候そも〱/医道(いだう)と申すものは
天地/神造(しんざう)の/化功(くわこう)を/助(たす)け候ものにて先此/意(い)を/会得(ゑとく)
いたさず候ては/済(すま)ぬ事に候天地/開闢(かいびやく)の/始(はじめ)に/天御中(あめのみたか)
/主(ぬしの)神 /高皇産霊(たかみむすびの)神/神皇産霊(かむみむすびの)神と申す三神お
はしまして天地の/間(あひだ)に/有(あり)とあらゆる物/悉(こと〲)く此三
神の/御(み)むすびにて/出来(いでき)申候古歌にも
 君見れば/結(むす)びの神ぞ/恨(うら)めしきつれなき人を/何(なに)/造(つく)りけむ
【拾遺和歌集巻十九の1265と思われるが、そこでは「結ぶ」となっている】
と有之候て/末世(まつせ)の今に/至(いた)るまで天地の間の万物此

【左頁】
/御(み)むすびにあらざる物なし/伊弉諾(いざなぎ)/伊弉冉(いざなみの)/二柱(ふたはしら)の
/御神(おむかみ)も此/御(み)むすびにて/出現(しゆつげん)まし〱此/国土(こくど)を御/造(つく)り
なされ候其後/大己貴(おほなむち)/少彦名(すくなひこな)の二神/御(み)心を/■(あは)せた
まひ/伊弉諾(いざなぎ)/伊弉冉(いざなみ)/二尊(にそん)の御/績(いたはり)を御/続(つぎ)なされ天下を
/御経営(ごけいえい)あらせられ/且(かつ)人民の/病患(びやうくわん)を/救(すく)ひ給はむため
に/薬法(くすりのゝり)を定め給ひ/禽獣虫魚(きんぢうちうぎよ)の/災(わざはひ)を/禁厭/(まじなひ)/止(やむ)る法を
さへ伝へ給ひ候されば/古(いにし)への/名医(めいい)の/云(こと)にも/大己貴(おほなむち)の
/神徳(しんとく)を/受持(うけもち)て/少彦名(すくなひこな)の/神功(しんかう)により病を/治(をさ)めよと
申候/元来(ぐわんらい)/医(い)を/以(もつ)て/糊口(ここう)の/業(げう)と致し候ものには無
之候夫故に古への/薬方(やくはう)を伝へたる人は/武内宿祢(たかうちのすくね)

【右頁】
/和気清麻呂(わけのきよまろ)など申す大人たちに候然れども今世に
なり候ては皆/家業(かげう)と/成(なり)候へば致かたも無之候へ共
/医者(いしや)とあらむ/者(もの)は万民の/病患(びやうくわん)を/救(すく)ひ天地/生生(せい〱)の
/神功(しんかう)を/助(たす)け候/意得(こころえ)にて/貧賤(ひんせん)をおとしめず/富貴(ふうき)
におもねらず只病を/治(ぢ)するを/我業(わがげう)と思ひ富貴と
/貧賤(ひんせん)とに我心を/動(うごか)さぬやうに有たきものに候もし
/鄙吝(ひりん)の心を/生(しやう)じ候へば富貴の/家(いへ)に/至(いた)る時/夫(それ)に/信(しん)ぜ
られざらむことを/恐(おそ)れ/一向(ひたすら)に/媚諂(こびへつら)ひのみしてその
/奴僕(ぬぼく)のごとくに/足恭(すうきよう)いたし候もの/侭(まま)有之候さやうに
/意立(こゝろだて)/拙(つたな)く成候へば/我(わが)/得(え)たる/術(しゆつ)もいつとなく/鈍(にぶ)り

【左頁】
まさかの時には必ず/迷途(まよひ)を/取(と)り候ものに候また
/富貴(ふうき)の人は此/諂諛(へつらひ)を/受習(うけなれ)さふらふもの故に/媚諂(こびへつら)はぬ
/医者(いしや)をば/嫌(きら)ひ候へども/夫(それ)は其人の/暗(くら)きにて/吾(わが)/拙(つたな)き
にはあらず/唯(たゞ)/忠誠(まこと)を/失(うしな)はず候へは/我術(わがじゆつ)はおのづから
/亮?(とほ)るものに候然れども今の世の中大かたは/媚諛(へつらひ)を
用ざれは/医業(いげう)も/閑暇(ひま)に成申候さて/閑暇(ひま)になれば/種々(しゆ〲)
の/妄想心(まうざうしむ)おこり候ものなり是故にいとまの/隙(ひま)には/読書(とくしよ)を
いたし候が/宣(よろしく)候/古人(こしん)の/書(しよ)を/読(よみ)古人と/応接(おうせつ)いたし/居(ゐ)候
へば/鄙吝(ひりん)の心は/萌(きざ)さぬ物に候然るに/学医(がくい)は/匕(さぢ)がまはら
ぬといふことを申者も有之候是は/不学(ふがく)の医者の/己(おのれ)が

 短(たん)を隠(かく)さむために申/出(いだ)せし事にて取(とる)に足(たら)ざることに候
 しかしながら医術(いじゆつ)ハ別才(べつさい)にて学問(がくもん)の厚薄(かうはく)によらぬ所
 も有之候へども無用(むよう)は有用(いうよう)の地(ち)なりと古人(こじん)も申せし如(ごと)く
 人の歩行(ほかう)も一尺(いつしやく)ばかりの道にて済(す)み候へども道/狭(せば)く候へ
 ば危(あやう)く有余(いうよ)の地(ち)なれば心安(こゝろやす)く通行(つうかう)も出来(でき)人馬(にんにんば)に
 行逢(ゆきあ)ひ候時も互(たがひ)によけ安(やす)きが如(ごと)く学業(がくげう)弘(ひろ)く候へば先
 さしつかへ少(すくな)きものに候然れども不学(ふがく)にて医術(いじゆつ)に長(ちやう)じ
 候人も稀(まれ)に有之ものに候是は所謂別才(いはゆるべつさい)にて候かやう
 の人に手厚(てあつ)く学問(がくもん)をいたさせ候はゞ実(まこと)に虎(とら)に翼(つばさ)をそへ
 たる如くに候はむ又/学業(がくげう)弘(ひろ)く候へども医術一向(いじゆついつかう)に拙(つたな)き


 人あり是は素(もと)より医才のなきにて此人もし学問(がくもん)いたさず
 候はゞいよ〳〵拙医(せつい)にてこそ候はむずらめ儒者(じゆしや)のふ行跡(きやうせき)
 なるも尋常(よのつね)の人の行跡(ふぎやうせき)までには無之/出家(しゆつけ)の不如法(ふによはふ)
 も俗人(ぞくじん)のふ如法(によはふ)ほどには非(あら)ざるが如(ごと)くにて拙医(せつい)の学(がく)あるは
 拙医(せつい)の不学(ふがく)なるには大に勝(まさ)り申べく候/是等(これら)の意(い)能々(よく〳〵)
 御会得(ごゑとく)ありて閑暇(ひま)には随分(ずいぶん)に読書(とくしよ)をしてかの妄想心(まうざらしむ)の
 起(おこ)らぬやうに用心し神明造化(しんめいさうくわ)の功(こう)を助(たす)け候事/肝要(かんよう)に候
 或(ある)人/拙老(せつらう)が説(せつ)を難(なん)じて造化(ざうくわ)の功(こう)を助(たす)くるは王公大人(わうこうたいじん)の任(にむ)
 なり何(なむ)ぞ賤(いや)しき医人(いしや)の関(あづか)る所ならむと云(いふ)成程造化(なるほどざうくわ)の
 功(こう)を助(たす)くるは王公(わうこう)大/人(じん)の任勿論(にむもちろん)なり然れども医者(いしや)も又

 其/一助(いちじよ)にて天下/万民(ばんみん)の疾苦(やまひ)を救(すく)はむが為(ため)に神(かみ)明の始(はじ)
 めゐへる薬方(やくはう)に因(より)て生々(せい〱)の化功(くわこう)を助くるものなり何(なむ)ぞ
 是に関(あづか)らすといはむ又/医(い)ハ賤業(せんげう)なりといふは王公大人(わうこうたいじん)の
 事業(わざ)に引充(ひきあて)て卑(いや)しといふにこそあれ併(たとひ)て其人ハ卑賎(ひせん)
 に生(うま)るとも時あれば王公(わうこう)大人に交(まじ)はるされと是をも栄(えい)
 とせず非人乞食(ひにんこつじき)に交(まじは)れども亦恥(またはぢ)ともせざるハ医者(いしや)なり
 是故(このゆゑ)に今の 御代(みよ)には医/者(しや)をば制外(せいぐわい)に置(おき)たまへり
 いともたふとき道といふべしされバ唐山(もろこし)にてハ司命官(しめいくわん)と
 申候也そも神明/造化(ざうくわ)の功(こう)を助(たす)くるは小児(せうに)の治養(ちやう)を得(え)
 て是を生長(せいちやう)せしむるを第一義(たいいちぎ)といたすべく候さる故に


 菅原(すかはらの)岑嗣の金蘭方(きむらんはう)にも小児の治方(ちはう)を最初(さいしよ)に出(いだ)され候
 なり
一小児/初生腹中(しよせいふくちう)の淤穢(おゑ)を下(くだ)し候事七日十日/乃至(ないし)廿日
 三十日も淤毒(おどく)の尽(つく)るを限(かぎ)りにいたすべく候/薬方(やくはう)は其
 小児の強弱(がうじやく)と毒(どく)の浅深(せんしむ)とに随(したが)ひ申候/乳(ちゝ)汁を与(あた)へ候
 事ハ随分(すゐふん)遅(おそ)きにしくは無之候先大/抵(てい)四五日(しごにち)の後宜(のちよろしく)候
 はやく乳(ちゝ)汁を与(あた)へ候へバ胎糞出(かにたくで)ぬやうに成/淤毒残(おとくのこ)り
 て後の害(がい)と成(なり)申候此/日数(につすう)も小児の強弱(かうじやく)に随(したが)ひ可申候
一小児の乳養(にうやう)ハ乳母(うば)にて養育(やういく)いたし候を上策(じやうさく)といた
 し候但し是ハ市中中分(しちうちうぶん)以上の家(いへ)の事に候/在郷(ざいがう)の

 農家(のうか)にては吐乳(とにう)の患(うれへ)バ無之候然れども冨家(ふうか)ハ市中(しちう)
 と等(ひと)しく候其故いかにとなれバ市中(しちう)の人ハ身体(しんたい)を労(らう)
 動(どう)するも少(すくな)く候故/母(はゝ)の乳(ちゝ)汁十分に孰化(じゆくくわ)せず其上
 みづから乳養(にうやう)する時ハ日夜膝(にちやひざ)の上を放(はな)さず少(すこ)しく
 啼泣(ていきふ)すればはや乳(ちゝ)汁を哺(のま)せ候ゆゑ小児の腹中常(ふくちうつね)
 に充満(じうまん)して消化(せうくわ)する隙(ひま)なく候小児といふものは与(あた)ふ
 れば口(くち)より出(で)るまでハ哺(のむ)ものなり夫を又啼(なか)せぬやう
 にとて昼夜懷(ちうやふよころ)を放(はな)さず抱(いだ)きかゝへ居(を)れは手足(てあし)の骨節(ほねふし)
 堅(かた)まらず軟弱(なんじやく)にして行歩(ぎやうぶ)も遅(おそ)く成(なり)申候/凡(およそ)人の寿(じゆ)
 命(めう)ハ百歳(ひやくさい)としたるものにて出生(しゆつしやう)より百歳に至(いた)る迄(まで)


 の生気(せいき)十分に貯(たくは)へ候もの故時々/発声(はつぜい)して気(いき)
 を洩(もら)さゞれば生気却(せいきかへり)て内(うち)に鬱滞(うつたい)して虫(むし)を生(しやう)じ
 申候小児ハ随分/泣(なか)せ候が宜候/啼(なく)泣に従(したが)ひて鬱滞(うつたい)
 の気(き)も洩(も)れ夫につれて手足(てあし)を抛(なげう)ち候故おのづから筋(すぢ)
 骨(ほね)も固(かた)まり丈夫(じやうぶ)に成(なり)申すものに候是故に乳母(うば)にて
 養育(やういく)いたし候へバ或(あるひ)ハ背負(せおひ)或ハ抱(いだ)きて所々(しよ〱)へかけ
 歩(ある)き遊(あそ)び候故に乳(ちゝ)汁もよく熟化(じゆくくわ)いたし候/且(かつ)愛(あい)
 におぼるゝ母親(はゝおや)とは違(ちが)ひ乳(ちゝ)汁をも哺(のみ)づめにはさ
 せず此(こゝ)所に寝(ね)させ彼所(かしこ)にころばせ泣(なき)たつる時々に
 乳(ちゝ)汁を与(あた)ふるによりて小児の腹中もよく消化(せうくわ)して

【右ページ五行目左ルビー 啼泣 なく】

 骨節(ほねふし)もよく固(かた)まり健(すこやか)に生長(せいちやう)いたし候なり然るに
 母の乳(ちゝ)汁の其子(そのこ)に悪(あし)きといふ道理(たうり)ハなしとてみづから
 乳養(にうやう)さる人を見るに大かた前(まへ)にいふごとく熟化(じゆくくわ)せざる
 乳(ちゝ)汁を昼夜(ちうや)に哺(のま)せ消化(せうくわ)の隙(ひま)なき故に終(つひ)に吐乳(とにう)の
 疾(やまひ)を生(しやう)じ末(すゑ)は慢驚(まんきやう)となりて不治(ふぢ)に至(いた)る者(もの)多(おほ)し
 適(たま〱)吐乳(とにう)にならず生長(せいちやう)するものも色青(いろあを)く病身者(びやうしんもの)と
 なり日陰地(ひかげぢ)の草木(くさき)の如(ごと)く延立(のびたつ)ことは延(のび)たてども中(ちう)
 途(と)にて或(あるひ)ハ虫気(むけ)さし或(あるひ)ハ枯朽(かれくつ)るごとくに遂(つひ)に是
 も疳疾(かむしつ)を生じ又/不治(ふぢ)に至(いた)る是(これ)父母(おや)の慈悲(じひ)却(かへり)て
 仇(あた)となり申すにて候そも母の乳(ちゝ)汁の其/所生(うまらる)の児(こ)に


 悪(あし)きといふ道理(たうり)なしといふは勿論(もちろん)のことなれども
 其母(そのはゝ)たる人/随分(ずゐぶん)に身(み)を運動(はたらか)して乳(ちゝ)汁もよく熟(じゆく)
 化(くわ)し牛(うし)の子(こ)を舐(ねぶ)る如(ごと)き舐犢(しとく)の愛(あい)におぼれず小児
 をば児伝(こもり)に負(おは)せ出し遣(や)りて其/隙(ひま)には家事(かじ)を務(つと)め
 さて小児/空腹(くうふく)になり泣(なき)たつる時/児伝(こもり)が帰(かへ)り来る折々(をり〱)
 に乳(ちゝ)汁を与(あた)へて又/児伝(こもり)に渡(わた)し其/間(あひだ)ハ顧(かへり)見もせぬ
 ほどにいたし候ハゝ是/当然(たうぜん)の養育(やういく)にて此上(このうへ)はなく
 候へども迚(とて)もさやうには得(え)せぬものなる故に乳母(うば)を
 上/策(さく)と申候なり一様(いちやう)に申すべきにハ無之候へ共(とも)
 大名(たいみやう)高家(かうけ)には皆乳母(みなうば)にて御養育(ごやういく)なされ候これ

 とても人に産(うま)せたる御/児(こ)にてはなく候へバ自(みづか)ら
 御乳養(ごにうやう)なされ度(たく)おぼしめす方(かた)も有べく候ども
 彼熟化(かのじゆくくわ)せざる乳(ちゝ)汁を以(もつ)て御養育(ごやういく)なされ候へバ
 其御小児の為悪(ためあし)く候故に昔(むかし)より右の名人(めいじん)
 の定(さだ)めおかれたるにて候
一小児の衣服(いふく)ハ絹布(けんふ)ハ勿論厚衣(もちろんあつぎ)ハ甚宜(はなはだよろし)からず候
 是もかの生気(せいき)十分に余(あま)り候もの故に厚衣(あつぎ)を
 せしむれば気/洩(もれ)がたくして却(かへり)て欝気(うつき)と成(なり)
 虫気(むしけ)を生(しやう)じ候ものに候近来/市中(しちう)の人を見るに
 近隣(きんりん)互(たがい)に意気(いき)を張(はり)て我(われ)おとらじと好衣(よきゝぬ)を


 着(き)せ厚衣(あつぎ)をさせ候ハ実に歎(なげ)かしき事に候しか
 のみならず近世(きんせい)ハ飲食(いんしよく)の物いと〳〵驕奢(おごり)になり
 村落(むらはし)までも砂糖製(さたうせい)の菓子(くわし)多(おほ)く出来(いでき)て小児の
 害(がい)をなす事/少(すくな)からず候拙者は世中に砂糖(さたう)といふ
 物なくば小児の夭亡(えうまう)大半まぬかれ候はむと存知候
 そも〳〵砂糖(さたう)ハ甘(あま)きに過(すぎ)て腹中(ふくちう)に泥滞(でいたい)する物なり
 故に生気(せいき)の活動(くわつどう)を自然(じねん)に泥滞(でいたい)せしめて欝熱(うつねつ)を
 生(しやう)ず鬱熱(うつねつ)ハ骨髄(こつずゐ)に付(つく)故に此/砂糖(さたう)を多(おほ)く食(しよく)する
 小児ハ先/歯(は)を損(そん)ず是を世に虫喰歯(むしくひば)と申候是/虫(むし)
 の喰(くふ)には非(あら)ず鬱熱(うつねつ)に蒸(むせ)て斯(かく)のごとくに成(なり)申候

 是より漸々(よむ〱)に骨蒸熱(こつじようねつ)となり終(つひ)に疳労(かむらう)と成申候
 大人にても此/砂糖(さとう)を好(この)み喰(くら)ふ人ハ老境(らうきやう)に至(いた)るまで
 歯(は)の患(うれへ)なき人ハ少(すくな)く候然れども此物/目前(もくぜん)の害を
 見ざる故に世人其害をしらず小児を愛(あい)して常に
 是を与(あた)ふ適(たま〱)これを制(せい)する人あれば黒砂糖(くろざたう)をバ与(あた)へず
 白砂糖(しろざたう)をのみ与(あた)ふといふ是/牡蛎(かき)が鼻(はな)たれを笑(わら)ふに候
 黒(くろ)も白(しろ)も同じく砂糖なれば五十歩(ごじうほ)遁(にげ)て百歩(ひやくほ)なるを
 笑(わら)ふといふたとへに等(ひと)しく候又その甚(はなはだ)しきに至(いた)りては
 吾(わが)小児ハ麁菓子(そくわし)をば手にもとらずアルヘイタウなと
 なれバ喰(く)ふなどいひて喜(よろこ)ぶ是/吾児(わがこ)の生(しやう)を損(そこな)ふこと
 

 をしらざるのみか小児の奢侈(おごり)に習(なら)ふ事を覚(おぼ)えず
 媚洩(ひゆ)の徒(ともがら)これを称(ほむ)れば喜(よろこ)び忠誠の人/適(たま〱)これを戒(いまし)
 むれば心中に怒(いか)る惑(まどひ)の甚(はなはだ)しきに候はずや斯(かく)して
 小児を育(そだ)つれば幸(さいはひ)に生長(せいちやう)するとも気侭(きまゝ)千万(せんばん)に
 なり癇気(かんき)を生じ喜怒(きど)常(つね)ならず其甚しきは
 驚癇(きやうかん)を発(はつ)し聊(いさゝか)も意(こゝろ)の如くならざれバ天吊口(そらめづりひしくち)
 唱(ゆがみ)手足(てあし)搐搦(びり〳〵)などに至る是を怖(おそ)れて家内(かない)の人
 皆(みな)其意に背(そむ)かぬやうにと腫物(はれもの)に当(あた)る如く取扱(とりあつか)へ
 ば癇気(かんき)の儀へ増長(ぞうちやう)して遂(つひ)に痴族(ちあい)の廃人(はいじん)と成(なり)
 或ハ真(まこと)の狂人(きやうじん)となりはて〳〵ハ身(み)を失(うしな)ひ家(いへ)を亡(ほろ)ぼ

【左ページ九行目左ルビー 痴族 ちほう  廃人 すたれもの】
【左ページ十行目左ルビー 狂人 きちがひ】

 すに至り申べく候今世/中人(ちうじん)以上此/憂(うれ)に罹(かゝ)らざる
 は稀(まれ)なり嘆息(たんそく)の至りに候是故に拙者ハ常に
 小児をば貧乏人(びんぼうにん)育(そだて)にするを第(だい)一として人々に
 諭(さと)し申候/貧乏人(びんぼふにん)も子(こ)を愛(あい)する意にかはりハ
 無之候へども渡世(とせい)に追(おは)れ候ゆゑ先/乳(ちゝ)汁を哺(のま)し
 つめには致さず候又其あらましを申候ハゞ少(せう〱)小児の
 時ハ子守(こもり)を雇(やと)ひ背(せ)におはせ出して織機(おはた)などを
 専(もつは)らに致したま〳〵小児/空腹(くうふく)になり泣立(なきたつ)るに因(より)て
 子守帰(こもりかへ)り来り候へバ其/機(はた)の傍(かたはら)におろさせ置(おき)子守(こもり)に
 は茶(ちや)を?せて己(おのれ)ハ機(はた)を織(お)る小児ハ頻(しき)りに泣(なき)て
 

 手を揮足(ふりあし)を抛(なげうち)て声(こゑ)もほと〳〵嗄(かれ)ぬべし此時に啼(なく)
 児(こ)を機(はた)の上に抱(いだ)き挙(あげ)て可然十分に熟化(じゆくくわ)したる
 乳(ちゝ)汁を与(あた)ふれば小児ハ乳房(ちぶさ)にかきつきて哺(のむ)その
 味(あぢは)ひ何(なに)ばかりならむ飢(うへ)る時ハ糟糠(さうかう)も肉(にく)の如し
 と申やうに候はむ斯(かく)て小児も腹満(はらみち)ぬれバ
 乳房(ちぶさ)を放(はな)ちて母か顔(かほ)を見て笑(わら)ふ此時母が愛(あい)
 情(じやう)いかばかりならむに又/子守(こもり)が背(せ)に結(ゆ)ひ付て
 出しやる既(すで)に茶(ちや)ハ煮(にへ)たれども夫(をつと)が農業(のうげう)より
 還(かへ)り来るを待がてら猶/機(はた)を下(お)りず夫(をつと)還(かへ)り
 来れば共に昼食(ちうじき)たうべて後小児を呼(よび)て子守(こもり)

 に昼食(ちうじき)をさす此間は父が前に小児を置て母ハ
 又/機(はた)に上(あが)れバ父/暫(しばら)く煙草(たばこ)をくゆらせつゝ小児
 をてうじ居(をる)さて又/農業(のうげう)に出ゆけば子守(こもり)も食(しよく)
 事(じ)のしはてゝ人々の飯笥(いひげ)を洗(あら)ふめりこゝにして
 母は又小児を機(はた)の上に抱(いだ)き挙(あげ)て乳(ちゝ)汁をあたへ
 子守(こもり)がそこら片付(かたづけ)ぬれば又/背(せ)に結(ゆひ)付てやる
 如此にして育(そだて)あぐる故に小児ハいと〳〵謙健(すこや)かに生長(せいちやう)
 して何の病もなし此小児五六歳にもなれば
 何(なに)くれと物ほしがれども素(もと)より貧(ひん)なれば砂(さ)
 糖類(たうるい)の物ハ得与(えあた)へすやう〳〵に桃(もゝ)よ柿(かき)よと求(もと)め


 あたふさる故に虫喰歯(むしくひば)にもならず五疳(ごかむ)の患(うれへ)も
 なし疱瘡痢疾(はうさうりしつ)の如き大/患(くわん)に罹(かゝ)るといへども大
 抵(てい)ハ凌(しのぎ)つべし衣服(いふく)もやう〳〵寒気(かんき)を防(ふせ)ぐのみにて
 薄衣(うすぎ)に習ぬれば風邪(ふうじや)に犯(をか)さるゝことも少(すく)なし
 中人(ちうじん)以上ハ是とうらうへの違(ちが)ひなりされど中人
 以上にても猶/斯(かく)の如くああれと申すにハ無之/分限(ぶんげん)
 相応(さうおう)に育(そだ)つべきことなれども貧者(ひんじや)の小児の壮健(すこやか)
 なるを見て富人(ふじん)の小児も其/育(そだて)やうにて随分
 壮健(すこやか)なるべき決(わけ)を申候なり今/貧乏人育(びんはふにんそだて)と申
 事ハ第一に乳母(うば)にて育(そだ)て小児に乳(ちゝ)汁の重哺(いやのみ)を

 させす運動(うんどう)を専(もつは)らにさせ衣類(いるい)ハ絹布(けんふ)を不用(もちひず)
 綿服(めんふく)にて薄衣(うすぎ)をさせ食事ハ厚味(かうみ)を用(もちひ)ず麁(そ)
 食(じき)をさせ砂糖(さたう)ハ勿論(もちろん)魚肉(ぎよにく)とても味(あぢは)ひ軽(かろ)き物を
 撰(えら)み且朝夕には与(あた)ふべからず時有ては二さ三日ぶり
 に与(あた)ふべししかし乳(ちゝ)汁を哺間(のむあひだ)ハ食事ハ強(しひ)て
 与(あた)ふべからす乳汁ばかりにて済(すま)せ申すべく強(しひ)て
 好(この)む時ハ少々(せう〱)づゝは与(あた)へ候も宜候へどもはやく
 食事をさすれバ腹(はら)のみ太(ふと)く成(なり)て悪(あし)くすれバ壁(かべ)
 土炭(つちすみ)など好(この)み喰(くら)ふやうになり穀癖(かたかい)などの病(やまひ)と
 成申候尤可慎事に候さて又食事も能致し候


 ほどに成(なり)候ハゞ菓子(くわし)をば成丈(なるたけ)あたへず柿(かき)蜜柑(みかむ)
 の類(るい)ハ少(すこ)しづゝハ苦(くる)しからず候/柿(かき)蜜柑(みかん)の類(るい)ハ
 縦令(たとひ)あたり候ても一時(いちじ)の食傷(しよくしやう)にて濟(すみ)申候/砂糖(さたう)
 類(るい)ハ眼前(がんぜん)に其/害(がい)を覚(おぼえ)ぬもの故に其/害(がい)甚敷候
 先是/等(ら)を貧乏人育(びんばふにんそだて)と申候なり貧者(ひんじや)の児(こ)は
 麁食(そしき)のみして重食(いやぐひ)をせぬ故に脾胃(ひゐ)を損(そ)ずる
 事もなく運動(うんどう)も健(すこやか)にして大抵食傷(たいていしよくしやう)ハ無之候
 中人(ちうじん)以上ハ美食飽(びしよくあく)までにさせ候故に脾胃(ひゐ)の運動(うんどう)
 を損(そん)じて病を生(しやう)ず然るに麁食(そしき)をさせ麁服(そふく)を
 着するを恥(はぢ)の如く思へるハ子を愛(あい)するにハ非(あら)ず

 実に子をそこなふと申すものに候/元来(くわんらい)小児のしら
 ぬ美甘(びかむ)の物をわさ〳〵調(とゝの)へ喰(くわ)せ味(あぢ)をしらせて悪(あし)き
 物をハくはぬなどゝいひ喜(よろこ)び強(しひ)て好(この)みもせぬ美服(びふく)
 を調(とゝの)へ着(き)せて附(つけ)智恵(ぢゑ)をして奢侈(おごり)を習(なら)はせなど
 する是其子の為(ため)のよからぬ事をしりつゝも眼前(がんぜん)
 の愛(あい)にひかれて吾心(わがこゝろ)を制(せい)すること不能(あたはぬ)と他人(たにん)へ
 ほこる贅(ぜい)とにてするわざにて真実(しんじつ)の慈愛(じあい)といふ
 ものには無之候又小児の食物に是ハ毒(どく)それは
 中(あた)るなどゝいひて食禁(しよくきむ)を甚/厳(きびし)くして常食(じやうしよく)の物
 といへども十分に喰(くは)しめず其上に十歳(じつさい)ばかりに


 至(いた)る迄も奴婢(ぬひ)の背(せ)をかり負せなとして育(そだ)つる
 人あり是等(これら)脾胃(ひゐ)の運動(うんどう)を助(tたす)けざる故に脾胃(ひゐ)
 ます〳〵弱(よわ)く成(なり)申候此故に生長(せいちやう)の後/他(ほか)へ行て
 食事(しよくじ)をすれバ腸胃(ちやうゐ)に慣(なれ)ざる物甚/多(おほ)くして
 度々(たび〱)食傷(しよくしやう)をするものなり能々/意(こゝろ)を用(もち)ふべき
 事に候
一/乳母(うば)をつかふに意得(こゝろえ)有之候/元来(ぐわんらい)乳母(うば)奉公(ぼうこう)を
 するほどの者は常に麁食(そじき)に慣(なれ)て何角(なにか)の指嫌(さしきら)ひ
 なく悪食(あくしよく)し田植(たうゑ)麦打(むぎうち)糸操(いとくり)機織(はたおり)などにて
 十分/労動(らうどう)せし者なり適(たま〱)富家(ふうか)に来り見るに

 其/養君(やしなはぎみ)の小児には今まで見たる事もなき美(び)
 服(ふく)を着(き)せ其/母君(はゝぎみ)ハ何(なに)かは知(し)らず和(やわ)らかなる衣
 服(ふく)の裾(すそ)長く引(ひき)きら〳〵と光(ひか)る織物(おりもの)の帯(おび)を結(むすび)
 たれて腰元(こしもと)はした傍(かたはら)に囲繞(ゐにやう)して彼小児を抱(いだ)き
 寸(すん)の間(ま)も下(した)におかずアヽといふにも乳(ちゝ)を含(ふく)めウヽ 
 といふにも乳(ちゝ)汁を哺(のま)しめかりにも啼声(なきごゑ)を出(いだ)し
 めず斯(かく)て夏(なつ)なれバ打開(うちひら)きたる広間(ひろま)にて腰(こし)
 元婢(もとはした)手々(てんて)に団扇(うちは)を持てあふぎ冬なれば屏風(びゆうぶ)
 をさへ立(たて)めぐらして透間(すきま)の風も入(いら)ぬばかりにせり
 折節小児を腰元(こしもと)どもの手に抱く時ハ水を盛りたる


 器(うつは)を持(もち)たる如くに腰(こし)をすゑて立居(たちゐ)いと静(しづか)なり
 是を見て彼/新参(しんざむ)の山出(やまだ)し乳母(うば)先/肝(きも)を潰(つぶ)せり又
 食時(しよくじ)になりて己(おのれ)に給(たべ)しむるを見れバ鏡(かゞみ)の如く塗(ぬり)
 たる折敷(をしき)に染付(そめつけ)の麗(うる)ハしき茶碗(ちやわん)青漆(せいしつ)に内朱(うちしゆ)
 などやうの汁椀(しるわん)をすゑ飯(めし)ハ猿(さる)の牙(きば)のやうなる上
 白米(はくまい)を盛(もり)汁(しる)ハ米(こめ)ばなの味噌(みそ)の汁(しる)に身深(みぶか)なる魚(うを)の
 割身(きりみ)に大/根(こん)の皮(かは)をさへ取(とり)て六角に切たるを入りたり
 小皿(こざら)には干瓢(かんひやう)蓮根(れんこん)凍豆腐(こうりたうふ)の煮染(にしめ)或(あるひ)ハ瓜(うり)のなら
 漬(づけ)もあり折々(をり〱)には平皿(ひらさら)に鱧(はむ)のくづし薄葛(うすくず)にて
 つり或時(あるとき)ハ鯛(たひ)の一夜塩(いちやしほ)の切身(きりみ)を焼(やき)て付たり

 喰(くら)ふ物/一(ひとつ)として初物(はつもの)ならぬハなけれバ七十五日を
 幾等(いくら)バかり生延(いきのび)むものぞ何(なに)とて早く乳母(うば)奉公(ぼうこう)
 には出ざりけむと始(はじめ)の程(ほど)こそ思ふめれ漸々(ぜむ〱)日数
 を経(ふ)るまゝに養君(やしなひきみ)を抱(だき)かゝへするハ水を盛(もり)たる
 器(うつわ)を持ごとくにせざれバあらつかなりと母君(はゝぎみ)の怒(いかり)
 にあひ外(ほか)に出/行(ゆか)むとすれバやう〳〵近燐(きんじよ)をそろり
 そろりと歩行(ほかう)するのみ故に我身の運動(うんどう)すくな
 けれバ腹(はら)のへり遅(おそ)く且(かつ)人の子をあづかる事故
 心/遣(づか)ひ多くして食(しよく)もいつとなく進(すゝ)みがたくなり
 今ハ美食(びしよく)にも飽(あき)たりいかで麁食(そじき)をせむと思へども
 

 夫(それ)ハ毒(どく)なり是ハ乳(ち)ごしに何(なに)とやらとて食禁(しよくきむ)甚
 厳(きび)しけれバ最初(はじめ)の喜(よろこ)びに引かへて偖(さて)もうき世(よ)かな
 と心/遣(づか)ひの増(ます)につけ乳(ちゝ)汁も日にそへて少(すくな)く遂(つひ)に
 寝乳(ねぢゝ)にも足(たら)ぬほどに成(なる)たとひ乳(ちゝ)汁ハ出るとも
 乳母(うば)の腹中(ふくちう)消化(せうか)し難(がた)き故/自然(しぜん)と痞(つかへ)の疾(やまひ)など
 出来(でき)て動(やゝ)もすれバ小児を引抱きて打臥(うちふす)やうに
 なり宵(よひ)より寝床(ねどこ)に入て適(たま〱)小児もよく寝(ね)たり己(おのれ)
 も快(こゝろよ)く寝(ね)むと思へば又/喚起(よびおこ)されて夜食(やしよく)を勧(すゝ)
 めらる中々/食事(しよくじ)のこゝちハなけれども食事を
 せねバ乳(ちゝ)汁が出(で)ぬと強(しひ)て責(せめ)られて止(やむ)ことを得(え)ず

 重食(いやくひ)をすれバやがて停食(ていしよく)となる斯(かく)するうちに
 是も又/不熟化(ふじゆくくわ)の乳(ちゝ)汁と成(なり)て小児の腹中(ふくちう)ます〳〵
 消化(せうくわ)せず青便(せいべん)などするやうになれバ罪(つみ)を乳母(うば)
 に負(おほ)せて水菜(みづな)をや喰(くひ)つらむ悪(あし)き物をや給(たべ)つら
 む此頃(このごろ)痞(つかへ)の起(おこ)りたりとて食も少(すく)なかりしハ外(ほか)
 にて己(おの)が好(すけ)る物を喰(くひ)たるにこそわくらめなどいひて
 共に乳母を云(いひ)おとすめり是大なき誤(あやまり)なり青便(せいべん)
 の出るハ青(あを)き物を食する所為(わざ)には非(あら)ず小児の
 腹中(ふくちう)消化(せうくわ)しがたきが故なりそも此/消化(せうくわ)しがた
 きは誰(たれ)の過(あやまち)ぞや父母(ふぼ)舐犢(しとく)の愛(あい)のし然(しか)らしむる


 なり乳母(うば)をつかふすは其乳母の性質(せいしつ)に従(したが)ひて食
 禁(きむ)もさのみ厳(きび)しくせず常食(しやうしよく)の品(しな)ハ彼(かれ)か口に適(かな)ふ
 物を与(あた)へ彼(かれ)が意(こゝろ)に任(まか)せて何処(いづく)へなりとも取/扱(はな)しに
 小児を抱(いだ)かせ遣(やる)べし斯(かく)すれば乳母も鬱滞(うつたい)の憂(うれへ)
 なく乳汁も自然(しぜん)に熟化(じゆくくわ)するなり小児も又/熟化(じゆくくわ)し
 たる乳(ちゝ)汁を哺(のみ)東西南北(とうざいなむぼく)へ抱(いだ)かれ行故に是も欝(うつ)
 滞(たい)をなさず腹中(ふくちう)よく消化(せうくわ)して吐乳(とにう)慢驚(まんきやう)の大
 患(くわん)をまぬかるゝのみに非(あら)ず無病(むびやう)にして天然(てんねん)の寿(じゆ)
 を保(たも)つことを得(え)て神明造化(しんめいざうくわ)の御意(みこヽろ)に協(かな)ひ子孫(しそん)
 繁昌(はんじやう)顕然(けんぜん)に候/前文(ぜんもん)にも申候/如(ごと)く結(むす)びの神の御

 結(むす)びにて出生(しゆつしやう)せし小児に候へバ我産(わがうみ)たる子にても
 素神(もとかみ)の御子にて父母ハ是を預(あづか)りて生長(せいちやう)せし
 むる役目(やくめ)に候然れば生養(せいやう)の道(みち)を失ひて早世(さうせい)せ
 しむれば神明(しんめい)の御意(みこゝろ)にたがひ冥罰(みやうばつ)を蒙(かうむ)り候ハむ
 人の父母(ふぼ)たる者ハ此意を覚(さと)らずハ有べからす候間
 此/生養(せいやう)の道理(だうり)を能々御/諭(さと)し有べく候しかし
 是程(これほど)のことは誰(だれ)もよく知(しり)たる事なりと申す人も
 有べく候へども実に是を知得(しりえ)て行(おこな)ふ人/少(すくな)く候故
 動(やゝも)?(すれ)バ吐乳(とにう)慢驚(まんきやう)の大/患(くわん)を引出し父母/断腸(だんちやう)の愁(うれへ)
 をなし終(つひ)に悲嘆(ひたん)の涙(なみだ)に咽(むせ)ぶに至(いた)り候/去(さり)ながら此


 覆轍(ふくてつ)に懲(こ)りて後車(こうしや)の戒(いましめ)をなし候へバ次々(つぎ〱)の小児は
 随分/壮健(すこやか)に育(そだて)あぐべき事に候へども父母御愛(ふぼおんあい)の
 情(じやう)ハ甚(はなはだ)愚痴(ぐち)なるものにて是は死残(しにのこり)の児(こ)なり又/何(なに)
 時病(どきやまひ)の起(おこ)らむも計(はか)り難(がた)しなど自(みづから)道理(だうり)を付て舐(し)
 犢(とく)の愛前(あいまへ)に十倍(じうばい)して又/夭亡(えうまう)をなさしむ斯(かく)の
 ごとくにして覚(さと)らざれバ末(すゑ)ハ子孫断絶(しそんだんぜつ)に及(およ)ぶもの
 も可有之実に痛歎(つうたん)の至極(しごく)に候/是故(このゆゑ)に拙老ハ
 小児ある人ごとに長々と申/諭(さと)し候用ふると用ひ
 ざるとは彼(かれ)にあり我ハ我心(わがこゝ)の及ぶたけに真実(しんじつ)を
 尽(つく)し候が我道(わがみち)の本意(ほんい)に候

一右の意味(いみ)よく〳〵会得(ゑとく)して小児の養育(やういく)致し候ハゞ
 大/抵(てい)吐乳(とにう)疳疾(かむしつ)等(とう)の大/患(かん)をば免(まぬか)れ申すべく候
 万一/不幸(ふかう)にして吐乳(とにう)の小児有之候ハゞはやく
 章門(しやうもん)の灸治(きうぢ)をさせ其上にて随症(ずゐしやう)の薬方予(やくはうあた)へ
 らるべく候もし又/自身(みづから)乳養(にうやう)の家に候ハゞ急(きふ)に
 乳母(うば)を雇(やと)ひ候ことを御/勧(すゝ)め有べく候/凡(およそ)傷寒(しやうかん)
 痢疾(りしつ)疱瘡(はうさう)等(とう)の外(ほか)より犯(をか)し来り候病ハ軽重(きやうぢう)
 の幸(かう)と不幸(ふかう)と有之候へども内傷(ないしやう)の疾(やまひ)ハ皆/平(へい)
 常(じやう)の育(そだて)がらにより候ものなり急驚(きふきやう)ハ外来(ぐわいらい)の
 病(やまひ)の如(ごと)くに候へどもおほくは停食(ていしよく)などに因(よつ)て発(はつ)し


 候ものにて是も内傷(ないしやう)に係(よ)り申候/慢驚(まんきやう)ハ吐瀉後(としやご)
 或ハ食傷後(しよくしやうご)又ハ急驚(きふきやう)しば〳〵起(おこ)り引しらひて慢(まん)
 驚(きやう)と成(なり)申候/是(これ)等常の生養(せいやう)の宜しきは大/抵(てい)
 こゝに至らずして平愈(へいゆ)いたし候かへずしも慎(つゝし)む
 べき事に候/甲斐(かひ)の徳本翁(とくほんをう)も急驚(きふきやう)ハ十生一死(じつしやういつし)
 慢驚(まんきやう)ハ十死一生(じつしいつしやう)と申おかれ候又小児に乳(ちゝ)汁を
 与(あた)へて直(すぐ)に他物(たのもの)を喰(くは)すべからず脾胃(ひゐ)怯弱(きやうじやく)なるに
 乳(ちゝ)汁と食(しよく)と一斉(いつせい)に入(い)れば尅化(こくくわ)し難(がた)し故に嘔(おう)し
 吐(と)し或ハ腹痛(ふくつう)し終に疳(かむ)となり慢驚(まんきやう)となる
 皆此所より始るなりとも申おかれ候/徳本翁(とくほんおう)すら

 慢驚(まんきやう)ハ治(ぢ)し兼(かね)られ候/況(いはん)や凡下(ぼむげ)の医者(いしや)の手に
 あひ申すべくや縦令(たとひ)妙薬(めうやく)名医(めいい)有之候共/夫(それ)ハ
 頼みに成不申候/名医(めいい)ハ常に在ものには無之
 且/無病(むびやう)にして医薬(いやく)を不用(もちひざる)と死生計(ししやうはかり)がたき大
 病を得(え)て名医(めいい)に遭(あひ)て平愈(へいゆ)するとは何(いづ)れか勝(まさ)
 り候はむ兎(と)にも角(かく)にも能諭(よくさと)して病の出來(でき)ぬ
 やうに生養(せいやう)いたさせ候がすなはち上工(じやうこう)は未病(みびやう)を
 治(ぢ)すと申すものにて候
一/此頃(このごろ)或(ある)人拙老を難(なん)じて足下(そこもと)のいふ処の如(ごと)くに 
 せば小児は無病(むびやう)に生長(せいちやう)すべし然るに先年足下(せんねんそこもと)の


  小児/疳疾(かむしつ)にて早世(さうせい)したるはいかにと云(いふ)拙老/答(こた)へて
 古人(こじん)も三(み)たび肱(ひじ)を折(をり)て良医(りやうい)と成(なる)と申候かく申せバ
 鳴呼(をこ)がましく候へどもかやうの事故(じこ)に当(あた)りてやう
 やく是程(これほど)の意味(いみ)を覚(さと)り候ひしなり諺(ことわざ)にも我身(わがみ)
 を抓(つみ)て人の痛(いた)さを知(しる)と申すが如(ごと)く拙老か往昔(そのかみ)の
 悲嘆(ひたん)に引/充(あて)て人の上をもさこそと思ひ遣(やり)候故
 かく長々とは申候へと答(こた)へ候へバ其人も完尓(につこ)
 としてうなづき候ひし此時又一人かたはらより
 戯(たはふ)れて足下(そこもと)の説(せつ)ハ至極(しごく)よろしけれども医業(いげう)
 の身にてハ人の病患(びやうくわん)あるを待(まつ)ものなり然るに

 小児こと〴〵く無病(むびやう)にならば薬籠(やくらう)に虫(むし)を生ぜ
 むといへり拙老/笑(わら)ふて上工(じやうかう)は未病(みびやう)を治(ぢ)すとバかり
 答(こた)へ候ひしが此人の詞(ことば)/戯(たはふ)れとは申ながら尤(もつとも)
 不仁(ふじん)の至りに候はずや若(もし)かやうの人を医者(いしや)と
 なしたらばいかなる不仁をか行(おこな)ひ候はむずら
 む戯言(けげん)なれども思ふより出ると申事も有之候
 慎(つゝ)しむべきは言語(げんぎよ)にて候なり駟(し)も舌(した)に及(およ)ばず
 とはかやうのことの戒(いまし)めにこそ候へ又/古(いにし)への医者(いしや)
 ハ人の為(ため)にし今の医者(いしや)ハ己(おのれ)が為にすと云(いひ)し人も
 有之候実に愧(はづ)かしきことに候前文(ぜんもん)にも申候


 如く医道(いだう)と申すものは天下の人民(にんみん)の病に罹(かゝ)りて
 非哀(ひあい)の死(し)をいたし候を不便(ふびん)におぼしめして薬の
 方法(のり)を定(さだ)め給(たま)ふ神明(しんめい)恩徳(おんとく)の道(みち)なり唐土(もろこし)にても
 神農氏(しんのうし)と申す聖天子(せいてんし)百/草(さう)を嘗(なめ)て医法(いはふ)を創(はじ)
 められて古(いにし)へハ王公大人(わうこうたいじん)皆此/道(みち)を伝(つた)へゐふ武内宿(たけうちのすく)
 祢(ね)ハ棟梁(とうりゃう)の丞(しん)とも申す貴人(きにん)なり漢(かん)の張仲景(ちやうちうけい)は
 長沙(ちやうしや)の太守(たいしゆ)にて此/道(みち)を後世に伝(つた)へられたり又/細川(ほそかは)
 勝元(かつもと)ハ天下の管領(かんれい)たる身にて霊蘭集(れいらんしふ)と申す
 医書(いしよ)を撰(えら)ばれ候皆是天下/国家(こつか)を治(をさ)むる
 王公(わうこう)大人の神明造化(しんめいさうくわ)の功(こう)を助(たす)けゐふ一助(いちじよ)の

 道(みち)に候されば太上(たいしやう)ハ国(くに)を医(い)し其次(そのつぎ)は人を
 医(い)すとも申候又は天下の良相(りやうしやう)とならずバ必(かなら)ず
 天下の良医(りやうい)とならむと申せし人も有之候
 大小のかはりはあれども神明造化(しんめいさうくわ)の功(こう)を助(たすく)るハ
 一筋(ひとすじ)にて候然るに世移(ようつ)り時かはりて今は各(おの〱)
 一家(いつか)の業(げう)となり官途(くわんと)の医(い)ハ禄(ろく)を世々(よ〱)にして
 いつとなく業(げう)に怠(おこた)り民間(みんかん)の医(い)ハ糊口(ここう)に逐(おは)れて
 唯薬(たゞくすり)を売(うら)むことを思ふ徒(ともがら)多(おほ)く候故に右(みぎ)の 
 如き戯言(けげん)をも承(うけたま)ハり候実に医道(いだう)の衰廃(すゐはい)に
 て候しかしながら有難(ありがた)き 御代(みよ)の御(おん)めくみ


 にて諸道悉(しよだうこと〲)く起(おこ)り候につきて 本邦上古(ほんはうじやうこ)の医(い)
 書(しよ)追々(おひ〱)顕(あらは)れ既(すで)に大同類(だいどうるい)寿方神遺方金蘭方(じゆはうしんいはうきんらんはう)
 など申す医方書(いはうしよ)ハ板本(はんほん)に成(なり)申候/中(なか)に神遺(しんい)
 方(はう)ハ薬方(やくはう)のみならず人身初生(じんしんしよせい)身体腑臓(しんたいふざう)の
 位置(ゐち)より治療(ちれう)の法(はふ)に至(いた)る迄/古言(こげん)にて神代(かみよ)の
 説(せつ)を伝(つた)へられて尤(もつとも)めでたき書(しよ)に候/余(あま)り貴(たふと)く
 覚(おぼえ)候故此節/学(まな)びがてらに注/解(かい)いたし懸居(かけゐ)
 申候/脱稿(だつかう)いたし候ハゞ御覧(ごらむ)に入へく候/追々(おひ〱)
 古書(こしよ)も出候ハゞ中絶(ちうぜつ)の医道(いだう)/再(ふたゝ)び起(おこ)り上古(じやうこ)
 の神功(しんこう)空(むな)しからず大已貴(おほなむち)の神徳(しんとく)を受持(うけもち)

 少彦名(すくなひこな)の神功(しんこう)に依(よ)り候事出來申すべく候
 然らば又/神明(しんめい)の助(たす)け有て又/神明(しんめい)の化功(くわこう)を
 助(たす)け候はむあなかしこ








 此消息はさきに我もとへ来りて物学びける
 何がしがことゞひおこせたる返り事にもの
 せしなり素より此一すぢをばことさらにも物
 して児もたる人々に見せも聞せもと思ひ
 つれど猶もだしけるを此頃吾心しり罷友
 生長泰関ぬしが見ていかで是を板に?りて
 世に弘めましかばこゝに覚る人ありてかの?
 をまぬかるゝ児おほからむにはいよゝ神明の
 化功をたすくるにこそあらめさらば?も
 また其一懸とならむものをとしき〳〵に勧め

養生主論

書名 養生主論2巻
【撮影ターゲットのため以下略】

【表紙 題箋】

《題:養生主論  乾》

【資料整理ラベル】
498.5
MAT
日本近代教育史
 資料

孝(かう)なりさて我身(わかみ)壮健(さうけん)ならずんは父母に孝養(かうやう)尽(つく)しがたし父母は
唯(たゞ)その子の病(やまひ)を憂(うれふ)と聖人(せいしん)も諭(さと)し給へは常(つね)に其身(そのみ)をよく慎(つゝ)
しみ保養(ほやう)し病のなきやうになし家業(かぎやう)をよくつとめ父母(ふほ)の心(こゝろ)をや
すくせしむべき事なり将又(はたまた)養生は惣(そう)じて勉(つとむ)る事をよくつとめ
おこたらざるにあり仮初(かりそめ)にも怠(おこた)り休(やす)む事をこのみあるひは暑(あつ)き
とき涼(すゞし)きところに安臥(あんくは)し寒(さむ)きとき火(ひ)によりて身(み)を動(うご)かさゞる
など養生(やうしやう)にあらず朝(あした)は早(はや)く起(お)き夜(よる)はおそくいね寒(さむ)き暑(あつ)き
をもしのびて身(み)を動(うご)かしはたらくべしたとへ富貴(ふうき)の人なりとも
此/心得(こゝろえ)をもつてつとめ行ふべし又/平生(へいせい)の養生(やうじやう)は心を静(しづ)か
にして騒(さは)がしからず緩(ゆる)やかにしてせまらず気(き)を柔(には)らかにし荒(あら)らか
ならす声(こゑ)を髙(たか)くせず高く笑(わら)はず常(つね)に心を悦(よろこ)ばしめて帰ら
さる事を悔(くやま)ずもし過(あやまち)あらは一度は我身(わかみ)をせめて二たひ悔(くゆ)べからず

或人(あるひと)のいへるに養生者(やうしやうしや)に短命(たんめい)なるあり不養生者(うやうしやうしや)に長命(ながいき)な
るあれば必(かな)らずしも養生(やうしやう)によらずといふはいとも拙(つた)なしいかほど
養性(やうじやう)しても短命(たんめい)なるはこれ定業天命(ちやうこうてんめい)なり孔子(こうし)第一の弟子(でし)
顔淵(がんゑん)なる人いかてか不養生(ふやうじやう)ならんやしかれども三十にして死(し)
す是/天(てん)の定業(でうごう)なりもし凡人(ぼんじん)ならは三十までもたもち得(え)ず二十
にいたらずして死すべし此道理(このどうり)をおしてしるべきなり不養生(やうじやう)に
ても六七十までは生(いき)る人これ百歳(ひやくさい)まても生へき人ならんた
とへは家業出情(かぎやうしゆつせい)すれども天命(てんめい)にて富貴(ふうき)なりがたき人も甚(はなはだ)しき
貧乏(びんぼう)はせざるがごとく養生をつとむる人は大病(たいびやう)にいたる事なく
命(いのち)もながく其/天年(てんねん)を終(おは)るべしとたがふべからず予は愚(おろか)に拙(つた)な
き生質(うまれ)にてしかも貧賤(ひんせん)なるがゆゑもの事思ふに任(まか)せず養生
の道は知(し)りながら止事(やむこと)を得(え)ずして人に勝(すく)れて心気(しんき)を労(ろう)する仍(よつ)

て年(とし)よりも耳目(じぼく)もよはり毎日/是(これ)では短命(たんめい)なるべしと思ひしか
養生の二字をわすれずして身分(みぶん)成(なる)べき丈(たけ)の養生せしゆゑにや
二十年このかた煩(わづ)らひし事なくされは心(こゝろ)がけ計にても養生は成
事なり

   身(み)の持(もち)やうの心得
身の持(もち)やうに四季(しき)の心得(こゝろえ)ありされと強(あなが)ちに朝夕(てうせき)かくせよといふに
はあらずたゞ其心得をのみいふなり
○春(はる)三月(みつき)は陽気(やうき)上(のぼ)りて万物(はんもつ)を生(しやう)ぜるがゆゑに人(ひと)の心(こゝろ)もおの
 づからいさみ生(しやう)ずるやう心得/朝(あさ)もことさら早く起(おき)て業事(ぎやうじ)
 をつとめ隙(ひま)あらんには広(ひろ)き庭(には)になど立出て草木(くさき)の芽(め)を出
 し陽気(やうき)ばむを見て心を楽(たのし)ましめ心を悠長(ゆうてう)にもつべしされば

 とて俗(ぞく)にのらつけといふにはあらずことさら正月は朝(あさ)とく起出(おきいで)て業(ぎやう)
 事(じ)を勤(つと)め冬の条(てう)に載(のせ)たる心持/肝要(かんやう)なり
○夏三月は陽気(やうき)さかんなるがゆゑに人の心(こゝろ)もちもなるほど
 盛(さかん)になるやうに持(もち)て朝(あさ)も早(はや)く起出(をきいで)終日(ひめもす)気(き)を張(はり)ていきほひ
 よく業事(ぎやうじ)をつとむべしさていとまある日には涼(すゞし)き処に居(ゐ)て
 よしなし事などいひて気(き)をなくさむべし民俗(みんぞく)五月頃よりは
 ひる寐(ね)をなす大なる不養生なり田夫(でんぶ)は日中(につちう)炎天(ゑんてん)に田畠(でんはた)に
 出て耕(たがやす)ことをいとひ昼休(ひるやすみ)と称(しやう)し縄(なわ)なひ又は草鞋(わらじ)なと内業事(うちしごと)
 をなすこと也しかるをひるやすみといへるをひる寐(ね)る事(こと)と心得る
 は僻事(ひがこと)なり又/涼(すゝしき)をよしとして夜々(よる〳〵)川辺(かはべ)なんど出るは大なる不
 養生なり《割書:予》かしる人/書見(しよけん)なすに宅(たく)は挟少(けうせう)なるが上(うへ)蚊(か)の声(こへ)の
 いぶせしとて夜々(よる〳〵)鴨川(かもかは)の床几(せうぎ)をかりて暮過(くれすぎ)より夜半(よなか)をかぎりに

 六月のはじめより七月のすゑつかたまで勤学(きんがく)なしたりしが八月の中
 ころより重(おも)き痢病(りびやう)をやみて天死(わかじに)なしたり又ある富家(ふか)のあるし
 これも又/川端(かはばた)に家居(いへゐ)をしつらひ夜々(よる〳〵)川辺の床(ゆか)に飲食(いんしよく)せしが
 同し頃より瘧(きやく)をやみて終(つひ)に命(いのち)を失(うしな)ふ恐るべしたとへ適々(たま〳〵)たり
 とも暮(くれ)より初夜(しよや)までは水辺(すいへん)に遊ぶべし初夜(しよや)よりのちは水辺
 を遠ざくへし
〇秋三月は天地(てんち)の気(き)も収斂(しうれん)するほどに我が気(き)を外(ほか)に発(はつ)
 せぬやうにおさめて妄(みだり)に気(き)をつかはぬやうに持(も)ち朝(あさ)とく起(お)き
 涼(すゞし)き気(き)にあたりて夏(なつ)の暑気(しよき)をはらし涼気(すゞしきき)を受(うく)べし尤
 俗(ぞく)にあきぐちといひて食物(しよくもつ)等ことに気(き)を付べし
〇冬三月は陽気(やうき)閉蔵(へいざう)して水(みづ)こほり地(つち)も凍(いて)坼(さく)る程なるに
 よりて気(き)をつかはず心神(しん〳〵)を臍下(さいか)におさめて気(き)をうごかさぬやう

 に心得べし春夏の人の病は多くは冬の寒気にあたりたるより
 出るなり冬(ふゆ)寒気をうけざれば春夏(はるなつ)にやむ事/稀(まれ)なるもの也
 尤冬/寒気(かんき)をうくるも全(まつた)く夏(なつ)の養生(やうじやう)あしきによりて起る也
 夏のあつさを凌(しの)がんとて冷物(ひへもの)をたしみ水を多(おほ)くのみ涼気(れいき)を
 もとむれば暑(しよ)とうち合て却(かへつ)て大に汗(あせ)を出す汗(あせ)出(いづ)ること甚し
 ければ表(ひやう)の陽気(ゆうき)おのづから虚(きよ)して冬/寒気(かんき)をうくる也/惣(さう)して
 暑気(しよき)には腹中ひへるものなればあたゝめるが養生なりしかるを
 冷物(ひへもの)もて腹中(ふくちう)をひやすが故病を生(しやう)す冬も寒(さむ)しとて入湯(にうとう)な
 と過度(たび〳〵)し炭火(すみひ)にもつよくあたれは陽気(やうき)もれて大に閉蔵(へいざう)
 の理(り)にそむきてあしく四季ともよく考へ心得へし
凡養生の術に十二少(じうにせう)といふ事あり食(しよく)を少(すくなく)し飲(いん)を少(すくなふ)し五味の
偏(へん)を少し欲(よく)を少し言語(ものいふこと)を少し事(こと)を少し怒(いかり)を少し憂(うれひ)を少し


 心(こゝろ)をば
    常(つね)に
   おさめて
    しづかに
       し
  身(み)をば
     ほどよく
   うこがすぞ
       よき

悲しみを少く《割書:憂と悲しみとのたがひはうれひといふは常におのが身にある事悲しみは|人に対してある事なり君子は悲しみを同しうすといへるに同し》
思(おも)ひを少し臥(ふす)ことを少し眠(ねむり)を少すべしと也平生心を静(しづか)にして
騒(さはが)しからずゆるやかにしてせはたしからず柔(やはら)かにして剛々(こは〳〵)しからず
声(こへ)を髙(たか)くせず高(たか)く笑(わら)はず常に心(こゝろ)をよろこばしめて怒(いか)らず帰(かへ)ら
ざる事を悔(くひ)す過(あやまち)あらは一度は我身(わがみ)をせめてふたゝひ悔(くゆ)べからず
悦(よろこ)ぶ事も甚(はなはだ)しけれは気(き)ひらけすきて性気(せいき)を減(へら)す憂悲(うれひかな)しみ
多ければ気結(きむす)ぼれてふさがる皆/元気(げんき)の害(かい)也○津液(しんゑき)【左ルビ:つは】は一身(いつしん)の
潤(うるほ)ひにして源腎水(もとじんすい)と一家(ひとつ)なり常(つね)にをしみて吐(はく)べからず飲(のむ)べし
化(くは)して精血(せいけつ)となる仙人(せんにん)はこれを金釃玉漿(きんれいぎよくしやう)などゝ称して大切に
する事なり痰(たん)は吐(はく)べし潤(うるほひ)とはならず○歯(は)は常にたゝくがよろし
早く落(おち)す口中(こうちう)の熱(ねつ)をもさるなり毎夜(まいよ)寐(ね)る時に塩茶(しほちや)にて
うがゆなしいぬべし養生(やうじやう)に五冝(ごぎ)といふことあり髪(かみ)は多く梳(くしけつ)るが宜(よろ)し

手は常(つね)に面(かほ)にあるによろし《割書:面をひたと|なづる事也》歯(は)はしば〳〵たゝくによろし
津(つ)は常(つね)に飲(のむ)によろし気(き)は常(つね)にしづかなるによろし○よる臥(ふす)と
きは右(みき)を下(した)にして両手(れうて)共/大指(おほゆび)をかゞめ四ツの指(ゆひ)にて握(にぎ)り右の
手(て)を屈(かゞ)めて臥(ふす)べし手を握(にき)るは胸(むね)をふさぎておそはれざらんが
為(ため)なり後(のち)には習(ならひ)となりて眠(ねむり)のなかにもひらかざるものなり《割書:是は|医書》
《割書:にも|見えたり》扨/頭(かしら)は頭北西面右脇臥(づほくさいめんうきやうぐは)といひて北枕西向(きたまくらにしむき)に臥(ふす)べししか
るに北枕西向(きたまくらにしむき)は忌嫌(いみきら)ふ人多しこれ養生(やうじやう)をしらざる也/仙経(せんきやう)
の中に東貧南病西福北寿(とうひんなんびやうさいふくほくじゆ)とありて北枕(きたまくら)は命長(いのちなが)しといへり
孔子(こうし)の東枕(ひがしまくら)し給ふは東(ひがし)は陽(やう)のはじめ頭(かしら)も又 陽(やう)の会(あつま)る所にして
形(かたち)のはじめなればなり東貧(とうひん)とあれども聖人は貧福(ひんふく)を欲(ほつ)し
給はず唯(たゞ)其/理(ことはり)を以て主(しゆ)とし給ふゆゑなり其/用捨(やうしや)は其行ふ人の
心のまに〳〵すべし○常(つね)に自(みづか)ら大小便(だいせうべん)に気(き)を付べし小便(せうべん)赤(あか)き

か濁(にこ)らば病(やまひ)あり早(はや)く保療(れうぢ)すべし大便は滑泄(こつぜい)をいむといひて泄(せい)【左ルビ:つたり】【ママ】は
能(よろ)しからぬことは人/皆(みな)しれとも滑(なめらか)なるは人(ひと)左(さ)ほどにも思はぬもの也
是/脾胃(ひゐ)の調(とゝの)はざる故也/飲食(いんしよく)に心を付べし腹中(ふくちう)を見ること能(あた)は
ざれとも腸胃(ちやうゐ)の調(てう)不調(ふてう)をしるは是(これ)より明(あきらか)なるはなし命(めい)は脾胃(ひゐ)
だけのものなれば常に只(たゞ)脾胃を随分(ずいぶん)大切に補養(ほやう)すべしまた
自分(じぶん)顔色(かほいろ)目(め)のうちなどを見るべし老人(ろうしん)出家(しゆつけ)たりとも鏡(かゝみ)を以て
毎度(まいど)容皃(かほかたち)を考(かんがう)べし総(さう)【惣】じて身心(しんしん)を養(やしな)ふはたとへは銭(せに)かねをしまつ
するがことく毎日(まいにち)わづかづゝにても倹約(けんやく)すれば年分(ねんぶん)大分ちがふ物
なり養性(やうじやう)もこれに同(おな)じ日々に心(こゝろ)かくれば一年の内(うち)には大にその
しるし有ものなり況(いはん)や年(とし)を重(かさ)ねは其/利益(りやく)はかるべからず或は
胸腹(むねはら)を撫(な)であるひは毎日家(まいにちいへ)のうちにありても歩行(ほこう)するがごとき
少しつゝの事(こと)をも是を捨(すて)ず怠(おこた)らざれば切【功ヵ】をつみて大に其(その)志かし

   飲食(いんしよく)の心得
万(よろづ)の食物(しよくもつ)過食(くひすご)するは不養生(ふやうじやう)の第一なり三度(さんど)の食事(しよくじ)も椀(わん)
数(かず)をさだめ重菜(ちやうさい)ならば飯(はん)を減(げん)ずべし尤/四季(しき)とも冷物(ひへもの)は食す
べからず一切の食物(しよくもつ)別(べつ)して魚鳥(きよてう)などの厚味(かうみ)を喰過(くひすご)すは早く
脾胃(ひゐ)よはりて或(あるひ)は病(や)み又は若死(わかじに)したとひ死(し)にいたらずとも長(ちやう)
寿天命(じゆてんめい)を全(まつた)ふしかたしたとへは草木(さうもく)に糞(こやし)するが如く其/糞(こやし)強(つよ)
けれは却(かへつ)て枯(か)るゝごとく食味(しよくみ)厚膏(あぶらおほきもの)なれば元気(げんき)を損(そん)ず其故
は食味(しよくみ)淡(あは)うして又食を減(へら)する時は脾胃(ひゐ)に空所(すきたるところ)ありて元気(げんき)めぐり
安く食(しよく)もこなれ安(やす)く其 膏味(かうみ)皆(みな)全身(せんしん)の養(やしなひ)と成て病(やまひ)少(すくな)く身
も壮健(さうけん)なり若(もし)食/多(おほ)くして腹中(ふくちう)に充満(しうまん)すれば気(き)めぐらず却て病
を求(もと)む甚しきは頓死(とんし)する事/間々(まゝ)あり肉(にく)と野菜(やさい)のるい飯(めし)より少く

食すべし千金方(せんきんはう)に曰く山中(さんちう)の人は命(いのち)長く海辺(かいへん)の人は短命(たんめい)也
是/魚肉(きよにく)のとぼしきと多きとによつてなりと又 獣肉(じうにく)は我邦(わかくに)の
人の脾胃(ひゐ)には必(かならず)よろしからず冬(ふゆ)の日/或(あるひ)は虚弱(きよしやく)の人/薬喰(くすりぐひ)とて
猪鹿(ちよろく)あるは牛熊(ぎうゆう)なんどの肉(にく)を食して寒気(かんき)を防(ふせ)き又/元気(げんき)を助
んとす大なるひがことなり獣肉(じうにく)いかで人間の精神(せいしん)を助(たす)けんや人は
万物(はんもつ)の長たるもの牛鹿(ぎうろく)の精血(せいけつ)に助けられんやたとへ虚弱(きよしやく)の人 一端(いつたん)
獣肉のために精気(せいき)を得るが如(こと)く覚ゆとも化消(くはしやう)し大便(たいへん)に解(げ)してのちは
精気を保(たも)つことなふして却(かへつ)て胃中(ゐちう)に獣肉の熱毒(ねつどく)残りて決(けつし)て
軽(かろ)きは頭瘡(づさう)疥瘡(ひぜん)を発(はつ)し甚しきにいたりては重き腫物(しゆもつ)となりて
長病(てうびやう)を引出すこと多し必(かな)らず薬餌(くすりくい)とて肉食(にくしよく)をなすべからず且又
食のむら喰(くひ)とて気合(きにかなは)ざる野菜(やさい)にては食を減(けん)じ好(この)める厚味(かうみ)にては
飽食(おほぐひ)する事病を求(もと)むる一/端(はし)なり《割書:予》江戸に居(ゐ)たりしとき浅草(あさくさ)辺に

四十余の道心者(どうしんしや)きはめて貧(まづ)しく住(すみ)たりしが何(なに)の病(やまひ)ともなく俄(にはか)に
虚弱(きよじやく)になり歩行(ほこう)苦(くる)しく杖(つへ)にすかりて居(ゐ)たるに後(のち)は躄(あしなへ)同前(とうせん)に
一歩(いつほ)もあゆみがたくされど貧(まつし)ければ服薬(ふくやく)をなさて悩(なや)み難渋(なんじう)せし
を《割書:予》或(ある)とき尋ぬるは汝(なんぢ)は檀家(だんか)にて一時(いちし)に飽食(ほうしよく)等なせし事/毎々(たび〳〵)
なかりしや彼者(かのもの)こたへて達者(たつしや)なるうちは近(ちか)き頃(ころ)まで不断(ふだん)に物(もの)
乏(とぼ)しければ適(たま〳〵)供養(くやう)に逢(あふ)ときはむさぼり喰(くら)ふ事/度々(たび〳〵)なり《割書:予》か曰
汝か病根(びやうこん)これなり今日(けふ)より一日に一食(いちじき)ツヽになすべし尤(もつとも)初めは飢(うへ)て
心地(こゝち)死(し)すべく計(ばかり)に堪(たへ)がたかるべしこれを忍(しの)びたらんには必(かな)らず本(ほん)
復(ぶく)すべしといふ彼者(かのもの)夫より一食づゝにして其余(そのよ)断食(だんじき)せしに自然(しぜん)
と病(やま)ひ本復(ほんぶく)なしたり都(すべ)て貧(まづし)き人又はたくはつなどにて暮
す道心者などの病あるとき薬(くすり)も得(え)服(ふく)しかね食(しよく)もかつ〳〵にて看(かん)
病人(ひやうにん)もなく戸(と)をさして数日(すじつ)床(とこ)にふしゐるに自然(しぜん)重病(じうびやう)の本(ほん)

服(ふく)するもの世間(せけん)に多しこれ全(まつた)く飽食(はうしよく)より出る病なり凡(およそ)人は
飢飽(きはう)ともよからぬ事なれど是(これ)らを以て見れば飢(うゆる)かたは病(やまひ)によろ
しきと見えたり皆(みな)人(ひと)飢(うへ)て死(し)するは甚(はなはだ)稀(まれ)なり食に飽(あき)て死(し)するは
きはめて多し都(すへ)て病あるときは数日(すじつ)食(しよく)せざれとも其病の邪(じや)
熱(ねつ)が食(しよく)になつてある故くるしからず多くは断食(だんじき)よろしき事/医書(いしよ)
にも見えたり勧(すゝ)みがたきを強(しゐ)て食(しよく)すれば却て養ひにはならず食
道(とう)をふさげて薬(くすり)もめぐらず弥(いよ〳〵)病を増(ます)といへり天竺(てんじく)にては諸病を断(たん)
食(じき)にて治する事/義浄三蔵(きじやうさんざう)の南海寄帰伝(なんかいききでん)に見えたり三蔵/天(てん)
竺(ぢく)より帰り給ひ此事をすゝめたまひしかども唐土(もろこしの)医者(ゐしや)も其世に
は用ひざりしよしなれば本朝(ほんてう)にも此/術(じゆつ)つたはらず三蔵は自(みづか)らこの
此/療術(れうじゆつ)を用ひて九十/余歳(よさい)をたもてりとそ東坡(とうば)は朝夕に
魚肉(きよにく)一品より多(おほ)からしめず一には分(ぶん)を安(やす)んして福(さいはひ)を養(やしな)ひ二には胃

を緩(ゆる)め気(き)を養ふ三つには費(つゐえ)をはぶきて財(さい)をやしなふといへりこれ
養生と倹約(けんやく)と兼行(かねおこな)ふものなり都(すへ)に食物(しよくもつ)にかぎらず養性につき
てはおのづから倹約に成(な)る事/多(おほ)し能事(よきこと)は何(なに)も角(か)もよきもの也
去(さり)ながら養生の事に付はわづかの費(つゐえ)をはいとふべからず○酒(さけ)は百薬(ひやくやく)
の長(てう)といへば少しつゝ嗜(たし)むときは気血(きけつ)をめぐらし身を潤(うるほ)すしかれ共
過酒(くはしゆ)するときは肺(はい)をかはかし熱毒(ねつとく)を帯(をび)て百病これより生す酔(よひ)
臥(ふす)こと大に身を害(かい)す寐酒(ねさけ)は大に不養生なりすべて酒(さけ)によつて
病(やまひ)を生する事はさらに解(とか)ずといふとも人のよく知る所也/慎(つゝし)み心得ふ
へし○湯茶(ゆちや)渇(かつ)するときばかり用ひて其/余(よ)は呑(のむ)べからず脾胃(ひゐ)
は湿(しつ)を憎(にく)む又/飲物(のみもの)多けれは小便(しやうべん)しげし小便につれて身(み)の
潤(うるほひ)もぬけて元気(げんき)をへらす飲物(のみもの)少けれは脾胃つよく東坡(とうは)曰
昔(むかし)ある人/若(わか)きより湯水(ゆみづ)を禁(きん)じて年八十三に及ひて形気(かたち)四

五十歳のごとしといへり凡(およそ)食事をなすときは心を静(しつか)にして
思慮(しりよ)する事/物(もの)いふ事/笑(わら)ふ事など大なる毒(どく)なり食(しよく)前後(ぜんご)も
これに同し食後(しよくご)煙草(たばこ)をこのむ人は用(もち)ひて気(き)を休(やす)めしこふして
胸腹(むねはら)をしづかになでさする事/百度(ひやくど)に及ふべし必/臥事(ふすこと)なかれ
つとめて歩行(ほかう)すべし夕飯(ゆふめし)には必(かな)らず野菜(やさい)のかろきものにて食
すべし決(けつ)て厚味(かうみ)を食すべからず冬の日/他(た)より帰(かへ)り冷(ひへ)たりとて
直(たゞち)に至極(しこく)の温物(あつきもの)食すべからず肺脾(はいひ)を損(そん)ず夏の冷水(れいすい)を禁(きん)ずるに
等(ひと)し冬春/北国(ほつこく)雪中(せつちう)往来(わうらい)の人に温酒(あたゝめざけ)をあたへずといへり温酒を
呑(のむ)ときは却(かへつ)て雪中に冴(こゞへ)る事あり此外/食物(しよくもつ)に心得(こゝろへ)夥(おびたゝ)しといへ
とも一々/挙(あぐ)るにいとまあらず自(みづ)から考(かんか)へ慎(つゝし)むべし古人(こじん)のいはく
色欲(しきよく)は遠(とふ)ざくべし食欲(しよくよく)はしりぞけがたし小児(せうに)といへども食欲は同し
禍(わさわひ)は口(くち)より出(いで)病(やまひ)は口より入る又いはく盟(めい)をやぶるは一言(いちごん)にあり腹(はら)を

損(そこな)ふは一椀(いちわん)にありと宜(うべ)なるかな

    房事(ほうじ)の心得
夫(それ)男女(なんによ)和合(わごう)は子孫(しそん)相続(さうぞく)の基(もと)ひにして更(さら)淫(たはぶれ)たる事にあらず
されど人欲(しんよく)の内(うち)に慎(つゝしみ)がたきは色欲(しきよく)の一ツなり凡(をよそ)人の生質(うまれつき)にして
強弱(けうじやく)ありといへどもたとへ強壮(つよくさかん)なりとも度(ど)を守(まも)るべしいはんや虚弱(きよじやく)
の人におゐてをや足(た)らざるは身(み)をやしなひ過(すぐ)るは身を削(けづ)り命(めい)を
縮(ちゞ)む又/過度(くはど)する人は極(きは)めて風寒(ふうかん)に傷(やぶ)られやすしされど其(その)
情(じやう)をむりに堪(こた)ゆるは又(また)鬱症(うつしやう)となる事ありて害(かい)となるされば
人三十/歳(さい)までは其/生質(うまれつき)の強弱(つよくよはき)にしたがひ多少(たしやう)自(みづか)ら考(かんが)ふべし
さりながらたとへ強壮(つよくさかん)なりとも月(つき)に五六/回(たび)にすごすべからず虚弱(きよじやく)
なる人は三四/度(ど)をすごすべからず四十/已後(いご)は慎(つゝし)み第(だい)一なるべし

月に一度(ど)強(しゐ)て両度(にど)五十已上は淫事(いんじ)たつべしといへども月に
一度くらゐは交(まじはり)て却(かへつ)て鬱(うつ)を散(さん)ずべし六十已上にいたりなは強(つよく)
弱(よはく)ともかならず思ひとゞまり其/情(じやう)をもらすべからず《割書:予》が知己(しれるひと)に若(しやく)
年(ねん)の頃(ころ)淫事(いんじ)を恣(ほしいまゝ)にして病気(ひやうき)を得(え)年(とし)久(ひさ)しく悩(なや)み医師(いし)厳(きび)し
く女色(しよしよく)を禁(きん)じ己(おのれ)もまた身(み)に害(かい)ある事を覚(おほ)え一切(いつさい)女色を禁(きん)し
保養(ほやう)なせしかば元来(もとより)壮年(さうねん)の折なれは終(つひ)に本快(ほんぶく)をなし其のち歳(とし)
四十にいたりて更(さら)に志願(しぐはん)をたて仮(かり)にも目に淫(たはふれ)を見す耳(みゝ)に聞(きか)す
もとより女色を絶(たち)て五十にいたる迄/慎(つゝし)みしが其後(そのゝち)は色欲(しきよく)の思(し)
念(ねん)さらに忘(わす)れて淫念(いんねん)おこる事なく今九十/歳(さい)に近くして眼耳(がんに)
歯(し)に少しも若年(じやくねん)とかはらず容貌(ようはう)五旬(ごじう)の人と見へたりさらは慎(つゝしむ)に
しくはあらじ又/交合(かうごう)に禁日(いみひ)あり毎(まい)月朔日十五日 正月元日 三月
三日 五月五日 七月七日 九月九日外に五月十三日十四日 立春(りつしゆん)立夏(りつか) 立秋(りつしう)

立冬(りつとう) 甲子(きのへね) 庚申(かうしん) 日蝕(につしよく) 月蝕(くはつしよく) 婦人(ふじん)経水(けいすい)の後(のち)七日これらは急と
交合(まじはり)を慎むべし又交合のゝち其まゝ臥(ふ)すべからず手(て)洗(あらひ)口(くち)そゝぎて身心
を鎮(しづ)めしかふして臥べしこれ養性(やうじやう)のひとつなり序(ついで)にいはん今の人
己(をの)が淫欲(いんらく)【ママ】のために外妾(てかけ)を置て淫楽(いんらく)を事とすなげくべきの
甚しき也/先(まつ)己(おの)が身を削(けづ)るのみならず夫婦(ふうふ)の情合(しやうあひ)自から薄(うす)くなり
且(かつ)不和合(ふわがう)の基(もとひ)にして一家(いつか)みだるゝのはじめなり其/所以(ゆゑ)は一家(いつか)の主(あるし)と
して色欲(しきよく)を事とするときは子(こ)弟(おとふと)下臣(けらい)奴僕(しもべ)等/色乱(しきらん)を教(をしゆる)がごとし
故に其家/斉(とゝのひ)がたし只/節(せつ)を守(まも)り慎(つゝしん)て家人(かじん)を保(さすん)ず是(これ)真(しん)の其身幷
その家の養生(やうじやう)といふべし抑(そも〳〵)交合(まじはり)ははじめにもいへるごとく人倫(しんりん)の
はじめなれば心(こゝろ)を清浄(しやう〴〵)にしてましはるべし必(かならず)愁苦(しうく)するとき交る
べからず大病後(たいびやうご)久(ひさ)しく交(まじは)るべからず大酒(たいしゆ)飽食(はうしよく)して交(まじは)るべからず遠路(ゑんろ)
歩行(ほこう)し労(つか)れたるとき交(ましは)るべからず重(おもき)荷をかづき又は力業(ちからわさ)なしてのち

 飲食(いんしよく)は
   わが身(み)
  やしなふ
    ためなる
        を
  口(くち)より
    身(み)をば
    やぶる
      愚(をろ)
       かさ



 百薬(ひやくやく)の
   長(ちやう)なる
  さけも
   十分(じうぶん)に
 すぐれは
   たゞに
  百/毒(どく)
    の長


交(ましは)るべからず微熱(びねつ)あるとき交るべからず只心(たゞこゝろ)に思ふ事(こと)なく身体(しんたい)すこ
やかにしてまじはるべしこれ房事(はうじ)の心得(こころえ)なり

   小児(しやうに)を育(そだ)つる心得
夫(それ)小児を育(そだつ)る事/甚(はなはた)其心得多しといへども先(まつ)産子(うぶこ)のうちよりあらは
ざれば成長(せいちやう)して色黒(いろくろ)しなどいひて日々/浴(ゆあみ)行水(きやうずい)をなさしむる事
大なる毒(とく)なり顔色(がんしよく)黒白(くろしろき)は其子(そのこ)の血色(けつしよく)による事なれは洗(あら)ひ
たりとも白くなるに決(けつ)せしにもあらず度々(たび〳〵)産子(うぶこ)より行水をなさし
むれは疳(かん)を発(はつ)し甚(はなは)だしきは驚風(きやうふう)となる故(かるがゆへ)に唐士(もろこし)には小児に行水
をなさしめずやはらかなる絹(きぬ)をもつて度々(たび〳〵)/拭(ぬぐ)ひ疱瘡(はうさう)なして後(のち)は行水
をなさしむるといへりされば暑中(しよちう)なんどは汗(あせ)ぼのいづるを患(うれ)ひて度々
行水なさしむる事/遠慮(ゑんりよ)なすべし乳(ちゝ)をのませること年久しき程(ほど)

其子/壮健(さうけん)なりといひて七八才までもあたゆるは大(おほい)なる誤(あやまり)なり本
より乳(ちゝ)は寒(かん)なる故に小児(しやうに)脾胃(ひゐ)を損(そん)ずるなり大抵(たいてい)四/歳(さい)までは
乳を以(もつ)て育(そだ)て其のちは食物(しよくもつ)をあたふべし将(はた)又わらへ風の子など
いひて冷(ひや)すことあしゝ生質(うまれつき)虚弱(よわき)の小児に度々(たひ〳〵)風をひかすれば
終(つひ)に大ひなる病身(びやうしん)となるさればとて暖(あたゝ)めすぐるもあしゝ又風は
すこしあてるとも水なぶりはなさしむべからず暑寒(しよかん)ともいたつてあし
し三四歳の頃(ころ)よりも灸治(きうぢ)をなすべし尤(もつとも)小児(こども)殊(こと)にきらふものなれ
どもかたはらに灸賃(きうちん)をおきてよく〳〵いひきかせてすゆるべししかるに
今の親(おや)たちつね〳〵其児(そのこ)を戒(いましむ)るにやいとをすゆるぞなんど威言(おどしこと)に
いふが故に灸(きう)といへは恐(おそ)ろしき事と思ふがまゝ灸治(きうち)せんとすればいたく
恐(おそ)れ泣(なき)わめくを引捕(ひきとら)へすゆるは大にあしく心気(しんき)逆上(ぎやくじやう)なし惣身(そうみ)熱気(ねつき)
動(うご)きし処に灸(きう)なすがゆへ却(かへつ)てよろしからず是等親たる人の心得べ

き事なりかし必(かな)らずしも親子の愛(あい)におほれかへつてあしき道
にいさなふ事ありあしき事あらは幼稚(やうち)なりともゆるすべからずつよく
いましめ折檻(せつかん)すべくつよくをしゆるときは其児内気(そのこうちき)になくといふ人あれ
どもきはめてひとの親のたとへむごくきびしく教(をし)ゆるとも肉身(にくしん)の愛(あい)
情(しやう)にて人目にはやはらか成ものなり扨又/冨有貴人(ふくゆうきにん)たりとも小児には
麁食(そしき)をあたへ美食(ひしよく)なさしむべからずもとより美服絹布(ひふくけんふ)を着(き)せへ
からずたとへ表(おもて)には絹(きぬ)なりとも裏(うら)は木綿(もめん)たるべし去(さる)に今の世間(せけん)を見るに
親(おや)は麁食を喰(くひ)ながら愛(あひ)におぼれて厚味(かうみ)を与(あた)へ身分(みぶん)ふ相応(そうわう)の絹布
を身に纏(まと)はせそのうへに帯(おひ)頭巾(つきん)羽織(はをり)などに風流花奢(ふうりうくはしや)を尽(つく)して
楽(たのしみ)とす故に成長(せいちやう)して衣食(ゐしよく)にすき嫌(きらひ)をなし身体虚弱(しんたいきよしやく)にしてしか
も奢(おこり)の心(こゝろ)出來(でき)身をつとめざる故/自(おのづか)ら多病(たびやう)ものとなる也/高貴(かうき)の
御子は幼稚(いとけなき)のときは里(さと)に預(あづく)るとて都(みやこ)ちかき田舎(いなか)へ預(あづ)けるひ年(とし)六七

才にして取戻(とりもと)し育(そたて)ゐふこれいとけなきときより厚味(かうみ)なき田舎(いなか)の
身(み)を勤(つと)めて麁食(そじき)を食(しよく)する乳(ちゝ)汁を以て育(そだ)て又/麁味(そみ)を食(しよく)せしめおの
づから田舎(いなか)の不自由(ふじやう)なると身を働(はた)らかし勤(つとむ)るを見聞(けんもん)なさしむるため
なりとぞたとへ冨貴(ふうき)の家に育(そだつ)るとも大事(たいじ)にかけすぐるときは其児(そのこ)きは
めて病身(びやうしん)なり貧賤(ひんせん)の子(こ)の健(すこやか)なるを見て考(かんが)ふべし就中(なかんづく)女子は
猶さら衣食(いしよく)も麁食麁服(そしきそふく)を与(あた)ふべしさなくとも美味花麗(びみくはれい)を好む
は女の生質(うまれつき)なれば養育(やういく)も男子(なんし)よりまた厳重(けんぢう)なるべし

   総論(そうろん)
孝経(かうきやう)にいはく身体髪膚(しんたいはつふ)これを父母(ふぼ)にうけたりあへて毀破(そこなひやぶ)らざるは孝
のはじめ也と又/身(み)をたて名(な)を揚(あく)るを孝のおはり也と孔子(こうし)ものたまへりされは
親(おや)よりうけ得(え)たる髪(かみ)一筋もみだりに損(すん)ずべからずいはんや身体(しんたい)をやまた

身をたてるにも名をあぐるにも不養生(ふやうじやう)にし身体(しんたい)虚弱にして勉(つとむ)る事の
なしがたきにいかで孝のおはりをとぐる事あたはんや養生(やうじやう)を専(もつぱ)らとする時
は身体を損(そこな)ふ事もあらず勤(つと)め学(まな)ひて身をたつるにいたるべしこゝを以て
養生は親孝君忠(しんこうくんちう)の第一といふべし扨(さて)養生(やうしやう)の心得/前(まへ)条にのぶる如し
といへども其/原(もと)は衣食住(いしよくぢう)の三より発(おこ)る其/故(ゆゑ)いかんとなれは衣食住
の三欲(さんよく)より女色(ちよしよく)過酒(くはしゆ)念慮(ねんりよ)の三毒(さんどく)出る色酒(しきしゆ)にて虚損(きよそん)し厚味(かうみ)
を食して身を働(はた)らかさゞる故/飲食(ゐんしよく)和(くは)せず念慮(ねんりよ)とは妄想(もうさう)なり
女色(しよしよく)酒(しゆ)の二ツも妄想より起(おこ)り身の害(かい)となる事をも兼(かね)て心得(こゝろえ)あり
ながら暫時(さんじ)の快楽(くはいらく)に生涯(しやうがい)の大害(たいかい)をわするゝは豈(あに)大愚(だいぐ)のいたりならずや
身体(しんたい)労(ろう)すれば善心(せんしん)生(しやう)じ身体(しんたい)逸(ほしいまゝ)なれば悪心(あくしん)生(しやう)ずと尤(もつとも)なる古言(こげん)也
扨又世の人/養生(やうしやう)といへは只(たゞ)命(いのち)ををしむやうに心得(こゝろえ)侍士(さむらひ)又/出家(しゆつけ)などの
有ましき事などそしる人あり養生と天寿(てんじゆ)は別(べつ)の事なりといへども

不断(ふだん)養性を守(まも)る人は無病(むびやう)にして天寿(てんじゆ)を十分に全(まつたく)して死期(しご)に及んて
苦悩(くなう)なし平日(つね〳〵)不養生にして身(み)を守(まも)り慎(つゝし)まさるは常(つね)に多病(たびやう)にて快楽(くはいらく)
をも十分になしがたく終(つひ)に長病(ちやうびやう)に臥(ふ)して身体(しんたい)苦痛(くつう)し昼夜(ちうや)家人(かじん)
の厄介(やくかい)をうけあまつさへ二便(にべん)だに人手(ひとで)にかゝり後(のち)には女房(によばう)わか子弟(してい)にさへ
飽(あか)るゝやうなるはいとも浅間(あさま)しき事なりけり常(つね)に養生よき人はかゝる
浅間(あさま)しき病気(びやうき)はあるべからずたとへは身心(しん〴〵)を養ふは銭金(せにかね)をしまつする
が如(こと)したとへ纔(わづか)づゝにても毎日(まいにち)倹約(けんやく)なせは年分(ねんぶん)には大分(だいぶん)違(ちが)ふものなり
故に大病(たいびやう)といへる借銭(しやくせん)も日々(うち〳〵)に始末(しまつ)なして其余計(そのよけい)を以て少(すこ)しづゝにても
償(つくの)へば終(つひ)に情財(じやうざい)をも返済(へんさい)なすべし日々(にち〳〵)養生(やうじやう)をもつて身(み)を守(まも)るときは
数年(すねん)積(つみ)たる病根(びやうこん)をも散断(さんだん)すべしいはんや借銭(しやくせん)も病根(びやうこん)もなきに
養生をつむときは其利益(そのりやく)をして知るべし又此養生の道(みち)を行(おこな)ひて不思(ふし)
議(ぎ)なる事は予がしる人其/気質(きしつ)荒々(あら〳〵)しくて貪欲(とんよく)も又深(ふか)かりしが此人

に逢(あふ)たびごとに養生(やうじやう)の道を解(とき)きかせしにはじめは馬耳風(はにふう)の如(こと)きさまな
りしがいつしか耳(みゝ)に止(とゝ)まるやうになり後(のち)には養生(やうしやう)の書を求(もと)め自(みづ)から
勤(つと)め学(まな)びしかは身持(みもち)ふるまひ正(たゞ)しくなりて慈悲心(しひのこゝろ)深(ふか)くなりしは
是則/養徳(やうとく)といふへきものなり
  予/上(かみ)にいへるごとく朝夕(てうせき)養生を心かくるゆゑにや久(ひさ)しく煩(わづ)らは
  す壮健(すこやか)なりといへども定業(ちやうこう)は朝(あした)をも期(こ)せずしかれども此/篇(へん)に
  述(のぶ)るところは皆(みな)聖賢(せいけん)の明言(めいごん)なれは養性の道(みち)に志(こゝろざし)あらん
  人は用ひたまふに足(たり)なんか去(さん)ぬる頃(ころ)東武(とうぶ)に長命(ちようめい)の術(じゆつ)を指(し)
  南(なん)するものあり其比(そのころ)大坂に養生(やうじやう)ふかき男此江戸の指南者(しなんしや)
  のことを聞(きゝ)つたへ何とぞ態々(わざ〳〵)江戸へ行(ゆき)て長命(ちやうめい)の術(しゆつ)をきゝたく
  おもひたりしかども遠路(ゑんろ)の事にて其志(そのこゝろさし)をとけざりし内(うち)に江戸
  の指南者(しなんしや)五十八才にて頓死(とんし)なしたるよしを告来(つけきた)るに大坂人

  大に悲歎(ひたん)し其術を聞(きか)ざりし事を悔(くひ)たるにかたへに居(ゐ)たる人大に
  笑(わらひ)て御身いと愚(おろ)かなる事(こと)をいふ人かな其/江戸(ゑど)の指南者(しなんしや)いかて
  長命(ちようめい)の術をしる者(もの)ならんや若(もし)其術をしるとせは五十/有余(ゆうよ)を以て
  死(し)すべけん是/術(しゆつ)をしらさるの証(せう)なりといふに大坂人/答(こた)へてそれは
  御身こそ愚(おろか)なる詞(ことは)といふべし既(すで)に広(ひろ)き江戸にありて長命の指(し)
  南者(なんじや)と唱(とな)へ百余里を隔(へたて)たる京摂(けいせつ)にまで聞(きこ)ゆるにはいかて其術を
  しらざるへけんや然(しか)れ共/養生(やうじやう)にかぎらず諸道(しよたう)ともしらずしてよく
  行(おこな)ふ者ありしつて而(しか)も行(おこな)ふことあたはざるものあり彼(かの)指南者(しなんしや)も
  これを知つて行(おこな)ふことあたはざる者(もの)にて有(あり)しものならんすべて
  知恵(ちゑ)と行(おこなひ)は別(べつ)の事なりといひけるとなり孔子(こうし)の宣(のたま)はく言(こと)を
  以て人を不用(もちひす)人を以(もつ)て言(こと)を捨(すて)ずとされはおのれ愚昧(くまい)短才(たんさい)なれ
  共/希(こひねが)はくは此/編(へん)の言(こと)を捨(すて)給ふ事なかれと云爾

〇/因(ちなみ)にいふ足(あし)の三里(さんり)の灸(きう)たへずすゆべし大に血分(けつぶん)をめぐらし
 長寿(ちやうじゆ)の功あり尤(もつとも)近(ちか)き頃/三州(さんしう)戸井郡小泉村の万平といふもの
 弐百弐十/余歳(よさい)を経(へ)今に壮健(さうけん)なり先年(せんねん)公に召(め)されて斯計(かばかり)
 長/寿(じゆ)なせるには子細(しさい)もあるやと問(とふ)給ふに外に勉(つとめ)て養生(やうしやう)といふ事も
 これなく候得共/先祖(せんぞ)より伝(つた)えて毎月朔日より八日迄/足(あし)の三里に
 灸治仕り候尤其すへやう有之よしにて申上し其法は
  朔日《割書:左十|右九》 二日《割書:左十一|右十》 三日《割書:左十六|右十六》 四日《割書:左九|右十》 五日《割書:左十|右九》 六日《割書:左十|右九》
  七日《割書:左九|右十》 八日《割書:左八|右八》  斯毎月勉てすへ申よし外に子細なく
 但し其/家族(かぞく)皆々(みな〳〵)此灸をすゆが故にや万平が妻弐百余歳
 同しく子(こ)百八十余歳/孫(まご)百四十余歳いづれも長命(ちやうめい)なるは全く
 この灸/法(はふ)によるにやといへりとぞいとも有難き事なれは爰(こゝ)に記す
養生主論上《割書:終》

【裏表紙】

【表紙 題箋】
《題:養生主論  坤》

【見返し 右丁 白紙】
【蔵書印 横向き】
東京学芸大学蔵書

【右丁】
養生主論 下
  食性扁目録(しよくせいへんもくろく)
  ○穀部(ごこくのぶ)
餅(もち)《割書:初丁|オ》  大麦(おほむぎ)  小麦(こむぎ)    粟(あわ)    黍(きび)
稗(ひへ)《割書:初丁|ウ》   蕎麦(そば)  小豆(あづき)  大豆(まめ)  豇豆(さゝげ)
豌豆(ゑんどう)    縁豆(ぶんどう)   玉蜀黍(なんばきび)  蜀黍(とうきび)    さんご米(べい)
麩(ふ)《割書:二丁|オ》   薏苡仁(よくいにん)  芥子(けし)  胡麻(ごま)  榧子(かや)
酒(さけ)     焼酎(しやうちう)  酒糟(さけのかす)《割書:二丁|ウ》 糠味噌(ぬかみそ) 餻(だんご)
美淋酒(みりんしゆ)  艾餻(よもぎたんご)  粽(ちまき)   白酒(しろざけ) 麪(うとんのこ)
醴(あまざけ)   蓮飯(はすめし)   湯餅(うどん)《割書:三丁|オ》 葛餅(くすもち) 索麪(そうめん)
䬣餻?(こむぎだんご)  飴(あめ)   瓊脂(ところてん)  砂糖(さとう)  饅頭(まんぢう)











養生主論
  食性編篇(しよくしやうのへん)
     穀部(こくのぶ)
○餅(もち)  温(うん)にして熱(ねつ)ものなり二便(にべん)をかたくす実正(じつしやう)の人は斟酌(しんしやく)すべし
○大麦(おほむぎ) 心(しん)を補(おきな)ふて諸病(しよびやう)によろし夏(なつ)の日(ひ)は尤(もつとも)よろし
      炒(いり)たるはあしく鯉(こい)と食(しよく)すべからず
○小麦(こむぎ) 冷素麪(ひやそうめん)はあしくやはらかにして少(すこ)し食(しよく)すれば
      うんどんとかはる事なし
○粟(あわ)  小便(しやうべん)を利(り)す粟飯(あわめし)は病人(びやうにん)よろしからず
○黍(きび)  毒(どく)あり常人(つねびと)にもよろしからず白酒(しろざけ) 飴(あめ) 蜜(みつ)と
      同(おな)じく食(しよく)すべからず葵菜(あふひな)と食合(くひあは)すれば痼疾(こしつ)となる

○稗(ひへ)   脾胃(ひゐ)を補(おきな)ふといへとも冷症(ひへしやう)の人はよろしからず
○蕎麦(そば)  多(おほ)く食(くら)へは毒(どく)となる脾胃(ひゐ)の湿熱(しつねつ)をのぞくまた
      多く食(しよく)して入湯(にうたう)を禁(きん)ず田螺(たにし)と同食(どうしよく)大にあしゝ
○小豆(あづき)  水道(すいどう)を利(り)す熱毒(ねつどく)をさり酒毒(しゆどく)をけす
○大豆(まめ)  脾胃(ひゐ)よはく泄瀉(くだり)などに宜(よろし)からず黒大豆(くろまめ)大略(おほかた)同し
○豇豆(さゝげ)  気(き)と腎(じん)とを補(おきな)ふといへども諸病(しよびやう)に宜(よろし)からず
○豌豆(えんどう)  小便(しやうべん)を通(つう)じ渇(かつ)を止(や)むしかれども多(おほ)く食(しよく)すべからず
○緑豆(ぶんどう)  気(き)をくだし水(みづ)を利(り)す脾胃(ひゐ)虚(きよ)の人はあしゝ
○玉蜀黍(なんばきび) 胃(ゐ)をとゝのふといへども諸病(しよびやう)によろしからず
○蜀黍(たうきび)  温(うん)にして小便(しやうべん)を通(つう)ずといへとも諸病(しよびやう)にあしゝ
○さんご米(へい) 脾胃(ひゐ)に宜(よろ)しからずかろき物(もの)は脾胃(ひゐ)を損(そん)じて畢竟(ひつきやう)

      よろしからず
○麩(ふ)   毒(どく)なく病人(びやうにん)によろし労熱(らうねつ)を去(さ)る
○薏苡仁(よくいにん) 筋骨(すぢほね)の湿(しつ)をのぞくといへども食(しよく)すべからず
○芥子(けし)  諸病(しよびやう)に忌(いま)ず糯類(うるのるい)と同前(どうぜん)なり
○胡麻(ごま)  脾胃(ひゐ)をやしなひ耳目(みゝめ)をあきらかにす
○榧子(かや)  毒(どく)なし肌(はだへ)をうるほす多(おほ)く喰(くら)へば痰(たん)を生(しやう)ず
○酒(さけ)   血脈(けつみやく)をめくらし肌膚(はだへ)をうるほし湿気(しつき)を散(さん)ずしか
      れども大酒(たいしゆ)するときは却(かへつ)て神(しん)をやぶり寿(じゆ)をちゝむ
      常(つね)に寐酒(ねさけ)を飲(のむ)はあしく臓腑(ざうふ)にしみて水腫(すいしゆ)の病(やまひ)と
      なる
○焼酎(しやうちう)  毒(どく)あり胃中(ゐちう)の寒積(かんしやく)をさる然(しか)れ共/多(おほ)く飲(のむ)べからず

○酒糟(さけのかす)  五臓(ござう)をあたゝむ毒(どく)なしといへども和交(あへ)ものあるひは
      汁(しる)などにして腹中(ふくちう)をそこなふことあり
○粃味噌(ぬかみそ) 胃(い)をあたゝめ気(き)をくだし食(しよく)をすゝむ
○餻(たんご)   胃(い)をつよくし中(うち)を和(くは)す
○美淋酒(みりんしゆ) 毒(どく)あり多(おほ)く飲(のむ)べからず皮膚(はだへ)をうるほす能(のう)あり
○艾餻(よもぎだんご)  冷(ひへ)をあたゝめ痢(くだり)をとゝむ毒(どく)なし
○粽(ちまき)   毒(どく)なし嘔(ゑづき)或は頭痛(づつう)によろし
○白酒(しろざけ)  能毒(のうどく)大抵(たいてい)美淋酒(みりんしゆ)に同じ
○麪(うどんのこ)  腸胃(ちやうい)をとゝのへ気力(きりよく)をます多(おほ)く食(しよく)すべからず
○醴(あまざけ)   少(すこ)し飲(のむ)ときは脾胃(ひい)をとゝなふ
○蓮飯(はすめし)  脾胃(ひい)を和(くわ)して食気(しよくき)をすゝむ
【注】

○湯餅(うとん)  毒(とく)あり脾胃(ひい)虚(きよ)の人はよろしからず
○葛餅(くずもち)  胃熱(ゐねつ)をのぞき酒毒(しゆどく)を解(け)す病人(びやうにん)にあつべし
○索麪(そうめん)  腸胃(ちやうゐ)をとゝなふ多(おほ)く食(くら)へば気熱(きねつ)を生(しやう)ず
○䬣餻?(こむぎたんご)  脾(ひ)をつよくすれども病人(びやうにん)には斟酌(しんしやく)すべし
○飴餹(あめ)  肺(はい)をうるほすが故(ゆへ)に嗽(せき)をとゞむ目(め)を病(や)む者/忌(いむ)べし
○瓊脂(ところてん)  冷物(れいぶつ)なり虚弱(きよじやく)の人はよろしからず
○砂糖(さとう)  酒毒(しゆどく)をのぞく多(おほ)く食(しよく)すれば歯(は)を損(そん)ず小児(しやうに)には
      疳(かん)によろしからず
○饅頭(まんぢう)  脾胃(ひゐ)を和(くは)す多(おほ)く食(しよく)すれば疳虫(かんちう)を生す小児(しやうに)には
      尤(もつとも)よろしからず

【注 「はすめし」の漢字表記は「荷飯」だが、「蓮飯」の誤と思われる。】

    魚部(うをのぶ)
○鯛(たい)   生(なま)も塩(しほ)も諸病(しよびやう)によろし多(おほ)く食(しよく)すべからず
○鯛子(たいのこ)  是(これ)も大(たい)がい同(おな)じものなり
○尨鯛(くろだい)  鯛(たい)よりすこし毒(どく)あり
○方頭魚(あまだい) 性(しやう)かろくして病人(びやうにん)などによろし
○石伏魚(こり) 大(たい)がい前(まへ)に同(おな)し食(しよく)にあつべし
○火魚(かながしら)  毒(どく)なし平和(へいわ)なり病人(ひやうにん)に用(もち)ゆべし
○鱖魚(もうお)  脾胃(ひゐ)を和(くは)し瘀血(おけつ)をやぶる
○くぢ   諸病(しよびやう)にさし合(あひ)なし
○鯉(こひ)   常(つね)に少(すこ)しツヽ食(しよく)すれば元気(けんき)を補(おきな)ふ生(しやう)はあしゝ
      葵菜(あふひな)と食(しよく)すべからず又/胡椒(こしやう)と食(しよく)すればあしゝ


○鮒(ふな)   脾胃(ひゐ)を調(とゝの)ふ煮(に)て食(しよく)すれば元気(げんき)をたすく膾(なます)は病
      人にいむ鮒鮓(ふなずし)も同し蒜(にら)と食(しよく)すれば熱(ねつ)となる
○魴(まなかつお)  生(しやう)はあしゝ常(つね)に食(しよく)して平和(へいわ)なり
○鱸(すゞき)   平和(へいわ)なり痰症(たんしやう)あるひは病人(びやうにん)など指身(さしみ)はいむへし
○松魚(さけ)  虚(きよ)を補(おきな)ふ瘡毒(さうどく)または婦人産後(ひじんさんご)に宜(よろ)からず
○鱈(たら)   性(しやう)かろくして病人(びやうにん)に忌(いま)ずぼうたらは化(くは)しがたし
○鰺(あし)   常(つね)に食(しよく)して宜(よろし)一さい瘡類(くさるい)熱病(ねつびやう)にいむべし
○鯒(こち)   平和(へいわ)なり病人(びやうにん)に斟酌(しんしやく)すべし
○魳(かます)   油(あぶら)づよきものは痰症(たんしやう)にいむべし
○鰣(ゑそ)   平(へい)なり病人(びやうにん)によろし臭(か)悪(あ)しく胸(むね)に阻(さゝ)ふ
○鯔夷(ぼら)  よく五臓(ござう)をとゝのふ膾(なます)なと生(しやう)にてはあしゝ

○魬(はまち)   諸病(しよびやう)に忌(いま)ず味少(あじすこ)し酸(す)き故/脾病(ひびやう)には斟酌(しんしやく)すべし
○鱧(はも)   平(へい)なりかまぼこにして虚(きよ)を補(おきな)ふ食用(しよくやう)によろし
○鯖(さば)   病人(びやうにん)にはよろしからず刺鯖尤(さしさばもつと)も斟酌(しんしやく)すべし
○/ 𩶤(とびうを)   諸病(しよびやう)に忌(いま)ず婦人(ふじん)に尤(もつとも)よろし
○鰻鱺(うなぎ)  脾胃(ひゐ)の毒(どく)なり小児(しやうに)に尤いむ腎陽(じんやう)をたすくる
      山椒(さんしやう)と食(しよく)をいむ梅酢(うめず)と同食(どうしよく)をいむどく甚(はなはだ)し
○鰍(どじやう)   常人(つねびと)によろし病人(びやうにん)にいむべし多食(おほくしよく)すればくだる
○鰆(さはら)   脾胃(ひゐ)実熱(しつねつ)の人にはよろしからず
○鱪(しいら)   常(つね)に食用(しよくやう)によろし病人(びやうにん)に用ゆべからず
○鯷(しろうお)   痰病(たんびやう)には斟酌(しんしやく)すべし
○河豚(ふぐ)  温(うん)にして陽(やう)を補(おきな)ふ毒魚(とくうを)なり食(くら)ふべからず


      柿(かき)と同食(どうしよく)すれば人を殺(ころ)す煮(に)るとき煤(すゝ)を禁(きん)ず過(あやまつ)
      て 煤(すゝ)入ればかならず害(かい)あり又これを食(しよく)して風呂(ふろ)に
      入事(いること)を禁(きん)ず又/房事(ぼうじ)を禁す其外/薬品(やくひん)にさし合/甚(はなはだ)
      多(おほ)し服薬(ふくやく)する人は必(かなら)す食(くら)ふべからず
○鰤(ぶり)   痰熱(たんねつ)胃熱(ゐねつ)によろしからず病人(びやうにん)は斟酌(しんしやく)すべし
      椎茸(しいたけ)と同食(どうしよく)すれば酔(よひ)て醒(さめ)がたし
○鰚(はらか)   かずの子(こ)と同し病人(びやうにん)に用ゆべからず
○鯢魚(さんしやううお) 毒(どく)あり食ふべからず
○佐古士(さこし) 平(へい)なり諸病(しよびやう)にいむ事なし
○金糸魚(いとより) 平和(へいわ)なり病人にもちゆべし
○鱘(ふか)   平人(へいにん)にはよろしく病人(びやうにん)には用捨(やうしや)すべし蕎麦(そば)

      と食(しよく)すれば音声(おんせい)をうしなふ
○鮫(さめ)   病人(ひやうにん)はもとより平人(へいにん)とても食すべからず
○鱎(たちうお)?  毒(どく)あり食(しよく)すべからず是(これ)を食して死(し)すといへり
○鰯(いわし)   温(うん)なり毒(どく)あり病人/斟酌(しんしやく)すべし
○鱒(ます)   胃(ゐ)をとゝなふ瘡毒(さうどく)ある人は食(くら)ふべからず
○鯰(なまず)   腸胃(ちやうゐ)を厚(あつ)ふして大に益(ゑき)あり但し目赤(めあか)く髭赤(ひげあか)く
      腮(あご)なきものは毒(どく)あり食すべからず
○/𩹨(いしもち)【注①】  毒( どく)なし性軽(しやうかろ)し はす わたかうぐゐ同性(どうしやう)なり
      常食(しやうしよく)によろし病人には用捨(やうしや)すべし
○古万米(ごまめ) 鰯(いわし)と同性(どうしやう)なり
○鰹(かつお)   小毒(せうどく)あり人によりて酔者(よふもの)あり鰹節(かつをぶし)は病人(びやうにん)にも


      いむことなし
○鮬(せいご)   平和(へいわ)にして諸病(しよびやう)にいまず
○鮟鱇(あんかう)  五臓(ござう)を補(おきな)ひ諸病によろし
○【魚+蚤】(ひごい)【注②】    鯉(こひ)よりは少(すこ)し軽(かろ)き性(しやう)なり
○鯯(このしろ)   毒(どく)あり病人(びやうにん)は本(もと)より常人(つねひと)も食(しよく)すべからず赤苣(あかぢさ)と
      食すれは煩悶(もだへ)し吐(と)す又/此魚(このうを)を炙(あぶ)るに火(ひ)の中(なか)に
      若(もし)綿実(わただね)あれば忽(たちま)ち人を殺(ころ)す恐るべし
○鯨(くじら)   疝気(せんき)に大に悪(わる)し身鯨(みくじら)かぶら骨(ぼね)皮(かは)とも同性なり
      総(さう)【惣】じて鯨(くじら)の類(るい)はみな毒(どく)なり
○烏賊(いか)魚 平(へい)なり常人(つねひと)はよろし病人(びやうにん)は斟酌(しんしやく)すべし鯣(するめ)も
      同し多(おほ)く食(くら)へば脾胃(ひゐ)を損(そん)ず

【注① 𩹨」は『大漢和辞典』に見えず。】
【注② 音「ソウ」、語義は「みごい」。「にごい(似鯉)の古名。鯉に似て肉に細刺あり。味劣る。】

〇/章魚(たこ)   平(へい)にして陽(やう)を起(おこ)す病人(びやうにん)にはよろしからず梅酢(うめす)にて
       食(くら)へは害(がい)あり《割書:たこにあたりたるにはまさきの葉の|しぼり汁をのむべし》
〇/海蛇(くらげ)   脾胃(ひゐ)虚寒(きよかん)の人は宜(よろ)しからず婦人(ふじん)瘀血(おけつ)によろし
〇/海鼠(なまこ)   病人には忌(いむ)べし熬海鼠(いりこ)はよく煑(に)てやはらかにしては
       諸病(しよびやう)に用ひてよく串鰒(くしあはび)と同事なり
〇/海鼠腸(このわた)  海鼠(なまこ)に同し虚寒(きよかん)の人は食(しよく)すべからず
〇/鰕(ゑび)    くるまゑび伊勢(いせ)ゑび何(いづ)れも同し病人はし斟酌(しんしやく)すべし
〇/鰕(ゑび)ざこ  小(こ)ゑびも網(あみ)ざこも同し病人には用捨(やうしや)すべし
〇小あいざこ 小毒(さうどく)あり病人は用(もち)ゆべからず
〇かますご  小毒あり病人/平人(へいにん)とも食(しよく)すべからず
〇/蟹(かに)    病人/食(しよく)すべからず胃(ゐ)をとゝのへ食(しよく)をすゝむ

       蜜柑(みかん) 梨(なし)棗(なつめ)柿(かき)と食(しよく)すべからず毒(どく)あり人を害(がい)す
〇/牡蛎(かき)   温(うん)なり中(うち)をとゝのへ酒熱渇(しゆねつかつ)を止(とゞ)む病人にいまず
〇/蚌(はまぐり)    胃熱(ゐねつ)ある病人は用捨(やうしや)すべし生(しやう)にては尤毒(もつともどく)なり
        煤灰(すゝはい)にまじりたるを食(く)ふべからずどくとるゐ
〇/鰒(あはび)    平(へい)なり介類(かひるい)第一/益(ゑき)あり脾虚(ひきよ)の人は化(くは)しがたし
〇/串鰒(くしあはび)   よく煑(に)てやはらかにして病人(びやうにん)さんごにも用ゆべし
〇/蚶(あかゞひ)    内(うち)をあたゝめ益(ゑき)ありしかし病人には用捨(やうしや)すべし
〇/波比(はひ)   病人には忌(いむ)べし
〇/挙螺(さゞい)   毒(どく)なし脾胃虚(ひゐきよ)の人はいむべし
〇/蓼螺(にし)   脾胃(ひゐ)よはき人は食(しよく)すべからず化(くは)しかたし砂糖(さとう)又
       蜜(みつ)と食(しよく)すべからず

〇/江琲柱(たいらき)  五臓(ござう)を和(くは)し食(しよく)をすゝむ胃熱(ゐねつ)の者(もの)は忌(いむ)べし
〇/蚌(からすがひ)   眼(め)を明(あきらか)にし酒毒(しゆどく)をのぞく
〇/鰷魚(はへ)   胃中(ゐちう)をとゝのへてやはらく雉子(きじ)と同しく食す
       れは大病(たいびやう)おこる
〇/沙魚(かまつか)   温(うん)にして気(き)をます毒(どく)なし
〇/鰕虎魚(はぜ)  毒(どく)なし病人によろし
〇/鯇魚(あめのうを)   鱒(ます)と同し瘡毒(たうどく)にはいむべし
〇/鱵(さより)    毒(どく)なし食(しよく)して疫病(えきびやう)をのぞく
〇/?魚(いさゞ)    性(しやう)かろし食用(しよくやう)にあつへし
〇/竹麥魚(はうぼう)  毒(どく)なし病人にても食(しよく)すべし
〇/火箆帋(やがら)  膈噎(かくいつ)のやまひによろし


〇/?子(からすみ)    性温(せいうん)にして諸(もろ〱)の瘡類(かさるい)によろしからず
〇/責魚(にしん)   瘡(かさ)ある人は尤(もつとも)いむべし
〇/責魚子(かずのこ)  性熱(しやうねつ)にして消化(しやうくは)しがたし積気(しやくき)にいむべし
〇/金瘡魚(はつ)  諸(もろ〱)の瘡(かさ)を生(しやう)ず毒(どく)あり食(く)ふべからず
〇/?魚(あら)    性温(しやううん)なり一切(いつさい)の瘡(かさ)ある人はいむべし
〇/背魚(うれい)   脾(ひ)をとゝのへ気(き)を益(ま)す病人(びやうにん)によろし
〇/蜆(しゞみ)    胃熱(ゐねつ)をさり小便(しやうべん)を通(つう)ず
〇/鼈(すつぽん)    気(き)の不足(ふそく)をまし瘀血(おけつ)をやぶり腰通(こしのいたみ)によろし但
       三足(みつあし)のもの足赤(あしあか)きもの目(め)一つあるもの頭足縮(かしらあしちゞま)ら
       ざるもの腹(はら)の下(した)に王の字(じ)あるひは十の字(じ)あるもの
       腹(はら)に蛇(じや)がたあるもの皆(みな)毒あり食(く)ふべからず鶏肉(けいにく)

        鶏卵(けいらん)または家鶏(あひる)芥子(けし)桃(もゝ)と同食(どうしよく)すれば害(がい)あり
〇/鮓(すし)     何(なに)にても鮓(すし)は平人(へいにん)も虚弱(きよじやく)の人は食(しよく)すべからず
〇/鱠(なます)     是(これ)も虚人(きよじん)は食(しよく)すべからず病人は猶忌(なをいむ)べし
〇熨斗(のし)    平(へい)なり諸病(しよびやう)によし鰒(あわび)は猶(なを)よしとす
 △諸魚類(もろ〱のぎよるい)にあたりたるには其魚(そのうを)の骨(ほね)を黒(くろ)やきにして呑(のみ)てよし
   鳥部(とりのぶ)
〇/鶴(つる)     温(うん)なり陽気(やうき)を補(おぎな)ひ虚(きよ)をとゝなふ老人虚寒(らうしんきよかん)に
        よろし瘀血労咳(おけつろうがい)のものにはこれを忌(いむ)べし
〇/鴈(がん)     虚(きよ)を補(おきな)ふこと鴨(かも)よりも大に益(ゑき)あり
〇/鴨(かも)     平(へい)なり脾胃虚寒(ひゐきよかん)の人は斟酌(しんしやく)すべし鴨(かも)の類尤(るいもつとも)
        多(おほ)し何(いづ)れも同し悪瘡(あくさう)によろし


〇/鶩(あひる)     毒(どく)あり病人にはいむべし卵(たまご)も同し
〇/鷺(さぎ)     性(しやう)かろく毒(どく)なし青さぎは少(すこ)しまされり
〇/鵠(かう)     毒(どく)あり食(く)ふべからず
〇/鸊鷉(かいつぶり)   毒(どく)なしといへども小毒(せうどく)あり食(く)ふべからず
〇/鶏(にはとり)    本草(ほんざう)に多(おほ)く能(のう)をちげたり虚(きよ)をおきなふといへとも
       虚寒(きよかん)にはよろしからず
〇/鶏卵(たまこ)   平(へい)にして虚利(きより)を止(やめ)しむ痘疹(ほうそうはしか)にはいむべしあひる
       の卵鼈(たまごすっぽん)また李(すもゝ)と同食(どうしよく)すれば害(がい)あり
〇/雉子(きじ)   小毒(せうどく)あり諸(もろ〱)の瘡毒(そうどく)を発(はつ)す
〇/鵞(とうがん)     臓熱(さうねつ)をさるといへども多(おほ)く食(く)ふべからず
〇/鴫(しぎ)    中(うち)をとゝのへて功能(こうのう)多し

 老(おい)わかき
       その
   ほどくを
  分(わか)つ
     遍し

  同し
   飲食(ゐんしよく)
  おるし
    遊(あそ)びも




 厚味(かうみ)をは
   しよくせし
  あとは
   あじはひの
  淡(あは)しきものと
    心(こゝろ)づく遍
            し

〇/雀(すゞめ)   腰(こし)の冷(ひへ)をさり小便(しゆべん)をとゝなふ妊婦(はらみをんな)はいむべし
      李(すもゝ)と同(おな)じく食(く)ふべからず〇/凡鳥類自(をよそとりるいみづか)ら死(し)して目(め)
      を閉(とぢ)ざるもの足(あし)ののびざるもの白(しろ)き鳥(とり)にくろき
      首(くび)また黒(くろ)き鳥(とり)の白(しろ)き首(くび)又は三足(みつあし)あるひは四つ
      趾(けづめ)あるもの六つゆび四つ翼(つばさ)あるもの其外(そのほか)異形(ゐぎやう)なる
      鳥色(とりいろ)かはるもの皆毒(みなどく)あり食(く)ふべからず
〇/鶉(うづら)   大(おほひ)に五臓(ござう)をとゝのへ食(しよく)して益(ゑき)あり病人(
びやうにん)に忌(い)まず
〇/鳩(はと)   つちくれもどばとも山ばとも同性(どうしやう)どくなし
〇/蟠(はん)   鴨(かも)のかろき性(しやう)なり食(しよく)して害(がい)なし
〇/小鳥(ことり)  平和(へいわ)なり食(しよく)によろし鶯鵑(うぐいすほとゝぎす)などは食(く)ふべからず
〇/雲雀(ひばり)   食(しよく)してよろし塩鳥(しほとり)は病人(びやうにん)によろし


〇/鶫鳥(つくみ)  鵯同性(ひよとりどうしやう)なり尤/鵯(ひよどり)はおとれり毒(どく)なし食(く)ふへし
〇/白鳥(はくてう)  脾胃(ひゐ)虚寒(きよかん)久瀉(きうしや)に効(こう)あり元気(げんき)を補(おきな)ふ中風虚(ちうぶうきよ)
      症(しやう)に食(しよく)して益(ゑき)あり鶴(つる)よりも功(こう)つよし虚人(きよじん)また
      老人(ろうじん)には益(ゑき)あり

   獣部(けもののぶ)
〇/豕(ぶた)   腎(じん)を補(おきな)ふ金瘡(きんさう)ある人はいむべし生姜(しやうが)また蕎(そ)
      麦(は) 梅(うめ)砂糖(さとう)鹿(しか)鼈(すつほん)鶴(つる)鶉(うづら)を忌(い)む
〇/鹿(しか)   気(き)をまし五臓(ござう)をとゝなふ血(ち)をめくらずしかれども
      多(おほ)く食(く)ふべからず雉子(きじ) はゑ ゑび同食(どうしよく)すべか
      らず害(がい)あり
            

〇/熊(くま)    筋骨(すじほね)をやはらげ不仁(ふしん)を治(ぢ)す積熱(しやくねつ)にいむべし
〇/牛(うし)    腰(こし)をあたゝめ胃(ゐ)をとゝなふ
〇/野猪(いのしゝ)   中(うち)をとゝのへ癲癇(てんかん)に効(こう)あり服薬(ふくやく)には忌へし
〇/兎(うさぎ)    胃気(ゐき)を和(くは)し気血(きけつ)をめぐらす
〇/狸(たぬき)    痔疾(ぢしつ)に効(こう)あり
〇/水獺(かはうそ)   腫病(はれやまひ)によろしく労熱(らうねつ)をさる凡(すべ)て六畜自(ろくちくみづか)ら
       死(し)して北(きた)に向(むか)ふもの又/口(くち)を閉(とぢ)ざるもの足赤(あしあか)きもの
       肉(にく)を煑(に)て熱(ねつ)ならざるもの酢(す)をかけて肉(にく)の色(いろ)
       かはらざるもの肉地(にくち)におちてよごれざるもの肉水(にくみづ)
       に入(いり)てうくもの肉一夜(にくいちや)を経(へ)て煑(にへ)ざるもの肉中(にくちう)
       に星(ほし)のごときあるもの毒(どく)箭(や)にあたりて死(し)したる


       もの皆毒(みなどく)あり食(く)ふべからず

   果部(くだものゝぶ)
〇/李(すもゝ)    平人(へいにん)にも毒(どく)なり食(く)ふべからず砂糖(さとう)をいむ蜜(みつ)と食
       すれば五臓(ござう)を損(そん)ず水(みづ)と食(く)らへは霍乱(くはくらん)となる雀(すゞめ)と
       食(くら)へば毒甚(どくはなはだ)し
〇/梅(うめ)    食して益(ゑき)なし梅干(うめぼし)は煑(に)て病人に用ゆへし豕(ぶた)と
       食(しよく)すれば脾胃(ひゐ)を害(がい)す
〇/桃(もゝ)実   毒(どく)あるは大に害(がい)あり毒(どく)なきは薬(くすり)となりて寿(じゆ)を延(の)ぶ
〇/栗子(くり)   よく煑(に)て食(くへ)ば少(すこ)しは腎(じん)をおきゐふ生栗(なまぐり)は脾胃(ひゐ)に害(がい)
       ありて毒(どく)なり病人(びやうにん)によろしからず痰(たん)には大(おほひ)に毒(どく)也

        飴(あめ)と食(しよく)すれは化(くは)せずして病(やまひ)を発(はつ)す
〇/棗(なつめ)     大に脾胃(ひゐ)にあたる食(く)ふべからず病人は猶更(なほさら)なり
〇/梨子(なし)    常(つね)の人(ひと)も病人も脾胃(ひゐ)を損(そん)じてあしく大酒後(たいしゆご)に
       少々(すこし)食(しよく)して口中(こうちう)すゞしくなるを以(もつ)て病人にもその
       心得(こゝろえ)を用(もち)ゆるは誤(あやまり)なり熱病(ねつびやう)にもよろしからず
 櫨子(ぼけ)   平人病人(へいにんびやうにん)ともよろしからず
〇/林檎(りんご)   諸病(しよびやう)によろしからず病人(びやうにん)など胃冷(ゐひへ)て不食(ふしよく)す砂糖(さとう)
       をいむ
〇/柿(かき)     多(おほ)く食(く)ふべからずさはしたる柿(かき)は病人にすこしは苦(くる)
       しからず
〇/榲桲(まるめろ)   常人(つねひと)は少(すこ)しは用(もち)ゆべし病人(びやうにん)には宜(よろ)しからず


〇/柘榴(ざくろ)   前(まへ)に同し
〇/蜜柑(みかん)   脾胃(ひゐ)虚寒(きよかん)の人は用(もちゆ)べからず火(ひ)に暖(あたゝ)めて少(すこ)し用ゆべし
〇/橙(だい〱) 柚(ゆ)  金柑(きんかん)三物(さんぶつ)とも常人(つねびと)は少(すこ)し用ゆべし病人には
       用捨(やうしや)すべし
〇/仏手柑(ぶしゆかん)  砂糖漬(さとうづけ)の仏手柑(ぶしゆかん)または天門冬(てんもんどう)など多く食(しよく)す
       べからず脾胃(ひゐ)を損(そん)じ陽気(やうき)を伐(う)つ
〇/枇杷(びは)   常人(つねびと)も多く食(く)ふべからず
〇/揚梅(やまもゝ)   平人(へいしん)にもよろしからず尤病人(もつともびやうにん)は忌(いむ)へし
〇/胡桃(くるみ)    病人にても毒(どく)にはあらねども多く食(く)らへは気塞(きふさが)る
〇/榛(はしばみ)    平(へい)にしてよろし多く用ゆべからず
〇/橡実(とち)   餅(もち)にして脾胃(ひゐ)を補(おきな)ふ病人にもよろし

〇/葡萄(ぶどう)    病(やまひ)ある人はよろしからず脾胃(ひゐ)よはく大便滑(たいへんくはつ)なる人は悪し
〇/砂糖(さとう)    黒(くろ)きも氷(こほり)も替(かは)る事なく病人/小児(せうに)など宜し
        からず
〇/蓮実(はす)    瀉(しや)しやすき人は用ゆべからず
〇/藕(はすのね)     胃気(ゐき)を損(そん)じて病人に宜(よろ)しからず
〇/菱実(ひし)    毒(どく)あり食(く)ふべからず
〇/黄実(みつぶき)    蓮(はす)の実(み)と同し
〇/茘枝(れいし)    心(しん)の邪熱(じやねつ)をのぞく目(め)をあきらかにす
〇/龍眼肉(りやうがんにく)   久(ひさ)しく食(しよく)すれば諸(もろ〱)の虚損(きよそん)を補(おきな)ふ多(おほく)食すべからず
〇/榧子(かや)    眼(め)をつよくし痔疾(ぢしつ)を治(ぢ)す病人はよろしからず
〇/無花果(いちじく)   洩痢(くだり)を止(や)む餅(もち)と同食(どうしよく)すれば寸白(すんはく)おこる

 
〇/枳?(けんほなし)    胃熱(ゐねつ)を▢り酒毒(しゆどく)を解(げ)す
〇/覆盆子(いちご)   痰(たん)をひらき渇(かつ)をのぞく病人(びやうにん)は斟酌(しんしやく)すべし
〇/胡頽子(ぐみ)   水瀉(すいしや)によろし病人にあしく益(ゑき)なし
〇/山椒(さんしやう)    小毒(しやうどく)あり五臓(ござう)をあたしめ腹中(ふくちう)冷痛(ひへいたむ)によし
〇/胡椒(こしやう)    温(うん)にして痰(たん)をきり冷気(れいき)をあたしむ桃(もゝ)/李(すもゝ)/揚桃(やまもゝ)
        と同食(どうしよく)する事を忌(い)む
〇/椎子(しい)    病人小児(びゃうにんしやうに)など食(く)ふべからず
〇/茶(ちや)     挽茶(ひきちや)/濃(こい)も薄(うす)きも煎(せん)し茶(ちや)も病人(びやうにん)によろしからず
        其中/煎茶(せんじちや)のうすく性(しやう)のよはきは用(もち)ゆべし
〇/煙草(たばこ)    毒(どく)ありしかれども今の人このんて暫(しばら)くもやめずつ
        よからぬやはらかなるものを用(もち)ひてよし


   菜部(あをなのぶ)
〇/萵苣(ちさ )    小毒(しやうどく)あり筋骨(すぢほね)をかたくす少き若葉(わかば)のとき宜(よろ)し
        蜜(みつ)と同食(どうしよく)すれば腹瀉(はらくだ)る
〇/莧(ひゆ)    気(き)を補(おきな)ひ熱(ねつ)をのぞく大便(だいべん)を通(つう)せしむ多(おほ)く食(く)ふ
        べからず鼈(すつぽん)と同食(どうしよく)すべからず 
〇/蕃椒(とうがらし)   寒癖(かんへき)をやぶり疝(せん)を治(ぢ)す病人はいむべし
〇/蕨(わらび)    膀胱(ばうくはう)の熱(ねつ)をさり小便(しやうべん)を利(り)す病人にあし
〇/薇(ぜんまい)    小便(しやうべん)を通(つう)じ腫気(はれ)をのぞく《割書:わらびぜんまいと鳥貝(とりかい)と|同食大にいむべし》
〇/藜(あかざ)    少毒(すこしどく)あり脾胃虚寒(ひゐきよかん)の人はよろしからず
〇/蕨餅(わらびもち)   無病(むびやう)の人用ゆべし性寒(しやうかん)にして瀉(くだ)しやすく緑豆(ふんどうまめ)と


       同食(どうしよく)すれは人を害(かい)す
〇/芋(いも)    中(うち)をとゝなふといへども多く食(しよくす)へからず
〇/芋茎(いものくき)   やはらかに煑(に)て病人にも少し用ゆ干(ほし)たるを汁(しる)にし
       ては猶(なほ)よしと唐(とう)のいもの茎(くき)は尤よしとす
〇/芋魁(いもがら)   芋(いも)の子(こ)と同し
〇/薯蕷(やまのいも)   性冷(しやうれい)なる故(ゆゑ)多は用れば泄瀉(せいしや)するなり甘藷(つくねいも)も
       同し
〇/零余子(むかご)   虚人(きよじん)に益(ゑき)あり大抵(たいてい)やまのいもに同し
〇/竹筍(たけのこ)   胸(むね)をひらき痰(たん)をさる江南竹(もうそうたけ)は性(しやう)やはらかにて
       食用(しやくやう)に佳(か)なり積気(しやくき)にいむ砂糖(さとう)もいむ
〇/茄子(なすび)    小/毒(どく)あり寒熱(かんねつ)をのぞき血(ち)の痛(いたみ)をやはらく












 何事(なにこと)も
    たるに
     まかせて
    自由(じゆう)すな
   残(しづ)の
     住居(すまひ)の
    長寿(ちやうじゆ)
     見るにも

〇/壷瓢(ゆううり)   よく煑(に)て用(もち)ゆるときは毒(どく)なし病人にもよろし
〇/冬瓜(かもうり)   脾腎(ひじん)の虚(きよ)して腫(はれ)たるゝ病にはいむべし
〇/越瓜(あたうり)   よく煑(に)て用ゆべし生(しやう)にては害(がい)あり
〇/胡瓜(きうり)   小毒(しやうどく)あり多(おほ)く食(く)ふべからず香物(かうのもの)もあし
〇/?瓜(まぐは)    脾胃(ひゐ)よはき人は少(すこ)しも食(く)ふべからず
〇/西瓜(すいくは)   胃熱(ひゐ)をさり小便(しやうべん)を通ず多(おほく)食ふへからず
〇/菠薐(はうれんさう)   よく煑(に)てひたしのものにて用ゆべし婦人/鉄漿(かねつけ)つけたてに
       食すべからず
〇/韮(にら)    少/温(うん)にして腰膝(こしひざ)をあたゝむ病後(びやうご)には忌(いむ)べし蜜(みつ)と
       食するを忌む
〇/葱(ひこもへ)    脾胃(ひゐ)虚弱(きよじやく)なる人は斟酌(しんしやく)すへし蜜/棗(なつめ)雉子(きじ)などゝ


       同食すへからず
〇/胡葱(あさつき)   性温(しやううん)にして気(き)を下(くだ)す病人はいむべし
〇/蒜(にんにく)    微毒(すこしどく)あり風邪(ふうじや)をさり瘡毒(さうどく)を治(ぢ)す実症(じつしやう)の人は忌(いむ)
        生魚(なまうを)と多く食(くう)へば陰嚢(いんのう)を病(や)む
〇/芥(からし)    毒(どく)なし痰咳(たんせき)によし気(き)を下(くだ)す
〇/大根(だいこん)   葉(は)も根(ね)もよろしく中気(ちうき)を和(やは)らく効(かう)あり
〇/生姜(はじかみ)   気(き)をひらき痰(たん)を治(ぢ)す
〇/胡蘿蔔(にんじん)  常(つね)に食(しよく)して益(ゑき)あり虚(きよ)を補(おきな)ふ
〇/芹(せり)    よく煑(じ)てb病人にも用(もち)ゆべし気血(きけつ)をめぐらす
〇/山蒜(のびる)   性熱(しやうねつ)なり五臓(ござう)をあたゝめ補(おぎな)ふ
〇/?菜(わさび)    辛(から)く温(うん)にして気(き)を下(くだ)し痰(たん)をのぞく

〇/蓴(じゆんさい)    常(つね)にもよろしからず気(き)を下(くだ)し渇(かつ)をさる数(かず)のこと同食忌(どうしよくいむ)
〇/繁縷(はこべ)    諸(もろ〱)の悪瘡(あくさう)によろしさん後(ご)/乳(ちゝ)汁/少(すくな)きに食(しよく)すべし
〇/高麗菊(かうらいぎく)   苗(なへ)を菹(ひたしもの)にして食用(しよくやう)にすべし
〇満たゝび   性熱(しやうねつ)なり常(つね)の人は用(もち)ゆべし病人(びやうにん)はいむべし
〇たかぢさ   ちさよりもやはらかにしてよし
〇たんぽゝ   毒(どく)なし食用(しよくやう)によろし滞気(とゞこふり)をくだす
〇/薺(なつな)     平人(へいにん)はよろし病人(びやうにん)には宜(よろ)しからず
〇/蕪(かぶら)     毒(どく)なし常(つね)に食(しよく)して気力(きりよく)をます
〇/仏座(ほとけのざ)    すゝな すゞ しろ たひらこ五形菜(ごきやう)何(いづれ)も病人(びやうにん) にいむ
〇/旱芹(みつば)    心気(しんき)をひらき腸胃(ちやうゐ)を利(り)す
〇/茗荷(めうが)    邪気(じやき)をさり瘧(おこり)によろし外(ほか)の病(やまひ)にはよろしからず


〇/海帯(あらめ)    よく煑(に)て病人(びやうにん)にも用ゆべし
〇/昆布(こんぶ)    化(くは)しがたし脾胃弱(ひゐよは)き人はよく煑(に)て食すべし
〇/若和布(わかめ)   常(つね)に食(しよく)して害(がい)なし水道(すいどう)を通(つう)ず
〇/海?(みろ)     水腫(すいしゆ)によろしく病人(びやうにん)には用(もち)ゆべからず
〇阿まのり   をこのり とさのり ひるのり いづれも病人(びやうにん)にいむ
〇/水雲(もづく)    毒(どく)あり食(く)ふべからず
〇/大凝菜(ところてん)   常人(つねひと)にもよろしからず用(もち)ゆべからず
〇/乾海(あをのり)    諸(もろ〱)のむしをころす病人(びやうにん)には用(もち)ゆべからず
〇/木耳(きくらげ)    毒(どく)あり気力(きりよく)をつよくす色赤(いろあか)きもの食(く)ふべからず
〇/石茸(いはたけ)    目(め)をあきらかにし小便(しやうべん)を遠(とを)くす食して益(ゑき)あり
〇/重菰(まひたけ)    病人(びやうにん)にはいむべし

〇/椎茸(しいたけ)   瘀血(おけつ)を破る病人にはよろしからず
〇/玉蕈(しめし)   病(やまひ)ある人はよろしからず好物(こうぶつ)ならば少(すこ)し用ゆべし
〇/天花蕈(ひらたけ)  多(おほ)く食(く)ふべからず柳木(やなぎ)に生(しやう)ずるは尤(もっとも)よろし
〇/黄縵頭(いくち)  麥蕈(しやうろ) 青頭蕈(はつたけ) 胴脂蕈(つにたけ)毒(どく)あるものに食(くひ)あはせば
       害(かい)あり病人には用ゆべからず
〇/松茸(まつたけ)   精気(せいき)をまし脾胃(ひゐ)をやしなふ五月松茸(さまつたけ)は劣(おと)れり
       病人にあしく粳米(うるこめ)の中へ入(いれ)たるを食(く)へば毒(どく)あり
       雪花菜(とうふのから)と食すれば酔(よひ)て吐(と)す諸(もろ〱)の茸(たけ)あぶらけの
       ものと同食(どうしよく)すれば害多(がいおほ)し茸(たけ)を煑(に)て生姜(しやうが)と
       飯粒(めしつぶ)と入て見るに色黒(いろくろ)くなるものは人をそこなふ
       又/茸(たけ)の上(うへ)に毛(け)ありて下(した)に紋(もん)なきもの仰(あふ)ぎ巻(まき)



       赤色(あかいろ)なるもの夜(よる)ひかりあるものさきて見るに筋(すぢ)
       通らざるものは皆毒(みなどく)あり食(く)ふべからず
〇/黄蕈(きしめし)   病人(びやうにん)は用ゆべからず
〇/掃箒茸(てづみたけ)  同断
〇/松毛茸(はりたけ)  同断
〇/菜茸(うらたけ)   同断
〇/梔花(くちなしのはな)  毒(どく)なし常人(つねびと)もこのむまじ病人は忌(いむ)べし
〇/五加葉(うこぎ)  枸杞(くこ)葉二とも病人に忌(い)む脾胃(ひゐ)虚寒(きよかん)の人には必(かならず)
       忌(い)むべし
〇/蒟蒻(こんにやく)   毒(どく)あり渇(かつ)をさるぶどう酒(しゆ)と同食すれば咽(のど)いたむ
〇/防風(ほうぶう)   常人(つねひと)にはよろし病人(びやうにん)は用(もち)ゆべからず

〇/独活(うど)   用ひて害(がい)なく生(しやう)にて多(おほ)く用(もち)ゆべからず風(かぜ)を除(のぞ)く
〇/黄精(わうせい)   性寒(しやうかん)にして胃(ゐ)を損(そこな)ふ脾胃(ひゐ)強(つよ)き人は害(がい)なし
〇/何首烏(かしゆう)  脾胃(ひゐ)弱(よは)き人は食(しよく)すべからず大便(だいべん)をゆるくす
〇/紫蘇(しそ)   毒(どく)なし病人(びやうにん)にても苦(くる)しからず魚毒(きよどく)を解(げ)す但し
       鯉(こひ)と食すれは悪瘡(あくさう)を発(はつ)す
〇/葛粉(くづのこ)   脾胃(ひゐ)虚寒(きよかん)の人は斟酌(しんしやく)すべし
〇/歟冬(ふき)   害(かい)なし心肺(しんはい)をとゝのへ痰嗽(たんぜん)を治す
〇/馳膚(はゝきく)   小便(しやうべん)を利(り)す腹(はら)くだる病には用ゆべからず
〇/蓼(たで)    水気(すいき)を下(くだ)し目(め)に益(ゑき)あり病人は用捨(やうしや)あるべし
〇/菊葉(きくのは)   花(はな)も葉(は)も損益(そんゑき)なし
〇よめ菜   むねをひらき食(しよく)をすゝむ脾胃弱(ひゐよは)きものはよろし


       からず串柿(くしがき)と食(しよく)すれば腹(はら)いたむ酢(す)と食(しよく)すれば
       眼をやましむ
〇/筆頭菜(つく〱し)  病人は斟酌(しんしやく)すべし芥子(けし)と同食(どうしよく)すれば腹(はら)くだる
〇すぎ菜(な)  常人(つねびと)もよろしからず
〇/艾(よもぎ)    病人にも平人(へいにん)にも害(かい)なし団子餅(だんごもち)にして用ゆ
〇/鶏冠苗(けいとうのなへ)  若葉(わかば)を汁(しる)にし又あへ物にして食(く)へども毒(どく)なり
〇/牛房(ごばう)   常(つね)にもちひて大に益(ゑき)あり諸病(しよびやう)によろし
〇/萱草(くはんざう)   心熱(しんねつ)をさまし諸(もろ〱)の血病(けつびやう)によろし
〇/鹹蓬(まつな)   性温(せいうん)にして胃(ゐ)を和(くは)し腎水(じんすい)をやしなふ
〇/裙帯豆(じうはちさゝげ)  腸胃(てうゐ)をとゝのへ腎(じん)をかたらす
〇/刀豆(なたまめ)   中気(ちうき)を下(くだ)し?逆(しやくり)をとゞむ効(かう)あり

〇/蚕豆(そらまめ)    五臓(ござう)をよく和(くは)し中(うち)をとゝなふ
〇/甘藷(りうきういも)    脾胃(ひゐ)をとゝなふ食して益(ゑき)あり
〇/券丹(ゆりね)    中(うち)をとゝのへて百病(ひやくびやう)に益(ゑき)あり肺(はい)をあたゝむ
〇/?蚕(ちやうろき)    血症(けつしやう)のいたみをのぞき風気(ふうき)をさる
〇/慈菇(くわい)    産後(さんご)の瘀血逆上(おけつきやくじやう)を治(ぢ)す
〇/南瓜(かほちや)    五臓(ござう)の気(き)をやしなふ脚気(かつけ)の証(しやう)に食(く)ふべからず
        ?(はへ)と同食(とうしよく)すべからず
〇/紫菜(あさくさのり)   咽喉(のんと)の熱(ねつ)をさる
〇けし葉(は)   瀉利(くたり)をとめる多(おほ)く食(しよく)すべからず
〇/豆腐(とうふ)    小/毒(どく)あり中(うち)をゆるくす多(おほ)く用ゆべからず
〇/雪花菜(とうふのから)   中(うち)をゆるめ酒毒(しゆどく)を解(げ)す


〇/豆腐皮(ゆば)   病人は食(しよく)すべからず
〇/豆黄(なつとうじる)   性寒(しやうかん)にして脾胃(ひゐ)になづむ多(おほ)く食(くら)ふべからず
〇/鹹豉(はまなつとう)   中気(ちうき)をとゝのへ中(うち)を和(くは)す
〇/麪筋(ふ)    気力(きりよく)をとゝのへ労熱(ろうねつ)をのぞく病人(びやうにん)によろし

{

"ja":

"懐胎養生訓"

]

}

_レ解。題曰_二懐胎養生訓_一。以_レ此保_二護其身_一。則必
無_二難産の理_一也。雖_レ然是自家私言。豈足_レ尽_二
其道_一哉。冀請_二後之君子正_一。
嘉永庚戌年夏五月子来根本義撰

             湖邦田章 書





懐胎養生訓
    結城医官    根本義伯苦明甫著
易(えき)に云て天地有て然後に万物あり万物有て
然後に男女あり男女ありて然後に夫婦(ふうふ)あり
夫婦有て然後に父子(ふし)あり父子ありて然後
に君臣(くんしん)あり夫婦の道(みち)以て久しからずんば
あるへからす又曰天地/洇溫(いんうん)して万物/化醇(くはじゆん)す
男女/精(せい)を合して万物/化生(くわせい)す是天地の妙用夫
婦/交(こう)合して子孫生々/無限(ぶげん)の機(き)を明(あか)し給(たま)へり

夫(それ)天地の物を生ずるハ无窮(ぶきう)なれとも其尤人に厚し
如何となれハ既に百穀有て其生を養ひ又百草
有て其/疾(やまい)を救(すく)ハしむ故に人ハ万物の霊(れい)とす考経(かうきやう)に
天地の性人(せいひと)を貴(たつとし)とすといへるも所謂(いわゆる)化工の原(げん)万物
の由て生する所/聖教(せいけう)百千と雖とも亦皆是より始る
然れは其道の高大ハ言に及ハすかゝる霊たり遣へたる
人々の児(じ)を生に臨(のぞん)て産難あるハ何そや面(?)り鳥獣魚(ちやうじうぎよ)
鼈(べつ)の卵(らん)を生み胎(たい)を娩(べん)するに臨て仮(かり)にも医(い)を傭(やと)ひ
薬を求(もとめ)たる例(ため)しを聞(きか)す然るに今時の婦女子/往(わう)々


産難に罹(かゝ)り或ハ黄泉(くわうせん)に帰(き)するに至る豈悲(あにかな)しからずや
是他なし懐胎の中養生の法切ならさるに拠(よ)る如何と
なれハ思ハて宜しきことを心に労(らう)し及ばぬ事を強(しへ)て
願ひ或ハ妬深(ねたみふか)て或ハ人を怨(うら)み且其産の期(き)いろごと心気
を費(つへや)し起居/体(たい)にかなはす飲食(いんしよく)口に適(てき)せす衣服をも
熱(あつ)きにすぎ寒きに絶(たへ)す其/度(と)を錯(あやま)り失ふの類皆是
不養生といふべし素問(そもん)に怒(いか)れは気/上(のぼ)るき喜(よろこべ)ハ気緩(ゆるべ)
る悲(かなしふ)ハ気/消(き)ゆ恐れハ気/行(めく)らす寒けれは気閉(と)ち暑けれ
ハ気/泄(も)る驚けハ気/乱(みた)る労すれハ気/耗(へ)る思ハ気/結(むすほふ)ると

【左ページ一行目左ルビー 黄泉 しするをいふ】
【左ページ五行目左ルビー 起居 たちえ】

云ふ若(もし)母養生/悪(あし)けれハ其身/計(ばかり)の害(がい)にあらす胎児腹内
に在て甘苦(かんく)冷熱(れいねつ)飢飽(きはう)皆其/苦(くるしみ)を感(かんす)るなり若母多
淫(いん)なれハ即/瘡癬(そうせん)を生すと云《割書:俗に小児の身に黒子(ほくろ)あるを|淫精のふるゝあるといふ》又/活(くはつ)
幼心法(ようしんはう)に曰/孕婦恣(ようふほしへまゝ)に厚味を食ふものハ生子(せいし)出痘多
くハ稠密(ちうみつ)にして険危(けんき)なり枚乗(ばいじやう)か謂(いへ)る毒薬を甘(かん)
餐(さん)し猛獣(もうじう)の爪牙(さうが)に戯(たはむ)ると斉(ひと)し危(あやう)きこと如何ぞや夫
養生の意は暴怒(ぼうど)もなく思慮もなく言語も過さす嗜(し)
慾(よく)を恣(ほしいまゝ)にせす是を斯(この)道の四/決(けつ)とす張南/軒(けん)の語に思
を省(はぶへ)て以て神を養ひ慾を省て以て精を養ひ労を


省て以て力(ちから)を養ひ言(こと)を省て以て気を養ふ是
を摂生(せつしやう)の四/省(せい)といへり孟子に養気の論(ろん)あり心を
養ハ寡欲(くはよく)より善なるはなし河上公も有欲(うよく)の考は
身を亡(ほろぼ)すと云/曲礼(きよくれい)に欲(よく)は縦(ほしへまゝ)にすへからすと云るも疊(たゝ)
に心の願のみにあらす口/鼻耳(びじ)目四/肢(し)の末(すへ)に至る迄皆
願あり都(すべ)てのこと皆自然に任(まか)せ先其心を安静に
し仮初(かりそめ)にも外物に妄躁(もふそう)せられす躬(み)重て倦労(けんろう)ある
とも起居を軽(かろく)し懈惰(かいた)して臥(くわ)を嗜(たしな)むとも強て寝(いぬ)
るとをせす勉(つとめ)て身を運化し莭々/廊闊(うちひらけ)けたる処に

【右ページ三行目左ルビー 瘡癬 できもの】
【右ページ四行目左ルビー 出痘 はうつう】
【右ページ五行目左ルビー 稠密 ゆやか  甘 むさ】
【右ページ六行目左ルビー 餐 ほり  爪牙 つめきは】
【右ページ七行目左ルビー 暴怒 いかる  思慮 をもへ】
【左ページ三行目左ルビー 寡欲 よくすくなく】
【左ページ五行目左ルビー 鼻耳 はなみゝ  四肢 てあし】
【左ページ六行目左ルビー 安静 しずか】
【左ページ七行目左ルビー 妄躁 さわかせ  倦労 つかれ】
【左ページ九行目左ルビー 運化 こなし】

出て気を散し心を慰(なぐさ)めに范石湖(はんせきこ)の詩句(しく)に睡余行(すいよこう)
薬徒(やくめくる)_二江郊(こう〱を)_一と吟(ぎん)ぜられしも寝覚(ねさめ)の保養には水
辺(へん)行郊か一叚との意(い)なり然れは余り窮屈(きうくつ)し
若(もし)くは懈怠(けたい)に過るは皆養生の道にあらす素問(そもん)に
所_レ謂/久臥(くわ)ハ気を傷(やふ)り久坐ハ肉(にく)を傷(やぶ)るといふ是なり
又/飲(いん)食ハ尤養生の第一/具(ぐ)と雖(いへ)とも饕(むさほ)るときハ其
害(がい)少からす孟子に飲食の人ハ人是を賤(いやし)むと飽(あく)まて
食(くら)ひ暖(あたゝか)に衣逸居(きいつきよ)して教(をしへ)るけれハ禽獣に近しといへり
此等の義/慎思(つゝしみをも)ふて専(もつは)ら之(これ)が節用を致(むこ)とし深て


其/禁好(きんこう)を試(こゝろ)むへし又/濫(みた)りに多食することを戒(いまし)め
よおふて鹹(かん)を食へハ血脈凝滞(けつみやくげうたい)し観色変(かんしよくへん)す多く
苦(く)を食へハ筋急(きんきう)して爪(つめ)の甲枯(こふか)る多く酸(さん)を食へハ肉胝(にくち)
?(しう)して唇渇(くちびるかは)て多く甘(かん)を食へハ骨痛(ほねいた)み毛髪脱落(もうはつたつらく)す
となり論語に孔夫子(こうふうし)ハ食/饐(い)して餲(あい)し魚/餒(あざ)れて肉敗(にくやふれ)
たるは食ハす色/悪(あし)きハ食ハす臭(か)の悪きは食はす
時ならさるは食ハすと載(のせ)たり聖(せい)人平/生(せい)の飲食(いんしよく)す
ら此の如し況(いはん)や産婦に於くをや諺(ことはさ)に謂(いはゆ)る百病口
より入る百/害(がい)口より出ると云恐れすれハあるへからす

【左ページ二行目左ルビー 鹹 しほはゆき  凝滞 とゝこふり】
【左ページ三行目左ルビー 苦 にかき  筋急 すしつり】
【左ページ四行目左ルビー 甘 あまき  脱落 ぬける】
【左ページ五行目左ルビー 饐 すえる  餲 すゆる】

たゞ食品の口より入て害を為すのみにあらす声色(せいしよく)
の耳目を害するも亦/慎(つゝし)まわんハあるへからす文選(もんぜん)に耳(じ)
目の欲を縦(ほしへまゝ)にし支体(したい)の安(あん)を恣(ほしへまゝ)にし血脈の和を傷(やふ)
るといふ又出るに輿(よ)し入るにハ輦(れん)す命(なすけ)て蹶痿(けつい)の
機(き)といふ洞房清宮(とうほうせいきう)ハ命て寒熱(かんねつ)の媒(なかたち)といふ晧歯蛾(こうしか)
眉(ひ)ハ命けて伐性(ばつせい)の斧(ふ)といふ甘脆肥体(かんせいひたい)ハ命て腐腸(ふちやう)
の薬といふ此等/間(まゝ)産婦に与る(あすか)らすと雖とも養生家
の禁戒(きんかい)以て専要となすへし且古へハ胎教とて生
子/胎内(たいない)に居(をる)とき既(すて)に其/教(をしへ)あるなり列女伝(れつじよてん)に婦人


子を姙(はらみ)ては寝(いぬ)るに側(そはた)たす坐するに辺(かたを)らす立に蹕(かたしくち)
せす邪身(じやみ)を食わす割(きり)め正しからされハ食ハす席(せき)正
しからされは坐せす目に邪色を見す耳に淫声(いんせい)を
聴(き)かす夜(よる)ハ則瞽(すなはちこ)をして詩(し)を誦(よま)せ正きことを道(いは)し
む此の如くすれハ則生るゝ子/形容端正(けいようたんせい)にして才(さい)
人に過るといへり周の文王の母/太任(たいにん)は摯仲氏(しちうし)の中
女なり王季娶(わうきめとり)て妃(ひ)とす太任の性端一誠荘(せいたんいつせいそう)これ
徳のみこれを行ふ其文王を姙(はら)むる及て目に悪色
を視(み)す耳に淫声を聴す口に敖言(ごうけん)を出さす又王
【右ページ四行目 輿 こし  輦 てくるま  蹶痿 あしなへ】
【右ページ五行目 洞房清宮 ひらけたるねやすゝしきみや  晧歯蛾 うつくしきをん】
【右ページ六行目 伐性 いのちをそこなふ  斧 をの  甘脆肥体 むまきものをすごす】
【左ページ四行目 瞽 めくら】
【左ページ五行目 形容端正 かたちたゞし】
【左ページ七行目 妃 きさき】
【左ページ九行目 敖 をごる】

を生(うむ)て明聖(めいせい)なり太任之に教るに一を以てして百
を知る遂(つい)に周の宗(そう)となれり君子/以為(をもへらく)太任にて胎
教をなすと是らの語(ご)に従(したかつ)て胎孕(たいよう)十月の間/善(よく)
保護(ほうご)を加るときは百人に一人も産難ハあるまし
又産婦/病(やまい)なきに薬を服(ふく)すること勿(なか)れ病なきに
薬を服するは太平に干戈(かんくわ)を動すに異(こと)ならす孫(そん)
思邈(しばく)か曰人故ならんハ薬を餌(くら)ふべからす偏(ひとへ)に臓(ざう)気を
照て不平ならしめハ病ひするとなり昔し漢土(もろこし)に
郝翁(かくわう)といふ名医(めいい)あり陳達遵(ちんけうしゆん)といふ人の妻女(さいしよ)病む


ことありて衆(しう)医に是を診(うかゝは)しむ衆医診て曰/何(いつれ)
も労瘵(ろうさい)なりといふ郝翁/一人断然(ひとりたんせん)として懷胎な
りとて服薬を止めしむ重て脉状を診て曰是
胎孕(たいよう)に極(きわまつ)て然も男児(だんじ)なりといふ娩期(べんき)にして果(はた)
して詞(ことば)の如しと名医/類案(るいあん)に載(のせ)たり故に大抵(たいてい)の
ことにハ妄(みだ)りに薬を服すへからす況や産婦に於
てをや慎むへきの太甚者(はなはたしきもの)なり然れとも天地に水
旱(かん)の変(へん)有か如く姙婦といへとも実に病脳(やまい)有る
ときは医するの道あり其婦の生質(むまれつき)自ら調(とゝな)ふ

らすして病ある者ハ田地に痩肥(そうひ)あるか如し田地の痩(やせ)
たるは培養(はいやう)を以て生植修長(せいしよくしうちやう)し天地水旱の変も
旱に河水(かすい)を導(みちひ)き洪水(こうすい)に河/流(りう)を決(さく)る時ハ其万一
を免(まぬか)るへし若医せすして日を引て時ハ軽(かろ)きハ重き
に至る重きは遂(つい)に不起(ふき)に至る論語の注(ちう)に疾病(しつぺい)は
吾身(わかみ)の死生/存亡(そんばう)する所以(ゆいん)のもの皆以て謹(つゝし)ますん
ハあるへからす昔し齊(せい)の桓公(くわんこう)ハ扁鵲(へんしやく)の説をせすして
其命を失(うしのふ)に至も然れとも薬を服するにハ専ら医
の良拙(りやうせつ)を撰(えら)むへきことなり夫医(それい)に上中下の三品


有り上医ハ病を知り脉(みやく)を知り薬を知る此三/知(ち)を以
て病人の完寒熱虚実(かんねつきよじつ)の機(き)に臨(のぞ)み博(ひろ)て古今の衆方(しうはう)
を採(と)り其時の変(へん)に応(をう)して宜きに従(したが)ふ必一法に泥(なづ)
まさる故誠に十金の功(こう)あり善(を)て戦(たゝか)ふ良/将(しやう)の敵(てき)に
臨(のそ)みて変に応するか如し下医ハ三知の力(ちから)なし妄(みだ)り
に薬を投(とう)して人を謬(あやま)ること多し夫(それ)薬ハ補瀉(ほしや)寒
熱良毒の気偏なり其気の偏(へん)を以て病をせむる
故に参芪(じんぎ)の上薬をも妄りに用ゆへからす其病に応す
れは良薬となり必其/験(しる)しあり応せされハ毒(とく)薬と

【右ページ一行目左ルビー 痩肥 やせこへ】
【右ページ二行目左ルビー 培養 つちかへやしなふ】 
【同           生植修長 をいんたち】
【右ページ三行目左ルビー 旱 ひてり】
【右ページ四行目左ルビー 不起 なをらぬ】
【右ページ九行目左ルビー 良拙 よしあし】
【左ページ六行目左ルビー 補瀉 をきなひくたし】







す唯益(たゝえき)なきのみに非(あら)す人に害(がい)あり又中医あり病
と脉(みやく)と薬を知ること上医に及らすと雖(いへ)とも薬は
みな気の偏(へん)にして妄(みたり)に用ゆへからさることを知る
故に其病に応(をう)せさる薬を与(あた)へす班固(はんこ)か謂(いへ)る病ひ有て
不_レ治ハ常に中医を得ると云/意(こゝろ)ハ病有とも其
症(しやう)を明(あき)らかに弁(わきま)へす其/脉(みやく)を詳審(しやうしん)熟察(しゆくさつ)せす其
方を精覆究極(せいけうきうきよく)し難(かた)けれハ慎(つゝしん)て妄(みた)りに薬を施(ほとこ)さ
す是を以て病ひあれとも治(ぢ)せさるハ中/品(ひん)の医なり
下医の妄りに薬を用て人を謬(あやま)るに勝(まさ)れり故に


病ひあるとき若良医なくハ庸医(ようい)の薬を服(ふく)して
身を傷(そこな)ふへからす只保養して薬を用ひす自(をのつか)ら
病ひの愈(いゆ)るを待(まつ)へし此の如くすれハ薬毒(やくどく)に中(あた)ら
すして早く愈る病多し死病は薬を用ひても
活(いき)す下医ハ病ひと脉(みやく)と薬を知わされとも病家
の乞(こふ)に任(まか)せて妄(みた)りに薬を用ひ多く人を傷ふ
忽(たちまち)に傷わすと雖とも病を助(たすけ)て兪ること遅(をそ)し能此
理を弁(わきまへ)知て応(をう)せさる薬を服すへからす素人(しろうと)ハ病
あれは急(きう)に愈んことを求(もと)めて医の良拙(りようせつ)を撰(えら) 
【右ページ六行目左ルビー 詳審熟察 つまびらかによくみる】
【右ページ七行目左ルビー 精覆究極 くわしくきわめ】
【左ページ一行目左ルビー 良医 よきい  庸医 やぶい】
【左ページ九行目左ルビー 良拙 よしあし】

ます庸医(ようい)の薬を頻(しき)りに飲(のむ)て却(かへつ)て身(み)を傷(そこな)ふ
是身を愛(あい)すといへとも実ハ身を害(がい)するなり古/語(ご)
に病/傷(しやう)ハ猶/療(りやう)すへし薬傷ハ最(もつとも)医(い)し難(かた)しと
いふ恐るへし孔子も季康子(きくわうし)の薬を贈(をく)れるを未(いまた)
_レ達(たつせ)と云て嘗(なめ)至ハす礼記(らいき)に医ハ云/世(せい)ならされハ其
薬を服(ふく)せすといへり二/程全書(ていぜんしよ)に疾(やまい)を治(ぢ)するに之(これ)を
庸医に委(い)するは之を不/慈(じ)不/孝(こう)に比(ひ)すと云/坡公(はこう)
の言(こと)にも疾(やまひ)なきとき医を撰(えら)むへきを説(とか)れさり若(もし)人
病(やん)て遽(にわ)かに医を求(もとむ)るハ渇(かつ)して井を堀(ほ)り戦(せん)して


兵(へい)を鋳(い)るか如し其及ハさること遠し然れハ医を
撰(えら)むこと必す未(み)_レ病(ひやう)の前にありまた善(よく)其身の
敬慎(けいしん)を要となすへし孝経(こうきやう)に身体髪膚(しんたいはつふ)ハ之(これ)を父(ふ)
母(ぼ)に受(う)て毀傷(きしやう)せざるは孝の始め也といふ論
語に父母ハ唯(たゝ)其/病(やまい)是/憂(うれふ)といふ孝養の摂生(せつしやう)となり
摂生の孝養に叶ふも其/歸(をもむ)きハ一なり又/妊娠(にんしん)六
七カ月に至り胎内(たいない)の居容(きよよう)狂(くる)ひ撐腹(たうふく)して右脚拘(うきやくこう)
攣(れん)し伝歩(でんほ)不/自由(じゆう)のことありて早く練習熟慣(れんしうじゆくくわん)な
る医人に属(ぞく)し時々/按腹(あんふく)して居容(きよよう)を正(たゞし)くする
【右ページ一行目左ルビー 庸医 やぶい】
【右ページ三行目左ルビー 病傷 やまひ  薬傷 くすりあたり】
【右ページ七行目左ルビー 委 ゆたぬる】
【左ページ二行目左ルビー 未病 やま さる】
【左ページ三行目左ルビー 髪膚 かみはたへ】
【左ぺージ四行目左ルビー 毀傷 やぶれ】
【左ページ七行目左ルビー 居容 いなり  撐腹 つゝはり 】
【同           右脚拘 みきのあしひき】
【左ページ八行目左ルビー 練習熟慣 よくならひなれたる】
【左ページ九行目左ルビー 属 まかせ】

こと肝要(かんよう)なり然らされハ横産(わうさん)の漸(せん)となる産論/翼(よく)
に婦人/孕(はら)みて三四カ月の間/善(よ)く按腹(あんふく)を用る時ハ
必す其/腹(ふく)内/欝気(うつき)大に散し脉絡(みやくらく)調理(ちやうり)することを
得(え)て悪阻(をそ)の患(うれ)ひも亦/速(すみや)かに除(のそ)くことを得ると
なり猶/湯液腹(たうえきふく)用のことハ医師(いし)の指図(さしつ)を受(うく)へし
且(かつ)平生の脉状(みやくしやう)をも診視(うかゝは)せをくへし第一医師の
心得となりて応変(をうへん)の術(じゆつ)に惑(まど)ハす又一つにハ妊婦(にんふ)
の心/自(をのづか)ら之(これ)に安(やすん)して産/期(き)の施術に驚(をどろ)かざるへし
また禳災(まじない)の法/子母秘録(しぼひろく)といふ書に槐枝(くわいし)の東方


に指(さし)たるを採(とり)て産婦の掌(たなこゝろ)に握(にぎ)らしむれハひ必す
分娩(ぶんへん)軽易(けいい)なりと云へり昔し神功皇后三韓(しんしんこうくわうこうさんかん)を征(せい)
伐(ばつ)したまひ凱陣(がいちん)の時/筑前(ちくぜん)の国/糟谷(かすや)郡/蚊(か)田の里
にて皇子降誕(わうじこうたん)ましてけり是を応(をう)神天/皇(わう)と称(しよう)し
奉る即(すなはち)八幡太神是なり此時/槐(えんじ)の枝(えだ)に御手を
掛たまひ御平産ありし吉/例(れい)とそ神邦(しんはう)の相
伝此/類(るい)多し但し取ると捨(すつ)るハ其人の斟酌(しんしやく)に
よるへし兎角養生の道(みち)ハ安心を先とす況(いはん)や婦
女子の性(せい)は偏倚頑嚚(へんいくわんぎん)多く養(やしな)ひかたきものな
【右ページ一行目左ルビー 横産 てをだす】
【右ページ四行目左ルビー 悪阻 つはり】
【右ページ五行目左ルビー 湯液 くすり】
【右ページ八行目左ルビー 産期 うみどき】
【右ページ九行目左ルビー 槐枝 えんじのえた】
【左ページ二行目左ルビー 分娩軽易 うみやすく】
【左ページ三行目左ルビー 凱陣 いくさをかへす】
【左ページ四行目左ルビー 降誕 うまる】
【左ページ六行目左ルビー 神功 やまと】
【左ページ九行目左ルビー 偏倚頑嚚 かたよりをろかにこすく】

れは少(しば)らく巫祝(ふしく)を仮(か)り鬼(き)神時日/卜筮(ぼくぜい)に依て
以て其心を安(やす)し其気を平かにし凶(けう)を転(てん)して
吉に誘(いさな)ひ禍(わさはい)を変(へん)して福(さいはひ)を招(まね)くも実に養胎の
一助といふへし又/漢土修(もろこししう)養の術(じゆつ)に至て間(ま)亦
此に類(るい)することのあり概(をほむね)皆/練精(れんせい)といふ移精変(いせいへん)
気といふの二ツに出ることなし古人日光を吸(す)ひ星(せい)
辰(しん)を呑(の)み風雲に飛揚(ひやう)し山水を跋渉(はつせふ)するこそ
其/体健(たいすこやか)に徳化/自在(じざい)なるの象(かたち)にして固(まこと)に其/理(り)なし
と云ふへからす故に能修練(よくしゆれん)する者ハ天寿も延(のば)すへし災(さい)


禍(くわ)も禳(はらふ)へし至危(しき)の地といへとも亦/免(まぬか)るへし昔(むか)し彭祖(はうそ)ハ
八百歳老子ハ四百歳/我朝倭姫命(はかちやうやまとひめのみこと)ハ五百余歳
を経(へ)たまひ武内宿祢大臣(たけうちのすくねたいしん)ハ三百余歳を持(たも)たれ
しことゝ聞伝(きゝつた)ふ是必養生の至極せるものと
見へたり今も上寿ハ百歳中寿ハ八十下寿は
六十人の常といふへし然れとも動(やゝ)もすれハ
禁忌(きんき)を犯(をか)して其天年を残賊(ざんそく)す譬(たと)へは風中の
燈(ともしひ)を蜜室(みつしつ)に蔵(かく)し雪(ゆき)を陰山(いんさん)に蓄(たくは)へる之(これ)をして風
日に冒(をか)さゞらしむれハ其/消爍(せうしやく)の患(うれい)をなすも遠かる
【右ページ一行目左ルビー 巫祝みこかんなき 鬼神時かみ〱こよみ 】
【同           卜筮 うらなひ】
【右ページ七行目左ルビー 飛揚 とひあかり  跋渉ふ みわたり】
【右ページ九行目左ルビー 災 はさ】
【左ページ一行目左ルビー 禍 はい  至危 あやうき】
【左ページ七行目左ルビー 残賊 そこなふ】
【左ページ八行目左ルビー 蜜室 れのうち  陰山 やまかけ】
【左ページ九行目左ルビー 消爍 きへきゆ】

へし又/蕣(あさかほ)ハ至て脆弱(きしやく)の花なれとも日覆(ひおほ)すれハ
黄昏(たそかれ)まても衰(をとろ)へす他(た)草木/禽虫(きんちう)に至ても保(はう)
護(ご)次第に寿を延(のぶ)ること古今其/例(ためし)少(すくな)からすまし
て胎孕(たいよう)ハ物の自然にして却(かへつ)て寿を損(そん)すること
慼(いたや)しからすや天地陰陽の化(くわ)五/常(しやう)五/倫(りん)の道三才
の名義(めいぎ)も皆是より立ツ人よく理を会得(えとく)し
て専(もつは)ら養生を務(つとむ)る時ハ彭祖武(はうそたけの)内/倭姫(やまとひめ)の寿
域(いき)といへとも庶幾(こいねかふ)ところなるへし
 朝顔や 葉の養ひに 日もしらす


   妊娠(にんしん)日/数(かす)の説
凡婦人の胎(たい)を受(うく)るとハ月水/終(をは)りて後(のち)十日の
あひたにあり此を過(すく)れハ後の月水/動(うこい)て孕(はら)むこと
なし譬(たと)へは草木の花/咲(さ)き実を結(むす)ふか如くなる
べし其/娩(べん)の期(き)大/略(りやく)日数ハ初て孕(はら)むもの三百日を
経(へ)て産(さん)す度々産するものは二百七十五日を過
れハ追(をい)々産すへし若/孕婦(ようふ)一ツの失(やまい)あるか又ハ顚臥(てんくわ)
して腹を動かし胎/悶(もだ)へ水/漿(しやう)くたり或ハ血(ち)くたる者
あり夫胎(それたい)ハ胞膜(はうまく)一/嚢(のう)の如く全く包(つゝ)み子宮(しきう)の裏(うち)
【右ページ一行目左ルビー 脆弱 もろし】
【右ページ二行目左ルビー 禽虫 とりむし】
【左ページ二行目左ルビー 月水 つきのめくり】
【左ページ五行目左ルビー 娩 うみ】
【左ページ七行目左ルビー 孕婦 はらみをんな 顚臥 ころふ】
【左ページ八行目左ルビー 水漿 みつやく】
【左ページ九行目左ルビー 胞膜 このをるふくろ 嚢 ふくろ】

に固着(こちやく)して裏(うら)と表(をもて)のことしこの中に全く実(じつ)して
居れは邪(じや)も水気も容易(ようい)に入るへからす然るを物の
為に障(さは)り有て動(うこ)かし悶(もたい)をなさしむ故に胞膜(はうまく)子
宮に着(つ)くところ表裏(へうり)本位に背(そむ)き不和になりその
間より膀胱(はうかう)の余(よ)水を漏(もら)し出し或(あるひ)は血漏(ちも)れ出るあ
り血ハ胞膜の外にあり又水を漏(もら)すこと二/種(しゆ)あり
一種ハ胞胱の余水なり治(ぢ)し易(やす)し一種は胞膜中に
僅(はつか)ある真(しん)の醤水膜/破(やぶ)れて出るものハ治し難し
必(かならす)半産するものなり此故に懐胎中ハ養生を第


一と為(な)すへし若(もし)一度/流(りう)産すれハ又/重(かさね)て孕(はら)める時も
癖(くせ)になるものなり又世上に子供数多(こどもあまた)持(も)てば貧窮(ひんきう)
になるとて態々(わざ〲)堕薬(だやく)を用ひて堕胎(だたい)するもの間(ま)あ
り不仁の至りなり夫子(それこ)を持こと人/力(りよく)の及ふ所にあ
らす皆天の為す所なり貧福(ひんふく)も亦天の為す所に
て子の有無に拘(かゝは)るへからす子数多有て生涯安(しやうかいあん)
楽(らく)に暮(くら)すものあり子一人もなく生涯貧窮なるもの
あるを以て見るへし一/旦(たん)堕胎しても僅(はつか)百日か百四
五十日も過(すく)れは多くハ孕(はら)むものなりそれのみならす 

【右ページ一行目左ルビー 固着 かたくつく】
【右ページ四行目左ルビー 本位 もとのいとこ】
【右ページ五行目左ルビー 膀胱 しやうべんふくろ】
【左ページ一行目左ルビー 流 をつる】
【左ページ三行目左ルビー 堕薬 をとしくすり 堕胎 をとす】

母(はゝ)それか為に必/血暈(けつうん)なと危急(ききう)の症(しやう)を発(はつ)し或ハ
死(し)するものあり恐(をそ)れすんハあるへからす
   妊娠(にんしん)胎位の説
凡婦人の腹(はら)妊娠の位(い)する所ハ膀胱(はうくわう)の後(うし)ろ広(くわう)
膓(ちやう)の前間(せんかん)に子宮(しきう)といふ胎(たい)を孕(はら)む嚢(ふくろ)あり上に口
なく下ハ陰戸(いんこ)に続(つゝへ)て口あり常にハ縮(ちゞま)り細(ほそ)く中(うち)に
月水を蓄(たくは)へ胎ある時はその育(いく)長に随(したか)ひ自然と広(ひろか)
るなりその中に胞膜(はうまく)といへる嚢(ふくろ)あり胎(たい)その中に
身を潜(ひそ)めて倒(さかしま)に居(を)る其胞膜ハ子宮の中にあり


胞膜ハ胞衣の厚肉(あつにく)の四/辺(へん)より薄膜(はくまく)を引き伸(のば)し
胎を絡(まと)ひ全(まつた)く嚢(ふくろ)の形(かたち)のことし大便ハ食物/胃(い)中に
化(くわ)し大/膓(ちやう)直(ちよく)膓を通り肛(こう)門に出る大膓は小膓右辺
にあり小便ハ膀胱(はうくわう)に出つ膀胱ハ小/腹(ふく)の下にありて
下/細(ほそ)き管(くた)のことく陰(いん)門の上辺に通続(つうそく)する小/嚢(のう)
なりさて子宮と尿(にやう)道との間/近(ちか)けれハ胎/育(いく)長す
るに随ひ自然と下(さが)り尿道に碍(さは)り閉塞(へいそく)して小便
通し難きことあるものなり然るときハその婦(ふ)を仰(きやう)
臥(くは)なさしめ小腹より数(す)へん撫上(なであ)け尚(なを)手指(しゆし)を以て陰
【右ページ一行目左ルビー 血暈 ちのみち 危急 あやうき】
【右ページ三行目左ルビー 胎位 このいどこ】
【右ページ四行目左ルビー 膀胱 いばりふく】
【右ページ七行目左ルビー 育長 そだつ】
【左ページ一行目左ルビー 胞衣 えな 薄膜 うすかは】
【左ページ四行目左ルビー 膀胱 いはりふくろ 小膓 したはら】
【左ページ五行目左ルビー 通続 つゞく】
【左ページ六行目左ルビー 尿道 しやうへんみち 育長 そだつ】
【左ページ七行目左ルビー 閉塞 ふさかり】
【左ページ九行目左ルビー 臥 のけ 小腹 したはら 指 ゆひ】

門の中(うち)より児頭(じとう)を押(を)すときハ稍隙(やゝす)くことを得(え)
て小便立処に通するものなり
   胞胎(はうたい)の説
五臓/論(ろん)に曰一月ハ珠露(しゆろ)の如し二月ハ桃花(たうくは)の如し
三月ハ男女分る四月ハ形象(けいしやう)そなはる五月ハ筋骨(きんこつ)生(な)
る六月ハ毛髪(もうはつ)生す七月ハ其/魂(こん)を遊(あそ)ハしむ児(じ)よく
左の手を動(うごか)す八月ハ其/魄(はく)を遊はしむ児よく右
の手を動す九月ハ三度身を転(てん)す十月ハ気を
うけ事たるとなり


      
      胞衣  胞帯繞ル_二児ノ左肩ヲ




図    
          白膜膜ー中皆ナ水ー漿


【右ページ一行目左ルビー 児頭 このかしら】
【右ページ四行目左ルビー 珠露 たまつゆ 桃花 もものはな】
【右ページ五行目左ルビー 形象 かたち】

   背面倒首(はいめんとうしゆ)の論
凡/正(せい)産の胎ハ図(つ)の如く面(をもて)を母の背(せ)の裏(うら)に向て倒(さかしま)に
居る其/胞居(はうい)ハ胎の尻(かう)上を蓋(をほ)ふ左右の足膝(そくしつ)ハ上て皆
張(はり)て傍(かたはら)に出し両手ハ展(のべ)て脇傍(けうぼふ)に依(よ)ると此一条
ハ古今/未発(みはつ)の確論(かくろん)にして賀川氏の発明する所
なり然るに世俗頭(せぞくかしら)を上にし足を地にするの人にし
てなんそ倒(さかさま)に孕(はら)むの理(り)あらんやと此事数百歳の
起城(きじやう)にして此より破(やふ)り難きハなしこれに固く予数
百人の孕婦を試(こゝろむ)るに賀川氏の世を誣(しひ)さるを覚ふ


又或人曰/孕婦(ようふ)の形(かたち)たるや横骨(わうこつ)より鳩尾(きうび)に及ふまて
此を天/円(えん)に比す中に渾(こん)然たる胚(はい)胎を孕む而し
て陰戸(いんこ)の外を天とし陽とし陰戸の内を地とし陰
とす然れハ孕胎/頭(かしら)を天明に向て足を地陰に着(つ)
てこと是/正位(せいい)ならすやと此理尤もあたれり又/俗(ぞく)の
言(こと)に胎子腹内に転復(てんふく)する説あり若し孕胎腹内
にて転復せは母の臓府傷(ぞうふやふ)らさるへけんや妄言(ばうげん)
たること甚し予/按(あん)するに胎ハ卵(たまこ)の内に鳥の居るか
如く薄膜(はくまく)の内に居り乳汁(にうしう)を飲(のむ)にもあらすニ/便(べん)を

【右ページ三行目左ルビー 胞衣 えな  尻 しり】
【右ページ八行目左ルビー 起城 うたかひ】
【左ページ一行目左ルビー 鳩尾 むなさき】
【左ページ六行目左ルビー 転復 こかへり】
【左ページ九行目左ルビー 乳汁 ちゝ】

するにもあらす母の食する穀(こく)気を稟(うけ)て育(いく)長する
ものならん然れハ母と同体なれハ倒(さかしま)に居りてもなんそ苦
むへきの理あらん然れとも孕胎の奇(き)なるものに至
りては?胎(さんたい)品胎(ひんたい)?(しう)胎等あるかごとく中にハ上/首(しゆ)な
るもあり然る所以(ゆえん)のものは其生る時/足踵(そくしやう)より出る也
左伝(さでん)に寤生(ごせい)なとのことあるを以て見るへし
変胎のことは限りなく一/概(かい)にハ論(ろん)し難し必養生
を犯(をか)して難産を患(うれふ)ることなかるへし
   男女の弁


凡陰/血先(けつさ)きに至り陽/精後(せいの)ちに衝(つ)けて血開(ちひらへ)て精(せい)
をつゝみ陽内にして陰外なり陰陽を抱(いた)き胎男形(たいなんけい)
となる若陽/精(せい)先きに入り陰血後ちに参(ましは)れハ精
開て血をつゝみ陰内にして陽外なり陽陰を抱
て胎女形となると古人いへり
   鎮帯(ちんたい)の説
凡鎮帯を用ること昔し神功皇后(しんこうくわうこう)三/韓(かん)を征(せい)す
るとき既に孕むに及て鎧(よろい)を着給(きたも)ふにその鎧合こと
能(あた)はす因て軟布(なんふ)を以て帯(をひ)を作り鎧(よろい)の上(うへ)を束(つ)かね

【右ページ四行目左ルビー ?胎品胎?胎 ふたつこみつこよつこ】
【右ページ五行目左ルビー 足踵 あしくひ】
【左ページ六行目左ルビー 鎮帯 はらをひ】
【左ページ九行目左ルビー 軟布 やわらかきぬの】

既に凱旋(かいせん)して応神(をうしん)て里を降誕(かうたん)まし〳〵竟(つい)に
災害(さいかい)なし此の時腹帯の製創(せいはし)めて起(をこ)るその後ち
世の婦人皆これに倣(なら)ふよく胎気を鎮め上衝(しやうしやう)せさら
しむ因て鎮帯と名づて唐土(もろこし)にも明(みん)の医/陳朝(ちんちやう)
階(かい)か奚嚢便方(けいのうへんはう)に絹帛(けんはく)を以て腹(はら)を纏(まと)ふ法見へ
たり此法万物自然にまかす時は此に及ふへからす
されとも敢(あへ)て捨(すつ)へからす軽(かろ)くほとよくすへし但/緊(きび)
しく束(つかぬ)ることを忌(い)むへし
   妊娠の忌法


凡/妊娠(にんしん)の者しほ〳〵沐浴(もくよく)することを忌むへし沐
浴すれハ腠理(そうり)開(ひらひ)て風/冷襲(れいをそ)やすけれはなりなを
九の月より更(さら)に忌むへし又産後ハたとへ健婦(けんふ)と
雖(いへ)とも廿日も忌むへし若/不快(ふくわい)のものハ限(かき)りなし
然らされハ暈(うん)を発(はつ)するか又ハ寒熱/喘咳(せんかい)等の諸
症(しやう)を発(はつ)すへしさて身穢(みけか)れしハ熱湯(ねつたう)に綿布(たんふ)を
ひたし絞(しほ)り拭(ぬく)ひ去り清(きよ)くすへし寝(いぬ)るに両足を
常の如く伸(のは)して寝へし
   産/椅(い)の説
【右ページ一行目左ルビー 凱旋 いくさをかへし】
【右ページ二行目左ルビー 災害 はさはい】
【右ページ五行目左ルビー 絹帛 きぬ】
【左ページ一行目左ルビー 沐浴 ゆあみ】
【左ページ二行目左ルビー 腠理 けあな】
【左ページ三行目左ルビー 健婦 たつしやなおんな】
【左ページ五行目左ルビー 暈 ちのみな 喘咳 いきしせき】

凡江/都(と)に産/籠(ろう)京都(きやうと)に産/椅(い)と称(しよう)して三方四方
開きて箱(はこ)の如き物の中に身を踠(かゝま)まらしめ居ら
しむるは害(かい)を求(もとめ)て功(こう)なし其害の八条は産論
に委(くは)し然れとも昔しより世の人たん〳〵習来り
しことなれハ害あるといふ事を知らす予/子玄(しけん)
子翁(しわう)の説を信(しん)し産婦を見ることに勧(すゝ)めて産
後必す身を臥(ふ)さしめて数多(あまた)試るに害なし産
婦も亦各大に喜(よろこ)ひ忽(たちま)ち健(すこや)かに本復(ほんふく)するもの多
し兎角(とかく)血気(けつき)を安(やす)んするには身を臥さしむる


に勝(まさ)るものなし
   難産の説
凡難産を患(うれふ)るものは寝(いぬ)るに両足を屈(くつ)し胎(たい)に碍(さは)
り動(うこ)かし悶(もた)へをなして或ハ斜(なゝめ)にし或ハ推(を)し倒(たを)し
又ハ重きものを持ち歩行(ほこう)し或ハ交接(こうせつ)のとき腹
を重く逆(さかしま)に推(を)し膓胃(ちやうい)と共に動かし胎に悶をな
さしむること尤忌むへきなり又ほとを過(すく)るもの
は腹中にて児死するか或ハ居容(きよよう)をかへるにし横(わう)
産(さん)なとの大難産となるもの多し月/満(みち)ては別(わけ)て

【左ページ五行目左ルビー 交接 まんはり】
【左ページ八行目左ルビー 居容 いなり  横 てを】
【左ページ九行目左ルビー 産 だす】

房事(はうし)を忌(い)むへきことなり人の鳥獣(ちやうじう)に劣(をと)るハ只この
慾情(よくしやう)のみ此を慎む時は極(きわ)めて安産(あんさん)なり
   子癇(しかん)の説
凡子/癇(かん)といふハ妊娠/俄(にわ)かに癇を発(はつ)して卒倒(そつとう)する
をいふ病源論(ひやうげんろん)にハいてぬ病(やまひ)なり其/因(もと)ハ胎動(たいとう)に属(そく)
す手足/搐搦(ちくぶき)直視(しきし)反張(はんちやう)は甚きに至ては舌を吐(は)
くこと数寸(すゝん)或ハ宿食(しくしよく)を吐(は)き或ハ糞汁(ふんしう)を吐く是ハ
必/死(し)するなり若よく治すれハ満月に至て母子共
に安穏(あんおん)なることの多しさて子/癇(かん)を発(はつ)すること


両三度に及へハ子宮(しきう)必ゆるむ故に回生(くはいせい)の術(しゆつ)を行ふ
て出せて母ハかならす扱(すく)ふものなり早く手なれたる
医(い)をやとひ治(ぢ)を清(こふ)へし且/妊娠(にんしん)のもの腹中にて
子の泣(な)くことあり此を鬼哭(きこく)と名(な)つく薬餌(やたし)なくして
止むものなり若/止(や)まされハ黄連一味を濃(こ)く煎(せん)
し妊婦に飲(のま)しむれハかならす止む一婦人産
に臨(のそ)んて予(よ)に治を乞(こ)ふ予産室に入て未(いまた)_レ娩(べんせ)に
児のなく声(こい)をきく稍(やゝ)ありて生る其子至てけ健(すこやか)な
り是/驚(をとろ)くへきにあらす

【右ページ四行目左ルビー 卒倒 にわかにたをる】
【左ページ一行目 回生 うまする】
【左ページ七行目左ルビー 未 る】

   産前食して好(よ)きもの
海蛇(くらげ) 牡蛎(かき) 烏賊(いか) 鯉(こい) 鴈(がん) 芹(せり) 蘿蔔(たいこん) 大麦
胡蘿蔔(にんじん) 薯藷(やまいも) 零余子(むかこ) 麩(ふ) 牛房 覆盆子(いちご)
独活(うと) 枸杞(くこ) 黒豆 乾瓢 粟(あは) 黍(きひ)
   同あしきもの
川魚 油気 昆布(こんふ) 熱物(あつきもの) 辛物(からきもの) 嗅物(くさきもの) 章魚(たこ)
鯰(なまつ) 鰌魚(とちやう) 江鰻(うなき) 鮭(さけ) 蟹(かに) 鮎(あゆ) 亀(かめ) 蜆(しゝみ) 無鱗(うろこなき)
魚(うを) 雀(すゝめ) 鴨(かも) 鳩(はと) 兎(うさき) 李(すもゝ) 杏(からもゝ) 葱(ねぎ) 葛粉(くす) 麺(めん)
類(るい) 糯気(もちけ) 梨子(なし) 茲姑(しろくはい) 烏芋(くろくはい) 馬歯莧(すべりひゆ) 茸類(きのこるい)


王余魚(かれい)
   産後食して好きもの
鯉(こい) 牡蛎 海蛇(くらけ) 鰌魚(とぢやう) 石決明(あわび) 文鰩(とびうを)
   同あしきもの
蕎麦(そば) 茄子(なす) 蕨(わらび) 蓼(たで) 里芋(さといも) 蒜(にんにく) 萵苣(ちさ) 昆布(こんふ)
酒(さけ) 瓜(うり) 茸(きのこ) 韮(にら) 葱(ねぎ) 辛物(からきもの) 菓物(くだもの) 麺類(めんるい)
   乳(ちゝ)汁の出る食物
鯉(こい) 文鰩(とびうお) 鮝(するめ) 赤小豆粥(あつきかゆ) 白粥(しらかゆ)
   産後の説

凡産後痛なきものハ身も軽(かろ)く気もかろく至て
こゝろよきものなれハ或ハ沐浴(もくよく)し或ハはたらき凡(すべ)
て身を大切にせす兎角/軽脱(かるはすみ)になりかちなれは
それか為に外/邪(しや)を引きいれ或ハ悪寒(をかん)発熱(ほつねつ)し
或ハ眩暈(めまひ)し甚しきに至ては痙(けい)病なとの難症
を発(はつ)するものあり如何となれは産後ハ産前
とちかひ体(たい)薄弱(はくじやく)になるものなれハ風冷/襲(をそ)ひや
すく此の故にたとひ病なくとも童便(とうべん)一/銭(せん)をのみ
便(すなは)ち臥(ふ)すことをせす只目を閉(とち)て坐すへし湏更(しばらく)


にして床(とこ)に上(のぼ)り仰臥(けうぐは)すへし宜しく膝(ひざ)を立/枕(まくら)を
高くし衣衾(いきん)を厚く纏(まと)ふて寒風を防(ふせ)くへし
又時々手を以て心下(しんか)より小/腹(ふく)を擦(さす)りて悪露(をろ)
を下らしむ此の如くすること両三日に及ふへし食
ハ初に白粥(かゆ)一味を食し必/飽(あく)くへからす日を
経て漸(やうやく)に増すへし猶時々童便をのみ或ハ童
便一銭に好酒半銭を入/温服(うんふく)し三四日を経て
後ち塩味(えんみ)を食ふへしさて婦人産の時強て
努力して子宮出て産後未_レ斂(をさまら)ことあるもの
【右ページ二行目左ルビー 沐浴 ゆやみ】
【右ページ五行目左ルビー 痙病 そりやまひ】
【左ページ一行目左ルビー 仰臥 あをのけ】
【左ページ二行目左ルビー 衣衾 きもの】
【左ページ三行目左ルビー 心下 むなさき】
【左ページ七行目左ルビー 好酒 よきさけ 温服 あたゝめのみ】
【左ページ八行目左ルビー 塩味 しをけ】
【左ページ九行目左ルビー 努力 いきむ 子宮 こつぼ】

ハ大麦四合/計(ばかり)を煑熟(にじゆく)し軟布(なんふ)を以て是を
包(つゝ)みその温(あたゝ)かなるを当(あ)て平坐する時ハ自然に
斂るものなり
   児枕痛(じちんつう)の説
凡産後のあと腹(はら)とて小/腹(はら)の痛(いた)むを児枕痛(じちんつう)と
いふ按(あん)するに児/腹(はら)にある時/倒首(とうしゆ)に居て枕(まくら)をした
る如くなれハ名附たることのと見へたりその因(もと)は
悪露(をろ)の下りたらぬ故(ゆへ)なり手を以て試(こゝろ)むるに茶
碗(わん)の大さのことく硬(かた)く応するもの也これ破血(はけつ)の


薬を飲み悪露(をろ)を下(くだ)らしむれハ必痛/止(や)むなり
さてそのとき衣衾(いきん)を厚く纏(まと)ふて体(たい)の冷(ひ)へぬ
やうにすへし体(たい)冷ると子宮口/閉(とち)て容易(ようい)に下り
かたきものなり
   嬰児(えいじ)保護(ほうご)の説
凡子生れて臍帯(さいたい)を断(た)ちて後ち五倍子(こはいし)の粉を
糝(ふりか)け紙を以てこれを包み屈曲(くつきよく)して臍の上に
をき別に絹帯(けんたい)を以て纏束(てんそく)す臍に附くとこ
ろ切に牽急(けんきう)ならしむることなかれ恐らくは臍こ
【右ページ一行目左ルビー 麦 むき 軟布 やわらかきぬの】
【右ページ二行目左ルビー 平坐 すわる】
【右ページ四行目左ルビー 児枕痛 あとはら】
【右ページ五行目左ルビー 小腹 したはら】
【右ページ六行目左ルビー 倒首 さかしま】
【左ページ二行目左ルビー 衣衾 きもの】
【左ページ三行目左ルビー 子宮口 こつぼのくち 容易 たやすく】
【左ページ七行目左ルビー 屈曲 をりまけ】
【左ページ八行目左ルビー 絹布 きぬをび 纏束 まきつけ】
【左ページ九行目左ルビー 牽急 きびしくしめ】

れに因(より)て突出(とつしゆつ)して斂(をさ)まらさるもの也児もし
頻(しき)りに泣(な)くときハ早く臍(ほそ)の帯をみるへし大/抵(てい)
六七日にして褪落(とんらく)すニ七朝(ふたなのか)を経(へ)て褪(をち)さるもの
あり又褪て後ち俗人(しろうと)多く神闕(しんけつ)に灸(きう)する者
あり太甚(はなはた)よろしからすに児/火攻(くはこう)の苦みに堪(た)へ
すこれによりて天吊撮口等(てんてうさつこうとう)の病を発(はつ)す必/慎(つゝし)
むへきものなり児はしめて乳(ちゝ)を飲しむるにハ母
の乳汁(にうしう)出るを度(と)とす世に多く乳汁出るを
待すして乳/婦(ふ)を雇(やとう)ふ者あり故に胎(たい)毒下


り難きなり先/甘草(かんそう)黄連(わうれん)二味に大/黄(わう)少し斗
を加へ用ひ或ハ紫円(しえん)一/粒(りう)を隔日(かくじつ)に用ひ大便/黒(こく)
粘(ねん)なるもの下るを度(ど)とす然れとも月/満(みた)すし
て娩(べん)するか若くは月満るといへとも稟賦薄弱(りんふはくじやく)
なる者は早く乳(ちゝ)を飲(のま)して調養(ちやうやう)するも亦/可(か)なり
其初生を浴(よく)するハ凡(すへ)て軽捷(けいせう)にすへし久しく
浴すへからす且その褪(をつ)る所の臍帯(さいたい)を焼(や)き
児(じ)に飲しめ胎/毒(どく)を下す時ハ其児/痘瘡(はうそう)かろし
【右ページ一行目左ルビー 突出 ぬけで】
【右ページ三行目左ルビー 褪落 をつる】
【右ページ四行目左ルビー 神闕 ほぞ】
【右ページ五行目左ルビー 火攻 あつき】
【右ページ六行目左ルビー 天吊撮 ひきつける】
【右ページ九行目左ルビー 乳婦 うば】
【左ページ二行目左ルビー 黒 くろく】
【左ページ三行目左ルビー 粘 ねはり 度 かきり】
【左ページ四行目左ルビー 娩 むまん 稟賦薄弱 むまれつきよはく】
【左ページ六行目左ルビー 浴 ゆあみ 軽捷 てはやく】

こけぬ津え

書名 こけぬつえ
        1/2冊
【撮影ターゲットのため以下略】

【帙表紙 題箋】
《題:こけぬつえ  上下》

【表紙 題箋】
《題:こけぬつえ》

【資料整理ラベル】
k150-1

【右丁 白紙 手書きのメモあり】
490.9
 k0-6

№2735
IR  K 150-1




【左丁】
【蔵書印 角印】
慶応義塾
大学医学
部之図書

【丸印】
慶応義塾大学医学情報センター
昭和47年7月5日

富士川文庫
1614

【右丁】
橘南谿先生閲
  山口重匡著述
《題:こけぬつえ》
皇都書林  鹿書堂

【左丁】
こけぬつえ序   【蔵書印】大八木蔵書
人の病るやなを国家のみたれたるか
ことく是を医するやまた三軍の
つはものゝことししかありて古しへこれ
をしも司命の大任といへ■【掌ヵ】しは其病
をみては是か薬をほとこし是か愁を

【右丁】
見ては是をたすくるの術をなすと
のみおもはゝ司命の大任いたつらに無用
の長物となりて安すへきをやすんし
おさむへきを治するのこと無稽の空談
におちぬへし《割書:予》医の家に生れて
幼より刀圭を事とししは〳〵人の

【左丁】
疾苦をすくふにかつておもへらく病を
見て薬をほとこしみたれたるを見て
これを征すこは人なみ〳〵の術にして其  

未病を療し未乱をおさむるの術こそ
いにしへ聖人の教にしもあらんいてや其
未乱未病を治むるてふことはいかんとしも

【右丁】
いふに身をたもち性をやしなふの術
これか右にいつるものなく是を尽し
しかうして非命の死をまぬかれぬる
ものあらんはまた司命の任なりなむと
わか幼童と喫茶の間そのあらまし
あけつらふをもとよりこれを大方の

【左丁】
君子にそなへむとする業ならされは
文字鄙俚をえらはすみたりにかいつけ
ぬるになむそも〳〵此道を尽して
人の疾苦をまぬかれ人身を持する
の術ならは忠孝全く成し
国家万一の恩に謝して《割書:予》か天職を

【右丁】
奉するの一端ともなりなむかし
かゝれはまた《割書:予》かつたなきを嘲られむも
恥すといふことしかり時は
寛政十年戊午の冬
       山口重匡識

【左丁】
こけぬつえ目録
   巻之上
天(てん)         地(ち)
陽(よふ)         陽(よふ)之 性(せい)
陰(いん)         陰(いん)之性
陰陽(いんよふ)相得(あひへ)て働(はたらき)をなすの理
人身(じんしん)の上(うへ)にて陰陽といふ事
人は一箇(いつこ)の小天地(せうてんち)といふの理
陰陽 相反(あひはん)して働をなすの理
息(いき)といふ事     命(いのち)の事

【右丁】
長寿(てうじゆ)短命(たんめい)之 論(ろん)     心の事
心を労(らう)する時(み)は身を傷(そこの)ふ事
養生(よふぜう)といふ事      房事(ばうじ)
陰虚火動(いんきよくわどふ)の理      人身 虚実(きよじつ)の事
平生 養生(よふぜう)心得(こゝろへ)の事
薬を用る心得の事
   巻之下
正気を撃(うち)て急(きう)を救(すく)ふ説
一切の薬種(やくしゆ)用様(もちひよう)により薬となりまた毒(どく)となるの理
熱(ねつ)

【左丁】
発汗(はつかん)の薬(くすり)を用る時(とき)汗(あせ)の発(はつ)し様の事
薬を服(ふく)し様の事
疫気(ゑきき)の事
養生を守(まも)る時は流行(りうかう)の病をうけぬ事
病中(びよふちう)心得(こゝろへ)の事   病後(びよふご)心得(こゝろへ)の事
急に治して宜敷(よろしき)病また急(きう)に治(じ)して不宜(よろしからざる)病の事
病(やまひ)を治(じ)するに両様(りよふよう)有の事
痛(いた)む腫物(しゆもつ)はよく痛(いた)まざるはよからざる事
熱病(ねつびよう)の後(のち)うつとりとなるの理
乱心(らんしん)するの理    国(くに)によりて病の異(こと)なる事

【右丁】
湿病(しつびよふ)の事       遺毒(いどく)胎毒(たいどく)の事
初生(うまれたる)小児(せうに)やしなひやうの事
痘瘡(とうそう)の事       麻疹(はしか)の事
起居(ききよ)動作(とふさ)をせざる人は多病なる事
魚肉(ぎよにく)滋味(じみ)膏梁(かうりよふ)を食して気力(きりよく)を増(ま)しまた病を発(はつ)
する事         留飲(りういん)之事
平生 食(しよく)する心得(こゝろへ)の事
味の厚(あつ)きものを食する時は急(きう)に空腹(くうふく)にならず麤食(そじき)
をする時は空腹(くうふく)になる事 早(はや)きの理
五味(ごみ)の説(せつ)       甘味

【左丁】
辛味          苦味
酸味          鹹味
酒(さけ)の性(せい)幷に酒の用(もち)ひ様(よふ)の事
味同しけれども性(せい)かはれは能(のふ)を異(こと)にする事
薬を不用して病を治する法
生涯(せうがい)歯(は)をかたふするの術(じゆつ)
灸(きう)の事        針(はり)の事
無病の術

    目録畢

【右丁 白紙】

【左丁】
こけぬつえ上      平安  山口重匡 著
上古(でうこ)の人は天理(てんり)にしたがひ自然(しぜん)に任(まか)する故に齢(よはひ)長(ながふ)
して病者(やむもの)すくなくやゝ其後にいたり病者有りと
いへどもいまだ医薬(いやく)の事なきが故に僅(わづか)に咒(まじなひ)などにて
病苦(びよふく)を逃(のが)るゝ事 多(おゝ)かりしとなん降(くだ)りて中世(ちうせい)に
いたり病者(びよふしや)多きにより漢土(もろこし)より医書(いしよ)わたり種々(しゆ〴〵)
の医療 行(おこな)はるといへども後世(こうせい)ほど病者 多(おゝ)くなる事
是いかなる故ぞといふに皆これ養生(よふぜう)を不守(まもらざる)が故也此
養生の道を守るときは天理にしたがふが故に無病(むびよふ)
壮実(そうじつ)にして而も長寿(てうじゆ)に養生をまもらざる時は陰陽(いんよふ)

【右丁】
の理に逆(さか)ふが故に多病にして而も短命(たんめい)なりかく
寿夭(じゆやう)【左ルビ:ながいきわかしに】は外よりなす事にあらず皆 己(おのれ)よりする処
なるを知り此養生之道を行はゝ又是 脩身(みをおさむる)之 大(たい)
本(ほん)にして事君(きみにつかへ)事親(おやにつかふる)も我身全からずんば忠孝(ちうかう)
いづれの時かつくすへきまた身体髪膚受之(しんたいはつふこれをふぼに)
父母(うく)不敢毀傷孝之始也(あへてそこなひやぶらざるをかうのはしめとす)又敬身為大身也(またみをけいすることをおゝいなりとす)
者親之枝也(みはおやのゑだなり)【ママ】とのたまひて我身は則父母の遺体(いたひ)【左ルビ:のこし給ふからだ】
にして即(すなわち)今(いま)父母之者なるに養生之道を不守
して其身を全(まつた)くせずんばたゞちに不孝(ふかう)不忠(ふちう)の
目(もく)【左ルビ:な】をとりて天命にそむくの理なれば人々 務(つとむ)べき

【左丁】
の道なりしかうして其養生の道をつとむることは
いかなることをなして天理にしたがふといふに先そ
のはじめ天地陰陽(てんちいんよう)之理をさとし然して人身(ひとのみ)
の病の発(おこ)る事を知り我身のかく生て居(お)るは
いかゞにしてかゝるぞといふ事をしる是養生を
するの先務(せんむ)にて人として自(みづから)の身をしらざるは
まことに危(あやう)きのいたり自の身を知らずんば何を
か人に及(およぼ)す事あらんはた近来(きんらい)は功者(かうしや)といふ名(な)を
まうけ医(い)之 職(しよく)にもあらざる人にして重宝記(てうほうき)
手引草(てひきくさ)等の国字(かながき)の医書を読(よみ)或は一二の奇方

【右丁】
を聞覚(きゝおぼへ)また和漢(わかん)之書 若干(そこばく)を読たるもあれと
かの陰陽の理を曾(かつ)てしらず只みだりに彼(かの)病(やまひ)
には是薬を施(ほどこ)すとのみ心得て人を療する人
多く病家もまた是をうけがひて治を与(か)ふ
まことに闇夜(あんや)に弾丸(たんぐはん)を投(とう)ずるごとく人を害(がゐ)
するの甚(はなはだ)しき病家もまた是を不察(さつせず)終(つい)に非命(ひめい)
の死をいたす事身を不知の甚しき歎(なげく)べきの
事なりそも〳〵養生をして自の身をしる術
いかんといふに曰天地陰陽の源を知りて人身
陰陽の理に達し人身陰陽の理に達して

【左丁】
人身の病の発る理を詳(つまびらか)にし病の発る理を詳
にしてこれを治するの薬性(やくせい)を暁(さと)し或は予(あらかじめ)
これを防(ふせ)ぐの術(じゆつ)をしるかくのごときの次第を
よく弁(わきま)ふは生を養ひ命にしたがふの本にして
其事 遠(とふき)にあらずされども大かたの事只 其末(そのすへ)を
論(ろん)じて其元(そのもと)に及(およ)ぼさせればいづれの時か身を
全(まつた)ふする事を得んや《割書:予》こゝに於(おひ)ていさゝか
おもふ事有るがまゝに喫茶の余談(よだん)を爰に
記して我党(わがとふ)の童子にしめすといふこと
なりけらし

【右丁】
○天
天は陰陽の元(もと)無量不可思議(むりょふふかしぎ)のものにして其か
たち広大(かうだい)にして徳(とく)もまた大(おゝい)なるもの也是の理を
知らざるときは天といへは上の青き処をのみ天とおもへ
ども青きは不可思議の色にて天にそれとさし
たる色はなく無色(むしき)の色 極(きわま)りて蒼々(そう〳〵)【左ルビ:あを〳〵】の色をあら
はす是を近(ちか)くいへば水は無色のものなれどもその
積(つも)りて深淵(しんゑん)【左ルビ:ふかきふち】となるときは其色の青きがごとし
故に天は上ばかりを天といふにあらず土(つち)を離(はな)るゝ
処皆天にして天のはたらきを具(そなへ)ざるときは

【左丁】
万物に用なし其天のはたらきをいふときは万物
空(むな)しき処皆天なり万物此空しき処用にて
万 器(き)といへども実する時は用(はたらき)なし故に茶碗の内も
きせるのらうの内も針(はり)のみゝずの内も万物 用(はたらき)をな
す処は皆天の万物に具(ぐ)してそれ〳〵の用をなさし
むるものにて万物の用は悉(こと〴〵)く天の用也然てその
天の用を容(いる)る者は何ぞといふに則是地にて其地を
容(いる)るものは天なり天有て地なき時は万物を生(せう)ずる事
なく地有て天なき時は万物を育(いく)する事なく乾坤(けんこん)
相得て万物を生し育するを天地 同一(どういつ)とはいふなれ

【右丁】
されどまたこれを分けて其大小を論(ろん)ずる時は天は三千
世界のおほゐなるかごとく地は芥子(けし)壱 粒(りう)ばかりの小(ちい)さ
なるもの也扨また地は終(おわ)りありといへども天は始終(しじう)
なくして朽(くつ)る事なきもの也されどもかくいへば天は
虚(きよ)にしてなきものかとおもへどもさにあらず孟子(もうし)も
至大至剛(しだいしかう)【左ルビ:いたつておゝきくいたつてかたく】なりとて其体(そのたい)の広大なる事をいふ時は
日輪(にちりん)は地球(ちきう)に倍(ばい)する事百六十五 双倍余(そうばいよ)のものにて
この大なる日輪をはじめ其外 数多(あまた)の星辰(せいしん)の内にも
わきて大なる星は地球に九十双倍より百七双倍迄の
大なる星千 余座(よざ)を容(いる)るものにて其大さまことに不可測(ふかそく)

【左丁】
なり将(はた)其 地球(ちきう)はいかにといふに其一 回(くわい)凡一万二千五百里と
有りて是も広大なる者なれとも其地球を一 番(ばん)の天より
見る時は其大さ地より見る月より三双倍大きに見へ
四番の天より見る時は此地より見る太白星(たいはくせい)に一倍大きに
見へ五番の天よりは少【ママ】さき星程に見へ六七番の天よりは
曾(かつ)て見えずとありてその広大にして高き事かく
のごとし扨其一天々々の高さ厚(あつ)さをもいかにといふに算(さん)
法(はう)をもつてはかれども九番十番の天に至りてはいく
ばくとしも知られずとなん誠(まこと)に無量不可思議といふ
べしさて天の至剛(しかう)なる事いかにといふに鉄石(てつせき)も及ぶべ

【右丁】
からずこれを切(き)れどもきれずこれをうごかせども不動(うごかず)
その天気の盈(みち)てするどなる事をいふ時は石を水中に投(とう)
ずるに天気其石にさそわれてしばらく水中に入る時上に
水おふはるゝが故に底(そこ)よりあはとなりて其気天に皈(き)
し或はまた水滴(みづいれ)のごとき小器(せうき)にて一(ひ)と口(くち)の器(うつは)には天気
かたく盈(みち)たるが故に水入る事なく両口(ふたくち)の器(うつは)に容(い)る時は
一方の口よりは天気去る故にその水器に入るかく天気
のすみやかにしてしかも不息(やまざる)ことを見るべし
○地
地は下なるものなりとおもへどもさにあらず地は天中

【左丁】
にありて渾天儀(こんてんぎ)にて見るごとく上下左右
天にして地は天の中央(ちうわう)に有るものにてたとへば
鞠(まり)を虚空(こくう)にけあげて不落(おちざる)がごとし扨此地
の象(かたち)はいかなるものぞといふに円(まろ)きものなり
其故は天にかたちはなしといへども畢竟(ひつけよふ)は
天のかたまりにして天より生したる地なるが
故に其地の象 円(まろ)ければ天の円き事もしらる
然(しかう)して此地中央に有りて万物を載(の)するに
其かたちまろきものといはゞ下になる地は下へ
落 横(よこ)になる地も下へ落(おつ)べきに何故不落と

【右丁】
云に此不落の理は地球中の真中(まんなか)に地心と
いふもの有りて四方の物を其地心へ引く気を
そなへたるものゆゑ此地心の一気(いつき)にて上下
左右の物落る事なし其故は日本も北極(ほつきよく)の
度数(どすう)にて見る時は余程(よほど)北へ下りたる所(ところ)なれ
ども地上の物の北へ落る事なきは是地心の
一気にて落さる事を知るべし今左に
これを図(づ)す
 地の天中に有て   万物地心をさして
 不落の図      落ゆくの図

【左丁】
【小さな同心円を持った大きな円が上下に二つ描かれている。其中に書かれた文字】
      上

 
  天                  天
                       【注】
上      地心      上          地心




      上
【注 「注」の文字の位置から時計回りに】
地球之一回一万六千二百里

地の円きをいふときは舟(ふね)にて外海(そとうみ)へ出て渺々(ひよふ〳〵)と
して限(かぎ)りなき海上(かいせう)にして四方を見るにものなし
然るをはしり走(は)するときは終(つい)に山を見出すが

【右丁】
ごとし是にて円き地を廻(めく)る事を知るべし
故に足合(そくかう)の国(くに)とて図(づ)のごとく上下足を合すの
処にても落る事なきは地心の一気にてする
所なり
○陽
陽の元(もと)は日輪(にちりん)也故に日をさして太陽といひまた
これを火の元(もと)とす故に火の上へもゆるは其 本位(ほんゐ)に
皈(き)するのすがた也然れども火は上へもえ水は下(しも)へ流(なが)
るゝとばかりおもへども実に火は上より引(ひ)き水は下
より引ものにて上へ引き揚るは陽の性(せい)にて此陽

【左丁】
の人に寓(くう)【左ルビ:やとる】するは人 生(うま)れてはじめ声(こへ)を発(はつ)するとき
心肺(しんはい)の橐籥(ふい[ご])初めて相摩(あひま)【左ルビ:すれあひ】し死するの夕(ゆうへ)に至(いた)る
まて其ふいごやむ事なく此 橐籥(ふいご)にて陽気を生
するの理はたとへは金石(かねいし)相撃(あひうつ)て火を生ずるがことき
もの也然して此陽気は血に乗(の)りて総(そう)【惣】身(しん)をめぐる
ものにて人身 温暖(うんたん)なるは則此陽の徳にて陰の
血に寓(ぐう)して陽のはたらきをあらはす也故に人(ひと)心([し]ん)
肺全(まつた)しといへとも陰血を亡(ほろぼ)す時は陽気 寓(ぐう)する事
あたはざる故に死に至(いた)るなり
○陽の性

【右丁】
陽の性は上へ引くが陽の性にて其理をいふ時は暑
に中(あた)り怠隋(たいた)《割書:身のだる|さをいふ》するも過酒(くわしゆ)【左ルビ:さけのすきたる】の翌日(よくじつ)怠隋するも
同理にて暑にあたり怠隋するは夏は日輪 頭上(づせう)に
至りて陽の引き強(つよ)き故 表(そと)の守りおろそかなる
時は日輪の陽にひかれて人身怠隋するなり
人は陽の一気を元(もと)として働(はたらき)をなすもの故内より
作(つく)る陽気と毛孔(けのあな)より皈(き)する陽気と同し都合(つがう)に
こしらへたるもの也然るに内より作(つく)る所の量(りよう)より
も是を外に引(ひく)事甚しき時は必怠隋するなり
過酒の後怠隋するも内より酒の雇(やとひ)陽気にて急(きう)に

【左丁】
推(おし)出す故に陽気も酒力におされて天に皈(き)【左ルビ:かへる】する
故に跡は必怠隋する也陽の性外よりひかるゝが
内よりおし出すかの違(ちが)ひなれども天に皈するの
一理かくのごとしと知るべし
○陰
陰の元は土也故に万物 象(かたち)有るもの皆土に皈せすと
いふ事なく是地心へ皈するの理にて万物土より
出たるもの故に本位(ほんゐ)に皈するのすがた也即かたち
といふ和語(わご)かたつちといふ義にて土の事にて万物
目に見ゑかたちをあらはしたるもの土にあらずといふ

【右丁】
事なく器物(きぶつ)にかぎらず活物(くわつぶつ)【左ルビ:いきもの】といへども物と名の
付たるものは皆土地 強(しい)ていふときは人も死しての
後土の名を得るにあらず即今(そくこん)土にてしかも働(はたらき)
をなすの土とおもふべし土の事を委敷(くわしく)いふ時は
至て広大(かうだい)なる故に書つくしかたし先あらまし
を記(しる)す
○陰の性
陰の性は下へ引くが陰の性にて其理をいふ時は
人寒気に中(あた)る時はからだ【左に:身】の痛(いたむ)も外より下(さが)る寒気
にて升(のぼ)る陽気をおさゆる故に陽気(よふき)鬱屈(うつくつ)【注】して

【左丁】
いたむなり《割書:人身の痛といふは陽気の|行当る処有時は痛を知る》寒は陰なるが故に人身
の表より胃(い)中をさして入る是土に皈(き)するの理に
して胃は《割書:脾胃|をいふ》人身の中 央(わう)にありて地の天中に
有るがごときものにて上下左右より胃中をさし
て入る是地心をさして皈(き)するの理也故に寒邪
の人身に附(つい)て四方より胃中をさして入るは万物(はんもつ)
の地心をさして土に皈するの理なり
○陰陽 相得(あひへ)て働(はたらき)をなすの理
陰陽相得て用(はたらき)をなすの理は陰なくしては陽の
はたらきなく陽なくしては陰のはたらきなきもの

【注 欝は俗字】

【右丁】
にて易(ゑき)の陰【記号】(陽)陽【記号】(陰)の卦(くわ)を見るに陰中に一陽あり
陽中に一陰ある事かくのごとくなる時陰陽相得て
用(はたらき)をなし又天【記号】地【記号】の卦は如此 独(どく)陰独陽と
なるが故に相争(あひあらそ)ふ事なし故に水も寒中になり
て氷るときは水の用(はたらき)なし是陽を失(うしなは)んとするが
故なり火も暑中には勢(いきお)ひ弱(よは)し是陰を失んと
するが故なり故に乾(かわ)ける物には水を引き朽(くち)たる
木に火のもへざるもこれ水気なきが故に火気を
たもちかたし是陰陽相得てはたらきあるの理也
扨陽より陰を引くの理はしめりたるものを日の

【左丁】
照(て)らす処におけは水気 湯気(ゆげ)となりて天に登る
然るに其湯気の升るを塗りもの抔(など)を持(もち)て上に
覆(おゝ)ふときは水気其覆ふものにたまる是水気を
日輪に引くの理也扨また能(よく)乾(かわき)たるものを土(つち)の上(うへ)
におく時其乾きたるもの必しめるなり 是 乾(かわ)き
たる物へ水気を引くにあらず天に引也然れども
其処に乾たるもの有故其物に先水気を引く
其水も気はかりにて象(かたち)をなさざる時は日輪をさし
て登れともいさゝかにてもかたちを結(むす)ふ時は忽(たちまち)雨(あめ)
となりて地に皈する是 自然(しせん)の理なり

【右丁】
○人身の上にて陰陽といふ事
天地の上にて陰陽をいふときは日輪(にちりん)ばかり陽に
して余(よ)は皆陰也故に人身の上にても陽気(よふき)《割書:からだのあたゝ|かみをいふ》
の外は皆陰なれとも人身の上にて陰陽とわかちいふ
ときは血(ち)と液(うる)ひをさして陰と云ひ温煖(あたゝかみ)の気をさし
て陽といふなり其陽気の人に寓(くう)【左ルビ:やど】するは人生れて
元気(げんき)口(くち)鼻(はな)に出入するとき肺の臓 縮張(しゆくてう)【左ルビ:すぼまりはる】して心肺
相摩【左ルビ:すれあひ】し《割書:是心肺すれあひてふいごの|風をせうするがごとし》温煖の気を生ずる是を
名ずけて陽といふたとへは金と石と相うちて火を
生ずるがごとししかうして其陽気の周身にいたる

【左丁】
は人生れたる時いまだ飲食せされども胎中(たいちう)にて母
よりわかちたる血有る故心臓より直に陽気其血
に乗(の)りて一身をめぐる是陰を得て陽めくるなり
其後は飲食する処のもの胃中にいりて消化(せうくわ)し其
精微(せいひ)【左ルビ:きつすい】の津液(みづけ)を心の臓におくれは陽気をもつて蕩
摩し血となる血の赤きも則陽の色なり故に
人身の心肺は陽の元 脾胃(ひい)は陰の元なり心は胃中
よりおくる処の血をもつて陽をめぐらし脾は心
よりおくる処の陽気をもつて飲食する処の
水穀をむしなして陰を生する是陰陽相得て

【右丁】
用をなすの理なり故に陰といふは一身をうるをし
養ふをいふ是則 血(ち)と液(うるおひ)の事也是を天地の上にて
いふときは温煖(うんたん)の元は陽にして日輪(にちりん)なり血液(けつゑき)の
元は水にして月輪(けつりん)也 骨肉(こつにく)の元は土(つち)にして地球(ちきう)
の位也かくのごとくなる故に人身の上にてこれを
分(わか)つときは大に大小有り陽の元は日輪なるが故に
其大さ一回(ひとめくり)凡二百十三万二千四百十九里の余と有り水の
元は月輪にして其 大(おゝい)さ一回凡三百二十六里の余また
地球(ちきう)は骨(こつ)肉の位(くらい)にして其一回一万二千五百里と有り
かくのことくなる故に大小の位を分つときは日輪は月に

【左丁】
六千四百七十三双 倍(はい)の余大にして地球(ちきう)は月に三十
九双倍大なるものなりかくのごとく陽はいたつて大なる
ものにして周身(しうしん)にゐたらざる処なく血液も水の
位にして小なれども其うるおひの周身にいたら
ざる処なし此陰陽を骨肉の器(うつは)にうけたもちて
用(はたらき)をなす故に地球は日輪よりは小なれとも月輪
よりははるか大なるものなりかくのごとく日月はいた
つて大小なれども此地球より見る時は相 等(ひと)しく
見ゆるごとく天の一元の徳をもつて相位して
用(はたらき)をなせるものなれば人身もまた此陰陽 過不及(くわふきう)【左ルビ:すきふそく】

【右丁】
なく位したるを無病の人とはいふべし
○人は一箇(いつこ)之 小天地(せうてんち)といふの理
古今人身の理を論(ろん)するに人は一箇の小天地と云
事有りてこれをくわしくいふときは四肢百骸(ししひやくかい)は天地
のごとくおの〳〵其位を守りて違(たか)ふ事なく頭(かしら)は
上に有て其位を守り手は次に在りて其位を
守り足は下に有りて其位を守る是天地位して
違(たが)ふ事なきがごとし又一身を地の位にしていふ
ときは地は万物を生(せう)ずるを性とする故に人をはじめ
禽獣(きんじう)草木(そうもく)有りて面部(めんふ)を人 倫(りん)とし手足を禽獣(きんじう)

【左丁】
虫魚(ちうきよ)とし爪甲(しかう)【左ルビ:つめ】毛髪(もうはつ)【左ルビ:け かみ】は非情の草木のことし又一身
を天地に統(すへ)ていふときは両眼(りよふがん)を日月とし陽気を
火とし血液を水とし肉を土(つち)とし骨を石(いし)とし肌(はだ)
膚(へ)を金(かね)とし毛髪(けかみ)を草木とし耳(みゝ)鼻(はな)舌(した)をはじめ
四支(てあし)を有情のものとす又一身を君臣(くんしん)にたとふる時は
眼(かん)耳(に)鼻(び)舌(ぜつ)は君のごとく手足は臣(しん)【左ルビ:けらい】のごとし其故は
眼耳鼻舌のさだめを以て命(めい)ずる時は四肢 意(こゝろ)のまゝ
に慟(はたらき)をなす扨此眼耳鼻舌をはじめ四肢百 骸(かい)をは
たらかすものは何ものなるぞといふに是則心にて
是を天地の上にていふときは則一元気なり其一元

【右丁】
の気をもつて陰陽相 和(くわ)し百 骸(かい)を養(やしの)ふ又天地
の上にても陰陽相和するときは寒熱(かんねつ)相得て万物(はんもつ)
養(やしな)はれ一身の上にて陰陽相和するときは一身
安寧(あんねい)也 譬(たとへ)は天旱(てんかん)【ひてり】数月(すけつ)なる時は陽気 偏勝(へんせう)して
川流(せんりう)の水気(すいき)乾(かわ)き人身の上にて血液をほろぼす
ときは陽気 偏勝(へんせう)して火動(くわどう)をなす是を火の
亢(こうぶ)るといふ又 霖雨(りんう)数旬なる時は偏勝して水
気多きがごとく人身の上にては陰 有余(ゆうよ)の病
にて水腫(はれ)病(やまひ)或は婦人(ふじん)経閉(けいへい)のごとく天地の間にて
も陰陽偏勝するときは疫癘(ゑきれい)の気行れ人多く病(やみ)て

【左丁】
非情の草木まても茂熟(もしゆく)する事なし
○陰陽 相(あい)反(はん)して人身の働(はたらき)をなすの理
人は一箇(いつこ)の小天地なるが故に清(す)めるは升(のぼ)りて天と
なり濁(にご)れるは下りて地となるの理にて陽は上
に位(くらゐ)し陰は下に有りとおもふべからず是ははじ
めにもいふごとく天地の定位(でうゐ)にて其陰陽は升降(せうかう)【左ルビ:のほりくたり】
開閉(かいへゐ)【左ルビ:ひらきとづる】の気をもつて天地 造化(ぞうくわ)の用をなすもの
にて人身もまた其ごとく胎中(たいちう)にてかたちを
結(むす)びしより陰は上になり陽は下になりたるもの
なり故に升(のほ)らむとする陽気を閉(とぢ)降(くだ)らんとする

【右丁】
陰をたもちて人身のはたらき有るものなれ然れ
ども陰陽の性をいふときは天地 開闢(かいひやく)より陽の性は
上に引揚るが性なる故に人食をほしゐまゝにして
起居 動作(とふさ)をなさずといへとも人身の陽気は日夜(にちや)
毛孔(けのあな)より発越(はつゑつ)【左ルビ:ぬけいつる】して天に皈する故に時にして
空腹(くうふく)になり陰(いん)もまた天地 開闢(かいひやく)より陰の性は土
に皈せんとするか性にしてたとへは上下より相ひくか
ことく此ひつはり切るゝ時は陰陽おもひをとぐる
故に陽は天に皈し陰は土に皈し尽(つく)す故に人
死する也故に人の生るは清(すめ)るは升(のぼ)らんとし濁(にこ)れ

【左丁】
るは降(くた)らんとしてこそ人身のはたらきはあるべけれ
いままたこれを近(ちか)くいはんに陽(よふ)は升(のぼ)り陰は降るか性
なれども夫にてはたとへば物を煎(に)るに火を上にして
水を下におくは天地の定位(でうい)にて清めるものは升(のぼ)り
濁れるものは下るなれどもかくのごとくにては終に
水湯となる事なく是則陰陽 反(はん)して湯(ゆ)となる
の理なり人倫(じんりん)鳥獣(てうじう)草木(そうもく)の生長(せいてう)するも此理(このり)にて
地心の陰よりは下へ引く故に根(ね)有りまた太陽(たいよふ)の
陽(よふ)をもつて上へ引く故に枝葉(ゑだは)天に聳(そび)ゆ是下る
津液(しんゑき)《割書:水けの|事なり》を上へ引き上るは陽気其陽気をおさゆる

【右丁】
は津液(しんゑき)にて上下(うへした)より相引(あひひく)がごとく人も其理にて
生長(せいてう)する故に人(ひと)食(しよく)を絶(せつ)【左ルビ:たつ】するときは死す是の升(のぼ)る
陽気をおさへざる故陽気天に皈(き)して死(し)する也
人にかぎらず生あるもの各陰陽相 反(はん)して生て
居(ゐ)るといふ事を知るべし
○息(いき)といふ事
息といふ字は自(みづから)の心(こゝろ)と書(かき)て息(いき)と訓(くん)す則 呼吸( こきう)の
気をいふ人 生(いけ)るの本なりいきと訓するも生(いき)と息(いき)と
の和訓相 通(つう)ずる故いきと訓ずるか一 切(さい)の活物(くわつふつ)は皆(みな)息
にて生て居る事を知るべし此息のもとは元気(けんき)

【左丁】
なり天に有りては元気といひ人に有りては息(いき)と
いふなり故に呼吸(こきう)の往来を閉(とづ)るときは忽(たちまち)死(し)す爰に
其理をいふ金(かね)を堀(ほ)るもの地(ち)に入る事 深(ふか)くして
天気(てんき)の往来(おゝらい)せざる処まで堀り入る時は灯火(ともしひ)忽
消(きゆ)る火消る時は人も忽死するとなり是元気の
往来を閉る故に呼吸を絶する也故に迴風路(くわいふうろ)と名
付て穴の内に瓦(かわら)の筩(つゝ)をならべ敷(しい)て天気の往来を
なさしむ是(この)理を近(ちか)く知るには虫(むし)をとりて一器(いつき)に
入れて蓋(ふた)をかたく閉其ふたの口を帋(かみ)にて張(は)る
ときは其器の内元気の往来を閉る故に内なる

【右丁】
虫の呼吸を絶して虫の死するも是息をきるの理
にて元気に離るゝ也火のきゆるも其理にて器(うつは)に
納(いれ)て上よりふたを閉元気の往来を絶(たつ)ときは忽火
消ゆ是火の息をとむるが故なり一切の者を生(せゐ)々
する事此理にて考(かんが)へ知(し)るべし
○命(いのち)の事
天の元気を人に賦(ふ)【左ルビ:しく】する事 命令(めいれい)する処有るがごとき
故にこれをさして命といふ則 息(いき)の事なり故に
息 絶(たゆ)る時は命 尽(つく)るにいたるしかうして此息の初め
て人に通するは人 生(うまれ)て初声(はつこゑ)を発する時風気 鼻(はなの)

【左丁】
孔(あな)より入る其とき肺(はい)の臓 張(は)り又其気を口より出す此時
に肺の臓 縮(しゝ)まる此出入りの気を名付て呼吸といひその
呼吸せしむるものを名付て元気といふ此事傷寒
外伝にも見へたり扨此元気は天地の間に固(もと)より
有るものにて人のいまだなき以前より有て古(いにしへ)も
今もかはりはなきもの也是を蝋燭(らうそく)に火を灯(とも)すに
たとふる時は蝋燭は人火は命(いのち)にて其蝋燭を立ならべ
次第に火を灯(とも)すに其火の光(ひか)り先(さき)の火後の火とて
火に変(かわ)りはなきがごとく人の命もいにしへの命今の
人の命と命に変(かわ)りはなしされと其蝋燭のよきと

【右丁】
悪敷(あしき)によりて寿夭(じゆよふ)【左ルビ:ながいきわかじに】有るなり古への人は蝋燭の美(び)
なるがごとく天理にしたがふ故に火の光りよく長(なが)く
灯(とも)る今(いま)の人は蝋燭の悪敷(あしき)といふは天理の養生
を不守して風の吹処雨のそゝぐ処をもえらまず
灯す故に天然のらうそくを灯しつくさずして
たち消(ぎ)へするがごとし或(あるひ)はまた先天(せんてん)の遺毒(いどく)にて
父母よりつけおくりの悪敷も有りて火の灯り
よろしからずしてはやく消(きゆ)るもあり故に自身
に蝋燭のよきと悪敷を知りて風雨(ふうう)を凌(しの)ぎて立(たち)
消(ぎへ)のせざる様(よふ)にする時は天の命(めい)ずる齢(よわひ)は保(たもつ)事 全(まつ)た

【左丁】
かるべし
○長寿(てうじゆ)短命(たんめい)の論(ろん)
むかしの人(ひと)は命ながくして百 歳(さい)の寿(じゆ)を保(たも)てる人
多(おゝ)かりしを後世(かうせい)に至(いた)りては長寿を保(たも)つ人の鮮(すくな)きこれ
いかなる事ぞといふに論語(ろんご)に人之 生(いける)也(は)直(なを)ければなり
罔之(しいて)生(いける)也(や)幸(さいわい)而(にして)免(まぬかれ)たるなりとのたまひしを養生の
道にとりていふ時は此(この)直(なを)きといふは我身(わがみ)にすこしも
私(わたくし)なく直(すぐ)に曲(まが)らざる様(よふ)にするを直(なを)しといひ扨 此(この)
直(なを)きを守る時は各 長寿(てうじゆ)なれども多(おゝ)くはこれを不守
が故に短命(たんめい)なり扨此直きといふは甚心 易(やす)き事

【右丁】
にて務(つと)めてなす事にあらず人々 生(うま)れながらを
直(なを)きと云也 中庸(ちうよふ)に《振り仮名:天命之謂性率性之謂道脩|てんのめいこれをせいといふせいにしたがふこれをみちといふみちに》
《振り仮名:道之謂教|したがふこれをおしへといふ》と有りて人は天の命によりて生れたる
ものなれば私(わたくし)に生(むま)れたるものにあらず故に此率性(このせいにしたがふ)を
直しといふなり扨此性にしたがふといふ事はいかなる
事ぞといふに只天理にしたがふをいふ此天理にした
がふといふは身の程を知(し)り過分(くわぶん)の望(のぞみ)をやめ各(おの〳〵)の
職分(しよくぶん)を守り其外(そのほか)をねがはざるは養生の大意(たいい)に
して率性の極(きよく)とす扨一切の者 有情(うぜう)非情(ひぜう)の禽(きん)
獣(じう)草木(そうもく)にいたる迄性にしたがはざるものなし馬(むま)の

【左丁】
牛(うし)に似(に)たる事をなさず鳶(とび)又からすの業(わざ)をなさず
草木(そうもく)も皆々かくのごとく是(これ)皆(みな)性(せい)にしたがふのすがた
なり人も人の性にしたがふときは道なれども人には
私心(しゝん)といふもの出来(でき)て兔(と)角(かく)其性にしたがひがたき
故に教(おしへ)の道をもふけて性にしたがはしむる爰(こゝ)に養生
といふもこれまた教(おしへ)なりされども聖賢(せいけん)の道といへども
外(ほか)に有るものにあらずして吾(われ)に固(もと)より有処の道を
教(おしゆ)る事也 然(しか)るに其(その)我(われ)に固(もと)より有る処の道なるに
何故其道を失ふぞといふに其 私心(ししん)の強(つよ)くなるに
より其道を失ふものにて私心とは天よりうけ

【右丁】
得たる心に非(あら)ずわたくしになしたる心也然して
此私心の出処いづくなるぞといふにもと本心より
出てその生(むまれ)ながらは性善(せいせん)なるものにて水にたとふ
る時は清き水のごときものなれどもかの人欲(じんよく)人我(にんが)の
泥土(ていど)【左るび:どろつち】塵芥(じんがい)【左ルビ:ちりほこり】を以(もつ)て濁(にご)らしこの心の全体(ぜんたい)は天より
得(へ)たる同一体(どふいつたい)なれともこれを曲(まげ)てたもつ故に私心
といふ是(これ)を近(ちか)くいへば盗(ぬすみ)をなすは悪(あし)きとおもふは
人の天性なれども宝(たから)を欲(ほつ)するの余(あま)りには其性を
曲て賊(ぞく)をなす是私の心なり故に万事此私心にて
取捌(とりさばく)事は悪敷 真(まこと)の心にて為す事は善(ぜん)なれば

【左丁】
とかく此私を去り真の心を用て行ふ時は率性
の理なるが故に養生にもかなふべしすべて一切の
心を労(らう)し身を苦(くる)しむるの本は皆此私心より
おこる事多し此私心を去(さ)り真(まこと)の心を用て事を
なしたるに其上にも害(がゐ)に逢(お)ふは天命といふもの
にて聖人(せいしん)もしば〳〵厄(やく)せられ給ひしと同じけれ
ば只此私心をさり足(た)る事を知(し)り身分(みぶん)不 相応(そうおう)の
事を不願は自(おのづから)性(せい)にしたがふの理にかなふが故に心も
ほがらかにして無病長寿なるべし若また此理
に背(そむ)く時は多病にしてしかも短命(たんめい)なるべし是を

【右丁】
あやつりの人形にたとへば人形を人にたとへ遣ふ者を
天(てん)にたとふる時は人形はもと無心なる者故に天のつかふ
者に任(まか)せ居(お)る故に難(なん)なかるべきを然(しか)るに其人形私を
おこして働(はたらき)をなす時は天理(てんり)に背(そむ)く故に天よりつかふ
処の糸(いと)にみだれをなすが故に大(おゝい)に苦悩(くのふ)しされども
みだれをしらざるが故に無理に動(うごか)んとして段々(たん〳〵)なや
み煩(わづら)ひ終(つい)には其糸きれておのれとたおれたるを是
天命といへるがごとし人々不養生にて身(み)を亡(ほろぼ)し
非命(ひめい)の夭死(わかしに)をなすも全(まつた)く是(これ)に近(ちか)きものか故に
天理のつかふまゝにするを養性とも率性(せいにしたかふ)とも

【左丁】
いふなり
 或人(あるひと)問(とふ)人養生の道を守るときは長寿なりと
 いへども養生の守りよき人に短命(たんめい)なる有又たま
 〳〵養生のまもり不宜(よろしからざる)も長寿(てうじゆ)なるはいかにと《割書:予》
 答(こたへ)て云これ誠(まこと)に容易(よふい)の談(はなし)にあらずといへども略(ほゞ)
 其理(そのり)をいはん人は百年の齢(よわひ)を保(たもつ)べきものなれども
 天理に背(そむ)くが故に短命也されば其養生を守りて
 短命也といふ理は曾(かつ)てなしといへども多(おゝ)くは養生
 の道にふけりて只 慎(つゝしむ)む【衍】をのみ養生とおもひその節(せつ)に
 不及が故に皆養生の道にそむくこれを以てみれは

【右丁】
 みだりに不及する故に短命なるも有べく又実に
 養生のまもりよきといへども生質(せいしつ)虚弱(きよじやく)の上 遺毒(いどく)胎(たい)
 毒(どく)のわざにて短命なるもあるべし又養生の守り
 不宜して長寿(てうじゆ)なりといふ理は曾てなき事にて
 初(はじ)めにもいふごとく多(おゝ)くは慎をのみ養生と心得る故
 其意に背(そむ)くにより夭死(よふし)を招(まね)くこと多(おゝ)しまた
 もとより養生は人々の節(せつ)を守るにありて世人(せじん)
 の見(み)る処(ところ)にては大過(たいくわ)して不養生と見ゆれども
 これ其人の節(せつ)に当(あた)りて長寿(てうじゆ)を保(たも)てるもあるべ
 くまた生質(せいしつ)壮実(そうじつ)のものにて実に不養生にて八十

【左丁】
 迄も生しもの此人もし養生を守る時は百歳(ひやくさい)の
 余(よ)にも極(きわ)めていたるべきならむ故に養生を守り
 ても短命(たんめい)にて不守しても長寿なりといふは
 曾(かつ)てなき事にて只我にうくる処の器(うつは)によりて
 彼人の過(くわ)は是人の不及に当り是人の不及は彼人
 の過にも当れば只 我節(わがせつ)を知る事養生の大意(たいい)
 なるべし
○心(こゝろ)の事
養生の本は心を養ふ事を専務(せんむ)とす然るに其心は
人々一身の主宰(しゆさい)とするものなるを其理を不知して

【右丁】
みたりに心を労(らう)し身を傷(そこの)ふ事をなす孟子(もうし)も
《振り仮名:人々有貴於己者弗思耳|ひと〳〵おのれにたつときものありおもわざるのみ》といへりこの己(おのれ)にたつ
ときものといふは心の事にて霊妙(れいめう)不思議(ふしぎ)の貴(たつと)き
ものなれども人 多(おゝ)くこれを正(たゞ)しうする事をしらず
もとよりこの心といふものはかげもかたちもなきもの
にてこれを何(なに)の故に心といふ名(な)有りといふに人の
心(しん)の臓(ぞう)は一身の内にて至(いたつ)て大事なる臓故其名に
よそへて心(しん)といふ然れども其心の元有てその元(もと)を
知らざれはこの心を知る事かたく其心の元は天地
陰陽 未発(いまだはつせざる)の以前より固有(こゆう)【左ルビ:もとよりある】のものにて日月の天(てん)に

【左丁】
懸(かゝ)り地の天中に有りて不落(おちざる)も皆是心の元の
徳(とく)にてなす是を天の一元といふ也又 釈氏(しやくし)に三界(さんがい)
唯一心(ゆいいつしん)といふも此天心の霊妙(れいめう)不思議(ふしき)なる徳をさし
て三界(さんがい)ともに唯(たゝ)一心なりといふことなり其一なる理
をいふときは寒き時は人皆 寒(さむ)きと覚(おぼ)へ熱(あつ)き時は
人皆 熱(あつ)きと覚(おぼ)へ喜(よろこ)びを見れば喜(よろこ)び憂(うれい)を見れば
憂(うれ)ひ怒(いかり)を見れば怒(いか)る是唯一心の用(はたら)きたしかなるしる
しにて日月星辰 森羅万像(しんらばんぞう)唯(たゞ)一心にて其本一也
亦其徳の蜜(みつ)なる事をいふときは人倫(じんりん)鳥獣(てうじゆう)魚鼈(ぎよべつ)
草木(そうもく)にいたるまでもらさず養(やしの)ふこれを大海の水に

【右丁】
たとふるにいかなる大魚(たいぎよ)といへども大儀(たいぎ)にもおもわず
養ふがごとし然れども人(ひと)は空中(くうちう)に住(すみ)て空(くう)を知ら
ず魚は水中に住(すん)て水を不知といへるごとく此(この)徳(とく)目(め)
に見へぬ故不知也いかんとなれば其(その)本元(ほんげん)声臭(せいしう)【左ルビ:こへ におひ】なく
限量(げんりよう)【左ルビ:かぎりはかり】なく私慮(しりよ)分別(ふんべつ)を離(はな)れたるものなるを以て
孟子も至大至剛(しだいしがう)なりといゝ又 難言(いゝがたき)といふも此事
なり斯(かく)のごとく霊妙(れいめう)不思議(ふしぎ)なる徳を人にうけ
たる故に衆理(しうり)をそなへて万理に応(おゝ)ずるの徳有り故
にまた其名を主宰(しゆさい)とも本心とも又 仏家(ぶつけ)には仏(ぶつ)
性(せう)とも本来 面目(めんもく)ともいふかの明徳(めいとく)といふも其心の

【左丁】
明らかなる徳(とく)をほめたる名(な)にて其心の人に具(そなは)るは
未生(みせう)の前(まへ)稟受(うくる)の時よりこれをうけて己に具(そなは)りたる
ものなり扨其心の事を孟子 尽心(じんしん)之 篇(へん)の註(ちう)に
程氏曰(ていしのいわく)心也(しんなり)性也(せいなり)天也(てんなり)一理也(いちりなり)自理而(りよりして)言謂之天(いふときはこれをてんといゝ)
自稟受而(うけうくるよりして)言謂之性(いふときはこれをせいといふ)自存諸人而(ひとにそんするところより)言謂之心(いふときはこれをこゝろといふ)張子(てうしの)
曰(いわく)由大虚有天之名(たいきよによつててんのなあり)由気化有道之名(きくわによつてみちのなあり)合虚與(きよときとあわせて)
気有性之名(せいのなあり)合性知覚(せいとちかくをあわして)有心之名(こゝろのなあり)とありて空(くう)に
由(より)て天(てん)の名(な)有り気化(きくわ)によつて道(みち)の名有り虚(きよ)
と気(き)と合せて性(せい)の名有りといふて万物(ばんもつ)かたちを
あらはす各(おの〳〵)性有り故に雨情(うぜう)非情(ひぜう)のものともに

【右丁】
性にあらざるものなししかれども心(こゝろ)といふは含血(ちをふくむ)
の者ならてはなき故に性と知覚(ちかく)を合して心の
名ありといふ故に性の字(じ)は心と生にしたがふ夫(かの)
天の一元より出たるをいふ也故に天之命之謂(てんのめいこれをせいと)
性(いふ)といへりまた此知覚といふは知(ち)は知(し)る事 覚(かく)は
覚(おぼゆ)る事にて此知覚ともにかげもかたちもなき
ものにて其(その)証拠(せうこ)は此 知覚(ちかく)のよき人は数(す)万の書
をも知り覚へまた知覚のさとからざるものは其十
分の一にもおよばず是もし人の心といふもの心之臓
一はいぎりのものなれば知覚とも程の有べき事

【左丁】
なれども知覚におひては不可思議のものなる故にこれ
をはかりしるべきものなしされば心といふ字に人の
心の臓のかたちを図(づ)して【心臓の形の図】と云は人身におひて
は心の臓は尤 貴(たつと)む処の臓なる故彼一物を心(しん)に比(ひ)
したるのみにて必(かならず)此心といふ字(じ)にかゝはるべからず
○心を労(らう)する時は身を傷(そこな)ふ事
されは心は虚霊(きよれい)不昧(ふまい)【左ルビ:くらからず】にしてかげかたちもなく火中
に入りてやけず水上(すいせう)に臨(のぞみ)て溺(おぼ)れぬものなるに
何(なに)を以て痛(いた)み煩(わづら)ふ事有りと云に心は不生不 滅(めつ)
のものなるが故に煩ひいたむ事はなきものなれども

【右丁】
人々 形気(けいき)人欲(じんよく)を以て是(これ)を苦しむ是を人の家(いへ)
に居(お)るにたとふれは心は人にて体(からだ)は家のごとくされば
其家いか程よき材木(ざいもく)を用てよく普請(ふしん)したり
とも住む人みだりに柱を動(うごか)し壁(かべ)を落(おと)し抔し
て乱妨(らんはう)するときは其家 終(つい)に破損(はそん)するごとく
生れつきの壮実(そうじつ)なるものゝ夭死(わかじに)するはよき家なれ
ども荒(あら)く住なして人の居(い)られざるがごときもの
なり此 壁(かべ)を落し柱(はしら)を動(うご)かすは何(なに)をしてかかゝると
いふに喜(き)【左ルビ:よろこび】怒(ど)【左ルビ:いかる】憂(ゆう)【左ルビ:うれうる】思(し)【左ルビ:おもふ】悲(ひ)【左ルビ:かなしむ】恐(きやう)【左ルビ:おそるゝ】驚(きよう)【左ルビ:おどろく】にありて是を七情(しちてう)と
いひ此七情を略しいふときは喜(よろこ)ふも怒(いか)るも神気(しんき)を

【左丁】
外へ多(おゝ)く張(は)る故にみだりに喜(よろこ)びみだりに怒りたる
後(のち)は必ゆるむ憂(ゆう)思(し)悲(ひ)恐(きやう)驚(きやう)は神気を内へ引きしむる
をいふかく内外へ衆(あつむ)ると散(ちら)するとの別(べつ)有(あり)て其内
にもその寛(くわん)急をいふときは憂(うれい)思(おもひ)悲(かなしむ)は神気(しんき)を引
しむる事の寛(ゆる)やかに恐(おそれ)驚(おどろく)は是をあつむる事の急(きう)
なる故に至(いたつ)て思慮(しりよ)するときは神気 心臓(しんぞう)に集(あつま)り
て外より物の侵(おか)す事をも知らざるなり故に心こゝ
にあらざれば見れども見へず聞(きけ)とも聞えず食(くら)へ
ども其 味(あじわひ)を知らずといふも皆 応(おゝ)ぜさる故に心神
の位する処に一(ひとつ)として応(おゝ)ずる事なしむかし

【右丁】
漢土(もろこし)の白公勝(はくこうせう)といふ人軍中にて謀計(ばうけい)を思慮(しりよ)し居る時
剣(けん)を以て頤(あご)を貫(つらぬ)きたるをもしらざりしとまことに
神気をうばはるゝ事の甚(はなはだ)しき時はかくのことしまた
体(からだ)を城郭(ぜうくわく)にたとへ心を三軍(さんぐん)にたとふるに城(しろ)の本丸(ほんまる)
計りに軍勢(くんぜい)を引とるときは外廓(そとくるわ)を守るへき勢(せい)なき
故に敵(てき)のために侵(おか)さるれどもこれを知らざるがごとく
恐驚は急に神気を内へ引衆る故に内神気の度(ど)を
うしなひ外 身体(しんたい)をそこなふ事を知らざるにいたる
是故に七情 節(せつ)にあたらざる時は心をそこなひ身を
亡(ほろぼ)すの本(もと)也されどまた此七情は元性(もとせい)の用(よふ)なれは発(おこ)

【左丁】
【五六字分欠損。乍然、次コマと同じ故補う】らぬといふ事はなきものなれどもこれを守る事を知る
ときは発(はつ)して節(せつ)にあたる故に身を亡(ほろぼ)すの害(がゐ)なく若(もし)
これを不守ことの甚しき時は乱(らん)にいたるまことに
恐(おそ)るべき事にあらずや扨此心を養(やしの)ふはいかんと
いふに孟子(もうし)も欲(よく)を寡(すくのふ)するよりよきはなしといへり
此欲(このよく)の発(はつ)するは必(かならす)口鼻(かうび)耳目(じもく)よりし口に味をほしい
まゝにし見(み)ると聞(きく)との二(ふた)ッに有(あり)てもしこれをほしい
まゝにするときは忽(たちまち)養生(よふぜう)の道に背(そむ)くが故に此欲を
寡(すくのふ)する事養生の第一なり扨此欲を寡し心の
養様(やしなひよふ)はいかんといふに思慮分別(しりよふんべつ)をはなれ無念無心

【前コマに同じ】

【右丁】
にして只なにとなく心を臍下丹田(さいかたんでん)《割書:臍(へそ)のした三寸|を丹田といふ》に
おさめ気をして周身(しうしん)にみたしむるにありて此 術(じゆつ)を
孟子は浩然(かうぜん)の気を養(やしの)ふと云 禅家(ぜんけ)にはまたこれを
不生の術ともいひ或は恬澹(てんたん)虚無(きよぶ)なるときは精神(せいしん)
内を守ると有りて平生(へいせい)起居(ききよ)動作(どふさ)にもかくのごとく
に心を用るときは神気(しんき)の守り宜敷故 五臓六腑(ごぞうろつふ)こと
〴〵く居処(ゐところ)を守りて安寧(あんねい)なりされど座禅(ざぜん)の術
などをもしひてこれをつとめんとして眠(ねむ)り抔(など)する
ときは仮(か)り寝(ね)の中(うち)といへども神気(しんき)心臓(しんぞう)に集(あつま)り四廓(しくわく)の
護(まもり)なき故に邪気外廓を襲(おそふ)て却(かへつ)て養生の害を

【左丁】
なき人(ひと)寝(いぬ)る時は神気心臓へ集る故に衣衾(ふとん)をかりて
外体(くわいたい)を守らしむるなり故に只(たゞ)座(さ)する時の心持(こゝろもち)は神気
を丹田(たんでん)におさめ思念(しねん)をさり眠(ねむ)りたる時のごとくにて
然(しか)も目(め)にさへきる物は見(み)へ鼻(はな)に匂(かを)るものは薫(かお)り耳(みゝ)へ
渡(わた)るものは聞(きこ)へするを是を不生の術(じゆつ)とも浩然(かうぜん)の
気を養(やしな)ふとも心を養ふともいふなりしかれとも
しひてこれを守ることの愚(ぐ)なるときはたとへは
家宅(かたく)を大事とおもふがまゝに戸障子(とせうじ)をももし
開閉(あけたて)の為(ため)に傷(そこな)ひやせん席(せき)も歩行(ほこう)の為(ため)に破(やぶ)れや
せんとて一室(いつしつ)にとりこもりて居る時はその家宅(かたく)

【右丁】
の用(よふ)をなす事なし是(これ)もまた養生にあらず爰に心得
へき事あり万事に体(たい)用(よふ)といふ事 有(あ)りて此 体(たい)用(よふ)の
理(り)を弁(べん)ずる時は万事に益(ゑき)ありこれ心と体(からだ)を体(たい)用(よふ)に
分ちいふときは心(こゝろ)は体(たい)にして体(からだ)も衣服(いふく)も家宅(かたく)も用也
故に体(たい)の為(ため)に用(よふ)を曲(ま)げて用(もちゆ)るは有るべき事なれ
ども用(よふ)の為(ため)に体(たい)を曲(まぐ)る事はなき事にて是心の為
のからだなるが故也 然(しか)るに世人(せじん)多(おゝ)くはからだの為(ため)の心(こゝろ)
にする故に害(がゐ)有り譬(たとへ)ば衣類(いるい)は体(からだ)の為(ため)の用(よふ)なれども
衣類(いるい)をのみ大事とおもひ雨(あめ)降(ふ)りの時(とき)はだかにて
雨に濡(ぬる)るがごとく是(これ)体(たい)用(よふ)をあやまりたるの甚しき

【左丁】
なり兔(と)角(かく)一切の事心の為(ため)とおもふてする時は養生(よふぜう)
にもかなへども体(からだ)の為(ため)にすると思はゞ養生には曾(かつ)て
かなはざるべし体(からだ)も心の用(よふ)衣食(いしよく)も心の用 食(しよく)する
ときは口にうまきとおもへども是(これ)を過(すご)す時は必よろ
しかるまじとおもふ是則心のおもふ処なれば先其
心に問(とひ)て然(しかう)してこれを食する時は難(なん)なかるべし
故によく〳〵心の為(ため)の体(からだ)なる事を知(し)りて体(からた)の為
の心にはなすべからず扨其心に体(たい)とする処(ところ)のもの
ありて聖人も《振り仮名:君子有_二 三畏_一|くんしにみつのおそれありと》のたまひて《振り仮名:畏_二 天命_一畏_二大|てんめいをおそれたいじんを》
《振り仮名:人畏_二聖人之言|おそれせいじんのことをおそるゝと》の給ひて此(この)三畏(さんい)を体(たい)として他事(たじ)



【右丁】
に心を用ひずもしこれを他事(たじ)に用る時は体用たがふ
が故にまた小人(せうじん)は《振り仮名:不_レ知_二 天命_一而不_レ畏狎_二大人_一侮_二聖人|てんめいをしらずしておそれずたいじんになれてせいしんのことを》
《振り仮名:之言_一|あなとる》との給ひて是(これ)を小人とも云也故に此 体(たい)用(よふ)を
考(かんが)へて心の運動(うんどふ)をなすときは自(おのづから)性(せい)にしたがふ故養生
の理にかなふなり
○養生(よふぜう)といふ事
生(いけ)るを養(やしの)ふと書て養生と読(よめ)ども又 性(せい)を養(やしの)ふと書て
養性(よふぜう)と読(よ)めりされば人々の天よりうけたる処の性(せい)を
養育(よふいく)するといふ事にて是養生の二字を体(たい)用(よふ)に分(わか)つ
ときは生は体(たゐ)にて養(やしなひ)は用(よふ)也故に我(われ)に固有(こゆう)する処(ところ)の

【左丁】
性(せい)を知りて其性を養ふ事を知るを養生とはいふ
されば養(やしなひ)の一字はまことに肝要(かんよふ)の儀(ぎ)にて扨其性は人々
ひとしからざるもの故に其性の位を知りて養(やしの)ふを
節(せつ)とす只みだりに慎(つゝしむ)をのみ養生とおもはゞ却(かへつ)て
屈(くつ)に落(おち)て養生の意(い)に背(そむ)かん只(たゞ)我身(わがみ)の節(ほどらい)を知り
て其位を守(まも)るをこそ養生の本意(ほんい)とはいふべけれ扨
この節(せつ)を知る事かたきにあらざれど常に心(こゝろ)を不用
時は絶(たへ)て知れがたしすべての事人よりは知れがたき
ものなれども我(われ)より知る事は知れ易(やす)きことくたとへ
ば人常に飲食(いんしよく)するに其量(そのりよふ)七八 椀(わん)も食せざれは足(た)ら

【右丁】
ずといふものありまた三 椀(わん)の余(よ)は食せられずといふ
これ同(おな)じく健固(けんご)に居(お)る人なれども人によりて如此の
相違(そうい)ある是(これ)皆(みな)外より知るべからずひとり己(おのれ)に知(し)れる
処なりたとへば虚弱(きよじやく)なるものゝ壮実(そうじつ)なる人のごとく
せんとしつよきものゝよわき人のごとくするは是(これ)身(み)の
程(ほど)を知(し)らさるの至愚(しぐ)にて其程といへばたとへは一丈の
物と五尺のものと中(ちう)を競(くら)ぶるときは壱丈の物の中は
五尺にて五尺の物の中は二尺五寸なり然(しか)るを壱丈の
物の中を五尺のものゝ中とおもふときは大過(たいくわ)する也
故に人々によりて其 量(りよふ)の同異(どふい)を察(さつ)して其程(そのほど)を

【左丁】
知(し)る事養生の専務(せんむ)とす然ればこの養の一字を
知(し)るときは天命を保(たもつ)事 全(まつた)く一切の者過る時は破(やぶ)れ
不及時は危(あやう)く節(せつ)にかなふ時は養(やしな)はる草木(そうもく)の養不足
する時はやせ養に余(あま)る時は枯(かれ)節(せつ)にかなふ時は栄(さか)ふるごとく
なれば人身の養(やしなひ)また此理と同(おな)じく過(ぐわ)不 及(ぎう)なく節(せつ)に
かなふを養生ともいふなり
○房事(ばうじ)の事
水(みつ)之 源(みなもと)は月輪(ぐわつりん)にて水は万物の始(はじめ)にして大極(たいきよく)の
むかし清(す)めるは升(のぼ)りて天(てん)となり濁(にご)れるは降(くだ)りて
地(ち)となるの時 月輪(ぐわつりん)より水気 降(くだ)り其水気を大地(だいじ)に

【右丁】
うけ持(もち)て万物を生ずるのもの則水にて人も其ごとく
骨肉(こつにく)は土温煖は火にて日輪の分(わか)れ血液(けつゑき)は水にて月輪
のわかれ故に陽ありといへども血なきときは陽(よふ)寓(ぐう)【左ルビ:やどる】する
事あたわず故に大に脱血(だつけつ)するときは忽(たちまち)死(し)す是陽の
乗(の)り物を失(うしの)ふが故陽気天に皈(き)して死するなり
故に人の血液は至(いたつ)て大切なるものにて是をたとへは
血液は薪(たきゞ)陽気は火のごとくなるが故に火有りといへ
とも薪(たきゞ)なきときは火 寓(ぐう)する事あたわざるものなれば
まことに秘(ひ)すべきものなり然してその血液(けつゑき)の元(もと)は
一切の飲食(いんしよく)を脾胃(ひい)にうけ陽気をもつて煆煉(たんれん)【「かれん」とあるところ】し其

【左丁】
飲食の内の精微(せいび)なるものを取(とり)て津液(しんゑき)となしまた
其津液の内にて精微(せいひ)なるもの心臓(しんぞう)に入りて血とな
し其血の内にて精微なるものこれ精液也故に精は
人身 臓腑(ぞうふ)筋骨(きんこつ)これを養(やしの)ふの本(もと)にして至(いたつ)て精
微なるものにて実(じつ)に秘する事を貴(たつと)ふべきものなり
故に唾(つば)といへども其 煅煉(たんれん)の後は必血となるものなれば
みだりに吐(▢く)事を禁ず痰沫(たんまつ)を多(おゝ)く吐き唾(つば)をみだり
に吐ものは次第に痩(やす)る是血之本を亡(ほろぼ)すがゆへなり
そも〳〵精は草木の仁(にん)のごとく草木の実(み)を結(むす)ぶに
仁は至て精微のものにて其仁を地に指(うゆ)るときは

【右丁】
必 其(その)芽(め)を生ずるがごとく人の精液も又是に同じく
其 精(せい)よりして子孫を伝(つた)ふまことに一身精微のもの
なれは房事を過度(くはど)しみだりに精液を費(ついや)すは慎(つゝし)む
べきの事ならずや故にまた房事は子(こ)を生(せう)ずるの始(はしめ)
食事は身を養(やしの)ふの元(もと)なれば両事とも尤心を用(もちゆ)べき
事なり然るに是をほしいまゝにする時は害をなし
これを程(ほど)よくすれば子孫(しそん)をつたふその他 身(み)を害せ
らるゝも国家(こくか)を亡すも生 涯(がい)を誤(あやま)る事此一事に
あれば是を慎(つ)しむべきの事なり
○陰虚(いんきよ)火動(くわどふ)の理

【左丁】
俗(そく)に火の亢(たかぶ)るといふはこれ所謂(いはゆる)陰虚火動の事なれ
ど詮(せん)ずるに火の亢(たかぶ)るといふ事はなき事にて実(じつ)は
陰(いん)の虚(きよ)するなり其故は人身にて火といふは陽気陽
の元(もと)は日輪なれば是になんぞ亢(たかぶ)る事あらん人身の
上にてもまた心肺より造(つく)り出す陽気にて別(べつ)に
亢(たかぶ)るといふ事はなく只陰虚するの謂(いゝ)也人身の上に
て陰(いん)といふは血液(けつゑき)の事也 血液【左ルビ:ち うるおい】亡るときは陽 寓(ぐう)する
事あたはずして火(ひ)動(うご)くなり陰陽其位を得(へ)て無
病の人とはいふ也人身に陽気陰血とありて陽は気
にして総身(そうしん)にいたらざる処なく血液も又 流行(りうかう)し

【右丁】
て総身にいたらざる処なししかれども陰陽に大小
有り人身血液の往来する処は天地の上にては河海(かかい)【左ルビ:かわ うみ】
のごときものにして其余は土にして人身にては骨(こつ)
肉(にく)の分也天地の上にても水の有処はわづかなるもの
にて其故は地球(ちきう)の厚さは三千九百七十八里の余(よ)と有り
水の厚さはわづか二里より深(ふか)き海はなきといへりたとへば
饅頭(まんちう)を地球(ちきう)にたとふるときは水の部は皮(かわ)のごときもの
なりしかれども皮のみに水あらずあんの中をも上下左右
縦横(しうおふ)に往来(おゝらい)する道(みち)有りて人身(じんしん)経絡(けいらく)【左ルビ:ちすじ】のごときものなる
故にこれをさして水脈(すいみやく)といふ也脈といふは血の往来する

【左丁】
処をさして脈といふ也然れども水の量はかくのごとく
肉(にく)よりはすくなきものなりしかれども陽気(よふき)は一身(いつしん)にいたら
ざる処なし日輪(にちりん)は地球(ちきう)に百六十五双倍の余大なるもの
にて陽の根元(こんげん)如斯大也又地球は月輪よりは三十八
倍大なりといへり水の根元(こんげん)は月輪なるが故に如斯
陰陽(いんよふ)の位を知(しり)得(へ)ん為(ため)に天地の理をいふ天地の上
にてかくのごとく陰陽(いんよふ)の本はおほひに大小有れ
ども其位を得て相和し万物を養ふなり然れども
天地の上にては処により晴雨の偏勝(へんせう)あれども其水
通して増減(そうげん)【左ルビ:ましへり】する事はなしといへども人身の上(うへ)にて

【右丁】
は其水 減(げん)ずる事有りて皈(かへ)る事なく終(つい)に陰虚(いんきよ)火(くわ)
動(どふ)の症(せう)をなすこれもとより人身の血液はわづかなる
ものなるに大(おゝい)なる陽と相対(あひたい)し居るもの故に陰(いん)に
いさゝか不 足(そく)を生(せう)ずる時は陽気 忽(たちまち)偏勝(へんせう)する事 早(はや)し
是本の大なるか故なり人多房なる時はみだりに陰
を亡(ほろぼ)す故に陽気(よふき)偏勝(へんせう)して火動(くわとふ)するなり近来
みだりに癇症(かんせう)といふも是皆陰を亡(ほろぼ)して陽気 勝(かち)に
なりたる故にみだりに怒(いか)り憤(いきとふ)るなり皆(みな)是(これ)陰虚(いんきよ)より
火動(くわどふ)するの証(せう)なり
○人身 虚実(きよじつ)の事

【左丁】
人の虚実(きよじつ)は朱子のいへるごとく仁義(じんぎ)礼智(れいち)の性を以て
せずといふ事なしといへども其うけたる事ひとしき
事あたはずといふごとく人々にうけたる器(うつは)によりて
虚実(きよじつ)は有るものなり人の元気は心肺の虚実にあり
て心肺のふゐごの具合(ぐあい)よき人は陽気の作(つく)り出(いだ)し
よし其陽を作り出(いだ)すは起居(ききよ)動(どう)作にあれは起居
動作をせざる時はふいごのいきおひゆるくなりて
陽気一身に不充(みたず)この人をさして虚人といふ故に
つねに安逸(あんいつ)を欲せず起居動作を専(もつはら)にして陽気
をみたしむる事をなさば外邪(ぐわいじや)に侵(おか)さるゝ事もあるまじ

【右丁】
○平生養生 心得(こゝろへ)の事
人の病中は国家(こくか)の治乱に比すれば病中は乱(らん)にて
病て薬(くすり)するはたとへばみだれたる処へ兵(つわもの)をくはふる
と同じく一邪(いちじや)一 毒(どく)あるものに薬(くすり)を用る時は味方の
薬をして敵の邪と戦(たゝかは)しめてみだれたる国(くに)を治(おさむ)るが
ごとしさて平生無病なるときはよく治りたる国の
ごとくなれば其時に不養生をして敵を引 納(いる)る事
なき様にすべし国の政道(せいとふ)よき時は太平なるがごとく
其乱るゝには極(きわ)めて所以(ゆゑん)のあるごとく病(やまひ)に六気七情
ありて六気外より侵(おか)して七情内より傷(そこの)ふたとへは七情は

【左丁】
反(かへ)り忠(ちう)のものありて城内(でうない)より乱をおこしたるが如く
六気は城の外(ほか)より侵(おか)すといへども敵(てき)を防(ふせ)ぐのそなへよき
時は侵す事なしといへども敵をふせぐの備(そなへ)おろそか
なる時はて敵をして引入るゝがごとし流行(りうかう)の厲気(れいき)は
一気の流行(りうかう)にて大軍の敵(てき)襲(おそふ)が故に人々 多(おゝ)く病(やめ)と
夫も守護(しゆご)の備(そなへ)厳重なれば侵(おかし)がたし是(これ)守(まも)りのよき
人なり夫をたとへば夏日(なつむき)午睡(ひるね)などをするに衣衾(ふとん)を
不覆(かふらず)して臥(ふす)ときは必す風に感(かん)ず是(これ)守りのおろか
なるが故なりかくいへば邪気は天地の間に満(みち)て有る様に
おもへども左にあらず邪気といへども天地の間に有る

【右丁】
時は正気也傷寒の邪たりといへども天地の正気なり
是を盗賊(とうぞく)にたとへば賊盗といへども家(いへ)に入り物を侵(おか)さ
ざるときは常(つね)の人なれども家に入り物を侵す時は忽盗賊
の名を得(う)るがごとし邪気も人身を侵(おか)す時は邪気となれ
ども天地の間に有りては正敷(たゞしき)気(き)也さるによつて其邪気
を防(ふせが)んとおもはゞ平生の養生(よふぜう)にあれば此養生の道を
守(まも)るときは病も自(おのづか)らすくなかるべし
○薬を用る心得の事
薬を服すれば命(いのち)ものぶる様に心得(こゝろへ)るは大に誤りにて
薬は病を治すばかりの能(のふ)にて命(いのち)を養ふものにあらず

【左丁】
然るに養生と心得て無病の人 常(つね)に薬を用る事は
大なる誤(あやまり)なり薬種は一能(いちのふ)を以(もつ)て一病をこそ治するもの
なれたとへば乱の発(おこ)りたる時夫を禦(ふせぐ)程(ほどの)人数をさしむけ
て其乱をおさむるの理にて病のなき人に薬を用るは
軍もなき処へ兵(つはもの)を遣(や)るがごとく若(もし)薬を用 誤(あやま)るときは
南方に敵(てき)の屯(たむろ)せるに北方へ兵(つはもの)をやるがごとく敵(てき)をふせがぬ
のみならずいたづらに味方を損(そん)ずべし故に病の道理をしら
ずして薬を用る時は実(じつ)を実(じつ)し虚(きよ)を虚するの理あり
て病に病を重(かさ)ぬる事有りこゝに一話あり或養生者有
りて大に風邪(ふうじや)の流行(りうかう)せし時なりしが彼養生者おもふに

【右丁】
風ひかざる先きに風薬を用ひおりしかば流行(りうかう)の邪気(じやき)
をまぬかるべしとおもひ風薬をもとめ用ひしかは其時 反(かへつ)
て大に風に感ぜしと世上(せじやう)多(おゝ)くは是に近(ちか)し風薬は外(そと)へ発
する薬故 表(へう)をひらくの薬力(やくりき)なるが故に反(かへつ)て邪気(しやき)をうくる
事すみやかなりといふ事をしらざるが故也 是等(これら)は甚
しきのいたりなれども病(やまひ)の道理(とふり)をもしらずみだりに薬
を服(ふく)するときは是等に近(ちか)き路(みち)あれば薬を用るとも深(ふか)く
心を用(もち)ゆべき事なり

こけぬつえ上終

【蔵書印】
大八木蔵書

【左丁 白紙】

【裏表紙】

書名 こけぬつえ
        2/2冊
【撮影ターゲットのため以下略】

【表紙 題箋】
《題:こけぬつえ   下》

【資料整理ラベル】
K150-1

【右丁】
【鉛筆書きと思われるメモ】
490.9
 Koー6
  2
ーーーーー
No.2736
IR K  150-1

【蔵書印】

慶応義塾
大学医学
部之図書

【蔵書購入印】
・慶応義塾大学医学情報センター・
昭和47.年7.月5.日
 富士川文庫
  1615

【左丁】
こけぬつえ下
○正気(せいき)をうつて急(きう)を救ふの説
是味方を打(うつ)て敵(てき)を治(おさ)むるの理(り)にてたとへばらうぜき
もの来(きた)りて向ふよりも此方よりも争(あらそ)ひに及(およ)ぶときには
先味方の者をせゐして鎮(しつ)むる事有り是(これ)は急(きう)を
すくふの法(はう)にて全(まつた)きはかり事にはあらず吐血(とけつ)する
者の初(はじ)めに三黄湯を用るの理と同じく此法みかた
打の法なり是いかなれば吐血(とけつ)に種々(しゆ〴〵)の因(いん)ありといへ
ども吐するにいたりては一理(いちり)にて四方へ運(めぐ)るべき血の
道ふさがりてのびられざるをしひてのびんとする

【頭部の蔵書印】
慶応義塾大学
医学部之図書

【下部の蔵書印】
大八木蔵書

【右丁】
陽気に載(のせ)て吐(と)する故に先初めには升(のほ)る味方の陽気(よふき)
を打(うち)これを救(すく)ひ扨其後に犀角(さいかく)を以て四方の塞(ふさが)りをり
ひらきて後(のち)に補血(ほけつ)の薬を用ひ血の不足を補(おきの)ふ是
初三黄湯を用るは味方を打て急をすくふの理にて
その外の病に血をとりて病を治すも亦(また)同(おな)じ理也
此味方打の療治は心得(こゝろへ)有べき事なり
○一切の薬種皆 薬(くすり)又皆 毒(どく)となる事
臨(りん)_レ機(き)【左ルビ:きにのぞみ】応(わう)_レ変(へん)【左ルビ:へんにおゝする】の理(り)を知らざる人は人参は命(いのち)ものぶる様に
おもひ附子(ぶし)石羔(せきかう)は毒薬(とくやく)のごとくおもへども左(さ)にあらす
先 近(ちか)くいふときは米は命(いのち)を保(たもつ)ものなれども食滞(しよくたい)の者(もの)に

【左丁】
推(おし)て用(もちゆ)るときは必す害(かい)を生(せう)じ人参は命(めい)を救(すく)ふの薬
なれども一毒(いちどく)あるものに用るときは害(がい)をなす附子(ぶし)は陽
を助(たすく)るの良薬(りよふやく)なれども熱症(ねつせう)のものに用る時は反(かへつ)て病を
助るごとく一切の薬種(やくしゆ)皆々かくのごとし故に此事をよく〳〵
知りてよろしきに随(したが)ふて用るときは礜石(よせき)【誉は誤】の毒(とく)を以て
毒(とく)を制(せい)するの功もあれば人参といへどもこれを用ゆる法を
誤(あやま)らは反(かへつ)て命(いのち)を失(うしの)ふにあたらん
○熱(ねつ)の理
熱(ねつ)といへば邪気の様におもへども熱は邪気にあらず正陽
の気の重りたるものにて湯の至て煮(にへ)たぎりたるを




【右丁】
熱湯(ねつとふ)といふがごとく邪気と陽気(よふき)は火と水(みづ)とのごとく
相交(あひまじわ)る事なき故邪気の領分(りよふぶん)へは正陽(せいよふ)の気いたること
あたわず故に陽気のつもり重(かさな)りたるをさして熱(ねつ)と
はいふものなれ然るに胃中の熱邪(ねつしや)などいへるはその理を
不暁(さとさざる)の甚(はなはだ)しきものなり
○発汗の薬を用る時汗の発し様の事
汗はもと人身の津液(しんゑき)にして大切(たいせつ)なるものなるをおほく
は汗(あせ)を邪気と心得るは大なる誤(あやまり)といふべし汗は正敷
津液にて一身を養ふものなれども邪気を除(のぞか)んがために
無拠(よきなく)津液に戴(のせ)て押出(おしいだ)すものなれば必汗を邪気と心得

【左丁】
みだりに多く汗(あせ)をすへからず医書(いしよ)にも汗 多(おゝ)ければ病
不除(のぞかず)また汗多ければ陽を亡(ほろぼ)すともありて余(あま)り多(おゝ)く
汗の出るときは邪気の去(さら)ざるのみならず反て陽気を
亡(ほろほ)して危(あやうき)にいたる汗多出て陽を亡すといふ理は陽
気は初(はしめ)にもいふごとく天に皈するが性なれば毛孔(けのあな)より
汗につれて陽気天に皈する故陽を亡すといふまた
人は陽の一気にてはたらきをなすものなれば陽気の
去(さ)るにしたかふて元気おとろふるにいたる故に発汗の薬を
用ひ発汗せんとおもふ時は先薬をせんじおき寝処(ねところ)を
かまへ已(すで)に服(ふく)せんとする時右の寝所(ねところ)に入り薬(くすり)をふくし

【右丁】
ふとんを覆(おゝ)ひ無言(むこん)にして息(いき)をつめる心持にてしばら
く居る時は汗(あせ)出(いつ)る其(その)汗(あせ)細雨(こあめ)帯(おび)たるごとく出るを
よしとす此上 多(おゝ)く汗する時は陽気 脱(たつ)してよろ
しからず
○薬を服(ふく)し様の事
薬の用様は先三法と知るべし先 発表(はつひよふ)桃(はい)【梅の誤ヵ】毒(とく)の薬
を用るは食後に用ひ下し薬を用るときは食前空腹
に用ひ補薬は少々ツヽ用(もち)ゆべしもしこの用 法(はう)を誤(あやま)る
ときは薬のめぐりよろしからすその外色々用ひ様
あれども大抵(たいてい)この心得(こゝろへ)にて用る時は薬のめぐりよし

【左丁】
○疫気の事
疫は中風【左ルビ:かせひき】傷寒の邪気と同じからずして一 種(しゆ)の別物(べつぶつ)
なり天地間 非令(ひれい)の気行れる時は必 瘟疫(うんゑき)行れるもの
にて此気は天地間の気(き)不正(ふせい)になりてたとへば物の
温暖(うんだん)の気重りて腐(くさ)りたるごときものなり然(しか)し此
疫気は人身表分より侵(おか)す事なく口(くち)鼻(はな)より入り
て三焦(さんせう)膈膜(かくまく)の原(けん)に付 表裏(ひようり)に分(わかち)伝(つた)へ傷寒の邪の
直(たゞち)に表(へう)より侵(おか)して裏(り)に入るものには同しからずその
疫邪の口鼻より入るといふはいかにといふに口鼻の気

【右丁】
は天に通(つうう)ずる故に天地の気を呼吸(こきう)する時この疫気
をもましえ入る故に邪気ふかく胃(い)にちかき膜原(まくげん)につく
この故に疫邪におかされし時は通例の風邪(ふうしや)と同様に
おもひて一通りの風薬を服(ふく)しみだりに発汗など
すべからず反(かへつ)て害(がい)あり
○養生を守る時は流行の病(やまひ)をうけぬ事
はやり病にて病人多き時にても養生の守りよき
人は病をうけぬといふこと張華(てうくわ)が博物志(はくぶつし)に見えて
霧(きり)深(ふか)き朝三人旅行(りよかう)せしに一人は空腹なるもの壱人は
酒を飲(のみ)たる者壱人は食に飽(あき)たるものと三人霧(きり)の中を

【左丁】
通りしに其後(そのゝち)空腹(くうふく)なりしものは病を得て終(つい)に
死(し)し酒(さけ)を飲(のみ)たる者は煩(わつら)ひ食に飽(あき)たるものは何事もなか
りし是守りのよきものははやり病をうけぬ事を
知るべし
○病中 心得(こゝろへ)の事
人病ときは病は医(いしや)に任せおきて養生を不守人 多(おゝ)し
是 己(おのれ)をしらざるの甚しきものにて先薬は何故に
服するぞといふ事を知るべし総(そう)【惣】じて薬は病有故に
用る事なれば病を治せんための服薬なるに薬を服(ふく)し
ても養生を守らさるは何の心ぞや今時の人 多(おゝ)く

【右丁】
緩病(くわんびよふ)にて医薬の不及なといふ是皆養生を不守
にて病おもき時は是非(ぜひ)なく養生すれども緩病(くわんひよふ)には
多(おゝ)く不養生なる故に生 涯(かい)病を治する事あたはず
して終に死するもの多しこの故に先病ときは薬を
服(ふく)せんより養生を専(もつはら)とし次に薬とおもふべし纔(わつか)
の薬をたのみとして日夜不養生なる時は何れの
時か病を治(じ)する事を得ん薬は何程の良薬たりといへ
とも容易(よふい)に功(かう)を得かたし不養生はいさゝかにても忽(たちまち)
災(わさわひ)を得る故に常(つね)に此事(このこと)をよく〳〵おもひめくらし服(ふく)
薬中(やくちう)は養生を専にすべきことなり

【左丁】
○病後(びよふご)心得(こゝろへ)の事
病中と病後との分(わか)り甚不心得ある故に爰(こゝ)にしる
す病後とは全(まつた)く治(じ)したるにあらず邪(じや)の去(さ)り毒(どく)の
抜(ぬけ)たるをいふたとへば雷(かみなり)の落(おち)たる跡(あと)のごとく雷(かみなり)は去(さ)れ
どもあとの傷損(そこなへ)はいまだ調(とゝのは)ざるがことし故に瘧(おこり)なと
も截(きれ)さへすれば治したる様におもひ痢疾(りひよふ)抔(など)も大便
の度数 常(つね)に復(ふく)しさへすれば治(じ)したりとおもふは
大なる誤(あやまり)なり是皆 病(やまひ)の去る已(のみ)【ママ】にして全(まつた)く治したる
にあらず他病もまた然りといへども傷寒(せうかん)時疫(じえき)瘧(おこり)
痢病(りひよふ)は別して病後の養生 大切(たいせつ)也瘧なとも截






【右丁】
さへすれば治したりとおもひ不養生なるときは忽 再(はね)
発(かへ)すわづかの水づかひ抔して再感(さいかん)するもの多し
是甚 微少(びせう)の事なれども障(さわり)あれば病後の養生至
て大事にすべき事を知るべし又痢病なども度数
すくなく大便常に復(ふく)したりともこれを治したりと
おもふべからす別して痢病(りひよふ)は起居(たちい)動作(あるき)を心得食事
等(とう)に心得あるべし病後邪気已に去(さ)るといへども養生
不調(とゝのはす)して死する人甚多しこれなげくべきの甚
しきものにてこれらの人をたとへば糊(のり)にてかため
たる器の糊のいまだかわかざるに重(おも)き物(もの)を納(い)れて器(うつは)

【左丁】
のくだけたるがこときものなり
○急に治して宜敷病又急に治して不宜(よろしからざる)病(やまひ)の事
あれとも病はすみやかに治する事をよしとおもふは一
統(とふ)の情(ぜう)なれども急(きう)に治(じ)してよき病と急に治して
不宜病とあり此急に治してよき病と云は傷寒(せうかん)時疫(じゑき)
血症(けつせ)の類(るい)是 何(いづ)れとも急に治(じ)するによくその他何れ外
より侵(おか)したる病は急に治する事をよしとすしかしな
がら是もまた日数(ひかず)ありてみだりにはなりがたしまた
急に治して不宜とする病は一切 湿毒(しつどく)の類 疥癬(ひぜん)など
を病たる時は必急に治する事をよしとすべからず是内

【右丁】
に一 毒(どく)ありてなす事なれば毒の尽(つき)ざるときは治(じ)する
事あたはず夫をしゐて治せんとするときは必 変病(へんびよふ)し
て終(つい)に死(し)に至(いた)る是(これ)皆(みな)治(じ)を急(いそ)ぐの咎(とが)なり扨また腫物(しゆもつ)
の内にも疔(てう)と見(み)る時は急(きう)に針(はり)を入る事をよしとす此
疔(てう)の急なる事は須臾(しゆゆ)に死生(しせい)の限界(かぎり)ありて甚 急(きう)
卒(そつ)の病となれば急に切る事よし此外諸の腫物(しゆもつ)に至(いた)り
ても膿(うむ)べき時ならざれは《振り仮名:不_レ膿|うまず》口の明(あく)べき時来らざれば
口不_レ明口のおさまる時ならざればおさまらず是皆其病
によつて節(せつ)の有事にて其節(そのせつ)を不_レ得ときは必 害(かい)を
なすとおもふべし

【左丁】
○病を治するに両様有る事
古(いにしへ)より何々を治(じ)するとありて治(じ)は乱(らん)の反対(はんつい)にて病は
乱にて其乱を治むるを治するといふなり又俗になをす
といふも直(なをく)するにて直(なをき)は曲(まかれる)の反対にて曲れるを直する
の語(こ)なり然るに今のなをすは是(これ)にことにして右にある
病を左になをし左にある病を右に転(なお)し表(へう)にある病を
裏(り)へなおし腰(こし)の痛(いたみ)を足へなおすの類なり近来湿病
の治方を見(み)るに多(おゝ)くは此 類(るい)に近(ちか)く湿毒(しつとく)に於(おひ)ては疥癬(ひぜん)
楊梅瘡(よふはいそう)は此上もなき軽(かろ)き症(せう)なるを其ひぜんを骨う
つきになをし骨うづきを耳(みゝ)へなをし耳を眼へなをし






【右丁】
眼を鼻(はな)へなをすのるゐ多し是なげくべきの甚しき
なり楊梅瘡疥癬なとは湿毒(しつどく)の内にても至(いたつ)て軽(かろ)き
症なれは必ず悪敷なをす事なかれ疥癬(ひぜん)などを病(やむ)
ときは必す早く治せんとて付薬(つけくすり)をし薬湯などに早(はや)
く浴(よく)する時は必骨うづきになをすことあり何れ表(ひよふ)へ
発(はつ)する病は陽気の強(つよ)きにて裏(り)のよろしき症なれ
ば必ず早くなをす事をせずあらんかきり出す様に
すべし表に出んとするとき必ず下す薬を用る事なく
内より食事等にも強(つよ)きものを食せしめて外へ出(いだ)す
様にすべししかしまた至て強(つよき)き【衍】時は旁(かたわら)に下剤(くだし)を

【左丁】
用る事あれども是はたとへば南風を求(もと)めんと欲せば
更に北窓(ほくそう)を開(ひら)くといへるごとく南の風を得んとおもふに
北(きた)の窓(まと)を明るがごとしかくのごとくするときは発表の
勢(いきおひ)よき也然れども是は臨機応変(りんきおふへん)の術(しゆつ)にして一 概(がい)
に論(ろん)ずる事にあらざれは先あらましを記す
○痛(いた)む腫物(しゆもつ)はよく痛(いたま)ざる腫物はよからざる事
一切の腫物の痛をよきといふは如何(いかに)といふにすべて
痛(いたむ)といふは陽気の行 当(あた)る物ありて行当る故痛を
知るなり行当るといふは行がたき処を行んとする故也
然るに此行ものは陽気当るものは邪気也是を近(ちか)く

【右丁】
たとへば指なとをつめて痛(いたむ)といふも向(むかふ)へつまるは指(ゆび)
つめるは物なり此 道(どふ)理にてよき《振り仮名:無_レ障|さわりなき》からだへいさゝか
の陽気の行れぬ処ありても忽(たちまち)痛也是痛むは邪気
にて是邪気すくなく陽気(よふき)大いなるが故に痛なり
此故に金瘡(きんそう)なども至て大瘡(おゝきず)になれは痛ざるなり
是いかなれば行当る処なき故也故に腫物 抔(など)も腫れ様
先き尖(とが)りたるがごとく腫るゝはよき也是よき正陽の気
多(おゝ)き故悪敷邪をひろげぬ故に先き尖(とが)るなり然(しか)るに
腫物何れが口何れが先きとも不_レ知むつくりとは腫るは
大にあしく是虚症の腫物にて邪気と陽気の《振り仮名:不_レ争|あらそわさる》

【左丁】
が故に不痛なり故に不痛腫物は悪敷痛むを
よしと知るべし
○熱病(ねつびよふ)の後うつとりとなるの理
熱病の後うつとりとなるを医書に冒(ぼう)するとありて
是理いかにといふに熱病の時心の臓の血を熱(ねつ)にて沸騰(ふつとふ)【左ルビ:にへかへる】
せしめたるうへ病後にて心肺のふいごとゝのはざる故に
前(まへ)のごとく血のこしらへよろしからずしてうつとりと
するなりすべて人の物を見聞(みきゝ)覚(おぼへ)知(しり)する事は皆心の
臓の血(ち)に神(しん)の舎(やど)りて知(し)る事にて人身の健(すこやか)なるも
健(すこやか)ならざるも心(しん)の臓の血の動静(どふぜう)清濁(せいたく)による心臓の

【右丁】
血 煮(に)へかへる時は狂をなし煮のたらざる時は冒(ばう)をなす
此 冒(ばう)といふは俗にいふあはふの様なると云こゝろなり
○乱心するの理
人 発狂(はつきやう)し気違(きちがひ)になるはいかなる道理ぞといふに時疫(じゑき)
傷寒(せうかん)の讝語(うたこと)【ママ 注】いふと同し道理(どふり)にて心の臓の血の毒(どく)に
よりて沸騰(ふつとふ)【左ルビ:にへかへる】するなり故に狂人(きちがひ)に発作(おこりさめ)の有るも是毒
の心(しん)の臓をかこむとかこまさるとの時による也人身に
おひて心の臓は尤大切なる臓(ぞう)にて心は神の舎(やと)る所(ところ)と
ありて見聞(けんもん)覚知(かくち)の役人(やくにん)をいだす所なり眼(め)耳(みゝ)鼻(はな)
舌(した)といへども皆其役所のごとき処なり其役所へ出す

【左丁】
役人は心の臓より出(いだ)すなり故に人身に於(おひ)ては至て
大事なる処なり故にいさゝか突瘡(つききつ)にても背(せ)にて
七の椎(づ[い])より上或は胸(むね)を突ときは必(かなら)ず死(し)する是心の臓(ぞう)に
当る故也 其余(そのよ)の処は大瘡(おゝきつ)たりといへども絶命(ぜつめい)にはいた
らず其外 時疫(じゑき)傷寒(せうかん)にて讝語(うたこと)いふも此理にて傷寒の
時のうたこといふも陽明(よふめい)の症(せう)といふて邪気(しやき)内へ入り陽気
外(ほか)へ出(いて)かわりて外の陽気にて内の心(しん)の臓(ぞう)の血を煮(に)へ
かいらすときはうたことをいふなり
○国々によりて病の異(こと)なる事
南国は日輪に近(ちか)きゆへに平生 温熱(うんねつ)の気あり故に人身

【注 「うはこと」の誤ヵ】

【右丁】
の陽気(よふき)を表に引く事 強(つよ)く裏の陽気 守(まも)りおろそか
にして内より起(おこ)る病 多(おゝ)し扨又北国は日輪に遠(とふ)き故
寒冷(かんれい)の気平生に多(おゝ)くして人身の陽気裏を守る
ことよけれとも表の守りおろそかなる故に外よりうくる
病 多(おゝ)し故に湿毒(しつどく)の類(るい)北国に多して南国にはすく
なし南国の人は色(いろ)黒(くろ)く北国の人の色の白きも此理
にてまた寿(じゆ)の長短(てうたん)も通(つう)していふときは南国は短命
にて北国の人は長寿なりといふへし扨また海辺(かいへん)に住(す)む
ひとは常に魚類を食(しよく)する事多き故毒による病 多(おゝ)く
又 海風(うみかせ)のしめりをうくる故に湿毒の症(せう)も多し山中の

【左丁】
人は深山幽谷(しんさんゆうこく)【左ルビ:ふかきやま かすかなるたに】を往来(おゝらい)し山嵐(さんらん)の瘴気(せうき)にあたり不正の
気をうけて病を生するもの多し此山嵐の瘴気といふは
初(はし)めにもいふことく金を堀(ほ)るもの穴に深(ふか)く入る時さゞひ殻(から)
に火を灯(とも)し携(たづさへ)入るに其火 滅(きゆ)るときは人も死すると是
陽気の往来せざる故に灯火忽 消(きゆ)るものにて一切のもの
陽気の往来せざると死するといふは息(いき)の段にいふがごとく
深山幽谷は樹木しげり日の陰 多(おゝ)く鬱(うつ)々として陽気の
往来 徹透(てつとふ)ならざる故に瘴気とて厲気有る也且は狐(きつね)狸(たぬき)
のるいも昼(ひる)は陽気(よふき)の為(ため)におされて出(いて)ねども夜になると天
地間の陽気(よふき)かくるゝにより狐狸(こり)はたらきを得るがごとく

【右丁】
厲気の行れるも此理にて日陽のめぐり十分ならざるに
よりて厲気(れいき)行れる也故に山中の人は異(こと)なる病あるなり
如_レ此国によりて病もことなる故に治方(しはう)をも異(こと)に
するなり
○湿病(しつびよふ)の事
湿毒(しつとく)を俗(そく)にひゑといふ因(いん)はしめりより出たる気の人に
つひて病(やま)しむる毒にて人に伝染(てんせん)【左ルビ:うつる】或は父母より
伝りたりたるを遺毒(いとく)の湿(しつ)とて至(いたつ)て治しがたしとす医(い)
書(しよ)に此湿毒をは黴毒(はいどく)とありて此 黴(はい)といふはかびといふ
字(し)にて其 義(ぎ)によりて人のからだにかびのはゑたることき

【左丁】
病といふ意扨此かびのはゆる理は麹(かうじ)の花(はな)のごときものにて
湿(しめ)りたるものをむしたつる故かびをなすなり湿毒(しつとく)の病
海辺(かいへん)に多(おゝ)きもこれ魚肉(ぎよにく)を平生に食(しよく)し日夜(にちや)潮風(しをかせ)を
うくる故外よりは塩のしめりの気にて表を閉(とぢ)内よりは
魚肉を食して蒸(むし)たつる故に黴(かび)を発(はつ)する是外より
うけたる湿毒(しつどく)也また内因の湿毒(しつとく)といふは内よりおこり
たる湿毒にて是(こ)の因は平生魚肉 冷物(ひへもの)を好み其上に
飲酒(いんしゆ)を嗜(たし)むもの其酒肉の気内にてむせて湿毒と
なる又平生水辺に居る時は終(つい)には湿毒を発するも此
理にてまた雨露霜雪(うろそうせつ)をうくる猟人(りよふし)などに多(おゝ)し今は

【右丁】
南方にも湿症(しつせう)あれども是多くは伝染する処なるべし
故に尾張三河の国などは山々 遠(とふ)くして日当りのよき
国には陽気の運よき処なるが故に湿症(しつせう)すくなし扨此
湿毒の伝(つたわ)りはじめは漢土(かんと)には明(みん)の頃(ころ)より黴毒といふ
事ありて是も明人の韃(だつ)を攻(せむ)る時北地に入(い)りて寒を
膚(はたへ)にうけて黴を発(はつ)したるものにて又楊梅瘡 疥癬(ひせん)
抔も此頃より漢土 一統(いつとう)に盛(さかん)に行れたるものなり皇国
にて此癬疥をひぜん瘡といふも肥前の長崎(なかさき)より来り
たる故にその名あり是本長崎の青楼(おやまや)よりうつりうけ
たるものにて長崎の青楼は唐人(とふしん)の遊(あそ)ぶ楼なれはその

【左丁】
妓女(▢やま)【▢は「お」ヵ】の輩に伝染せしより我邦の人にも汎(ひろ)くうつり
たるを以て伝染の湿の始りをひぜんとす扨また何国
の妓女といへども多淫(たいん)なる者故に湿(しつ)どく多(おゝ)し然るに
其 妓(き)に交るときは必湿毒を伝染(でんせん)するものなものなり故に妓
をもてあそぶ事は慎(つゝしむ)べき事にて中人以下の湿毒
の症を見るに多(おゝ)くは妓より伝(つた)はるもの多し其初めは
必癬疥を発し或は下疳 便毒(へんどく)ともなる又一 説(せつ)に湿毒
の皇国へわたりしは豊臣氏 朝鮮征伐(てうせんせいばつ)の時北地ふかく
攻(せめ)入りしに其地 厳寒(げんかん)に堪(た)へさるによつて地を堀(ほ)り穴
に居たりしにより士卒(しそつ)寒を膚(はたへ)にうけて湿毒を発

【右丁】
せし終にこのごとく皇国に伝染(でんせん)したりともいへり
いつれそのはしめ漢土(もろこし)より伝染のものにて尤此二三
十年以前より至て多(おゝ)くなりたりとそ三四十年以前
は瘡(かさ)かきは癩病(らいびよう)のことくに云(いゝ)たると聞及べり其 時分(しぶん)は
今(いま)のごとく湿(しつ)にて耳(みゝ)鼻(はな)の落(おち)たるものもすくなかり
しとぞ然るに近年は湿気次第に盛(さかん)になり百人の
病人の内七八十人は湿毒による後世にいたらは必 難治(なんじ)
の湿毒(しつとく)あるべしされとも外来(ぐわいらい)の湿毒(しつとく)は養生の守り
よけれは避(さけ)らるれども伝染(てんせん)の遺毒(いとく)は初生の時の解(け)
毒(とく)にあらざれば解(け)するの時(とき)なし故に初生(しよせい)の時に当(あた)りて

【左丁】
きひしくその毒を瀉下(しやげ)すべし
○遺毒(いとく)胎毒(たいとく)の事
遺毒とはつけおくりの毒といふ事にて先天の毒にて
父母より伝り染(そ)みたる毒をいふ則母の胎中よりうけ
得たる毒故胎毒ともいふ然し此毒といへども初生之砌
無油断(ゆだんなく)解毒(げとく)する時は後の憂目すくなかるべし
○初生(しよせい)の小児(せうに)養ひ様の事
近来 遺毒(いどく)の症(せう)多(おゝ)きこれ全小児初生の時 解毒(げとく)の法(はう)
をおこなはざるによるすべて初生の時に療(りよふ)ずる時は易(やす)く
解(げ)すれども生長の後は至て難療(りよふじがた)ければ初生の砌に

【右丁】
心得あるべき事なり尤 湿毒(しつとく)にかきらず一切の病(やまひ)の根(ね)と
なる事多ければ小児初生よりの養ひ様其あらましを記す
小児生れたる時先 臍(へそ)の帯(お)を切る事 余(あま)り短(みしか)く切る事
よろしからずすこし長く切べし扨湯は人はだにし
てつかはす事よし実は産湯(うぶゆ)をつかはす事よろし
からずといへども是皇国の例(れい)として通(つう)してする事
なればつかはすべし余が知る処の小児五人有りし
が是初生の時湯をつかわさす只 穢濁(ゑだく)を拭ふのみにて
七日を歴(へ)て後(のち)初めて湯(ゆ)に浴(ぞく)【「よく」の誤】せし者ありし其小児
生長の後至て壮実(そうじつ)なり然(しか)れども是は不浄の穢濁(ゑだく)

【左丁】
もあれば湯をつかはす事もよし漢土も今(いま)は湯(ゆ)をつか
はす流(りう)もありといふ扨初生の間は衣服(いふく)を余(あま)り厚(あつ)く
覆(おゝ)ふ事よろしからすいさゝか薄着(うすぎ)の方よし多(おゝ)く
見るに初生の時は寒暑のわかちもなくみだりに衣服をおゝふ
これ甚よろしからずたゝ時の気候(きかう)よりはすこしすゝしめに
する事よし保嬰論に小児をそたつるには三分之寒と
三分の餓(うへ)を帯(おは)しむへしとて三分の寒(さぶ)みと三分の餓(ひたるいめ)を
さす事よしとあり故に乳(ち)を呑(の)む内は此 心得(こゝろへ)にて育(そだ)つ
る事よし富貴(ふうき)奉養(はうよう)の人之 虚弱(きよじやく)なるも初生の養様
不宜(よろしからさる)が故による下賤(げせん)の小児(せうに)之壮実なるを見て知るべし

【右丁】
是等はつとめずして自三分の寒と三分の餓に当(あた)る
故か扨初生の後(のち)に甘草(かんそう)黄連(おゝれん)紅花(こふくわ)海人草(かいにんそう)沈香(しんかう)《割書:交趾(かうち)の|宜敷処》
の五味をせんじ絹(きぬ)にて乳豆(ちまめ)をこしらへ頻(しきり)に吸(すわ)すべし
是をあまものといふ乳を付る事二日程 歴(へ)てのます
べし尤二日は 定(さだま)りなれども弱手(よわて)の小児(せうに)なればはやく
のます事よし尤はじめは母の乳をのまさずよく吸
こみし乳をのますべし或は臍屎(さいし)《割書:かにこゝ|といふ》のつくる時 乳(ち)を
のみはじむる事もよし母(はゝ)の乳(ち)も大抵(たいてい)二日程歴ねば
出(で)ぬものにて是(これ)自然(しせん)の理也これまた乳の味よろしから
されば初めはよく吸(す)ふものに吸(すは)し後小児に吸しむ然して

【左丁】
後はあまものをやめ紫円(しゑん)を二粒ヅヽ壱月又は百日の間も
用(もち)ゆ是も父母の遺毒(いどく)なとの事を委敷 考(かんがへ)はかりて
これを用るに 軽重(けいぢう)あるべし尤紫円は下剤(くだしくすり)故に多(おゝ)く恐(おそ)
るゝ事あれども医書に紫円(しゑん)は小児の補薬(ほやく)とありて
乳(ち)を飲(の)む間はみだりに下利(くだる)する事なし尤 米(こめ)を食する
様になればみだりに用る事を禁ずかくのごとくする
時は遺毒(いどく)胎毒を去(さ)り痘瘡も自 軽(かろ)く生長の後必 壮(そう)
実(▢つ)なるべし扨 臍(へそ)の帯(お)おさまりたる時ふしのこを付る事
よし熊胆(くまのい)をつけ或は灸(きう)をする事よろしからず
○痘瘡(はふそふ)の事

【右丁】 
痘(とふ)は体中(たいちう)に具(ぐ)する処の一毒(いちどく)時(とき)を得(へ)て発(はつ)する病(やまひ)にて
此病は古(いにしへ)はたへてなかりし病なれども中古より次第(しだい)に
行れ近世(きんせい)にいたりて尤 盛(さかん)なり此病 古(いにしへ)なかりしは地に
濁気すくなく殊(こと)に妊娠(にんしん)中母の養生の守(まも)り宜敷故に
自すくなし中古より次第に多(おゝ)くなり近世にいたり
て尤 盛(さかん)なるはいかにといふに湿毒大にはやりし故父母
伝染(でんせん)の毒 遺毒(いどく)となりて伝染する故に益 盛(さかん)にして
難痘(なんとふ)多し故に妊娠中の養生を守(まも)り扨又初生の時
解毒(げどく)を無油断(ゆだんなく)行ふ事大によし然る時は痘自かろし
扨又時によりて流行(りうかう)するはいかにといふに是本内より

【左丁】
たくわへたる一毒天地間流行の疫気につれて発する
病なり故に時によりて病むなり此病は初より心を用
て療ずる時は死にゐたる程の事は有間敷病なり近来
湿毒多く行るゝ故に痘毒の助勢(たすけ)をなして重から
しむ故に通平(つうへい)の療治を行ふ時は必 難痘(なんとふ)にいたるべし
故に近来一種の法ありて序熱(ほとおり)に下剤を用る法あり
是至極宜敷法なり略 心得(こゝろへ)の次第をいふときは序熱
三日の中に下剤を用ひ六日めよりは下利する事を禁
初下剤の用様よき時は六日目の頃より便 秘(ひ)し起脹(はり)灌(やま)
膿(あげ)の勢(いきおひ)よし尤疱瘡は軽(かろ)き重(おも)きを論(ろん)ぜず順逆を目出

【右丁】
とすたとへ重しといへども順痘なる時は三日過て十日迄
の内に下剤を用る事はなき事なり然(しか)れとも至て難痘(なんとふ)
なる時は三日の後十二日前にも下剤を用る事もあれども
是は変中の術(じゆつ)なり初下剤を用る時は裏に発(はつ)する事
なき故声の唖(か)るゝ事もなく裏(り)に発する事もなき故
たとへ外症六ケ敷といへども命にはかゝわらぬものなり兔
角難痘は裏に発(はつ)する事多くして発越(はつゑつ)の勢 悪敷(あしく)
三焦に鬱閉する故に死にいたるなり痘は裏(り)よりして表
へ急におし出す時は難痘にはならぬものなり故にはじめ
下薬を以て裏の毒(どく)を下し其後は急に表へおし出す

【左丁】
事をすべし起発かひなき時は食物に鶏卵(たまご)餅(もち)午房(ごばう)
ねぎの類を食して烈敷(はけしく)発越さする事よし扨又
寒気を恐るゝ故に冬至(とふじ)前(まへ)の痘は至て六ケし其故は
発生(はつせう)の気なく収蔵(しうそう)の気(き)ばかりなる故に難痘(なんとふ)多(おゝ)し
故に其時(そのとき)は外に火を厚(あつ)くして陽気を以て外より
ひく様にし内よりは張(は)り出す様にする事よし痘の
次第を委敷云時は甚長き故略其次第を記すのみ
扨また痘(とふ)に人参を用る事あれども近世の痘(とふ)に人参
を用る事大に害(がい)あり其故は痘(とふ)は裏(り)より発(はつ)する病
なる故に疎通(ひらきつう)ずる事をよろこび閉塞(とぢふさく)事を悪む然るに

【右丁】
人参は温補の薬なる故に閉塞(とぢふさぐ)する理ある故に人参を
用る時は陽鬱(よふうつ)さかんにして毒気(とつき)排(はい)する事なければ
尤これを禁(きん)じて可(か)ならんかされとまゝ人参を用る症(せう)
あるも誠(まこと)に百中の一二にて変中(へんちう)の変(へん)なるものなり故に
人参を用ゆべき症なりとおもはゞ先蛮製のてりあか【人参に代わる物か】
を用る事よし
○麻疹(はしか)の事
麻疹の和語(わこ)をはしかといふはいかなれば裏(り)に発(はつ)して
咽喉(のど)がはしかく覚(おぼゆ)る故にはしかといへりこの病年に
よつて流行(りうかう)する土地(とち)を避(さく)れば免(まぬが)るゝといふ事もありて

【左丁】
其処の地(ち)に行(おこなは)れる一気にて扨(さて)此行れる理は平生(へいぜい)日 輪(りん)
より地之水気を引揚(ひきあぐ)るに其(その)上提(せうてい)する勢(いきおひ)切(きれ)る時(とき)に雨と
なりて降(ふ)る其 引揚(ひきあぐ)る時の糟粕(かす)が積(つもり)て腐(くさ)れる気と
なりて其気廿二三年目程には天に帰(き)す其(その)登(のぼ)る気に
当りて病めるをはしかといふ痘瘡よりは日数も短(みぢか)く一段
心易(こゝろやす)くまた痘とは療治(りよふじ)の仕様(しよふ)も大に違(ちが)ふなりこれも
養生の守りよき時は気をうけぬことあり尤(もつとも)この病(やまひ)病中(びよふちう)
病 後(ご)とも食禁(しよくいみ)を慎(つゝし)むことよし
○起居(たちい)動作(あるき)をせざる人は多病なる事
富貴(ふうき)奉養(はうよふ)の人多病なるはいかにと起居(ききよ)動作(どふさ)をせず

【右丁】
してみだりに美食(びしよく)するときは先(さ)きにいふ留飲(りういん)のごとく
其不順なる食毒(しよくどく)酒毒より内因(ないいん)の湿毒(しつどく)を発(はつ)す癰(よふ)抔(など)を
発する因も酒肉の不運(めぐらざる)が毒(とく)となりて起る腫物(しゆもつ)なり
或は富貴(ふうき)奉養の人の脚気(かつけ)にて腫満(しゆまん)するは内因(ないいん)の酒(しゆ)
肉(にく)の毒(どく)より発(おこ)る也扨また酒毒食毒にて内因の湿
毒を発(はつ)するはいかにといふに是年来の滋味(じみ)膏梁(かうりよう)の食
毒 腐穢(ふゑ)の物とならんとするとき酒力(しゆりよく)の仮(か)り陽気(よふき)に
て中道(なかみち)まではおくり出せども正陽をもつて化(くわ)する
ごとくならざる故に終(つい)にまた腐穢(ふゑ)のものとなりて
種々(しゆ〳〵)の内因の症をあらはす脚気(かつけ)も内因の脚気は

【左丁】
初めより腫をあらはすこれ汚濁(おだく)の気下 部(ぶ)に溜(たま)り初(はじ)め
是より微腫(ひしゆ)をなすものにて初めは腫(は)れ病(やまひ)と混(こん)じ見え
夫より段々 腫(はれ)をなし終に衝心(せうしん)にゐたる何(いづ)れ腫病(はれやまひ)抔は
起居動作を頻(しきり)にする人にはなきものなり是陽気のし
かけ烈敷故 汚濁(おだく)たまらさるものと見ゆ
○魚肉 滋味(じみ)膏梁(かうりよう)を食して気力(きりよく)を増(ま)しまた病を
 発(はつ)するの事
無病なる人は平生魚肉を食して気力を増(ま)すといふ
事尤なる事なれとも是 一概(いちがい)の論(ろん)なり貴賤(きせん)虚実(きよじつ)に
よつて其 分(わか)チありて多(おゝ)くは富貴(ふうき)の人は平生起居動

【右丁】
作をせずして魚肉を嗜(たしむ)が故に多病(たびよふ)なることあり是を
いかにといへば人身の脾胃は陽気をもつて運行(うんかふ)をなす
其陽気を作(つく)り出す元は心肺(しんはい)にて其心肺を働(はたらか)すは呼吸(こきう)
の一元気にて其呼吸よりして陽気を作る其陽気
の作り出し強(つよ)き時は胃中(いちう)運行(うんかう)よく其陽気を強(つよ)くしか
けるは起居 動作(とふさく)を節(せつ)にする時は食事の消化(せうくわ)よし故に
食事の後は高貴の人たりといへども歩行する事をよし
とす是(これ)脾胃(ひゐ)の運行(うんかう)をよくせんが為(ため)なり故に無病の人
起居動作をして折々(おり〳〵)魚類(ぎよるい)を食(しよく)すれば養生になれ
ども富貴奉養の人魚肉をみだりに食し起居動作を

【左丁】
せざるときは其物 消化(せうくわ)せずして腐穢(ふゑ)をなす凡(およそ)癰疽(よふそ)
を病む人(ひと)を見るに滋味(じみ)膏梁(かうりよう)を食(しよく)し起居 動作(どうさ)をせざる
人にて年五十より六十にいた至るころに発(はつ)す是皆 酒(しゆ)肉の食
毒(どく)年を歴てかもしなすものと見へたり故に魚肉をたし
む人は平生 背(せ)に灸(きう)の絶(たへ)ざる様にするをよしとす
○留飲(りういん)の事
留飲のたまる理はいかなれは滋味(おもきあし)膏梁(あぶらけ)を食して起居【左ルビ:たちい】
動作をせざるときは胃(い)陽(よふ)の運行(うんかう)よろしからず水飲
津液(しんゑき)とならずして心下に停滞(ていたい)し又みだりに心(こゝろ)を
労(らう)する人はのびんとする神気を内へ引く故に陽(よふ)の

【右丁】
運行(うんかう)よろしからずして留飲(りういん)となる是の理をたとふる
に物を煮(にる)に胃中へ鍋釜(なへかま)のごとく陽気は薪火(たきゞひ)のごとく
生物を多(おゝ)く鍋に入たるに是を下より微火【左ルビ:ぬるきひ】にて焼(たく)ときは
其(その)熟(じゆく)【左ルビ:にへ】すること必 調和(てふくわ)せざるがごとく下賤(げせん)の起居 動作(どふさ)
をしけくなすものに留飲(りういん)する事なし是則 胃陽(いよふ)の火(ひ)
のしかけよき故なりもし微火(ぬるきひ)にてかたきものを焼(たく)ときは
煮(にへ)ざるがごとく其にへたる程は陽気(よふき)に和して一身をめ
ぐり養(やしな)へども残(のこ)りたる水は皆 留飲(りういん)となる是其はじめ
わづかなれども追々(おひ〳〵)溜(たま)るに随(したが)ふて胃中(いちう)の陽気(よふき)のめぐり
を失ふ故に留飲となるにしたがふて陽気の運行を失(うしな)ひ

【左丁】
津液(しんゑき)又 乾(かわ)くことをなし大便 常(つね)に秘(ひ)し大便秘するに
随(したが)ふて身体(しんたい)痩(やす)るにいたるよつて留飲を治(じ)するは食を
減(げん)じて治(じ)するといふも是理(このり)なるに尚(なを)も魚肉をみだり
に食(しよく)すれば不熟(にへざる)の上へはものを入るがことし扨留飲たまる
にしたがふて食を好(この)むことあり是 胃中(いちう)【左ルビ:はら】へ陽気(よふき)めぐら
ざる故に津液(しんゑき)生ぜず身体(しんたい)に陰(いん)をひく事甚しき
が故也近来 留飲(りういん)病大に行はるゝも多(おゝ)くは富貴(ふうき)奉
養の人にあつて是皆 不相応(ふそうおふ)の驕(おごり)を極(きわ)むる故なり
古(いにしへ)は富貴の人といへども麤食(そじき)をして夫々の職(しよく)を務(つと)
めしが今の富貴の人は安逸(あんいつ)に暮(くら)して美食(びしよく)を

【右丁】
する故也故に魚肉を食する時は起居動作を頻(しきり)にすべし
壮実(そうじつ)の人にて常に歩行(ほかう)等しげくする人(ひと)は随分(ずいぶん)魚肉(ぎよにく)を
用て気力を増(ま)すの理尤なれど是またかねて心(こゝろ)を用ゆ
べき事なり
○平生食する心得(こゝろへ)の事
人の命は食(しよく)にありとて食(しよく)を以(もつ)て命を保(たもつ)事なれば平(へい)
生(せい)の食に心を用る時は病もなく又有る病も去(さ)る
の理あれば常に心を用る事 専要(せんよふ)なりされども平生
の食も国々(くに〴〵)によりて変(かわ)りありて同じからざれども略(ほゞ)
其理をいふときは北国の人は肉食をし南国(なんこく)の人は霍食(くわくしよく)

【左丁】
によろしといふごときこれ南国は温熱(うんねつ)の気にして寒気
すくなき故に人身の陽気表に引く事 強(つよ)く裏(り)に陽気
の守(まも)りおろかなる故に胃(い)陽(よふ)の運行よろしからざれば
霍食(くわくしよく)によろし北国は寒冷(かんれい)にして温熱(うんねつ)の気すくなき
故に人身の陽気内を守りて胃陽の運行(うんかう)よきゆへ
肉食をしても消化(せうくわ)しやすく表気のしまりもよくなる
べし此道理を四季に心得(こゝろへ)て夏は裏(り)の陽気のめぐり
よろしからざる故に化(くわ)し易き物を食し冬は陽気裏
を守る事よき故に肉食をする事もよしとす或(あるひ)は平生
起居動作をしげくするときは味の厚きものを食し

【右丁】
動作せざる時は味の薄(うす)きものを食とするの類如此する時は
自養生にもかなふべし凡の食事料理の取(と)り合せも此理
にてする時は自よし先吸口に辛味(からみ)を用る事も只(たゞ)取りあひ
とばかりおもふべからず一切 重(おも)き味の物にはかならずからみ
を用るは厚き味にて滞(とゞこふ)る味なるが故に辛味(からみ)を用て運
するの理にて納豆汁に芥子(からし)を用るの類にて知るへし
しかし其食用の事もかたく心得るときは却てあしく
其内にも貴人(きにん)は貴人の食用の養生あり下賤(げせん)は下賤
の食用(しよくよふ)の養生ありて平生の業(わざ)により歩行を専(もつはら)にする
ものは胃陽の運(めぐ)りよくまた平日 歩行(ほかう)をせず座(ざ)する事

【左丁】
のみ多(おゝ)きものはおのづから胃陽の運りよろしからず
別して心(こゝろ)を労(らう)し其上 密居(こもりおる)する時は胃陽のめぐりよろ
しからざる故に此理をよく〳〵知(し)りて食事すへしされ
どもまたみだりに食事を減(げん)するも養生にあらず只我
身の節(せつ)を知りて食するをよしとし人々によりて食養生
の仕様あればこれを一に心得ときは又大なる害ならん
○味の厚きものを食する時は急に空腹(くうふく)にならず
 麤食をする時は空腹になる事早きの理
滋味膏梁のものを食する時は急に空腹にならざると
いふ理はいかんといふに何れ味の厚き物を食するときは

【右丁】
胃中より作(つく)り出す処の津液(しんゑき)濃(こ)くなる故に陽気よくとり
つきてもれざる故に空腹にならざるなり空腹になるの理は
陽気の天に皈(き)するが故なりこれ麤食(そじき)をするときは味(あじわひ)薄(うす)き
故津液も亦うすく陽気(よふき)のおさへぬるき故陽気天に皈(き)
する事早くして空腹になるたとへば厚き味のものを
食(しよく)するときは絹(きぬ)にて張(は)りたるかごとく淡薄(たんはく)【左ルビ:かるきあじ】なる物を
食(しよく)する時は。布(▢▢)にて張(はり)たるがごとし此はりたる物《割書:津液の|事なり》
の麤密(あらきこまかき)によりて陽気の洩(も)るゝに遅(おそ)きと速(はやき)と有る
ものならむ
○五味の説

【左丁】
一切の味は五味にかぎらずといへども其元は五味に出
ざるものなし其五味のはじめは淡味(あわしあじわひ)を本とすこれ水の
味にして淡しき味は味の内にても至て軽(かろ)き味に
して是を□の味ともいふべし万(よろづ)の味は此淡味より
出るなり此 淡敷(あわ▢▢)味の至(いた)り甘(あま)く甘き味の至り辛(から)く辛(から)
き味の至り苦(にが)く苦(にが)き味の至り酸(すき)と知るべし是を陰陽(いんよふ)
に分つときは辛味甘味は陽の味苦味酸味は陰の味なり
然(しか)れども辛き味は陽の至(いた)り甘き味は陰陽かたよらず
平(へい)なる味なれども先陽にちかき味也 苦味(くみ)は陰の至りの
味酸味も陰の味なれども苦味に次(つ)ぎ鹹(しおはゆき)味は陰陽を具(ぐ)

【右丁】
したる味を知るべしかく五味の大抵(たいてい)を弁(べん)じさて此
後に記(しる)す五味の理をよく考(かんが)へ然(しか)して食物(しよくもつ)の取合(とりあわ)
せをよくし食する時は兼(かね)て疾病(やまひ)の憂(うれい)をすくなくし
たとひもとより病有るも是を除(のぞ)く事あらんまこ
とに日夜 心得(こゝろへ)有べき事なり
○甘味(あまきあじ)
甘き味は陰を生ずる理(り)ありて又陽を呼(よ)ぶの理あり
故に甘味を食するときは津液(しんゑき)を生して身を養ふ是
甘は性 平(へい)にして陰陽にかたよらざる味なるが故に津
液となりては陰を補(おぎな)ひ陰をほ補(おぎの)ふての後はまた陽を引

【左丁】
くの理もあり其理は甘味を多く食する時はいがらく
おぼえては咽(のど)の乾(かわ)くも是 陽(よふ)を引く理また多 食(しよく)
して大便のゆるむといふも是陰の津液をますが故(ゆへ)なり
○辛味(からきあじ)
辛味は陽の至(いた)りの味にして一切辛き味は火に似たる
味にして辛き味を食するときは其味 烈敷(はげしく)して上
へ登るの気ありからし抔食すれば直(すぐ)に鼻中(はなのなか)をさし
て辛烈の気 徹通(てつとふ)【左ルビ:つきとふ】す是辛烈の陽気 鼻(はな)よりして
天に皈(き)する也又とうがらし抔は別(べつ)して烈敷(はけしき)味にして
食するときは忽(たちまち)頭(づ)に汗(あせ)を発(はつ)し後(のち)には総身(そうしん)【惣】の陽気(よふき)も

【右丁】
外へおし出(いた)す故に総身(そうしん)【惣】にも汗(あせ)出(い)づ酒もまた辛味(からみ)を
おもふ具(ぐ)したる故に忽 顔色(かをいろ)に出るも亦(また)天(てん)に皈するの理
なるが故に火に似(に)たる味とはいふ桂枝(けいし)の推陽(よふをおして)達表(ひよふにたつする)といふ
も辛味のなす処 蕃椒(とうからし)【番は誤】なども熟(じゆく)するときは色の赤(あか)く
なるも是陽の色なり故に水湿(すいしつ)の気(き)を散(ちら)する事は至(いたつ)
て烈し先年 阿蘭陀舟(おらんだふね)皇国へ渡海(とかい)之時舟中にて連
日 雨(あ▢)降(▢)りつゞき湿邪に当り着船(ちやくせん)の後湿邪にて悩(なやむ)もの
多(おゝ)かりしに其時おらんだの医者(いしや)剤中(ざいちう)に蕃椒(とふがらし)を入れて
せんし用ひしに水湿(すいしつ)の気こと〴〵く表(ひよふ)に発(はつ)し須臾(しゆゆ)に
気力 復(ふく)せしといへり是を見るに水気を乾(かわか)す事火に

【左丁】
しくはなし故に多く辛味を食するときは火に似たる
味故に水気を乾(かわか)して血(ち)乾(かわく)なり
○苦味(にがきあじ)
苦き味は陰の至りの味なれば陽気を悪(にく)む味にして辛(から)
味の表(▢▢▢)にて陽気をおさゆる味也故に何程 塞(ふさが)りたる時にて
も熊胆(くまのい)を用る時は痞(つかへ)を除くといふも下へおさゆる事甚し
き味なるが故なり大黄(だいおふ)黄連(おゝれん)黄芩(おゝごん)の性(せい)皆其能は異(ことな)りと
いへども陽をおさゆる事は一理にて大黄は大便を通し黄連(おゝれん)
は痞(つかへ)を除(のぞ)き黄芩は熱を解(げ)するといふも皆陽をおさゆる
の味なり故に腹(はら)の痛(いた)む時 木香丸(もくかうくわん)を用て痛(いたみ)を治すると

【右丁】
いふも木香の苦味を以て痛(いたみ)を治するものにて是も痛  
は陽気の行当るものありて行れざる故に痛(いた)むなれば
其行当るものを苦味にておさゆる故に陽の運(めぐ)りを
得て痛(いた)みをやむるなり
○酸味(すきあじ)
酸味(すきあじ)は辛味の裏(うら)にて陰の味にて引聚(ひきあつむ)る味なれば酸(すき)味
の有処へは津液を引聚(ひきあつむ)るなり故に外より用るときは
内の水気を外へひき内より用るときは外の水気を内に
ひくなり故に多(おゝ)く酸味を食すれば痩(やす)るも内より用
る故に津液を内へひき又酸味の物を多(おゝ)く食すれば

【左丁】
下利するも内へ水気を引く故なりまた魚肉を酸(す)に
浸(ひた)すときは肉の白くはぜるも肉中の水気を外の酸
へ引く故なりまた酸貝(すがい)を酸にひたす時は貝(かい)の動(うご)くも
貝の内の水□を外の酸へひかんとすれども貝(かい)は肌(きめ)の
至てこまかにして内の水気出がたき故に貝ともに引
くこれは皆外より引くの理(り)なり
○鹹味(しおはゆきあじ)
鹹き味は元 淡(あわ)しき水に日輪の陽気を以て再(ふたゝび)烝(む)し
塩味となりたるもの故に陰陽を具(ぐ)したる味にて此
鹹味を絶するときは気力(きりよく)衰(おとろ)ふるもの也扨此鹹き味に

【右丁】
陰陽を具したりといふ事いかにといふに鹹き味の性(せい)は陽
なれども水の陰に寓(ぐう)【左ルビ:やどる】する故に鹹味を食して温(あたゝ)むる
といふは陽の性にして湿(しめ)るはまた陰の性なりかくいふ
ときは一切の物陰陽の性を具するといへども物を食する
時は気ばかりはたらきをなして形(かたち)は気(き)に付ては往(ゆか)ぬ
ものなれど此鹹味ばかりは形(かたち)も気(き)もともに運(めぐ)り気(き)の通(つう)
ずる処までは達(たつ)する故に一切のもの湯(ゆ)に和(くわ)して用る時
は総身(そうしん)【惣】にゐたらざる処なき也塩味を絶(ぜつ)して腫(は)れ病に治
するも此理にてしまりをとる故に薬のめぐりよきなり
○酒(さけ)の性(せい)《割書:幷ニ》酒の用様(もちひよふ)の事

【左丁】
酒は味 辛(から)く甘(あま)くして性(せい)は熱(ねつ)なるものにて其もとは
米(こめ)を以 醸(かも)し数月(すげつ)を歴(へ)て熟(じゆく)したるもの故に大に天地の
陽気を具(く)し且人身の津液に似て胃中の蕩摩を
からずよくめぐりことに味(あじわひ)辛(から)く性熱なるを以て須臾(しゆゆ)
□遍身にいたらざる処なし但陰陽ともに具したる
内尤陽気の勝(かち)たるもの故に腹中(ふくちう)に入りて陽気ばかり
を第一に提(さゝ)げて人をして醉(よわ)しむ論語(ろんこ)に酒は無量(はかりなし)
不及乱(らんにおよばず)と有りて程を過(すご)さゞるをよしとすよき程に
醉(よふ)ときは心を喜(よろこ)ばしめ鬱(うつ)を散(さん)し醉(よふ)こと度(と)に過る時は
心神乱れて狂人のごとくなる陽気 勝(かち)の性なるもの

【右丁】
にて暫時(ざんじ)も止(とま)らざるものなれば一身の陽気を外へ
おくり出(いだ)す故に神気も表に出て神心をたのしましめ
鬱悒(うつゆう)を散(さん)ずるにこれを多く飲時は裏の陽気を表(ひよふ)へ出(いだ)
す事 過多(くわた)なる上酒にそなはる処の陽気も亦表にこ
づみみつる故に心臓(しんぞう)の血(ち)を沸騰(ふつとふ)【左ルビ:にへかへらし】せしめて狂人のごとく
□す傷寒(せうかん)などの讝語(うたこと)を発(はつ)すると同じ理也また多(おゝ)
く酒後 吐逆(ときやく)する人有是は酒の陽気裏に充満(ぢうまん)して
も表へ出る事あたはざる時は陽気上に激(けき)し升(のぼ)りて
飲食とともに吐逆(ときやく)す或は又酒の陽気 胃中(いちう)にて津液(しんゑき)
を引集(ひきあつ)めたる事多き故に跡(あと)にて大便(たいへん)必 下利(けり)する

【左丁】
こと有夫故に上戸(じやうご)の人は常に大便 溏(くだ)ることあるも
此理也扨同じ人身を以ていかなれば下戸はすくなく飲(のみ)
ても大に醉(ゑ)ひ上戸は多(おゝ)く飲(のみ)てもしからざるといふに
飲食人皆 大抵(たいてい)同じ事にて飲酒のごとく各別(かくべつ)の
甲乙(かうおつ)なきを何(なん)そ其別(そのべつ)の甚(はなはだ)しきといふに下戸と上戸
の別(わか)りは人のからだに三焦(さんせう)といふものありて其三焦の腠理(そうり)【左ルビ:あな】
の太(ふと)きと細(ほそ)きとによる然(しかう)して此三焦のすがたいかなる
ものぞといふに咽(のど)の処と胸落(むねおち)の処と腰(こし)の処にあり
て人の臓腑(ぞうふ)を表につなぎたるものにて二 ̄タ役(やく)をかね其
すがた厚(あつ)き皮のごとく其内空にして内より作り出(いだ)す

【右丁】
陰陽を表へ出す也故に臓腑(ぞうふ)を繋(つなぐ)と陰陽を出すの二 ̄タ
役をかねたるものなり人の臓腑は人の胴殻(どふがら)につきたる
ものにあらず此(この)三焦(さんせう)の三処にて表につながるものなり
故に解(かい)臓をするにも此三焦さへ切れば臓腑(ぞうふ)こと〴〵く
出る也三焦の用必此なるもの故に人によりて其三焦の
穴の太(ふと)きと細(ほそ)き者によりてよく醉と醉(よわ)ざるとあるなり
凡人身は平生呼吸にて造(つく)り出(いだ)す陰陽(いんよふ)あるに其陰陽
の通する程は三焦 腠理(そうり)の穴有る也然るに今酒を呑(のみ)俄(にはか)
に陰陽 増(ま)し是迄一升ツヽの陰陽の通り居たる三焦
の穴へ俄に二升三升の陰陽を持然る故に三焦の穴

【左丁】
こずんで通(つう)じがたく裏よりは酒の陽気 強(しひ)て出(いで)ん
として又三焦にこずんて終(つい)に息(いき)だわしくなるなり
また酒を飲て悪寒(さむけ)を覚る人あり是三焦の穴最 細(ほそ)
き人なり上戸は三焦の穴太きが故にいか程胃中より
陽気をおくり出すともやすらかにぬけ出て表へ散ずる
故に陽気 胸(むね)腹(はら)に鬱満(うつまん)する事なく息(いき)だわしきこと
なしまた酒を飲(のめ)ば顔色の赤くなるの理は酒の陽気
にて内の陽気を張り出す故に色赤くなるものにて
是陽気の重(かさな)りたる色(いろ)也また甚敷上戸にいたれば醉に
したがふて面色 青(あを)くなる是三焦の穴 広(ひろ)きゆへ陽気

【右丁】
三焦より発越すること甚しき故に顔色青くなるに
したがふて神気は沈(しづみ)て裏に入り神気さはやかなら
ざるなりまた夜陰(やいん)に酒(さけ)を飲めば下利する事 多(おゝ)し是
いかなれば夜(よる)は人の毛孔(けのあな)ふさがる故に酒陽気外へ出る
事 昼(ひる)のごとくなりがたき故 息(いき)だわしくなるなり酒の
性幷に腹中(ふくちう)に入りての働きかくのごとくなる故に程
を知(し)りて飲(のむ)ときは薬となり過る時は病(やまひ)となるなれば
常に此理をさとして飲(の)むべし扨また食事は多(おゝ)
くすゝむれどもかたち有る物故腹に入りがたき故過
食する事まれなれども酒は消(せう)する杯といひ過(すご)す人

【左丁】
多し酒席(しゆせき)におひてもしひてすゝむるを礼とし客(きやく)
も過(すご)したりとも不苦敷(くるしからす)と心得(こゝろへ)て過(すご)する故 後(のち)大(おゝい)に
害(がい)をなす故に酒客は心得有べき事なり
○味(あしわひ)同じけれども性(せい)変(かわ)れば能(のふ)を異(こと)にする事
天に有りては元気といひ物にうくる時は性といふ人にうくる
時は人の性馬にうくる時は馬の性犬にうくる時は犬の性 烏(からす)
にうくる時は烏の性となりて鶏(にわとり)の鳴声 烏(からす)に似す狗(いぬ)の吠(ほゆ)
る声 馬(むま)の嘶(いなゝき)に混同(こんとう)する事なき是天理自然の性にて
无情(むせい)の草木も亦(また)其理なるが故に薬物(やくふつ)の性といへども
皆是に同じく生(せう)じたるすがたの性を見て咀㕮(そふ)【左ルビ:きり きさみ】し

{

"ja":

"食品国歌

]

}

【帙書題簽】
《題:食品国歌 二冊》

【帙 背 書題簽】
《題:食品国歌 二冊》

【帙書題簽】
《題:食品国歌 二冊》

《題:食品国歌 乾》

食品国歌序
夫食物の夥き水穀造醸草木
果実菌菜魚介禽獣に至る
まて唯食料の味はひを嗜みて
本艸の主治禁忌おも弁へすいたつらに
食ふて病を求る人多し■んや

病人に於おや又は合食にて忽ち
人を損す豈いたましからすや故へに
略食品をかき集めて諸説を撰ひ
能毒の験しなる所をつまみとりて
三十一字の国歌となせり常に
小児女子の口号に覚え侍らは
養生の助けならんか

 天明七《割書:丁| 未》年猛春

  御医 法印仲安自叙

食品国歌目録

    巻之上
   水部   穀部
   造醸部  菜部
   木部   果部

   菌部
    巻之下
   禽部   獣部
   虫部   魚部
   介部
    附録
   合食禁歌
   痘疹妊産禁食歌

食品国歌(しよくひんやまとうた)巻之上
      長生院法印大津賀仲安 述
   水部(みつのふ)
井泉水(ゐのみつ)は新吸(くみたて)なるを用(もち)ゆへし泥土(とろ)あるは実(けに)食(くら)ふへからす
白湯(さゆ)こそは能(よく)沸(にへ)たるに能(のふ)ありて半熟(なまわき)なるは害(かい)そ有(ある)へし
食塩(しほ)はよく心腎(しんしん)肌骨(きこつ)養(やしな)へと消渇(せうかつ)の人あしきとそ知(し)れ

   穀部(こくのふ)
粳米(うるこめ)は中(うち)を補(おきな)ひ渇(かつ)をとめ気力(きりよく)をまして肌肉(きにく)生(せう)する
糯米(もちこめ)の気(き)をまし中(うち)を温(あたゝ)めと小児(せうに)病人(ひやう)人 禁(いむ)かよろしゝ
秈米(たいとうこめ)脾胃(ひゐ)養(やしな)ふて泄(しや)をとむ粉(こ)にて食(くら)へは乳(ち)おは通(つう)する
小麦(こむき)よく客熱(かくねつ)をさり渇(かつ)をとめ小便(せうへん)利(り)して心病(しんひやう)を治(ち)す
大麦(おゝむき)は熱(ねつ)を除(のそい)て渇(かつ)をとめ五臓(こそう)を実(しつ)し中気(ちうき)補(おきな)ふ
麦稞(むきやす)     能毒(のふとく)同上(かみにおなし)
稷米(うるきひ)は血(ち)を涼(すゝ)しめて脾胃(ひゐ)を利(り)す多(おほ)く食(くら)へは病(やまい)にそなる
黍米(もちきひ)は小児(せうに)多食(たしよく)を禁(きん)すへし筋骨(きんこつ)緩(ゆる)め血(ち)を絶(たつ)といふ
蜀黍(たうきひ)は中(うち)温(あたゝ)めて腸胃(てうゐ)おは渋(しふ)らすものに小児(せうに)禁(いむ)へし
玉蜀黍(なんはんきひ)うちを調(とゝの)へ胃(ゐ)をひらき淋瀝(りんれき)砂石(しやせき)水腫(すいしゆ)治(ち)すなり

粟米(うるあわ)は腎(しん)を補(おきな)ひ痢(り)をとめ胃熱(ゐねつ)消渇(せうかつ)小便(せうへん)を利(り)す
秫米(もちあわ)は大腸(たいてう)を利(り)し熱(ねつ)をさる小児(せうに)は多(おほ)く食(くら)ふへからす
穇(ひへ)の能気(のふき)をまし中(うち)を補(おきな)ふてよく腸胃(てうゐ)おは安(やす)ふすと知(し)れ
巨勝子(くろこま)は肌肉(きにく)を潤(しゆん)し血(ち)を益(ま)して筋骨(きんこつ)耳目(しもく)虚労(きよらう)補(おきな)ふ
白胡麻(しろこま)は黒(くろ)きこまより能(のふ)あしく産婦(さんふ)は禁(いむ)か宜(よろし)かるへし
麻実(あさのみ)は五臓(こそう)を利(り)して血(ち)を下(くた)し積(しやく)を破(やふ)りて痺(しひれ)おは治(ち)す
蕎麦(そは)はよく腸胃(てうゐ)を寛(ゆる)め気(き)を下(くた)し瀉痢(しやり)と水腫(すいしゆ)に能(のふ)あると知(し)れ
黄大豆(しろまめ)は中(うち)を寛(ゆる)ふし気(き)を下(くた)し大腸(たいてう)水腫(すいしゆ)腫毒(しゆとく)おは利(り)す
黒豆(くろまめ)の水脹(すいてう)をおひ熱(ねつ)をさり結積(けつしやく)を治(ち)し諸毒(しよとく)解(け)す也
赤小豆(あつき)よく水腫(すいしゆ)を下(くた)し熱(ねつ)を解(け)し酒病(しゆひやう)脹満(てうまん)脾胃(ひゐ)を消化(せうくは)す
豇豆(さゝけ)よく腎(しん)を補(おきな)ひ胃(ゐ)を化(くは)して消渇(せうかつ)吐(と)きやく泄痢(せつり)治(ち)すなり
白豆(しろあつき)     能毒同上

■豆(くろあつき)賊風(そくふう)風痺(ふうひ)よく治(おさ)め婦(ふ)人 産後(さんこ)の冷血(れいけつ)によし
緑豆(ふんとう)【左ルビ「やへなり」】は腫(はれ)を消(せう)して気(き)を下(くた)し丹毒(たんとく)痘瘡(ほうそう)煩熱(はんねつ)を解(け)す
豌豆(ゑんとう)の消渇(せうかつ)吐(と)きやく熱(ねつ)を治(ち)し腫脹(しゆてう)消(せう)して小便(せうへん)を利(り)す
刀豆(なたまめ)は中(うち)温(あたゝめ)て気(き)を下(くた)し吃逆(しやくり)痃癖(けんへき)疝気(せんき)治(ち)すなり
蠶豆(そらまめ)は能(のふ)うすけれと毒(とく)もなく胃(ゐ)おはすかして臓腑(そうふ)和(やわら)く
藊豆(いんけんまめ)霍乱(くわくらん)吐利(とり)の薬(くすり)にて酒毒(しゆとく)にふくの毒(とく)解(け)するなり

   造醸部(つくりものゝふ)
豆腐(とうふ)よく熱(ねつ)を清(きよ)ふし中(うち)を和(くは)し酒毒(しゆとく)を解(け)して大腸(たいてう)を利(り)す
豆腐(ゆは)波こそはとうふに能(のふ)はかわらねと瘡家(しやもつ)の人は食(くら)ふへからす
雪花菜(とうふから)宿酒(しゆくしゆ)を解(け)して脾胃(ひゐ)を和(くは)す漆泡(うるしかふれ)に磨(ま)してよき也
粷(からし)よく食積(しよくしやく)酒積(しゆしやく)胃(ゐ)をひらき臓腑(そうふ)のうちの風寒(ふうかん)をさる

味噌(みそ)の能(のふ)脾胃(ひゐ)を補(おきな)ひ気(き)をましてよく顔色(かんしよく)を潤(うるは)しふする
米粃味噌(ぬかみそ)は積滞(しやくたい)を解(け)し食(しよく)を化(くは)す脾胃(ひゐ)虚(きよ)の人は禁(いむ)かよろし
納豆(なつとう)は胃(ゐ)の気(き)を塞(ふさ)き腹脹(ふくてう)す病(ひやう)人およひ小児(せうに)禁(いむ)へし
淡豉(はまなとう)うち調(とゝの)へて気(き)を下(くた)し傷寒(せうかん)温毒(うんとく)瘴気(せうき)おは利(り)す
醤(ひしほ)よく熱(ねつ)を除(のそい)て煩(はん)をとめ魚肉(きよにく)葷(くさひ)諸毒(しよとく)解(け)すなり
豆油(しやうゆふ)は諸肉(しよにく)の毒(とく)を消(せう)すれと多(おほ)く食(くら)へは津(しん)をほろほす
米醋(す)の能(のふ)は痰飲(たんいん)を利(り)し気(き)を下し魚肉菜毒(きよにくさいとく)食(しよく)を消(せう)する
酒(さけ)はよく風湿邪(ふうしつしや)毒気(とくき)を散(さん)し血(ち)を行(めく)らして皮膚(ひふ)を潤(うるほ)す
酒糟(さけのかす)うち温(あたゝ)めて食(しよく)を消(け)し蛇咬(しやこう)蜂毒(はちとく)傅(つけ)てよきなり
焼酒(しやうちう)は痰(たん)鬱積(うつしやく)■(しゆ)【「聚」か】気(き)をひらき噎膈(いつかく)を治(ち)し寒(かん)をさる也
醴(あまさけ)の胃(ゐ)おは補(おきな)ふ能(のふ)あれと小児(せうに)病(ひやう)人 禁(いむ)かよろしと
粢餻(もち)はたヽ消化(せうくは)し難(かた)きものなれと中(うち)暖(あたゝ)めて二便通(にへんつう)する

乾餻(かきもち)は中(うち)を暖(あたゝ)め気(き)を散(さん)し又(また)泄瀉(せつしや)おもとゝむると知(し)れ
粳餻(たんこ)よく脾胃(ひゐ)養(やしな)ふて中(うち)を和(くは)し又(また)大腸(たいてう)を厚(あつ)ふすといふ
黍餻(きひたんこ)脾胃(ひゐ)を養(やしな)ふ能(のふ)あれと病(ひやう)人に小児(せうに)禁(いむ)かよろし也
糭(ちまき)こそ性(せう)は団子(たんこ)にかわらねと茅(ちか)やさゝ葉(は)のあくかあしきそ
柿糕(かきつき)の下血(けけつ)下痢(けり)おはよく治(おさ)め小児(せうに)の食(しよく)にあたへてもよろし
白粥(しらかゆ)は脾胃(ひゐ)津液(しんゑき)を補(おきな)ふて虚(きよ)人 病(ひやう)人 食(くら)ふてそよき
麺(ふ)筋の能(のふ)は中(うち)を寛(ゆる)ふし食(しよく)を化(くは)し熱毒(ねつとく)をよく解(け)するとそ云
温飩(うんとん)はうち温(あたゝ)めて瀉(しや)をとゝむ小児(せうに)病(ひやう)人 食(くら)ふてそよし
索麺(そうめん)の中(うち)をあたゝむ能(のふ)あれと脾胃(ひゐ)虚(きよ)の人は食(くら)ふへからす)
黒児(そはきり)は腸(てう)を寛(ゆる)ふし気(き)を下し湿熱(しつねつ)をさり疝気(せんき)治(ち)す也
河漏(そはねり)     能毒同上
飴餳(しるあめ)は肺(はい)潤(うるほ)して痰(たん)を化(くは)し咳嗽(かいそう)吐血(とけつ)虚乏(きよほく)おは治(ち)す

白砂糖(しろさとう)脾(ひ)おは助(たす)けて中(うち)を和(くは)し肺(はい)を潤(うるほ)し渇(かつ)をとゝむる
氷砂糖(こほりさとう)     能毒同上
紫糖(くろさとう)     同上
饊子(ひくわし)     能毒(のふとく)不詳(つまひらかならす)
蒸餅(むしくわし)     同上
饅頭(まんちう)は虫(むし)を生(せう)して歯(は)を損(そん)す小児(せうに)は多(おほ)く食(くら)ふへからす
白花(はせ)米はたヽ性(せう)軽(かる)ふして毒もなく小児(せうに)病(ひやう)人 食(くら)ふてそよし
麨(はつたい)は胃(ゐ)の気(き)をひらき熱(ねつ)を解(け)しよく大腸(たいてう)を実(しつ)するといふ
寒具(あふらあけ)中(うち)を潤(うるほ)す能(のふ)あれと小児(せうに)と病(ひやう)人 禁(いむ)かよろしゝ
香油(こまのあふら)肌肉(きにく)大腸(たいてう)潤(うるほ)せと病(ひやう)人 産婦(さんふ)小児(せうに)禁(いむ)へし

   菜部(さいのふ)

慈姑(くわへ)よく産後(さんこ)血悶(けつもん)収(おさ)むれと妊娠(にんしん)の中(うち)食(くら)ふおはいむ
烏蕷(くろくわへ)消渇(せうかつ)を治(ち)し気(き)をませと多(おほ)く食(くら)ふはよろしかるまし
防葵(はまほうふう)疝気(せんき)癲癇(てんかん)虐(きやく)を治(ち)し膀胱(ほうこう)客熱(かくねつ)百邪(ひやくしや)おそ去(さ)る
罌粟嫩(けしのは)は熱(ねつ)を除(のそい)て胃(ゐ)をひらき痰滞(たんたい)瀉痢(しやり)の薬(くすり)とそ知(し) ̄レ
罌粟子(けしのみ)     能毒同上
芥葉(からしは)は肺(はい)に通(つう)して痰(たん)を化(くは)し胸隔(きやうかく)利(り)して邪気(しやき)を散(さん)する
芥子(からし)     能毒同上
番椒(とうからし)胃口(ゐかう)をひらき食(しよく)を化(くは)し風湿(ふうしつ)諸毒(しよとく)邪気(しやき)をさるなり
蓼(たて)はよく邪気(しやき)を除(のそい)ては中(うち)を利(り)し腰脚(やうきやく)にいり転筋(てんきん)を治(ち)す
蔊菜(わさひ)能(のふ)食(しよく)を消(せう)するはかりにて痼疾(こしつ)を発(はつ)し熱(ねつ)を生(せう)する
蘘荷芛(めうかたけ)温虐(うんきやく)の人 熱(ねつ)を解(け)す不詳(ふせう)の気(き)おはさくる功能(こふのふ)
蘘荷子花(めうかのこ)     能毒同上

生姜(せうか)よく風寒(ふうかん)をさり痰(たん)を治(ち)し胃(ゐ)の気(き)をひらき諸毒(しよとく)解(け)す也
紫姜(はしかみ)     能毒同上
葱(ひともし)の血(ち)おはとゝめて腸(てう)を利(り)し風湿(ふうしつ)身痛(しんつう)魚毒(きよとく)消(せう)する
科葱(かりき)     能毒同上
漢葱(わけき)     同上
胡葱(あさつき)はうち温(あたゝ)めて気(き)を下(くた)し穀(こく)を消(せう)して五臓(こそう)益(ゑき)あり
茖葱(きやうしやにんにく)からく温(うん)にて毒(とく)もなく瘴気(しやうき)悪気(あくき)を除(のそ)くとそ知(し)れ
韮(にら)のよく中(うち)温(あたゝ)めて下痢(けり)をとめ陽腎(やうしん)まして諸血(しよけつ)治(おさ)むる
小蒜(のひる)また脾腎(ひしん)をかへし食(しよく)を消(け)し中(うち)温(あたゝ)めて邪気(しやき)を去(さる)也
大蒜(にんにく)は風邪(ふうしや)衂血(ちくけつ)下痢(けり)によし補薬(ほやく)とともに食(くら)ふへからす
薤(らつきよ)よく水(みつ)おはさりて腎(しん)をまし中(うち)温(あたゝ)めて冷瀉(れいしや)治(ち)すなり
蕨(わらひ)能(のふ)暴熱(ほうねつ)去(さ)りて水(みつ)を利(り)す多食(たしよく)の人は中(うち)を損(そん)する

薇(せんまい)は中(うち)調(とゝの)へて腫(しゆ)をさはき大小腸(たいせうてう)を利(り)する功(こう)あり
蒻凍子(こんにやく)は肝(かん)動(うこ)かして益(ゑき)もなく痘瘡(ほうそう)せさる小児(せうに)禁(いむ)へし
商陸(やまこほう)悪瘡(あくそう)水腫(すいしゆ)利(り)すれとも妊娠(にんしん)の人 食(くら)ふへからす
虎杖(いたとり)は産後(さんこ)悪血(おけつ)をよく下(くた)し癥瘕(てうか)を治(ち)する能(のふ)そある也
茅針(つはな)よく血症(けつせう)を治(ち)す能(のふ)あれは金瘡(きんそう)にまた傅(つけ)て妙(めう)あり
繁縷(はこへ)能(のふ)悪瘡(あくそう)を治(ち)し血(ち)を破(やふ)る産前産後(さんせんさんこ)用(もち)ひ▢▢き
莧菜(ひゆ)はよく目(め)明(あき)らかにし邪(しや)を除(のそ)き大便(たいへん)利(り)して痢(り)を治(おさむ)る
馬歯莧(すへりひゆ)     能毒同上
藜(あかさ)よく虫(むし)おは殺(ころ)す能(のふ)ありて疥癬(ひせん)風瘡(ふうそう)治(ち)するもの也
灰蓼(あほあかさ)     能毒同上
艾草(よもきそう)吐血(とけつ)漏血(らうけつ)下痢(けり)によく心腹(しんふく)冷気(れいき)寒湿(かんしつ)をさる
鼠麺草(ほうこくさ)中(うち)調(とゝの)へて気(き)おはまし痰(たん)を除(のそい)て熱(ねつ)嗽(そう)を治(ち)す

薺(なつな)よく肝(かん)を平(たい)らけ中(うち)を和(くは)し目(め)明(あき)らかにし痢疾(りしつ)治(ち)す也
鶏腸菜(よめな)は悪瘡(あくそう)腫毒(しゆとく)よく消(せう)し五淋(こりん)赤白(しやくびやく)痢疾(りしつ)にそよき
蒲公英(たんほゝ)は乳癰(にうやう)水腫(すいしゆ)食(しよく)を解(け)し滞気(たいき)散(さん)して熱(ねつ)とくを化(くは)す
接続草(すきな)よく小児(せうに)小瘡(せうそう)能(のふ)あれと多(おほ)く食(くら)へは下痢(けり)を催(もよふ)す
地筆(つく〳〵し)下血(けけつ)痢疾(りしつ)を治(ち)すれとも逆上(きやくしやう)の人 食(くら)ふおはいめ
款冬花(ふきのとう)五臓(こそう)を益(ま)して痰(たん)を化(くは)し肺(はい)潤(うるほ)して嗽(せき)をと▢むる
款冬茎(くたふき)     能毒同上
独活芽(うとめ)よく湿(しつ)を除(のそい)て風(かせ)を逐(お)ひ骨節痛(こつせつつう)を治(ち)するもの也
紫蘇(しそ)はもと風邪(ふうしや)を発(はつ)し痰(たん)を化(くは)し気(き)を行(めく)らして胎(たい)を安(やす)んす
鹹蓬(まつな)     能毒未詳
菊(きく)の能(のふ)諸風(しよふう)頭上(つせう)の熱(ねつ)を解(け)し目(め)を清(きよ)にして翳膜(ゑいまく)をさる
茼蒿(しゆんきく)は脾胃(ひゐ)と心気(しんき)を養(やしな)ふて痰(たん)おは消(せう)し大腸(たいてう)を治(ち)す

萱艸(くわんそう)ハ湿熱(しつねつ)をさり食(しよく)を化(くは)し小便(せうへん)赤渋(しやくしう)煩熱(はんねつ)をさる
地膚(はうきゝ)は瘡毒(そうとく)を解(け)し気(き)を化(くは)してよく小水(せうすい)を通(つう)すると知(し)れ
菠薐(はうれんそう)五臓(こそう)を治(おさ)め渇(かつ)をとめ胸(むね)をひいて酒毒(しゆとく)解(け)すなり
車前(おゝはこ)草は目(め)明(あき)らかにし熱(ねつ)をさり血(ち)を涼(すゝ)しめて淋(りん)を通(つう)する
牛房(こほう)よく牙痛(けつう)をとゝめ腫(しゆ)を消(せう)し風腫(ふうしゆ)咳嗽(かいそう)瘡毒(そうとく)を治(ち)す
草石蚕(ちようろき)は五臓(こそう)を和(くは)して気(き)を下(くた)し血(ち)おは散(さん)して風(かせ)を動(うこ)▢す
百合根(ゆりね)よく中(うち)を補(おきな)ひ血(ち)を化(くは)して肺(はい)を温(あたゝ)め嗽(せき)を治(おさ)むる
緑豆黄巻(ふんとうのもやし)は何(なに)の毒(とく)もなく酒毒(しゆとく)熱(ねつ)とく解(け)するものなり
草薢(ところ)よく肝(かん)補(おきな)ふて精(せい)をまし腰背骨痛(やうせきこつつう)悪瘡(あくそう)を治(ち)す
薯蕷(やまのいも)脾胃(ひゐ)を養(やしな)ひ痢(り)をとめ気力(きりよく)をまして陰(いん)を強(つよ)ふす
仏掌薯蕷(つくねいも)五労七傷(こらうしちしやう)補(おきな)ふて山(やま)のいもにそ能(のふ)はかわらし
零余子(ぬかこ)よく腎気(しんき)をまして腰脚(やうきやく)のよはきを助(たす)け虚(きよ)おは補(おきな)ふ

紫芋(とうのいも)腸胃(てうゐ)を寛(ゆる)め皮膚(ひふ)にみち産婦(さんふ)食(くら)へは血(ち)を破(やふ)る也
青芋(さといも)はとうの芋(いも)にそ功(こう)ひとし過(すき)て食(くら)へは気(き)おは塞(ふさ)くそ
芋茎(すいき)こそ煩(はん)を除(のそい)て瀉(しや)をとめ妊婦(にんふ)食(くら)ふて胎(たい)を安(やす)んす
甘藷(さつまいも)脾胃(ひゐ)養(やしな)ふて腎(しん)をまし虚乏(きよほ■)気力(きりよく)を補(おきな)ふと知(し)れ
黄独(かしういも)熱(ねつ)嗽(そう)を治(ち)す薬(くすり)にて功能(こうのふ)外(ほか)になきとこそいふ
蘿藦実(かしういも)は精気(せいき)虚労(きよらう)を補(おきな)ふて膚(はたへ)を生(せう)し血(ち)おはとゝむる
茄蓮(はすいも)     能毒未詳
藕根(はすのね)は肌(はたへ)を生(せう)し渇(かつ)をとめ酒毒(しゆとく)を解(け)して血(ち)おは収(おさ)むる
蓴菜(しゆんさい)は消渇(せうかつ)黄疽(おうそ)熱(ねつ)をさり水気(すいき)を逐(お)ふて腸気(てうき)補(おきな)ふ
川苔(かわのり)は脾胃(ひゐ)虚(きよ)の人の禁(いむ)へしよ瘡家(そうか)病(ひやう)人なをもあしきそ
海苔(あをのり)の酒毒(しゆとく)を解(け)して渇(かつ)をとめ金瘡(きんそう)に貼(つけ)血(ち)おはとゝむる
紫苔(あまのり)は熱(ねつ)を下(くた)して煩(はん)を解(け)す脚気(かつけ)の症(せう)に用(もち)ひてそよき

葛粉(くすのこ)の渇(かつ)をとゝめて酒(さけ)を解(け)しよく煩熱(はんねつ)を去(さ)るとこそ知(し)れ
瓊脂(ところてん)よく上焦(しやうせう)の熱(ねつ)をさく妊娠(にんしん)の人 食(くら)ふへからす
広天(かんてん)     同上
水松(みる)はよく陽(やう)を補(おきな)ひ血(ち)を治(おさ)め産後血(さんこけつ)結(けつ)腹痛(ふくつう)によろし
海索麺(うみそうめん)なに能(のふ)もなく毒(とく)もなし病(ひやう)人 食(く)らい害(かい)はあるまし
海薀(もそく)には水気(すいき)を下す能(のふ)ありて癭瘤結気(ゑいりうけつき)ほとくもの也
鹿角菜(とさかのり)よく風熱(ふうねつ)の気(き)を下し小児(せうに)骨蒸(こつせう)労熱(らうねつ)をさる
竜鬚菜(しらんも)     能毒未詳
海帯(あらめ)よく血症(けつせう)を治(ち)し水(みつ)を利(り)し癭瘤(ゑいりう)痰腫(たんしゆ)消(せう)すると知(し)れ
相良海帯(さからめ)は脾胃(ひゐ)おは塞(ふさ)くものなれよ虚(きよ)人 病(ひやう)人 食(くら)ふへからす
裙帯菜(わかめ)よく男子(なんし)精洩(せいせつ)夢遺(むい)によく女子(によし)の赤白帯下(しやくひやくたいけ)治(ち)す也
羊栖菜(ひしき)こそよく風熱(ふうねつ)を治(ち)すれとも功能(こうのふ)うすき薬(くすり)なりけり

昆布(こんふ)よく水腫(すいしゆ)を利(り)する能(のふ)ありて積聚(しやくしゆ)瘰癧(るいれき)癭瘤(ゑいりう)によし
海藻(ほたわら)は結核(けつかく)瘤(りう)をよく消(せう)し水気(すいき)を利(り)して熱(ねつ)を解す也

   木部(きのふ)
茶(ちや)の性(せい)は食(しよく)を消(せう)して気(き)を下(くた)し上蕉熱(しやうせうねつ)と睡(ねふ)り醒(さま)すそ
千歳虆(あまちや)こそ肌肉(きにく)筋骨(きんこつ)養(やしな)へと小児(せうに)多食(たしよく)は害(かい)あると知(し)れ
五加葉(うこき)よく風湿(ふうしつ)をさり精(せい)をまし目(め)明らかにして痰(たん)を消(せう)する
枸杞葉(くこのは)は目(め)明(あき)らかにして精気(せいき)まし五労七傷(こらうしちしやく)補(おきな)ふとしれ
紫桐葉(きりのは)は経(けい)を行(めく)らし乳(ち)を通(つう)し腫毒(しゆとく)消(せう)して髪(かみ)を長(なか)ふす
木通芽(あけひのめ)悪瘡(あくそう)を治(ち)し水(みつ)を利(り)す乳(ち)を通(つう)しては五淋(こりん)治(ち)す也
木槿花(むくけはな)湿熱(しつねつ)をさり水気(すいき)利(り)し赤白痢疾(しやくひやくりしつ)下血(けけつ)おは治(ち)す
梔子(くちなし)の花(はな)は肺熱(はいねつ)よくさまし水気(すいき)を利(り)する薬(くすり)とそ知(し)れ

藤芽(ふちのめ)は水気(すいき)を下(くた)すはかりにて功能(こうのふ)外(ほか)になきとこそ知(し)れ
蜀漆葉(くさくさのは)積聚(しやくしゆ)虐疾(きやくしつ)鬼疰(きちう)治(ち)す脾胃(ひゐ)虚(きよ)の人は食(くら)ふへからす
木天蓼(またゝひ)は風労(ふうらう)積聚(しやくしゆ)よく治(おさ)め霍乱(くわくらん)中暑(ちうしよ)治(ち)するとそ云
苦竹筆(またけ)よく水道(すいとう)を利(り)し気(き)を下(くた)し痰(たん)を消(せう)して熱気(ねつき)さる也
淡竹筆(はちく)もと痰(たん)を消(せう)して熱(ねつ)をさり頭旋(つせん)驚癇(きやうかん)温疫(うんゑき)を治(ち)す
冬竹(もうそふちく)     無毒能未詳
竹実(しねんこ)は身(み)を軽(かる)ふして気(き)おは益(ま)しよく神明(しんめい)に通(つう)するといふ

   果部(くたものゝふ)
桃実(もゝのみ)は肺病(はいひやう)を治(ち)す能(のふ)あれと多(おほ)く食(くら)ふはよろしかるまし
李実(すもゝのみ)よく肝病(かんひやう)を治(ち)すといふ中(うち)調(とゝの)へて労熱(らうねつ)もさる
梅実(むめのみ)は熱(ねつ)を除(のそひ)て気(き)を下し津液(しんゑき)をまし焦渇(せうかつ)をとむ

白梅(むめほし)は腫毒(しゆとく)を消(せう)し痰(たん)を解(け)し赤白痢疾(しやくひやくりしつ)骨鯁(ほねぬき)によろし
杏実(あんすのみ)心病(しんひやう)を治(ち)し渇(かつ)をとめ冷(ひへ)を除(のそ)けと産婦(さんふ)にはいむ
棗実(なつめのみ)生(しやう)は瀉(しや)にして乾(かん)補(ほ)なり脾胃(ひゐ)養(やしな)ふて津液(しんゑき)をます
梨実(なしのみ)は肺(はい)を潤(うるほ)し渇(かつ)をとめ痰嗽(たんせき)を治(ち)し酒毒(しゆとく)消(せう)する
榅桲(まるめろ)は中(うち)温(あたゝ)めて気(き)を下し煩渇(はんかつ)をとめ胸膈(きやうかく)を利(り)す
榠楂(くわりん)よく酒毒(しゆとく)を解(け)して痰(たん)をさり悪心(おしん)心中酸水(しんちうさんすい)を治(ち)す
木瓜(ほけ)はよく霍乱(くわくらん)転筋(てんきん)能(のふ)ありて脚気(かつけ)湿痺(しつひ)を治(ち)するもの也
楊梅(やまもゝ)の渇(かつ)を潤(うるほ)し気(き)を下(くた)し嘔噦(おういつ)をとめ酒毒(しゆとく)消(せう)する
枇杷(ひわ)はよく肺気(はいき)を利(り)して気(き)を下(くた)し吐逆(ときやく)治(おさ)めて渇(かつ)を止(とゝむ)る
林檎(りんこ)こそ気(き)おは下(くた)して痰(たん)を化(くは)し霍乱(くわくらん)腹痛(ふくつう)消渇(せうかつ)によし
栗(くり)の能(のふ)腎(しん)補(おきな)ふて気(き)おそ益(ま)し腸胃(てうゐ)腰脚(やうきやく)骨(ほね)を強(つよ)ふす
安石榴(さくろ)よく腹痛(ふくつう)帯下(たいけ)瀉(しや)を止(とゝ)め赤白痢疾(しやくひやくりしつ)禁【「噤」か】口痢(きんかうり)治(ち)す

銀杏(きんなん)は肺(はい)温(あたゝ)めて嗽(せき)を治(ち)し痰(たん)を除(のそ)いて濁(たく)をとゝむる
海松子(かいせうし)脾胃(ひゐ)肌肉(きにく)おは養(やしな)ふて多年(たねん)食(くら)へは老(おひ)さるといふ
竜眼(りうかん)肉心(にくしん)脾(ひ)虚損(きよそん)を補(おきな)ふて魂(こん)を強(つよ)ふし思膚(しりよ)【「慮」か】を安(やす)んす
胡桃(くるみ)能(のふ)気(き)おは補(おきな)ひ血(ち)をまして腰脚(やうきやく)重痛(てうつう)疝気(せんき)にそよし
榧子(かや)はよく五痔(こし)寸白(すんはく)に効(こう)ありて営衛(ゑいゑい)陽道(やうとう)筋骨(きんこつ)をます
甜櫧子(しいのみ)は疥癬(ひせん)を発(はつ)し脾(ひ)をいたむ病人(ひやうにん)小児(せうに)絶(たへ)て食(くら)ふな
櫧子(かし)はそれ洩痢(せつり)を止(とむ)る能(のふ)あれと食料(しよくりやう)にと宜(よろ)しかるまし
天師栗(とちのみ)は何(なに)功能(こうのふ)もなきものに小児(せうに)病(ひやう)人 食(くら)ふへからす
胡椒(こせう)よく中(うち)温(あたゝ)めて気(き)を下し多(おほ)く食(くら)へは肺(はい)を損(そん)する
山椒(さんせう)は食(しよく)を消(せう)して胃(ゐ)をひらき胸隔(きやうかく)を利(り)し虫積(ちうしやく)を逐(お)ふ
都夷香(はくたいかは)泄瀉(せつしや)をとゝめ暑邪(しよしや)を解(け)し毒(とく)なきものとかねて知(しる)へし
《振り仮名:都■子|つくはね》は性(せう)軽(かる)ふして能(のふ)うすく頭痛(つつう)おはよく治(ち)するとそ云

【■は米に念】

菱実(ひしのみ)は中(うち)を安(やす)んす能(のふ)あれと多(おほ)く食(くら)らへは陽気(やうき)損(そん)する
木半夏(なわしろくみ)水痢(すいり)をとむる能(のふ)あれと熱病(ねつひやう)の人 食(くら)ふへからす
覆盆子(いちこのみ)虚(きよ)を補(おきな)ふて気(き)おはまし肌膚(きふ)を潤(うるほ)し五臓(こそう)安(やす)んす
桜桃(にはさくら)中(うち)調(ととの)へて脾(ひ)をませと血気(けつき)筋骨(きんこつ)敗(やふ)るとそいふ
桑椹(くわいちこ)酒毒(しゆとく)を解(け)して水(みつ)を利(り)しよく関節(くわんせつ)の痛(いたみ)おは治(ち)す
無花果(いちちく)の胃(ゐ)おはひらいて瀉(しや)をとゝめ五痔(こし)を治(おさめ)て酒毒(しゆとく)解(け)す也
枳椇子(けんほなし)五臓(こそう)を潤(しゆん)し渇(かつ)をとめ酒毒(しゆとく)を解(け)して二便通(にへんうう)する
紅柿(こねりかき)胃熱(ゐねつ)をさまし気(き)を通(つう)し酒毒(しゆとく)を解(け)して口乾(こうかつ)をとむ
醂酒(さわしかき)脾胃(ひゐ)を補(おきな)ふ効(こう)ありて宿血(しゆくけつ)を解(け)し下焦(けせう)濇(しふ)らす
白柿(つるしかき)脾胃(ひゐ)を養(やしな)ひ渇(かつ)をとめ痰(たん)宿血(しゆくけつ)を消(せう)すると知(し)れ
葡萄(ふとう)よく渇(かつ)をとゝめて酒(さけ)を解(け)し食(しよく)をすゝめて小水(せうすい)を利(り)す
柑(みかん)能(のふ)渇(かつ)をとゝめて熱(ねつ)を解(け)し腸胃(てうゐ)ひらいて小便(せうへん)を利(り)す

橘(かうし)よく肺(はい)を潤(うるほ)し痰(たん)を化(くは)し胸(むね)をひらゐて渇(かつ)を治(ち)すなり
仏手橘(ふしゆかん)の気(き)を下(くた)しては痰(たん)を化(くは)し咳嗽(かいそう)心下(しんけ)気痛(きつう)おは治(ち)す
金橘(きんかん)の酒毒(しゆとく)を解(け)して気(き)を下(くた)し胸(むね)をひらゐて渇(かつ)をとゝむる
柚(ゆ)の性(せう)は食(しよく)を消(せう)して酒(さけ)を解(け)し腸胃(てうゐ)の中(うち)の悪気(あくき)さる也
木橙(たい〳〵)の気(き)を下(くた)しては積(しやく)を治(ち)し疝気(せんき)を逐(お)ふて虫(むし)を殺(ころ)する
蜜橝(くねんほ)は酒毒(しゆとく)魚毒(きよとく)をよく消(せう)し渇(かつ)をとゝめて胃(ゐ)おは潤(うるほ)す
錦茘枝(きんれいし)目(め)明(あき)らにして労(らう)を治(ち)し心(しん)を清(きよ)ふし邪熱(しやねつ)去(さる)也
茘子(なすひ)には寒熱(かんねつ)をさる功(こう)あれと妊婦(にんふ)虐疾(きやくしつ)禁食(きんしよく)と知(し)れ
胡瓜(きふり)よく熱(ねつ)を清(きよ)ふし渇(かつ)をとむ小児(せうに)病(ひやう)人 禁(いむ)かよろしゝ
冬瓜(かもふり)は水腫(すいしゆ)を除(のそ)き渇(かつ)をとめ癰腫(やうしゆ)熱毒(ねつとく)胸満(きやうまん)を治(ち)す
越瓜(あさふり)の気(き)を下(くた)しては中(うち)を化(くは)し脾胃(ひゐ)をひらゐて消渇(せうかつ)を治(ち)す
糸瓜(へちま)よく経絡(けいらく)血(ち)おは行(めく)らして痰喘(たんせん)瘡毒(そうとく)消(せう)すると知(し) ̄レ

瓠蓄(かんひやう)は熱(ねつ)を消(せう)して水(みつ)を利(り)し病(ひやう)人 食(く)ふて害(かい)はなきもの
南瓜(ほしふし)は中(うち)を補(おきな)ふ能(のふ)あれと黄疽(おうそ)脚気(かつけ)をやらも発(はつ)する
番南瓜(かほちや)能(のふ)略(ほゝ)ほうふうとひとしくて過(すき)て嗜(たし)むは悪(あしき)とそ知(し) ̄レ
阿古多宇利(あこたうり)諸瓜(しよくは)の中(うち)にて性(せう)あしゝ虚(きよ)人 病(ひやう)人 食(くら)ふへからす
甜瓜(まくはふり)目を暮らして下痢(けり)をなす多(おほ)く食(くら)へは脚気(かつけ)患(うれう)る
西瓜(すいくは)よく酒毒(しゆとく)を解(け)して渇(かつ)をとめ暑熱(しよねつ)消(せう)して水気(すいき)利(り)す也

  菌部(くさひらのふ)
松蕈(まつたけ)の久痢(きうり)をとゝむ能(のふ)あれと小児(せうに)病(ひやう)人 禁(いむ)かよろし
香蕈(しいたけ)は風(かせ)おそ去(さ)りて血(ち)を破(やふ)る病(ひやう)人 更(さら)に食(くら)ふへからす
葛花菜(へにたけ)は春(はる)いつるもの毒(とく)はなし酒積(しゆしやく)をまさに消(せう)すとそ云(いふ)
紫蕈(はつたけ)の血(ち)を破(やふ)りてそ風(かせ)をさる椎茸(しいたけ)に能(のふ)同(おな)しこと也

雚菌(くもたけ)は長虫(てうちう)をさり瘡(そう)を治(ち)し中(うち)温(あたゝ)めて冷痛(れいつう)によし
藦菰蕈(ひらたけ)の痰(たん)おは化(くは)する能(のふ)あれと多(おほ)く食(くら)ふはよろしかるまし
鶏㙡(ねすみたけ)神(しん)を清(きよ)ふし脾胃(ひゐ)を和(くは)し五痔(こし)下血(けけつ)おは治(ち)するとそ云(いふ)
蜀挌(はりたけ)の寒熱(かんねつ)痿痺(いひ)をよく治(おさ)め帯下(たいけ)癰腫(やうしゆ)を消(せう)すると知(し)れ
松露(せうろ)こそ性(せう)軽(かる)ふして毒(とく)もなし山(やま)に生(せう)するものは毒(とく)なり
木耳(きくらけ)は五臓(こそう)を利(り)して気(き)おはまし衄血(ちくけつ)五痔(こし)の人によろしゝ
石耳(いわたけ)は目を明(あき)らかにし精(せい)をまし肌膚(きふ)顔色(かんしよく)を潤(うるは)しふする
杦蕈(すきたけ)は心脾(しんひ)気痛(きつう)をよく治(おさ)め冷気(れいき)を発(はつ)し暴痛(ほうつう)をとむ
桑耳(くはたけ)は痰飲(たんいん)積聚(しやくしゆ)よく治(おさ)め赤白帯下(しやくひやくたいけ)陰痛(いんつう)によし
柳耳(やなきたけ)性(せう)軽(かる)けれは毒(とく)もなく病(ひやう)人 食(く)ふて害(かい)はあるまし
槐茸(ゑんしゆたけ)     能毒同上
楡茸(にれたけ)     同上

榎茸(ゑのきたけ)     同上
栗茸(くりたけ)     同上
接骨木茸(にはとこたけ)     同上
志米知(しめじ)     同上
奈米須々幾(なめすゝき)     同上
伊久知(いくち)性(せう)大毒(たいとく)あれは禁(いむ)へしよ虚人(きよしん)食(くら)へは吐血(とけつ)するなり
鹿茸(しゝたけ)【左ルビ「からたけ」】はなに功能(こうのふ)もなきものよ小児(せうに)病(ひやう)人 禁(いむ)かよろしゝ

食品国歌巻之上《割書:終》

【白紙】

【裏表紙】

《題:食品国歌 坤》

食品国歌(しよくひんやまとうた)巻之下
      長生院法印大津賀仲安 述

  禽部(とりのふ)
鶴肉(つるのみ)は気力(きりよく)脾(ひ)腎(しん)を養(やしな)ふて五痔(こし)に脱肛血(たつこうち)には聖薬(せいやく)
鸛(かうつる)の中(うち)風湿熱(ふしつねつ)痢(り)を痊(いや)し婦人(ふしん)の諸病(しよひやう)久瘡(きうそう)によし
鶬鶏(まなつる)は功能(こうのふ)薄(うす)きものなれよ虫(むし)を殺(ころ)して虫毒(ことく)解(け)す也

雁肉(かんにく)の能(のふ)は気血(きけつ)をよく通(つう)し風攣麻痺(ふうれんまひ)を治(ち)するとそ知(し) ̄レ
鴻(ひしくい)は雁(かん)の大(たい)なるものなれは気味(きみ)効能(こうのふ)も同(おな)しことなり
鵠(はくてう)の気力(きりよく)を益(ます)に能(のふ)ありて臓腑(そうふ)おもよく利(り)するとそ云(いふ)
鵞(とうかん)は五臓(こそう)の熱(ねつ)を解(け)すれとも多(おほ)く食(くら)へは痼疾(こしつ)発(はつ)する
鳧(かも)はたゝ中(うち)補(おきな)ふて水(みつ)を利(り)し悪瘡(あくそう)およひ殺虫(さつちう)によし
鴛鴦(おしとり)は漏瘡(らうそう)血痔(けつし)収(おさ)むれと多(おほ)く食(くら)へは大風(たいふう)を病(やむ)
鶩(あひる)よく虚(きよ)を補(おきな)ふて臓(そう)を和(くは)し頭瘡(つそう)驚癇(きやうかん)熱(ねつ)痢(り)治(おさ)むる
鳲鳩(きしはと)は神(しん)安(やす)んして志(し)を定(さた)め睡(ねふり)おそよく醒(さま)すものなり
鴿(いへはと)の精(せい)調(とゝの)へて気(き)おはまし悪瘡(あくそう)疥癬(かいせん)癜風(てんふう)を治(ち)す
青䳡(やまはと)は臓(そう)を安(やす)んし気(き)を助(たす)け瘡(そう)癤(せつ)癰瘻(やうろう)虚損(きよそん)補(おきな)ふ
鷺(さき)はよく扶脾(ふひ)に補益(ほゑき)の効(こう)ありて自汗(しかん)盗汗(とうかん)虚痩(きよそう)治(ち)す也
鸀鳿(たいさき)の能毒(のふとく)鷺(さき)にひとしくて自汗(しかん)盗汗(とうかん)よく治(ち)すと云(いふ)

鶄(あを)■(さき)【とりへんの左に荘】は性(せう)無毒(むとく)にて汗(あせ)をとめ小水(せうすい)をよく利(り)するとそ知(し)れ
臥鳥(こいさき)は盗汗(ねあせ)を治(ち)するはかりなり鷺(さき)のうちにて能(のふ)そ少(すくな)し
朱鷺(とき)【左ルビ「とうからす」】の能(のふ)帯下(たいけ)崩漏(ほうろう)よく治(おさ)め婦人(ふしん)血症(けつせう)すへてよろしゝ
鴎(かもめ)には毒(とく)もなふして邪(しや)を除(のそ)きよく躁渇(そうかつ)を治(ち)するもの也
鸕鷀(う)は鼓脹(こてう)水道(すいとう)を利(り)し膈(かく)を治(ち)す骨鯁(ほねぬき)に又 妙薬(めうやく)と知(し) ̄レ
方目(はん)は実(けに)渇(かつ)をとゝむる能(のふ)あれは夏月(かけつ)は更(さら)に嗜(たしみ)てそよき
鸊鷉(かいつむり)中(うち)補(おきな)ふて気(き)おはまし積熱(しやくねつ)酒毒(しゆとく)解(け)するものなり
慈鳥(さとからす)労(らう)を補(おきな)ひ痩(やせ)を治(ち)し咳嗽(かいそう)骨蒸(こつせう)羸弱(るいしやく)に妙(みやう)
烏鴉(やまからす)労痩(らうそう)咳嗽(せき)をよく治(おさ)め小児(せうに)癇症(かんせう)殺虫(さつちう)によし
嚵鳥(かわからす)よく噎膈(いつかく)に効(こう)ありて小児(せうに)食(くら)へは五疳(こかん)おは治(ち)す
鳶(とひ)の能(のふ)癲癇(てんかん)によく功(こう)ありて目珠(もくしゆ)は更(さら)に盲(もう)を治(ち)す也
猫頭鷹(みゝつく)はたゝ虐疾(きやくしつ)を治(ち)すれとも効能(こうのふ)外(ほか)になきものと知(し) ̄レ

鴞(ふくろ)よく癇(かん)を愈(いや)して噎(いつ)を治(ち)し喘急(せんきう)痰(たん)咳(かい)久(ひさ)しきを治(ち)す
雉(きし)の肉(にく)中(うち)温(あたゝ)めて気(き)おはまし瀉痢(しつり)をとゝめて瘻(らう)を除(のそ)くそ
鸐雉(やまとり)は中(うち)を補(おきな)ひ気(き)をませと血(ち)を動(うこか)せは多食(たしよく)禁(いむ)へし
鶏肉(けいにく)の五労(こらう)七傷(しちしやう)補(おきな)ふて湿(しつ)を除(のそ)ひて血(ち)おは益(ま)すなり
鶏卵(けいらん)は臓(そう)を安(やす)んし血(ち)を鎮(しす)め赤白(しやくひやく)久痢(きうり)陰湿(いんしつ)によし
翻毛鶏(しやむ)    能毒(のふとく)略(ほゝ)同上
鶤鶏(とうまる)     同上
矮鶏(ちやほ)     同上
烏骨鶏(うこつけい)虚労(きよらう)羸弱(るいしやく)補(おきな)ふて禁口(きんかう)痢疾(りしつ)帯下(たいけ)治(ち)すなり
杜鵑(ほとゝきす)瘡(そう)瘻(らう)虫(ちう)に伝(つけ)てよく能毒(のふとく)薄(うすき)きものとこそ知(し)れ
鷸(しき)はよく虚(きよ)を補(おきな)ふに能(のふ)ありて中(うち)を強(つよ)くし暖(あたゝ)たむといふ
竹鶏(うはしき)     能毒同上

水鶏(くゐな)こそ何毒(なにとく)もなき薬(くすり)にて蟻瘻(きらう)を治(ち)する能(のふ)そある也
鶉(うつら)よく臓(そう)補(おきな)ふて気(き)おはまし疳痢(かんり)鼓脹(こてう)を治(ち)するとそ云(いふ)
蝋嘴雀(まめまわし)肌肉(きにく)を生(せう)す功(こう)ありて虚羸(きよるい)を強(つよ)く補(おきな)ふと知(し)れ
紫古密(つくみ)よく食(しよく)を進(すゝめ)て胃(ゐ)をひらき久痾(きうあ)の人は食(くら)ふてそよき
白頭鳥(ひよとり)は中(うち)を温(あたゝ)め気(き)をまして何毒(なにとく)もなき薬(くすり)なりけり
天鷚(ひはり)能(のふ)久瀉(きうしや)虚痢(きより)おはよく治(おさ)む気虚(ききよ)の病(ひやう)人 食(くら)ふてそよし
莫古鳥(むくとり)は肌肉(きにく)虚羸(きよるい)を補(おきな)ふて皮膚(ひふ)潤(うるほ)すに炙(あふり)食(くう)へし
鶯肉(うくひす)の春(はる)を向(むか)へて啼(なく)ゆへに陽(やう)を補(おきな)ふものとこそ知(し)れ
巧婦鳥(さゝゐ)こそ能毒(のふとく)軽(かる)きものなれは虚弱(きよしやく)の人の用(もち)ひてもよき
練(れん)■(しやく)【「昔」の横に「昔」】は風疾(ふうしつ)を治(ち)し気(き)おはまし毒(とく)なき鳥(とり)とかねて知(し)るへし
魚狗肉(かわせみ)は骨哽(ほねぬき)にこそ用(もち)ひなは即効(そくこう)ありと心得(こゝろへ)てよし
燕肉(つはくろ)の性(せい)毒(とく)ありて気(き)を損(そん)す虚弱(きよしやく)の人は食(くら)ふへからす

計利(けり)はよく噎膈(いつかく)翻胃(ほんゐ)能(のふ)そあり脾胃(ひゐ)補(おきな)ふて食(しよく)を消化(せうくは)す
知土利(ちとり)には嘔吐(おゝと)久(ひさ)しく止(やま)さるによく功(こう)あると俗説(そくせつ)にいふ
世岐礼以(せきれい)の五淋(こりん)を治(ち)する能(のふ)あれは小便(せうへん)渋痛(しふりいたむ)にそよし
於奈加土利(おなかとり)功能(こうのふ)うすきものなれよたゝ風疾(ふうしつ)を治(し)するとそ云(いふ)
毛須鳥(もすとり)は毒(とく)大(おほふ)して能(のう)もなし禁食(きんしよく)すると知(し)りてこそよき
啄木鳥(きつゝき)は風癇(ふうかん)痔瘻(しらう)よく治(おさ)め虫牙(むしは)疳(かん)䘌(ちつ)労虫(らうちう)を逐(お)ふ
葛西鳥(かしとり)     能毒未詳
雀(すゝめ)よく陽道(やうとう)ませは子(こ)を生(しやう)し疝気(せんき)偏墜(へんつい)久痢(きうり)治(ち)すなり
蒿萑(あをち)こそ血症(けつせう)を治(ち)す聖薬(せいやく)そ吐血(とけつ)衂血(ちくけつ)下血(けけつ)崩漏(ほうろう)
保宇志(ほうし)■(ろ)【「呂」か】は毒(とく)もなけれは平和(へいわ)なり食料(しやくりやう)にして人に益(ゑき)あり
加志良多加(かしらたか)   能毒同上
獦子鳥(あつとり)     同上

加波良比波(かわらひわ)     同上
末比波(まひわ)     同上
宇曽(うそ)     同上
末志古(ましこ)     同上
也末加良(やまから)     同上
志志不加良(しゝうから)     同上
野志古(のしこ)     同上
比加良(ひから)     同上
比多岐(ひたき)     同上
米志呂(めしろ)     同上
幾久以多多岐(きくいたゝき)     同上

   獣部(けものゝふ)
牛(うし)の肉(にく)脾胃(ひゐ)養(やしな)ふて気(き)を助(たす)け腰脚(やうきやく)補益(ほゑき)消渇(せうかつ)をとむ
野猪(いのしゝ)の癲癇(てんかん)を治(ち)し肌膚(きふ)をまし腸風(てうふう)瀉血(しやけつ)治(ち)する効(こう)あり
鹿(しか)の肉(にく)虚痩(きよそう)気力(きりよく)を補(おきな)ふて中風(ちうふ)を療(りやう)し口僻(こうへき)によし
豕(ふた)のにく気(き)おは補(おきな)ふ功(こう)あれと湿熱(しつねつ)痰(たん)を生(しやう)すると知(し)れ
羊(ひつし)にく心(しん)を安(やす)んし気(き)をませと熱病後(ねつひやうこ)には食(くら)ふへからす
狼(おゝかみ)は五臓(こそう)腸胃(てうゐ)を補(おきな)ふて骨髄(こつつい)をまし冷積(れいしやく)を治(ち)す
熊(くま)の肉(にく)虚羸(きよるい)脚気(かつけ)に功(こう)ありて風痺(ふうひ)筋骨(きんこつ)不仁(ふしん)にそよき
狐(きつね)よく瘡疥(ひせん)を発(はつ)し邪気(しやき)を追(お)ひ寒熱(かんねつ)をさり虚(きよ)おは補(おきな)ふ
狸(たぬき)能(のふ)痔疾(ししつ)鼠瘻(そらう)をよく収(おさ)め遊風(ゆふふう)風冷(ふうれい)下血(けけつ)治(ち)すなり
兎(うさき)よく脾(ひ)健(すこや)かにし渇(かつ)をとめ熱毒(ねつとく)およひ痘毒(とうとく)を解(け)す
獺(かわうそ)は労熱(らうねつ)脹満(てうまん)女子(しよし)によく陽(やう)を消(せう)して男子(なんし)益(ゑき)なし

精養

KEIO-00187

書名 精養

 刊      1/1冊
所蔵者 慶應義塾大学メディアセンター
(備考)
管理番号 70100586325
撮影 株式会社カロワークス
撮影年月 平成27年8月

 慶應義塾大学メディアセンター

【帙 表】
【題簽】
精養

【表紙】

小西家之忠臣 小西寅造
         此主寅造
  此主寅造 此主
        貨輔
小西家之忠臣  貫輔 貫
  寅造此主  重吉
        士輔
此主小西寅造  貫輔
    寅造書 重佶

程子(ていし)の説(せつ)に《振り仮名:不_レ偏|かたよらさる》之謂【レ点脱】中《振り仮名:不_レ易|かはらさる》
之《振り仮名:謂_レ庸|よふといふ》と中庸は則(すなはち)天地の理(り)に
して《振り仮名:率_レ理|りにしたかふ》もの則道也道は日用
当行(とふこふ)の路(みち)にして君は則君の道
臣は則臣の道あり道の真(しん)を得(う)る者
是を賢達(けんたつ)の人と云《割書:予》か道たる漢(かん)に
張仲景(てふちふけい)有て能(よ)く医(い)の真(しん)理を

闢(ひら)くといへとも仲景 没(ほつ)して後(のち)道また
庸愚(やうぐ)の為(ため)に誤(あやま)り来ること遠(とふ)く大慨(おふむね)【概】
病をすることを思はすして体(たい)を養ふ
ことをおもふて却而(かへつて)病を養ひ体(たい)
を損(そん)するに至るなけくべきの甚し
きにあらすや今 粤(こゝ)に《割書:予》か師 桜井(さくらい)
翁(おふ)医道(いどふ)之 真理(しんり)を観発(みひらい)て先賢(せんけん)も

《振り仮名:未_レ発|いまたはつせさる》の妙(めふ)理を極(きは)む是 実(しつ)に此道
の興隆(かふりゆう)する時を得たりと云へし雖(しかりと)
_レ然(いへとも)老翁(ろふおふ)無為(むい)にして世(よ)に発(はつ)せん事
をおもわす《割書:予》師に学(まなん)でより此道
の天下に公(おゝやけ)ならさるをなけく故(ゆへ)に
是を禿毫(とくこふ)に書して素心(そしん)の万一を
もつて普(あまね)く世上に施(ほとこ)すのみ蓋(けた)し

本末(ほんまつ)二 章(せう)を闕略(けつりやく)して猶(なを)病を去り
気発(きはつ)をたてゝ病者(ひよふしや)を介育(かいいく)する功業(かふけふ)
もあらば《割書:予》か此書にのする所の補助(ほちよ)
にもならんかと後(のち)の高識(かふしき)の君子(くんし)
を俟(ま)つのみ
         元玄堂主人述

   治療(ぢりやう)と養生(ようしやう)の道(みち)を説(とく)
人 貴(たつと)きも賤(いや)しきも遁(のが)れがたきは病(やまひ)なり、士農工商(しのうこうせう)其(その)
外(ほか)遊民(ゆうみん)に至(いた)るまで、無病ならざれば其 勤(つと)め其 業(わざ)をなす
こと能(あた)はず、天に不時(ふじ)の風雲(ふううん)あれば人に病の患(うれひ)あり、
今世に医道(いどう)を行(おこな)ふは甚(はなはだ)行(おこな)ひがたきものと心得、多く
病人を治療しあるひは医書に眼(まなこ)を曝(さら)し、又は病人を
多く殺(ころ)さゞれば医道に妙(みやう)を得ぬものと、愚人(ぐにん)思(おも)ふは
理(り)のやうなれど天理と人事(じんじ)を知らざるなり、如何(いかん)と
なれば医書の源たる、傷寒論(しようかんろん)漢(かん)の張仲景(ちやうちうけい)の説処(とくところ)

其道を守りて、療するに病者の多少(たせう)に寄(よる)べからず、医道は
人 生(うま)れながら自然(しぜん)をもて備(そな)はれり、《割書:痛(いた)めて揉(もむ)ことをしり、草臥(くたびれ)|てさすることを知り、腹(はら)痛め》
《割書:ば苦(にが)きを喰(くら)ふ、大便(だいべん)けつすれば下(くだ)るを|思ひ、寒気(さむけ)して汗(あせ)することをしる》されば数(かず)を尽(つく)して妙に
至らんとは、諸芸(しよげい)を学(まな)ぶに均(ひと)しき愚(ぐ)の心なり、愚の志を
もて数を尽すといへども何(なん)ぞ其妙に至らん哉、自(みづから)の病を
自治し病を去べき薬を究(きは)めて、他の病を治療なすべき
事ならずや、然れば多く病人を治療して妙に至るとは、
元来(もとより)天地自然の療治を知らねば、危(あやふ)き事(こと)にしてよく
薬を売捌(うりさばく)の妙なり、又医書のみ沢山(たくさん)渉猟(せうりやう)【左ルビ:みる】するとも、病

の根元(こんけん)と阿吽(あうん)と天地の自然を暗記(あんき)【左ルビ:あきらめ】せずんば、書の目(ふちやう)
を沢山(たくさん)覚ゆるのみにして益(えき)なき事なり、世の諺(ことはざ)に病人
を多く殺さゞれば其妙に至らぬ抔(など)と、是人道を知ら
さるなり、万物の霊(れい)たる人を試(ため)して其妙に至るとは
不仁不義也、試(ため)さるゝものこそ哀(あわ)れなり、医は既(すで)に仁
術(じゆつ)といふ病苦(びやうく)を救(すく)ふをもて仁なり、鳥(ちやう)【左ルビ:とり】獣(じう)【左ルビ:けだもの】虫(ちう)【左ルビ:むし】に至る迄
其薬を知り喰ふて病を愈(いや)す、《割書:犬(いぬ)猫(ねこ)は草を喰ふて吐(はく)ことを|知り、山野にすむ獣もくさ〳〵》
《割書:の物喰ふて体(からだ)を養(やしな)ふことを知り、鳥といへども皆同じ、蜘(くも)蜂(はち)に刺(さゝ)れ|芋(いも)の葉(は)にこすりて其痛みをさる、人蜂にさゝれし時、芋のはをもみて》
《割書:つくれば、その|痛みをさる也》是天地自然也、況(いわん)や人におゐておや、後世

病(やまひ)の名(な)累年(るいねん)にまし、医書薬法年々に起(おこ)り、悉(こと〴〵)く覚
ゆるには百歳を経(ふ)るとも尽しがたし、元万病一毒なり、
頭(かしら)痛(いた)めば頭痛(づつう)といひ、足痛めば脚気(かつけ)といふ、人名あるが
如し、《割書:権兵衛|八兵衛》皆病也、今病の名のみに苦み、療治をな
すゆゑ治らざるなり、万病一毒なれば何ぞ其毒を
去に、手重(ておも)き事なし、されば万病治せずといふ事なし、
然るを此薬法は此病によし奇法(きほう)銘(めい)法と称(とな)ふること元
治定(ぢぢやう)なく当(あた)り不当りといふもの也、汗吐下(かんとげ)の三方より
外に病毒を去る方なし、又 腹中(ふくちう)にて病毒を消滅(せうめつ)

せず胸膈(けうかく)より上は是を吐(と)し胸膈より下は是を下し皮(ひ)
表(ひやう)の毒(どく)は是を発す是汗吐下の三方也世人多くは
気より病を生ず其気 胃中(ゐちう)に鬱(むすぼ)れて労症(らうせう)を生じ
又は上衝(ぜうしよう)して乱心(らんしん)となる愚(ぐ)の甚(はなはだ)しきなり此症は薬を
用ひて愚を説(とか)ずんば治(ぢ)せず近世(ちかきよ)人 智(ち)をますが故に
労煩(らうはん)す又 美食(びしよく)をなすゆゑに病を生ず人 此理(このり)を弁(わきま)
ふ時は病を生せず予(よ)が師(し)桜井祐之(さくらゐゆうし)上州の産(うまれ)にて妻(さい)
子の病を医(い)に頼(たの)み療治(りやうぢ)を受(うく)るといへども験(しるし)なく死す
祐之 壮年(わかきとき)より多病にして普(あまね)く医療を受るといへども

更(さら)に験(しるし)なきか故世に医療の治定(ぢぢやう)なき事を歎(なげ)きて
自(みづか)ら薬数品(くすりかずしな)【左ルビ:すひん】【注①】を集(あつ)め其 効(かう)なきを捨(すて)其効 有(ある)を用ひ
て汗吐下(かんとげ)の薬剤(やくざい)を究(きは)め自(みづか)らの病を療する処 悉(こと〴〵)く
病を去り始て無病の人となる是 胃中(ゐちう)の毒を去る
が故也 尚(なほ)九族(しんるい)【左ルビ:きうぞく】の病を療する事 数人(すにん)響(ひゞ)きに応(おう)して近(きん)
郷(がう)里人(さとびと)難症(なんせう)の治療を受く普(あまね)く験(しるし)有て無病の
人となす師(し)祐之(ゆうし)十有八年 已前(いぜん)より江府(ゑど)に来(きたり)て今(こ)
年七十有五歳 頭(かしら)に白毛(しらが)を生せず眼(め)明(あきらかな)にして歯(は)の
患(うれ)ひを知(しら)ず精気(せいき)壮者(わかきものゝ)【注②】の如く実(じつ)に無病の老翁(らうおう)なり

予(よ)師に従(したがつ)て悉(こと〴〵)く道を学(まな)び吾(わ)が体(からだ)のやまひを療し
家族(かぞく)を治療なすに無(む)病となすこゝにおゐて四(よ)
方(も)の貴賤(きせん)の病を治療なすに百 発(はつ)百 中(ちう)にして
其 効(しるし)なきといふ事なし寔(まこと)に無病長生の術(じゆつ)張仲(ちようちう)
景(けい)以来(いらい)の法(ほう)にして真(しん)法也古人の語(ご)に病を攻(せむ)るに
毒薬(どくやく)を以てす生(せい)を養(やしな)ふに穀(こく)肉(にく)菓(くわ)菜(さい)を以てすと
いへり然れば人々 食(しよく)を旨(うまし)として食するこそ生を
養(やしな)ふ第一にして薬をもて体(たい)を補(おきな)ふ理(り)なし近世
補薬(ほやく)持(ぢ)薬と称(しよう)して其 好(この)む物を禁(きん)食しその

【注① 左ルビ「すひん」は「数品」に付く】
【注② 振り仮名の「ゝ」は衍】

体(からだ)をおぎなはずして病を補(おきな)ひ或(あるひ)は薬にて其体を
養ふと心得(こゝろえ)病を子孫(しそん)のごとく大切(たいせつ)になし病 益々(ます〳〵)
盛(さかん)にして終(つい)に身(み)を失(うしな)ふものあり大(おゝ)いなる誤(あやまり)なり胃中(いちう)
の毒(どく)を去(さ)る時は病なし然れば禁食(きんしよく)に及(およ)ばす然れ共(ども)
好む物といへども多く食すれば毒なり米は命を保つ
良薬(りやうやく)なれども多く食すれば脾胃(ひゐ)虚(きよ)して病を生ず
是(これ)則(すなはち)毒薬也 物(もの)の中(ちう)をよしとす身体髪膚(しんたいはつぷ)潤環(じゆんくわん)して
腹中(ふくちう)に毒なきときは無病なり目(め)耳(みゝ)口(くち)手(て)足(あし)のやまひと
いへども皆胃中より発(おこ)り皮表(ひひやう)へ腫物(はれもの)出(いづ)るも胃中也

然るを其 悩(なや)む処(ところ)によりて治療し其 源(みなもと)を攻(せめ)ず既(すで)に
○疱瘡(ほうさう)を見るに初(はじ)め其 毒(どく)を下(くだ)さゞる故に胸膈(けうかく)へ
毒 上(のぼ)り或は毒のため精気(せいき)弱(よわ)きが故 一旦(いつたん)発表(はつひやう)の腫物(しゆもつ)
引込(ひきこみ)て死(し)するあり小児に下剤(げざい)を用るときは体 労(つか)るゝ
と心得(こゝろえ)病を大切にする論(ろん)也胎毒 強(つよ)きは疱瘡 重(おも)く
毒 軽(かろ)きは疱瘡かろし爰(こゝ)におゐて初め其毒を下し
後(のち)発表(はつひやう)の薬を用ひ尚(なほ)胸膈(けうかく)のはるときはいかにも下(くだ)
さずんば介(たすく)るに至(いた)らず小児の乳(ちゝ)を吐(はく)といふも胃中毒
強(つよ)くして食の納(おさま)るべき処に毒有が故に吐(と)す是 吐剤(とざい)

を用ふるの症(しよう)○驚風(きやうふう)といへども同じ吐剤を用ゆる時は
速(すみやか)に生(いく)るに至る病によりて五 臓(ざう)六 腑(ふ)に説(とく)といへども理(り)を
説 而已(のみ)にして見難(みがた)きのみ世間に家伝秘法と称(とな)へ或は
一子相伝又は神仏の夢想(むさう)と名付て悉(こと〴〵)く秘(ひ)する
事医道を弁へざる賤き志なり病を治すべき薬は後世
迄も多く人に伝へるこそ仁也全く一箇にして金銭を
貪(むさぼ)るの欲(よく)也是天地自然の理(り)を弁(わきま)へさる也天地の空(くう)
中に生ずる造化の人体有て中空也水火風にて性を
なす火風は形(かたち)なし物によりて形をなす《割書:水は其形を見る火|は木を焼(やく)によりて》

《割書:形をみる風は木に|よりて音をなす》水気(すいき)は体(たい)に充満(しうまん)し発熱(ほつねつ)する是 火(ひ)息(いき)す
る是風体を自在(じざい)にし言語(くちをきく)【左ルビ:げんぎよ】する是空中の玄(けん)也天地
万物(ばんもつ)を造化(さうくわ)すといへども気(き)より生ずる一物にして論(ろん)
じ難(がた)し金(かね)は重(おも)きものといへども空(くう)有(ある)■(とき)は水上(すいしよう)に浮(うか)ぶ
生物(せいぶつ)と死(し)物と異(ことなり)といへども理(り)は同意(どうゐ)にして人の体(からだ)に
空あればこそ性(せい)をなす然るを魂魄(こんはく)有(ある)ものと思ふが
故(ゆへ)に病毒を攻(せむ)るの術(じゆつ)を失(うしな)ふ実(じつ)に魂魄有ものなれば
婦人 孕(はら)む■(とき)何(いづ)れよりか魂魄 飛(と)び来(きた)るや魂魄は阿呍(あうん)
にして又 説(とき)がたし無心(むしん)は養生(ようじやう)の基(もとゐ)事に労煩(らうはん)なす

【注 ■は「日+之」・「時」の意ヵ】

故に病を生す大(おゝ)いに悦(よろこ)び大いに驚(おどろ)き大いに患(うれ)ふ皆(みな)
胃中(ゐちう)に悪気(あくき)を止(とゝむ)る故に病根(ひやうこん)となる既(すで)に○労症(らうしよう)を
見るに気(き)の発(はつ)する性(せう)又は気発せざる性より起(おこ)り同症(とうせう)
にして上衝(のぼせ)【左ルビ:ぜうしやう】する時は○乱心(らんしん)と成(なる)是又愚の甚(はなはだし)きなり
狐(きつね)狸(たぬき)人に取付(とりつく)抔(など)と古(いにしへ)より云伝(いひつた)ふ万物(ばんもつ)の霊(れい)たる人に
獣(けだもの)の害(がい)を為(なす)べきや人たるもの能々(よく〳〵)思慮(しりよ)すべし皆 己(おのれ)と
念(ねん)を生じ人又取付といふが故に狐狸の真似(まね)を為(なす)
なり鳥獣(てうじう)の類(るい)に狐狸の付たるを見ず故に人有て
狐を殺(ころ)す傍(かたはら)に居(ゐ)る人 不便(ふびん)に思ふ其人に取付て

害(がい)せし人に取付ず取付 程(ほど)の獣 強(つよき)を恐(おそ)れ弱き
を恐れざる理なし神明(かみ)【左ルビ:しんめい】先祖(ほとけ)【左ルビ:せんぞ】の祟(たゝ)りも同じ神明
仏祖(ほとけ)たるもの祟(たゝ)るべきや皆(みな)己(おのれ)と念を生ずるなり又
世に加持祈祷(かぢきたう)をもて病を治せんとするもうけがた
き事にして仏祖も飲食(いんしい)衣服(いふく)臥具(くわぐ)医薬(いやく)を《割書:法|華》
供養(くよう)すと説(と)くされば断食(だんじき)をし薬を呑(のむ)なとは
教(おし)えず薬を用ゆる上(うへ)祈念(きねん)せば一心のよる処にし
て効験(かうけん)あらん祈念なして諸病を治せば修験(しゆげん)法(ほう)
師(し)に病にて死するものはなき筈(はづ)也死するものを

因縁(いんねん)定業(ぢやうごう)又は天命(てんめい)老少不常(らうせうふぢやう)と称(とな)ふるはよきぬ
け道なり不時(ふぢ)の災難(さいなん)にて死するものは天命とも
因縁ともいふべきが全(まつた)く病のため死するものは胃
中の毒のため死するなり是(これ)療治(りやうぢ)のとゞかぬなり
病なくして壮年(わかく)【左ルビ:さうねん】に死するものを見ず無病の人八九十
年を経(へ)て枯木(かれき)の倒(たほ)るゝが如く死するものこそ定業(ぢやうごう)
ともいふべし世の医(い)たるもの吾(わ)が体(からだ)の病を自(みづか)ら治し
妻子(さいし)眷属(けんぞく)の病を治し而后(しかふしてのち)他の病人を治療する
こそ本意(ほんい)なれ然るを吾(わ)か病を他の医に頼(たの)むなど

といふは元(もと)療治の治定(ぢぢやう)なきが故也人の命にかゝわる
業(わざ)くれをなすに治定なき術(しゆつ)をもて身の営(いとな)みと
なすは不仁不義也世人 加持祈禱(かぢきとう)を信要(しんやう)し補(ほ)
薬持薬を用ひ口あたりよく骨(ほね)おらず苦(くる)しまず
して病は愈るものと心得(こゝろえ)良薬(りやうやく)口に苦(にが)しといふ古語(こご)を失(うしな)
ふ今 難症(なんしよう)を治療すといへば不思議の事と思ひて
謗(そし)る者あらん元(もと)病を不具(かたわ)と心得 愈(いゑ)ざることゝ究(きはむ)
るが故 愚人(ぐにん)思ふべし是も元(もと)治する術(じゆつ)なきが
故なり歎(なげ)かはしき事(こと)哉(かな)人体(にんたい)備(そなは)りて何ぞかたわ

たらんや持病(ぢびやう)有(ある)べきや全く病毒のため唖(おし)聾(つんぼ)也
其毒をさる時は全(まつた)き人となる予が師(し)治療して
難症(なんしやう)を治し病苦を救(すく)ふ術を吾学んで行ふに
則治す爰(こゝ)におゐて広(ひろ)く世に伝(つた)へ道を学ばんと思
ふ人は予が門に至(いた)らば天地自然の理の治療を伝(つたへ)
無病の薬剤(やくざい)を授(さづ)け普(あまね)く万民の病苦を救(すく)ふ事
を希(こひねが)ふ而已(のみ)
    病人 看病人(かんひやうにん)の心得を説
世に難症と称(とな)へ不治病と究(きわむ)るは古より治療の治

定なき故病者も不治(なほらぬ)と究(きわ)めその親族(しんるい)も不愈(なほらぬ)と
心得前世の宿業(しゆくごう)或は業病又は神仏の祟(たゝ)り抔(など)と
己より名付て生涯(しやうがい)不具(かたわ)と名付 置(おく)こと難(なげ)かはしきこと
なり適(たま〳〵)天地の間に性(せい)を得(え)て病のため廃(すたれ)【左ルビ:はい】人となり
世を終(おわ)ること不幸(ふかう)是より大(おゝ)いなるはなし○癩病(らいびやう)と
称(しよう)する病は親(おや)の骨肉を受得(うけえ)て産(うま)るゝによりて
不治(ふぢ)の症と古(いにしへ)より云伝(いひつた)ふ是天地の間に有心(うしん)無心(むしん)
変化(へんげ)する理(り)を知(しら)ざる也 生(せう)有(ある)もの皆(みな)変(へん)す如何(いかん)となれ
ば鳥(とり)獣(けだもの)といへども生(うま)るゝ時の羽(はね)毛(け)は年々抜 替(かわ)り魚(うを)虫(むし)迄(まで)

も皆同し《割書:蚕(かいこ)ぬけかはり巣(す)をつくりて蝶(てふ)となり諸(もろ〳〵)の毛虫(けむし)も同じ蛇(へび)|もぬけかわり魚はこけかはり海老を見てしるべし孑孑(ぼうふり)》
《割書:化(くわ)して蚊(か)となる其|両三種をこゝにとく》無心(むしん)の木といへども初め種(たね)より生じて
年を経(へ)て大木となる是(これ)真(しん)より年々 成木(せいぼく)して皮(かわ)は
年々さる也されば親木の肉はいつかさり尽(つく)し実生(みしやう)の
時と変化(へんげ)す人 産(うま)るゝ時の骨肉年々成長して毛(け)
歯(は)も抜かはり皮肉(ひにく)も垢(あか)となり小児大人となればこれ
生るゝ時の骸(からだ)はぬぎ捨(すて)るなりされば親より受(うけ)る骸は
ぬぎすてる精気(せいき)は親より譲(ゆづ)り受て見るに形(かたち)なし是
則天地の間に有心(うしん)無心(むしん)変化(へんげ)の理なり然(しか)れば癩(らい)

病 元(もと)病(やまひ)にして悪血(あくち)悪 肉(にく)吐下(とけ)して其病毒をさり
食(しよく)をもて体を補(おぎな)ふときは全(まつた)き人となる○唖(おし)聾(つんぼ)といへ
ども不具(かたわ)にあらず病毒のため耳(みゝ)舌(した)不仁(ふじん)也小児 体(たい)
毒のため耳(みゝ)舌(した)《振り仮名:不_レ通|つうせず》唖といへども声(こゑ)あり聞(きか)ざる故いふこと
をしらす然(しか)るを耳(みゝ)聞(きこ)ゆるは畜類(ちくるい)に近(ちか)し抔(など)といふこれ
毒 薄(うす)くして舌道(ぜつどう)不仁の症あるひは潤環(しゆんくわん)せざる故に痀(せ)
瘻(むし)となり病毒 強(つよ)くして虫(むし)を生じ○癲癇(てんかん)となり皆
毒のため種々(さま〴〵)の病を生ず此症は胃中の悪気(あくき)上
衝(しやう)して気 絶(ぜつ)す上気 下(くだ)る時は自然と生(せう)気となる

是 吐剤(とざい)を用るの症皆毒のため難症(なんせう)也されば是
不具(かたわ)にあらず不具なるもの成人(せいじん)すべき謂(いわ)れなし
是 殺蠱剤(さつちうざい)気発(きはつ)の療治をなす時は則治す○中
風此病も不治(ふぢ)の症と究(きわ)む此症は大いに悦(よろこ)び大い
に驚(おどろ)き大いに患(うれ)ひ又は労煩(らうはん)なすか或は四十五十に
して壮婦(わかきおんな)に交(まじは)る時は此病を生ず胃中に悪気を
止め精気(せいき)を失(うしな)ひ血気 潤環(じゆんくわん)せす故に手足不仁と
なる発表(はつひやう)吐剤(とざい)を用ゆるの症故に此病は大便(たいべん)けつし
病 盛(さかん)になるときは朦々(まう〳〵)たり是吐剤を第(だい)一にし下

剤 発表(はつひやう)にて療する時は則治す既に傷寒(しやうかん)を病(やみ)て
耳舌不仁又は上衝して乱心(らんしん)するあり是 当座(とうざ)の
聾(つんぼ)唖(おし)中気乱心なりされば病の重(おも)きと軽(かろ)きとな
れば治せざる事なし世人吐剤下剤に恐(おそ)るれど霍(くわく)
乱(らん)食傷(しよくせう)吐下せしによりて能(よし)といふ事は人 皆(みな)知(し)る
処(ところ)也吐剤下剤を用ゆれば其 体(たい)労(つか)るゝと心得(こゝろえ)病の
ため体(たい)を労(つか)らす事を知らず病毒をさる時は食を
もて其体を補(おぎな)ふ事 速(すみやか)なり傷寒平 愈(ゆ)する人五
十日六十日かゝり床(とこ)ずれ髪(かみ)ぬけ漸(やゝ)にして全快(ぜんくわい)する

人是 急(きう)に病毒をさらざる故也 薬毒(やくとく)残(のこ)りて害(かい)を
なすと思(おも)ふものあり是 精気(せいき)有事(あること)を知(し)らざるなり
精気は毒を受ず食傷(しよくしやう)して吐事を弁(わきま)ふべし病
毒のさるまで薬を用ひずして半途(はんと)にて止(や)め病 動(うご)
くが故 害(がい)をなすを薬毒と思ふは是世事の理
談(だん)を弁ふべし《割書:世の中の入組(いりくみ)たる掛合(かけあひ)そのつまる所 迄(まで)掛|合はされば小事も却て大事となるにひとし》
口当(くちあたり)よき薬 永(なが)く用ゆる時は病にあたらぬ故病
を助(たすけ)て体(たい)を損(そん)ず病を動(うごか)す時は苦(くる)しむ永く捨
置(おい)て命を縮(ちゞむ)るよりは少々(すこし〳〵)苦(くるし)みても愈(いゆ)るこそ本

意(ゐ)なれ人酒を呑(のみ)て酔(ゑふ)事は知れど薬を喰(くら)ふて
酔事を知らず命(いのち)を失ふ程(ほど)の病毒 酔(ゑは)ずんばその
毒さりがたし《振り仮名:於_二于爰_一|こゝにおいて》薬(くすり)《振り仮名:𥈅眩|めんけん》【注】せずんば其病 愈(いゑ)ずど
聖人(せいじん)の説(とく)也体を養(やしな)ふは食命を縮(ちゞむ)るは房事(ほうじ)病
中病後 禁(きん)ずるは婬事(いんじ)也多病の人あり一病を治
して余(よ)の病は余の薬をもて治すると心得(こゝろえ)ること不
明也 譬(たとへ)ば痰(たん)癪(しやく)頭痛(づつう)疝気(せんき)抔(など)と種々(さま〴〵)病有人その病
別々(べつ〳〵)と思ふ是 己(おのれ)の体(からだ)有事を知らぬと見えたり
食すれば胃中へ納(おさ[ま])り酒を呑(のむ)胃中へ納り薬をのむ

【注 「𥈅眩」は「瞑眩(メンゲン)」の誤ヵ。「𥈅」の音は「テン」】

胃中へ納(おさま)る食物の品(しな)によりて其納る処の異(ことな)る哉(や)
いかなる物を食するとも胃中より外(ほか)納る処なし
されば病の根元(こんげん)也其根元より諸方(しよほう)へ発(はつ)し病名を求(もと)
む是万病一毒の験(しるし)胃中の毒をさる時は万病治す
といふは此理(このり)也 然(しか)れば一病を治して余(よ)の病は後(のち)に愈(なほ)
すなどゝいふは是療治の治定(ちぢやう)なき証拠(しようこ)也唯其 悩(なや)む
所を押付置(おしつけおく)而已(のみ)にして治すといふにてなし今病の
名(な)数多(あまた)にして一々 説(とく)に遑(いとま)あらず両 三種(さんしゆ)爰(こゝ)に説(と)く
◯脹満(ちやうまん)此病は胃中の毒 充満(じうまん)して皮表(ひひやう)をとぢ

腹満(ふくまん)す然(しか)るを腹中より水をとるの療治あり一旦(いつたん)効(かう)
を得(う)るといへども日を経(へ)て又 元(もと)の如(ごと)く腹満すれば必
死す人無病なれば惣身(そうしん)より気発するものなれば此
病はまづ皮表(ひひやう)の毒を攻(せめ)気発(きはつ)をたて後(のち)下剤をもて
毒を下す元(もと)自然(しぜん)に水気(すいき)溜(たま)りたるやまひなれば自
然をもて其水気を下(くだ)すときは必治す◯痢病(りびやう)此病
は毒のため腹中 冷(ひへ)て雫(しづく)の如(ごと)く数度(すど)下(くだ)るの症然る
を留(とめ)んと療する故(ゆへ)に腹中に毒 充満(じうまん)しあるひは肉(にく)
下ると思ふが故に治するの道(みち)を失(うしな)ふ温(あたゝ)めて其毒を

下す時は則(すなはち)治す是其 下(くだ)るべき病毒をさる故なり
○反胃(かく)【左ルビ:ほんい】此病は胃中食の納(おさま)るべき処に毒あるが
故吐す然るを留(とめ)んと療する故に不治(なほらず)是 吐剤(とざい)を以
其毒を吐捨(はきすて)る時は食の納る事を得(う)る○眼病(がんびやう)
種々(さま〳〵)名(な)づく此病は胃中より発(はつ)し眼(まなこ)に熱気(ねつき)生(しやう)ず
る故に冷薬(れいやく)をもて療治し一旦(いつたん)の効(かう)を得る或は眼に
針(はり)を打(うつ)の療あり危(あやう)き事なり元胃中より発して
眼病(かんひやう)となる故に食(しよく)の過(すぎ)たる時 翌朝(よくちやう)に至りて目やに
を生す胃中の毒 登(のぼ)る証(しるし)也いかなる眼病といへども

胃中の毒を下し吐剤(とさい)をもて毒をさり眼(め)のくもりを
さる時は眼気(がんき)を盛(さかん)にし則 明(あきら)かにすさて老人(らうじん)の病又
大病の人あり下剤を用ゆる時は其 体(たい)労(つか)れたるに
よりて死(し)すると思(おも)ふ其(その)労(つか)れたるは病毒のためならず
や前(まへ)にも説(とく)如く腹中にて病毒の消(きゆ)るといふ事なし
又小便より病 取(と)れることゝ思ふものあり重(おも)き病の小
便よりとれべきや吐下より外(ほか)毒(どく)を去(さり)がたし毒 滅(めつ)す
れば其体の精気(せいき)を得(う)る世人 能々(よく〳〵)此 理(り)を弁(わきま)ふべし
病人有て死(し)病と覚悟(かくご)し薬も呑(のま)ず食もくわず

抔(など)と云ものあれども天の理に逆(さか)ふ也 鳥(とり)獣(けだもの)虫(むし)に至(いた)る迄(まで)
死を恐(おそ)れざるなし況(いわん)や人においてをや人 上発(じやうはつ)気発(きはつ)せ
ずんば病に負(まけ)るなり既(すで)に哀(あはれ)の物語(ものがたり)を《振り仮名:聞■|きくとき》は心(こゝろ)沈(しづ)み
勇(いさ)ましき物語を聞■は心 発(はつ)す然(しか)るを病人いまだ死
せざる前(まへ)より仏像(ぶつざう)を掛(かけ)念仏 三昧(さんまい)しかのみならず薬
を止(やめ)させ読経(どくきやう)し病 平愈(へいゆ)を祈(いの)るか無念往生(むねんわうじやう)を進(すゝむ)
るにかあるなれとも病を去(さる)べき術(しゆつ)有(あつ)て死を急(いそ)ぐとは
苦痛(くつう)を遁(のがれ)んとあるべけれど其苦痛も薬(くすり)のあたらざる
故也一日半日たりとも生延(いきのび)るこそ天地への勤(つとめ)也 一度(いちど)

は死するものなれば決定(けつぢやう)の覚悟(かくご)を極意(ごくゐ)とし今 (し)ぬ
迄も死ぬまじと思(おも)ふ時は病に勝(かつ)也とかく病にまける
故に体(たい)をつからす既(すで)に愛欲(あいよく)の念慮(ねんりよ)有(ある)人 精(せい)を失(うしな)
て死せざるあり恥(はづ)べき事(こと)なり必竟(ひつきやう)余念(よねん)を生ずる故
死をとげがたし試(ため)し見るに金銀(きん〴〵)のために死を惜(おし)
む輩(ともがら)あり生(うま)るゝ時 持来(もちきた)る哉(や)天下の宝(たから)を預(あづか)り居(いる)
といふ事を知らぬ愚(ぐ)の甚(はなはだ)しき也死する時こそ無(む)
念(ねん)無想(むさう)にして仏果(ぶつくわ)の生離(せうり)こそありたけれ命数(めいすう)
尽(つき)ざる命病のため失ふは天の性(せい)を知らぬなり父

母に受得(うけえ)し身体(しんたい)吾が骸(からだ)にあらず食せずんば
其体を養(やしな)ひがたし汗吐下(かんとげ)を覚悟(かくご)せば重病(おもきやまひ)には
至らず気発を第一にし世事を捨(すて)薬と食とを喰(くら)
はんといふ事を工夫のみして体を養ふ事を思ふ
べし又心なく人を遣(つか)ふ事を厭(いと)ふべし是平生の
心懸(こゝろがけ)にあり看病(かんびやう)するもの重病の人へは気の発
するやうになすこそ精(せい)を養(やしな)ふの第一 苦労(くろう)と成(なる)
べき事きうするは体(からた)を損(そん)ずるの基(もとゐ)病人を看病(かんびやう)為(なす)
には今日一日 限(かぎ)りの世話(せわ)と思ひ此人を本腹さす

れば多くの金銀を囉(もら)ひ受(うけ)る事と己の心に極(きは)めて
世話(せわ)なすときは倦(あき)ず永(なが)く世話なすと思ふが故 疎略(そりやく)
と成(なる)子 有(ある)もの子の看病(かんびやう)して他人を思ひやるべし
是皆心也 仮令(たとへ)報恩(ほうをん)なしとも天 報(むく)ゆる也是金銀に
勝(まさ)る徳(とく)あり一に看病二に薬といふ看病こそ肝要(かんやう)也
薬を煎(せん)じ水の分量(ぶんりやう)を取違(とりちが)ひ或は誥(つま)【詰の誤】りし薬へ湯(ゆ)をさし
又は未(いまだ)詰(つま)らざる薬をあけ抔(など)して病人に呑(のま)しむる事
是 不実意(ふじつゐ)のなす所なり煎薬(せんやく)は薬の気に功能(こうのう)
有物(あるもの)然るを不加減(ふかげん)にては効能(こうのう)遅速(ちそく)あり心を用ゆ

べきの専要(せんやう)也 本末(ほんまつ)斯(かく)の如(ごと)く説(とい)ても其 智(ち)には及ぶべし
其 愚(ぐ)には及ばず和漢(わかん)先賢(せんけん)未発(みはつ)の治療後世に伝(つた)へ
我(わ)が門に至(いた)らば尚(なほ)看病なし安き術(じゆつ)を伝へ普(あまね)く世間に
弘(ひろ)めんと思ふ事(こと)爾(しかり)
  《振り仮名:万-病一-毒有 ̄リ_二胃-中 ̄ニ_一|まんびやういちどくゐちうにあり》 《振り仮名:嘔-吐瀉-下亦発-気|おうどしやげまたはつき》
  《振り仮名:老-少不-常|らうせうふじやう》 ̄ハ《振り仮名:愚-医 ̄ノ説|ぐいのせつ》 《振り仮名:無病長生帰_二此方_一|むびやうちやうせいこのほうにきす》

  《振り仮名:胃中去 ̄テ_レ毒 ̄ヲ治 ̄ス_二万病 ̄ヲ_一|ゐちうどくをさつてまんびやうをぢす》 《振り仮名:吐-下発-気別 ̄ニ無_レ法|とげはつきべつにほうなし》
  《振り仮名:古-今医-学皆為 ̄ス_レ説 ̄ト|ここんいがくみなせつとす》  《振り仮名:不_レ用 ̄ヒ_二証脈 ̄ヲ_一有 ̄ルコト_二奇効_一|しようみやくをもちひずきかうあること》

         武陽東台麓隠士
           元玄堂
             渡邉祐二述
              【印】【印】
 于■天保十己亥歳春三月発鐫

【裏表紙】

{

"ja":

"小児養育金礎"

]

}











   《題:小児養育金礎》










小児養育金礎       一冊






《題:小児養育金礎》

表紙

白紙

 

  此/良剤(くすり)は歳(とし)により少(すこ)しづゝの加減(かげん)有之候間
  御もとめ之/節(せつ)御/丈(つかひ)へ御病人(ごびやうにん)の歳御失念(としごしつねん)なく
  御申し越可被成候





脾肝薬王圓(ひかんやくわうゑん)は文化(ぶんくは)四卯年より誓(ちかひ)をたて弘通(ぐつう)せし
免しに/冥加(みやうか)にかなひ追々(おひ〳〵)/繁昌(はんじやう)し平人(つねひと)はもとより
御堂上(ごたうしやう)様方/御大名(おたいめう)様方までも御もちひに相/成(な)る事
実(じつ)に/難有存(ありかたくぞん)し奉り仍(よつ)て弥/薬製(くすりこしらい)を大切(たいせつ)になさん為(ため)
《割書:予|》八十一歳より生涯塩米(しやうがいしほこめ)を断(たち)て麦蕎麦青物類(むぎそばあをものるい)を
水煑(みづだき)しこれを食(しよく)し当辰年(たうたつとし)にいたりて八十五歳まて
四ケ/年(ねん)の間謹(あひだつゝしん)で製業(ちやうごう)する事《割書:余尓|》/お(おゐ)て歓(よろこ)びても猶余(なほあま)り
あり願(ねがはく)は子孫(しそん)《割書:予(よ)が|》愚意(ぐゐ)を廃(すてず)せず謹(つゝし)みつゝしんて守(まも)らん

事を /上天(てん)に/祈(いの)り奉る其/趣意(こゝろ)は抑(そも〳〵)此/脾肝薬王圓(ひかんやくわうゑん)はわが
家方(かはう)にて家方(かはう)ならず所謂(いはゆる)/天我(てんわれ)/此奇方(このきはう)を授(さつけ)与しゐひ
一心正念(いつしんせう年ん)尓/精製(せい〳〵)し普(あまね)く四方(よも)に/及(およ)不して天下(てんか)の病苦(びやうく)を患(うれふ)る
ものを救(すく)ふへしと命令(めいれい)しゐふ事を感得(かんとく)せりよつて薬品(やくしゆ)を能々(よく〳〵)
調(しら)へ善(よき)を撰(えら)び悪(あし)きを除(のぞ)き調製(てうだう)に/心(こゝろ)を尽(つく)し能書(のうがき)
包紙等麁畧(つゝみかみとうそりやく)にせず/将又薬(はたまたくすり)を求(もと)むる人の生質病根(うまれつきびやうこん)を
診察(わきまへ)し此薬(このくすり)の当(まさ)に/応(わう)ずると不應(わうせざる)とを考(かんが)へ其/応(わう)すべきに
薬(くすり)を与(あた)へ応(はう)しかたきには断(ことわり)て与(あた)へず適応(たま〳〵わう)ずべしとおもひて


服用(ふくよう)せしむれども一廻(ひとまハ)りにて功験(こうけん)なきには又/理(ことわり)て再与(ふたゝびあた)へ
ず尤(もつとも)其奇験(きけん)あると雖(いへ)ども財貧(さいとぼ)しく求(もと)めかねる輩(ともがら)は無料(むれう)
にて与(あた)へ品物たに/礼謝(れいしや)を請(うけ)すして全快(ぜんくはい)まて施(ふどこ)す是聊(これいさゝか)
上天(てん)に/報(むく)ゆる意(こゝろ)也/故(かるかゆへ)に/貧(まづし)き人は身(み)を恥(はぢ)す必来(かならずきた)りゐへ
   水上(みなかみ)のほそきながれも末(すゑ)つひに
     うら〳〵まてもおよへとそおもふ
  安政六年未春
                卆?にてしるす
           石田鼎貫

 【左ページ二行目左ルビー 財 かね】





元宅魚之店高倉角エ
罷在候処安政五年午六月
類焼後五条橋東建仁寺朝町
西江入北側弐軒目へて転宅
        いたし候

小児養育金礎標
可_レ憐夭ー児疾病非_レ無_二治之方_一此ー乃為_レ不_レ擇_二用能薬
遂ー死矣潜夫論 ̄ニ曰養_レ壽之士先_レ疾服_レ薬云云
夫大醫(そ連たいゐ)の妙剤(めうざい)たりとも相應(あひ)/不相應(ふさひ)あり。たとひ賣薬(ばいやく)と
いへども。的中(てきちう)すれば。耆婆扁鵲(きばへんじやく)も及(およ)ぶべからず。大医(たいい)の薬(くすり)も不応(うさはざる)と
きは数重(かずかさぬ)るとも効(しるし)なし。いはんや売薬一薬(ばいやくいちやく)にて諸病(しよびやう)を治(ぢ)するとはあまり
大凡(あら〳〵しき)ゆゑ。これを様(ためし)見ること文化(ふんくは)四丁卯年より。同(おなじく)巳年迄/三(さんか)ケ
年(ねん)の間(あひだ)。四方(しハう)に/施薬(せやく)し試(こゝろみ)るに。同症(どうせう)の内(うち)に/効(しるし)あると無(なき)とあり然(しかれ)ども
是(これ)を選(ゑらむ)こと詳(つまびらか)ならず。反覆(かへがへ)すること又(また)四年。前後(ぜんご)七ケ年/施薬(ほどこしを)なし
酉年にいたつて。治(なをる)と不治(なをらざる)とを明白(あきしろ)に/撰(ゑら)めり。故(かるがゆへ)に此/後効(のちしるし)なき人。《割書:予か|》/薬(くすり)
用ひなきやう効験(こうけん)の有無(ありなし)を委(くは)しく記(しる)す能書(のうかき)なれば。此薬/用(もち)ひの方(かた)は。等(とう)と


會/得(てん)のゆくまで読(よみ)ゐふべし。たとひ此薬(このくすり)もちひなく共小児ある
方(かた)の心得(こゝろえ)となるべきとも記(しる)して。小児養育黄金(せうにやういくこが年)の礎(いしづえ)と対(たい)す
右七ケ年/施薬中(せやくちう)。三四年も腰(こし)ぬけ。或(あるひ)は/自由叶(じゆうかな)はざる人。又(また)は
盲(めくら)となれる。小児諸病(せうにしよびやう)。大人積気(だいじんしやくき)。留飲(りういん)。ちの道(みち)。或(あるひ)は労咳(ろうがひ)のるい。
難病治(なんびやうぢ)したる人々(ひと〴〵)。歓喜(よろこび)の余(あま)り。長(なが)き壱間巾(いつけんはゞ)壱尺五六寸の
立板(たていた)に。難病全快(なんびやうぜんくはい)せし由(よし)を詳(つまびらか)にしるし。銘々(めい〳〵)の門口(かどぐち)へ出(いだ)されしこと。
京都(みやこ)の人はよく存知(ぞんじ)にて。すなはち。京羽二重(きやうはぶたへ)といへる書(しよ)に/委(くはし)く出(いで)たり
一ト廻(まは)りの内(うち)に/少(すこ)しにてもしるしあらば。たとひ一家親類(いつけしんるい)など来(きたり)て。
かゝる大病(たいびやう)に/売薬(ばいやく)を用(もち)ゆるは覚束(おほつか)なしなど。素人了簡(しろうとれうけん)に/否(とが)める人(ひと)あり
とも。一心堅固(いつしんけんご)にもちゆべし。日々(にち〳〵)に/快気(くはいき)すること朝日(あさひ)の昇(のふ)るがごとし。若又(もしまた)
一(ひと)まはりの中(うち)に/少(すこし)のしるしもあらざれば用(もち)ゆべからず

   〇/冊中目録(ほんのうちのもくろく)
一/小児諸疾脾胃論(こどものやまひゐよりおこること)  六丁オ     一/臨産心得之事(さんのせつこゝろえのこと)《割書:附/乱心(らんしん)》  七丁オ
一/生児心得之事(うまれここゝろえのこと)   八丁ウ     一/小児養育心得之事(こどもそだてこゝろえのこと)   十一丁オ
一/脾疳虫(ひかんのむし)《割書:附/乳離(ちばなれ)》   十三丁ウ     一/肝疳虫(かんかんのむし)《割書:驚凮トモ云》    十四丁ウ 
一/心疳虫(しんかんのむし)《割書:/言遅(ものいふおそきむし)トモ云》十四丁ウ     一/肺疳虫(はいかんのむし)《割書:散気トモ云》     十五丁オ 
一/腎疳虫(じんかんのむし)《割書:/背虫(せむし)トモ云》  十五丁オ     一/脾胃虚諸症(ひゐのよはみの志よせう)     十五丁ウ
一/癖積(むしおこり)《割書:/癖虫(かたかい)トモ云|附/大人之久瘧(をとなのひさしきおこり)》  十六丁オ     一/疳痢(こどものりびやう)《割書:附大人之/痢病(りびやう)》  十七丁ウ
一/臍凮撮口(はやくさ)《割書:/丹毒(はやくさ)トモ云》 十八丁オ     一/臍瘡(ほぞくさ)        十八丁ウ



一/痘瘡(はうたう)      十八丁ウ     一/中暑(あつけ)        十九丁オ
一/翻胃(かく)      十九丁ウ     一/眼病(がんびやう)       廿丁オ
一/諸病胎毒論(しよびやうたいどくろん)   廿一丁オ     一/傷寒(しやうかん)《割書:附/後乱心(のちらんしん)》    廿五丁オ
    《割書:附大人/効験有事(こうけんあこと)》
一/留飲(りうゐん)      廿五丁オ     一/血閉(ちのみち)       廿五丁ウ 
一/労咳(ろうがい)      廿六丁オ     一/崩漏(ばうろう)       廿六丁ウ
一/赤白滞下(しらちながち)    廿七丁オ     一/脹満(ちやうまん)《割書:附/皷脹(こちやう)トモ云|/水腫(すいしゆ)》
一/附録(ふろく)      廿九丁
           以上

 用ひやう当才(たうさい)より五才迄ハ一日ニ壱ふく五才より十才迄は一ふく半
 十才より十五才迄は二ふくづゝ小児(せうに)の好物(すくもの)ニ応(わう)じ何べんにももちゆ

/脾肝薬王圓(ひかんやくわうゑん)

 用ひやう一日弐ふくヅゝ/食前(しよくぜん)ニ白湯(さゆ)にて用ゆ大小児(たいせうに)とも壱廻り
内に心下(む年)をすかし乳食(にうしよく)をよく治(をさ)め小便(せうべん)をよく通(つう)ずを薬効(やくこう)
としるべしもし又少(またすこ)しも効験(かうげん)なくは用(もち)ゆべからず


五   ひかんのむし     きやう凮のむし

ん   はいかんのむし        しんかんのむし
幷          志んがんのむし
/諸(しよ)           
/虫(ちう)           かたかひのむし
/圖(づ)     かんかんのむし

 関東於
  /医学舘例年(ゐがくくはんれいねん)
  四月十九日拝見
  被ゐ仰付候
  虫之圖     ろうがいのむし
                 はらのむし

                せんきのむし



   〇/小児諸病脾胃論(せうにしよびやうひゐのろん)
萬事物(ばんじもの)の本(もと)をしること肝要(かんやう)なり。其本(そのもと)を知らずしては苦労(くろう)するとも益(ゑき)なし。
譬(たとへ)ば草木(くさき)の枝葉(えだは)に/糞(こやし)するとも益(ゑき)なく。其根本(そのねもと)に/糞(こやし)するときは枝葉(えだは)
ともに/栄(さか)ゆるごとし。況(いはん)や人(ひと)の療治(れうぢ)尓/於(おゐて)をや。夫人間(それにんげん)の身体(からだ)は。五(ご)
臓六腑(ざうろつぷ)が本(もと)なり。五臓六腑(ござうろつぷ)のもとは脾(ひ)なり。又/万物(ばんもつ)の本(もと)は土(つち)なり。
土(つち)は/万物(ばんもつ)を養育(やういく)し。脾(ひ)は食物(しよくもつ)を受化(じゆくは)して。五臓六腑(ござうろつぷ)を育(そだつる)ゆへ。
脾(ひ)は五臓(ござう)の母(はゝ)とも。又土(またつち)ともいへり。土一度虚(つちひとたびなく)なれば。万物(ばんもつ)みな損(そん)ず。
脾虚(ひきよ)すれは五/臓(ざう)六/腑(ふ)みな衰(おとろ)ふ。甘辛苦酸鹹(あまくからくにがくすくしほかたき)五/味(あじはひ)を五/臓(ざう)へわかつ
うち。脾(ひ)は/甘(あまき)を主(つかさ)どる。諸疾多(しよしつおほ)しといへども。五臓(ござう)の不足(ふそく)より発(おこら)ざるは
なし。驚風(きやうふう)。碎疾(かたかい)。丹毒(はやくさ)。其外小児虫一切(その不かせうにむしいつさい)。みな五疳(ごかん)より発(おこ)る。則(すなわち)

【左ページ六行目左ルビー 養育 やしなひ】
【同           受化 うけこな】

疳(かん)の字(じ)は疒(やまひたれ)に/甘(あまき)と書(か)き。/肺疳心肝脾疳肝疳腎疳(はいかんしんかんひかんかんかんじんかん)と云共(いふとも)に
みな脾虚(ひきよ)より発(おこ)ると医書(ゐしよ)に見へたり。此理(このことはり)にうとき人は。肺疳(はいかん)
といへば肺(はい)の療治(れうぢ)し。心疳(しんかん)を見ればし心(しん)の療治(れうぢ)をなすゆゑに。いつまで
薬(くすり)を用(もち)ゆるとも疾根(やまひのもと)を治(なほ)することなく。終(つひ)に/大病(たいびやう)の礎(いしづえ)となる。これ
根本(こんほん)の脾胃(ひゐ)の/療治(れうぢ)をせざるゆゑなり。能々考(よく〳〵かんが)へゐふべし。小児(せうに)の病(やまひ)
脾虚(ひのよはり)より発(おこ)る證(しるし)は。諸病(しよびやう)のはじめ。みな。吐乳(ちをあます)か。秘結(うらとをし)なるか。泄瀉(くぐる)か。いづれ
この三つにあり。此三証(このさんせう)は/脾胃虚(ひゐのよはき)の所為(しわさ)なり。此症(このせう)ひとつにてもあらば
疾(やまひ)の気(き)ざすと心得(こゝろえ)て。急(いそ)き薬(くすり)をもちゆべし。外(ほか)に/小児(せうに)は大人とちがひ。
ほしいをしいといふ貪慾(とんよく)の心(こゝろ)なければ。病(やまひ)を生(しう)すべきことなし。予(よ)が良剤(くすり)
は。根本(こんぽん)の脾胃(ひゐ)を補益(とゝのへ)五/臓(ぞう)六/腑(ぷ)の虚実(きよじつ)。陰陽(いんやう)を養育(やういく)するゆゑ。
脾肝薬王円(ひかんやくわうゑん)と号(なつ)て。常(つね)に/服薬(ふくやく)の輩(ともから)は。万病発(まんびやうはつ)することなく。いか程(ほど)やせ


衰(おとろ)へ気(き)みじかく或(あるひ)は気重(きおも)く。或(あるひ)は腰膝(こしひざ)ひきつり。ちんばとなる。小児(せうに)たり
とも人(ひと)の根本(こんぽん)の/脾胃(ひゐ)を補(をきな)ひ。胎毒(たいどく)を消解(しやうげ)するゆゑ。諸病(しよびやう)の根(ね)をたち。
生(うま)れたる日数年数(ひかずとしかず)のわりより。大(おほ)きに/丈夫(じやうぶ)になり奇妙(きめう)にほうさう軽(かる)く。
万病発(よろづのやまひおこる)ことなきゆゑ。産(うま)れながら気丈(きじやう)なるやうに/心得(こゝろえ)。予(よ)が神剤(しんざい)の
妙効(めうこう)あるを考(かんがゆ)る人まれなり。願(ねがは)くは年久(としひさ)しく諸薬(しよやく)を用(もち)ひ効(しるし)なく。とても
死病(しにやまひ)と覚悟(かくご)きはめたる病人(びやうにん)にもちひ。白雨(ゆふだち)の雲(くも)の/晴(はれ)て。快晴(てんき)に
なれるごときの効験(こうけん)を見せたし
   〇臨産(りんさん)の節心得(ときこゝろえ)の事  附/乱心(らんしん)
先産婦(まづさんふ)に/安生散(あんせいさん)を用(もち)ゆべし。何程(いかほど)むつかしき逆子横子等(さかごよこごなど)の難産(なんさん)
にても。母子(おやこ)とも怪我(けか)あやまちなく。早(はや)く出生(しゆつしやう)すること疑(うたが)ひなし。薦(こも)の
うへに/居直(ゐなほ)ることおそき程(ほと)よし。居直(ゐなほ)りて後温酒(のちあたゝめさけ)にて壱弐ふく

 【左ページ二行目左ルビー  消解 けす】

用ゆべし。尤前(もつともまへ)かたより細(た)末となし置(おく)べし
 
  安生散方(あんせいさんはう) 車前子(しやぜんし)《割書:一匁五勺》 木香《割書:三勺》
   右安生散は秘方(ひはう)なれども遠国(をんごく)の産婦(さんふ)の/急難(きうなん)を
   すくはんがため爰(こゝ)にあらはす
安産(あんさん)して一七夜(ひとしちや)の内(うち)に。薬王円(やくわうゑん)の大人丸薬(おとなのぐはんやく)一/廻(まは)り用ひあらは。
瘀血(おけつ)のこらず下(おろ)すゆゑ。女一通(をんなひとゝを)りの病(やまひ)なく。風(かぜ)とても引(ひ)くことなし
懷胎(くはいたい)して三月(みつき)あまり過(すぎ)て瘀血(おけつ)の滞(とゞこふ)りとも。又/妊娠(にんしん)ともしれざる
とき。此/薬王円(やくわうゑん)弐廻り用ゆれば。懐妊(くはいにん)ならば子宮(しきう)をよくあたゝむる
ゆゑ。月満(つきみつ)るまで。いよ〳〵月水(けいすい)なく。至(いたつ)て産安(さんやす)し。又/瘀血(おけつ)の滞(とゞこふ)り
ならば。十人が十人ながら。速(すみやか)に月水(けいすい)あること此薬(このくすり)の妙(めう)なり。これ/京(きやう)


都(と)の人々は毎度(まいど)ためし能(よく)しらるゝ処(ところ)なり
産後乱心(さんごらんしん)となれる婦人(ふじん)に。此薬王円(このやくわうゑん)もちひて治(ち)せざるはなし。
その功能奇妙(こうのうきめう)なること用(もち)ひてしるべし。産後(さんご)に阿らずして乱心(らんしん)と
なれるは。其症種々(そのせういろ〳〵)ありて。男女(なんによ)とも薬王円(やくわうゑん)にて治(ぢ)する症(せう)あり。又
治(ち)せざる症(せう)あり。此薬王円にて治(ち)せざる症(せう)には。別(べつ)に奇々妙々(きゝめう〳〵)の
神剤(くすり)あり。世間(せけん)に流布(るふ)する狂気薬(きちがひくすり)は。心気(しんき)を労(つか)らして無理(むり)に/逆上(のぼせ)を
押(おさ)へんとする故(ゆゑ)。とかくにあら〳〵敷(しく)。快気(くはいき)する歟(か)。死(し)にいたるかの強(つよ)き薬
多(おほ)く。良(やゝ)もすれば。薬(くすり)ゆゑに死(し)するものあ連ども。狂気乱心(きやうきらんしん)にて。存(ぞん)
命(まい)より死(し)したる方(かた)も。又可(またか)なりなどゝ阿きらめ用(もち)ゆるは。是非(ぜひ)なき
こととはつひながら。憐(あはれ)なることにて歎(なげ)かはしき事にあらずや。予(よ)が
神剤(くすり)は補薬(おきなひくすり)にて。右やうつよき薬にあらず。一/廻(まは)り弐まはりと用

ゆるうちに。神心(しん〳〵)を補益(おぎな)ひ。脾胃(ひゐ)を調(とゝの)へ。自(おのづ)から逆上(きやくじやう)をしづめ。天然(てんねん)
と本心(ほんしん)にたちかへらしむ神薬(くすり)ゆゑ。狂気乱心(きやうきらんしん)の人にもちひ。こと〴〵く
神効(しるし)ありて。且(かつ)て害(がい)あることなし。実(じつ)に/奇妙(きめう)の神剤(くすり)なり。此/神薬(くすり)は
予(よ)が一家(いつか)の秘方(ひはう)にて売薬(ばいやく)にせず。此故(このゆゑ)に/表看板(おもてかんばん)にも出(いだ)さず。産/後(ご)の
乱心(らんしん)の因(ちな)みに/爰(こゝ)に/誌(しる)すのみ。世(よ)に/乱心狂気(きちがひ)にて捨(すてら)れる人。また困(こま)る
人すくなからず。普(あま年)く施方(せはう)して人々にしらせ度(たく)おもふ心切(こゝろしきり)なれ。と。
其症(そのせう)により加減(かげん)ありて大事(だいじ)なれば心(こゝろ)にまかせず。若知音(もしちゐん)に/乱心(らんしん)の
人あらば。実(じつ)に/人助(ひとだすけ)なれば早(はや)くしらせ多まへ。用(もち)ひ度方(たきかた)は製薬(せいやく)いたし
進(しん)ずべく間。其容躰(そのやうだい)申/越(こさ)るべし
   〇生児心得(うまれここゝろえ)の事
出産(しゆつさん)の節(せつ)。産科産婆(さんいしやとりあげばゞ)ともに。産婦(はゝおや)を大切(たいせつ)と主(おも)一に/先(まつ)/産婦(はゝ)に/打(うち)


かゝり居(ゐ)て産児(うぶこ)のことは後(のち)になるものなり。尤母(もつともはゝ)を大切(たいせつ)にするは
左(さ)もあるべく。悪(あし)きといふにはあらず。其(その)ときは俦(てあき)の人兼(ひとかね)てより心得(こゝろえ)
居(ゐ)て。産児(うぶこ)の初声(はつこゑ)あぐるまてに。布(ぬの)か紗(しや)の裂(きれ)を指先(ゆびさき)に/巻(まき)
て。早(はや)く産児(うぶこ)の口中(こうちう)をよく拭取(ぬぐひとる)べし。小児母(せうにはゝ)の胎内(たいない)を出(いづ)るとき。
口(くち)のうちに/含(ふく)みたる穢毒(けがれもの)。初声(はつこゑ)に応(わう)じ咽(のんど)に入(い)り。右腎包絡(うじんはうらく)に
しづみ。疹痘(はうさうはしか)小瘡(くさ)白(しら)くぼ。其外種物(そのほかしゆもつ)の害(がい)をなすと。大成(たいせい)
論(ろん)に見したり。出生(しゆつしやう)して間(ま)なく。大便黒(だいべんくろ)き飴(あめ)のやうなるを通(つう)ず
俗(ぞく)にかにばゞとも。かにこくともいふ。これは産(うま)れざる先(さき)に。母(はゝ)の胎内(たいない)
にて受(うけ)たる胎毒(たいどく)なれば。随分沢山(ずいぶんたくさん)に/通(つう)ずるがよし。乳(ちゝ)をつくる
までに。甘艸目方(かんざうめかた)弐匁五分。皮(かは)をきりきざみ炙(あぶ)り。水壱合入
三分めに/煎(せん)じ綿(わた)にひたし壱弐ふく用(もち)ゆれば。胎毒(たいどく)のこりす


 /臨産(里んさん)
  /乳飲子(ちのみこ)  
   /養育(やういく)

かにこゝに/通(つう)じ。又/後声(なきこゑ)に/応(おう)じてのみたる穢毒(けがれもの)は。痰淡(たんあわ)となりて
残(のこ)らず口(くち)へ吐出(はきいだ)すゆゑ。成長(せいちやう)して智恵才覚(ちゑさいかく)たくましく。無病(むびやう)
長寿(ちやうじゆ)なることうたがひなし。又/陀羅(だら)すけを用(もち)ゆる人あり。是も法(はふ)にあり
可(か)なりといへども予(よ)はとらず。此/法(はふ)による人はだらすけ。其余/惣(さう)じて外の薬(くすり)は
何(なに)によらず用ゆべからず
生(うま)れ児(こ)に乳(ち)をつ希ること。二十四/時(とき)ずきてのますが定法(ぢやうはふ)なり。これ
産婦(さんふ)の乳(ちゝ)廿四とき過(すぎ)ざれば張(は)らぬもの也。其/間(あひだ)は乳(ち)をあたへずとも
小児(こども)に/害(がい)なし。又/乳(ち)をつけるとき。荒乳(あらち)は小児/下痢(くだり)てあしくといひて
しぼり捨(すて)る人あり。大なる誤(あやまち)なり。母(はゝ)の胎内(たいない)にて受(うけ)たる胎毒(たいどく)を瀉(くだ)さん
が為(ため)に。自然(しぜん)と出る薬乳(くすりち)なれば。決(けつ)して捨(すつ)べからず。其侭(そのまゝ)あたへて害(がい)
あることなく。泄瀉(くだり)てよし。程(不ど)なくくだりて。止(や)むものなり。これ/天自然(てんしぜん)の


理(ことハり)なり。とかく母(はゝ)の乳(ちゝ)もいまだ張(はら)ざるに。二十四/時(とき)をまちかね。他(た)に/求(もとめ)て
早く呑(のま)し。或(あるひ)は結構(けつこう)なる薬乳(くすりち)をあら乳(ち)といふてたいどくしぼりすてゝ用ひず
人智(ひとち)をもつて天理(てんり)に/遠背(そむく)ゆゑ。胎毒脾腑(たいとくひふ)に/沈(しづ)み。成長(せいちやう)のち迄(まて)も。
大病の礎(いしづえ)となる心得(こゝろえ)べきの第一なり。但《割書:/産子格別(うぶこかくべつ)にはくして|見ゆるときは用捨有べし》
  〇小児養育心得(せうにやういくこゝろえ)の事
乳母(うば)に/留飲(りうゐん)あるか。又/熱或(ねつあるひ)は梅毒(しつけ)等ある人(もの)の乳決(ちゝけつ)して用(もち)ゆべからず。
小児(せうに)/色々(いろ〳〵)の変症(へんせう)を発(おこす)ものなり。又/多房(たいん)なる乳母(うば)の乳(ちゝ)は。小児肝(せうにかん)を
損(そん)じやすし心得(こゝろう)へし
乳母(うば)の飲食(しよくもつ)に小児を強(つよ)くせんとて。油厚(あぶらこ)きものあるひは鮮魚(つよきうを)の
類(るい)を味噌汁(みそしる)などにして食(しよく)することあり。胎毒(たいどく)また疱瘡(はうさう)等に宜しから
ず。たゞ常(つね)に/塩(しほ)からき物(もの)を食(しよく)すべし。大によし。

常々(つね〴〵)/大便(だいべん)に/心(こゝろ)を付(つけ)て見るべし。大に/黄(き)なる色(いろ)は平便(へいべん)にてよし。
若青(もしあを)く。或(あるひ)は黒(くろ)く白(しろ)くなるときは必病(かならずやまひ)あり。其節(そのとき)/気丈(きじやう)に見ゆる共。
程(ほど)なく病(やま)ひ発(おこ)るなり。胎毒(たいどく)の所為(しわざ)もあり。用心(ようじん)して早く薬(くすり)を用ゆ
べし。但薬王円(たゞしやくわうゑん)を用ひて大便(たいべん)の色/変(かは)るは大によし
余(あま)り大切(たいせつ)にして厚衣(あつぎ)さすべからず。暖(あたゝ)め過(すぎ)て却(かへつ)て皮膚(けあなのしまり)よはくなり。
成長(せいちやう)のゝちまでも。とかく風邪(ふうじや)をうけやすく成(なる)ものなり。
脾(ひ)つよき小児(せうに)は氣血(きけつ)よくめぐり胎毒(たいどく)といふおもき/血(ち)も浮(うか)んでめぐる
故/表(ひやう)へ発(はつ)し。小瘡(くさ)其外/種々(しゆ〴〵)の種物(しゆもつ)となり。自然(しぜん)に/胎毒消解(たいどくせうげ)するなり。
然(しか)るに/不心得(ふこゝろえ)の人は。上(うへ)より附薬(つけぐすり)して。瘡毒内攻(さうどくないこう)し大(だい)ねつを発(はつ)し。
種々(しゆ〴〵)の病を引出(ひきいだ)す。是/心得(こゝろえ)の第一なれば必附薬(かならずつけぐすり)ぬり薬はすべからず
凡(すべ)て小児養育(せうにやういく)の心得は仕なれによるものなり。市中(まちなか)さわがしき


所に/育児(そだちしご)は。鳴物大音(なりものおほごゑ)を聴(きゝ)ても驚(おとろく)動のうれひなし。清閑(しづか)の処に
育児(そだちしこ)は。適(たま〳〵)/大聲鳴物(おほこゑなりもの)をきゝて驚風(きやうふう)の恐(おそれ)あり。家内(かなひ)ばかりに居(ゐ)くるゝ
たま〳〵日中雨天(にちちううてん)に/出(いづ)れば外惑(ぐはいかん)の恐(おそれ)あり。遊方(あそびかた)は。凡随意(およそずいゐ)にし
てうれひなきものなり。跣遊土(はだしあそびつち)なぶり別(べつ)して宜(よろ)し。好(この)んてさす
べし。多分貧(たぶんまづ)しく育小児(そだつご)は堅固(けんご)にて。深意育(よいしゆそだち)の小児の多(た)
病(びやう)なるを見ても心得(こゝろえ)べし。初生(うまれて)より一弐年の間(あひだ)は。格別(かくべつ)に心を付て
養育(そだつ)べし。成長(せいちやう)のゝちまでも。多病(たびやう)なると堅固(けんご)なるとは。初生(うまれ)て
一二年の間の/養生(やうじやう)にあり。小児(せうに)は平常(つね〳〵)とかく飲食(ゐんしよく)を過(すご)しやすく。
夫(それ)より脾胃(ひゐ)を損(そん)じ。五疳蛔虫諸症(ごかんくはいちうしようせう)に変(へん)じ。遂(つひ)には難治(なんぢ)の症(せう)に
いたる恐(おそ)るべき事にあらずや。此脾肝薬王円は脾胃(ひゐ)を補益(とゝのゆる)を主(つかさど)る
良剤(くすり)なれば。初生(うまれて)より一二年の間(あひだ)に/油断(ゆだん)なく用(もち)ゆること尤肝要(もつともかんやう)なり

【左ページ三行目左ルビー 外惑 志きあたり】


 小児養育(せうにやしなひ)の心得
  かくのごとく肥満(ひまん)し瘡毒(くさけ)の
  う連へもなき子(こ)に/却(かへつ)て
  驚風(きやうふう)かたかひはやくさなどの
  急変(きうへん)あり
  尤くさのるい多(おほ)く
  出来(でき)る小児には虫
  の気少なし

  ひかんの虫は乳(ち)
  ばなれのときより
  多くはやせおとろふ也


    心疳よりの
       あはう



       はいかん病

   此能書(のうかき)御/熟覧(しゆくらん)被下/御全快(ごぜんくはい)なされ候/御知音(ごちいん)の御方へ此
   本/御融通(ごゆづう)/御披露(ごひろう)被下候様仍御頼申候
   〇脾肝(ひかん)の虫(むし)
夫(それ)/小児(せうに)は脾胃いまだ調(とゝの)ひがたきゆゑ。六七八歳まで至(いたつ)て大切(たいせつ)也。
とかく母子(ぼし)の乳食不慎(にうしよくふつゝしみ)より。脾(ひ)を損(そん)じ。万病発(まんびやうはつ)す。甚(はなはだ)しきを脾(ひ)
疳(かん)といふ。就中乳(なかんつくち)ばなれの節(せつ)。食物(しよくもつ)の不慎(ふつゝしみ)より脾腑(ひふ)を損(そん)じ。疲(やせ)おと
ろふにしたがひ。益食(ます〳〵しよく)を貪(むさぼ)り。昼夜(ちうや)となく湯茶(ゆちや)をこのみ。或(あるひ)は餅(もち)いり
豆(まめ)また塩(し不)からき物(もの)を多(おふ)く好(この)む。これ/皆(みな)いろ〳〵脾胃(ひゐ)のために/毒(どく)となり。
水気(すいき)を小便(せうべん)へみちびくこと能(あた)はず。食物(しよくもつ)/化(こな)れず。そのまゝに
大便(だいべん)へくだること。しば〳〵かぞへがたし。水気(すいき)はとゞこふりて
腹太皷(はらたいこ)のごとたり張(はり)ま。あるひは雀目(とりめ)。または白膜(ほしい)入り


つひに盲人(めくら)となり。悉皆(しつかい)餓鬼(がき)のごとく。骨(ほね)と皮(かは)とに/痩 衰(やせおとろ)へて。
十人が十人ながら死(し)にいたる。是至(これいたり)て難症(なんせう)なれども。予が神剤(くすり)を用ひ
あらば。根本(こんほん)の脾胃(ひゐ)を補益(おきなふ)ゆゑ。いか程六(ほどむつ)かしき大病(たいびやう)にても。弐三/服(ぶく)
にて下(くだ)りを止(や)め。悪毒水毒(あくどくすいどく)を小便(せうべん)へ残(のこ)らず通(つう)じ。腹(はら)の張(はり)を消(け)し眼(め)を
あきらかにす追々(おひ〳〵)用ゆるに/応(わう)じ。肥肉(ひにく)をまし十人が。十人ながら▢めて
治(ぢ)するゆゑ。脾肝薬王圓と号(なづ)く
乳(ち)ばなれの小児食養生(せうにしよくやうじやう)〇/乳味湯(にうみたう)。かゆ。或(あるひ)は和(やは)らかき粥(かゆ)のやうなる
飯(はん)すこしづゝ与(あたゆ)るがよし〇/餅(もち)いり豆(まめ)だんごるい堅々(かた〳〵)忌べし
右の症皆々(せうみな〳〵)/治(ぢ)すといへども。薬(くすり)の用ひおそきときは大便(だいべん)の色(いろ)しろく
魚(うを)の腸(はらわた)の腐(くさり)たるごとき/香(にほ)ひするなり。是腹中(これふくちう)の水毒(すいどく)にて臓腑(ざうふ)腐(くさり)
通(つう)じ。十日余りの内(うち)に/必(かな)らず死(し)する人な連ば。用ても効(こう)なし用ゆべからず

   〇肝疳(かんかん)の虫  驚風(きやうふう)ともいふ
此疳(このかん)は食物(しよくもつ)の不慎(ふつゝしみ)より。脾胃虚(ひゐきよ)して。瘀血心肝(おけつしんかん)の二/臓(ざう)にせめ入(い)り。
肝膽不足(かんたんふそく)し神心(しん〴〵)さだまらず。少(すこ)しの事も恐(おそ)れ。ひくつく也。目(め)をひきつけ
手足(てあし)をびくつかせ率死(そつし)するを急驚風(きうきやうふう)といふ。ゆるかせなるを漫驚風(まんきやうふう)と
いひ。至(いたつ)て火急(くはきう)なる病(やまひ)なり。此症に/薬王円(やくわうゑん)を用(もち)ひ。あらば。一ふくにて
引(ひき)つけを治(ち)すること請合(うけあひ)なり。続(つゞひ)て用ひあらば。一生根(いつしやうね)を切(き)るゆだんするに
於(おゐ)ては。五日め十日めにおこるを癲癇(てんかん)といふ。これにいたらば治(ち)すること
あたはず。用ゆべからず
   〇心疳(しんかん)の虫(むし)  言遅(けんち)ともいふ 《割書:ものいふことおそき|むしなり》
此/疳(かん)盤/驚風(きやうふう)のゝち発(おこ)る心(しん)の臓(ざう)のわづらひにて。七八/歳(さい)になり
ても舌(した)まはらず。多(おふ)くは智恵(ちゑ)まへめなるものなり。此むしに/予(よ)が


くすりを。数(す)十人にもちひためし見れども。少(すこ)しも効(しるし)なし
よつて用(もち)ゆべからず
   〇/肺疳(はいかん)の虫  散気(ちりけ)ともいふ 《割書:はなのした赤き虫なり》
此疳は鼻(はな)のした赤(あか)くたゞれ。或はなおせゝり。涕多く出るをいふ
この症は脾胃虚より。肺ふ足して発する疾なるゆゑ。此薬王円
ニ廻り用ひて奇妙に治す
   〇腎疳の虫   背虫ともいふ
これ胎毒腎にしづむこと多きゆゑ。骨髄(こつずゐ)にむしを生(しやう)
じ。背(せ)ぼねの節(ふし)を食(しよく)して。屈曲(いがむ)なり。此/虫(むし)はすこし曲(いが)む
うちに。此薬をもちゆれば治(ぢ)す。しかれども背肩小児(せかたやゝこ)を負(おひ)
たるごとくまがりたる骨(ほね)はのびざるなり

   〇脾胃虚諸症(ひゐきよの志よせう)◦疳(かん)あらまし

 生米壁(なまごめかべ)つち。土器(かはらけ)。けし炭(すみ)など食(く)ふ児(こ)は弐三/服(ぶく)にて治(ぢ)す
 疲(やせ)おとろへ額(ひたゐ)に/青筋(あをすぢ)いで頭(かしら)大きなる児(こ)にとり分(わけ)よし
 頭(かしら)にかぶと着(き)たる如(ごとき)/瘡(くさ)に/常々(つね〴〵)もちゆれずこと〴〵ぐ治(ぢ)す
 寝(ね)いりて鼻(はな)つまるか或(あるひ)ははぎりし手足(てあし)をびくつかす児(こ)によし
 顔色(かほいろ)あしく夜(よ)なき/物(もの)おどろき気(き)のみぢかき児(こ)は立処(たちどころ)によし 
 疳(かん)にて常々(つね〴〵)ねついでびく〳〵してなきいる児(こ)には別(べつし)てよし
 腹(はら)に/塊(かたまり)ありて胸(むな)さきへ差込(さしこみ)/眼(め)を見つめる児(こ)に/至(いたり)てよし


右/五臓(ござう)のわかちありといへども多(おほ)くは脾虚(ひきよ)して瘀血(おけつ)をまし
疳(かん)のむしを生(しやう)ずるに/至極(しごく)せり能々(よく〳〵)考(かんが)ふべし
   〇癖積(むしおこり) 癖虫(かたかひ)とも云 《割書:附/大人(おとな)の久瘧(ひさしきおこり)》
この/疳(かん)は腹に/塊(かたま)りありて寒熱往来(かんねつわうらい)し大人(おとな)の瘧(おこり)に/似(に)
たり俗(ぞく)にむしおこりといふ薬王円/丸薬(ぐはんやく)を小柴胡湯(せうさいこたう)の煎(せん)じ
汁(しる)にて用(もち)ゆべしあきらかに治(ぢ)す
 小柴胡湯方(せうさいこたうのはう) /柴胡(さいこ)八勺 黄芩(わうごん)五勺 人参(尓んじん)ニ勺
        甘草(かんざう)一勺 半夏(はんげ)三勺 大棗(たいさう)三勺
 右六味に/生姜(しやうが)一片入て常(つね)のごとく煎(せん)じ一日尓壱ふくツゝ
 薬王円(やくわうゑん)丸薬弐ふくヅゝを兼用(かねもち)ゆべし
大人(おとな)の瘧(おこり)半年も一年(いちねん)も久(ひさ)しくおちざるに右の通(とふ)り用ひて

 
 /小児薬(せうにのくすり)を
 /大人(おとな)に/用(もち)ひて
 /効(かう)ある叓を
 /論(ろん)ず
  但廿二丁目ニ
     くはし

速(すみやか)におちること奇妙(きめう)なりしかし三四ケ月/余(よ)の久瘧(ひさしきおこり)ならては
効(しるし)すくなし
   〇/疳痢(かんり)  附/大人之(たいしんの)/痢病(りびやう)
/小児(せうに)の痢病(りびやう)は。大人の痢病(りびやう)とちがひ。脾胃(ひゐ)の虚の所為(しわざ)にて
瘀血脾胃(おけつひゐ)に/入(いり)。下痢(くたり)てのち重(おもふ)して腹(はら)しきりにいたみ寒熱往来(かんねつわうらい)し
脾胃(ひゐ)の気(き)よはり。腹力(ふくりき)ぬけて痩(やせ)おとろふ。甚(はなはだ)むつかしき症(せう)にて
凡(およそ)十人が十人ながら死(し)にいたるなり。しかれども《割書:予が》薬王円を光(くわう)
明湯煎(めうたうせん)じ汁(しる)にて用ひらば。度数日々(どすうにち〳〵)に/減(げん)じ治(ち)すること神(しん)のごとし
      《割書:唐》/川芎(せんきう)五勺  /黄連(わう連ん)一勺  《割書:唐》/黄芩(わうごん)五勺
 光明湯方  /升麻(せうま)二勺  /芍薬(志やくやく)三勺   /當帰(とうき)五勺
      《割書:唐》/木香(もくかう)三勺  /桃仁(とう尓ん)二勺


 右八味/常(つね)のごとくせんじ。一日に壱ふくに。薬王円壱ふくつゝを
 兼用(かねもち)ゆべし。奇妙(きめう)に治春
大人(をとな)の痢病(りびやう)は《割書:予(よ)が》薬王円/用(もち)ゆるに及ばず。光明湯(くはうめうとう)ばかり
一日に三ぶくつゝ用(もち)ひて治(ぢ)す◦/鮒(ふな)の作(つく)り身食(みしよく)してよし
   〇/臍風撮口(さいふうさつこう)  丹毒(はやくさ)といふ
此症は/小児(せうに)うまれて。一七夜(なぬか)のうちに/忽死(たちまちし)す。至(いたつ)て急症(きうせう)なり。児(こ)の
口(くち)の中(うち)を見るべし。咽(のんど)のひたの/処(ところ)か。腮(あご)のうへに/粟(あわ)つぶほどのみ能
出來(でき)あるなり。これをゆびのさきに/布(ぬの)をまきすりつぶし破(やぶ)れば。
血出(ちいで)て泣声(なきごゑ)を発(はつ)し蘇(よみがへ)る。尚(な不)《割書:/予(よ)が》薬王円を用ひてよし
何事(な尓ごと)なくとも一七夜のうち湯(ゆ)ごとにゆびに/布(ぬの)か紗(しや)の裂(きれ)を巻(まい)て
生児(うぶこ)の咽喉(のんど)ひたの處(ところ)あごのあたりを能々(よく〳〵)あらふべし。はやくさ又

舌(した)しとのうれひなし
   〇/臍瘡(さいさう)  不ぞくさといふ
此/症(やまひ)は臍(へそ)はれ/出(いで)て其色白くなるか或は瘡(くさ)のごとくになり
膿汁(うみ)/出(いで)て腹(はら)しきりにいたむ至(いたつ)て大切の病なり《割書:予が》薬王円
を用ひて奇効(きこう)あること神のごとし
   〇/痘瘡(はうさう)
痘瘡は天行(じこう)の邪気(じやき)にさそはれ/内(うち)にある胎(たい)どくの発(はつ)するなり
熱(ねつ)はなはだしく傷寒(しやうかん)に/似(に)てまぎらはしく若(もし)/傷寒(しやうかん)とも痘瘡
ともわからざるあひだは。葛根湯(かつこんたう)のせんじ汁(しる)にて薬王円(やくわうゑん)を用
ゆべし。/痘瘡(はうさう)ときはまりなば薬王円ばかり用ひてよし。
あやまちなく全快(ぜんくわい)するなり


 葛根湯方(かつこんたうのはう) /葛根(かつこん)七分  /麻黄(まわう)三分  /桂枝(けいし)三勺
       芍薬(しやくやく)三分  甘草(かんざう)一分  大棗(たいさう)二勺
 右生姜(しやうが)一片入て常(つ年)のごとくせんじ一日に一ふくに薬王円
 一ふくづゝを用ゆべし
又/発熱(ほつねつ)より痘瘡(でもの)見ゆるまでに/烏犀角(うさいかく)を鮫(さめ)▢▢おろし
壱/度(ど)に目方弐分づゝ水にて用ひてよし痘瘡(はうさう)見ゆる
やうにならは止(や)むかせて後再(のちまた)もちゆべし
   〇/中暑(ちうしよ)
傷寒論(しやうかんろん)に/嘔吐(おうど)して痢(くた)るもの名(なづけ)て霍乱(あつけ)とあり夫(それ)小児の
中暑は脾胃(ひゐ)よはきゆゑ夏日(なつは)ことさら乳食胃皖(にうしよくゐくはん)に/停滞(とゞこほり)
し安く。外暑(ほかあつけ)にあたり。内乳食不消化(うちにうしよくこなれず)して大熱(ねつ)を発(はつ)し

或は吐(と)し又は泄(くだ)す。この病/熱多(ねつおほく)して湯水(ゆみづ)を好(この)む者は五苓散(ごれいさん)の
煎湯(せんじ志る)にて薬王円/丸薬(ぐはんやく)をもちゆ。若(もし)又/悪寒(さむさ)つよく湯水(ゆみづ)を
好(この)まざる症は理中湯(りちうとう)の煎湯(せんたう)にて薬王円をもちひ治(ぢ)する
こと神のごとし
 /五苓散(ごれいさん)方   猪苓(ちよれい) 沢瀉(たくしゃ)  茯苓(ぶれう)
        桂枝(けいし) 白朮(びやくじゆつ) 各等分
 /理中湯(りちうたう)方   人参(にんじん)三勺  甘草(かんざう) 三勺
        乾姜(かんきやう)七勺 白朮(びやくじゆつ)五勺
 右両方とも呉茱萸(ごしゆう)三分を加(くは)へ煎湯(せんとう)壱ふく尓薬王円丸
 薬弐ふくづゝを用(もち)ゆ煎方(せんじやう)つねのごとし
   〇/翻胃(ほんゐ)  かくといふ


此症(このせう)に二種(ふたいろ)あり。《割書:予が》薬王円にて治(ぢ)する症(せう)は。脾胃虚(ひゐきよ)し。食物(しよくもつ)
一度脾(ひとたびひ)にをさまるといへども。半時(はんとき)か一時。あるひは一日二日めに残(のこ)らず
吐(は)き。痩(やせ)おとろふを翻胃(ほんゐ)といふ。膈(かく)にまぎれる症なり。甚(はなはだ)六かしき症(せう)な
連ども皆(みな)こと〴〵く治(ぢ)す。膈(かく)といふは食物胸(しよくもつむね)に滞(とゞこふり)てさがらず。直(すぐ)に吐(はく)を
かくといふ。此/症(せう)は治(ぢ)せず用ゆることなる連。膈(かく)は大人ばかりにて小児は
まれなり。翻胃(ほんゐ)は大小児ともにあり
   〇/眼病(がんびやう)
眼目(がんもく)は五臓(ござう)の精華(はな)。一身(いつしん)の肝要(かんよう)の所にて。其/疾(やま)ひ七十二/種(しゆ)と
いへども。おそらくは脾虚(ひきよ)し。五臓(ござう)おとろへて眼(め)かすみいたみ。雀目(とりめ)
或は白?入(ほしいり)。外?(うはひ)内?(そこひ)。其外/種々(いろ〳〵)と変(かは)り発(はつ)するなり。この
薬は根本(こんん)の脾(ひ)を補益(とゝのゆる)ゆゑ。かすむ眼は勿論(もちろん)。雀目(とりめ)は四五服


 雀眼(とりめ)
  かすみ眼












 諸(もろ〳〵)の
  眼病(がんびやう)にて
  終(つひ)に/盲目(まうもく)
   となるを
    治(ぢ)するの
     神薬(しんやく)なり

尓て治(ぢ)し不し入/瞳(ひとみ)に/肉(にく)のかゝるも弐三廻り用ひて。速(すみやか)に治
すること奇々妙々(きゝめう〳〵)なり
 文化十/酉(とり)としより弘化四/未(ひつじの)とし迄/出(いだ)せしの書本(のうかきほん)に。痘疹(はうさうはしか)
 後(こ)の眼病治(がんびやうぢ)せず。用(もち)ゆべからずとしるし置(おき)し所。病家(びやうか)より右
 痘疹後(はうさうはしかご)の眼病(がんびやう)にも用ゆるに/奇妙(きめう)に/効(しるし)あるよし追々(おひ〳〵)申
 きたるにつき。猶又等(なほまたとう)と試(こゝろみ)るに。ほし入すでに/盲目(まうもく)となるも
ふしぎの功能(こうのう)ありて。十人に八九人まで悉(こと〴〵)く治す。故(かつがゆへ)に此所
にこれをあらたむ。功能の速(すみやか)なること用ひてしりゐふべし
   〇/諸病胎毒論(志よびやうたいどくろん) 附大人効験ある叓
或人(あるひと)《割書:予向て》曰。伊達龍仙(たてれうせん)は。小児諸病胎毒(せうにしよびやうたいとく)より発(おこ)ると


いふ先生(せんせい)は脾胃虚(ひゐきよ)より発(おこ)るといふ。龍仙(れうせん)のいへるは否とせらるゝ哉
◦/答(こたへ)ていはく。胎毒(たいどく)より疾(やまひ)を発(おこす)るゆゑ。出生(しゆつしやう)の節(せつ)茶を用(もち)ひて。胎毒(たいどく)
をさること肝要(かんやう)なるといふ◦/問(とふ)小児/出生(しゆつしやう)して間(ま)なく疾(やまひ)を発(はつ)する
あり。又弐三歳六七才までも。無病(むびやう)にて瘡毒(さうどく)の憂(うれひ)もなき小児。
率(にはか)に/大病発(たいびやうはつ)し率死(そつし)するか。或は長病(ちやうびやう)となる児(こ)あり諸疾(しよびやう)は胎(たい)
毒(どく)より発(はつ)すといはゞ/遅速(ちそく)は有(ある)まじきに。かく前後遅速(ぜんごちそく)の有(ある)はいかん
◦/答(こたへ)/夫小児胎内(それせうにたいない)にて気(き)を受(うく)るに。厚薄(あつきうす)きあり。気(き)を厚(あつ)くうく
るもの。自(をのづか)ら脾実(ひつよき)ゆゑ疾(やまひ)あらず。又/気(き)を薄(うす)く受(うく)るものは脾(ひ)
虚(きよ)なるゆゑ。生(うま)れながら疾(やむ)。しかるに脾実(ひじつ)なる生質(うまれ)も。乳母(おや)の食(しよく)
物不慎(もつふつゝしみ)より。脾虚(ひきよ)して気血(きけつ)めぐりか祢/乳食化(にうしよくくは)せずして。疾(やまひ)を発(はつ)
すゆゑ遅速(ちそく)あるなり◦問/胎毒多(たいどくおほ)き小児(せう尓)も脾実(ひつよき)は一生無(いつしやうむ)

病(びやう)なる哉◦答/脾胃實(ひゐつよ)き小児(せうに)は気血(きけつ)よく順(めぐ)る。因(よつ)て。胎毒多(たいどくおほ)
くとも。瘡(くさ)しらくぼ其外/種々(いろ〳〵)の発物(はつもの)となりて。消?(しやうげ)するゆへ。無病
那ること。譬(たとへ)はにごり水(みつ)もよく流(なが)るゝときは虫生(むししやう)ぜざるがごとし◦問
胎毒少(すこ)しもなき小児(せうに)。脾胃虚(ひゐよはき)はいかん◦答脾胃よはくば気血(きけつ)
不順(ふめぐり)にして。清血(せいけつ)も悪血(あくけつ)と変(へん)じ病を発(はつ)す。譬(たとへ)ば清水(せいすい)も流(なが)れ
あらければ濁水(尓ごりみづ)となりて虫(むし)を生(しやう)ずるがごとし◦問しからば小児
諸病(しよびやう)は胎毒(たいどく)より発(はつ)すといへども。其/本(もと)は脾胃(ひゐ)の虚実(きよしづ)にある
といはるゝ哉◦答しかり。故(ゆへ)に此くすりは。其/根本(こんほん)の脾胃(ひゐ)を補(おぎ)
益(な)ひ気血(きけつ)をよく順(めぐ)らすことを主(しゆ)とし。大小児(たいじんせうに)とも常(つね)に/服用(ふくよう)の
輩(ともがら)は無病(むびやう)ならしむ◦問いかにも一々(いち〳〵)聞(きこ)へたり。しかし他(た)の薬は何(いづ)
連も十五才までとあり。此/神剤(くすり)は。小児当才より百/歳(さい)の翁(おきな)まで


奇効(きこう)あるといはるゝは如何(いかん)◦答/傷寒論金匱本草綱目(しやうかんろんきんきほんさうこうもく)其/余(ほか)の
医書(ゐしよ)に/一薬(いちやく)にても十五歳までは効(こう)あり。十六歳/以上(いじやう)には効(しる)しなしと
ある叓いまだ見ず。故(かつがゆへ)に《割書:予(よ)》/詳(つまびらか)ならずといへども。他薬(たやく)を考(かんがゆ)るに。胎毒(たいどく)を
下痢(くだ)するばかりか。或(あるひ)は驚風(きやうふう)かたかひの類(るい)を治(ち)するばかりか。何(いづ)れも病(やまひ)の
原(もと)を後(あと)にし。唯節(たゞとき)に/顕(みゆ)る処(ところ)にもとづきて。用(もち)ゆる薬(くすり)ゆゑ。当分効能(たうぶんこうのう)
阿るごとくにても。生涯根(しやうがいね)を治(き)ることあたふべからず。所謂(いわゆる)/飯(めし)のうへの
蠅(はへ)を追(お)ふに/異(こと)ならず。此故(このゆゑ)に/他(不か)の小児の薬は大人(おとな)にもちひて効(こう)あ
るべからざる歟(か)。夫大人(それたいじん)は/小児(せうに)とちがひ。六気七情病(ろくきしちぜうやまひ)を犯(おか)す。六/気(き)
七/情(じやう)とは喜怒哀楽思恐驚(よろこひいかりかなしみたのしみおもひおそれおどろき)より心気(しんき)を労(ろう)して諸病(しよひやう)を発(はつ)す。
其(その)はしめ心下(むなさき)をふさぎ気(き)をつむ。これを積気(しやくき)といふ。積(しやく)は気(き)の
とゞこふりにて凝(こり)たる義(ぎ)なり。気積血積(きしやくけつしやく)みな是より発(おこ)る。その原(もと)は


 動気高(どうきたか)ぶり
  心下(しんか)を痛(いた)めしむるを治(ち)す










 留飲甚(里うゐんはなはだ)しくて
  或(あるひ)はいたみ又
   吐逆(とぎやく)する
       を
      治す

脾胃に(ひゐきよ)するゆゑに/気欝(きうつ)し。気欝(きうつ)するゆゑに/血凝(ちこ)る。血凝滞(ちこりとゞこふ)るゆゑに
蒸熱(せうかねつ)す。其/悪毒(あくどく)と六気七情(ろくきひちじやう)と相/交(まじはり)て積欝(しやくうつ)するゆゑ。脾肝(ひかん)の
虫ます〳〵広大(くはうだい)となり変化(へんくは)して労咳(ろうがい)となる。こゝ/至(いたつ)て弥(いよ〳〵)その虫(むし)
體(たい)をむすひ。臓腑中(ざうふちう)に/在(あつ)て津液(しんゑき)を吸(す)ひ精肉(せいにく)を喰(くう)ひ尽し。遂(つひ)に
死(し)をいたす。恐(おそ)るべきの第一なしずや。是皆(これみな)其/原(もと)は脾胃(ひゐ)の虚損(きよそん)より
発(おこ)るなり。其余/風寒暑湿疾(ふうかんしよしつやまひ)をおかせども。全(まつたき)気の滞(とゞこふ)り/感(かん)ずる
処にして。外(ほか)に疾を発(はつ)すべき謂(いはれ)なし。《割書:予が》薬王円は其/根本(こんほん)の脾
胃を補益(とゝのへ)気血(きけつ)をよく順(めぐ)らして。瘀血(おけつ)を消?(しやうげ)する大/妙剤(くすり)なれは
大人小児ともにもちひて。病(やまひ)を治(ち)するに。何(なん)そ違(たが)ひあらん

   大人(おとな)/之(の)/部(ぶ)


   〇/傷寒(しやうかんし)
傷寒ハ風寒暑疾湿(ふうかんししつ)の天邪(てんじや)におかされ/発(はつ)する病にて。一時半時(いちじはんとき)を
あらそひ。薬(くすり)に加減(かげん)あるゆゑ。《割書:予が》薬(くすり)にては及(およ)ばず。随分(ずいぶん)よろしき医(い)に
随心(ずいしん)するがよし。傷寒(しやうかん)のゝち乱心(らんしん)となることあり。これには《割書:予が》/良薬(くすり)
壱弐ふく用ひ奇妙(きめう)に/治(ぢ)す。又/傷寒後(しやうかんご)邪其(じやさつ)て気血不調和(きけつとゝのはざる)に
用ひて効験(こうけん)あること用ひてしるべし
   〇/留飲(りうゐん)
此病は平生美食(へいぜいびしよく)して身躰(しんたい)を働(はた)らかせず。為(なす)ことなくて/根気不相(こんきふさう)
応(わう)の思慮(しりよ)を過(すご)し。脾虚(ひきよ)して胸膈(むなさき)とり下へ水を制(くだ)することあた
はず。水気(すいき)上る滞(とゞこふ)り。大便/常(つね)に/結(けつ)し心下(むね)せぐるしくいたみ。顔色(かほいろ)
青(あを)く痩(やせ)おとろふをいふ。此薬王円は脾胃を補(おぎな)ひ水気(すいき)を

小便(せうべん)へよく通(つう)ずるゆゑ。たちまち心下(しんか)をひらき。いたみを治ることいたつて
妙なり。しかれども。此薬一服もちゆると。少々(すこし)いたみ強(つよ)くなる症(せう)。百
人のうちに壱弐人もあり。此/症(せう)は/治(ち)せず用(もち)ゆべからず
   〇/血閉(ちのみち)
血(ち)の道といふ病は。男女(なんによ)ともにあり。其/始心下(はじめむなさき)ふさがり。唯何(たゞなに)となく気(き)
六(むつ)かしく。大便/常(つね)に/結(けつ)し。或は下痢(くだり)。あるひは腹(はら)はり或(あるひは)不食(ふしよく)し
或は食(しよく)すみ又は動気(どうき)つよく。背(せ)よりかた首筋(くひすぢ)へこりのぼせ。耳鳴(みゝなり)
眼(め)かすみ頭痛(づつう)し。或は手足(てあし)だるく腰(こし)ひざつり。少しにても前高(つまだか)なる
道はつきたほしくて歩行(あるき)かね。種々(いろ〳〵)こごといひながら。病床(びやうせう)に/伏(ふす)にも
あらず。唯(ただ)家内にぶら〳〵として万事(ばんじ)によく気がつき。少しの事も
心にかゝり左程までもなき事を深(ふか)くあんじ過(すご)し。人目(ひとめ)にはさのみ病(ひやう)


人のやうにも見らずして。終(つひ)には労症(ろうせう)となる。これ/至(いたつ)て難症(なんせう)の
大病なり。諸医種々(しよいろ〳〵)/病名(びやうめい)をね(つけ)るといへども。全(まつた)く其原(そのもと)/脾胃(ひゐ)
虚損(きよそん)より発(おこ)る症(せう)なり。就中婦人(なかんづくふじん)はことさら。慎(つゝし)み深(ふか)く心の侭(まゝ)
に/身(み)をもつことの(あた)はず。気欝(きうつ)して月水滞(けいすいとゞこふ)り。遂(つひ)に大病を引出(ひきいだ)
すこと多(おほ)し。《割書:予が》薬王円は脾胃(ひゐ)を補益(おぎなひ)/気血(きけつ)をよく順(めぐ)らし。気(き)
を開(ひら)き。心下(しんか)をすかし欝(うつ)を散(さん)じ。又/婦人(ふじん)は月水(けいすい)とゞこほりなくあら
しむの妙剤(くすり)ゆゑ。男女とも右等(みぎう)の病症(びやうせう)に用ひ神効(志んこう)あること
ゆめ〳〵疑(うたが)ふことなかれ其/効(こう)用てしるへし
   〇/労咳(ろうがい)
夫労咳(それろうがい)は気體虚弱(きたいきよじやく)より気(き)を労欝(ろううつ)して発(はつ)すといへども。原(もと)
脾胃(ひゐ)の虚損(きよそん)より発(おこ)る。脾胃/虚損(きよそん)するときは。気血(きけつ)めくらす

心火(しんくは)さかんとなつて骨焦(こつしやう)し。肥肉痰沫(ひにくたんあわ)となり。咳(せき)を生(しやう)ず。これ/脾胃(ひゐ)の
陽気(やうき)うすく。順(めぐ)る処(ところ)の気血胸膈(きけつむのあひだ)にせまり。発動(はつどう)せざるゆへ労(ろう)
咳(がい)となる。其はじめ大便/結(けつ)し又は水瀉(みづくだ)り。腹(はら)にかたまり出來動(できどう)
気(き)つよく背(せ)なかへこりのぼせ。やせつかれ。痰沫(たんあわ)を吐(は)く。号(なづけ)て労咳(らうがい)と
いふ。つかれ/咳(せき)いづるといふ義(ぎ)なり。いづれ/六(むつ)かしき病症(びやうせう)といへども。大便
かたち有(ある)か又/下剤(くだる)うちに。此薬王円用ひあらば。痢(り)を止(とゞ)め結(けつ)するを
和(やは)らげ。こと〴〵く治(ぢ)すること請合(うけあひ)なり然(しか)れども此薬/服(ふく)せざる前(まへ)に/大(たい)
便(べん)下痢(くだる)にもあらず。譬(たとへ)ばひき臼(うす)にて挽(ひき)たる味噌(みそ)のごとくゆるみて形(かたち)
なきは用(もち)ひても効(こう)なし用(もち)ゆべからず
   〇/崩漏(ばうろ)
婦人の崩漏(ばうろ)といふは。俄(にはか)に/月水(けいすい)大に/下(お)り堪(たへ)かぬることあり。此薬王円


散薬(さんやく)をきつね/色(いろ)に煎(い)りて壱服(いつふく)用ひあらば即座(そくざ)に/奇効(きこう)あり三
四ふく用(もち)ひて咳気(くはいき)すること神(しん)のごとし
常々(つね〴〵)/月水(けいすい)に/清血多(せいけつおほ)く下(くだ)り痩(やせ)おとろふ人/右(みき)の通(とふり)にしてもちひ効(こう)
能(のう)すこやかなり
   〇/赤白滞下(しらちながち)
婦人にしら血(ち)なが血といふて。月水平生(けいすいつね〴〵)/膿血(うみち)のごとくになりて
多(おほ)く下(くだ)り次第(しだい)に/痩衰(やせおとろ)へ。甚六かしき症あり。此/症(せう)には血帰湯(けつきたう)
を兼用(かねもち)ゆべし
 血帰湯(けつきたう)  /黒将焼香附子(いりしやうかうぶし)一匁 /生香附子(なまかうぶし)一匁
        /黨帰(たうき)一匁 /桂心(けいしん)五勺 干姜(かんきやう)五勺
 右五/味(み)を常(つ年)のごとくにせんじ壱ふくに薬王円大/丸薬(ぐはんやく)一服つゝ

 兼用(かねもち)ゆべし十四五ふくもちひてこと〴〵く治(ぢ)すること神のごとし
   〇/脹満(ちやうまん) 附/水腫(すいしゆ)
此症古方に/皷脹(こちやう)とあり。其/病根(もと)/三種(みいろ)といへども。恐(おそ)らくは脾
胃/虚(きよ)より発(はつ)する事/医書(いしよ)に/詳(つまびらか)なり。此故に《割書:予が》薬王円にて
こと〴〵く治(ぢ)す
水腫(すいしゆ)とて脾胃の虚損(きよそん)より小便/通(つう)せず惣身(さうみ)は連。腹太皷(はらたいこ)の
ごとく。手足(てあし)までも浮腫(は連)くるしみ。終(つひ)には死(し)する人あり。《割書:予が》薬王圓
は脾胃(ひゐ)を補益(とゝのへ)気血を順(めぐ)らし小便(せうべん)をよく通(つう)ずる。神剤(くすり)ゆゑ。
別して此症(このせう)に/奇効(きこう)あること神(しん)の如(ごと)し
此症に。俗(ぞく)。常腹(つ年ばら)といひて。気分(きぶん)もよく。身内(みうち)も常の通(とふ)りにて。
只/腹(はら)ばかり年々(とし〳〵)/張出(はりいづ)る症あり。これは治(ぢ)せず。用(もち)ゆべからず。此症に


かぎらず気分(きぶん)のよろしき疾(やまひ)はもちひて効(こう)すくなし
〇右の通(とふ)り治(ち)する病(やまひ)は治(ち)すと記(しる)し治(ち)せざるは治(ち)せずとしるす
 能書(のふかき)なれは。唯薬(たゞくすり)を弘(ひろ)めんとのみ種々分文華(さま〴〵ぶんくは)をかざる能書(のうがき)と
 日(ひ)を同(おなじ)ふして論(ろん)すべからず。病(やまひ)にもとづき。彼医師(かのいし)/此薬(このくすり)と迷(まよ)
 ふうちに/手(て)おくれとなりて。天数尽(てんすうつき)ざるに/命(めい)を亡(ほろ)ほす者
 世尓/多(おほ)し。是を見るに/忍(しの)びず病論病症(びやうろんびやうせう)を挙(あげ)て世(よ)の人(ひと)の
 天壽(てんじゆ)を保(たもた)しめんと欲(ほつ)す。能々考(よく〳〵かんが)へ服薬(ふくやく)あるべきこと専要(せんよう)也
〇此/能書(のうがき)をよみて。此(この)やうにきくならば。医者(いしや)はいらぬといふ人も
 あるべし。いかにも此/能書(のうがき)にしるす疾病(やまひ)は。医師(いしや)のいらぬこと
 を用(もち)ひてしるべし
〇右/能書(のうがき)/加味(かみ)の良法(れうはう)は。《割書:予が》一家の相伝(さうでん)にして。是まで数(す)百

 人にあたへしに/一人(いちにん)も治(ち)せさることなし。遠國(ゑんごく)/辺鄙(へんぴ)の人々/病(やまひ)に
 愁(うれ)へんことを歎(たん)じあらはすものなり。近郷(きんかう)の人々は《割書:予が》/宅(たく)にて
 夫々/病症(びやうせう)を見わけ加減(かげん)/薬調合(くすりちやうごう)いたし進(しん)ずへし

 旹文化十年癸酉仲秋
         潜龍陳人愚謙誌 

 嘉永四年辛亥孟春再彫之期改補
 文久二年壬戌孟春再彫之期改補



  咳治算散            止痛散
 せ起乃妙薬           づつう能薬
   たちまちとまること請合     壱ふく用ひていたみ
  是妙散              とまることうけ合
 せんきの妙薬           即妙散
   一ふくにてこしのいたみ   /痳病(りんびやう)せう加つの薬
   止まる事妙なり         壱ふく用ひていたみを/止(とめ)
  元養散              小べんこゝろよく通ず
 め小べんの妙薬            右ね小べん薬の外はいつ連も
   四ふくめより           壱ふくにて大効あり
   切験相見へ候           こゝろみゐふべし

本家調合所 皇都五條     石田謙次 印
      建仁寺町西入 
江戸出店  新橋八官町     石 田
  江戸  南伝馬彫二丁目  山形屋 伊 輔
元 大坂  四ツ橋東北詰   丹波屋 喜兵衛
  土佐  高知本町一丁目  淀屋 安右衛門
弘 信濃  上田原町     綿 屋 喜三郎
  陸奥  盛岡郡山     井筒屋権右衛門
所 伊勢  松坂領権現前村  在 間 判兵衛
  江戸  小網町二丁目   島 屋 新 助
  京都  烏丸二条下ル   井筒屋 徳 禄


  伊豫  宇和島夘之町   道後屋太郎兵衛
  因州  鳥取知須海道   槌屋 次郎兵衛
  若州  小濵上竹原村   久保 清右衛門
 
  讃岐  金毘羅新町    鍵 屋 専 助
  肥前  平戸佐世保浦   萬屋 清右衛門
  豊後  臼杵市町     山積屋長右衛門
  豊後  府内萩原新町   米 屋 道太郎
  豊前  小倉橋本     山口屋 利兵衛
   

三十五ぺージ左の部分反転のために翻刻しない

裏表紙

{

"ja":

"養生長寿秘伝鈔

]

}

                   
  《題:養生長寿秘伝鈔《割書:貳巻|壱冊》》

【帙を開いて臥せた状態】
【帙の背】
養生長寿秘伝鈔  《割書:貳巻|壱冊》 【資料整理ラベル】富士川本
                       ヨ
                       95

【左丁 題箋】
《題:養生長寿秘伝鈔《割書:貳巻|壱冊》》

【表紙】
養生長寿秘伝鈔

【資料整理ラベル】
富士川本
 ヨ
 95

【右丁 白紙】

【左丁】
  序
山(やま)不高(たかゝらす)淵(ふち)不深(ふかゝらず)鯉魚(りぎよ)樹(じゆ)
上(しやう)に昇(のほ)り黄鳥(くはうてう)水底(すいてい)に
遊(あそ)ふ恍(くはう)たり惚(こつ)たり始(はしめ)は一理(いつり)
を言(いゝ)終(おはり)は真寿(しんじゆ)を謂(いふ)始終(しじう)

【右丁】
無二(むに)無三(むさん)の良薬(りやうやく)これを
視(み)れとも不見(みへず)これを聴(き)け
とも不聞(きこへず)費(ひ)にして隠(いん)なり
近前来(きんせんらい)【注1】
      不学無能謹序

【左丁】
養生長寿秘伝鈔(ようせうてうじゆひてんせう) 上
一 太平(たいへい)の御代(みよ)に出生(しゆつせう)し御高恩(ごかうをん)身(み)にあまり難有(ありがたく)
 あんぜんに世渡(よわた)り仕(つかまつ)り候 扨(さて)世(よ)の中(なか)の人のあり
 さま明暮(あけくれ)老(お)ひ行(ゆき)候 竹馬(ちくば)の友(とも)をかぞへ候 得者(へば)
 男女(なんによ)とも愚老(ぐらう)が年(とし)迄も長命(ながらへ)候 者(もの)二三十人に壱人(いちにん)位(ぐらい)
 にてまれに相 覚(をぼへ)候人々 養生(ようぜう)能(よく)御 心得(こゝろへ)天(てん)よりうけ得(へ)
 たる御寿命(ごじゆめう)御保(をんたも)ち被遊(あそばされ)候はゞ愚老(ぐらう)が寸志(すんし)届(とゞ)き大(たい)
 慶(けい)に存(ぞんじ)候 此書(このしよ)御覧(ごらん)被下(くだされ)長寿(てうじゆ)の御工風(ごくふう)出来(でき)御安心(ごあんしん)に
 御世(をんよ)わたり可被下(くださるべく)候 某(それがし)幼年(ようねん)より至(いたつ)て病身(びやうしん)にて親(おや)共
 殊(こと)の外(ほか)苦労(くらう)にいたし候に付 病(やま)ひを恐(をそれ)れ身命(しんめい)の大事を

【注1】 禅 もっとそばに寄れ

【右丁】
 思(おも)ひ平日(へいじつ)養生(ようぜう)仕(つかまつり)候 効(しるし)に御座(ござ)候 哉(や)兄弟(けうだい)六人之 内(うち)四人は三
 十 歳(さい)より四十五六 才(さい)までに早世(そうせい)いたし候 尤(もつとも)兄弟(けうだい)は皆々(みな〳〵)
 私(わたくし)より至(いたつ)て丈夫(じやうぶ)に御座(ござ)候 処(ところ)平生(へいせい)身(み)養生(ようぜう)心得(こゝろへ)悪敷(あしき)ゆ
 へと存(ぞんじ)申候
一 身(み)の養生(ようぜう)は酒(しゆ)色(しよく)欲(よく)此の三ッにあり大酒(たいしゆ)いたせば酒毒(しゆどく)
 に中(あた)り或(あるひ)は不 忠(ちう)不孝(ふかう)不 義(ぎ)も此(これ)より出来(でき)亦(また)過酒(くわしゆ)より
 色(しき)情おこるは勿論(もちろん)にて酒色(しゆしき)の二欲(によく)銘々(めい〳〵)の身(み)をせ
 め命(いのち)をちゞむる責道具(せめどうぐ)とぞんじ候これまで貴賤
 上下(ぜうげ)の隔(へだて)なく御懇意(ごこんい)の御方々(をんかた〴〵)様(さま)にも短命(たんめい)のかた
 十人に九人までは大酒(たいしゆ)色欲(しきよく)にて死去(しきよ)いたされ候 高貴(かうき)

【左丁】
 の御方様(をんかたさま)がた又(また)は金銀(きんぎん)世宝(せほう)に不 自由(じゆう)無之(これなき)方々(かた〴〵)にも御(ご)
 養生(ようぜう)あしく短命(たんめい)のかた数(かず)多(おう)く見(み)うけ候 某事(それがしこと)四
 十 才(さい)ぐらい迄は至(いたつ)て病身(びやうしん)に候ゆへ親(をや)ども苦労(くらう)に致(いた)し
 私(わたくし)へ申候には四十二の厄年(やくどし)と申 事(こと)も人間(にんげん)一生(いつせう)五十
 年(ねん)と申 世(よ)の諺(ことわざ)にて工風(くふう)して見(み)れば一(いつ)ヶ 年(ねん)を一生(いつせう)と
 見(み)る時(とき)は秋(あき)の末(すへ)冬(ふゆ)のそらと同(おな)じ事(こと)なり能々(よく〳〵)工風(くふう)
 して身(み)の養生(ようぜう)能(よく)いたし長寿(てうじゆ)せよと教訓(けうくん)いたし
 呉(くれ)候 得(へ)ども今日(こんにち)の事(こと)のみに紛(まぎ)れ暮(くら)し居(をり)候 処(ところ)ふ
 と四十一才の時(とき)信友(しんゆう)の進(すゝ)めに依(よつ)て実学(じつがく)の明師(めいし)を
 得(へ)て師(し)の仰(おうせ)にしたがひ日々(にち〳〵)身(み)の保養(ほよう)一心(いつしん)の持様(もちよう)等

【右丁】
 克己(こくき)の伝受(でんじゆ)を得(へ)て当年(とうねん)六十四 歳(さい)に相 成(なり)候得どもよ
 うぜうの御蔭(をんかげ)ゆへか壮年(そうねん)の時(とき)より身体(しんたい)健(すこや)かにして
 暑寒(しよかん)の憂(うれい)もなく安心(あんしん)仕(つかまつり)候尤もそれがし病気(びやうき)未(いまだ)平生(へいぜい)
 ならず候 節(せつ)信友(しんゆう)より借受(かりうけ)白隠(はくいん)夜船閑話(やせんかんわ)。貝原(かいばら)養生(ようぜう)
 訓(くん)。沢水(たくすい)法語(ほうご)。月庵(げつあん)法語(ほうご)。亦(また)徒然草(つれ〴〵くさ)。和論語(わろんご)。般若(はんにや)
 心経(しんげう)。小室六門(せうしつろくもん)。亦(また)大学中庸和解(だいがくちうようわかい)など拝見(はいけん)し日々(にち〳〵)
 朝夕(てうせき)養生(ようぜう)仕候 各々様(をの〳〵さま)にも右(みぎ)の本(ほん)など御覧(ごらん)なされ長(てう)
 寿(じゆ)御工風(ごくふう)可被成候 尤(もつとも)右本(みぎほん)御覧(ごらん)被成候 節(せつ)は御 心(こゝろ)を臍(ほその)
 下(した)に静(しづめ)られくり返(かへ)し御覧(ごらん)被成度(なされたく)則(すなはち)夜船閑話(やせんかんわ)に
 人々(ひと〳〵)いまだねむりにつかざる前(さき)に両足(りやうあし)をのべ強(つよく)踏(ふ)み

【左丁】
 揃(そろ)へ一身(いつしん)の元気(げんき)をして臍輪(さいりん)。気海(きかい)。丹田(たんでん)。腰脚(ようきやく)。足心(そくしん)。の
 間(あいだ)に充(み)たしめ此観(このくわん)をなすべし是(これ)養生(ようぜう)の専一(せんいち)也(なり)と
 御合点(ごがてん)なされがたき所(ところ)御座(ござ)候はゞ其所(そのところ)よく〳〵御工夫(ごくふう)
 成(な)され度(たく)候 扨(さて)身(み)養生(ようぜう)第一(だいいち)は千万人(せんまんにん)好(この)む処(ところ)の色欲(しきよく)
 なり是(これ)第一番(だいいちばん)の御慎(をんつゝし)み無之(これなく)候ては迚(とて)も長命(てうじゆ)は相成(あいなり)
 申 間敷(まじく)候 末々(すへ〴〵)高貴(かうき)の秘伝書(ひでんしよ)にて御工夫(ごくふう)可被成(なさるべく)候 御銘(ごめい)
  々( 〱)御身(をんみ)の一 大事(だいじ)の事(こと)に候 何分(なにぶん)御工風(ごくふう)出来(でき)御長寿(ごてうじゆ)被(あそ)
 遊(ばされ)候はゞ大慶(たいけい)仕候 老若男女(らうにやくなんによ)の隔(へだて)なく只(たゞ)々 御命(をんいのち)大事(だいじ)
 と御慎(をんつしみ)次第(しだい)にて父母(ふぼ)より請(うけ)たる天然(てんねん)の御寿命(ごじゆめう)御(をん)た
 もち被遊(あそばされ)候 義(ぎ)は至(いたつ)て安(やす)き御事(をんこと)に候 左(さ)候はゞ愚老(ぐらう)なきあ

【右丁】
 とまでも大慶(たいけい)仕(つかまつり)候
   身(み)の内(うち)に身(み)を苦(くる)しめるもの
   自身(じしん)より病(やまい)をこしらゆるもの   七 情(でう)なり
 〇喜(き) 怒(ど) 憂(ゆう)  思(し) 悲(ひ)  恐(けう) 驚(けう)
  (    よろこび゜ いかり゜ うれい゜ おもひ゜  かなしみ゜ おそれ゜ をどろく゜)【注】
 この七ッは貴賤(きせん)智愚(ちぐ)男女(なんによ)となく皆(みな)発(をこ)り候 所(ところ)の物(もの)に候 得(へ)
 共(とも)智(ち)ある人は片(かた)よらずものを止(とゞ)めず着(ぢゃく)せず其(その)
 物(もの)ごとに任(まか)すゆへ苦(く)つうなく候 愚(をろか)成(な)る者(もの)は身(み)を愛(あい)し
 て万事(ばんじ)我(われ)にまかすゆへ苦患(くげん)絶(たへ)ざれば乍(たちま)ち病(やま)ひの
 本(もと)となり候 片寄(かたよる)は惜身(みびいき)の作(な)す所(ところ)なりこの身贔(みびい)
 屓(き)よりかた寄(よる)にて候

【左丁】
 身(み)をおもふ心(こゝろ)ぞみをばくるしむる身(み)を思(をもは)ねば
 みこそ安(やす)けれ
   これ真(まこと)の養生(ようぜう)に候すつるとは此(こ)の所(ところ)に候か
   又(また)外(ほか)より入(はい)る病(やまひ)あり
    風(ふう) 寒(かん) 暑(しょ) 湿(しつ)
   別(べつ)して大(をゝい)なる病(やまひ)は
      貪(とん)嗔(じん)痴(ち)これ三 毒(どく)也
           (          むさぼりいかるぐち)
      諸病 諸苦悩(しょくなふ)の根(こん)
      本(ほん)なり
 古歌(こか)に

【注 左ルビの入れ方は特に指定は有りませんでしたので、当方は先輩方の方法を真似て注記機能を用いてしてきましたが、考えれば「最終出力時には削除されます」ので本来残しておくべき資料中の文字ですから不適正な方法と言えます。歌原通様のなさった振り仮名機能を用いてするのも一案だなと思いましたが、文字の位置決めに難渋するのが難点ですね。橋本先生に一工夫して頂きたいものです。】


【右丁】
 長命(ながいき)は朝(あさ)おきをして昼寐(ひるね)せず酒食ひかへて
 独(ひと)りねをせよ
   小児(せうに)驚風(けうふう)をせぬこころへの事
一 小児(せうに)の親(おや)夫婦(ふうふ)交合(かうがう)致(いた)し候 節(せつ)小児(せうに)の目(め)を覚(さま)し
 なき候せつ啼(なき)候を不 便(びん)におもい交合(かうがう)の上(うへ)直(すぐ)に乳(ちゝ)を
 のませ候 事(こと)大(をゝい)なる毒(どく)なり此(この)ところ能々(よく〳〵)御慎(をんつゝしみ)有之(これあり)候
 得(へ)ば小児(せうに)狂風(けうふう)の事(こと)は一切(いつせつ)無之(これなし)由(よし)秘中(ひちう)の秘伝(ひじ)【ママ】と承(うけたまは)り
 候 為御心得(をんこゝろへのため)記_レ之
 又 婬乱(いんらん)の者(もの)女房(にやうぼう)月水中に交(まじは)り懐妊(くわいにん)致(いたし)候 時(とき)は出生之(しゆつせうの)
 子(こ)きわめて癩疾(らいしつ)を病(やむ)と是(これ)亦(また)秘伝(ひでん)御心得(をんこゝろへ)の為(ため)記之

【左丁】
 この難疾(なんしつ)必(かなら)ず田舎(でんじや)に多(おゝ)く繁花(はんくは)の地(ち)に稀(まれ)なるを見(み)て知(しる)べし
  (      やまい)       (   いなか)
一 和論語(わろんご)に曰(いわく)世(よ)の中(なか)の人 楽(たのしみ)をたのしみとするゆへ苦(くるし)
 み多(をゝ)し。苦(くるし)みを楽(たのし)みとすれば楽(たのし)みつくる事(こと)なし
 と。又(また)明君(めいくん)の御示(をしめ)しに苦(く)は楽(らく)の種(たね)楽(らく)は苦(く)のたねと
 しるべし。主人(しゆじん)と親(をや)とわ無理(むり)なるものとしるべし。下(しも)
 部(べ)は足(た)らぬものとしるべし。分別(ふんべつ)はかんにんに有(あり)と知(し)る
 べし。欲(よく)と色(いろ)と酒(さけ)とは敵(かたき)としるべし九分(くふ)に足らわ
 ぬ【「たらわす」の打ち消し】を十分(じうぶ)としるべし小事(せうじ)おどろくべし大事(だいじ)驚(をどろ)く
 へからず。朝寐(あさね)すべからず。噺(はなし)の長座(てうざ)すべからず。子(こ)の
 ことく親(をや)をおもへ近(ちか)きたとへなり。我(わ)が職分(しよくぶん)大切(たいせつ)に

【右丁】
 勤(つと)むべしとなり有難(ありがた)き御慈教(ごじけう)に候
一 信友(しんゆう)の曰 身(み)の養生(ようぜう)は一心の知(し)る所なれば急(きう)に明師(めいし)にたよ
 りて道之(みちの)為道(みちたる)真実(しんじつ)を知得(ちとく)し我(わ)が一 大事(だいじ)決定(けつぢやう)す
 べしとの儀(ぎ)上(うへ)なき深切(しんせつ)と誠(まこと)に身心に徹(てつ)し候へは即(そく)
 時(じ)道心(だうしん)発(おこ)り候 扨(さて)我等(われら)如(ごと)き愚昧(ぐまい)文盲(もんもう)の会得(ゑとく)致安(しやす)
 く安心(あんしん)成(な)り安(やすき)は心学(しんがく) 実学(じつがく)の教示(けうじ)亦(また) 盤珪禅師(ばんけいぜんし)【注1】
 仮名法語(かなほうこ) 白隠禅師(はくいんぜんし)【注2】仮名法語 其外(そのほか)古(いに)しへ知識方(ちしきがた)
 の仮名法語類(かなほうごるい)手近(てぢか)き御教導(ごけうだう)と難有(ありがたく)覚(おぼへ)候
○愚老(ぐらう)義(ぎ)は三十 間堀(けんぼり)実学家(じつがくか)の教示(けうじ)を受(うけ)て文盲(もんもう)ながら
                  (                         をしへ)
 わが身(み)の一 大事(だいし)を知得(ちとく)いたし従来の迷妄 心得違(こゝろへちが)ひ
                   (                      これまで)  ( まよい)

【左丁】
 発明いたし候 事(こと)ども数々(かず〳〵)御座(ござ)候而 即時(そくじ)一心(いつしん)の置(をき)き【衍】所(どころ)
 を決定(けつぢやう)いたし身(み)に先立(さきだ)つ大事(だいじ)も無之(これなく)段(だん)得心(とくしん)致(いた)
 し夫(それ)より日々(にち〳〵)朝夕(てうせき)真(しん)の養生(ようぜう)懈怠(けだい)いたさず候 諸(しよ)
 事(じ)明(あき)らめ足(た)る事(こと)を知(し)るの手短(てみちか)き御教道(こけうどう)に誠(まこと)■【にヵ】
 実学(じつがく)と有(あり)がたく存(ぞんじ)候 然(しかれ)ども文盲(もんもう)の愚老(ぐらう)に候 得(へ)ば亦(また)御(ご)
 銘々(めい〳〵)御存心(ごぞんじん)も有之(これある)義(ぎ)只(たゞ)銘々(めい〳〵)身(み)の大事(だいじ)を知(し)る義(ぎ)にて
 他事(たし)なく候 皆(みな)御自心(ごじしん)の上(うへ)にこれある儀(ぎ)に御座(ござ)候 御思(ごし)
 慮(りよ)成(な)され度(たく)候

【注1 江戸前期(1622~1693)の臨済宗の僧。播磨国出身。】
【注2 江戸中期(1686~1769)の臨済宗の僧。駿河国出身。『夜船閑話』を著す。】




【右丁】
一 禅師(ぜんし)白山翁(はくさんをう)二尊師(にそんし)の御道話(ごどうわ)且(かつ)御徳者(をんとくしや)の御遺書(ごゆいしよ)
 御教誡問答書(ごけうかいもんどうしよ)《割書:並に》添書(そへがき)心得草(こゝろへぐさ)等(など)かき写(うつ)し出之(これをいだし)候
 みな自己(じこ)を脩(おさ)め家(いへ)を斉(とゝの)ひ主従(しうじう)親子(をやこ)夫婦(ふうふ)兄弟(けうだい)
 一和(いつくわ)し世間(せけん)交(まじ)はり実意(じつい)を先(さき)とし足(た)る事(こと)を
 知(し)りて真楽(しんらく)を得(ゑ)よとの心法(しんほう)にて是(これ)亦(また)保寿(ほうじゆ)の基(もと)
 本(ひ)皆(みな)実学(じつがく)に候 得(へ)ば即今(そくこん)御銘々(ごめい〳〵)の一大事(いちだいじ)成(な)る事(こと)
 を得(とく)と御合点(ごがてん)なされ御熟覧(ごじゆくらん)なし下(くだ)さるべくす
 ぎ去(さ)りし事(こと)のやう御心得(をんこゝろへ)御覧(ごらん)成(な)され候ては御身(をんみ)
 の為(ため)に相 成(なり)申さず 千載(せんざい)如一日(いちにちのごとし)と古人(こじん)も仰(をう)せら
 れ候よし譬(たとひ)千年(せんねん)二 千年(せんねん)過去(すきさり)候 事(こと)にても何(なに)

【左丁】
 も今日(こんにち)只今(たゞいま)に変(かわ)り候 義(ぎ)は無之(これなく)年来(ねんらい)過去(すぎさり)候とて世上(せでう)
 かわり候 得(へ)ば古人(こじん)の仰(をう)せ置(おか)れ候 義(ぎ)も用(よう)に立(たゝ)ぬと申 物(もの)
 にて書物(しよもつ)経文(けうもん)もありて益(ゑき)なきと申 物(もの)に候 高家(かうけ)秘(ひ)
 伝書(でんしよ)之(の)御教諭(ごけうゆ)はじめ道話(どうわ)遺書(ゆいしよ)教誡問答書(けうかいもんどうしよ)
 添(そへ)がき心得草(こゝろへぐさ)に至(いた)るまで悉皆(しつかい)御銘々(ごめい〳〵)の御事(をんこと)に候得
 ば去年(きよねん)今年(こんねん)昨日(さくじつ)今日(こんにち)我(われ)人(ひと)身(み)の上(うへ)の義(ぎ)と聢(しか)と
 御 心得(こゝろへ)御 熟覧(じゆくらん)くだされ度(たく)皆(みな)是(これ)世人(せじん)の為(ため)の御実(ごじつ)
 教(けう)に御 座(ざ)候 得(へ)ば御 実意(じつい)を以(もつ)て御覧(ごらん)なされ御自心(ごじしん)
 御会得(ごゑとく)成(な)され御(ご)あんどの場(ば)に御至(をんいた)り候はゞ愚老 本(ほん)
 望(もう)に御座(ござ)候 容易(ようい)に御らん被下間敷(くだされまじく)候     某







【右丁】
    心得草(こゝろへぐさ)
 信(まこと)は天下国家(てんかこくか)の宝珠(ほうじゆ)
            (                たから)
 親(をや)をおもいうやまうは我(わ)が為(ため)子 孫(そん)のため
 君(きみ)をおもひ敬(うや)まふは身(み)をおもふなり
 主(しう)を敬(うや)まひ親(をや)を敬まふは忠孝(ちうこう)の鏡(かゞみ)
 一家(いつか)和順(わじゆん)ははん栄(ゑひ)の本(もと)
 倹約(けんやく)質素(しつそ)は家名(かめい)相続(そうぞく)の基(もと)ひ
 勤(つとめ)をはげむは出世(しゆつせ)の本(もと)
 家職(かしよく)出情(しゆつせい)するは長久(てうきう)の本(もと)
 辛抱(しんぼう)は万事(ばんじ)成就(じやうじゆ)の本

【左丁】
 堪忍(かんにん)慎(つゝし)みは其身(そのみ)の守符(まもり)
 慈悲(じひ)あわれみは身(み)家(いへ)の祈祷(きとう)
 富(ふ)人は世間(せけん)の重宝(てうほう)
 無道(むどう)の富人(ふじん)は世財(たから)の番士(ばんし)
 不 忠(ちう)不孝(ふこう)は人非人(にんひにん)
 不義(ふぎ)不 如法(によほう)は悪行(あくげう)の先達(せんだち)
 奢(おご)りものは先祖(せんぞ)親(をや)の恩(をん)しらず
 家内(かない)不 和合(わがう)は不相続(ふそうぞく)の本(もと)
 義理(ぎり)恥辱(ちぢよく)を知(し)らぬは人外(にんぐわひ)
 勤職(かしよく)無精(ぶせい)ものは親兄弟(をやけうだい)の厄介(やくかい)
   (  つとめ)

【右丁】
 善(ぜん)は急(いそ)げ悪(あく)は延(の)べ
 明(あき)らめは平日(へいじつ)の養生(ようぜう)
 有(あり)の儘(まゝ)なるは正直證人(せうぢきもの)
 無病(むびやう)はものを貯(たくは)へぬ證人(もの)
 持病(じびやう)は明(あき)らめなきより生(せう)ず
 肝症(かんせう)肝積(かんしやく)は気随(きずい)の證人(もの)
 好(す)き嫌(き)らひ物(もの)に飽(あ)くは我儘(わかまゝ)の證人(もの)
 短気(たんき)は身(み)を損(そこ)なふ本(もと)
 我慢(がまん)我欲(がよく)は愚知(ぐち)無知(むち)の證人(もの)
 疑(うたが)ひ謗(そし)るは侮(あなど)らるゝ本(もと)

【左丁】
 明聞(めうもん)色彩(いろどり)は負ヶ惜(をしみ)に陽気(うわき)もの
 手前勝手(てまへがつて)は飽(あか)るゝ本
 遊芸(ゆうげい)は身(み)家(いへ)をが害(そこ)なふ本(もと)
 争論(そうろん)腕立(うでだて)は後悔(こうくわい)の本
 悪業(あくげう)は我身(わがみ)の仇敵(あだかたき)
 物識(ものしり)は論(ろん)に勝(かつ)て我(われ)に負(まく)
 過(あやま)ちをつくろへば過(あやまち)を増(ま)す
 功(こう)を賞(せう)すればその功(こう)を失(しつ)す
 神(かみ)仏(ほとけ)を頼(たの)み誓(ちか)ふものは御罰(ごばつ)を蒙(かう)むる
 神(かみ)仏(ほとけ)を尊(たうと)み信(しん)ずるものは果福(くわふく)を得(う)る

【右丁】
 神仏(しんぶつ)の理生(りせう)奇特(きどく)を語(かた)るは不信心(ふしんじ)もの
 奇怪(きくわい)不 思義(しぎ)を語(かた)るは愚痴(ぐち)を触(ふ)るゝなり
 病(やま)ひに勝(か)つものは我(わ)が病(やま)ひを療(りやう)ず
 病(やまい)に負(ま)くものは病根(びやうこん)に肥(こやし)を為(す)るもの
 楽(らく)を好(この)むは苦(く)を求(もと)むる本(もと)
 苦(く)をきらふは楽(らく)に近(ちが)づくもの
 苦労症(くらうせう)は持病(じびやう)の種(たね)蒔(まく)者(もの)
 吝嗇(りんしよく)無慈悲(むじひ)は見離(みはな)さるゝ本
 大酒(たいしゆ)大 食(しよく)は短命(たんめい)の下地(したぢ)
 色欲(しきよく)は命(いのち)を削(けつ)るもの

【左丁】
 酒欲(しゆよく)食欲(しよくよく)は平日(へいじつ)の不養生(ふようぜう)
 小食(しやうしよく)寡(くわ)【左ルビ:すくなき】酒(しゆ)は長命(てうめい)の下地(したぢ)
 過(すぎ)たるは皆(みな)足(た)らざるなり
 武士(ぶし)は竹(たけ)の如(ごと)くにして慈悲(じひ)情(なさけ)を体(たい)とすべし《割書:外堅固(ほかけんご)|中円(うちまどか)に》
 百姓(ひやくせう)は野田(やでん)を住家(すみか)とし稼(かせ)ぎ働(はたら)くを体(たい)とすべし
 職人(しよくにん)は一 心(しん)不 乱(らん)の座(ざ)を体(たい)とすべし
 町人(てうにん)は囲碁(いこ)の如(ごと)くし得意(とくい)の心(こゝろ)を体(たい)とすべし《割書:勝(かた)んと打(うた)ず|負(まけ)まじと打(うつ)》
 食服(しよくふく)は飢寒(きかん)をふせぐ為(ため)
 住家(すみか)は雨露(うろ)をしのぐ為(ため)
 後悔(かうくわい)は平日(へいじつ)の油断(ゆだん)

【右丁】
 万事(ばんじ)懈怠(けだい)は不 成就(じやうじゆ)の本(もと)
 足(た)る事(こと)を知(し)らぬものは生涯(せうがい)貧者(ひんじや)
 たる事(こと)を知(し)るは身(み)家(いへ)の良薬(りやうやく)
 小事(せうじ)にかゝわるは身(み)の大事(たいじ)を知(し)らぬもの
 我(わ)が一 大事(だいじ)をおもふは大楽(たいらく)を得(う)る下地(したぢ)
 善悪(ぜんあく)知(し)るは智(ち)ある愚人(ぐじん)
 ぜんあく知(し)らざるは愚(ぐ)成(な)る知者(ちしや)
 右六十六ヶ条
   寝(ね)むらずば夢(ゆめ)も見(み)まじを朝夕(あさいふ)に
   ねさすや起(おこ)す見聞覚知(けんもんかくち)

【左丁】
   高家御宝物御秘書(かうかごほうもつごひしよ)写(うつし)
一御舎弟(ごしやてい)何某殿(なにがしどの)兼々(かね〴〵)御病身(ごびやうしん)の御様子(ごようす)扨々(さて〳〵)たゑがたく
 気(き)の毒(どく)に存(ぞんじ)候 拙僧(せつそう)儀(ぎ)は医道(いどう)は不存(ぞんぜず)候得共 平日(へいじつ)容体(ようだい)見(み)
 聞(きゝ)いたし罷在(まかりあり)候 医師(いし)は何(なに)と申やらむ不存(そんぜず)候得ども畢(ひつ)
 竟(けう)皆(みな)愚痴(ぐち)よりの病(やま)ひにて自作(じさく)自病(じひやう)と申 物(もの)に候 全体(ぜんたい)
 気性(きせう)は正敷(たゞしく)温和(をんくわ)成(な)れども狭(せま)く小(ちつ)さき了簡(りやうけん)より
 して物毎(ものごと)わきまひ付(つき)がたくあだ成(なる)心労(しんらう)苦痛(くつう)多(をう)く
 心(こゝろ)の安(やす)き間(ま)なし仍(よつ)て我(わ)がすく所(ところ)の女色(じよしよく)を当時(とうじ)
 々々(〳〵)の鬱散(うつさん)たのしみと思(おもひ)ひ【衍】度々(たび 〳〵)に身(み)を削(けづ)り月(つき)
  々(〱)に衰(おとろ)へ追々(をひ〳〵)虚労(きよらう)し終(つゐ)に内外(はいぐわい)とも痩(やせ)枯(か)れ死(し)

【右丁】
 症(せう)となる事(こと)をもしらずこ是(これ)身(み)しらずの愚人(ぐにん)と申
 物(もの)に候 主君(しゆくん)の為(ため)に命(いのち)を果(はた)すは武士(ぶし)の常(つね)なり愚痴(ぐち)
 病(やまひ)より虚労(きよらう)労疫(らうゑき)し命(いのち)をはたし主君(しゆくん)へ何(なに)と申
 訳(わけ)相立(あいたつ)哉(や)恥辱(ちじよく)何(なに)を以(もつ)て免(まぬ)かるべき弓馬(きうば)鎗剣(そうけん)
 抔(など)極意(ごくい)に。 〽誠(まこと)なるこゝろは物に(もの)に染(そま)ざりし我(われ)より
 なせる敵(てき)をしづめよ。 又〽よしあしの色(いろ)に心(こゝろ)の
 そまらずば柳(やなぎ)は緑(みどり)り【衍】花(はな)は紅(くれな)ひ。 〽挽(ひか)ぬ弓は(ゆみ)はなさぬ
 真(しん)の知恵(ちゑ)の箭(や)はあたらず然(しか)もはづれざりけり。
 と有(あ)り如何(いかゞ)免許(めんきよ)せられしや皆(みな)我(わ)が心内(しんない)の敵(てき)
 の為(ため)に悩(なや)まされ恥辱(ちじよく)を取(と)らなくなり又(また)内方(ないほう)

【左丁】
 抔(など)も近来(きんらい)は最早(もはや)両(りやう)三人も年子(としご)出生(しゆつせう)致(いた)し候由これ
 全(まつた)く色(いろ)におぼるの証拠(せうこ)に候また産後(さんご)抔(など)はしばらく
 交(まじわ)りも出来(でき)不申(もうさず)候得ばその砌(みぎり)は誰(たれ)はゞからず忍(しの)び所
 抔(など)へも参(まい)らる由(よし)是(これ)武士(ぶし)にあらず為主君(しゆくんのため)戦場(せんぢやう)へ出(で)るに
 女(をんな)を供(ぐ)せらるゝや又(また)近(ちか)き頃(ころ)は物覚(ものおぼへ)あしく兔(と)角(かく)に逆(ぎやく)
 上(ぜう)いたし手足(てあし)抔(など)冷(ひへ)候よし左(さ)もあるべく筈(はづ)に候 病気(びやうき)
 の症(せう)を名(な)づけば陰虚(いんきよ)火動(くわどう)の症(せう)と申(もうす)腎虚(じんきよ)気(き)
 きよのなす所(ところ)にて此(この)症(せう)は鍼灸(しんきう)薬(やく)にては聊(いさゝか)もしる
 しなき死症(しせう)に候 然(しか)れども三ヶ月(げつ)五ヶ月(げつ)の内(うち)床(とこ)
 につき候 様(よう)には不相成(あいならず)候 得(へ)ども何(なに)ぞ時候(じかう)に中(あた)るか

【右丁】
 又(また)は流行病(りうこうやま)ひなど病(や)み候 得(へ)ば左様(さよう)の時(とき)床(とこ)につき終(つゐ)に
 大病(たいびやう)と成事(なること)必定(ひつでう)に候得ども元来(ぐわんらい)愚痴(ぐち)よりして心(しん)
 気(き)をいたみ色(いろ)におぼれ身(み)の虚(きよ)し労(らう)するもし
 らぬ人物(じんぶつ)に候得ば何(なに)を教訓(けうくん)申候ても不聞入(きゝいれざる)物(もの)に候。わ
 が身(み)を削(けづ)る事(こと)をしらず夫(それ)を楽(たのし)みと思ひ剰(あまつさ)へ他(た)
 にて心(こゝろ)ある者(もの)には女色(じよしよく)に身命(しんめい)をも替(かゆ)るやとあざけ
 りを受(うけ)夫(それ)とも心付(こゝろづか)ず寐(ね)ても覚(さめ)ても色情(しきでう)のみ
 心(こゝろ)よる物(もの)にてうか〳〵とする心地(こゝち)にて物覚(ものおぼへ)あし
 く是(これ)腎虚(じんきよ)気虚(ききよ)するゆへ火(ひ)たかぶり逆上(きやくぜう)し
 胸中(けうちう)いつも静(しづか)ならずそれ故(ゆへ)取(とり)しめなきやうの

【左丁】
 心地(こゝち)いたし折節(をりふし)は召遣(めしつか)ひの下男(げなん)下女(げじよ)の名(な)をも
 忘(わす)れ又(また)同(おな)じ事(こと)を一日(いちにち)に四度(よたび)五度(いつたび)も申 様(よう)成事(なること)抔(など)
 有之(これある)物(もの)に候 是(これ)を医家(いか)に健忘(けんぼう)の症(せう)と申候 全(まつた)く病(やまひ)に
 てはなし虚労(きよらう)より出来(でき)候 事(こと)に候 腎虚(じんきよ)の性(せう)たと
 へて申(まうす)時(とき)は碁将棋(ごぜうぎ)を好(この)むが如(ごと)く負(まく)るにしたがひ
 弥(いよ〳〵)あらそひに進(すゝ)む物(もの)なり真(まつ)【注1】その如(ごと)く腎水(じんすい)減(へ)るに
 したがつて益々(ます〳〵)色(いろ)を好(この)む物(もの)にて最早(もはや)これ大病(たいびやう)
 なり人間(にんげん)四十 歳(さい)は初老(しよらう)なり女色(じよしよく)段々(だん〳〵)うすく成(な)る
 年頃(としごろ)に還(かへつ)て好(この)むは婬欲(いんよく)にて前段(ぜんだん)の通(とう)り水(みず)減(へ)る
 にしたがひ好(この)むなれば虚労(きよらう)し終(つい)に死症(しせう)と成(な)るは

【注1 よみ まことの誤記ヵ】

【右丁】
 必定(ひつぢやう)なりこの場(ば)に臨(のぞ)み何程(なにほど)の明医(めいい)を得(ゑ)鍼灸(しんきう)薬(やく)を
 以(もつ)て治(じ)せんとするとも寸功(すんかう)無(な)し元来(ぐわんらい)自作(じさく)自業(じごう)な
 ればいかんとも致(いたし)がたく又(また)年子(としご)抔(など)と申物(もうすもの)は全(まつた)く亭主(ていしゆ)
 の色欲(しきよく)なる証拠(せうこ)に候 其訳(そのわけ)は三年振(さんねんぶり)に出生(しゆつせう)候 得(へ)ば母(はゝ)の
 痛(いた)みも無之(これなく)候 然(しか)るに年子(としご)出生(しゆつせう)はいまだ母(はゝ)の胎内(たいない)
 とゝのひ申さぬ内(うち)交合(かうがう)いたす故(ゆへ)早(はや)く懐妊(くわいにん)いたす
 事(こと)に候 母(はゝ)胎内(たいない)のどうぐ元々(もと〳〵)へ納(おさま)り夫(それ)より又(また)初(はじま)
 り候へば早(はや)くして三年 振(ぶり)ならでは出生(しゆつせう)なき物(もの)に
 候 年並(としなみ)と懐妊(くわいにん)いたすはいまだ胎内(たいない)の道具(どうぐ)元々(もと〳〵)へ
 かたづかずそこらに取散(とりちら)しある所(ところ)へしかけ候 故(ゆへ)

【左丁】
 ふきそうじ致(いた)す間(ま)もなく直(すぐ)に用(もち)ひ候 様(よう)なる道(どう)
 理(り)ゆへどうぐ損(そん)じ剰(あまつさ)へ夫々(それ〳〵)に元(もと)の所(ところ)へ納(おさま)りがたく
 候ゆへ年子(としご)三四人も出生(しゆつせう)候 得(へ)ばつゐには難産(なんざん)出来(でき)候か
 胎内(たいない)いたみ居(を)り候ゆへ産後(さんご)を疾来(しつらい)候か第(だい)一 夫(をつと)の気(き)
 せうを案(あん)じ苦労(くらう)し多勢(たせい)の子供(こども)の養育(よういく)親(をや)の
 心(こゝろ)をかねそれを思(おも)ひこれを心労(しんらう)し乳(ち)なども出(いで)ぬ
 様(よう)になりてます〳〵苦労(くらう)多(おう)くなり左様(さよう)の処(ところ)より
 産労(さんろう)或(あるひ)は労疫(らうへき)などわづらい終(つゐ)に命(いのち)をうしなひ
 候 様(よう)になり行(ゆく)もの世間(せけん)そのためしかずを知(し)ら
 ず又(また)何某殿(なにがしどの)義(ぎ)右体(みぎてい)病(びやう)者にて今年(こんねん)四 拾(じう)三 才(さい)の

【右丁】
 よし此後(こののち)の命(いのち)三年 保(たも)ちがたく左(さ)候 得(へ)ば夫婦(ふうふ)とも相(あい)
 果(はて)多勢(たせい)の子供(こども)老年(らうねん)の親(をや)一人のこり候 様(よう)なり行(ゆき)候 事(こと)
 眼前(がんぜん)に候 此処(このところ)いかゞ心得(こゝろへ)居(い)らるゝやまづ先祖(せんぞ)親(をや)への
 大(だい)不 孝(かう)世間(せけん)のあざけり又(また)女房(にようぼう)子供(こども)は不 便(びん)に無之(これなき)や
 わが命(いのち)大切(たいせつ)には不存(ぞんぜず)や主人(しゆじん)一人の愚痴心(ぐちしん)にて女房(にようぼう)は
 こんめいさせ子供(こども)をまどはせ我身(わがみ)は不 孝(かう)不如法(ふによほう)
 の名(な)を請(うく)る事(こと)愚痴心(ぐちしん)のなす処(ところ)恥(はづ)かしくなき
 や恥(はぢ)の人に於(を)けるこれより大(おう)ひなるはなしと是(これ)損(そん)
 恥(はぢ)なりたんてき其場(そのば)に至(いた)り候はゞ何程(なにほど)後悔(かうくわい)せ
 らるゝともいかんとも仕方(しかた)なく候 然(しか)れば今(いま)此(この)虚(きよ)

【左丁】
 分(ぶん)の症(せう)には鍼灸(しんきう)薬(やく)にてしるしなき時(とき)は療治(りやうじ)いた
 しかたもなきかと申せば左(さ)にあらず元来(ぐわんらい)皆(みな)人 病(やま)ひ
 無(な)し然(しか)るに今(いま)自業(じごう)自作(じさく)の病者(びやうじや)に與(あた)へて眼前(かんぜん)に病
 即(そく)消滅(せうめつ)不 老(らう)の一薬(いちやく)あり草根(そうこん)木石(ぼくせき)獣虫(ぢうちう)にあらず
 信用(しんよう)して服(ふく)せば即効(そくかう)ある事(こと)顕然(げんぜん)なり然(しか)らば
 一薬(いちやく)いづれにか有(あ)る他(た)にあらず即今(そくこん)自持(じぢ)せり信(しん)
 心力(じんりき)をおこし我身(わがみ)は親(をき)【注】の遺体(ゆいたい)にて然(しか)も万徳(ばんとく)を
 具(ぐ)したる金剛(こんごふ)の身体(しんたい)なる事(こと)を得心(とくしん)し次(つぎ)に先(せん)
 祖(ぞ)親(をや)より譲(ゆづ)り受(うけ)たる大切(たいせつ)成(なる)家(いへ)も身(み)有(あり)ての家(いへ)にて
 家(いへ)にさき立(だ)つ我(わ)が身命(しんめい)此(この)大事(だいじ)をおもふを先祖(せんぞ)

【注 「をや」の誤記】





【右丁】
  親(をや)への孝(かう)と云(い)ひ家(いへ)を思(おも)ふ大本(たいほん)にて候 武士(ぶし)は生死(せうじ)を忘(わすれ)て
 君(きみ)を思(おも)ひ家(いへ)をおもふ皆(みな)信力(しんりき)にて是(これ)亦(また)先立大事(さきだつだいじ)は命(めい)也 扨(さて)女
 房(ぼう)子供(こども)を不 便(びん)と思(おも)ひ今日(こんにち)只今(たゞいま)より道心(どうしん)をおこし心(しん)
 中(ちう)に誓(ちか)ひを立(たて)色欲(しきよく)を避(さ)け名欲(めうよく)を捨(すて)有道(ゆうどう)の者(もの)に立(たち)
 より身(み)の一大事(いちだいじ)を知得(ちとく)し自身(じしん)を明(あき)らめば忽(たちま)ち胸(けう)
 中(ちう)ひらけ心(こゝろ)広(ひろ)く体(たい)ゆたかに安楽(あんらく)の場(ば)来(きた)るべし此外(このほか)
 療治方(りやうじかた)一切(いっせつ)無之(これなく)色(いろ)を慎(つゝし)み命(いのち)をおもふ身薬(しんやく)に心(こゝろ)を
 明(あき)らめ気(き)を養(やしな)ふ心薬(しんやく)此《割書:身|心》二 薬(やく)を以(もつて)療治(りやうじ)せば本(ほん)
 快(くわい)いたす事(こと)的然(てきぜん)なり猶(なほ)寿(ことぶき)を保(たも)つべしこの療(りやう)
 治(じ)いたつてするどく即効(そくかう)を顕(あら)はせる事(こと)三ヶ月に

【左丁】
 いたらずしてしるしあるべし世間(せけん)の人(ひと)悟道(ごとう)といへ
 ば我(わ)が禅宗(ぜんしう)ばかりの様(よう)に心得(こゝろへ)るは愚痴(ぐち)凡俗(ぼんぞく)の所存(しよぞん)に
 候 悟(さとり)りと申は吾(わ)が心(こゝろ)と云(い)ふ義(ぎ)なり貴賤(きせん)男女(なんによ)をいわず
 我(わ)が身(み)の一大事(いちだいじ)にて仏道(ぶつどう)はいふに及(およ)ばず神道(しんとう)儒(じゆ)
 道(どう)武道(ぶどう)都(すべ)て諸道(しよどう)何(いづ)れの教(をしへ)も只(たゞ)己(をのれ)を明(あき)らむる所(ところ)
 の心法(しんほう)にて一 字(じ)一 句(く)をからず信心(しんじん)を以(もつ)て我(わ)が心体(しんたい)
 を発明(はつめい)するを悟(さとり)と申 事(こと)にて是(これ)を了知(りやうち)して気(き)
 をやしのふ事(こと)人間(にんげん)の第一義(だいいちぎ)なれば孟子(もうし)も浩然(かうぜん)
 の気【注】を養(やしな)ふと云(い)ひ老子(らうし)は彼(かれ)を捨(すて)て此(これ)を取(と)る只(たゞ)
 無異(ぶい)無事(ぶじ)と気(き)を養(やしな)ひ足(た)る事(こと)を知りて安楽(あんらく)

【注 孟子の言う「浩然の気を養う」は「公明正大でどこも恥じるところのないたくましい精神を育てる。転じてのびのびとして解放された心持になることをいう。」】

【右丁】
 になれとの義(ぎ)なり我(わ)が身(み)は家(いへ)の本(もと) 本(もと)立(たゝ)ざれば末(すへ)
 ならず我(わ)が安堵(あんど)ならで妻子(さいし)下人(げにん)いかで安心(あんしん)得(へ)させら
 るべき親子(をやこ)夫婦(ふうふ)主従(しうじう)一和(いつくわ)して安穏(あんをん)なるを家(いへ)
 斉(とゝな)ふと云(い)ふなり是(これ)一家和合(いつかわがう)するの根元(こんげん)にて愚(ぐ)
 昧(まい)文盲(もんもう)と云(い)へどもこれをわきまへ知(し)るを知者(ちしや) 道(どう)
 者(しや)といふなり知(ち)不 知(ち)をいはずたとひ八万余経(はちまんよけう)十
 三 経(けう)すべて諸道書(しよどうしよ)よくそらんじさとし広学(こうがく)
 博識(はくしき)といふとも神仏(しんぶつ)聖賢(せいけん)名将(めいせう)都(すべ)て有徳(ゆうとく)の心
 を取(と)らず只(たゞ)道理(とうり)義理(ぎり)のみにわたりてこれを
 得(へ)ざる時(とき)は何(なに)の学功(がくかう)なく只(たゞ)事知(ことし)り物知(ものし)りなれ

【左丁】
 ば朝夕(てうせき)起臥(きぐわ)種々(しゆ〴〵)の念慮(ねんりよ)絶(た)へざれば不 如法(によほう)不 義(ぎ)
 の汚名(をめい)をはつし時々(じ〳〵)に身心(しんしん)をくるしめ終(つゐ)に
 は病(やまひ)を求(もと)めたま〳〵請(うけ)がたき人身(じんしん)を受(うけ)いまだつ
 きざる命(いのち)を果(はた)し妻子(さいし)を惑(まど)はし家(いへ)をかたむ
 け不 孝(かう)不義(ぎ)の汚名(をめい)をうくるも我(わ)が一身(いつしん)の愚昧(ぐまい)
 よりなす事(こと)上(うへ)なき損(そん)恥(はぢ)恐(おそ)るべきなり世間(せけん)し
 ゆ〴〵の法(ほう)は只(たゞ)執着(しうじやく)を忌(い)む一 切(さい)とゞめざれば記(き)
 憶(をく)する事(こと)なし善悪(ぜんあく)水中(すいちう)の月(つき)是非(ぜひ)空裏(くうり)【注】の
 花(はな)何(なに)をか取捨(しゆしや)せん苦楽(くらく)本(もと)無主(むしゆ)思慮分別(しりよふんべつ)より
 おこる是(これ)を有為(うい)の凡愚(ぼんぐ)といふ一 念(ねん)不 生(せう)にして

【注】虚空、空中

【右丁】
 寒(かん)来(きた)れば着(き) 暑(しよ)来(きた)れば脱(ぬ)ぐ心性(しんせう)は月(つき)のごとくにし
 て物(もの)にふれども止(とゞ)めずたくみなくして進退(しんたい)し
 止(とゞ)まらずして自在(じざい)するを無為(むい)の真人(しんじん)と云(い)ふ。深(ふか)
 き所(ところ)の水(みず) 浅(あさ)き所(ところ)の水 峯(みね)と麓(ふもと)の如(ごと)く浅深(せんしん)高(かう)
 下(げ)あるとも一(いつ)水 一山(いつさん)なり十方(じつほう)是(これ)一 顆(くわ)の明珠(めうじゆ)【注】自心(じしん)に
 向(むかつ)て是(これ)を得(う)べし文字(もんじ)言句(ごんく)の及(およ)ぶ所(ところ)にあらず是(これ)生(せい)を
 養(やし)なふ良薬(りやうやく)亦(また)是(これ)国之本(くにのもと)
    右(みぎ)者(は)あまりいたはしく存(ぞんじ)こころへを書付(かきつけ)進(しん)じ
   候一 通(とう)り御演説(ごいんせつ)あり度(たく)候 迚(とて)も心用(しんよう)はあるまじ
   く候へども併(しかし)命(めい)にかゆべき物(もの)もこれなく候 得(へ)者(ば)

【左丁】
   はからず心附(こゝろづき)目覚(めさめ)申 間敷(まじき)物(もの)にも無之(これなく)左(さ)候へば
   一人の命(いのち)ならず家続(かぞく)の大事(だいじ)親(をや)妻子(さいし)一門(いちもん)衆中(しうぢう)
   の安堵(あんど)なれば貴殿(きでん)まで申 含(ふくめ)候 御舎弟(ごしやてい)へ得(とく)と御(をん)
   物語(ものがた)り可有之(これあるべく)拙僧(せつそう)寸志(すんし)に候 用捨(ようしや)は当人(とうにん)御心(ごしん)
   中(ちう)に有之義(これあるぎ)に候 御覧後(ごらんご)火中(くわちう)
    月日
      誰(たれ)殿

 右(みぎ)何某(なにがし)君(きみ)と申(もうす)は高家(かうか)より御入家(ごにうか)被成(なされ)候 御方(をんかた)にて則(すなはち)
 その時(とき)之(の)御主人 御弟(をんおと〳〵)なり右 之(の)通(とうり)の御病気(ごびやうき)にて顔(がん)

【注】一粒の透明な珠、人間の本心・真実





【右丁】
 色(しょく)常(つね)ならず我意(がい)つよく短気(たんき)にして御家内(ごかない)御(ご)一
 統(とう)御家来(ごけらい)衆中(しうじう)まではなはだ難義(なんぎ)の趣(をもむき)医師衆(いししう)も
 御療治(ごりやうじ)は色欲(しきよく)うすくならずしては致(いた)し方(かた)なく
 当時(とうじ)は健忘(けんぼう)の症(せう)と成(な)らせ候 得(へ)者(ば)外(ほか)御病(ごやまひ)など添(そひ)候 時(とき)
 は甚(はなはだ)六(むづ)ヶ敷(しく)よし申に付 御袋様(をんふくろさま)大きに御(をん)をどろき
 成(なさ)れ兼々(かね〳〵)右(みぎ)知識(ちしき)御帰依(ごきへ)に候へば内々(ない〳〵)御袋様(をんふくろさま)より相
 願(ねが)はれ御示(をんしめし)の義(ぎ)歎(なげ)かれ候へば知識(ちしき)もだしがたく
 思召(おぼしめ)され右(みぎ)の一書(いつしよ)相送(あいをく)らせられ候へば一書(いつしよ)そのまゝ
 何某(なにがし)君 御所持(ごしよじ)にて御当(ごとう)人もろとも御熟覧(ごじゆくらん)候 処(ところ)御(ご)
 当人(とうにん)別(べつし)て感心(かんしん)いたされ是(これ)まで親(をや)妻子(さいし)の場(ば)へも

【左丁】
 心付(こゝろつか)ず扨々(さて〳〵)恥(はづ)かしく面目(めんほく)なき次第(しだい)なり御教示(ごけうし)一々(いち〳〵)
 拙者(せつしや)身心(しん〳〵)にこたへ誠(まこと)に我(わ)が腹中(ふくちう)を御見貫(をんみぬ)きのやう
 おもはれ赤面(せきめん)し恐(おそ)れ入(い)る義(ぎ)と御内咄(をんないはなし)など有之(これあり)
 今日(こんにち)より心中(しんちう)改(あらた)め変(かへ)色(いろ)を慎(つゝし)み忿(いか)りを止(や)め我意(がい)
 名聞(めうもん)捨(す)つるとの御誓言(ごせいごん)ありて翌朝(よくてう)より早天(そうてん)に
 御目覚(をんめさめ)夫(それ)より日々(にち〳〵)怠(おこた)りなく御自心(こじしん)居間(いま)より庭(には)
 さき御掃除(をんそうじよ)なされ月(つき)に三四 度(ど)宛(づゝ)右知識(みぎちしき)の方(かた)へ
 御参(をんまい)りあらせ道義(どうぎ)御咄(をんはなし)拝聴(はいてう)なされ折々(をり〳〵)は御宅(をんたく)へ
 御招待(ごせうだい)なされ候よし平日(へいじつ)は仮名法語(かなほうご)類(るい)又(また)心(こゝろ)あ
 る草本(くさほん)など御覧(ごらん)なされ御(をん)いとまある節(せつ)は浅(あさ)

【右丁】
 草(くさ)上野(うへの)目黒(めぐろ)亀井戸(かめいど)などへ御歩行(をんほこう)なされ候て最(も)
 早(はや)誓言(せいごん)どうり違(たが)ひなく怠(おこた)りなく彼是(かれこれ)五(ご)ヶ月(げつ)
 立(たゝ)ざる内(うち)顔色(がんしよく)うるはしく御心持(をんこゝろもち)温和(をんくわ)になり御忿(をんいか)り
 亦(また)名聞(めうもん)ヶ間敷(ましき)事(こと)などは跡(あと)かたもなき御様子(をんようす)にて
 至(いたつ)ておだやかにならせ御仁愛(ごしんあい)出来(でき)候て御家内(ごかない)一 統(とう)
 後家来(ごけらい)末々(すへ〳〵)まで御歓(をんよろこび)かぎりなく御寿命(ごじゆめう)七十
 五 才(さい)にて終(をわ)らせ候よし伝承(でんせう)仕(つかまつり)候 誠(まこと)にありがたき御(をん)
 志(こゝろざし)の御人体(ごじんたい)にて候 御認(をんしたゝ)め置(をか)れ候 書(しよ)少々(せう〳〵)ばかり拝(はい)
 見(けん)いたし内々(ない〳〵)写取(うつしとり)候ゆへ末(すへ)にこれをいだし置(をき)候
                八郎(はちろ)兵衛(べい)

【左丁】
一然(しかる)に 私(わたくし)主人(しゆじん)当年(とうねん)四 拾(じう)二 才(さい)にて大切(たいせつ)なる身分(みぶん)に候 所(ところ)
 右(にぎ)同様(どうよう)の性分(しようぶん)にて最早(もはや)常病人(じやうひやうにん)に候 依(よつ)て旦那寺(だんなでら)
 長老(てうらう)外(ほか)老僧(らうそう)がた又(また)は儒者(じゆしや)博学(はくがく)の方(かた)懇意(こんい)【注】間(あいだ)老(らう)
 体(たい)の衆中(しうじう)抔(など)内々(ない〳〵)相 頼(たの)み親類(しんるい)老分(らうぶん)達(たち)は不及申(もうすにおよばず)
 種々(しゆ〴〵)手(て)を替(か)へ異見(いけん)を加(くわ)へもらひ候へども元来(ぐわんらい)若(じやく)
 年(ねん)より儒学(じゆがく)を好(この)み詩(し)を作(つく)り文章(ぶんせう)をかき人の
 しらぬ義(ぎ)など能(よく)ぞんじ居(をり)候 故(ゆへ)か余程(よほど)心持(こゝろもち)高(たか)く
 候ゆへ誰(たれ)人の申 義(ぎ)も一向(いつこう)信用(しんよう)いたさず然(しか)れども 身(み)
 持(もち)は私(わたくし)ども目(め)にあまり候 事(こと)ども間々(まゝ)有之(これあり)候へども右(みぎ)の
 とうりの気性(きせう)ゆへ何(なに)とも致(いたし)かた無之(これなく)然(しか)るに女色(じよしよく)追(をい)

【注 「懇」は「熊」に見える】


【右丁】
 々(〳〵)増長(ぞうてう)いたし右(みぎ)のとうり行状(げうぜう)に候へば父子(ふし)の間(あいだ)はなはだ
 不 和(わ)にて老父(らうふ)今年(こんねん)六十 歳(さい)に及(およ)び候へども主人(しゆじん)右体(みぎてい)
 行跡(げうせき)に候へばいまだ万事(ばんじ)任(まか)せられず候得ば主人(しゆじん)自(じ)
 身(しん)不 心行(しんげう)不 孝(こう)の場(は)も不 埒(らち)も思はず只(たゞ)親(をや)を恨(うら)み不
 足(そく)にぞんじ候より朝暮(てうぼ)顔色(がんしよく)あしく亦(また)外(ほか)苦労(くらう)
 の筋(すじ)もこれあり候 得(へ)ば夫是(それこれ)心気(しんき)をいたまれ候 様子(ようす)
 に見(み)うけ候 依(よつ)て色情(しきじやう)深(ふか)き性分(せうぶん)にまた鬱(うつ)を散(さん)ぜ
 ん心持(こゝろもち)もこれあり夫是(それこれ)何分(なにぶん)色欲(しきよく)心労(しんらう)此(この)両様(りやうよう)去(さ)り
 不申ては迚(とて)も命(いのち)は続(つゞ)きがたく存(ぞんじ)朝暮(てうぼ)如何(いかゞ)はせんと私(わたくし)
 心配(しんはい)仕(つかまつり)候 折節(をりふし)御出入(をんでいり)申 御屋敷(をやしき)より風(ふ)と此(この)旨(むね)を伝(でん)

【左丁】
 承(せう)仕候 故(ゆへ)時節(じせつ)到来(とうらい)也と存(ぞんじ)早速(さつそく)右(みき)御立入(をんたちいり)仕候 御屋(をんや)
 敷(しき)へ参(まい)り厚(あつ)く相願(あいねか)ひ誠(まこと)に一 命(めい)御助(をんたす)ヶ候 事(こと)に候へば
 何卒(なにとぞ)御拝借(をんはいしやく)被下候 様(よう)相 願(ねかひ)候 所(ところ)年来(ねんらい)の御懇意(ごこんい)【注1】ゆへ
 早速(さつそく)何某公(なにかしこう)へ御出(をんいで)被下 委細(いさい)御咄(をんはなし)御頼(をんたの)み被下候とこ
 ろ命(いのち)にかゝり候と聞(きゝ)候てはもだし【注2】がたき事(こと)なり然(しか)
 れども宝物(ほうもつ)の義(ぎ)に候へば本書(ほんしよ)は何(いづ)れにても不相成(あいならず)候
 間(あいた)写(うつ)させ可被下(くたさるへく)候 旨(むね)にて御(をん)うつし頂戴(てうだい)いたし
 即日(そくじつ)主人(しゆじん)へ右(みぎ)御屋敷(をんやしき)にて伝承(でんせう)仕(つかまつり)候 始末(しまつ)且(かつ)御大切(ごたいせつ)の
 訳(わけ)など演説(いんせつ)いたし拝見(はいけん)いたさせ候 得(へ)ば繰(くり)かへしく
 り返(かへ)し拝見(はいけん)し善悪(ぜんあく)の一 言(ごん)もなく側(そば)なる文庫(ぶんこ)に

【注1 「懇」は「熊」に見える】
【注2 黙す(もだす)】

【右丁】
 納(をさ)め一日(いちにち)一 夜(や)食事(しよくじ)もせず居間(いま)にひき籠(こも)り誰人(たれひと)ま
 いり候ても対面(たいめん)もいたさず御屋敷(をんやしき)方(かた)御用向(ごようむき)相談(そうたん)
 に及(およ)ひ候ても一向(いつこう)うけ返答(へんとう)なく思慮(しりよ)して居(をり)候 様(よう)
 子(す)に見(み)へ候ゆへいかゞ也とあんじ機嫌(きげん)を伺(うかゞ)ひ候 所(ところ) 翌(よく)
 朝(てう)六ッ過(すぎ)右(みぎ)御写本(ごしやほん)を持(もち)私(わたくし)を膝元(ひさもと)へよび誤(あやまつ)て我(わ)が
 非(ひ) 今日(こんにち)はじめて知(し)る その方(ほう)是(これ)まていく度(たび)となく
 此方(このほう)身持(みもち)を申 呉(くれ)候 得(へ)ども 此方(このほう)に実意(じつい)なければ
 其方(そのほう)実意(じつい)を実意(じつい)とも存(ぞん)ぜず只(たゞ)我(わ)が好(す)く所(ところ)の
 みに心(こゝろ)うつり不 行跡(げうせき)こゝろへ違(たが)ひもあらたむる場(ば)
 は差(さし)をきいきとうり却(かへつ)て悪行(あくけう)弥(いや)増(ま)す心持(こゝろもち)にな

【左丁】
 り其上(そのうへ)二ッ無(な)き命(いのち)の大事(だいじ)も不 孝(かう)の場(ば)も妻子(さいし)の不 便(びん)
 も実心(じつしん)にをもわざれば昨日(きのふ)までは耳(みゝ)にいらず候 所(ところ)此(この)御(ご)
 教戒(けうかい)拝見(はいけん)いたし誠(まこと)に目覚(めさ)め あり難(がた)き義(ぎ)是(これ)まで
 その方(ほう)心(こゝろ)をつくし呉(くれ)候 実意(じつい)今日(こんにち)届(とゞ)き無面目(めんぼくなき)仕(し)
 合(やわせ)後悔(こうくわい)いたし候 其方(そのほう)承知(せうち)居(を)り候 通(とうり)若年(じやくねん)の頃(ころ)より
 書籍(しよじやく)をこのみ聖賢(せいけん)之(の)仰(をうせ)をかれ候 事(こと)ども自心(じしん)には
 会得(へとく)もいたし候 様(よう)覚(おぼ)へ人の読(よま)ざる物(もの)抔(など)よみ亦(また) し
 らぬ事(こと)など知(し)り覚(おぼ)へ或(あるひ)は故事(こじ)来歴(らいれき)など聊(いさゝか)存(ぞん)
 じ候より何(なに)となく覚(おぼ)へず知(し)らず高慢(こうまん)の心持(こゝろもち)に成(な)り
 人を見(み)さげ侮(あなど)る心(こゝろ)より其方(そのほう)など申 義(ぎ)実(じつ)不 実(じつ)の場(ば)

【右丁】
 はさし置(をき)只(たゞ)愚昧(ぐまい)文盲(もんもう)の分際(ぶんざい)として此方(このほう)に向(むかつ)て
 何(なに)たわ言(こと)とるに足(た)らずと心(こゝろ)に見下(みさ)げ候 場(ば)より聊(いさゝか)も
 用(もち)ひ候 所(ところ)には至(いた)らず文盲(もんもう)の其方(そのほう)などより抜群(ばつくん)劣(をと)
 りたる不心行(ふしんげう)聊(いさゝか)はづる心(こゝろ)もつかず数年来(すねんらい)読(よ)み学(まな)
 びたる功(こう)はなく却(かへつ)て害(がい)となり候 義(ぎ)今日(こんにち)漸(やうや)く発明(はつめい)
 いたし候 此(この)御教書(みけうしよ)御実意(ごじつい)深(ふか)き段(だん)誠(まこと)に感入(かんにう)いたし
 不計(はからず)涙(なみだ)を浮(うか)め候 是(これ)までの所存(しよぞん)にては か様(よう)の書(しよ)など
 半紙(はんまい)も見(み)候 了簡(りやうけん)は絶(たへ)てこれなく只(たゞ)文体(ぶんてい)善悪(ぜんあく)のみ
 見(み)て意味(いみ)の浅深(せんしん)虚実(きよじつ)【「ゆ」は誤】にはいさゝか心(こゝろ)も寄(よ)せず女(をんな)
 童(わらべ)の見(み)るべきものと心(こゝろ)もとめざるに風(ふ)と其方(そのほう)実意(じつい)

【左丁】
 を感(かん)じおもわず実意(じつい)おこり熟覧(じゆくらん)し信実(しんじつ)の場(ば)へ
 こゝろ附(づき)候 得(へ)ば文作(ぶんさく)【左ルビ:ふみづら】の善悪(よしあし)には心(こゝろ)も寄(よ)らず悉(こと〴〵)く実(じつ)
 意(い)深切(しんせつ)の段々(だん〳〵)にかんじ入(い)る計(ばかり)に候 其方(そのほう)実意(じつい)よりして
 時(とき)を得(へ)信(まこと)の一 字(じ)を受得(じゆとく)し難有(ありがたく)是(これ)まで愛相(あいそう)も
 つかさず年来(ねんらい)の実意(じつい)身(み)にしみ忘(わす)れおかず候か
 様(よう)なる結(けつ)かうの書(しよ)手(て)に入(いり)候も畢竟(ひつけう)その方(ほう)色々(いろ〳〵)
 心配(しんはい)くれ候 実意(じつい)より出来(でき)候 義(ぎ)に候 得(へ)ば重々(ぢう〳〵)満足(まんぞく)
 に候 仍(よつ)てまづ別荘(べつそう)の女(をんな)にはいとま遣(つかわ)し可申(もうすべく)間(あいだ)能(よき)
 ように取(とり)はからひ呉(くれ)たく また遊女(ゆうじよ)の義(ぎ)急度(きつと)相
 止(や)め《振り仮名:可_レ申|もうすべく》若(もし)以後(いご)におひて何(なに)によらず不 心行(しんげう)の義(ぎ)

【右丁】
 聞及(きゝおよ)び候 義(ぎ)も有之(これあり)候はゞその方(ほう)一人(いちにん)として押隠居(をしいんきよ)に
 いたすべく其時(そのとき)聊(いさゝか)違背(いはい)申 間敷(まじく) 又 妻(つま)への交(まじは)りの義(ぎ)は
 彼(か)れ平生(へいぜい)異見(いけん)を申 居(をり)候 得(へ)ば夫婦(ふうふ)の間(あいだ)の所(ところ)は兔(と)角(かく)
 妻(つま)の申 通(とう)りに随(したが)ひいさゝか背(そむ)き申 間敷(まじく)候 亦(また)親人(をやびと)への
 仕(つかへ)かたこれまで言語同断(ごんごどうだん)の不 孝(かう)何(なに)とも可申様(もうすべきよう)こ
 れなく我(わ)がすく所(ところ)に着(ぢやく)し不 孝(かう)のみならず 心(しん)
 痛(つう)いたし既(すで)に危(あやう)き場(ば)に臨(のぞ)み候 夫是(それこれ)能(よく)得心(とくしん)い
 たし候 間(あいだ)安心(あんしん)くれ候 様(よう)常(つね)にかわりて しみ〴〵
 談(だん)じられ誠(まこと)に心根(しんこん)に徹(てつ)し落涙(らくるい)いたしあり難(がたく)
 存(ぞん)じ斯(かく)思召(おぼしめし)の上(うへ)は一 言(ごん)も可_レ申 様(よう)御座(ござ)なく只(たゞ)御身(をんみ)御(をん)

【左丁】
 家(いへ)大切(たいせつ)とばかり申し跡(あと)一 言(こと)もいでかね其場(そのば)を立(たち)さり
 つら〳〵考(かんが)へ候に是(これ)までの半分(はんぶん)にも慎(つゝし)みくれられ候は
 ヾまづあり難(がた)き義(ぎ)なりと存(ぞんじ)扨(さて)日(ひ)立(たち)月(つき)たちいかゞと
 日々(にち〳〵)のようす伺(うかゞひ)見居(みをり)候ところ全体(ぜんたい)生得(せうとく)才智(さいち)御座(ござ)候
 へば追々(をひ〳〵)万事(ばんじ)厳重(げんぢう)に相(あい)なり聊(いさゝか)乱(みだ)れヶ間敷(ましき)義(ぎ)これ
 なく半年(はんとし)たゝざる内(うち)顔色(がんしよく)見直(みなを)し色(いろ)つやいで心(こゝろ)
 持(もち)いりかわり候 様(よう)柔和(にうわ)になり人(ひと)あひ穏(をだや)かに成(な)り候
 て老父(らうふ)へも朝夕(てうせき)孝養(かうよう)を尽(つく)し懇(ねんごろ)に仕へられ候 得(へ)ば
 老父(らうふ)悦(よろこ)びかぎりなく夜(よ)の明(あけ)たるやう思(おも)われ広(ひろ)き
 所(ところ)へ出(いで)たる心地(こゝち)いたすよし併(しかし)もし夢(ゆめ)にてはなきか

【右丁】
 と思(おも)わるゝ抔(など)申され家内一同(かないいちどう)申 分(ぶん)これなく相 成(なり)候へ
 ば翌(よく)酉(とり)のとし春(はる)一切(いつさい)万事(ばんじ)主人(しゆじん)へ相 渡(わた)され安(あん)
 堵(ど)いたしその後(のち)三 年(ねん)すぎて老父(らうふ)落命(らくめい)に候
   右躰(みぎてい)病気(びやうき)世間(せけん)に多(おう)く見聞(みきゝ)候へば後世(かうせい)の人だ
   すけにも成(な)らむかと右(みぎ)御秘書(ごひしよ)写(うつ)し且(かつ)心得(こゝろへ)の
   趣(おもむき)ども書記(しよき)し置(をき)候一 覧(らん)の方(かた)実意(じつい)を先立(さきだて)
   心眼(しんがん)を以(もつ)て熟読(じゅくとく)ありて心用(しんよう)あらば必(かならず)即功(そくこう)あ
   るべく候 高家(かうか)の御所持(ごしよじ)に候へば憚(はヾか)り御名(をんな)あらわ
   さず候 猶(なを)二 尊師(そんし)道語(どうご)ならびに何某(なにがし)君 御遺書(ごゆいしよ)
   主人 一郎(いちらう)遺書(ゆいしよ)の内(うち)かき抜(ぬき)野老(やらう)愚意(くい)等(など)次(つぎ)に

【左丁】
   記(しる)し置(をき)候 皆(みな)此(これ)実意(じつい)のみに候 御(をん)うたが
   ひ有(ある)まじく候
   
    月日            八郎兵衛
                     判

   愚意書(ぐいしよ)
 主人(しゆじん)一郎(いちろう)義(ぎ)野老(やらう)同年(とうねん)にて其後(そののち)三 拾余年(じうよねん)至(いたつ)て
 健(すこや)かにて病気(びやうき)前(まへ)とは万事(ばんじ)心行(しんけう)表裏(ひやうり)となり一(いち)
 族(ぞく)はじめ別家(べつけ)出入(でいり)の者(もの)は申に及(およ)ばず世間(せけん)にて
 も徳者(とくしや)ともふし帰服(きぶく)いたし候 方(かた)多(をう)く有之(これあり)候 所(ところ)




【右丁】
 昨秋(さくあき)初(はじめ)五日ばかり少々(せう〳〵)不 快(くわい)の様(よう)申 居(をり)候 所(ところ)食餌(しよくじ)抔(など)
 も常体(つねてい)にて是(これ)ぞ病気(びやうき)と申やう体(たい)もこれ無(な)く
 服薬(ふくやく)もいたさず只(たゞ)道志(どうし)の方々(かた〳〵)と昼夜(ちうや)道義(どうぎ)を
 かたり合(あ)ふのみにて何(なに)の苦(くる)しむ様子(ようす)もこれなく
 寐入(ねい)る如(ごと)くに終命(しきよ)いたし一同(いつとう)惜(をし)み候 年齢(よわい)七十
 八才に相 成(なり)候 兼(かね)て認置(したゝめをき)候 遺書(ゆいしよ)ならひに教訓(けうくん)問(もん)
 答書(どうしよ)抔(など)御座(ござ)候 得(へ)ば所々(しよ〳〵)かきぬ義 別所(べつしよ)に出之置(これをいだしをき)候
 随(したがつ)て野老(やらう)義(ぎ)信州(しんしう)土生(はぶ)と申 所(ところ)出生(しゆつせう)にて十一 歳(さい)より
 主人家(しゆじんけ)へ出勤(しゆつきん)いたし高恩(かうをん)を蒙(かうむ)り候 生得(せうとく)愚痴(ぐち)
 無忽(ぶこつ)にて瑣細(ささい)の事(こと)も捌(さは)けがたく常(つね)に心労(しんらう)苦(く)

【左丁】
 痛(つう)絶間(たへま)なく其上(そのうへ)すぎ去(さり)し事(こと)いまだ来(きた)らぬ来月(らいげつ)
 来年(らいねん)行(ゆく)すへの事(こと)まであんじ煩(わづ)らひ心中(しんちう)穏(おたやか)成(な)る
 時日(じじつ)もこれなく二十四 才(さい)の秋(あき)大きに心痛(しんつう)いたし候
 義(ぎ)有之(これあり)ある夜(よ)はなはだ苦敷(くるしき)夢(ゆめ)を見(み)候より発病(はつびやう)
 覚(おぼ)へ候 夫(それ)より強(つよ)き積気(しやくき)出来(でき)候て日々(にち〳〵)おこり時(とき)
 々(〳〵)さし込(こみ)塞(ふさ)ぎ或(あるひ)は痞(つか)へ胸痛(けうつう)疝積(せんしやく)腰(こし)肩(かた)など
 いたみ折々(をり〳〵)浮腫(ふしゆ)いたし気力(きりよく)快(こころよく)覚(おぼへ)候 義(ぎ)は半日(はんにち)もこれ
 なく甚(はなはだ)肉脱(にくだつ)いたし常病人(じやうびやうにん)に候 得(へ)ば月々(つき〳〵)おびたゞし
 く灸治(きうじ)いたし勿論(もちろん)数(す)人の医者(いしや)に懸(かゝ)り服薬(ふくやく)い
 たし其外(そのほか)妙薬(めうやく)名灸(めうきう)亦(また)世間(せけん)にて信仰(しんかう)の神(かみ)仏(ほとけ)へ好(こう)

【右丁】
 物(ぶつ)の食物(しよくもつ)を断(た)ち塩物(しをもの)をたち或(あるひ)は数(す)十日 精進(せうじん)し立願(りうぐわん)
 をこめ七昼夜(しちちうや)つめ候 義(ぎ)も有之(これあり)または神子(みこ)を頼み
 先祖(せんぞ)の事(こと)を問(と)ひすぎ去(さ)りし両親(りやうしん)の義(ぎ)を尋(たづ)ね所(しよ)
 々(〳〵)祈念(きねん)祈祷(きとう)諸神(しよじん)諸仏(しよぶつ)の守札(まもり)其外(そのほか)占(うらな)ひ人相(にんそう)墨(すみ)い
 ろまで残(のこ)る所(ところ)なく転倒(てんどう)いたし候 然(しか)るに是(これ)ぞ印(しるし)
          (                     うろたえ)
 あり是(これ)ぞ相応(そうをう)いたし候と覚(おぼ)へ候 義(ぎ)只(たゝ)一ヶ条(でう)もこれなく
 尤(もつとも)大医(たいい)と承(うけたまわ)り転薬(てんやく)いたし候 節(せつ)亦(また)は名灸(めいきう)或(あるい)は立(りう)
 願(ぐわん)などこめ候 節(せつ)当分(とうぶん)心地(こゝち)よく覚(おぼへ)候 義(ぎ)有之(これあり)候 得(へ)
 ば薬功(やくこう)と思(おも)ひ利生(りせう)【注】とおもふ皆(みな)我(わ)が心持(こゝろもち)より作(な)す義(ぎ)
 にて当分(とうぶん)ざんじ心(こゝろ)よく覚(おぼ)ゆるまでにて亦(また)元(もと)の如(ごと)

【左丁】
 く何(なに)も替(かわ)りたる義(ぎ)無之(これなく)全(まつた)く医師(いし)がたに恨(うら)みなく薬(くすり)
 に科(とが)なく神仏(しんぶつ)に不 足(そく)なく罪科(つみとが)は只(たゞ)自己(じこ)一人にあり
 て神仏(しんぶつ)医薬(いやく)鍼灸(しんきう)の知(し)る義(ぎ)にこれなく自作(じさく)自病(じびやう)
 と存(ぞん)ぜず一図(いちづ)に病(やま)ひとのみ心得(こゝろへ)年来(ねんらい)苦痛(くつう)いたし
 候も愚智(ぐち)迷妄(めいもふ)の作(な)す所(ところ)にて他(た)のしる所(ところ)にこれ
 なく其頃(そのころ)時気(じき)に中(あた)り熱症(ねつせう)或(あるい)は痢疾(りしつ)腫気(しゆき)類(るい)
 など病(や)み候はゞ命(いのち)も無之(これなく)所(ところ)に候 今(いま)世間(せけん)人々(ひと〴〵)貴賤(きせん)男(なん)
 女(によ)をいはず十人に八人 持病(ぢびやう)あり病症(びやうせう)種類(しゆるい)数々(かず〳〵)
 有(あ)れば病名(びやうめい)は存(ぞん)ぜず候 得(へ)ども皆(みな)こと〴〵く自業(じごう)
 自作(じさく)に候 得(へ)ば自心(じしん)の療治(りやうじ)ならでは病根(ひやうこん)絶(た)ゆる

【注 仏の御利益】

【右丁】
 事(こと)有(あ)るべからず候 都(すべ)て自作(じさく)自病(じびやう)を鍼灸(しんきう)薬(やく)を以(もつて)
 治(じ)せんとするは己(おのれ)が盗(ぬす)み取(と)りし物(もの)を他(た)人に償(つぐな)【價は誤】わさ
 んとするがごとし誰(たれ)か是(これ)を用(もち)ひ候や自病(じびやう)自苦(じく)は
 自心(じしん)療(りやう)じ自心(じしん)除(のぞ)かずして病苦(ひやうく)とも去(さ)るべからず
 只(たゞ)養生(ようぜう)平日(へいじつ)にあり病時(やむとき)にのぞみ医薬(いやく)鍼灸(しんきう)を頼(たの)
 みにおもふは愚昧(ぐまい)のいたりにておそく候 既(すで)に古人(こじん)渇(かつ)
 に臨(のぞ)みて井(い)を掘(ほ)る事(こと)勿(なか)れと。一郎(いちらう)物(もの)がたりに恬(てん)
 澹(たん)虚無(きよむ)なれば真気(しんき)是(これ)にしたがふ精神(せいしん)内(うち)に守(まも)
 らず病(やま)ひ何(いづ)れより来(きた)らむと医書(いしよ)に有之(これある)よし恬(てん)
 澹(たん)虚無(きよむ)とは心中(しんちう)一 物(もつ)貯(たくわ)へず安(やす)く寂(しづか)にして万(ばん)

【左丁】
 事(じ)その物(もの)ごとに任(まか)せつくろひ飾(かざ)りなく有(あり)のまゝにて
 病(やむ)ともおもわず病(やま)ぬとも知(し)らず不 生(せう)にして無(ぶ)
 事(じ)の義(ぎ)なるよしさあらば病根(びやうこん)何(いづ)れにかある誰(たれ)か是(これ)
 病(や)む人 元来(くわんらい)皆(みな)人 六根(ろくこん)【注】清浄(せう〴〵)にて銘々(めい〳〵)心君(しんくん)安寧(あんねい)な
 れば皆(みな)是(これ)無病(むびやう)の者(もの)。御(ご)不 審(しん)あるべし
一 野老(やらう)義(ぎ)前段(ぜんだん)の通(とう)り数年来(すねんらい)妄病(もうびやう)にて苦(くるし)み候 得(へ)者(ば)
 中年(ちうねん)まで存命(ぞんめい)もいたす間敷(まじく)存居(ぞんじをり)候 所(ところ)主人 一郎(いちらう)
 妄病(もうびやう)野老(やらう)幸(さいわ)ひと成(な)り右(みぎ)御教諭書(ごけうゆしよ)はからず拝読(はいとく)
 いたし愚智(ぐち)文盲(もんもう)の野老(やらう)心耳(しんじ)にいりかんじ奉(たてまつ)り
 身骨(ほねみ)にこたへありがたく存(ぞん)じ猶(なを)又(また)学才(がくさい)有(あ)る一郎(いちらう)

【注】ろくこん 眼・耳・鼻・舌・身・意







【右丁】
 平日(へいじつ)の様子(ようす)とは打替(うちかわ)り落涙(らくるい)いたさぬばかり感得(かんとく)
 いたし候ゆへ《割書:野老(やらう)義(ぎ)》猶更(なをさら)身(み)にしみ誠(まこと)に時節(じせつ)到来(とうらい)と
 有(あり)がたく覚(おぼへ)候 兼(かね)て承(うけたまわ)り覚(おぼ)へ居(をり)候 歌(うた)に

   古(いに)しへは心(こゝろ)のまゝにしたかひぬ今(いま)はこころよ我(われ)に
   したがへ。との一首(いつしゆ)何(なに)の義(ぎ)とも聊(いさゝか)合点(がてん)参(まい)らず
 候 処(ところ)此時(このとき)風(ふ)と心付(こゝろづ)き候は是(これ)までは心(こゝろ)のまゝに随(したが)ひ我(われ)に
 負(ま)け病(やま)ひに負(ま)け万事(ばんじ)に負(ま)け候。心(こゝろ)よわれに随(したが)へとは
 心(こゝろ)の師(し)とはなるとも心(こゝろ)を師(し)とする事(こと)勿(なか)れと古人(こじん)
 仰(をうせ)られ候 心(こゝろ)に克(か)ち我(われ)に勝(か)つ義(ぎ)と得心(とくしん)いたし誠(まこと)に
 尊(たう)とき御心(をんこゝろ)ばせと只(たゞ)独(ひと)り感(かん)じ入(いり)候 併(しかし)愚昧(ぐまい)なれば

【左丁】
 意味(いみ)たがひ候 哉(や)《割書:野老(やらう)義(ぎ)は》右様(みぎよう)に解(げ)し神道(しんとう)需道(じゆどう)仏(ぶつ)
 道(どう)をはじめ諸道(しよどう)悉(こと〴〵)く我(われ)一 人(にん)の為(ため)の御教道(ごけうどう)と発(はつ)
 明(めい)いたし心根(しんこん)に徹(てつ)しありがたく即時(そくじ)心(こゝろ)の置所(をきどころ)を転(かへ)
 身にさきだつ大事(だいじ)も無之(これなく)と心中(しんちう)決定(けつでう)候 得(へ)ば万事(ばんじ)心(こゝろ)
 安(やす)く何(なに)障(さわ)りなき心地(こゝち)いたし野原(のばら)へ出(で)候やうの心
 持(もち)に相 成(な)り苦痛(くつう)苦患(くげん)も忘(わすれ)これまでの愚智(ぐち)妄(もう)
 心(しん)追々(をい〳〵)顕(あら)はれ昨日(きのふ)までの危(あやう)き事(こと)ども今(けふ)存(ぞん)じ候
 得(へ)ば身(み)もふるひ我一人(われひとり)心中(しんちう)歓(よろこ)びあり難(がた)き義(ぎ)限(かぎ)り
 無(な)く数々(かず〳〵)の持病(ぢびやう)日々(にち〳〵)に軽(かろ)くなり或(ある)ひは忘(わす)れ数(す)
 月(げつ)立(たゝ)ざる内 顔色(がんしよく)常体(つねてい)に相 成(な)り日々(にち〳〵)心地(こゝち)能(よく)朝暮(てうぼ)

【右丁】
 主従(しうじう)両(りやう)人 打寄(うちよ)り未熟(みじゆく)の論義(ろんぎ)などいたし全(まつた)く禅(ぜん)
 師(し)の慈悲(じひ)に依(よつ)て主従(しう〴〵)とも危(あやう)き命(いのち)を助(たす)かり候 得(へ)
 ば命(いのち)の親(をや)とや申べく然(しか)らば報恩(ほうをん)には上達(じやうたつ)致(いた)すの
 外(ほか)なく既(すで)に禅師(ぜんし)何某公(なにがしこう)へ恩(をん)をおもはゞ精進(せうじん)せよ
 精進(せうじん)是(これ)報恩(ほうをん)との御 義(ぎ)ともに信力(しんりき)堅固(けんご)ならでは道(みち)は成(じやう)
 じがたくと朝暮(てうぼ)主従(しうじう)語(かた)り合(あ)ひ居(をり)候
一 光陰(こういん)箭(や)の如(ごと)くにて四十八才の春(はる)に至(いた)り候 所(ところ)未(いま)だ
 善(ぜん)と知(しつ)て進(すゝ)み難(かた)く悪(あく)と知(しつ)て即時(そくじ)去(さ)りがたく
 只(たゞ)つとめて善(ぜん)を成(な)し悪(あく)を成(な)さず こらへて悪(にく)まず
 愛(あい)せず思(おも)ひ量(はかつ)て好(すか)ず嫌わず苦楽(くらく)無(な)きにて心に

【左丁】
 問(と)へば恥(はづ)る事(こと)のみ多(おう)く皆(みな)思慮(しりよ)分別(ふんべつ)を以(もつ)て成(な)すにて
 拵(こし)らへものなれば皆(みな)内外(ないぐわい)表裏(ひやうり)有り古人(こじん)哥(うた)に
   たゞ有(あ)りの人は其(その)まゝ仏(ほとけ)なり仏を見ればたゞ
   ありの人。と のたまひ候へば繕(つくら)ひかざり無(な)く 名(めう)
 利(り)名聞(めうもん)がましき事(こと)なく有(あり)のまゝこそ道(みち)成(な)るべく
 と起臥(きぐわ)工夫(くふう)し折(をり)を得(へ)我(わ)が所存(しよぞん)主人(しゆじん)一 郎(らう)へ打明(うちあ)ヶ咄(はなし)
 合(あ)ひ可申(もうすべく)心得(こゝろへ)居(をり)候 所(ところ)ある時(とき)主人 一郎(いちらう)野老(やらう)に向(むか)ひ其(その)
 方(ほう)は最早(もはや)何(なに)も望(のぞ)みは無哉(なきや)と問(と)はれ候ゆへ大願望(だいぐわんもう)
 有之(これあり)候と答(こた)へ候へば如何(いか)なる儀哉(ぎや)最早(もはや)望(のぞ)みは有(あ)るま
 じく存(ぞんじ)候に大願(だいぐわん)とは如何(いかゞ)と尋(たづ)ねられ候 故(ゆへ)旦那(たんな)の

【右丁】
 御影(をんかげ)を以(もつ)て業病(がうびやう)治(じ)し身(み)は堅固(けんご)に相 成(なり)候 得(へ)ども未(いまだ)
 心病(しんびやう)治(じ)しがたく朝暮(てうぼ)なやみ六根(ろくこん)手足(てあし)も自由(じゆう)相 成(な)
 らず何(なに)とぞ明医(めいい)を得(へ)良薬(りやうやく)服用(ふくよう)いたし度(たく)是(これ)のみ
 願望(ぐわんもう)に候と答(こた)へ候へば一 郎(らう)其方(そのほう)誠(まこと)にありがたき
 志(こゝろざし)かんじ入(いり)候 此方(このほう)も同志(どうし)にて 符(わりふ)を合(あわ)せたる如(ごと)くに
 候 何卒(なにとぞ)時(とき)を得 名師(めいし)を求(もと)め ともに真心(しんじん)決定(けつでう)いた
 し度(たく)本(もと)立(たゝ)ざれば末(すへ)ならず本(もと)は一心(いつしん)なり万法(ばんほう)の 根(こん)
 元導師(げんどうし)を得(へ)ずんば争(いかで)決定(けつでう)なるべきやと。野老(やらう)猶(なを)
 又(また)かんじ入(いり)候 愚意(ぐい)所存(しよぞん)に安堵(あんど)いたし候は只(たゞ)心持(こゝろもち)を転(てん)
 じ候ばかりにて決心(けつしん)いたしたる儀(ぎ)は無之(これなく)夫(それ)ゆへ疑(うた)がわ

【左丁】
 しき不 審(しん)の義(き)抔(など)あまた有之(これあり)候 得(へ)ばをきふし心(こゝろ)す
 まず罷在(まかりあり)候 誠(まこと)に有(あり)がたき思召(おぼしめし)に候 道義(どうぎ)有(あ)るかた御(をん)
 聞(きゝ)およびなど無之(これなく)哉(や)尋(たづ)ね候 得(へ)ば兼々(かね〳〵)聞(きゝ)および居(をり)候
 方(かた)も有之(これある)よしにて当時(とうじ)知識学僧(ちしきがくそう)と承(うけたまわ)り候 禅僧方(ぜんそうがた)
 道人(どうにん)と聞及(きゝおよ)び候 方々(かた〴〵)所々(しよ〳〵)へ立寄(たちよ)り御教示(をんけうし)亦(また)講訳(こうしやく)【注1】な
 ど聴聞(てうもん)いたし候 所(ところ)多分(たぶん)礕岩(へきがん)【ママ 注2】金剛経(こんがうけう)又(また)は法花経(ほつけけう)諸(しよ)
 経中(けうちう)の要語(ようご)諸祖(しよそ)の語録(ごろく)聖賢(せいけん)の諸書(しよしよ)明語(めいご)明句(めいく)抔(など)
 にて御示(をんしめ)し且(かつ)御講釈(ごかうしやく)候へば尊(とうと)き儀(ぎ)に候 得(へ)ども心根(しんこん)
 に聢(しか)と徹(てつ)し候 義(ぎ)曽(かつ)て無之(これなく)候 得(へ)ば二度(ふたゝび)したふ所(しよ)
 存(ぞん)無之(これなく)如何(いかゞ)せんと朝暮(てうぼ)是(これ)のみ主従(しう〴〵)歎(なげ)き居(をり)候 折(をり)

【注1 訳は釈の誤記】
【注2 碧巌録ヵ】

【右丁】
 節(ふし)白山(はくさんの)奥(おく)に独居(どくきよ)【左ルビ:ひとり】の老翁(らうをう)あり究(きわめ)て道人(どうじん)ならむ
 と世間(せけん)の噂(うわさ)承(うけたまわ)り候 得(へ)ども誰(た)れかしたふやうすも
 無之(これなく)近辺(きんへん)の人々(ひと〴〵)に尋(たづ)ね候 得(へ)ば翁(をきな)といふ一人者(ひとりもの)に
 て 白髪(しらが)の老人(らうじん)なるよし すべてまのあたりにて翁(をきな)
 とばかり呼(よ)び候よし承(うけたまわ)り候 得(へ)ば頻(しき)りに相見(そうけん)いたし
 度(たく)翌日(よくじつ)早天(そうてん)に出立(いでたち)主従(しう〴〵)両人(りやうにん)白山(はくさん)の麓(ふもと)へ罷越(まかりこ) ̄シ
 候 所(ところ)何(なん)の伝手(つて)無(な)く候 得(へ)ば両人(りやうにん)諸(もろ)とも一心(いつしん)不 乱(らん)に登(とう)
 山(さん)推参(すいさん)候て案内(あんない)を乞(こ)ひ候 得(へ)ば 《割書:内》何(いづ)れの誰(たれ)なる哉(や)と
 尋(たづね)られ候 故(ゆへ) 《割書:外》何国(いづく)何方(いづかた)の誰々(たれ〳〵)と申 入(いれ)候得ば 《割書:内》さ
 やうの人物(じんぶつ)此方(このほう)へ参(まい)るべきやう無之(これなく)門(かど)たがひにて有(あ)

【左丁】
 らむと 《割書:外》道(みち)を踏(ふ)み惑(まよ)ひ候ゆへ御尋(をんたづね)申 度(たく)と申 入(いれ)候
 得(へ)ば 《割書:内》何(いづ)れへ通(とう)るやと 《割書:外》直路(すぐぢ)を参り度(たく)■々(はる〴〵)【注1】
 御伺(をんうかゞ)ひに罷越(まかりこ)し候と御答(をんこたへ)申候 得(へ)ば 《割書:内》はる〴〵とは
 何国(いづく)ぞ 《割書:外》御同国(ごどうこく)の者(もの)にて候と御答(をんこたへ)申候得ば 《割書:内》国(くに)
 の直路(すぐぢ)はいかで通(とう)らざる哉(や)と 一郎¬降(ふ)る雪(ゆき)に神代(かみよ)
   の直路(すぐぢ)埋(うづ)もれておき臥(ふし)ごとに踏(ふみ)惑(まど)ひける。斯(かく)
 認(したため)一郎(いちらう)さし出(いだ)し候 得(へ)ば 《割書:内》時(とき)ならずいかに雪(ゆき)ふる哉(や)
 一郎¬爰(こゝ)にのみいつしか降(ふり)て積(つ)む雪路(ゆきぢ)ふみ分気(わけ)
   たまへ神(かみ)のなさけに。 かく読(よみ)みてさし上(あげ)候 得(へ)ば
 通(とう)れとの仰(おう)せにて一間(しとま)の御居間(をんいま)へ通(とう)り候 得(へ)ば たばこ
【注 遥ヵ】








【右丁】
 飲(の)まば炉(ろ)に火(ひ)あり茶(ちや)ほしくばわかして飲(の)めとの御(をん)
 義(ぎ)にて両人(りやうにん)とも只(たゞ)慎(つゝ)しみ罷居(まかりをり)候 得(へ)ば その方(ほう)共(ども)遙(はる)
 々(〳〵)尋(たづね)来(きた)る段(だん)笑止(せうし)也(なり)無益(むゑき)なりわれ等(ら)事(こと)一字(いちじ)一 句(く)を
 しらざればさとし示(しめ)すべき事(こと)も知(し)らず時(とき)ならず
 降(ふ)る雪(ゆき)は順気(じゆんき)ならざる故(ゆへ)の病(やま)ひなり一薬(いちやく)ならで
 何(なに)か是(これ)をよく消(け)し癒(いや)さんや一薬(いちやく)は是(これ)不 求自持(ぐじち)
 (                                          もとめずみづからもつ)
 取(とつ)て服(ふく)せよと《割書:二人》 礼拝(れいはい)してひとへに御慈救(をんじく)願(ねが)ひ
 奉(たてまつ)ると申上候へば三日の内(うち)に来(きた)るべしと仰(おうせ)有(あ)れば
 畏(かしこま)り立退(たちしりぞ)き帰(かへ)り候 所(ところ)両(りやう)人とも夜中(やちう)目(め)も合(あ)はざれ
 ば明(あく)るを待(まち)かね翌日(よくじつ)早天(そうてん)両人(りやうにん)参上(さんじやう)いたし銘々(めい〳〵)

【左丁】
 ども愚智(ぐち)盲昧(もうまい)より踏(ふ)みまどひ方角(ほうがく)も失(うしな)ひ候 段(だん)申
 あげんとするを誰(たれ)か闇路(やみぢ)に導(みちび)くや皆(みな)自(じ)己の所作(なすところ)
 昨日(きのふ)の夢(ゆめ)は跡(あと)なく只(たゞ)是(これ)即今(そくこん)の大事(だいじ)皆(みな)自心(じしん)を信(しん)ぜ
 ずして他(た)に求(もと)めむとするが故(ゆへ)に労(らう)して功(こう)なく古(こ)
 人(じん)云(いわ)く道(みち)の為道(みちたる)は常(つね)の道(みち)にあらず名之為名(なのなたる)は
 常(つね)の名(な)にあらずと是非(ぜひ)邪正(じやせう)皆(みな)是(これ)空裏(くうり)の花(はな)何(なに)
 をか取捨(しゆしや)せむ神儒仏道(しんじゆぶつどう)も覚(おぼ)へ知(し)りたるは自己(じこ)を
 しばる縄索(なわめ)なりいさゝか当席(とうせき)へ持来(もちく)る事(こと)勿(なか)れ
 との御示教(をんしめし)にて神儒仏(しんじゆぶつ)諸道(しよどう)こと〴〵く皆(みな)心法(しんほう)な
 る事(こと)を御説得(をんせつとく)有(あ)らせ本来(ほんらい)自性(じせう)智愚(ちぐ)男女(なんによ)無(な)く

【右丁】
 人々(ひと〳〵)具足(ぐそく)し円成(ゑんじやう)して神聖(しんせい)仏(ぶつ)我々(われ〳〵)同体(どうたい)にて尊卑(そんひ)
 なし自己(じこ)愚迷(ぐまい)よりして悟道(ごどう)発明(はつめい)は濁世(ぢょくせ)の我々(われ〳〵)
 及所(およぶところ)にあらず只(たゞ)神仏(しんぶつ)を拝礼(はいれい)し願(ねがい)【「い」は衍】ひ 頼(たの)み功力(くりき)によ
 つて安心(あんじん)すといへば聞(きく)ものまた同心(どうしん)して然(しか)りとす
 是(これ)一 盲(もう)衆盲(しうもう)を引也(ひくなり)世間(せけん)に清濁(せいだく)なく道(みち)に古今(こきん)
 なし信(しん)じ守(まも)らざるが故(ゆへ)に天罰(てんばつ)をうく古徳(ことく)の云(いわく)
 《振り仮名:天與 不_レ取 還 受_二其罪_一|てんあたふるにとらざればかへつてそのつみをうく》。と自心(じしん)を信(しん)ぜずして神仏(しんぶつ)
 あるひは経巻(けうくわん)を信(しん)ずるは名(な)を信(しん)じて実体(じつたい)を信(しん)ぜず
 影(かげ)を尊(たつとみ)て像(かたち)を見(み)ざるが如(ごと)し 影(かげ)とは色身(しきしん)也(なり)像(かたち)とは
 自性(じせう)なり見聞(けんもん)覚知(かくち)。の主人(しゆじん)也 ̄リ影(かげ)に惑(まどへ)るものは形(かたち)を

【左丁】
 見(み)るに如(し)かず此(この)主人公(しゆじんこう)に相見(そうけん)せずして迷妄(めいもう)を去(さ)る事(こと)
 有(ある)べからず此(この)公(こう)の外(ほか)尊信(そんしん)すべき物(もの)無(な)し書(しよ)は言(こと)を
 尽(つく)さず言(こと)は心(こゝろ)をつくさずと。上天(せうてん)の載(こと)は《振り仮名:無_レ聲無_レ臭|おともなくかもなし》。
 亦(また)四十九 年(ねん)一字(いちじ)不 説(せつ)言語道断(ごんごどうだん)心行所滅(しんげうしよめつ)。と三 日(か)三 夜(よ)
 拝聴(はいてう)し奉(たてまつ)り言外教外(ごんぐわいけうげ)の御口伝(ごくでん)を受(うけ)。〽散(ち)る花(はな)の
   咲(さか)ぬむかしの隠家(かくれが)を明(あか)せよ春(はる)の風(かぜ)吹(ふか)ぬまに。
 との一首(いつしゆ)を頂戴(てうだい)いたし誠(まこと)に身心(しん〳〵)に徹(てつ)し筋骨(きんこつ)に
 しみ有難(ありがた)き義(ぎ)猶(なを)禅師(ぜんし)の御教諭書(ごけうゆしよ)且(かつ)法語(ほうご)何某(なにがし)
 公(こう)の御遺書(ごゆいしよ)等(など)此度(このたび)はじめて有難(ありがた)く拝読(はいとく)いたし
 言舌(ごんぜつ)の及(およ)ぶ所(ところ)になく心(こゝろ)を以(もつ)て心(こゝろ)に伝(つた)ふのみ。愚昧(ぐまい)

【右丁】
 之(の)野老(やらう)別(べつ)して及(およ)ばざる大事(たいじ)のみ此(この)前段(ぜんだん)書記(かきしる)し候も
 皆(みな)一郎(いちらう)加筆(ひつりき)を以(もつ)て斯(かく)の如(ごとく)に候 《割書:野老》認(したゝ)めは申に及(およば)ず
 一郎(いちろう)遺書(ゆいしよ)都(すべ)て別書(べつしよ)の類(るい)文段(ぶんだん)の前後(ぜんご)又(また)は誤字(ごじ)片(かた)
 言(こと)始終(しじう)とも拙(つた)なきに心(こゝろ)を留(と)めず只(たゞ)銘々(めい〳〵)一大事(いちだいじ)を
 先立(さきだて)心眼(しんがん)を以(もつて)熟覧(じゆくらん)有之(これあり)候はゞ足(た)る事(こと)を知(し)り真楽(しんらく)
 を得(う)るの一(ひと)つの助(たす)けとなるべく存(ぞん)じ奉(たてまつ)り候て愚意(ぐい)書(かき)
  添(そへ)のこし。置(をき)候
一 一郎(いちろう) 《割書:野老》主従(しう〴〵)とも禅師(ぜんし)翁(をう)二 尊師(そんし)の大慈(だいじ)大悲(だいひ)の
 高恩(かうおん)をかふむり両人(りやうにん)とも危(あやう)き命(いのち)を助(たす)かり何(なに)を以(もつ)
 てか恩(をん)を報(ほう)じ徳(とく)を謝(しや)すべくやう無之(これなく)候へば銘々(めい〳〵)ども

【左丁】
 自作(じさく)自病(じびやう)にくるしみ悩(なや)み候 数年来(すねんらい)の迷妄(めいもう)愚智(ぐち)
 白地(あからさま)に書(かき)しるし候は全(まつた)く上(かみ)たるにも下々(しも〴〵)にも貴賤(きせん)
 男女(なんによ)をいはず自身(じしん)心(こゝろ)に写(うつ)し是(これ)を熟覧(じゆくらん)有(あ)らば
 御心中(ごしんちう)に通徹(つうてつ)候 義(ぎ)多少(たせう)はしらずこれ有(あ)るべく候 左(さ)
  (             あたり)
 あれば道義(どうぎ)に本(もと)づき真(しん)の養生(ようぜう)便(たより)とも成(な)らむか
 と愚昧(ぐまい)文盲(もんもう)つたなきも忘(わす)れ書残(かきのこ)し置(をき)候 後世(かうせい)の
 人々(ひと〴〵)心用(しんよう)ありて信(しん)の養生(ようぜう)導(みちびき)とも相 成(なり)候はゞ銘々(めい〳〵)ども
 いさゝかの報恩(ほうをん)謝徳(しやとく)とも相 成(なる)べくとかならず他(た)の義(ぎ)
 に無之(これなく)自身(じしん)一人の御事(をんこと)に候 二師之(じしの)道教(どうけう)一郎(いちろう) 遺(ゆい)
 書(しよ)御熟覧(ごじゆくらん)候て信用(しんよう)有(あ)らば足(た)る事(こと)を知(し)り安堵(あんど)を

【右丁】
 得(へ)候 事(こと)は明日(めうにち)を待(ま)たず即時(そくじ)にあらはるべく候 心用(しんよう)
 して御試(をんこゝろ)みあるべく候
一《割書:野老義》当年(とうねん)七十九 才(さい)に相なり候 然(しか)れども未(いま)だ目(め)
 鑑(がね)を便(たよ)りにいたさず一日(いちにち)六七 里(り)の歩行(ほこう)は苦労(くらう)に
 も不存(ぞんぜず)寒風(かんふう)炎暑(ゑんしよ)も難義(なんぎ)にも覚(おぼ)へず飲食(いんしよく)差(さし)
 きらひ無(な)ければ一日も味(あじわ)ひ違(たが)はず口(くち)に合(あ)ひたる品(しな)
 にても過(すご)さゞれば終(つい)に障(さわ)りたる義(ぎ)も無之(これなく)衣服(いふく)
 諸具(しよぐ)とも美悪(びあく)を存(ぞん)ぜず候 得(へ)ば不 自由(じゆう)なく日々(にち〳〵)心地(こゝち)
 能(よ)く中年(ちうねん)より還(かへつ)て丈夫(じやうぶ)に相 成(なり)此(この)老年(らうねん)に候へども元気(げんき)
 衰(おとろ)へ候やうにも覚(おぼ)へ申さず元来(ぐわんらい)大病者(たいびやうしや)の愚昧(ぐまい)文盲(もんもう)

【左丁】
 成(な)る《割書:野老》時節到来(じせつとうらい)いたし主人(しゆじん)の不 幸(さいわ)ひ我(わ)が幸(さいわ)
 ひとなりて不計(はからず)御道徳(ごどうとく)の尊諭書(そんゆしよ)拝覧(はいらん)いたし
 心底(しんてい)に徹(てつ)し候より心中(しんちう)変改(へんかい)し 即日(そくじつ)より朝暮(てうぼ)起臥(きぐわ)
 真(しん)の養生(ようぜう)いたし猶(なを)又(また)時節到来(じせつとうらい)を得(へ)明師(めいし)に相見(そうけん)
 し奉(たてまつ)り古今(ここん)天下之一大事(てんかのいちだいじ)野老(やらう)に具足(くそく)すと得心(とくしん)
 いたし今日(こんにち)に至(いた)り候四十 余歳(よさい)の頃(ころ)まで病(や)み苦(くる)
 しむも自心(じしん)の所作(しよさ)其(その)病苦(びやうく)を忘(わす)れ安体(あんたい)堅固(けんご)
 と成(な)るも亦(また)是(これ)自心(じしん)苦患(くげん)も自心(じしん)安穏(あんをん)なるも自(じ)
 心(しん)忠孝(ちうこう)も自心(じしん)不 忠(ちう)不 孝(こう)も自心(じしん)乱(みだ)るゝも自心(じしん)治(おさま)る
 も自心(じしん)短命(たんめい)も自心(じしん)長寿(てうじゆ)保(たも)つも自心(じしん)善悪(ぜんあく)苦(く)

【右丁】
 楽(らく)悉皆(しつかい)自心(じしん)独(ひと)り知之(これをしる)故(ゆへ)に古人(こじん)心(こゝろ)は万法(ばんほう)の根元(こんげん)とのた
 まふよし眼前(がんぜん)に野老(やらう)明白(めいはく)の証人也(せうこなり)後世(こうせい)の人 順逆(じゆんぎやく)苦(く)
 楽(らく)万事(ばんじ)夢幻(ゆめまぼろし)成事(なること)を知解(がてん)し身(み)の一大事(いちだいじ)に心(こゝろ)をよ
 せ自然(しぜん)の清浄地(せうじやうち)に至(いた)らむ事(こと)を願(ねが)はるべし皆(みな)是(これ)
 道義(どうぎ)に本(もと)づかむ便(たより)にも成(な)らむかと愚(をろ)かなる拙(つた)なき文(ぶん)
 筆(ひつ)もわすれ斯(かく)書記(かきしる)し置(をき)候 返(かへ)す〴〵も皆(みな)自我(じが)
 自得(じとく)して自病(じびやう)を除滅(めつ)し不 老(らう)不 死(し)の身(み)と成(な)れ
 との義 他事(たじ)無之 聖(せい)人曰 吾(われ)博(ひろ)く学(まな)び識(しる)とおもふは誤(あやまり)也
 一(いつ)以(もつて)貫之(これをつらぬく)と宣(のたま)ひ候 由(よし)大 道(だう)には仁義(じんぎ)の名(な)も無之(これなく)皆(みな)自然(しぜん)智(ち)
 得(へ)させむとの御慈海誨(ごじくわい)に候へば広学(くはうがく)多智(たち)也 共(とも)人を導(みちび)き
       (                  じひ おしへ)

【左丁】
 世(よ)の為(ため)なる志(こゝろざし)なきは無益(むゑき)の人に候 知識(ちしき)も悟道(ごどう)発明(はつめい)す
 と云(い)へども衆生済度(しゆぜうさいど)の志(こゝろざし)無(な)きは聲聞心(しやうもんしん)と申 由(よし)宣(のたま)ひ候
 斯(かく)言(もふす)《割書:野老》文盲(もんもう)拙(つた)なきを必(かなら)ず侮(あなと)られまじく候
一《割書:野老(やらう)》如(ごと)き愚知(ぐち)文盲(もんもう)の者(もの)も真実(しんじつ)此身(このみ)の大事(だいじ)を思(おも)ひ
 入(い)る志(こゝろ)ざし深(ふか)ければ何(なに)の造作(ぞうさ)もなく此身(このみ)この儘(まゝ)
 直(ぢき)に真楽(しんらく)を得(へ)安心(あんしん)せむ事(こと)疑(うたが)ひなき事(こと)を云(い)ひ
 顕(あら)はし残(のこ)さむ為(ため)のみ余事(ほか)無之(これなく)候 古人(こじん)云(いわく)山(やま)高(たか)
 《振り仮名:故不_レ貴  以_レ有_レ樹為貴。|きがゆへたつとからず きあるをもつてたつとしとす》《振り仮名:人肥故不_レ貴  以有智為貴。|ひとこへたるがゆへたつとからす ちあるをもつてたつとしとす》
 と広学(くはうかく)多才(たさい)にして古今(こゝん)唐土(もろこし)天竺(てんぢく)の事(こと)をも
 わきまへ魚(うを)鳥(とり)虫(むし)獣(けだもの)草(くさ)木(き)石(いし)砂(すな)まで都(すべ)て人の知(し)ら






【右丁】
 ぬ事(こと)を能(よく)知(し)り詩(し)を作(つく)り文章(ぶんせう)など書(かく)を儒者(じゆしや)学者(がくしや)
 と心得(こゝろへ)候は大ひなる誤(あやま)り成(な)るべく候 是(これ)は人(ひと)の為(ため)に学(まな)ぶ
 小人(せうじん)の儒(じゆ)とやらんにて俗儒(ぞくじゆ)なるよし儒(じゆ)とは足(た)る事(こと)を
 知(し)りて此身(このみ)を濡(うるを)す義(ぎ)なるべし我(わ)が心性(しんせう)を見得(けんとく)せ
 ずして聖賢(せいけん)都(すべ)て有徳(うとく)の御心(をんこゝろ)見知(みし)る事(こと)難(かた)かるべく候
 古徳(ことく)の御心(をんこゝろ)も知(しら)ず 書見(しよけん)候ても益(ゑき)なかるべく一字(いちじ)
 一 句(く)も知(し)らざる文盲(もんもう)野人(やじん)にても自性(じせう)を見得(けんとく)いたし
 候 得(へ)ば古徳(ことく)と別体(べつたい)成(な)らざる事(こと)を知得(ちとく)し身心(しん〳〵)安(あん)
 穏(をん)にして自由(じゆう)なり博学(はくがく)多才(たさい)なりとも国家(こくか)諸人(しよにん)
 の為(ため)ならでは何(なん)の益(ゑき)か有(あ)るべく愚昧(ぐまい)文盲(もんもう)成(な)る野老(やらう)

【左丁】
 に候 得(へ)ども即今(そくこん)【左ルビ:たゞいま】示談(じだん)【左ルビ:しめしだんず】するを心用(しんよう)し守(まも)る人(ひと)は身(み)脩(おさま)り
 一家(いつか)和合(わごう)し主従(しう〴〵)親子(をやこ)夫婦(ふうふ)兄弟(けうだい)云(い)ふべき一言(いちごん)無(な)
 く他(た)に交(まじは)りても何(なに)か争(あら)そふ事(こと)なく皆(みな)我(わ)が非(ひ)を見(み)
 て人(ひと)の非(ひ)を見(み)ず人の是(ぜ)を見(み)て我(わ)が是(ぜ)を見(み)ず
 物(もの)に任(まか)せて我(われ)にまかせざれば自由自在(じゆうじざい)にして苦(く)
 患(げん)有(あ)る事(こと)なし古徳(ことく)の明言(めいごん)明語(めいご)を拝聞(はいもん)し亦(また)見(けん)
 読(とく)し覚(おぼ)へ知(し)るとも信用(しんよう)し守(まも)らざる時(とき)は何(なん)の益(ゑき)無(なけ)
 れば既(すで)に聖人(せいじん)も従(したが)ふて改(あらた)めざるもの如何(いかん)とも仕(し)
 がたきよし宣(のたま)ふと承(うけたまは)り候
一 古今(こゝん)貴(たうと)きとなく賤(いやし)きとなく僧俗(そうぞく)男女(なんによ)をいはず

【右丁】
 一面(いちめん)に銘々(めい〳〵)具足(ぐそく)の信(しん)あり信(しん)は心(しん)にて本(もと)不二なり信(まこと)
 とも心(こゝろ)とも名付(なづ)けたるにて元来(ぐわんらい)名(な)なく字(じ)も無(な)く候
 得ども即今(そくこん)見聞(けんもん)覚知(かくち)する我(わ)が主人公(しゆじんこう)にて六根(ろくこん)の主(ぬし)
 にて候 斯(かく)自身(じしん)尊(たふと)き事(こと)を知(し)らず只(たゞ)此(この)色身(しきしん)に執(しう)
 着(じやく)して外(ほか)に道(みち)を求(もと)め種々(しゆ〴〵)の苦行(くげう)をし安楽(あんらく)を
 得(へ)んと願(ねが)へども 我執(がしう)妄想(もふさう)止(や)まざる故(ゆへ)見(み)る毎(ごと)聞(き)
 く事(こと)毎(ごと)に流転(るてん)し苦(く)を受(う)く事(こと)皆(みな)自心(じしん)を信(しん)ぜ
 ずして他(た)に向(む)き願(ねが)ひ求(もと)めむとするが故(ゆへ)に候 生(せう)も
 死(し)も有(う)も無(む)も善(ぜん)も悪(あく)も何(なに)も角(か)も打(うち)やつて只(たゞ)此(この)
 身(み)の一大事(いちだいじ)を深(ふか)く思(おも)ひ一心(いつしん)一 念(ねん)に信心(しん〴〵)を得(へ)んと

【左丁】
 二六 時(じ)中 起臥(きぐわ)歩行(ほこう)茶(ちや)を飲(の)み飯(はん)を食(しよく)し二 便(べん)を便(べん)ずる間(ま)
 (  ちうや)
 も志(こゝろざし)絶(たへ)ぬを信心者(しん〴〵しや)と申候 不祈(いのらず)して神慮(しんりよ)にかない不願(ねがはず)し
 て仏道(ぶつだう)に入(い)ると皆(みな)是(これ)信心(しんじん)の功徳(くどく)にて別(べつ)の寄特(きどく)は無之 即今(そくこん)
 此身の一 大事(だいじ)我(わ)が尊(たうと)き事(こと)を自知(じち)致(いたし)候へば凡聖(ぼんせう)賢愚(けんぐ)無(な)く同(どう)
 一 体(たい)平等(びやうどふ)の直(じき)心 顕(あら)はれ諸病(しよびやう)近付(ちかづか)ず無異(ぶい)無事(ぶじ)也 御(ご)不 審(しん)
 候はゞ即今(そくこん)信心(しん〴〵)を発(おこ)し信心を以(もつ)て信心(しん〴〵)を御自得(ごじとく)候て納(なつ)
 (                                              みつからうる)
 得(とく)可被成候
   釈尊娑婆往来(しやくそんしやばをふらい)は千 度(ど)と宣(のたま)ひ候も無始終(しじうなき)を云(い)ふに
  (                                       はしめをはりなき)
    て暫(しばらく)も不可離(はなるべからざる)の儀(ぎ)也一心は虫魚(ちうぎょ)草木とも一 同(どふ)に
  (                                      むしうを)
   て天地 同根(どふこん)万物(ばんぶつ)一 体(たい)也 然(しか)れども 其(その)気(き)の稟(うく)る所(ところ)等(ひと)

【右丁】
   しからねば鳥獣(てうぢう)草木 万物(ばんぶつ)の心(こゝろ)善悪(ぜんあく)不 同(どふ)し其中(そのうち)
  (                とりけだもの)
   に万物の霊長(れいちやう)なる人 間(げん)だに等(ひと)しからず水も交(まじ)ら
   ぬ親子(おやこ)兄弟(けうだい)と云(い)へども不同(ふどふ)有(あり)て善心(ぜんしん)有(あ)り悪心(あくしん)
   有れば此(この)善悪(ぜんあく)を正(たゞ)し改(あらた)むるは只(たゞ)此(この)一 心(しん)一心 而(しか)も
   無体(むたい)也 御中主明徳妙(みなかぬしめいとくめう)皆(みな)一心の異名(いめう)也 全(まつた)く心外(しんげ)無(む)
  (                                     かへな) (        こゝろのほか べつの)
   別法(べつぽう)余念(よねん)無用(むよう)
  (       ほうなし)
    呑(の)まねとも我(われ)は日々(ひゞ〳〵)酔(ゑ)ひくらすうたふも
    まふも法(のり)の道(みち)にて
                      七十九歳
                         八郎兵衛 述
長寿秘伝鈔(ちやうじゆひでんしやう) 上 畢

【左丁】
養生長寿秘伝鈔 下
  一郎(いちらう)遺書(ゆいしよ)之(の)内(うち)書抜(かきぬき)《割書:并ニ》教戒(けうかい)   《割書:八郎兵衛》
伊久堂(いくた)ひか思(おも)ひさためて かわるらむ頼(たの)むましきはこゝろ
なりけり。との古哥(こか)よく〳〵思惟(しゆい)あり度(たく)《割書:老拙》中年(ちうねん)
 病気(びやうき)の砌(みぎり)養生(ようぜう)心得(こゝろへ)且(かつ)身行(しんげう)の儀(ぎ)出家方(しゆつけがた)学友(がくゆう)懇意(こんい)
 間(あいだ)老人方(らうじんがた)親類(しんるい)老分(らうぶん)の者(もの)種々(しゆ〳〵)深切(しんせつ)に異見(いけん)教訓(けうくん)に
 あづかると云(い)へどもいさゝか心用(しんよう)所存(しよぞん)なく数度(すど)に及(およ)び
 てはうるさく思(おも)ひ道理(とうり)無(な)き所(ところ)に道理(どうり)を付(つ)け聖賢(せいけん)
 の言葉(ことば)を引(ひき)手前勝手(てまえがつて)の理屈(りくつ)を云(い)ひ只(たゞ)一図(いちづ)に病(びやう)
 気(き)とのみ心得(こゝろへ)気随(きずい)放埓(ほうらつ)募(つの)り只(たゞ)医薬(いやく)のせんさく

【右丁】
 のみ致(いた)し日夜(にちや)朝暮(てうぼ)我(わ)が望(のぞ)み好(この)む所(ところ)のみ思慮分(しりよふん)
 別(べつ)し家続(かぞく)の義(ぎ)も親(をや)妻子(さいし)も思(おも)はず我儘(わがまゝ)不如法(ふによほう)
 のみ増長(ぞうてう)し既(すで)に家名(かめい)一命(いちめい)も絶(ぜつ)せんとする危(あやう)き
 場(ば)に臨(のぞ)み候 則(すなはち)別段(べつだん)に演置(いひおき)し如(ごと)く全(まつた)く嫡子(ちやくし)と
 出生(しゆつせう)し慈愛(じあい)寵愛(てうあい)に預(あづか)り衣食(いしよく)手具(てぐ)まで不 足(そく)
 無(な)し暑(しよ)を避(さ)け寒(かん)をいとひ身行(しんげう)放逸(ほういつ)にし其上(そのうへ)
 壮年(じやくねん)より儒学(じゆがく)をこのみいさゝか事(こと)を知(し)り物(もの)を覚(おぼ)
 へ詩作(しさく)文章(ぶんせう)抔(など)いたすを学文(がくもん)と心得(こゝろへ)尊(たつと)き上品(じやうひん)の
 事(こと)とのみ心得(こゝろへ)て覚(おぼ)へず 知(し)らず 高慢(かうまん)に成(な)り 我(が)
 意(い)つよく只(たゞ)不 学(がく)の者(もの)を愚昧(ぐまい)文盲(もんもう)と見下(みくだ)し取(と)るに

【左丁】
 足(た)らず 論(ろん)に及はずと侮(あな)どり身(み)家(いへ)の大事(だいじ)を心付(こゝろつ)け
 申 呉(く)るゝは上(うへ)無(な)き深切(しんせつ)成(な)るに其(その)虚実(きよじつ)の弁(わきま)へだになく只(たゞ)我(わが)
 一人(ひとり)智(ち)有(あ)る様(よう)存(ぞん)じ心中(しんちう)に聞入(きゝい)る所存(しよぞん)絶(たへ)て無(な)く僧方(そうがた)
 学友(がくいう)などは皆(みな)才智(さいち)も是(これ)あると云(い)へども亦(また)其(その)中(なか)には何(いづ)
 れ大小(だいせう)私(し)失(しつ)有(あ)れば其(その)失(しつ)を見(み)て信(しん)ずる心(こゝろ)なく我(わ)が
 大失(たいしつ)はいさゝか見(み)ず他(た)の小失(せうしつ)を見(み)るは愚昧(ぐまい)の常(つね)にて恥(はぢ)
 入(い)る事(こと)ども老拙面目(めんぼく)なき次第(しだい)なり然(しか)るに 八郎兵衛 儀(ぎ)《割書:老拙》
 同年にて十一 歳(さい)より出勤(しゆつきん)し無忽(ぶこつ)ながらも実体(じつてい)にて若(じやく)
 年より仮初(かりそめ)にも不 実(じつ)成(な)る事(こと)を致(いた)さずいはず万事(ばんじ)
 所作(しよさ)皆(みな)篤実(とくじつ)なれば頼母敷(たのもしき)ものとは兼(かね)て心得(こゝろへ)居(い)なが

【右丁】
 ら文盲(もんもう)無忽(ぶこつ)なれば何(なに)ほど実意(じつい)を尽(つく)し異見(いけん)致(いた)す
 ともいさゝか聞入(きゝい)る体(てい)なければ右(みぎ)数人(すにん)の異見(いけん)教訓(けうくん)
 も 八郎兵衛 所存(しよぞん)にて各(おの〳〵)頼(たの)み取(とり)はからふ段(だん)寄特(きどく)とや忠(ちう)
 信(しん)とや申べき
一 然(しか)るに不日(ひあらず)学友(がくゆう)参(まいり)何角(なにか)咄合(はなしあ)ふ内(うち)風(ふ)と五常(ごじやう)の義(ぎ)を論(ろん)
 じ《振り仮名:無_レ信不_レ立|しんなくばたゝず》仁(じん)義(ぎ)礼(れい)智(ち)も信(しん)之一 字(じ)信(しん)は是(これ)愨実(かくじつ)【注1】仏(ぶつ)
 道(どう)には信心(しん〴〵) 神詠(しんゑい)にも。心たに信(まこと)の道(みち)にかなひなは
   祈(いの)らすとても神(かみ)や守(まも)らむ。と宣(のたま)ひ只々(たゞ〳〵)信(しん)の一
 字(じ)とたはむれ交(まじ)りに義論(ぎろん)し別(わか)れ つく〴〵 我(われ)
 独(ひと)り存(ぞん)ずるには斯(かく)古(いにし)への聖(せい)神仏(しんぶつ)の教道(けうどう)教化(けうげ)みな

【左丁】
 是(これ)信(しん)なり今(いま)我(われ)他(た)に向(むかつ)て信(しん)の一字(いちじ)と種々(しゆ〴〵)理(り)に理(り)を付(つけ)
 て信(しん)を説(と)き信(しん)を云(い)ひ双(なら)ぶと云(い)へども皆(みな)学知(がくち)にて自(じ)
 己(こ)いまだ信(しん)ならず唯(たゞ)信(しん)の道理(どうり)を知覚(ちかく)して他(た)へ口(こう)
 外(ぐわい)するのみにて自心(じしん)信実(しんじつ)なければ日々(にち〳〵)朝夕(てうせき)身勝(みがつ)
 手(て)のみにて古徳(ことく)の教意(けうい)にかなふ義(ぎ)一字(いちじ)も有(ある)べからず
 聖賢(せいけん)書籍(しよじやく)数万巻(すまんぐわん)有(あ)りとも皆(みな)信(しん)の一字(いちじ)より出(いて)ざる
 は無(な)くさあれば不 読(とく)不 習(しう)の文盲(もんもう)愚昧(ぐまい)の 八郎兵衛 我(われ)ら
 よりは聖賢(せいけん)の御心(をんこゝろ)にかなひたる者(もの)ならむと 風(ふ)と心(こゝろ)
 付(づ)けば 八郎兵衛 種々(しゆ〴〵)心配(しんはい)し心(こゝろ)を尽(つく)す実意(じつい)感入(かんにう)
 しヶ程(ほど)にも主(しう)をおもふ心(こゝろ)ざし世間(せけん)稀(まれ)なる忠信(ちうしん)

【注1】愨 まこと・つつしむ

【右丁】
 者と存(そん)じ彼(かれ)が実意(じつい)をおもひ廻(まわ)せば我(わ)が放逸(ほういつ)不 実(じつ)の
 段々(だん〴〵)数々(かず〳〵)心(こゝろ)にうかみ心(こゝろ)に問(と)へば答(こた)ふ所(ところ)なく我(われ)一(ひと)人か
 無面目(めんぼくなく)存(ぞん)し何(なに)となく身(み)狭(せま)り心(こゝろ)置(を)き所(ところ)も無(な)きやう
 の心地(こゝち)いたし扨(さて)世間(せけん)人情(にんじやう)を見(み)るに貴(たつと)きも賤(いやし)きも智(ち)
 あるも才(さい)有(あ)るも広学(くはうがく)も博識(はくしき)も信(しん)の一字(いちじ)に心(こゝろ)を悉(よす)る
 もの無(な)く聖賢(せいけん)神仏(しんぶつ)都(すべ)て古徳(ことく)信(しん)の一字(いちじ)を伝(つた)ふのみ
 成(な)るに此(この)一字(いちじ)を失(うしな)ひ争(いか)で古徳(ことく)の心(こゝろ)実を得(う)べきや
 と風(ふ)といさゝかの疑念(ぎねん)おこれば昼夜(ちうや)物事(ものごと)手(て)に付(つ)
 かず病身(びやうしん)も忘(わす)れ只(たゞ)忙然(ぼうせん)として居(をり)ける折節(おりふし)八郎兵衛
 参(まい)り或(ある)御屋敷(をんやしき)より秘書(ひしよ)を拝借(はいしやく)いたし候 誠(まこと)に時節(じせつ)

【左丁】
 到来(とうらい)と存(ぞんじ)有(あり)がたき御儀(をんぎ)得々(とく〳〵)熟覧(じゆくらん)候 様(よう)申 写本(しやほん)一 冊(さつ)
 さし出(いだ)し候ゆへ何(なに)を申 儀(ぎ)や 時節到来(じせつとうらい)とは 仰山(おこ)ヶ
 間敷(ましく)心得(こゝろへ)ぬ儀(ぎ)を申 事(こと)かなと何心(なにこゝろ)なく一覧(いちらん)いたし
 十四五 行(くだり)見読(けんとく)しけるに皆(みな)是(これ)信実(しんじつ)なれば仰天(ぎやうてん)し
 手(て)あらひ口(くち)すゝぎ一 通(とう)り相覧(そうらん)し誠(まこと)に有(あ)り難(がた)く身(しん)
 心(〳〵)に徹(てつ)しければ繰返(くりかへ)し三度(さんど)拝読(はいとく)し不思(おもわす)赤面(せきめん)し
 自心(じしん)を悔(く)ひ扨(さて)八郎兵衛 飽果(あきはて)もいたさず 実意(じつい)を尽(つく)
 す段(だん)骨髄(こつずい)にしみ言語(ことば)なく彼(か)れに対(たい)し只(たゞ)面(めん)
 皮(ひ)なく覚(おぼ)へ右(みぎ)秘書(ひしよ)数度(すど)拝覧(はいらん)し心中(しんちう)決定(けつぢやう)致(いた)し
 その旨(むね)八郎兵衛へ演説(いんセつ)し右(みき)御秘書(ごひしよ)返上(へんじやう)し我(わ)が思(おもふ)

【右丁】
 やうは斯(かく)の如(ごと)き御教諭書(ごけうゆしよ)入手(てにいる)も前段(ぜんだん)のぶる所(ところ)の信(しん)
 の一字(いちじ)に不 審(しん)立(たつ)も 亦(また)此(この)御教書(みけうしよ)尊(たつと)み信用(しんよう)いたすも
 心行(しんげう)あらたむる所存(しよぞん)決(けつ)するも 悉(こと〴〵)く皆(みな) 八郎兵衛 一人の
 まことより発生(はつ)しければ今(いま)我(われ)八郎兵衛なくば一命(いちめい)
 を失(しつ)し父祖之家名(ふそのかめい)も断絶(だんぜつ)し妻子(さいし)にも苦患(くげん)を
 見(み)すべしさあれば何(なに)を以(もつて)か此(この)恩(をん) 八郎兵衛に謝(しや)す
 べきや只(たゞ)先(まづ)八郎兵衛 存意(ぞんい)を心用(しんよう)し守(まも)るの外(ほか)なく
 是(これ)を報恩(ほうをん)と心得(こゝろう)るのみ右(みき)御教諭書(ごけうゆしよ)道義(とうき)意旨(いみ)は
 格別(かくべつ)身行(しんげう)の儀(ぎ)は兼(かね)て心得居(こゝろへいる)義(ぎ)亦(また)御文体(ごぶんてい)平和(へいわ)なが
 らも麤文(そぶん)なれば前々(まへ〳〵)の心底(しんてい)にては見下(みくだ)し一覧(いちらん)致(いた)す

【左丁】
 所存(しよそん)もこれなき所(ところ) 八郎兵衛 篤実(とくじつ)より信(しん)の一字(いちじ)に心付(こゝろづ)き
 姿形(なりふり)を見(み)ず心体(こゝろ)を取(と)る所存(しよぞん)よりして真実(しんじつ)の御教示(ごけうし)
 と感入(かんにう)し見読(けんとく)いたす事(こと)にて全(まつた)く皆(みな)八郎兵衛 影(かけ)也
 恩(をん)なり八郎兵衛 義(ぎ)は実語教(じつごけう)童子教(どうじけう)の類(るい)は習(なら)ひ
 読(よ)むとも孝教(かうけう)一 冊(さつ)素読(そどく)いたしたる者(もの)にこれ無(な)く愚(ぐ)
 昧(まい)文盲(もんもう)なれども信心(しんじん)堅固(けんご)の勇(ゆう)は衆人(しうしん)にこゑ稀(まれ)成(なる)
 ものに候
   八郎兵衛 義廿余才の頃(ころ)より持(ぢ)病 発(はつ)し病 数(すう)あまた
   にてせん気(き)治(じ)すれば胸(むね)ふさがり胸ひらけば亦(また)停(てい)
   滞(たい)し或(あるひ)は逆上(ぎやくでう)して頭痛(づつう)目(め)まひ立(たち)ぐらみ肩(かた)

【右丁】
   脊(せ)など痛(いた)み心地(こゝち)能(よ)き日(ひ)とては半日(はんにち)も無之(これなく)様子(ようす)
   なれば数人(すにん)の医師(いし)鍼灸薬(しんきうやく)名薬(めうやく)名点(めいてん)加持(かぢ)祈祷(きとう)
   神仏(しんぶつ)立願(りうぐわん)など種々(しゆ〳〵)手(て)を尽(つく)し心(こゝろ)をつくすと
   いへども是(これ)ぞ相応(そうをう)し是(これ)効(こう)と覚(おぼ)ゆる義(ぎ)曾(かつ)て無(な)
   く最早(もはや)手(て)もつき仕方(しかた)なければ何卒(なにとぞ)四十 歳(さい)ご
   ろまで長命(ながらへ)呉(く)れかしと祈(いの)り居(をり)ける所(ところ)実(じつ)
   徳(とく)に依(よ)りはからず万病(まんびやう)の一薬(いちやく)を拝服(はいふく)し近来(きんらい)
   は中年(ちうねん)より追々(をい〳〵)壮健(そうけん)に成(な)り当年(とうねん)七十八才にて
   耳(みゝ)目(め)足(あし)腰(こし)中年の及(およ)ばざる程(ほど)の達者(たつしや)なり
   右(みぎ)数病(すびやう)も本(もと)一 病(ひやう)にて篤実(とくじつ)の気性(きせう)なれば万事(ばんじ)

【左丁】
   不 実(じつ)をきらひ違(たが)ふ事(こと)をきらふと云(い)へども衆人(しうじん)左(さ)
   は仕向(しむけ)ず既(すで)に我等(われら)一人の妄病(もふびやう)不 心行(しんげう)にも何程(なにほど)
   か労(らう)し只(たゞ)実心一 筋(すじ)にて心中の捌(さば)き物事(ものごと)明(あき)らめ
   わきまふ智(ち)足(た)らざるより苦労(くらう)絶(た)へず夫(それ)より
   して右(みぎ)持病(ぢびやう)を発(はつ)し苦(く)に苦(く)をかさね右体(みぎてい)
   病者(びやうじや)と成(な)りたるにて彼(かれ)も時節(じせつ)を得(へ)危(あやう)き身(しん)
   命(めい)を助(たす)かり両人(りやうにん)諸友(もろとも)寿齢(よわい)をたもつ事(こと)不 思(し)
   義(ぎ)とや言(い)ふへき禅師(ぜんし)白山翁(はくさんをう)二 師(し)之(の)御慈恩(ごじをん)道(どう)
   恩(をん)何(なに)をもつてか謝(しや)すべき
 八郎兵衛 道心(どうしん)深(ふか)く信力(しんりき)強(つよ)きよりして諸友(もろとも)白山翁(はくさんをう)に

【右丁】
 相見(そうけん)し不求自持(ふぐじぢ)の良薬(りやうやく)を得(へ)禅師(ぜんし)の道徳(とうとく)弥(いよ〳〵)尊(たつと)く二
 (         もとめずみづからもつ) 
 尊師(そんし)の慈恩(じをん)に依(よつ)て両人(りやうにん)とも危命(きめい)を助(たす)かり過去(くわこ)の妄(もう)
 病(びやう)苦悩(くのう)跡(あと)かた無(な)く忘却(ぼうきやく)し朝夕(てうせき)起臥(きぐわ)只(たゞ)その物(もの)にまか
 せたくはふ一物(いちもつ)なければ寒暑(かんしよ)を覚(おぼ)へす衣食住(いしよくぢう)の美(び)
 悪(あく)をしらず貴賤(きせん)貧富(ひんふく)も忘(わす)れ善悪(ぜんあく)邪正(じやせう)の分別(ふんべつ)
 せざれば苦楽(くらく)もなく自由自在(じゆうじざい)なり一大事(いちだいじ)真(しん)の養(よう)
 生(ぜう)是(これ)なり当巳(とうみ)七十八才なれば最(も)はや明日(めうにち)もはかり
 がたければ子孫(しそん)の為(ため)且(かつ)世人(せじん)真(しん)の養生(ようぜう)心得(こゝろへ)の端(はし)にもや
 と幼稚(ようち)より中年(ちうねん)妄病(もふびやう)中老(ちうらう)屈(くつ)せし当時(とうじ)までの始(し)
 末(まつ)そこはかとなく有体(ありてい)書残(かきのこ)し置(を)く事(こと)也 諺(ことわざ)に

【左丁】
 恥(はじ)を云(い)はねば理(り)が聞(きこ)へぬと云(い)へり《割書:老拙》前段(ぜんだん)の通(とう)り
 若年(じやくねん)より年来(ねんらい)書見(しよけん)し自身(じしん)には古今(ここん)事理(じり)余程(よほど)
 発明(はつめい)し人(ひと)にも越(こ)へたる高上(かうじやう)の根性(こんじやう)なれば他人(たにん)の深(しん)
 切(せつ)実義(じつぎ)も耳(みゝ)にいらず飽(あく)まで不 心行(しんげう)不 孝(こう)の段々(だん〳〵)論(ろん)に
 及(およ)ばざるに愚昧(ぐまい)文盲(もんもう)の八郎兵衛 数度(すど)の忠実(ちうじつ)風(ふ)と心耳(しんに)
 に入(い)り我(わ)が非(ひ)我(わ)が恥辱(ちじよく)を知(し)るより不 孝(こう)不 義(ぎ)の汚(を)
 名(めい)を濯(そゝ)ぎ九死(きうし)一 生(せう)の危命(きめい)を助(たす)かり主従(しう〴〵)父子(ふし)夫婦(ふうふ)
 一 和(くわ)し相続(そうぞく)して斯(かく)寿(じゆ)を保(たも)つも 八郎兵衛 徳義(とくぎ)成(な)れ
 ば皆(みな)能(よく)感得(かんとく)し発明(はつめい)あるべし聖人(せいじん)も書(しよ)は言(こと)を尽(つく)さ
 ず言(こと)は心(こゝろ)をつくさずと世間(せけん)志学之徒(しがくのと)我等(われら)如(ごと)
 (                              こころざしあるともがら)






【右丁】
 き不 心行(しんげう)成(な)るは稀(まれ)なりと云(い)へども言行一致(げんこういつち)成(な)る学者(がくしや)
     (                                     ことばおこないひとつ)
 亦(また)まれなれば朝暮(てうぼ)経伝(けいでん)の書中(しよちう)に起(を)き臥(ふ)し博学多(はくがくた)
 才(さい)と云(い)へども言行一致(げんこういつち)ならざるは元(もと)是(これ)何(なに)が故(ゆへ)成(な)るぞ
 言行(ことこう)を顧(かへり)み行言(こうこと)を顧(かへりみ)ば自己(じこ)恥(はづか)しからむ。道(みち)に古(こ)
 今(こん)無(な)く凡聖(ぼんせう)不 二(に)賢愚(けんぐ)一致(いつち)也不 審(しん)有(あ)るべし恥(はじ)の
 人に於(をけ)るこれより大(をう)ひ成(な)るは無(な)し
一 皆(みな)人 幼少(ようせう)の養育(よういく)に依(よつ)て実人(じつにん)とも不 実人(じつにん)とも成(な)り長(たて)【成長とかけている為ヵ】
 ば士農工商(しのうこうせう)上下 貴賤(きせん)なく両親(りやうしん) 祖父(ちゝ)祖母(はゞ)或(ある)ひは
 乳母(うば)聢(しか)と心得(こゝろへ)べき也 諺(ことわざ)に親(をや)ではなくて敵(かたき)かやと云(い)ふ
 事(こと)愛(あい)におぼれ心(こゝろ)のまゝに育(そだて)成長(せいてう)し放埓(ほうらつ)我儘(わかまゝ)の

【左丁】
 不 身行(しんげう)と成(な)り不 孝(こう)の名(な)付(つ)き其時(そのとき)にいたり親(をや)不 便(びん)に
 思(おも)ひ教訓(けうくん)しきびしく折檻(せつかん)すとも聞入(きゝい)る事(こと)は扨(さて)を
 き無慈悲(むじひ)の様(よう)こゝろへ却(かへつ)て親(をや)に恨(うら)みを含(ふく)む他之人(たのひと)異(い)
 見(けん)教訓(けうくん)の深切(しんせつ)も皆(みな)己(をの)が不 勝手(かつて)なれば用(もち)ゆる場(ば)に至(いた)ら
 ず行末(ゆくすへ)終(つゐ)に孤(みなしご)と成(な)り侮(あなど)られ心外(しんぐわい)に思(おも)ひ後悔(こうくわい)すと
 云(い)へどもかへらず難義(なんぎ)し苦痛(くつう)の身(み)と成(な)るを云(い)ふ父(ちゝ)
 不父(ちちたらざれば)子不子(ここたらず)と聖人(せいじん)も仰(をう)せ置(をか)れ亦(また)。可愛(かあい)とて育(はごく)み立(たて)
 し古(いに)しへは世(よ)を背(そむ)くとも思(おも)わざりけり。と眼前(がんぜん)の愛(あい)
 にほだされ生涯(せうがい)の大愛(たいあい)を知(し)らず よく試(こゝろみ)るべし
 成長(せいてう)して放蕩(ほうとう)不 身行(しんげう)者(もの)とも成(な)らざるは大(をう)かたは
  (                    みもち)

【右丁】
 内端(うちば)なる気性(きせう)にて病身(びやうしん)とも云(い)ふものなり世間(せけん)に出(で)ては
 高声(かうしやう)にものをもいはず長敷(をとなしき)と見(み)られ家内(かない)にては短(たん)
 慮(りよ)にてさゝいの事(こと)にも怒(いか)り物事(ものごと)せ話(わ)しく まてしば
 しなく下人(げにん)を遣(つか)ひ肝症(かんせう)肝積(かんしやく)など名(な)を付(つ)く全(まつた)く気(き)
 随(ずい)我(わが)まゝにて増長(ぞうてう)すれば狂気(きやうき)の如(ごと)く世間(せけん)にて肝症(かんしやう)
 やみと云(い)ふ親(をや)の妄愛(もうあい)より自己(おのれ)と苦(くる)しみ命(いのち)をも縮(ちゞ)むる
 なり上(かみ)主(しう)たる方(かた)にては下々(しも〳〵)の者(もの)刃上(はものゝうへ)に居(いる)が如(ごと)く心気(しんき)
 安(やすん)ずる隙(ひま)なく下賤(げせんの)主人(しゆじん)にては妻子(さいし)召使(めしつか)ひに至(いた)り暫(ざん)
 時(じ)安堵(あんど)の間(ま)なく心(こゝろ)を遣(つか)ひ家内(かない)一和(いつくわ)する時日(とき)しも無(な)
 く終(つい)には短命(たんめい)す是(これ)全(まつた)く両親(りやうしん)眼前(がんぜん)の愛(あい)におぼれ

【左丁】
 生涯(せうがい)の大愛(たいあい)をしらざる故(ゆへ)なり身(み)を正(たゞ)しく命(いのち)を全(まつた)ふ
 せむとおもはゞ二六 時(じ)中(ちう)真(しん)の養生(ようじやう)すべし養生(ようじやう)は道心(どうしん)
 にあり道心(とうしん)は志(こゝろざし)なり志(こゝろざし)たつ立(たゝ)ぬは親(をや)の養育(よういく)にあり
 小愛(せうあい)大愛(たいあい)のさかひ能(よく)こころ得(へ)べし
一 道義(だうぎ)志(こゝろざし)立(た)つたゝぬは幼稚(ようち)【左ルビ:おさなき】の養育(よういく)にあれば親(おや)として
 真実(しんじつ)愛(あい)をおもはゞ暑(しよ)をいとわず寒風(かんふう)を避(さ)けず善(ぜん)
 悪(あく)邪正(じやせう)を正(たゞ)し 正善(しやうぜん)なるをば賞美(せうび)し邪悪(じやあく)成(な)る
 をば急度(きつと)糾明(きうめい)し善友(ぜんゆう)に近(ちか)づき仮初(かりそめ)にも悪友(あくゆう)【左ルビ: とも】に
 まじはらさず下人 小童(こわらは)小女(こをんな)遣(つか)ふとも無理(むり)無慈(むじ)
 悲(ひ)なる事(こと)なくいたわりあはれませ用立(ようだつ)芸道(げいどう)をは

【右丁】
 げましたわむれにも遊芸(ゆうげい)などいたさせず只(たゞ)朝夕(てうせき)
 我(わ)が非(ひ)を知(し)り他(た)の是(ぜ)を見(み)せ実(じつ)不 実(じつ)のさかひを能(よ)く
 正(たゞ)す是(これ)親(をや)の慈悲(じひ)にて大愛(たいあい)と云(い)ふべし親(をや)の恩(をん)主(しう)
 恩(をん)を忘(わす)るゝも実意(じつい)なき故(ゆへ)也 実意(じつい)なくして道心(どうしん)起(おこ)
 るものあるべからず道義(どうぎ)は是(これ)信(しん)也 亦(また)我(われ)に実意(じつい)あるも
 のは人の実意(じつい)を受用(じゆよう)し他(た)の実事(じつじ)を心用(しんよう)するは我(われ)
 に実意(じつい)あるものにて道志(どうし)の者(もの)成(な)れば亦(また)信友(しんゆう)多(をう)し
 其本(そのもと)皆(みな)幼少(ようせう)の養育(やういく)にあり才(さい)不才 有智(うち)無智(むち)に
 依(よ)らず
一 女子(によし)は別(べつ)して育(そだて)かた心得(こゝろへ)べし愛(あい)におぼれ心(こゝろ)の儘(まゝ)に

【左丁】
 育(そだつ)る時(とき)は前段(ぜんだん)の通(とう)り多分(たぶん)気随(きずい)に成(な)り十(じう)余才(よさい)より
 (                                                 二 三)
 色取(いろどり)見(み)へ名聞(めうもん)を好(この)み過半(くわはん)陽気(うわき)になり勝(がち)也 皆(みな)眼(がん)
 前(ぜん)の愛(あい)におぼれ幼稚(ようち)より形姿(なりふり)当世(とうせい)を好(この)み目立(はでの)風(ふう)
 俗(ぞく)をさせ所々(しよ〳〵)物見(ものみ)或(ある)ひはたはむれ場所(ばしよ)へ連(つ)れゆき
 猥(みだ)りなるたはことを見聞(みきか)せ遊芸(ゆうげい)など習(なら)はせ 陽(うわ)
 気(き)の事(こと)のみ見覚(みおぼへ)させ全(まつた)く愛(あい)にあらざるにはあら
 ねども親(をや)の楽(たのし)みにいたす場(こゝろ)多しいづれ当人(とうにん)は何(なに)
 の念(ねん)なく陽気(うわき)に成(な)るとも我儘(わがまゝ)に成(な)るとも何(なに)とも
 しらずおもはざればいさゝか罪科(つみとが)なく。貴賤(きせん)とも
 妻女(さいじよ)は猥(みだり)なる劇場(げきじやう)などへは行(や)るべからずゆくべからず
  (  つまむむすめ)  (        たわ むれば)






【右丁】
 古への戯場(しばい)にては忠(ちう)不 忠(ちう)孝(こう)不 孝 貞(てい)不 貞(てい)善悪(ぜんあく)曲(きよく)
 直(ちよく)を正(たゞ)し見(み)せ神祇(じんぎ)釈教(しやくけう)恋(こい)無常(むじやう)眼前(がんぜん)に顕(あら)は
 し感(かん)じいる場(ば)有(あ)り歎(なげ)き患(うれ)ふる場(ば)もあり笑(わら)ふ所(ところ)も
 有之(これあり)て実(じつ)は遂(と)げ不 実(じつ)は遂(と)げず義(ぎ)は立(たち)不 義(ぎ)は不(たゝ)
 立(ず)是非(ぜひ)を正(たゞ)し見(み)する上下(じやうげ)貴賤(きせん)の身(み)の上(うへ)の事(こと)ども
 にて実事(じつじ)かとおもへば全(まつた)く作(つく)り物(もの)のたはこと戯言(たはこと)
 かとおもへば乍(たちま)ち眼前(がんぜん)の事(こと)ども有(あ)れば戯言(たわこと)にあら
 ず実事(じつじ)にあらず只(たゞ)見(み)る人(ひと)の心(こゝろ)に依(よつ)て為(ため)不 為(ため)有(あ)り
 然(しか)るに近来(きんらい)は只(たゞ)猥(みだ)り成(な)るたはことならでは諸人(しよにん)好(す)か
 ざるにや逐々(をい〳〵)作意(さくい)いやしく雑(ざつ)に成(な)り過半(くわはん)聞(きゝ)

【左丁】
 苦(くる)しく見(み)ぐるしき事(こと)ども多(おう)ければ妻女(さいじよ)などは
 行(ゆ)くべき場所(ばしよ)にあらず全(まつた)く世間(せけん)男女(なんによ)とも右 体(てい)猥(みだり)
 り【衍】成(な)る事(こと)ども好(この)むはいつとなく心中(しんちう)乱(みた)れたる故(ゆへ)也
 女(をんな)は従(したが)ふと云(い)ふ一 言(こと)にて事(こと)足(た)る身(み)なれば幼少(ようせう)養(よう)
 育方(いくかた)只(たゞ)直質(すなを)第一(だいゝち)なり親(をや)兄(あに)姉(あね)を尊(たうと)み大切(たいせつ)にし一言(ひとこと)を
 も背(そむ)かず弟(をとゝ)妹(いもと)を慈愛(じあい)し召使(めしつか)ひをあはれみいたは
 り心中(しんちう)尊(たうと)く身(み)を卑(いやし)く真実(しんじつ)を体(たい)として貴人(きにん)
 たりとも縫針(ぬいはり)能(よく)為(せ)ずんば有(ある)べからず是(これ)女子(によし)第(だい)
 一の所作(しよさ)なり手跡(しゆせき)は次(つぎ)にすべし古(いにし)への女子はしゐ
 て手跡(しゆせき)は心(こゝろ)がけざるなり故(ゆへ)に賢女(けんじよ)貞女(ていじよ)に達筆(のふひつ)と

【右丁】
 聞(きゝ)しは稀(まれ)なり往昔(むかし)には女子はあまり手跡(しゆせき)は致(いた)さゞ
 (                  をうむかし)
 るなり何故(なにゆへ)なれば親(をや)に従(したが)ひ嫁(か)しては夫(をつと)に従がふ身(み)
 なれば也 只(たゞ)貞正(ていせい)を心(こゝろ)の徳(とく)とし温順(をんじゆん)を美色(びしよく)とし
 (                                  うちやわらぐ)
 静(しづか)に女子(によじ)を勤(つと)むるを美服(びふく)として直質(すなを)に 言(こと)
 葉(ば)すくなく内端(うちば)なる是(これ)女の情(じやう)なり姿形(なりふり)も目立(めだゝ)
 ず古風(こふう)に長敷(をとなしき)は奥(おく)ゆかしければ男子(なんし)も自然(しぜん)と
 遠(とう)ざかり近付(ちかづか)ぬなり世間(せけん)の諺(ことわざ)に甘(あま)き物(もの)過(す)ぐ
 れば疳(かん)生(せう)ずると言(い)ふ事(こと) 給(たべ)ものゝあまきにあらず
 (      かんのむし)
 親(をや)の愛(あい)におぼれ善悪(ぜんあく)も正(たゞ)さず心(こゝろ)のまゝにさす
 を甘(あま)きと云(い)ふにて夫(そ)れよりして気随(きずい)我儘(わがまゝ)の

【左丁】
 疳(むし)生(せう)じて種々(しゆ〳〵)の病(やまひ)ものと成(な)るなり愛(あい)におほるゝも
 また親(をや)の我(わ)が楽(たのし)み先立(さきだ)てば子(こ)の行末(ゆくすへ)もおもはざる
 にて親(をや)の薄情(はくじやう)ならずや仮(かり)にも真愛(しんあい)大愛(たいあい)を思(おも)ふ
 (           まこととうすき)
 べし
 女子は万(よろづ)の芸(けい)に秀(ひい)づるとも貞心(ていしん)専(もつは)らになくば女(をんな)とは
   云(い)ふべからず一芸(いちげい)なくとも直質(すなを)にして親(をや)夫(をつと)の心(こゝろ)を
   以(もつて)我(わ)が心(こゝろ)とし物(もの)にまかせて我(われ)なく見聞(けんもん)の色(いろ)に
   移(うつ)らざるを貞女(ていじよ)孝女(かうじよ)と云(い)ふ
  ◦我(わ)か軒(のき)に鶯(うぐひす)のなく梅(うめ)かほるいづちや人(ひと)の
   はるや尋(たづ)ねそ

【右丁】
一 聖人(せいじんの)曰 苗而(なへにして)《振り仮名:不_レ秀者有哉|ひいでざるものありや》。秀而不実者有哉(ひいでゝみのらざるものありや)。と 古(こ)
 今(こん)賢愚(けんぐ)無(な)く同性(どうせう)同体(どうたい)にて一同(いちどう)信性(しんせい)を受得(じゆとく)したる
 者(もの)なれは《振り仮名:不_レ秀|ひいでず》と云(い)ふ事(こと)なく 秀(ひいで)たれば《振り仮名:不_レ実|みのらず》と云(い)
 ふ事(こと)有(ある)べからず若(も)し秀而(ひいでゝ)不実(みのらざれ)ば我(わ)が不 作(さく)なり
 天(てん)をも人(ひと)をも恨(うら)むべからず
 唯(たゞ)学(がく)不学(ふがく)に依(よ)らず上智(じやうち)下愚(かぐ)によらず発才(はつさい)無才(むさい)
 (                                           はつめい ぶこつ)
 利鈍(りどん)男女(なんによ)に依(よ)らず只(たゞ)志(こゝろざし)の厚薄(こうはく)浅深(せんしん)に依(よ)るのみ
 (  りこうにぶき)
 古徳云(ことくのいわく)至理(しり)絶言(ぜつごん)教(おしへ)は是(これ)言詞(げんし)実(じつ)に《振り仮名:不_二是道_一|これみちならず》道(みち)
 (         いたるみちことばをたゆ)      (      ことば)
 本(もと)無言(むごん)言説(ごんぜつ)是(こ)れ妄(もふ)なりと。言外(ごんぐわい)也 教外(けうげ)也一 法(ほう)の
    (     ことばなし)  ( ことばは)    (     みだり)
 人(ひと)に与(あたふ)る無(な)しと。必(かな)らず学(がく)不 学(がく)の知(し)る所(ところ)にあらず

【左丁】
 老拙 妄迷(もうめい)よりして危(あやう)きに臨(のぞ)み年来(ねんらい)労(らう)して功(こう)無(な)く
 益(ゑき)なき事を後世(こうせい)に伝通(でんつう)し知(し)らしめんと同意(どうい)の
 義(ぎ)を幾度(いくたび)となく書記(しよき)す労屈(らうくつ)の野生(やせい)なれば始(はじ)
 め書(か)ける事(こと)も後(のち)に忘(わす)れ前(まへ)にいだしたる事を又(また)
 末(すへ)にのぶる類(るい)間々(まゝ)有(あ)るべく重言(ぢうげん)誤言(ごげん)誤字(ごじ)文(ぶん)
 のつたなき等(とう)心に寄(よ)せず只(たゞ)自己(じこ)の一大(いちだい)事と思
 ひ取(とつ)て聊(いさ)か頭(かしら)を振(ふ)らず 自心(こゝろ)に求(もと)めて直(ぢき)に見(み)信(しん)
 修(じゆ)あらば月日(つきひ)を《振り仮名:不_レ積|つまず》真楽(しんらく)を得(へ)む事 疑(うたが)ひ有(あ)る
 べからず生(せい)をやしなふ最(さい)第一(だいいち)是(これ)也(なり)
    一大事(いちたいじ)遺書(ゆいしよ)

【右丁】
一此(こ)の身(み)の大事(だいじ)を思(おも)はゞ即今(そくこん)真(しん)の養生(ようぜう)を為(なす)べし真(しん)の
 (                            たゞいま)
 養生(ようぜう)を為(せ)むとおもはゞ即今(そくこん)安心快楽(あんじんけらく)を得(う)べし安心(あんじん)
 (                               こゝろよくたのしむ)
 快楽(けらく)を得(へ)むと思(おも)はゞ即今(そくこん)足(た)る事(こと)を知(し)るべし足(た)る事(こと)
 を知(し)らむとおもはゞ即今(そくこん)我(われ)と万宝(ばんほう)何(いづれ)か重(おも)き何(いづ)れ
 (                                  たから)
 か軽(かろ)き軽重(けいぢう)を知(し)るべし軽重(けいぢう)を知(し)らむと思はゞ即(そく)
 今(こん)欲色(よくいろ)名利(めうり)を去(さ)るべし 欲色(よくいろ)名利(めうり)を去(さ)らむと思(おも)は
 ば即今(そくこん)我(わ)が此(こ)の四大色身(しだいしきしん)。夢(む)。幻(げん)。泡(ほう)。影(やう)にて有(ある)に
 (                                ゆめ   まぼろし   あわ   かげ)
 似(に)て元来(ぐわんらい)我(われ)無(な)き事(こと)を知るべし我(わ)が此(この)色身(しきしん) 夢。(む)幻(げん)
 。泡(ほう)。影(やう)。なる事(こと)を知(し)らむと思(おも)はゞ即今(そくこん)善悪(ぜんあく)の思慮(しりよ)
 (                                               よしあし)
 分別(ふんべつ)を去(さ)るべし思慮(しりよ)分別(ふんべつ)を去(さ)らむとおもはゞ即(そく)

【左丁】
 今(こん)朝夕(てうせき)立居(たちい)起臥(きぐわ)に起(おこ)る念(ねん)の源(みなもと)を見(み)るべし念(ねん)の源
 を見(み)むと思(おも)はゞ即今(そくこん)我(わ)が一心(いつしん)の姿(すがた)を知(し)るべし一心の
 姿(すがた)は是(これ)世界(せかい)の姿(すがた)なり此(この)姿(すがた)を自知(じち)せむとおもはゞ即(そく)
 今(こん)生死(せうし)事大 無常(むじやう)迅速(じんそく)の一句(いつく)擬議(ぎゝ)無く直(すぐ)に聞(きゝ)
 (                                あてがいはかる)
 直(すぐ)に見(み)只(たゞ)是(これ)生死(せうし)事大 無常(むじやう)迅速(じんそく)貴賤(きせん)男女一大
 事 是(これ)なり経(けう)に云(いわく)知幻(ちげん)即(そく)敵(てき)無作方便(むさほうべん)。と もろ〳〵の
 (                    まぼろしをしるすなはちてきすほうべんをなさず)
 相(そう)は皆(みな)是(これ)幻(まぼろし)にして実(じつ)無(な)し凡聖(ぼんしやう)賢愚(けんぐ)なを是(これ)水(すい)
 中(ちう)の影像(やうぞう)影(かげ)を留(とめ)て実(じつ)とするは自心(じしん)を見(み)ざる故(ゆへ)
    (         かげ)
 なり《振り仮名:有_レ善有_レ悪|ぜんありあくある》心(こゝろ)の動(どう)《振り仮名:無_レ善無_レ悪|ぜんなくあくなき》心之体(こゝろのたい)賤(いやし)むべ
 き無(な)ければ尊(たう)とむべき無(な)く悪(あく)無(な)ければ善(ぜん)無(な)く

【右丁】
 嬉悲(きひ)なければ苦楽(くらく)無(な)し是(これ)心 気(き)を養(やしな)ふ良薬(りやうやく)二
 (  うれしかなし)
 六 時中(じちう)真(しん)の養生(ようぜう)是(これ)なり後時(かうじ)を待(ま)たずいそ
 (                             のち)
 ぐべし如何(いか)なるか是(これ)自心(しゝん)の姿(すがた)生死(せうし)事大(じたい)無常(むじやう)
 迅速(じんそく)
   子々孫々(しゝそん〴〵)《割書:江》遺書(ゆいしよ)
 神仏(しんぶつ)聖賢(せいけん)都(すべ)て古徳(ことく)の書籍(しよぢやく)其(その)数(かず)を知(し)らざれども只(たゞ)
 己(おのれ)を脩(をさ)め人を治(おさ)むるの外(ほか)他事(たじ)無(な)し然(しか)るに老拙 嫡子(ちやくし)
 に生(うま)れ数多(あまた)の兄弟(けうだい)皆々(みな〳〵)女子(をんな)なれば祖父(ぢゞ)祖母(ばゞ)両親(りょうしん)
 格別(かくべつ)の慈愛(じあい)に預(あづか)り我(われ)知らず気随(きすい)我(わが)まゝに育(そだち)
 若(じやく)年の頃(ころ)より心の儘(まゝ)の放蕩(ほうとう)不 身行(みもち)の段々(だん〳〵)言語(ごんご)

【左丁】
 に絶(ぜつ)し難(かた)き事(こと)どものみ中年(ちうねん)に及(およ)び色念(しきねん)に犯(をか)され
 既(すで)に一命(いちめい)も危(あやう)きにのぞみ時節(じせつ)を得(へ)禅師(ぜんし)の慈恵(じゑ)を
 蒙(かうむ)り聊(いさゝか)発明(はつめい)いたし前非(ぜんひ)を悔(く)ひ後悔(こうくわい)いたせども
 甲斐(かひ)なく士家(さむらひ)は云(い)ふに及(およ)ばず農工商(のうこうしやう)のもの子供(こども)
 養育方(よういくかた)尤(もつとも)大切(たいせつ)なり 人として信志(まことのこゝろざし)なき時(とき)は生涯(せうがい)
 知足(たることをしる)の期(ご)なし日々(にち〳〵)名師(めいし)道師(どうし)之(の)教示(おしへ)を受(うけ)朝夕(てうせき)
 相見(そうけん)すとも志(こゝろざし)なきは手段(しゆだん)なく志(こゝろざし)とは信(まこと)也 人(ひと)とし
 て実意(じつい)無(な)く志(こゝろざし)なきは全(まつた)く養育(よういく)の不 実(じつ)にあり
 故(ゆへ)に書(しよ)に云(いわ)く里(さと)は仁(じん)を美(び)とす 撰(ゑら)んで仁(じん)に処(をら)
 ずんばいづくんぞ智(ち)を得(へ)むと古(いに)しへ大身(たいしん)大禄(たいろく)

【右丁】
 の家々(いへ〳〵)には下臣(かしん)の内(うち)志(こゝろざし)ある士(し)をゑらみ附人(つけびと)とし或は
 友(とも)をゑらみ土地(とち)をゑらまれしとこそ 幼稚(ようち)より
 善悪(ぜんあく)邪正(じやせう)慈悲(じひ)無慈悲(むじひ)実(じつ)不 実(じつ)を正(たゞ)し善事(ぜんじ)
 実事(じつじ)慈悲心(じひしん)成(な)る時(とき)は賞(せう)し悪事(あくじ)不 実(じつ)無慈悲(むじひ)な
 る時(とき)は急度(きつと)糾明(きうめい)し起臥(きぐわ)に邪正(じやせう)を正(たゞ)し養育(よういく)い
 たすこそ真(しん)の慈愛(じあい)にて是(これ)又(また)親(をや)の慈悲(じひ)なり幼(よう)
 稚(ち)無欲(むよく)なれば善悪(ぜんあく)のわきまへ無(な)く我(わ)が気質(きしつ)
 の生(うぶ)の儘(まゝ)の所作(しよさ)なるに皆(みな)眼前(がんぜん)の愛(あい)に溺(をぼ)れ其(その)
 好(この)む所(ところ)にまかすよりして我(われ)知(し)らず 気随(きずい)我儘(わがまゝ)に
 成(な)り成長後(せいてうご)不 義(ぎ)不妙法(ふによほう)ものとなりて 不 孝の(こう)汚(を)

【左丁】
 名(めい)を受(う)くるも全(まつた)く親(をや)の不 実(じつ)にて只(たゞ)眼前(かんぜん)の愛(あい)に
 ほだされ悪業(あくがう)邪行(じゃげう)も免(ゆる)し理非(りひ)をも分(わか)たず全(まつた)
 (             わざ よこしま)
 く皆(みな)親(をや)祖父(ぢゞ)祖母(ばゞ)の愛(あい)は愛(あい)にはなくて銘々(めい〳〵)楽(たのし)みにお
 ぼれ成長(せいてう)行末(ゆくすへ)を思(おも)わざる也 是(これ)を愛(あい)とやいはむ成(せい)
 長(てう)し不 孝(こう)たりとも当人(とうにん)罪(つみ)重(おも)からず養育(よういく)不 実(じつ)
 の作(な)す所(ところ)なり亦(また)今時(いまどき)は出産(しゆつさん)して母(はゝ)の乳(ち)ありながら
 乳母(うば)を以(もつ)て養育(よういく)せる事(こと)親(をや)の不 実(じつ)にて愛(あい)も知(し)らざ
 るなり高位(かうい)高禄(かうろく)大身(たいしん)たりとも母(はゝ)の乳(ち)は出生(しゆつせう)に与(あた)
 へし所(ところ)の天扶持(てんふち)なれば無上(むじやう)の良薬(りやうやく)なり然(しか)るに与(あた)
 ふ所(ところ)の扶持(ふちを)あたへざるは何(なん)が故(ゆへ)成(なる)ぞ親(をや)自己(じこ)の身愛(しんあい)名(めう)

【右丁】
 聞(もん)に抱(かゝは)りて子(こ)の愛(あい)を忘(わす)れたる也 天(てん)より与(あた)ふ所(ところ)に
 高下(かうげ)貴賤(きせんの)差別(さべつ)なきを見(み)て感(かん)ずべし上古(ぜうこ)は懐(くわい)【扁の「月」は誤】
 妊(にん)すれば目(め)に悪色(あくしよく)悪行(あくげう)を見(み)ず 耳(みゝ)に婬声(いんせい)をき
 (                                           じだらくこゑ)
 かず席(せき)正(たゞ)しからざれば座(ざ)せずと斯(かく)母(はゝ)の見聞(けんもん)声(せい)
 (                                           み きゝ こゑ)
 色(しよく)まで正(たゞ)す是(これ)真(しん)の愛(あい)ならずや篤実(とくじつ)博学(はくがく)の師(し)
 (   いろ)
 に随身(ずいしん)すとも猶(なを)二六 時中(じちう)側(そば)を去(さ)らぬ親(をや)の示訓(じくん)
 (                                                おしへ)
 養育(よういく)肝心(かんじん)にてまた仮(か)りにも友(とも)をゑらみ交(まじ)はら
 すべし皆(みな)是(これ)親(をや)の役(やく)なり。聖人(せいじん)の曰 《振り仮名:君不_レ君臣不|きみきみたらざればしん》
 《振り仮名:_レ臣|しんたらず》。《振り仮名:父不_レ父子不_レ子|ちゝちちたらざればここたらず》。感得(かんとく)すべし
   幼稚(ようち)養育(よういく)心得(こゝろへ)

【左丁】
一 貧賤(ひんせん)たりともいやしく育(そだ)つべからず
一 富貴(ふうき)たりとも心(こゝろ)のまゝに育(そだ)つべからず
一 上下とも憐(あはれ)み慈悲(じひ)無欲(むよく)をおしへ無慈悲(むじひ)気随(きずい)
 利欲(りよく)戒(いまし)むべし
一 下(しも)たるは云(い)ふに及(およ)はず貴賤(きせん)とも正直(せうぢき)実意(じつい)を教(をし)へ名(めう)
 聞(もん)無実(むじつ)を戒(いま)しむべし
一 上下 貴賤(きせん)とも善友(ぜんゆう)をゑらみ仮(かり)にも悪友(あくゆう)に近付(ちかづく)べ
 からず
一 上下 貴賤(きせん)とも万事(ばんじ)美悪(びあく)好(す)き嫌(き)らひ聢(しか)と戒(いましむ)べし
一 常(つね)に上(かみ)を尊(たうと)み下(しも)を哀(あはれ)むを談(だん)じ且(かつ)孝道(こうどう)忠義(ちうぎ)を

【右丁】
 沙汰(さた)し理非(りひ)を正(たゞ)し心(こゝろ)を尊(たうと)く身(み)を卑(ひき)く養育(よういく)すべし
一 庭上(ていせう)の樹木(じゆぼく)我(わ)が儘(まゝ)に枝葉(ゑだは)しげり鬱々(うつ〳〵)敷(しく)なれば木(こ)
 の間(ま)すかさんとて植木職(うへきや)来(きた)りて延(の)び〳〵としたる
 よき枝振(ゑだぶ)りの惜(おし)きと思(おも)ふを伐(き)りよく栄(さか)へ美(うるは)し
 く見(み)へけるをも摘(つ)み込(こ)み若木(わかき)は右(みぎ)へ延(の)ぶ枝(ゑだ)を左(ひだり)へ
 たわめ前(まへ)へ出(いで)たるを後(うしろ)へ縛(しば)り惜(をし)げもなく伐込(きりこ)み
 摘込(つみこむ)ゆへ翌年(よくねん)よきほどに栄(さか)へ生(を)ひたち 若木(わかき)枝(ゑだ)
 ぶりも能(よく)成(な)るなり其儘(そのまゝ)に捨置(すておか)ば己(をの)がまゝに栄(さか)へ
 しげり風(かぜ)も通(とう)さねば下葉(したば)より枯(か)れ或(あるひ)は虫(むし)付(つ)き
 病樹(びやうじゆ)と成(な)るなり 皆(みな)兼(かね)ての養育(よういく)に有(あ)り《割書:老拙》 薄(はく)
 (   やまひぎ)

【左丁】
 氷(ひやう)を踏(ふ)み深(ふか)き淵(ふち)に臨(のぞ)み年来(ねんらい)危(あやう)き幻夢(げんむ)に犯(をか)さるれ
 (                                         ゆめまぼろし)
 ば斯(かく)繰言(くりこと)演(のぶ)る事(こと)容易(ようい)に心得(こゝろへ)見(み)るべからず皆(みな)人(ひと)此(この)身(み)
 の大事(だいじ)に心(こゝろ)を入(いれ)させ真楽(しんらく)を得(へ)させむ為(ため)のみ真楽(しんらく)は不
 老(らう)の良薬(りやうやく)取(とつ)て服用(ふくよう)せむもの十人は十人こと〴〵く寿(じゆ)
 (                                                    ことぶき)
 を保(たも)たずと云(い)ふ事(こと)無(な)し疑(うたがひ)を生(せう)ずる事 勿(なか)れ
   張(はり)とづる氷(こうり)も水(にず)と知(し)り得(う)れば誰(た)が手(て)もからず
   とくるなりけり。
  ◦斉木(さいき)何某(なにがし)に答(こたふ)
一 何某(なにがし)問(と)ひけるは人として道(みち)を知らざるは人外(にんぐわい)と古人(こじん)も宣(のたま)
 ひ候へば何(なに)とぞ得道(とくどう)いたし度(たく)候 得(へ)ども一向(いつこう)不 学(がく)文盲(もんもう)の

【右丁】
 我等(われら)儀(ぎ)殊(こと)に多病(たびやう)に候 得(へ)ば是(これ)を自得(じとく)せむ事(こと)難(かた)かる
 べく如何(いかん)
答 道(みち)は難(かた)きに似(に)て易(やす)く安(やす)きに似(に)てかたし只(たゞ)道心(どうしん)
 の深(ふか)き浅(あさ)き志(こゝろざし)の厚(あつ)き薄(うす)きのかわり有(ある)のみ教(をしへ)を直(ぢき)
 に疑(うた)がはず信(しん)ずれば安(やす)く道(みち)を成(じやう)ず不 信(しん)なれば転(てん)
 倒(どう)し外道(げどう)をめぐり長(なが)く苦(くるし)みに沈(しづ)むされば一代(いちだい)
 蔵経(ぞうけう)自心即仏(じしんそくぶつ)なる事(こと)を説(と)きたまひ自心(じしん)の仏(ほとけ)を
 尋(たづ)ぬるを座禅(ざぜん)と云(い)ふ 神道(しんとう)儒道(じゆどう)には是(これ)を安座(あんざ)静(せい)
 座(ざ)と云(い)ふ也 経論(きやうろん)委(くわし)く覚(おぼ)へ知(し)ると云(い)へども爰(こゝ)に於(おひ)
 ては一字(いちじ)をつかゑず博学(はくがく)多才(たさい)還(かへつ)て道義(どうぎ)の障(さわ)りと

【左丁】
 成(な)るなり教意(けうい)は只(たゞ)心体(しんたい)を顕(あら)はさんが為(ため)也 本心(ほんしん)だに了(りやう)
 知(ち)せば何(なん)ぞ経論(けうろんを)用(もち)ひむ文字(もんじ)言句(ごんく)皆(みな)心(こゝろ)の病(やま)ひと成(な)
 る古徳(ことくの)云(いわく)学(がく)を為(す)れば益(ま)す道(みち)を為(す)れば損(そん)すと
 (                                               へる)
 志(こゝろざし)ある道人(どうじん)は古(こ)人の糟粕(そうはく)をなめず幸(さいわ)ひに不 学(がく)
 (                            かす)
 文盲(もんもう)なるは道(みち)に入(い)るの便(たより)也 亦(また)道(みち)に志(こゝろざし)あるものは悪衣(あくい)
 悪食(あくしよく)を恥(は)ぢずと住所(じうしよ)衣食(いしよく)を思(おも)わず 大慈悲心(だいじひしん)を
 発(おこ)し世間(せけん)の助(たす)けとならむ事(こと)を深(ふか)く思(おも)ひ我(わ)が身(み)一つ
 の為(ため)に道(みち)を求(もと)めず只(たゞ)二六 時中(じちう)心(こゝろ)を気海丹田(きかいたんでん)【注1】に治(おさ)
 め大事(だいじ)を聞(きひ)て小事(せうじ)を聞(き)かず立居(たちい)起臥(きぐわ)飲食(いんしよく)の間(ま)
 も怠(おこた)らず如何(いか)成(な)るか是(これ)自心(じしん)如何(いか)なるか是(これ)本来(ほんらいの)面(めん)

【注1 漢方医学 へその下 禅僧白隠によると気力が湧き病が消える場所】

【右丁】
 目(もく)と間断(かんだん)なく心源(しんげん)に向(むか)ふべし多病(たびやう)の由(よし)是(これ)全(まつた)く病根(ひやうこん)
 知(し)らざる故(ゆへ)也 元(もと)是(これ)皆(みな)人 無病(むびやう)のもの一度(ひとたび)相見(そうけん)せば従来(じうらい)
 の諸病(しよびやう)一時(いちじ)に消滅(せうめつ)して安体(あんたい)なるべく万病(まんびやう)の一薬(いちやく)是(これ)
 なり
   深山(みやま)なる岩間(いわま)がくれの苔清水(こけしみず)有(あり)とばかりは
   すむかひもなし
  ◦森何某(もりなにがし)に与(あた)ふ 【鉤かっこ有り】
一 一切(いつさい)経伝(けいでん)胸中(けうちう)に貯(たくわ)へ広(ひろ)く講(こう)ずといふとも一度(ひとたび)貫(くわん)
 (                                                    つらぬき)
 通(つう)せざるは小人(せうじん)の俗儒(ぞくじゆ)にて論(ろん)ずるに足(た)らず故(ゆへ)に
 (  とうる)
 君子(くんし)の儒(じゆ)と為(な)れ小人の儒(じゆ)と為事(なること)なかれと君子(くんし)の

【左丁】
 儒(じゆ)とは《振り仮名:為_レ己の学者|おのれのためにまなぶもの》にて己身(をのれ)を脩(をさ)め人を治(をさ)むる実学(じつがく)。
 小人の儒(じゆ)とは《振り仮名:為_レ 人学者|ひとのためにまなぶもの》にて古事来歴(こじらいれき)を知(し)り詩作(しさく)文(ぶん)
 章(せう)を好(この)み博識(はくしき)多才(たさい)也と云(い)へども脩身(しうしん)斉家(せいか)の志(こゝろざし)な
 く世人(せじん)の為(ため)ならざれば俗儒(ぞくじゆ)の記誦(きしやう)詞章(ししやう)。用(もち)ゆるに足(た)
 らずと《振り仮名:為_レ己学者|をのれのためのがくしや》は《振り仮名:知_二 天下_一|てんかしる》。《振り仮名:為_レ 人学者|ひとのためのがくしや》は自己(じこ)を知(し)ら
 ず 譬(たと)へ十三 経(けう)をさとし五常(ごじやう)五倫(ごりん)の道(みち)を行(をこな)ひ或(あるひ)
 は五戒(ごかい)十戒(じつかい)乃至(ないし)数百戒(すひやくかい)を保(たもち)一代蔵経(いちだいぞうけう)に亘(わた)り孔(かう)
 老(らう)の行跡(げうせき)を写(うつ)し仏祖(ぶつそ)の徳(とく)に似(に)たりと云(い)ふとも私(し)
 知(ち)学知(がくち)を除(のぞ)かざれば皆(みな)我相(がそう)人欲(じんよく)の私(わたくし)の法(ほう)なり只(たゞ)
 我(われ)なく心(こゝろ)無(な)く《振り仮名:無_レ聲無_レ臭|おともなくかもなき》の自然智(しぜんち)に至(いた)らずし

【右丁】
 て分別(ふんべつ)思慮(しりよ)を以(もつ)てよくせんと思(おも)はゞ沙(いさご)をむして飯(はん)と
 成(な)さんとするが如(ごと)し千載(せんざい)を経(ふ)るとも成就(じやうじゆ)すべか
 らず儒家(じゆか)にて要書(ようしよ)は大学(だいがく)中庸(ちうよう)弐巻(にさつ)なり皆(みな)自(をの)
 己(れ)に求(もとめ)て工夫(くふう)を成(な)し私知(しち)に染(そま)ざる不顕(ふげん)の至徳(しとく)を
 (                                          あらわれず)
 了知(りやうち)し充(みた)しめよとの尊教(そんけう)也 至徳(しとく)は至心(ししん)也 直心(じきしん)也
 (  さとりしる)
 たとへ一切(いつさいの)経書(けいしよ)を諳(そらん)じ聖人(せいじん)の行跡(げうせき)をうつすと云(い)へ
 ども聖意(せいい)を自得(じとく)せざれば一 句(く)一 言(ごん)も真意(しんい)を得(う)る
 (      せい人のこゝろ)
 事(こと)あたはず神儒(しんじゆ)仏老(ぶつらう)の諸書(しよしよ)皆(みな)是(これ)心性(しんせい)を自得(じとく)
 (                                             みづからうる)
 させむとの道器(どうき)にて文(ぶん)は跡(あと)有(あ)りと云(い)へども道(みち)は跡(あと)
 (            みちうつわ)
 なく形(かたち)なし《振り仮名:以_レ言不_レ可_レ宣|ことをもつてのぶべからず》。と 言外(ごんぐわい)教外(けうげ)一 字(じ)一 句(く)を

【左丁】
 借(か)らざればまた難(かた)ふして易(やす)く安(やす)ふして難(かた)し急々(きう〳〵)
 自心(じしん)に向(むかつ)て見聞(けんもん)覚知(かくち)手(て)を挙(あげ)足(あし)をはたらくは何(なに)
 ものゝ所為(しよい)か暫時(ざんじ)免(ゆる)さず是(これ)を見究(けんきう)すべし我(わ)が
 (                                  みきわめ)
 一大 事(じ)是(これ)なり常(つね)に心気(しんき)を臍下(さいか)に治(おさ)め立居(たちい)起(き)
 臥(ぐわ)行歩(ほこう)飲食(いんしょく)の間(ま)も打 置(をか)ず如何成(いかなる)か是(これ)見聞(けんもん)覚知(かくち)の
 (      あるく)
 主(あるじ)と疑(うたが)ひ探(さぐ)るを不断座禅(ふだんざぜん)動中座禅(どうちうざぜん)と云(い)ふなり
 (                               うごくうちざせん)
 広学(くわうがく)多才(たさい)と云(い)へども信心力(しん〴〵りき)無(な)きもの決定(けつでう)せむこと
 及(およ)ばす文盲(もんもう)無忽(ぶこつ)にて信力(しんりき)強(つよ)きもの決定(けつじやう)した
 る徒(ともがら)多(おう)ければ難(かた)からず安(やす)からざる也 我(わ)が此(この)身(しん)
 (                                                 からだ)
 体(たい)見聞(みきゝ)言語(ものいふ)何(なに)ものゝ所為(しよい)成(なる)ぞ急々(きう〳〵)一 決(けつ)すべし

【右丁】
 若(もし)亦(また)根気(こんき)柔弱(ぢうじやく)にして時節(じせつ)因縁(いんゑん)来(きた)らず決定(けつでう)い
 たし難(かた)くとも此(この)志(こゝろざし)怠慢(たいまん)なくばいつしか我(われ)を忘(わす)れ
 (                       おこたりみだり)
 苦楽(くらく)の外所(よそ)に遊行(ゆふこう)し老(らう)を忘(わす)れて寿(じゆ)を保(たも)つべし
 (                         をい)
 素(もと)より此(この)身(み)生(せう)ずる時(とき)来所(らいしよ)なく死るとも実去所(じつきよしよ)
 なく万々歳(まん〳〵ざい)を経(ふ)るとも増減(ましへり)無(な)し万物(ばんぶつ)一体(いつたい)平等(べうどう)
 之(の)直心(ぢきしん)生死(せうし)無(な)ければ往来(ゆきゝ)無(な)し安堵(あんど)すべし不 老(らう)
 不死(ふし)之(の)良薬(りやうやく)是(これ)也うたがふ事(こと)勿(なか)れ
  ◦道志之者(どうしのもの)へ物語(ものがたり)《割書:付》問答(もんどう)
一 玉殿(ぎよくでん)楼閣(ろうかく)に起(おき)ふし羽二重(はぶたへ)綾錦(あやにしき)をまとひ山海(さんかい)の
 珍味(ちんみ)に飽(あ)くはかならず命(いのち)を縮(ちゞ)むる者(もの)なり心得(こゝろへ)べし。

【左丁】
 と侍座(じざ)の者(もの)問(と)ひける
問 是(これ)は衣食住(いしよくじう)之(の)美(び)也 何(なん)が故(ゆへ)命(いのち)を縮(ちゞ)む哉(や)
答 衣食住(いしよくじう)之(の)美(ひ)には必(かな)らず添(そ)ふ物(もの)三ッ女色(じよしよく)。酒(さけ)。念慮(ねんりよ)。
 是(これ)のみならず厚味(かうみ)なるを食(しよく)し身体(しんたい)動(うご)きはたらくこ
 と稀(まれ)なれば飲食(いんしよく)とも和(くわ)せず色酒(いろさけ)にて内 虚(きよ)し損(そん)じ
 念慮(ねんりよ)は妄想(もうぞう)也 色酒(いろさけ)も妄想(もうぞう)より起(おこ)り身(み)の害(がい)と成(な)る
 事(こと)をしらず眼前(がんぜん)心地(こゝち)能(よ)きに覆(おふ)はれ命(いのち)を縮(ちゞ)む
 と恥辱(ちじよく)と損恥(そんち)の二ッ有(あ)る事(こと)を知(し)らず是(これ)皆(みな)妄想(もうぞう)
 の作(な)す所(ところ)にて身敵(みのかたき)也 古人云(こじんのいはく)身体(しんたい)労(らう)すれば善心(ぜんしん)
 生(せう)じ身体(しんたい)逸(いつ)すれば悪心(あくしん)生(せう)ずと 身上(しんせう)足(た)れば心上(しんせう)足(た)
 (            ほしいまゝ                    みのうへ        こころ )






【右丁】
 らず
問 然(しか)らは女色(じよしよく)酒(さけ)を断(た)ち思慮分別(しりよふんべつ)の念(ねん)絶(ぜつ)せむ事(こと)如何(いかん)
答 是亦(これまた)三ッに非(あら)ず色(いろ)酒(さけ)も思慮(しりよ)妄念(もふねん)より起(おこ)ればたゞ執(しう)
 着(じやく)を忌(い)む着念(ぢやくねん)無(な)き時(とき)は科(とが)なし着(ぢやく)不 着(ぢやく)過(くわ)不 足(そく)わ
 れ独(ひと)り是(これ)を知(し)る《振り仮名:苦楽無_レ主 従_二分別_一起|くらくしゆなし ふんべつよりおこ》る好嫌(すきゝらい)皆(みな)身(しん)
 愛(あい)より起(おこ)りて身(み)を破(やぶ)る。夏(なつ)の虫(むし)の燈火(ともしび)を愛(あい)し淵(ふち)の
 魚(うを)の餌(ゑ)を貪(むさぼり)りて命(いのち)を失(うし)なふに似(に)たり我(わ)が好(す)く所(ところ)
 の執念(しうねん)より起(おこ)る是(これ)を妄念(もふねん)妄想(もふぞう)と云(い)ふ皆(みな)人 苦悩(くのう)苦(く)
 患(げん)絶(た)へざるは妄想(もふぞう)の所作(しよさ)也 即今(そくこん)此(この)妄想(もうぞふ)何(いづ)れより起(おこ)り
 何(いづ)れに去るや我(わ)が心源(しんげん)に向(むか)ひ急々(きう〳〵)見究(けんきう)すべし此(この)妄(もふ)
 (                                        み)

【左丁】
 想(そう)の源(みなもと)を見得(けんとく)せば望(のぞ)み好(この)む所(ところ)の諸願(しよぐわん)の数条(すうでう)即時(そくじ)心(こゝろ)
 (               みうる)
 のまゝ成(な)るべく後時(ごじ)後刻(ごこく)をいはず即今(そくこん)起(おこ)り去(さ)る心(しん)
 念(ねん)の源(みなもと)を見極(みきわめ)よ此(この)源(みなもと)を見究(みきはめ)ずして心(こゝろ)のまゝの快(け)
 楽(らく)を願(ねが)ふは無得(むとく)無能(むのう)にして官禄(くはんろく)を望(のぞ)むが如(ごと)し
 我(わが)心源(しんげん)を一 決(けつ)せば雑念(ぞうねん)即時(そくじ)に消失(しやうしつ)して自由(じゆう)自(じ)
 (                                   きへうせ)
 在(ざい)こゝろの儘(まゝ)なる大安楽(だいあんらく)を得(う)べし片時(へんじ)も免(ゆる)さず信(しん)
 (                                       かたとき)
 力(りき)堅固(けんご)にして一 決(けつ)せよ是(これ)真(しん)の養生(ようぜう)《振り仮名:可_レ為_レ最上|さいぜうたるべし》
一 禅家語録(ぜんけごろく)法語(ほうご)などを見(み)古則(こそく)公案(こうあん)など推量(すいりやう)私(し)
 解(げ)して修多羅(しゆたら)【注1】の教(けう)は月(つき)をさす指(ゆび)祖師(そし)の言句(ごんく)は門(もん)
 (                             をしへ)
 をたゝく瓦(かはら)子なりとて悟道(ごどう)発明(はつめい)して祖仏(そぶつ)をも

【注1 仏教の経典】

【右丁】
 越(こ)へ我(われ)達徳(たつとく)足(た)れるやうおもへる有(あ)り 是(これ)を一盲衆盲(いちもうしうもう)
 を引(ひく)【注1】とや云(い)ふべき修多羅(しゆだら)の教(をしへ)は月(つき)をさす指(ゆび)祖(そ)
 師(し)の言句(ごんく)は門をたゝく瓦(かはら)也 然(しか)れどもいまだ月(つき)を見(み)
 ざれば指(ゆび)に依(よ)らでいかで月(つき)を見(み)む哉(や)いまだ心門(しんもん)開(ひら)
 かざれば瓦(かはら)もうたでや有(ある)べき聞人(きくひと)是(これ)を信(しん)ずる
 も又(また)不信(ふしん)の者(もの)也 師弟(してい)共(とも)信実(しんじつ)無(な)し古人(こじんの)云(いわく)師(し)たる
 人(もの)真実(しんじつ)為人(いじん)の者(もの)無(な)しと師(し)は針(はり)の如(ごと)くなればいさ
 さかも邪(じや)路(ろ)に向(む)けば衆弟(しうてい)皆(みな)踏(ふ)みまよふ「源氏(げんじ)
 巻中(くはんちう)に。法(のり)の路(ぢ)と尋(たづぬ)る道(みち)をしるべにて思(おも)はぬ
  山(やま)に踏(ふ)み迷(まよ)ふかな。《割書:老拙》四十 余歳(よさい)の頃(ころ)まで

【左丁】
 儒学(じゆがく)を好(この)み聖人(せいじん)の道(みち)は天下国家(てんかこくか)を平治(へいじ)する実(じつ)
 教(けう)にて大道(たいどう)也 仏道(ぶつどう)は悉(こと〴〵)く空言(くうげん)方便(ほうべん)にて論(ろん)に不(およば)
 及(ず)三 丗(ぜ)【注2】を立てゝ迷妄(めいもう)苦患(くげん)を明(あき)らめさせむとの愚(ぐ)
 知(ち)妄昧(もふまい)の者(もの)ども教化(けうげ)する所(ところ)の逕(こみち)にして 儒(じゆ)に比(ひ)す
 れば論(ろん)ずるに足(た)らずとのみ心得(こゝろへ)仏意(ぶつい)教意(けうい)尋(たづ)ね
 問(と)ふ所存(しよぞん)もなく打過(うちすぎ)ぬこそ後悔(こうくわい)致事(いたすこと)也 神儒(しんじゆ)仏(ぶつ)
 老(らう)荘(そう)武道(ぶどう)哥道(かどう)百家(ひやくか)衆技(しうぎ)皆(みな)是(これ)人(ひと)をして銘々(めい〳〵)
 具足(ぐそく)の信(しん)を得(へ)させむとの道教(どうけう)にして勝劣(しやうれつ)論(ろん)ず
 (  そなはる)
 る場(ば)に非(あら)ず或(ある)ひは弓馬(きうば)剣鎗(けんそう)茶(ちや)花(はな)蹴鞠(まり)数多(あまた)
 (                       ゆみむま つるきやり)
 の諸芸道(しよげいどう)皆(みな)無念(むねん)の心地(しんち)に至(いた)らしめむ為(ため)也 術者(じゆつしやの)云(いはく)

【注1 一人の盲人が大勢の盲人を導く】
【注2 三世 人生三十年との考え】

【右丁】
 芸(げい)の極意(ごくい)に至(いた)り無(む)妙の妙旨(めうし)を得(う)ると学(がく)不 学(がく) 智(ち)
 愚(ぐ)利鈍(りどん)も忘却(ぼうきやく)して只(たゞ)いまだ自心(じしん)発明(はつめい)せざるを念(ねん)
 として暫時(ざんじ)懈怠(けだい)すべからず心性(しんせい)もとより清浄(せいぢやう)に
 して赤肉(せきにく)の中(うち)に有(あり)と云へども染汚(ぜんを)する事(こと)無(な)く本(ほん)
 来(らい)清浄(せいじやう)にして飢(うゆ)る事(こと)無(な)く渇(かつ)する事(こと)なく寒熱(かんねつ)
 (                               かわく)
 無(な)く病(ひま)【ママ】ひ無(な)く恩愛(をんあい)なく眷属(けんぞく)なく善悪(ぜんあく)無く本(ほん)
 来(らい)一物(いちもつ)なき也 只(たゞ)色身(しきしん)有(あ)りとおもふに依(よ)りて飢渇(きかつ)
 寒熱(かんねつ)種々(しゆ〴〵)の病(やま)ひあり此(この)色身(しきしん)本来(ほんらい)空(くう)也と知得(ちとく)
 (                                              さとる)
 すれば時々(じゝ)に貪着(とんぢゃく)の心(こゝろ)は有(あ)るべからず 是(これ)世間(せけん)我(われ)
 人 養生(よふぜう)の根元(こんげん)也 江月照松風吹永夜清宵何所為(こうげつてりせうふうふくゑいやのせいしやうなにのしよゐぞ)【注1】

【左丁】
   道志(どうし)之(の)者(もの)へ物語(ものがたり)《割書:付》問答(もんどう)
 二 尊師(そんし)の導書(どうしよ)何某公(なにかしこう)御遺書(ごゆいしよ)《割書:老拙》書記(しよき)之(の)類(るい)皆(みな)
 信(しん)の一 字(じ)のみ他事(たじ)無(なけ)ればた只々(たゞ〳〵)心眼(しんがん)を以(もつて)熟読(じゆくとく)有(あ)る
 べく人間(にんけん)万事塞翁(ばんじさいをう)が馬(むま)皆(みな)人(ひと)足(た)る事(こと)を知(しれ)との
 義(ぎ)なり足(た)る事(こと)を知(し)るは真(しん)之(の)養生(よふじやう)にて寿(じゆ)を保(たも)
 つの良薬(りやうやく)なり侍坐(じざ)の者(もの)問(と)ひけるは
問 寿(じゆ)をたもたん為(ため)足(た)る事(こと)を得(へ)むとする哉(や)
答 経書(けいしよ)に云(いはく)殀(よう)【注2】寿(じゆ)うたがはず身(み)を脩(をさめ)て命(めい)を俟(まつ)と
 命(めい)は天(てん)にあり我(わ)が知(し)る所(ところ)に非(あら)ず足(た)る事(こと)を知(しつ)て殀(よう)
 寿(じゆ)うたがはざれば自(をのつ)から寿(じゆ)在其中(そのなかにあり)

【注1 禅語 大河を月が照らし松が風になびく 何のためか、深く考えず感動するだけでよい】
【注2 殀 わかじに】

【右丁】
問 知足(ちそく)を得(へ)む事(こと)如何(いかん)  答 足(たる)事(こと)を得(う)るに道(みち)有(あ)り
問 道(みち)何(いずれの)所(ところ)に有(あ)り哉(や) 答 則今(そくこん)《振り仮名:具_レ己|おのれにぐす》
 (                                       そなはる)
問 是(これ)を得(へ)む事(こと)如何(いかん)   答 其方(そのほう)来所(らいしよ)を知(し)る哉(や)
問 いまだ《振り仮名:不_レ得|ゑず》      答 来所(らいしよ)を知(し)らざれば去所(きよしよ)
 をしらす此(この)去来所(きよらいしよ)を知(し)る是(これ)足(た)る事(こと)を知(し)るの要心(ようしん)也
 聖人(せいじん)も生(せい)を《振り仮名:不_レ知|しらず》いづくんぞ死(し)をしらむと宣(のたま)ひ我(わ)
 が生死(せうじ)の去来所(きよらいしよ)を自知(じち)せざれば善悪(ぜんあく)邪正(じやせう)に犯(おか)さ
 れ苦患(くげん)苦悩(くのう)絶間(たへま)無(な)し。 問 生死(せうじ)去来所(きよらいしよ)を得(へ)む
 時(とき)如何(いかゞ)して善悪(ぜんあく)邪正(じやせう)去滅(きよめつ)する哉(や)  答 生死(せうし)
 事大(じだい)也 生死(せうじ)根源(こんげん)知得(ちとく)せば生死(せうじ)も亦(また)昨日(きのふ)の夢(ゆめ)善(せん)

【左丁】
 悪(あく)邪正(じやせう)水中(すいちう)の影(かげ)何(なに)をか取(と)り何(なに)をか捨(すて)ん自知(じち)すべし
問 生死(せうし)去来(きよらい)何(いづ)れに向(むかつ)て是(これ)を得(う)る 答 其方(そのほう)二六 時(じ)
 中(ちう)発(おこ)る所(ところ)の心念(しんねん)生死(せうし)する根元(こんけん)也 問 心念(しんねん)争(いかで)生死(せうし)
 する根源(こんげん)なるや 答 元来(ぐわんらい)不 生(せう)不 滅(めつ)也 生(せう)ずれども本(もと)
 来所(らいしよ)無(な)く死(しす)るとも実(じつ)去所(きよしよ)なし 其方(そのほう)生(むま)れ来(く)ると
 思(おも)ひ息(いき)絶(たゆ)れば死(し)し去(さ)るとおもふ心念(しんねん)生死(せうし)して一
 切(さい)の苦患(くげん)と成(な)る是(これ)を妄想(もふぞう)と云(い)ふ此(この)妄相(もふぞう)自己(じこ)を
 責(せ)むる妄敵(もふてき)也 問 無生無死(むせうむし)成(な)るを心念(しんねん)より 生(せう)
 死(し)を見(み)一 切(さい)苦患(くげん)となれば此(この)念(ねん)退去(たいきよ)せんには如(しか)ず如(い)
 何(かゞ)して心念(しんねん)去滅(きよめつ)する哉(や) 答 我(わ)か此(この)心念(しんねん)去滅(きよめつ)

【右丁】
 せむとおもはゞ二六 時中(しちう)暫時(ざんじ)もさしおかず信力(しんりき)勇(いう)
 猛(もう)の志(こゝろざし)を励(はげま)し我(わ)が心源(しんげん)に向(むかつ)て時々(じゝ)刻々(こく〳〵)起滅(きめつ)す
 る所(ところ)の心念(しんねん)何(いづ)れの所(ところ)よりおこり何(いづ)れの所(ところ)にか去(さ)ると
 起臥(きぐわ)立居(たちい)言語(げんぎよ)飲食(いんしよく)の間(ま)もうち置(をか)ず一 切(さい)事(こと)
 を成(な)さむ時(とき)眼(まなこ)をつけて極(きわ)め見(み)るべし是(これ)直指(ぢきし)の
 近道(ちかみち)何(いづ)れの道(みち)歟(か)是(これ)に勝(まさ)らむや智愚(ちぐ)学(がく)不 学(がく)
 (               をしへ)
 をいはず此(この)念(ねん)に犯(をか)され有相(うそう)に着(ぢやく)し生死(せうし)に流(る)
 転(てん)し苦悩(くのふ)絶間(たへま)無(な)く此(この)起源(きげん)を了知(りやうち)せば生死(せうし)を
 (                                   さとり)
 截断(さいだん)【注1】して去来(きよらい)無(な)く生滅(せうめつ)無(な)く是非(ぜひ)邪正(じやせう)一 時(じ)に破(は)
 却(きやく)して安穏(あんをん)快楽(けらく)成(な)るべく真(しん)の養生(よふぜう)最上薬(さいぜうやく)こ

【左丁】
 れなり。「いづるとも入(い)るとも月をおもはねは
  心(こゝろ)にかゝる山の端(は)もなし
一 田舎(でんじや)辺鄙(へんひ)は飲食(いんしよく)とも厚味(かうみ)の物(もの)なく麤食(そじき)麤菜(そさい)
 なれば飽食(ほうしょく)飽酒せず夫(それ)のみならず野田(のでん)山 畠(はた)稼(かせ)ぎ
 (         あく)
 働(はたら)き強(つよ)ければ消(き)へ安(やす)き麤食(しじき)麤菜(そさい)なを和(くは)し女(をんな)
 有(あれ)ども妻女(さいじよ)のみにて自由(じゆう)ならざれば女色(じよしよく)におぼるほ
 どの義(ぎ)絶(たへ)てなく名聞(めうもん)名利(めうり)も知(し)らざれば有(あり)のまゝ
 にて物(もの)に着(じやく)する事(こと)なければ常(つね)に心気(しんき)を悩(なや)み遣(つか)
 ふ事(こと)なく安堵(あんど)も願(ねが)はず安心(あんしん)も好(この)まずしてひと
 り安気(あんき)也 勿論(もちろん)苦(くる)しとおもふ心(こゝろ)なければ楽(らく)を願(ねが)ふ

【注1 截 本来セツ 慣用読み】

【右丁】
所存も無く何の思慮分別なければ心中煩ひ無し 故に
長寿の者多し 養生は年月日々ニ六時中に有り 病(やむ)
時に臨み良医名薬を求めむとするは戦ひに臨み戈(ほこ)を
鋳るが如くふ_レ晩(をそからず)哉 必死 定業(ぢゃうごふ)は神仏も救ひたまはず
耆婆(ぎば)【注1】が主剤も老を留むる術なく 扁鵲(へんじゃく)【注2】が薬も死
を助くる徳なし 生死医薬の及ぶ所に非ず
  官も位も禄にも足れる 尊きや賎しもおなじ
  無常迅速(むじやうじんそく)
 (     老少ふ定すみやか)
医道ハ仁術にて家続妻子の為の医業に非ず 若し
家続身命の為にせば職分にして医にあらず 今世(こんゼ)医

【左丁】
師まれなり 医は意(い)なり 心智を開き自己の妄病を退
治し世間の苦病をすくひ 国病を治セずんば医と云
ふべからず 故に明医は未病を治む 已(い)病を治めず
 (                       やまず) (        やむ)
病時に臨み鍼灸薬を以て治せむとす これを名号(なつけ)て
庸医(ようい)と云ふ 救ふ事あたはずと宣へり 先ず病者の
 (やぶいしや)
病症を分明に見分る事第一なり これを分明(ふんめい)に見むと
 (                                     あきらか)
思はゞ各々医家重宝の一ッの金木(きんぼく)あり これを得べし
これを得る時は諸病悉く移り病症明白に見分る
事 日中に黒白(こくびやく)を見分が如し これ医道の要術なり 実
 (           くろしろ)
々これを得むと思はゞ金匱(きんき) 傷寒論(せうかんろん)【注3】等 都て仲景【注4】の

【注1】古代インドの名医
【注2】耆婆と並ぶ中国医学の祖
【注3】金匱要略、傷寒論ともに古典医学書
【注4】中国後漢末期 張仲景 医聖と称される

【右丁】
書類もさし置き 我が昼夜 出入(いでいる)呼吸数(こきうすふ)算(かぞ)へ知るべし
 (                               いきのかず)
難経にあらはし有所の欠数(いんじゆ)に一息( そく)もたがわざる事
 (                      かず) (      いき)
を自知する時 医の術を得るなり これを得て望聞問切(ぼうもんもんせつ)
 ( みづからしる)
の四知をもつて病症を察し湯(とう)は蕩(とう)なり 散は散なり 丸(ぐはん)ハ寛
成るの主剤をもつて病者に與ふ時は 十人百人は
百人的中せずと云ふ事無し 衆病を療ずる事塵( ぢん)
 (                          もろ〳〵)
芥(かい)をひらふが如く禽獣鳥魚に至るまで悩みを助
 (あくた)
けずと云ふ事なし これ仁術なり 昼夜 寒暑 遠近も忘れ
上下 貴賎 貧富 男女も忘却して只病苦を救はむ事
を思ふのみ余念無きはこれ意の医なり 聊も私の思ひ有

【左丁】
らは利のみにして物無し 只自身を療ずべし 自(じ)
 (                                          わが)
己(こ)を治めずして他(た)を治めむ事 古今曽て聞か
 (み)  (             ひと)
ず   大医曰 当ニ_三安_レ神ヲ定メ_レ志をヲ無_レ欲ルこと無_レ求ルこと発ス_二大慈測陰の心ヲ_一云々【注1】
高下 貴賎なく一夫一妻は天の免ずる所にて世間の定(ぢゃう)
道と云へども交はるに過ふ過有て 足らざるは身の養
ひ過るは色欲にて身を削り命を縮む 亦定道と云
へどもその中に人身に強弱有り 土地に旱所(かんしょ)水場(すいば)有
 (                                    かわきち みづば)
如く湧水(ゆすい)に多少あれば只 節を自知して交はる
 (                         ほどよき)
これ身の大事を知るなり 亦外婦を好むは婬乱にて
身を削るのみならず 夫婦の情合薄くなれば一家

【注1】 医心方 最古(平安期)の医学書

【右丁】
ふ和合の基ひなり また主としては下臣(かしん)奴僕(ぬぼく)に色乱
 (                                 けらい) (  やつこ)
を教へ親としては子弟に好色を進め 家を乱す勤(きん)
 (                                          つとめ)
身としては次席 配下に婬事を免し導くにて
勤仕の場もまた危く皆 身(み)家を損ひやぶる 基ひ
愚妄のいたり論に及ばず 只 節(せつ)を知て交はり 二
 (                            ほどよき)
六時中 身の大事を忘れず寡酒(くわしゆ)寡欲にして臍(さい)
 (                        すくなき) (            ほそ)
下に座し心気を養ふ これ真の養生にて長生 久(く)
視(し)うたがふべからず 古今なく他人の知るべき所に非ず
只 我独りこれを知る
 〇色とさけ欲にいのちを縮みけり 損恥とこそ

【左丁】
  いふべかりける。損とは命をちゞむるなり 恥とは世間恥辱なり
〇色 酒をこのむ酒又色を生ず 酒色兄弟の如し 命を縮者これなり
〇酒 心気を動し色情を生じ 強気(がうき)と成り 或は中毒身命危し
〇欲 心の暇なく気を労し 或は持病絶へず生涯知足の期(ご)無し
 (                                           たることをしる)
   身上(しんしやう)足れば   心上(しんしやう)足らず
 (       みのうへ)   (             こころのうへ)
   心上足れば   身心(しん〴〵)足る
 (                      みこゝろ)
  〇無きにのみ身を成し 果てしこころよりあるに侭する
   世こそ安けれ。
皆人愚痴妄迷より心を苦めて身を楽み 命を縮み
先祖親の家名もふ相続して汚名を残す物 夫(それ)三ッ

【右丁】
色欲。酒欲。欲心。婬欲は身を削り内傷虚
す 過酒は内を破損し毒に中(あた)り臓腑 腐損(ふそん)す
 (                                    くさる)
欲心は心底に安堵を得る時日なければ持病を発
し或は労疫す これを除き去らむとおもはゞ即今
この身一大事をわきまふべし 智と愚は水と氷と
の如し 氷にて有る時は石瓦のごとくにて自在成
らず 色欲 過酒 欲心も我がよきとは思わざれども
好く所の一念 愚妄の氷に閉られ自由ならざるが如
し とくれば本の智水にてものにしたがひ とゞ
こふる事なし 惑ふときは氷の如し 了知(りやうち)すれば
 (                                   さとり)

【左丁】
本の直心妙体なり 氷に水とならざる氷なければこゝを
以てよく辨知(べんち)し暫時外事を指置て我が心念
 (        わきまへしり)
の起る源を見るべし 影に惑へるものは形を見るに如
ず 何ものか色を好み 何ものか酒を好き 何ものか欲
心なる 只これ水と氷 氷は命を閉縮む悪毒。水は流
れて跡なく尽きず 自在の良薬
  道人は身苦(しんく)をいとはず 心苦(しんく)をいとふ
 (           みのく) (              ころのく)
  世人は心苦(しんく)をいとはず 身苦(しんく)をいとふ
 (           ころのく) (             みのく)
  道人は身労(しんろう)して心楽(しんらく)を ねがふ
 (          みをつかふ) (    こゝろのたのしみ)
  世人は心労(しんろう)して身楽(しんらく)を ねがふ
 (          こゝろつかふ) (    みのたのしみ)

【右丁】
   心楽は真楽(しんらく)にてふ_レ可_レ尽 これ真(しんの)養生
 (           まことのたのしみ)
   身楽は假楽(けらく)にて夢幻の如し これ ふ養生
 (     みのたのしみ) ( かりのたのしみ) (  ゆめまぼろし)
 この身心苦楽のさかひを知得し 心身ふ二無苦楽地
 に至るを真楽と云ふ これ生を養ふ無上の良薬なり
或人云 自性(じせう)独朗(どくらう)なり生死善悪一切事心の所現(しよげん)我が歓楽(くはんらく)困( こん)
 (         こころ) (  ほがらか) (                     あらわすところ) (   たのし) (    くる)
苦(く)元一道皆 愚迷(ぐめい)の所為(しよい)なりこれを信服(しんふく)得心(とくしん)せば百日にして
 (し) (           まよい) (   なすところ) (          まことにのみ) (こゝろうる)
病根(びやうこん)絶へ寿(じゅ)を得む事不可疑古今天下一薬これなり
 (やまひね) (     ことぶき)
      抱_レ 一ヲ以_レ神ヲ為_レ車ㇳ以_レ気ヲ為_レ馬ㇳ
 古徳云  神ー気 相❘合シ 可シ_二以テ長ー生ス_一
  〇老(をひ)の身のまた若がへる微妙劑ふ思義と計り

【左丁】
   きゝし御くすり。
  〇禅師法話
人々(にん〳〵)成仏とは古今無く即今眼前にあつて有のまゝ成る
ものを そのまゝに安心する義にて別に他方に向き境界(きやうかい)
 (                                               さかい)
をかへて外に光りを求むるに非ず 各々祖仏古徳に
かわらぬもの具足すれども その本旨をしらざる故に凡(ぼん)
愚迷倒の衆生と成るなり 然れども迷悟各別のこゝろ
無きがゆへに諸仏も説きたまはず 大河の水 小河の
水 入れ物は別なりと云へども水の性は同きが如し 祖仏の
一念ふ生の心と人々思慮分別の妄想の心と微塵

【右丁】
計りも隔なければ祖も伝へたまはずと 譬ば峰とひら地
との如し 高き卑きの名は各別なりと云へども土の性は全
く一ッ成るが如し 只生とふ生と衆生悟ればその侭仏なり 仏
衆生ふ二の心性迷悟己が知る所にして 他にあづからざ
るなり
偶々志有る人皆工夫を成す理有る事をしらず終に
一生 空敷(むなしく)すごす 深く工夫を成す理を尋ぬればた
だこの信の一字なり 生死 事大 無常 迅速の八字を深
く信じ二六時中如何成るか これ自心と念々に暫時
も心を放たず工夫すべし たとへば檜の如し 檜の中に

【左丁】
火有り 火檜をはなれず檜火をはなれず 然るに檜の
中より火出て還(かへつ)て檜を焼き檜よく火と成る 一切衆
生の身中(みのなか)に仏性有り 仏性 衆生をはなれず 衆生
仏性をはなれず 一切衆生の身中より仏性出て還而
衆生煩悩の林中(りんちう)を焼きつくし 衆生能(  よく)仏と成るなり
心 即(すなはち)仏なり 心の外(ほか)に仏ましまさず この故に一心を知
るを如実修行と名付く 壁に向き目を閉 喧(かまびす)し
きを避け寂(しづか)なるを求むるにあらず 道義は他人ゟ
得(へ)怒ものと深く信じ 尊(たつとま)ば譬ひ祖仏(ぶつそ)目前に現
じ 禅道仏法を以て我が胸中にかたむけ入るゝとも

【右丁】
実道人ならば受くべからず この心を放らず守て正悟を
求めばいまた了解(りやうげ)いたさずとも みだりに私の見解(けんげ)を
正ぜず 工夫を成す志 かくの如くならば何ぞ見性了解
吾(わ)が掌中(たなごゝろのうち)いらざる事を歎かんや
愚暗の凡夫一字一句をふ_レ識(しらざる)も亦これ仏なり 自己霊明の心性を
識らざれば譬ひ身を破り未塵の如く筋骨をも粉に
し覓(もとむ)とも終に得べからず 仏とは直心なり この心無形相_一無因
果_一無_二筋骨_一如ㇱ_二虚空取‐不_一_レ得
山に入り閑所に籠り人里をはなるゝは生死を怖るゝ故なり
生死の源は妄念なり 妄念の源は無念なり 無念の源は実相無

【左丁】
相の心地なり
  〇白山翁道語
静座ㇵ住_二無念二_一離レ_レ迷ヲ浄ㇺ_レ垢ヲ故生死夢覚万事如_二 六虚_一
出離直道無_レ如_レ之ニ実二輪回源ㇵ妄想二■■若ㇱ断テバ生死
本ヨリ夢ニ調_レ心ヲ者トハ観(クワンズルニ)_レ心ヲ無ㇰ_レ心我ヵ心自カラ空ヲ罪福無_レ主妄念
空ナル故ニ如_二幻化ノ_一来ルモ無_二所住_一去ルモ無_二足跡_一無心無念不可
思議寂静 洞朗(トウラウ之)
道ノ本ㇵ空是之良トニ由テ_三衆生起スニ_二於虚妄ヲ_一蔽(ヘイシ)於本理ヲ流_二‐浪ㇲ三
界ニ_一若ㇱ欲セバ_レ断_二‐際セント虚妄ノ生死ヲ_一須ㇰ_三依テ_レ本而観ズ_二法性ヲ_一空観現
前スルヲ名ケテ為_二正覚ト_一

【右丁】
この一大事天地に先立古へに過ぎ今に越へ凡聖の中の境界
にあらず思慮分別も及ばず これを名付てふ思義の法
といふ この法即今人々に具足(ぐそく)すれども自から悟らざるに依
 (                         そなわる)
て日々に用ひて知らず 盲人の終日大道を行て自から
見ざるが如し 自から見ず知らざる故にこれを信ゼず
貴(たつと)びず 只 眼前の身命を助からむとおもふ計にて
種々の無尽(むじん)の業をなして日夜に悪行増長す た
 (      つきしなき)
とひ百年の齢を保ち七珎万宝 こゝろの侭自在なりと
も只 是(レ)【こ欠落】暫時夢中の幻楽なり 故に経に曰 諸行無常 是(ゼ)
生滅法と可_レ信

【左丁】
自心心躰元より十方に遍くして いたらざる所無く 世
界一心にして居住せざる所なく 万法として具足せざる所
も無し 虚空同体なり 心とは内に非ず 外に非ず 中間にあ
らず 唯これ自性の心躰は凡夫にあらず 仏に非ず 名も
無く字も無く姿もなし 念々は波浪(はろう)の如く増さず減
 (                             なみ)
ず動かず 念相は生死去来すれども 法性本分の真
躰は常住にして自から湛然たり
  〇静座和讃
書経は直指(じきし)の道器にて  今も昔の真々(まゝ)ながら

【右丁】
道は跡なく形無し      目前ながらあらはれず
信心ふ二の眼以て      見れば闇にも明らけく
秘事は眉毛(まつげ)と聞からは   難きが中にまた易し
無量の宝珠求めずも     この身一ッに充(みち)満つる
凡愚素より聖者なり     水と波との如くにて
水を離れて波も無く     凡愚の外(ほか)に聖者無し
道の近きをしらずして    遠きを尋ぬ愚夫鈍婦
譬へば飯櫃(はんき)の中に居て   飯(はん)を尋ぬる如くなり
 (       めしびつ)
富貴の家に居ながらも    貧苦に逼るに異ならず
父母未生前を尋ぬれb    何国の誰が子なるぞや

【左丁】
生滅知らぬ直心成るに       生死取るのも自己(をの)が所作
何を隔てゝ生死河(が)や       此岸彼岸も只我が分別
ふ生の生 ふ滅の滅        来所聞ねば去所も見ず
何国にも暫し止らば住かへよ。    筏を指すが如くなり
一切有為の法は夢         本来幻化の如くなり
無為法性の都には         善悪邪正の花も無し
六藝( ぢん)【注1】や五欲に耽る因縁は 皆愚知無知の闇路より
闇路に闇路踏重ね         いつか覚(さむ)べき夢うつゝ
品も数多の善根功徳        皆この中に籠るなり
自から信心廻向して        直に心仏拝すれば

【注1 よみ ぢん】ば

【右丁】
自心の外に仏なく   直に假(け)教をはなるなり
 (                          かり)
善悪ふ二の門開け   邪正一如の道すぐに
無苦楽国の里に出て  無躰の躰を躰として
行くも帰るも我知らず 問ふも答ふも無言にて
立居起臥し作す業も  無念の念を念として
謡はゞ謡へ舞はゞ舞へ 拍子ぶ拍子おとも臭(か)も
皆これ法の御聲なり  ここに何をか求むべき
心月孤圓明らけく   当所に現在するなれば
即今即是この身侭   老せず死せず安穏快楽
  〇今そしる冬籠りせる草も木も花に

【左丁】
   咲べき種しありとは
  〇とひ答ふ言の葉ごとにあらわれて それとも
   見々【へヵ】ず かくれざり鳧(けり)
  〇発心和讃
道は国家を濡(うるを)す霊薬  草木国土一時に実(み)のる
悟(さとり)は我身の蘇生薬   二度(ふたゝび)生死にあづからず
道は悟りの門より這入(はいる) 悟りは門の外より這入
悟る悟りは悟りにあらず 未生以前の父の聲
万経万書道悟の器    心上厳師一字を假らず
信の一字は国家の財器  万徳これより生ず

【右丁】
道外(どうげ)にこゝろ有らざれば   心外に往来(ゆきゝ)の道も無し
心外(しんげ)に道を求むるは     日の出を西に待つ如し
信力堅固の勇無くは      いつか越べく生死海
凡聖と成るその面躰をふ改(あらためず) 本これ山中の樵夫(しやうふ)なり
 (                                          きこり)
本来真向の直心躰       何れに轉(てん)ずる方所(ところ)も無く
一切万法皆如 夢幻(むげん)     本性 自空(じくう)何をか取捨す
 (             ゆめまぼろし) (               をのづから)
毫釐(ごうり)も見所(けんしょ)ある時は     生を曳き亦種々と成る
 (けのさき)
圓明【注1】空の世界には  仏も住ず凡も居ず
空王(くうおう)【注2】はこれ無相【注3】の公(かた) ふ思善ふ思悪【注4】懈怠セず
無性ふ思義の體なれば     独り虚空に住給ふ

【左丁】
  云ひ捨しその言の葉の外なれば筆にも
  跡をとゞめざりけり
  常に住むこゝろの中の隠家を 人の問ひ来る
  道なりける
  たのむそよ もしも まとろむひまあらば ふき
  驚ろかせ峰の松風
 〇何某君 御遺書の内書抜
この方事は幼少より武芸のみ心がけ書見のいとまなく も
ちろんふ心懸にて至て文盲なり 学才あるものゝ人前にては
何となく恥るこゝろ有之 後悔に存候事ども間々有之 

【注1】理知が満ちていること
【注2】仏
【注3】一切の執着を離れた境地
【注4】禅語「不思善悪」 善悪を超越した境地中内い書見

【右丁】
所禅師の示教(しけう)を受候ては少しも恥ならぬ義を恥と存
 (         しめし)
じ 面皮にもかゝるほどの恥づる事をば恥ともふ_レ存居候
事こそ後悔いたすなり 文盲ふ才成も強て恥辱にも
非ず また廣学多才有りとも具足の良知を不
得して何の益かある 諸学諸道 唯これを得るのみ され
ば古今上下貴賤をいはずこれを得るを道人と云ひ
これを得ざるを人外と云ふ 我ふ学なれば外儒仏の
書も見ず 只この禅師教諭法語尊信するのみ。人
多き人の中にも人ぞなき人に成せ人 人になれ人。と
の神詠もあれば人々この五尺の體(たい) 起臥 見聞 覚知
 (                            からだ)

【左丁】
の自由は何ものゝ所為歟 神儒仏 武道心懸るもの
この一事を発明せずんば たとへ博識達学と云ふと
もその道の似せもの成べし 武士道に信心堅固の
武士 犬死無しとの語あり この意を得ずして信心
堅固なるものあるべからず 佐あらば皆犬死なら
ずや 三略 南木 武経披見すべし 士農工商の人々
知足(ちそく)の望みあらば 即今小事を去て大事を取り
 (たることをしる)
己れを忘れて物を乞ふべし 物はものゝ司にて古
今天下の大宝(たいほう)己れに具(ぐ)す 古人云く 有_レ物先_二 天地(てんちにさきだつ)_一無
 (         たから) (       そなはる)
_レ形 元(もと)寂寥とこれ古今凡聖無く 男女無く同躰
 (           しづか)

【右丁】
同心の謂ひ直(ぢき)に聞 直に見 余念なくば即時に得べ
し これ万病の一薬なり 我が命(めい)ふ思義に古稀
の齢を保つ 全く禅師ゟ凡そ三十年余計の
齢命(よわひ)をあたへたまはりしと覚ゆれば肝膽(かんたん)に徹し
 (                                   きも)
或時禅師に向て師一命を扶助し 給はる廣大
の恩何を以か これを報謝せむと云ひければ師云 恩
を思はゞ精進せよ 精進これ報恩と これ亦思はず感
涙す 又世間種々の法は執着を忌む 一切留めざれ
ば記憶すべき事無しと心ふ生なれば自在を得
水の流るゝ如くとゞこほる事なし 道志の族(もの)暫時

【左丁】
も懈怠すべからず 命はこれ天下の本何にか比(ひ)せん この命
 (                                        くらべ)
を思はざるゆへ ふ忠 ふ孝 ふ義の汚名を取るなり 真実
命をおもふものならで忠信孝子なし 真実命を
おもはゞ生をふ惜 死を不憎 信力堅固ならば陣中
又は水中火中たりとも恐るゝもの無く 自由自在
を得て山河大地心のまゝ成るべし 吾四十余歳の
頃虚労の症疾来 諸医も手をつがね【注1】 既に落命
に及ぶ所 禅師の慈恵(じゑ)に依て我が自業自作の病
ひ成る事を知て即日より心中変改して 助
命し今年(こんねん)既に古稀に余れり 師曰 心者(こころは)万徳の

【注1】手を束ね 何もしない

【右丁】
主(しゆ)と誠に心は万徳万法の根源なり 神聖仏の明言
明語ありとも心用せざれば寸功なく 命もまた無し
信用し心行(しんげう)する時は即効あり 功徳ありて命も又
 (        をこない)
寿を保つ 皆信ふ信の知る所 信ふ信は一心の知ると
ころにて生もこころ。死も心。生死の外に遊行するも
またこれ心。これ心は万徳の主ならずや 信力堅固
に精進し 我を殺し 六親眷属および万物
ともに悉く殺し了(おわつ)て これを見よ。「瓜売が かた
   荷のうりを売きつて残る片荷はなすびばか
   りぞ。これ教外以心伝心なり またこれを見るべし。

【左丁】
   燈火の消へて行衛(ゆくへ)も無かりけり くらきか
   元のすみ家にもなく
吾幼年より弓馬を初め武術に心を悉年(ゆだね)極意に至り
無體の躰 無用の用成事を了知し 自在を得たり
歌に《割書:おの津から移れは移る 移すとも月も思はず水も思はし|草のはに結はぬさきの白露ハ何をたよりに置はしめけむ》
これ武道に限らず諸芸道三教四教もこの歌に明白(あきらか)なり。諸道(もろみち)も一つに帰す
る時や来てあかぬ詠(ながめ)の白雲万里。と 口すさみて只 非情の草
木風月山水を楽みとして貧を厭ず 福を親まず 貴
賎と云へど尊敬せず 下しまず 他に施すと云へども受る
事を思はず 天地同根の地に住し 口を明かず山海の珍味を
 (                                                たまのあじ)

【右丁】
 食し古今不変色の衣服を着し 何か足らざる事無く
 自由自在なり 武士は諌言(かんげん)を悦び過(あやまつ)ては改め仇を報ずる
 (                       いさめ)
 にも恩を以て為(す)る時は天下に敵無し 心地能からむや 孔(こう)
 (                                                      こうし)
 老何人ぞ 我何人ぞ 今日は三日 明日は八日 後時後刻を待た
 (  らうし)
 ず明師を求よ 道徳に親近せよ これを得れば寿(じゆ)を得これを
 (                                            ことぶき)
 得ざる時は命を縮む 長短(ちやうたん)我独り知る
 (                      ながみじか)
 右御遺書 中書抜(ちうかきぬき)に候 只ふ生にして変に可_レ應と常々御示教
 候よし 御道徳 奉感【注1】候 内々書写し置候 故出之【注2】候 心覚迄写
 取候へば誤字(ごじ)語言(ごげん)多かるべく奉_レ存候  八郎兵衛
 (           あやまり) (  ことば)
長寿秘伝鈔 下 畢

【左丁】
良薬口に苦くとも 病ひに利ある事
は皆 御辨(わきま)へのやう候へども 自心取て服
用あらざれば効無く 仍て貴き賎き
となく 誰も彼も手づから取用(じゆよふ)し
て心服有れがしと 愚老 所存だけ
平生 養生秘訣拾ひ書記し 進
覧にいれ候 御心服あり信用あらば
諸病諸悩一時に除滅して安穏

【注1】返りレ点欠落 かんじたてまつり
【注2】同じく欠落 これをいだし

【右丁】
快楽(けらく)を得らるべく保寿(ほうじゆ)亦 在その
中 若 疑ひあらば即時 信服して
御 試(こゝろみ)有るべく候 あなかしこ

 経云【注1】是好良薬(ぜかうりやうやく) 今留在此(こんるざいし)
        汝可取服(によかしゆふく) 勿憂不差(もつうふさい)

          直指亭主人識

【左丁】
  一 原 堂 蔵 版
          京都書林
             橘 屋 嘉 助
          同
             木村 吉右衛門
          大坂書林
             藤 屋 弥兵衛
          江戸書林
             須原屋 茂兵衛
          同
             岡田屋 嘉 七

【注1】法華経如来寿量品第十六

【右丁】本文なし
【左丁】本文なし

【裏表紙】