ステージ1の翻刻テキスト

このテキストはみんなで翻刻で作成したものです.利用条件はCC-BYです.

おそろ感心要石

おそろ感心(かんしん)要石(かなめいし)〳〵〴〵
かしま〽サテ〳〵
こまつたぬら
くらものだ
こういふことも
あらふかと
かなめいしで
おさへつけて
五七があめの
おきてどふりハ
かつてに身
うごきハさせ
なんだに
このはうはじめ
れんぢうのかミ〴〵が
いづもへたびだち
いたしたあとでどこを
どふにげおつたか地の下から
むくりだしてかく人げんかいを
ゆすりちらしらんぼうの
はたらきふらちせんばんこんどハけつして
ゆるさぬぞサア〳〵まつしやのかミ〴〵たちふかく
ほつていけたうへおもしをしつかりすゑさつしやれ
そしてこんどハいしのそばへぢしんばんをたてずハ
なるまいぼんぶたちがねがひのとほりおれが
かへつたうへからハみぶるひどころかびんぼう
ゆるぎもさせぬからのじゆくをせずと
あんしんしてうちへねろハテサおちる
はりあれバたすけるかミありダ
はなしか「エヽありがてへかしまさまのおかげゆゑ
あばれものをおしずめなされてよふ〳〵きん玉がさがりました
しかしわたくしどものとせいハとうぶんあがつたりでなんじういたしやすからさひわひなまづをうめ
つちかやぎにでもおつかひなされてくださりませうならヘイ〳〵〳〵土方(どかた)じけのふござりやす
たいこもち「トキにわつちもこの男どうやうになんじうようかんかのこもちこまりいりやのきしぼじん
つちをかついで二百になるふだんひやつぴのおじぎよりありがたいト申やすイヤハヤまいど
なまづのおりやかりかげんハあなたにかぎ〳〵めうでごぜへすおそろかんしんかなめ石サ
おいらん「モシヱわちきヤァまァ二日のばんのやうになまづさんがおいでなんしてあばれなんすと
しやうももやうもおざりィせんョとこへいれ申してなだめまうしんしやうとおもいんしたがそのうちに
いちざの嘉二郎さんがおとりなんしてやけになつてあバれなんすしこりやァとても地ごくと
やらへくらがへをすることだらうとあきれたがにげるだけハにげやうとうらてからはねばしを
おろしてわたらうとしたらあんまりあハをたべんしたもんだからおはぐろどぶへ
おつこちになりいしてやう〳〵あがつてなじミのとこへゆくみち〳〵
人にゆきあふとあの女郎ハどろミづがしみてゐるとわるくちを
いわれんしたがほんにすゐなかしまさんのおかげゆゑなまづつらをおしづめ
なされておかれしうざますこのすへあんなことのないやうに
おたのミ申しんすごしやうでざんすおがミんすョ
ばゝ「ヤレ〳〵わしらァくにサァにゐるときやァたけのはしらにかやのやねでなんぼ
なまづどのがほてつぱらァたちめさつてもあんともおもひ申さなんだが五十ねん
あとにいまのぢゝイどんとむぎばたけのちゝくりあひがえんとなつてごとう地へ
おつぱしつてきたもんだァからこんどのやうなきもだまァでんぐりかへすやうなめに
あひ申すそんだァけれどかしまさまのおかげでこんどもからだァふろいましたァから
よく〳〵いのちめうがのあるのだァまたとのひやくねんもいきのびるのだろ
ムシにやむあミだ〳〵〳〵
むすめ「わたいハこのあいだからかなめいしさまへごがんをかけるとふりはやくしばゐや
よせのできるやうにねがひでござりますきのふよそのおばさんがいふには
おまへもやがておよめ入をするとぢしんをゆらせるのだといひなすつたがまつひらでござい升ヨ
さむらひ「せつしやことハスハせんじやうと
いふときハ百万の大てきをもものゝ
かずともいたさぬがイヤハヤこんどの
ぢしんにハはいぐんいたした
兵書(へいしょ)にあるとほり地にいて
なんをわすれずゆだん
大てきとハこの事でござるしかし
かしまどのゝごかせいでなまづ
かたハとう〳〵いけとりとあいなり
けんぞくの小なまづハかばやきやの
手にわたりだい道(とう)ざきのうきめに
あふてバ小きミのよいことでござる
四かい太平ゆるがぬみよ
まんざいらくの千しうらく
地しんのうちどめゆりどめ〳〵
あき人「これでやう〳〵そんもうの
うめくさをいたしましたいわふて
ひとつしめませうそうしめじや〳〵
ミな〳〵「シヤ〳〵〳〵シヤン〳〵〳〵
〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵

常陸国鹿島神宮之図

古歌

万葉集        大舎人部千文
霰降鹿島の神を祈つゝ皇軍に我はきにしを
夫木集        後京極摂政
鹿島のや鷲の羽かひに乗てこし昔の跡は絶せさりけり
歌枕名寄       光明峯寺入道
我たのむ鹿島の宮の瑞垣の久しくなりぬ世々の契は
同          顕雅
常陸なる鹿島の宮の宮柱なほ万代も君か為とか
拾玉集        慈鎮和尚
秋のみや絶ぬしるしは鹿島山春日野まても□□□□
拾遺愚草       定家卿
鹿島のや桧原杉原ときはなる君かさかえは神のまに〳〵
月清集       後京極摂政
この頃の心の床をよそに見て鹿島の野への秋の夕暮
夫木集       光俊朝臣
沼の尾の池の玉水神代よりたえぬや深き誓なるらむ
同         同
み空より跡たれたりし跡の宮その代もしらす神さひに鳬
同         同
尋かねけふみつる哉千早振み山のおくの石のみましを
同         同
よそに見て袖やぬれなん常陸なる高間の浦の沖つ塩風
同         後九条内大臣
山もなき鹿島の崎の波間よりいつる月日や塩ひなるらむ
同         道因法師
夜もすから磯の松かね片しきて鹿島か崎の月を見る哉
同         光俊朝臣 
波高き鹿島の崎にたとりきて東の果をけふ見つる哉
同         同
神さふる鹿島をみれは玉垂の小かめはかりそまた残りける
呉竹集
常陸なるあいろこいろの山こえて鹿鳴国のはてとこそきけ
新後撰集      為氏
浦人も夜や寒からし霰降鹿島の崎の沖つ塩風
歌枕名寄
塩ひる間人は鹿島の浦といふ波のよることみるへかりける
方与集       頼政
夜舟こき沖にて聞は常陸の海鹿島か崎に千鳥鳴也
万葉集
霰降鹿島か崎を波高み過てや行ん恋しきものを

常陸なるなさかの海の玉藻まて引はたえすれ跡かたはせん
      

[弘化四年丁未三月二十四日松代御領犀川筋地震]

【右端 中段】
松代御領潰家町在合五千
七百余
水留候節水ソン邑図ノコトシ
水切候節四十ヶ村□
外ニ水損邑多略之

【右端 下段】
弘化四丁未三月廿四日大
地震ニテ水内山居サリ
イタシ松代御領犀川
筋村々水中ニナル其村
々アラマシ爰ニ記

【左端 中段】
    松寿庵
     千代春
犀川の
 水呑死する
    諸人を
 ひろきあみだに
    すくひ社【こそ】すれ

【左端 下段】
大地震即死
町方二千八十人
余旅人一千百余
人其外調ユキ
トヾカス

新吉原仮宅便覧

新吉原仮宅便覧
【下部の一覧を翻刻】
仲之町 仲    江戸町一丁目 江一
揚屋町 アケ   同  二丁目 江二
角町  角    京町 一丁目 京一
五拾軒 五    同  二丁目 京二
右のごとく廓中元住所の町名を目印に家号の上に添る

廓内幷五拾間道茶屋之部

山之宿西側         花川戸西側
仲  鶴
彦伊勢屋彦七    アケ 三よしや勇蔵
同  大野屋つね      同  大和屋久兵衛
同  一文字屋嘉兵衛    同  山田屋清吉
同  天満屋仁兵衛     同  大こくや常吉
京一 岩井屋孝次郎     角  加賀屋太兵衛
同  小竹屋藤兵衛     アケ 松よしやこと
江二 二葉屋りき      同  小松屋栄蔵
仲  うち田屋つる     仲  中村屋せん
同  山田屋たき
アケ 亀吉屋るゐ      花川戸東側
仲  永楽屋平蔵      仲  蔦屋太兵衛
アケ 三河屋久次郎     同  大黒屋吉兵衛
              五  平松屋文吉
同東側           同  むさしや忠蔵
仲  えひやよし      同  丸岡屋文四郎
同  吉川屋吉兵衛     アケ あは万字やたけ
アケ 江の嶋やちう     仲  むさしやきよ
同  高長嶋やせき     アケ 丸屋さと
仲  兵庫やよの      五  升屋さと
京二 伊せ屋傳七      仲  蔦屋栄吉
アケ 井筒屋いせ      同  田毎屋はな
五  蔦屋 もん      同  桐屋多吉
京一 よし田やてる     同  中尾屋とせ
              同  升屋七右衛門
              アケ ふぢやてる
同河岸通り         仲  吉田屋忠七
仲  ます湊や清兵衛
同  若水屋常七
江二 井筒屋半蔵      同海岸通り
京一 あふみやいま     仲  越前屋くに
仲  長崎屋喜兵衛     同  信濃屋善兵衛
同  升見屋九兵衛     同  安房升や安兵衛
同  柳谷富五郎      同  するかやとく
同  湊屋佐兵衛      同  長門屋いま
京一 桐屋うめ       仲  山口巴屋とへ
仲  俵屋いく       同  大坂屋忠五郎
同  上総屋のせ      同  まきやかね
同  桐屋佐七       同  尾張屋太郎兵衛
同  松屋新八       同  海老屋たか
同  東屋小兵衛      アケ 福よしやいと
京一 いづみやとき     京一 金子やてる
              中谷北側
花川戸西側         同  いせや音五郎
仲  和泉屋忠兵衛     同  をはりや五兵衛
同  森田屋かつ      アケ 伊世屋喜兵衛
アケ 松屋金蔵       同  虎屋新兵衛
仲  亀屋しつ       同  いせや七兵衛
アケ 林家又次郎      同  万屋ひで
同  山崎屋とせ      同  さかひや源助
仲  伊せ屋久兵衛     江一 三春屋粂蔵
アケ 桔梗屋しづ      京二 大和屋金次郎
同  松屋源兵衛      角  春吉屋伊兵衛
仲  大黒屋正蔵      同  三河屋八十吉
アケ 松いせやあさ     江一 をはりやかね
五  万年屋平吉      同  むさしやゆま
同  大和屋きん      同南側
同  万屋まつ       アケ 新大和屋福蔵 
同  大黒屋利助      同  かぎや長吉
同  つる蔦やのぶ     同  万字屋平十郎
同  近江屋弥兵衛     同  政木屋よね
京一 大野屋政右衛門    同  龍ヶ崎屋寅吉
五  備前屋す衛      同  あふみや与兵衛
京一 あふみや徳兵衛    京二 平野屋伝七 
アケ 小松升やせん     南馬道町  
同  玉屋長吉       仲  栄木屋たき
京一 万字屋まつ      アケ 遠州屋ふぢ 
仲  近江屋半四郎     同  たまや清二
同  しまや喜之助     浅草広小路  
同  ゑひすや新兵衛    アケ 福田屋吉兵衛 
京一 大黒屋栄吉      同  坂本屋いは
同  つたやかよ
【以降破損・上下段ともあと数件ほどありそうだが読めず】
              同所材木町
同  をはりや忠蔵     五  菱屋伝蔵
同  金子屋半兵衛     角  尾花屋いは

   右にもれ候分は追々差かへ申候
【右四行と現資料の下部欠損のいくつかの字は別資料で補った】

【地図の上方三分の一 右より順に】
松村町
網打場
京一 大のや稲五郎
京二 金子ヤ重吉
同 張金ヤ定吉
佃町   京一 立花ヤ綱橘
同 ミなとやきく
深川永代寺門前町
京一 上総や惣治
仲町  京二 新金本きく
江二 岡本や兼二郎
江二 紀の字や鉄五郎  江二 新堺ヤはな
京二 丸大こく熊蔵
同 三浦やます  《割書:アケ|ヤ丁》木村や新吉
同 江戸やこと
京二 大こくや兵蔵
江一大黒ヤ文四郎
同 吾妻ヤ甚蔵
角丁 《割書:永|キ》岡本ヤ勝二郎    常盤町
東仲丁    会所   京二 升いつミや幸七
《割書:江|二》久喜万字や藤吉  山本町  同 千代本や喜兵衛
京一 鈴木大丸ヤ留吉
京二 つるや直吉
同 三しうやふさ
同 山口屋幸二郎
かねこよこ
富ヶ岡八幡    つぼね見せ
江二 甲子ヤ喜久三郎
大日よこ丁
御舩蔵まへ町     京一 《割書:み|の》亀ヤたま
          八まん御たひ所
京二 中ゑび万吉   角丁 万字ヤ粂吉 
角丁 浜ゑびてつ   角丁 万字ヤ千代
           角丁 津国や半三郎
           京二 山口や藤二郎
     一ッ目八郎兵ヱ屋鋪
  松井町
角丁 若狭ヤ豊二郎     弁天
会所   京一 丸亀ヤさ代
江一 桜屋源治郎
 江二 稲本ヤ庄三郎
 江二 岡田や宗兵ヱ
 京二 藤本や七兵ヱ
 江一 金子いせや六兵へ
江二 堺屋七郎兵ヱ 
京二 金子屋重吉 
角丁 つたや孫右衛門   たて川 
入江町
時鐘ヤシキ
京二 丸屋栄蔵   陸尺ヤシキ
江二 さのや寅吉
江二 升屋とよ 《割書:アケ|ヤ丁》丸よしやゆふ
江二 白さきや清兵へ
《割書:アケ|ヤ丁》宝来ヤ銀蔵
江二 村田やひな
江二 かこやあさ
角丁 兵庫やとよ
《割書:アケ|ヤ丁》井筒屋長二郎
いなり長家
長岡町   御ゆるしの地
合印  廿四ケ所
【地図 中段 右より順に】
□十二
大川橋   材木町
花川戸町
京二 江戸ヤ亀五郎
京一 富岡ヤ藤八
江二  金沢ヤ久助
角丁 中万字弥兵エ
角丁 佐の倉権三郎   江二平のや亀五郎
京二 平松ヤ清吉   江二 政木や久次郎
江一 大黒屋金兵ヱ  江二 泉ヤ清蔵
京一 岡本ヤ長兵ヱ  江一 尾張ヤ八五郎
江一 《割書:邑|田》海老ヤ弥七 江一 大口ヤ文右エ門
江一 泉ヤ平左ヱ門  江一 尾張ヤ常ニ郎
五町会所   江一 相模ヤ新三郎
山之宿町  《割書:江|一》玉屋山三郎  江二 金屋まさ
京一 角海老ヤ吉助   角丁 大黒屋やす
京二 いせやはち
京二 新若竹ヤつね
江二 新岡田ヤ市五郎   
江二 さのつちやせい   戸沢長屋
局見世
けんばん
江二 いづもやまつ
《割書:タケ|ヤ丁》相模ヤせつ
江二 福住ヤ伊三郎   角丁 中大黒ヤ兵助
江二 丸屋熊蔵
江二 岡田いせや藤兵ヱ
江一 角蔦ヤ万二郎
京二 杵屋清吉   江二 政田ヤ勝二郎
江一 谷本ヤ弥助
角丁 安房屋幸助   平のやきん
角丁 武蔵ヤ金太郎  《割書:アケ|ヤ丁》長谷川正之助
江二 菊屋正助   角丁 松村ヤ兼二郎  さかいやはな
大むさや駒吉
江一 尾張ヤ彦太郎   江二 玉屋き□セ
京一 青柳ヤ粂二郎  馬道
金竜山山下瓦町   角丁 住吉屋すみ
江一 山本ヤ半兵ヱ  角丁 松田屋やす
京二 若竹ヤ弁蔵
江二 山田屋平吉   角丁 小林ヤ吉三郎
角丁 松島ヤ加つ
江二 杦戸ヤ茂十郎
江二 栖原やくに
角丁 繁松ヤ清助   江二 つる吉やくま
江二 武蔵ヤ吉兵ヱ
《割書:アケ|ヤ丁》浜松屋はる
ま乳山聖天 
聖天町    猿若町
今戸橋
江二 湊屋てる
今戸町
山谷ばし
田町
京二 稲毛屋いち
山谷町   
此図にもれ候仮宅の分ハ
見世開仕候節差加可申候
【地図下段右から順に】
応需
□魚
大まがき二人見世
半まがきまゼ
惣はんまがき
茶屋町 
西仲町
雷門前  東仲町
江二 千歳ヤはる
江二 桑名屋くに
京一 稲のや直次郎
京二 福本屋勇二郎
角丁 越前屋六右ヱ門
江一 大杉屋いく
同  叶屋安五郎
広小路
浅草観世音
《割書:アケ|ヤ丁》福岡や喜代
京二 今津や庄助
同  加々屋藤吉
同  大つちや惣次郎
同  いづやかつ
角丁 加じまや□□
同  住田やてつ   京二 大和や石之助
角丁 大黒や亀五郎
同  相田屋右七
同  小大黒やきせ
同  大黒屋玄蔵  《割書:アケ|ヤ丁》池田やたけ
同  福住やかく
同  松鈴木ひな
同  むさしや嘉七
同  福本勘二郎
新吉原
江二 紀の字や六太郎
《割書:アケ|ヤ丁》新丸亀長兵へ
同  高田や松五郎
同  藤田や吉五郎
同  三河屋いく
玉屋山三郎板




 

 
 



安政二年十月二日江戸大地震大花場所鑒

安政二年十月二日江戸大地震大花場所鑑

此度大地震の中にて諸所大火○吉原伏見丁江戸丁あげや丁南丁京丁惣て郭中家蔵残なく焼同大門外ニ而
御制札の方残り向かはより日本堤あみかさ茶屋田丁山谷ほりとうてつ迄やける○同土手下今戸はし北方一丁やける同所
真崎いなり迄諸寺院町々并にゑた丁共大破○同馬道通両かはやける遍照院東方より出火して申寺とり寺其外諸寺
裏々いろは長家同所随身門前迄焼土蔵残所なし△浅草本堂無事諸宮大破寺中数ケ所大崩る○さる若丁河原崎
市村中村三座共并がくやしん道等不残やける森田かんや宅より北方のこる同所やぶの内并に東かは医王院此南方裏店やける
同所南馬道やける▲同東山の宿のこり花川戸丁やけ川はたのこる△東本願寺無事但し東門潰寺中九軒潰▲せいがん寺日輪寺
幸龍寺其外門前丁数丁大に崩る同所慶印寺本堂潰此辺四方諸所大破○同菊やばし新ほりばた半丁やける
○こま形丁両かはやける西かは川外にて止り東かは大川迄やけるすわ丁諏訪明神やける同黒舟丁やけるかや寺のこり此所にて止る
▲三よし丁ゟ御馬屋がし迄やける蔵前のこり大破▲同所かや丁大破▲両国よこ山丁通馬喰丁通迄大破にて火災なし○池のはた
かや丁一丁二丁目やける出雲様少焼備後様大破○根津七軒丁やける此四方小やしき町屋多く潰下谷の分下へ出ス○向島木母寺
梅若塚より南方大地さけ泥を吹出す白ひけ明神長命寺牛御前三廻いなり此辺大破○小梅瓦丁小倉庵やける
此四方大に崩る○本所五ツ目渡し場きは五舟丁半丁やける此四方潰家多し○石原丁やける此へん小やしき町家大破
○同中の郷表町やける○同南方みとり丁花丁迄やける▲南北割下水近辺やしき町家共大に崩▲相生丁通り大はそん
同北方御やしき大破同東方亀井戸天神柳島五百らかん四方のやしき村家共潰多し▲回向院しゆろう潰同艮の方
町々やしき大破惣て本所の分潰家等悉しるしかたし▲同一ツ目橋石垣崩往来止同弁天再幸寺初音いなり八まん
旅所此近辺潰家多し○御舟蔵前丁やける御舟手やしき無事○深川六けんほりやけるあへ川□となりゟ八名川丁もみ蔵
さるこ橋迄○同森下丁小笠原少やけるときは丁二丁井上下やしき太田下やしき高はし迄やける▲海辺大工丁霊雲院本堂表門
潰本せい寺地中共大破霊がん寺表潰浄心寺表門潰亀目石折ル地中三ケ寺潰其外大破雲光院法ぜん寺此
へん寺院并立花大破御両家下やしき木置場等大破正覚寺橋寺町通り万年丁三角辺大潰▲左賀丁此へん大破
○相川丁木戸きは三軒のこり夫ゟ南へやけ行熊井丁大島丁中島丁北島丁蛤丁黒舟丁黒江丁不残やける中町通り両
かはやける同南方石場のやしき方のこり候○石原丁代地二丁やける此へん八まん表門にて止ル同所石の鳥居倒社内大破四方の
町家やしき共大に崩る三十三間堂棟にて割るすさき弁天大破東方元八まん辺迄大破損▲西方○霊岸しま大川はた
丁塩丁南新川丁迄やける其外松平越前様前の丁大に崩る湊丁川口丁其外大破同北方箱崎御やしき町家共潰
○鉄砲洲十間丁あかし丁やける松平淡路様やける其外町々大破▲南八丁堀阿州様やしき大破▲佃島れうし丁やける
同南方▲築地本願寺無事但し地内五十余ケ寺大に崩怪我人多し此四方御やしき飯田丁小田原丁其外皆大破
汐留ばし脇坂様仙台様大破其外近辺潰家多し○同南西方芝口通り町々大破柴井丁裏表やける
同宇田川丁三島丁神明前此辺大破いはん方なし▲神明本社無事門前丁大破▲増上寺無事寺内大破将監橋
金杉ばし此辺大破薩州様有馬様内藤様織田様此辺大破赤はね水天宮無事三田春日此辺大破札の辻此三方
大崩多し▲麻布目黒此へん大破○兼房丁やける此四方大に崩る○京はし此四方大に崩る同所北方南かち丁鈴木
丁いなは丁狩のやしき墨丁具足丁柳丁北こんや丁白魚やしき炭丁東は材木丁八丁め迄やける○同所
北方日本橋通り筋違御門迄表側少破裏かは大破▲室丁十軒店今川はし迄大破▲神田大破前にくはしく有
○下谷の方上野広小路東西共大破但し山内本坊奥御霊舎泰平其外破損有同門前六あみた南方
上野丁二丁目徳大寺一乗院やける同北大門丁黒門丁下谷同朋町上野御家来やしき井上ちくご様潰同所石川
とのも様黒田様表長家やける此所にて止り○同長者丁一丁目二丁目下谷丁二丁目代地長者丁二丁目残地まで
やける○下谷車坂丁より御かち丁やけ高野氏にて止る同向横丁御医師辻元其外小やしき半丁やける同所西南
○一ツ橋御門外松平豊前様本郷丹後やける此四方大破▲飯田丁ばん丁数ケ所御やしき数不知大はそん同□方
するか台凡中破そんにて火災なし▲三川丁よりするか台下迄大破するが台は少荒る昌平はし外神田明神
妻恋いなりゆしま天神此四方大破本郷通加州様御長家破損駒込追分よりあすか山道くはん山すそも染井辺大破
▲同所西方ごぢいん水道筋大荒伝通院同所近辺大破▲ぞうしがやねつみ山辺かくへつ荒なし○東北方根岸金杉
みのわ此へん大破○北方中村丁小塚原丁千住やける此近村潰家多し○御郭内辰の口向酒井様大岡様大破
和田くら御門内肥後様松平下総様松平伊賀様松平げんば様大はそん同所辰の口あべ様東の方崩る八代洲
がしばゝさき御門迄崩▲大名小路此外諸所大破類焼も在之略して記ス右にもれたる分は後へん細見に出之
▲御府内千四百余丁也此町々悉は火事崩家と記事成がたし余も又是に順して知べし其粗(あらまし)
▲町数九百六十七丁大破焼失の分
▲御大名御はた本御家人方迄二千八百五十余軒
▲寺社千二百軒余
▲土蔵数三万二千五十余

安政二年十月二日夜大地震鯰問答

《題:《割書:安政二年|十月二日夜》大地震鯰問答》

《囲い書き:なまづ》
ヤアあめりかのへげたれめ此日本をばかにして二三ねん
あとからおしをつよくもきやアがるうぬらがくるので江戸の
まちがそうぞうしいやくにもたたねへかうゑきなんぞ
とりかへべいハよしてくれ江戸中あるくあめうりで
たくさんだ用ハねへからはやくしりにほをかけて
かぢをなをしてさつさと立され立され
《囲い書き:アメリカ》
なにをこしやくなまづぼうずてまへ
たちのしるところでねへおらが国ハ
おじひな国でしよく人でもかりうどでも
なんでもじひをするものハけふまで野山を
はたらひてもあすハ見だされ王となる
それゆえ諸々のくに〴〵からしたつてくるので
がつしゆこくといふ国だアところがこまつた事ニハ
人がふへてもくふものがねへから日本へ米や大こん
にハとりをもらひに来てもくれやふがすけねへそれ
ゆへたびたびうるさくやつてくるハへ
《囲い書き:なまづ》
だまれペロリなんぼうぬらが口がしこくじひの国だと
いつたとてくらいものがなければびんぼうこくにちがいねへ
あめりかに神や仏があるならば五こくもたくさんでき
そふなものねへとぬかすうへからはまいにちまいにちのくひ
ものを海(かい)ぞくなしてとつたにちがはぬこれをおもへば
わが国の神々さまがあつまつてしなどの風をふき
おこしうぬらがふねをはじめおろしやをうみへ
しづめしもたしか去年の十一月神はひれいをうけ
たまはずたはことつくなきくみゝはもたねへもたねへ
《囲い書き:アメリカ》
おかしくも道をこしらへていふなまづおのれ平日人間に
ひやうたんでおさへられながら去ねん霜月四日のひ
下田ぬまづをうごかしてわれわれをおひかへさん
とすされどうごかぬあめりかだましゐ
《囲い書き:なまづ》
ヱゝやかましい毛(け)とうじんたちさらずば
どろのなかへうづめてくれん
《囲い書き:アメリカ》
うづめるならうづめてみよおれもけんづき
でつぽうだぞ
《囲い書き:左官》
アゝ両ほうともにしづまれしづまれとふからん
ものはひゞきのおとにもおきゝなせへ
ちかくはよつてめにもみますの土蔵の
やぶれすみうらすみまでめらうちを
たのむたのむとたのまれておちたるかべも
のしつける小手のきいたる江戸ッ子と
みなさん方のおほめにあづかるもこんどの
じしんのさわぎからこれをおもへばありがてへ
まづまづまづ御両所いざこざなしにくびつひき
あゝ見たくでもねへおよしなせへ

なんぢうやかじ仮宅

なんぢうやかぢ仮宅
若衆
乁ィャ
おめいちの度々
いすりにやこまり
きるぜ
なまづ
乁おれもこんどハじつ
にふつきした此間の
大ゆすりで鹿しまの
おや分からやかましく
いわれたから地のそこに
いてもおもしろくねへから
仮宅のしやかしと出かけ
たのさ-
女ら
乀ぬしハばからしいよ万歳楽たよ
乀ひげつらハわちきやすかねへよ
この間のやつだよお間だよ
なまいきなまづ
乀コウ
信州大坂にや
大なまづのかバやきだとよ
わらかしやかるゼ
なまづ子
乀べらぼうめ
大ゆすりもしねへうち
かバやきにされて
たまるものか
乀コウ
いたぶるれん中が
でいふ見へるぜ

江戸まえ
十月二日夜ヨリ売出し申候
大なまづ蒲
大あたり〳〵

乀おめいたち
いきのびて
お目でたい

[鯰と鹿島大明神の首引]

十月の二日ハ
至て吉日にて
二十八宿の虚宿(きよしゆく)に
あたり時ハ亥の刻
なれバ
仏説(ぶつせつ)にハ
此日(このひ)この時(とき)の
地震(ぢしん)を
帝釈動(たいしやくのゆり)と
申て
そのしるし
大吉なりと
ふるき書(ふミ)に
ありしとかや

なまづめを
はなしうなぎの
ぬら蔵をゆり
くずしたる
金(かね)の
口(くち)
あけ

〽ゑんやらヤア
〽サア引
〽ゑんまの子ノ
ヤア引
〽よいやら
サアノ
ヤア

〽ヤイ〳〵なまづまけて
くれるなたのむぞ〳〵
〽だがもちつと
やんハりやんなせへ
またうごくと
こまりやすゼ
〽かしまさま
こゝハ一ばんふつて
やつてくだせへまし
〽いや〳〵おれがいづもへ
いつてきやうとおもつて
そとへでると
このしまつ
いごの
ミせしめ
かんねん
しろ
ウヽン〳〵〳〵
〽ドツコイ
そううまくハ
いきやせんわしも
ぬらくらしねへ
やうにやけバで
はいをつけ
てきた

〽まんざい
らく〳〵
おかしなかほた
ねへ
〽ヤア
ゑんまの
子があの
なかへまちつ
ゐやが□

江戸大地震出火場所分

【タイトル・内容と合わないが…】 
大地震全図焼跡



【このコマにはタイトルだけ翻刻でよかったと思われますが、以下の入力済み分は消さずに置きます。本文はコマ2コマ3にて翻刻済みです。】

岡部様戸田大炊様□家戸田様本郷丹後守様松平豊前守様大ひにやける
榊ばら式部太夫様半やけ小出信濃守様大そんじ此へ□□【ん御】やしきがた焼るきし橋
通り一つ橋通り御屋敷方所々そんじ夫より飯田町へんそんじ九段坂上番町辺は御武家方
格別のそんじなし○領国辺馬喰町横山丁浜丁富沢丁辺又本町石町銀町辺少々そんじ
○又御府内北の方へ千住宿大ひにそんじ小塚原遊女やのこらすやける又新吉原
五丁町とも残らず焼て大門外五十軒西かハ残る夫より田町竹門田中三谷
此へん大ひにそんず山の宿そんじ聖でん町大ひにくづれ馬道芝居町三丁共
残らす焼て尾上菊治郎の家より一とかセ十軒ばかり残る夫より花川戸
辺大ひにそんじ浅草本堂ハつゝがなく地内は処々そんじ金龍山餅やの
所より二三軒くづるゝ但し五重の塔かしらばかり少々かたむく伝法院
少々そんじ又並木町所々そんじ駒かたより出火して黒船町三好町河岸
通まで焼る也此所一番組消留る又御蔵前通り少々そんじ夫より浅草
あべ川町辺寺々大ひにそんじ菊やばし角新堀ばた少々やける
東本願寺地中諸々大ひにそんじ西東門たをる本堂つゝがなく
夫れより下谷広とくじ通りハ寺院町家民家地所々大ひにそんじ
此辺藤堂様立花様其外御大小名御やしき所々そんじ三味堀
佐竹様格別の事なし又下谷坂本二丁目少々やける三の輪金杦
又上野車坂通り諸々土蔵かハらや大ひにそんじる
○同下谷三枚橋通りハ井口のかわより伊藤松坂屋迄焼右松坂屋ハ土蔵十二戸前落す
夫より御徒町井上様半分焼石川様大ひに焼黒田様半分焼小笠原様大ひに
つぶれ堀様御殿そんじ長者町上野町へんのこらず焼大門町やけお成かいどうハ
和泉橋通りまで焼池の端かや町通りむえん坂まで焼出雲様榊原様残る也
湯島天神社少々そんじ門前ハ黒門町三組町まで所々大ひにそんじうら通り
れいうんじ前此へんかうじむろわれて大道三尺ほど穴あく夫より妻恋坂
稲荷本社土蔵少々そんじ町内一軒も別条なし夫より神田昌平橋
伊賀様 建部様大そんじみぞ口様半くずれ内藤様表長家大ひにそんじ
同朋町お土蔵所町金沢町旅籠より東ハお成かいどう西ハ本郷南ハ昌平橋迄
所々そんじる本郷通りハ格別の事なく加州様御やしき辺所々そんじ
丸山駒込へん諸々そんじ根津ハ二町ともそんじ谷中団子坂通善光寺坂へん
諸々そんすといへとも格別の事なく又王子へん稲荷十条まで所々そんじるなり
○又東橋むかふハ松平すわの守様御殿焼て本所石原より出火して弁天
こうじより法おんじばしより同所割下水津がるえっちうの守様大ひにそんじ
此辺御小屋しき大ひにそんじ夫より亀井戸辺まで所々そんじる也又立川通りへ相生町
二丁目より出火して緑町より花町まで焼小梅辺所々そんじて少々出火あり又深川ハ
御船蔵前町辺大ひにそんじ出火してさい幸寺少々のこり大久保様御屋しき半やけ
のみ蔵半分やける又八名川町より六間堀中の橋森下町より高橋まで焼留る
又一口ハ相川町より一の橋通り大しま町はまぐり町黒江町東側(かハ)半ぶん残り
八まん宮社ハ別条なし表門鳥居そんじ三十三間堂別条なし
木場へん編所々
そんじ靈かん寺門前扇ばし辺小名木川辺所々そんじ○山の手ハ四ツ谷


十月十三日 
安政二卯
十月二日|江戸大地震出火場所分(えどおほじしんしゅっかばしょわけ)
夜四ッ時         瓢磐堂
頃は安政二年十月二日夜四ッ時にはかに大地しんゆり出し御城外は神田ばし内は
御大守方御殿むき所々大ひにそんじ酒井左衛門尉様小笠原左京太夫様御屋敷
そんじ酒井うたの守様御むかふやしきとも焼る森川でわの守様やけて常磐橋
内は松平越前守様大そんじ戸田うねめ様そんじ夫より和田ぐら御門内外
大地大ひにわれ松平ひごの守様御そへやしき松平下ふさの様やける内藤きいの守様
松平いがのかみ様松平けんばの守様そんじ西丸下牧野びぜんの守様本庄あき様本多越中守様
酒井右京様お馬や大ひにそんじ馬場さき御門大番所焼る夫ゟ大名小ちは織田様増山様
ひぜん様此へんそんじ遠藤たじまの守様焼る小笠原左衛門輔様長家そんじ少々焼る又火消
やしきは焼る因州様そへやしき焼る松平さがみの守様東北ながや焼る表御門より御殿向
南方残る夫ゟ松平あわの守様おもて御門そんじ松平とさの守様そんじ夫より松平
右京之輔様おもて御門大そんじ南の角少々やける永井とふ〱みの守様本田中つかさ様焼る
土井大いの守様南の方少々焼る外桜田通り上杉様板倉様あき様黒田様おもて
長家大そんじ虎の御門内かすみが関へんの御大名やしき大ひにそんじ松平市の
守様戸田捨二郎様松平しなのゝ守様阿部いなばの守様相馬大ぜん様西尾
おきの守様水野でわの守様大久保するがの守様朽木近江守様亀井様表
長家少々焼る有馬びんご守様南部様北條様松平時の輔様伊藤様薩州様
せうぞく屋敷西ながや焼る土手鍋島少々そんじ残る夫よりからつ小笠原様
真田しなの守様石川重の助様北條みのゝ守様大岡ゑちぜんの守様此へん
大きにそんじる此日比谷御門外松平肥ぜん様ゆけ毛利様少々やける
虎の御門外京極様稲葉様木下様此へんよりあたご下どふりやぶ
加藤様秋田様松平おき様此辺大小名少々のそんじなり又永田馬場は
九鬼様丹羽様大村様細川様井伊様此へん大小名少々のそんじなり
山王社ふじなり夫より久保町辺は兼房町本郷代地かじ町備前町
伏見町此へん大ひにそんじ烏もり稲なり辺大小名少々のそんじ也
又新ばしへんは少々のそんじにて柴井町両側は残らす焼露月町
宇田川町神明町三島町大いにそんじ芝増上寺は山内とも別条なし中
門前浜松町四丁此へん少々そんじ夫ゟ金杉橋通そんじ夫ゟ新銭座新網
芝浜辺共そんす又仙台様脇坂少々そんじ田町九丁大戸より品川辺は少々のそんじ也
又日本橋辺は東の方は四日市ゟ江戸橋辺まで少々そんじ小船町辺ゟ小網町へん夫ゟれいがん島
辺迄土蔵大半そんじ茅場町辺ゟ新川新堀所々そんじ夫ゟれいかん島しほ町片側焼る
夫ゟ八町堀辺少々そんじる鉄ほうずは湊町明石町辺大ひにそんじ松平あわぢの守様やける

【以下次ページと重複】
それゟつきじ一ゑん大小名こと〴〵くそんじ本願寺寺中そんじ本堂つつがなし夫より
小田原町へん大ひにそんじ木挽町辺は少々のそんじ也浜御殿所々そんじ佃島は焼る京橋辺は
南傳馬町二丁目三丁目疊町五郎兵へ町具足町柳町常磐町かが町南大工町因幡町中通
鈴木町竹河岸迄燃る夫ゟ南の方は銀座町辺ゟ尾張町へん迄所々そんじ又日本橋
北の方は室町より今川橋辺まで所々そんじ神田通は横立十文字に所々そんず筋違

それよりつきじ一ゑん大小名ことごとくそんじ本願寺寺中そんじ本堂つゝがなし夫より
小田原町へん大ひにそんじ木挽町辺は少々のそんじ也浜御殿所々そんじ佃島は焼る京橋辺は
南伝馬町二丁目三丁目畳町五郎兵へ町具足町栁町常磐町かが町南大工町因幡町中通
鈴木町竹河岸迄焼る夫より南の方は銀座町辺より尾張町へん迄所々そんじ又日本橋
北の方は室町より今川橋辺まで所々そんじ神田通は横立十文字に所々そんず筋違
御見付つゝがなく又駿河台よりお茶の水辺所々そんじ小川町通りは土屋様稲葉様
びんご様大ひにそんじ夫より堀田備中守様十之字内藤様御火けし屋敷やける
岡部様戸田大炊様□家戸田様本郷丹後守様松平豊前守様大ひにやける
榊ばら式部太夫様半やけ小出信濃守様大そんじ此へ□□【ん御】やしきがた焼るきし橋
通り一つ橋通り御屋敷方所々そんじ夫より飯田町へんそんじ九段坂上番町辺は御武家方
格別のそんじなし○両国辺馬喰町横山丁浜丁富沢丁辺又本町石町銀町辺少々そんじ
○又御府内北の方へ千住宿大ひにそんじ小塚原遊女やのこらすやける又新吉原
五丁町とも残らず焼て大門外五十軒西がハ残る夫より田町竹門田中三谷
此へん大ひにそんず山の宿そんじ聖でん町大ひにくづれ馬道芝居町三丁共
残らす焼て尾上菊治郎の家より一とかわ十軒ばかり残る夫より花川戸
辺大ひにそんじ浅草寺本堂ハつゝがなく地内は処々そんじ金龍山餅やの
所より二三軒くづるゝ但し五重の塔かしらばかり少々かたむく伝法院
少々そんじ又並木町所々そんじ駒かたより出火して黒船町三好町河岸
通まで焼る也此所一番組消留る又御蔵前通り少々そんじ夫より浅草
あべ川町辺寺々大ひにそんじ菊やばし角新堀ばた少々やける
東本願寺地中諸々大ひにそんじ西東の門たをる本堂つゝがなく
夫より下谷広とくじ通りハ寺院町家武家地所々大ひにそんじ
此辺藤堂様立花様其外御大小名御やしき所々そんじ三味せん堀
佐竹様格別の事なし又下谷坂本二丁目少々やける三の輪金杦
又上野車坂通り諸々土蔵かハらや大ひにそんしる
○同下谷三枚橋通りハ井口のかわより伊藤松坂屋迄焼右松坂屋ハ土蔵十二戸前落す
夫より御徒士町井上様半分焼石川様大ひに焼黒田様半分焼小笠原様大ひに
つぶれ堀様御殿そんじ長者町上野町へんのこらず焼大門町やけお城かいどうハ
和泉橋通りまで焼池の端かや待ち町通りむゑん坂まで焼出雲様榊原様残る也
湯島天神社少々そんじ門前ハ黒門町三組町まで所々大ひにそんじうら通り
れいがんじ前此へんかうじむろわれて大道三尺ほど穴あく夫より妻恋坂
稲荷本社土蔵少々そんじ町内一軒も別条なし夫より神田昌平橋通り
伊賀様 建部様大そんじみぞ口様半くずれ内藤様表長家大ひにそんじ
同朋町お台所町金沢町旅籠町より東ハお成かいどう西ハ本郷南ハ昌平橋迄
所々そんじる本郷通りハ格別の事なく加州様御やしき辺所々そんじ
丸山駒込へん諸々そんじ根津ハ二町ともそんじ谷中団子坂通善光寺坂へん
諸々そんすといへとも格別の事なく又王子へん稲付十条まで所々そんしるなり
○又東橋むかふハ松平すわ【「う」抜カ】の守様御殿焼て本所石原より出火して弁天
こうじより法おんじばしより同所割下水津がるゑつちうの守様大ひにそんじ
此辺御小屋しき大ひにそんじ夫より亀井戸辺まで所々そんじる也又立川通りへ相生町
二丁目より出火して緑町より花町まで焼小梅辺所々そんじて少々出火あり又深川ハ
御船蔵前町辺大ひにそんじ出火してさい幸寺少々のこり大久保様御屋しき半やけ
のみ蔵半分やける又八名川町より六間堀中の橋森下町より高橋まで焼留る
又一口は相川町より一の橋通り大しま町はまぐり 町黒江町東側(かハ )半ぶん残り
八まん宮社は別条なし表門鳥居そんじ三十三間堂別条なし木場へん所々
そんじれいかん寺門前扇ばし辺小名木川辺所々そんじ〇山の手は四ツ谷
しほ町へん所々そんじ水道樋口(ひくち)つぶれて水あぶれ出す事川のごとし
夫よりさめが橋大そんじ又かうじ町少々そんじ赤坂一ゑん少々そんじ相はたけ
黒田様大ひにそんし青山六とうの辻へん大にそんじ麻布へんはかくべつの事なし
西の久保かみや町辺大にそんじ歌い【唄の記号有」】抑此度の天災は古今にたぐひなく新よし原町斗り
死亡凡三千余人御府内の人々損る事八万余人そんじたる場所三千二十町余そんじたる
土蔵数拾万二千余出火類焼の場所三十七ヵ所寺院堂社のそんじ六百三十軒
いち〳〵数(かぞ)へあぐるにいとまあらず遠国他方の縁者に早く告ん為に巨細に記す者也

【黒大枠内の左隅枠内】
御仁恵御救小屋之場所
 幸橋御門外
 浅草広小路
 深川海辺新田
上野宮様御救小屋 上野山下

【黒枠のそと】
地震除神歌  水神の告に命を助かりて
        六分の内にいるそうれしき

関東類焼大地震

【タイトルとイラストのみで文章なし】
関東
類焼



かわりけん

かわりけん
〽さてはけんのん信州(しんしう)じゝん開帳(かいてう)
人(ひと)ゆり身(み)ゆり〳〵 内(うち)はぶら〳〵
ゆるいでまゑりやしよじやん〳〵じ
やけんの善光寺(ぜんくわうじ)ばさまにじさ
まがつぶされたかはゝくわ
ゑて 土手(どて)つくてんさあきが
かゑたまゑりまひやう

爰(こヽ)に弘化四年三月廿四日夜四ツ時
此より信州(しんしう)大 地震(じしん)にて善光寺(せうくわうじ)をはじめ
川 中島(なかじま) 辺(へん)より丹波島(たんばじま) 渡(わた)し同く小市の
川むかふなる山々川中へゆりくづれ川水をせき
とめ人家へ溢(あふ)れ出し田 畑(ばた)の損(そん)じ少からずたゞ善光寺御堂
のみ破却(はきやく)に及ず扨 越後路(ゑちごじ)の方は柏原関(かしははらせき)川越後高田
辺又上州口之方は追(おひ)分 沓掛(くつかけ)軽(かる)井 沢(ざは) 小諸(こもろ) 飯(いヽ)山辺殊に
はげしく南は会(あい)田辺より松下松 代(しろ)上田近辺は筑摩(ちくま)
川を押埋(おしうめ) 洪(かう)水一時にをし出し人馬の泣(なき)さけぶ声目も当てら
れぬばかりなり扨 翌(あす)六ツ時 漸(やうや)く 治(をさま)り人々 安堵(あんど)しけることなり

【画中】
貞重改 国輝画


ぢしんミやうさく下徳参

《割書:ぢしん|みやうさく》|下徳参(げとくさん) 《割書:一潰【原本はてへん】|八百八丁》
一此|崩(くづれ)の義は鹿島太神の御夢想(ごむそう)にして一とたび焚震(もしゆる)ときは
 三十六ヶ所灰となり震動(しんどう)は四里四方家蔵をくづし野宿(のじく)
 するといへどものちは識事(しよくじ)すゝみて日銭まはり遊女(ゆうじよ)仮宅(かりたく)に
 住ではんじやうし内福より金銀をはき下し下〻のうるほひを
 つけいかなるなんじうにても五場所に御|救(すくひ)小屋をたてられやしなふ
 なり世の中治すること震(しん)のごとし
    |功能(こうのふ)
一 金のつかひたるによし   一 為金を下し
一 ゆうづうによし      一 借金|言訳(いゝわけ)によし
一 中ゟ下のうるほひによし
一 諸職人の手間はよし
    |忌物(あしきもの)
  家蔵ぢめん
一  もちるい
  かしきん
一  とりるい
いづれもあくどき強欲(がうよく)のものわるし

一 用ひかたは夜四つ時すぎ
  寝耳に水でもちひべし

【中央下の台詞】
持丸
〽難渋(なんじう)なんもんで
  御ざります

安政二年十月二日地震出火後日角力

【黒枠内タイトル】
安政二年十月二日 地震出火後日角力
【黒枠内上段】
■大まうけの方
大関 ざいもく 材木問屋
関脇 存命   諸方仮宅
小結 あら物  笘縄菰筵
前頭 どかた  土方請負
同  御救   貧家潤沢
同  延金   証文寄月
同  かりだて 板葺平屋
同  名ぐら  骨継療治
同  つぶし  古銅古鐵
同  つみふね 運送通船
同  めんるゐ 古着綿類
同  てがる  立場居酒
同  ふる木  湯屋焚木
差添 大儲   家作職人
【黒枠内下段】
▲大おあいだの方
大関 しばい  三町休座
関脇 焼死   花街煙中
小結 小間物  鼈甲蒔画
前頭 ぜいたく 贅沢諸品
同  施し   持丸長者
同  官金   日為高利
同  ほんだて 本建造作
同  御無用  御免勧化
同  上品   象眼銀錺
同  ふね   家根猪牙
同  にしき  京機織物
同  本しき  会席料理
同  こつぱ  唐木細工
勧進元 大休  遊芸諸流

【黒枠外上段】
ふだんでさへむじんのまじなひ
だのなんのといふて宝珠をそくやら
はなを
そぐやら
ひど
いめに
あわせ
るのに
こんだの
ぢしんは一とおもひに
たゝきおとされ六人
いつしよにふつかりあひ
てんでにけがをいたしました
わたしらが仲間は三べんづゝなでられても
六人だから十八へんなでなけりやアはらは
たゝねへけれど
こんどは一べんで
はらがたちます【升?】

〽くわんおん
せいしと
ならんで
ゐても一人りは
けがもいたしませんにわたしばかり
ひつくりかへりぼんぶの目には
さぞいくぢのない
やうに思ひませう
ねへ
【大文字で】
打身
 骨継
  療治所
〽とうで
ごぜんすと
すましている所を
たしぬけにゆりたをすとは
ぢしんもあんまりむごいやつだ
こつちもめんと
むかつて
くりやア
一ぶでも
あとへはひかねへ
つもりだがたしぬけ
ゆゑ九りんがまかつたのだ

【黒枠外下段】 【前欠か】
いきなすつたらよかつたらうに かみなり〽そらサ
大こやくもはふしやへゆりやしたわしやア
よしに
しやした
かはゝ
大きらい
でごぜへやす

〽イテ〳〵これさ
しづかにもんで
くだせへおめへ
むすこがある
ならむすこに
たのまうこんとは
じしんにこんな
めにあつたら
おやしやア
きみか
わりい

〽おれがおとうとは谷中の
天王寺アリヤアぽつきりおれたから
まがつたよりやアよつほど見いゝ
おまけにせいのたかいので見たふもねへのサ


[為火防]

【枠外】此書を家内ニはり置バ神々守り玉へはかならす火なんのうれひなし
【右の枠】
【一段目         二段目           三段目  】
大関 安泰山無火右衛門  前頭 室結【詰?】北右衛門 前頭 なかやわり竹蔵
関脇 当番野纏之助    同  拍子木打太郎     同  高はり【高張提灯の意味か】付太郎
小結 陣笠ヶ浦金右衛門  同  水のほり竿之助    同  ふんこ山土蔵
前頭 袴越水左衛門    同  たはし野藁右衛門   同  半鐘釣右衛門
同  竹階掛右衛門    同  素人山消右衛門    同  用心なは〆八
同  鈴虫林弥      同  籠つるべあミ蔵    同  火の見山高蔵
同  割竹引蔵      同  ふれかき張太郎    同  見舞野なし吉
同  玄番川臨□【たけかんむりに輪】右衛門      同  水鉄砲つき蔵  同  はや馬乗右衛門
             同  粥ヶ焚夜右衛門    同  火のとり五九郎
             同  くすへ川羽織之助   同  丁走番太郎 
                           同  夜廻り祢む八
                           同  せけん山火事内
【真ん中の枠】
                    稲荷大明神
                    三峯山       秋葉大権現
為火防   大光院呑龍坊  
                    根本山神      愛宕大権現
                    御嶽山
【左の枠】
【一段目         二段目           三段目  】
大関 無事川安五郎    前頭 南川通右衛門     前頭 くわが□樫右衛門
関脇 差股力蔵      同  太鼓川とん五郎    同  てうちんとほ四郎
小結 火元見馬五郎    同  水番札右衛門     同  穴くらふた四郎
前頭 桶の山積右衛門   同  渋うちわ張吉     同  はん木山吉右衛門
同  木階子登之助    同  店半天染五郎     同  わらし嶽はき蔵
同  鉄棒突右衛門    同  鳶口山鍵之助     同  用心籠右衛門
同  釣瓶川汲右衛門   同  天水川桶右衛門    同  むね当紋太郎
同  渋塗桶九郎     同  店消札五郎      同  欠付早之助 
             同  大家山行司郎     同  増番介左衛門
             同  火事頭巾かふ六    同  ろじの浦番介
                           同  店ばん秋太郎
                           同  やじ馬あぶ内
[枠外]大頭 いろは山組右衛門

常陸国鹿嶋社内之図末社略之


[要石を背負う鯰]

人惟人上御
要石

江戸大地震出火場所附

【黒枠内タイトル】
江戸大地震出火場所附

【黒枠内内容】
夫江戸九分通大地震と聞より国々の親兄弟のなげきかな
しみいかばかりぞ片時もはやく安否聞セ可為安堵事第一也
頃は安政二年卯十月二日夜四ツ時よりゆり出し家蔵
潰れ死人けが人数多〳〵其上出火なり二十五ケ所一同に
もへ上り大火となり先日光道中こが宿さつて宿栗
橋宿草加宿かすかべ宿大沢宿かうしかや宿竹のつか
梅田村千住宿五丁目四三二壱かもん宿小塚原等はじしん
の上出火にて残らず焼る浅草丁新鳥越丁三丁目二壱
一口は新丁三のわ丁一二丁坂本丁三丁目二重大をんじまへ
大くづれ新吉原江戸丁壱丁目出火いたし橋や丁京丁
壱丁目二丁目角丁江戸丁二丁目伏見町焼る死人三千七百
人けが人数しれず田丁二丁目一丁目竹門北馬道丁南馬道丁
猿若丁三丁目二丁目一丁目やける役者新道残る聖天
丁瓦丁山之宿丁花川戸丁半分残る也だいしん門前
焼るくわんせおん二王門つゝがなく並木丁駒形通り
すわ丁黒舟丁八まん丁中程にてとまる通はたご丁森
下丁片丁一口と田原丁三丁目より広徳寺まへの寺院
町家大に損る下谷藤堂立花其外御大名御やしき
残らず損る上野丁長者丁三丁目六丁目魚店七新
丁中程より出火して和泉橋通迄もへ出る夫より仲丁
うら通りくずれ表通あらまし残るひろこうじ井口側
焼る同かや丁二丁目一丁目迄やける根津は二丁とも大に
そんじ死人四百人けが人数しれず二軒残るむゑん坂上は
松平備後守様御やしき焼る千駄木団子坂此
辺あまた潰れ谷中善光寺坂上少々残る也
夫より本郷通りそんじ切通し焼る加州様人数
惣がゝりに消口とる湯嶋天神少々いたみ
門前両かは町家土蔵附惣いたみ同三組丁
中程にて二軒たおれ其外畑新丁竃霊雲
寺門前ねりへい潰れ妻恋丁いなりの社つゝ
がなく町内潰れ浅草かや丁両側損る御見附
石がき飛いづる馬喰丁横山丁大てんま丁小伝
馬丁格別少々損る東橋向松平隠岐守
様御やしき潰れ焼る本所石原辺より御
船蔵前潰れおもて丁少々三ツ目緑丁一丁目二丁目
四丁目四ツ目ばし木はまでやける一口は箱崎丁南新
ほりしん川北しんほりれいがん嶋大川橋迄やける
深川相川丁冨吉丁もろ丁はまぐり丁北川丁
けきどの丁熊井丁中島町黒江丁仲丁
永代寺門前残らず焼る死人百廿七人うら
通り新通右木場黒舟いなり松平
あはの守様下やしき残る入舟丁少々いたみさか
丁より川岸通りいしき丁まで大にそんじ
寺丁平の丁損木場大にそんじ大和丁
此へん残らず人数四十人焼死今川橋
日本橋通南之方てんま丁二丁目少々三丁目
たゝみ丁五郎兵衛丁かじ丁一丁目
二丁目すゞき丁因幡丁ときは丁
          具足丁柳丁大根
がし焼る又一口は神田ばし内
酒井雅楽頭様森川大名小路

【黒枠内内容】
遠藤但馬守様御火けしやしき
因州様越前様等残らず焼る
酒井左衛門様小笠原様少々潰れ
永井飛騨守様本多中務太輔
様やける土井様半やけ松平右京
亮様少々和田倉御門之内会津様
松平下総守様内藤紀伊守様馬
場さき御門御番所焼る外さくら田御門外
山下御門鍋嶋様南部様伊東様松平
時之助様やける薩州様長州様三草
丹羽様上村様焼る一ツ橋通りきじ橋通り
小川丁本郷丹後守様松平紀伊守様榊原
式部大輔様板倉戸田此辺残らずやける
又山之手麻布まみ穴此辺大潰れ四ツ谷
しほ丁よりこうじ丁平川天神前残らず潰れ
此より御茶の水番丁青山六堂辻板橋迄
潰れ又一口は京橋より芝口三丁少々潰れ
源助丁露月丁新せん座肥後守様へいくづれ
柴井丁より出火いたし宇田川丁両側焼る芝神明
前両側潰れ脇坂あわぢ守様仙台様少々崩れ
浜松町四丁目金杉四丁目少々いたみ□品川東海寺
山内不残崩本宿新宿坂両側大崩高輪
松平大和守様御やしき崩有馬中務大輔様
練塀崩薩摩様表長屋崩南二丁崩中程
高輪家十軒ほど潰れ三丁崩如来寺本堂家根
崩門前崩石橋二ツ所路庚申堂石門いがむ
太子堂崩芝車丁崩伊皿子長応守表門
崩魚籃寺へい并にがく堂崩七軒別
条無く東禅寺門崩芝田丁八九七崩
四三無別条八まん宮石垣石坂かな
どうろう崩れ五六少々崩れ二一大に
崩れ本芝四丁崩れ
よう〳〵しづまり諸人安土おもいを
なすめでたし〳〵

江戸町員五千七百町
土蔵数十一万四千四百六十
御大名様方四百余
御旗本様方十八万五千八百
寺院宮社六千二百余

死人十一万八千六百余
けが人三十二万六十余

御救小屋
上野
浅草
窪町
 外に九軒
  〆十一軒

[鹿島大明神の瓢箪鯰]

子□
〽おにいがかたきでにげるな〳〵    なまづ
なまづよ    せうなんで
〽□りよ□い□□    □さいられてはかなはぬ
かんにん〳〵    かんにん〳〵    
なまづの
をくびよ
〽なに
かばやき
こいつわ
たまらぬ
にげろ〳〵
【ここから二段】
【上段】
国侍
〽くやどりか今かたよしを
うぬ
びんた
ぶちく□
すぞ
なまづ
〽かん
にん〳〵
【下段】
かしま
〽まい年の
事なくいづりくを
旅かくにつ□にて
このしまつ先□
つてを□□□□□
大阪えいく手まへ
よでのこのしまつ
のみすきとはいわせ
ぬぞこのはきつ□
つゝしめ〳〵
女ら
〽きや
のめ〳〵とよしく
ぶらつきふきや
がつく
残のいれぶち
くらして□やりよへ
ふざけたやろう

【以下イラストの文字】
【看板中みぎから】
名ぶつ
なまづかばやき
大入叶
あたりや
【暖簾中】
当屋

なまづ蒲やき

職人子
〽もうあやまるから
 かんにん
   してやん
     ねへ

地しん子
〽もう
 かんにん
  〳〵〳〵

子ども
〽こいつ
  おれの
 ちやんの足
      を
 はりへはさん
 たなぶちころ
 してやれ

おくびようの地しん
〽こいつかばやきに
  されては大へん
    にげろ〳〵

近ばんさむらひ
〽くや〳〵大へんた
 ああ一もくとおさぬうちとは
     さんねん〳〵〳〵

金もち
〽やぁこれは大へんだ
  こんな事なら早く
    つかつてしまつた
          ものを

女郎
〽あぶのうありんすから
   早くきなんし

あんま
〽ちくしよう
 おれのふんどし
 をくはいや
    かつたな
〽なまこう
 かばやき
    とは
 どうた

かみなり
 〽なまこうゑらいはたらきた
   なか〳〵拙者なぞはをよばぬしかしにくいやつ
     二たびこの国へこぬようにしてやらずはなるめい

安政五年午十一月十五日江戸大火細見図

安政五年午十一月十五日江戸大火細見図
十一月十五日寅刻佐久間町辺より出火北風強内神田
豊島町え飛火〇西神田三河町鎌倉川岸
御堀端鍛治橋迄〇東神田馬喰丁横山町
大伝馬町小伝馬町今川橋より
南国橋迄不残〇日本橋本町
辺迄日本橋南呉服町
青物丁四日市
本材木丁

通一丁目
東西共京橋
迄〇田所丁瀬戸物
丁伊勢丁堀留堀江丁
小舟町人形町富沢丁
小網丁辺迄八丁堀平一面に
焼失

信越大地震

信越大地震

水内郡 高井郡 埴科郡 更級郡 筑摩郡 佐久郡 安曇郡 小県郡 伊奈郡 諏訪郡
一ノ宮 諏訪大明神

松代十万石真田信濃守 松本六万石松平丹波守 上田五万三千石松平伊賀守 高遠三万三千石内藤駿河守 高島三万石諏訪因幡守 飯山二万石本多豊後守 飯田一万七千石堀兵庫頭 小諸一万五千石牧野遠江守 岩村田一万五千石内藤豊後守 須坂一万五十二石堀長門守
    
抑信陽は
郡数十郡高五十
四万七千三百石に及ひ
日本高土第一の国にて尤
山川多く四方に水流なし
上々国にて人はしつそにして名産多
五こく豊ぎようの国也然るにいかなるじ
せつにや有けん弘化四年丁未三月廿四日の
夜より古今未曾有の大地しんにて山川へんじ
寺社人家をつぶし人馬の亡失多く火災
水なんに苦しむ事村里の凶へんつぶさに記し
且は 御上の御仁恵良民救助の御国恩
を後代にしらしめんが為こゝにしるす もつとも
三月陽気過度なること数日廿四日夜四つ
時より山なりしんどうなし善光寺の辺別
してつよく夫ぢしんと□より早く大山は
くづれおち水はあぶれ地中めいどうなす
より五寸壱尺又は五尺壱丈と大ちさけ
黒赤のどろ吹出し火炎のごとき物もへ
上り御殿宝蔵寺中十八ケ町の人〳〵は
おし潰され大ちにめり込男女らう少泣声
天にひゞき殊にやちうといひにげ迷ひ大石にう
たれ谷川にはまりらうばい大方成らず 其内
八方に火ゑん起りせうしつせり此辺の村々には北
は大峰戸がくし山上松北松しん光寺西条吉村田子
平手室飯小平落かけ小島大島あら町柏原のじり
赤川せき川の御関所東はこんどう間の御所中の
御所あらき青木島大つか間島こしまた水沢西寺尾
田中南の方は北ばら藤枝雨の
宮矢代向八まん志川山田小松
はらこくウ蔵山茶臼山丹波島
西はあら房かみや入山田中橋
木辺都て乍恐御代官様
御支配の分潰家五千三百
九十軒半潰れ二千二百
軒余但し木品は打
くたけ用には相立す
潰家同様にて死人は凡二千七百人けが人
九百人程馬百七十三疋牛二疋大ち
にめり込家数廿軒ほと宮寺四十
六軒郷蔵廿二ケ所是は六万石ば
かりの内也中にもあはれ成は此度善
光寺かいちやうにて諸国参詣の男女
同所止宿の者不知案内にてとほうに
くれ二百人余もおしうたれて即死
なす一生けんめい御仏に願はんと所の者
旅人本堂にかけ入一心にねんじたる者
七百八十余人かゝる大災別而此辺つ
よく災難の中に本堂山門けう蔵のみ
破損なくさすが末世の今に至る迄三国
でんらいゑんぶたこんの尊ぞう恩利
益の福恐れ尊むべし本堂は広間
十八間奥行三十六間東西南北
四方表門にて寺号は則四ツ有
東は定額山善光寺西は不捨山
浄土寺南は南めい山無量壽寺
北は北空山雲上寺天台宗ニ而
寺領千石庵寺にて由来は人
のしる所也□□「水内郡を聞
に小ふせ神代あさの大くち
かに沢今井赤沢三ツ又
さかい村茂右衛門村駒たて
戸隠小泉とかり大坪曽
根北条小さかゐわらひふか
さは第一飯山御城下至て
きびしきちしんにて逃ん
としてはころび足たゝず
あをのけにはうより仕方
もなく老子供は泣叫び
地はさけ土砂を吹出し山々
はくつれ男女の死亡丁方
にて四百三十人其外在方
多く此内丹波川かは付村
一同に押ながし行方をしらず
更級郡は内小
じ島はし本大原
和田古いちばかる
い沢よしはら竹房
今泉三水あんぞこ
小松原くぼ寺中の
うしろ丁皆家々をた
をす中にも稲荷山ニ而
廿八軒つぶれたる家は廿
八日には大水におしながし
ゆくゑ不知こゝに岩倉山
といふ高山高サ十八九
丈にて安庭村山平林
むら両村の間に有
此山めいどうなし
あたりも大雷の
ごとく半面両端崩れ壱ケ所は三十丁壱ケ所は八十丁丹波川の上手へおし入近村一同にうづまりこう水
あぶれ七八丈も高く数ケ村湖水のごとく人馬の死ぼう数しれず同少し北の方に六丈ばかりの岩山
有しが是又ぬけおち五丁程川中へ押出し土屋藤倉の両村水中へおし入¬あつみ郡の分新町と申
所三百八十軒の里こと〴〵く潰れ其侭出火にて焼失なし夫ゟ大水二丈ばかりみなぎり目も
当られぬ斗りにて宮ぶち犬かい小梅中曽根ふみ入寺竹くまくら成金町ほそかへしうら町とゞろき村
堀金村小田井中ぼり上下鳥羽住吉長尾柏原七日市間々べ狐島池田町堀の内曽根原宮本
草尾船場むら等大破に及ぶ¬小さがた郡は秋和生づか上田御ぜうかにしは新丁上小じま下
こじま此辺山なりしんとうなし地中めいどうす今にも大ちがさけるかと此辺のもの共生たる
心ちなくされど大ちのさける程のことはなしといへど家々はつぶれけが人多く 前田手つか山田別所
米沢くつかけならもと一乃沢凡百四十ケ村ほど¬ちくま郡は八まんむら辺至てつよく度〳〵ゆり返し
にんばそんじ多くほうふく寺七あらし赤ぬた洞村おかだ丁松岡ありかし水くみ松本御ぜう下辺
百二三ケ村ふるひつよく庄内田貫ちくま新町あら井永田下新かみ新三みぞ飛騨ゑつちうさかいに至る¬佐久郡は小諸御ぜう下西ノ方は瀧原市町本町与良村
四ツ谷間瀬追分かり宿右宿くつかけかるいざは赤沢峠町矢さき山浅間山より上しう口度〳〵つよくゆり川附の方至てひどく夫より¬諏訪郡は高島御せうか
大水高木は少〳〵にて八重ばら大日向細谷平はやし布引此辺は少〳〵強くゆる ¬はにしな郡は松代御ぜうか近へん廿四日よりゆりはじめ廿九日朝晦日夕
かたまで三度つよくふるひ大いしをおし出し山〳〵くずれやしろへんことにきひしく人家多くつぶれ川附下手のかた山〳〵岩はなくずれ人家をそんじ平
はやしかけむら赤しバ関屋西条せきや川上下とくら中条よこ尾いま井祢川之宿上下しほじりむら等同やう¬高井郡のぶん丹波川の東にて
すさか御ぜうか中じま御じん屋川へりの村〳〵ふくしまたかなし中じま別府いゝ田羽場くり林大俣辺ゟ田上岩井安田坂井等つよくふるい家をたおす
事少なからずそれよりゑちご路に至りて廿四日よりゆりはじめ段〳〵つよく廿□日の牛【ママ】の上こくは大へんのおゝちしんにて松ざきあら井辺より
くびき郡高田の御ぜうかよりいま丁中屋しき春日辺人家をくずしにんばのけがとくに多く其内しんしうよりの方きびしく山〳〵は一どうに
くずれ水はあぶれ大ばんじやくをころがし中にもながさはむらと申す小村はなさけなくも大山の為につぶれ七十人ほとちゝうにうずまりわずか
手足のみ相みへたりあはれと申すも中〳〵おろかなれ其上廿九日は今町辺大なみに引入られ家〳〵流しつすくなからず 此度信越二ケ国の
大ちしんは実にもきたいの珍事にていにしえよりぢしんも数度有之といえどもたいちさけ泥砂をふき出しかくの山〳〵にんばの死亡に及
ひ前代未聞の凶へんなりぜんこうじ辺は廿四日より廿五日迄きびしく松代ゑちご路は廿九日三十日に至て東西廿里南北三十里山川をくずしよう〳〵
ちしんはしずまれども山〳〵崩れこうすいあぶれわうぐはんにん馬の通路をふさぎ且ぢめんわれさけたる所十間位ひ筋つきくろ赤のどろみづ
ふき出し山〳〵くずれ大石ころばり落田畑こと〳〵く変地いたし用水所は欠崩れ谷川等ふるひうづまり一面にどろみずふき出し貯への
俵物はのこらずくずれどろ水を冠り地中にうづまり別して川中島は大水人力にて防く事難く一方ニ而水を落し候得は一方は水なんにていか
やうにも相成も不知西の方にて防水致せば東の方ののこる村々おしながし双方共に大変にていかさま騒動にも及ばんくらいの仕合にて然る所御見分
の上御下知無之内は双方共手出し致し候事御差留にて早速掘割人足共さしむけられ候へとも弥こう水溢れみなぎり此辺の者は親にはなれ
子にわかれ夫婦の所在もしれず庄屋村役人其外本心を取失ひ候ごとく跡片付の心得もなく潰家の前に家内一同雨露の手当もなくとほうにくれ只々頻りに
落涙に及ひ相悪みくらして米こくは土をかぶりどろ水に入食物の手たてもなく 小者なんぎの者はたゞ打ふしてなき入ては死かいにすかりけが人はおびたゝしく苦つうにたへかね罷あり何レのむら〳〵
同様にてたがひにたすけ合ちからもなく さしあたり食事にさしつかへ呑水もかねて用水を持い候間皆とろ水にてきかつに及びあわれといふもおろかにて水内高井両郡田畑
七八分はつぶれ家をつぶし道具を失い候ぶん八分斗りにて此上いかようのまん水にも相成候やもはかりがたく川ぎしの村々山林に退去いたし候やはり山々も日々鳴といたし水勢
【右下】
らいのことくにていち時に切候へは又々水災わかりかたく諸方御手配りこれありしに
四月十三日夕七ツ時にはかに山谷鳴働なし水押ぬき左右の土手を切り
堤の上をのりこし川中島は申不及さい川へ逆水押入中々防くことかな
わず松代御代下辺迄水みちて川そへ村々を押ながし高サ二丈斗作物はもち
ろん溺死人けが人多く村々古今希なる事にて凡三百余ケ村おながし廿四日
ゟ大災にて又々かく水なんはたとへんかたもなくいかに天へんとは申なからかくの
災害良民とりつゝき成兼候ほとの仕合 然は御代官様御地頭様は慈母之
子をあはれむがごとく御すくい小屋を立 米銭はもちろん御手あてあつく
御れんみんにて御すくひあそはされ候段 泰平の御めくみありかたきといふも恐有
然は諸人御こくおんわすれんかため一紙につゝるのみ

[津波]

【画像3点中左上の絵・文字なし】

地震并津浪之説

地震幷津浪之 説(わけ)

【挿絵内】
地震(ぢしん)         南        西南海
     東  日本六十余州   西
         其余外国異国(ソノヨグワイコクイコク)
     国  皆此上ニ有ト云  国
之 図(づ)         北        北氷海

【挿絵内・右上より時計回りに】 要石 正月 二月 三月 四月 五月 六月 七月 八月 九月 十月 十一月 十二月


夫地震(それぢしん)といふは其 象(かた)ち別に地底(ちてい)にあるにあらず陽気(やうき)
陰(いん)の下に伏(ふく)して陰気に迫(せま)り昇(のぼ)ること能(あた)はず陽気 渋滞(とゞこふり)て
歳月を経(ふ)るに従(したが)ひ地裂(ちさけ)て陽気天に発せんとして振動(しんどう)する
なり又 津浪(つなみ)といふて別に地中より水を発(はつ)するの謂(いひ)にあらず
天地の間(あいだ)陽陰につゝまれて動発(どうはつ)する事 大底(たいてい)地震に等(ひと)し故(ゆへ)に
地震(ぢしん)に依(よつ)て起(をこ)り或は大風雨に就(つい)て起(をこ)る其発する所一ならざるを以知(もつてしる)べし

東北海岸の海嘯

東北海岸の海嘯
【以下、カタカナ表記はひらがなで翻刻】
  明治廿九年六月十五日午後七時に始り
  同十六日に至り激震三十一回被害の實況

  岩手縣釜石は死亡
  五千人斗流失
同 盛町附近は死亡四千人
  流出家二千餘戸
同 大槌町附近は死亡六百人
  流家五百餘戸
同 山田町大半流失其附近
  合て流失三百餘戸
  死者千人

  宮城縣は死亡三千百三名
  傷者五百五十流失及ひ
  破損の家屋は九百七十三
同 本吉郡歌津村の如きは戸數
  六百一は家屋悉く流失
  死者六百餘負傷者二百
  同唐桑村は戸數七百七十
  の内流失二百六十死者
  八百二十三人なり

  青森縣は三戸部五十余
  上北郡は二百五十餘戸
  流失死者不詳
同 宮古町は流失家屋
  不詳死者七十餘

右に付三縣下到る處
電信不通と相成る
陸中の國海岸には外國の
汽舩三隻も陸上へ打上け
たり各國の公使よりは本國へ
向け不残電報相成る
岩手縣雄勝地方へ使役の
重罪人二百四十名斗は百名程は
死亡す并に出役人員も多く
殉難するあり又同縣湊町
邊は帆前舩并に大小百餘隻の
漁舩は舟の鼻先を家屋の内へ
付き込み羽目板を破り居る等誠に
言語同断の大變なり尚此の日は五月
節句の當日なれは各村各町は酒宴の
催し盛んなるに當り死人も殊の外夥しと云


 図中○印は被害の尤甚き處なり
 黒線は鐡道線なり又再三の報知に
 よれは岩手縣の分は死者二萬二千百八十
 六人負傷千二百四十四人なり青森縣死者
 三百八人負傷百四十人なり家屋の流亡及破壊
 四百八十なり宮城縣は未た詳ならす
     ↘【十字の矢印】
       附たり岩手縣にては被害の
       當日大火もあり戸數詳ならすと
       雖【ム+虫 】も水火両難恰も人間世界の
       有様にてはなく海嘯の高きケ所は
       五丈餘にて押寄せたる景況
       實可驚の次第なりけり

明治廿九年六月廿 日印刷編輯發行兼
同年 同月  廿三日發行印刷者
東京本郷区丸山新町三十四番地
    原田音十郎

江戸大地震場所附

【タイトル】
安政二乙卯年十月
江戸大地震場所附
【ここから本文】
夫江戸大地震と聞より国々の親兄弟のなけき
かなしみいかばかりぞや是一時もはやくあんとさせんがためにくはしく記
すは安政二年卯の十月二日夜四つ時よりゆり出し家蔵潰れ
死人けがにん数多く其上出火なり十二三ヶ所一同にもへ上り
大火となり先新吉原五丁町遊女屋其外焼る死にんけが
にんおびたゞしく田町へん一ゑん馬みち山の宿花川戸火□□□
はげしく大にやける忝もくわんおんさま御堂仁王門雷門少も
さわりなく矢大神門のかはのこる寺中はのこらすつふれ
こまかたすは丁黒舟丁やける八幡丁角にて留る
又一口は芝居町役者新道片かはのこる又一口は神田ばし内酒井
雅楽頭様森川大名小路遠藤但馬守様御火けし
やしき因じう【州】様東北やしきやける表門より御殿向のこる
小笠原様少々やける永井飛騨守様本多中務大輔様
やける土井様半やけ松平右京亮様少々和田倉御門の
内会津様松平下総守様内藤紀伊守様馬場さき
御門御番所やける外さくらだ御門外山下御門なへしま様□□
伊東様柳沢様やける薩州様長州様三草丹羽様
少々やける一つばし通りさしはしとふり小川町
猿がく町辺大小名つふれ家数多し其上出火にて
堀田備中守様松平豊前守様十の字内藤様焼
戸田様少々焼る此辺御旗本様方数多やける日本橋
通南の方東橋たゝみ町五郎兵衛町竹町がしこのへん蔵やける
本芝宇田川丁東がは迄又一口は本所表町少々三丁目は
みどり丁のこらす壱丁目より二丁目やける同四丁目より四ツ目
ばしぎは迄やける深川仲町どふり大はし向八名川丁六軒
ふり一ゑん森下町ときは丁のこらすやける仙台様御門迄は
こと〳〵とやける又一口は下谷茅町坂本三丁目やける同広
小路上野町大門長者町やけるかぢ丁近へんねりへいかうしやけ
す火は三日の朝しづまり諸人あんどのおもひをなしぬ目出たし
         □□□□
【本文おわり】
【下部にイラスト】
【イラスト中上下二段に文】
【上段右から】
永代橋【永代橋白黒反転】
本所縦川
七ふとうり
やける
此へん
こわる
大はし【大はし白黒反転】

残る
両国橋【両国橋白黒反転】
このへん
のこる
東橋【東橋白黒反転】
三芝居
のこら
焼る
【下段右から】
神田ばし北詰
あさくさ御門内
両国手まへ永代
なし□□□本橋
□はり
へん□□
□□
中□
浅草かんせおん
□□しす
□□
少く
ゆれる
新吉原【新吉原白黒反転】
男女
□□

江戸大地しんの図

[要石補助力にてあたうちの図]

【要石に協力する人々のイラストの説明文(右上部)】
鹿嶋の神の
利益有て大地震
にうらみ有もの
此所をもつて要石
あたうちの衛
【見物する一団の人々のイラストの説明文(左上隅)】
此人々は地しん
にぎり有て
うらみを
なすこと
あた
わす

早飛脚廻りにてくわしき所本しらべ大地震

嘉永七年寅の年

此度大地震かみなり出火ニ付諸方御しらせ□ため【左隅】

【以下大枠内】
《割書: 早飛脚廻りにて|くわしき所本しらべ》大地震《割書: 諸国国々少々つゝの不同あれ|ども大体同時同やうの地しんなり》
         《割書: 六月十四日より地震廿一日くれ半時に|又ゆり夜八つ時に又ゆり都合八日の》
         《割書: 間に凡弐百七十五度の大じしん也| 》
【以下二段組】
【以下上段】
和州奈良
【右下角に倒壊家屋のイラスト】
六月十四日夜九つ半時ゆり始め大小共度々
ゆり朝六つより半時斗大地震ゆり奈良末町
あちこち図の如くくすれ其時家の内に一人も
いる事ならず皆々野又々興福寺其外広き
明地抔にて夜あかし南は清水通不残木辻の四つ
辻より十軒斗り崩れ鳴門町辺はさつはり北西手貝通り
北半田西町南北大崩れ川久保町細川町北向町北風呂辻子町
此辺別して大くづれ死人凡百三十人けか人かすしれつ
【ここに隔線】
同郡山《割書: 死人凡七十五人斗り|けが人多し》
同十四日夜八つ時より十五日朝五つ時ゆりつゞけの大地震にて町家
壱軒も無事なるはなく勿論一人も家内に居る事ならす皆々野
はたけなどの広き所の明地或はやぶなどて夜を明し大道往来のもの
一人もなく皆門をしめよせいつれに入ともわからず十六日くれ方迄大小五十
七度ゆる毎夜〳〵野宿にて目も当てられぬ次第也柳町一丁目より四丁目迄
凡七十五六軒くつれる其外町々右同やうの事なり
【ここに隔線】
同古市
【下に家屋のイラスト】
同十四日夜八つ時大地震度々ゆり朝明六つ
半時より大じしん町家一軒ものこらずくづれ家
の内にいながら死者も有門へ出て死者も有
誠に〳〵あわれなりときゝおよぶ又はおやしき
町家少々のこる誠にまれなるおそろしき
大じしん也 死人凡大人百五十人□
同  小児三十七人けが人かずしれず
【ここに隔線】
伊賀上野
右同日同時大地震にてお城大手御門口大そんし市中凡六部【「分」カ】とふり
くづれ鍵の辻より出火に而黒門まへ迄やけ夫より嶋の原といふ処より大川
原といふ処迄ほらのために一面のどろうみのごとく其所うづみ
筆につくしがたし十六日くれがたまてに五十七度のじしん也
         死人凡弐百余けが人おびたゝし
【ここに隔線】
伊勢四日市
【つぎ下に大火事のイラスト】
同十四日夜四つ時よりゆり始明六つ時の大地
しん也崩れ家凡三百六十軒あまり昼
五つ時より出火にて崩れ家とも四百七十軒
斗りやけ大地震の上出火に付死人かず
しれす凡五百余りと所の人のうわさ
【つぎ上に雷のイラスト】
六月廿日やはん少々づゝ地しんゆりなが
らくれ半過よりかみなり鳴出し
大小とも度々なり近辺へ七所
おちる明廿一日九つ時前鳴やむ
【ここより下段】
摂州大阪
【下に逃げる人のイラスト】
六月十三日九つ時に地震少々ゆり其日八つ時又ゆり十四日
夜九つ半時ニ大地震ゆり始メ大阪末町あちこちそんじ
両御堂少々崩れ損し有神社境内皆々石とうろう鳥井
なと崩れ十五日朝五つ時頃より四つ時頃迄の内西北野里の渡しは辺
の綿作るはたけの中たいら成所凡二軒四方にて深さ一丈斗穴明
其中へ土をちこみ又中より黒土の泥水わき出し其近べん
しばらくとろ海の如し皆々おどろきむかしより今に
いたりて稀なるふしぎを凡書しるすなり
【ここに隔線】
山城京都
六月十四日夜八つ時に大地震ゆり京町中大さはきにて東西南北末町少々そんし
東山辺も南北神社寺院少々そんじあれども大てい〳〵右同様の事なり
近辺竹田かい道茶店凡七八けんくづれ十五日しはらく往来止る
【ここに隔線】
尾州宮より佐屋海道筋又中仙道名古屋辺は少々そんじびや嶋ばし
清すすの又あるひは美濃路近辺雨大地じんに而人々大いにこまる
【ここに隔線】
泉州堺町家あちこち少々そんじ末町凡三軒ばかりくづれ家の
下じきになり凡五人斗死けが人少々あり安立町も少々そんしけか人も少々有
【ここに隔線】
三州岡崎近辺
【上に橋のイラスト、図中に矢矧はしとある。但し矧が矢扁ではなく手扁になっている】
同十四日夜七つ半時より大地震ゆり始御城下町家皆々無残
家の内にいる者なし町々家屋敷土蔵など大にそんじ末町あるいは
田地ひゞきわれ数万人の人々おどろき着るい金銀を用ゐしは
大川原あるひは近辺の山地ひろき所へにげ□る事なり
但し矢矧【矧は矢扁ではなく手扁になっている】の橋少々そんじしばらく往来止といふ
【ここに隔線】
大津近辺石ば船のりば大石とうろう湖水へたをれこみ込同所舟ばん所
同断横死□三人も有三人余は右にじゆんじはそんしよもあまた御座候
【ここに隔線】
丹波亀山十四日夜四ツ半時ごろより近辺の山うなり出しまもなく
大じしん人家崩れはげしき事人々の咄しよりおそろしきてい也
【ここに隔線】
江州信楽同日同時ごろに大じしんゆり人家はそんしことに
土蔵おびたゝしくかへ土をちひゞきわれ凡蔵のかず廿七八
たをれ家数南北弐百五十軒斗り崩れけが人数しれず
【ここに隔線】
南山城木津
【下に山津波のイラスト】
同十四日夜九つ半時より
東西南北のあやちなく黒雲
振下り石ふり笠置山より大岩木
吹出し図の如く近辺大水となり
家十軒斗つゝ崩れながら流れ命をしく
ともにけ行処無之夜中の事なれば
誠にあわれなる次第なり死人いまだ
数相わからず水十五日九つ時頃にさつはり引なり
【ここに隔線】
越前福井
六月十三日五つ時塩町かちや町辺出火大風はげしく東西南北共不残やけ二百丁
斗寺院百ヶ所両本願寺とも焼近在凡十ヶ所やけ夜四つ時にしづまり申候
又其夜八つ時より大じしん田地などもとろ海と成所々の家くづ
れ死人凡七十五六人まことに〳〵其こんさつ筆につくしかたし
十六日くれかたまてにたひ〳〵の大じしんなり

遠江駿河甲斐伊豆相模武蔵大地震之図

【黒枠内タイトル】
遠江駿河甲斐 伊豆相模武蔵 大地震之図

【黒枠内書出の順、右から左へ】
【囲い文字】よみはじめ
頃は嘉永七甲寅年十一月四日あさ五ツ時い【六】ケ国大地しんの次第をたづぬるに御府内は水道橋へん
小石川へん町やしきとも諸々そんじ駒込より下谷池のはたへん大にゆり家少々そんじおかち町通り
表うらやしき少々そんじ本所深川木ばにてはよほど立家そんじつきじてつほうづ少々のけが人
あり丸の内にては御やしきなが屋諸々いたむ夫より東海道は品川宿はじめ川さき
かな川程がや此辺もよほどふるひ本牧金ざは浦がみさき此へんもよほど
ふるひつなみにて人家大にそんじ城ケ島つなみにてそんじるかまくらは
八ツ七郷七りがはま江のしまつなみにて往ら
いとまる又道中すぢは戸
つかふじ沢平つか大いそ小だ原
へんハ少々ふるひ箱ねは殊の外つよ
くふるひ山々くすれ大石大木のふる事
あられの如し出火も両三ヶ所あり
根ぶ川の御関所

【外輪式蒸気船】
ぜうき
せん
ほばしら
おれるかぢ
くだけるハツテイラ
のこらず行へ
     しれず

【右上から】
いづ山
まなづるつと
川ないなとり
下田大にふかひ山
しんどうして空一
めんにくろく出火あま
たの上其丈廿丈余の大
つなみ人家をまき込ゆくへ
しれず大船漁船を山におし上
地ひゞきは百千のいかづち一度に
おちるが如しいづ一ゑんにゆりたをす
夫よりみだ松さきへんよりあまぎ峠のくづ
□□□□□□□□らいとまり又三しま
□□□□□□□□□□□□半そんじ御社
につゝがなしぬまづの御城下そんじやける原よし原
かんばらともに少々いたみゆ井の宿やける
おきつは入つなみにて家大にそんじ江尻
宿いたむふ中御城下こと〳〵ゆり町家
あまたそんじるまり子おかべふじ
枝宿等は多分の事なし
しまだ宿大にゆり
    大井川まん    
    水にてわうらひ留る
     金や宿大にそんじ

菊川高水小夜中山ふるひ
日坂は少々也掛川御城下大にゆれるふくろ井見付は少々
天龍川まん水はま松御城下ちう夜三日の間ゆりまい
坂あらゐはかく別の事なしといへ共入つなみにて人家そんじる
今切の御関所にさわりなし白すかニた川吉田五ゆ辺
まで大にゆれともかくだんの事なし又かけ川より秋は
□□□寺道守町一のセこなら川までの所は多分
の事なしいぬ井秋は山は樹木大石をたをしおびたゞしく
ふるふといへとも焼亡のうれいなしこんあ石打くま
大平す山大の迄の所少々ゆりほう来寺みね
の薬師等すべてゆりたをしかどやしん城大木
こと〴〵くゆり又東海道ふじ川は水ひ上り
わう来三日とまる岩ぶちより右へ身
のぶ道はまつの村さかい川水あふれ
万沢南部へんあまたゆり身延七面山は
七ツの池水あふれ
出る事をびたゞしく
波木井里は人
家あまたゆり
たをし下山切石
分てかじか沢は
おびたゞしく
此所にて手な
らい子ども
六十余
人一同


けがあり青柳ふせ此辺もおびたゞしくふる
ひ市川辺もよほどつよく甲ふ四十六ケ町やしき共
こと〴〵くふるひ分てみどり町栁町あたご町は人家を
ゆりつぶしこと〴〵くあれる信州わう来はにらさきだいがはらつ
□□□□金沢峠上のすわ御城下此へん殊にてひどくゆり池
の氷くだけ四方へさんらんして人々なんじうに及ぶ下のすわ
はかく別の事なくしほ尻峠きゝやうが原村井此へんこと〴〵く
ゆり松本御城下分そんぼう同国松代御城下大にゆり又わき道
ざい郷のそんじあまた也といへどもかぞへあぐるにいとまあらず只
大略をのみこゝにしるす又江戸表より東は上さ下さぼう州とも
にゆるといへ共分て下さちやう子はつなみにて人家多くそんじ
大船漁船あまた行へしれず常州の海へ□□□つなみ多く
人家そんず近年まれなる大地しんなれども人命に
かゝわらざるは全く太平のよたく神国の徳風にして
あをぐべしたふとむべし

【黒枠内枠】
○太平御治世以来寛文五年越後国大地震文禄十六年
関東大地震文化九年十月四日同関東大地震文政十年
越後国大地震天保元年京都大地震弘化四年三
月廿四日信州一円大地震嘉永六年相州小田原箱
根大地震同七年十一月四日より六日迄諸国大地震○寛
文九年大坂大つなみ寛保元年松前大つなみ文化元
年奥州両州山つなみ天保十二年松前大つなみ○
延宝四年諸国洪水天和三年江戸大水享保十一年長崎
洪水同十三年江戸大水寛保二年東国洪水両国橋落る
寛延二年小石川大水安永六年関東大水寛政三年諸
国大水同四年江戸大水文化五年関東出水文政七年同出水
其後格別のつなみ洪水なし当年海辺のつなみ古今稀也

生捕ました三度の大地震

生捕(いけどり)ました三(さん)度の大 地震(ぢしん)
だいく
〽えゝもしだんなこのてつゝのわるひ
 ところはとくといひきけやして
 とも〴〵おわびをいたしやしやうから
 まあともかくもわつちらにおあづけ
 なすつてくださいやしじつのことわつちら
 はじめでしやらうまで日壱分とつて
 すきなすゐをたらふく けづり(呑)やすのも
 このしやうのおかげでごぜへやすから
 みにかへてもこのおわびをいたさにや
 なりやせんのをかしら
とびの者
〽そうさ〳〵おめへのいふとをり
 こんなことでもなくつ
 ちやああい【の?】つのつらあ
 見にゆくこともでぎ
 やせんもし〳〵
 こか【ら?】あ一ばん
 わつちらが
 つらあたてゝくだ
 せへましな
左くわん
〽あのしゆうの申
 ますとをり人の
 うれひをよろこぶ
 のではございませんが
 こんなことでもなけ
 りやあはなのしたが
 ひあがりますのを【ヲ】
 やね屋さんおめへなん
 ぞもそふじやあねへか
やね屋
〽ほんとうにさ
 つくろひしごと
 ぐれいしてゐた
 日にやあすきな
 こめの水がのめや
 せんこちとらが
 ためにやあ
 いはゞいの
 ちのおや
 どうぜんで
 ござり
 ます
 どうぞ△
△かんべんしてやつてください
 まし
や師
〽へえ〳〵わたくし
 なんぞもぢしんさまの
 おかけで五ほんや六ほんのお
 あしはあさのうちにもとり升
 からぢしんまへのこめ
 やのかりも五つき
 たまつたたな
 ちんもすつ
 はりすま
 し
 ました
 そこらこゝ
 らもおかんがへ
 なすつて
 どうかこんどの
 ところはお見
 のがしくださひ
 まし
 て
 ならふ
 ことなら
 こり
 なく
 なつた
 じふん
 おつか
 まへくだ
 さいまし
 またぜに
 もうけが
 できます
 からとてまへ
 がつてをならべ
 だ【「ゝ」があるか?】てゝごた〳〵※
※わびことを
 するにかしまの
 かみもこゝろにおか
 しくわらひをふくみ
 けるがわざとこゑをあららげ
〽いゝやならぬかゝるつみ
 あるやつをゆるしおき
 なば日本六十余州の
 なまづどもよきことに
 こゝろへまた〳〵かやうに
 しよ人んにうなんぎをさせ
 市中(しちう)を大 家破(かば)やきになさんも
 はかられねばいごの見せしめに
 なべやきのけいにおこなふべしと
 さらにきゝいれ給はざればせんかた
 なくみな〳〵ためいきをつき□
〽ゆりせまあどうせう汁
 しいひやした

あんしん要石

あんしん要石(かなめいし)
《囲い書き:《割書:とし|より》》〽なむかなめ石大明神此たびの大へんのがれまして
ありがたふぞんじ升る私はもうとしよりことでござり升から
ながくいる心もごさりませんがしかしゆりつぶれひがうなこと
でもござりましては人のそしりをうけるがくやしふござり升
どふぞもう二三百ねんいきているうちぢしんのないやうに
お守り下さりませきめうてうらい〳〵かなめ石様〳〵〳〵
大工〽わたくしのおとくひからわれきてくれやれこいとやかましい
のできちかいのやうになりましたどちら様もおとくいで
ござり升からいづれもよろしくいたし上たい心でござり
升れ共どうもからだかつゞきませんなにとぞ十人まへも
はたらくからだに成様に御まもり給へかなめ石大めうじん〳〵
《囲い書き:《割書:しん|ぞう》》わたくしのおねがいは去年もしばいがるいせういたしながく
やすみ又ことしも大へんでいつできるかしれませんからまことに
かなしうてなりませんどうぞこれからぢしんや火事のない
やうにお守りなされて下さりませきつとてごさい升よ〳〵
《囲い書き:《割書:せと|ものや》》なむかなめ石さま日ごろからしん〴〵のおかげこのたびは少々の
さらはちなぞをこはしたばかりでべつぜうなくこれまつたくあなた
様のおかげと悦びおり升るなにとぞ此のちはぢしんのないやうもしあり
升ることもござればまへかたにちよとおしらせ下さるやうねがひ上升なむ
かなめ石さま此ねがひ御きゝとゞけ給へ〳〵かなめ石大明じん〳〵
《囲い書き:げい人》わたくしどもはゆうげいのかげうゆへせけんがおだやかになければどふも
くらしができませんまづ此たびのやうになりましてはさみせんにばちがあたる
ともわたしどもにこんなことのあるおぼへはござりませんからどふぞ是からは
せかいのさはがぬやうぢしんなぞのないやうに御まもりたまへ〳〵
《囲い書き:《割書:よし原|の人》》わたくしかたはぢしんと申ことをたとへにかげうのやうに申すそふでござゐ升が
此たびはまことのきうへんにてゆりつぶれやけだされしごくなんぎいたし升る
そのうへせうばいをはじめる所もすくなくいづれもなんぎ
いたし升からどふぞはやくおさまり此のち
かやうの地しんのないやう守らせ給へ〳〵
《囲い書き:いさみ》かなめいし大めうじん〳〵〳〵
私はたいげへなことをこはがる
ことじやございません
かみなり火事おやぢと
こはひもの第一とたとへ
ござり升がこりやさほど
にも思ひませんが
いかなることだか
此ぢしんが《割書:ドロ|〳〵》と
いふといきなり
きも玉がつぶれ
十日もおまゝが
くはれやせん其上
一人のおふくろが又
ひどくこはがりやす
からどふぞ是からぢしん
のないやう守り給へ〳〵〳〵
《囲い書き:医師》此たびのさはぎにて手あしを
けがいたしれうぢにまいる人が山のごとくで
わたくしほねをおりれうぢいたし升るが
日かつがかゝりましては手がまはりかね升から
早くなおり手ばなれいたすやう守らせ給へ
なむかしまかなめいしきめうてうらい〳〵

《囲い書き:《割書:りくつ|もの》
〽こんど
かやうな
さはぎがあるを見れば神も
仏もないやうでそのうへ此
御神はぢしんをおさへて
守る御神と申しやすが
いかゝでござり升といへばふしぎや
石にこへ有て是をきくに
〽いかにも尤のことなり
此どふりをあきらかに
いはんことたやすきにあらず
じんろとうらいとあきらめよ
さていづれもねがひのおもむき
かんじんかなめ也こんど一分でも
うごひたら石がへしをしてやるとの
御ことにていづれもあんどせしは
太平のもとひにてめでたし〳〵

落涙山非常明王

【立て札のイラスト中の文章】
くらの
開扉
落涙山(なみださん)非常(ひじやう)明王(めうわう)
念仏題目等
当十月二日夜四つ時より翌日朝迄
一同今難渋者也
地震院
火事
【ここより本尊像右側の本文】
そも〳〵なみだ山 非常(ひじやう)明王は御救(おすくひ)の小屋山(こやさん)町法(てうほう)大事(だいじ)の御 作(さく)にして
地震(ぢしん)雷(かみなり)火事(くわじ)親父(おやぢ)を倶足(ぐそく)し奉る本尊なり悪魔(あくま)降伏(かうぶく)は
もちろん世上(せじやう)の人気(しんき)をなほし放蕩(はうとう)惰弱(だぢやく)を止(とゞめ)たまふとの御せいくわん也
地震(ぢしん)と現(げん)じ給ふ時 強欲(がうよく)いんあくの土蔵(どさう)をおとし雷鳴(らいめい)とあら
わるゝときは聾(つんぼう)の耳を貫(つらぬき)魂(たましい)を天蓋(てんがい)にとばして無慈悲(むじひ)の心(しん)
中(ちう)をかわらしむ火事(くわじ)身(しん)を現(げん)じてはつぶれし家(いへ)より火(ひ)をはなち
消人(けして)なければやけほうだい夜(よ)の明(あけ)るにしたがひていつしかきえてあと
かたいなきの涙(なみだ)の箸(はし)もたぬまでになりても命(いのち)さへあれば一法(ひとほう)かきかへてくだなすとすれば親仁身(おやぢしん)それかけ出して野宿(のじゆく)の雨津浪(あめつなみ)
くるとだまされて逃(にげ)たあとから盗(ぬす)みする極悪人(ごくあくにん)はいざしら浪(なみ)心を
直(すぐ)にもつものは誓(ちかひ)て助(たす)けまゐらする非常(ひじやう)明王の御剱(みつるぎ)は
おやの異見(いけん)の剱(けん)なるべし片手(かたて)にぎる財布尻(さいふじり)しめしを守(まも)る
子孫(しそん)へあたへたまふとの御つげなればつぶれ
しんで後悔(こうくわい)あられませう
【ここより本尊像ひだり側の本文】
やう〳〵
安堵(あんど)し
たてまつる
本尊の由来(ゆらい)を
くやしくたづぬるにむかし
地震王(ぢしんわう)またかど焼亡(しやうほう)のきこえ
ありて商売(しやうはい)ださだまりかねて命(めい)をかうむり田原(たはら)俵(へう)だ
火出(ひで)たと御すくひとして二合半のもつそうにておめに
かりふくれがはらにおしよせたり此ときなみだ山 毎日(まいにち)大(たい)そう
不そうおうをいのり施(ほどこ)し米(ごめ)のはかりれをもつて又門(またかど)の崩(くづ)れと
なりしもこの尊像(そんざう)の御とくなり此ときのうたに
またかどでこめかみよりぞうたれける
かはらおちたがさけりこそして
【ここよりイラストの僧侶の言葉】
さいなん
けんのん
らいよけ
火なんよけ
こゞとよけの
御守は
これより
出升

地震冥途ノ図

地震冥途ノ圖

【ページ右上の部分は文字が版面からはみ出しているので判読不能】
□んづけハ
しゆんに
して
いそぐな/\
又けがをするぞ
やれ/\
いとしい
事だ
のふ

ぢぞうさんの
子にして
おくれ

□レ
えんま
の子
地ぞう
の子

いまに
なをる
すこしの
しんぼう


こどう
でんに
スチヤ
ラカ
ポク
/\

ござり
ます

こりや
/\/\

大方
の子
たのみ
ます

えんま
のこ

鯰の流しもの

鯰の流しもの

ころは安政二卯十月二日の夜
江戸近在大地しんに付伊勢の
御神をはじめ諸国の神〳〵
御 立腹(りつふく)にて早速其 守護(しゆご)たる
鹿島(かしま)の神に仰(あふ)せて是迄諸国
大 地震(ちしん)のもの迄此度 残(のこ)らず
かり尽(つく)され万民をなやます
段御しかり有て其 罪(つみ)ほねを
引ぬき五分切にいたし鍋焼
にも申付べくの所かくべつの
御ゆるしにて遠き外(くわい)
国(こく)へ流(なか)し遣す
べしとの上意
に鯰とも一同
恐入御うけ申
上候はふたゝび
日の本の地へは
ひげつらいだし
不申と御わび致
候へば鹿(か)しまの御神
しからば又〻うまら
さるやうに壱人つゝ
なま爪(つめ)をはなし
遣すべし
との事也

あり
かたし〳〵
 〳〵〳〵

〽はい〳〵ふたゝひ
 まいりません
    御めん〳〵

〽なまづにいんでは
 このむねか
  すまぬ〳〵

しばらくのそとね

【タイトル】
雨(あめ)には
困(こま)り【三升紋は市川家の紋所。「ます」と読ませ「雨には困ります」】野(の)じゆく
しばらくのそとね【「暫のつらね」のもじり】
市中三畳【団十郎の俳号「市川三升」に野宿の仮小屋三畳敷「市中三畳」を掛けている】
自作
【イラスト上の本文】
東医(とうい)
南蛮(なんばん)骨(ほね)
接(つぎ)外料(ぐわいりやう)日(ひゞ)発(はつ)
行(かう)地震(ぢしん)出火(しゆつくは)の
その間(あいだ)にけが
をなさゞ
るもの
あらん

数(かず)
限(かぎ)り
なき
仲(なか)の
丁(ちやう)先(まづ)
吉原(よしはら)が
随市川(ずいいちかは)つぶ
れし家(いへ)の荒(あら)
事(ごと)に忽(たちまち)火事(くはじ)に
大太刀(おほだち)は強(つよ)くあたりし
地(ぢ)しんの筋隈(すぢくま)日本堤(にほんづゝみ)の
われさきと転(ころ)びつ起(おき)つかけ
ゑぼしきやつ〳〵と騒(さは)ぐ猿若(さるわか)町
芝居(しばゐ)の焼(やけ)も去年(こぞ)と二度重(にどかさ)ね鶴菱(つるびし)
又灰(またはい)を柿(かき)の素袍(すほう)は何(いづ)れも様(さま)なんと
早(はや)ひじや厶り【「ござり」】ませぬか実(じつ)に今度(こんど)の大(たい)
変(へん)は嘘(うそ)じや厶らぬ本所(ほんじやう)深川(ふかがは)咄(はなし)は築地(つきぢ)芝(しば)
山(やま)の手(て)丸(まる)の内(うち)から小川町(をがはまち)見渡(みわた)す焼場(やけば)の赤(あか)つつら
太刀下(たちした)ならぬ梁下(はりした)に再(ふたゝ)び鋪(しか)れぬ其(その)為(ため)に罷(まか)り出(いで)たる某(それがし)は
【イラスト下の本文】
鹿嶋(かしま)太(だい)神宮(じんぐう)の
御内(みうち)にて磐石(ばんじやく)
太郎 礎(いしずへ)けふ
手始(てはじ)めに
鯰(なまず)をば
要石(かなめいし)に
て押(おさ)へし上は
五重(ごぢう)の
塔(とう)の九(く)
輪(りん)はお
ろか一厘(いちりん)
たり共
動(うご)かさ 
ぬ誰(たれ)
だと思(おもふ)
アヽつがも
内証(ないしよ)の
立退(たちのき)芸(げい)
者(しや)の鐗酒(かんさけ)
焼(やけ)たつぶれ
た其中(そのなか)で
色(いろ)の世(せ)かいの繁(はん)
昌(じやう)は動(うご)かぬ御世(みよ)の
御恵(おんめぐみ)ありが太鼓(たいこ)に鉦(かね)
の音(をと)絶(たへ)ぬ二日の大せが
きホヽつらなつて坊主(ぼうず)
 

聞書諸国大地震并出火

【上段タイトル】
嘉永七寅年
《割書:聞|書》諸国大地震幷出火

  奈良
寅六月十四日夜八ッ時よりゆり始朝六ッ時まて
少々つゝふるひ十五日朝五ッ時より大地震にて
町家一軒も無事なるはなし勿論一人も
家内に居る事ならず皆々野又は興福寺
其外広き明地等にて夜を明し大道往
来の者一人もなし皆内を〆よせ何れに
居るとも不分毎夜〳〵野宿にて目も
あてられぬ次第也
南方清水通り家くづれ
本辻四ッ辻より西十軒斗り
崩れ鳴川町にて二分
通り残る
北方西手貝通りにて三分
残り北半田町手貝通り南北大崩れ川久保町
大崩れ家二軒残る中の方細川町北向町
北風呂辻子町右三町別して大崩れ家
二軒残る其内にも三条通りより北は少々
崩れ都而奈良中の大損事 前代
未聞の大変なり
   死人凡弐百五十人小児五十人
   怪我人数知れず
古市木津も家四五軒残る十六日
暮方までに七十三度の大地しん
なり

  伊賀
上野十四日夜九ッ時より大地震ゆり始め
御城大手御門大に損じ市中は凡
六分通り崩れ四分通りは菱になり
猶又鍵の辻より出火にて黒門前迄焼
失に及ひ夫より嶋の原といふ所より大川
原といふ所迄螺のために一面の泥海
の如く其混乱筆につくしがたし
十六日暮方迄に七十五度の地震也

【下段タイトルの下】京大坂堺河内紀州播州丹波丹後其外
国々少々つゞの不同はあれとも大てい同時
同格の大地震誠に稀なる珍事也
十六日暮方迄七十三度【刷りのずれがあるが、「三」にみえる】

  郡山并南大和
六月十四日夜九ッ時より少々ゆれ始め八ッ時に
大地震柳町壱丁目より同四丁目まて家数
凡三十八九軒崩れ其外市中凡三分
通り家崩れ其外奈良同様也
   死人凡百弐三十人小児十七人
   怪我人多し
誠にあはれ至極也是も十六日暮方迄に
七十三度ゆるゝ南大和ゆれ出し同時
怪我人少々死人なし家少々損じ
崩れる程の事もなし

  江州
六月十四日夜九ッ時より少々ゆり始め七ッ時より大地
震にて三井寺下より尾花川と申所迄家数
百軒余崩れ其外ぜゝの御城少々そんじ
土山等は四五軒つゝ七八ヶ所崩れ 此内之
人六分通りおしにうたれ四分は助かる
又石山は別て大イ成岩なども崩れ落誠に
大損事其外御城下在町大損じ是も
十六日暮方より大小共六十八度ゆる

  勢州四日市
六月十四日夜四ッ時ゆり始め六ッ時より大地震と成
家数三百軒余崩れ昼五ッ時より出火にて家数
四百軒余焼失死人凡百四五十人不知人弐百
人余其外勢州尾州其辺の国々大に損じ候

  越前福井
六月十三日五ッ時より塩町鍛冶屋町より出火東西
南北共不残焼失其朝大風にて九十九橋より
二百町斗り寺院百ヶ所両本願寺共焼失
近在凡十ヶ所焼失
其夜四ッ時に鎮り申候
又十四日夜八ッ時より
大地震田地等も泥海
と成所々の家崩れ死人
凡四五十人誠に〳〵其
混乱筆につくしがたし
十六日暮方迄に大小十七八度ゆり

恵比寿天申訳之記

恵比寿天申訳之記(ゑびすてんもふしわけのき)

我等諸神に留守居をあづかり罷居候ところ
あまりよきたいをつりしゆへ一 盃(はい)をすごし
たいすいにおよび候あいだをつけこみたちまち
かなめいしをはねかへし大江戸へまかりいで
蔵(くら)のこしまきをうちくづしはちまきを
はづし 諸家(しよけ)をつぶし 死亡(しぼう)人すくなからず
出火(しゆつくわ)いたさせはなはだぼうじやくふじんの
しよぎやういたし候ゆへさつそくとりおさへ
ぎんみ仕候ところ一とうのなまづは身ぶるひして
大におそれ 一言(いちこん)のこたへもなくこのときかしらだち
たるとみゆるものつゝしんで申すよふ
「おそれながら仰のおもむきかしこまり候也此たび大へんの
ことは一とふり御きゝ遊され下さるべし此義は申上ずとも御存の
義にしてはるなつあきふゆのうちにあついじふんにさむい日あり
さむいときにあたゝかなる日ありかくのごとくきこうのくるひ
有てかんだんの順なるとしは少く候今年最ふじゆんなから
ごゝくのよくみのり候は八百万神の御守り遊され候
御力による所也さて天地にかんだんの順のさだまり
ありてはるなつと其きのじかうことの外くるひ候ゆへ
わたくしともくにのすまひにては以の外おもしろき
じせつになりたりとわきまへなきものどもちん
しんのごとくくるひまはり候ゆへわたくしども
いろ〳〵せいとうをいたせどもみゝにもかけず
らんぼうにくるひさはぎ候よりつひに思ひよら
ざる日本へひゞき御しはいの内なる
ところをそんじ
候だんいかなる
つみにおこなわるともいはい
これなく候也され共わけて
御ねがひにはわたくしども
のこりなく御かりつくし候とも
そんじたるいへくらのたつにもあらねば
まつしばらくのいのちを御あづけ
下されこれより日本のとちをまもる
いかなるじかうちがひにてもこの
たびのごときことはもうとう仕らず
天下たいへいごこくほうねんを
君が代をまもり奉り候べしと
一とうにねがひけるゆへわたくし
より御わび申上候ところさつそく
御きゝすみ下されまことに
もつてありがたく候
きやうこう十月のため
よつて苦難(くなん)のことし
  自身除之守(じしんよけのまもり)
東方 西方 南方 北方
梵字 梵字 梵字 梵字
     右四方へはるべし
梵字 《割書:家の中なる|【てん上にはる】》 又守に入置【てもよし】

ぢきに直る世

ぢきに直る世
〽ヘイ〳〵
まことに
申はけも
厶りません
ヘイ〳〵
〽よくも〳〵
おまひのうちでは
はたしがていしゆと
こともをよく
をころしだ
これから
はたしも
ころして
もらひに
きましたは

世ハ安政民之賑

【タイトル】
世は安政民の賑
【本文はイラストを挟んで四段構成】
【第一段】
それ人げんの五常を
まもるも神仏のおしへ
なるにその道をわすれ貴
せんともにおそろしきいましめの
欲のみちにいりしゆへ下はんみん
をすくわんと神や仏のさうだん
にて鹿嶋の神へおたのみゆへかしま
太神宮かなめ石をなまづにしばり
つけ世のせいすいをなをすへしとあり
ければなまづはかしこまつて安政二年
十月二日夜の四つ時おん神の
おつかいなりと江戸をはじめとし
凡十里四方あれちらせば家を
たをし地をわり出火すること
おびたゝし
金もちども【金もちども:四角枠で囲む】
〽さあ〳〵〳〵たまらぬ〳〵
このじしんではせつかくためた
金も千両ばこがこわれて
火事でやけてたねなしに
なるあゝなさけない
じしんだどふしたら
よかろふにげるにも
にげられ
ねへあゝ〳〵〳〵
【第二段】
ざとう【ざとう:四角枠で囲む】
〽さて〳〵大きなじしんだ□□や
大坂は大へんにゆつたけれども江戸は
あんしんだとおもつたがこれでは
たまらぬあゝあれ〳〵家がつぶ
れるかべがおちて見へ□いめの中へ
すながはいる何し□も金はどご
へいつたつへもおれたかなしひ〳〵
めがあきたいあゝ〳〵〳〵
なまづ【なまづ:四角枠で囲む】
〽やあ〳〵金もちの
ぶげんどもそのほか
さとうにいたるまで
よくきけわれこれ
まですこしうごけば
まんざひらくなどゝ
おのれ〳〵が身のよふじんを
するも△【△:三段目の△印以下の文に繋がる印】
【第三段】
△欲(よく)ばつているかづのことだ
世かい中その大よくが貴せんの
しやべつなく○じるしにさへ
なれば出きねこともできる
やふになるうき世になつて
からかはいやびんほう人は
年中くるしみどうしに
くるしんでいつまで
たつてもよくなるといふ
ことがねへ金もちはうぬらが
金のあるをはなにかけ町人で
ゐながらさむらいのかぶをかつて
銭を出して人につとめて
もらひふちをとる
時はうぬらがつとめて
ゆふに内へたはらを
つみあげて大きな
つらをしてゐる
これみんな
ろくぬす
びとゝ
いふ
X【X:以下全て四角枠で囲む】【X:四段目のX印以下の文に繋がる印】
【第四段】


それゆへに神仏の
おいかりつよく
こんどせかいた平に
せよとの天からの
けんめいなり
おどろくななげくな
金もちどもみな
じごうじとくなるぞ
これぞ下こくあんおんの
へいきんだあさわぐな〳〵
なくことないぞ
くわた〳〵びし〳〵
めり〳〵〳〵

[鯰を押える恵比寿]

どうもふだんからぬらりくなりとしてみたくても
ねへやつだとおもつたがこんなことをするやつとは
おもわなんだいま八百万(やをよろづ)の神/\はみな
いづもへたゝれてわれひとり留守居(るすゐ)を
すれどわがいちぶんでころすもならず
ともかくもいけどりにしていづも
おもてへさしのぼせとがのほとを
さたむべし(瓢箪の絵)

(瓢箪の絵)
どつこい\t
にけるな大
なまづたいとは
ちがつてとりにくひ
なんぼ神でも五人
の身で大地のそこ
にわだかまるこいつを
だいていづもまてゆくには
ゆかれすかつぐもならず
なまづなまなかとらへた
うへはにがしてるすいがすみは
せぬアヽいゝところへきたうなぎや
はやくこいつをつかまへていづものやしろへ
やつてくれ うなきや乁どうして/\
このやうなおほきななまづを
神の手や人手でもつては
まいられぬ
乁ハテそれはこまつた
ものだアヽいゝことを
かんがへた人手では
やれぬなら「どうして
やりましやう
乁はやくむにに
してやるがいゝわ

[太平の御恩沢に]

[かべ土も落ちてうるほふ銭だるま]

かべ土も
落て
うるほふ
銭だるま
くだきて見れば
一物もなし

相模国大地震

頃ハ嘉永六癸丑どし二月二日
ひる九ッ時相州小田原御城下
町々をはじめとして東ハ
田村川辺厚木萩の山中郡陶綾
郡神戸井と大磯宿中村金子
す々川みのけうすや伊セばら
子やす辺大山辺大住郡
近辺山々上村谷村
おか本早川石はし山
二子やま箱根并に
七湯の湯揚ことことく
湯本畑宿山中
三ツ谷辺西ハ伊豆
のくにあたみ辺み
しま宿海尻峠
岩渡とうは峠
するが国ハぬまず
辺まで尤原宿
よし原宿辺迄
も中々の
ひひきなり
北ハ愛甲郡
三増川むら
此へん山々
大にあれる
津く井郡
青の原とう
し川

鼠坂はし本辺少しあれるよしの
小はらへん関のへんまても大かたの
ひひきにて夜九ツ時過まて都合
いく度といふ数を知らずといへども
大ゆれにいたせしを五度にして
せう々ゆり止り諸人あんどの
思ひをなしにけるよつて
此よし諸国の親類
ゑん者へ知らせ
ん為一紙に
くわしく
しるす

関東江戸大地震并大火方角場所附

安政二卯歳十月二日夜
【以下黒枠内】
《割書:関|東》江戸大地震《割書:并大火|方角》場所附
天変不思議は天の成処といへりされは此度これは安政二卯どし
十月二日夜四つ時過大ぢしんにわかにゆりいだし北は千じゆ宿大ぐつれ
小づか原はぢしんの上出火【出火:白黒反転】にてのこらずやける新よし原は五町まち江戸町
一丁目より出火のこらず大くづれの上やける田町大おんじまへ花川戸山の宿
聖でん町此辺地しん出火【出火:白黒反転】家々のくづるゝ事おびたゝしく芝居町は
三丁目ともやける金龍山浅草寺は本堂つゝがなく雷神門そんじる馬道は
大半やけるなり並木通りは残らずくづれすわ町より出火【出火:白黒反転】して駒かた通りまで
のこらずやけるなり夫より御蔵まへ通り残らずそんじ広徳寺まへの寺町家
大ひにそんじる下谷辺は藤堂立花その外御大小名御やしきのこらずそんじ
上野町より長者町七軒町辺より出火【出火:白黒反転】して和泉橋通りまでもへ出る夫より仲町
うら通りくずれ表通りあらまし残るひろかうじは井口のかはやける同かや町二丁め
より一丁めまでやける根津は二丁目より残らずくずれ中程にて二三げんのこる
むゑん坂の上は松平備後守様御やしきやける千駄木団子坂
此辺あまたくづれ谷中善光寺坂上少々のこる也夫より本郷通りそんじる
切通し辺やける【やける:白黒反転】加州様御人数惣かゝりにて消口をとる湯島天神社
少々いたみ門前両側町家土蔵つきは惣いたみのこらずそんじる同三組町中程
にて二軒たおれ木戸ぎはにて一軒くづれ其外畑新町家霊雲寺
門前少々いたみ霊雲寺はねりべひくづるゝ妻恋町稲荷社つゝかなし
町内一軒もくづれず扨大通りは浅くさかや町両側そんじる御見付石かき
飛いづる馬喰町横山町大伝馬町小伝馬町は格別のふるひなけれども所々□る
あつま橋むかふは松平隠岐守様御殿くづれやける【やける:白黒反転】本所石原辺より御舟ぐらの
前町くづれ又深川一の鳥居まで焼同洲崎鉄鉋洲霊かんじま塩町佃じま辺まで
やける又神田通りは出火なしといへとも筋違より今川ばし辺まで諸々くづれ
又日本橋辺は少々くずれ南伝馬町二丁めより畳町五郎兵衛町具足町柳町ときは丁
すゞき町かじ町白うをやしき京橋きは竹町かしまで此辺横立十文字にやける【やける:白黒反転】
夫より芝口橋通りは一丁目より源助町まで諸々くづれ宇田川町より出火【出火:白黒反転】にて金杉辺まで
諸々くづるゝ高縄は大地一尺ほとさけ砂□ふき出し諸々大くづれ品川しゆくやける
御台場一ヶ所類焼さみつ大もりへんまで大ひにふるひ東海道は大地七尺程さけ砂りを
ふき出し大にふるひ又御城内は大名小路西丸下まで大地しん出火【出火:白黒反転】所々にあり神田橋
御門内は酒井雅楽頭様森川出羽守様類焼和田倉内は松下下総守様松平
肥後守様大くづれ類焼八代洲河岸は上村但馬守様松平相模守様火けしやしき
残らずやける也其外鍋島毛利南部様類焼其外は大くづれ小川町は本郷丹後守様松平
紀伊守様さかき原式部大輔様板くら戸田此辺のこらず焼失又山の手は麻布まみあな広尾
此辺所々出火【出火:白黒反転】諸々大くづれ四谷塩町より麹町惣のこらずくづれ出火【出火:白黒反転】あり小石川伝通院門前
諸々くづれ出火【出火:白黒反転】ありお茶の水より番町辺まてのこらずくづれ焼るなり赤坂一つ木辺より
青山六堂のつじ極楽水此辺そうくづれ諸々に出火【出火:白黒反転】あり其外御府内両国より日本
橋まての間出火なしといへとも所々大そんじ其外御府内十里四条は仲山道大宮辺は土地さけ
くづれ上総下総まで大地しんひとくふな橋辺はことに手ひとくゆり人家のくづれ
出かたならず又葛西二合半日光道中は岩つきさつて辺ところ〳〵大損諸々より
出火【出火:白黒反転】ありいち〳〵数ぞうるにいとまあらず死人けが人おひたゝしく中にも吉原は
惣のこらず凡七千人ほとの死人の山□なし其外所々の死人何千万人といふ事しらず
出火【出火:白黒反転】翌日朝方に漸々しづまる地しんは一両日の間は時々刻々にゆり是によつて
御やしき町家にいたるまでみな大道往来に野じゆくいたし是をさける
又翌日もかうじ町下谷辺に出火【出火:白黒反転】あり諸人安きこゝろもなかりしか漸々
五七日の日を経てしじん出火しづまりて安堵の思ひをなす此よし諸国の
親るい縁者のものにしらしめて親子兄弟の存亡をつけしらしめんかため一紙にのふ
▲町数三千十二町そんし出火【出火:白黒反転】三十二ケ所より出御府内大半その外土蔵十万七千余崩る
 御屋敷大名三百余軒御はた本小やしきあまた大そんじ
○無難の分両御丸并に浅草観音両本願寺東ゑい山深川八幡神田明神此外所々の神仏
 霊げんのいちじるく本堂の分すこしもそんじ不申誠に有かたき御事に御座候
【下部に地域のイラストがあって、その上部に地域名が四角で囲んで示されている。以下に地名のみ記載する】
さみつ
御台場【御台場:囲みなし】
京ばし
ふか川
本所
三丁目
二丁目
さるはか
小つか原
千住
よしはら
金龍山【金龍山:右横書き、囲みなし】

江戸大地震出火場所附

江戸大地震出火場所附

夫江戸九分通大地震と聞より国々の親兄弟なげきかな
しみいかばかりぞ片時もはやく安否聞せ可為安堵事第一也
頃は安政二年卯十月二日夜四ツ時よりゆり出し家蔵
潰れ死人けが人数多く其上出火なり二十五ケ所一同に
もへ上り大火となり先日光道中古が宿さつて宿栗
橋宿草加宿かすかべ宿大沢宿かうしかや宿竹のつか
梅田村千住宿五丁目四三二壹かもん宿小塚原等はじしん
の上出火二而残らず焼る浅草丁新鳥越丁三丁目二壱
一口は新丁三のわ丁一二丁目坂本丁三丁目二壱大をんじまへ
大くずれ新吉原江戸丁壱丁目出火いたし揚や丁京丁
壱丁目二丁目角丁江戸丁二丁目伏見丁焼る死人三千七百
人けが人数しれず田町二丁目一丁目竹門北馬道丁南馬道丁
猿若丁三丁目二丁目一丁目やける役者新道残る聖天
丁瓦丁山之宿丁花川戸丁半分残るやだいしん門前
焼るくわんせおん二王門つゝがなく並木丁駒形通り
すわ丁黒舟丁八まん丁中程二とまる通はたご【「元旅籠」カ】丁森
下【「森田」カ】丁片丁一口は田原丁三丁目より広徳寺まへの寺院
町家大に損る下谷藤堂立花其外御大名御やしき
残らズ損る上野丁長者丁三丁目二一丁目魚店七軒
丁中程より出火して和泉様通迄もへ出る夫より仲丁
うら通りくずれて表通あらまし残るひろかうじ井口側
焼る同かや丁二丁目一丁目迄やける根津ハ二丁とも大に
そんじ死人四百人けが人数しれズ二軒残るむゑん坂上ハ
松平備後守様御やしき焼る千駄木団子坂此
辺あまた潰れ谷中善光寺坂上少々残る也
夫より本郷通りそんじ切通し焼る加州様人数
惣がゝりに消口とる湯嶋天神少々いたミ
門前両かハ町家土蔵附惣いたミ同三組丁
中程二而二軒たおれ其外畑新丁家灵雲
寺門前ねりへい潰れ妻恋丁いなりの社つゝ
がなく町内潰れ浅草かや丁両側損る御目附
いしがき飛いづる馬喰丁横山丁大てんま丁小伝
馬丁格別少々損る東橋向松平隠岐守
様おやしき潰れ焼る本所石原辺より御
船蔵前潰れおもて丁少々三ッ目緑丁一丁目二丁目
四丁目四ッ目ばし木ハまでやける一口ハ■■丁南新
ほりしん川しんほりれいがん嶋大川端迄やける
深川相川丁冨吉丁もろ丁はまぐり丁比川丁
け■どの丁熊井丁中嶋丁黒江丁仲丁
永代寺門前残らす焼る死人百廿七人から
通り新通右木バ黒舟いなり松平
あハの守様下やしき残も入舟丁少々いたミさか
丁より川岸通りいしき丁まで大にそんじ
寺丁平の丁損木場大にそんじ大和丁
此へん残らズ人数四十人焼死今川橋
日本橋通商之方てんま丁二丁目少々三丁目
たゝみ丁五郎兵衛丁因幡丁ときハ丁
       具足丁柳丁大根
がし焼る又一口ハ神田ばし内
酒井雅楽頭様森川大名小路

遠藤但馬守様御火けしやしき
因州様越前様等残らす焼る
酒井左衛門様 小笠原様少々潰れ
永井飛驒守様本多中務太輔
様やける土井様半やけ松平右京
亮様少々和田倉御門之内青津様
松平下総守様内藤紀伊守様馬
場さき御門御番所焼る外さくら田御門外
山下御門鍋島様南部様伊東様松平
時之助様やける薩州様長州様三草
丹波様上村様焼る一ッ橋通りきじ橋通り
小川町本郷丹後守様松平紀伊守様榊原
式部大輔様板倉戸田此辺残らすやける
又山之手麻布まミ穴此辺大潰れ四ッ谷
之包丁ゟこうじ丁平川天神前残らす潰れ
此より御茶の水番丁青山六堂辻板橋迄
潰れ又一口ハ京橋より芝口三丁目少々潰れ
源助丁露月丁新せん座肥後守様■いく潰れ
柴井丁ゟ出火いたし宇田川丁両側焼る芝神明
前両側潰れ脇坂あわぢ守様仙台様少々崩れ
浜松丁四丁目金杉四丁目少々いたミ又品川東海寺
山内不残崩本宿新宿坂両側倒又崩高輪
松平大和守様御やしき崩有馬中務大輔様
練塀崩薩州様表長家崩南く丁崩中ほど
高輪家十軒程潰れ三丁崩妙奉寺本堂家根















二日はなし地震亭念魚町々庵炎上

二日はなし
地震亭念魚
町々庵炎上

●将棋ずき
●吉原やけ
●太神宮神馬

●此あいだのぢしんずきにしやうぎの
すきな人がふとゆきあいまして
「ときにかく兵へさんさてこの間は
けしからぬ事でしかし御ぶぢて
おめでとうござります
「いやこれはばん吉さん御けがも
なくてしかしかく飛車(ひしや)〳〵と
しやうぎだをしはどうでごぜへ升
「これは〳〵此そうどうの中で
すきな道(みち)とてしやうぎでしやれ事とは
ありがてへもしこれじやぁ会所(くわいしよ)も
出あいたゝねま事に王将(わうしやう)でごぜへ升
「なるほど往生(わうじやう)のしやれかへおもしれへ
それはそふとこのあいださる
ものしりにきゝましたが
このくらいなさわぎは
桂馬木車(けいきやう)いらいないと
ゆうことでござり升
「いやそのかはりによのなかゞ
ゆりなほつて金銀(きんぎん)のゆう
づうがよくなります
ときに妙(めう)ななりでどこへいきなさる
「なにささるおやしきへ歩(ぶ)に
やとわれてまいり升
「それじやぁ金(きん)に
なり升ふ
●ときによしはらの
五丁町は大へんなさわぎだね
「さようさあすこはつぶれた上に
やけだからいくぶんはねへ
「わしはこのばん五十けんにあすんで
いやしたがおそろしいしんどうさ
「もしよしはらがしんどうなら
むかふのくらのふるつた
くらいはありやあかむろて
ごぜへやせう
●ときにこんど
いせの太神宮(だいじんぐう)様の
しん馬(め)の毛(け)がのこら
ずなくなつたそふだが
此あいだゑどのぢしんに
太神宮(だいじんぐう)様がその馬(うま)に
のつてきてたいそふ
人をたすけた
そふだが
たすかつたものは
袂(たもと)にその神馬(じんめ)の毛(け)が
一本づゝあつたそふだ
「おや〳〵そふかへわたしのおとつさんは
このぢかのぢしんでつぶされて
しんでおてらへほふむつて
しまつたがもしやそのとき
きていたきものゝたもとに
神馬(じんめ)の毛(け)かありやあ
しないかときものゝ袂(たもと)を
たづねてみておや〳〵
あらそわれないものだ
毛(け)があつたよ
「どれみせなこりやあ
神馬(じんめ)の毛(け)じやぁねへ
「それじやぁなんだへ
「これかこりやぁ鯰(なまづ)のひげだ

持丸たからの出船

持丸たからの出船
持丸「あゝせつねい〳〵せつかくつめて
ひろいためたのをいちどにはく
とはばか〳〵しいなんの
ことだかうゆふことなら
いままでつかへば
よかつた
  げい〳〵〳〵〳〵
なまづ
「もしたんなあ
なたふだん
あんまり下法の
者をつめてなんぎをさせるからこのよふな
くるしいくるしいおもひをなさるのだこれから心を
なほしてぢひぜんとんをなさるがよろしよろしふござり升
ひろいて
「これ〳〵てまへたちはそんなによくばるなまだ〳〵
ゆつくりひろつてもたくさんだいいかげんにしてかりたくかりたくへ
出かけたがいゝをゝそふよ〳〵ひろいためてぢしんに
ひどいめにあうといけねへから仮宅へいつてつかつて
しまふほうがいい、諸方へのゆうずう
になるなるから

万歳楽鯰の後悔

【タイトル】
万(まん)歳(ざい)楽(らく)鯰(なまづ)の後悔(こうくわい)
【本文】
「さあ【さあ:小書き】みんなこい〳〵これ【これ:小書き】おやかたおいらたちが大ぜいでそろてきたのは
ほかでもねへさんぬる十月二日の夜かねはうえのかあさくさか
四つをあひづのおめへのはたらきこれよくきけよおいらたちが
あんのんにひげをのばしてぢのそこにすまひをするもにんげん
さまが三どのしよくをめしあがつたそのつゆしるのしたゝりに
はらをこやしてゐればこそへをひるさへももしひよつとせかいへ
ひゞくこともあらうかとすかしてしまふがなかまのぎぢやうそれ
ほどまでにごおんのある人げんさまへおなげきやいくそばくその
ごなんきをうけたむくひはをぐるまのまわりまはつてこちらがみのうへ
人げんさまのおはらだちにつたひしかたのとぶなまづひとつのこらずいけどつて
でばばうてうのつるぎのはやしあを竹ぐしのはりのやますみ火のうへのしやうねつや
ねぎといつしよにつゝぎりのかまどでならぬなべのなかぢごくのうきめをみせ
やらんとおほせもいたくかむりならずほりぬま川は生(しやう)こくなれば
十七ひきのかわうをなかま人げんさまからかくしめつけあるひはじゆんさい
ふるごうほねはすのねにまで身をやつし水あるところはせんぎ
さいちうたずかれゆゑならばそのけいせいのよめごゆへやあちん〳〵【やあちん〳〵:小書き】
「ちかあ【あ:小書き】ごを【を:小書き】ろぐちなことこくながら「これ〳〵【これ〳〵:小書き】まごゑむどん
きさまのいひぶんがすんだらおれもうらみをちと
いふぎり「やい【やい:小書き】おやぶんわれがゆうなよくばり
なまづをまんざいらくなまづといふぞよこく【こく:小書き】
まんざいらくなまづのいんえんしらずか
「よくわかにまんざいらくとはまじないをばて
ぞうらいけるそうらいもければおれもけるけて〳〵〳〵〳〵けちうかすといふところ
だがなにをいふにもかんじんのあしがないには
ちとたうわく「なに【なに:小書き】あしがないとあしがなけ
ればそのさきのせりふをおれがうけとつて
いや【いや:小書き】ちんつゝつんいや【いや:小書き】ちんつゝつんあしがないがこの
わかゑびすはんじゆりまします
そのとくにおんたのいねにはほに
ほをさかへたしみにねへまんごく
ぶねまことにめでたうさふらひ
けるも一つ【も一つ:小書き】けるいや【いや:小書き】どんとけりやにやんと
なくどゝのどんとけりや
にや〳〵のにやんとなくさあ【さあ:小書き】
これでおれのやくはすんだろうはやくあとから
でゝこいでゝこいこくさ【こくさ:小書き】でたぞ〳〵でることいでたけれど
まうじやうなりでもなからうからこんどはいちばん
とゞいつのどゝどのつらでこれこゝなおやかたみぶりも
ねんねんだ「なまづ〳〵にやかへさにやならぬいものこやしが
おそくなるとうたつてとほるうまかたにもおとつたこんどの
このしうちなまづくはずにいかとてもさんまはもらい
きすにはなれぬどぜうもくらもみなこあじいへをつぶして
ひらめとなしせじやうおほくのひこさんにうごひをみせ
うなんぎうけまたかぢからが身にさ人もむじつの
たいなんぎするといはらがたこやみとやひゞやらそのたみいせにぶん
まくらうとかためてきたるにぶしのせつかんうけて見よ
やとみな〳〵がいきほひするどくたちかゝりふみとんばすやう
つめるりするてをおさへておほなまづくるしきいきをつき
あんず「いひわけにはにたれども四日のじしんの一ととほり
まうしひらかんきいてたべやぜんやごらうどのにわかれて
かへるくみまぎれ「ゑゝ【ゑゝ:小書き】このちくしやうめいけしやあ〳〵と
しやれどころかそんなことをぬかすならいつその
くされたゝんでしまへと又々一どにたちかゝれば
大なまづはあたまをおさへ「わこれ〳〵あやまつた
こんどはまぢめにいひわけするなるほど
みんなにいわれて見ればいまさらめんぼくなく
ばかりどうしてあんなとんまをやつたかわがみ
ながらもわけがわからぬそれについてもめてへらまで
ゐどたちどをうしないせはらもたとうがれうけんして
くれそのかはりこんどのことのうめくさに人げんさまへは
こくどあんおんこごくをみのらせ第一金がまうかり
一かないわがうし 一いのちながく 一むびやうそくさい
そのほかをとこには女がほれ女にはをとこがほれるおんまじないをいたし
さしあぐればどうぞれうけんしてくれとあやまりへいかうしたりけり

[江戸地震方角図]

[福助・恵比寿・大黒・閻魔の子

【本文は三段構成】
【第一段】
ぢしんゆりいへくら大いにくづれ長者
はなはだ心をくるしめいかゞはせんとせし
ところへ福神きたりたまひ長者を
さとし玉ふ大こく【大こく:小書き】〽これ〳〵【これ〳〵:小書き】手まへが先祖より
ためたる所のこがねなれどたゞ〳〵かねの
ばんにんをしてゐるばかりではいかぬ
ものじや世かいの宝はゆうずうが
かんようだかくまいつてゐなけりや
ならぬこれ【これ:小書き】このやうにくらいふるひ
いへはくづれてゐるとてもなんにも
きをおとすことはないありがねの
うちはんぶんはおほくの人に
ほどこしてそのいんとくの
よけいにてその身もます〳〵
あんおんにいへくらやしきは
いくつでもあとから▲
【第二段】
▲できるもの
まづぜんごんをさきとして
【第三段】
記号【記号:瓢箪形】心得ましてござり升
しかしこのかねはこのまゝ
つみおきましてすこしの
かねをいだしましてうなぎや
のみせなどに見へます
あのなまづをかひとり
大川へはなしましては
とうてござりま小
大こく【大こく:小書き】「それもいひがなぜ
かねはだせねへのだゑ【ゑ:小書き】
ゑひす【ゑひす:小書き】「さやうさねゑ【ゑ:小書き】
もち【もち:小書き】「へい【へい:小書き】なまづめを
はなすよりは
つらふござります
人をたすけるくふうを
さつしやれゑびす【ゑびす:小書き】「それ〳〵
大黒どのゝいはしやるとほり
此せつおほくのこんきうにんへ
せぎやうをいだすものあまた
ありこれらの人もふ□ん□
おもひその身のくわふくは
二のつぎにしてけがあやまちの
ないように□□しらをしんじる
まででもねへいんとくさへほど
こせば神はまもるがあたりまへ
なんとほどこしするきはねへか
もち丸【もち丸:小書き】「もう〳〵【もう〳〵:小書き】なにごとにより
ませずおさしづしだい記号【記号:瓢箪形】
【第三段】
記号【記号:瓢箪形】心得ましてござり升
しかしこのかねはこのまゝ
つみおきましてすこしの
かねをいだしましてうなぎや
のみせなどに見へます
あのなまづをかひとり
大川へはなしましては
とうてござりま小
大こく【大こく:小書き】「それもいひがなぜ
かねはだせねへのだゑ【ゑ:小書き】
ゑひす【ゑひす:小書き】「さやうさねゑ【ゑ:小書き】
もち【もち:小書き】「へい【へい:小書き】なまづめを
はなすよりは
つらふござります

ぢしんの辨

ぢしんの辨(べん)

およそ天地(てんち)の間(あひだ)は陰陽(いんやう)の二気(にき)を以(もつ)て元(もと)とすこの二気(にき)和順(くわじゆん)なる時(とき)は穏(おだやか)なりそれ地(ち)の厚(あつ)き事九万 里(り)にして四圍(しゐ)に竅(あな)あること
或(ある)ひは蜂(はち)の巣(す)の如(ごと)くまた菌(くさびら)の辮(すぢ)に似(に)たり水火(すゐくわ)これを潜(くヾ)りて出入(しゆつにふ)す然(しか)るに陰気(いんき)
上(かみ)に閉(と)ぢ陽気 下(しも)に伏(ふく)するとき升(のぼ)らんとするに升ることを得(え)ず因(よつ)て
地 漸々(だん〳〵)に脹(ふく)れ時をまち陰気を突破(つきやぶ)つて騰(のぼ)るこのとき
大地(たいち)大(おほい)に震(ふる)ふたとへば餅(もち)を焼(やき)て火気(くわき)その心(しん)に透(とほ)れば
漸々(だん〳〵)に脹れあがるが如し故(ゆゑ)に強(つよ)き地震(しん)は始(はじ)め発(はつ)する時
地 下(か)より泥沙(どろすな)を吹(ふき)出し大地陥(おちいる)が如く覚(おぼ)ゆるは陽気
発(はつ)してかの脹れたる地中の空穴(くうけつ)縮(しゞ)まる也されども一時(いちじ)に
縮ミ尽(つく)さず因(よつ)て一昼夜(いつちうや)に三五十 度(ど)或(ある)ひは
二三十 度(ど)少(すこ)しく震(ふる)ひて漸々(ぜん〳〵)に元に復す
なれば大地震の後(のち)度〳〵震ふとも始の
ごとき大震はあらざるの理(り)と
しるべし昔(むかし)より今(いま)に至り和漢(わかん)の
大 地震(ぢしん)度(たび)〳〵にて既(すで)に史(ふみ)にも
記(しる)し人(ひと)の譚(ものがたり)をきくにみな斯(かく)の如(ごと)し
然(しか)るをまたもや大に震はんかと日(ひ)を重(かさ)ねて
大 道(だう)に仮屋(かりや)をしつらへ寒風(かんふう)にあひ夜気(やき)をうけて
竟(つひ)に疾(やま)ひを発するを思はず少しもこの理(ことわり)を
知れらん人は婦児(をんなこども)によく諭(さと)して久(ひさ)しく路傍(みちはた)に
宿(しゆく)することなかれ
○俗説(ぞくせつ)にいふ地下(ちか)に鯰(なまづ)ありその尾鰭(をひれ)を動(うご)
かす時(とき)地(ち)これが為(ため)に震(ふる)ふといふその?(よりところ)【手偏+處 據】を
詳(つばら)にせざれど建久(けんきう)九年の暦(こよみ)の表紙(へうし)に地震(ぢしん)の
□?(むし 蟲)とてその形(かたち)を画(ゑが)き日本(にほん)六十六 州(しう)の名(な)を記(しる)したり
六七百年以前よりかヽる説は行はれき佛経(ぶつきやう)には龍(りう)の
所為(わざ)といふ古代の説(せつ)はかくの如(ごと)しと地震考(ぢしんかう)といふ書(しよ)に
記(しる)せり思(おも)ふに當時(たうじ)雑書(ざつしよ)には必(かならず)この圖を載(のせ)ざる事
なくその形(かたち)もまた鯰(なまづ)にあらず龍(りゆう)に類(るい)せる異形(いぎやう)のものなり
今またその圖(づ)をこゝに假(かり)て寅卯(とらう)二ケ年(ねん)地震(ぢしん)津波(つなみ)の
災異(さいい)ありし國々を一眼(ひとめ)に見(み)する目的(めあて)となすのみ

○【黄】此色は嘉永七甲寅【補】年十一月四日
  大地震ありし國〳〵【補】なり
○【青】此色は同月同日地震の【補】後(ご)沖合(おきあひ)鳴出(なりだ )し
  夜(よ)五半時 頃(ころ)大津波(おほつなみ)とな【補】りし場所(ばしよ)なり
○【赤】此色は安政二年十月二日【補】夜四ツ時 関(くわん)
  東(とう)諸國(しよこく)大地震(おほぢしん)の分(ぶん)但 此(この)節【補】津波(つなみ)は
  なし

江戸大地しん大火場所附

【左下上段】
日本橋ヨリ諸方江道法
神田明神江二十六丁
湯嶋天神江二十六丁
上野江三十二丁
王子江一り三十丁
東門跡江三十五丁
浅草観音江一り二丁
新吉原江一り四丁
梅若町江一り四丁
両国江十三丁
向島江一り
梅若塚江一り十八丁
亀戸天神江一り五丁
五百羅漢江一り十二丁
深川八幡江二十三丁
洲嵜三十三間堂二十九丁
西門跡江十八丁
【左下下段】
佃島住吉江十八丁
芝神明江廿八丁
愛宕山江廿五丁
増上寺江廿九丁
泉岳寺江一り□五丁
御殿山江一り□□五丁
池上江二り半
大師河原江五り余
目黒不動江二り八丁
祐天寺江二り十丁
品□東海寺江□
新田江四り
四谷新宿江一り□
堀之内江二り□
雑司ヶ谷江
傳通院

信越大地震場所

弘化四丁未年五月廿八日新版
信越大地震場所
 
信州一ノ宮 諏訪大明神
 水内郡  佐久郡
 高井郡  安曇郡
 埴科郡  小県郡
 更級郡  伊奈郡
 筑摩郡  諏訪郡

夫天地不時之変動は陰陽混して天にあれは雷雨なる
地にいれは地震なすこれ神仏の応護も是をおさむる事かたし
抑信州は日本高土第一の国也郡数十郡高五十五万七千三百石
及ひ上々国にして山川多く人はしつそにして名産多く五こく豊饒の地也然ルにいかなる時節にありけん弘化四年丁未三月廿四日の夜ゟ
古今未曾有の大地震ニ而山川変し寺々社地人家をつぶし人馬
亡失多く火災水なんにくるしむ事村里の凶へんつふさに爰に記し且は 
上之御仁恵良民救助の御国恩後代にしらしめんか為にしめす尤も
三月陽気過度なること数日廿四日夜四ツ時俄に山なりしんとうなし 
善光寺辺殊につよくそれ地しんといふより早く大山くつれおち水は
あふれ地中めいとうなすより五寸壱尺又は五尺壱丈と大地さけて
黒赤のとろふき出し火ゑんのこときものもえ上り方丈客殿庫裏
宝蔵寺中十八ケ町の人々西八丁東八町岩石桜小路権堂丁あまねく
ゆりつふされはたこや藤や平左衛門同平五郎両宿に止宿の男女凡
七百廿余人外はたこや止宿老若男女凡千八百余人所之者およそ
千七十余人権堂町遊女百八十四人なり皆即死なす其夜御堂に
こもり居る者あるひは一生けんめい仏号をとなへ御堂へかけ入しもの
其夜の大なんをのかれし事是まつたく三国伝来ゑんふたこんの尊像の
利益広大なる事世の人のしる所也尊むへし〳〵 本堂広間十八間おく行
三十六けん東西南北四方表門にて寺号則四ツ有東は定額山善光寺西は
不捨山浄土寺南は南めい山無量寿寺北は北宝山雲上寺天台宗寺領千石
尼寺にて由来人しる所也大かん寺山門のこる此へん北は大峯戸かくし山植松小松
しんまん寺西条吉村田子平手室飯小平落かけ小島大島新町柏原のしり赤川
関川御関所東こんとう間の御所中御所あら木青木島大つか間島くしまた水沢西寺尾
田中南の方は北はら藤枝雨の宮矢代向八幡志川山田小松原こく蔵山茶臼山丹波島西は
あら安かみや入山田中梅木此辺殊に夜中ゆへ其そうどう大かたならす大石にうたれ
谷川はあまり火ゑん天にのほりすさましかりけるありさま也都て乍恐
御代官御支配の分つふれ家五千三百九十軒半つふれ二千二百けん余
但し木品打くたかれ用に相立すつふれ家同様にて死人凡二千七百人
けか人九百人ほと馬百七十三疋牛二疋大地にめり込家数廿軒程
寺社四十六ケ所郷蔵廿二ケ所 是は六万石はかりのうちなり
扨又水内郡を尋るに小ふせ神代あさの大くちかに沢今井
赤沢三ツまたさかい村茂右衛門村駒たて戸隠小泉とかり
大坪曽根北条小さかゐわらひふかさハ第一飯山御城下至
てきひしきちしんにて逃んとしてはころひ足たゝすあほ
のけにはふよりしかたもなく老人子供は泣叫ひ地はさけて砂を吹出し
山々はくつれ男女の死亡丁かたにて四百三十人其外在方多く此内丹波川
川付の村々一同に押なかし行方をしらす更級郡は内小しまはし本
大原和田古いちはかるい沢よしハら竹房今泉三水あんそこ小松原くほ寺
中のうしろ丁みな家々をこと〳〵くたおす中にも稲荷山にてつぶれたる
家々は廿八日には大水にておしながしゆくゑしれすこゝに岩倉山といふ高山
高サ十八九丈にて安庭村山平林むら両村の間に有此山めいとうなし
あたかも大雷の如く半面両端くつれ一ケ所は三十丁一ケ所は八十丁丹波川の
上手へおし入近村一同にうつまりこう水あふれ七八丈も高く数ケ村湖水の如く
人馬の死亡数しれす同少し北の方に六丈はかりの岩山有しか是又ぬけおち
五丁ほと川中へ押出し土屋藤倉の両村水中へおし入¬あつみ郡の分新町と
申所三百八十軒の里こと〳〵くつふれ其まゝ出火にて焼失なし夫ゟ大水二丈
はかり高くみなきり目も当られぬ斗りにて宮ぶち犬かい小梅中曽根
ふみ入寺竹くまくら成金町ほそかしうら町とゞろき村ほり金村小田井
中ぼり上下鳥羽住吉長尾柏原七日市間々べきつね島池田町ほりの内
曽根原宮本草尾船場むら等大破に及ぶ¬小さがた郡は秋和生づる
上田御城下西は新丁上小島下こじま此辺山なりしんどうなし地中
めいどうす今にも大地かさけるかと此へんのものは生たる心ちなくされど
大地のさけるほとの事はなしといへど家々はつふれけが人多く前田
手つか山田別所米沢くつかけならもと一の沢凡百四十ケ村ほど
¬ちくま郡は八まんむら辺至てつよく度々ゆりかへし人馬損し
多くほうふく寺七あらし赤ぬた洞村をかた町松岡ありかし水くみ
松本御城下辺百二三ケむらふるひつよく庄内田貫ちくま新町
あらゐ永田下新上新三みぞ飛騨越中さかひにいたる 
¬佐久郡は小諸御城下西の方は滝原市町本町与良村四ツ谷
間瀬追分かり宿右宿くつかけかるい沢赤沢峠町
矢さき山浅間山ゟ上しう口度々つよくゆり
川付のかた至てひどく夫ゟ¬諏訪郡は
高島御城下大水高きは少々とて
八重ばら大日向細谷平はやし
布引此辺は少々つよくゆる 
¬はにしな郡は松代御じやう下
近へん廿四日ゟゆりはしめ
廿九日朝晦日夕方迄
三度つよくふるひ
大石をおし出し
山々くづれやしろ
へんことにきびしく
人家多くつぶれ
川付下手の方山々
岩はなくづれ人家を
そんじ平林かけむら
赤しば関屋西条
せきや川上下とくら
中条よこ尾いま井
祢づ之宿上下塩尻
村等同様¬高井郡の
分丹波川の東にて須坂の御じやうか中じま御ちん屋川
へりの村々ふくしま高なし中じま別府いゝ田羽場くり林
大俣辺ゟ田上岩井安田坂井等つよくふるひ家をたほす事少なからすそれゟへちご路にいたりて
廿四日よりゆりはじめ段々つよく廿九日の丑の上こくは大へんの大ぢしんにて松さきあらゐへんより
くびき郡高田の御城下ゟいま町中やしき春日辺人家をくづし人馬のけが等多くそのうち
信州寄の方きびしく山々は一同にくずれ水はあぶれ大ばんじやくをころがし中にも
ながさは村と申す小村はなさけなくも大山の為につぶれ七十人ほと地中にうつまりわずか
手足のみ相見へたりあはれと申もおろかなれ其上廿九日は今町辺大なみに引入られ家
流す事少からす此たび信越二ケ国の大ぢしんは実もきたいの珍事にていにしへより
ぢしんも数度有之といへども大地さけ泥砂をふき
出しかくの山々人馬の死亡におよひ
前代未聞の凶へん也善光寺辺ハ廿四日ゟ廿五日迄きびしく松代ゑちご路ハ廿九日三十日に
至て東西廿里南北三十里山川をくづしよう〳〵地しんはしづまれども山々くづれこう水あふれわうくはん人馬の通路をふさぎ且地めんさけたる所十間位
筋つき黒赤のどろ水ふき出し山々くつれ大石ころばりおち田畑こと〴〵く変地いたし用水所は欠くづれ谷川等ふるひうづまり一面にどろ水ふき出し貯への
俵物はのこらすくづれどろ水をかぶり地中にうつまり別て川中じまは大水人力にて防く事あたはす一方にて水を落し候へは一方は水なんにていかやうにも
相なるも不知西の方にて防水致せは東の方のこる村々おしながし双方とも大変にていかさま騒動にも及ばんくらゐの仕合にて然ル所御見分の上御下知無之うちは双方共
手出しいたし候事御差留にて早速ほり割人足共さし向られ候へどもいよ〳〵洪水みなきり此辺の者は親にはなれ子にわかれ夫婦の所在もしれす庄や村役人
其外本心を取失ひ候如く跡片付の心得もなく潰家の前に家内一同雨露の手当もなくとほうにくれ只々しきりに落涙に及相応に□□□【くらせ】しも米こくは
土をかぶりどろ水に入食物の手だんもなく小者、なんぎの者はたゝ打ふしてなき入ては死かいにすがりけが人はおびたゝしく苦つうにたへかね罷在いづれの村々も同ようにて
たがひにたすけ合ちからもなく差当り食事にさしつかへ呑水もかねて用水を持居ても皆どろ水にてきかつに及あはれといふもおろか也水内高井の両郡田畑七八分
つぶれ家をつぶし道具を失ひ候分八分にて此上いかやうの満水にも成へくもはかりかたく川つきの村々山林に退去いたし候やはり山々も日々鳴どういたし水勢雷
のことくにて一時に切候へは又々水災わかりかたく諸方御手配有之しに四月十三日夕七時俄に山谷めいとうなし水おしぬき左右の土手を切堤の上をのりこし川中島は
申に不及さい川へ逆水おし入なか〳〵防事かなはす松代御代下辺迄水みちて川そへ村々を押ながし高サ二丈斗り作物はもちろん溺死人けか人多く村々古今
まれなる事ニて凡三百余ケ村をながし廿四日ゟ火災又々斯水なんはたとへんかたもなく男女死亡惣高二万余人也けが人其数しれす馬五百七十二疋牛
二十二疋也いかに天へんとは申なからかくの災害良民取つゞき成かね候程の次第然は御代官様御地頭様は慈母の子をあはれむごとく御すくひ小家を立 
米銭はもちろん御手当あつく御れんみんの御すくひあそはされ候段泰平の御めくみありかたきといふも恐有されば諸人御国恩をわすれんがため一紙につゞるのみ

信越御代官 石原清左エ門 高木清左エ門 川上金之助
松代十万石真田信濃守 松本六万石松平丹波守 上田五万三千石松平伊賀守 高遠三万三千石内藤駿河守 高島三万石諏訪因幡守 飯山二万石本多豊後守 飯田一万七千石堀兵庫頭 小諸一万五千石牧野遠江守 岩村田一万五千石内藤豊後守 須坂三万五千二石堀長門守

爰に弘化四丁未年
正月十三日松平
伯耆守様御領分
丹後国竹野郡幾野村
百姓権左衛門ト云大百姓
所持地めんのうち
一夜のうち大山出来
又其下に大穴あり
わたり十間余深サ
三十五けん外に青石大サ
三間九尺高サ壱丈
二尺八寸是も一夜の内
同時にふき出す

万歳楽身の用心

万歳楽身の用心
地震除(じしんよけ)の呪(まじない) 家内にはりおくべし
材〽なむきめうてうらい〳〵まんざいらく私どもはこれまでじしんはさほどにおもひ
ましなんだがこんどの大へんでまことにおそろしう御座り升たがあんのんで
しやうばいの材木がうれますからありがたふ御座り升なむ〳〵〳〵〳〵
あらものや
〽もしなまづさんおまへさんら大さはきをなさいましたあとはみんな小屋かけをするに
それとばをくれやれなはをくれこつちからはむしろをくれとその家内のはんぜうは
まことにありがたいことで御座り升なむ〳〵〳〵〳〵
金ものや
〽いやわたくしはじしん火事あくる日からふるかねをうりにまいり升から買ては
もふけまたうつてはもふけさて〳〵此やふなありがたいことは御座り升せんなむ〳〵〳〵〳〵
工 官 家ね いさみ 六方
〽わたしともも大さはきのあとであつちからも来てくれこつちからもたのむと申やして
そのうへ手間も先から半人ましてやるそれでいやなら一人でも二人でもましをやるといはれる
のはじしんからのおたすけかとおもへば一合の酒もかんろのやふにのめやすそこで家ないも
はんぜううちの山のかみもよろこび升からありがたふ御座り升なむ〳〵〳〵〳〵
車力
〽わしどもははや年中大道を車を引てゆくと人がじしんがいるやふだといゝますからこんどのじしんも大きな車を引のかと
おもひましたところがぐら〳〵ぐはた〳〵火事のさはぎでわしどものちからわざにはいかねへほどの大へんしかし
それからは車の直かよくなつてさんどのめしもうまくたべられ升あゝありがたい〳〵なむ〳〵〳〵〳〵
ぞうりわらじみせ
〽私どももぞうりわらじが
あさからあみのめから手をだすやふにかいてが
きてありがたふ御座り升なむ〳〵〳〵〳〵
やたいみせ
〽なんでも此ごろは安くさへうればみせへ人が山の
やふに立てくれることはきめうてうらい〳〵
なむ〳〵〳〵〳〵

ゆるぐともよもやぬけじの
かなめいし
鹿しまの
神の
あらん
かぎりは   【拝】書

[善光寺地震関係]

かゝる目出度御代に天命のなす
処是非なき珍事おしむへし
爰に弘化四未年三月廿四日夜四ツ
時頃ゟ信州水内郡ゑん近大
地震細末抑善光寺を初めつよ
くゆりうこき堂塔伽藍かへ堂末
社寺院其外人家夥しくゆり崩
れ村里類焼川々のこう水あん
夜の事ニ而夜もすからしんどうし
然は人馬之損毛も有り
東は丹波島川田■松代屋代
戸倉坂木■上田此辺殊につよく
してかい道筋大石道にゆり出
大地さけ田中■小諸追分くつかけ
かるい沢上州口処まで
南は稲荷山青柳会田刈屋原
岡田■松本辺是亦殊外しん
どうし人家やゝ焼失してさうとふ
大かたならす近へんの大川水夥しく
是が為に人馬の損毛有り
西は長沼へん村々あら町柏原
野尻越後口まで其外遠近
之村里其数あげてかそへか
たし貴賤の男女老たるを
助け幼をいたいてなけきかな
しむこへ野にみつ山にひゞき
あはれにも亦あまりあり
されは善光寺本堂は聊
破損のうれいなく安泰なる
は三国一の霊仏の
威徳誠に尊き事
ともなり然に御代官亦は
御領主の御手配り殊外
行届類焼洪水のふせきもよく
よく朝六ツ時頃にはこと〳〵く止ぬ
兎角人馬の死亡なきは
是そ治る御代印なるへし
他国の親族此書を見て安堵成へし

四民不動礎

【タイトル】
四民(よつのたみ)不動(うごかぬ)礎(いしすへ)吉例暫
【本文】
天地(てんち)乾坤(けんこん)のその間(あいた)に
地震(ちしん)雷(かみなり)火事(くわじ)親父(おやぢ)の譬(たとへ)は
おろか 大江戸(おほえど)の根生(ねをひ)の随一(ずいいち)名物(めいぶつ)の
かずにも入(いり)し火事(くわし)荒事(あらこと)
他国(たこく)に双(なら)ぶ者(もの)なければ
□んぱくものに御(ご)ひゐきの
引立(ひきたて)つよき
四十八 組(くみ)
うしろだて
にたのんできたは
地震(ちしん)雷(かみなり)二人共
そこ一寸でも動(うご)
きやあがるな
おれが
持ばを▲
▲あらしこめら
鹿嶋(かしま)の神(かみ)も
上(しやう)らんあれ
愛宕(おだき)の神社(しんじや)が
記号【枡形】
記号【枡形】
御(ご)たくせん
江戸 繁栄(はんゑい)の
しるしとて
万(まん)ざい楽(らく)より
太平楽(たいへいらく)
出火も三十二三が所
ほうほう【ほうほう:小書き】
じつまつて

ゑんまの子のわけ

【上下二段】
【上段】
【タイトルなし】
「ゑゝ【ゑゝ:小書き】安政二年の十月二日
夜るは四つとすき関八州を
地震〳〵といふこゑ聞けば
吉原大門火事の中
つふれた人は家の中
立喰たち呑
だいど中
けんのんすまゐは
くいの中
つつかひまる太は
まちの中
いたゞく御ぜんは
はらの中
雨露しのぐは
小屋のなかあ【あ:小書き】
ふちやらか【ふちやらか:小書き】
ほえ〳〵【ほえ〳〵:小書き】
【下段】
【タイトル】
ゑんまの子の
    わけ
【本文】
高縄(たかなは)なる御殿山(ごてんやま)に
土持(つちもち)ありしに多く人
集(あつま)りかの土を
荷(にな)ひ運(はこ)ふ中(うち)に
業(わざ)にかしこく
人を扱(あつか)ふものあり
これがかむりものを
拵(こしら)へきせしが其かたち
閻魔王(えんまわう)の冠(かんむり)に似(に)しより
誰(たれ)いふとなくゑんまの子〳〵
と異名(いめう)せしかば又|地蔵(ぢざう)の子
いふもの出来(いでき)て後(のち)には
土方(どかた)の子などゝ
いひておのづから
流行言(はやりことば)となりぬ
ゑんやらさ【さ:小書き】かけ声に
似たり【り:小書き】ゑんまの子
地蔵にあらで
地形するなり

[多田木大九郎・持丸金蔵・鬼瓦平三の三人生酔]

   覚
一なまず鍋 弐百文ゟ
一同 家破焼 同
一同 すつほん煮 同
一上 酒 《割書:一合| 四十文》
右は大地震ニ付
 大安うり仕候


     ●多田木大九郎
     ■持丸金蔵
     ▲鬼瓦平蔵


本性は
  違はぬ
 酒にはらたつも
  なくも
 わらふも
   欲のひと辟

焼場方角附

焼場方角附

頃は安政
五歳午
二月十日
夜五時
日本橋小
田原丁辺ゟ
出火して折しも
西風はげしく
小田原丁一二丁メ
せともの丁角一番
八番組消口取向角地組
十一十二十三十四十五組消口取
いせ丁がし通り半分残る
八番十番組五六八ノ組消口取
室丁一二丁メ表通り少々残る
五番六番八番九番消口取
本ふな丁残らすやけるそれゟ
飛火して四日市万丁青物丁
平松丁佐内丁小松丁南
あぶら丁川せ石丁新右衛門丁
くれまさ丁この辺残らずやける通り
一二三丁メは残る又一口は海ぞくばし焼る牧野河内守様
御上屋しき残る坂本丁一二丁メかやば丁やくし山王御たび所
うら表かやば丁代官やしき此辺残らす焼失ス九鬼様細川様
御屋しき残る八丁ぼりは北じま丁てうちんかけよこ丁かじ丁
七けん丁竹じま丁此辺残らすやける神田代地半分のこるそれゟ
れいがんじま富島丁へうつり一二丁メ少々残る長崎丁白かね丁川口丁
東みなと丁一二丁メ御船手向井将監様御組此辺残らすやける又一口は
八丁堀水谷ちょう場之火之見残る金六丁岡崎丁長崎丁きたこんや丁日比谷丁幸丁
長沢丁亀じま屋しき此へん残らす焼る松平越中守様御屋しき
中与力丁残る上大通り高なは代地松や丁南八丁ぼり二丁メ三丁メ代地
屋根や丁本八丁ぼり一二三四五丁メ残らす焼失中之はしは落る南八丁ぼり
三四五丁メやけるてつぽうづいなり火中にて残る堀田土佐守様半分やける
松平阿は守様本みなと丁ふなまつ丁一二丁メ細川のとの守様御やしき此辺残らすやける▲
▲十けん丁は松平あはぢの守様御やしき半焼にて二番組三番
組消口取飛火にてつくだじま半分やける住吉大明神
やしろつゝがなしやうやく風しづまりて火十一日ひる
八ツ時焼とゞまる是によつて人々あんどのおもひおなス
遠国身より親類え町名おしるしてあんひおつげ
しらせんが為一紙つゞり諸君の高らんに備ふのみ

 一家員数 六万余
 一土蔵数 千三百ヨ
 一穴蔵数 三十余

[大黒のつち]

夫(それ)乾坤(あめつち)の開(ひら)けてより
地(を)動かす擧(あげ)て数(かぞ)へがたし
ト年代記で見たばかり
何(なん)にも知(し)らぬ夢助(ゆめすけ)も
今度はほんに目が
さめて見廻す
四方(しはう)は火災(くわさい)の中(なか)
命(いのち)あやふく
たすかりて
又かゝり見る
      ▲△
▲△世(よ)の中(なか)は
大きな焼(やけ)より公(おほやけ)の
御手當(おてあて)あつき御國恩(ごこくおん)
うすき袋(ふく)を持丸長者(もちまるちやうじや)米(よね)の
俵(たはら)のかず〳〵は施行(せきやう)の高(たか)の
八千 余(よ)町 豊(ゆたか)に見ゆる
張出(はりだ)しも黄金(こがね)の花を
さかする如く実に
ありかたき御代や
     見よ〳〵

乁もつと
ふれふれ

大黒(だいこく)の
つち
動(うご)かして
市中(いちなか)に
寶(たから)の
山を積(つミ)ぞ
めでたき
   紀の長丸

乁こちら
へもたん
ト〳〵

乁ぢしんも
よつほと
いいものだ
よの中の
うるほひに
なるくふ
うかしら

乁モウ
うごかぬから
はなして
くだせへ
ヤレ
万ざい
らく
〳〵

乁これは〳〵
大そうまくぜ
こういふあんばい
ならことし
一ぱいでも
がまんができます

乁これハ
ひろう
にも
ほねが
おれ
ます

古今奇事一覧

【上部横書き】古今奇事一覧

【右一段目】
弘化四  山川崩る  信州大地震
同 三  秋中    関東大水所々破損
天明三  七月    浅間山焼土砂降
寛永二  二月    奥州山々鳴動
康安元  大さ二丈  周防海太鼓現
貞観九  三月    日輪上に冠顕る
文永六  二月二日  月輪三ツ並出る
天文二  十月八日  星落事雨の如
寛政十  七月    京大仏雷火
文政十一 肥前    長崎津浪《割書:唐船を|陸え吹上る》
【右二段目】
昌平元  六月三日  天暗して人の顔見へす
寛文六  五月    江戸に人の形光物飛
延喜十五 七月五日  日輪月のごとし
天延三  八月廿四日 満月申の方に現はる
神亀二  六月    太白星昼見へる
寛保三  十一月   福星あらはる
明暦三  正月    西に五色の雲出る
延長七  《割書:四月|廿五日夜》   禁中に鬼足跡あり 
仁寿元  八月    天に声雷のごとし
延宝元  《割書:人黄に|見へる》    黄色雲いづる
天保三  秋     西にさほの如気たつ
応永十一 下野    奈須野火空迄もへる
明応七  和州    大職冠像より血出る
長治元  十月    北国赤き雪ふる
【右三段目】
慶安 三年  六月毛をふらす
文安 元ヽ  豆あづき雨のごとし
白鳳 十四ヽ 信濃国へはいふる
寛喜 二ヽ  七月に霜ふる
永長 元ヽ  梅のごとき大あられ
宝字 元ヽ  六月関東大雪
安永 八ヽ  大嶋焼響雷の如
寛政 四ヽ  温泉嶽焼人馬損す
天元 三ヽ  京大風羅生門たをる
養老 元ヽ  美濃に酒わき出る
持統 七ヽ  近江甘きいづみわく
白鳳 十三ヽ 伊よのゆ地しんにて損
文政 十一ヽ 越後の国大地しん
長禄 元ヽ  猿沢の池の水赤し
寛政 三ヽ  深川つ浪町家流るゝ
天保 十二ヽ 江戸□田染はやる
享和 三ヽ  浅草太□□□□【太郎稲荷の流行か?】
【右四段目】
享保 十四年 交趾国より大象渡
慶雲 四ヽ  長《割書:廿|八丈》一頭三面鬼出る
久寿 二ヽ  九尾きつね顕る
仁平 三ヽ  ぬえ禁中を驚す
仁徳 御宇  頭二ツ手足八ツの大男
正元 元ヽ  人を食ふ尼出る
文暦 同   天狗《割書:奈|良》の家に字を書
斉衡 二ヽ  長門に両頭の牛
天智 十ヽ  筑前に八足の鹿
同  七ヽ  常陸に角有馬
長保 元ヽ  命の字ふある猫
仁安 二ヽ  鼠清盛《割書:馬の尾に|すをくふ》
朱鳥 元ヽ  蛇犬に交り侭に死す
嘉永 元ヽ  一丈五尺の大百足
【右五段目】
延暦 三年  天王寺蛙かつせん
白雉 五ヽ  京の鼠近江へわたる
宝字 元ヽ  人魚津軽へつく
元亀 二ヽ  両頭のかめ
白鳳 十一ヽ 九月赤亀いづる
同  十ヽ  四足のにわとり
持統 八ヽ  河内白山の鳥
天平 十一ヽ 出雲赤からす
天智 六ヽ  山城白つばめ
寛政 七ヽ  おきく虫はやる
文化 九ヽ  下総八才女子をうむ
文武 二ヽ  山城に一度に六子を産
承和 三ヽ  因州に四子をうむ
天正 十一ヽ 頭二ツある子をうむ
享徳 元ヽ  丹波首なき躰出る
天暦 九ヽ  北野に一夜松千本生
長保 元ヽ  正月桃杏実なる
同  同   一くきに三ツ花咲蓮
文化 十三ヽ あかきかきつばた
寛文 十二ヽ 冬伊丹つゝじ花咲

【中央上から】
泰平 無彊
天暦二 《割書:八月|廿四日》 日月並出
応永《割書:十|七》 正月 天地震動
神亀五 《割書:九月|二丈ヨ》 流星営中に落
    《割書:光ル| 》
奇 女          奇 男
婢女お竹仏景を示す    清寧天皇生なから髪白し
光明皇后光を放つ     小野篁めいどへかよふ
江口君雲舞のぼる    文屋康秀《割書:伊勢にて死し日向|の人になつてよみがへる》
佐用姫望夫石になる    浦島太郎蓬莱ゟかへる
清姫蛇身と現す      浄蔵貴所八坂の塔を《割書:いのり|なをす》
鍋かつぎ女西国をめぐる  大和国粂氏の人仙となる

明暦三  《割書:十万八千|人焼亡》  江戸振袖大火
弘安四  《割書:十万兵 |船海没》 神風蒙古船覆
文禄十四 《割書:人 家 |数千損》  京大雷百ヶ所落

【左一段目】
永正七  一里海成 遠州大津浪
弘化三  《割書:正 月 |十五日》  江戸大火丸山ゟ出
宝永四  駿州   富士焼宝永山湧出
寛永十三 十月   南海なり動
延久二  五月   天に鼓の音する
慶長十四 《割書:三月|四日》    四角なる月出る
永祚元  《割書:八月|三日》    日三方にあらはる
宝亀七  毎夜   路中石雨の如降
寛文五  正月   大坂天守雷火
文化元  出羽   象潟景地震にて埋
【左二段目】
寛永七  四月   空赤もゆるがごとし
白鳳十一 都    虹殿中にあらはる
寛文ニ  二月中  日月紅のごとし
文明十四 《割書:五月|十二日》   月の中に星あり
斉衡ニ  二月   横長き星いづる
人王卅代 御宇   天狗星あらはる
建長五  春    月のかさ五色
承平元  空に   一丈余の鬼形現る
天仁元  秋    空に人のこゑ有
天文十五 幅    十丈余の黒雲
白鳳十一 空に   赤はたの形顕はる
天永三  不知火  伊豆海に火もへる
延応元  奈良   大仏目ゟ血流るゝ
享保十六 夏    諸国甘露ふる
【左三段目】
寛喜 二年  奥州石をふらす
天平 十四ヽ 京にめしふる
延徳 元ヽ  北国に泥ふる
天平 十四ヽ 奥州紅の雪ふる
白鳳 八ヽ  桃のことき大氷ふる
元和 三ヽ  五月京大あられ
安永 三ヽ  桜嶋焼海になる
天文 廿三ヽ 白山やけ砂ふる
承元 三ヽ  京朱雀門たをる
天智 七ヽ  越後もゆる土水出る
嘉応 元ヽ  清水滝こと〴〵くかれる
正中 同   近江竹生嶋くづる
元禄 十六ヽ 関東大地しん
天平 三ヽ  紀州海□□□□し
享保 十三ヽ 関東洪水両国橋落
天保 十一ヽ 大坂井戸染はやる
享保 三ヽ  深川石地蔵はやる
【左四段目】
天平 十四年 長さ二丈大くも出る
地神 始   八またのおろち
大宝 三ヽ  異国よりめ三ツの人来
延元 二ヽ  禁中に化鳥出る
寛平 四ヽ  鬼来て人を喰ふ
文政 十一ヽ 寺々石塔をみがく
応永 十五ヽ 南ばん国より黒象渡る
白鳳 十三ヽ 丹波に十二角出家
延喜 二ヽ  同八足のうさぎ
斉衡 三ヽ  美作にしろき鹿
和銅 五ヽ  丹波にくろき狐
天智 元ヽ  鼠寮馬の尾にうまる【日本書紀】
宝亀 九ヽ  猫鼠一ツあなにすむ
弘化 四ヽ  二丈五尺の大ほら貝
【左五段目】
応永 十五年 京将軍の庭ひき戦ふ
斉明 六ヽ  信濃蝿多く□□□
天平 十五ヽ 筑紫腹赤贄うお
応永 廿七ヽ 河内美形緑毛亀
養老 七ヽ  肥後しろきかめ
白鳳 十一ヽ 三足の赤からす
朱鳥 元ヽ  大和赤き雉子
《割書:天平|勝宝》  七ヽ  秋芸【安芸、続日本紀】白からす
人王 四十代 赤すゝめを献す
享保 十七ヽ 九州うんかの虫いく
永禄 七ヽ  丹波七才女子を産
人王 四十二代 一度に二男二女を産
貞応 二ヽ  鎌倉三ツ子を産
永方 元ヽ  頭二ツ手四ツ子生る 
天平 十二ヽ 近江に人の手をうむ
永正 三ヽ  春日神木七千枯る
大同 二ヽ  冬もゝすもゝの花開
万寿 四ヽ  四茎の蓮花咲
天智 三ヽ  近江一夜稲ほ生ず
弘化 二ヽ  芝唐もろこしの花咲

【欄外】
弘化二 秋   アメリカ船来
文化四 《割書:八月十九日|人多ク死ス》 永代橋ふみ落
  《割書:天平 天智貴宝|元年 知百年と云》 甲に十字有亀出
  《割書:天平宝 天下|字元年 太平》 といふかいこ文字を現す

          嘉永元申歳仲秋  飯繁堂版

ゆるがぬ御代要之石寿栄

江戸地震類焼場所図

此図わ地震の吉凶の実正をたゞし紛れ
なきを集め明細に出板仕候
江戸地震類焼場所図

安政二卯十月二日夜四つ時江戸大地震後出火所々に有之候場所を見廻り明細に書寫又地
震の次第わ図に色わけにて大中上と印を付け彫刻仕候 一【丸に一】新吉原江戸丁一丁目二丁目京丁一丁目
二丁目角丁揚屋丁伏見丁仲の丁不残焼失五十間わ残郭中土蔵一ヶ所も不残失焼 二 【丸に二】土手下田丁辺より
出火山川丁北の方少々残り竹門馬道北新丁猿若丁三丁目より一丁目三芝居ひがし新道わ東かわ残り候
山の宿片かハ花川戸わ少々にて焼留藪の内いろは長屋寺々十ケ寺斗焼申候 三 【丸に三】小塚原丁遊女屋不残
下宿共焼又今戸橋きわ半丁斗焼橋場半丁斗やけ候 四 【丸に四】駒形横丁より出駒形両かハ諏訪丁黒舟丁両側
三好丁御馬屋河岸にて焼留り候 五 【丸に五】東御門跡前茶屋橋角半斗焼又一口わ堂前斗やける 六【丸に六】下谷坂本
壹丁目二丁目三丁目迄両側やけ候 七【丸に七】下谷上の廣小路中程より出火大門丁上野丁一丁目二丁目伊藤松坂屋土蔵
九戸前共不残失焼同朋丁新黒門丁上野御家来屋敷御成道井上様少々焼東坂丁長者丁一丁目二丁目下
谷町代地中御徒士丁御旗本屋鋪凡五十軒程焼申候 八 【丸に八 】御成道石川主殿頭様黒田豊前守様
御類焼 九【丸に九】 下谷池之端茅丁一丁目出火
同堺稲荷きわにて焼留り申候是
より上
十【丸に十】 神田橋御門内酒井雅楽頭様両御屋鋪辰
の口角森川出羽守様御類焼 十一【丸に十一】 和田倉御門内
見張御番所松平肥後守様両御屋鋪松平
下総守様内藤紀伊守様御類焼 十二【丸に十二】 八代洲
河岸遠藤但馬守様松平相模守様御火消
屋鋪御類焼火の見斗残り候 十三 【丸に十三 】日比谷御門内
松平肥前守様毛利様裏御門少々焼有馬
備後守様南部美濃守様薩州様装束屋
敷御類焼 十四 【丸に十四 】幸橋御門内松平甲斐守様伊
東修理太夫様亀井隠岐様御屋敷一棟
御失焼 十五 【丸に十五 】外桜田兼房丁少々松平
兵部守様御長屋少々御失焼 十六 【丸に十六 】芝
柴井丁両側一丁焼 十七 【丸に十七 】京橋南
鍛冶丁畳丁五郎兵衛丁南傳
馬丁二丁目三丁目具足丁柳丁
竹河岸炭丁稲葉丁常盤丁
本材木町八丁目迄焼 十八 【丸に 十八 】鉄砲
洲十軒丁松平淡路守様御類
焼 十九 【丸に十九 】霊岸嶋大川端丁塩丁
四日市丁銀丁南新堀河岸迄
焼 廿【丸に廿】深川相川丁熊井丁蛤丁
富吉丁もろ丁北川丁中嶋丁
大嶋丁黒江丁永代寺門前丁一
の鳥居仲丁山本丁八幡門前
にて留又一口わ伊勢崎丁一丁目
二丁目 廿一【丸に廿一】 深川元丁御蔵一ケ所
八名川町日向様井上様御組
屋鋪木下様火の見斗り残る
御舟蔵前歯神社大仏殿役所
御旅本五六軒焼北六軒堀
南六軒堀神明社わ残り
門前丁森下丁井上様少々焼る
夫より常盤丁一丁目二丁目太田様
少々焼る 廿二 【丸に廿二】扇橋土井大炊頭様
御類焼 廿三【丸に廿三】 本所緑丁一丁目二丁目
四丁目五丁目花丁志木橋きわ
迄焼 廿四 【丸に廿四】亀井戸天神門前半丁
斗やける 廿五 【丸に廿五 】五ツ目渡シ橋の所
半丁斗焼廿六 【丸に廿六】徳右衛門丁一丁目
二丁目焼 廿七 【丸に廿七】石原弁天小路焼
廿八【丸に廿八】同中之郷表丁松平周防守
様焼 廿九【丸に廿九】 小梅瓦丁小倉庵やける
三十【丸に三十】濱丁水野出羽守様少々焼る
三十一【丸に三十一】小川丁松平駿河守様戸田様
堀田備中守様半井出雲守様溝口様
佐藤様伏屋様大久保様柘植様神【「榊」カ】
原式部大輔様御長屋一棟焼ル神織部様
荒川様曽我様近藤様本多様新見様
小林様河内様御火消屋鋪本多出雲守様
戸田加賀守様御類焼長谷川様本郷丹後守様
松平紀伊守様一色丹後守様松平駿河守様御組
屋鋪加藤様一色様冬木様本間様大森様本目様
中条様山本様黒川様半焼にて留 三十二【丸に三十二】小石川牛天神下
すわ丁半丁斗焼る 三十三 【丸に三十三】二御台場御失焼出火は三日午の刻に畢候

ご公儀様より御救小屋御立
被下置候場所左通り

幸橋御門外原
浅草廣小路
深川海辺新田
同所八幡境内

上野山下火除地
東叡山御救小屋
同所山下原

街道近郷聞書
東海道金川
程ヶ谷近辺
江の嶋鎌倉
三崎浦賀辺
中仙道は
上州高崎限
此往来地われ
砂出る所又水
吹出る所有之
日光道は
宇都宮限り
草加川口へん
大崩有之候
甲州道は
八王子限りに
て格別事無
水戸街道は
土浦辺限り
往来崩る所
有之由
下総は成田辺
八日市バ辺限り
上総房州辺
格別事有之
候由
大坂は九月廿
八日地志んゆり
て大そんじの所
候由
尾州三州辺
美濃信州辺
江戸同時にゆ
り申候由
此外國々わ
格別之事無
御座候由

紫 御門跡
紅 出火所
黄 所□
藍 川
肉 大



神社
仏閣
見附
大道
 
図の中

御城 清水様 田安様
一ツ橋様 辰の口 【丸に十】御屋鋪中そんじ 中そんじ格別事無
【丸に十一】 和田倉
少々くずれ 【丸に十二】 此へん御屋鋪中そんじ 八代洲河岸 あハ様 中 土州様
日比谷【丸に十三】 中そんじ 幸橋内 【丸に十四】
黒田様藝州様 中そんじ 大そんじ 真田様
此へん御やしき方かく別事なし 上々
御やしき方少々いたみ 中そんじ ためいけ 山王社 霞ケ関 
此へん中そんじ 御やしき少々くずれ
麹丁 中 天神 そんじ

此へんかく別の事なし 番丁 此へん御やしきかく別の事なし 
上々 御やしき方中くずれ 飯田丁 此へん御やしき少々くずれ 
此へん大くずれ 小川丁【丸に三十一】中くずれ 中くずれ
するがだい中 神田 三川丁 原 中そんじ すだ丁 なべ丁 かじ丁
志ろ銀丁 本丁 両かへ丁 此辺上々 石はし 
日本橋 まき丁 中々 【丸に十七】
上々 京橋 すきやかし上々 八かん丁 きんざおはり丁 此辺上々

水道とよ吹少々 四ツ谷 大そんじ 紀州様 大そんじ
てんま丁 田丁 きり畑け かろし 赤坂 少々くずれ
青山 此へん大くずれ 寺々 渋谷此へん中くずれ
桜田丁 竹はし 三けんや 少々そんじ そう志き 廣尾 此へん原多きゆへ少々
此へん寺々土蔵大いたみ下丁よりはかるし
白銀 目黒へんかるし

すべて此へんかるし 上分 御やしき方
谷丁 市兵衛丁 中くずれ 麻布 残土十ばん
飯倉 長坂近辺少々くずれ
御やしき寺々いたみ 三田
金杉 此へん中すれ 尤も土蔵わのこらすくずれ
田丁 中くずれ 少々くずれ

御やしき方少々いたみ中くずれ 外櫻田 
御やしき上々 西久保 吹手丁 下谷丁 上々

御救小屋 【丸に十五】 けんすけ丁 中くずれ 芝口 中くずれ
御やしき方少々そんじ 中くずれ
柴井丁 【丸に十六】宇田川丁三丁まで大くずれ 神明社
山門かく別事なし 増上寺
中すれ 薩州さま 金杉 浜松丁 かなすぎ 本柴

中そんじ 尾州様 市ケ谷 八まん 此へん中そんじ 
大そんじ 牛込 御やしき 此へん中くれ 水戸様 竹丁 中そんじ 上 聖堂 中そんじ

水道丁 御やしき 此へん大そんじ 【丸に三十二】音羽 少々そんじ でんつういん 小石川 中くずれ 湯嶋
此へん穴むろくずれ 本郷
土蔵わ大くずれ 中くずれ 白山 すがも 寺々 御やしき少々そんじ 中くずれ 
上々 駒込 此へん中くずれ 

日くらし 百性家少々いたみ 此へん小やしき 中いたみ
此へん少々いたみ 千駄木 谷中 此へん少々いたみ 天王寺
根津 中そんじ 丁家大くずれ こんけん無事 根岸 此へん格別事なし 
加州様 中そんじ はすいけ弁天 【丸に九】東元山無事 地中少々 
中そんじ 天神 明神社 池の端 中そんじ 【丸に八】

王子 稲荷辺わ大そんじ有之候
千住草加近へん大そんじ 三川島 
此近辺百性大そんじ所有之
金杉 此へん大くずれ 志ん丁 三の橋 此へん大くれ 

【丸に三】 小塚原 百性家大ずれ 田中
遊女屋丁中くずれ 甚出火けか人多し 日本堤土手さける
大地われる 今戸 はしより半丁やける

大くずれ 大おんじまへ
寺々 大いたみ 
【丸に六】 坂本入谷大くずれ 坂本 御切手丁辺
上の 御救小屋 山下 御救小屋 此へん中いたみ 堂前 
此へん中いたみ 東御御門跡無事

【丸に一】五丁町 よし原大くずれ 其上出火けか人多し
吉原 六郷さま中そんじ 五重とうくりんまかる 浅草寺 別□なし 

田丁 【丸に二】 芝居 馬道
二千枚限禁賣買


かい買う

自身除妙法

【表題】
自身除妙法(じしんよけのめうほう)

【本文 上】
安政二年十月二日夜
江戸幷関東筋大地震
大火に付
鹿島大明神託曰

〽其方共義前ゝ
【よ】り申|聞(きか)せおく通り
此娑婆(しやば)せかいのうち
大日本国中の地の上は天照
大神其外諸神の御|守護(しゆご)
にして地の下は金輪(こんりん)ならくえんま王
の住所迠|堅牢(けんろう)地神とそれがしの
あづかる所也しかるに例年(れいねん)のことにして朔日
より出雲大社へ参りいるるすの中(うち)を見こみ
其方共|平常(へいせい)の戒(いましめ)をわすれ乱行(らんげう)いたし御|府内(ふない)
近国に至迄|揺潰(ゆりつぶし)家倉(いへくら)石垣其外を崩(くづ)し其上
出火と成数ヶ所の焼失(せうしつ)のみならずけが人|尚(なを)又一命に及(およぶ)
もの甚多きよし是皆其方共かねてのいましめを
やぶりたる大ざい也いかに某(それがし)るすのうちとてもかくのごとき
異変(いへん)ありては某の守護役(しゆごやく)のかど立がたく我をないがし
ろするふらち一人も其まゝさし置がたしへんとう有やとふかく
いかりをあらはし仰けるに一とうのなまづは身ぶるひして大いにおそれ
一言をはくものなく此ときかしら立たると見ゆるもの慎(つゝし)んで申す
〽おそれながら仰のおもむきかしこまり候也此たび大へんのことは
一とふり御きゝ遊され下さるべし此義は申上ずとも御存の義にて
はるなつあきふゆのうちにあついじぶんにさむい日あり
さむいときにあたゝかなる日ありかくのごとく気候のくるひ
有てかんだんの順(じゆん)なるとしは【少】(すくな)く候今年|最(もつとも)ふじゆん
ながら五穀(ごこく)のよくみのり候は八百万神の御守り遊され候
御力による所也さて天地にかんだんの順のさだまり
ありてはるなつと其きのじかうことの外くるい候ゆへ
わたくしとも地下(くに)のすまひにては以の外おもしろき
じせつになりたりとわきまへなきものどもらん
しんのごとくくるひまはり候ゆへわたくしども
いろ〳〵せいとうをいたせどもみゝにもかけず
らんぼうにくるひさはぎ候よりつひに思ひよら
ざる日本へひゞき御しはいの内なる家倉
をそんじ候だんいかなるつみにおこなはる
共いはいこれなく候也され共わけてお願
事はわたくしどものこりなく御かりつくし候共
そんじたるいへくらのたつにもあらねばまづ
しばらくの命を御あづけ下され是より
日本のとちをまもりいかなるじかう
ちがひにても此たびのごときことはもう
とう仕らず天下たいへいごこくほう
ねん君が代をまもり奉り候べしと
とうにねがひけるゆへ御ゆるし有て
【い】づれもかへされけりそれにつき
【ぢ】しんをよける御まもりはむかしより
【これあ】りといへども又下にあらはし置候

【本文 下】
それ地しんは五ヶ国十ヶ国もゆるものにて
そのいへばかりのがるゝといふことなしされど
かしま御神の御色居をはじめ其|御領(ごれう)
ぶんの内にすむ家あまたありて
むかしより地しんにてわざわひある
ことをきかず今左にしるす
【梵字1】?(東方)【梵字2】?(西方)【梵字3】?(西方)【梵字4】?(南方)《割書:四方へ|はる也》
【梵字5】?《割書:家の中なる|てん上にはる》又守に入者へかける也
右の守はたとひぢしん有ても
此家ばかりはさはり有ことなし
万化宝(まんくわほう)といふ本を見るべし此ことを
信(しん)じて用(もち)ひたる家は何ごとなく
あざけりたるものはゆりつぶれ
たることあきらかに書たり
されば是も世の心得にならんと
こゝにしるしはべりうたがふ
人はさしおき此守を信じて
いらい地しんのなんを
のがれ給はゝ幸(さいはい)此上
なしと申のみ

地震方々人逃状之事

   |地震(ぢしん)方々(はう〴〵)人(にん)逃(にけ)状(じやう)之事
一|此(この)ゆり苦労(くらう)と申|者(もの)|生得(せうとく)信濃国(しなのゝくに)生須(なまづ)の荘(しやう)
 |揺初村(ゆりそめむら)出生(しゆつしやう)にて不|慥(たしか)なるふら附者に付荒魔ども
 |失人(うせにん)に相(あい)立(たち)異変(いへん)沙汰(さた)人|諸々(しよ〳〵)方々(ほう〴〵)にゆり出し
 申候処めつほう也|火災(くわさい)の義(ぎ)は当卯十月二日夜より
 |翌(よく)三日午の下刻迄と相定(あいさだめ)困窮(こんきう)人の義(ぎ)は難渋(なんじう)無住(むぢう)と
 相きはめ只今御ほどこしとしてさつま芋三俵はしたにてたべ
 申候御救之義は七ヶ所へ御|建(たて)じま |御(おん)恵(めぐみ)に逢(あふ)目嶋(めじま)
 可被下候事
一鹿島様|御法度(ごはつと)の義(ぎ)は申に不及お家(いへ)の八方(はつぽう)相|傾(かたむか)せ申間鋪候
 |若(もし)此者お台所(だいどころ)の女中方の寝息(ねいき)を考(かんが)へ内証(ないしやう)の地震(ぢしん)致候欤
 又はゆり逃(にげ)壁(かべ)落(おち)致候はゝ急度(きつと)したるかふばりの丸太を
 以て早速らちあけ可申候
一|愁患(しうせう)の義は一蓮(いちれん)たく宗(しう)にて寺(てら)は夜中(よなか)ゆりあけ坂
 |道性寺(どうしやうじ)市中(しちう)まつぱたか騒動院(そうどういん)大火(たいくわ)に紛(まぎ)れ御座
 なく候御|発動(はつどう)のゆりしたん宗(しう)にてはこれなく候
 |若(もし)物音(ものをと)がたつきひめわひより瓦(かはら)をふらし候義は
 無之万一ゆりかへし等致候はゝ我等(われら)早速(さつそく)まがり出|要石(かなめいし)を
 以てぎうと押(をさ)へ付(つけ)野田(のでん)へ宿労(しゆくらう)さしかけ申間敷候|地震(ぢしん)の
 たびゆつてむざんの如し
 |造作(そうさく)ざん年
  |鹿嶋(かしま)の神(かみ)無(な)月二日
                |半性(はんてう)大地(だいち)割(わり)下(げ)水
                 家なしまご右衛門店
                  つぶれやお土蔵
           どさくさほんくらないけんのん橋
                 みじめや難十郎店
                  お小屋太助
   |世並(よなみ)直四郎(なほしらう)様

じしん百万遍

(瓢箪)
じしん百万遍
一 此たびわたくしは千年からくに〴〵を
なやめ鹿島様へたび〳〵わび入
こんど又大江戸をらんぼふに
いすぶり家蔵をたほし人をおふく
つぶしもふこんどは申わけなく
出家いたし諸国かい国に出る
ところいまた此せつ金もふけの
人がけさ衣をもつて一どふの
たのみにはなにもをどげの
ためだから百万べんを蔵
してくだされとゆふか
らいたします
南無阿弥陀仏
     〳〵
  なますた
    〳〵〳〵
     〳〵

東海道大阪辺大地震津波図

嘉永七寅十一月四日朝五ッ時ゆり出し
《割書:東海道|大阪辺》大地震津波図
【上段】
嘉永七寅六月十四日大
地震ゆり出し候へ共市中
無別条候に付氏神へ御礼
の御千度いたし目出度
悦居候所又十一月四日の朝
五ッ時大地震ゆり出し
所々損じ候へども格別
の事も無之又五日七ッ
時に前日同様の地しん
ゆり夫より後止事
なくゆり夜五つ時に大
地震ゆり都合三度の
大地しんにて終に所々夥しく損し申候併怪我人は十人斗り
の由に御座候尤門口に固いたし毎夜野宿いたし申候誠に
前代未聞成事に御座候損じ候所荒増を左にしるす

一天王寺清水舞台  一座摩宮鳥居    一北久太郎町丼池北
一塩町さのやばし  一御霊社井戸家形   家二三軒
一汐津ばし近辺   一天満天神井戸家形 一福嶋五百らかん
一京町堀三丁目   一順けい町丼池角  一籠 屋 町
一あわざ戸や町近辺 一玉造二軒茶や十  一なんば新地みぞ
 都合弐十軒斗    軒ばかり      のかは
一御池通五丁目四軒 一あみだ池横□すじ 一住吉とうろふ六部
 ばかりくすれ   一橘通三丁目     通こける
此外所々少し□損じあれども数多く筆に
尽しがたく候也

【下段】
寅十一月五日大地震ゆり通しの中へ湊口沖手
より大津波打込川口に碇泊之大船小船とも
不残安治川橋上手へ打上け安治川ばしかめばし
打流れ申候て大船帆柱立たる侭橋より上へ打上け
申候道頓堀川にては大黒橋迄はし残らず落申候て
大黒ばし迄大船小ふね共打込又材木等も沢山打上げ
何れの川筋も船幷に材木にて押詰り破舟等の数
知れず大体見聞したる所にては常に碇泊の船九分通りは
破損に相成流人の数何程とも不知此度の津波の有
さま筆紙に書尽しがたく前代見聞せず大変なり
其場所へ行見たる人は能御存じ人の咄しと申すは五寸
ばかりの事一尺にもいふものなれ共今度の事斗りは
壱丈の事が五尺によりいふ事不出来位の事にて誠に
存知もよらぬ大変也湊口図にしるしたる川々残らず
津波打込町家は流れ申さず船斗りに御座候尤も
船はみじんにくだけ申候落たる橋々左にしるす
 からかねばし  高ばし    水わけばし
 安治川橋    かめ井ばし  黒がねばし
 日吉ばし    汐見ばし   幸ばし
 住よし橋    大黒ばしにて止り申候
 かなやばし

大阪湊口之図

【左下の小さい別紙】
東海道大地震津浪 為知写

勢州四日市当月四日巳の刻大地
しん五日申の刻又大地震にて人家
二三十軒くつれ死人無之候桑名白子
神戸辺同様尤桑名大津波にて
大さわぎのよし松坂辺少々いたみ
山田大半くつれ家に相成申候
志州鳥羽大ぢしん大津波にて
御家中大半流れ市中も
同様の事にてまことにたとへなき
次第の由
尾州宮辺関亀山草津宿辺
大そんじ大坂同様の由委細の義未
相分不申よし
 十一月七日申来る

天保改勢珍説増補鯰年代雑記

【表題】
《割書:天保改勢|珍説増補》 鯰年代雑記

【上側一行目、上から番号順に。以下同じ】
増長 高ぶる火
 中山の妙法御代につれて流布す
二  きに入木
向しまにせきをちゝしやる諸人顔をかける
三  知行の土
 ゑん州日の光りに万石のほふさく
四  すたる金
 てら地武士地多店を水のためにながす
五  むかふ水
 鳥いなしの野狐町人をなやます
六  一つ家の火
 うばがいけをつぶしてうぶ木を植る

【上側二行目】
七  ながれの水
 岡場所の弁てんよし原にて開帳
八  身替りの金
 はつ物をきんじて金魚を奉る
九  物にする木
いんば沼へ諸大名大金をうづむ
十  怨ねんの火
 屋部の大臣さんによつて勢州へ配流
十一 ごまの火
 悪水の勢ひやく神をおし流す
十二 地わりの土
 他まちの法印をねつみ山へうつす

【上側三行目】
十三 国替する木
 皮かむり出羽の国□をうらむ
十四 雁 金
 六もん銭通用はしまる
時勢 富の金
 おはなしを禁して心学を行ふ
二  なみだの水
 ひごの国ゟ林の木八千ぼん上る
三  同 水
 大和に堀をほりて一万石つぶれ
四  辻ばんの火
 石のあめふりて浜のまつ折る

【上側四行目】
五  益もな木
 くすり湯に男女の入込をきんず
六  逆まく水
 かれかけし浜まつふたゝび色をます
七  かべの土
 町中白かべとなり家持公大つゝう
八  つるの金
 竹本義太夫の娘をいけとる
九  ね耳の水
 大しほ一時に大坂へわき出る音大筒の如し
十  花びの火
 四月十七日に川開をして江戸中を騒す

【上側五行目】
仁政 正し木
 玉つしま明神あらわれ悪魔を追ふ
二  とふ山の土
 九字の文楽ひ町中にかゞやく
三  替る土
 不忠しん蔵浜松にて開じやう
四  うらみの火
屋部大臣配所にてふん死す
五  かゞやく火
 備後とびつ中と表替あり
六  溜め金
 五つ頭ある金竜誅せらる

【上側六行目】
七  にごりの水
 鳥いつぶしてみれば一つ穴の狐と成
八  外を水
 先年中小いし川に閉門がしたつ
九  有がた木
 きの玉大明神万民をすくふ
珍事 名高木
 しま屋のばんとううら門を破る
二  土俵の土
 四十八組の火けし水けしとなる
三  往来の土
 引はりと云すつつはり所々へ出る

【上側七行目】
四  ふるう土
 しなのにてほとけたのんで地ごくへ落る
五  かゞりの火
 うら賀沖にちゝはゝの舟見ゆる
六  焔焇火
 相州浦にて火薬をもつて新舟をやく
太平 陣がねの金
房さふのゆりぼふを小金へ追込
二  浪せんの金
 天の岩戸両ごくにてかいちやう
三  奢りの木
 二こくにてビロウドの花を咲

【上側八行目】
四  つたひよ木
 いびつなりの銭世の中を廻る
五  水どうの水
反古ばりの獅子勇しをあらわす
六  はなは水
 けいこ所より大花見さいこうに
七  通用金
 将ぎの上手ぎんを金にしてつかふ
台謾 高利の金
 もう人国ゟ官金といふ金を出す
二  負ぬ木
 かみ結床ののれんせうじ手を尽す

【上側九行目】
三  とる木
 大屋私にたる代の定格をなす
四  かふ木
 やくしやあみ笠を捨手ぬぐいと成
五  吉田の土
 辻君所々にせんせいをなす
六  元の水
 水茶やにむかしのごとくしんぞおる
七  同水
 一疋の猫を百疋にする事をはじむ
八  かせ木
 あたまでめしをくふ女大行にあらわる

【上側十行目】
大着 きかぬ木
 八丁堀にて狐のかたきを打
二  跡を水
 長崎の通人囲を破りてもふく
三  費の金
 天王まつりに色〳〵の金かくし出る
四  引込金
 けいこ所にて男女の入込をはじむ
五  あんどうの火
 麦ゆ化してあまざけとなる
六  京の水
 ゆふべもらふた花よめきたる

【上側十一行目】
七  大さわ木
 日れん宗開帳に大ばたをあぐる
八  薬礼の金
 りうきう人日本へ風の神を渡す
九  唐の土
 金こう堂人海外新話を出す
十  山しの金
 大江山より熊のごとき童子出る
高名 かけ川の水
 音羽の梅寿正じんの亡者と成
二  をし木
高らいの錦升丈没す

【上側十二行目】
三  恵みの水
 市川のゑび江戸川へ下る
四  焚立る火
 川むらより温せんわき出る
五  江戸の水
 角木かう桜艸に位を給ふ
六  御しう木
 □村市村より寿の踊りをはじむ
七  石川の水
 中むらにて日中につゞら中を飛
八  ひい木
 三升上人冥土より帰り来る

【上側十三行目】
九  はやる木
 大山尊者かんざしに蚕を造る
十  ものず木
 木魚こう寒声をはしむ
十一 せん香の火
 おく山へ大鯨のぼる
評判 いそがし木
 アリンス国より直下けの札を出す
二  手ぜうの金
 地ごくより美人生捕また地ごくに落す
三  天上の火
 先年太鼓持のころ付所々にておつこち

【上側十四行目】
四  柳の水
 大屋の父子飼猫のために役落
五  自由の金
 女いしやなん病りやうじ妙術をあらわす
六  手向の水
 市むら何紅なごりを出して冥土へ下る
七  かひ切の金
 当□大明神中村にて開帳さんけい大入のごとし
八  【空欄】
九  【空欄】

【上側左端の和歌、上】
  海なき国のうた
銭なきは苦ろふをするがみの
 おわりかへさぬきでは
  かす人もなし
大水や火事やきゝんは
 しのけども世のつまるには
  だれも銭なし

【上側左端の和歌、下】
  ぢしんのうた
苦い悔ひ後日をあてにしち
 日なしむりやりくりに
  かせぎしそする
  たましいのうた
としよりと女子供は三升よ
  男五しやうと五水りやうあれ

【下段】
此よめ記は是迄追〳〵撥出したる年代記其外に
もれたる珍説等を書加えて盧生の一むかしを
一紙に編□て笑ひのたねに備るのみ
  嘉永四年亥仲秋 思案房述

六用吉凶【上側に右から横書き】
先妾日 願ひ望事は取入てよし
     末はわるしとしるへし
友引日 ゑんにつれて立身し
     □の□□き事あるへし
前後日 あとのばん先にたつ事あり
     ひかへめにしてよし
悪滅日 大悪日なれどこゝろたゞしき
     人にはさはりなし
大安日 物事あらたまりて
     あんしんする大吉日なり
借口日 なんとなく世の中つまりて
     下〳〵口ぜつ事あり
 
八勝人善悪之事
大ざいみづの方   此さたに及て万よし
           但石かわらをふらす
大しやうぐん上の方 此かたに願ふと
           千年もさかへり
大おんうけの方   むくひて国替よし
さいけうひつしの方 此さたにおよんて
           きんざあらたまる
たいはいへの方   町〳〵ふしんせず
           根つぎもはしめず
たいせつにしの方  このかたより
           よめとらず
わうばんしろの方  大しほに向て
           弓はしめよし
ほうびうけの方   向ひてぜんごをろんぜず
           身命おしまず

暦中段
【上側に右から左へ横書き】
立除満平定取破危成納開閉
【横書き文字の下に二行ずつ記載】           
高利の金證文面を以て
願ひ出るによし
ふじ同行は先達なしに
ひかへめにすべし
芸人は残らず江戸へ
下りてよし
銭なきことに貴賤の
へたてなし
諸株とりきめに
よし
たる代五せつく
物あつめによし
長崎の大通望ことに用
其外はわるし
下〳〵の者考事に
 用てわるし
雷所〳〵へ出歩行に
よし
着類調度七つ屋のくら
 入によし
寺稼の出家女色に有に
よし
うり居かし店の
 札はるによし

十考
きのへル よふな世の中になり
     しをはま松かれて
きのどク とおもふ者はたゞの
     ひとりもあらはれす
ひのへ  〳〵につもりきし
     人の思ひに今はたゞ
ひごと  に其身にむくひき
     てなくもなかれす
つぢばん もみじんになつてうち
     こわし石かわらふる
つちのど どふなる事と身をも
     んであんじる内に
かざい  まて引はらわれて
     おためごかしで引取た
かぶと  もたちもとり上られ
     今さらに取付所もなく
みづのウへ に居る心はらを切るには
     命はおしくおのれを
           せむる
みづのとガ たゞのめ〳〵と生て
     居て何をたのみに
       末をまつやら

十二子
 珍らしい
子(ね)つぎをする
 芝居
 ぢごくは
寅(とら)れても
 たゝんず
 十組は
辰(たつ)よふに
 なれど
 とかくに
午(むま)らぬは
 御くら米
 評ばんは
申(さる)わか
 かん三郎
 犬おふ物は
戌(いぬ)のめい
 わく
 しま屋とは
丑(うし)ろの通り
 名となり
 銭金に
卯(う)らみの
 かず〳〵
 まだたつ
巳(み)のさたは
 きかず
 今のぶんでは
未(ひつし)やうの
 出来あき
 二丁目は
酉(とり)かさねた
 病人
 一さわぎかみ
亥(い)とこの
 大はたん

金銀精
【外側から内側へ、十二時の位置から右回りに記載】
萬寶世重
小判二分額銀子粒弐朱當百
寛通永寶
【左側の記載】
金きん星のやりくりよふは
  七つ屋は 八ヶ月〆
  日なしは 六十日〆
  店ちんは 三十日〆
  盆暮は  百年目
   順にくるべし
  

地震雷過事親父

地震(ぢしん)雷(かみなり)過事(くわじ)親父(おやぢ)
■火の印
●かみなり
▲なまづの印之
■「ナント雷(かみなり)さんおめへは久(ひさ)しく音(おと)がしねへぜへよくおと
なしくしているぜ●「ナアニ私(わつち)もしかたなしさ「ナゼ
●「ソレ四年いぜん八月四日に大ふざけをしてツイ
おつこちやした其時たいこは打折(ぶちおつ)てしまふ其上
こしぼねを強(ひどく)打(ぶつ)て天竺(てんぢく)へ返(かへ)る
こともできず今に
迷(まてつい)ているから
天竺(てんぢく)浪人(ろうにん)だ
なまづさん
おめへは時〻(とき〳〵)
やけになるが
此間なざアユサ〳〵ドロ〳〵と
直(すぐ)に四方(しほう)が花盛(はなざかり)だアリヤどふいふもんだ
▲「ナアニ私(わつち)は水の中のもので火はしらねへハナ
●「そんならアノ大ふざけはどふいふもんだねへ
大やけに成たもとはおめへから起(おこつ)たことだせ
▲「アリヤ春(はる)夏(なつ)の季(き)に曲(くるひ)が有て陰陽(いんやう)の気(き)が
和順(わじゆん)せずソレ私(わつち)が世界(せけん)で面白(おもしろ)く成からツイ曲(くる)ひ
出す所が少(ちつと)で済(すむ)時(とき)もあり又大ふざけをやる時も
有ていソコはきまりなしさ ■「そんなら四季(しき)の気違(きちがへ)から
□□□所だかららんしんにでも成てなかまぢうがおどり
□□□□なぞをするのかへ ▲「サアそこは自身(じしん)に考(かんがへ)ても分(わから)らねへ
おや
ぢか
いふ
「こいつらハわるくふざけるやつらた
どんなことをするかしれねへから
回禄《割書:火の|神也》加茂大明神《割書:かミ |なり》鹿島
《割書:地を|守る神》此御神に願ツてかミじハりに
してもらハざア
いく
めへ

[大坂つなみ]

大坂つなみ
十一月四日朝五ツ時ゟ大地震ト成
委しくハ下段にしるす
同五日又々度々はけしくゆり
市中人々あわて舟へかけ出候所又々
大つなみにて新田其外嶋々
水につかり大船浪に追れ内川へ
のり込にて逃出る舟人橋々崩おち
人損じ又ハ岡へ打上りさん〴〵之所
逃る人々舟々向ふゟ追れ大船に
敷れあたりさま〳〵にて死す人凡千
人共千五百人共かず不知

大船凡三百艘余小舟千艘あまり
くづれ破そんのふね数しれず
大船の為にくつれたる橋の名爰に記
道頓ほり川筋日吉橋田蓑ばし
幸橋 住吉ばし 大黒橋にてとまる
かなやばしくすれる 堀江川筋 水分橋
くろがねばし 長ほり高橋 江子嶋かめ
井ばし 安治川橋落る 凡ゆり八寸

  奈良
同四日朝五ツ時より大地震と成一人も
内にゐる者なし家内蔵くづれ清水
辺西手貝通り五六軒くづれる
五日より昼夜かけて又々はげしく先に
残たる家みな〳〵くづれ
郡山大体同様の大地震也
逃る人幾千とも数知れす
たび〳〵の大地震ゆへ其混乱
筆につくしがたし

  大坂大地しん
清水舞台みちんトナル
天王寺村所々大ニそんじ
さのやばしすじ塩町北へ入高へい崩死人アリ
《割書:京町ほり羽子橋ばし|北詰四五けんくづれ》
死人あり
 かごや町角間口十七八間くづれ
北久太郎町丼池北へ入四五けん同断
永代はま大土蔵同断
ざま石鳥井みぢん崩絵馬堂崩
さつまぼり願教寺たいめん所くづれ
北ほりへ四丁目五軒崩あみた池西門
一すぢ西の辻南へ四五けん幸町東樋
より南へ五六けん堂じま桜橋南詰西へ
七八軒順けい町丼池東へ二けん崩かゝり
本町狐小路浄寺高へいくづれ上福
嶋天神の門井戸家形北江戸ぼり一丁目
高塀十五けん崩天満天神御霊いなり
高津皆境内井戸館絵馬堂大に
そんじあハち町中ばし大道
われる安治川三丁目十四五けん崩
同所順正寺茶の間本堂くづれ
いたちぼり中はし宿両かわ崩
其外うら〳〵かし屋またハ
土蔵などハ一々筆につくし
がたし
天王寺境内いろ〳〵損じ并ニ
太鼓堂くづれる寺町辺々損じる
福しま五百らかんくづれる
凡ゆり 五寸

市中毎夜〳〵如此にて大道へ
畳抔を敷屏風或ハむしろにて
かこひ夜を明し内に
ねる者一人もなく
誠ニ〳〵哀至極
なる事
前代未聞
の事なり

志州 鳥羽
十一月四日朝五ツ時ゟ大地震
にて所々崩同五日昼七ツ半時
より又々大地震と成候所へ
大津なみにて御家中六部
通り流レ町中も八部通崩或ハ流
二部通り残たる所ハ破損あり惣而
志摩一国無事成所一ケ所もなく
誠ニ〳〵日本一の大あれ也
死人凡一万余とも相わからず
失人数知れずゆり凡弐尺

紀州
同四日同刻よりゟ大地震の上大つなみ
ニて川口流 死人 凡三百人余
黒江 日高 藤代辺ハ床ゟ汐
三尺斗り上り死人凡百五十人
崩家凡三百軒あまり也
残りたる所皆々はそんあり
尤御内くづれ所々沢山成事
かず不知其外一々筆ニ尽がたし

大地しん
四日朝五ツ時五日朝七ツ半時
同夜四ツ時同八ツ時六日五ツ時
同四ツ時なり
ゆり凡一尺五寸

勢州
同日同刻ゟ大地震二て松坂
津 白子 神戸 山田の辺
凡半崩破損の所かず不知
凡四五十人ヅゝ死人有よし
けが人多し

四日市
十一月朝五ツ時ゟ大地震となり
家数凡五十軒余り同五日ひる
七ツ時ゟ又々大地震となり大地割レ
土蔵八十ヶ所死人凡二百人
けが人数不知其近在十二ヶ村
半くづれ 死人少々
ゆり一尺五寸 けが人多し

桑名
同日同刻より大地震の後大津浪
二て浜辺ミな〳〵流れ大津辺まで
大さハぎ けが人多し

播州
十一月四日朝五ツ時ゟ大地しん
姫路御城下大はんくづれ残り
たる所はそん有死人凡百人余
けが人多しゆり凡八寸

奥播州
加東郡栗野へん大地しん
二て四部辺り崩るはそんの家数不知
其外在々皆々大坂同様なり

泉州 堺
十一月四日朝五ツ時大地震二て
處々崩れ同五日七ツ半時より
又々大地しん大つなみにて
新地 茶町 北嶋 米市場
所々大つなミにて大にそんし
大道すし所々崩ル破損数不知
死人凡六十人けか人多し
其近在十五ヶ村所々崩大破損有
死人すくなしけか人多しゆり凡六寸
崩たる橋の名爰二記
あづま橋 さかへはし 龍神橋 
住吉橋 いさミ橋 相生はし
新栄橋 新相生橋
ミな〳〵 おちる
但し是にもれたる国々ハ
大体大坂同様の事也
十一月四日朝より八日夜迄
八十度のゆりなり
早飛脚二て申来り候由
【上地図】
播州
つなみ
なし
【下地図】
さかい
米市ば
つなみ
茶ヤ丁
りうじん通
さかい
橋々
くづれる

大津画ぶし

大津画ぶし
〽おひ〳〵なまづどの。ぢしんの
訳(わけ)おば聞(きか)してくんな。そこで
諸人(しよにん)かびつくりげうてんし。
いへ〳〵鯰(なまづ)じや厶(ござ)りません。
天地(てんち)の気(き)のくるひ。
ゆさ〳〵ゆりました。
《割書:ヤレ|〳〵》手(て)ひどひ火(くは)なん
じやと。かけいだす。
【なん】のてもなくひと
【つぶし】。いのちとかみ
【なりはご】ろ〳〵ならぬでおめで【たや】
【延壽堂?画作】

【左下人物の着物の柄が「火」】

[鯰へのこらしめ]

【タイトルなし】
【二段構成】
【上段】
「しらみじやあ【あ:小書き】あるめへし
よくつぶしだりやひたり
したなまづちうにん
かみぶつちめろ〳〵
「るすをつけこみ
ふらちのはたらき
いごのみせしめ
かくごしろ
「あいたゝゝゝもふ
こんどから
うごき升【升:ます】
めへから
あれさおち
つひて
とつくり
わけを
きいて
下せへ
これさ〳〵
あいたゝゝ
なまづだぶ〳〵〳〵
「うらめしひ
なまつどの
どろん〳〵【どろん〳〵:小書き】

ゆるぐ所ても
よし
ひめ
なほす
要石
末広〳〵とあふぐ
御代とぞ

【下段】
「まあ〳〵そんなにしねえでも
わつちがいふことがあるから
きいてくだせへこれさ〳〵

鹿島山要の石持

鹿島山(かしまやま)要(かなめ)の石持(いしもち)
             大都会ぶし
〽江戸の花。名物は。ありやらんりうとの
町火消。ゑこういん御めん。の大相撲(おほすまう)《割書:おあ|いだ》
さかりばゝ。両国山下で吉原かりたく
花川戸。場所もかはらぬ瓦(かはら)町山の宿
浅くさの広小路に深川はふか川 七場所(なゝばしよ)
大当り持丸の金(かね)ぐそ地震(ぢしん)のおかけで銭儲(ぜにまうけ)

[中]村芝翫

瓢箪の
みのある芸や
鯰さへ おさへた
ものとほむる
所作事
  雛の□真鶴

   七変化
□村芝翫 所作事
      の内
          □□□□
           □□□画

安政二乙卯歳十月二日夜ル四ツ時震始メ末代

安政二年乙卯歳十月二日 夜ル四ツ時震始メ 末代

御大名方類焼之部
酒井雅楽頭様
森川出羽守様
松平肥後守様
松平下総守様
内藤紀伊守様
松平長門守様
伊藤主理大輔様
北条彦之丞様
永井遠江守様
本田中務太夫様
土屋采女守様
林大学頭様
松平豊前守様
遠藤但馬守様
松平因幡守様
松平玄蕃守様

松平壱岐守様
南部信濃守様
有馬備後守様
三浦相模守様
松平大膳太夫様
松平時之助様
村上但馬守様
松平肥前守様
伊藤若狭守様
松平駿河守様
内藤駿河守様
堀田備中守様
戸田竹治郎様
板倉伊予守様
亀井隠岐守様
小笠原佐渡守様

栁沢監物様
朽木近江守様
松平紀伊守様
松平豊後守様
松平周防守様
内藤能登守様
松平甲斐守様
榊原式部守様
安部播磨守様
北條美濃守様
薩州装束家敷
津軽御下屋敷
定火消御家敷
定大消御家敷

卯十月二日夜四ツ時大地震ゆり始大崩れニて
出火□有増の所付丸之内大手先酒井雅楽頭
森川出羽守様より出火又松平肥後守様より
出火松平下総守大崩れ出火八代町から村上
但馬守様御火消屋敷不残やけ松平相模
守様焼失町家夫より京橋五郎兵へ町より出火
具足町柳町白魚やしき竹がし南伝馬町
二丁目三丁目大こんがしふるぎ棚たゝみ町
一丁目二丁目かぢ丁一丁め二丁目同三四大工丁一丁め
二丁目三丁目おけ丁一丁め二丁目鈴木町いなば丁
ときわ丁松川丁本材木丁五丁めより八丁目まで是より
南八丁堀通不残やけ又しば口一丁目より源介丁
迄所々くづれ又うた川丁より出火金杉迄不残
焼失のこり所々くつれ夫より高なわ別してゆり
つよく大地さけ中より砂斗り吹出シ所々くづれ
大混雑それより東方御じんがはら
四はんばら松平紀伊守様より出火
榊はら御家敷戸田竹治郎様小笠
原様小川町火消屋敷土屋采女
様其外うまな板ばし迄大家敷不残
焼失残所二ハくづれ又小石川小びなた
りうけいはし近ぺん屋しき町
家とも消失伝通院前所々くづ
れ出火ありそれよりお茶の水ばん丁
までくづれ焼るなり赤坂一ツ木
へんより青山六堂辻極楽の水
此へんは惣くづれ出火ありそれ
より四谷塩丁のりもの丁石切よこ丁
此辺より新宿甲州かい道すじ
右同断

御府内ハ十里余方八千住居
大くづれ小塚原じしんの上
のこらず焼失夫より仲仙道
大宮辺まで地さけくづれ上
総下総まで大地震なり
舟はし辺ハ殊のほか手ひど
く人家申およハず又かさいニ
合半日光道中ハ岩つきさつ
手辺ハこと〴〵くくづれ出火
出火此数しれず凡火の手上り
数百五十九ヶ所二日夜より今に
大小刻々時々にゆる事やまず
中に三日夜ハかうし町下谷出火
あり安き心ハさらになし此よし
諸国親るい縁者方もたより
しがたく親子兄弟一ツ所ニ寄合
毎日かなしむ事あわれなる
次第なり
一団子坂此辺大くづれ谷中
善光寺坂それより本郷どふり
大損じ切どふし辺のやけハ加州様御人数
惣掛ニて消口を取此辺のたすかりハ
中々かうたいもなく有かたき事此上なし

佃向五番
の内
御台場之

二ばんの
御台場
 一ヵ所一ケ所飛火
   にて
     出火

御大名様御屋敷
大そんじ 百九十五ケ所
焼失  百二十ケ所
はた本御屋敷数しれず
寺社くづれ百九十五ケ所
同 焼失九十一ケ所
御家人衆様大損じ五千余
同 焼失九百五十余
町数 三千十二丁
大くづれ 焼失 数しれず
出火 三十二ケ所
土蔵  十万七千余
 但し戸前くづれとも

[地震鯰の取り調べ]

【タイトルなし】
【本文上下二段構成】
【上段】
かしまさま
「くに〴〵の地しんどもの見せしめに
まづ江戸のぢしんめを
てひどくうち
のめししよにんの
あだをてきめんに
とるがよか
ろう

「はい〳〵【はい〳〵:小書き】かしこまり
ましたこのあたまに
さしたるかなめ石を
さん〴〵にうちこみ
そのうへでせびらきに
してなまづの大かばやきを
こしらへしよにんへ
ほどこし
ませう
江戸
「あゝ【あゝ:小書き】いたや〳〵
このうへの
おねがいには
いのちばかりを
おたすけくだされ
そのかわりには
いまよりして
なまづの
けんくわや
じやりの
うへゝでます
ことは
いたしません
くわん八しう
「わたくしは
どのくにゝも
あしをとめませぬ
くわんとうすぢをのたくり
あるきましたが
これからはきつと
つゝしみます
【下段】
しんしう
「わたくしのつみをゆるして
くださるならば
信しうも
かまどもなつちも
いらねへ
小田はら
「どうぞとがのせんぎは
をだはらになればいゝが
ゑちご
「わたくしはゑつちうゑちごの
ぢしんゆへかくべゑのやうに
さかさになつておわびを
まうします
甲しう
「わたくしはかうしうの
うまれゆへ
ぶどうのやうなひやあせを
ながしておそれ
いります
大さか
「大坂をゆり
いだしてならの
はたごや
みわのちや屋
まですこしは
いたませましたること
いつわり
なく
まうしあげ
ます

東名所道化寿古録

【タイトル】
東(□□□)名(めい)所(しよ)道(どう)化(け)寿(す)古(ご)録(ろく)
【図主体で本文なしタイトルのみ】

関東江戸大地震并大火方角場所附

   安政二卯年十月二日夜
《割書:関|東》江戸大地震《割書:并大火|方角》場所附
天変不思義ハ天の成処といへりされハ此度これハ安政二卯どし
十月二日夜四ッ時過大ぢしんにわかにゆりいだし北ハ千じゆ宿大くつれ
小づか原ハぢしんの上出火にてのこらずやける新よし原ハ五町まち江戸町
一丁目より出火のこらず大くづれの上やける田町大ほんじまへ花川戸やまの宿
聖でん町此辺地しん出火家々のくづるゝ事おびたゞしく芝居町ハ
三丁目ともやける金龍山浅草寺ハ本堂つゝがなく雷神門そんじる馬道ハ
大半やけるなり並木通りハ殊之外くづれすわ町より出火して駒かた通りまで
のこらずやけるなり夫より御蔵まへ通り残らずそんじ広徳寺まへの寺まち家
大ひにそんじる下谷辺ハ藤堂立花その外御大小名やしきのこらずそんじ
上野町ゟ長者町七軒町辺より出火して和泉橋通りまでもへ夫より仲町
うら通りくずれ表通リあらまし残るひろかうじハ井口のかハやける同かや町二丁め
より一丁めまでやける根津ハ二丁目より残らずくずれ中程にて二三げんのこる
むゑん坂の上ハ松平備後守様御やしきやける千駄木団子坂
此辺あまたくづれ谷中善光寺坂上少々のこる也夫より本郷通りそんじる
切通し辺やける加州様御人数惣かゝりにて消口をとる湯嶋天神社
少々いたミ門家両側町家土蔵つきハ惣いたミのこらずそんじる同ミ組町中程
にて二軒たおれ木戸ぎハにて一軒くづれその外畑新田丁家灵雲寺
門前少々いたミ灵雲寺ハねりべひくずるゝ妻恋町稲荷社つゝがなし
町内一軒もくづれず扨大通リハ浅くさかや町両側そんじる御目付石かき
飛いづる馬喰町横山町大傳馬町小傳馬町ハ格別のふるひなけれども少々やける
あつま橋むかうハ松平隠岐守様御屋くずれやける本所石原辺より御舟ぐらの
前町くづれまた深川一の鳥居まで焼同洲崎鉄炮洲灵かんじま塩町佃じま辺まで
やける又神田通りハ出火なしといへとも筋違より今川ばしまで諸々くづれ

又日本橋辺ハ少々くづれ南伝馬町二丁めゟ畳町五郎兵衛町具足町柳町ときハ丁
すゞき町かじ町白うをやしき京橋きハ竹町かしまで此辺煙立十文字二やける
夫より柴口橋通りハ一丁目より源助町まで諸々くづれ宇田川町より出火にて金杉辺まで
諸々くづるゝ高縄ハ大地一尺ほとさけ砂りふき出し諸々大くづれ品川しゆくやける
御台場一ヶ所類焼さ之川大もりへんまで大ひにふるひ東海道ハ大地六尺程さけ砂りを
ふき出し大にふるひ又御城内ハ大名小路西丸下まで大地しん出火所々あり神田橋
御門内ハ酒井雅楽頭様森川出羽守様類焼和田倉内ハ松下下総守様松平
肥後守様大くづれ類焼八代洲海岸ハ上村但馬守様松平相模守様火けしやしき
残らずやける也其外嶋毛利南部様類焼其外ハ大くづれ小川町ハ本郷丹後守様松平
紀伊守様さかき原式部大輔様板くら戸田此辺のこらず焼失又山の手ハ麻布まミあな広尾
此辺所々出火諸々大くづれ四谷町ゟ麹町惣のこらずくづれ出火あり小石川伝通院門前
諸々くづれ出火ありお茶の水ゟ番町辺まてのこらずくづれ焼るなり赤坂一ッ木辺より
青山六堂のつじ極楽水ノ此辺そうくづれ諸々に出火あり其外御府内両国より日本
橋までの間出火なしといへとも所々大そんじ其外御府内十里四余は仲山道大宮辺ハ大地さけ
くづれ上総下総大地震行とくふな橋辺ハことに手ひとくゆり人家のくづれ
大かたならず又葛西二合半日光道中ハ岩つきさつて辺ところ〳〵大抜諸々より
出火ありいろ〳〵数ぞう事にいとまあらず死人けが人おひたゝしく中にも吉原ハ
惣のこらず凡七千人ほどの死人の山をなし其外所々の死人何千万人といふ事しらず
出火翌朝方二漸々しづまる地しんハ一両日の間はハ時々刻々にゆり是によつて
御やしき町家二いたるまでミな大道往来に野じゆくいたし■をさける
又翌日もかうじ町下谷辺に出火あり諸人安きこゝろもなかりしか漸々
五七日の日を経てしじん出火しつまりて安堵の思ひをなす此よし諸国の
親るい縁者のものにしらしめて親子兄弟の存亡をつけしらしめんかため一紙二給ふ
▲町数三千十二町そんし出火三十二ヶ所より出御府内大半その外土蔵十万七千余崩る
 御屋敷大名三百余軒御はた本小やしきあまた大そんじ
○無難の分両御丸并并浅草観音両本願寺東ゑい山深川八幡神田明神此外所々の神仏
灵げんのいちじるしく本尊の分すこしもそんじ不申誠二有かたき事二御座候




















ちょぼくれちょんがれ

 ちょぼくれちょんがれ
〽きめうとうらいからだ大事(だいじ)くらがもろい□ヤレ〳〵〳〵〳〵
おもてへにげだせ〽どうしたさわぎだたすけてくんねへ
二日の四(よ)ッ時(どき)俄(にはか)のことでな天地(てんち)しんどうかゝァとふたりの地(ぢ)しんのむつごと
なまづにけされてふんどしひとつでからだもせがれも
ちゞみあがつてねんぶつだいもく一どにとなへて
おもてへころ〳〵戸板(といた)一枚(いちまい)生死(しやうし)のさかいだ
こういふうちにもよくづらかわいておやぢのゆづりの
大(たい)きんづゝみを落(おと)しはせぬかとさぐつて見(み)たれば
サテ〳〵大へんいつのまにやらどこへかおとしてどうした
ものだとよく〳〵さぐればあんまりこはさにつるしあがつて
でべそのきはになかくれてけつかるこれですこしはあんしんかなめの
鹿島(かしま)さんでもおやどにござらばこうしてくらうは
きなうもあるめへよがなよつぴてうろ〳〵まご〳〵あつちの
すみではまんざいらく〳〵のじゆくのあげくはてぶりのあみがさ
すだちのまんまでねござも持(もた)ずにお小屋(こや)をねがつて元(もと)のわが身(み)に
やう〳〵かへつた神(かみ)のいとくやおかみのおめぐみ◎

   ◎豊年(ほうねん)万作(まんさく)
     五(ご)こく成就(じやうじゆ)
    さりとは〳〵
    めでたい
    こんだに
    ホウヲイ

ゆるがぬ願立

鯰のかば焼き大ばん振舞

【タイトル】
《割書:【不明瞭】旅客(おきやく)は 八百万神(はつひやくばんしん)の 大一座(おゝいちざ)|馳走(ちそう)は鹿嶋(ていしゆ)が地震(ぢしん)の手料理(てれうり)》鯰(なまづ)のかば焼(やき)大(おゝ)ばん振舞(ぶるまひ)
【本文】
鹿嶋(かしま)大 明神(みやうじん)出雲(いづも)の大社(おゝやしろ)に
かいして諸々(もろ〳〵)の神(かみ)達(たち)とともに
氏子(うぢこ)の者(もの)の縁結(えんむすび)をして
居(ゐ)給ひしに本国(ほんごく)より早飛脚(はやびきやく)を
もつて府内(えど)の大変(たいへん)を告(つげ)こし
たるにぞ取(とる)ものもとりあへず神(じん)
通(つう)をもつて数百里(すひやくり)の道(みち)をその
夜(よ)のうちにとつてかへしすぐさま
かの大鯰(おゝなまづ)をとつておさへ以後(いご)の見せ
しめなればきびしき刑罰(けいばつ)等おこなはんと
せらるゝところへ日本(につほん)六十余州(ろくしふよしう)大小(だいせう)の神(じん)
祇(ぎ)も縁(ゑん)むすびはそこ〳〵にとりしまひ
おい〳〵うちそろひて鹿(か)しまへ見舞(みまい)に
きたまひしがこのていを見てかしまの
かみのはたらきをかんじまたなまつの
いと強大(きやうだい)なるにおどろきしさら【より?】
たんし給ふことこゑもしばしやま
ざりけりあるじの明神はなんろ
の所さつそくにお見まひくだ
されしだんありがたくぞんずると
いち〳〵にれいをのべさて諸神
だちへ【なに】が【に】のちそうせんと
おもわれしがかくにはかの
きやくらいといひことに八百万
の大きやくなればつきはせんと
ゑびすこんひらの二神へだんかう
せられしになにかにといはふより
この大なまづをかばやきにして
ふるまひなばよきもてなし
ならんといふにげにもとお
もひにはかにそのようゐを
なしてづから大なまづを
さきてかばやきになし
八百万神たち
をもてなし
給ひし【こと】神武
いらいはなし
にもきかざる
うそ八百を
おみきの
あまりに
よふて
つぶる

浅草寺大塔解釈

【タイトル】
浅草寺大 塔(とう)解(かひ)訳(しやく)
【本文】
▲三十四代 推古(すいこ)天皇御 即位(そくい)より丗三年三月十八日宮戸川より観世音の
霊像(れいぞう)出現(しゆつげん)まし〳〵ける爾共(しかれども)此節は今のごとき美麗(びれい)の大寺にあらず扨又
今般(このたび)十月二日江戸より近国迄も大地震ありて当山の五重塔九輪 曲(まが)る
又右地震以前に空中(くうちう)異形(いげう)の者南方へ飛行(ひげう)せし由を云て地しんの
前表(しらせ)也といへり付会(ふくわい)の説(せつ)は信(しんず)へからず尚(なを)又(また)昔(むかし)より大塔の異変(いへん)有しことを
説(とき)分(わけ)て怪(あや)し談(ものがたり)の□惑(きわく)を解(とく)べし
▲村上天皇天暦十年十月京都
八坂 法観寺(ほうくわんじ)の塔は何(なに)の
訳(わけ)も無(なく)て
東へ
傾(かたむく)
記号【丸の中に一】
記号【丸の中に二】依之大に怪(あやしみ)種々(いろ〳〵)の説(せつ)をなせり
番匠(たいく)の掛(かゝり)て是を直す同十二月二日又 曲(まが)る
又直して後又 曲る斯(かく)迄(まで)怪(あやしき)事(こと)限(かきり)なかるべし於之 術(てだて)も尽果(つきはて)たるおば
台岳(たいざん)【台岳:比叡山の別称】の浄蔵(ぢうぞう)といへる僧(そう)祈祷(きとう)をなして傾(かたむき)たる大塔を真直(まつすぐ)に戻(もどし)居(すへ)其後
今に至て数百年を経(おく)る間(うち)大地震度々有と雖(いへども)右の塔は一分も曲こと
なく瓦(かわら)一枚落たることなし此 談(ものがたり)と浅草の事を合て考見るべし何(いづ)れを以
怪(あやし)とせん右浅草寺は中興(ちうかう)の祖 寂海(じやくかい)法印 建長(けんてう)二年より丹誠(たんせい)をこらし
一山諸堂を建立(こんりう)し日蓮聖人の弟子と成 寂日房(じやくにちぼう)日寂(にちじやく)と改名し橋場(はしば)
深栄(しんえひ)山 長昌寺(てうせうじ)開山(かいさん)と成其後別当数代かわり再建(さいこん)もあり今の塔は
元和四年 二代君御 祈願(きぐわん)に付御 布施(ふせ)在(まし〳〵)て替造(かへつくり)其後 八代君 享保(けうほう)六年記号【丸の中に三】
記号【丸の中に四】御 施主(せしゆ)に造替(つくりかへ)の諸 伽藍(がらん)也今年迄百三十六年也
右年数の間雨 露(つゆ)風霜の気と炎暑(えん□)に乾(かはけ)るもの
表張の銅(かね)は其 変(かわる)所なく共 真柱(しんばしら)の木は幾年を経
るとも素の如にはあらず老木(ふるき)に成は必定(ひつぜう)也扨また
此度の地震は前代(ぜんだい)未聞(みもん)にして希なる大 揺(ゆり)也
依之 真木(しんぎ)を振折(ふりおり)て表張(そとまき)の銅にてつなぎ記号【丸の中に五】
記号【丸の中に六】止り有のみにて
別に変事なし 此度(□□□□)の異変(いへん)ある時は人々
怪異(けい)の浮(ふせり)流を立 愚(ぐ)人を惑乱(わくらん)せしむ若又
右塔に付地震の前表(しらせ)もあらば所々にも其
験(しるし)有べきこと也 何条(なんぞ)怪(あやしむ)にたらん夫よりは一山の中
に堂の破損(はそん)は有共大本堂は毛頭違変なし
是全観世音の神通力 守護(しゆご)と弥(いよ〳〵)信心(しん〳〵)有へき事なり

[鯰を蹴散らす伊勢神宮神馬]

こゝに安政二年
十月二日の夜
大地震(おほちしん)ゆりて
家たをれ
蔵(くら)くづるゝこと
おびたゞしく
猶(なほ)死亡(しぼう)の人(ひと)多(おほ)かる
中(なか)にけがもなく
あやうき命(いのち)を
たすかりたる
人々(ひと〴〵)は伊勢(いせ)

太神宮(だいじんぐう)の
御たすけ也
その故(ゆゑ)は
彼時(かのとき)御馬
御府内(こふない)を
はせめぐり
信心(しん〴〵)の輩(ともがら)を
     すくひ玉ふにや
たすかりし人々(ひと〳〵)の衣類(いるゐ)の袂(たもと)に
神馬(じんめ)の毛(け)入(いり)てある
といふをきゝてその人々
あらため見るにはたして
【馬の】毛(け)出(いづ)る也 是(これ)こそ
【大御神 おほんかみ の守 まも らしむる所なりと云々】

〽かみさまがでゝはおれ
 たちはかなわねへはやく
 にげだせ〳〵

〽アヽいてへ〳〵もふ〳〵
 でませんごめん〳〵

鯰舞しの洒落

鯰舞
 の洒落

まはし
  たる

その
天罰の
むくひ
 来て
こよひも
 女郎に
廻されに
  けり

  外山人しるす

諸国大地震之図

諸国大地震之図
越前【白抜き】あすは郡ふく井松平越前守様御城下
へん丸岡御城下へん大の【大野】郡大のかつ山【勝山】あらめ
ほばらなるみへんふちう【府中】板とり三つや
もとさはへ【鯖江】つるがへん大にそんしる若狭【白抜き】は
一えん中あれにして格外のことも無之
よつてこゝにしるすなり
夫転変は神力をもつてふせぐべからす頃は嘉永七甲寅年十一月四日朝五つ時諸こく大ししん大津
なみにてまづ伊豆【白抜き】は大しま其外しま〴〵こと〳〵ぐゆりつぶれかも【賀茂】郡下田ながつろ【長津呂】すさきいなとり
かわづ赤さは川な辺田方郡伊とう宇さみあじろあたみ大【な の誤りか】加【賀】郡□あねうらまつざききみざは【君沢】郡
戸だ井つ三しま宿はこと〳〵くつぶれ明神やしろより左右はやける下田千軒の町五丈ヨの
つなみにて人家こと〳〵ぐ流す相模武蔵の両こくは格ぐわいのこともなく三うら三崎のへん
津なみにて大いにそんじ箱根山は中あれなり駿河は駿とう郡ぬまづ宿水野出羽守様御
城下こと〳〵くつぶれ宿半より先はやける浜手はつなみにて流れるうきしまはら宿
よしはら宿ふじ郡今いづみ辺ふじ山ほうゑい山あしたか山いつれも大いにあれる
ふじ川がけくずれ二丁よむまるいわぶちそんじいたつてつよしかんはら宿由井の
宿やけるあべ郡しだ郡辺くらさはさつた峠くづれるおきつ宿はつなみにてこと〳〵打な
がし人家牛馬の死ぼうかぞへがたし三保の松ばら清みづの辺のこらすつぶれそんじる
えじりも同断なり府中御城下是又大いにそんじやけるまりこ岡べしまだいつれも
甚しくそんじる田中本多豊前守様御城下是またこと〳〵くつぶれる大井川古今の
大水なり甲斐はこま郡身のぶ山かさはなんぶかじか沢たけださいじやう甲府御城下へん
山しな郡つるまかつぬまくり辺つる郡よしだ三さき中川辺八代郡さくら市川辺いつれも
こと〳〵くそんじるなり信濃はいな郡ふせちかきやこまば飯田堀石見守様御城下辺
うはたいわた宮田しほじり辺すは【諏訪】郡きの下いなば辺高遠御城下青やぎ高しま諏訪因幡守様
御城下辺松本松平丹波守様御城下辺殊さらやけるなり上田御城下松代真田信濃守様
御城下ぜんかうじ辺まてもひゞき大かたならず遠江【白抜き】は東城【城東の誤り】郡かなや宿日坂とうげくつれ
きく川さよの中山大ぢごく小ぢごく日坂宿大にあれるかけ川太田摂津守様御城下山□【山名】郡
いわた【磐田】郡ふくろい宿ミ附池田相良田沼げんば頭様御りやうぶん山な郡横すすか西尾
おきの守様御城下すべてはいばら郡辺一ゑん大そんじなり天竜川大水にてつゝミきれる浜松
井上河内守様御城下まい坂辺あら井宿大津なミにてりやうし町ながれる人家牛馬死すこと
数しれず三河ハ二川よし田松平伊豆守様御城下辺ごゆあかさかかも郡はまだ田原御城下
辺ミた郡辺までそんじあまたなり尤赤坂より京都までハ宿中あれにて次立自由也
尾張路も一ゑんそんじ所有之なり伊勢ハ安濃郡かんべ本多豊後守様御城下
白子安の津藤堂和泉守様御城下こと〳〵くそんじつぶれるくもづ月本松坂
へんいゝの郡宇治あさま山へん大いにあれ山田大神宮両社ともさわりなし
わたらい郡いなき川小またへん宮川の尻へん田丸御城下辺浦々大いにあれる殊に
つなミにて人家多くなかれる志摩ハとうし郡鳥羽はきわだいつもあくつミさき辺是
又つなミにてそんじ伊賀ハあが郡辺一ゑん上野御城下なはりあわやなほ辺大いにそんじ
大和ハうた郡山べ郡辺大のわしや木津よしのたぶミね山みわならかすが社高取【高取藩】御城下
辺郡山松平甲斐守様御城下辺いつれも大あれなり河内ハ一ゑん大かたならぬそんじにて
しき郡【志紀】ふる【古市カ】郡八上郡のへん山々こと〳〵くくづるゝ紀伊ハむろ【牟婁】郡本宮新宮辺くまのうら大つなミに
て人家あまた流れるありたはてなし辺高野山なち山汐見大にあれる日高郡辺あべ郡若山
御城下田辺のへんかだうらいづれも大いにあれそんじる和泉ハひね郡岸和田岡部みのゝ守様
御城下へん大とり郡へん惣して宿々堺ハ大つなミに人家あまた流れるなり摂津は大阪町 〻
こと〳〵くそんじよく五日夕刻より天保山沖大つなみにて天保山くすれるあぢ川すじ木づ川すじ
おき中にかゝりいたる大船小船あまた入こミ又は人家の家ねにあたりこと〳〵くそんじせんどう
かこ【水主】のもの死亡数しれずあぢ川ばし玉つばし高ばしてつばし水わげばし日吉ばし汐見
ばし幸ばしかねやばし大ごくばしいづれも入こミの大船をしかゝりさんじに打こわし大船
小船のそんじ何ほど共かそへがたくすべて此川すじに死亡の者三千人ヨといふ泉尾しん田
かん助じま今木しん田月正じま木津村なんば新田なんば村いつれ水入り家こと〳〵くそんじる
けが死亡の者あまたにて目もあてられぬありさまなり又志満郡高つき永井遠江守様御城下
十三かんざき尼がさき松平遠江守様御城下西のミや池田伊丹兵庫辺大にそんじ須磨の辺うわら郡
へん大そんしなり又丹波路もひゞき甚つよし山城ハ京都ふしミ淀の辺まて中あれなり
近江ハ大つ草ついしべ水口土山へん是又中あれなり播磨ハ三木郡明石松平兵部大輔様御城下
かこ川ひめぢ酒井うたの頭様御城下辺高さご尾のへしかまへん立の脇坂あわじの守様御城下辺
三日月林田ふく本とくら川上辺赤ほ森越中守様御城下一ゑん大いにそんしる備前は三の【御野】郡ふく田
牛窓くまどふくうらわけ郡いわり郡岡山松平内蔵頭様御城下其在々大にそんじるゆうが
山こと〳〵くあれる備中はあさろ【浅口】郡くろさきふしど小島郡くぼや辺上ふち【上房】郡松山板倉周防守
さま御城下こつは【?】下むら辺大にそんじるなり備後はふかつ郡ぬま【沼隈】郡三つぎ郡甚つよく福山
御城下へんあふととも吹つるみなべ辺惣してつよくふるうあそ郡の辺中そんじなり安芸は
は【衍】一ゑん大そんじにてかも郡川原三つ内うみ川じりあき郡府中広島松平あきの守様御城下
さわら辺いづれもつよく宮じま大にそんじる周防はくが郡岩国辺神代小せ川山代とく山
辺とんだふく川さは川辺大にあれる吉しき郡辺はそんじかろし長門あつさ【厚狭・あさ】郡か川中山
本山よし田長府松平大膳大夫様御城下辺下の関辺大ゐにそんじる阿波は一ゑんあれなか【那賀】郡うば
白はま辺つなみにてなかれしん川小川なるせかつ浦辺徳島松平阿波守様御城下やける其外在々
そんじる淡路は須本【洲本】へん大いにふるひ浦々大津なみ家あまたなかれる讃岐は□□【?】郡石田白しま八島【?】郡
だんの浦高松松平讃岐守様御城下辺そうづ山金びら辺いづれとも大にそんじ伊予はうわ島川上なとり
川石づけ辺西条小松辺今治松平わかさの【守脱】様御城下のま【野間】郡辺いよ大ず加藤遠江守様御城下辺うさ山□んとう
坂大にそんじなり土佐あき【安芸】郡中村安田川まき山長岡郡辺国分寺みね寺辺高知松平土佐守様御
城下大平佐川やき山辺ふくうら内うら小松崎辺大つなみにてこと〳〵く流すけが死亡数しれず筑前
筑後両国は格別のそんじ無之豊前は一ゑん大そんじにてうさ【宇佐】郡中津奥平大膳大夫様下毛郡小倉
小笠原左京大夫様御城いづれもこと〳〵くふるうなり豊後ははやみ【速見】郡まない【?】郡中島原丁辺とびら安
こくじ辺杵筑【杵築】御城下辺田うら高崎日出御城下辺大分郡岡中川修理大夫様御城下辺木はらよこ川
へん佐伯御城下辺長おかさかの関辺そんし浦々大つなみなり肥後はあそ郡うす木【臼杵】白川辺八代御城下辺くま本
細川越中守御城下辺人吉辺大にそん海岸大つなみすへてひご一ゑん大そんじなり肥前はかんさき【神埼】郡早つい高いしつた【?】
大村御城下辺いさはや佐賀松平肥前守様御城下辺其外浦々長崎大つなみなり平戸御城下とも大にそんじる日向は
延岡内藤のとの守様御城下辺小川かわち高つか辺大にそんじる大隅はくわ原郡辺迄にて外さわなし薩摩は
いさ【伊佐】郡辺宮さつる【?】田辺高き【高城 たき】郡辺迄そんじ所々也真事かう代無へんの大地震なれば図面にくわしくしるす




















地震出火御救小屋施行名前附

【右上枠】
【同タイトル】
《割書:地震|出火》御救(おんすくゐ)小屋(ごや)施行(ほどこし)名前(なまへ)附(づけ)
           并  近辺居廻り施行
【同内容】
          聖代記
天災(てんさい)地凶(ちけう)は命(めい)なり時なり人力(じんりょく)凡智(ほんち)をもて量(はか)るべからず齢命死活(しんめいしくあつ)も
また然(しか)り草根木皮(そうこんほくひ)の能(よく)生(いく)べきにあらずとなん然(しか)りと雖(いへとも)禹王(うわう)の
洪水(くわすい)を納(おさめ)扁鵲(へんしゃく)の救命(きうめい)を得(う)るが如(こと)き是(これ)聖慮(せんりよ)仁術(じんしゆつ)なるが
故(ゆへ)に天道の冥(めう)助(ちよ)あり于時(これとき)安政二卯十月二日夜 不意(ふゐ)の天変(てんへん)
一時(いちし)に発(はつ)して四民(しみん)の困窮(こんきう)人命(しんめい)の死亡(しほう)家庫(いえくら)堂社(とうしや)の破(は)損(そん)焼(しやう)
亡(ほう)許多(いくばく)といふ数(かづ)を知(し)らず朝(あさ)に焼(やけ)野(の)に出て灰塵(くわいじん)に染れ夕へに
地上(ちじやう)に臥(ふし)て寒風に身(み)を晒(さら)し哀(あはれ)といふも除りありかゝる中(う)にも
官府(かんくみ)の御仁恵(おんめくみ)莫大(ばくたい)にして難民(なんみん)橅(ふ)育(いく)の御 徳沢(とくたつ)は実に太平の
御国 恩(おん)にして既(すで)に五ケ所に御救小(おすくひご)家を建(たて)させられ愁(うれ)ひを忘れて
歓喜(よろこび)を増(まし)諸人安座して万歳を唱(とな)ふ尭舜(けうしゆん)の民(たみ)仁(しん)を好(すく)し富有(ふやう)の
商家(しやうか)財(ざい)を分(わけ)て貧(まつ)しき者へ施行(せきやう)せしむ大成(おほひなる)哉(かな)善政(ぜんせい)の徳(とく)一家(いつか)仁(じん)
なれば一国(いちこく)仁(しん)をなす頓首(とんしゆ)拝謝(はゐしや)して仰(あほく)へし又貴(とふと)むべしと云云(し?かいふ)
   安政二卯初冬    荘土  野﨑小魚謹白    印

【仕切り線】
五ケ所  浅草広小路  深川海辺新田
御小家  幸橋御門外  同所八幡宮境内
上野火除地  東叡山御小家   上野御山下

【左表一段目】

○浅草広小路御小屋

 浅草駒形町家持
内田屋
一 味噌汁三樽    甚右衛門
   右十月九日より毎日施行

    同所山の宿家持
一 味噌二樽     信吉
一 梅干四十樽 

    同所西仲町家持
一 鱒二百本    源兵衛

    同所田原町三丁目
         儀兵衛店
萬屋
一 銭十貫文     松五郎

    同所東仲町
         家主
一 漉返紙六百帖   中

    同田原町二丁目家持
         三河屋
           喜三郎
一 沢庵十樽
一 銭百貫文
 
    同所西仲町家持
一 金三拾弐両弐分    安右衛門

    同所東仲町伊右衛門地借
花屋
一 さつま芋十五俵    重蔵
 
    同所家持
一 菜漬十五樽     久右衛門
一 銭七十五貫文    次郎兵衛
            四郎左衛門
            忠助

    同所南馬道新町
           忠兵衛店
一 さつま芋十俵    久兵衛

    同所北馬道家持
           佐の倉
一 味噌十樽      安兵衛

    同所元旅籠町一丁目
           家主
一 茶三百袋      茂右衛門

    同所西仲町家持
           堺屋
一 菓子二百六十袋   安右衛門

    同所東仲町富右衛門地借
           大黒屋
             平兵衛
    同所斎兵衛地借
           鍋屋
   
            【以降 損じ】

【左表二段目】
    本郷春木町庄兵衛地借
太之津
一 味噌十樽       新三郎
堺屋
一 むしろ百枚      伝蔵

    下谷六軒町真兵衛地借
一 手拭一筋宛      与兵衛

    池上本門寺末
      武州足立郡鳩ケ谷在
           青木村
一 ふかし芋三樽     宗信寺


   ○深川海辺新田御小屋

    同所木場町家持
一 銭 百三十五貫文   和助

   ○

一 さつま芋二十俵    無名氏
一 銭弐百文宛      某
一 銭六百文宛

   ○同所八幡境内御小屋

    同所木場町家持
一 銭六十貫文      和助

   ○幸橋御門外御小屋

    新両替町四丁目半二郎地借
           瓦師
一 當百銭三十貫文    六右衛門
一 小銭弐十貫文

木挽町五丁目上納地家持
一 銭弐百文宛      徳三郎
一 手拭 一筋宛

   ○上野火除地御小屋

同所北大門町定吉地借
           鳫鍋
一 さつま芋十五俵    万吉

    同所宮様御小屋江
一 金五両
一 さつま芋十俵

    同所山下瀬川屋敷伝兵衛地借
           甘泉堂
一 銭三十貫文      善兵衛
一 下駄 百足

    同所宮様御小屋江

    【以降 損じ】


【左表三段目】

    佐々木道太郎様御代官所
     下総国相馬郡布佐村
           百性
             十郎兵衛
一 菜漬一樽
一 らつきやう一樽
一 生姜漬一樽
一 梅干三樽

本郷春木町二丁目庄兵衛地借
           大三津
一 味噌五十樽      新三郎

   ○近辺施名前之部

    深川佐賀町家持五左衛門
       勢州住宅に付
           店支配人
一 金二百十三両弐分弐朱 庄兵衛
     外に町内江二分宛
一 白米七石弐斗
   御褒美銀七枚  外に二枚

    深川北川町家持
           近江屋
一 金百七十四両二分   喜左衛門
     外に町内江一分宛
   御褒美銀七枚

    同所佐賀町家持
一 金弐十壱両二分    勇三郎
一 玄米四十五石三斗六升
    此代五十四両二分
   御褒美銀五枚

    同所同町家持清兵衛
       阿州住宅に付
           店支配人  
一 金三十一両三分    忠兵衛
   御褒美銀二枚

    同所同町家持安兵衛
       阿州住宅に付
           店支配人
             忠助
一 金三十五両弐分
   御褒美銀二枚
   
     同所同町    宮本某 
一 金壱朱宛      

     同所同町    池和屋
一 金壱朱宛

     同所同町

    【以降 損じ】

【左表四段目】

           南新堀       
一 白米一斗五升宛    伊坂氏
     外に 五日の間たき出し施

     南かやば町 
           永岡
一 白米五升宛      儀兵衛

     新右衛門町
           川村
一 白米五升宛      伝左衛門

     日本橋萬町
           谷口
一 白米五升宛      熊五郎
     
     関口    御屋敷様
一 米三斗五升宛   御門前町家へ
一 米五斗二升宛   源介町へ
 
     深川佐賀町 ちくま
一 金一分宛 出入船頭へ
    七日の間味噌諸人江施

     北新堀   長島屋
一 金壱朱百文宛 町内其外

     同所    北村氏
一 金壱朱百文宛 右同断
 
     同所    後藤氏
一 白米五升宛  右同断

     霊がん島  丸甚
一 金壱朱 白米一升宛

     同所      鹿島
一 金一分宛 十八ケ町へ施 本店

     芝露月町  堺屋
一 金弐朱宛 町内へ
一 壱朱宛  柴井町へ
       
     同所同町  杵屋
一 金弐朱宛 町内へ
一 金壱朱宛 柴井町へ

     神田紺屋町 某
一 金一分宛 居廻り江
 
     浅草堀田原
         池田屋
           市兵衛
  三日の間
   小豆粥差出

      同所御そうじ町

      【以降 損じ】

        

             


    

見立大地震角力取くみ

【タイトル】
見立大地震角力取くみ
【画像翻刻のみで本文なし】

江戸大火の次第

江戸大火の次第
田丁壱丁目二丁目三丁目横大工丁せき口丁立大工丁永冨丁みな川丁三川丁壱丁目同二丁目
三丁目鎌倉がし新白かね丁新石丁れんしゃく丁さへ木丁須田丁壱丁目二丁目大通り新石丁
なへ丁かち丁壱丁目同二丁目元のり物丁四けんやしきこんや丁三丁松田丁二丁三しま丁とみ山丁
二丁黒門町小栁丁平永丁お玉が池栁原丁二丁今川ばしむかふ十けん店四丁本白銀丁
壱丁目二丁目三丁目四丁目本石丁壱丁目二丁目三丁目両がへ丁するが丁北さや丁
品川丁室丁壱丁目二丁目三丁目本舟丁壱丁目二丁目あんぢん丁小田原丁壱丁目
二丁目三丁目せと物丁壱丁目二丁目いせ丁三丁右二江津丁二不残焼失仕候

  図中
南北二十二丁余
東西五丁余
失あらまし
を是二略ス

安政元年
十二月二十八日夜ご五ツ時
田丁より出火して
北風烈しく
日本橋まで東西
三川丁辺よりお玉ケ池辺
迄不残焼失仕
二十九日朝五ツ時火鎮ル

大地震大津波末代噺

【枠外右上】
嘉永七年寅ノ十一月

【上段の一・二段タイトル】
《割書:大地震|大津浪》末代噺 二編
  こは初へんに洩たる諸国をつまびらかに記す

【上段の一段目】
桑名津嶋佐夜
つなみちしん
宮名古や同事
あつたの宮別条なし
鳴海池鯉鮒
ちしん斗り
岡崎矢矧橋落る
人家少々崩る
赤坂御油吉田
二川白須賀 ちしん斗り
富士川川上山崩れ土砂流れ
   水なし歩きわたり
荒井 ぢしんつなみ
浜松 舞坂 ぢしん斗り
見附 半崩れ
袋井 出火にて丸やけ
掛川 大半丸やけ
日阪 ぢしん斗り
金谷 下口より出火七部通り
   やける
大井川 常水より水越し
嶋田 半崩れ
藤枝 岡部丸子 大ぢしん大火
府中 江川町より出火所々飛火
   □□部通りやける
江尻 棒はなの茶やより
   出火七部通りやける
興津 つなみにてながれ残る家崩る
由井 無難なれ共ちしん度々也
蒲原 問や場より東やける
   西くづれる
吉原 丸やけ
原 沼津 三嶋 ぢしん斗り
箱根 山少々崩れ湖水吹出し
   候へ共さしてさわりなし
小田原 大地しん半崩れ
大いそ 平塚 ふじ沢
大ちしん出火
戸塚 大ちしん
   出火


程か谷
 大ぢしん
神奈川 川崎
品川 大地しん 
   大つなみ
【仕切り線】

 江戸
四日地しんは大坂同事
五日夜亥の刻
猿若町壱丁目より
出火二丁目三丁目
不残三芝居やける
聖天町山の宿町花
川戸町不残西は馬道
まで焼ぬけ東は大
川端夫より向嶋小梅
村へ飛火いたし九十丁
□□卯刻火鎮る


【上段の二段目】

阿波徳しま

同日大地しん大つなみ
其跡出火となり
御城下七部通り
やける死人けが人
数不知
同小松嶋むや 大地震 大つなみ
淡州 ゆら須本 ふくら丸山 大ちしん つなみ
讃州 丸亀高松 金ぴら大てい同事
豫州 土州 大あれのよし
【仕切り線】

西国筋

播州 明石か古川高砂赤穂
   網干姫路いづれも大坂
   同事
備前備中備後 右同事
宮嶋 廻廊損じとうろう落る
岩国 きんたいはしそんじる
長州 萩長府上ノ関下ノ関
   ちしんつなみ大損じ
豊前 小倉より九州路大てい
   同事のよし
【仕切り線】

【図中】

阿波鳴戸

大なみ山の如く
汐の光り遠
方より見る時は
大はしらのごとし
【仕切り線】

芸州広嶋

御城角矢倉三ケ所
崩る御家中町家
大損じ此辺
大道一尺斗り
われ泥水吹出る
【仕切り線】

泉州堺 大地しん大つなみ大坂
    同事橋舟数多崩る
貝塚岸和田新立 みな〳〵同事
加田粟嶋 御宮崩る町家流る
紀州若山 大つなみにて人多く
     損る
【仕切り線】

藤代湯浅 田辺日高 すへて此辺若山 同事大あれなり
熊野辺 山崩れ大あれのよし
高野山 大あれ石碑こける
南大和吉野 所々大あれ
北国若狭越前加賀中仙道
木曽海道信濃路 大地しん
なれ共別条なし
惣而此度の地震は六十余州大
小共に震わぬ所なし一々忠記此
くだ〳〵しければ烈敷所は図にあ
らわしこれにもれたる所は大ちしん
なれ共別条なし猶書落し
書損も御座候はゝ板元江被仰可被下候
早速相改可申候恐々


【下段の一・二段タイトル】
今昔地震津浪説
むかし宝永の頃大阪大地震大つなみの節
諸人迯迷ふたる旧記こたびのさまに粗似たれば爰に記す

【下段の一段目左へ】
往古宝永四丁亥十月四日未上刻
大地震半時斗り不止人迯迷ふ事
如雲霞又申下刻より津浪参り
道頓堀日本橋迄廻船六七十艘
馳込五十石卅石の船は大船に押
倒される事数不知勿論日本橋より
西の橋は不残落る堀江川はほりへ
はし迄落る長ほりは別条なく
あじ川筋は堂嶋たみのはし迄
落るわたなべはしは大ぶん損じ往
来止メ寺嶋勘介しま上下ばくろ此辺
家々不残流るあわざ新うつぼ
京町ほり大分崩れざこば大半
崩れ残りは流ルかつを座は不残
崩れ死人夥敷舟場は堺すじより
東は別条なく西は一丁ごとに五軒
七軒崩れ御霊前東がは北がは共
家一軒も不残崩れ御輿蔵弁天
堂荒神社不残崩る本社は
別条なし鳥居ざんじに折る道
修町ふしみ町なにははしより西は大
かた崩れ瓦町より唐物町まで
【仕切り線】

【図中】
宝永時代
大つ
なみ
の図
堂嶋川
西より
たみ
のはし迄
落る道とん
ぼり川西より
日本はし迄落る
【仕切り線】
心才はし迄角やしき所々崩れ北久
宝寺町北角迄不残崩れ北御堂
茶所崩れ本堂はしらさける南御堂
別条なく惣じて大坂中堺すじより
西は一町に五軒十軒つゝ崩れ角やしき
は不残崩れ富家の衆は下やしき
上場町辺へ迯行下々は御城ばゝへ
迯る事如雲霞の夜に入
御城代土岐伊豫守様より御目
附御医師衆など御廻し有之御薬
被下旨被仰其後は又々
御町奉行様より右同断之由
仰被渡候
御城は鴫の口御門落候へとも
早速御修覆外廻り少々損じ
候へ共別条なく
上町東天満は無別条蜆川堂
嶋中の嶋不残崩れ嶋の内は
道とんぼり同事新町別条なし
惣じて大坂中四五日の間門を〆て
商賣相休七日目より無事の町々
店を出し候へ共昼夜又七度震ひ

【下段の二段目】
候へば中〳〵商ひ所ではなし火事の由
風聞いたし候へ共町々用心厳敷
人々帯を不解昼夜辻番いたし
候へは火事は無之候
一 棟数 六百三十軒
一 竃数 一万六千
一 死人 六千人
一 水死人 一万二千人
一 落橋 卅六はし
右之通去る家之旧記を爰に出す
但し宝永四亥年より今嘉永七寅
年迄百四十八年になる

大地震つなみ年代略記
白鳳十九甲寅十一月七日
治承三己亥十一月七日
正中元甲子十一月十五日
天正十三乙酉十一月廿九日
慶長十八癸丑十月廿五日
寛永十癸酉正月廿日
慶安元戊子年
寛文二壬寅五月京大地しん
五条はし落る
同十庚戌八月大つなみ溺死多
元禄十六癸未十一月廿三日
宝永四丁亥十月四日大地しん
つなみ溺死多し
宝暦元辛未二月京大地しん
同十三年癸未九月大つなみ
安永三甲午八月大つなみ
天明二壬寅七月江戸大地しん
文化元甲子六月出羽同
文政二乙卯六月大地しん
同十一戊子八月九州大つなみ
天保元庚寅七月京大地しん
弘化四丁未三月廿四日信州大地しん
嘉永六癸丑四月小田原大地震
今嘉永七甲寅六月十五日
同十一月四日大地しん同五日
大つなみ

右大略記し候へ共年月日之
相違も御座候得共御知らせ可被下候
早速相改可申候已上
【仕切り線】

【図中】
宝永
時代
御城馬場江
市中町人
迯あつまる
の図

江戸大地震

江戸大地震

天地の|変動(へんとう)は陰陽造化の病|根(こん)にてその気|混(こん)じ濁(にご)りわだかまり久しく
屈(くつ)して発する時は上りて|雷雨(らいう)電□□なし下りて地中(ちちう)の|大鯰魚(だいねんぎよ)に化(くは)し一とたび
尾|鰭(ひれ)をうごかすときんば須弥山もまた軽(かろ)しとす今度|関東(くわんとう)の地震八州(ぢしんはつしう)廿里四方に
ひゞき田家堂塔寺院大社をゆり崩(くづ)し人家は粉の如くくだけ庫蔵(こぞう)は普(あまねく)土砂(どしや)に帰(き)す
諸人通路に泣洟して目もあてられぬ形勢也就中御府内は大都會(たいとくわい)の繁地(はんち)にして
諸国(しよこく)の人|民(みん)招かずして郡衆なす是に依て遠国胡(えんごくこ)地の親類縁者(しんるいえんじや)へ早く存亡(そんぼう)を
告(つげ)しらしめて安危をはからしめ?んが為に地震(ぢしん)出火の出所|来歴(らいれき)を祥(つまびらか)にして鳫札飛使(がんさつひし)を促(うながす)に
頃は安政二卯十月二日の夜四つ時|俄(にわか)に大地震ゆり出し江戸廿里四方人家損亡おびたゞ
しく北の方は御府内千住じゆく大にゆりつぶれ小塚原家並残ず崩れて中程より
出火して一軒も残りなく焼失新吉原は一時に五丁まち残らずくずれ其上江戸町
壱丁目より出火諸々にもへうつり又々角丁より出火して大門口まで焼五十間西側
半分残るなり夫より四丁大音寺前花川戸の山の宿聖天町此へん焼る猿若丁
三丁共残りなく焼馬道大半崩れ焼るなり浅草観音はつゝがなくかみなり門崩る
地内残らずくずれ並木通り残らずすわ町ゟ出火して夫ゟ駒かたまで焼るなり
また田はら町三間町へんは少々なりおくら前通りかや丁二丁大にゆり浅くさ見附は
石垣飛いづるまた馬喰丁通横山丁大門通大傳馬丁塩町小傳馬町へん裏表通り
大半くずれ両ごくむかふは本所石原より出火して□門通り相生町林町みどり丁
へつんまで焼るまた小梅通り引舩へんまで出火深川は八まん一の鳥居の所より蛤丁
相川丁まで焼るまた下谷辺は坂本より車坂近辺諸々くづれ三枚ばしより広かうじ
伊藤松坂のところまで焼ける夫ゟ池のはた仲丁裏通り崩れ表通りあらまし
残る根津口まつ茅町通り二丁目より一丁目迠焼るむゑん坂上は松平備後守様
御屋敷焼る千駄木団子坂此辺三軒ゆりくつれ谷中善光寺坂上少々残るなり
根津弐丁共惣くづれ中程にて二三間残る也又□山白山けいせいがくぼへん大にくずれ本郷ゟ
出火して湯島切とをしまで焼る此所加州様御火消にて消口をとる湯島てん神の
社少々いたみ門前は三組町まで残らず崩れ両側土蔵残りなくふるふ又裏通りは
たるま横町新町家大根ばたけ横□坂此辺かうじむろわれて大地一尺ほどさける
妻恋坂は稲荷本社の土蔵少々崩れ御宮つゝがなく町内は一けんもくずれずそれより
坂下たてべ様内藤様御やしき表長家崩れ昌平橋通りは神田同ぼう町御台所町
はたご町金沢町残らずくずれ筋違御見附少々いたみ内神田外神田共のこらず崩れ
大通りはすだ町新石町鍋町かぢ丁今川橋迠裏町表町百三十六か町程のこらず崩れ
其先は十軒店より日本橋むかうまで残りなくすこしづゝふるふなり又日本橋裏通り
西がしより呉ふく町近へん東仲通りは四日市魚がしゟくれ正丁へんまで所々□□ぞれ又
夫通りは南傳馬町二丁目ゟ出火してかぢ町?□町畳町五郎兵衛町東は目□□□常盤丁
いなば町白魚屋敷迠焼る京ばしむかふは新橋へん迠夫より芝口は此木材□□□□川町
残らす焼るなり又神明前ゟ三嶋丁辺残らすくすれ又金杉より□□□□□□□□□□れ
高なわ十八町残らす大地一尺ほとわれたり品川は格別の事□□□□□□□□□□□□□さわず
大もりへんまてそんほう多しまた芝裏通りはおはま御殿少々いたみ□□□□□□□□□芝
赤羽根通りゟ麻布広尾へんまで諸々くすれ出火あり又山の手は□□□□□□□町武
家地寺院堂社のくつるゝ事おひたゝしく御城内は寅の門ゟかすみがせき□□□□□あまた
そんすといへとも安芸様黒田様は格別の事なし八代洲がしはうへ村但馬□□様松平
相模守様火消屋敷等残らす焼る也又和田くら内は松平下総守様松平□?後守様この
へん大にふるふ夫より神田橋御門内は酒井左衛門様森川出羽守様大に崩れ小川丁は
本郷丹後守様松平紀伊守様柳原式部太輔様板くら様戸田様このへんのこらず焼る
またうしこめより小石川傳通院門前のこらずくずれはん丁より
飯田町本条の?いん大にふるふまた一ト口筑地小田原町よりあさり
かし大はしむかふは御はた本 様方御家人衆御屋敷のこりなくふるふ
凡御府内四里四方五千七百余か町の間
出火五拾七か所家屋又寺院堂社の損ぼう
??へあ□□□□□□□□□□東海道は
川崎宿少々神奈川宿は大にふるひ
大半つぶれ程谷は少々戸塚宿は所々
ふるふ又藤沢平塚大磯小田原辺まで
格別の事なしといへども諸々ふるひ
いたむ仲山道は板ばしゟわらび宿
浦和あげ尾大宮迠は大にふるひ
其先は熊谷宿まで所々ふるふ日光街
道は草加越谷ゟ其先幸手へん
まで諸々ふるふ又水戸街道は市川松
戸かしわ宿へん下総長行徳舩ばし
辺はくだけておびたゞしくふるふ奥州かい
道は宇津の宮辺までふるひくづれる其
ほか葛西二合半領又甲州かい道は八王子
駒木根辺までふるふ又青梅かい道
半能所埼秩父大宮辺迠
ゆりふるふかゝる凶へんに死ぼう
する老子やく男女は明れき
火災のみだりに?まして
其数いくばくあるかゝはり
知りがたしとなんさはかりの
大麦も翌日に崩て御府
内の大火も一時わ消地震
なかくふるふといへども格別の
事なし 御仁徳の
恩沢に依て家屋敷を
失ひたる軽き者どもへは
それ〳〵御手当御殿米被下置四民後つゞみを打て太平の
御国恩を?時し奉るとなん目出度かりけるこ?しなり
一町数五千三百七十余崩れ
一御屋敷弐千五百六十余軒損ず
一寺院堂社三万九千六百三十か所
かゝる大凶へんのうちに筆
まめに調集せる州々
遠国他邦の親族縁者へ
告しらしめて安心させんが
為なりこは予がい返の老婆
心□切のみ   権兵記す


伊豆下田小田原箱根大地震之図

【表題】
伊豆下田
小田原   |大地震之図(■ほぢしんのづ)
箱根
【本文】
夫天地不時の変動は陰陽混じて雷雨となる地にあるときは
地しんをなす□神仏のおかごにもこれをおさむる事か□【たカ】し頃は嘉永
「嘉永七年十一月四日四ツ」【年を除く「 」内、後筆】時ゟよる九ツ時すぎ迄相州豆州駿州
甲斐の国大ぢしんべつして相州小田はら大久保かゞの守様御城下
万丁□丁板ばしれうし丁通り青もの丁□□□丁□□丁
御城かどやぐら町家ともおほくそんず東は田むら川
へんはぎの山中御ぢん屋大久保ながとの守様
御れうぶん陶綾【正しくは淘綾で「ゆるぎ」】郡神戸井こ大いそ宿そが野
中むらへん金子すゝ川みのけかすやいせ原子やす
大山へん大住郡どうりうごんげん様このきんへん
十五ヶ村は百間または百五十けん二百けん
村〳〵にわづか家二けんほど残りせき本は
五百けんほど村にて二百けんほどこのきん
へん大あれにて上むら谷むら早川いしばし山
ふたご山はこねごんげんさま御社内同所
海水あふれ出さいのかはら大いにくづす
ならびに同所ゆもと七ヶ所こと〴〵く
そんず畑宿大あれにてするがの国
わうらい三日とまるはこね山中人馬
ともにうつまり三日ほどほりいださんと
せしがいでず此へんにて人馬のそんし
おほくあり豆州三しまぬまづ水野
ではの守様御じやう下きんごうきんざい
原よし原いわぶちかん原ゆ井おきつ
江じり府中のまち〳〵在〻ともに
人家のそんじかずしれずふじ野
すそ通りたも□ゆ下御くりや御てんば
これより甲州ぐんない上の原さるはし
西ごほり市川かぢ川沢身のぶ山御山この辺
山〻大にくづれ北は愛甲ごほり三ます川
村そんずつく井ごほり音のはらとうし川
□□□ねづみ坂はし本へんよし野小はら
[ ]【欠損文字数不明】せき野へん又豆州ねぶ川
[ ]【欠損文字数不明】石きれ老若男女そく死

【表題下の書き込み】
小田原御城櫓損し
箱根山大いに
そんじる

【右下枠内】
頃は十一月四日五ツ半時より伊豆下田
大地しん大つなみにて大ひにそんじ
宮寺ゆりたをし大つなみ
にてながされふないおゝいに
あれるせんすうあまたなん
せんとうせんなんせんいたし
あまた人おほくそんじ誠に
せんだいみもんなきしだいなり
くわしくゑづめんにしるしひら
がなにてかきしるす  

安政二卯十月二日大地震附類焼場所

安政二卯十月二日
大地震附類焼場所

上野御山内は宿坊少し崩れ御本坊中□□其外患なし
□□□□いたみ多く広小路中程ゟ出火□□□町より長者町に
至り伊藤松坂南ゟ御成道井□□小□□様御中屋敷
御類焼にて此火中御かち町に□□□□猶又御すきや丁
天神下同朋町は別して崩多し切通し坂下は
倒る家あまた也此辺御やしき多分崩る
池のはた仲町は片かは町の分崩多し茅町弐丁めゟ
出火して壱丁目木戸際まで二丁うら表とも焼る
谷中天王寺五重の塔九りんのみ折落て土中に
埋る此辺格別のそんじなし三崎より駒込辺は
崩多く根津も大分崩所あり本郷は崩少く
候得共かうじむろくゑ落て家そんじたるあり
御茶水湯島通りは崩少なし神田明神無事也
神田橋外三川丁ゟ西御屋敷すべて崩多分にて
小川町辺松平駿河守様松平豊後守様榊原
式部大輔様内藤駿河守様戸田武二郎様
本郷丹後守様等其外小やしき所々やける
尤此へん崩□飯田町番丁格別のさたなし
するが台猶更事なく昌平橋通りは両側共
いたみ多し又明神下
通り内藤様建部様を
はじめ御成道は
堀様酒井様石川様
黒田様大関様など也
御成道町家共に崩るゝ
事おびたゞし
【伝通院左上】
小石川は百間長屋向
御はた本飛々やける牛天神下
崩多く水道橋通ゟ下富坂崩
つよし伝通院前ゟ大つか辺くづれ
少し
【対岸】
小日方早稲田音羽
目白はそんじ少□□□辺は改代丁辺
崩多し其外□□□□崩所々なり
又小石川御□□□□□□□□は下丁
崩れ上丁よろ□□□□□□格別の大崩
なくかうじ町□□□□□□□□□□
此辺出火無之死人等□□
牛込かぐら坂ゟ□□□通り若宮町辺
やらい□□土蔵大半くづれそんじ
多し高田雑司谷辺はかくへつのことなし
市谷御門外尾張様御長家下町家
少しくつれ本村辺少崩れかゞやしき辺
崩所々なり柳丁は所々崩見ゆる
大久保通りゟ柏木村辺崩所々有
成子町内藤宿大木戸辺は大還少し
わきみちは崩多く見ゆる又千駄が谷
□□□□六道の辻百人町辺は無事也
□□□□しぶや道玄坂北沢下目黒
□□□□□おだやかなりおんでん原宿
□□□□□□□□龍□□□橋長者か丸辺
□田町三軒□□□□□□□□善福寺門前ゟ
一本松仙だい坂辺土蔵のみいたむ
日がくほ通りより飯倉永坂辺いたみつよく
谷町市兵衛町もいたみ多し
夫より溜池上御やしき所々いたむ
又赤坂は田町通伝馬丁
元赤坂丁一ツ木町辺
いたみつよく崩多分也
紀州様御やしき恙なく
さめがはし町所々いたみ
四ツ谷塩町忍町伝馬町は
表通いたみ少なく横丁〳〵は
大半崩見ゆる尤御上水
万年どい石がきくづれ水あふるゝ
麹町十一丁目十二十三丁目は右に
同じ四ツ谷御門内かうじ町は
平川町山本丁隼丁谷丁共
かくべつ崩所なし

三軒家辺御ゆき永田町辺崩少なし山王御社
無事なり江戸見坂ゟ外桜田虎の門内は崩甚しく
南部みのの守様やける薩州装束屋敷表がはやけ
其外くづるゝ幸橋御門内は柳沢甲斐守様やける
伊東修理太夫様やける亀井□□守様□分やける
此辺御やしき不残崩多く山下御門□□□□□□
火鍋島様不残やける虎之御門外あたらし橋□御やしき
□□□丁辺崩過半なり西の久保よりいひぐ□□赤羽ね
辺崩し三田小山辺十番まみ穴辺崩少なし増上寺
御山内崩少なく又金杉より上手本芝田町伊皿子三田
高輪品川台町二本榎白金古川辺目黒□峯辺
何れも格別の崩なく尤土蔵多くいたむ事一□なり
芝浜松町片門前中門前浜手御やしきはそんじ□□なり
神明町三島町は大くづれにて怪我多し神明宮御社
少しもさはりなし柴井町のみ一丁目やける前後つふれ多し
尤芝口は町家御やしき共さはりなく又桜田くほ丁辺崩多し
是より京橋迄地震たるみてそんじ少なし木挽町辺
築地御□□もさはりなく鉄砲洲はあたりつよく船松丁
松平淡□□□□やける此辺崩多く八丁堀一円中へんなり
【下へ】
霊岸島は一円くつれつよく土蔵数か所ふるひ
塩町はま南部掘にて二丁余程やける北新ほりは
箱崎共崩多し小網丁崩おひたゝしく浜丁は崩少し
甚左エ門丁大坂丁人形丁通大伝馬丁本丁石丁宝町辺崩多し
両ごく吉川丁米沢丁横山丁馬喰町は崩少し橘丁ゟ田所丁富沢丁
高砂丁住吉難波丁和泉丁芳町辺崩多し今川橋辺内神田は不残
東西共崩つよく筋違御門より柳橋通御もみ蔵はそんじつよく
豊島丁江川丁辺ゆるがせ也外神田は佐久間町辺よろしく御成道通り
はたご町金沢丁すべて此辺大崩なり夫より神田橋内は酒井うたの頭様やけ
表御門のこる同向御やしきやける龍の口角森川出羽守様やける
酒井左エ門尉様越前様小笠原様崩多く一橋様同様なり
八代洲川岸増山様林様くつれ多く松平相模守様やける御火消やしき
やけ御やぐらのこる尤屋根ゆり落す遠藤但馬守様やけ又本多中務大輔様
永井遠江守様やける七外御大名方御役屋敷崩かち橋すきやはし常盤橋内不残崩多し
【題字下】
通しん丁辺くつれ多し

三のわ金杉つふれ多し
【題字横下】
●坂本町は二丁目三丁目
御たんす丁せんさいばやける
東がはたこぜんよこ丁へ
やけこむ此辺つふれ多し
【新吉原右】
山谷町新鳥越は大くづれにて人家
山の如し此辺寺院二軒のこり跡
みなつぶるゝ●橋場は崩多く
残りやける●今戸は崩れ
少なく橋きは小半丁やける
浅草新丁崩多し

千住宿大半くづれ
小つか原のこらす
つぶるゝうへやける

【新吉原上】
●しん吉原は江戸町より出火して五丁
のこらずやける大門外西かはのこる
●大音寺前崩多し
●浅草寺町の寺院大半
そんじ堂前山本仁太夫矢来
内もらひ人出火いてゝ多く死す
此辺家つふれ多し
御門跡本堂恙なく
地中いたみ東門たをるゝ
●菊やばしきは南ゟ出火して
山下□□へ半丁程やける
新ほりはた前後へやけ入る
【左へ】
此辺寺院町家共くづれ多く
御やしきは無事なり
【左へ】
おかち丁通□より□泉橋迄
両かはとも崩おひたゝし
三味せんほり御やしきは崩少なし
【下へ】
向柳原七まがりは崩多く
松浦さま御門たをるゝ
【右へ】
鳥こへ辺くつれ少なし
【右へ】
三すぢ丁しんぼりへんくづれおほし
【下対岸】
●浅くさ□□田原丁辺くつれ多く
●こまかたゟ出火してすは丁くろ船丁やける
かや寺門にてとまる
又東がはゝ三よし丁御馬やがしにてとまる
御くら前通りかや丁まで大崩
【御城上左】
番町多分事なし
【右の歌】
千早振神のしづめし二荒山(ふたらやま)
ふたゝびとだに御代はうごかじ
【右へ】
此辺崩少なし
【右斜め下へ】
小川町崩多く
御大名小やしきとも多分やける
【右斜め下へ】
するがだい一円かくべつの崩なし
【左斜め下へ】
西□□は土蔵立家くつれ多く
【右斜め下へ】
東神田つぶれ多く豊島丁辺は少なし

【紙面右端隅田川下】
●浅草田町辺はつふれつよく弐丁めより出火し□□
同一丁め山川丁竹門金龍北谷の寺院不残聖天横丁ゟ
芝居町三丁共やける東がは少しのこる聖天町
山之宿はくづれ多分にて怪我多し
北馬道南馬道やけ中谷の両側寺院共
のこりなくやける馬道ゟ戸沢長家へ出
花川戸町□丁片かはにて火tまる
金龍山地中崩多し本堂恙なし
五十の塔九輪北の方へまがる
浅草広小路雷門前崩おひたゞし

【右下隅破れ】
□□□□
□□□□
一□□□□
一□□□□
一□□□□□□
 一上野広小路□□□□
 一深川八幡境内□□□□
東叡山御門主様より御すくひ□□
  上の御山下火□□□□
【左へ】
此辺亀戸村そんじ□□
●亀戸町二ケ所やける
 天神□□□□□□
【上へ押上村】
此辺寺院大破多し
【左下へ本所】
●法おんじ橋ぎは町家少し
やける此辺くつれ多く
【左下へ】
御やしき類焼は■印
町方地名は●印やけば也
【左へ柳はら丁】
其外つふれ候所おひたゞし
【右上へ石原】
●石原あらゐ丁辺より弁天こうじへん
とび〳〵やける尤多し
【左へ】
津かる様御やしきをはじめわり下水
辺のこらすいたみつよくけが多し
少しツヽの出火所々也
【左へ】
●緑町壱丁めより同二丁目
やける三丁め一丁のこり
四丁目五丁めやけ
三つめ花丁にて
やけとまる向川岸二丁め三丁めやける
【上へ】
東両国は大半崩れ相生丁辺おひたゝしく
【左下へ】
●御舟蔵前ゟ八名川六間ぼいり
南北森下町常盤丁
井上様小笠原様□□様やける
高□□□□て留る
又□□町□□□□やける
【上へ新大橋対岸】
はま丁はかくべつのさはりなし
【下へ新大橋対岸】
●いせさき丁やける
【下へ】
□□は両岸共□□にて人多く
□死すくつれぬ家まれなり
木ば丁も崩多し
【左へ】
相川丁熊井丁諸丁とみ吉丁中しま丁
小川丁大しま丁下はまぐり丁永代寺
門前仲丁山本丁やける
わぐらは本□□地□□代ち□やける
【右下へ】
其外くつれ多分なり

【紙面下へ】
○中仙道は板橋より□□大宮辺
□□□□□□川島□□□やうにて□□
□□ゆるく上州は高崎辺まて也
又二合半領葛西領は大半くつれ上総は木更
津辺おびたゞしく尤房総共大地震なり先御府
内のみ大凡を書とり其あらましを挙ぐる
町数五千三百七十余丁崩
御屋敷弐万四千六百三十四軒也
寺院は一万六千二ケ寺
土蔵は焼失の分六千八百戸前
崩る分七億二万六千三十八なり
男女死人之分十万九千□百□□余人也
十月二日夜亥の上刻ゟ出火起り
翌朝火しつまる
深川と浅くさ花川戸は□
四ツ頃しづ□□
即時御□□□□
御救御□□□□
□□□□□□
□□□□□□

【上へ】
▲東海道は品川ゆるし
川さき神奈川つよくふるひ金沢
江の島浦賀辺程が谷戸塚は甚しく
小田原辺をかきり也日光道中は宇都宮限り
水戸街道は土浦辺まで甲州道は□□□□
青梅飯能□□□□□□

振出し鯰薬

【タイトル】
振(ふり)出(だ)し鯰(なまづ)薬(ぐすり)《割書:価 一ゆり 一百里|同 散(さん)ざい 斗千万両》大瓢堂製
【本文は上下二段構成】
【上段】
一 抑(そも〳〵)此(この)鯰薬(なまづぐすり)の霊薬(れいやく)は鰻(うなぎ)ぐすりの法(ほふ)に倣(なら)はず瓢(ひやう)たん
薬(ぐすり)の功能(こうのう)と変(かは)り鹿嶋(かしま)大明神(だいみやうじん)の御(ご)夢想(むそう)にして
一子相伝(いつしそうでん)の妙済(めうざい)也第一(だいゝち)時候(じかう)の不順(ふじゆん)を治(ぢ)し第二(だいに)
世上(せじやう)の景気(けいき)を直(なほ)す尤(もつとも)薬勢(やくせひ)甚(はなはた)しきに依(よつ)て
大(おほ)ひに動(どう)ずる事(こと)あり然共(しかれとも)其(その)動(どう)ずること
有(ある)が故(ゆゑ)に是迄(これまで)年来(ねんらい)蔵中(ぞうちう)に凝(こり)
集(あつま)り
たる▲
▲金(きん)
銀(ぎん)の支(つか)へを
下(くだ)し世間(せけん)の
融通(ゆづう)を付(つけ)廻(めぐ)り能(よく)なるに
随(したがつ)て何(いか)なる冷生(ひえしやう)なる
者(もの)と云共(いへども)追々(おひ)々腹中に
暖(あたゝか)みを生(しやう)じ貧病(ひんびやう)を愈(いや)【癒】す事(こと)震(しん)の□□【ごと】し
其(その)功験(こうけん)の著(いちじる)しき用(もち)ひてためすべし
【下段】
一 金銀(きんぎん)のめぐりを能(よく)し 一 世上(せじやう)を賑(にぎは)すによし
一 怠(おこた)りをいましむるによし 一 奢(おご)りを止(とどむ)るによし
禁物(きんもつ) 一 美食(びしよく) 一 美服(びふく)
一 居宅(きよたく)を錺(かざ)る又(また)は
大酒(たいしゆ)をいむ

「さあ〳〵ひやうばんの
なまづぐすりじや人形(にんきよ)
  ほしくばくすりを
かはんせこれは
    ひやうばん
     き□□

用ひやう
十□□日夜 四(よ)ツ 時(どき)一たんに 振出(ふりいだ)し 猶(なほ)そのふり□□
□□を 度々(たびたび)に 振出(ふりいだ)し用(もち)ゆべし 前(まへ) に 記(しる)□
禁物(きんもつ)を 能々(よく〳〵)慎(つゝし)まざれば 病(やま)ひ 元(もと)にかへる 恐(おそ)るべし


[江戸大地震]

【タイトル】
□□□地震
【本文は枠内に地図を挟んで上下二段構成】
【上段】
此は安政二卯十月二日夜四の時過俄大地
震出し千住小塚原より出火して新吉原は一時に
五町まち惣くすれ江戸町一丁目より出火角町より
出火諸々残らず焼る也夫より大おん寺前少々
田町花川戸山の宿聖天町地しん出火
猿若町三丁共にのこらず
くずれ大に焼る也浅草
観音御堂つゝがなく
地内のこらず焼る並木
通り惣くずれすわ町より出火して駒形
残らず焼る也夫より御堂前通りのこらず
くずれかや町一丁目三丁目浅草御門
石がき大石亀出る又下谷辺は諸々
大小名残らずつふれ七軒町より
出火して上野町長者町のこらず
やける也夫より仲町くら通り
くずれおもて通りあらまし
のこる広小路は井口の
側焼る也同かや丁町池の端
同二丁目一丁目まで焼る也むゑん坂
上は松平備後守様御やしき焼
千駄木団子坂此辺三軒やけくずれる
谷中善光寺坂上少々のこる也根津下
二町とものこらずくずれ中程にて二三軒残る
本郷通り出火湯島切通しまで焼る
此辺松平加賀守様惣御人数出て
消口をとる湯島神社内少々い
たみ門前両かわ土蔵附は甚いたみ
のこらずそんじる同三組町新町家
大根ばたけ諸々くずれ妻恋稲荷
本社少々そんし町内一軒も別状なし話
又馬喰町横山丁大門辺小伝馬
大伝馬町此辺は格別の事なし
本所石原より立川通り林丁
みどり丁深川は八幡社内
少々いたみ一の鳥居より
大はし口までくずれ
出火有同洲崎鉄
炮洲霊がんじま
塩町畑【佃】島まで
焼る又神田
通りは出
なしと△
【下段】
【先頭に破れ欠損】
【破れ】南伝【破れ】二丁目より出火
して畳町五郎兵衛丁【破れ】町柳丁常盤丁鈴木丁
白魚やしき竹がし辺迄【破れ】る也此辺横立十文字に
焼る也夫より芝うた川丁より出火高なは辺は大地一尺
ほどさけ品川少々焼る也又御城内は大名小路
西丸下一ツ橋辺まで大ぢしん神田橋御門内酒井
雅楽頭様森川出羽守様和田倉内は松平下総守様
松平肥後守様大くずれ八代洲河岸は上村但馬
守様松平相模守様火消やしき等残らず焼る
酒井左衛門様表門残る鍋島毛利南部様
のこらず焼る酒井左衛門様表門残る其外は大くずれ
小川町は本郷丹後守様松平紀伊守様さかき原式部大輔様板倉
戸田□□のこらず焼る小石川伝通院門前
くずれお茶の水より番町辺までのこらず
くずれ□□□□□
其外山の手は麻布
赤坂青山目黒白
金四つ谷かうじ丁
十三町とものこらず
くずれ所々出火あり
じしんは未刻々時々に
ゆれ諸人大道にの
宿して昼夜やすき
心もなかりけり
【枠外】
直七申口浅草通り吉原町にて人損し候事幾千人と申候未た【破れ】所々え
積置丈猫同様に取なし申候岡本三浦や尾張屋抔は五六人宛も助【破れ】□の
申候小塚原千住不残平に潰れ一面野原の如し未取片付す候得共【破れ】行   
人気乱世之如く雪駄藤くらぞうり抔にて歩行ものへは瓦石はい焼木抔ほ□【破れ】物も
見世えはみたりに入手つから取持行候様子中々見物は出来不申候よし
【枠外下】
       甲府飛脚直七差出候
京屋店八拾人程暮し居候処子供三人若もの一人〆四人即死怪我人八人即死同様四人
【底】
少々危怪我人多分有之大方潰れ申候由

鯰筆を震

【タイトル】
鯰筆を震
【本文は上下2段構成】
【上段右】
「一生かけ
ものに
いたします
【上段中】
「これは
おれが
もらつて
おこう
こんな
しこと
でも
うけ
とり
てへ
【上段左】
あり
がてへ
〳〵〳〵
【下段】
「これも
かいてもら
へはあとへ
のこる
ものだ

二日の夜今度の恨

【タイトル】
□□度(ど)の恨(う□□)
【本文】
□□□□こへぬぞへ大ぢしんおまへに
□□□このからだうちころ
□□□いとわねどまた
ゆりやさんすの□
こ□□□□□これ
からはいやだぞへ
なんぼ天地(てんち)のこと
じやとてせんからこれ
がしれたなりや
こんなうきめはせぬものを
いふも今(いま)さらおそろしい二日の
よひの大ぢしん

登利詣

登利詣

金持をゆすりにきたか大地しん


金持を
 ゆすりに
  きたか


 地
  しん


   なまつ
      □

関東大地震并處々出火細見

関東大地震并処々出火細見

頃は安政二卯年十月二日天晴風あたゝかく此日ことに
おだやかなりけるが夜四ツ過四方たちまちめいだうし
地ふるひうごくことすさまじく数十万の人家一しゆん
のうちにゆりつぶされ火もえおこること三十八ケ所
あるひは焼れあるひはおされ人そんずること
何千万其かずをしるべからず先あらましを
こゝにしるすに西丸下御役やしき
牧野備前守様本庄安芸守様
本多越中守様酒井右京亮様
此へんのおん屋敷少々そんじ松平
下総守様松平肥後守様同
向やしきまで焼る松平伊賀守
様内藤紀伊守様松平玄
蕃頭様少々そんじ八代すがし
松平さがみのかみ様同添やしき
火消屋敷遠藤但馬守
様やける鍛冶橋御門内
松平三河守様鳥居丹
波守様松平和泉守様
松平能登守様少々そんじ
ごふくばし内水野周防守
様松平丹波守様久世
大和守様備前守少々そんじ
細川越中守様松平伊豆
守様秋元但馬守様少々
損じてんさう屋敷内大名
小路阿部伊勢守様松平
内蔵様松平和泉守様織田
兵部少輔様御長屋向処々そんじる
日比谷御門内土井大炊頭様
松平右京亮様崩れる
本多中務様長井遠江守様焼
松平土佐守様牧野備後守様松平
主殿守様少々そんじ常盤橋内松平越前
守様夏目左近将監様間部様太田様小笠
原様酒井様一ツ橋様御なが屋その外少々そんじる
酒井雅楽頭様同向屋敷森川出羽守様御やしきのこらず
焼る山下御門内松平肥前守様阿部播磨守様焼る松平大膳
大夫様御やしきも少々やける外桜田は上杉弾正大弼様板倉
周防守様大岡越前守様大久保駿河守様石川近江守様西尾隠岐守様
相馬大膳亮様少々そんじ阿部因幡守様水野出羽守様小笠原佐渡守様
北条美のゝ守様松平伯耆守様三浦志摩守様御奥むき御長屋せう〳〵そんじ
霞ケ関安芸様黒田様なか田馬場へんいたみ所多し幸橋御門内松平時之助様
薩摩さま将束やしき鍋島加賀守様御先御長屋むきそんじる有馬備後守様
丹羽長門守様少々いたみあたらし橋内亀井隠岐守様真田信のゝ守様そんじる
あたご下へんおんやしき方寺院各そんじ所あり増上寺御堂御霊屋向はつゝがなく宿坊
せう〳〵そんじる三田へん田丁高輪此へんいたみ所多し二の御台場はそん品川宿
そんじる川崎宿出火大師河原大師堂つゝがなしかな川宿そんじほとがや戸つかへんは
至てかろくはこねより先は九月廿八日に地しんありといふ
しん吉原五丁町大にそんじ京町角町をはじめとして四方八方より出火してくるは
うちのこらずやけ京町のかしすみのかた少々のこる小塚原大よそやける
千住宿そんじ多く大千住やける此かい道はくり橋御番所手前まで少々そんじ
古河御城下へんに至りてははなはだかろしといふ
田丁せうでん丁へんそんじ多くさるわか丁芝居三座とも焼役町みなみがは
のこる浅草くわんおん御堂つゝがなく三社ごんげん大そん五重のたう九りん
まがる寺ない丁屋少々そんじる駒形町すは町黒船町やける並木
もんぜき前せうそん大そんあり本願寺御堂はつゝがなしきくや橋のきはより
しんぼりばた通り二三丁焼るほつた原へん御蔵前茅町かいはいそんじる
下谷坂本とほりそんじ多くふだの辻きんへんやける東えい山は中堂
じげん堂御霊屋のむきつゝがなく宿坊そとがはそんじる上野町より出火
広小路かたかは御なり道石川様黒田様井上様小笠原様長じや町
なかおかち町へんまで焼る
根津ごんげんの社つゝがなく惣門内町屋そんじ多く七けん町より出火
かや町通り柳原様御やしき下までやける千駄木たんご坂下そんじ多し
谷中へん少々そんじる本郷通り少々そんじ駒込白山へんそんじ多く
小石川おなじ伝通院本堂つゝがなく前町少々そんじる
すぢかい御門内神田すだ町へん今川橋どほり少々そんじ十けん店
むろ丁日本橋通り少々のそんじ南伝馬町二丁め三丁め
南かぢ丁五郎兵へ丁大工町具そく足丁畳丁柳丁ときは丁
すゞき丁しら魚やしき大根がし竹がしへんまで横たて十もんじに
やける又小川丁へん御やしき方そんじ多く二ケ所火もえ出
二口になりやけるするがだいは少々そんじる
本八町ぼり鉄ほうず十けん丁少々やける本ぐわんじは
つゝがなしつくだじませう〳〵そんず八丁ぼりへんはかくべつのこと
なし霊がんじま南しんぼり大川ばた少しやける
永代ばし少々そんじ深川相川町富吉丁中じま丁
北がは丁大しま丁はまぐり丁くろい丁さいねん寺町
やぐら丁永代寺門前やける八幡宮本社別条なく
寺内少々そんじる三十三げん堂すこしいたむ高ばし
ときはてう八名川丁六けんぼり大はしぎは此へん
そんじ多し本所一ツ目べんてん堂くづるゝたてかは通り
はやし丁津がる様御中やしきみどり丁このへんやける
うしごみへん市ケ谷四ツ谷かうじ町赤坂すべて
少々づゝのそんじあり青山麻布のへんも亦おなし
所々の出火追々に消をさまり翌三日ひる時ごろ全く
鎮火するといへども地しんしば〳〵ゆりかへし人々安き
こゝろもなく昼夜たゞ其事にのみ心をなやまし▲

▲大道御原のしやべつなく広場々々へ野あんをはり神仏をきねんのほか又せんすべも
なかりしに同八日九日ごろに至りやう〳〵にして地しん遠のきはじめて安堵の思ひを
なすかゝる大ちしんといへども両丸の御城はさらに別条はなかりしもめてたき御代の
いさほしなりと人々万歳をとなへけり

一御公儀様より御憐愍を以て野宿之貧民御救ひのため
 幸橋御門外深川海辺大工町浅草広小路右三ケ所へ九軒
 に七十一軒の御小屋たつ是によつて貧民雨露の愁へなきも
 偏に御仁恵の御徳沢と仰がぬものもなかりけり
一江戸町数五千七百廿三丁土蔵惣数
 十七万三千二百八十余
  御屋敷方ねり塀江戸中不残くづるゝ
一丸の中なる名所きう跡神社
 仏閣の下へ印たる▲はそんじの
 印▲の赤きは焼失の印
 無事なる所は印なし

瓢箪

【表題】
瓢覃

【上】
〽おやみなさんまいばんごさかん
さます
ねへ
〽さア/\みん
なそうじ
まいだいくたりても
女郎(ちよろう)を連(つれ)て
こいそして
おれには

一ばんいゝのを
だしてくれおれを左官(さくわん)
だとおもつてかべの
おんなをだしては
いかねへぜコウやね吉
そんなにたかくとまるな
めかしたつてもはじまらねへ
〽べらぼふめべつにたかく
とまるきじやアねへが
家根(やね)やだからあたり
   めへた
〽いゝサそんなことはどうでも
いゝからはやくけづゝて
おかたづけとして
はやくさいくばへ
いこふしやアねへか

【左下】
〽コウべらぼうをとこ
いそぎだなアそんなに
せかずといゝしやア
ねへか
なあ
ゑん

〽よして
くれこの
ころしやア
おれのことを
ゑんまのこ/\と
にしきへへまで出(で)る
でゝいるからふだんはいゝが
こんなみへのばしよ
じやアそんな事はいつて
くれるなゑんまだの
ぢざうだのとこゝは
ぢごくじやアねへ
かりたくだよ

【右下】
〽あそこにおほぜいいるのはしよくにんしゆうと見へて
 ごふぎといせいのいゝ人たちだそれはいゝが 
此間の大なまづでうちもくらもいごきたしたか
 サテいごかないものはかした金だ
  どふか貸(かし)た金のいごく工夫(くふう)が
   ありそふなものだて