コレクション6の翻刻テキスト

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BnF.

【表紙 題箋】
瓢軍談五十四場 貮編

【資料整理ラベル】
SMITH-LESOUEF
  JAP
  128(2)

瓢(ひさご)軍(ぐん)談(だん)五(ご)十(じふ)四(よ)場(じやう)

 二十八
武智(たけち)右馬之助(うまのすけ)
浮橋(うきはし)を 造(つく)り
勢田(せた)をわたす

瓢(ひさご)軍(ぐん)談(だん)五(ご)十(じふ)四(よ)場(じやう)
               一英齋
                芳艶画

    二十九
   久吉(ひさよし)京都(きやうと)の
    密使(みつし)を
     捕(とら)ゆる

           冨士田源八

瓢(ひさご)軍(ぐん)談(だん)五(ご)十(じふ)四(よ)場(じやう)

 第三十
四方傅(しはうでん)左二馬頭(さじまのかみ)
久吉(ひさよし)を追(お)ふて
 勇力(ゆうりき)を顕(あらは)す


            四方傅左二馬頭

  眞柴久吉
   《割書:実、》淺田初右エ門

                     一英齋
                     芳艶画

瓢(ひさご)軍(ぐん)談(たん)五(ご)十(しふ)四(よ)場(じやう)
                       一英齋
                       芳艶画
 三十一
佐藤(さとう)正清(まさきよ)
 四方傳(しはうでん)左二馬(さしまの)
   頭(かみ)を討(うつ)

              佐藤正清


  四方傳左二馬頭

瓢(ひさご)軍(ぐん)談(だん)五(ご)十(じふ)四(よ)場(じやう)

BnF.

仙台林子平先生著
三国通覧輿地路程
全図《割書:共五 附|紙》略説一冊
  東都書林申椒堂蔵版

此(この)図(づ)は朝鮮国(てうせんこく)琉球(りうきう)国 蝦夷(えぞ)国 無人島(むにんじま)等(とう)の海陸(かいりく)を天(てん)の分野(ぶんや)に里数(みちのり)を配当(あわ)して
度(ほど)を計(はか)り山嶽(さんがく)江河(こうが)城地(じやうち)郷邑(がうゆう)遺蹟(ゐせき)名勝(めいしやう)湊(みなと)駅(むまつぎ)まで設色(さいしき)を以(もつ)て目標(めじるし)をわかち且(かつ)
其(その)国々(くに〳〵)通俗(つうぞく)の文字(もんじ)器財(きざい)人物(じんぶつ)の風俗(ふうぞく)鳥獣(てうじう)の形状(かたち)に至(いた)るまで悉(ことごと)く書(かき)あらはす
可謂(いゝつべし)実(じつ)に今古(こんこ)未発(みはつ)一珍(いつちん)なる物(もの)なり于時天明丙午立夏日梓既成

三国通覧図説 図五枚附 全

三国通覧図説序
図記之用其博矣哉義皇画
卦易道以起夏后図鼎九志
以顕若乃秦府所蔵漢相所
収知波天下阨塞戸口多少土
地風気之殊異民俗吏治之利
苦鳥獣草木之所産衣服器

具之所用皆聚諸此燦然明
備如足至其土目覩其物唯図
書之功也豈不博且大哉今見
林氏所著三国図説薄海之
外万里之遼波濤所阻舟航
所途皆載此書而其土地之殊
風俗之別職貢之法服属之事

至我賓接之礼羈縻之道詳
悉審到先所謂足其土目其
物此書有焉是豈一家所秘
一人所玩哉刊之行於天下或
蔵之御府為後王遇詩夷狄
之汰亦豈不美哉
国家有文之治継跡夏暃九

物之録周官職方説則此書
之功一世尊奉千歳尸祝可
不謂偉哉因其請序言図
記之用為弁数言者尓
天明丙午之夏
東都侍御毉
  桂川甫周国瑞

三国通覧図説
    題初
大哉地理ノ肝要ナルコト。蓋廊廟ニ居テ国事ニ与ル者地理ヲ
 不_レ知トキハ治乱ニ臨テ失有。兵士ヲ提テ征伐ヲ事トスル者地理
 ヲ不_レ知トキハ安危ノ場ニ失有。跋渉スル者地理ヲ不_レ知トキハ遅速ノ際
 ニ失有。人々能思惟スベシ。是ヲ知コト難キニアラズ是ヲ知
 コト難キニアラズ。抑世ニ地理ヲ言者不_レ少。然レトモ或ハ万国
 ノ図ニ走リ亦ハ本邦ノ地ニ限レリ。小子竊ニ憶。皆過不及
 歟ト此故ニ今新タニ本邦ヲ中ニシテ朝鮮。琉球。蝦夷。及ビ
 小笠原嶋《割書:即伊豆ノ|無人嶋也》等ノ図ヲ明スコト小子微意アリ。夫此三

 国ハ壌ヲ本邦ニ接シテ実ニ隣境ノ国也。蓋本邦ノ人。無_二貴
 賤_一無_二文武_一知ベキモノハ此三国ノ地理也是ヲ諳ルトキハ治
 乱ニツイテ不_レ迷不_レ疑。万機施シ易シテ時有テ力ヲ陳ベク
 時有テ知テ楽ムベシ。且政ニ従テ三国ニ入ル人有トモ此図ヲ
 懐ニスルトキハ三国ノ分内了然トシテ目睫ニ在ガ如ク泰
 然トシテ彼コニ至ルベシ是小子此図ヲ作テ世人ニ示ス
 所ナリ。小ク武術ニ補アルニ似タリ
   万国ノ輿地。知ニ如ハナシ然レドモ強テ泥ムトキハ必鑿
   ス。只其方位。大小。寒暖。強弱。等ノ大略ヲ知テ足ベシ
本邦ノ図ハ只其四方渡海ノ国ノ港口耳図シテ全形ヲ不_レ挙。

 是元ヨリ本邦ノ全図。世ニ多クシテ且近頃。水府ノ赤水著
 ス所ノ詳密ノ図アル故也。本邦ノ地理ヲ知ント欲スル者
 ハ赤水ノ図ニ因ベシ
此数国ノ図ハ小子敢テ杜撰スルニアラズ。朝鮮ノ図ハ朝鮮
 大象胥ノ伝ル所ノモノ。﨑陽人楢林氏秘蔵ノ珍図アリ是
 ヲ以テ拠トス。琉球ハ元ヨリ中山伝信録アリ是ヲ証トス
 蝦夷ハ古ヨリ自己有スル所一図アリ今又新タニ三図ヲ
 得タリ。大同小異ナレトモ皆以テ証トスルニ足レリ加之白
 石先生ノ蝦夷志及ビ淘金【左ルビ:カネホリ】家ノ著セル北海随筆等ヲ以テ
 考定メ間亦北海舟人ノ説ヲ交記ス耳。無人嶋ハ﨑陽ノ嶋

 谷家ノ記録ニ拠レリ一モ私照ナシ
三国海陸道路ノ里数ハ皆本邦ノ道法。三十六町一里ヲ以テ
 記ス異国ノ道法ヲ不_レ用。是本邦ノ人暁シ易カラン為也
   朝鮮ハ清ノ法ニ俲テ。本邦ノ三町半許ヲ以テ一里ト
   ス朝鮮ノ十里ハ即本邦ノ一里ナリト知ヘシ。琉球ハ
   即本邦ノ三十六町一里ヲ用ユ。蝦夷ハ本邦ノ四十九
   町ヲ以テ一里ト為ト云ドモ其国元ヨリ都城駅亭等ノ
   処ナキ故其里数ヲ量リ定メタル人モ無レバ其詳ナ
   ルコト得テ不_レ可_レ知也此ニ記ス所ハ其乗馴タル舟人ノ
   説ニシテ大概ノ測量ナリト知ベシ

朝鮮。琉球。蝦夷。及ビ小笠原嶋。幷ニカラフト。ラ(ra)ツ(tsu)コ(ko)嶋。カムサ
 スカ。等数国接壌ノ形勢ヲ見セシメン為ニ別ニ一面数国
 ノ小図ヲ作テ四図ニ相合シテ都テ五図トス此小図ヲ見
 テ接壌ノ方位ヲ知ベシ
   計五首
天明 五年(1785)年乙巳秋九月   仙台(sinday) 林子平(Rinsfie)述

   ○朝鮮八道 国図ハ別ニ一枚ニ作テ此巻ニ附
其国九州ノ北ニ在。肥(bi)前(zen)国 唐津(タウシン)【左ルビ:カラツ】ヨ(jo)リ(ri)壱岐嶋エ【送り仮名】海上十三里。壱
 岐嶋ヨリ対馬嶋エ【送り仮名】海上四十八里。対馬嶋。豊ノ浦ヨリ朝鮮
 ノ東港。釜山浦エ【送り仮名】四十八里ト云ドモ四十里ニ不_レ足也
其国。南北ニ斜ニ長ク東西ニ陜シ大概南北日本道三百里。東
 西八九十里ノ国也
其国三十五度ヨリ四十三度ニ係ル○釜山浦ハ三十六度。王
 都ハ三十八度
古代。新羅(Siraki)【左ルビ:シラキ】。高麗(Koma)【左ルビ:コクリ】。百済(kutara)【左ルビ:クタラ】。ト云亦ハ三韓ト云或ハ雞林。楽浪ナドヽ云
 シモ今ノ朝鮮ノコト也

其国ノ西方ト北方ニ二 ̄ツ ノ長江アリ即 ̄チ朝鮮地境ノ尽 ̄ル処
 也。此両江ノ中間ニ白登山。長白山等ノ大山有テ地勢ヲ隔
 ル故。唐山(カラ)ト陸地ノ通路ハ無_レ之ト云トモ其実ハ遼東ト地続
 ニシテ離レ嶋ニハアラズ
其国ノ両都ト云ハ京畿道ノ王城ト慶尚道ノ普州也○国ヲ
 八道ニ分ツコト左ノ如シ
京畿道(ケンキタイ)二十八管 四牧。九府。八郡。五令。十二監。六駅。六堡。海水
 軍判官二。番船九艘。中船九艘。水使一。検使一。万戸二。
江原道(カアンタイ)二十六管 一牧。六府。七郡。三令。九監。四駅。五堡。検使一。
 万戸二。

黄海(バハイ)道二十四管 二牧。四府。七郡。四令。三駅。七堡。兵使一。検使
 三。万戸五。
忠清(チグシヤグ)道五十四管 四牧。一府。十一郡。一令。三十七監。六駅。六堡。
 番船二十艘。中船二十艘。兵使一。虞候二。
全羅(テルラ)道五十七管 四牧。四府。十二郡。六令。三十一監。六駅。十八
 堡。番船四十二艘。中船十二艘。兵使二。水使二。虞候二。検使四。
 万戸十三。権官一。
慶尚(ケクシヤグ)道六十九管 四牧。十一府。十四郡。一令。三十四監。十一駅。
 二十四堡。番船五十六艘。中船五十一艘。兵使二。虞候二。水使
 二。検使二。万戸十九。権官六

平安(ベアン)道四十二管 二牧。十府。十七郡。八令。五監。二駅。十八堡。兵
 使一。虞候一。判事一。検使十一。万戸七。権官二十九。
咸鏡道(ハミキヤンタイ)三十二管 二牧。十五府。四郡。二監。三駅。三堡。北兵使一。
 南兵使一。虞候二。検使十二。万戸十八。権官二十一。
    都テ八道也
此国ノ西辺義州ヨリ遼東エ【送り仮名】至ル日本道五十里。北京エ【送り仮名】至ル
 同二百五十里也
此国大閤征伐ノ頃迄ハ風儀懦弱ニシテ武備ノ沙汰モ当世
 ノ如クニ無リシ故。八道ヲ只三ヶ月ノ間ニ陥 ̄レ ラレ其後大
 ニ悔懲 ̄シ ト覚 ̄ヘ テ代々武ヲ講シテ今ハ水陸ノ備。能整 ̄レリ

 ト聞及ベリ水営モ十四ケ処有テ平生水戦ヲ習ハシムト
 云 ̄リ況ヤ陸ヲヤ是等ノコトハ俗諺ノ雨降テ地堅マルト云
 譬ノ如シ
釜山浦ニ対馬ノ陣屋有テ平生士卒数百人ヲ対州ヨリ遣シ
 置也此等ノコト即 ̄チ日本エ【送り仮名】手ヲ下(サゲ)シ所ナルヘシ
其国常行ノ銭ヲ常平通宝ト云《割書:小銭十|ニ当》
其国全 ̄ク清ノ正朔 ̄ヲ奉 ̄レ ドモ本邦 ̄ト通信スル書 ̄ニハ憚 ̄テ清 ̄ノ年号 ̄ヲ不_レ用
 只支干 ̄ヲ記 ̄シ テ某ノ月 ̄ト書スル也是亦日本 ̄ヘ手 ̄ヲ下(サゲ)シ所ナルベシ
其国ノ人物ハ都テ日本唐山等ノ人ヨリ壮大ニシテ筋骨モ
 ツヨシ食量モ大概日本ノ二人ノ食ヲ朝鮮ノ一人 ̄ニ充ベ

 シ然レドモ其心機アクマテ遅鈍ニシテ不働也此故ニ太閤
 ノ征伐ニヨク負タリ
其国ニテ作レル文字ヲ諺文ト云。一字一音也是ヲ本邦ノ以(イ)
 呂(ロ)波(ハ) ̄ニ配スレバ其文。左ノ如シ
イ ロ ハ ニ ホ ヘ ト チ リ ヌ ル ヲ ワ カ
【カタカナの左に該当するハングル文字】
ヨ タ レ ソ ツ ネ ナ ラ ム ウ ヰ ノ オ ク
【カタカナの左に該当するハングル文字】
ヤ マ ケ フ コ エ テ ア サ キ ユ メ ミ シ
【カタカナの左に該当するハングル文字】
エ ヒ モ セ ス
【カタカナの左に該当するハングル文字】

   右伝写ノ誤 ̄モ アルベキナレドモ伝ラレシ侭 ̄ニ書記 ̄ス
   也識者ノ比校 ̄ヲ侍ベシ
此国ノ人物 ̄ハ代々本朝 ̄エ来聘シテ諸人ノ見 ̄ル所ナレバ其
 人物ノ図 ̄ハ不挙○朝鮮王 ̄ヨリ奉幣ノ物 ̄ハ人参。虎皮。豹皮。青
 □皮。魚皮。繻子。白綿紬。鷹子。駿馬。等也其報物ハ貼金ノ屏風。描金
 ノ鞍。□金ノ料紙箱。同硯箱。染羽二重。乱茶宇ノ類也。正使。副使。従
 事ノ三使 ̄ヘハ各白銀五百枚。綿三百把。上々官 ̄エ白銀二百
 枚ヅヽ。中下官ノ者ドモヘ銀千枚 ̄ヲ賜 ̄フ也是献酬ノ大略也
鴻荒ノ世 ̄ニ其国 ̄ヲ開 ̄ク者ヲ檀君 ̄ト云。世 ̄ヲ続コト千余年。其後
 唐山 ̄ヨリ入 ̄テコレヲ治ルハ箕子 ̄ヲ始トス。初 ̄テ朝鮮ノ号

 アリ。箕子 ̄ニ代テ其地 ̄ニ王タル者ヲ衛満 ̄ト云。其後孫。或 ̄ハ
 唐山ニ入。或 ̄ハ不入。終 ̄ニ内乱シテ其国分 ̄レ テ三 ̄ト ナル。所謂三
 韓也。其後新羅。二韓 ̄ヲ滅 ̄シテ一統 ̄ス又其後高麗ノ王氏。新羅
 ヲ滅シテ一統 ̄ス又其後高麗ノ李氏。王氏 ̄ニ代 ̄テ三韓 ̄ヲ統
 有 ̄テ再 ̄ビ朝鮮 ̄ノ号 ̄ニ復 ̄シ テ今 ̄ニ至 ̄レリ。都 ̄テ上檀君ヨリ
 下今世 ̄ニ至 ̄ル迄 ̄ノ事及 ̄ビ神功皇后征伐以来。其国代々。本
 朝 ̄ニ調庸貢献シタルアリサマ。又 ̄ハ太閤征伐ナド悉
 ク記 ̄ス ベキナレドモ文長ケレバコレヲ略 ̄ス。且其治乱興廃
 ノ詳ナルコトハ東国通鑑アリ。コレニ由テ知ベシ
    右朝鮮略説

   ○琉球《割書:三省|三十六嶋》国図ハ別ニ一枚 ̄ニ作 ̄テ此巻 ̄ニ附
琉球一名龍虬。或 ̄ハ悪鬼納嶋(オキノシマ)。亦 屋其惹(オキノ)嶋
其国南北五日半《割書:日本道六|十里許》東西一日余《割書:日本道十|四五里》此外ニ三十
 六嶋アリ
中山ヲ中頭省ト云属府十四
山南ヲ嶋窟省ト云属府十二
山北ヲ国頭省ト云属府十
其国北極ノ出地二十五度二十六度 ̄ニ シテ女牛ノ分野也
其国薩摩ノ南。百四十里 ̄ニ アリ
奇界。大嶋。徳ノ嶋。等ヲ薩人。道ノ嶋ト称ス

其国。主城ノ在ル地ヲ首里ト云
其国。暖気 ̄ニ シテ稲粱再熟 ̄シ冬月霜雪ヲ不知也
其国。郭府ノ在所ヲ間切(マキリ)ト称ス
其国。王子ト称スルハ主ノ子弟也。位。正一品○按司ハ在所持
 ニテ処々ノ領主也。本邦ノ大名ノ如 ̄キ モノ也。位従一品《割書:大|概》
 《割書:采地二|千石也》○三司官親方ト云ハ天曹司一員。地曹司一員。人曹
 司一員。是即本邦ノ三公ノ如 ̄キ モノ也。位各正一品○親方
 ト云ハ位従二位○親雲上ト云ハ三品ヨリ七品マデ各正
 従アリ○里之子ハ一村一郷ヲ領スル貴族ノ嫡子ニテ部
 屋住也位正従八品○筑登之ハ正従九品

其国。常行ノ銭ハ本邦ノ寛永通宝也《割書:古ヨリ国|銭ナシ》
其国。小ニシテ日本。唐山(カラ)両大国ノ間ニ摂(ハサマ)ル然ル故ニ両国ニ
 服従シテ両朝エ聘使ヲ奉ル。日本エ聘スルニハ日本ノ年
 号ヲ用 ̄ヒ。唐山 ̄エ聘スルニハ唐山ノ年号ヲ用 ̄ユ。其国力不_レ
 足バ也然レドモ唐山 ̄エ聘スルコトヲバ日本 ̄エ不_レ秘。日本 ̄エ聘
 スルコトヲバ唐山 ̄エ秘ス。是ヲ以テ見レバ唐山ノ威権。日本
 ヨリ重シトモ言ベキ歟
其国中ニ伊勢大神宮。八幡。熊野。天満宮。等ヲ祠リシ社。数多ア
 リト云リ
今ノ琉球国主ハ正シク八郎為朝ノ血脉ナリト其国人 ̄モ称

 スル由也。琉球開闢ノ主ハ天孫氏ト云テ世々国主タリ。世
 ヲ続コト数千年。徳衰テ諸按司コレニ叛 ̄ク ツイニ賊臣ノ為
 ニ弑サレテ其位ヲ簒(ウバ)ハル添浦按司其賊ヲ誅ス国人コレ
 ヲ推テ君位ニ登ラシム是ヲ舜天王ト云。主 ̄ハ即日本国鎮
 西八郎為朝ノ子也。其母ハ大里按司ノ妹也。二條帝ノ永萬
 年中。為朝海ニ浮テ遊テ琉球ニ至 ̄ル国人其武勇ニ畏 ̄レ服
 ス。ツイニ大里按司ノ妹ニ相カタライテ舜天王ヲウム是
 則異朝ニテハ宋ノ孝宗ノ乹道二年ノコト也其後為朝。故土
 ヲ思 ̄フ心禁 ̄ジ ガタク終 ̄ニ日本 ̄エ皈レリ。為朝。日本 ̄エ皈ル
 ノ後ハ其母ニ従テ添浦ニテ成長 ̄ス十六歳ニシテ器量骨

 柄常人 ̄ニ スグレシカバ国人ノ為ニ推貴 ̄ビ ラレテ添浦ノ
 按司トナリ。二十二歳ノ時乱賊ヲ誅シテ国主トナレリ。是
 ヲ始トシテ今ノ世迄其統脉綿連トシテ変革ナシト云リ
第一舜天王在位五十一年薨壽七十二
第二舜馬順凞在位十一年
第三義本在位十一年
第四英祖在位四年
第五大成在位九年
第六英慈在位四年
第七玉成在位三十三年

第八亜威在位十三年
第九察度在位四十六年
 此時代。中山ノ主。始テ明ノ封爵ヲ受○明ノ大祖洪武二十
 八年○本朝後小松帝ノ帝応永二年
第十武寧在位十年
第十一尚思紹在位十六年
第十二尚巴志在位十八年
 此時代。山南。山北。ヲ合セテ中山一統ノ琉球トナル
第十三尚志在位五年
第十四尚思達在位五年

第十五尚金福在位四年
 此時代。琉球人来テ義政将軍 ̄ニ物ヲ献 ̄ス。是ヨリシテ其国
 人年々摂州兵庫ノ浦 ̄エ来テ交易ヲナスト云。琉球使ノ本
 朝 ̄ニ来 ̄ル コトハ此時ヲ始トスベシ。後花園帝ノ宝徳三年也
第十六尚寧威在位六十月
第十七尚眞在位五十年
第十八尚清在位二十九年
第十九尚元在位二十九年
第二十尚寧在位三十二年
 此時代。国主。薩摩ノ軍 ̄ニ生捕レテ本朝 ̄ニ在コト凡四年ニシ

 テ国ニ皈ルコトヲ得タリ此時ヨリ世々本朝ニ臣服ス〇明
 神宗ノ萬暦三十七年○本朝後陽成帝ノ慶長十四年也
第二十一尚豊在位二十年
第二十二尚賢在位七年
第二十三尚質在位二十一年
第二十四尚貞在位四十一年
第二十五尚益在位三年
 本朝正徳二年薨○是ヨリ後今世迄。四主ノ名字及 ̄ビ在位
 ノ年数等不詳。追加スベシ
其国主。代替ノトキハ本邦ヨリ嗣封【左ルビ:ツギメ】ノ儀ヲ命セラルヽナリ亦

 清主ヨリモ嗣封ノ儀ヲ命シテ冊封使ヲ遣シ印璽ヲモ賜
 フ也其印文。左ノ如 ̄シ猶委 ̄キ コトハ中山伝信録及 ̄ビ琉球事
 略等ニ詳ナリ
【印の図】
                  琉球国
                  王之印

                  左ハ満。右ハ篆。大 ̄サ如図

前文 ̄ニ言 ̄シ如 ̄ク清主ヨリ ̄ハ冊封使 ̄ヲ遣 ̄シ印璽 ̄ヲ与 ̄ヘ ラルレドモ
 只一代一度 ̄ノ大礼耳 ̄ニ シテ平生唐山 ̄ニ馴親 ̄マ ザル故 ̄ニ唐山
 ノ事 ̄ニハ習ハザル也本邦トハ境モ近 ̄ク其上薩琉ノ交 ̄リ シゲキ
 故。自然 ̄ニ大国ノ風 ̄ニ化セラレテ。今 ̄ハ其国 ̄ニテ謡 ̄ヲモ ウタイ。能。
 囃子ヲモ奥行 ̄シ或 ̄ハ大橋。玉置。等ノ日本流ノ書法 ̄モ行ハレ
 又本邦ノ平仮名 ̄ヲ其国一統 ̄ニ用 ̄ル也然 ̄ル故 ̄ニ和歌ヲモ。ヨミ
 覚ヘシ由也近ゴロ明和元年 ̄ニ来聘使タリシ読谷山王子朝恒ノ
 詠ゼシ和歌アリ聞 ̄シ侭 ̄ニ此 ̄ニ記 ̄ス琉球ノ本邦 ̄ニ化服シタル
 コト推テ知ベシ
    明和元年の秋賀慶の使として武蔵の国 ̄へ趣ける時

    肥前の松浦といふ所に至り追風なくて十日余り舟を
    停し頃よめる
                 読谷山(ヨミタンザ)王子 朝恒(トモツネ)
追手ふく風たよりを松浦かた幾夜うき寝の数つもるらん
   伏見の里に月を見て     同
いつもかくかなしきものか草まくらひとりふしみの夜半の月かけ
   深草にて          同
降雪にうつらの床のうつもれて冬もあはれはふかくさのさと
   不二山を          同
人問はゝいかゝかたらん言の葉も及はぬふしの雪のあけほの

   浮嶋が腹にて        同
ふしの根の雪吹おろす風見へて一むらくももる浮しまかむら
   霜月の初つかた武蔵の国に至りかの取に月を見て
                 同
旅ころもはる〳〵来ても故さとにかはらぬものはむかふ月かけ
   祝             同
波かせもおさまる君か御代なれはみち遠からぬ日の本の国
 右朝恒 ̄ハ本朝ノ学 ̄ニ熟 ̄シ タル故。其ヨミ歌モ和歌ノ躰ヲ
 備 ̄ヘ タリ ̄ト云 ̄リ。下 ̄ノ一首 ̄ハ先年八丈嶋 ̄ヘ漂着シタル。琉 ̄ノ大嶋
 船主 ̄ノ歌也本朝学 ̄ニ不熟ナル故。悉 ̄ク片言 ̄ニ シテ通 ̄シ難 ̄シ傍

 訓 ̄ヲ見 ̄テ歌ノ意 ̄ヲ知ベシ其歌 ̄ハ豆州御代官ノ芳意 ̄ニ ア
 ヅカリシ ̄ヲ謝スル意也
                 中栄(ナカエイ)《割書:大嶋人也中栄|ハ其名ナリ》
ながれ舟。よゑ(故)に御(ヲン)かみ(上)。さま(様)おが(拝)で。お(仰)よせ う(得)る事の。う(嬉キナリ)なつかしゆへん
 右一首 ̄ハ琉ノ邊土迄 ̄モ本朝ノ風 ̄ニ化 ̄シ タル証 ̄ヲ見スル為 ̄ニ挙 ̄ル也
其国ノ人物 ̄ハ時々本朝 ̄ニ来聘シテ諸人 ̄ノ見 ̄ル所ナレバ其図 ̄ヲ バ挙ザ
 ルナリ○琉球主 ̄ヨリ進献ノ物 ̄ハ太刀。駿馬。壽帯香。龍涎香。香餅。
 太平布。芭蕉布。青貝卓。羅紗。縮緬。泡盛酒等也其報賜ハ白銀五
 百枚。綿五百把。正使ヘ銀二百枚。時服十。惣人数 ̄ヘ銀三百枚 ̄ヲ賜 ̄フ

 也是献酬ノ大略也
鴻荒ノ世 ̄ニ其国ヲ開 ̄ク者 ̄ヲ天孫氏 ̄ト云。世 ̄ヲ続コト数千年。徳衰 ̄テ内
 乱 ̄シ其国分レテ三 ̄ト ナル所謂。山南。中山。山北也其後。中山ノ主。山南。山北
 ヲ合テ一統 ̄シ タル次第。又唐山 ̄ノ冊封使。其国ニ至レル式。或 ̄ハ八郎
 為朝其国 ̄ニ入 ̄シ事跡。又 ̄ハ其国或 ̄ハ唐山 ̄ニ入。或 ̄ハ本邦 ̄ニ入 ̄シ コト又 ̄ハ
 其国。薩摩ノ軍 ̄ニ破ラレシ次第等詳 ̄ニ記 ̄ス ベキナレドモ地図 ̄ニ因ナ
 キコトナレバ不書。且其治乱興廃ノ詳ナルコトハ中山伝信録及ビ
 白石先生 ̄ノ琉球事略アリ此二書 ̄ニ因 ̄テ琉球古今ノアリ
 サマヲ知ベシ
    右琉球略説

    蝦夷  国図ハ別ニ一枚ニ作テ此巻ニ附
其国奥州ノ北ニ在テ津軽ノ竜飛(タツヒ)﨑。南部ノ大間ケ嶽。等ヨリ
 只一條ノ海水ヲ隔ル耳也
其国凡四十三度ヨリ五十一二度 ̄ニ係テ大寒地也。大概南北
 日本道三百里。東西一百里許ノ国也然レドモ東西 ̄ハ屈曲広
 狭。一ナラズ石カリ。イブツ ̄ノ処ニテハ僅 ̄ニ二十四里ニ
 クビルヽナリ
蝦夷一洲ノ地ヲ五部 ̄ニ分ツ《割書:松前七十里ノ地|ハ五部ノ外ナリ》
 ○ハラキ ̄ヨリ キイタフ迄 直径【左ルビ:サシワタシ】日本道百七八十里ヲ東ノ
  部 ̄ト云聚落五十一在《割書:東部ヲ夷語 ̄ニ。メナシクル ̄ト云。メナ|シ ̄ハ東也。クルハ猶部衆ト云カ如シ》

 ○キイタフ ̄ヨリ ウラヤシベツ迄 直径【左ルビ:サシワタシ】八九十里許ヲ東北
  ノ部 ̄ト云聚落七在
 ○ウラヤシベツ ̄ヨリ ソウヤ迄北西 ̄エ廻ツテ百四五十里
  ノ地ヲ北ノ部 ̄ト云聚落四在
 ○ソウヤ ̄ヨリ ウスベチ迄直径二百余里ヲ西ノ部 ̄ト云聚
  落四十一在《割書:西部ヲ夷語 ̄ニ。シユム。クル ̄ト云|シユム ̄ハ西ナリ。クル ̄ハ上ニ同》
 ○両 潴【左ルビ:ミヅタマリ】幷 ̄ニ大河 ̄ニ添 ̄フ処ヲ中部 ̄ト云。聚落十三在。都テ五
  部ナリ
右五部トモニ本邦ノ商船入テ賑 ̄フ村々ニハ運上屋 ̄ト云 ̄テ本
 邦商估ノ軰ヨリ会所ヲ建置。夷人 ̄ヲ指引シテ交易ヲナ

 サシムル也且此交易ノトキ其産物少計ヲ松前ノ公室 ̄ヘ納 ̄メ シム
 ル也是ヲ。サシ荷 ̄ト云テ則 ̄チ年貢ノ心持ナリ ̄ト云リ
右ノ如ク村々ニ運上屋有テ指引ヲ致 ̄ス ト云ドモ其運上屋 ̄ニ在。
 軰悉 ̄ク俗商ナル故夷人ニ接対スルコト間(マヽ)見苦 ̄キ コトアリト聞及
 ベリ願クハ此等ノコトヲ禁シテ礼意徳意ヲ以テ相接 ̄シ テ夷人
 ヲシテ心服セシムベキコト俗商ノ上 ̄ニ モ心得アリ度コト歟
東ノ部 ̄ニ御味方蝦夷 ̄ト云モノアリ是 ̄ハ家中同然 ̄ニテ年毎 ̄ニ
 松前 ̄ヘ年始ノ礼 ̄ニ出仕スル也其始終甚謹メリト云リ
其国。文字無ク。財貨無。穀帠無。熟銅鉄ナシ。只海物ヲ取。又鳥獣
 ヲ狩テ食 ̄ト シテ生ヲ遂ルマデノコト也

其国醫薬ナシ。病アルトキハ只祈祷アリ然ト云トモ何等ノ神ニ
 祈 ̄ル コトヲ不知。量 ̄ル ニ天 ̄ニ祈 ̄ル ナルベシト云 ̄リ○小子按
 ニ絶テ醫薬ナシ ̄ト云ニモアラズ。イケマ。エブリコ。ノ二薬
 ヲ以テ腹痛。切疵等ヲ療スルコトアリト云。二薬ノコトハ下ノ
 産物ノ所ニ記ス
其国。木綿。純帛【左ルビ:キメ】なし。其服 ̄ハ アツシ ̄ト云テ藤蔓ノ如 ̄キ物ノ皮
 ヲ剥テ粗 ̄ク織テ用ユ其織面。筵【左ルビ:ムシロ】ノ如 ̄ク其形。腰 ̄ト等 ̄ク シテ
 筒袖也コレヲ十徳 ̄ト云。此物 耳【左ルビ:ノミ】蝦夷ノ産服也此外 ̄ハ獣皮
 ヲ用ユ又近年。本邦及ビ唐山【左ルビ:カニ】。満洲。莫斯歌末【左ルビ:ムスコウビ】亜【左ルビ:ヤ】等ノ古手【左ルビ:フルデ】ヲ
 渡シテ服 ̄サ シム。然 ̄ル故 ̄ニ一家ノ内ニテモ父子兄弟其服

 ヲ殊 ̄ニ スル者アリ親 ̄ハ日本ノ服 ̄ヲ着 ̄テ子 ̄ハ アツシ ̄ヲ服
 シ妻 ̄ハ唐山 ̄ノ服ニテ娘 ̄ハ莫斯歌末亜人 ̄ノ如 ̄ク ナル者ア
 リ ̄ト云 ̄リ サモアルベク思ハル実 ̄ニ無制ノ夷狄ナリ
其国躰 ̄ヲ一句 ̄ニ言バ百里 ̄ニ三百里許ノ一大石山也然 ̄ル故
 ニ地面悉 ̄ク嶮岨 ̄ニ シテ中土 ̄ニ樹芸 ̄ヲ ナスベキ耕地ナシ
 此故 ̄ニ只海岸 ̄ニ添 ̄テ僅 ̄ニ百七ケ村アル耳也《割書:松前七十里|ノ村ト山住》
 《割書:ノ夷人ノ村|ハ此外ナリ》
東北ノ方 ̄ニ山住 ̄ノ夷人アリ。是 ̄ヲ夷語 ̄ニ メナシ ̄ト云海産 ̄ニ
 乏 ̄キ故 ̄ニ菽麦粱稗等ヲ植 ̄ル ト云ドモ寒気ノ粗田ナル故 ̄ニ
 実リ甚微少 ̄ニ シテ只耕 ̄ス者ノ腹 ̄ニ充シメテ他 ̄ニ施 ̄スノ

 余粟ナシ。此山夷獣皮及 ̄ビ山物 ̄ヲ携テ時々海辺 ̄エ出 ̄テ海
 物 ̄ト交易スルコトアリト云ドモ其住所幷 ̄ニ村落幾許 ̄ト云コトヲ
 知コトナシ○或説 ̄ニ ツコロ。ハ々ジリ等ノ西ノ方。山 ̄ニ入コト
 二日程。山住ノ夷人ノ村落アリ ̄ト云リ
蝦夷国ノ北 ̄ニ又一国アリ蝦夷ノ西北界ヨリ僅 ̄ニ海上六七
 里ヲ隔 ̄ツ此地 ̄ヲ カラフト嶋 ̄ト云《割書:本名タライカイ|亦タラカイトモ云》聚落二
 十一在 ̄テ廻 ̄リ三百里ノ嶋 ̄ト云伝レドモ其詳ナルコトヲ見タ
 ル人ナシ然レトモ近頃輿地ノ学精 ̄ク ナリシ故此地ノコトモ
 大略弁ズベキ ̄ニ似タリ此地全 ̄ク離 ̄レ嶋 ̄ニ アラズ東韃靼
 ノ地続。室葦?ノ地方ニテ東南海ノ一出﨑ナリト云リ図ヲ

 見テ知ベシ白石先生 ̄ハ万国図ノ野作 ̄ト云 ̄ル地ハ此カラ
 フト。ナルベシ ̄ト云 ̄レ タリ扨其西北方 ̄エ続 ̄キ タル処 ̄ハ皆
 嶮山岩石ニテ通路シガタシ。其山 ̄ヲ越テ西北ノ方 ̄ニ。サン
 タン。マンチウ ̄ト云地アリ。サンタン。末考。マンチウ ̄ハ満洲
 ナルヘシ ̄ト云 ̄リ。憶 ̄フ ニ。カラフト ̄ヨリ満ノ都マデ甚相遠
 カラザル歟○寛永中。越前国。三国浦。藤右衛門等ガ漂流ノ記ヲ
 按 ̄ニ初 ̄メ北高麗ノ辺 ̄ヘ着岸シテ。ソレヨリ陸路三十日 ̄ニ シテ満ノ都 ̄ニ
 至 ̄リ又三十余日 ̄ニ シテ北京 ̄エ入。又三十余日 ̄ニ シテ朝鮮ノ都 ̄ニ来 ̄リ又十
 二日 ̄ニ シテ釜山浦 ̄ニ至 ̄テ対馬 ̄エ皈 ̄ル ト云リ。彼等ガ一日ノ行
 程 ̄ハ日本道七八里ナレバ其里数ノ大略 ̄ハ日数 ̄ヲ量 ̄テ知ル々ナリ

カラフト ̄ヨリ蝦夷 ̄エ交易スル産物 ̄ニ青玉。雕羽。煙管。蟒純。文
 繒。綺帛。等アリ其中。青玉 ̄ハ カラフト ̄ノ産也。雕羽 ̄ハ カラフ
 ト及 ̄ビ蝦夷ノ産也。煙管ハ韃靼ノ物 ̄ト覚 ̄ヘ テ皆満字 ̄ヲ彫
 也。蟒純。文繒。綺帛。 ̄ハ唐山ノ物也北京 ̄ヨリ満州 ̄ニ道シテ。カ
 ラフト ̄ニ至 ̄リ。ソウヤ ̄ヲ経 ̄テ松前 ̄ニ来ル也然 ̄レ トモ蝦夷。カ
 ラフトノ間。海 ̄ニ ハ暗瀬【左ルビ:カクレイワ】多ク陸ニハ千山峩々 ̄ト シテ両道
 ノ通路難義ナル故大交易 ̄ハ無シテ僅 ̄ニ貨ヲ通スル耳也
蝦夷ノ東海中 ̄ニ千嶋 ̄ト称シテ図書ニ載ルモノ三十七嶋ア
 リ此中。蝦夷ト通スルモノ只二 ̄ツ。曰。クナシリ。曰。エドロフ
 也。此三十七嶋 ̄ヲ過 ̄テ東 ̄ニ又国アリ加模西葛杜加(カムシカツトカ)ト云《割書:蝦|夷》

 《割書:人コレヲ。カム|サスカ ̄ト云也》是又韃靼ノ地続ニテ蝦夷国ノ北 ̄ヲ取巻テ
 東 ̄ヘ延タル遠地也。日本寛文ノ頃。欧羅巴(エーロツパ)洲。莫斯哥末亜(ムスコウビヤ)ノ
 女帝。大豪傑 ̄ニシテ五世界 ̄ニ一帝タラン ̄ト志 ̄ヲ振 ̄イ起 ̄シ。
 制 ̄ヲ定 ̄メ令 ̄ヲ下 ̄シテ曰。吾ヨリ後。子々孫々。我 ̄ガ制 ̄ヲ不_レ改。
 土地 ̄ヲ広 ̄クシ功 ̄ヲ大 ̄ニ スルヲ以 ̄テ帝業 ̄ト セヨ ̄ト ナリ。ソ
 レヨリ日々月々 ̄ニ人才 ̄ヲ挙用 ̄テ次第 ̄ニ韃靼ノ北辺ヲ略
 シテ終 ̄ニ日本元文ノ頃迄 ̄ニ東ノ限 ̄リ。加模西葛杜加(カムシカツトカ)ノ岬
 マデ《割書:則カムサ|スカ也》日本道三千余里 ̄ヲ莫斯哥末亜(ムスコウビヤ)ノ領国 ̄ト為
 テ。彼ノ国ヨリ代官 ̄ヲ置テ国事ヲ勤メシムル也然レドモ其
 地。穀帛ナシ其貢物 ̄ハ。人別 ̄ニ因テ一人 ̄ヨリ一獣皮 ̄ヲ取 ̄ト

 云 ̄リ扨此加模西葛杜加 ̄ヨリ東 ̄ニハ略 ̄ス ベキ土地ナシ。故
 ニ又西 ̄ニ顧 ̄テ彼 ̄ノ千嶋 ̄ヲ手 ̄ニ入ベキ機【左ルビ:キザシ】アリ ̄ト覚 ̄ユ其故
 ハ。千嶋ノ極東 ̄ニ。ラツコ嶋一名クルムセ ̄ト云一大嶋在《割書:ク|ル》
 《割書:ムセ ̄ハ加模西葛杜加ノ別名也。ラツコ嶋。加模西葛杜加ニ|近キ故。エゾ人相混シテ。此嶋ヲモ。クルムセ ̄ト称スルナリ》 
 此嶋 ̄モ彼 ̄ガ手 ̄ニ入タリト覚ヘテ近頃 ̄ハ此嶋 ̄ニ莫斯哥末
 亜人。多 ̄ク居住スル由也是 ̄ヲ基本【左ルビ:モトデ】 ̄ニシテ此頃 ̄ハ蝦夷 ̄ニ近
 キ。エドロフ ̄エ来 ̄テ交易 ̄ヲ スル也《割書:此交易物ノ中ニ胡椒。沙|糖。猩々緋ノ如キ。南海ノ》
 《割書:産物。相雑ル ̄ト云。其南国ノ産品。此|地 ̄エ来ルユヘハ如何。考アリヤ》然 ̄レ ドモ其交易 ̄ニ来 ̄ル本
 心計 ̄リ難 ̄シ。若 ̄ク ハ。エドロフ ̄ヲ呑ノ志意ニハ不_レ有歟。扨何
 国 ̄ヨリ来 ̄ルト問 ̄ヘバ オロシヤ ̄ト答 ̄フト蝦夷人。語ル ̄ト聞

 及ベリ《割書:按 ̄ニ。オロシヤ ̄ハ。ルシヤ ̄ノ一転語ナルベシ。如何 ̄ト|ナレバ。ルシヤ ̄ト云 ̄ハ莫斯哥末亜ノ都城ノ地 ̄ニシ》
 《割書:テ猶日本ノ江戸 ̄ト云ガ如シ。エゾ人。何国ヨリ ̄ト問シトキ。|ルシヤ ̄ト答シヲ。オロシヤ ̄ト聞ウケタルコトト思ハル》其
 服 ̄ハ阿蘭陀ノ服 ̄ニ似 ̄テ色 ̄ハ悉 ̄ク赤 ̄キ ヲ用 ̄ユ然 ̄ル故 ̄ニ蝦
夷人等。是 ̄ヲ ホリ。シイ。シヤモ ̄ト称スル也《割書:一統 ̄ニ赤色ノ服|ヲ用ルコトモ彼ノ》
 《割書:女帝ノ制令也○夷語 ̄ニ赤キヲ。ホリ ̄ト云。善 ̄ヲ。シイ ̄ト云。人|ヲ。シヤモ ̄ト云。ホリシイシヤモ ̄ハ赤色ノヨキ人 ̄ト云意 ̄ニ》
 《割書:テ。彼ノ赤色ノ人 ̄ニ|親附(ナツイ)タル詞ナリ》既 ̄ニ ラツコ嶋ヲ取 ̄テ。エドロフ ̄ヲ ナツ
 ケシ上 ̄ハ又一タビ西 ̄ニ顧 ̄ミ バ蝦夷ノ東北部ニ至 ̄ル ベシ
 日本 ̄ト蝦夷 ̄トハ唇歯ノ国也可_レ察
蝦夷ノ性。愚 ̄ニ シテ善也。オロシヤ人 ̄ノ蝦夷 ̄ニ接 ̄スル ヲ聞 ̄ニ
 曽 ̄テ干戈 ̄ヲ不_レ用。暴逆 ̄ヲ不_レ為。蝦夷 ̄ハ寒地ナル故。胡椒 ̄ヲ食

 ハセテ氷寒 ̄ヲ凌ガセ。褞袍 ̄ヲ与 ̄ヘ テ寒気 ̄ヲ防カセ又 ̄ハ沙糖
 ノ甘美 ̄ヲ食ハセ或 ̄ハ淳酒ノヨキ酒 ̄ヲ飲セテ夷人 ̄ノ口 ̄ヲ
 悦ハセ又 ̄ハ大炮 ̄ヲ轟カシテ威厳 ̄ヲ示シ文武相兼 ̄テ夷人
 ヲシテ己 ̄レニ馴懐 ̄ク ベキ術ヲ施スト聞リ。オロシヤ人 ̄ハ
 大躰 ̄ヲ知 ̄レリト云ベシト。ヘイト。語レリ
其国 ̄ニ第一金山甚多 ̄シ然 ̄レ トモ掘コトヲ不_レ知。空 ̄ク埋 ̄レ テアル
 也銀山。銅山。亦然 ̄リ又砂金ノ出 ̄ル地多 ̄シ。クンヌイ。ウンベ
 ツ.ユウバリ。シコツ。ハボロ等也。此砂金。河水 ̄ニ流 ̄レ出 ̄ル耳
 ニ非ズ砂金ノアル地 ̄ハ十里二十里 ̄モ土地一面 ̄ニ生スル
 也。ハボロ ̄ノ砂金 ̄ハ海底ヨリ打上 ̄ル ト覚 ̄ヘ テ西北風 ̄ノ大

 荒シタル後 ̄ハ海浜四十里ノ間。一帯金色 ̄ヲ ナス ̄ト云 ̄リ是
 等ノ金銀 ̄ヲ不取シテ空 ̄ク捨置コト可_レ惜コト也。竊 ̄ニ憶 ̄フ今取
 スンバ後世必。莫斯哥末亜取ベシ。莫斯哥末亜。既 ̄ニ是ヲ取
 バ。臍ヲ噛トモ。遅カルベキ歟○或説 ̄ニ砂金ヲ取ンコトヲ欲
 シテ。ハボロ ̄ニ冬コモリ。ナドスレバ極寒 ̄ニ撃レテ必死ス。
 タトヒ。不死トモ病身廃人 ̄ト ナル故。行人ナシ ̄ト云伝 ̄フ。小子
 按 ̄ニ其 事(コト)実ナラバ無術無謀ノ甚キ也。ハボロニテ寒気
 ノ為ニ人死スルナラバ。ハボロ ̄ヨリ北方ノ人 ̄ハ何 ̄ヲ以 ̄テ
 カ活 ̄ル コトヲ得ベキヤ。其寒気ノ為 ̄ニ人死スルト云 ̄ハ暖地ノ
 人。強寒ノ地 ̄ニ入 ̄テ預 ̄メ寒気 ̄ヲ防 ̄ガ ザル故也。防 ̄グ術アラバ

 何ノ死 ̄ト云コトカアラン可_レ思
蝦夷国ノ産 ̄ニ良材多 ̄シ第一桧葉甚多 ̄シ○蝦夷松 ̄ト云 ̄テ桧
 ニ類セル良材多 ̄シ当世障子。曲物。白木台。等 ̄ニ作 ̄ルハ皆此
 木也其外用多 ̄シ○五葉松多 ̄シ蝦夷松ヨリ劣ルト云ドモ是又
 良材也此外桂。櫔。□【木+原】。黄栢。等多シ○草ニハ春菊 ̄ニ白花ノ物
 アリ。百合 ̄ニ黒花ノ物アリ。虎杖【左ルビ:イタドリ】 ̄ニ太キコト廻 ̄リ六七寸 ̄ニ シ
 テ高 ̄キ コト一丈五六尺ナルモノアリ。欸冬【左ルビ:フキ】? ̄ニ茎ノ廻 ̄リ六七
 寸 ̄ニ シテ葉ノ大 ̄サ方一丈余ナルモノアリ○山獣 ̄ニ羆【左ルビ:オホクマ】熊【左ルビ:コクマ】
 アリ羆 ̄ハ人畜 ̄ヲ害 ̄シ。熊 ̄ハ害セズ。又希 ̄ニ緋熊【左ルビ:ヒクマ】アリ。赤 ̄キ コト
 猩々緋 ̄ノ如 ̄ク。疾コト電光ノ如シ。現ハルヽコト希也。コレヲ見

 者ハ必病。実 ̄ニ神獣也○牛馬 ̄ハ松前ノ地 ̄ニ在テ蝦夷地 ̄ニ
 ナシ○水獣 ̄ニ猟虎【左ルビ:ラツコ】。海狗【左ルビ:オツトセイ】。海獺【左ルビ:アシカ】。海豹【左ルビ:アザラシ】。アリ皆珍トスベシ○鳥
  ̄ニ鷹。□【左ルビ:シマトヒ】【骨+隹】。雕。□【左ルビ:大ワシ】。アリ然ル故 ̄ニ多 ̄ク箭羽ヲ出シテ絶品トス
 ル也○魚ニハ鮭魚【左ルビ:サケ】。鰊魚【左ルビ:カト】。此国ノ大産物 ̄ニ シテ夷人ノ常食
 ニ充 ̄ル モノ也。沿海ノ諸水鹹淡相雑 ̄ル処。鮭魚ヲ産スルコト
 他邦 ̄ニ比類ナシ歳ノ七八月鮭魚河 ̄ニ泝【左ルビ:サカノボル】ルトキ河水コレガ為 ̄ニ塞 ̄ツ テ
 不_レ流。ノチ徒手 ̄ニ シテ是 ̄ヲ捕 ̄ル コト山ノ如 ̄シ則 ̄チ火上 ̄ニ熏
 シ乾シテ腊 ̄ト為ス《割書:則 干鮭(カラサケ)|ナリ》又鰊魚アリ此魚ノ聚ル所 嘘沫【左ルビ:シラアハ】
 雪ノ如シテ水上 ̄ニ浮ブノチ網シテ。コレヲ捕ルコト又山ノ
 如シ。又乾魚 ̄ニ作 ̄ル。此魚。子アリ腹 ̄ニ満。剖取テ脠 ̄ト為《割書:則数ノ|子ナリ》 

 此二魚。以テ一年ノ食 ̄ニ充ベシ《割書:蝦夷地五穀不可植天此物|ヲ生シテ人ノ食ニ充実ニ》
 《割書:造化ノ|妙ナリ》此二魚ノ外。海鼠。蚫魚。多 ̄シ是又食 ̄ニ充ベシ○鯨魚
 多 ̄シト云トモ夷人等是 ̄ヲ捕 ̄ル術 ̄ヲ不知。只カミキリ ̄ト云魚
 ニ噛レテ死セル鯨魚ノ磯 ̄ニ寄モノヲ取 ̄テ利スル耳○カ
 ミキリ魚ノ形。江豚【左ルビ:イルカ】ノ如 ̄シ其鬣。鋭【左ルビ:スルド】 ̄ニ シテ長 ̄シ。蓋 ̄シ剣魚ノ
 類歟。此魚能鯨魚ヲ斃 ̄ス ト云 ̄リ○東海 ̄ニ オキナ ̄ト云大魚
 アリ甚長大 ̄ニ シテ能鯨魚ヲ呑 ̄ト云伝 ̄レ トモ其全躰ヲ見タ
 ル人ナシ只希 ̄ニ浮 ̄ヒ出 ̄ル トキ背 ̄ト鰭トヲ見ノミ也其背ノ
 大ナルコト嶋山ノ如 ̄シト云 ̄リ此魚ノ来ルトキハ海底雷ノ如
 ク鳴響テ鯨魚東西 ̄エ迯走 ̄ル トキハ漁舟 ̄モ。オキナ ̄ノ来 ̄ル

 コトヲ知テ速 ̄カ ニ上陸スルト云 ̄リ都テ東海ノ漁舟 ̄ハ度々
 出逢トナリ〇キナボウ ̄ト云魚アリ形。海鷂魚ノ如 ̄シ腹中
 ニ油腸アリ。夷人以 ̄テ珍味トス○鱝魚【左ルビ:アカエイ】甚大ナル者アリ。希
 ニ浮ビ出 ̄ル トキ其背ノ広キコト方六七十丈ノ者アリ ̄ト云是
 又大奇異也。都テ偏気ノ地故。異物 ̄モ生スル歟○昆布ノコト
 ハ世 ̄ニ知所ナレバ不記○薬品 ̄ニ イケマ。エブリコ。アリ此
 二薬 ̄ハ夷人疾病ノトキ服用スル也此外ニ薬品アレトモ用ル
 コトヲ不知也。エブリコ ̄ハ茸也或 ̄ハ云深山ノ大桧樹 ̄ニ生ズ
 ト未実否 ̄ヲ不知。疝気。虫積。悪心。嘔吐。ヲ療スル ̄ニ。エブリコ。
 ヲ用。打身。切疵。風邪。腫物。ヲ療スル ̄ニハ 。イケマヲ用 ̄ト云リ

 近来本邦ニモ此二品ヲ遣 ̄イ覚ヘテ治療ヲ施ス者アリ能
 病ヲ治ス ̄ト云《割書:イケマ ̄ハ蔓草也仙台ノ駒ケ嶽|下野ノ日光山ニモ生スルナリ》〇此二薬ノ
 外 ̄ニ附子。黄精。黄連。人参。黄栢。等アレトモ取用ルコトヲ知ザル
 ナリ《割書:附子 ̄ハ毒箭 ̄ニ用ル也其法ハ附子。蕃椒。足高蜘ノ|三味 ̄ヲ搗テ泥 ̄ト ナシ。火 ̄ニ煉 ̄テ用 ̄ユト聞及ベリ》  
  右産物ノ大略ヲ記 ̄ス只可惜 ̄ハ金銀山 ̄ヲ不_レ掘 ̄ト土地一
  面 ̄ニ生スル砂金ヲ取ザルノ二ツ也何レノ時 ̄カ術者出
  テ蝦夷地ノ金銀ヲ得コト有ン
寛文壬子 ̄ノ年十二月二十三日。伊勢国ノ米船一隻。帆 ̄ヲ志摩
 国鳥羽 ̄ニ開 ̄イ テ東行 ̄ス同二十四日申ノ刻。北風大 ̄ニ起テ
 東南方 ̄ニ漂流スルコト九昼夜。風又南 ̄ニ転シテ却テ東北方

 ニ漂流スルコト七ケ月。其幾千里ナルコトヲ不_レ知。至 ̄ル処。海気
 昏黒 ̄ニ シテ日月 ̄ヲ不_レ見コト百余日。風止 ̄ム ノ故 ̄ニ針路 ̄ヲ南
 ニ求テ漸々 ̄ニ舟ヲ進 ̄ル コト数日 ̄ニ シテ忽 ̄チ一大国 ̄ヲ見。其
 国ヲ。エドロフ ̄ト云海岸 ̄ニ傍テ西南 ̄ニ行コト八昼夜 ̄ニ シテ
 其国 ̄ノ地境尽。此処 ̄ヨリ西南十二三里 ̄ニ山 ̄ヲ見 ̄ル渡 ̄レ バ
 又一国アリ其国 ̄ヲ。クナジリ ̄ト云又海岸 ̄ニ傍 ̄テ西南 ̄ニ行
 コト九昼夜ニシテ地境尽タリ。又西方二十余里ニ山ヲ見ル
 渡 ̄レ バ乃 ̄チ蝦夷 ̄ノ。ノツサブ也。ソレ ̄ヨリ同国。トガチ ̄ヲ経
 テ松前 ̄ニ至 ̄ルト云記録アリ。小子按 ̄ニ其始 ̄メ至 ̄シ。海気昏
 黒ノ処 ̄ハ加模西葛杜加(カムシカツトカ) ̄ノ東 ̄ヲ過 ̄テ夜国 ̄ノ境 ̄ニ漂 ̄イ居タルナ

 ルベシ。扨エドロフ。クナシリ。トモ ̄ニ海岸 ̄ニ傍 ̄テ行コト。八昼夜
 九昼夜 ̄ト記 ̄ス トキ ̄ハ古来 ̄ヨリ図スル如 ̄ク弾丸墨子様 ̄ノ一
 小嶋 ̄ニ テハ無 ̄ク皆台湾。琉球 ̄ニ等 ̄キ大 ̄サ ノ国 ̄ト思ハル。世
  ̄ニ有所ノ図 ̄ハ只蝦夷人 ̄ノ言 ̄ニ因テ其国名 ̄ヲ現ハス耳ト
 知ルヽ也
加藤清正。朝鮮ヲ陥レテ几良哈【左ルビ:オランカイ】 ̄ヘ乱入 ̄シ其都城 ̄ヲ焼払 ̄テ後。
 高山 ̄ニ登テ東 ̄ヲ眺望 ̄ス レバ日本 ̄ノ富士山ヨク見 ̄ユル ト
 テ清正 ̄モ軍士 ̄モ大 ̄ニ不思儀 ̄ヲ ナシタルコトアリ貝原篤信
 コレヲ評シテ曰。其山 ̄ハ富士ニハ非 ̄ズ薩摩ノ開門ナルベ
 シ ̄ト云 ̄リ又或説 ̄ニ伯耆 ̄ノ大 山(セン)ナルベシ ̄ト也。小子按 ̄ニ皆

 非也。其山 ̄ハ蝦夷国ノ西海中 ̄ニ在。リイシリ。ナルベシ。三国
 接壌ノ小国 ̄ヲ見 ̄テ方位 ̄ヲ知ベシ
船乗ノ詞 ̄ニ。根ノアル雲 ̄ヲ。ワウレウ ̄ト云 ̄テ山アル方 ̄ヲ知也
 蝦夷国ノ西方ハ漫々タル大海 ̄ニ シテ更 ̄ニ国ナシ然 ̄レ ドモ
 蝦夷 ̄ノ。ハボロ。ウエベツ。等ヨリ西南 ̄ニ当 ̄テ希ニ。ワウレウ。
 ヲ見コトアリ是 ̄ハ朝鮮山ナリト云伝 ̄フ ト語レリ。此言。中レ
 リ ̄ト思ハル是又小図 ̄ヲ見テ知ベシ
坪ノ碑 ̄ニ五方ノ行程 ̄ヲ記シテ。去蝦夷国界一百二十里 ̄ト刻
 メリ《割書:坪ノ碑ハ古ノ多賀城ノ門碑也今ノ仙台|宮城郡市川村 ̄ハ其城趾也古碑猶存在ス》此時代 ̄ハ小
 道 ̄ニテ今ノ六町ヲ以テ一里 ̄ト シタルコトナレバ《割書:一町ハ六|十間。一間》

 《割書:ハ六|尺也》此碑 ̄ニ記 ̄シ タル一百二十里 ̄ハ乃 ̄チ今ノ道法 ̄ニテ只
 二十里 ̄ナリ然レバ即 ̄チ今ノ桃生郡ノ辺ニテ。今仙台封域
 ノ真中也。是古ノ蝦夷国界也。扨今ノ蝦夷国界 ̄ト云 ̄ハ松前
 ノ熊石(クマゼキ)ニテ。多賀城趾ヨリ小道一千三百二十里。今道二百
 二十里也。此如ク古 ̄ト今 ̄ト蝦夷国界 ̄ニ遠近ノ差アルコトハ
 天平宝字ノ頃迄。奥羽ノ両州 ̄ハ王化 ̄ニ服 ̄セ ザリシ国也然
 ル故 ̄ニ京家ニテハ奥羽ノ人ヲバ真ノ蝦夷 ̄ト心得テ外国
 人 ̄ニ等 ̄キ アツカイ。ナリキ此故 ̄ニ東征ノ役止コトナカリシ也
 天平宝字ノ頃。恵美朝猲等漸 ̄ク桃生郡ノ辺マテ切従 ̄ヘ テ鎮府
 ヲ宮城郡 ̄ニ造営シテ蝦夷ノ押ト。セラレタリ其比。石碑ヲ

 城門ノ前 ̄ニ建テ去蝦夷国界一百二十里 ̄ト記シテ今ノ桃
 生郡ノ辺ヨリ南ヲ日本ノ地 ̄ト シ北ヲ夷地 ̄ト定 ̄メ ラレタ
 リ。是古ノ蝦夷国界也。其ヨリ四十余年ノ後。桓武帝ノ延暦
 中 ̄ニ征東将軍坂上大宿祢田村麿。大 ̄ニ征伐シテ終 ̄ニ多賀
 城ヨリ。小道八百四十里。今道一百四十里北ノ方。南部ノ大間。津
 軽ノ外ガ浜迄。服従セシメテ海 ̄ヨリ南 ̄ヲ日本ノ地 ̄ト シ北 ̄ヲ夷地ト
 定 ̄メ ラレタリ。是中ゴロ ̄ノ蝦夷国界也。又其後六百七十余
 年 ̄ヲ経 ̄テ。後花園帝ノ嘉吉三年。武田太郎源信広。海 ̄ヲ越テ
 蝦夷国 ̄ヘ乱入 ̄シ。終 ̄ニ地 ̄ヲ得コト小道四百二十里。今道七十
 里。是即 ̄チ今ノ松前也。此松前ノ北ノ限 ̄リ ヲ熊石(クマゼキ) ̄ト云。多賀

 城趾 ̄ヨリ熊石マデ小道一千三百二十里。今道二百二十里
 也。是今ノ蝦夷国界 ̄ニ シテ日本風土ノ限 ̄リ トスル也《割書:是ヲ|以テ》 
 《割書:考レバ天平宝字ノ頃ヨリ蝦夷国|界ノ広 ̄ク ナリシコト九陪余ナリ》此如 ̄ク奥 ̄ノ地。次第 ̄ニ開
 ケシ故 ̄ニ古 ̄ト今 ̄ト蝦夷国界 ̄ノ遠近。大 ̄ニ差アル也。今人其
 義 ̄ヲ不知。此故 ̄ニ今。坪碑 ̄ヲ読者。其文 ̄ニ因 ̄テ蝦夷国界。大 ̄ニ
 近 ̄シ ト言 ̄テ惑ヲ取人多 ̄シ仍テ筆シテ以 ̄テ今ノ蝦夷国界
 ハ古ノ蝦夷国界 ̄ニ非ルコトヲ弁ズ
右ノ如 ̄ク熊石 ̄ヲ以 ̄テ日本風土ノ限 ̄リ ト見 ̄ル ハ蝦夷 ̄ヲ外国
  ̄ト立 ̄シ コトナル故。柔和正直ノ見識トモ云ベキ歟。亦竊 ̄ニ憶ヘハ
 強テ。蝦夷ノ極北。ソウヤ。シラヌシ。等 ̄ヲ以 ̄テ日本風土ノ限

 トスベシ是蝦夷国ヲ以テ日本ノ分内 ̄ニ シタル見識也其故如何
  ̄ト ナレバ往昔 ̄ハ真ノ蝦夷 ̄ハ言 ̄ニ不及奥羽ノ地 ̄モ王化 ̄ニ不服シテ常
 ニ朝家 ̄ヲ蔑 ̄ニ仕奉タルヲサヘ両三将ノ武徳 ̄ヲ以 ̄テ平服セシメテ
 今 ̄ハ却 ̄テ蝦夷地七十里 ̄ヲ上国荒服ノ国 ̄ト ナシタリ《割書:即松前七十|里ノ地ナリ》 
 然 ̄シ ヨリ以来夷人等上国 ̄ヲ推貴テ今世ニテハ夷人挙 ̄テ上国ノ
 人タランコトヲ欲スル情多シト云 ̄リ此時ニ当テ少 ̄ク術ヲ施サバ
 其俗忽 ̄チ変化シテ速 ̄ニ上国ノ人物トナルヘキコト掌ヲ反 ̄ス ヨリ易
 カルヘシ都テ此條 ̄ニ意味アル物語アレドモ忌譚ヲ顧テ不記
日本紀 ̄ニ蝦夷ノコトヲ記セルコト数多アリ就中。斉明紀 ̄ニ政所 ̄ヲ後方(シリベ)
 羊 蹄(シ) ̄ニ置 ̄ル コトアリ小子按 ̄ニ此後方羊蹄ハ真ノ。シリベシ。ナル歟

 不審(イフカシ)。蝦夷ノ。シリベシ ̄ハ松前ヨリ七十余里奥也。斉明ノ朝。此地 ̄ニ
 政所ヲ置程 ̄ニ蝦夷ヲ手ニ入 ̄レ シナラバ今世 ̄ハ。ソウヤ。カラフト迄モ
 悉 ̄ク日本ノ人物ナルヘキハヅ也然 ̄ル ニ西 ̄ハ熊石。東 ̄ハ汐首ヲ過レバ
 悉 ̄ク夷躰異言也。愈 不審(イブカシ)。其前後ノ文勢ヲ考見ベシ竊 ̄ニ憶。津軽
 山 ̄ヲ。シリベシ ̄ト心得タルニハ非スヤ。多罪。又按 ̄ニ斉明ノ朝ヨリ一百余
 年ノ後。天平宝字ノ頃。宮城郡多賀城 ̄ニ碑 ̄ヲ建 ̄テ去蝦夷国界一百二十
 里 ̄ト刻メリ又愈不審。以テ後識ヲ待也《割書:蝦夷国界。古今遠近ノ差アルコト|ハ上ノ坪碑ノ條ニ詳ニ弁ズ》
蝦夷 ̄モ同類ノ人也然 ̄レ ドモ其国文華開 ̄ケ ズ今ノ世迄モ開闢ノ
 時ノ如ニテ宝貨。穀帛。文字。礼服。紀年。【右に傍線】等無 ̄ク シテ只食ヲ求
 ルコトト男女交合ノ業ヲ知 ̄レ ル耳ニシテ実 ̄ニ蠢爾タルコト

【上部欄外】
紀年【囲線】或人ノ
説ニ紀年ア
リ建子ノ月
ヲ以テ正月
ト定 ̄メ建亥
ノ月ヲ以テ
十二月 ̄ト ナ
スト云 ̄リ且
十二ケ月ノ
名ノ方言有
テ本邦ノ詞
ト殊ナリト
聞及ブト語
レリ小子按
ニ是欧羅巴
ノ暦法也蝦
夷人此暦法
ヲ用ルコト怪
ムベシ恐ル
ベシ

 ハ彼ノ国。智者出 ̄テ教 ̄ル コトナキ故也。扨各国ノ其初 ̄メ ヲ思
 ヘバ日本モ唐山 ̄モ朝鮮 ̄モ阿蘭陀 ̄モ今コソ文物国トハ成
 タレトモ開闢ノ当坐ハ皆今ノ蝦夷ノ如 ̄ニ アリシヲ大智ノ
 人。交出テ数千年ノ間。油断ナク教化アリシニ因テ各文物
 国トハ成 ̄シ也蝦夷 ̄モ大智ノ人出テ教化セバ漸々 ̄ニ開コト
 疑ナシ然レトモ其国飽マデ気運否塞ノ下国ナル故 ̄ニ ヤ開
 闢以来智者出タルコトヲ不_レ聞。猶此末世トテモ聖智ノ人ノ
 出 ̄ル コトモアルマジケレバ済度ノ為 ̄ニ隣国ヨリ教化シテ
 人道ヲ知シメ物産ヲ開テ生育ナサシムベキコト是神仏儒
 ノ旨ナルベシ殊 ̄ニ蝦夷ハ界モ近 ̄ク其上。日本 ̄ヲ尊信スル

 国俗ナレバ少 ̄ク教諭セバ其俗忽 ̄チ化服スベシ是其国 ̄エ
 立入。商估【左ルビ:アキビト】。舟人【左ルビ:フナノリ】ノ輩タリトモ心得アルベキコト歟
安永ノ初年 ̄ニ小子。松前ノ人 ̄ト旅宿ヲ共ニス《割書:其人名ハ|六兵衛》終夜
 蝦夷地ノコトヲ問 ̄シ ニ彼人数條ノ物語ノ上。蝦夷人 ̄ハ悉 ̄ク
 日本 ̄ヲ慕テ本邦ノ風俗タランコトヲ欲スル者多 ̄シ ト。又其
 地 ̄ニ金銀山及 ̄ビ砂金ノ夥 ̄ク出 ̄ル コトヲ語 ̄リ又オロシヤ。 ̄ト
 ヤラン云ル国ヨリ。アヤシキ人来 ̄ル コトアリ ̄ト聞及 ̄ブ ト語
 レリ其後安永ノ末年小子。肥前ノ鎮台館 ̄ニ遊事シテ崎陽
 ニ至 ̄リ和蘭人。アヽレントウエルレヘイト ̄ニ逢 ̄フ。ヘイト語
 テ曰蝦夷 ̄ハ日本 ̄ト一條ノ海水 ̄ヲ隔タレバ其地勢。別国 ̄ニ

 似タレトモ併 ̄ラ日本ヨリ少 ̄ク招諭セバ上国ノ風ヲ望テ其
 俗忽 ̄チ変化スヘシ其俗変化セバ其国悉 ̄ク日本ノ分内 ̄ト
 ナルベシ。和蘭 ̄ハ云 ̄ニ不及。欧羅巴(エロツパ)諸州ノ風 ̄ニ テ遠 ̄ク万里
 ヲ隔タル国 ̄ヲ サヘ能招諭シテ皈服セシメ。己レガ分国ト
 ナシテ永ク本国ノ助 ̄ト ス。然ル故 ̄ニ近頃。欧羅巴ノ莫斯歌(ムスカウ)
 末亜(ビヤ)。遠 ̄ク北海 ̄ヲ越テ蝦夷ヲ招諭スルノ志アリ ̄ト語レリ
 此二子ノ言 ̄ニ因テ熟思ヘバ蝦夷ヲバ早ク招諭スベシ。早
 クセズンバ後世必。莫斯歌末亜ノ賊。至ベシ其時臍ヲ嚙トモ
 遅カラン歟。竊 ̄ニ憶 ̄バ。風 ̄ヲ移 ̄シ俗 ̄ヲ易 ̄テ一州 ̄ヲ経邦シ其
 金銀 ̄ヲ取 ̄テ上国ノ宝貨ヲ増。其九百里ノ地 ̄ヲ招テ上国ノ

 郡 ̄ト為ノ術有 ̄ニ似タリ。然ト云トモ尋常ノ商估【左ルビ:アキビト】。舟人【左ルビ:フナノリ】  ノ輩 ̄ニ
 不_レ可_レ説。術アル商估。舟人等 ̄ニ会テ口自ラ語ルベシ。只心憎
 キハ莫斯歌末亜ノ姦賊等。先達テ蝦夷地 ̄ニ入 ̄テ上国ノ商
 估。舟人等ヲ拒 ̄ム コトアラン歟。若拒 ̄ム コトアラバ速 ̄ニ其赤賊
 ヲ鏖 ̄ニ シ。災ノ根本ヲ除テ後。快ク教諭セバ前文ノ如ク其
 俗忽 ̄チ上国ノ風 ̄ニ移テ。遠 ̄ク。カラフト。迄モ松前 ̄ニ等キ風
 俗 ̄ト ナルベシ然 ̄ル トキハ金銀ヲ得テ宝貨ヲ増而己ナラズ其九
 百里ノ地悉 ̄ク上国ノ郡ト成テ目出度コト此上モナキコトナ
 ルベシ是又商估。舟人等ノ大義ナル哉
和蘭人。ヘイト。語テ曰北地ヨリ南国ヲ取コトハ仕易 ̄ク。南地ヨ

 リ北国ヲ取コトハ仕難シ其故如何 ̄ト ナレバ北地ヨリ南地
  ニ入コト五七日ナレバ風土モ暖 ̄カ ニ産物モ多シ。又入コト十
 日二十日ナレバ愈暖 ̄カ ニ愈多シ。此故 ̄ニ進 ̄ム ニ精神増テ。
 地ヲ得テ益アリ是北ヨリ南ヲ侵シ易キ所ナリ。亦南ヨリ
 北地 ̄ニ入コト五七日ナレバ風土寒ク産物モ不_レ多。又入コト十
 日二十日ナレバ愈寒 ̄ク愈無 ̄シ此故 ̄ニ進 ̄ムニ精神薄 ̄ク地ヲ得テ
 モ益ナシ是南ヨリ北ヲ不_レ ̄ル欲 ̄セ所ナリ。如_レ ̄キ此趣意ナル故。和蘭
 ハ呱哇【左ルビ:ジヤカルタ】ヲ取。韃靼ハ唐山【左ルビ:カラ】ヲ取。莫斯歌末亜(ムスカウビヤ)ハ韃靼ヲ取。是皆
 北ヨリ南ヲ取シ也 ̄ト云 ̄リ。小子憶。此言前人未発ノ説ニシ
 テ人情 如斯(カク)有ベキコトニ思ハル。是 ̄ニ因テ考レバ莫斯歌末

 亜ノ蝦夷 ̄ニ至レル志意。甚憎 ̄ム ヘシ。然レトモ其蝦夷 ̄ニ至レ
 ルコト末_レ久。今猶両葉ト云ヘシ
其国鴻荒ノ世ノコトハ不可知。中古以来。日本紀及 ̄ビ異国ノ書
 ニ蝦夷ノコトヲ言シモノ数多ナレトモ其説紛々トシテ據ト
 シガタキコト多シ其後。嘉吉年中。松前ノ地。荒服ト成 ̄シ以来
 其封域始テ定 ̄ル ト云ドモ夷地ノコトニ於テハ猶不可知モノ
 多シ又其後。源君美子。能考索シテ蝦夷志 ̄ヲ作テ始テ其一
 州ノ大略ヲ可_レ見。然レトモ此時代蝦夷国ノ事跡。未精密ナラ
 サル歟。今ヲ以テコレヲ見レバ猶遺漏アルニ似タリ其後
 北海随茟。蝦夷随筆等アレトモ亦復闕遺多 ̄シ然 ̄ト云トモ。蝦

 夷国ノ大躰ヲ可見モノ。此三書ヲ外 ̄ニ シテ更 ̄ニ書ナシ此故 ̄ニ今小子
 ガ述 ̄ル所モ此三書 ̄ニ本ツイテ且コレニ加ル ̄ニ。ヘイト ̄ガ言ヲ以テシ
 亦其国渡海ノ舟人ノ説ヲ撰采テ彼是相照シテ浄写スル故。
 新説既 ̄ニ多シ其旧説 ̄ハ三書 ̄ニ多 ̄ク載 ̄ル故。茲 ̄ニ不書
朝鮮。琉球ノ人物 ̄ハ世々本朝 ̄ニ来聘シテ諸人ノ見所ナレバ其図ヲ
 不載。蝦夷人 ̄ニ至テハ奥羽ノ人 ̄ト云トモ見コトナシ況ヤ其余ヲヤ仍
 テ其人物及 ̄ビ衣服器物等ノ大略ヲ図スル耳
其国ノ方言。聞伝シコト数多アレトモ文長ケレバ不記。只其一ヨリ
 十迄ノ数ノ名ノ方言ヲ左ニ挙ル耳
   一(シネツプ) 二(トツプ) 三(レツプ) 四(イネツプ) 五(アシツキ) 六(イワン) 七(アルワン) 八(トベシ) 九(シネベシ) 十(トオ)

蝦夷国 ̄ニ。王 ̄ト云者 ̄モ ナク大名 ̄ト云者 ̄モ ナシ只一村切 ̄ニ聚落 ̄ヲ ナ
 シテ其中 ̄ニ テ家筋正 ̄ク。人望アル老年ノ者。其部長 ̄ト成 ̄テ。事
 ヲ計ト云 ̄リ。然 ̄ル トキハ誰(タレ)蝦夷国ノ主(アルジ) ̄ト云コトモナシ其上。夷人 ̄ノ性。
 至愚至善 ̄ニ シテ且其国人挙テ上国ノ風ヲ望 ̄ム コト孤児 ̄ノ父母
 ヲ慕 ̄フ ガ如 ̄シ ト聞及ベリ。コレニ因テ思ヘバ其国 ̄ニ立入。商估。舟人。
 ノ輩タリトモ。蝦夷人 ̄ヲ諭 ̄シ テ上国ノ風 ̄ニ移 ̄シ。俗 ̄ヲ易シメバ。公 ̄ニ
 言ハゞ忠義ニモ准ズベキ歟。私 ̄ニ於テハ愚人 ̄ヲ済度スルノ類ナレ
 バ其人 ̄ニ取テハ善根トモ云ヘキ歟。都テ此国ノ物語。聞及ビシコトドモ
 此書 ̄ニ記 ̄シ タキコト数多アレドモ忌諱ヲ顧テ不筆大尾
    右蝦夷略説

甲(ヨロイ) ̄ヲ ヨケベ ̄ト云。革三重トヂ也。長二尺二寸。上ニテ幅三
 尺四寸。下 ̄ニ テ六尺
冑(カブト) ̄ヲ コンチ ̄ト云
 又タカラカ
 ウシトモ云
小手 ̄ハ イタヤ ̄ノ
 木 ̄ヲ筋金ノ
 如 ̄ニ シテ。木綿 ̄ニ
 トヂ付 ̄テ作 ̄ル。臑当亦同

三国通覧輿地路程全図

三国通覧輿地路程全図

朝鮮国全図

朝鮮国全図

琉球国全図

琉球国全図

蝦夷国全図

【左上部】
此地韃靼ノ地ツヾキニテ東ノハテ也近年。オロシヤ人。此
地ヲ領スル故。国ノ名ヲ。オロシヤトモ云也亦カムサスカトモ
云。カムサスカハカムシカツトカノ一転語ナルベシ。又オロシ
ヤ人。皆赤色ノ服ヲ着スル故。蝦夷ノ里諺ニ赤エゾトモ云也
日本元文ノ比迄ニ莫斯哥末亜(ムスカウビヤ)ノ本国ヨリ日本道三千余
里東略シテ取ツメタルハ即此地也

【左横上部】
此地韃靼ノ東方。室葦ノ地方ニテ北極ノ出地六十
二三度也夜国。氷海ニ隣テ五穀不生。夏月猶霜雪
アル下国也○此国ノ北海ハ即夜国ノ南海也

【左横下部】
此川ハ欧羅巴(エーロツパ)。亜細亜(アジヤ)ノ界ヲナス。オービイト云大河ヨリ泒レテ韃靼ノ
真中ヲ東エ流ルヽ水ニテ長キコト一千里ト云リ○此川ヨリ北ノ地ハ云ニ
不及。東ノ限リ加模西葛杜加ノ地迄。日本正徳ノ比ヨリ悉ク莫斯
哥末亜ノ領国トナレリ

【左下部】
日本寛文ノ頃。韃靼ヨリ唐山(カラ)ヲ幷セシ後。韃靼。数多ニ分レタリ。所謂。莫斯哥末(ムスカウビ)
亜(ヤ)韃靼。東韃靼。北韃靼。独立韃靼。支那韃靼。満洲等也。此中。支那韃靼ト満
洲トハ清ニ属ス其余ハ不属○満洲ノ西南。北京省。山西省ニ接スル地ヲ支那韃靼ト云
ナリ○清ノ康凞中。満洲ノ北ニ新長城ヲ築テ北寇ニ備フ是ヲ盛都ト云

【左中央部】
此国ヨリ蝦夷ヘ渡リ口ノ地名ヲ。
カラフトト云故エゾ人此地ヲ。カ
ラフト嶋ト称スレトモ本名ハタラ
イカイ。ト云也此地ノ童子ヲ満
洲ト蝦夷トエ渡シテ詞ヲ習
ハセ。両国交易ノコトヲ此地ニテ
世話スルト云リ

蝦夷国全図

無人島之図 附録

クロセ川ト云幅二十余町有テ大急流也
一文字ニハ舟乗切ガタシ大ニ心得アルコト
也都テ夏秋舟乗易ク。冬春舟乗
ガタシ。又志摩国鳥羽ヨリ南ノ沖ヘ乗
出シテ東スレバ海路甚易シト云リ

BnF.

【表紙 題箋】
すゝりわり  中
【資料の整理番号のラベル】
JAPONAIS
4260
2

【右丁 表紙裏(見返し) 文字無し】
【左丁 資料の整理番号のラベル】
JAPONAIS
4260
2

【右丁 文字無し】
【左丁】
さてしもあるへきことならねは御しかい【死骸】
をかたへ【片方】によせたてまつりたつとき御てら
へをくらはやとてそんしやうゐんと申僧
都をしやうし【請じ】たてまつり一日一夜かあいた
一せうめうてんをとくしゆ【読誦】したまひてこく
けん【刻限】をさため【定め】すてに御てらにをくらんとし
給ふところにいつくよりきたるともしれぬ
御僧のよはひはたとせ【二十年】はかりなるかきたら
せ給ひておほせけるはいかに人〳〵さのみな
けかせ給ふそやわれしやうしむしやう【生死無常=人生のはかないこと】のなら

【右丁】
ひあいべつりく【愛別離苦=愛する親・兄弟・妻子などと生別・死別する苦しみ】のことはりをつれさきたつ
はこれしやう【生】あるものゝおきてなりたれかひ
とりものこるへき此なけきはひとへにほ
とけのはうへん【方便】にてちゝはゝをあんらく
せかいへいんたう【引導】すへきちかひとはしられす
やとのたまひてかのわかきみのしかい【死骸】をいた
きとらせ給ひて庭上にたちいて給ふと
見えしかにはかにそらよりしうん【紫雲】たなひき
いきやう【異香=極楽浄土の芳香】よもに【四方に】くんし【薫じ=かおる】花ふりくたるとお
もへは八えう【八葉】のれんけ【蓮花】にうちのりこくう【虚空=大空】に

【左丁】
あからせ給ひけるこれをみる人〳〵きたい【稀代=世にも不思議なこと】の
おもひをなしこはありかたき御ことかなとを
の〳〵かうへ【頭】をちにつけてたなこゝろ【掌】をあは
せてらいはいする

【絵画 文字無し】

【右丁】
僧都はこれを御らんして仰けるいかにめん
〳〵よく〳〵きこしめせこのわかきみをいま
ちゝうへの御手にかけさせ給ふことまつたく
わたくしにあらすこのしゝうのきみはひとへ
にほとけのけしんにてわたらせ給へはをの〳〵
をふたらく【補陀落=観音の浄土】せかいへみちひきたまはんかため
にかくならせ給ふそやゆめ〳〵かなしみ給ふ
へからすたゝほたいしん【菩提心=無上の悟りを求め、成仏しようとする心】をふかくおこしおはし
ませとそすゝめられけるさるほとに仲太は
一まところ【一間所=縦横とも柱と柱との間一つしかない小さい部屋】にひきこもりものゝこゝろをあんす

【左丁】
るにさてもせひなきことゝもかなそれ人の
しんとしては君の御をんをかうふりさいしを
ふちし身をたてゝ世をあんせんにすこすこ
とそのをんのたかきことはしゆみせん【須弥山=仏教の世界観で、世界の中心、大海に聳える高山】もかきり
御なさけのふかきことはさうかい【蒼海】かへつてあ
さしこのをんをいかてかほうす【報ず】へきされと
も一命をすてゝあやうきをすくひたてま
つることこれ臣のみちなりしかるにそれか
しはいかなるすくせ【宿世】つたなき身なれはわか
とか【咎】をきみにおほせ【負せ=背負わせる】て御いのちをほろほす



【右丁】
こときやくさい【厄災】のかるゝところなししゝても
あきたることなしいかゝしてをつきま
いらせてこのとかをわひ奉らんとおもへと
もきみはすてにふたらくせかい【補陀落世界=観音が住むといわれる山】にいたり
たまへはわれをろかなる身のいかてかち
かつきたてまつるへきとやせんかくやあら
ましとあんし【案じ=思いめぐらす】かねてはうせん【忙然】としてゐ
たりしかあまりにあんしくたひれてす
こしまとろみたるゆめにいつくともなくた
つとき御こへ【「ゑ」とあるところ】聞えてなんちこのをんをほう

【左丁】
せんとおもはゝほたいしん【菩提心】をおこして諸国
をしゆきやうしてほとけのみちをねかひ
諸人をたすけんにはしかしとのたまふとお
もへはゆめはさめにけり仲太はこれをうけ
たまはりまことにありかたきをしへかなこれ
こそのそむところなれとて八さいになる
をんなこ六つになるわかこありしをはゝに
あつけよくかいしつゝすへきよしをかきを
きへんしもはやくいそかんとてとる物も
とりあへすやとを出てよかはのくわうみやう



【右丁】
ゐんにまいりひころたのみしそうつ【僧都】にあ
ひてことのよしをかたりてかみをそり名を
しんかいとあらため五かい【五戒】をさつかりをこ
なひけるか二とせありてそうつにいとま
申たまはりてしよこくしゆきやうに出に
ける

【左丁 絵画 文字無し】

【右丁】
さすか御はうのなこりもおしけれは坊の
はしらに一しゆのうたをそかきつけける
  いつの世にこの身を人のなそらへて
  もとめてやらんにこり江【濁り江=水の濁っている入江】の月
かやうにゑ【「え」とあるところ。】いし【詠じ】て山をたち出たつときみね
〳〵をめくりけるかあるときはくさのまくら
に露をかたしきあるときはいはのはさま
にこけのころもをむしろとしてかせをふせ
きよもすから【夜もすがら=夜どおし】ほとけの御名をとなへわかき
みもろともにひとつはちすのうてな【一つ蓮の台=注】に


【注 「はちす」=蓮の古名。「蓮の台(うてな)=極楽往生した者の座るという蓮の花の形をした台。 「一つ蓮の台=死後は一緒に極楽に生まれかわり同じ蓮華のうてな(台)にすわるという意】

【左丁】
むかへ給へとゑかう【回向】しさうしてんはいに
も仏のみなをわするゝことなしあるとき
ならのみやこの大ふつてんにまいりて仏の
御まへにつや【通夜】してよもすから御きやうを
たつてよみてあかつきかたになれは自他
ひやうとう緒所異とゑかうし給ひけるこ
そしゆせうなれかくてたうすの御坊あか
つきのつとめに出給ふかこのしんかいのあり
さまをみていとあはれさよとおほしけれは
ちかくよりそひ御身はいつちよりいかなる人

【右丁】
のしゆきやうしやとなり給へるそとた
つね給へはしんかいうけたまはりてわれは
ようせう【「えうせう」とあるところ。「幼少」】よりみやこにありてほつけつ【北闕=皇居、内裏】に
あさゆうしこう【伺候】の身なりしかしか〳〵のうれ
ひによりてかやうにうき世をいとひはんへ
るなりとかたりたまへはたうすいとあは
れに聞給ひてさてもありかたき御こゝろ
さしにこそとそかんし給ひける

【左丁 絵画 文字無し】

【右丁】
そのゝちしんかいとひ給ふはそも〳〵この御
ほとけは三国一のによらいとうけたまはり
侍るいかなる人の御さう〳〵【造像】にておはす
やらんととひ給ひけれはたうす【堂司】はきこし
めしてされはとよこ【横】のからん【伽藍=寺の建物の総称】はしやうむく
はうてい【聖武皇帝】のごこんりう【御建立】たうし【「たうす」に同じ】はりやうへん
そうしやう【良弁僧正=奈良時代の僧】と申て世にたくひなきかうそ
のにておはしますしかるにこの僧正のしやう
こく【生国】はさかみ【相模】の国おほやまのこほりうるしへ
むらのとみん【土民=土着の住民】の子にてましますこゝになん

【左丁】
えんたう【擔頭=軒先】に北のかたにしゆこんかうほさつ【執金剛菩薩】
みなみのかたにはくはんせをんほさつ【観世音菩薩】おはし
ますさてこのしゆこんかうほさつこかねの
わし【鷲】とへんけ【変化】ましましさかみの国へとひ
ゆき給ふこのりやうへんはそのころとし二さ
いなるかわら【藁】にて作りたるうつはものに入て
田のあせ【畔】にをきおやはたかやしてゐたりし
かこのわしかの子をかいつかみ【「搔き掴み」の変化した語=ぐいと掴む】てこくう【虚空=大空】へあかり
けるほとにちゝはゝかなしむことかきりなし
かくてこのわしなんと【南都】へきたり藤原のさいし




【右丁】
やう殿といふ人のもとへおとしをきたりこの
人しひしん【慈悲心】ふかくおはしけれは世にふひん
なることにしたまひてやしなひをかれけ
れはとしのかさなるにしたかひちゑさいかく
人にすくれたることたとへんかたなしさては
たゝ人にてはなしとて十三のとし出家せ
させけれはそのかくもん【学問】のそうめいなること
千人にもすくれたりさて廿一になるとき
みかとのきゑ【「え」とあるところ。帰依】そうとあふかれて僧正ゆるさ
れゑいりよ【叡慮=天子のお考えやお気持ち】をひとしうしてこの大らん

【左丁】
を御こんりうありしなり御ほそん【「御本尊」のことか】はるし
やなふつにてまつせしよくらん【末世濁乱…注】のほんふ【凡夫】
をさいとし給はんとの御ちかひいかてかむなし
かるへきひとへにしん〳〵【信心】をつくしてたのみ
きこしめしまことにありかたき御ことにこ
そ侍れとて
  ちりはかり【塵ばかり=わずかばかり】くもりもあらすいる月は
  らん世のやみのみちをともなへ
たうすの御坊もうち聞給ひていとありかたく

【注 世の中の秩序が乱れること】

【右丁】
おほして
  いかてかはくもりはせまし月かけの
  こゝろの水のにこりあらすは
かやうになかめて夜もほの〳〵とあけぬ
れはまたこそまいり侍らめとてたかひに
なこりをおしみてわかれ給ひけるさるほ
とに大なこんとの北の御かたは仲太三郎
かとんせい【遁世】して国〳〵をしゆきやうするよし
をきこしめしさても〳〵ありかたきこゝろさ
しにこそ侍れつら〳〵ものをあんするに

【左丁】
この侍従のきみと申ははつせのくはんせ
をんにいのりたてまつりてえたかわか子なれ
はいかてかゝるわさはいにはあふへきし
かるに父の手にかゝりてむなしくなりぬ
ることはいかさまにもほとけの御はうへん【方便】
にて生あるものはたかきもいやしきかし
こきもをろかなるものかれかたきことをし
らしめてのちの世をたすけたまはんとの
御ちかひなるへしかくありかたきことをまの
あたりにみなからなにゝこゝろをなくさみて

【右丁】
むなしくあたら月日ををくり侍るへきこ
のたひ仲太かいとくをこなはすはいかてか
侍従のきみかさきたちたるしやうと【浄土】には
いたるへきとおもひさため給ひてあるとき
大なこんとのさんたいし給ひたる御留主に
横川のそうつ【僧都】をしやうし【請じ=招き】たまひてみつ
からこときのをんなの身は五しやう【五障…女性がもっている五種の障害。次の15コマを参照】三しう【三従 注①】
の雲あつうしてしんによの月【注②】はれかた
く侍るよしうけ給はれはなけきても
なを【「ほ」とあるところ】あまりありねかはくはいかなるを

【左丁】
こなひをもしてこのたひしやうしのる
てん【しょうじ(生死)の流転 注③】をまぬかれたく侍るわれらこときの
ものゝのち世をたすかることさふらはゝ御
しめしにあつかりたく侍るなりとのた
まへはそうつきこしめされてこはあり
かたき御こゝろさしにこそ侍れそれ三かい【三界】
はくかい【苦海】なりまた猶如火たくともとかれ
てへんし【片時=少しの間、かたとき】もやすきことなしたうりまにてん【意味不明】
のたのしみもをよそかきりありつゐには六道
にりんゑ【「りんね(輪廻)に同じ】すへきことかへす〳〵もなけかし


【注① 女性が従うべきとされた三つの道。幼きときは父母に従い、少(わか)きときは夫に従い、老いたるときは子に従う。】
【注② 真如の月=名月の光が闇を照らすように、真理が人の迷妄を破ること。】
【注③ 衆生が、その業因によって生死の迷界を限りなく輪転し浮沈する意】

【右丁】
きことなりされは女人はおとこの子のつみを
一人にきすともとけり又おもてはほさつ【菩薩】に
して同心はやしや【夜叉】のことしともありある
程にはよくほとけのたねをたつてちこくの
つかひなりともきこゆかゝるあくこうふかき
女人のいかてうかむへきをかたしけなくけう
しゆしやくそん【教主釈尊】女人のために一せう【「一生」或は「一抄」か】めうてん【「妙典」カ】
をときたまひて女人のしやうふつ【成仏】をし
めし給ふされは五のまきのたいはほん【だいばぼん(提婆品) 注①】に
一しやふとくさほんてんわう【一者不得作梵天王 注②】ニしや大しやく【二者帝釈 注③】

【左丁】
三しやまわう【三者魔王 注④】四しやてんり【「わ」に見えるが「り」とあるところ】んしやうわう【四者転輪聖王(じょうおう) 注⑤】
五しやふつしん【五者仏身 注⑥】うんか女しんそくとくしやう
ふつ【云何女身速得成仏 注⑦】ととき給へりこれほつけのめいもん【明文。めいぶんとも。法典などに明らかに定めてある条文】
なりしかれはけたい【懈怠(けだい)=おこたり、なまけること】なく此きやうをわすれ
すしん〳〵にふかくおさめくちにはみたのみやう
かう【弥陀の名号】となへ給はゝあんらくせかいにいたりて
ほとけのたいさ【台座】はつらなりたまはんことうた
かひあるへからすされはすいこてんわうと申
すははんせうのくらい【万乗の位=天子の位】にそなはり給へとも
女人の身なれはうかひかたきことをなけ


【注① 提婆達多品(だいばだったぼん)の略。「妙法蓮華経」巻五の最初の品名】
【注② 一には梵天王となることを得ず。梵天王=インドの古代宗教で、世界の創造主として尊崇された神。仏教にはいって仏教護持の神となった。】
【注③ 二には帝釈 帝釈=帝釈天の略。インドの古代の神。仏教にはいり梵天とならび称される仏教の守護神。】
【注④ 三には魔王。 天魔の王。常に正法を害し、衆生が仏道にはいるのを妨げる者。】
【注⑤ 四には転輪聖王 四天下(須弥山の四方にあるという四つの大陸)を統一して正法をもって世を治める王】
【注⑥ 五には仏身】
【注⑦ 云何に女身速やかに成仏することを得ん】



【右丁】
き給ひて四てんわうし【四天王寺】をこんりうまし〳〵
てつねにはほつけをとくしゆ【読誦(どくじゅ)】したまへり
いはんやほんそく【凡俗】の女人しんせさるへきと
ねんころにをしへさせ
          たまひ
             けれは

【左丁 絵画 文字無し】

【右丁】
北の御かたもめのとの女はう【女房】もたねん【他念】なくち
やうもん【聴聞】申てかんるい【感涙】う【「宇」カ】をうるほしまことに
ありかたき御ことかなかゝるけうけ【教化】をうけた
まはれはしはしもかゝるすまゐいとはしく
さふらへいよ〳〵後の世をねかはんかの師に
はそうつ【僧都】をたのみ奉るへきとて御うちき【袿】
からのかゝみ【唐の鏡】をとり出し御ふせにたてまつり
給ふあるとき北の御かた大納言殿に申させ
給ふやうむなしくなりしわかことはちたひ【千度】
もゝたひ【百度】くいてもかへらぬことなりされは

【左丁】
いもうとのひめ今ははや十さいになりはへ
れはかれをいかならん人にもみせて世をつかせ
はやとおもひてあけくれやすきこゝろもなき
ところに花そのゝ大臣殿御ちやくし三位の
ちうしやう【中将】ことし十七さいときゝ侍るまゝこのへ
のかたへ申いれてさふらへはちゝはゝよろこひた
まひておさなくましますともちうしやうにあ
らせ申すへし今一とせ二とせはかりはこなたへ
わたさせ給へなしませまいらせんとあるほとに
をくり侍らはやとおもひさふらふなりとのたま

【右丁】
へは大なこん殿はなみたをなかしてしはし後いらへ
もましまさすやゝありてのたまふは侍従をわか手
にかけてうしなひしことよく〳〵おもへはてんま【天魔 注】の
わか心にゑたく【依託=神仏、霊魂などがのりうつること】してかゝるふるまひをしたるとこ
そおほゆれこうくはい【後悔】さきにたゝすこのうへはひ
めかこといかやうとも御身にまかせはんへれはいかやう
にもよくはからひ給へとおほせけるきたのかたも
この御いらへを聞て御なみたとゝめかねてち
やう【帳】のうちへいり給ひけるそのゝちめのとをめし
て大納言殿御こゝろもいまはしたいなしひめか

【左丁】
ことつくろへとてよろつこゝろのまゝにしたし【仕出し=用意する】め
てかいしやく【介錯=世話をすること】の人あまたえらひつけて大臣殿へま
いらせたまへはふうふの御よろこひはかきりなし
さてあけくれはやさしきあそひことなとなら
はせていとをしみ給へはちうしやう【中将】にあひな
れてむつひあそひ給ふ


【注 人が善事をなそうとするとき邪魔をするという】

【両丁 絵画 文字無し】

【右丁】
さるほとに北の御かたは今ははやこの世におもひの
こすことさらになし大納言殿御目をしのひ
そうつのかたへまいりかみをおろしおもひのまゝ
に後の世をねかひて侍従のきみかむまれん
しやうと【浄土】へまいりひとつはちすになりなんと思ひ
つめてめのとをめしておほせけるはいまははや
ひめはありつけ【在り付け=結婚して落ち着かせる】はべりぬうき世におもひのこ
すこと露はかりもなし御身もいまはこゝろ
さしのあらんかたへゆきたまへ我もしほた
いしん【菩提心】とけ【遂げ】てしつかなるかたにあんしつ【あんじつ(庵室)=世を捨てた人が住む仮のいおり】を

【左丁】
むすひなはを【「お」とあるところ】とつれをすへしそのときは
かならすとひたまへとそのたまひけるめのと
うけたまはりこはなさけなきことをうけたま
はり候ものかなたとひとらおほかみのすむのへ
のすへしゝくまのゐる谷のそこまてもはな
れたてまつらしとこそおもひ侍れことにこれ
はみつからもねかふところの御ほつこん【ほつごん(発言)】の御
のそみなれはいかてかはなれたてまつるへき
もろともにたきゝをとり水をくみてひとつ
はちすにむまれたてまつらんとそへしさふ

【右丁】
らへとかきくときけれは北の御かたきこしめし
さやうにほたい【菩提】をおもひたつならはなとかは
みはなし侍るへきさあらはあすおもひたつ
へきなりしつらひをせよとてちやうたい【帳台】に
いらせたまひ大納言殿へはひころのあらまし
をこま〳〵とかきをき給ひ見くるしき物とも
はこと〳〵くとりしたため【取り認め=きちんとする】御身にそへるものな
し五更の空もちかつけはとくしていて
なんといそき給ふかさすかとしころ【多年】すませ
給へるところなれはたちいてたまはんな

【左丁】
こりもすてかたくいつかへるへきみちにもあ
らす御なみたのおつるをとゝめて
  たちかへるみちにあらねはまきはしら
  くつるをたれかあはれともみん
かやうにあそはしてはしらにかきつけてひそ
かに御所をいてさせ給ひけるいつなれさせ
給はぬかちはたし【徒跣=履物をはかないで歩くこと】の御あゆみのいたはしさよた
ま〳〵ゆきあふ人にもをそれす横川といふ
所へはいつちより行そとたつねたまへはな
さけあるものゝくはしくをしへ侍れはやう

【右丁】
〳〵そうつのもとへおはしつきぬそうつは見
たまひてうちおとろきあはれにおほしめし
二三日はいたはりまいらせてよろつありかた
きものかたりなとあそはしけるそのゝち北の
かた御くしおろしたきよしをきこし給ふそう
つもちからなくかつうは【「且は」の長音化。一方では】又さいと【済度】のためなれ
はほとけの御まへにむかひてるてんさんかいち
う【流転三界中】をんあいふのうたん【恩愛不能断】きをんにうむゐ【棄恩入無為】しん
しつほうをんしや【真実報恩者…「流転」からここまでは出家剃髪の際に誦する偈の最初の一句】といふもん【文】をさつけ給ひ
て二人なから御くしをおろし給ふて哀なり

【左丁 絵画 文字無し】

【右丁】
けれよりこの山のふもとにしはのいほりをひき
むすひ【庵を構える】三そんのふつさう【三尊の仏像】をあんちし奉り北
のかたはみねにのほりてつま木【薪】をひろひめ
のとはたにゝくたりてあかの水【閼伽の水=仏に供える水】をくみてほとけ
にさゝけゝる六時ふたんのかう【不断の香】のけふり【煙】はみね
のきりとたちのほりつねのともし火のかけは
谷のほたるの夜をてらすにひとしたゝあけ
くれはほつけをとくしゆ【読誦】しねんふつを申
て侍従のきみもろともにひとつはちすの
えんとなし給へとゑかうあるこそあり

【左丁】
かたけれあるとき二条の右大臣殿の御むす
め大はらのまつりのかへるさ【帰り道】に御こしにめされ
て供奉のひと〳〵あまためしつれてこのあん
しつ【あんじつ(庵室)】にたちよりてひくに【比丘尼】たちのおこなひも
のゝしつらひを御らんしていかさまにもこれは
たゝならぬ人の世をいとひたるにこそあら
めありかたき御心さしかなとて御なみたをな
かし給ひて
  世をすてゝ月のいるさ【入り際】のやまのおく
  うらやましくもすめるいほかな

【右丁】
北の御かたきこしめしやさしくもきこゆるもの
かなといとあはれにて
  おもひいる山のおくなるいほりこそ
  つゐのすみかのうてななりけれ
とうちなかめるまへはいとたうとくてたち
いらせたまひうちつけなからさま〳〵ありか
たき御ものかたりなとありて時うつれは又
こそとちきりてなく〳〵わかれさせ給ふ

【蔵書印】

【左丁 文字無し】

【両丁 文字無し】

【両丁 文字無し】

【両丁 文字無し】

【裏表紙 文字無し】

BnF.

BnF.

BnF.

【表紙 整理番号のラベル】
JAPONAIS 4322 2

【右丁 表紙の裏にて文字無し】
【左丁】
さて六ゐのしんは大将のもとへ参りさま〳〵のもて
なしにあひ御返事給てかへり参ることのよし出申
せは人々さゝめきよろこひあへりとかくするほとに
その日もなりぬれは中将殿を大将殿よりしきり
によひたてまつるされともふししつみて出しやり
給はすおもひのあまりににしのたいのいもうとの
女御のかたにおはして申給ひけるやうこれに候人
は九月十七日よりかたらひをきて候いまた夜かれ
し侍つらぬにこよひはしめてわかれなはこのひ
のなしみさこそはおもひ候はんすらんめなにかくる
しく候へき御けんさん候て御物かたり候へさも御

【右丁】
はゝなくさむ心もやはんへらんとのたまへはまこと
にいたはしきことかなとて入参らせ給へはひめ
きみはなみたにかきくれて人に見え参らせ給
ふへきやうもなけれとも中将殿の御ことはをたか
へしとてなく〳〵いらせ給ひぬ中将殿はをくり
いれ参らせてかへらせ給へはたき物しめたる御なを
し【「なほし」とあるところ】きせ参らせけれともたゝめいとへおもむく心ち
してなみたはれやるかたもなしをとい【意味不明】をめして
かへらんまてはなくさめ参らせよあか月とくかへる
へししゝうにもいとまこひ御くるまにめしけれは
さつしき【雑色=下男】うしかひすいしん【随身】われも〳〵といろめき

【左丁】
御ともに参られけるはこれやこのゑんまのつかひ
のこつめつもかくやとおもふになみたもせきあへ給
はすなく〳〵なかめ給ふ
  あられふりしもさゆる夜におきわかれ【注①】
  身にたましゐもなく〳〵そゆく
かやうにうちなかめみちすからなをし【なほし】のそてをそ
しほられけるさるほとに大将のもとへおはしけれ
はさすかに人のめをつけてみるおもひゆくかた
はらいたくおほしてとかくまきらかしてきちや
うまぢかくたち入らせ給へはひめおろしますら
む御らんするに何となくそらたきもの【注②】うちか


【注①  「起別」=共寝した男女が朝別れる】
【注②  来客のときなどに、どこからともなく匂ってくるようにたく香】




【右丁】
おりみなしろかさねの十二ひとへくれないのみえの御
はかま【三枚重ねた袴】からあや【唐綾=中国渡来の綾】の二きぬ【「ふたつぎぬ」=袿(うちき)を二枚重ねたもの】めしてうちそはむ〳〵けしき
何となくあをやきのかせになひけるかことくありて
あてやかなる御けしきなりけれは中将殿おもひ
給ふやうこれもなれ人をみすはたやすくたくひ
はあらしとおほしめしけれともいにしへ人にあ
はすれはかたちふぜいにつけてもけすしさかき
りなし御かいしやくの人御めのとをはしめとし
てはしたものにいたるまてきよけにもてなした
てまつるをみるにつけてもあはれひめきみをか
やうにおもふ事なくいつき【敬って大切にする】かしつかはやとおほ

【左丁】
しめすになみたもれ出てありしかたのみこひ
しかりけるかくて八こゑのとり【鶏のこと】もなきけれはゆふ
さりはまたそ参らんとて出給ひぬいまたあけさ
るに出給へはひめきみも御めのとも心えかたくあさま
しくそおほしめしける御くるまよせけれはいまへ
んしもとくとそいそかれけるさるほとにひめき
みも中将殿やう〳〵いらせ給ひぬとてにしのたい
よりもかへり給ひぬ中将殿はくるまよせておりさ
せ給へは御めのとはしり出いかにや御けしからす
いまた夜もあけさるに御かへりさふらふそと申
けれは中将殿の給ふやうゆうへこれを出しより

【右丁】
心はこなたにのみありてあけよといそくこよひし
もなかゝりつるにとりかなくねをきりにてかへり
つるなりとていつもの御しんしよに入給ひてかたら
ひふし給ふまくらならへしそのあたりたかひのなみ
たはうくはかりにそありけるまたさ大しん殿より
いらせ給へと御つかひありけれは心ならすおきわか
れまいり給ふはゝこぜんすゝりかみをとり給ひいか
にやこうてう【後朝】のをそなはれる【遅なわれる=遅くなる】との給へは中将との心
ならすふてにまかせてかきなかし給ふ
  あははやとそゝろにものをおもはせし
  むくゐにいまはとはし【問はじ】とそおもふ

【左丁】
とかきてうちおかれけれはめのととりて引むすひ
六ゐのしんにとらせけれは大将のもとへもちて参
る中将殿はやかてわか御かたへかへりふししつみ
給ふさるほとに六ゐのしんは大将殿にてさま〳〵
にもてなされいろ〳〵のひきて物を給はりてかへ
り参り御せじ参せけれは中将殿御手にたに
とり給はすはゝ御せん御らんしけれはふてのあと
もなへてならす【並べてならず=普通ではない】
  とはしともいふことのははことはりや
  夜ふかにかへるこゝろならひに
さて中将殿はあくるまておきもあかり給はすふ

【右丁】
ししつみておはしけるにまた御つかひしきり
なりけれはちからおよはすおきわかれて御なを
し【「なほし」とあるところ】たてまつるくるまよせまてしゝうおといをめし
てやかてかへるへしかへらんまて二人なから御そは
にそいなくさめ参らせにいかにおやのおほせらるゝ
とも三夜まてはゆくへしその後はかなふまし
なを〳〵とかくおほせられはいかなるふかきやまに
こもりさまかへしゆつけはするともさら〳〵ゆく
ことあるましこよひあすの夜はかりは心なかく
まつへしとおほせられてなく〳〵
       御くるまにのりて出給ふ

【左丁 絵画 文字無し】

【右丁】
みちすからつく〳〵おほしめしけるあはれこの人
とくしてゆくこちとおもはゝいかにうれしかり
なんあはれひめきみをこの人とおもはゝおもふ事
あらしかゝるうき世にかく物おもふ事のかなしさ
よとおほしめす心のうちそあはれなるさる【「か」に見える】ほとに
かの所へおはしけれはひめきみおほせらるゝやう夜
をこめ御かへりありてまたふくるまてにいらせ給はぬ
も御ことはりなり御さとにおもひ人のましますと
はこそのかくれさふらはすといつしかねたみ給へは
それにつきても心つきなさ【気に入らないこと】かきりなしたゝわか
御かたのみこひしくてつゝむなみたもれいつるを

【左丁】
さらぬやうにもてなしわれにはとかもさふらは
ぬものをにくませ給へは身のほとこそおもひしら
れて御はつかしく候へとてちかつき給ふこともなし
つち【?】によりふし給ひてこまやかなることもなくゆ
めもむすはてとりのねをそまたせ給ひける八こゑ
のとり【鶏のこと】もつらけれはにくませ給ふともゆふさり【夕方】
はとく参らむとおほせられていそき出させ給
へはひめきみゆふへよりふし給へる御すかたのいま
たねなをり給はてなきふし給へるをみ給ひて
いとゝ【いとど=ますます】かなしくそなほしけるにとかくかたらひ
ふしてなくよりほかの事そなき中将殿のたまひ

【右丁】
けるはゆふさりゆきてかへりなはおやのおほせらる
るともゆくましきなりゆふさりはかりおもひねん
してまち給へきひしくちゝのおほせられはやまの
おくにもとちこもりいほりむすびてうき世の中
はすこすともその御かたをははるるまししゝうを
といもゆふさりはかりそあすよりはへちの事あ
るまし心やすくおもひ給へとそおほせられけ
りさるほとにちゝはゝの給ふやう中将のありさ
まをみるにゆふさりよりほかはよもゆかしなか
〳〵かよひそめすはよかりなん大将のためもは
ちかましく侍つるへしいさやだしぬき大将のか

【左丁】
たにおかんとおほせありてともの人にもの給ふ
やう中将をはおくりつけてこしくるまとものも
のともはみなかへれこのふみうちへ参らせよとてい
たされたりそのふみにはけふよりして中将をは
それに御とゝめ候てとしをもそなたにてこさせ
られ候へとそかゝれたる中将それをはゆめにもし
らすおはしけり大将のもとにはきたのかたひめ
きみめのとよりあひておほせありけるは中将殿
のありさまをみるにこよひよりほかよもおはせし
はちかましくおほしけれはいかゝせんとありし
かは御めのと申けるはむかしもある事なれはこ

【右丁】
そまつりことゝゆふ事をはしさふらへあはれまつ
りて見候はやと申けれはきたの御かたにきやう
にはからへとそおほせありけるその時やかて物しり
をめしておもふ事ともしつかにかたりきかせけれは
物しりやすき御事なりとてまつり事をそした
りけるさるほとにとりもなきけれは中将殿ゆふ
さりはとく参らんとて大ゆか【広廂】に出て人やあるく
るまよせよとの給へは六ゐのしん参りて申やう
これに御とゝまり候て御としをもこし給へと
の仰にて候ほとにこしくるまざうしきみなかへり
候てたれも候はすと申せは中将殿なみたをは

【左丁】
ら〳〵となかし給ひたしぬかれぬとおもへはむね
のうちくるしく心うくてよのあくるまて大ゆかに
たちあかし給へりさるほとに物しりにまつられて
心ほれ〳〵として身にたましひもそはぬやうに
なり給ふさてもさとのかたこひしくてさすかに
なきつくしおはしけるふみをかゝんとしたまふ
にも何となきとのみかゝれてひきやふりすてな
むとしてふみたにもやり給はすもう〳〵【濛々=ぼんやりとしているさま】として
心わひしく人の物いふもみゝにも入すなかめ
うちにてありけるかひめきみたにもちかつき給へは
身もかゝるすゝしくいさむ心そし給ひけるさるほ

【右丁】
とに御さとにはその夜もすきぬまたけふもおと
つれもなくておもひなくさむかたもなしいまた
をさなきおといか人にもひめきみを見たてまつ
りあはれたのみなき中将の心かなといふもはつか
しくしゝうかおもはん所も心うしつゆしもとも
きえうせたくは侍れとも心にまかせぬうき世
のならひならひなれはさらぬやうにもてなしみやつか
ひけりまたひめきみしゝうおといかみる時はおも
はぬやうにたはふれかれかみぬ時はふしまろひ【身を投げ出してあちこちにころぶ】
もたへこかれかなしみていかなる人なれはいつはり
のみちきりおき給ひけんいかなるわれなれはへた

【左丁】
つる心なるらんとにかくに【あれこれさまざまに】おもひつゝけてもつき
せぬものはなみたなりかなしみのあまりにおもひ
つゝけ給ふ
  いつはりをきみかちきりしことの葉に
  かゝるなみたのつゆそかなしき
とうちなかめけふもむなしくくれぬれともな
くさむかたもなくまくらもとこもさひしくて
きぬひきかつきうちふし給ひてかくなむ
  いさゝかもたちはなれしとちきりしに
  いくよになりぬそてのかたしき
かやうにうちなかめちからおよはぬ事なれは思ひ

【右丁】
しのひてすこし給ひぬさ大しんときたの御かた
仰らるゝやう中将かこれにをきたる物はみめよく
心はへもなへてならす【普通ではない】とき〳〵にゆきかたもなく
してあはれこの人をすかしてわかひめきみの女御
まうての時はわかき女はうたちのあまた入にと
の給へはきたのかたそのきしかるへし【立派だ】さらはおとい
をつかひにたつへしとておといをめしよせて申
侍はこれへはきたるましきものなり御つれ〳〵に
おはしまさは中将かめのとのかすかゞもとへわた
らせ給へと申へきよしを申せはひめきみしさい
あるましきよし御世事し給ふおといかきかぬ

【左丁】
まにしゝうに仰られけるはさても中将殿はさば
かり【それほど】御ちきりな■■【「りか」に見えるが「かり」カ】しにあはれたのみなき人の心
かなふみのひとつも給はらすことつてたにもなし
あまつさへおそく出るとおほしてなさけなく仰
らるゝそはつかしけれいましはらくこれにあら
ははちかましき事も有なんはちをみぬさき
にいつくへもいなんとおもふなりかなしきかなや
ゆきかたもなき身なりとて心のやみにまよふ
かなしさよとてなきむせひ給へはしゝうなみた
にくれて御世事もせさりけりひめきみは思ふ
もくるしわれをくしてとく出よいかなるふち河

【右丁】
のそこのみくつ【水屑】となりなんともたへこかれたまへは
しゝうつく〳〵とおもふにあんし出したる事あり
ちゝかたのおはにたんごのないしとてたいりへ参る
人あり申さはやとてしのひてふみをかきてつか
はすおもはぬほかにさ大しん殿御うちに候か申あ
はせたき事あり参らんとそかゝれたるやかて御
世事ありみ給へはゆふさりしのひやかに御くるま
参らせんとそかゝれたりしゝうひめきみよろこひ
給ひてみすかうしあけてちりはきのこひ【掃きのごひ(掃くき拭ひ)=掃いたり拭いたりする。】御
ふすまをたゝみてさをにかけまくらのひとつになる
さへなけき給ひしにまくらもいまはとりひそ

【左丁】
め【取りまとめて見えないところに隠す】ひとつもなく
中将殿つねにみたまひしさう
しはこ【草子箱】を御らんするに
               そのおもかけ
                    見え
                  たまはねは
                なく〳〵
                    かくそ
                     おもひ
                      つゝけ
                       給ふ

【右丁 絵画 文字無し】
【左丁】
  ますかゝみなれにしかけはしのふとも
  またもこのよにいつか見るへき
さてはよりそふまきばしら【真木柱】そむつましきゆか
りをもけふよりほかにいつかみんとおもふこゝろも
きえまとひとりひそめたるとこのこゑにふしま
ろひけふをなこりのなみたなれはたきとも河の
なかれつくしさるほとに中将の手なれ給ひし
ことをおもひ出て御ひは【琵琶】ひきよせあそはし給へは
しゝうもことをかきならしひめきみはえ【「ゑ」とあるところ】をか
き給へはしゝうはほうきやう【方磬】をひめきみにあそ
ひたはふれ給へはきく人身のけよたちておもし

【右丁】
ろく御つれ〳〵さにあそはすよとさらぬよそのた
もとまてもつゆをくはかりにおほしける日もすて
にくれぬれは夜ふけ人しつまりて御むかひのく
るま参りけれはひめきみいまをかきりとおほし
めしおといをめされて仰ありけるはいのちをか
きりにいつまても中将殿入せ給はんほとはこれ
にさふらはんとおもひしにおそくいつるとおほ
すやらん御つかいの有しほとにやかてそのときも
出たく侍りしをさすかにおもひすてかたくてい
まゝては出やらすされともかくて有へきならね
はいとま申ていつくへ侍るへしなこりをしさこ

【左丁】
そなか〳〵ことはにもいひつくしかたけれとて御なみ
たをなかし給ひて御くるまにめしけれはおとい御
たもとにとりつきてこはいかなる御事そや火のなか
みつのそこ野のすへ山のおくまてもはなれ参らせ
ましくしてわたらせ給へこれにのこりても御こひ
しさにいのちもなからふへしともおほえすとな
きかなしみけれはひめきみの給ふやうわれはあし
にまかせて出るほとにゆきかたもおほえすいつく
なりともをちつかん所よりかならすをとつれす
へしと仰られてやかて出給ひけりおといはの
こりてにはにふしまろひなきかなしみけれとも

【右丁】
御くるまはとをさかるさるほとにないしかもとへ御く
るまよせてまつしゝうはおりてうちへ入ないしに
むかひて申やう三てうとののひめきみのこれへ
わたらせ給ひて候かしのはんと仰らるゝはいかゝせん
と申けれはそのときないしはしり出くるまよ
せにさしよりみちのほとの御心くるしさよはやいら
せ給へとてくるまのうちより御手をとり入参らせ
いそきにしのたいをしつらひおきたてまつるよるも
ひるもはなれす卅日はかりそいたてまつりてなく
さめ参らせけりひめきみうれしくおほしめし
けるさてそのゝちないしたいりへ参りけれはみか

【左丁】
と御らんしてなとや此ほと見えぬそいかなる人に
にいまくら【新枕=男女が初めていっしょに寝ること】し侍るそわか〳〵しくそおほゆれとた
はふれさせ給へはないしうちゑみ見めよき人に
そひてはなれかたくさふらひてこのほとはまいり
ゑすと申けれはたれそやみめよき人とはとは
せ給へはとかく申まきらはして人しれぬまに申
やう三でうのきんざねのちうなこんのひめきみ御わ
すれ候やらん七の御としみめうつくしく候とて女御
のせんしかうふらせ給ひておはせしか十のとし
ふたりのおやたかいてのちめのとのはこくみ【はごくみ=育み】にて三
条にすませ給ひ候つるかあまりの御つれ〳〵さに

【右丁】
このほと卅日あまりわらはかかたにおき参らせて
此ほと【この期間】は参りさふらはすと申せはそのとき我
にみせぬほとならはこれへないしはかなふましと
仰けれはいかゝして何のつゐてをもつてかみせ
申へきはしちか【端近…上品でないこと】のわさにはかなふましとそ申け
るそのときみかとしはらく御しあん有てさらは
しはすのぶつみやう【仏名】のちやうもん【聴聞】すらめよと仰られ
けれはないしさとにかへりしゝうにかくとかたれ
はしゝう申やういかなる女御きさきもわかひめ君
にはいかてかまし給ふへしみかと御らんしたらん
にめてさせ給はさるへきいかゝはしてたいりへす

【左丁】
すめ参らせんとしたくしけるしゝうひめきみの御
まへに参りて申けるはふつみやうの御ちやうもん
に参らせ給へかしちやうもんしつれははゝにあふ
と申とゆゝしけに申けれはひめきみはいと心
なくてのちやうもんはなか〳〵つみのふかきなる
われは参らすともしゝうは参れかしとの給へは
しゝう申けるはふつみやうと申は三世のしよふつの
三しやうおうこをまつり給へは一とちやうもんし
つれはらいせにてはかならすおやにあふと申きみ
も御ちやうもん候はゝ二しんにあひ参らせ給ふへ
しわらはも御とも申さはともにふつたうをも

【右丁】
なさんとこそおもひ候へまつ御心え候へかしこんし
やうにもこしやうにもおやにあふ事はすくれた
るくとくにて候にいかなれはわらはかいきなかる
はゝにわかれて御身にそひ参らせてたちまち
にこんしやうのやみにまよひ候そかしふつみやう
を御ちやうもん候はゝきみもちゝはゝにあひ参ら
せ給ふへしわらはもこしやうのおやにそはんこと
ねかはしく候へはこそ申せ御心かたくわたらせ給ふ
物かなと申けれはひめきみ心のうちにおほすやう
けにことはりかなしにたるおやにもあはゝやとね
かふにいきたるおやにわかれてわれにそふほと

【左丁】
の心さしいかてかしらさらんことはりをしらぬ物をは
ちくしやうとこそいふなれしゝうか心さしをはいかて
かたかふへきさらはちやうもんも人ため【ひとだめ(人為)=他人の利益】ならすわれ
も参らんとそ仰られけるそのときおりをへてた
んごのないし申やうしゝうとわらはとたちかへし【折り返し】
参らせてわらはかつほねへ入参らせ御ちやうもんの
後はやかて御くるまにめし御かへりあらんにさら
にくるしかるまし御参り候はゝめてたかるへしと
てしゝうもないしもよろこひけりその日にもなり
けれはたいりへ参り給ひぬ御くるまよせてしゝ
うないしあひそいてつほねへ入参らせけるさてな

【右丁】
いしせいりやうてん【清涼殿】へ参り御かとへかくと申あくれ
はいつくにそととはせ給へはわらはかつほねに
わたらせ給ふと申けれはみかとうちゑませ給ひて
こよい【「ひ」とあるところ】ゆきてみんとそおほせありけるないし申
けるはとうざいもわきまへさせ給はぬをいかゝこ
よひはいとお【「ほ」とあるところ】しやと申せは
         みかとけにもと
              おほしめして
          その夜は
              いらせ給は
                さりけり

【左丁 絵画 文字無し】

【右丁】
さてもふつみやうはしつまりけれは大しん【大臣】くきや
う【公卿】てん上人【殿上人】参りあひ給ひけり中にも中将との
はとうにてわたらせ給へはことおこなひをそせら
れけるくきやうかんたちめ【上達部】ことわさにつきてま
はりけれはひめきみこれをみ給ひておもひいて
たるけしきもなくほこりたはふれ給へはうらめし
さかきりなしいとゝつゝましくてしのひのなみ
たせきあへすわするゝ事はなけれともかくまの
あたりにきえ入心ちそし給ひけるさてふつみや
うはてぬれはくきやうてん上人をそゑふしと
てつほね〳〵のはんにとまらせ給ふとうの中将は

【左丁】
おりふしないしかつほねのはんにてそのつほねにと
まり給ふしゝうひめきみすをへたてまくらを
あはせにね給ふありあけの月かけ山のはにかた
ふくを夜もすからふるしらゆきふけゆくまゝに
さへまさり心すみておもしろけれは中将こしよ
りやうてう【注①】ぬきだしはんしき【注②】にねとり【注③】らうゑ【「え」とあるところ】
い【注④】をそせられけるあか月りやうわう【注⑤】のその【苑】に入
はゆき【雪】くんさん【群山】にみつ【滿】よるゆふこうかろう【意味不明】にのほ
れは月せんりにあきらかなりと三へんはかり
ふき給ひてやさしくうらみこゑなるせう【笙か】を所
〳〵あそはされけるくものうへまてすみのほり


【注① ようじょう…横笛のこと。字音の「おうてき」が「王敵」に通じるのを忌んで読みかえたものという。】
【注② 盤渉…雅楽の十二律の一つ。】
【注③ 音取り…雅楽で試みに楽器を奏じて音程を決める】
【注④ 朗詠す】
【注⑤ 陵王…舞楽曲の名】








【右丁】
おもしろくそおほしけるみかと夜もすからきこし
めされてことにふれおりにしたかへはおもしろく
おほしめされて夜もほの〳〵の時せいりやうてん【清涼殿】
のくみれ【注①】のこひさし【注②】のもとにみかとたゝせ給ひて
さねあきらとめさるれはみすのきはをおきわ
かれてせいりやうてんに参るひめきみの心のうち
のかなしさたとへんかたそなかりけるさらぬたに
ふゆの夜のあけほのゝそらはわりなき【どうにもならない】に夜も
すからゆきふりつみてみなしろたへにみゆるに
とうの中将ねあかみ給へるかほはせもみちのよ
そほひうつくしうしろくきよけなるはたへのゆき

【左丁】
にまかへて【見間違えて】うつくしく見えけれはみかと御らんし
ておほすやういかにないしかつほねの人うつくしく
ともさねあきらかにほひほとはよもあらしそれ
につけてもせう殿のひめきみゆかしさよとおほえ
てきこゑ【「え」とあるところ】し事はいつやらんととはせ給へは中将
そてかきあはせてあさて【あさって】廿七日に参るとこそう
け給はり候へと申されけれはおさなきくらん
と【蔵人】めしよせてゆき山つかせ【築かせ】よとそ仰けるくらん
と十四五人めしよせてゆき山つき【築く】侍へりさて
そのゝち御けん【剣】めしよせてさねあきらにもたせ
てないしかつほねへ入給ひひゆふ【意味不明】のうへより御


【注①  「くみいれ(組入)」の約。細かい格子に組んで作った天井】
【注②  「こびさし」=小さい庇】







【右丁】
らんしけれはこうばいのにほひ七にくれないの
はかまめしなからよりふし給へり中将殿とみす
をへたてゝまくらあはせにね給ひたりけれはみ
すのうちに人ありとしられしとよもすからつ
つみ給ひてしのひのなみたにまくらはいつみ
となきぬれて中将殿たちのき給はる夜の中
にくるまにのりてかへらんとこそないしかちぎり
しにはやよのあけゝるとしゝうとくときたまふ
ところに御いのひやうふにそよとさはりたりけれ
は夜のあけぬるはいかにないしかとおほせられ
けれはみかとうちゑませ給ひてないし参ると

【左丁】
て御そはへより給ふ
        みすの
           うちより
          そとの
             大ゆかには
            とうの
               中将
             御けん
               もちて
               ゐ給へり





【右丁 絵画 文字無し】
【左丁】
ひめきみ心うくおほしめしてひきかつきてなく
よりほかの事はなしみかとよりそはせ給ひて
なにをなけき給ふそもゝしき【枕詞から転じて「内裏、宮中」のこと】のうちへ入ぬる人
をはさうなくいたす事はなしいまはこれに
わたらせ給ふへき人そとやう〳〵になくさめ
給へともひとことはのせしもし給はすたゝなく
よりほかの事そなしひるほとまてやう〳〵に
したひ給へともとかくの世事もし給はすひるの
かれいの時にもなりぬれはせいりやうてんへいら
せ給ひてないしをめしてわか身まてもよにい
とをしないしをめされてよく〳〵いたはり参

【右丁】
らせて御物参らせよと心ぐるしくおほゆれゆ
たけのかせにしなはぬふせいしてまつにしたかは
せ給ひぬうたてさ【嘆かわしいこと】よいつとなくむつけ【不満に思う】させ給ふい
たはしさよかくのみや有へきとて御なみたくみ
給へはないし見参らせてかたしけなくそおほゆる
みかとはせいりやうてんへいらせ給ひてこのひめき
みをあすしよきやうてんへわたし参らせんとおもふ
に御身まちかき女はうはなきかめしてたてまつ
れとおほせあれはないしかへりてしゝうにかくと
かたれはしゝうよろこひてたいりへ参りたるくるま
のたより【ついで】にのりて三てう殿へそゆきける
さてみか

【左丁】
とさいしやうをめして仰せられけるはまる【男子の自称。ここでは帝のこと】がはから
ひとしてあすのほとに女御をしよきやうてん【しょうきょうでん(承香殿)…女御などが居住】へわ
たしたてまつらんによき女はう廿人御しやうそく
したて参らせよとおほせくたされけるさてしゝう
はまたよをこめてあかつき三てう殿へくるまやり
入けれは三条殿にひめきみしゝうはうしなひぬ
あさゆふなきふして有けるかあか月めをさまし
てゆめ物かたりをしけるににはかにくさふかき
所へくるまくおほゆれとうの中将のいもうとのいか
にうつくしくきこゆるとも此人にはまさらしと
おほつかなくそおほゆるとおほせられけるさてな

【右丁】
いしつほねに参りて申やう此卅よ日参り候はね
はあたりてしゝやうともとりあてられていとなみ
たひまなさにいまゝておそく参りて候たゝいまは
日のうちにいかゞし侍らんゆふさり夜に入てこ
そ御くるまもよせ候はめそも〳〵たれか申てこれ
へうちの御入候やらんあさまし【嘆かわしい】の人のくちのさがな
さ【意地悪さ】よと申せはひめきみけにもふしきの事かなた
れ申てかわれ参らせつらんかくむつからむには中
將にきかれなんいかゝせんかくはしちか【はしぢか(端近)…おくゆかしくないこと】の有さまさ
きの世にいかなるつみをつくりてかゝる身になるや
らんとせきもやらすなき給ふさてみかとはかれ

【左丁】
い【嘉例】の事もすきぬれはやかていらせ給ひて御そ【おんぞ=お召物】ひき
きてなれかほ【なれがお=馴れた様子】にれいのちからつよの【力強の】ひめきみとち
からくらへせんとてすをきにたき給へはこはなに
事そやおもはぬほかの事なれはいなせ【不承知と承知】のいらへ【返答】も
し給はすたゝうちくれなき給へはみかと御そは
へひき参らせて何とてさえたてまつるみかとれい
けいてん【麗景殿…皇后、中宮、女御などが居住】へ御入あつて女御の御そはによりふして
つく〳〵と御まほり【守】ありて三人のきさき四人の女
御たちは御まさりなりけれこれこそ一にて御わ
たりある人けれともないしかつほねの人を御らん
しこれも御心つきにあらさりけれはこまやかな

【右丁】
る御事もなくしてまたやかてないしかつほねへ御
入ありこれもやかてしよき【「さ」に見えるが「き」であるところ】やうでん【承香殿】へいれ参らせん
とておの〳〵ひしめきあへりさるほとにやう〳〵
にないしかつほねのひめきみの女御まうての事を
そおほせつけられけるれいけいてん【麗景殿】におはしま
しけれともいつしかなひ【「い」とあるところ】しかつほねのこひしくて
いまこれにとゝまらすともなかきちきりこそめて
たけれとてついたゝせ【しっかりと立たせ】給ひてさねあきらを御と
もにないしかつほねへいらせ給ふひめきみれいのなく
よりほかのことそなきこよひはこれにとゝまらせ給
ひてなくさめちかつかせ給ふあま【海士】のたくも【藻】ゆふけ

【左丁】
ふり【夕煙り=夕方食事の支度などで立ちのぼる煙】にうらかぜのなひかぬふせいにておはしませ
はみかとよに心くるしくそおほしけるやう〳〵と
なくさめ参らせておはしませともたゝなくより
ほかの事そましなをものみむつかるそいま〳〵
しく候とて御い【御衣】のそてにてひたひのかみのたえま
よりなみたのつゆのこほれるをおしのこはせ【押し拭は(わ)せ】給
へはしゝうないしあらかたしけなの御事やとそお
もひけるみかとやう〳〵になくさめかねてあな心
くるしやさのみなむつかりそかし八のはかまのつい
てにきんさねもわれにゑさせんとちきりしか
おやたかひしたれはいまゝてちゝし侍へりちき





【右丁】
きりはくちせぬ事なれはめくりあひぬるうれ
しさよ何しにかくはむつかるそ有ましきこと
のやうにとさま〳〵になくさめ給ひてせいりやう
てんへ御かへりありてないしをめして此人よく〳〵
なくさめ参らせよとよに【本当に】心くるしけにおほせく
たされけりさるほとに廿七日にもなり侍るけふは
女御まうてとてさゝめきてくきやうてん上人まい
りつとい給ひけり此女御きこゆるひしんにてま
しませはしよきやうてんにすませ奉るへきに
ておはしませともないしかつほねの人おはするほ
とにてん【殿】もちかけれはこれをしよきやうてんに

【左丁】
のほせたてまつるへきにさたまりぬ中将のいもう
とをはれいけいてんへそすをやり入けれはいかに
たれ人そとおもふにしゝうくるまより出申やう
ひめきみこそおもはぬほかのたよりにて女御に
参らせ給へ
     みかとより
          御めのとゝ
              おほせ候
              いさらせ給へと
                申けれは

【右丁 絵画 文字無し】
【左丁】
はゝはうれしきか中にもおつるなみたをおし
とゝめてひめきみこそ御心つよくわたらせ給ふ共
それにはなといましておとつれし給はぬそお
やのおもふほとなかりけりとてなきけれはしゝう
申やうなに事もみなかゝるめてたき御事とも
にならせ給ふはしめにて候にうちおかせ給へとて
さま〳〵のしやうそくともとりいたしてはゝせ
うなこんにもうちきせしたしき人々めしあつめ
て女はう十よ人ひきくし【引き具し】大り【内裏】へそ参りける御
めのとひめきみの御まへに参りけれはめつらし
くそおほしけりきよみつのことそなきさるほとに

【右丁】
やかてその日しよきやうてんへわたし参らする
くきやうてん上人こゝかしこにたゝすみていかな
る人のひめきみときゝ給ふととうの中将もろと
もにさゝやきあひけれともしりたる人もなしさ
てみかと御としこすよはおやのおもふ所あり
とてれいけいてんへ入せ給ひけれともしよきやう
てんにて御とのこもり【殿籠り…寝る意の尊敬語】有けるさてあか月せいりや
うてんへいらせ給ふとてないしをめしてあまり
に此ひめきみのむつけさせ給ひてしほりもあへ
給はす人のためにあらす申なくさめま参らせて
けふあすはかりなく事を申なため参らせよと

【左丁】
おほせかうふりしゝうにかくと申せはしゝうも
せうなこんもないしにけうくん【教訓】せられていかに
かくいま〳〵しくむつからせ給ひさふらふそによう
はうの身には女御きさきのくわほう【果報】こそねかふ
事にて候へおやのたちそいてもてなしかしつ
きたてまつる女御きさきもみかといらせ給はねは
さひしくてのみおはします御身はみなしこに
てわたらせ給へともかくかたしけなくおほしいら
せ給ひ侍るなり御身ひとりのめてたき御事に
ならせ給ふのみならすかすにもあらぬわれ〳〵
まてももゝしきのうちにあをかれてかたをなら

【右丁】
ふる人もなしきみも天しのきみとならせ給ひ
てはんみん【万民】のまつりことをきはめさせ給ひ何事に
つけてもとほしき事もわたらせ給はぬに何
の御ふそくありてかむつからせ給ふそと申けれは
ひめきみなくをよきことゝはおもはねともなに
とやらんむねのうちかくるしくてつゝむにたえ
ぬなみたのおそふるそてにあまるをいかゝせんと
そおほせられけるしゝうまた申やう御心のうち
もみなしり参らせてさふらふ中将殿の御ことも
さのみおほしめすへからすなに事もせんせ【前世】の
御ちきりなりきよみつにてとかふの御事さふ

【左丁】
らひしにもかゝるめてたき御さいはいになら
せ給ふへき御事そかしわれおもふ人をこそおほ
しめすへけれいかにもきみの御こゝろにたかひ参
らせ給はん御ことはおそれある御事にてこそ候
へとかきくとき申けれはそのときひめきみさら
はいまはなかでこそあらめとおほせけれはいよ
〳〵よろこひあへりさて御けしやうはなやかに
めされはれやかにそおはしけるとうの中将は
こうはいのよほひ十二に大もんのさしぬきに御な
を【「ほ」とあるところ】しきら〳〵しくぜんくう【前駆】のさふらひみずい
じん【御随身】さつしき【雑色】うしかひ【牛飼い】に
いたるまてきら〳〵しく

【右丁】
そおほえ侍る大しんにひとり子さ大しやうにはは
なむこれいけいてんには世のきこゑにもかたを
ならふる人そなきわか身となれはことおこ
なひもきら〳〵しく【容姿が整って美しい】さか〳〵しく【いかにもしっかりしている】おはすれは
みな人なを【「ほ」とあるところ】しのそてをかきあはせおそれぬ人
そなかりけるしよきやうてんのみすのまへをとを
り給へはしゝうさすかにゆかしくてたきもの【練香(ねりこう)】かき
くんし【薫じ】て中将のとをりたまふたひことにけふたき
ほとに何をきかせられけるちうしやうのかく
とはしらすしてときの女御
            女はうたち

【左丁 文字無し】

【裏表紙 文字無し】

BnF.

【表紙 整理番号のラベル有り】
JAPONAIS 4322 3

【右丁 表紙裏 文字無し】
【左丁】
めのうちのけたかさあくまてあひきやうかましく
てなか〳〵に見さりせはとおほしてむねのけふり
はたちまさりてそおはしける正月のくわんにち
の日の事なるにてうはい【朝拝】のくきやう【公卿】参りあひ給
ひけりみかとはしゝいてん【紫宸殿】に御出ありけるかしよ
きやうてんの女御の御すかたまつみ参らせんとて
みすをひきあげのそき給へはひめきみ日ころは
なきほれいつとなく御かほをもばれうちしくれ【涙がこぼれる】
ておはしますにいまはけしやうはなやかにして
むめのにほひ十五にこうはい【紅梅…襲(かさね)の色目の名】のうちき【袿】にもゑき【萌黄色】の
ひとへにこきくれないの御はかまにはれらかにて

【右丁】
みかとのそかせ給へはあふきをさしかさしうちゑ
み給へはあくまてけたかくあひき【「さ」に見えるが「き」とあるところ】やうかましく【愛敬がましく=愛くるしく魅力的である】
まみ【目見=目もと】くちつき【口もとの様子】いかなるゑし【画師】がうつすともいかてか
ふてもおよふへきみかと御らんしてあふきかさ
しやうはいかにとてをしいらせ給ひぬとかふ【「う」とあるところ。「とかう=とかく=あれこれ】た
はふれさせ給ふほとにくわうきよ【皇居】の御出おそく
ならせ給へはとく来らんとて御出ありぬ御びん
のふくたみてわたらせた給へはうんかく【雲客=殿上人】めをつけて
み見参らせけるさすかにかたはらいたく【見苦しく】おほしめし
けんいそきいらせ給ひぬたゝしきやうてんにの
みこもりいらせ給ひて大しんくきやうまいれと

【左丁】
も出もあはせたまはすさるほとにとうの中将お
はしまさぬ御ことをいかはかりなけき給はんすら
んとおもひまふけておはするにおといをめし
てこれなりし人はととはせ給へはおといさめ
〳〵とうちなきて中将殿の御出のゝちあけく
れ御なけきさふらひしかいつくへやらん御出さ
ふらひし御こひしさのあまりにたもともかはく
まもなしとなみたもせきあへす申しけれはなけく
御けしきはなくてゆき所ありけるよとはかり
おほせありて大しんのもとへ入せ給ひぬちゝはゝ
うちゑませ給ひてかゝりけるちきりをはしめあ

【右丁】
やにく【憎らしいと思われるほどに】なりつることよ何事もしゆくせ【宿世…前世の因縁】にてあり
けるとてよろこひ給ひけるいまたおさなきお
とい心のうちにつく〳〵とおもひけるはあはれひ
めきみはさこそはかりなくおほしめしゝものを
中将殿のかくおもひわすれ給へるかなしさよお
そろしの心やとおもひてそでをそしほりける
さてもしよきやうてんよりして御ふれいのこゝち
おはしけるか二月になり給へはかうをそはしめ
させ給ひけるとうの中将をはみかとのれいけいてん
をはすさめ【遠ざける】給ひていつとなくしよきやうてん
にのみこもりいらせ給へはめさましくおほえて

【左丁】
大り【内裏】へも参り給はす十らくかうにめせとも参り
給はねはみかとげきりん【天皇の怒り】ありてとうにてはいと
まなき事にてあるにいつとなくさとにのみゐ
たるよとおほせありけれは参り給ひけるはるの
夜の月くまなくしてかせものとけきはなさか
りおもしろかりしおりふしのどかにくるまをや
られしにさしぬき【注①】のうらにこはき【堅くごつごつしている】物そあたり
ける何やらんとて六ゐのしんをめしてみせられけ
るにとり出してみれはなかに五六すんはかりあ
るかたしろ【注②】にひ【注③】をふりあけて【振り上げて】くはしくこれをみ
れはおとことをんなとうちわらひていたきあ


【注① 「指貫袴」の略。裾のまわりに通した紐をくるぶしの所でしばるようにしたもの】
【注② 陰陽師、神主などが禊(みそぎ)または祈祷の時に用いる紙製の人形。これで身体を撫で、罪・けがれ・災いをこれに移して、身代わりに川」などに流した。】
【注③ 髀(もも)或は腓(ふくらはぎ)と思われる。どちらも音は「ヒ」】

【右丁】
ひたるかたちなり身に物をそかきたるおとこの
身には大将のひめきみの事をそかきたり女御
の身にはとうの中将の事をそかきたる物なり
見るに身のけよたちおそろしくそおほゆる
これらのしわさにてとしころ【幾年かの間】ふるさとのことはわ
すれけり心うきかなやとおもひなみたこほれふ
るさとの人そこひしき此かたしろを見るにお
そろしとて心にうちすて給ふ六ゐのしん人に
みせんとてたとうかみ【畳紙…懐紙】につゝみて人にもたせた
りその夜十らくかうのありつるにこもりゐさせ
給ひて出もやり給はす中将はにはかに心に物

【左丁】
をおもひよろつなみたもれ出て何事もかなしか
りけれは心もすみわたりふくふえもおもしろし
みかとせんじあるやういつとてもさねあきらかふ
くふえのおもしろからぬことはなけれともことさ
らこよひこそおもしろくおほゆれ出やろくひる
むとてせいりやうてんのたなにこちく【胡竹】のふえあり
なをはをとまると申せしをめしよせてこれは
なたかきふえなりうしなふへからす
             とてにしきの
            ふくろに入なから
             給はりけり

【右丁 絵画 文字無し】
【左丁】
めんほく【名誉】かきりなしとて中将はそのあかつきほけ
〳〵【いかにもぼうっとしたさま】としてちゝの大しんとのへ参り給ひぬゆうへ
のものとり出てひろうするにきたのかた御らん
して大しん殿はよもし給はしきたのかための
とのしわさにてあるらんかなはすはさてこそあら
めかやうのことをしつらん事こそほひなけれよく
〳〵おとなせそとてひそめられけり中将殿は御
かせの心ちありとてわかかたにさし入さしも出さ
せ給はすありし所のみすかうしおろし奉るを
あけ見た給へはさゝがにの【「ささがに」は蜘蛛の異名。「いと」にかかる枕詞】いとひきみたし【乱し】よりく
る人もなけれはちりはい【塵灰】のみつもりてさほに

【右丁】
かけたる夜のふすま【掛け布団】ならへしまくらのひとつになり
とりひそめたるけしきことびわもふきしふえも
ひとゝころにとりそへことのかしはかたのもとに
もひわのふくしゆ【注①】のもとにもふえのあなの中に
もうすやうにかきたる物ありとり出して見給へ
はありし人の手なりよみつゝけて見給ふに
なみたもさらにとゝまらすかすかにすみかれ【墨枯れ】
して
  こちく【注②】てう【注③】ことそかなしきふえたけの
  うきふし〳〵にねをのみそなく
  つらからはわれもこゝろのかはれかし

【左丁】
  なとうき人のこひしかるらん
人の御心をうらむへきにあらすたゝうき身のほと
そかなしきなとかゝれたりけれはことはりせめてか
なしさにふみをかほにをしあてゝなくよりほか
の御ことわたらせ給はすされともいつくへかゆくへ
きはつかしけれともかくてこそいつらめとおほせ
ありてわたらせ給ひしを大しんほかよりわらはを
御つかひにて中将はいまはこれへはくましき人
なり御つれ〳〵におほさは中将かめのとのかすが
かもとへわたらせ給へとおほせ候へはうけたまはり
ぬと御世事申させ給ひてのちひめきみなきか


【注① 覆手・伏手…琵琶の胴の腹板の下方に取り付けた板で、弦の下端を止める】
【注② 胡竹…竹の一種。笛の材料として用いた。和歌では此方来(こちく)に掛けていうことが多い。】
【注③ 「てふ(ちょう)」に同じ。「という(といふ)」の変化した語】

【右丁】
なしみていつくをさしてたれをたのみていくへき
ゆきかたもなくなりぬる事のかなしさよふちせ
のそこへもいらはやとなきかなしみ給ひしかはわ
らはもしゝうもなくよりほかのことさふらはさりし
につきの日むかへの御くるま参りて出させ給ひし
にわらはも御ともに参りさふらはんとなけき申
せしをわれもうはのそらにいつる物なりいつく
にもおちつきところあらはよふへしとおほせ有
て御出さふらひしのちは何とならせ給ひて候
やらんゆくゑうけ給はらすとなく〳〵申けれは
中将殿これをきゝ給ひていとゝかなしくてきえ

【左丁】
入心そせられけるいかにわれをうらめしくそお
もひ給ひけんおもはぬほかのことにまよはされて
わかれぬるかなしさよたゝなくさむことゝてはおと
いにあひてかたり給ふはかりなりさるほとにこしゝ
う殿中将少将御かせのとふらひにいらせ給ひたれ共
出もあひ給はす大将殿のきたのかたおもはれさ
るはあわらこのことのあらはれたるやらんとて世に
はつかしくそおもはれける御めのとより
                 あひては
            たゝこの事をそ
             なけき給ひける

【右丁 絵画 文字無し】
【左丁】
中将殿はふししつみて大りへも参り給はすさ
すかにいのちきえもうせ給はすして三月にそな
りにけるさるほとに京中にさたしあひけるは
しよきやうてんの御なやみはへちの御事にてはな
かりけり御くわいにんにてわたらせ給ふとそ申あ
ひけるそのとき中将殿おほすやうたうじのしよ
きやうてんよにきこえておほえのいみしきはもし
わかうしなひし人にてやおはすらんみてもなく
さまはやとおほしてにはかに大りへ参給ふかせ
の心ちすこしよくなりひさしく参らねはたい
りへ参らんとておもふちゝはゝない〳〵いかなること

【右丁】
かあらんとおもひつるにはるゝ心ちおはすれはう
れしくおほしける中将殿は大りへ参りておは
しけれともれいのみかとはみすのうちにこもりいら
せ給ひて出もやり給はす日くらしまておはして
その日もくれけれはしよきやうてんのせいりやう
てんへいらせ給はんをみんとおもひてくわいりてん
のほそとのゝみすのきはにさしそひて中将のそき
給ふほとにせいりやうてんへおそくのほらせたまふ
とて御つかひの女はうたちゆきちがい参り給ひけ
れともとみにも【にわかにも】出給はすあまりにしきりなり
けれはことのほかにおほしてしよきやうてんは女

【左丁】
はうたち廿よ人御ともにてしつかにあゆみ出させ
給へりさきにしそく【紙燭】さしたる女はうしゝうにて
そありける中将むねうちさはく所に御きぬの
つまとりてさらにたちそひたる女はう二人はき
よみつにてひめきみをけうくん【教訓】せし御めのとおや
とおほえたりあふきさしかさし給ひし御はづ
れより御かほあさやかにそ見えけるわかいにしへ
のひめきみにておはせしかはむねうちさはき身に
たましゐもさたまらすあゆみいらせ給へはみかとま
ちかねさせ給ひてゆきむかはせ給ひあいのしや
うじを御手つからあけさせ給ひていらせ給へはよ

【右丁】
こさまにかきいたき給ひて御ざのうへにすへ御く
しをかきなてゝ何の御ようの候へはおそくはいら
せ給ふそ御さしあひの御いとまこそおもひやられ
候へとうちゑみておほせのありしかはしゝうも御め
のとの女はうもみな〳〵いならひてある御めてた
の御さいわゐやと見あけ参らするもことはりと
そおほえ侍る中将かくとみつるよりしてたうり
のくもへものほりちいろのそこ【千尋の底…非常に深い底】りうくうしやうへも
入たくあまりの心うさにしもゆきともたち所に
きえうせはやいきて物をおもふ身はいかなるつみ
のむくひそともたへこかれ給へとせんかたなしあ

【左丁】
まりにかなしくて
        夜うちふけて
             なく
               〳〵
            大りを
               出給ふ
         みちすから
            おもひ
             つゝけ
               給ふ

【右丁 絵画  文字無し】
【左丁】
過にし月のくわんさん【注】のあしたみすのきはをとを
りしにたき物【練香】たきてけふたき【煙たき】まてにあふきか
けしはしゝうかしわさにてありけりなさけなく
あたりおひいたしたれともわれはかくある物をと
ときめきたるけいきかなとおもはせけるほんふ【凡夫】の
身こそかなしけれひめきみのさこそ見たし給ひ
てつれなくみ給ひつらんたれか申てうちへ参り
給ひぬらん心うかりつる事かなかくしりたらは何
といまゝてなからへてかゝるうきめをみるらんつく
〳〵おもひつゝくれはこよひは御ふすまのうちに
御へたてなくこそ御とのこもり有らんとおもひ


【注 元三=(歳・月・日の三つのはじめ(元)であるところから)正月一日のこと。又は正月一日より三日までの間のこと】

【右丁】
やられてかなしさよ心うしわれこの世になから
ふへしともおほえすおもひつゝけてわかゝたに
入おといをめしてふしきのことこそあれこれに
ありしひめきみをこそみつれとの給へはおといを
きあかりあらふしきいかゝして御らんしけるそ
はや御物かたりあれと申けれは中将なみたをお
しとゝめてあらふしきやたう〳〵ときめき給へ
るしよきやうてんは此ひめきみなりしゝうもふる
さとのめのとおやこもみなそひ参らせてありつ
るなり此日ころみいたしてさこそつれなくみ給
ふらめなさけなくおいいたさすはれいけいてんも

【左丁】
なりそらにはよもならしわれも物はおもはし
をといもよもなけかしあはれつらかりけるふた
りのおやの心やみなやみにまよひわか身もよき
心はましまさしわかこれにあらん事もけふと
あすとのほとなりわかあらんかきりはをといもめ
されしわかなからんのちはしゝうをたつねてしよき
やうてんへまいれなしみの事なれはおひ出したま
はし六ゐのしんにもたせたりしかたしろ【形代】のことを
も参りてありのまゝに申すへし物のまよはかし
の身と成てついにわかれ参らせこんしやうこそ
かくうすくともらいせにてはひとつはちす【注】の身と


【注 一つ蓮=死後、極楽浄土で共に同じ蓮台の上に生まれること】

【右丁】
なり参らせんと申せなんちもわれにそい侍ると
おもいてしよきやうてんへ参りてつかうまつるへき
なりこれそわかれ成けれはこしかたゆくすへの
こともかたりてはなきそてもしほるはかりなりけ
れをといもあまりのかなしさにこゑをたてゝそ
なきける中将なみたのそこ【注】にの給ふやうみかと
より給はり候ひしこちくのふえわか身こそいて
てゆくとも子といふもの有ならはなとか此ふえ
ゆつらさらんつたふへき人もなけれはもとの御た
なにこそおかんすらめあはれこの世になこりもな
きわか身かなとてなき給ふつく〳〵おもひつゝ

【左丁】
けておもふもくるしいまは出なんとおほしてひさ
しく参らねは大りへ参らんとて参り給ひけ
るこれをかきりなりけれはをとい御たもとにと
りつき参らせてこゑもおしますなきかなしみ
けり中将せんかたなくはおほしけれともさた有
へき事ならねは御しやうそくはなやかにそめさせ
ける御くるまさつしき【雑色】せんくう【前駆】さふらひみすいじ
ん【御随身】にいたるまてきよげにて出させ給ふちゝはゝを
見参らせむこともゆめならてはみ参らせしとお
ほして御まへに参り給ひてゆふさりはとくか
へり候はんとそ仰られけるのちにおもひあはせ


【注 涙の底=流す涙がつもってできた淵の底。悲しみの底】

【右丁】
てさいごの見はてなりけるすてに出給ふおとい
をめしていとま申てみな人はつらけれともなん
ち【汝】はかりは人のかたみおもへはなこりをしくこそ
おほゆれしゆつけせさらんさきに人にかたるへから
すちきりしこと〳〵しよきやうてんへ参れかへす
〳〵もなんちはいかならん世まてもわするましい
とま申とて出給ひぬおといは見をくり参らせて
人めにつゝむなみたのおそふるそてにあまるをさ
らぬ【そうではない】やうにもてなしてあやしの
          ふしとにかへりてなくより
             ほかのことそなし

【左丁 絵画 文字無し】

【右丁】
中将は大りへ参り給ひてみかとをいま一と【一度】み参
らせんとおもひて一日ゐ給ひけれともれいのしよ
きやうてんにこもりゐさせ給へはちからおよはす日
もくれけれはをとまるといふ御ふえをは御ふみ
かきそへてせいりやうてんのみたなにをかれけり
さてくわいりてんのほそとのゝみすのきはにたち
そひて見給へはしゝうしそく【紙燭】さしておもふ事なく
とをりけれは中将うれしくおほしめしはかま
のこしをひかへたりしゝうたれなるらんしりかひに
ひかふるとおもひてたちとゝまりてみれは中将殿
なりけりきも心もまとひしらせけるよとあき

【左丁】
れてそありけるさてもとおもひいかに候そと申
けり中将殿とうくわんでんのひかしへわたらせ給
へ大事に申へきことありとそおほせ有けれはしゝ
うもちたるしそくをうちすてゝとうくわんてんの
大ゆかをひんかしへむきてあゆみゆく中将殿はな
んてい【南庭】をひんかしへむきてあゆみ給ふせんとうの
ましはりもいまはかりなんていのさくらくまなき
月のかけをみるにもいまをかきりなるへしもゝし
きのうちをあゆみいさこ【砂子】にひゞくくつのおとゝこ
れをいさことおもふになみたをおしとゝめてつ
ゐにたふさ【髻…もとどり】をきられけりとうくわんてんのひんかし

【右丁】
うらにてしゝうにゆきあひけり中将なみたもせ
きあへ【しっかりと堰き止め】給はすなをし【なほし】のそてをかほにあてゝさめ〳〵
となき給へは何となくあさましういかなる事な
るらんとむねうちさはきてかなしきに中将ふと
ころにうすやうにつゝみたる物とりいたししゝう
にそとらせけるなみたのひまにおほせありけるはち
きりはくちせぬことなれはみ山のおくへまかりいり
ことのふしきのありさまはをといくはしく申すへ
し物のまよはかしの身となりたぐひなきわかれ
のせめてしのひかたけれはうき世をいまはすては
て侍るへしこんしやうこそかくうすくともごしやう

【左丁】
はかならす一つはちすの身となり参らせんたいり
せんとうをまかり出ぬる身なれはなとかはおほし
わすれさせ給ふへきうき身のとかはこのゝちこせ
のたもとをしほりかねいつの世まてもわすれし
つゆもおろかなるましまたおといもこひかなし
み参らせ候事かきりなしめしよせてわかかたみと
おほしめしてつかはせ給へかへす〳〵御なこりこそ申
つくしかたく候へと申させ給へはしゝうこれをう
ちきゝせんかたなくてたゝなくよりほかの事そな
きしゝうなみたをとゝめ申やうなれちかつきまい
らせてはなれ参らすへしともおほえす候しに

【右丁】
おもはぬほかにとをさかり参らせて候へともよそ
にても見参らすれはたゝそひ参らせたるこゝち
して候つるにこれをかぎりとおほせ候へは心う
くかなしくこそ候へとてもたへこかれけれともさて
有へき事ならねはすてに月かけにしの山のはに
かゝりけれは中将いとま申とてなこりをそてに
つゝみてつゐに出給ふしゝうもたいけいもんまて
あゆみ出侍るすてにくるまにめしけれは月かけ
くるまの物みよりさし出てあはれをすゝめけれ
は中将殿せいかいのよるの月いゑ〳〵のおもひと
ゑいしてくるまをやり出し給ふしやうもんのま

【左丁】
へにふしまろひかなしみけりすてにくるまとをざか
りけれはこしよりやうてう【腰より横笛】ぬき出しふき給ひけ
れはくるまのとをさかるにしたかひてふえのをと
とをくなりけるさるほとに夜もはやほの〳〵とあ
けゝれはしゝうもかへり侍りけり中将殿はせきさ
ん【赤山禪院…京都市左京区修学院にある延暦寺の別院】にゆきくるまをはみやこへかへされけり六ゐの
しんとたゝふたりひえの山【比叡山】へのほりてよかは【横川】といふ
ところにとしころ【多年】しりたるひしり【聖】をたつねておは
してしゆつけせんとありしかはひしりおほきに
さはきてみやこへかくと申さら〳〵【決して】かなふましき
よし申けれはひしりをしるといふことはかやうの

【右丁】
ときのようにてこそあれ何のせんかあるへきと
のたまへはそのときひじりけにもとてちからな
く御ぐしをそり侍りきそのうゑ御たふさ【髻=もとどり】をははや
みやこにてきりてのほり給ひけれは
            ひしりも
               このうへは
             いなみ【拒否する】申に
                およはす
              かいをさつけ
            御ころもをそ
                 参らせける

【左丁 絵画 文字無し】

【右丁】
御とし廿二六ゐは二十三をしかるへきよはひなり
はなのたもと【花の袂=華やかな衣服】をひきかへこきすみぞめに身をやつ
しをこなひすまし給ひけりさるほとにゆうへう
すやうにつゝみて給はりつる物をけさひめきみに
参らせけるをひろけてみ給へはみとりのたふさ【髻=もとどり】
なりけりよのほとの事なれはらんしや【蘭の花と麝香(じゃこう)とを合わせた香料】のにほひく
んし【薫じ】てうたをそかゝれける
  かすならぬうき身のとかをおもはすは
  ちきりしことをとゝなひてまし
  きみゆへに身はいたつらになりぬとも
  あはれをたにもおもひをこせし

【左丁】
またしゝうことのよしを申けれはひめきみしゆつけ
せんといひしかけに出給ひけるかとよあさまし
やとうちおもふまゝにれいのなみたもれ出てつゝ
ましくおもひ給ふ所にみかと入せ給へはとりひろ
けたる御たふさをしまきてふところに引入さら
ぬやうにてたちのきぬみかと仰ありけるはあはれ
なる事こそ出き候へさ大しんのひとり子にとう
の中将さねあきらといふものみめもよく心はへ
もさか〳〵しく【いかにもしっかりしている】人にすくれたるかこぞ【去年】よりさ大将
のむこにてきら〳〵しくふるまひれいけいてんに
はあになれはゑてふるまひつるものをきのふ

【右丁】
一日これに有しはなにのようそとおもへはわれを
みんとおもひけりとらせたりしふえをもふみかき
そへてもとのたなにおきてゆふへひえの山へのほ
りしゆつけしたるとつげたりそのおもひのつゐて
にれいけんてんもたゝいま出つるなりあはれよか
りつる物をなに事にしゆつけしつらんいかに
ちゝはゝのなけくらんとおほせなみたくませ給へは
ひめきみさてはよそなからもいまはみ侍らし
とうちおもふまゝにつゝむなみたをせきかねてこ
ゑをたてゝわつとなき出給ふその時みかとおほす
やうひめきみのこの日ころなきしほれ給ひし

【左丁】
をあやしくとおもひつるにこれにて有けりと
きつとおもひあはせ給ひけるさてもなをなけき給
はんといたはしさにさねあきらかゆへともとはせ
給はすしらぬやうにてついたゝせ給ひけるさ大将
のひめきみはわれをはにくむよとしりなからさて
有へきにあらされはかみをおろし給ひけるだい
しんとのもたゝぬおもひのかなしさに御しゆつけあ
りてさてしも世をはたれにゆつらんとかなし
み給ふさるほとにしよきやうてんはくわいにんのか
たちにさたまり給ひけれはみかとは四十にせよ
はせ給へともみやもわうしもいつれの御はらに

【右丁】
もわたらせ給はねはなのめならす【普通でない】よろこはせた
まひけり御さんじよはいつくにてもや有へきとの
給ひけれは御めのと申やういみしからん所は三条
殿を御しつらひありて入参らせ給へかしと申けれは
まことにさるへしとて三条殿を御しゆり有けり
くにをよせしよりやうをよせてつくらせ給へはほと
なくつくらせ給ひてさと【里】大うち【大内=皇居の異称。内裏】とそ申けるさて
も御さんしよの御つれ〳〵いかゝせんみかとおほして
しよきやうてん三条殿へ入せ給へはありつけ参
らせんとてみかともみゆきなりけるかく三条との
のさかへさせたま給ふ時こそ大しん殿もくきやう【公卿】てん上

【左丁】
人【殿上人】もきんさねの中なこんのひめきみとはしりたり
けれさてやすらかに御さんならせ給ふわうし【皇子】にて
そわたらせ給ひぬめてたさかきりなしさておとい
をそめされけるむかしかたりにそてぬれてほしも
やらぬふせいなり中将のかたみとおほしめしけれは
つゆもをろかならすとてをといまちかくめされて
わうしの御めのとにそめされけるまたつゝきて
わうし出きさせ給ひけりそふしてこのはらに三
人ひめきみ二人出きさせ給へはかたしけなさかき
りなし三人のわうしの御そくゐけんふく有けるに
女はうたちみな〳〵くわんをそ給はりける御めの

【右丁】
とは大なこんのすけのつほねせうなこんはひやうゑ
のすけのつほねしゝうはさゑもんのすけのつほね
とてことに御はうしゆつありけりさておといは中
將殿の御ゆかりなれはなつかしくおほしけりそ
のうへわうしの御めのとにて御はうしん有けれは
大なこんの事かきりなくしてみやこはめてたか
りし事よかはまてもきこへて中将にうたう【入道】を
といかもとへかくそかきてをくり給ふ
  いろめけるはなのたもともうらやまは
  こけのころもそけには身につく
  かしこくもはなのたもとをかはしける

【左丁】
  きみかさかえをみるにつけても
とかきてをくられけるもまことのみちに入とおも
へはたつとくそおほし【或は「え」カ】けるひめきみかやうにわうし
御たんしやうなりてきさきのくらゐにならせ給へとも
つゆもうれしくおほさすたゝ御心のうちあはれち
きりしまゝに中将殿とおなしいほりにすまい
てうき世をすこさはいかにうれしかりなんとあ
けくれはおほしけりされともちからなくいよ〳〵
めてたくさかへ給へりひめきみの御くわほう中将殿
のまことのみちもこれみなきよみつのくわんおんの御
りしやう【御利生=御利益】なりあはれめてたかりける御くわほうか

【左丁】
なとくきやうてん上人みうらやまさるはなかりけ
りかゝる事を見きくにつけてもいよ〳〵きよみつ
のくわんおんを
       しんすへし
            〳〵

【両丁白紙】

【右丁 白紙】
【左丁 裏表紙の裏 文字無し】

【裏表紙 文字無し】

BnF.

【ラベル「JAPONAIS 215」】

【右上】
Japonais
215
【ラベル「JAPONAIS 215」】

【下側書き込み】
「Retour de restauration: Juillet 1999」

【白紙・文字なし】

【白紙・文字なし】

【白紙・文字なし】

【白紙・文字なし】

あわて此夜をすごすとは哥占あしやよし此若
とならはと将之助か膝(ひざ)によりかゝり我かおもひつゝみ
かねてそほに出る花橘(はなたちばな)の香(か)にめでゝと顔ををおゝふ
て寄そへば将之助はうつゝになり義理(ぎり)の心はどこへ
やらぐつと引よせ抱(だき)付は女はおもひの■(くし)はれて
今さら何とはづかしく膝にうちふし口なしの
はなれかたなき風情(ふぜい)也其時女を横にいたき
内股へ手を遣りみるにすべ〳〵ときめこまかに
て白羽二重(しろはぶたへ)にことならずもはやたまらすぐつと

【白紙・文字なし】

【色紙・文字なし】

【白紙・文字なし】

【白紙・文字なし】

【白紙・文字なし】

【背表紙・文字なし】

【冊子背文字】
「KUWAI HON WA,」

【冊子の上側または下側からの写真・文字なし】

【冊子を閉じた状態の正面写真・文字なし】

【冊子の上側または下側からの写真・文字なし】

BnF.

《題:四十二國人物圖説 全》

肆 拾 貳 國
《割書:崎港西川先生著》
人 物 圖 説

【書入れ】Vente Emile Javal. 9■ November 1933

154.Divers. Shiju Nikoku Jimbutsu Jisetsu. Images des personnages de
quarante-deux nations.
Préface signée :Riusenso et datée année du cheval de Shotoku(1714).
Auteur:Nishigawa à Nagasaki. La post-face dit que I' ouvrage a été fait
d'aprés les dessins des peintres de Nagasaki. Fin datée 5 de Kyoho
(1720). Editeur Embaiten à Yédo.
I vol. contenant 54 pages de gravures en noir.

【見返し】

題四十二国人物図之首
凡 ̄ソ聞_二 ̄ク殊-国之名_一 ̄ヲ者 ̄ハ必 ̄ス当_三【「当」の左に「シ」】 ̄ニ詳 ̄ニ問_二 ̄フ其_俗之所_レ ̄ロ好 ̄ム如何_一 ̄ントイフヲ【本文訓点「ント云フヲ」】苟 ̄モ
其_善 ̄ナルヤ耶記_レ ̄シテ之 ̄ヲ以 ̄テ為(ス)_二吾身之法_一 ̄ト苟 ̄モ其不-善 ̄ナルヤ邪亦記_レ ̄シテ之 ̄ヲ
以為_二 ̄リ吾身之戒_一 ̄ト豈宣_下【「宣」の左に「ンヤ」】 ̄ク漫 ̄リニ問_二 ̄テ其国 ̄ノ人-物 ̄ハ如_何 ̄ン土産品
類 ̄ハ如_何 ̄ン地 ̄ノ之方-位寒暖広狭大小 ̄ハ如_何_一 ̄ント而 ̄シテ止_上 ̄ム邪此 ̄ノ
図 ̄ハ原出_二於紅-毛-蛮 ̄ノ所_一レ ̄ニ伝 ̄ル蓋其/躬(ミ)自 ̄ラ交-易 ̄シ或 ̄ハ被_二 ̄ン風 ̄ニ飄-
至_一 ̄セ或 ̄ハ耳 ̄ニ所_二 ̄ノ確-聞_一 ̄スル者 ̄ナリ也起_二 ̄テ震旦_一 ̄ヨリ迄_二 ̄マテ長人_一 ̄ニ計 ̄ルニ四十一国 ̄ナリ
矣而 ̄ルニ今 ̄マ謂_二 ̄ル之 ̄ヲ四十二国 ̄ノ図_一 ̄ト者 ̄ハ何 ̄ソヤ也吾-邦 ̄ノ之人後 ̄ニ於_二 ̄テ
震-旦 ̄ノ一国_一 ̄ニ並_二 ̄ヒ_出 ̄ス大-明大-清両-朝 ̄ノ人-物_一 ̄ヲ故 ̄ニ更 ̄メテ以_二 ̄テ四十

二国_一 ̄ヲ名_レ ̄クル之 ̄ニ耳(ノミ)大清 ̄ノ得_二 ̄ルコト天下_一 ̄ヲ未_レ ̄タ及_二百年_一 ̄ニ吾国 ̄ノ耆-老猶 ̄ヲ
穫_レ覩_二 ̄ルコト故-明 ̄ノ之人-物_一 ̄ヲ昔大-明 ̄ノ之於_二 ̄ル震旦_一 ̄ニ其在_二 ̄テ祖宗_一 ̄ニ夙
興 ̄キ夜 ̄ニ寝 ̄テ兢-兢業-業 ̄トシテ君臣相_勉 ̄ム此 ̄レ一-時 ̄ノ之所_レ ̄ナリ好 ̄ム也逮_二 ̄テ
其子孫_一 ̄ニ所_レ好相_反 ̄シ燕-晏偷-惰上-下廃_レ ̄シ業 ̄ヲ変起_レ ̄テ不_レ ̄ルヨリ図 ̄ヲ
社-稷失_レ ̄ヒ守 ̄リヲ遂 ̄ニ致_二 ̄シテ大清_一 ̄ヲ不_レ労_二 ̄セ兵-力_一 ̄ヲ坐 ̄カラ有_二 ̄ツ四百 ̄ノ江山_一 ̄ヲ方 ̄ニ
今朝-政若_何 ̄ンソヤ直言無_レ ̄ク隠 ̄スコト如_二 ̄キ張-鵬-翮_一 ̄カ者寵-遇益〻隆 ̄ニ廉-
吏孤-立 ̄スル如_二 ̄キ施-歪_一 ̄カ者官-階愈〻_貴 ̄シ戦-功卓-絶 ̄タル如_二 ̄ク藍-理_一 ̄カ積 ̄テ
有 ̄ヰハ虐_レ ̄スルノ民 ̄ヲ事_一則/褫(ウバフ)_レ ̄テ職(─) ̄ヲ為(ス)_二庶人_一 ̄ト屢〻巡_二-狩 ̄シ於江南_一 ̄ニ亦避_二 ̄ク
暑 ̄ヲ於関外_一 ̄ニ其取-捨好-悪 ̄ノ状出_二 ̄ル於賈-客之談_一 ̄ニ者 ̄ハ大-

略類_レ ̄ス此 ̄ニ夫 ̄レ所謂学-問 ̄ハ非_下 ̄ス独 ̄り目 ̄ニ観_二 ̄ルコトヲ経伝子史_一 ̄ヲ為_レ ̄ル然 ̄ト
而 ̄ノミ已_上 ̄ニ其所_二見-聞_一 ̄スル苟 ̄クモ有_レ益_二於吾身_一 ̄ニ者 ̄ハ皆可_三 ̄シ以 ̄テ為_二 ̄シツ学問_一 ̄ト
也是_以 ̄テ禹 ̄ハ拝_二 ̄シ昌言_一 ̄ヲ大舜 ̄ハ好 ̄テ察 ̄ス邇-言_一 ̄ヲ孔子 ̄ノ曰 ̄ク三人行 ̄トキハ【本文訓点「寸ハ」】
必 ̄ス有_二 ̄リ吾師_一焉展_二-巻 ̄シテ此図_一 ̄ヲ閲_二 ̄シ其人物_一 ̄ヲ読_二 ̄モ其図説_一 ̄ヲ由_二 ̄テ図-
説_一 ̄ニ而 ̄シテ考_二 ̄ヘ其風俗_一 ̄ヲ由 ̄テ風俗_一 ̄ニ而論_二 ̄スルトキハ其所_一レ ̄ヲ好 ̄ム則四十二図
善-悪邪-正無_レ ̄シ不_二 ̄トイフコト【本文訓点「ト云コト」】歴歴 ̄トシテ可_一レ ̄ラ見善 ̄ナル者 ̄ハ記_レ ̄シテ之 ̄ヲ以/為(シ)_二吾身之
法_一 ̄ト悪 ̄ナル者 ̄ハ記_レ ̄シテ之以/為(ス)_二吾身 ̄ノ之戒_一 ̄ト孰 ̄カ非_二 ̄ンヤ吾師_一 ̄ニ哉或 ̄ノ曰 ̄ク子 ̄カ
討_二-論 ̄スル諸国_一 ̄ヲ理固 ̄ニ然 ̄リ矣若_二 ̄キハ所_謂善 ̄キ者 ̄ハ記_レ ̄シテ之 ̄ヲ為_レ法 ̄ト不_レ ̄ル善
者 ̄ハ記_レ ̄シテ之 ̄ヲ為_一レ ̄カ戒 ̄ト是 ̄ノ_言 ̄トヤ也未_レ ̄タ【「未」の左に訓点「ス」】能_レ ̄ハ無_レ ̄キコト疑 ̄ヒ夫 ̄レ善 ̄ノ之足_二 ̄リ以 ̄テ可_一レ ̄キニ法 ̄トス

悪 ̄ノ之足_二 ̄レル以 ̄テ可_一レ ̄ニ戒 ̄メトス者 ̄ハ其孰 ̄カ明_二 ̄ナランヤ於典籍_一 ̄ヨリ乎哉今 ̄マ子不_レ ̄シテ考_二 ̄ヘ
之 ̄ヲ典-籍_一 ̄ニ而惟 ̄タ図 ̄ノミ是 ̄レ考 ̄ルハ豈図 ̄ノ之所_レ ̄ロハ載 ̄ル勝_二 ̄ランヤ於典籍_一 ̄ニ邪予 ̄カ
曰 ̄ク非_二 ̄ス是 ̄レ之 ̄ノ謂_一 ̄ニ也唐虞三代之時既 ̄ニ有_二 ̄テ典籍_一行_レ ̄ルヽコト世 ̄ニ尚 ̄シ
矣然 ̄トモ当時 ̄ノ聖猶 ̄ヲ謂 ̄ラク牖(─)戸(─)座(─)席(─)几(─)杖(─)盤(─)孟(─)皆可_三 ̄シト以 ̄テ
為_二 ̄シツ警戒_一 ̄ト勒_レ ̄シテ銘 ̄ヲ而備_レ ̄フ観 ̄ニ焉是 ̄ノ図 ̄ノ所_レ ̄ロ載 ̄ル殊-国 ̄ノ風-俗其為_二 ̄ル
警戒_一 ̄ト者 ̄ノ顧 ̄フニ不_レ ̄ン逮_二 ̄ハ於/牖(─)戸(─)座(─)席(─)_一 ̄ニ邪(ヤ)
正徳甲午秋八月           劉善聰聡書

  総目録
大明      大清      韃靼
朝鮮      兀良哈     琉球
東京      答加沙谷    呂宋
刺答蘭     呱哇      蘇門答刺
暹羅      羅烏      莫臥爾
百児斉亞    亞爾黙尼亞   亞媽港
度爾格     馬加撒爾    槃朶

亞費利加    加拂里     為匿亞
比里太尼亞   莫斯哥米亞   工答里亞
太泥亞     翁加里亞    波羅尼亞
意太里亞    齋爾瑪尼亞   拂郎察
阿蘭陀     諳厄利亞    撒兒木
阿勒戀     加拿林     亞瓦的革
伯刺西爾    小人      長人
              総計四十二国

四十二国人物図説
               崎陽 西川淵梅軒求林志
  渾地五大洲
 亞細亞(ヤスイヤ)洲      唐土天竺韃靼等属_二 ̄ス大洲_一 ̄ニ
 利未亞(リミヤ)洲      自_二天竺 ̄ノ西方_一至_二 ̄ル南方之界_一 ̄ニ
 歐羅巴(ヱフロツパ)洲      在_二 ̄ルノ於天竺 ̄ノ之西北_一 ̄ニ一界
 亞墨利加(ヤメリキヤ)《割書:南洲|北洲》    在_二 ̄ルノ於日本 ̄ノ東南_一 ̄ニ之大-界《割書:或分_二南北_一 ̄ヲ|而為_二 ̄ス両洲_一 ̄ト》
 墨瓦臘尼加(メガラニキヤ)     自_二赤道_一至_二 ̄ルノ南極下_一 ̄ニ之一大界
    已上

大明
【挿絵】

【挿絵】

大明は唐土なり世々国号を改る故に定りたる
号なし国人(くにたみ)みつから称(しやう)して中華(ちうくは)といふ十五/省(せい)を
定めて二/京(けい)十三道を立るは大明の太祖帝なり
日本より唐土と号する事は大唐の世日本に親(しん)
睦(ぼく)繁かりし故なり又/伽羅(から)と号するは古(いにしへ)日本へ
異国より来れる始は三/韓(かん)の内/大伽羅国(おほからこく)の人
なりし故に異国を指て伽羅(から)と号す此故に
漢唐韓(かんたうかん)の字皆伽羅と訓す又/支那(ちいな)といふは
天竺方より称せし名にて梵語なりとそ震旦も

支那の転音(てんをん)なりといへり故に紅毛等の外国
も唐土をもつて智以那(ちいな)と号せり即(すなはち)支那(ちいな)【左ルビ「しな」】也
北極地を出る事四十二度より十九度に至て
南北相/距(こゆ)る事二十三度なり

大清
【挿絵】

【挿絵】

大清は即(すなはち)今の唐土の号なり天子の本国/韃靼(たつたん)なる故に
大明の世の風俗を改む此故に二国の図を分て古
今の風俗をしらしむ二京十三道文字/経史(けいし)学法
前代に随て変改め(へんかい)せす

韃靼(タツタン)
【挿絵】

【挿絵】

韃靼(たつたん)は本名/韃而靼(だつじたん)といふ今は而(じ)の字を略す其国
東西黒白の二種有て属類(ぞくるい)甚多く国界四十八道
に相分れて大国也古の胡国(ここく)といひ或は蒙古(もうこ)と云
も皆此国の別号なり南界(なんかい)は唐土に交接(かうせつ)【左ルビ「まじはり」】し北方は
氷海(ひようかい)に近く大寒地にて四季/昼夜(ちうや)の長短(ちやうたん)大に他方と
同しからさるの所々多し最(もつとも)富饒(ふねう)の国也といふ国/人(たみ)弓
馬を好み勇強の風俗なり 北極地を出る事四十三
度より六十四度に至て南北に長し

朝鮮(チヤウセン)
【挿絵】

【挿絵】

【挿絵】

朝鮮(ちやうせん)は古の三/韓(かん)にて馬(ば)韓/辰(しん)韓/弁(べん)韓の地也中古
新羅(しんら)百済高麗(はくさいこうらい)と分ち末代合て朝鮮と号す国
八道あり寒国なり京畿道(けいきだう)は北極地を出る事三十
八度/釜山浦(ふさんほ)は三十六度なり

兀良哈(ヲランカイ)
【挿絵】

兀良哈(をらんかい)は朝鮮の北東にある寒国也良の字を艮と
するは誤(あやまり)り此国/甚(はなはた)朝鮮に近しといへり或曰/女直国(ぢよちよくこく)
の属(ぞく)也と 北極地を出る事/凡(およそ)四十二度

琉球(リウキウ)
【挿絵】

【挿絵】

琉球(りうきう)は南海中の島国なり古は竜宮(りうきう)といふ中古流
求といひ末代に琉球とす煖地(だんち)なり 北極地を出る
事二十五六度

東京(トンキン)
【挿絵】

【挿絵】

東京(とんきん)は古より唐土に属する国にて中華の文字を
用ゆ詞(ことは)は尤別なり古唐土より交趾(かうち)といひしは此国
なり末代に至て両国にわかれ東辺を東京(とんきん)といひ
南辺を廣南(たいなん)といへり今は廣南のみを交趾と号す
風俗相同しき故に別に交趾を図せすいつれも
煖国也 北極地を出る事凡十五六度

答加沙谷(タカサゴ)
【挿絵】

答加沙谷(たかさご)は唐土東南海中の島国也むかし阿蘭陀(おらんた)
人住居せし時/臺灣(たいわん)と号し国姓爺(こくせんや)居住已後/東寧(とうねい)と
改む煖国なり地民の風俗は甚賎く常に麋鹿(びろく)を
猟(れふ)するを産業(さんげふ)とす農民は甘蔗(かんしや)【左ルビ「さたうきび」】西瓜(すいくは)を種る事を
産とす米麦一歳に二たひ収む 北極地を出る
事二十二三度

呂宋(ロソン)【「宋」の左ルビ「スン」】
【挿絵】

呂宋(ろそん)は臺灣より南方海中にある島国也熱国にて
湿毒深(しつどくふか)き地也といふ末代/邪法(じやはう)の属類(ぞくるい)と成てかの
国の者多く住す地民は風俗はなはた賎と也

刺答蘭(ラタラン)
【挿絵】

刺答蘭(らたらん)は日本の東南大海の中にある島国にて
熱国也昔/蛮船(ばんせん)諸国往来の節船を寄(よせ)て見たり
といふ末代紅毛/等(ら)到る事ありや詳(つまびらか)ならす

呱哇(ジヤワ)
【挿絵】

呱哇(じやわ)は唐土西南方に当て遠き国なり大熱国
にて四時寒暑の次序(しじよ)唐土日本/等(とう)の国と相/反(はん)し
て甚別なり今日本に来る阿蘭陀人居住の咬(か)【「咬」の左ルビ「じや」】
𠺕(ら)巴(ばあ)【「𠺕巴」の左ルビ「がたら」】も此国の北端(ほくたん)【「端」の左ルビ「はし」】なり故に別に人物を図せず
北極は見えす南極地を出る事六度或は七度

蘇門答刺(スマンダラ)【「蘇門」の左ルビ「ソモン」】

蘇門答刺(すまんだら)【「蘇門」の左ルビ「そもん」】は或(あるひ)はさまだらともいふ呱哇国(しやわこく)の北にある
島国也是も大熱国にて人物風俗賎く国主なく面々
に地を領(りやう)して争(あらそ)はず此国金銀を産(さん)すといへとも民
多く取ことをせす偶(たま〳〵)金塊(きんくわい)を得(う)ることあれは旅人に
交易(かうゑき)すといふ 南北の両極星を見る又此国の東に
浡泥国(ぶるねるこく)あり人物風俗相同く常熱の国也故に別に
載(の)せす呱哇蘇門答刺浡泥等は墨瓦臘泥加(めがらにか)に近し

暹羅(シヤムラウ)
【挿絵】

【挿絵】

【挿絵】
暹羅(しやむらう)は南天竺(なんてんぢく)摩羯陀国(まかだこく)の内也唐土より西南に
当れる熱国にて東埔寨(かぼうちや)【「東埔寨」の左ルビ「とんぼちや」】も同類の国也/最(もつとも)仏法を尊(そん)
敬(きやう)す東埔寨は暹羅より暑熱強く人物甚賎し
北極地を出る事暹羅は十四度東埔寨は十二度

羅烏(ラウ)
【挿絵】

羅烏(らう)は暹羅に近き類国にて摩羯陀(まかた)国の内也/尤(もつとも)熱
国にて人物暹羅に異ある故に別にこれを図す此国
多く斑文竹(はんもんちく)を生す

莫臥爾(モウル)
【挿絵】

【挿絵】
莫臥爾(もうる)は面々(かい〳〵)を以て莫臥爾(もうる)とするは誤なり是も
南天竺の内にて第一の大国也十四道有て宝貨富(ほうくはぶ)
饒(ねう)の国也といへり暖(だん)国なれとも気候(きかう)はおよそ唐土の
廣東(かんとう)に等(ひと)しと也 北極地を出る事二十二度

百兒齊亞(ハルシア)
【挿絵】

百兒齊亞(はるしあ)は亞細亞(やすいや)の内天竺の西辺なる大国なり
獣類(じうるい)土産(とさん)多く四季有て豊(ゆたか)なる国也といふ百兒(はる)の字
又は百爾(はる)とす

亞爾黙尼亞
【挿絵】

亞爾黙尼亞(あるめにや)は西天竺の西に在て四季ある国なり
但し寒国也凡此辺の国上国多し古は西天竺に
属せりといふ

亞媽港(アマカウ)【「港」の左ルビ「カン」】
【挿絵】

亞媽港(あまかう)【「港」の左ルビ「かん」】臥亞(ごあ)波爾杜瓦爾(ぽるとかる)已上三国は皆邪法国
の属(ぞく)にて人物風俗相同しといへり亞媽港(あまかは)は唐土南
海の中にあり卧亞(ごわ)は天竺の南辺に在て暖国(だんこく)なり
といふ波爾杜瓦爾(ぽるとがる)は遥(はるか)に西方/歐羅巴(ゑふろは)の内にて四
季ある国なりと也

度爾格
【挿絵】

度爾格(とるこ)は天竺より西北にあたれる国にて四季あり人倫(じんりん)
勇強(ゆうきやう)にして武を好(この)める国なり隣国(りんごく)是がために併(あは)
せらるゝ多しといふ

馬加撒爾(マカザル)
【挿絵】

馬加撒爾(まかざる)は呂宋(ろそん)の南にあたる島国にて大熱国人
物/賎(いや)し南北の両極星を見る事/蘇門答刺国(すもんだらこく)に
同し

【挿絵】

槃朶(はんだ)は蘇門答刺に近き島国也熱国にて風俗紅
毛に似て又別也尤勇悍を好むといふ

亞費利加(アヒリカ)
【挿絵】

亞費利加(あびりか)は利未亞(りみや)の内にある大国也四季ありといへ
とも暖国(だんこく)にて一年の間寒気少く米麦/肥饒(ひによう)なる
国なり

可払里(カフリ)
【挿絵】

【挿絵】
可払里(かふり)は利未亞の内にて大熱国の大国也風俗/賎(いやし)く下民(かみん)は面色
甚黒く剛強(かうきやう)にして死(し)を恐(おそ)るゝ事を知す愚直(くちよく)にして他人の奴僕(ぬぼく)【左ルビ「つかはれ」】と成ては
能(よく)主人に忠(ちう)をなせり此故に欧羅巴(ゑふろは)の諸国此国の人を買取て
奴僕とす此国の本国を莫訥木太波亞(ものもたつはあ)といふ

為匿亞(ギネイヤ)
【挿絵】
為匿亞(ぎねいや)利未亞 ̄ノ内大国の熱国也武勇を専とし風俗は賎し海上甚遠き国也

比里太尼亞(ヒリタニヤ)
【挿絵】
比里太尼亞(ひりたにや)は利未亞の内にて欧羅巴よりは南方地中海を隔(へたて)
たる国也/最(もつとも)大国にて四季正しき国なりといふ

莫斯哥米亞(ムスコフビイヤ)

莫斯哥米亞(むすこふびいや)は欧羅巴の内阿蘭陀国の東にあり
大国にて大寒国也/異類(いるい)の獣畜(じうちく)多き水土也 石火矢(いしびや)は
此国を根本とす故に多くこれありといへり 此
辺の諸国総て北極地を出る事五十度或は六十度の間也

工答里亞(ゴンタウリヤ)

工答里亞(ごんたうりや)は莫斯哥米亞(もすこふひいや)に並たる国にて風俗又別也
尤大国にて寒国也/石火矢(いしびや)は此国と莫斯哥米亞(むすこふびいや)とより
始れりといふ此国の馬は皆/驢駝(ろた)なり

大泥亞(タニア)

大泥亞(たにあ)は欧羅巴(ゑふろは)の内にて波羅尼亞(ほろにや)の東にあり大寒国
なり最(もつとも)大国にて南北に長く南は地中海に近く北は極
辺に近くして夏の節(せつ)夜はなはた短(みしか)く昼はなはた永し
冬の節は夜甚永く昼甚短し海魚多く山林/獣類(じうるい)
諸国にすぐれ五穀/宝貨豊饒(ほうくはぶねう)にして天文/暦象(れきしやう)の測(そく)
器(き)此国を最(さい)一とするよし聞伝ふ

翁加里亞(ヲンカリヤ)
【挿絵】
翁加里亞(おんかりや)はうんかりともいふか此国欧羅巴の内に在て産
物はなはた豊饒(ふねう)にて牛羊(ぎうやう)殊に繁殖(はんしよく)すといふ最(もつとも)寒国なり

波羅尼亞(ボロニア)

波羅尼亞(ぼろにや)は欧羅巴の内にて阿蘭陀国(おらんだこく)の東大寒国
なり此国の人礼義仁和の風俗にて国中/絶(たえ)て盗賊(とうぞく)
なし平生盗賊ある事をしらす国王と大臣と古来
の国法を守て少も変(へん)する事なしといふ又此国の東南
天竺の西の境(さかい)に当て如徳亞(じゆでや)といふ国あり六千年以
前聖人在て国法を立たり其/記録(きろく)今に至て失ふ
事なくして国王大臣其記録を守(まもつ)て国政(こくせい)を執(とつ)て
過(あやまつ)事なしといふ最/此等(これら)の国豊饒の土地なりとそ

意太里亞(イタリア)

意太里亞(いたりや) 以西把尼亞(いすぱにや)此二国/欧羅巴(ゑふろパ)の内にて大国也
四季ありといふ意太里亞の都を羅媽(ろうま)といへり一国なり
いつれも邪法国(じやほふこく)也と聞伝ふ

齊爾瑪尼亞(ゼルマニヤ)
【挿絵】

斉爾瑪尼亞(ぜるまにや)【ドイツヵ】は阿蘭陀国(おらんだこく)に並(ならび)たる国にて寒国の大国
なり人物風俗阿蘭陀に相類す

拂郎察(フランス)
【挿絵】

拂郎察(ふらんす)は阿蘭陀国に近し武勇軍法(ぶゆうぐんほう)に長(ちやう)して近国
是に併(あはせ)られ属国(そくこく)となるもの多し欧羅巴に於ての
大国にて豊饒(ふねう)の国也/最(もつとも)寒国也 此辺の国北極地
を出る事五十余度

阿蘭陀(ヲランダ)
【挿絵】

【挿絵】

阿蘭陀(おらんだ)は欧羅巴北海の地にあり斉爾瑪尼亞(せるまにや)の西(にし)
隣(となり)拂郎察(ふらんす)の北に相/界(さか)ふ国なり尤寒国にて南北
相/距(こゆ)る事三度の小国なり日本唐土の西北に当て
日本より海上一万二三千里あり 北極地を出る事
五十四五度或五十六度

諳厄利亞(インギリヤ)【左ルビ「ヱンゲレス」】

諳厄利亞(いんぎりや)【左ルビ「ゑんげれす」】【イギリス】は阿蘭陀国の西海中の島国也尤寒国
にて風俗阿蘭陀人に似(に)て其/種(しゆ)又/異(い)あり欧(ゑふ)羅(ろつ)【左ルビ「らつ」】巴(ぱ)に
属(ぞく)す

撒兒木(ザルモ)【ウズベキスタンの古都、サマルカンドヵ】
【挿絵】
撒兒木(ざるも)は略してざもともいふ此国も西天竺の北方に在て
最(もつとも)寒国也国人武勇にして獣類(じうるい)はなはた多き水土なり

阿勒戀(アロレン)
【挿絵】

阿勒戀(あろれん)は南/亞墨利加(あめりか)の内の大国にて其人/武勇(ぶゆう)を
好めり此国に世界(せかい)第一の大河有てひろさ日本の
数(す)十里に相あたるといへり熱国にて日本よりは東南
にあたれり阿(あ)の字を略して勒戀(ろれん)ともいふ

加拿林(カナリン)【カナダヵ】
【挿絵】
加拿林(かなりん)は亞墨利加の内にある大国也四季有といへ共
暖気(だんき)の国にて賎しき風俗なり或は加納連(かなれん)とも書す

亞瓦的革(アガレカ)
【挿絵】
亞瓦的革(あがれか)馬瓦的革(まがれか)ともいふ南亞墨利加の内にあり四季在て
暖国なり人物勇/強(きやう)なりといへり淡婆姑草(たばこさう)、此国より始といへり

伯刺西爾(ハラジイル)【ブラジル】

伯刺西爾(はらじいる)は南亞墨利加の東辺に在て熱国なり
人倫(ぢんりん)の作法にあらす奸(かん)勇にして人を殺(ころ)し炙(あぶ)り食(くら)ふと
いふ今代は諸国の人往来し交易(かうゑき)する事多き故に
少く人倫の作法を知り人を食する事なしといへり

小人(セウジン)
【挿絵】
小人(せうじん)は波智亞(ぼちや)といふ国也欧羅巴東北の隅辺(ぐうへん)北の方/冰海(ひようかい)に至
れる地也大寒匡にて半年/昼(ひる)のみ続(つゞ)き半年は夜のみ続くと云
人の長(たけ)一尺二三寸と云伝ふ然れ共/実(じつ)は二尺有余也といへり唐土に短人(たんじん)《割書:と云|是也》

長人(チヤウジン)
【挿絵】

【挿絵】
長人(ちやうじん)は智加(ちいか)といふ国也南/亞墨利加(あめりか)の内にあり此国に相/並(なら)
ひて巴太温(はだうん)といふ国も人間長大なりといふ凡其/長(たけ)此方の一丈
二尺といへりいつれも日本の巽(たつみ)の方にあたれり四季あり風俗尤
勇強(ゆうきやう)にして弓矢を好むといへり其矢長さ六七尺といふ

右四十二国人物画図ハ当時(ソノカミ)蛮人紅毛等交易往来ノ
諸国人物ヲ以テ彼国ノ画工ノ図セシヲ写シテ長崎画師ノ
図-画セシヨリ世ニ弘マル事ト成ヌ此人物ノ外猶又奇異
ノ国多シト云トモ蛮人紅毛ノ往来無 ̄フ シテ未タ其伝不_二 ̄ル分明_一
者 ̄ハ素 ̄リ除_レ ̄ク之其始四十国トス後人増加ヱテ四十二トス故 ̄ニ以_二 四十
二_一 ̄ヲ名_レ之者也図考ハ長崎古老ノ談説ヲ以テ撰述 ̄ス焉


享保五年庚子孟春穀旦
                     東武江都
                      渕梅軒蔵板

【裏表紙】

【背】

【小口】

【前小口】

【小口】

BnF.

【ラベル】
japonais
146

【文字なし】

【文字なし】

【表紙】
安達原

【文字無し】

Japonais No 146
【下に括り】
Jacobins ?t Honoze【eにアクサン・テギュ
【蔵書印赤】


Celieuse Contient 13 Doublets ouf【以下不明】

【次第】
旅の衣は篠懸の〳〵露けき
袖やしほるらむ【ワキサシ】是は那智の
東光坊の阿闍梨裕慶とは我事
なり【ワキツレ】それ捨身抖?の行躰は
山伏修行の便りなり【ワキ】熊野の
順礼廻国は皆釈門の習ひなり

しかるに裕慶此間心に立る願
あつて廻国行脚に赴かんと
【上哥】我本山を立出て〳〵分引末は
紀の路方塩崎の浦をさし過て
錦の濱の折々は猶しほれゆく
旅衣日もかさなれはほともなく

名にのみ聞し陸奥の安達原に
着きにけり〳〵【ワキ詞】急候ほとに
是ははや陸奥の安達原に着きて候
あらせうしや日のくれて候この
あたりには人さともなく候あれに
火の光の見え候立寄やとを

からはやと存候【シテサシ】実わひ人の
ならひほとかなしきものはよも
あらしかゝる浮世に秋の来て
朝けの風は身にしめとも胸を
やすむる事もなくきのふも
むなしく暮ぬれはまとろむ

夜半そ命なる荒定めなの
生涯やな【ワキ詞】いかに此屋の内へ
案内申候【ワキ詞】そもいかなる人そ
【ワキ上カヽル】いかにや主聞給へ我等はしめて
陸奥の安達原に行暮て宿を
かるへき便りもなしねかはくは

我等をあはれみて一夜の宿を
かし給へ【シテ上?ル】人里遠き此のへの
松風はけしく吹あれて月かけ
たまらぬ閨のうちにはいかてか
とゝめ申へき【ワキ】よしや旅ねの
草枕今宵はかりのかりねせん

唯々宿をかし給へ【シテ】我たにも
うき此庵に【ワキ】たゝとまらむと
柴の戸を【シテ】さすかおもへは
痛はしさに【上?】さらはとゝまり
給へとて扉をひらき立出る
ことくさもましるかやむしろ

うたてやこよひしきなまししい
ても宿をかり衣かたしく袖の
露ふかき草の庵のせはしなき
旅ねの床そ物うき〳〵
【ワキ詞】今宵の御宿返々も有難う
こそ候へ又あれなる物は見馴

申さぬものにて候是は何と申候そ
【シテ詞】さん候是はわくかせわとていやしき
賊の女のいとなむわさにて候
【ワキ】あら面白やさらは夜もすから
いとなふて御見せ候へ【シテ上カル】けに
恥かしや旅人の見るめもはちす

いつとなき賤かわさこそ物うけれ
こよひとゝまるこのやとのあるしの
情ふかき夜の【シテ】月もさし入
【ワキ】閨のうちに【次第詞】麻草の糸をくり
返し〳〵昔を今になさはや
【シテ一セイ】しつかうみそのよるまても

【上地】世渡るわさこそ物うけれ
【シテ上】あさましや人界に生を受けなから
かゝる浮世に明暮し身をくるし
むる悲しさよ【ワキサシ】はかなの人の
ことの葉や先生身をたすけて
こそ仏身をねかふたよりもあれ

かかる浮世になからへてあけくれ
ひまなき身【下】なりともこゝろたに
まことの道【下】に叶ひなは祈らす
とても終になと仏果の縁と
ならさらん【下クセ】唯是地水火風の
かりにしはらくもまとはれて

生死に輪廻し五道六道に
めくる事唯一のまよひなり
をよそ人間のあたなる事を
案するに人更に若き事なし
終には老と成物をか程はかなき
夢の世をなとやいとはさる我なから

あたなる心こそ恨みてもかひなかり
けり【上ロンキ地】扨そも五条あたりにて
夕顔の宿を尋ねしは【シテ上】日影の
糸のかふりきしそれは名たかき
人やらん【上地】賀茂の見あれに
かさりしは【シテ下】いとけのくるまと

こそきけ【上地】糸?色もさかりに
さく頃は【シテ上】くる人多き春の暮
【上地】穂に出る秋のいと薄【シテ下】月に
よるをや待ちぬらん【上地】今はた賤か
くるいとの【シテ下】長き命のつれなさ
を【上?】なかきいのちのつれなさを

思ひ明石の浦千鳥音をのみ独
なきあかす〳〵【ワキ詞】承候【シテ】あまりに
夜寒に候程にうへの山にあかり
木をとりて焼火をしてあて
申さうするにて候暫御待候へ

【ワキ】御こゝろさし有難う候さらは
待申さうするにて候頓而御
【シテ】さらはやかて帰候へしやいかに
申候わらはかかへらん迄此閨のうち
はし御覧し候な【ワキ】心得申候
見申事は有ましく候御心安く

思召れ候へ【シテ】あらうれしき候
かまへて御覧し候な此方の
客僧も御覧候な【ワキツレ】心得申候
【ワキ上カヽル】ふしきやあるしの閨のうちを
物のひまよりよくみれは膿血
たちまち融滌し臭穢は満て

胞脹し膚膩悉爛壊せり人の
死骸は数しれす軒とひとしく
つみおきたりいかさま是は音に
聞安達原の黒塚にこもれる
おにのすみかなり【ワキツレ】おそろしや
かゝるうきめを陸奥の安達原

の黒塚に鬼こもれりと詠しけん
哥の心もかくやらんと【上哥】こゝろも
まとひ肝をけし〳〵行へき
かたはしらねとも足に任せて
にけてゆく〳〵【後シテ】いかにあれ
なる客僧とまれとこそさしも

かくしゝねやのうちあさまに
なされまいらせし恨み申に来り
たり胸をこかすほのほ咸陽宮
の烟?々たり【上地】野風山風吹
落て【シテ上】なるかみいなつま天地
にみちて【上地】空かきくもる雨の

夜の【シテ上】鬼一口にくはんとて
【上地】歩みよる足音【シテ下】振揚る銕杖
のいきほひあたりを払ておそろ
しや【ワキ上】東方に降三世明王
【ワキツレ】南方郡咜利夜叉明王【ワキ】西方に
大威徳明王【k】北方に金剛夜叉

明王【ワキ】中央に大日大聖不動明
王唵呼唵呼唵旋荼利摩登枳
唵阿毘羅吽欠娑婆呵吽多羅
咜干?【上?キリ】見我身者發菩提心
見我身者發菩提心聞我名者
断悪修善聴我説者得大智恵

知我身者即身成佛即身成佛
と明王の?縛にかけて責懸〳〵
祈りふせにけりさてこりよ
【シテ下】いまゝてはさしもけに〳〵怒を
なしつる鬼女なるかたちまちに
よはり果て天地に身をつゝめ

眼暗みて足もとはよろ〳〵と
たゝよひめくる安達原の黒
塚に隠れ住しも浅間に成ぬ
浅ましや恥ずかしの我すかたやと
いふ聲は猶物冷しくいふ聲は
猶冷しき夜風の音に立まきれ

失せにけり夜嵐の音にうせに
けり
【左小字】あたち十三

BnF.

【表紙】

【管理タグ】
JAPONAIS
389
1517 III F

【管理番号等】
No 2739
389
Oura-Sima

 うらしま
むかしたんごのくにゝ。うらしまといふもの
はんべりしに。そのこにうらしまらたう
と申て。としのよはひ二十四五のおのこ
あり。あけくれうみのうろくづをとりて
。ちゝはゝをやしなひけるか。あるときつり
をせんとていでにけり。うら〳〵しま〳〵
いりえ〳〵。いたらぬところもなく。つり
をし。かいをひろひみるめをかりなどし
けるが。ゑじまがいそといふところにて。か
めをひとつつりあげけり。うらしまた


【欄外・管理番号?】
No 2739

らう。此かめにいふやう。なんぢしやうあ
るものゝなかにも。つるは千(せん)ねんかめはまん
ねんとて。いのちひさしきものなり。たちま
ちこゝにていのちをたゝん事。いたはしけ
ればたすくるなり。つねには此おんをお
もひいたすへしとて。此かめをもとのう
みにそかへしける
かくてうらしまたらう。その日はくれ
てかへりぬ。又つぐの日。うらのかたへいでゝ
つりをせんとおもひ。みければ。はるかの
かいしやうにせうせん一そううかへり

あやしみやすらひみれはうつくしき女
はうたゞひとりなみにゆられてしだひ
にたらうがたちたるところへつきにけり
たらう申けるは御身いかなる人にてまし
ませはかゝるおそろしきかいしやうに
たゞ一にんのりて御いり候やらんと申
ければ女ばういひけるはさればさるかた
へびんせん申て候へば折ふしなみ風あ
らくして人あまたうみの中へはねい
れられしをなさけある人ありてみづ
からをはこのはしふねにのせてはな

されけりかなしくおもひおにのしまへ
やゆかんとゆきがたしらぬ折ふしたゞい
ま人にあひまいらせさふらふ事このよ
ならぬ御ゑんにてこそ候へさればとくおほ
かめも人をゑんとこそしさふらへとてさ
め〳〵となきにけりうらしまたらうも
さすがいは木にあらさればあはれとおも
ひつなをとりてひきよせにけりさて女
はう申けるはあはれわれらをほんごくへ
をくらせたまひてたひ候へかしこれにて
すてられまいらせばわらはゝいづくへ

なにとなりさふらふへきすてたまひ

候はゝかいしやうにての物おもひもおなし
事にてこそ候はめとかきくどきさめ〳〵
となきけれはうらしまたらうもあはれ
とおもひおなじふねにのりおきのかたへ
こぎいだすかの女はうのをしへにしたが
ひてはるか十日あまりのふなぢをを
くりふるさとへそつきにけるさてふね
よりあがりいかなるところやらんとおもへは
しろかねのついぢをつきてこがねのいら
かをならべもんをたていかならんてんじやう
のすまゐもこれにはいかでまさるへき

このにう【「によう」の「よ」の脱落か】はうのすみところことばにもを
よばれすなか〳〵申もをろかなりさて
女はうの申けるは一じゆのかげにやどり
一がのながれをくむ事もみなこれたし
やうのゑんそかしましてやはるかのなみ
ぢをはる〳〵をくらせたまふ事ひとへ
にたしやうのゑんなればなにかはくるし
かるべきわらはとふうふのちぎりをもな
したまひておなじところにてあかし
くらし候はんやとこま〳〵とかたりける

うらしまたらう申けるはともかくもおほせ
にしたがふへしとそ申ける

さてはかいらうとうけつのかたらひもあ
さからすてんにあらはひよくのとりち
にあらはれんりのえだとならんとたが
ひにえんわうのちきりあさからずし
てあかしくらさせたまふさて女はう
申けるはこれはりうぐうじやうとてた
のしみふかきところなり四ほうに四
きのさうもくをあらはせりみせ申さ
むとてひきぐしていでにけりまづ
ひがしおもてを見ければはるのけしきと
うち見えてむめやさくらのさきみだ

れやなきのいともはるかせになびきかす
みのうちよりもうくひすのねののきち
かくいづれのこすゑもはななれやみなみお
もてを見てあればなつのけしきとみえわ
たりはるをへだつるかきほにはうのはなや
まづさきぬらんいけのはちすはつゆかけ
てみぎはすゞしきさゞなみにみづとり
あまたあそびけり木ゞのこすゑもし
げりつゝそらになきぬるせみのこゑゆふ
だちすぐるくもまよりこゑたてとをる
ほとゝきすなきてなつをやしらせけん

にしはあきとうち見えてよものこすゑ
ももみぢしてませのうちなるしらきく
やきりたちこむるのべのすへまはきがつ
ゆをわけ〳〵てこゑものすきしかのねにあ
きとのみこそしられけりさて又きたを
なかむれはふゆのけしきとうち見えて
よものこすゑもふゆかれてかればに
おけるはつしもや山〳〵はたゞしろたへの
ゆきにむもるゝたにの戸にこゝろほそ
くもすみかまのけふりにしるきしつがわ
ざふゆとしらするけしきかなかくて

おもしろき事ともにこゝろをなぐさみ
ゑいぐわにほこりとしつきをふるほどに
三とせになるはほともなしうらしまた
らう申けるはわれに三十日のいとま
をたひ候へかしふるさとのちゝはゝを見
すてかりそめにいてゝみとせをおくり候へ
はちゝはゝの御事をこゝろもとなくぞ
むじ候あひたてまつりてこゝろやすく
まいり候はんと申ければ女はうおほせ
けるは三とせかほどはえんわうのふすま
のしたにひよくのちぎりをなしかたとき

見えさせたまはぬさへとやあらんかくや
あらんとこゝろをつくし申せしにいま
わかれなば又いつの世にかあひまいらせ候
はんや二世のゑんと申せはたとひこの
よにてこそゆめまぼろしのちぎりにてさ
ふらふともかならすらいせにてはひとつ
はちすのえんとむまれさせおはしまし
候へとてさめ〳〵となきたまひけりまた
やゝありて女はう申けるはいまはなにをか
つゝみさふらふへきみづからは此りうぐう
じやうのかめにて候がゑじまがいそにて御

身にいのちをたすけられまいらせて候
その御をんほうじ申さんとてかくふう
ふとはなりまいらせて候又これはみづからが
かたみに御らんじ候へとてひだりのわき
よりいつくしきはこをひとつとりいだし
あひかまへてこのはこをあけさせたまふ
なとてわたしけりゑしやぢやうりの
ならひとてあふものにはかならすわかるゝ
とはしりなからとめかたくて一しゆ
 日かすへてかきねしよはのたびころも
 たちわかれつゝいつかきて見ん

  うらしまかへし
 わかれゆくうはのそらなるから衣
  ちきりふかくはまたもきて見ん
さてうらしまたらうはたがひになごり
をおしみつゝかくて有へき事ならねは
かたみのはこをとりもちてふるさとへこそ
かへりけれわすれもやらぬこしかたゆくす
ゑの事ともおもひつゝけてはるかのなみ
ぢをかへるとてうらしまたらうかくなん
 かりそめにちきりし人のおもかけを
  わすれもやらぬ身をいかゞせん

さてうらしまはふるさとへかへり見てあれ
ばしんせきたえてとらふすのべとなり
にけりうらしまこれを見てこはいか
なる事やらんとおもひあるかたはらを
見れはしはのいほりのありけるにたち
よりものいはんといひけれはうちより
八十はかりのおきないてあひたれにてわ
たり候そと申せはうらしま申けるは此
ところにうらしまのゆくゑは候はぬか
といひけれはおきな申やういかなる人
にて候へばうらしまのゆくゑをは御た

つね候やらんふしぎにこそ候へそのうら
しまとやらんはや七百ねんいぜんの事

と申つたへ候とかたりけれはたらうお
ほきにさはぎこはそもいかなる事ぞと
てそのいはれをありのまゝにかたりけ
れはおきなもふしきのおもひをなし
なみたをながし申けるはあれにみえて
候ふるきつかふるきせきたうこそその
人のびやうしよと申つたへて候へとて
ゆびをさしてをしへけりたらうはなく
〳〵くさふかくつゆしげきのへをわけ
ふるきつかにまいりなみたをなかし一
しゆかくなん

 かりそめにいでにしあとをきてみれは
  とらふすのへとなるそかなしき
さてうらしまたらうは一もとの
まつのこかげにたちよりてあきれは
てゝそゐたりける太郎おもふやうかめ
があたへしかたみのはこあひかまへて
あけさせ給ふなといひけれともいまはな
にかせんあけて見はやとおもひみるこ
そくやしかりけれ此はこをあけて
みれば中よりむらさきのくも三すぢ
のほりけりこれをみれば二十四五の

よはひもかはりはてゝあはれなり

さてうらしまはつるになりてこ
くうにとびのほりけるそも〳〵
このうらしまがとしをかめがはから
ひとしてはこの中にたゝみいれに
けりさてこそ七百ねんのよはひをた
もちけるあけて見るなとありしを
あけにけるこそよしなけれ
 君にあふよはうらしまがたまてばこ
  あけてくやしきわかなみたかな
とうたにもよまれてこそ候へ。し
やうあるもの。いづれもなさけをし

らすといふ事なしいはんやにんげん
におゐてをやおんを見ておんをしらぬ
はぼくせきにたとへたりなさけふか
きふうふは二せのちぎりと申がまこ
とにありかたき事ともかなうらしまた
らうはつるになりほうらいの山にあひ
をなすかめはかうに三せきのいはゐ
をそなへよろづ代をへしとなり
さてこそめてたきためしにもつる
かめをこそ申候へたゞ人はなさ
けあれなさけある人はゆくすゑめで

たきよし申つたへたりそののち
うらしまたらうはたんごのくにゝ
うらしまのみやうしんとあらはれし
ゆしやうさいど【「衆生済度」=人々を迷いから救い、悟りを得させること】したまへりかめもおな
しところにかみとあらはれふうふ
のみやうしんとなりたまふめで
たかりけるためしなり


承應弐年

【裏表紙裏】
【白紙】

【裏表紙】

BnF.

【この資料(4322 3)は同じものが既に翻刻されている。】

BnF.

BnF.

【表紙】

【表紙】

【表紙】

【白紙」

【白紙】

【白紙】

尾張名所図会《割書:前編》 一

尾張名所
図会前編

 尾張名所図会序
 尾張之為_レ邦也此極出_レ 地三
 十有六度則得_二緯度者中_一 ̄ヲ
 者也勾芒者送_二柔風_一 ̄ヲ而滋_二芳草_一 ̄ヲ
 織_二臙脂錦綉_一 ̄ヲ而呈_二富貴繁
 華之態_一 ̄ヲ南陡者日煽_二 ̄ヒテ炎熱_一 ̄ヲ而

 蒸_二嵂崒崣□之雲峯_一 ̄ヲ張_二
 蔚密濃翳者林帷_一 ̄ヲ清商者色_二 ̄ニシ
 惨憺_一 ̄ヲ気_二 ̄ニス慄烈_一 ̄ヲ木蘭之露芳菊
 者美山骨之稜々 ̄トシテ而出 ̄ル□毛者
 瑟々 ̄トシテ而寒 ̄キ介者暬 ̄シ鱗者濳 ̄ム其
 候者於_二順序_一 ̄ニ不_レ有_二 一 ̄モ差紊_一是

 其験也又其為_レ邦也東西不
 _レ異_二 ̄ニセ其里程_一 ̄ヲ是得_二 ̄ル
皇国経度者中_一 ̄ヲ者 ̄ニシテ也其応也土
 壌者膏腴田野者衍沃
 神廟之憑_二隆 ̄スル乎鬱林_一 ̄ニ城楼之
 堅実_二然 ̄タル乎雲表_一 ̄ニ伽藍者宏麗 ̄ニシテ而

清浄 ̄ナル衆庶者殿富闤闠者交
易爾乃山者奇則害 ̄ンソ翅一凹
一凸 ̄ノミナラン哉矚_二 ̄メ目 ̄ヲ乎此_一 ̄ニ以愛_二其翠
黛画屏_一 ̄ヲ採_二 ̄ツテ觚 ̄ヲ於彼_一 ̄ニ而写_二其
錦繍者心腸_一 ̄ヲ者昉_二 ̄ツテ于古人_一 ̄ニ而全_二 ̄タシ
乎今人_一 ̄ニ焉水者美 ̄モ亦豈啻円折

方流而已 ̄ナラン詩_二歌 ̄ニシテ其風景_一 ̄ヲ以酬_二
名區_一 ̄ニ画_二図 ̄ニシテ其勝概_一 ̄ヲ追_二旧蹤_一 ̄ヲ者
自_レ古不_レ絶_二其人_一 ̄ヲ而於_レ之観_二其盡_一 ̄ヲ矣
或人曰如_三 ̄ハ子之所_レ謂天者験 ̄ト与_二 ̄ノ
地之応_一則他邦 ̄ニモ亦事_レ可_レ謂_レ無_二 ̄ト其
比_一焉曰然 ̄リ而 ̄トモ我挙_レ 一以証_レ ̄セン者 ̄ヲ古

BnF.

【表紙】

【題字】きふね 下


【管理タグ】
JAPONAIS
5331
2

さてちゝ大わうの御まへゝ心ほそくも参り給ふ
心のうのをしはかられていたはしや大わう仰
けるはこのほとはこんつはいつくへおはしけるそ此
ほとはくらまへまいり候てけかう【環向】申也との給へは大
わうきこしめしてさてはせうしこそかヘらん御
しゆまいらせよと有けれは七八人のらんはとも
御しゆとり出したりその御さかなに人をいき
なからまないたのうへにおきてそまいりたる中
しやうみやのそてのうちより御らんすれは中
将はゝかたのいとこ二てう【でう=条】のはなみの少将とて
はる
は花のもとにて日をくらしあきは月のまへにて

夜をあかしよにきこえしいろこのみけいのふなら
ひなき人なり御とし丗五にそならせ給ふちゝはゝに
もひとり子也まないたのうへにて声をあけてそ
なき給ふやうわれ〳〵むなしくなるつゆのいのち
はおしからすちゝはゝおさあひものなけかん事の
かなしさよとてこゑをおしますさけひたまへは

【右丁】
中将は心もうせはてゝわれもこれにありと
いはんとおほしめしけれともみやのまもりのなか
なれはこらへ給ふこのはなみの少将はかすかへまいり
給ふかのおにのけんそくともうつくしき女はうに
へんして有けるにうと〳〵とつきてくらまの
おくそうしやうかたにほうてうかあなへひき入られ
ていまのいのちはうしなひ給ふさて中しやう殿
大わうを御らんするにゐたけ【居丈=座っている時の身の高さ】は十七ちやうはかり八
はうにおもてありつるきをならへたるに事なら
すその身のあかさそめすましたるくれなゐの
ことし一めみては一ときへんしも有へきともおほ
【左丁】
えす大わうの給ふやうはらんはともはや〳〵ほう
てうしてまいらせよと有けれはみやの給ふやう
はおさなかりしときよりほとけをしんしこんと
此身をはなれんとおもひ候へはすきにしかたも
にくしきし給ひしをははゝうへの御心へにてたひ
候はす御とも申給へは大わうきゝ給ひ候て御連はこ
のくにゝもほとけにならんとおもふくせ物いてき
たりとて大きにわらひ給ふよし〳〵くはさらん
物はなくいそきそれ〳〵みな〳〵こなたへまいらせよ
とてとりよせて八のくちにおしいれてくはれ
けりそのゝちみやをまうけてきたるなりまるに










【右丁】
ゑさせよゑしきにせんとの給へはみやかほうち
あかめてゆめ〳〵さる事はなしと申させ給へは
大わう大きにいかり給ひわこせ【我御前=親しい女・子供などをを呼ぶ語】をいままて
そたてをきこれほとのしよまうをきかすはち
をあたへんそなんちかまもりにかけたるおとこは
いかにとてさしおよひみやの御くしをつかみて
ひきよせころさんとし給ふをはゝうへはしり
よりてとりつきてなふいかなるむしけたものに
いたるまてもこをはおもふならひそかしたゝいまの
みやのいのちをはわれにたひ給へとかなしみ給ふ
へはさらはたゝいまのいのちはかりをはたすくるなり
【左丁】
はやくかへりてなんちかをとこをあすのむま【午】の時に
かならすゑにまいらすへしもしおとこをうしなひたら
はわこせをゑにまいるへしそのいはれはこの
くにへはちやうこうかきりあるものならてはきたら
すたすかるにはかはりなくてはかなうましきと仰
けれはみやも中将もきも心もうせはてゝかへり
給ふさて中しやうをとり出しもとのつえにて
さすり給へはもとのことくにはならせ給ふみやなみた
をなかしの給ふやうははしめよりかく有へしとは
申けれともいまはさていかゝし侍るへきちきりも
こよひはかりなりもとのみやこにましまさはかゝる

【右丁】
事はよもあらし月よはなよの御あそひかすを
つくして有へきによしなきわらはにともなひ
てかゝるうきめを御らんする事のかなしけれと
かきくとき給へは中しやうなみたをなかしての
給ふやうわれ〳〵はこれ恋ゆへはかなく成へき
をふつしんの御はからひとしてみやまにともなひ
まいらせていまゝていのちなからへたりみやう日
しなんいのちは露ちりほともおしからすさりなから
おほくの心をつくしつゝいくほとなくしてはなれん
事のかなしさよそれもせんせの事なれはこん
しやうの契りは申にをよはす来世にてはあひ
【左丁】
申さんさたひらかなきあとをよく〳〵とひてたひ
給へかならすひとつはちすのえんとなるへしと
の給へは

【絵後から】
君の御いのちは百廿ねんみつからかいのちは四
万さいなり御身をさきにたて申さはいかに
二世をちきるとも四万さいかそのあひたまつ
事はいかはかりされは御身はたゝもとのみやこへ
御かへり有ておはしませみつから御いのちにかはり
なは二世のちきりもはやかるへし御身をさき
にたてまいらせなはきこくにてはふつほうなけ
れは御とふらひもかなふましみつからはつみもふかき
おにのこにてさふらふなりさこそはつみもふか
かるへしさりなからよくとふらひにたひたまはゝ
やかてむまれもかはるへしはや〳〵中将は都へ

【右丁】
御かへりあれ中将きこしめし仰はさる事にて候
へとも御身にはなれまいらせて都へかへりたり
ともさたひらかいのちあらはこそそのうへ御身の
いのちは四万さいみつからかいのちはわつかなり思ひ
もよらぬ御事なりたとへ御身にうけたる事
なりともみつからこそはかはり申へき事なれはかなふ
ましおもひもうけし事そかしとさま〳〵にのた
まへはみやきこしめしみつからはくわこにててん
によにて有つるかいんくわをはれかたくして
おにの子とむまるゝなりこむとしやうのかれすし
てはなか〳〵ならくにしつみなんされはひしやもんの
【左丁】
御はからひにて御身にちかつき申事もみつから
うかまんそのためなりあねの十らこせんと申せし
ははらなひこくよりおとこをまうけきたりしを
ちゝ大わうきこしめしおとこをとりてくひ給ふ
十らこれをふかくなけきけれはにくしとてまた
十らをいけゑにとり給ふかやうにことかきさふらへは
御とをうしなひたりとてもみつからいのちかあらは
こそたえわかみをたすくるとおほしめし都へ
かへり給ふへしさま〳〵にあとをとふらひてたひ
給ふへしみつからしやうふつするならは御みもうた
かひよもあらしにんけんのゑひくはたゝふうせん


【右丁】
のちりなれはゆめまほろしのことくなりとさま
〳〵かきくときの給へはちうしやうさらはともかくも
仰にしたかひ候はんとてたかひのそてをしほり
けりさてみやもなく〳〵中しやうをくして【具して】よの
うちにはるかのみちをいそきくらまのおくそう
しやうがたにへそ出させ給ひける中将もなみたに
むせひみちもさたかならすみやもこれをかきり
の事なれはなみたにくれてかへり給ふ
【左丁絵のみ】

【右丁】
中将そてをひかへてなみたのひまよりもはなれ
まいらせてそのゝちはいのちあるへき事もなし
さりなからもし一日もあるならはなにをかたみに
まいらすへきとの給へはこれをかたみに後のよ
まて御らんせよとてはなたのおひをなかより
きりてちう将にたひにけり又みやの給ひける
はけふのむまのときにはかならすにゑにそなはる
へしそのときなかんするこゑ御身のみゝに
きこしえへしなをもふしんにましまさはたらいに
水をいれてをきて御覧せよくれなゐと
なるへしそれをしるしにてとふらひたひ給へと
【左丁】
いとゝなみたにむせひ給ふさて中将はなく〳〵日
本へそかへり給ふみやはきこくへかへり給ふ中将は
さて有へきにあらされはなく〳〵二てうの御所へそ
おはしますちゝはゝめのとをはしめとしてさても
よみかへり給ふよとてよろこひ給ふ事はなか〳〵
申すもをろかなり














【右丁絵】
【左丁】
中しやうはたゝなみたとともにうちふしてそおはし
けるさるほとにみやはきこくへかへりはなのことく
にいてたちちゝ大わうの御まへにまいり給ふいま
をかきりの事なれは御心のうちをしはかられて
いたはしさよ大わう御らんしてなんちかおとこを
はかへしたるやなんちちやうかうなりちからなしそれ
〳〵よりてほうてうせよと有しかはいつきかしつ
きしみやの御くしをなさけなくひきつなてをき
けれはみやの給ひけるはいまをかきりの事なれ
ははゝうへをいま一めみまいらせてなにゝもならん
とのたまひけれはらんはとも申やうこのことを





【右丁】
きのふよりはゝうへあまりになけかせ給ふほとに大
わう御はらをたてけさよりはいしのからひつに
いれてをきまいらせしほとに此世にてのたいめん
はゆめ〳〵かなふましと申ほとにはやまないた【まな板】に
あかり給ふなさけなくはうちやう【包丁】して大わうに
まいらせける大わう八ツの口にをし入てあちはひ
ての給ふやうこの十六年かあひたやしなひそた
てしいはれにやたゝの人よりもうまきそとて
ゑみをふくみ給ふはゝこの事をきゝたまのやう
なるひめ君を二人まてうしなひてかくて有ても
なにかはせんとてなきかなしみ給へともかきりなき

【左丁】
いのちなれは心にまかせすたゝなけくはかり也さた
ひらははやくむまのとき【午の時】にも成けれはやくそく
のことくにたらひに水をいれて御らんすれはみつ
はくれなゐのことく也みやのなき給ふ御こゑもたし
かにきこえし中将はきもたましひもうせはて
ててんにあをきちにふし給へともそのかひそな
かりけるやう〳〵心をとりなをしてなみたをな
かしこの程の事ともたゝいまのみやの事とも
を人にかたりたまひていまはたゝ一えにとふら
ひよりほかの事はなし一日きやう二日きやう五ふ
の大しやうきやう【五部の大乗経 注①】せんそうくやう【千僧供養 注②】まて申させ給ひ


【注① 大乗の教法を説いたものとして選ばれた五部の経典。すなわち、華厳経、大集経、大品般若経、法華経、涅槃経の五部】
【注② 千人の僧を招いて法華経などの読誦を乞い、供養を行う法会】

【右丁】
てさま〳〵御とふらひかすをつくし給ふ七日にあた
るとき中将御かとへ申させ給ふやうふしきの事
にてなけくも身にあまりて候へは御いとまを
給り候てしゆつけ【出家】せんとそ申されける御かとこの
よしきこしめし此さたひらをうしなひていか斗【ばかり】
なけきつるにたゝいまかへりまいる事なのめなく
おもひけるにしゆつけせんとのいとまこそ中〳〵
思ひもよらぬ事なるへしとおほせけれは

【左丁 絵画 文字無し】

【右丁】
たとひかみをそらすとも心のしゆつけをたし
なむへし心たにまことのみちにかなひなはかみを
そりてもなにゝかせんとて御ゆるされもなかり
けりちからなくして中将はうちには五かい【五戒】をた
もちつゝほかにはしんきの御たしなみひまなき
とふらひはかりなりさてあくるはるにも成しかは
ちうしやうのおはのおはしけるかたゝならすして
月日たちゆくまてまことにたまをのへたるやう
なるひめきみをそうみ給ふよろこひ給ふ事か
きりなしたゝしよろこひのなかなるなけきあり
かのおさあひ【おさない(幼い)の変化した語】人のひたりのゆひてのうちにつきて

【左丁】
おかしけなりいつくも人のくちなれはかたはなる
子をうみ給ふと申ひろめけれはちかましきと
てちからなく夜に入てれんたい野【蓮台野=墓地・火葬場】にすてさせ給ふ
いつものことくれんたいのにいてゝ御らんすれは
うつくしきおさあひ【幼い】ものすてられてなきゐたり
ちう將御らんしておほしけるやうはわれは五かひを
たもちたりけれはいかゝ此おさあひものをこらう
やかん【虎狼野干】にゑさすへきかとていたきとり御めのと
れんせい【廉正=心が清く正しいこと】の御つほねによく〳〵そたてゝたひ候へ
とて御めのとをつけさま〳〵いつくしく【氣品や威厳のあるうつくしさ】そたてける
ほとに月日かさなりけれはまことに玉をのへ



【右丁】
たることくなりたゝゆひなき事をかなしむはかり也
月日にせき【関】をすゑ【据え】されは【月日の経つのを止めることはできない】ほとなく此おさあひ【幼い】
人はや十三にならせ給ふけいのうなさけ【芸能・情け】ことには
くわんけん【管絃】のみちもくらからすあしたに見えゆふ
へにみはいやまして丗二さう【三十二相=仏がそなえている三十二のすぐれた相好をほめたたえたもの。】はかす【数】ならす四十
二さう【四十二相】をくそく【具足】せりひかる程にそ見え給ふかほとに
いつくしきひめ君のたゝゆひのなき事をのみわひ
あひ給ふ有ときに中将れんせいのつほねをめし
ていつそやあつけしおさあひものはなにとなりたる
そゆひはいかゝとの給ひけれはされはその御事に
て候かのひめきみの御ありさまいかなる人のけ

【左丁】
しんにておはしまし候やらんたゝ人【只人=普通の人】にてはなし
まことにいつくしき事かきりなしされとも
ゆひのなき事はかりかなしく候へと申けれは

【右丁 絵画 文字無し】
【左丁】
中将きこしめしかのおさあひものはさたひらか
ためにはしたしきよしをきくなりあかてはな
れしこんつめのめい日にひろひたりまたこん日
もみやのめい日そかしたゝいまよひいたし給ふへ
し宮の事をかたりつねは御きやうをよみ宮を
とふらひ候へと申へしとの給へはかのひめ君きこし
めし中将とのはいのちのしう【主】にてましませはま
いり候てみまいらせたくは候へとも御はつかしくなん
とゝの給へはつほね申やう中将殿は御したしきと
申そのうへ五かいをたもつ御身なれはなにかはくる
しく候へきとていつくしくいてたゝせまいらせ中

【右丁】
しやうの御まへにそまいり給ふこのひめ君を御
覧してふしきやなあかてはなれしみやにす
こしもたかはぬ事のふしきさよと御らんする
にもまつはら〳〵となき給ふひめきみ中将に
の給ふやうなに事を御わひ候やらんとの給へは
中将ひめきみの御すかたをみまいらせ候にあか
てはなれしみやにすこしもたかはせ給ひ候はす
いまさらおもひいてゝふかくのなみたすゝみいてん
とのたまひけれはそのみやにてやらんとの給へは
中しやうその人は十六われは十七にてはなれし
なりことし十四ねんになり候御身はれんたいのに

【左丁】
すてられしをみつからひろいてつほねにあつけたり
なにしにその人にては候へきやひめ君の給ふやう
御身あまりに〳〵御とふらひのそのゆへにさいほう
しやうふつしたりしをほんてんたいしやく【梵天帝釈 注】一さいの
ほさつあつまりてこのものはしやはにてにせの
ちきりをわたしてののちにはさとりをえへし
との給ひてかくむまるゝなりみつからはかやとるへき
はしなくして御身したしき人のゆかしさにその
はらにやとりたりすてられしはひたりてかたは
しき【かたわである】とての事なり御身にはなれし時にとり
わけしはなた【縹=うすい藍色】のおひ【帯】をもちたり御らんせよとて

【注 大梵天王と帝釈天。ともに仏教の守護神。】

【右丁】
十三ねんまてにきり【握り】たる御てをひらきたまへ
はうたかひなきそのおひなりちう將殿もまほり【守り】
につけてもち給ふあはせて御らんすれはうたかふ
所なしこれはゆめかうつゝともわけかたしうれし
きにもまつさきたつはなみたなりさりなからした
しきなかの事なれはひよくのかたらひ有へきに
あらすとの給へはみかとこのよしきこしめしせん
し【宣旨】ありこれ程にふしきなる事はためしなし
これほとむまれあふたるをしたしきなんとゝあるへ
きかはしめてゆるすそとせんしなれはなのめなら
すによろこひ給ひてふうふと成こそめてたけれ

【左丁 絵画 文字無し】

【右丁】
これよりはしまりてこそしたしき中もふう
ふとなるさてきこくのちゝ大わうこのよしをきゝ
て申やうあらにくやこんつめのみやこそ一とにも
こりすしてまたちうしやうにむまれあひぬる
おゝかましさにくゝいさや日ほんへこへてこんと
は二人ならとりてふくせんとけんそくともに
ふれたりけるこのよしくらまのたもんきこし
めしあらたにしけんありしやうきこくより日
ほんへこえんとていてたつなりこのくにへ一ときそ
めは日ほんへは人たね有へからすまさしきはかせを
もつてふうすへし日本の神ほとけもきゝ給ひて

【左丁】
そのきならは御ふせき有へきよしないたん有
けれはみかとへこのよし申されはみかときこ
しめし御はかせあいしんともに仰られけれは
うらなひ申やうはこのおにともはせつふんの夜
かならす日本へわたりて人をとらんする也と七
人の御はかせに四十九千のいゑのものなにして
もとりあつめてくらまのおくそうしやうかたにほう
てうかくりあなのくちにをしこめてふうしふさ
きて三石三斗のまめをいりておにのめをうつ
とてうつへしおに八十六のまなこをうちつふ
されてかへりかのおにの申にかくはんといふ

【右丁】
ものきたらんするにはしめてうをゝやきてさす
へしそののちこせつく【五節句】をはしめてかのおにともを
五たいをてうふく【調伏】するならはゑこそわたりえまし
きと申けれはとて色〳〵にてうふくし給ひける
こせつくは正月七日にはわかなをつみて三ほう
にたてまつるふしきやおにのまなこいるとて大
まとをいる三月三日のもゝのはなはおにのしゝむら【肉】
のいろをなつけてさけにいれのむへし五月五日の
しやうふはほねすちとてさけにいれてのむなり
ちまきはおにのもととりとてこれをくふなり七
月七日のむきはおにのはらわたとてくうなり

【左丁】
九月九日のきくの花はおにのますけあるひはおに
のかしらのなうとなつけてくう也かやうにいろ〳〵に
なつけてくうなりきこくのらんは【藍婆】ともこれを
きゝて日本のものともはわれを色〳〵てうふくする
なりそのうへ日ほんには神といふこわきくせもの
あり中〳〵行てしせんよりも日本へわたる事
をはとゝまるへしとてけんそく【眷属】ともをとゝめけり
さほとにちうしやうはもとのちきりにもをとらす
ひよくれんり【比翼連理=男女の間のむつまじいことにたとえる】のかたらひあさからす心にかゝる事
なくてそおはしけるゑひくはきわまりなく百廿ねん
のよはひをそたもち行ひける





【右丁 絵画 文字無し】
【左丁】
そのゝちまれ人【客人】のかみとあらはれて一さいしゆ
しやうのねかひをみてたまはんとの御ちかひなり
きふねの御ほんちこれ也返〳〵【かえすがえす】これを御らんせん
人々はかみほとけのうやまひしん〳〵をいたし給ふ
へし有かたかりける御□【印カ】なりあまりに〳〵き
とくふしきの事ともに□【「て」カ】□まゝかきつたへあ
りしなり

【両丁 文字無し】

【文字無し】

【裏表紙 文字無し】

BnF.

【管理タグ】
SMITH-LESOUËF
JAP
K 43

それより人〳〵はあしはら国にかへらせ
たまひ五條の屋かたにうつらせ給ひて
それよりも中納言殿は梵天王のし筆の
御判御門にさしあけたまへは御門ゑい
覧まし〳〵て日本のためしにせんとてちゝ
大しん殿をくはんしやうおろしたてまつり
ほん天わうの自筆の御判を相そへ五条の
にしのとうゐんに天しの宮といはゐ奉る

国土をおさめふつくはをまもらせ給ふと
かやされにや天しとは天の使とかくと
かやそのゝち中納言殿たんこたしまはほん
国なれはあんとの御判たまはりて
       有かたし〳〵と
           三度頂戴
              なされ
            やかたに
               かへり

BnF.

BnF.

BnF.

日清戰闘畫報 第四篇

BnF.

【表紙  整理番号のラベルあり】
JAPONAIS 4322 1

【右丁 文字無し】
【左丁】
さ大しん殿の御子にきんたち二人おはします
一人はひめきみ世にすくれておはしましけれ
はうち【内裏】へ参らせんとおほしめしけりいてたゝせ
給ふところににはかにかせの心ち出きさせ給ふ
さとにていのらんよりとてきよみつにそ御こ
もりありけるさて二三日にもなりけれはおほ
つかなくおほしめして御あにの中将殿をきよ
みつへやりまいらせ給ひけるもみちようのかり
きぬにこむらさきのさしぬき御けしやうあ
てやかにあらはしてぜん〳〵【漸々】さふらひめしくして
きよみつのさいもんへいらせたまひけれはまいり

【右丁】
けかう【下向=神仏に参詣して帰ること】の人々めをおとろかしてみたてまつりける
さるほとに女御の御かせの心ちおほつかなけれは
とく〳〵いそくへきよしさふらひともにおほせ
けれはおゐ〳〵いそきのほるほとにきよみつの
たうのへんをざゞめきてのほる
             ところに
            にはかに
                そら
         かきくもりはしたなふ
               しくれ
                ふりけり

【左丁 絵画】

【右丁】
参りけかうのそのかすおゝき中にとし十五六
はかりなるひめきみを小ようはうたち五六人
してたちかへしぬらさしとする所に中将殿こ
れを御らんし給ひてわかさゝせ給へる御かさを六
ゐのしんにおくらせ給ひたりひめきみこはいか
にとおほしめしみあけ給ふ御めのうちあくま
てあひきやうがましく【愛敬がましく=あいくるしく魅力的である】けたかくうつくしうみ
え給ひたりけりさてひめきみはきよみつのひん
かしのへんにたゝすみていまは御かさ参らせよ
とてかへされけり中将殿はぬれ〳〵御かさまち
えさせ給ひていまの人々はいつくにそとの

【左丁】
給へはいまたあれにわたらせ給ひて候と申けれ
はやかて人をやらせ給ひてみせ給へは見え給
はす中将殿心もとなくおほしめしけりさて女
御の御かせの心ちはへち【べち=別】のことわたらせ給はねは
やかて御けかうあるへけれともひるのかさをく
り給ひたる人のゆくゑの心にかゝりそのうへ
女御の御かせもへちのことわたらせ給はすたれも
こよひはこれにつやせん【費やせん】とてほとけの御まへに
あくかれゐ給へりたつねんかたもおほへすせんかた
なくてたゝつく〳〵となかめかちにてつほねに
いらせ給へともしつ心なかりけりさるほとにとな




りのつほねに人のこもりてゆゝしくしのひ〳〵
たるけしきありけれはあやしくおほしてこゝ
かしこよりのそき給へはくちきかた【「朽木形」…文様の名。冬の調度につける】のきちやう
つほねのうちにかけられたりみつく【見継ぐ…見守り続ける】べきやう
もなかりしにはしらのふしぬけのあるにかみに
てふさきたる所あり屋【建物】ふりて【古くなって】み給へはかさをく
りつる人なりみるにむねうちさはきて御らんす
れはしくれにぬれたるしやうそくひきちらし
ひめきみはれうらんのむらさきの御ふすまひ
きかつき御ぐしのゆくゑもしらすうちふし給
へり四十はかりなる女はうのきよけなるか御

【左丁】
してこれをならひのつほねへ参らせよとてたひ【賜び】
にけりさてまた中将殿はのそき給ふにすいし
ん【随身】ひろやりと【戸】をほと〳〵と【戸や物などを軽くたたく音を表わす語。とんとん。】たゝくにうへわらは【上童…貴族の子弟で、宮中の作法見習いのため、昇殿を許されて、側近に奉仕する男女の子供】た
れやらんとて出けれはしくれの時御かさ参ら
せ給へる人の御ふみなり参らせ給へと申せは上わ
らはとりてうちへ入
         御かさの
            ぬしの
              御ふみなり
             とて参らせ
               けれは

【右丁絵画 文字無し】
【左丁】
そはにさしよりてすゝりのふたにいろ〳〵のく
た物ともとゝのへこれ〳〵とてすゝめけりされと
も御めもかけすゆゝしけるか御けしきにて
うちふし給へはめのと心くるしくてあはれちゝ
はゝのおはしまさはかやうのかる〳〵しき御あ
りきなとはよもわたらせ給はしこの御しやう
し【精進】つゐてにかもへも参らせたてまつらはやと
おもひ候にかやうにくたひれさせ給へはいかゝせん
とて申けるまたわかき女はう二人御そはにさ
しよりて申けるはうまれさせ給ひてけふこ
そはしめて御かちにてあるかせ給へいかはかり

【右丁】
ほとけもいたはしく御らんすらんとかやうにめん
〳〵に申ともたゝひめきみはふし給ひぬ御あ
りさまなのめならす【普通ではない】うつくしくそ見え給ひけ
るさてくたひれなんとするに参りをそしとて
十二三はかりなる上わらは御とき【御伽】におきて女はう
たち四五人うちつれて参りけるその中に中将
殿よきひまとおほしめしてもみちかさねのうす
やうにかくなん
  たまほとのみちゆきすりにみつるより
  ちきりはふかき物としらすや
かやうにかきひきむすひ給ひて六ゐのしんをめ

【左丁】
たゝひとめ御らんして人たかへ【ひとたがへ=人違へ】にてそ候らんおも
ひよらぬ事とて御手もふれすかへされけりわら
は出て見けれはつかひはやかへりてみえさりけれ
はふみうけとりたらん所にすてよとておほせけ
るわらはたち出てすてにけりさるほとにきよ
みつのへつたうこのひめきみをみたてまつりてめ
のとにむかひやう〳〵に申けりめのとむすめ二人
ありあねはせうなこんとて廿になるいもうとはしゝ
うとて十八になるおやに申やうちゝはゝのまし
まさはとてこそよき事もおはせめそうと
てもなにかくるしきわれ〳〵かめにもめやすき

【右丁】
さまならはそれにすきたる事あるましいさや
さらはこのへつたう【別当】にゆふさりぬすませんとそ
ちきりけるせうなこんとめのとは一心になりぬ
しゝう心におもふやうさしもうつくしき御すか
たをそうにみせん事こそ心うけれあはれこの
ことひめきみに申さはやいかにわひさせ給はん
すらんと御心のうちもいたはしくてやすらひ
たるほとに日もくれけれはせうなこんおやこは
ひめきみをぬすませにへつたうのもとへゆきけ
りしゝうは御ときにのこりけるかつく〳〵とお
もひつゝけ申さはやとおもひてはゝとあねと

【左丁】
はひめきみをへつたうにぬすませんとてゆき
つるなりいかゝせんとそ申けるそのときひめき
みはみれはゆめかうつゝかなにとかせんそうと
はなにそやおそろしやちゝはゝにわかれ参らせ
しよりくわほうなき物とはおもひきなから
へてなにかはせんわれをくしておよそこのみくづ
ともなりなんともたへこかれ給へはしゝう申やう
すてにいりあひのかねもなり日もくれはとち
きりしなりかくてはいかゝせさせ給ふへきさ
らは出させ給へいつくにもしのはせ参らせんと
申てわか身もひめきみもうすきぬはかりひき

【右丁】
かつきてとなりのつほねのくちにさしよりてし
しう物申さんといひけれは中将殿なに事そ
やとの給へは御そはにさしよりこれにわかき
人のおはしましさふらふをへつたうみ参らせ
てたゝいまとり参らせんとするほとにあまり
の心うさにしのはせ参らせはやとおもひ候て
参りて候ひんなきやらんと申けれは中将との
なにかくるしく 候へきいらせ給へとありしかは
ひめきみもしゝうもよろこひていらせ給ひぬ御と
のあふら【みとのあぶら=「明かり」のこと】をはきちやうよりそとにほのかに
             とほされたり

【左丁 絵画 文字無し】

【右丁】
さるほとにめのとかへりてつほねのうちをみけれ
はひめきみもしゝうも見えさりけるこはいかに
いつくへおはすへきほとけの御まへゝまいりたま
へるかとてしやうめんにたちまはり人の中に
わけ入しゝうとたつぬれともいらへさりけりまた
かへりつほねをみけれともおはしまさすとな
りのつほねにたちいりこれにわかき人屋しのひ
て参りて候と申けれは中将殿すいしんをいた
していつくのならひのしるよしにたれとし
りてたつぬるそとこと〳〵しくとかめけれは
めんほくなくしてかへりぬひめきみもしゝう

【左丁】
も見え給はねはへつたうはつほね〳〵をも
さかしたくはおもへともときの女御つこもり
にてみすかけかけまはしきちやうひきつゝ
けてぢんとうのふしともには〳〵にかゝりをた
かせつしかためのけしきもきひしかりけれは
さすかにそうの女はうをうしなひてさかすと
いふにおよはすおもひなからちからなしへつ
たうはかきりなくうらみけれはかなしさせんか
たなくしてめのとはなく〳〵京へかへりぬさて
中将殿はひめきみの御そはにさしより御かほ
をみ給へはしくれのときかさをくりしひめきみ

【右丁】
なり中将殿は身のをきところなくうれし
くていかなる人のとりにきたりたりともいかて
かやるへきとおもひてほとけの御かたへうちむ
きて
 たのもしやかれたる木にもはなさくと
 とけるちかひはいまそしらるゝ
となかめ給ひていさゝせ給へ人もしらぬ所へか
くし参らせんとてひめきみしゝうくるまにのせ
参らせてわか身はさいもんのきたはしをおく
りくるまやとりよりのりぐしきよみつのさかを
くたりにそやられけるにふもとのすゝきのむし

【左丁】
あきをしたふこゑさむ〳〵しものこすゑちくさの
いろしもになれたる野はきのおとふけゆくまゝ
にきりこめて物あはれなるに中将殿くるまの
したすたれよりかりきぬのそてあまりてつゆ
にしほたかにかくそゑいし給ひける
  人しれすおもひかなへてゆくみちに
  なにあさきりのそてぬらすらん
かやうにうちゑひしくるまの物みをあけられ
たりけれは月かけさし入てくものたえまの
かりかねのはかけもくもりなくわたりあらしに
かづちるこのはのをとかものかはらのともちとり

【右丁】
のなくねをそてにくらへてもひめきみはたもと
をしほりあへ給はすうき事をのがれんために
出つれともまたたれ人のかたいかなる所へゆく
やらんいくほとなき世中たゞよひあるく
かなしさよとおほしめし御なみたもせきあ
へすしゝう心のうちにおもふやうあはれおな
しくはひるまうのもとにて御かさ参らせ
つる人ならはいかにうれしかりなんよしやまた
この人もたゝ人にてはおはせしせんくさふら
ひみずいじんさつしき【雑色…「ざふしき」とも】うしかひにいたるまて
たゝ人におはしまさすくるまもひあじろもん【檜網代物】

【左丁】
のくるまなりいゑたか【家高…家の格式が高いこと】にてそおはすらんなにこ
とにつけてもけたかくおもふ所に二でうまで
のこうちのさ大しん殿の御しよへそ入ける此中
將殿はいまたつまもいらせ給はぬはゝかるかたも
なく御くるまよせてまつ中将殿おりさせ給ひ
てみすかうしおろさせ御くるまのうちなるひ
めきみをおろし参らせてれうらんの御ふすまの
中におきたてまつり給ふしゝうをはびやうぶき
ちやうひきたてゝそれにふし給へとておかれ
たり中将殿ひめきみの御そはにふし給ひぬ
いつしかなつかしけにてひるほとまて御とのこ

【右丁】
もりありけりさて中将殿のおきさせ給ふをし
しう見たてまつれはきのふにはかのしくれに
御かさ参らせられし人なりきのふみたてまつ
りしよりも御かほのよそほひなのめならすう
つくしくおはしけるしゝうよにうれしくそお
もひけるさて御てうづもちて参りけれはしゝ
うとりて参らせけるひめきみ御てうつさせ給へ
はことつめをかせ給へは中将殿あそばすかとと
ひ給へはしゝううちゑみてよしあしきはしり参
らせ候はすと申けれはひめきみ御かほうちあか
めさせ給ふ御けしきあくまてあひきやうかま

【左丁】
しくてみれとも〳〵あかれすあまりにうつくし
くおはすれは中将殿ひめきみの御手をひかへ
てきよみつのへつたうの心のうちこそおそろし
く候へと仰られけれはあくまてはつかしけなる
御けしきにて御手のぬれなから引入てきぬ
ひきかけてより
       ふし給ひぬ
        さて中将殿は
       ちゝ大しん殿御かたへ
                参り
                 給ひぬ

【右丁 絵画 文字無し】
【左丁】
女御の御かせの心ちへちの事候はすほとけの御
りしやう【利生…御利益】たつとくこそ候へとうれしき事のある
まゝによろこひ給へはちゝはゝうれしくそおほ
しめしけるさて中将殿かへり給ひてしゝうに
むかひておほせありけるはいかなるしづのめの子
にて侍るともつゆほとおろかあるましいかなる
人の御子そかたり給へと有しかはしゝう申やう
これは中比【なかごろ…ひところ】三でうひんがしのとうゐんにさへ
もんのかみかけさせ給ふ中ならんきんかねと申
せし人のひめきみなり八の御とし女御のせんし
かうふらせ給ひちゝはゝかしつき参らせ給ふさる

【右丁】
ほとにくらゐもとくあからせ給ふへきに七日かう
ちにちゝはゝなからむなしくならせ給ひてのちめ
のとのはこくみ【はごくみ=育み】はかりにて三てう殿にわたら
せ給へるかあまりにつれ〳〵かきりなくしてはし
めてきよみつへ参らせ給ひて候をへつたう見
参らせ候てうきこと出きてこれまて参りて候
と申けれはさてはわかよく見参らせ候人やあ
はれなるちきりかなとそおほせありける中将殿
の御めのとのかすかをめしてきよみつに参りた
るりしやうに人をまうけて有なりめしつ
かうへきことのなきに御身かおとむすめ【乙娘…次女以下の娘をいう】参らせよ

【左丁】
とおほせありけれはめのとはしゝうをまつう
ちみてわか御しうの女御こそならひなしとおもひ
つるに世にはかゝる人もおはしけるとおもひて
つく〳〵とまほり【守り】ゐたる所に中将殿きちやうあ
けておほせけるはあれはわかめのとなりはち
おほしめすへからすこなたへ出させ給へとありけれ
はまた人もあるにやとおほして出させ給はねは
中将殿くるしからすとてきちやううちあけ給へ
は御めのとこれをみたてまつりてありかたの御す
かたや世にはかゝる人もわたらせ給ふかとつく〳〵
とみたてまつりけるさてかすか立かへりむすめの

【右丁】
おといとて十三になりけるにもみちかさねの七あ
こめ【衵】にあてやかなるすかたにて参らせたりおとい
もひめきみにあそひつきて御そはをはなれ参ら
せすみやつかひける中将殿はひめきみしゝうに
むかひていまはこれをはわかすみかとおほし
めしてなにことも御はゝかり有へからすとのたま
へは二人なから心やすくそおほしけるかくて
あかしくらし給ふほとにしも月五日にちゝ大し
ん殿大り【内裏】へ参り給ひぬるところにそらかきく
もりゆきふりけれはたいりよりかへりゑすし
てしゝいてん【紫宸殿】にやすらひ給ふところにさ大しん殿

【左丁】
出き給ひてよのつねの物かたりし給ふつゐてに
大しん殿おほせけるはかやうの事申はくるしき
事にて候へともなんしはあまたもちたれとも
女子はたゝ一人ありひとりもちたる女子なれはう
ちへ参らせはやとおもへとも中将殿御ゆくすへを
まほり参らせてけふまてもちて候とありしか
は大しん殿の給ふやうこれよりも申たく候つ
れとも御もちい候はてははちかまし【恥がまし=恥をさらすような感じがする】く侍らんと
おもひて申むねはかやうにうけ給はり候よろこ
ひ入候さ候はゝまかりかへりてよからん日をたつね
て申候はんとの給へは大将殿ちかきほとは十日

【右丁】
こそよき日にて候へとの給へは
              さ候はゝ
                その日にて
             こそ
               候はめと
           こまやかに
               ちきりて
              大しん殿は
                 かへり
                  給ふ

【左丁 絵画 文字無し】

【右丁】
さてきたのかた【北の方=貴人の妻の敬称】におほせられけるさ大しんこそ中
將をこはれつれとの給へはきたのかたさやうに
こはるゝ事はうれしけれともこのほときよみつ
より人をかたらひて候をはいかゝはからひ給ふへき
とおほせけれは大しん殿の給ふたれもわかくて
はおもひをし侍るなりわれらもむかしはおもふ
中をはなれしなりはしめはさこそおもへとも
ほとへぬれはわするゝならひなりわかひめきみの
女御まうての時も大しんたちそひてもてなさん
にたれかかたをならふへき中将殿世になき物より
も大将殿にちかつきたらんはめやすきさま【見苦しくない、感じがよい様子】なる

【左丁】
へしこれにある物をははなれたりともゆめ〳〵
うらみ有ましとの給へはきたのかたもさも有なん
とおほして中将殿をよひたてまつる中将かくとも
しらすしてやかておはしけるにちゝはゝおほせ
ありけるは御へんを大将こはるゝなりこのころ世
にもましまさぬ人をくしておはすもめさまし
くおほしてあはれいかなる人もめやすきさま
ならはいかはかりうれしからんとおもひしところに
大将のかやうにけいやく【契約…約束】あるこそうれしく侍れと
の給へはやゝひさしくありておほせらるゝやう
おさなきときこそおやの御はからひにてかへせひ





【右丁】
じんして候へはおほせあはせられ候はてと申給
へはちゝ大しん殿さしむかひてわれやすくして
侍るそわれいきたらんほとはけうくんにつき給へ
ふみかきてやり給へとありけれはめのとさしより
て御おやなれはあしき御はからひ候はしあそはせ
かしと申せは中将殿にくけににらみてさしさしいて
たるよしはしたなふいはれてびやうぶのかけへそ
しのひけるきたのかたすゝりかみをとりむかへて
これかきてやり給へとしけにの給へはのかれかた
くおほしてふてにまかせかき給ひうちおきてつい
たち給ふ御めのととりてひきむすひめのとこの六ゐ

【左丁】
のしんにもたせて大将のもとへつかはしぬ中将殿は父
の御まへたちもやのみすのもとにてなき給ふいくほ
ともなくしてゆめにみたる心ちしてわか御かたへかへり
給ひぬひめきみによりそひて出つる時はなにとも
なく候はぬむねのいたく候をさへてたひ候へとありけ
れはひめきみおとろき給ふ事かきりなし中将殿
なき給へはひめきみもともになき給ふ中将殿な
みたをおさへてしやうしむしやうのならひはいまに
はしめぬ事なれはもしこのむね大じにていかな
る事も候はんにおほしめし出させ給候はんやとおほ
せありけれはひめきみなみたをおさへの給ふやう

【右丁】
十のとしちゝはゝにわかれまいらせてのちはめのと
をたのみていまゝてそたちぬたのみつるめのとにも
わかれいまは一すちにたのみ参らせて候へはいか
てかなけりて候へきおやにおくれし日よりおしか
らさるくろかみをこのつゐてにそりおとしいかならん
山のおくにもとちこもり御ほたひをいのりちゝはゝ
御身もわらはもはちすのゑんとならんとこそいの
り候はんすれともとてなき給ひけれは中将殿心の
うちにおほすやうたゝいまいはすともつゐにかく
れあるまし此事しらせはやとおほしてなみたのひ
まよりの給ひけるけにむねのいたきにあらすちゝ

【左丁】
のめされしほとになにとなく参り候ところに御ま
へにめしおかれて大将殿へわたるへしとおほせら
れけれはたらぬおもひのかなしさにそてにもあまる
なみたをいかゝせんとの給ひけれはその時ひめきみ
おさへたるむねさしおきてふしまろひてなき給ふ
やゝひさしくありてなみたのひまよりの給ふやう
ちゝにもはゝにもわかれまたたのみしめのとにも
はなれていまは一えにたのみ参らせて候うへはかみ
にもいのりほとけにも申て世にわたらせ給はん事
こそうれしくおもひ参らせ候へは大将殿へいらせ
給ふへき御事はめてたかるへき事なれはつゆも

【右丁】
うらみとはおもひ参らせ候はすたゝわか身のみこそ
うらめしく候へつゆしもともきえうせたへ候へとも
にんけんのならひおもふにかいなく候へはかくてこそ
侍らめたとへ大将殿とかくおほせ候ともさうなく
おひ出させ給ふなこれにすみへずはいかならんかた
山さとにもいほりむすひてしゝうとわらはと心やす
くおかせ給へやかてさまをかへてなき人のほたひを
もいのりわか身のこせをもたすかり候やうにはから
ひ給へ御身はとはせ給はすともすみ候はんするいほ
りを御かたみとおもひ参らせ候てなくさみ候はん
となきくときなき給へは中将殿これを御らん

【左丁】
して見めかたちのよきにつれて御心はへかやうに
うつくしくおはしますことよかなしきかなやいく
ほともなきよの中にものをのみおもふことのか
なしさよたちまち
        にしゆつけ
            とんせいをも
               せはや
                 とそ
              おほし
               めし
                ける
 

【両丁白紙】

【両丁文字無し】

【裏表紙】

BnF.

【表紙 題箋】
すゝりわり  上

【資料の整理番号のラベル】
JAPONAIS
4260
1

【右丁 表紙裏 文字無し】
【左丁 白紙 整理番号のラベルあり】
JAPONAIS 4260 1

【右丁 白紙】
【左丁】
いつれの御代にかかしこきみかとにつかへたて
まつり給ふ大なこんときとものきやうと申
公卿おはしけるさいかくゆうちやうにして詩
哥みちにちやうし【長じ】給へは君の御おほえも
めてたくわたらせ給ふされはこの人はたい
しよくはん【藤原鎌足】よりも九代のそん【孫】せうせんこう【昭宣公=藤原基経の諡号】の
一男后宮の御せうと【兄人=姉妹からみた兄弟】左大臣ときひらの卿
の御まこにてそおはしけるたい〳〵せつ
しやうかういの家にしてまつりことを御
かさとり【嵩取り】世のおほえすくれてめてたくさかえ

【右丁】
給ふきたの御かたはふちはらのなかふさ
のきやうの御むすめにておはします御
とし十七さいのころよりむかへさせ給ひて
あさからぬ御なからひ【仲らい=間柄】にてそ侍りける春
は花のもとにてなかき日のつれ〳〵もな
くかたらひくらし秋分月にうそふきて
なかきよのふけゆくそらをおしみうたを
よみ詩をつくりくわんけん【管絃】をともとして
とし月をすこさせ給ふほとにすてに
御としははしめのおひに【初めの老い=初老=四十才の異称】にあまらせ給ひける

【左丁 絵画 文字無し】

【右丁】
しかれとも男子にても女子にても御子
ひとりもいてきさせ給はねはこれをの
みあけくれなけかせ給ひけるあるとき
ときとものきやうは北のかたにうちむかひ
おほせられけるはすてにわれ〳〵は大しやく
はんの御すゑとしてせつろく【摂籙=摂政・関白の異称】ちう代の家
たりこのときにあたつて一人もすゑをつく
へき子のあらされはたちまち家のたえなん
ことこそなけきてもあまりありいかなる
人の子をもやういくしてしそんをたえ

【左丁】
さしとおもふはいかゝはんへるへきとうち
なけきのたまへはきたの御かたはきこしめ
し【お聞きあそばし】されはこそみつからもこのことをこゝろ
くるしくあちきなくおもひ流れしかあれ
はとていまさら人の子をやしなひたてん
もほいなしねかはくはほとけ神にもいの
りてそれかなはすはいかにも御はからひ
あるへきことはこそおもひ侍れと仰られけ
れは大なこんとのきこしめしまことにこれは
しかるへき御はからひにこそあれしからはい

【右丁】
つれの神ほとけをたのみ奉るへきそやされ
はことよはつせのくはんおんはいこく【?】國まて
も聞えさせ給ひたるれいけんなれはよも
わか國のしゆしやう【衆生】のねかひはすてさせ給は
しいさらせ給へはつせへまいりていのりたて
まつらんとの給へは吉日をえらひて大なこん
殿ふうふ御こしにめしさうしき【ぞうしき(雑色)。「ざっしき」ともいう。雑務に従事する下級の官人】御すいしん【御随身】
めしつれはつせにまうて給ひふつせんに
むかひて三十三とのらいはいを奉りそも〳〵
たうしの御なそんはわか家のなうそ【曩祖(のうそ)=祖先】春

【左丁】
日大明神てんたい大しと御こゝろをあはせ
て十一めんの御そうをさなくましましまつ
せ【末世】濁あく【注】の衆生をさいとおはしましり
しやうちうへんをめくらしみらいはふたらく
せん【補陀落山=観音の浄土】のしやう公にいんたう【引導】し給へとふかく
きせい【祈誓】をこらし給ひけるとかやその御願い
かてむなしかるんしかれはわれらに
一人のそ【先に書いた文字の上に「そ」を書く】うしをあたへさせ給ひなうそ
の家をつかしめたまへとかんたんくたき【肝胆砕き…精根をつくす】
いのらせ給ひけるすてに一ち日にまんする


【注 じょくあく(濁悪)=人心がけがれ、悪が満ち満ちていること。】

【右丁】
あかつきくはうみやう【光明】を十方にてらし【照らし】いき
やう【異香(いきょう)=極楽浄土の芳香】はなはたくんし【薫じ】いとけたかき御こゑ
きこえてなんち【汝】ふうふに子といふもの
はあらねともわかちかひむなしからんも
ほいなし又あまりになけくをみるもたえ
かたけれはこれをこそあたゆるなりとて
るり【瑠璃】のかうはこ【香箱】ひとつたまはると
     おもへはゆめにて
            ありけり
               ふうふ

【左丁】
    のひと〳〵
         は
          よろこひ給ひて
           かさねて
              らいはいを

        まいらせて
             御けかう
                ある

【両丁 絵画 文字無し】

きたのかたれいならぬ御心ちまし〳〵てあた
る月には何の御いたつき【病気】もなく御さんのひ
もをとかせ給ふとりあけ御らんすれはま
ことに玉をのへたることくなるわかきみにて
そおはしましける父母の御よろこひかきりな
くめのとかいしやくの人えらひてあまたつけた
まひいつきかしつき給ふことかきりなしかく
てあけぬくれぬとそたて給ふほとにはや
五さいにもならせ給ふ御はかまきせ給ひて
てんしやう【殿上=昇殿】せさせ七さいにてうゐかうふり【初冠】

【左丁】
ありてしゝうのきみ【侍従の君】とそ申たてまつりける
そのゝちわかきみの御つきにひめきみいくき
させ給ふこれもいつきかしつき給ふことわかき
みにもおとらせ給はすせいたんにしたかひて
御かたちひかるやうにそみえ給ふ抑この大納言
殿の御家にちう代【重代】つたはりたるてうほう【重宝】
にひとつのすゝりありこのゆらいをつたへきく
にむかしみけこの大将の御ちやうしにかまたり【中臣(藤原)鎌足】
の大臣と申おはしますちよくめいをうけたま
はりているか【蘇我入鹿】の臣と申けきしん【逆臣=主君に反逆する家臣】をほろほし

給ふこのいるか【(蘇我)入鹿】の大臣と申は二さうをさとる【注①】
ほとの人なれはてうてい【朝廷】をかたふけまいら
せてわれはんせうのくらゐ【万乗の位=天子の位】にならんとふる
まひしによつてかまたり【(藤原)鎌足】に仰つけらるゝ
されとかれをほろほさんこと人のちからに
をうふへからすとおほしめしてなうそ【曩祖(のうそ)=先祖】春日の
明神とすみよしの大みやうしんへふかくき
せい【祈誓】をかけさせ給ふにそのしるしけんちう【厳重…神仏の霊験があらたかな様子】
にしてみとせかほとになんなくほろほし
給ふ君のえいかん【叡感=天子・上皇などの感嘆・賞讃】あさからすしてそのちう

【左丁】
しやう【忠賞=忠功のあった人に褒美を与えること】に大しよくはん【大織冠】のつかさをそ給はりけ
るまことにためしなきことともなりさてかま
たりは御よろこひにすみよし大明神に
まいらせ給てさま〳〵のたからも【「たからもの」カ】をさゝけ
きくはんのほうへい【祈願の宝幣】を奉らるいよ〳〵当家
るいそん【「累孫」カ】にをいてなかくくはんろく【官禄=官位と俸禄】をまも
らせ給へとてせい〳〵をいたししん〳〵【信神】のかうへ
をかたふけ【注②】給ふかたしけなくも明神はかりに
すかたをらうをう【老翁】にへんしたつとき御声
にてなんちちよくめい【勅命】にしたかひうちかたき


【注① 二相を悟る=外面によって内面をおしはかり知る】
【注② 頭を傾け=深く信仰するさま】




【右丁】
けきしん【げきしん(逆臣)=主君に反逆する家臣】をほろほししんきん【宸襟=天皇の御心】をやすめ奉る
もつともそのこうふかしるいそんなかくさか
ゆへしまたしそんにいたつてつかさくらゐ【官職】を
たまはらんおりふしはこのすゝりにてしるしを
くへきなりさあらはしそんにをいてくはん
ろく【官禄=官位と俸禄】つかさふそくあるましとしめし給ひ
てひとつのすゝりをそへたされける大しよ
くはんはなゝめならすによろこひくはい
ちうすると思へは夢はすなはちさめたり

【左丁 絵画 文字無し】

【右丁】
うちおとろきおきあかりみたまへはけに
もうつゝにすゝりありけりこはありかたき御
ことかなとてすなはちいたゝきまつりて家
にかへりてにしきのふくろにおさめ八重の
しめをかさりてあかめをき御しけん【示現】にまかせ
代〳〵くはんろく【官禄】たまはるおりふしはこの
すゝりをとりいたししるし給ふにこゝろに
かならすといふことなしさるよつてたう
けだい第一のたからとそ聞ゝしあるときれい
ならん殿ふしきの夢をそみたまひける

【左丁す】
ところはくはう〳〵【「荒荒」カ】としてさしもいみしき
庭前にしよく【卓】にかゝりてふみをひろけて
みてくたんのすゝりにてすみをするおはし
けるにいまゝてせいてんにはれらかなりし
日のたちまちそらかきくもり雨しやちく
をなかし【車軸…車軸のように雨あしの太い雨が降りしきる。】かせ大木をたをしいかつちなりは
ためき天地とうよう【動揺】することおひたゝし
こはいかなることやらんと身のけよたちて
おそろしく思ひわけたるかたもなくてあき
れはてゝおはしますところにくものうちよ

りそのさますさましきなにのかたちなる
ものあらはれ出て身より火えんをはなし
こほりのことくなるつるきをよこたへていふや
うはなんちはわれにあたをなしゝものゝす
へなりいまわれにくたりてしんするものなら
はあくしんをえるかへしてなんちかいへを
まもるへしさらすは【然らずは=そうでなければ】ちかきほとになけき
をいたくへしとたからかにのゝしりて又
もとのことくくものうちにしりそきぬ
あはやいかなることやらんとゆめこゝろに

【左丁】
も身のけたちてひやゝかなるあせ出ゆめ
うちさめぬ

【右丁 絵画 文字無し】
【左丁】
そのゝちも人こゝちあらさりしかなをも心
もとなくて北の御かたにかゝるゆめをなん見
つることこそおほつかなけれとてかたらせた
まひけるかゝるところにみかとよりちよくし
ありしよきやうのくわいかうのしたいありをの
〳〵まいりたりはやかくさんたいあるへしと
なりこれによりて大なこんとのとるものも
とりあへす出給ふこゝに大なこんとのゝ家
の子に仲太の■■【「ちゝ」カ】よしひさといふもの有
これはせんそなかふとのきやうふよしかぬと

【右丁】
いふものゝしそんにて代〳〵この家につかへ
けるか大なこんとのゝ御ちやくししゝうのきみ
御とし八さいのころなるにいたきたてまつり
て花そのに出てなくさめ奉る木々のこ
すゑにさきみたれたる花にたはふれて
もゝちとり【百千鳥=いろいろな小鳥】のとひかふをおかしとうちなかめ
あそひ給ふかわか君おほせけるはいかにちう
太ちゝうへのかくもん所のしつらひをみはや
とありけれはうけたまはりて御手をひ
きさしいりかなたこなたのしやうしをひき

【左丁】
あけ〳〵入けれは一まなる所にからやまと
のふみともを四はうにつみかさねてありと
あるたなのうへにひとつの箱ありいかにも
ふつかうにこしらへてしめをひきたる
ありなにゝかあるらんとあやしみみけれ
はかの御すゝりを入たるはこなり仲太わか君
に申けるはこのすゝりは御家につたはりたる
みたからなり我代〳〵当家にめしつかはる
るといへともつゐにこれをおかむことはん
へらすと申けれはわかきみきこしめしそ






【右丁】
れかしもいまたみることなしそれとり出せ
かしすこしみはやとおほせけるほとに仲太
はよきついてなりと思ひかしこまりてしめ
をはつしてとりいたしみけれはにしきの
ふくろ七重につゝみていみしくしたゝめ
給へりしをとりいたしわかきみにまいら
せけれはかしこくもをしいたゝかせたまひ
とりなをしつく〳〵と御らんしてそのゝち仲
太によく〳〵おかむへしいまならてはいかて
又もみるへきとてわたさせたまへは仲

【左丁】
太たまはりてこつといたゝくとせしかあや
まちておとしたるに下に石のうつはものゝ
ありけるにあたりてあやまたす【予想どうりに】ふたつに
われけるこそなさけなけれ

【右丁 絵画 文字無し】
【左丁】
仲太はこれをみてこはいかにゆめかやあさ
ましやかゝるあやまちしけることよとて
あまりのことのあきれはてたるはかり
なりわかきみもこれを御らんしてとかく
のこともおほせられす色をへんしてお
はしますちう太申けるはあらくちおし
やこれひとへにそれかしかわさにはあらし
たゝてんまはしゆん【注】のしよい【所為】なるへしさら
すはしんりよ【神慮=神のみこころ】のとかめなるへしそれを
いかにといふにこのすゝりと申はかたしけ


【注 天魔波旬(てんまはじゅん)=欲界第六の魔王。人が善事をなそうとするとき邪魔をするという】

【右丁】
なくもすみよしの大明神より当家の
せんそ大しよくはんにたまはらせ給ひたる
ごてうほう【重宝】なりされはわかきみたにもた
やすく御らんすることなき神器なるを
われこときのいやしきものの御ゆるされ
もなくてなをさりにあつかひけかした
てまつるその御とかめにかくそんし給へる
にこそあらめたゝいまにも大なこんとのか
へらせ給ひなはいかなるうきめにあふへ
きかなしさよせんするところ【所詮=結局】かへらせ給は

【左丁】
ぬさきにしかい【自害】をせんとおもひそのきそく
あらはれるれはわか君御らんしてありふ
ひん【不憫】のありさまやさのみなゝけきそしぬ
るまてのことはあらすちゝの御らんしていか
らせたまひなんみつからかみるとてあや
まちてわりたるよしを申てとかをはうくへき
そこゝろやすくおもへとおほせけりそやさ
しけれ仲太は御ちやうをうけたまはりて
さても〳〵ありかたしやさしき御こゝろさしか
なそれかしかあやまちを主君にをはせた

【右丁】
てまつらんこともてんのとかめおそろし身
の後の世もいかゝせんさりなからこれは御て
うあいのわかきみなれはすこしは御いかり
もあさからんかとのちのわさはいをもわす
れてたうさのおほせのかたしけなけれは
なみたををさへてすゝりをはもとのことく
したゝめて大なこん殿の御かへりをまつほ
とはちゝに物をそおもひけるそのこゝろの
あやうきことはたゝしんえんにのそんてはく
ひようをふむ【注】にことならすさるほとに

【左丁】
大なこんはみかとの御まへにちもく【ぢもく(除目)】のことに
よりて一の人の御子に大なこんあきたかの卿
とさうろんのこといかめしくなりてすてに
こといてくへきありさまに見え給ふときの
くはんはくにておはしますひてふさのこう
このひやうきこと大義なり当座にすむへき
にあらす後日のさたしかるへしとて座
をたゝせ給へはをの〳〵かへらせ給ひけるかしる
ことによりて御きしよくよからすしてかへ
り給ふしかれはみうちの人〳〵いつにかはり


【注 深淵に臨んで薄氷を踏むがごとし=危険な立場にあることのたとえ】

【右丁】
をそれをなしつゝしんてそゐたりけるされは
おくにつといらせ給ひてかくもん所にいりて御
らんすれはよろつとりちらしたるありさま也
こはいかにとおほしめし御すゝりのはこをとり
おろしたま給ふにありしさまにもみえされは
あやしくていそきひらき御らんすれはふた
つにわれてありされはこそすきしゆめの
さとしはこれにやあるらんと大きにおとろ
き給ひこのところへはいかなるものゝいりき
て家のてうほうをひきいたしあまつさへ

【左丁】
うちわりけるそ心えねとこそいからせ給ひ
けれみうちの人〳〵されはこそ御きしよく【顔色、様子】
のあしきうへにかゝる大事のあることよとい
よ〳〵つゝしんていらへ申ものもなかりけり
大なこんとの仲太はいつくにあるそとてめ
しよせられなんちなしてはこのことし
るへからすときしよくへんしておほせられ
けれは仲太はこのありさまをみてとても
のかれぬみちなりかくあるへきことはもとより
こしたることなれはありのまゝに申あけて

【右丁】
ともかくも【どうにでも】ならはやとおもひすまして御
せんちかくすゝみよる所にわか君はする〳〵と
はしりよらせ給ひて仰けるはいかに父うへ
そのすゝりは何ともしらすわれ〳〵かとり出
し見侍るとてとりおとしてわりはんへる
なり仲太はいかてかそんすへきと申させ
給へは大なこんとのきこしめしもとより
御きしよくあしきうへなれはいよ〳〵御け
しきそんしてなんてう【なんじょう=何を言うか】あのすゝりはほん
ふ【凡夫】のみることにてはあらすわれよう〳〵の

【左丁】
あるおりふしもまつ七日かほとしやうしんけつさい
してつかふことなるかたやすくさかしいたして
かゝる家のてうほうをうしなふことこそ心えね
なんちはわか代をつくへき子にはあらす家を
ほろほへきかたきのうまれきたるにこそあ
らめとて御はかせを【守り刀の刀剣】引ぬきてあへなくかはし
給ふそむさんなる御ちゝうへもめのともはし
りよりあはてさはき御しかい【死骸】にいたきつき【抱きつき】
これはゆめかやうつゝかとしはしたえいり給ひ


【絵画 文字無し】

【右丁】
やゝありてなみたのひまよりあゝなさけな
のちゝうへやたゝひとりあるこのわかはわしか子
なからも大かたならす【並み大抵でない】なき子をはつせの
くはんせをんにきせい【祈誓】して申たまはりし
なりたとへはなにたるあやまちありとも一と
はゆるし給ふへきことなりことにおさなき
ものゝななれはなとかはいのちをたつほ
とのことのあるへきそよその聞しもつき〳〵
しあゝうらめしのちゝうへやとりうていこかれ【流涕焦がれ=涙を流し大そう悲しみ】
てなき給ふもことはりとこそおほえたれ御

【左丁】
めのともわれ〳〵ちのうち【乳のうち=乳飲み子】よりやういく【養育】しまい
らせてにはのまつのすゑひさにおひたち給
ふをまつこゝろへんくわかたまのおもひをなし
よるひるいたきかゝへしにいまよりのちたれ
をかいたきたてまつらんあゝなさけなの御あ
りさまやないま一とめのとかと仰いたされ
よかしと御しかい【死骸】にとりつきてなきこかるゝ
ありさまはよそのみるめもあはれなり

【両丁 白紙】

【両丁文字無し】

【裏表紙 文字無し】

BnF.

BnF.

【表紙 整理番号のラベルあり】
JAPONAIS
5619 

【この物語の題箋は無いがお伽草紙『御曹子島渡』と思われる】

【文字無し】

大 王(わう)きこしめし。いかなる事
ぞや。み給はんとて。八十二けん
のひろえんまで。よびたま
ひければ。やがてまいり給ひ
て。大王の出させ給ふすがたを
み給ふに。五 色(しき)をひやうし出
立て。十六ぢやうのせいにて。
手足(てあし)は八つ。つのは三十あり
て。よばはるこゑは百里が間も
ひゞきわたる也。きもたま
しゐも身にそはず。大王は
大のまなこにかどをたて。日
本あしはらこくよりわたり

たる。くはんきよとはなんぢが
事かとの給へは。まなこはあ
さ日のかゝやくごとくなり。
なんぢは。たけとやらんを。なら
すときく。ふけきかんと云(いひ)
し有 様(さま)。おそろしき事は
かぎりなけれ共。思ひまうけ【心の中で準備する】
たる事なれば。たいとう丸
をとり出し。にしきのゆ
たんはづし。ねとり【音取り=音程をきめる】すまし
給ひて。がくはさま〳〵多(おほ)け
れども。それ天ぢくにては。
しゝとりへいとりとくてんと

【右丁】
やかてんりんせいさうふれん
しゆみやうわうにちはんらく
そよやけいしやう。うゐのきよ
くと申せしがく。爰(こゝ)をせん
どゝふき給ふなり。大王うつ
く〳〵と聞給ひて。なのめ
ならずよろこび。さてもき
どくにならすものかな。よき
にくはんきよはこれまでわたり
たり。三百 年(ねん)いぜんに。あしは
らこくよりわたり。たちまち
みちにていのちをうしのふも
のこそが

【絵画 文字無し】

なんぢは是まで。難(なん)なう
来るふしぎさよ。のぞみの
有て来りけるか。かくさず
申せと有しかば。御ざうし聞
召。おそれがましき事なれ
ども。此だいりに大 日(にち)のひやう
ほうのましますよしかね□□
をよび是までさ□□□□□□
さふらふ也。御なさけ□□□
へ有て給はり候へか□□□□
ば。大 王(わう) 聞召(きこしめし)。あら□□□□□
わんきよが心ざし□□□□□
是まて来□□□□□□□□□

やくとなのるぞや。七しやうの
ちぎり也。一じ千金字(せんきん)のことはり。
ししやうのをんは七百さいと
とかれたり。されば御 身(み) 渡(わた)り
て河(かは)のあんないしりたるらん。
その河をば。かんふう河と申也。
水(みづ)のそこより大かぜふき。白
なみたちて。あしはら国(こく)の氷(こほり)
に。百子まさりつめたかるらん。
その河にて。あさ三百卅三ど。
夕に三百三十どこりを取。
三年三月しやうじんをして。
八月十五日に一 度(と) 習(なら)ふ大 事(じ)也。

あしはらくに国の大天(てん)ぐ。太郎坊(たらうぼう)
もわがでし也。四十二くわんのま
き物を。さうでん【相伝】せんと申せし
が。やう〳〵に廿一くわん。いのほう
までをこなひて。それより
すゑはならはぬなり。もしそ
れをならひてや有らん。それ
をならひて有ならば。われ〳〵
が目(ま)のまへにて。こと〴〵くかた
るべし。そのゝち大事をつた
ふべしと。の給ひければ。御ざう
しは聞召(きこしめし)。もとよりくらまそ
だちの事なれば。びしやもん天

わうのけしん。もんじゆのさい
たんにてましますうへ。もんじ
にくらき事ましまさず。く
らまのおくにてならはせ
給ひし。四十二くはんのまき物
をこと〳〵くをこなひ給ふ。大
わう御らんじて。まことになん
ぢは。心ざしふかきものなり。神(しん)
妙(べう)なりとおほせ有て。さらば
ゆるし申さんとて。していのけ
いやくをなし給ふ。先(まつ)りんしゆ
の法(ほう)かすみのほう。こたかのほう
きりのほう。雲(くも)ゐにとび去(さる)

とりのほうなどを。御つたへ有(あり)。
是よりおくはむやくなりと
て。御ざしきをたゝせ給ひに
けり。御ざうしはたゞ一にん。
ひろ庭(には)におはしまし。とやせん
かくやあらましと。たゝずみ
たまへば。大わうは。ゑしやきと
いふものをつかひにして。くわん
きよは。いづくに有ぞみてま
いれと有しかば。ゑしやきたち
出みて。もとのところに有ける
を。よく〳〵みてぞ
     かへりける

【絵画 文字無し】

大わうにかくと申けれは。だい
わうきこしめし。さてはふしぎ
のものかな。さらば出てさかも
りして。たけをならさせ聞ん
とて。今度(こんど)はすがたをひきかへ
て出ばやとの給ひて。あほう
らせつ【阿傍羅刹…地獄の鬼】を千人ばかり引ぐして。
出させ給ふ。大わうの出たちには。
としのよはひ四十ばかりの男に
いてたち給ひ。ゑぼしじやう
ゑを引(ひき)つくろひ三でう重(かさね)
のたゝみの中ほどに。むずと
なをり。御ざうしを。ゆんでの方(かた)へ

よびよせなをらせ給へば。まへ
見しすがたはかはりけり。御
さかづきはじめ給ふ。くはんき
よはたけをならせとの給へば。
たいとう丸(まる)をぬきいだして。
くはひはいらくといふがくを
ふかせ給へば。おもしろいぞや
くはんきよ。くはひはいがくといふ
がくは。さかづきをめぐらすと云(いふ)
かくなり。さらばさかづきめぐら
せとて。じゆさけんぎやくなりと
さすほとに。さけもなかばと
みえしかば。大わうあふぎ取

なをし。にしきののうれん
かきあげて。あさひ天女(てんによ)は
きくかとよ。あしはらこくの
くはんきよが。たけをならすが
おもしろきに出てきけやと
の給へば。天女はきこしめして。
出まじき物とは思へども。父(ちゝ)の
仰にて有ければ。出ばやとお
ぼしめし。出たち給ふ御しや
うぞく。しげまきぞめ【注①】の花
のやうなるに。からまきぞめ【注②】
きくがさね。【注③】むらがさね【調べがつかず不明】このは
がさね【注④】やへがさね。【注⑤】からあやおり【注⑥】


【注① 繁巻染め=織物の染色法の一つ。巻き染め(絞り染め)の緒の数を多くして染め上げたもの】
【注② 唐巻染め=唐風の絞り染めという】
【注③ 菊襲(かさね)=襲の色目。表が白、裏が蘇芳のものをいう】
【注④ 仮想の襲の色。朽葉(くちば)襲からの連想か】
【注⑤ 八重重ね=八枚重ねの衣(きぬ)】
【注⑥ 唐綾織=公家の装束に用いる浮織物(うきおりもの)に対する通称】




て一かさね。十二ひとへを引(ひき)かさ
ね女ばうたち十二人ひきつ
れ。七重(なゝへ)のびようぶやへのき
ちやう。九重(こゝのへ)のまん【幔】の内(うち)より
出させ給ふ。御有さまを物に
よく〳〵たとふれば。十五 夜(や)の
月の。山のはをほの〴〵いで
し御すがた。ませ【籬】のうちの
やへぎく。たいゆふれんい【大庾嶺のことか】のむ
めのはなかとうたがはれ。いで
させ給ひて。ちゝ大わうの
めて【右側】のわきに
        なをらせ【お座りに】たまふ

【絵画 文字無し】

御すがたをみたてまつれば。
三十二さう【注①】。八十すいかう【注②】のか
たちをもたせ給ひたる。ひめ
君(きみ)にてこそおはしけれ。御
ざうしは御らんじて。たとひい
のちはすつるとも。一 夜(や)なり
ともなれてこそ。此世のお
もひ出とも成べしと。こゝろ
そらにあこがれて。がくはさ
ま〴〵おほけれども。おとこは
をんなをこふるがく。女(をんな)は男(おとこ)を
こふるがく。さうふれん【注③】といふが
くをふかせ給へば。天女はこれを


【注① 三十二相…女性の容貌・姿形などの一切の美しい相をいう】
【注② 八十随好=八十種好に同じ。仏の身に備わる、それとはっきり見ることのできない微細な八十の特徴】
【注③ そうふれん(相府蓮・想夫憐・想夫恋)。雅楽の曲名】




きゝとゞめ。くはんきよがみづか
らを心にかける。やさしさよ
とおぼしめす。大わう仰(おほせ)
けるやうは。あのひめは去年(きよねん)
三月にはゝにはなれ。こゝろ
なぐさむかたもなし。たけを
ならしてきかせよと仰有(おほせあり)。
さけもすぐれば。大わう御ざ
しきをたち給へば。天女も共
にたち給ふ。御ざうしもした
ひゆかせ給ひ。一日二日と思へ共。
日かずつもりければ。天女もい
はき【岩木】ならねばなびかせた

まひ。あさからずちぎりを
こめ。心うちとけ給ふ時。御ざう
し天女にの給ひけるは。われ
あしはら国より。のぞみあり
てまいりたり。かなへ給はゞゆめ
ばかりかたり申さんと仰ければ。
天女はきこしめし。何事成共(なにごとなりとも)
かなへ申さん。はやとく〳〵と有
ければ。此だいりに。大日の兵法(ひやうほう)
のましますよしうけ給はる。
一めみせ給へと。の給へば。それは是
よりうしとらの方(はう)より。七 里(り)
おくに。だんをつきしめをはり。

いしのくらにこめをき。金(こがね)の
はこにおさめつゝ。たゞよのつ
ねのことならず。ことさら女
のまいる事。中〳〵ならざる所
なり。その事ばかりは。おもひも
よらぬ事とぞ仰ける。よし
つねきこしめし。こゝにたとへ
の候ぞや。父(ちゝ)の恩(をん)のたかきこと。
しゆみせんよりもなをたかし。
母(はゝ)のをんのふかき事は。大 海(がい)よ
りもなをふかしとは申せ共。
おやは一世のむすび也。ふしぎ
なりとよ。ふうふは二世のち

ぎりぞかし。一夜(や)のまくらを
ならべしも。百しやうのちぎ
りにて侍(はんべ)る也。御身とわれ
とはことさらに。さうは万里(ばんり)
をへだてたれども。まことに
たしやうのちぎりふかきこと
なり。何とぞあんをめぐらして。
かのまき物を。一めみせてたべ
とぞ仰ける。天女は此よし聞(きこし)
召(めし)。おもふ中の事なれば。父(ちゝ)の
かんどうはかうふるとも。みせば
やとおぼし
    めし

【絵画 文字無し】

ふしやうなる身ながらも。ま
ほり【「まもり」に同じ】がたなをもち給ひ。七里
山のおくにをしいらせたまひ。
七重のしめをひきはらひ。い
しのとさうをみ給へば。もんじ
三ながれあり。是にりやうと
いふ字(じ)をかきて。こそうのてん
をうち給へば。いしのどそうは
ひらけにけり。こがねのはこの
ふたをひらき。ふしやうの手(て)
にとり。わがやにかへり給へば。御
さうしなのめならずにおぼし
めし。三日三夜にかきうつし

給ふ。きどくのひやうほうなれ
ば。あとはしらかみとぞなり
にける。天女み給ひ。いかにや御
身きゝた給へ。此まき物のしら
かみに成うへは。さだめてしるしあ
るべし。大事(だいじ)のいできぬその
さきに。はや〳〵かへり給へとぞ
仰ける。よしつねきこしめし。
大 事(じ)出来(いでき)御身の命(いのち)のがれ
ずは。われもともに御身のごと
く成べし。さらずはあしはら国(こく)
へいさらせ給へ。御とも申さんと
ありければ

【絵画 文字無し】

天女是をきゝ給ひ。あしはら
国(こく)へまいる事。ゆめ〳〵ならざ
る事にて有。なごりおし
みの物がたりに。此ひやうほうの
いとくをかたりきかすべし。御み
を返(かへ)し申さんに。さだめて討(うつ)
手(て)むかふべし。そのときゑん
さんといふほうを。をこなひうし
ろへなげさせ給ふべし。うみの
おもてに。しほ山いできあひ
へだゝるべし。山をたづねんそ
のひまに。にげのびさせたまふ
べし。第(だい)三のまき物に。らむ

ふうひらんふうといふほうを。
をこなひ給ふものならば。日本(にほん)
の地(ち)に程(ほと)なくつかせ給ふべし
みづからがことをおぼしめし給
はゞ。大日の一のまきに。ぬれ
てのほうと申ををこなひた
まひて。けんさん【建盞=中国、宋・元時代建窯で作られた天目茶碗】にみづをいれ。
あふむといふもじをかきてみ
給はゞ。その水(みづ)に。ち。うかひ申
べし。そのときちゝの手(て)に
かゝり。さいごぞとおぼしめ
し御きやうよみて
   とふらひたまへ

【絵画 文字無し】

大 事(じ)いできぬそのさきに。
とく〳〵かへり給へとて。天 女(によ)は
うちに入給ふ御ざうしはしのび
てだいりを出させ給ひ。かんふ
う川へ御ふねをのり出させた
まへば。あん【案=予想】にもたがはず。た
いりには火(ひ)のあめふり。いかづち
なり【鳴り】くらやみにこそなりに
けれ。大(だい)わう大(おほ)きにおどろき。
ついぢにこしをかけたまひ。
つく〴〵物をあんじ。かのくはん
きよがひようほうを望(のぞみ)て。
これまでわたりしを。ゆるさ

ずして有つるが。天女があ
りどころををしへとらせけ
るぞとおもへば。たちまち
しらかみのまき物。二三ぐわん
御まへにふきぐたる。あんにも
たがはざれば。をつかけよとあ
りしかば。あはうらせつ【注】の鬼(おに)
ども。千(せん)人ばかり出(いで)あひて。我(われ)
さきにといそぎつゝ。てんくはん
のぼうにぶすのやをはめて。
うきぐつ【浮沓=馬にはかせる水上歩行の靴】といふむまなどに。
うちのりてこそをつかけゝ
る。御ざうしあとをきつとみ。


【注 阿傍羅刹  阿傍=地獄の獄卒。羅刹=人をたぶらかし、血肉を食うという悪鬼。阿傍羅刹とは阿傍の暴悪さは羅刹に等しいところからいう】

あんにもたがはず天地(てんち)をひ
びかしをつかけゝる。すてに
御ふねまぢかくみえしかば。天女
のをしへ給ひし。ゑんまんの法【意味不明】
ををこなひ。うしろへなげさせ
給へば。へい〳〵たりしうみ【波のない穏やかな海】
のおもてに。しほのやま七ツ
までこそいできたれ。この山
をたづぬるそのひまに。早(はや)かぜ
のほうををこなひつゝ。さきへ
なげ給へば。にはかに大かぜふき
来(きた)り。四百三十 余日(よにち)に
         わたりしを

【絵画 文字無し】

七十五日と申には。日本(にほん)とさ
のみなとにつき給ふ。さる程(ほど)
に鬼(おに)ども。御ざうしをみうし
なひ。せんかたなくてたち帰り。
此よしかくと申せば。大わう大
きにはらをたて。天女がくはんき
よに心をあはせたる事。うたが
ひなし。天女がしわさなれば。た
すけをきてせんなしとて。
花(はな)のやうなる天女を。八ツに
さきてぞすてたりける。この
天女の本地(ほんぢ)を。くはしくたづぬ
るに。日本さがみの国(くに)ゑのし

まのべんざいてんのけしん也(なり)。
よしつねをあはれみ。げんじ
の御よになさんため。おにのむ
すめにむまれさせたまひ。兵(ひやう)
法(ほう)つたへんそのため。かやうの方(ほう)
便(べん)有とかや。さるほどによしつ
ね。ひやうほうのまき物 取(とら)せ
給ひて。とさのみなとへつき
給ふ。あふしうにくだりたまひ。
ひでひらにかくと仰ければ。
ひでひらはうけ給はり。さても
御いのちはてさせ給ふかと。
あんじ申ところに。兵法伝(ひやうほうつた)へ

かへらせ給ふ事。日本はやす〳〵
きりとらせ給ひ。源氏(げんじ)百 代(だい)の
代(よ)とならんことうたがひなし
とて。よろこぶ事かぎりなし。
是ほどの君はあらじとて。いね
うかへかう申けり。さる程に
よしつねすこしまどろみ給
へば。天女 枕(まくら)がみにたちそひて。
の給ふやう。御身は何共(なにとも)なくわ
たらせ給ふ物 哉(かな。)みづからはだい
わうの手(て)にかゝり。空成(むなしくなり)候へ共。
御身ゆへの事なれば。いのちは
つゆもおしからず

【絵画 文字無し】

二 世(せ)のちぎりはくちせじと。な
みだをながし給ふかとみえさ
せ給ひければ。御ざうしかつは
と【かっぱと】おきさせ給ひ。いかにやと。い
はんとし給へども。ゆめにて
有。あはれとおぼしめし。なみ
だをなかし給ひ。あまりのふ
しぎさに。天女いとまごひ有
し時(とき)の給ひけるごとく。けん
さんに水(みづ)を入。大日のほうの一
のまきに。ぬれてのほうを行(をこなひ)
て。あふむの二 字(じ)をかきてみ給
へば。やくそくにたがはず。

血(ち)一てきうかひたり。さてはう
たがひなしとて。なげき給ふ
事かぎりなし。さて御そうを
くやうし。御きやうをよみ。さま
ざまとふらはせ給ひけり。昔(むかし)よ
りいまにいたるまで
  ふうふの中ほど
    せつなる
 事は
  よも
    あらじ
  かくて
     ひやうほうゆへ
       日本国を

  おもひの
    まゝに
   したがへて
     げんじの
    御代と
   ならせ
    たまひ
     けり

【朱の印影⒈ 二文字くらいの楕円判(読み取り難い)の真上に押印】
長相■
【朱の印影⒉ 二行書きの左三文字を消してある様。】
學■【「會」カ】■■
■■■印

【文字無し】

【裏表紙 文字無し】

【和綴じした冊子の背側からの写真】

【和綴じ冊子の頭側(天)の写真と思われる】

【和綴じ冊子の背と反対側(前小口)の写真】

【和綴じ冊子の地からの写真と思われる】

【帙の表側 整理番号のラベルと冊子の題名を手書きしたラベル】
JAPONAIS
5619

御曹子島渡下

【帙の内側 書店のラベルと手書きの蔵書の整理番号】
奈良絵丹緑本 御曹子島渡巻下
寛文頃刊
室町物語 絵8図
        一冊
     ¥
 東京・神田 玉英堂書店 ☎03(3294)8045

JAPONAIS
5619

BnF.

【函?】

【白紙】

【表紙】

【題字】きふね 上


【管理タグ】
JAPONAIS
5331
1

中ころの御かとをはてんへいほうわうとそ
申けるそのころうちの大しん殿とておはしける
か御とし二十五にてけんふくしせうしやうより
中将にならせ給ひてさたひらとそ申けるよう
かんよにすくれてわかてうにならひなきほとの
ひなんとそや有けるさる程に御かとの御おほし
たくひなふして御身をすこしもはなし給ふ
事なかりけりあるよ中しやういつよりも心を
すましてふえをそふかれけるほうわうよりちゝ
の大しんをめしておほせけるはいつとなく中
しやうかやうに心をすましよをうきやうにおほ

ふるなるいかならん人をもたつねて心をもなく
さめよかしとせんし有けれはちゝの大しんよろ
こひてそのころ天下に見めかたちいつくしきと
いふほとのひめきみなんとをむかへとりくきやうてん
しやうをきらはすしてむかへてみせまはらせ給ひ
けれともさら〳〵御心にもあひ給ふ人もなしさて
もむかへてはをくり〳〵なんとし給へりさらはたゝも
をくりたまはすしてさうをつけてそをくられける
せいのたかきはみやま木のさういろのくろきはう
しのさうさのみしろきはおめたるさうかみのなかきは
しやしんのさうみしかきはきしんのさうとてをくり


給ふさら〳〵御心にあふ人なかりけりちゝはゝこの事を
のみ心くるしくおほしけるそのおりふし御かとには
あふきあはせの有へきよしせんしなりけれは公卿
てん上人おもひ〳〵にあふきをたしなみ給ふなり
なかにもうちの大しんの御ためには御おとゝちう
しやうにはおちなりをゝとのはこゝろきゝにておは
しけれはしろかねのゑりほねにはこかねのかなめ
をそさせられけるか日ほん一のゑしにこかね十両
とらせてようかんいつくしき女はう一人かたを給ふ
心をつくして卅日はかりにかきたてけるかのねう
はう三十二さうをかきあらはし見れはたゝわらひ

ものをいふやうにていかなるおにかみなりとも
いかてかこれにめてさるへきとそ見■さる程
にあふきあはせの日とも成けれはめん〳〵に
あふきをいたし給へともこのあふきにならふは
なかりけり

さてもこのあふきを御かとゑひらんまし〳〵て
めしをかれけるあるときほうわう中しやうに此
あふきをたひにけりちう将このあふきをつく〳〵
とみていかなる人をえしかみて此女はうをかき
たるらんいかなるさたひらなれはおほくの人をみし
かともこのゑににたる人もなしにんけんとしやう
をうけなんしの身とうまれなはかやうの人に
ちきりをこめ一夜なりともなれこそめてこそ
世にあるかひとも有へきにとおほしめすよりも
恋となるこそかなしけれ百二日とすき給ふ程に
さらにゆみつをたにものみたまはすちゝはゝこれをは

しらすしていかなる心やらんとてきそうかうそう
をしやうし大ほうひほうをつくし給へともさらに
そのかひこそなかりけれ御かとも御心くるしく
おほしめしてさま〳〵の御くわんともたてさせ
給ふこそ有かたき事ともなりと人々申あへり
されともそのしるしもなかりけりおちおほい殿
中しやうをつく〳〵と御覧してこれはいかさま
たゝのやまうにてはなしよしなき人を一め見て
かなはぬ恋となり給ふへしたらひぬしある人なり
とも人をたすくるならひなれは昔も今もれい
おなしなとかなはてさふらふへき心中をのこしたま

はすかたり給へと仰けれは中しやうそのときさた
ひらてんかにかくれなきひしんときこえし人々を
かすをつくしてみせ候へはたれをか心にかけさふ
らふへきさりなからいつそやのあふきを御かとより
給りてつく〳〵とみておもひしやうはあはれにん
けんとむまれるはかやうの人を見候はゝやと思ふ
よりむねふさかり心もわつらひこれよしなき事
とおもひ候へともさら〳〵わすれ候はぬこれこそはみぬ
恋と申ものにて候らんわれなからおこかましく
おもひ候へとも心は身にもしたかひ候はすとのた
まひけれはおほいとのうちわらひ給ひまことに

わかき人そやかゝるはかなき事をおもひ給ふ物かな
こひのみちは色〳〵ありと申せともみぬこひを
めさるゝ事のいとをしやこれはそも日ほん一の
ゑしの上すかゑのくにてこゝろをつくしてかき
たるめ夢をみて身をいたつらになし給ふこそふし
きなれいかにこひ給ふともなにとしてかなはせ給ふ
へきそ人き■んもしかるへくはおはしまさぬそ
おもひとゝまりて心をももちなをし給ふへしと
かへす〳〵けうくん申させ給へともけにもと
おもふけしきはなかりけり

いよ〳〵よはり給ふほとにはやくひやうこうの
人そかしとてなけき給ひけり中将の給ひ
けるはわれもよしなき事とおもへともわすれ
もやらすこれもせんことならぬ事なりちからをよ
はすとてふし給ふとても有へきいのちならね
はかつうは御ゆるしも有へしをそれいり候へと
もなをもむかしかいまの御物かたりけん御きかせ
候へとちゝはゝの給へはおほい殿もとよりさいかくけん
しんふさうの人なれはむかしかとのおもしろきもの
かたりみめよき人の物かたりをその給ひける中
にむかしにもあらすこのちより下にあたりて国

ありなをはきこくといふ大わうをはらんはそう
わうといふきさきをはひらんは女といふむすめ
二人ありあねをは十らこせんと申いもうとをは
えつ女のみやと申なりこれは十五に成けるかみめ
のよき事は中〳〵をろかなりかんかほんてうにも
有かたしひしやもんのいもうときちしやうてん
女と申ともこれにはをよひかたし卅二さうの
かたちにてあふきのゑなんとはいかゝならふへきに
あらすたゝしこれもわかてうにあらすおにの
むすめされはをとにきゝたるはかりなりあはれ
このよの事ならはいかなる事なりともいかてか

中〳〵をろかにあはさせ申さるへきたゝわらひ
事なりとそかたり給ひける中しやうこれを
きゝ給ひてとても我か身はうすへき露の身
のなかれはつへきよにあらすいかなる神ほとけ
にもきせい申さはやとおもひたち給ふこそ
かなしけれとおほい殿はもしもやこの事やみ
なんとむかしかいまの物かたりし給へともその
かひそなかりける中しやうちゝはゝに仰せ
けるはさたひらとてもすつへきいのちにて候へは
御ゆるさせ給ふへきたゝわらひ事なりとそ
かたり給ひける中しやう是をきゝ給ひて

とてもわか身にはいとまをたまひ候ていかなる
神ほとけにもきせい申もしおもひなをし候て
かへり申へしとの給ひけれはもしもなくさみて
なをる事もやありなんとおほしめしともかく
もと有けりほうわうもこのよしきこしめし
てちからなしなくさみてとく〳〵かへり候へきとの
せんしなりけりさて中将は人二三人めしくし
てきやう中のかみほとけにこもりねかはくはき
こくのおにかむすめこんつ女のみやを一めみせ
給ひ候へときせい申されけるさるほとに秋も
すきふゆのはしめに成けれはやまとのかたへ

まいりてはせのくわんをんに三七日こもりてき
せいを申されけれは三七日にまんする夜すみそ
めのころもをめしたるらうそうのかせつえにす
かりて仰られけるはわれはこれ卅三しんに身
をへんしてしゆしやうのねかひをみせんと思ひ
しかともあふみの水うみ七とまて山となるは見
しかともなんちにこひをはいさしらすきこくへ
ゆく事なしこんつ女とやらんもみすおにのす
みかへ行事なれはそのむすめとやらんをみたる事
はなけれともなをもこひしくは京へのほりてくら
まへ参りひしやもんにきせひを申給へもし

もやあるへきとの給ひてかきけすやうにうせ給ふ
中将うちおとろきてふしきなるゆめかなと思ひ
てさてわか申事かなふへき事すこしたのもし
くてよろこひのらいはいまいらせてけかう申
されけり

御ともの人々をもこれより都へかへるへしわれは
ならのかたへまいり候てそのゝちみやこへ帰るへし
との給ひけれは御ともの人々はいまゝて御とも
申候ていまさらかへり候事はゆめ〳〵候ましき
よしかたく申されけれはもつともそれはことはり
なれともたゝみなかへるましきならはこゝにて
さたむるなりとの給ふほとに御ともの人々は心
ならすみな〳〵宮こへそかへりけるしん中はしつた
たいしのそのむかしたんとくせんに御ともせし
しやのことねりか心のうちをもいまこそおもひ
しられけりさて都へかへりて大しん殿にこのよし

くはしく申けれはいかゝならんとて人をはみな〳〵
かへしけるそやとていまさらなけきかなしみ給ふ
事かきりなしさても中しやうは身をやつし
むさうのことくにくらまへ参り給ひける一七日に
もしけんなし二七日にもしるしなしすてに三七
日にもをよひけれは中しやううらめしのたもん
てんやなほんほう七まんさはうあひたに卅六てん
のふつほうのひやうしをし給ひて一さいしゆしやうの
ねかひをみてんとこそうけたまはり候に此くわん
をしめたまはぬかなしさにけに〳〵かなはぬものならは
たゝわかいのちをめしてたひ給へとかんたんをくたき

申されける程に三七日にまんする夜ひしやもん御
出ありてゆめともうつゝともなく中しやうにのた
まひけるはなんちかこひかなしむ女はうのちゝは
らんはそうわうといふおに也たけは十六ちやう
おもては八はい大たうれんといふつるきのことし
くちよりふきいたすいきは百里千里のことし
あかき事はひにもすくれたり物をいふおり八の
口より出るこゑはなるいかつちのひやくせん里をなり
まはることし人とめみえんのち命有へからすか
やうのおにのむすめをこひていのちをうしなはん
やとのたまへは中しやう申させ給ふやうあはても

うすへきいのちにて候へはかの女はう一めなりとも
みていかにもなり候はゝやと申されけれはひしや
もん此よしきこしめし此うへはちからなしなんちか
まいりし日よりこのこんつ女はにしのつまと
にこもりてありゆきてふさいとさためよとてかき
けすやうにうせ給ふさて中将うちおとろきて
夢かうつゝかとよろこひのらひはいまいらせてつ
ま戸をあけて御らんをれはとしのほとは十五六
かとおほしき女はうのこうはいの五つかさねの
つまをとりたゝ一人そたち給ひける中しやう
うれしくおほしめしむねうちさはきたちよりて

いつくよりの人にてましませはこのやまにたゝ
ひとり御まいり候やらんとの給へはかのねうはうかほ
うちあかめて申やうわれはきこくのものにて候
ほとに人をもつれ候はす候との給へはちう将この
三七日こもりまいらせ候也こん夜のしけんにけさみ
たてまつらん女はうをふさいとたのめとの御をしへ也
ほとけの御はからひとしてなにかくるしく候へき御
とも申候はんとの給へはこんつ女きこしめし
わらはかすみかと申はふつほうもなし人もなしか
やうにおそろしきところへわたらせ給ふへきやと
申されけれはちうしやうおほせはさる御事にて

候へとも心しつかに物かたり申てきかせ申候へし
とてこしよりあふきをとり出しこのあふきを
みそめしよりみぬこひにまよひすてにいのちうせ
なんとせしに御身の事を人の物語せしにすこし
なくさみてさくらをかさす春よりも雪ふるとしの
くれまてもふつしんにかんたんのくたきみをいた
つらになしきせひ申せし事はかた時もおこたら
すふつしんもあはれとやおほしめしけん御みに
あひたてまつる事も仏しんの御はからひなり
心つよくわたらせ給ふかとてあふきをみせ給へは
こんつ女申させ給ふやうわれくらまへまいりしに

かのゑしか此ゑをかゝんとてくらまへまいり一七日
こもりきせいを申せしにわらはをゆめにみて
かきたりとてひきたまひ候へはちうしやうゑの
女はうとかのねうはうをみくらへ給へはゑ女はうは
ことのかすにてかすならすいかゝ心つよくまします
そかのねうはう申やうさなきたに女はこしやう
さんしゆの五のまき大はほんにもとかれたり
一しやふてさほん天わう二しやたいしやく三
しやまわう四しやてんりんしやうわう五しやふつ
みんともとられたりこつしやうのくもはれやらて
けんねんむりやうこうとて人のねんのかゝる女は

五百しやうかそのあひたうかむ事なしときくなれ
はかすならぬ身をはおしみ申さねとも御身をみ
たてまつるにちゝにもはゝにもひとりこなり御
としもいまた十七にこそならせ給へわらはにとも
なひておはしまさはちゝ大わうしらせ給ひて十日
ともなからへ給ふへからすたゝしかるへくは此事御
とゝまり給ふへし中将の給ふやう御身ゆへに
わらはかいのちをすつる事は露ちりよりもおし
からすしかるへくは御とも申候はんとの給へは此うへは
ちからなしいらせ給へとてくらまのおくそうしやうか
たにのおくに大なる岩あな有ける此所へいりたる

物ふたゝひかへる事なしこれまてにてこそ候へ然へ
くは御かへり候へとわらはつねにくらまへまいり候
そのときあひはんへり候へしとの給へはちうしやう
御身になれまいらせていのちこの世にあらはこそ
とて御そてにすかり給ひてうちへいり給ふ

かのいはあなのうちへいるよりも月日のひかりの
なけれはちやうやのやみのことしあんけつたうも
かくやとおもひけるそれを十五日はかりかほととをり
たるとおほしくてみれは大なるくにこそあるらんと
おもふにみやのたまひけるは御身は我につき給ふ
ゆへにくにをも見せまいらせ候へともくるしからす
候とてたかき所へつれてあかりみせ給ふに日本
をいくつあはせてもかくひろくは有へきとおほ
えけるそれよりおもてへゆきみれは大なる川
ありおもしろきはしをそかけたるそれをうち
わたりはるかに行てみれはくろかねのついちを

たかさ十ちやうはかりつきたりおなしくくろかねの
もんをそたてたりけるあれはいかゝととひ給へは
これこそちゝ大わうのそうもんとの給ひてうち
へいりはるかに行てみれはしろかねのついちを
十ちやうはかりにつきておなしくもんをそたて
たりけるこれは中もんなりまたそれを辺に
行てみれはこかねのついちをおなしことくにみかきて
もんをそたてたるその中をみまはせは心こと
はもをよはすこん〳〵にみかきたりかたはらに
みやのすみかへくしまいらせける中将御らんして
わかてうのみやこはことのかすにてかすならす

こかねしろかねにてみかゝせかゝみにかけのうつる
かことしかんやうきうもかくやらん四十八てんにも
すくれたりこかねのとひら七えのびやうぶ八え
のきちやうのうちにひよくのかたらひあさからすし
ておはしけるこそはかなけれみや中将にの給ひ
けるは御身ははなのみやこの人けんけつけいうん
かくあひそえてしひかくはんけんのあそひして
日をくらし給ふへき人のよしなきわらはへにあひ
そひて人もなきおにのすみかにおはしますこそ
かなしけれいさいらせ給へ四きのていをみせ申
さんとていさなひ給ひてまつひかしを見るに

春のけしきとうち見えてむめはちりさくらは
さきみたれかすみたなひきとを山のうくひす
ちかくをとつれて心ことはもをよはれすまた
みなみを御らんすれはなつのけしきとうちみえ
ていけのふちなみしまのきしにそかゝりける
とこなつ山ふきさきませていけの水にやうつる
なるにしをはるかに見給へはあきのけしきと
うち見えてなかむる野へのはきのはなみたれあひ
ぬるいとすゝき月ふきしけるをはなかともしをん
りんたうをみなへし露をもけなるけしきなり
むしのねすこく色〳〵に秋のあはれやしらるらん

又きたをはるかになかむれは冬のけしきと
うち見えてうきくものあらしはけしきこすゑ
まて雪ふりつもるとを山のふもとはいけのこほり
にとちうきとりさむくとひちかひあそひける
きこくとはいひなからかゝるめてたき有さまなりと
御覧しけるに

みやの給ふやうこなたへいらせ給へやくものけし
きかせのふきやうちゝ大わうの御かたより御つ
かひありとおほゆるなりしはらくかけにて御
覧せよとてひやうふのうちにかくしけりすこ
しあけて御らんすれはなるいかつちのをとして
大わうの御つかひきたりけりそのたけは五ちやう
はかりなるかまなこ三つつきてくちはみゝのきはま
てひろくしてつるきをならへたることくにはを
くいちかへてみやの御まへにひさまつひてそゐたり
けるか申やうは大わうおほせ候はん事の候そとく
〳〵御出候へとの御つかひにて候と申けれはみや

おほせらる候やうこのほとくらまへまいり候てけ
かうして候やかてまいり候はんと申候へと仰けれは
かのつかひかへりけるかかとのあたりよりもとりて
申やうは此御所のうちはかいせん人くさく候日ほん
より人つきてまいり候はゝたまはり候へこのほと
大わう御かさけに御入候にゑにたてまつらんと申
けれはみや此よしきこしめしなにしにか日本より
われに人のつきてはきたるへき此程わらはふつ
ほうちかき人の来りあつまり候くらまへまいりつる程
にみつからか身こそは人くさく候はんとの給へは

さにては候はすかいせん人くさく候物をとつふや
きてそかへりけるそのゝち中将ひやうふのうち
より出たまひいまの御つかひはなにと申おにゝて
候ととひ給へは大わうのつかひ給ふみつしのむすめ
にてをとわかとてしやうねん九さいになり候との
給へは中将きゝ給ひてこれさへかゝるけしきなるに
のこりのきしんいかはかりとの給へはみやきこしめし
をろかの仰やなはしめより申せし事をいまさら
おとろき給ふかやわらは大わうにまいりたらんには
いしのからひつに百いろ千いろいれまいらせてうつむ
ともきしんともさかしいたさんにはかくれなし

せめてかなはぬまてもくしたてまつりてこそと
おほしめし四くはんちやうといふつえにて中
しやうをさすり給ふこのつえは人を大きにな
さんとおもへは大きになる又ちいさくなさんと思へ
はちいさくなる也これにてさすり給へは中将
三すんはかりになり給ふ

【裏表紙】

BnF.

【資料番号 4322 2は同じものが重複していて翻刻済】

BnF.

【丸ラベル「185」】
【角ラベル「SMITH-LESOUEF JAP 185」】

【色紙白紙・文字なし】

【花鳥画図・文字なし】

【花鳥画図・文字なし】

【花鳥画図・文字なし】

【花鳥画図・文字なし】

【花鳥画図・文字なし】

【花鳥画図・文字なし】

【禽鳥画図・文字なし】

【花鳥画図・文字なし】

【花鳥画図・文字なし】

【花鳥画図・文字なし】

【禽鳥画図・文字なし】

【花鳥画図・文字なし】

【禽鳥画図・文字なし】

【飛鳥画図・文字なし】

【禽鳥画図・文字なし】

【禽鳥画図・文字なし】

【禽鳥画図・文字なし】

【禽鳥画図・文字なし】

【禽鳥画図・文字なし】

【禽鳥画図・文字なし】

【色紙白紙・文字なし】

【色紙白紙・文字なし】

【花鳥画図・文字なし】

【禽鳥画図・文字なし】

【花鳥画図・文字なし】

【花鳥画図・文字なし】

【花鳥画図・文字なし】

【花鳥画図・文字なし】

【竹鳥画図・文字なし】

【花鳥画図・文字なし】

【花鳥画図・文字なし】

【花鳥画図・文字なし】

【花鳥画図・文字なし】

【花鳥画図・文字なし】

【花鳥画図・文字なし】

【松鳥画図・文字なし】

【禽鳥画図・文字なし】

【花鳥画図・文字なし】

【花鳥画図・文字なし】

【花鳥画図・文字なし】

【禽鳥画図・文字なし】

【色紙白紙・文字なし】

【色紙・題箋・文字なし】

【冊子を閉じた状態での正面側または背中側からの写真】

【冊子の上側まはた下側からの写真】

【冊子を閉じた状態での正面側または背中側からの写真】

【冊子の上側まはた下側からの写真】

1– Garrulax - ?【ガビチョウ(画眉鳥)属鳥類】
2- Zostera Japonica. 【コアマモ(小甘藻)ヵ】
3- Microcelis Acuaurutis. 【不詳】
4- Garrulus Japonicus. 【カケス属鳥類】
5- Gecinus 【対】Awakera. 【不詳】
6-
7- Heterornis 【Heterosis(雑種)ヵ】 Pyrrogenis.【不詳】
8-
9-
10-Parus minor. 【シジュウカラ】
11-
12-Emberiza Elegans. 【ミヤマホオジロ】
13-
14-Coccothraustes Melanura. 【シメ属鳥類】
15-

16- Turdus Cardis. 【クロツグミ】
17-
18- Loxia curvirostra. 【イスカ】
19- Accentor 【イワヒバリ属】 Rubidus.
20- Turdus Fuseater. 【ツグミ属鳥類名ヵ】
21-
22-
23- Hypothymis Phanomelanar. 【カササギヒタキ科鳥類名ヵ】
24-
25- Sturnus Cineraceus. 【ムクドリ】
26- Asupelis phoenicurus. 【ジュウビタキ属鳥類名ヵ】
27- Fringilla Montifringilla. 【アトリ】
28- Chrysotnitris Sinus. (?)
29- Parus Varius. 【ヤマガラ】

30- Chloropira Kawariba y. (?)
31-
32-
33-
34- Alauda Japonica. 【ヒバリ】
35- Calliope Kamtebatkeusis. (?)
36- Phyllopueuste Coronatus. (?)
37-
38- Calumaherpe (?) orirntalis.

BnF.

木曾街道名所一覧
 出来賣出し申候

文政戊寅新鎸

 葛飾前北齊戴斗老人画
東海道名所一覧
  東都書林  衆星閣藏 【印】

【No 2231】
【下部に手書き文字 grole danoneg (?)】

BnF.

【この資料は重複していてすでに翻刻済】

BnF.

【表紙 文字無し】

【表紙裏(見返し) 資料整理番号のラベル】
JAPONAIS
 333

【文字無し】

【白紙 文字無し】

【白紙 文字無し】

【上部に数字】
1081【横線を引いて消している】
 333

R.B
1843【この二行を大ガッコで括り横に】
3296 bis

【白紙 文字無し】

蕙齊先生筆
《割書:草|花》略画式
【左端に】
草花略画式

いたゝきのうへをほうらいの山になしたなうらにこかねの
大殿をつくるわさもこそあれ春のあした萩すゝきの
にほへるを見秋のゆふへさくら山ふきのめてたくさき
たらんを見んことはいかなるたからのわうなりとも
なしやはうへき【放僻】いてやゑにかけるは草にまれ木にまれ
あらき風つゆしもにあてしといとはるゝこともなし
夏のよもみちのかけにすゝみ冬のつとめてはちすの
はなのひらくるを見るさまをゑかゝんともおのか心の
まゝなるをやたとへは花をめて月をあはれまんにも
ゑをこそかゝまほしけれされはむかし人も手ならひの
かたへにはまつはこの道をこそまなはれしかその本と

すへきはこのふみにしくやはあらんしかもこのふみのこと
風をもゑかゝすして風のけはひいちしるくつゆをもあらは
には見せて枝のおもけなるさま花のさきこほれたるいろとり
くちきかき【朽木書き=焼筆で絵をかくこと】のすみをにほはせたるなとことそき【ことそぎ=簡略にする】たるものから
すへてたゝそのものと見ゆるにはかのもろこしふりなる十日と
いふになかれひとすちをうつしいつ五日といふにいしひとつを
ゑかきむつののりをそなへとをあまりふたつのいむ
ことをまもるともこのふみの右にいつへきことかたく
なんあるへきかくいへるは文化とゝせといふとしの
しはすこのふみのあるしのともなる平由豆流しるす

福寿草【艸】

なたねの花

しやくやく

もくふよう

もくらん

ゆきの下

ふしはかま

【前コマの続きか 菊の絵 文字無し】

夕かほ

きちかう【桔梗のこと】

をみなへし

ほたん

せにあふひ

おしろい

なてしこ

ひあふき

ゆり

あさかほ

かきつはた

やまふき

水なき
かうほね

あやめ

さんひち【さんしち(三七)草】
まんしゆさけ

かうさい
ふとゐ

よめな
すゝき

あちさひ

しとめ

のうせんかつら

かふそ

をくるま草

さくら草【艸】
すみれ
つくし

けし花
さきこけ【さぎごけ】

ひしん草【艸 「美人草」=ひなげしの異名】

さくろ

とりかふと


草【艸】

すまふとり草【艸】

はす

ひるかほ

せんおうけ【仙翁花】

姫ゆり
小菊

けし

とらのを

つゝし【躑躅】

しをん

花さうふ

ひきり【緋桐】

ふさうけ【扶桑花。仏桑花とも。】

はまきく

すいせん

【右上から時計まわりに】
うこん
ふくしゆ草【艸】
ゆり
あさかほ
きゝやう

【右から縦に】

すいせん
かきつはた
はす
をみなへし

【右から時計回りに】
かうほね
やまふき
ふよう

【右から時計まわりに】
しうかいたう
夕かほ
けし
あちさひ

【右から時計回りに】
せん翁
たんほゝ
けゝ花【げげばな=「げんげ(れんげ)の古名】
桜草【艸】
すみれ

【右から時計回りに】
すゝき
はき
ゆきの下
しやくやく

【右の行から縦に】
らん
けいとう
なてしこ
たちあふひ

蕙齊筆
【印】紹真

文化十年酉十月
文政八年酉六月改発
          鶴屋喜右衛門
   東都書林
          同  金 助

   浪速書林   河内屋木兵衛

【白紙】

【白紙】

【白紙】

【白紙】

【白紙】

【見返し 文字無し】

【裏表紙の裏(見返し) 文字無し】

【裏表紙 文字無し】

【背表紙】
SO
KWA
ROK
KWA
SIKI

【資料整理番号のラベル】
(JA)PONA(IS)
 333

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【冊子の小口からの写真】

【冊子の天或は地からの写真】

BnF.

日清戰闘畫報 第一篇

Smith-Lesouëf japonais 237 (1)

   ○詔勅
天佑ヲ保全シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐メル大日本帝國
皇帝ハ忠實勇武ナル汝有衆ニ示ス
朕茲ニ淸國ニ對シテ戰ヲ宣ス朕カ百僚有司ハ宜ク
朕カ意ヲ體シ陸上ニ海面ニ淸國ニ對シテ交戰ノ事
ニ從ヒ以テ國家ノ目的ヲ逹スルニ努力スヘシ苟モ
國際法ニ戻ラサル限リ各〻權能ニ應シテ一切ノ手段
ヲ盡スニ於テ必ス遺漏ナカラムコトヲ期セヨ
惟フニ朕カ卽位以來茲ニ二十有餘年文明ノ化ヲ平
和ノ治ニ求メ事ヲ外國ニ構フルノ極メテ不可ナル
ヲ信シ有司ヲシテ常ニ友邦ノ誼ヲ篤クスルニ努力
セシメ幸ニ列國ノ交際ハ年ヲ逐フテ親密ヲ加フ何
ソ料ラム淸國ノ朝鮮事件ニ於ケル我ニ對シテ著著
鄰交ニ戻リ信義ヲ失スルノ擧ニ出テムトハ
朝鮮ハ帝國カ其ノ始ニ啓誘シテ列國ノ伍伴ニ就カ
シメタル獨立ノ一國タリ而シテ淸國ハ毎ニ自ラ朝
鮮ヲ以テ屬邦ト稱シ陰ニ陽ニ其ノ內政ニ干渉シ其
ノ內亂アルニ於テ口ヲ屬邦ノ拯難ニ籍キ兵ヲ朝鮮
ニ出シタリ朕ハ明治十五年ノ條約ニ依リ兵ヲ出シ
テ變ニ備ヘシメ更ニ朝鮮ヲシテ禍乱ヲ永遠ニ免レ
治安ヲ將來ニ保タシメ以テ東洋全局ノ平和ヲ維持
セムト欲シ先ツ淸國ニ告クルニ協同事ニ從ハムコ
トヲ以テシタルニ淸國ハ翻テ種々ノ辭抦ヲ設ケ之
ヲ拒ミタリ帝國ハ是ニ於テ朝鮮ニ勸ムルニ其ノ秕
政ヲ釐革シ內ハ治安ノ基ヲ堅クシ外ハ獨立國ノ權
義ヲ全クセムコトヲ以テシタルニ朝鮮ハ既ニ之ヲ

肯諾シタルモ淸國ハ終始陰ニ居テ百方其ノ目的ヲ
妨碍シ剰ヘ辭ヲ左右ニ托シ時機ヲ緩ニシ以テ其ノ
水陸ノ兵備ヲ整ヘ一旦成ルヲ告クルヤ直ニ其ノ力
ヲ以テ其ノ欲望ヲ逹セムトシ更ニ大兵ヲ韓土ニ派
シ我艦ヲ韓海ニ要撃シ殆ト亡狀ヲ極メタリ則チ淸
國ノ計圖タル明ニ朝鮮國治安ノ責ヲシテ歸スル所
アラサラシメ帝國カ率先シテ之ヲ諸獨立國ノ列ニ
伍セシメタル朝鮮ノ地位ハ之ヲ表示スルノ條約ト
共ニ之ヲ蒙晦ニ付シ以テ帝國ノ權利利益ヲ損傷シ
以テ東洋ノ平和ヲシテ永ク擔保ナカラシムルニ存
スルヤ疑フヘカラス熟〻其ノ爲ス所ニ就テ深ク其ノ
謀計ノ存スル所ヲ揣ルニ實ニ始メヨリ平和ヲ犠牲
トシテ其ノ非望ヲ遂ケムトスルモノト謂ハサルヘ
カラス事既ニ茲ニ至ル朕平和ト相終始シテ以テ帝
國ノ光榮ヲ中外ニ宣揚スルニ專ナリト雖亦公ニ戰
ヲ宣セサルヲ得サルナリ汝有衆ノ忠實勇武ニ倚頼
シ速ニ平和ヲ永遠ニ克復シ以テ帝國ノ光榮ヲ全ク
セムコトヲ期ス

  御名  御璽

   明治二十七年八月一日

        內閣總理大臣 伯爵 伊藤 博文
        遞 信 大臣 伯爵 黑田 淸隆
        海 軍 大臣 伯爵 西郷 從道
        內 務 大臣 伯爵 井上 馨
        陸 軍 大臣 伯爵 大山 巖
        農商務 大臣 子爵 榎本 武揚
        外 務 大臣    陸奥 宗光
        大 蔵 大臣    渡邉 國武
        文 部 大臣    井上 毅
        司 法 大臣    芳川 顯正

第?序
古事を描冩するは、猶雲露を隔て、
艶花を望むに均しく、未だ嘗て隔鞾
掻痒の感ならむはあらす、前古用
ゆるゝ處の、衣冠什器の類、物換り星移
るに従ひ、変遷始を遺すことなし、若し
幸に當年の状況を模冩し切るものあら
は後世大に資益するところあるへし、然
れとも数百年の後に至ては、いよに精
故研究するも、尚差異なきこと能はす、
然らは即ち、語り聞き古寺を冩しては
碗〻以て労せむよりは、寧ろ其目睫の間に

□横せる、今事を描くの□易にして、而も
真を得るの□きには如かざる也、
信實の畫師草紙、覚猷の□□冊子
又平一蝶、長春筆の、浮世絵の今人に
学重せらるゝものは、豈□□筆墨の
秀抜なるのみならむや、蓋し衣冠と
知り、風俗を□するに明らかなるを以てな
り、所謂六籍と功を同ふするものならむは
あらす、
余□に國民新聞通信員として、□
□に航し、京城□□、成歓の戦争、親しく
これを目撃することを得たり、帰来、友

人の当時の状況を尋問する者多し、一〻
これに応答するの煩なるに堪へす、是
等の事は、世人皆知らむと欲する所のも
のなれは、以謂らく、今もし遊画にして、
其真を寫したるものを以て、江湖の御覧に
供せは、□幾かは人皆其一班を知り、思ひ半
に過るものあらむかと、遂に砲烟弾雨の
間に、写生いし来りたる者を、更に浄写
して、梓に上すことゝせり、然れとも拙陋麤
莽の筆、画虎類狗の誹り譏を免る能はす
といへとも、□□後世史を修むる人の一
助するもの有らは大幸なり、

稿を筆するの初め、偶ま役務あり、専ら
これか□写に従事する能はす、而し
て、書肆主人の督促すること甚急な
れは、舎弟金僊をして、其二三を画か
しむ、龍山野営、大鳥公使入闕、戦利品
運搬、日本兵□王城諸門、及ひ龍山凱
旋の諸図、乃はち是なり、
 明治甲午小春
        米齋田明識

朝鮮全羅道に於て
東學党蜂起し
招討使鎮撫に向ふ

韓廷遂に援を清國に請ふ
李鴻章其麾下の精兵数千
を送り牙山に上陸せしむ

明治廿七年六月 日大鳥公
使は仁川に着し翌拂暁に
兵四百餘名を與に陸行し
て京城に入る

同月
十二日
より以
後日
本陸
軍兵
陸続
として
仁川に
来る

我兵京城に
入りて日本居
留地を衛る

日本軍隊の仁
川に駐屯せるも
の一半は居留地
に舎営し一半
は日本公國地
に野営し時
々これを交代
せり

日本軍隊は龍
山に幕営をなし
同處萬里倉に
参謀本部を置
く又漢江一帯要
害の地は哨兵を
置き以て之を扼
取せり
 龍山は京城を□
 る里許にして漢
 江の瀬にあり
  (此図 金仙筆)
【米斎の弟の金僊は金仙と表記されることあり】

南山野営
 月高くして千里
 明かき風冷にし
 て露気深く鴻
 雁度〻草蟲
 吟す秋風この夕
 豼貅の心堵果して
 什麼

數日來病
と稱し居
たる哀世
凱は七月十
九日午前
四時突然
微行して
京城を出
て直に仁川
に下り軍
艦揚威に
搭して本
國に帰り
去れり
【袁世凱の「袁」が亠口衣ですが書き手は「哀」の異体字と承知で使っていると考えます】

七月十九日
大鳥公使
韓廷に照會
せることあり
二十三日午後
十二時を期し
て回答を望
めり期に至て
答へは來れ
り大鳥公使
はこの答に對
して何か決
する所あり
且韓廷王の
委嘱に依て
兵を送りて
王宮を守
護せしむ時
に七月二十三日
午前五時過
なりき而し
て我兵の王
城裏門より
入らんとせし
ものに向ひ閔
族雇兵の
發砲せし
より已むを
得す應戦
し十五分時
にして是を
追ひ退けた
り韓兵多
く北岳(王城
の後に峙てるも
の)の上に遁け
去る

この朝大
鳥公使は
大禮服を
着して王城
に参内し
王に謁して
韓廷改革
の事に付奏
上する所あ
り程なく王
使は大院
君の邸に
到りて弊
政改革の
任に當ら
れんことを
托せり王使
一度ひにし
て大院君
起つ

大院君我兵一中
隊に護せられて王
宮に来【木の下に木】り其正門
光化門より入るを欲
せずるを以て西門
より入闕したりけり
此時驟雨沛然と
して至り天地為に
暗澹たり

大院君
国王に面
謁するや
暫く相對
して一語な
く互に涙
の泣如たる
を覚へざ
りきといふ

王城四面の諸門は遂
に我兵の守護する
䖏となりぬ蓋し王
城の内に於て騒擾あ
らざらしめんか為也

この朝閔兵より分
捕したる刀槍砲□【石篇に充 u2549d】
は一時預り置かんと
て悉く龍山野営
に送りたり

          金仙補筆

二十三日午
前三時頃
我兵一中隊
は親軍総
衛営に至
り韓廷に不
忠なる閔
兵に向ひ穏
かに戎器を
渡して引
拂ふへしと
言ひ入れた
るも彼の發
砲したるよ
り直に門
を破りて入
り遂に我兵
の守䕶と
なりぬ

海戦
 其一

七月廿五日午前
七時我艦隊は
回航中南陽湾
前豊島附近に
於て清兵を載せ
たる運送船を軍
艦の護送し来
れるに出遇ひ彼
の発砲したるにより
直にこれに應し
激戦一時二十分
に互りしに遂に
其の運送舩を
打沈め廣乙號
を焼失せしめ
軍艦操江號
を捕獲したり
けり

海戦
其三

明治廿七年八月一日を以て我邦は淸國に對し戰端を開くべき旨を
各國に通達し、仝九月十三日畏くも 天皇陛下御親征として大纛を
廣島に進められ遂に同地に臨時議會を招集せらるヽに至りき。今そ
の淸國と開戰せし所以を尋ぬるに朝鮮國に東學黨の蜂起せしに基
きたるものなりける。
抑東學黨なるものは朝鮮地方官の壓制甚しきに堪へかね鬱憤を霽
らさんとて起りし一揆にして年々朝鮮各道に蜂起し左程珍らしか
らざる事なりしも年毎にその黨人の增加し行ことまことに夥しと
いへり。本年の春も亦全羅道に蜂起するや。兼て閔泳駿の一族に對す
る不平家。政府の暴政に憤懣せる有志者等は風を望て馳せ集り。忽ち
にして無慮數千の多きに達したり。こヽに於て首領を戴き全羅道中、
古阜、井邑、泰仁、といへる三地方を根據地と定め、全州(全羅道の首府)泰
仁の間に在る白山に本營を設け天儉に頼りて官軍を引受けこヽに
戰を開きしは四月廿二日を初めとせり。
この第一戰には東學黨官軍八百の兵に脆くも破られしが、越て四月
廿六日といへるに大擧して寄せ來る官軍を導きて伏中に陷れ四面
より一度に起りて攻め立てけるに官軍大に亂れ戰死するもの二百
數十人に及び。其征討軍の本營所在地なる全州は全く東黨の手中に
落ちたりき。これより東黨は氣脈を各道に通ずるに風を聞て應援す
るもの殆んど二萬人。其勢猛烈にして當るべからず。こヽに於て各部
署を定め各地に向て進撃を初めたり。
是れより先き京城政府にては東學黨蜂起して勢猖獗なりとの報に
接して狼狽一方ならず遂に洪啓黨を征討使として親軍總營衛の精
兵八百を率ひ直ちに進撃の途に上らせたり。
去程に洪啓黨は仁川より船に乗じ布帆恙なく群山に着せしは五月
一日の事なり洪等は初め東學黨もし親軍の派遣せられたりと聞か
ば未だ戰ずして逃亡すべしと確信し又一は直ちに上陸して東黨と

戰ひ萬一にも敗北するとあらば東黨の勢いよ〳〵振はんことを恐れ。
左右(さう)なくは上陸せず船に留りて敵の樣子如何と伺ひ居たり。されど
東學黨は親軍の來りしとて遁亡せざるのみならず却て我一に討ち
取て巧妙手柄せんとその準備おさ〳〵怠りなし。この事洪の軍に聞
へければ偖こそかヽる事もあつたりけりとて。一方には京城に援兵
を請ひ。一方には二分隊の兵を全州監衞李璟鎬に附して一時の急に
赴かしめ、勝敗如何と待ち居たりしが、李璟鎬は遂に賊兵に敗られ、京
城の援兵は來るべき模樣もなし、こヽに於て洪啓黨も意を决して上
陸し、全隊を二分して一隊は全州に、一隊は羅州に向ひ雙方立ち併て
進發せんとしたりしも。賊勢尚も屈する色なく却て全力を進めて迎
へ戰はんと用意を整へ居るよし聞ゆるに、さらばとて再び兵を群山
に集め一手となりて井邑に向ふことヽせり。
東學黨もまた四萬の大兵の一部を分ちて各地を侵略せしめ本軍は
井邑に於て親軍と會戰せんとて本營より動き出る途次全州を襲ひ
其監司監營を走らせたり。
偖ても官軍は五月十二日未明井邑に着し諸軍を休めて犒ふひまも
なく賊兵は早や犇々と攻め寄せて互に入り亂れ。激闘奮戰數時に亘
りしが官軍遂に支へ得ず一方の圍を破り纔かに血路を開きて全州
さして落ち延びける。この戰に官軍死するもの百七十名。逃亡せし者
二百名にして征討使に隨ひ漸く一身を全ふせしもの僅かに四百數
十人なりき。
この井邑の大捷は東學黨をしていよ〳〵威を振はしむるに引換へ
征討使は大に落膽して神色沮喪して爲すべき術もなく唯々京城に
向て急ぎ援兵を送らるべしといひ送るのみ。
京城政府にては敗報漸りに來りけるより、かくては外國の兵を借り
て討ち拂ふべしなどいふものもありしかども、若しヽかするときは
獨立自主の本旨に違ふのみならず日、淸、孰れの兵を借らんにも條約

のあるあれば萬一これを破らしむる曉に於ては當朝鮮は其交戰地
となりて人民いよ〳〵騒動すべければ此議然るべからずとてこれ
を排斥し更に徐丙炳薰をして江華營兵五百人の總督たらしめ五月二
十二日海路仁川を發して全羅道に向ひ直ちに上陸して全州なる洪
招討使の軍と合したり。然れどもこれ又東黨の敗る所となり全州は
遂に全く賊兵に略取せられぬ。かヽる有樣なるを以て賊はいよ〳〵
蔓延し、破竹の勢を以て洪州石城をも占據し將に京城にも進まんず
有樣なりける。
斯くと聞へし京城政府の搔動大方ならず。この時に當りて日頃より
朝鮮に事あらば其機に乗じ朝鮮をして支那屬邦の實を擧げしめん
と待搆へゐたる袁世凱は時こそ至れりとて韓廷の權力者なる閔泳
駿を説きて支那政府に援兵を請ふべしとすヽめけるに泳駿も同意
し公然韓廷より助力せられたき旨を五月三十日電報を以て淸國に
言ひ送れりき淸國乃はちその請に應じ李鴻章より令を傳へて天津、
旅順口の兵三千を送り出して忠淸道牙山に上陸せしめこれと同時
に天津條約に基き外國居留人民保護を名として出兵せし旨を我邦
に通達し來りたり、これ六月六日の事なりき。こヽに於て我邦も又淸
國政府へ公使、領事の兩舘及び人民保護の爲其兵員を派遣する由を
通報したりけり。
これより先き大鳥圭介氏は朝鮮特命全權公使となりて未た任に赴
かでありしか、外務省參事宮本野一郎氏と與に六月五日の一番滊車
を以て東京を出發したり。また警視廳巡査二十名も高崎警部か引卒
して大鳥公使の一行に隨ひ行けり。仝し月の八日の午後四時海上恙
もなくて無事仁川に達したり折柄碇舶なし居たる各國軍艦よりは
祝意を表して發砲せり。
其夜公使一行を護送し來りたる日本帝國軍艦松島、赤城、千代田、八重山諸艦の水兵四百名ばかり上陸し、翌九日の拂曉公使一行と與に陸

BnF.

BnF.

【巻物 題箋】
百人一首
【題箋下部 資料整理番号のラベル】
JAPONAIS
4261

【巻物の天或は地から撮った写真】

【巻物の天或は地から撮った写真】

【巻物を少し開いた写真 左端の題箋】
百人一首
【題箋下部の資料整理番号のラベル】
JAPONAIS
4261

【巻頭 資料整理番号のラベル】
JAPONAIS
4261
【手書きの英文】
the book of the hundred poets
hand graven and written.
a very popular japanese book
containing portrait of these poets men and women
and quotations of their works.



hyakunin isshu
of Cari? Anagl   p  s

【巻頭右側下部 一部読み取り不明】
Japonais
4261

d
27353

【八双近くの文字】
10 p  la piece







  天智天皇
秋の田のかりほの廬のとまをあらみ
我衣てはつゆにぬれつゝ
【歌の下部に角朱印】

  持統天皇
春過て夏きにけらし白妙の
衣ほすてふ天のかく山

  柿本人丸

  柿本人丸
あし曳の山鳥のおのしり尾【ママ】の
なか〳〵しよをひとりかもねん

  山辺赤人
田子のうらにうち出て見れは白妙の
不二の高根に雪はふりつゝ

  猿丸大夫
奥山に紅葉ふみわけ鳴鹿の
声きくときそ秋はかなしき

  中納言家持
かさゝ木のわたせるはしにをく霜の
しろきを見れは夜そ更にける

  安倍仲麿

  安倍仲麿
天の原ふりさけ見れは春日なる
 みかさの山に出し月かも

  喜撰法師
我廬は都のたつみ鹿そすむ
世をうちやまと人はいふなり

  小野小町
花の色はうつりにけりないたつらに
 我身世にふるなかめせしまに

   蝉丸
  これやこの行もかえるも別ては
   しるもしらぬも逢坂の関

  参議篁
和田のはら八十島かけてこき出ぬと
 人にわ告よあまの釣舟

  僧正遍照
天津風雲のかよひち吹とちよ
 をとめのすかたしはしと【ママ】めん

  陽成院
つくはねの峯よりおつるみなの
            川
 恋そつもりて渕となりけ【ママ】る

  河原左大臣
陸奥のしのふもちすり誰ゆへに
 みたれ染にし我ならなくに

  光孝天皇
君かため春の野に出てわかなつむ
 我衣手は【ママ】雪わふりつゝ

  中納言行平
立わかれいなはのやまの峯におふる
 松としきかは今帰りこん

  在原業平朝臣
千早振神代もきかす立田川
 からくれなゐに水くゝるとは

  藤原敏行朝臣
住の江の岸によるなみよるさへや
 夢のかよひち人めよく蘭

   伊勢
難波かたみしかき芦のふしのまも
 あはてこの世を過してよとや

   元良親王
侘ぬれはいまはた同し難波成
 身をつくしても逢むとそおもふ

  素性法師
今来むといひしはかりを【ママ】長月の
 有明月をまち出つるかな

  文屋康秀
吹からに秋の草木のしほるれは
 むへ山風を嵐といふらむ

   大江千里
月見れへちゝにものこそ悲しけれ
 我身ひとつの秋にわあらねと

   菅家
このたひはぬさも取あへ【ママ】手向山
 紅葉のにしき神のまに〳〵

   三條右大臣
名にしおはゝ会う逢坂山のさねかつら
 人にしられて来るよしもかな

   貞信公
小倉山峯のもみちはこ心あらは
 今ひとたひの御幸またなん

   中納言兼輔
みかの原わきてなかるゝいつみ川
 いつみきとてか恋しかるらん

   源宗于朝臣
山里はふゆそさひしさまさりける
 人めも草もかれぬとをもへは

   凡河内躬恒
心あてにをらはやおらん初霜の
 おきまとわせる白菊の花

   壬生忠峯
有明のつれなく見へしわかれより
 あかつき斗うきもの【ママ】なし

   坂上是則
朝ほらけ有明月と見るまてに
 吉野之里にふれるしら雪

   春道列樹
山河に風のかけたるしからみは
 なかれもあへぬもみちなりけり

   紀友則
久かたのひかりのとけき春の日に
 しつ心なく花のちるらん

   藤原興風
誰をかもしる人にせん高砂の
 松もむかしの友ならなくに

   紀貫之
人はいさ心もしらすふる里は
 花そむかしの香に匂ひける

   清原深養父
夏の夜はまたよひなから明ぬるを
 雲のいつこに月やとる覧

   文屋朝康
しら露に風の吹しく秋のゝは
 つらぬきとめ乃(ぬ)玉そちりける

   右近
忘らるゝ身をはおもはすちかいてし
 人の命のおしくも有哉

   参議等
あさちふのをのゝしの原忍ふれと
 あまりてなとか人のこひしき

   平兼盛
忍ふれと色に出にけり我恋ひは
 物やおもふと人のとふまて

   壬生忠見
恋すてふ我名はまたき立にけり
 人しれすこそ思ひそめしか

   清原元輔
契りきなかた身【ママ】袖をしほりつゝ
 すゑのまつ山なみこさしとは

   中納言郭【「敦」の誤り】忠
あい見ての後の心にくらふれは
 むかしは物をおもはさりけり

   中納言朝忠
あふ事のたへてしなくは中〳〵に
 人をも身をもうらみさらまし

   謙徳公
哀ともいふへき人はおもほえて
 身のいたつらになりぬへきかな

   曽祢好忠
ゆらのとをわたるふな人かちをたみ【ママ】
 行ゑもしらぬ恋の道か哉【ママ】

   恵慶法師
八重むくらしけれる宿のさひしさ【ママ】に
 人に【ママ】そ見へね秋は来にけり

   源重之
風をいたみ岩うつ川【ママ】浪のをのれのみ
 くたけて物をおもふ比かな

   大中臣能宣朝臣
御垣守衛士のたく火の夜はもえて【ママ】
 ひるはきへつゝ物をこそ思へ

   藤原義孝
君かためおしからさりし命さへ
 なかくもかなと思ひけるかな

【巻末 下部に蔵書印】
中村蔵書

BnF.

BnF.

【表紙 題箋】
団扇絵
【資料整理番号のラベル】
SMITH-LESOUEF
  JAP
  248

【表紙裏 資料整理番号ノのラベル】
SMITH-LESOUEF
  JAP
  248

【文字無し】

【若松の絵に落款】
伊川方眼筆【直下に落款印】

【桜の枝に小鳥の絵の落款】
伊川法眼筆【直下に印】

【卯の花の絵の落款】
伊川法眼筆【直下に印】

【藤の花の落款】
祐清筆【直下に落款】

【芍薬の花の絵の落款】
祐清筆【直下に印】

【朝顔の鉢花の絵の落款】
祐清筆【直下に印】

【数種の秋花の絵の落款】
祐清筆【直下に印】

【紅葉の山の上を雁が飛ぶ絵の落款】
洞寿筆【直下に印】

【小鳥の群れ飛ぶ絵の落款】
探信筆【直下に印】

【枝にとまる小鳥の絵の落款】
祐清筆【直下に印】

【山茶花に降る雪景色の落款】
洞白筆【「筆」に半分掛る位置に印】

【小鳥のとまる松の雪景色の落款】
洞寿筆【「筆」に少し掛る位置に印】

【水に泳ぐ二羽の鴨の絵の落款】
洞白筆【「筆」に半分掛る位置に印】

【住之江の風景と思われる絵の落款】
法眼洞白画【直下に印】

【文字無し】

【裏表紙の裏 文字無し】

【裏表紙 資料整理番号のラベル】
269

【文字無し】

【文字無し】

【山茶花の雪景色の落款】
探信齊画【直下に印二つ】

【小さな花束の絵の落款】
伊川院法印筆【「筆」に少し掛る位置に印】

【枝にとまる鳩の絵の落款】
伊川法眼画【「画」に少し掛る位置に印】

【花木の枝に小鳥の絵の落款】
伊川院法印筆【「筆」に少し掛る位置に印】

【花枝の絵の落款】
伊川院法印筆【「筆」に少し掛る位置に印】

【燕の絵の落款】
祐清筆【直下に印】

【草花の絵の落款】
祐清筆【「筆」に少し掛る位置に印】

【草花の絵の落款】
祐清筆【「筆」に少し掛る位置に印】

【なでしこの花の絵の落款】
祐清筆【「筆」に少し掛る位置に印】

【あやめの絵の落款】
祐清筆【「筆」に少し掛る位置に印】

【兔の絵の落款】
伊川院法印筆【「筆」に半分掛る位置に印】

【花木に小鳥の絵の落款】
探信齊画【直下に印二つ】

【冠雪する松の絵の落款】
探信筆【「筆」に半分掛る位置に印】

【松林の風景の絵の落款】
法眼洞白画【直下に印】

【文字無し】

【文字無し】

【冊子の小口の写真か】

【冊子の背の写真か】

【冊子の天の写真か】

【冊子の地の写真か】

BnF.

BnF.

BnF.

BnF.

【表紙】

【題字】立正安國論


【管理タグ】
JAPONAIS
225

【表紙裏】

【管理タグ】
JAPONAIS
225

 立正安國論   大日本帝國沙門日蓮撰
旅客來嘆曰自近年至近日天變地夭飢饉疫癘遍
満天下廣迸地上牛馬斃巷骸骨充路招死之輩既
超大半不悲之族敢無一人然閒或專利劔即是之
文唱西土教主之名或恃衆病悉除之願誦東方如
來之經或仰病即消滅不老不死之詞崇法華真實
之妙文或信七難即滅七福即生之句調百座百講
之儀有因秘密真言之教灑五瓶之水有全坐禅入
定之儀澄空觀之月若書七鬼神之號而押千門若
圖五大力之形懸萬戸若拜天神地祗而企四角四

堺之祭祀若哀萬民百姓而行國主國宰之德政雖
然唯摧肝膽彌逼飢疫乞客溢目死人滿眼卧屍爲
觀並尸作橋觀夫二離合璧五緯連珠三寶在世百
王未窮此世早衰其法何廢是依何禍是由何誤矣
主人曰獨愁此事憤悱胸臆客來共嘆屢致談話夫
出家而入道者依法而期佛也而今神術不協佛威
無驗具覿當世之體愚發後生之疑然則仰圓覆而
吞恨俯方載而深慮倩傾微管聊披經文世皆背正
人悉歸惡故善神捨國而相去聖人辭所而不還是
以魔來灾起不可不言不可不恐

客曰天下之灾國中之難余非獨嘆衆皆悲今入蘭
室初承芳詞神聖去辭灾難並起出何經哉聞其證
據矣
主人曰其文繁多其證弘博金光明經云於其國土
雖有此經未甞流布生捨離心不樂聽聞亦不供養
尊重讃歎見四部衆持經之人亦復不能尊重乃至
供養遂令我等及餘眷屬無量諸天不得聞此甚深
妙法背甘露味失正法流無有威光及以勢力増長
惡趣損减人天墜生死河乖涅槃世尊我 等四王
并諸眷屬及藥叉等見如斯事捨其國土無擁護心

非但我等捨棄是王亦有無量守護國土諸大善神
皆悉捨去既捨離已其國當有種種灾禍喪失國位
一切人衆皆無善心唯有繫縛殺害瞋諍互相讒諂
枉及無辜疫病流行彗星數出兩日並現薄蝕無恒
黒白二虹表不祥相星流地動井内發聲暴雨惡風
不依時節常遭飢饉苗實不成多有他方怨賊侵掠
國内人民受諸苦惱土地無有可樂之䖏《割書:已| 上》大集經
云佛法實隱沒鬚髮爪皆長諸法亦忘失當時虚空
中大聲震於地一切皆徧動猶如水上輪城壁破落
下屋宇悉圯坼樹林根枝葉華葉菓藥盡唯除淨居

天欲界一切處七味三精氣損减無有餘解脫諸善
論當時一切盡所生華菓味希少亦不美諸有井泉
池一切盡枯涸土地悉鹹鹵剖裂成丘澗諸山皆燋
燃天龍不降雨苗稼皆枯死生者皆死盡餘草更不
生雨土皆昏闇日月不現明四方皆亢旱數現諸惡
瑞十不善業道貪瞋癡倍増衆生於父母觀之如獐
鹿衆生及壽命色力威樂減遠離人天樂皆悉墮惡
道如是不善業惡王惡比丘毀壞我正法損减天人
道諸天善神王悲愍衆生者棄此濁鬼神亂故萬民
亂賊來劫國百姓亡喪臣君太子王子百官共生是

非天地恠異二十八宿星道日月失時失度多有賊
起亦云我今五眼明見三世一切國王皆由過去世
侍五百佛得爲帝王主是爲一切聖人羅漢而爲來
生彼國土中作大利益若王福盡時一切聖人皆爲
捨去若一切聖人去時七難必起《割書:已|上》藥師經云若刹
帝利灌頂王等灾難起時所謂人衆疾疫難他國侵
逼難自界叛逆難星宿變恠難日月薄蝕難非時風
雨難過時不雨難《割書:已|上》仁王經云大王吾今所化百億
日月一一須彌有四天下其南閻浮提有十六大國
五百中國十千小國無量粟散國其國土中有七可

畏難一切國王爲是難故云何爲難日月失度時節
反逆或赤日出黒日出二三四五日出或日蝕無光
或日輪一重二三四五重輪現爲一難也二十八宿
失度金星彗星輪星鬼星火星水星風星刁星南斗
北斗五鎮大星一切國主星三公星百官星如是諸
星各各變現爲二難也大火燒國萬姓燒盡或鬼火
龍火天火山神火人火樹木火賊火如是變恠爲三
難也大水𣿖沒百姓時節反逆冬雨夏雪冬時雷電
霹礰六月雨氷霜雹雨赤水黒水青水雨土山石山
雨沙礫石江河逆流浮山流石如是變時爲四難也

大風吹殺萬姓國土山河樹木一時滅没非時大風
黒風赤風青風天風地風火風水風如是變爲五難
也天地國土亢陽炎火洞然百草亢旱五穀不登土
地赫燃萬姓滅盡如是變時爲六難也四方賊來侵
國内外賊起火賊水賊風賊鬼賊百姓荒亂刀兵劫
起如是恠時爲七難也大集經云若有國王於無量
世修施戒慧見我法滅捨不擁護如是所種無量善
根悉皆滅失其國當有三不祥事一者穀貴二者兵
革三者疫病一切善神悉捨離之其王教令人不隨
從常爲隣國之所侵嬈暴火横起多惡風雨暴水増

長吹漂人民内外親戚其共謀叛其王不久當遇重
病壽終之後生大地獄中乃至如王夫人太子大臣
城主村主郡守宰官亦復如是《割書:已| 上》夫四經文朗萬人
誰疑而盲瞽之輩迷惑之人妄信邪說不辨正教故
天下世上於諸佛衆經生捨離之心無擁護之志仍
善神聖人捨國去所是以惡鬼外道成灾致難矣
客作色曰後漢明帝者悟金人之夢得白馬之教上
宮太子者誅守屋之逆成寺塔之搆爾來上自一人
下至萬民崇佛像專經巻然則叡山南都園城東寺
四海一州五畿七道佛經星羅堂宇雲布鶖子之族

則觀鷲頭之月鶴勒之流亦傳鷄足之風誰謂褊一
代之教廢三寶之跡哉若有其證委聞其故矣
主人喻曰佛閣連甍經藏並軒僧者如竹葦侶者似
稲麻崇重年舊尊貴日新但法師諂曲而迷惑人倫
王臣不覺而無辨邪正仁王經云諸惡比丘多求名
利於國王太子王子前自說破佛法因縁破國因緣
其王不別信聽此語橫作法制不依佛戒是為破佛
破國因緣《割書:已| 上》涅槃經云菩薩於惡象等心無恐怖於
惡知識生怖畏心爲惡象殺不至三趣為惡友殺必
至三趣《割書:已| 上》法華經云惡世中比丘邪智心諂曲未得

謂爲得我慢心充滿或有阿練若納衣在空閑自謂
行眞道輕賤人間者貪著利養故與白衣說法爲世
所恭敬如六通羅漢乃至常在大衆中欲毀我等故
向國王大臣婆羅門居士及餘比丘衆誹謗說我惡
謂是邪見人說外道論議濁劫惡世中多有諸恐怖
惡鬼入其身罵詈毀辱我濁世惡比丘不知佛方便
隨宜所說法惡口而嚬蹙數【婁+殳】數見擯出《割書:已| 上》涅槃經云
我涅槃後無量百歳四道聖人悉復涅槃正法滅後
於像法中當有比丘似像持律少讀誦經貪嗜飲食
長養其身雖著袈裟猶如獵師細視徐行如猫伺鼠

常唱是言我得羅漢外現賢善内懷貪嫉如受啞法
婆羅門等實非沙門現沙門像邪見熾盛誹謗正法
《割書:已| 上》就文見世誠以然矣不誡惡侣者豈成善事哉客
猶憤曰明王因天地而成化聖人察理非而治世世
上之僧侣者天下之所歸也於惡侣者明王不可信
非聖人者賢哲不可仰今以賢聖之尊重則知龍象
之不輕何吐妄言強成誹謗以誰人謂惡比丘哉委
細欲聞矣
主人曰後鳥羽院御宇有法然作選擇集矣則破一
代之聖教徧迷十方之衆生其選擇云道綽禪師立

聖道淨土二門而捨聖道正歸淨土之文初聖道門
者就之有二乃至准之思之應存密大及以實大然
則今眞言佛心天台華嚴三論法相地論攝論此等
八家之意正在此也曇鸞法師往生論注云謹案龍
樹菩薩十住毗婆沙云菩薩求阿毗跋致有二種道
一者難行道二者易行道此中難行道者即是聖道
門也易行道者即是淨土門也淨土宗學者先須知
此㫖設雖先學聖道門人若於淨土門有其志者須
弃聖道歸於淨土又云善導和尚立正雜二行捨雜
行歸正行之文第一讀誦雜行者除上觀經等往生

淨土經已外於大小乘顯密諸經受持讀誦悉名讀
誦雜行第三禮拜雜行者除上禮拜彌陁已外於一
切諸佛菩薩等及諸世天等禮拜恭敬悉名禮拜雜
行私云見此文弥須捨雜修專豈捨百即百生專修
正行堅執千中無一雜修雜行乎行者能思量之又
云貞元入藏錄中始自大般若經六百巻終于法常
住經顯密大乘經揔六百三十七部二千八百八十
三巻也皆須攝讀誦大乘之一句當知隨他之前蹔
雖開定散門隨自之後還閇定散門一開以後永不
閇者唯是念佛一門又云念佛行者必可具足三心

之文觀無量壽經云同經䟽云問云若有解行不同
邪雜人等防外邪異見之難或行一分二分群賊等
喚廻者即喻別解別行惡見人等私云又此中言一
切別解別行異學異見等者是指聖道門《割書:已| 上》又最後
結句文云夫速欲離生死二種勝法中且閣聖道門
選入浄土門欲入淨土門正雜二行中且抛諸雜行
選應歸正行《割書:已| 上》就之見之引曇鸞道綽善導之謬釋
䢖聖道淨土難行易行之旨以法華眞言揔一代之
大乘六百三十七部二千八百八十三巻一切諸佛
菩薩及諸世天等皆攝聖道難行雜行等或搭或閇

或閣或抛以此四字多迷一切剰以三國之聖僧十
方之佛弟子等皆號群賊併令罵詈近背所依淨土
三部經唯除五逆誹謗正法誓文遠迷一代五時之
肝心法華經第二若人不信毀謗此經乃至其人命
終入阿鼻獄誡文者也於是代及末代非聖人各容
冥衢並忘直道悲哉不拊瞳矇痛哉徒催邪信故上
自國主下至土民皆謂經者無淨土三部之外經佛
者無彌陁三尊之外佛仍傳教義眞慈覺智證等或
渉萬里之波濤而所渡之聖教或廻一朝之山川而
所崇之佛像若高山之巔建華界以安置若深谷之

底起蓮宮以崇重釋迦藥師之並光也施【方+色】威於現當
虗空地藏之成化也被益於生後故國主寄郡郷以
明燈燭地頭充田園以備【亻+夂+用】供養而依法然之撰擇則
忘教主而貴西土之佛陀抛付属而閣東方之如來
唯專四巻三部之經典空抛一代五時之妙典是以
非彌陁之堂皆止供佛之志非念佛之者早忘施僧
之懐故佛閣零落瓦松之煙空老僧房荒庭草之露
屢深雖然各捨護惜之心並廢建立之思是以住持
聖僧行而不歸守護善神去而無來是偏依法然之
選擇也悲哉數十年之間百千萬之被蕩魔縁多迷

佛教好謗忘正善神不成怒哉捨圓好偏惡鬼不得
便哉不如修彼萬祈禁此一㐫矣
客殊作色曰我本師釋迦文說浄土三部經以來曇
鸞法師捨四論講說一向歸浄土道綽禪師閣涅槃
廣業偏弘西方行業善導和尚抛雜行立專修慧心
僧都集諸經之要文宗念佛之一行貴重彌陁誠以
然矣又徃生之人其幾哉就中法然聖人幼少而昇
天台山十七而渉六十巻並究八宗具得大意其外
一切經論七遍反覆章䟽傳記莫不究看智齊日月
徳越先師雖然猶迷出離之趣不辨涅槃之旨故徧

覿悉鑑深思遠慮遂抛諸經專修念佛其上蒙一夢
之靈應弘四裔之親踈故或號勢【執+力】至之化身或仰善
導之再誕然則十方貴賤低頭一朝男女運歩爾來
春秋推移星霜相積而忝【夭+氺】踈釋尊之教恣譏彌陁文
文何以近年之灾課聖代之時強毀先師更罵聖人
吹毛求疵剪皮出血自昔至今如此惡言未聞可惶
可慎罪業至重科條争遁對座猶以有恐携杖而則
欲歸矣
主人笑止曰習辛蓼葉忘臰【白+死】溷厠聞善言而思惡言
指謗者而謂聖人疑正師而擬惡侶其迷誠深其罪

不淺聞事起委談其趣釋尊說法之内一代五時之
間立先後辨權實而曇鸞道綽善導既就權忘實依
先捨後未探佛教淵底者就中法然雖酌其流不知
其源所以者何以大乘經六百三十七部二千八百
八十三巻并一切諸佛菩薩及諸世天等置捨閇閣
抛之字蕩一切衆生之心是偏展私曲之詞全不見
佛經之說妄語之至惡口之科言而無比責而有餘
人皆信其妄語悉貴彼選擇故崇浄土之三經而抛
衆經仰極樂之一佛而忘諸佛誠是諸佛諸經之怨
敵聖僧衆人之雔敵也此邪教廣弘八荒周遍十方

抑以近年之灾難課往代之由強恐之聊引先例可
悟汝迷止觀第二引史記云周末有被髮祖身不依
禮度者弘決第二釋此文引左傳曰初平王之東遷
也伊川見被髮者而於野祭識者曰不及百年其禮
先亡爰知徴前顯灾後致又阮藉逸才蓬頭散帶後
公卿子孫皆敩之奴苟相辱者方逹自然撙節兢持
者呼為田舎是爲司馬氏滅相《割書:已| 上》又案慈覺大師入
唐巡禮記云唐武宗皇帝㑹昌元年勑令章敬寺鏡
霜法師於諸寺傳彌陁念佛教毎寺三日巡輪不絶
同二年廻鶻國之軍兵等侵唐堺同三年河北之節

度使忽起亂其後大蕃國更拒命廻鶻國重奪地凢
兵亂同秦項之代灾火起邑里之際何況武宗大破
佛法多滅寺塔不能撥亂遂以有事《割書:已上|取意》以此惟之法
然者後鳥羽院御宇建仁年中之者也彼院御事既
在眼前然則大唐殘例吾朝顯證汝莫疑汝莫恠須
捨凶歸善塞源截根矣客聊和曰未究淵底數知其
趣但自花洛至柳營釋門樞楗佛家在棟梁然未進
勘狀不及上奏汝以賤身輙吐莠言其義有餘其理
無謂
主人曰予雖為少量忝學大乘蒼【艹+人+君】蝿【偏が「䖝」】附𩦸尾而渡萬

里碧蘿懸松頭而延千尋弟子生一佛之子事諸經
之王何見佛法之衰【襄-吅】微不起心情之哀惜其上涅槃
經云若善比丘見壞法者置不呵責駈遣舉處當知
是人佛法中怨【夕+匕+心】若能駈遣呵責舉䖏是我弟子眞聲
聞也余雖不爲善比丘之身爲遁佛法中怨【夕+匕+心】之責唯
𢲻大綱粗示一端其上去元仁年中自延暦興福兩
寺度度經奏聞申下勑宣御教書法然之選擇印【卬+丶】板
取上大講堂爲報三世佛恩令燒失之於法然墓所
仰付感神院犬神人令破却其門弟隆觀聖光成覺
薩生等配流遠國其後未許御勘氣豈未進勘狀云


客則和曰下經謗僧一人難論然而以大乘經六百
三十七部二千八百八十三巻并一切諸佛菩薩及
諸世天等載捨閇閣抛四字其詞勿論也其文顯然
也守此瑕瑾成其誹謗迷而言歟覺而語歟賢愚不
辨是非難定但灾難之起因選擇之由盛増其詞彌
談其旨所詮天下泰平國土安穩君臣所樂土民所
思也夫國依法而昌法因人而貴國亡人滅佛誰可
崇法誰可信哉先祈國家須立佛法若消灾止難有
術欲聞

主人曰余是頑愚敢不存賢唯就經文聊述所存抑
治術之旨内外之間其文幾多具難可舉但入佛道
數廻愚案禁謗法之人重正道之侣國中安穩天下
泰平即涅槃經云佛言唯除一人餘一切施皆可讃
歎純陁問言云何名爲唯除一人佛言如此經中所
說破戒純陁復言我今未解唯願說之佛語純陁言
破戒者謂一闡提其餘在所一切布施皆可讃歎獲
大果報純陀復問一闡提者其義云佛言純陁若有
比丘及比丘尼優婆塞優婆夷發麤惡言誹謗正法
造是重業永不改悔心無懴悔如是等人名爲趣向

一闡提道若犯四重作五逆罪自知定犯如是重事
而心初無怖畏懴悔不肯發露於彼正法永無護惜
建立之毀呰輕賤言多過咎如是等人亦名趣向一
闡提道唯除如此一闡提輩施其餘者一切讃歎又
云我念往昔於閻浮提作大國王名曰仙豫愛念敬
重大乘經典其心純善無有麤惡嫉恡善男子我於
爾時心重大乘聞婆羅門誹謗方等聞已即時斷其
命根善男子以是因緣從是已來不堕地獄又云如
來皆爲國王行菩薩道時斷絶爾所婆羅門命又云
殺有三謂下中上下者蟻子乃至一切畜生唯除菩

薩示現生者以下殺因緣墮於地獄畜生餓鬼具受
下苦何以故是諸畜生有微善根是故殺者具受罪
報中殺者從凢夫人至阿那含【人+爫+口】是名爲中以是業因
墮於地獄畜生餓鬼具受中苦上殺者父母乃至阿
羅漢辟支佛畢定菩薩墮於阿鼻大地獄中善男子
若有能殺一闡提者則不墮此三種殺中善男子彼
諸婆羅門等一切皆是一闡提也《割書:已| 上》仁王經云佛告
波斯匿王是故付屬諸國王不付屬比丘比丘尼何
以故無王威力涅槃經云今以無上正法付屬諸王
大臣宰相及四部衆毀正法者大臣四部之衆應當

苦治又云佛言迦葉以能護持正法因緣故得成就
是金剛身善男子護持正法者不受五戒不修威儀
應持刀劔弓箭鉾槊又云若有受持五戒之者不得
名爲大乘人也不受五戒爲護正法乃名大乘護正
法者應當執持刀劔器仗【仗+丶】雖持刀杖我說是等名曰
持戒又云善男子過去之世於此拘尸那城有佛出
世號歡喜増益如來佛涅槃後正法住世無量億歳
餘四十年佛法未滅爾時有一持戒比丘名曰覺德
爾時多有破戒比丘聞作是說皆生惡心執持刀杖
逼是法師是時國王名曰有徳聞是事已爲護法故

即便往至說法者所與是破戒諸惡比丘極其戰闘
爾時說法者得免厄害王於爾時身被刀劔箭槊之
瘡體無完處如芥子許爾時覺德尋讃王言善哉王
今眞是護正法者當來之世此身當爲無量法器王
於是時得聞法已心大歡喜尋即命終生阿閦佛國
而為彼佛作第一弟子其王將從人民眷属有戰闘
者歡喜者一切不退菩提之心命終悉生阿閦佛國
覺德比丘却後壽終亦得往生阿閦佛國而爲彼佛
作聲聞衆中第二弟子若有正法欲滅盡時應當如
是受持擁護迦葉爾時王者則我身是說法比丘迦

葉佛是迦葉護正法者得如是等無量果報以是因
緣我於今日得種種相以自莊嚴成就法身不可壊
身佛告迦葉菩薩是故護法優婆塞等應執持刀杖
擁護如是善男子我涅槃後濁惡之世國土荒亂互
相抄掠人民飢餓爾時多有爲飢餓故發心出家如
是之人名為秃人是秃人輩見護持正法駈逐今出
若殺若害是故我今聽持戒人依諸白衣持刀杖者
以爲伴侣雖持刀杖我說是等名曰持戒雖持刀杖
不應斷命法華經云若人不信毀謗此經即斷一切
世閒佛種乃至其人命終入阿鼻獄《割書:已上|經文》夫經文顯然

私詞何加凢如法華經者謗大乘経典者勝無量五
逆故墮阿鼻大城永無出期如涅槃經者設許五逆
之供不許謗法之施【方+色】殺蟻子者必落三惡道禁謗法
者定登不退位所謂覺徳者是迦葉佛有徳者則釋
迦文也法華涅槃之經教者一代五時之肝心也其
禁實重誰不歸仰哉而謗法之𫞀忘正道之人剰依
法然之選擇彌増愚癡之盲瞽是以或忍彼遺體而
露木𦘕之像或信其妄說而彫莠言之模弘之海内
翫之墎外所仰則其家風所施則其門弟然間或切
釋迦之手指結彌陁之印【卬+丶】相或改東方如來之鴈宇

居西土教主之鵝王或止四百餘迴之如法經成西
方浄土之三部經或停天台大師講爲善導講如此
群類其誠難盡是非破佛哉是非破法哉是非破僧
哉此邪義則依選擇也嗟呼悲哉背如來誠諦之禁
言哀矣隨愚侣迷惑之麤語早思天下之靜謐者湏
斷國中之謗法矣
客曰若斷謗法之輩若絶佛禁之違者如彼經文可
行斬罪歟若然者殺害相加罪業何爲哉則大集經
云剃頭著袈裟持戒及毀戒天人可供養彼則為供
養我是我子若有撾打彼則爲打我子若罵辱彼則

爲毀辱我料知不論善惡無擇是非於為僧侣可展
供養何打辱其子忝悲哀其父彼竹杖之害目連尊
者也永沉無間之底提逹多之殺蓮華比丘尼也久
咽阿鼻之焔先證斯明後昆㝡恐似誡謗法既破禁
言此事難信如何得意
主人云客明見經文猶成斯言心之不及歟理之不
通歟全非禁佛子唯偏惡謗法也夫釋迦之以前佛
教者雖斬其罪能仁之以後經說者則止其施然則
四海萬邦一切四衆不施其惡皆歸此善何難並起
何灾竸來矣

客則避席刷襟曰佛教斯區旨趣難窮不審多端理
非不明但法然聖人選擇現在也以諸佛諸經諸菩
薩諸天等載捨閇閣抛其文顯然也因兹聖人去國
善神捨所天下飢渇世上疫病今主人廣引經文明
示理非故妄執既飜耳目數朗所詮國土泰平天下
安穩自一人至萬民所好也所樂也早止一闡提之
施永致衆僧尼之供収佛海之白浪截法山之緑林
世成𦏁農之世國為唐虞之國然後斟酌法水之淺
深崇重佛家之棟梁矣
主人恱曰鳩化為鷹雀變爲蛤恱哉汝交蘭室之友

成麻畒之性誠顧其難專信此言風和浪靜不日豊
年耳但人心者隨時而移物性者依境而改譬猶水
中之月動波陣前之軍靡劔汝當座雖信後定永忘
若欲先安國土而祈現當者速廻情慮急加對治所
以者何藥師經七難内五難忽起二難猶殘所以他
國侵逼難自界叛逆難也大集經三灾内二灾早顯
一灾未起所以兵革灾也金光明經内種種灾過一
一雖起他方怨賊侵掠國内此灾未露此難未來仁
王經七難内六難今盛一難未現所以四方賊來侵
國難也加之國土亂時先鬼神亂鬼神亂故萬民亂

今就此文具案事情百鬼早亂萬民多亡先難是明
後何疑若所殘之難依惡法之科並起竸來者其時
何為㦲【㦲-丿】帝王者基國家而治天下人臣者領田園而
保世上而他方賊来而侵逼其國自界叛逆而掠領
其地豈不驚㦲豈不騷哉失國滅家何所遁世汝湏
思一身之安堵者先禱四表之靜謐者歟就中人之
在世各恐後生是以或信邪教或貴謗法各雖惡迷
是非而猶哀歸佛法何同以信心之力妄宗邪義之
詞哉若執心不翻亦曲意猶存早辭有為之郷必墮
無閒之獄所以者何大集經云若有國王於無量世

修施戒慧見我法滅捨不擁護如是所種無量善根
悉皆滅失乃至其王不夂當遇重病壽終之後生大
地獄中如王夫人太子大臣城主村主郡主宰官亦
復如是仁王經云人壞佛教無復孝子六親不和天
神不祐疾疫惡鬼日來侵害灾恠首尾連禍縱横死
入地獄餓鬼畜生若出爲人兵奴果報如響如影如
人夜書火滅字存三界果報亦復如是法華經第二
云若人不信毀謗此經乃至其人命終入阿鼻獄又
同第七巻不輕品云千劫於阿鼻地獄受大苦悩涅
槃經云遠離善友不聞正法住惡法者是因緣故沉

沒在於阿鼻地獄所受身形縱横八萬四千廣披衆
經專謗法悲哉皆出正之門而深入邪法之獄愚矣
各懸惡教之綱而鎮纒謗教網此朦霧之迷沉彼盛
焔之底豈不愁哉豈不苦哉汝早改信仰之寸心速
歸實乘之一善然則三界皆佛國也佛國其衰哉十
方悉寳土也寳土何壞哉國無衰微土無破壊身是
安全心是禪定此詞此言可信可崇矣
客曰今生後生誰不慎誰不恐披此經文具承佛語
誹謗之科至重毀法之罪誠深我信一佛抛諸佛仰
三部經而閣諸經是非私曲之思則隨先逹之詞十

方諸人亦復如是今世者勞性心來生者墮阿鼻文
明理詳不可疑彌仰貴公之慈誨益開愚客之癡心
速廻對治早致泰平先安生前更扶沒後唯非我信
又誡他誤耳

【白紙】

【裏表紙裏】

【裏表紙】

【帙】


【題字】立正安國論

【左上・タグ】831

【帙と本を重ねた状態】


【本・題字】立正安國論

【本・管理タグ】
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225


【帙・管理タグ】
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225

【帙の内側】


【管理タグ】
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225

【帙の外側を見開いた状態】


【題字】立正安國論

【題字の左上・タグ】831

【背の下部・管理タグ】
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225

【帙の背】


【管理タグ】
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225

【背】

【天】

【帙の留め具】

【地】

BnF.

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