コレクション4の翻刻テキスト

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BnF.

BnF.

大倭東錦繪

大日本
縮畵
東風俗

BnF.

    凡例
一正帽参謀科会計部鎮台ハ紺絨近衛ハ緋
 絨
一正帽頂上ノ星少尉以上ハ金線会計部ハ
 銀線ヲ用ユ大将ハ六個中将ハ五個少将
 ハ四個佐官ハ三個尉官ハ二個ヲ付ス
  但会計部頂上ノ星数監督長ハ少将江
  相当シ以下之ニ準ス
一正帽ノ日章少尉以上ハ金色軍曹以上ハ
 真鍮伍長兵卒ハ銅

一正帽頂上ノ立物従前之通
一隊外将校ノ正帽ハ従前之通
一正衣袴少尉以上及ビ軍医会計部ハ黒或
 ハ紺絨近衛ノ下士官兵卒ハ紺綿絨鎮台
 ノ下士官兵卒ハ紺大絨
一隊付軍医馬医火鉄木縫鉄蹄工喇叭卒ハ
 該隊ノ服制ヲ用ヒ左ノ臂ニ章ヲ付ス図
 ノ如シ
一隊外軍医馬医ハ参謀科服制ヲ用ユ
一軍医ハ隊付隊外ヲ不論帽前面ノ日章ヲ

BnF.

BnF.

【絵巻物 下部に図書整理票】
SMITH-LESOUEF ( Eに Umlautあり)
JAP
K-6
【題箋に】
四季遊図

【絵巻物の天】

【絵巻物の地】

【絵巻物表紙 左に題箋】
四季遊図
【題箋の下部に図書整理票】
SMITH-LESOUE(umlaut)F
JAP
K-6

【絵巻物表紙見返し部分右下に印三個】
【絵の部分最初の右下に 図書館印】
BnF
MSS

京都
 大ノ字山
 月夜ノ
 賑合

【前コマに連続の図】 
【左下図書館印】
BnF
MSS








両國烟火
舟遊ノ図【これは次の絵の題カ】

【前コマの続きの図】
【花火舟の人の半纏や旗から、商標「玉屋」か「鍵屋」かを特定出来ませんでした】









【前コマの続き浅草浅草寺】
【図の最後部に三個の印】

BnF.

BnF.

【表紙題箋】
勃那把爾帝始末  全

【右下に円形ラベル】
JAPONAIS
5333

【白紙】

勃那把爾帝始末  全

【白紙】

近頃欧邏巴諸国大ニ乱れし本末其治平後の光景
をいかにと尋るに我寛政の初拂郎察ローデウェイキ
第十六世の代に当りて《割書:按に拂郎察の始祖拂郎哥斯より|六十六代の孫をローデウェイキ第十四世王》
《割書:と云此王の時威名隆盛なりし由西史に|見ゆ此十六世王は乃て十四世王の孫ならん》政令正しからす国民
苛虐に堪すして盗賊蜂起せしに有司も制する
能はす千七百九十三年正月《割書:寛政四年|十一二月の交》国王遂に賊の為に
弑さる《割書:拂郎察に限り王の弑に逢及ひ病て|死するをさへ謹て他邦に告すと云》時に五人の諸侯

あり一人の名はバヲスと云四人の名は記せす此五侯力を
戮せて賊を討て是を平け各一致して国を治し
かとも《割書:蓋各地を分|て領せしならん》互に地を広めんとて又軍起り或
は隣国と戦ひ国内静ならす是ゟ先ボナパルテ
ナボレヨンなる者あり《割書:ボナバルテは名トボレヨンは性|なり凡て西夷の性名皆倒置す》父は裁
決所の下吏たり幼き時哥爾西加島《割書:地中海に有り拂|郎察に属す》
の学校に学ふ長して尤兵略に通す初て仕へて

【右2箇所のナボレヨンのヨをヲに朱記修正あり】

隊長たり此に至てボナパルテ兵を起し先哥爾西加
島を奪ひ進て馬児太島《割書:亦地中|海に在》を取り遂に阨入
多に渡らんとす《割書:阨入多は亜弗利加洲|に保【ヵ】り都児格に属す》諳厄利亜人早く
軍艦を備へてこれを俟つ守備甚厳なりボナパル
テ風雨の烈しく其備の稍懈れるを覗ひ忽ち船装
して阨入多に渡りぬ其部下の後るゝ軍艦諳厄
利亜人に焼撃れて大に敗走せりボナバルテ既に

【哥爾西加=コルシカ】
【馬児太=マルタ】
【阨入多=エジプト】
【都児格=トルコ】

阨入多人都児格人と戦てこれに勝ち阨入多を奪
また進て意太里亜国を取んとす《割書:此時西斉里亜近傍|の地は既に奪しならん》
ナルローヲといへる橋あり意太里亜人橋北に軍たちし
銃手を伏て大軍の橋を渡らんとするを雨の如く連発
せしかはボナバルテが勢面を掩ふさへ隙なくて逡巡して
乱れんとすボナバルテ一騎馬に鞭て銃丸降か如き
橋上を駆通り大声を発して士卒を励すに大軍

【意太里亜=イタリア】
【西斉里亜=シシリア】

力を得て奮戦して勝利を得遂に意太里亜を取り
夫より拂郎察に至り五諸侯と戦て尽く是を亡し
《割書:拂郎察世襲の貴族をアヽドルと云ボナ|ハルテ皆是を廃し己か部下を以てアヽトルとせしと云》自立して王たり
実に千八百四年と覚へし《割書:文化元年に当り此時ボナバルテ|前王の弟ローテウェイキ第十七世》
《割書:を擄し獄に繋て|十四歳にして卒す》拂郎察東北に入爾馬泥亜和蘭
孛漏生波羅泥亜弟那瑪爾加蘇亦斉俄羅斯
等の大国あり西南に伊斯把泥亜波爾杜瓦爾北に

【拂郎察=フランス】
【入爾馬泥亜=ゼルマニア= ドイツ】
【和蘭=オランダ】
【孛漏生=プロイセン】
【波羅泥亜=ポーランド】
【弟那瑪爾加=デンマーク】
【蘇亦斉=スエーデン】
【俄羅斯=ロシア】
【伊斯把泥亜=イスパニア】
【波爾杜瓦爾=ポルトガル】

海を隔て諳厄利亜あり於是ボナパルテ兵を四方
に出して戦争止む時なく其殃を蒙さるなし
東の方三たひ戦て入爾馬泥亜を取りまた段【波=朱記修正】羅泥亜
和蘭と戦て皆是に勝つ和蘭の主父子諳厄
利亜に遁れ入爾馬泥亜の帝波羅泥亜さして出
奔せり是より先伊斯把泥亜王父子国を争て
乱起る父王戦敗れて意太里亜に弄【奔=朱記修正】る其子名は

【諳厄利亜=アンゲリア=イギリス】

ヘルヂナンド自ら国に王たりボナバルテ其虚に乗して
撃て是を敗りヘルヂナンドを擄し拂郎察に将ひ
去て獄に繋けり遂に進て波爾杜瓦爾を撃つ
国王禦く事能わす妻孥を率て伯西児(ブラシル)に遁る
《割書:伯西児は南亜墨利加洲に係る波爾|杜瓦爾人甞て併有せし所なり》弟那瑪爾加人はコフベン
ハーカに於て戦て敗られたり蘇亦斉国王ホナバルテ
は鉾を避〆とや其部下の将を請て己を嗣とす是を

カーレル・ヤンと云《割書:ヤンはヨヤンの略|養子ゆへ復姓也》実にボナバルテか兵を
用る神の如く皆人意の表に出て千古以来いまた
曽て聞さる所なり既に欧邏巴三分の一を併呑し
自ら帝と称す己か兄ヨーセスサ【ナ=朱記修正】ボレヨ【ヲ=朱記修正】ンを以て伊斯
把泥亜に封して王とし弟ローデウェイキ・ナポレヨ【ヲ=朱記修正】ンを
和蘭国王とし姉聟ヨハツヘム・シユラを西斉里亜及
那布児斯(ナーフルシ)国王とし己か子を以て羅瑪の太子に

【那布児斯=ナポリ】
【羅瑪=ローマ】

立つ又弟あり此人軍旅を事とせす世を避て羅
瑪に在り《割書:此羅瑪は意太里亜国教皇の所都|にして四方ゟ来り学ふ者甚夥し》爾後ボナバル
テ遠く兵を出して其いまた服せさるを征せんとす
自ら十五六万人を師て入爾馬泥亜波羅泥亜を
過て俄羅斯国に侵入し莫斯哥烏を囲めり
《割書:莫斯哥烏は俄羅斯の旧都にして城郭壮大なり|風説書には莫斯哥烏の都下を焼て攻むとありき》俄羅斯人奇
計を設け刃に血ぬらすして鏖にせんと先其近傍

【莫斯哥烏=モスクワ】

所在の粮穀を焼き又透く彼か糧道を絶ち
固く守て時日を過さしめ雪降り寒の至るを待
果して其策の如く大軍凍餒に堪すして死る
者多しボナバルテか漸く軍を還すと見て俄羅
斯人一時に兵を発してこれを敗りまた逐すかつて
大に敗りしかは死る者勝て計ふへからす俄羅
斯の人其屍を埋るにたへす皆焼捨たりボナバルテ

敗走して波羅泥亜に出る頃ほひ蘇亦斉王アーレル
ヤン《割書:元ボナバルテか|部下の将》俟設けて撃而已ならす波羅泥亜
及サキセン《割書:国|名》の軍勢裏切せしかはホナバルテ勇なりと
いへとも前後左右に当り難く又敗走して拂郎察
に帰るに其兵五万に過さりしと《割書:此事文化十一年|の冬なるへし》初め
和蘭の主ウイルレム第五世孛漏生王の女を娶て世子
フリンスハン・オラーニイを生り《割書:今の和蘭王 ブリンスハンオラ|-ニイは世子の封称なり》

嚮に和蘭の王ボナバルテに敗られ世子を率て諳厄
利亜に在し時諳厄利亜王女子一人ありて男無りし
かは彼世子を養て嗣とし其女に配せんとす《割書:按に百八|十年前》
《割書:和蘭のウイルレム第二世諳厄利亜のカアレル第一世王の長女を娶て|ウイレレム第三世を生り第三世も又諳厄利亜のヤーコフブ第二世王の》
《割書:女を娶とり此時諳厄利亜嗣に乏しウイルレム第三世外孫の故にや|遂に諳厄利亜の王となり和蘭と兼治之事ありき》
嗣後和蘭の世子ボナバルテか弟和蘭国王《割書:名はローデウェ|イキナボレヨンと云》
乃国を得る事能わす国民服せし【せし→し】て遂に遁て

【国民服せすして=が文意か】

拂郎察に帰ると聞き自ら和蘭に至て精兵を
募りボナバルテか新に俄羅斯に敗られて勢始て
折けたるに乗して千八百十五年《割書:文化十|二年》諳厄利亜を
合従し孛漏生フリンスウェイキ《割書:伯爵|の国》蘇亦斉等諸
国と謀て拂郎察に侵入はボナバルテみず自ら大軍を
率ひハートルロー《割書:地|名》を去る事七八里に兵を伏せて是
を待六月十五日初夜の頃ゟ戦始り十六日孛漏生と

決戦してこれを敗れり十七日東西勝敗を決せす
十八日と所謂ワートルロトの大戦なり夜をこめて軍
始り遂に入乱れて戦ふ時和蘭の世子勇を奮て
指揮するに忽ち流丸来て肩に中つ幸に疵浅けれは
尚奮戦せしに諳厄利亜孛漏生の人共に力戦し
■大にボナハルテを敗れり《割書:按に風説書にも六月十六日和|蘭の世子カテレブラスの陣にて勇》
《割書:戦し人ワートルローにて奮戦せり|敵味方名誉の勝利を得たりと》ホナバルテたまり得す車

に乗て疾走せしに《割書:車に馬数匹を駕して駆しむ|走る事甚捷しとそ》孛漏生
人進すかへて既に車の牕より手をさし入て執んとす
ボナバルテ身を翻して躍出し車を棄て走る事
共に百二十里計 把理斯(パレイス)に及ふに《割書:把理斯は乃|拂郎察の都府》尚遂
来つて事甚急なりホナバルテ川を隔て残兵を陣
し和を請す并に己か子を以位に立ん事を願ふ《割書:是は|己か》
《割書:蟄居せんとの|意なるへし》皆肯せす於是海岸さして走るに諳厄

【把理斯=パリ】

利亜の船数十艘既に備たりボナバルテ進退谷り終に
舶中に跳り入て役たり其舶の名をイルドコンボルト
と云彼れ諳厄利亜に降かはロントン《割書:諳厄利亜|の都府》に将て
往き厚待せられんと思ひしに左はなくてシントヘルレ
イナ島《割書:か|》《割書:按にシント|ヘレナ島なるへし》追放せられし欧邏巴中二十
余年の争乱此に至つて始て平治てしかは入爾馬
泥亜帝《割書:波羅泥亜地方に|出奔せし人也》伊斯把泥亜の王《割書:名はヘルヂドンド|拂郎察斯の獄》

《割書:中に繋|れし人》各国に帰り拂郎察の人前王の弟を迎て
立つ是をローデウェイキ十八世王とす諸国の王会盟
し信好を睦み法令を定めもし向来大砲一発
せんものあらは諸国挙て粉斉せんと約しぬ先和蘭
の世予を以大勲労とし入爾馬泥亜拂郎察の人地を
割て賞与し王国たらしむ和蘭の地古に復せり
《割書:按に和蘭もと十七州惣称してネーテルランドと云文明中全く|入爾馬泥亜に属し後又伊斯把泥亜に属せり此時伊斯把泥亜の》

《割書:守令其人を虐使せしかは諸部是を怨み師を興し屡伊斯|把泥亜を敗りしに又ナランエ国侯兵を出して是を援しかは》
《割書:国勢大に張り遂に天正六年和蘭七州の酋長共にオランエ侯を|推て主長とす是をウイルレム第一世と云遂に一致したり此後伊》
《割書:斯把泥亜の人前後八十年和蘭と強戦して遂に勝事能はすはすと云|へり東十州の地は大半入爾馬泥亜に属し小半拂郎察と和蘭とに》
《割書:属せしに此に至つて十七州全く|和蘭の有となり古に復せし也》和蘭の世子王位に即く是
をウイルレム第一世と云《割書:天正中ウイルレム第一世は一致国たりし|始祖なり今は王国たりし第一世なれは前》
《割書:称に碍かす|といへり》尋て俄羅斯帝の女を娶て妃とす《割書:按に我(ママ)|羅斯》
《割書:帝ナレキサン|テルの女なるへし》王国孛漏生は入爾馬泥亜の藩屏にして

和蘭諳厄利亜に次て勲功あり蘇亦斉王カーレルヤン
は期に後れて至て会盟に与れりビユルデンブルグの大公
及サキセンのケウルホルスト《割書:爵|名》共に王爵と降りぬ嚮に
和蘭世子の国に帰る頃ほひ諳厄利亜王の女子立
て王たり《割書:按に前王卒|せし故なるへし》幾もなふして卒す於是入爾馬
泥亜のプリンスバン・ワルレスを迎て嗣王とす《割書:フリンスハン・ワルレ|スは入爾馬厄亜》
《割書:王子の|封称也》是をジヨルセ第四世と云今の王なり文政七年

拂郎察のローデウェイキ十八世王卒す弟嗣く是を
カーレル第十世と云乃今の王なり
衣冠の制も改革このかた諸国多く改りしなり
和蘭にては肩に金絲の徽章を付て俄羅斯の
制の如し是俄羅斯に傚てかくせしにはあらす各
其宜に随て制せしなり殊に其瑣細なる飾は
時に改むる事なりき但今の王の服も甲比丹の服

制と異らす只色は花色を用ひ手先と肩には
猩々緋を入れ左の胸辺に銀の星を付る而已
右ことし入貢和蘭甲比丹スツルレル予か問も
答しまゝを綴りしなりスツルレル歳十四炮
手と成り十八隊長え擢られ拂郎察の役に
屡功あるをもて出身せしとそ惜らくは接話の
際余詻【裕ヵ】なく問を遺せる甚多したゝ和蘭と

諳厄利亜と睦ひ俄羅斯婚し諸邦と和親し
国勢大に張て復疇昔の比にあらさるを
識る耳
  丙戌四月

 右甲比丹スツルレルか話説に就て鄙懐の黙止し
 難きもの有よりて愚蒙の微志を贅する事左の
 如し
一凡て西洋の歴史は彼暦数千七百六十九年《割書:明和|六年》和
蘭にて刊行せし万国地誌中に載て詳なり
其後の事は我
邦にて識よしなくまして近時改革せる光景をや

適々杳かに伝へ聞へしも異説区々にして定りならす
蓋し西洋中昔より通商を免させられし和蘭
のみにて他の国ゟ聞識ん由なけれは長崎在晋の
和蘭人己か憚りあるより当時の模様程よく云なして
実事は秘して告さりし也《割書:我 邦の就中諳厄利亜|俄羅斯の二国を厳禁せら》
《割書:るゝ事情をは和蘭人曽て知れる事なれは彼か拂郎察に奪れ|て諳厄利亜に遁れ諳厄利亜に号泣して和蘭を興復し俄羅斯》
《割書:と婚する等の事を秘して|是迄語る事なきも宜なり》西洋の習ひにて諸国の風説

を日々刊行して世に顕す事なるに其風説書を
も渡さす又長崎の通詞等間々其あらましを聞
知るも有へけれとも亦憚りてや実をは語らさりき
三十年このかた彼諸国の形勢いかんを知らす彼暦史
の起【記ヵ】略をさへ追補せん便もなかりしと今スソルレルか
話説ゟ依て其大略を補ふことを得んとす《割書:スツル|レルと》
《割書:砲手より屡軍功にて漸く進てコロネルに擢られしとの由|ネルは武官にして乕頭の顕甲比丹より位貴し今甲比丹を》

 《割書:兼て来れるよし甲比丹は文官に属し舶に在ては舶中の|事を指揮し商館に居ては交易の事を掌る彼和蘭の》
 《割書:マスタクと云へる処にて生れ今年五十一歳性質文事に疎く|武事には長せりと見へて軍事を問は彼か得意にて陸て》
 《割書:語れるより終に|嫌疑を明せしならん》
一凡十年来和蘭斉来の貨物何故旧時と品多く
 替り《割書:其品過半諳厄利亜の産物又は印度の産|物有之和蘭属島になき品々多しと覚ゆ》衣服冠
 帽の製もほとなく改りし様子覚へていふかしかりしか
 スツルレルか話を聴き始て疑念を解きぬ抑和蘭

もと諳厄利亜俄羅斯と親しからす此二国常に和蘭
の我 邦に通商するを嫉み仇敵たりしか《割書:先年松|前に囚》
《割書:し俄羅斯の甲比丹ゴロウキンが著する遭厄紀事に文化元年|俄羅斯の使レサノフ長崎に至て日本の信牌を得け交易を》
《割書:乞しに許容なかりしは全く和蘭人の間せし|故なりとさま〳〵和蘭人を誹謗せし事見ゆ》俄羅斯と諳
厄利亜とは原ゟ婚親し《割書:漂客元太夫か俄羅斯に|在し時俄羅斯より諳厄利》
《割書:亜に養子|たりしと云へり》事なれは互に相助け官士も互に入れて使
へり《割書:今年入貢の和蘭人フルケルの話に松前に囚れし|俄羅斯のフロウサンは諳厄利亜の人なりといへる也》殊に俄

羅斯の舶司は皆諳厄利亜人を使ふよし其人尤
航海に熟すれはなり《割書:諳厄利亜人性智巧勇悍にして|尤航海水戦に長せるよし西史に見ゆ》
《割書:五百年来数々世界を航海し万国の|地勢を審にし彼か奪併■所又多し》固り俄羅斯と諳厄
利亜は同胞の国なるに今和蘭をはしめ欧邏巴
諸国の盟て倍好を結ひ合従の勢なれるは
豈悪むへく懼るへき事ならすや
スツルレル云へるは改革この方欧邏巴へ統和平し

和蘭も静謐に目出たき事なれ共治平続きなは
武備必衰へて後来事あらん時一支もならさるに
至らんかと却てあやふみぬ貴邦は自然の要害に拠
国を鎖して海外と通せしめす其鎖国の意は固に
感服する処あれとも海国にして艦軍に習はす好を
隣国に結はされは外患を禦くに利あらし然るを
まして治平久しく武備漸く衰へなんと若外寇

【海国にして艦軍に習はす=各文字に朱記傍点】

の難あらん亦危からすやと是甚憎ひへきの悪
言なれとも我に取ては亦良薬の口に苦きに似り
大凡欧邏巴の人は無事安閑として日月を過るを
恥ち《割書:諳厄利亜人性情志に就中諳厄利|亜の人は無事安逸を好さる由見ゆ》各其業をつと免め
励む事和漢の如くならす《割書:故に逸民乞丐|稀なりといふ》されは彼武官
等二十年干戈の中に老練し治平後十年為へき
業なれは《割書:スツルレルか甲比丹を兼て来れる|も畢竟為すへき業成れはなり》或は閑暇に

【無事安閑~如くならす=割書きを除き朱記傍点】
【閑暇に=朱記傍点】

 堪す外国を襲んなと謀るも有ん歟故に彼国の
 治平は余国の患なり
一先年俄羅斯より頻に我邦へ交易を願しは
 畢竟ヤムシヤツカ《割書:蝦夷千島の北に連れる大国にして|近世ロシヤ人併拓せし所なり》
 を賑さん為なりと松前に囚へしコロウヰン等か語
 れりと聞及しに今年和蘭人ブルゲルも左なりと
 語りぬ遭厄記事を按るに近来俄羅斯より

【堪す~謀るも=朱記傍点】

西北亜墨利加の地を開発併有し其地の産物を
カムシヤツカに送れり依てカムシヤツカとオボーツガ
の両所に奉行を置き亜墨利加地方交易進
貢の事を掌らしめ今は両地より亜墨利加へ
往来の船漸く緊【繁ヵ】くと見ゆ《割書:因て七年前和蘭出板の蛮|書を閲すに天明八年に》
《割書:当りて俄羅斯人西北亜墨利加の浜地北極土地五十八九度の間|と八ケ村を設く毎村家数百十六軒或は百廿軒ありて人前記》
《割書:俄羅斯の人四百六十二人亜墨利加の人六百人計ツヽ住す又寛政|五年此地の戸口を増んとて俄羅斯ゟ多く人数を送り既に》

《割書:学校をも設けて其土民に書を読□事を|書する事を教ゆと物産は諸獣の皮革極て夥し》彼西北亜墨
利加の地は更なり都て俄羅斯の蚕食せし
亜細亜の東北部皆冱寒不毛の地なれは食糧
極て乏し故にカムシヤツカ、オボーツカを初め此地
方諸堡営の食糧は悉く遙遠なる本国より
送れるなり仍て近隣なる我 邦と交易して
一は貨物の利を得一は輸糧の労を省んとなれは

 文化中の一件復【後=朱記】絶て来らされとも終に我北陸
 の患ならん
一文化元年長崎へ来りし我羅斯人の紀行書
 四冊あり此頃《割書:は享保か|》手に入りぬ《割書:此書我羅斯語なるを|和蘭に訳せしなり》
 《割書:内一冊は長崎在留中の日記にて都て 本朝の事情を書き|載て頗詳々なり既に訳者に投けて起稿せしむ訳成は奉んとす》
 其書中 本邦蝦夷及近傍諸国の地図ありて
 其時往返せし舟路を記せり長崎ゟ帰路は壱岐

対馬の間より北海を経て出羽より津軽海岸近く
乗通り西蝦夷海岸通りソウヤと北蝦夷との
間を過て北蝦夷の東岸を測りカムシヤツカに至れり
且 日本蝦夷の周囲海の浅深等は往返共に
測しと見へて精く載ぬ又文化八年俄羅斯人
コロウヰン等捕れて害訊せられし時コロウヰン詭
りて薪水食糧尽し故止ことを得す舟を寄せし

なりとて実は島々の形勢海港の深浅等
測量せよとの王命なる事は秘して告さりしと
彼か遭厄記事に述たり《割書:他国の島々を測量|せよとは何の心そや》又文政元年
諳厄利亜の漁船浦賀へ来りし後は年々我東
海へ来り鯨漁をなせり類船数十艘なりと聞ゆ
《割書:十年来此事あるは彼国兵乱治りて無事|を得且東海の舟路既に熟すれはなり》彼等一万里の
波濤を経て我東海に来ること隣浦に往て

 漁するか如し終に何等の点計をか企ん亦悪むへく
 懼るへき事ならすや
一前に述し如く西洋諸国治平一致して無事閑暇
 なるは余国の患にして《割書:諳厄利亜の漁船数十艘我東海|に来て漁し我海浜の船子を》
 《割書:親み懐んとにや数々物を与へ或は邪教の書を与へ又運送|の船を脅して掠め取又岸に来て薪水蔬菜を乞の類我患也》
 オホーツカメカムシヤツカの繁盛は偏に我蝦夷の
 患なり《割書:蝦夷ゟカムシヤツカに至る迄庭の踏石を並し如く小島|数十連続せり所謂千島にして大なるもの廿四島有》

《割書:其中廿二島は俄羅斯|人既に併奪せり》抑諳厄利亜人の東海浜に
来て薪水蔬菜を乞ふは禍浅して制し易く
俄羅斯人の西北亜墨利加を開発してカムシヤ
ツカ、オホーツカを繁盛にせんは毒深くして見へ
難し如何となれは此両所繁盛を以輸量の費甚
しからん然らは終に我 邦に向て望を絶こと
能はすもし来て交易を乞すんは窃に千島の夷

人をして交易せし免歟はた奇計を設けて我虚に
乗せん歟《割書:嚮に官地の時すら一商船に|攔妨せしこときなり》先年蝦夷地
官領たりし故ヱトロフ、クナシリの二島は奪とれ
すもし嚮に 官地とならすんは此二島も既に俄
羅斯に属して蝦夷の北部は危からす北部陥らは
禍終に解さらん

一夫蝦夷の地百年を顧して余に是を開かは弊
 なからんに連に成を欲して費多く利少く無用
 の地とするに至れり蝦夷の地勢は
 本邦の後陣たり利のみを以て事を論する
 は恐くは国家の為に取らさる所なり惜かな
 大日本四国の内最心を用ひすんは有へからさる
 蝦夷の要地をして小身の松前氏に復させ

給ふ世以ていふからすや必
神慮あるあらんと照して筆を絶ぬ

 文政九年四月  高橋景保謹述

【白紙】

別埒阿利安設(ベレアリヤンセ)戦記
   第一 勿能(ウエーネン)の会    《割書:吉雄宜|青地盈》全訳
             高橋景保校                 
千八百十四年《割書:我文化十|一年甲戌》第五月三十日同盟の諸国の
軍既にボナバルテを把理斯(ハレイス)に討て之に捷ち凱旋し
彼を執へてヱルバ島《割書:意太里亜|の属島》に流竄しローテウェーキ
第十八世王を再その国王に即かしめ諸国始て拂郎
察に和睦し諸国の軍士各本国に帰り万民安

堵の思をなせり扨此年秋同盟の諸王侯 勿能(ウエーナン)に
会集して猶和平の盟約定議すへしとて第九月
廿五日には魯西亜帝孛漏生王勿能に至れり其衆
都て一万人に余り旅舎する所なく野陣を張りて
之に舎す又ベイエレンの女王ウェルゲンブルグ《割書:共に独乙都|国の諸王》
及ひ弟那瑪爾加等の王侯も来会し第十月一日
已に諸国の執事集りて評議はしまりける元此

会議は欧邏巴中にかゝはる大事なれは数月を経る
に非れは定議すへしとは思はさる所に卒にボナハルテ
彼配所を遁れ出て兵を募りて把理斯を襲ふ
の風聞ありて会議は半はに廃し同盟の諸国
再ひ軍を引て彼敵を討へしとて陣鐘打て
此会議は後日に延へられたり
  第二ボナバルテヱルハ島を逃拂郎察を襲ふ事

同盟の諸王侯は会議して天下万民の治安を謀る
に引かへてボナバルテはヱルバ島にて新に暴虐の
企を起し私にヱルハ島を出て把理斯に襲入の
急報至り人々実にその悪逆を驚歎せさるはなし
斯て又天下和平の日は雲に掩はれ再危懼の世の中
となりぬさて千八百十五年《割書:文化十二|年乙亥》第二月廿六日の夜
九時にボナバルテは舟を装ひ与党の拂郎察波羅

泥亜 克爾西革(コルシカ)《割書:意太里亜|属島の名》の兵千許を卒てポルトヘ
ラヨより開帆し三月一日拂郎察の南方カンネス
に着岸し翌朝進てゲレノブレに至るに拂郎察
の反賊ラベドイヱレ其部属す卒て彼に属と此ゟ
直ルリラン《割書:拂郎察|国中》に赴て三月十日其党兵已に九万
より十万に及ひネイ《割書:人|名》等の悪徒皆彼に属し第
三月廿日の夕八時に把理斯に至る其途中人々を

して唱へしめけるは此王再国に入て三色の幟章
を建て新に富貴を得て更に二十五年の栄華を
収むへきとそ扨ローデウェーキ王は把理斯に在て
自ら守らんと心を砕きボナバルテは罪悪その党
類の不臣の罪を国人に説き聞せて兵卒を集め
彼を防んと欲れとも勢弱く却て其部下の兵も王を
棄て遁れ去けれは王は詮なく十九日の夜把理斯の

王城を棄てケントに遁れ行たり勿能には第三月
十三日始て此乱の急報至りけれは同盟の王侯直に
ボナバルテの信義を棄て人民を残害する罪状を
挙て国人に触れ天下治安を致さんとて諸軍一同
速に拂郎察に馳向て兇賊を征伐すへきを命したり
  第三ヲクシヨベルロ橋頭の合戦
ぼボナバルテが再ひ拂郎察王位に復ると聞へけれは那

波里王ムラトは彼か姉婿なれは直に貪利の企を起し
意太里亜の諸地を掠取らんとて部下の兵八万を
擁し不意に羅瑪所属 都斯加能(トスローネン)所属の地に
乱入し其土人を挑撥し己に与る者は国法を離
れ自由の栄華を得せしむへしと云はせ第四月三日
已にボログナの辺に至る扨此手の討手として独逸
都の大将ヨハロン・ビアンシ兵を総て之に向ひ戦ける

がムラトが勢に敵し難くポー河の辺に退きし故に
那波里の兵はフヱルラヨを過てオクシヨベルロの橋
頭に到る此時ヒアンシは加勢の兵を得てムラトと
戦ひ之を破り遂に威を奮て頻りに戦ひ第五
月二日朝より夜に至りて彼を追払ひしに三日朝
ムラト又寄来りしを遂に大に之を撃て彼か兵
二千を俘にし燌【熕ヵ】炮数多を奪ひムラト敗走して

那波里に引返しぬ
  第四独乙都の兵那波里に乱入す
トレンチノ《割書:意太里亜|国中》の戦《割書:前の合|戦を云》に独乙都の軍勝利
を得て大将ビアンシ進てカプアに到りけれは那波
里の大臣デーユカガルロ来て和を請けれともビアンシ
肯せすムラトと和を講するの義なしとて彼を
返しけれは又彼の総督コレツタ那波里の兵を収めて

降参し那波里城は独乙都方のヘルヂナント第四世
王に属すへきを約す然るに那波里府に内乱
起りて管領ネイベルグ其部下を率て之を制するに
鎮る事能はす終に独乙都の兵を以て之を
平定す此日総兵ビアンシは斉西里亜王子レヲポ
ルトを伴ひ兵二万を以て那波里に入ムラトは前
已に拂郎察に走り其婦人は諳厄利亜の舶にて

テリヱストに送り遣りぬ爾後ムラツト私に克爾西
革に拠らんとし事あらわれて執はれフーヱルテーイ
ナンド王命して之を斬しめぬ
  第五ベルレアリアンセ《割書:地|名》に於てブルセル」ウェルリ
  ングトン《割書:供に|人名》の勇戦
此時ボナバルテ把理斯に入て軍備を整へ兵卒を
四境に出し守らしむアンコウレメの侯は拂郎察国

南部の人民を以てホナバルテを防んと欲すれとも
彼か勢強きを以て避て舟にてセツトに退去す斯て
ボナバルテは自ら兵をマイの野に集めて点検す
るに一万八千なり二万許は已に諸方に遣りけれとも残
る所調練の強兵四五万ありけれは第六月十二日自ら
其軍を総て和蘭国境に向ひ其処に在孛漏生
諳厄利亜の軍に敵せんとし十四日其地に着し

十五日サムデレ河をカルレロイより渡りけれは孛漏生方
に其聞へありてブルセル及ウェルリングトン其軍を纏
たるに十二日拂郎察は歩兵十二万騎兵二万二千を
張て孛漏生方に突懸りける孛漏生の兵力を奮
て血戦せしか拂郎察方に利多くブルンスウェーキの侯
も爰に戦死し大将ブルセルも馬より落て已に危
きを辛ふして救ひ去れり十七日も終日戦止す十八

日朝十一時《割書:四半|時》よりベレアリアンセにて戦ひたるか爰に
諳厄利亜人の一手にて血戦せしかとも雌雄なく
夕七時に至れり其時ブルセル再孛漏生の兵を卒て
敵の背後より撃て此戦遂に大勝利を得たり
  第六拂郎察兵の引口
此戦味方は血に染み敵は鏖となりたるかボナバルテ
猶残兵を引て隊伍を乱さす退きけるけるか孛漏生の兵

奮激して之を追撃せしに由て遂に彼か兵卒乱
れ走りその途に燌炮装菓車桑車諸兵具等
を土地の見へさる計棄て散したりブルセルは此夜
月の明なるを幸とし敵を村里より駆出すへしと
命し兵を進めてゲナツぺに入しにボナバルテの乗
車を奪ぬ此時ボナパルテは帽子を脱し劔を失ひ
狼狽して遁れ去ブステロース《割書:人|名》辛ふして彼に従ひ

走りぬ残る所の拂郎察勢僅に四万許にして尽く
城営の方に遁失せり此戦に味方に得たる熕炮
三百門余あり此日ボナパルテの本陣ヘレアリアンセと
名る砦の高処に置たりホルストブルセルとウーエルリン
グトン此夜の大戦の後相会し互に勝利を賀して
ブルセル云けるは此戦はベレアリアンセの戦と名けて後
まて記念にすへしと云り

  第七ウレーデ王の兵サールゲムンデン」サールブルゲン
  を攻取る事
同盟の諸軍は各レイン河より拂郎察に進みブル
セル及ウェルリングトンは拂郎察の北辺に軍す爰に
ウレーデ王は第六月廿四日サール河を越て彼孛漏生の
軍に合し働人と約せしにサールゲムンデンの傍に
て敵に逢て遂にはけしき戦となり味方はサールの

橋頭に攻寄んとし敵はサール橋にて防きしか
督将ベクケルス已に進み前郭と橋とを攻取敵を進
て兵に府中に押入たり又ベイヱレンの兵はルネヒルレ
《割書:地|名》を攻取りぬかくて二十八日ウレーデ王本陣をナンセイ
の内に布きてメウラ及ムーセに河浜の敵を攻且スタ
ラーツブルグに在る敵将ラツプか把理斯に退く帰路
を絶ち又敵将レコウルベを打破らんと備へたり然るに

又ウーエルテンブルグの王子廿二日にゲルメルスヘイムより
レイン河を渡し来りラツプをフタラーツブルグに攻囲み
レコーベをボウルグリブレ「ブルグヘルド「ネウドルブの処とに
撃破り彼をヒユンニンゲン城に追入たり其他の総兵
フリモントは意太里亜よりシンブロンを越来りビブナ
はモレトセニスを越来り諸方より攻入んとせり
  第八魯西亜の軍カロンス府に乱入す

第七月二日魯西亜の総兵ヱーセルニツセフ兵を督して
カロンス《割書:拂郎察|の地》府に入んとせしに府人誤て此を敵とし
防人に企ける故にヱーセルニツセフ怒て兵に令し彼等
無益の敵対なす懲しめに其人を殺し其家を
壊て■て兵を放にし乱入せしに其危懼の内にも
おかしき事のありし府中にミニスクテウル「カウヒンと云
者ありて其家綺麗に見へけるか一人のコサック《割書:魯西亜|兵隊の名》

其家に蒸餅を求め飢を療んとし入て之を請ふ
にその家人蒸餅及火酒をも与へけれはコサッケン其
家婦家族の悲歎のありさまを見て已に掠奪に
逢し者なけんと憐みを起しフレデリキデラル《割書:貨錢|の名》
二枚を出して其婦に与ふ其婦敢て是を取らす
コサッケル其甚寡きを嫌ふて取さると思ひ又十四
枚を出し与へと云貢婦之を収めるアレキサンデル

《割書:魯西亜|帝の名》の兵は貨を惜ますして去りぬ又府中の老氏
リクテルといふ者頭に創を受て血に染て途に倒れ
けれは一人のコサック之を追て忽ち馬より飛下り己か
襦祥【ママ】を裂て其疵を縮縛し遣りたり但此老
人は遂にその疵にて死したり又総兵エーセルニツ
セフ此処を出去る時郊外の一酒店の主ニカイセ
といふ者総兵の過るを伺ひ已に家の破壊されたる

を嘆きけれはヱーセルニツセフ云けるは是は我過に非す
府人の無益の敵対をなせし故なりとて自ら十二
ジユカトン《割書:貨錢|の名》を彼に与へ是はヱーセルニツセフが汝に
致す志なりとて去れり
  第九同盟の諸軍把理斯に入
第六月二十一日ボナバルテはベレアリテンセの敗績の後
把理斯に帰り至り自ら位を退き其子を嗣とし

て二十四日把理斯を出去りたり其間フルセル及ウェルリン
グトンは勝に乗し直に兵を進め敵地の諸城を攻
降し第七月一日已に把理斯に入んとす爰にボナバルテ
の残党猶ダホウスト《割書:人|名》の麾下に集りて三度イスセ
ー《割書:地|名》の味方の軍を襲ひけれとも味方の兵之を打
破りけれはダホウスト力屈して和を乞へりかくて味
方の軍兵五万を率て第七月六日昼十時《割書:四|時》把理

斯に入同十八日ローデウェーキヱも返り来り廿日孛漏生土
独逸都帝魯西亜帝と共に陣を把理斯の内に
移しぬ如此く把理斯再ひ味方に属しけれとも
諸軍治定の間を此国の政庁の興行するまて諸軍
は此に留り守れり
  第十ボナバルテ諳厄利亜人に投す
ボナバルテは把理斯を出て第七月三日ボセホルトに

至り此より亜墨利加に往んと欲し大舶フレカトを
装ひ之に乗て順風を俟つ所に諳厄利亜の巡海の
軍艦之を見付て放さす殊に月夜なれはボナバルテ
も夜にまきれ遁れへきやうなく十五日終に自ら小舟
に乗りヘルトラント「サハレイ」ランマント等四十人許を従へ
諳厄利亜人に身を委ぬベルレロボン舶に移れり諳厄
利亜人彼等を執へ二十四日トルバーイ《割書:諳厄利|亜の地名》に至る

其途中彼等の身の果を見んとて遠近群聚せり
とて同盟の諸王侯相議しボナバルテをはシントヘ
レナ島に流竄すへきに極り舶将マツクブルンの支
配にてノルツムベルランド《割書:舶|名》に乗せ送りぬ此と共に島に
趣し者はベルトラント「モントロン管領フカサス兵将コル
ガント等其妻子及■人婢三人なり嗚呼万人を
残虐し万人に怒り罵られたる魁首たるボナパルテ

も終にヘレナ島を以て結果の所とせり
  第十一独逸都フンニンゲン城を抜く
フンニンゲン城は敵将バルバネゲレなる者守れり寄
手はアールツヘルトグヨハン君にて第八月二十二日大砲を
放ち攻けるに城中ゟ熕砲を放て防けれとも味方
を損するに至らす昼後已にその城門及廓道を焼払
ひ二十二日の夜より廿三日に至り城の外なる砲台を

奪へり二十三日二十四日昼夜大砲を放て焼たてけるに
城兵力屈し白幟《割書:帰降の|印なり》を揚て降を請ひハル
バネゲル部卒千九百人を引兵を伏て城を開て
出けれはアールツヘルトク降を受て城に入に長吏
これを迎入り其民をは各其郷里に還らしめ
本兵をバロイン河の背後に遣りて平定せり
  第十二シントヘレナ島

此島はアーランチセ海《割書:一に波爾杜|瓦爾海と云》の南辺に孤立する
巌礁島にして地下の大坑ありと見ゆ島の長さ
四爾時程《割書:凡五|里程》幅三爾時程《割書:凡四|里》高峰多くピーキ」
ハン」テ。イアナ」は二千六百九十尺《割書:凡七|町余》に及ふ全島の平
地僅に十二モルゲン《割書:一モルゲン凡千|三百二十六坪余》に過す礁上に僅に
土を敷甚脆疎なれとも能物を生長す田圃
とする所七八千モルゲンに過きされとも其余三

【爾時=レゴア(蘭語)リーグ(英語)】

万モルゲン許は不毛の礁石なり其田圃は肥潤な
れとも鼠甚多く穀種を下すを妨るか故に
土人唯畜牧里蔬を以て養とす野牛肉尤美
とし又野獣禽鳥多くあり但樹木に走しとす
温泉数所あり時気は良善清浄なり一府
ヤーメスストウン又ヤコーブススタードと名くヤコーフ
谷といふ処に置その処は島中最広平の地なれ

敵に当り諸軍を励まし昔より伝る和蘭国
の武威を輝せしは初め王子自ら進て強く敵
を打払しか忽ち敵兵の中に包まれ殆と危かり
けるに従騎之に衝入り力戦して之を救ふ其
苦戦の中に流丸王子の左肩に当り味方色を失
へかりしに王子之に辟易せす却て味方の
勇気激発して遂に敵を打払ひし故に

拂郎察人も始て和蘭国の勇威を感称せし
とそ此に由て王子の勇名高くあらわれ其創
も恙なく治しけれは国民王子は天の加護を得
たる事を嘆称せり
  第十四ベレアリアンセ府
ベレアリアンセ府は元世人のしらさる所なれとも此戦
再ひ欧邏巴諸州の治平を興せしか故に是府

とも僅に一条の街にして其家屋稠密にして
街の両側の房室直に巌崖に迫り雨時には
その崖礁砕落て屋を破る事屡々なりヤコー
ブスボクトと名る海湾ありホルトヤメスの砦を
要害とす海舶の破泊の常処とせり府と七十
余の村落とを総て口数三千許なり此島は
千五百の二年《割書:文亀二|年壬戌》波爾杜瓦爾のカハンイは始て

之を見出し其日のヘレナ《割書:古哲|の名》の祭日なるを以て
島の名とせり後千六百年《割書:慶長五|年庚午》に諳厄利亜人
之を取れり
  第十三和蘭の王子ボストレスロクツテレブラ
  ス《割書:初|名》ベレアリナンセ《割書:地|名》に於勇戦
第六月十八日ベレアリアンセの戦に和蘭の王子クツ
ルテレブラス一名ニールスプロングと云処にて勇を奮て

も亦大に名を顕せり夫悪虐終に幸を得は
天日永世に暗からん然とも英雄フラセル及ウェル
リングトンの二人相助て兇賊を撃て再万民
和平の勲を建しは正に此府と同しく不朽
の名を伝へ人々をして天道善に帰るを
鑑せしむ豈無量価の宝ならすや

右一巻和蘭人近時撥乱及正の盛を記して
其世子奮戦図の週に掲鏤せしものなり蓋
彼の功烈を後世に輝さんとなるへし故に唯其
挭概を述るのみ此ころ桂川氏か所蔵なる
を乞ふて訳せしめ甲比丹スツルレルか説話と
併せて当時の光景を観るの一助に備と云
 文政九年丙戌初秋 橘景保誌

【白紙】

【白紙】

【白紙】

【裏表紙】

【帙の背の画像 下部に附番】
JAPONAIS
5333

【帙への収納状態の画像】

【帙を閉じた状態の画像】

【帙への収納状態の画像】

【帙の上面 題箋部に文字なし】

【帙を開き表紙を見せた画像】
【題箋】
勃那把爾帝始末  全
【右下円形ラベル】
JAPONAIS
5333

【帙の内面のみの画像 文字なし】

【帙を開いた画像】
【帙内面後端部の東京神田一誠堂書店の票】
高橋景保訳編 ナポレオン伝
勃那把爾帝始末  《割書:文政九年成| 文政頃新写》
【表側、背の画像は前出】

BnF.

このかみ物にうては
れのしるしかならに
あしなんをも
     おし
      も

すかゆんぬれはか
なしするしるし あしせ
た之へとよく〳〵
行申たこへ

まてもこのみてくのの
いかてもしこかり候たり

ちすれは何と
  ましこし

朝風のいふしうれもてにしむか事
 そへかたや老の身もてかくけへ
  かたら■おもひしのひとにいるをは
   あくれみいかじこゑのかみもおほさゝらん

あなかしこ〳〵さらな〳〵たかむこれ 秀蔵
           申す
            きふ
神りてたかみ
くら
 をかけて奉し
るすも老の御い
わ井めうか
 くみたにへ
  かしこひく申
   事かならす〳〵
    しるしあらしめ
       道へも
        申す

とものす候る申に貧候行に
せめられてせんよし待らねは
もしや候てほる口秋に朝候に
ちるもかりていのり候しかしにや
待しん候れ覚の聞にてろかすの
鈴のに柑子はかり行かを
たるはるとみ行う
いかいかなるかと
  いか待るらん

【前頁重複文】
とものす候る申に貧候行に
せめられてせんよし待らねは
もしや候てほる口秋に朝候に
ちるもかりていのり候しかしにや
待しん候れ覚の聞にてろかすの
鈴のに柑子はかり行かを
たるはるとみ行う
いかいかなるかと
  いか待るらん

いてぜ事かい候かしこさゆ也なき
なり御んのゆるんれれは
東しかる候様なん身れ
手へのおもいなの候なる事し
いてきてこれに申り
よき〳〵の御のから
 なり候てそのまて
  ひしけ座まはん

あ身はかたかまり
をこうみ待たねけの
しるしにはかる事
みるみ地頃うれしけもし
  あみたゆ
    〳〵

【前頁重複文】
あ身はかたかまり
をこうみ待たねけの
しるしにはかる事
みるみ地頃うれしけもし
  あみたゆ
    〳〵 

夢はあはせからなり
にさしのあけを
 そなけたる
    事なり
 ましひわてきかせ
    たてまつらむ

あやつにしきて
  こかね御候〳〵

あられけ有の
もかれなに
かり
とも申のし
よれあんせ
   なり
   かし

おかしさにはらはた
  ましれぬはかりな

めもあやなるさへ 
       する
  やつかれ

たりやう
ちめやな

これをみるに物からん
  心もかもてなし

あれはなにを
 すんもそいさ
  いてみん
   をれう

【前頁重複文】
あれはなにを
 すんもそいさ
  いてみん
   をれう

めもあれやかさへするやつしな
 たしかにほしこくのてま

あれ
 かしこ
にかすな

この当てのをき
 所をとみかし
  みほけて

【前頁重複文】
この当てのをき
 所をとみかし
  みほけて

そととく
 まいり
  まめて

さしてあしたにては
 いかてか当はまてこそ 
  にいしめあさひにての
   なはまゝひ〳〵こそ
    しはふもまるそれもも
     思の外につこる
      なりたり

とらにいりたへ
 とらまはれて
  ほももり
   わる物
       を

くのたらふた
かり
    みしね

【前頁重複文】
   わる物
       を

くのたらふた
かり
    みしね

下端にこを
 かしきお
あれ
 まほるゝに

あれやつ
 しあけなく

あやつゝ
 にしき

くるふなとそいれに
 つきぬこらそも
   おとぬて

かとなもゝと
はないもきみにれ
縁のおかし候に
いるにこひならひ
 はなかり

やから
 よ候て
 おにかす

【前頁重複文】
やから
 よ候て
 おにかす

そのわた
 すするれ
  れとすな

れあゝ所ふらへ候にりて
 えめつめたる
  おかる
   かふ
もられおは
いらせれ物は
取めつめん

れもき物い
 らりれとぬ

わなりの章を
 やとひともたも
  それはこしろめ
   たくてつね也
    ろかへらかゝ
       おん
        すなに

ま其候香或る申さ候
ましつのさゝはすかし御柱
中為ぬのめして紅のゆから候にて
いつゝよしな原に先しのかく
たにはりあつめたになりこの
かりまずか小家にま候
ろてくとたりつなにむも
候よひくれも香しかに
つるあもにけんきぬるう
老んなしまあなり りりたかたりは
日す口もあるくへきものを
さしてかくにかくたにはら
いくよし左月おたへ人なん
御ほのあしへろてかくは
あるうしと且くは
かなしうこわは
かゝるさへすることせに
又めしはとそこ にし らく
よりもめしめ たれり きろ はん
 あれうれしや
   いにを しや
 
にほおしへよ神の
うける色給てかしは
たり事をつけし 事
よの事其あらめり
あさすし〳〵こせ おも
申事し
 もかう なりつる
神のなきけなり
つか〳〵のちぬそ
み身んすかは

うれしき わきざ

これはいかなる能湯のかゝる事は
待る候もいはすふくもいりし
つれはいかにしてこの冬は
 いにとんてみなり るるにけらに
 あさもし〳〵候うれおもれ

世もかまりも
 れもふ
   つわ

これはいかてかゝる も なり

もりいのおもく
 入たとはこれ も
   れも〳〵

【前頁重複文】
もりいのおもく
 入たとはこれ も
   れも〳〵
 
れもしとれれもはまゝの
御神の御とくをあらすそに
みたれはあのはつを
 ともめしのなり
  給へはものかれし 御よ
    れい〳〵 つかを

肩のおしぬ
 はかり
  れりき 物 かふ

あらたなわはる神の御しるしを
からふりたりしはほき物の
はつをともにつもれまいかたき
 なりこの事をいよ〳〵よ水にもしを
  月みすついたりにかくの ことく
  そなへ奉るへまかへき也るはに申
  待るすしころの手事承
  のかりゝひて待るなり おもふ
   やうは手さおしては
    いろりする人もこり あれ

けにいみしわかうふりたるふる
御秋のさらしよりわちしるし
 お候するわ松れ口りはかな

    詞書模写
     大蔵大輔実仲兼

    詞書模写
     大蔵大輔実仲兼

糞書
 物語
壱物二

糞書
 物語
壱物二

BnF.

【表紙】
【右下に図書票】
JAPONAIS
5304
【中央に題箋】
すゑつむ花

【見返し】
【文字無し】

【文字無し】

【文字なし】

【右上余白に図書整理番号の筆記】
Japonais
5340
(1)
【右下余白に図書館印 と日付ヵ】
Acq.92-09

おもへともなをあかさりしゆふかほのつゆに
をくれし心ちをとし月ふれとおほしわすれ
すこゝもかしこもうちとけぬかきりのけし
きはみ心ふかきかたの御いとましさにけ
ちかくなつかしかりしあわれににるものな
うこひしくおもほえ給いかてこと〳〵しき
おほえはなくいとらうたけならむ人のつゝ
ましき事なからむ見つけてしかなとこり
すまにおほしわたれはすこしゆへつきてき
こゆるわたりは御みゝとめ給はぬ給はぬ【原文に、「給はぬ」が重複している】く

まなきにさてもやとおほしよるはかりの
けはひあるあたりにこそはひとくたりを
もほのめかしたまふめる は(に)なひきゝこえす
もてはなれたるはおさ〳〵あるましきそ
いとめなれたるやつれなうこころつよきはた
としへなうなさけをくるゝまめやかさなとあ
まりものゝほとしらぬやうにさてしもすく
しはてすなこりなくゝつをれてなを〳〵
しきかたにさたまりなとするもあれはの
給ひさしつるもおほかりけりかのうつせみを

ものゝおり〳〵にはねたうおほしいつおきの
葉もさりぬへきかせのたよりある時はおと
ろかし給ふおりもあるへしほかけのみたれ
たりしさまはまたさやうにてもみまほしく
おほすおほかたなこりなきものわすれをそ
えしたまはさりける左衛門のめのとゝて大
貮のさしつきにおほいたるかむすめたいふ
の命婦とて◦(内に)さふらふわかむとほりの兵
部の太輔なるむすめなりけりいっといたう
いろこのめるわか人にてありけるを君もめし

つかひなとし給ふはゝはちくせんのかみのめにて
くたりにけれはちゝ君のもとをさとにてゆき
かよふ故ひたちのみこのすゑにまうけて
いみしうかしつき給し御むすめ心ほそくての
こりゐたるをものゝついてにかたりきこえけれ
はあはれのことやとて御こゝろとゝめてとひきゝた
まふ心はへかたちなとふかきかたはゑしり
侍らずかいひそめ人うとうもてなし給へはさへ
きよひ【さべき宵】なとものこしにてそかたらひ侍る
きん【琴】
をそなつかしきかたらひ人とおもへるとき
                  こ

ゆれはみつのともにていまひとくさ【一種】やう
たてあらんとてわれにきかせよちゝみこの
さやうのかたにいとよしつきてものし給ふ
けれはをしなへてのてにはあらしとおもふ
とかたらひ給さやうにきこしめすはかりには
侍らすやあらむといへはいたうけしきはまし【気色ばまし】
やこのころのおほろ月夜にしのひてもの
せんまかてよとの給へはわつらはしとおもへと
うちわたりものとやかなる春のつれ〳〵に
まかてぬちゝの太輔の君はほかにそすみ

ける命婦はまゝはゝのあたりはすみ【住み】もつかす
ひめ君のあたりをむつひて【睦びて=親しく振舞って】こゝにはくるなり
けりの給ひしもしるく【予言通り】いさよひの月おかし
きほとに【夜に】おはしたりいとかたはらいたき【気が咎める】わさ
かなものゝねすむへき夜のさまにも侍らさ
めるに【ありませんね】ときこゆれと【申し上げれば】なをあなたにわたり
てたゝひとこゑ【一曲】ももよをしきこへよむな
しくてかへらんかねたかるへきを【残念なので】とのたまへは
うちとけたるすみかにすへ【据え】たてまつりて【お通しなさって】
うしろめたうかたしけなしとおもへとしん

殿にまいりたれはまた【まだ】かうしもさなから【そのまま】む
めのか【梅の香】おかしきをみいたしてものしたまふ【中から眺めておられる】よ
きおりかなとおもひて御ことのねいかにま
さり侍らむと思給へらるゝよのけはひにさ
そはれ侍りてなんこゝろあはたゝしきいて
いり【出入り】にえうけたまはらぬこそくちをしけれ
といへはあはれしる人こそあなれ【いてほしい】もゝしき【宮中】
にゆきかふ人のきくはかりやはとてめしよ
するもあいなう【よそながら】いかゝきゝたまはんとむねつ
ふるほのかにかきならし給ふおかしうきこ

ゆなにはかり【大して】ふかきて【深き手=習熟したお手並み】ならねとものゝねからの
すちことなるものなれはきゝにくゝもおほ
されすいといたうあれわたりさひしき
所にさはかりの【それ程の】人のふるめかしうところせく【あたりが狭く感じる程家人が多く】
かしつきすへたりけん【大切に世話をして一所におちつかせただろう】なこりなくいかに
おもほしのこす事なからむかやうのところ
にこそはむかしものかたりにもあはれなる事
ともありけれなとおもひつゝけても物やい
ひよらましとおほせとうちつけにや【唐突だと】おほさ
むと心はつかしうてやすらひ給ふ【躊躇なさる】命婦か

とあるもの【かどある者=才気ある者】にていたうみゝならさせたてま
つらしと思ひけれはくもりかちに侍めり
まらうとのこむと侍りつるいとひかほ【厭ひ顔=さも避けているような様子】にもこそ
いま【すぐにまた】心のとかにを【ゆっくりとね】みかうし【御格子】まいりなん【おろします】とて
いたうもそゝのかさて【せかして勧めもせず】かへりたれはなか〳〵な
るほとにて【途中で】もやみぬるかなものきゝわく程
にもあらてねたふ【残念だ】との給ふけしきおかし
とおほしたり【興味を持たれた】おなしくはけちかき程の【近くで】
たちきゝせさせよとのたまへと心にくゝて【心惹かれてもっと聞きたい】
とおもへは【(そこで止めると決めていたので)】いてや【いえいえもう】いとかすかなる【勢いのない】ありさまに

おもひきえてこゝろくるしけにものしたまふ
めるをうしろめたき【気がとがめる】さまにやといへはけにさも
ある事にはかに我も人もうちとけてかたら
ふへき人のきは【際=身分】ゝ きはとこそ(ことにこそイ)あれ【こともあろうに】なとあは
れにおほさるゝ人の御ほとなれはなをさ
やうのけしきをほのめかせとかたらひ給ふ
またちきり給へるかたやあらむいとしのひ
てかへり給ふうへ【上=帝】の【(源氏の君は)】まめにおはしますと【真面目だからと】も
てなやみ【処置に困ると】きこえさせたまふ 【御心配されているのは】こそ(こそ)おかしう
おもふ給へらるゝおり〳〵侍れかやうの御

【「や」が脱落ヵ】つれすかたをいかてか御らんしつけんときこ
ゆれはたちかへり【引き返し】うちわらひてこと人【異人=関係のない人】のい
はむやうに【言いそうなことを】とか【咎】なあらはれそ【とがめだてされたくないよ】これをあた〳〵
しき【浮気っぽい】ふるまひといはゝ女のありさまく
るしからむ【差し障りがあるだろう】とのたまへはあまりいろめいた る(り)【左に「ヒ」と傍記】
とおほしており〳〵かうのたまふをはつ
かしとおもひてものもいはすしん殿の か(か)【本文の「か」を見せ消ち】
たに人のけはひきくやうもや【感じられるかもしれない】とおほして
やをらたちのき給ふすいかい【透垣】のたゝすこ
しおれのこりたるかくれのかたにたち

より給ふにもとよりたてるおとこあり
けりたれならむ心かけたるすき物あり
けりとおほしてかけにつきて【物陰に入って】たちかく
れ給へはとうの中将なりけりこのゆふ
つかた【夕つ方】うち【内裏】よりもろともに【一緒に】まかて【退出】たまひ
けるをやかて大殿にもよらす二条院にも
あらてひきわかれ給ひけるをいつちなら ひ(む)【「ひ」の文字の中央に「ヒ」と記載】【どこへ行くのだろう】
とたゝならて【様子がいわくありげで】われもゆくかたあれとあとに
つきてうかゝいけりあやしきむまにかり
きぬすかたのないかしろにて【無造作ななりで】きけれはえ

しり給はぬに【お気づきなさらないで】さすかにかうことかた【異方=違った所】にいりた
まひぬれは心もえす【要領をえず】おもひけるほとものゝ
ねにきゝついて【聞いてそれに心ひかれ】たてるにかへりやいて給と
したまつ【下待つ=ひそかに待つ】なりけり【のであった】君はたれともえみわ
きたまはて【気付くことが出来ず】われとしられしとぬきあし
にあゆみのき給ふにふとよりて【寄ってきて】すてさ
せ給へるつらさに御をくりつかうまつり
つるは【お送りして差上げたのですよ】
   もろともにおほうちやまはいてつれと
いるかたみせぬいさよひの月とうらむるも

ねたけれと【憎らしいが】この君と見給ふにすこしお
かしうなりぬ人のおもひよらぬ事よと
にくむ〳〵
   さとわかぬ【どの里にも隔てず】かけ【月の光】をはみれとゆく月の
いるさ【入り際】の山をたれかたつぬるかうしたひ【慕い】あ
りかはいかにせさせ給はむ【どうされますか】ときこえ給まこ
とはかやうの御ありきにはすいしむ【随身】から
こそ【を付けてこそ】はか〳〵しきこと【しっかりした行動という】こともあるへけれをくらさ
せ給はてこそあらめ【(私を)置き去りにしないでほしい】やつれたる【お忍びでの】御ありき
はかる〳〵しき事【軽率な事】もいてきなむ【起こります】とをしか

へし【押し返し=反対に】いさめたてまつるかうのみ【こんな時ばかり】見つけ
らるゝをねたし【癪】とおほせとかのなてしこ
はえたつねしらぬを【(頭の中将も)よう尋ね知らないので】をもきこう【功=手柄】に御心の
うちにおほしいつをの〳〵ちきれるかたにも
あまえて【遠慮せず】えゆきわかれ給はす【別々の所へ別れて行くこともようなさらないで】ひとつく
るまにのりて月のおかしきほとにくも
かくれたるみちのほとふえふき【笛吹き】あは
せておほとのにおはしぬさき【先】なともを
はせ【追わせ=先追い(前駆)】給はすしのひいりて人みぬらう【廊】に
御なをしともめしてきかへ給つれなう【さりげなく】

いまくるやうにて御ふえともふきすさみ
ておはすれはおとゝ【大臣】れいの【例によって】きゝすくし給はて【聞き過ごしはなさらないで】
こまふえ【高麗笛】とりいて給へりいと上す【上手】におは
すれはいとおもしろうふき給御こと【琴】めし
てうちにもこのかたに心えたる人〳〵にひか
せ給ふ中務の君わさと【格別に】ひは【琵琶】ゝひけと
頭の君心かけたる【思いをかけていたの】をもてはなれて【故意に避け続けて】たゝ
このたまさかなる【(源氏の)】御けしき【魅力】のなつかし
きをはえそむききこえぬ【ようお離れ申し上げることができず】にをのつから
かくれなくて【有名で】大宮なともよろしからす

おほしなりたれはものおもはしくはした
なき【みっともない】心ちしてすさましけ【心の楽しまないさま】によりふした
りたへてみたてまつらぬ所にかけは
なれなむもさすかに心ほそくおもひみたれ
たり君たちはありつる【例の】きんのね【琴の音】をおほ
しいてゝあはれけなりつるすまゐの
さまなともやうかへて【事情が変われば】おかしうおもひつゝけ
あらまし事に【将来の予測だが】おかしうらうたき【美しくて心惹かれ大事にしてやりたい】人のさ
てとし月をかさねゐたらむときみそめて
いみしう心くるしくは人にもゝてさはかる

はかりやわか心もさまあしからむなとさへ中
将はおもひけりこの君のかうけしきはみ【何となくそれらしい様子が現れ】
ありき給をまさにさては【それではこのまま】すくし給ひて
むや【過ぎるとは思われない】となまねたう【ちょっと憎らしく】あやうかりけり【不安だ】そのゝ
ちこなたかなたよりふみなとやり給へし
いつれもかへり事みえす【返事が来ず】おほつかなく【不安で】
心やましき【イライラする】に◦あまりう(ひたやこもりなり)【直屋籠り=引きこもってばかりいること】たてある【嘆かわしいこと】かなさ
やうなるすまひする人 は(もう)もの思ひしりた
るけしきはかなき木くさそらのけしき
につけてもとりなしなとして心はせ

をしはかるゝおり〳〵あらむとそあはれなる
へけれ【あるのはいいことなのだが】をも〳〵し【社会的地位が高い】とてもいとかう【本当にこのように】あまりうもれ
たらんは【あまりに引っ込み思案なのは】心つきなく【心が惹かれず】わるひたり【悪く見えている】と中将は
まいて【まして】心いられしけり【きもちがイライラさせられている】れいのへたて【心の壁を】き
こえ給はぬ【おつくりにならない】心にてしか〳〵のかへり事はみ給
や心み【試み】にかすめ【軽く事に触れて言う】たりしこそはしたなく【きまりが悪く】
てやみにしか【途絶えてしまった】とうれふ【憂ふ】れはされはよ【やっぱりね】いひより
にけるをやとほゝゑまれていさみむとしも【見たいとも】
思はねはにやみるとしも【見ることも】なしといらへ給を人
わき【人別き=相手によって態度を変える】しけるとおもふにいとねたし君はふかう

しもおもはぬ事のかうなさけなきをすさ
ましくおもひ【しらけた感じに】なり給にしかとかうこの中将
のいひありき【あれこれと言い寄り】けるをこと【言】おほくいひなれたら
む方にそなひかむかししたりかほ【得意顔】にもとの
ことをおもひはなち【思い切る】たらむけしきこそう
れはしかる【嘆かわしい】へけれとおほして命婦をまめ
やかに【誠実に】かたらひ給おほつかなうもてはな
れたる【なぜか故意に避け続ける】御けしきなむいと心うきす
き〳〵しきかた【好色めいた人】にうたかひよせ給ふにこそ
あらめ【疑いをお持ちなのだろうか】さりとも【ともかく】みしかき心は え(え)つかはぬも

のを人の心ののとやかなる事なくておも
はすに【意外なことに】のみあるになん【なると】をのつからわかあや
まちにもなりぬへき心 のとかにておやは
らからのもてあつかひ【世話】うらむるもなう心やす
からむ人はなか〳〵なむらうたかるへきを【大事にしてやりたいものを】とのた
まへはいてや【いやあ】さやうにおかしき【興味が惹かれる】かたの御かさや
とり【暫しの雨宿り(恋の立ち寄り所)】にはえしもや【とても】とつきなけに【相応しくないさまに】こそみえ侍
れひとへにものつゝみし【遠慮深く】ひきいりたる【控えめな】かた
はしも【ばしも=でも】ありかたうものし給ふ【稀でいらっしゃる】人になむ【人ですから】と
みるありさまかたりきこゆらう〳〵しう【ろうろうじう=物慣れて行届いていて】かと

めき【かどめき=才気ありげに見え】たる心はなきなめり【ないと見える】いとこめかしう【子供っぽい】お
ほとかならむ【おっとりしている】こそらうたく【大事にしてやりたく】はあるへけれとおほ
しわすれすのたまふ【(源氏は)】わらはやみ【瘧病 注】にわつら
ひ給人しれぬものおもひのまきれも御心の
いとまなきやうにて春なつすきぬ秋の
ころをひしつかにおほしつゝけてかのきぬた
のをともみゝにつきてきゝにくかりしさへ
こひしうおほしいてらるゝまゝにひたちの宮
にはしは〳〵きこへ【ママ】給へと【文をお出しするが】なをおほつかなう
のみあれは【返事が来ないので】よつかす【世付かず=世間並みでなく】心やましう【不愉快で】まけてはや

【注 間欠熱の一種。悪寒、発熱が隔日または毎日、時を定めておこる病気。マラリアに似た熱病。おこり。えやみ。】

まし【負けては止まじ=根負けして止めるつもりはない】の御心さへそひて【加わって】命婦をせめ給ふいか
なるやうそいとかゝる事こそまたしらね【経験したことがない】と
いとものしと【不愉快だと】おもひてのたまへはいとおし【気の毒だ】とお
もひてもてはなれて【相手を避け続けて】にけなき【相応しくないなどという】御事とも
おもむけ侍らす【仕向けたわけではありません】たゝおほかたの御ものつ
つみの【もの慎みの=引っ込み思案が】わりなきに【どうにもならない】て【手】をえさしいて給はぬ
となむみ給 に(ふ)【左に「ヒ」と傍記】る に【左に「ヒ」と傍記】ときこゆれはそれ
こそはよつかぬ事【世付かぬ事=世間知らず】なれものおもひしるまし
きほと【物心のつかない子供】こそさやうにかゝやかしき【照れくさい】も事は
りなれ【ことわり=道理だが】なにごとも 思ひ(思ひ)しつまり給へらん【正常な分別があるであろう】

とおもふこそそこはかとなくつれ〳〵に心ほ
そうのみおほゆるをおなし心にいらへ給はむは
ねかひかなふ心ちなむすへきなにやかやと
よつけるすち【色恋に関連する事柄】ならてそのあれたるすの
こにたゝすまゝほしき【佇んでみたい】なりいとうたて【いよいよ甚だしく】心え
ぬ【納得できない】心ちするをかの御ゆるしなくともたはかれ
かし【計画をめぐらせよ】心いられしうたてあるもてなしにはよも
あらしなとかたらひ給ふなをよにある人【世にときめいている人】の
ありさまをおほかたなるやうにてきゝあ
つめみゝとゝめ給くせのつき給へるをさう

〳〵しき【騒々しき=騒がしい】よひゐ【夜更けまで起きていること】なと に(のイ)はかなき【とりとめのない(話)の】ついてに
さる人こそ【そんな人がいるのか】とはかりきこえいて【噂が漏れ】たりしにかく
わさとかましう【意識的に】のたまひわたれはなまわつ
らはしく【なんだか煩わしく】女君の御ありさまもよつかはしく【好色がましく】
よしめき【訳ありそう】なともあらぬを中〳〵なる【生半可に】みちひ
きに【導きして】いとおしき事【気の毒なこと】やみえなん【にならないか】とおもひけ
れと君のかうまめやかに【誠実な様子で】のたまふにきゝ
いれさ ゝ(ら)むもひか〳〵しかるへし【片意地になっているようだ】ちゝみこおは
しけるおりにたにふりにたる【年月を経て古くなってしまっている】あたり
とてをとなひきこゆる【訪問される】人もなかりけるを

ましていまはあさちわくる【生い茂った茅(ちがや)などを分けて尋ねてくる】人もあとたえたる
にかくよにめつらしく御けはひのもり
にほひくるをはなま女【若くて身分の低い女】はら【如き者】なともゑみまけ
て【笑みまげて=笑顔を作って】なをきこえ給へとそゝのかしたてまつ
れとあさましう【驚くほど】ものつゝみ【遠慮深く引っ込み思案】したまふ心に
てひたふるに【熱心に】み【見】もいれ給はぬなりけり
命婦はさらはさりぬへからんおり【都合のよい折に】にものこし
にきこえ給はむほと御心につかすは【お気に入らないなかったら】さて
もやみねかし又さるへきにて【それ相応の御縁で】かりにもおは
しかよはむをとかめ給へき人なしなとあ

ためきたるはやり心は【浮気で軽率な心だと】うちおもひて【ふと思って】ちゝ
君にもかゝる事なといはさりけり八月廿よ
日よひ【宵】すくるまてまたるゝ月の心もとなき
にほしのひかりはかりさやけく松のこすゑ
ふく風のをと心ほそくていにしへの事
かたりいてゝうちなきなとし給いとよきおり
かなとおもひて御せうそ こ(こ)やきこえつらん【連絡をなさったのだろう】
れいのいとしのひておはしたり月やう〳〵
いてゝあれたるまかき【籬】のほとうとましく【気味悪く】
うちなかめ給ふにきむ【琴】そゝのかされてほの

かにかきならし給ほとけしう【悪く】はあらすゝ
こしけちかう【親しみやすく】いまめきたる気を【当世風ではなやかな感じ】つけは
や【つけたほうが】とそみたれたる心には心もとなく【物足りず】思ひ
ゐたる人めしなき所なれは心やすくいり
たまふ命婦をよはせ給ふいましもおとろ
きかほにいとかたはらいたき【気が咎める】わさかなしか〳〵
こそおはしましたなれつねにかううらみ
きこえ給ふを心にかなはぬよしをのみいなひ【否び=ことわり】
きこえ侍れはみつからことはりもきこえ
しらせんとのたまひわたるなりいかゝき

こえかへさむなみ〳〵のたはやすき【軽々しい】御ふるまひ
ならねは心くるしきをものこしにてきこえた
まはむ事【(源氏が)仰ることを】きこしめせ【お聞きなさい】といへはいとはつかしと
思て人にものきこえむやうも【御挨拶の仕方も】しらぬをとて
おくさま【奥のほう】へゐさりいり給いとわか〳〵しうお
はしますこそ心くるしけれかきりなき【身分の高い】人も
おやなとおはしてあつかひうしろみ【後見】きこえた
まふほとこそわかひ【若び】たまふも事はりな
れかはかり心ほそき御ありさまになをよ
をつきせす【男女の仲の事柄や情を理解せず】おほしはゝかるは【遠慮や心配なさるのは】つきなう【相応しくない】

こそとをしへきこゆさすかに人のいふ事は
つようもいなひぬ【否びぬ=断らない】御心にていらへきこえて【お答え申し上げないで】たゝ
きけとあらはかうし【格子】なとさし【鎖し=錠をおろし】てはありなむ
との給すのこなとはひんなう【具合が悪く】侍なんをした
ちて【無理に我意を張って】あは〳〵しき【軽々しい】御心なとはよも【まさか】なといと
よくいひなしてふたま【二間】のきはなるさうし【障子】
てつからいとつよくさして御しとね【座布団】うち
をきひきつくろふ【取り繕う】いとつゝましけにおほ
したれとかうやうの人【このような(高貴な)人】にものいふらむ心は
へ【心構え】なともゆめ【まったく】しり給はさりけれは命婦の

かういふをあるやうこそはとおもひてもの
し給めのとたつおい人なとはさうしにい
りふしてゆふまとひしたるほとなりわか
き人二三人あるはよにめてられ給ふ御あり
さまをゆかしきものにおもひきこえて心け
さうしあへりよろしき御そたてまつり
かへつくろひきこゆれはさうしみはなにの
心けさうもなくておはすおとこはいとつき
せぬ御さまをうちしのひよういし給へる御
けはひいみしうなまめきて見しらむ人に

こそ見せめはへあるましき【張り合いなど有るはずがないだろう】わたりをあな
いとをし【見ていて気の毒だ】と命婦はおもへとたゝおほとかに【おっとりと】
ものし給ふをそうしろやすう【安心で】さしすきた
ること【出過ぎたこと】はみえたてまつり給はし【御覧に入れることはなさらない】とおもひける
わかつねにせめられたてまつるつみさり
こと【罪・咎を避けるためにする物事】に心くるしき人【気がかりな人(姫君)】の御物思ひ【思い悩むこと】やいてこむ
なとやすからす【不安に】おもひゐたり君は人【姫君】の御ほ
と【身分】をおほせはされくつかへり【甚だしゃれていて】い さ(まイ)やうの【今様=当世風の】よしは
み【よしばみ=上品ぶった様】よりはこよなうおくゆかしうとおほさるゝ
にいたうそゝのかされてゐさりより給へる

けはひしのひやかにえひのか【「衣被」或は「裛衣」の香 注】いとなつかし
うかほりいてゝおほとかなるを【おっとりしているように感じ】されはよ【やっぱりね】とお
ほすとしころおもひわたるさまなといとよ
くの給ひつゝくれとましてちかき御いらへは
たえてなしわりなの わ(わ)さや【あまりにもひどいしわざ】とうちなけき給
   いくそたひ【何度も】君かし ゝ(らイ)まに【あなたの沈黙に】まけぬらむ
ものないひそといはぬたのみにのたまひもす
て ゝ(てイ)よかしたまたすき【事が掛け違って】くるしとのたまふ
女君の御めのとこ【乳母子】しゝう【侍従】とてはやりかなる【調子のよい】わ
か人いと心もとなうかたはらいたしとおもひて

【注 各種の香料を調合して作った薫物(たきもの)の一種。衣服にたきしめる】

BnF.

BnF.

BnF.

さくらのちうしやう

【右丁文字なし】
【左丁】
月日のかすをかうふれはことし
もすてにくれなんとするとかな
しくおほしめすおなしならひに
おはするをたかひにしらせ給はて
ひめ君はさらに世になからふへき
心ちもし給はすあけくれたゝふし
しつみておはしけるなからんあと
のかたみにもとてかくそかきおき
たまへる
  いにしへを  おもひいつれは
  いとゝしく  うかりける身を
  いつまてか  おなしうき世に
  ありそうみの ありとはかりは
【右下Acg.2001-09】
【赤丸の中BnF MSS】

【右丁】
しりなから  なとあふことの
まれにたに  とふ人もなき
あしのやに  ひとりぬる夜の
ゆめにたに  あふとはみえす
ひこほしの  あふ夜をまつは
うらやまし  いつとたのめぬ
中たえて   人はあはれと
いふたすき  たゝあすまての
さためなき  いのちつれなし
なからへは  ゆめにも君を
みるやとて  風のたよりを
まつのとに  あけくれ物を
【左丁】
おもひつゝ  ことしもくれて
くれはとり  あやうき世をも
すきゆけは  おかのまくすの
うらみわひ  人に心を
おきつ風   身にしむよるの
とりのねに  したふこゝろの
つれなさよ  さらはといへは
わすられて  おもふこゝろの
くるしさを  せめてはきみに
しらせはや  すきわかれにし
みとりこの  つるのけころも
ほしあへぬ  そてのなみたを
つゝみかね  こゝろはかりは





【右丁】
  ふるさとへ  かよふおもひの
  かひもなく  わかうへをきし
  ふるさとの  のきのしのふや
  ひめこまつ  おひゆくすゑを
  いつかみむ  たゝあけくれて
  こひしさの  そてにも身にも
  あまりつゝ  さためなき世は
  中々に    またはたのみの
  ありあけに  うちもねられぬ
  よる〳〵は  いのちつれなく
  なからへて  あひみる事も
  ありやせん  おもひきえなは
  なきあとに  もしもたつぬる
【左丁】
  人あらは   なからんのちの
  かたみともなれ
かやうにふてもしとろにかきみたし
給ふひめ君は神な月のすゑつかた
よりたえぬ御物おもひにしつみ
給へは月日のゆくにそへていとゝ
御心ちもなやましくなりまさり
給て一かたならぬ御おもひなれは御
いのちもあやうくみえさせ給ふ

【右丁絵】
【左丁】
すけは此御ありさまいかにせんとそ
なけきかなしみけり御心もたゝよ
はりまさり給へはわれなくなりなは
いかにすけかなけかんすらんとそれ
のみ心にかくり心くるしさもやるかた
なしとの給ひてそてを御かほに
をしあてゝなみたにむせひ給へは
すけいかならんみちにもすてさせ
給ふなとてなきかなしむ事かきり
なしたゝみやこの人々のこひしさ
わか君のしのはしさうつれはかはる
世のならひとはおもへとも中将の御
事もさすかにこひしきそとよ

【右丁】
いかにもすへきことのはもなきわか
身のありさまそやさきの世に
いかなることのあるやらんいまかゝる
おもひをすかむしろしきたへのま
くらもうくはかり御なみたのひま
もなしとかきくとき給ひていまは
つゆのいのちもいとゝをきところ
なきそとよなとせんかたなけに
みえさせ給へはすけなく〳〵申
けるはあな御うたてのありさまや
それにつけても御心をつよく
もたせ給ていま一たひこひしき
御かた〳〵をも御らんし候へと申けれは
【左丁】
うちなき給ひていまはたゝわか身の
事はこひしき人々ゆへにたのみも
なけれはそれをこそふかくのちの
世まてもたのむそよわれはか
なくなりたらはそれにはいのちを
なかくして中将のかたみの物わか
君の御くそくなといろ〳〵とり
出てこれをこそ此ほとはみてなく
さみつれともむなしくなりなは
うき世はくるまのわのことしめくり
あひまいらせ給はゝこと〳〵くかへし
まいらせ給へとて此御かたみともを
御かほにをしあてゝ又なきかなしみ

【右丁】
給ふ事かきりなし日かすのふる
まゝにいとゝおもひのかすそひて
御身もしたいによはりたまひて
なからへてあるへしともおほしねは
とて御ふみとりのあとのやうに
かきおき給へりすけにむかひて
もしふしきにも中将にあひたて
まつりなはこれをまいらせよとて
たひはさてもいかならんあとまても
心うかりつる事ともいかならん世
まてもわすれかたくこそおほゆれ
されはうき世にはかたときもなから
へたくはなけれともわか君のこひし
【左丁】
さにつゆのいのちもおしきなり
たとひむなしくなりぬともこの
おもひよみちのさはりとなりぬへし
くちおしくこそおほゆるれとて御ま
くらのしたはうくはかり御なみたそて
もせんかたなくそみえさせたまふ
いつよりもこよひは心ほそく人々
もこひしくかなしく思ふとてたかひ
にかたりあかし給ふすけ申けるは
さりとも中将殿はわすれさせ給ふ
へきさりともひめ君たちののたま
はぬ事はよもあらしさしも御心
さしふかくわたらせ給ひし物をと

【右丁】
わか君たにもおはしまさはいます
こしはなくさみ給ふへき物をなと
申ほとにあかつきになりてひめ
君すこしまとろみ給ひけりすけは
この御ありさまいかにせんと思へは
つゆまとろます松風さよちとり
いそにつなみのをとにひめ君おと
ろき給ひてたゝいまゆめに中将
度のれいのところよりかへりたる
心ちしていつよりもこよひはあ
まり物うくてあかしかねてこそ
まちつれ御身のおもひもたゝ
おなしなみたなりとてそてを
【左丁
しほり給ふほとにわれもともに
かきくとく此ほとのうらみをいふ
まてもなくてうちおとろきつる
よとてなみたにむせひ給へはこそ
かく御らんしつらんと申ひめ君御
なみたのひまよりかくなん
 つゆの身のいまを
    かきりとおもふにも
  たゝこひしきは
     みやこなりけり
夜あけぬれはかきをき給ひて
わかなからんのちのかたみにと

【右丁】
の給ひけるわれなくなりなはいか
はかりすけなけかんすらんとそれ
のみ心くるしくこそみやこのこひし
さにもしゆめにもみるやとて又
うちふし給へともねられぬとて
かくなん
 ふるさとをゆめに
    見は又なくさまて
  なとあやにくに
    こひしかるらむ
たとひはかなくなるともわか君
をいま一め見はやとおもふにおもかけ
にたちそひていかにすへしとも
【左丁】
おほえす又かえす〳〵すけになこり
いかゝすへきとて御そてをかほに
をしあてゝくれたゝたえ入給へは
すけもあま君もこはいかにや
中将殿の御いてにて候と申け
れは■

【右丁】
絵のみ文字無し
【左丁】
ひめ君とりなをし給ひけりあはれ
之御事やこひしき人の御ことを申
たれは御心をとりなをし給ひたる御
事のうれしさよと申ほとにひめ
君御心をしはしとりなをして中将
度のはとの給へはいま二三日のほとに御
入候はんするに御いのちをなからへて
またせ給へと申せはさらはまちて
こそ見めおさあひ人もくるかと
の給へはみな〳〵これへ御入候と申
けれはひめ君はいかにして此人には
おはしますそやうれしくは思へとも
いまは身もよはくなりてまちつけ

【右丁】
たてまつるへき心ちもせすとて
なき給へはすけをはしめてなくより
ほかの事そなきひめ君の給ひ
けるは此日ころまちつるよりもなを
心くるしきそとよつゆのいのちの
きえはてゝおはしたらはなにゝかは
せんこの世のうちにあるときこそ
見たけれ中〳〵むなしくなりはては
そのかひあるましわか身の事はこよひ
のうちもあすのほとはすきしと
おもふそとよはや〳〵おはせよかし
見たてまつりて心やすくしなんと
いきのしたにの給へはあはれにはか
【左丁】
なく御心をつくさせたてまつる
中〳〵御いたはしく思ひなからしはしの
御いのちもやとてたゝいま〳〵と申
のへつゝかなしき御事中〳〵申せは
おろかなり夜あけはかならすおはし
なんと申けれははや此夜のとく
あけよかしとまち給ふほとにひめ
君はよはり給へりすけあま君もろ
ともに中将殿よわか君よとこゑを
あけて申けれはとかくこたへ給へとも
うなつき給ひてなみたのみこほし
給へはかきりと見まいらせてすけも

【右丁】
あま君もねんふつをすゝめ申せは
いきのしたにて十へんはかり申
給ひてまとろむ人のやうにきえ
入給ひぬすけもあま君もこゑを
あけてなきかなしむ事かきりなし
すけ御まくらによりてこはいかにや
これまてつきそひまいらせてくたり
て候へはかへす〳〵かなしき事も御身
のゆへそかしうき事もわすれ
つゝいとけなくわたらせ給ひしとき
よりかけのことく御身にそひたて
まつりてかたときもたちはなれ
まいらせすいまをかきりの火の中
【左丁】
みつのそこまてもをくれさきたゝ
しとこそおもひまいらせ候しかひ
もなく御ひとりをきまいらせんにて
もさふらはす御ともにくしておはし
ませのこしをかせ給ふなともたへこ
かれてなくありさまこれもたす
かるへしともみえすあるしのあま
君あな心うやいかゝしたてまつ
らんと二人の人をかゝへてなき
かなしむ事かきりなし

【右丁】
絵のみ
【左丁】
かくしつゝすみよしには中将殿よる
ひるつゆもまとろみ給はす此君
にあひみすはこのうみのそこのみ
くつとなりてこんよのあまとも
なりなんとねんしおはしますほとに
まほろしとやいはんいみしくとし
おひたるおきなのかみひけしろ
きか中将を見たてまつりてうや
まひたるけしきにていとおしや
君のこひわひ給ふ人はすてにめい
とくはうせんのみちにをもむき給ふ
なりさりといへともこひゆへしぬる
人をはによいりむくはんをんのあはれみ

【右丁】
給ふよへにこたうにさきたちゆきて
くはんをんゑんまわうにこひうけ
たてまつらんとすかなはすはこの
おきなか身にかはりていま一と
君にあひみせたてまつらんたゝし
あすのむまのときにたつねあひ
みたてまつらすはいかゝあるへからん
とて
 たつね見よなにはの
   あまのぬれころも
  このすみよしの
     松とたのみて
はや〳〵とて此おきなはかりきぬの
【左丁】
そてをむすひてかたにかけいそ
きいて給ふとおもへは心ちくれ〳〵と
してうつゝともゆめとも思ひわけ
給はすむねうちさはきてさては
みやうしんの御しけんなりとたつ
とくたのもしく思ひていそきみ
やしろをたちいて給ひてなには
といふところをゆめにまかせてたつ
ねみんとおほせらるれは

【右丁】
絵のみ
【左丁】
はりまのかみうれしく思ひてまいり
けるほとになにはとはかりたつね
きたれともいつくをさしてそことも
しらすいりえ〳〵につくりかけたる
あしの屋のいやしきしつかすま
ゐなりうはのそらにまよひあり
き給ふほとに日もくれにけりあや
しきしつかふせやにやとをかり
ふして日ころは物を思ひけりいかに
なりぬることそすみよしのみやう
しんたすけさせ給へと夜もすから
きせいし給ふほとにあけかたにす
こしまとろみ給へはくれないの

【右丁】
はかましろきぬ七はかりに松に
もみちのうちきあおいろのから
きぬきてあふきさしかさしたる
女はうありひきむけてみれは
大みやのひめ君なりゆゝしき
めをわれにみせ給ふ物かないつくに
おはするそとの給へはうらめしけ
にて物もの給はすなみたを
をさてかくなん
 おもひきやなにはも
     ゆめとしりなから
   身をうきくもに
      たくふへしとは
【左丁】
ほのかにの給ふとおもへはうちおと
ろきぬされははや此世の中には
おはせぬ人にこそとあさましく
心のうさもいふはかりなくかなしくて
 なけきつゝまとろむ
    ほとのゆめさめて
  あはぬうつゝに
      きえぬへきかな
ものをおもへは身のくるしさにおかさ
れてまうさうにこそみゆなれ
たとひ此世におはせすともこけの
したまてもなとかはたつねみさらん
と心をつよくもちてしゆすを

【右丁】
をしもみ給てねんしゆをふかく
し給へはあるしのおきなねさめ
してねんふつなと申てあないと
おしや此御たひ人はさらにまとろみ
給はすねんしゆのおこゑみゝに
そみてたつとく思ひたてまつり候
おひをとろへてけふあすをもしら
ぬせうなとかうちとけてぬる事
のあさましさよといひてさても
御たひ人はいかなる人にてまします
そやこゝにあはれなる事の候この
川なみをへたてゝむかひのきしに
ほそみちのおくなるいゑは京のあま
【左丁】
君と申かみやこよりとてうつくし
き女はう二人なかされ人にておは
せしかおもひにはしなぬとは申せとも
みやこに殿も御こもある人とて
あけくれ御むねをこかしなき
かなしみ給ひ候かとひくる人も侍らす
いよ〳〵日かすのふるまゝにおもひの
かす〳〵うちそひてきのふのひる
ほとにこひしにゝしなせ給て候
もしさやうの事やしらせ給ひて候
そなたさまの人にてもやわたら
せ給ふらんこひしてしにたる人は
さうなくたましゐさりはてす

【右丁】
たとひむなしくなりたる人も
神ほとけの御はうへんにて
いきかへるとうけたまはり候おもふ人
にてなくはそのつかひともなのり
てくすりをあたへてみるとよき
たまはりをよひ候と申けれは
【左丁】
絵のみ

【右丁】
中将殿これをきくよりむねうち
さわきてされはこそわかたつぬる
人にておはしませとおもへともはや
はかなくなり給ひけん事のあさ
ましさよと思ひてなみたををさへ
てまことにあはれなる事にて侍り
けりと思ひてとひ給ふやうは
せう殿はそのくすりやしらせ給て候
そのかたのものにては侍らねとも
あまりにきくもいたはしくおもひ
まいらせ候といへはおきなかむかし
おく山へたきゝきをこりにまかりて
みちにふみまよひてはるかにひん
【左丁】
かしをさしてゆくほとに日かすをへ
ておもひのほかなるせかいにまかりて
侍りしとき此くすりをたまはりて
をこなひ人のありしかやくしによ
らいの御つかひなりとの給ふほとに
これをとりておもふ所へかへりにけり
としころのうはおきなかわかれを
かなしみておもひしにゝして七日と
申にかえりきてくすりをあたへ
侍りつれはいきかへりしなりまことに
やくしの十二大くはんいわうゑんてん
へんしやくちやうせいふらうふしの
くすりとおほし侍るとてたてまつり

【右丁】
ぬうれしくおもひてかれをとりて
いてんとすれはいゑもなき松の
したにていまゝて物いひつる
おきなもなかりけりさてはこれも
すみよしのみやうしんの御おしへ
なりといよ〳〵たのもしくてこの
るりのつほをとりて川なみを
こえて松のあるところをたつ
ねてあんしつのまへにおはし
たてはたゝこえ〳〵に人のなくのみ
きこえあはれさはかきりなし
はりまのかみたちよりて物申
さんといふときうちよりゆゝしく
【左丁】
なきたるすかたにて女はうたそと
いふこれにみやこの人やおはしますと
いふときあま君まいりてすけか
ふしたるまくらによりてかゝる事
こそ候へいてゝ見給へと申けれは

【右丁】
絵のみ
【左丁】
すけなく〳〵おきあかりて身んと
するにめもくれ心もきえてあしも
さたかにたゝねともやう〳〵いてゝ
みれははりまのかみなりいかにや御身
はかりかといへは中将殿もこれへ御入候
と申すけこれをきゝてとにかくに
物をはいひえすしてまつさめ〳〵と
そなきにけりいかにやうれしくあひ
みたるにこはなに事そとの給へは
あな心うや〳〵とはかりにてきえ入
けしきなりあるしのあま君まいり
てとく〳〵とひめ君のはかなくなり
給へるところへ中将殿の御手を

【右丁
ひきていれたてまつるすけまいりて
なみたのひまよりいかにや中将殿
のまいらせ給ひて候たとひかきりの
御みちなりともしはしたちとゝまら
せ給へとこゑもおしますさけひ
けれともらつくわえたをさつて
二たひさくならひなしさんけつ
にしにかたふきて又なかそらに
かへるならひなけれはゆきのことく
なる御むねのあたりもひえはてゝ
一たひゑめはもゝのこひありし御
まなこもふさかりてこときれたる
御ありさまたとへんかたそなかり
【左丁】
ける中将これを御らんして心もきえ
はてゝはたへに御はたへをそへて
あたゝめていま一たひかはらぬ御
かほをみせ給へあなうらめしの御
ありさまやわれをもくしておはし
ませとてなきふし給ふ御事かきり
なしほんてんたいしやくてんしん
ちしんたゝわれらかいのちをめされ
ていま一たひかはらぬすかたをみせ
させ給へとなきかなしむ事かきり
なしはりまのかみまいりてあな
あさましけさの御くすりをまいらさせ
給へと申せはそのとき中将ちからを

え給ひてけに〳〵とてとりいたし
これをひめ君の御くちにいれて
見給へはあま君すけもろこゑに
中将殿御入にて候しらせたまはぬ
にやと申中将もさしよりていか
にやわれこそまいりたれとの給へは
すこしめをみあけ給ひて御かほを
つく〳〵と御らんして御なみたを
なかしつゝ又きえ入給ふこゑをあけ
てよひたてまつり御くすりを
くちへいれまいらせけれは又御心
とりなをし又きえいりたひ〳〵
し給ひてしたいに御心をとり
【左丁】
とりなをし給へり中将御そはにおはし
て御ゆをとりよせてまいらせ給へは
御くしをすこしもちあけて御ま
いりありて御ひさをまくらにして
又ふし給へりいまたたのみなく
そみえ給ひける

【右丁】
絵のみ
【左丁】
御心くるしくて中〳〵物もきこえす
なとの給ひけるとかくあつかひ給へは
したい〳〵に御心ちとりなをし給へり
あま君もすけもそのときすこし
心いてきて中将殿にもはりまの
かみにもくこんとりいたし御さかな
いろ〳〵にこしらへてまいらせけり
中将殿ひめ君にはわれたてまつ
らんとてすこしまいらせ給へは御心
つくまゝにいとゝ御はつかしくおほし
て此ありさまにてみえたてまつる
事よとおほしめしうちそはみて
物ものたまはすうらめしくおほしめす

【右丁】
そととひ給へはうちうなつき給ひて
さめ〳〵となき給ひてわか君はいか
にとの給へはたゝいまこれはまいり候と
の給へりさても御身ゆへにおほく
の心をつくしてなをさりなる御事
にあひみたてまつるとやおほし
けんさなからすみよしの御たすけ
なりとてなをしの御そてを御かほ
にをしあてゝさめ〳〵となき給へは
ひめ君御心をとりなをし給ひて
いつくともしらぬみちにまよひ候
ほとにすけもみえす心すこき
事かきりなかりしにとしおひたる
【左丁】
おきな一人きたりてなんちこの
たひはかへり給へ御身のつまわれに
心さしふかくきせいして大くはんを
たてゝあひみん事をいのるゆへに
これまてきたる事なんちかため
なりされはほんてんたいしやくゑん
まわうくしやうしんしみやうし
ろくに申うくるなりはや〳〵かへり
給へとてそてをひかへてたかき所へ
ひきあけ給ふと思ひつれは人々の
御こゑみゝにかすかにきこえつる
なり中にもすけかこゑときくに
ちからをつけて御こゑをきゝつるに

【右丁】
中〳〵きもきえてうれしきにも
なをくるしくありつるよわか君の
こひしさはたとへんかたなき物を
御身は又大かた殿より御つかひあらは
まいり給ふへしわか君をはわれに
たへつゆのいのちのきえんまても
身にそへてみんとてこゑを
あけてなき給へは中将かゝへたて
まつりてよし〳〵いまはわれも
たちはなれたてまつるましきそ
わか君もいまおはしまさんする
なとこま〳〵とこしらへてこし
かたゆくすゑの御物かたりとも
【左丁】
かきくときかたり給ひてたかひ
にそてをしほりたまひける
かくしつゝすきゆくほとに

【右丁】
絵のみ
【左丁】
としもたちかへりぬみやこへはり
まのかみまいらせていつくの
うらにもすみ侍りなんわかきみ
をはたまはらんと申させ給ひてのほ
せ給ひけれは京には中将のいつくへ
おはしぬらんとあさましくおほして
らくちうらくくわいそのほかてら〳〵
山〳〵に人をつかはしてたつねたて
まり給へともおはせぬとて大将殿
も御思ひにしつみ給ひてさまをも
かへていかならん山のおくにもとち
こもりてほたいをもねかはんとし
給ひけるところへはりまのかみ

【右丁】
まいりてしか〳〵と申けれはゆめか
うつゝかとてよろこひ給ふことかきり
なしさてきたの御かたに此ほとの
しきくれ〳〵申たりけれはふしき
の事ともや神たにも御なうしう
おはしましけるをいかてあはれと
おほささらんなに事も中将を思ふ
ゆへにこそとかきくときの給へは
大将殿まことにことはりなりとて
いまの御しよをさなからゆつり
給ひて御身はへちの御しよへうつらせ
給ひてやかてすみよしへ御むかひ
に御むまくるまにておひたゝしく
【左丁】
まいらさせ給けり又みかとより中将
のゆくゑありときこしめして九
てうのない大しん殿を御むかひに
まいらさせ給ひけりめんほくの
いたりせひなかりけりをの〳〵よろ
こひ給ひて御むかひともまいらさせ
給ひけりかやうにあれとも中将は
ちゝはゝのあまりに御うたてしき
事ともをふかくうらみ給ひてかへり
まいり給はす大りよりかさねて
御つかひありて正月十一日にみや
こへかへり給へと御つかひしきりに
くたりけり又ちゝ大将殿よりはわか

【右丁】
君をはみやへのほりて見給へと
おほせられてとゝめ給へり中将は
ゆゝしきものなるとて又せん
しをなされけれはかたしけなく
かほとのおほせにまいらてはかな
はしとて正月十日になにはを
たち給ふひめ君すけあま君
御ともにまいりふねにのりて
のほり給ひけり
【左丁】
絵のみ

【右丁】
みちすからおもしろくあそひ給ひ
てかゝるみちの御つゐてまれなる
御事なるへしとて松のこかけに
ふねさしとてめてよものけしきを
なかめ給ひて日をへてあそひ
給ふほとに十一日にみやこへいらせ
給ふめてたき事かきりなし
これにつけてもすみよしのみやう
しんの御ありかたさたとへんかた
なかりけりみやこにかへりすみ給
てのちひめ君まうけ給ひて
とし月ふれはねうこにまいり給ふ
そのゝちわか君ひめきみあまた
【左丁】
いてき給ひぬこかの御いもうとの
ひめ君たちはかやうに大みやの
ひめきみのめてたくさかへさせ給ふ
を人しれすうれしくおほしけるさて
とく大し殿のひめ君には御なさけ
をかけ申させ給ひけりわかおもひし
事をおもひあはすれは人の心も
いとほしくとの給ひけり中将は
ついにおはせす大将殿もそのちは
おはしませともおほせられさりけり
わか君たちあまたいてき給ひて
御よろこひ申さんためひきくし
てすみよしへ御まいりありけるその

【右丁】
御よそほひこそむかしえんしの
大将のまいり給ひけるもこれには
まさり給はしとおほしたりあま君
なさけありてはくゝみ給ひし
事なれはよろつの事をあま君
にうちまかせ給ひけりすみよしへ
の御ともにはくるまにてまいり
けるいみしかりけるありさまいふはか
りなしひかるけんしのいにしへはもしほ
たれいみしきたみのうきねをな
きてゆきひらの中なこんのせき
ふきこゆるといひけんうらなみの
よる〳〵いとちかくきこえてなみたゝ
【左丁】
こゝもとにたちくる心ちするとな
かめ給ふほとにりうしんめをおとろ
かしてむかへたてまつらんとするなみ
風のあらきをすみよしのみやう
しんたすけ給へるむかしの事まて
思ひいてゝいまもむかしも心あらん
人はすみよしみやうしんをたのみ
たてまつるへしことにこひする人を
あはれみ給ふとこそうけたまはるなと
さま〳〵中将ふねのうちにてもみや
しろにても人に物申やうにみやう
しんにふかくきねん申てきんたち
のひめ君すけのつほねあま君

【右丁】
うかりしむかしの事をおもひいつれ
は神の御めくみのたのもしくこそ
おもひ給ひけれうらふく風をきくに
すきにしかた思ひいてられけるかみ
のいかきにはふくすもあをみわ
たりてをとにもあきをきかぬかほ
なれはいにしへ人のことをもいまのやう
にそおほしいてけるさま〳〵の大
くはんともみなはたし給ひてぬさたて
まつるほとにさかきのしたにつけ
たるしての風になひくさまそゝろ
さむくたつとき事かきりなしすゝ
のこゑかくらのをといみしく夜もす
【左丁】
からつとめてみや人のかふりすかた
なとめもあやにめてたきけしきを
みやうしんもさこそ御なうしうある
らんとよろこひのなみたせきあへす
ころは神な月のはしめの事なれは
松にをとするこからし身にしみて
おほしたりいと御なこりおしく思ひ
まいらせなからをの〳〵けかうし
給へりあるしのあま君のくるまに
ひめ君の御かたより
 たのみこし神の
    いかきをきてみれは
   ときはにさかふ
      松のむらたち

【右丁】
あま君やかて御返し
 よそならぬ身にも
   あはれをしらするは
  松のうはゝを
    わたるかみ風
かくてみやこへけかうし給て御ゆく
すゑめてたくさかへさせ給ひて
たのしみ日にまさりいよ〳〵はん
しやうさせ給ふ御事さなからめて
たかりける御事ともはつくしかた
くてかきとゝめ侍るなり
【左丁】
絵のみ

【右丁】
これにつけても神ほとけにしんを
いたせはあまねく御めくみにあつかる
のみならすこしやうにてはせんしよに
むまれこんしやうにてはゑいくわに
ほこり給ふなりかへす〳〵此さうしを
御らんせん人々はかみほとけを
たつとみ給ふへし此けちえんにて
二しんしやうりやうしやうとう
しやうかくとんせうほたいと御ゑかう
あるへし
 すきにける
    そのふることをみてもなを
  神のちかひを
      いかてわすれん
【文字無し】

【裏表紙】

【草紙の箱?】
【白丸ラベル】
JAPONAIS
5345
1-2
GRANDE RESERVE
1517 F.III

BnF.

BnF.

BnF.

BnF.

BnF.

【表紙】

【見返し】【ラベル】JAPONAIS/311/2

【書入れ 1058に取消線あり、その下に311】1058 311
【書入れ「R.B」と「1843」を中括弧で結び、その右に「3267」】 R.B. 1843 3267

頭書(かしらがき)増補(そうほ)訓蒙図彙(きんもうづゐ)巻之十二
  畜獣(ちくじう)《割書:此/部(ぶ)には山野人間(さんやにんげん)にすむ|もろ〳〵のけだ物(もの)をしるす》
【上段】
○麒麟(きりん)は
  仁獣(じんじう)なり
 ■(くしかの)【麕ヵ】身(み)牛尾(うしのを)
  一角(いつかく)あり牡(ぼ)を
 麒(き)といひ牝(ひん)を
  麟(りん)といふ生虫(せいちう)
    をふまず
 生草(せいさう)をふまず
  聖人(せいしん)の世(よ)に
   いづる獣(けだもの)
      なり
【下段 挿絵】
麒麟(きりん)【横書き】
【丸印 朱 中央に冠を頂く鳥(鷲ヵ鷹ヵ)の図を囲むように円形の文字列】BIBLIOTHÉQUE IMPÉRIALE MAN.
【二重丸印 朱】 R.F./BIBLIOTHÉQUE NATIONALE :: MSS ::
【上欄書入れ】Fase.6        6   1
    【柱】頭書増補訓蒙図彙十二        一

    【柱】頭書増補訓蒙図彙十二        一
【右頁上段】
○獅子(しゝ)は百/獣(じう)
  の長(ちやう)たり
   一/日(にち)に
 五百/里(り)を走(はし)る
  虎豹(こへう)をとり
   食(くら)ふ故(ゆへ)に
《割書:補》虎豹(こへう)といへども
  獅子(しゝ)を大に
   恐(おそ)ると也
 天竺(てんぢく)の猛獣(もうじう)
  にて通力(つうりき)し
   ざいを得(ゑ)し
 ものなりといへり
  一/名(めい)狻猊(しゆんげい)と
      いふ
【右頁下段 挿絵】
獅子(しし)
【二重丸印 朱 R.F.|BIBLIOTHĒQUE NATIONALE :: MSS::】
【左頁上段】
○獬豸(かいち)は
  異国(いこく)の獣(けだもの)
   なり其形(そのかたち)
 獅(し)子に似(に)て
  一角(いつかく)あり一名(いちめい)
   神羊(しんよう)と云
 能曲直(よくきよくちよく)を
  わかつ皐陶(かうよう)
   獄(ごく)を治(おさむ)る時
 その罪(つみ)うたがは
  しきものは獬(かい)
   豸(ち)にあたふ 
《割書:補》罪(つみ)あるものは是(これ)
  を喰(くらふ)罪(つみ)なき
   はくらはずと
【左頁下段 挿絵】
獬(かい)
 豸(ち)
【上欄書入れ】2
    【柱】頭書増補訓蒙図彙十二        二

    【柱】頭書増補訓蒙図彙十二        二
【右頁上段】
○虎(とら)はかたち
  猫(ねこ)のごとく
   大(おほい)さ牛(うし)の
 如(ごと)し色黄(いろき)に
  して前足(まへあし)ふと
   く一身(いつしん)の力(ちから)
 前足(まへあし)にあり夜(よる)
  行(ゆく)に一目(いちもく)は光(ひかり)を
   放(はな)ち一目(いちもく)は物(もの)
 を見る声雷(こゑらい)の
  ごとくよく風(かぜ)
   をおこす《割書:補》山(さん)
 上(じやう)にて虎一声(とらいつせい)
  吼(ほゆ)れは百/獣(じう)恐(おそれ)
   すくむといふ
【右頁下段 挿絵】
虎(こ)《割書:とら》
【左頁上段】
○騶虞(すうぐ)は白虎(びやくこ)
  なりその
   尾/身(み)より
 ながし仁獣(じんじう)
    なり
○豹(ひう)はかたち
  虎(とら)によく似(に)て
 ちいさし頭円(かしらまる)く
 面白(おもてしろ)し毛色(けいろ)《割書:補》
  薄黄(うすぎ)にて白(しろ)
   きほしあり
 甚美(はなはだび)なり故(ゆへ)に
  みづから毛采(もうさい)
   をおしむと
     いふ
【左頁下段 挿絵】
騶(すう)
 虞(ぐ)

豹(へう)《割書:なかづ| かみ》
【上欄書入れ】3
    【柱】頭書増補訓蒙図彙十二        三

    【柱】頭書増補訓蒙図彙十二        三
○獏(ばく)は熊(くま)に
  似(に)たり象(ざう)の
   鼻(はな)犀(さい)の
 目尾(めお)は牛(うし)の
  ごとく虎(とら)の
   足銅鉄及(あしどうてつおよひ)
 竹(たけ)を食(くら)ふ
  よくねむる
   けだものなり
《割書:補》すべてあしき
  夢(ゆめ)をくらふと
   いふよつて
 枕(まくら)にゑがいて
   獏(ばく)まくらと
     名(な)づく
【右頁下段 挿絵】
獏(ばく)
【左頁上段】
○象(ざう)は異国(ゐこく)の
  大獣(たいじう)なり
 鼻牙(はなきば)ながく
《割書:補》食(しよく)は口(くち)より
     くらひ
 水(みつ)は鼻(はな)より
  吸(すう)といふ三年
   に一たび
 乳(にう)す大山高(たいさんかう)
  山(ざん)にすむなり
    牙(きば)をとり
 て万(よろづ)のうつは
  ものにつくる
   象牙(ざうげ)といふ
      なり
【左頁下段 挿絵】
象(ざう)
【上欄書入れ】4
    【柱】頭書増補訓蒙図彙十二        四

    【柱】頭書増補訓蒙図彙十二        四
【右頁上段】
○犀(さい)は毛豕(けぶた)の
  ごとく蹄(ひづめ)に
   三/甲(かう)あり
頭(かしら)は馬(むま)のごとく
 三/角(かく)あり鼻(ひ)
  上額上頭上(じやうかくしやうづじやう)
    にあり
○熊は毛色黒(けいろくろ)く
形豕(かたちぶた)に似(に)たり胸(むね)
に白脂(はくし)あり俗(ぞく)に
熊白(つきのわ)といふ洞穴(ほらあな)に
すむを穴熊(あなぐま)といひ
木(き)にすむを木熊(きくま)と
いふ熊蹯(ゆうはん)はくまの
たなごゝろ熊膽(ゆうたん)くま
        のゐ
【右頁下段 挿絵】
熊(いう)《割書:くま》
犀(さい)
【左頁上段】
○狼(おほかみ)は狗(いぬ)に似(に)て大(おほい)也
頭(かしら)するどに頬白(ほうしろ)く
前足高(まへあしたか)く後(うしろ)ひろし
 口とがり大(おほ)き也
力(ちから)つよく諸獣(しよじう)
 をとり食(くら)ふ
よく後(うしろ)をかへり
    見る
○豺(さい)は狼(おほかみ)の類(たぐひ)
なり色黄(いろき)にして
頬白(ほうしろ)く尾(を)ながし
 狼(おほかみ)よりは少(すこ)し
小(ちいさ)く力(ちから)つよく
 諸獣(しよじう)を喰(くら)ふ
   悪獣(あくしう)なり
【左頁下段 挿絵】
豺(さい)
 《割書:やま| いぬ》
狼(らう)
 《割書:おほ| かみ》
【上欄書入れ】5
    【柱】頭書増補訓蒙図彙十二        五

    【柱】頭書増補訓蒙図彙十二        五
【右頁上段】
○鹿(しか)は馬(むま)のごと
くにして小(しやう)なり
頭長(かしらなが)く脚細(あしほそ)く
高(たか)し牡(を)は角(つの)有
夏至(げし)におつ牝(め)は
角(つの)なし六月に
して子(こ)をうむ 
好(このん)で亀(かめ)をくら
ふ秋(あき)のすへにいた
りて声(こへ)を発(はつ)す
虚労(きよらう)をおきなひ
腰(こし)をあたゝめ一切(いつさい)
の病(やまひ)に益(ゑき)あり
○麑(かのこ)は鹿(しか)の
   子(こ)なり
【右頁下段 挿絵】
鹿(ろく)《割書:しか》
 《割書:かのしゝ| とも|  いふ》
麑(げい)《割書:かの|  こ》
【左頁上段】
○麞(くじか)は秋冬(あきふゆ)は山に
すみ春夏(はるなつ)は沢(さわ)に住(すむ)
鹿(しか)に似(に)て小(ちいさく)して
角(つの)なし黄黒色(きくろいろ)也
雄(お)は牙(きば)あり 
○麋(おほしか)は鹿(しか)にて色(いろ)
青黒(あをくろ)なり大(おほ)さ子(こ)
牛(うし)のごとし目(め)の下(した)に
二の穴(あな)あり夜(よる)の目(め)
といふ
○麢(かもじゝ)は羊に似(に)て
青色(あをいろ)にして大(おほい)なり
角(つの)は細(ほそ)くて文(もん)あり
人(ひと)の指(ゆび)のごとし長(なが)さ
四五/寸皮(すんかわ)をとつて
褥(しとね)とす
【左頁下段 挿絵】
麞(しやう)
 《割書:くじか》
麋(び)《割書:おほ| じか》
麢(れい)《割書:にく》
《割書:かも|  じゝ》
【上欄書入れ】6
    【柱】頭書増補訓蒙図彙十二        六

    【柱】頭書増補訓蒙図彙十二        六
【右頁上段】
○麝(じや)は麞(くじか)に似(に)
 て小さく色黒(いろくろ)し
臍(ほそ)に香気(かうき)あり
《割書: |補》じやかうといふは
是(これ)なり故(ゆへ)におのれ
 が臍(ほそ)をおしむと云
○羊(ひつじ)は柔毛(じうもう)の畜(ちく)
 なりよく群(ぐん)を
なすよつて群(ぐん)
 の字は羊(ひつじ)に
   したがふ
○綿羊(めんよう)は羊(ひつじ)の 
 毛(け)の長(なが)きもの
をいふ夏羊(かよう)
   胡羊(こよう)と同
【右頁下段 挿絵】
麝(じや)
 《割書:じや| かう》
綿羊(めんよう)
 《割書:むく| ひつ|  じ》
羊(よう)
 《割書:ひつじ》
【左頁上段】
○豕(ちよ)は猪彘(ちよてい)の惣名(さうみやう)
なり野猪(いのしゝ)豪猪(やまぶた)な
とあり不潔(ふけつ)を喰(くら)ふ
よつて豕(ぶた)といふなり
腎虚(じんきよ)を補(おぎな)ふ
○豚豕(ゐのこぶた)の子(こ)也/唐人(とうじん)は
ころして常(つね)に食(しよく)す
○野猪(ゐのしゝ)は腹小(はらちいさ)く脚(あし)
ながし毛䅥色牙(けかちいろきば)に
てかけ投(なげ)る力(ちから)つよし
味甘毒(あぢはひあまくどく)なし癲癇(てんかん)を
治(ち)し肌膚(きふ)を補(おぎな)ふ
○山猪(やまぶた)は項(うなし)背(せ)に棘(いばらの)
鬣(たてがみ)あり長(なが)さ一/尺(しやく)ば
かり筋(すし)のごとし触(ふるゝ)
ときは矢を射(ゐ)るが如(ごと)し
【左頁下段 挿絵】
野猪(やちよ)
 《割書:ゐのしゝ》
山猪(さんちよ)
 《割書:山| ぶた》
豚(とん)
 《割書:ゐのこ》 
豕(し)
《割書:ぶた》
【上欄書入れ】7
    【柱】頭書増補訓蒙図彙十二        七

    【柱】頭書増補訓蒙図彙十二        七
【右頁上段】
○馬(むま)は火気(くはき)を受(うけ)
て生(うま)る火は木
を生(しやう)ずる事あたは
ず故(かるかゆへ)に肝(かん)あつて
膽(たん)なし膽(たん)は木(き)の
精気(せいき)なり木臓(もくざう)不(ふ)
足(そく)す故にその肝(かん)を
くらふものは死(し)す
○駒(く)は馬(むま)二/歳(さい)なる
を駒(く)といふ又五尺
以上(いじやう)を駒といふ
○驪(り)は馬(むま)の純(もつはら)に
黒(くろ)きものなりく
ろこまなり
○騮(りう)はあかき馬(むま)の
【右頁下段 挿絵】
駒(く)
 《割書:こま》
馬(ば)
 《割書:むま》
驪(り)
 《割書:くろ| こま》
騮(りう)《割書:かけの| むま》
【左頁上段 右頁上段から続く】
黒(くろ)きたてがみ
なるをいふなり
駵(りう)同かげのむま
なり
○驄(そう)は馬(むま)の青(あを)
  しろき色(いろ)
   なり
あしげ馬(むま)なり
 連銭葦毛(れんぜんあしげ)
○駁(はく)は馬(むま)の
  色(いろ)の純(もつはら)なら
ずしてまだら
  なるなり
   駁(はく)同
  ぶちむま也
【左頁下段 挿絵】
驄(そう)
 《割書:あしけ》
駁(はく)
 《割書:ぶち》
【上欄書入れ】8
    【柱】頭書増補訓蒙図彙十二        八

    【柱】頭書増補訓蒙図彙十二        八
【右頁上段】
○牛(うし)は田(た)を耕(たがへ)す
  畜(ちく)なり唐(もろこし)
   には牛(うし)を
殺(ころ)して祭(まつり)に備(そなふ)
 野牛(やぎう)有/水(すい)
  牛(ぎう)あり牲(いけにへ)
にそなゆるを
  大/牢(らう)といふ
○犢(とく)は牛(うし)の子(こ)
  なり犢(とく)の鼻(はな)
   男根(なんこん)に似(に)
たるゆへ男根(なんこん)を
  犢鼻(とくび)といふ
     なり
【右頁下段 挿絵】
犢(とく)《割書:こ|うし》
牛(ぎう)【左ルビ「うし」】《割書:特牛こというし|牝牛めうし|黄牛あめうし|犂牛ほしまだらうし》
【左頁上段】
○驢(ろ)はうさき馬(むま)と
  いふ耳(みゝ)ながき
   馬(むま)なり唐(もろこし)
には是(これ)をつかふ
  倭国(わこく)にはなき
   馬(むま)なり
○駝(だ)は背(せなか)に肉鞍(にくあん)
  ありて峰(みね)の
ごとし頸(くび)ながく
  して脚高(あしたか)し
   其毛(そのけ)温厚(うんかう)
にして狐(きつね)の毛(け)
 よりもあたゝか
  なり夏(なつ)は
    涼(すゞ)し
【左頁下段 挿絵】
驢(ろ)《割書:うさぎ|  むま》
駝(だ)
 《割書:らくだの|   むま》
【上欄書入れ】9
    【柱】頭書増補訓蒙図彙十二        九

    【柱】頭書増補訓蒙図彙十二        九
【右頁上段】
○狐(きつね)は狗(いぬ)に似(に)て
鼻(はな)とかり尾(お)大(おほい)
なり昼(ひる)はかくれ
夜出(よるいづ)る馬骨(ばこつ)を
くはへて吹(ふけ)ば光(ひかり)を出(いだ)
し食(しよく)を求(もと)む是(これ)
を狐火(きつねび)といふ又/玉(たま)を
くはへて光(ひかり)をなすと
もいふ百/歳(さい)を経(へ)て
北斗(ほくと)を礼(らい)して化(ばけ)る
といへり
○猫(ねこ)は眼晴(まなこのひとみ)子午卯(ねむまう)
酉(とり)には糸(いと)のごとし
寅申(とらさる)巳亥(みい)には満月(まんげつ)
の如(ごと)く丑未辰戌(うしひつじたついぬ)に
【右頁下段 挿絵】
狐(こ)《割書:きつね》
猫(めう)《割書: |ねこ》
【左頁上段 右頁上段から続く】
は棗核(なつめのたね)のごとし鼻(はな)
常(つね)に冷(ひやゝか)なり夏至(げし)
一日あたゝかなり
○狸(り)は虎狸(こり)あり猫(めう)
狸(り)あり猫狸(めうり)はくさし
食(しよく)すべからず頭(かしら)とがり
口方(くちけた)なるを虎狸(こり)と云
○貉(かく)は狐狸(こり)に似(に)た
り毛黄(けき)にして褐色(かちいろ)
なりよくねむる昼(ひる)
はふして夜出(よるいづ)る
○貒(たん)は犬(いぬ)に似(に)て喙(くち)
とがり足黒(あしくろ)く毛(け)䅥(かち)
色(いろ)なり尾足(おあし)みぢかく
ゆくことおそし耳(みゝ)
聾(しい)て人(ひと)を恐(おそ)る
【左頁下段 挿絵】
狸(り)《割書:たぬき》
貒(たん)
《割書:みだ| ぬき》
貉(かく)《割書:む|じな》
【上欄書入れ】10
    【柱】頭書増補訓蒙図彙十二        十

    【柱】頭書増補訓蒙図彙十二        十
【右頁上段】
○獒犬(かうけん)は大犬(おほいぬ)なり
高(たか)さ四尺なるを
獒(かう)といふ俗(そく)にこれ
を唐犬(とうけん)といふ
○犬(いぬ)は味(あじわひ)鹹(しははゆく)温毒(うんどく)な
し五/臓(ざう)を安(やすん)し気(き)
をまし腎(じん)に宜(よろ)し
○㺜犬(のうけん)は毛長(けなが)し
尨狵獅犬(ほうほうしけん)同し
むくいぬなり
○蝟鼠(いそ)は貒(みたぬき)のごとし
脚短(あしみぢか)く尾長(をなが)し
色青白(いろあをしろ)し足毛(あしのけ)
人をさす山谷田野(さんこくでんや)
に生(しやう)ず猬(ゐ)同
○霊猫(れいめう)は南海(なんかい)の山(さん)
【右頁下段 挿絵】
獒犬(かうけん)
 《割書:たう| けん》
犬(けん)《割書:いぬ》
㺜犬(のうけん)
 《割書:むくいぬ》
【左頁上段】
谷(こく)に生(しやう)すかたちた
ぬきのごとし陰(いん)は
麝(じやかう)のごとし
○兎(うさぎ)は前足(まへあし)みじ
かく尻(しり)に九の孔(あな)有
辛(からく)平毒(へいどく)なし中(うち)
を補(おぎな)ひ気(き)をます
○猿(ゑん)は禺(さる)のたぐひ
猴(こう)に似(に)て臂(ひぢ)ながし
よく樹(き)の枝(えだ)を攀(よづ)
○猴(こう)はかたち人(ひと)に似(に)
たり腹(はら)に脾(ひ)なふ
して行【犴?】をかつて食(しよく)
を消(しやう)すよく立(たつ)て
ゆく性(せい)さはがしく
して物(もの)を害(かい)す
【左頁下段 挿絵】
蝟鼠(ゐそ)
 《割書:くさぶ》
霊猫(れいめう)《割書:じやかう|  ねこ》
兎(と)《割書:うさ|  ぎ》
【上欄書入れ】11
    【柱】頭書増補訓蒙図彙十二        十一

    【柱】頭書増補訓蒙図彙十二        十一
【右頁上段】
○獺(をそ)は水中(すいちう)にすむ
四/足(そく)ともに短(みじか)し色
青黒(いろあをぐろ)し魚(うを)をとり
くらふ水気(すいき)脹満(ちやうまん)
を治(ぢ)す多食(おゝくくらふ)べからす
○貂(でう)は鼠(ねずみ)のたぐひ
大(おほひ)にして黄(くわう)黒色(こくしき)
なり毛(け)ふかくして
あたゝかなり帽子(ばうし)
領(えり)にして寒気(かんき)をふ
せぐ俗(ぞく)に栗鼠(りす)と書(かく)
○鼯(むさゝび)は小狐(しやうこ)のごとく
肉(にく)翅(し)蝙蝠(かふもり)に似(に)たり
脚(あし)みじかく尾長(をなが)
さ三尺ばかり声人(こゑひと)の
よぶがごとく火煙(くはゑん)を
【右頁下段 挿絵】
猴(こう)《割書: |ましら》
猿(ゑん)《割書:さる》
獺(だつ)
 《割書:かわ|  をそ》
【左頁上段】
喰(くら)ふ高(たか)きより下(ひきゝ)
におもむく下(ひきゝ)より
高(たか)きにのぼる事
あたはず
○鼲(てん)は鼠(ねづみ)のたぐひ
なり皮(かわ)裘(かわころも)につくる
べし一名(いちめい)礼鼠(れいそ)
○海狗(かいく)は膃肭臍(をんとつせい)
なり形狐(かたちきつね)ににて
尾(を)は魚(うを)なり身(み)に
青白(あをしろ)き毛(け)あり又
青黒(あをくろ)き点(てん)あり
臍(ほそ)は脾腎(ひじん)の
労極(らうごく)を治(ぢ)す
○海獺(かいだつ)は獺(をそ)に似(に)
て大(おゝき)さ犬(いぬ)のごとし
【右頁下段 挿絵】
貂(でう)《割書: |りす》
鼲(こん)
《割書:てん》
鼯(ご)《割書: |むさゝび》
【上欄書入れ】12
    【柱】頭書増補訓蒙図彙十二        十二

【右頁上段】
脚(あし)の下(した)に皮(かわ)あり毛水(けみつ)につい
て濡(うるほ)わずあじかといふ
○水牛(すいぎう)は色(いろ)あをく腹(はら)大(おほい)に頭(かしら)
とがりかたち猪(いのこ)に似(に)たり
これを食(しよく)すれば消渇(せうかつ)を
やめ脾胃(ひゐ)をやしなひ虚(きよ)を
おぎなひ水腫(すいしゆ)を治(ぢ)す
○猩猩(しやう〴〵)は海中(かいちう)にすむ獣(けだもの)也
毛色黄(けいろき)にしてさるのごとし
耳白(みゝしろ)く面(おもて)と足(あし)は人(ひと)のごとくに
て酒(さけ)をこのむ血(ち)をとりて染(そむ)
○狒々(ひひ)は猴年(さるとし)を積(つみ)て狒々(ひひ)
となるといふ形人(かたちひと)のごとくにし
て大(おほい)なり唇(くちひる)長(なが)く反踵髪(はんしやうばつ)を
被(かふ)ふり迅(とく)走(はしり)て人を食(くら)ふ人を
見れは大(おほい)に笑(わらふ)
【右頁下段 挿絵】
海(かい)
狗(く)
《割書:おつと|  せ》
海獺(かいだつ)
 《割書:うみ| をそ》
 《割書:あじか》
水(すい)
牛(ぎう)
【左頁上段】
○鼠(ねすみ)は四/歯(し)ありて牙(きば)なし前(まへ)の
爪(つめ)四ツ後(うしろ)の爪(つめ)五ツあり小児(せうに)の
驚風(きやうふう)てんかんを治(ぢ)す
○鼷(けい)はつかねずみなり鼠(ねすみ)のちい
さきものなり人をくらふて痛(いた)
まず瘡(かさ)となる
○鼴(ゑん)うぐろもちは伯労(もず)の化(くは)
するものなり鼠(ねすみ)に似(に)て頭(かしら)は
ゐのしゝのごとく尾(お)なし毛色(けいろ)
黄黒(きくろ)し地中(ちちう)をうがつてみゝ
すを食(くら)ふ日月(じつげつ)の光(ひかり)をおそる
○鼬(いたち)は鼠(ねすみ)より大(おほき)に身(み)ながく
四足みじかく尾(お)大(おほい)なりいろ
黄(き)にしてあかしよく鼠(ねすみ)をとる
○角(かく)はあらそふとよめりけだ物(もの)
角(つの)をもつてあらそふなり
【左頁下段 挿絵】
狒々(ひひ)
猩猩(しやう〴〵)

【右頁上段】
鹿(しか)は夏至(げし)に角(つの)おちて
秋分(しうぶん)に生(しやう)ず鹿角(しかのつの)水(すい)牛(ぎう)の角(つの)器(うつはもの)につくる
○牙(きば)は歯(は)のながく大(おゝい)なる
ものなり象(ざう)の牙(きば)は
大(おゝい)にしてうつは物(もの)につ
くり猪(ゐ)の牙(きば)は物(もの)をす
りてなめらかにす
○騣(そう)は馬(むま)の頸(くび)にあるた
てがみなりうながみともいふなり鬃(そう)鬐(さ)鬛(れう)
ならびに同
○蹄(てい)はけだものゝ足(あし)の
さきなり麒麟(きりん)は蹄(ひづめ)
の下に肉(にく)ありて物(もの)をふ
んでやぶらずといふ
【左頁下段 挿絵】
鼠(そ)
《割書:ねず| み》
鼷(けい)
《割書:はつか| ねず|  み》
鼴(ゑん)《割書:うごろもち》
鼬(いう)《割書: |いたち》
角(かく)
 《割書:つの》
牙(げ)
《割書:き| ば》
騣(そう)
《割書:たて| がみ》
蹄(てい)《割書:ひづめ》
【左頁上段】
頭書(かしらがき)増補(ぞうほ)訓蒙(きんもう)図彙(づゐ)巻之十三
禽鳥(きんてう) 《割書:此/部(ぶ)には山林(さんりん)にすむもろ|〳〵の鳥(とり)をのこらずしるす》
○鳳凰(ほうわう)は神霊(しんれい)の鳥(とり)
なり雄(お)を鳳(ほう)と云/雌(め)
を凰(わう)といふ其かたち
雞(にはとり)に似(に)たり羽(はね)は五
采(さい)をそなへ高(たか)さ四五
尺(しやく)声(こゑ)は簫(しやう)のごとし
生虫(せいちう)を啄(ついばま)ず生草(せいさう)
をふまず桐(きり)をこのむ
竹実(ちくじつ)をくらふ
鳳凰(ほうわう)瑞鶠(ずいえん)並同
【左頁下段 挿絵】
鳳凰(ほうわう)

【右頁上段】
○孔雀(くじやく)は大さ鴈(かん)よ
り大なり高(たか)さ四尺
かしらに三/毛(もう)をいたゞ
く長(なが)さ一寸余/惣身(そうしん)
緑色(みどりいろ)にて光(ひか)り有
尾(を)の玉(たま)は青(あを)くひかる
人/手(て)をうつて歌(うた)へは
尾(お)をひらきて舞(まふ)
【右頁下段】
孔雀(くじやく)
【左頁上段】
○錦雞(きんけい)は山どりに
似(に)て小(ちいさ)く羽色(はいろ)は五
色(しき)なり孔雀(くじやく)のは
ねのことし鷩雉(べつち)
采鷄(さいけい)並同
○白鷴(はくかん)は山雞(やまとり)に似(に)
て色白(いろしろ)し黒(くろ)き文(もん)
あり尾(を)の長(なが)さ三四
尺ばかりあり食(しよく)す
れば中(うち)を補(おぎな)ひ毒(どく)
を解(げ)す
【左頁下段 挿絵】
錦雞(きんけい)
白鷴(はくかん)

【右頁上段】
○鶴(つる)は長(なが)さ三尺/高(たか)さ
三尺余/啄(はし)の長(なが)さ四
五寸/頂(いたゞき)目(め)頬(ほう)あかく
脚(あし)あをく頸(くび)ながく指(ゆび)
ほそく羽白(はねしろ)くつばさ
黒(くろ)し夜半(やはん)になく
声(こゑ)ましわりて孕(はら)むと
糞(ふん)石(いし)に化(くわ)す
○鸛(こうづる)は鶴(つる)に似(に)ていたゞ
き丹(あか)からすくび長(なが)く
喙(はし)あかく色(いろ)灰(はい)白(しろく)つば
さ黒し高木(かうぼく)に巣(すくふ)
○鶬鴰(さうくわつ)は鶬雞(さうけい)なり
まなづるなり
【右頁下段 挿絵】
鸛(くわん)《割書:こう| づる》
鶴(くわく)《割書: | | つる|たんてう》
鶬鴰(さうくわつ)
 《割書:まなづる》
【左頁上段】
○雁(がん)【鴈】は大なるを鴻(こう)と
いひ小(すこし)なるを雁(がん)と云
久(ひさ)しく食(しよく)すれは
気(き)をうごかし骨(ほね)を
さかんにす
○鴻(ひしくひ)は雁(かん)の大なるもの
なり江渚(こうしよ)に多(おゝ)くあ
つまるゆへに江(こう)と書(かく)也
五/臓(ざう)を利(り)し丹石(たんせき)の
毒(どく)を解(げ)す
○鵠(はくてう)は雁(がん)より大なり
羽(はね)白く高(たか)く飛(とぶ)味(あぢは)ひ
あまく平毒(へいどく)なし人の
気力(きりよく)をまし臓腑(ざうふ)を
【左頁下段 挿絵】
雁(がん)《割書:かり》
鴻(こう)
 《割書:ひし| くひ》
鵠(かう)《割書:くゞひ》
 《割書:はく| てう》

【右頁上段】
○鵞(とうがん)は蒼白(あをしろ)の二/色(いろ)
ありまなこ緑(みどりに)喙(はし)黄(き)
に脚(あし)紅(くれない)なりよく闘(たゝか)ふ
食(しよく)すれは五/臓(さう)の熱(ねつ)
を解(け)す
○鶩(あひる)はかたち鳬(かも)に似(に)
たり飛(とぶ)ことあたはず
羽色(はいろ)は白きあり頭(かしら)黒(くろ)
きはかもの羽色のごとし
大寒(だいかん)毒(どく)なし風虚(ふうきよ)
寒熱(かんねつ)水腫(すいしゆ)を治(ぢ)す
○鸊鷉(かいつふり)は鳩の大さほ
どあり陸(くが)をあゆむこ
とあたはず水(みづ)に入て
【右頁下段 挿絵】
鵞(が) 《割書: | |とう| がん》
鶩(ふ)《割書: | |あひ| る》

《割書:かい| つぶり》
【左頁上段】
魚をとる
○鳬(かも)は品類(ひんるい)多(おゝ)く大
小あり羽色(はいろ)さま〴〵かは
れり図(づ)するところは俗(ぞく)
にいふ真鴨(まがも)なり中(うち)を
補(おぎな)ひ気(き)をまし胃(ゐ)を平(たいらかに)す
○鴎(かもめ)【鷗】は白(しろ)き鴿(はと)のごとし
喙(はし)ながくむらがり飛(とん)
で日にかゝやく海辺(かいへん)に
住(すむ)三月に卵(かいこ)をうむ
○鴛鴦(をしどり)は大さ鴨(かも)の如(ごと)
し色(いろ)黄(き)黒(くろ)羽(は)青(あお)くひ
かる小毒(しやうどく)あり夫婦(ふうふ)和(くわ)
せざるものにはひそかに
【左頁下段 挿絵】
鸊鷉(へきてい)《割書:かいつ|  ぶり》
鳬(ふ)
 《割書:かも》
鴎(をう)《割書: | |かも|  め》

  《割書:を|し| とり》
鴛鴦(えんわう)

【右頁上段】
喰(くら)はしむ
○鷺(さぎ)は頸(くび)ほそく長(なが)く
喙(はし)脚(あし)ともに長(なが)し大小有
小なるは頂(いたゝき)に長(なが)き毛(け)
有/脾(ひ)をまし気(き)を補(おぎな)ふ
○鵁鶄(ごいさぎ)は水鳥(みづとり)なり
大さ鷺(さぎ)のごとし灰白(はいしろ)
色(いろ)背(せ)黒(くろき)をせぐろごいと
いひほしあるを星(ほし)ごい
といふ諸魚(しよぎよ)の毒(どく)を解(げす)
○紅鶴(とき)は一名/朱鷺(しゆろ)
といふ鷺(さき)より大なり
色白(いろしろ)く少(すこ)しあかく
俗(ぞく)にたうがらすと云
【右頁下段 挿絵】
 《割書: |ごいさぎ》
鵁鶄(かうしやく)
鷺(ろ)《割書:さぎ》
紅鶴(こうくわく)
 《割書:たう| とき》【「とき」は「つき」ヵ】
【左頁上段】
○鷸(しぎ)は大さ鳩(はと)より少(すこ)
し小(ちいさ)し喙(はし)脚(あし)長(なが)く
羽(はね)茶色(ちやいろ)に黒(くろ)きふ有
田沢(てんたく)にすむ大小あり
大なるをぼとしきと
いふ虚(きよを)補(おぎな)ひ人を暖(あたゝむ)
○鸕鷀(う)は鴉(からす)に似(に)て
頸(くび)長(なが)く喙(はし)少(すこ)し長
し水(みづ)に入てよく魚(うを)
をとる林木(りんぼく)に巣(す)く
ふ漁人(ぎよじん)かふて魚(うを)を
とらしむ
【右頁下段 挿絵】
鷸(いつ)
 《割書:しき》
鸕鷀(ろじ)
 《割書:う》

【右頁上段】
○鷲(わし)は鷹(たか)
の大なるもの
なり至(いたつ)て大
なるは七八尺に
およぶ其色(そのいろ)は
黄(き)にしてはら
黒(くろ)くふあり
觜(はし)黄(き)なり
深山(しんざん)にすみて
空中(くうちう)をかけり
よく獣(けだもの)をつかみ
喰(くら)ふ
【右頁下段 挿絵】
鷲(しう)
 《割書:わし》
【左頁上段】
○皂鵰(くまたか)は鷹(たか)の大(おゝい)
なるものなり翅(つばさ)つ
よく空中(くうちう)高(たか)く飛(とび)
めぐり諸鳥(しよてう)はいふに
及(およ)ばす獣(けだもの)をとり食(くら)
ふ其/長(たけ)三四尺あり唐(もろ)
土(こし)にて大鷹といふ
は鷲(わし)皂鵰(くまたか)をいふと
なり日本にては大
鷹と称(せう)ずるものは
隼(はやふさ)などをいふ
【左頁下段 挿絵】
皂鵰(そうしう)《割書:くまたか》

○鷹(たか)は惣名(さうみやう)にて大
小その品(しな)多(おほ)く勇猛(ゆうもう)
の鳥(とり)なり田猟(でんりやう)にも
ちひて諸鳥(しよてう)をとら
しむる事はそのかみ
神功皇后(じんぐうくわうこう)の御(み)代に
百済国(はくさいこく)よりはじめて
鷹を献(けん)ぜしとかや
それより代々(よゝ)鷹(たか)を
もてあそび給ふ鷹は
朝鮮国(てうせんごく)の産(さん)を第一
とす
【右頁下段 挿絵】
鷹(よう)《割書: | |たか》
【左頁上段】
○隼(はやふさ)は鷹(たか)の中(なか)にて
するどきものなり形(かたち)も
大にして鳶(とび)ほどあれ
ば雉(きじ)鴈(かん)鴨(かも)などの大
鳥(とり)をとる鶴(つる)などに
は隼を二/羽(は)かくると
かや鶽(じゆん)同
○鷂(はしたか)は鷹(たか)の小(ちいさ)きもの
なり鷂の小(ちいさ)きを兄(こ)
鷂(のり)といふさらに小きを
雀鷂(つみたか)といふいづれも
かたち小(ちい)さければ小鳥(ことり)
【左頁下段 挿絵】
隼(しゆん)《割書:はやふさ》
白鷹(はくよう)

【右頁上段】
をとるなり
○雀(ゑつ)𪀚(さい)【「鳥」偏に旁は「戎」】 雀鸇(さしば)
何れも鷹(たか)の名(な)小
鳥をとる鷹の種品(しゆほん)
四十八あり鳶(とび)鵙(もず)梟(ふくろう)
をくはへて四十八/種(しゆ)と
せりしかりといへども
狩猟(しゆれう)にもちゆる鷹
は其(その)飼(かふ)人の名付(なづく)る
あり又むかしより名(めい)
誉(よ)の鷹には悉(こと〴〵)く異(い)
名(みやう)あり亦(また)異国(いこく)より
【右頁下段 挿絵】
鷂(よう)《割書:はしたか》
兄鷂(けうよう)《割書:このり》
【左頁上段】
わたりし鷹には異(ゐ)
類(るい)ことさらにあるべし
唐鷹(とうよう)高麗(かうらい)南蛮(なんばん)
琉球(りうきう)日本にも東国(とうごく)
西国(さいこく)北(ほつ)国四国中国
つくしその国々(くに〴〵)のか
わりありとかや鷹の
羽(はね)はかた羽(は)に廿四枚両
羽合て四十八/枚(ま?)尾(を)は
十二枚ありいづれも名
あり鷲(わし)の尾(を)は十四枚
あり
【左頁下段 挿絵】
雀(じやく)𪀚(しう)《割書:ゑつさい》
雀鸇(さしば)

【右頁上段】
○鶯(うぐひす)【鸎】は毛(け)うす青(あを)し
立春(りつしゆん)のゝちはじめて
さへつる声(こへ)春陽(しゆんやう)に応(おう)

○鷦鷯(みそさゞい)は雀(すゝめ)よりちい
さく赤黒(あかくろ)く黒きふ
あり寒中(かんちう)雪(せつ)中に
きたる夏(なつ)は居(お)らず
○鶲(ひたき)は冬(ふゆ)きたる雪(ゆき)
びたきといふは青(あを)くひ
かる羽色(はいろ)なりじやう
ひたきはかばいろに黒(くろ)
き羽(は)まじはる
【右頁下段 挿絵】
鶯(あう)
《割書:うぐ| ひす》
鷦鷯(せうれう)《割書: |みそ|  さゞひ》
鶲(ひたき)
【左頁上段】
○山鷄(やまどり)【雞】は雉(きじ)に似(に)
てすこし小(ちいさ)くし
て尾長(をなが)く羽色(はいろ)黄(き)
赤(あか)し山にすむ也
鸐雉(てきち)といふあぶり
食(しよく)すれば中(うち)を補(おぎな)ひ
気(き)をます
○啄木(てらつゝき)は小(ちいさ)きは雀(すゝめ)の
ごとく大(おゝい)なるはひよどり
ほど有/下腹(したはら)赤(あか)く觜(くちばし)
錐(きり)のごとく木(き)をつゝき
うかつて虫(むし)を食(くら)ふ
【左頁下段 挿絵】
山鷄(さんけい)《割書:やま| どり》
啄木(たくぼく)
《割書:てら| つゝき》

【右頁上段】
○雲雀(ひばり)は一名/蒿雀(かうじやく)
といふ雀(すゞめ)より少(すこ)し大(おゝい)
に茶色(ちやいろ)にしてふあり
三月の始(はじめ)より夏至(げし)の
頃(ころ)まで空(そら)に登(のぼ)りて
囀(さへづ)る陽(よう)をおこし精(せい)
髄(すい)をおぎなふ
○雉(きじ)は雄(を)は羽色(はいろ)美(び)也
尾(を)長(なが)し雌(め)は茶色(ちやいろ)に
してふあり春陽(しゆんよう)に
至(いた)りてなく九月より
十一月まで食(しよく)すべし
【右頁下段 挿絵】
雲雀(うんじやく)
 《割書:ひ| ばり》
雉(ち)《割書:きじ》
【左頁上段】
○練雀(れんじやく)は尾(お)の長(なが)き
と短(みじかき)との二種(しゆ)あり大
さひよどりより小(ちいさ)く
黒(くろ)く䅥(かち)【かうヵ】色(いろ)尾(を)に白き
毛(け)ありて練(ねり)たる帯(おび)
のごとし
○鵐(しとゝ)は雀(すゞめ)の大(おゝい)さほど
ありて薄青(うすあを)く少(すこ)し
ふあり冬月(とうげつ)来る俗(ぞく)に
あをじといふ此(この)鳥(とり)を
黒(くろ)やきにして腫物(しゆもつ)
に付(つけ)て妙薬(めうやく)なり
【左頁下段 挿絵】
鵐(ふ)《割書:しとゝ》
練鵲(れんじやく)

【右頁上段】
○鶉(うづら)はひよどりの大(おゝい)
さほどありて丸(まる)き形(かたち)
なり惣身(さうしん)こまかなる
ふあり赤(あか)ふ黒(くろ)ふの二
品(ひん)あり秋(あき)のすへに至(いた)
りてなく人/此(この)声(こゑ)をは
賞(しやう)じて多(おゝ)く籠(こ)に入(いれ)
てかふ粟(あわ)をこのんで食(くら)
ふあぶり食(しよく)すれば五
臓(ざう)をおぎなひ中(うち)をま
すなり
【右頁下段 挿絵】
鶉(じゆん)《割書: |うづら》
【左頁上段】
○吐綬雞(とじゆけい)は大(おゝい)さ鶏(にはとり)
のごとし頭(かしら)雉(きじ)に似(に)
たり羽(はね)の色(いろ)黒(くろ)黄(き)に
してほしあり項(うなじ)に
嚢(ふくろ)ありて肉綬(にくじゆ)を納(おさむ)
日和(ひより)よく快(こゝろよ)き時(とき)はこの
嚢(ふくろ)をのばしあそぶ
○山鵲(さんじやく)は鵲(かさゝぎ)のごとく
にして色黒(いろくろ)く文采(もんさい)
あり觜(はし)あかく尾長(おなが)く
してとをく飛(とぶ)ことあ
たわず
【左頁下段 挿絵】
吐綬雞(とじゆけい)
山鵲(さんじやく)

【右頁上段】
○鶤雞(たうまる)は雞(にはとり)の大なる
ものなり一/名(めい)傖雞(さうけい)
といふもろこし蜀(しよく)
中(ちう)に多し羽色(はいろ)黒(くろ)
白(しろ)の二/品(ひん)あり其(その)性(せい)
勇(ゆう)にしてよく闘(たゝか)ふ
又しやむ国(こく)より渡(わた)
りし鶏(にはとり)ありよつて
しやむといふ鶤鶏(たうまる)
よりは少(すこ)し小(ちい)【ちいさヵ】く脚(あし)
ふとく高(たか)くして勇(ゆう)也
闘(たゝかひ)をこのむ
【右頁下段 挿絵】
鶤雞(こんけい)
 《割書:たうまる》
【左頁上段】
○雞(にはとり)は朝鮮国(てうせんこく)を
良(よし)とす羽色(はいろ)は品々(しな〴〵)
あり俗(ぞく)にしやうこく
といふ炙(あぶり)食(しよく)すれば
虚(きよ)を補(おぎな)ひ中(うち)をあた
ため血(ち)をよめ婦人(ふじん)
の崩(ぼう)によし
○雛(ひな)は諸鳥(しよてう)の巣(す)
だちなり初(はじめ)て生(うま)
れてみづから啄(ついばむ)を
雛(ひな)といふ母(はゝ)くゝめ食(くらは)
しむるを鷇(こ?く)といふ
【左頁下段 挿絵】
雞(けい)《割書:にはとり》
 《割書:しやう| こく》
雛(すう)《割書: | ひな|ひよこ》

○矮雞(ちやぼ)はもろこし
江南(こうなん)に多(おゝ)しかたち
小(ちいさ)くして脚(あし)わづかに
二寸ばかり
○鷽(うそ)は雀(すゞめ)より小く
羽色(はいろ)文采(もんさい)あり腹(はら)の
下(した)白(しろ)くしてうつく
しき鳥なり
○燕(つばくら)は雀(すゞめ)の大(おゝき)さほど
あり泥(どろ)を含(ふくみ)て屋(いへの)宇(のき)
に巣(す)をつくる戊巳(つちのへみ)の
日をさくるといへり
【右頁下段 挿絵】
鷽(よ)
《割書:うそ》
矮雞(わいけい)
 《割書:ちやぼ》
燕(ゑん)
《割書:つば| くら》
【左頁上段】
○鳩(はと)は惣名(さうみやう)にて類(たぐひ)お
ほし図(づ)する処(ところ)は俗(ぞく)に
いふじゆずかけ又/八幡(はちまん)
鳩(ばと)ともいふ頸(くび)のまはり
黒(くろ)くじゆずをかけたるか
ごとし羽色(はいろ)灰白(はいしろ)くふなし
人/此(この)鳩(はと)をとらず
○山鳩(やまばと)は山に住(すみ)て里(さと)
に出(いで)ず羽色(はいろ)緑(みどり)褐色(かちいろ)
なり食(しよく)すれば虚(きよ)を
補(おぎな)ひ血(ち)を活(いか)す
天子(てんし)御衣(ぎよゐ)の色(いろ)是(これ)なり
【左頁下段 挿絵】
鳩(きう)《割書:はと》
山鳩(せいきう)《割書: |やま| ばと》

【右頁上段】
○鳲(かつこ)鳩は色(いろ)褐(かち)にして
三月/穀雨(こくう)の後(のち)はじめ
てなく食(しよく)すれは神(しん)を
安(やすん)ず又つゝ鳥(どり)といふ有
是(これ)も鳩(はと)の類(たぐひ)にて三月
の頃(ころ)なく声(こゑ)を聞(きゝ)て豆(まめ)を
まくといへり
○鴿(いへばと)は堂塔(たうたう)に多(おゝ)く
あつまり住(すむ)はとなり
精(せい)をとゝのへ気(き)を益(ます)悪(あく)
瘡(さう)を治(ぢす)藥毒(やくどく)を解(げ)す
多く食(しよく)すべからず
【右頁下段 挿絵】
鴿(がう)
 《割書:いへば|   と》
鳲鳩(しきう)《割書: |かつこ》
【左頁上段】
○鶫(つくみ)は鵯(ひよどり)の大(おゝき)さ有
羽色(はいろ)茶(ちや)にしてふ有
歳(とし)の暮(くれ)に是(これ)を食(しよく)
す味(あじは)ひよし
○鵙(もず)は鵯(ひよどり)より少(すこ)し小(ちいさ)
く茶色(ちやいろ)にて頭(かしら)鷹(たか)の
如(ごと)く小鳥(ことり)を追(おひ)肉食(にくじき)す
小児(しやうに)言(ものいふ)ことおそきに鵙(もず)
の踏(ふむ)枝(えだ)にてうつなり
○鶸(ひわ)はかたち雀(すゞめ)ほど
あり羽色(はいろ)黒(くろ)く黄(き)なる
羽(はね)まじる春(はる)きたる
【左頁下段 挿絵】
鶫(とう)《割書:つぐみ》
鶸(じやく)《割書: |ひわ》
鵙(げき)《割書:もず》

【右頁上段】
○画眉(ほゝじろ)は■(くは)【畫+鳥】鶥(び)鳥(てう)
なりかたち雀(すゞめ)ほど有
羽色(はいろ)も似(に)たり頬(ほう)白(しろ)く
黒(くろ)き毛(け)あり 
○鶖(かしとり)は鵯(ひよどり)より大(おゝい)に
翅(つばさ)に青(あを)く■【るヵ】りに黒(くろ)き
ほし有/羽(は)あり秋(あき)の末(すへ)
より冬月(とうげつ)に来(きた)り鳴(なく)
○杜鵑(ほとゝぎす)は鵯(ひよとり)より大に
して黄黒(きくろ)く口(くち)赤(あか)し
四五月の頃(ころ)夜陰(やいん)に
なく杜宇子規(とうしき)同
【右頁下段 挿絵】
画眉(ぐはび)《割書:ほゝ|じろ》
鶖《割書:かし| どり》
【左頁上段】
○鵯(ひよとり)は鸜鵒(くよく)なり
又/哵哵鳥(ははてう)ともいふ
身(み)首(かしら)ともに薄(うす)ね
ずみ色(いろ)に黒(くろ)きふあり
諸木(しよぼく)の実(み)を食(くら)ふ
秋冬(あきふゆ)多(おゝ)く来(きた)る
○鶺鴒(せきれい)は觜(はし)ほそく
尾長(をなが)し飛(とぶ)ときは鳴(なく)
居(おる)とき尾をうごかす
羽(はね)白/背(せ)黒(くろ)きをせぐろ
といひ青(あを)く黄(き)なるを
きぜきれいといふ
【左頁下段 挿絵】
杜鵑(とけん) 《割書:ほとゝ|  ぎす》
鶺鴒(せきれい)《割書:いし| たゝき》
鵯(ひ)《割書:ひよ| どり》

【右頁上段】
○翠雀(るり)は一名/翠(すい)
鳥(てう)といふかたち雀(すゞめ)の
大(おゝい)さほどあり頭(かしら)背(せなか)
ともにるり色(いろ)に光(ひか)
りて美(うつ)くしき鳥也
ちやるりといふもの有
○蝋嘴(まめどり)は一名/竊脂(せつし)
といふかたちひよどり
の大(おゝい)さほとにて喙(はし)は
ふとく黄(き)なり又しめ
といふ鳥(とり)かたち蝋嘴(まめどり)
と同/嘴(はし)薄赤(うすあか)し
【右頁下段 挿絵】
翠雀(すいじやく)
 《割書:るり》
蝋嘴(らうし)《割書:まめ| どり》
【左頁上段】
○烏鳳(おなかどり)惣身(さうみ)黒(くろ)く
尾(を)長(なが)し一/名(めい)王母(わうぼ)
鳥(てう)といふ
○雀(すゞめ)は頭(かしら)は蒜(にら)の顆(つぶ)
のごとく目(め)は椒(さんせう)の目の
ごとし其(その)性(せい)尤(もつとも)淫乱(いんらん)
なり食(しよく)すれば陽(よう)を
さかんにし気(き)をまし
腰(こし)ひざをあたゝめ小便(しやうべん)
をしゞめ血崩(けつほう)帯下(たいけ)を
治(ぢ)す頭(かしら)を食(しよく)すべから
ず瘡(かさ)を発(はつ)す
【左頁下段 挿絵】
烏鳳(うほう) 《割書:おなかどり》
雀(じやく)《割書:すゞ|  め》

【右頁上段】
○鸚鵡(あふむ)はよく言鳥(ものいふとり)
なり白青(しろあを)く又五
色(しき)あり青(あを)き羽(はね)赤(あかき)
嘴(はし)あり唐鳥(からとり)なり
○竹鶏(やましぎ)は鷓鴣(しやこ)に似(に)
てちいさく褐色(かちいろ)にし
てまだらに赤(あか)し
尾(を)なし蟻(あり)をくらふ
水辺(すいへん)にすむ
【右頁下段 挿絵】
鸚鵡(あふむ)
竹鶏(ちくけい)《割書: |やま| しぎ》
【左頁上段】
○鸜鵒(はくてう)はかたち烏(からす)
に似(に)て小くよく人(ひとの)
言(ものいひ)をなす尤(もつとも)唐鳥(からとり)
なり
○蝙蝠(かふもり)はかたち鼠(ねずみ)に
似(に)てつばさは紙(かみ)をはる
がごとくものなり
夏(なつ)より秋(あき)の末(すへ)まで
夜(よ)ことに飛(とび)めぐりて
蚊(か)を食(くら)ふ昼(ひる)は洞穴(ほらあな)
にかくれ居(をる)つばさの
さきにかぎ有てかゝり
          ゐる
【左頁下段 挿絵】
蝙蝠(へんふく)《割書: |かふ| もり》
鸜鵒(くよく)
 《割書:哵哵鳥(ははてう)也》

【右頁上段】
○鴉(からす)は觜(はし)大(おゝい)にしてむ
さぼる事を好(このむ)黒焼(くろやき)
にしてやせ病(やまひ)欬嗽(がいそう)
労疾(らうしつ)を治(ぢ)す
○烏(からす)は觜(はし)ほそく鴉(あ)
より小なり生れて
母(はゝ)哺(くゝむる)こと六十日/巣(す)だ
ちして母(はゝ)を哺(くゝむる)こと
六十日よつて慈烏(じう)と云
○鳶(とび)は鷹(たか)に似(に)たり
鴟(てい)同/黒焼(くろやき)にして
頭風(づふう)を治(ぢ)す
【右頁下段 挿絵】
烏(う)
 《割書:からす》
鳶(えん)
 《割書:とび》
鴉(あ)《割書: |からす》
【左頁上段】
怪鴟(よたか)はふくろうの
たぐひにて夜(よる)出(いて)て
昼(ひる)はかくれ居(お)るかた
ちは鷹(たか)に似(に)て小(ちいさ)し
不徉(ふしやう)の鳥(とり)なり
○角鴟(みゝづく)はかたちふく
ろうにてちいさし頭(かしら)
目ねこのごとく毛角(もうかく)
両耳(ちやうに)あり昼(ひる)ふして
夜(よる)いづる声(こゑ)老人(らうじん)の
ものをよぶがごとし
【左頁下段 挿絵】
怪鴟(くはいし)《割書:よたか》
角鴟(かくし)
 《割書:みゝづく》

【右頁上段】
○梟(ふくろう)はかたち鳶(とひ)に
似(に)て小(ちいさ)く頭(かしら)大(おゝい)にして
丸(まる)く眼(まなこ)大(おゝい)なり夜(よる)出(いで)て
昼(ひる)はかくれ居(お)る雌(め)は
声(こゑ)さけぶがごとし母鳥(はゝとり)
を食(くら)ふといふ不孝(ふかう)の
鳥(とり)といへり
○鵲(かさゝぎ)は大(おゝい)さ鴉(からす)のごと
し尾(を)とがりて長(なが)し
觜(はし)黒(くろ)し食(しよく)すれは
淋病(りんびやう)消渇(せうかつ)を治(ぢ)する
婦人(ふじん)は食(しよく)すべからす
【右頁下段 挿絵】
梟(けう)
 《割書:ふくろう》
鵲(しやく)
 《割書:かさゝ|   ぎ》
【左頁上段】
○秧雞(くひな)は雞(にはとり)に似(に)
て小(ちいさ)し頬(ほう)白(しろ)く觜(はし)
長(なか)く尾(を)みじかく背(せなか)
に白まだらあり田(てん)
沢(たく)のほとりにすむ
○鴗(かはせみ)は大(おゝい)さ燕(つばめ)のごとし
喙(はし)かたちより大に尖(とが)りて
長(なが)し足(あし)のうら紅にし
て短(みぢか)し水辺(すいへん)に有
て魚(うを)をとる土(つち)にあな
ほりて巣(す)つくる惣身(さうみ)
黒(くろ)く青(あを)くひかる
【左頁下段 挿絵】
秧雞(あうけい)
 《割書:くひな》
鴗(わう)《割書:かはせみ》

【右頁上段】
○火雞(くはけい)はかたち雞(にはとり)に
類して高(たか)さ七尺くび
長(なが)く日に飛行(とびゆく)こと三
百里/異国(ゐこく)の鳥(とり)なり
駱駝馬(らくだむま)に似(に)たるゆへ一名
駱駝鶴(らくだくはく)ともいふ

○鶚(みさご)は鷹(たか)の類(るい)なり
鷹(たか)に似(に)て羽色(はいろ)黄(き)白
なり海辺(かいへん)水上(すいじやう)を
飛(とび)めぐりてよく魚(うを)
をとり食(くら)ふ
【右頁下段 挿絵】
火雞(くはけい)
《割書:一名|駱駝(らくた)| 鶴(くはく)》
【左頁上段】
○羽(は)斑(まだら)鷸(しぎ)はしぎの
たぐひなり羽(はね)まだら
にふありてうつくし
田沢(てんたく)にすむ鷸(しぎ)と
同くむらがり飛(とふ)
○鴋(はん)は水鳥(みつとり)なり大
小ありかたち雁(がん)鳬(かも)に
類して脚(あし)は長(なが)し
【左頁下段 挿絵】
羽斑鷸(はまだらしぎ)

《割書:ばん》
鶚(かく)
《割書:みさご》

【右頁上段】
○鶁(むくとり)は小(こ)むくといふ大(おゝい)
さひよどりより小(ちいさ)く
頭(かしら)白く背(せなか)黒白(くろしろ)の毛(け)
あり秋(あき)の央(なかは)多(おゝ)くむ
れわたる味(あじは)ひ美(び)也
○椋鳥(むくとり)大(おゝ)むくといふ
小むくより大(おゝい)なり羽(は)
色(いろ)もかはれり夏秋(なつあき)の
頃(ころ)来(きた)るむれにならず
○菊(きく)戴(いたゞき)は至(いたつ)て小(ちいさ)き鳥(とり)
なり惣身(さうみ)薄青(うすあを)し
頂(いたゞき)に黄(き)なる毛(け)あり天
【右頁下段 挿絵】
椋鳥(むくどり)
 《割書:小むく》
菊戴(きくいたゝき)
椋鳥(むくどり)《割書:大むく》
【左頁上段】
気(き)よくあたゝかなれは
頂(いたゞき)の毛(け)をひらけば中(なか)よ
り紅(くれない)の毛(け)いづる冬月(とうけつ)
来(きた)る鳥(とり)なり
○文鳥(ぶんてう)は雀(すゞめ)ほどあり
羽色(はいろ)黒(くろ)く頬(ほう)に丸(まる)く
白(しろ)き毛(け)あり腹(はら)白し
○四十雀(しじうから)は雀(すゞめ)より
小(ちいさ)く頭(かしら)黒(くろ)く頬(ほう)丸(まる)く
白し背(せなか)はうす青(あを)く
腹(はら)白く黒(くろ)き毛(け)あり
秋冬(あきふゆ)きたる
【左頁下段 挿絵】
文鳥(ぶんてう)
四十雀(ししうから)

【右頁上段】
○山雀(やまがら)は雀(すゞめ)の大さほ
どあり頭(かしら)くろく背(せなか)
黒(くろ)くはらかき色(いろ)なり
羽(は)づかひかるくしてよ
くかへるゆへに籠(かご)に入
て飼(かひ)をくなり
○鴰(ひがら)は四十/雀(から)に似(に)て
小(ちいさ)し是(これ)も飼置(かひをく)によし
毛色(けいろ)うるはし 
○小雀(こから)は鴰(ひがら)に似(に)てい
たつて小(ちいさ)しいづれも
秋(あき)のすゑにわたる
【右頁下段 挿絵】

《割書: ひ|  がら》
山雀(さんじやく)
《割書:   やまがら》
小雀(しやうじやく)
《割書:   こがら》
【左頁上段】
○繍眼児(めじろ)は雀(すゞめ)より
小(ちいさ)し羽色(はいろ)もへぎ色(いろ)
腹(はら)うす黄なり目(め)の
まはり白(しろ)し多(おゝ)く集(あつま)
り枝(ゑた)におし合(あひ)とまる
鳥(とり)なり
○ゑながは至(いたり)て小(ちいさ)き
鳥(とり)なり頂(いたゞき)灰白(はいしろ)色/羽(は)
色(いろ)うす黒灰白(くろはいしろ)の毛(け)
交(まじ)りうすあかき毛(け)有
尾(を)長(なが)し秋(あき)より冬(ふゆ)
にいたりてむれ来(きた)る
【左頁下段 挿絵】
尾長(ゑなが)
繍眼(めじ)
 兒(ろ)

【右頁上段】
○駒鳥(こまとり)鵯(ひよどり)より小(ちいさ)く
頭(かしら)背(せなか)ともに赤茶(あかちや)
色(いろ)腹(はら)に黒(くろ)き毛(け)有
山に住(すみ)て里(さと)へいでず
鳴(なく)声(こへ)を人/賞(しやう)じて
飼(かひ)をくなり
○九官(きうくはん)は一/名(めい)秦吉(さる)
了(か)といふ鳩(はと)より小(ちいさ)く
惣身(さうみ)黒(くろ)く翅(つばさ)に白
き羽(は)ありよく人の
言(ことば)をなす尤(もつとも)唐鳥(からとり)
なり
【右頁下段 挿絵】
駒鳥(こまとり)
九官(きうくはん)
《割書:一名》秦吉了(さるか)
喉(の)紅(ご)鳥(どり)
【左頁上段】
○風鳥(ふうてう)はかたち雀(すゞめ)
より大(おゝい)につばさ尾(を)
ともに長(なが)き毛(け)あり
てみのをきたるが如(ごと)
し色(いろ)は緑(みどり)にてひか
りありまれなる鳥(とり)
なり
○/𪈿(ひよくのとり)【蠻+鳥】は比(ひ)■(よくの)【羽+戈】鳥(とり)とも
書(かく)なり雌雄(しゆう)つばさ
をならべて飛(とふ)といふ
此(この)鳥(とり)実(じつ)に見(み)たる人
をきかず
【左頁下段 挿絵】
風鳥(ふうてう)
𪈿(ひよくのとり)

【右頁上段】
○喉紅鳥(のごとり)はかたち
雀(すゞめ)の大さありのど
より胸(むね)にいたりて紅(へに)
にして美(うつ)くしき鳥也
まれにあり
○深山頬白(みやまほじろ)は小鳥(ことり)
にて羽色(はいろ)美(び)なる
鳥(とり)なり
○黄雀(きすゞめ)はすゞめに似(に)
て黄なり又/紅雀(へにすゞめ)と
いふは紅(へに)の毛(け)あり又
入(にう)内(ない)雀(すゞめ)といふも有
【右頁下段 挿絵】
深山(みやま)頬白(ほじろ)
黄(き)雀(すゞめ)
鸞(らん)
【左頁上段】
○鸞(らん)は神鳥(しんてう)なり
かたち鶏(にはとり)に似(に)て尾(を)
長(なが)く声(こゑ)五音(ごゐん)にあた
る鏡(かゞみ)を見れは舞(まふ)
○蒼鷺(あをさぎ)はさぎより
大(おゝい)にして青(あを)く腹(はら)白し
雨夜(あまよ)には羽(はね)青(あを)く光(ひか)
りて人/怪(あやし)みおそる
○葦(よしはら)雀(すゞめ)は雀(すゞめ)より
大(おゝい)にかしましく鳴(なく)葦(よし)
芦(あし)の中(なか)に居(お)る河辺(かへん)
沢(さわ)のほとりに多(おゝ)し
【左頁下段 挿絵】
蒼鷺(さうろ)
 《割書:あをさぎ|みとさぎ》
葦雀(おげら)《割書: | | |よしはら|  すゞめ| よしどり|   きやう〳〵し|     ともいふ》

【右頁上段】 
○鴆(ちん)は鷹(たか)に似(に)たり
紫黒(むらさきくろ)く嘴(はし)赤黒(あかくろ)し
頸(くび)長(なが)さ七八寸/蛇(へび)を
食(くら)ふ大毒鳥(だいどくてう)なり鳳(ほう)
凰(わう)をおそる
○雉鳩(きじばと)は鴿(いへばと)に似(に)て
羽薄(はねうす)黒赤(くろあか)く茶色(ちやいろ)の
ふあり竹林(ちくりん)に住(すむ)としより
こいとなく
○杓(しやく)【犳は誤字ヵ】鴫(なぎ)は惣身(さうみ)茶色(ちやいろ)
にて頸長(くびなが)く脚(あし)ながし
海辺(かいへん)に住(す)む
【右頁下段 挿絵】
鴆(ちん)
雉鳩(きじばと)
【左頁上段】
○都鳥(みやこどり)はかしらより
背(せなか)は黒(くろ)く腹白(はらしろ)し
觜(はし)脚(あし)あかし水鳥(みづとり)也
○音呼(いんこ)は大小あり
大(おゝい)なるは鳩(はと)の大(おゝい)さあり
小なるは小鳥(ことり)ほど有
色は紅(べに)有/五色(ごしき)あり
唐鳥(からとり)なり
○羽(は)は翎(れい)䎐(かん)【翰ヵ】並に同
翮(かく)はね羽根(はね)羽茎(はぐき)也
翈(かう)はかざきり翮上(かくじやう)の
短羽(たんう)なり
【左頁下段 挿絵】
杓鴫(しやくなぎ)
都鳥(みやこどり)
音呼(ゐんこ)

【右頁上段】
○翼(つばさ)は鳥(とり)のつばさ
なり翅(し)同/大鳥(おゝとり)を
翼(よく)といふ小鳥(ことり)を羽(う)
といふ
○尾(を)は鳥(とり)の尾(を)なり
臎(すい)同
○嘴(くちばし)は鳥(とり)のくちば
しなり喙(けい)同又/吻(ふん)は
くちわき觜(し)はくちばし
○卵(らん)雛(すう)は諸鳥(しよてう)の
たまご鶏卵(けいらん)は五臓(ござう)
を安(やすん)し水臓(すいざう)を温(あたゝ)む
【右頁下段 挿絵】
羽(う)《割書:は》
翼(よく)
 《割書:つば|  さ》
嘴(し)《割書: | |くち| ば| し》
尾(び)《割書: |を》
卵(らん)
雛(すう)
《割書:たま|  ご》
【左頁】
頭書(かしらがき)増補(ぞうほ)訓蒙(きんもう)図彙(づゐ)巻之十四
  龍(りよう)魚(ぎよ) 《割書:此部(このぶ)には海水(かいすい)川谷(せんこく)にすむ|もろ〳〵の龍(りよう)蛇(じや)魚(ぎよ)鱗(りん)をしるす》
【左頁上段】
○蛟(みつち)は龍(たつ)の角(つの)なき
ものなり四/足(そく)あり
せなか青(あを)まだらに
わき錦(にしき)のごとく水(すい)
中(ちう)又深山(しんざん)幽谷(ゆうこく)にす
むなり
○龍(たつ)は鱗虫(りんちう)の長(ちやう)也
せなかに八十一の鱗(うろこ)有
九々の数(すう)をそなへたり
よく雲雨(うんう)をおこす
【右頁下段 挿絵】
蛟(こう)《割書:みつち》

○螭(あまれう)は蛟(みつち)に似(に)て角(つの)
なし龍(れう)ににていろ
黄(き)なり
○魚虎(しやちほこ)一名/土奴魚(ととぎよ)
といふ海中(かいちう)にありて
よく潮(しほ)をふくよつて
城門(じやうもん)に此(この)魚(うを)をつくるは
火災(くはさい)をさくるの心
なりといへり
○鯨(くじら)は海中(かいちう)の大魚(たいぎよ)
なり浪(なみ)を鼓(く)して雷(らい)
をなし沫(あわ)をはいて
雨(あめ)をなす雄(を)を鯨(げい)と
いひ雌(め)を鯢(げい)といふ
【右頁下段 挿絵】
龍(りよう)
 《割書:たつ》
【左頁上段】
○鰐(わに)はかたち大にし
て四/足(そく)あり口大に人
をのめば海上(かいしやう)にうく
鱷(かく)同
○鯪(りよう)はかたち鯉(こい)にゝ
て陵(をか)に穴(あな)して居(を)る
よつて鯪鯉(りようり)といふ
四/足(そく)あり首(かしら)鼠(ねづみ)の如(こと)
く鱗(うろこ)かたきこと鉄(てつ)の
ごとし
○鯛(たひ)は棘鬣魚(きよくれうぎよ)と云
水腫(すいしゆ)を消(せう)し小/便(べん)を
利(り)し痔(ぢ)を治(ぢ)し上(じやう)
気(き)虚労(きよらう)を治(ぢ)す但
【左頁下段 挿絵】
螭(ち)
 《割書:あま| れう》

【右頁上段】
産後(さんご)百/余日(よにち)があいだ
かたくいむべし若(もし)あ
やまつて食(しよく)すれは必(かならず)
死(し)す
○鯖(さば)は湿痺(しつひ)によし
韮(にら)と同しく煮(に)て
食(しよく)すれは脚気(かつけ)煩(はん)
悶(もん)を治(ぢ)し気力(きりよく)をま
すなり
○鯵(あぢ)は水腫(すいしゆ)を治(ぢ)し
痢疾(りしつ)を治(ぢ)すわすれ
て尿(いばり)するものはくら
ふべからず
○鰷(せいご)は煮(に)て食(しよく)すれば
【右頁下段 挿絵】
魚虎(ぎよこ)
 《割書:しやち|  ほこ》
鯨(けい)
《割書:くじ|  ら》
【左頁上段】
うれひをやめ胃(ゐ)をあ
たゝめ冷(れい)瀉(しや)【泻】をとむ
鮂魚(しうぎよ)同
○鮸(くち)は中(うち)をおぎなひ
気(き)をます多(おゝ)く食(しよく)
すべからず瘡(かさ)を発(はつ)
し脾湿(ひしつ)をうごかし
足膝(あしひざ)に利(り)あらず
○鰩(とびうを)は婦人(ふじん)難産(なんざん)
にくろやきにして
酒(さけ)にて壱匁ふくす
れば産(さん)しやすし
文鰩(ぶんよう)同
○鯼(いしもち)は五/臓(ざう)をおぎな
【左頁下段 挿絵】
鯪(りよう)
《割書:穿山甲(せんざんかう)》

鰐(がく)
《割書:わに》

【右頁上段】
ひ筋(すじ)骨(ほね)をまし脾(ひ)
胃(ゐ)を和(くは)すおゝく食(しよく)
してよし
○鮏(さけ)は一名/過臘魚(くはらうぎよ)と
いふ鮭(けい)につくるは非(ひ)也
○鰶(このしろ)は胃をあたゝめ
人を益(えき)痢(り)をやむ
多(おゝ)く食(しよく)すれは風(ふう)
熱(ねつ)をうごかしかさを
発(はつ)す
○尨魚(はうぎよ)は今いふくろ
だひなり又はちぬた
いともいふ
○黄檣(わうしよく)は今いふはな
【右頁下段 挿絵】
鯖(せい)
《割書: さば》
鯵(さん)《割書: あぢ》
鰷(でう)
《割書: せいご》
鯛(しう)
《割書: たひ》
【左頁上段】
おれたいなり
○烏頬魚(うけうぎよ)は今いふ
すみやきだいなり
○梭魚(かます)は五/臓(ざう)をおぎ
なひ肌(はだへ)をうるほし
気力(きりよく)をまし積(しやく)を
治(ぢ)し虫(むし)をころす
○鰈(かれい)は王余魚(わうよぎよ)とも
比目魚(ひもくぎよ)ともいふ虚(きよ)を
おぎなひ気力(きりよく)をま
す多(おゝ)く食(しよく)すれば
気(き)をうごかす
○海鰻(はも)は五/疳(かん)湿痺(しつひ)
面目(めんもく)うそばれ脚気(かつけ)
【左頁下段 挿絵】
鮸(ばん)《割書:くち》
鮏(せい)《割書: |さけ》
鰩(よう)《割書: | |とび| うを》
鯼(そう)
《割書:  いし| もち|   石首(せきしゆ)|     魚(きよ)|   とも|   いふ》

【右頁上段】
風気(ふうき)によしはらみ女
の水気(すいき)あるによし
○鯧(まながつほ)は人をして肥(こへ)すこ
やかならしめ気食(きしよく)を
ます鱂魚(しやうぎよ)同
○鯔(なよし)は胃(ゐ)をひらき五
臓(ざう)を利(り)し人をして
肥(こへ)すこやかならしむ
○江鮏(あめ)は胃(ゐ)をあたゝめ
中(うち)を補(おぎな)ふ多(おゝ)く食(しよく)す
れば瘡(かさ)を発(はつ)すまた鯇(あ)
魚(め)といふ又/水鮏(すいせい)とも
書(かく)なり
○馬鯪(さはら)【馬鮫ヵ】は一名/章鮌(しやうけん)
【右頁下段 挿絵】
鰶(せい)
《割書: このしろ》
鰛(うん)
《割書: いわ|  し》
尨魚(はうぎよ)
《割書: くろだひ》
黄(わう)
 檣(しよく)
《割書:はな| おれ|  だひ》
烏頬(うけう)
《割書:すみやき|  だひ》
【左頁上段】
といふちいさきものを
青前(せいせん)といふさごし
なり章鮌(さはら)擺錫(さはら)同
○鱈(たら)は風をさり酒(さけ)を
さまし煮(に)て食(しよく)すれ
は水腫(すいしゆ)を治(ぢ)し小便(しやうべん)
を利(り)す
○䰵(ゑぶな)はまへの鯔(なよし)の所(ところ)
に見えたり かうきち
ぼら いな いせごゐ
ゑぶな すばしり い
づれも同物(どうぶつ)異名(いみやう)也
○鱸(すゞき)は五/臓(ざう)をおきな
ひ筋(すじ)骨(ほね)を益(ます)腸(ちやう)胃(ゐ)
【左頁下段 挿絵】
海鰻(かいまん)
《割書: はも》
   《割書:狗魚(くぎよ)|白鰻(はくまん)|鮦鮵(とうだつ)|慈鰻(じまん)| 鱺(れい)| 並同》
梭魚(さぎよ)《割書:かます》
鰈(てう)
《割書:かれい》

【右頁上段】
を和(くは)し水気(すいき)を遂(おふ)
おゝく食(しよく)すれば痃(けん)
癖(べき)はれ物(もの)いづる
○鰹(かつほ)は生(なま)は膈(むね)をきよ
くし炙(あぶれ)は脾胃(ひゐ)をとゝ
のふ多(おゝ)く食(しよく)すれは血(ち)
をうごかす
○鰧(おこじ)【䲍】は虚労(きよらう)をおぎな
ひ脾胃(ひゐ)をまし腸風(ちやうふう)
瀉血(しやけつ)を治(ぢ)し気力(きりよく)を
ます人をして肥(こへ)すこ
やかならしむ
○魴鮄(ほうぼ)は鯄(かながしら)に似(に)て
色(いろ)あかし一名/藻魚(もうを)と
【右頁下段 挿絵】
鯧(しやう)
《割書:まな| がつほ|扁魚(へんぎよ)同》
江鮏(こうせい)
《割書: あめ》
鯔(し)
《割書:なよし|ぼら》
馬鯪(ばかう)《割書:さはら》
【左頁上段】
もいふ
○江豬(いるか)は脯(ほぢゝ)となして
食すれば虫(むし)をころし
瘧(おこり)を治(ぢ)す又/海豚(いるか)と
も書(かく)なり
○鱪(しいら)は其性(そのしやう)未(いまだ)_レ考(かんがへ)
秋の末(すへ)に多(おゝ)く出る
○鱣(ふか)は長(たけ)二/丈(じやう)はかり
灰(はい)いろなりせなかに
三/行(かう)あり鼻(はな)ながく
してひげあり玉版(ぎよくはん)
魚(きよ)同
○鮫(さめ)は首(かしら)鼈(かめ)に似(に)て
脚(あし)なく尾(を)の長(なが)さ尺(しやく)
【左頁下段 挿絵】
鱸(ろ)《割書:すゞき》
鱈(せつ)
《割書: たら》
䰵(し)
《割書:ゑ| ぶな》
鰹(けん)
《割書: かつほ》

【右頁上段】
余(よ)あぢはひ美(び)なり
皮(かわ)は刀(かたな)の柄(つか)さやに
つくるなり
○鯄(かながしら)は魴鮄(ほうぼ)に似(に)た
り小児(せうに)のくひぞめに
かならず用ゆ
○鱠残魚(きすご)は一名/王余(わうよ)
魚(きよ)といふ呉王(ごわう)船中(せんちう)
にて鱠(なます)を海にすつる
に魚(うを)となれり今の
王余魚(わうよぎよ)これなり 
○鯽(ふな)は小鯉(こごい)に似(に)て
色(いろ)くろし五/味(み)に合(がつ)
して煮(に)て食(しよく)すれば
【右頁下段 挿絵】
鰧(ちん)【䲍】
《割書: おこじ》
鱪(しよ)《割書: |しいら》
魴鮄(ほうぼ)
江豬(こうちよ)《割書:いるか》
【左頁上段】
○虚羸(きよるい)をつかさどる中(うち)
をあたゝめ気(き)をくだ
し下痢腸痔(げりちやうじ)を
やむ蓴(ぬなわ)に合(かつ)してあ
つものとなしては胃(ゐ)
よはくして食(しよく)くだ
らざるをつかさどり
中をとゝのへ五ざうを
ます
○鮧(なまづ)は水腫(すいしゆ)を治(ぢ)し
小便(しやうべん)を利(り)し下血(げけつ)だ
つこうのいたみに葱(ひともし)
と同しく煮(に)て食(しよく)
してよし
【左頁下段 挿絵】
鱣(はん)
《割書: ふか》
鱠残魚(くはいざんぎよ)
《割書: きすご》
鯄(きう)
《割書:かな|がし| ら》
鮫(かう)《割書:さめ》

【右頁上段】
○鯉(こい)は頭(かしら)より尾(を)に
いたるまで鱗(うろこ)に大
小なしみな三十六
鱗(りん)あり煮(に)て食(しよく)す
れば欬逆(がいきやく)上気(しやうき)黄(わう)
疸(だん)を治(ぢ)し渇水腫(かつすいしゆ)
を治(ぢ)す
○杜父(とふ)はいしもちと
もうしぬすびととも
又ふぐりくらひとも
いふなり五/臓(ざう)をおぎ
なひ脾胃(ひゐ)を和(くは)す
また杜文(とぶん)はいかりいを也
土(と)■(ほ)【魚+莆】土鮒(とふ)土附(とふ)同
【右頁下段 挿絵】
鯽(せき)《割書:ふな》
鮧(い)《割書:なま| づ》
鯉(り)《割書: | こひ》
【左頁上段】
○鮞(はす)【鰣ヵ】は虚労(きよらう)をおぎ
なふ油(あぶら)をとりてやけ
どにぬりて妙(めう)なり
○鱓(やつめうなぎ)は中(うち)をおぎな
ひ血(ち)をまし虚(きよ)をお
ぎなひさんこのあく
露(ろ)を治(ぢ)す
○鰻(うなぎ)は虫(むし)をころし瘡(かさ)
を治(ぢ)し脚気(かつけ)腰腎(こしじん)
のあいだの湿痺(しつひ)を治(ぢ)
し陽(やう)をたすく
○黄鱨(ぎゞ)はおゝく食(しよく)す
べからず脾胃(ひゐ)をそんじ
洩痢(せつり)す一名/黄顙(わうさう)
【左頁下段 挿絵】
杜父(とほ)
《割書:うし| ぬすびと|ふぐり| くらひ》
鱓(せん)
《割書:やつめ| うなぎ| 小| なる|  を》《割書: |鰌鱓(しうせん)といふ》
鰻(まん) 《割書:鰻鱺(まんれい)| 魚(ぎよ)同》
《割書:うなぎ》

【右頁上段】
魚といふ
○鰌(どぢやう)は中(うち)をあたゝめ
気(き)をまし酒(さけ)をさまし
かわきをやめ痔(ぢ)を治(ぢ)ス
○金魚(きんぎよ)は藻(も)のうち
に生(しやう)ず甘(あまく)平毒(へいどく)なし
久痢(きうり)を治(ぢ)す銀魚(ぎんぎよ)
朱鯉(ひごい)朱鮒(ひぶな)あり
○年魚(あゆ)は煮物(に)て食(しよく)
すれば憂(うれい)をやめ胃(ゐ)
をあたゝめ冷瀉(れいしや)を止(やむ)
○鮅(うぐひ)は眼(まなこ)あかく鱒(そん)と
なづく又一名/赤眼魚(せきがんぎよ)
といふ
【右頁下段 挿絵】
黄鱨(わうしやう)《割書:ぎゞ》
金魚(きんぎよ)
《割書: 朱魚(しゆぎよ)同》
鰌(ゆう)
《割書: どぢやう》
年魚(ねんぎよ)
《割書:  あゆ| 銀口魚(ぎんこうぎよ)》 
【左頁上段】
○鱭魚(たちを)は火(ひ)をたす
け痰(たん)をうごかし疾(やまひ)を
発(はつ)し瘡(かさ)をはつす
多(おゝ)く食(しよく)すれべからず
○鯃(こち)は能毒(のうどく)いまだつ
まびらかならず鯒(こち)
とも書(かく)なり
○河㹠(ふぐ)は虚(きよ)をおぎな
ひ湿(しつ)をさり腰脚(こしあし)
をおさめ痔(ぢ)をさり
虫(むし)をころす此魚(このうを)に
大/毒(どく)あり食(くらふ)べからず
○魥(はまち)は功能(こうのう)いまだつ
まぎらかならず
【左頁下段 挿絵】
鮅(ひつ)
《割書:うぐひ》
河㹠(かとん)《割書: |ふぐ》
《割書:鯸䱌(こうい)同》
鱭魚(せいぎよ)
《割書: たちを》
《割書:鮆魚(せいぎよ)|鮤魚(れつぎよ)|鱴魚(へつぎよ)|魛魚(とうぎよ)|  同》
鯃(ご)《割書: |こち》

【右頁上段】
○小鮦(こんぎり)は鱧(はも)の少(ちいさ)き
ものなり功能(こうのう)はも
に同し
○鱵(さより)は甘(あまく)平毒(へいどく)なし
これを食(しよく)すれば疫(えき)
病(ひやう)をやまず針魚(しんぎよ)同
○鱒(ます)は胃(ゐ)をあたゝめ
中を和(くは)す
○鰕(えび)は鼈瘕(へつか)を治(ぢ)し
痘瘡(とうそう)につけてよし
陽(やう)をさかんにし乳(ち)
を通(つう)ず小児(せうに)食(しよく)す
れは足よわくなる
蝦(か)同
【右頁下段 挿絵】
鱵(しん)
《割書: さより》
魥(ぎう)
《割書:はまち》
小鮦(しやうたう)《割書:ごんぎり》
鱒(そん)《割書:ます》
【左頁上段】
○鰝(うみえび)は鮓(なます)にして食(しよく)
すれは虫(むし)くひばを
治(ぢ)し頭(かしら)のかさを治(ぢ)
す紅鰕(こうか)龍鰕(りやうか)海(かい)
鰕(か)同
○河鰕(かか)はかはえび也
俗(ぞく)にてながゑびと云
○醤蝦(あみ)はゑびのこま
かなるものなり苗蝦(べうか)
線蝦(せんか) 泥蝦(でいか)ともいふ
○麪條(しろうを)は中(うち)をゆるく
し胃(ゐ)をすこやかにし
水(みづ)を利(り)し欬(せき)をやむ
○蝦姑(しやくなげ)はゑびのたぐ
【左頁下段】
河鰕(かか)《割書:てながゑび》
《割書: かは|  えび》
鰕(か)《割書:えび》
鰝(かう)《割書: |うみえび》

【右頁上段】
ひなり海馬(かいば)といふは
この事なり産婦(さんふ)に
手にもたすれば平産(ひらさん)
すといへり
○鰤(ぶり)は肝(かん)を利(り)し血(ち)
をおぎなふ脾胃(ひゐ)実(じつ)
するものはくらふ事なかれ
○鰣(ゑそ)は虚労(きよらう)をおぎな
ふ油(あぶら)をとりてやけど
にぬりて妙(めう)なり
○鰚魚(はらか)は腹赤(はらか)とも
かくなりはらかの魚
を帝(みかど)に献(けん)ぜし事
【右頁下段 挿絵】
醤蝦(しやうか)
《割書: あみ》
麪條(めんでう)《割書: |しろいを》
蝦姑(かこ)《割書:しやくなぎ》
鰤(し)《割書: |ぶり》
【左頁上段】
あり
○矢幹魚(やからいを)ははもに
似(に)て色(いろ)あかし膈症(かくしやう)
のどに食(しよく)つまるを治(ぢす)
○青前(さごし)魚は諸病(しよびやう)に
いまず馬鮫(さはら)のちい
さきものなり
○鯡(にしん)は能毒(のうどく)つまび
らかならず猫(ねこ)の病(やまひ)を
いやす
○鱓(ごまめ)は鼠頭(いわし)魚の
ちいさきものなり能(のう)
毒(どく)いまだつまびらか
ならず
【左頁下段 挿絵】
鰚魚(せんぎよ)
《割書:  はらか》
鰣(じ)
《割書:ゑ| そ》
青前(せいせん)
《割書:  さごし》
矢幹魚(しかんぎよ)
《割書: やがら|  いを》
鯡(ひ)《割書: |にしん》

【右頁上段】
○水母(くらげ)は婦人(ふじん)の虚(きよ)
損(そん)積血(しやくけつ)こしけ小児(せうに)
の丹毒(たんどく)又やけとに付(つけ)
て妙(め)なり
○烏賊(いか)は気(き)をまし
志(こゝろざし)をつよくし人に
益(えき)あり月経(ぐはつけい)を通(つう)ス
○鱝(えい)は男子(なんし)の白濁(ひやくだく)
膏淋(かうわん)玉茎(ぎよくけい)のいたみを
治(ぢ)す小/毒(どく)あり人に
益(えき)あらす海鷂魚(かいようぎよ)同
○土肉(なまこ)は元気(げんき)をおぎ
なひ五/臓(ざう)をまし三焦(さんせう)
の熱(ねつ)をさる鴨(かも)と同じ
【右頁下段 挿絵】
鱓(せん)
《割書:ごまめ》
烏賊(うぞく)
《割書: いか》
水母(すいも)
《割書:くらげ》
《割書:海月(かいげつ)|石鏡(せききやう) 並同》
鱝(ふん)
《割書: えい》
《割書:邵陽(えい)魚 魟魚(えい)|鯆魮(えい)》
【左頁上段】
く食(しよく)すべからず
○海馬(かいば)は血気(けつき)のいたみ
を治(ぢ)し水臓(すいざう)をあたゝ
め陽道(やうどう)をさかんにし
かたまりを消(せう)し疔(てう)
はれいたむによし
○海牛(すゞめいを)は功能(こうのう)いまだ
つまびらかならず
○章挙(ここ)は血(ち)をやしな
ひ気(き)をます冷(れい)なる
ものなれば脾胃(ひい)よは
きものは食(しよく)すべからず
章魚(しやうぎよ)同/石鮔(せききよ)はあし
ながだこ飯蛌(はんくは)いゐだこ
【左頁下段 挿絵】
海牛(かいぎう)《割書: |すゞめいを》
土肉(とにく)
《割書:なまこ》
章挙(しやうきよ)
《割書: たこ》
海馬(かいば)

【右頁上段】
○鮪(しび)はかしらちいさく
してとがりかふとに似(に)
たり口(くち)おとがいの下(した)に
あり大なるは七八尺ばか
りあり
○䱱(さんせういを)は疫病(やくびやう)を治(ぢ)し
瘕(かたまり)を治(ぢ)し虫(むし)をころす
又鯢(げい)とも書(かく)
○魚子(はらゝご)は目(め)のうちかす
むによし鱖(さけ)又は鯇(あかめ)に
あり
○乾鱖(からざけ)は鱖(さけ)のしらぼし
なり能毒(のうどく)鱖(さけ)に同し
目(め)の玉(たま)は煮出(にだ)しによし
【右頁下段 挿絵】
鮪(ゆう)
《割書:しび》
䱱(てい)《割書:さんせう|  いを》
【左頁上段】
かつほにまされり
○鰊鯑(かずのこ)は鯡(にしん)の子(こ)なり
正月又はしうげんに用(もちゆ)
○鯣(するめ)は烏賊(いか)のほし
たるなり能毒(のうどく)いかに
同し産後(さんご)によろし
○鱲子(からすみ)は鯔(ぼら)の子(こ)
のほしたるなり
○鰭(き)は魚(うを)の背(せなか)をいふ
俗(ぞく)にひれといふ又はた
ともいふ鬣同/夏(なつ)は
陽気(やうき)上(かみ)にあるゆへ魚(うを)
の美味(びみ)鰭(ひれ)にあり冬(ふゆ)は
陽気(やうき)下(しも)に有ゆへに魚(うを)の
【左頁下段 挿絵】
鱲子(らうし)
《割書:から| すみ》
鰊(とう)《割書:かずのこ》
鯑(き)

乾鱖(かんけつ)
《割書: から|  ざけ》
魚子(ぎよし)
《割書: はら|  らご》
鯣(しやく)《割書: |するめ》

【右頁上段】
美味(びみ)腹(はら)にあり
○鱗(うろこ)は魚龍(ぎよりやう)のうろこ
なり鱗(うろこ)あるもの龍(りやう)
これが長(ちやう)なり鯉(こい)は大小
ともにせなかに鱗(うろこ)の数(かず)
三十六/鱗(りん)あり
○鰓(さい)は魚(うを)の頬(ほう)の中(なか)の
骨(ほね)なり俗(ぞく)にこれをえ
らといふ又おさとも云
○鰾(へう)は魚(うを)の腹中(ふくちう)に有
ふえといふ魚脬(ぎよはう)なり
膠(にかは)につくりてにべと云
【右頁下段 挿絵】
鰭(き)《割書:はた》
《割書:ひれ》
鱗(りん)《割書:うろ| くず》
《割書:うろこ》
鰓(さい)
《割書: えら| おさ》
鰾(へう)
《割書: ふえ| にべ》
【左頁】
頭書(かしらがき)増補(ぞうほ)訓蒙(きんもう)図彙(づゐ)巻之十五
   蟲介(ちうかい)《割書:此/部(ぶ)には野草(やさう)にすむもろ〳〵の蟲(むし)|川谷(せんこく)にすむ甲(かう)介ある虫(むし)の類(るい)をしるす》
【左頁上段】
○亀(かめ)は四/肢(し)ひき
つりなへたるにゝて
くらふ瀉血(しやけつ)血痢(けつり)
をとめ三十/年来(ねんらい)
の寒嗽(かんさう)を治(ぢ)す
○鼈(どうがめ)は瘀血(をけつ)を下し
陰(いん)を補(おぎな)ひ婦人(ふじん)の
難産(なんざん)腰痛(こしいたむ)を治(ぢ)ス
○鱟(かぶとかに)は痔瘻(ぢろ)を治(ぢ)ス
虫(むし)をころす多(おゝ)く食(くら)
【左頁下段 挿絵】
龜(き)《割書: |かめ》

鼈(べつ)《割書: すつ|  ほん| |どうがめ》

【右頁上段】
へは咳(せき)および瘡(かさ)を
はつす
○䘂(がざめ)は一名を黄甲(わうかう)
といふがざめなり
○蟳(しまがに)は一名を蝤蛑(ゆうほう)
といふ小児(せうに)のつかへ熱(ねつ)
気(き)によし
○螺(さゞい)は瘰癧(るいれき)結核(けつかく)
むねのうち欝気(うつき)
してのひざるを治ス
蠃蠡(られい)同
○田螺(たにし)は小便(せうべん)を利(り)
し目(め)の痛(いたみ)を治(ぢ)す
○蟹(かに)は血(ち)をさんじ
【右頁下段 挿絵】
鱟(こう)
《割書:かぶと| かに》
䘂(しん)
《割書:がざめ》
蟳(じん)《割書: | |しま| がに》
【左頁上段】
筋(すじ)をやしなひ気(き)
をまし食(しよく)を消(せう)す
うるしまけにすり
て付てよし螃(はう)
蟹(かい)【蠏】郭索(かくさく)同/石蟹(いしかに)
蟛螖(はうくはつ)《割書:あしはら|  かに》螯(かにのこう)
○毛亀(みのがめ)は陽道(やうどう)をた
すけ陰血(いんけつ)をおぎなひ
精気(せいき)をまし痿弱(なへよわき)
を治(ぢ)す
○螄(ばい)は目(め)をあきら
かにし水(みづ)を下(くだ)し
渇(かつ)をやめ熱(ねつ)をさり
大小/便(べん)を利(り)し酒毒(しゆどく)
【左頁下段 挿絵】
田螺(でんら)
《割書: たに|  し》
蟹(かい)
《割書: かに》
螺(ら)《割書: |さゞへ》

【右頁上段】
を解(げ)す海螄(かいし) 尖
螺 螺螄(らし)はにる
○蛤(はまぐり)は五/臓(ざう)をうるほ
し酒(さけ)をさまし胃(ゐ)
をひらき婦人(ふじん)の血(けつ)
塊(くはい)によし
○蚶(あかゞひ)は五/臓(ざう)をうる
ほし胃(ゐ)をすこやか
にし中(うち)を温(あたゝ)め食(しよく)
を消(せう)し陽(やう)をおこす
○蜆(しゞみ)は胃(ゐ)をひらき
乳(ち)をつうじ目(め)を
あきらかにし小/便(べん)
を利(り)し脚気(かつけ)酒毒(しゆどく)
【右頁下段 挿絵】
毛龜(もうき)
《割書: みのがめ》
【左頁上段】
を治(ぢ)す
○蚌(からすがひ)は渇(かつ)をやめ熱(ねつ)
をのぞき酒毒(しゆどく)を解(げ)
し目(め)をあきらかにし
帯下(こしけ)によし蜯(はう)𧉻(〳〵)【虫+半】同
馬刀(ばたう)
○貝(たからがひ)は汁(しる)をとりあら
へば目(め)のいたみを止(やめ)菜(さい)
に合(かつ)し煮(に)て食(くらへ)ば心(しん)
痛(つう)を治(ぢ)す海(かい)𧵅(ば)【貝+巴】同
○蟶(まて)は虚(きよ)をおぎな
ひ痢(り)を治(ぢ)し胸中(けうちう)
の熱(ねつ)いきれをさる
○蛎(かき)は虚損(きよそん)を治(ぢ)し
【左頁下段 挿絵】
螄(し)《割書:ばひ》
蚶(かん)
《割書: あか|  がひ》
《割書:魁蛤(くわいかう)|瓦壟子(くはらうし)》
螺(ら)
 螄(し)《割書: |みな》
蛤(がう)《割書: |はま| ぐり》
蜆(けん)
《割書: しゞ|  み| 扁螺(へんら)》

【右頁上段】
中(うち)をとゝのへ生(しやう)にて
くらへは酒後(じゆご)の熱(ねつ)を
さます
○鰒(あわび)は精(せい)をまし身(み)
を軽(かる)くし五/淋(りん)をつう
し目(め)を明(あき)らかにし
風熱(ふうねつ)労極(らうごく)によし
○車渠(ほたてがひ)は神(しん)をやすんし
緒(もろ〳〵)の藥毒(やくどく)を解(げ)す
能毒(のふどく)あかゞひと同
○淡菜(みるくひ)は虚労(きよらう)精(せい)す
くなく腰痛(こしいたみ)疝気(せんき)帯(こし)
下(け)によし久(ひさし)く食(しよく)すれ
は人の髪(かみ)ぬくる
【右頁下段】
蚌(はう)
《割書:からす| がひ》
貝(ばい)
《割書:たから|がひ》
蟶(てい)《割書:まて》
蠣(れい)《割書:かき》
《割書:肉(にく)を|蛎黄(れいわう)| といふ》
鰒(はく)《割書:あわび》《割書:石決明(せきけつめい)|九孔螺(きうこうら)》
【左頁上段】 
○辛螺(にし)は飛尸遊(ひしゆう)
虫(ちう)に生(しやう)にて食(くら)ふ
べし
○梭尾螺(ほらのかい)未(いまだ)【左ルビ「ず」】_レ考(かんがへ)
法螺貝(ほらのかい)ともかく
○玉珧(たいらぎ)は巧用(こうよう)蚌(からすかい)
に同じ多(おゝ)く食(しよく)
すれば風(かぜ)をうごか
す𧍧(たい)【虫+咸】䗯(らぎ)ともかく也
○帽貝(ゑぼしかひ)はかたち帽(もう)
子(す)に似(に)たり能毒(のふどく)は
いまだつまびらかな
らず
○海燕(たこのまくら)は雨湿(うしつ)にあ
【左頁下段 挿絵】
車渠(しやぎよ)
《割書: ほたて|   がひ》
淡菜(たんさい)《割書:一名/穀菜(こくさい)》
《割書: みるくひ》
辛螺(しんら)
《割書:  にし》
《割書:   香螺(かうら)|    ながにし》
梭(さ)《割書:ほらの| かひ》
玉珧(ぎよくたう)
《割書:  たいらぎ》
《割書:海月(かいげつ)|馬頬(ばけう)》
《割書:江跳(こうてう)|並同》

【右頁上段】
てられ身(み)いたむに
汁(しる)に煮(に)てくらふべ
し一名/陽遂足(やうすいそく)に
海盤(かいはん)ともいふ
○寄蟲(がうな)は顔色(がんしよく)を
まし心志(しんし)をうるは
しうす
○海膽(うに)は能毒(のふどく)いま
だつまびらかならず
○郎君(すがい)は婦人(ふじん)の
なんざんに手(て)にもた
すれはうまる酢(す)の
中(なか)へ入れはうごくなり
【右頁下段 挿絵】
帽貝(はうかい)
《割書:ゑぼ| し| がひ》

海燕(かいゑん)《割書:たこの|  まくら》

寄蟲(きちう)
《割書: かうな》

郎君(らうくん)《割書:す| がひ》
《割書:  相(さう)|  思(し)|  子(し)|   同》

海膽(かいたん)《割書: かぶと|   がひ》
【左頁上段】
○蛍(ほたる)は腐草(ふさう)又は
爛竹(らんちく)の根化(ねくわ)して
ほたるとなる夏(なつ)の
大/火気(くはき)を得(え)て化(くは)
すよつて光(ひか)り有
○蛬(きり〳〵す)は蟋蜶(しつすつ)【「蜶」は「蟀(しゆつ)」ヵ】とも
蜻蛚(せいれつ)ともいふ夏の
蝗(いなご)に似(に)て大(おゝい)なり《割書:補》夏(なつ)の
末(すへ)にいづる
○螻(けう)【けらヵ】は土中(どちう)の泥(どろ)に
すむ土(つち)をくらふ也
一名/土狗(どく)又/石鼠(せきそ)
ともいふ
○蟷螂(かまきり)はいほむじ
【左頁下段 挿絵】
蛍(けい)《割書:ほたる》《割書:丹鳥(たんてう) 蠗々(よう〳〵)【熠燿ヵ】同 蛆螢(そけい)《割書:みづ| ぼたる》》
螻(ろう)《割書:けら》
蛬(きやう)《割書:きり〳〵す》

り仲夏(ちうか)に生ずいか
るときは臂(ひぢ)をかゝく
○絡線(こうろぎ)はきり〴〵
すともいふ一名/聒(くはつ)
々児(〳〵じ)いとゞといふも
此たくひなり
○螇蚸(けいれき)は一名/蟿(けい)
螽(とう)といふはた〳〵
むし俗(ぞく)にしやう
りやうむし
○竈馬(まるいとゞ)は一名/竈(そう)
雞(けい)といふかたち丸(まる)く
脚(あし)長(なが)し竈(かまど)のほ
とりにすむ
【右頁下段 挿絵】
絡線(らくせん)《割書:こう| ろぎ》

蟷螂(たうらう)【蜋】
《割書: かま|  きり》

螇蚸(けいれき)
《割書:しやうりやう|    むし》

竈馬(そうば)《割書: |まるいとゞ》
【左頁上段】
○蜻蛉(とんぼう)は六/足(そく)四の
つばさ夏(なつ)生(しやう)ずと
んでむしをとり
喰(くら)ふ《割書:補》大(おゝい)なるをやん
まといふ
○赤卒(あかゑんば)はとんぼう
の色(いろ)赤(あか)きものなり
俗にあかやんまと云
黒(くろ)やきにして喉痺(こうひ)
を治(ぢ)す
○䘀螽(いなご)は稲(いね)に生(しやう)
す𧑄(しう)【虫+衆】同
○/𧐍(はた)【虫+舂】𧑓(〳〵)【虫+黍】は一名/螽(しう)
斯(し)いなごに似(に)たり
【左頁下段 挿絵】
蜻蛉(せいれい)《割書:とんぼう》

赤卒(せきそつ)《割書:あかゑんば 絳騶(かうすう)同》

䘀螽(ふしう)《割書:いなご》

𧐍𧑓(しようしよ)《割書:はた〳〵》

【右頁上段】
○蝶(てふ)は蚕(かいこ)【蠺】化(くわ)して
なる又/麦化(むぎくは)して蝶(てふ)
となる鳳蝶(ほうてふ)はあげ
は胡蝶(こてふ)蛺蝶(けうてふ)野(や)
蛾(が)同
○蝿(はへ)は前足(まへあし)にて縄(なわ)
をなふかたちをなす
よつて虫へんに黽(なわ)の
字(じ)をかく爛灰(らんくはい)の内(うち)
より生ず
○金亀(たまむし)は大さ刀豆(なたまめ)
のごとし夏/蔓草(まんさう)
の中(うち)に生ず
○燈蛾(ひとりむし)は燈(ともしび)をはら
【右頁下段 挿絵】
蝶(てふ)《割書:あげは》

燈蛾(とうが)《割書:ひとり| むし》

蝿(よう)《割書:はへ》

金龜(きんき)
《割書: たま|  むし》
【左頁上段】
ふを飛蛾(ひが)とも燭蛾(しよくが)
ともいふひとりむし
○馬蜂(くまばち)は虻(あぶ)の大(おゝい)なる
ものなり色くろし
○叩頭(ぬかつきむし)ははたをり
むしとも《割書:補》いもつき虫
ともいふ
○/𧉟(まつむし)【虫+台】は《割書:補》七月の末(すへ)よ
り生(しやう)す声(こへ)松風(まつがせ)の
音(をと)のごとし広野(くはうや)に
生ず
○金鐘(すゞむし)は一名/金鏡(きんけい)
児(じ)とも月鈴児(げつれいじ)とも
いふなり
【左頁下段 挿絵】
馬蜂(ばほう)
《割書: くま|  ばち》

叩頭(こうとう)
《割書: ぬかつき|  むし》

金鐘(きんしやう)《割書:すゞむし》

𧉟(たい)【虫+台】
《割書:まつ| むし》

【右頁上段】
○鑾虫(くつはむし)はなく声(こへ)く
つはの音(をと)に似(に)たりよつ
て名づく
○斑蝥(はんはう)は人に大毒(だいどく)
なり斑猫(はんめう)とも書(かく)
○紺蠜(かねつけとんばう)は水上(すいじやう)に飛(とん)で
虫(むし)をとる紺蝶(かんてふ)同
○齧髪(かみきりむし)は一名/天牛(てんぎう)
ともいふよく髪(かみ)をく
ひきる目(め)の前(まへ)に二
角(かく)あり
○蓑虫(みのむし)は一名/木螺(もくら)
結草(けつさう)といふ
○蜂(はち)は腐(くさる)菌(くさひら)化(くは)し
てなる毒(どく)尾(を)にあり
【右頁下段 挿絵】
斑蝥(はんはう)
《割書: はんめう》

鑾蟲(らんちう)
《割書: くつはむし》

齧髪(けつはつ)
《割書:かみきり|    むし》

紺蠜(かんはん)《割書:かねつけ| とんばう》

蓑虫(さちう)《割書:みの| むし》
【左頁上段】
鋒(ほこ)のごとしよつて蜂(ほう)
といふなり
○蠧(のんし)はかいこにゝて木(もく)
中(ちうに)有て木(き)又/葉(は)を
くらふ木(き)をくらふを蝎(けつ)
といふ葉(は)をくらふを
蠋(しよく)といふ
○蟢(あしたかぐも)はあしながきく
もなり蟰蛸(せう〳〵)同
○蝉(せみ)は地虫(ぢむし)化(くは)して
なる口なふして鳴(なき)の
んで食(くら)はず
○蝸(かたつふり)は池沢(ちたく)草樹(さうじゆ)の
間(あいだ)に生(しやう)ずかたち螺(にし)
【左頁下段 挿絵】
蜂(ぼう)《割書: |はち》

蟢(き)《割書:あし| たか| ぐ|  も》  《割書:ぢよらう|   ぐも》

蠧(と)《割書: |のん| し》

蝉(せん)《割書:せみ》

蝸(くわ) 《割書:かた| つふり》 《割書:蝸蠃(くわら)同》  《割書:でん〴〵|  むし》

【右頁上段】
に似(に)て色(いろ)白(しろ)く角(つの)有
○虻(あぶ)は大(おゝい)なるを木(もく)
虻(ばう)といふつばさを
以てなく声(こへ)虻々(ばう〳〵)と
いふよつてなづく
○蛾(か)は蚕(かいこ)【蠺】化(くは)して蛾(が)
となる燈蛾(とうが)の類(たぐひ)也
○蠮螉(えつをう)はさそり又
蜾蠃(くはら)とも細腰蜂(さいようほう)と
も蒲蘆(ほろ)【芦】ともいふ俗(ぞく)
にいふ似我蜂(じがばち)
○気蠜(へふりむし)は一名/行夜(かうや)
つばさ短(みじかく)して遠(とを)く
飛(とば)ず
【右頁下段 挿絵】
虻(ばう)《割書:あぶ》

蛾(か)《割書:ひゝり【ひゝるヵ】》

気蠜(きはん)
《割書: へふり|  むし》

蠮螉(ゑつをう)《割書:さゝ| り》
【左頁上段】
○蚋(ぶと)は田野(でんや)に生(しやう)じ
雨(あめ)の前後(ぜんご)に飛(とん)で人
の肌(はだへ)をさす其あと
愈(いへ)がたし
○蚊(か)は孑々虫(ぼうふりむし)化(くは)して
なる豹脚(へうきやく)はやぶが也
○孑孑(ぼうふりむし)はたまり水
くさりて生(しやう)ず化(くは)し
て蚊(か)となる一名/釘(てい)
倒虫(たうちう)
○蛙(かはづ)は惣名(さうみやう)なりね
ずみ色(いろ)にして背(せ)に小
紋(もん)がた有をかはづと云
なく声(こへ)美(び)なり水(すい)
【左頁下段 挿絵】
蚋(せい)
《割書:ぶと》

蚊(ぶん)《割書:か》

孑孑(けつ〳〵)《割書:ぼう| ふり|  むし》

蝌蚪(くわと)
《割書: かへるこ》

蛙(あ)
《割書: かはづ》 《割書:田雞(でんけい)|水雞(すいけい)|  同》  《割書:青蛙(せいわ)| あま|  かへる》

蛭(しつ)《割書:ひる》
《割書:てつ》

【右頁上段】
中(ちう)に住(すむ)又/色(いろ)青(あを)きを
あまがへるといふ色(いろ)赤(あか)
きを赤(あか)がへるといふ
是(これ)を小児(せうに)に食(しよく)せし
めてよし
○蝌蚪(かへるこ)は蟇(ひきがへる)の子(こ)也
水中(すいちう)に生(しやう)ず蛞斗(かつと)
活東(くわと)並同
○蛭(ひる)は大なるを馬(むま)
蛭(ひる)といふよく人の血(ち)
をすふ
○蠼螋(はさみむし)はかたちむか
でに似(に)て色(いろ)黒(くろ)し
人の影(かげ)にいばりすれ
【右頁下段 挿絵】
蠼螋(くしう)
《割書: はさみ|  むし| 蛷螋(きうしう)| 捜夾(しうけう)《割書:同》》

蟾蜍(せんじよ)
《割書: ひき|  がへる》

蜈蚣(ごこう)
《割書: むかで》

百足(はくそく)
《割書:をさ| むし》
蚰蜒(いうゑん)《割書: |げじ|  〴〵》
《割書:螾(いん)𧍢(えん)【衍+虫】同》

蝦蟇(がま)《割書: |かへる》
【左頁上段】
ば人かさを発(はつ)す
○蜈蚣(むかて)はせなか黒(くろ)く
みどり色(いろ)足(あし)あかく
腹(はら)黄(き)なりさゝれたる
人は烏鶏(くろきにはとり)の尿(くそ)又は
大蒜(おゝびる)をぬるべし
○蟾蜍(ひきがへる)は腹(はら)白(しろ)く黒(くろ)
き紋(もん)ありせなかにが
んぎあり油(あふら)を蟾(せん)
酥(そ)といふ藥(くすり)に用(もち)ゆ
○蝦蟇(がま)はせなかに黒(こく)
点(てん)あり身(み)にして
よくおどる化(くは)して
鶉(うづら)となる
【左頁下段 挿絵】
蠓(もう)
《割書:ぼう| |しやう| 〴〵》

蚘(くわい)《割書: |はらの| むし》

蚯蚓(きういん)《割書:みゝ| ず》

蛆(そ)《割書:うじ》

糞蛆(ふんそ)
《割書: くそ| むし》

蠐螬(せいさう)《割書:きり| うじ》

蟫(いん)《割書:しみ》

蚤(さう)《割書:のみ》

虱(しつ)【蝨】
《割書:しら| み》

蛜(い)
蝛(い)
《割書:おめむし》

蟻(ぎ)《割書:あり》

【右頁上段】
○蚰蜒(けぢ〴〵)はむかでにゝ
て足長(あしなが)し毒(とく)あり
人の耳(みゝ)に入(いり)たるに
龍脳(りうのう)をふき入べし
○百足(おさむし)は長(なが)さ七八分
色(いろ)黒(くろ)し足(あし)百にいたる
一名/馬蚿(ばけん)
○蠓(しやう〴〵)は雨(あめ)によつて
生(しやう)じ陽(ひ)をみて死(しす)
■(うすひく)【「虫+豊」。『頭書増補訓蒙図彙』では「磑」】がごとき時は風(かぜ)吹(ふく)
舂(うすつく)【㫪】がごときときは
雨(あめ)ふる
○蚘(はらのむし)は人の腹中(ふくちう)に有
ながき虫(むし)なり蛔(くはい)同
【右頁下段 挿絵】
蠶(さん)《割書:かひこ》

蛣蜣(きつきやう)
《割書:くそ|む| し》

蜘蛛(ちちう)
《割書: くも》

土蠱(どこ)

木(もく)
虱(しつ)《割書: |たにこ》

水蚤(すいさう)
《割書:とびむし》
【左頁上段】
脾胃(ひゐ)の湿熱(しつねつ)より
生ず
○蛆(うじ)は腐肉(ふにく)のあいだ
に生ず魚類(ぎよるい)畜類(ちくるい)の
肉(にく)のうちに生す鮓(すし)
の中(なか)にもわく蠁(きやう)同
○蠐螬(きりうじ)はかたち蚕(かいこ)の
ごとし樹根(じゆこん)又は糞(ふん)
土(ど)の中に生(しやう)ず身(み)みし
かく色(いろ)白(しろ)し蠀螬(しそう)
同《割書:補》又/小(ちいさ)く黒(くろ)きあり
○蚯蚓(みゝず)は雨(あめ)ふれば出
はるゝときは夜(よる)なく
○蛜蝛(おめむし)は一名/𧑓(しよ)【虫+黍】蝜(ふ)
【左頁下段 挿絵】
水馬(すいは)
《割書:しほう|  り》

蠑螈(ゑいげん)《割書:いもり》

滑蟲(くわつちう)《割書:あぶら| むし》

蜥蜴(せきてき)
《割書:とかけ》

蝘蜓(ゑんてん)《割書:やもり》

【右頁上段】
虫といふ又は鼠婦
ともいふ
○蟫(しみ)は書中(しよちう)の白魚(しみ)
なり一名/蛃(へい)と云/俗(そく)
に蠧魚(とぎよ)といふ
○蚤(のみ)は床下(ゆかのした)土中(どちう)ゟ
生ず
○蝨は人の《割書:補》身(み)にわく
髪(かみ)にもわく又/毛(け)にも
有かたちかはれり
○蟻(あり)は大なるを蚍蜉(ひふ)
といふ小(ちいさき)を蟻(ぎ)といふあ
りに君臣(くんしん)の義(ぎ)あり
故(ゆへ)に義(ぎ)の字(じ)をかく
【右頁下段 挿絵】
殻(かく)
《割書:こく|  から》

甲(かう)
《割書:こ| う》

介(かい)

蛻(たい)《割書:もぬけ》

蝉蛻(せんたい)
《割書: うつせみ》

繭(けん)《割書: |まゆ》
【左頁上段】
○蜘蛛(くも)はぢよらうぐも
を花蜘蛛(くはちちう)といふ足(あし)たか
くもを蟢子(きし)といふむか
しの大昊(たいかう)くもをみて
あみをむすび出せり
○蚕(かいこ)は糸(いと)を吐(はく)虫(むし)なり
三たび俯(ふ)し三たび
起(をき)二十七日にして老(おふ)
黄帝(くはうてい)の元妃(けんひ)西陵(せいりやう)
氏(し)始(はじ)て蚕(かいこ)をやし
なふて糸(いと)を作(つくる)
○蛣蜣(くそむし)はよく糞土(ふんど)
をうつて円(ゑん)をなす
糞虫(ふんちう)同
【左頁下段 挿絵】
蛅蟖(せんし)《割書:いら| むし》

豉蟲(しちう)
《割書: まひ〳〵|  むし》

蚇蠖(しやくくわく)《割書:しやく| とり》

蛞(くわつ)
蝓(ゆ)
《割書:な|め|く|ぢ》

螲蟷(ちつたう)
《割書:  つち|  く|   も》

【右頁上段】
○土蠱(どこ)は《割書:補》蛭(ひる)に似(に)て色(いろ)
黄(き)なり頭(かしら)耳(みゝ)かきの
ごとし俗(ぞく)にみゝかき蛭(びる)
といふ此(この)虫(むし)大毒(たいどく)あり
○木虱(たに)は木竹(きたけ)より生
ず𧈲(しらみ)【「卂+虫」、蝨ヵ】に似(に)てまるく
青(あを)く灰色(はいいろ)なり壁(へき)
𧈲(しつ)【「卂+虫」、蝨ヵ】同/俗(ぞく)にいふたにこ
○水蚤(とびむし)は一名/水蝨(すいしつ)と
いふ湿地(しつち)の土中(どちう)に生(しやう)
すよくとぶ目肬(めいぼ)に
つけてよし
○水馬(しほうり)は一名/水黽(すいよう)と
いふ水上(すいじやう)におよぐ水(みず)
【右頁下段】
壁銭(へきせん)《割書:ひらた| くも》

虎(ようこ)
《割書: はへとり|   ぐも》

螵蛸(へうせう)
《割書: おほぢが|  ふぐり》

雀甕(じやくよう)
《割書: すゞめの|    たご》
【左頁上段】
かるればとふ長さ一寸ば
かり四/足(そく)あり
○蠑螈(いもり)は水中(すいちう)に住(すむ)
せなか黒(くろ)く《割書:補》腹(はら)赤(あか)く
四/足(そく)あり
○蝘蜓(やもり)は一名/守(しゆ)官(きう)【宮ヵ】
といふ此/虫(むし)を殺(ころし)て宮(きう)
女(ぢよ)の臂(ひぢ)にぬるに男(をとこ)
を犯(おかす)ことあればはぐる
おかさゞればはげずよつ
て守宮(しゆきう)といふ壁虎(へきこ)
蝎虎(けつこ)並同
○蜥蜴(とかけ)は《割書:補》土中(どちう)にすむ
毒(どく)あり石龍子(せきりやうし)山龍(さんりやう)
【左頁下段 挿絵】
蟒(まう)《割書:やまかゝち》
《割書:うは| ばみ》

子(し)ならびに同
○滑虫(あふらむし)は一名/蜚蠊(ひれん)
といふかまどの辺(へん)に多(おほ)
し《割書:補》羽(はね)有てとぶ色(いろ)黒(くろ)し
○殻(から)は蚌螺(ほうら)の類(たぐひ)のから
の惣名(さうみやう)也/蛤(はまぐり)のからを玄(けん)
明粉(みやうふん)といふ痰(たん)を治(ぢ)すは
いのふたを甲香(かうかう)といふ又
厴(えん)とも書(かく)たき物に入
鰒(あわび)の貝(かい)のからを石決明(せきけつめい)と云
目(め)の痛(いたみ)を治(ぢ)しはなぢをとむ
又かき貝(がい)のからを牡蠣(ぼれい)と
なづくよく盜汗(ぬあせ)をとむる
○蛻(もぬけ)は蛇蛻(じやたい)はへびのきぬ
【右頁下段】
烏(う)
蛇(じや)
《割書:からす|  へみ》

両頭(りやうとう)

蛇(じや)《割書:くちなは》

銀蛇(ぎんしや)
《割書:しろ| へみ》

蝮(ふく)
《割書: まむ|  し》

岐首(きしゆ)
【左頁上段】
なり蛇皮(じやひ)共/蛇退(しやたい)とも云
黒焼(くろやき)にして酒(さけ)にて用(もち)ゆ
れは難産(なんざん)によし
蝉蛻(せんたい)は蝉退(せんたい)とも枯蝉(こせん)
共いふ粉(こ)にして油(あぶら)にて
とき耳(みゝ)だれに付れは治(ぢ)す
○甲(かう)は亀(かめ)の甲(かう)なりむ
かしは亀(かめ)をやいて甲(かう)の
紋(もん)を見て吉凶(きつけう)をうら
なふ事有/是(これ)を亀(き)
卜(ぼく)といふ又/薬(くすり)に用(もち)ゆ
れは腎(じん)を補(おきな)ひ瘀血(をけつ)
を消(せう)す又/鼈(べつ)【鱉】甲(かう)は瘀(を)
血(けつ)を散(さん)じ腫(はれ)を消(せう)す
【左頁下段 挿絵】
𧋪(べい)【虫+芋】虫(ちう)
《割書:こめ| む|  し》

吉丁虫(きつていちう)
《割書: かぶと|  む|  し》

蛅蟖(せんし)
《割書: けむし》

蠛蠓(べつもう)
《割書: かつほ|  むし》

螱(い)
《割書: は|  あり》

芋蠋(うしよく)
《割書: いも|  むし》

介(かい)は蟹(かに)の甲(かう)なり○繭(まゆ)はかいこをかひて眉(まゆ)をつくらせ綿(わた)をとる蟓(しやう)はくはまゆ○蛅蟖(いらむし)は一名/黒髯虫(こくせんちう)といふ
木上に生(しやう)ず人をさせばはれいたむ○蚇蠖(しやくとりむし)は樹上(じゆじやう)に生ず行(ゆく)こと指(ゆび)にて尺(しやく)をとるがごとし○豉虫(まひ〳〵むし)は一名/豉母虫(しぼちう)と
いふ水中(すいちう)に生ず色(いろ)黒(くろ)く小し○蛞蝓(なめくじり)は二/角(かく)あり蝸牛(くわきう)に似(に)たり一名/土蝸(どくわ)といふ○螲蟷(つちぐも)は土窟(とくつ)の中(うち)に
すむ一名/蛈蜴(てつたう)といふ古(ふる)きいわやに有○壁銭(ひらたぐも)は壁戸(かべと)などの間(あいだ)に有一名/壁鏡(へききやう)といふ窠(す)を壁繭(へきけん)といふ
○蝿虎(はいとりぐも)は一名/蝿豹(ようへう)といふ蝿蝗(ようくはう)蝿豹(ようへう)並同○雀甕(すゞめのたご)は一名/蛅蟖房(せんしばう)といふいらむしの窠(す)なり螵蛸(おほぢがふぐり)は
木(き)の枝(えだ)にあり一名/蟷螂房(とうらうばう)といふかまきりのすなり○蟒(うはばみ)は蛇(へび)の大(おゝい)なるものなり深山(しんざん)広野(くはうや)にすむ人を
のむなり○蛇(くちなは)は草中(さうちう)にすみて蛙(かいる)を食(しよく)す蛇(じや)は惣名(さうみやう)なり○蝮(まむし)は蛇(へび)に似(に)て長(たけ)みじかく黒黄色(くろきいろ)なり
おとがひ黄(き)にかしら大に口とがり毒(どく)はなはたしくよく人をさす又ははみとも反鼻蛇(はんひじや)ともいふ○烏蛇(からすへび)は
身(み)黒(くろ)くひかりあり頭(かしら)まるく眼(まなこ)あかし又/烏梢蛇(うせうじや)とも黒花蛇(こくくはじや)ともいふ○銀蛇(しろへび)は長さ一尺ばかり一名は
錫蛇(しやくじや)又/金蛇(こがねへび)といふ○両頭蛇(りやうとうじや)は一/頭(とう)は口目(くちめ)なし是(これ)をみれば不吉(ふきつ)なり一名/越王蛇(えつわうじや)といふ○岐首蛇(きしゆじや)は首(かしら)
ふた岐(また)ある蛇(へび)なり枳首蛇(きしゆじや)とも書(かく)ことに毒(どく)あり触(ふる)べからず○螱(はあり)は飛(とぶ)蟻(あり)なり朽木(くちき)より生ず
○吉丁虫(かぶとむし)はせなかみどりにかぶとのごとし此(この)虫(むし)をとりて身(み)におぶれは人を愛(あい)し媚(こば)しむ○芋蠋(いもむし)
芋(いも)の葉に生(しやう)ず○蛅蟖(けむし)は木(き)の葉(は)より生じて枝(ゑだ)を食(くひ)枯(から)す○/𧋪(よね)【虫+芋】虫(むし)は米(こめ)の中(うち)に生ず俗(ぞく)にいふ
こくうぞう○蠛蠓(べつもう)はかつほむし順(したがふ)の和名抄(わみやうしやう)に見へたり

頭書(かしらがき)増補(ぞうほ)訓蒙(きんもう)図彙(づゐ)巻之十六
  米穀(べいこく) 《割書:此部(このぶ)には五/穀(こく)の類(るい)すべて|くひ物のたぐひを記(しる)す》
【上段】
○粳(うるしね)は気(き)をまし胃(い)の気(き)を和(くは)し
中(うち)を補(おぎな)ひ腎精(じんせい)をまし腸胃(ちやうゐ)をます
○糯(もちごめ)は中(うち)をあたゝめ気(き)をまし脾(ひ)
胃(い)をあたゝめ小/便(べん)をしゞめ虚(きよ)
寒(かん)洩痢(せつり)をとむ
○粟(あわ)は腎気(じんき)をやしなひ脾(ひ)
胃(ゐ)の熱(ねつ)をさり小/便(べん)を利(り)し
反胃(ほんい)を治(ぢ)す
○稷(きび)は気(き)をまし不足(ふそく)を補(おぎな)ひ
熱(ねつ)をのぞき中(うち)を安(やす)くし胃(い)を利(り)
し血(ち)をすゞしうし暑(しよ)を解(げ)す
○稲(たう)【左ルビ「いね」】は禾(くは)同 かりいね
【下段 挿絵】
早稲(わせ)
晩稲(をくて)

粳(かう)
《割書:うる| しね|糲米(くろごめ)|精米(しらげ)》

糯(だ)《割書:稬(だ)【糯】米(べい)同|もちの| よね》

【右頁上段】
○穧(せい)はいなば苗(べう)はなへ又
苗代(なはしろ)ともいふ
○稗(ひえ)は中をおぎなひ気(き)
をまし腸胃(ちやうゐ)をあつくし
飢(うへ)をすくふ
○麦(むぎ)は虚(きよ)をおぎなひ血(けつ)
脈(みやく)をさかんにし五ぞうを
実(じつ)し顔色(かんしよく)を益(ます)
○蕎(そば)は腸胃(ちやうゐ)を実(じつ)し気(き)
をくだし積滞(しやくたい)を和(くは)し
熱腫(ねつしゆ)風痛(ふうつう)を消(しやう)す
○菉(ぶんどう)は食(しよく)を消(せう)し気き
をくだし熱(ねつ)をさり毒(どく)を解(げ)
し小べんを利(り)し脹満(てうまん)
泄痢(せつり)をつかさどる
【右頁下段 挿絵】
粟(ぞく)《割書: |あわ》
《割書:■米(もちあわ)【「禾+木」、「柇」ヵ「秫」ヵ、秫米(もちあわ)】|梁米(うるあわ)》

稷(しよく)
《割書: きび|丹黍(あかきび)|秬黍(くろきび)》

稗(はい)《割書:ひえ|稊(てい) 䄺(い)同》
【左頁上段】 
○麻(あさ)は女人(によにん)経候(けいこう)通(つう)せず
けんぼう金瘡(きんそう)内痔(ないぢ)を
治(ぢ)し悪血(あくけつ)をさる
○豇(さゝげ)は気(き)をまし腎(じん)をお
ぎなひ胃(ゐ)をすみやかにし
五ざうを和(くは)し小便(しやうべん)しげ
きをとむ
○豌(えんどう)は小/便(べん)を利(り)し腫満(ちやうまん)
をつかさどり消渇(せうかつ)を治(ぢ)し
吐逆(ときやく)を治(ぢ)す胡豆(こづ)𧰆(ひつ)【豆+畢】豆(づ)な
らびに同
○菽(まめ)は水腫(すいしゆ)を治(ぢ)し悪血(あくけつ)を
さんじ脾胃(ひゐ)をすこやかに
し酒病(しゆびやう)を解(げ)し胃中(ゐちう)の
熱(ねつ)をさる
【左頁下段 挿絵】
菉(りよく)《割書:やへなり|ぶんどう》

蕎(きやう)《割書:荍麦(けうばく)同》
《割書: そば》

麥(ばく)《割書:むぎ》
《割書:稞麦(くはばく)|むぎやす》

○荅(あづき)は水(すい)と気(き)を下(くだ)し濃(うみ)【膿ヵ】
血(ち)をはらい小便(しやうべん)を利(り)し脹(ちやう)
満(まん)消渇(せうかつ)を治(ぢ)す
○藊(あぢまめ)は中(うち)を和(くは)し気(き)を
くだし呕(ゑづき)をやめ五ざうを
おぎなひくはくらん酒毒(しゆどく)
を解(げ)す扁豆(へんづ)籬豆(りづ)眉豆(びづ)
ならびに同
○胡麻(ごま)は気力(きりよく)をまし肌(き)
肉(にく)を長(ちやう)じ筋(すぢ)骨(ほね)をかたく
し大小腸(ちやう)を利(り)し耳(みゝ)目(め)
をあきらかにす
○嬰粟(けし)は風毒(ふうどく)をさり邪(じや)
熱(ねつ)をおい痰(たん)を治(ぢ)し反胃(ほんゐ)を
治(ぢ)しかはきをうるほす
【右頁下段 挿絵】
麻(ま)《割書:あさ》

豇(かう)《割書:さゝげ》
《割書:白角豆(しろさゝげ)|紫豇豆(あかさゝげ)》

豌(ゑん)《割書:のらまめ|えんだう》
【左頁上段】
○蠶豆(そらまめ)は胃(ゐ)をこゝろよくし
臓腑(ざうふ)を和(くは)す一に胡豆(こづ)と
なづく
○玉黍(なんばんきび)は気(き)をまし中(うち)を和(くは)
し洩(くだり)をとめくはくらんくだり
腹(はら)をとめ小べんを利(り)す
○蜀黍(たうきび)は中(うち)をあたゝめ腸(ちやう)
胃(ゐ)をしぶらしくはくらんを
治(ぢ)す蘆穄(ろさい)萩穄(しうさい)同
○刀豆(なたまめ)は中(うち)をあたゝめ気(き)を
くだし腸(ちやう)胃(ゐ)を利(り)ししや
くりをとめ腎(じん)をまし元(げん)
をおぎなふ
○黎豆(はつしやうまめ)は中(うち)をとゝのへ胃(ゐ)を
まし小/便(べん)をつうず貍豆(りづ)
【左頁下段 挿絵】
菽(しゆく)《割書: まめ》

荅(たう)《割書:あづき》

藊(へん)
《割書: あぢまめ| いんげん|   まめ》

【右頁上段】
虎豆(こづ)ならびに同
○燕麦(からすむぎ)はあまく平(へい)どく
なし飢(うへ)をすくひ腸(ちやう)をな
めらかにす一名/雀麦(じやくばく)といふ 
○穂(ほ)はいねのほなり芒(はう)【𦬆】は
のぎ秕(ひ)はしひなせ今(いま)按(あん)ず
るにみよさ
○藁(かう)はわらなり禾稈(くははい)禾(くは)
穣(じやう)稲草(たうさう)ならびに同/稈(はい)
心(しん)わらしべ稭(かい)䕸(かつ)秸(かつ)並同
○穀(こく)もみ禾(あわ)麻(あさ)粟(こめ)麦(むぎ)豆(まめ)
これを五/穀(こく)といふ種(しゆ)は
たね稃(ふ)はすりぬか
○萁(き)はまめがらなり𧯯(き)【豆+其】同
魏(ぎ)の曹稙(そうちよく)詩(し)につくれり
【右頁下段 挿絵】
胡麻(ごま)《割書:油麻(ゆま) 脂麻(しま)|芝麻(しま)》

罌粟(あうぞく)《割書:けし》

蠶豆(さんづ)《割書:そら| まめ》
【左頁上段】
○莢(けう)はまめのさやなり
豆角(づかく)なり藿(くはく)はまめのは
なり馬(むま)これをくらふ
○饅頭(まんぢう)はもとは肉餡(にくあん)をも
ちひし事なり小豆餡(あづきあん)
のものを素饅(そまん)といふ餡(あん)
なきものを蒸餅(せうべい)といふ
今(いま)は新製(しんせい)品々(しな〳〵)あり唐(とう)
饅頭(まんぢう)あるひは煎餅(せんべい)饅(まん)
頭(ぢう)などいふものあり
○飯(はん)はいひなり又めし
強飯(こうはん)はこはいひ赤飯(せきはん)はあづ
きめし乾飯(かんはん)はほしいひ水(すい)
飯(はん)は湯(ゆ)づけめし《割書:補》麦飯(ばくはん)は
むぎめし粟飯(ぞくはん)はあわのめし
【左頁下段 挿絵】
燕麥(えんばく)《割書:からす|  むぎ》

玉黍(ぎよくしよ)《割書:なんばん|   きび》

蜀黍(しよくしよ)《割書:とう| き|  び》

刀豆(たうづ)
《割書:なた| まめ 刀鞘豆(たうさうづ) 挟劔豆(けうけんつ) 同》

【右頁上段】
○餅(べい)はもち麺餅(めんべい)なり
糕(こう)は粉餅(ふんべい)なり団子(だんご)なり
飯団(はんだん)はほたもち《割書:補》粟餅(ぞくへい)は
あわもち艾餅(かいへい)はよもぎもち
○糖(たう)はあめなり飴(い)同/湿(しつ)【濕】糖(たう)
はしるあめ錫(せい)はかたあめ也
ともに老人(らうじん)をやしなふ
一種(いつしゆ)地黄煎(ぢわうせん)と名づくる
《割書:補》もの有/当時(たうじ)夏月(かげつ)に専(もつはら)
小児(せうに)に用(もち)ゆ
○糉(そう)はちまきなり粽(そう)同一に
角黍(かくしよ)といふ楚(そ)の屈原(くつげん)よ
りはじまりし事といふ也
古(いにしへ)は葦(あし)の葉(は)にてつゝみ五/色(しき)
《割書:補》の糸(いと)にて巻(まき)しとぞ今(いま)用(もち)
【右頁下段 挿絵】
黎豆(れいづ)
《割書: 八升|  まめ》

萁(き)
《割書: まめがら》

穂(けい)《割書:ほ》

藁(かう)
《割書: わら》

莢(けう)
《割書: まめの|   さや》

穀(こく)
《割書:もみ》
【左頁上段】
ゆる笹(さゝ)の葉(は)は腹中(ふくちう)によ
ろしからずといふ能々(よく〳〵)あく
けを出しよくゆてゝつかふ
べし
○索麺(さくめん)はむぎなわといふ
一名/索餅(さくへい)といふ《割書:補》又饂飩(うんどん)
蕎切(そばきり)冷麦(ひやむぎ)などいふ物をす
べて麺類(めんるい)といへり
○餢飳(ふと)は俗(ぞく)に伏兎(ふし)【寛永六年版のフリガナ「ふと」】とかけ
りあぶらあげの餅(もち)なり油(ゆ)
堆(たい)となづく
○環餅(くわんべい)はまがりなりあぶ
らあげの菓子(くはし)なり糫(くわん)
餅膏(へいかう)とも糫寒具(くわんかんく)とも
いふ巧果(こうくわ)あぶらもち
【左頁下段 挿絵】
饅頭(まんぢう)

飯(はん)《割書:いひ》

餅(べい)
《割書: もち》

糖(たう)
《割書:あめ》

糉(そう)《割書: |ちまき》

【右頁上段】
○酢漿(さくしやう)はすはまなりまた
酨(すはま)とも書(かく)べし俗(ぞく)に洲浜(すはま)
とかくなり
○焼餅(やきもち)は䭆(やきもち)とも書(かく)べし
串(くし)にさしたるをこがくといふ
又/鳥(とり)のかたちにつくりて鶉(うつら)
やきと名(な)づく
○粔籹(きよぢよ)はおこしごめなり糯(もち)
をいりて飴(あめ)にてかためたる
なり俗(ぞく)に興米(をこしごめ)とかけり
《割書:補》丸(まる)きを飴(あめ)おこしといひかと
あるを岩(いわ)おこしといふ
○煎餅(せんへい)は餅(もち)をひらめて
煎(いり)あぶりたるなり又/銭(せん)
餅(へい)とも書(かく)べし
【右頁下段 挿絵】
酢(さく)
漿(しやう)
《割書: すはま》

焼(やき)
餅(もち)

餢(ぶ)
 飳(と)

煎(せん)
餅(べい)

巧(あぶら)
果(もち)

粔籹(きよぢよ)
《割書: おこし|   ごめ》

環餅(くわんへい)《割書:ま| がり》
【左頁】
頭書(かしらがき)増補(ぞうほ)訓蒙(きんもう)図彙(づゐ)巻之十七
   菜蔬(さいそ) 《割書:此/部(ぶ)にはもろ〳〵の野菜(やさい)|苑蔬(ゑんそ)のたぐひをしるす》
【左頁上段】
○蕪菁(あをな)は食(しよく)を消(せう)し気(き)を
くだし嗽(せき)をやむつねにくらへば
中(うち)を通(つう)じ人をこへすこやか
ならしむ
○莱菔(だいこん)は気(き)をくだし食(しよく)を消(せう)
し痰咳(たんがい)を治(ぢ)し中をあたゝ
め大小/便(べん)を利(り)す
○芹(せり)は頭中(づちう)の風熱(ふうねつ)をさり
酒後(しゆご)の熱(ねつ)をさまし大小
腸(ちやう)を利(り)し血(ち)をとめ気(き)を益(ます)
○葱(ひともじ)は汗(あせ)を発(はつ)し風(かぜ)を去(さり)
【左頁下段 挿絵】
蕪(ふ)
菁(せい)《割書: |な》

芹(きん)《割書:せり 水靳(すいきん) 同》

莱(らい)
菔(ふく)
《割書: たい|  こん》
《割書:蘿(ら)蔔(ふく)| 同》

【右頁上段】
小べんをつうじ魚肉(ぎよにく)の毒(どく)
をころし中をあたゝめは
なぢをとむ
○韮(にら)は胃熱(ゐねつ)をのぞき中を
あたゝめ虚(きよ)をおぎなひはら
のいたみによし
○蒜(にんにく)は脾胃(ひゐ)に帰(き)し中を
あたゝめくはくらん腹中(ふくちう)やす
からざるを治(ぢ)す
○薤(らつきよ)は水気(すいき)をさり中をあ
たゝめ不足(ふそく)をおぎなひ久(ひさ)し
きくだり腹(はら)によし気(き)をくだす
○菠薐(はうれんさう)は酒毒(しゆどく)を解(げ)し
胸(むね)をひらき気(き)をくだしか
わきをうるほす
【右頁下段 挿絵】
葱(そう)《割書:ひと| もじ》《割書: ねぎ》
《割書:葱針(かりぎ) 凍葱(わけぎ)》

蒜(さん)《割書:にんにく|ひ| る》《割書:葫蒜(おほひる) 山蒜(のびる)》

韮(きう)
《割書:に|ら|豊本(ほうほん)同》

薤(がい)《割書:おほ| にら》《割書:䪥(かい)同》

菠薐(はれう)《割書:からな》
《割書:ほうれん|   さう》

胡葱(こさう)
《割書: あさ|  つき》
【左頁上段】 
○胡葱(あさつき)は中をあたゝめ気(き)
をくだし食(しよく)を消(せう)し虫(むし)
をころしはれを治(ぢ)す
○芋(いも)は腸胃(ちやうゐ)をゆるうし肌(はだへ)を
みち熱(ねつ)をさり渇(かつ)をやめ胃(ゐ)
をひらき宿血(しゆくけつ)をやぶる
○著蕷(やまのいも)は虚(きよ)をおぎなひ
気力(いりよく)をまし陰(ゐん)をつよくし
腰(こし)のいたみをとめ腎(じん)をます
○午房(ごぼう)は中風(ちうふう)はのいたみ脚(かつ)
気(け)風(ふう)どくせんきによし面目(めんもく)
はれいたむにもよし
○胡蔔(にんじん)は気(き)をくだし中を
おぎなひ腸胃(ちやうゐ)を利(り)し五
臓(ざう)をやすんずこれをくらふ
に益(えき)ありて損(そん)なし
【左頁下段 挿絵】
芋(う)《割書:芋魁(いもがしら)》
《割書:いも|蹲鴟(いもがしら)》

牛蒡(ごぼう)

薯蕷(しよよ)
《割書: やまの|  いも》

胡蔔(こふく)
《割書:にんじん》

【右頁上段】
○苣(ちさ)は胸( む)膈(ね )をひらき筋(すぢ)
骨(ほね)をかたくし目(め)をあきら
かにし乳汁(にうじう)をつうじむしを
ころす
○芥(からし)は腎経(じんけい)の邪気(じやき)をのぞ
き上気(じやうき)せきを治(ぢ)し胃(ゐ)を
ひらき膈(むね)を利(り)し九/竅(けう)を
利(り)す
○薺(なづな)は肝(かん)を利(り)し中をや
はらげ胃(ゐ)をまし五ざうを
利(り)す
○莙薘(たうぢさ)はすぢほねをおぎ
なひ胸(むね)のふさがりをひら
き熱(ねつ)を解(げ)す 
○天蓼(またゝび)は中風(ちうぶう)口ゆがみけんべ
きかたまり女子(によし)の虚労(きよらう)を治(ぢ)す
【右頁下段 挿絵】
苣(きよ)《割書:ちさ》
《割書:苦苣(せんば)|萵苣(きじのを)》

薺(せい)
《割書: なづな》

芥(かい)《割書:からし》

莙薘(くんたつ)
《割書:  たうちさ》
【左頁上段】
○蕗は葉(は)あふひにゝてひろ
じ茎(くき)は煮(に)てくらふべし
欵冬(ふき)と和訓(わくん)同(おなじ)きがゆへに
あやまる事/多(おほ)し
○蘘荷(めうが)は蠱(こ)にあたり沙虫(しやちう)
蛇毒(じやどく)を解(げ)す多(おほ)くくらへば
脚(あし)に利(り)あらず
○莧(ひゆ)は気(き)をおぎなひ熱(ねつ)を
のぞき九/竅(けう)をつうじ大小/腸(ちやう)
を利(り)し癜(なまず)治(ぢ)す
○独活(うど)は痛風(つうふう)を治(ぢ)し中風(ちうぶう)
湿冷(しつれい)逆気(ぎやくき)皮膚(ひふ)かゆく手(て)
足(あし)ひきつるを治(ぢ)す
○瓢(なりひさご)は脹(はれ)を消(せう)し虫(むし)をころ
し痔(ぢ)下血(げけつ)を治(ぢ)し血崩(けつばう)
赤白(しゃくびやく)の帯下(こしけ)を治(ぢ)す
【左頁下段 挿絵】
天蓼(てんれう)
《割書: またゝび》

蕗(ろ)《割書:ふき ふきのとう》

蘘(めう)
荷(が) 《割書:めうがのこ》

莧(けん)《割書:ひゆ》
《割書:野莧(やけん)《割書:くさひゆ》》

独活(どくくはつ)《割書:うど》

【右頁上段】
○瓠(いふがほ)は口中のたゞれいたむ
を治(ぢ)し水道(すいだう)を利(り)し心(しん)
熱(ねつ)をさり心肺(しんはい)をうるほす
○瓜(うり)はすべて小/便(べん)をつうじ
渇(かつ)をとめ熱(ねつ)をのぞき大
腸(ちやう)をゆるくす羊角瓜(あさうり)
○冬瓜(かもうり)は小/便(べん)を利(り)し渇(かつ)
をやめ気(き)をましむねのつかへ
をのぞき熱(ねつ)をさる
○蕈(たけ)は気(き)をまし風(かぜ)を治(ぢ)
し血(ち)をやぶる地(ち)に生(しやう)ずる
を菌(きん)といふ木(き)に生(しやう)ずるを
蕈(たん)といふ
○胡瓜(きうり)は熱(ねつ)をすゞしうし
渇(かつ)を解(げ)し水道(すいだう)を利(り)す
小児(せうに)にはいむ
【右頁下段 挿絵】
瓠(こ)
《割書:ゆふ|  がほ》

瓜(くは)《割書: |うり》

瓢(へう)《割書:なり|ひさご》《割書:蒲盧(ひやくなり)》

冬瓜(とうくは)
《割書:かも| うり》
【左頁上段】
○醤瓜(あをうり)は水道(すいたう)を利(り)し中
をおぎひはれを消(せう)す
○糸瓜(へちま)は皮(かわ)をほしてたゝみ
をふき踵(くびす)のあかをとるに
よし熱(ねつ)をのぞき腸(ちやう)を利(り)す
○山葵(わさび)はひへばらのいたみ
を治(ぢ)し食(しよく)をすゝめむね
を利(り)し痰(たん)をひらく
○茄(なすび)は血(ち)をさんじいたみを
とめ腫(はれ)を消(せう)し腸(ちやう)をゆる
くし痰(たん)をおふ銀茄(ぎんか)しろ
なすびなり
○鶏腸(よめがはぎ)は毒腫(どくしゆ)を治(ぢ)し忘(わす)
れていばりするによし
人(ひと)に益(ゑき)あり
○薊(あざみ)は宿血(しゆくけつ)をやぶり胃(ゐ)を
【左頁下段 挿絵】
蕈(たん) 《割書:松蕈(まつたけ)》
《割書:たけ| |香(かう)|蕈(たけ)》

醤瓜(しやうくは) 《割書:あを| うり》

胡瓜(こくは)
《割書:きうり》

山葵(さんぎ) 《割書:わ|さび》
《割書:山姜(さんきやう)同》

絲瓜(しくは)《割書: |へちま》

【右頁上段】
ひらき食(しよく)をくだし吐血(とけつ)
衂血(ぢくけつ)をとめ熱(ねつ)をしりぞく
○藜(あかざ)は虫(むし)をころしむし
くひばを治(ぢ)す脾(ひ)胃(ゐ)虚(きよ)
寒(かん)の人には用(もちゆ)べからず
○馬莧(すべりひゆ)はりんびやうを治(ぢ)
し血(ち)をさんじはれを消(せう)
し腸(ちやう)を利(り)すはらみ女は
くらふべからず
○薑(はじかみ)は胃(ゐ)をひらき血(ち)をや
ぶり風邪(ふうじや)をさる菌(くさびら)の毒(どく)
を解(げ)し神明(しんめい)に通(つう)ず
○蔏陸(やまごぼう)は五さうをすか
し水気(すいき)をさんず色(いろ)
ありきものは人を害す
食(しよく)すべからず
【右頁下段 挿絵】
藜(れい)《割書:あかざ》

茄(か)《割書: |なすび》《割書:水茄(ながなすび)》

馬莧(ばけん)《割書:すべり| ひゆ》

雞膓(けいちやう)《割書:よめが|  はぎ|齊蒿(せいかう)同》

薊(けき)
《割書: あざみ》
【左頁上段】蔞蒿
○蒟蒻(こんにやく)は消渇(せうかつ)をとめ血(ち)を
くだしはれを消(せう)し癰(よう)
を治(ぢ)し労(らう)を治(ぢ)す疱瘡(はうさう)
せざる小児(せうに)にはいむべし
○蘩蔞(はこべ)は年(とし)ひさしき悪(あく)
瘡(さう)痔(ぢ)愈(いゑ)ざるに血(ち)をやぶり
乳汁(にうしう)をつうずさんの女くら
ふべからず
○蒲英(たんほゝ)は乳癰(にうよう)水腫(すいしゆ)に汁(しる)
にしてくふべし食毒(しよくどく)を消(せう)
し滞気(たいき)をさんず
○蕨(わらび)は熱(ねつ)をさり水道(すいだう)を
利(り)し五ざうの不足(ふそく)をおぎ
なふなり
○狗脊(くせき)はぜんまいなり俗(ぞく)に
いぬわらびといふ疝気(せんき)を
【左頁下段 挿絵】
薑(きやう)《割書:はじ|  かみ》
《割書:姜(きやう)|同》

《割書:はこべ》《割書:蔞蒿(ろうかう)同》
蘩(はん)
蒌(ろ)

蔏(しやう)
陸(りく)
《割書:やま| ごぼう》

蒟蒻(こんにやく)

蒲英(ほゑい)
《割書:  たんぼゝ》

【右頁上段】
治(ぢ)し帯下(こしけ)をによし
○蓴(ぬなわ)は腸(ちやう)胃(ゐ)をあつくし気(き)を
くだし呕(ゑづき)をやめ下焦(げしやう)を安(やすん)ず
○瓣(べん)はうりのへたなり薬(くすり)
に用(もちひ)て膈噎(かくいつ)呕逆(さくり)を治(ぢ)す
○瓤(じやう)はうりのなかごなり𤬓(ゐん)【「兼+瓜」㼓。れんヵ】
犀(せい)同/橘柚(きつゆ)の肉(にく)をも瓤(じやう)と云
○芝(し)は渇(かつ)をやめ人の顔色(かんしよく)
をまし神(しん)につうし智(ち)をまし
気(き)をすこやかにしるいれきに
○鹿角(ひぢき)は風気(ふううき)をくだし小(せう)
児(に)の骨蒸(こつしやう)労熱(らうねつ)を治(ぢ)し
麺(めん)の熱(ねつ)を解(げ)す
○石花(ところてん)は上焦(しやうせう)の浮熱(ふねつ)を去(さり)
下部(げぶ)の虚寒(きよかん)をはつす
○昆布(こんぶ)は水道(すいだう)を治(ぢ)し面(おもて)
【右頁下段 挿絵】
鹿角(ろくかく)
《割書: ひじき|  鹿尾菜(ろくびさい)|  海鹿草(かいろくさう)並同》

芝(し)《割書:れい| し》

蕨(けつ)《割書:わら|  び》

瓣(へん)《割書:うりの| へた》

瓤(じやう)《割書:うりの|なかご》

狗(く)
脊(せき)
《割書:ぜん|まい》
【左頁上段】
はれ悪瘡(あくさう)を治(ぢ)しこぶ結(けつ)
核(かく)陰(いん)はれいたむによし
○海帯(あらめ)は風(かぜ)をさり水(みづ)をくだ
し女のやまひを治(ぢ)しさん
のはやめによし
○紫菜(あまのり)は煩熱(はんねつ)をさりこぶ
脚気(かつけ)をうれふる人はこれを
くらふべし多(おほ)くくらへばはら
いたむなり
○水松(みる)は水腫(すいしゆ)のやまひを治(ぢ)
しさんのはやめに用(もちひ)てよし
○燕窩(えんす)は虚(きよ)をおぎなひ
労痢(ろうり)をやむ
○石耳(いわたけ)は目(め)をあきらかに
し精(せい)をまし人をして
うゑず大小べんすくな
【左頁下段 挿絵】
石花(せきくは)
《割書:こゝろ|  ぶと|ところ| てん》

蓴(じゆん)《割書: ぬな| わ》《割書: 蒓同| 》
《割書:じゆんさい》

水松(すいせう)
《割書:み| る》

昆布(こんぶ)《割書:ひろめ》

海帯(かいたい)
《割書: あらめ》

【右頁上段】
からしむ
○苔菜(あをのり)は乾苔(かんたい)
ともいふむしをこ
ろし痔(じ)くはくらんゑ
づきを治(ぢ)す
○木耳(きくらげ)は気(き)をま
し身(み)をかるくし
こゝろざしをつよく
し痔(じ)を治(ぢ)す
○萆薢(ひかい)はところ
なり黄薢(わうかい)とも
いふ又/野老(やらう)といふ
味(あぢ)にがしよく疝(せん)
気(き)のむしをころ
すなり
【右頁下段 挿絵】
燕(えん)
窩(す)

萆薢(ひかい)《割書:とこ| ろ》

苔(たい)
 菜(さい)
《割書:   あを|   の|   り》

紫(し)
菜(さい)
《割書:あま|のり》

木耳(もくに)
《割書:きく|ら| げ》

石耳(せきじ)《割書:いわ|た|け》
【左頁】
頭書(かしらがき)増補(ぞうほ)訓蒙(きんもう)図彙(づゐ)巻之十八
   果蓏(くわくは) 《割書:此/部(ぶ)にはくだものゝ|たぐひをしるす》
【左頁上段】
○杏(あんず)はほしさらしてくらへ
は渇(かつ)をとめ冷熱(れいねつ)の毒(どく)をさる
仁(にん)はせきをとむ
○梅(むめ)は生(なま)は多(おゝく)くらへば歯(は)を損(そん)
ず仁(にん)は目(め)をあきらかにし白
梅(ばい)は痰(たん)をのぞく
○桃(もゝ)は生(なま)は顔色(がんしよく)をまし仁(にん)は瘀(を)
血(けつ)をさんじ大/便(べん)をつうず
○李(すもゝ)は労熱(らうねつ)をさり肝病(かんびやう)に
食(しよく)すべし麦(むぎ)じゆくして
実(み)なるを麦李(ばくり)といふ
【左頁下段 挿絵】
杏(きやう)《割書:から| もも|あん| ず》

梅(はい)《割書:む| め》

桃(たう)
《割書: もも》

杏(り)《割書:す| もゝ》

【右頁上段】
○梨(なし)は熱(ねつ)嗽(さう)をやめ渇(かつ)をと
め痰(たん)を消(せう)し火(ひ)をくだし
肺(はい)をうるほす
○柰(からなし)は中焦(ちうせう)もろ〳〵の不(ふ)
足(そく)の気(き)を補(おぎな)ひ脾(ひ)を和(くは)し
気(き)ふさがるを治(ぢ)す
○棗(なつめ)は脾(ひ)胃(ゐ)をやしなひ津(しん)
液(ゑき)を生(しやう)し心腹(しんふく)の邪気(しやき)を
さり心肺(しんはい)をうるほす
○栗(くり)は気(き)をまし腸(ちやう)胃(ゐ)を
あつくし腎(しん)を補(おぎな)ひ腰(こし)脚(あし)かな
はざるを治(ぢ)す茅栗(しばぐり) 杭子(さゝぐり)
○柚(ゆう)は食(しよく)を消(せう)し酒毒(しゆどく)を解(げ)
し腸(ちやう)胃(ゐ)の悪気(あくき)をさり婦(ふ)
人(じん)孕(はらみ)て食(しよく)をおもはず口(くち)淡(あはき)を
治(ぢ)す
【右頁下段 挿絵】
梨(り)
《割書:な|し》

柰(たい)《割書:からなし》

棗(さう)
《割書:なつ| め》

栗(りつ)
《割書:く| り》

柚(いう)
《割書: ゆ》

柑(かん)
《割書:くねん| ほ》
【左頁上段】
○柑(くねんほ)は腸(ちやう)胃(ゐ)のうちの熱/毒(どく)を
利(り)し俄(にわか)に渇(かつ)をやめ小便を利(りす)
○枳(からたち)は大/便(べん)をつうしむねのつかへ
をさり痰(たん)を消(せう)す脾(ひ)胃(ゐ)よ
はきものは用ゆべからず
○橘(たちばな)は消渇(せうかつ)をやめ胃(ゐ)をひらき
膈中(むねのうち)のふさがりをのぞく
○榧(かや)は寸白虫(すんばくちう)を治(ぢ)し食(しよく)を消(せう)
し目(め)を明(あき)らかにし欬嗽(がいさう)白濁(びやくだく)
をやめ痔(じ)を治(ぢ)す
○柿は水(みづ)を利(り)し酒毒(しゆどく)を解(げ)し
胃中(ゐちう)の熱(ねつ)をさる
○椎(しい)は腸(ちやう)胃(ゐ)をあつくし人をし
て肥(こへ)すこやかならしむこれを
くらへばうへず
○榛(はしばみ)は気力(きりよく)をまし腸(ちやう)胃(ゐ)を実(じつ)
【左頁下段 挿絵】
橘(きつ)《割書: たちばな|  みかん》

《割書:か|ら|た|ち》
枳(き)《割書:きこく》
《割書:し》

椎(すい)
《割書: しい》

榧(ひ)《割書:かや》

柿(し)《割書:かき》

榛(しん)《割書:はし|ばみ》

【右頁上段】
し人をしてすこやかにし胃(い)を
ひらく
○楉榴(ざくろ)は喉(のど)のかわくを治(ぢ)し三尸(し)
虫(ちう)を制(せい)す味(あぢは)ひ酸(すく)甘(あまき)の二/品(ひん)有(あり)
○来禽(りんご)は気(き)をくだし痰(たん)を消(せう)
し霍乱(くはくらん)腹(はら)の痛(いたみ)消渇(せうかつ)を治(ぢ)す
○葡萄(ぶだう)は淋病(りんびやう)しひれを治(ぢ)し
腸間(ちやうかん)の水をのぞき久(ひさ)しく
くらへは身(み)をかろくす
○金柑(きんかん)は気(き)を下(くだ)し胸(むね)をこゝろよ
くし渇(かつ)をやめ二日酔(ふつかえい)を治(ぢ)す
○銀杏(ぎんあん)は生(なま)にては酒(さけ)を解(げ)し
痰(たん)をくたし虫(むし)をころす熟(じゆく)し
くらへは小/便(べん)をしゞむ
○枇杷(びは)は吐逆(ときやく)をとめ上/焦(せう)の熱(ねつ)
をつかさどり気(き)を下(くだ)し肺気(はいき)を利(り)ス
【右頁下段 挿絵】
来禽(らいきん)《割書:りんご》

楉(じやく)
榴(りう)《割書:ざく| ろ》

金柑(きんかん)《割書:ひめたち| ばな》《割書:盧橘(ろきつ)同》

葡(ほ)
萄(どう)
《割書:ぶ| どう》 《割書:えび》

《割書:鴨脚(いてう)樹》
銀杏(ぎんきやう)
《割書:ぎんあん》
【左頁上段】
○枳椇(けんほのなし)は五/臓(ざう)をうるほし大小
便(べん)を利(り)し酒毒(しゆどく)を解(げ)す
○楊梅(やまもゝ)は気(き)をくだし腸(ちやう)胃(い)をそゝ
ぎ渇(かつ)をやめ痰(たん)をさりゑづき
をとめ食(しよく)を消(せう)す
○茘支(れいし)は渇(かつ)をやめ顔色(がんしよく)をまし
煩(いきれ)を除(のぞ)き頭(かしら)おもきを治(ぢ)す
○苺(いちご)は気(き)をまし身(み)を軽(かろ)くし虚(きよ)を
補(おぎな)ひ男は陰(いん)なへ女(をんな)は子(こ)なきによし
○仏手柑(ぶしゆかん)は気(き)をくだし痰(たん)
水(すい)をのぞき酒(さけ)に煮(に)てのめば
痰(たん)咳(がい)嗽(さう)を治(ぢ)す
○胡桃(くるみ)は肌(はだへ)をうるほし髪(かみ)を黒(くろく)
し多食(おゝくくら)へば小/便(べん)を利(り)す
○榲桲(まるめろ)は中をあたゝめ気(き)を下(くだ)
し食(しよく)を消(せう)し胸(むね)の間(あいだ)の酸水(さんすい)
【左頁下段 挿絵】
枳椇(しく)《割書:けんほの|   なし》

苺(ぼ)《割書:いちご》
《割書:樹(き)|苺(いちご) 覆盆子(つるいちご)| 蛇苺(へびいちご)》

枇杷(びは)
《割書:一名/炎(えん)|   果(くは)》

楊(やう)
梅(ばい)
《割書:やま| もゝ》

茘(れい)
支(し)
《割書:離支(りし)同》

香椽(かうゑん)
《割書:ぶしゆ| かん》
《割書:仏手柑(ぶしゆかん)同》

【右頁上段】
をのぞき水瀉(すいしや)を治(ぢ)し酒
気(き)を散(さん)ず
○木瓜(ぼけ)は脚気(かつけ)筋(すぢ)ひきつり
くはくらんを治(ぢ)す
○菱(ひし)は中を安(やすん)じ五/臓(ざう)を補(おぎな)ひ
酒毒(しゆどく)を解(げ)し渇(かつ)をやめ丹石(たんせき)の
どくを解(げ)す
○茶(ちや)は小/便(べん)を利(り)し痰(たん)熱(ねつ)を
さり渇(かつ)をやめねむりすくな
く食(しよく)を消(せう)し目(め)を明(あき)らかにす
○椒(さんせう)は風邪(ふうじや)の気(き)を除(のぞ)き中
をあたゝめ女人の経水(けいすい)を通(つう)ず
○胡頽(ぐみ)は水痢(すいり)を治(ぢ)す寒(かん)
熱(ねつ)の病(やまひ)には用(もちゆ)ゆべからず
○葧臍(くわい)は風毒(ふうどく)を消(せう)し耳(みゝ)目(め)を
明(あきらか)にし胃(ゐ)をひらき腸(ちやう)胃(ゐ)をあ
【右頁下段 挿絵】
《割書:核桃(かくたう)| 核果(かくくは)同》
胡桃(こたう)《割書:くる| み》

菱(れう)
《割書:ひ|し》

榲(うん)
桲(ぼつ)《割書:ま| る|める》

茶(た)《割書:ちや》
《割書:さ》

椒(せう)
《割書:さん| せう》

木瓜(もくくは)
《割書: ぼけ》
【左頁上段】
つくし血/痢(り)をつかさどる
○慈姑(しろくわい)は産後(さんご)にむねをせめ
死(し)せんとし難産(なんざん)ゑな下(くだら)さるを治(ぢす)
○梬棗(さるがき)は心(しん)をしづめ熱(ねつ)をとめ
消渇(せうかつ)をとめ久(ひさ)しく服(ふく)すれば
顔色(がんしよく)をよろこばしむ
○松子(まつのみ)は諸風(しよふう)骨(ほね)ふし痛(いたみ)頭(かしら)
ふらめきがいさうによし
○龍眼(りうがん)は胃(ゐ)をひらき脾(ひ)をまし
虚(きよ)を補(おぎな)ひ智(ち)をます久(ひさ)しく
服(ふく)すれは志(こゝろさし)をつよくし身(み)をかる
くして老ず
○甘蔗(かんしや)はさたうの木(き)なり
よく脾(ひ)胃(ゐ)をおぎなふ
○胡椒(こせう)は中をあたゝめ痰(たん)を去(さり)
腹痛(はらのいたみ)をやめ胃口(ゐこう)虚冷(きよれい)を治(ぢ)す
【左頁下段 挿絵】
胡頽(こたい)
《割書: ぐみ》

梬棗(ゑいさう)《割書:さる| がき》

葧臍(ほつせい)《割書:く| わい》

慈(じ)
姑(こ)  《割書:茨菰(じこ)同》
《割書:しろ| ぐわい|    おもだか》

松子(せうし)
《割書: からまつの|     み》

【右頁上段】
○鴉瓜(からすうり)は火(ひ)をくだし咳(せき)を治(ぢ)し
痰(たん)をそゝぎのどを利(り)す
土瓜(とくは)赤雹子(せきはくし)同
○燕覆(あけひ)は膀胱(ばうくはう)を治(ぢ)し癰(よう)を
消(せう)し腫(はれ)をさんじ能(よく)乳汁(にうじう)を通(つう)ス
○甜瓜(からうり)は熱(ねつ)をのぞき小/便(べん)
を利(り)し煩渇(はんかつ)をとむ暑(しよ)
月(げつ)にくらへば暑(しよ)にあてられず
○苦瓜(つるれいし)は邪熱(じやねつ)をのぞき労(らう)
乏(ぼく?)をおぎなひ心(しん)をきよく
し目(め)をあきらかにす
錦茘枝(きんれいし) 癩葡萄(らいぶだう)
○烏柿(うし)はあまほしなり
火柿(くはし)同 醂柿(りんし)はさはしがき
烘柿(こうし)つゝみがき白柿(はくし)はつり
がきなり
【右頁下段 挿絵】
胡椒(こせう)《割書:まるはじ|   かみ》
  《割書:一名|木奴(もくぬ)》

龍(りう)
眼(がん)
《割書:円眼(えんがん)|茘奴(れいぬ)同》

鴉瓜(あくわ)《割書:から| す|う| り》

甘蔗(かんしや)《割書:さたう| だけ》

燕(ゑん)
 覆(ふく)
《割書:一名|桴棪| 子| あけび》
【左頁上段】
○蔕(てい)は瓜(うり)の蔕(ほそ)柿(かき)の蔕(へた)
なり又/蒂(てい)につくる㚄(てい)同
柿(かき)茄(なすび)などのへたなり
○莍(きう)は櫧(かし)櫟(いちゐ)などの実(み)を
もる房(はう)なり俗(ぞく)にかさと云
○仁(にん)はくだものゝ核(さね)のうち
にあるものなり
梅仁(ばいにん) 桃仁(とうにん) 杏仁(きやうにん)なり
薬(くすり)にもちゆ
○核(かく)は梅(むめ)桃(もゝ)《割書:補》その外すべて
くだもの又は瓜(うり)茄(なすび)のさね也
核(さね)の中(うち)薬(くすり)にもちゆるもの
あまたあるなり
○紫糖(くろざたう)はおほく食(くら)へば心(しん)
痛(つう)し長虫(ちやうちう)を生(しやう)す
【左頁下段 挿絵】
《割書:まくは| うり》
甜(てん)
 瓜(くは)
《割書:から| うり》

《割書:にがうり》
苦(く)
 瓜(くは)
《割書:つる| れい|  し》

白(はく)
柿(し)
《割書:つ| り|がき》
烏柿(うし)
《割書:あま| ぼ| し》

蔕(てい)
《割書: ほそ| へた》

【右頁上段】
○沙糖(さたう)は
  心肺(しんはい)をうる
   ほし
 大小/腸(ちやう)の
  熱(ねつ)をさり
   酒毒(しゆどく)を解(げ)す
○氷糖(こほりさたう)は
  心脹(しんてう)の熱(ねつ)を
    さまし
 目(め)をあきら
    かにす
【左頁下段 挿絵】
氷(へう)
糖(たう)
《割書:こほり| ざたう》

沙(さ)
糖(たう)
《割書:しろ| ざたう》

紫(し)
糖(たう)
《割書:くろ| ざたう》

核(かく)
《割書:さね》

莍(きう)
《割書: かさ》

仁(にん)
【左頁】
頭書(かしらがき)増補(ぞうほ)訓蒙(きんもう)図彙(づゐ)巻之十九
   樹竹(じゆちく) 《割書:此/部(ふ)にはうへ木(き)竹(たけ)のるいをしるす》
【左頁上段】
○松(まつ)は久(ひさ)しく服(ふく)す
れば身(み)を軽(かる)くし
て老(おい)ず年(とし)をのぶる
といへり《割書:補》五/葉(よう)を俗(ぞく)
に唐松(からまつ)といふ
○楓(ふう)はかいでなり又
鶏冠木(かいで)とも書(かく)也
もみぢの事なり
《割書:補》紅葉(こうよう)は諸木(しよぼく)に多(おゝ)ク
あり楓(かいで)は中(なか)にも勝(すぐれ)
         たり
【左頁下段 挿絵】
松(しやう)《割書:まつ》 楓(ふう)《割書: |かいで》

【右頁上段】
○桧(ひのき)は深山(しんざん)あり
て《割書:補》大木(たいぼく)となる白木(しらき)
の木具(きぐ)曲物(わげもの)など
みな此木を用(もち)ひて
最上(さいじやう)とす又/楫(かぢ)に
つくるなり
○《割書:補》円柏(いぶき)は葉(は)栢(かや)にゝ
て実(み)は松に似(に)たり
尖(とが)りかたし但(たゞ)し
葉(は)桧(ひのき)に類(るい)して
色(いろ)黒(くろ)く皮(かわ)あらし
檼栢(いんはく)同
○檉(むろ)は《割書:補》檉柳(ていりう)なり
一名雨師(うし)といふ
皮(かわ)あかし
【右頁下段 挿絵】
檜(くわい)
《割書: ひのき》

圓栢(ゑんはく)
《割書: いぶき》

檉(てい)《割書:むろ》
【左頁上段】
○杉(すぎ)は《割書:補》深山(しんさん)に生(しやう)
ずるもの大木と
なる木立(こだち)直(すぐ)に
て枝葉(ゑたは)しげる也
煎(せん)して毒瘡(どくさう)を
洗(あら)ひ水に浸(ひた)し
て脚気(かつけ)腫満(しゆまん)を
治(ぢ)す
○仙栢(いぬまき)は《割書:補》槙(まき)のは
に似(に)たり実(み)の形(かたち)
手(て)を合(あは)せたるか如(こと)し
一名/羅漢松(らかんしやう)
【左頁下段 挿絵】
仙栢(せんはく)《割書:いぬ| まき》

杉(さん)《割書:すぎ》

【右頁上段】
○南燭(なんてん)は《割書:補》五月に
少(ちいさ)き白き花さき
実(み)のり霜後(さうご)に
紅(くれない)になるその色
美(び)なり《割書:補》此(この)木(き)悪(あし)
き夢(ゆめ)を見たる時
此(この)木(き)をみればその
夢(ゆめ)きゆるといふ事
ゆへ多(おほ)く手水所(てうづどころ)
のむかふに植(うへ)をく
なり
○山茶(さんさ)は《割書:補》品類(ひんるい)多(おほ)
し俗(ぞく)にさゞんくは
といふ冬(ふゆ)花/咲(さく)うす
紅(べに)白花(はくくは)なりつばき
は春さく花(はな)葉(は)共
に大にして色(いろ)品々(しな〴〵)有
【右頁下段 挿絵】
南燭(なんしよく)《割書:なんてん》

山茶(さんさ)
《割書: つばき》
【右頁上段】
○桜(さくら)は一名/朱桃(しゆとう)又は
麦英(ばくゑい)ともいふ《割書:補》むかしは
梅(むめ)にかきりて花(はな)と称(しやう)
じき今は花(はな)といへは桜(さくら)
にかぎる実(み)を桜桃(あふとう)と
いふ桜(さくら)は一重(ひとへ)なるもの成
しが後(のち)に八重桜(やゑさくら)の種(しゆ)
類(るい)多(おほ)くなり今は
百/種(しゆ)に及(およ)べり
○海棠(かいだう)は《割書:補》花白く
紅色(へにいろ)の所(ところ)ありて
尤(もつとも)美(ひ)なり葉(は)はな
しのことく三月に
花さく一名/海紅(かいこう)
花(くは)といふ
【左頁下段 挿絵】
櫻(ゑい)《割書:さくら》

海棠(かいだう)

【右頁上段】 
○躑躅は類(たぐひ)多し
紫花(しくは)は《割書:補》二月に花
さく赤(あか)つゝじは三月
花さくれんげつゝじは
少し遅(おそ)く花大に
して見事なり霧(きり)【雱】
島(しま)は花/濃(こい)紅(へに)にして
美(び)なりもちつゝじは
薄紫(うすむらさき)四月花さく
りうきうつゝじは白花
と紫(むらさき)有花大にし
ておそし杜鵑(さつき)花は
五月花さく紅紫(へにむらさき)
又は白紅交(はくこうまじ)り種々(しゆ〴〵)有
【右頁下段 挿絵】
羊躑(やうてき)
  躅(ちよく)
《割書: れんげつゝじ》
映躑躅(えいてきちよく)
《割書: あかつゝじ》
杜鵑花(とけんくは)
《割書:   さつき》
【左頁上段】
○辛荑(こふし)は葉/細(ほそ)
長(なが)し花白くして
少し赤(あか)みあり花
を木筆花(もくひつくは)といふ也
春花さく
○木蘭(もくらん)は香蘭(からん)に
似(に)て花は蓮(はす)のごと
くうち白くほかわ
むらさきなり《割書:補》花を
木蓮花(もくれんげ)といふ
○厚朴(こうぼく)は春(はる)葉(は)を
生し四季しほま
ず花くれないに実(み)
あをし一名/榛(しん)
【左頁下段 挿絵】
辛荑(しんい)
《割書: しでこぶし》

木蘭(もくらん)《割書:もくれんげ》

厚朴(こうぼく)
《割書: ほうの|   き》

【右頁上段】
○《割書:補》槿(むくげ)は芙蓉(ふよう)のは
なに似(に)て小(ちい)さし
薄紅(うすべに)白(しろ)あり八重(やゑ)
ひとへあり七月花
さく一名/日及(じつきう)
○芙蓉(ふよう)は水に生
するを水芙蓉(すいふよう)
といふ荷花(かくは)なり木(き)
を木芙蓉(もくふよう)といふ
《割書:補》きばちすともいふ
七八月花ひらく
【右頁下段 挿絵】
槿(きん)《割書: |むくげ》

芙蓉(ふよう)
《割書: きはちす| 一名/拒霜(きよさう)》
【左頁上段】
○蜀漆(くさぎ)は秋/紫(むらさき)の
花さく花中(くはちう)に黒(くろ)
き実(み)有/根(ね)を常(じやう)
山(ざん)といふ六月/比(ころ)葉(は)
とり食(しよく)すれども
毒(どく)ありともいふ
○女貞(ねづもち)は冬(ふゆ)をしのぎ
てしぼまずよつて女
の貞節(ていせつ)に比(ひ)して名
づく一名/蝋樹(らうしゆ)
○冬青(もちのき)は冬月/青(あを)
くみどりなりよつて
冬青(とうせい)といふ葉(は)少(すこ)
しまるし
【左頁下段 挿絵】
蜀漆(しよくしつ)
《割書: くさぎ》

冬青(とうせい)
《割書: もち|  のき》

女貞(ぢよてい)
《割書: ねづ|  もち》

【右頁上段】
○粉団(てまり)は葉(は)まるく
花白くして手毬(てまり)
のごとし四月花さ
く玉(ぎよく)繍(しう)【綉】花(くは)とも繍(しう)【綉】
毬花(きうくは)ともいふ《割書:補》かん木(ぼく)
といふ木も粉団(てまり)に似(に)
たる花なり大てま
り小でまり二/種(しゆ)有
○紫陽(あじさい)は《割書:補》五月花
さく粉団(てまり)似たり色(いろ)
はるり又うす紅白
あり葉(は)てまりに
似(に)て葉(は)さき尖(とが)る
木の長(たけ)三四尺
【右頁下段 挿絵】
粉(ふん)
 團(たん)
《割書:てまり》

紫陽(しやう)《割書:あぢ|  さい》
【左頁上段】
○薜茘(まさきのかづら)は一名を
木饅頭(もくまんぢう)といふ又
鬼饅頭(きまんぢう)といふ《割書:補》秋
のすゑに青(あを)き実(み)
のる中あかし
○梔(くちなし)は《割書:補》花白く五
月にさく実(み)は黄(き)
なる染色(そめいろ)に用ゆ
上/焦(しやう)の熱(ねつ)をくだし
痰(たん)を治(ぢ)す花を
簷蔔(せんふく)といふ
【左頁下段 挿絵】
薜茘(へきれい)
《割書: まさきのかづら》

梔(し)《割書:くちな|  し》

【右頁上段】
○錦帯花(やまうづき)は四月に
花さく楊櫨(うつぎ)に似(に)
て花/葉(は)ともに大
なり花/開初(ひらきはしめ)には
白く後(のち)に赤(あか)く成
○楊櫨(うつぎ)は葉(は)こま
かく花も小(ちいさ)く木(き)は
黄色(きいろ)をそむるによ
し実(み)は莢(さや)をなす
空䟽(くうしよ)同
○棘(いばら)は《割書:補》山野(さんや)に多し
【右頁下段 挿絵】
錦帯花(きんたいくは)
《割書: やまうつぎ》

楊櫨(やうろ)
《割書: うつぎ》
【左頁上段】
はり多(おゝ)く群(むらが)り生(しやう)
ず五月白き花/咲(さく)
棘刺(きよくし)棘鍼(きよくしん)並同
○角楸(あづさ)はかはらひさ
ぎといふ《割書:補》実(み)はさゝげ
のごとく細長(ほそなが)くふさ
をなす冬(ふゆ)葉(は)落(おち)
て角(つの)なを有
○木槵(つぶのき)は五六月に
白き花さく実生(みしやう)
は青(あを)く熟(じゆく)すれば
黄(き)なり
【左頁下段 挿絵】
棘(きよく)《割書: | いはら》

角楸(かくしう)
《割書: あづさ| かはら|  ひさき》

木槵(もくけん)
《割書: つぶの|  き》

【右頁上段】
○棕櫚(しゆろ)は六七月に
黄白(きしろき)花さき八九
月に実(み)をむすぶ
かたち魚(うを)の子(こ)の如
し《割書:補》此木(このき)の毛葉(けは)
を帚(はうき)につくる
○黄楊(つげ)は葉(は)こま
かくかたし花さか
ず実(み)ならず四/季(き)
しぼまず《割書:補》木(き)め細(こまか)
くかたし色(いろ)黄(き)也
【右頁下段 挿絵】
椶櫚(しゆろ)

黄楊(わうやう)《割書:つげ》
【左頁上段】
○衛矛(くそまゆみ)は三月に
茎(くき)を生す高(たか)さ
三四尺ばかり《割書:補》秋の
すへ紅葉(こうよう)す茎(くき)に
箭(や)の羽(は)の如(ごと)き物
あり今いふにしきゞ
一名/鬼箭(きせん)
○鐵蕉(てつしやう)は蘇鉄(そてつ)
なり一名/鳳尾焦(はうびせう)
となつく琉球(りうきう)より
出るを番焦(ばんせう)と云
【左頁下段 挿絵】
衛矛(ゑいほう)《割書:くそまゆみ|にし|  きゞ》

鐵(てつ)
蕉(せう)
《割書: そ|  てつ》

【右頁上段】
○■木(ぬるで)は実(み)を塩(えん)
麩子(ふし)といふ虫(むし)あり
て房(ばう)をむずぶを
五倍子(ごばいし)といふ是
ふしなり
○楮(かぢ)は皮(かわ)を製(せい)し
て紙(かみ)につくるなり
かうそといふ穀(こく)
構(こう)ならびに同
《割書:補》七月七日/児童(じどう)
此/葉(は)に詩歌(しいか)を
書(かき)二星(じせい)にそなふ
【右頁下段 挿絵】
■(び)【木+備の旁】木(ぼく)
《割書: ぬるで》

楮(ちよ)
《割書: かじ》

㯃(いつ)《割書: |うる| し》
【左頁上段】
○㯃(うるし)は《割書:補》葉(は)ぬるで
に似たり秋(あき)こま
かき実をむすふ
此/木(き)より器物(きぶつ)を
ぬるうるしをとる
みだりにゐら?へはま
けるなり
○木樨(もくせい)は一名/岩(がん)
桂花(けいくは)といふ花(はな)白(しろき)
を銀桂(きんけい)といひ黄(き)
なるを金桂(きんけい)と云
《割書:補》香(か)つよき花なり
【左頁下段 挿絵】
木樨(もくせい)
《割書: かつらの|    はな》

【右頁上段】
○桐(きり)は琴(こと)につくる
四月花さく白く
薄紫(うすむらさき)なり大木(たいぼく)
あり箱(はこ)などつくる
に此木を用ゆ
○梧桐(ごとう)は皮(かわ)青(あを)く
ふしなし実(み)は
胡椒(こせう)のごとくかわ
にしわあり花は
小にして黄(き)なり
櫬(しん)同
○櫟(くぬぎ)は《割書:補》葉(は)はかしわ
【右頁下段 挿絵】
桐(とう)《割書:きり》

梧桐(ごとう)
《割書:  きり》
【左頁上段】
に似(に)てうすし
又/栗(くり)に類(るい)す実
を橡実(しやうじつ)といふ俗(ぞく)
にどんぐりといふ也
木かたく薪(たきゞ)とし
て最上(さいじやう)なり
○槲(かしわ)は一名/樸樕(ほくそく)
といふ実を櫟橿(れききやう)
子(し)といふ《割書:補》俗(ぞく)にかし
といふ品類(ひんるい)多し
木かたくして棒(ぼう)
につくるなり
【左頁下段 挿絵】
櫟(れき)
《割書: くぬぎ》

槲(こく)《割書: | かしわ》

【右頁上段】
○檗(きわだ)は葉(は)呉茱萸(こしゆゆ)
に似(に)たり冬(ふゆ)しぼま
ず皮(かわ)そと白くうち
黄(き)なり黄檗と
いふきわだなり
○紫荊(しけい)は葉(は)こま
かにして花(はな)むらさ
きなり春(はる)花ひら
き秋(あき)実(み)のる実を
紫珠(しじゆ)といふ
○石南(しやくなんげ)は石(いし)の間/陽(ひ)
に向(むか)ふ所に生(しやう)ずる
よつて石南(しやくなん)と云
葉(は)枇杷(びわ)のごとし
【右頁下段 挿絵】
檗(はく)《割書:き| わだ》

紫荊(しけい)

石南(せきなん)《割書:しやく| なん|  げ》
【左頁上段】
○狗骨(ひいらぎ)は木のはだ
へ白くして狗(いぬ)の骨(ほね)
の如(こと)し依(よつ)て狗(く)こ
つといふ又/柊木(とうほく)とも
書(かく)なり
○瑞香(ぢんてうけ)は葉(は)厚(あつ)く
春(はる)花(はな)さくかたち丁(てう)
香(かう)のごとく色(いろ)黄(き)白(しろ)
紫(むらさき)なり
○接骨(にわとこ)は小便(せうべん)を
通(つう)じ水腫(すいしゆ)を治(ぢ)ス
一名/木蒴藋(もくさくてき)と
いふ手足(てあし)の痛(いたみ)に
煎(せん)じ洗(あら)ふてよし
【左頁下段 挿絵】
狗骨(くこつ)《割書:ひいらぎ》
《割書: 猫児刺(めうにし)| 杠谷(こうこく) 並同》

瑞香(ずいかう)《割書:ぢんてう|   け》

接骨(せつこつ)《割書:にわとこ》

【右頁上段】
○桑(くわ)は一切(いつさい)の風気(ふうき)
を治(ち)し中(うち)を調(とゝの)へ
気(き)をくだし痰(たん)を
消(せう)し胃(ゐ)をひら
き食(しよく)を下す
《割書:補》棟(あふち)は葉(は)槐(えんじゆ)のごと
く三四月に花さく
薄紫色(うすむらさきいろ)なり俗(ぞく)に
せんだんと云/実(み)を
金棟子(きんれんし)といふ
○五加(うこぎ)は蔬につく
りてくらへは皮膚(ひふ)
の風湿(ふうしつ)をさる五
佳(か)五/花(くは)同
【右頁下段 挿絵】
桑(さう)《割書:くわ》

棟(れん)《割書:あふち》
《割書: せんだん》

五加(ごか)
《割書: うこ|  ぎ》
【左頁上段】
○枸杞(くこ)は皮膚(ひふ)骨(こつ)
節(せつ)の風(かぜ)をさり熱(ねつ)
毒(どく)をさりかさの腫(はれ)
をさんず 
○紫薇(しひ)は花/紅色(べにいろ)
なり七月さく百日(ひやくじつ)
紅(こう)といふ《割書:補》俗(ぞく)にさるす
へりといふ
○樟(くす)は楠(くすのき)に似(に)たり
四/季(き)しぼます夏
細(ほそ)き花さく《割書:補》楠木(なんぼく)も
此(この)類(たぐひ)なり大木と
なる数年(すねん)をへて
其(その)木(き)石(いし)となる
【左頁下段 挿絵】
枸杞(こうき)《割書:くこ》

樟(しやう)《割書: |くす》

紫薇(しひ)

【右頁上段】
○石檀(とねりこ)は葉(は)槐(えんじゆ)に似(に)
たり樳木(じんぼく)苦櫪(くれき)並
同/皮(かわ)を秦皮(しんひ)といふ
○合歓(ねむのき)は五月に
花さく色(いろ)紅白(こうはく)也
実にさやあり《割書:補》葉(は)
昼(ひる)ひらきて夜(よる)しぼ
むよつて一名/夜合(やがう)
樹(じゆ)といふ
○楡(にれ)は赤白(しやくひやく)二/種(しゆ)有
三月に莢(さや)を生(しやう)ずか
たち銭(ぜに)の如し色(いろ)白
し実を楡莢(ゆけう)楡銭(ゆせん)
といふ
【右頁下段 挿絵】
石𣞀(せきたん)
《割書: とねりこ》

合歡(がうくわん)
《割書: ねむの|   き》

楡木(ゆぼく)《割書:にれ》
【左頁上段】
○葉(よう)は木のはなり
嬾葉(どんよう)わかば紅葉(こうよう)も
みぢば落葉(らくよう)おちば
病葉(ひやうよう)わくらは
○株(しゆ)はくゐぜなり俗(ぞく)
にいふかふなり土(つち)に
入を根(ね)といひ土を出
るを株(しゆ)といふ
○蘖(かつ)は木のわかば
への事なり枿(かつ)丕(かつ)【孑ヵ𣎴ヵ】
ならびに同
○芽(げ)は草(くさ)のめざし
いつるをいふ萌芽(ばうか)と
もいふ又さしめを云
【左頁下段 挿絵】
葉(よう)《割書:は》

蘖(かつ)
《割書:ひこ| ばへ》

株(しゆ)《割書: |かぶ》

寄生(きせい)《割書:やどりき》

芽(け)《割書:ぬき| ざし》

【右頁上段】
○楊(やう)は黄(くはう)白(はく)青(せい)
赤(しやく)の四/種(しゆ)あり白(はく)
楊(やう)は葉(は)まるく青(せい)
楊(やう)は葉(は)ながし赤(しやく)
楊(やう)は霜(しも)くだりて
葉(ば)赤(あか)くそむ水(すい)
楊(やう)は川(かわ)やなぎなり
水辺(すいへん)に生(しやう)ず
○寄生(やどりき)は諸木(しよぼく)に
あり枝(えだ)の間(あいだ)木(き)のま
たに生(はゆ)る木をいふ
木によりて名(な)かはれ
り又/寓木(ぐうほく)ともいふ
○柳(あをやき)は垂條(すいでう)の小
【右頁下段 挿絵】
白楊(はくやう)
《割書: はこやなぎ》

水楊(すいやう)《割書:かわや|  なぎ》

柳(りう)《割書:しだりやなぎ》
【左頁上段】
楊(やう)なり花白し柳(りう)
絮(ぢよ)は柳(やなぎ)のまゆなり
○槐(ゑんじゆ)は葉(は)ほそく花
は黄(き)にして色(いろ)をそ
むるに用ゆ又/宮槐(きうくわい)
さやを槐角(くわいかく)といふ
○椋(むくのき)棶(らい)同一名/郎(ろう)
来(らい)といふ葉(は)はほし
て物をみがきてつや
をいだす
○栴檀(せんだん)は葉(は)槐(えんじゆ)のご
とく皮(かわ)青(あを)し黄檀(わうたん)
【左頁下段 挿絵】
《割書:あを|  やぎ》

【右頁上段】
白檀(びやくだん)紫(し)檀/赤檀(しやくたん)
黒檀(こくたん)のわかちあり
《割書:補》伽羅(きやら)沈香(ぢんかう)はこの木(き)
朽(くち)てなるなり
○皂莢(さいかし)は葉(は)槐(えんじゆ)に
似(に)たり枝(えだ)にはり有
夏(なつ)ほそく黄(き)なる
花/咲(さく)皂角子(さいかし)共/書(かく)
○柴(しば)は小木(しやうぼく)散財(さんざい)
なり俗(ぞく)にしば
○薪(たきゝ)は粗(あらき)を薪(しん)と云
こまかなるを蒸(せう)と
【右頁下段 挿絵】
皂莢(さいけう)《割書:さいかし》

槐(くわい)《割書:ゑん| じゆ》

椋(りやう)《割書:むく》
【左頁上段】
といふ又つまぎ
○竹(たけ)は六十一/種(しゆ)あり
六十年にして一/度(たび)
花さき実(み)のり枯(かる)る
《割書:補》是をじねんこ入(いる)と
いふ花をさゝめぐり
といふ枯(か)れ尽(つく)れは又
生ず
○筍(たかんな)は笋(たかんな)同
食(しよく)すれは膈(むね)を利(り)し
痰(たん)を消(せう)し胃(ゐ)をさは
やかにし水道(すいどう)を通(つう)
【左頁下段 挿絵】
栴檀(せんだん)

伽羅(きやら)

柴(さい)《割書: |しば》

薪(しん)《割書:たき| ぎ》

【右頁上段】
し気(き)をます
○篠(しのざゝ)は小竹(こだけ)なり竹
の根(ね)より生(はゆ)る小ざゝ
をいふなり
○箬(じやく)は山に生ずる
さゝなり葉(は)大にして長(たけ)
二尺ばかり有此/葉(は)にて
粽(ちまき)をつゝむ篛(じやく)同
○篁(たかむら)は竹の苗(なへ)なり
たかむらともいふ
○蘆竹(なよたけ)は葉(は)大にし
て芦(あし)に似(に)たるまた
【右頁下段 挿絵】
篠(でう)《割書:しの| ざゝ》

筍(しゆん)《割書:たかんな|たけのこ》

竹(ちく)《割書:たけ》
《割書: 淡竹(はちく)| 苦竹(まだけ)》

箬(じやく)
《割書: さゝ》
【左頁上段】
秋芦竹(しうろちく)ともいふ
○棕竹(しゆろちく)は一名/実(じつ)竹
葉(は)棕櫚(しゆろ)に似(に)たり
杖(つえ)又/柱杖(しゆちやう)につくる也
○枎竹(ふちく)はふたまた竹
なり双(さう)【雙】竹(ちく)とも天親(てんしん)
竹(ちく)とも又/相思(さうし)竹とも
いふなり
○紫竹(しちく)は斑(はん)竹とも
いふ舜(しゆん)のきさき娥(か)
皇(くはう)女英(ぢよゑい)のなみだが
かゝりてまだらにそ
【左頁下段 挿絵】
篁(くわう)《割書:たかむら|  だけ》

蘆竹(ろちく)《割書:なよたけ|しのびだけ》

【右頁上段】
みたるとなり
○無節(むせつ)竹はきせる
のらうにもちゆる
竹なり
○■(ふく)【竹冠+復】はさゝめぐりと
いふ竹の実(み)なり一名
竹米(ちくべい)といふ《割書:補》俗(ぞく)にいふ
じねんことて竹の病(やまひ)
なりと実(み)の中(なか)に米(こめ)
のごとき物あり
○籜(たく)は竹のかわなり
又/竹皮(ちくひ)とも筍皮(じゆんひ)と
【右頁下段 挿絵】
椶竹(そうちく)
《割書:しゆろ| ちく》

枎竹(ふちく)  《割書:ふた| また|  だけ》

紫竹(しちく)《割書:むらさき|  だけ》
【左頁上段】
もいふ
○筒(とう)はたけのつゝ
筩(よう)【『訓蒙図彙』では「とう」】同/竹節(ちくせつ)たけ
のふしなり
○蔑(べつ)はたけのあを
かわ俗(ぞく)にいふかづらそ
■(へつ)【竹冠に蜜、『訓蒙図彙』では「䈼」】筠(きん)同
○幹(かん)は木(き)の心(しん)なり
俗(ぞく)にいふみきなり
○根(こん)は木(き)の根(ね)なり
柢(てい)同/本(ほん)とも
○枝(し)は木(き)のゑだなり
【左頁下段 挿絵】
■(ふく)【竹冠+復】
《割書:さゝめ|ぐり》

筒(とう)
《割書:たけ| の|つゝ》

無/節竹(せつちく)《割書:らう| だけ》

籜(たく)
《割書: たけの| かは》

蔑(べつ)《割書:たけの| あをかは|たけの| かづら》

【右頁上段】
柯(か)同ほそきゑだを
條(でう)といふずはえ樹(き)の
またを椏(あ)といふ
○梢(せう)は木(き)のこずへなり
杪(しやう)同
○炭(たん)はあらずみなり
烏銀(うぎん)ともいふ桴炭(ふたん)
はけしずみ
○杮(し)はこけら榾柮(こつとつ)は
きのはし鋸末(きよまつ)は
おがくずなり
【右頁下段 挿絵】
幹(かん)《割書:から|みき》

根(こん)《割書:ね》

枝(し)
《割書: えだ》

炭(たん)
《割書: すみ》

梢(せう)
《割書: こずへ》
【左頁】
頭書(かしらがき)増補(ぞうほ)訓蒙(きんもう)図彙(づゐ)巻之二十
   花草(くはさう) 《割書:此部(このぶ)にはもろ〳〵の草(くさ)|花(ばな)をしるす》
【左頁上段】
○牡丹(ぼたん)はふかみ
ぐさともはつかく
さともいふ花(はな)の
王(わう)とす紫花(しくは)多(おゝ)
し紅白(こうはく)あり紅(べに)を
上/品(ひん)とす尤(もつとも)花の
富貴(ふうき)なるものな
りと古人(こじん)も賞(しやう)ぜ
り一名/花王(くはわう)又/木(もく)
芍薬(しやくやく)といふ牡丹(ほたん)
皮(ひ)とて薬(くすり)に用(もち)ゆ
【左頁下段 挿絵】
《割書:はつか| ぐさ》
牡丹(ほたん)
《割書: ふかみ|  ぐさ》
【左頁上欄書入れ】Fasc.9   9 99

【右頁上段】
○芍薬(しやくやく)は三/枝(し)五
葉(よう)なり花/牡丹(ぼたん)に
似(に)てすこし小(ちい)さ
し夏(なつ)の初(はじめ)に花
さく紅白(こうはく)紫(むらさき)あり
花相将離(くはしやう〳〵り)といふ也
根(ね)を薬(くすり)に用ゆ
○桜草(さくらさう)は葉(は)蕪(ぶ)
菁(せい)の如(ごと)くにしてこ
はし花/紫(むらさき)白(しろ)なり
三月花さく
【右頁下段 挿絵】
芍(しやく)
 薬(やく)
《割書: かほ|  よ|   ぐさ》

桜草(さくらさう)
【左頁上段】
○葵(あふひ)は惣名(さうみやう)なり
葉(は)大にして花は
紅(べに)又/紫(むらさき)あり五月
花さく実(み)は大さ
指(ゆび)のごとくかわう
すくして扁(へん)なり
○蜀葵(しよくき)はからあふ
ひなり花/千重(せんえ)に
して濃(こき)紅(べに)別(べつ)して
うるはし菺葵(けんき)同又
戎葵(しうき)ともいふ
○錦葵(きんき)はこあふひ
なり又/銭葵(ぜにあふひ)とも云
荊葵(けいき)同
【左頁下段 挿絵】
錦葵(きんき)《割書:こあふひ》

葵(き)《割書:あふひ》

蜀葵(しよくき)
《割書: からあふひ》
【左頁上欄書入れ】100

【右頁上段】
○芙蓉(ふよう)は葉(は)葵(あふひ)
のごとく花/紅白(こうはく)有
一重(ひとへ)千重(せんゑ)ありひと
ゑは木槿(もくげ)似(に)て大
なり清(きよ)く美(び)なり
七月花さく
○竜胆(りうたん)は花/桔梗(ききやう)
の花の色(いろ)のごとく
葉(は)は笹(さゝ)のごとし
九月のすへ花さく
俗(ぞく)にりんだうといふ
【右頁下段 挿絵】
芙蓉(ふよう)

龍膽(りうたん)
《割書: ゑやみぐさ》
【左頁上段】
○秋葵(かうそ)は一名/黄蜀(くはうしよく)
葵(き)といふ又/側金盞(そくきんさん)
葉(は)とがりせばくきざ
あり秋うす黄(き)なる
花さく俗(ぞく)にとろゝ
○莠(はくさ)は稷(ひえ)【稗ヵ】に似(に)て
実(み)なし一名/狗尾(くび)
草(さう)と禾粟(あわ)の中(なか)に
生ず俗(ぞく)にゑのころ
草(ぐさ)といふ
○金銭花(きんせんくは)は午時(ごじ)
花(くは)ともいふ秋花さく
こい紅(べに)にてうるはし
一名/子午花(しごくは)
【左頁下段 挿絵】
秋葵(しうき)《割書:かうそ》

莠(いう)《割書:はくさ》

金銭花(きんせんくは)
《割書: ごしくは》
【左頁上欄書入れ】101

【右頁上段】
○蘭(らん)は茎(くき)むら
さきに葉(は)みどり
なり水沢(すいたく)のほと
りに生ず花/黄(くはう)
白(はく)にしてかうばし
蘭(らん)は品類(ひんるい)多(おほ)し
○風蘭(ふうらん)は一名を
桂蘭(けいらん)とも吊蘭(てうらん)
ともいふ此/類(るい)に
岩蘭(いはらん)岩石蘭(がんぜきらん)
なといふあり
【右頁下段 挿絵】
蘭(らん)《割書:ふじ| ばかま》

風蘭(ふうらん)
【左頁上段】
○鶏冠(けいくわん)は葉(は)莧(ひゆ)
に似(に)て少(すこ)し長(なが)
く茎(くき)赤(あか)し花は
赤(あか)黄(き)又は交(まじ)り有
六七月花さき霜(さう)
後(ご)まであり鶏頭(けいとう)
花(げ)とも書(かく)なり
○秋海棠(しうかいどう)は秋
花さくうす紅色(べにいろ)也
茎(くき)葉(は)ともに少(すこ)し
あかみあり
【左頁下段 挿絵】秋(しう)
海(かい)
棠(だう)

鶏冠(けいくわん)《割書: |けいとうげ》
【左頁上欄書入れ】102

【右頁上段】
○剪秋羅(せんをうけ)は花(はな)
石竹(せきちく)のごとく朱(しゆ)
色(いろ)にて美(び)なり
六月花/咲(さく)ふし
黒(ぐろ)といふも此/類(たぐひ)也
○剪春羅(がんひ)は花
の色(いろ)せんをうより
薄(うす)く黄(き)みあり
○薏苡(ずゞたま)は子/白(しろ)と
黒(くろ)有/薏苡子(よくいし)と
いふ五膈(ごかく)を治(ぢ)す
【右頁下段 挿絵】
剪秋羅(せんしうら)《割書:せんをう|   げ》

剪(せん)
 春(しゆん)
  羅(ら)《割書: |がんひ》

薏苡(よくい)《割書:ずゞ| たま》
【左頁上段】
○百合(ゆり)は品類(ひんるい)多(おほ)し
此花三月/末(すへ)より咲(さく)
紅うす紅あり
○巻丹(おにゆり)は六七月に
花さく大にして黄(き)
赤(あか)し五六尺もたち
のびて花多くさく
葉(は)の間にくろき実(み)
を生す一名/番山丹(ばんさんたん)
○山丹(ひめゆり)は四月/初(はじめ)に
花さく小(ちいさ)くして赤(あか)
白有赤は極朱(ごくしゆ)也
うるはし渥丹(をくたん)同
此外(このほか)類(るい)多くあり
【左頁下段 挿絵】
百合(ひやくかう)《割書:ゆり》

巻丹(けんたん)
《割書:おに| ゆり》

山丹(さんたん)
《割書: ひめ|  ゆり》
【左頁上欄書入れ】103

【右頁上段】
○他偸(えびね)は四月の
末(すへ)より花さく其(その)
品(しな)多し花黄(き)なる
あり紫(むらさき)有花色に
種々(しゆ〴〵)かはり有又秋
さく花もあり
○麗春(びしんさう)は三月に
花さく一重(ひとへ)は本紅(ほんへに)也
千重(せんゑ)は紅にしてつま
白し一名/仙女蕎(せんぢよけう)
又/御仙花(ぎよせんくは)といふ
【右頁下段 挿絵】
他偸(たゆ)《割書:えび|  ね》

麗春(れいしゆん)《割書:びじん|  さう》
【左頁上段】
○金盞花(きんさんくは)は花
のかたち盞(さかづき)の如(ごと)
し色(いろ)赤(あか)し三月
花さく今(いま)誤(あやま)りて
金銭花(きんせんくは)といふ金
銭花は別種(べつしゆ)なり
○春菊(かうらいぎく)は花/白(しろ)く
にほひ黄(き)なり三
月花さく蒿菜(かうさい)
花(くは)といふはばへの
時(とき)食(しよく)す
【左頁下段 挿絵】
金盞花(きんさんくは)
《割書: きん|  せん|   くは》

春菊(しゆんきく)
《割書:かう| らい|  ぎく》
【左頁上欄書入れ】104

    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿         六
【右頁上段】
○蒲公英(たんほゝ)は花
白き大(おゝい)なり黄(き)成(なる)
は小(しやう)なり二三月に
花さく葉(は)をとり
て食(しよく)す
○菫菜(すみれ)は一名/箭(せん)
頭草(とうさう)と云すも
とりぐさなり花紫
白花(はくくは)又うす紫(むらさき)の
もの葉(は)丸(まる)く小(しやう)也
○虎杖(いたどり)は月水(ぐわつすい)を
通利(つうり)し瘀血(おけつ)を破(やぶ)る
渇(かつ)をやめ小便(しやうべん)を利(り)し
腹(はら)はり満(みつ)るを治(ぢ)ス
【右頁下段 挿絵】
蒲公英(ほこうゑい)
《割書: たん|  ほゝ》

菫菜(きんさい)
《割書:  すみれ》

虎杖(こぢやう)
《割書:いた| どり》
【左頁上段】
○萱草(わすれぐさ)は花
巻丹(おにゆり)のごとく黄(き)
赤(あか)く初夏(しよか)に咲(さく)
春(はる)若葉(わかば)を取(とり)て
食(しよく)す水気(すいき)乳(にう)よ
うはれ痛(いたむ)を治(ぢ)す
食(しよく)を消(せう)すこのん
でくら【「へ」脱字ヵ】ば悦(よろこび)てうれ
ひなし花/千重(せんゑ)
のものは毒(どく)ありあや
まりて喰(くう)ふべからず
○酢漿(かたばみ)は一名/酸(さん)
草(さう)といふ俗(ぞく)に云
すいものぐさ
【左頁下段 挿絵】
《割書:わす|  れ| ぐさ》
萱草(くはんざう)

《割書: かた|   ばみ》
酢漿(さしやう)
【左頁上欄書入れ】105
    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿         七

    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿         七
【右頁上段】
○射干(からすあふぎ)はひあふぎ
ともいふ葉(は)のかたち
檜扇(ひあふぎ)に似(に)たり花は
黄赤(きあか)し五六月花
さく烏扇(うせん)烏翣(うさう)
ならびに同
○蝴蝶花(こてうくは)は射干(からすあふぎ)
の類(るい)なり三月白き
花/咲(さく)黄(き)み中(なか)にあり
俗(ぞく)にやぶらんといふ
しやがは射干(しやかん)の音(おん)
を誤(あやまり)しものなりと
○夏枯草(かこさう)は野(の)に
多(おほ)し薄紫(うすむらさき)の花/咲(さく)
【右頁下段 挿絵】
射干(しやかん)
《割書: からす|  あふぎ》

蝴蝶花(こてうくは)《割書:しやが》

夏枯草(かこさう)
《割書:  うつぼくさ》
【左頁上段】
○鴟尾(いちはつ)は葉(は)は射(からす)
干(あふぎ)ににたり花は
むらさきなり花
を紫羅傘(しらさん)と
いふ四月花さく
○馬藺(ばりん)は沢辺(たくへん)
に生(しやう)ず気(き)くさし
花はあやめににて
細(ほそ)し色(いろ)もうすし
馬棟(ばれん)ともいふ夏(なつ)
の初(はじめ)に花さく
【左頁下段 挿絵】
鴟尾(しひ)《割書:いち| はつ》
《割書:鴨脚花(かうきやくくは)》

馬藺(ばりん)
【左頁上欄書入れ】106
    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿         八

    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿         八
【右頁上段】
○杜若(かきつばた)は水中(すいちう)に
生(しやう)ず花大にして
色(いろ)桔梗(ききやう)の花の色
にてうるはし夏(なつ)
のはじめに花さく
○菖蒲(あやめ)は花/杜(かき)
若(つばた)に似(に)て小(ちい)さく
葉(は)も細(ほそ)し又/菖(しやう)
蒲(ぶ)と云は別種(べつしゆ)也
花なし又花菖
蒲と云物/一種(いつしゆ)有
【右頁下段 挿絵】
杜若
《割書:かき| つばた》

菖蒲(しやうぶ)
《割書: あやめ》
【左頁上段】
○様錦(もみぢぐさ)は六七月
葉(は)紅(くれなゐ)なり黄緑(きみどり)
色(いろ)をかぬるを十様(しうやう)
錦(きん)といふ又/雁(かん)来(きたり)て
紅(くれない)なるを雁来紅(がんらいこう)
といふ俗(ぞく)に葉鶏頭(はげいとう)
といふなり
○桔梗(ききやう)は花/紫(むらさき)有
白あり一重(ひとへ)有かさ
ね有六月にひらく
又/梗草(かうさう)となづく
【左頁下段 挿絵】
様錦(やうきん)
《割書:もみ|  ぢ| ぐさ》

桔梗(けつかう)
《割書: ききやう》
【左頁上欄書入れ】107
    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿         九

    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿         九
【右頁上段】
○烏頭(とりかぶと)は花きゝ
やうの花の色(いろ)なり
かたち烏(からす)の頭(かしら)の如(ごと)
し亦とりかぶと
のかたちに似(に)たり
九月花さく 
○鳳仙花(ほうせんくは)は花/紅(こう)
白(はく)あり七月はな
さく又/金鳳花(きんほうくは)と
いふ花に黄(くはう)紫(し)碧(へき)
ありと
【右頁下段 挿絵】
烏頭(うづ)
《割書: とり|  かぶと》
鳳(ほう)
仙(せん)
花(くは)
【左頁上段】
○番椒(たうがらし)はせんき
を治(ぢ)し虫(むし)をこ
ろす人にどく也
○丈菊(てんがいばな)は一名は迎(けい)
陽花(やうくは)といふ日輪(にちりん)
にむかふ花なりよ
つて日車(ひぐるま)とも云
花/菊(きく)に似(に)て大(おゝい)也
色(いろ)黄(き)又/白(しろ)きも
あり
○杜蘅(とかう)は葉(は)は馬(ば)
蹄(てい)に似(に)たり紫(むらさき)
の花/咲(さく)馬蹄香(ばていかう)
土細辛(どさいしん)といふ
【左頁下段 挿絵】
番椒(ばんせう)《割書:たうがらし》

丈菊(じやうきく)《割書:てんがいばな》

杜蘅(とかう)《割書:つぶねぐさ》
【左頁上欄書入れ】108
    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿         十

    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿         十
【右頁上段】
○薔薇(しやうび)は花/紅白(こうこく)
黄(き)薄紅(うすべに)有/千重(せんゑ)の
ものを牡丹(ほたん)いばら
といひ一重(ひとへ)なるを■(いばら)【棘ヵ䔉ヵ】
薔薇(しやうび)と云一名/月々(げつ〳〵)
紅(こう)又/長春(ちやうしゆん)ともいふ
○慎火(いはれんげ)は一名/景天(けいてん)
又は戒火(かいくは)ともいふ小(しやう)
なるを仏甲草(ぶつかうさう)と
いふなり
○苔(こけ)蘚(せん)同/水(みづ)に有
を陟(ちよく)釐(り)【𨤲】と云/石(いし)に生(はゆ)
るを石濡(せきしゆ)瓦(かはら)に有
を屋游(をくいう)墻(かき)を垣衣(ゑんい)と云
【右頁下段 挿絵】
薔薇(しやうび)
《割書: いばらしやう|       び》

慎火(しんくは)《割書:いはれんげ》
《割書:  仏甲草(ぶつかうさう)》

苔(たい)《割書:こけ》
【左頁上段】
○酸漿(さんしやう)は五月に
白き花/咲(さき)実(み)赤(あか)
くとうろうのごとし
よりて金燈篭(きんとうろう)と云
○旋覆(をぐるま)は葉(は)長(なが)み?
有花は黄(き)にして
菊(きく)ににたり六月に
花さく又九月にむ
らさきの花さくを
紫苑(しをん)といふ是(これ)は
見事(みごと)成(なる)花なり
【左頁下段 挿絵】
酸漿(さんしやう)《割書:ほう| つき》

旋覆(せんほく)
《割書: をぐるま》
【左頁上欄書入れ】109
    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿        十一

    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿        十一
【右頁上段】
○藤(ふぢ)は三月の末(すへ)
に花さく色(いろ)紫(むらさき)は
おそく花の長(たけ)三
四尺に及(およ)ぶ白花(はくくは)は
早(はや)くさきて短(みじか)し
一名/招豆藤(せうづとう)
○石斛(せきこく)は石上(せきじやう)に
生ず胃(ゐ)の気(き)を
平(たいらか)にし皮膚(ひふ)
の邪熱(じやねつ)をさる一
名/石蓫(せきちく)
【右頁下段】
藤(とう)《割書:ふじ》

石斛(せきこく)《割書:いはくすり》
【左頁上段】
○棣棠(やまぶき)は花黄にし
て一重(ひとへ)有/八重(やゑ)有
三月花さくあるひ
は地棠花(ぢたうくは)となづく
○巻栢(いはひば)は一名を地(ぢ)
栢(はく)と云/石間(せきかん)に生(しやう)ス
生(しやう)にて用(もちゆ)れば血(ち)
を破(やぶり)炙(あぶ)れは血(ち)を止(とむ)
○玉栢(まんねんぐさ)は一名/万年(まんねん)
松(せう)とも云/長(なが)きを石(せき)
松(せう)又/玉遂(ぎよくすい)ともいふ
【左頁下段 挿絵】
棣棠(ていとう)《割書:やまぶき》

  《割書:いは| ひ|  ば》
巻栢(けんはく)

玉栢(ぎよくはく)
《割書: まんねん|   ぐさ》
【左頁上欄書入れ】110
    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿        十二

    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿        十二
【右頁上段】
○葦(あし)は水辺(すいへん)に
生(しやう)ずいまた秀(ひいで)ざ
るを芦(ろ)といふ長(ちやう)
成(せい)すると葦(い)と云
葉(は)は竹(たけ)に似(に)て花
は荻(おぎ)のごとし
○蓮(はちす)は花/紅白(こうはく)有
葉(は)を荷(か)といひ根(ね)
を藕(くう)といひ花を
芙蓉(ふよう)といひ実(み)を
蓮菂(れんてき)といふ
【右頁下段】
葦(い)《割書:あし》

蓮(れん)《割書:はち| す》
【左頁上段】
○菖(しやう)は一寸九/節(せつ)
なるものを菖(しやう)
蒲(ぶ)と名付(なつく)冬至(とうじ)
の後(のち)五十七日にし
てはじめて生(しやう)ず
○菰(まこも)は水辺(すいへん)に生(しやう)
ず菖(あやめ)にゝたり一名
茭草(かうさう)又/蒋草(しやうさう)ト云
○蒲(がま)は水辺(すいへん)に生
す筵(むしろ)に織(をる)べし蒲(ほ)
槌(つい)がまほこ花上(くはじやう)の
黄粉(くはうふん)を蒲黄(ほくはう)と云
○萍(うきくさ)は水上(すいじやう)にあり
て根(ね)なし血色(けつしよく)の如(ごと)
【左頁下段 挿絵】
菖蒲(しやうぶ)

菰(こ)《割書:まこ|  も》

萍(へい)
《割書: うき|  くさ》

蒲(ほ)
《割書: がま》
【左頁上欄書入れ】111
    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿        十三

    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿        十三
【右頁上段】
くなるを紫萍(しへい)ト云
○薜(すげ)は水辺(すいへん)に生ず
香附子(かうぶし)の苗(なへ)ににたり
一名/莎(さ)白(はく)薹(たい)
○藺(ゐ)は沢地(たくち)に生ず
茎(くき)円(まとか)に細(ほそ)く長(なが)し
痳病(りんびやう)に煎(せん)じ用(もち)ゆ
○芡(みづぶき)は中(うち)を補(おぎな)ひ気(きを)
ます多(おほ)く喰(くらへ)は風(ふう)
気(き)をうごかす実(み)
を芡実(けんじつ)といふ
○藎(かりやす)は九月十月に
とる緑色(みとりいろ)也/絹(きぬ)を染(そむ)
一名/黄草(わうさう)菉竹(りよくちく)王芻(わうすう)
○莕(あさゝ)は水底(すいてい)に生す
茎(くき)は釵(かんざし)のごとし上/青(あをく)
て下白し花(はな)黄(き)に
【右頁下段】
薜(せつ)《割書:すげ》

藺(りん)《割書:ゐ》

莕(きやう)
《割書: あさゝ》

芡(けん)《割書:みづ|  ぶき》

藎(じん)《割書:かり| やす》
【左頁上段】
葉(は)紫(むらさき)にまるし荇(かう)
おなじ
○葒(けたで)は茎(くき)ふとく毛(け)
あり葉(は)に赤(あか)みあり
実(み)も大きなり
○蘇(しそ)はくき方(けた)にし
て葉(は)まるく歯(は)有
色(いろ)紫(むらさき)なり桂荏(けいしん)同
実(み)も葉(は)も薬種(やくしゆ)
にもちゆ
○蓼(たで)はくはくらんを
やめ水気(すいき)面(おもて)うそばれ
たるを治(ぢ)し目(め)を明(あきらか)にす
○萹蓄(うしぐさ)は三月に
ちいさき赤(あか)き花を
生ず和名(わみやう)にわやな
き扁竹(へんちく)同
【左頁下段 挿絵】
萹蓄(へんちく)《割書:うし| ぐさ》

葒(こう)
《割書:けたで》

蘇(そ)《割書:のらえ|  しそ》

蓼(れう)《割書:たで》 《割書:水蓼(すいれう)|  いぬたで》
【左頁上欄書入れ】112
    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿        十四

    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿        十四
【右頁上段】
○菊(きく)は百/種(しゆ)あり
花も数品(すひん)あり頭(づ)
痛(つう)目(め)を明(あき)らかに
し年(とし)をのぶると
いへり薬(くすり)には黄色(きいろ)
なる菊(きく)に一/種(しゆ)あり
○莣(おばな)は茅(ちがや)にゝたり
皮(かは)は縄(なわ)又は履(くつ)につ
くるなり大を石芒(せきばう)
小を芭芒(はばう)といふ
○荏(え)は白蘇(はくそ)とも
いふ山野(さんや)に多(おほ)く
生(しやう)ず油(あぶら)おほし
えのあぶらといふ
【右頁下段 挿絵】
《割書:女節(じよせつ)|   花》
菊(きく)
《割書:かはら| よもぎ》

莣(はう)《割書:おばな|すゝき》

荏(じん)《割書:え|はくそ》
【左頁上段】
○牽牛(あさがほ)は葉(は)三
尖(とがり)あり花はむらさ
き白はむかしより
有/近比(ちかごろ)新花(しんくは)出
て紅絞(べにしぼり)飛入(とびいり)花形(くはぎやう)
も品々(しな〳〵)あり
○鼓子(ひるがほ)は花のかた
ち軍中(ぐんちう)に吹(ふく)鼓子(くし)
のごとし故(ゆへ)に鼓子(くし)
花といふ又/旋(せん)葍(ふく)
花(くは)ともいふ
○蒴藋(そくづ)は枝(えだ)ことに
五/葉(よう)花白く実(み)
青(あを)く緑豆(ふんどう)のことし
痛所(いたみしよ)に葉(は)を付
煎(せん)じ洗(あら)ふてよし
一名/接骨草(せつこつさう)
【左頁下段 挿絵】
鼓子(くし)
《割書: ひるがほ》

牽牛(けんご)
《割書: あさ|  がほ》

蒴藋(さくてき)
《割書:そく|  つ》
【左頁上欄書入れ】113
    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿        十五

    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿        十五
【右頁上段】
○水仙花(すいせんくは)は冬(ふゆの)
初(はじめ)より花ひらき
初春(しよしゆん)まで花有
かたち酒盃(しゆはい)の如く
黄(き)なる物有花び
らは白しよつて金(きん)
盞銀台(さんきんだい)といふ
葉(は)は石蒜(せきさん)にゝたり
○麦門冬(ぜうがひげ)は四月
にうすむらさきの
花ひらく実(み)緑(みとり)に
して珠(ま)【元禄八年版「たま」】のごとく丸(まる)
し秋(あき)の比(ころ)みのる此
根(ね)を薬(くすり)に用(もち)ゆ
【右頁下段 挿絵】
水仙花(ずいせんくは)

麦門冬(ばくもんう)【元禄八年版「ばくもんとう」】
《割書:  せうがひけ》
【左頁上段】
○瞿麦(なでしこ)は花の色(いろ)
薄紫(うすむらさき)六月にさく
河原(かはら)に多(おほ)し近(ちか)
比(ごろ)は新花(しんくは)あり色
も品々(しな〳〵)あり
○石竹(せきちく)は撫子(なでしこ)によく
似(に)て花/紅白(こうはく)又は絞(しぼり)
など種々(しゆ〳〵)あり五六
月に花さく一重(ひとへ)千(せん)
重(ゑ)あり
○玉簪(ぎぼうし)は葉(は)大なり
秋花さく色うす紫(むらさき)
数品(すひん)ありて色もかは
れり一名/白鶴仙(はくくはくせん)
【左頁下段 挿絵】
瞿麦(くばく)《割書:なでしこ》

石(せき)
 竹(ちく)

玉簪(ぎよくさん)
《割書:ぎ| ぼう|   し》
【左頁上欄書入れ】114
    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿        十六

    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿        十六
【右頁上段】
○蒼朮(さうじゆつ)は花うす
赤(あか)し脾(ひ)をすこやか
にし湿(しつ)をかわかし中(うち)
をゆるくす山薊(さんけい)と
もいふ花白きは白朮(ひやくじゆつ)也
○木賊(もくぞく)は目(め)のかすみ
を退(しりぞけ)積塊(しやくくわい)を消(せう)す
和名(わみやう)とくさ板(いた)など
おろし磨(みがく)に用(もち)ゆ
○山葱(さんさう)は一名を膈(かく)
葱(さう)とも又/鹿耳(ろくに)
葱(さう)ともいふ俗(ぞく)に
いふぎやうじやにん
にくなり
【右頁下段 挿絵】
蒼朮(さうじゆつ)
《割書: おけら》

木賊(もくぞく)
《割書:とく|  さ》

山葱(さんさう)
《割書: ぎやうじや|   にんにく》
【左頁上段】
○石荷(ゆきのした)は一名/虎耳(こし)
草(さう)といふ水湿(すいしつ)の地(ち)
に生す五月花/咲(さく)
○馬勃(ばぼつ)は湿地(しつち)くち
木のうへなとに生
ずのどのいたみを
治(ぢ)す灰菰(くはいこ)牛尿(ぎうし)
菰(こ)となづく
○石韋(ひとつば)は湿地(しつち)に
生ず葉(は)大にして
かたく皮(かわ)のごとし枝(えた)
なく一/葉(よう)づゝ生ず
労熱(らうねつ)邪気(じやき)をつかさ
とり痳病(りんびやう)を治(ち)す
○螺厴(まめづる)は一名/鏡面(きやうめん)
草(さう)といふ石上に生ス
かゞみぐさ又/豆(まめ)ごけ
【左頁下段 挿絵】
馬勃(ばぼつ)《割書:おに| ふすべ》

石荷(せきか)《割書:ゆきのした》

石韋(せきい)
《割書: ひとつば》

螺厴(らゑん)《割書:まめづる》
【左頁上欄書入れ】115
    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿        十七

    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿        十七
【右頁上段】
○芭蕉(ばせを)は葉(は)落(おち)
ず一/葉(よう)のぶる時は
一/葉(よう)焦(こがる)よつてこ
れを芭蕉(ばせを)といふ
○苧(まを)皮(かは)をはぎて
布(ぬの)を織(をる)さらし布(ぬの)は
これなり紵(ちよ)同から
うしともいふ
○艾(よもぎ)は春(はる)苗(なへ)を生し
秋/小(ちいさ)き花さく艾(かい)
蒿(かう)なり又蓬蒿(はうかう)
といふ
○薢(かい)は腰(こし)背(せなか)いた
みこはりたるを治(ぢ)し
腎(じん)をおぎなひ筋(すぢ)
をかおたくし精(せい)を
まし目(め)を明(あきらか)にす
【右頁下段 挿絵】
芭(ば)
 蕉(せを)

薢(かい)
《割書: とこ|  ろ》

苧(ちよ)《割書:まを》

艾(がい)《割書:よもぎ》
【左頁上段】
○華蔓草(けまんさう)はは
なのかたちけまんの
かざりによく似(に)たり
薄紅色(うすべにいろ)なり三月
花さく
○鼠麴(はゝこくさ)は小(ちいさ)く黄(き)な
る花さく鼠(ねずみ)の耳(みゝ)
の毛(け)のことくなる実(み)を
生す又/鼠耳草(そじさう)と
もいふ
○羊蹄(きし〳〵)は一名/禿(とつ)
菜(さい)とも又/牛舌菜(ぎうぜつさい)
ともいふ実(み)を金蕎(きんけう)
麦(ばく)といふ
【左頁下段 挿絵】
華蔓(けまん)

鼠麴(そきく)
《割書: はゝこぐさ》

羊蹄(ようてい)《割書:ぎし〳〵》
【左頁上欄書入れ】116
    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿        十八

    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿        十八
【右頁上段】
○陵苕(のうせんかつら)は木(き)にま
とふ夏(なつ)より秋迄
花/咲(さく)色(いろ)赤(あか)し又
陵霄花(れうせうくは)といふ
○藍(あひ)は葉(は)蓼(たで)に
似(に)て大(おほい)なりいぬた
での如(ごと)く葉(は)の中(なか)に
黒(くろ)きてんあり五六月ニ
紅(くれない)の花さく葉を
染色(そめいろ)にもちゆ
○茜(あかね)はあかき色(いろ)を
そむる草(くさ)なり一
名/地血(ぢけつ)といふ又/染(せん)
緋草(ひさう)ともいふ
【右頁下段 挿絵】
藍(らん)
《割書: あひ》

《割書:  のうぜん|   かづら》
陵苕(れうてう)

茜(せん)《割書:あかね》
【左頁上段】
○山薑(いぬはじかみ)は葉(は)姜(はじかみ)に
似(に)て花あかし子(こ)は
草豆蒄(さうづく)にゝてね
は杜若(かきつばた)にゝたり一名
美草(びさう)
○沢漆(たうだいぐさ)は葉(は)馬歯(すべり)
莧(ひゆ)に似(に)たり円(まとか)にし
てみどり碧(あを)き花
さく毒草(どくさう)なり
○蓖麻(たうごま)は葉(は)瓠(ひさご)の
葉(は)のごとく中(うち)空(むなしう)
して五また有/秋(あき)
花さき実(み)をむす
ぶ実(み)に刺(はり)あり
【左頁下段 挿絵】
山薑(さんきやう)
《割書: いぬはじ|     かみ》

澤漆(たくしつ)
《割書: たう|  だい|   ぐさ》

蓖麻(ひま)
《割書: たうごま》
【左頁上欄書入れ】117
    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿        十九

    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿        十九
【右頁上段】
○蒼耳(をなもみ)は葉(は)茄子(なすび)
のごとし風湿(ふうしつ)づつう
気(き)をまし目(め)を明(あきらか)
にししびれを治(ぢ)ス
○車前(おほばこ)はながきほ
を出す七八月の比(ころ)
実(み)をとる芣苡(ふい)牛(ぎう)
舌(せつ)同
○竜芮(うしのひたい)は四五月に
黄(き)なる花さき実(み)
をむすぶ大さ豆(まめ)の
ごとし一名/地椹(ぢしん)
○防風(ばうふう)は正月に
葉(は)を生(しやう)じ五月
に黄(き)なる花さき
六月にくろき実(み)を
むすぶ
【右頁下段 挿絵】
車前(しやぜん)
《割書:  おほばこ》

蒼耳(さうに)《割書:をな| もみ》

龍芮(りうぜい)《割書: |うしの| ひたい》

《割書:  はま|    にがな》
防風(ばうふう)
《割書:苗(なへ)を珊瑚菜(さんごさい)と|       いふ》
【左頁上段】
○紅花(こうくは)は血(ち)をやぶ
り瘀血(をけつ)のいたみを
とめ大べんを通(つう)ず
花をとりて紅(べに)とす
○積雪(かきどをし)は本名(ほんみやう)つぼ
くさといふ葉(は)まるく
して銭(ぜに)のごとくつる
なり連銭草(れんぜんさう)胡(こ)
薄荷(はつか)並同
○苦参(くらゝ)は葉(は)槐(えんじゆ)に似(に)
たり花/黄色(きいろ)にして
実(み)はさや有/根(ね)甚(はなは)だ
にがし水槐(すいくはい)地槐(ぢくはい)同
○蛇牀(じやしやう)は気(き)をくだし
中(うち)をあたゝめ瘀(を)を
おい風をさる■(き)【元+由、訓蒙図彙「虺」】牀(しやう)
蛇栗(じやりつ)同
【左頁下段 挿絵】
紅花(こうくは)《割書:べにの|はな》

積雪(しやくせつ)
《割書: かきど|  を|   し》

苦(く)
  参(じん)
《割書:   くらゝ》

蛇牀(じやしやう)
《割書:   ひる|    むしろ》
【左頁上欄書入れ】118
    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿        二十

    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿        二十
【右頁上段】
○鼠莽(しきみ)は実(み)は天(また)
蓼(たび)の実(み)のごとし
毒(どく)あり
○葛(くず)は粉(こ)は渇(かつ)を止(やめ)
ゑづきをとめ胃(ゐ)を
ひらき酒(しゆ)どくを解(け)
し大小/便(べん)を利(り)し
熱(ねつ)をさる
○紫草(しさう)は九竅(きうけう)を
つうじ水(みず)を利(り)しは
れを消(せう)すほうさ
うによし一名/茈(し)
䓞(れい)といふ
○鴨跖(かうせき)は野外(やぐはい)に生
ず花あをし
碧蝉花(へきせんくは)笪竹花
並同
【右頁下段 挿絵】
《割書:しき| み》
鼠(そ)
 莽(まう)

紫草(しさう)
《割書: むら|  さき》

葛(かつ)《割書:くず》

鴨跖(かうせき)《割書:ついくさ》
【左頁上段】
○南星(なんせう)は風疾(ふうしつ)を治(ぢ)
し身(み)をやぶりこわ
ばりたるによし又/虎(こ)
掌(しやう)鬼(き)■(く)【艹+竭、蒟ヵ】蒻(にやく)といふ
○防已(ばうい)は風湿(ふうしつ)脚気(かつけ)
の痛(いたみ)を治(ぢ)し癰(よう)はれ
痛(いたむ)を治(ぢ)す解離(かいり)共云
○牛膝(ごしつ)湿(しつ)にてしびれ
なへ腰(こし)脚(あし)いたむを治(ぢ)ス
山/莧菜(けんさい)対節菜(たいせつさい)
となづく
○水莨(たからし)はおこりに此
葉(は)を寸口(すんこう)に付れはお
つるなり大毒(だいどく)あり
○絡石(ていかかづら)は葉(は)橘(たちばな)の如(ごと)
く花白く実(み)くろし
石をまとふ
【左頁下段 挿絵】
天南星(てんなんせう)
《割書:   おほ|    そみ》

絡石(らくせき)
《割書:  ていか|   かづら》

防已(ばうい)《割書:つゞら| ふぢ》

牛膝(ごしつ)《割書: |ゐのこ| づち》

水莨(すいらう)《割書:たからし》
【左頁上欄書入れ】119
    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿        廿一

    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿        廿一
【右頁上段】
○茴香(ういきやう)は疝気(せんき)を
のぞき腰(こし)はらのい
たみをやめ胃(ゐ)を
あたゝむ蘹香(くはいかう)同
○■(めな)【艹+稀、豨ヵ】薟(もみ)は花/黄(き)
白なり一さいの毒(どく)
虫(むし)のさしたるに此
葉(は)をもみて汁(しる)を
付てよし
○天茄(こなすび)は一名/龍葵(りうき)
といふ葉(は)茄(なすび)ににて
小なり五月のすへ
小(ちいさ)き白花をひら
き小(ちいさ)き青(あを)き実(み)のる
【右頁下段 挿絵】
茴香(ういきやう)
《割書:くれの|  おも》

■(き)【艹+稀、豨ヵ】薟(けん)
《割書: めな|  もみ》

天茄(てんか)《割書:こな| すび》
【左頁上段】
○蒿(かう)は青蒿(せいかう)又/蓬(ほう)
蒿(かう)といふ藾蕭萩
同邪気を払ふ
○茺蔚(じゆうい)は益母草(やくもさう)
といふ湿地(しつち)に生ず
○茵蔯(ゐんちん)は葉(は)のう
ら白くまた有九
月にほそき黄(き)な
る花さく
○玄及(げんきう)は実(み)を五
味子(みし)といふ枝(えだ)を切(きり)
水につけ置(をけ)はね
ばり出る油(あぶら)のかはり
に髪(かみ)に付る
○地膚(ぢふ)は若葉(わかば)をく
らふ落帚(らくしう)独帚(とくしう)同
此木(このき)を帚(はうき)とす
【左頁下段 挿絵】
青蒿(せいかう)《割書:かはら| よもぎ》

茺蔚(じゆうい)《割書:めはしき》

玄(げん)
 及(きう)
《割書:さねかつら》

茵蔯(いんちん)《割書: |かはらよもぎ》

地膚(ぢふ)《割書:はゝきゞ》
【左頁上欄書入れ】120
    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿        廿二

    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿        廿二
【右頁上段】
○忍冬(にんとう)は木にま
とふ葉(は)青(あを)く毛(け)有
三四月花さく初(はじめ)は白(しろ)
く後(のち)に黄(き)なり仍而(よつて)
金銀花(きん〴〵くは)といふ
○茅(ばう)は水をくたし血(ち)
を破(やぶ)り小/腸(ちう)をつうじ
消渇(せうかつ)鼻血(はなぢ)下血(げゝつ)を
治(ぢ)す又/荑(てい)といふ
○萍蓬(かうほね)は水沢(すいたく)に
生す葉(は)慈姑(おもだか)に
にたり水栗(すうりつ)骨(こつ)
蓬(はう)同
○藻(も)は水に有/葉(は)
大なるは馬藻(ばさう)葉(は)の
ほそきは水蘊(すいうん)と云
馬尾藻(ばびさう)ほだはら
【右頁下段 挿絵】
忍冬(にんどう)《割書:すいかづら》

茅(ばう)《割書:菅茅(くはんはう)|   かや》 《割書:白茅(はくばう)| つばな》

藻(さう)《割書:も》

萍蓬(へいほう)《割書:かうほね》
【左頁上段】
○菝葜(えびついばら)は山野(さんや)に
多(おほ)し茎(くき)かたくし
て刺(はり)あり葉(は)丸(まる)く
大(おゝい)にして馬(むま)の蹄(ひつめ)
のごとし秋あかき
実(み)のる
○萩(はぎ)は郊野(かうや)に生
ずるを野萩(のはぎ)と云
葉(は)さきとがり花/少(ちいさ)
き也/宮城野(みやぎの)といふは
花/紅白(こうはく)有て大(おゝい)なり
【左頁下段 挿絵】
萩(しう)《割書:はぎ》

菝葜(はつかつ)
《割書: えびつ|  いばら》
【左頁上欄書入れ】121
    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿        廿三

    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿        廿三
【右頁上段】
○建蘭(けんらん)は今いふ
白蘭(はくらん)なり一に
蕙花(けいくは)ともいふ又
鉄脚蘭(てつきやくらん)ともいふ
○金燈(きつねのかみそり)は石蒜(せきたん)
といふしびとばな也
一名/鬼燈檠(きとうけい)又
曼珠沙花(まんじゆしやけ)とも
いふ秋の末(すへ)赤(あか)き
花さく茎(くき)は矢(や)から
の如しよつて一枝箭(いつしせん)
【右頁下段 挿絵】
建蘭(けんらん)
《割書: しう|  くき》

金燈(きんとう)《割書:きつねの| かみ|  そり》
【左頁上段】
○石帆(うみまつ)は石上(せきじやう)に生ず
○茎(くき)はくきなり
𦼮(かん)【艹+幹】同/茎( き)【元禄八年版「くき」】の衣(ころも)を
苞(はう)といふはかま也
草根(くさのね)を荄(かい)といふく
さのねなり
○薹(たい)はふき萵(ちさ)な
どのたうなり葶(てい)

○葩(は)ははなびらなり
花片(くはへん)花瓣(くはべん)並同
【左頁下段 挿絵】
莖(きやう)《割書: |くき》

石帆(せきはん)
《割書: うみまつ》

葩(は)
《割書:はなびら》

薹(たい)《割書: |たう》
【左頁上欄書入れ】122
    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿        廿四

    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿        廿四
【右頁上段】
○蔓(まん)はつるなり
木(き)の本(もと)を藤(ふぢ)といふ
草(くさ)の本(もと)を蔓(つる)と云
○苞(はう)はつぼみなり
蓓蕾(ばいらい)同
○蕋(ずい)は花のしべ
なり蕊(ずい)蘃(ずい)な
らびに同又/花心(くはしん)
ともいふ
○萼(がく)ははなぶさ
なり花蔕(くはたい) 花(くは)
柎(ふ)ならびに同
【右頁下段 挿絵】
蔓(まん)
《割書: つる》

苞(はう)《割書: |つぼみ》

萼(がく)《割書:はなぶさ》

蕋(ずい)
《割書: しべ》
【左頁】
頭書(かしらがき)増補(ぞうほ)訓蒙(きんもう)図彙(づゐ)巻之廿一
   雑類(ざうるい) 《割書:此部(このぶ)には諸天(しよてん)神仙(しんせん)聖賢(せいけん)仏菩薩(ぶつぼさつ)諸祖師(しよそし)|其外(そのほか)人物(じんぶつ)の部(ぶ)に洩(もれ)たるを補(おぎな)ひしるす》
【左頁上段】
  二王金剛(にわうこんがう)
○右(みき)を右弼(うひつ)金剛(こんがう)と云
人の生善(せうぜん)をよろこび
たまふ那羅延金剛(ならゑんこんがう)
ともいふ
○左(ひだり)を左輔金剛(さほこんがう)と
いふ人の断悪(だんあく)をよろ
こびたまふ密迹金(みつしやくこん)
剛(がう)ともいふ仏法(ふつほう)の守(しゆ)
護神(ごじん)なれば三門(さんもん)に
安/置(ち)す
【左頁下段 挿絵】
右(う)
弼(ひつ)
金(こん)
剛(がう)
 
左(さ)
輔(ほ)
金(こん)
剛(がう)
【上欄書入れ】Fase.10     10   123
    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿一        一

    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿一        一
【右頁上段】
○持国(ぢこく)天王/乾達婆(けんだつば)
毘舎闍(びしやじや)を足下(そくか)に踏従(ふみしたが)へ
て東方(とうばう)を守護(しゆご)したま
ふ四天王の第一(だいいち)なり
○増長(ぞうちやう)天王/鳩槃荼(くはんだ)
薜茘多(びやくれいた)を足下(そくか)に踏(ふみ)
従(したが)へ南方(なんばう)を守護(しゆご)した
まふ四天王の第(だい)二なり
○広目(くはうもく)天王/龍(りやう)及(およ)び富(ふ)
單那(たんな)を足下(そくか)にふみした
がへ法界(ほうかい)を安立(あんりう)し西方(さいほう)
を守護(しゆご)したまふ
○毘沙門(びしやもん)天皇/夜叉(やしや)羅(ら)
刹(せつ)を足下(そくか)にふみしたがへ
北方(ほつはう)を守護(しゆご)したまふ大
悲多聞(ひたもん)天王ともいふ
【右頁下段 挿絵】
持国(ぢこく)
 天王

毘沙門(びしやもん)
 天王
【左頁上段】
○韋駄天(いだてん)は仏法(ぶつほう)の守(しゆ)
護人(ごじん)なり魔王(まわう)仏舎(ぶつしや)
利(り)を奪(うばひ)とり逃(にげる)を追欠(おつかけ)
取返(とりかへ)し給ふなり禅家(ぜんけ)は
厨(くり)に安置(あんち)す
○鐘馗(しようき)は唐(たう)の明皇(めいくはう)夢(ゆめ)
に臣(しん)は終南(しうなん)の進士(しんじ)鐘馗(しようき)
なり天下(てんか)の虚耗(きよがう)妖孽(ようげつ)
を厭(はら)はんと見給ふ故(ゆへ)に
呉道士(ごだうし)に命(めい)して其(その)形(かたち)を
図(づ)せしめ天下(てんか)に伝(つた)ふと云
【左頁下段 挿絵】

 韋(ゐ)
  駄天(だてん)
 

 鐘馗(しやうき)
【上欄書入れ】124
    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿一        二

    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿一        二
【右頁上段】
 弁才天女(べんざいてんによ)
○衆生(しゆじやう)に智恵(ちゑ)福(ふく)
をあたへたまふなり
琵琶(びわ)を弾(たん)じたまふ相(さう)
をもつて又は妙音(めうをん)
天女ともいふ
 福禄寿(ふくろくじゆ) 
○福神(ふくじん)なり天南星(てんなんせい)
といふ星(ほし)の化現(けげん)なり
頭(かしら)ながくして柱杖(しゆじやう)に
経(きやう)を結(ゆひ)そへてもてり
鶴(つる)を愛(あい)す又/鹿(しか)を
愛(あい)すともいふ
【右頁下段 挿絵】
弁才(べんざい)
 天女(てんによ)
 
福禄寿(ふくろくじゆ)
【左頁上段】
 大黒天(だいこくでん)
○八万四千の眷属(けんぞく)
あり貧困(ひんこん)を転(てん)じて
福者(ふくしや)となさんと誓(ちかひ)
たまふ摩伽羅神(まからじん)と
もいふなり
 蛭子(ゑびす) 
○伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の第三
の御/子(こ)日(ひ)の神(かみ)の御
弟/西宮(にしのみや)蛭子(ゑびす)三郎/殿(どの)
といふなり市(いち)の売(ばい)
買(〳〵)を守(まも)り給ふ御/神(かみ)
なり
【左頁下段 挿絵】
大(だい)
黒(こく)
天(でん)
 
蛭子(ゑびす)
【上欄書入れ】125
    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿一        三

    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿一        三
 布袋(ほてい)
○志那(しな)の散聖(さんせい)にし
て弥勒菩薩(みろくぼさつ)の化身(けしん)
なりといへり常(つね)に布(ぬの)
の袋(ふくろ)を負(おひ)てあそべ
りゆへに布袋(ほてい)和尚(おしやう)
と名(な)づけたり
 寿老人(じゆらうじん)
○福神(ふくじん)なり老人星(らうじんせい)と
いふ星(ほし)の化現(けげん)なり白(はく)
髪(はつ)にして帽子(ほうし)をかぶ
り柱杖(しゆぢやう)をもてり鹿(しか)を
愛(あい)す
【右頁下段 挿絵】
布袋(ほてい)

寿老(じゆらう)
【左頁上段】
○伏羲氏(ふつぎし)唐土(もろこし)の帝王(ていわう)
大/聖人(せいじん)なり此(これ)人生(じんせい)の始(はじめ)に
て網罟(まうこ)を作(つくり)て猟(かり)漁(すなどり)を
民(たみ)に教(おしへ)給ふ又/画(ぐわし)_二 八/卦(けいを)_一
瑟琴(しつきん)造(つくり)たまふ
○神農氏(しんのうし)は同/帝王(ていわう)にて
聖人(せいじん)なり民(たみ)に五穀(ごこく)を作(つくる)
事を教(おし)へ又/市(いち)をなし
交易(かうえき)の利(り)を施(ほどこ)し給ふ
帝(みかど)草木(さうもく)を味(あちは)ひ寒温(かんうん)
平熱(へいねつ)の性(しやう)を察(さつ)し人身(じんしん)
の病(やまひ)を療(りやう)ずる事を教(おし)へ
給ふ此(これ)より医道(ゐとう)おこる
【左頁下段 挿絵】

 神農(しんのう)
 

 伏羲(ふつき)
【上欄書入れ】126
    【柱】頭書増補訓蒙図彙廿一        四

○倉頡(さうけつ)は黄帝(くはうてい)の代(よ)
の人なり眼(まなこ)四ツあり鳥(とり)
の足跡(あしあと)を見(み)て始(はじめ)て
文字(もんじ)を作(つく)る是(これ)文字(もんじ)の
祖(そ)たり
○黄帝(くはうてい)は軒轅氏(けんゑんし)といふ
蚩尤(しゆう)といふ逆臣(ぎやくしん)を亡(ほろぼ)し
帝位(ていゐ)に即(つき)給ふ聖人(せいじん)也
此時(このとき)より暦算(れきさん)律呂(りつりよ)
宮室(きうしつ)書契(しよけい)冠服(くはんふく)等(とう)こ
と〴〵く具(そなは)る又/始(はじめ)て舟(ふね)
を作(つく)り給ふ元妃(げんひ)に命(めい)
じて蠶(こがひの)業(わざ)を教(おしへ)給ふ
【右頁下段 挿絵】
倉頡(さうけつ)

黄帝(くはうてい)
【左頁上段】
○孔子(こうし)は唐土(もろこし)周(しう)の代(よ)の人
尭(ぎやう)舜(しゆん)の道(みち)を弘め五/常(じやう)
を教(おしへ)給ふ文宣王(ぶんせんわう)ともいふ
儒宗(しゆそう)の大/聖人(せいじん)なり
○老子(らうし)は周(しう)の代(よ)蔵室(ぞうしつ)
の吏(し)たり生れながら白(はく)
髪(はつ)なり道経(とうきやう)五千/言(げん)を
顕(あら)はし無為自然(むいしぜん)の道(みち)を
教(おしへ)給ふ道士(どうし)の大祖(たいそ)神人(しん〴〵)
なり其(その)終(おはり)をしらず
○許由(きよゆう)は尭帝(ぎやうてい)位(くらい)を譲(ゆづ)
らんとの給ふを聞(きゝ)て其(その)耳(みゝ)
汚(けが)れたりとて潁川(えいせん)の滝(たき)に
いたり耳(みゝ)を洗(あらひ)し賢人(けんじん)なり
【左頁下段 挿絵】
老子(らうし)

孔子(こうし)

許由(きよゆう)

【右頁上段】
○維摩(ゆいま)居士(こじ)ともいへり
手(て)に払子(ほつす)を持(もち)方丈(ほうじやう)
の内に八方の師子(しし)の座(ざ)
をかざり三千の大衆(たいしゆ)を
入て法門(ほうもん)をヽし給へり
○山越(やまごし)の弥陀(みだ)は比叡山(ひえいざん)
横川(よかは)の峰(みね)に阿弥陀仏(あみだぶつ)
の尊容(そんよう)を現(げん)じ給ふを
惠心(ゑしん)僧都(そうづ)拝(おが)み給ひて
写(うつ)し給ひけるとかや
○聖徳太子(しやうとくたいし)は人王卅二代
用明天皇(ようめいてんわう)の皇子(わうじ)なり
卅四代/推古天皇(すいこてんわう)の御宇(ぎよう)
摂政(せつしやう)たり日本(につほん)仏法(ふつほう)の
祖(そ)なり守屋(もりや)を亡(ほろぼ)し摂州(せつしう)
天王寺(てんわうじ)を建立(こんりう)し給ふ
【右頁下段 挿絵】
維摩(ゆいま)

山越弥陀(やまごしのみだ)

聖徳太子(しやうとくたいし)
【左頁上段】
○出山(しゆつさん)の釈迦(しやか)は如来(によらい)
十七/歳(さい)にして出家(しゆつけ)し
三十歳の御/時(とき)十二月八
日/明星(みやうぜう)の出(いづ)るとき廓(くはく)
然大悟(ねんだいご)をしめし正/覚(がく)
を成(なし)たまへり
○誕生仏(たんじやうぶつ)は釈迦如来(しやかによらい)
卯(う)月八日寅の尅(こく)に誕(たん)
生(じやう)し給ひ七/歩(ぶ)あゆみ
御/手(て)の左右(さゆう)をもつて
上下をゆびさして天
上天/下(げ)唯我独尊(ゆいがどくそん)と
のたまへりとかや入滅(にうめつ)は
二月十五日なり
【左頁下段 挿絵】
出山(しゆつさんの)釈(しや)迦
 
誕生物(たんじやうぶつ)

【右頁上段】
○初祖(しよそ)達磨(だるま)は梁(りやう)の
武帝(ぶてい)にまみへ江をわた
りて魏(ぎ)の少林寺(せうりんじ)に入
たまふ世(よ)に芦葉(ろよう)の達(だる)
磨(ま)とも又は一/葦(ゐ)の達(だる)
磨(ま)ともいふ
○不動明王(ふどうみやうわう)右の手(て)に
利剣(りけん)を持(もち)左に搏(ばく)の縄(なわ)
を持(もち)給ふは衆生(しゆじやう)の邪悪(じやあく)
をいましめ給ふすがたなる
べし後(うしろ)の炎(ほのふ)は動(どう)ぜぬ
かたち又/凡人(ぼんにん)の怒(いかり)のていを
あらはし示(しめ)し給ふなるべし
【右頁下段 挿絵】
達磨(たるま)
 尊者(そんじや)

不動明王(ふどうみやうわう)
【左頁上段】
○龍猛菩薩(りうみやうぼさつ)は南天竺(なんてんぢく)
に出生(しゆつしやう)釈尊(しやくそん)より八百年
後(のち)なり真言宗(しんごんしう)第一の
祖(そ)なり大日/経(きやう)金剛頂(こんがうてう)経
蘇悉地経(そしつちきやう)を弘(ひろ)め給ふ
○善導大師(ぜんどうだいし)は唐土(もろこし)長(ちやう)
安(あん)の滝(たき)より出現(しゆつげん)し給ふ
三十/余年(よねん)少(すこし)も睡眠(すいみん)せ
ず唐(とうの)永隆(ゑいりう)二年三月十四
日/遷化(せんげ)
○天台(てんだい)大/師(し)は陳(ちん)隋(ずい)二代
の国師(こくし)唐土(もろこし)天台宗(てんだいしう)の開(かい)
祖(そ)十一月廿四日六十歳にて
入滅(にうめつ)智者大師(ちしやだいし)ともいふ
【左頁下段 挿絵】
龍猛(りうみやう)

善導(ぜんどう)
 大師(たいし)

天台大師(てんだいだいし)

【右頁上段】
○六/祖大師(そだいし)は唐土(もろこし)にて
達磨(たるま)より第六/祖諱(いみな)は
惠能(ゑのう)此下(このした)より禅宗(ぜんしう)五
家(か)にわかる大/監(かん)禅師(ぜんじ)は
おくり号(がう)なり 
○伝教(でんぎやう)大師は㝡證(さいてう)とも
いふ日本(につほん)天台(てんだい)の開祖(かいそ)なり
延暦(ゑんりやく)廿一年に入唐(につとう)五十六
歳六月四日/入滅(にうめつ)
○役行者(ゑんのきやうじや)は役小角(ゑんのせうかく)とも
いふ和州(わしう)の人/葛城山(かづらきやま)に入
て孔雀明王(くじやくみやうわう)の法(ほう)を行(おこな)ひ
後(のち)に母(はゝ)を鉢(はち)入て入唐(につとう)し
たまふ
【右頁下段 挿絵】
伝教(でんぎやう)
 大師(だいし)

六/祖(そ)大師(だいし)

役行者(ゑんのぎやうじや)
【左頁上段】
○寒山子(かんざんし)は初唐(しよたう)の人
天台山(てんだいさん)に隠(かく)れて常(つね)
に拾得(しつとく)と法友(ほうゆう)たり後(のち)に
去(さる)所(ところ)をしらず文殊(もんじゆ)の
化身(けしん)なりといふ
○拾得(じつとく)は豊于禅師(ぶかんぜんじ)の
道(みち)のかたはらに拾(ひろ)ひ得(ゑ)
たるゆへ拾得(じつとく)といふ常(つね)に
寒山(かんざん)とまじはるその終(おはり)
をしる人なし
○巨霊人(これいしん)は大/力(りき)神通(じんつう)
を得(え)たる仙人(せんにん)なり山を
劈(つんざく)の力(ちから)あり常(つね)に白虎(びやくこ)
を愛(あい)す
【左頁下段 挿絵】
寒山(かんざん)

拾得(じつとく)

巨霊人(これいじん)

【右頁上段】
○費長房(ひちやうぼう)は後漢(ごかん)の代(よ)
の人なり仙術(せんじゆつ)をまな
び得て白鶴(はくくはく)にのりて
空中(くうちう)を飛行(ひぎやう)しあそび
たる仙人(せんにん)なり
○琴高(きんかう)は神仙(しんせん)の術(じゆつ)を
学(まな)びて其(その)功(こう)なる大
いなる鯉(こい)に乗(じやう)して水上(すいじやう)
を飛行(ひぎやう)し書(しよ)をよみ
遊(あそ)びたる仙人(せんにん)なりと
いへり
【右頁下段】
琴高(きんかう)

費長房(ひちやうぼう)
【左頁上段】
○大公望(たいこうぼう)は尚父(せうほ)ともいへ
り渭浜(ゐひん)に釣(つり)して楽(たの)し
みたる隠士(いんし)なり後(のち)に
八十/余歳(よさい)に及(およん)で周(しう)の
文王(ぶんわう)その賢(けん)をしり給ひ
師(し)とし給ひ同/武王(ふわう)に兵(へい)
を教(おし)ゆついに紂王(ちうわう)を
亡し給ふ
○上利釼(じやうりけん)は釼(つるぎ)を乗(のりもの)と
して大海(だいかい)の波上(なみのうへ)を飛(ひ)
行(ぎやう)する術(じゆつ)を得(え)たりと
なん
【左頁下段 挿絵】
大公望(たいこうぼう)

上利劔(じやうりけん)

【右頁上段】
○張九歌(ちやうくか)は宋(そう)の代(よ)に都(みやこ)に
居(きよ)し冬(とう)月にたゞ単(ひとへ)の衣(ころも)
きるばかり帝(みかど)あやしみて
召(めし)て酒(さけ)を飲(のま)しむある日
王(わう)にまみへいとまをこひ薄(うす)キ
紙(かみ)を蝶(てふ)のかたちに剪(きり)て
是を放(はな)せば悉(こと〴〵く)飛(とび)さりける
又/招(まねけ)ばかへりて元(もと)の紙(かみ)と成
しとなり 
○鉄拐仙人(てつかいせんにん)は虚空(こくう)に
むかつて己(おのれ)がかたちを
ふきいだす術(じゆつ)を得(え)た
りし仙人なり
○蝦蟇仙人(がませんにん)はつねに
蝦蟇(ひきがへる)を愛(あい)せるゆへに
其(その)名(な)を得(え)たるとなん
【右頁下段 挿絵】
張九哥(ちやうくか)

鐵拐仙人(てつかいせんにん)

蝦蟇(がま)仙人
【左頁上段】
○西王母(せいわうぼ)は仙女(せんぢよ)なり
前漢(ぜんかん)の武帝(ぶてい)に桃(もゝ)を
奉る味(あぢはひ)甚(はなはだ)美(び)なり帝(みかど)
核(さね)を植(うへ)んと有しかば王(わう)
母(ぼ)の曰(いはく)此(この)桃(もゝ)三千年に一度(ひとたび)
花咲(はなさき)実(み)のる一ツ食(しよく)す
れば三千年の寿(ことぶき)をたも
つと東方朔(とうぼうさく)此桃を三ツ
ぬすみ食(しよく)せりとぞ
○通玄(つうげん)は張果呂(ちやうくはろ)とも
いふひさごの中(なか)より駒(こま)
を出す術(じゆつ)を得(え)たりし
仙人なり
【右頁下段 挿絵】
西王母(せいわうぼ)

通玄(つうけん)

【右頁上段】
○天人(てんにん)は首(かしら)の花曼(けまん)
しぼむことなく羽衣(はごろも)常(つね)
に垢(あか)づかずつねにま
たゝきせずとかや然(しかれ)
ども命(いのち)終(おは)るときは
楽(たのし)みつきて五/衰(すい)の
かなしみあり
○迦陵頻(かれうびん)は天上の
鳥(とり)なり天人(てんにん)の面(おもて)の
ごとく声(こゑ)すぐれて
美(うつ)くしよつて妙(めう)
声(せう)鳥(てう)又/好音鳥(かうおんてう)と
もいへり是(これ)仏経(ぶつきやう)の
説(せつ)なり
【右頁下段 挿絵】
迦陵頻(かれうびん)

天人(てんにん)
【左頁上段】
○和歌(わか)は此(この)国(くに)の風俗(ふうぞく)と
して三十一/字(じ)のかなをつら
ね心を種(たね)として情(じやう)を
述(の)ぶる事/実(まこと)をもとゝ
す故(ゆへ)に仏神(ぶつしん)も感応(かんおう)
有ほどの徳(とく)あるは歌(うた)也
それ和歌(わか)は神代(かみよ)より
始(はじま)るといへども住吉(すみよし)大/明(みやう)
神(じん)を以(もつて)歌(うた)の御/神(かみ)と崇(あが)め
奉り衣通姫(そとをりひめ)人麿(ひとまろ)赤(あか)
人を歌(うた)の祖神(そじん)とすと
かや後(のち)に俊成(しゆんぜい)定家(ていか)家(か)
隆(りう)のごとき歌人(かじん)数多(あまた)在(あり)
て秀歌(しうか)多(おゝ)し
【左頁下段 挿絵】
和歌(わか)
 三/神(じん)

衣通姫(そとをりひめ)

人麿(ひとまろ)

赤人(あかひと)

【右頁上段】
○詩(し)は唐土(もろこし)よりおこれ
り故(かるがゆへ)に唐歌(からうた)といふ夫(それ)
詩(し)は和歌(わか)に同じく六(りく)
義(ぎ)あり五/言(ごん)七/言(ごん)とて
五/字(じ)七字に作(つく)り絶句(ぜつく)
と律(りつ)とありよく其(その)情(じやう)
を述(のべ)て人心(じんしん)を感(かん)ぜし
め実(じつ)をあらはす事 詩(しい)
歌(か)の二ツにとゞめたり
白居易(はくきよい)あざ名(な)は楽(らく)
天(てん)晩唐(ばんだう)の詩人(しじん)なり
蘇軾(そしよく)字(あざな)は子瞻(しせん)東坡(とうば)
と号(がう)す宋(そう)の代(よ)の人
なり
【右頁下段 挿絵】
詩人(しじん)
 白楽天(はくらくてん)

東坡(とうば)
【左頁上段】
○筆道(ひつどう)は唐土(もろこし)の文字(もんじ)
なり漢字(かんじ)といふ晋(しん)の
王義之(わうぎし)筆法(ひつほう)の祖(そ)とす
石面(せきめん)に書(しよ)すれば墨(すみ)石(いし)へ
一寸ばかりしみ入しとなり
日本(ひのもと)にては嵯峨天皇(さがてんわう)
弘法大師(こうぼうだいし)橘逸勢(たちばなのはやなり)是を
三/筆(ひつ)といふ道風(とうふう)佐理(さり)
行成(かうぜい)を三/跡(せき)といふ何れ
も筆道(ひつどう)の名誉(めいよ)後世(こうせい)
に残(のこ)りて其(その)筆跡(ひつせき)を
尊(たつと)べり尊円親王(そんえんしんわう)の御/筆(ひつ)
跡(せき)を御家(おいゑ)一/流(りう)と称(しやう)じ
て今(いま)世(よ)に習(なら)ひもちゆ
【左頁下段 挿絵】
筆道(ひつどう)

晋(しんの)
 王義之(わうぎし)

小野道風(おのゝとうふう)

【右頁上段】
○琴(こと)は伏羲(ふつき)の作(つく)り始(はじ)メ
給ふ五十/弦(けん)又廿五/弦(けん)あり
瑟(しつ)といふ楽器(がくき)を用(もちゆる)を
和琴(わごん)といふ又/世(よ)に翫(もてあそ)べる
十三/弦(けん)の琴(こと)をつくし
琴といふ音曲(おんぎよく)しらべ上手(じやうず)
多(おゝ)くあり
○香(かう)は清浄(せうじやう)潔白(けつはく)の徳(とく)
ある物(もの)にて穢(けがれ)をさくる
故(ゆへ)に神前(しんぜん)仏前(ぶつせん)にて焼(たく)
なりその香(か)遠(とをき)にいたる
伽羅(きやら)は水(みづ)に入てしづむ也
よつて沈香(ぢんかう)といふ唐土(もろこし)
よりきたる
【右頁下段 挿絵】
琴(こと)

香(かう)
【左頁上段】
○鞠(まり)は唐土(もろこし)女媧氏(じよくはし)の
代(よ)に逆臣(ぎやくしん)蚩尤(しゆう)といふ
者(もの)謀叛(むほん)を企(くわだて)軍(いくさ)に及(および)
しが女媧子(じよくはし)は女帝(によてい)なが
ら聖徳(せいとく)あれば万民(ばんみん)な
びき従(したが)ひ終(つひ)に蚩尤(しゆう)を
討亡(うちほろぼ)し給ひ其(その)頭(かうべ)をは
ねたり諸人(しよにん)蚩尤(しゆう)を悪(にく)
みて頭(かしら)を蹴(け)たり是(これ)鞠(まり)
の始(はじめ)とかや鞠のかゝりは
松(まつ)楓(かへで)柳(やなぎ)桜(さくら)の四本を植(うゆ)
るなり飛鳥井家(あすかゐけ)難波(なんば)
家(け)鞠(まり)の御/家(いゑ)なり上が
茂(も)社家(しやけ)松下(まつした)一/流(りう)あり
【左頁下段 挿絵】

 蹴鞠(しうきく)

【右頁上段】
○目利(めきゝ)は墨蹟(ぼくせき)古画(こぐは)又
万(よろづ)の器(うつはもの)の真贋(しんがん)をよく
見分(みわく)る人をいふ古筆見(こひつみ)
とも名付(なづく)剣(つるぎ)の目利(めきゝ)は
本阿弥(ほんあみ)とて其(その)家(いゑ)あり
○算術(さんじゆつ)は万法(まんほう)にわたり
貴賎(きせん)ともになくてかなは
さる事なり天地(てんち)五/運(うん)
の行道(ぎやうどう)も算数(さんすう)を以て
考(かんが)ふ高山(かうざん)万里(ばんり)の数(すう)を知(し)
る事も皆(みな)算勘(さんかん)の術(じゆつ)
をもつてす人間(にんげん)日用(にちよう)算勘(さんかん)の高徳(かうとく)あげてか
ぞへがたし
【右頁下段 挿絵】

目利(めきゝ)

筭術(さんじゆつ)
【左頁上段】
○諸礼(しよれい)は人倫(じんりん)の交(まじは)り
において礼なくてかなは
ざる事なり聖人(せいじん)の
教(をしへ)給ふ六芸(りくげい)といふは礼(れい)
楽(がく)射(しや)御(ぎよ)書(しよ)数(すう)なり中(なか)
にも礼を重(おもん)じ給ふこの
国(くに)の礼儀(れいぎ)の作法(さほう)は将(しやう)
軍(ぐん)義満(よしみつ)公の御代(みよ)より始(はじま)
れりとぞ小笠原家(おがさはらけ)の
諸礼(しよれい)といふ又/躾方(しつけがた)とも
いふ仕官(しくはん)の人は勿論(もちろん)の
事/貴人(きにん)にまじはる人
はしらでかなはぬ芸(げい)な
れば心がけ有(ある)べき事也
【左頁下段 挿絵】

諸礼(しよれい)

【右頁上段】
○弓(ゆみ)は射芸(しやげい)といふ武(ぶ)
士(し)の家(いゑ)に生(うま)るゝ人は射(しや)
芸(げい)を学(まな)ばずんばあるべか
らず武士(ぶし)を弓執(ゆみとり)とは
いふなり唐土(もろこし)に楊由(やうゆう)
基(き)と云し弓(ゆみ)の達人(たつじん)は百
歩(ほ)下(さが)りて柳(やなぎ)の葉(は)を
射(ゐる)に一/葉(は)も射(ゐ)そんずる
事なしとぞ我朝(わがてう)に
おゐては鎮西為朝(ちんぜいためとも)能(の)
登守(とのかみ)教経(のりつね)那須与一(なすのよいち)
等(とう)弓(ゆみ)の達人(たつじん)なり其
外(ほか)数多(あまた)精兵(せいへい)の射(ゐ)て
ありしなり
【右頁下段 挿絵】

 弓(ゆみ)
【左頁上段】
○馬(むま)は乗馬(じやうば)の法(ほう)なり
是(これ)武士(ぶし)の要道(ようどう)なれば
師伝(しでん)を受(うけ)て習(なら)ふべきこ
と肝要(かんよう)なり巧者(こうしや)無功(ぶこう)
者(しや)によりて俊馬(じゆんめ)【「俊」は「駿」の当て字ヵ】にても
あしく曲(くせ)出(いづ)るなり其/品(しな)
百曲(もゝくせ)ありとかや駒(こま)のし
いれ曲(くせ)の直(なを)しやう法式(ほうしき)
ありてむかしより八/乗(じやう)
流(りう)あり今世(こんせい)大坪(おほつぼ)の一/流(りう)
を専(もつはら)にもちひて武士(ぶし)の
要道(ようどう)とす高山(かうざん)の𡸴(けん)【山+㑒】岨(そ)も
たやすく上り大河(たいが)を渡(わたす)
も是(これ)みな俊馬(じゆんめ)の徳(とく)也
【左頁下段 挿絵】

 馬(むま)

【右頁上段】
○剣術(けんじゆつ)は太刀打(たちうち)の
法(はう)なり兵法者(へいほうじや)とも
いふ武士(ぶし)第一の道(みち)也
流儀(りうぎ)あまたあり神(しん)
道流(とうりう)柳生流(やぎふりう)新影(しんかげ)
流/一刀(いつたう)流などさま〳〵
有/併(しかし)未熟(みじゆく)の芸(げい)を
頼(たの)み身(み)の危(あやうき)をしら
ざる人まゝ多(おゝ)しいた
ましき事にあらすや
今(いま)静謐(せいひつ)の御代(みよ)に
おゐては商家(しやうか)職人(しよくにん)
農人(のうにん)等(とう)はしらぬこ
そよかるべし
【右頁下段 挿絵】

 釼術(けんじゆつ)
【左頁上段】
○囲碁(いご)は周公旦(しうこうたん)作(つく)り
給ふと云/吉備大臣(きびだいしん)入(につ)
唐(とう)の時/伝来(でんらい)といふ三百
六十/目(もく)は年月(ねんげつ)日/数(かず)也九
目(もく)星(ほし)は九/曜(よう)の星(ほし)石(いし)の
黒白(こくびやく)は昼夜(ちうや)を表(ひやう)する
なりとぞ
○将棋(しやうぎ)は周(しう)の武帝(ぶてい)臣(しん)
下(か)王褒(わうほう)に命(めい)じて作(つく)ら
しむ軍法(ぐんほう)の備(そなへ)をかたど
りしものなり大将棋(だいしやうぎ)中
将棋あり今もてあそ
ぶを小将棋(しやう〳〵き)といふもと
よりならひあるなり
【左頁下段 挿絵】

 圍碁(いご)

将棊(しやうぎ)

【右頁上段】
○茶湯(ちやのゆ)はむかしより
ある事なれども茶(ちや)
亭(てい)を数寄(すき)屋と号(がう)し
草木(さうもく)の植(うへ)やう料理(りやうり)等に
いたるまで法式(ほうしkい)を立(たて)て
くわしくなりしは千(せんの)
利休(りきう)よりはじまれり
古田織部(ふるたをりべ)小堀遠州(こぼりゑんしう)な
ど茶道(さどう)の達人(たつじん)其/流(りう)
品々(しな〳〵)あり人倫(じんりん)の交(ましは)り
行儀(ぎやうぎ)をしるの一助(いちぢよ)なり
元来(もとより)茶道(さどう)は奢(おごり)をは
ぶき敬恭(けいきやう)をもとゝす
るを本意(ほんい)とすといふ
【右頁下段 挿絵】

茶湯(ちやのゆ)
【左頁上段】
○立花(りつくは)は京/六角堂(ろくかくだう)
の別当(べつたう)池坊(いけのぼう)立花の宗(そう)
匠(しやう)なり毎年(まいねん)七月七日
に門弟(もんてい)参集(さんしう)して立(たつ)
る貴賎(きせん)是を見物(けんぶつ)す
又/拋入(なげいれ)の伝(でん)所々(しよ〳〵)に師(し)
あり今世(きんせい)なげ入/専(もつはら)に
おこなはれて花の会(くわい)
多(おゝ)し宜(むべ)なるかな花
は人の心をなくさめ
欝気(うつき)をさんずるもの
なればよきわざにて
貴賎(きせん)のもてあそびと
なるもことはりぞかし
【左頁下段 挿絵】
立花(りつくは)

【右頁上段】
○山伏(やまぶし)を修験道(しゆげんどう)とも
いふ真言(しんごん)の法(ほう)なり行(ぎやう)を
修(しゆ)し身(み)をこらし又/高(かう)
山(ざん)大山へのぼりて行(ぎやう)を
なすなり常(つね)に天文(てんもん)易(えき)
学(がく)をまなびて諸人(しよにん)の
五/運(うん)八/卦(け)を占(うらな)ひ手(て)の筋(すじ)
吉凶(きつけう)病(やまひ)の軽重(きやうぢう)失物(うせもの)の
方(はう)がく等(とう)を考(かんが)ふまた
一/派(は)役行者(えんのきやうじや)の法(ほう)を修(しゆ)
するものあり是を行者(ぎやうじや)
の先達(せんだち)といふ人の病(やまひ)を
祈祷(きとう)す垢離場(こりば)あり是を
行者(ぎやうじや)ぼりといふ 
【右頁下段 挿絵】
山伏(やまぶし)
【左頁上段】
○鷹(たか)は唐土(もろこし)五/帝(てい)の時
より賞(しやう)ぜりとかや我(わが)
朝(てう)にわたりしは神功(しんこう)
皇后(くはうごう)の御代(みよ)に百済(ひやくさい)
国(こく)より始(はじめ)て鷹(たか)を奉
る其後(そのゝち)仁徳天皇(にんとくてんわう)の
御代(みよ)に唐(とう)より鷹を
献(けん)ぜしかば御猟(みかり)を催(もよほ)さ
れ諸鳥(しよてう)をとらしめた
まふ是(これ)鷹狩(たかがり)のはじ
めなり鷹は勇気(ゆうき)さ
かんにして武備(ぶひ)の鳥(とり)
なれば武門(ふもん)に賞(しやう)せら
るゝ事/宜(むべ)なり
【左頁下段 挿絵】
鷹(たか)
 匠(じやう)

【右頁上段】
○能(のふ)はむかしよりある
事なれども其/伝(でん)たし
かならず後小松院(ごこまつのいん)の
御于(ぎよう)に観世(くはんぜ)世/阿弥(あみ)と
いふ者(もの)公方家(くばうけ)の能太(のふた)
夫(いふ)にてさかんに翫(もてあそび)ぬ後(のち)
に金春(こんはる)宝生(ほうしやう)金剛(こんがう)と別(わかれ)
て四/座(ざ)といへり又/猿楽(さるがく)
といふ事は猿田彦(さるたひこ)の余(よ)
流(りう)のいひなりとかや謡(うたひ)は
日本(ひのもと)遊興(ゆうけう)の随一(すいいち)にして
神祇(じんぎ)釈教(しやくきやう)恋(こひ)無常(むじやう)故(こ)
事(じ)世(よ)の諺(ことはざ)まて悉(こと〴〵く)集(あつ)
むるものなり
【右頁下段 挿絵】
能(のふ)

脇(わき)
地謡(ぢうたひ)
《割書: 同音(どうおん)ともいふ》
太夫(たいふ)《割書:してとも|    いふ》
【左頁上段】
○笛(ふえ)小鼓(こつゞみ)大鼓(おゝつゞみ)太鼓(たいこ)
是を四/拍子(ひやうし)といふなり
笛(ふえ)は漢(かんの)武帝(ぶてい)の時(とき)丘仲(きうちう)作(つく)る
とかや鼓(つゞみ)は秦(しん)の穆王(ぼくわう)の
作(さく)なり大鼓(おゝつゞみ)は陽(やう)にして
呂(りよ)なり小皷(こつゞみ)は陰(いん)にして
律(りつ)なりこれ陰陽(いんやう)和(わ)
合(がう)の器(き)なり又/太鼓(たいこ)は
黄帝(くはうてい)の時(とき)夔(き)を殺(ころ)【煞】し
其(その)皮(かは)をもつて作(つく)れり
とかや或(あるひ)は云/黄帝(くはうてい)蚩(し)
尤(ゆう)とたゝかふ玄女(げんじよ)帝(みかど)
のために夔牛(きぎう)の鼓(こ)
を作(つく)れりと云々
【左頁下段 挿絵】
笛(ふえ)
小皷(こつゞみ)
大皷(おほつゞみ)
太皷(たいこ)

【右頁上段】
○狂言(きやうげん)はそのはじまり
つまびらかならずのふ
の間へ入る事は気(き)を
転(てん)じて笑(わらひ)をもよふす
べきためなるべし能(のふ)と
同じく流義(りうぎ)のわかち
ありて少しのかわり有
又/狂言(きやうげん)のうちに伝授(でんじゆ)
とするものありそれ
狂言の本意(ほんい)は狂戯(きやうけ)を
専(せん)として人の心をなぐ
さめわらひをおこす事
を要(よう)としたるものなり
とかや
【右頁下段 挿絵】
狂言(きやうげん)
【左頁上段】
○浄留理(じやうるり)は小野(をのゝ)お通(づう)
に始(はじま)るお通(づう)は信長公(のぶながこう)の
侍女(しじよ)なり参州(さんしう)矢作(やはぎ)
浄留理娘(じやうるりむすめ)が事(こと)を作(つく)る
岩船検校(いわふねけんげう)ふしを付(つけ)て
是(これ)を浄留理(じやうるり)といへり
其(その)後(のち)瀧野(たきの)沢角(さはつの)の両(りやう)
検校(けんげう)三線(さみせん)に合(あは)せて曲(きよく)
節(せつ)をかたる又(また)慶長(けいちやう)の頃(ころ)
より浄留理(じやうるり)太夫(たいふ)の受領(じゆれう)
をいたゞく事(こと)になり
京大坂江戸に浄留理
太夫/多(おほ)くなりて色々(いろ〳〵)の
流義(りうぎ)出来(しゆつたい)せり
【左頁下段 挿絵】
浄留理(じやうるり)
 太夫

【右頁上段】
○三絃(さみせん)は元来(ぐはんらい)琉球(りうきう)
国(ごく)の楽器(がくき)なるよし
三味線(さみせん)とも書(かく)なり
近世(きんせい)諸国(しよこく)ともに此(この)三
絃をもてあそぶ事/専(もつはら)
なり尤/淫声(いんせい)の物なれ
ども調子(てうし)におゐて自(じ)
由(ゆう)なる器(き)なり故(ゆへ)に雪(せつ)
月(げつ)花(くは)の楽(たのし)みその余(よ)の
遊興(ゆふけう)いづれ三絃をもて
一曲(いつきよくの)専要(せんよう)とす又/小弓(こきう)と
いふものは三絃より作(つく)り
出せるものなるべし
【右頁下段 挿絵】
三絃(さみせん) 小弓(こきう)
【左頁上段】
○芝居(しばゐ)は其(その)おこりは
河原(かはら)の芝(しは)にござなんど
を敷物(しきもの)として狂言(きやうげん)を
なしたるものにて今の
放下(ほうか)しなどゝ同し類(たぐひ)
の物なりしが次第(したい)に高(かう)
上(じやう)になりて衣服(いふく)器物(きぶつ)
まても花美(くはび)を尽(つく)して
立役(たちやく)女形(をんながた)敵役(てきやく)などゝ
それ〳〵に役(やく)をわけて
三ケの津(つ)には常芝居(じやうしばゐ)
をゆるされ諸人(しよにん)の慰(なぐさみ)所
とはなりぬよつて芝居(しばゐ)
と名(な)づけ侍りぬ
【左頁下段 挿絵】
芝居(しばゐ)役者(やくしや)《割書: | |敵役(てきやく)|女形(をんながた)|立役(たちやく)》

【右頁上段】
○人形(にんきやう)芝居(しばゐ)はあやつり
ともいふ名(な)ありはじめは
人形を糸(いと)にてつり
つかひし事なりしが
功者(こうしや)出(で)きて今(いま)は自由(じゆう)に
はたらきをなす事/生(しやう)
あるがごとし難波(なには)竹本(たけもと)
豊竹(とよたけ)の両(りやう)芝居(しばゐ)をもとと
す上手(じやうず)あまたあり又
難波(なには)に竹田(たけだ)といふからく
り人形(にんぎやう)の芝居あり珍(めづ)ら
しき細工(さいく)をなして人の
目(め)をおどろかすほどの上(じやう)
手(ず)なり
【右頁下段 挿絵】
人(にん)
 形(きやう)
芝(しば)
 居(ゐ)
【左頁上段】
○軽業(かるわざ)はむかしより其
伝(でん)ある事にや始(はしめ)をしら
ず誠(まこと)に危(あやう)き所作(しよさ)なれ
どもかね合(あひ)手練(しゆれん)のこと
にて上手(じやうす)あまた出て
人の目(め)をよろこばしむる
といへどもやゝもすれば
怪我(けが)過(あやまち)をなすもの有
きりん太夫といひしもの
一ツつなをわたり始し
より軽(かる)わざしをすべて
世俗(せぞく)にきりんとよぶ幼(よう)
稚(ち)の時より仕(し)なれざれは
なりがたかるべし
【左頁下段 挿絵】
軽業(かるわざ)

【右頁上段】
○鉢扣(はちたゝき)は元祖(くはんそ)空也(くうや)上
人なり下京(しもぎやう)空也堂(くうやどう)の
内(うち)に住居(すまゐ)して茶筌(ちやせん)を
けづり作業(さきやう)とす十二
月十三日より京町中を
売(うり)ありく正月大ぶくの
茶筌(ちやせん)めてたき例(ためし)とし
て求(もとむ)る事なり 
○鹿島(かしま)の事触(ことふれ)といふ
は毎年(まいねん)春(はる)鹿島(かしま)大/明(みやう)
神(じん)其(その)年(とし)の吉凶(きつけう)人間(にんげん)の
身(み)の上(うへ)五穀(ごこく)の善悪(よしあく)等(とう)
神託(しんたく)あるを諸国(しよこく)へ触(ふれ)
しらするものなり
【右頁下段 挿絵】
鉢敲(はちたゝき)

鹿嶋事觸(かしまのことふれ)
【左頁上段】
○猿舞(さるまはし)はふるきこと
なるよし今(いま)京都(きやうと)へ
来るは伏見(ふしみ)の辺(へん)より
出るよし年(とし)の始(はじめ)に
御所方(ごしよがた)へ嘉例(かれい)とし
て上りめでたき事
を舞(まは)しむ又/田舎(いなか)にて
牛馬(うしむま)を飼(かふ)所は秋入(あきいれ)の
時分(じぶん)きとうのためにと
て舞(まは)しむとかや其(その)故(ゆへ)は
猿(さる)は山の父(ちゝ)と称(しやう)じ馬(むま)は
山の子といふゆへなりと
あいのふ抄(せう)といふ書(しよ)に
見へたり
【左頁下段 挿絵】
猿(さる)
 舞(まはし)

【右頁上段】
○万歳楽(まんざいらく)は年(とし)の始(はじめ)に
めでたき例(ためし)をとり揃(そろ)へ
て祝(いは)ひまふなりむかし
よりも有事なるよし
聖徳太子(しやうとくたいし)の御/時(とき)に烏(ゑ)
帽子(ぼし)装束(しやうぞく)を下し給はり
し例(れい)によりて今に烏(ゑ)
帽子(ぼし)素襖(すはう)を着(ちやく)すると
いへり都(みやこ)へ来るは大和(やまと)ゟ
出る農人(のうにん)なりよつてや
まと万歳(まんざい)といふ又/中国(ちうごく)
へは美濃(みの)より出/東国(とうごく)へは
三河(みかは)の国よりもいづると
いふ
【右頁下段 挿絵】
万歳楽(まんざいらく)

夫 ̄レ宮‾宝衣‾冠。動‾植飛‾沈。凡‾百器‾用。以_二
文‾字_一。写_二‾貌其 ̄ノ状_一 ̄ヲ。則苦‾捜力‾索。劣 ̄カニ得_二其
彷‾彿_一 ̄ヲ。求_二之図‾絵_一 ̄ニ。則一‾目瞭‾然。思已 ̄ニ過
_レ半 ̄ニ矣。故古‾人之講_レ学。必也右‾書左‾図。
図‾書並_称。所_二従‾来_一尚 ̄シ矣。惕‾齋先‾生所
_レ著図‾彙。其意 ̄ノ所_レ属。蓋亦在_二乎此_一 ̄ニ。其 ̄ノ書
奚 ̄ソ_翅訓_二‾導童‾蒙_一云_爾。雖_二宿‾儒老‾学_一。亦
有_三資 ̄テ以広_二致‾格之識_一 ̄ヲ。家_珍【珎】人_蔵。良 ̄ニ有

_レ以哉。従_二寛‾文_一逮_レ今 ̄ニ。殆 ̄ト百幾十年。版已 ̄ニ
就_二刓‾欠【缺】_一 ̄ニ。今_茲寛‾政己‾酉。額_田_氏主‾人。
嘱_二 下_河_邊_氏_一 ̄ニ。移_二‾写 ̄シ旧‾様_一 ̄ヲ。再‾刻剞‾劂。而
精‾工縝‾密。視_レ旧 ̄ニ有_レ倍 ̄コト焉。刻_成。請‾余以_二
一‾語_一。余_謂 ̄フ。近 ̄ロ有_二春‾朝‾斎山_城名‾所図‾
会_一。亦以_二図‾絵 ̄ノ之故_一。盛 ̄ニ行_二乎世_一 ̄ニ。朝‾摺暮‾
印。洛‾陽紙_貴。彼 ̄ハ実 ̄ニ不_レ過_二 一‾臥‾遊 ̄ノ之具_一 ̄ニ
而已。猶_且見_レ賞如_レ斯。況 ̄ヤ之大 ̄ニ有_レ益之

書。非_三徒 ̄ニ供_二於目‾翫_一 ̄ニ也。則必与_レ彼並_駆。
而超‾乗過此。如_レ指_二諸掌_一 ̄ニ。余預 ̄シメ為_二額田
翁_一 ̄ノ作_レ賀。翁其 ̄レ記 ̄シテ而験_レ ̄セヨ之。

  己酉四月      春荘端𨺚【隆】
      【方印 陰刻】《割書:端隆|之印》 《割書:文|中氏》

寛政元年己酉三月吉辰 出来
 皇都書林  九皐堂 寿梓
【上段】
訓蒙図彙《割書:大本》       全八冊
同本小本        全四冊
同増補頭書       全八冊
同増補頭書大成     全十冊
《割書: 寛政元年出来|   下河邊拾水子画図》
同増補頭書大成拾遺     《割書:全五冊|嗣 出》
三才千字文《割書:訓蒙図彙の目録を幼童の素|読になして文字を覚ゆるに便あらしむ》
【下段】
村上 勘兵衛
出雲寺文治郎
今井七良兵衛
額田 正三郎
勝村治右衛門
泉  太兵衛
小川太左衛門
小川 源兵衛
谷口 勘三郎
【二重丸印 朱】R.F./BIBLIOTHÉQUE NATIONALE :: MSS ::

字尽節用解(じづくしせつようかい)【觧】《割書:中本| 全部壱冊》《割書:世(よ)に節用(せつよう)あまたありといへども文字(もじ)の訳(わけ)委(くはし)からざる|故(ゆゑ)に良(やゝ)もすれば誤(あやま)る事/多(おほ)し故に此/節用(せつよう)にはしれがたき|文字(もじ)をそれ〳〵仮名(かな)にてくはしく義理(ぎり)をとき初心(しよしん)の|輩(ともがら)文章(ぶんしやう)等/認(したゝむ)るに必(かならず)誤なからしむ実(じつ)に重宝(てうほう)の書也》
万徳雑書三世相(まんとくさつしよさんぜそう)《割書:大本| 全部壱冊》《割書:此書(このしよ)は人々一代の吉凶(よしあし)家屋敷(いへやしき)田畑(でんはた)の売得(ばいとく)普請(ふしん)|移徒(わたまし)宅替(たくかへ)の方角(ほうがく)吉凶(よしあし)あるひは男女(なんによ)縁組(ゑんぐみ)相性(あいせう)|の善悪(ぜんあく)夢(ゆめ)のうらなひ八卦(はつけい)手相(てのすぢ)暦(こよみ)上中下段の|次第/年中(ねんぢう)日のよしあし等(とう)平かなにてしるし|俗家(ぞくか)重宝(てうほう)随(ずい)一の書(しよ)にて常(つね)に弄(もてあそ)ひ益(ゑき)ある書也》
古文(こぶん)余師(よし)  《割書:後集之部| 全部四冊》 《割書:此/古文(こぶん)は師(し)を求(もとめ)ずして読安(よみやす)きやうによみかた平|かなにて記(しる)し本文には註(ちう)をくはへて文句(もんく)の義理(ぎり)を|釈(とき)やはらげ独学(どくかく)のたよりとす。故事(こじ)をくはしく記たれば|詩歌(しいか)連俳(れんぱい)のためには至(いたつ)て自由(じゆう)を得(う)る至宝の書也》
四書国字弁(ししよこくじべん) 全部十冊 《割書:片かなにて本文に註釈(ちうさく)をくはへたれは師(し)を求(もと)めずし|てくはしく解(げ)し又人にとき聞(きか)しむる随一の書なり》
古今和歌集 《割書:文政新板大本|校正全部二冊》 《割書:文政新改にして惣(そう)じて古がなをもちひ又はかなちがひ|を正し異本(ゐほん)をかたはらにくはへて歌人(かじん)の至宝(てうほう)に備ふ》
 京都書林  津逮堂  吉野家仁兵衛板
【丸印 朱 中央に冠を頂く鳥(鷲ヵ鷹ヵ)の図を囲むように円形の文字列】BIBLIOTHÈQUE IMPÉRIALE MAN.
【二重丸印 朱】R.F./BIBLIOTHÈQUE NATIONALE :: MSS::

BnF.

【表紙 題箋】
住吉物語 《割書:下》

【資料整理ラベル】
SMITH-LESOUEF
JAP 177 1

【右丁 文字無し】
【左丁】
それわかてうはそくさんへんち【粟散辺地】の
小こくたりと申せとも大こくに
まさりて人のちえもかしこく
くにもめてたくさかへゆく事は
しんこくとして三千七百よしやの
大小のじんぎみやうたう【神祇冥道】ひかりを
やはらけおうこし給ふによつてなり
中にももつはらわうしやうをまもり
たまふは二十二にえらはれたまふ
又ぎよくたいにちかつきてまいにち
ちんご【鎮護】したまふをは三十ばんじん【番神】と
さため給ふちはやふる神のちからは
まち〳〵なりと申せとも津のくに

【右丁】
つもりのうらすみのえにあとをたれ【注】
たまふすみよし大みやうしんのれい
げんことにすくれてあらたなりされは
大こくのえひすら日ほんは小こく
なりとあなとりうちとらんとする
事七かどにおよびしかとも一ども
くにのなんなかりける事はひとへに
すみよしの大みやうしんあらみさき【荒御先】と
なり給ふゆへなりそも〳〵たうしや
すみよし大みやうしんと申たてまつ
るはぢじんだい五だいうかやふき
あはせずのみことのすいしやく【垂迹】し給ふ
とそきこゑけるむかしいんやういまた

【注 「迹を垂る」=仏が仮に神の姿となって現れる】
【左丁】
わからさるときはこんとんにして
雞子(けいし)のことくなりしにすめるものは
のほつて天となりにごれるものは
くたつてちとなりけるその中に
かみうまれたまふかたち鶯(ろ)【鷺?】牙(げ)の
ことしともいへりうをのみづにうかみ
あかれるにもにたり人とならせ給ふ
てはみくし八ツてあしも八ツおはし
けるが大じやのことくなるおもあり
けるとかやこれをすなはち天じんの
さいしよくにとこたちのみことゝ申
たてまつるあるときにみことあまの
とほこをおろしてこのしたにくにあらん





【右丁】
やとて大かいのそこをさくり給へとも
くになかりしかはほこをあ【ママ】きあけ
うかひ【浮かび】けるにそのほこのしたゞりお
ちとゞまりこりかたまりてしまと
なるかるかゆへにをのころしまと
申なり此あきつす【秋津洲のこと】のちくへきせん
ひやうにや大かいのなみのうへに大日と
いふもじうかめりもんしのうへにほこ
のしたゞりとゝまりてしまとなる
かるかゆへに大日ほんこくといへり
さてくにとこたつのみことてんじやう
し給ひしかはくにさつちのみことあら
はれ出たまひてこつかをかため給ひ

【左丁】
けり百おくまんざいをへたまひて
のちとよくんぬのみことあらはれ給ふ
よにふによう【豊饒】のたねをまき給ふは
このみことのはからひとかや以上三だいは
おがみ【男神】にておはしましけりそのゝち
おがみにうはそにのみことこくどに
つちをまき給ふめがみ【女神】にすいちにの
みことこくどにいさご【砂子】をまきたまふ
ともに二百おくまんざいをへ給ふ
とかやそのゝち又おがみに大とのちの
みことめがみに大とのへのみことくに
のさかひみちをさためたまひけり
つぎにおがみにおもたるのみこと御さう

【右丁】
ぎやう【相形=顔つき】うつくしくおはしますめがみに
かしこねかしこねのみこと御こゝろねかしこくおはし
ますともに二百おくまんさいをへた
まひけり以上三だいはなんによのかた
ちましますといへともいまたふうふ
こんかうのみちはなかりけりだい七だ
いにあたらせ給ふいざなぎのみこと
いざなみのみことニはしらおつとめと
ならせたまひつゝ一ツのくにをうみ
たまふにいまのあはちのしまこれなり
このくにあまりにちいさかりしゆへに
吾恥国(あはちのくに)とはのたまひける二はしらかの
くにゝあまくたらせ給ひつゝいつかはのに

【左丁】
いてゝみすかくさをくひそめたまふ
これいまのわらひといへるものなりのに
あるものをくふ事はこれよりはしま
れりかくてこのくにのありさまを見
たまふにあしはらをひしけるとて
ところもなかりけれはとてこのあしを
ひきすて給ふところにあしをおきたる
ところはやまとなりひきすてたる
あとは川となりけりかゝりしかとも
いんやうわがそのみちをはしりたまは
さるところににはくなふり【庭くなぶり=鶺鴒(せきれい)の古名】といふとり
のおをつちにたゝきけるをみ給ひて
二はしらはじめてとづく【「とつぐ」の誤記ヵ】事をならひ





【右丁】
たまひあなうれしやうましおとめに
あひぬとよみたまふこれわかのはしめ
なりにはくなふりをいなをせとりとも
いふなりしんめいの御うたに
  あふ事をいなをふせとりのをしへすは
   人はこひぢにまよはさらまし
かくて二はしらくにのかすをつくりさん
せきさうもくをうへ給ふかよのぬし
なからんやとて一によ三なんをうみ
たまふ日のかみ月のかみひるこのみこと
そ【ママ】さのをのみことこれなり日のかみと
申はあまてらすおほんかみの御事なり
月のかみと申は月よみのみことなり

【左丁】
この御かたちあまりにうつくしくお
はしまし人のたぐいに見えたまはね
ばてんにのほらせ給ふとかやいまのき
しうかうやさんにふの大みやそしんこ
れなりひること申たてまつるは
ゑびす三郎とのゝ御事なりうまれ
たまふてのち三とせまて御あし
たゝすしてかたわにおはせしかは
あまのいはくすふね【磐櫲樟船 注】にのせてうみに
はなちたてまつるこきんしう大え
のまさひらうたに
  かそいろ【かぞいろ=両親】はいかにあはれとおもふらん
  みとせになりぬあしたゝすして

【注 「いわ」は堅固の意。樟で作った堅牢な船】











【右丁】
とよめるはこれなりつゐに津のくに
むこのうらになかれよらせ給ひつゝうみ
をれうする神といはゝれたまふ
     
    にしのみや
       大みやうしんと

     かうし【号し】
       たてまつると
            かや

【左丁 絵画 文字無し】

【右丁】
そ【ママ】さのをのみことは御こゝろあらふ
してくさきをからしきんしう【禽獣】
のいのちをうしなひたまふによつて
ふけう【不孝】せられ給ふかてんしやう大じん
二はしらの御ゆづりをうけこのくにの
あるしとならせたまふ事をいかり
てわれくにをとらんとていくさをおこ
しさばべ【「へ」とあるところ。濁点は誤記】なさんと一千のあくじんを
うつしてやまとのくにうたのに一千の
つるぎをほり立(たて)てじやうくはくとして
たてこもりたまふ天しやう大じん
これをよしなき事におほしめして
やをよろづの神たちをひきぐし

【左丁】
かづらきのあまのいはとにとぢこ
もらせたまひけれはくにのうち
みなとこやみになりてけり此とき
にしまねみのみことこれをなけきて
かく山のしかをとらへてかたのほねを
ぬきはわかの木【葉若木=榊(さかき)の異名】をやきてこの事
いかゝあるへしとうらなはせたまふに
かゝみをいていはとのまへにかけうた
をうたはば御いてあるへしとうら【占】に
いてたり
 かくやまのはわかのもとにうらとけて
  かたぬくしかはつまこひなせそ
とよめるうたはすなはち此心なり




【右丁】
さてしまねみのみこと一千の神
たちをかたらひてやまとのくにあま
のかくやまににはびをたき一めん
のかゝみをいさせ給ふ此かゝみはおもふ
やうにもなしとてすてられぬい
まのきしうにちせんくうのしんたい
これなりつぎにいたまひしかゝみ
こそよかるへしとてさかきのえた
につけて一千のかみたちをせうじ【招じ】
てうしをそろへかみうたをうたひ
給ひけれは天しやう大しんこれに
めて給ひていはねたちからをのみこと
にあまのいはとをすこしひらかせて

【左丁】
御かほをさし出させたまへはせかい
たちまちあきらかになりてかゝみ
にうつらせたまへる御かたちなかく
きえたまはすこのかゝみをなつけて
やたのかゝみとも又はないしところとも
かしこ所とも申なり天しやう大じん
あまのいはとをいてさせたまひて
のちやをよろつのかみたちをつかはし
うだのゝじやうにほりたてたる
一千のつるぎをみなけやぶつてすて
たまふこれよりしてちはやふるとは
申つゞくるなりこのとき一千のあく
じんはさはべとなりてうせにけり





【右丁】
そ【ママ】さのをのみことはいつものくにになか
され給ふこゝにかいしやうにうかんで
なかるゝしまありみこと御てにて
なでとゞめてすみ給ふたましまと
申候これなりこゝにしてはるかに
見たまへはすがのさとのおくひのかは
かみといふところに八いろのくもたち
けりみことあやしくおほしめして
ゆきて見給へはおきなうは二人う
つくしきをとめを中にをきてなき
かなしむ事せつなりみことあはれと
おほしめしいかなるゆへにかくなけく
そととひたまへはおきなうはこたへて

【左丁】
申やうおきなはてなづちうばをはあし
なづちと申てふうふにてはんべるなり
又これなるひめはわれらかひとりむすめ
にてことしはすてに八さいにまかり
なり侍るかなをばいなたびめと申候
このあたりにやまだのおろちとて
八ツのかしらあるおろちやまのお七
たにはひわたつて候かまい夜人を
もつてじき【食】とし侍るあいたねん〳〵に
のみつくされし人おやは子をさきたて
かなしみこはおやにをくれてなけく
ほとにや人そんらう【村老】みなくひつくさ
れていまはわつかにわらはとものみ


【右丁】
いきのこりて侍るかこよひしも
このむすめをおろちのために
のまれん事のかなしさけふを
かきりのやるかたなさにかやうに
    なけき
       侍るなりと

     かたり
       申けれは

【左丁 絵画 文字無し】

【右丁】
みこといよ〳〵あはれみ給ひていなた
ひめをわれにえさせよはかり事を
めくらしかのをろちをたいぢして
ひめかいのちをたすけなかくくにのな
げきをやめてとらすべしとの給ひ
けれはおきなおほきによろこひて
たとひおろちはうちたまはすともひめ
がいのちをたすけたまひ候はゝおほ
せにしたかひ侍るへきところに
ましておろちをたいぢしたま
はん事こそうれしけれとて
ひめをみことにたてまつるみこと
なのめによろこひ給ひてすなはち

【左丁】
おろちをほろほさるへきはかり
ことをそしたまひけるかのいな
たひめにうつくしきしやうぞく
せさせ四ツのつまぐし【爪櫛】を八ツつ
くりてもとゝりにつけさせ
ゆかのうへにたゝせたりつまぐしを
さす事はあくまをふせがんため
なりゆかのまはりにはひをたき
たりひよりそとには八ツのもた
ひ【瓮=水や酒を入れる器】をこしらへさけをたゝへてそ
あひまちたまふ夜はんすくる
ほとにあめあらくかせはげ
しくふきすぎてみやまのことく





【右丁】
なるものうこききたれるものあり
なるかみいなづましきりにて
おそろしなんといふはかりなし
ひかりのかげにこれを見れは八ツ
のかしらにをの〳〵二ツのつの
ありてあはひにまつかや【松・榧】をいし
げりたり十六のまなこは日月
のひかりにことならすのどの
したなるうろこはゆふ日をひた
せる大ようのなみにことならす
ゆかのうへにひめありと見けれ
はこれをのまんとしけれとも
四はうに火をたきまはしけれ

【左丁】

  よるへき
      やうも
        なかり
          けり

【両丁絵画 文字無し】

【右丁】
おろちひめをのまんとおもひかなた
こなたをまはりけれとも四はうの
たき火におそれしはしときうつす
ところにもたいの中にひめのすかた
のうつりけるを見ていなたひめこゝ
にありとやおもひけん八のかしらを
八ツのもたひにひたしつゝあくまで
さけをのみたりけるはしめよりの
はかりことにさけのみつくさはこ
なたよりながしいれんとてもたひ
にかけひをかけてをかれけるより
なかしこみけるほとにおろちたち
まちのみえひてほれ〳〵として

【左丁】
ふしたりけるそのときみことけんを
ぬきおろちをづだ〳〵にきり給ふ
ところにおにいたりつるぎのやいば
そむしてきれすあやしくおほ
しめしけんをとりなをしおを
たてさまにさきてみたまへば
おの中に一ツのけんあり此おろちと
申はふうすいりうりうのあまくたり
給ふなれはかしらよりあめをふらし
およりかせをいたすこのけんおに
ありしとき御手にくろくもおほ
ひしゆへにみことけんのなをむら
くものけんとなつけ給てなづちは





【右丁】
ひめのたすかりたる事をおほきに
よろこひみことへひめをたてまつる
いなたひめはかしらにさしし四ツの
つまぐしをうしろさまにまふけて
みことの御まへにまいりけるこれを
わかれの
    くしと申なり

【左丁 絵画 文字無し】

【右丁】
かくていつものくにに大みやつくり
したまひていなたひめをつまと
してこんかうし給ひつゝかくそよみ
たまひける
 やくもたついつもやへかきつまこめに
  やへかきつくるそのやへかきを
これ三十一じにさたまりたるうた
のはしめなりみことの御こゝろに
大じんぐうと中あしくてはよし
なき事とおほしめされけるにや
かのおろちのおよりとりいたし給ひ
たるあまのむらくものけんを大じん
ぐうへたてまつりふけう【不孝】はゆるされ

【左丁】
たまひけり大じんぐうこのけんを見
たまひてこれはむかしわれたかまが
はらよりをとしたりしけんなり
とその給ひける此けんすなはち
だい〳〵みかとの御たからとなりて
ほうけんと申たてまつるなりかく
て天しやう大じんそ【ママ】さのをのみことゝ
みとのまくばい【「みとのまぐはひ」の変化した語。男女の契りを結ぶこと】ありてやさかにのくま
たま【八尺瓊の曲玉】をねぶり給ひしかはいんやう
せいじやう【生成】してまさやかかつ〳〵はやひ
あまのほしほにのみこと【正哉吾勝々速日天忍穂耳尊】をうみたまふ
これぢじん【地神】だい二の御かみなりだい
一じん天しやう大じんはやまとのくに

【右丁】
かたくらべのさとに御こうなりてみ
とりくさをきこしめしはしめたまふ
これいまのせりなりさとのものゝくひ
はしめはこれなり又あまのいはとより
いでさせ給ひてかくやまにみゆきし
給ふときしゐのみをきこしめすこれ
やまのものゝきこしめすはしめとの給ひ
けりかくて廿五まんさいをへたまひ
しのちは天にあからせたまひけるが
又にんわう十一だいのみかどすいにん天
わう廿五ねん三月のころてんしやう
大じんやまとひめのみことにをしへて
のたまふやうかみかせの伊勢のくには

【左丁】
すなはちとこよのなみのしけなみ【重波】
よするくになれはかたくに【片国=中心地から外れた所にある国】のうまし
くになりこにくににおらんとおもふと
つけさせ給ふゆへにやまとひめしんちよ
く【神勅】にしたがひかみよよりのしんきやう
しんけんをとりていせのくにうぢの
かはかみにちんざし給ふそのかはをみも
すそがはとも申又はいすゞがはとも
申なりいまのないくうこれなり
そのゝちにんわう廿二だいみかとゆう
りやく天わう廿二ねん御たくせん
によりてたんばのくによさのこほ
りよりとよげ大みやうじんをむかへ

【右丁】
たてまつりていせのくにわたら
ひのこほりやまだのはらに
くわんじやう【勧請】したてまつる
   これはてんじん七だいの
          はしめ
     くにとこたちの
          みことにて
       おはします
 すなはちいまのげくうと申は
       これなり

【左丁 絵画 文字無し】

【右丁】
そ【ママ】さのをのみことはそのまゝいつもの
くにゝしてかみとならせたまひ
けれは大やしろきねつき大みやう
じんといはゐたてまつる十月はこの
みやうじんかくれたまふ月なれは
神なし月と申なり又いつものくに
にかみありのうらといふところあり
としことの十月に日ほんこくの
神〳〵かのうらにらいりんある
そのしるしにはさゝぶねいくらとも
なくなみのうへにうかふとなり
これによつていつものくには
十月をかみあり月とも申なり

【左丁】
さてもをしほにのみことはたかんみ
むすふのかみ【高御産巣日神】の御むすめたくはゝ【ママ】ちゝ
のひめ【たくはたちぢひめ(栲幡千千姫)のこと】とちきりをこめさせ給ひつゝ
あまつひこ〳〵ほにゝきのみこと【天津彦彦火瓊瓊杵尊】を
まうけ給ふ天しやう大しんたかんみ
むすふのみことゝ御こゝろをおなしう
して御まこのにゝきのみことに
三じゆのじんぎをあひそへげかいに
あまくたらせ給ふときやをよろつの
神たちしんちよくにしたかひあめ
みまこ【天孫】とおなしくあまくたりた
まふ中に三十二じんの上しゆお
はしますその中に五ぶのかみと




【右丁】
申たてまつるはあまのこやねのみこと【天児屋命】
あまのほそめのみこと【「あまのうずめのみこと(天鈿女命)」のこと】いはこりひめ
のみこと【「いしこりどめのみこと(石凝姥命)」のこと】たまやのみこと【たまのおやのみこと(玉祖命)」のこと】あまのふとたま
のみこと【天太玉命】これ五じん【神】なりあまのこや
ねのみことはかすか【春日】大みやうしんの御
事なりあまのふとたまのみことは
かんどり大みやうしんの御事なり
この二じんこそもつはらしんちよく
をかうふりあめみまこをたすけて
あまくたらせ給ひけりされは
りやうつばさのことくなるべし

【左丁 絵画 文字無し】

【右丁】

かくてにゝきのみことはひうかのくに
にあまくたらせ給ひしかみやまの
かみの御むすめこのはなさくやひめと
御ちきりをこめさせ給ひつゝ御こたち
あまたうみ給ふ三十一まんざいを
へたまひてのちひこほゝてみのみこと【彦火火出見尊】
にくにをゆつらせ給ひつゝてんに
あからせ給ひけりひこほゝてみのみこと
のみこのかみほのすそりのみこ【火闌降命】は御
おとゝ【弟】のみことにくらゐをこえられ
給ふ事をやすからすおほしまし
けれはつねは御中よからすいかに
もして御おとゝのみことをうしなはんとそ

【左丁】
おほしめしける御おとゝのみことは御
あにのみことの御心のかくわたらせ給ふ
事はつゆしろしめさゞりけるにや
あるときあにのみことのひさう【秘蔵】し給ふ
こかねのつりはりをからせたまひてあを
うみにのぞんてつりをたれ給ふところに
いかゝし給ひたりけんうをにつりばりを
とられたまひけりみこと大きに
なけき給ひつゝかなたこなたを
もとめありき給へともうをのとりて
かいていにいりし事なれはつゐに
ゆくゑはなかりけりみことせんかた
なくてあにのみことにかくとの給ひ


【右丁】
けれはほのすそりのみことなのめ
ならす御いかりありてそのつりはり
と申はむかしよりつたはりてめて
たきたからなりいそきたつねも
とめて返し給ふへしとおほせ
けれはおとゝのみことのたまふやうは
われはそのつりはりをさやうにひ
さうし給ふとは思ひもよらすかり
そめにつりをたれて侍れはうをに
とられて侍るなりしよせんいまは
たつぬるところなし御かはりを
たてまつるへしそれにて御はら
いさせたまへとのたまひけれは又

【左丁】
あにのみことのたまふやうたとひ
百千万のかはりをはたまはるとも
かのつりはりにくらへかたしわか身に
かへてもおしきたからなれはなを
さりにばし【ばし=上のことばを強調する語】おもひ給ふなうをがと
りてうせし事ならは天にも
あかるましちにもいるましわだ
ずみのなみのそこにそあるらん
なんじうみに入てすみやかに
たつねて返し給へとよつりはり
を御返しなきならはちゝのみかと
のゆつらせ給ふあしはらこゝをは
おさへてたまはるへしとのたまひ






【右丁】
けるほとにおとゝのみこと大きに御
なげきありてけにもうみをはな
れてことところへはかくれましあを
うなはらをあまねくさかしもとめん
にはしかじとおほしめし御ふねに
めされつゝうみのおもてにのそみ
たまふときにうみづらにはかに
げきらう【激浪】しゆきのやまをなし
けれはみかとあやしくおほしめす
ところにおきな一人あらはれて
なみのうへにうかみいてたりその
かたちにんげんにはようかはれり
いかなるものそととひ給へはこれは

【左丁】
かいていにすみ侍るしほつゝをのかみにて
侍るなりさてみことはいかなる事にか
一人このなみのうへにおはし
ますそととひたてまつりけれは
みことこのよしきこしめし
われこのかみのみことのつりはりを
かりてうみにのぞんてつりをたれ
しところにうをにつりはりを
とられたりあにのみこときこし
めしぜひにもとのつりはりを
かへすべしとのたまふほとに
せんかたなさにもしつり
はりをはみしうをのうみに

【右丁】
うかみあかることもやと
         おもひつゝ
   いま こゝ に
          ありて
      まつなり
          とそ
       のたまひ
          ける

【左丁 絵画 文字無し】

【右丁】
おきなこのよしうけたまはりかしこ
きかみの御こゝろにもおろかなる
事も侍るかやこのあをうなはらと
申はまん〳〵としてへんさい【辺際】もなし
みなそこはこんりんさいにおよび
つゝ八まんゆじゆん【注】にをよべりさう
かい【滄海=青々とした海】をすくれは八かい【八海=すべての海】にいり八かいを
すくれはかうすいかい【香水海】にいるかほとに
まん〳〵たるうみのうちへとりて
かへりたるつりはりをこゝにして
たつねもとめんとのたまふは大ぞら
の月のかつらをまねくとやらんより
もはかなき御こゝろなるへしと申

【注 由旬=古代インドで用いた距離の単位の一つ。約七マイル(十一、二㎞)あるいは九マイル(十四、四㎞)という】

【左丁】
けれはみことこのよしきこしめし
われらもさやうにおもへともあ
まりせんかたなきにはかりことを
めくらしうみのそこへもいりなんと
おもふなりとのたまへはおきな此
よしうけたまはりけに〳〵さ
ほとにおほしめさはとこよのくに
へみゆきありてわだづみをたのみ
たまへさあらはつりはりをとり
かへしたまはん事はやすく候へしと
申けれはみことうれしくおほし
めしかのおきなとゝもにとこよ
のくにゝみゆきし給ふとこよのくに

【右丁】
と申はりうぐうじやうの事なり
そのよそほひにんげんにはよう
かはりじやうらくがじやう【常楽我浄】のかせ
ふきてはる三月のことくなれは
かんしよ【寒暑】のくるしみなかりけり
ふしやうふめつ【不生不滅】のさかひなれば
しやうじやひつめつ【生者必滅】のく【苦】もなかり
けりふらうふしのならはしなれ
ばしく【死苦】もなしびやうく【病苦】もなし
しつほう【七宝】はこゝろのごとくわきみち
ければふくとくのくもなし
わがたぐひならぬものもなてれ
ばおんぞうゑく【怨憎会苦】といふ事もなし

【左丁】
いかひいぎやう【異怪異形】にかたちをへんずる
事じゆうなれは五せいゐんく【五盛陰苦(ごじょうおんく)のこと】も
なかりけりたゞし天しやうの
五すい【衰】にんけん【人間】の八く【苦】りうくうの
三ねつ【熱】とてとこよのくににも
くるしみはありとかやすてにりう
ぐうじやうにつき給ひつゝ大りの
ありさまを御らんずるにきんぎん
をもつてたくみたるきたはし
ありたかさ七十よぢやうにをよべり
そのよにるりのろうもんあり
ほうらいきう【蓬莱宮】といふがく【額】をうて【打て】り
その中に三十よぢやうのたまの





【右丁】
くうでん【宮殿】ありろうもんよりくうでん
まて七ほうのろうかくありそのほと
十よりがしたにしんしゆのいさご
そまきけれはこのひかりにかゝやき
てうばたま【「ぬばたま」の転。】のよるのけしきもなか
りけり御てんの中わうにはぎゞ
だう〳〵【巍巍堂堂=姿が堂々としていかめしく立派なさま】たる大しん【大人ヵ】ありたまのかふ
り【冠】にしきのしやうそくゑにはうつ
すともふでもおよひかたきほど
のしょうごん【荘厳】なりこれそ此ところ
の大わうとみえてうつくしくよ
そをひかさりしりうによはらわた
ちかこみ【?】かつがう【渇仰】のけしきに見え

【左丁】
けれはみことおきなにおほせけるは
あれに見えたるいくわんたゝしく
をる人はいかなる人そととひたまへは
おきなこたへて申やうあれこそこの
くにの大わうわたつみと申人にて
侍るなりすなはちみことこれまて
みゆきなり侍るよしをつげたて
まつるへしと申てやかてうちにぞ
いりにけるしはらくありてわたつみ
わうもろ〳〵の百くわんともをあひ
ぐしきんてい【禁廷=天子の御所】にたちいでみことを
むかへたてたてまつりしゝいでんに
しやうじ入まいらせけりたまの

【右丁】
とこになをしたてまつりて
のちようかん【容顔】びれいなるりうによ【龍女】
たちをしてせん【善】つくし【尽くし】び【美】つく
し【注】たるちんぜん【珍膳】を
   みことの
       御まへにそ
    そなへたて
         まつる
 そのけしき中〳〵
    たとへんかたも
        なかりけり

【注 綺羅の限りを尽くす】

【左丁 絵画 文字無し】

【見返し 両丁文字無し】

【裏表紙】

BnF.

BnF.

瓢軍談五十四場 初編

【整理ラベル SMITH-LESOUEF JAP 128(1)】

【蔵書票?あり】

瓢軍談五十四場 
  一英斎芳艶画 五十四枚続

日本六十余州はいふもさらなり
朝鮮国まてわかものになし給ふ
豊太閤久吉公の御一代御幼名
猿之助と申されしころ三州矢はき
の橋上梶塚与六と出会をはしめと
して相州小田原せめ目出たく
帰陣のおはりまて五十四場
の大にしき外題を瓢軍談と
いふことし□□
      板元 知英堂(印)

瓢軍談(ひさごぐんだん)五十四場(ごじふよじやう) 

 第一 
梶塚与六(かぢづかよろく)
矢矧(やはぎ)の橋(はし)にて
猿之助(さるのすけ)に見(まみ)ゆ


       一英斎芳艶画

瓢軍談(ひさごぐんだん)五十四場(ごじふよじやう) 
           一英斎芳艶画
 第二 
猿之助(さるのすけ)初陣(ういぢん)に
伊藤日向守(いとうひふがのかみ)を
    討(う)つ

【画中に】 猿之助  伊藤日向守

瓢軍談(ひさごぐんだん)五十四場(ごじふよじやう)   一英斎芳艶画

 第三
猿之助(さるのすけ)
尾田家(をだけ)へ
士官(しくわん)を好(この)む

瓢軍談(ひさごぐんだん)五十四場(ごじふよじやう)   一

 第四
此下宗吉(このしたそうきち)
割普請(わりふしん)
破損(はそん)をおさむ

       一英斎芳艶画

瓢軍談(ひさごぐんだん)五十四場(ごじふよじやう)   一英斎芳艶画

 第五
此下宗吉郎(このしたそうきちらう)
岩倉(いはくら)を
焼討(やきうち)にす

瓢軍談(ひさごぐんだん)五十四場(ごじふよじやう)
 第六
梅島(うめしま)此下(このした)
試鎗(やりのちやうたん)の長短(をこゝろむ)


【画中に】 
此下宗吉郎  梅嶋主水

            一英斎芳艶画

瓢軍談五十四場(ひさごぐんだんごじふよじやう)        一英斎芳艶画

 第七
桶狭間合戦(をけはざまかつせん)に
稲川氏元(いなかはうぢもと)
   討死(うちじに)


【画中に】
中条小市 
服部平太 
稲川治部太夫氏元   林藤八郎
 毛利新介    

瓢軍談五十四場(ひさごぐんだんごじふよじやう)       一英斎芳艶画

 第八
此下宗吉郎(このしたそうきちらう)
筵(むしろ)にて五色(ごしき)の旗(はた)を
造(つく)り奇計(きけい)を行(おこな)ふ

BnF.

BnF.

【巻物下部丸ラベル】
JAPONAIS
4606

【巻物上部あるいは下部】

【巻物上部あるいは下部】

【巻物表紙と紐、下に丸ラベルあり】

【見返しと紐】

  御行幸の次第目録
一楽の事
一御哥のくはいの事  同座はいの事
一御馬の事
一御能の事
一御遣物の事 同御引出ものゝの事
一御公家衆へ被進太刀の事
一ていしゆかたうけ給ふる衆の事
一御こんたての事

 七日 楽
万さいらく     地下六人
えんきらく  六人 なら衆 天王子衆 京衆
りんたい 藤性四人 中院/侍従(しゝう) 阿野侍従
          あすかい侍従 四条治部
せいかいは  二人 四辻侍従 西洞院侍従
しきて    四人 てんわう寺衆
りやうわう  一人 ならしゆ
なつそり   二人 きやう衆
せんしうらく  是はかくはかりなり

七日夜 うたのくわいの座はい
【横書き部分上から】
大御所公
近衛殿
伏見殿
鷹司殿
二条殿

烏丸殿
鷹司殿若御所
九条殿若御所
柳原殿
【縦書き部分】
着座終りて辨卓持御前置
硯箱に懐紙入て殿上人の同座の前置
〇四辻中納言
冷泉中将
三条西 烏丸替る時五人衆しさる
【横書き部分上から】
将軍公【右側横書きの大御所公に対座】
一条殿
八条殿
高松殿
九条殿

尾州大納言
紀州大納言
駿州大納言
水戸中納言

   竹契遐年   御製
唐の鳥も栖へき呉竹のすくなる代こそかきり
しられね
           左大臣大御所源秀忠
くれたけの萬代まてとちきるかな
 あふくにあかぬ君かみゆきを 
           右大臣将軍源家光
御幸するわか大君は千代ふへき
 千尋の竹のためしとそ思ふ
           尾張権大納言源義直
わかきみとよはひならふるくれたけの
 葉かへぬ色は千代もかわらし
           紀伊権大納言源頼宣
よろつよもともにみゆきのかさしそと
 けふよりちきるたけの色かな
           駿河権大納言源忠長
しつかなるかせのこゝろも萬代も
 こゑなりけりな軒のくれたけ
           水戸権中納言源頼房
いく千代をかさねてもなおくれたけの
 かはらぬかけをたれかたのまん
           関白左大臣藤原信尋
萬代もかはらぬいろに国たみの     近衛
 なひくすかたや庭のくれたけ
            従一位藤原  信房






いく千とせ君かみるへきためしとも   鷹司
 植そへけりなそのゝのくれたけ
              兵部卿貞清親王
いくとせも葉かへぬたけのいろそひて  伏見
 君が御幸をちきりをくらし
              右大臣兼遐一条
かきりなき御代にちきらん八千年も
 ときわかきはの庭のくれたけ
              式部卿智仁親王
いく千年ちきり置らしくれたけの    八条
 よゝにこえたる御幸まちえて
              弾正少好仁親王
つきせさるすくなるからにくれたけの  高松
 よろつの国も皆なひく世は
              従一位藤原忠栄
行末の君かさかへをよろこひの     九条
 こへあるたけや千代をならさん
                内大臣康通
くれたけの萬代かけてちきるてふ    二条
 君の御幸のかきりしられぬ
             中宮太夫藤原実條
千々の秋おひせぬやとのくれたけに  西三条
 君こそちきれやまとことの葉
             権大納言藤原光廣
あめかしたときはのかけになひかせて  烏丸
 きみは千世ませやとの呉竹  
              左近衛大将教平
すゑとをき御代にもあるかなかは竹の 鷹司子
 かはらぬ色を君にちきりて
              右近衛大将忠家
かきりなき君か御代なるたくひもや  九条子
 けになか月のそのゝくれたけ
             権中納言藤原季継
いろかへぬまつのよはいにならへみん  やふ
 みきりの竹の万代のかけ
            参議右大弁藤原業光
ときわなるまつのはあれとわきてけふ  柳原
 なをよろつよを竹にちき覧
              右近衛権中将藤原
きみそみん砌のたけのふしておもひ   基詩
 おきてかそふる千代の行すへ
              従一位藤原実益
年毎に報さゝてくれたけの      西園寺
世々のちきりを君そしるらん 従一位藤原定熙




植そへてなを契りてよ末とをき    花山院
 みきりのたけのよろつ代まてを
               権大納言総光
かさぬへき御幸の秋をいく千代も    廣橋
 ちきりつゝみん庭のくれたけ
               権大納言宣季
すなをなるときはいまそとあふけなを  菊亭
 よゝを千尋のたけにちきりて
                中納言実顕
たゑせしな八千とせこもるくれたけの  阿野
 よはひを君にちきる御幸は
             参議宰相藤原光賢
石清水すめるを時と千代をへん     烏丸
 うてなの竹もかけなひくなり
                 中将為頼
すゑとをく万代まてもさかゆらん    冷泉
 たけをしるへにしきしまのみち
               侍従藤原忠定
君も臣もけふことふきを呉竹の    清水谷
 よゝにこめてやちきり置らん
               神議伯雅陳王
くれたけのかはらぬかけに今よりの
 きみがちとせを悦ふけふかな
             中宮大進藤原経廣
君か代は砌にそふるくれたけの    勧修寺
 おなしくきはの色にちきらん
              少納言藤原為遍
おさまれる御代のためしはすくになる  五条
 竹の葉かへぬいろにちき覧
               権少将源親顕
ふしことに千年をこめて此とのゑ    北畠
 みきりことなる庭のくれたけ
              権中将藤原元親
萬代をさかゑん宿のあしたけの     中山
 みさほを君にかけてちきらん
             権大納言藤原資勝
ちきりをかん君か千年を行すへも    日墅
 すくなる竹をためしにはして
             権大納言藤原公益
けふよりも君にひかれてくれたけの  西園寺
 ちひろも猶や千世をかさねん
              中納言藤原宣衡
千代ふへき君かよはひを呉竹の    中御門
 ゆくすへかけて猶やちき覧
               侍従藤原基定

千代になをいく千代そへてたけの葉の 持明院



千代になをいく千代そへて竹の葉の  持明院
 かすにやとらんきみのよはひは 具起 岩念
わか君のよはいにちきれかけふかき
 千尋の竹のちよのゆくすえ  少将藤原為尚
色かへぬみきりのたけをたよりにて  下冷泉
 すくなる御代のすへそ久しき 中務少輔泰重
世々を経ていろもかはらぬくれたけを 土御門
 君かよはひのためしとそ思ふ   将長
わかきみのちよ万代を一ふしに
 こめてそなひくにはの呉竹   少将源重秀
国民のこゝろと竹もなひき合て     庭田
 千代をへぬへきためしをもみん 中納言光慶
君もなをちきり置てよ色かへぬ     日野
 みきりのたけに八千代は   覚除 仁和寺
色かへぬたけにけふよりちきり置て
 こもれる千代を君そかそへん 尊性 大覚寺
色ふかく生そふ竹の世々をへて
 君かよはひの数やみす覧   沙門  良恕
あふけなをけふの御幸にあひ竹の    竹内
 すくなる君か代々の行すゑ  尊純 青蓮院
すゑとをくきみになれみんおさまれる
 よになひきあふ竹の姿は  増孝 随心院
幾千代も(?)かはらぬ御代にちきりおきて
 ともにさかゑん庭のくれたけ 信【?】尊
とことはにかはらぬいろのくれたけの
 よゝにや千代を君そかそへん 義尊 実相院
行すゑを思ふもひさしかきりなき
 よはいをちきるにはの呉竹  常尊 圓満院
にはのおもに生そふ竹のかけまても
 君が千年のいろそこもれる  沙門  覚定


千年にもかわらぬ色を君か代の    三寶院
 ためしにそふるにはの呉竹  寬興 勧修寺
代々ふへきみきりのたけやひさかたの
 空のみとりにちきり置らん    
           桑門円空 西洞院入道
いまよりの御幸になれんふしことに
 千代をこめたる軒のむらたけ 尭然 妙法院
すくなるをきみかこゝろにならひつゝ
 みきりの竹もいく千代をへん 尊覚 一乗院
千年ふる松もしらしな呉竹の
 世々につきせぬ君かちきりは 良光
秋津州の外まて御代を悦かな
 かはらぬたけをためしに   道晃 聖護院
代々かけてかはらぬ色はくれたけの
 末なをとをきちきりならまし
               道周 照高院
葉かへせぬたけをためしに我君の
 おさめしるよのすへそ久しき 最胤  梶井
千尋あるみきりのたけの代々をへて
 かはらぬいろは君そ見るへき 
              公海 毘沙門堂
   右以上六拾二哥之聞書哥(?)人次第不同

   八日   御馬
   九日   御能
     山科の新藤   かいこ
もろこしたうたいのしゆんしうはまつりことを天下に
ほとこしわかてう北山の行幸は名をこうたいにつたへ
たりましてや今はとくたくのあつきこと重陽にさける
きくの露つもつてかねていくよのふちをあらはしせい
ゐんのしけきこと四つの時かはらぬまつのいろふかく
猶も千年の秋をしる古今にたくひなき君か代の
めてたかりける時とかや

 三十郎     大 少次郎 笛 又三郎









【一行目前頁繰り返し】
三十郎       大 少次郎 笛 又三郎
 なには   新藤 小 新九郎 太 左吉
七郎          源衛門
 田村    春藤   長衛門   長蔵
七太夫         又四郎
 源氏供養  権衛門  新九郎   長蔵
三十郎         少二郎   長蔵
 紅葉かり  春藤   長衛門   左吉
七太夫         九郎兵衛  又三郎
 道成寺   新藤   小左衛門  惣衛門
七郎          源衛門   長蔵
 三輪    春藤   長衛門   惣衛門
七郎          九郎兵衛  又三郎
 藤永    新藤   小左衛門
七太夫         少九郎   長蔵
 くまさか  彦次郎  小左衛門  新助
三十郎         又四郎   又三郎
 しやう〳〵 新藤   新九郎   左吉
御進物之覚 将軍様より上分
一砂金  三千両   一銀子  三千枚
一御ふく 二百なし地高まきゑ長持三十さほに入
紅    二百きん       ゆたんから折
一御手本 たうふう一門金の打枝に付
一沉香のほた なかさ二間に中まはり四尺九寸有
一らんけい百巻いろ〳〵 一たいまい 三十枚
一しやかう 五きん銀の大なつめに入
一三ふく壱ついもつけいのくわんおん両わきりうこ也
一御将束 御からうとニわく共になし地高まきゑ也
一御太刀 二ふり 一文字 行平 きんらんのふく
一御馬 十疋かいく共に    ろに入御箱右に同
一御いねたうく のこらすいろ〳〵あり

一くわひん 大一つ銀 一しゝのかうろう一つ   金
一靏のらうそく立 金 一くしやくのかうろう   同
一てをけ銀作花入   一御すゝり四つ内二つ古き有之
一いかう二つ内一つ銀 一かうろうの銀はん 三十枚数
一たいす同けほり有之 一ふろ 一かまあられ
一水さし 一御茶わん二つ 一なつめ 一水こほし
一かたつき 一ふたをき 右何もみなきん
一はんす【高麗茶碗の一種】の御膳道具一膳前小数七十三いろ内かないろ二つ
         ゆつき一つ銀此外は皆きん
一しろかねの御膳の分四膳前 右同前
   御哥のくわいの時々
御重すゝり高まきゑなし地金かなかい卅分
一御すゝりふんたい
       以上
   大御所様よりの御進物
一御太刀 菊 金作一腰御箱高まきゑなし地金かなかい
一手本  きんの打枝付 一らうゑい壱部行成卿筆
一すかうのゑんめいのつ 一万葉集廿さつ定家卿之筆
    御箱いつれもなし地たかまきゑなり
一きやら 十きんしろかねのはこに入はゝ一尺六寸
     長さ二尺高さ一尺五寸あり
一しやかう 九きんしろかね大なつめ五つに入
一みつ 六十きん又つほ二に入くれないのあみかけ
一御馬 五疋かいく共に 一ひりんす【緋綸子】 百まき
一御ふく 百なし地高まきゑきんかなかいの長持
一金子 弐千両   廿さほに入ゆたんから折
   同御台様より
一御ふく 三十なかもち三さほなし地たかまきゑ
一しやきん 三百両 きんかなかいゆたんから折

中宮様へ     将軍様より
一銀   千数
一御ふく 五十なし地高まきゑ長持十さほに入
一紅いと 百きん 一沉香 百金紅ののあみに入て
一ひさや 五十巻 一白りんす五十まき
一しやかう二きんしろかねのなつめ二に入
女院様へ     将軍様より
    右同前
女一宮様へ    将軍様より
一銀 三百数 一きんらん 拾まき
一御ふく 三十なし地まきえなかもち二つに入
女二宮様へ  将軍様より
一銀 二百数 一御ふく三十なし地まきえ長
                  持に
中宮様へ     大御所様より
一銀五百数  
一御ふく卅なし地まきゑ長持五つに入
一ちんかう  一しゆ 五十まき
一きやら 五十きんしろかねの箱壱つに入て
女院様へ    大御所様より
一銀 五百数
一御ふく 三十なし地まきへ長もち五つ入
一ちんかう  一しゆす 五十まき
一銀 百まい 一御ふく廿長持に入
一きやら 五きんしろかねのはこにいれ
女一宮様へ   大御所さまより
一銀 百枚  一御ふく 廿長持に入
一御あやつり 一御ひいなたうく
女二みやさまへ 大御所さまより
一しろかね 百枚
一御ふく 廿なかもちに入
一御あやつり 一おんひいなたうく

 禁中様へ       若御台様より
一砂金 三十数   一御ふく 三十
 中宮様へ       わか御たいさまより
一しやきん 廿まい 一御ふく 廿
 女院様へ       わか御たいさまより
    右同前
 女一宮様へ      わか御たいさまより
一御ふく 廿    一ひいな 金銀
 女二宮さまへ     わかみたいさまより
    右同前
       以上

  行幸の時公家衆へ被進御太刀覚
近衛殿    雲次  烏丸大納言殿  守家
一条殿    守宗  西遠寺宰相殿  准慶
二条殿    安供  清閑寺大納言殿 信包
九条殿    行平  四辻中納言殿  守宗
鷹司殿    長光  柳原宰相殿   則宗
八条殿    助吉  花山院宰相殿  弧寿
伏見殿    信国  日野大納言殿  行平
高松殿    次吉  伏見之若宮殿  助依
鷹司殿若御所 国村  西洞院/宰相(さいしやう)殿  長光
九条殿若御所 守家  中御門中納言殿 助依
中院殿   東国光  水無瀬宰相殿  長光
花山院殿   守家  烏丸左弁殿   長光
西園寺殿  来国復  中御門殿   新藤五
日野大納言殿 菊光  白川殿     西連
  以上合参拾二ふり
 右是者二條にて七日に将軍様よりつかはされ


  御摂家衆へ     清花衆
一銀 三百数    一銀 百数
一小袖二十 近衛殿 一小袖廿 西園寺殿
一銀 二百数     同   花山院殿
一小袖二十 九条殿 一銀二百数
 同    二条殿 一小袖十 三条大納言殿
 同    一条殿  同
 同 親王家鷹司殿 一銀 百数
 同    八条殿 一小袖十 日野大納言殿
 同    伏見殿  同   烏丸大納言殿
 同    高松殿  同   広橋大納言殿
一銀二百数      同   菊亭大納言殿
一小袖十鷹司右大将殿 同  轉法輪大納言殿
 同  九条大納言殿 同  西遠寺大納言殿
一銀百数御門跡衆  一銀五十数
一小袖廿 仁和寺殿 一小袖十中御門中納言殿
 同   勝万院殿  同正親町三条大納言殿
 同   照高院殿  同   四辻中納言殿
 同    梶井殿  同   阿野中納言殿
 同    竹内殿  同  清閑寺中納言殿
 同   大学寺殿  同   西洞院宰相殿
 同   妙法院殿  同   花山院宰相殿
 同   一乗院殿  同   西遠寺宰相殿
 同   知恩院殿  同    広橋宰相殿
 同   随身院殿  同    柳原宰相殿
 同   三宝院殿  同    烏丸宰相殿
一銀五十数      同    藤右京佐殿
一小袖十 勧修寺殿  同   飛鳥井中将殿
 同   円満院殿  同    冷泉中将殿
 同   実相院殿  同    勧修寺弁殿

一銀二拾数      一銀十数
一小袖五正親町侍従との一小袖三つ 森越前
 同  高倉侍従との  同   岡本美作
 同  油小路侍従との 同  山形右衛門佐
 同  橋本侍従との 一銀十数 速山長門
 同  裏辻侍従との  同   同あき
 同  阿野侍従との  同   立入河内
 同  伯侍従との   同   川橋佐渡
 同  岩倉侍従との  同  世損【続カ】左衛門尉
 同  唐橋式部との  同 大沢左衛門太夫
 同  梶井侍従との  同   松波庄九郎
 同  西大路侍従との 同   大外記
一銀五十数       同   官務
一小袖五 廣橋侍従との 同   土山駿河
 同  日野侍従との  同   調子越前
 同  屋子侍従との  同   同主膳
一銀廿数        同   三上日向
一小袖五 七条侍従との 同   調子玄番
 同  治部太夫    同   同将監
 同  まん丸     同   村雲備前
 同  大せん丸    同   世太判官
 同  僧正奢田丸   同  幸徒井院湯道
 同  左京太夫    同   武田兵庫
 同  兵部太輔    同   出羽豊後
 同  勘解由管    同   同将監
 同  極?      同   大西采め
 同  清蔵人     同   小野僧正
 同  塩小路蔵人   同   井関形部
 同  倉橋蔵人    同   吉田兵部
【次行次頁】





 

  御行幸のていしゆかた被仰付■覚
一禁中様
        井伊掃部頭 小堀遠江守
        板倉周防守 中村木工右衛門
              間宮三郎右衛門
一中宮様 同女中方共に
        酒井雅楽頭 五味金右衛門院
一女院様 同女中方共に
        土井大炊頭 藤川庄次郎
一姫宮様 同女中方共に
        松平右京【?】太夫 須田次郎太郎 
一禁中様 女中方 伊丹播磨守 角南主馬
一摂家衆           中坊左近
       本多美濃守
一親王家   小笠原右近太夫 山田五郎兵衛
一門跡衆   松平下総守    観音寺
       松平河内守   新庄吉兵衛
       松平式部少輔
       松平周防守   梍村孫兵衛
一公家衆   松平越中守   松嶋五郎兵衛
       岡部内膳正   高西夕雲
       水野隼人正

       戸田因幡守
       丹羽式部少輔
       本田飛騨守
       松原伯耆守
       溝口伊豆守   小野惣左衛門
一地下衆   蒔田権助    吉川半兵衛
       長谷川職部少輔 根来右京
       片桐主膳正
       片桐出雲守
       青木式部少輔
       谷出羽■
       石川■■守
 

  御献立之次第
  金きう(?)く
初献  こさし亀甲 御さうに 御手しほ
    けつりもの
二献  くらけ  かいもり 御すい物
    からすみ
三献  壱つ物       鮒
    七之膳之次第
御本膳 しほひき ふくめ  やき物
    あへませ      御卯漬
         たこ  おけ はし
御二  おんちん かまほこ 御汁鯛
    さめ   くらけ  御しるあつめ
御三  はむ   やき鳥  かいもり
    すし かそう 御しる靏 こほう
御与  まきするめ
    からすみ さかひて   御しる鮑
御五地守寿盛  いか  うろこ ?桶三つ
  かさみ くもたこ きすこ おしるくゝい
御六  すいま ささい は■
    はまくり   しいたけ 御しる鯉
御七  ふなもり   にし
    はもり    御しるふな一こんに
御  物三つすへ
 一ふのこくし 一うつらはもり 一のし
 両御所様  一うつらはもり 一ふのこくし
御くへし かき あ■へい 栢さくろ のし

   右は?目はかりのなり









【前コマ参照】

BnF.

【表紙 題箋】
歌仙

【資料整理ラベル】
JAPONAIS
 640

【貼付のメモ書き】
《割書:本阿彌》
 光悦  《割書: 本氏ヲ松田ト云フ|太虚庵ト号ス》
書法ヲ近衛前久ニ學ビ書法ヲ海北
友松ニ學ブ云々
寛永十四年二月没ス年八十一
巴里千八百九十九年七月十七日  千里識

【同メモ書きの上下の手書きの英(払)字】
Honnami
Koyetsou

mort:1637
a 81 ans

ーKo-etsouー

【ページ右上の資料整理ラベルと手書き文字】
JAPONAIS
 640

JAJAPON 640

【ページ下部の手書き文字】
Don 7605

156

【貼付の仏字のメモは刻字を省略】





ふるらし
     時雨
御室の山に
   の
神なひ
 なかる
龍田川紅葉は
左 人丸

【上部欄外に蔵書印】

【右丁】
左  躬恒
住よしの
松を秋
   風
 吹からに
声うちそふる
奥津しら波

【左丁】
左  中納言家持
まきもくのひはら
 もいまた
 曇らねは
小松か原に
 あは雪のふる

【右丁】
     して
もとのみに
我身ひとつは
   ならぬ
のはる
やむかし
月やあらぬ春
左  業平朝臣

【左丁】
    へし
あへすけぬ
ひるはおもひに
をきて
    は
しら露よる
音にのみきくの
左  素性法師

【右丁】
  秋は悲しき
    そ
 声きく時
  かの
なくし
紅葉踏分
おく山に
左  猿丸大夫

【左丁】
吹かとそきく
みねのまつかせ
 たかさこの
   に
 更行まゝ
みしか夜の
左  中納言兼輔

【右丁】
左  中納言敦忠
伊勢の海【「の」が脱落】
ちい【「ひ」とあるところ】ろの
   浜に
ひろふとも
今は何てふ
かひかあるへき

【左丁】
    すな
あさきよめ
  この春はかり
 つこ心あらは
ともの宮
とのもりの
左  公忠朝臣

【右丁】
 かけつゝ
 ちか露を
きえしあさ
  けり
しられ
ゆふへは
  秋の
袖にさへ
 左  斎宮女御

【左丁】
 今や鳴らん
をのへのしかは
 高砂の
さきにけり
秋はきのはな
 左  敏行朝臣

【右丁】
   おもへは
枯ぬと
人めも草も
  ける
まさり
さひしさ
山里は冬そ
 左  宗于朝臣

【左丁】
 左  清正
あまつかせ
 ふけゐの
  浦に
   ゐるたつの
なとか
 雲居にかへら
     さるへき

【右丁】
 逢はあふかは
年に一度
     の
 つらき七夕
    そ
契けむ心
 左  興風

【左丁】
 左  是則
三芳野の山の
しら雪
 つもるらし
故郷寒く
 成まさる也

【右丁】
    見る
 雪かとそ
      を
たついはなみ
  けれは
風のさむ
    山
大井川そま
 左  小大君

【左丁】
物をこそ思へ
ひるはきえつゝ
 夜はもえ
 焼【「焚」とあるところ】火の
みかきもり衛士の
 左  能宣朝臣

【右丁】
 左  兼盛
しのふ
 れと
色に出に
  けり
  我恋は
ものやおもふと
人のとふまて

【左丁】
 右  貫之
むすふ手の
しつく
  にゝ
   こる
山の井の
あかても人に
 わかれぬる哉

【右丁】
 右  伊勢
三輪の山いかに
 待見む
  とし
  ふとも
たつぬる
人もあらしと
  おもへは

【左丁】
 右  赤人
わかの浦に
しほみちくれは
 かたをなみ
あしへを
   さして
たつ鳴わたる

【右丁】
 右  遍昭僧正
いその神ふる
    の
 山辺の
 桜花
植けむ時をしる
 人そなき

【左丁】
 右  友則
夕暮【「され」とあるところ】は蛍より
 けにもゆれ
   共
光みね
  はや
人のつれなき

【右丁】
右  小野小町
わひぬれは身
     を
うき草の根
    を
たえて
さそふ水
   あらは
いなむとそ
   おもふ

【左丁】
右  中納言朝忠
萬よの始と
 けふを
  いのり
   をきて
今行末を神
    そ
 かそへむ【「しるらん」とあるところ】

【右丁】
 右  高光
春過てちり
はてにける
さくら【「うめ」とあるところ】
  はな
たゝか【香】はかりそ
枝にのこれる

【左丁】
 右  忠岑
はるたつといふ
 はかりにや
三芳野の
山も霞て
けさは見ゆらん

【右丁】 
 右  頼基朝臣
 ねのひする
  野辺に
  小松を
   ひきつれて
帰る山路に
 鶯そ鳴

【左丁】
 右  重之
夏かりの玉え
    の
あしを
  踏し
   たき
むれゐる鳥の
たつ空そ
   なき

【右丁】
 右 信明朝臣
ほの〳〵と
有明の月の
  月影に
紅葉ふきおろ
      す
山おろしの風

【左丁】
 右  順
水の面に照
月なみ
   を
 かそふれは
こよひそ秋の
 もなかなり
     ける

【右丁】
 右  元輔
契りきなかたみに
 袖をしほ
  りつゝ
すゑの松
   山
波こさし
   とは

【左丁】
 右  元真
さきにけり
     我
山里の卯
 花は
かきねに
   きえぬ
雪と見るまで

【右丁】
 右  仲文
思ひしる人に
 見せはや夜も
   すから
わかとこ
 なつに
おきゐたる露

【左丁】
 右  忠見
いつかたに鳴て
行らむ
  郭公
よとの
   わたりの
またよふかき
      に

 右  中務
秋風の吹 
    に
つけても問ぬ
   かな
おき【荻】の葉
  ならは
音はして
 まし

【白紙】

【裏表紙】

【冊子の背の写真】

【冊子の天或は地の写真】

【冊子の小口の写真】

【冊子の天或は地の写真】

BnF.

踊獨稽古 乾

おどり獨稽古

葛飾北齋画編  七代目三升序

月影に
  我裾直す
     おとりかな

    序
呉(ご)住(ちう)後(ご)漢(かん)の注(ちう)の字を曰(いは)ば。燒桐(やきぎり)する狂勢客(あにゐ)が
立引(くれ)た良木(もへさし)は。焦尾(せうび)琴(きん)と作(なし)て。其(その)美音(びいん)。我朝(わがちやう)
の効く菊岡(きくおか)も爪(つめ)を噛(くはへ)。文志傳(ふんしでん)の漢語(からのたく)

BnF.

BnF.

BnF.

【表紙 題箋】
ほうらい山 《割書:下》

【題箋下部の手書き資料整理ラベル】
jap
23(2)

【見返し 右丁 資料整理ラベル】
SMITH-LESOUEF
JAP 23(2)
1517 F 1

【見返し 左丁 文字無し】

【右丁 白紙】
【左丁】
かゝるめてたきくすりなれはきく人ことに
うらやみてもとむるといへともたよりは
さらになかりけりもろこし秦(しん)の始皇(しくはう)のとき
天下こと〳〵くおさまり始皇みつから御身の
えいくはたとへんかたもなかりしにつら〳〵
心におほしけるはたとひ天下をはたなこゝ
ろのうちにおさむるとも年かさなれはよはひ
かたふき老(おひ)か身のはてしにはむなしくならん
はうたかひなしねかはくはよはひかたふかすい
のちかきりなき長生(ちやうせい)不死(ふし)の仙術(せんしゆつ)をつたへ

【右丁】
ほうらいさんのふらう不死のくすりをもとめ
てあたふる人やあると天下の諸国をたつね
られしに徐福(ちよふく)と云 道士(たうし)ありてみかとに
そうもん申すやう我ねかはくは君のために
不死のくすりをもとめえてたてまつるへしし
からは此くすりは大 海(かい)のうちにほうらいさん
とて神山(しんせん)ありこのうちにこそあるなれは此
山にいたつてとるへしたゝし風あらく波たか
けれはたやすくはいたりかたし十五いせんの子
ともをおとこ女をの〳〵五百人を舟にのせて

【左丁】
子々孫々(しゝそん〳〵)あひつきてつゐには山にいたるへし
やかてとりえて
      たてまつらん
           と申
             けれ
               は

【右丁 絵画 文字無し】
【左丁】
それこそねかふところなれとみかと大によ
ろこひ給ひて大船をこしらへ千人の子とも
をのせ徐福(ちよふく)これにとりのりて大かいにこそ
うかひけれ風あらく波たかくめには蓬莱(ほうらい)の山
をみれともきしによるへきやうもなし波
ふねをあくるときは天上の雲にものほるへ
く波よりふねのをるゝときはりうくうの底(そこ)
にもいたるへししかも蛟龍(かうりう)【注】と云おそろしきもの
其舟につきしかは舟さらにはたらかす徐福(ちよふく)
すなはちこれをしたかへんとて舟はたに五


【注 「蛟」が「魚」偏に見えるが誤記と思われる。蛟龍(こうりょう)は中国こだいの想像上の動物。水中に潜み、雲雨に会えばそれに乗じて天上に昇って龍になるとされる。】

【右丁】
百の強弩(きやうど)をしつらひかうりうのうかひあかる
をあひまちけり有ときかうりう水のうへに
うかひ出たりかうへは獅子(しゝ)のかしらに似(に)て
角(つの)おひ髪(かみ)みたれまなこは又かゝみのおもて
に朱(しゆ)をさしたることくなりうろこさかしま
にかさなり六【?】のあしは爪なかくふしたけ【臥長】は
百 余丈(よぢやう)にもあまりたり徐福(ちよふく)これをみてもと
より待まうけたることなれは五百の連弩(れんと)の石
弓を一とうに【いちように】はなちたれはかうりう是に
うたれつゝかうへくたけ腹(はら)やふれてたちまち

【左丁】
にむなしくなる大海の水この故に血(ち)に
へんしてこそみえにけれしかれとも徐福(ちよふく)は
なをも山にはゆきつかてふねにのせたる
童男丱女(とうなんくはんぢよ)【注】はいたつらにおひおとろへふねは
風にはなされて
      行かたなく
          こそ
           なり
            に
             けれ

【注 丱女=髪をあげまきに結った少女】

【両丁 絵画 文字無し】

【右丁】
またもろこし漢(かん)の武帝(ふてい)はこれも長 生(せい)不 死(し)
のみちをもとめて西(せい)わう母(ほ)といふ仙人をま
ねきしやうしてせんしゅつ【仙術】をまなひ給ふ
わう母すなはち勅におうして禁中(きんちう)にさん
たいし七 菓(くわ)の桃(もゝ)をたてまつり丹砂(たんしや)雲母(うんほ)玉(ぎよく)
璞(はく)をねり紫芝黄精(ししわうせい)の仙薬をとゝにへつゐ
にほうらいのふしのくすりをたてまつりき
それより唐(たう)の世にうつりて玄宗皇帝(けんそうくはうてい)の
御とき楊貴妃(やうきひ)の魄(たま)のゆくゑをたつねまほし
くおほしめし方士(はうじ)【注①】におほせてもとめ給ふに

【注① 「ほうじ。ほうしともいう。方術、すなわち神仙の術を行う人。道士】

【左丁】
方士すなはち勅銘をうけたまはり十 洲(しう)三
島の間をあまねくたつねめくるところに
かのほうらいの山のうち太真宮(たいしんきう)【注②】にてたつね
あふ七月七日 星合(ほしあひ)の夜のひよくれんり【比翼連理=男女の間の睦まじいこと】のか
たらひねんころなる私語(さゝめこと)おはしけりと云
事は此時にそしりにけるやうきひと申す
もほうらい宮(きう)の神仙(しんせん)にてかりに人けんに
あらはれて玄宗(けんそう)くわうていにちかつき
花清宮(くはせききう)の御遊(きよゆう)にも仙家(せんか)のきよくをまひ
たまふけいしやう羽衣(うい)のきよくとは是

【注② 「太真」は楊貴妃の号】

【右丁】
天しやうの神仙(しんせん)よりつたへたりし舞楽(ぶがく)
なりかれといひ
       是といひ
   まことに
       たつとき
           事
            とも
              也

【左丁 絵画 文字無し】

【右丁】
こゝに紀伊(きい)の国 名草(なくさ)の郡(こほり)に安曇(あつみ)の安彦(やすひこ)
とて釣するあまの有けるか春ものとかに
うらゝかなる波にうかへる小船(せうせん)に棹(さほ)さして
沖(おき)のかたにこき出し魚(うを)をつるところに
にはかに北風吹おちて波たかくあかりつゝ
雪の山のことくなり安彦こゝちまとひて舟
をなきさによせんとすれとも風はいよ
〳〵はけしう吹なみはます〳〵あらう打
けれはちからなく風にまかせ波にひかれ
てみなとをさしてはせてゆくかくてゆく事

【左丁】
とふかことく一日二日とはするほとにい
つくとはしらすひとつの山にふきよせ
たり安彦すこしこゝちなをりてふねより
あかり山のていを心しつかにみわたせは
金銀すいしやうはきしをかさり草木の
はなも世にかはりきゝなれぬ鳥のこゑ
なにゝつけてもさらににんけんのさか
ひともおほえすこはそも九野(きうや)八 極(きよく)をへた
てし乾坤(けんこん)の外なるらんとあやしくおもひ
てたちやすらふ【立ったまま、ぐずぐずと事をのばす】ところに年のころはた


【右丁】
ちはかりの女房たち七八人なきさにそふ
ていはまをつたひあゆみきたりしありさ
ま雲のひんつら【鬢ずら】かすみのまゆひすいのかん
さしたまのやうらく【瓔珞】花をかさりしよそほ
ひ心もこと葉もをよはれすらうたく【可憐でいじらしく】う
つくしうみえけるか安彦を見たまひ大に
おとろきのたまふやうそも〳〵こゝはほう
らいの山とてはるかに人けんをへたてた
るしやう〳〵【しょうじょう(清浄)】の仙境(せんきやう)なれはたやすく人のか
よふへきところならすなんちいかなる

【左丁】
ものなれは是まてはきたりけるやらんと
のたまふ安彦うけたまはりかうへを地につけ
手をあはせて申すやうそれかしは是より
大日本紀伊の国 名草(なくさ)のこほりにすまゐして
うらへ【浦辺】にふねにさほさしてたまもをひ
ろひいそ菜(な)【磯にあって食用になる海藻】をとり又つりさほをたつさへ
て魚をとりて世をわたるいやしきあまの
たくひなりしかるに我一えう【葉=小舟を数えるのに用いる】のふねに棹(さほ)
さして沖に出て魚をとらんとせしところ
ににはかに大風吹おちて波にをくられ風

【右丁】
にはせられて心ならす此地にきたれり
ねかはくはめくみをたれてたすけさせた
まへと申す女房たちのたまふやうみつから
をの〳〵よのつねの人けんにても侍へらす
おなしく仙家(せんか)のかすにありされはなんちら
にこと葉をもかはすへきことならねともな
むち【汝】おもひかけすこの地にきたるも又故
ありむまれてよりこのかた心にいかりを
わすれ欲(よく)すくなくしやうちきにして物を
あはれみ慈悲(じひ)ふかきそのまこと天理(り)にかなひ

【左丁】
こと故【事故=差しさわり】なくこのところにもきたることをえ
たる也さらは仙境(せんきやう)の有さまをみせ侍らんに
まつ溟海(めいかい)の水に浴(よく)せよとの給ふやすひこ
水に浴(よく)すれはかしけ【かじけ=やつれること】くろみしはたえ【皮膚の表面】はたち
まちに色しろくこまやかにわかやきたり
又一りう【粒】のくすりをあたへてのましめた
まふに安彦(やすひこ)をろかなるまよひのむねたち
まちに霧はれてさやかなる月にむかふ
かことくにて自然智(しねんち)【じねんち=自然に悟りをひらいた智】をそさとり
    ける

【右丁 絵画 文字無し】
【左丁】
かくて安彦は七人の女仙にともなひてほう
らいきうのあひたをめくりてこれをみるに
まことにみめう【微妙=不思議なほど素晴らしいこと】きれいなりかゝるところは
むまれてよりこのかた目にみしことはいふ
にをよはす耳(みゝ)にきゝたるためしもなし
みれとも〳〵いやめつらかにあきたる事さら
になし又かたはらよりひとりの仙人たち出
て心もこと葉もをよはぬほとのいしやうを
あたへ天のこんすけんほ【玄圃】の梨こんろん【崑崙】の
なつめなとさしもに【あれほどに】めつらしきものをあたへ

【右丁】
たれはいよ〳〵心もさはやかにとひたつはかり
におほえたちそれよりふらうもん【不老門】のうち
長生殿(ちやうせいてん)につれゆきて此仙人かたりけるは
いかにこれこそはなんちもさためてきゝを
よひけん不老不死(ふらうふし)のくすりはこの宮中(きうちう)に
こめられてたやすく人にはほとこしあたふ
ることなけれともなんちか心のしひふかく
正ちきにしておやにかうあるその心さしを
かんする故にこれをなんちにあたへんとて
すなはち是をとりいたし瑠璃(るり)のつほのうち

【左丁】
より七ほうのうつはものにうつしいれて安
彦にたひ【お与えになる】てけり安彦これを給はりて今は
いとま申て二たひ故郷にかへらんと申すさ
らは心にまかせよとてやかて舟にをくり
のせ給ひけれは七人の仙女も岸まてたち出
給ひて東門(とうもん)の瓜(うり)南花(なんくは)の桃(もゝ)玄雪(けんせつ)の煉丹(れんたん)【注】を
安彦に給はりぬかくてともつなをときめい海(かい)
にうかひけれはみなみの風 徐々(ぢよ〳〵)と吹て
         日本の岸(きし)につきに
                けり

【注 古代、中国で、道士が辰砂(しんしゃ)をねって不老不死の妙薬を作ったこと、またその薬】






【右丁 絵画 文字無し】
【左丁】
きのふけふとはおもへとも故郷は山川ところ
をかへしれる人はさらになし晋(しん)のわう質(しつ)か
仙家よりかへりし事水のえのうらしま子か
りうくうよりかへりたりしむかしのためしに
露たかはす安彦もやうやく七世の孫(まこ)に尋ね
あひたりいま安彦も三百 余(よ)年をすきにけり
みかと此事をきこしめしをよはせ給ひちよくしを
たてゝめされけり安彦ちよくにしたかひて
いそきさんたいつかまつりほうらいさんの
ありさまつふさにそうもん申つゝふらう

【右丁】
      不死の
         くすり
            を
        みかとに
           これ
             を
           たて
             まつる

【左丁 絵画 文字無し】

【右丁】
みかとえいかんあさからす安彦(やすひこ)やかて一とうに
三位の宰相(さいしやう)になし下されみつから薬字(くすり)をなめた
まへはみかとの御よはひわかくさかりに立かへり
長 生不死(せいふし)の御ことふきをたもち給ふ安彦は又
七世の孫(まこ)もろともに通力自在(つうりきじざい)の仙人となり
いまはこの人 界(がい)もわかすむところにあらす
とてそらをかけり雲にのりて天上の仙宮(せんきう)
にのほりけるとそめてたけれ

【左丁 見返し 文字無し】

【裏表紙】

BnF.

【巻子本】
【ラベル】
SMITH-LESOUËF
   1517 F
 JAP 134(2)

【巻子本の巻いた状態の上部】 

【巻子本の巻いた状態の下部】

【表帯、押さえ竹、見返し】

あはれ女ともいかゝおほえたふ薄衣ひとつを
なかひきに引しをかくめて度御ほんぞとも
きかさねてくさりたるをこ【わヵ】れも御をしへによりて
かくなりけれはたゝをんなともの御とくとそ
おもふいかゝおほへ給ふ

とみくさり
     たる
へをひり
 給ふぞ
   かし

        あはれとくはかり
           おさめはや

あまりいたくつけは
かひなたゆくこそ
 あれ

          てもたゆく
            日暮らし
               たる
                よね
                  かな

たはのとを
    との
    から
 もて参りたる
     にへなり

      かうしきしはおはする
               にや
      中将殿にめし侍りめて
                たく
      つかまつりたる人めてたきろくとも
             まふけられたり

                 いかゝこのとなりのかう
                 しきしのけうのさえ
                         して
                 とひとになりたるは
                 おほえたふよしなき
                 とねまつりことして
                          人
                 にのられていはれ
                        たふは
                 やくなき事にて
                 このかうしきしにでし
                         ぶみ
                 いたしてこのさえ
                         ならひ
                 たへかしいみしうこそ
                  うら山しけれ
けに〳〵まろもさ思ふ
でしふみとらし
      たり
       とも
心やすくをしへて
        んやは
こゝろみにてしぶみ
とら【他本「せ」】てならはむと
  おもふ事なり

としころもいかで申まさむとおもふたまへつれとも
其事となくてまゐり来つれはこのしたふ
ざえをしへたうべとておひ〳〵でしぶみたいまつり
つるなりかならずてをつくしてをしへたうへ
 かゝるざえはひとりあるはたゆる事
  なればつたへまさむとて申なり

やゝ申さむよく〳〵しりてたもち給へでしぶみいたしてたうはずとも
ならはむとあらん事をいかてをしへ申さゞらむいはんや
                       でしぶみ
                           を
たうたればいとかたしけなしこの事 申たる事
又人にきかせ給ふなさらはえなら   ひとり給はじ
おのがしわさをしへたうひしかはとし
                ころ  かくして今かゝる
をしへのまゝにし侍る
         なり
ゆめ〳〵ならひとらんと
          おほさは
口よりとに出し給ふなにき
           はし
からぬ殿はらのみもとに参りて
のたまはむやうはかう〳〵てい
           はうひち
              〳〵と
三たびいふてひてたけまろかつかふま
                つる
さえをめてたしと殿はらのおほせ
給ふはおこの事なりふくどみがかたはしをしへて侍也
                       と
のたまはく人聞て申とほしてんきこしめしてつかふ
まつれと仰給はゞ酒をまつたうべていのりごとして
つかうまつらんと申されば其をりに朝かほのみを十ばかり
さりけなしにうちくゝみて酒【他本「うけ」】してすゝきいれてさてはらさぶ
めかんをりにたちはしりてしりをこそめていきみ給へ
さらはえもいはぬ声はひでたけがするよりもはなやかに
ひり出し給ひてんとをしふれはてをすりて喜ひて

ふくとみは七条のほうのとねなり
此秀武といふやつのするだにとの
はらはめてさせ給也すやつ
           は
ふくとみがかたはしをしへたるをだにめてさせ給ふなりまして
ふくどみがはしなれはをさめてとうてひりつゞけむは殿はらの
めでさせ給ひなんかしといへはいそぎてましに入ぬれは
めしをたちてたてるほどにいぬゐのかたに向ひて
ひでたけかをしへつるやうに
かう〳〵ていほうひち〳〵と
            三度
いひてねうしたてり

            しはしたゝいこれ
            中将殿に申さん

あなゆゝしたゝおいにおひ出
           されよかし
             あまはかゝる事

              あはれおふけなきやつかな
               是は七条のふくとみには
                   あらすや

こやつたゝうておいいてよ
みめよりはし
めていみ
しう
にくし
しり
  こしを
しぬ■■【他本「はか」】りふめ 
いみ■■【他本「しう」】き■■【他本「たな」】しこる
はかりおふせよ

           本よりひりけるに社【こそ】あめれ
            殿に■【他本「ひ」】りてかくせんと
             思ひけるいと恥なし
              こるはかりよく
               かうせよ

年よつたる物は
      あはれ
        し
 けにたゞとく追出し
        てはや

   何事を
     の給ふそ
     かばかりの
      盗人
       をば
      よく
       かうしで
       こそ
         やら
           め

                   たすけ給へや
                    なをしばし
                     御覧せよ
                    さりとも
                     ならひ
                       たる
                      ところ
                       さふらふ

をれは何事申そ
 こるばかりたゞ
  よくかうぜよ

       物見よおきなのくそひりて
        こうせらるゝ
             を

とういきて見よ今そ
杖にすかりて
  よろほひ
    ゆく
     める

  あはれよしなき女の物うら
             やみに
 すゝめられてひてたけまろに
  すかされていかて 
   家にあゆみ
    つかむ
     すら
      ん

     いなあれは七条の
      ふくとみにいます■りか【他本「いまするか」】
 いかにしてさるめは
     見たまへるぞ

               おほちはいろ〳〵の
                おほんぞどもかづきて
                 おはすめり
                     ふるきぬ
                  皆やきてんあな
                     うれしや

      とく〳〵やけかゝる古衣の
       またなけなるはやきいるそよき
          いろ〳〵のおほんぞ
            かつきて
               おはすれは
              これは何か
                  せむ

またしきにもやき
 給ふ物哉たし
      かに
  見てこそ焼
     たまはめ

               何しにかはまだしきには
                やきすて給ひつるとねいま
                           して
                 こそのちもやきすて
                    たまはめ

何事をの給ふそあなあさまし年は六十余になりてとねまつりこと
                            し
                            給へとも
三つ子に引をとり給ひけりあさかほのみは一ツにてたにはら
                          とくる
                            物を
それに十つぶをむなしばらにすきいれてんには
かきる事にこそあなれかしかしこう是
まてよろぼひいましたるけうの事
             なり
  まつはらとゞめん事をやは
    くすりくひてかまへ
           たまひね

ひてたけかえもいはぬ
 おほんそをたまはれはぬしも
  あやにしきを給はりて
   いますると
        こそは
    見つれふる衣
     ともはやき
         つるそ
      かし
       たれかかく
      いみしきめは
       見たまふらんと
           おもふそ

           ふるひはしぬともさるものを
            いかにきんずるそさま〳〵に
             おとこせたむるをんな
                  ともかな

          いてやわをうなとものちゞに
          かくわびしきめをみする
           きつきてたに見たまひて
           をのれやけといはむ
            をりこそはやかめ
             おぼすに
             此事まば
                ゆき【他本「此の事ははゆき」】              事と
               おほ
                ゆる
                 そ
                  なれはえ
                   ならは
                     じ
                     と
                  いひしを
                 などかでしぶみ
              いたしてねんころに
            いはゝおしへてんとのたま
          ひしかはうしろめたき事
         のたまはんやはとてこそでしぶみ
       いたしてならはんといひしかばよろこび
      たる顔してねんころにをしへしを誠と
     ふかくたのみておしへしまゝにせしぞ
    かし朝顔のみの事を人にゆめ〳〵といひ
   しははやう腹とくる事なれはしりたる
  人有てもしいひとゝむるとてあなかちにいひし
 なりけり本よりひてたけまろはさるがう
                 するや
                   つ
なれはこのざえするもいとよしふくとみか此事
せんと思ひけるが
      あさまし也

こゝもとをふむへきか
 いかはかりふみをられ
  たるぞやおひ〳〵

               あれはしぬやよしなき
               をんなの物うらやみに
                老のはてにかゝる
                 めを見つる
                    かなしさ
                        よ

                  是をまつひとつ
                   すゝりまゐれ

たかむこのひてたけといふやつのわかいのちをかけて
 たのむといふ人のふくとみをすかしてあさかほ
                      の
  実をすかせたるはかきりなきつみなり
                  くやつ
   みさきのかみたちまちくる
    はしておほちみちに
     うちふせて
   まどわせ
       給へ
    あなかし
        こ
         や

            おい
             〳〵

やあかきみかくのたまひそとても
 かくてもをうなともの
  し給ひたる事と
        思へは
   むかひ申も
     うと
      まし
       き
        也

                これはいみしきくすり也 
                 たゝ一すゝり
                     すゝり
                      給へ

     かくてはいかゝし給はんずるぞ
      をうなをまどはし
              たまはん
                 ずるか

あさかほのみは
ひとつたにはらと
くるものなり
十まてすきてん
にはよき事
ありなむや
さりとも

此藥をすきては
けしはあらし
 これをす
 かすへき
    なり

        この女は七条のふとねの
           おきなのめにてさふらふ
            あやつ■【他本「あやつゝ」】のへひりの
                     ひて
              たけにはかされて
               朝顔のみすすき
               たれは其のち
                    かく
               ひるとこそうけ
               給はれ心をえ
                    させ
               給ひてちをうせ【早稲田大学図書館本「給ひてくすりを」】
               たまふへき也
               ひてたけと申す
               やつのをとこにて
               さなしぬ【他本「さふらふ」】おきなを
               すかして朝かほの
               実を十つぶはかり
               すかせてさぶらへは
               其のちよりはら
               ねとけてはさうの
               みつをいたす
                    やうに
               有りまつれは年老
               たるものゝかくさふらへは
               何をたのみ候へき
                      そ

ふとねかめのする事も
      ことわりなり

いみしうたけき女哉
  かうしきし 
   し■【他本「あ」】つかひ
    にた
      り

      たゝついまろはして
         いねかし

    人見は〳〵だゞしなんと思ふそ
      おい
       〳〵

     やゝかくなし給ひそいと見くるし人
      見るとよはなち給へ

あれをみよ
    えほしも
 落にたり
    あなおかしや
         〳〵

かうしきしとねがめと■り■みたるを
             わらふとそ
                 きく

                何を
                 わらふそ

なにをみるそおれら

       詞書写
          實仲

【巻子本の表】
【ラベル】
SMITH-LESOUËF
   1517 F
 JAP 134(2)

【箱の中に巻子本二巻入】
【ラベル】
SMITH-LESOUËF
   1517 F
 JAP 134(2)

【箱の外側】
【ラベル】
SMITH-LESOUËF
   1517 F
 JAP 134(2)

【箱の墨書き】
糞書
 物語
巻 物 二

【箱の外側】

【箱の墨書き】
糞書
 物語
巻 物 二

BnF.

BnF.

BnF.

BnF.

唐物語 上 【ラベル内】Jap 3

【ラベル】JAP 3 1
1517 F 1

春もやう〳〵くれゆき五月雨の比になり
ぬ雨中つれ〳〵なるに友とする人きたり
世中のよしなき事共うらなくかたるこそ
おかしけれおなじ人間に貴賤賢愚有
又すかた言葉のちかひしことはもろこし成
へしと云何の国には人のかたちかく有なと
かたりけるにかたはらいたくおもしろしいかて
かの井うちのかはつなるへし

【右丁】
三才図絵にくわしくありと云これを
見るに初心の人めやすからすみるに
せんなしあさきよりふかきに入なれは
他のあさけりもあらんなれと仮名に
なをしつれ〳〵のなくさみとせし
なりおよそ一百四十余ケ国有めつら
しくちかいひしことなりという字によそへ
すなはち異国物かたりと名つくるのみ
【左丁】
異国物語上
日本国則和国なり新羅国の東南大海
のうちに有山嶋によつてすみかとすこ
の国九百余里もつはら武勇をこのみ
中国にしたかわす国をおかしうははん
とす此ゆへに中国是をおそれて常に
和題と名つく又は神といひ天神
七代地神五代より人王の今にいたりま
つり事たゝしく伝釈道詩哥管

【右丁】
弦文武医薬その道をまなひ上下万民
まことをさきとし国の制度明なりしか
あれは四海をたやかに諸国にすくれたり
是により万国日本にしたかはすと
         いふことなし
【左丁】
大日本国

【右丁】絵
【左丁】
いにしへは鮮は早
と名つく周
の武王の時箕
子を其国に
封してより朝
鮮国と名つく
中国の礼楽詩書医薬うらかたに至るまて
みな此国につたはりて官制こと〳〵くあきらか
なり国の制度皆儒道の風にしたかひて又悪
殺のいましめなし人みな君化にかなひて四夷の
中にひとり高麗をすくれたりとすたゝ礼義のおこ

【右丁】

なはるゝかたち中国にたかふ事有其国に良
馬白石なしともし火に黒麻をもちひ布を
もてあきなふ国のかたち東西二千里南北
千五百里なり都は開州にあり名付けて開
城府と云北京の都にいたる事其道三
千五百里なり
【絵の上部】扶桑国
此国は大漢国
の東に有板
屋をつく
りてすみ
かとすさらに
城槨なし武
帝の時罰
【左丁】
賓の人その国にいたりて見るに国人常に鹿をかふ
て牛のことくにつかふ又其乳を取を以てわさとすと也
【絵あり国名なし】
此国
建安より水
を行事五百
里也其国に
玉石おほし
中国の制度
にしたかひて
朝覲みつきものをたてまつるみな時にかゝはらす
王子およひ陪臣の子はみな大学に入て書をよ
む礼義はなはたあつし




【右丁】
【絵の上部】小琉球国
其国東南海に
ちかし地より玻
瓈名香其
外もろ〳〵の
たからを生す
【絵の上部】女真国
其国契丹国
の東北の方
長白山のも
とに有鴨
線水のみな
もと古粛慎
の地也其さ
【左丁】
き完顔氏といふもの有つみをのかれて此国に
かくれたり其地に金おほし此ゆへに国の名とし
て金国と云阿国と云人よりみつから帝王と号
す国人鹿皮魚を衣としたり又野人皆利刀を
帯し死をかろくし命をおします男子皆其面に
點入たり
【絵の上部】邏羅国
其国浜海に有
男子はかならす
其陽をさく宝
物をたくはへてふ
うきをへつら
ふもからされは

【右丁】
【絵の中】匈奴韃靼
女家これに妻あわさす此国に凍おほし
此国人五種有
一種は身の毛
黄なり是山
鬼と黄?牛
との生する所
なり一種はくひ
みしかくおほきなるものはすなはち?狡と野猪
との生する所なり一種は髪くろく身の色白は
則是唐の李請の兵の末孫也一種は突楔
なり其さきは則射摩舎利海神のむす
めと金角の白鹿ましはり感して生すこの
【左丁】
【絵の中】巴赤国
国の主として民みなしたかふ白鹿の生する
共五世を貼木真と名つく是大蒙古といふひそ
かに帝王と称す是より四世の孫則必
烈すてに中国の天子となれり国人常に
獦をこのみて羊馬野鹿の皮を衣とす
此国人常に林木
のうちに住居し
て田をつくる又
馬をあきなふ
応天符より
ゆく事一年
にして此国に
いたる





【右丁】
【絵右】黒契丹国
此国ゆたかにして
城地有家あ
またつくりなら
へ人煙たへす金
国の人此国に
いたり行応天
府ゟ行事一年
にいたる
【絵の上部】土麻国
此国ゆたかに家
つくりして人煙
たへす国の風俗また
韃たん国に似たり
応天符ゟ行事
七ケ月にしていたる
【絵の上部】阿呈車蘆
其国皆山林に
よりて城をか
まへ家をつくり
又田あり応天
より行事一年にして
     いたる
【絵の上部】女暮楽国
其国城池人煙
おほし人皆鹿
皮を衣とし
て牛羊をや
しなふ国のな
らひ人皆ゆた
かなりたつたん国
の人と通して
あきなふ

【右丁】
【絵の上部】鳥衣国
其人常に鳥
衣を着たり
かしらに大被
をかつくその
なかさひさをか
くしうてをか
くす漢人を
みるときは則そむき行て其かほゝみせし
めすもししゐてそのかほをみるときは則是
をころすいわく我おもては人にみせしめす
と則又草をもつて其死人におほふ物をあ
きなふに又かけ物を以てをりもしそのあたひ
【左丁】
すくなき時は又も人をころす
【絵の上部】老過国
此国
安南国の西
北のかたにあり
いにしへ越裳国
の人其性狼
戻にしてたゝ
人とましわら
すひそかに弓を引て是を射ころすもし又他
国の人をとらへては足のうらをすりて其皮
をはく此ゆへに行事あたはす其国より象
牙金銀をいたすをよそ食物は口よりくらい
水さけは鼻よりのむ



【右丁】
【絵の上部】?魯国
此国木魯国とおなじ風俗也
応天府より
行事七ケ月
にしていたる
【絵の上部】乞黒国
其国城池なし
羊と馬とを
いたしあきなふ
国のふうそくたつ
たん国に同し
応天ゟ行事
七ケ月に至る
【左丁】
【絵の上部】古城国
其国みな林の
内をすみかと
す安南国よ
りみつき物
を奉る広
列より船を
いたし順風八日にしていたる国の内名香犀象
をいたす又田をたかやしてくらふ海浜に
鰐の魚ありもし国人とかのうたかはし
き時は鰐にあふたるにとかなきものは
くらはすといふ



【右丁】
【右絵の上部】深烈大国
其国人たつたん
国とふうそくお
なしくせり応
天府より行事
六ケ月にして
いたる
【左絵の上部】波利国
其国林木おほし
田をうへてなり
はひとす城地な
し家おほく
作ならへたりた
つたん国に通す
応天府より
行事一年に
していたる
【左丁】
【右絵の上部】鉄東国
其国ゟよく逸
物の馬を出す
応天府より
行事二ケ月に
していたる
【左絵の上部】訛魯国
其国人まなこ
ふかくおち入
てかしらのか
み黄なり木
を重ね立て
家とせり応
天府ゟ行事
一年半に至る






【右丁】
【右絵の上部】木思実徳
此国のふうそく
又たつたんに
おなじ応天
府より行事
七ケ月にし
ていたる
【左絵の上部】方連魯蛮
其国人ものいふ
ことはあきらめ
かたし田を作り
てなりはひと
す馿馬を出し
あきなふ応天
府より行こと
一年にして至る
【左丁】
【右絵の上部】昏吾散僧
其国山林おほし
人みな田を作
て食をたくはふ
応天府より
行事九ケ月
にしていたる
【左絵の上部】大漢国
此国に兵才なし
又合戦する事
なし紋身国と
通して物を
あきなふたゝ
其言葉一つ
ならすとなり



【右丁】
【絵の上部】爪哇国【ジャワ】
東南海の嶋の
うちに有則
是古しへ固闍婆
城と名つくる
所なり泉州路
より船を出し
て一月にし
ていたるへし其国冬夏のへたてなく常に
あつくして霜雪なし其地より胡椒蘇方【すおう】
をいたす武勇をもつて賞にあつかる飲食
は木葉にもりてくらふおよそあらゆる虫
のたくひみな是をにて食す男死する時
は其妻十日を過して又人めとつる
【左丁】
【右絵の上部】擺里荒国
其国北海に近
し風俗また
たつたん国に同
し応天府
より行事
六ケ月にして
いたる
【左絵の上部】後眼国
其国人うしろの
かたうなしに一目
有国のありさま
たつたん国に同
昔良河の人此
国に行てたち
まちに此人を見
て大きにおそれ
たり









右丁】
【右絵の上部】大羅国
此国の風俗又
たつたん国に
同じ応天府ゟ
行事四ケ月
にしていたる
【左絵の上部】不刺国
此国西夏【資料は草冠+夏】にかく
れり常に馬
羊をやしなひ
て是をあき
なふ応天府
より行事一年
八ケ月にして
   いたる
【左丁】
【絵の上部】三仏斎国
此国南海の内
にあり広州ゟ
舟をいたして
南北の風十五
日にしていた
るへし惣門ゟ
入て五日にして
其国中にゆく木をもつて柵垣をつくりて城と
す国人よく水にうかふ其人みな薬を服するさらに
矢もたゝすかたなもやふらす此故に諸国に
覇たり其国の地に穴あり牛数万わき出る人
是を取て食とす後の人其穴に垣をゆふより又牛



【右丁】
わきいてすといふ
【絵の上部】近仏国
此国東南海の
ほともに有此
国々野嶋の蛮
賊おほし麻羅
ぬと名つく商
人の舟其国に
いたりぬれは国
人むらかりあつ
まりて是をとりこにし大なる竹をもつてさし
はさみてやきころしくらふ人のかしらを食
物のうつはものとす父母死する時は一類あつ
まりてつゝみをうちともに其肉をくらふこ
【左丁】
れ非人の類なり
【絵の上部】大闍婆国
莆家献国
のほとりに有
中国より吹
風八日にして
いたるへしむかし
いかつち此国に
おちて大石さ
けくたけ其石のうちより一人出生せる是を立
て国の大王とす此国より生するもの青塩
およひ綿あふむ鳥其外たからの玉あり又
其国に飛頭の人あり《割書:轆馿首|といふ者也》其民を名













【右丁】
付て虫落民といふ
【絵の上部】婆羅国
此国人男女共に
かたなをおひて
道をゆく又人と
ちなみしたし
ます人をころし
て他国には
しり丗日を
すくれは其とかをかうふらす他国の人其妻をぬ
すむ事あれはわか妻かたちすくれて人のた
めに愛せらるゝと云て其おとこをころし其
女をむかへて是をやしなふたかふことあれは皆
【左丁】
ころすをもつて国風とす
【絵の上部】沙弼茶
此国昔より
このかた人のい
たる事なし
たゝ聖人沮(?)
葛尼と云人
のみ此国に渡
りて文字を
をしへらる其国は西荒のきわまりにして
日輪西に入時日のめくるこゑいかつちのひゝく
かことし国王常に城の上に数千人をあつめ
てかくを吹かねを鳴らし太鼓を打ちて日のめ
くるこゑにまきらかすしからされは小覧夫






【右丁】
人みなおそれて死すとなり
【絵の上部】斯伽里野国
芦眉国に
ちかし山の上
に穴あり四
季のうち火
のもえいつる
事常なり
国人大石を其
穴の内になけいるゝにしはらくのうちにみな
やけくたく五年に一たひつゝ火もへあかり
て家もはやしも石もともに火にや
【左丁】
かれ人みな死すといふ
【絵の上部】崑崘層期
此国西南海の
ほとりにあり此
嶋の上に大鵬
と云鳥有此
鳥のとふ時は
両のつはさ
九万里なり
よく駱駝の馬をくらふむかし人其鳥の羽をひ
ろふて其茎をもつて水桶につくるよし又
野人有身くろき事うるしのことし他国の
商人のために奴となりてあきなふ






【右丁】
【右絵の上部】采牙金虎【別本は「彪」】
この国西番の
木波国に近し
応天府より
行事五ケ月
にしていたる
【左絵の上部】獦獠国
𨋽軻に有其
国人婦人みな
はらむ事七月
にして子を生す
国人死する時
は竪棺【縦棺】【「披」は「棺」の誤記。別本による。】にして
是をうつむ
【左丁】
【絵の上部】瓠犬国
此国昔帝誉
高辛氏のとき
宮中に老女
有耳のうち
より蚕のまゆ
のことくあるも
のを生す
瓠に入てをくに化して犬となる其色五色なり名
つけて瓠犬といふ時に呉将軍むほんをおこす
瓠犬ひそかに呉将の首をくわへてかへり帝よ
ろこひて宮女を給うふ犬女をつれて南山に入て




【右丁】
年のうちに男子十二人をうむみな是人なり帝
長沙の武陵蛮の主とせり其子わか父の犬
なることをはちてひそかにはかつて是をころ
せり今瓢犬の国そのすえなり
【絵の上部】紅夷国
此国安南のみ
なみのかたに
有其国人
衣をつくる
事なし綿を
もつて身にま
とへりくれなゐのきぬをかしらにまとへり其かたち回々
国の人のことし国に塩なし交地の人塩を以て此国にあきなふ也
【左丁】
【絵の上部】天竺国
此国大秦に
ちかし良馬
おほし国人皆
両鬂をたれ
くたし帛を
もつてかしら
をつゝみきぬを
もつてしたふすとせり国のうちに泉あり商人
瑠璃の瓶に此水をいれてふねのうちにたく
はへもし風あらくなみたかき時此水を
海にそゝくに風波立ところにとゝまるなり











【右丁】
【右絵の上部】交脛国
此国人両の足
もちれまかれり
そのはしる事
風のことく
   すなり
【左絵の上部】阿黒驕国
此国人家おほし林
木のあいたに有
国人鹿皮を衣と
し馬に乗て弓
を引たはふれに
人を射死する時
にはそのせなかをうつ
に則よみかへると也
【左丁】
【絵の上部】蘇門答剌
此国田かたふし
て五こくすくな
し中にも脛高
人物をおさめ長
する也国人一
日の間に身の
色かならす三度かわり其色或はくろく或は黄
あるひは赤としことにかならす十余人をころして
其血を取てあふる時はその年病をしやうせす
これにより民皆おそれて都につきしたかふしかれ
はすこし死のなんをのかるとなり










【右丁】
此国城も田もおほくあり男子は腰にはかり衣を
きて長高かみをくみて首にたれ婦人はほ
うしをいたゝいて居るなりきわめて楽をすく
なり琵琶ふえをもちあそふなり男子は馬に乗
弓を射てたはふれとするなり
【左丁文字無し】

【文字無し】

【裏表紙】

BnF.

【表紙】

【右上】
Japonais
4500

【文字なし】

【文字なし】

それ我てうと申はあまつこやねのみことの゛あまのい
はとををしひらき゛てる日のひかりもろともに゛かすか
の宮とあらはれてこつかをまほり給ふなり゛されは
にやかすかを春の日とかく事は゛夏の日はこくねつ
す秋の日はみしかし゛ふゆの日はさむけし゛春の日は
のとけくしよくはんふつ【万物】をしやうちやうす゛四きに
ことさらすくれ゛めい日なるによりつく゛春の日とかき
たてまつてかすかとなつけ申なり゛かの宮のうち子
は藤はらうちにておはします゛藤はらのその中に
大しよくはんと申は゛かまたりのしんの御事なり゛はしめ
はもんしやうせう【文章生】にて御さありけるか゛いるかのしんを


たいらけ゛大しよくはん【大織冠】になされさせ給ふ゛そも此くはんと
申は゛上代にためしなし゛さてまつたいに有かたきめ
てたきくはんとなりけり゛是によつて此君をはふひ
とうとも申゛いつもかまをもち給えはかまたりのしんと
も申す゛されはにやかすかの宮にさんろう有て゛あま
たのくはんをたてさせ給ふ゛中にもこうふく寺の
こんたうを゛さいしよにこんりう有へしとて゛しやう
こん【荘厳】七ほうをちりはめ゛しやこんたう【社金堂】をたてさせ
給ふ゛くはほうはそれよりもあまくたり゛国のなひき
したかふ事は゛ふる雨のこくとをうるほし゛たゝさうよ
う【草葉】の風になひくかことし゛きんたちあまたおはし
ます゛ちやくによ【嫡女】をはくはうみやうくはうくう【光明皇后】と申た

たてまつつて゛しやうむ天わう【聖武天皇】のきさきにたゝせ
給ふ゛しによにあたり給ふを゛こうはく女となつけて
三国一のひしん【美人】たり゛しかるに【右肩に小さく「かゝる」】彼ひめきみのゆふに【優に】や
さしき御かたち゛たとへをとるにためしなし゛かつらの
まゆ【桂の眉=三日月のような美しい眉】は゛あほふしてゑんさんににほふ゛かすみにに゛もゝ【右に「ふし」】の
こひ【百の媚】あるまなさきは゛ せきやうのきりのまに゛ゆみは
り月のいるふせい゛ひすひ【翡翠】のかんさしは゛くらふしてなか
けれはやなきのいとを゛春風のけつるふせひにこ
とならす゛【右に「ことは」】すかたは三十二さうにし゛なさけは天下に
ならひもなし゛かゝるゆふなる御かたちの゛いこくまても
きこえのあり゛七つかとのそうわう゛たいそうくはう
てい【太宗皇帝カ】はつたへきこしめされ゛いろ見ぬこひにあこかれ゛

BnF.

夕きり

まめ人の名をとりてさかしかり給ふ大将この
一條の宮の御ありさまをなをあらまほしと心に
とゝめておほかたの人めにはむかしをわすれぬよう
いにみせつゝいとねんころにとふらひきこえ給ふし
たの心にはかくてはやむましくなむ月日にそへて
おもひまさり給ひけるみやす所もあはれにありか
たき御心の【ミセケチ】はへにもあるかなといまはいよ〳〵もの
さひしき御つれ〳〵をたえすをとつれ給になく
さめ給事ともおほかりはしめよりけさうひてもき
こえ給はさりしにひきかへしけさうはみなまめ【。の右】かんもま

はゆしたゝふかき心さしをみえたてまつりうちとけ
給おりもあらしはやとおもひつゝさるへき事につけ
ても宮の御/う(きイ)はひありさまを見たまふ身つから
なときこえ給事はさらになしいかならむついて
におもふことをもまほにきこえしらせてひて人の御け
はひをみむとおほしわたる宮す所ものゝけにいた
うわつらひ給てをのといふわたりに山さとも【「ち」の脱落か】たまへ
るにわたり給へりはやうより御いのりの師に
てものゝけなとはらひすてけるりし【=律師】山こもりし
て里にいてしとちかひたるをふもとちかくさうし

BnF.

BnF.

BnF.

日本画譜

七福神

昆沙門
布袋
壽老
大黒天

辨才天
福禄壽
蛭子

 源賴朝 靜女
平家ヲ亡シ終ニ諸國總追捕
使ト成ル是ヨリ天下ノ權悉ク
武家ニ歸ス弟義經賴朝ト
不諧終ニ逃亡ス後義經ノ妾
靜姿色アリ之ヲ召シ鶴ヶ岡ノ
祠頭ニ於テ歌舞セシム靜辞
スレトモ聽サス乃チ衣ヲ整ヒ起
テ舞フ其謡フ所皆義經ヲ懐
慕スルニアラサル者ナシ聞者皆
為ニ漣然ス

   織田信長
智勇兼備ニシテ四方ヲ攻伐シ
テ海内ヲ蕩平セントス應仁以来
王室及ヒ足利氏ノ政令行ハレス
群雄四方ニ割據シテ爭戦止時
無シ是ニ於テ織田氏日々大ナリ
信長朝儀多ク廢欫スルヲ憂ハ
貲ヲ獻シテ舉行フ又足利氏ヲ再
□スト雖モ義昭愚ニシテ終ニ
亡フ信長甞テ諸臣ニ遇スルコト不
禮ナリ數シハ非理ヲ以テ明智光秀
ヲ虐ス後光秀叛テ信長ヲ弑ス
秀吉兵ヲ舉テ光秀ヲ誅ス
8

   豊臣秀吉
智勇兼備豪邁無比身草
莽ニ在リ氣己ニ宇内ヲ呑ム此
時ニ當リ爭戦虚日ナシ秀吉
神策鬼筹其機ニ恊ヒ終ニ天
下ノ大柄ヲ握ル又兵ヲ遣シ朝
鮮ヲ伐チ且明ノ援兵ヲ破ル㑹
秀吉疾ニカヽリ其子秀頼ヲ
家康等ニ諾シテ薨ス

   德川家康
秀吉ノ遺命ヲ奉シテ其子
秀頼ヲ輔佐スのち後盟約破シ
石田三成等ト関ヶ原ニ戦テ
大ニ是ニ勝ツ天下悉ク家康ニ
歸ス是ニ於テ家康ヲ以テ大
将軍トス是ヨリ德川氏世ヽヽ
相繼テ大将軍タリ府ヲ江戸
ニ開キ諸侯ヲ參勤セシム是
ヨリ世大ニ治マリ民于戈ニ観
サルコト二百五十余年ナリ
10

11
 梅ニ
   壽帯鳥

櫻ニ
  翠雀
12

13
  栁桃ニ
     鴗

松ニ
  丹頂鶴

15
 水草ニ
   錦鷄

巌ニ
  鷹
16

17
 芙蓉ニ
   白鷺

菊花
  三種

19
 内裏

公家

宦女

21
 武家

 士分

神職

僧侶

23
 藝妓 《割書:サミセン|コキウ》

 西京藝妓《割書:タイコ|ツヅミ》

朙治七年十一月在
東京四谷全勝精舎
樓上寫此譜

信濃 甘泉酒井妙成

BnF.

BnF.

【表紙 題箋】
住よしのほんち 《割書:下》

【資料整理ラベル】
SMITH-LESOUEF
JAP
  177 3

【右丁 文字無し】
【左丁】
くわうごうなのめならすにゑいかん
ありてかの一くわんのひしよをち
ぼうとしりやうくわのみやうしゆを
ふびとあそばししんらへむかはん
とし給ふにたいないにやどり給ふ
八まん大ぼさつすでに月ごろに
なりたまひしかは御さんのけし
きりなりくわうごうおほせける
やうはたいないにおはしますはさだ
めてわうじにておはしまさんなれ
ばちんが申むねをよく〳〵きこし
めせわがくにいこくのために
おかされなんぎにおよぶによつて

【右丁】
かれをたいぢせんためにかしこに
おもむかんとするかといで【かどいで=門出】にうまれ
いて給ふならはわうじもちんもとも
にをたし【穏し(おだし)=平穏である】かるまし君わがくにのほう
そ【宝祚=皇位】をつかせたまひたみあんせんの
代とならんならはこのたびいこく
をたいらげこのくにゝきてうせん
まては御さんをまたせ給へかしと
きせい【祈誓】ふかくし給へはたちまちに
御さんのけはやみにけりしかれとも
くわうごうの御はら大きにお
はしましけれは御よろいをめさ
るゝに御はだへあきたりたまたれ

【左丁】
のみことこのよしを見給ひてわいだ
てと申ものをこしらへてめさせ給ふ
その時すみよしの大みやうしんは
ふくしやうぐんとなりたまふすはの
大みやうじんはひしやうぐん【裨将軍 注】となり
たまひもろ〳〵の大小のじんぎ
ひやうせん【兵船】三千よそうをこきならべ
かうらいこくへよせ給ふこれをきゝて
かうらいこくのゑひすともひやうせん
一まんぞうにとりのりてかいしやうに
いでむかひ大こゑをいだしてせめたゝ
かふすみよしすはのりやうしん【両神】はまつ
さきにすゝみ給ひてぐんびやう【軍兵=兵士】を

【注 軍勢を統括指揮する大将軍の下にあって補佐する役目】



【右丁】
いさめげじ【下知】をなしたゝかい給へば
いつれもせうれつ【勝劣=優劣】はなかりけり
たゝかひいまたなかばなるときに
くわうごうりうぐうよりかりもとめ
給ひしかんじゆ【干珠】をかい中になげ
たまひしかばうしほにはかにしり
ぞひてかい中たちまちろくぢ【陸地】と
なりにけり三かんのつはもの
とも此よしを見るよりも
これたゝことによもあらし【あるまい】天
われにりをあたへ給へりもと
よりかちたち【徒立ち=合戦で、騎馬でなく徒歩で戦うさまにいう】いくさはわかとも
からのこのむところよとよろこひて

【左丁】
めん〳〵ふねよりとびおり
   あるひはかちたちになり
ほこをまじへ
      ゆみをひき
     せめつゝみ【攻鼓 注】を
           うつて
たゝかひけるありさまなにゝ
      たとえんかたも
          なし


【注 攻太鼓に同じ。攻め掛る時の合図に打ち鳴らす太鼓】




【両丁 絵画 文字無し】

【右丁】
このときにすみよしの大みやうしんかの
まんしゅ【満珠】をとりてひかたになけいだし
たまひしかはうしほ十はうより山の
くづるゝごとくにみなぎりきたれり
すまんにんのいぞくどもむまにのり
かちになりてたゝかひけれはどろ
にまみれしうをのことくなみにお
ぼれ水にむせぶところをわがくにの
神たちすせんぞうのふねをこぎよ
せ〳〵一人ものこらずたいぢし
たまふくまはりは此よしをみるよりも
いまはいかにもかなふましと思ひけれは
みづからみをしや【捨】してかう【攻】し給ひ

【左丁】
けれはしんぐうくわうごう御ゆみの
うらはずにて三かんのわうわが日の
もとのいぬなりとせきへきにかき
つけてきてう【帰朝】し給ふてのち三かんわが
てうにしたがひてたねんそのみつき
ものをたてまつるくわうぐ【ママ】うはつくしに
つかせ給ひつゝたいなゐにおはし
ます八まん大ほさつをよろこばせ給ふ
そのところをうみのみやと申なりそれ
よりしてながとのくにゝみゆきありて
とよらの京に大みやつくりし給ひつゝ
くは【ママ】うごうていにそなはり給ふ御代をしろ
しめす事は七十ねんその十一ねんに

【右丁】
あたるかのとのうのとしすみよしの大みやう
じんくはうこうの御まくらかみにたゝせ給ひ
つゝほうそ【宝祚=皇位】をまほらん【守らん】とたくせんし給ふ
によつてやしろをまふけすみよし大
みやうしんをくはんじやうし給ふそのゝちくわう
ごうやまとのくに十市のさとわかさくらのみや
にうつらせ給ふときつのくにつもりのうらに
こんじきのひかりたちけると御ゆめにみ給ふに
よつてちよくしたてゝみせ給へはすみよしの
大みやうじん一にんのおきなとげん【現】し給ひ
つゝますみよしのくになれは里を此ところに
あがめよにしをまほりの神とならんとのた
まひてかきけすやうにうせたまふ

【左丁 絵画 文字無し】

【右丁】
ちよくしかへりまいりてこの
よしかくとそうもん【奏聞】申ければ
みかとしんたくをしんじ給ひ
てすなはちやしろをつくりすみ
よし四しよみやうしんとあかめた
まひけり四しやのうち一ざは天しやう
だいじん一ざはたきりひめ一ざは
そこつゝを中つゝをうはつゝを
いま一ざはしんくうくわうこうにて
おはしますみやしろのあり
さまよのしやとうにはやうかはり
いつれもにしにむかはせてたゝせ
たまふもいこくのえびすを

【左丁】
ふせぎたまはんとの御しんたく
あるゆへとかやつもりのうらに
あらはれたまひてのちれいげん
いよ〳〵あらたかにおはし
ましわかくにをそむきまいら
するいそく【夷賊】らをはつし給はす
といふ事なしさてもおはり
のくにやつるきのみやうじん【熱田神宮の別宮である八剣神社にまつられた神】と
申はむかし神代よりつたはり
しあまのむらくものけんを
あかめたまひしほうでんなり
こゝにしんらこくにしやもん【沙門】
だうぎやうといへるそうあり






【右丁】
日ほんにめいけんのひかり
たつをしんらのわうにつげ
けれはすなはちかのそうをつ
かひにててんち天わう七ねんに
くだんのれいけんをうばはんた
めにわがてうにそわたし
けるだうぎやうあつたのやしろ
にまいりつゝ三七日こもりて
けんのひほうをおこなつてれい
けんをぬすみいたし五でうの
けさにつゝみてすでに
しやとう【社頭】をにげいでんとしたり
しおりふしにはかにくろ

【左丁】
くもまいさかりかのれいけんを
とりまきけれはかないかたく
してしやだん【社壇】にかへし
おくりたてまつりまたかさねて
百日おこなつて九でうのけさ
につゝみてしやとうをなん
なくにげいてあふみのくにまで
かへるところにまたくろくも
そらよりまいさがりれいけん
をとりてひかしをさして
たなびきゆくだうぎやうこ
のよし見るよりもとつてかへ
しおふてゆくそのところを


【右丁】
おいそのもりと
       いへり
    このところより
         つるぎを
   おいそめ
       ければ
         なり

【左丁 絵画 文字無し】

【右丁】
だうぎやう又千日おこなつて十五でう
のけさにつゝみてにげゝればこんどは
つくしのはかたまてぞおちゆきけるその
ときすみよしの大みやうじんおいかけたま
ひてくだんのつるぎをとりかへし
だうぎやうをはほろぼし給ひてれいけん
をばもとのことくにあつたのやしろに
おさめたまふこのつるきと申はむかし
そさのをのみことのいづものくに八戸さか
にてほろほし給ひしやまだのおろ
ちがおよりいてたるけんなりてんしやう
大じんへたてまつり給ふをあめみまご
にさづけたてまつらせ給ひて人わう十代

【左丁】
しゆじん天わうまでつたへさせ給ひしをみかど
れいけんのあらたなる事をおそれ給ひて
いせ大じんぐうへかへしたてまつらるだい十二
だいけいかう天わうの御ときたうい【東夷】ちよく【勅】に
そむきしかばやまとだけのみこと【「やまとたけるのみこと」のこと】うつてに
つかはさるときに天しやう大じんやまとひめ
のみことにおほせてかのあまのむらくもの
けんをみことにさづけ給ふみことこのれい
けんを給はりてくわんとうにおもむき
給ふするがのくにゝつき給ふときいぞく【夷賊】
らみことをすかし【言いくるめて騙す】たてまつり野なるくさ
にひをつけてやきころしたてまつらんと
しけるところにみかとかのけんをぬきてくさを

【右丁】
なぎ給へばくさに火もえつきいぞく
のかたにおほひしによつていぞくこと〳〵く
ほろびにけりそれよりもれいけんを
くさなきのけんとは申なりそのゝちみこと
は御とし三十にしてこうぜいしたまひ
白鶴とへんしてにしをさしてとび給ふ
さぬきのくにしらとりのみやうしんとあら
はれたまひけりさてくさなぎのけん
をは天しやう大じんの御はからひにて
おはりのくにあつたのやしろにあづけ
をかせ給ひけるなりあつたのやしろ
と申はそ【ママ】さのをのみことゝも申または
やまとだけのみこと【「やまとたけるのみこと」のこと】ゝも申なり

【左丁 絵画 文字無し】

【右丁】
またもろこしのみかとの御とき
にしわがくにのちえをはかりて
日ほんごくをうちとらんとおほ
しめしかんりん【翰林】のがくしはつ
きよいといへるぶんじや【文者】にあ
またのめいさい【明才】の人をあひそへ
大せん【船】す百よ【数百余】そうをかさりて
日のもとのちにわたさるゝ
すてにたうと日ほんのさか
いちくらかおき【筑羅が沖 注】といふところまて
たうせんはせわたりけるとき
にすみよしの大みやうじん
一人のぎよおう【漁翁=としよりの漁師】とへんしいさり

【注 韓(から)と日本の潮堺にあたる海】

【左丁】
ふねにさほさしかのたう
せんのあたりにてつりを
たれておはしましけれは
はつきよいいやしきおきな
そと見なして日ほんの事を
たつぬるところにかんご【漢語】を
もつてとへばかんごをもつて
こたへけるやまとことばをもつ
てとへばすなはちうたのもしに
ことよせておもしろくへん
たうし給ふによつてから人
かんにたえかねおこ【烏滸】とたゞ人【普通の人間】とも
おほへす日ほんのふうしよく【風色=景色】は







【右丁】
なに事をかもてあそふまなふ
て見せよと申けれはみやう
じんきこしめされてまづも
ろこしのならはしをまなふで
御身せ候へしとのたまひ
ければはつきよい申けるは
もろこしには思ふといふ事
をつくりて人のこゝろさしを
のぶればけんぐしやしやう
をく中にかくれすいでさら
はわがおもひをのべてきかせん
とて
 青苔帯(せいたいおひて)_レ衣(ころもを) 懸(かゝり)_二巌肩(いはほのかたに)_一

【左丁】
  白雲似(はくうんにて)_レ帯(おひに)
        廻(めくる)_二山腰(やまのこしを)_一
と申けれはみやうじんみこし
めされてちかころのしう
く【秀句】かなそれわかくにのなら
はかし【「ならはし(習慣)に同じ】には神代よりも和哥(わか)といへる事をよみならはし
てはんべるいつれもこゝろ
さしはあひおなしかるへし
いでさらばおよばずなから
いまのかへしを申さんとて
  こけころもきたる
    いはほはさもなくて


【右丁】
    きぬ〳〵山の
       おひを
         する
           かな
とよみ給ひけり

【左丁 絵画 文字無し】

【右丁】
から人おほきにかんじてふしきや
見れはさもいやしきぎよ
おう【漁翁】なるがかやうにめてたく
わかをつらね【連ねる=ことばを並べ整えて、歌をつくる】たまふ事こそ
ふしんに候へはじめよりたゝ人
とはおもはれずいかさま【ぜひとも】御名を
なのり給へと申けれはみやう
じんきこしめされていや〳〵
さのみにふしんはし給ひそ
ときをかんずればはなになく
うくひす水にすめるかはづ
まてもうたをつらぬるためし
ありましていはんやじんりん【人倫=人間】の

【左丁】
身をかれば身はいやしなからわが日の
もとのならはしをいさゝかしらでは侍る
へきおろかにまします人々かなと
おほせけれはから人このよしきゝて
それあしはらこくはそくさんへんち【粟散辺地】
の小こくなれともちえだい一のしん
こくなるといふにつけてかゝるあや
しきおきなまてもたつときゑいか【詠歌】
をつらぬれはもろこしのをろかなる
心をもつてちえくらべせんなしと
いふところにみやうじんのたまひけるは
わが日のもとにすみよしの神のちから
のあらんほとはもろこし人のわざと


【右丁】
してしんこくをしたがへたまはん事は
たうらう【蟷螂(かまきり)】がおのをもつてりうしや【隆車=高大な車】を
さえきるににたるべしすみやかにほん
こくへかへらせ給へあしくしてばちあた
りたまふなよから人たちとの給ひつゝ
かきけすやうにうせ給ふから人この
よしみるよりもふしきやたゝいまの
ぎよおうのありさまはしめよりたゞ
人ならずと思ふところにすかたのう
せしこそあやしけれいかさま【なるほど】しんこく
なれはみやうじんのへんげして
みえ給ふかとみな〳〵おそれさはぐ所に
にはかにそらかきくもり大あめふりて

【左丁】
かみ風しきりにふきいでければかいしやう【海上】
もものすごくはくらう【白浪】天にみなぎる
ほどにこはいかにときもたましゐをけす
ほとに八大りうわうは八まん四せんの
けんぞくともをひきぐしあをうなはら
にうかみいでわが日のもとのあまつ日つき
にあたをなしたてまつらんものならば
うみにしづめんとてくうかい【空海】にとびかけり【飛び翔ける】
けるほとにから人いよ〳〵おそれを
なしふねをほんごくにこぎもどし
ければなんなくみやうじう【明州(めいしゅう)のこと】のみなと
につきにけり


【両丁 絵画 文字無し】

【右丁】
さてこそだい〳〵もろこしのみかど
日ほんをはからん事をかたく
おもひとゞまりたまひけり三ごく
ぶさうのはくらくてん【白居易のこと】小こくの
ちえをはかりかねわか日のもとの
あんせんなる事ひとへにすみ
よし大みやうじんのおうご【擁護】に
かゝりけりしかるにかのしやだん【社壇=神殿】
としひさしくざうゑいもな
かりしかばのきも戸ほそ【扉】もあれ
はてゝ月とうみやうをかゝげきり
かうをそなへ【霧が、立ちのぼる香の煙のようなさまからいう】しかばみやうじん
これをいみしとやおほしめしけん

【左丁】
たむらのみかどの御ときにみかとの
御ゆめに一人のらうじん御まくら
かみにたちよらせ給ひて
  夜やさむきころもやうすきかたそきの【千木の片端を縦に切り落としたもの。住吉神社の宮つくり】
   ゆきあひのま【相寄って接した物と物の間のすき間】にしもやをくらん
とゑいじ給ひしかはみかと御ゆめ
こゝちになんぢはいかなるものそと
とはせたまへはかのらうじん
これはすみよしのあたりにす
まひするぜう【尉ヵ】にて侍るとて
かきけすやうにうせ給ふみかと
御ゆめさめてしんたくにおど
ろきたまひつゝすなはちすみよし

【右丁】
のやしろへちよくしをたてら
れ見せたまへはしやだんくはう
はいしてげればやがてさいこう
あそはされかゝやくほとにさう
ひつ【造畢=建物を造りおわること】せりかみもさこそ【本当に】よろ
こひ給ふらめそのうへてんあんの
ころかとよみかとかのやしろへ
はしめてぎやうごう【行幸】あそばし
ける御じんはい【じんばい(神拝)】ことをはり松の
みぎはにせうえう【逍遥】したまふ
ところにありはらのなりひら
ぐぶ【供奉】しはんへり【「侍り」の転】けるかつかう
まつりける【お作りする】

【左丁】
  われ見てもひさしくなりぬ
       すみよしの
   きしのひめまついく世へぬらん
ときこえければみかとえいかん【叡感】
あさからすとそきしのひめ松
をはわすれぐさとも申なり
たうしや大みやうじんのきさき
にておはしますたまよりひめと
申たてまつるはわたづみの御そく
ぢよなるがつゐにとこよのくに
にかへられけるをみやうじん
御なごりをおしみ給ひておなし
くとこよのくにゝいらんとし給ひ

【左丁】
しをやをよろつの神たちこれ
をなげきかなしみにはかに
千ほんのまつをうへてみやうじん
をなくさめたてまつるかの千ぼん
のまつの中にたまよりひめの
御すかたにすこしもたかはさる
まつありみやうじんこのまつを
御らんしてきさきの事をは
わすれ給ひにけりそれよりして
かのまつをばひめ松とも申又は
わすれくさとも申なりきさき
をものちには神といはひたてま
つるきしうかたのうらにあとを

【左丁】
た給ふあはしまのみやうじん
これなり又うぢのはしひめも
このみことにやすみよしみやう
じんの御うたに
 さむしろにころもかたしきこよひもや
  われをまつらんうぢのはしひめ
とよみたまひて夜な〳〵かよひ
たまふとなんあかつきことに
うぢの川なみはげしうひゞく
事はこのゆへとかや百わうの
すゑの御代まても君ゆたかに
たみさかへこくどあんおんなる
事はたゝすみよしの御はかり

【右丁】
ことにてぞくと【賊徒】をばつし給ふ
ゆへなりげんりやく【元暦】のころをひ
へいけのぞくとくにをみだり【乱り=秩序を混乱させる】
三じゆのしんほうをうはひていこく
におもむかんとせしをもすみ
よし大みようじんのおうご【擁護】に
よつてしづまりぬそのゝちぶん
えいこうあん【文永・弘安】のりやうど【両度】げんてう【元朝】
のくはうていわか日のもとをうち
とらんとてまんしやうぐんを
大しやうとして百まんぎの
つはものをむけられすでに
あやうかりし時にもすみよしの

【左丁】
みやうじんまつさきにすゝみ
たまひてぞくせんをこと〳〵
くうみにしつめ給ひしかば
わがくにつゝがなかりけりされ
はいまのよまてもとしこと
のみな月のすゑつかたみやうじん
御むまをそろへて見たまふ事
さんかんのぞくとらをはらひ
たまはんぎしきなり又む月
の中ころにたからのいちをた
てたまふ事はかのとこよの
くによりみちひのたま【満干の珠=海水の干満を自由にできるという珠】と申
たからものをあまのいわくす






【右丁】
ふね【天の磐樟船=クスノキで作ったといわれる堅固な船】につ
みのせてみやうじんへ
さゝげたてまつりしぎし
きをまなひたまふとかやされ
ばたうだいのにんみん【人民】うしろ
やすく【先が安心である】してよにすめる事は
ひとへにすみよしの大みやう
じんのおうこ【擁護】の御めくみなれは
ほうしや【報謝】のためにもあゆみ
をはこびあかめたてまつるへし
ましていはんやこんじやうの
めいぼう【明望=名声と人望】らいせのちぐう【値遇】をや
ちえをいのるにもふくをね
かうにもたうしやのみやう

【左丁】
じんはわかをもつはらあひせ
させ給ふなればうたをよまんと
    思はん人は
       このやしろを
   しんじ
     たて
       まつる
         べし

【両丁 絵画 文字無し】

【見返し 両丁 文字無し】

【裏表紙】

BnF.

【表紙 題箋】
あかし

【資料整理ラベル 右上】
MS

【資料整理ラベル 右下】
JAPONAIS
 5340
  2

【見返し 文字無し】

【白紙】

【白紙】

なを雨かせやますかみなりしつま/ら(ら)てひこ
ろになりぬいとゝものわひしき事かす
しらすきしかたゆくさきかなしき御あり
さまに心つようしもえおほしなさすいか
にせましかゝりてみやこにかへらんこともま
た世にゆるされもなくては人わらはれなる
事こそまさらめなをこれよりふかき山
をもとめてやあとたえなましとおほすに
もなみかせにはかされてなむと人のいひ
つたへん事のちの世まてもいとかろ〳〵し

【頭部欄外の手書文字】
Japonais
5340
(2)

き名をやなかしはてんとおほしみたるゆめに
もたゝおなしさまなるもののみきつゝま
つはしきこゆと見給くもまなくてあけくる
る日かすにそへて京のかたもいとゝおほつか
なくかくなから身をはふらかしつるにやと心ほ
そうおほせとかしらさしいつへくもあらぬ
そらのみたれにいてたちまいる人もなし二條
院よりそあなかちにあやしきすかたにて
そほちまいれる道かひにてたに人かなに
そとたに御らんしわくへくもあらすまつ

をひはらひつへきしつのおのむつ か(ま)【左に「ヒ」と傍記】しうあはれ
におほさるゝも我なからかたしけなくくし【屈し 注」】に
ける心のほとおもひしらるゝ御ふみにあさ
ましくをやみなきころのけしきにいとゝそらさ
へとつる心ちしてなかめやるかたなくなん
   浦風やいかにふくらむおもひやる
袖うちぬらしなみまなきころあはれにかなし
き事ともかきあつめ給へりいとゝみきはまさ
りぬへくかきくらす心ちし給京にもこの雨か
せあやしきものゝさとしなりとて仁王会

【注 「クッシ」の促音「ッ」を表記しない形。心がふさぐ。気が滅入る。意】

なとおこなはるへしとなんきこえ侍し内【内裏のこと】にま
いり給かんたちめなともすへて道とちてまつ
りこともたえてなむ侍なとはか〳〵しうもあ
らすかたくなしうかたりなせと京のかたの事
とおほせはいふかしうておまへにめしいてゝとは
せ給たゝれいのあめのをやみなくふりて
風はとき〳〵ふきいてゝ日ころになり侍を
れいならぬ事におとろき侍なりいとかく
地のそことほるはかりのひ【氷】ふりいかつちのし
つまらぬ事ははへらさりきなといといみしき

さまにおとろきおち【懼ぢ】てをるかほいとからきにも
心ほそ き(さそう)まさりけるかくしつゝ世はつきぬへ
きにやとおほさるゝにそのまたの日のあか
つきより風いみしうふきしほたかうみちて
なみのをとあらきこといはほも山ものこるま
しきけしきなりかみのなりひらめくさま
さらにいはんかたなくておちかゝりぬとおほゆる
にあるかきりさかしき人なし我らいかなるつみ
ををかしてかくかなしきめをみるらむちゝはゝ
にもあひ見すかなしきめこのかほをも見てし

ぬへき事となけく君は御心をしつめてなに
はかりのあやまちにてかこのなきさ【渚】にいのち
をはきはめん【極めん】とつようおほしなせといと物さは
かしけれはいろ〳〵のみてくらさゝけさせたまひて
すみよしの神ちかきさかゐをしつめまも
り給まことにあとをたれ給神ならはたす
け給へとおほくの大願をたて給ふをの〳〵
みつからのいのちをはさるものにてかゝる御身
のまたなきれいにしつみ給ひぬへき事の
いみしうかなしき心をお こ(こ)してすこしものお

ほゆるかきりは身にかへてこの御身ひと
つをすくひたてまつらんとゝよみて【大声をあげて】もろこゑに
仏神を念したてまつる帝王のふかき宮
にやしなはれ給て色〳〵のたのしみにおこり
給ひしかとふかき御うつくしみ【愛しみ:可愛がること】おほやしまに
あまねくしつめるともからをこそおほくうかへ
給ひしかいまなにのむくひにかこゝらよこさま
なる浪風におほゝれ給はむ天地ことはり給
へつみなくてつみにあたりつかさくらゐを
とられいへをはなれさかゐをさりてあけくれ

やすきそらなくなけき給にかくかなしきめを
さへ見いのちつきなんとするはさきの世のむ
くひかこの世のおかし【犯し】かと神仏あきらかに
ましまさはこのうれへやすめ給へとみやしろ
のかたにむきてさま〳〵の願をたて給ふ又
海の中の龍王よろつの神たちに願をたて
させ給にいよ〳〵なりとゝろきておはします
につゝきたるらうにおちかゝりぬほのほ
もえあかりてらうはやけぬ心たましゐなく
てあるかきりまとふ【惑う】うしろのかたなるおほ

いとの【大炊殿】とおほしきやにうつしたてまつりて
上下となくたちこみていとらうかはしく【ごった返した様】なき
とよむ【泣き響む:泣き騒ぐ】こゑいかつちにもおとらすそらはすみをす
りたるやうにて日もくれにけりやう〳〵風な
をり雨のあししめり星のひかりもみゆるに
このおまし所のいとめつらかなる に(も)【左に「ヒ」と傍記】いとかたし
けなくてしん殿にかへしうつしたてまつら
むとするにやけのこりたるかたもうとましけ
にそこ ら(ら)【「ら」に見え憎いので右に「ら」を傍記ヵ】の人のふみとゝろかしまとへる【惑へる】にみす【御簾】
なともみなふきちらしてけりよをあかしてこそ

はとたとりあへるに君は御ねんす【念誦】し給てお
ほしめくらすにいと心あはたゝし月さしいてゝ
しほのちかくみちきけるあともあらはになこ
り猶よせかへる浪あらきをしはのと【柴の戸】をしあけ
てなかめおはしますちかきせかいにものゝ心をし
りきしかたゆくさきの事うちおほえとや
かくやとはか〳〵しうさとる人もなしあやしき
あま【海人】ともなとのたかき人おはする所とてあつ
まりまいりてきゝもしり給はぬ事ともをさ
えつりあへるもいとめつらかなれとをい【追い】もはら

はすこの風いましはしもやまさらましかはしほの
ほりて【潮の上りて:高潮がきて】のこる所なからまし神のたすけおろかなら
さりけりといふをきゝ給もいと心ほそしといへはをろかなり
   海にます神のたすけにかゝらすは
しほ◦(の)やほあひ【八百会:多くの潮路の集まり合うところ】にさすらへなましひねもすに【一日中】い
りもみつる【烈しく吹き荒れる】風のさはきにさこそいへ【そうはいっても】いたうこう
し【困(こう)ずる:疲れる】給にけれは心にもあらすうちまとろみ給ふか
たしけなきおまし所なれはたゝよりゐた
まへるにこ【故】院【源氏の父の故桐壷院】たゝおはしましゝさまなからたち
給てなと【など:どうして】かくあやしき所【むさくるしい所】にはものするそ【いるのだ】とて

御てをとりてひきたて給すみよしの神の
道ひき給ふまゝにはやふなてしてこのうら
をさりね【去ってしまえ】とのたまはすいとうれしくてかしこ
き御かけ【畏れ多いお姿=父の桐壷院のこと】にわかれたてまつりにしこなたさま
〳〵かなしき事のみおほく侍れはいまはこの
なきさに身をやすて【棄て】はへりなましときこえ
給へはいとあるましきことこれはたゝいさゝかなる
ものゝむくひなりわれはくら ひ(ゐ)【「ひ」の中に「ヒ」と書けり】にありし時あ
やまつ事なかりしかとをのつからおかしあり
けれはそのつみををふるほといとまなくてこ

の世をかへり見さりつれといみしきうれへ【ひどい歎き】に
しつむをみるにたへかたくて【あの世から出てきて】うみにいりな
きさにのほりいたくこうし【困ずる:つかれる】にたれとかゝるつい
てに内裏にそうす【奏す】へき事のあるによりなん
いそきのほりぬるとてたちさり給ひぬあか
す【飽かず:物足り無く。名残惜しく。】かなしくて御ともにまいりなんとなきいり給
て見あけたまへれは人もなく月のかほのみきら
〳〵として夢の心ちもせす御けはひとまれる【残っている】
心ちしてそらのくもあはれにたなひけり年
ころ夢のうちにも見たてまつらてこひしう

おほつかなき【お会いしたくても仕方がない】御さまをほのかなれとさたかに見
たてまつりつるのみおもかけにおほえ給て
我かくかなしひをきはめ命つきなむとしつる
をたすけに【私を助けるために】かけり【天翔けり】給へるとあはれにおほす【ありがたくお思いになる】
によくそかゝるさはきもありけるとなこりた
のもしううれしうおほえ給ことかきりなし
むねつと【胸がぐっと】ふたかりて【詰まって】中〳〵なる【なまじっか夢で故桐壷帝にお会いしたので】御心まとひ
にうつゝ【現実】のかなしき事もうちわすれ夢にも
御いらへをいますこしきこえす【申し上げず】なりぬる事
といふせさ【心が晴れず】にまたや見え給とさらにねいり

給へとさらに御めもあはて【少しも眠れないで】あかつきかたに
なりにけりなきさにちいさやかなる舟よせ
て人二三人はかりこのたひの御やとりをさし
てまいるなに人ならむとゝへはあかしの浦よりさ
きのかみしほち【新発意(しんぼち)の「ん」を表記しない形:新たに発心(ほっしん)して仏道に入った者】の御ふねよそひてまいれる
なり源少納言さふらひ給はゝたいめ【対面(たいめん)の「ん」を表記しない形】してことの
心とり申さんといふよしきよおとろきて入道は
かのくにのとくい【得意:親友】にてと(と)【本文中の「と」が墨で汚れているので右に「と」と傍記】しころあひかたらひ侍つ
れとわたくしにいさゝかあひうらむる事侍て
ことなる【事成る:事がうまくまとまる】せうそこをたにかよはさてひさしう

なり侍ぬるをなみのまきれにいかなることかあら
むとおほめく【不審に思う】君の御ゆめなともおほしあはする
事もありてはやあへ【会え】とのたまへはふねにいき
てあひたりさはかりはけし【激し】かりつる浪風にい
つまにかふねて【舟出】しつらんと心えかたくおもへり
いぬるついたちの日の夢にさまことなるものゝつ
け【告げ】しらする事侍しかはしんしかたき事とお
もひ給へしかと十三日にあらたなるしるしみせ
む舟よそひまうけてかならす雨風やまゝは
この浦によせよとかねて【前もって】しめす事の侍し

かは心み【試み】に舟よそひまうけてまち侍しに
いかめしき雨風いかつちのおとろかし侍つれは
人の御かとにも夢をしんして国をたすくる
たくひ【類】おほう侍をもちゐさせ給はぬまても
このいましめの日【お告げの日】をすくさす【過ぐさず】このよし【由】をつけ【告げ】申
侍らむとて舟いたし侍 つる(へイ)にあやしき風ほそ
うふきてこのうらにつき侍へる事まことに神
のしるへたかはすなむこゝにもしろしめす事や
侍らんとてなむいとはゝかりおほく侍れとこの
よし申給へといふよしきよしのひやかに【秘かに】つた

へ申君おほしまはす【「思い廻す」の尊敬語。:思い廻らされる】に夢うつゝさま〳〵しつか
ならすさとしのやうなる事ともをきしかたゆ
くすゑおほしあはせてよの人のきゝつたへん
のちのそしりもやすからさるへきをはゝかりて
まことの神のたすけにもあらんを【あったものを】そむくものな
らは又これよりまさりて人わらはれなるめをやみ
むうつゝの人の心たに猶くるしは か(か)【本文の「か」が墨で滲んでいるので右に「か」と傍記】なきこ
とをもつゝみてわれよりよはひまさりも
しは【または】くらゐたかく時よ【時世:世の中】のよせ【寄せ;信頼、信望】いまひとき
は【一際】まさる人にはなひきしたかひてその心む

け【意向】をたとるへき物なりしりそきてとかなし【咎無し】と
こそむかしさかしき人もいひをきけれけふかくい
のちをきはめ世にまたなきめのかきりを見
つくしつさらにのちのあとのなをはふくとて
もたけき事もあらし夢のなかにもちゝみ
かとの御をしへありつれはまたなに事かはう
たかはんとおほして御返【御返事】の給しらぬせかいに【見知らぬ土地で】
めつらしきうれへのかきり見つれと宮こ【都】のかた
よりとてことゝひ【言問い:見舞う】をこす【遣す:よこす】る人もなしたゝ行ゑ【行方】
なき空の月日のひかりはかりを古郷のともと

なかめ侍にうれしきつり舟をなんかのうらに
しつやかにかくろふへきくま【隈】の侍なんやとの給
かきりなくよろこひかしこまり申ともあれかく
もあれ夜のあけはてぬさきに御舟にて【「て」の左に傍記あるも解読できず】たて
まつれとてれいのしたしきかきり四五人はかり
してたてまつりれいの風いてきてとふやう【飛ぶよう】に
あかしにつき給ぬたゝはひわたるほとにて
かた時のまといへとあやしきまてみゆるかせ
の心なりはまのさま【様】けに【げに:まことに】いと心ことなり【格別で】人し
けう見ゆるのみなむ御ねかひにそむきける

入道のらうししめたる【領じ占めたる:独占私有している】所〳〵海のつらにも山
かくれにも時〳〵につけてけふ【興】を ま(さかイ)す【さかす:盛んにする】へきなきさ
のとまやおこなひ【勤行(ごんぎょう)】をして後の世の事をおもひす
ましつへき山水のつら【山水に面して】にいかめしきたう【堂】たて
て三 昧(まいイ)おこなひこの世のまうけ【設け:営み】に秋のた【田】のみ
をかりおさめのこりのよはひ【齢】つむへきいねのくら
まちとも【倉町ども】なとおり〳〵所につけたる見所ありて
しあつめ【為集む:数多く作りなす】たりたかしほにおちて【怖じて】このころむす
めなとは岡へ【岡辺】のやとにうつしてすませけれは
このはまのたち【館】には心やすくおはしますふ

ねより御車にたてまつりうつるほと日やう〳〵
さしあかりてほのかに見たてまつるよりおい【老い】わ
すれよはひのふる【延ぶる】心ちしてゑみさかへてまつ
すみ吉の神をかつ〳〵【かつがつ:とりあえず】おかみたてまつる月日の
ひかりをてにえ【得】たてまつる心ちしていとなみつ
かまつることはりなりところのさまをはさらに
もいはすつくりなしたるこゝろはえこたち【木立】た
ていし【立石】前栽なとのありさまえもいはぬ入江の
水なとゑ【絵】にかゝは心のいたりすくなからんゑし【絵師】
はかきをよふましとみゆ月ころの御すまゐ

よりはこよなくあきらかになつかし【慕わしい】御しつらひな
とえならすしてすまひけるさまなとけに
宮こ【都】のやんことなき所〳〵にことならすえんに【艶に:洒落た趣】
まはゆきさま【眩しいほど立派】はまさりさまにそみゆる【(都に)勝っているように見える】すこし
御心しつまりては京の【京への】御ふみともきこえ【差し上げる】給【京から】ま
いりしつかひはいみしき【ひどい】みちにいてたちてかなし
きめをみるとなきしつみてあのすま【須磨】にとま
りたるをめして【召して】身にあまるものともおほく給
てつかはすむつましき御いのりのし【師】ともさる
へき所〳〵にはこのほとの御ありさまくはしく

いひつかはすへし入道の宮はかりには【だけには】めつらかにて【奇跡的に】
よみかへるさま【命拾いした経験】なときこえ【申し上げ】給二条院のあはれ
なりし程の御返はかきもやり給はすうちおき〳〵
をしのこひつゝきこえ給御けしき猶こと【殊:格別】なり返
〳〵いみしきめのかきりをつくしはてつるあり
さまなれはいまはと世【俗世】をはなるゝ心のまさり侍れと
かゝみをみてもとのたまひし面かけのはなるゝよ【世:とき】
なきをかくおほつかななからや【かようにお目にかからないままであろうか】とこゝら【これ程多く】かなし
きさま〳〵のうれはしさはさしおかれて
   はるかにもおもひやるかなしらさりし

浦よりをち【遠方】にうらつたひして夢のなかなる心ち
のみしてさめはてぬほといかにひか事【取違い】おほからん
とけにそこはかとなく【何気なく】かきみたり給へ り(る)【右に「ヒ」と傍記】しも
そいと見まま【ママ】しきそはめ【側目】なるをいとこよなき御
心さしのほとゝ人〳〵見たてまつるをの〳〵ふるさと
に心ほそけなる事つて【伝え】すへかめりをやみ【小止み:雨や雪などが少しの間降りやむこと】な
かりしそらのけしきなこりなくすみわたり
てあさり【漁り】するあまともほこらしけなりす
まは心ほそくあまのいそや【磯屋】もまれなりしを人
しけき【人が多いのを】いとひはし給しかとこゝは又さまことに

あはれなることおほくてよろつにおほしなく
さまる【思し慰まる】あかしの入道おこなひつとめたるさまい
みしうおもひすましたるをたゝこのむすめ
ひとりをみてわつらひたるけしきいとかたは
らいたきまてとき〳〵もらしうれへきこゆ御
心ちにもおかし【魅力がある】ときゝをき給し人なれはかくおほ
えな く(く)て【思いもよらず】めくりおはしたるも【廻り会ったのも】さるへき契ある
にやとおほしなから猶かう身をしつめたる程【謹慎中は】
はおこなひ【仏道修行】よりほかの事はおもはし宮こ【都】の人も
たゝなるよりはいひしにたかふ【言っていたことと違う】とおほさむも【思われるのも】

心はつかしうおほさるれはけしきたち【顔色やそぶりを示す】給事な
しことにふれて【折に触れて】心はせありさまなへてならす【なべてならず:普通ではない。優れている。】
もありけるかなとゆかしうおほされぬにしも
あらすこゝにはかしこまりて身つからもおさ〳〵【めったに】
まいらすものへたゝりたる【なにかと距離をおく】しもの屋にさふ
らふさるは【そのくせ実は】あけくれ見たてまつらまほしう【見たいと】あ
かす【飽かず:いつまでも】おもひきこえておもふ心をかなへんと仏神
をいよ〳〵ねんしたてまつるとしは六十はかり
になりにたれといときよけにあらまほ
しうおこなひ【修行で】さらほひ【痩せて骨ばる】て人のほと【人の程:身分】のあてはか【上品で優雅なさま】

なれはにやあらん【であろうか】うちひかみ【うちひがみ:「うち」は接頭語。ひねくれる】ほれ〳〵しき【年をとってぼけている】事は
あれといにしへの事をもしりてものきたな【むさくるし】
からすよしつきたる【由緒ありげな】事もましれゝは【交じれれば】むかし物
かたりなとせさせてきゝ給にすこしつれ〳〵
のまきれ【紛れ】なりとしころおほやけわたくし御
いとまなくてさしも【それほどにも】きゝをき給はぬ世のふる
事ともくつしいてゝ【端から徐々に】かたるかゝる所をも人をも
見さらましかはさう〳〵しく【張り合いがなくて寂しい感じがする】やとまてけふ【興】あり
とおほす事もましるかうは【このように】なれきこゆれ
といとけたかう【気高う】心はつかしき【立派な感じがする】御ありさまに

さこそいひしか【ああは言ったが】つゝましうなりて【気がひけて】わかおもふ
事は心のまゝにもえうちいてきこえぬ【お話申し上げられない】を心も
となうくちおしとはゝきみといひあはせて
なけくさうしみ【正身(そうじみ):当人】はをしなへての人【普通の人】たにめや
すきは【見た目のよい人は】みえぬせかいに世にはかゝる人もおはし
けりと見たてまつりしにつけて身のほと
しられていとはるかにそおもひきこえける
おやたちのかくおもひあつかふをきくに く(も)【左に「ヒ」と傍記】に
け【似気(にげ):似つかわしい様子】なきことかなとおもふにたえなるよりは
ものあはれなり四月になりぬころもかへのさう

そく御帳のかたひらなとよしある【ふさわしい】さまにしい
て【為出で:作り上げる】つゝよろつにつかうまつり【御奉公し】いとなむ【せっせと務める】をいと
をしう【気の毒で辛い】すゝろなり【思いがけないことだ】とおほせと人さまのあく
まておもひあかりたるさまのあて【上品】なるに
おほしゆるして見給京よりうちしきりた
る【度重なる】御とふらひ【御見舞の文】ともたゆみなく【途絶えることなく】おほかりのとや
かなるゆふつくよにうみのうへくもりなく
見えわたれるもすみなれ給しふる里の池の
水におもひまかへられ給にいはんかたなくこひ
しきこといつかたとなくゆくゑなき心ちし

給てたゝめのまへにみやらるゝはあわちしまなり
けりあはと【あれは】はるかになとのたまひて
   あはとみるあわちの島のあはれさへ
のこるくまなくすめる夜の月ひさしうても
ふれ給はぬきん【琴】をふくろよりとりいて給ては
かなくかきならし給へる御さまを見たてま
つる人もやすからすあはれにかなしうおもひ
あへりかうれう【広陵】といふ手【曲】をあるかきり【残らず全部】ひき
すまし給へるにかのをかへの家も松のひゝき
なみのをとにあひて心はせ【心得】あるわか人は身

にしみておもふへかめり【思うに違いないようだ。】なにともきゝわくまし
き【聞き分けられない】このもかのもの【あちらこちらの】しはふるひ人【皺のある老人】ともゝすゝろはし【じっとしていられない】
くてはまかせをひきありく入道もたへて
くやうほう【供養法】たゆみていそきまいれりさらに【あらためて】
そむきにし世中もとりかへしおもひいてぬ
へく侍りのちの世にねかひ侍所【極楽浄土】の有さま
もおもふ給へやらるゝよのさまかなとなく〳〵め
てきこゆ我御心にもおり〳〵の御あそひの
人かの人のことふえ【琴笛】もしはこゑのいてしさま
とき〳〵につけて世にめてられ給ひし

ありさま御かとよりはしめたてまつりてもて
かしつき【相手を大事にして仕え】あかめたてまつり【尊敬して大切にし】給ひしを人のうえ
もわか御身のありさまもおほしいてられて
夢の心ちし給まゝにかきならし給へるこゑ【音色】も
心すこく【ものさびしく】きこゆふる人【入道】は涙もとゝめあへすを
かへにひは【琵琶】 しやう(さうイ)のこと【筝の琴:十三絃琴】とりにやりて入道
ひわのほうしになりていとおかしうめつらし
き手ひとつふたつひき出たりさうの御こと
まいりたれはすこし引【弾】給もさま〳〵いみしう
のみおもひきこえたりいとさしも【それほどにも】きこえぬも

のゝね【音】たにおりから【物事を引き立てるのにふさわしい場合】こそはまさる物なるをはる
〳〵とものゝとゝこほりなき【さえぎる物のない】海つらなるにな
か〳〵春秋の花もみちのさかりなるよりは
たゝそこはかとなう【どうということもなく】しけれるかけて【左に「ヒ」と傍記】ともなまめ
かしきに【風流で】くひな【注】のうちたゝきたるはかと【門】さし
てとあはれにおほゆねもいとになういつること
ともをいとなつかしうひきならしたるも御
こゝろとまりてこれは女のなつかしきさまに
てしとけなう【無造作に】ひきたるこそをかしけれとお
ほかたに【普通に】のたまふを入道はあひなく【何となく】うち


【注 水辺にすむ小鳥の名。初夏の頃、盛んに鳴き、その声が戸を叩く音に似ているので「鳴く」といわず「たたく」という。】

ゑみてあそはす【君が演奏なさる】よりなつかしきさまなるは
いつこのか侍らんなにかし【わたくし】延喜の【帝の】御てより
ひきつたへたる事三代になん侍ぬるをかう
つたなき身にてこの世のことはすてわすれ侍
ぬるを物のせちにいふせき【気持ちが晴れない】おり〳〵はかきなら
し侍しをあやしうまねふものゝ侍こそし
ねん【自然】かの せん(前イ)大王の御手にかよひて侍れは
山ふしのひかみゝ【聞き違い】に松風をきゝわたし侍
にやあらんいかて【なんとか】これしのひてきこしめさ
せてしかなときこゆるまゝにうちわなゝき

て涙おとすへかめり【涙を落としそうな様子に見える】君ことをことゝも【(私の)琴を琴とも】きゝ給ま
しかりける【きっとお聞きにならないだろう】あたり【方】にねたき【憎らしい】わさかなとて
をしやり給にあやしうむかしよりさうは女
なんひきとる物なりける さか(嵯峨イ)の【帝から】御つたへにて
女五宮さる世中の上手に物し給けるを
その御すちにてとりたてゝつたふる人なし
すへてたゝいま世に名をとれる人〳〵かき
なて【搔き撫で:通りいっぺん】の心やりはかりにのみあるをこゝにかう
ひきこめ【弾き籠め:琴を弾く手腕を内に隠して、世に知られないままにしておき】給へりけるいとけう【興】ありける事
かないかてかは【どうかして】きくへき【聞きたい】とのたまふきこしめ

さむになにのはゝかりか侍らんおまへにめして
もあき人【商人】の中にてたにこそふる事きゝ
はやす人は侍けれひは【琵琶】なんまことのねをひ
きしつむる【弾き鎮むる=見事に弾きこなす】人いにしへもかたう侍しをおさ〳〵【きちんと】
とゝこほる事なうなつかしきて【手】なとすち【奏法】
ことになむ【格別である】いかて【どのようにして】たとるにか侍らんあらき浪
のこゑにましるはかなしくもおもふ給へなから
かきつむるものなけかしさ【何となく悲しく思われること】まきるゝおり〳〵
も侍りなとすきゐたれ【風雅の道に深く心をよせている】はおかし【喜んで迎えいれたい】とおほして
さうのこと【筝の琴】とりかへて給はせたりけに【げに:本当に】いと

すくして【普通以上にすぐれさせて】かいひきたりいまの世にきこえぬ【伝わらぬ】
すち【奏法】ひきつけて手つかひ【手さばき】いといたうから【唐】めき
ゆのね【注】ふかうすましたり伊勢の海なら
ねときよきなきさ【清き渚】にかい【貝】やひろはんなと
こゑよき人にうたはせて我もとき〳〵ひやう
しとりてこゑうちそへて【左に「ヒ」と傍記】給ふをことひき
さしつゝめてきこゆ御くた物なとめつらしき
さまにてまいらせ人〳〵にさけ【酒】しひそし【強ひそし:むやみに勧める】なと
してをのからものわすれしぬへき世のさまな
りいたくふけゆくまゝに はま(まつイ)かせすゝし


【注 「揺の音=琴や筝などで、余韻を波うたせるために左の手の指先で絃を左右(琴)、または上下(筝)に幾回かゆすること。またその音。】

うて月も入かたになるまゝにすみまさり
しつかなるほとに御物かたりのこりなく
きこえて【お話して】この浦にすみはしめしほとの
心つかひ後の世をつとむるさまかきつくし【あるかぎりすべてを】
きこえてこのむすめのありさまとはす
かたりにきこゆおかしきものゝさすかにあはれ
にきゝ給ふふしもありいとゝり申【取り立てて申しあげ】かたき事
なれとわかきみかうおほえなきせかい【見知らぬ土地に】にかり
にてもうつろひおはしましたるはもしとし
ころおいほうし【老法師】のいのり申侍神仏のあ

はれひ【不憫に思うこと】しはしのほと御心をも
なやましたてまつるにやとなんおもふ給ふ
るそのゆへはすみよしの神をたのみはし
めたてまつりこの【以来】十八年にもなり◦(侍)ぬめの
わら【娘】はいときなう侍しより【幼かった頃から】おもふ心侍て
としことの春秋ことにかならすかのみやしろ
にまいることなん侍ひるよるの六時のつと
めにみつからのはちすのうえのねかひ【蓮の上の願い=極楽往生の願い】
をはさるものにて【それはそれとして】たゝこの人【娘】をたかきほ
い【本意=意向】かなへ給へとなんねんし侍さきの世の

ちきりつたなくてこそかゝるくちおしき山
かつ【山賎(やまがつ)=山中に生活する身分の卑しい人】となり侍けめおや大臣のくらゐをたもち
給へりきみつからかくゐ中【田舎】のたみ【民】となり
にて侍りつき〳〵【代々】さのみおとりまからは【身分、位などが低くなっていけば】なに
の身にかなり侍らむとかなしくおもひ侍をこ
れは【娘には】むまれし時よりたのむところなん侍いか
にして宮こ【都】のたかき人にたてまつらんとお
もふ心ふかきによりほと〳〵につけて【その都度】あまた
の人のそねみをおひ身のためからきめをみる
おり〳〵もおほく侍れとさらにくるしみ と(と)【左に「ヒ」と傍記】

おもひ侍らすいのちのかきりはせはき【せばき=狭い】袖にも
はくゝみ侍なむかくなからみすて侍【(娘を)後に残して死ぬ】なはなみ
の中にもましりうせね【交り失せね】となんをきて侍【心に定めて指図して有ります】なと
すへてまねふへくもあらぬ事ともをうちな
き〳〵きこゆ君も物をさま〳〵【いろいろ】おほしつゝくる
おりからは【頃なので】うちなみたくみつゝきこしめすよ
こさまのつみ【不当な罪】にあたりておもひかけぬせか
い【土地】にたゝよふ【寄るべのなくあたりをさまよう】もなにのつみにかとおほつか
なくおもひつる【思っていたが】こよひの御物かたりにきゝ
あはすれはけにあさからぬさきの世のちき

りにこそはとあはれになんなとかはかくさたかに
おもひしり給ひけることをいまゝてはつけ【告げ】たまは
さりつらん宮こ【都】はなれし時よりよのつね【世間並】な
きもあちきなうおこなひ【勤行】よりほかの事なくて
月日をふるに心もみなくつをれにけりかゝる人
ものし給【いらっしゃる】とはほのきゝなからいたつら人【役や地位を離れて無為な人】をはゆゝし
きもの【忌むべき人】にこそおもひすて給らめとおもひく ら(し)【左に「ヒ」と傍記】【思い屈し=「オモヒクッシ」の促音を表記しなかった形。気を落とす】
つるをさらはみちひき給ふへきにこそあなれ【あるようだ】心
ほそきひとりねのなくさめにもなとのたまふ
をかきりなくうれしとおもへり

   ひとりねは君もしりぬやつれ〳〵と
おもひあかしの浦さひしさをましてとし月
おもふへ【左に「ヒ」と傍記】給へわたる【思い続けた】いふせさ【気の塞ぎ】ををしはからせ給へ
ときこゆるけはひ【申し上げる様子】うちわなゝき【声などが小刻みに震える】たれとさすか
にゆへ【品位】なからす【おありである】されとうら【浦】なれ給へらむ人はとて
   たひころもうらかなしさにあかしかね
草のまくらはゆめもむすはすとうちみたれ給
へる【くつろいでいる】御さまはいとそあいきやうつきいふよしなき【言いようもない】
御けはひなるかすしらぬ事ともきこえつく
したれとうるさしや【面倒で嫌だ】ひか事【覚え違い】ともにかきなし【書いたので】

たれはいとゝ【一層】おこに【愚かなことに】かたくなしき【頑固な】入道の心はへも
あらはれぬへかめり【現れてしまったようだ】おもふことかつ〳〵【取り敢えず】かなひぬる
心ちしてすゝしうおもひゐたるに又の日【次の日】のひ
るつかたをかへに御ふみつかはす心はつかし
さまなめる【~であるようだ】も中〳〵かゝるものゝくま【何とはない目立たない所】にそおもひの
ほかなる事もこもる【閉じこもっている】へかめる【ようにみえる】と心つかひし給て
こま【高麗】のくるみ色のかみにえならす【一通りでなく】ひきつくろひて【隅々まで気を配って】
   をちこちもしらぬ雲居になかめわひ
かすめし【ふとよぎった】やとのこすゑをそとふ【訪ふ】おもふにはと
はかりやありけむ入道も人しれすまちきこ

ゆとてかの家【岡辺の家】にき居たりけるもしるけれは
御つかひいとまはゆきまて【目をそらしたくなるまで】ゑはす御返いと
まはゆきまてそゝのかせ【せきたてる】とむすめはさらにきか
すはつかしけなる【立派な】御ふみのさまにさしいてんて
つき【筆遣い】もはつかしう【気おくれして】つゝまし人の御ほと【身分】わか身
のほとおもふにこよなくて【格段の相違で】心ちあしとてより
ふしぬ【物に寄りかかって横になる】いひわひて入道そかくいともかしこき
はゐ中ひて【田舎びて】侍たもと【袂】につゝみあまりぬるにや
さらに見給へもをよひ侍らぬかしこさ【もったいなさ】になんさるは
   なかむらんおなし雲ゐ【空】をなかむるは

【娘の】おもひもおなしおもひなるらむと見給ふる
いとすき〳〵し【恋にひたむきである】やときこえたりみちのくに
かみ【陸奥国紙:奥州から産した楮を原料とした上質の紙】にいたうふるめきたれとかきさまよしは
み【由ばむ=趣深い様子をする】たりけにもすきたるかなとめさましう
見給ふ御つかひになへてならぬ【並々ではない】たまも【玉裳=美しい裳】なと
かつけ【褒美としてとらせ】たり又の日せんしかき【宣旨書き=代筆すること。】はみしらす【見知らず=経験がない】なんとて
   いふせくも心にものをなやむかな
やよや【呼びかけのことば:もしもし】いかに【どうなさいました】ととふ人もなみ【無み=無いので】いひかたみ【言い難いのですが】とこの
たひはいとうつくしけにかき給へりわかき人
のめてさらんもいとあまりむもれいたからん【引っ込み思案であろう】

めてたしとは見れとなすらひならぬ【釣り合わない。匹敵しない。】身のほとの
いみしうかひなけれは中〳〵世にあるものとたつ
ねしり給につけて涙くまれてさらにれいの
とう【動】なきをせめていはれてあさからすしめ【染め】た
るむらさきのかみにすみつきこくうすくま
きらはして
   おもふらむ心のほとややよいかに
またみぬ人のきゝ【評判】かなやまんてのさまかきた
るさまなとやむ事なき人にいたうおとるま
しう上手めきた る(り)【左に「ヒ」と傍記】京の事おほえて

おかしと見たまへとうちしきりつかはさんも人
めつゝまし【憚られ】けれは二三日へたてつゝつれ〳〵なる
ゆふくれもしは【もしくは】ものあはれなるあけほのな
とやう【事情、状態】にまきらはしており〳〵おなし心に見
しりぬへき【理解できる】ほとをしはかりてかきかはし給に
にけなからす【不釣り合いではない】心ふかう【思慮深く】おもひあかりたる【気位高き】けしき
も見ては【見では=見ないでは】やまし【済まない】とおほすものからよしきよ【良清】
からうして【領じて=独り占めにして自分のものだと】いひしけしきもめさましう【癪にさわる】とし
ころ心つけてあらむを【(自分が横取りして)】めのまへにおもひたか
へん【見込み違いをする】もいとおしう【気の毒だ】おほしめくらされて人すゝみ

まいらはさるかた【そういう方向】にてもまきらはしてん【紛らわしてしまおう】とおほ
せと女はた【やはり】中〳〵やむことなきゝはの人より
もいたう【たいそう】おもひあかり【気位が高く】てねたけ【妬まし気】にもてなし
きこえたれは心くらへ【意地の張り合い】にてそすきける京の
事をかくせき【須磨の関】へたゝりてはいよ〳〵おほつ
かなく【逢いたいと】おもひきこえ給ていかにせました
はふれにくゝ【軽く考えては済ませなく】もあるかなしのひてや【人目に立たぬようにして】むかへたて
まつりてまし【迎えに行けばよかった】とおほしよはる【お気持ちがくじける】おり〳〵あれと
さりともかくてやはとしをかさねむといま さ(さ)ら
に人わろき事を【みっともないこと】はとおほししつめたり【乱れた心を落ち着かせなさった】

そのとしおほやにものゝさとし【神霊の警告】しきりて物
さはかしき事おほかり三月十三日かみなり
ひらめき雨風さはかしき夜御かとの御夢に
院のみかとおまへのみはしのもとにたゝせ給
て御けしきいとあしうてにらみきこえさせ
給をかしこまりておはしますきこえさせ給【申し上げなさる】
事もおほかりけんしの御こと【源氏の御事】なりけんかし【なのであろう】
いとおそろしういとをしとおほしてきさき
にきこえさせ給ふ【申し上げ】けれは雨なとふりそらみた
れたる夜はおもひなしなる事【自分でそれだろうと思い決めること】はさそ【さぞかし】侍

か ろ(るイ)〳〵しきやうにおほしおとろくましき
こときこえ給にらみ給しにめもあはせ給
と見しけにや【げにや:本当にまあ】御めわつらひ給てたへかたう
なやみ給御つゝしみ【御物忌み】うち【内裏】にも宮にもかきり
なくせさせ給おほきおとゝ【太政大臣】うせ給ぬこと
わりの【当然の】御よはひなれとつき〳〵にをのつから
さはかしきことあるに大宮もそこはかとなう
わつらひ給てほとふれはよはり給やうなる
うちにおほしなけくことさま〳〵なり猶
この源氏の君まことにをか し(すイ)なきにて

かくしつむならはかならすこのむくひありなん
となむおほえ侍いまは猶もとの位をもた
まひてん【きっと賜りましょう】とたひ〳〵おほしのたまふを世の
もとき【非難】かろ〳〵しきやうなるへしつみにおち
てみやこをさりし人を三 ねん(とせイ)をたにすくさ
すゆるされん事はよの人もいかゝいひつたへ侍らんな
ときさきかたくいさめ給におほしはゝかる【あれこれとお考えになって遠慮なさったり心配なさったりする】
ほとに月日かさなりて御なやみともさま〳〵
におもりまさらせ給ふ【更に重くおなりになる】あかしにはれいの秋は
はまかせことなる【特別である】にひとりねもまめやかに【かりそめでなく】

ものわひしうて【何となくわびしくて】入道にもおり〳〵かたらはせ給【語っておられた】
とかくまきらはして【人目につかないようにして】こちまいらせよとのたまひ
てわたり給はん事をはあるましうおほした
るをさうしみ【正身(そうじみ)=本人】はた【同様にまた】さらにおもひたつ【そうする】へくもあら
すいとくちおしききは【つまらない身分】のゐ中【田舎】人こそかりに【仮に:一時的に】く
たりたる人のうちつけこと【思いつきのことば】につきてさやうに
かるらかに【気軽に】かたらふ【睦まじく語る】わさをもすなれ人かす【人数=人並みの者として数えられる人間】にも
おほされさらんものゆへ我はいみじき【ひどく情けない】ものお
もひ【思い悩む事】そへん【さらに備わる】かくおよひなき【分に過ぎた】心をおもへるおや
たちもよこもり【世籠りて=未婚で将来の運命が決まっていない】てすくすとし月こそあ

いなたのみ【あいな頼み=あてにならない期待】にゆくすゑ心にくゝ【不安に】おもふらめ中〳〵
なる【中途半端な】心をやつくさむとおもひてたゝこのうら
におはせんほとかゝる御ふみはかりをきこえ
かはさむこそをろかならね年ころ【年来】をと【噂】にのみき
きていつかはさる【そのような】人の御ありさまをほのかにも
見たてまつり世になきものときゝつたへ
し御こと【琴】のねをも風につけてきゝあけくれ
の御ありさまおほつかなからて【気がかりに思って】かくまて【こんなにまで】世に
ある物とおほしたつぬるなとこそかゝるあま
の中にくちぬるみにあまることなれなとお

もふにいよ〳〵はつかしうて露もけちかき【近付きやすい】事
はおもひよらすおやたちはこゝらのとしころ【多年】の
いのり【願い】のかなふへきをおもひなからゆくりかに【思いがけず突然】
見せたてまつりておほしかすまへさらん【人並みの中に数え入れてお取り扱いなさらない】時い
かなるなけきをかせんとおもひやるにゆゝ
しく【恐ろしく】てめてたき【申し分のない】人ときこゆともつらういみ
しうもあるへきかなめにも見えぬ仏神をた
のみたてまつりて人の御心をもすくせ【この世での運命】をも
しらてなとうちかへし【繰り返し】おもひみたれたり君
はこの比のなみのおとにかのもの【琴】ゝねをきか

はやさらすはかひなくこそなとつねはの給ひし
のひてよろしき日見せてはゝ君のとかくお
もひわつらふをきゝいれすてしとも【弟子ども】なとにた
にしらせすこゝろひとつにたちゐかゝやくは
かりしつらひて十三日の月のはなやかにさし
いてたるにたゝあたら夜の【注】ときこえたり【仰った】君は
すき【風流】のさまやとおほせと御なをしたてまつ
りひきつくろひて夜ふかしていて給御車
はになく【二無く=二つとなく(立派に)】つ か(く)りたれと所せし【狭し】とて御馬にて
いて給これみつ【惟光】なとはかりをさふらはせ給ふ


【注 「あたら夜の月と花とを同じくは あはれ知れらん人に見せばや」(源信明)の歌を心に置いている】

やゝとをくいる所なりけりみちの程もよもの浦
〳〵見わたし給ておもふとち【思うどち=相思う人々】見まほしき入江
の月かけにもまつ恋しき人の御事をおもひ
いてきこえ給にやかて馬ひきすきておもむ
きぬへくおほす
   秋の夜の月け【月毛 注】のこまよ我こふる
雲井をかけれ【翔けれ】ときのまもみんうちひとりこ
たれ給つくれるさまこふかく【木深く=木立が茂っていて】いたき所【すぐれた所】まさ
りて見ところあるすまゐなり海のつら【ほとり】は
いかめしうおもしろくこれは心ほそくすみたる

【注 赤くて白みを帯びた馬の毛色】

さまこゝにゐておもひのこすことはあらしとお
ほしや ■(ら)るゝに物あはれなり三昧たう【堂】【注】ちか
くてかねのこゑ松風にひゝきあひてものか
なしういはにおひたる松のねさしも心は
へあるさまなり前栽ともにむしのこゑをつく
したりこゝかしこのありさまなと御らんすむ
すめすませたる方は心ことにみかきて月 いる(いれイ)
へき(たるイ)真木の戸口けしきはかり【ほんの形だけ】をしあけた
りうちやすらひなにかとのたまふにもかうまて
は見えたてまつらしとふかうおもふにものな


【注 僧が籠って法華三昧または念仏三昧を修する堂】

けかしうてうちとけぬ心さまをこよなうも【格別に】人め
きたる【ひとかどの人のように見える】かなさしも【そんなに】あるましき【有りそうもない】きは【身分】の人たにか
はかりいひよりぬれは心つようしも【情にほだされないことも】あらすなら
ひたりし【親しくなる】をいとかくやつれたるにあなつらは
しきにや【見下げたい気持ちなのか】とねたう【くやしく】さま〳〵におほしなやめ
りなさけなう【思いやりなく】をしたゝむ【無理に我意を通す】も事のさまにたか
へり心くらへ【意地の張り合い】にまけんこそ人わろ【人わろし=みっともない】けれなとみた
れうらみ給さまけにものおもひしらむ人に
こそ見せまほしけれちかきき丁【几帳】のひもにさう
のことのひきならされたるもけはひしとけな

かり【しどけなし:気楽な感じ】かきまさくり【搔き弄る=琴、三味線などを慰みに弾く】けるほと見えてをかしけれ
はこのきゝならしたること【琴】をさへやなとよろつに【いろいろ】
のたまふ
   むつことをかたりあはせん人もかな
うき世の夢もなかはさむ【覚む】やと
   あけぬ夜はやかてまとへる【惑へる】こゝろには
いつれを夢とわきて【分きて】かたらむほのかなる
けはひ伊勢の宮す所【御息所】にいとようおほえた
りなに心もなくうちとけてゐたりけるをかう
物おほえぬにいとわりなく【どうにもならない】てち ゝかり(かゝり)【「ゝ」「か」の左と「かり」の間の左に「ヒ」と傍記】ける

さうしのうちにいりていかてかためけるにかとい
とつよきをしゐてもをしたち【相手を無視して無理に我意をはる】給はぬさま
なりされとさのみも【そんなことばかりも】いかてかあらむ人さま【身の様子】いと
あて【上品】にそひ ら(え)【左に「ヒ」と傍記】【繊(そび)えて=しなやかでなまめかしいさま】て心はつかしきけはひ【こちらが恥ずかしく思う様子】したる
かうあなかち【強引】なりけるちきりをおほすにもあ
さからすあはれなり御心さしのちかまさり【注】す
るなるへしつねはいとはしき【嫌だと感じる】夜のなかさもと
くあけぬる心ちすれは人にしられしとおほす
も心あはたゝしうてこまかにかたらひをき
ていて給ぬ御ふみいとしのひてそ けふ(けふ)は


【注 遠くで見るより近くで見た方がすぐれて見えること】

あるあいなき【本意でない】御心のおになりやこゝにも【こちらでも】かゝるこ
といかてもらさしとつゝみて【用心して】御つかひ【文のお使い】こと〳〵しう【仰々しく】
ももてなさぬをむねいたくおもへりかくてのち
はしのひつゝとき〳〵おはす程もすこしはなれた
るにをのつからものいひ【ものの言い方】さかなき【たちが悪い】あまのこ【海人の子】もや
たちましらんとおほしはゝかるほとをされはよ【やっぱりね】と
おもひなげきたるをけにいかならぬと入道も
こくらくのねかひ【のお勤め】をはわすれてたゝこの御け
しきをまつことにはすいまさらに心をみたる【乱る】も
いといとをしけなり二条の君の風のつてにも

もり【もれ(漏れ)の古形】きゝ給はんことはたはふれにても心のへたて
ありけるとおもひうとまれ【愛想をつかされ】たてまつらん心くる
しうはつかしくおほさるゝもあなかちなる【ひたむきな】
御心さしのほとなりかし【なのでしょう】かゝるかたのことをは
さすかに心とゝめてうらみ給へりしおり〳〵なとて
あやなき【とるに足りない】すまひことにつけてもさおもはれたて
まつりけんなととりかへさまほしう人【入道の娘】のありさ
まを見たまふにつけてもこひしさのなくさむ
かたなけれはれいよりも御ふみこまやかに
かき給てまことやわれなから心よりほかなる

なをさりこと【気まぐれな行為】にてうとまれたてまつりしふ
し〳〵をおもひいつるさへむねいたきにまたあ
やしう物はかなき【むなしい】ゆめをこそ見侍しかかうき
こゆる【お話する】とはすかたりにへたてなき心のほとはお
ほしあはせよ【思いくらべてお考えになって下さい】ちかひしこともなとかきてなに事
につけても
   しほ〳〵とまつそ【まづぞ】なかるゝ【泣かるゝ=泣いております】かりそめの
みるめはあまのすさひなれともとある御返なに心
なくらうたけ【いかにも可愛らしく見えるさま】にかきてしのひかねたる御ゆめ
かたりにつけてもおもひあはせらるゝ事おほかるを

   うらなくもおもひけるかなちきりしを
まつよりなみはこえしもの とは(そ)【「と」「は」の左に「ヒ」と傍記】とおいらか【おだやかで】なるものか
ら【ありながら】たゝならす【普通でなく】かすめ給へるをいとあわれにうち
をきかたく見給てなこりひさしうしのひた
ひねもし給はす女思もししるきにいまそまこ
とに身もなけ【投げ】つへきこゝちするゆくすゑみし
かけなるおやはかりをたのもしきものにて
いつ世に人なみ〳〵になるへき身とおもはさりし
かとたゝそこはかとなくて【どうということもなくて】すくしつる【過ぐしつる】年月は
なにことをか心をも心をも【ママ】なやましけむかうい

みしう【辛く】物おもはしき【思われてならない】世にこそありけれとかねて
をしはかり【推量して】思ひしよりもよろつにかなしけれと
なたらかに【無難に】もてなしてにくからぬさまにみえた
てまつるあはれとは月日にそへておほしまはせ
と【あれこれと思案なさるが】やむことなきかたのおほつかなくてとし月
をすこし給ふるにたゝならすうち思ひおこせ【関心をよせ】
給らんかいと心くるしけれはひとりふしかち【臥しがち】
にてすくし給ゑをさま〳〵かきあつめてお
もふことゝもをかきつけ返事きくへき【書けるような】さまに
しなし給へり【配慮して作られた】見ん人の心にしみ【染み】ぬへきものゝ

さまなりいかてかそらにかよふ御心ならむ二条
の君も物あはれになくさむかたなくおほし給
おり〳〵おなしやうにゑをかきあつめ給つゝや り【左に「ヒ」と傍記】
かて我御ありさま日記のやうにかき給へり
いかなるへき御さまともにかあらむとしかはりぬ
うち【内裏】に御くすりの事【病気(帝が)】ありて世中さま〳〵に
のゝしる【評判が立つ】たうたい【当代】のみこは右大臣のむすめ そ(の)【左に「ヒ」と傍記】
承香殿(そきやうてんイ)の女御の御はらにおとこ宮むまれ
給へるふたつになり給へはいとい ◦(わ)けなし【年がいかず頼りない】春宮【とうぐう】
にこそはゆつりきこえ給はめ【御譲位なさるのだろう】おほやけの御う

しろみをし世をまつりこつ【政治を行う】へき人をおほしめく
らすにこの源氏のかく【このような(境遇に)】しつみ給ことあたらしう【もったいなく】
あるましきことなれはつゐに后の御い き(さ)【左に「ヒ」と傍記】めを
そむきてゆるされ給へきさためいてきぬ【御許しの詔勅が出た】こそ【去年】より
后も御ものゝけなやみ給ひさま〳〵のものゝさ
とし【物の諭=神霊の警告】しきり【続き】さはかしきを【騒然としていたが】いみしき【たいそう】御つゝしみ【物忌み】
ともをしたまふしるし【効験】にやよろしうおはしま
しける御めのなやみさへこのころおもく
ならせ給てもの心ほそくおほされけれは七月
廿日よひのほとに又かさねて京へかへり給へ

きせんし【宣旨】くだるつゐの事【いつかはそうなる事】とおもひしかと世の
つねなき【世の無常】につけてもいかになりはつへきにか【どうなってしまうのだろうか】と
なけき給をかうにはかなれは【こう急に宣旨が下ると】うれしきにそへ
ても又この浦をいまはとはなれん事をおほし
なけくに入道さるへきこと【帰京は当然】ゝおもひなからうちき
くよりむねふたかりておほゆれはおもひの
こと【思いのごと=願いどおり】さかへ【栄】たまはゝこそはわかおもひのかなふに
はあらめなとおもひなをすそのころは夜か
れ【夜離れ=男の通いが途絶えること】なくかたらひ給ふ六月はかりより心くる
しきけしき【相手にすまない気持ちがする有様】ありてなやみけりかくわかれ

給ふへきほとなれは【頃には】あやにく【(傍から)憎らしいと思われる程の仲】なるにやあり
けんありしより【以前より】もあはれに【不憫に】おほしてあやし
う【不思議と】物おもふへき身にもあるけるかなとおほし
みたる女はさらにもいはす思ひしつみたりいと
ことはりなりやおもひのほかにかなしきみち
にいてたち給しかとつゐにはゆきめくりき
なんとかつは【一方では】おほしなくさめきこのたひはうれ
しきかたの御いてたちのまたやはかへりみるへき【再び帰ってこられるであろうか】
とおほすにあはれなりさふらふ人〳〵ほと〳〵
につけてはよろこひおもふ京よりも御むか

への人〳〵まいり心ちよけ【気分のよさそうなさま】なるをあるしの入道
なみたにくれて月もたちぬほとさへあはれな
るそらのけしきになそや心つから【自身の心によって】いまもむか
しもすゝろなること【これといったわけもないこと】にて身をはふらかす【放るようにする】らん
とさま〳〵におほしみたれたるを人〳〵はあな
にく【ああ、憎らしい】れいの御くせ【癖】そと見たてまつりむつ
かるめり【不愉快がるように見える】月ころ【何か月かの間】はつゆ人にけしき見せす
とき〳〵はひまきれ【這紛れ=人目を紛らわし忍び隠れる】なとし給へるつれな き(さ)【左に「ヒ」と傍記】
をこの比あやにくに【憎らしいと思われる程】中〳〵の心つくし【心をすり減らすこと】に
かとつきしろふ【突きしろう=相手を突っついて合図する】少納言しるへ【てびき】してきこえ

いてしはしめの事なとさゝめき【ヒソヒソと話し】あへるをたゝ
ならす【ただ事でなく】おもひあへり【出立が】あさて【明後日】はかりになりて
れいのやうにもふかさて【夜更けでなく】わたり給へりさやか
にも【はっきりと】また見給はぬかたち【容貌】なといとよし〳〵しう【風情があって】
けたかきさましてめさましうも【以外にたいしたものに】ありける
かなと見すてかたくくちをしうおほさるさる
へき【然るべき】さまにしてむかへんとおほしなりぬ【新たにそう思うようになられる】さ
やうにそかたらひなくさめ給おとこの御かたち
ありさまはた【当然のこととして】さらにもいはす【改めて言うまでもない】としころ【年来】の御
おこなひ【勤行】にいたくおもやせ【顔が痩せてやつれること】給へるしもいふかた

なく【言いようがなく】めてたき御ありさまにて心くるしけ
なる【胸がつまる】けしきにうちなみたくみつゝあはれふ
かく【感慨深いありさまで】ちきり給へる【固く約束する】はたゝかはかりを【これだけでを】さいはひにても【幸せとしても】
なとかやまさらんとまてそみゆめれと【思うが】めてたき【申し分なく素晴らしい】
にしも我身のほとをおもふもつきせすな
みのこゑ秋のかせには猶ひゝきことなりし
ほやくけふりかすかにたなひきてとりあ
つめたる所のさまなり
   このたひはたちわかるとももしほ【藻塩=海藻からとる塩】やく
けふりはおなしかたになひかんとのたまへは

   かきつめてあまのたくものおもひにも
いまはかひなきうらみたにせしあわれにうちな
きてこと【言す】すくなゝるものからさるへきふしの御い
らへなとあさからすきこゆ【申し上げた】このつねにゆかしかり
給ものゝね【琴の音】なとさらにきかせたてまつらさり
つるをいみしううらみ給さらはかたみにもしのふ
はかりのひと ゝと(こと)【「ゝ」・「と」の左に「ヒ」と傍記】をたにとのたまひて京よ
りもておはしたりしきんの御こと【琴の御琴 注】とりにつか
はして心ことなる【特別な感じの】しらへをほのかにかきならし
給へるふかき夜のすめるはたとへんかたなし


【注 「琴の琴(きんのこと)」=奈良朝から平安初期に使われた楽器。面に桐、胴に梓(あずさ)を使い、長さ三尺六寸。黒漆塗り七絃。柱(ぢ)が無く、左手でおさえ右手で弾く。奏法が複雑で弾きにくかった。】

入道えたへて身つからさうのこと【筝の琴】とりてさ
しいれたりみつからもいとゝなみたさへそゝのか
されてとゝむへきかたなきにさそはるゝなるへ
し【気持ちが乗ってきたのだろう】しのひやか【人目を避けているように感じられるさま】にしらへたるほといと上手めき
たり入道の宮の御琴のねをたゝいま【現在】の
またなき【比類のない】ものにおもひきこえたるはいまめか
しく【当世風で】あなめてたときく人の心ゆきてかたち【容貌】
さへ思ひやらるゝ事はけにいとかきりなき【この上なき】御
ことのね【琴の音】なりこれはあくまてひきすまし
心に つゝ(くゝ)ねたきねそまされるこの御心に

たにはしめてあはれになつかしうまたみゝな
れ給はぬてなと心やましき【相手が巧みで自分が感じ入る】ほとにひきさし
つつ【弾くことを途中でやめながら】あかすおほさるゝにも月ころ【(この)何か月かの間】なとしゐて
も【強いてでも】きゝならさゝりつらん【いつも聞くようにしなかったのか】とくやしうおほさる
心のかきりゆくさきの契のみし給きんは又か
きあはする【合奏する】まてのかたみとの給女
   なをさりに【かりそめに】たのめをくめる【ずっと頼りに思わせるようなお約束でしょうが(その)】ひとことを
つきせぬねにやかけてしのはんいふともなき
くちすさみ【口に出るままを言う】をうらみ給て
   あふまてのかたみにちきるなかのを【琴の中の緒。 注】の

【注 筝の十三絃、琴の七絃等、のうちの中程の絃。夫婦の仲の意をかけて使われる】

しらへはことにかはらさらなむ【変わらないでほしい】このねたかはぬさき
にかならすあひみんとたのめ【期待をもたせ】給めり【なさったのでしょう】されと
たゝわかれんほとのわりなさ【どうにもならないこと】をおもひたるも
いとことはり【もっともなこと】なりたち給あか月は夜ふかくい
て給て御むかへの人〳〵もさはかしけれは心もそ
らなれとひとま【人のいないすき】をはからひて
   うちすてゝたつもかなしきうらなみの
なこりいかにとおもひやるかな御返し
   としへつる【年経つる】とまやもあれてうき浪の
かへるかたにや身をたくへまし【一緒に行かせましょうか】とうちおもひける

まゝを見たまふにしのひ給へとほろ〳〵と
こほれぬ心しらぬ人〳〵はなをかゝる御すま
ゐなれととしころといふはかりなれ給へる
をいまはとおほすにはさもある事そかし
なと見たてまつるよしきよなとはをろかなら
す【おろそかでなく】おほすなめりかし【お思いであるようだな】とにくゝそおもふうれ
しきにもけにけふをかきりにこのなきさ【渚】
をわかるゝことなとあはれかりてくち〳〵しほ
たれ【涙にくれる】あへることもあめり【あるだろう】されとなにかはとてな
む【いちいち書き留める必要もあるまい 注】入道けふの御まうけ【準備】いといかめしう【盛大に】つかう

【注 「何かは(書かむ)とてなむ(省きぬ)」の語の()部を省筆している】

まつれり人〳〵しものしな【品=身分】まてたひのさうそ
くめつらしき【心ひかれる】さまなりいつのまにかしあへけ
む【間に合うように成し遂げたのだろう】とみえたり御よそひ【(君の)服装】はいふへくもあらすみ
そひつ【御衣櫃=御衣を入れておく櫃】あまたかけさふらはす【荷わせる】まことのみやこのつ
と【苞=土産】にしつへき御をくり物ともゆへつきて【品格が備わって】思よ
らぬくま【心惹かれない欠点】なしけふたてまつるへき【御召しになる】かりの御さうそく【狩の御装束=狩衣に烏帽子・指貫(さしぬき)などを着けた装束】に
   よる浪にたちかさね【裁重ね=衣を裁って縫い、それを重ねて着る】たるたひころも
しほとけしとや【(水や涙で)ぐっしょり濡れていますので】人のいとはむとあるを御らんし
つけて【御覧になって】さはかしけれと
   かたみにそかふへかりける【取り替えるべきなんですね】あふことの

日かすへたてん中のころもを【(再会までの)日数を隔てる中の衣だから】とて心さしあるを
とてたてまつりかふ【替ふ】御身になれたるとも
をつかはすけにいまひとへ【さらにいっそう】しのはれたまふへき
ことをそふる【添ふる】かたみなの【左に「ヒ」と傍記】めりえならぬ【並々でなくすぐれた】御そ【衣】にに
ほひうつりたるをいかゝ人の心にもしめさらん【染めざらん=染まらぬことがあろうか】入
道いまはと世をはなれ侍にし身なれともけふ
の御をくりにつかうまつ こ(ら)ぬ事【お供できないとは】なと申てか
ひをつくる【貝を作る=泣き顔をする】もいとをし【気の毒】なからわかき人はわらひぬへし
   よ【世】をうみ【倦み=嫌になる】にこゝら【これ程おおく】しほしむ【(海辺の生活で)潮気が浸み込む】身となりて
なをこのきしをえこそはなれね【離れられません】心のやみは【注】

【注 「人の親の心は闇にあらねども子を思う道にまどいぬるかな」(後撰雑一 藤原兼輔)の歌を踏まえている】

いとまとひぬへく侍れはさかひ【国境】まてたにとき
こえ【申し上げ】すき〳〵しきさま【色めいた話】なれと【娘を】おほしいてさせ給
おり【折】侍らはなと御けしき給はる【ご機嫌をお伺いする】いみしうもの
をあわれとおほしてところ〳〵うちあかみたる【左に「ヒ」と傍記】
まへる御まみ【目元】のわたりなといはんかたなく見え
給おもひすてかたきすちにもあめれはいまいと
とく【今すぐに】見なをしたまひてん【見直されるだろう】たゝこのすみかにて
見すてかたけれいかゝすへきとて
   みやこいてし春のなけきにおとらめや
としふるうらをわかれぬる秋とてをしのこひ【涙を押すようにして拭く】

給へるにいとゝ【ますます】物おほえす【我を忘れて】しほたれまさる【涙にくれる】た
ちゐもあさましうよろほう【今にも倒れそうによろよろする】さうしみ【正身=本人】の心ち
たとふへき方なくてかうしも【こんな風を】人にみえし【人に見せられない】と
思ひしつむれと身のうきを【身分の違いが】もと【根本、原因】にてわりな
き事なれと【どうにもならないが】うちすて給へるうらみのやる
かたなきにたけきことゝは【現在できる最大の事とは】たゝ涙にしつめり
はゝきみもなくさめわひてはなにゝ【何のために】かく心つく
しなる事【心労すること】をおもひそめけむ【思いついたのか】すへてひか〳〵し
き【ひねくれている】人にしたかひける心のおこたり【思慮の手抜かり】そといふあ
なかまや【ああ、うるさい】おほしすつましき【心の中で見捨てられない】事も物し給めれ【おありなのだろう】

はさりとも【ともかく】おほすところあらむおもひなくさめて
御ゆ【煎じ薬】なと は(を)【「は」字の中央に「ヒ」と挿入】たにまいれ【飲んでおれ】あなゆゝしや【縁起が悪い】とてかた
すみによりゐたりめのとはゝ君なと【(入道の)】ひかめる
心をいひあはせ【口をそろえて話し】つゝいつしかいかて【どうかして】おもふさま【申し分のない方】にて見
てまつらんととし月をたのみすくしいまやお
もひかなふとこそたのみきこえつれ【期待申し上げたが】心くるし
きことをも物のはしめに【はじめての縁組で】みるかなとなけくをみる
にも【見るにつけ】いとをしけれはいとゝほけ【呆け】られてひるは日ゝ
とひ【日一日=朝から日暮れまで】い【眠】をのみねくらし【寝暮らし】よるはすくよかに【元気に】おきゐ
てすゝ【数珠】のゆくゑもしらすなりにけりとてて

をおしすりてあふきゐたり弟子ともにあ
はめられて【軽蔑されて】【(なんと】月夜にいてゝ行道するものは【ものだから】
やり水にたうれいりにけりよし【由来】あるいは【岩】
のかたそはにこしもつきそこなひてやみふした
るほとになむすこしものまきれける君はな
にはのかたにわたりて御はらへし給てすみよ
しにもたひらかにて【(ここまで)無事で】いろ〳〵願【いろいろ祈願したことが(かなったので)】はたし申【願ほどきをされる】へ
きよし御つかひして申させ給にはかに所
せうて【狭うて】みつからはこのたひえまうて給はす
ことなる御せうようなとなくていそき【(都へ)】いり給

ぬ二条院におはしましつきてみやこの人も御
ともの人も夢のこゝちしてゆきあひ【再会し】よろこひ
なきともゆゝしきまて【甚だしきまで】たちさはきたり
女君もかひなきものにおほしすてつるいの
ちうれしうおほさるらんかし【思われたのだろう】いとうつくしけに
ねひとゝのほり【大人びて容姿が整う】御ものおもひのほとに【悩み煩ったからか】ところ
せかりし【所狭しとフサフサに生えていた】御くしのすこしへかれたる【減っている】もいみしう【たいそう】
めてたきを【すばらしく】いまはかくてみるへきそかしと御心
おちゐる【落ち着く】につけては又かのあかす【飽かず=物足りなく】わかれし人
のおもへりしさま心くるしうおほしやらる猶

世とゝもにかゝる方にて御心のいとまなきや
その人【明石の君】の事ともなときこえいて給へり【お話しになる】【(君が)】おほし
いてたる御けしきあさからす見ゆるをたゝな
らすや【普通ではないと】見たてまつり給らんわさとならす【何気なく】
身をはおもはすなとほのめかし給ふそを
かしうらうたく【心ひかれいじらしく】おもひきこえ給かつ【同時に】みるにたに
あかぬ御さまをいかてへたてつるとし月そと
あさましき【見苦しい】まておもほすにとりかへし【もとに戻し】世中
もいとうらめしうなむほともなくもとの御位
あらたまりて【改善されて】かすよりほかの【定員外の】権大納言に

なり給ふつき〳〵の人【供の者】もさるへきかきり【それにふさわしい者に限って】はもとのつ
かさ【官職】かへし給はり世にゆるさるゝほとかれ【枯れ】たり
し木の春にあへる心ちしていとめてたきけ【様子】
なりめし【召し】ありて内【内裏】にまいり給おまへにさふ
らひ給にねひまさりていかてさる【そんな】ものむつ
かしき【なんとなく好ましくない】すまゐにとしへ給つらん【何年も過ごせたのだろうか】と見たてま
つる女房なとの院の御時よりさふらひ【仕えた】
ておいしらへるとも【老女たち】はかなしくていまさらに
なきさはきめてきこゆうへ【上=帝】もはつかしうさへ
おほしめされて御よそひなとことにひきつくろ

ひていておはします御心ちれいならて【例ならで=いつもの状態でなく】日ころ【このところ】へさせ
給けれはいたうをとろへさせ給へるをきのふけふそす
こしよろしうおほされける御物かたりしめやかに
ありて夜にいりぬ十五夜の月おもしろうし
つかなるにむかしの こと(こと)【「こ」「と」の左に「ヒ」と傍記】かきくつし【少しずつ崩すようにして】おほしい
てられてしほたれさせ給【涙にくれられる】もの心ほそくおほさ
るゝなるへしあそひなともせすむかしきゝしものゝ
ねなともきかてひさしうなりにけるかなとの給はするに
   わたつ海にしつみうらふれ【失意にうなだれる】ひる【蛭】の子の
あしたゝさりし年はへにけりときこえ給へり

いとあはれに心はつかしうおほされて
   宮はしらめくりあひける時しあれは
わかれし春のうらみのこすないとなまめかしき【しっとりとして美しい】御
ありさまなり院【故桐壷院】の御ために八講【注】おこなはる
へきことまついそかせ給ふ東宮を見たて
まつり給にこよなうおよすけさせ給て【格別に成長なさって】めつらし
う【なかなかお会い出来ないことと】おほしよろこひ給へるをかきりなくあはれ【立派だ】と
見たてまつり給御さ え(え)【才能】もこよなく【格段に】まさらせ
給て世をたもたせ給はんにはゝかりあるまし
くかしこくみえさせ給入道の宮にも御心す


【注 「八講会」の略。法華経八巻を八座に分け一巻ずつ講讃する法会】

こししつめて御たいめんのほとにもあ は(は)れな
る事【切なる思い】ともあらむかし【あるであろう】まことや【ほんにそうそう】かのあかし【かの明石】にはか
へる浪【遣いのこと】につけて御文つかはすひきかへしてこ
まやかにかき給ふめりなみのよる〳〵いかに
   なけきつゝあかしの浦にあさきりの
たつやと人をおもひやるかなかの帥のむす
めの五節あいなく【そんなことしても仕方がないのに】人しれぬものおもひさめぬ
る心ちまくなき【まくなぎ=めくばせ】つくらせてさしをかせたり
   須磨の浦に心をよせし舟人の
やかてくたせ【朽たせ】る袖をみせはやて【手=筆跡】なとこよなうま

さりにけりと見おほせ給て【見てお感じになられて】つかはす
   かへりては【逆に】かことや【託言や=愚痴を】せまし【言いたいぐらいです】よせたりし【お手紙を下さった】
なこりに【そのあと】袖のひかたかりしを【干難かりし=乾きにくかったのですから】あかすをかしと【いつまでも気になる程魅力的だと】
おほしゝ【思っていた】なこりなれはおとろかされて【ママ】給てい
とゝ【いとど=ますます】おほしいつれとこのころはさやうの御ふるま
ひさらにつゝみ給めり【慎んでいらっしゃるように思われる】花ちる里なとにもたゝ
御せうそこ【消息=便り】はかりにておほつかなく中
〳〵うらめしけなり

【白紙】

【白紙】

【裏表紙の見返し 文字無し】

【裏表紙】

【背】

【天或は地】

【小口】

【天或は地】

BnF.

BnF.

【青海波】

1r
髙砂  《割書:能》

2r
実盛  《割書:能》

3r
熊野  《割書:能》

4r
松風  《割書:能》

5r
羽衣  《割書:能》

6r
當朝  《割書:能》麻

7r
西行桜  《割書:能》

8r
百萬  《割書:能》

9r
桜川  《割書:能》

10r
芦刈  《割書:能》

11r
俊寛  《割書:能》

12r
放下僧  《割書:能》

13r
鵜飼  《割書:能》

14r
野守  《割書:能》

15r
熊坂  《割書:能》

1v
末広がり  《割書:狂言》

2v
素襖落  《割書:狂言》

4v
縄なひ  《割書:狂言》

5v
棒しばり?  《割書:狂言》

7v
釣狐  《割書:狂言》

10v
禰宣山伏 《割書:狂言》

11v
月見座頭⁇ 《割書:狂言》

12v
武悪⁇ 《割書:狂言》

13v
文荷 附子 《割書:狂言》

14v
神鳴  《割書:狂言》

15v
居杭  《割書:狂言》

BnF.

【表紙】
【左端に赤い題箋】
《割書:開巻|驚奇》暴夜物語《割書:永峯秀樹譯》第二編
【左端下に円形図書票】
JAPONAIS
5636
2

【頁上部余白に左から読む】
ARABIANNIGHTS
【本文】
永峯秀樹譯 【朱の角印】秀樹之印

《題:《割書:開|巻|驚|奇》暴夜物語(あらびやものがたり)》
東京 奎章閣發兌 印

【注 奎章閣(キュジャンガク)は、李氏朝鮮の王立図書館に相当する機関である。​歴代王や王室の各種文書や記録、中国の文献、朝鮮の古文書などを収蔵管理した。】

《割書:開巻|驚竒》暴夜物語巻之二
        
             永峰秀樹 譯

   漁夫の傳
昔し一人りの老夫あり漁猟を生計(なりわひ)となし其性
固より正直にして又 勤業者(かせぎもの)なりければ一日た
りとも怠ることなかりしも得る利は細く家族は
多く一人の妻に三人の子を養ひ兼ね家いと貧
しく危き露命を其日々々と漸くに繋ぎ留めた
る計(ばか)りなりき。斯く其身は貧しく暮せ共(ども)神に願(ねぎ)

事(こと)ありしかや綱を投(うつ)こと一日に四回よりは多く
せじと自から盟ひを立たりけり斯くて或日常
の如く早且【旦】に家を出て月を燭(あかり)に舩を波間に漕
ぎ出し三回まて網を撒(ま)きたるに撒く度毎に手
堪へ强く曳網の断(きる)るばかりに重かりければ數
千の魚を得たるにあらざるも數尾の大魚は失
はじと心嬉しく兎角して曳擧たる所に始めの 
網には驢馬の死骸の大きやかなるの既に腐爛(くされたゞれ)
たるを曳擧げ次には沙泥を盛りたる馬篭を曳
擧け又其次には貝殻(かゐがら)石泥等を夥しく曳き擧げ

三回共に一尾の魚をも得ることなく徒らに力を
勞する常日(ひごろ)に十倍したれば大に其身の不幸を
嘆き夜も既に明け方に近つけば先づ朝拜を了
り再び第四回の網を撒きたるに先きに増して
重かりける此度こそは必ず多數の魚を得たる
ならんと力を極めて曳き擧げたるに又一尾の
魚もなく只黄銅を以(も)て製したる最(いと)重き古瓶の
み一個 滚(ころ)び出たり漁夫怪み近ひて注視(よくみ)れば鉛
を以て固く封じ封の上には印章を深く打ち打
ちたる字畵尚ほ明亮(あり〳〵)と讀得べし漁夫之を見て

大に悦び之を以て鑄冶(いものし)【左ルビ】に賣らば今日の食量を
購ふに餘りあらん善き物得たりと獨語(ひとりごと)【左ルビ】しなが
ら猶打返し打返し心を注(と)めて上下周圍を檢査(ぎんみ)
し中には何物か入りて有るやらんと震動(ふりうごか)して
試むるに響なし熟(つら〳〵)思ふに此封印の文と云ひ此
瓶の状(なり)と云ひ中に入れたる者は貴重の珍宝に
疑ひなし。いで先づ試みに取出して見んと腰に 
帯たる小刀を把出し鉛封を開き瓶を倒さまに
為したる所中より出る物なければ怪みながら
瓶を己が前に据(すへ)置き姑(しばら)く手を拱(こまぬ)き思考してあ

【瓶の中から煙と共に現れた魔神と驚く漁夫の図】
【図右下に】彫刻會社製

【白紙】

る處に忽ち瓶中より一道の濃烟湧き出しける
漁夫之が為に一驚を喫し両三歩(ふたあしみあし)退ひて打守る
に烟は次第に上騰し将さに雲際(くもきわ)に達せんとす
るとき忽ち解けて水陸に充満し咫尺もわかぬ
朝霧に 彷彿(さもに)たり漁夫は此時 股慄(おのゝきふるへる)【左ルビ】して走り避る
ことさへも得ならず怕ながらに尚ほ注目(みつめ)てあれ
ば瓶より出る烟り騰り畢るよと見る處に水天
に霏抹(たなび)きたる烟霧は次第に収縮(まとま)りて終に一個
の固体となり仰見(みあげ)ても猶ほ見盡し難き大魔君 
と為りにける其時魔君は雷の如き聲を轟かし

【注】 
【咫尺(しせき):周代の小尺で、約十八㎝。距離が短いことをいう。ここでは咫尺も弁えぬ程の深い朝霧という言い回しで、視界がきかず近距離のものも見分けがつかない意】

て所羅門(ソロモン)乎(よ)至大至聖なる預言者所羅門よ吾か
罪を赦せ余再ひ君が意に逆(さか)【注】はじ今より後萬事
君が命令に黙従せんと叫び了り頭を垂れ漁夫
を見て汝疾く吾が前に来り拜伏して吾が汝を
殺すを待てと一聲大ひに叫びけるに漁夫は怕
れながら吾れ君に何の罪ありや今君の禁錮を
救ふたるの大恩は既に忘れ玉ひたるやと聲振
はして怨ずれば魔君荅へて爭(いか)で汝が恩を忘却
すべきや然れども汝を殺すことは止まる能はず
只汝に一事を恵まんと曰ふ漁夫曰く大君何を

【注】
【古語に「逆(さか)ふ」(四段活用)という語が有り、「おのずからさからう」の意】

か吾に惠まんや魔君曰く唯汝自から死の方法(しかた)
を擇べ然らば吾汝が望に従ふて汝を殺さんの
み因りて汝が疑ひを晴さしめんがため其由来
を語り聞せん抑も余は天帝に背きたる一位の
魔君なり大闢(ダビット)《割書:大闢は耶蘓の|祖なりと云ふ》の子 所羅門(ソロモン)天帝の 
預言者として衆魔君を其下に致せしに佐加尓(サカル)
と吾とは他神に服従するが如き卑物にあらず
と自から驕りて彼が命に従がはざりしかば所(ソ)
羅門(ロモン)余を罪して此銅瓶の中に包埋(いれる)【左ルビ】し余か脫出
せんことを恐れ封印を打ちて瓶口を固く封した

り彼が封印には原来上帝の大名を■(きざみ)【刻刾ヵ】あれば余
が力之を破る能はさるを知ればなり、さて所羅
門は余を包藏したる此瓶を配下の魔君に授け
此海底に沈めしめたり余れ瓶中に在りて自(み)か
ら誓ふらく若し初めの百年間が余を救ひ出す
ものあらば此世は勿論(おろか)死後に至るまでも永久
の冨を與へんと然れども救ふものなく百年を
打過ぎたれば又 自(み)から誓ふらく第二百年間に
救ふものあらば地下の富を發して盡く之を與
へん又第三百年間に救ふものあらば地上の大

王となし魔君仙女と伍せしめ一日に三度宛其
望む所の亊を叶へしめんと然るに既に三百年
を經ても未た救ふ者なく瓶裏に鎖篭(とじこめる)【左ルビ】さるゝこと
依然たれば是に於てか余れ憤怒やる方なく又
自(み)から誓ふらく此後余を救ふ者あらば憐慈を
垂れす速かに之を殺し只其死法を自から擇べ
しめ其望みに任すべきの一惠を與へんと然る
に今日汝来りて余を救へり故に余汝を殺すの
み汝が死は既に避くべからず速かに其死法を
擇びて快よく余が劍を受よと語り了りければ

漁夫其身の免れ難きを聴き悲歎限りなく我身
はさして惜むに足らねども一日一日と辛く漁
獵に世を送るに我身死しなば三人の子兒(こども)等は
如何にせん餓へてや死なん乞兒(かたひ)【左ルビ】とやならんと
愁緒萬丈(うれいのいとすじ)【左ルビ】九膓(はらわた)【左ルビ】を圍繞(めぐる)【左ルビ】して悲傷やるかたなくい
かで今一度哀を請はんと魔君に向ひ縦(たと)ひ大君
の誓は。ざることなりとも禁錮の中より救ひ奉り
たる老夫が功を顧み一片の憐れみを垂れ斯く
非理不道の誓を立返し老夫が命を赦し玉はれ
や然らば天帝亦大君を赦し大君の為に敵者の

害を防ぎ玉ふべきものをと聲 震(ふる)はして歎き乞
へども魔君は之を肯んぜす痴呆(おろか)なり如何に道
理を列(なら)べ立て一年三百六十五日 口説(くどく)とても赦
すものかは無益の談論聞く耳持たず疾(と)く汝の
死法を擇べ無用の談に時晷(とき)たてざれと聲荒ら
かに言い放てりと語り了り新皇后は帝に向かひ
世の常言(ことわざ)に窮迫者思慮之母なりと云へるが如
く此漁夫忽ち一計を設け。さの玉ふ上は吾身の
死は救ふに術(すべ)なし只上帝の意に任せんのみ但
し老夫が死法を擇むに先だつて大闢(ダビツト)の子 所羅(ソロ)

門(モン)なる天帝の預言者の封印に■【刻刾ヵ】みたる上帝の
大名を以て大君と誓はん老夫 疑慮(うたがひ)【左ルビ】決し難き一
亊あり試みに大君に問ひ奉らんに大君真誠を
以て答へ玉へと云ければ魔君は上帝の大名を
以て誓を立てたるを見て既に恐怖の体あり汝
の問ふ所は何事ならんか速かに語れと促すに
漁夫は既に其状を察し再び聲を擧げ上帝の大
名に因り誓を立てん大君實に此瓶中に在りし
や甚た不審(いぶかし)く覺へ候ふ此瓶此の如く小なり大
君の一足をだも容るに足らす豈能く大君の全

身を藏すべけんやと難じたるに魔鬼笑ふて正
に汝が目前に見たるが如くなり余之を上帝の
大命に誓へり汝尚之を信ぜざるやと答へたる
に漁夫尚ほ之を信ぜざるが如くもてなし其實
否を親視(まのあたりみる)【左ルビ】せんと請ふたれば随即(たちまち)魔君の形は再
び烟霧と觧け初め次第に前の如く天際に靡抹(たなび)
き亘り再び凝りて一道の濃烟と變し徐々(しづか)【左ルビ】とし
て瓶中に収まり一点の烟影も瓶外に残らざる
とき魔君瓶中より聲を擧げ疑深き無智の匹夫 
なりとも今は吾言の真誠なるを信ずべけんさ

りとも尚ほ疑ふやと問ふたる聲を聞くやいな
漁夫は得たりと答もなさず敏捷(てばや)く鉛蓋を把り
持ちて忙がはしく瓶口に推當て聢(しか)と嵌込(はめこみ)棒の
如き大息(ためいき)をほつとつき瓶に向ひ魔君既に事情
一變せり今番(このたび)憐恕を願ふ者は正に汝が身に遷
り行けり余再び汝を此海に沈め余又此處に家
を搆え此海に漁する者に誡めて禁錮を救ふ者
を殺さんと毒誓を立てたる惡魔を救ひ舉げざ
らしめんと言ひければ魔君は漁夫の仁心を動
さんと言を巧にして百方に苦請すれども漁夫

之を聴かす詐り多き汝が言を争でか信ずへけ
んや若し再び汝を許さば其時こそは余命は汝
の為めに失はれん汝の余を遇するは希臘(グリーキ)王が
醫生 銅盤(ドウバン)を遇したるに善く似たりいで其物語
を語らん
   希臘王並醫生銅盤の傳
昔し希臘に一王あり久しく癩病を患ひたるに
在庭の医官は云に及ばす國中の医師尽々秘方
を探り夙夜(よるひる)【左ルビ】心を苦しめて治療を施せども一毫(つゆばかり)
も效験(しるし)なく匙を投し手を引きて治術なきを嘆

じたり然るに他邦より新たに来りたる一医生
名を銅盤と称するもの自から朝に入り大臣に
謁して王の病を治癒せん亊を乞へり此醫生銅
盤は學織古今に匹(たぐい)なく希臘(グリーキ)。此耳西(ペルシヤ)。土耳古(トルコ)。亜刺(アラ)
非亜(ビヤ)。羅典(ラテン)。西里亜(シーリア)。欺非流(ヒブルー)諸國の學に精しく又理
學に長じ尤も本業に明らかに草木の貭に通暁
したり王先づ其人物を見んと欲し玉ふ銅盤乃
はち朝服を穿ちて宮に入り王に見へて臣大國
の医官盡く不學にして王の病を医する能はざ
るを聞及びたるを以て遠路を厭はす遥々貴國

に推叅せり若し陛下臣が術を試むるの意あら
ば臣内服外貼を用ひずして忽ち陛下の大患を
除かんと言ければ王悦んで治を請はれける銅
盤は私宅に歸り「ラツケツト」板《割書:羽子板の如き者|にして球を打つ》
《割書:の遊戯に|用ふる者》を作り其柄に窩凹(くぼみめ)【左ルビ】を■【刻刾ヵ】み之に藥劑を
填塞(うめる)【左ルビ】し次の日之を持ちて宮に入り王の前に拜
伏し地を啜り了り《割書:地を啜るは此地|方の敬礼なり》王を請ふて
「ラツケツト」塲に致らしめ王には昨夜製したる
「ラツケツト」を執らしめ其 操持法(もちかた)をも精しく示
し朝臣と共に馬上に球を撃ち勝敗を爭はしめ

たり王は原来最も「ラツケツト」遊を好みたりけ
れば往来馳騁(わうらいちてい)勝を爭ふて心身を勞動せるを以(も)
て忽ち周身(みのうち)汗を流し掌裏(てのうち)も亦汗を握りたれば
藥劑掌より鑽入(とほる)【左ルビ】して周身に流注(めぐる)【左ルビ】せり是に於て
銅盤「ラツケツト」遊を輟(や)めしめ王に沐浴を勸め
其他種々銅盤の言ふ所王盡く之に従がひ。さて
明朝に至りし處竒なるかな一夜の中に數年の
痼疾忽ち平癒し瘢痕(あと)さへもなかりける王は之
を見て忻喜極まりなく政㕔に出で玉㘴に就け
ば列㘴の朝官聲を齊ふして其平癒を祝賀し王

の喜びを賛成(たす)けたり既にして銅盤も入朝し王
の前に拝伏すれば王 忽忙(あはたゞしく)玉㘴を下り自から扶
け起して王と共に玉㘴に上らしめ姑くして午
時になれば食架(テーブレ)を共にし相對して食ひ衆官退
朝の時に及び更らに御服に二千金を添へて之
を銅盤に賜ひ其次の日も王は唯銅盤に幸福を
與へんとすることのみにて朝を卒り再び許多
の賜物あり爰に宰相中に貪婪(むさぼること)【左ルビ】にして邪智に冨
み猜忌深き者ありけるが王が一醫生を寵して
賜物夥しきを見て嫉(ねた)きこと限りなく医生の罪を

構成(こしらへる)【左ルビ】せんと王に謁して陛下未だ悟り玉はざる
や彼の醫生銅盤は敵國の刺客なり然るに陛下
心を傾けて親任し玉ふは抑も亦危ふきことに候
はすやと密奏す王は顔を左右に打ふり否々賢
相過てり卿の目(めざす)【左ルビ】して刺客となし逆臣となす者
は實に天下の良士なり吾身に取りては天下に
尊崇すべき者彼に増す者一人もなきを覺ふる
なり卿も知る如く彼れ實に吾が不治の痼疾を
医したり彼れ若し刺客ならんには吾身を殺さ
んことをこそ圖るべけれ何の為めにか吾が病を

治すべけんや察するに彼が才智群を㧞くを見
て卿妬心を懐きたるならん吾焉んぞ徳に報ゆ
るに怨を以てすべけんや余れ初めは彼を以て
一醫生の特(たゞ)に其業にのみ精しき者とのみ思ひ
たるに昨日彼と談ぜし所彼は諸學に通じ實に
天下又あるまじき賢人なり故に今日より彼に
大禄を給し別に毎月一千金を與へんと欲す。た
とひ吾が國を裂き彼に與ふるも猶吾心に厭足(あきたら)
ざるの思ひあり新努番努(シンドバンド)王が其王子を殺さん
とせしとき其宰相が諫言せし物語あり今卿の

為に之を語らん
   富商並鸚鵡の傳
昔し富商ありけるが美婦を娶り夫婦/最(いと)睦(むつま)しく
霎時(しはし)の程も離るゝに忍びざりしが避くべから
ざる事出で来たり旅立つこととなりけるに冨商
は其/性(さが)嫉妬(しつと)深かりければ一策を案じ出し市頭
に一羽の鸚鵡を購ふたり此鸚鵡は希世の名鳥
にして一回見たることは日を過ぐれとも強記(よくおほ)へ
問ふ事あれば荅へざることなきの美質あり是れ
屈竟なりと家に携へ来り妻には唯 平常(あたりまへ)【左ルビ】の鸚鵡

の如く言ひ倣し余が身と思ひ此鳥を汝が室に
珍重して飼置玉へと言含【原文は異体字U+2D1E5】めて旅立ちしがさて
家に歸り妻のあらさる時を窺がひ吾が旅行中
何事か家内に起りしやと種々の事を尋ね問ふ
たるに鸚鵡は其妻の隠事を洩さず語りにけれ
ば富商はさもあらんと其妻の歸り来るを待構
へて其穢行を譴(せ)め鞭笞して之を懲したるに妻
は更に承服せず無根の讒【原文は異体字の谗】言を聴き妄りに潔白
の名を汚せり抔と其夫の薄情を怨み唧(かこ)ちて爭
ひ遂げ。さて自から思ふやふ余が密事を何(いか)にし

て夫は早く聞知りけん是必す僕婢の中にて告
たる者あるならんと一人一人に密室に呼び其
事を詰問せしに皆盡く其罪は彼鳥にこそある
べけれ我們(わがみ)は告げたる覺之【やの可能性も】れなしと衆人の言
ふ所一致しければ冨商の妻は忽ち悟り夫の疑
心を觧き兼て其怨を報せんと一計を設け夫の
家に在らざる夜を待ち三僕をして其形を隠し
て鸚鵡の篭の上下と前とにあらしめ下に在る
者をして手磨(てうす)【左ルビ】を旋轉(まはす)【左ルビ】せしめ上に在るものをし
て雨の如く水を溉(そゝ)がしめ又前にある者をして

鏡面に蝋燭の火を照して鳥篭の邉を閃(ひらめ)かさし
めたること宵より暁に達したり却(かく)て次の日冨商
は家に歸り又鸚鵡に昨夜何事か有りたるやと
問ふに鸚鵡は雷電暴雨頻りにして甚た困却せ
る由を荅へける冨商は是に於て鸚鵡の語を信
ぜす吾婦の事を告げたるも亦彼が胡乱言(めつたぐち)【左ルビ】に出
でたるならんと忽ち大ひに怒り罪なき鸚鵡を
篭より取出し力を極めて地板(ゆかいた)【左ルビ】の上に擲ちけれ
ば愍れむべし即時に息は絶にけり其後冨商は
鸚鵡の冤罪なるを聞き知りて大に之を悔たり

とぞ賢相たとひ妬心を懐き汝に怨恨なき銅盤
を殺さしめんと欲すとも彼の冨商が如き後悔
なからん為め容易く汝の言を信せざるなりと
奸情を穿(うが)ちて責玉ひけれども宰相猶ほ屈せす
言葉巧みに奏する様陛下善く回想(おもひみ)玉へ一鸚鵡
を失ふも大害と云ふべあらず又彼の冨商も其
後悔は久しからざるべきなり臣が奏する所は
國家の大事なれば寧ろ一/無辜(つみなきもの)【左ルビ】を過殺するの悔
あるも彼医生を誅せんことを抗論せざるべから
ざるなり臣が彼を仇とするは陛下を愛し國家

を思ふが為に仇とするなり私怨嫉妬の為にあ
らず若し臣が言ふ所ろ詐偽ならば昔時の一相
と同戮を甘受せん若し御許容あらば其一相の
物語りを陳述(のぶる)【左ルビ】せん
   受戮宰相の傳
是も亦/新努番努(シンドバンド)國の事に候ふが王に一人の王
子あり其/性(さか)打獵(かり)【左ルビ】を熱愛(ひどくこのむ)【左ルビ】したり王之を鍾愛し其
好む所に任せて戒めず唯其危害を防獲(ふせぎ)【護】しめん
と出獵毎に宰相に命じて陪行せしめたり一日
獵人(せこ)一匹の鹿を獵出したりしに王子は宰相後

より續くことよと思へば頻りに駿足に鞭うち獵
夫山を見ざるの喩の如く峻坂危径の嫌ひなく
心を鹿に奪はれて驀直(まつしくら)に逐ひたりしかども鹿
は逸足にして遂に之を見失なひ馬を駐めて初
めて心付き首を延して後方(あとべ)を展眸(ながむれ)ども續く者
とては一人もなく身は唯獨り廣漠たる濤山(うねやま)の
中に佇立(たゝず)めり王子は忽ち懼を懐き聲を限りに
呼び號【原文は號の異体字】べども荅ふるものは幽禽と喬木の風に
戰(そよ)ぐの音のみなり王子は益畏懼甚しく疾く歸
路を求めんと右に馳せ左に馳せて愈深く迷ひ

入り途方に暮れて躊躇(ちうちよ)する所に忽ち女子の啼 ̄キ
聲程近く聞ゆれは訝(いぶか)りながら聲ある方に馬を
寄すれば年少き女の衣裳美麗に容貌の最(いと)嬋㜏(あてやか)
なるが路傍(みちのべ)に潜然(さめ〴〵)と泣き伏したり王子怪しみ
て何人なるぞと問ひければ彼の少女荅へて兒(わらは)
は印土王の少女に侍(は)べるが臣僕と共に此野を
過る時/睡魔(ねむけ)【左ルビ】に誘(さそ)はれて馬より下に滾(ころ)げ落たり
しならん睡りてあればそれさへ知らす候ひき
今眼を覺(さま)し侍べりしに身獨りにて斯く恐ろし
き野の中に臣僕にさへも打捨られ行べき道も

得知ざれば途方に暮れて泣より外に術(すべ)を知ら
ず唯神明の保獲【護】を祈りたるに相公(との)の此地を過
り玉ひしは定めて神明の導き玉ひたるならん
にあはれ一片の情を垂れ兒(わらは)を助け玉はれやと
言ひ畢り又 潜然(さめ〳〵)と泣き伏しければ王子は不愍
の事に思ひ最易きことなり吾と累騎(とものり)【左ルビ】【一頭の馬に同乗すること】し玉へと勸
めければ彼の少女世にも嬉しき様子なり王子
はやがて其少女を抱き騎(の)せ歸路を求めんと馬
の蹄(あがき)【「あがき」とは、馬が前足で地面をかくことで、ここでは前進することを指す】を促がしつゝ行々門破れ壁/頹(くづ)れたる一廬(こや)【左ルビ】
を過ぎる處に少女姑く馬より下んことを請ふ王

子乃はち【すなわち】助けて鞍より卸し彼女は内に入りた
るより姑くすれども出で来らざれば暇(ひま)どりて
は宮に歸るに便(たより)悪し彼女は何をか猶豫(ゆうよ)し居る
やらんと馬より飛下り勒口索(たづな)【左ルビ】を執り戸外に近
づけば内に談話の聲するあり耳を𠋣て聴く所
に彼女の聲と覺しく吾が兒よ悦ぶべし汝等の
晩餐(ゆふめし)【左ルビ】に肥満(こへたる)【左ルビ】したる一人の少年を獲たりと曰へ
ば今空腹を覺へたり何䖏に居り候ふやと荅へ
たり王子は之を聞き毛骨(みのけ)いよだち馬に打騎り
一散に迯出したる所幸に大道に出て辛く虎口

を脱れて宮中に歸り入り父王に見へ食人鬼(ひとくひおに)【左ルビ】に
出逢ふたることを語り是れ全く宰相の緩怠より
起りたると語りければ王大に怒りて直ちに宰
相を殺したり今彼銅盤既に䏻く陛下不治の痼
疾を去りたるも焉ぞ後日却つて為めに大害を
起さゞるを必すべけんやと忠言らしく語りけ
る王は原来智識淺くして黒白を辨ずる䏻はず
忽ち迷ひを生じ賢相の言當れり彼れ必らず劔
を用ゆるの刺客ならず定めて毒藥を用ひて暗
殺するの刺客ならん吾先づ彼を屠戮して其伎

𠈓を施す䏻はざらしめんと朝官を馳せて銅盤
を招かしめけるに銅盤はかゝることあらんとは
夢にも知らす速かに朝に入り来れば王は之に
聲かけて銅盤汝を呼びたる意を知るやと問ひ
けるに臣爭でか知る由あらんや謹んで王命を
待つのみと荅ふ王は其時言荒らかにさもあら
ん汝を呼びたるは我身の汝が絆套(わな)【左ルビ】に䧟らんこと
を恐れ吾先づ汝を殺さんが為めなりと罵りけ
れば銅盤の驚き言ふべからす微臣何の罪あり
てか斯く無慈(なさけなき)命を下し玉ふやと怨するに王は

少しも猶豫なく汝の隠謀既に暴露(ばくろ)【左ルビ:あらはれる】せり汝元来
吾を殺さん為めの刺客なるは我に告る者あり
て疾く之を知れり如何に陳ずるとも宥し難し
と言放ち一員の朝官を顧み速かに敵國の刺客
を曳出して刑に䖏せよと命じたり銅盤は其状
を見て朝臣の中巳【己の誤字】が冨貴尊榮を猜みて王に讒【原文は異体字の谗に近いが、書体がかなり違うので採用せず】
する者あることを悟り再ひ王に向ひ微臣陛下不
治の痼疾を醫したるの功を賞するの法此の如
く苛なるや願くは微臣が露命を生存(ながらへ)しめ玊【原文は誤字で王】へ
若し王微臣を虐殺せは王もやがて其報ひある

べきにと哀訴しけれども王尚ほ之を聴かず否
々吾心既に決せり然らざれば汝の妖術を以て
吾が病を治したる如く又人知れす吾を害せん
こと鏡に照(かけ)て觀るが如しと赦す氣色なく銅盤の
両眼を布もて縛り膝【原文は膝の異体字】/折屈(おりかゞま)しめ劊手(たちとり)後へ【しりへ】に廻り
たる時銅盤再び聲を擧げ、せめて一回家に歸り
葬儀を整へ妻子に訣別(わかれ)【左ルビ】し貧者を恵み微臣珍藏
の書は人を撰んで之を與へ永く世の洪益とな
らしめ其中一本は最も貴重の者なれば是を陛
下に奉獻せんと欲す此書實に世間又あるまじ

き珍品なれば陛下永く之を珍藏せんことを望む
と言ひける時其書に如何なる効䏻ありや其を
語れと王命ありければ銅盤荅へて其書には竒
々妙々/枚擧(かぞへあぐる)【左ルビ】するに勝ゆべからざる諸功䏻あり
其は熟讀せば知り難からす試みに其一を擧げ
んに若し陛下自から其書を開き第六葉の裏に
於て第三行を一讀し玉ひて後陛下試みに問を
出さん時/軀(むくろ)を離れたる微臣の頭顱(あたま)一々之を奉
荅せんと荅へければ王は其書を得んと欲し死
一日を弛べ守兵を附けて家に歸らしめたり偖

て次の日に至れば前代未聞の竒事あるぞとて
文武の百官政㕔に群集し今や今やと待居たる
所に銅盤は守兵に取巻かれ手に一巻の冊子を
捧げ持ちて入り来り其帙を脱(はづ)して敬しく之を
王に奉り盆を請ふて帙を其上に開き載せ又之
を王に奉り。さて云ふ様微臣の頭を刎たる後頭
を以て此盆の上に置かば流血忽ち止まん流血
止む時王自から其冊子を開き第六葉裏面の第
三行を一讀し玉ひたる後何事にまれ問玉はん
に臣が頭顱一々之を荅ふべきなりされども其(そ)

は微臣が願にあらす願くは臣が無罪を亮察さ
れ死を赦し玉はれかしと言葉/曇(くも)りて嘆き請へ
ども王は首を左右に打振り其願は許し難し若
し汝が罪は寃なるにもせよ死後頭顱䏻く言語
するが如き珍事あれば此一事のみにして既に
汝が頭顱は汝が身に添ふを得ざるなり而るを
況んや汝が隠謀あるに於てをや疾く心を決し
て快く刀を受けよと言ひながら彼冊子を受取
り劊手(たちとり)に命して銅盤の頭を刎(はね)之を盆に載せし
めたる處其言の如く忽ち出血止みたり竒なる

かな此時銅盤の頭顱は眼を開き陛下其冊子を
開き玉はんやと言ひければ在聴の衆官驚き怪
まざるものなかりける。さて王は冊子を開かん
とするに葉々/粘貼(かたくつく)【左ルビ】して開き難ければ指に唾し
開ひて苐六葉に到りし處唯白紙のみなれば王
は頭顱に向ひ銅盤苐六葉には一字の讀むべき
なきぞと尋ね問ひけるに尚數葉を開き玉へと
荅ふ王は頻りに指頭に唾して數葉を開きたる
所に忽ち心身脳乱し手足を悶躁(もが)き苦痛を叫ん
て横に倒れ其まゝ息は絶へたりける銅盤の頭

顱は王の倒るゝを見て虐王吾其書に毒藥を貼(つ)【左ルビ】
附(ける)【左ルビ】せり汝の死は吾が計る處なり以て知るべし
凡そ君主其勢力を恃み無辜を殺すものは早晩(いつか)
其報あることをと言畢り王と共に頭顱の命も絶
たりとぞと漁父は語り了り魔君に向ひ若し此
時銅盤の命を助けたらば王も亦永く冨榮を受
けたらんに暴虐なるを以て自から死を招けり
今汝が形状 希臘(グリーキ)王と同じ余曩に哀を請ふたる
も汝之を允(ゆる)さず因て今の苦難を受けたるなり
余汝を愍まざるにはあらざれども已(やむ)を得す斯

く汝を待遇するなりと諭しければ魔君瓶中よ
り大漁翁願くは慈悲を垂れよ古時/炎麻(エンマ)が亜的(アテ)
加(カ)に怨を報ふたるが如きなるなかれと叫びけ
るとき漁父其委曲を聴かんことを求むれば魔君
荅へて若し君其物語を聴んと欲せば吾をして
瓶外にあらしめよ斯く狭小の器中に在りては
呼吸(いき)苦くして語る䏻はざるなりと荅ふるを打
聴て一聲髙く冷笑(あざわら)ひさても巧みに計りたり今
余窮苦の中に世を送るに一段の物語りを知る
も無益なり。いざ此瓶を海底に沈めんと瓶を滾(ころ)

がし水中に投ぜんとすれば魔君大ひに驚ろき
大聲擧げて吾猶一言せんと欲す君若し吾を免
さば汝が願ふ如く冨貴安榮を獲【原文は獲の異体字】せしめんと叫
びける漁夫は冨榮の二字を聴き忽ち自から思
ふ様魔君を永く禁錮するも吾が死を免かれた
るのみ吾が貧乏を救ふに益なし若し魔君の言
に詐りなく冨榮を得たらんには是又/無上(こよなき)幸福
にこそと思案し再び瓶に向ひ汝の言恐くは詐
りならん何を以て汝が詐りなきを證すべきや
若し汝が言眞實ならば上帝の大名に誓ふて其

誠を顕はせ。よも上帝の大名に誓ふたる盟約は
汝と雖ども破り得難からんと問ひけるに魔君
言下に誓ひける漁夫乃はち【すなわち】鉛蓋を再ひ開く所
濃霧上騰すること初めの如く終に魔君其眞形を
現はし脚を擧げて瓶を海中に蹴(け)込みたり漁夫
此 擧動(ふるまい)を見て大に驚きたる時魔君漁夫に向ひ
心を沈靜(おちつけ)よ余が今の擧動は汝を驚かさんと戯
れたるのみいで約の如く汝に福を與へんに汝
の網罟(あみ)を収め肩に荷ふて吾に跟随(つき)来れと命じ
ければ漁夫は尚危ぶみながら魔君に跟随(つき)行(ゆく)に

市中を過ぎ一山の巓を越へ廣野に出でたり茲
處に四𫝶の小山並立し中に小湖を為す者あり
魔君は其湖邉に来りて止まり網を撒(う)てよと命
ずれば漁夫は網を荷ふて湖中を觀る處に魚類
簇(むら)がるが如く鼻衝(つ)き逢ふて浮沈せり然るに怪
むべきは其魚盡く純青。純黄。純赤。純白。の四色を
為し間色(まざり)【左ルビ】の者もなく又/班(ぶ)【斑】色(ち)【左ルビ】の者もなしさて網
を撒ちたるに青黄赤白各色の魚一尾づゝを得
たり手に取り擧げて之を見るに果して未だ嘗
て見聞せざるの美魚なり是を以て市に估(う)らば

必らず多銭を得べき竒貨ならんと獨り大に悦
ひ居たり茲時魔君又漁夫に諭し其四魚を帝宮
に携へば必らず汝が身に餘る多金を得ん尓後【尓(爾)後、じご】
毎日来りて此處に漁するを汝に許さん但し網
を下すは一日に一回にてとゞまるべし然らざ
れは後悔あらん善く注意(きをつけ)よ吾が汝に示すべき
は是のみなり若し汝䏻く吾が言ふ所に従がは
ゞ汝が為に大利あらんと言なから足を擧けて
大地を踏めば大地忽ち左右に開け魔君を中に
入れ終るよと見へける時再び合して裂痕(われめ)も見

へずなりにける
   漁夫の傳《割書:續》
却説(さても)漁夫は魔君の言に従がひ再び網を撒たず
市府に歸り彼四色なる四魚を以て帝宮に齎し
之を奉りしかば帝は希代の珍魚なりと暫く熟(なが)
視(め)玉ひしがやがて一個々々に手に取り擧げ打
返し打返して一時餘り顧眄(わきめ)もふらずあり玉ひ
さて宰相に向ひ此の如き美魚其味も亦必ず美
ならんに近頃希臘王より送り越したる厨婦は
極めて工手(じやうず)【上手ヵ】なれば彼女に命して晩餐に備へし

めよと命じ漁夫には黄金四百両を賜はりけれ
ば漁夫は未だ斯(かゝ)る大金を得たることなければ若
しや夢ならんか夢ならば永く醒ざれと祈りつ
ゝ先づ試みに市に入り物を買ふたる後初めて
其夢ならざるを悟り歡喜言ふべからざりし却(さて)
説(また)厨婦は宰相の命を受け鱗を去り膓を抜き清
水に洗ひ鍋に油を澆ぎ火に上せ既に下面 炒(や)け
得て十分ならん返して之を炒かんと返し卒る
や卒らざるに忽ち見る厨壁左右に拆(ひら)けて入り
来る物あり厨婦驚ひて之を見れば入り来る者

は一婦人にして身には花卉(はなは)【左ルビ】を華麗に刺繡(ぬひとり)した
る絲緞(しゆす)【左ルビ】の上衣を穿ち頚環(ゑりわ)【左ルビ】指環は大なる眞珠を
以て作り紅宝石を嵌(はめ)込たる黄金の臂釧(てくびかざり)【左ルビ】【ひせん、本来は二の腕につける腕飾りのことだがここではブレスレットのことらしい】を貫き
手に一條の杖を執りたるが淡粧濃抹相宜しか
らざるなく眞に天人ならんかと怪まるゝはか
りの容貌あり彼美婦人は徐々と鍋の邉に緩歩
し来り其杖を擧けて一魚を鞭ちなから魚よ々
々汝尚ほ舊約を固保するやいなやと云へども
其魚黙したれば彼女又問ふこと初めの如し其時
四魚齊しく首を擧け唯々(はい〳〵)【左ルビ】若し汝尚ほ記臆せば

吾輩も亦記臆せん若し汝の屓債(おひめ)【屓は負の誤字ヵ】を償(つぐの)はゞ吾輩
も亦償はん若し汝 飛(とび)𩗺(あがる)【左ルビ】せば吾輩䏻く之を制服(おさへつける)【左ルビ】
せん其時吾輩初めて分に安ぜんと荅へければ
彼少女杖を以て鍋を覆(くつが)へし再び折壁(ひらけたかべ)【左ルビ】を過ぎて
歸るよと見れば壁は合して再び舊に復(かへ)り初め
に變ることなかりけり厨婦は是等の光景(ありさま)を看て
驚愕(おどろき)【左ルビ】極まりなく漸く吾に返りて魚を視れば既
に炭よりも黒く焼け果てたり厨婦は悲きこと言
はん方なくたとひ有りしこと共を帝に奏すると
も爭(いか)でか之を實とし玉はん愈々怒りて重き罪

に行はれんこと必せり如何(いかゞ)はせんと悶へ嘆きて
止ざりけり斯(かゝ)る處に宰相は再び厨房(くりや)【左ルビ】に入り来
り調理了りたるやと尋ねたるに厨婦は有りの侭
に之を語り寛仁の處置を願ひたり宰相は厨婦
の物語を聞きて大に驚きたれど之を帝に奏
せす程䏻く其場を執成し直ちに漁夫に人を走
せて前の如き四魚を求めけるに漁夫は明朝之
を奉らんと約し次の朝未明に彼湖に至り網を
下したる所再び昨日の如く四色の魚四尾を得
たりければ約時を違へす宰相に呈しける宰相

は魚を携へ厨房に来り己【巳の誤】が見る前にて彼厨婦
に之を調理せしめたるに厨婦の物語りたる所
詐ならす再び美女来りて魚と問荅すること毫末(つゆほど)
も違はざりければ宰相大に驚き怪み是れ異常
の怪事なり秘すべきことにあらすと。やがて帝に
謁して委曲を奏しければ帝更に四魚を得んこと
を欲し漁夫を召て之を求め玉へば漁夫は明朝
之を獻すべしと約し彼湖に至り網を撒ちたる
處同しく四魚を獲て直ちに之を帝に獻ず帝大
に喜んで再び黄金四百両を賜ひ魚をば内閣に

齎し四戸を閉し宰相をして之を調理せしめ下
面既に炒十分(やけとほり)たりいざ反して炒かんと之を反
したる時内閣の一壁忽ち開け入り来る者あり
帝宰相と共に之を見れば前日と異にして入り
来りたる者は美婦に非ず一個の大黒奴。奴衣を
穿ち大棍を右手に提けたるが禹歩(おゝまた)に走み【「あゆみ」と読むヵ「歩」の誤記ヵ】て鍋
に近づき棍を以て魚を打ながら怖ろしき聲を
發し魚よ魚よ汝尚ほ舊約を固保するやいなや
と問ふ時に四魚齊しく首を擧け唯々若し汝尚
ほ記臆せば吾輩も亦記臆せん若汝の負債(ふさい)を償

【挿絵の下】
彫刻會社製
【図書館の蔵書印】BnF MSS

【白紙】

はゞ吾輩も亦償はん若し汝/飛(ひ)𩗺(よう)せば吾輩䏻【能の俗字】く
之を制服せん其時吾輩初めて分に安ぜんと荅
へければ彼黒奴棍を擧て鍋を覆(くつがへ)し魚を火中に
投じ開けたる壁を過ぎりて歸りたるに其壁。痕(あ)
跡(と)をも殘さず再び元の如くに合したり帝爰に
於て此魚尋常の魚にあらす必らづ竒事の在る
有らんと察し玉ひ漁夫を召し問ふて纔【原文は纔の俗字】かに三
時間可りにして達すべき四座【𫝶】の小山の中央に
在る一湖より得たるを聞き朝官に命じて盡く
馬に騎らしめ漁夫を嚮導(しるべ)となし湖邉に至り見

玉ふに湖水/透(とう)明にして湖中に游泳する四色の
魚類歴々【明かにわかるの意味】として數ふべし帝は其竒觀なるを賞
して久しく注視(みつめ)玉ひしが諸臣に向ひ卿等斯く
竒にして美なる湖の斯く近地に在るを今迄知
らざりしやと問ひ玉ふに衆官口を揃へて目に
觀るは勿論(おろか)聞きたることも候はずと答へけるに
帝又の玉ふ様是實に極めて怪むべき者なり此
湖/何時(いつ)何様の事変ありて忽ち生し又其魚類何
を以て四色なるや其/縁故(ことのもと)を究めざる間は再び
宮に還らじと心を決したりとて衆官を其地に

陣せしめ帝の幕營(テント)は少しく離れ湖岸に傍ふて
張らしめたり夜に入りて帝は其幕營に入り宰
相に向ひ此湖遽かに現はれ此魚竒語を吐き黒
奴吾か内閣に来りたるが如き盡く竒異にして
吾が心為めに穏かならす必す其本源を探り得
んと決心せり爰を以て吾 今宵(こよい)獨り幕營を出で
ゝ之を探らんと欲す賢相は吾が幕營に残り留
まり明日他の宰相衆官等来らば吾れ微恙あり
人を見ることを忌むと告知らせ日を經るとも吾
が歸り来るまでは誰にも其實を洩すことなかれ

と命じ玉へば宰相其過失あらんことを恐れ諫沮(とめる)【左ルビ】
すれども帝之を聴かす身輕に打扮(いでたち)一口の劍を
帶び更闌(こうた)け人靜まるを窺ひ獨り幕營を出で玉
ひ峻險(けはし)からざる一山を越へて平野に出てたる
時は既に日出る三竿の頃なりけり其時四方を
展眸(みわた)すところ遥かに宮殿の見ゆるあり近づひ
て之を見るに黒き大理石を磨きに琢きて築き
立てたる宮殿に水晶かと怪まるゝはかりに輝(きら)
々(〳〵)と照り耀く鋼鉄(はがね)【左ルビ】を以て之が屋とし其結構善
盡し美盡せり帝は是を見て大に喜び玉ひ是亦

一竒觀なりと正門に至り門を叩ひて案内を請
ふこと數遍(あまたゝび)なれども應ずる者なければ摺門(おりど)【左ルビ】の方
に赴く所に一門の開けたるあり帝其傍に佇立(たゝす)
み人の出るを待玉ふに之を久ふして尚ほ一人
の出る者もなかりける帝大に不審(いふかし)み斯く廣殿
華宮の中に人の住するなきや人なければ懼る
ゝに足らす。よしや兇人の住處なるも自から防
ぐの術ありと獨言しながら。やをら摺門(おりど)【左ルビ】を通り
過ぎ長廊(ろうか)【左ルビ】に至りし時再び聲を限りに呼び號べ
ども應る者なければ帝は益怪しみながら進み

て廣廰(しょいん)に至れとも尚ほ人に出逢はず夫より右
に廻り左に廻り若干の室房を過る處に地氊(しきもの)【左ルビ】は
盡く絹帛《割書:古事亜細亜西邉及び西洲にて絹帛を|得る甚難く絹布を以て最も貴重の品》
《割書:となせり「シーサール」東征より歸り絹布の|上袍を穿ち朝官を驚かしめたることあり》を以
て製し寝室卧床は「メッカ」《割書:亜刺比亜|の大市》織を以て覆(おほ)
ひ戸帳は金銀を以て刺繡(ぬいとり)【左ルビ】したる印度「シャール」
を以て製したり帝尚ほ進んで深く入り玉へば
一室あり此室の中央に瀑布(たき)の下るあり何處よ
りか落るやらんと觀る所に四隅に一個/宛(づゝ)の大
獅あり各黄金を以て之を製したり各獅の口よ

り數千の金剛石ならすば必ず數万の眞珠なら
んと怪しまるゝばかりなる數千條の水を噴(は)き
出し室の中央に湊合(あつまる)【左ルビ】して一條の瀑布を成せる
なりさて四方を觀る所に此城には園庭甚多く
中に各種の嘉花竒木を栽へ又珍禽群を成して
飛鳴し鳥の飛び去るを防ぐ為ならん黄金の罔
を園上に張れり帝は其構造の壮美を驚きなが
ら尚ほ若干の房室を打過ぎ玉ひたる時夜前よ
りの倦怠(つかれ)を覺へ玉へば暫く休憩(いこは)んと遊廊に𫝶(す)【左ルビ】【座のJIS標準外の異体字、入力タブで文字化けするが閲覧タグでは表示される】
下(はる)【左ルビ】し園面を望み玉ふ所に忽ち聞く壁を隔てゝ

悲號する者あり耳を傾け聞く所に噫(あゝ)保留丹(ホルタン)神
よ《割書:保留丹は|善神の名》助け玉へ汝既に己が快樂を計らん
が為め吾を久しく苦しめたり最早吾を苦しむ
ることを止め速かに吾を殺して此苦悩を免がれ
しめよと言ふ聲手に取る如く聞へたり帝は此
號聲を聞き直ちに起立し聲を嚮導(しるべ)に一室に至
り戸帳を取りて蹇(かゝ)【搴】げ擧げ室内をさし覗(のぞ)けば小
髙き玉㘴の上に一人(ひとり)の少年あり衣服美々しく
装ふたるが面㒵衰へ深き憂のあるに似たり帝
之を見進んで礼を施こせしに彼少年は起立せ

ず但其頭を下低して答礼し。さて言ふ様何人か
は知らざれども余が無禮を恕(ゆる)し玉へ吾身不幸
にして竒禍に逢ひ正禮を行ふ能はすと言葉静
かに演(のべ)けれは帝は答へて汝の擧動(ふるまい)【左ルビ】如何んに関
せず既に汝の講情(いひわけ)【左ルビ】あり余身に於ては猶ほ敬礼
を受けたるの想あり余が此處に来りしは今彼
處にて汝が悲號を聴き特に汝を救助せんとの
為めなり我をして此地に来らしめたる者は上
帝の誘引に因れるならん故に余上帝の大命を
奉し力を盡して汝を救助せん。されども先づ吾

が為めに此城に近き湖水のこと又其魚の四色な
ること又此城の此處に現出したるは如何なる由
縁なるか何を以て汝獨り此城に住するやを詳
説し玉へと請はれにければ彼少年は言葉なく
唯悲涙を浮べながら其/上袍(うはぎ)を蹇(かゝ)【搴の誤字ヵ】げ擧げたり帝
之を見れば怪しむべし此少年は胸部より以上
のみ人にして胸部より以下は黒き大理石(マーブル)【左ルビ】と化
したりけり帝は之を見て彼少年に向ひ汝の吾
に示したる者は愈々 竒怪(ふしぎ)なり先づ汝の傳記(みのうへ)を
余に語られよ湖と云ひ魚と云ひ必ず汝の傳記

と相関する所あらん速かに物語りて余が疑心
を晴さしめんことこそ願はしけれ又世間不幸の
事も其艱難悲愁を人に告るときは少しく其れ悶
欝を軽減(へらす)【左ルビ】することを得るものなりと諭し玉へば
少年は熟(つら〳〵)之を聞きさて云ふ様慎んで命を奉ぜ
り言永く共余が悲しき傳記を聞き玉へ
   黒島王の傳
此國は黒島國と號し余が父 眞父武土(マフムード)は之が國
王たり其黒島國と名づけたる由来は君が見た
りし四山より出たり彼の四山は徃日(さきごろ)までは皆

海島にて彼湖の在る處は正に吾が父の都城な
りき余が父死して余位を繼き従弟女を迎へて
妻となし琴瑟在御(ふうふなかよく)【左ルビ】偕老同穴を約し最樂しく五
年を過せしに爰に不快の一事出て来たりけり
一日午飯も果て吾が妻沐浴せんと出行き余は
一睡せんと卧榻に横はり二人の侍女をして前
後に在らしめ毛扇をもて暑氛を殺(そ)き蒼蝿を拂
はしめ目を閉ぢ睡れるが如く他事を思考(かんがへ)居た
りしに侍女等は余が熟睡せると思ひてや聲を
低(ひそ)めて私語(さゝゆく)を聴けば一女先づ口を開き斯く可(いと)

憐(しき)王を嫌ふて他人を愛するとは王后/錯(あやま)てり王
后は是非を辨せざる者に似たるにあらすやと
言ふに一女答へて然り汝の言當れり然れども
王后宮を出で他に行くは毎夜の事なり王の知
らざることはよもあらし知りて恣にせしむるは
最(いと)不審(いぶか)し是れ眞に觧すべからざる事なりとい
へば先の女又答へて王如何にして知る由あら
んや王后は何やらん草液(くさのしる)【左ルビ】をもて酒に和し毎夜
之を王に飲ましむるが故に王は忽ち先後も知
らす死睡し王后の出入を知らず黎明(しのゝめ)の頃に王

后は歸り来り王の鼻に香氣ある物を當つれば
王は忽ち睡醒るなりと語りたる時余新たに眠
り醒めたる假態(おもゝち)して眼を開きければ侍女等は
口を閉ぢたりさて余が妻は沐浴より歸り来り
晩餐を果て卧床に就かんとする時 例(つね)の如く自
から一杯の酒を持来れは余は其杯を把りなか
ら庭面(にはもせ)を觀る假態(ふり)して密に之を窓外に溉(そゝ)ぎ了
り一滴も餘さす飲盡したるを示さんが為め特(わざ)
と其杯を吾が妻に還し與へて直ちに卧床に横
はり熟睡せるふり做せしかは吾が妻は。やがて

起き上り美服を着飾り香を薫(くす)べさて余に向ひ
死睡せよ死睡せよ汝の睡り終身醒めざれ吾既
に汝を厭へりと數遍繰り返し室を出で去りた
る時余も亦直ちに飛び起き手早く衣裳を引き
披(かけ)劍を提げ足を極めて逐ひかけしかば忽ち前
面に履響(くつのおと)【左ルビ】聞へたり近付ひて悟られじと是より
歩(あゆみ)を緩め見へ隠れに随ひ行くに吾か妻門に至
れば輙(すなは)ち何やらん咒文を唱ふる所忽ち門は左
右に開けたり斯くして數多の門を過ぎ終りに
園門に至る時も亦先の如く咒文を唱へて中に

入りたる時余は此門にて留まり暗夜なれども
眼を凝(こら)して覗(うかヾ)へば吾が妻は林の中に歩み入り
たり其林は密樹をもて生籬(いけがき)とし門外より進み
近づくべければ是れ幸ひと路を違へて門外よ
り茂林に達し籬外に身を躱(かく)して覗ふたるに吾
が妻は一個の男と伴なふて行々物語るを聞け
ば妖術をもて土地人民を滅絶し二人して憚る
處なく世を送らんことを計るなり是時余怒りに
堪へ兼ね劍を抜き持ち躍り入り其男の背を斫
しかば其男は苦(あつ)と一聲叫びたる儘忽ち仆れた

り余が妻は親族なれば手づから殺すべき者な
らすよりて之を許し足早に籬外に走り出でた
れば吾妻は其情郎を害したる者の誰人なるを
知らす只悲み叫ぶのみなれば余は心地よく直
ちに宮裡に歸り卧し。そしらぬ風(ふり)して卧床に横
はりたり余が斫りたる創は最深くして忽ち死
すべき程なるに吾か妻の妖術を以て其生を尚
ほ保たしめ死とも云ふべからす生とも云ふべ
からす恰かも是れ入定の有様となし一處に隠(かく)
匿(まい)おき。さて夜も明け方に近き頃歸り来りて吾

を醒し両親及長兄の死報を聞きたるとて䘮服
を着し大小/悲(かなし)み號び為めに一廟を建てゝ時々
參詣せんことを乞ける余其/虚誕(いつわり)たるは知るとい
へども其情郎を害したるは余が業なることを察
せられじと故(わざ)と其孝心を賞し之を允(ゆる)し壮嚴を
極めて一廟を建て圓屋を備へ既に峻功(できあがり)たる時
之を墮涙廟と名けたり彼處に見ゆる圓屋即其
廟なりと帝に指さし示しさて吾が妻は姦夫を
墮涙廟に移し其後廟に詣(もふづ)ると號し朝夕彼處に
往き姦夫を看護(かいほふ)したり吾妻廟に篭り初めたる

より數日を過ぎたる頃余其/光景(ありさま)の如何なるや
らんかそを見聞したきこと堪がたければ密かに
廟裏に入り窺ふ處に吾が妻は半死半生にして
㘴卧も自(み)からする能はざるのみか言語さへも
不自由にて宛然(さながら)唖の如くなる黒奴に體し最/懇(ねんご)
ろに慰めつゝ心を盡して看護(かんご)するを見て再び
憤怒を忍び難く奸夫姦婦を誅せんと劍を抜き
持ち跳り入りたる所に吾妻は少しも恐れず冷(あざ)
笑(わら)ふて左程に怒り玉はすともよからんにと云
ながら咒文を唱へ又聲髙 ̄ニ吾が妙術を以て汝を

して半石半人たらしめんと云かと思へば今君
の見るが如き淺間敷形と変じ死躰は生人と伴
なひ生躰は死人と連なれり彼の毒婦余が形を
是の如くなしたる後余を此宮に移し我が都府
を滅ぼし宮殿を消滅し人口稠密にして繁昌な
りし國をして今君が見る如き湖水不毛の地と
変ぜしめたり彼の湖中四色の魚類は元来四教
徒の市人なり乃ち白き者は回々(マホメツト)教徒にして赤
なるは火を拜するの比耳西(ペルシヤ)教徒なりし又青き
者は基督(キリシタン)教徒にして黄なるは猶太(ジユデヤ)教を奉ずる

者共なりし余が是等の事共を知る者は余が悲
痛を増さしめんが為め毒婦が口づから余に告
知らせたるに因れり毒婦余に仇する是に止ま
らす尚ほ日々に来りて衣裳を褫(うば)ひ裸躰(はだか)【左ルビ】となし
背に一百の鞭を啖(くら)はしめ流血常に身に徧き【読みは、あまねき】に
至りたる後山羊の踈服【そふく、粗末な服のこと】を肌上に蓋ひ其上に此
刺繍衣(ぬいとりぎぬ)【左ルビ】を掩ひたり其刺繍衣を掩ふ者は吾を敬
ふが為ならす唯吾を嘲侮せんとする者なりと
語り畢りて少王は悲憤の涙止敢す聲を放つて
泣伏しける帝は始め終りを熟(とく)と聴き共に感傷

やるかたなく手を拱ぬき頭を垂れ黙し玉ひた
り暫時(しばし)ありて少王天を仰ひで大息し吾が今日
の不幸は決して人事ならす必らず天意に依れ
るならん是を以て苦悩を忍んで人天を恨みず
只願くは上帝吾が誠心を鑑みて将来の幸福を
與へ玉へと祈念しける是時帝は少王の資質(うまれつき)善
良なるを知るからに。愈(いとゞ)不愍やるかたなく。いか
で為めに怨を報ぜしめんと心を決(さだ)め少王に向
ひ世間君が如き危禍に苦しめらるゝ者二人と
はあるべからす唯君の傳記中に尚ほ一事の不

足する者あるを覺へたり其(そ)は他にあらす即ち
復讎の一事なり余必らず力を盡して君が為め
に復讎を謀らんと此地に来りたる一五一十(いちぶしぢう)を
少王に告げ復讎の計策を相謀り毒后毎朝少王
を苦めたる後姦夫を見舞ふこと及び姦夫が言語
する能はざるを歎く等のことを聴得て帝忽ち一
計を工夫し少王に示しければ少王甚だ之を悦
び明日其事を行はんと帝は夜も䦨(ふけ)たる時少し
睡眠(まどろみ)玉へども少王は妖婦に魅(み)せられてより以
来一刻の睡もならざれば帝の為めに周夜(よもすがら)警備(こゝろづ)

け其復讎の成否は期すべからさるも尚ほ一点
の冀望【きぼう】なきにあらざれば僅かに慰むる所あり
て最(いと)賴母敷(たのもしく)覺へ玉ひけり斯くて帝は次の朝。曉
と共に起き出て玉ひ其計を行はんと上袍(うはぎ)を脱
ぎて軽装(みがる)に打扮(いでた)ち時を計り墮涙廟に【「に」の左側がやや消えていると判読】至りて見
玉ふに内には數万の白蝋燭の火把(たいまつ)【左ルビ】を尚ほ煌々(こう〳〵)
と燭(とも)し連ね數千個黄金の香爐よりは數千條の
烟り上騰(あがる)【左ルビ】し妙香鼻を衝(つ)きたり帝は直ちに進ん
で後堂(おくざしき)【左ルビ】に至り見玉ふに姦夫なる黒奴は唯獨り
死するが如く生けるが如く卧榻【がとう、寝台のこと】に横はり居り

たり帝は之を一刀に誅戮し之を程近き井の内
に投げ棄て再び返りて姦夫の卧榻に横はり劍
を懐ひて待構へたり再説(さてまた)少王の宮には帝の出
てたる後 少間(しばらく)ありて妖婦なる王后は黒島王な
る丈夫の室に入り来り少王の哀を耳にも入れ
す其苦を叫び痛を呼ぶを見て心地善げに汝吾
が情郎をして彼の状となしたるは情ある處置
と云ふべきや然るを奈何ぞ獨り汝を遇する苛
虐ならざるを得べけんやと嘲けりながら一百
の鞭笞を背に負はせ了はり山羊の踈布【疎布:そふ、あら布のこと】を肌上

に蓋ひ其上に刺繡の美服を被せ踵を旋らして
墮涙廟に至り閾を越へて入り来りながら伏し
たる帝を情郎(おもふおとこ)【左ルビ】なりと思へばや聲 曛(くもら)【曛について、5コマ3行目の明け方の「明」の篇と同じなので日篇と判断】せて君こそ
は妾が腹なり光なり又精神(たましひ)とも思ふなるに恒(い)
常(つも)一言の返し言なきは餘りに情(なさけ)なし今朝こそ
は一言の返言して妾が悲みの眉を開かしめ玉
はれやと聲を擧て號(なげ)きければ帝は黒奴に假(に)せ。
さも疲れ果たる如き聲音にて一言答へけるに
妖婦は天に欣び地に喜び可憐夫(いとしきつま)よ今聞きたる
言は吾耳の過(あやま)ちにはあらすや眞に君が口より

出たるにやと喜んで手の舞ひ足の踏ところを
知らす進み近づかんとする時帝は可笑(おかし)さを保(こら)
へ猶(なほ)黒奴の聲音に假せ毒婦め汝と談話(ものいふ)は最(いと)穢(けがら)
はし疾く何處へなりと出て行けと答へければ
妖婦忽ち哀み號【読みは「さけ」び、號の旁の虎が異体字の乕となっている】び君は汝を罵り玉ふや最(いと)怨(うら)め
し何事の氣に逆(さか)ふてか斯く怒りを起し玉ふや
と問ひ返せば帝又/低聲(こゞへ)に汝日毎に汝が正夫を
呵責(かしやく)し其哀號天に通じたるを以て吾が病勢の
治癒を妨ぐるなり否(しか)らざれば既に吾が病は昔
し話しとなり又吾が舌は既に圓滑昔の如くな

りしならんに汝が此悪行の為に吾が舌縮(しゞ)まり
身は疲れ平生(いつも)聲の出で難きなりと答へ玉ふ滛【滛は淫の異体字】
后再びさらば吾れ彼をして元形に復せしめん
然(さ)ることとは知らすして今迄多少の辛苦せしは
吾ながら愚なりき又吾が所天(おつと)も早く之を告げ
られざりしは可恨(うらめし)くこそ候へ吾が先夫を元形
に復さんは君の情願より出たるやと問ひ返す
に帝又答へて然り速に彼を濟へ。さらば吾が病
は頓(とみ)に平癒すべきなりとの玉へば滛后直ちに
墮涙廟を出で王宮に入り盃に水を盛り咒文を

唱ふれば其水/忽地(たちまち)沸騰せり妖后直ちに少王の
室に至り其水を少王に濺(そゝ)ぎながら若し造物主
汝を罪して此形と造りしならば此形を変ぜざ
れ若し吾が妖術を以て此形と変ぜし者しなら
ば汝が天賦の形を再受し元形に復れと唱へ了
りたるよと思へば少王忽ち元形に復り起立し
て恩を上帝に謝したる所に妖后は王に向ひ速
かに此宮を出て去り再び歸り来るなかれ若し
再び歸り来らば其時決して赦さじ疾(とく)々と追立
られ少王は是非なく宮を出で起手(てはじめ)既に思ふ如

くなれば後事も失敗(しそこな)はじと想へども尚覺束な
く上帝に祈り後の安否如何と待居たり妖后は
足を空(そら)に墮涙廟に走(はせ)歸り尚ほ榻上の帝を情郎
なりと誤信(おもひたがへる)【左ルビ】しければ聲を擧げて可憐夫(いとしおとこ)よ既に
君の命に随ひ事果てゝ歸り来れり君の容体如
何んぞやと問ひける時帝は猶黒奴の聲を假せ
聲音(こはね)低(ひく)く汝が為せし事未だ全く吾が病を平癒
せしむるに足らす唯一半の苦惱を去りたるの
み汝速かに根本を撃打せよと命じ玉ふ妖后/不(いぶ)
審(かしみ)ながら根本を撃打するとは何事ならんや觧

し難く候と問ひければ帝又汝尚ほ觧せざるや
乃ち都府國民四島等汝が妖術を以て壊滅(ほろぼ)した
る者を云ふなり彼の魚類毎夜頭を擡(もた)げて上帝
に哀訴し復讎を計りたるもの亦吾病の長く癒
へざる由縁なり疾く行きて萬物を元の形に復
すべし斯く為し果て歸り来らば吾れ其時吾手
を汝に與へんに汝吾を助けて起立せしめんや
と尚黒奴に似せての玉へば妖后此言を聞き情
郎の平癒目前に在りと喜び勇んで吾が心膓な
り精神なる可憐夫(かれんぷ)よ汝の平癒は時を移さじ悦

びて待玉へと言ひながら再び墮涙廟を出で湖
畔に至り手掌に水を掬し二三語の咒文を唱へ
ながら湖面に濺ぎける所見る間に都府現はれ
出て魚類は盡く回々(マホメツト)。基督(キリシタン)。比耳西(ペルシヤ)。猶太(ジユデヤ)。の四教徒
となり老少の男女一時に現はれ中に主あり奴
僕あり家として人あらざるはなく人として財
産を保たざるはなく萬事変形以前に在りし者
と異なることなし帝に従がひ来りたる宰相以下
諸従僕等湖畔に陣を張りたると思ひたる者遽
かに廣大華美にして人口稠密なる一都府の中

央に立ちたるを見て驚愕せざる者なかりける
再説(さてまた)妖后は萬物を回復し直ちに墮涙廟裏に歸
り入り吾が可憐夫よ一々君が命の如く成し果
てたり。いざ起立して君の手を與へ玉へよやと
呼びければ帝は仕濟したりと喜びさらば近く
寄り玉へとの玉ふに妖婦は喜びながら近寄り
来るを待付け忽ち俄破(がは)と蹶(はね)起きて左手に妖婦
の手を把(とら)へ右手に劍を揮ふて薙(なぐ)ところに妖婦
の身軀は腰より別れて両段(ふたきだ)【左ルビ】となり一半は戸外
に僵(たふ)れ一半は戸内に落たりけり帝は思ひの儘

に仕遂げたれば喜悦限りなく死骸を其儘打捨
て置き墮涙廟を出で黒島王に尋ね逢ひ君が仇
敵既に吾が手に死せり怕るべき者更らになし
是より君は妨碍(さはり)なく都城に住することを得べし
唯吾と共に吾都に来ることを煩(はづら)はさんのみ君も
定めて知らん比隣の地なれば敢て否み玉はじ
吾國に来り玉はゞ國人必らず君を敬待する猶
ほ君の臣民の如くならんとの玉ふに少王敬ん
で吾が大恩ある宇宙の大君たる陛下のゝ玉ふ
言を考ふるに都府相接すると思ひ違ひ玉へる

と見へたりと怪み問玉へば帝又唯三四時を費
さば速かに達すべきのみとの玉ふ少王忽ち悟
り陛下此地に来り玉ふことの斯く容易(たやす)かりしは
吾國妖術の為に縮小されたればなり然るに今
既に妖術除き萬物古に復りたれば早行夜宿(はやくおきおそくとまる)【左ルビ】も
尚ほ一年の久しきを費やさん。されどもたとひ
地は遠く路は険(けは)しく地極より地極に至る旅途(たびぢ)
なりとも爭でか恩人の随行を否まんや吾れ不
才にして報恩の術を知らず唯吾が身を君に任
せ國家を捨るも悦んで陪行せんとの玉ふに帝

は思はす身は斯く遠地に来りたるを聞き驚き
玉ふこと大方ならざりしが暫くありて少王に向
ひもし君を得て吾が子となすことを得ば斯る長
途の勞を償ふに餘りあり吾に子女なし是を以
て君を請ふて嗣子となし吾か帝國を譲らんと
欲するなり。若し承諾あらば吾身の大幸なり君
に取りても敢て不利ならじいざ同行し玉へと
説勸め玉へば少王は悦ぶこと限りなく父子たら
んことを約し宮裏の重宝を一百頭の驢馬に負せ
騎士の精鋭なる者五十人を従がへ帝諸共に黒

島國を打立ち長き旅路も障碍(さはり)なく既に都に近
づかんとする前數日に人を馳せ歸都を報し兼
てその遅延の由縁を告しめければ大臣初め満
城の臣民數を盡して出迎へ大臣等は先づ國中
の平穏を奏し市民は帝の恙なきを祝して數日
の間歡び歌ふ聲/都城野村(みやこもひなも)【左ルビ】に充満せりさて帝は
其次の日百官を集めありしことともを精く説知
らせ黒島王を養ふて嗣子となすべきことを令し
少王は帝城に留まり黒島國には大臣を派遣し
て之を治めしめ官等に随がひ臣民に賜與する

こと各其/差(しな)あり帝は此時尚ほ彼の漁夫を遺忘せ
ず此/回(たび)數十万の生靈を救濟したる大功業も其
本は彼に因れりと漁夫を召して美服を賜ひ家
に二女一子あるを問ひ知り一女を自からに一
女を太子に娶り其子をば出納官となし漁夫は
當時の豪冨中の冨者と称され二女は長く帝后
となり共に冨貴安樂を得たりと世の口碑に傳
はり【別本より判読】たりと助邉良是土新皇后は最(いと)面白く語り
卒(おは)り又帝に向ひ若し漁夫の物語りを以て之を
担夫(にもち)【左ルビ】の物語に比すれば未だ甚だ竒とするに足

らす候との玉ひければ帝愈興あることに覺へ玉
ひいざ疾く其担夫の物語りを語り繼ぎ玉へと
耳を傾け促(うな)し玉ふ新皇后果して何等の竒談か
ある看官之を次編に會せよ



《割書:開巻|驚竒》暴夜物語巻之二《割書:終》

【奥書】
暴夜物語 次編近刻 BnF MSS【蔵書印、フランス国立図書館BnFが所蔵する写本を示す】
明治八年五月七日官許
發兌 東京亰槗【京橋の異体字】銀㘴三丁目
書肆 山城屋政吉

【裏表紙の見返し】

【裏表紙】

【背】

【上小口】

【前小口】

【下小口】
暴夜物語二【小口書、右からの読み】

BnF.

《題:ひともと菊《割書:下》

ときはひかしのたいやゆきしそく申
さんといひけれははりまの三位申やう
宮の入せ給ひけるかさらは申給へよこの
ひる程に浅ましき事こそ有つれ
さへもんのつほねこんの少将申けるは
宮のかよはせ給ひ候へともかなふへくも
候はすこれ程にならせ候へはいか成ふしの
さもあらんに見えさせ給ひて我〳〵
おもはこくみ給へと申せはひめきみ聞 
入たまはす候ひつるをやかてくるまよせの

せまいらせておいするほとに浅まし
くて宮の入せ給はゝいかゝ申へきそと
申けれと返事もせす行ゑもしらす
出させ給ひて候あさましき事にてさ
ふらふと申給へと有けれはときわ
まいり此よし申けれはさやうの事
はよもあらしはりまの三位かしわさ成
あはれ兵衛の介なかされし時取いたして
いつかたにもおかんと思ひし物を心を
くれしてうきめをみるかなしさよいかな
らん有さまにてうしなひつらむいまた命
もあるらんはかなくもなし参らせつらんと
ちゝに御心をくたかせ給ひて爰かしこを
御覧しけれ共物のくそくなんともした
ためすたゝかりそめに出たる様なりと
ひめきみおはしましたる所をなつかし
くおほしめしてはらく御さまりけ
れとも人なけれは御心にもそます
なくさみもをはしまさすこ覧しまは
し給ひけれはきちやうのひほにむ

すひたる物有取て御覧しけれはひめ
きみの御手にてかくなん
 うき人になをさしそへてかなしきは
 たゝつれなきはいのち成けり
身はうきふねのよる方もなく成ぬる
なりいかにも聞しめす事あらは後
世たすけ給へとそかゝれたり宮是を
御らんしてあはれやすからぬ事かな
とおほしめしはりまの三位をいかに〳〵と
うたかわせ給へとも今の御門の御めのと
にてかたをならふる人もなし思ふともかな
ふまし今たゝうちしつれ御なみた計
なり御名残もをしけれはこれにてよ
をあかさはやとお覚しけれとも三
位をる?ましくおもひてうちにてわら
はん事もはつかしかへらんとおほしめし
て御くるまにのりみやす所へ帰り給ひ
てより後はひんきも聞しめさす
しのひの御なみたはかりやるかたも
なし扨そのとしもやう〳〵暮あ

くるやよいの比にも成しかは宮のはゝによ
うご聞しめしいかにや宮の御なやましけ
にわたらせ給ふいかゝしてなくさめ参らせ
たまへ春のあそひにはまりに過たる物
はなしとて大内にしかるへき人〳〵参り
てみやの御内にて御まり有人々はよろ
すの御あそひにも兵衛の介とのゝ御
事おほしめしわすれ給ふ事なし
いか成御やうたいにてかをわすらんと
みななみたをなかさせ給ふ中つかさの
中将のたまふやうされはこそししうのな
ひしみかとにたにもなひき給はぬか
此ひやうゑのすけにあひそめてしのひ〳〵
にかよひけるかあかぬわれをかなしみ
て御宮つかひもしたまはてたゝつほね
になきしつみゐたまへなと申給へは
宮聞しめしてけにやしゝうのなひ
しははかなきよしをきゝし物をなつ
かしくこそおほゆれいてやとふらはんと
て御なをしあさやかにめして大内へ参

給ひけり扨もまつかのつほねを御覧し
けれはなひしは柳五つきぬきてさく
らつくしのこうちきもみちきぬかた
はらにぬきてをきひき物によりかゝ
りうちふしたるまくらにより給ひて
おはしける宮仰けるやういかにやおな
しゆかりと思ひ給へよとふらはんと
てまいりたりとのたまへはなひし
うけたまわりひやうふきやうの宮に
てわたらせ給ふにやとてもみちきぬひ
きてちとなやむ事にてふして候と
何となく申てうちそはみたるけし
きひやうゑのすけおもひつきけるも
事わりなりされとも我うしなひて
なけく人にはおとりたり人を御覧
つるにつけてもひめ君こひしくお
ほしめしけり又かたはらを御らんしけれ
はやなきかさねのあふきありけるを
何となく御覧しけれはけんそうの
やうきひとつれさせ給ひてりんそう

きうに御ゆきなりなんてんのうちや
う〳〵しつまり物すこくしてけいしやう
うんかくの袖かせにひるかへすたひに
たへまのかさりくもる成のちにことな
らすちやうせいてんに出給ひみかとや
うきひのてをとり給ひて天にあらは
ひよくの鳥と成地にあらはれんりの
ゑたとならんとちきり給ひてたち
ける所をあふきに
     かゝれたり

【挿絵】

宮これを御覧すれはなひし申けるはむ
かしもためしあれはこそゑにもうつ
しつたふらん今人ことにかなしき恋
をするとて
 やうきひのことつてしけるむかしより
 いきてわかるゝ我そかなしき
と申けれは宮いまよりはかよふにい
ひてこそなくさみ候はんつれとてゆかり
の草とおもひ給へとせんしありけれ
はなひしあらかたしけなやとそ申ける
扨宮かへり給へは人こそおほけれはりまの
三位まいらせてうちゑまいり御門に申
やうひやうふきやうの宮こそなひしの
本へかよはせ給ひ候へかのないしをはせん
し成て四位の少将にあはせたひ給へと
申けれはひやうふのつほねこれをきゝ
てないしのつほねにかたりけるやうさん
みこそしか〳〵との給ふなれと申給へは
ないし心うやたれゆへにあかぬわかれ
をして物おもふ身とはなりぬるそや

これにかくて候はゝいか成事も候はぬさ
きに大りを罷出んと思ひ候なりうれ
しくもきかせ給ひ候物かな此世におゐ
ていかてかわすれまいらせんやかてまかり
出候はんとのたまへはひやうぶ御名残をし
みなき給ふなひしめのとのもとへ文を
つかひ給ひてちとかせの心地有しは
らくいたはらんとおもふ成のり物いそき〳〵
とかゝれたりあはてゝくるまをまいらせ
けれはなひしさすかになこりをしくて
我十三よりまいりてことし七ねんに成
そかし何と仕ける御宮つかひのはて
そやとかなしみてしはらく出もやら
すみくるしき物ともとりひそめいて出
けるころはやよひ十日あまり事なれは
おほろ月花のこすえにまかひてことに
あはれに見えしかはひやうぶのつほね
かくなん
 我あらはなをたちかへれ春かすみ
 うらみにおもふ雲ゐ成とも

とゑいし給へはまたないしも
 春かすみたちはなれなは雲にいり
 月に出るとめくりあふへき
かやうにうち詠なひしなく〳〵くるまに
のり出給ふめのとのもとにゆきつきて
そのまゝうちふしなくより外のことそ
なきさるほとにその年の暮にめの
としよりやう【所領】たまわりてないしの枕に
たちより申やうふんこ【豊後】こそよろこひ
にあひ候へさつまの国をたまはりてこそ
候へたゝならはかくはかりよろこふへきに
候はねともゆへなくなかされ給ひしひ
やうゑの介とのおはしますかたにて候
とても御宮つかひもすさましくを
ほしめし候はゝ思ふにはとら【虎】ふすのへに
くしら【鯨】のよる島と申ためし候なり
出させたまへさつまの国えく【具】しまいら
せんと申せはないしよろこひて父はゝ
にかくれめのと斗【計-ばかり】をたのみやよひ廿日
比に都を出いつしかならぬふねの内のすま

ひを心ほそくあけぬくれぬと行程に
さつまかたへそつきにけり国のしんはいま
つり事然るへきようにしてめのと人
にとひけるはなかされ人すみ給ひ
つる所やしろしめしたるかをしへ給へ
とありけれは人の申やうなかされ
人わたり候
   ところは是よりほとなく
    はつか廿四てうと申
      けれは

【挿絵】

めのとよろこひひめきみに申やう
御文あそはしてまいらせ給へこれよ
りほとなく候と申けれはないし
取あへす
 身をすてゝみるめかりにやあた波の
 うらまてふねをいそきけるかな
おほろけにやなんとゝかゝれたりない
しのめのと子にいまたはらはにて
ありけるをめしてこれをもちてまいれ
とてよくをしゑてまいらせけれはかの
所へたつねゆきひやうゑのすけとのに御
文をまいらせけれはよろこひ給ふ事か
きりなしやかて返事あり
 あたなみの浦にいか成ちきりして
 身をすてゝのみみるめかるらん
とかくの申ことなしたゝいそき〳〵入
せ給へとかゝれたりめのとよろこひ
てあしろのこしにのせ奉りておはし
ますないし御覧しつれは磯へにかけ
たるいゑのさすかよし有てゐに見えた

りいその春風いと身にしみ給ふらん
かゝる所にをはしたるよと見るに
なみたもとゝまらすたかひにやせく
ろみたる恋のすかたにてとかくの
こと葉も出すやゝありて御物かたり
有わかれしよりいままての事とも
かたり給ひけれはよそのたもと
もしほりけりさるにても都には
何事か候ひつるととひ給へはなひし
申給ふ三条のひめきみこそうせさせ
給ひて候へみやはたゝ一すしの御物
おもひにてくこ【供御】も聞しめさすとかた
り給へは兵衛の介殿なひしにあわせ
給ひ此ほとの事ともすこしはるゝ
心ちしたまふにいもうとの姫君うせ
たまふときゝ給ひて又かきくらす心ち
してあはれさたとへんかたもなし思ひ
つる物を命をやうしなひつらん又いかなる
物にもとらせてやあるらん今は此世に
あらしされは今一とあふ事もかたかる

へしさらはしゆつけをもしたゝ一すち
に此人の後世をとむらははやと思へとも
ちゝはゝにもかくれわれを頼くたり給へ
るないしをうちすて奉り候らはんもさ
すかにおほえていまはしら?〳〵【他本「いましはらく」】ほとへて
いかにもならんと覚しめしいままては
まひ日御きやうよみ給ひともそのゝ
ちは御きやうよみ給へ共いもうとの後
世たすけたまひ給へと朝夕いのらせた
まひけるさるほとにひめきみはきや
うにて四条あたりにをしこめられて
なきふし給へりそのいゑのあるしのし
たしき物はりまの国のもくたい【目代】にて
有折ふし此家に入けるかすきまに
此さしきのかたを見るほとに姫君を物
こしにみ奉りあらいつくしやと思ひ
うちへ入まついふへき事はさしをきて
此さしきにはいかなる人のすみ給ふや
らんさもいつくしきすきかけ【透き影】の見えつ
るはといひけれはあるし申やうあれは

やこやとなき人の世をしのひておはします
とかたりけれはあわれとかむる人をわ
せすは我にあわせ給ひかしたれもい
ちことほしき事あらせしと申けれ
はあるし思ひけるははりまの三位はい
かにしてうしなひ奉らんとのたまへ
ともいたわしさにあかしくらすなり
さらは此人にあわせはやと思ひむす
め十二三はかり成をよひてけふはさしき殿
へまいり御みやつかひ申て夕さりは
しやうしのもとにふしてかけかねはつ
しあの人をいれまいらせよとよく〳〵を
しえけるれいならすきりめきはたらき
けれはこんの少将あやしくおもひて
此物をすかしとはんと思ひうれしくも
まいりたりなとや此程は参らさりし
そ今よりは我をおやと思ひていわんこ
とを何事も人にかたるなよ我も人
にかたらしさるにてもさき〳〵は参らさ
りしか何のやうにまいりたるそとひ

とつもへたてす有のまゝにかたれよ
ゆめ〳〵人にいふましとさま〳〵にとひ
けれはをさなき物にて何心なくありの
まゝにそかたりける姫君きゝもあ
ゑすなき給ふこんの少将あらうらめしの
御事や兵衛の介とのなかされ給ひし
時つゆともきゑさせ給ふへきに今
まてなからへさせ給ひてかゝるうきめを
御覧する事のかなしさよねかわく
はかみ仏たすけ給へといのりけるこ
そあはれなれけふは日も暮すして
あれかしとねんしけれともかひそな
きさる程に日もくれけれはこんの少将
おさあひものを我あとにふさせて姫
君をはさへよりあなたへやりまいら
せて我身はひめきみのおはしける所
にふし夜にかく成ぬれは火をしやうし
よりあなたにとほしてかけかねよく
かけたら清水のかたへむかひて南無大
ひくはんせおん我十三より月まふてを申

三十三くはんの御きやうをよみまいらせし
ひくわんむなしからすは姫君のよの内
のなんをはらゐてたひ給へそれかなはぬ
ものならは御命をとらせ給へと申ける
され共夜ふけけれはかのたゆふきたりて
爰あけよやおさあい物とてしやうし
うちたゝきひめきみやおわすらんとひき
あけれともうちよりつよくかけたれ
はひけともさらに
      あかさりけり

【挿絵】

しきふの大夫をそろしき声にてあらおこ
かましこよひこそ入させ給はす共あした
はとく〳〵参りけんさんに参らせ候へき由
こよいはゆるしまいらせ候とて帰りけるこ
そくはんおんの御たすけとうれしくこ
よひこそのかるゝ共あすはおし入らんと
心うくてねもいらすさしきたかくてい
つくよりもれ出つへきやうもなし四
条をもてのしとみたかくあけけれは卯
月のつきなれはくまもなくことに物哀成
あかつきに上のかたより笛のねかすかに
聞えける是きかせ給へよひやうゑの介殿
のおもしろく吹給ひし物をいかなる所にて
ならせ給ひけん浅ましの事共やとな
きたまひてかとの方を御覧して入せ給へ
はくるまのおと聞えふえのねちかく成
けりめのと申やうひやうふきやうの宮の御
ふえのねににさせ給へる物かなと心をし
つめて聞けれは笛ふきすさひて
誠にけたかき御声にて月はくまなく

てらせともともに詠る人もなしあはぬ
物ゆへよもすからはかなき恋ちにほた
されてたいあんとうをたつぬとて月に
のりてそ行帰るとゑいし給ひけるを
聞けれは宮の御こゑにてわたらせ給
ひけりいかにとむねうちさわきひめ
きみにいかにや宮の御声にて候そ
やとさわきけり宮はおほしめししつ
み給ひてきよみつに参りたまひ七日
御こもりありて御下向成四条おもて
を過させ給ふときわも御ともにてむま
のうへに見えて有嬉しさかきりなく
てこんの少将すこしもしのふ事なくも
ちたるあふきにてまねきあれはとき
わかといひけれはたれ成らんとさしき
のきわへむまうち寄けれはときは
にておはするかこんの少将こそ是に候へ立
よらせ給へ物申さんといひけれはときわ
こんの少将にてまします嬉しさよと
申ける少将申やうはりまの三位におし

こめられて此ほとうきめを御覧して
おはしませはたはかり出し参らさせ
給へといひけれはときわ聞て御待候へ
とて宮の御くるまにをいつき参ら
せんいまたともかくも申さて御車た
まはらんと申けれは宮何事共聞わけ
させ給はすときわか申事なれはを
りさせ給ふ御車たまはりてかの所へや
り入て爰あけよやはりまの三位の本
よりそこよひの御とのい【宿直】はたそはや
〳〵あけよといひけれはさんみといふに
したかひてやかて門をあくる車をやり
入はや〳〵めせと申けれはひめ君のり
給へは人〳〵嬉しさ夢の心ちしていそき
御とも申けり宮御車にのりうつらせ
給ひてわかれ給ひしより今まての御
恋しさいか成所におはしますとも
かせのたよりのをとつれおもなとや
かくともしらせ給はぬそとうらみ給へ
はひめきみとりあへす

 たよりをも今はほしきを山かせの
 いはまの水にせかれけるかな
宮これを聞しめし御返事にかくなん
 せかれける岩間の水をしらすして
 もらさぬとのみうら身けるかな
とかやうにおほせありて御車をさぬき
かもとへと有けれは御めのとさぬきの
もとへ入せ給ふ姫君たゝならす入らせ給
へは八に御さんの月なれは御祈
かきりなしその御しるしにやあたる
月にも成しかは御さんへいあんにわか君
出き給ふ宮の御よろこひかきりなしはゝ
にようこ聞しめしあやしの物成とも
宮のわりなくおほしめしなはをろか
成いはんや右大臣の宮はらなりわさと
もの御事なり
   しかもわかきみさへ
    出きたてまつり給ふ
     ありかたき
       事とかや

【挿絵】

あやしの所にいかてをき奉るへき是へ
とて御むかいに車七両御しやうそく
に十二きぬくれなゐの御はかまとり
そへてまいらせ給ふをくりの車やり
つゝけてきさきたち成ともこれには
すきし宮す所へ入せ給へは御母によう
こ御覧して有かたき世のすゑにも
かゝる人はためしなしと覚しめし
ける御まこの若宮をいたきたまひて御
らんし父宮のおさなくおはしますに

はるかまさらせ給へりこれをは我御子
にあそはし奉らんとてやことなくか
しつきもてなし給ふ事かきりなし
かくてあけぬ暮ぬとせしほとに無
神付のはしめより今のみかと御なや
み有はるのころつゐにかくれさせ給
ふいまたまふけのきみもましまさ
さりくきやうせんきあるやうひやう
ふきやうの宮御位につかせ給ふへき
なりさるほとにひやうゑのすけの
いもうとの姫君きさきにたゝせ給ひけり
若宮東宮に御立あるみかとのせんし
にはさつまの方えなかされし兵衛の
介をかへすへしとて御むかひまいり
けり兵衛の介御よろこひかきりなし
たゝよのつねにてめしかへさんたにも
うれしくおはしまさんにいはんやゆく
へもなくうせ給ひし姫君きさきに
たゝせ給ふ事一かたならぬよろこひに若
宮さへ出き給ひてめしかへされんことの

嬉しさよとてしゝうのないしとうち
つれて都へのほり給ひけり心の内いかは
かりうれしくおほしけん仏神三ほう
のかこ【加護】おはしけれはなみ風たへなく上り
給ふ程にはやくとはへつき給ふ御む
かいの人〳〵かすをしらすまつせんそなれは
とて三条へ入せ給へははりまのつほね
四位の少将あはてさつき内より出けり
あら物さわかしやまつしはらくおわせよ
かし物かたりせんと有しかともうし
ろをたにも見かへらすして出る兵衛の介
とのあけんもおそく候へとてきさきの
御かたへそまいりたまへと申せはきさ
き出させ給ひてわかれまいらせし時の
かなしさ今の嬉しさはいつれをろかな
らすとて嬉しなからなき給ふ兵衛の介
殿これを御らんしてかくなん
 ふえ竹のなきしうきねも忘られて
 うれしきふしを見るに付ても
かきくとき給ふきさきのたまふやう我より

も御門のなをも恋させ給ふにまつとく〳〵
入せ給やと有けれはあけもせてまたよふ
かきに内へ入せ給ふ御門せいりやうてんより
御覧せられ給ひていかにやしめちか原【標茅原】と
ちきりしは
  これをいひし
   そやいまのよろこひには
    三位の中将になす
     へしとせんし
      なり

【挿絵】

打つゝき大納言に成給ふ御門扨もはりまの
三位四ゐの少将をはいかにはからふへきさつまの
方へなかすへしとせんし有は兵衛の給ふ
やう仰にて候へ共父大臣草の影にてみ候はんも
哀に候へはこんとのよろこひにるさいを御
とゝめ候やと申されけれはさるにても
あまりにくき物成はかむりおはいくはん【他本-ひくわん】を
とゝめてなを浅ましと覚ゆれはおやこ三人を
は都の内をおい出してやとさためぬ物とな
すへしとせんし成けれは九重の内出され
けりさる程に后の宮打つゝき二の宮出き
させたまふ其御よろこひに大なこんくはん白
てんかと申けるしゝうのないしは北のまん所と
申ける御門わか宮二人姫宮二人出き給ひぬ
一の宮に御位ゆつり給ひ二宮とうへくうに立
給ふ姫君一人いせの斎宮に立給一人はかもの
さいくうに立給くわんはく殿もわか君姫君
あまたをはしますちやくしとうの中将二郎殿
は三位三郎殿は四位の少将とそ申ける
見る人めてたき御くわほうとそ申ける

【挿絵】

一の宮位につき給ひきさきに立梅つほの后と
申けるこんの少将むし【他本-ないし】の守に成かた〳〵さかへ給ふ
昔今にいたるまて仏神の御ちかひをろかな
らす殊くはんおんの御りせうすきたることなし
しひ第一心をやさしく持人かやうにゆく末
はんてうにめてたき御くはほう有なり
これを以て聞人清水のくはんおんよく〳〵
しんしんあるへし物かたりこれめてた
きくわほうとそ申つたへ侍りけり

BnF.

《題:古今著聞集 《割書:一》》

    《割書: |極美本》
古今著聞集

古今著聞集序
夫 ̄レ著-聞-集者 ̄ハ宇-県 ̄ノ亜-相巧-語 ̄ノ遺類江-家 ̄ノ
都-督清-談 ̄ノ之余-波也 ̄リ余稟_二芳-橘之 ̄ノ種-胤【𠉥】_一 ̄ヲ顧_二 ̄テ
璅-材 ̄ノ樗-質_一 ̄ヲ而琵-琶者 ̄ハ賢師 ̄ノ之所_レ伝 ̄ル也 ̄リ儻
辨_二 六-律六-呂 ̄ノ之調_一 ̄ヲ図-画者愚-性 ̄ノ之所_レ好 ̄ム也 ̄リ
自 ̄ラ養_二 ̄フ一-日一-時 ̄ノ之心_一 ̄ヲ於戯(アヽ)春 ̄ノ鶯【鸎】 ̄ノ之囀_二 ̄スリ花下_一 ̄ニ
秋 ̄ノ雁 ̄ノ之叫_二 ̄フ月 ̄ノ前_一 ̄ニ暗 ̄ンニ感_二 ̄ズ幽-曲 ̄ノ之易_一レ ̄ニ和 ̄シ風-流之_
随_二 ̄ヒ地-勢_一 ̄ニ品物 ̄ノ之叶_二 ̄フ天-為_一 ̄ニ悉 ̄ク憶_一 ̄フ彩-筆 ̄ノ之可_一レ ̄ヲ写
繇_レ ̄テ茲 ̄ニ或 ̄ハ伴_二 ̄ヒ伶 ̄イ-客_一 ̄ニ潜 ̄ニ楽_二 ̄ミ治-世 ̄ノ之雅-音_一 ̄ヲ或 ̄ハ詫_二 ̄テ画-
工_一 ̄ニ略(ボ)【「ホボ」ヵ】呈_二 ̄ス振-古 ̄ノ之勝-概_一 ̄ヲ蓋 ̄シ居多_二暇景_一 ̄ヨリ以-降 ̄タ閑 ̄ニ
   古今序         〇一

   古今序         〇一
度_二 ̄ル徂-年_一 ̄ヲ之故 ̄ニ拠_レ ̄テ勘_二 ̄ルニ此 ̄ノ両-端_一 ̄ヲ捜_二 ̄リ索 ̄メ其 ̄ノ庶-事 ̄ヲ註_一 ̄ヲ
緝 ̄シテ為_二 ̄ス三-十-篇_一 ̄ト編-次二-十-巻名 ̄テ曰_二 ̄フ古-今著-聞 ̄ト【ト衍字ヵ】-
集_一 ̄ト頗 ̄ル雖_レ ̄トモ為_二 ̄リト狂-簡_一聊 ̄カ又兼_二 ̄タリ実-録_一 ̄ヲ不_三 ̄ス敢 ̄テ窺_二 ̄ハ漢-家
経-史 ̄ノ之中_一 ̄ヲ有_二 ̄リ世-風人-俗 ̄ノ之製_一矣只今 ̄マ知_二 ̄ス日-
域 ̄キ古-今 ̄ノ之際 ̄タ有_二 ̄リ街 ̄ニ談 ̄シ巷 ̄ニ説 ̄ノ之諺_一 ̄サ焉猶愧_二 ̄ス浅-
見寡-聞 ̄ノ之疎-越 ̄ヲ偏 ̄ニ招_一 ̄キ博(ハク)-識(シキ)宏(クハウ)-達(タツノ)之盧-胡_一 ̄ヲ努(ユメ〳〵)
不_レ出_二蝸-廬_一 ̄ヲ謬 ̄テ比_二 ̄ス鳴-宝_一 ̄ニ于_レ時建-長六-年応-鐘【陰暦十月】
中-旬散-木-士橘 ̄ノ南-袁/憗(ナマシイ) ̄ニ課_二 ̄テ小-童_一 ̄ニ猥 ̄リニ叙_二 ̄ル大-較 ̄ヲ
而(ノ)-已(ミ)

古今著聞集惣目録
  巻一/神祇(じんぎ)   㐧一
  巻二/釈教(しやくけう)  㐧二
  巻三/政道忠臣(せいとうちうしん)㐧三
  同 公事(くじ)   㐧四
  巻四/文学(ぶんかく)   㐧五
  巻五/和歌(わか)   㐧六
  巻六/管弦舞(くはんげんぶ) 㐧七
  巻七/能書(のふしよ)   㐧八
  同 術道(じゆつとう)  㐧九
   古今巻一        〇二

   古今巻一        〇二
  巻八 孝行恩愛(かう〳〵をんあい)㐧十
  同  好色(こうしよく)  㐧十一
  巻九 武勇(ぶゆう)   㐧十二
  同  弓矢(きうし)   㐧十三
  巻十  馬芸(ばげい)   㐧十四
  同  相撲強力(すまうごうりき)㐧十五
  巻十一/画図(ぐわと)   㐧十六
  同  蹴鞠(しゆうきく)  㐧十七
  巻十二/博奕(ばくち)   㐧十八
  同  偸盗(ぬすびと)   㐧十九

  巻十三/祝言(しゆうげん)  㐧二十
  同  哀傷(あいしやう)  㐧廿一
  巻十四/遊覧(ゆうらん)  㐧廿二
  巻十五/宿執(しゆくしふ)  㐧廿三
  同  闘浄(とうじやう)  㐧廿四
  巻十六/興言利口(こうげんりこう)㐧廿五
  巻十七/怪異(けい)   㐧廿六
  同  変化(へんくは)  㐧廿七
  巻十八/飲食(いんしひ)  㐧廿八
  巻十九/草木(さうもく)  㐧廿九
   古今巻一        〇三

   古今巻一        〇三
  巻二十/魚虫禽獣(ぎよちうきんしふ)㐧三十

     目録終

【蔵書印 朱 陽刻 単郭 篆書体】
《割書:平戸藩|蔵 書》   《割書:楽歳堂|図書記》    《割書:子孫|永寶》

【挿絵】
   古今巻一ノ       〇又一

   古今巻一ノ       〇又一
【挿絵】

古今著聞集巻第一
 神祇(じんぎ)第一
天地(あめつち)いまだわかれず渾沌(まろかれたること)鶏(とり)の子(こ)のごとしその
すめるはたなびきて天となりにごれるはしづみ
とゞこほりて地(つち)となるときに天地(あめつち)のなかに日(ひ)と
つのものありかたち葦牙(あしかひ)のごとしすなはち化(ケ)し
て神となる国常(くにとこ)立尊(たちのみこと)これなりそれよりこの
かた天神(あきつかみ)七代(なゝよ)地神(くにつかみ)五代(いつよ)より彦波瀲武鸕(ひこなきさたけウ)鷀/草(かや)
葺不号尊(ふきあはせすのみこと)の御子(をんこ)神武天皇(じんむてんわう)よりぞ人代(ひとのよ)とはなり
にけるこの御とき戊子(つちのへね)のとし九月にはじめて
   古今巻一        〇四

   古今巻一        〇四
もろ〳〵の神祇(しんぎ)まつられけり第(だい)十代/崇神天皇(すうじんてんわう)
六年に天照太神(あまてらすおほんかみ)を笠縫邑(かさぬいのむら)にまつり奉る同(おなしき)七年
に天社(あまつやしろ)国(くにつ)社をよび諸(もろ)国/諸神(もろかみ)の神戸(かんべ)をさだめら
るそのゝち世(よ)おさまり民(たみ)ゆたかなり第(だい)十一代/垂(すい)
仁(にん)天皇二十五年三月にあまてる御神(おゝんかみ)の御をし
へにしたがひて伊勢(いせ)の国(くに)いすゞの川(かは)かみにいはひ奉
て第(だい)二のひめみこ倭姫尊(やまとひめのみこと)を齋宮(いつきのみや)にたてまつられ
けりおよそわがてうは神国(しんこく)として大小(だいせう)の神祇(じんぎ)部
類(るい)けんぞく権化(ごんけ)の道感々応(どうかんかんをう)あまねくつうずる
ものなりいはゆる神功皇后(じんこうくはうごう)の三韓(さんかん)をたいらげ給

ふにも天神地祇(てんしんちき)こと〴〵くあらわれ給ひけるとそ
これによりてかたじけなくも廿二/社(しや)のそんじんを
さだめてもつはら百王百代(ひやくわうひやくだい)のこんこにそなへ
奉る天子(てんし)よりはじめてしよじんにいたるまで
そのめいとくをあふがずといふ事なしくはんむ天
わうの御宇(ぎよう)ゑんりやく元(くはん)年五月四日うさのみや
御(ご)たくせんにむりやうこうの中に三/界(かい)に化生(けしやう)し
て方便(はうべん)をめくらして衆生(しゆじやう)をみちびく名(な)をばだい
じざいわうぼさつといふなりとおほせえられけり
あはれにたうとくこそはんべれ
   古今巻一        〇五

   古今巻一        〇五
内侍前(ないしところ)はむかしは清涼殿(せいりやうてん)にさだめをかれまいらせ
られけるをおのづからぶれいのこともあらば
そのおそれ有べしとて温明殿(をんめいでん)にうつされにけり
此事いづれの御/時(とき)のことにかおぼつかなしかの殿清(でんせい)
涼殿(りやうてん)よりさがりたる便(びん)なしとて内侍所(ないしところ)にさだ
められたる方(かた)をば板敷(いたしき)をたかくしきあげられ
たりけるとぞ天徳(てんとくニ)内裏(だいり)焼亡(じょうまう)に神鏡(しんきやう)みづから
とびいで給ひてなんでんの桜(さくら)の木(き)にかゝらせ給ひ
たりけるををのゝみや殿(どの)ひざまづきて御/目(め)をふさぎ
てけいひつ【警蹕】をたかくとなへて御うへのきぬの袖(そで)をひ

ろげてうけまいらせられければすなはちとびかへり
て御/袖(そで)にいらせ給たりと申つたへて侍(はんべ)りされども此
事おぼつかなし其日の御/記(き)に云/天徳(てんとく)四年九月
廿四日/申(さる)の刻重光(コクシゲミツ)朝臣(アソン)来(キタリ)申/云(イハク)火気(クワキ)頗消罷至(スコブルキヘヤンデイタリ)_二
温明殿(ヲンメイデン)_一求(モトムルニ)_レ之 ̄ヲ瓦上(カワラノウヘ)に有(アリ)_二鏡面(キヤウメン)_一其(ソノ)経(ワタリ)【「径」ヵ】八寸(ヤキ)頭(カシラニ)雖(イヘドモ)_レ有(アリト)_二 一(ヒトツノ)
瑕(キス)_一円(エン)_規(キ)甚以分明露出(ハナハタモツテフンミヤウニロシユツス)俯(フシテ)_二破瓦上(ハクハノウヘニ)_一見(ミル)_レ之 ̄ヲ者(モノ)無(ナシ)_レ不(サルハ)_レ驚(ヲトロカ)
或御記(アルキヨキ)かくのごとし小野宮殿(をのゝミヤとの)の事みえずおぼつか
なき事也/寛弘(くわんこう)のぜうもう【焼亡】にはやけ給たりけれ
どもすこしもかけさせ給はざりけり其時(そのとき)の公卿勅使(くぎやうちよくし)
行成卿(ゆきなりきやう)なり宸筆(しんひつ)の宣命(せんみやう)はこの御/時(とき)はじまれり
   古今巻一        〇六

   古今巻一        〇六
長久焼亡(ちやうきうのぜうまう)にぞやけそんぜさせ給にけるそれより
そのやけさせ給ひたる灰(はひ)をとりてからひつに入奉り
ていまおはしますり是也/世(よ)のくだりさま神鏡(しんきやう)の御さま
にてみえたり神威(しんい)いつとてもなじかはかはり給ふべき
なれども世(よ)のくだり行(ゆく)さまをしめし給ふゆへにかくなり
ゆかせ給ふにこそ今行末(いまゆくすへ)いかならんかなしむべきこと也
〽延長八年六月廿九日 ̄ノ夜(よ)貞崇法師(ていすうほうし)勅(ちよく)を承(うけたまは)りて清(せい)
涼殿(りやうでん)に候(こう)じて念仏(ねんぶつ)し侍りけるに夜(よ)やう〳〵ふけて東(ひかし)
のひさしに大(おほひ)なる人のあゆむをと聞えけり貞崇(ていすう)すだ
れをかきあげて見ければあゆみかへるをとして

人見へず其後(そのゝち)又小人(またせうしん)のあゆみくる声(こゑ)すやう〳〵ちかく
なりて女声にてなにゝよりて候ぞととひければ勅(ちよく)
を承りて候よしをことふ小人のいひけるは先度(せんと)なんぢ
大般若(たいはんにや)の御読経(をんどくきやう)つかうまつりしに験(げん)ありきはじめ歩(あゆみ)
来(きた)りつるものは邪気也(じやきなり)かの経(きやう)によりて足(あし)やけそんじ
ててうぶくせられぬ後(のち)のたびの金剛般若(こんがうはんにや)の御/読経(どくきやう)
奉仕(ぶし)の時(とき)は験(げん)なかりき此よしを奏聞(そうもん)して大般若(たいはんにや)
の御/読経(どくきやう)をつとめよ我(われ)はこれ稲荷(いなり)の神なりとて
うせ給ひぬ貞崇(ていそう)此よしを奏聞(そうもん)し侍けり○三井寺の
鎮守(ちんじゆ)新羅(しんら)明神は婆竭羅龍王(しやかつらりうわう)の子(こ)也智證大師(ちせうだいし)渡(と)
   古今巻一        〇七

   古今巻一        〇七
唐(とう)の時大師(ときだいし)の仏法(ふつほう)をまもらんとちかひ給てかたちを
あらはしかの寺(てら)にあとをたれ給へる也/円満院僧正明尊(えんまんゐんそうせうめうそん)
はじめて祭礼(さいれい)をおこなはれける明神(めうしん)よろこばせ給ひ
て一首(いつしゆ)の和歌(わか)を託宣(たくせん)し給ける
  からふねに法(のり)まもりにとこしかひは
   ありけるものをこゝにとまりに
慈覚大師(じかくたいし)如法経(によほうきやう)かき給ひける時/白髪(はくはつ)の老翁杖(らうをうつえ)に
たずさはりて山によぢ上りけるがあなくるし内裏(だひり)の
守護(しゆご)といひ此/如法経(によほうきやう)の守護(しゆご)といひ年はたかく成(なり)て
くるしう候ぞと宣(のたま)ひけりたが御わたり候ぞと尋(たつね)

申されければ住(すみ)吉の神也とぞなのり給ける皇威も
法威(ほうい)もめでたかりけるかな住吉(すみよし)は四所(よところ)おはします
一御所(ヒトヲントコロ)は高貴(カウキ)徳王大菩薩(トクワウダイボサチ)《割書:乗龍》御託宣(コタクセン)にいはく我(ワレハ)是
兜率天内高貴徳王菩薩(トソツテンノウチコウキトクワウボサチ)也/為(タメ)_三鎮(チン)_二護(コセンカ)国家(コクカヲ)_一垂_二跡於
当朝墨江辺(タウテウスミノエノホリニ)_一松(セウ)_林下久送(リンノモトニヒサシクヲクル)_二風霜(フウソウヲ)_一 時有(ヨリ〳〵アリ)_レ受(ウケント)_レ苦(クヲ)自(ヲノヅカラ)当(アタツテ)_二北方_一 ̄ニ
有(アリ)_二 一 ̄ツノ勝地(セウチ)_一願(ネカハクハ)奏(ソウ)_二達(タツシ)公家(クゲニ)_一建(コン)_二‐立(リウシテ)一伽藍(ヒトツノカランヲ)_一転(テンセヨ)_二法輪_一 ̄ヲ云々これ
によりて神/宮(くう)寺をば建立(こんりう)せられける也又津/守国(もりのくに)
基(もと)申侍けるは南社(みなみのやしろ)は衣通(そとをり)姫也/玉(たま)津島明神と申
也和歌の浦(うら)に玉(たま)津嶋の明神と申は此/衣(そ)通/姫(ひめ)也
昔彼浦(むかしかのうら)の風/景(けい)を饒思食(ゆたかにをほしめし)し故(ゆへ)に跡(あとを)たれおはし
   古今巻一        〇八

   古今巻一        〇八ウ
ますなりとぞ
北/野(の)宰相(さいしやう)殿は天神四世の苗裔(びゃうゑい)也/円融院(えんゆうゐん)の御
侍読(じどく)として道の名誉(めいよ)ゆゝしくおはしましけり天/元(げん)
四年に太/宰(さいの)大弐に任(にん)じて同五年九月に府(ふ)に
つきて安楽(あんらく)寺をじゆんれいし給けるに堂舎(だうしや)はあり
といへども塔婆(とうば)いまだ見へず建立(こんりう)のぐはんもとより
ありけるによりて造営(ぞうえい)を始られけり聖廟(せいびやう)よろ
こび思食(おぼしめし)ける故(ゆへ)に永(えう)観二年六月廿九日の御託(ごたく)
宣(せん)にいはく大弐/朝臣兼式部(あつそんけんしきぶ)大/甫(ゆふ)事に希有(けうに)為(たり)_二
家面目(いへのめんぼく)_一大弐/朝臣(あつそん)内/外(げ)共の末孫(ばつそん)又存_二信(しん)‐心(〳〵を)依(よつて)_レ発(をこす)_二造(そう)

   古今巻一ノ        〇八
【挿絵】

   古今巻一ノ        〇八
【挿絵】

塔写(とうしや)経之大/願(くわん)_一我深信(わかじんしん) ̄ノ廻_レ謀令_二当任_一暫停_二他事_一 ̄ヲ
はやく遂(とげ)_二此/願(ぐわんを)_一致(いたす)_二 合力(かうりよく)_一之(の)人々/現(げん)世後/生(しやう)の大/願皆(くわんみな)
成(じやう)す生々世々/因果令(ゐんくわしめん)_レ熟(しゆく)云々寺/家(け)別当松寿(へつたうせうじゆ)み
づからこれを記(しる)す都督(ととく)いよ〳〵信心(しん〳〵)を発(をこ)して三年
が中に多宝塔(たほうたう)一/基(き)をたてゝ胎蔵界(たいぞうかい)の五仏(こぶつ)を
あんじ法花(ほつけ)千/部(ぶ)を納め奉るこれをひがしの御堂(みだう)
となづく禅侶(ぜんりよ)をおきて不退のつとめをいたさる
閑(か)?の卿(きやう)宰府(さいふ)のあひだ寺/家(け)の仏事神事の儀式(きしき)
寺/務(む)のあるべき次第など委(くはし)く記(しる)しおかれて三/巻(ぐはん)
の書と名付(なつけ)て宝蔵(ほうぞう)に納て今に伝(つたはれ)り秩満(ちつまん)
   古今巻一        〇九

   古今巻一        〇九
の後/都(みやこ)へ帰(かへり)給て長徳(ちやうとく)二年に参議(さんき)に任じ寛弘(くはんこう)
六年十二月に八十五にてうせ給其後神とあらはれ
て叢詞(そうし)を廟(びやう)【庿】壇農(だんの)傍(かたはら)にひらかる万寿(まんしゆ)三年三月に
僧正一位の加/階(かい)にあづかり給ひけり
一/条院(てうのゐんの)御時/上総(かすさの)守時/重(しけ)といふ人有千部の法花(ほけ)経
読誦(どくしゆ)の願(くはん)心中にふかゝりけれ共/身(み)まづしくして
僧(そう)壱人かたらふべきはからひなし思ひかねて日吉の
やしろに詣(まう)で二心なく祈(いのり)申けるに神感(しんかん)有てはから
ざるに上総守(かづさのかみ)に成にけり任国の最前(さいせん)のとくいんを
もて千部の経(きやう)を始(はんしめ)てげり其/夜(よ)の夢(ゆめ)に貴(たつとき)僧枕に

来て云よき哉〳〵汝(なんち)一/乗(じやう)のてんどくくはだつることを
とて感(かん)涙をながしておはしましけり時/重(しけ)かく仰られしは
誰(たれ)にておはしましゝぞと尋(たね)【たづねヵ】申ければ貴僧われは一乗の
守護(しゆご)十/禅師(ぜんじ)也とこたへさせ給ひて歌(うた)をなん詠(ゑい)じた
まひける
 一/乗(じやう)の御法(みのり)をたもつ人のみそ
  三世の仏の師(し)とはなりける

時/重(しけ)かたじけなくたうとく覚(おぼ)へて生死(しやうじ)をばいか
でかはなれ候べきと申ければ
 極楽(ごくらく)の道のしるべは身をさらぬ
   古今巻一        十

   古今巻一        十
  心ひとつのなをきなりけり
扨かへらせ給ひけるが立/帰(かへ)りて又/詠(えい)ぜさせ給ひける
 朝夕(あさゆふ)の人のうへにも見聞らん
  むなしきそらのけふりとそなる
無/情(じやう)を悟(さと)るへき由を終には示(しめし)てさり給ひにけり
あはれにたうとき事也
長/暦(れき)二年に天/台(だい)座/主(す)の闕(けつ)いできたりけるに
三井寺の明尊(めうぞん)大/僧正(そうぜう)をなさるべきよし関白(くはんばく)殿し
きりに執(しつし)申させ給ひけり山僧(さんそう)此事を聞て蜂起(ほうき)し
て十月廿七日五六百人下/洛(らく)して左/近(こん)の馬場にあつ

まりて奏(そう)状を奉りにけり此事によりて霜月の
受戒(じゆかい)もとゞまりけり同三年二月十七日山/僧関白殿(そうくはんはくとの)
の門前へ参りてうれへ申けり十八日にも参ておめき
のゝしる声(こえ)おびたゝ敷(しく)ぞ侍ける平の直(なを)方同/繁貞(しげさた)
に仰られてふせがせられける程に互(たがい)にきずを蒙(かうふる)る
ものおほかりけりかゝる程(ほと)に山の教円僧都(けうゑんそうづ)明/尊僧(ぞんそう)
正と同/宗(しう)の聞(きこ)え有ければ山/僧教圓(そうけうえん)をからめてにげ
さりにけりとかく怠状(たいでう)してゆりにけるとかやさて教(けう)
圓僧都(えんそうづ)座/主(す)には成にけり頼寿良圓両僧都蜂(らいじゆりやうえんりやうそうづほう)
起(き)の張(ちやう)ほん也とて勅(ちよく)勘/蒙(かうふ)りけり去程(さるほと)に同七月
   古今巻一        十一

   古今巻一        十一
廿四日より玉体(ぎよくたい)れいならぬ御事有さま〴〵の御/祈(いのり)
共をこなはれけれ共御/減(げん)なくて日/数(かす)つもらせ給
けるほどに八月十日さんわうの御/託宣(たくせん)有て両僧(りやうそう)
都(づ)をめされけり其後ほどなく御/減(げん)ありける厳重(げんじう)
なる御事なり
同年中比大中/臣佐國祭主(とみすけくにさいしゆ)になりたりけるを
同三年四月二日/荒祭宮(あらまつりのみや)の御/託宣(たくせん)に祭主(さいしゆ)なしかへ
らるべきよしありけり遷(せん)宮の間に厳(けん)重の事共
あれ共/恐(おそ)れあればしるさず六月廿六日/佐(すけ)国つゐ
に伊豆の国へ流(ながさ)れにけりかゝる/程(ほと)に七月十日/荒(あら)

祭宮斎宮(まつりのみやさいくう)の内/侍(し)に御/託宣(たくせん)あり祭主配(さいしゆはい)流しかる
べからずとありけり同十六日かさねて御/託宣(たくせん)ありて
佐国(すけくに)が孫清佐(まごきよすけ)をめして仰られけるは佐国(すけくに)を流(ながさ)るゝ
事しかるべからず先(せん)日の託宣(たくせん)にも配流(はいる)の事のなし
然(しか)るをかくのごとく大きなる誤(あやま)りありをこなはるゝ
旨道理(むねどうり)にそむけりはやく免しかへすべきよし
奏聞(そうもん)すべし佐国いまだ伊勢の国のさかひを出ざるに
めすべき也/勅定待(ちよくてうまた)ばをそかりぬべし是ゟ/使(つかひ)をつか
はしてめしかへすべしと侍ければ斎宮(さいくう)の吏生をも
ちて免しにつかはされにけり此よし奏聞(そうもん)せられけれ
   古今巻一        十二

   古今巻一        十二
ば同十九日/佐国(すけくに)めしかへされけりとなん其比御託宣(そのころごたくせん)
たび〳〵有けりかたじけなかりける事也
延久(ゑんきう)二年八月三日かづさの国一のみやの御たくせん
に懐妊(くはひにん)【姙】の後(のち)すでに三年におよぶいま明王(めいわう)の国
をおさむる時に望(のそみ)て若(わか)みやをたん生すと仰られ
けりこれによりて海浜(かいひん)を見ければ明珠一顆(めいしゆいつくは)あり
けりかの御正/体(たい)にたがふ事なかりけりふしきな
る事なり
後三条院御時くにのみつき物/廣田(ひろた)の御まへの澳(おき)
にておほく入海(しゆかい)の聞(きこ)えありければ宣旨(せんじ)をかのやし

ろへ下されてみつき物をまつたうせられぬよし逆鱗(げきりん)
ありけるに社(やしろ)のほとりの木一夜にかれにけり主上(しゆしやう)き
こしめしおとろかせ給てなだめ申されければ木もと
のことくさかえにけり其後/舟(ふね)も入海(じゆかい)せざりけり
大学寮廟(だいかくりやうのびやう)【庿】供(く)には昔(むかし)はゐのしゝかのしゝをもそなへけるを
ある人の夢(ゆめ)に尼父(じふ)の宣(のたま)はく本/国(こく)にてはすゝめしかども
この朝(てう)にきたりし後(のち)は太神宮/来臨同(らいりんをなしふす)礼(れいを)穢食供(えしよくくう)
すべからずとありけるによりて後には供(けう)ぜずなりに
けるとなん智足院殿内覧(そくゐんとのないらん)のせんじをとゞめられ
させ給たる事ありけりねん比に春日(かすが)大明神に
   古今巻一        十三

   【柱】古今巻一        十三
きねんせさせ給ける程に大明神/北政所(きたのまんところ)につかせ
給ひて今/一世(いつせ)はあるべきなり登(と)両三/度(と)仰られ
けり歌(うた)を一/首(しゆ)よませ給たりけるとかや尋(たつね)てしる
すべし大明神/遷御(せんぎよ)の後(のち)ぞ北政所(きたのまんところ)れい農(の)御心には成(なり)
給にけるはたして更(さらに)又御しゆつし有て天下のまつり
ごとを執せ給にけり是(これ)くだんの大明神の御めくみ也
○元永(けんゑい)元年四月九日/顕通大納言中納言(あきみちのだいなごんちうなごん)ゑもんの
督(かみ)にて公卿勅使承(くぎやうちよくしうけたまは)りて下られけるにいづれの宿(しゆく)とや
にて宸筆(しんひつ)の宣命(せんみやう)をとりおとしたゝれにけりいそぎ人
を返(かへ)しつかはして求(もと)められけれど日次(ひなみ)などはたがひてや

侍りけん父(ちゝ)の大相国(だいしやうこく)其時/右大臣(うだいしん)にておはしけるがこの
事を聞(きか)れて家(いへ)つぐましきものなりとぞ宣(のたま)ひ気(け)る
保安(ほうあん)三年正月廿三日に大納言(だいなこん)にはなられけれども
四月にむねを煩(わつら)ひて父(ちゝ)のおとゞにさきだちて八日に
うせられにけりおとゞの案にたがはざりけり中院右(なかのゐんう)
大臣宰相中将(たいしんさいしやうちうせう)にて侍ける ぞ家(いへ)をばつがれける
基隆朝臣周防国(もとたかあそんすはうのくに)をしりける比/保安(ほうあん)三年十月に
かたりけるは彼(かの)国にしまの明神とておはします神主(かんぬし)
牢籠(らうろう)の事有て論(ろん)しけるもの有とて神田(しんでん)をかりとら
んとしければ宝前(ほうぜん)より蛇(へび)三百/計(ばかり)出たり其内につの有
   【柱】古今巻一        十四

   【柱】古今巻一        十四
二つ有けりしばしありて入ぬ其後/猶(なを)からんとしければ
烏数万(からすすまん)とび来りて神田(しんてん)の稲(いね)の穂(ほ)をくひぬきてみな
神殿(しんでん)の上に葺(ふき)けりふしぎの事也本/国(ごく)の神かゝる事中〳〵
おはする物也さかとのさゑもんの大夫/源(みなもと)の康季(やすすへ)は年(とし)
比(ころ)加茂(かも)につかうまつりけりある夜/御戸(みと)開(ひらき)に参りける
程に鴨川(かもかは)の水出て通(とをり)がたかりけれは岸(きし)のうへに思ひ
やり奉て居(ゐ)たりけりかゝる程に御戸(みと)開(ひらき)まいらせんと
するにいかにもひらかれさせ給はざりければ社司(しやし)共せん
つきてねぶり居(ゐ)たりける程にある社司(しやし)の夢(ゆめ)に康季(やすすへ)
が参をまたせ給ひて開(ひら)かぬよしを見てげり是(これ)によりて

氏人共をむかへに遣(つか)はしたりけれは岸(きし)の上に忙然(ぼうぜん)として
ゐたりけるをすくうがごとくにしてまいりにけり其後ぞ
御戸(みと)はひらかれにける康(やす)季かく神慮(しんりよ)に叶(かな)ひけるゆへ
にやさしも有がたき大夫の尉(せう)に近康康綱康実康景(ちかやすやすつなやすざねやすかげ)
累代(るいたい)たえず成にけり此外/季範季頼季実季国康(すへのりすへよりすへさねすへくにやす)
重康廣(しげやすひろ)も此康季が子孫(しそん)にてみな此/職(しよく)をきはめ
たり他家(たけ)にはありがたき事也
保延(ほうあん)五年五月朔日/祈雨(きう)の奉幣(はうべい)有けり大宮(をほみや)の大夫
師頼卿奉行(もろよりきやうぶぎやう)せられけるに大内記(だいないき)儒弁さばかりありて
参らざりけれは宣命(せんみやう)をつくるべき人なかりければ上卿(しやうけい)
   【柱】古今巻一        十五

   【柱】古今巻一        十五
はしのびて宣命(せんみやう)をつくりて少内記相永作(せうないきすけなかつくり)たる
とぞ号(ごう)せられける此/宣命(せんみやう)かならず神感(しんかん)有へきよし
自讃(じさん)せられけるにはたして三日雨おびたゝしくふり
たりけるとなん
  裏書云(ウラカキニイハク) 彼宣命詞(カノセンミヤウノコトハ)
天皇(アメノスヘラ)《割書:賀(カ)》詔旨(ミコトノリア)《割書:良麻(ラバ)|止(ト)》掛畏(カケマクモカシコ)《割書:支(キ)》其大神(ソノヲホンカミ)《割書:乃(ノ)》広前(ヒロマエ)《割書:尓(ニ)》恐(ヲソレ)《割書:参(ミ)》恐(ヲソレ)《割書:美(ミ)|毛(モ)》
申給(モウシタマ)《割書:波久(ハク)|止(ト)》申(マフ)《割書:須(ス)》今年之春東作之比(コトシノハルトウサクノコロ)《割書:尓(ニ)》雨沢順(ウタクシタカフ)_レ旬(シユンニ)《割書:天(テ)》年(ネン)
穀有(コクアル)_レ年(トシ)《割書:倍支(ヘキ)》由(ヨシ)《割書:午(ヲ)》【乎ヵ】令(シメ)_二祈申(イノリマウサ)給(タマフ)而(ノ)《割書:已(ミ)》神明(シンメイ)《割書:乃(ノ)》霊鑑(レイカン)【鍳】《割書:尓(ニ)》
依(ヨツ)《割書:天(テ)》稼穡(カシヨク)《割書:乃(ノ)》豊登(ユタカニミノル)《割書:乎(ヲ)》期給(コシタマフ)《割書:尓(ニ)》頃月(シキリノツキ)旱雲(カンウン)久凝(ヒサシクコツテ)膏雨(カウウ)
不(ズシ)_レ灑(ソヽカ)《割書:天(テ)》百穀(ハクコク)漸(ヤウヤク)枯(カ)《割書:礼(レイ)》万民苦業(バンミンクチウモ)《割書:都倍(ツヘ)|之(シ)》大神日域(ヲホンカミジチイキ)《割書:尓(ニ)》

垂(タレ)_レ跡(アトヲ)《割書:多末(タマ)|倍留(ヘル)》遂窟(スイクツノ)雨師(ウシ)伝(ツタヘ)_レ名(ナヲ)《割書:太末(タマ)|倍留(ヘル)》霊詞(レイシ)《割書:奈(ナ)|利(リ)》然則(シカルトナンハ)名山大(メイサンタイ)
沢(タク)《割書:与(ヨ)|利(リ)》興(ヲコ)_レ雲(クモヲ)《割書:之(シ)》致(イタ)_レ雨(アメヲ)《割書:之(シ)|天(テ)》赤土(セキト)得(エ)_二潤沢之応(シユンタクノヲフヲ)_一済疇(サイチウ)誇(ホコラ)_二
収穫之功(シユクハクノコウニ)_一《割書:牟古(ムコ)|止波(トハ)》大神(ヲホンガミ)《割書:乃(ノ)》旡(ナ)_レ限(カギリ)《割書:支(キ)》冥助(メイシヨ)《割書:尓(ニ)》可(ベ)_レ在(アル)《割書:之(シ)|土(ト)》所(ヲ)
念行(モイハカリ)《割書:天(テ)|奈牟(ナム)》故是(コトサラコノ)以(モツテ)_二吉日良辰(キチジツリヤウシン)《割書:乎(ヲ)》択(エラミ)_二_定(サタメ)《割書:天(テ)》官位(クハンイ)
姓名(セイメイ)《割書:乎(ヲ)》_一差使(シナンツカイヒ)《割書:天(テ)》礼代(レイタイ)《割書:乃(ノ)》大幣(ヲホヌサ)《割書:乎(ヲ)》令(シメ)_二捧持(サヽケモタ)_一《割書:天(テ)》黒毛(クロケ)
《割書:乃(ノ)》御馬一疋(ヲホンムマイツヒキ)《割書:乎(ヲ)》牽副(ヒキソヘ)《割書:天(テ)》奉(タテマツリ)_レ出(イタシ)賜(タマ)《割書:布(フ)》掛畏大神此(カケマクモカシコキヲホンカミコノ)
状(デウ)《割書:乎(ヲ)》平(タイラケ)《割書:久(ク)》聞食(キコシメシ)《割書:天(テ)》炎気忽(エンキタチマチ)《割書:于(ニ)》散(サンジ)《割書:天(テ)》嘉澍旁(カチウアマネク)
降(クダツ)《割書:天(テ)》田園滋茂(デンエンジモ)《割書:之(シ)|天(テ)》人民豊稔(ニンミンホウシン)《割書:奈良(ナラ)|牟(ム)》天皇朝廷(テンワウテウテイ)
《割書:乎(ヲ)》宝位(ホウイ)無(ナ)_レ動(ウコクコト)《割書:久(ク)》常石(ト?キ?ハ)堅石(カキハ)《割書:尓(ニ)》夜守日守(ヨモリヒモリ)《割書:尓(ニ)》護(マモリ)
幸給(サイタマ)《割書:比(ヒ)》食国(イケクニ)《割書:乃(ノ)》天下(アメガシタ)《割書:乎(ヲ)|毛(モ)》無為無事(ブイブジ)《割書:尓(ニ)》守恤給(マモリアワレミタマ)《割書:倍(ヘ)|止(ト)》
   【柱】古今巻一        十六

   【柱】古今巻一        十六
恐(ヲソレ)《割書:美(ミ)》恐(ヲソレ)《割書:美(ミ)|毛(モ)》申給(マフシタマ)《割書:波(ハ)|久(ク)》申(マフス)
  保延(ホウエン)五年五月一日   作者内記文屋相永(サクシヤナイキフンヤノスケナガ)
隆覚法印保延(りうがくほうゐんほうえん)五年に興福寺別当(こうぶくしへつたう)に成たり気(け)るを
衆徒用(しゆともち)ひざりければ隆覚いかりをなして数(す)百/騎(き)の軍(ぐん)
兵(びやう)をおこして十一月九日三/方(ばう)より興福寺をうちかこみて
げり隆覚が方の兵(つはもの)寺中へみだれいらんとする間合戦に
及て隆覚が方の軍兵多く命(いのち)をうしなひけり廿よ人は
生取(いけどり)にせられにけり隆覚衆徒の項(くび)を切て御寺(みてら)を焼うし
なふべきよし下知したりければにや隆覚が兵の中に放火(はうくは)の
ぐを持(もち)たる物有けり寺の外(ほか)の小家一二/宇焼(うやき)たりけれども

雨ふりてきえにけり大かた合戦の間ふしぎ共/多(おほ)かりけり
春日山(かすかやま)に神光(しんくはう)有けるが合戦はてゝ見へずなりにけりある人
夢(ゆめ)にも御寺(みてら)の方(かた)の兵鹿(つはものしか)のかたち成けりと見けり又/神主(かんぬし)
時盛(ときもり)が夢には弓(ゆ)ぶくろさしたる兵/数万騎(すまんぎ)ありけり時盛あ
やしみて問(とひ)ければ春日大明神の御(ご)合戦御/訪(とむらひ)に藤入道藤(とうのにうたうとの)の
まいらせ給ふ兵也とぞ答(こたへ)ける時盛/驚(おどろ)く程に隆覚が兵入に
けり大明神の御はからひにて衆徒合戦利にしける厳重(げんぢう)也
ける事也藤入道殿とは誰(たれ)の御事にか宇治(うち)の左府御記(さふぎよき)には
御室(おむろ)の御事にやとぞ侍なる
いつ比の事にか徳大寺(とくだいし)のおとゝ熊(くま)野へ参給ひけりさぬき
   【柱】古今巻一        十七

   【柱】古今巻一        十七
の国しり給ひける比(ころ)也ければかれより人夫(にんぶ)おほくめし
よせて侍けるが多くあまりたりければ少々/返(かへ)し下され
ける中にある人夫一人しきりになげき申けるはたかき君
の御徳によりてさいはいに熊野の御山/拝(おかみ)奉らん事を悦(よろこひ)
つるにあまされまいらせて帰(かへし)くだらん事かなしき事なり只(たゞ)
まげて召供(めしぐ)せさせ給へと奉行(ぶぎやう)の人にいひければさりとては
余(あま)りたればさのみ何のやうにせんといひければなく〳〵愁(うれへ)て
唯(たゞ)御/功徳(くとく)に食(しよく)ばかりを申あたえ給へいかにも宮づかへは
仕(し)候べしとねん比に申ければあはれみてぐせられけり実(げに)も
かひ〴〵しく宿(やど)〳〵にては人もをきてねども諸人がこりの

水(みつ)を日(ひ)とりとくみければこりざほとなづけて人々【「〻」に濁点「˝」を附す】もあ
はれみけりさておとゞ参つき給ひてほうべいはてゝ證(しやう)
城殿(じやうでん)の御前(みまへ)に通夜(つや)して参詣(さんけい)の事ずいきのあまりに大臣
の身に藁沓(わらぐつ)はゞきをちゃくして長/途(ど)をあゆみまいりたる
ありがたき事也と心中に思はれて少(ちと)まどろまれたる夢(ゆめ)に
御殿(ごてん)より高僧(かうそう)出給ひて仰られけるは大臣の身にてわら
沓(ぐつ)はゞきして参りありがたき事に思はるゝ事此山の
ならひはゐんみやみなこの■【『近衛文庫本』16コマは「礼」】也あながちにひとり思はるべ
きことかはこりざほのみぞいとおしきと仰らるゝと見
給ひてさめにけりおどろき恐(おそれ)て其こりざほのことを
   【柱】古今巻一        十八

   【柱】古今巻一        十八
尋らるゝにしか〳〵と始(はしめ)よりの次第(しだい)申ければあはれみ給ひ
て国に屋しきなど永代(えいたい)かぎりてあて給ひけりいやしき
下臈(けらう)なれ共心をいたせば神明あはれみ給ふ事/如(ことし)此(かくの)
応保(おうほう)二年二月廿三日中納言/実仲卿日吉行幸(さねなかきやうひよしきやうがう)行/事(じ)の
賞(しやう)にて従二位(じゆにゐ)をゆるされける後徳大寺左大臣同官(ごとくたいしさたいしんとうくはん)にて
こえられにけりなげきながら時々(とき〳〵)出仕(しゆつし)せらけれども
同日には出仕なかりけりかゝる程に故右大臣大炊御門(こうたいしんおゝいのみかと)
の家(いへ)に行幸(きやうがう)有しふるき賞(しやう)をつのりて同年八月十七日同
従(じゆ)二位をゆるされけりされども猶下臈(なほけらう)也/長寛(ちやうくはん)二年/潤(うるふ)
十月廿三日大臣めしのつゐでに共に大納言に任(にん)ずさり

ながらもうらみは猶尽(なをつき)せず永万(ゑいまん)元年八月十七日大納言
を辞(じ)して正二位(せうにゐ)をゆるさるかんだちべくわんをやめて
加階(かかい)の例(れい)めづらしけれ共/実仲卿(さねなかきやう)こえかへさんの思ひふかくて
思たゝれけるとぞとかくしてしづまれ侍けるを世の人おしみ
あえりけり思ひわびてさまをやつしてひそかに春日社(かすかのやしろ)に
詣(まふて)て身の行すゑ思ひ定(さだむ)べきよし祈請(きしやう)せられけるほどに
若(わか)みや俄(にわか)にかんなぎに御/託宣(たくせん)有てさきの大納言を召出(めしいだ)し
給ひけるをしばしはまことしからずと思ひて猶立(なをたち)かくれら
れたりけれ共ふしぎ成しるしとも侍ればたへかねて出られ
にけり将相(しやう〳〵)の栄花(ゑいくわ)を極(きはめ)て君につかへん事程有べからず
   【柱】古今巻一        十九オ

   【柱】古今巻一        〇十九ウ
思なげく事なかれと仰られければ信仰(しんかう)の涙(なみだ)をのごひ
観喜(くわんぎ)の思ひをなして下向(けかう)せられにけり其比/詩歌(しいか)の
秀句(しうく)も多く聞えける中に
 罷(ヤメテ)_レ官(クワンヲ)未(イマタ)【「未」の左に「ス」】_レ忘_二 九重/目(ヲノナ)【「目」、他本「月」】_一 有(アリテ)_レ恨(ウラミ)将(マサニ)【「将」の左に「ス」】_レ逢(アハント)_二 五度/春(ノハルニ)_一
 かそふれは八とせへにけりあわれわか
  治しことは昨日とおもふに
これらを聞て世の人いとゞおしみあへる事かきりなし
かくて年月をふる程に治承(ぢしやう)元年三月五日/妙音院(めうをんゐん)
のおとゞ内大臣にておはしましけるが太政大臣(だしやうだいじん)にのぼ
り給ひて小松(こまつ)のおとゞ大納言の左大将(さたいしやう)にて侍けるが

内大臣にのほられけるかはりに大納言にかへり成つゝ
六月五日内大臣程なく大将を辞(じ)し申されければさり
とも此/闕(けつ)にはとたのみ深かりけれ共とかくさはりて
月日の過ければ此望み成就(しやうじゆ)せばいつく嶋に詣(まふ)す
べき由心の中に願を立られける程に十二月廿七日つゐに
左大将になられにけり若宮の御/託宣(たくせん)も思ひ合ら
れいつく嶋の宿(しゆく)願も頼み有てぞ思ひ給ひける
同三年三月/晦日(つごもり)いつく嶋に参るとて出られにけり
大納言/実(さね)国/卿(きやう)中納言実/家(いへ)卿などともなひ侍ける
とぞ此日中/御門(のみかと)左府(さふ)も参り給けり三条 ̄ノ左大臣

   【柱】古今巻一        〇二十
入道その時大納言なり六条の太政大臣の中将に
て侍りけるもおはしける伸(のべ)【伸、他本「伴ひ」】申されけり此/度(たひ)の事にや
中将かの島の宝前(ほうせん)にて太平/楽(らく)の曲(きよく)をまはれけるが
面白(おもしろ)かりける事也○仁安元年六月仁和寺の辺なりける
女の夢に天下の政(まつりこと)不法なるによりて賀茂の大明神
日本国を捨(すて)て他(た)所へわたらせ給べきよし見てけり同
七月上/旬(じゆん)祝(はうり)久/継(つぐ)が夢にも同体に見てげり是によりて
泰親(やすちか)時晴を召(めし)て占はせければ実夢(じつむ)のよし各(をの〳〵)申けり
治承(ぢしやう)四年九月高倉の院いつくしまに御幸(ごかう)ありけり
御願文みつから御草(ごさう)ありて殿/下(か)《割書:普賢寺殿(ふけんしとの)》清書(せいしよ)させ給へける

希(き)代の事にや彼御願文ことに目出度かりければ後日に
蔵人宮内少輔(くらんどくないのせふ)親経(ちかつね)表を書て奉りけるとなん
興(こう)福/寺(し)の僧(そう)のいまだ僧/網(こう)などにはのぼらざりけるが
学生などには侍けれ共いとまづしかりければ春日社
に参りて申けれ共其しるしもなかりければ寺のま【交】じらひ
も思ひたえて八幡に詣(まう)でゝ七日こもりて祈念しけるに
夜夢にゆゝしげなる客人(まろふと)の参り給りけるに大菩薩
御/対(たい)面有由也客人それがしと申僧やこもりて候と申給
ければさる事候とこたえ申させ給けり又客人宣はく
件の僧年/来(ころ)我を頼て朝夕にせめ候つれ共今度必
   【柱】古今巻一        〇二十一

   【柱】古今巻一        〇二十一
出離(しゆつり)すへきもの也もし楽(たのしみ)にほこりなばいかゞと思ひ
候へばひかへて候御ゆるし有ましく候と申させ給ひけり此
そうこの事を聞て此客人は誰にてわたらせ給しぞ
と人に尋ければ春日大明神の御わたりなりと答(こたへ)
てげり扨夢さめぬれば今生のけちゑんもうれしく
来(らい)世のとくだつもたのもしくてなく〳〵本/寺(じ)に帰りて
他事(たじ)なく後世のつとめをはげみてつゐに往生をとげに
けり此事山の恒舜(こうしゆん)が稲荷の利生(りしやう)蒙(かうふり)日吉のさまたけさ
せ給けるためしにすこしもたがはず侍けり
誰と聞侍しやらん名をはわすれにけり其人八幡に参て

通夜(つや)したりける夢に御殿(こてん)の御戸(みと)ををし開かせ給ひて
誠(まこと)にたけき御こゑにて武内(たけうち)とめしければ畏(かしこまつ)て参(まいら)せ給
御ていを見奉れば高年白髪(かうねんはくはつ)の俗形(ぞくきやう)まします御/装束(せうぞく)は
分明(ふんめう)ならず御/前(まへ)に畏(かしこまり)てさふらひ給ひ御ひげ白(しろ)く永(なかく)し
て御/居(い)だけとひとしかりけり又/御殿(ごてん)の内よりもさき
の御こゑにて世中みだれなんとすしばらく時政(ときまさ)が子(こ)に
なりて世(よ)を治(おさむ)へしと仰出されけば〻〻唯称(せうい)【他本「称唯」】して
おはしますと思ふほとに夢(ゆめ)さめにけり此事を思ふにされば
義時(よしとき)朝臣は彼御後身(かのごこうしん)にやその子泰時(こやすとき)までもたゝ
人にはあらざりけり
   【柱】古今巻一        〇二十二

 世の中に麻(あさ)はあとなくなりにけり
  心のまゝのよもきのみして
此/歌(うた)は彼(かの)朝臣の詠(えい)也思ひあはせられてはづかしくこそ侍れ
前摂津守橘以政(さきのせつつのかみたちはなのこれまさ)朝臣わかくより賀茂(かも)につかうまつ
りけるに四品(しほん)の望(のそみ)につかれて思ひあまりて申文(まうしふみ)を
書く御戸開(みとひらき)の夜(よ)参て何(なに)となき願書(くはんしよ)のよしにて
社司(しやし)をかたらひて御宝殿(こほうでん)にこめてげり御戸(みと)さしまいらせ
て後四品(のちしほん)の所望(しよまう)かなはねば大明神の御はからひにまか
せまいらせんとて申/文(ふみ)をこめつる也と披露(ひろう)しければ
社司氏人等当社(しやしうしうとらたうしや)の御ふかくに成ぬべしとて神主(かんぬし)一日

に百/度(と)をなんしけるはたして四品ゆるされにけり
俊乗(しゆんじやう)坊東大/寺(じ)を建立(こんりう)の願を発(をこ)して其/祈請(きしやう)のために太神宮
に詣(まう)でゝ内宮(ないくう)に七ケ日さんろう七日みつる夜(よ)の夢に宝珠(ほうじゆ)
を給ると見侍ける程に其/朝袖(あさそて)より白珠(はくじゆ)おちたり
けり目出て忝思ひてつゝみ持(もち)て出ぬ扨又外宮(けくう)に
七日さんろう先(さき)のことく七日みつる夜の夢に又前のことく珠(たま)
を給けり末代(まつだい)といへども信力(しんりき)のまへに神明感応(しんめいかんをふ)をた
れ給ふ事かくのごとし其玉(たま)一(ひとつ)は御/室(むろ)に有けり一つは
卿(きやうの)二品のもとに伝はりて侍ける夢に大師(だいし)汝(なんぢ)は東大(とうだい)
寺つくるべきもの也としめさせ給ひけるはたしてかくの

ごとしたゞ人にはあらぬ也 
熊野(くまの)に盲目(まうもく)の者/斉燈(さいとう)をたきて眼(まなこ)の明(あき)らかならん事
を祈(いの)る有けり此つとめ三年に成にけれ共しるしなかり
ければ権現(ごんげ)を恨(うらみ)まいらせて打卧(うちふし)たる夢に汝か恨所その
いはれなきにあらね共/先(せん)世のむくひを知(しる)べき也汝は日
高(たかの)河の魚(うを)にて有し也かの河の橋を道者渡(たうしやわたる)とて南無大/慈(じ)
三所権現と上下/諸人(しよにん)となへ奉る声(こゑ)を聞(きゝ)て其/縁(えん)により
て魚鱗(きよりん)の身(み)をあらためてたま〳〵うけがたき人身(にんじん)を得(え)
たり此/斉灯(さいとう)の光(ひかり)にあたる縁を以て又/来世(らいせ)に明眼(めいがん)を
えて次第(しだい)に昇進(せうしん)すべき也此事をわきまへすして

みだりに我を恨(うらむ)る愚(おろか)とはぢしめ給ふとみてさめに
けり其後さんげして一/期(ご)をかぎりて此役をつとめける
程に眼(まなこ)もあきにけり
助僧正覚讃(すけのそうじやうかくさん)は先達(せんだち)の山ぶし也那/知(ち)千日行者/大峰(おほみね)数度
の先達也五十にあまりて有職(うしよく)にも補(ふ)せざけるをうれへ
若王子(にやくわうじ)によみて奉りける
  山川のあさりにならてよとみなは
   流(なが)れもやらぬ物やおもはん
夢の中に御返事を給りける
  あさりにはしばしよとむそ山川の
   【柱】古今巻一        〇二十四

   【柱】古今巻一        〇二十四
   なかれもやらぬものなおもひと
承久(しやうきう)四年正月十六日/大外記良業(だいげきよしなり)しにたりけるに
十六日のあかつき河内守(かはちのかみ)繁昌(しげまさ)が夢に賀茂(かも)の御前(みまね)
にて除目(ぢもく)をこなはるゝけしき也けるに小折紙(こをりかみ)に大/外(げ)
記(き)なかはらのもろかたと書(かゝ)れたりと見て覚(さめ)めにけり
いそぎ此由もろかたにつげたりければ多(おほ)くつかうまつり
たるしるしと覚(おほへ)て忝たのもしく覚けるにやがてその夜
大外記に成にけりさきに仲隆(なかたか)助/教師(のりもろ)高師/季(すへ)
など競望(きやうまう)しけるうへ師/方(かた)は大/監物(けんもつ)にていまだ儒官(じゆくわん)を
へざりければぢきに拝任(はいにん)いかゝとさた有けり重(ぢう)代けい

ごのもの也けれ共引たつる人もなかりけるに忝/神恩(しんをん)を
蒙(かうふ)りて先途(せんど)を達(たつ)してげる目出度程のものなり
前大和守藤原重澄(さきのやまとのかみふぢはらしげすみ)は賀茂につかうまつりて太夫/尉(のぜう)迄
のぼりたる者也/若(わか)かりける時/兵衛尉(ひやうゑのぜう)に成侍らんとて
当社(たうしや)の土屋(つちや)を造進(ぞうしん)したりけり厳重(けんぢう)の成功(せいこう)にて社家(しやけ)
推挙(すいきよ)しければはづるべきやうもなかりけるにたび〳〵の
ぢもくにもれにけり重澄(しげすみ)が神(かみ)の社(やしろ)の師(し)にて侍ける
ものに申付てちもくの夜起請(よきしやう)せさせける程にまどろ
みたる夢にいなりより御/使(つかい)参たるもの有人出あひて
是を聞くにかの御/使(つかい)の申けるは重澄(しけすみ)が所望殊更(しよまうことさら)に任(にん)
   【柱】古今巻一        〇二十五

   【柱】古今巻一        〇二十五
せらるべからず我ひざもとにて生れながら我をわすれ
たるものなりと申ければ申つぎの大明神に申いるゝよし
にて度々(たひ〳〵)御問答(ごもんだう)ありけりさらば此/度計(たひばかり)なされずして
思ひしらせて後(のち)の度(たび)のぢもくになさるべしと申ければ
御/使帰(つかいかへ)りぬ師(し)おどろきて急(いそ)ぎ重澄(しげずみ)がもとへ行て此由
を語(かた)りて驚(おとろき)あやしむ程に其夜のぢもくにははづれに
けり此夢の誠(まこと)をしらんがために稲荷(いなり)へ参てつぎの度
のぢもくには申も出さゞりけれ共/相違(さうい)なくなされにけり。
太夫(たゆふ)の史淳方(しあつかた)わかゝりける時/常(つね)に賀茂(かも)へ参りけり
ある夜/下(しも)のやしろに通夜(つや)したりけるに人来て淳方(あつかた)

に告(つげ)けるは汝かならず太夫/史(し)にいたるべきもの也其時
編頗(へんば)あるべからす氏人祐継(うちうどすけつぐ)といふものありそれを師(し)とす
べしとてうせにけり夢さめてふしぎの思ひをなして
祐継(すけつく)といふ氏/人(うと)やあると尋(たつね)ければ祢宜(ねぎ)祐頼(すけより)が次男(じなん)
にいまだ年(とし)わかきもの有と聞て尋(たつね)あひて祈(いの)りすべ
き由ちぎりて其後/祐継(すけつく)も祢宜(ねぎ)に至(いた)り淳方(あつかた)も前途(せんど)
とげてげり官務(くはんむ)九年が間/清廉(せいれん)の聞えありしひとへに
神の御はからひなりと覚えてやんごとなし
二条/宰相雅経卿(さいしやうまさつねきやう)は賀茂(かも)大明神の利生(りせう)にて成あがり
たる人也そのかみ世の中あさましくたえ〴〵にして 
   【柱】古今巻一        〇二十六

   【柱】古今巻一        〇二十六
はか〴〵しく家(いへ)なども持(もた)ざりければ花山/院(ゐん)の釣殿(つりとの)に
宿(しゆく)してそれより歩行(かち)にてふるにも照(てる)にも只(たゞ)賀茂へ
参をつとめとしてげり其比よみ侍りけり
  世中に数(かず)ならぬ身の友千鳥(ともちどり)
   鳴(なき)こそわたれかもの川原に
此/歌(うた)心のうちばかりに思ひつらねて世にちらしたる
事もなかりけるに社司(しやし)《割書:忘(ハウ)_二却(キヤクス)|其名(ソノナヲ)_一》が夢に大明神われはなき
こそわたれ数(かず)ならぬ身にとよみたるものゝいとおしき
なり尋よとしめし給けりそれより普(あまね)く尋(たつね)ければ
此/雅経(まさつね)のよみたる也けりこの示現(じげん)きゝていかばかり

いよ〳〵信仰(しんかう)の心もふかゝりけんさて次第に成あがりて
二/位宰相(ゐのさいしやう)までのぼり侍り是しかしながら大明神の
利生(りせう)也。仁安(にんあん)三年四月廿一日吉田/祭(まつり)にて侍りけるに
伊与守信隆(いよのかみのふたか)朝臣氏人ながら神事もせで仁王/講(こう)を
おこなひけるに御(み)あかしの火/障子(しやうじ)にもえ付てその夜(よ)
やけにけり大炊御(おほいのみ)門/室(むろ)町なりそのとなりは民部卿光(みんぶきやうみつ)
忠卿(たゞきやう)の家(いへ)也神事にて侍りければ火うつらざりけり
おそるべき事にや

古今著聞集巻之一終
   【柱】古今巻一        〇二十七

【巻一裏表紙】

【背】

古今著聞集《割書:二》

【表見返し】

古今著聞集巻第二
  釈教(しやくけう)《割書:第二》
地神(ぢじん)のすゑにあたつて釈迦如来(しやかによらい)てんぢくに出給けり
鷲嶺(じゆりやう)【「鷲嶺」の左ルビ「わしのみね」】に月かくれ靏林(くはくりん)【「鶴林」の左ルビ「つるのはやし」】にけぶりつきて一千四百八十年
にあたつて我朝(わかてう)第三十代/欽明天皇(きんめいてんわう)十三年に百済(くたらの)【「百済」の左ルビ「はくさい」】
国(くに)よりはじめて金銅釈迦(こんどうのしやか)の像経論播蓋(ぞうきやうろんばんがい)とう奉り
けり御門(みかと)よろこばせ給てあがめ給ひけるをものゝべの
大臣等(たいしんら)わが国は神国(しんこく)なるゆへおもてかたぶけそうし
申ければ仏像(ぶつぞう)を難波堀(なにはのほり)江にながしすてゝ伽藍(がらん)を焼(やき)
はらはれにけり然(しか)る間/空(そら)より火(ひ)くだり内裏(だいり)やけ
   【柱】古今巻二        〇一

   【柱】古今巻二        〇一
にけり敏達用明(びたつようめい)崇俊(すじゆん)【峻】天皇(てんわう)三代の間/邪信(じやしん)あひ交(まじは)り
て帰依(きえ)いまだあまねからず推古(すいこ)天皇の御宇(きよう)厩戸豊(むまやどとよ)
耳皇子(みゝのわうじ)東圍(とうい)の位(くらゐ)にそなはり南面(なんめん)の尊(そん)にかはりて専(もつはら)
ばんきの政教(せいけう)をたれて仏法の興隆(こうりう)をいたし給へりそれ
より此かた仏法弘通(ふつほうこうつう)して効験(こうけん)たゆる事なし
我朝(わかてう)の仏法は聖徳太子弘(せうとくたいしひろ)め給へる所也太子は欽明(きんめい)
天皇(てんわう)の御孫(をんまこ)用明天皇(ようめいてんわう)の太子御/母(はゝ)は穴(あの)太/部(べ)の真人(まつと)の女(むすめ)也
御/母(はゝ)の夢(ゆめ)に金色(こんじき)の僧来(そうきたり)てわれ世をすくふ願(ぐはん)あり
ねがはくはしばらく御腹にやどらん我(われ)は救世(くせ)ぼさつ家(いへ)は
西方(さいはう)にありといひておどりて口(くち)に入と見給てはらまれ

給ひつる所也太子の御おぢ敏達天皇位(びたつてんわうくらゐ)につき給ふ始(はじ)め
の年正月朔日生れ給ふ其時(そのとき)赤光(あかきひかり)西方よりさして寝殿(しんでん)
にいたる其御身/甚(はなはた)かうばし四月(よかつき)の後(のち)によく物仰(ものおほせ)らるあくる
年の二月十五日の朝(あさ)みづから東(ひかし)に向(むか)ひたなごゝろを合て
南無仏(なむぶつ)と唱(とな)へ給ふ六才の御年/百済国(くたらのくに)より始(はしめ)て僧尼経(そうにきやう)
論(ろん)を持(もち)て渡(わた)れり八年に又/日羅(にちら)といふ人/渡(わた)りて太子を
礼(らい)して申さく敬礼(けうらい)救世(くせ)観世音(くはんせをん)伝燈東方粟散王(でんどうとうばうそくさんわう)とお
がみ奉て光(ひかり)をはなつ太子又/眉間(みけん)よりひかりをはなち
給ふ又/釈迦牟尼如来像弥勒(しやかむにによらいのぞうみろく)の石像(せきぞう)を渡(わた)す大臣蘓我(たいじんそがの)
馬子宿祢仏法(むまこのすくねぶつはう)に帰(き)して太子と心を一(ひとつ)にせり廿一年
   【柱】古今巻二        〇二オ

   【柱】古今巻二        〇二
天下/病(やまひ)おこりて死するもの多し其時ものゝべの弓削(ゆげ)
守屋の臣并に中臣(なかとみ)の勝海(かつうみ)ら邪見(じやけん)にして仏法を信(しん)ぜ
ず奏(そう)していはく我国(わかくに)はこれ神国(しんこく)也/然(しかる)に蘓我の大臣仏
法をひろめおこなふによりて病(やまひ)おこり死ぬるもの多し
是(これ)をとゞめられば人の命全(いのちまつ)かるべしと申によりてみこと
のりをくだして仏法を停止(てうじ)せらる即(すなはち)守屋(もりや)仰を承て
堂塔(だうとう)を焼(やき)ほろぼして仏法を滅亡(めつばう)す此時仏法みな亡(ほろ)ひ
なんとする間太子/悲泣懊悩(ひきうをうのう)し給ふ事かぎりなし
是によりて雲(くも)なくして雨風うごき空(そら)より火(ひ)くだつて
内裏(だいり)やけぬ其後太子の御/父用明(ちゝようめい)天皇/位(くらゐ)につかせ給

て更(さら)に又仏法を興(をこ)させ給ふ蘓我(そがの)大臣/勅(ちよく)を承て是を
おこなふほろびさせにし仏法是より又ひろまる太子/悦(よろこひ)
給ひて大臣の手をとりて宣(のたま)はく三宝(さんぼう)の妙(みやう)なる事
人いまだ知(し)らざるに大臣心をよせたりよろこばしきかな
やと此時かの守屋(もりや)の逆臣(ぎやくしん)が邪見(じやけん)を階(へい)【陛ヵ】下(か)に奏聞(そうもん)して
軍兵(ぐんびやう)をおこさしめて討(ちう)【誅】伐(ばつ)せんとす人是をひそかに守屋の
臣に告(つけ)しらするによりて阿都部(あとべ)の家にこもりゐて
兵(へい)をあつむ中臣勝海(なかとみかつうみ)同じく兵をおこして守屋をたすく
蘓我(そがの)大臣太子に申て兵を引て守屋が家にむかふ城(しろ)の
軍(いくさ)こはくして味方(みかた)の兵(へい)三どしりぞき帰(かへ)る其時太子の
   【柱】古今巻二        〇三

   【柱】古今巻二        〇三
御年十六にして大/将軍(しやうくん)の後(うしろ)に立給へり秦河勝(はたのかはかつ)に仰て
ぬるで【白膠木】の木をもつて四天王/像(のぞう)をきざみ作(つくら)しめて本/鳥(か)【他本「本鳥もとどり」】の
うへほこのさきにして願(ぐはん)を発(をこ)して宣(のたま)はく我をして戦(たゝかひ)に
勝(かたし)め給ひたらば四天王の像をあらはして寺塔(じたう)を立(たて)んと
大臣同じく願(ぐはん)してたゝかひをすらむ城中(じやうちう)に大成(おゝきなる)榎(ゑ)の木
あり守屋其木の上にのぼりてものゝべの氏(うぢ)のかみに祈(いのり)て
箭(や)をはなさしむるに太子の御よろひにあたりたり太子
又とねりあと見におほせて四天王にちかひて矢(や)を
はなさしむ定(でう)の弓恵(ゆみゑ)の矢(や)に和順(わじゆん)してとをくはしりて
逆臣(ぎやくしん)がむねにあたりて木よりさか様におちぬ軍兵

みだれ入て其/首(くび)を切(きり)つ是より仏法のあた永(なか)く絶(たへ)て
化度利生(けどりせう)のみちひろまれり《割書:委旨見|伝文》
当麻(たへま)の寺は推古天皇(すいこてんわう)の御宇/聖徳(しやうとく)太子の御すゝめに
よりて麻呂親王(まろのしんわう)の建立(こんりう)し給へる也/万法蔵院(まんぼうぞうゐん)と号(がう)して
則/御願寺(ごぐはんじ)になずらへられにけり建立の後(のち)六十一年をへて
親王夢想(しんわうむさう)によりて本(もと)の伽藍(がらん)の地を改(あらた)めて役(えん)の行者(ぎやうじや)
練行(れんぎやう)の地にうつされにけり金堂(こんたう)の丈(ぢやう)六の弥勒(みろく)の御身
の中に金銅(こんどう)一/攦(ちやく)手半(しゆはん)の孔雀明王像(くじやくめうわうぞう)一/体(たい)をこめ奉る
此/像(そう)は行者の多年(たねん)の本/尊(ぞん)也又行者/祈願力(きぐはんりき)により
て百済国(はくさいこく)より四天王の像(ぞう)とび来り給ひて金堂(こんたう)に
   【柱】古今巻二        〇三

   【柱】古今巻二        〇三
おはします堂前(だうせん)にひとつの霊石(れいせき)ありむかし行者/孔雀(くじやく)明
王の法を勤修(ごんしゆ)の時/一言主(ひとことぬしの)明神きたりて此/石(いし)に座(さ)し給へり
天/武(む)天皇の御宇/白鳳(はくほう)十四年に高麗国(かうらいこく)の惠観(ゑくはん)僧正を
導師(どうし)として供養(くやう)をとげらる其日/天衆降臨(てんしゆこうりん)しさま〴〵
の瑞相(ずいさう)あり行者/金峯山(きんぶせん)より法会(ほうゑ)の場(ば)に来りて私領(しりやう)の
山林田畠(さんりんたはた)等数百町を施入(せにう)せられけり曼荼羅(まんだら)の出現(しゆつげん)は
当時建立(たうじこんりう)の後百五十二年をへて大炊(おゝゐ)天皇の御時/横佩(よこはぎの)
大臣《割書:藤原|伊胤》といふ賢智臣(けんちのしん)侍りけりかの大臣に鐘(しやう)【他本「鍾」】愛(あい)の女(むすめ)
あり其/性(むまれつき)いさぎよくしてひとへに人間の栄耀(えいよう)をかろしめて
たゞ山林幽閑をしのびつゐに当寺の蘭若(れんにや)【「若にや」のルビ、濁点付の「に」】をしめて弥陀(みだ)

の浄刹(じやうせつ)をのぞむ天平/宝字(ほうじ)七年六月十五日/蒼美(そうび)を
おとしていよ〳〵往生(わうじやう)浄土のつとめ念ごろ也/誓願(せいぐわん)を発(おこ)し
ていはく我もし生身(しやうじん)の弥陀(みだ)を見奉らずはながく伽藍(からん)の
門圃(もんこん)を出じと七日/祈念(きねん)の間同月廿日/酉(とり)の刻(こく)に壱人の
比丘尼(びくに)こつぜんとして来ていはく汝(なんじ)九/品教主(ほんのけうしゆ)を見奉らん
と思はゞ百/駄(だ)の蓮花(れんげ)をまうくべし仏種縁(ぶつしゆえん)よりしやうずる故
也といふ本願/禅尼(ぜんに)観(くはん)喜身(ぎみ)にあまりて化人(けにん)の告(つげ)をしるして
公家(くけ)に奏聞(そうもん)す叡感(えいかん)をたれて宣旨(せんじ)を下されにけり忍海勅(にんかいちよく)
命(めい)を奉(うけたまはり)て近国(きんこく)の内に蓮(はす)のくきをもよほしめぐらすにわづ
かに一両日の程に九十/余駄(よだ)出来にけり化(け)人みづから蓮(はす)の
   【柱】古今巻二        〇五

   【柱】古今巻二        〇五
くきをもて糸(いと)をくり出す糸すてに調(とゝのを)りてはじめて清(きよき)
井をほるに水出て糸をそむるに其いろ五/色(しき)也皆人/差(さ)
嘆(たん)せずといふ事なし同廿三日夕又化人の女/忽(たちまち)に来て化尼(けに)
に糸すでに調(とゝのほ)れりやととふ則とゝのへる由を答(こたふ)その時
かの糸を此化女にさづけ給ふ女人/藁(わら)弐/把(は)を油二升にひた
して灯火(ともしび)として此/道場(だうじやう)の乾(いぬいの)すみにして戌(いぬ)の終(をはり)より寅(とら)
の始(はじめ)に至までに壱丈五尺の曼陀羅(まんだら)を織(をり)あらはして
一よ竹を軸(じく)にしてさゝげもちて化尼(けに)と願主(くはんしゆ)との中
にかけ奉てかの女人はかきけすごとくにうせて行方(ゆきかた)しら
ず成ぬ其曼陀羅のやう丹青(たんせい)いろをまじへて金玉(きんぎよく)の

【挿絵】
   【柱】古今巻二        〇又五

   【柱】古今巻二        〇又五
【挿絵】

光(ひかり)をあらそふ南のはしは一経/教起(けうき)の序文(じよぶん)北のはしは
三昧正受(さんまいせうじゆ)の旨帰(しき)下のかたは上中下/品来迎(ぼんらいこう)の儀/中台(ちうだい)
は四十八願/荘厳(しやうごん)の地也これ観経(くはんぎやう)一/部(ぶ)の誠文釈尊(しやうもんしやくそん)
詔諦(ぜうたい)の金言(きんげん)化尼かさねて四句(しく)の偈(げ)をつくりて
しめしていはく
 往昔(ソノカミ)迦葉説法所(カシヤウセツホフノトコロ) 今来(イマ)法起(ホツキシテ)作(ナス)_二仏事(ブツジヲ)_一
 響/懇(ナルカ)_二西方(サイホウニ)_一故 ̄ニ我 ̄レ_来 ̄レリ 一(イトタビ)入_二 ̄レハ是(コノ)場_一 ̄ニ永 ̄ク離_レ ̄ル苦 ̄ヲ《割書:云(ウン)| 云(々)》
本願のあま有_二願力(くはんりき)_一により未曽有(みぞう)なる事をみる
化人の告(つげ)によりて不思儀(ふしぎ)のことばを聞て問(とふて)云そも〳〵
わが善知識(ぜんちしき)はいづれの所より誰(たれ)の人の来給ひつるぞ
   【柱】古今巻二        〇六

   【柱】古今巻二        〇六
答(こたへ)て云われはこれ極楽世界(こくらくせかい)の教主(けうしゆ)也/織姫(をりひめ)はわが左(ひだり)の
わきの弟子/観世音(くわんぜおん)也/本願(ほんぐわん)をもての故に来て汝が心
を安慰(あんい)する也ふかく件(くたん)のをんを知(し)りてよろしく報謝(ほうしや)
すべしと再三(さいさん)つぐる事ねんごろ也其後/比丘尼(ひくに)西をさし
て雲(くも)に入てさり給ぬ本願禅尼宿望(ほんくはんぜんにしゆくまう)すでにとげぬる
事をよろこぶといへ共/恋慕(れんぼ)のやすみがたきにたへず禅(ぜン)
客去(カクサツテ)無(ナシ)_レ跡(アト)空(ムナシク)向(ムカツテ)_二落日(ラクジツニ)_一流(ナガス)_レ涙(ナンダヲ)徳音(トクイン)留(トマツテ)不(ズ)_レ忘(ワスレ)只(タヾ)仰(アヲヒテ)_二変像(へンゾウ)_一
消(ケス)_レ魂(タマシヒヲ)その後廿四年をへて宝亀(ほうき)六年四月四日/宿願(しゆくぐはん)に
まかせてつゐに聖衆(しやうじゆ)の来迎(らいかう)にあづかる其間の瑞相(ずいさう)
くはしくしるすにおよはず

行基菩薩(きやうぎほさつ)もろ〳〵の病(びやう)人をたすけんがために有馬(ありま)の
温泉(をんせん)にむかひ給ふに武庫山(むこのやま)の中に壱人の病者(ひやうじや)ふしたり
上人あはれみをたれてとひ給ふやう汝(なんぢ)なにゝよりてか此
山の中にふしたる病者/答(こたへ)ていはく病身(びやうしん)をたすけん
ために温泉(をんせん)へむかひ侍る筋力絶尽(きんりよくたへつき)て前途達(せんどたつ)がたく
して山中にとゞまる間/粮食(かて)あたふるものなくしてやう〳〵
日数(ひかず)ををくれりねがはくは上人あはれみをたれて身命(しんみやう)
をたすけて給へと申上人此/言葉(ことは)を聞ていよ〳〵悲歎(ひたん)
の心ふかし則/我食(わかじき)をあたへてつきそひてやしなひ
給ふに病者いはくわれあざやかなる魚肉(ぎよにく)にあらではしよく
   【柱】古今巻二        〇七

   【柱】古今巻二        〇七
する事をえずと是によりて長渕(ながす)のはまに至(いた)りてなまし
き魚(うを)を求(もとめ)てこれをすゝめ給ふに同しくは味(あちはひ)をとゝのえ
てあたへ給へと申せば上人みづから塩梅(あんばい)をして其/魚味(うをのあち)
をこゝろみてあぢはひとゝのふる時すゝめ給ふに病者是
をぶくすかくて日を送(をく)る又云/我病温泉(わがやまひをんせん)の効験(かうけん)をたの
むといへとも忽(たちまち)にいえん事かたし苦痛(くつう)しばらくもしのび
がたしたとへをとるに物なし上人の慈悲(じひ)にあらては誰(たれ)か
我をたすけんねがはくは上人我いたむ所のはだへをねぶり
給へしからばおのづから苦痛(くつう)たすかりなんといふ其/体焼爛(たいしやうらん)
してその香(にを)ひはなはたくさくして少もたへこらふべくも

なししかれども慈悲(じひ)いたりてふかきゆへにあひ忍(しのび)て病者の
いふにしたがひて其はだえをねぶり給に舌(した)の跡(あと)紫麻(しま)金色(こんじき)
と成ぬ其仁を見れば薬師如来(やくしによらい)の御身也其時仏/告(つけて)云
我はこれ温泉行者(をんせんのぎやうじや)也上人の慈悲をこゝろみんがために
病者の身にげんじつる也とて忽然(こつねん)としてかくれ給ひぬ其
時上人/願(くはん)を発(をこ)して堂舎(だうしや)を建立(こんりう)して薬師如来を安置(あんぢ)
せんと願し其/跡(あと)を崇(あがめん)と思ふ必/勝地(せうち)をしめせとて東に
むかひて木葉(このは)をなげ給《割書:正良|の木》すなはち其木葉の落(をつ)る所
を其所とさだめて今の昆陽寺(こやじ)を建(たて)給つ【へ?】る也/畿内(きない)
に四十九院を立給へるその一也/天平(てんへい)勝宝(せうほう)元年二月に
   【柱】古今巻二        〇八

   【柱】古今巻二        〇八
御とし八十にてをはりをとり給とて読(よみ)給ひける歌
   法(のり)の月久しくもかなとおもへとも
    夜やふけぬらんひかりかくしつ
御弟子ともの悲歎(ひたん)しけるをきゝ給ひて
   かりそめのやとかる我をいまさらに
    物なおもひそ仏とをしれ
嵯峨(さがの)天皇 ̄ノ御時天下に大疫(だいえき)の間/死(し)人/道路(どうろ)にみちた
りけりこれによりて天皇みづから金字(こんじ)の心経(しんぎやう)をかゝせ
給ひて弘法(こうぼう)大師にくやうせさせ奉られけり其/効験(かうけん)
ことはをもてのぶべからすおくに大師記(たいしのき)をかゝせ給へり其

御記にいはく
于(ニ)_レ時(トキ)弘仁(コウニン)九年 ̄ノ春(ハル)天下大/疫(ニエキス)爰(コヽニ)帝皇(テイワウ)自(ミツカラ)染(ソメ)_二黄金(ワウコンヲ)於/筆(ヒツ)
端(タンニ)_一握(ニキリ)_二紺紙於爪掌(コンシヲソシヤウニ)_一奉(タテマツリ玉)_レ写(ウツシ)_二般若(ハンニヤ)心経一/巻(クハンヲ)_一予(ヨ)範(ハントシテ)_二講経之(コウキヤウノ)撰(センニ)_一
綴(ツヽリ)_二経/旨之(シノ)宗(ムネヲ)_一未_レ ̄タ【「未」の左に訓点「ス」】待(マタ)_二結願之(ケチクハンノ)詞(コトハヲ)_一蘇(ソ)-生(セイ)族(ムラガル)_二于/途(ミチニ)_一夜変日光(ヨヘンジテニツクハウ)
赫奕(カクエキタリ)是(コレ)非(アラズ)_二愚身(グシンノ)戒徳(カイトクニ)_一金輪之御信力(コンリンノコシンリキノ)所(トコロ)_レ為也(ナスナリ)但(タヽシ)詣(イタルノ)_二神(シン)
舎(シヤニ)_一輩(トモカラ)奉(タテマツレ)_レ誦(シユシ)_二此秘鍵(コノヒケンヲ)_一昔予(ムカシワレ)陪(ハンベリ)_二鷲峯説法之莚(ジユホウセツホウノエンニ)_一親(マノアタリ)聞(キク)_二此(コノ)
深文(シンモンヲ)_一豈【「豈」の左に訓点「ヤ」】_レ不(サラン)_レ達(タツセ)_二其儀(ソノギニ)_一而已
大かくじにいまだ有となん
弘仁(こうにん)五年の春/傳教(でんげう)大師/渡海(とかい)の願をとげんがために
筑紫(つくし)にてさま〴〵の作善(さぜん)共ありけり五尺の千手観音
   【柱】古今巻二        〇九

   【柱】古今巻二        〇九
を作り奉り大般若(だいはんにや)二ぶ一千弐百法華経一千部八千巻
をみづから奉らる又うさの宮にてみづから法花経を講(こう)
じ給ふに大ぼさつたくせんし我(ワレ)不(ス)_レ聞(キカ)_二法音(ホウヲンヲ)_一久(ヒサシク)歴(フ)_二歳年(セイネンヲ)_一
さいはい値(チ)_二-偶(グシテ)和尚(クハシヤウニ)_一聞(キヽ)_二正教(セウゲウヲ)_一兼(カネテ)而/為(タメニ)_レ我(ワカ)修(シユス)_二種(シユ)々(ヾノ)功徳(クドクヲ)_一至誠(シセイノ)
随喜(ズイキ)何(ナンゾ)足(タラン)_二謝徳(シヤトクニ)_一矣/而(シカルニ)有(アリ)_二我所持法衣(ワレシヨヂノホウエ)_一すなはちたく
せんの人みづから宝殿(ほうてん)をひらき手にむらさきのけさ一
むらさきの衣一をさゝげて上(タテマツリ)_二和尚_一大/悲(ひ)の力幸(ちからさいはい)垂(したり?)_二納受(なふじゆを)_一
との云給けり祢宜(ねぎ)祝等(はふりら)この事を見てむかしよりいまだ
かゝる事見きかずと云けりくだんの御衣等今に叡山(えいさん)
根本中堂(こんぼんちうだう)の経蔵(きやうぞう)にあり鳥羽院臨幸(とばのゐんりんかう)の時も御/拝(はい)

見有けり後(ご)白河 ̄ノ院御/幸(かう)のときも拝(はい)せさせ給けり
知證(チシヤウ)大師/御起文(ゴキモン)云/予(ワレ)依(ヨツテ)_二山王 ̄ノ御/語(ツゲニ)_一渡(ワタリ)_二於/大唐国(タイトウコクニ)_一受(ジユ)_二-
持(ジシ)仏法_二 ̄ヲ【「法」の訓点は「一」の誤記ヵ】還(カヘル)_二本朝_一 ̄ニ海中 ̄ニ老/翁現(ヲウゲンシテ)_二於/予(ワガ)船_一 ̄ニ而/偁(イハク)我 ̄ハ新羅
国 ̄ノ明神也和尚 ̄ノ受(ジユ)【「受」の訓点「二」の脱ヵ】-持(ヂシ)仏法_一 ̄ヲ至_二 ̄マテ而/慈尊(ジソンノ)出世_一 ̄ニ為(タメニ)_二護持(コヂセンカ)_一
来向 ̄スル也者 ̄ハ【「者ハ」は他本「者(てへ)り」】如_レ ̄ク是 ̄ノ言説(コンセツノ)之/後(ノチ)其形/既隠(ステニカクル)予(ワレ)着(チヤク)-岸(カンシテ)申_二公
家_一 ̄ニ即 ̄チ遣(ツカハシ)_二官/使(シヲ)_一所持 ̄ノ仏像法門 ̄ヲ被(ラル)_三運(ウン)_二納(ノフセ)於太政官_一 ̄ニ
于_レ時海中 ̄ノ老翁/亦(マタ)来 ̄テ云 ̄ク此日本国 ̄ニ有_二/一勝地(ヒトツノシヤウチ)_一我先 ̄ニ至_二 ̄テ
彼 ̄ノ地_一 ̄ニ早 ̄ク以/点定(テンジサタメン)申_二 ̄テ於公家_一 ̄ニ建【「建」の訓点「二-」の脱ヵ】立 ̄シ一 ̄ノ伽藍_一 ̄ヲ安(アン)-置(チシ)興(コウ)_二-隆(リウセヨ)仏-
法_一 ̄ヲ我/為(ナリテ)_二護法神_一 ̄ト鎮(トコシナヘ)加持(カヂセン)矣所謂仏法ハ是/護(コ)_二-持(チスル)王
法_一 ̄ヲ也若仏法滅 ̄セハ者王法/将(マサニ)【「将」の左訓点「ス」】_レ滅(メツセント)矣予出 ̄テ登(ノボリ)_二本山千光
   【柱】古今巻二        〇十

   【柱】古今巻二        〇十
院_一 ̄ニ従(ヨリ)_二千光院_一至_二 ̄リ山王院_一 ̄ニ受(ウク)_二山王 ̄ノ語宣_一 ̄ヲ早 ̄ク法門 ̄ヲ運(メグラセヨ)_二此所_一 ̄ニ者(テイレハ)
明神 ̄ノ偁(イハク)此地ハ末代心 ̄ニ有_二 ̄ン喧事(カマビスキコト)_一歟/其奈何(ソレイカントナレハ)者/各(  〳〵)受(ウケテ)北 ̄ヲ
長_レ/下(シモニ)也其内此山可_レ ̄キ盛(サカンナル)事今二百歳 ̄ナル哉(カナ)我見_二 ̄ニ勝地_一 ̄ヲ来(ライ)
世 ̄ノ衆生可_レ ̄シ為_二 ̄ル依所_一興_二隆 ̄シ仏法_一 ̄ヲ護_二-持 ̄シテ王法_一 ̄ヲ至_二 ̄テ彼-地_一 ̄ニ可_二相
定_一者(テイレハ)明神山王別当西塔即 ̄チ到_二 ̄リ近江 ̄ノ国志賀 ̄ノ郡/園城(ヲンジヤウ)寺【訓点一】 ̄ニ
案_二内 ̄ス於住僧等_一 ̄ニ爰 ̄ニ僧等申/不(スト)_レ知_二 ̄ラ案内_一 ̄ヲ者一人 ̄ノ老比丘名 ̄ヲ
謂(イフ)_二教/待(タイト)_一出来 ̄テ云 ̄ク教 ̄ガ年百六十二也此寺建立之後/経(フル)_二百八十
余年_一 ̄ヲ也有_二建立 ̄ノ壇越(タンヲツノ)子孫_一去 ̄テ即 ̄チ教待(ケウタイ)呼(ヨブ)_二彼 ̄ノ氏人_一 ̄ヲ姓名 ̄ハ大友 ̄ノ
都堵牟(トヽム)麻呂(マロト云)出来 ̄テ云 ̄ク都堵牟麻呂(トトムマロ)生年百四十七也此寺 ̄ハ先
祖大友 ̄ノ与多奉_二_為 ̄ニ【奉為おんため】天武天皇_一 ̄ノ所_二 ̄ロ建-立_一 ̄スル也此地先祖大友 ̄ノ太政

大臣 ̄ノ之家地也/堺(サカイシ)_二/四至(シシヲ)_一被(ル)_二宛給(アテタマハ)_一《割書:大|略》教待大徳/年来(トシコロニ)云 ̄ク可(ヘキ)_レ領(リヨス)_二
此寺_一 ̄ヲ人渡唐 ̄セシ也/遅還(ヲソクカヘリ)来 ̄ル之(ノ)由常 ̄ニ語 ̄ル而 ̄ニ今日已 ̄ニ相待人来也可_二《割書:ト云》出-
会_一 ̄フ者今以_二此寺家_一 ̄ヲ奉_二付属(フゾクシ)_一此寺之領地四至 ̄ノ内専 ̄ラ無_二 ̄シ他人 ̄ノ
領地_一而 ̄ニ時(ジ)【日に之】代/移(ウツリ)人心/謟(カン)曲(キヨクニシテ)諸国之/刺(シ)史/称(セウハ)_二私領之地_一 ̄ト然 ̄モ而氏
人旡_レ ̄シ力 ̄ラ弁(ワキマヘ)定 ̄テ早 ̄ク触_レ ̄レ国 ̄ニ可_レ ̄シ被(ル)_二糺返(タヽシカヘ)_一者/付属(フゾク)之後山王/還(カヘリ)給 ̄フ明神
住(トユリ?)_二寺 ̄ノ北野(ホク)-野(ヤニ)_一無量之眷属/圍遶(ヰミヤウスレトモ)他人之所_レ不_レ ̄ル知_レ ̄ラ見也見知 ̄レハ明 ̄ニ住給 ̄フ
野 ̄ニ乗_レ ̄ルノ與【輿ヵ】之人引_二-率 ̄シテ百千眷属_一 ̄ヲ来 ̄リ向 ̄フ以_二飲食(インシイヲ)_一奉_レ ̄リ饗(ケウシ)_二明神_一 ̄ヲ之処
老比丘教待到_二 ̄テ於彼 ̄ノ明神之在所_一 ̄ニ逓(タガイニ)【𨓝】以 ̄テ喜悦 ̄ス即比丘 ̄ト輿(コシノ)【𢲓】人(ヒトヽ)形
隠 ̄テ不_レ ̄ス見 ̄ヘ于_レ時問_二 ̄テ神明_一 ̄ニ偁 ̄ク此比丘 ̄ト輿(コシノ)【𢲓】人忽 ̄チ不_レ見 ̄ヘ是何人/耶(ナルヤ)明神
答_レ《割書:玉フ》之 ̄ニ老比丘 ̄ハ是 ̄ハ弥勒如来/為(タメ)_レ護_二持 ̄ノ仏法_一 ̄ヲ住_二_給 ̄フ此寺_一 ̄ニ耶/輿(コシノ)人 ̄ト
   【柱】古今巻二        〇十一

   【柱】古今巻二        〇十一
者是 ̄レ三尾(ミヲノ)明神/為(タメ)_レ訪(トムロフ)_レ我 ̄ヲ来也/者(テイレハ)予還_二 ̄リ-到 ̄テ寺_一 ̄ニ教待 ̄ガ有様 ̄ヲ向_二 ̄フ都堵(トト)
牟麻呂(ムマロ)_一 ̄ニ専 ̄ラ不_レ知_二 ̄ラ此老比丘 ̄ノ案内_一 ̄ヲ年来(トシゴロ)此比丘/不(アラカレハ)_レ魚 ̄ニ不(ズ)_二飲-食(インシヨクセ)_一不(サ?レハ)
_レ酒 ̄ニアラ不(ス)_二湯飲(トウインセ)_一常 ̄ニ到_二 ̄テ寺領海辺之江_一 ̄ニ取_二 ̄テ魚鼈(キヨヘツヲ)_一為(ナス)_二斎食(サイシキノ)之菜(サイト)_一而/謁(エツシテ)_二
和尚_一 ̄ニ忽 ̄チ隠 ̄ル之/悲哉(カナシイ 〳〵)《割書:々| 々》不(ス)_レ惜(ヲシマ)_レ音(コヘヲ)哀(アイ)泣( ウス)【アイキウスヵ】今大衆共 ̄ニ見_二 ̄ニ住房_一 ̄ヲ年来
干置(ホシヲリ)魚類 ̄ハ皆是 ̄レ蓮華 ̄ノ茎(クキ)根葉也於_レ ̄テ是 ̄ニ知_二 ̄ル不(サル)_レ例(レイナラ)人 ̄ノ由_一 ̄ヲ今教待
已(ステニ)隠 ̄ル我院早 ̄ク可_レ ̄キ被_二 ̄ル興隆_一 ̄セ者也/者(テイレハ)問_二 ̄フ之此 ̄ノ寺之名_一 ̄ヲ謂_二 ̄ク御(ミ)井寺_一 ̄ト
其/情者(コヽロハ)云何(イカント)氏人答 ̄ヘ云 ̄ク天智天武持統此三代之天皇/各(ミナ)生(マシマシ)
給 ̄フ之/時最初(トキサイシヨ)之時 ̄ノ御/湯(ユ)行水/汲(クンテ)_二此地 ̄ノ内井_一 ̄ヲ奉_レ ̄ル浴(ヨクシ)之由/俗詞(ソクノコトハニ)
語 ̄リ来 ̄ノ件 ̄ノ井 ̄ノ水依_レ ̄テ経(フルニ)_二 三皇 ̄ノ御用_一 ̄ヲ号_二 ̄ス御井_一 ̄ト者予問_二此 ̄ノ縁起(エンキ)_一 ̄ヲ漸(ヨウヤク)見_二 ̄ハ
地形_一 ̄ヲ宛(アタカモ)如_二 ̄シ大唐青龍寺_一 ̄ノ奉_レ ̄リ受_二 ̄ケ付属_一 ̄ヲ畢 ̄ヲ【テ?】別当西塔共 ̄ニ還_二 ̄ル本山_一 ̄ニ

別当共 ̄ニ参_二 ̄リ内裏_一 ̄ニ奏 ̄シテ申_レ由 ̄ヲ勅/急(スミヤカニ)造(ツク?)_二唐坊_一 ̄ヲ仏像法門/運(ハコヒ)_二-移(ウツス?)
此寺_一 ̄ニ予改_二 ̄テ御井寺_一 ̄ヲ成_二 ̄ス三井寺_一 ̄ト其由/何者(イカントナレハ)件 ̄ノ井水三皇用 ̄ヒ給
上此寺為_二 ̄テ伝法/灌頂(クハンテウノ)之庭_一 ̄ト可_レ汲_二井(セイ)花水_一 ̄ヲ之事/令(シムレ)_レ継(ツカ)_二弥勒三
会 ̄ノ暁(アカツキヲ)_一故 ̄ヘニ成_二 ̄ス三井寺_一故 ̄ト《割書:云| 々》
聖宝僧正(せうぼうそうぜう)十六にて出家して始(はじめ)て元興寺(ぐはんごうし)にて三/論(ろん)
の法文を学(まな)び後に東大寺(とうだいし)にて法相(ほつさう)花厳(けごん)の法文を修学(しゆがく)
す東大寺の東坊 ̄ノ南第二の室(しつ)は本願の時より鬼神(きじん)のすむ
とて内作(ないさく)もなくて荒室(くはうしつ)となづけて住(すむ)人もなかり
けるを此僧正いまだ若(わか)かりける時居所のなかりければ
かのしつに住けり鬼神さま〴〵のかたちをげんじけれ共
   【柱】古今巻二        〇十二

   【柱】古今巻二        〇十二
かなはでつゐにさりにけり其後一門の僧相/継(つゝい)て居住
して今にたえずとなん
吏部王記(リホウワウタ?キニ)曰 ̄ク真崇禅師(シンスウゼンシ)述(ノヘテ)_二金峰山神通(キングセンノジンヅウヲ)_一云古老相_二伝 ̄フ之_一 ̄ヲ
昔 ̄シ漢土 ̄ニ有_二 ̄リ金峯山_一金剛蔵王(コンゴウサワウ)菩薩(ホサチ)【𦬇】住_レ ̄ス之 ̄ニ而 ̄シテ彼 ̄ノ山/教(シメテ)【「教」の左に「シム」】_レ移(ウツサ)【訓点二】
滄海(ソウカイヨリ)_一而来金峯山則 ̄チ是彼山也山 ̄ニ有_二捨身谿(シヤシンノタニ)_一号_二 ̄ス阿古谷_一 ̄ト
有_二體龍(タイリヤウ)_一昔(ソノカミ)本元興寺 ̄ノ僧 ̄ニ有_二童子_一名_二 ̄ク阿古_一 ̄ト少而(ワカフシテ)聡悟(サウゴナリ)
試経 ̄ノ之時師/使(シテ)【「使」の左に「シム」】_下レ阿古(アコヲ)奉(ホウセ)_上レ試(シヲ)及_二 ̄テ已 ̄ニ得(ウルニ)_一幾代(ホトントカハツテ)度_二 ̄ス他人_一 ̄ヲ如_レ是 ̄ノ両度
爰 ̄ニ阿古/恨忿(ウラミイカツテ)捨(スツ)_二身 ̄ヲ此谷_一即得_二 ̄タリ龍身_一 ̄ヲ師聞_二 ̄テ捨身_一 ̄スルヲ驚 ̄キ悲 ̄ミ往 ̄テ
看(ミル)于_レ時已 ̄ニ化_レ ̄ス龍 ̄ト頭 ̄ハ猶(ナヲ)人也而先/欲(ス)_レ害(カイセント)_レ師 ̄ヲ菩薩 ̄ノ冥護(メウゴアツテ)崩(クズシ)
_レ石 ̄ヲ圧(ヲス)_レ龍 ̄ヲ故 ̄ニ師/免(マヌカル)_レ害 ̄ヲ貞観年中觀海法師為_レ見_二 ̄ン竜身(リユウシンヲ)_一往(ユイテ)

到_二 ̄ル彼 ̄ノ谿(タニニ)_一夢 ̄ニ龍請_レ ̄テ之 ̄ヲ明朝/将(マサニ)【「将」の左に「ストシ?」】_レ見 ̄ヘント?也比_二 天明_一 ̄ル興(ヲコシ)_レ雲 ̄ヲ降(クダシ)電(ライヲ)見【訓点二】龍 ̄ノ
挙_一レ ̄ルヲ首 ̄ヲ高二丈計一頭八身 ̄ヲ観海/祈(イノリ)_レ龍 ̄ヲ云奉_レ ̄テ写_二 八部法花経【訓点一】
将(マサニ)【「将」の左に「ス」】_レ救(スクハント)_二汝 ̄カ苦 ̄ヲ【訓点一】勿(ナカレ)_レ害(カイスルコト)_二於吾(ワレヲ)_一龍猶 ̄ヲ吐(ハイテ)_レ気 ̄ヲ害/将(マサニ)【「将」の左に「ス」】_レ及_レ ̄バント身 ̄ニ観海大 ̄ニ恐 ̄レ心
神迷惑 ̄シテ則帰命菩薩【𦬇】須(スヘカラク)【「須」の左に「ハン?」】_レ写_二件之経_一 ̄ヲ於_レ是 ̄ニ雲/霧冥(キリクラクシテ)失(シツヌ)_二龍 ̄ノ所 ̄ヲ
_レ在(アル)須臾(シユエユニ)_一雲霧即/除忽然(ハラヒコツネントシテ)身至_二 ̄ル御在所_一 ̄ニ《割書:菩薩|在所也》観海祈感シテ
如_レ ̄ク願 ̄ノ写_レ ̄シ経 ̄ヲ将(マサニ)【「経」の左に「ス」】_二供養_一レ ̄セント之 ̄ヲ請(シヤウシテ)_二善祐法師_一 ̄ヲ為(ス)_二講師_一 ̄ト善祐法師
固辞(コジス)夢 ̄ニ菩薩告 ̄テ_曰我今請_レ ̄ス汝 ̄ヲ勿_二 ̄レ苦【ねんごろに】/辞(シスルコト)_一須(スヘカラク)【「須」の左に「ヘシト」】_下至_二 ̄テ方便品_一漢(カン)
音(ヲンニ)読(ヨム)_上レ之(コレヲ)善祐/感悟(カンゴシテ)起請 ̄ス如_二 ̄ク菩薩【𦬇】 ̄ノ告_一 ̄ノ比_レ ̄ロ至_二 ̄ル方便品_一大風/飄(ヒルカヘシ)【訓点「レ」】経 ̄ヲ不
_レ知_レ ̄ラ所_レ ̄ヲ去 ̄ル八部法花経今見_二 ̄ル一巻/香隆(カウリウ)寺_一 ̄ニ僧正寛空ハ河内国
の人也/神日律師入室(シンニチリツシニツシツ)寛平法皇/灌頂(クハンテウ)の御弟子也天徳
   【柱】古今巻二        〇十三

   【柱】古今巻二        〇十三
四年/炎旱(ゑんかん)のうれへありけるに五月九日より仁寿殿(にんしゆでん)にて
孔雀経法(くじやくのきやうほう)を修(しゆ)せられけるに修中(しゆちう)に雨くたらざりけり結願(けちくわん)
の日に成て巻数を奉る時殿上に霊験(れいけん)なきよしをせうして
執奏(しつそう)せざりけり僧正そのよしを聞て法ふくをちやくし
かうろをさゝげて庭中に立てふかくくわんねんの時かう
ろのけふりたかくのほりて大雨すなはちふるたゞしきん
闕(けつ)ばかりふりて郭(くわく)【墎】外(くはい)にはくだらざりけり人あやしみと
しけり 寛忠僧都(くわんちうそうづ)《割書:号池上|僧都》は寛平法皇の御孫兵部卿/敦固(あつかたの)
親王の子法皇入/室(しつ)いしやま内供受法灌頂(ないくしゆほうくわんてう)の弟子なり
行業(こうぎやう)つもり霊験(れいげん)すぐれたる人也千日ごまを修し

侍ける間は護法香の火をおきけり又度々/孔雀経(くしやくきやう)の
法に霊験(れいけん)をほどこせり就(なかん)_レ 中(づく)習星(しゆうせう)成怪(でうけ)行功其光(けうくごくわう)の
由あまねく人口(じんこう)にあり
承平(しやうへい)元年の夏の比/貞崇(ていすう)法師東寺の坊にて経を読(よみ)
けるに大なる亀【龜】いで来りて見へけり非常(ひしやう)の物と思ひ
て見ずこゝろをもつはらにして経をよみけるにしばし有て
雷電(らいでん)してこの亀(かめ)天に入けりつぎの日/火雷(くわらい)天神かたち
をけんじ給ひて貞崇(ていすう)にのたまひけるはわれきのふ物語
せんと思ひしに我を見ざりしほいをそむけり貞崇/答(こた)へ
申て云きのふたゞ大なる亀を見る崇神(すうじん)とは知(しり)奉ず
   【柱】古今巻二        〇十四

   【柱】古今巻二        〇十四
但あやしむ所は雷(らい)天に冲(うごく)ことを神のの給はくわれもとの
あくしんによりて苦(く)をうく汝わがかたちを見るべしとて
則げんじ給けり貞崇(ていすう)見奉るに上(かみ)の体雷公(ていはらいこう)の図(づ)に似(に)
たりこしより下(しも)は火もゆるがごとし六月に又内裏へ参らん
と思ふなりとのたまひて則見へ給はず
浄蔵(しやうぞう)法師はやんごとなき行者也かづらき山におこなひ
ける頃金/剛山(ごうせん)の谷(たに)に大なる死人のかばねありけり
かしら手足つゞきてふしたり苺(こけ)【莓】あおくおいて石を枕(まくら)
にせり手に独鈷(とつこ)をにぎりたりこんじきさびずして
きらめきたり浄蔵大にあやしみて其谷にとゞまりて

【挿絵】
   【柱】古今巻二ノ        〇又十四

   【柱】古今巻二ノ        〇又十四
【挿絵】

これなに人のかばねといふことをしらんと本尊にきせい
しけるに第五日の夜夢に人告ていはく是はなんぢが
むかしの骨(こつ)なりすみやかにかぢしてかの独鈷(とつこ)を得べき
なりといふさめてかばねにむかつて声(こゑ)をあげてかぢす
るにかばねはたらきうごきておきあがりてたなごゝろを
ひらきて独鈷(とくこ)を浄蔵(じやうそう)にあたへてげり其後たきゞを
つみてはふりてうへに石のそとばを立たりけりくだんの
そとば今にかの谷(たに)に有となん爰に浄蔵は多/生(しやう)の
行人なりといふ事をしりぬ又ひえい山/横川(よかは)に三年こ
もりて六道衆生のために毎日法花経六部をよみ
   【柱】古今巻二        〇十五

   【柱】古今巻二        〇十五
三時の行徳を修し六千べんの礼拝をいたして廻向(ゑかう)し
けり其時/護法(ごほう)かたちをあはして花をとり水をくみ
て給仕(きうじ)しけり同/住山(ぢうさん)の比の事にや七月十五日/安居(あんご)の
夜(よ)験(げん)くらべをおこなひけるに朗善(らうぜん)和尚の弟子に修入(しゆにう)
といふやんごとなき人を験者(げんざ)につがひにけり其比は石
に護(ご)法をばつけけり第六のつがひにて先浄蔵出て
ゐる次修入(つきにしゆにう)出てゐる浄蔵がいはく生年七歳より父母
のふところを出て山林を家として雲きりをしき物と
す日々に身をくだき夜〳〵に心をいやすねん比に肝(かん)たん
をくたひて全く身命をおしまずこれあへて名利(めうり)のため

にせず無上ぼだひのため也もし我をしらははくの石わたす
べしと云其時はくの石とび出ておちあがる事/鞠(まり)のごとし
こゝに修入(しゆにう)いはくはくの石はなはだ物さはがしはやくおち
ゐ給へとことばにしたがひて則しづまりぬ大/威徳呪(いとくしゆ)
を見てゝしばらくか持(ち)するにあへてはたらかす浄蔵又云
衆命(しゆめい)によりてかたしげなくも禅師につかひ奉る禅下(せんか)
行業年ふかくしてくわんねんよわひかたぶけり其/威徳(いとく)を見
るにすでに在世(さいせ)の摩訶迦葉(まかかしやう)に同(おな)しあへて験(げん)を尊者(そんじや)に
あらそひ奉にあらずたゞ三宝の証明(しやうめう)をあらわさんがた
め也といひて常在霊鷲山(じやうざいれうじゆせん)の句をあぐ其/声(こゑ)雲をひ
   【柱】古今巻二        〇十六

   【柱】古今巻二        〇十六
びかして聞人/心肝(しんかん)をくだく其時はくの石又うごきをどり
てつゐに中よりわれて両人のまへにおち居ぬ二人ともに
座を立てたがひにおがみて入にけり見る人なみだをなが
さずといふ事なし○念仏三/昧(まい)修する事は上/古(こ)にはまれ也
けり天/慶(けい)よりこのかた空也(くうや)上人すゝめ給ひて道場(どうしやう)
聚楽(じゆらく)この行(きやう)さかんにて道俗男女(どうぞくなんによ)あまねくせうみやうを
もつはらにしけりこれくだんの聖人(せうにん)化度(けど)衆生(しゆぜう)の方便(はうべん)也
市(いち)の柱(はしら)に書付給ひけり
  一たひも南無阿弥陀仏といふ人の
   はちすの上にのほらぬはなし

千/観内供(くわんないく)は顕密(けんみつ)兼(かねたる)学(かく)人にて公請(くじやう)にもしたがひけり
空(くう)也上人のをしへによりてとんせいしたる人也あみだ
和讃(わさん)をつくつて自他(じた)をしてとなへしめけるに夢に
人有て語(かた)りけるは信心是深(シン〳〵コレフカシ)豈(アニ)【「豈」に左に「ヤ」】_レ非(アラサラン)_二極楽上品之/蓮(ハチスニ)_一
菩提無量(ボダイムリヤウ)也/定(サタメテ)期(ゴス)_二弥勒(ミロク)下生之/暁(アカツキヲ)_一《割書:云| 々》遷化(せんげ)の時(とき)
手に願文をにぎり口に仏号を唱(となへ)ておはりにけり
権中納言/教忠(のりたゞ)いひけるは大師/命終(めうじう)の後夢の中に
かならず生所をしめし給へとけいやくしけるに闍梨(じやり)
入滅(にうめつ)していくばくならずして夢に蓮花のふねにのりて
むかしつくれる弥陀讃(みださん)をとなへて西へ行けり
   【柱】古今巻二        〇十七

   【柱】古今巻二        〇十七
一乗院(いちじやうゐん)大/僧都定照(そうづてうせう)は法相宗兼学(ほつさうしうけんがく)の人也天元二年
二月九日/金剛峯寺(こんがうぶしの)座主(ざす)に補(ふ)して同十二月廿一日大僧
都に転(てん)ず四年八月十四日/東寺(とうじ)長者(ちやうじや)興福寺別当(こうぶくじべつたう)を
辞(じ)し申ける状に云
  興福寺(こうぶくし)東寺(とうし)金剛峯寺(こんがうぶし)別当職(へつたうしく)之事
右/定昭(デウセウ)従(ヨリ)_二若年之時_一誦_二 ̄シ法花一/乗(ジヤウヲ)_一修_二 ̄ス念仏三昧_一 ̄ヲ先年/蒙(カウムル)_下往(ワウ)
極楽之記_上 ̄ヲしかるに近 ̄コロ曽 ̄テ夢中 ̄ニ見_下 ̄ル可_レ堕(ダス)_二悪趣_一 ̄ニ之由_上 ̄ヲ定 ̄テ知 ̄ル
依_二件等 ̄ノ寺/務(ムニ)_一所_二 ̄ロ示現_一 ̄スル也如_二 ̄ク往年 ̄ノ告_一 ̄ノ為(セントス)_三往_二-生極楽_一 ̄ニ
謹 ̄テ辞(ジスルコト)如_レ件
  天元四年八月十四日     大僧都/定昭(デウセウ)

此僧都一/乗(じやう)院/庭前(のていせん)に一株(いつちう)の橘(たちはな)の樹(き)あり久しくして枯木(かれき)
と成にけり大仏(だいぶつ)㖽(ばい)【唄?】呪(じゆ)一/返(へん)を誦して加持の間すなはち
花葉(けやう)を出しけり又船に乗(のり)て上/洛(らく)しける時/天童(てんどう)十
人出現して舟をになひて岸(きし)にちやくしけり僧都は是
十羅刹(しうらせつ)の我を救(すくひ)給ひぞと申ける又/不動(ふどう)明王も現_レ形(かたちを)
して捬護(ふご)したまひけるとなん永観(えうくわん)元年三月廿三日
入/滅(めつ)右の手に五鈷をもち左の手に一乗経をもつ初は
密印(みつゐん)を結(むす)びのちには法花経を誦(じゆ)す薬王品(やくわうぼん)に
いたつて於此(オシ)命終即往安楽世界(メウジフソクワウアンラクセカイ)《割書:乃(ナイ)|至(シ)》恒河沙等諸(ゴウガシヤトウシヨ)
仏如来の文を両三返/誦(じゆ)して弟子に告(つげ)て云/我白骨(わがはくこつ)
   【柱】古今巻二        〇十八

   【柱】古今巻二        〇十八
なを法花経を誦してすべからく一切を渡(ど)すべしと云て
定(でう)ゐんを結(むす)びて居(い)ながらをわりにけり其後/墓内(はかのうち)に経
を誦するこゑ聞へけり又ずゞの声なども聞へけるとなん
性信(せうしん)二品親王は三条のすゑの御子御母は小(こ)一条の大将/濟(なり)
時(とき)卿の女也むかし母后の御夢に胡僧(こそう)来て君の胎(たい)に託(たく)
せんとおもふと申けり其後/懐(くわひ)にんし給ひけりたんじやうの
日(ひ)神光室(しんくわうしつ)をてらす御法名/性信(せうしん)也/大御室(おほおむろ)とぞ申侍ける
院御/瘧病(ぎやくびやう)の時諸寺の高僧等そのしるしをうしなひけるに
此親王朝より孔雀(くじやく)経一/部(ぶ)を持てまいらせ給て御祈念
有ける程にすでに御/気返(きへん)じておこらせ給はんとし

けるほどに御室(をむろ)の御ひざをまくらにして御やみ有けるが
御気色/火急(くわきう)に見へさせ給ひければ御室(おむろ)信心をいだし
て孔雀経をよませ給ふ其御なみだ経よりつたはり
て院の御/顔(かを)につめたくかゝりけるに御信心のほど覚(おほし)
めししられける程に速時(そくじ)に御色なをらせ給ひて其日
はおこらせ給はざりけり勧賞(けんしやう)には仏母院(ふつもゐん)と云/堂(だう)を
たてゝ阿闍梨(あじやり)をおかれけり又同御時/参内(さんだい)せさせ給ひ
たりけるに勅(ちよく)定に世間にはもつての外に有験(うげん)の
人と申なるに我見るまへにて其しるしあらはさるべし
と仰られければ勅定そむきがたくしばらく念/誦(じゆ)
   【柱】古今巻二        〇十九

   【柱】古今巻二        〇十九
観念せさせ給ひて御念珠(ごねんじゆ)をなげいだされたりけれは
弟子を足(あし)にして二三/帀(さう)ばかりはしりあゆみたりけれは
いそぎ御/障子(しやうじ)をたてゝ入御ありけるとなんすべて院宮(ゐんみや)
関白(くわんはく)を始(はじめ)奉て霊験(れいげん)をかうふる人そのかずおほしさの
みはことおほければしるさず応徳(おうとく)二年九月廿七日つゐに
往生をとげさせ給にけり
堀河(ほりかは)左大臣右大臣の時/紫雲(しうん)をばまさしく見られける
とぞ延暦寺(えんりやくじの)僧/慶覚(けうかく)は空中(くうちう)に音楽(をんがく)を聞けり荼毘(だび)【毗】
のとき御平生の間とかせ給はざりける御/帯棺(をびくわん)の中にて
やけざりけりふしぎの事とぞ世の人申ける

永観(ゑうくわん) 律/師(し)は病者にて侍けるがつねのことくさに病
者(は)是(これ)善知識(せんちしき)也我/依(よつて)_二苦痛(くつうに)_一深(ふかく)求(もとむ)_二菩提(ぼだいを)_一とぞの給ひ
ける七宝(しちほう)の塔(とう)をつくりて仏舎利(ふつしやり)二/粒(りう)を安置(あんぢ)して
我/順次(じゆんし)に往生をとぐへくは此舎利かずをまし給ふ
べしとちかひて後年にひらいて見奉るに四粒(よりう)に成
給にけり随喜渇仰(ずいきかつがう)してなく〳〵二粒をとり本尊の
あみだ仏のみけんにこめ奉りて昼夜に膽(せん)【瞻ヵ】仰(かう)し奉
られけり又みづからあみだ講式(こうしき)をつくりて十斎日ごと
に修して薫修(くんしゆ)久しく成にけり最期(さいご)の時れいの講式
を修しける間に律師/異香(いかう)をかゞれ他人はこれを
   【柱】古今巻二        〇二十

   【柱】古今巻二        〇二十
かゞず瞙【瞑ヵ】目の夜/頭北面西(づほくめんさい)にして正念に住して念仏
たゆむことなくておはりにけり年七十九也弟子あじや
り覚叡(かくえい)が夢に一の精舎(しやうじや)に衆僧ならび座したるに覚叡(かくえい)
も其/例(れい)にて仏/像(ぞう)を膽(せん)【瞻ヵ】仰(かう)するによく見れば此仏先師
の律師なり一句さゝげて云/従我(じうが)聞法往生極楽(もんぼうをうぜうごくらく)《割書:云| 々》
平等院(べうどういんの)僧正/行尊(ぎやうそん)は一条院の御孫/侍従宰相子(ぢじうさいしやうのこ)也母の
夢に中堂にまいりたりけるに三尺の薬師如来を
いだき奉ると見ていくほどをへずしてくわひにんあり
けりすべからく台嶺(たいれい)の法師にてぞ有べかりけれども
流にひかれて寺法師に成給にけり実相坊(ぢちしやうばう)大あじやり

に随遂(すいちく)して三/部(ぶ)の大法/諸尊別行(しよそんへつきよう)護摩秘(こまひ)法をうけ秘(ひ)
密灌頂(みつくわんでう)をつたへ給へり出家の後/住寺(ぢうし)の間一夜も住房(ぢうほう)
にとゞまらず金堂弥勒(こんだうみろく)を礼拝して四五/更(かう)を送(をくり)けり十二才の
六月廿日より不動の供養法(くやうほう)を勤修(ごんしゆ)せられけり十七にて修行に
出之十八年/帰洛(きらく)せず其間に大/峯(みね)の辺(へん)ちかづらき其外/霊験(れいげん)の
名地(めいち)ごとに歩(あゆみ)をはこばすと云事なしかく身命をすてゝ五十
有/余(よ)におよぶその行(ぎやう)たいてんする事なしその
間に護摩(ごま)をしゆする事に小壇(せうだん)支度(しと)物等(ものとう)にあひぐし
てあへてだんぜつする事なし其日数をかぞふれば前後
都/合(がう)八千/余(よ)日也又/毎日数(まいにちす)百へんのらいはいありけり
   【柱】古今巻二        〇二十一

   【柱】古今巻二        〇二十一
本寺の住房にしてはじめて不動(ぶどう)の護摩(こま)をしゆせら
れける時夢中に不動尊の仕者(ししや)かたちをあらはして
見へ給けりたけ三四尺ばかりなる童子(どうじ)の青/衣(きぬ)のうへ
にむらささきなるをぞきたまひたりける左の手に剣(けん)【釼】
并に索(なは)をもち右の手に剣(けん)【釼】印(いん)をなす壇(だん)上よりあゆ
みきたりて乳上(にうしやう)にあたりて種(しゆ)々の事をしめし給ふ
中にやくそくのことく護摩(こま)二千日/勤行(ごんきやう)せらるべき也と
の給はせければ僧正/承諾(じやうだく)せられにけり其後大みね
の神仏に五七日/宿(しゆく)したる事ありけりこれまれなる
御事也同行壱人もしたがわずたゞひとり庵室(あんしつ)に

ゐて経をよみ呪(しゆ)をみてゝ日を送り給ひけるに陰雲(いんうん)
靉靆雨滂沱庵室(あいたいしあめはうだたりあんじつ)のうち河流(かりう)のごとくして身をゐるべき
所なしわづかに岩の上に蹲居(うづくまり)して存命ほとんとあぶな
かりけり高声(かうせう)に経をよみ奉る我(ワレ)不(ズ)_レ愛(アイセ)【訓点二】身命(シンメウ)_一但(タダ)惜(ヲシム)_二無(ム)
上道(シヤウドウヲ)【訓点一】の義なり夜ふけて夢ともなくうつゝともなく容(よう)
貌美麗(ほうひれい)なる総角(あげまき)の幼童(わらは)左右におの〳〵壱人僧正のあ
しをさゝけたりおどろきて幼童(ようどう)をもとむるにはじめて
夢としりて感涙(かんるい)をさへがたしいよ〳〵本尊を念じてねぶれ
ばまたさきのことく童子見へけり麗景殿(れいけいでん)の女御僧正を
御猶子(ごゆうし)にして憐憫(れんみん)の心ざし実子に過たりけり
   【柱】古今巻二        〇二十二

   【柱】古今巻二        〇二十二
僧正修行に出られて大みねにおこなはるゝ間女御
日来(ひころ)やまひにわづらひ給ひて存命たのみなくなり
給ひけるとき僧信禅(そうしんぜん)をつかひとして今一度みたて
まつらんがためにいそぎ帰洛(きらく)し給ふべきよし申されけり
草庵(さうあん)の内にたゞ壱人経をよみてかげのごとくにおと
ろへて其人とも見へずなみだにおぼれてしばし物も
いはれずあいかまへてかの仰のむね申ければ僧正われ
此行をくはだてゝ世の中を思ひすてゝ三宝の加護(かご)を
頼み奉ればもろ〳〵の怖畏(をそれ)なし女御の御悩(ごのふ)もおのつから
のそき給はんとて柑子(かうじ)一つゝみを加持してまいらせられ

けり信禅(しんせん)かへり参てそのよし申されてくだんの柑子(かうし)を
奉ければすなはちぶくせしめ給ひて御悩(ごのふ)へいゆし給て
げり大/峯(みね)に入られける日斎持(ひさいぢ)の粮米(らうまい)白米七升也其他
四升は日来(ひごろ)うせにけりのこる所三升也/笙(しやう)の岩屋にて
疲(ひ)極の山ぶしをもてなし大りやくのこる物なかりけり其
比の事にやかの岩屋にて
   草(くさ)の庵(いほ)なに露けしとおもひけん
    もらぬ岩やも袖はぬれけり
又/箕面山(みのをさん)に三ヶ月こもられける時夢に龍宮(し?うぐう)にいた
りて如意宝珠(によいほうじゆ)をえたり其間の奇異(きい)おほけれども
   【柱】古今巻二        〇二十三

   【柱】古今巻二        〇二十三
しるさず浮(うき)くものごとくさすらひありき給て和泉くに
槙尾(まきのを)山と云所にてかの山の住僧に奉仕(ぶじ)せられけり
阿私仙に大王のつかへしがごとし其時/村邑(しんゆふ)に産(さん)する
女ありけりいのらしめんがためにかの住僧を請じ
けり僧故障(そうこせう)ありてゆかずたゞしこのころより給仕(きうじ)する
下僧有くだんの僧をやるべしと云ければ産婦の夫それ
にてもといひければすなはち僧正に其よしを申けり
僧正/験者(げんざ)にたへざるよしをしきりにの給ひけれ共あな
がちにいふ事なればおはしつゝしばらく念珠のあいだに
平にむまれにけり家によろこひて牛を引たりけり僧正

これをえてかの住僧にだひければ感悦(かんえつ)はなはだしかゝる程に
僧正の御/姉梅壺(あねむめつぼの)女御このおはしますやうをきかせ給てかの
国司(こくし)藤原のむねもとにおほせて小袖以下の御おくり物
有ければ馬允某(むまのぜうなにかし)御つかひにてかの山に参向しけるに
はからざるに僧正に見あひ奉りけり地上にひざまづき
ておどろきあやしむ事かぎりなし住僧これを見て貴人
のよしをしりて科(とが)を悔(くい)ておそれまどへるさまことわり也僧正
身の事しらぬと夜中に行方もしらずうせられにけり
むかし玄/賓僧都(ひんそうづ)の伊賀国に郡司(ぐんし)につかへて侍ける
ためしにおなじく侍り
   【柱】古今巻二        〇二十四

   【柱】古今巻二        〇二十四
大原/良忍(りやうにん)上人生年廿三よりひとへに世間の名利を捨(すて)て
ふかく極楽をねがふ人也日夜ふだんに称念していまだ
睡眠(すいめん)せず生年四十六しゆび廿四年にいたりて夏月日中
にたゞ仏力によつて自(じ)心にまかせずまどろみたるゆめ
にあみだ仏/示現(じげんに)云なんぢ行不可思儀也/閻浮提(エンフダイ)之内
三千界之間為_レ有_レ 一 ̄ニ可_二 ̄シ無双_一 ̄ト《割書:云》雖_レ ̄トモ然 ̄ト汝順次 ̄ノ往生誠 ̄ニ以 ̄テ難 ̄キ
_レ有_レ之事也所以/者何(イカントナレハ)我土 ̄ハ一向(ヒタスラ)清浄之堺大乗善根 ̄ノ之国也
以_二少縁 ̄ノ人_一 ̄ヲ難_レ ̄シ生 ̄シ如_レ ̄キ汝 ̄ガ行業雖_二多生_一 ̄ト未(イマタ)【「未」の左に「サル」】_レ足_二 ̄ラ往生之業因_一 ̄ニ也
蓋 ̄シ可_レ教_二 ̄ユ速疾(ソクシツ)往生之法_一 ̄ヲ所謂(イハユル)円融(エンユウ)念仏是也以_二 一人 ̄ノ行_一 ̄ヲ為_二衆
人_一 ̄ト故功徳広大 ̄ナリ順次往生已 ̄ニ以 易(ヤスシ)_レ果(ハタシ)_二修因_一 ̄ヲ己(コウ)以 融通(ユヅウ)感/果(ス)盍(ナンソ)

融通一人令_上レ往_二-生衆人_一阿弥陀如来示現/粗(ホヽ)如_レ此委細不
_レ遑(イトマアラ)_二毛挙(モウキヨ)_一矣かくしるしおかれたり此後あまねくくわんじんの
間本帳に入所の人三千弐百八十二人也/早旦(さうたん)に壮(そう)年の僧の
首衣(くびころも)きたる出きたりて念仏帳に入べきよしを自称(じせう)し
て名帳を見てたちまちにかくれぬこれ夢にもあらず
うつゝにもあらず上人あやしみて則名帳を見るにまさし
く其筆跡ありその字 ̄ニ曰 ̄ク奉_レ請念仏百反我 ̄ハ是 ̄レ仏法/擁(ヲウ)
護(ゴノ)者 ̄ノ鞍馬(クラマ)寺 ̄ノ毘沙門天王也為_レ ̄メ守_二-護 ̄ノ念仏結縁衆【訓点一】所_二来-入_一 ̄スル
也《割書:五百十二人|如此入給へり》又上人天承二年正月四日くらま寺に通夜して
念仏の間/寅(とら)のおはりばかりに夢に天に幻化(げんけ)のごとくして
   【柱】古今巻二        〇二十五

   【柱】古今巻二        〇二十五
自身と驚覚(けうかく)しての給はく汝如_二 ̄シ我身_一 ̄ノ又梵天王/等(ラ)護(ゴス)_二正法_一 ̄ヲ
可_レ奉_レ加_二 ̄ヘ念仏帳中_一 ̄ニ我又/護(マモツテ)如_二 ̄シ影(カゲノ)従(シタカフ)_一レ形(カタチニ)惣冥(スベテメイ)衆入_二 ̄ル結衆_一 ̄ニ諸
神又/満(ミテリト)《割書:云| 々》夢さめてみれば眼前(がんぜん)に其文あり梵天王
部(ぶ)類諸天以下一切 ̄ノ諸王諸天九/曜(よう)廿八宿惣 ̄シテ三千大千
世界乃至/微塵数(みぢんじゆ)所/有(う)一切 ̄の諸天神-祇/冥道(みやうとう)ひとつも
もれず各百/反(へん)入給へり不思儀/未(ミ)曽/有(う)の事也凡 ̄ソ勧進帳
に入所の人三千弐百八十弐人の内日時を注(しる)して往生をと
げたるもの六十八人也/爰(こゝに)上人同月春秋六十一にて七ヶ日
さきだちて死(し)期をしりてつゐに往生のそくわひをとげ
られにけり入棺(にうくわん)の時其身かろきこと如(ごとし)_二鵞毛(がもうの)_一《割書:云| 々》

大原/覚厳(かくごん)律師ゆめに上人つげていはく我/遂(とげ)_二本意_一
有_二 上品上生_一 ̄ニひとへに融通念仏のちから也と《割書:云| 々》
少将の聖(ひじり)も大原山の住人なり三十よ年/常(じやう)行三/昧(まい)を行
ぜられける間に毘沙門天王かたちをあらはして上人を守(しゆ)
護(ご)し給けり御影像(みえいぞう)を等身に図絵していまに勝林(せうりん)院に
安置せられたるなり此上人/臨終(りんじう)の時は勝林院に常行
三昧おこなひける時西方より紫雲(しうん)けんじて堂(だう)の内へ
入と見るほどに肉身(にくしん)ながら見へず即身(そくしん)成仏の人にや
《割書:往生伝にはかくはなし|委可尋之》
仁平弐年七月二日/定信(ぢやうしん)入道宇治 ̄ノ左府(さふ)にまいりたり
   【柱】古今巻二        〇二十六

   【柱】古今巻二        〇二十六
ければおとゞ衣冠(いくわん)をたゞしくして礼/拝(はい)し給ひけり一切経
をかきて供養(くやう)をとげたる人なり仏に同とて拝せらるゝ
とぞかの日記には侍る
摂津国清澄寺(せつつのくにせうじやうし)といふ山寺あり村人きよし寺とそ申侍る
其寺に慈心坊尊恵(じしんばうそんゑ)と云老僧有けり本は叡山(えいさん)の
学徒(がくと)也けり多年法花の持者也住山をいとひて道心を
おこして此処に来りて年をおくりければ人皆/帰依(きえ)し
けり承安(じやうあん)弐年七月十六日/脇足(けうそく)によりて法花経を
よみ奉ける程に夢ともなくうつゝともなくて白張(しらはり)に
立烏帽子(たてゑほうし)きたる男のわら沓(ぐつ)はきたるが堅文(たてふみ)を持

て来れり尊恵あれはいづくよりの人ぞと問ければ
ゑんま王宮よりの御つかひ也うけぶみ候とて立文を尊
恵にとらせければ披見(ひけん)に
     崛(クツ)_二-請(シヤウス)
    閻浮提(エンブダイ)大日本国摂津国清澄寺
    尊恵慈心坊_一 ̄ニ
右来 ̄ル十八日/於(おいて)_二焔(えん)【㷔】魔(まの)庁(く?うに)_一以_二 ̄テ十万人之持経者_一 ̄ヲ可_レ被(らる)_レ転(てん)_二-読(とくせ)
十万部 ̄ノ法花経 ̄ヲ【訓点一】/宜(よろしく)【「宜」の左に「ヘキ」】_レ被_二参勤(さんきんせ)_一者(もの也)依(よつて)_二閻王宣(えんわうせんに)_一崛請(くつじやう)如_レ件
とかゝれけり尊恵いなみ申べき事ならねば領状(りやうてう)の
請文(うけふみ)書て奉ると見て覚(さめ)にけり例時(れいし)の程になりに
   【柱】古今巻二        〇二十七

   【柱】古今巻二        〇二十七
ければ寺へ出ぬ例時(れいじ)はてゝ僧ども出けるに老僧一両人
に此夢の告をかたりければむかしもかゝるためしいひ伝(つた)へ
たりその用意あるべしといひければ房(はう)に帰りてつとめ
いよ〳〵おこたらず寺僧等きおひ来てとぶらひけり
十八日の申(さる)のおはりばかりにたゞ今心地少しれいに
たがひて世中も心ほそくおぼゆるとて打ふしけるが酉(とり)
の刻(こく)計に息たへにけり扨次の日/辰(たつ)のおはり程にいき
かへりて若持(ニヤクジ)法花経/其心甚清浄(ゴシンジンセウジヤウ)の偈(ゲ)を四五くだり
ほど誦しけり其後おきあがりて冥途(めいど)の事共/語(かた)る
王宮にめされて十万人の僧につらなりて法花経/伝(てん)

読(とく)十万部おはりて法王尊恵をめしてしとねをまふ
けてすへらる王は母(も)屋の御簾(みす)の中におはしまして尊恵
あらはに冥官共(めうくはんとも)は大/床(ゆか)につらなり居たりさま〴〵の
物語し給ひしに摂津国に往生の地五ヶ所あり清澄
寺その内也汝/順次(しゆんし)の往生うたがふ事なかれ太政入道
清盛(きよもり)は慈恵(じゑ)僧正の化身(けしん)也/敬礼(けうらい)慈恵(じゑ)大僧正天台仏法
擁護者(をうごしや)かくとなへ給てすみやかに本国にかへりて往生
の業(ごう)をはけますべしとてかへされけりとかたりけりきく人
たうとみめでたがる事かぎりなし其後一両年をへて
又法花/転読(てんとく)のためにめされたりけりそのゝち一両
   【柱】古今巻二        〇二十八

   【柱】古今巻二        〇二十八
年有てめでたく往生をとげたりけり
西行法師大みねをとをらんとおもふ心ざしふかかり
けれども入道の身にてはつねならぬ事なればおもひ
わづらひてすぎ侍けるに宗南坊僧都行宗(そうなんばうそうづきやうそう)その事
をきゝて何かくるしからんけちゑんのためにはさのみこそ
あれといひければよろこびて思ひ立けりかやうに候/非人(ひにん)
の山ぶしの礼法たゞしうてとをり候はんことはすべてか
なふべからずたゞ何事をもめんじ給ふべきならば御/供(とも)
仕らんといひければ宗南坊その事はみなぞんじ侍り人
によるべき事也うたがひあるべからずといひけれは悦て

すでにぐして入けり宗南房さしもよくやくそくしつる
むねを皆そむきてことに礼法をきびしくしてせめさい
なみて人よりもことにいさめければ西行なみだをながし
て我はもとより名聞をこのまず利養(りやう)を思はずたゞ
けちえんのためにとこそ思つる事をかゝる驕慢(けうまん)の
職(しき)にて侍けるをしらで身をくるしめ心をくだく事こそ
くやしけれとてさめ〴〵となきけるを宗南房聞て西
行をよひて云けるは上人道心/堅固(けんご)にして難行苦(なんきやうく)行
し給ふ事はよもつてしれり人もつてゆるせり其やんごと
なきにこそ此事をばゆるし奉れ先達(せんだつ)の命に有て身を
   【柱】古今巻二        〇二十九

   【柱】古今巻二        〇二十九
くるしめ木をこり水をくみあるひは勘(かん)各(ほつ)【他本「発」】のことはを聞
或は杖木をかうふるこれ地獄(ぢごく)の苦(く)をつくのふ也/日食(にちじき)す
こしきにしてうへしのびがたきは餓鬼(がき)のかなしみをむくふ也
又おもき荷(に)をかけてさかしきみねをこえふかきたにをわ
くるは畜生(ちくしやう)のむくひをはたす也かくひねもすに夜も
すがら身をしほりてあかつき懺法(せんぼう)をよみて罪障(ざいせう)を消(せう)
除(じよ)するは已に三悪道(さんあくどう)の苦患(くげん)をはたしてはやく無垢無悩(むくむのふ)
の宝土(ほうど)にうつる心なり上人/出離生死(しゆつりしやうじ)の思ありといへ共この
心をわきまへずしてみだりがはしく名聞利養(めうもんりやう)の職(しき)也と
いへる事はなはだおろか也とはぢしめければ西行たな

心を含て随喜(すいき)のなみだをながしけりまことに愚(く)痴(ち)【癡】にし
て此心をしらざりけりとてとがをくひてしりぞきぬ其
後はこゝにおきてすくよかにかひ〴〵敷ぞふるまひける
もとより身はしたゝかなれば人よりもことにぞつかへ
ける此こと葉をきぶくして又後もとをりたりけるとぞ
大みね二度の行者也
永万元年六月八日とらのとき蓮華王院(れんげわうゐん)の兵士(ひやうし)がゆめ
にうしろ戸(ど)のひつじさるのすみより北へ第四のまに
もつての外くろき山有けりふもとに承仕(じやうじ)ありける
が件の山のみねよりやんごとなき老僧出きていはく抑
   【柱】古今巻二        〇三十

   【柱】古今巻二        〇三十
此水をば何の料にほるぞと侍りければくたんの承仕(じやうし)こ
たへていはく本より堀はじめてし水を堀とゞめさせ
給ひて制止(せいし)給べきやう候はす又かの僧の云申所尤いはれ
たり水の末(すへ)をばながさんするそとてほそき谷(たに)川をほり
ながしければ水きはめてほそく落(をち)けるを此水はほそ
く見ゆれども八功徳水甘露利益方便(はつくどくすいかんろりやくはうべん)にてあらんずる
ぞよく〳〵精進(しやうじん)してくむべき也といふと見て夢さめ
にけり去ほとにくだんのうしろ戸(ど)のみぎりの下にうつゝ
に水有/貴(き)浅(セイ)【他本「賎セン」】くみけれ共つきざりけり又くまざるときも
あまらずふしぎ成事也当時其水見へずいつ比よりうせに

けるにかおぼつかなし
承安(しやうあん)弐年三月十五日/六波羅(ろくはらの)太政入道/福原(ふくはら)にて持経
者(しや)千僧にて法花経を転読(てんどく)する事ありけりくたん
経以下御/布施(ふせ)まて諸院宮/上達部(かんたちめ)殿上人(てんじやうひと)北面(ほくめん)迄も
蔵人右少弁(くらんとうせうべん)ちかむねか奉行にてすゝめけり法皇御
幸(かう)成て其一口にいらせおはしましけり法印三人か御行
道ありけり諸国の土民結縁(どみんけちえん)のためにあるひは針(はり)或は
餅四五まひなど引けり法皇もうけさせ給けりはまに
かり屋をつくりて道場(どうでう)にせられけり仏は一千体ぞおはし
ましける又四十八/壇(だん)の阿弥陀/護摩(ごま)もありけり法皇も

   【柱】古今巻二        〇三十一
其中にくはゝらせ給けり十七日迄三ヶ日ぞ転読(てんとく)し
奉ける導師(とうし)法印公/顕勧賞(けんけんしやう)に僧正になされにけり公/顕(けん)
僧正上/洛(らく)の後/師匠(ししやう)の法印公/舜(じゆん)でしにこえられながら
よろこびのためにきたられぬ公顕申されけるはまづなし
まいらせてこそ罷成べきに内外について其おそれ侍り
さりながらかみならせ給はゞ僧正の上にゐてまつらん事
おどろくべきにあらず法印として僧正のでしもちて
上にゐたらんこそ希代(きたい)の事にて侍らめとこしらへ
けり法印帰る時/庭(てい)中迄出ければ僧正なく〳〵謝(しや)
せられけるとぞ

高倉(たかくらの)院の御時/炎旱(えんかん)年をおわたりけるに承安四年/内裏(たいり)
の最【㝡】勝講澄憲(さいしやうこうてうけん)法印/御願旨趣啓白(ごぐわんししゆけいひやく)のついでに龍神
に祈(いの)り申てたちまちに雨をふらしてたうざにその賞(しやう)を
かうふりて権大僧都にあがりて上/臈権少僧都覚長(らうこんのせうそうづかくちやう)が
座上につきけり其時の美談(びたん)此事にありけり俊恵(しゆんゑ)
法師よろこびつかはすとてよみける
  雲(くも)の上にひゝくをきけは君かなの
   雨とふりぬるおとにそありける
解脱房遁世(げだつばうとんせい)の後/壺坂(つほさか)の僧正のもとに湯治(とうし)のため
にしのびて湯(ゆ)の刻限(こくげん)をまち候ほど或人の部(へ)屋に
   【柱】古今巻二        〇三十二

   【柱】古今巻二        〇三十二
立かくれゐたりけるに法文/宗義(しうき)を談(だん)じけるに解脱房
忍(しのび)ておはするといひけれはすなはち此義をとひたり
ければ返事に
  いにしへはふみ見しかどもしらゆきの
   ふかき道にはあともおほえす
かくよみてこたえたりけりかまくらの右大将上らくの時
天わうじへ参れたりける其時は鳥羽宮別当(とはのみやべつたう)にてなん
おはしける御/対面(たいめん)有けるに幕下(ばくか)申されけるはよりとも
が一/期(ご)にふしぎ一度候き善光寺のほとけ礼し奉る事
二度なりその内はしめは定印(でういん)にておはしましき次(つき)の

たびは来迎(らいかう)の印にておはし候すべて此仰むかし
より印相さだまり給はぬよしつたへて候へどもまさしく
証(せう)を見たてまつりてさふらひしと申されけりかの幕下(ばつか)
はたゞ人にはあらざりけるとぞ宮仰られけれ空(げんくう)上
人は一/向専修(かうせんじゆ)の人なりたゞ人にはおはせざりけり弥陀
如来の化身とも申す勢至(せいし)ぼさつの垂迹(すいしやく)とも申すとぞ
其/証(せう)あきらかなり諸宗に奥旨(おふし)さぐりきはめずといふ
事なし暗夜(あんや)に経論を見給て燈明(とうめう)なけれども光明
家内をてらす事/昼(ひる)のごとし久安六年生年十八にして
はじめて黒谷(くろだに)の上人の禅室(ぜんしつ)に入て難解難入(なんげなんにう)の文を
   【柱】古今巻二        〇三十三

   【柱】古今巻二        〇三十三
聞て易往易行(いをういきやう)の道におもむくまのあたり宮殿宮(くうてんきう)
樹(じゆ)を見化仏化𦬇【菩薩】をげんじ奉る元久二年四月一日月の
輪殿(わとの)へさんじて退出(たいしゆつ)の時南/庭(てい)をとをりけるに頭光(づくわう)げんじ
たりければ禅閤(ぜんかう)地におりてくやうらい拝し給ひけり
建暦(けんりやく)三年正月廿五日/遷化(せんげ)《割書:春秋|八十》往生の瑞相(ずいさう)一にあらず
いまだ墓(はか)所をてんぜざるに両三人の夢に其所にあた
りて天童行道(てんどうぎやうどう)し蓮花/開敷(かいふ)せり三四年よりこのかた
老病身にまとひて耳目/蒙昧(もうまい)なりけるが往生の期(ご)
ちかづきてはことに目も見え耳もきかれにけり
みづから上品極楽は我本国也/定(さだめ)てつゐに往生すべし

観音勢至の聖衆来現して眼前(かんせん)におはします我往生
はもろ〳〵の衆生のため也との給て廿四日の酉のとき
より高声(かうせう)念仏程をせめて間なく廿五日平正に光
明/遍照(へんぜう)の四句の文をとなへて慈覚大師の九/条(てう)の袈
裟をちやくして頭北面(づほくめん)にしてねぶるがごとくにして
おはり給にけり念仏/音声(をんせう)とゞまりて後もなを
唇舌(しんぜつ)をうこかす事十よ反(へん)ばかり也/順次(じゆんし)の往生うた
がひなきもの也
三井寺の公胤(こういん)僧正けちえんのために四十九日の導師
をのぞみて両界慢陀羅(りやうがいまんだら)并に阿弥陀【陁】の像(さう)をくやうし
   【柱】古今巻二        〇三十四

   【柱】古今巻二        〇三十四
てけり其後五ヶ年経て建保四年四月廿六日の夜僧
正の夢に見侍りけり
   上人/告云(ツケテイハク)
往生之/業中(ゴフチウ) 一日六時/刹(セツ) 一心/不乱(フラン)念 功徳最(クトクサイ)第一
六時/称(セウ)名/者(シヤ) 往生/必決定(ヒツケツデウ) 雑(ザツ)善/不決定(フケツチヤウ) 高修定(カウシユデウ)善/業(ゴフ)
源空/惣孝養(ソウケウヤウ) 公/胤能説法(インノウセツホフ) 感喜不可尽(カンキフカジン) 臨終先迎摂(リンジユセンカヲセツ)
源空本地/身(シン) 大勢至菩薩 衆生/為化故(イケコ) 来此界度者(ライシカイドシヤ) 
かくしめしてさり給ひにけり勢至ぼさつの化身と
いふ事これより符号(ふかう)する所なり
高弁(かうへん)上人おさなくては北/院御室(いんのをむろ)に候はれけり文学坊(もんがくばう)

まいりてその小(こ)わらはを見て此/児(ちこ)はたゞ人にあらずと
さうしてまげて此ちご文学(もんがく)に給はりて弟子にし
侍らんと申て取(とり)てげり法師になりて高雄(たかを)に住(すま)せ
けるにがくもんに心を入てあからさまにも他事もせざ
りけり文学/坊高雄(はうたかを)をつくるとて番匠(ばんぜう)をせさせて
ひしめきけること高弁(かうべん)上人うるさき事に思ひて聖(せう)
教(けう)のもたるゝかぎりいだき持て山のおくへ入て人も
かよはぬ所にてたゞ壱人見られけりひるつかた番匠
が食物(しよくもつ)をなみすへたる時山の中よりはしりくだりて其
食(いひ)七八人がぶんをやす〳〵ととりくいて又あらぬ聖教(せうげう)を
   【柱】古今巻二        〇三十五

   【柱】古今巻二        〇三十五
もちて帰入ぬさて山の中に二三日も居て出られずかく
する事二三日に一度かならず有けり文学坊此事を聞
てたゞ人のふるまひに非(あら)ず権者(ごんしや)の所(しよ)為也とぞいひける
此上人/暗夜(あんや)に聖教を見給ける大神基賢(おゝがのもとかた)が子に
光音(くはうをん)といふ僧かの上人の弟子にて侍を【けヵ】り年比/給仕(きうじ)し
て侍けるがかたりけるはさしもくらき夜火もともさず
して聖教を見給とて弟子どもにしか〳〵の所に有文
取(とり)て給へといはれければくらまぎれにさぐりて来を見て
此文にはあらずしか〳〵の文などの給けるふしぎなりし
事也かた夕暮(ゆふくれ)に光音(くはうをん)をよびて山寺のたゞ今程は

よに心のすむものやいさ給へ月見にとて房(ばう)を出て清瀧(きよたき)
川のはたをかみへ廿余町計山をわけて入給て大成石(おほいなるいし)有
それにのほりて此いしはいかにもやうあるいし也/伽藍(がらん)など
のたちけるいしずへにもやありけん此石なとやらんなつかし
きなりとてふくるまでこゝろをすましてさま〴〵の物語
しつゝ座せられけりさむくおはすらんとてその石の上
にいつくに有へしとも覚(おほへ)ぬに円座(えんざ)一枚を取出して
光音(くはうをん)にしかせられけるふしきにめつらかなる事なり
彼石をは定心石(てうしんせき)とそ名付られけるもろこしの悟真(ごしん)
寺(じ)の石に模(も)せられけるにこそ又/縄床樹(じやうしやうじゆ)といふ松有
   【柱】古今巻二        〇三十六

   【柱】古今巻二        〇三十六
その松/座禅(ざぜん)にたよりありけり正月の比松のもとに
居てくはんねんせられけるにあられのふりけれは
  岩のうへ松のこかけにすみ染(そめ)の
   袖のあられやかけしその玉
尺尊の御遺跡(こゆいせき)おかみ奉らんとて弟子十よ人をあいぐし
て天/竺(ぢく)へわたり侍らんと思はれける比春日大明神に
いとま申さんとてかの御やしろへ参られけるに鹿六十
頭ひざをおりて地にふして上人をうやまひけり其後
生所紀伊の国/湯浅郡(ゆあさこほり)へむかはれたりけるに上人の伯母(をは)
なりける女房に付て春日明神御/託宣(たくせん)有けるは

我仏法を守護(しゆご)せんかために此国に跡をたれり上人我国
をすてゝいつくへかゆかんとするとの給ければ上人申給ひ
けるは此事信ぜられずまことならばそのしるしをし
めし給ふべしと申給ば汝われをうたがふ事なかれ我此
山に来りし時六十頭の鹿(しか)ひざをおりてうやまひしは我
汝がうへに六尺あかりてかげりはなれざりしゆへにわれを
うやまひしによりて上人に向(むかふ)てひさをおりし也上人又
申やうそれはまことにさりき玄【去ヵ】ながら猶うたがひ有すみ
やかにほんぶのふるまひにはなれたらん事をしめし給へと
申されければこの女房とびあがりて萱(かや)屋のむねに尻(しり)を
   【柱】古今巻二        〇三十七

   【柱】古今巻二        〇三十七
かけて座せり其顔の色/瑠璃(るり)のごとくにあをくすき通
口より淡をたらすその淡かうばしき事かぎりなしその時
上人/信仰(しんかう)して誠に此やうふかしぎ也年比/華厳(けこん)経の中に
ふしんおほかり悉(こと〴〵)く解脱(げたつ)し給へと申されければ御領状
有けり上人すゞりかみをとり出して所々を書いでゝとひ
まいらするに一々にあきらかに解脱し給上人涕泣随喜
して渡海(とかい)の事も思ひとまり給けりかの白淡(しらあは)のかうばしき
事他郷までにほひければ人あやしみつゝきほひあつまり
て拝みたうとぶ事かぎりなかりけり三ヶ月迄をり給は
でむねの上に御座有ける厳重ふしぎなりける事也

上人/寛(くはん)喜四年正月十九日入/滅(めつ)の時手あらひけさかけ念
珠(じゆ)とりて毘盧遮那(びるしやな)五/聖(しやう)にむかひ奉て宴座(えんさ)してみつ
からの頭上(づしやう)にして光明真言并五字/陀羅尼左布字観(たらにさふじくはん)
有けり其後高声に所於(しよを)第四/兜率天(とそつてん)四十九重
摩尼(まに)天/昼夜恒説不退行無数(ちうやごうせつふたいぎやうむしゆ)方便/渡(と)人天ととなへ
て種々の述懐(しゆつくはひ)共ありけり一切法門その大意をえて
玉/鏡(かゞみ)をかけて一念の疑滞(うたがいとゝこほりと)なし聖教を燈(とう)明として
穢(けがれ)たる事なし我名聞ぞまじはらず利養を事とせ
す此身をもつて一切の衆生を度してしかしながら
四十九重摩尼殿の御前へ参り侍らんする也/必(かなら)ず我
   【柱】古今巻二        〇三十八

   【柱】古今巻二        〇三十八
を摂取(せつしゆ)せしめ給へとて双眼(さうがん)よりなみだをながして
又高声に云/此是大悲清浄智(シゼタイヒシヤウシヤウチ)利養母間慈氏尊(リヤウモゲンジシソン)
灌頂地中(クハンデウチチウ)仏長子/随順思惟入仏境(ズイジユンシユイニウフツキヤウ)と誦して南無/弥(み)
勒(ろく)ぼさつと両三返となへて手をあげて信仰の念仏
をすゝめらる弟子三人は宝号(ほうかう)をとなふ不動尊(ふどうそん)左/脇(わき)
にぜ【げヵ】んじ給ひけるゆへに一人をして慈救呪(じくのじゆ)を誦せし
めけり又五字/文珠呪(もんしゆじゆ)を誦せしむかくのことく諸僧
宝号(ほうがう)をとなへ神(しん)呪(じゆ)【咒】を誦する間に現供養(けんぐやう)の作(さ)
法をもつて行法ありけり行法おはりてとなへ
ていはく

我昔所造諸悪業(カシヤクシヨソウシヨアクコウ) 皆由無始貪嗔痴(カイユムシトンシンチ)【癡】
従身諸意之所生(ジウシンシヨイシシヨシヤウ) 一切我今皆懺悔(イツサイガコンカイサンゲ)
と誦しおはりて定印に住して入観ありやゝ久くして
右脇(うきをう)にしてふし給ひぬ入滅(にうめつ)の儀/端座(たんざ)右脇の二の
様(やう)有われ尺尊/御入滅(こにうめつ)の義にまかせて右脇にして滅(めつ)
をとるべし今はかきをこすべからずとの給ひて南無/弥勒(みろく)
𦬇(ほさつ)【菩薩】ととなへて巳(み)の刻(こく)にねぶるがごとくにておはり給ひに
けり異香室(いきやうしつ)にみちすべて種々の奇瑞(きずい)等つふさに
記するニいとまあらず
越後(えちこ)の僧正/親巖(しんごん)わかかりける時たび〳〵大みねを通(とをり)
   【柱】古今巻二        〇三十九

   【柱】古今巻二        〇三十九
けるに年比もち奉りたりけるに小字の法花経を
香精童子(かうしやうどうじ)其かたちはみえ給はて声(こゑ)ばかりしてしり
さきにつきてこひ給けり様あるらんと思ひて奉にけり
そのゝち日にしたがひて名誉(めいよ)ありて東寺(とうじ)一の長者
法務(ほうむ)大僧正御持僧/牛車宣旨(ぎうしやせんじ)まできわめられ
たりしたうとかりし事也
後鳥羽(ごとばの)院/聖覚(しやうかく)法印参上したりけるに近来/専修(せんじゆ)
のともがら一念たねんとてわけてあらそふなるはいつれ
か正とすべきと御たつねありければ行をば多念にとり
信をば一念にとるべき也とぞ申侍ける

南都/高天寺(たかまでら)にすむ僧ありけり長谷へ参て通夜して
さふらひけるにつねよりも人おほく参て侍けるに此僧あか
つきに下向(げかう)せんとしけるにたれともしらぬ俗(ぞく)来りて珠(たま)を
持て僧にさづけていひけるはこの珠/准后(じゆこう)へまいらせて
給はるべしとてすなはちさりにけり珠の色むらさきにて
其勢たちばなの程なりけりかのおしへのことく准后へもて
参て奉にけりそのまへの夜准后の御夢に長谷の観音
より宝珠を給はせ給ふと御/覧(らん)せられけるを御心の中
ばかりにおほしめして仰出さるゝ事なかりけるに其後
朝(あした)に此珠をもちて参たりけるふしぎなる事也件の
   【柱】古今巻二        〇四十

   【柱】古今巻二        〇四十
珠/醍醐(たいご)の僧正/実賢(しつけん)あつかり給はりてたひ〴〵宝珠(ほうしゆ)法
おこなはれけるとなん
神祇権少(じんきのごんのせう)副大中臣の親守年来大/般若(はんにや)一筆/書写(しよしや)の
志(こゝろさし)ありけれどもむなしくてやみにけり常(つね)のごとくさに
此願を心にかけて一日に二牧【枚ヵ】計つゝ書(かき)奉る共十よ年
にははてなん口おしくも思ひたゝぬかなといひけるを前権(さきのこんの)
大副(たゆふ)同/長家(ながいへ)聞てたちまちに智発(ちほつ)して此願を思ひ
立て終(つゐ)に一筆書写の功(こう)をへてげり供養の後随喜の
あまりに親守(ちかもり)がもとに行ていひけるは此事はもと
我思よりたるにあらずおほせられしむねをきゝて

おのづからおこして大功(たいこう)をなしたるしかしながら御忍【恩ヵ】也かつは
其事/謝(しや)せんがためにことさらまうできたるなりと
いひて対面(たいめん)したるをみればちいさき鬼(をに)三人/長家(ながいへ)にした
がひてありそのたけあか子(ご)ばかりなりけり縁(えん)をのぼ
りける時は二人/庭(には)にひざまつきて畏(かしこま)りけり頓(やかて)而二人は
したがひてうへにのぼりて有壱人は下(しも)に有みな長家を
守護(しゆご)するさま也かやうの事は夢などにこそ見る事も
あれまさしくうつゝに見たる事はふしきの事也/大般若(たいはんにや)
書写(しよしや)によりて十六/善神(ぜんじん)の立そひて加護(かご)し給けるにや
たうとくめでたき事也かの親守(ちかもり)は五/部大乗経(ぶのだいじやうきやう)自筆に
   【柱】古今巻二        〇四十一

   【柱】古今巻二        〇四十一
書奉たるもの也まさしく正/直(じき)のものにてながく虚言(きよごん)など
せざりしもの也かゝるふしぎこそありしかと親守(ちかもり)かたりしを
きゝてしるし侍る也
使庁(しぢやう)【廳】のけちえん経は長保(ちやうほう)元年三月十日はじめておこ
なひて其後年ごとにをこなはれけるが絶(たへ)て久しく成
にけるを建久(けんきう)年中別当/兼光卿(かねみつきやう)かたのことくおこなひけり
其後建/保(ほう)六年五月廿日別当/顕俊(あきとし)卿/雲林(うんりん)院にておこな
ひたりけり左(ひだり)の佐経兼(すけつねかね)いげ着座(ちやくさ)したりけり此度はじ
めて前(さきの)右大臣/公継(きんつく)を始(はしめ)て別当経たる人々に法花経
并ニ涅槃経(ねはんぎやう)一巻づゝけちえんせさられたりけり其外

別当のさたにてもみづから書(かゝ)れたりけり開結(かいけつ)の二経は左(ひだりの)
佐経兼(すけつねかね)右佐頼資(みぎりのすけよりすけ)けちえんし侍りけり尉(ぜう)いげは尊勝陀(そんせうだ)
羅(ら)尼をぞ奉けるみな捧(さゝげ)物をぐしけり宝治(ほうぢ)六年五月
廿八日別当/定嗣(さたつく)卿/霊山(りやうぜん)の堂(たう)にて又おこなはれしは建保
の例(れい)をうつされけりふるきためしの有けるとかやとてゆる
しものなん侍りけり又/金光明経(こんくはうめうぎやう)をも別当のさたにて
そへられけり今度法花経/品(ほん)々をば詩(し)につくらせ
金光明経の品々をば歌(うた)によませられけり○爰かしこ
修行する僧有けり名をは生智(しやうち)といふ度(たひ)々/渡唐(ととう)し
たりけるもの也/建(けん)長元年の比/渡唐(ととう)しけるに悪風
   【柱】古今巻二        〇四十二

   【柱】古今巻二        〇四十二
にあひて已(すて)に船くだけんとしければことうといふ小船に
乗(のり)うつりにけりふねせばくして百よ人ぞ乗(のり)たりける残り
のともがらはもとの舟に残りて有ける心の内をしはかる
べしこたうに乗て十よ日有けるに水つきてすでに死
なんとしける時/行衍坊窽浄(きやうえんばうけつじやう)といふ上人の乗たりけるが
云やう各々(をの〳〵)同心に観音経を卅三巻よみ奉るべしわれも
祈請しこゝろみるべしとて左の手の小/指(ゆび)に燈心(とうしん)をまと
ひてあぶらをぬりて火をともして灯明としておなじく
経をよみけり卅三巻のおはり程に成て南のかたより
淡(あは)のごとく成もの海のおもてに一段ばかりしらみわたり

て見へけるが此舟のもとへながれくるありあやしと思ひて
杓(さく)をおろしてくみてみれば少も塩(しほ)のけもなき水の
めでたきにて有けり人々是をくみのみて命いきに
けり是件(これくたん)の観音の利生方便也世のすへといひながら
大/聖(しやう)の方便ふしぎの事也大舟にすて乗(のせ)られたりける
もの共すてにかぎりなりけるにいづくより共しらぬ小船
出来て此ともがらをうつし乗(のせ)てことゆへなく彼きしへつ
けてげり是もくはんおんの御たすけ有けるにや
湛空(たんくう)上人/嵯峨(さが)の二/尊(そん)院にて涅槃会(ねはんゑ)をおこなはれ
ける時人々五十二種の供物(くもつ)をそなへけるに花をうへに
   【柱】古今巻二        〇四十三

   【柱】古今巻二        〇四十三
たてゝ歌をよみて付けるに西音(さいをん)法師水/瓶(かめ)に桜(さくら)を
立ておくるとてよみける
  きさらきの中(なか)のいつかの夜半(よは)の月
   入にしあとのやみそかなしき
     返し湛空(たんくう)上人
  闇路(やみぢ)をばみだのひかりにまかせつゝ
   春のなかばの月はいりにき
     又一首をそへられける
  会(ゑ)をてらすひかりのもとをたつぬれは
   勢至(せいし)ほさつのいたゝきのかめ

いつ比の事にか書写(しよしやの)上人みづから如法如摂(によほうによせつ)に法花経
かき給けるに焔(ゑん)【㷔】魔宮(まぐう)より官(くはん)をもて申おくりけるは
自業自得果(じごうじとくくは)の衆生の業(ごう)をむくはんがためにみな
我所にきたるそのむくひいまだつくさざるに上人の
写(しや)経のあいだ罪報(ざいほう)の衆生みな人中天上にむまれ
或は浄刹(しやうせつ)にまうずる間/罪悪(ざいあく)の地/悉(こと〳〵)く荒廃(くはうはい)せり
ねがはくは上人経を書給ふ事なかれとうたへ申たりければ
上人の給けるは此事わが進退(しんたい)にあらずはやく釈迦(しやか)如来
に申さるべしとぞこたへ給ひける
古今著聞集巻之二終
   【柱】古今巻二        〇四十四終

【裏表紙】

【背】
【背ラベル 横書き】
總 上【「總」は青字、「上」は朱字】
 5

《題:古今著聞集 《割書:三》》

【表見返し】

古今著聞集巻第三
  政道忠臣(せいとうちうしん)《割書:三》
治世之政(ぢせいのまつりこと)万法/靡然(ひぜんたり)是則君 ̄ハ以(もつて)_レ仁(しんを)使(つかひ)_レ臣(しんを)臣 ̄ハ以_レ忠 ̄ヲ奉
_レ君 ̄ニ君者/憂(うれい)_レ国 ̄を臣者/忘(わすれ)_レ家(いへを)君臣/合体(がつていすれバ)上下/和睦(くわぼくする)者也
延喜 ̄ノ聖主(せいしゆ)位 ̄ニつかせおはしまして後本院 ̄ノ右大臣/菅家(かんけ)
定国(さたくに)朝臣/季長(すへなか)朝臣/長谷雄(はせを)朝臣此五人其心をしれり
碩(せき)【顧ヵ】問(もん)にもそなはりぬへしとて寛平(くはんへい)法皇/注(ちうし)申させ給ひける
かく覚しめしとらせ給ひけるやんごとなき事也/神泉苑正(しんせんえんせう)
殿(てん)を乾臨閣(けんりんかく)となづけて近衛の次将(じしやう)別当になして
天子つねに遊覧有て風月の興管絃(けうくはんげん)の遊有けり又
   【柱】古今巻三        〇一

   【柱】古今巻三        〇一
宴飲(えんいん)も侍けるを延喜御時天神の臣下にておはしまし
けるときいさめ奉れければとゞまりにけり寛平の
遺訓(ゆいきん)にも春風秋月/若(ことし)_レ無(なきが)_二/事実(じつじ)_一幸(かうして)_二神泉北野_一 ̄ニ且(かつ)翫(もてあそひ)_二
風月_一 ̄を且 ̄ツ調_二文武_一 ̄ヲ不(す)_レ可(へから)_二 一年/再幸(さいかう)_一又大/熱(ねつ)大/寒(かん)慎(つゝしめ)_レ之 ̄を と
侍り村上御所南殿出御ありけるに諸司の下部の年
たけたるが南/階(かい)の辺に候けるをめして当時の政道を
ば世にはいかゝ申すと御尋有ければ目出度候とこそ申候へ
但(だゝし)主殿(とのも)寮(りやう)に松明(せうめい)たへ候/率分堂(そつぶんとう)に草候と奏たり
けれは御門(みかと)大きにはぢおぼしめしてげりさせる公事
の日にはあらざりけるにや松明のいると申は公事の夜に

入由にて侍り率分(そつふん)堂に草のしけれるとは諸国のみつき
物の参らぬ由成へしいみじく申たりけるもの也昔は人の装束(しやうぞく)もなへ
〳〵としてぞ有けるされば斎院(さいゐん)の大納言の消息(せうそく)に先代の時/節(せち)
分袍借献(ふんほうしやくけん)など書れたんなるは節会(せちゑ)の袍(ほう)とてほの〳〵とある物の人に
かすなどが有けるとぞ後朱雀院の御時/旬(しゆん)に参たりける上達部
を御覧じて次日/資房(すけふさ)卿の蔵人/頭(かみ)也けるを召て昨日公卿の装束
を御覧ぜしかば以外に袖大に成にけりかくては世のつゐへなるべし
いかゞせんずると右大臣《割書:実資(さねすけ)》のもとへいひあはすべしとみことのり
有ければ則申されければおとゞ申給けるはみなの公卿に
此よしを承りて畏り申さばさすがに左大臣御けしき
   【柱】古今巻三        〇二

   【柱】古今巻三        〇二
かうふりたると聞えば人もなをり侍なんとはからひ
申されければそのさだめに披露(ひろう)有て右府閉門(うふへいもん)して
畏のよしをせられければ人みな聞おそれて装束の
寸法すべられけり
小野宮殿九条殿御同車にて出仕せさせ給ける時
御車のしりに公卿一両人などはのせらるゝおりもあり
けり又/閑院(かんゐん)の大将に一条大将左右大将にて同車
してあそばれけり此比は父子同車の事もまれ也寛元
二年/賀茂臨時祭(かものりんしのまつり)の時二条/前殿(さきとの)関白一条前殿左大
臣にてまいりあひ給ひたりしに暮(くれ)て事はてにしかば

御同車にて二条/室(むろ)町にたてられて御見物ありけり
其後/法成寺(ほつせうし)の御八講(みはつかう)にまいらせ給ひけり左府の御車
をむなくるまにて法成寺へやらせられけり道の程関白
の御随身(みすいしん)は御車のさき左府の御随身は御車の後(あと)に
ぞ打たりける前駆(せんく)はあひましはりたりけり興有
事にぞ世の人申侍し
後三条院御時/隆方(たかかた)が権左中弁にて侍りけるを越(こへ)て
実政(さねまさ)を左中弁になされにけりあしたに隆方陪膳(たかかたはいせん)
つとめて候ければ御膳(ごぜん)にもえつかせおはしまさゞりけ
りはぢさせ給ひけるにこそ同院/律令式格(りつりやうしきかく)にたがはず
   【柱】古今巻三        〇三

   【柱】古今巻三        〇三
と宣命(せんめい)にかゝせさせ給はせけるを資仲(すけなか)卿これより後
をこそ申させたまはめ前にすでにたがひたる事共を
ばいかでかかくは申させ給ぞと制(せい)しまいらせけるに程
なくうせさせおはしましにけるはその宣命のゆへにやとぞ
人申ける為輔(ためすけ)中納言口伝にかゝれて侍なるは人は屏風(びやうぶ)
のやうなるべき也屏風はうるはしうひきのへつればたふるゝ
なりひだをとりてたつればたふるゝ事なし人のあまりに
うるはしくなりぬればえたもたず屏風のやうにひだ
あるやうなれど実(じつ)うるはしきがたもつなりと
侍るとかや

【挿絵】
【柱】   古今巻三        〇又三

【柱】   古今巻三ノ       〇又三
【挿絵】

匡房(まさふさ)中納言は太宰(だざい)権帥(こんのそつ)になりて任(にん)におもむかれ
たりけるに道理にてとりたる物をは舟(ふね)一/艘(そう)に
つみ非(ひ)道にて取たる物をは又一/艘(そう)につみてのぼられける
に道理の舟は入海してけり非道の舟はたいらかにつき
ければ江帥(ごうそつ)【匡房】いはれけるは世ははやくすゑになりにけり
人いたく正/直(じき)なるまじき也とぞ侍けるそれを悟(さと)らんが
ためにかくつみてのぼられけるにやむかし中比だにかやう
に侍けり末代よく〳〵用心あるべきこと也
寛治八年十月廿四日/亥(いの)時計に内裏/焼亡(せうもう)有けり中ノ御(み)
門(かと)右府右中弁にて侍けるが宿侍(とのい)せられたりけり
   【柱】古今巻三        〇四

   【柱】古今巻三        〇四
いそぎ御前へ参りて御釼璽(きよけんしるし)の箱は候やらんとたづね
まいらせければみづからもちたるぞと勅答(ちよくたう)ありけり其
外の宝物どもをも一々にたづねまいらせて分明の勅答を
承けり事急(こときう)になりて腰輿(ようよ)すでに南/殿(でん)によせられ
たるほとになりにける中に心/早(はや)く一々に分明に申ける
いみじかりける事也
徳大寺ノ左府中ノ院右府を越(こへ)て右大将に成給ふにけり
保延五年十二月十六日/実能(さねよし)任(にんじ)_二右大将_一 ̄ニ同年十一月
二日内大臣/辞(じし)_二左大将_一 ̄ヲ十二月七日/雅定(まささだ)任【訓点二】左大将_一宇
治ノ左府内大臣左大将にておはしけるが中ノ院右府の

れうに左大将を辞(じ)申されたりけるに崇徳(しゆとく)院徳大
寺左府を左に転(てんぜ)せさせんと覚しめしてしばらくおさへ
られけり中ノ院右府の事をは鳥羽院しきりに執(しつし)申
させ給けれ共猶事ゆかざりければ保延六年十一月廿
五日に院/近衛烏(このゑからす)丸の陣(ぢん)口に御幸なりて仰下さるゝ由
を承て罷帰べきよしを申させ給けれはちからおよばせ給
はて其夜/召(めし)仰有けりやんごとなかりける事也
光方廷尉佐(みつかたていいのすけ)にて着駄政(ちやくだのまつりごと)につきたりけるに雨の降(ふり)た
りけるに扇をさしけり晴日夕陽(せいじつせきやう)にむかひてこそさす
事にて侍るに思ひわかざりけるにや父(ちゝ)大納言見物
   【柱】古今巻三        〇五

   【柱】古今巻三        〇五
しけるがかへりて光方か辞(じ)状をかきて奉りけり前(せん)
途(と)有まじき也とぞいはれけるはたしてとくうせにけり
治承四年六月二日/福原(ふくはら)にみやこかへり有けるに同十三
日/帥(そつ)の大納言/隆季(たかすへ)卿/新都(しんと)にて夢に見侍りけるは
大なる屋のすきたるうちに我ゐたるひさしのかたに
女房ありついがきのとに頻(しきり)になくこゑ有あやしみて問(とふ)
に女房のいふやうこれこそみやこうつりよ太神宮の
うけさせ給はぬ事にて候ぞといひけりすなはち驚(をどろき)ぬ
又ねたりける夢に同しやうに見てげりおそれおのゝぎて
次日の朝(あさ)院に参じて前ノ大納言/邦(くに)【郡ヵ】綱(つな)別当/時忠(ときたゝ)卿などに

かたりてげり太政入道つたへきかれたれどもいと承引
なかりけりさるほどに同人の夢に還御(くはんぎよ)ありと邦(くに)【郡ヵ】綱(つな)卿長/絹(けん)
のかり衣きて新院の御ともにさふらふ頭亮重衡(とうのすけしげひら)朝臣よ
ろひきて御供に候と見てさめぬ去ながら一日の夢もちゐ
られねば申出されざりけり十一月廿六日平の京に還御(くはんぎよ)
有ければかの夢にはよらざりけり山僧のうたへ又東国の
みだれなどのゆへとぞ聞え侍ける治承四年秋の比より
伊豆(いづ)の国の流人(るにん)前ノ右兵衛ノ佐頼朝(すけよりとも)謀反(むほん)のきこへ有けり
追討使(ついたうし)少将/惟盛(これもり)朝臣さつまの守/忠度(たゞのり)参河守/知度(とものり)
等(ら)くだされたりけれども源家の兵(つはもの)次第に数そひければ
   【柱】古今巻三        〇六

   【柱】古今巻三        〇六
追討使(ついたうし)等みな道よりかへりにけりかゝる程に世の中し
づかならざりければ十一月卅日新院の殿上にて東国/謀(む)
反(ほん)の事評儀有けり中の御門(みかと)左太臣左大将/帥(そつの)《割書:隆季(たかすへ)》
大納言新大納言/春宮(とうぐう)【「とうぐう」の右に「忠信」】太夫左/太弁(長方)参られたりけり頭弁
経房(つねふさ)朝臣/綸言(りんげん)のむねをおほせけるに左太弁/発(ほつ)
言(ごん)して申けるはひとへに可_レ被_レ行【訓点二】徳政(とくせいを)漢(かん)_一高(かうは)被(られ)_レ掠(かすめ)_二 六国_一 ̄に承
平年中に有_二将門謀反(まさかとむほん)_一和漢 ̄ノ雖_レ存_二 ̄すと先蹤(せんしう)_一於_二今度_一は四ヶ
月の中に十よ国皆/反(はんす)_二当時之政_一若不_レ叶_二 天意_一 ̄ニ歟以_レ之 ̄ヲ思_レ之 ̄ヲ
法皇は四代帝王ノ父祖也/無(ナキニ)_レ故(ユヘ)不(ス)_レ知(シロシ)_二食(メサ)天下_一 ̄ヲ如_レ ̄ク元 ̄ノ可(ヘキ)_レ聞_二-
食(メス)政務(セイムヲ)_一歟又入道関白/被(ラレ)_レ浴(ヨクセ)_二帰朝之/恩(ヲンニ)_一者可_レ為_二攘災(ジヤウサイ)之

基(モトヒ)_一哉(カナ)と申たりけるを諸卿聞てみな色をうしなはれけり
他人はたゞ徳政(とくせい)を行はるべきおもむきをぞ申されける彼
両事にはせられざりけり法皇去年の冬より政に御口入(ごこうにう)も
なへ殿下ゆへなくながされさせ給ひし事はしかしながら平太政入
道の張(ちやう)行にて侍りけるに左大弁おそるゝ所なくさだめ
申されけるありがたき事也入道もさすが道理をばはぢ思は
れけるにや其後程なく十二月八日より法皇の御事もなだめ
申同十六日入道殿下もびぜんの国より帰洛(きらく)せさせ給けり
    公事(くじ)《割書:第四》
正/朔(さく)の節会(せちゑ)より除(ぢよ)の追儺(ついな)にいたるまで公事の礼一つに
   【柱】古今巻三        〇七

   【柱】古今巻三        〇七
あらずおこなひきたる儀まち〳〵にわかれたり凡ソ恒例(ごうれい)臨時
の大小事西ノ宮ノ記北山ノ抄をもて其/亀鏡(ききょう)にそなへたり小
野ノ宮九条殿の両流口伝/故実(こじつ)そのかはりめおほく侍とかや
有職(ゆうしよく)の家に習(なら)ひ伝へて今は絶(たゆる)事なしいみじき事なり
宇治殿/侍従(じじう)にならせ給ひて後/能通(よしみち)臨時の祭(まつり)の舞人
を辞(じゝ)たりける時そのかはりに宇治殿いらせ給にけり祭ノ
同車に乗(のり)て見物しけるを人長兼時(にんちやうかねとき)能通を見てかれは
こゝろある人の見物せらるゝかといひたりけるいみじ
くぞ侍りける
一条院ノ御時/束帯(そくたい)にて殿上の日給(につきう)にはあふべきよし起請(きしやう)有

けるに堀川右大臣殿上人にておはしけるか片足(かたあし)に襪をはき
て身をは殿上のまへの立蔀(たてしとみ)にかくして襪(したうづ)はきたる片(かた)足ば
かりを指出て蔵人に見せられたりければかやうの事/嘲哢(てうろう)
に似たりとて起請やぶられにけり
万寿二年/踏歌(たうかの)節会に右大臣内弁にて陣(ぢん)に付て
宣命(せんみやう)見参を見給ける間/入御(じゆぎよ)有けるに三位の中将
師房(もろふさ)卿をおきながら大納言/齋信(たヾのふ)卿/警蹕(けいひつ)をせられけれ
ば人々あやしみあえりけり権大納言行成卿その失借(しつしやく)を
扇(おふぎ)にしるして臥内(ぐはたい)にうちおかれたり暦(れき)にしるさん為に
先扇には書たりけるにや其子息少将/隆国(たかくに)朝臣参
   【柱】古今巻三        〇八

   【柱】古今巻三        〇八
あひて我扇に取かへて見られけば此/失(しつ)礼を記(しる)し
たりけるそれよりやがて披露有けるを齋信(たヾのぶ)卿ふかく
うらみにけりもとよりよろしからざる中なりければ
かゝるとぞ世の人いひける
宇治ノ大納言隆国卿中将に成たりける年/臨時(りんじ)の陪従(べいしふ)
つかうまつるべきよしもよほされければ腹たちて装束
うけとらず衣ひきかづきて直廬(ちよくろ)【庐】にふされたりけるに宇治
殿/公武(きんたけ)をもちて御馬をたまはせたりければおきあ
がりてしやうぞくきつとめられ侍けり
いづれの年にか白馬ノ節会に進士(シンジノ)判官藤原ノ経仲参り

たりけるに雑犯たゞすべき物なかりけれはちからおよばて
検非違使(けひいし)ども退出せんとしけるになにがし僧正とかやの児
沓(くつ)をはきながら木のまたにのぼりて見物しけるを経仲
が下部をもてめしとりてたゞしける詞に長大垂髪(ちやうたいにのたれがみ)にて
皮(かは)の沓(くつ)をはきたる【かヵ】木にのぼりて宮闕(きうけつ)をうかかふ一身
をもつて師のをかしをなせるしかるへしやいかんと勘問(かんもん)し
たりける時にのぞみていみじかりけり叡感(えいかん)ありて女房
の衣をたまはせけりとなん
寛治八年正月二日殿の臨時/客(きやく)有けるに左大臣(俊房)左大将(房顕也)
右大臣/内大臣(後二條)参たり事はてゝ各御馬ひかれければ
   【柱】古今巻三        〇九

   【柱】古今巻三        〇九
三公地に下て拝し給ひけり殿下左府随身府生/下毛(しもつけ)
野敦久右府前駆参河ノ権ノ守/感(もり)【盛ヵ】雅(まさ)を南/階(かい)の前に召て
御衣をぬきてたまはせけり内大臣中納言中将左右より
すゝみより給てくれなゐのうちあこめ御ひとへおくり出
されけり中納言中将つたへとりて御/単(ひとへ)物をば敦久(あつひさ)に給ひ
打衣をは盛雅に給ける先期(せんき)あれとも時にのぞみて
面目ゆゝしくぞ侍けり次に中宮御方/臨時客(りんじかく)に人々
参給けり催馬楽朗詠などはてゝ散斗(さんと)新/靺鞨(まつか)その駒
などにおよびける渕酔(えんすひ)の興ためしなくや侍らん久安三
年十一月廿日/豊明(とよのあかりの)節会/内大臣(宇治)内弁をつとめ給ひけるに

まだ膝突(ひざつき)をしかぬに無【訓点二】左右【訓点一】大外記めされけり左近将曹
大名ノ久季(ひさすへ)まづひざつきをしきてめしたりけり称美(せうび)す
る事かぎりなし後におとゝ久季をめして感じ
給ひけるとなん
仁平元年正月一日院ノ拝礼有けり八条太政大臣七
十二にてたち給ひたけり一たび拝してふたゝび拝
し給ひけり此事/礼記(らいき)に見へたるとか同二年にも
又かくぞ有ける
天永四年正月一日御/元服理髪(けんふくのりはつ)堀河左大臣の一蹉(いつさ)【跪ヵ】再(さい)
致(ち)し給ひけるためしにや宝治元年院ノ拝礼に後久(ごく)
   【柱】古今巻三        〇十

   【柱】古今巻三        〇十
我(がの)大相国もかくし給たりけり仁平二年五月十七日/最(さい)
勝講(せうこう)おこなはれけるに中山内府蔵人左衛門ノ佐にて奉
行せられけるに廿一日/結願日(けちぐはんのひ)左大臣まいり給ひて御装束
をみさせ給ひけるに九条大相国大納言にておはしけり
資信(すけのぶ)中納言の左大弁とて参られたりけるが講談師
座(さ)のたてやう例にたがひたるよし申されにけるにつきて
左府奉行の職事に仰られてなをされにけり左府後
に日記を見させ給ひけるに本の御装束たがはざりければ
僻説(ひがせつ)にてなをされつる事をくいたまひて怠状を書て
職事(しきじ)のもとにつかはしけり正直なりける事かな

内宴(ないえん)は弘仁年中にはじまりたりけるが長元より後たへ
ておこなはれず保元三年正月廿一日におこしおこなはるべ
き由さた有けるほどに其日は雨ふりて廿二日におこなは
れけり次第の事共ふるきあとを尋ておこなはれけり法(ほう)
性寺(せうし)殿関白にておはしましけるをはじめて人々おほく
参りあひたりけるに前ノ太政大臣はかならず詩(し)を可奉にて
おはしけり太政大臣は管絃の座に必候へき人にておはし
けるに座敷うちなかりければいかゞ有べきとかねてさた
有けるに太政大臣しもとつくべきよしすゝみ申されけれ
ども殿下ゆるし給はざりけりつゐに前太政大臣まづ
   【柱】古今巻三        〇十一

   【柱】古今巻三        〇十一
参りて詩を奉る披講(ひこう)はてゝいで給ひて後太政大臣かは
りて座につき給ひけり有がたかるべき事也
御遊の所作人(しよさひと)太/政大臣(宗輔)筝(さうのこと)左大臣/拍子(ひやうし)内大臣(公教)ふへ按察(あぜち)
使/重通(しけみち)琵琶(びは)左京太夫/隆季(たかすへ)朝臣/上総介(かつさのすけ)重家朝臣
笙(しやうふへ)宮内卿/資賢(すけかた)朝臣/輪琴(わこん)前備後守/季兼(すゑかね)篳篥(ひちりき)
主上御/付歌(つけうた)有けり有がたきためし成べし呂(りよ)安名尊(あなたふと)
《割書:二反》席田(むしろた)《割書:二反》賀取急(かとりきう)美作(みはのさか)【美作みまさかヵ】《割書:二反》律(りつ)伊勢ノ海万歳楽/青柳(あをやぎ)
五常楽(ごじやうらく)更衣これらをぞ奏せられける抑大/監物周光(けんもつのりみつ)
は近き比の詩学生の中にきこゑ有ものにて参り
たりけるが歳(とし)八十ばかりにて階をのほる事かなはざ

りけるを大蔵ノ卿長成朝臣/春宮大進朝方(とうぐうのたいしんともかた)弟子にて
有ければ前後にあひしたがひて扶持(ふち)したりゆゝしき
面目とぞ世の人申ける周光(ちかみつ)もことに自讃しけり此度
ぞかし俊憲宰相蔵人左少弁右衛門ノ権ノ佐/東宮学士(とうくうのがくし)にて
かきひゞかして侍けることにそのとし二条ノ院位につかせ
おはしまして次ノ年式目におこなはれけるに主上/玄象(けんじやう)
ひかせおはしましけり上下/耳(みゝ)をおどろかさずといふ事
なし内大臣拍子/按察使重通(あせちしげみち)笙/新(しん)三位/季行(としゆき)卿
篳篥(ひちりき)中将/俊通(としみち)朝臣/筝(さうのこと)実国(さねくに)朝臣笛/安名尊(あなとふと)鳥破(とりは)
美作/賀(か)取の急(きう)伊勢之海万歳楽/更衣(かうい)三/台(だいの)急五常楽
   【柱】古今巻三        〇十二

   【柱】古今巻三        〇十二
の急(きう)このたびの御遊ことにおもしろかりければ主上興
に入せおはしましけり按察(あせち)笙を閣(をひ)【擱ヵ】て時々/唱歌(しやうが)せられ
けり興ある事也永暦よりおこなはれず成にけりくち
おしき事也
後白河院御熊野詣に藤代(ふちしろ)の宿につかせおはしまし
たりけるに国司松/煙(えん)をつみて御前におきたりけり
花山ノ院左府中山太政入道殿其時右大将にて御前に候
はせ給たりけるに此墨いか程の物ぞ心みよと勅定有
ければおとゞ右大将にすゝめ申されければ硯を引よせて
墨をとりてすらせ給ひけりその様/除目(ぢもく)の執筆の定

【挿絵】
   【柱】古今巻三ノ       〇又十二

   【柱】古今巻三ノ       〇又十二
【挿絵】

成けり左府見とがめてしきりに感歎(かんたん)のけしき有けり
建久の比/月輪(つきのわ)入道殿/摂録(せつろく)にて公事どもをこし行はれけ
るに近代節会などにも上達部物をくはぬ事いはれなき
事也ふるきにまかすべきよしさた有けるに三条左大臣入
道の内弁の時さつ(きイ)にとりてめしたまひたりけるを職者(しよくしや)
のし給ことなればやうぞ侍らんとや思はれけん諸人みな
同し物を食(しよく)せられけり次に又内弁かちぐりをとりてめす
よしして懐中(くはひちう)し給ひければ人々皆また同していにせら
れけり殿下たちのぞかせ給て何となく内弁のせらるゝ
事をかゝるべきしきぞと心得て人々まねぶ事見ぐるし
   【柱】古今巻三        〇十三

   【柱】古今巻三        〇十三
とて其後此さたとまりにけり
建久の比中山太政入道殿大納言右大将にて県召除目(あかためしのぢもく)に
三ヶ夜/出仕(しゆつし)せさせ給ひて筥文(はこぶみ)の説を夜ごとにかへてとらせ
給ひけるを人々めてたがりのゝしかりて絵に書て持せ
たりけるとかや中将はゆゝしき絵書になん侍ける
承元弐年十二月九日/京官除目(つかさめしのぢもく)おこなはれけるに或大納
言/筥(はこ)を第弐の大臣の前にをかれたりけるを光明峯寺(くはうみやうぶじ)入
道殿中納言左大将にて一筥をかせ給ふとてさきの人の置(おき)
たがへられたる硯筥(すゝりはこ)ながら北へをしあけさせ給たりける
人々ほめ奉る事かぎりなかりけるその時御年十六に

成給ひにけるとかやみなし子の御身にてあはれに目出
度御事かなと時の人申けるとなん後鳥羽院入道殿
下に内弁の作法をならはせおはしまさんとて瀧(たき)口殿に
御幸なりて門(みかど)みなさしまはされけり入道殿下墨染の
御衣はかまに笏(しやく)たゞしくして院の御/下(した)重の尻をたま
はらせ給て御/腰(こし)にゆいてゆきはきてねらせ給ひたり
ける目も心もおよはずめでたかりけるおさなき殿上
人一二人上/北面(ほくめん)には重輔(しけすけ)朝臣一人ぞ候ける
後鳥羽院のそかに大内に御幸なりて白馬節会(あをむまのせちえ)の
習礼(しうらい)有けり院は大臣の大将とて内弁をつとめさせ
   【柱】古今巻三        〇十四

   【柱】古今巻三        〇十四
おはしましけり官人坊門大納言/忠信番(たゝのふはん)の長家季(ちやういへすけ)【季すえヵ】朝
臣にてぞ侍ける右大将にて後久我(ごくがの)太政大臣おはし
けるに番長には造酒正信久(みきのかみのぶひさ)をなされたりけり大納
言に信久ふかくかしこまりたりけるを大納言見て随身
に随身のかくばかりするやうやあるといはれければ随身も
随身にこそよれといひたりけるいと興有事也此日の事ぞ
かし弾正ノ少弼国章(せうひつくにあきら)内侍となりて下名(かめい)をもちて東の
はしらのもとへあゆみ出たりけるに陣(ぢん)につきたる諸卿/堪(たへ)
かねてみなわらひたりけるとなん
天慶五年五月十七日内裏にて番(はん)【蕃ヵ】客(かく)のたはふれ有けり

大使(たいし)には前ノ中書王の中将にておはしましけるをぞなし
奉られける其外/諸職(しよしき)皆その人を定られける主上/聖(村上の)主
の親王にておはしましけるを主領(しゆりやう)にてわたらせ給ひけり
かゝるむかしのためしも侍る故にや
順徳院の御位の時/賭弓(のりゆみ)をまねばれける左京ノ大夫重
長朝臣六位の青色袍(あをいろのはう)をかりてきて白木の御/椅子(いす)
につきて主上の御まねをぞしける時正(ときまさ)卿いまた五位
にて侍ける関白に成たりけり其外大将以下皆殿上
人をぞなされける重長朝臣御/椅子(いす)につきて御前に
そなえたる菓子(くはし)并鳥のあしなどを取てくいたり
   【柱】古今巻三        〇十五終

   【柱】古今巻三        〇十五終
ける比興の事なりけり勝負舞(せうぶまひ)を奏する時木工ノ権
頭/孝道(たかみち)一/皷(こ)をうち蔵人/孝時(たかとき)太/皷(こ)を打けりまことの義
にもおとらずそ侍ける猪熊殿(いのくまとの)の関白にておはしまし
ける光明峯寺(くはうめうぶじ)入道殿の左大臣にておはしましけるにめしに
おうじて参らせ給ひて御覧ぜられけり後鳥羽院御/熊野(くまの)
詣(まうで)の間なりけり御よろこびの後此事きこし召て主上の
御まねしかるべからず剰(あまつさへ)食(しく)する事/狂(けう)々也とて逆鱗(げきりん)有
て按察光親(あぜちみつちか)卿を御つかひにて内裏へ申されたりければ
ことにがくなりけるとなん
古今著聞集巻之三終

【後見返し】

【裏表紙】

【背】
【背ラベル 横書き。【「總」は青字】】
總 5 54

【表紙題箋】
《題:古今著聞集 《割書:四》》

【表見返し】

古今著聞集巻第四
  文学(ぶんがく)《割書:第五》
伏犠(ふつき)号/氏(し)天下に王としてはじめて書契(しよけい)を作て
縄(なは)をむすびし政にかへ給ひしより文籍(ぶんせき)なれり孔丘(こうきう)の
仁義礼智信をひろめしより此道さかり也書曰/玉(タマ)不(ザレハ)_レ琢(ミガヽ)
不(ス)_レ成(ナサ)_レ器(ウツハモノヲ)人不 ̄レハ学 ̄ビ不(ス)_レ知_レ ̄ラ道 ̄ヲ又云/弘風(コウフウ)導(ミチビイテ)_レ俗(ソクヲ)莫(ナカレ)_レ尚(タツトフコト)_二於文_一 ̄ヲ敷(シキ)_レ教 ̄ヲ
訓(ヲシヘテ)_レ民 ̄ヲ莫_レ ̄レ善(ヨミンスルコト)_二於学_一 ̄ヲ文学の用たる蓋(ケダシ)かくのごとし応神
天皇十五年に百済(はくさい)国より博士経典(はかせけいでん)を相ぐして
来りしかうして後/経史(けいし)我国ニまなびつたえたり抑/詩(し)は
志のゆく所也心にあるを志とす言にあらはすを詩(し)と
   【柱】古今巻四        〇一

   【柱】古今巻四        〇一
すといへいり天武天皇第三御子大津ノ皇子始て詩賦(しふ)
をつくり給ふそれよりこのかた春ノ風秋ノ月の悉(こと〳〵く)静(しつか)也皆/吟(こん)【吟ぎんヵ】
誦(せう)の心をもよほし詞花言葉(しくはげんよう)【「詞花言葉」の左ルビ「コトハノハナコトハ」】の聯翩(れんへん)【「聯翩」の左ルビ「ツラナリテヒルカヘル」】也悉ク錦繍の色を裁(さい)す
るもの也
天暦六年十月十八日後ノ江(こう)相公の夢に白楽天きたり給
へりけり相公(しやうこう)悦てあひ奉てそのかたちをみれば白衣
を着(き)給ひたり面の色あかぐろにぞおはしける青き物
着(き)たるもの四人あひしたがひたりけり相公/都卒(とそつ)天より
来り給へるかと問奉られければしかなりとぞ答給ひ
たりける申べき事有て来れるよしの給ひけるにいまだ

物語に及はすして夢さめにけれ口惜き事限なかりけり
天暦御時朝綱文時に仰せて文集第一詩えらび
て奉るべきよし勅定有ければ
  送(ヲクル)_三蕭(セウ)-処(シヨ)-士(シガ)遊(アソフヲ)_二黔南(キンナンニ)_一
 能(ヨクシ)_レ文 ̄ヲ好(コノム)_レ飲(インヲ)老蕭郎(ラウセウラウ)    身 ̄ハ似(ニ)_二浮雲(ウキタルクモニ)_一鬢(ビンハ)似(ニタリ)_レ霜(シモニ)
 生(ナリ)_計(ハイ)抛(ナゲウチ)来 ̄テ詩 ̄ハ是 ̄レ業(ギヤウ)    家園(フルサトヲ)忘却(ワスレハテヽハ)酒 ̄ヲ為(ス)_レ郷(キヤウト)
 江(エ)従(シタカツテ)_二 巴峡(ハケウニ)_一初(ハシメテ)成(ナス)_レ字(ジヲ)  猿(サルハ)過(スギテ)_二巫(フ)陽(ヨウヲ)_一始 ̄テ断(タツ)_レ腸(ハラハタヲ)
 不(ズンバ)_レ酔(エハ)黔(ギン)中/争(イカデカ)得(エン)_レ去(サルコトヲ)   摩囲(マヰ)山 ̄ノ月/正(マサニ)蒼々(サウ〳〵)
この四韻(しいん)をともにえらびたてまつりたりけり
一句すぐれたるはおほけれど四句体ことなるによりて
   【柱】古今巻四        〇二

   【柱】古今巻四        〇二
ありがたき事にや両人同心のほど興ある事也
安楽寺/作(さく)文序を相規(すけのり)が書けるに王子晋(ワウシシン)之(ガ)昇仙(セウセンノ)後
人/立(タチ)_二祠 ̄ヲ於/候嶺(カウレイ)之月_一 ̄ニ羊大轉 ̄ガ也早_レ世 ̄ヲ行客(コウカク)墜(ヲトス)_二涙 ̄ヲ掟【於ヵ】峴/山(サン)
之雲_一この句ことにすぐれたりけるを後に月のあかゝ
りけるに安楽寺にて直衣(なをし)の人詠じたるは天神/御感(きよかん)
のあまりあらはれ給ひけるにや
蒼波(ソウハ)路遠(ミチトヲシ)雲 ̄ノ千里/白霧(ハクブ)山/深(フカシ)鳥一声 此句は橘ノ直幹(たゞもと)【龺に夸】
が秀句(しうく)にて侍るを奝然(てうねん)上人入唐の時わが作なりと
称しけり但(たゝ)雲千里と侍を霞(かすみ)千里とあらため
鳥一声をは虫一声となをしたりけるを唐人きゝ

て佳句(かく)にて侍るをそらくは雲千里鳥一声と侍らば
よかりなましとぞいひけるさしもの上人のいかにそら
ことをばせられけるにかこの事おぼつかなし
前途程遠(セントホドトヲシ)馳(ハセ)_二思 ̄ヲ於雁【鴈】山之夕 ̄ベノ雲_一 ̄ニ後会期(コウクハイキ)遥(ハルカナリ)霑(ウルヲス)_二纓於(エイヲ)鴻(コウ)
臚(ロ)【胪】之(ノ)暁涙(アカツキノナンタニ)_一と後ノ江相公が書たるを渤海(ぼつかい)の人/感涙(かんるい)を
ながしけるのちに本朝ノ人にあひて江相公三公の位に
のぼれりやと問けりしからざるよし答ければ日本国は賢
才をもちゐる国にはあらざりけるとぞはぢしめける
都(みやこの)良香(よしか)竹生島に参りて三千世界眼ノ前ニ尽(つき)と案(あん)じ
侍て下句を思ひわづらひ侍りけるにその夜の夢に
   【柱】古今巻四        〇三

   【柱】古今巻四        〇三
弁才天十二因縁ハ心の裏空(うちむなし)とつけさせ給ひけるやんごとな
きことなり
晴後山清(ハレノチヤマキヨシ)といふ事を以言(モチトキ)つかうまつりけるに帰_レ ̄テ嵩(トウニ)鶴舞 ̄テ日
高 ̄ク見(ミへ)飲(イン)渭(イ)龍/昇(ノボ?ツテ)雲不_レ残とつくりて以言(モトトキ)すなはち講し
にてよみあげたるを為憲(ためのり)朝臣其座に侍けるがきゝて土
象に頭(かしら)を入て涙をながしけり見る人或は感し或は笑ひ
けり彼為憲は文場(ふんじやう)ことに豪【嚢ヵ象ヵ】に抄物を入て随身し
けるを土象とは名付たりけり
後徳大寺左大臣前ノ大納言にておはしける時人々をともな
ひて嘉応二年九月十三日夜/宝荘厳院(ほうしやうごんゐん)にて当座の

【挿絵】
   【柱】古今巻四ノ       〇又三

   【柱】古今巻四ノ       〇又三
【挿絵】

詩歌有けるに式部大輔/永範(なかのり)卿月の影に立出て抄物
を見て楼台(ろうだい)に月/映(エイシテ)素輝(ソキ)冷(スサマシ)七十秋/闌紅涙余(タケテコサルイヲホシ)といふ秀
句を作たりけるむかしはふところに抄物など持るしから
ぬ事也けり近代は不覚の事に思てもたぬ事に成はて
にけり不(アラス)_二是花中偏 ̄ニ愛(アイスルニ)_一レ菊 ̄ヲ此花開 ̄テ後更無_レ花これは元(げん)
稹(しん)が秀句也/隠君子(いんくんし)琴を弾し給ける空よりかげの
やうなるものきたりていひけるは我此句をあは【いヵ】す宿執
あるによりてその感にたへすたゞし後の字をあらため
て尽(ツキテ)とあるべしと云てうせにけり
いづれの年に天下に疫病はやりたりけるに或人の
   【柱】古今巻四        〇四

   【柱】古今巻四        〇四
夢に文時(ふんとき)三品の家のまへををそろしげ成鬼神とも
みな拝してとをりけるをあれは何といふことにてかく
はかしこまるぞと問ければ滝山雲晴季将軍之在_レ家 ̄ニ
とつくりたる人の家をばいかでかただ無礼にて過べきと
こたへけり鬼神は心たしかにてかく礼義もふかきに
よりて文をもうやまふにこそ一道に長(ちやうじ)たる人はむかし
も今もかやうのふしぎおほく侍り大内記/善滋保胤(よししげやすたね)
と八条ノ宮に参(さ)んじて下向の時事(じゝ)時輩(じはい)の文章に
およびけるに親王命 ̄シテ云 ̄ク匡衡(マサヒラ)如何 ̄ン答曰 ̄ク敢(カン)死之/士(シ)数
騎/被(カフムリ)_二介冑(カイチウヲ)_一策(ムチウチ)_二驊騮(クワリウニ)_一似_レ ̄リ過_二 ̄ニ淡津(タンシンノ)之渡(ワタリヲ)_一其 ̄ノ鉾(ホコ)森然(シンゼントシテ)少(マシナリ)_二敢(アヘテ)

当 ̄ル者_一又命云/齋南(トキナ)如何 ̄ン答曰/瑞(ズイ)雪之/朝瑤(アシタヨウ)台之上 ̄ニ似_レ ̄リ弾(ダンス)_二筝(セウ)
柱(チウヲ)_一又命曰 ̄ク以言(モチトキ)如何 ̄ン答曰 ̄ク砂庭ノ前 ̄ヘ翠松陰下(スイセウインカニ)如_レ奏_二 ̄スルニ陵王_一 ̄ヲ又
命曰 ̄ク足下如何答曰 ̄ク曲上達部(ナマカンタチメ)駕(ノリテ)_二毛車_一 ̄ニ時々似_レ有_二 ̄ニ陰声_一と
申けるいと興ある事也おほかた自_レ漢至_レ ̄リ魏(ギニ)文体三段と
こそ文選には侍なれ白楽天の作をは東坡先生はかたふ
けけるとかやされば和漢ノ風情時にしたがひて改まる
やうに侍ども彼保胤(かのやすたね)が詞(ことは)古今序のごとくはさま〳〵なる
体いづれもすつまじきにこそ侍れ一/隅(ぐう)をまもりて善
悪をさだめん事は口をしかるへきことなり諸道同
事なるへきにや
   【柱】古今巻四        〇五

   【柱】古今巻四        〇五
白河院御時高麗国より医師を申たりけるにつか
はすへきよし沙汰有けるに殿下御夢想の事有てつかは
すまじきになりにけり返條に匡房(まさふさ)卿かきけるに双魚
難_レ達(タツシ)_二鳳池之波【「波」の右に「月(ツキニ)イ」、左ルビ「ナミニ」。訓点一】扁鵲(ヘンジヤク)豈(アニ)【「豈」の左に訓点「ヤ」】_レ入_二 ̄ン鶴林(クハクリンノ)之雲_一 ̄ニこの句ことなる秀
句にてよの人のほめのゝしりけり
江中納言匡房/承(堀川)徳二年/都督(トトク)【「都督」の右に「太宰大弐康名」。「康名」は「唐名」ヵ】に任してくだりけるに
同/康和(こうわ)三年に都督(ととく)夢惣の事ありて安楽寺の御祭
をはじめて八月廿一日/翠花(すいくは)を浄妙寺にめぐらす此寺は
天神の御事をとゞめし地也/治安(ぢあん)の都督/惟憲(これのり)卿彼ノ跡
をかなしひて一/伽藍(がらん)を其所に修復(しゆふく)して法花三昧を修

す同廿三日/宰府(さいふ)に還御(くはんきよ)僚官(りやうくはん)社司(しやし)みな馬にのりて
供奉す廟院(びやういん)の南に頓宮(とんくう)あり神輿(しんよ)をそのにやすめ
て神事をその前におこなふ翌日(よくしつ)に宴(えん)おはりて夜に
入て才子(さいし)ひきて宴席(えんせき)をのぶ是をまつりの竟宴(きやうえん)と
いふ也神徳/契(チキル)_二 遐年(カネンヲ)_一と云題をはじめて講せられける
序を都督かゝれけるに桑田(サウテンハ)縦(タトヘ)変(ヘンストモ)日 ̄ニ祭 ̄リ月 ̄ニ祀(マツル)之儀
長 ̄ク伝 ̄ン芥(カイ)城 ̄ハ縦 ̄ヘ空 ̄クトモ配(ハイシ)_レ 天 ̄ニ掃(ハラフ)_レ 地 ̄ヲ之/倍(ハイハ)無_レ ̄ン絶 ̄ルコト況 ̄ヤ亦/混論(コンロン)万
歳三宝 ̄ノ桃(モヽ)矣/便(スナハチ)充(ミツ)_二枌楡(フンユノ)之/珍羞(チンチウニ)_一崆(ウ)【コウヵ】峒(トウ)一/却(キヤク)一/熟(ジユク)之/瓜(ウリ)
焉/更(サラニ)代(カフ)_二 ■(ジン)【蘋(ヒン)ヵ】蘩(ハン)之(ノ)綺饌(キゼンニ)_一と書(かゝ)れて侍る故にや此祭礼
年(とし)おえてたゆる事なくいよ〳〵指粉(しふん)をぞ添(そへ)られ侍る
   【柱】古今巻四        〇六

   【柱】古今巻四        〇六
同序云社/稷之(シヨクノ)臣政/化(クハ)雖_レ ̄トモ高 ̄ト朝闕 ̄ノ万機/未(イマタ)【「未」の左に訓点「ス」】_三必/充(ミタ)_二姫(キ)霍(クハク)_一
風月之主才名雖_レ富 ̄ト夜台一/掩(エン)未(イマタ)【「未」の左に訓点「ス」】_三必/類(タクヒセ)_二、祖宗_一 ̄ニ彼 ̄ノ蕭蕭(シヤウ〳〵タル)
暮(ユフベノ)雨花 ̄ハ尽_二/巫(フ)女之【「台_一」の脱ヵ】嫋々(ジャウ〳〵タル)秋 ̄ノ風人 ̄ハ下_二 ̄ル伍子(ゴシ)之/廟(ビヤウニ)_一古今相_二-隔(ヘタツ)
幽歌(ユウカ)推(スイ)-同_一 ̄ヲ匡房五/稔(シン)之/秩(チツヤ)已 ̄ニ満 ̄テ待_レ ̄テ春 ̄ヲ漸 ̄ク艤(フナヨソヲイス)_二兮江湖 ̄ノ舟_一 ̄ニ併 ̄シ
覲(キン)_レ之 ̄ヲ期難_レ ̄シ知 ̄リ何 ̄ノ_日/復(マタ)列(レツセン)_二廟門之籍_一 ̄ニとかゝれたりける詩に
いはく蒼茫(サウバウタル)雲雨知_レ ̄ルヤ吾 ̄ヲ否(イナヤ)其 ̄レ奈(イカン)_三那【将ヵ】帰_二 ̄ンコトヲ於/帝(テイ)京_一 ̄ニとなん作ら
れたり此序を講しける時この中の句を御/殿(てん)のかたに人
の詠ずるこゑの聞えけるはうたがひなく神感のあまりに
天神御詠吟有けるにこそと人々申ける今年都督/秩(チツ)
満(マン)のとしにあたれり明春/帰洛(きらく)せんする事を神も名(な)ごり

おほく覚しめしてかく偈吟(けきん)有けるや同四年都督すてに花
洛(らく)におもむくとて曲水 ̄ノ宴に参りて序をかゝれけるに夢の
中に人来て告(つけ)けるは此序の中にあやまり有なをすべし
と云と見てさめぬ其後件の序を沈(ちん)【沉】思(し)有けるに柳ノ
中之/景色暮(けいしきくれ)花 ̄ノ前之/飲(いん)難(す)_レ罷(やまんと)と云句ありけり柳ノ中は
秋の事也春の時にあらずと覚語して則なをされにけり同序
に潘江/陸海玄(リクカイケン)之又玄也/暗(アンニ)引_二巴(ハ)字之水_一 ̄ヲ洛妃(ラクヒ)漢如_レ夢而
非_レ夢 ̄ニ也 自/動(ウコカス)_二 魏(キ)年之/塵(チリヲ)_一堯如_レ ̄シ廟 ̄ノ荒(アレテ)春 ̄ノ竹/染(ソム)_二 一/掬(キク)之涙_一 ̄ヲ
徐君墓古(チヨクンツカフリテ)秋/懸(カク)_二 三尺之霜_一 ̄ヲ右軍(ユフグン)既 ̄ニ酔 ̄テ闌台(タンダイ)之/席稍巻(ムシロヤヽマク)
左驂/頻(シキリニ)顧(カヘリミテ)_二桃浦之(トウホノ)駕_一 ̄ヲ欲_レ ̄ス帰 ̄ント かやうの秀句共を書出され
   【柱】古今巻四        〇七

   【柱】古今巻四        〇七
たりけるに尊廟のふかくめでさせ給にけるにこそ講ぜら
るゝ時御殿の戸なりたりけるを満座の府官僚官一人
も残らずみな是を聞けりそのこゑ雷(らい)のごとくになん侍り
ける此卿嘉承二年又都督になりたりけるこれも神の御
計(はからひ)にこそかたじけなき事也
尚歯会(しやうしのくはひ)は唐の舎昌(しやしやう)五年三月廿一日白楽天/履(り)道坊にし
てはじめておこなひ給ひける我朝には貞観十九年三
月十八日大納言/年名(としなの)卿小/野(ノヽ)山庄にしてはじめておこな
はれけり又安和二年三月十三日大納言/在衡(ありひら)卿/粟田(あはた)口の山
庄にておこなはれける其後天承元年三月廿二日大納言

宗忠卿白河山庄にして被_レ行けり七叟 ̄ノ算(かづ)三善為康(みよしのためやす)
《割書:年八十三》前 ̄ノ左衛門佐藤原/基俊(もとよし)【「俊」のルビ「とし」ヵ】《割書:七十六》前の日向守中原
廣俊(ひろとし)《割書:七十》亭主(ていしゆ)《割書:七十》式部大輔藤原/敦光(あつみつ)朝臣《割書:六十九》右大弁
実光(さねみつ)《割書:六十三》式部少輔/菅原(すがはらの)時/登(なり)《割書:六十二》此中に基俊は病に
よりて詩ばかりを贈(をく)りけり時登序をば書たりけり
垣下(えんか)に中納言師時以下侍けり詩披講(しひこう)以前に朗詠
少/没(ほつして)楽天三年の句をそへて四五反におよふ右大弁式
部大輔ぞ詠ける又/岸風淪力(ガンフウリンリヨク)之句/蓬鬢商(ホウビンシヤウ)山之句
酔(エイテ)対_レ ̄ス花 ̄ニの句等再三詠じてすてに幽(ユフ)奥に入けり昔
は此座にして盃杓有て或は詩をつくり或は管絃を
   【柱】古今巻四        〇八

   【柱】古今巻四        〇八
命(めい)じて心にまかで遊/戯(げ)しける今そかやうの事も
絶え侍ぬうる口をしきかな
永久三年七月五日式部ノ太輔/在良(ありよし)朝臣/御侍読(ごしどく)にて始て
御前へ参りたりけるに先朗詠をしける幸 ̄ニ逢(アフテ)_二 舜無為(シユンブヰノ)
化徳(クハトク)_一 是(コレ)非_二 老(ヲイ)之/幸(サイワイニ)_一哉/大公望(タイコウバウ)遇(アヘル)_二周文(シウフン)_一等の句也次古事をかたり
申けり聞もの感せずといふ事なし次に管絃ありけり
主上御笛をふかせ給ふ更闌(かうたけ)て在良(ありよし)朝臣罷出けるに
蔵人/朝隆(あさたか)指燭(しそく)さしておくりけりゆゝしくそ侍ける
勧学院の学生共あつまりて酒宴しけるにおの〳〵
議しける年齢座次(ねんれいざなみ)をもいはず才の次第に座には

着(つく)べしと定めけり然るを隆頼(たかより)すゝみてつきてけり傍輩(はうはい)共
左右なくはいかにつくぞといひければ隆頼きこへけるは文選(もんぜん)
三十巻/四声(しせい)の切韻暗誦(せついんあんじゆ)のものあらばすみやかに隆頼ゐく
たるべしといひたりけるに傍輩共皆口を閉(とぢ)てあへて云事なかり
けり此隆頼は無双(ぶさう)の才人也けり学頭(がくとう)に成たりけり学問/料(りやう)
を心にかけて望けれ共つゐにかなはざりけり申/文(ふみ)に対(タイシテ)_二
夏暦(カレキニ)【訓点一】押(如写本)-子老自 ̄ラ/准陽(ジユンヤウノ)之一老取_二 ̄テ明鏡_一 ̄ヲ見(ミルニ)_二鬢(ビン)眉(シンヲ)_一皓(コウ)
白商山之(ハクナルシヤウサンノ)四/皓(コウ)と書たるもの也此句ことなる秀句にて
人口にあるものなり
康治三年甲子にあたりけり例(レイ)にまかせて革命
   【柱】古今巻四        〇九

   【柱】古今巻四        〇九
のさだめ有べかりけるに宇治左府前ノ内大臣にておは
しけるが周易(しうゑき)をまなばずして此定にまいらん事
あしかるべしと覚してよませ給べきよし覚しさだ
めてげりしかあるを此事を学ぶ事師有よしいひ
つたへたり又五十以後まなぶべしともいへりおとゞ
おぼしけるは此事更に所見なし論語には小年にて
学ぶべしとこそ見へたりさりながらも俗語はゞかりあ
ればとて二年十二月七日/安倍泰親(あべのやすちか)をめして河原
にて泰山府君(たいさんぶくん)をまつらせてみづから祭庭にむか
はせ給ひけり都社にその心さしをのへられけり

成佐(なりすけ)ぞ草したりけるそのとしおとゞは廿四にぞなら
せ給ひける文道(ふんとう)をおもんじ冥加(めうが)を恐給ひてかくせ
させ給ひけるやさしき事也
仁平の比宋朝ノ商客劉文冲(シヤウカクリウフンチウ)東坡先生指掌図(トウハセンセイシシヤウヅ)二帖
五代記十帖唐書九帖/名籍(メイセキ)をそへて宇治左府に
奉り返事は文章/博士義明(ハカセヨシアキラ)朝臣草して前ノ宮内ノ
太輔定信ぞ清書したりける尾張(をはりの)守/親隆(ちかたか)か奉書
にて書たりける砂金卅両をたまはせけり又/要書(ようしよ)
目録をもつかはしけり万寿三年に周良史(しうりやうし)といひ
けるもの名籍を宇治殿に奉りたる事あり其
   【柱】古今巻四        〇十

   【柱】古今巻四        〇十
たひは書をはたてまつらざりけり
仁平三年五月廿一日/院宣(いんぜん)によりて宇治左大臣東三条
にて学問料の試(し)をおこなはれけり藤原ノ敦経(あつつね)菅原登(すがはらなり)
宣(のふ)同/在清(ありきよ)藤原/敦綱(あつつな)同/光範(みつのり)菅原/在茂(ありもち)等を中島の座
にすへられにけり式部太輔永/範(のり)朝臣文章博士/茂明(しけあき)朝
臣式部権ノ太輔/公賢(きんかた)をめして左伝礼記毛詩(さでんらいきもうし)を分(わけ)た
びて題をえらばざれけりみな紙切(かみぎれ)に書わけて頭ノ弁/朝隆(ともたか)
朝臣をめしてくじにとらせられけり礼以(れいい)行義(ぎやうぎ)といふ事
をとりけり家司(かし)盛業(もりなり)をもて試衆(ししゆ)にたまふ作り
出すに随てぞもてまいりける其後評定ありけり

後に院より通憲入道にもおほせあわせられける
こそつゐに/光範登宣(みつのりなりのふ)ぞ給はりにける
保元二年四月廿八日蔵人所にて直講(ちよくこう)の式ありけり
重憲師直師尚(しけのりもろなをもろなふ)おの〳〵屏風をへだてゝ候へけり頭ノ弁
範家(のりいへ)朝臣蔵人左少弁/雅頼(まさより)蔵人/勘解由(かけゆう)次官/親範(ちかのり)所
につきたりけり式部ノ大輔永範朝臣毛詩尚書左伝礼記
の中に十の事(こと)をしるしいだして奉りたりけるを尋■【被ヵ】下
けり師直は三事に通し重憲師尚は二事に通し
たりけり次日親範仰を承て助教師光(すけのりもろみつ)《割書:師尚|父》頼業(よりなり)
直講(ちよくこう)康季(やすすへ)を蔵人所にめして評定せられけり師直
   【柱】古今巻四        〇十一

   【柱】古今巻四        〇十一
傍輩にすぐれたるによりて五月二日つゐになされにけり
少納言入道信西が家にて人々あつまりてあそびけるに
夜/深(ふけ)催_二 ̄ス管絃_一 ̄ヲ云題にて当座の詩を作りけるに皆人
は作いたしたりけるに敦周(あつのり)朝臣案じ出さぬけしき
にて程へければ満座興さめてげりあまりにすみて
侍ければ有安(ありやす)が座のすへに有けるに入道朗詠すべき
よしをすゝめけれは第一第二ノ弦索(ケンハサク)々といふ句を詠したり
けり此心自然に此題によりきたりけるにや敦周(あつのり)朝
臣やがて作りいだしたりけり龍吟(リヤウギンシテ)水/晴(ハル)両三曲 ̄ク鶴(ツル)唳(モトツテ)霜(シモ)
寒(サムシ)第四声とつくりたりける殊ニその興有て人々/感歎(かんたん)

しけり彼朗詠のこゝろいと相違なきにや
治承弐年五月晦日内裏にて密々に御作有けり題云
詩境(しきやう)多 ̄シ脩行_一左兵衛ノ督(かみ)成範卿已下参られたりけり御製ノ
落句に豈(アニ)忘(ワスレヤ)一字/勝(マサラントハ)_レ全(マツタキニ)能 ̄ク可(ベシ)_レ愍(アハレム)白巻師かくつくらせ給
たるを承て宮内卿永範卿左大弁俊経卿ともに御/詩(し)
読(トク)にて候けるが感涙をのごひて両人/東台(とうだい)の南/階(かい)を
おりて二/拝(はい)左大弁/舞踏(ぶとう)しけり左大弁は左兵衛督の笏
をぞかりうけらることにゆゝしき面目にぞ
高倉院の風月の御才はこのみ御沙汰も有けり治承弐
年六月十七日延久のふるき跡を尋て中殿にて御作
   【柱】古今巻四        〇十二

   【柱】古今巻四        〇十二
文有けり妙音院太政大臣《割書:帥(ソツ)》左大将《割書:実定(シツヲイ?)》中宮大夫《割書:隆季(タカスヘ)》
藤中納言《割書:資(スケ)長》権中納言《割書:実綱(サネツケ)》【綱のルビ「ツナ」ヵ】右宰相中将《割書:実高(サネタカ)》式部大輔《割書:永(ナカ)》
《割書:範(ノリ)》左大弁《割書:俊経(トシツネ)》中将/雅(サマ)【雅のルビ「マサ」ヵ】長朝臣/通親(ミチチカ)朝臣権右中弁/親宗(チカムネ)
朝臣蔵人左少弁《割書:兼光(カネミツ)》蔵人/勘解由(カケユノ)次官/基親(モトチカ)蔵人右衛門ノ
佐藤原/家実(イヘサネ)卿めされけり式部太輔題の事をうけ給
て禁庭催_二 ̄ス勝遊_一 ̄ヲとしるして奉りけり勧盃(くはんはい)はてぬれば
御遊をはじめらる太政大臣/玄象(げんじやう)を弾じ給但まへに
をきて弾したまはざりけり唱歌をぞし給ひける緒(を)の
きれたりけるにや中宮太夫笙をふく笛は主上ふかせ
おはしますべきよし承て聞えけれ共さもなくて藤大納

言ぞつかうまつられける中御門中納言/宗家(スネイヘ)【宗のルビ「ムネ」ヵ】拍子を
とる六角宰相/家通(イヘミチ)筝をしらぶ頭ノ中将/定能(サタヨシ)朝臣篳
篥をふく少将/雅賢(マサカタ)朝臣和琴を弾しけり呂(リヨハ)安名(アナ)
尊(タウト)鳥(トリ)の破(ハ)席田(ムシロダ)賀取急(カトリキウ)【賀殿急ヵ】律(リツハ)伊勢ノ海万歳楽五常楽急
御遊はてゝ詩をおく兼光(カネミツ)をめして講せられけりその
のち太政大臣御製を給はりて文台の上にひらかれ
ければ民部大輔ぞ講じ奉りける
  禁庭 ̄ノ月/下(カ)勝遊成(セウユウナル)有_レ管(クハン)有_レ絃(ケン)有_二頂(セウ)-声(セイ)
  宴席(エンセキハ)憖(ナマジヒニ)追_二 ̄ヘル延久 ̄ノ跡_一 ̄ヲ詞花猶/異(コトニス)_二昔 ̄ノ風情_一 ̄ヲ
発句下ノ七字中宮太夫の詩にあひて侍けれは大夫
   【柱】古今巻四        〇十三

   【柱】古今巻四        〇十三
おどろきさはぐけしきあり人々感じけるとぞ大臣
御製をとりて懐(くわい)中に入給ひけり延久に土御/門(かと)右府
はかくもし給はざりけるにいと興ありとぞのゝしりけ
る座にかへり給ひて後/数反(すへん)詠じ給ひけりまことに
道にたへたる御事ぞあらはれてめでたくぞ侍ける
左大将左大弁と同詠しけり其後令月徳是など
も詠し給けりかゝる程に御製に作りあはせたる
人/勅詠(ちよくえい)を給はる事式部ノ太輔申出たりけれとも
紀ノ納言のためしも年月さだかならずこそ大夫/則(すなはち)作(つくり)
なをしてかさねられたりけるゆゝ敷ぞ侍けり抑今度

の文人(ふんしん)目出度えらひめされたるに右大弁/長方(なかかた)もれに
ける事人々あやしみあへりいかなる事にかおぼつかなき
事也右大弁此事を恨(うら)みて病と称(せう)して参儀大弁両/職(しやく)
を辞(じ)申けり実にはやまさりけるにや天気不快なり
けるとぞ
文治三年九月七日/暁(アカツキ)秀才長官為長夢に権右中弁
定長朝臣北野ノ宮寺にて臨時作文をおこなふと見て
げり為長このよしをかの弁に告ければおどろきて人
〳〵をすゝめて同十月六日作文をとげおこなひけり題
は廟庭歳月長(びやうていせいげつなかし)源中納言通親卿已上参れたり序は
   【柱】古今巻四        〇十四

   【柱】古今巻四        〇十四
大内記長守ぞ書ける披講ののち新中納言兼光卿
式部大輔光範朝臣大学頭在茂朝臣文章/博士(はかせ)光輔朝
臣等朗詠しけりむかしの御/余執(よしう)猶おはしますにや近比
もかく文にはふけらせおはします事おほく侍り
或人連句のたびことに想像花陽洞(おもひやるくはやうとう)とさだまれることに
いひけり或日人々よりあひたりけるにかの人案のことく
又此句をいひたりけるを素俊(そしゆん)法師とりもあへす左存(さぞんす)
松子亭(せうしてい)といひたりける満座興に入て腸(はらはた)をきりけると
そこの素俊は連句の上手なりけり
   春調春鶯囀(ハルノシラベハシユンアウテン) 古聞古鳥蘇(モトキクコトリソ)

   琵琶(ヒハ)称(シヤウス)_二牧馬(ボクハ)_一鞁皷(カツコ?)習(ナラウ)_二泉狼(センロウヲ)_一
これらも素俊が秀句とぞ申侍る
邑上帝(ムラカミテイ)かくれさせ給ひて後/枇杷(ビハノ)大納言延光卿あさゆふ
恋しく思ひ奉て御かたみのいろを一生ぬぎ給はさりけり
ある夜の夢に御製をたまひける
   月輪日本/雖(イヘトモ)_二相/別(ハカルヽト)_一温意(ヲンイ)清涼(セイリヤウ)昔(モトヨリ)至誠(シイセイ)
   兜率(トソツ)最(モツトモ)高 ̄シ帰_二 ̄テ内院_一 ̄ニ如今(イマ)於_レ ̄テ彼(カシコニ)語_二 ̄ル卿(ナンヂガ)名(ナヲ)_一
大納言夢さめておどろきて是に和したてまつる
   再拝 ̄ス聖顔(セイガン)一/寝程恩言(シンテイヲンゲン)芳(カウハシキ)処 ̄ロ奉(ホウス)_二 中情_一 ̄ヲ
   夢中如_レ ̄シ覚(サムルカ)夢中ノ事雖_レ ̄トモ尽_二 ̄スト一生 ̄ヲ豈(アニ)空(ムナシク)驚_一 ̄ンヤ
   【柱】古今巻四        〇十五

   【柱】古今巻四        〇十五
後三条院東宮にておはしましける時/学士(かくし)実政朝臣
任国(にんこく)におもむきけるに餞別(せんべつ)のなごりをおしませ給
て御製かゝりけるとかや
   州民縦(シフミンタトヘ)作(ナストモ)_二甘棠(カントウノ)詠_一 ̄ヲ莫_レ ̄レ忘(ワスルヽコト)多年風月 ̄ノ遊 ̄ヒ
此心は毛詩 ̄ニ云孔子曰/甘棠莫(カントウナカレ)_レ伐(キルコト)邵伯之(セウハクノ)所_レ宿(ヤトリシ)也といへ
る事也
中納言/顕基(あきもと)卿は後一条院ときめかし給ひてわかくゟ
つかさくらゐにつけてうらみなかりけり御門におくれ
奉りければ忠臣は二君につかへずといひて天台/楞(れう)
厳院(こんいん)にのぼりてかしらおろしてげり御門かくれ給ひ

【挿絵】
   【柱】古今巻四ノ        〇又十五

   【柱】古今巻四ノ        〇又十五
【挿絵】

ける夜火をともさゞりければいかにと尋るに主殿(とのも)司
新主(しんしゆ)の御事をつとむとてまいらぬよし申けるに出家の
心もつよく成にけり此人わかくより道心おはしまして
つねのことくさに
   古墓(コホ)何(イツレノ)世人(ヨノヒトソ)  不(ス)_レ知(シラ)姓与名(セイトナト)
   化(クハシテ)為(ナル)_二路辺土(ロヘンノツチト)_一  年々春 ̄ノ草(クサノミ)生 ̄ス
菅丞相(かんせうしやう)昌泰三年九月十日/宴(えん)に正三位の右大臣の大
将にて内に候はせ給ひけるに
   君 ̄ハ富_二 ̄ミ春秋_一 ̄ニ臣 ̄ハ漸 ̄ク老 ̄ス 恩無_二 ̄シテ涯岸(カイガン)_一報 ̄スルコト猶 ̄ヲ遅(ヲソシ)
と作らせ給ければゑいかんのあまりに御衣をぬぎて
   【柱】古今巻四        〇十六

   【柱】古今巻四        〇十六
かづけさせ給ひしを同四年正月に本院のおとゞの奏(そう)
事(じ)不実(ふじつ)によりて俄に太宰ノ権ノ帥(そつ)にうつされ給ひしかば
いかばかり世もうらめしく御いきどをりもふかゝりけめ共
猶君臣の礼はわすれかたし魚水の節もしのびえずや
おほえさせ給ひけんみやこのかたみとてかの御衣を御身
にそへられたりけり扨次のとしの同日かくぞゑいぜ
させたまひける
   去年/今夜(コヨヒ)侍_二 ̄ベル清涼_一 ̄ニ  秋思詩篇(シウシシヘン)独断腸(ヒトリダンテウ)
   恩賜(ヲンシノ)御衣今在_レ ̄リ此 ̄ニ   棒持(ホウヂシテ)毎日拝_二 ̄ス余(ヨ)香_一 ̄ヲ
後江相公の澄明(すみあきら)におくれてのち後世をとふらはれ

ける願文に
   悲之(カナシミノ)又悲(マタカナシキハ)莫_レ ̄シ悲 ̄キハ於老 ̄テ後(ヲクルヽヨリ)_レ子(コ) ̄ニ
   恨(ウラミテモ)而更 ̄ニ恨 ̄キハ莫_レ ̄シ恨_二 ̄ナルハ於/少(ワカツシテ)先(サキタツヨリ)_レ親 ̄ニ
とかけるこそ前後相違の恨げにさこそはとさりが
たくあはれにおぼゆれ
橘正通が身のしづめる事を恨(うらみ)て異国へ思ひたちける
境(きやう)節具平親王家の作文ノ序者たりけるに是を限(かき)り
とやおもひけん
   齢(ヨハヒハ)亜(ツイテ)_二顔駟(カンクハイニ)_一過_二 ̄テ三代_一 ̄ニ而/猶沈(ナヲシヅミ)恨 ̄ハ同_二 ̄フシテ泊鸞(ハクランニ)_一歌(ウタテ)_二
五噫(ゴイヲ)_一而欲_レ ̄ス去 ̄ント とぞかけりける源/為憲(ためのり)其座に候けるが
   【柱】古今巻四        〇十七

   【柱】古今巻四        〇十七
此句をあやしみて正通おもふこゝろ有てつかうまつれる
にやと申ければさすが心ぼぞくや思ひけん涙をながしけり
さて罷出るまゝに高麗(かうらい)へぞ行にける世をおもひきらむ
にはかくこそ心きよからめといみじくあはれなりかしこ
にて宰相になされにけりとそ後に聞へける東三条院
関白前ノ太政大臣九月十三夜の月に東北院の念仏に
参給へるに夜もうちふけて世の中もしづか?んほどに
齋信(ときのふ)民部卿をめしてこよひたゞにはいかゞやまん朗詠
有なんやと仰られければいとかしこまりてしばし煩(わつら)ふ
けしきなるを人々みゝをそばたてゝいかなる句をか詠し

ずらんと待程に極楽の尊を念ずる事一夜とうち
いだしたりけるたぐひなくめでたかりけり此句かき
たる齋名(ときな)やがて御供にさふらひけり我句をしもさば
かりの人の朗詠にせられたりけるいかばかりこゝろの中
のすゞしかりけん
此句は勧学会(くはんかくゑ)の時/摂念山林(せつねんさんりん)を賦(ふ)する序なり
   念_二 ̄シテ極楽之尊_一 ̄ヲ一夜山月/世(ヨヽ)円(マドカナリ)
   先_二旬(シユン)曲 ̄ノ会(エニ)_一 三/朝洞花(テウトウクハ)欲_レ ̄ス落(ヲチント)
これは三月十五夜の事也九月十三夜に詠ぜられける
いかにとおぼゆ但念仏の義ばかりにとりよれるにや
   【柱】古今巻四        〇十八終

   【柱】古今巻四        〇十八終
古人の所作(しよさ)仰(あをひて)而可_レ信歟
天暦御時橘/直(たヽ)■(もと)【偏が龺、旁が夸】が民部大輔を望(のそみ)申ける申文草をは自(みつか)ら
書て小野道風に清書せさせけり御門(みかと)叡覧(えいらん)ありけれは
   依_レ ̄テ人 ̄ニ而/異(コトナリ)_レ事 ̄ニ雖_レ ̄トモ似_二 ̄ト偏頗(ヘンヒニ)_一代(カハツテ)_レ 天 ̄ニ而/授(サツク)_レ官 ̄ヲ誠 ̄ニ
懸_二 ̄ル運命_一 ̄ニなど述懐(しゆつくはひ)の詞を書すぐせるによりて御/気色悪(けしきあし)か
りけり人是を恐(おそれ)思ふ所に其後内裏/焼亡(ぜうまう)有て俄に中ノ院へ
御幸せさせ給けるに代々の御わたりもの御/椅子(いす)時筒(しとう)玄象(けんじやう)鈴(すゝ)
鹿(カ)以下もて参たるを御覧して直(たヽ)■(もと)【偏が龺、旁が夸】が申文は取出たりやと
御尋有ける時の人々いみじき事にぞ申ける
古今著聞集巻之四終
【蔵書印 朱 陽刻 正方形 単郭 篆書体】《割書:子孫|永宝》

【後見返し】

【裏表紙】

【背。ラベル 横書き。「總」は青字】
總|5|54 

【表紙題箋】
《題:古今著聞集 《割書:五》》

【表見返し】

【蔵書印:朱 陽刻 方形 単郭 篆書体】
《割書:平戸藩|蔵 書》  《割書:楽歳堂|図書記》
【印:朱 楕円形 横書き】《割書:BnF|MSS》

古今著聞集巻第五    
  和歌 《割書:第六》
【142】和歌は素盞烏(そさのを)の古風よりをこりて久く秋津州(あきつす)
の習俗(しうぞく)たり三十一字の麗篇(れいへん)をもて数千万/端(たん)の
心緒(しんしよ)をのぶ古/今(きん)の序にいへるごとく人の心をたねと
してよろづのことのはとそなりにけるこれによりて
神明仏陀もすて給はず明王賢臣も必賞(ひつしやう)し給ふ
春の花の本秋の月のまへこれをもて豫遊(よゆふ)のなかだち
としこれをもて賞楽(しやうらく)の友とす【143】嵯峨(さが)天皇/玄賓(げんひん)上人
の徳をたうとひ給ひて僧都(そうづ)になし給けるを玄賓
   【柱】古今巻五        〇一

   【柱】古今巻五        〇一
位記(いき)を木の枝にさしはさみて和歌をかきつけて
うせにけり
  外都(とつ)国は水草きよしことしけき
   あめのしたにはすまぬまされり
さて伯耆(はふきの)国にすみ侍けり天王/叡感(えいかん)ありて勅を
くだして施物(せもつ)有けりうけとりけるにやおほつかなし
【144】弘徽殿(こうきでん)女御歌合に花かうししらまゆみといへる文字
くさりを歌の句のかみにすへて折句の歌によませ
られけるめづらしかりける事也おほかたの題には
四季恋をこそもちゐられ侍れ 【145】花山院御ぐし

おろさせ給て後叡(のちえい)山よりくだらせ給ひけるに東坂本
の辺に紅梅のいと面白う咲(さき)たりけるをたちとゞまら
せ給ひてしばし御覧ぜられけり惟成弁(これなりへん)入道御供に候
けるが王位をすてゝ御出家ある程ならば是体の
たはふれたる御ふるまひはあるまじき御事に候と
申侍ければよませ給ひける
   色香をはおもひもいれす梅のはな
    つねならぬ世によそへてそ見る
【146】同院東院にわたらせ給ける比/弾正(だんぜうの)宮のうへおなじく
すみ給ひけり十首の題を給はせて人々に歌よませ
   【柱】古今巻五        〇二

   【柱】古今巻五        〇二
てつかはせ給けるに橘をよませ給ふける
   宿ちかく花橘はうへてみし
    昔をこふるつまとなりけり
なを昔をおぼしける御心のほどあはれなり又祝
の歌に弾正宮のうへよみ給ける
   万代もいかてかはてのなかるへき
    仏に君ははやくならなん
この祝こそ誠にあらまほしきことなれ松竹にたとへ
鶴亀(つるかめ)によせて千年をいはひ万代を契てもいか
でかはてはなからんまことに仏の道にいらんのみそ

まめやかにつきせぬ御いはゐなるべき
【147】東三条院皇太后宮と申ける時七月七日/撫子(なでしこ)あはせ
せさせ給けり少輔内侍少将のおもと左右の頭にて
あまたの女房をわかたれけりうすものゝふたあゐか
さねのかさみきたるわらは四人なでしこのすばかま
きて御前にまいれりとて風流さま〴〵になん侍ける
なでしこに付たりける
  なてしこのけふは心をかよはして
   いかにかすらんひこほしの空
  時のまにかすと思へと七夕に
   【柱】古今巻五        〇三

   【柱】古今巻五        〇三
   かほおしまるゝなてしこのはな
すはまにたちたるつるに付ける
  数しらぬ真砂をふめるあしたつは
   よはひをきみにゆつるとそみる
瑠璃(るり)のつほに花さしたる台にあしでにてぬひ侍ける
  たなはたやわきてそむらんなてしこの
   はなのこなたは色のまされる
むしをはなちて
  松虫のしきりにこゑの聞ゆるは
   千世をかさぬるこゝろなりけり

右のなてしこのませにはひかゝりたるいもつるの
はにかきつけ侍る
  万代に見るともあかぬ色なれや
   わかまかきなるなてしこの花
すはまのこゝろはにみつてにて
  とこなつのはなもみきはに咲ぬれは
   秋まていろはふかく見へけり
  久しくも匂ふへきかな秋なれと
   猶とこなつの花といひつゝ
七夕まつりしたりけるかたありすはまのさきにみつてにて
   【柱】古今巻五        〇四

   【柱】古今巻五        〇四
  ちきりけん心そながきたなばたの
   きてはうちふすとこなつのはな
ちんのいかほをたてゝくろばうを土(つち)にてなてしこを
うへたるところに
  代々をへていろもかはらぬなてしこも
   けふのためにそ匂ひましける
此歌共は兼盛能宣(かねもりよしのふ)そつかうまつり侍けるこれを見
る人々おのがひき〳〵心々にいひつくるとて左(ひだり)の人
  かちわたりけふそしつへき天の川
   つねよりことにみきはをとれは

右の人
  天の川みきは歌なくまさるかな
   いかにしつらんかさゝきのはし
此あそひいと興ありてこそ侍れ
【148】一条院の御時正暦四年五月五日/帯刀陣(たてわきのぢん)に十番の
歌合ありけるに第十の番(つがい)恋のうたに
  あふ事の夢はかりにもなくさまは
   うつゝにものおはおもはさらまし
  思ひつゝこひつゝはねじあふと見る
   夢もさめてはくやしかりけり
   【柱】古今巻五        〇五

   【柱】古今巻五        〇五
このつがひをみてたれかしたりけん歌をよみて帯刀
陣にをくりける
  さはべのもみぎはのかたもあやめ草
   おなし心にひくとしらすや
返事
  おりたちてひくとしりせはあやめ草
   ねたくみきはになにまさるらん
【149】いつの比の事にか殿上の人々歌よみ侍けるに泰(やす)
憲(のり)民部卿参りあひたりけれは各興有て思へりけ
るに急のことありて退(たい)出すべきよし申されけるを

人々ゆるさざりければさらば和歌をまいらせをきて身
のいとまをば給はらんと申されければ各/承諾(わかれぢ)ありけり
則歌を書/封(ふう)じてをきて退出せられにけり披講(ひこう)
の時これをひらき見るに位署(いちよ)并題ばかりをかきて
奥(おく)書に於(おいて)_二和歌_一 ̄ニ ハ追而可_レ進と書たりけり人々/感歎(かんたん)し
てかつはやすからぬ由をもいひけり大かた名をえたる
人は中〳〵なる事はあしかりぬべければのがるゝ一の事
也秀歌にはをとりの返しせずといふも故実(こじつ)なるべし
白紙を置事は作法有事也/題位署(たいゐしよ)ばかりをかきて
諸人の歌をきて後これを置て逐電(ちくてん)して講席(こうせき)の
   【柱】古今巻五        〇六

   【柱】古今巻五        〇六
座にゐざるとかや 寛平法皇宮ノ滝(たき)御覧の時源ノ
昇(のぼる)朝臣/友于(ともゆき)朝臣白紙を置たりけり 堀河院御時
和歌御会に京極大殿御位署に散位従(さんいじゆ)一位藤原朝
臣《割書:某》とかゝせ給たりける希代(きたい)の位署(いちよ)なるかし人目を
おとろかしけり
【150】嘉保三年正月晦日殿上人/船岡(ふなをか)にて花を見ける
に斎院/選子(せんし)より柳(やなき)の枝を給はせけり人々これを
見けれはいとのもとにはとかゝれたりけり他人その
心をしらさりけるに雅通(まさみち)たま〳〵古歌の一句をさとり
て返事を奉りけるにこそ人々の色もなをりにけれ

紙のなかりけれはなをしをやりて書侍りける
  散ぬへきはなをのみこそ尋つれ
   思ひもよらすあをやきのいと
其夜の事にや殿上人斎院へ参たりける御用意
なからんことをはかり奉りけるにやさる程に寝殿(しんでん)よ
り打衣(うちき)きたる女房あゆみ出て笙(せうのふへ)をもちて殿上人
に給はせけり雪にて管(くだ)をつくりたるひにて竹を
作たりけり則内裏へもちて参て御覧なさせけれは
ことに叡感(えかん)有て大宮へ奉らせ給ける人々後朝に
斎院へかへりまいりたりけれは酒肴(さけさかな)をそまうけられ
   【柱】古今巻五        〇七

   【柱】古今巻五        〇七
たりける用意ありける事にや
【151】平等(べうとう)院僧正諸国修行の時/摂津(せつつの)国住吉の渡りに
いたり給て斎料(ときりやう)のつきにけれは神主/国基(くにもと)が家に
おはして経をよみて立給ひたりけり其声/微妙(びみやう)に
して聞人たうとみあへりけり国基御/斎料(ときりやう)奉るとて
いつかたへすきさせ給ふ修行者ぞ御経たうとく侍り
今夜はかりはこゝにとゞまり給へかし御経の聴聞(てうもん)仕ら
んといはせたりければとかくの返事をはの給はず歌
をよみ給ける
  世をすてゝやとも定めぬ身にしあれは

   すみよしとてもとまるへきかは
かくいひてとをり給ひぬ其後天王寺別当になりて
彼寺におはしましける時/国基(くにもと)参て天王寺と住吉との
境の間の事申入けるにしはし候へとてあやしく御前へ
めされければかしこまりつゝ参たりけるに僧正/明障子(あかりしやうじ)
引あけさせ給てあの住吉とてもとまるべきかはとい
かにと仰られたりける国基あきれまどひて申へき
事も申さてとりばかましてにけにけりいと興有事也
【152】基俊(もととし)城外(じやうぐはい)しける事有けり道に堂(だう)あるにむくの
木有その木に六歳はかり成/小童(こわらは)のぼりてむくを
   【柱】古今巻五        〇八

   【柱】古今巻五        〇八
取てくいけるにこゝをば何といふぞと尋ければやし
ろ堂と申とこたへけるを聞て基俊なにとなく
くちずさみに童にむかひて
   この堂は神か仏かおほつかな
といひたりけれは此わらはうち聞てとりもあへす
  ほうしみこにそとふべかりける
といひけり基俊(もととし)あさましくふしきに覚てこの童は
たゞものにはあらずとそいひける
【153】或所に仏事有けるに唐人(とうじん)弐人来て聴聞(てうもん)しける
に磬(うちならし)に八葉の蓮を中にて孔雀(くじやく)の左右に立たる

【挿絵】
   【柱】古今巻五ノ        〇又八

   【柱】古今巻五ノ        〇又八
【挿絵】

を文に鋳(い)つけたりけるを見て壱人の唐人/捨身惜(しやしんしや)【左ルビ「ステヽミヲ」】
花思(くはし)といひけるを今壱人聞てうちうなづきて打(た)【左ルビ「ウテトモ」】
不立有鳥(ふりううてう)といひけりきく人その心をしらずある人
のとかにあんじつらねければ連歌にて侍りけり身を
すてゝ花をおしとや思ふらんうてともたゝぬ鳥もあ
りけりかくおもひえてげりわりなくそ思ひつらねけり
【154】天永元年/斎宮(さいくうの)奉行有けるに八条太政大臣権ノ右大
弁にてくだられけるがかへりのほるとて斎宮に参
て日来つかうまつりつる御名残などもし運(うん)侍らば
公卿勅使にて又参る事も侍なんど申てのぼり給
   【柱】古今巻五        〇九

   【柱】古今巻五        〇九
けり去程に其次の年正月廿三日に蔵人頭に補し
て永久三年四月廿八日に参議(さんぎ)にのぼり給にけり
保安三年十二月六日参議右衛門ノ督(かみ)にて勅使承り
くだり給ひけるが斎宮へもまいらてのぼられければ
みやよりつかはしける
  むかしせしあらましことのかはらぬを
   うれしとみえはいはましものを
御返し
  伊勢の海/塩干(しほひ)のかたへいそく身を
   うらみなはてそ末もはるけし

【155】久寿元年二月十五日法皇/微福(びふく)門院/御同車(ごどうしや)にて鳥羽
の車殿より勝光(せうくはう)門院へ御幸有て庭の桜を御覧せら
れけり先阿弥陀講を修せられける法皇少納言
入道/信西(しんせい)を御使にて御歌を内大臣新大納言等に給
はせけり檀紙(だんし)に書てさくらの枝に付られたり内
府に給はせける御歌
  心あらは匂ひをそへよさくら花
   のちの春をはいつかみるへき
大納言に給はせける御歌
各御かへしをよみてもとの枝に付て奉ける内府
   【柱】古今巻五        〇十

   【柱】古今巻五        〇十
  心ありてさくてうやとの花なれは
   末はる〳〵と君のみそみん
大納言
  君か代の末はる〳〵にさくらはな
   にほはんこともかきりあらしな
大/相国(しやうこく)このことを聞て二首法皇に奉り給ひける
  桜花ちつか【千束】のかすをかそふれは
   かすもしられぬのちのはるかな
  かきりありてつねならぬ世の花のみは
   ちとせの後やにしになるへき

【156】保元(ほうげん)の乱により新院/讃岐(さぬきの)国にうつらせおはしまし
けり和歌の道すぐれさせ給ひたりしにかゝるうきこ
と出きたれば此みちすたれぬるにやとかなしく
覚へて寂(じやく)念法師がもとへよみてつかはしける
西行法師
  ことのはのなさけたへぬる折ふしに
   ありあふ身こそかなしかりけれ
返し寂念法師
  しきしまやたえぬる道もなく〳〵も
   君とのみこそ跡をしのはめ
   【柱】古今巻五        〇十一

   【柱】古今巻五        〇十一
【157】西行法師法/勝(しやう)寺の花見にまかりけるに其日上西
門院の女房おなしくみける中に兵衛ノ局(つほね)ありと聞て
昔の花見の御幸おもひいて給らんなどいひてその日
雨のふりたりければかくぞ申つかはし侍りける
  みる人に花もむかしをおもひ出て
   恋しかるらんあめにしほるゝ
返し兵衛局
  いにしへをしのふるあめとたれかみん
   花にむかしの友しなけれは
【158】平治元年二月廿五日御/方違(かたたがへ)の為に押小路(をしこうじ)殿に行

幸有けり透廊(すいらう)にて夜もすから御遊ありけるに
女房の中より硯蓋(すゝりはこ)に紅(くれない)の薄様(うすやう)をしきて雪をもち
て出されたるに和歌をつけたりける
  月影のさえたるおりの雪なれは
   こよひははるもわすれぬるかな
返し
  くまもなき月のひかりのなかりせは
   こよひのみゆきいかてかはみむ
【159】応保弐年正月の比殿下女御殿の御方の女房を
ともなはせ給て禁中を見めぐらせ給ひけるに
   【柱】古今巻五        〇十二

   【柱】古今巻五        〇十二
雪月いとおもしろかりける内の女房の中より
蔵人の兵衛尉/通定(みちさた)をして女御殿の女房の中へ
申おくりける
  月はれて雪ふる雲のうへはいかに
通定左衛門ノ陣(ちん)のかたへたづねまいりてこのよしを
申ければはやく返事を申さるべきよしを殿下仰
られければ
  たちかへるへき心地こそせね
【160】長寛の比六/角(かく)左衛門ノ督(かみ)家通(いへみち)中将にて侍りけるに
仰られて承香殿の梅をおらせられて中宮の

御かたへまいらせられて内侍にたまはせけりゆきて
みねとおりてみるよしを申へしと仰られけれは則も
て参てそのよしを申けれは返し
  色もかもえならぬ梅の花なれや
家通朝臣かへり参て此よしを奏しければやかて御
かへしつかうまつるべき由おほせられければ
  にほひは千代もかはらさらなん
【161】永万元年九月十四日五更におよびて頭亮(とうのすけ)の書札
とてかみやがみ【紙屋紙】にたてふみたる文を頭(とうの)中将/家通(いへみち)
朝臣のもとへもて来りけりひらきて見れは紅の薄
   【柱】古今巻五        〇十三

   【柱】古今巻五        〇十三
葉(よう)に歌を書たり
  名にたかきすきぬるよはにてりまさる
   こよひの月を君はみしとや
筑前(ちくせんの)内侍/伊与内侍(いよのないし)などのしはざにや其使返事を
とらてにげかへらんとしけるを侍どもさとりて門を
さしていださずやがて紅のうすやうにかへしを書て
たまはせける
  いかてかはふせやにとてもくまもなき
   こよひの月をなかめさるへき
かくなんかきてもとのことくかみやがみにたてぶみで

使にかへしたびて月をも御覧ぜて御よるなれば
此御ふみまいらするにおよはすもし兼(かね)事ならば
あすもてまいれといはせてかへしければ使しふるけし
きながらもて帰りけりいと興有ことなりし
【162】同御時の事にやいろはの連歌(れんか)ありけるにたれと
かやか句に
  うれしかるらん千秋万歳
としたりけるに此/次句(つきのく)にゐもじにやつくべきにて
侍るゆゝしき難句(なんく)にて人々あんじわづらひたり
けるに小侍従(こじじふ)つけける
   【柱】古今巻五        〇十四

   【柱】古今巻五        〇十四
  ゐはこよひあすは子日とかそへつゝ
家隆(かりう)卿の家にてこの連歌侍けるに
  ぬれにけり塩くむあまのふち衣
大進/将監貞慶(しやうげんさたとし)といふ小さぶらひつけ侍ける
  るきゆく風にほしてげるかな
人々どよみてるき行風をわらひければさも候はず
とよぬもじのつぎはふもじにて候へばかくつかうま
つり候なにの難(なん)か候べきとちんじたりけるに
いよ〳〵わらひけり小侍従がもときの句といひ
つへし

【163】馬ノ助/敦頼(あつより)出家の後すなはち大納言/実(さね)国のもと
へまうでたりけるに大きに書付られ侍ける
  紫(むらさき)の雲にちかつくはし鷹(たか)は
   そりてわかはにみゆるなりけり
返し道/因(ゐん)法師
  はし鷹のわかはにみゆときくにこそ
   そりはてつるはうれしかりけれ
【164】祭主(さいしゆ)神祇/伯(はく)親定(ちかさた)伊勢国いはてといふ所に堂を立
て瞻西(せんさい)上人を請(しやう)じて供養をとげけり其/布施(ふせ)にて
そ雲居寺(うんこし)をは造畢(さうひつ)せられけるかの上人歌をこの
   【柱】古今巻五        〇十五

   【柱】古今巻五        〇十五
まれければ時の歌よみつねによりあひて和歌の会
有けり和歌の曼陀羅(まんたら)を図絵(づゑ)して過去(くわこ)七仏を書奉
又三十六人の名字を書あらはせり又/諸悪莫作衆善(しよあくまくさしゆぜん)
奉行(ふぎやう)の文(もん)を銘(めい)にかゝれたり色紙/形(がた)あり義房(よしふさ)公清
書し給ひけるまた件/曼陀羅(まんたら)は本寺の重宝(てうはう)にて
あるへきをいかなりけることにか神祇副(じんぎのすけ)親仲(ちかなか)造宮(ざうくう)
之時/子息(しそく)土佐ノ権ノ守/親経(ちかつね)が本よりきたれりけるを
銭二十貫にて買止(かひとめ)てげり相伝して親守(ちかもり)入道か本(もと)
に有建長元年九月外宮/遷宮(せんぐう)に予/参向(さんかう)の時この
曼陀羅をこひ出しておがみ奉りて記之なり

【165】嘉応二年十月九日道/因(いん)法師人々をすゝめて住吉社
にて歌合しけるに後徳大寺左大臣前大納言にておは
しけるが此歌をよみ給ふとて社頭月(しやとうのつき)といふことを
  ふりにける松物いはゞとひてまし
   むかしもかくや住の江の月
かくなんよみ給けるを判者/俊成(としなり)卿ことに感(かん)しけり
よの人々もほめのゝしりける程に其比彼/家領(いへのりやう)筑(つく)
紫(し)瀬高(せたか)の庄(せう)の年/貢(ぐ)つみたりける船摂津/国(くに)に入
んとしける時悪風にあひて既(すてに)入海せんとしける時
いづくよりか来りけん翁(おきな)壱人出きてこぎなをして
   【柱】古今巻五        〇十六

   【柱】古今巻五        〇十六
別(べつ)事なかりけり舟人あやしみ思ふ程におきなの
いひけるは松物いはゞの御句面白う候て此辺にすみ
侍る翁の参つると申せといひてうせにけり住吉
大明神の彼歌を感(かん)せさせ給ひて御体をあらはし
給ひけるにやふしきにあらたなる事かな
[166]同弐年此歌合の事を廣田(ひろた)大明神/海(かい)上よりうら
やませ給よし両三人おなしやうに夢に見奉りけり
道因そのよしを聞て又人々の歌をこひて合けり題(だいは)
社頭ノ雪海上の眺望(てうもう)述懐(しゆつくわひ)かくそ有ける是も俊成(としなり)卿
判しけり述懐の歌に二條中納言/実綱(さねつな)卿左大弁

のとき宰相/教長(のりなか)入道につかひて
  位山のほれはくたるわか身かな
   もかみ川こく舟ならなくに
彼卿四位五位の間/顕要職(けんようしよく)をへず舎弟弐人にこえら
れて沈淪(ちんりん)せられけるか仁安元年十一月八日蔵人頭に
補(ふ)して同弐年二月十一日参議に任し右大弁を兼(けん)ず同
三年八月四日従三位に叙(じよ)す嘉応二年十八日左大臣
に転(てん)ず昔の沈淪の恨(うらみ)も散(さん)する程にかく打つゝき
昇進(せうしん)せられたるに此歌よまれたるはいかに思はれたる
にかかゝる程に同三年正月六日宰【實ヵ】守中納言宰相
   【柱】古今巻五        〇十七

   【柱】古今巻五        〇十七
中将にておはしけるか坊官/賞(しやう)にて正三位せられける
に左大弁/越(こへ)られにけり此歌の故にやと時の人沙汰し
けるとぞ誠に詩歌の道は能々思てすべきこと也
むかしもかやうのためしおほく侍にや同歌合に社頭ノ
雪を女房佐よみ侍ける
  今朝(けさ)見れは浜のみなみのみやつくり
   あらためてけり夜半のしら雪
この後又/浜(はまの)南ノ宮/焼(やけ)給にけりこれも歌の徴(しるし)にや
彼/実綱(さねつな)中納言はおとうとの実房(さねふさ)実国なとに
越給ひけるときは

  いかなれはわかひとつらのみたるらん
   うらやましきは秋のかりきぬ
かやうによみ給ひけるいとやさしくて恨はさこそ
ふかゝりけめとも誠信(せいしん)の舎弟/斎信(たゝのぶ)に越られて目の
まへに悪趣(あくしゆ)の報(ほう)をかため給ひけるにはにすや
【167】伊通公の参議の時大治五年十月五日の除目(ぢもく)に参儀
四人/師頼(もろより)長実/宗輔(むねすけ)師時等中納言に任(にん)す是みな
位次の上/臈(ろう)なりといへとも伊通(これみち)その恨にたへす
宰相右兵衛督中宮太夫三のつかさを辞(じ)して檳(び)
榔毛(ろうげ)の車を大宮おもてにひきいでてやぶりたき
   【柱】古今巻五        〇十八

   【柱】古今巻五        〇十八
て後/褐(くつ)【かちヵかつヵ】水干(すいかん)にさよみの袴(はかま)きて馬に乗て神崎(かんざき)の
君がもとへおはしけり今はつかさもなきいだつら物
になれるよし也又年ごろかりおかれたりける蒔(まき)絵
の弓を中院入道右府のもとへかへしやるとて
  八年まて手ならしたりし梓弓
   かへるをみてもねはなかれける
返し
  なにかそれ思すつへき梓弓
   又ひきかへすおりもありけん
かゝりければ此返事歌のごとく程なく長承弐年

【挿絵】
   【柱】古今巻五ノ        〇又十八

   【柱】古今巻五ノ        〇又十八
【挿絵】

九月に前ノ参儀より中納言になられにけり宇治大納
言/隆(たか)国前中納言より大納言になられける例(れい)とて
其後打つゞき昇進(せうしん)して太政大臣までのぼり給にき
是は世も今少あがり人も才能(さいのう)いみじかりける故なり
かやうのためしはまれ事なれはいまのうちあるたぐひ
学びがたし大かたは二条院/讃岐(さぬき)が歌を
  うきも猶むかしのゆへとおもはすは
   いかにこの世をうらみはてまし
とよめることはりにかなへるにや
【168】御堂ノ関白大井川にて遊覧し給ふ時詩歌の舟を

   【柱】古今巻五        〇十九

   【柱】古今巻五        〇十九
わかちて各(おの〳〵)堪能(たんのう)の人々をのせられけるに四条大
納言に仰られていはくいつれの舟に乗べきぞやと
大納言いはく和歌の舟にのるべしとてのられける
さてよめる
  朝またき嵐の山のさむけれは
   ちる紅葉葉をきぬ人そなき
後にいはれけるはいづれの舟に乗べきぞと仰られ
しぞ心おとりせられしが詩の舟に乗て是程の
詩を作たらましかば名をあげてましと後悔(こうくわい)せ
られけり此歌花山院拾遺集をえらばせ給ふとき

紅葉の錦(にしき)とかへて入へきよし仰られけるに大納
言しかるべからざるよし申されけれはもとのまゝにて入にけり
【169】円融(えんゆう)院大井川/逍遥(せうよう)の時/三(みつの)舟にのる者ありけり
帥(そつの)民部卿/経信(つねのぶ)卿又この人におとらざりけり白河院
西河に行幸の時詩歌/管絃(くわんげん)の三の舟をうかべて其
道の人々をわかちてのせられけるに経信卿/遅参(ちさん)の
間ことの外に御けしきあしかりけるにとはかりまたれて
参りけるが三事(さんじ)かねたる人にてみぎわにひさまつき
てやゝいづれの舟にてもよせ候へといはれたりける
時にとりていみじかりけるかくいはんれうに遅参(ちさん)
   【柱】古今巻五        〇二十

   【柱】古今巻五        〇二十
せられけるとぞさて管絃の舟に乗て詩歌を献(けん)
ぜられたりけり三舟(さんしう)に乗とはこれ也
【170】後三条院住吉に臨幸(りんかう)有ける時に経信卿序代を
奉られけりその歌にいはく
  沖つ風吹にけらしな住吉の
   松のしづえをあらふしら浪
当座の秀歌也けり彼卿のちに俊頼(としより)朝臣をよびて
いはれけるは古今集にいれる躬恒(みつね)歌に
  すみよしの松を秋風ふくからに
   声うちそふるおきつしら浪

此歌を任(にんの)大臣の大饗(だいきやう)せん日わか所詠の沖つ風の歌中
山の内に入て史生(ししやう)の饗(きやう)につきなんやと俊頼公此仰
如何彼御歌/全(まつた)くおとるべからす然共古今の歌たるに
よりてかきり有て先任ノ大臣候はんに御作は一の大納言
にて尊者として南/階(かい)よりねり上りて対(たい)座に居
なんとこそ存候へといふ帥(そつ)のいはくさらはさもあり
なんやいかゝ有へきとて感気(かんき)ありけり
【171】能因入道伊与ノ守/実綱(さねつな)に伴(とも)ひて彼国にくだりたりけ
るに夏の始(はじめ)日(ひ)久しくてりて民のなげき浅からざる
に神は和歌にめでさせ給ふもの也心みによみて
   【柱】古今巻五        〇二十一

   【柱】古今巻五        〇二十一
三島に奉るべき由を国司(こくし)しきりにすゝめけれは
  あまの川/苗代(なわしろ)水にせきくだせ
   天くたります神ならば神
とよめるをみてぐらにかきて神司(かんつかさ)して申上たりけ
れば炎旱(えんかん)の天俄にくもりわたりて大なる雨ふりて
かれたる稲葉(いなば)をしなべて緑(みどり)にかへりにけり忽に
天災をやはらぐる事唐の貞観の帝の蝗(いなむし)をのめり
ける故/事(じ)もおとらざりけり能因はいたれるすき物
にてありけれは
  都をは霞とともにたちしかと

   秋風そふく白川の関
とよめるを都に有なから此歌をいださん事念なし
と思ひて人にもしられず久しく籠(こもり)居て色を
くろく日になしてのち陸奥国のかたへ修
行の次によみたりとぞ披露し侍ける【172】待賢(たいけん)門院
の女房に加賀といふ歌よみ有けり
  かねてより思しことよふし柴の
   こるはかりなるなけきせんとは
といふ歌を年比よみて侍たるをおなしくはさるべき人
にいひちきりて忘られたらんによみたらば集などに
   【柱】古今巻五        〇二十二

   【柱】古今巻五        〇二十二
入たらんおもても優(ゆう)なるべしと思ひていかゞしたり
けん花/園(その)のおとゞに申そめてけりおもひのことくにや
なりけん此歌を参らせたりければおとゞいみじく
哀(あはれ)におぼしにけりさてかい〴〵しく千載集(せんざいしう)に入に
けりふししばの加賀とぞいひける能因(のふいん)がふる舞
に似たりけるにや
【173】中比なまめきたる女房有けり世中たえ〳〵しかり
けるかみめかたちあいぎやうづきたりけるむすめをなん
もたりける十七八計なりければ是をいかにもしてめやす
きさまならせんと思ひけるかなしさのあまりに八幡へ

むすめともになく〳〵参りて夜もすから御前にて
わか身は今はいかにても候なん此むすめを心やすき
さまにて見せさせ給へと珠(じゆ)数をすりて打なき〳〵
申けるに此/女(むすめ)参つくより母(はゝ)のひざを枕にしておき
もあがらずねたりければ暁(あかつき)がたになりて母申やういか
ばかり思ひたちてかなはぬ心にうちより参つるにケ様【かやう】
に夜もすがら神も哀とおぼしめすばかり申給ふべ
きに思ふ事なげにねたまへるうたてさよとくどきけれ
ば女(むすめ)驚(おとろき)てかなはぬ心地にくるしくといひて
  身のうさを中〳〵なにと石清水
   【柱】古今巻五        〇二十三

   【柱】古今巻五        〇二十三
   思ふ心はくみてしるらん
とよみたりければ母もはづかしく成て物もいはずし
て下向する程に七条/朱雀(しゆしやく)の辺にて世中にときめき
給ふ雲客(うんかく)かつらよりあそひて帰給ふが此むすめを取
て車に乗てやがて北方(きたのかた)にして始終いみじかりけり
大𦬇【大菩薩】この歌を納受(のふじゆ)ありけるにや
【174】和泉式部おとこのかれ〴〵に成ける比/貴布(きぶ)禰に詣(まう)で
たるにほたるのとふを見て
ものおもへは沢のほたるも我身より
あくかれいつる玉かとそみる

とよめりければ御社の内に忍たる御声にて
  おく山にたきりておつる滝つ瀬の
   玉ちるはかりものなおもひそ
其しるしありけるとぞ
【175】同式部が女小式部内侍この世ならずわづらひけり限に
なりて人の顔なども見しらぬ程に成てふしたり
ければいつみ式部かたはらにそひゐてひたゐをおさへ
て泣けるに目をわつかに見あけて母がかほを
つく〳〵とみていきのしたに
  いかにせん行へきかたもおもほえす
   【柱】古今巻五        〇二十四

   【柱】古今巻五        〇二十四
   親にさきたつみちをしらねは
とよはりはてたるこゑにていひけれは天井のうへに
あくびさしてやあらんとおほゆる声にてあら哀と
いひてげり扨身のあたゝかさもさめてよろしくなり
てけり
【176】江/擧周(たかちか)和泉の任(にん)さりて後病をもかりけり住吉の御
たゝりのよしを聞て母/赤染(あかそめの)衛門《割書:大隅守源時用|女或順女云々》
  かはらんといのる命はをしからて
   さてもわかれんことそかなしき
とよみ【「てみ」脱字ヵ】てくら【幣(みてぐら)】に書て彼社に奉たりけれは其夜

の夢に白髪(はくはつ)の老翁(らうをう)ありてこの幣(へい)をとると見て
病いえぬ
【177】鳥羽法皇の女房に小大進(こだいしん)といふ歌よみ有けるが
待賢(たいけん)門院の御方に御衣(ぎよゐ)一/重(かさね)うせたりけるをおひて
北野にこもりて祭文(さいもん)かきてまもられけるに三日と
いふに神水(じんずい)をうちこぼしたりけれは検非違使(けひいし)これ
に過たる失やあるへきいて給へと申けるを小大進
泣々(なく〳〵)申やうおほやけの中のわたくしと申はこれなり今
三日のいとまをたべそれにしるしなくはわれをぐしていで
給へと打なきて申ければ検非違使(けひいし)も哀に覚て
   【柱】古今巻五        〇二十五

   【柱】古今巻五        〇二十五
のべたりける程に小大進
  思ひいつやなき名たつ身はうかりきと
   あら人神になりしむかしを
とよみて紅(くれない)の薄様(うすやう)一重にかきて御宝殿(ごほうでん)にをしたり
ける夜法皇の御夢によにけたかくやんことなき翁
の束帯(そくたい)にて御枕にたちてやゝとおとろかしまいらせて
われは北野右近の馬場(はゞ)の神にて侍る目出たき事
の侍る御使給はりてみせ候はんと申給とおほしめして
うちおとろかせ給ひて天神の見へさせ給へるいかなる
事の有そ見て参れとて御/厩(むまや)の御馬に北面(ほくめん)の者を

【挿絵】
   【柱】古今巻五ノ        〇又廿五

   【柱】古今巻五ノ        〇又廿五
【挿絵】

乗て馳(はせ)よと仰られければ馳参て見るに小大進は
雨しつくと泣て候けり御前に紅の薄様にかきたる
歌をみてこれを取て参るほとにいまだ参もつかぬ
に鳥羽殿の南殿の前にかのうせたる御衣をかつきて
さきをば法師跡をは敷島とて待賢(たいけん)門院のさうし
なりけるものかづきて師子(しゝ)をまいて参りたりける
こそ天神のあらたに歌にめてさせ給たりけると
目出度たうとく侍れ則小大進をはめしけれ共かかる
もんかうをおふも心わろきものにおほしめすやうのあれ
ばこそとやかて仁和寺なる所にこもりゐてけり力(ちから)を
   【柱】古今巻五        〇二十六

   【柱】古今巻五        〇二十六
も入ずしてと古今集の序にかゝれたるはこれらの
たくひにや侍らん
【178】元永元年六月十日修理太夫/顕季(あきすへ)卿六条東洞院/亭(てい)
にて柿下(かきのもとの)太夫人丸/供(く)をおこなひけりくだんの人丸
の影(えい)兼房(かねふさ)朝臣あたらしく夢みて図絵する也左の手
に紙をとり右の手に筆をとつてとし六旬(しゆん)はかり
の人なりそのうへに讃(さん)をかく
  柿下朝臣人麿/画讃(グハサン)一首《割書:并》序
太夫/姓(セイハ)柿 ̄ノ下名人麿/蓋(ケダシ)上世之歌人也/仕(ツカヘ)_二持統文
武之/聖朝(セイテウニ)_一遇(アフ)_二新田高市之/皇子(ミコニ)_一吉野山之春風 ̄ハ従_二

仙駕(センカ)_一而(シテ)献(ケンシ)_レ寿(コトフキヲ)明石 ̄ノ浦之秋霧 ̄ハ思_二 ̄フ扁舟(へンシウ)_一而瀝_レ調(シラベ)誠
是六義之/秀逸(シウイツ)万代之/美(ビ)談(ダンタル)者歟/方今(マサニイマ)依_レ重(ヲモンスルニ)_二幽(ユウ)
玄(ケン)之古篇_一 ̄ヲ聊(イサカ)【イサヽカヵ】伝(ツタヘ)_二後素(コウソ)之(ノ)新様_一 ̄ヲ因(ヨツテ)_レ有_レ ̄ルニ所_レ ̄ロニ感(カンスル)乃 ̄チ作_レ ̄ル讃(サン)
焉其 ̄ノ詞(コトハ)
和歌之仙/受(ウク)_二性(セイヲ)于天其 ̄ノ才/卓(タク)尓(ジタリ)【爾】其 ̄ノ余【諸本「鋒」】森(シン)然(センタル)
三十一字/調(シラベノ)花/露(ツユ)鮮(アサヤカ也)四百/余歳(ヨサイ)来(ライ)葉(ヨウ)風(フウ)伝(ツタフ)
斯 ̄ノ道 ̄ノ宗匠我朝 ̄ノ前賢/温(タツネテ)而無_レ ̄シ滓(カス)鑚(キレトモ)_レ之 ̄ヲ弥/堅(カタシ)
鳳毛(ホウモウ)美/景(ケイ)麟角(リンカク)猶(ナヲ)専 ̄ラ既(スデニ)謂(イ)独歩(トクホ)誰 ̄カ敢(アヘテ)比(ナラヘ)_レ肩(カタヲ)
  ほの〳〵とあかしの浦の朝きりに
   島かくれゆく舟おしそおもふ
   【柱】古今巻五        〇二十七

   【柱】古今巻五        〇二十七
此讃/兼日(けんしつ)に敦光(あつみつ)朝臣つくりて前ノ兵衛佐/顕仲(あきなか)朝臣
清書しけり当日/影(えい)の前に机(つくへ)をたてゝ飯(いひ)一/坏(つき)菓子
やう〳〵の魚鳥等をすへたり但ものにてつくりて実(しつの)物に
はあらす前ノ木工ノ頭俊頼朝臣加賀守/顕輔(あきすけ)朝臣前兵衛
佐/顕仲(あきなか)朝臣大学ノ頭/敦光(あつみつ)朝臣少納言云/宗兼(むねかね)前和泉/道(みち)
経(つね)安藝(あき)守/為忠(ためたゝ)等也次に饗膳(きやうせん)をすゆ次桐【柿ヵ】下/初献(しよけん)詩(し)
人等/鸚鵡(をふむ)の盃(はい)小/銚子(てうし)をもちて簀子敷(すのこしき)に候けり
亭主(ていしゆ)《割書:顕季卿》申されけるは初/献(こん)は和歌の宗匠(そうしやう)つとめ
らるへし満座(まんざ)一同しけれは俊頼(としより)朝臣座をたちて
影前にすゝむ顕輔(あきすけ)盃(はい)をとりて人丸の前に置/道経(みちつね)

小銚子をとりて盃に入て机(つくへ)のうへにおく各座に
かへりつきて勧盃(くわんはい)あり二献の程に式部少輔/行盛(ゆきもり)
来くはゝる右中将/雅定(まささた)朝臣又来られり亭主の云
先人丸の讃(さん)を講すへきなり人々所存不同亭主
猶/讃(さん)を前に講ずへきよし申されければ机(つくへ)のまへに
文台(ふんだい)を置て円座をしく件/讃(さん)を白唐紙二枚に
書たり右兵衛督又来らる讃をひらきて文台に
置て是を講せらる次に和歌を講す題云水風
晩(くれに)来/敦光(あつみつ)朝臣/朗詠(らうえい)をいたす新豊色云々次に
亭主同句を出す又詠吟せられて云/保(ほ)能(の)々々(〳〵)
   【柱】古今巻五        〇二十八

   【柱】古今巻五        〇二十八
と明石浦の朝/霧(きり)に次/敦光(あつみつ)朝臣詠吟して云く
多(た)能(の)免(め)津ゝ不/来(ぬ)夜(よ)数多(あまた)尓(に)衆人興に入て各
後会(こうくわい)を約(やく)しけり

  夏日於_二 ̄テ三品/将(シヤウ)作(サク)大匠 ̄ノ水閣(スイカクニ)_一詠_二 ̄ス水風
  晩来_一 ̄ト《割書:云》 ̄コトヲ
   和歌一首《割書:并》序     大学頭敦光
我朝 ̄ノ風俗和歌/為(ス)_レ本 ̄ト生(ナリテ)_二於/志(コヽロサシニ)_一形(アラハル)_二於言_一記_二 ̄シ一
事_一 ̄ヲ詠_二 ̄ス一物_一 ̄ヲ誠 ̄ニ為(ナ?ス?)_レ諭(タトヘヲ)之/端(ハシ)長(スクル)者(モノハ)君臣 ̄ノ之/美(ビナリ)是 ̄ヲ
以 ̄テ将作大匠/毎(ツネニ)属(シヨクシ)_二覲(キン)天 ̄ノ之/余閑(ヨカンニ)_一凝(コラス)_二詞 ̄ノ露 ̄ヲ於
六義_一 ̄ニ叶_二 ̄フ賞心_一 ̄ニ者(モノ)花鳥草/虫(チウノ)之/逸(イツ)興(ケウナリ)応嘉 ̄ノ招(マネキ)

者/香衫(カサン)細馬(サイバノ)之/群(クン)英(フ?)今日 ̄ノ会/遇(グウハ)只是 ̄レ一/揆(キ)
方(マサニ)今流水/当(アタツテ)_レ夏 ̄ニ兮/冷(レイ?)風(フウ)迎(ムカヘ)兮/来(キタル)■(テウ)【辶+蔦。諸本「蘆」】葉/戦(キソヒテ)以
凄々(セイ〳〵タリ)渚(ショ)煙(エン)漸(ヤウヤク)暗(?)杉(サン)標(ヒヤウ)動(ウコイテ)以 ̄テ颯(サツ)々(〳〵) ̄タリ沙(イサコノ)月初 ̄テ明 ̄カニ
情(セイ)感不_レ尽(ツキ)聊(イサヽカ)而詠吟 ̄ス其 ̄ノ詞 ̄ハニ曰 ̄ク
  風ふけは浪とや秋のたちぬらん
   みきはすゝしきなつの夕くれ
   於_二 ̄テ柿下太夫影前 ̄ニ詠_二 ̄ス水風晩来 ̄ト《割書:云》 ̄コトヲ和歌
         修理太夫/顕季(アキスヘ)
  夕つくよむすふいつみもなけれとも
   志賀の浦風すゝしかりけり
   【柱】古今巻五        〇二十九

   【柱】古今巻五        〇二十九
        右兵衛督/実行(さねゆき)
  おほぬさや夕浪たつる風ふけは
   またきに秋といはれのゝ池
        内蔵頭/長実(なかさね)
  夕されは河風すゝし水の上に
   浪ならねとも秋やたつらん
        右馬頭/経忠(つねたゝ)
  槙(まき)なかすあなしの河に風吹て
   此夕くれそ浪さやにたつ
        右近中将/雅定(まささた)

  夕まくれなにはほり江に風吹は
   あしの下葉そ浪におらるゝ
        源ノ俊頼(としより)
  夕日さす野守のかゝみかひもなく
   ふれけるかせにかけしそはねは
        中務権太輔/顕輔(あきすけ)
  またきより秋はたつたの川風の
   すゝしきくれに思ひしられぬ
        散位(さんい)道経(みちつね)
  手にむすふいさらおかはのまし水に
   【柱】古今巻五        〇三十

   【柱】古今巻五        〇三十
   たもとすゝしく夕かせそふく
        式部少輔/行盛(ゆきもり)
  水のあやをふきくる風の夕月よ
   浪のたつなる衣かさなん
        散位/顕仲(あきなか)
  夕されはなつみの川をこす風の
   すゝしきにこそ秋もまたれす
        少納言宗/兼(かね)
  谷河の北よりかせのふきくれは
   きしも浪こそすゝしかりけ【「せ」は誤字ヵ】れ

        皇后宮少進藤原為忠
  あかねさすひのくま河の夕陰に
   瀬々ふくかせは秋そきにける
【179】昔夫婦あひ思ひて住けり男いくさにしたがひ
てとをく行に其妻おさなき子をぐして武昌(ぶしやう)の
北の山まておくる男の行を見てかなしみたてり
男かへらず成ぬ女其子を負(をふ)てたちながら死ぬる
に化(くは)して石となれり其かたち人の子を負てたゝ
るかことし是によりて此山を望夫山(ぼうふさん)と名付其石
を望夫/石(せき)といへりくはしくは幽明禄に見へたり
   【柱】古今巻五        〇三十一

   【柱】古今巻五        〇三十一
しらゝといふものかたりにしらゝの姫公男の少将のむ
かへにこんと契りて遅(をそ)かりしをまつとてよめると有
は此こゝろなり
  たのめつゝきかたき人をまつほとに
   石にわか身そなりはてぬへき
【180】我国の松浦佐夜姫といふは大/伴(ともの)狭手麿(さてまろ)が女(むすめ)也
おとこみかとの御使に唐へわたるにすでに舟に乗て
行時其わかれをおしみてたかき山のみねにのほりて
はるかにはなれゆくを見るにかなしひにたへすして
頭巾(ひれ)をぬぎてまねく見るもの涙をなかしけりそれ

より此山を頭巾摩(ひれふる)のみねといふ此山肥前国に有
松浦明神とて今におはしますかのさよ姫のなれる
といひつたへたり此山を松浦山といふ磯(いそ)をは松浦かた
ともいふ也万葉にその心の歌あり
  とをつ人まつらさよひめつまとひに
   ひれふりしよりおつる山の名
【181】昔大納言なりける人のみかどに奉らんとてかじつき
ける女をうどねりなるものぬすみてみちの国
にいにけりあさかの郡あさか山に庵/結(むすび)て住ける
程に男外へ行たりける間に立出て山の井に
   【柱】古今巻五        〇三十二

   【柱】古今巻五        〇三十二
かたちをうつして見るにありしにもあらず成にける
かけをはぢて
  朝香(あさか)山/影(かけ)さへ見ゆる山の井の
   あさくは人をおもふものかは
と木に書付てみづからはかなくなりにけりと
やまと物かたりにしるせり
【182】小野小町かわかくて色を好し時もてなし有様
たぐひなかりけり壮衰(さうすい)記といふ物には三皇五帝の
妃にも漢王周公の妻もいまだ此おこりをなさす
とかきたりければ衣には錦繍(きんしう)のたぐひを重(かさ)ね

食には海陸(かいりく)の珍をとゝのえ身には蘭麝(らんじや)を薫(くん)じ
口には和歌を詠してよろつの男をばいやしくのみ
思ひくだし女御(にようご)后(きさき)に心をかけたりし程に十七にて母
をうしなひ十九にて父におくれ廿一にて兄にわかれ
廿三にておとゝをさきたてしかは単孤無類(たんこむるい)のひとり
人に成てたのむかたなかりきいみじかりつるさかへ日
ことにおとろえ花やかなりし㒵(かたち)とし〴〵にすたれつゝ
心をかけたるたぐひもうとくのみなりしかば家は破(やぶれ)て
月ばかり空くすみ庭はあれてよもぎのみ徒に
しけしかくまで成にければ文屋康秀(ふんやのやすひで)が参河の
   【柱】古今巻五        〇三十三

   【柱】古今巻五        〇三十三
掾(せう)にてくたりけるにさそはれて
  わひぬれは身を浮(うき)草のねをたえて
   さそふ水あらはいなんとそおもふ
とよみて次第におちぶれ行ほどにはてには野山に
ぞさそらひける人間の有様これにて知るへし
【183】和泉式部/保昌(やすまさ)が妻にて丹後に下ける程に京に
歌合ありけるに小式部内侍歌よみにとられてよみ
けるを定頼の中納言たはふれに小式部の内侍に
丹後へつかはしける人は参りにたるやといひ入て局
のまへを過られけるを小式部内侍/御簾(みす)よりなかば

いでゝなをしの袖をひかへて
  おほへ山いくのゝみちのとをけれは
   またふみもみすあまのはしたて
とよみかけけり思はずにあさましくこはいかにとはかり【計】
いひてかへしにもおよはず袖をひきはなちてにげ
られにけり小式部是より歌よみの世におほへいてき
にけり
【184】匡房(まさふさ)卿わかゝりける時蔵人にて内裏によろほひあり
きけるをさる博士(はかせ)なれば女房/達(たち)あなづりてみす
のきはによびてこれひき給へとて和琴(わごん)をおし出し
   【柱】古今巻五        〇三十四

   【柱】古今巻五        〇三十四
たりけれは匡房よみける
  あふ坂のせきのあなたもまた見ねは
   あつまのことはしられさりけり
女房達かへしえせでやみにけり
【185】伏見修理太夫/俊綱(としつな)家にて人々水上月といふことを
よみけるに田舎よりのぼりたる兵士(へいしの)中門の辺にて
これを聞て青侍をよひて今夜の題をこそつかう
まつりて候へとて
  水や空そらや水とも見へわかす
   かよひてすめる秋のよの月

侍(さふらひ)このよしをひろうしけれは大に感じあへりその
夜これほとの歌なかりけり
同人/播磨(はりまの)国へ下りけるに高砂にて名【書陵部蔵本「各」】歌読ける
に大宮先生義といふものが歌に
  我のみと思ひこしかとたかさこの
   尾上の松もまたたけ【書陵部蔵本「て」】りけり
人々感じあへり良暹(りやうぜん)其所にありけるが女/牛(うし)に
腹つかれぬるかなといひけり
【186】ある人の家に入てものこひける法師に女の琴(こと)
ひきてゐたるかこのねをけふの布施(ふせ)にてかへり
   【柱】古今巻五        〇三十五

   【柱】古今巻五        〇三十五
ねといひけれはよめる
  ことゝいはゝあるしなからもえてしかな
   ねはしらねともひきこゝろみん
此/乞者(こつしや)は三形(さんぎやう)の沙弥なりとある人いひけり【187】中納言
通俊卿の子に世尊寺/阿闍梨(あじやり)仁俊(にんじゆん)とて顕密(けんみつ)智
法にてたうとき人おはしけり鳥羽院にさふらひ
ける女房仁俊は女こゝろあるものゝそらひじり
たつるなど申けるを阿闍梨かへり聞て口おしく
思ひて北野に参籠(さんろう)して此はぢすゝぎ給へとて
  あはれとも神〳〵ならは思ひしれ

   人こそ人のみちをたつとも
と読(よみ)たりければかの女房あかきはかまばかりをきて手
に錫杖(しやくでう)をもちて仁俊にそらごといひ付たる報(むくい)よ
とて院の御前に参て舞くるひければあさましと
覚しめして北野より仁俊をめし出て見せられけれは
神/因(をん)【書陵部蔵本「恩」】のあらたなることに涙をながして一たひ慈救(じくの)呪(じゆ)【咒】
をよみてければ女房本の心地になりにけり院
いみじく思召てうすゞみといふ御馬をたびてげり
【188】天暦の御時月次御屏風の歌に擣衣(とうい)【左ルビ「キヌタ」】の所に兼盛(かねもり)
詠て云
   【柱】古今巻五        〇三十六

   【柱】古今巻五        〇三十六
  秋ふかき雲井の鳫のこゑすなり
   衣うつへきときや来ぬらん
紀(きの)時文件ノ色紙形をかく時筆をおさへていはく衣うつ
を見てうつべき時やきぬらんと詠するいかゞ兼盛(かねもり)に
やがてたづねらるゝ所に申ていはく貫之(つらゆき)が延喜御時
同屏風に駒/迎(むかへ)の所に
  逢坂の関のし水にかけ見へて
   いまやひくらん望(もち)月の駒(こま)
と詠す此難ありやいかゞ時文(ときふん)口をとづしかも時文は
貫之が子にてかくなんそしりける弥々あさかりけり

【189】左京ノ太夫/顕輔(あきすけ)新院に参たりけるに百首よむやう
はならひたるかと仰ごとありければならひたる
事候はす顕季(あきすへ)も教(をし)へ候はすと申ければまことや百首
にはおなし五文字の句(く)をばよまさるなるはととはせ
給ひけれは顕輔いかゝ候はん百首迄よむものにて候
へはよみもやし候覧【さふらふらん】と申ければ公行がよまぬよしを申
也と仰こと有ければ顕輔かへり堀川院御百首をひきて
見るに春宮(とうくうの)太夫公実卿歌に薄刈萱の両題に秋風
といふ第一句さしならびて有ければ両首をたとう紙
にかきて九月十三夜の御会にもいちて参て公行卿に
   【柱】古今巻五        〇三十七

   【柱】古今巻五        〇三十七
これ御覧候へといひたりければ閉(へい)【閇】口せられにけり公行
は公実の孫なり用意あるべきことにや
【190】花園(はなその)左大臣家に始て参りたりける侍の名(めい)薄(はく)【書陵部蔵本「簿」】のはし
かきに能(のふ)は歌よみと書たりけりおとゞ秋のはじめに
南殿に出てはたをりのなくを愛しておはしましける
に暮けれは下格子(したかうし)に人まいれと仰られけるに蔵人
五位たかひて人も候はぬと申て此侍参たるにたゝさ
らは汝おろせと仰られければ参たるに汝は歌読
なと有ければかしこまりて御格子(みかうし)おろしさして候に
此はたをりをばきくや一首つかうまつれと仰られけ

ればあをやぎのとはじめの句を申出したるをさぶら
ひける女房達折にあはずと思ひたりげにてわらひ出し
たりければ物を聞はてずしてわらふやうあると仰られ
てとくつかうまつれとありければ
  あをやきのみとりの糸をくりおきて
   夏へて秋ははたをりそなく
とよみたりければおとゞ感し給て萩(はぎ)おりたる御
ひたゝれおし出して給はせけり
寛平歌合にはつ鳫(かり)を友則(とものり)
  春かすみかすみていにしかりかねは
   【柱】古今巻五        〇三十八

   【柱】古今巻五        〇三十八
   今そなくなる秋霧の上に
とよめる左方にて有けるに五文字を詠したりける時
右方の人こゑ〳〵にわらひけるさて次句に霞ていにし
といふけるにこそをともせすなりにけれおなし
事にや
【191】公任(きんとう)卿家にて三月/尽(じん)の夜人々あつめて暮ぬ
る春をおしむ心の歌よみけるに長/能(のふ)
  心うき年にもあるかなはつかあまり
   こゝぬかといふに春のくれぬる
大納言うちきゝて思もあへす春は卅日やはあるといはれた

りけるを聞て長能/披講(ひかう)をも聞はてすいにけり人
をつかはしたりければ悦て承り候ぬ此病は去年の
三月/尽(じん)に春は卅日(みそか)やはあると仰られしに心うき
事かなと承しに病に成て其後いかにもものゝく
はれ侍らざりしよりかく罷成て侍也と申けりさて
又の日うせにけり大納言ことの外なげかれけり是
はさうなく難ぜられたりける故にや
【192】別当/惟方(これかた)卿は二条院の御めのとにて世におもく聞
へけるがあしく振舞(ふるまひ)けるによりて後白河院御いき
どをりふかゝりければ出家して配所(はいしよ)へおもむかれけり
   【柱】古今巻五        〇三十九

   【柱】古今巻五        〇三十九
其後同じくながされし人人々ゆるされけれとも身
独(ひとり)は猶うかびがたきよしをつたへ聞て
  この瀬にもしつむときけは涙川
   なかれしよりもぬるゝ袖かな
とよみて故郷へおくられたりけるを法皇伝へ聞召
て御心やよはりけんさしも罪(つみ)ふかく覚しめしける
に此歌によりて召かへされけるとかや
【193】後鳥羽院御時/定家(ていか)卿殿上人にておはしける時いか
なる事にか勅勘(ちよくかん)によりてこもりゐられたりける
があからさまと思ひけるに其年も空しく暮にけれは

父/俊成(としなり)卿此事をなけきてかくよみつゝ職(しき)事に付
たりけり
  あしたづの雲井にまよふ年くれて
   かすみをさへやへたてはつへき
職事此歌を奏聞(そうもん)せられけれは御感(ぎよかん)ありて定長
朝臣に仰てぞ御返事有けり
  あしたつは雲井をさしてかへるなり
   けふ大空のはるゝけしきに
やがて殿上の出仕ゆるされにけり
【194】壬生(みふの)二位/家隆(かりう)卿八十にて天王寺にておはり給
   【柱】古今巻五        〇四十

   【柱】古今巻五        〇四十
ける時七首の歌をよみて廻向(ゑかう)せられける臨終(りんしう)正
念にて甚(ちん)【左ルビ「ハナハタ」。書陵部蔵本「其」】志(し)【左ルビ「コヽロサシ」】むなしからざりけりかの七首の内に
  契あれはなにはの里にやとりきて
   浪のいりひをおかみけるかな
【195】宗家大納言とて神楽(かくら)催馬楽(さいばら)うたひてやさしく
神さびたる人おはしき北方は後白河法皇の女房
右衛門佐と申ける宗経の中将を産(うみ)などして後かれ
〴〵になりてとをざかり給けるに
  あふことのたへはいのちのたえなむと
   思ひしかともあられける身を

とよみてやられたりければ返事はなくて車を
つかはしてむかへとりて又とし比になりけるもや
さしくこそ
【196】徳大寺右大臣うちまかせてはいひ出かたかりける
女房のもとへ師子(しゝ)のかたをつくれりける茶碗(ちやわん)の
枕を奉るとてうすやうのなかへをやりて此歌を書
て思ひかけぬはさまにかへしていれられたりける
  わひつゝはなれたに君にとこなれよ
   かはさぬよはの枕なりとも
女房此枕たゝにはあらしとてとかくして此歌を求いだ
   【柱】古今巻五        〇四十一

   【柱】古今巻五        〇四十一
されけるいみしく色ふかしこれらは歌をつかはし
て心中をあらはせるなり
【197】参河(みかわの)守/定基(さたもと)心ざしふかゝりける女のはかなく成に
ければ世をうき物に思ひ入たりけるに五月の雨はれ
やらぬ比ことよろしき女のいたうやつれたりけるが
かゝみをうりてきたれるをとりてみるにそのかゝみの
つゝみ紙にかける
  けふのみと見るになみたのますかゝみ
   なれにしかけを人にかたるな
是を見るに涙とゝまらずかゝみをばかへしとらせてさま〴〵

にあはれひけり道心も弥思ひさためけるは此事に
よれり出家の後/寂照(じやくせう)上人とて入唐(につとう)しけるかしこにて
は円通(えんづう)大師とそいはれける清涼山(せいりやうさん)のふもとにて
つゐに往生の素懐(そくわい)をとけられけり
【198】醍醐(だいご)の桜会(さくらゑ)に童舞(どうぶ)面白き年ありける源運(げんうん)と
いふ僧その時少将とてみめもすくれて舞もかたへ
にまさりてみへけるを宇治の宗順(そうじゆん)阿闍梨(あじやり)見て思ひ
あまりけるにやあくる日少将公のもとへいひやりける
  昨日見しすかたの池に袖ぬれて
   しほりかねぬといかてしらせん
   【柱】古今巻五        〇四十二

   【柱】古今巻五        〇四十二
少将公返事
  あまたみしすかたの池のかけなれは
   たれゆへしほるたもとなるらん
といへりける時にとりてやさしかりけり中院僧正見物し
給ひけるがこれを聞ていみじと思ひしめて同入
道右府に対面(たいめん)し給けるつゐてに此事をかたり出
給てやさしくこそおほへ侍しかと有けれは入道殿
歌はおほへさせ給はしとの給ひけるをそればかりはなと
かとて少将公かもとへ宗順阿闍梨つかはし侍【衍字ヵ】侍し昨日
みしにこそ袖はぬれしかとよめるに少将公/荒(くわう)■(りやう)【書陵部蔵本「荒涼」】

にこそぬれけれとぞ返して侍しとかたり給けるに
堪(たへ)がたくおかしくおほしけれとさはかりのいき仏の念
比にいひ出給けることなれは忍ひ給けるなんすぢなく
おはしけり和歌の道は顕密(けんみつ)知法にもよらさりけりと
中〳〵いとたうとし昔の遍照(へんぜう)今の覚忠(かくちう)慈円(じえん)なとには
似たまはざりけるにや
【199】亭子(ていじ)院/鳥養(てうやう)院にて御遊有けるにとりかひといふ
ことを人々によませられけるにあそびあまた集(あつま)れ
り其中に歌よくうたひて声よきものゝ有けるを
とはるゝに丹後守/玉渕(たまぶち)が女(ムスメ)白女(シロメ)となん申けるみかど
   【柱】古今巻五        〇四十三

   【柱】古今巻五        〇四十三
御舟めしよせて玉渕は詩歌にたくみなりしもの
也其女ならば此歌よむべしさらばまことゝおぼしめす
べきよし仰らるゝに程へずよみける
  ふかみとりかひあるはるにあふときは
   かすみならねと立のほりけり
みかとほめあはれひ給て御うちき一重給はせけり其
外上達部殿上人おの〳〵きぬゝきてかつけられけれは
二間計につみあまりけるとなん
【200】河内ノ重如(しげよし)をば山次郎判官代と申けり其品いやしき
ものなりけるが我より高き女房をおもひかけて

艶書(ゑんしよ)をてづから持て行てんけり
  人つてはちりもやするとおもふまに
   われがつかひにわれはきつるそ
女めでゝしたがひけり此人河内より夜ごとに住の江
に行て夜をあかしけりいみじきすきものにてぞ
有ける死ぬるとても歌をよみてんげり
  たゆみなくこゝろをかくるあみた仏
   人やりならぬちかひたかふな
【201】和泉式部忍て稲荷(いなり)へ参けるに田中明神の程に
て時雨(しぐれ)のしけるにいかゞすべきと思ひけるに田かり
   【柱】古今巻五        〇四十四

   【柱】古今巻五        〇四十四
ける童のあをといふものをかりてきてまいりにけり
下向の程にはれにければ此あをゝかへしとらせてけり
さて次日式部はしのかたをみいだしてゐたりけるに大
やかなる童の文もちてたゝずみけれはあれは何者
ぞといへば此御ふみまいらせ候はんといひてさし置たる
をひろげてみれは
  時雨するいなりの山のもみちはゝ
   あをかりしより思ひそめてき
と書たりけり式部あはれと思ひて此わらはをよひて
おくへといひてよひ入けるとなん

【202】宇治入道殿にさふらひけるうれしさといふはしたもの
を顕輔卿けざうぜられけるにつれなかりければつか
はしける
  われといへはつらくも有かうれしさは
   人にしたかふ名にこそありけれ
入道殿きかせ給ひて秀歌に返しなしとくゆけ
とてつかはしけり
【203】承安弐年三月十九日前ノ大宮ノ大進/清輔(きよすけ)朝臣/宝(ほう)
荘厳(しやうごん)院にて和歌の尚(しやう)【左ルビ「タツトブ?」】_レ歯(し)【左ルビ「ヨハヒヲ」】会(くはひ)を行けり七/叟散(そうさん)
位(い)敦頼(あつより)《割書:八十|四》神祇伯顕廣王《割書:七十|八》日吉祢宜成仲/宿(すく)
   【柱】古今巻五        〇四十五

   【柱】古今巻五        〇四十五
祢《割書:七十|四》式部大輔永範《割書:七十|一》右京権太夫頼政朝臣《割書:六十|九》
清輔朝臣《割書:六十|九》前式部輔維光朝臣《割書:六十|三》清輔朝臣
仮名序(かなじよ)かきたりけり敦頼/衣冠(いくわん)に桜のあつきぬ
三をいたして鳩杖(はとのつえ)をつきて久利皮(くりかは)の沓(くつ)をはきたり
清輔朝臣は布袴(ぬのはかま)をぞきたりける進退(しんたい)の間大弐/重(しけ)
家卿/裾(きよ)をとり皇后宮ノ亮(すけ)季経(すへつね)朝臣/沓(くつ)をはかせけり
両人清輔朝臣か弟なれども座次の上/臈(らう)にて有ける
にこのかみをたうとみてふかく此礼有けり悦にたへず
後日に父/顕輔(あきすけ)卿子孫の中に此道にたえたりとて
清輔朝臣に伝たりける人丸ノ影(えい)破子破(わりごは)を重家(しげいへ)

卿子息中務権太輔経家朝臣にゆづられけり和歌の
文書季経朝臣に譲(ゆづり)てけりすべて尚歯会(しやうしくはひ)おほくは詩(し)
会にこそ侍に和歌はめつらしき事也上古に一度あり
けるよし其時も沙汰有けれ共慥ならぬことにや其日
の日記に侍けるは池の水ちとせ色をたゝへいはの
苔(こけ)万代をへたるけしき也/梢(こずへ)の花おちつきにければ庭
の面(をも)には春なをのこれりとみゆるばかり有て清輔
朝臣誦しける
  かそふれはとまらぬものを年といひて
   ことしはいたく老そしにける
【楕円印 朱】BnF/MSS
   【柱】古今巻五        〇四十六

   【柱】古今巻五        〇四十六
又誦云
  老ぬとてなとか我身をせめきけん
   おひすはけふにあはましものか
宮内のかみ又敦頼こゑをたすけけり敦頼(あつより)主(ぬし)
  をしてるやなにはのみづにやく塩の
   からくも我はおひにけるかな
又宮内のかみ
  かゝみ山いさ立よりて見てゆかん
   年経ぬる身は老やしぬると
又清輔朝臣

  老らくのこんとしりせは門さして
   なしとこたへてあはさらましを
いつれをも人々あひともに誦しけり次に七/叟(そう)の歌
を講(こう)じけり講師(こうじ)成仲の宿祢/読師(とくし)頼政の朝臣也
序者清輔朝臣
  ちる花はのちの春ともまたれけり
   又もくまじきわかさかりかも
散位藤原敦頼《割書:一座》
  まてしはし老木の花にことゝはん
   へにけるとしはたれかまされる
   【柱】古今巻五        〇四十七

   【柱】古今巻五        〇四十七
太常卿/顕廣王(あきひろノわう)
  年を経て春のけしきはかはらぬに
   わか身はしらぬおきなとそなる
前の石州/別駕(へつかの)祝(はふり)部成仲
  なゝそちによつあまるまて見る花の
   あかぬはとしはさきやますらん
李部侍郎永範
  いとひこしおひこそけふはうれしけれ
   いつかはかゝるはるにあふへき
    《割書:予為_二 三代之侍読_一廻(スク)_二 七旬之類【「類」は、書陵部蔵本「頽」】齢_一|位昇_二 三品_一 ̄ニ今列_二 ̄シテ七叟_一 ̄ニ故有此句矣》

右京権太夫源頼政
  むそちあまり過ぬる春の花ゆへに
   なをおしまるゝわかいのいちかな
散位大江維光
  年ふりてみさひおふてにしつむ身の
   人なみ〳〵にたちいるつかな
垣下(えんかの)座につく人々重家卿季経朝臣盛方仲綱
政平/憲盛(のりもり)光成/尹範(たゞのり)頼照(よりてる)おの〳〵みな歌有別紙
に住て【「住て」は、書陵部蔵本「注之」】此日左馬権ノ頭/隆信(たかのぶ)さはり有てこざりけり又
の日をくれりける
   【柱】古今巻五        〇四十八

   【柱】古今巻五        〇四十八
  よはひをも道をもしと【「と」は、書陵部蔵本「た」】ふわかこゝろ
   ゆきてそともに花をなかめし
返事
  おもひやる心やきつゝたはれけん
   俤にのみみえしきみかな
大弐/下襲(したかさね)のしりをとり皇后宮ノ亮(すけ)沓(くつ)をはかする
を感歎(かんたん)して弁ノ阿闍梨をくりける
  つるのかみかしつくことはいにしへの
   かせきのそのゝふることそこれ
返事

  つるのはねかきつくろひしうれしさは
   しかありけりな鹿のそのにも
【204】彼清輔朝臣の伝たる人丸の影(ゑい)は讃岐ノ守/兼房(かねふさ)朝
臣ふかく和歌の道をこのみて人丸のかたちをしらさる
事をかなしひけり夢に人丸来てわれをこふる故に
かたちをあらはせるよしを告(つけ)けり兼房/画図(くはと)にたへ
すして後朝に絵師をめして教へて書せけるに
夢にみしにたがはざりければ悦て其/影(えい)をあがめて
もたりけるを白河院此道御好有てかの影をめし
て勝光明院の宝蔵におさめられにけり修理太夫
   【柱】古今巻五        〇四十九

   【柱】古今巻五        〇四十九
顕季(あきすへ)卿/近習(きんじふ)にて所望しけれ共御ゆるしなかりけ
るをあながちに申てつゐに写しとりつ顕季卿一男
中納言長実卿二男/参議(さんぎ)家保(いへやす)卿この道にたへずとて
三男左京太夫/顕輔(あきすけ)卿にゆつりけり兼房(かねふさ)朝臣の正
本は小野皇太后宮申うけて御覧じける程に焼(やけ)
焼【衍字ヵ】にけり口/惜(をしき)事也されば顕季卿本か正本に成に
けるにこそ実子なりとも此道にたへざらんもの
にはつたふへからず写しもすべからず起請文あると
かや件ノ本/保季(やすすへ)卿つたへとりて成実(なりさね)卿にさづけられ

けり今は院にめしおかれて建長の比より影供(えいく)など
侍にこそ供具は家衡(いへひら)卿のもとにつたはりたりけ
るを家清卿伝とりてうせてのち其子息のもと
に有けるも同院にめしおかれにけり長柄橋(なからのはし)の橋柱
にて作たる文台(ぶんだい)は俊恵(しゆんゑ)法師が本(もと)よりつたはりて
後鳥羽院の御時も御会などに取出されけり一院
御会に彼影の前にて其文台にて和歌/披講(ひこう)
せらるなりいと興有ことなり
【205】養和弐年春賀茂ノ神主/重保(しけやす)又/尚歯会(しやうしくわい)行(きやう)たり
けり七叟成仲宿祢《割書:八十|四》勝命(せうめい)法師《割書:七十|一》俊恵(しゆんえ)法師
   【柱】古今巻五        〇五十

   【柱】古今巻五        〇五十
《割書:七|十》片岡祢宜家能《割書:六十|五》祐盛(ゆうせい)法師《割書:六十|五》重保《割書:六十|四》敦仲
《割書:六十|二》勝命法師/仮名(かな)序書たりけり此たひはこと成
事なかりけるにや抑/七叟(しつそう)の中に僧まじはり
たることおほつかなし
【206】高倉院の御時八月廿日比に人々神楽をし侍ける
がいとおもしろくてなごりおほかりけれはなが月
の十日あまりの比/隆信(たかのふ)朝臣のもとより実国大
納言のもとへおくりける
  あかほしのあかて入にしあかつきを
   こよひの月におもひ出すや

返し
  たゝこゝにたゝにとこそはおもひしに
   にけしは月のかひもなかりき
【207】建春(けんしゆん)門院皇太后宮にておはしましける時公卿
殿上人女房共さそひて大井川の紅葉見にむかは
れけるに三位中将実定卿さはる事有てとゞまら
ければ中納言実国卿よみてつかはしける
  もろともに君とみぬまのもみちはゝ
   心のやみのにしきなりけり
返し
   【柱】古今巻五        〇五十一

   【柱】古今巻五        〇五十一
  さそはれぬ身こそつらけれもみちはゝ
   なにかはやみのにしきなるへき
【208】同卿左衛門督にて侍ける時家に歌合し侍けるに
頼政朝臣立春の歌に
  めつらしき春にいつしかうちとけて
   まつものいふは雪のした水
とよみ侍けるか面白く聞へけれは又の朝亭主彼ノ
朝臣のもとへ申つかはしける
  さもと【「と」は、書陵部蔵本「こ」】そは雪のした水うちとけめ
   人にはこへてみえし浪かな

少将隆房(たかふさ)賀茂ノ祭使(さいし)つとめけるに車の風流よ
く見へければ又の朝大納言実国父の大納言/隆季(たかすへ)の
もとへ申おくり侍
  いろふかき君か心のはなちりて
   身にしむかせのなかれとそみし
返し
  子を思ふこゝろのはなの色ゆへや
   かせのなかれもふかくみえけん
【210】治承の比人々/安藝(あき)のいつく島へ参られけるに
風あらくて高砂の辺にありと聞て修理太
   【柱】古今巻五        〇五十二

   【柱】古今巻五        〇五十二
夫経盛実国大納言のもとへ申おくり侍ける
  とまりする湊(みなと)の風もけあしきに
   浪たかさこの浦はいかにそ
返し
  たかさこのなみのかゝらぬおりならは
   かせのつてにもとはれましやは
【211】仁和寺ノ佐(すけの)法印《割書:成海法印|師也》わかくて醍醐(だいご)の桜会見物
の次に寺中/巡(じゆん)礼しけるにや山吹衣きたる童
弐人おなじすがた花見て侍けるはいづれも
いみしくえんに覚ければたへかねて歌読かけゝる

  山吹の花色衣みてしより
   井手の蛙のねをのみそ鳴(なく)
みづからかくいひかけてにげゝる袖をとらへて少
あんじて則返し侍ける
  山吹のはな色衣あまたあれは
   ゐてのかはつはたれとなくらん
【212】圓位上人昔よりみづからかよみをきて侍(ハンヘル)歌を抄出
して三十六番につがひて御裳濯(みもすその)歌合と名づけて
いろ〳〵の色紙をつぎて慈鎮和尚に清書を申
俊成(としなり)卿に判の詞をかゝせけり又一巻は宮河歌合と
   【柱】古今巻五        〇五十三

   【柱】古今巻五        〇五十三
名付て是もおなじ番(つがひ)につがひて定家卿の五位
侍従にて侍ける時判せさせけり諸国修行の時
もおひに入て身をはなたざりけるを家隆卿のい
またわかくて坊城侍従とて寂連(しやくれん)が聟(むこ)にて同宿
したりけるに尋行ていひけるは圓位は往生の期(ご)既(すで)
に近付侍りぬ此歌合は愚詠をあつめたれ共秘蔵
の物也末代に貴殿ばかりの歌よみはあるまじき也
おもふ所侍れは付/属(ぞく)し奉る也といひて二巻の歌合
をさづけけりけにもゆゝしくそそうしたりける彼
卿/非重代(ひぢうだい)の身なれどもよみくち世おぼへひとにすぐ

れて新古今/撰(せん)者にくはゝり重代の達者/定家(ていか)卿
につかひて其名をのこせるいみしき事也まことにや
後鳥羽院始て歌の道御さた有ける比後京極殿
に申合参らせられける時彼殿奏せさせ給けるは
家隆(かりう)は末代の人丸にて候也かれが歌を学ばせ給ふ
べしと申させ給ひける是らを思ふに上人の相せら
れける事おもひ合せられて目出度おほえはへる也
かの二巻の歌合に【「に」は、書陵部蔵本「小」】宰相ノ局(つほね)のもとにつたはりて侍にや
御裳濯(みもすそ)歌合の表紙にかきつけ侍なり
  藤なみをみもすそ川にせき入て
   【柱】古今巻五        〇五十四

   【柱】古今巻五        〇五十四
   もゝ枝の松にかけよとそ思ふ
かへし俊成卿
  藤なみもみもすそ川の末なれは
   しつえ【下枝】もかけよ松のもと葉に
又二首をそへて侍ける同卿
  契をきしちきりの上にそへおかん
   和歌のうらちのあまのもしほ火
  このみちのさとりかたきをおもふにも
   はちすひらけはまつたつねみよ
かへし上人

  和歌のうらにしほきかさなるちきりをは
   かけるたくもの あとにてそしる
  さとりえて心のはなしひらけなは
   たつねぬさきに色そそふへき
【213】解脱(げだつ)上人のもとに信濃といふ僧ありけりいま〳〵
しきゑせものにてなん侍けれとも上人/慈悲(じひ)により
ておかれたりけれとも思ひあまりてやすゝりのふた
に歌をかゝれたりける
  おそろしや信濃うみけんはゝきゝの
   そのはらさへにうとましきかな
   【柱】古今巻五        〇五十五

   【柱】古今巻五        〇五十五
此僧此歌をみてあからさまに立出る様にてながく
うせにけりさすかにはぢはありけるにこそ
【214】鳥羽宮天王寺別当にてかの寺の五智光院に御座有ける
時鎌倉ノ前ノ右大将参せられたりけり三浦十郎左衛門
義連(よしつら)梶原景(かちはらかげ)時そ共には侍ける御/対面(たいめん)の後/退出(たいしゆつ)
の時/尩弱(かたわ)の尼壱人いて来り右大将に向てふところ
より文書を一枚取出して云和泉国に相伝の所領
の候を人におしとられて候を御こし候へとも身の尩(わう)
弱ふぐによりて事ゆかず候/適(たま〳〵)君御上洛候へは申入候
はんと仕候へ共申つぐ人も候はねばたゝ直に見参

に入候はんとて参りて候とてその文書を捧(さゝけ)たりけれは
大将みづからとりて見給ひけり文書のことく一定(いちでう)相
伝のぬしにて有かととはれけれはいかてか偽(いつはり)をば
申上候べき御尋候はんに更にかくれ有ましと申けれは
義連(よしつら)に硯(すゝり)たづねて参れと仰られて尋出して参
持給ひける扇に一首の歌を書給ひけり
  いつみなるしのたの森のあまさきは
   もとの古葉にたちかへるへし
かく書て義連にこれに判くはへて尼にとらせよと
   【柱】古今巻五        〇五十六

   【柱】古今巻五        〇五十六
なけつかはしたりけれは義連(よしつら)判(はん)くはへて尼にたび
てげり年号月日にも及す右大将殿自筆の御書
下されば子細にやをよふもとのごとくかの尼領知し
けると也其後右大臣家の時件の尼が女(むすめ)この扇の下
文を捧て沙汰に出て侍りけるに年号月日なき由
奉行いひけれ共かの自筆そのかくれなきにより
て安堵(あんど)しにけり件ノ扇/桧骨(ひのほね)はかりはゑりて其外は
細骨(ほそほね)にてなん侍けるまさしくみたるとて人の
かたり侍しなり
【215】同大将もる山にて狩(かり)せられけるにいちこのさかり

になりたるをみてともに北条四郎時政か候けるか
連歌をなんしける
  もる山のいちこさかしくなりにけり
大将とりもあへす
  むばらかいがにうれしかるらん
【216】あるなま侍がもとに草をうりて来りけるを只今
かはりなかりけれは其草かしおけかはりは後
にとれといひけるを草売聞て
  あさましやかりとはいかにあさことに
   草にかけたるつゆのいのちを
   【柱】古今巻五        〇五十七

   【柱】古今巻五        〇五十七
【217】土御門院はしめて百首をよませはおはしまして
宮内卿/家隆(かりう)朝臣の本へみせにつかはされたりけるが
あまりに目出度不思儀に覚へければ御製(ぎよせい)のよしをば
いはでなにとなき人の詠のやうにもてなして定家
朝臣のもとへ点(てん)をこひにやりたりけれは合点(がつてん)して
褒美の詞なと書付侍とて懐旧(くわひきう)の御うたをみはへり
けるに
  秋のいろをおくりむかへて雲の上に
   なれにし月も物わすれする
此御歌にはしめて御製のよしをしりておどろき

おそれて裏(うら)書にさま〳〵の述懐(しゆつくわひ)の詞ともかきつけ
てよみ侍る
  あかさりし月もさこそはおもふらめ
   ふるき涙もわすられぬ世に
誠に彼ノ御製はおよばぬものゝ目にもたくひすく
なくめてたくこそ覚侍れ管絃のよくしみぬる時
はゝ心なき草木のなびける色までもかれにしたがひ
てみえ侍なる様に何事も世にすぐれたる事には
見しり聞しらぬ道のことも耳にたち心にそむは
ならひ也当院の御製も昔にはぢぬ御ことにやその
   【柱】古今巻五        〇五十八

   【柱】古今巻五        〇五十八
ゆへはそのかみ御めのとの大納言のもとにわたらせおはし
ましける比はじめて百首をよませおはしましたりける
を大納言/感悦(かんえつ)のあまりに密(みつ)々に壬生(みぶ)二品のもとへ
見せにつかはしたりけり二品御百首のはし春の程
はかりをみてみもはてられずまへに打置てはら〳〵と
なかれけりやゝ久しく有て涙をのごひていはれけるは
あはれに不思儀なる御事かな故(こ)院の御歌に少もたが
はせ給はぬとてふしぎのことに申されけり其時はいまた
むげにおさなくわたらせ給ける御事也まして当時の
御製さこそめでたき御ことにて侍らめ彼卿いまだ存

ぜられたらましかばいかにいろをもそへてめてたかり申
されまじとあはれに覚へ侍り
【218】松殿僧正/行意(きやうい)赤痢(しやくり)病を大事にして存命/殆(ほとんと)あぶ
なかりけるに少まどろみたる夢に志貴(しぎ)の毘沙門(ひしやもん)へま
いりたりける御(み)帳の戸をおしあけてよにおそろし
けなる鬼神出て僧正をやゝと呼(よび)申ければおそろし
ながら見むきたりければ鬼神一首の和歌を詠じ
かけゝる
  長月のとをかあまりのみかの原
   川なみ清くすめる月かな
   【柱】古今巻五        〇五十九

   【柱】古今巻五        〇五十九
詠吟の声たへに目出たく心肝(しんかん)にそみて覚へける
程に夢さめぬ其後病/忽(たちまち)やみて例(れい)のごとくになりに
けり此歌建保年九月十二【三ヵ】夜内裏の百首の御会
に河(かは)の月を家隆(かりう)卿つかうまつれる也彼卿の歌は諸天
も納受(のうじゆ)し給ふにこそ不思儀の事也
【219】陰明(いんめい)門院中宮の御時六事の題をいだして人々に
おもふ事をかゝせられけり定家卿家隆卿なども同く
めしけるに古歌に
  有明のつれなくみえしわかれより
   あかつきはかりうきものはなし

此うたを両人同しく書て参らせたり同し心の程いと
ゆふに興有よし其沙汰ありけるとぞ
【220】後鳥羽院御時木工ノ権ノ頭/孝道(たかみち)朝臣に御/琵琶(びわ)をつく
らせられけるを世かはりにける時やかて其御琵琶を
彼朝臣にあつけられたりけるを程へて御尋有けれ
ば御琵琶に付て奉りける
  ちりをこそすへしと思ひし四の緒に
   老のなみたののこひつるかな
【221】順徳院御位の時当座の歌合有けり作者の名を
かくして衆儀判にて侍けるに古寺(ふるてらの)月といふことを
   【柱】古今巻五        〇六十

   【柱】古今巻五        〇六十
知家(ともいへ)朝臣つかうまつりける
  むかし思ふたかのゝ山のふかき夜に
   あかつきとをくすめる月かけ
此歌/叡慮(えいりよ)にかなひて頻(しきり)に御感有けり厚紙を懸物
につまれたりけるに事はてゝ人々罷出けるに蔵人
左兵衛権少将橘ノ親季(ちかすへ)を御使にて知家(ともいへ)朝臣出けるに
追つかせて古寺(ふるてら)の月の歌殊/叡感(えいかん)あり勅禄(ちよくろく)を給ふ也
とてかさねて紙を給はせけり知家朝臣申けるは忝く
勅禄に給はる紙いかてか私用仕べき明日やがて住吉
の御/幣(へい)に奉るべきよし披露(ひろう)すへきよし申て罷出

にけり【222】西音(さいをん)法師は昔後鳥羽院の西面に平ノ時(とき)
実(さね)とておさなくより候しもの也世かはりて後/嘉禎(かてう)
比五十首の歌をよみて遠所の御所に藤原/友茂(とももち)が
候けるを君きこしめして叡覧(えいらん)ありてみつから十余
首の御/点(てん)を下されける中に
  見れはまつ涙なかるゝ水無瀬川
   いつより月のひとりすむらん
此歌を殊あはれからせおはしましけりとそさて御自筆
に阿弥陀の三尊を文字にあそはしてくたし給はせける
今に忝き御かたみとてつねにおかみまいらせ侍となん
   【柱】古今巻五        〇六十一

   【柱】古今巻五        〇六十一
【223】法深房(ほうじんばう)そのかみ父の朝臣と不快(ふくわい)の比/譲(ゆつり)得たりける
笛(ふへ)《割書:大|穴》をとりかへされける時うれへなげきてよみ侍ける
  思出のふしもなきさにより竹の
   うきねたえせぬ世をいとふかな
やがてその比出家をとげてげりうきはうれしき
善知識(ぜんちしき)となりにけり
【224】家隆卿七十七になられける年七月七日九条前
内大臣のもとへつかはしける
  おもひきや七十七の七月の
   けふの七日にあはんものとは

定て返し有けんかし尋てしるすへし
【225】寛元元年二月九日雪三寸計つもりたりける暁(あかつき)
冷泉(れんぜん)前ノ右府参内し給ける雪の降(ふり)かゝりたる松
の枝を折て御硯の蓋(ふた)におきて御製を紅の薄葉(うすやう)
にかゝせおはしましてむすひつけて大納言二位殿して
おとゝにたまひける
  九重にふりかさなれる白雪は
   これやちとせの松の初はな
おとゝ中宮の御かたへまいりて御硯を申いたして
尾張内侍をして御返事を奉られける
   【柱】古今巻五        〇六十二

   【柱】古今巻五        〇六十二
  ふりかゝるかしらの雪をはらはすは
   かゝるみことのいろをみましや
【226】宝治元年二月廿七日/西園寺(さいをんじ)の桜/盛(さかり)なりけるに
御幸なりて御覧せられけりおとゝさま〳〵の御おく
り物を奉られけるうち五代帝王の御筆をまいら
せらるゝとて
  つたへきく聖(ひじり)の代々の跡みても
   ふるきをうつすみちならはなん
御返し
  しらさりしむかしにいまやかへるらん

   かしこき代々の跡ならひなは
此事昔は天暦の御門いまだみこにておはしましける
時/貞信公(ていしんこう)の御もとにわたらせおはしましたりける時
御おくり物に御手本まいらせられけるとき
  君かためいはふこゝろのふかけれは
   聖の御代にあとならへとそ
御返し
  をしへおくことたかはすは行末の
   道とをくとも跡(あと)はまとはし
此御歌/後撰(ごせん)に入たり此ためしを思食けるにこそ
   【柱】古今巻五        〇六十三

   【柱】古今巻五        〇六十三
【227】住(すみの)江に御幸なるへしとて神主修理をくはへけるに
大/略(りやく)みな新/造(ぞう)になしたりけれは昔より書付置る
人々の詩歌みなあとかたなくなりたるをみてたれ
かよみたりけん柱に書付侍ける
  かき付る跡はちとせもなかりけり
   わすれすしのふ人はあれとも
【228】成源(せいげん)僧正は連歌をこのむ人にて其房中のもの
共みなたしなみけれは中間法師/常在(じやうざい)といふ
あやしのものまてかたのことくつらねけり法勝寺(ほうせうじ)
の花の盛に件ノ常在(じやうざい)法師いと桜のもとにたゝ

すみて侍けるをわかき女房四五人花見て侍ける
が此法師をみてあれも人なみに花みんとて有にや
なんどあざけりつゝやき房此花一枝折てたひてん
やといへりけれはこの法師うちあんじて
  山かつはおりこそしらね桜花
   さけは春かとおもふはかりそ
といひかけたりけれはわらひつる女房共いらふる
ことなしあきれてそたてりける
【229】入道右大弁/真観(しんくわん)を仙洞(せんとう)の御会にたび〳〵召あり
けれ共参らすして一首の歌を奉ける
   【柱】古今巻五        〇六十四終

   【柱】古今巻五        〇六十四終
  勅なれはそむくにはあらす捨はてゝ
   身をいてかてに思ふはかりそ
御返し
  このころのならひそつらきいにしへは
   勅にそ人は身をもすてける
此御返事を給りて恐思ひて頓て其夜参て北面(ほくめん)の辺
にて少将/雅定(まささだ)に付て申入侍て御返しをは承らすし
て出にけり寛平の御時/素性(そせい)法師かほかかゝるためしな
きよし入道うち〳〵申侍けるとかや
古今著聞集参之五終
【縦長楕円印 朱】BnF/MSS
【蔵書印 朱 陽刻 正方形 単郭 篆書体】《割書:子孫|永宝》

【後見返し】

【裏表紙】

【背。ラベル 横書き。「總」は青字、「上」は朱字】總上/5/54

【表紙題箋】《題:古今著聞集 《割書:六》》

【表見返し】

古今著聞集巻第六
  管絃歌舞(くわんげんかぶ)《割書:第七》
管絃(くわんげん)のをこり其つたはれる事久し清明天にかた
どり広(くわう)大地にかたどる始終(しじう)四時にかたどり固綻(ごでう)
雨にかたどる宮(きう)商(しやう)角(かく)徴(ち)羽(う)の五音あり或は五行に
配(はい)し或は五常に配す或は五事に配し或は五色に
配す凡物として通せすといふことなし又/変宮(へんきう)変徴(へんち)
の二声あり合て七声とす又/調子品(てうしのしな)その数おほしと
いへども清濁(せいだく)のくらゐみな五音をいです讃仏敬神(さんふつけいしん)
の庭礼義宴後の莚(むしろ)もこの声なければ其儀を調(とゝのへ)
【蔵書印 朱 陽刻 正方形 単郭 篆書体】
《割書:子孫|永宝》
【蔵書印:朱 陽刻 方形 単郭 篆書体】
《割書:平戸藩|蔵書》   《割書:楽歳堂|図書記》
【縦長楕円印 朱】BnF/MSS
   【柱】古今巻六        〇一

   【柱】古今巻六        〇一
ず故に興福寺の常楽会百花匂をくり石清水の
放生会(はうせうえ)黄葉(くわうよう)衣におつしかのみならず清涼殿の御遊
にはこと〴〵く治世(ぢせい)の声を奏(そう)し姑射(こや)山の御賀には
しきりに万歳のしらべをあはす心を当時にやしなひ
名を後代に留る事管絃にすくれたるはなし
【231】貞保(さたやす)親王/桂河(かつらかは)の山庄にて放(はう)遊し給けるに平調(へうでう)に
しらへて五常楽をなす間/灯(ともし)のうしろに天冠の影(かげ)
顕現(けんげん)しけり人々おぢ恐ければ所現の影(えい)みづからいはく
我は唐家(とうけ)の廉承武(れんしやうふ)の霊(れい)也五常楽ノ急(きう)百/反(へん)に及
所には必来侍也とてうせにけり

【232】延喜四年十月大井河に行幸有けるに雅朝(まさとも)親王御舟
にて棹(さを)をとゞめて万歳楽を舞給ける七歳の御/齢(よわひ)に
て曲節にあやまりなかりけるありがたきためし也
叡感(えいかん)にたえす御半臂(こはんひ)を給はせけれは親王給て拝(はい)
舞(ぶ)し給けり此日勅有て親王/舞剣(ふけん)【釼】をゆつり給ひ天
暦ノ聖王(せうわう)童(とう)親王の御時の例とて沙汰有ける【233】同廿一年
十月十八日八条大将/保忠(やすたゞ)中納言の時勅をうけ給ひて
日比奏せざる舞を御覧ぜられけり貞信公(ていしんこう)右大臣
にてまいり給参入/音声(をんせい)には聖明楽(せいめいらく)をぞ奏しける
刑山(ケイサン)東【刑仙楽ヵ】西/河(カ)蘇志摩(ソシマ)傾坏楽(ケイハイラク)放鷹楽(ハウヨウラク)弓士(キウシ)採桑老(サイソウラウ)
   【柱】古今巻六        〇二

   【柱】古今巻六        〇二
林歌(リンカ)蘇莫者(ソマクシヤ)泔洲(カンシウ)胡飲酒(コインシユ)輪台(リンタイ)酔(エイ)【酣酔ヵ】是(これ)らを御覧
ぜられけり此中/雅楽(からく)属(しよくす)船木氏有ト云者ニ放鷹楽(ハウオウラク)を奏
しけり帽子(ぼうし)に摺衣(すりきぬ)をぞきたりける舞の間に心に
まかせて鳥をとらせければ見るもの目をおどろかしけり
又犬飼壱人をぐしたりけりこれは本よりあるべき
ものにはあらざる事とかやこの舞承和に奏し
たりける其後聞へずこの装束(しやうぞく)中納言に調せられ
ける舞ののち中納言庭におりて氏有(うしあり)かとらする
所の鳥をとりて膳部(ぜんぶ)に給はせけり其日の舞人
百雄(もゝを)氏有(うしあり)峯吉(みねよし)勤賞(けんしやう)をかうふりおとゝは和琴(わごん)をそ

しらべたまひける
【234】延長四年正月十八日内裏にて梅花/宴(えん)ありけり
主上清涼殿のまごびさしに出御有けり文人詩を
献(けん)じ伶人(れいしん)楽(らく)を奏けるに暁(あかつき)に及て常陸(ひたちの)親王/筝(さうのこと)を
弾(たん)じ八条中納言/保忠(やすたゝ)琵琶(びわ)を弾(たん)す主上/和琴(わごん)を
ひかせおはしましける目出たかりける事也
【235】同六年/常寧殿(じやうねいでん)にて三月/尽(じん)の宴(えん)ありけり右大臣
《割書:定方》には笙(せう)四人/篳篥(ひちりき)壱人/唱歌(しやうが)のもの数人など
有けり又かならず絃(けん)をとゝのへねとも吹もの壱両
にてもかやうのことありけるにこそ
   【柱】古今巻六        〇三

   【柱】古今巻六        〇三
【236】同七年三月廿六日/踏歌(とうかの)後宴(ごゑん)のまけわざ次第の事
共はてゝ御遊有けり敦忠(あつたゝ)笛(ふへ)をふき義方(よしかた)和琴を弾
しけり時々みきまいりて弾正(だんぜうの)親王(みこ)笙をふく重明(しけあき)
親王(みこ)笛をふき給ひけり又勅によりて和琴をも弾し
給けり右中弁/希世(まれよ)朝臣左中弁/淑光(よしみつ)朝臣たちて
舞侍けり
【237】天暦八年正月五日右大臣家にて饗(きやう)をこなはれける
にはてつかたに式部卿ノ親王とおとゞ帰徳(きとく)唱へら
れたりけるに右近ノ将曹(しやうさう)伴野貞行(はんのさだゆき)狛桙(こまほこ)と思ひつゝ
松をとりてすゝみけるをおとゝ帰徳のよしを告給けれ

は松をすてゝ舞けり貞行は高麗(こまの)舞人なりけり
此事不/審(しん)帰徳ならは松をばなど桙(ほこ)には用ひ
ざりけるにか
【238】天暦元年正月廿三日内宴を行はれけるに重明親
王勅を承りて琴(こと)を引給けり一弦ゆるかりけれは
右兵衛佐清正に仰てはらせられけり先/春鴬囀(しゆんをふでん)を
奏し後に席田(むしろだ)をとなふ次/酒清司(しゆせいし)をぞ奏しける
この間琴の武弦(ぶげん)たえたりけれど猶弾じはて
給ひけり
【239】同三年四月十二日/飛香舎(ひきやうしや)にて藤ノ花の宴有けり
   【柱】古今巻六        〇四

   【柱】古今巻六        〇四
右大臣左衛門督左兵衛督候給和歌/糸竹(いとたけ)の興など
はてゝ女御御おくりもの有けり先皇の勒子(ろくし)【勤子ヵ】内親王(ノみこ)
に給ける筝ノ譜(ふ)三巻貞保親王のもちゐたりける
笛/螺鈿(らでんの)筝などをぞ奉り給ける筝(さうのこと)奇(あやしき)香(か)あるよし
李部王(りほうわう)ノ記(き)し給たるとかやいかなる匂ひにてか侍りけん
ゆかしき事也
【240】同五年正月廿三日宴おこなはれけるに式部卿重明ノ親王(みこ)
琴左大臣筝中務大輔博雅朝臣和琴侍従延光朝
臣琵琶散位朝忠朝臣右近中将藤原朝臣笙/安(ア)
名尊(ナタウト)春鴬囀(シユンアウテン)席田(ムシロダ)葛木(カヅラキ)などをそ奏しける其

後/平調(へいてうの)曲も有けり
【241】同七年十月十三日内裏にて庚申(こうしん)の御あそびあり
けり女蔵人菊の花のゆわり子【ひわり子ヵ】を奉る大納言高明
卿伊予守雅信朝臣御前に候/楽所(かくしよ)の輩は御/壺(つぼ)にぞ
候ける大納言琵琶を弾じ朱雀(しやしやく)院のめのと備前/命(めう)
婦(ぶ)簾中(れんちう)にて琴(こと)を弾じける昔はかやうの御遊つ
ねの事也けりおもしろかりける事かな
【242】康保三年十月七日舞御覧有けるに小野ノ宮右大
臣童にておはしけるが天冠をして納蘇利(なふそり)を仕
まつり給けり舞をはりて御/椅子(いす)のもとにめして
   【柱】古今巻六        〇五

   【柱】古今巻六        〇五
御衵子を給はせけれは左大臣《割書:清慎公》かしこまり悦ひ
給ひてたちてまひたまひけり拝舞はなかりけり
ゆへありけるにや
【243】
いづれの比の事にか大宮右大臣殿上人の時南殿の
桜さかりなる比うへふしよりいまだ装束もあらため
ずして御階(みはし)のもとにて独花をながめられけり霞
わたれる大内山の春のあけぼのゝよにしらず心すみ
ければ高欄(かうらん)によりかゝりて扇を拍子に打て桜人
の曲数反うたはれけるに多(おほひ)政方が陣(ぢんの)直(とのひ)つとめて候
けるが歌の声を聞て花の本にすゝみ出て地久

の破(は)をつかうまつりたりけり花田ノ狩衣袴をぞきたり
ける舞はてゝ入ける時桜人をあらためて蓑(みの)山をうた
はれけれは政方又立帰て同/急(きう)を舞けるをはりに
花の下枝を折て後おとりてふるまひたりけりいみ
しくやさしかりける事也此事いづれの日記にみえ
たるとはしらねとも古人申つたへて備【侍ヵ】り【244】丸【衍字ヵ。書陵部本「丸」なし】博雅(はくが)卿は上古
にすぐれたる管絃者也けり生れ侍ける時天に音楽
の声聞えけり其比東山に聖心(せうしん)上人といふ人ありけり
天を聞に微妙(みみやう)の音楽あり笛(ふへ)弐笙二筝琵琶
各一皷一聞えけり世間の楽にも似ず不可思儀(ふかしぎ)
   【柱】古今巻六        〇六

   【柱】古今巻六        〇六
に目出たかりければ上人あやしみて庵室(あんじつ)を出て
楽の声に付て行ければ博雅(はくが)の生るゝ所にいたり
にけり生れおはりて楽の声はとゞまりぬ上人他人
に語る事なし数日をへて又彼所へ向て其/生児(むまれしちこ)の母に此/瑞(ずい)
想(さう)を語(かた)り侍けるにとなん彼(かの)卿は子/息(そく)二人有けり一人は信
義/笛(つゑ)【ふえヵ】の上手也一人は信明(のふあきら)琵琶(ひわ)の上手也信義を双調(さうてう)
の君とそ号しける其/故(ゆへ)は式部卿ノ宮ノ時の管絃者伶人等を卒(そつ)
して河陽(かやう)に遊給けるに明月の夜暁にのぞみて
川/霧(きり)ふかきうちに双調 ̄ノ々/子(し)を吹て過る舟あり其
舟やう〳〵きたりちかづくをきくに誠に神妙なり

【挿絵】
   【柱】古今巻六ノ        〇又六

   【柱】古今巻六ノ        〇又六ウ
【挿絵】

けり我朝に比類(ひるい)なき笛也誰人ならんと人々あやしう
思ひあへるに舟は霧にこめられて見えずうちかひの音(おと)
計聞へて既に船と行ちがふ時親王誰にかと向【書陵部本「問」】給ひ
ければ信義(のふよし)と名/乗(のり)たりけり宮(みや)感情(かんせい)にたへず双調の
君なりけりとの給はせけりそれより天下みな双調の君
と号しけるとぞ【245】殿上の其/駒(こま)は知(しり)たる人すくなし
能信大納言法成寺の修正(しゆしやう)に南門を入てまいりて
退出の時に西門へまはされける程立やすらひける間に
彼曲を唱(となへ)られたりけり大宮右府《割書:俊家》の頭の中将
にておはしけるがついがきにそひてひそかにたち聞
   【柱】古今巻六        〇七

   【柱】古今巻六        〇七
給けるを能信卿見付にけり中将おとろきさはかれ
けるを能信卿其/志(こゝろさし)を感じて扇を拍子に打て此
曲を授(さずけ)られにけり其後彼家につたはれり堀河院
中ノ御門(みかと)右大臣にならはせ給ける時申されけるは一説は
誠に思召人あらばおしへさせ給て今一説は教へ給ふ
ましくはさづけまいらすべきよし奏し給ければ申旨に
たがふべからずと勅定有て両説ながら伝させ給ひてげり
嘉承弐年/崩御(ほうきよ)の後右府人々にたれか彼曲習ひ
給はりたると尋られけれ共習まいらせたる人なかり
けりおとれる説をも猶秘せさせ給けるにこそとて

悲涙(ひるい)をながされけり中ノ御門(みかと)内大臣子息大納言宗
家卿/外孫(がひそん)同/宗能(むねよし)卿に授(さずけ)られたりけり六波羅の
太政入道/厳島(いつくしま)の内侍につたふべきよし宗家卿に示(しめ)
されければ歎(なげき)なから世にしたがふならひ力およばて
おとる説を伝へられける但他人に教(をしゆ)べからざる由(よし)
をまづ起請をぞかゝせられける多好方(おほひよしかた)是を聞
てかの内侍に問ければしらさるよしをぞこたへける此曲
は宗家卿/冷泉(れいせい)内府にもおしえられたりけ
るとかや
【246】管絃はよく〳〵用心あるべき事也前ノ筑前(ちくせん)守
   【柱】古今巻六        〇八

   【柱】古今巻六        〇八
兼俊(かねとし)殿上に笙吹なきによりて昇殿(せんでん)を免(ゆる)さるべき
よし沙汰有けり先/試(こゝろみ)有ける日きさき笛【蚶気絵(きさきゑ)】を給ひて
ふかせられけるに用心なくして吹出しける程に管中(くわんちう)
に平蛛(ひらくも)の有けるが喉(のと)にのみ入られにけりむせてはつ
きまどひける程に主上/群臣(くんしん)も笑ひ給て膓(はらわた)を
断(たち)けりおほきに鳴呼(をこ)【左ルビ「ナリヨブ」】を表(あらわ)して昇殿(せうでん)のさたも
とゞまりにけりかゝるためしあれば事にをきて
能々用心有べき事也なかにも御物(ごもの)のつねにもふ
かれざらんはまつ小息にて心みるへき也
【247】宇治殿平等院を建立させ給ひて延久元年の

夏の比はじめて一切経ノ会を行はせ給けり法会
儀式堂の荘厳(しやうごん)心こと葉も及かたし大行/道楽(とうらく)に
渋河鳥(しんかてう)を奏しける多(おほひ)ノ政資(マサスケ)一者にて一皷かけて
池の辺をめぐるとて鴨(かも)のむなそりといふ秘曲
をつかうまつりけるときにとりていみじく
なん侍ける
【248】後冷泉院御時白河ノ院に行幸有て花ノ宴侍けるに
殿上人楽を奏して南庭をわたりけるに笙にはか
にさはる事有て参らさりければ既に事/闕(かけ)なん
としけるに大外記中原ノ貞親(さたちか)は笙ふくもの也ければ
   【柱】古今巻六        〇九

   【柱】古今巻六        〇九
もし笙や随身したると御尋有けるに則朱俊の
懐(ふところ)より取出して侍けれは叡感(えいかん)有て殿上人の奏楽(そうかく)
につらなりて南庭をわたりける時にとりてめづらし
くいみじくなん侍ける
【249】大弐/資通(すけみち)卿管絃者共を伴ひて金峯山(きんぶせん)に詣(まう)つる
事有けり下向の時ろしにふるき寺あり其寺に
おりゐてやすみけるつゐでに其辺を見めぐりける
に壱人の老翁のありけるをよひて此寺をは何と
いふぞと問ければ翁これをば豊等寺(とよらのてら)と申侍と
こたふ又寺のかたはらに井有これ榎葉(えのは)井といふ又

うしろの山はなに山といふそととふ此山は葛城(かつらき)山
なりとこたふ人々これを聞て感涙(かんるい)をたれて各
〳〵堂に入て寺をうちはらひて葛城を数反うた
ひて帰けり【「丸」は説話の区切りヵ】丸【250】篳篥吹/遠理(とをまさ)が父阿波守にて下向
の時/遠理(とをまさ)其ともにおなじく下向しけるに其年
旱魃(かんはつ)の愁有ければとかく祈雨(きう)をはげめ共かなはず
七月ばかりに遠理其国の社《割書:其神|可尋》へ参て奉幣(ほうべい)の後
に調子を両三反吹て祈請の間俄に唐笠(からかさ)ば
かりなる雲(くも)社の上におほひてたちまちに雨下り
て洪水(こうすい)に及にけり神感(しんかん)のあらたなる事秘曲の
   【柱】古今巻六        〇十

   【柱】古今巻六        〇十
地におちさる事かくのことし
志賀ノ僧正《割書:明尊》本よりひちりきをにくむ人なりけり
或時明月の夜/湖(こ)上に三(みつの)船をうかべて管絃和歌/碩(うたふ)【頌ヵ】
物の人を乗せて宴遊しけるに伶人等其舟にのらん
する時いはく此僧正は篳篥(ひちりき)にく美(み)給人也しかあれば
用枝はのるべからずことにかりなんずとてのせざりければ
用枝さらば打物をもこそつかまつらめとてしゐてけり
やう〳〵深更(しんかう)に及程に用枝ひそかに篳篥をぬき出し
て湖水(こすい)にひたしてうるほしけり人々見てひちりき
かととひければさにあらず手あらふなりとこたへて何

【挿絵】
   【柱】古今巻六ノ        〇又十

   【柱】古今巻六ノ        〇又十
【挿絵】

となきていにて居たりしばらく有てつゐにねとり
出したりければかたへの楽(かく)人共さればこそいひつれよし
なき者を乗て興さめなんずと色をうしなひて
なげきあへる程に其曲目出たくたへにしてしみたり
聞人みな涙おちぬ年比是をいとはるゝ僧正人より
殊になきていはれけるは正教(せいけう)に篳篥は伽陵頻(かりようびん)の
こゑをまなぶといへること有此言を信ぜさりける口おし
き事也いまこそ思ひしりぬれ今夜の纏頭(てんどう)は他人
に及べからす用枝壱人に有べしとぞいはれける此事を
後々迄いひ出してなかれとそ
   【柱】古今巻六        〇十一

   【柱】古今巻六        〇十一
【252】後三條院は管絃をは御沙汰なかりけり去ながら中ノ
御門(みかと)大納言《割書:宗俊》の筝をきこしめして此卿か筝は
只物にあらず道におゐてうへなき物也と御顔色(こがんしよく)も
変(へん)じまし〳〵て御感有けり白河院も此人の筝を
きこしめしては御/落涙(らくるい)有てかんぜさせ給けり按察(あせち)
大納言《割書:宗季》に仰られけるは我宗俊が筝をきゝて
おほく聴罪障(てうざいしやう)に非管絃者/鳴呼(をこ)の覚へ取べき也
とぞ叡感有けるさてことに御連愍(これんみん)有けり知足院
殿は彼卿参れければいか成奏事有けれ共きこし
めされず御筝さた有て毎度興に入らせ給也

【253】永保三年七月十三日主上/殿下(でんか)南殿/巽角(たつみのすみ)御座あり
て蔵人盛長をして御比巴/牧馬(ぼくば)を召よせらる則/錦(にしき)の
袋に入て参たりけり御覧ののち大納言経信卿に引
せられけりきこしめして玄象(けんじやう)といかにと仰られけれは
大納言申されけるは昔前ノ一条院御時信明信義等を
召て此比巴ともをひかせられけるに信明は玄象
信義は牧馬を弾(たん)ず牧馬すぐれて聞ゆ其時取かへ
て玄象(けんじやう)をひかせらるゝに玄象すぐれたり其時の
比巴の勝劣(せうれつ)あらず弾人によりけりと奏せられける
を聞召て玄象をとりいでゝひかせられけるにまことに
   【柱】古今巻六        〇十二

   【柱】古今巻六        〇十二
勝劣(せうれつ)なかりけり此事彼卿慥にしるしをかれ侍り
【254】大宮ノ右相府/薨去(ごうきよ)の後七々の忌(いみ)はてゝ人々分散しけ
るに大納言宗俊卿ひとり旧居(きうきよ)にとゞまり居て心
ぼそく思はれけるにや鬢(びん)かゝれけるつゐでに草子
筥(ばこ)のふたを拍子(ひやうし)に打て万秋楽の序を唱歌にせら
れける一句をしめては涙をおとしてぞ居給たりける
ことに風病おもき人にて笛のつかにもかみをまき
てぞつかはれけるしかふして紫檀(したん)の甲(かう)の比巴を能(よく)さむ
き時もひかれければ近習者共は此人はそら風を
やみ給にこそなどぞいひあへりける又物狂の気の

おはするにやなどいひける琵琶は筝笛程の堪
能にはあらざりけるとぞ去ながら白河院御とき
承暦年中に飛香舎にして比巴の明匠八人を召
ける中に此大納言は入られけるを不堪のよしを申て
再三/辞(じ)し申されけれ共猶その清選(せいせん)に入にけり其
八人は経信(つねのぶ)宗俊(むねとし)政長(まさなか)基綱(もとつな)■経(つね)今三人たれ〳〵にて
侍るにか尋へし
【255】
源/義光(よしみつ)は豊原(とよはら)時元が弟子也時秋いまだおさなかり
ける時時元はうせにければ大食調(たいしきてう)入調(しゆてうの)曲をば時秋
にはさづけず義光には慥におしへたりけり陸奥(むつの)

   【柱】古今巻六        〇十三
守義家朝臣 永保(ゑいほう)年中に武衡(たけひら)家衡(いへひら)等を責(せめ)け
るとき義光は京に候てかの合戦の事をつたへきゝ
けりいとまを申て下らんとしけるを御ゆるしなかりけ
れば兵衛尉を辞(じゝ)申て陣につる袋をかけて馳(はせ)下
けり近江国 鏡(かゝみ)の宿につく日花田のひとへかり衣に
あをばかまきて引入烏帽子したる男おくれじと
はせきたるありあやしう思ひて見れば豊原時秋也けり
あれはいかに何しに来りたるぞとけ問ればとかくの事
はいはす只御供仕べしと計ぞいひける義光此度の
下向物さはがしき事侍て馳下也伴ひ給はん事尤本

意なれ共此度におきてはしかるべからずとしきりに止る
を聞ずしゐてしたがひ給けり力及ばてもろともに
下りてつゐに足柄(あしがら)の山迄来にけり彼山にて義光
馬をひかへていはく止め申せ共用給はでこれ迄/伴(ともな)ひ
給へる事其志あさからず去ながら此山にはさだめて
関(せき)もきびしくてたやすくとをす事もあらし義光
は所職(しよしき)を辞(じ)し申て都(みやこ)を出しより命をなき物になし
て罷むかへはいかに関きびしくとも憚(はゞか)るましかけ破(やぶり)て
罷通るべしそれには其用なしすみやかに是より帰(かへり)
給へといふを時秋なを承引せず又云事もなし其時
   【柱】古今巻六        〇十四

   【柱】古今巻六        〇十四
義光時秋か思ふ所を悟りてのどかに打寄て馬より
おりぬ人を遠くのけて柴(しば)を切はらひて楯(たて)二牧【枚ヵ書陵部本「枝」、近衛文庫本「枚」】を敷
て一牧には我身座し一牧には時秋をすへけりうつぼ
より一紙の文書を取出て時秋に見せけり父時元
が自筆に書たる大食調(たいしきてう)入調(しゆてうの)曲ノ譜(ふ)又笙はありやと
時秋に問ければ候とてふところより取出したりける用意
の程先いみじくぞ侍ける其時是迄したひ来れる
心ざし定て此れうにてぞ侍らんとて則入調曲を授(さずけ)
てげり義光はかゝる大事によりてたゞには身の安否(あんひ)
しりがたし万が一安/穏(をん)ならば都の見参(けんざん)を期(ご)すへし貴殿

は豊原(とよはら)数代(すたい)の楽工(かくく)朝家(てうかの)要須(ようしゆ)の仁也我に志をおぼさば
すみやかに帰洛して道を全(またう)せらるべしと再三いひけれ
ば理におれてぞのぼりける
   宇治左府御記云
保延五年六月十九日《割書:丁| 卯》依_レ為_二入-学吉日_一平調入
調習畢 ̄ン即 ̄チ吹 ̄コト十返以_二 ̄テ時秋_一 ̄ヲ為_レ師 ̄ト所_レ望也/昨(キノフ)以_二 ̄テ消息_一 ̄ヲ
触(フレテ)_二《割書:権》大納言_一云 ̄ク明日習_二 ̄フ入調_一 ̄ヲ如何(イカン)返報 ̄ニ云 ̄ク尤 ̄トモ可_レ ̄キ然 ̄ル者 ̄ノ也
同廿日《割書:戊| 辰》習_二 ̄フ大食調入調_一 ̄ヲ習_二 ̄フ時秋_一 ̄ニ也(ナリ)習/則(トキ)吹(フクコト)_十
返昨日以_二吉日_一習_二 ̄フ平調_一仍 ̄テ大-食-調不_レ尋日次昨習_二
平調 ̄ノ入調_一 ̄ヲ訖(ヲハン)後申_二 ̄ス権大納言《割書:以_二消息_一|申》曰(イハク)平-調入-調/已(ステニ)
   【柱】古今巻六        〇十五

   【柱】古今巻六        〇十五
習/此(イ)後(コ)経(ヘテ)_二 一両月_一 ̄ヲ可_レ ̄キ習_二大-食-調_一 ̄ヲ歟(カ)如何 ̄ン返報 ̄ニ云 ̄ク只
可_レ任_レ ̄ス意 ̄ニ者 ̄ノ也仍 ̄テ所_レ習也/召(メシテ)_二時秋 ̄ヲ於南庭_一 ̄ニ給(タマフ)_二栗毛之
馬一匹_一 ̄ヲ《割書:置鞍(ウツシ)下臈随身取_レ之|上手下手/厩(ムマヤ)舎人(トネリノ)取_レ之》時秋/一(ヒトタヒ)拝 ̄シテ退出(タイシユツス)件 ̄ノ馬并舎
人等 ̄ハ外宿也然 ̄シテ而/予(ワレ)有_二 ̄テ簾中_一給_レ ̄フ之至_二入調_一者有_レ縁
《割書:云| 々》昔 ̄シ時光習_二平-調 ̄ノ入-調於時信_一 ̄ニ時信云入調ハ四天
王 ̄ノ之常所_レ令_二 ̄ムル守護_一也仍 ̄テ必給_レ ̄フ禄 ̄ヲ時光/清貧(セイヒンニシテ)無_レ ̄シ財以_二 ̄テ
古(フル)泥障(アヲリ)二牧【枚ヵ】_一 ̄ヲ奉(ホウス)_二時信_一 ̄ニ《割書:云| 々》習(ナラヒ)訖(ヲハル)之(ノ)由(ヨシ)告_二 ̄ク権大納言一 ̄ニ
相(アイ)_二-副(ソヘテ)返事_一 ̄ヲ被(ラル)_レ送(ヲク)_二 故(コ)左近将監時光自筆譜二牧_一 ̄ヲ
 《割書:一牧平調入調一牧大食調々々々入調奥書載黄鐘調々子|秘説予披見之一拝棒持賞翫矣》

【256】堀河院御時六条院に朝覲行幸有けるに池(いけ)の中島に
楽屋を構(かまへ)られたりけるに御所水をへだてゝはるかに
遠かりけり博定(ひろさだ)勅をうけ給て太/鼓(こ)をつかうまつりけ
るが壺(つぼ)よりもすゝめて撥(ばち)をあてけり後日に博定
元正(もとまさ)にあひて昨日の大皷はいかゞ有しといひければ元正
目出たくうけ給き但少壺よりすゝみてそ聞へしと
いひければ又問けるはつぼはうち入たるたひやまじり
たりし始めおはり同し程にすゝみて侍しかといふ
元正始終すゝみて終りにきと答へければ博定扨は
意趣に相叶ふたり其故は楽こそ引はなれぬ事
   【柱】古今巻六        〇十六

   【柱】古今巻六        〇十六
なれはかすみわたれとおくて物をうつはひゝきの遅
来る也されば御前にては壺にうち入てよくぞき
こしめさんとぞいひけるこの心ばせ思ひよらざる事
也目出たしとぞ元正感じける
【257】前ノ所ノ衆/延章(のぶあきら)は名誉(めいよ)の者也白河院御時六条内裏に
行幸有けるに朱雀大納言《割書:俊明》延章を頻に挙申
されければはじめてめされにけり勘定によりて右
大鼓をつかうまつりけるに皇仁に拍子をあやまち
にけり笛は正清元正成けり元正が吹ところの皇仁
年比きくに延章が説にたがはざりければ其旨を存

ずる所に今度/異説(いせつ)を吹たりけるに失(シツシテ)_レ度(ドヲ)拍子を
あやまちにけり延章(のふあきら)楽屋に入て元正をうらみていひ
ける年比貴説を承るに愚説(ぐせつ)にたがはずそれに此度は
異説(イセツ)を吹給て拍子おとさしむる事いきながらくび
をきらるゝ也といひければ元正云またくあやまらざる
事也申さるゝがことく伝ふる所まことにかはらずされ共
面笛正清也その伏息の程笛を元正にゆつる吹出に
は彼人の説をふかずして豈(あに)他説(たせつ)をもちゐんや大
鼓(こ)の撥(ばち)をとらるゝ計にてはいづれの説をも慥こそ
は存知し給はめとぞいひけるなだらかに目でたくそ
   【柱】古今巻六        〇十七

   【柱】古今巻六        〇十七
侍ける是笛吹を背て我がじこにもてなすかいたす
所也大/鼓(こ)の撥(ばち)をとる日は笛ふくとよくいひあはせ
て存知すべき事也古人伝る所也
【258】嘉保二年八月八日院に行幸ありて相撲(すまう)を御覧
ぜられける江師(こうのそつ)兼日(けんじつ)に式(しき)をつくりて奉ける時舞
人/狛光季(こまのみつすえ)申けるは万歳楽をとゞめて賀殿(かでん)を奏
せんと思そのゆへは一には万歳楽は毎年に御覧
ぜらるゝ曲也一には祝は賀/殿(てん)おなしかるべし一には舞興
賀殿まされり一には此院新造たり賀殿の儀あひ
かなへり江師このよしを奏せられければしかるへき由

勅定(ちよくでう)有てまづ賀殿(がてん)地久を奏(そう)しけり其時の
内裏(たいり)は堀河院/仙洞(せんとう)は閑(かん)院にて侍けり程ちかけれ
ばかちの行幸にてそ侍ける
【259】長治弐年正月五日/朝覲(てうきんの)行幸有けるに胡飲酒(こいんしゆ)中ノ
院右大臣童にて舞給けり左衛門督右大弁宗忠
宰相中将忠教糸竹にたへたるによりて楽屋の
前に座を敷て着座せられけり舞いまだおはら
ざりけるに法皇の召によりて胡飲酒の童参り
けり靴(したうず)をぬがず御前の簀子(すのこ)に候ければ主上紅の
御/衵(うちき)を給はせけり右大臣伝へ給はせけり童庭
   【柱】古今巻六        〇十八

   【柱】古今巻六        〇十八
におりて舞てしりぞき入ければ父内大臣庭に
おりて拝舞(はいぶ)し給ひけり一家の人々みな下殿せら
れけるゆゝ敷ぞ見へ侍りける御遊に忠教(たゝのり)卿笛を
ふかれけるを主上とゞめおはしましてみづからふかせ
給ひけり胡飲酒(こいんしゆ)のわらははふえふき給ひけりめ
づらしくやさしくぞ侍りける
【260】嘉承二年三月五日鳥羽殿に行幸有て六日和歌
の興有ける序代(じよだい)は中納言/宗忠(むねたゞ)ぞかゝれける次に
御遊主上笛をふかせおはしましける殿下筝宗忠
卿/拍子(はうし)宗通(むねみち)卿/付歌(つけうた)新中納言/基綱(ともつな)卿比巴左京

大夫/顕仲(あきなか)卿笙/俊頼(としより)朝臣/篳篥(ひちりき)有賢(ありかた)朝臣和/琴(ごん)
家俊(いへとし)朝臣付歌安名尊三反桜人一反席田二反
鳥破急(とりのはきう)賀殿急(かてんきう)律(りつ)は青柳(あをやき)二反万歳楽五常
楽急/糸竹(いとたけ)のしらべことに面白かりけり法皇は
簾中(れんちう)にてぞ聞召ける感興のあまり密(みつ)々に北
面の御所のかたに中納言顕通卿以下をめされたり
けり殿下もまいらせ給ひけるとそ盃酌(はいしやく)朗詠今様
など有けり八日主上御船にめして御遊有けり其
後/舞楽(ぶがく)御/贈(をくり)物/勧賞(けんしやう)など有て還御ありけり
【261】堀河院御時節会につねよりもいそぎ入御有ける
   【柱】古今巻六        〇十九

   【柱】古今巻六        〇十九
を人々あやしう思ける程に御膳宿のかたにて立楽
の時になりて皇帝(くはうてい)を吹出させおはしたりけり
めづらしくいみじかりける事也彼右府のしるし
をかれたるとかや尋ぬべし
【262】季通(すゑみち)のいはれけるは非(ひ)管絃者口/惜(をしき)事堀河院
御時平調にて御遊有しに物の音よくしみて漸(やうやく)暁(あかつき)
に及に五常楽/急(きう)百反に及べは草木も舞なる
ものをあるへしとてあそばされ侍しに五十反ばかり
にて天明ければ時元/排(かゝげ)て見るに庭樹(ていじゆ)のうごくを
みてさて舞めるはと申けるを目出き心はせかなと

人々【濁点付の「々」】いひて感し思けるに顕雅卿いまだ殿上人にて
無/能(のう)にてその座に候だにかたはらいたきに奏(そうして)
云あれは風の吹候へはうごくに侍りと申たりける
に満座わらひけり
【263】同院の御時/楽歌(かくか)の事ありけり殿上/三台(さんだい)を奏す
主上御笛あそばし破(は)二反/急(きう)三反さらに又/急(きう)数反
ありこの答に地下五常楽を奏す笛《割書:時元》序後(じよご)
詠(えい)の段々つねのごとし破(は)六反畢て急(きう)を奏する
に叡感(えいかん)ありて楽をとゞむべからずと天気有けり
其間夜ノ月/窮(きはめて)昇(のぼり)ぬ地下の勝になりにけり【264】楽所の預
   【柱】古今巻六        〇二十

   【柱】古今巻六        〇二十
小監物源頼能は上古に恥(はち)ざる数寄(すき)の者也/玉手(たまて)
信近(のぶちか)に順て横笛(よこふへ)を習けり信近は南京にあり
頼能其道のとをきをいとはず或は隔日(かくにち)にむかひ或
は二三日をへだてゝゆく信近ある時にはをしへ或時は
教ずして遠路をむなしく帰おりも有けり或時は
信近■【苽ヵ】田にありて其むしをはらひければ頼能も随
て朝より夕にいたる迄もろ共にはらひけり扨かへらん
とする時たま〳〵一曲を授けりある時は又/豆(まめ)を苅(かる)所
にいたりて又是をかり苅(かり)をはりて後/鎌(かま)の柄(え)を
もて笛にして教けりかくして其わざをなせる物成り

【挿絵】
   【柱】古今巻六ノ        〇又二十

   【柱】古今巻六ノ        〇又二十
【挿絵】

更に下問をはぢず貴賎(きせん)を論せず訪学(はうかく)しけり
天人楽をは八幡宮の橋ノ上(ほとり)にて大童子に習たる
とぞいひつたへたる頼能は博雅三位の墓(はか)を知て
とき〴〵三向して拝しけるまことによく数寄た
るゆえなり
【265】知足院殿何事にてかさしたる御のぞみふかゝりけ
る事侍けり御歎のあまり大権坊(たいごんばう)といふ効験(かうけん)の僧
の有けるに咜祇尼(だぎに)の法を行ぜられけり日限(にちけん)をさして
しるしある事なりけりせめての怨切(をんせつ)のあまりに件の
僧を召て仰合られけるに僧の申けるは此法いまだ
   【柱】古今巻六        〇二十一

   【柱】古今巻六        〇二十一
疵つかず七日が中にしるし有べし若七日に猶しるし
なくは今七日をのべらるべく候哉それにかなはずは
すみやかに流罪(るざい)に行れ候へかしときらびやかに申て
げり仍供物以下の事/注進(ちうしん)に任(まかせ)て給てげりさて
初おこなふに七日に験(げん)なしその時すでに七日に
験(げん)なしいかにと仰られければ道場(どうじやう)を見せらるべく
やたのもしき験候也と申ければ則人をつかはして
見せられければ狐(きつね)一疋来て供物等をくいけり更
に人におそるゝ事なし扨其後七日のへ行はるゝに
まんずる日知足院殿御昼ねありけるに容顔(ようがん)びれ

いなる女房御枕をとをりけりそのかみかさねのきぬ
のすそより三尺ばかりあまりたりけりあまりにうつく
しう候はん【「候はん」、書陵部本「えむ」】におぼしけるまゝにそのかみにとりつかせ給ひぬ
女房見かへりてさまあしういかにかくはと申ける声(こゑ)け
はひかほのやうすべて此世のたぐひにあらず天人の
あまくだりたらんもかくやとおぼへさせ給て弥々
しのびあへさせ給はでつよく取とゞめさせ給ひける
を女房あしく引はなちてとをりぬと覚しめしける程
にそのかみきれにけりかたはらいたくあさましくお
ぼす程に御夢さめぬうつゝに御手にものゝかにして
   【柱】古今巻六        〇二十二

   【柱】古今巻六        〇二十二
有を御覧しければ狐の尾(を)也けり不思儀(ふしき)に覚しめし
て大権坊を召て其やうを仰られければさればこそ
申候つれいかにむなしかるまじく候年比/厳重(げんぢう)の験(げん)多(おほ)
く候つれ共是程にあらたなる事はいまだ候はず御
望の事明日/午刻(むまのこく)にかならず叶(かな)ひ候べし此上は
流罪の事は候間敷やと狂(くるひ)申出にけりかつ〳〵とて
女房の装束(しやうぞく)一/襲(くだり)かつけ給けり申すがごとく次日午刻
に御よろこびの事公家より申されたりけるとぞ
摂禄(せつろく)の一番の御まつりごとに大権をば有職(ゆうしよく)に被成
けり件のいき尾(を)はきよき物に入てふかくおさめに

けりやがて其法を習(なら)はせ給てさしたる御望なと
の有けるにはみづから行はせ給けりかならず験あり
けるとぞ妙音院(めうをんいん)の護法殿(ごほうでん)にねられけるいかゞ也
ぬらん其いき尾の外も又/別(べち)の御本尊(こほぞん)有けるとかや
花薗(はなその)のおとゞの御/跡(あと)冷泉(れいせい)東洞院(ひかしのとういん)に御わたり有し
時もほこらをかまへていはゝれたりけり福天神とて
其/社(やしろ)当時もおはしますめり此福天神の不思儀おほ
かる中に寛喜元年の比七条院に式部ノ太夫/国成(くになり)と
いふ者あり越前(えちせん)の目代(もくだい)にて侍しかば其時目代入
道とぞ申ける其子息に左衛門尉なにがしとかや云て
   【柱】古今巻六        〇二十三

四条大納言の家に祇公(しこう)の間夕暮にかの亭(てい)冷泉
万里小路(までのこうぢ)より退出(たいしゆつ)の時/大炊御門(おほいのみかと)高倉辺にてたち
とゞまりてあなおもしろの筝(さう)の音やといひて行も
やらず打かたぶきて面白かりけりそこにある男に
是はきくかといふ更にきかずとこたへければいかにや是
程に面白き筝をばきかぬとて猶/独(ひとり)心をすまして
立たりけり扨家に行つきてやがて胸(むね)をやみ出して
あさましく大事也其うへ物ぐるはしくて西をさしては
しり出んとしければしたゝか成者共六人して取とゝめ
けるに其力のつよき事いふばかりなしたかくおどりあがり

てかしらを下になして肩(かた)を板敷につよくなげければ
只今に身もくだけぬとぞ見へける其時/法源房(ほうけんばう)いまだ
俗(ぞく)にて大炊御門東洞院の山かの中納言/局(つほね)の家の北
対(たい)をかりうけてゐられたりけり此病者が家はたゞ東
にてぞ侍けるそなたへゆびをさしてゆかんとするを
父たがもとへゆかんと思ひてゆびをはさすぞ西(にしに)藤馬(とうまの)助
こそおはすれかれへゆかんと思ふかと問ければ病者うな
づきけりさらばよび申さんはいかにといへば悦たる気しき
にてうなづきけり其時馬助のもとへ行て此やうを
いひければあやしき事也とて則あひ共に病者の
   【柱】古今巻六        〇二十四

   【柱】古今巻六        〇二十四
もとへ行ぬ病者馬助を見てさしも狂ひつるがしめ〳〵
としづまりてみづから烏帽子(ゑぼうし)を取て打かづきてふかく
かしこまりたりあたりに六七人ゐたりける看病(かんびやう)の者
共を次第ににらみけりよにあしげに思ひたりければ
みなのけてげり父の入道ばかりかたすみに引入て居た
りけるを猶あしけに思てにらみければそれをもの
けてげり馬助と只(たゝ)弐人むかひて其気しき殊に事
よく心ゆきたるけしき也猶かしこまり恐たる事/限(かきり)
なし扨馬助何しにめされ候けるぞといへばいよ〳〵ふかく
かしこまりて始て詞を出していひけるは御辺ちかく候

物にて候見参に入たく候てといふ馬助さ候へはめしに
したがふて参候何事も仰られ候へといへば病者あまり
に御筝御比巴御こゑわざなどの承たく候といふ馬助やす
き事に候其道にたづさはりたる身にて候へば人をきら
ふ事なしたゞ聞たがる人を悦につかうまつれば仰に随ふ
べしと則比巴を取寄て引てきかするに打うなつき
〳〵て左右へ身をゆるがして心とけたるさまあらは也
引はてゝ置ければ又御筝の承たく候といふ則いふか
ことくに引けり面白かる事先のごとし其後/朗詠(らうえい)
催馬(さいばら)楽などさま〳〵のこゑわざとも所望に随ひ
   【柱】古今巻六        〇二十五

   【柱】古今巻六        〇二十五
てつくしければあさましくうれしげに思ひたり扨馬助
いひけるは仰に随ひて諸芸(しよげい)共つかうまつりぬ此御
望は幾度成共やすき事也聞度おぼさん時は憚(はばか)り
給べからずかやうによのつねならぬ御気しきならで今
よりはのどまりて仰られよといへば病者又かしこまり
つゝかやうの身がらにてはかくうるはしからては見参の
便宜(べんぎ)候はでといふ馬助左候はゝいとま給はりて罷なん少
物をめし候へかしといへは承伏しけり則白き米をかは
らけに入たるをうちあはひとをおしきに入てとり寄(よせ)
すゝむれは米をうちくゝみてことにはをとよげにから

〳〵とくひけり打あそ【書陵部本「わ」】びをとりあはせて只一両口に
やす〳〵とくいてげり其くいやうも普通(ふつう)の儀にあらず
扨酒をすゝむれは日来(ひころ)はすべて一かはらけたにもえ
のまぬ下戸(げこ)なりけるが大なりし大かはらけにて二度
のみてげり今一度とすゝめて又一度のみつゝ此うへは
さらばとて馬助は帰りぬ去程に暁(あかつき)に及(をよん)て父入道又
来ていふやう御帰の後又くるひ候也さりとては今一度
御渡り候て御覧ぜよといふ則随ひて来ぬ実(げに)も其
狂やうおびたゝ敷おそろしかりけり馬助来ていかに
きやう〳〵に人をばすかさせ給ぞ何事も仰らるゝ
   【柱】古今巻六        〇二十六

   【柱】古今巻六        〇二十六
随ひてもろ〳〵の事ほどこしてきかせ奉りぬ今は御
心ゆきていとまを給はりて帰つれば心やすくこそ思ひ
給にやがていつしかかくおはすべき事かはとはしたなげ
にいひければその事に候猶所望の事共残て候也比巴
には手と申て目出たき事の候ぞかしそれが承たく
候てといふ馬助やすき事さらば一どにはおほせられで
とて則/風香調(ふうきやうてう)平(へう)一/両(りう)引てきかせけりまめやかに
面白げに思て打かたぶき〳〵聞けり其時比巴の手は
きかせ給ぬ筝の調子はいかにこれ程すかせ給たれば
心おちて引てきかせ奉らんとて三段のほりかきあはせ
【縦長楕円印】BnF/MSS

【挿絵】
【縦長楕円印 朱】BnF/MSS
   【柱】古今巻六ノ        〇又廿六

   【柱】古今巻六ノ        〇又廿六
【挿絵】
【縦長楕円印 朱】BnF/MSS

弄梅花といふ撥合(はちあひ)など引てきかせければたな心合
て面白がりけりかくする程に夜すでに明て壁(かへ)の
くづれより日/影(かげ)のさし入たる穴より犬の鼻をふき
て内をかぎけるを此病者見て扇をすへ顔色(がんしよく)かはり恐
おのゝぎたる気しき也こゝにかの福天神の所為と悟(さとり)
て犬を追のけつ其後気しきなをりてげり今は心ゆき
ぬらん罷帰らん見参に入候ぬるうれしく候御社へも参
てものゝねあまたそろへて楽(がく)してきかせまいらすべしと
いへは昔つねに承る事にて其御名残なつかしくて
おそれながら申て候つる也とぞの給ひける扨馬助帰
   【柱】古今巻六        〇二十七

   【柱】古今巻六        〇二十七
ぬ其後病者/打臥(うちふし)申刻(さるのこく)計迄はおきもあがらざりける
此事あはれに覚へて尾張(おはり)の内侍/讃岐(さぬき)などさそひて
かの社に詣て筝(さう)比巴(びわ)引てきかせ奉けるとそ
【266】侍従(じじう)大納言《割書:成通》雲林院(うんりんいん)にて鞠(まり)を蹴(け)られけるに
雨俄にふりたりければ階隠(かいかくれ)の間に立入て階にしりを
かけてしばしはれ間をまたれける程
  雨ふれは軒(のき)の玉水つふ〳〵と
   いはゝや物を心ゆくまて
といふ神歌を口すさまれける程/格子(かうし)の中より
をしあけて女房の声にてこのほどこれに候人の

物のけをわづらひ候が只今御声をうけ給てあくびて
けしきかはりてみえ候にいますこし候なんやとすゝ
めければ沓(くつ)をぬぎて堂(だう)の中へ入て木丁(きてう)の外に
ゐて
  いつれの仏のねかひより千手のちかひそたのも
  しきかれたる草木もたちまちに花さきみ
  なるとときたれはといふ句をくりかへし〳〵
うたひて又
  薬師の十二の誓願(せいくはん)は衆病(しゆひやう)悉除(しつぢよ)そたのも
  しき一経其耳はさておきつ皆令満足す
   【柱】古今巻六        〇二十八

   【柱】古今巻六        〇二十八
  くれたり
これらをうたはれけるにものかげ【「ものかげ」、書陵部本「物の気」】わたりてやう〳〵の事
共いひて其病やみにけりかならす法験(ほうけん)ならねとも
道達(どうたつ)せる人の芸(げい)には霊病(れいびやう)も恐(をそれ)をなすにこそ
【267】天永三年三月十八日御/賀(が)の後宴(ごえん)に舞楽(ぶがく)はてゝ
御遊の時中納言/宗忠(むねたゝ)卿拍子治部卿/基綱(もとつな)卿/比巴(ひわ)中
納言中将/筝(さう)中将/信通(のふみち)朝臣/笛(ふへ)少将/宗能(むねよし)朝臣/笙(せう)
伊通/和琴(わごん)越後守/敦兼(あつかね)篳篥(ひちりき)呂(りよは)安名尊(あなたうと)席田(むしろだ)
鳥(とり)律(りつ)は青柳(あをやき)更衣(かうい)鷹子(をうし)万歳楽主上/催馬(さいはら)楽を
付うたはせ給けるめづらしく目出たかりける事也

おほせによりてさらに又更衣鷹子なと数反(すへん)有ける
興ありける事也
【268】京極太政大臣《割書:宗輔》内裏より罷出給けるに月/面(をも)
白(しろ)かりければ心をすまして車の内にて陵王(れうわう)の乱(みたれ)序(しよ)
を吹給けるに近衛(こんゑ)万里小路(まてのこうぢ)にてちいさき人の陵王
の装束(しやうそく)をして車の前にてめてたく舞みえけり
あやしく覚て車をかけはづして榻(しゞ)にしりかけて
一曲みな吹とをし給にけり曲のをはりに此陵王近
衛より南万里小路より東のすみなる社の内へ入に
けり笛曲も神威有けるにこそやむことなき事也
   【柱】古今巻六        〇二十九

   【柱】古今巻六        〇二十九
【269】舞人/多資忠(おほのすけたゝ)死去の後/胡飲酒(こいんしゆ)採桑老曲(さいさうろうのきう)かの氏に
絶(たへ)にければ久我太政大臣胡飲酒を将曹(しやうさう)多(おほひの)忠方
にをしへ給ひけり採桑老(さいさうらう)はをしふるものなかりけるに
天王寺舞人/秦公貞(はだのきんさた)此曲を伝へたりけれは院の仰
によりて右近/将軍(しやうさう)多近方にをしえてげり
【270】保安五年正月/朝覲(てうきんの)行幸に近方(ちかかた)採桑老をつかう
まつるべきにて有ければ四年十二月一日仙洞にて近
方採桑老をつかうまつりて一院新院御覧ぜられ
けり能俊(よしとし)卿以下御前に候けり近方庭中に出
ける時/楽人(がくにん)公貞/扶持(ふち)しけり舞終て公貞をも

舞せられけり【271】太神元政(おほかのもとまさ)多近方(おゝいちかかた)かもとへ早朝に
来れる事有けり近方いそぎ出合たりけり元政
八幡へまかる使にきと申べき事有て詣てたると
いひけれはしばらくとゞめてはい酌(しやく)なとすゝめける
に元政が云八幡へは罷侍らずけふは元賢に狛(こま)ふえ
ふかせんれうにまいれる也百千の秘事(ひじ)を教(をしへ)たりと
いふ共舞人の御心にかなはざらん笛吹何にても
あるまじ元政年たけて命けふあすともしらず
しかれば是をきかせ申さんと思てけふはぐして参
れり大事あり共たがはずして聞給へといひければ
   【柱】古今巻六        〇三十

   【柱】古今巻六        〇三十
近方興に入て成方(なりかた)并ニ近久(ちかひさ)がいまだ小童(こわらは)にて有
けるをよひ出して舞せて笛を聞けり終日(しうじつ)ふかせ
て拍子をあくる所事をしたゝめき近方ことに感(かんじ)
申けり元政涙をながして悦事かぎりなし扨元政云
右の楽(かく)はけふしたゝまりぬ秘(ひ)曲をばみな伝(つたへ)教(をしへ)候此
うへはおのづから不審(ふしん)ならん事をばいもうとの女房に
いひあはすへしとそいひける件の妹(いもうと)は女房ながら元
政におとらぬもの也/安井(やすゐ)の尼とぞいひける夕霧(ゆふきり)事か
【272】保延元年正月四日朝覲/幸(ぎやうがう)に多(おゝの)忠方/胡飲酒(こいんしゆ)をつ
かうまつりけるに此曲たび〳〵御覧せられつるに今度

ことにすくれたるよしおほやけわたくしさたあり
けり左大臣勅を承りて一/階(かい)をたぶよし仰下されけれは
忠方/再拝(さいはい)して舞て入けりかゝる程に忠方右舞人たり
といへ共左舞を奏して勧賞(くはんしやう)をかうふる左かならす賞(しやう)
を行はれずとも何事かあらんや又/狛光則(こまのみつのり)多/忠方(たゝかた)い
つれ上/臈(らふ)たるぞやのよし儀定(ぎぜう)ありければ左衛門督雅
定卿申されけるは光則忠方同日に勧賞かうふりて
叙爵(じよしやく)す多は朝臣なるによりて内位(ないゐ)に叙(しよ)す狛は
下姓(かせい)によりて外位(ぐわいい)に叙(じよ)す忠方上/臈(らふ)たるべしとぞ
申されけるよく舞によりて賞をかうふる光則よく
   【柱】古今巻六        〇三十一

   【柱】古今巻六        〇三十一
舞はゝ行はるべし幽ならずは行はるへからずと申けり
或は左右ともに行はるべきよしをも申けり光則七旬
に及へり哀(あい)憐(みん)【れんヵ愍ヵ】有けるにやつゐに散手(さんしゆ)を奏する時
一階を給てげりむかしはかく芸(げい)によりて賞(しやう)のさた有
けり近比(ちかころ)より其善悪のさた迄もなくてたゝ一者
になりぬれば左右なく賞を行はるゝ習なれは頗(すこふる)
無念の事也
【273】同三年正月四日/朝覲(てうきんの)行幸に輪台(りんだい)いでんとしける
左楽行事にて大炊御門右府の中将とておはしける
がすゝみ参て輪台の垣代の笙吹/雅楽属(うたのすけ)清方

左近/将曹(しやうさう)時秋/音取(ねとり)を相論(さうろん)のよし奏せられけれは
殿下院に申させ給けり院覚しめしえざるよし仰
有けり殿下左大臣に尋申されければ左府申され
けるは笙事の外に勝劣(せうれつ)有先/例(れい)官(くはん)の上下臈
によらず譜代(ふだい)をえらひ用らるゝ事也もし清方を
用られば笙のためきたなき事也と申されければ殿
下此よしを楽(がく)行事の司に仰られけり是を聞て
中院右大臣の大納言にておはしけるをはしめと
して悦(よろこふ)人々おほかりけりかの右府は時秋が弟子
にておはしける故也
   【柱】古今巻六        〇三十二

   【柱】古今巻六        〇三十二
建長五年正月廿七日八幡行幸の還御(くはんきよ)の次
に鳥羽殿に入らせおはしまして廿八日に朝覲の礼
あり垣代の笛/雅楽(うたの)太夫/戸部政氏(とべのまさうぢ)はふえの一にて
侍れ共左近の将監大神正賢/立(たち)よりてうたへ申て
吹たりしは保延のためしにて侍けるにや戸部氏
こそ本体にて侍しに近代大神氏にほかせをとら
れてかやうに正賢にもこたへられけるにこそ
【274】同三年六月廿三日宇治左府内大臣におはしましける時
院御所ちかゝりける御宿所にて大との筝をおとゝ
権大納言笙六条大夫基通笛にて御あそひあり

けるに孝博月にのりて参りて琵琶を弾しけり天
曙てぞ大納言かへり給ける
同廿六日院御所にて御遊有けり大殿女房右衛門佐
筝新大納言《割書:宗能》孝博(たかひろ)比巴内大臣権大納言《割書:正実》笙
左衛門尉元正笛能登守季行篳篥宮内卿有賢拍
子にて双調(そうてう)盤渉(ばんしきの)調曲を奏せられけり夜ふけて
折櫃のうへに折敷をおきてけつりひ【削氷】をすへて公卿
の前におかれけり院には御台(おんだい)にてぞ供せられける
寝殿(しんでん)の南面にて此あそびは有ける孝博元正は
みぎりのもとにたゝみを敷て候けり夜明る程に
   【柱】古今巻六        〇三十三

   【柱】古今巻六        〇三十三
ぞ出にけるこれほどに道にたれる人々のうちつゞき
管絃の興ありけるいかにめてだかりけんあり
がたきためし也
【275】同五年の宇治の一切経会に雨ふりて四日行はれ
けり大殿(おほとの)尼北政所(あまきたまんところ)内大臣殿御わたり有けり大
殿牙の笛を清延(きよのふ)に吹(ふき)こゝろみさすべきよし仰
られければ内大臣皇宮亮顕親朝臣をして清延
をめしてたびける事はてゝ返上すとて所々こはき
穴候へとも心えてつかうまつり候へは神妙に候也とぞ
申けるつき〴〵しかりけり清延は清正か子笛の

一のものにてぞはへりける
【276】或所にて会遊ありけるに時元笛を吹けるがし
はらくやすみけるに時廉(ときかど)蘇合(そかうの)序を吹(ふき)けり時
元聞てあはれ正念なく吹物かなかゝらんには興
なくやとて笙をはりて中間に両所(ふたところ)かさねてあけ
て吹たりける誠ニ優美(ゆうび)なりけり侍従大納言のいはれ
ける蘇合序は廿拍子なりしかある今の世には
十二拍子を用て残八拍子をばもちゐぬいはれなき
事也舞又たらずそのゆへは舞は手のあひかはる
五拍子也此五拍子をはじめは東にむきて舞次第
   【柱】古今巻六        〇三十四

   【柱】古今巻六        〇三十四
に南に向て舞次に西に向て舞次に北に向
て舞各五拍子を舞也同し手を方をかへて舞也
しかあるを近代は南に向て三拍子北に向て五拍
子をまはさる也といはれけれは舞人光近聞て五
拍子方をかへて舞事またくさる事なしとぞいひ
ける抑(そも〳〵)序/奥(おふ)八拍子はたえて久敷なれりしかるを
かの亜相(あしやう)ひとり伝へられたる事もおぼつかなき事
也されば正元/正(まさし)くつたへたりけるにや此事おぼつかなし
蘇合三四帖共に奏する時/籠(こもり)拍子/両帖(りやうでう)にうたすし
て四帖に用事は頼能/是季(これすへ)時元等の説也しかあるを

季通朝臣いはれけるは蘇合は三帖を肝心とする
がゆへにかならず此帖に打べしとぞ侍りける明暹
宗輔等は両帖共に打べきよし申されけり堀河院
御時御遊有けるに蘇合一具とをされけり三帖を奏
して後宗輔卿奏すべきよしを仰下しけりこれ天
気也けるにや此時の楽人元正以下宗輔の与奪(よだつ)
を聞て此人心おとりすとぞつぶやきける是は三帖
にうたずして四帖にうつべき由を思てさらは三帖
の時とぞいはれめと思てかくつぶやきけるなるべし
此条はいはれなき事にや両帖共に打事是又正説
   【柱】古今巻六        〇三十五

   【柱】古今巻六        〇三十五
也妙音院殿も両帖共に打へき由慥にしるし
おかれたり是によりて其御流をうけたるものみな
両帖にうち侍り宝治三年六月仙洞/御講(ごこう)に蘇合
一具侍しに予太鼓つかうまつりしにも両帖に打
侍き只是法深坊に申あはする所也
【277】知足院殿仰られけるは万秋楽はゆるゝかに吹
へしと人はみなしりけれ共しんじつはせめふせて
吹べき也頼能もさぞ吹けるあひつぎて大納言
宗俊卿もけすらふ時せめふせて吹也
白河院御時新院三条殿にわたらせ給ひしに中門

の廊にて新院件ノ序吹せ給ふに宗能卿御供して
つかうまつる其時も責伏(せめふせ)てぞふかせ給ひける
白河院/寝殿(しんでん)の御簾(ごれん)を褰(かゝげ)て再三御感有て今度
〳〵と仰らるゝ事五六度に及けり故実(こじつ)をしろ
しめして御感有けるとぞいみじき御事なれ
【278】同院筝をひかせ給けるおり初夜のかねはつきぬる
かと御尋有けるに聞たる者なかりけるに釜殿(かまとの)が申
けるは御前のかたにこそかねのこゑは聞え侍つれ
と申けるを人つたへ申けれは我筝はいたりにけり
よき筝はかねのこゑに似たるなりとそ
   【柱】古今巻六        〇三十六

   【柱】古今巻六        〇三十六
おほせられける
【279】鳥羽院八幡に御幸有て御神楽(みかくら)行はれけるに
みつから御笛をふかせ給けり本(もと)拍子徳大寺
左府納言にてとり給けり末(すへ)拍子/按察(あせち)資賢
卿の殿上人にてとられけり備後(びんご)前司(ぜんじ)季兼(としかね)朝臣
庭火(にはび)の本歌をとなへけるに秦兼弘(はたかねひろ)人長(にんちやう)にて
もろ歌を仰すとて外山なるうたふ時おほせける
にも末句をうたはで季兼朝臣しりぞきにける
其説をしらぬこそと世の人いひけり榊(さかき)のふりに
末句をうたはざるは故実にて侍るとなん季兼朝臣

帰洛しけるに誂道(つくりみち)【書陵部本「作道」】にてうしろのかたよりはせ来る物
有けり見帰(みかへり)たれは多(おほひの)近方也はせつきていひける
は穴かしこ此事ちんじ給なたゝしらざるよしにて
おはしますべし若ちんじ給はゞ秘説(ひせつ)あらはれぬべし
とぞいひける兼方がしらざりければ兼弘はしらぬ
はことはり也拍子とりて出たつとき人長輪を
冠(かふり)にかけて引とゞむるとかや是秘説にて侍り
【280】康治元年三月四日仁和寺の一切経会に両院御
幸有けるに入道殿下参らせ給けり春鶯伝を舞
ける時/行則(ゆきのり)申けるは光時/諷踏(ふとう)【書陵部本「颯踏」】急(きう)
声二反を舞
   【柱】古今巻六        〇三十七

   【柱】古今巻六        〇三十七
行則一反を舞第二之/切絶(きりたへ)たり入道殿仰られける
は第二反のたひ則舞べからず是によりて第二反
の時はひざまづきて候けり京極大相国宗輔其時
大納言にて候はれけるが申されける康和(かうわの)御/賀(が)に
光時が曾祖父(そうそぶ)光季第二反たゆるよし申侍きいま
光時二反をまふいかゞもし光季秘蔵しけるにや宇治
左府御記には件の卿もとより光時をにくみていはれ
けるにやとぞかき給て侍るなり
【282】同弐年八月新院/青海波(せいがいは)を御覧じけり垣代(かきしろ)の
不足に武者所(むしやところ)をめしたてられけるに胡籙(ゑびら)をおは

ざりけるをみて舞人光時申けるは白河院御時此
儀有しがは武者所みな胡籙(えびら)を負(おふ)て侍き今其
儀なし世の陵遅(りやうち)ことにおきてかくのごとし其後又
此舞を御覧じける時には武者所に仰て胡籙
をおふたりけるは光時か一言/上聞(じやうぶん)に及けるにや
光時に御馬をぞ給はせける
【282】久安三年九月十二日法皇天王寺御幸有けり
内大臣御供に候はせ給ひけり十三日念仏/堂(だう)にて
管絃有けり歌并笛資賢笙内大臣篳篥
俊盛朝臣但不堪のよしを申てふかざりけり比巴
   【柱】古今巻六        〇三十八

   【柱】古今巻六        〇三十八
信西筝/六波羅(ろくはら)別当/覚暹(かくせん)法皇笛をふかせおは
しますとて沙門の身にて此事あざけりあるべし
とて障子(しやうじ)にゐかくれさせおはしましけり御出家(こしゆつけ)の
後此たびはじめてふかせおはしましけり先ツ双調(ソウテウ)
鳥ノ破(ハ)同/急(キウ)賀殿急(カテンノキウ)安名尊(アナタウト)妹与我(イモトワレ)次ニ平調万歳楽
慶雲楽(ケイウンラク)三台ノ破(ハ)同/急(キウ)五常楽同ク急/扶南(フナン)老君子/廻(クハイ)
忽(コツ)甘州(カンシウ)陪臚(バイロ)伊勢ノ海/我門(ワカカト)更衣/浅(アサ)水/梢(コズヘ)【書陵部本「浅水橋」】鴛鳬(ヲシカモ)盤(ハン)
渉(シキ)調秋風楽《割書:初一帖|後二三帖》
鳥向楽(テウカウラク)万秋楽《割書:一帖》蘇合(ソカウノ)《割書:三五|帖》急(キウ)採桑老(サイソウラウ)蘇真者(ソシンシヤ)【書陵部本「蘇莫者」】
破(ハ)青海波(セイカイハ)竹林(チクリン)楽《割書:二三|帖》拍柱(ハクチウ)千秋楽此外/催馬楽(サイバラ)

有けるとかや朗詠今様風俗など数へん有けり
資賢(すけかた)朝臣ぞつかうまつりける朗詠は法皇/御発言(ごはつごん)
有けるとぞ其後としよりあそん読(どく)経つかうまつり
けり人々興にせうじて覚暹(かくせん)信西/楊真操(やうしんそう)弾(たんし)けり
法皇のおほせに資賢は催馬楽(さいはら)のみちの長者なりと
えいかん有けるは此たびの事也いかにめんぼくに思ひ
けん
【283】同三年十一月卅日院にて舎利講(しやりこう)を行はれけり人々
参て後信西をもて平調/盤渉(ばんしき)調のあいた定め申
べきよしおほせられけれは内府は此道にふかからず
   【柱】古今巻六        〇三十九

   【柱】古今巻六        〇三十九
とて定め申されず左大将《割書:雅定》中の御門(みかと)の大納言《割書:宗輔》
ぞ平調よろしかるべしと申されける侍従中納言《割書:成道》
は盤渉調(ばんしきてう)たるべき由申されけるとかや平調たるべき
よし勅定有けり内大臣左大将笙侍従中納言左衛門
督ふえ季行朝臣ひちりき読(とく)経ありけり大納言
伊通卿朗詠せられけり右衛門かみ《割書:公教》季兼朝臣い
まやうをうたふ次/壱越調(いちこつてう)又盤渉調曲などもあり
けり左大将/多近方(おほひちかかた)に命(めい)じて国風をうたはせられ
けり扨も今度万歳楽三反有けるにその第三反に
雅楽大夫清延なを半帖をもちゐたりける人あや

しみとしけり
【284】同六年十二月大宮大納言隆季卿殿上人の時左近
府の抜頭(はとう)の面形(をもてかた)を借請(かりうけ)ておかれたりけるに八日の
夜の夢にかちかふりしたるもの来りて彼面形はや
く府にかへすべし久敷わたくしにをく事なかれと
いふと見てさめにけりおどろきて其面形を見けれ
ば裏(うら)の銘(めい)に右相撲司延暦廿一年七月一日/造(つぐる)と書
たりおそれおのゝきてやがて府にかへされにけり

古今著聞集巻之六終
【縦長楕円印 朱】BnF/MSS
   【柱】古今巻六        〇四十終

【裏表紙】

【背。ラベル 横書き。「總」は青字、「上」は朱字】總上/5/54

【表紙題箋】《題:古今著聞集 《割書:七》》

【表見返し】

古今著聞集巻第七
  能書(のうしょ)《割書:第八》
【285】尺牘(せきとく)の書疏(しよそ)は千里の面目なりといへり凡/六文(むつのぶん)八
体(てい)のすがたをあらはす輩(ともから)驚鸞(けうらん)反鵲(へんしやく)のいきほひ
をならふ人わずかに一字の跡をのこしてはるかに万
代のほまれをいたすもろ〳〵の芸能(げいのふ)の中に手跡(しゆせき)
まことにすくれたり
【286】嵯峨(さが)天皇と弘法(こうばう)大師とつねに御手跡をあらそは
せ給ひけりある時御手本あまた取(とり)出させ給ひて
大師に見せまいらせられけり其中に殊勝(しゆせう)の一巻
【蔵書印:朱 陽刻 方形 単郭 篆書体】
《割書:平戸藩|蔵書》
【蔵書印 朱 陽刻 正方形 単郭 篆書体】
《割書:楽歳堂|図書記》
【蔵書印 朱 陽刻 正方形 単郭 篆書体】
《割書:子孫|永宝》
【縦長楕円印 朱】BnF/MSS
   【柱】古今巻七        〇一

   【柱】古今巻七        〇一
有けるを天皇おほせこと有けるは是は唐人(とうしん)の手跡
也其名をしらずいかにもかくはまなびがたし目出たき
重宝(てうほう)なりとしきりに秘蔵(ひそう)有けるを大師よく〳〵いは
せまいらせてのち是は空海(くうかい)がつかうまつりて候物をと
奏(そう)させ給たりければ天皇さらに御信用なし大きに
御不/審(しん)有ていかでかさる事あらん当時かゝるやうに
はなはだ異(い)するなりはしたてゝ及べからずと勅定有
ければ大師御不審まことに其いはれ候/軸(ぢく)をはな
ちてあはせめを御/叡覧(えいらん)候へしと申させ給ひければ
則はなちて御覧するに其年其日/青龍(せうりう)寺におゐ

て書_レ之/沙門(しやもん)空海と記(しる)せられたり天皇此時御/信仰(しんかう)
有て誠にわれにはまさられたりけりそれにとりい
かにかく当時のいきおひにはふつとかはりたるぞと
たつね仰られけれは其事は国によりて書/替(かへ)て
候也/唐土(とうど)は大国なれは所に相応(さうをう)していきをひかくの
ごとし日本は小国なればそれにしたがひて当時の
やうをつかうまつり候也と申させ給ひければ天皇
大きにはぢさせ給て其後は御手跡あらそひもな
かりけり
【287】大内十二門の額(かく)南/面(をもて)三門が弘法大師西面三門は
   【柱】古今巻七        〇二

   【柱】古今巻七        〇二
大内記(たいないき)小野/美材(よしき)北の三門は但馬(たしまの)守/橘逸勢(たちはないつせい)各々【名々ヵ】
勅を承て垂露(すいろ)の点(てん)をくだしけり東面三門は嵯峨(さがの)
天皇かゝせおはしましけるまことにや道風(とうふう)朝臣大師
のかゝせ給たる額(がく)を見て難(なん)じていひける美福(びふく)門は
田(た)広(ひろ)し朱雀(しゆしやく)門は米雀(べいしやく)門と略頌(りやくじゆ)につくりてあざけ
り侍ける程にやがて中風(ちうぶ)して手わなゝきて手跡も
異(こと)やうに成にけりかゝるためしおそれられけるにや
寛弘年に行成(こうせい)卿美福門の額の字を修飾(しゆしよく)すべき
よし宣旨(せんじ)を蒙(かうふ)りける時は弘法大師の尊像(そんそう)の御前
に香花の具(ぐ)をさゝげて驚覚(けうかく)して祭文(さいもん)をよまれ

けり件の文は江以言(えのもちとき)ぞ書たりける
  恐 ̄クハ拘(カヽハルコトヲ)_レ辞_二 ̄スルニ明詔之朝章_一 ̄ヲ今蒙_二 ̄リテ明-詔_一 ̄ヲ而欲_レ ̄スル下 ̄サント
  _レ墨 ̄ヲ則(トキハ)疑 ̄ハクハ有_レ黷(ケガレ)_二聖(セイ)跡 ̄ノ冥(メイ)譴(ケンニ)_一更 ̄ニ憚_二 ̄テ聖跡_一 ̄ヲ而/将(マサニ)【左ルビ「スレハ」】
  _レ閣(サシヲカント)_レ筆 ̄ヲ亦恐 ̄クハ拘_レ辞【「拘辞」の右ルビ「カヽハランコトヲ」】_二明詔之朝章_一 ̄ヲ晋退(シンタイ)慚(ハヂ)_レ心 ̄ニ
  胡(コ)尾(ビ)失(シツス)_レ歩 ̄ヲ伏 ̄テ乞(コイネカハクハ)尊像示_二 ̄シタマヘ以 ̄テ許(ユルスヤ)否(イナヤヲ)_一若 ̄シ可_レ許
  可_レ請 ̄ク者 ̄ハ尋_二 ̄テ痕跡(コンセキヲ)_一而添(ソヘン)_二粉墨(フンボクヲ)_一若不_レ許不_レ ̄ン請
  者 ̄ハ随_二 ̄テ形-勢_一 ̄ニ而/廻(メクラセ)_二思慮(シリヨ)_一王事/靡(ナシ)_レ盬(モロイコト)盍(ナンソ)【左ルビ「サラン」】_レ鑒(カンカミ)_二於
  此(コノ)尚(シヤウ)饗(キヤウヲ)_一
とぞかゝれて侍りける此門とも或は焼失(せうしつ)しあるひは
顛倒(てんとう)してはわづかに安嘉(あんか)待賢(たいけん)門のみぞ侍りける実(げに)
   【柱】古今巻七        〇三

   【柱】古今巻七        〇三
や此安嘉門の額はむかし人をとりけるおそろし
かりける事かな
【288】延喜の聖主(せいしゆ)醍醐(たいご)寺を御/建立(こんりう)の時道風朝臣に額
書参らすべき由仰られて額二枚を給はせけり一枚は
南(なん)大門一枚は西門の料(りやう)也/真草(しんそう)両様にかきて奉べき由
勅定有ければ仰にしたがひて両様に書てまいらせ
たりけるを真に書たるは南大門の料なるべきを
草の字の額をはれの門にうたれたりけり道風是を
見てあはれ賢王(けんわう)やとぞ申ける其故は草の額殊に
書すましておぼえけるが叡慮にかなひてかく日/比(ころ)

の義あらたまりてうたれけるまことにかしこき御はから
ひなるべしそれをほめ申なるへし
【289】知足(ちそく)院入道殿/法性(ほうせう)寺殿と久安(きうあん)の比より御中心
よからずおはしましける時法性寺殿まいらせ給たり
けるにこゝろみ申されんれうにや四枚/屏風(ひやうぶ)を一/帖(てう)
召寄させ給ひて是に物書て給へと申されたりける
に御/硯(すゝり)引よせさせ給て墨をしばしすらせ給て
中にもちいさかりける筆をとらせ給て紫蓋之(しかいの)峰(ほう)
嵐疎(らんそなり)と三/句(く)を大文字にて四枚に書みてさせ給
てまいらせられたりけりは禅閣(ぜんかう)御覧じてこれは
   【柱】古今巻七        〇四

   【柱】古今巻七        〇四
重物なりとてやがて宝蔵に収(おさめ)られけるとぞ
【290】大納言なる人の若公(わかきみ)を清水寺の法師に養(やしな)はせ
けり父もしらざりければ母のさたにてやしなはせ
けるに乳母(めのと)法師になして清水寺の寺僧になして
名をは大納言別当とぞいひけるこちなかりける
名のりかし件の僧以の外に能書をこのみて心
計はたしなみてわれはとぞ思たりける当寺の額
は侍従大納言/行成(こうせい)の書給へる也年ひさしく成て
文字みなきえて計見ゆるに此大納言大別当文
字のみな消うせぬとき我/修復(しゆふく)せんといへは古老

【挿絵】
   【柱】古今巻七ノ        〇又四

   【柱】古今巻七ノ        〇又四
【挿絵】

の寺僧等さしもやんごとなき人の筆跡をばいかゞ
たやすくとめ給はんとかたふきあひければいか成/聖跡(せいせき)
重宝(てうほう)成共あとかたなく消(きへ)うせんには何の益(ゑき)かあら
ん別してわたくしの点をもくはへばこそ憚(はゞかり)もあらめ
かたばかりも其跡のみゆる時もとの文字の上をとめ
てあざやかになさんは何の難(なん)かあらんふるき仏にもは
くをばおすぞかし抔(など)いへば誠にさも有とてゆるしてけり
其時額をはなちてあらたに地(ぢ)彩色(さいしき)して文字の上
とめてげりかゝる程に次の日俄に雷電(らいでん)おびたゝしく
して額を雨そゝぎみな墨を洗(あら)ひて只もとのやう
   【柱】古今巻七        〇五

   【柱】古今巻七        〇五
になしてけりふしぎの事也いかなるよこ雨にもかく
額のぬるゝ事はなきにそのうへたとひ雨にぬれん
からにやがてすこしもとにたがはずさいしきも文字
も消うすへき事かは是はたゞ事にあらずおそろし
きわざなりといひてのゝしる程に四五日をへてかの
大納言大別当/夭亡(ようもう)しにけるとなん
【291】法深房(ほうじんばう)が持仏堂(ちふつたう)をは楽音寺(がくをんし)と号(こう)して管絃(くはんげん)の
道場(とうじやう)として道をたしなみける輩たへず入来の所
也後には阿釈妙(あしやくめう)楽音寺と三字をくはへてちい
さき額を書てほとけの帳に打たる也あみだ尺迦

妙音天などを安/置(ち)して常(つね)に法花経を転読(てんとく)し
て音楽を供する故にかくは名付たるなり件の額/誂(あつらへ)
申さんが為に建長三年八月十三日/綾小路(あやのこうし)三位入道/行(ゆき)
能(よし)の本へむかはれたりければ禅門日来/所労(しよろう)にて侍
けるが其比ことに大事にて立居る事だにかな
はざりければふしたる所へ請(しやうし)入てねながら対面
せられけり所労の体まことに大事げなりけり
腹ふくれていきどをしきとて物いはるゝも分明
ならざりけるがかくしていはれけるは今日/病床(ひやうしやう)へ
入申てねながら見参する事は其憚侍れども
   【柱】古今巻七        〇六

   【柱】古今巻七        〇六
かつは最後(さいご)の見参也御わたり珍敷うれしく侍る
さるにても来り給へるゆへ何の料にて侍るぞと
とはれけれは法深房こたへられけるは凡かく程の
御事にておはしましけるつや〳〵しり奉らずいさゝか
所望の事侍りてまうでつれども此御やう見まいらせ
ては更に其事思ひよるべからず今御/平癒(へいゆう)の時こそ申
さめといはれければ禅門所労はさる事なれ共只仰
られよたま〳〵の見参にいかでかとしゐていはれ
ければ法深房此額の事をいはれてげりその時
禅門大におどろきて掌(たなこゝろ)をあはせ涙をながして

不可思議の事に侍りとてかたられけるは先年近江
国より僧来て申事侍きあさましふるく成たる
寺あり其寺を少もあがめ興隆(こうりう)すれば魔(ま)妨(さまたけ)をなし
て住僧も怖畏(ふい)をなし田園(でんえん)をも損亡(そんもう)せしむる事
年おゝつてはなはだしき也此事をまのあたりみ
ればそのおそれ侍れ共たちまちに荒廃(くわうはひ)せん事
かなしく侍れば猶興隆の思ひあり額書て給へと申
侍りしかば則書てあたへ侍りき其後四御年を
へて件の僧又来て申侍しは此額を打てより魔(ま)
の妨(さまたけ)なし住僧も安/堵(ど)し寺領も豊饒(ふにやう)也喜悦の
   【柱】古今巻七        〇七

   【柱】古今巻七        〇七
思ひをなすところに此額のゆへなりと夢想(むさう)のつげ有
此事のかたじけなさに参て事の由を申入侍也とて
掌(たなこゝろ)を合てさり侍りき然るに去八日此病につかれて
ふしたるにあかつきに及て夢に見るやう天人と思(おほ)
しき人額をもちて来りて此額の文字損じたる
なをして給へとてたぶと見れば先年書たりし近江国
の額也げにも文字せう〳〵消たる所あり夢の中
になをして奉りつ天人悦けしきにて帰り給はん
とするが見かへりて今五十日がうちに又額あつらへ奉
べき人有必書給へし一仏浄土の縁(えん)たるべき也とて

さりぬと思ふ程に夢さめぬ此事によりて心の中に
日ごとに相待ところにけふ五十日/満(まん)也然るに此額あつ
らへたまふ是一仏浄土のえん也やがて書侍べきに
この額におきては精進(しやうじん)して書侍べしいかにもこれ
書はてん迄はよも死(しに)侍らじとてなく〳〵随喜せられ
ける也抑/天下(あめかした)に道にたづさはる人おほけれ共御/辺(へん)
の道におきては又/対揚(たいよう)なしそれにつきては我道(わかみち)こそ
侍けれ其故は今度/閑院(かんゐん)殿/遷幸(せんかう)に年中行事/障子(せうじ)
を書べきよし宣下(せんけ)せられたりしを入道は此/所労(しよらう)の間
かなはず経朝(つねとも)朝臣は訴訟(そしやう)によりて関東に下向す
   【柱】古今巻七        〇八

   【柱】古今巻七        〇八
これによりてふるき障子を用らるべきよし其さたあり
けるを武家に其儀不_レ可_レ然いかやう成共かの家の子孫
かき進すへき也と申によりて経朝(つねとも)朝臣が子(こ)生年
九才の小童(こわらは)かたじけなく勅定を承て書進ぜ
をはんぬ是をもて是を思ふに御辺の道(みち)と入道か道(みち)と
こそならぶ人なかりけれと自讃(じさん)せられ侍也世に
管絃者おほかれとも誰(たれ)か御辺とひとしき人有手
かき又おほけれ共/朝(てう)の御太事にあふもたゞ此家
計也さればかゝる夢想も有て一仏土の縁(えん)と成申
べきにこそとて感涙(かんるい)をたるゝ事かぎりなしこのこと

さらにうける事にあらず法深房かたり申されしうへ
三位入道このことをしるしたる状に判を加(くは)へて法深
房のもとへおくりたる状をかき侍也
【292】行成(こうせい)卿いまた殿上人の比殿上にて扇(おふぎ)合と云事
ありけるに人々珠玉をかざり金銀をみがきて我
おとらしといとなみあへりけるかの卿はくろくぬりたる
ほそぼねに黄(き)なるかみはりて楽府(がくふ)の要文(ようもん)を真草
に打まぜてところ〴〵かきていだされたりける御(み)門
御覧ぜられて此扇こそいづれにもすぐれたれとて
御前にとゞめられけるとかや彼卿の孫に帥(そつの)中納言
   【柱】古今巻七        〇九

   【柱】古今巻七        〇九
伊房とておはしけるもいみじき手書也けり春日大明
神の示現(じげん)によりて御経蔵といふ額を一枚かきて
おき給たりければ只今うつべき経蔵もなければ
いまあるやうあらんずらんとて置たりける程に帥(そつ)も
うせ給てのち遥(はるか)に年月へだゝりて思の外に公家
より一切経を安置(あんち)してまいらせられける時たれか額
をは書べきとさた有けるに彼(かの)帥(そつ)の子孫の中より
かゝる事有てかの帥(そつ)書(かき)をける額ありとて出された
りければうたれけるこそ神慮(しんりよ)にかなひて有ける
事やんことなくおほゆれ

むかし佐理(さり)大弐/任(にん)はてゝのぼられけるにみち
にて伊よの三島明神の託宣(たくせん)ありてかの社の額
かゝれたりけるも目出たかりけり
【293】弘法大師は筆を口にくはへ左右の手に持左右
の足にはさみて一同に真草の字をかゝれけり
さて五筆和尚とも申なるとかやふしぎなるこ
となり

   術道(じゆつどう)《割書:第九》
【294】術道一にあらずその道まち〳〵にわかれたり推古天(すいこてん)
   【柱】古今巻七        〇十

   【柱】古今巻七        〇十
皇(わう)十年/百済(はくさい)国より暦(れき)本天文地理/方術書(はうじゆつのしよ)を
奉りてより此かた道をならひ伝て今にたゆる事
なし其中に秘術しるしをあらはして奇異(きい)多(おほ)く
聞ゆくはしくしるすにいとまあらず
【295】御堂(みどうの)関白殿御物/忌(いみ)に解脱寺(げだつし)僧正観修/陰陽師(をんやうし)
晴明(せいめい)医師(いし)忠明(たゝあき)武士/義家(よしいへ)朝臣参/籠(らう)して侍けるに
五月一日/南都(なんと)より早瓜(はつうり)を奉たりけるに御物忌の中
に取入られん事いかゞあるべきとて清明(せいめい)にうらなは
せられければ清明うらなひて一つの瓜に毒気(とくき)さふら
ふよしを申て一をとり出したり加持せられば毒気/顕(あらは)

れ侍べしと申ければ僧正に仰て加持せらるゝに
しばし念誦の間(ま)にそのうちはたらきうごきけり其時
忠明に毒気治すべきよし仰られば瓜を取まはし
〳〵見て二所に針(はり)を立てげり其後瓜はたらかず成
にけり義家に仰て瓜をわらせられければ腰刀(こしかたな)をぬ
きてわりたれば中に小蛇(こへび)わだかまりて有けり針(はり)は
蛇(へひ)の左右の眼(まなこ)に立たりけり義家何となく中をわ
ると見へつれども蛇の頭(かしら)を切たり名をえたる人々
のふるまひかくのごとしゆゝしかりける事也この事
いづれの日記にみえたりといふ事をしらね共/普(あまね)く
   【柱】古今巻七        〇十一

   【柱】古今巻七        〇十一
申伝へて侍り【296】陰陽師/吉平(よしひら)《割書:清明子》医師/雅忠(まさたゝ)と酒(さけ)を
のみけるに雅忠/盃(さかつき)をとりてうけてしばしもたれけるを
吉平みて御酒(みき)とくまいり給へ只今ないのふり候はん
するぞといひけり其ことばたがはずやがてふりければ
酒がふときてこぼれにけりゆゝしくぞかねていひ
ける也
【297】九条大/相国(しやうこく)浅位(さんい)の時なにとなく后(きさき)町の井を
立よりて底(そこ)をのぞき給ける程に丞相(せうしやう)のあひ
見へけるうれしくおぼして帰りて鏡(かゝみ)をとりて見
給ければその相(さう)なしいかなることにかとおぼつか

なくて又大内にまいりて彼井をのぞき給ふにさき
のごとく此相見へけり其後しづかにあんじ給にかゞみ
にてちかくみるにはその相なし井にて遠くみるに
は其相あり此事大臣にならんずる事とをかるべし
つゐにむなしからんと思ひ給けりはたしてはるかに
程へて成給にけり此おとゞはゆゝしき相人にておはし
ましけり宇治のおとゝもわざと相せられさせ給
けるとかや
【298】宇治大/宮司(ぐうじ)なにがしとかや癩病(らいひやう)をうけたる由聞へ
有て一/門(もん)の者共/改補(かいふ)せらるべきよし訴(うつた)へ申ければ
   【柱】古今巻七        〇十二

   【柱】古今巻七        〇十二
大宮司はせのぼりて医師(いし)にみせられて実否(じつふ)をさだ
めらるべきよし奏(そう)し侍ければ和気(わけ)丹波(たんば)のむねと
あるともがらに御尋有けり中原/貞説(ていせつ)もおなしく召
に応(おふ)じて御尋に預りけり各(おの〳〵)白(びやく)らいといふ病のよしを奏(そう)
しけり療治(りやうぢ)すべきよしの勘文奉るへきよし仰下されければ
めん〳〵に罷出てしるして参らすべき由申けるに
貞説申けるは非重代(ならざるぢうだい)の身にて一巻の文書のたく
はへなし知りて侍る程の事は当座にて考(かんがへ)申べし
とて則しるし申けりもろ〳〵の医書共皆/悉(こと〳〵)く引
のせてゆゝしく注(ちうし)申たりければ叡感(えいかん)有て申うくる

に随て和気の姓(せい)を給はせける後には諸陵正(みさゝきのかみ)に
成て子孫いまにたへず
【299】野々宮左府おさなくおはしける時母儀さまをやつし
てぐし奉て播磨(はりま)の相人とてめいよの者ありけるに
行て相を見せさせられけり相人よく〳〵見申て必一に
いたり給べきよしを申けり母儀あらがひて是はさ程
の位にいたるべき人にあらずさふらひ程の子にて侍
なりとの給ひければ相人申けるはまことに侍(さふらい)にておはし
まさは検非違使(けびいし)などに成給べきにやいかにも大臣の
相おはします物をと申けり後徳大寺(ごとくだいじ)左大臣の末の
   【柱】古今巻七        〇十三

   【柱】古今巻七        〇十三
子にておはしけるがこのかみみなうせ給て家をつきて
大将をへて左右大臣一位にいたりて天下の権(けん)をとり
給けるゆゝしく相し申たりける也此事をおとゝ聞
たもち給て相をならひて目出たくし給ひける
とぞわか寿(ことふき)限なとをもかゝみを見て相してかねて
しり給たりけるとそ
【300】後鳥羽院御/熊野詣(くまのまうて)有けるに陰陽/頭(かみ)在継(ありつく)を召供(めしぐ)
せられけるに毎日御/所作(しよさ)に千手経を被_レ遊ける件の
御経を御経箱に入られたりけるを取出されけるに
その御経見へすいかにもとむれ共なかりければ
【縦長楕円印 朱】BnF/MSS

在継(ありつく)をめしてうらなはせられけるにいかにもうせざる
よしを申て猶よく〳〵もとめらるべしあやまりていまだ
箱の内に候ものをと申けり其後又もとめられけ
れば御経箱のふたに軸(ぢく)つまりてつきたりけるを
え見ざりけり叡感(ゑいかん)ありて御衣(ぎよい)を給はせけるとなん
【縦長楕円印 朱】BnF/MSS



古今著聞集巻之七終
   【柱】古今巻七        〇十四終

【裏表紙】

【背。ラベル 横書き「總」は青字】總/5/54

【表紙題箋】《題:古今著聞集 《割書:八》》

【表見返し】

古今著聞集巻第八
  孝行(こうこう)恩愛(おんあい)《割書:第十》
【301】孝 ̄ハ者天 ̄ノ之/経(ツネ)也地之/宜(ヨロシキ)也人之行也故 ̄ニ有_二 ̄テヨリ天地人民
以来(コノカタ)斯(コノ)道/著実(イチシルシ)蓋 ̄シ乃立_レ身 ̄ヲ揚(アクル)_レ名 ̄ヲ之本 ̄ト五常百行 ̄ノ 
之/先(サキ)也父/雖(イヘトモ)_レ不(スト)_レ父(チヽタラ)子(コ)不(ス)_レ可(ヘカラ)_二以 ̄テ不(スンバアル)_一レ子(コタラ)孝之/至深(シイジン)尤 ̄トモ可(ヘシ)
_レ貴(タツトフ)_レ焉(コレヲ)
【302】式部大輔大江/匡衡(まさひら)朝臣/息(そく)式部権大輔/挙周(たかちか)朝臣
重病を受てたのみすくなく見へければ母/赤染(あかそめ)衛
門住吉に詣て七日こもりて此度たすかりがたく
はすみやかにわが命にめしかふべしと申て七日に
【縦長楕円印 朱】BnF/MSS
   【柱】古今巻八        〇一

   【柱】古今巻八        〇一
みちける日御/幣(へい)のしでにかきつけ侍ける
  かはらんといのる命はおしからて
   さてもわかれんことそかなしき
かくよみて奉けるに神感有けん挙周(たかちか)が病よく
成にけり母下向して悦ながら此やうを語に挙周
いみじく歎て我いきたり共母をうしなひては何の
いさみかあらんかつは不孝の身なるべしと思て住吉に
詣て申けるは母われにかはりて命をふるべきならば
すみやかにもとのごとくわが命をめして母をたすけ
させ給へと段々いのりければ神あはれみて御た

すけやありけん母子共に事ゆへなく侍けり
【303】六条右大臣/隆俊(たかとし)中納言と大内を見ありき給ひ
けるに大内には子孫の殿上人具せざる人ははだし
にて庭をあゆむ所のあんなるに久我(くがの)大相国幼少
の時両人の沓(くつ)を懐(くわい)中してかの所にてはかせられけり
幼少の人外/祖父(そぶ)をも思ひすてられざりける事有
がたき事也/隆俊(たかとし)卿/感涙(かんるい)をながして母儀のもとに
行てよろこび申されけるとなん
【304】京極大殿の北政所(きたのまんところ)例(れい)ならぬ事おはしましけるに
六条右府御とふらひに参給て則院へ参り給ひ
   【柱】古今巻八        〇二

   【柱】古今巻八        〇二
けるに御/対面(たいめん)有て世間に何事かあると仰られ
けれは関白の北政所の不例のとふらひに罷向ひて候
つるに病者のかたはらなげしのしりに大臣三人候
つる以外の事也と申されけれはこれらにさほどの
事は有がたしとぞ御返事ありけるまことにゆゝしかり
ける事なり堀河左大臣六条右大臣は北政所の御
せうと也後二条殿は御子にておはします其時は内
大臣にてぞおはしける
【305】軼人/監物(けんもつ)頼能(よりよし)重病をうけたりける時大納言重(しげ)
通(みち)卿みつから行向てとふらはれけり大方/精進(しやうしん)せら

れざりける人の頼能(よりよし)早世(さうせい)の後は其/忌(き)日ごとに魚肉(きよにく)
を食せられさりけり夢中に頼能/清談(せいだん)する事其数
をしらす多かりけり
【306】後白河院/在藩(さいはん)の御時保延五年十二月七日/待賢(たいけん)門
院の御所三条殿にて御/元服(げんぶく)有けり仙院も御座有
けり左大臣ぞ加冠(かくはん)はし給ひける御遊の笙(せう)の事内大
臣に仰られけるに去四日/春宮(とうぐうの)大夫/師頼(もろより)卿うせら
れにしいく程もなくて笙を吹ん事はゞかり有とて
手に所労(しよらう)のよしを申されて吹給はざりけり漢書説(かんじよのせつ)は
近代よみ伝へたる人まれに侍にかの大夫/江家説(こうけのせつ)
   【柱】古今巻八        〇三

   【柱】古今巻八        〇三
をつたへられければ内府(だいふ)習給けり師をおもんずるれ
いいみじくぞ侍る
【307】師能(もろよし)弁/漢書(かんじよ)の文帝記(ふんていのき)おきうしなひて歎(なげ)き思ひ
けるに先親(せんしん)春宮(とうぐうの)大夫《割書:師頼》夢の中にかの書の有
所を告られたりけり次日其所より求(もと)め出して侍り
けりあはれなる事也_二
【308】宇治左府御記に頼長(よりなか)初以_二 ̄テ母 ̄ノ賎(イヤシキヲ)_一無_二寵愛(テウアイ)_一而及_レ長(ヒトトナルニ)誦(ヨミ)_二_
習九経_一 ̄ヲ嗜(スキ)_二-好五音_一 ̄ヲ不_二請_レ酒 ̄ヲ不_三事_二 ̄トセ遊戯(ユケヲ)_一是以禅閤
及_レ ̄テ吊 ̄ルヽ以為_二家宝_一 ̄ト尊重/甚(ハナハタ)《割書:云| 々》かゝる御覚へにて
おはしましけるゆゝしき御孝養なりし御母は陸奥(みちのくの)

守(かみ)信/雅(まさか)女也御/童(わらは)名太郎御前とぞ申ける久安の
ころ法性寺どの摂(せつ)禄にておはしましけるを宇治左
府にゆつり奉るへきよし知足院殿御/結講(けつかう)有けれ共
申ゆるさゞりけり氏(うぢの)長者には左府つゐに成給ぬ内
覧の宣旨もかうふらせ給てゆゝしかりけり法性寺
殿御うらみふかくて兄弟の御中心よからざりけりと
なん其後殿下左府院の拝礼にまいりあひ給ひ
たりけり人めをおどろかしけり
【309】建(けん)春門院は兵部大輔時信が女(ムスメ)也小弁とて後白河院
にさふらはせ給けり御/寵愛(てうあい)ありて高倉院をうみ
   【柱】古今巻八        〇四

   【柱】古今巻八        〇四
奉らせ給にけり東宮にたゝせ給て仁安三年御/譲(くに)
位(ゆつり)有けり御/即位(そくゐ)の日女院皇太/后宮(こうくう)に立給ひて
後/朝覲(てうきん)の行幸有けるに宮/簾(れん)中におはしますを
主上拝し参らせさせ給けるをむかし肩(かた)をならべ
まいらせられたりける上/臈(らう)女房たれとかや宮の
御そばへ参て此御目出たさをはいかゞ覚しめすと問
参らせられければさきの世の事なれば何共覚へず
とぞ仰られけるゆゝしかりける御こゝろなるべし
【310】法/深房(じんはう)当公たの【「当公たの」は書陵部本「当道の」】秘事(ひじ)口伝/故実(こじつ)のこる事なく
書て二女/尾張(をはり)内/侍(し)にさづくとておくにかくぞ

かきつけ侍ける
  わするなよわが四(よつ)の諸(を)はよるのつるの
   子の道にこそねをはおしまね
この以後抄入_レ之
【311】昔/元(げん)正天皇の御時/美濃(みのゝ)国にまづしくいやしき
おのこ有けり老たる父をもちたりけるを此男
山の木草をとりて其あたひをえて父を養(やしなひ)けり
此父朝夕あなかちに酒をあひしほしがりければ
なりひさごといふものをこしにつけて酒うる家に望て
つねにこれをこひて父を養ある時山に入て薪(たきゝ)を
   【柱】古今巻八        〇五

   【柱】古今巻八        〇五
とらんとするに苔(こけ)ふかき石にすべりてうつぶしに
まろびたりけるに酒の香(か)のしければ思はずにあやし
くて其あたりを見るに石の中より水ながれ出る所有
その色酒に似たりければくみてなむるに目出たき
酒也うれしく覚て其後日々に是を汲(くみ)てあくまで
父をやしなふ時にみかど此事を聞召て霊亀三年九
月日其所へ行幸ありて叡覧(えいらん)ありけり是則/至老(しいかう)
の故に天神地祇あはれひ其徳をあらはすと感(かん)ぜさせ
給て美濃守になされにけり家ゆたかに成ていよ〳〵
孝養の心ふかゝりけり其酒の出る所を養老(やうらう)の滝(たき)と

名付られけりこれによりて同十一月に年号を養
老とあらためられけるとぞ
【312】白河院御時天下/殺生禁断(せつしやうきんだん)せられければ国土に
魚鳥(うをとり)の類(たぐい)絶(たへ)にけり其比まづしきかりける僧の年
老たる母をもちたる有けり其母魚なければ物を
くはざりけりたま〳〵求えたるくひ物もくはずしてやゝ
日数ふるまゝに老の力いよ〳〵よはりて今はたのむかたなく
見へけり僧かなしみの心ふかくしてたつね求(もとむ)れ共得がたし
思ひあまりてつや〳〵魚取すべもしらねどもみづから川
の辺(へん)にのぞみて衣(ころも)にたまだすきして魚をうかゞひ
   【柱】古今巻八        〇六

   【柱】古今巻八        〇六
てはえといふちいさき魚を一つ二つ取てもちたちけり
謹制(きんせい)おもき比なりければ官(くはん)人見あひてからめとりて
院の御所へゐて参りぬ先子細をとはる殺生禁制(せつせうきんたん)の
世にかくれなしいかでか其由をしらざらんいはんや法師
のかたちとして其衣を着(き)ながらこの犯(ぼん)をなす事/一(ひと)かた
ならぬ科(とが)のがるゝ所なしと仰/含(ふくめ)らるゝに僧涙をながし
て申やう天下に此制おもき事みな承る所也たとひ制
なく共法師の身にて此ふるまひ更にあるべきにあらず
但我年老たる母をもてり只われ壱人の外たのめる
ものなしよはひたけ身おとろへて朝夕の喰(くいもの)たやす

からず我又家まづしく財もたねば心のごとくに
やしなふに力たへず中にも魚なけれ物くはず此ごろ
天下の制によりて魚鳥のたぐひいよ〳〵得かたきに
よりて身力すでによはりたり是をたすけん為に
心のをき所なくて魚とる術(じゆつ)もしらざれ共思ひの
あまりに川のはたにのぞめり罪(つみ)におこなはれん事
案(あん)のうちに侍り但此/取(とる)処の魚今ははなつともいき
がたし身のいとまをゆりがたくはこの魚を母のもとへ
つかはして今一度あざやかなる味(あぢわひ)をすゝめて心やすく
うけ給ひをきていかにも罷ならんと申に是を聞
   【柱】古今巻八        〇七

   【柱】古今巻八        〇七
人々涙をながさずといふ事なし院聞しめして老養
の心さしあさからぬをあはれひ感(かん)ぜさせ給てさま
〴〵の物共を馬車につみ給わせてゆるされにけり
とぼしき事あらばかさねて申べきよしをぞ仰られ
けるとなり
【313】武則(たけのり)公助(きんすけ)といふ随身父子ありけり右近(うこんの)馬場(はゞ)の
緒弓(のりゆみ)わろく仕りとて子公助をはれ成所にてうち
けるをにげのく事もなくてうたれければ皆人いかに
にげずしてかくはうたるゝぞといひければ若にげ給
なば衰老(すいらう)の父をはんとせん程にたふれなどし侍らば

【挿絵】
   【柱】古今巻八ノ       〇又七

   【柱】古今巻八ノ       〇又七
【挿絵】

きはめて不便なりぬべければかくのごとく心のゆくほど
うたるゝ也と申けれは世の人いみじき孝子なりと云て
世のおほへこれよりぞ出/来(き)にける
聖徳太子用明天皇の御/枝(つえ)の下にしたがはせ給ひ
けるを思ひ入たりけるにや孔子の弟子/曽参(そうしん)といひ
けるは父のいかりて打けるににけずしてうたれけるを
ば孔子聞給ひて若うちもころされなば父の悪名を
立ん事ゆゝしき不孝也といましめ給けるこれも
ことはり也親の気色によるべきにや凡父母に
つかうまつるべき道くはしく孝経に見へたり廿二章
   【柱】古今巻八        〇八

   【柱】古今巻八        〇八
のをはりの段を喪親章(さうしんのしやう)となづけて喪礼(さうれい)の儀式(きしき)迄
しるせり是等も見るべし聖教(せうけう)には孝養(けうよう)父母(ぶも)奉仕(ぶし)
師長(しちやう)をもて往生の本とせり身体/髪膚(はつふ)を父母
にうけたり生のはじめなれば恩徳(をんとく)の最高(さいかう)なる父母
にすぐべからず凡人は上には忠貞(ちうてい)のまことをつくし
下には憐愍(れんみん)の思ひをふかくし父母親類には孝行の
心をむねとして友にあらそはず人かろしめずして
仁義礼智信の五常をみだざるをとくとすべし
又夫婦の中をば忠臣の道にたとへたり女はよく夫に
心ざしをいたすべき也さればかしこき女はたがへにそ

なへる日つゝしみしたがふのみにあらずなき跡までも
ひとり貞女(ていじよ)秋【書陵部本「貞女峡」】の月を詠めながら鷰子楼(えんしろう)の中に
とぢこもるたぐひあまた聞ゆ又此世一ならずおな
し道にともなふためしおほかりくはしくしるす
におよばす
【314】中納言/顕基(あきもと)卿は後一条院ときめかし給てわかく
よりつかさ位につけてうらみなかりけり御門に
おくれ奉りにければ忠臣は二君につかへずとて
天台/楞厳(れうごん)院にのぼりてかみをおろしてげり御門
かくれ給へりける夜火をともさゞりければいかにと
   【柱】古今巻八        〇九

   【柱】古今巻八        〇九
たづぬるに主殿司(とのものつかさ)新主(しんしゆ)の御事をつとむとて参
らぬよし申けるに出家の心つよくなりにけるとかや
あなたこなたにて行はれけるが大原に住ける比
宇治殿かの庵室(あんしつ)に向ひ給て終夜(よもすがら)御物語あり
けり宇治殿後世はかならずみちびかせ給へなどし
めし給てあかつき帰なんとし給ける時/俊実(としざね)は不
覚の者にて候と申されけり其時は何共おもひ
わかせ給はでかへりて後しづかにあんじ給ふにさせる
つゐでもなきに子息の事よもあしきさまには
いはれじ見はなつまじき由也けりと思ひとりて

世をのがるといへとも恩愛(をんあい)は猶すてがたき事な
れば思ひあまりていひいでられけりとあはれに
おほしてことにふれて芳志(はうし)を出されければ大納
言までなられにけり美濃大納言とは此人の
事也

  好色(こうしよく) 《割書:第十一》
【315】伊弉諾(いざなき)伊弉冊(いざなみの)二(ふたはしら)の神/礙(をのこ)■【馬+刃、馭ヵ】盧島(ろしま)におりゐて
ともに夫婦となり給時/陰神(めがみ)まづよきかなと
となへ給一書ニ云/鵠(いわく)■(なぶり)【■は食+鳥。鶺鴒にわくなぶりヵ】飛来て其首尾をうごかす
   【柱】古今巻八        〇十

   【柱】古今巻八        〇十
を見て二神まなびてまじはる事をえたりそれ
より此かた婚嫁(みとのまくばひ)の因縁(ゐんえん)あさからず成にけり
【316】中ノ関白高/内侍(なひし)に忍てかよひ給ひけるを父/成忠(なりたゞ)卿
うけぬ事に思ひけるに或時出給けるをうかゞひみ
てかならず大臣にいたるべき人なりと相してその
後ゆるし奉てけり
【317】一条院御時三条/后宮(きさいのみや)のぼり給ひけるに御おくりの
女房あかつきに及て罷出けるを儀同三司みちび
き給とて佳人(カジン)尽(コト〳〵ク)飾(カサリ)_二於/晨粧(シンソウヲ)_一魏宮(ギキウ)鐘(カネ)動(ウコイテ)遊子(ユウシ)猶(ナヲ)
行(ユク)_二残(ザン)月 ̄ニ【訓点一】函谷(カンコク)_二鶏(ニハトリ)鳴(ナキヌ)と詠し給けるに人みなめで

あへりけるとぞ
【318】道命/阿闍梨(あしやり)と和泉式部と一つ車にてものへ
ゆきけるに道命うしろむきて居たりけるを和泉
式部などかくはゐたるぞといひければ
  よしやよし昔やむかしいがぐりの
   えみもあひなはおちもこそすれ
【319】刑部卿/敦兼(あつかね)はみめの世ににくさげ成る人也けりその
北の方ははなやかなる也けるが五節を見侍りけるに
とり〴〵にはなやかなる人〴〵の有を見るにつけても
先わが男のわろきを心うく覚へけり家に帰りて
   【柱】古今巻八        〇十一

   【柱】古今巻八        〇十一
すべて物をもだにいはず目をも見合ず打そばむき
てあればしばしは何事の出きたるぞやと心もえず
思ひゐたるにしだいにいとひまさりてかたはらいたき程也
さき〳〵の様に一処にも居ず方(かた)をかへて住侍けり
ある日形部【刑部】卿出仕して夜に入て帰りたりけるに出居
に火をだにもともさず装束(さうぞく)はぬぎたれ共たゝむ人
もなかりけり女房共もみな御前のまひきに随(したかい)ひて
さし出る人もなかりければせんかたなくて車よせの妻(つま)
戸をおしあけて独(ひとり)ながめ居たるに更闌(こうたけ)夜しづかに
て月のひかり風の音物ごとに身にしみわたりて人の

うらめしさもとりそへておぼへけるまゝに心をす
まして篳篥(ひちりき)を取出て時のねにとりすまして
  ませのうちなる白ぎくもうつろふみるこそ
  あはれなれ我らがかよひてみし人もかくし
  つゝこそかれにし
とくりかへしうたひけるを北の方聞て心はやなをり
にけりそれより殊にながらひ目出たくなりにける
とかや優(ゆう)成北の方の心なるべし
【320】左大弁/宰相(さいしやう)経頼(つねより)卿さきの妻(め)の後に最愛(さいあい)の小
むすめ有けるを車にのせて行幸を見物すとて
   【柱】古今巻八        〇十二

   【柱】古今巻八        〇十二
供奉(ぐぶ)の人の中にいづれをか殿(との)にせんずるといひ
て人ごとに是はと問(とい)ければみなかしらをふりけるに
隆国(たかくに)卿のわたるを見て是をせんといひければまことに
これに過たる人はあらじと思ひて聟(むこ)に取てげり北方
わがむすめには隆(たか)国よりもよからん人をあはせよと
せめければそれよりまさらん人はありがたけれは
才学(さいがく)に付て資仲(すけなか)卿をあはせてげり彼卿しきりに
隆国をあらそひ思けれども昇進(せうしん)及ばず其/子息(しそく)にて
隆俊(たかとし)卿にさへ従上(じゆしやう)の四/位(ゐ)の所はこえられてげり隆(たか)
俊(とし)中納言の時は資仲(すけなか)卿はいまだ蔵人頭(くらんとのかみ)にだに

もならざりけり
【321】妙音院のおとゞしのびたる女をむかへさせ給て尾張(をはり)
守/孝定(たかさだ)に夜のあけん程はからひて申せと仰られ
たりけるにやう〳〵よく成にける時将軍在_レ ̄リ座 ̄ニ薗(ソノ)之
露/未(イマタ)【左ルビ「ス」】_レ晞(カハカ)僕夫(ボクフ)待_レ ̄ツ菴 ̄ニ雞籠(ケイロウノ)山/吹(ス)【書陵部本「欲」】_レ曙(アケナント)この句を朗詠
にしたりけり孝定(たかさだ)が所(しよ)為かくこそあらまほしき事
なれいといみじきことなりかし
【322】後白河院御所いつよりものどかにて近習(きんじゆ)の公卿両
三人女房少々候て雑談(ざうたん)有ける時仰に身に取
ていみじく思ひ出たるしのびこと何事かありしかつは
   【柱】古今巻八        〇十三

   【柱】古今巻八        〇十三
懺悔(さんげ)の為(ため)をの〳〵ありのまゝかたり申べしと仰られて
法皇より次第に仰られけるに小侍従(こじじう)が番(ばん)にあたりて
いかにもこゝにそ優(ゆう)なる事はあらんずるなど人々申けれ
ば小侍従打わらひて多く候よそれにとりて生涯(せうがい)の
わすれがたき一ふし候げに妄執(まうしう)にもなりぬべきに御前
にて懺悔(ざんげ)候なば罪(つみ)かろむへかしとて申けるはそのかみ
ある所よりむかへにあはせたる【「あはせたる」は書陵部本「たまはせたる」】事有しにすべて月さへ
ぬ【「月さへぬ」は書陵部本「おぼえぬ」】程にいみじく執し侍し事にて心ことにいかに
せんと思ひしに月さえわたり風はださむきにさ夜
もやゝ更ゆけばちゞに思ひくだけて心もとなさ

かぎりなきに車の音(をと)はるかに聞しかばあはれこれ
にやあらんとむねうちさはぐにからりとやりいるれば弥
心まよひせられて人わろき程にいそぎのられぬさて
行つきて車よせにさしよするほどにさてみすのうち
よりにほひ殊にてなへらかになつかしき人出てすだれ
もてあげておろすにまづいみじうらうたくおぼゆるに
立ながらきぬごしにみしといだきていかなるをぞさぞと
ありし事がら何と申つくすべし共覚へ候はず扨しめや
かにうちかたらふに長き夜もかぎりあれば鐘(かね)の音
もはるかにひゞき鳥のねもはや聞ゆればむつごとに
   【柱】古今巻八        〇十四

   【柱】古今巻八        〇十四
まだつきやらであさをく霜よりもなをきへかへりつゝ
おきわかれんとするに車さしよするをとせしかば玉しゐ
も身にそはぬ心ちして我にもあらず乗り侍ぬかへり
きても又ねの心もあらばこそあかぬなごりを夢にも
見めたゞよにしらぬにほひのうつれる計をかたみにて
ふししづみたりしにその夜しも人にきぬをきかへら
れたりしを朝に取かへにをこせたりしかばうつりがの
かたみさへ又わかれにし心の内いかにも申/述(のふ)べしとも
覚へずせんかたなくこそ候しかと申たりければ法皇
も人々も誠にたへがたかりけん此うへは其ぬしを

顕(あら)はすべしと仰られけるを小侍従いかにも其事は
かなひ侍らじとふかくいなみ申けるを扨は懺悔(さんけ)の本
意せんなしとてしゐてとはせ給ければ小侍従打わら
ひてさらば申候はん覚へさせおはしまさぬか君の御位の
時其年其比たれがしを御使にてめされて候しは
よも御あらがひは候まじ若(もし)むねたがひてや候と申
たりけるに人々どよみにて法皇はたへかねさせ給て
にげいらせ給にけるとなん
【323】
紫金台寺(しこんだいじ)御室(おむろ)に千/手(じゆ)といふ御/寵童(てうどう)有けりみめ
よく心さま優(ゆう)也けり笛(ふへ)を吹今様などうたひければ
   【柱】古今巻八        〇十五

   【柱】古今巻八        〇十五
御いとをしみはなはだしかりける程に又/参(み)川といふ童
初て参じたりけり筝(さうのこと)ひき歌よみ侍りけり是も
又/寵(いつくしみ)有て千手がきらすこしをとりにければ面目なし
とや退(たい)出して久敷参らざりけり或日/酒宴(しゆえん)の事有て
さま〳〵の御あそび有けるに御弟子の守覚法親王(しゆかくほうしんわう)など
も其座におはしましけり千手はなど候はぬやらん召て
笛ふかせ今様などうたはせ候はゞやと申させ給ひければ
則御使をつかはしめされけるに此程/所労(しよろう)の事候とて
参らさりけり御使/再(さい)三に及ければさのみは子細/難(かたく)_レ申
て参にけりけん紋沙(もんさ)の両面の水干(すいかん)に袖にむばら

こき雀(すゝめ)の居たるをぞぬふたりけり紫(むらさき)のすそごの
袴(はかま)をきたりことにあざやかにさうぞきたれども物を思
入たるけしきあらはにてしめりかへりてぞ見へける御(を)
室(むろ)の御前に御/盃(さかつき)をさへられたる折にて有ければ
人々千手に今様をすゝめければ
   過去(クハコ)無数(ムシユ)の諸仙(シヨセン)にもすてられたるをば
   いかゞせん現在(ゲンガイ)【在ザイヵ】十方の浄土にも往生すべき
   心なしたとひ罪業(ザイゴウ)おもく共/引摂(インゼウ)し給へ
   弥陀仏
とぞうたひける諸仏にすてらるゝ所をばすこし
   【柱】古今巻八        〇十六

   【柱】古今巻八        〇十六
かすか成やうにぞいひける思ひあまれる心の色あらは
れてあはれなりければ聞人みな涙をながしけり興(けう)
宴(えん)の座も事さめてしめりかへりければ御室はたへ
かねさせも【「も」は、書陵部本「給」】て千手をいだかせて御ね所に御入有けり満(まん)
座いみじがりのゝしりける程に其夜もあけぬ御
室御ね所を御覧じければ紅のうすやうのかさなりたる
をひきやりて歌かきて御/枕(まくら)屏風にをしつけて
有たりける
  尋ぬべき君ならませはつげてまし
   入ぬる山の名をはそれとも

あやしくてよく〳〵御覧じられば参河が筆也けり
今様にめでさせ給て又ふるきに御心の花をみてかく
読侍けるにこそさて御たつね有ければ行がたをしらず
なりにけり高野にのぼりて法師に成にけるとかや
聞へけり【324】ある○宮ばらにしのびて参りかよひ給しかる
へき上達(かんたち)めおはしけり君もしのびわれも人目をつゝ
み給とてうとくや御中のなりにけん宮より
  しのふかなたか野の山のみねにいる
   雲のよそにてありしむかしを
いとあはれにおぼしたりければ定めて又心
   【柱】古今巻八        〇十七

   【柱】古今巻八        〇十七
あらたまりにけんかし
【325】頭中将/忠季(たゞすへ)朝臣/督典侍(かうのすけ)を心がけて年月をかさ
ねけれどもいかにもなびかざりけるに或夜雪のいたく
ふりたりけるに家より馬に乗りて参内しけるみちの
ありさま雪の面白さなどをはじめより絵に書て
六位をかたらひて彼局へなけ入させたり督(かう)のすけ取みて
あはれとや思ひけん又絵にやめでけんそれよりあひに
けり其後久しくかよひて少将/親平(ちかひら)は彼腹(かのはら)に
なんもうけける
【326】大宮権/亮(すけ)といひける人ある宮はらの御方/違(たがい)の御

車よせに参りたりけるに女房の局へしのびて入に
けり還御(くはんぎよ)のよしをきゝてあはてまどひておきてな
をしをきけるほどに何としたりけるにや前をうしろ
にきてげりいかにおかしう見へけんとをしはからる
【327】野々宮左大臣わかくおはしましける時内裏の女房に
物いひわたり給けれ共打とけざりけるに或夜ほい
とげてつぼねよりいづとて我/願(ねがい)既(までに)【すでにヵ】満(みつ)衆望(しゆもう)亦(また)
足(たれり)と誦(じゆ)せられけるを局ならびすみけるふるき女房
これを聞て女房にあひてはやこよひ打とけ給
にけるなると問ければさなきよしあらがひければ
   【柱】古今巻八        〇十八

   【柱】古今巻八        〇十八
さるにては此文を誦せらるべしやはとて文のこゝろを
いひければあらがはずなりにけり
【328】宮内卿は甥(をい)にてある人に名たちし人也男かれ〴〵
になりにける時よみ侍ける
  都にもありけるものをさらしなや
   はるかにきゝしおはすてのやま
【329】ある人大原の辺を見ありきけるに心にくき庵あり
けり立入て見ればあるじとおぼしき尼(あま)たゞ独(ひとり)あり
すまひよりはじめて事にをきて優(ゆう)にはづかし
きけしきたりしかるべきさきの世のちぎりやあり

せん【「せん」は書陵部本「けん」】又此人をたふらさんとて魔(ま)や心にかはりけんいか
にも此あるしをみすぐして立かへるべき心地せざり
ければちかくよりてあひしらふに此人思はずげに思ひ
てひきしのぶをしゐて取とゞめてげりあさましう
心うけに思ひたるさまいとゞことはり也何とすとも
只今は人もなしあたりちかく聞おどろくべき庵
もなけれはいかにすまふとてもむなしからしと思て
ねん比にいひてつゐにほいとげてげり力及ばて只
したがひ居たるけしきひとへに我あやまちなれば
かたはらいたき事かぎりなかりけりしたしく成て
   【柱】古今巻八        〇十九

後いよ〳〵思そふ心地まさりてすべきかたなかりけれ
共さてしもやがてこゝにとゝまるべき事ならねば能
〳〵拵(こしら)へ置ておとこ帰りにけり扨又二三日ありて
尋来てみればもとのすみかもかはらであるじは
なしかくれたるにやとあなくりもとむれ共/終(つゐ)に
見へずさきにあひたりしところに歌をなんかき
つけたりける
  世をいとふつゐのすみかと思ひしに
   なをうき事はおほはらのさと
つゐに行かたしらず成にけり兼ての縁(えん)にひかれ

【挿絵】
   【柱】古今巻八ノ      〇又十九

   【柱】古今巻八ノ      〇又十九
【挿絵】

ておもはざるふるまひをしたれとも宮【「宮」は、書陵部本「実」】に思ひ入
たる人にこそ侍けれ
【330】山に慶澄(けいてう)注記(ちうき)といふ僧有けり件の僧の伯母(をは)にて
侍ける女は心すき〳〵しくて好色はなはたしかりけり
年比のおとこにも少しも打とけたるかだちをみせず
事にをきていろふかく情ありければ心をうごかす
人おほかりけり病をうけて命をはりける念仏
すゝめけれども申に及はず枕なるさほにかけたる物
をとらんとするさまに手をあはせけるがやがて
息(いき)たえにけり法性寺辺に土葬(とそう)にしてげり其後
   【柱】古今巻八        〇二十

   【柱】古今巻八        〇二十
廿よ年をへて建長五年の比/改葬(かいそう)せんとて墓(はか)を
ほりたりけるにすべて物なし猶ふかくほるに黄色(きいろ)
なる水のあぶらのごとくにきらめきたるぞ涌(わき)出ける
汲(くみ)ほせとも干(ひ)さりけり其油の水を五尺計ほり
たるに猶物なし底(そこ)に棺(くはん)せんと覚ゆる物/鋤(すき)に
あたりければ堀出さんとすれどもいかにもかなは
ざりければ其あたりを手を入てさぐるに頭(かしら)の骨(ほね)
わづかに一寸ばかりわれ残て有ける好色の道
罪(つみ)ふかきことなれば跡までもかくぞ有ける其女
の母をも同時/改葬(かいそう)しけるに遥(はるか)にさきたち死に

たりける者なれどもその体かはらでつゝきながら
にありける
【331】第八十七代の皇帝(みかと)後嵯峨天皇と申は土御門
天皇の第三の皇子也父の御(み)門寛喜三年遠所
にて崩御(ほうぎよ)の事有し後は御めのと大納言/通方(みちかた)
卿のもとにかすかなる御住居にてわたらせ給へば
御位の事覚しめしもよらず大納言さへ身まかり
にければ仁治二年の冬の比八幡へ参らせ給て御出家
の御いとま申せ給ひけるに暁(あかつき)御宝殿の内に徳(とくは)是
北辰(ほくしん)椿葉(ちんようの)影(かけ)再(ふたゝひ)改(あらたむ)と鈴(すゞ)のこゑのやうにてまさしく
   【柱】古今巻八       〇二十一

   【柱】古今巻八       〇二十一
聞えさせ給ひけれは是こそ示現(じげん)ならめとうれ
しく思召て還御(くはんきよ)ありけり本の通成中将の亭(てい)へは
入らせ給はで御/祖母(そぼ)承明門院の土御門の御所へ入せ
給て其年もくれにけり
同三年正月九日四條天皇十二歳禁中にして崩
御の事あるよしのゝしりけれは後堀川院の御方に
は御位につかせ給ふべき宮もおはしまさず定て佐渡(さどの)
院の宮達そ践祚(せんそ)あらんずらんとてきゝわきたる
事はなけれ共時の卿相雲客(けいしやううんかく)四辻の修明門院へ
参へしといへとも天照太神の御はからひにや侍けん

同十九日関東より城介/義景(よしかげ)早打にのぼりてひそ
かに承明門院へ参て御位は阿波院の宮と定申
侍也公家にはいかゞ御はからひも侍らんと申てやかて
法性寺殿一条大相国へも申入てくたりぬ京中の上下
あはてさわぎて今更土御門女院へ我も〳〵とまいり
つどふある人御なをしをとりあへすまいらせたりけれ
このなをしはことの外にちいさしこと人のれうにやあ
らんとぞ仰られける佐渡院の宮へ参らせんれう
にてこそ有つらめと思召しらせ給ひけるにやと
涙をおさへてとかく申人なかりけり同廿日の夜
   【柱】古今巻八       〇二十二

   【柱】古今巻八       〇二十二
御元服やがて内裏へ入らせ給ふ四条大納言/隆親(たかちか)卿
の家/冷泉万里(れいぜんまでの)小路の里内裏也三月十八日御とし
廿三にて太政/官庁(くわんちやう)にて御即位あり六月六日前
右大臣のむすめ女御に参り給ふ後には大宮女院
と申て二代の国母におはします女御にも可_レ然人々の
かぎりまいり給ふいやしき女などは御目にだにもかゝら
ず昔に立かへりて御/政(まつり)ごと目出たく御心もちゐも万
たくにみおはしますあまり大井の山庄を仙宮に
うつしおはします造営(ざうえい)の事は権大納言/実雄(さねを)卿の
さたとぞ聞へし水の心ばへ山のけしきめづらかに
【縦長楕円印 朱】BnF/MSS

面白所から也東は広隆(くはうりう)寺ときはの森西は前の中書
王のふるき跡小倉山の麓(ふもと)わざと山水をたゝへざれども
自然(しぜん)の勝地也南は大井河/遥(はるか)に流て法輪寺の橋(はし)
なめらか也北は生身二伝の釈尊/清涼(せいれう)寺におはします
眺望(てうまう)よもにすぐれて仏法/流布(るふ)の所也かゝるはこや【藐姑射】
の山をしめ給御事も此院の御時也いづれの年の
春とかややよひ花のさかりに和徳門の御(み)つぼにて
二条前関白大宮大納言兵部卿三位中将など参りて
御/鞠(まり)侍しに見物の人々に交(まじは)りて女共あまた見へ侍る
中に内の御心よせにおぼしめすありけり鞠(まり)は御心に
   【柱】古今巻八       〇二十三

   【柱】古今巻八       〇二十三
も入させ給はで彼女房のかたをしきりに御覧すれば
女わづらはしげに思て打まぎれて左衛門の陣のかたへ出
にけり六位を召て此女のかへらん所見置て申せと仰ら
れければ蔵人追付てみるに此女房心へたりけるにや
いかにも此男すかしやりてんと思て蔵人をまねき寄(よせ)
うちわらひてなよ竹のと申せ給へあなかしこ御返事
承らん程はこゝにて待参らせんといへばすかすとは思ひ
もよらず只すきあひ参らせんとするぞと心へて急(いそき)
参りて此よし申せば定めて古歌の句にてぞあるら
んとて御尋有けれ共其座にては知(し)る人なかりければ

為家卿のもとへ御尋有けるにとりあへぬ程にふる
き歌とて
  たかしとてなにゝかはせんなよ竹の
   一よ二よのあたのふしをは
と申されけれはいよ〳〵心にくゝおぼしめして御返事
はなくて只女のかへらん所をたしかに見て申せと仰有
ければ立かへりありつる門を見るに何かはあらん見へ
ず又参りてしか〳〵と奏(そう)するに御けしきあしくて
尋出さずは科(とが)有べきよし仰られける蔵人あをさめ
にて罷出ぬ此事によりて御/鞠(まり)も事さめていらせ給
   【柱】古今巻八       〇二十四

   【柱】古今巻八       〇二十四
ぬ其後はにが〳〵しくまめたゝせ給て心くるしき御
事にそ侍けるある時近衛殿二条殿花山院大納言
定雅(さたまさ)大宮大納言/公相(きんすけ)権大納言/実雄(さねを)中納言/通成(みちなり)
などまいり給て御遊有けれ共さき〳〵のやうにもわた
らせ給はず物をのみ思召さまにて御ながめがちなれ
は近衛殿御かはらけをすゝめ申させ給ふつゐでに誠や
ちかき頃ゆくかたしらぬやどのかやり火にこがれさせおはし
ます聞え侍り高力士(かうりきし)に御(み)ことのりして尋させ給は
んかくれあらし物を蓬莱(ほうらい)まてもかよふまぼろしの
ためしも侍りまして都の内の事なればさすかや

すかりぬへしとて御酒まいらさせ給に内も少し
わらはせ給へどもさして興ぜさせ給はずそゞろかせ
給てわらはせ給ぬ其後蔵人はいたらぬくまなく若(もし)
やあふとて求めありきつゝ仏神にさへいのり申せ共
かひなし思わびて文平(ふんひら)と申/陰陽師(をんやうし)こそ此ころ掌(たなこゝろ)
をさして推察(すいさつ)まさしかなれ此事/占(うらな)はせんと思て
罷向てとひければ是は内々承及へりゆゝしき大事
也文平か占は是にて心み給べし火のようをえたり
神門也今日は巳(み)の日也巳はくちなは也此事を推
するに一旦のかくれ也つゐにはあはせ給へし但火
   【柱】古今巻八       〇二十五

   【柱】古今巻八       〇二十五
のようは夏の季(すへ)に小至りて御祝あるべしくちなはなれば
もとの穴に入てもとの所に出べし夏のうちにかくれ
けん所にてかならずあはせ給ふべしといひけり文平
も凡夫(ほんぶ)なれば一定たのむべきにはあらね共むげに
うはの空なりつるよりはたのもしきかたいできぬる
心ちして常は左衛門の陣の関(コ?ラシ)白(マウシ)【近衛文庫本「開日」】の日(ひ)此女ありしさまを
あらためて五人つれてふと行合ぬ蔵人あまりの嬉(うれし)
さに夢うつゝ共覚へずあやしまれじと思て人にまぎ
れて見ければ仁寿殿(にんしゆてん)の面のひさしに並居(なみゐ)てちやう
もんす講はてゝひしめかん時又見うしなひてはいかゞ

せんと思て任の殿上の口におはする所にて此事
しか〳〵奏し給へとかたらへは只今宮ひと所に御/聴(ちやう)
聞(もん)の程也うちたし【書陵部本「こちたし」】と申ければ力及ず伝奏(てんそう)の人やおは
すると見れ共おはせず一位殿我御局の口に女房と
物仰らるゝを見あひまいらせて畏りて申けるは推(すひ)
参に侍れ共天気にて侍りしか〳〵の事いそき奏
し給へと申ければかねて聞へ有事なればやがて
奏し申させ給に女房して神妙也かまへて此度
は不/覚(かく)せで行方を慥に見置て申せと仰らるゝ程
に講はつれば夕暮にも成ぬ此女共ひとつ車にて
   【柱】古今巻八       〇二十六

   【柱】古今巻八       〇二十六
帰めり蔵人我身はあやしまれじと思てさか〳〵敷
女を付てみいれさすれば三条白川になにがしの少
将といふ人の家也此由を奏するにやがて御文あり
  あたにみし夢かうつゝかなよ竹の
   をきふしわふる恋そくるしき
此暮にかならずとばかりあり蔵人御書を顕(あらはし)て彼
所にもてゆくに男有人なればわづらはしうてなげ
くに御使心もとなくて返事をせむればいかにも
かくれあらじと思てありのまゝにかたれば少将さすがに
わづらはしげに思ひておとこの身にて左右なく参ら

せんもはゞかり有あなかしこといさめんも便なかる
べき事也人によりて事ことなる世なれば一つは名聞
也人のそしりはさもあらばあれとく〳〵まいらせ給へと
すゝむるに女うちなげきて叶ふまじき由返〳〵いなひ
ければ少将申けるは此三とせが程をろかなしすえか
はして過ぬるも世々の契り成べし今まためされ
けるも浅からぬ御契ならんかしやう〳〵してまいり
給はすば定めてあしさまなる事にて我身も置
所なきことにや成ぬべしよもあしくははからひ申さじ
とく〳〵まいり給へとすゝめければ女うち涙ぐみて
   【柱】古今巻八       〇二十七

   【柱】古今巻八       〇二十七
御文をひろげて此暮にかならずと有(ある)下(した)にをといふ
文字(もじ)を只一つ墨ぐろに書てもとのやうにして御使
に給はせてげり御文もとのやうにてたがはぬを御覧
じてむなしくかへりたるよとほひなく思しめすに
を文字ありとかく御思案有けれ共おほしうるかたなか【「り」脱字ヵ】
ければ女房達少々召て此を文字を御尋ありけるに
承明門院に小宰相局にて家隆(かりう)卿の女(ムスメ)のさふらひ
けるが申けるはむかし大二条殿小式部内侍のもとへ
月といふ文字を書てつかは【「さ」脱字ヵ】れたりければさるすき
もの和泉式部がむすめなりければやすく心得て

月の下にをといふ文字計を書て参らせたりける
其心なるべし月といふ文字はよさりまつへし出よと
心へけり又人のめす御いらへに男はよと申女はをと申
也されは小式部内侍其夜上東門院にさふらひけるが
参りたりければいよ〳〵心まさりしてめでおほしめし
けり是も一定まいり侍なんと申ければ御心よげに
おほしめしてしたまたせ給けり夜もやう〳〵更(ふけ)ぬれ
ど入らせ給はずとのゐ申のきこゆるはうしに成ぬる
にやと御心をいたましむる程に蔵人しのびやかに
此女房参り侍よし奏し申ければうれしく思し
   【柱】古今巻八       〇二十八

   【柱】古今巻八       〇二十八
めされてやがてめされにけり漢武(かんふ)の李夫人(りふじん)に
あひ玄宗の楊貴妃をえたるためしも是にはまさり
侍らじと御心の内も忝さま〴〵かたらひ給程にあけ
やすき短(みじか)夜なれば暁ちかく成ゆくに此女房身の
ありさまをかきくどきこまかにはあらねど心にまかせ
ぬことのさまを申ければまづかへしつかはさてげり【「つかはさて」、書陵部本「つかはされに」】
御心さし浅からねばやがて三千の列にも召をか
れて九重のうちのすみかをも御はからひ有べき
にてありけるをまめやかになげき申てさやうならば
中〳〵御情にても侍らじ渕瀬(ふちせ)をのがれぬ身とも

成ぬべしたゞ此まゝにて人のいたくしらぬ程なら
ばたえずめしにもしたがふべきよしを申ければつゐに
本のすみかへかへされて時々ぞしのびてめされける
彼少将は隠者(いんきよ)なりけるをあらぬかたにつけてめし
出されてよろづに御情をかけられて近習の人
数にくはへられなどして程なく中将になされに
けりつゝむとすれどをのづから世にもれ聞へて人
の口のさがなさは其比のことわざにはなるとの中将
とぞ申けるなるとのわかめとてよきめののほる所な
ればかゝる異名(いみやう)を付たりけるとかやをよそ君と
   【柱】古今巻八       〇二十九

   【柱】古今巻八       〇二十九
臣とは水と魚とのごとし上としておごりにくまず
下としてもそねみみだるべからずもろこしには椘(そ)【書陵部本「楚」】の
荘王(そうわう)と申君は寵愛(ちうあい)の后(きさき)の衣(きぬ)をひくものをゆる
して情をかけ唐の太宗と申かしこきみかどは
すぐれて思召ける后をも臣下の約束ありとて
くだしつかはされけり我朝にもかゝる古きためし
もあまた聞へ侍にや今の後嵯峨のみかとの御心
もちゐのかたじけなさ彼中将のゆるし申ける
なさけの色何れもまことに優(ゆう)にありがたくため
しに申伝へきものをや君とし臣としては何事も

へたつる心なくてたがひになさけふかきを本とすべ
きにこそとむかしより申伝へたるもことはりに
おほえ侍り
【332】いつの比のことにか男ありけり内の女房をしのび
て物いひわたりけるがある夜局のあたりにたゝ
ずみてこゝにありとしられんとてあふぎのかなめを
ならしてつかひければ女房きゝておもふよし便宜(びんき)あ
しき事やありけん何となきやうにてつぼねの
内にて野もせにすたくむしのねよとうちなか
めたりければおとこ聞てあふぎをつかひやみて
   【柱】古今巻八       〇三十終

   【柱】古今巻八       〇三十終
げり
  かしかまし野もせにすたくむしのねよ
   われたになかく【「く」は、書陵部本「て」】物をこそおもへ
このこゝろなるべしおとこも女もいと優にあ【「あ」は、書陵部本「な」】り
けるにや

【蔵書印:朱 陽刻 方形 単郭 篆書体】
《割書:平戸藩|蔵書》
【蔵書印 朱 陽刻 正方形 単郭 篆書体】
《割書:子孫|永宝》
【蔵書印 朱 陽刻 正方形 単郭 篆書体】
《割書:楽歳堂|図書記》
【縦長楕円印 朱】BnF/MSS

古今著聞集巻之八終

【後見返し】

【裏表紙】

【背。ラベル 横書き。「總」は青字、「上」は朱字】總上/5/54

【表紙題箋】《題:古今著聞集 《割書:九》》

【表見返し】

【蔵書印 朱 陽刻 正方形 単郭 篆書体】
《割書:子孫|永宝》
【蔵書印:朱 陽刻 方形 単郭 篆書体】
《割書:平戸藩|蔵書》
【蔵書印 朱 陽刻 正方形 単郭 篆書体】
《割書:楽歳堂|図書記》
【縦長楕円印 朱】BnF/MSS
古今著聞集巻第九
  武勇(ぶよう)《割書:第十二》
【333】武(ブ)者(ハ)禁(イマシメ)_レ■【書陵部本「暴」】 ̄ヲ戢(ヲサメ)兵(ヘイヲ)保(タモチ)_レ大(タイ)定(サタメ)_レ功(コウヲ)安(ヤスンジ)_レ民(タミヲ)和(クハシ)_レ衆(シユヲ)豊(ユタカニス)_レ財(サイヲ)是(コレ)
武(ブノ)七徳(シツトク)也(ナリ)臨(ノゾンテ)_二征戦(セイセン)之(ノ)場(チヤウニ)_一去(サリ)_二死(シ)於(ヲ)一寸(イツスン)_一尓(ニ)振(フルヒ)_二瞿(カク)【矍ヵ】鑠(シヤク)之(ノ)
勇(ユウヲ)_一貽(ノコス)_二名(ナヲ)拎【於ヵ。書陵部本「於」】万代_一 ̄ニ葢(ケダシ)此(コレ)道/也(ナリ)
【334】嵯峨(さが)の天皇(てんわう)をは人思ひかけまいらせたりけるに田(た)村
丸(まろ)を近衛将監(こんゑのしやうげん)になし給ひて御身ちかく候ければ此
官(くはん)のきて退出(たいしゆつ)の時(とき)を待(まち)ける程(ほと)に少将(せうしやう)になしてなを
祗候(しこう)す四位(しゐ)してのかん時を待(まつ)に中将(ちうしやう)になり大将(たいしやう)に 
成て御身をはなれ奉らざりければ逆臣(ぎやくしん)思(をもひ)よらざり
   【柱】古今巻九        〇一

   【柱】古今巻九        〇一
けりとぞ申/伝(つたへ)て侍る又/白河院(しらかはのゐん)御代を莚(むしろ)のごとくにまき
てもたせおはしましたりしが猶(なを)武者(ぶしや)をたてゝ凡(およそ)たゆま
せおはしまさゞりけり仰事(ほせこと)ありけるは小一条院(こいちてうゐん)は世の
をこの人にて有けるが頼義(よりよし)を身をはなたでもたりけ
るがきはめてうるせくおぼゆる也今はわれが侍ればと
こそ忠盛朝臣(たゝもりあそん)には仰事有けれさもあらん武士(ぶし)壱人
をばたのみてもたせおはしますべき事也とぞ九条大相(くてうのだいしやう)
国(こく)の二条院(にてうゐん)へは申給ひける【335】○頼光朝臣(よりみつあそん)寒夜(かんや)に物(もの)へありき
て帰(かへり)けるに頼信(よりのぶ)の家(いへ)ちかくよりたれば公時(きんとき)を使(つかい)にて
只今(たゞいま)こそ罷過(まかりすき)侍れ此(この)寒こそはしたなけれ美酒(ひしゆ)侍るや

といひたりけれは頼信(よりのぶ)朝臣/折(をり)ふし酒(さけ)のみてゐたり
ける時なりければ興(けう)に入て只今(たゝいま)見様(みんやう)に申給べし此/仰(おほせ)
ことによろこび思ひ給候御/渡(わたり)有べしといひけれは頼光(よりみつ)則(すなはち)
入にけり盃酌(はいしやく)之間/頼光(よりみつ)厩(むまや)の方を見やりたりければ
童(わらは)を一人いましめてをきたりけりあやしと見て頼信(よりのぶ)
にあれにいましめてをきたるものはたそと問(とひ)ければ鬼(き)
同丸(どうまる)なりとこたふ頼光(よりみつ)驚(おとろき)ていかに鬼同丸(きとうまる)などをあれ
ていにはいましめ置(おき)給たるぞをかしあるものならば
かくほどあだには有/間敷(ましき)物をといはれければ頼信(よりのぶ)
実(げに)さる事候とて郎等(らうどう)をよびて猶(なを)したゝかにいまし
   【柱】古今巻九        〇二

   【柱】古今巻九        〇二
めさせければ金鎖(かなくさり)をとり出てよくにげぬやうに
したゝめけり鬼同丸頼光のの給事を聞より口/惜(をしき)
物かな何とぞあれと夜のうちに此/恨(うらみ)をばむくはんず
るものをと思ひゐたりけり盃酌(はいしやく)数献(すうこん)に成て頼光
も酔(えい)て卧(ふし)ぬ頼信も入にけり夜ふけしづまる程に
鬼同丸/究竟(くつきやう)のものにていましめたる縄金鎖(なはかなくさり)ふ
み切てのがれ出ぬ狐戸(きつねど)より入て頼光のねたる上の
天井(てんぜう)にあり此天井引はなちて落(をち)かゝりなば勝(せう)
負(ぶ)すべき方/異儀(いぎ)あらじと思ためらふ程に頼光
も直(たゞ)人にあらねばはやくさとりにけり落かゝり

なば大事と思ひて天井にいたちよりも大きにてん
よりもちいさきものゝ音(をと)こそすれといひて誰(たれ)か候と
よびければ綱(つな)名乗(なのり)て参りけり明日は鞍馬(くらま)へ可_レ参
いまだ夜をこめて是よりやがて参らんずるぞそれがし
〳〵供すべしといはれければ綱(つな)承りてみな是に候と
申てゐたり鬼同丸此事を聞てこゝにては今は叶(カナフ)
まじ酔卧(えいふし)たらばとこそ思ひつれなまさかしき事し
出てはあしかりなんと思ひて明日の鞍馬(くらま)の道にて
こそと思ひかへして天井をのがれ出てくらまのかたへ
むかひて市原野の辺(へん)にてびんぎの所をもとむる
   【柱】古今巻九        〇三

   【柱】古今巻九        〇三
に立かくるべき所なし野飼(のがひ)の牛のあまた有ける
中にことに大成を放(ころ)して路次(ろし)に引ふせてうしの
腹(はら)をかきやぶりて其中に入て目計見出して待けり
頼光あんのごとく来りけり浄衣(じやうゑ)に太刀(たち)をぞはき
たりける綱(つな)公時(きんとき)定通(さたみち)季武(すへたけ)等みな共にありけり頼
光馬をひかへて野のけしき興あり牛その数有
をの〳〵牛/追(をふ)物あらばやといはれければ四天王のとも
がら我も〳〵とかけて射(い)けり誠に興有てぞ見へける
其中に綱いかゞ思ひけんとがり箭(や)をぬきて死(し)したる
牛にむかつて弓を引けり人あやしと見る所に

牛の腹のほどをさして箭(や)をはなちたるに死たる
牛ゆす〳〵とはたらきて腹(はら)の内より大の童(わらは)打刀
をぬきて走(はしり)出て頼光にかゝりけり見れば鬼同丸
也けり箭(や)を射(い)たてられながら猶事共せず敵(てき)に
向ひけり頼光は少もさはがず太刀をぬきて鬼同
丸が頭(かうべ)を打おとしてけりやがてもたふれず打刀を
ぬきて鞍(くら)のまへつはをつきたりさて頭(かうべ)はむながいに
くいつきたりけるとなん死ぬる迄たけくいかめしう
侍りける由語りつたへたりまことなりける事にや
扨頼光はそれより帰にける【336】○伊与守(いよのかみ)源頼義(みなもとよりよし)朝臣
   【柱】古今巻九        〇四

   【柱】古今巻九        〇四
貞任(さだたう)宗任(むねたう)等をせむる間/陸奥(みちのくに)に十二年の春秋を送(おくり)
けり鎮守府(ちんじゆふ)をたちて秋田の城にうつりけるに雪(ゆき)ふり
て軍のおのこどもの鎧(よろひ)みな白妙(しろたへ)に成にけり衣河(ころもかは)の
館(たち)岸(きし)高(たか)く川有ければ楯(たて)をいたゝきて冑(かぶと)にかさね
筏(いかだ)をくみて責(せめ)戦(たゝかふ)に貞任(さだたう)等たえずしてつゐに
城のうしろよりのがれ落(をち)ける一男(いちなん)八幡太郎/義家(よしいへ)
衣川に追(をひ)たてせめあふせてきたなくもうしろを見する
ものかなしはし引かへせ物いはんといはれたりければ
貞任見かへりたりけるに
  衣のたてはほころびにけり

といへりけり貞任くつばみをやすらへしころをふり
むけて
  年をへし糸(いと)のみだれのくるしさに
と付たりけり其時義家はげたる箭(や)をさしはつ
して帰にけりさばかりのたゝかひの中にやさし
かりける事かな
【337】同朝臣十二年の合戦(かつせん)の後/宇治(うぢ)殿へ参りて戦の間の
物語申けるを匡房(まさふさ)卿よく〳〵聞て器量(きりやう)はかしこき
武者(むうしや)なれ共猶/軍(いくさ)の道をばしらぬと独(ひとり)ことにいはれ
けるを義家(よしいへ)の郎党(ちうとう)【らうとうヵ】聞てきけやきけ【「聞てきけやきけ」は、書陵部本「聞てけやけき」】ことをの給ふ
   【柱】古今巻九        〇五

   【柱】古今巻九        〇五
人かなとおもひたりけり去程に江帥(ごうそつ)出られけるに
やがて義家も出けるに郎等かゝる事をこその給ひ
つれと語ければさだめて様(よう)あらんといひて車(くるま)
にのられける所へすゝみよりて会尺(ゑしやく)せられけりや
がて弟子(てし)に成てそれよりつねにまうでゝ学問(がくもん)せ
られけり其後/永保(ゑいほう)の合戦(かつせん)の時/金沢(かなさは)の城をせめ
けるに一行(ひとつら)の雁(がん)飛(とび)さりて苅田(かりた)の面(をも)におりんと
しけるが俄におどろきてつらをみだりて飛(とひ)帰ける
を将軍(しやうくん)あやしみてくつはみをおさへて先年/江帥(こうそつ)
の教(をしへ)給へる事有/夫(ぶ)軍(ぐん)野(や)に伏(ふく)す時は飛雁(ひかん)つ

らをやふる此野にかならず敵(てき)ふしたるへしからめ手
をまはすべきよし下知せらるれば手をわかちて
三方をまく時あんのごとく三百/余騎(よき)をかくしおき
たりけり両/陣(ちん)みだれあひて戦(たゝかふ)事かぎりなし
され共かねてさとりぬる事なれば将軍の軍(いくさ)勝(かつ)に
乗(じやうし)て武衡(たけひら)等が軍やぶれにけり江帥(こうそつ)の一言なか
らまじかはあぶなからましとぞいはれける【338】十二年
の合戦(かつせん)に貞任(さたたう)はうたれにけり宗任(むねたう)は降人(かうにん)に
成て来にければゆるしてつかひけり嫡男(ちやくなん)義家朝
臣のもとに朝夕/祗候(しこう)しけり或(ある)日義家朝臣宗
   【柱】古今巻九        〇六

   【柱】古今巻九        〇六
任(たう)壱人ぐして物へ行けり主従(しゆしふ)共に狩装束(かりそうそく)にて
うつぼをぞおへりけるひろき野を過るに狐(きつね)一/疋(ひき)
走(はしり)けり義家うつぼよりかりまたをぬきてきつね
をおひかけけり射(い)ころさんはむざんなりと思て左右
の耳(みゝ)の間をすりさまにしりへ射(い)たりけれは箭は狐
の前の土にたちにけり狐其箭にふせがれてたふ
れてやがて死(し)にけり宗任馬よりおりて狐を引
あげて見るに箭もたゝぬに死たるといひければ義
家みて臆(をく)して死たるもころさじとて射(い)はあてね今
いき帰なん其時はなつべしといひけり則/箭(や)を

取てまいらせければやかて宗任してうつぼにさゝせ
給けり他(た)の郎等是を見てあぶなくもおはする
物かな降(かう)人に参たりとも本の意趣(いしゆ)は残(のこり)たるらん
ものを脇(わき)をそらして矢をさゝする事あぶなき事
也おもひきる害心もあらばいかゝとぞかたぶきけ
るされ共義家はほとんと神に通(つう)したる人也けり
宗任いかにも思ひよるべくもなかりければたかひにて
身をまかせけるにや或(ある)夜又宗任計をぐして女の
本へ行たりけり家ふるく成て築地(ついぢ)くづれ門
かたぶけり車寄(くるまよせ)の妻戸(つまと)をあけて其内にてあひ
   【柱】古今巻九        〇七

   【柱】古今巻九        〇七
たりけり宗任は中門に侍けり五月(さつき)闇の空(そら)墨を
かけたるごとくにて雨ふり神(かん)なりておそろしき
事限なしいかにもことあらんずらんと思ひたる所
にあんのごとく強盗(ごうどう)数十人きほひ来にけり門の
前によりそばひて有火をともしたるかけより見
れば廿人計有宗任いかゞはからふべきと思ひたる
に中門の下より犬一疋はしり出てほえけるを宗
任ちいさきひきめをもて射(い)たりけるに犬いられ
てけい〳〵となきてはしるをやがておなしさまに
矢つぎばやに射(い)てけり其時義家朝臣/誰(たれ)候そ

と問たりけれは宗任となのりたり矢つぎのはや
きこそはしたなけれといはれけり強盗(ごうどう)共此こと
葉(は)を聞て八幡殿のおはしましけるぞあなかな
しとてはふ〳〵にげうせにけるとなん
【339】同朝臣/若(わか)さかりにある法師の妻(め)を密会(みつくわひ)し
けり件(くたん)の女の家二条/猪隈(いのくま)へん也けり築地(ついち)に
桟敷(さんじき)をつくりかけて桟敷(さんじき)のまへに堀(ほり)ほりて其
はたに蕀(をとろ)なとをうへたりけりすこぶる武勇立る
法師なりければ用心などしける所也法師の
たがひたる隙をうかゞひて夜ふけてかの堀のかた
   【柱】古今巻九        〇八

   【柱】古今巻九        〇八
へ車をよせければ女/桟敷(さんしき)のしとみをあげてすたれ
を持(もち)あげける其時とびの尾(を)より越(こへ)入にけり
堀のひろさもまう也けるにうへざまにとび入けん
はやわざの程/凡夫(ぼんぶ)の所為(しよい)にあらず此事たびか
さなりにければ法師聞つけて妻(め)をさいなみ
せためて問ければありのまゝにいひてげりさら
ばれいのやうに我(わか)なきよしをいひて件(くたん)の男を
入まといひければのがれがたなくていふまゝにこと
うけしぬ桟敷をあけてれいのやうに入らん所を
きらんと思て此法師其/道(みち)に囲碁盤(ゐごのばん)のあつ

きを楯のやうに立てそれにけつまづかせんとかまへ
て太刀をぬきてまつ所に案のごとく車をよせ
ければ女れいの定にしけるにとびのをの方より
とび入さまに鳥のとぶがごとく也ちいさき太刀を
ひきそばめて持たりけるをぬきてとびさまに
碁盤(こばん)の角(すみ)を五六寸計をかけてとゞこほりなく
きつて入にけり法師たゞ人にあらずと思ひて
いかにすべしともなくおそろしく覚へければはふ
〳〵くづれおちてにげにけりくはしく尋聞ば
八幡太郎義家也けりいよ〳〵おくする事限
   【柱】古今巻九        〇九

   【柱】古今巻九        〇九
なかりけり
【340】九郎/判官(はんくわん)義経(よしつね)右大将の勘気(かんき)の間都をおちて西国
のかたへ行ける時わたなべの緩/源(けん)次(じ)馬/允(のぜう)番(つがふが)もとに
よりて事の由をいひければいたう哀みて道おくり
けり後に其事聞へて番(つがふ)関(くわん)東へめされて梶原(かぢはら)に
あづけられにけり十二年迄おかれたりけるに番毎日に
本(もと)鳥をとりて今日やきられんずらんとぞまちける
去程に右大将/高麗(かうらい)国を責し時の追(つい)付使にあま
野の式部太夫遠景むかひけり大将/家(け)のきり物に
て次官(じくわん)藤(とう)内といはれし藤内は是也西国九国を

【挿絵】
   【柱】古今巻九ノ       〇又九

   【柱】古今巻九ノ       〇又九
【挿絵】
【縦長楕円印 朱】BnF/MSS

知行の間そのいきほひいかめし高麗国(かうらいこく)打しなへて
上/洛(らく)の時わたなべにて番が妹(いもと)にとつぎにけり相ぐして
関(くわん)東に下向しければ番が親類郎/等(とう)共悦をなして
さりとも今は馬殿の召籠はゆるされ給なんと悦あへ
りけり遠景(とをかけ)も宿縁あさからず此上はかの御気色
にをきてはいかにも申ゆるすべし御承引なくは遠景
申預かるべしといひければ弥々悦事/限(かぎり)なし扨関東に
下り着(つき)ていつしか使を番が本へつかはしていひけるは
思ひかけずかく侍ゆかりに成参らせて候今にをきては
ひとへに親とも頼奉るべし内外に付て疎略を存
   【柱】古今巻九        〇十

   【柱】古今巻九        〇十
べからずといひやりたりけり番多年の召人にて
今日切らるべし〳〵といひて十余年に及けれども
かたう人壱人もなければ申なだむるものなしたま〳〵
かゝる縁(ゑん)出来事はいか計かはうれしかるべきに番がいひ
けるは弓/箭(や)とる身のかゝるめに相て召籠(めしこめ)に預る恥(はじ)にて
あらずさこそ無縁(むゑん)の者なれ共あながちに其ぬしこひねがふ
べき聟にあらずとて返事にいひけるはよろこびて奉(うけたまわり)ぬ
誠に傍輩(はうばひ)として申承らん事本意候したしくならせ給
のよしの事存知がたく候番はひとり身の物にて候へば御
ゆかりに成参らすべき事候はずとあらゝかにいひたり

ければ遠景大きにいきどをりやすからぬ事に思ひて
ともすれば大将に番はきはめたるしれものにて候
いかにも猶あしき事しいださんずる者にて候はなち
たてらるまじき也と申ければ弥々をもく成まさりに
けりされ共番は少もいたまずをのこの身はいつかいかに
成べしとても人わろかるべき事はなしとて物ともせ
ざりけりかゝる程に大将康衡を打とて奥(をく)責(せめ)を
思ひ立て兵(つはもの)をそろへらるべき事出来にけり其時
番を召ての給ひけるは汝(なんぢ)をとうにいとまとらすべ
かりしか共此大事を思ひてけふ迄いけて置(をき)たる也身
   【柱】古今巻九        〇十一

   【柱】古今巻九        〇十一
の安否(あんひ)は此度の合戦によるべしとて鎧馬/鞍(くら)など給け
ればかしこまり悦て向(むか)ひけり誠に身命をおしまず
ゆゝしかりければ勘気ゆるされて本/領(りやう)かへし給りて
二度/旧里(ふるさと)に帰りき此番は無双の手きゝにて侍にけり
渡部にてしかるべき客人(きやくじん)の来りける時/鮒(ふな)はせをし
けるには箭(や)をたばさみておどる鯉(こひ)を一つもはづさず
射けり網(あみ)に入にはもるゝ方もおほし是は一つももら
さずいとめければみな人目をおどろかしけり
【341】強盗入たりけるに貞綱(さたつな)は酒に酔て白拍子(しらびやうし)玉寿
と合宿したりけり思ひもよらぬにね所に打入たり

ければ貞綱(さたつな)太刀をぬきて打はらひて玉寿を引立て
後苑へしりぞきて桧垣(ひがき)より隣へこして我身も共に
逃にけり其事世に聞えて強盗に逃(にけ)たるわろしなど
さたしけるを貞綱かへり聞て今より後成共強盗に
あひて命うしなふまじ幾度(いくたひ)も君の御大事にこそ
命をはおしむまじけれといひけるにあはせて和田左
衛門尉/義盛(よしもり)が合戦の時/昼(ひる)は紅のほろをかけて黒き
馬に乗(のり)夜るは白きほろをかけて葦毛(あしけ)の馬に乗て
軍(いくさ)のさきをかけける誠に一人当千とぞ見へける日来
の詞(ことは)に合てゆゝしくぞ侍りけるつゐに組合者なかり
   【柱】古今巻九        〇十二

   【柱】古今巻九        〇十二
けらば自害(しかひ)してげり
【342】承久三年のみだれに宇津(うつの)宮越中の前司頼業いま
だ無/官(くはん)なりけるが宇治川をわたすとて押(をし)ながさ
れて水の底(そこ)へ入たりけるに石にかきつけて鎧をぬ
がんとしけるが上帯しめてとけざりけれは引ちぎり
てぬぎておよき上りたりけりさしもはやき川の底(そこ)
にてかくふるまひたりけるゆゝしき事也けり水練
なりけり
   弓箭 《割書:第十三》
【343】弓箭之芸其/勢(いきをひ)専一也只省_二 ̄テ上弦之月_一当_二心弦_一 ̄ニ

不(す)_二再(ふたゝひ)権(かゝ)【「権」の振り仮名「はから」ヵ。書陵部本「控」】矢/不(す)_二虚(むなしく)発(はなた)_一百(もゝなから)_中(あつ)古之上手多 ̄ハ伝_二 ̄フ芳誉_一 ̄ヲ
【344】延長五年四月十日/弾正親王(たんぜうしんわう)内裏にて小弓のまけ
わざせさせ給ける酒肴(しゆかう)などはてゝ夕へになりて
清涼殿(せいりやうてん)の東の廂(ひさし)にて又小弓有けり前には弾正
親王重明のちには三品親王清貫民部卿此外の
人々も仕けり女/装束(しやうそく)一かさねかけ物に出されたりけ
るを弾正親王の宮とり給ひにけり勝方(かちかた)の拝(はい)など有
けりとかやそのまけわざは廿三日にこそし給けれ
【345】長暦二年三月十七日殿上人十余人野々宮へ参り
たりけるに御殿の東/庭(には)に畳(たゝみ)を敷て小弓の会有
   【柱】古今巻九        〇十三

   【柱】古今巻九        〇十三
けり又/蹴鞠(しふきく)も有けり夕に及て膳(せん)をすゝめられける
あひだ簾中(れんちう)より管絃(くはんげん)の御/調度(てうど)を出されたりけれ
ば則/糸(いと)竹/雑芸(ざつげい)の興も有けり又和歌も有ける
とかやむかしはかく期(ご)せざる事もやさしく面白事/常(つね)
のことなりけりいみじかりける世也
【346】寛治八年八月三日/滝(たき)口大/極殿(こくでん)にて賭弓(のりゆみの)事有けり
前の方は退紅(たいこう)の狩衣(かりぎぬ)をぞきたりけるうしろは心に
まかせたりけり故(ふるき)人等も催(もよほ)し有ければ公清(きんきよ)卿等/衣(い)
冠(くはん)にて参たりけり七/双(そう)はてゝ虎皮(とらのかは)をかけ物にて
一度射させられたりけるにあたらざりけり本意

なかりける事也【347】頼光(よりみつ)朝臣の郎等/季(すへ)武が従者(ずざ)究竟(くきやう)
の物有けり季武第一の手きゝにてさげはりをもはづ
さず射ける物也けり件の従者(ずざ)季武にいひけるはさげ
はりを射給ふ共此男が三段計のきておちたらんをは
え射給はじといひけるを季武やすからぬ事いふやつ
かなと思ひてあらがひてげり若(もし)射はづしぬる物ならは
汝がほしく思はん物を所望にしたがひてあたふべしと
定めておのれはいかにといへば是は命を参らするうへは
といへばさいはれたりとてさらばとて立(たて)といへば此男
いひつるがことく三段のきて立たり季武はづすまし
   【柱】古今巻九        〇十四

   【柱】古今巻九        〇十四
き物を従者一人うしなひてんずる事は損なれども意趣
なればと思ひてよく引てはなちたりければ左の脇
のしも五寸計のきてはづれにければ季武まけて
約束のまゝにやう〳〵の物共とらすいふにしたがひて取つ
其後今一度射給べしといふやすからぬまゝに又あらかふ
季武初めこそふしきにてはずしたれ此度はさりともと
思ひてしばし引たもちて真(まん)中にあてゝはなちけるに
右の脇(わき)下を又五寸計のきてはづれぬ其時此おとこ
さればこそ申候へえ射給ふまじきとは手きゝにては
おはすれ共心ばせのおくれたる人の身ふときといふ共

【挿絵】
   【柱】古今巻九ノ       〇又十四
【縦長楕円印 朱】BnF/MSS

   【柱】古今巻九ノ       〇又十四
【挿絵】
【縦長楕円印 朱】BnF/MSS

定めて一尺には過ぬ也それをま中をさしてい給へりつる
をときゝてそとそはへおとるに五寸はのく也しかればかく
侍る也かやうの物をば其用意をしてこそ射給はめと
いひければ季武理にをれていふ事なかりけり
【348】一院/鳥羽(とはの)院にわたらせおはしましける比みさご日ごとに
出きて池(いけ)の魚(うを)を取けりある日是を射(い)させんと思召
て武者所にたれか候と御尋有けるに折ふしむつるが
候けり召(めし)に随(したが)ひて参たりけるに此池にみさごの付
ておほくの魚を取射とゞむべし但射ころさん事は
無慙(むさん)也鳥もころさず魚をもころさじと思召也
   【柱】古今巻九        〇十五

   【柱】古今巻九        〇十五
あひはからひてつかうまつるへしと勅定ありければ
いなみ申へき事なくて則罷立て弓矢を取て参り
たりけり矢はかりまたにてぞ侍りける池の汀(みきは)の辺(ほとり)
に候てみさごを相待所にあんのごとく来て鯉(こひ)を取
てあがりけるをよく引射たりければみさごはいられ
ながら猶/飛行(とひゆき)けり鯉は池におちて腹(はら)白(しろ)にてうき
たりけり則取あげて叡覧(えいらん)にそなへければみさこの
魚をつかみたる足(あし)をいきりたりけり鳥は足は切
たれ共たゞちにしなず魚もみさこの爪(つめ)立ながらし
なず魚も鳥もころさぬやうにと勅定有けれは

かくつかうまつりたりけり凡夫(ぼんふ)のしわざにあらずと叡
感(かん)のあまりに禄(ろく)を給はりけるとなん
【349】此むつるの兵衛ノ尉/懸矢(かけや)をはがすとてとうの羽(は)を求
けるが不足しければ郎等共にもしや持たるとたつね
ければ上六太夫といふ弓の上手聞て此/辺(へん)にとうや
はみ候見よといひければ下人立出てみて只今河より
北の田にはみ候といふを聞て則弓矢を取て出たるに
とう立て南へとびけるを上六矢をはげて左右なくも
射ずいづれかはこがれたるといひければしりに飛をこ
がれたるといふを聞てなをにいそかずはるかに遠
   【柱】古今巻九        〇十六

   【柱】古今巻九        〇十六
く成て河の南の岸の上/飛(とふ)ほどになりにける時よく
引てはなちたるにあやまたず射おとしてげりむつる
感興(かんけう)のあまり不審(ふしん)をいたして問けるはなど近(ちか)かり
つるをば射ざりつるぞはるかにはとをくなしては射る
ぞ心へずと尋けれは其事に候近かりつるをいおと
したらば川に落(をち)て其はねぬれ侍りなんむかいの
地に付て射おとしたればこそかくはねはそんぜぬと
ぞいひける心にまかせたる程誠にゆゝしかりける
上手なり
【350】同人のもとに又/賀次(かじ)新太郎といふ弓の上手有ける

年の始に弓を射けるに九度(くと)の弓はつるたび今矢
三あまりたりけり賀次が矢は一すぢ也あたらん事は
不審(ふしん)なけれ共今二の矢がかずあまりぬれば射ても
用事なしと左右ともにいひけるを賀次がいはく
かりまたをゆるされ給たらば諸(を)付をつかうまつり
持(ぢ)にし侍らんといふを主人あしくいふものかな若(もし)
はづるゝ事も有にと思ひけれ共諸人目をすまさ
んがためにゆるしてかりまたをとらせてけり賀次
よく引てはなちたるにいふがごとく諸(を)付を射きり
て的(まと)土におちにけり諸付いつれば矢かず三に
   【柱】古今巻九        〇十七

   【柱】古今巻九        〇十七
もちゐるならひなれば三のかずを矢一すぢにて
持(ぢ)になりにけりとなん
【351】或所に的(まと)弓射けるに晩(くれ)に及ければ明日(あす)や勝負(かちまけ)
すべきなど人々いひける所源三左衛門尉/翔(かける)来り
けり此さたを聞ていひけるは翔(かける)はいづかたのかたう人(ど)も
すまじ矢を一手給へかしその的串(まとくし)のまへうしろを射
んあたりたらんかたを勝(かち)にし給へといへば人々も興(けう)
に入て則矢をとらせたりければついたちてはや【甲矢】を
射るにまへの串にあたりぬ方(かた)の人のゝしりあへり
けるにをとや【乙矢】にて又うしろの串(くし)をいてけり此うへは

さやうにてこそ候はめとてやみにけりかやうに名を
得たる上手のふるまひ目をおどろく事なりとな
ん【352】左衛門ノ尉/平助綱(たいらのすけつな)はつや〳〵弓引はたらかす事
叶(かな)はざりけるもの也けり家の棟(むね)にとうの飛(とび)きて
ゐたりけるを是はいむなる物をと思て立出てみる
ほどに下人左右なく弓矢をとりてあたへたりけれ
ばなをざりにとりていたりける程にあやまたず射
おとしてげり上手すら猶大事なりさしもの弓
ひかずの射あてたる事身の冥加(めうが)のいたりされ
ばつゞかなかりけりとなんいへり
【縦長楕円印 朱】BnF/MSS
   【柱】古今巻九        〇十八

【裏表紙】

【背。ラベル 横書き。「總」は青字、「上」は朱字】總上/5/54

【表紙題箋】《題:古今著聞集 《割書:十》》

【表見返し】

古今著聞集巻第十
  馬芸(ばげい) 《割書:第十四》
【353】神事の庭(には)には競(くらべ)馬を先とし公事の砌(みきり)には
青(あを)馬を始(はじめ)とすしかのみならず武徳殿(ぶとくでん)に御幸成
てさま〴〵の馬芸(ばげい)をつくさる又/信濃(しなの)の駒(こま)を引て
左右の寮(つかさ)に給て礼儀にそなへらるをこそ此芸
は乗尻(のりしり)の所好(このむところ)也/随身(すいじん)の所_レ専(せんとする)也
【354】正暦二年五月廿八日/摂政殿(せつしやうどの)右近(うこん)の場(ばゝ)にて競馬(けいば)
十(と)番(つがひ)を御覧じけり山井の大納言/儀同(ぎどう)三/司(し)共に
中納言にておはしける左右に分て公卿おほく参
【上欄書入れ】1
【縦長楕円印 朱】BnF/MSS
   【柱】古今巻十        〇一

   【柱】古今巻十        〇一
られけり一番左将/曹(さう)尾張/兼時(かねとき)右将/曹(さう)同/敦行(あつゆき)つ
かうまつりけるが兼時が轡(くつは)たび〳〵ぬけたりけれ共
おつる事はなかりけり去ながもつゐに敦行(あつゆき)勝(かち)
にけり兼時敦行にむかひてまけてはいづかたへ
行ぞといひたりけり人々そのこと葉を感して纒(てん)
頭(どう)しけるとなんいまだ競馬(けいば)にまけざりけるもの
にてかくいひけるいと興あるいひやうなるべし
【355】寛/治(じ)五年五月廿七日二条/大路(のおほち)にてはなちがひし
ける馬をとりて移(うつし)を置(おき)て競馬(けいば)六番(むつがひ)ありけり
殿上人ぞつかうまつりける東の陣(ちん)のまへより西の

【挿絵】
【上欄書入れ】2
【縦長楕円印 朱】BnF/MSS
   【柱】古今巻十ノ       〇又一

   【柱】古今巻十ノ       〇又一
【挿絵】
【縦長楕円印 朱】BnF/MSS

中門にむけてぞ■(はせ)【馬+疋。書陵部本「馳」】ける主上太/皷(こ)をうたせ給ひける
たはふれごとなれともめづらしかりける事也
【356】いづれの摂禄(せつろく)の御時にか東三条にて雲分(くもわけ)といふ
あがり馬をのられけるに中門の廊(らう)の中に爪(つめ)がたを
付て車寄(くるまよせ)の戸のそとへとび出たりけり其足の跡の
こひなうしなひそと仰られてちかく迄侍けるとかや
【357】天治元年十一月廿一日鳥羽院寛治の例(れい)をたづね
て高野(かうや)に御幸有けり道の程おぼつかなく思召
て白河院よりひまなく御使有けり廿七日にぞ
中院につかせおはしましける廿八日に奥(おくの)院に
【上欄書入れ】3
   【柱】古今巻十        〇二

   【柱】古今巻十        〇二
まいらせおはしましける晦日/還御(くはんきよ)のみち長坂
の東野にて御馬をさゝへて競馬(けいは)の事有けり一番
左兵衛督権右中弁/顕頼(あきより)朝臣左勝二番修理太夫
左近将/曹(そう)公俊(きんとし)子右馬いてす左勝三番美作守
顕輔(あきすけ)朝臣左近府/生(しやう)秦兼信(はだのかねのふ)《割書:兼方|子》勝負いかゞなり
けるやらんいと興有ことなり
【358】保延三年八月六日仁和寺殿の馬場にて日吉御
幸の内くらべ七番有けり一院《割書:鳥羽》女院《割書:待賢(たいけん)門院》
今宮五ノ宮前ノ斎(さい)院御覧ぜられけり左大臣以下
参給ひけり一番/左(ひだり)院/将曹(のしやうざう)秦兼弘(はたのかねひろ)《割書:兼久|子》右府

生下野/敦延(あつのふ)《割書:敦高|子》つかうまつりけるに三遅(ち)の後敦延
が馬のひざより血(ち)はしりければ他の馬をのせかへら
れんがためにいれられにけり二番左府生/下野(しもつけの)敦(あつ)
方《割書:敦利|子》右府生/秦兼則(はたのかねのり)うちいでける程に兼則
おとり心地おとりて勝負の心なかりければ追入
られて兼弘(かねひろ)敦延(あつのふ)又打出にけり左の馬もとより
口をうちけれども兼弘ならびなき上手なりければ
馬の失(しつ)をかへり見ずちかくまうけておりかへる事
十度にあまりけれ共敦延追はざりけり兼弘を
はんとしければ敦延ちかくよせずかくて時を送る
【上欄書入れ】4
   【柱】古今巻十        〇三

   【柱】古今巻十        〇三
程にかならず勝負すべきよし仰下されける時兼
弘をひてげり敦延がかちの袖をとりて引ほころ
ばかしたりけれ共敦延勝にけり兼弘はじめて負(まけ)
にけり大かたのりやう上下目をおどろかしけり院殊
に御感有て両人共にめされけれ共兼弘あとをくら
みて失にけり敦延に方人(かたふど)纏頭(てんどう)せざりければ院し
きりに方人をめされけれ共参者なかりけり右
方の奉行の将にて大炊(おふいの)御門右大臣の中将にておは
しけるぞ女郎花(おみなめし)の織(をり)ひとへをなまじゐに打かけ
られける敦延其禄を鞭(むち)にかけて肩(かた)にはかけざり

けりしたしき物共の有ける所にて師(し)子にや似たる
といひたりければ誰にてか有けんなどゝ問たりけれ
ばくれぬ物をこひ取たればよといひけるにくながら
興有とも沙汰有ける
【359】後鳥羽院の御時の競馬(けいは)に院の左番の長/秦(はたの)頼次
《割書:兼平|子》府生下野/敦近(のあつちか)つかうまつりけるに頼次が乗
たる馬の鞭(むち)を打たりけるに馬場もとへ走(はし)り帰り
たりけるに敦近(あつちか)勝にけり勝負/普通(ふつう)ならずと
さた有て程へて敦近をめされけるに保延の敦延
か事を思ひ出て禄を鞭(むち)のに前かけてしたしき
【上欄書入れ】5
   【柱】古今巻十        〇四

   【柱】古今巻十        〇四
物共に向ひて師(し)子にや似たるといひたりければ御
気しきあしく成て所帯(しよたい)も相違してげるとかやか
やうの言葉は人によりていふべき也
【360】承安元年に五月会にて侍けるにや秦公景(はたのきんかげ)《割書:公正子》
下野の敦景《割書:敦則子》あはせられたりけるに公景はまう
け上手敦景はをひ上手なりければ案のごとく敦景追
てとりくみて馬場末にてとほりにけりともに興有
ければ両人めされにけり公景はもとより院の召次(めしつぎ)所
に候けり敦景/叡感(えいかん)のあまりに次日召次所に候
べきよし大宮大納言/隆季(たかすへ)卿奉行にて仰下され

けり公景此事を聞て院の中門に主典代(しゆてんたい)庁官(ちやうくはん)な
どが候ける中にて誠にや敦景公景に持したりとて
御所へめされ侍る也公景に勝たらんものはいか程の
目にかあふべきといひたりけるいと興有申事也
【361】小松の内大臣右大将にておはしける時/佐伯(さいきの)国方《割書:重文|子》
一座にて侍けり治承元年三月五日内大臣に成
給ける時番長になされにけり拝賀の夜くせも
なき馬を移(うつし)馬にひかれたりけるに国方近習の者
を呼出して申けるは今夜国方定てくせ物に乗
侍らんずらんと近衛(このえ)の舎人(とねり)等目をすまして侍ら
【上欄書入れ】6 
   【柱】古今巻十        〇五

   【柱】古今巻十        〇五
んずるに無念の馬を仕(つかふ)まつらん事なげき思ふよし
を申ければおとゞこよひは祝の夜にてあるにもし
不慮(ふりよ)の事もあらば公私(こうし)いまはしかりぬべし後〳〵の
せらるべきよし仰られければ国方かさねて申けるは若
落馬仕て侍らば国方か怪異(けい)になし侍りていとま
を給べし猶くせ物に乗らるまじくは番長には
すみやかに他人をなさるべしとしゐて申ければおとゞ
力及はてあがり馬をひかれにけりなかみちにくちを
はつさせてあげけり誠に違失(いしつ)なしおとゞ感に
たえす帰給て纏頭(てんとう)せられけるとそ

【362】播磨の府生/貞弘(さだひろ)が家ちかく陰/陽師(ようし)ありけり馬を
まうけたりけるを貞弘をよびてのり試(こゝろむ)へきよし
いひければ貞弘奇/怪(くはい)に思ひながら行て乗てげり
打まはしてやがて乗ながら家へ帰にけり陰陽師
こはいかにとて馬をこひければさもあらず汝程の
者が貞弘をよびて庭乗せさせてみるべき事かは
馬をとらせんと思へばこそのせつらめとてやがて
領じてげれば力及ばでぞ有ける
【363】後白河院の御時鎌倉の前の右大将御馬を百疋参らせ
たりける下野の敦近(あつちか)召次(めしつき)所に候けるをめして乗
【上欄書入れ】7
   【柱】古今巻十        〇六

   【柱】古今巻十        〇六
られけるに冬の事なりければいと寒かりけるに
敦近はだにかたびら計を着て参りたりければ寒
げに見へけるが御馬のかずつかうまつりにければ
汗(あせ)くみにけり兼而用意したるほどいみじく見へ
けり叡感(えいかん)ありて御馬一疋えりて給べきよし仰られ
ければ承りける時のりたりける御馬をさうなく申
給にけり乗はてゝ後中門に候けるに宿衣(しゆくい)一領たま
はせければ肩(かた)にかけて出けりゆゝ敷ぞ見へけり
【364】武蔵の国住人つゞきの平太/経家(つねいへ)は高名の馬乗馬/飼(かい)
なりけり平家の郎等なりければ鎌倉右大将めし

取て景時に預られにけり其時陸奥より大きにし
てたけき悪馬(あくば)を奉りたりけるをいかにものる物なかり
けり聞え有馬乗共に面々にのせられけれ共一人も
たまるものなかりけり幕下(ばくか)思ひわづらはれてさるに
ても此馬にのるものなくてやまん事口惜き事也
いかゞすべきと景時にいひあはせ給ひければ東八ケ国
に今は心にくき者候はず但/召人(めしうと)経家(つねいへ)ぞ候と申け
ればさらばめせとて則召出されぬ白(しろき)水干(すいかん)に葛(くづ)
の袴(はかま)をぞ着たりける幕下(ばくか)かゝる悪馬あり仕り
てんやとの給はせければ経家かしこまりて馬は
【上欄書入れ】8
   【柱】古今巻十        〇七

   【柱】古今巻十        〇七
かならす人にのらるべき器にて候へばいかにたけき
も人にしたがはぬ事や候べきと申ければ幕下入
興せられけりさらばつかうまつれとて則馬を引
出されぬ誠に大きにたかくしてあたりをはらひて
はねまはりけり経家水干の袖くゝりて袴のそば
たかくはさみてゑぼうしかげして庭におり立たる
けしきまづゆゝしくぞ見へけるかねて存知たり
けるにや轡(くつわ)をぞもたせたりける其轡をはげ
てさし縄(なは)とらせたりけるを少も事共せずはね
はしりけるをさし縄にすがりてたくりよりて乗

てけりやがてまかりあがりて出けるを少し走(はし)らせ
て打/止(とゞ)めてのど〳〵とあゆませて幕下(はつか)の前に
むけてたてたりけり見る者目をおどろかさずと
いふ事なしよくのらせ今はさやうにてこそあらめと
の給はせける時おりぬ大きにかんじ給て勘/当(だう)ゆる
されて厩(むまやの)別当になされにけり彼経家が馬/飼(かい)ける
は夜半計におきて何にか有らんしろき物を
一かはらけ計手づから持来りて必/飼(かい)けりすべて
夜〳〵ばかり物をくはせて夜明ればはだけ髪(かみ)を
ゆはせて馬の前には草一/把(は)も置ずさは〳〵と
【上欄書入れ】9
   【柱】古今巻十        〇八

   【柱】古今巻十        〇八
はかせてぞ有ける幕下富士川あひざはの狩に
出られける時は経家は馬七八疋に鞍(くら)置て手綱(たつな)むす
びて人もつけずうち放して侍ければ経家が馬の
尻にしたがひて行けりさて狩場(かりば)にて馬のつかれたる
折には召にしたかひてぞ参られけるか様に伝へ
たるものなし経家いふかひなく入海(にうかい)して死にけれ
は知るものなし口おしき事也
【365】一条二位の入道のもとに高名のはね馬出来けり
秦(はたの)頼久(よりひさ)を召て乗(のせ)られたりけるに一たまりもせず
はねおとされけるを父/敦頼(あつより)が七十/有余(うよ)にて候けるが

是を見てわろくつかうまつる物かな敦頼はよも落(をち)し
とぞ申けるを老後(らうご)にいかゞとは思ひながらさらばのれがし
といはれたりければやがて乗て少も落さりけり
人々目をおどろかしけり
【366】建仁(けんにん)三年十二月廿日/北野(きたの)宮寺(みやじ)に御幸有て競馬(けいは)十
番有けるに五番めに左院の右番長/秦久清(はたのひさきよ)右に
大将《割書:花山院右府|入道忠経公》下野の敦文(あつふん)つかはせられにけり久清は
上手也敦文は不堪(ふかん)の者也ければ久清合手をきら
ひて辞(じ)し申けれ共/叶(かな)はさりければ心地あしく覚へ
ながらつがふべきに成たりけるにさても中〳〵不
【上欄書入れ】10
   【柱】古今巻十        〇九

   【柱】古今巻十        〇九
堪(かん)の仁に負(まけ)なば尚本意なかるべしと思ひけりかく
て久清北野の宿所にて出立の程に僧壱人来りて
申べき事有といひけれ共/競(けい)馬の乗尻は其日は殊
に物/忌(いみ)をして法師なとにはあはぬ事にて下人共
聞入ざりけり此僧あながちにいひければ久清に告(つげ)て
けり久清やうこそあるらめと思ひて出あひて尋け
れは僧がいふやう過ぬる夜の夢に此馬場にて
賀茂の神人とおほしくて馬場/末(すへ)によこさまに
縄(なは)を引て勝負の鉾(ほこ)などをさばくりつるを夢の
心ちにあやしみ尋れば院の右之先生の勝負のれう

也と云と思ひてさめぬ賀茂大明神の御はからひにてかた
せ給べしと告(つげ)ければ久清おさなくより賀茂につかう
まつる者なればうれしくたのもしく覚へて勝(かち)て後
悦は申べしといひて返してけり其/期(こ)に成て久清/敦(あつ)
文(ふん)うちつがひて敦文前に立たりけるか少ししどけな
く見へけるを久清かたぎをあなづりて遠なから追て
げり敦文が馬よく出あひてはやく勝にける程に
鞭(むち)さして勝負の桙(ほこ)のもとにて安堵(あんど)して見帰りた
りけるに久清/追着(をいつき)て敦文がくびくみに手をかけ
たりければ敦文落て久清勝にけり勝ながらもあま
【上欄書入れ】11
   【柱】古今巻十        〇十

   【柱】古今巻十        〇十
りに不思儀(ふしぎ)にて久清丈尺にてうつて見ければ桙(ほこ)
例(れい)よりも一丈あまり遠く立たちげり彼僧か夢も
思ひあはせられて大明神の御はからひかたじけなく
覚へけり例(れい)の寸法にて立たらまじかははやくまけなま
じ不思儀なりける事也此僧にはよろこひいひたり
けるとかや敦文程のものに是程の勝負し出したり
とて勝ながら御気色あしかりとなんまして負まし
かば定てよかるまじきに明神の御はからひ忝かりけり
此久清度々/競(けい)馬仕けれ共一度もまけざりけり数すく
なく乗てまけぬ者はおほかれどもかゝるためしは未

聞さる事也
【367】承元元年より三ヶ年が間/新日吉(しんひよし)に五月/会(ゑ)に北面(ほくめん)
の下臈(けらう)に随身(すいしん)あはせられけり同二年の五番の乗(のり)
尻(しり)左兵衛の尉大江ノ高遠(たかとを)右大将《割書:野々宮|左大臣君継》下臈(けらう)佐伯国文(さいきのくにふん)と
さため下されけり高遠は馬にもしたゝかに乗(のる)上(うへ)大男
にて強力(ごうりき)の聞へ有けり国文は小男無力のもの也ければ疑(うたかい)
なく取て捨(すて)られなんすと人々も思たちけり高遠
も傍輩(はうはい)にあひて高遠が小ゆびと国文がかひなと
いつれかふときなと云けり去程に打ちがひて高遠
前に立たりけるを国文追てやがて高遠を取おとし
【上欄書入れ】12
   【柱】古今巻十        〇十一

   【柱】古今巻十        〇十一
つ高遠落さまに国文が馬のみづゝきを取てひざま
つき立けるを国文取もあへずをのが馬の手綱(たつな)おもがい
をおしはづして平頭(ひらくび)をうちてけり高遠/轡(くつは)を持なが
ら尻居(しりゐ)にまろびぬ国文が馬轡もなくて走(はしり)けるを
中ノ判官(はんくはん)親清(ちかきよ)馬場末を守護(しゆこ)して候けるが其郎等たか
まとの九郎国文が馬のくびにいだき付て桟敷(さんしき)にをしあ
てゝどゞめてけり高遠むなしき轡(くつは)を持て馬場末
に有けるを国文下人を召て其轡よも御用候はじ
申給らんと江の兵衛殿に申せといひたりけれは国文
が郎等すゝみ寄て其由をいひけば高遠すはとて

【挿絵】
【縦長楕円印 朱】BnF/MSS
【上欄書入れ】13
   【柱】古今巻十ノ        〇又十一

   【柱】古今巻十ノ        〇又十一
【挿絵】
【縦長楕円印 朱】BnF/MSS

なげすてたりけり国文轡はげてあげて参たりけ
り舎人(とねり)壱人口に付て禄(ろく)二/領(りやう)たまわりけりことに
叡感(えいかん)ありけるとそかやうの時おもがいをしはづす事
は江帥(ごうそつ)の記しおかれたるは馳(はせ)出して百(もゝ)の術(じゆつ)ありと
侍なる其一なりとぞ【368】坊門の大納言《割書:忠信》左衛門督にて
侍ける時/建暦(けんりやく)の御/禊(はらひの)行幸に一六といふ馬にのりて
供奉(ぐぶ)せられたりけるに二条/室町(むろまち)にて院の御/桟敷(さんしき)の
前の幔(まく)風に吹あげられたりけるにおとろきて御桟
敷の東より引て走(はしり)けるを馬/副(そへ)引まろばかされて
馬をすてゝけりとゞめける程に轡も切にけるを静(しづか)
【上欄書入れ】14
   【柱】古今巻十        〇十二

   【柱】古今巻十        〇十二
に靴(くつ)をかた足つゝぬぎすて襪(したうつ)ばかりにて鐙(あふみ)をふみ
おほせてのち馬のはなをかきて二条/烏丸(からすまる)なる桟敷
の前にてとゞめられにけり見る者目をおどろかし
けり其桟敷ゆかり有ける人にていそぎ轡をはげて
奉りけりすべて御/禊(はらひ)にはなとやらん馬より落るた
めし多く侍りよく〳〵つゝしむべき事にや彼大納言
交野(かたの)之/御狩(みかり)に同じ馬に乗て鹿(しか)に付て馳(はせ)ける程
に鹿/淀川(よとかは)に入ければ馬もつゞきて入にけり乗人(のりびと)川
にしつみて見へざりければ上下おどろきあざみあ
へりける程にしばし有て物具/水干(すいかん)袴(はかま)みなうき出

たりけり其後はだかにてをよぎ上りけり水の底(そこ)に
てのとかにぬきとかれけり水練(すいれん)の程目出たかりけり
かやうの用意にやかねてたうさきをなんかゝれたり
ける此馬に乗て二たび高名せられたりけるく
せ事になん申あへりける
【369】
建保(けんほう)五年日吉の小五月会に新院番長/秦頼峯(はたのよりみね)
府生同/武澄(たけすみ)つかうまつりけるに頼峯おふて勝にける
が馬場末にて落て死たりけるを郎等はしりて父/頼武(よりたけ)
が御桟敷に候けるに先生殿の死なせ給て候と告(つけ)たり
ければ頼武かいてすて候へといひたりけるに又下人/走(はし)り
【上欄書入れ】15
   【柱】古今巻十        〇十三

   【柱】古今巻十        〇十三
て生(いき)いでさせ給て候が御/冠(かんふり)のひしげてえまいらせ給は
ぬと告たりければおのれらが烏帽子(ゑほうし)ぞかしといひ
たりければ則下人が烏帽子を引いれてあげて参
たりけるいみじう見へけり

  相撲(すまう)強力(かうりき) 《割書:第十五》
【370】相撲は最手【ほて】占手或は左或は右皆/強力(ごうりき)の致所也と
いへども又取手の相度【書陵部本「遮」】事あるにや昔(むかし)は禁中にて其
節を行(をこな)はれ諸国に強力(こうりき)のものを尋めされけり
安元より以来/絶(たへ)て其名のみ聞口おしき事也

【371】延長六年閏七月六日中の六条院にて童相撲の
事有けり廿番はてゝ舞を奏(そう)す左は蘇合(そかう)右は
新鳥蘇(しんとりそ)次に新作の胡蝶(こてう)楽を奏(そう)しけりその曲
笛(ふへ)は忠房(たゝふさ)朝臣舞は式部卿親王作給ひける舞/終(おはり)
て船吉(ふなよし)実散楽を供しけり次に羅陵王(らりやうわう)駒形(こまかた)を
奏す式部卿親王に纒頭(てんとう)ありけるとかや
【372】相撲(すもう)宗平(むねひら)儀同(ぎどう)三司(さんし)の御もとへ参たりけり時弘(ときひろ)は
其御弟/隆家(たかいへ)の帥(そつ)の御方へ参たりけり帥(そつ)の仰に
よりて時弘(ときひろ)しきりに宗平(むねひら)をてこひもしまくるもの
ならば時弘が首(くび)を切られん宗平負は又宗平が
【上欄書入れ】16
   【柱】古今巻十        〇十四

   【柱】古今巻十        〇十四
首をきらんなど申けるを宗平あながちに固辞(こじ)せ
すして則立まゝに時弘をかきだきて地になげふ
せたりければ時弘しばしはうごかざりけり帥やすから
すやおぼしけん涕泣(ていきう)したまひけるとぞおとゞ宗平
に禄を給はせけるとなん時弘いづとていかりて門
の関(くはん)の木を折てげり
ある時/頼光(よりみつ)朝臣/備前守(ひせんのかみ)にて有けるとき時弘
が家に行て見ければみづから利牛(りきう)を引物有けり
頼光あやしと見ければ時弘にてぞ有ける【373】いづ
れの年にか相撲の節に勝岡(かつをか)と重茂(しけもち)と合たり

けるに重茂(しけもり)が尻(しり)を木にすらせけるを常世(つねよ)みて
只今に大事出きぬといひけるに果(はた)して重茂木
をふみて勝岡(かつをか)にかゝりければ勝岡まろびにけり小
野の宮の右府はら立て出給にけり随身(ずいしん)をして人
をはらはせられける程に秦兼時(はたのかねとき)が冠(かんふり)も打おと
されにけり
今年左の相撲多く負けるを右府あざけらるゝ
よしを聞て左の方より夜の間に勝岡(かちをか)負(まく)べきよし
を祈(いのり)をせさせられにけり此勝岡/常正(つねまさ)にあひたり
けるに勝岡を火焼(ひたき)屋になげ付たりけり後の度は
【上欄書入れ】17
   【柱】古今巻十        〇十五

   【柱】古今巻十        〇十五
勝負を決(けつ)せす公保(きんやす)常時(つねとき)聞て奇異(きい)の事也かく
計の相撲/声(こゑ)を出して勝負せざる事いまだ聞ざる
事也世の人/推(すい)することの侍けるとかや此事は後一条
院の御時の事にや【374】相撲の節に久光(ひさみつ)といふ相撲
爪(つめ)をながくおふして敵(てき)をかきけるに常世(つねよ)に合られ
たりけるに常世一両度/顔(かほ)の程をかゝれて後久光が
頭(かしら)をづめてせめたりけるに久光/悶絶(もんぜつ)しけり相はなれ
て今より後はかゝることせじとぞいひける其後あへ
て近付ざりけり左大将しきりに近付て勝負
をすへきよしいはれけれ共猶近付ざりけり然ら

ずば禁獄(きんこく)すべきよしを下知せられければ久光いはく
禁獄(きんこく)は命うすべからす常世に近付ては命あるべ
からずとぞ申ける
【375】承徳二年八月三日/滝口(たきくち)所の衆等かたをわけて馬
場殿にて相撲有べしと沙汰有けり舎人(とねり)左の方は
頭弁(とうのべん)基綱(もとつな)朝臣以下右の方は頭(とうの)中将/顕通(あきみち)朝臣以下
を定られけり当日に既(すて)に出御有ける程に院
より子細を申されてとゝまりにけり去ながら夜
深(ふけ)て御殿(こてん)の南西にして密(みつ)〳〵にとらせられけ
るとかや
【上欄書入れ】18
   【柱】古今巻十        〇十六

   【柱】古今巻十        〇十六
【376】尾張(をはりの)国の住人おこまの権守わかゝりける時京に
宮仕(みやつかへ)して侍けるがある時かの主人行幸/供奉(くふ)の為
に内裏へまいりけるともに侍けり少/遅参(ちさん)したり
けるに陣頭(ぢんとう)に馬車ひしと立たるをわけまいるに
或舎人あやまちせたもふな此御馬は人をふみ候ぞ
といふを権之守少も事共せず主人よりさきにすゝ
みて御馬引のけよ馬の足/損(そん)ずなといひけり舎人
は馬をばなをさず猶あやまちせさせ給なとたび
〳〵いひけりおこまはりうらのかりぎぬの殊にさや
めきたるをなん着(き)て馬の尻にわざとあたらんと

とをるを案のごとく馬ふみてげり腰(こし)のほとにはあ
たりぬらんと見へつるにおこまは少も事なし馬は
やがて足を損(そん)してふしにけり其時おこま立かへり
てさればこそいひつれ其御馬は損じぬる物をといひ
て通りにけり馬の足のそんずる程につよくあたり
たるを事共せでありけるつよさのほどおそろ
しきことなり
【377】佐伯氏長(さいきのうじなか)はじめて相撲の節にめされて越前(ゑちせん)の
国よりのぼりけるとき近江の国高嶋の郡(こほり)石橋(いしはし)を過侍
けるにきよげ成女の川の水をくみてみづからいたゞ
【上欄書入れ】19
   【柱】古今巻十        〇十七

   【柱】古今巻十        〇十七
きて行女有けり氏長きと見るに心うごきてたゞに
打過べき心地せざりければ馬よりおりて女の桶(をけ)とら
へたるかひなのもとへ手をさしやりたりけるに女うち
笑(わらい)てすこしももてはなれたるけしきもなかりけ
れはいとゞわりなく覚へてかひなをひしとにぎりた
りける時桶をばはづして氏長が手を脇(わき)にはさみ
てげり氏長興ありて思ふ程にやゝ久敷なれどもい
かにも此手をはなたざりけり引ぬかんとすれば
いとゞつよくはさみて少も引はなつべくもなけれ
ば力及はずしておめ〳〵と女の行にしたがひて行

【挿絵】
【縦長楕円印 朱】BnF/MSS
【上欄書入れ】20
   【柱】古今巻十ノ        〇又十七

   【柱】古今巻十ノ        〇又十七
【挿絵】
【縦長楕円印 朱】BnF/MSS

に女家に入ぬ水打をきて後手をはつして打笑て
さるにてもいか成人にてかくはし給へるぞといふけし
き事がらちかまさりしてたえがたく覚へけり我は越
前の国のもの也相撲の節といふ事有て力つよきもの
を国々よりめさるゝ中に入て参也とかたらふを聞
て女うなづきてあふなき事にこそ侍なれ王城はひろ
ければ世にすぐれたらん大力も侍らん御身もいた
くのかひなしにてはなけれ共さほどの大事に逢べ
き器(き)にはあらずかく見参(けんさん)しそむるもしかるべき事也
彼節の期(こ)日はるかならは爰に三七日/逗留(とうりう)し
【上欄書入れ】21
   【柱】古今巻十        〇十八

   【柱】古今巻十        〇十八
給へ其程にちととりかひ奉らんといへば日数も有
けりくるしからじと思ひて心のとゝまるまゝにいふに
したがひてとゞまりにけり其夜よりこはき飯(いひ)を多
くしてくはせけり女みつから其/飯(いひ)をにぎりてくはする
に少もくいわられざりけり始の七日はすぎてえくひ
わらざりけるが次の七日よりはやう〳〵くいわられけり
第三七日よりぞうるはしうはくひけるかく三七日が間
よくいたはりやしなひて今はとくのぼり給へ此上
はさりともとこそ覚ゆれといひてのぼせけりいら【いとヵ】
めつらかなる事なりし件の高島のおほ井子は田

などおほく持たりけり田に水まかする比村人水を
論(ろん)じてとかくあらそひておほ井子が田にはあて付ざり
ける時おほ井子夜にかくれて表のひろさ六七尺ばかり
成石の四方成をもて来りて彼水口に置て人の田
へ行水をせきて我田へ行やうによこさまにをきて
げれば水おもふさまにせかれて田うるほひにけりその
あした村人共見ておどろきあざむ事/限(かきり)なし石を引
のけんとすれは百人計しても叶ふべからずさせば田皆
ふみそんぜられぬべしいかゞせんとて村人おほ井子に
降(こう)をこひて今より後は覚しめさん程水をばまかせ
【上欄書入れ】22
   【柱】古今巻十        〇十九

   【柱】古今巻十        〇十九
るべし此石のけ給へといひければさぞ覚ゆるとて又夜
にかくれて引のけてげり其後はながく水論する事
なくて田やくる事なかりけり是ぞ大井子が力/顕(あらは)し
そむるはしめ也ける件の石大井子が水口石とて彼
郡(こほり)にまだ侍るとなん
【378】宇治の左府随身/公春(きんはる)を不/便(びん)なる物に思召たる事
めたゝしき程の事也或時いか成事か有けんみづから
公春うたんとせさせ給けるに公春おとゝの御手を取
てもしうたせ給はゞ御手を折べし君といふ共いかで
かうたせ給べきと申ければおとゞ罪(つみ)をこはせ給ひて

のがれ給ひにけり公春/笑(わらひ)て申けるは君十人といふとも
公春一人にあたり給ふべからず今より後もかゝる事
なせさせ給ひそと申ければおとゞ承諾(じやうだく)せさせ給ひ
けりそれより御勘当なかりけり公春は大力にてなん
侍ける【379】○中納言/伊実(これさね)卿相撲/競馬(けいば)などを好(このみ)て学問なん
どをばせられざりけるを父のおとゞ伊通公つねに勘(かん)
発(ほつ)し給けれども猶思ひられざりけり其時相撲なにがし
とかやいふ上手有けり歒(てき)の腹(はら)へかしらを入てかならず
くじりまろばしければ是によりて腹くじりとぞ
いひける件の相撲をしのびやかにめしよせてこの
【上欄書入れ】23
   【柱】古今巻十        〇二十

   【柱】古今巻十        〇二十
中納言相撲をしのび好(この)むがにくきにくじりまろ
ばかせさらば纏頭(てんとう)すべししからずはなくなさんずる
ぞと仰含られにけり則中納言に汝が相撲好む
に此腹くしりとつがひて勝負を決すべし勝たらは
われ制止(せいし)する事有べからず負たらんにをきては永
此事/停止(てうじ)すべしとの給ひければ中納言恐れをなし
てかしこまりておはしけり去程に腹くじり召いた
されてやかて決(けつ)せられける程に中納言は腹く
じりが好まゝに身を任(まかせ)られければ悦てくじり入て
げり其後中納言腹くじりが四辻をとりて前へつよく

ひかりたりければ頭もをれぬ計に覚へてやがてうつぶし
にたふれにけりおとゞ興さめ給ふ腹くじりはちくてんし
にけり其後中納言相撲/制止(せいし)の沙汰(さた)なかりけり
【380】鎌倉(かまくらの)前の右大臣/家(け)に東八ヶ国うちすぐりたる大力の
相撲出来て申て云/当時(たうじ)長居(ながゐ)に手/向(むか)ひすべき人
覚へ候はず畠(はたけ)山庄/司(じ)次郎計ぞ心にくう候それとて
も長居はたやすくはいかでかひきはたらかし侍らん
と詞もはゞからずいひけり大将聞給て此事ねたま
しう思給ひたる折ふし重忠(しけたゞ)出来りけり白(しろき)水干(すいかん)に
葛(くづ)ばかま黄(き)なる衣(きぬ)をぞ着(き)たりける侍(さむらひ)に大名小名
【上欄書入れ】24
   【柱】古今巻十        〇二十一

   【柱】古今巻十        〇二十一
所もなく居なみたる中をわけて座上にひしと居たり
ける大将猶ちかくそれへ〳〵と有けれ共かしこまりて侍
けり扨物語して抑所望の事の候を申出さんと思ふが
定て不祥(ふしやう)にぞ侍らんずらん思ひ給ひながら又たゝ
にやまんも忍びがたくて思ひわづらひたるとの給はせ
ければ重忠とかく申事はなくてかしこまりて聞ゐたり
けり此事たび〳〵に成ける時重忠ちと居なをりて
君の御大事何事にて候共いかてか子細を申候わんと
いひたりければ大将/入興(しゆけう)し給て其庭に長居めが
候ぞ貴殿と手合をして心見ばやと申也東八ヶ国打

すぐりたるよし自称(じしやう)仕つるがねたましう覚へ候得ば頼朝
成共出て心みはやと思ひ給へ共とりわきそこをてごろ【てごひヵ】申
ぞ心み給へとの給はせければ重忠/存外(そんくわい)げに思ていよ
〳〵ふかくかしこまりていふ事なし大将さればこそ是
は身ながらもひあひの事にて候去ながらも我が所望
此事にありと侍ける時重忠座を立て閑所(かんじよ)へ行て
くゝりすへ烏帽子(ゑぼうし)かけなどしてげり長居は庭に床/子(す)
に尻かけて候けるそれもたちてたうさきかきてねり
出たりまことに体(てい)力士(りきし)のごとくに見へけれは畠山もいかゝ
とぞ覚へける扨寄合たりけるに手合して長居
【上欄書入れ】25
   【柱】古今巻十        〇二十二

   【柱】古今巻十        〇二十二
畠山がこくびをつよく打て袴のまへごしをとらんと
しけるを畠山左右のかたをひしとおさへて近付ずかく
て程へければ景時(かげとき)今は事から御覧候ぬさやうにてや
候べからんと申けるを大将いかにさるやうはあらん勝負
有べしとの給はせはてねば長居をしりゐにへしすべ
てげりやがて死入て足をふみそらしければ人々寄
てをしかゞめてかき出しにけり重忠は座にかへり
つゝ【くヵ】事もなく一言もいふ事なくて頓而出にけり長ゐは
それより肩(かた)のほねくたけて肩輪(かたは)物に成てすまひとる
事もなかりけりほねをとりひしぎにけるにこそ目お

どろきたることなり
【381】近比近江国かいづに金(かね)といふ遊女有けり其所のさた
の者也ける法師の妻(つま)にて年比すみけるに件の法師
又あらぬ君に心をうつしてかよひけるを金もれ聞て
やすからず思ひけりある夜合宿したりけるに法師
何心なくてれいのやうに彼事くはだてんとてまたに
はさまりたりけるを其よは腰(こし)をつよくはさみてげり
しばしはたはふれかと思ひてはづせ〳〵といひければ
猶はさみつめては法師めが人あなづりして人こそあ
らめおもてをならべたるものに心うつしてねたきめ
【上欄書入れ】26
   【柱】古今巻十        〇二十三

   【柱】古今巻十        〇二十三
みするに物ならはかさんと云てたゞしめにしめまさり
ければ既(すで)にあはをふきて死なんとしけり其時はづしぬ
法師はくだ〳〵と絶(たへ)入てわづかに息(いき)計かよひける水/吹(ふき)
などして一時計有ていきあがりにけりかゝりける程に
其比東国の武士大番にて京上すとて此かいつに日
たかく宿しけり馬共/湖(みつうみ)に引入てひやしける其中に
竹の棹(さを)さしたる馬のすゞしげなるが物におどろきて走(はし)り
まひける人あまた取付て引とゝめけれ共物ともせず
引かなぐりてはしりげるに此遊女行あひぬすこしも
おどろきたる事もなくてたかきあしだをはきたり

けるに前をはしる馬のさし縄(なは)のさきをむすとふまへ
けりふまへられてかひこづみてやす〳〵ととまりにけり
人々目をおどろかす事かぎりなし其あしだ砂(すな)ごにふ
かく入て足くび迄うづまれにけりそれより此/金(かね)大力の
聞え有て人おぢあへりけるみづからいひけるはわらわ
をばいかなる男といふ共五六人してはえしたがへじと
ぞ自称(じしやう)しけるある時は手をさし出て五のゆびごとに
弓をはらせけり五/張(てう)を一どにはらせけるゆびばかりの
力かくのごとし誠におびたゝしかりける也
【382】鳥羽院の御代相撲の節の後/帥(そつの)中納言長/実(さね)卿の本へ
【上欄書入れ】27
   【柱】古今巻十        〇二十四

   【柱】古今巻十        〇二十四
小熊(をくま)権之守/伊遠(これとを)と聞ゆる相撲/息男(そくなん)伊成(これなり)をぐし
てまいりたりさるべき方へめし入て酒などすゝめらるゝ
に弘光(ひろみつ)といふすまう又来けり同じく召くはへて盃酌(はいしやく)
たび〳〵に及間弘光/酒狂(しゆけう)のことばを出すあまりに亭主(ていしゆ)
の卿に向ひて申近代の相撲はせいなど大きに成ぬれ
ば左右なくほてをも給はりそのわきにもまかりたつ
めし【書陵部本「めり」】むかしは雌雄(しゆう)をけつして芸能(けいのふ)あらはるゝに付て
昇進(せうしん)をもつかうまつりしかば傍輩口をふさき世の人
是をゆるしき近代はいさみなき世にも侍りなど
申伊遠少し居なをりて是はひとへに伊成が事を

申也/不肖(ふせう)の身今度すでに最(ほ)手の脇(わき)をゆるされぬ
誠に申さるゝ所のがれがたし但ちと心見候へと申ぬ弘
光ほゝゑみてたゞ道理のをす所を申計也心得見ら
れんは又さいはい也とて左の手を出してこひけるを
伊成は袖をかきあはせてかしこまりて猶父のけし
きをうかゞひけるを又弘光かやうに申うへはたゞ心み候へ
とたひ〴〵いひけれは弘光がいだす所の左の手を
伊成が右の手してひしと取てげり弘光引ぬかん
と身をうごかしけれ共たぢろかざりければたはふれ
にもてなして右の手をこしの刀にかけて引ぬかん
【上欄書入れ】28
   【柱】古今巻十        〇二十五

   【柱】古今巻十        〇二十五
とする気色にてすちなけに見へければいまはさばかり
にて候へと伊遠申ければはなちてげり弘光かやうの手合
はさのみこそ侍れ勝負これによるべきにあらずひと
さし仕べしといひてかくれのはしりよりてふたつの
袖を引ちがへはかまのくゝりたかくかゝみあげて【書陵部本「からみあげて」】庭へ
あゆみ出て是へおり候へ〳〵と申伊成はめかけながら
かしこまりゐたりけるを父伊遠いかにか程に申うへは
はやくまかりおりて一さし仕へしと申に伊成もかく
れのかたにてこしかゞみて【書陵部本「からみて」】庭にをりて立むかひに
けり形体抜群(げうたいはつくん)勇力軼人(ゆうりきてつじん)鬼王(きわう)のかたちをあらはし

【挿絵】
【縦長楕円印 朱】BnF/MSS
【上欄書入れ】29
   【柱】古今巻十ノ        〇又廿五

   【柱】古今巻十ノ        〇又廿五
【挿絵】
【縦長楕円印 朱】BnF/MSS

て力士(りきし)の忽(たちまち)に来かと覚たり弘光(ひろみつ)又/敵対(てきたい)にはぢずとみへ
ける凡(をよそ)亭主をはじめとして諸人目を驚(おとろ)かし心をさは
がしてさゞめきあへる程に伊成(これなり)すゝみよりて弘光が手を
取てまへざまへつよく引たるにうつぶしにまろびぬあへなき事
限(かきり)もなし弘光程なく立あがりて是はあやまち也今一度さか
ふべしとてあゆみよるに伊成又父の気色をうかゞひてすゝま
ぬを伊遠(これとを)只/責(せめ)よせて心み候へといひければ又弘光が手を
取てうしろさまにあしくつきたるに滞(とゞこをり)なくなげられて
此度はのけさまにつよくまろびぬと計有ておきあがり
烏帽子(ゑぼうし)の落(をち)たるををし入て帥(そつ)の前にひざま付てほろ
【上欄書入れ】30
   【柱】古今巻十        〇二十六終

   【柱】古今巻十        〇二十六終
〳〵と涙をこぼして君の見参に入侍らんも今日計に
侍とて走(はし)り出にけり其後やがてもとゞりをし切て法師
に成にけるとぞ法皇此事を聞召てはなはだをんび
んならず最手(ほて)の脇(わき)などに昇進(せうしん)したるものをば公家猶
たやすく雌雄(しゆう)を決(けつ)せられずいかに況(いはん)や私の勝負に生(せう)
涯(がい)をうしなはするらうぜきの至也と仰られて長実(なかざね)卿
御けしきこゝろよからざりけり

【印:朱 陽刻 方形 単郭 篆書体】
《割書:平戸藩|蔵書》
【印 朱 陽刻 正方形 単郭 篆書体】
《割書:子孫|永宝》
【印 朱 陽刻 正方形 単郭 篆書体】
《割書:楽歳堂|図書記》
【縦長楕円印 朱】BnF/MSS
古今著聞集巻之十終

【後見返し】

【裏表紙】

【背。ラベル 横書き。「上」は朱字】上/5/54

【表紙題箋】《題:古今著聞集 《割書:十一》》

【表見返し】

【印 朱 陽刻 正方形 単郭 篆書体】
《割書:子孫|永宝》
【印 朱 陽刻 方形 単郭 篆書体】
《割書:平戸藩|蔵 書》
【印 朱 陽刻 正方形 単郭 篆書体】
《割書:楽歳堂|図書記》
【縦長楕円印 朱】BnF/MSS
古今著聞集巻第十一
  画図(ぐはと)《割書:第十六》
【383】画(クハ)図(ト)者(ハ)五-色 ̄ノ之/章(アヤ)相(アイ)_二-宜(ヨロシ)万物 ̄ノ形 ̄ニ無(ナカレ)_レ道(イフコト)
容止(ヨウシ)可(ヘシ)_レ観(ミツン)進退(シンタイ)有(アリト)_レ度(ト)自 ̄カラ想(ヲモフ)心(シン)遊(ユフハ)葢 ̄シ即 ̄チ閑(カン)
中 ̄ノ之趣 ̄キ也
【384】南-殿の賢聖(げんじやうの)障子(しやうじ)は寛平の御時始てかゝれける也
其名臣といふは馬周(バシウ)・房玄齢(ハウゲンレイ)・如晦(ジヨクハイ)・魏徴(ギテウ)・《割書:自東》諸(シヨ)
葛亮(カツリヤウ)・遽伯玉(キヨハクギヨク)・張良・第五倫(テイゴリン)・《割書:同二》管仲(クハンチウ)・列禹(リウウ)・子(シ)
産(サン)・蕭何(シヤウガ)・《割書:同三》伊尹(イイン)・傳説(フエツ)・太公望(タイコウバウ)・仲山甫(チウサンホ)・《割書:同四》季(リ)
勣(セキ)・虞世南(グセイナン)・杜預(ドヨ)・張華(チヤウクハ)・《割書:自西回【書陵部本「自西四」】》羊祐(ヨウユウ)【羊祜ヵ】・揚雄(ヤウユウ)・陳寔(チンシヨリ)【チンシヨクヵ】・
【上欄書入れ】1
   【柱】古今巻十一       〇一

   【柱】古今巻十一       〇一
班固(ハンコ)・《割書:同三》桓栄(クハンヱイ)・鄭玄(デウゲン)・蘇武(ソブ) 倪寛(ケイクハン)・《割書:同二》董仲舒(トウチウジヨ)・
文翁(フンヲフ)・賈誼(カギ) 叔孫通(シユクソンツウ)《割書:自西一》等也此人々の影(えい)をかゝれ
ける彼(かの)麒麟閣(きりんかく)の功臣(こうしん)を図(づ)せられたる跡おはれけ
るにやはじめは色紙形に銘(めい)をかゝれたりけりされば
道風朝臣の申/文(ふみ)にも七度けがせるよし載(のせ)たり其
銘いつ比よりかゝれすなれるにか当時はみえず色
紙形ばかりぞ侍める承元に閑院の皇居(くはうこ?う)焼(やけ)則 ̄チ造(そう)
内裏ありけるに本は尋常(よのつね)の式の屋に松殿作ら
せ給たりけるを此度あらためて大内に模(も)して
紫震(ししん)清涼(せいりやう)宜陽(せんやう)校書殿(けうしよでん)弓場(ゆば)陣座(ちんのざ)など宴領(えんりやう)

の所々たてそへられける土御門の内裏のかゝりける
所とぞ聞えし地形せばくて紫震殿(ししんてん)の間数(まかず)をしゞめ
られける時賢臣の影(えい)もちいさくとゞめられにけり
建長の造内裏の時少々又/用捨(ようしや)せられけるくはし
く尋て注すべし大内にては此障子をみなはなちを
かれて公事(くじ)の時はかりぞ立られける御/秘蔵(ひさう)の儀にて
侍けるにや建暦に閑院にうつされて後はすべて
とりはなたるゝ事なし又/鬼間(をにのま)の壁(かべ)に白沢牛(はくたくぎよく)【書陵部本「白沢王」】をかゝれ
たる事はむかし彼間に鬼のすみけるを鎮(しづめ)られける
故にかゝれたる事とは申つたへたれどもたしか成/説(せつ)を
【上欄書入れ】2
   【柱】古今巻十一       〇二

   【柱】古今巻十一       〇二
しらず又/清涼殿(せいりやうでん)の弘庇(ひろひさし)についたち障子を立て昆明(こんめい)
池(ち)を図せられたりそのうらに野を書て片方(かたかた)に小屋形
あり又近衛司の鷹(たか)つかひたるをかけり是は雑芸(さつげい)に
侍り嵯峨野に狩(かり)せし少将の心とぞ彼少将といふ
は大井川のほとりすみける季綱(すへつな)の少将事にや
かの大井の家を出て嵯峨野に狩しけるをうつし
けるにこそ又萩の戸のまへなる布(ぬの)障子を荒海(あらうみ)の障
子と名付て手長(てなが)足長なと書たりその北うらは宇治
の網代(あじろ)を書り清少納言が枕草子に此障子の事
も見へたり一条院このかたに書れたるとこそ大

かた清涼殿の唐絵(からゑ)にもみな書ならはせる事共
侍り渡殿(わたとの)にはね馬よせ馬の障子を立て又同じ
渡殿の北/辺(ほとりの)朝(あさ)がれゐの前に馬形の障子侍り陣(ちんの)
座の上に季将軍(りしやうぐん)が虎(とら)を射(ゐ)たる障子をよせかけ校(けう)
書殿(しよでん)には養由基(ようゆうき)が猿(さる)を射たる障子を寄立たり
これみないづれの御時よりといふ事をしらず由緒(ゆいしよ)
かた〴〵おぼつかなし閑院に大内をうつされて後よせ
馬の障子并に季将軍(りしやうぐん)養由(ようゆう)が障子など沙汰な
かりけるを四条の院御時/西園寺(さいをんし)相国(しやうこく)禅門(ぜんもん)修理せ
られける時頭中将/資季(すけとし)朝臣申/起(をこし)て立られたりいと
【上欄書入れ】3
   【柱】古今巻十一       〇三

   【柱】古今巻十一       〇三
興有事也此障子の絵本共/鴨居殿(かもいとの)の御/倉(くら)にぞ侍
なる建長造内裏のとき絵所の預前の加賀守有/房(ふさ)
絵本をもたざりければ取出してかゝせられけりむかし
彼馬形の障子を金岡か書たりける夜〳〵はなれて
萩(はぎ)の戸の萩をくひければ勅定有て其馬をつなきたる
ていを書なされたりける時はなれず成にけりと申
伝へ侍るは誠なりける事にや
【385】仁和寺/御室(をむろ)といふは寛平法皇の御在所なり其御
所に金岡筆をふるひて絵かける中にことにすぐれ
たる馬形なん侍成その馬夜〳〵はなれて近辺(きんへん)の田

【縦長楕円印 朱】BnF/MSS
【挿絵】
【上欄書入れ】4
   【柱】古今巻十一ノ       〇又三

   【柱】古今巻十一ノ       〇又三
【挿絵】
【縦長楕円印 朱】BnF/MSS

をくらひけりなにものゝすると知(し)れるものなくて過
侍ける程に件の馬の足につち付ぬれ〳〵とあること
たび〳〵に及ける時人々あやしみて此馬のしはざ
にやとてかへに書(かき)たる馬の目玉をほりくしりて
げりそれよりまなこなくなりて田をくらふ事
とゝまりにけり
【386】花山法皇/書写(しよしや)上人の徳をたうとび給ふあまり
絵師をめしぐして彼山にのぼらせたがひに御/対(たい)
面(めん)の間に絵師といふ事をばかくして上人のかたち
をよく見せてかくれてうつさせられけり其とき山
【上欄書入れ】5
   【柱】古今巻十一       〇四

   【柱】古今巻十一       〇四
ひゞき地うごきければ法皇おどろきおぼしめし
ける御心をしりて是は性空(せうくう)がかたちをうつし
給ふ故にないのふり候也と申されければいよ〳〵心(しん)
信(しん)おこせ給ひけり扨ひじりの御/顔(かを)にいさゝかあざの
おはしけるを絵師見おとしてかゝざりけるをないの
ふりけるさはぎに筆をおとしかけたりけるがそこ
にしも筆おちて墨(すみ)つきたりけるがあざにたがはず
なん侍ければみな人ふしぎの事になんおもへり
けるくだんの影(ゑい)今にかのやまの宝蔵(はうぞう)に
ありとなん

【387】弘高(ひろたか)地獄変(ぢこくへん)の屏風を書けるに楼(ろう)のうえより桙(ほう)を
さしおろして人をさしたる鬼(をに)を書たりけるが
ことに魂(たましい)入て見へけるをみづからいひけるはおそら
くは我/運命(うんめい)つきぬとはたしていく程なくてうせに
けり六条宮《割書:具平(ぐへい)》御堂(みだう)に申給けるは布(ぬの)障子の
役【伇】などには今は弘高をばめさるへからず軽々(かる〳〵)なる
べき事也弘高きて自愛(じあい)しけり此弘高は金
岡が曾孫(ひまこ)公茂(きんもち)が孫/深江(ふかへ)が子也/公忠(きんたゞ)《割書:公茂|兄》よりさきは
書たる絵/生(いき)たる物のごとし公茂以下今の体に
は成たるとなん弘高少年の時出家したりけるが
【上欄書入れ】6
   【柱】古今巻十一       〇五

   【柱】古今巻十一       〇五
後に還俗(けんぞく)したるもの也其/罪(つみ)をおそれてみづから
千体の不動尊(ふどうそん)を書て供養(くやう)しけるとなん【388】帥(そつ)の
おとゞに屏風を売(うる)人有けり公茂(きんもち)弘高(ひろたか)などに
見せられけり公茂弘高をまねきていひけるは此
野筋(のゝすじ)此松侮及べからずおそらくは公忠(きんたゞ)が書所か弘
高承/伏(ふく)しけり公茂が云公忠は屏風を書とては
必その屏風のひらのすみごとおのれが名を書けり
こゝろみにはなちて見るにあんのごとく公忠か字(あざな)あり
けりいみしかりける事也
【389】小野宮のおとゞつゐたち障子に松をかゝせんとて

常則(つねのり)をめしければ他行したりけりさらばとて公
望(もち)をめしてかゝせられにけり後に常則をめして
見せられければかしら毛芋(けいも)に似たり他所/難(なん)なしと
ぞ申ける常則をは大上手公望をば小上手とそ世に
は称しける【390】為成一日が中に宇治殿/扉(とひら)の絵(ゑ)を書たりけるを
宇治殿仰られける弘高は絵様を書て一夜なをよくあんして
こそかきたりしがいかにかく卒爾(そつじ)には書ぞとなん
仰られける常則か書たる師子(しゝ)形を見ては犬(いぬ)ほえ
にらみておどろきけるとなん
【391】成光(なりみつ)閑(かん)院の障子に鶏(にはとり)を書たりけるを実(まこと)の鶏(にはとり)み
【上欄書入れ】7
   【柱】古今巻十一       〇六

   【柱】古今巻十一       〇六
て蹴(け)けるとなん此成光は三井寺僧/興義(かうぎ)が弟子
になん侍ける
【392】能通(よしみち)絵師/良親(よしちか)に屏風二百帖に絵を書せたり
けり其中/坤元禄(こんげんろく)屏風をは良親(よしちか)相伝の本にて
なん書侍ける大(おほ)女御まいり給ける時二条殿に
まいらせさせてんげり色紙形は四条大納言ぞかゝれ
ける更(さら)に又/為成(ためなり)をしてうつされけり正本は一の人の
御相伝の物に侍にこそ又/和漢抄(わかんのせう)は屏風には中巻
水を書上に唐絵(からゑ)をかき下にやまと絵を書たり
けり唐絵の屏風は実範(さねのり)つたへたりけるを成章(なりあきら)

に沽却(こきやく)しにけるとそ
【393】永承五年四月廿六日/麗景殿(れいけいでんの)女御に絵合ありけり
弥生の十日あまりの比より其沙汰有けるは春の日
のつれ〳〵にくらすよりはつねならぬいどみ事を御前
に御覧ぜさせばやむかしよりきこゆる花合は散(ちり)
てふるき根(ね)にかへりぬればにほひ恋し草合は尋
て本の所へ返しやれば名残うるさし歌林とかいふなる
よりは万葉集まではこゝろもをよばす古今後撰(こきんごせん)
等/青柳(あをやなき)のいとくりかへしみれどもあかず紅葉の錦(にしき)
そめいだす心もふかき色なれとも左右をさだめて
【上欄書入れ】8
   【柱】古今巻十一       〇七

   【柱】古今巻十一       〇七
歌のこゝろよみ人を絵に書て合られけりいにしへ
の歌のふるきにそへて今のこと葉の浅(あさき)がましりた
らんめづらしくやとて歌三をつらねけり題(たい)は鶴(つる)卯(うの)
花月になん侍りける此比は郭公(ほとゝぎす)などこそあるべきを
大殿の歌合の題に侍ればとて鶴【靏】にかへられける也
相模(さかみ)伊勢大輔左衛門/命婦(めうぶ)ぞ読(よみ)侍ける女房二十人
十人ツヽをわかちて各絵かく人を伝(つて)々に尋て書せ
けり寝殿(しんでん)の東西(ひんかしにし)の母(も)屋/庇(ひさし)を上達部(かんたちめ)の座とす源(げん)
大納言《割書:師房(もろふさ)》小野宮中納言《割書:実平(さねひら)》左衛門督《割書:隆国(たかくに)》三位
侍従《割書:泰平(やすひら)》新中納言《割書:俊家(としいへ)》中宮権太夫《割書:経輔(つねすけ)》右大弁《割書:経(つね)|長(なか)》

などそ参られける殿上人はくらべ馬のさためしける
間なりければ其所より右(みきりの)頭(とうの)中将つき〴〵の八九人計
引つれて参ける御簾(みす)の内には北面(きたむきに)分てゐたり左
なでしこがさね右(みぎ)藤(ふち)がさねの衣をなんき侍けり左(ひたり)かね
のすき箱にこゝろばへしてかれのむすび袋に色々
の玉をむらごにつらぬきてくゝりにして古今(こきん)の絵七
帖あたらしき歌絵のかねのさうし一帖入たり表紙は
さま〳〵にかざりたり打敷/瞿麦(なでしこ)のふせんれうに
卯花を縫(ぬい)たりけり数さしの金の洲浜(すあま)にさしての
をかをつくりて葉(は)山に松おほくうへたり数には松を
【上欄書入れ】9
   【柱】古今巻十一       〇八

   【柱】古今巻十一       〇八
さしうつすべき也打敷ふかみどりの浜(はま)緑(みとりの)綾(あや)なり右
かゞみ海にかねの鶴かけたりかねの透(すき)箱うけに置て
絵のさうし六帖あたらしき絵の草紙一帖を入表紙の
絵さま〴〵なり打敷/二藍(ふたあい)のさうかに白き文(もん)をぬひ
たる数さしの金の洲浜(すあま)に金の鶴あまたたてり
千(ち)とせつもれるといふこゝろ成べし数にはつるのう
らづたひすべき也打敷ふかみどりのさうかに縫(ぬい)物
をしたり日(ひ)漸(やゝ)暮ぬればこなたかなたに居/分(わけ)たり
大臣殿(おとゝとの)はつゝみ給候【「候」は、書陵部本「御」】/姿(すかた)なれど上/臈(らう)ものし給とて忍
あへ給はす左(ひたり)四位少将/右(みき)兵衛佐かた〴〵の双紙とりて

よみ合するほどに左のかたより頭弁(とうのへん)人々共八人引つれて
参りたりかた〴〵うるはしくなりて三番(みつがひ)上達部の中に
さだめやられざりけるを殿上人の中より勝負(かちまけ)はいみ
有事なと侍しかばげに此絵共おぼろけにてはみさだめ
がたき事のさまなればとて勝負なしなか〳〵かちまけ
あらんよりはみだれておもしろかりけりあたらしき
歌をばをの〳〵つがはれけり相模(さかみ)が卯花の秀歌(しうか)
よみたるは此たひの事也
  みはたせはなみのしからみかけてけり
   卯の花さける玉川の里
【上欄書入れ】10
   【柱】古今巻十一       〇九

   【柱】古今巻十一       〇九
かはらけあまたたびになりてひき出ものなど有
けるとかや
【394】玄象(けんじやう)撥面(ばちをもて)の絵は消(きへ)て久しく成たればしれる人な
し二条殿《割書:教道(のりみち)》仰られけるは玄象(げんじやう)撥面(ばちをもて)の絵様は馬
上にて珠(たま)を打物/要目(かなめ)に珠さして舞たるすがた也
良道(よしみち)か撥面(ばちをもて)はくだんの絵を模(も)してかゝれたると
なん此事中納言/師時(もろとき)卿記し置侍りしかあるを
良道か撥面当時其儀なしもしかきあらためられ
たるにやたうしの絵様はあげまきの童子(わらは)龍(りやう)に
乗て水/瓶(かめ)をもちて瓶(かめ)より水をながしたるを書たる

なり後高倉院御時/孝道(たかみち)朝臣勅定によりて比巴(びは)を
造進(ざうしん)しける時仰に比巴には作者の名を付べし
とて孝道(たかみち)をうつされたる也/龍(りやう)にのりたる総角(あげまき)の
童子にて侍なり良道(よしみち)が名も作者の名を付られ
たるとかや又ぬしの名なり共いふいづれか実説(しつせつ)に
侍らん尋ぬへし
【395】鳥羽僧正は近き世にはならびなき絵書也法勝寺
金堂(こんどう)の扉(とびら)の絵書たる人也いつ程の事にか供米(くまい)の
不法(ふほう)の事有ける時絵にかゝれける辻風の吹たるに
米の俵(たわら)をおほく吹上たるが塵灰(ちりはい)のごとくに空に
【上欄書入れ】11
   【柱】古今巻十一       〇十

   【柱】古今巻十一       〇十
あがるを大童子法師ばらはしりより取とゞめんとした
るをさま〳〵におもしろう筆をふるひてかゝれける
を誰かしたりけん其絵を院御覧じて御入興(ごじゆけう)あり
けり其心を僧正に御たづね有ければあまりに供米(くまい)
不法に候て実の物は入候はで糟糠(ぬか)のみ入て軽(かろ)く
候故に辻風に吹上られ候をさりとてはとて小法師ばら
が取とゞめんとし候がおかしう候を書て候と申されけれ
ば比興(ひけう)の事也とてそれより供米の沙汰きひしく
成て不法の事なかりけり【396】同僧正の許(もと)に絵かく
侍法師有けりあまりに好(よく)ならひければ後さまには

【挿絵】
【縦長楕円印 朱】BnF/MSS
【上欄書入れ】12
   【柱】古今巻十一ノ       〇又十

   【柱】古今巻十一ノ       〇又十
【挿絵】
【縦長楕円印 朱】BnF/MSS

僧正の筆をも恥ざりけり此事を僧正ねたましく
や思はれけんいかにもして失(しつ)を見出さんと思ひ給所に
或時件の僧人のいさかひして腰刀にて突(つき)合たる
を書く自愛(じあい)してゐたりけるを僧正見給に其つ
きたる刀せなかへこぶしながら出たりけりよき失(しつ)と
思ての給ひけるはわ僧が絵書/永(なか)くとゞむべしいか成
物か人を突(つく)に拳(こぶし)ながら背へ出る事あるべきつか口
迄つきたるなどをこそいかめしき事にはいふをこ
れはあるべくもなき事也かく程のこゝろばせにては
絵書へからずといはれければ此僧かいかしこまりて
【上欄書入れ】13
   【柱】古今巻十一       〇十一

其事に候これは絵の故実(こじつ)に候也といふを僧正いはせ
もはてずわ法師が絵の故実(こじつ)かたはらいたしといは
れけるを少も事とせずさも候はずふるき上手共
のかきて候おそくつの絵などを御覧も候へその物の
寸法は分に過て大に書て候事いかでか実(じつ)にはさは候
べきありのまゝの寸法にかきて候はゝ見所なきもの
に候ゆへに絵そらごとゝは申事にて候実【書陵部本「君」】のあそはさ
れて候物の中にもかゝる事はおほくこそ候らめ
とへりをかずいひければ僧正ことはりにおれて
いふ事なかりけり

【397】後白河院御時年中行事を絵にかゝれて御/賞翫(しやうくはん)の
あまり松殿へ進ぜられたりけりこまかに御覧じて
僻(ひが)事ある所〳〵に押(をし)紙をしてそのあやまりを御自
筆にてしるしつけて返進せられたりけるを法皇
御覧じて絵を書なをさるべきに勅定にこの人
の自筆に押紙したるいかゞはなちすてゝ絵をなを
す事あるべき此事によりて此絵すてに重宝(ちやうほう)と
成たるとて蓮華王(れんげわう)院の宝蔵にこめられにけり
其押紙今に有といといみじき事也
【398】同御時絵/難房(なんぼう)といふ物有けりいかによく書たる
【上欄書入れ】14
   【柱】古今巻十一       〇十二

   【柱】古今巻十一       〇十二
絵にもかならず難を見いだすもの也けり或時ふるき
上手共の書たる絵本の中に人の犬を引たるに犬
すまひてゆかじとしたる体まことにいきてはたら
くやう也又男のかたぬぎてたつきふりかたげて大木
を切たる有法皇の仰に是をば絵難房(ゑなんぼう)も力及ばし
物をとて即めして見せられければよく〳〵見て見出度
は書て候が難少々候これ程すまひたる犬の首縄(くひなは)
はしたはしのしたよりよくひきすごされて候べき也
是は犬はすまひて縄(なは)普通(ふつう)なる体に見へ候也又木
切たる男目出度候但これほどの大木をなからすぎ切

入て候に只今ちりたるこけら計にて前に散(ちり)つ
もりたるなしこれ大なる難に候と申ければ法皇
仰らるゝ事もなくて絵をおさめられにけり
【399】伊与入道はおさなくより絵をよく書侍り父うけ
ぬ事になん思へりけり無下に幼少の時父の家の
中門の廊(らう)の壁(かべ)にかはらけのわれにて不動(ふどう)の立
給へるを書たりけるを客人(きやくじん)誰(たれ)とかや慥に聞しを
忘(わすれ)にけりこれを見てたがかきて候にかとおどろ
きたるけしきにて問けれはあるし打わらひてこ
れはまことしき物の書たるには候はず愚息(ぐそく)の小(こ)
【上欄書入れ】15
   【柱】古今巻十一       〇十三

   【柱】古今巻十一       〇十三
童(わらは)が書て候といはれければいよ〳〵尋て可_レ然天/骨(こつ)と
は是を申候ぞ此事/制(せい)し給事有まじく候となんいひ
けるげにもよく絵みしりたる人なるへし
【400】東大寺供/養(やう)の時/鎌倉(かまくら)右大将上洛有けるに法皇
より宝蔵(はうざう)の御絵共を取出されて関東にはあり
がたくこそ侍らめ見らるべきよし仰つかはされたり
けるを幕下(ばつか)申されけるは君の御/秘蔵(ひそう)候御物にいか
でか頼朝(よりとも)が眼(まなこ)をあて候べきとて恐(おそれ)をなして一見も
遣【書陵部本「せ」】で返上せられにければ法皇は定て興に入らん
と思召たりけるに存外にぞ思食されける

【401】後鳥羽院御幸供奉人ども誠にえらはせ給て御あら
ましに此定に御幸あらばやとて信実(のぶざね)朝臣に仰ら
れて三巻(みまき)の絹(きぬ)絵にかゝせられけり八条左大臣/光(くはう)
明峯寺殿(めうぶじとの)左右の大臣にて供奉し給へり目出たき
重宝にてぞ侍し今は修明(しゆめい)門院に侍とかや此御幸
御あらましばかりにて実(じつ)にはなかりけり
【402】順徳院の御位の時あたらしき御/琵琶(ひわ)の有けるをいか
なる名をかつくべきとて蔵人(くらんと)孝時(たかとき)に風俗(ふうぞく)催馬(さいば)
楽(ら)の名并に其歌の詞の中にさもありぬべからん
は申すべきよし勅定有ければ則注進しけり其中
【上欄書入れ】16
   【柱】古今巻十一       〇十四

   【柱】古今巻十一       〇十四
に大鳥の入たりけるをこれにてこそあらめとて其
名にさだまりにけりさて撥面(はちおもて)の絵にかゝれんとし
ける時そも〳〵此鳥の姿(すがた)はなにものぞ誰が知(し)りたる
と御尋有けるに申人なかりけるに源大納言/通具(みちもと)【みちともヵ】卿
絵様候とて奉りけり此大鳥の色したる鳥の目/觜(くちばし)
などおそろしげなるがふとくみじか成すがた成を書
て参らせたりけり御覧じてこれはなにゝ見へたる
ぞとふるく書たる本の有か又此定なにぞ注した
る物の有かと御尋有に大納言つまびらかに申むね
なし只わがもとにふるくよりうつしもちて候と計

申されけりさては其事正体なし此人はをし事す
る人にこそと沙汰有てもちゐられず成にけりさて
孝(たか)道朝臣に御たづねありければ風俗にうたひて候
やうは大鳥の羽に霜ふれりと候はもし鵲(かさゝき)などにて
や候らんとぞ推(すい)せられて候さらでは口伝も候はず只
歌のことばにてすいし申計にて候と申ければ此事
さも有とて鵲(かさゝき)をかゝれたるとぞ
【403】後堀河院御位すべらせ給て内大臣の冷泉(れいぜい)富小(とみのこう)
路亭(ぢのてい)にわたらせ給けるに天福元年の春の比院
藻壁(そうへき)門院の方をわかちて絵つくの貝(かい)おほひありけり
【上欄書入れ】17
   【柱】古今巻十一       〇十五

   【柱】古今巻十一       〇十五
大殿摂政殿女院の御方にぞおはしましける一方にしかる
べき女房達四五人計にてひろきには及さりけり先
女院の御方/負(まけ)させ給て源氏絵十/巻(まき)だみたる料紙(れうし)
に書て色〳〵の色紙に詞はかゝれたりけり能書(のふじよ)の聞(きこ)
えある人こそかゝれたるからの唐櫃(からひつ)になん入られたりけ
る御/妬(ねたみ)に院の御方御負ありて小衣(さころも)の絵/八巻(やまき)又さま
〴〵の物語まぜて四季(しき)に書て一月を一巻に十二巻
にせられたりけり料紙(れうし)こと葉源氏の絵のごとし其外
雑(ざう)絵二十/余巻(よまき)あたらしく書出しておなじくからの櫃(ひつ)
二合に入られたりけりあはせて三合也又風流の絵

など小衣(さころも)の絵に入れくはへられたりけるとかや御負
わざの日になりて殿たち女院の御方に参給てせめ申
されければふるき絵のいま〳〵しげにやぶれたるを二三巻
近習(きんじゆ)の殿上人の小童(こわらは)なりけるして進せられければ様々
にきらひ申されていと興有けり其後/秘蔵(ひそう)の絵共は
出されけり両方の御絵ども姫(ひめ)君方へまいらせられけるが
失(うせ)させおはしましてのち四条院へ参りたりけり其後
内侍(ないし)のかみえぞまいりける今はいづくにか侍らん時代
いく程もへだゝり侍らねとも御ぬしはおほくかはらせ
給ぬはかなき筆のすざみなれども絵はのこりてこそ
【上欄書入れ】18
   【柱】古今巻十一       〇十六

   【柱】古今巻十一       〇十六
侍らめあはれなる事也
【404】同御時/似(にせ)絵を御/好(このみ)ありけるに北面(ほくめん)下臈(げらう)御随身などの
影(えい)を左京ノ権ノ太夫/信実(のふさね)朝臣をめしてかゝせられけるに
太夫ノ尉/永親(ながちか)その様をもしらでなべらかなる白襖(しらあを)きて
北面に候けるがめし出されける時太刀をとりてはきて
参たりけるいみじうなんみえ侍ける
【405】絵師/大輔(たいふ)法眼(ほうげん)賢慶(けんけい)が弟子になにがしとかやいふ
法師有けり賢慶(けんけい)逝去(せいきよ)ののち後家(ごけ)と不使【書陵部本「不快」】に成て
相論(さうろん)の事有けり六波羅に訴(うつた)へけれども事ゆかで程
へければ此法師絵もさかしく書けるものにてくだんの

後家がありさまふるまひをはじめよりかきあらはしてげり
ま男して会合(くはひごう)したる所なとさま〳〵に書てえもいは
ずいろどりて詞(ことば)付て六波羅へ持て行て奉行のもの共
に見せければ訴詔をことに執(しつし)申さんの心はなかりけ
れとも絵其興あるによりてもとかくねてさまよふ
程に両国司まても訴詔のむねくはしくこゝろへほ
ときにけりつゐにかちにけり件の法印摂津国/宇出(うでの)
庄にいまだあり
【406】一條前ノ摂政殿左大臣におはしましける時(とき)居(ゐ)すへたて
まつらんとて一条/室町(むろまち)の御所(ごしよ)を光明峯寺(くわうめうぶじ)入道殿前ノ
【上欄書入れ】19
   【柱】古今巻十一       〇十七

   【柱】古今巻十一       〇十七
備中守(ひつちうのかみ)行範(ゆきのり)に仰て修理(しゆり)せられにけり寛元三年十
月廿七日御わたまし有けりつくりどもゝ少しあらため
られけり寝殿(しんてんの)二棟(ふたむね)の障子よりつねの唐(から)絵は無念也とて
平等(べうとう)院宝蔵の四季の御屏風を二条関白殿長者に
ておはしましけるに申されて取出してうつされにけり人
〳〵の姿もみな昔絵にてぞ侍るなるいと見所あり
武徳殿(ぶとくてん)の競馬(けいば)の所にみもしらぬ人のすがた共おほかり
嵯峨野(さかの)の御幸に御/輿(こし)の上に虎(とら)の皮をおほひたる
などふるき事共をかゝれたるいと興有/承保(しやうほう)の野
行幸には虎の皮をばおほはれざりけるとなん近衛(こんへ)

大殿の御相伝の屏風どもはみな宝物にて侍うへ
せんしたればとて四季(しき)の大和絵を一月を一帖に書
てあたらしく調せられたるとなん可_レ然事の時(とき)客(かく)の
座に立らるゝ也元日の節会(せちゑ)は豊楽院(ふらくゐん)の義をぞ書
て侍なる延喜の御時の月の宴(えん)御/溝水(かはみつ)のながれやう
などふるきにたがへずかゝれたるいと興ある事に
なん侍なる



【上欄書入れ】20
   【柱】古今巻十一       〇十八

   【柱】古今巻十一       〇十八
   蹴鞠(しうきく) 《割書:第十七》
【407】蹴鞠(しうきく)の逸遊(いつゆふ)は(は)前庭之/壮観(さうくはん)也文武天皇大宝元年
に此興/始(はじ)まりけるとかや白(しろ)妙(たへ)【書陵部本「砂」】之上/緑樹(りよくじゆ)之/景(けい)二六
対(つい)凍(とう)【陣ヵ】殿(てん)翼(よく)相(あい)当(あたる)感(せい)【かんヵ】興(けう)難(かたき)_レ尽(つくし)者也
【408】後二条殿/三月(やよひ)の比白河の斎院へ参給て御/鞠(まり)の会(くわい)有
けるにしばし有てかさみのきたる童(わらは)扇(あふき)をさして
片(かた)手に蒔(まき)絵の手箱の蓋(ふた)に薄様(うすやう)敷て雪をおほく
盛(もり)て日隠(ひかくし)の間の御/縁(えん)に置て帰入にけり御あせなど
たりげにて日隠の間に沓(くつ)はきながら御/尻(しり)かけて御
手などにてはとらせ給はで桧扇(ひあふぎ)のさきにてすこし

すくひてなりけるがしみたる雪にて御/直衣(なをし)にかゝり
たりけるがとけて二重(ふたへ)裏(うら)にうつりていてゞむら〳〵に
見へけるさて御/鞠(まり)有けるいとうつくしうやさしく
なん侍ける
【409】知足院殿わかくおはしましける時白川の辺にてまりの
会してあそばゞやと思候に誰をか召候べきと京極殿
へ申さ給ければしばらく御/案(あんじ)有て源(げん)兵衛佐を召具(めしく)
せよと仰られければ召につかはしてげり即参たり
けるを大とのなにかきたると内(うち)々御たづねありければ
濃青(こきあを)の布(ぬの)狩衣(かりぎぬ)とりどころすこしあかみたる薄紫(うすむらさき)の
【上欄書入れ】21
   【柱】古今巻十一       〇十九

   【柱】古今巻十一       〇十九
指貫(さしぬき)濃色(こきいろ)の二衣(ふたつきぬ)単衣(ひとへきぬ)きて候よし申ければ大殿されば
こそと仰られけりよく装束(しやうそく)きたりと思食たり
けるとこそ
【410】侍従大納言/成通(なりみち)卿の鞠(まり)は凡夫(ぼんぶ)のしわざにはあらざりけり
彼口伝に侍れば鞠を好みてのちかゝりに下(をり)立(たつ)事七千日
その中日をかゝずとをす事二千日もし病有時は臥(ふし)
ながら鞠を足にあて大雨の時には大極殿(だいこくてん)にゆきて
これをける千日のはてゝの日引つくろひて数三百
あまりあげて落(をち)ぬさきにみづから鞠をとりて棚(たな)を
二(ふた)まうけて一の棚(たな)に鞠を置一の棚にはやう〳〵の供祭(くさい)

を色〳〵にすへて幣(へい)一本をはさみたつその幣(へい)を
取て鞠を拝(はい)すみな座につき饗(けう)をすへて勧盞(くわんはい)有
三/献(ごん)の後身の能(のふ)を各奉る五/献(こん)に事終て禄(ろく)を賜(たまふ)
よろしき人には檀紙(だんし)薄様(うすやう)侍(さふらひ)の輩(ともから)には装束(しやうそkう)を給
事はてゝ人々出ての後夜に入て其事を記せんと
て灯臺(とうだい)をちかくよせ墨をする時棚に置(をく)所の
まり前にまろひて落(をち)きぬあやしうやう有と思ふ
程に顔(かを)は人にて手足身は猿(さる)にて三四歳成小児
ほど成物三人手づからかひて鞠のくゝりめをいだき
たるあさましと思ひつゝ何物ぞとあらくいへば御鞠
【上欄書入れ】22
   【柱】古今巻十一       〇二十

   【柱】古今巻十一       〇二十
の性(せい)也とこたふむかしより是ほどに御まりこのませ
給ふ人いまだおはしまさず千日のはてゝさま〴〵の
物給はりて悦申さんと思ひ又身のありさま御まり
の事をも能々申さんれうに参たりをの〳〵が名をも
知食(しろしめす)べし是を御覧せよとて眉(まゆ)にかゝりたる髪(かみ)を
押(をし)あけたれば一人か額(ひたい)には春楊花(しゆんやうくは)といふ字有
一人かひたゐには夏安林(かあんりん)といふ字あり一人か額(ひたい)には
秋園(しうえん)といふ字あり文字/金(こかね)の色也かゝる銘(めい)文を
見ていよ〳〵浅猿(あさまし)と思ひて又鞠の玉生(たましい)に問(とふ)様(やう)
鞠は常(つね)になし其時住する所ありや答云御まり

の時はかやうに御まりに付て候御まりの候はぬ時は柳
しげき林きよき所の木に栖(すみ)候也御鞠このませ給ふ
代は国さかへ好人司なり福あり命ながく病なくを後
世までよく候也といふ又問国さかへ官まさり命長く
病せす福あらん事はさもやあらん後世まてこそあ
まりなれといへば鞠(まりの)性(せい)まことにさもおぼしぬべき事
なれど人の身には一日の中にいくらともなき思ひみな
罪(つみ)なり鞠を好せ給へは庭にたゝせ給ぬれば鞠の事
より外に思召事なければ自然(しぜん)に後世の縁(えん)となり
功徳(くとく)すゝみ候へばかならず好ませ給べき也御まりの時
【上欄書入れ】23
   【柱】古今巻十一       〇二十一

   【柱】古今巻十一       〇二十一
はをの〳〵が名をめせば木づたひにまいりて宮仕(きうじ)は仕り
候也但/庭(には)鞠は御好候まじ木はなれたる宮仕は術(じゆつ)なき
事に候今より後はさる物ありと御こゝろにかけて
おはしまさば御まもりと成まいらせて御鞠をもいよ〳〵
よくなし参らせんずる也といふ程に其形見へず成に
けり是を思ひつゞくるに鞠をうくるにはやくはといひあ
りと云をうと云鞠の性(せい)が額(ひたい)の銘(めい)也尤故ある事也とそ
侍なるすべて此大納言の鞠に不思儀おほかり
或時/侍(さふらい)の大/盤(ばん)の上に沓(くつ)をはきながらのぼりて小鞠
をけられけるに大盤のうへに沓のあたるおとを人

にきかせざりけり鞠の音(をと)計聞へける大/盤(はん)のうへに
只沓を置(をか)んすら音はすべしましてまりを蹴(け)てその
音をきかせぬ事ふしぎの事也さて又/侍(さふらい)七八人をなら
べ居させて端(はし)に居たるより次第に肩(かた)を踏(ふみ)て沓を
はきなから小まりをけられけり其中に法師一人
有けるをはかたよりやがて頭(かしら)をふみてとをられけり
かくする事一両度をりてまりをとりていかゝ覚ゆる
ととはれければ肩(かた)に御沓のあたり候とは覚へ候はず
鷹(たか)を手にすへたる程にぞ覚へ候つると各々申けり
法師は又/平笠(ひらかさ)を着(き)たる程の心ちにて候つるぞと
【上欄書入れ】24
   【柱】古今巻十一       〇二十二

   【柱】古今巻十一       〇二十二
申ける又/父(ちちの)卿にぐして清水寺に籠(こも)られたりける彼(かの)
舞台(ぶたい)の高欄(かうらん)を沓はきながら渡りつゝ鞠をけんと
思ふこゝろ付て則西より東へ蹴(け)てわたりけり又立帰
西へかへられければ見るもの目をおどろかし色を失
けり民部卿聞給てさる事する物やはあるとて籠(こもり)も
はてさせて追出して一月計はよせられざりけるとそ
又/熊野(くまの)へ詣てうしろ舞の後うしろ鞠をけられける
に西より百度東より百度二反に二百反をあげておと
さゞりけり鞠をふしおがみて其夜西/御前(ごせん)に候はれ
ける夢に別当(へつたう)常住(じやうぢう)みな見知たる者共此まりを興

してほめあひたるが別当いかでかくばかりの事に纏頭(てんとう)
まいらせざらんとてなぎの葉(は)を一枚奉けり夢さめて見る
にまさしくなぎの葉手に有けりまもりに籠(こめ)てそもた
れたりける又父卿の坊門(はうもん)の懸(かゝり)の下にすだれかけぬ車
のありけるを片懸(かたかけ)にして鞠の多く有けるに車の許(もと)
にてたび〳〵かず有鞠をおとしけるに大納言我に
をきてはおとるべからすとてたちかへてまたれけるに
とひのおのかたへ鞠/落(をち)けりまはらば一定落ぬべかり
ければ轅(ながへ)の方よりくゞりこへさまにまりをたび〳〵
出されけり猶なかえのかたへもや落らんと覚しかば
【上欄書入れ】25
   【柱】古今巻十一       〇二十三

   【柱】古今巻十一       〇二十三
とひの尾(を)のかたより走(はしり)くゞりて越て庭へ出されけり
人々おどろきのゝしりあふ事かぎりなかりけり民部
卿/見証(けんしやう)せられて是程の事なればともかくも云べき
事あらずとぞいはれける鞠はてゝの後車かゝり
ならべてありなんやとすゝめられければ車/宿(やとり)の
くるま三両引出してをくすみにながえの方を一方
になしてたてたるを三両を次第にくゝり越(こへ)られたり
けり大に感(かん)じて纏頭(てんとう)有けりすべてさま〳〵ふしぎ
にありがたき事のみ有ける中にまりをたかく蹴(け)
あくる事なべての人には三(み)かさまさりたりけり或

日まりをたかくあげられたりけるに辻風の物を吹
あぐるやうに鳶烏(とひからす)付たりとのゝしる程に空に上り
て雲の中に入て見へずしてとゞまりにけり不思儀也
けること也此事/虚言(そらこと)なきよし誓(せい)状に書れたる
とぞこれも彼口伝に載(のせ)たり父大納言そのかみ
仏師を召て仏を造(つく)らせてゐられたりける時はし
の御簾(みす)をあけて格子(かうし)のもとをよせかけられたりけ
るに成通卿いまた若(わか)かりけるに庭(には)にて鞠をあ
けられけるがまり格子と簾(すだれ)との中に入けるに
つゞきて飛入られけるが父の前/無骨(ふこつ)なりければ
【上欄書入れ】26
   【柱】古今巻十一       〇二十四

   【柱】古今巻十一       〇二十四
まりを足にのせてその板敷をふまずして山がらの
もどりうつやうに飛(とび)かへられたりける凡夫のしわざ
にあらざりけり我一/期(ご)に此とんばうがへり一度なり
とぞ自称(じせう)せられける大かた此大納言はかくわかくより
はやわざを好給て築地(ついぢ)のはらもしは桧垣(ひがき)のはら
なとをもはしられけり又屋の上に卧て棟(むね)よりころ
ひて軒(のき)にては安座せらるゝ折も有けり父ノ卿/制止(せいし)
せられけれ共かなはず此事を鳥羽院聞召て御制止(ごせいし)
有けれども猶やまざりければ御前に召て汝が早態(はやわざ)を
このむは何之/詮(せん)か有と仰下されければさしたる詮(せん)は

候はず但/拝趨(はいすう)の間わづかにめし具し候/僮僕(どうほく)一両人
には過ず候雨のふり候日一人は笠をさして車のすだれを
もちあくるものゝ候はぬ時車の轅(ながへ)を土にをきながら片(かた)手
に左右の袴(はかま)を取片手にはすだれを持あげて飛乗(とびのり)候へば
更(さら)に装束(しやうぞく)もそんぜず奉公に第一の用也と申されければ
其後は院御制止なかりけり
【411】宇治左府法成寺に参籠(さんろう)せさせ給たりける時/片岡(かたをか)禰
宜(ぎ)成房(なりふさ)に仰て切立せられてまりの為に家平めされ
けり執行(しゆぎやう)《割書:某》鞠二まいらせたりけるを左府家平を召て
此まり二が善悪をえられけり家平申けるは一つはよく
【上欄書入れ】27
   【柱】古今巻十一       〇二十五

   【柱】古今巻十一       〇二十五
候一つは二/重(ぢう)鞠にて候と申けるを左府中を見ずして
二重まりと申事ふしん也其鞠をあぐへきなりと仰ら
れければ則件のまりを上るに両三度あかりて枝(えた)に
あたりてさけぬこれを見るにふるきまりの上に薄(うす)きが
わをおほひたりけり左府徳大寺のおとゞ両人の御前
に是を召よせて御らんずるに実に二重也けりおとゞ
頻(しきり)に感(かん)じ給けるとなん
【412】安元ノ御/賀(が)の時三位/頼輔(よりすけ)賀茂神主家平が家
に行向て御/賀(が)の上(うへ)まり仕べきよし勅定有其間
の子細(しさい)訓説(くんせつ)をかうふるべしといはれければ家平いはく

【挿絵】
【縦長楕円印 朱】BnF/MSS
【上欄書入れ】28
   【柱】古今巻十一ノ       〇又廿五

   【柱】古今巻十一ノ       〇又廿五
【挿絵】
【縦長楕円印 朱】BnF/MSS

まりは仕候へ共御賀の鞠つかまつる事家に候はねは故(こ)
実(しつ)申がたく候但常の老(らう)もうの人のあげ鞠のていこ
そ候はめと申けり又被_レ参て云かはのくつをはきて三
足けんと思ふなり家平云装束には韈(くつ)候七十の後三
そくの上鞠見苦候なんと申又/彼(かれ)示(しめし)て云人をばしらず
我はさせんと思ふ也家平云さて誰にか鞠をはゆづり
給べき三品の云少将/泰通(やすみち)朝臣にゆづらんずる也家平云
其儀ならば内々申させ給たるや三品云其儀なくとも何
かくるしからん淡路(あはぢ)入道の弟子にて神主あり神主の
弟子に侍従大納言有大納言の弟子にて我ありされば
【上欄書入れ】29
   【柱】古今巻十一       〇二十六

   【柱】古今巻十一       〇二十六
其相違有べからずとぞいはれける家平されども御文をつか
はして返事を取てもたせ給ひたらん可然候なんと
ぞいひける
【413】治承三年三月五日御方たがへのために院ノ御所七条
殿に行幸有て次日/御壺(みつぼ)にて御まり有けり主上
簾中(れんちう)にわたらせおはしましけり内大臣以下ひろびさし
にぞかたまらせ給ける法皇御付衣にて蹴(け)させおはしま
しけるに公(く)卿おりさせけるは御/気色(けしき)にて有けるにや
形部卿/頼輔(よりすけ)朝臣/赤(あかき)かたびらをぞ着たりける備後(ひんこ)駿河(するが)
などいふ法師/鞠足(きくそく)もめされたりけるとかやめづらし

かりける事なりけり
【414】後鳥羽院は御鞠/無双(ぶそう)の御事也けり承元二年四月七日こ
の道の長者と号し奉べき由/按察使(あせち)泰通(やすみち)卿前ノ陸奥守宗
長朝臣右中将/雅経(まさつね)朝臣/暑(しよ)して表を奉りけり
【415】順徳院御位の時/高陽(かうやう)院殿に行幸成て御/逗留(とうりう)の日御鞠
有けり主上院関白殿前太政大臣殿中納言/忠信(たゝのぶ)卿/有雅(ありまさ)
卿形部卿宗長卿右兵衛督雅経朝臣等也形部経/衣冠(いくはん)にて
上鞠仕けり其外皆/直衣(なをし)也雅経朝臣/赤(あかき)帷(かたひら)を着たりけ
りねこかきをしかれたり此人数有かたきためし成へし
【416】四条院御位の時/仁治(にんじ)の比仁寿殿の東西の御壺(みつほ)に
【上欄書入れ】30
   【柱】古今巻十一       〇二十七終

   【柱】古今巻十一       〇二十七終
賀茂神主/久継(ひさつく)に仰て切立をせられて常に御鞠有ける
に誠に引つくろはれたる日侍りけるに左大臣右大臣参り
給ひたりけり左大臣/懸(かゝ)りの下へすゝみよりて跪(ひざまつい)て指貫(さしぬき)
のそばをはさませたまひけり右大臣は番長(ばんちやう)頼種(よりたね)
を便宜(ひんき)の所へめして下袴(しもはかま)を御指貫にあはせて切
れて絬(くゝり)【括ヵ】をあげさせ給けりいづれも興ある事に
時の人申けり
【縦長楕円印 朱】BnF/MSS


古今著聞集巻之十一終

【後見返し】

【裏表紙】

【背。ラベル 横書き。「総」は青字】総/5/5

【表紙題箋】《題:古今著聞集 《割書:十二》》

【表見返し】

古今著聞集巻第十二
  博奕(ばくち) 《割書:第十八》
【417】天武天皇十四年天皇/御(ぎよしたまひ)_二大安殿_一喚(よんで)_二公卿等_一 ̄を有_二 ̄り
博奕しりれとも【しかれともヵ】そののり物をいましむるが故に
憲章(けんしやう)其/咎(とが)をまうく専(もつは)ら禁すべき事にこそ【418】小(を)
野(のゝ)宮はむかし惟高(これたか)のみこの双六(すごろく)のしちに取給へ
る所也かのみこはたのしき人にてなんおはしましける
むかしもかゝる軽々の事は有けるにこそ
【419】延喜四年九月廿四日右少弁/清貫(きよつら)寛蓮(くはんれん)法師を召て
囲碁(いご)をうたせられけり唐綾(からあや)四段/懸(かけ)物にはいだされ
【蔵書印 朱 陽刻 方形 単郭 篆書体】
《割書:平戸藩|蔵 書》
【蔵書印 朱 陽刻 正方形 単郭 篆書体】
《割書:楽歳堂|図書記》
【蔵書印 朱 陽刻 正方形 単郭 篆書体】
《割書:子孫|永宝》
【縦長楕円印 朱】BnF/MSS
【上欄書入れ】1
   【柱】古今巻十二       〇一

   【柱】古今巻十二       〇一
けり寛蓮/勝(かち)て給けり聖代(せいたい)にもか様の勝負/禁(きん)な
かりけるにこそ【420】同御時/基勢(ごせい)法師御前にて囲碁(いご)を仕り
て銀の笙(せう)をうち給りてげり生涯(せうがい)の面目に思ひて死(しに)
けるときは棺(くはん)に入へきよしをなんいひける
【421】承平七年正月十一日右大臣/家(いへ)の饗(きやう)に中/務(つかさ)卿宮おはし
ましたりけるに中務卿と右大臣と囲碁(ゐご)のこと有け
り碁手(ごて)は銭にてぞ有けるむかしはか様のはれの儀
にも懸物にいでけるにこそ近代にはたがひてこそ
侍りけれ
【422】久安元年/列見(せつけん)式日(しきじつ)にをこなはれける宇治左府内大臣

におはしましける参給て事々おこし行はれけり朝所
にて盃酌(はいしやく)の後/囲碁(いご)有けり権右中弁/朝隆(ともたか)朝臣左少弁
師能(もろよし)又少納言/成隆(なりたか)能忠(よしたゞ)等二双つかうまつりけるむかしは
公卿ぞうちける弁少納言つかうまつる事は例(れい)たしか
ならね共時代によりて定られけるとぞ公卿は念人に
てぞ有ける此事/絶(たへ)て久し成てげるにめづらし
かりける事也
【423】花山院右のおとゞのとき侍(さむらい)共七半といふ事を好て
ありとしある物ども夜る昼おびたゝしく打けりお
とゞ制(せい)し給へ共用ず其中にいとまつしき挌勤者(かくごしや)一
【上欄書入れ】2
   【柱】古今巻十二       〇二

   【柱】古今巻十二       〇二
人有もちたる物なければ其人数にもれてうたざりけり
大納言/定能(さたよし)卿の家の雑仕(ざつし)を妻にてよな〳〵は仁和寺(にんなじ)
へかよひけり或夜このぬし妻と合宿(かうしゆく)したりけるが大息(おほいき)
打つぎてねもいらずして夜もすがら物を思ひたるけし
き也妻あやしみて其こゝろをとひけれ共何事もなき
ぞ只身の程の今更思ひしられてねもいらぬはなとはかり
いひけれどいかにもたゞことにあらずと思てしゐて問
ければ其時男の云様/実(げに)は何事もなし今更身の程の
うきといふは此程花山院殿の殿原(とのばら)わかきも老たるも
七半を打て毎日にことしてこゝろをゆかしあそび

【挿絵】
【縦長楕円印 朱】BnF/MSS
【上欄書入れ】3
   【柱】古今巻十二ノ       〇又二

   【柱】古今巻十二ノ       〇又二
【挿絵】
【縦長楕円印 朱】BnF/MSS

あひたるに我其中に有ながら一文半銭だにも持ねば
其人数につらなる事なし大かたそのゆくゑしらぬ身なれば
此事のこのもしう打たきにては更になし只是程に
もてなし興しあへるに身のちからなくてそこばく多
かる殿原の中に我ひとりよそなるが思ひつゞくれば是
ならぬまして大事にもさぞかしと思ふに今更身の程
うたてくてかくてはなにしに人に交(ましへ)るらんとおもふ也と
打くどきいへば妻打なきての給はすること尤その
いはれ有誠にさる事也人に交るならひはよき事
にもあしき事にも其事にもるゝは口をしきなり
【上欄書入れ】4
   【柱】古今巻十二       〇三

   【柱】古今巻十二       〇三
明ん夜を待給へわらはかまへて奔走(ほんそう)せんといへば同
こゝろに思けるこそ女のならひは何事をいはす博奕
する事をば腹たつことなるにありがたくものたまふ物
かな去ながらもこゝろにくき事なし何としてはげまん
とてかくはの給ぞといへば妻なにしに其事をはいふぞ
今あけんをまてといふさる程に夜明にければおのれ
が一つ着たりける衣をぬぎて人の銭五百文かりてげり
男のもとへもて来ていふ様人の十廿貫にてうたんも
又此少分の物にてうたんも心をやる事はおなじ事也
我こゝろに又おもしろし共思はぬ事なればあながち

におほくうち入てもせんなしといへば男ありがたく
うれしく覚て其あしたやがて此銭ふところにひき
入て殿へ持て参ぬ例の事なればあつまりてのゝ
しる中にまじりぬ心中に思ふやうすべてこの事
いまだせぬ事也朝夕見きけ共我と手をおろして
したる事なければさいの目の勝まけもはか〴〵敷
しらず只人にまかせんと思てかたえの者に其よしを
いへばさしもはやりたる事に只/独(ひとり)ましり給はざり
つれば賢人(けんじん)だてかとおもひて侍けるにいかにして
かくはなどいへば其ことに候今日よりくはゝり候べし
【上欄書入れ】5
   【柱】古今巻十二       〇四

   【柱】古今巻十二       〇四
とこたへて此銭わつかに五百なればあまたたびに
出さんも見苦たゞ一度にをし出して打とられなば
さてこそあらめと思てよき程つゞきてまはる所に
をし出してかきたりければはやくかきおほせて一貫
に成ぬ我はいまだ一度もしり候はねばとうをば人に
ゆづり申候はんとてまはらん所をかきおとさんと思て
又よき程に一貫をおし出してかくに又かきおほせて
二貫に成ぬ其時思ふやう五百をばとりはなちて本
をうしなはで妻に返しとらせんと思ひてふところに
おさめてげり今一貫五百をとてこれは思ひの外の

【挿絵】
【縦長楕円印 朱】BnF/MSS
【上欄書入れ】6
   【柱】古今巻十二ノ       〇又四

   【柱】古今巻十二ノ       〇又四
【挿絵】
【縦長楕円印 朱】BnF/MSS

物也おもふさまにせんと思て又をし出したるにかきおほせ
て三貫に成てげり其後は或は一貫二貫よき程〳〵に
をし出すにおほやうはかきおほせて卅よ貫に成にけり
此上は今は手あらに振まはじと思ひてよき程にして
しばしやすみ候はんとて卅余貫の銭取てしりぞき
にけり傍輩(はうばい)共女/牛(うし)に腹つかれたる心地してあり
けれど今かくかひ付て後をこそなど思ひゐたり
去程に此ぬし其夜やがて仁和寺の妻が本へ此銭
をもたせて行にけり次(つきの)旦(あした)家にて妻にいひあはせて
ゆゝしくことして長櫃のあたらしき両三合たづねて
【上欄書入れ】7
   【柱】古今巻十二       〇五

   【柱】古今巻十二       〇五
誠にきら〳〵しくしたてゝ第二日の朝とくかゝせて参たり
先/起請文(きしやうもん)一/紙(し)を書て侍(さふらい)の柱(はしら)にをしてげり其起請
文に書様今日以後ながく博打(ばくち)仕べからず過にしかたも
仕らぬ事なれど諸衆の御供して此度始て此事
仕りぬ自今以後もし又か様の事仕らば現当(げんたう)む
なしき身と成べしと書てをしたりけり傍輩(はうばい)ども
かたへはやすからぬことにいひかたへは感ずるも有けり
事はてゝ妻が本へ行て云やう今三十貫有十貫
をば汝にとらせんかくまうけたる併(しかし)汝が恩(をん)なれば
すべて皆とらすべけれ共我/既(すて)によはひたけて残の

年いくばくならず年比出家の志(こゝろさし)あれども一日の斎(とき)
料(りやう)のたくはへなし是に思ひわづらひつる也此二十貫
の銭を持て斎料にして念仏申て後生たすからん
と思ふ也とし比の志わするべからずいとひ給はん迄は
時々は参りて見奉るへし又やれ衣きよむることなど
はとふらひ給へかしといへば妻返々目出たく思ひ
とり給ひたる誠に此世はつねならねば左様に思ひ
とりたまへる事わがためもうれしき事也とてゆるし
てげれば悦て則出家をとげて廿貫の銭を先十
貫もちて四条町にいたりぬある小家に至りて云
【上欄書入れ】8
   【柱】古今巻十二       〇六

   【柱】古今巻十二       〇六
やう是十貫の銭有奉らん我を一月に十五日此家に
我はかり宿してその程一日に二たびの斎料をこひ銭に
てしてたまへさて用途(ようと)つきなんのちはとゞめたまへと
いへば家のあるじよき事と思ひて事うけしてげり
かくて商売し給ふ所なれば家せばく所なし屋のうへ
にゐたらんはいかにといへばそれは心にまかせ給へといへ
ば悦て家の上(うへ)にのぼりて下(しも)見さげて世の人のさは
ぎはしるさまを見て世間の無常(むじやう)をさとりて念仏
して上十五日をすぐしけり今十貫を持て又七条ノ
町に行て此定にして下十五日をすぐしけり去程に

念仏の功(こう)つもりて運心(うんしん)としをおくりければ在地(ざいち)の者
共たうとみてかつは夢なども見たりけるにや面〳〵
に帰依(きゑ)してけふの斎料をばわれさたせん〳〵とあら
そひ結縁(けちえん)しければ預けたりつる両所の十貫銭
もこと〴〵くもいらず家のあるじの所得(しよとく)に成にけり
かくて往生の期(ご)ちかく成にければ兼(かね)て其/期(ご)を知(しり)
て仁和寺の妻が家に行向ひていとなやむ事も
なくして正念に住して高声(かうせう)念仏おこたらず端(たん)
坐(ざ)合掌(がつしやう)して終(をは)りけり善知織(せんちしき)【「織」は「識」ヵ】大成(おゝいなる)因縁(いんえん)な
れば此妻はゆゝしき善知織【「織」は「識」ヵ】かなこれも阿弥陀
【上欄書入れ】9
   【柱】古今巻十二       〇七

   【柱】古今巻十二       〇七
如来の御方便にや
【424】後鳥羽院御時伊与国おふてらの島といふ所に
天竺(てんぢく)の冠者(くはんじや)といふもの有けり件の島に山あり
其うへに家を作りて住けりかしこに又ほこらを
かまへて其内に母が死(しゝ)たるを腹の内の物を取/捨(すて)て
ほしかためてうへをうるしにてぬりていはひておき
たりけり山のすそに八間の家を作りて拝殿(はいでん)と名付
て八乙女(やをとめ)以下かぐらおとこなどをすへたりけり此天
竺冠者は空(くう)をかけり水(みつ)をはしる由(よし)聞(きこ)えけ
れは当/国(こく)隣国(りんこく)より人のあつまりきほふ

事おびたゝしかりけりかの冠者あかとり
ぞめ【赤取染】の水干(すいかん)になつ毛(け)のむかばき【夏毛の行縢】をはきて
しげとう【重藤】の弓にのや【野矢】おひて竹笠(たけかさ)をきたり
けり月毛の馬のちいさきにのりて毎日に
山の上の家よりくたりけれは八間のかりや
の者共/皷(つゝみ)をたゝき歌をとなへてはやしけ
れは馬やう〳〵おりくたりてかりやの板敷(いたしき)
の上にのほりてさま〳〵にめぐりおどりて
けにも目をおどろかしけりまいり
の人のそこらあつまれる中に或は目
【上欄書入れ】10
   【柱】古今巻十二       〇八

   【柱】古今巻十二       〇八
しいたるもあり或はこしゐたるも有此ともから
天竺(てんちく)冠者(くわんしや)にたからをあたへて其いたむ所を
いのれは冠者馬よりおりてさま〳〵の託宣(たくせん)し
てこしおれたるものをば足にてふみなどしけれは
たちまちになをりけり目しいたる者をは
なでなとしけれはみゆるよしいひけりさる
につけてます〳〵きほひ聚(あつま)る事/計(はかり)なし衣裳(いしやう)
をぬき太刀を捧(さゝけ)さならぬ資財(しざい)いくらと云事なく
投(なけ)ける事/夥(おひたゝ)しかりけり冠者(くわんしや)自(みつから)我(われ)は親王(しんわう)なりと
称(せう)し鳥居(とりい)を立て額(がく)を親王高【宮ヵ。書陵部本「親王宮」】と書て打たりけり此

事を院/聞召(きこしめ)されからめとられけり神泉苑(しんせんゑん)に御幸(みゆき)
成て件(くだん)の冠(くはん)者をめしすへて汝神通の物にて空を
とび水の面はしるなるに此(この)池面(いけのおも)走(はしる)べしとて池につけ
られたりけるにあへて其儀なし馬によく乗て山の
峰(みね)よりはしりくだすなるにとてあがり馬にのせられ
たるに一たまりもせざりけり大力の聞へ有とて賀茂
の神主/能久(よしひさ)と相撲(しまう)をとらせられけるに能久取て
池の面へ七八尺はかりなげすてたりければ水におぼれ
てうきあがりけるを大ひきめ【引目】にてい【射】させられけり
かくせめられてのち獄定(ごくぢやう)せられけるとぞ此男
【上欄書入れ】11
【縦長楕円印 朱】BnF/MSS
   【柱】古今巻十二       〇八

   【柱】古今巻十二       〇八
もと伊与国の者なりけり高名のふるばくちにて
打はうけてすべてまけ博奕打(ばくちうち)八十よ人同意して諸
国に分ゐて天竺冠者がかく厳重(げんぢう)なるよしを人に
かたり或は人にもいはせてわゝくりたりけるがあまりに
ことすぎて京迄聞へてかゝる目にあひにけり
【425】鎌倉の修理太夫/時房(ときふさ)朝臣のまへにて双六の勝負有
けり九郎/三河房(みかはばう)信濃(しなのゝ)七郎など有けるに懸物を出
してひき目うちたらんもの取べしと定てげり一番
に信濃七郎すゝみて筒(どう)をしばしふりてぬきければ三
を打たりけり次に三河房すゝみ調一(でつち)を打たりけり

人々目をおどろかして此うへは何をかうたん三河房懸
物とりつとのゝしりあへるに九郎すゝみてよく久しく
筒をふりて調一(てつち)をおり重たりけり凡夫のしわざに
あらずとて九郎三とりてげり
【426】建長五年十二月廿九日/法深房(ほうじんばう)のもとに形部房(ぎやうぶばう)と
いふ僧有かれとふたり囲碁(ゐこ)を打ける程に法深房の
方の石目一つくりて其うへこうを立たりければたゞには
とらるまじといはれけり形部房云目は只一也こう有
とても又目つくるべき所なしそばにせめあふ石もなし
にげて行べき方もなしいかてかとらざらんと法深房
【上欄書入れ】12
   【柱】古今巻十二       〇九

   【柱】古今巻十二       〇九
が云それはさる事なれ共外に両こうの所有是をこう
にしゐたらんずればまさる歒(てき)を取て勝べし両こうの
石をおしまれは目一のうへのこうつがさすまじければ也
形部房云両こうはさる事にて候へ共それをたのみて
目一の石いくまじきをせめてかへといはれなき事也と
たがひにあらそひてことゆきがたきによりて懸物を定(さだ)
めてあらがひに成にけり当世/囲碁(ゐご)の上手共にこと
はらせける先備中法眼/俊快(しゆんくわい)にとひたりければ両こう
にかせう一つとはこれか事なり法深房の理(ことは)り也と定(さだ)
めつ次に珍覚僧都(ちんかくそうづ)にとふに又法深房の理也と

さだむ次に如仏(ぢよふつ)にことわらするに判に云目一ありと
いへ共両こうのあらんには死石にあらずといへり自筆に
勘(かんかへ)て判形くはへてをくりたりけり此上は又判者なけれ
ば法深房の勝に成りてげり形部房懸物わきまへ
風呂たきなどしてきらめきたりけり抑しはすの二十
九日さしものまぎれの中に囲碁(いご)をうつたに打まか
せては心/付(つき)なかりぬべきに所々人つかひをはしらかして
判ぜさせけるこそ罪(つみ)ゆるさるゝ程の数寄(すき)にて侍れ
俊快(しゆんくわい)法眼は感歎(かんたん)入興しけるとぞ
【上欄書入れ】13
   【柱】古今巻十二       〇十

   【柱】古今巻十二       〇十
  偸盗(ちうとう) 《割書:第十九》
【427】盗賊(トウゾク)者(ハ)刑獄(ケイコクノ)之/法改辜(已下如写本)行除之心絶暗/求(モトメ)_二浮(フ)
雲(ウンノ)之/富(トミヲ)_一常(ツネニ)成(ナス)_二深夜(ジンヤノ)之希_一之都鄙/不(ス)_レ可(ヘカラ)_レ禁(キンス)
【428】元興寺といふ琵琶(びわ)左右なき名物也/紫檀(したん)のこうふ
と絃(を)ほそ絃(を)あひかなひて音勢も有て目出度比巴
にてそ侍ける件の比巴はむかし彼寺修理の時/用途(ようと)
のために是【其ヵ】寺の別当うりけるを後朱雀院春宮
の御時/買(かい)めされにけり修理をくはへらるべき事ありて
保仲(やすなか)がもとへつかはしける時何と有けることにか其
使/念珠(すゝ)引が妻(め)なりけり其間に彼使の男これを

見て甲(かう)のしりのかた三寸計【ばかり】をぬすみてきりてけり
あさましなともいふはかりなしさてあらぬ木にてつがれ
にけりいく程の所得(しよとく)せんとてかくばかりの重宝をかたば
かりなしけん盗人(ぬすひと)の心いづれとはいひながらうたてく
口をしかりけるものかな
【429】博雅(はくがの)三位の家に盗人(ぬすひと)入たりけり三品(さんほん)板敷の下ににげ
かくれにけり盗人帰りさて後はひ出て家中を見るに
残たる物なくみな取てげり篳篥(ひちりき)一を置物/厨子(つし)
に残したりけるを三位とりてふかれたりけるを出て
さりぬる盗人はるかに是を聞て感情(かんせい)をさへがたくし
【上欄書入れ】14
   【柱】古今巻十二       〇十一

   【柱】古今巻十二       〇十一
て帰来て云やう只今の篳篥のねを承にあはれ
にたうとく候て悪心みなあらたまりぬ取(とる)所の物ども
こと〴〵くに返し奉るべしといひて皆置て出にけり
昔の盗人は又かくゆう成心も有けり
【430】又/篳篥師(ひちりきし)用光(ようくわう)南海道(なんかいどう)に発向(はつかう)の時/海賊(かいそく)にあひ
けり用光を既(すて)にころさんとする時/海賊(かいそく)に向ていはく
我久敷篳篥をもて朝(てう)につかえ世にゆるされたり今
いふかひなく賊徒(ぞくと)のために害(がひ)されんとす是/宿業(しゆくごう)のし
からしむる也しばらくの命得させよ一曲の雅声(がせい)をふかん
といへば海賊ぬける太刀をおさへてふかせけり用光

最期(さいご)のつとめと思て泣々(なく〳〵)臨(のそみ)調子/次(ついて)にけり其時なさ
けなき群賊(くんぞく)も感涙(かんるい)をたれて用光をゆるしてげり剰(あまさへ)
淡路(あはぢ)の南流(なる)と迄をくりておろしをきけり諸道に長(たけ)ぬ
るはかくのごとくの徳を必あらはする事也末代なをしか
ある事共多かり
【431】南都(なんと)に或人/五部(ごぶ)大/乗(じやう)経書て春日(かすがの)宝前(はうぜん)にて供養(くやう)せん 
と思て澄憲(てうけん)法印を導師(どうし)に請(しやう)し下さんとしけるを衆徒(しゆと)聞て
南都(なんと)の碩学(せきかく)共を閣(さしおき)て山法師を請(しやう)する事/苦(くるし)き事也
と憤(いきとを)り其事とまりにかゝる程に大明神の御/託宣(たくせん)に
我国第一の能説(のうせつ)をきかん事を悦思ふにいかにてさま
【上欄書入れ】15
   【柱】古今巻十二       〇十二

   【柱】古今巻十二       〇十二
たけをばなすぞとしめしたまひければ恐なして本儀(もとのき)
にまかせて請じ下してげり誠に富楼那の弁説(べんぜつ)をはき
て衆人/感涙(かんるい)を垂(たれ)ぬはなかりけり随喜のあまり南都
こぞりてわれも〳〵と臨時(りんし)の仏事をはじめて請じ
ける程に布施(ふせ)はしたなく多く取てのぼるとて日
たけて出たりけるに奈良坂(ならさか)にて山だち待まうけて布
施物みなうばひ取てげり力者以下みなうちすてゝ散々(とり〳〵)
に逃(にげ)さりにければ只ひとり輿(こし)に乗(のり)て忙然(ばうぜん)としてゐたり
おそろしき事せんかたなけれ共いつかたへ逃(にけ)のがるべく
もなしさりながら山だちの主領(しゆりやう)とおぼしきもの事をき

て候有けるを法印まねきければ何しにめされ候
ぞといひながら四五人つれて来れりけり法印しばし
物申候はんとて十二/因縁(いんえん)のこゝろを目出たく説(とき)きかせ
て教化(けうけ)せられたりけるに山だち共忽に悪心をあら
ためて帰伏(きぶく)せるけしきに成てうばひ取所の物共
こと〴〵く返しあたへてげりさて法性寺迄/守護(しゆご)し
て送(をく)りたりけり法印不思儀に思ひてこと故なく坊
に帰りぬ次の日小/童(わらは)一人小袋に物を入て持来て
案内する何者ぞととはすれば昨日なら坂にて見(げん)
参(ざん)に入て候し者のもとよりといひければ山だち
【上欄書入れ】16
   【柱】古今巻十二       〇十三

   【柱】古今巻十二       〇十三
よと心得ておぼつかなさにいそぎ袋をひらきて見
ればもとゞりを三/切(きり)て入たりけり消息(せうそく)有けりあ
けてみれば昨日の御/教化(けうけ)を承て忽(たちまち)に発心(ほつしん)のもの
三人かれがもとゞりに候と書たりけりあはれにふしぎ成
事也今此けうけによりて悪心をあらためけん事
有/難(かたき)事也/澄憲(てうげん)が高名(かうみやう)不思儀此事に侍り
【432】いづれの比の事にか西の京成者夜ふかく朱雀門(しゆしやくもん)の
前を過けるに門のうへに火をともして侍りけり此門
にはむかし鬼(をに)すみけると聞に今もすみ侍るにや
とおそろしさ限なくて過ぬ其後又ある夜とをるに

さきのごとく火をともしたり此事あやしくて在地
に披露(ひろう)しければ死生不知(しせうふち)の村人共/評定(ひやうでう)していざ
行て見んとてそこばく来りて門にのぼりて見ければ
いとなまやか成女房一人臥たりけり思ひよらぬ事なれは
ばけ物なめりとおそろしながらことの子細(しさい)をとふに
はやく盗人なりけりとし比此門に住て夜るはがう
だうをしてすぎけるが此程手を負(をい)てやみふして
侍りける也
【433】隆房(たかふさ)大納言/検非違使(けびゐし)別当のとき白川に強盗(ごうとう)入に
けり其家にすくやか成者有て強盗とたゝかひ
【上欄書入れ】17
   【柱】古今巻十二       〇十四

   【柱】古今巻十二       〇十四
けるがなにとなくて強盗の中にまぎれまじはり
来けるうちあはんにはしおほせん事かたく覚へければ
かくまじはりて物わけん所に行て強盗の顔(かほ)をも見
又ちり〴〵にならん時に家をも見入んと思ひてかくは
かまへけり扨ともなひて朱雀門の辺(ほとり)に渡(わたり)ぬをの〳〵
物わけて此男にもあたへてげり強盗の中にいと
なまやかにてこゑけはひよりはしめてよに尋常(じんじやう)成
男のとし廿四五にもやあるらんと覚ゆる有どう腹巻(はらまき)
に左右ごてさして長刀を持たりけりひをくゝりの直(なを)
垂(し)はかまにくゝりたかくあげたり諸(もろ〳〵)の強盗の主(しゆ)と

おぼしくてことをきてければみな其下知にしたがひ
て主のごとくになん侍りけり扨ちり〴〵に成ける時この
むねとの者のゆかん方を見んと思て尻(しり)にさしさがりて
見がくれ〳〵行に朱雀(しゆしやく)を南へ四条迄行けり四条を東
へくしげ迄はまさしく目にかけたりけるを四条大宮の
大理(たいり)の亭(てい)の西の門の程にていづちかうせにけんかき
けすがごとく見へず成にけりさきにもそばにもすべて
見へず此/築地(ついぢ)を越て内へ入にけりと思ひてそこゟ
帰りぬ朝(あした)にとく行て跡を見れば件の盗人手を負(をい)
て侍けるにや道に血(ち)こぼれけり門のもとにてとゞ
【上欄書入れ】18
   【柱】古今巻十二       〇十五

   【柱】古今巻十二       〇十五
まりければうたがひもなく此内の人也けりと思ひて
立帰りて此やうを主(ぬし)に語(かた)りければ大理の辺に参り
通ふ者なりければ則参てひそかに此様を語り申
ければ大理聞おどろかれて家の中をせんぎせられ
けれ共更にあやしき事なかりけり件の血(ち)北(きた)の対(たい)の
車/宿(やとり)迄こぼれたりければつぼね女房の中に盗人を
こめ置たるしわざにこそとてみな房共をさがされん
ずる儀に成て女房共をよばれけり其中に大納言
殿とかやとて上/臈(らう)女房の有けるが此程風のおこり
てえなん参らぬよしをいひけり重(かさね)てたゞいかにもして

人に成共かゝりて参り給へとせめられければのがるゝ
方なくてなまじゐに参りぬ其跡をさがしければ血
付たる小袖有あやしくていよ〳〵あなぐりて坂板(さかいた)を上(あげ)
て見るにさま〴〵の物共をかくし置たりげり彼男が云(いひ)
つるにたかはずひをくゝりの直垂(なをし)袴(はかま)なども有けり面(をもて)
形一つ有けるは其ふるき面(おもて)をして顔(かを)をかくして夜な〳〵
強盗(がうどう)をしけるなりけり大理(たいり)大にあざみて則/官(くはん)人
に仰て白昼(はくちう)の禁獄(きうごく)せられける見物の輩(ともがら)市をなし
て所もさりあへざりけるとぞきぬかづきをぬがせて
おもてをあらはにして出されけり諸人見てあさましと
【上欄書入れ】19
   【柱】古今巻十二       〇十六

   【柱】古今巻十二       〇十六
思へり廿七八計成女のほそやかにてたけだち髪(かみ)の
かゝりすべてわろき所もなくゆう成女房にてぞ侍
けるむかしこそ鈴香山(すゞかやま)の女盗人とていひつたへたる
にちかき世にもかゝるふしぎ侍けることにこそ
【434】中納言/兼光(かねみつ)卿/建(けん)久二年十二月廿八日に検非違使(けんひゐし)
別当に成て庁務(てうむ)ことにおこし沙汰ありけるに賎(いやしき)者
の小屋にちいさき釜(かま)のうせたりけるを隣(となり)なりける
腰居(こしゐ)がぬすみたりけると云つぎ有て臓物(そうもつ)【贓物】をさがし
出したりけるに腰居(こしゐ)申けるは手をもちてこそゐざり
ありき候へ手をはなれてはいかでか取侍べき他人ぞ盜

をきて侍らんと陳(ちん)しけれはまことに申所/理(ことわり)也と沙汰
有けれどぬすまれたる者の訴訟(そせう)つよくて大理の門
前に召出して内問(ないもん)有けり相論(さうろん)事ゆかざりけるに
別当/謀(はかりこと)をめくらして此/腰居(こしゐ)申所不便也たゞ此釜を
腰居にとらすべしと仰下したりければ腰居悦て
かしらにうちかづきていざり出けるをみて実犯(じつぼん)なりけり
かたはの身なれ共かくしてぬすみてげるとさとりて
科(とが)にをこなはれけりゆゝしかりけるはかりこと也
【435】正上座といふ弓の上手わかゝりける時参河の国より
熊野(くまの)へわたりけるに伊勢国いらこのわたりにて海賊(かいぞく)
【上欄書入れ】20
   【柱】古今巻十二       〇十七

   【柱】古今巻十二       〇十七
にあひにけり悪徒(あくと)等か舟すで近付て御米まいら
せよといひけるを正上座人を出していはせけるは是は
熊野へ参る御米也/贓徒(ぞくと)等のぞみ有へからず悪徒
等かく云を聞て熊野の御米と見ればこそ左右なく
はとゝめねしからすはかくまで詞にていひてんやといふ
上座その時/腹巻(はらまき)きてひきめ一じんどう一/進(すゝみ)とりぐし
てたてつかせて船のへにすゝみ出て悪徒等が望み
申事いかにも叶ふへからず止(とめ)ぬべくは御米成共とゞめよ
かしといふを海賊(かいぞく)一人ものゝぐして出向てこと葉だ
たかひをしけり海賊が船に幕(まく)引まはしてたてを

つきて其中に悪徒/等(ら)其数多く有しばし詞だゝかひ
して上座まづひきめもて海賊を射(い)たるに海賊
くゞまりて箭(や)を上へとをしけりひきめ耳をひゞかし
て通ぬれば則立あがる所をいつのまにか矢つぎし
つらんしんとうをもてたちあがる目のあひを射て
うつぶしにいふせてげり此矢つぎのはやさに海賊ら
おどろきて是は誰にておはしまし候ぞと問たりければ
汝らじらずや正上座/行快(ぎやうくわい)ぞかしと名乗(なのり)て此辺
の海ぞくは定て熊野だちの奴原(やつはら)にてこそ有ら
めと思へは優如(ゆうじよ)してこれをもて手なみをば見する
【上欄書入れ】21
   【柱】古今巻十二       〇十八

   【柱】古今巻十二       〇十八
ぞといひたりけるに海ぞく等(ら)さらば始よりさは
仰られで希有(けう)にあやまちすらんにとてこぎかへ
りにけり
【436】後鳥羽院御時/交野(かたのゝ)八郎と云強盗の張本(ちやうほん)あり
けり今津(いまつ)に宿したるよしきこしめして西面(さいめん)
の輩(ともから)をつかはしてからめ召れけるやがて御幸成て
御船にめして御覧せられけり彼(かの)奴(やつ)は究竟(くきやう)のもの
にてからめて四方をまきせむるにとかくちがひて
いかにもからめられず御船より上皇みづからかいを
とらせ給ひて御をきてありけりそのとき則からめら

【挿絵】
【縦長楕円印 朱】BnF/MSS
【上欄書入れ】22
   【柱】古今巻十二ノ       〇又十八

   【柱】古今巻十二ノ       〇又十八
【挿絵】
【縦長楕円印 朱】BnF/MSS

れにけり水無瀬殿(みなせとの)へ参たりけるにめしすえて
いかに汝程のやつがこれほとやすくは搦(からめ)られたるぞと
御たつね有けれは八郎申けるは年来からめ手向ひ候
事其数をしらす候山にこもり水に入てすへて人
をちかづけす候此度も西面の人々向ひて候つる程は
物の数共覚へず候つるが御幸ならせおはしまし候て御みづ
から御をきての候つる事忝も可申上には候はね共/船(ふね)のかい
ははしたなく重(おも)き(き)物にて候を扇等(おふきなと)をもたせ候/様(やう)に御
片手(かたて)にとらせおはしましてやす〳〵ととかく御をきて候
つるを少みまいらせ候つるより運(うん)つきはて候て力よは〳〵と
【上欄書入れ】23
   【柱】古今巻十二       〇十九

   【柱】古今巻十二       〇十九
覚へ候ていかにものがるべくも覚へ候はでからめられ
候へぬると申たりければ御気しきあしくもなくて
をのれめしつかふへき事也とてゆるされて御/中間(ちうげん)に
なされにけり御幸の時は烏帽子(ゑぼうし)かげしてくゝりたかく
あげてはしりければ興ある事になんおぼしめされ
たりけり
【437】承久の比/内裏(たいり)へ盗人を追(をい)入たりけるを所の衆/行(ゆき)
実(さね)記録(きろく)所辺にてからめ取けり行実(ゆきさね)件の盗人に
しろき水干袴に紅のきぬ着(き)せてざうもつくびに
かけさて北陣をわたして検非違使(けびいし)にうけとらせられ

けり行実は衣冠(いくわん)に巻纓(まきえい)して深沓(ふかくつ)をぞはきたりける
佐々木判官/廣綱(ひろつな)白襖(しらあを)に毛沓(けぐつ)はきて郎等廿人に一色
の鎧(よろひ)きせうけ取けりゆゝしき見物にてぞ侍ける北陣
の門前に犯人(ぼんにん)を引すへたりけるを廣綱が下/部(べ)すゝみて
うけ取て引たつる所に犯人がいはくしばらくまたせ給へ
申上べき事候とて一首の歌を詠し侍ける
  あふみなる鏡(かゝみ)の山に陰(かけ)見へて
   さゝきのへとてわたりぬるかな
かゝる中にいづくに胆魂(きもたましい)有てあんじつゞけるにかあ
はれなりといふことはなくて盗人たましゐの程あらは
【上欄書入れ】24
   【柱】古今巻十二       〇二十

   【柱】古今巻十二       〇二十
れていとゞおそろしといふ沙汰にてぞありける主上は殊
に御口びるの色もかはらせ給けりおぢさせ給けるとぞ
【438】木幡(こはた)にて四月(うつき)の比ぬす人をとらへてとひいましめて置
たりけるにそのぬす人のよみ侍ける
  はさまれて足はうつきの時鳥
   鳴はをれともとふ人もなし
【439】或所に強盗(ごうどう)入たりけるに弓とりに法師をたてたり
けるが秋の末つかたの事にて侍けるに門のもとに柿(かきの)木
の有ける下に此師かたて矢はげて立たる上よりうみ
柿(かき)の落(をち)けるがこの弓とりの法師がいたゞきにおちて

つぶれてさん〴〵にちりぬ此/柿(かき)のひや〳〵としてあたるを
かいさぐるに何となくぬれ〳〵と有けるをはや射
られにたりと思ひておくしてげりかたへの輩(ともから)と云
やうはやくいたでを負(をひ)ていかにものぶべくも覚ぬに
此/頭(くび)うてといふいづくぞととへば頭(かしら)を射られたるぞと
いふさくれば何とはしらずぬれわたりたり手にあかく
物付たればげに血(ち)なりけりと思てさらんからにけしう
はあらじひきたてゝゆかんとて肩(かた)にかけて行にいや
はやいかにものぶべくも覚ぬぞたゞはやくびを切と
しきりにいひければ云(いふ)にしたがひて打おとしつ扨其
【上欄書入れ】25
   【柱】古今巻十二       〇二十一

   【柱】古今巻十二       〇二十一
首をつゝみて大和国へ持て行て此法師が家になげ入
てしか〳〵いひつることゝてとらせたりければ妻子なき
かなしみて見るに更に矢の跡なしむくろに手ばし
負たりけるかと問にしかにはあらず此かしらの事
計をぞいひつるといへはいよ〳〵かなしみ悔(くゆ)れ共かひ
なしおくびやうはうたてきもの也左様のこゝろぎはに
てかく程のふるまひしけんおろか也とぞ
【440】或所に偸盜(ちうどう)入たりけりあるじおきあひて帰らん
所を打とゞめんとて其道を待まうけて障子(しやうし)の破(やぶれ)
よりのぞきをりけるに盗人物共少々取て袋に

入てこと〴〵くも取ず少々を取て帰らんとするが
さけ棚(たな)の上に鉢(はち)に灰(はい)を入て置たりけるをこの
盗人何とる【「る」は「か」ヵ】思ひたりけんつかみ食(くい)て後袋に取入
たる物をば本(もと)のごとくに置て帰りけり待まうけ
たる事なればふせてからめてげり此盗人のふる
まひ心得がたくて其子細を尋ければぬす人いふ
やう我(われ)本(もと)より盜の心なし此一両日/食物(しよくもつ)絶(たへ)て
術(じゆつ)なくひだるく候まゝにはじめてかゝるこゝろ付
て参侍りつる也然るに御棚に麦(むぎ)の粉(こ)やらんと
おぼしき物之手にさはり候つるを物之ほしく候
【上欄書入れ】26
   【柱】古今巻十二       〇二十二

   【柱】古今巻十二       〇二十二
まゝにつかみくいて候つるがはじめはあまりうへたる
口にて何の物共思ひわかれずあまたゝびになり
てはじめて灰(はい)にて候けるとしられて其後はたへず
なりぬ食物ならぬものをたべては候へ共是を腹(はら)に
くい入て候へば物のほしさがやみて候也是を思ふに
このうへにたべずしてこそかゝるあらぬさまの心も付
て候へば灰をたべてもやすくなをり候けりと思ひ
候へば取所の物をも本(もと)のごとくに置て候也といふ哀(あは)れ
にもふしぎにも覚へてかたのごとくのざうせちなど
とらせて返しやりにけり後々にもさほどにせん

つきん時は不_レ憚来ていへとてつねによぶらひけり
ぬす人も此心あはれ也家のあるじのあはれみ
また優(ゆう)なり
【441】大殿(おほとの)小殿(ことの)とてきこへある強盗の棟梁(とうりやう)ありけり
大殿は後鳥羽院の御と時【「御と時」は書陵部本「御時」】】からめられけり小殿は
高倉(たかくら)判官章久(はんくわんあきひさ)が本へ行ていひけるは日来(ひころ)年来(としころ)
からめかねてあなぐりもとめられ候小殿と申強
盜こそ思ふやう有て参て候へはやくうけとらせ給
へといふ章久まことしからず覚ながらおろ〳〵子細を
とへば小殿いはく御/不審(ふしん)候事尤其いはれ候へども
【上欄書入れ】26 bis
   【柱】古今巻十二       〇二十三

   【柱】古今巻十二       〇二十三
先思召候へたゞのしら人が強盗とみづから名乗(なのり)て命
をまかせ参らせて何のせんか候べきといへば実(げに)も理(ことわり)
にて委(くはし)く問答するに小殿が云やう年ごろ西国
の方にて海賊(かいぞく)をし東国にては山だちをし京都
にては強盗(ごうどう)をし辺土(へんど)にてはひきはぎをして過候
つる也かゝる重罪(ぢうざい)の身を受候ぬれば此世にても安き
心候はず夜も安くねず昼も心打くつろぐ事なし
世のおそろしく人のつゝましき事かなしき苦患(くげん)にて候
也扨も一/期(ご)事なくて有べき身にても候はずつゐに
定てからめ出されてはぢをさらしかなしき目をこそ

見候はんずれ年来の罪(つみ)をも報(むく)はんが為に頭(かうべ)を
のべて参候といへば章久(あきひさ)あはれに覚て左右なくも
受取べけれ共其儀なくして答けるは今は使庁(してう)の
庁務(てうむ)停止(てうじ)したる也かつは聞へ及らん年来作置る
楼(ろう)も皆打/破(やふり)て仏殿に作なをして一/向(かう)庁務(てうむ)を
とゞめて後世の事をいとなむ也徳大寺殿に祗候(しこう)
の源(げん)判官/康仲(やすなか)こそ当時ことに高名を立んとする
人なれかしこに行て此子細をいはゞ定て悦思はん
ずらんといへば左候はゞ御文を給はり候へ源判官殿へ
参候はんといへばそれはやすき事也とて文(ふみ)書とら
【上欄書入れ】27
   【柱】古今巻十二       〇二十四

   【柱】古今巻十二       〇二十四
せければ則持て康仲(やすなか)がもとへ行て章久(あきひさ)がもと
にていひつるがごとくにいひて若(もし)万が一命をいけて
召もつかはれ候はゝ別の奉公には余党(よとう)其数おほく候
を一々にからめさせ参らせんといへば康仲興有事
に思ひて受取てつかひけり給物(きうもつ)三十石をとらせて朝
夕めしつかふに事にをきてかひ〴〵敷/大切(たいせつ)の事共多かり
ければ大納言/家(け)に此様を内々申入たりけるにいと興
有事にこそ左様のものは中〳〵さるかたもあるなり
我にえさせよ召つかはんと仰られければ参らせてげり
侍(さふらひ)ゆるされてめし仕けり康仲が恩(をん)の上に五十石

の給物(きうもつ)をたまはせたりければ小殿悦て今はかくて
一期身やすくてやみなんすれば思ふ事候はず祗候(しこう)の
間にはいかにも御所中并/御近辺(ごきんへん)には狼藉(たうぜき)の事
あらすましく候とて一向に御とのゐして奉公をいたし
ければ誠にかひ〴〵敷其あたりには夜るの恐なかり
けりかゝる程に真木島(まきのしま)の十郎といふ強盗(がうどう)の張本(ちやうほん)有
年比/使庁(してう)武家(ぶけ)うかゞへ共いかにもからめえざりける
を康仲此小殿に云やう汝がはじめより約束/偽(いつはる)
所なくは彼十郎からめさせよと云小殿則/承伏(じやうぶく)し
にけり小殿が云く十郎はゆゝしきつは物也たやすく
【上欄書入れ】28
   【柱】古今巻十二       〇二十五

   【柱】古今巻十二       〇二十五
からめらるべからずすくやか成人を三十余人給りて向
侍べし又何にても臓物(ざうもつ)【贓物】を一給らんといへは云がごとく
にさたして鞦(しりがい)一かけをとらせてげり件の鞦(しりがい)をふところ
に入て卅よ人の輩あひぐしてまきの島へむかひぬ
のがれ逃(にげ)んずる道々を教(をし)へてみなそこ〳〵に分て
たてつゞきていらんものなど其器(き)りやうをはからひ
て定つゝ近辺にかくし置つゝ扨をのが身ひとり入
ていだきてえい声(ごゑ)を出さん時/続(つゞき)て早(はや)く入べしと
いひをしへて日暮て行ぬ則十郎が家の門をほと〳〵
とたゝく十郎内よりたそと問ければ平六が参り

たるぞあけ給へといへば十郎何心もなく小袖
打かけ烏帽子(ゑほうし)引入て其用意もなくて出たり
小殿ふところより鞦(しりがい)を取出し是あつけ参らせん
只今外へ罷通にといふ十郎/鞦(しりがい)を取ていづこなり
ける鞦ぞと問ば夜部(よべ)あそびをしてまうけたる也と
答て通りなんとしけるを十郎さるにても入給へ
酒すゝめんといへばよき事と思ひて内へ入ぬ見
れれば又男もなし女の独(ひとり)有つるをば酒たづねに
やりてたゞはしりむかひ居たり案じすましたる
事なればむかひざまにおとりかゝりていだきてけり
【上欄書入れ】29
   【柱】古今巻十二       〇二十六

   【柱】古今巻十二       〇二十六
則えたりや〳〵と大/声(こゑ)を出す時まうけたる者共
つゞきて入て安(やす)くからめてげり十郎あはれやすか
らぬもの哉腹くろきむしにくらはれぬとぞいひける
則/康仲(やすなか)が家へぐして行たれば康仲悦思ふ事
かぎりなし康仲が第一の高名にてゆゝしくのゝし
られけるは併(しかしなから)小殿が忠節也此小殿平六はすべて
さる悪賊(あくぞく)とも覚へず事にをきてなだらかにみめ
ことがらも清げにてかひ〴〵敷つかひよかりければ
大納言家にも大切の者におぼして一向とのゐに
たのみ給へるのみにあらず何事にも召つかひけり或

時とみのこと有て宇治/布(ぬの)十/端(たん)入るべかりけるに
只今は戌刻(いぬのこく)ばかり也此用は明日/巳刻(みのこく)以前の事也
さたしいだしがたかりけるをさるにても宇治へ尋て
こそきかめとて用途(ようと)をもたせてつかはしけり小殿を
兵士(へいし)のためにそへてつかはしけるに小殿たかしこか
きおひて真(ま)弓打かたげてひらあしだはきて行け
り用途もたる物は高名のはや足の力者をえらひ
定められけるか此小殿があゆむにいかにおくれじと
あせかきけれどかなはずをそかりければ七条河原
にて小殿云やう其あゆみやうにては急(いそき)の御太事
【上欄書入れ】30
   【柱】古今巻十二       〇二十七

BnF.

LES CONTES DU VIEUX JAPON.

LA BATAILLE
DU SINGE ET DU CRABE.

版権所有

CONTES DU VIEUX JAPON.
猿蟹合戦
ドウトルメル訳述

明治十八年九月十六日版■■■同十一月出版【?】
発行者 東京京橋区日吉町十番地 長谷川武次郎
SAROU KANI KASSEN (La bataille du singe et du crabe.)

traduits par J. DAUTREMER:
publiés par T. HASEGAWA 10 Hiyoshicho TOKIO

La bataille
du singe et du crabe.

Un singe et un crabe
se rencontrèrent
un jour au
pied d'une
montagne.

 Le singe avait un pépin de Kaki,
et le crabe portait dans ses pinces
un morceau de gâteau de riz grillé.
Le singe, malin, apercevant cette
bonne aubaine et voulant en faire
son profit, dit au crabe: \Je t'en
prie, échange moi ce gâteau contre
ma graine.\ Sans rien répondre,
le crustacé se contenta de donner
son gâteau et prit la graine qu'il
planta.

 A peine était elle en terre, qu'un
arbre en sortit et poussa à une
telle hauteur qu'il fallait lever les
yeux pour le voir. L'arbre était
couvert de Kakis mais le crabe
n'avait aucun moyen de parvenir
jusqu'en haut. Aussi pria-t-il le
singe de monter, et de lui envoyer
quelques fruits. Ce dernier grimpa
aussitôt sur une des branches de
l'arbre et se mit en devoir de faire

【全面イラスト】

la cueillette.
 Mais il mettait tous les beaux
Kakis dans sa besace et lançait
tous les mauvais au crabe qui, en
dessous de l'arbre, finit par être
tout meurtri, et s'enfuit dans son
trou le dos brisé; il y resta sans
pouvoir faire un seul mouvement.
Quand les parents et les amis du
crabe virent l'état où il se trouvait,
ils furent pris de colère et résolurent

de le venger. Ils lancèrent, pour
cela, un défi au singe; mais celui-ci
amena avec lui une troupe de ses
compagnons, et les malheureux
crabes, se voyant incapables de

lutter contre une si grande force, se
retirèrent dans leur trou plus furieux
que jamais; là ils tinrent conseil et
préparèrent un plan d'attaque. A eux se

joignirent un mortier à riz, un pilon, une
abeille et un œuf et ils discutèrent en-
semble sur la manière de vengeance q'il

couviendrait d'adopter. Ils résolu-
rent de demander la paix, et, par
ce moyen, réussirent à attirer chez
eux le roi des singes. Celui-ci vint
sans se douter de ce qui était tramé
contre lui, et s'assit tranquillement.

 Tout en causant, il avait pris
les \hibashi\ et remuait les char-
bons prêts à s'éteindre, quand tout
à coup, l'œuf qui se trouvait dans
les cendres, éclata avec un grand
\bang\ et lui brûla tout le bras.

Surpris et blessé, le singe se hâta,
pour calmer sa douleur, d'aller
plonger son bras dans le tonneau
à vinaigre de la cuisine; mais
l'abeille qui s'y

trouvait cachée lui sauta au visage
et le piqua jusqu'à lui faire venir
des larmes. Sans se donner le temps
de chasser l'abeille, il se sauva, en
poussant de grands cris, du côté de
la porte; mais justement il y avait
là quelques herbes marines qui s'en-
lacèrent dans ses jambes; il glissa
et tomba. Par dessus lui tomba
le pilon, et le mortier, arrivant
en roulant jusqu à lui, le meurtrit

tellement et le rendit si faible,
qu'il fut impossible au malheureux
singe de se relever. Il était donc
ainsi à la merci des crabes
qui, arrivant leurs pinces en
l'air, se mirent à le déchirer
à qui mieux
mieux.

【裏表紙】

【管理番号?】
SMITH-LESOUËF
JAP
257

【背】

【天】

【前小口】

【地】

BnF.

【巻子本の巻いた状態】

【整理ラベル JAPONAIS 4606 1】

【巻子本を巻いた状態を上からまたは下から】

【巻子本を巻いた状態を上からまたは下から】

【巻子本の表紙と紐。題箋に文字なし】

【巻子本の見返しと紐】

   御行幸乃次第目録
一 御車の先へ女中方長えにて御供之事
一 御公家衆前後行列之次第之事
一 御車九両の次第之事

寛永三年九月六日
御行幸  二条亭への事
それひさかたの天ひらけあらかねの地はしまつて
よりこのかた神代の年月をよそへすといへとも
かのれきてんたしかならす人王らんしやうちんむ
天王よりくわんゑいの今にいたるまてせいしゆ
百十代せいさう二千二百七十五てうていのまつり
ことまさきのかつらたへすりやうしんのつとめは
松の葉のちりうせす今にをよふといへとも其道を
つたふる人をゝくなししかるにいまこゝに
さきのせい将軍左大臣源秀忠公
同右大臣源家光公 りやうひつたるゆへに国家あん
せん四かいおたやかにまつりことたゝしきに
よりふるきをたつねあたらしきをもとめすたれる
をひろひ天気を得給ふにきやうこうなるへきとて
二条ていにまふけの御所をいとなみかんわのひを
つくししゆきよくをのへあふきてもそのよそほひ
れき〳〵としてかきりなしかゝるめてたきみゆき
のことのはなり

【挿絵】

きんり   御ちよちうかた 【御女中方】
  車   上らふ御つほね 【上臈御局】
      大すけ殿
      おちこ一人
      こんすけとの
      大なこんすけ殿
      新大納言殿
      おちこ三人
  車   なかはしとの
      中ないし殿
      おちこ一人
      しんないし
ないしなみ しものうち
      くないきやう殿
      いよとの
      おちこ二人
おしりのうち
      すわうとの
      いせとの
      はりまとの
      しもつけとの
うねめ五人のうち
    上 おさい一人
    上 うねめ一人
つきのおすへなみ
      かも一人
    同 たん三人

【紙の継ぎ目まで翻刻】

【紙の継ぎ目より翻刻】

    同 いなの一人
      御物し二人
      おすへ四人
      とち三人
      女しゆ四人
    下 ひつかさ二人
   此外御しきはした五人
    上中下
    合三十三人
    このほかおちこ七人
    右長え二十四ちやう
    つりこし二十一ちやう
    黒ぬり十五丁
             はくてう



中宮様  女中方
  すけとのたち
   車 権大納言殿
   同しんたいなこん殿
   同 みくしけとの
   同 梅小路殿
   同 せんしとの
ちうらふなかはしとの なみ
   同 式部との

【紙の継ぎ目まで翻刻】

【紙の継ぎ目から翻刻】

   同 さきやう殿
   同 中将との
   同 □□のすけ殿
   同 ひことの
   同 ふせん殿
  長え なかととの
   同 大二との
   同 のと殿
   同 たしま殿
   同 しなのとの
   同 石見との
   同 ひうか殿
   同 さつま殿
  御おもてつかひ
   同 出羽殿
   同 うつみとの
  姫宮様御さしおしもなみ
   同 河内殿
   同 御物かき一人
   同 やまち

  姫宮様衆

  一の宮さま御かひそへ
  すけとのなみ
 車  中務との

【紙の継ぎ目まで翻刻】

   一宮様大上らふ
  長え おあこ御方同

   二宮さま御かひそへ
  く■ま おいま同
   一宮様小上らふ
おしもなみ おまん
   二宮様同
      おやみ同
    おちの人
  車  やゝおちの人同

   同 ちや■おちの人同

 御さしおしもなみよりした
  これより長え おまき
   同中らふ  おふう
   同     ちくこ
   同     おいわ
   同     おちや
   同次をすへ ふく
   同     ちよ
   同     いぬ
   同     いちや
   同     かね
   同 女しゆ かつ

【紙の継ぎ目まで翻刻】

   同     むす
   同     ちよほ
   同     七
   同     いし
   同     やま
   同     こな
   同     やす
   同     ろく
   これまで同前
   ひつかさ次のおすへ
  女しゆより下
         ひさ
         あけまき
         きりつほ
         まつかへ
  上中下
   合五十五人
  このほか御しきはした
  十二人            はくてう
  右の内二十九人は車
  内  十一人は長え
  内  つりこし十一ちやう
  内  黒ぬり十八ちやう


【紙の継ぎ目まで翻刻】


女院様  女中方
  上らふ分
 車   一位殿

 同  にしきの小路殿
 同  かての小路との
 同  こかうとの
 同  おちこ
 同  中納言殿
  御中らふ分
 同  あせちとの
 同  少将との
  御しもたち
 同  備後殿
 同  さぬきとの
 同  へんとの
 同  豊後殿
 同  能登殿
 同  うこんとの
 同  さかみとの
 同  備後との
 同  和泉殿
 同  ちんさうす殿
 同  たま
 同  越前
 同  おかつ

   これまて同前
    おすへ五人
 同  女しゆ三人
此外御しきはした
十一人
 合二十八人
 このほかおちこ一人
中御門ちうなこん殿■
右の内九人は車
内   十一人は長え
同   つりこし八ちやう
同   黒ぬり十一丁
  小袖の次第
■けおりは 上らふはかり
あやは   すけとの斗
そめは   下の衣
女院様衆は上もめし候
     以上

武家諸大夫十二騎    同諸大夫十二騎





右同前        右同前

随身三騎       随身三騎


           上

            ほうい     上五

非蔵人三騎       同三騎
 あさきしやうそく   同
これは■人       是は■人

これより公家衆     同

きよ蔵人        塩小路蔵人
あさきしやうそく     同

これより        同
あかしやうそく     あの侍従
四条侍従        はし本
船橋侍従         侍従
やましな侍従      あすか井
さいほう寺        侍従
  侍従        六条侍従
中務少将        中御門侍従
■右衛門佐       くわんしゆし
             ■
            くか少将
   はくてう

からす丸             ■■十
 さいしやう
    くろしやうそく


さいおん寺宰相
    くろしやうそく


柳原宰相
    くろしやうそく


日野中納言
    同



ひろはし大納言
     くろしやうそく


からす丸大納言
     くろしやうそく


日野大納言
     くろしやうそく

諸大夫           諸大夫
 あかしやうそく      同



随身二騎          随身二騎
 あさきしやうそく     同



二条左大臣
     くろしやうそく


ほうい四人
はくてう同
馬そへ 同
かさもち

あすかひ中将        れいせん中将
  くろしやうそく      くろしやうそく


     ほうい


中宮様



地下衆御車そへ

非蔵人三騎           同蔵人三騎
   あさきしやうそく        同

からはし侍従          倉橋蔵人


是より黒そく         あかしやうそく
岩倉もく           右京侍従
白川侍従           いわくら
浦辻侍従             侍従
花その            阿野侍従
  侍従           あふら小路の
長水谷              侍従
  侍従           小倉侍従
くしけ            本その侍従
  侍従           東坊城
西ほう
  てう

やくみ
  あかしやうそく



徳大寺中将
   くろしやうそく

       ほうい

西洞院右衛門守
     くろしやうそく


みなせ中将
    くろしやうそく


花山院宰相
    くろしやうそく


             ほうい

四辻中納言
    黒しやうそく



諸大夫             諸大夫
   あかしやうそく       同


随身              随身
 あさきしやうそく        同

九条内大臣
   くろしやうそく  ほうい

       供右同前

諸大夫              諸大夫
 あかしやうそく         同

随身
 あかしやうそく         随身同

         ほうい


一条右大臣
  くろしやうそく

         供右同前


女院様


西おん寺大納言

                 はくてう
やくめ
  あさきしやうそく     同

■■判官
  くろしやうそく
                 はくてう

非蔵人二騎           非蔵人二騎
  あさきしやうそく      同

清蔵人             同蔵人
  あさきしやうそく

松木侍従
 あかしやうそく

あねか小路           難波侍従
少将黒しやうそく        くろしやうそく

■しけ             くせの侍従
 少将 同           同

■■侍従            ひ口少将
  同             同





西おん寺宰相
  くろしやうそく

西おん寺中納言
  くろしやうそく


       ほうい

中御門中納言
  同


                はくてう

諸大夫           同
  あかしやうそく

随身             随身
あさきしやうそく       同



     はくてう        はくてう

     ほうい


なかつかさ右大将
    くろしやうそく


    ほうい


女一乃宮様


判官 あさきしやうそく
馬そへ四人
はくてう二人

    ほうい



女二の宮様

   判官 あさきしやうそく


車の女中かた■
いつれも右のなかへの所に
しるす



       ほうい

   判官
    あさきしやうそく


   はくてう

判官
あさきしやうそく
馬副四人
はくてう二人
かさもち



右長えのときかきつけの
 車  女中方


判官
  あさきしやうそく
供右同前

此車御内衆は
いつれも右のなかへ
の所にしるす
 女中かた



判官
  あさきしやうそく



この車右前同


此御車の女中方
 いつれも右の長え
 のところに
 しるす



下北西八騎          ■ほくめん八騎

三条大納言
    てんそう



中院中納言
    てんそう



    随身
     あさきしやうそく

【巻末・白紙部分】

BnF.

BnF.

《題:から物語   中》
【ラベル】SMITH-LESOUËF/JAP/3 (2)/1517 F. ■【Iヵ、1ヵ】

【表見返し】【ラベル】SMITH-LESOUËF/JAP 3 2

【挿絵 横書き】交趾国
交趾国又は安
南と名付く
其国もとこれ
漢の馬援か
兵の末孫也
国人親子一所に
住せす妻をむかふに媒をもちひす男子は盗賊を
わさとす女子ははなはた淫乱なり古城の王其
少子をつかはして中国の妻をよみ道をおこなふ
国人是にそむく漢の中国これをおさむ交州の刺
史をたつ後漢のとき又そむく馬援これをしつむ

五代のすゑにあたつて節度使呉昌文初て
ひそかに王の号をたつる其後みな王の名を称
す欽より西南のかた舟をもつてわたる事
一日にしていたるへし
【挿絵】黒蒙国
此国城池有家
つくりあり国人
田をつくりて
なりはひとす
天気常に熱
して人の身焼
かことく也人皆
五色のにしきをはかまとせり応天府より行事一年
【挿絵】婆登国
林邑の東に
有西のかた
迷笏国に
ちかく南の方
訶陵国に
かゝれり稲を
うゆる月こと
に一たひしゆくす文字あり貝葉にかくもし死
すれは金銀をもつて四肢をつらぬきて後に
婆律膏およひ沉檀龍脳をくわへて薪木
をつみてこれを火葬すとなり

【挿絵】無腹国
此国海の東南に
あり国人男女共
にみなはらなし
【挿絵】聶耳国
此国無腹国の東に
有国人身はとらの
紋ありて耳なか
き事ひさをすき
たりゆく時はその
耳をさゝけてゆく
といふなり
【挿絵】三身国
此国鑿歯国の
東にあり其人
かしらひとつに
して身は三つ
あり
【挿絵】蜒三蛮国
此国人船をもつて
家とすきわめて
まつし冬にいたるに
も身に一衣なし
魚を取て食と
す妻子共に船に
のりゆくさきに
とゝまるなり

【挿絵】木蘭皮国
此国大食国の
西に大海有海
の西に国有其
数かきりなし其
中に木蘭皮
国まては人みな
いたるへし昔
陀盤の地より船をいたして西に行事百日に
して一つの小船をみる舟のうちに数百人のりて
酒さかなもろ〳〵のうつはもの有其国の生する
所麦一粒のたけ三寸爪の大さめくり四五尺也
柘榴一顆おもさ五斤桃は二斤菜のたけ三四
尺井をほる事ふかさ百丈にして水あり羊のたかさ
三四尺春は腹をさきてあふらをとる事数十斤
二たひ其疵をぬふてよく又よみかへらしむこれ
ぬふ所の糸にくすりをぬるといふ
【挿絵】賓童龍
此国もと占城
国の貴人国の
あるしとなれ
り道ゆく時は
さうにのり馬
にのるつきし
たかふ者数百
人皆手ことに盾をもてりあかきかさをさすそ
の従者木の葉に食をもり椰子酒と米酒と

をもつてみち〳〵たてまつるある人のいわく仏書
にいへる王舎城はすなはちこの地なり今目
連舎利弗の塚ありと云
【挿絵】骨利国
此国回鶻の北
大海の辺に
有名馬をい
たしあきなふ
其国昼なかく
夜はみしかし
日くれて後天の
色くろし羊を煮て熟する時夜明て日いつると云
【挿絵】頓遜国
此国昔梁の
武帝の時み
つき物をたて
まつる其国海
島の上にあり其
国人まさに死
すれは親族こと〳〵く歌舞して野にをくる鳥有
其かたちあひるのことし数万とひきたる親族み
なかたはらに立よる其鳥死人の肉を食しつ
くすすなはち其ほねを火葬してかへるこれを
鳥葬と名つくなり

【挿絵】狗骨国
此国人皆人の
身にして犬の
かしらなり身
になかき毛有
て又衣を着す
ものいふこと葉
犬のほゆるか
ことし其つまは皆人にしてよく漢語に通す
貂鼠皮を衣とし犬人と夫婦として穴にすめ
りむかし中国の人其国にいたる犬人の妻
其人をにけかへらしむ犬人これををふ時
帯十余筋をおとす犬ひとこれをくわへて穴に
帰り此内にのかれ帰りぬと云応天府より行事
二年二月にいたる
【挿絵】長人国
此国の人たけ
三四丈なり昔
明州の商人
海を渡るとき
霧ふかく風あ
らくして舟
のむかふかたをわきまへすやう〳〵霧はれ風やみて後
ひとつの島につくふねよりあかりて薪木をとらんと
するにたちまちにひとりの長人をみる其行こと
飛かことしあき人おとろきおそれてにけまとひ

ふねにかへる長人この人をおふて海にか
けいる船人強弩の大弓をはなつにのかるゝ
事をえたり
【挿絵】蒲甘国
犬理国【三才図会では「大理国」】より五
程にして其国
にいたる黒水と
淤泥河とをへ
たてゝしかも難
所なるをもつて
西蕃の諸国通
路なし其国の王は金銀の冠をいたゝき金銀をもつて
家をかさりちりはめ錫をもつて瓦をつくりてふくと云なり
【挿絵】婆羅遮
此国人男女共に
いぬのかしらをい
たゝき猿の面
をかけ日夜まひ
あそふなり
【挿絵】五渓蛮
此国人父母死す
る時は鼓を打
歌をうたひ親
属酒宴して
舞あそふ山に
ほふふりて其子
三年の内塩を
くらはす

【挿絵】哈密国
此国西蕃の内
に有火州の東
なり国の風俗
は回々国と
たつたん国に
同し
【挿絵】撒馬兒罕
此国哈刺国の
東に有もと是
西蕃の内也山川
の景物すこふる
中国に同しあき
なふ物は皆国中
の銭をもちゆ
となり
【挿絵】孝臆国
此国のめくり三
千余里平沙【「沙」は三才図会「州」】
の内にすめり
木をもつて柵か
きをつくる柵
のうちめくり
十余里其内
に人家二千余あり気候常にあたゝかにして草木
冬もしほます国人皆長なかく大鼻にしてま
なこあをくかみ黄なり其おもて血のことくつね
にかみをゆふことなし五こくゆたかに金鉄おほく
麻布を衣とす商敗のあきないものなし道

行時は男女ともに其おやをつるゝ孝道の
国なり馬羊をやしなふをわさとせり
【挿絵】繳濮国
此国永昌郡の
南の方一千五
百里にあり
国人みな尾有
座せんとする
時は先地をほ
ほ【「ほ」衍字ヵ】りて穴を作
其尾おきてのちにさすもしあやまりて其尾
をうちおる時はすなはち死すとなり
【挿絵】的刺普刺
此国皆城池家井
あり田をつくる
又明珠をいたす
其玉光りあり又
もろ〳〵の宝石
おほし応天府
より行事二年
一ヶ月にしていたる
【挿絵】三首国
此国人むかし夏
后の時に有一
身にして三つ
のかしらあり

【挿絵】真臘国
此国広州より船
をいたして北風
十日にして此国
にいたるへし天
気さらにさむ
き事なし
妻をめとるに
は男まつ女の
家にゆくとなり国人もし女子を生すれは九才の時
に僧をよひて経をよましめ其女子の身より
血をいたし其ひたいに点すしからされは国
人めとらすもし人の妻他人と通すれは其
おとこ大によろこひていはく我妻かたちうつ
くし此故に人のために愛せらるゝとてさ
らにとかむることなしもし盗人あれはその
手足をきる火印をもつて其かほにしるし
をつくると也国人のとかををかせは金を出して
あかなふ金なけれは身をうるとなり
【挿絵】道明国
此国の人身に衣を
着せすもし人の
衣を直せるをみ
ては則是をわら
ふ国に塩とくろ
かねなし竹を以
て弓矢につくり
鳥をいて食とす

【挿絵】七番国
此国山をたかへ
し田をつくる駝
牛をいたして
あきなふなり
【挿絵】猴孫国
此国一には抹刊刺
国と云若他国より
此国をとらんとす
れは数万の猿有
てふせきかへえす応
天府より行事
三年にしていたる
となり
【挿絵】勿斯里国
此国白達国に属
す国人七八十歳
まて雨をみさる
ものあり大なる
江ありて其み
なもとをしらす
大水田をひたす
水のうちより神人いてゝ石の上に座す国人是を礼し
て年の吉凶をとふに神人わらふ時は吉なりうれ
へ有時はわさはひ有国人山の上に廟をたてゝ
是をまつる廟の上に大鏡あり他国より其国
にわさわひせんとする時はかゝみにうつりてみ

ゆるといふなり
【挿絵】焉耆国
此国の風俗正
月元日二日八日
は婆摩遮の
まつり三月十五
日は遊林の祭
五月五日は弥勒
下生の日七月
七日は先祖のまつり十月十日には国王より首領
の臣をいたし両部【「両部」三才図会は「両朋」】の兵をわかち甲冑をきせて
石をうち杖をもつてたゝかふ《割書:今いふ印地|なるへし》たかひ
に死するをまちてとゝむとなり
【挿絵】瑞国【正瑞国】
此国人ひつしを
やしなひ田を
つくる人家多

【挿絵】龜茲国
此国牛馬のたゝ
かふをもつてた
はふれとし七日
のうちにせうふを
見てその年の牛馬の吉
凶を見ると
    いふ

【挿絵】丁霊国【釘靈國】
此国海内にあり国
人ひさより下に毛
を生して足は
馬のことしよくはし
るにみつからその
足に鞭うつ一日に
三百里を行応天
府より行事二年に
いたる
【挿絵】野人国
此国山林多し人皆
木のはをくらふ国
人たつたん【韃靼】国と
たゝかふにまけす
となり
【挿絵】蔵国
此国城池人家有
国のうちに大成
柳の木多し応
天府より行事一
年三ヶ月にし
ていたる
【挿絵】黙伽臘国
此国城池人家有
国主有人是に
したかふ大海より
珊瑚樹をいたす
国人くろかねのあみ
ををろしさんこ
をとるといへる
此国のこと成へし

【挿絵】奇肱国
此国人よく飛
車を作りて風
にしたかひて遠
ゆく昔慇【殷】の
湯王の時奇
肱国の人く
るまにのり
て西風によつて豫州にきたる湯王其車を
やふりて国民にみせしめすそのゝち十年を
へて東風吹とき奇肱の人またくるまを
つくりてかへる其国玄玉門の西一万里にあり
【挿絵】無䏿国
此国人腹の
うちに腸な
し土を食
として穴に
すむ男女し
するもの皆
土にうつむ
そのこゝろくちすして百年の後又化して人
となる其肺の蔵くちすして百二十年に
又化して人となる其肝の蔵くちすして
八十年に人となる其国三蛮国に同し
             となり

【挿絵】大食勿斯離
此国秋の露
をうけて日に
さらすに雨と
なるあちはひ
まことに甘露
なり山の上
に天正樹有
木のみ栗のことし蒲芦と名つく国人とり
て食す次のとし又生するを麻茶といふ
三年にして生するを没石寺といふ又桃
柘榴くるみ等あり木蘭皮国とおなし
くゆたかなり
【挿絵】木直夷国
此国獦獠国の西にあり鹿の角をもつてうつ
わものとし国人死する時はくゝめてこれを火
葬にすその人いろくろき事うるしのことし
冬にいたれは沙のうちにとゝまりてそのかし
らをいたすとなり

【挿絵】一臂国
此国人一目一孔一
手一足半躰
にしてあひなら
ひてゆく西海
の北にあり
【挿絵】乾陀国
此国昔尸毘王の
庫火のため
にやかれてこかれた
る米今にあり人
一粒を食する時
は身ををふるまて
やまひなしとなり
【挿絵】長毛國
応天府よりゆく事二年十ヶ月にして
いたる国人みな其身に長毛あり城池人
家田畠あり其国人はなはた短少なり
晋の永嘉四年中国にきたれり

【挿絵】昆吾国
此国よりからかねをいたすかたなにつくるに玉
をきる事泥よりもやすし其国塹をかさ
ねて浮屠をつくる屍をおさめまつりて哭す
るを孝行とす

【後見返し】

【裏表紙】

BnF.